過去ログ - やる夫が正史を書くようです40
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181:名無しNIPPER[sage]
2017/05/09(火) 07:29:16.80 ID:BsuKPU87o
>>179

>例え、情勢を見た上での便宜的な策だとしてもだ。

孫盛が言ってるこの部分も、その辺りを指してるんだろうけどね。
以下略



182:名無しNIPPER[sage]
2017/05/09(火) 13:46:22.72 ID:PLMS/KLbo
孫酷の所業もさることながら韋昭を処刑したことが史家には余計怒りを募らせたのかもね


183:名無しNIPPER[sage]
2017/05/09(火) 13:47:53.13 ID:aDTJRELd0
>>180
第36話でチラッと出てたな>孫チン伝に寺壊したり僧侶斬ったりの話

正史で仏教について触れてるのって、たぶんこの孫綝の逸話と、後漢末期に仏教軍団を率いた笮融しかないと思うけど
両者の間の70年ぐらいに何があったかはよくわからないよね


184:名無しNIPPER[sage]
2017/05/09(火) 21:23:37.42 ID:aDTJRELd0
https://www.famitsu.com/news/201705/09132662.html
三国無双8に程普登場か


185:名無しNIPPER[sage]
2017/05/10(水) 12:31:53.02 ID:gj6Hb+LC0
無双8はあと周倉もでるとか

>>182
>韋昭を処刑したことが史家には余計怒りを募らせたのかも
あー、なるほど


186:名無しNIPPER[sage]
2017/05/10(水) 19:46:25.65 ID:omxMsNlB0
>>181
ただ、裏を返せば「孫晧を斬って抵抗する連中がいたら、徹底的に殲滅すればよかった」という意味でもある。
呉の遺臣への嫌味でもありますね。


187:名無しNIPPER[sage]
2017/05/10(水) 19:53:21.44 ID:omxMsNlB0
>>183
あと当時「仏教を始めたのは実は老子で、西に去った老子が浮屠(仏陀)を教化した」
という説(老子化胡説)があったのが、『魏略』「西戎伝」の記述でわかります。

こういう説が出てくるのは、それなりに脅威としてみられていたからかな、と。


188:名無しNIPPER[sage]
2017/05/10(水) 20:04:36.11 ID:QZhRysAKo
この時代前後の仏教史はとあるスレがダイジェストながらかなり詳細に解説してる、仏教だけでなく道教も並行して
(体系化された上で入ってきた仏教に触発されて神仙思想も体系化されて道教となっていく、という過程な関係から)
メインはやっぱりこの時代の後なんだけどね


189:名無しNIPPER[sage]
2017/05/10(水) 20:37:34.41 ID:uVlaoETFo
マニ教の場合は中国で布教する際にはブッダと類似性を強調したり
その西晋時代の「老子化胡経(ブッダは老子の末裔としている)」に
唐時代に加筆して老子の予言として
「450年後、私(老子)はバビロニア(蘇隣国)の宮廷に降下して、太子として誕生するだろう。
家族を残して道に入り、出家して末摩尼(マール・マーニー)と称するだろう。
以下略



190:名無しNIPPER[sage]
2017/05/10(水) 22:06:28.17 ID:6U08q2Av0
>>186
>呉の遺臣への嫌味
孫盛は西晋臣下の家出身だけど、呉の遺臣たちが結構な勢族になっている東晋で「呉への嫌味」はあまり言えないのでは?
むしろ東晋や南朝では「西晋や、孫皓治世下の呉は反面教師。やっちゃいけない治世」という思いが強かったらしいので、それに沿った意見なのかも

以下略



191:名無しNIPPER[sage]
2017/05/11(木) 12:56:36.94 ID:IIMBwVP40
いままで司馬炎の寛大さは「大豪族たちに逆らえない気の弱さ」ぐらいにしか思っていなかったんだけど、
政争でも頑として死罪にはしなかったり、大豪族王渾の弾劾を退けて王濬をかばうところといい
司馬炎は単なる気の弱さじゃなくて、「君主は寛大たるべし」という相当強固な信念をもっていたのかな?


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