895:名無しNIPPER[saga]
2017/11/17(金) 00:26:06.60 ID:yCFgfYGCo
◇
僕とあさひの間にそれ以上の会話はなかった。思考もまた、それ以上は続けられなかった。
虚ろに広い洋室のなかで、僕たちは向かい合って座ったまま目も合わせなければ言葉も交わさない。
ただ酒を飲み交わすだけだ。
遠くの方から犬の鳴き声が聴こえる。車の走る音が聴こえる。誰かの怒鳴り声が聴こえる。
けれどそれらすべてが今この場所とは関係がない。
やがてあさひはもう降参だというかのように何も言わずに立ち上がった。
階段を昇る足音が聞こえ、ドアが開き閉まる音が聞こえ、やがてシャワーの水音が聴こえはじめた。
あとは勝手にしろと言われたみたいだった。
僕はグラスの底に残った何ミリかの赤い液体を口に含む。
電灯のあかりがよそよそしく刺々しい。もはや沈黙すらない、静寂ですらない無音がここにある。耳鳴りのような無音だ。
しばらくぼーっとしている。何も考えられない、何も思いつかない、何も思い出せない。そんな時間がずっと続いていた。
時計の秒針の音がやけにうるさく、苛立たしいほどに遅く感じられる。
不意に、叩きつけるような音が響きはじめ、そういえば雨が降っていたんだ、と僕は思い出した。
窓の外を眺める。外では雨が降り続いている。犬の鳴き声が聴こえる。
景色が灰色、灰色だ。
その夜僕は眠れなかった。あさひはもう僕の前に顔を見せなかった。
僕は勝手に浴室を借りてシャワーを浴びて、ダイニングのテーブルに突っ伏してイヤフォンをつけて音楽を聴いて夜を過ごした。
少しも眠れられないままやがて朝日が昇った。
ふと思い出して鞄をあさると、すみれの煙草が入っていた。
僕は身支度を整えて外に出た。雨は止んでいたが、街はひどく静かに青褪めている。
夢の中にいるみたいだと僕は思った。
煙草に火をつける。その光がやけに暖かかった。
さて、どこにいこうか、と僕は考える。
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