15:名無しNIPPER[saga]
2015/10/28(水) 01:22:36.93 ID:iHsws6qc0
もしかしたら、対象である榛名の方から仕掛け人である提督に「ドッキリ成功!」と伝えなければいけないのではないか。というのも、提督がこの「ドッキリ」で意図したであろう榛名との親密さの向上は既になされたのだから、後は宣言が残るのみである。考えてみたら、死人には口がないのだから宣言する方法がないと今更ながらに気づく。
問題はどのようにして仕掛け人に「ドッキリ成功!」と伝えるかであった。死人には耳もないのだから、ただの発言では不十分であることは明白である。そして、ここで通常予想されるであろうことは榛名が問題を解決しようと何かしらの伝達手段を考え出すということである。
しかし、純愛を貫こうとする榛名は「ドッキリ成功!」と榛名自身が宣言する行為の意味に不穏なものをみとめた。私が「ドッキリ成功!」と完全に宣言した時、それはこの死体の状態である提督を否定しているのではないか。純愛とはいかなる状態であろうとその対象を愛することではなかったのか。
例えばお金持ちの状態である時だけ対象を愛して、一度対象が貧乏の状態に陥るやいなや愛をやめるのは純愛ではないはずであり、また若く張りのある容姿の時だけ愛して、老いて渋紙のようなしわくちゃの容貌になると見向きもしないなんてことも当然純愛ではないはずだ。
性格についても同じである。一般的には「彼の優しい人格に惹かれて、愛の関係を育んだ」などと言えば純愛扱いされるようだが、条件節があるということは「優しくなければ、愛さない」と暗に述べたも同然で、それは金銭や容姿を条件とする愛の構造と同型であり、愛さないという世界の可能性がある限り純愛ではない。
純愛とは対象のあらゆる状態を度外視して愛すことであり、状態条件に左右されて「椅子に座った提督は好き、立ち上がった提督は嫌い」などと言っている内は純愛ではないのだ。対象から環境、肉体、精神という経験的要件を全て捨象しても愛することができなければならない。つまり、究極的にはその人生において対象に出会うことがなかったとしても、その対象を愛するということこそ純愛の唯一の成立条件なのだ。
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