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勇者「王様が魔王との戦争の準備をしている?」 - SS速報VIP 過去ログ倉庫

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1 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:07:57.32 ID:yFuxTM2h0
道具屋「あくまで噂だけどな。ウチにも聖水や満月草の注文が大量に入った。信憑性はある」

道具屋「兄ちゃんも、下手に旅なんかするよりは、兵士として雇ってもらったほうがいいかもな。はっはっは!」

道具屋「で、薬草と毒消し草だ。ほら」

勇者「ありがとうございます」

道具屋「このご時世に二人旅とは大変だな。しかも、随分と別嬪さんじゃないか」

狩人「……」

勇者「はは……」

狩人「勇者、いこ」

道具屋「ありがとうございー。またのお越しをー」

 勇者はともに旅をする狩人に引かれる形で道具屋を後にする。

 ここは鄙びた小村である。往来に人通りは多いが、誰しもみな力がない。
 それが魔王による長年の影響のせいであろうことは、想像に難くなかった。

 ふらふらとした一つの影と、足取りのしっかりとした一つの影。
 少し険のある、くたびれた印象の、剣を帯びた男――勇者。
 三白眼で褐色肌の、矢筒を担いだ女――狩人。


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1341997677
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旅にでんちう @ 2024/04/17(水) 20:27:26.83 ID:/EdK+WCRO
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木曜の夜には誰もダイブせず @ 2024/04/17(水) 20:05:45.21 ID:iuZC4QbfO
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/aaorz/1713351945/

いろは「先輩、カフェがありますよ」【俺ガイル】 @ 2024/04/16(火) 23:54:11.88 ID:aOh6YfjJ0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713279251/

【MHW】古代樹の森で人間を拾ったんだが【SS】 @ 2024/04/16(火) 23:28:13.15 ID:dNS54ToO0
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こんな恋愛がしたい  安部菜々編 @ 2024/04/15(月) 21:12:49.25 ID:HdnryJIo0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713183168/

【安価・コンマ】力と魔法の支配する世界で【ファンタジー】Part2 @ 2024/04/14(日) 19:38:35.87 ID:kch9tJed0
  http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1713091115/

アテム「実践レベルのデッキ?」 @ 2024/04/14(日) 19:11:43.81 ID:Ix0pR4FB0
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エルヴィン「ボーナスを支給する!」 @ 2024/04/14(日) 11:41:07.59 ID:o/ZidldvO
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2 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:09:13.44 ID:yFuxTM2h0
 二人は魔王討伐の旅のさなかであった。

勇者「疲れた……」ハァハァ

狩人「いつも思うけど、どうしてそんな遅いの」

勇者「お前が健脚すぎるんだよ、ったく」

狩人「けんきゃく……?」

勇者「足が速いってことだ」

狩人「勇者は物識り」

勇者「ルーン文字の一つでも覚えたほうが役に立つさ」

勇者「それより寝るところを確保しないと」

狩人「うん」

勇者「お、あったな。あれだ」

宿屋主人「よ、いらっしゃい」

勇者「二部屋あいてますか?」

宿屋「二部屋、二部屋かぁ。すまんね、旅人のみなさんに貸してて、一部屋しか残ってないんだわ」
3 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:09:58.98 ID:yFuxTM2h0
勇者「だってさ。どうする?」

狩人「どうする、と言われても。ここ以外にないなら、ここしかない」

勇者「もっと嫌がるかと思ったけど」

狩人「野宿よりはましだし」

狩人「一年半も旅してれば、気にならない」

勇者「さいですか……」

勇者「あー、じゃ、それでいいです」

宿屋主人「まいどありー、80Gになりやすー」

 勇者は鍵を受け取って二階へと上がった。
 部屋には粗末なベッドとラグが数枚あるきりで、他に大したものは見当たらない。
 この程度の安普請は仕方がないな。勇者は息を吐き、振り返った。

勇者「ベッドが一つだけど、」

狩人「勇者が」
勇者「狩人が」

二人「「……」」
4 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:10:42.64 ID:yFuxTM2h0
狩人「……」ジー

勇者「わかった、わかったよ。俺が寝るよ」

狩人「一緒に寝る?」

勇者「冗談だろ?」

狩人「……」ジー

勇者「そんなジト眼で見るなよ」

勇者「慕ってくれるのは嬉しいけど、やめといたほうがいい」

狩人「恩返しがしたいの」

勇者「一緒に旅してもらってるだけで十分だ」

勇者「大体、そのためにお前を助けたわけじゃない」

狩人「私がどう受け取るかの問題」

勇者「それに、未練があってもいやだろ」

狩人「未練?」

勇者「冒険者なんてやくざな稼業だ。明日の命もわからん」
5 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:11:10.62 ID:yFuxTM2h0

狩人「怖いのか? 死ぬことが」

勇者「殺して、殺されて、なんぼだろ。理解はしてる。ただ、死ぬのは悲しいからな」

狩人「勇者」

勇者「ん?」

狩人「よしよし」ナデナデ

勇者「……」

狩人「落ち着くか?」

 「落ち着く」と素直に返すのはなんだか癪だった。
 顔の火照りを悟られないようにしつつ、勇者は立ち上がる。

勇者「俺は買い物に行ってくるから、休んでてくれ」

狩人「私も行く」

勇者「疲れてるだろ」

狩人「私も、行く」

勇者「……まぁ、いいけど」
6 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:12:09.84 ID:yFuxTM2h0
狩人「だいたい勇者のほうがふらふらしてた。来るとき」

勇者「俺は回復が早いからな」

狩人「ベッドあるぞ。休まなくて平気か」

勇者「だいじょうぶだよ」

狩人「添い寝もするか――あうっ」

狩人「なぜ叩く」

勇者「行くぞ」ガチャ

狩人「本当につまらないやつだ」

狩人「たまには私の肉体に溺れればいいのに」

勇者「魔王倒したらな」

狩人「えっ」

勇者「うそだ」

狩人「ずるい」

勇者「ずるくないずるくない」
7 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:13:21.22 ID:yFuxTM2h0
狩人「どこに行くの」

勇者「道具屋と、ギルドだな」

狩人「……」

勇者「どうした?」

狩人「え?」

勇者「ついてくるんだろ?」

狩人「(コクコクコク)」

勇者「じゃあ、来い。探すのはお前の仲間でもあるんだから」

 往来に出る。
 嘗ては馬も行き交っていたのかもしれないが、荷車を引くのは、今や人、人、人。
 馬は全て王国軍に軍馬として召し上げられているのであった。

 あながち道具屋の言っていたことも嘘ではないのかもしれないな、と勇者は思った。
 隣国とは不仲である。一触即発というほどではないにしろ、不穏な空気は常にあった。国境では小競り合いも何度かあったという。
 それでもなんとか天秤が保たれてきたのは、第三勢力として魔王軍が存在したからである。
8 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:14:04.49 ID:yFuxTM2h0
 同類を[ピーーー]よりも人外を殺したほうが後腐れはない。それが両国の判断だった。どうせあちらは滅多に言葉すら解さないのだ。
 魔王軍はゆっくりと、だが着実に力を増してきている。隣国とも手を取り合って叩かねばならぬと、両国王がわかっていないとも思えない。

 だが、笑顔の裏には常に刃が隠されている。厚い厚い面の皮を破って、いつ刃が飛び出してくるか――誰もがびくびくしているのだ。

 輦轂の下にある道具屋のみならず、田舎にまで注文が来るということは、眉に唾をつける必要がない証左だ。
 そんなことをぼんやり考えながら勇者は歩を進める。
9 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:15:55.22 ID:yFuxTM2h0

狩人「どこに行くの?」

勇者「ギルドだ。二人よりも三人、三人よりも四人」

狩人「そっか。うん。わかった」

勇者「含みがあるな」

狩人「二人きりでもいいけど」

勇者「旅行じゃないんだから……」

狩人「わかってる。言ってみただけ」

 ギルドは新しく、村の中でもわりあい大きかった。こんな大陸の外れまで争いの予感が届いているのだ。
 旅人で部屋が埋まっているといった宿屋の言葉もうなずける。
10 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:16:42.47 ID:yFuxTM2h0

 勇者はギルドの扉を開いた。皮と、鉄と、汗のにおいが一気に流れてくる。
 五感の鋭い狩人がわずかに顔を顰めた。

 静かだが、それだけではない空間である。緊張が静電気となって二人の肌を焼く。
 こちらがあちらを値踏みするように、あちらもまたこちらを値踏みしている。

店主「いらっしゃい」
勇者「旅の仲間を探しているんですけど、二人ばかり」

 たむろしている男が、女が、勇者とマスターのやり取りに耳を傾けている。
 勇者はそれをあえて無視し、軽く店内を一瞥した。

店主「テーブルに、座っている奴らがいるだろう」

勇者「声をかければいいのか。誰でも?」

店主「あぁ。ただ、仲介料は取るよ。100Gだ」

勇者「……狩人?」

狩人「(ジー)」

勇者「何を見てるんだ……ばあさんと、ガキ?」

 店の奥、二階へ上る階段のそばで、老婆と少女が何かを飲んでいる。
 どちらもギルドにはおおよそ場違いな年齢で、勇者は思わず本音を漏らしてしまった。
11 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:18:19.68 ID:yFuxTM2h0

狩人「そんな言い方はよくない」

勇者「事実だろ」

狩人「二人とも、手練れ。だいぶ強い」

 狩人の人を見る目は悪くない。また、彼女自身が相当の手練れでもある。
 そんな彼女をして手練れと言わせしめる老婆と少女は、少なからず勇者の興味を引いた。

勇者「お前が言うならそうなんだろうな。ちょっと声をかけてみるか」

少女「その必要はないよっ!」

 黄色い、少女特有のソプラノであった。
 気が付けば勇者の胸のあたりに少女の顔がある。
 年齢相応の、けれど意志の強そうな、凛々しい顔である。

少女「ちょっとちょっと、初対面に向かってババアだのガキだの、無礼な男ねっ!」

勇者「ババアとは言ってないけど」

少女「おんなじことでしょ! 武器の錆にするよっ!」
12 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:19:19.23 ID:yFuxTM2h0

 ざわ、ざわ、ざわ。周りが騒ぎ出したのを察して、勇者は「厄介だな」と口元を隠す。
 着いてそうそう騒ぎを起こしては、この村に宿泊することも叶わなくなる。
 やたらに血気盛んな少女から視線を外さず、残った手で勇者は道具袋の煙玉をつかんだ。

 と、勇者の肩を叩く者があった。少女と一緒の席についていた老婆だ。

老婆「若いの、ちょっと場所を移さんか。ここは騒がしくていかん。年寄りには堪える」

勇者(いつの間に後ろに……?)

 煙玉が間に合うか。戦場では思考の時間が生死を隔てることもある。逡巡している暇はなかった。
 煙玉をつかんだ手を袋から抜出し、

狩人「わかった」スタスタ

 狩人が扉を開いて出ていく。勇者は煙玉を道具袋に戻し、自分でも素っ頓狂だとわかる声を発した。

勇者「か、狩人?」

老婆「じゃ、わしも行っとるぞ」

少女「待ってよおばあちゃんっ」

勇者「え?」
13 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:20:36.00 ID:yFuxTM2h0

 聞き返したつもりではなかったが、少女は耳聡いらしい。剥き出しの敵意で勇者を睨め付ける。

少女「は? おばあちゃんよ。アタシの」

勇者「孫と一緒に旅してるのか?」

 親子で冒険、という組に出会ったことはあったが、孫と祖母という組み合わせは初めてだった。

少女「ちょっとちょっと、アタシのおばあちゃん馬鹿にしないでよねっ」

勇者「してない」

少女「いや、したっ」

勇者「わかったから。行くぞ」

少女「指図すんなっ、馬鹿!」

 少女に尻を蹴られながらも外に出ると、日光の下、狩人と老婆が立っている。

老婆「遅かったな」
14 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:21:47.74 ID:yFuxTM2h0

勇者「機嫌を損ねたなら謝る。悪かった」

老婆「そういうことではない。お前ら、魔王を倒すために旅をしてるんじゃろう?」

勇者「なんでそのことを?」

老婆「ひゃひゃひゃ……伊達に歳を食ってるわけじゃないぞ」

老婆「なに、旅に加えてもらおうと思ってな」

少女「おばあちゃんっ」

 少女が反射的に声を上げるが、老婆は慣れた様子でそれを諌める。

老婆「まぁ、慌てるんじゃない」

老婆「住んでいたのは北にある辺鄙な村でな。そのせいか、よく下級の魔物がやってくる」

老婆「わしの血脈はみな村を守るために戦っていた」

老婆「しかし、気が付いたんじゃよ。このままじゃ埒が明かないということに」

老婆「お前らも同じ、魔王を倒したいんじゃろう? 利害は一致しておる」
15 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:22:37.14 ID:yFuxTM2h0

少女「でも、こんなやつらだめだよっ。絶対弱いよ!」

勇者「なんだって?」

狩人「勇者。大人げない」

少女「おばあちゃんがいいって言っても、アタシはよくないっ」

少女「魔王を倒せるくらい強くないと、意味ないもんねっ!」

勇者「って、言ってるけど」

狩人「うー……じゃあ、怪我しない程度に」」

少女「怪我で済めばいいけどねっ! ぺしゃんこになっても知らないよっ!」

勇者「安心しろ、すぐ終わらせる」
16 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:23:28.77 ID:yFuxTM2h0

 勇者はその時ようやく、目の前の少女が背負っているものに気が付いた。
 雲のような鈍色をした金属。柄の先端と殴打面には金色の幾何学模様が描かれている。

 金槌。それも、少女と同じくらいの長さのある。

 ベルトを二か所外し、明らかに重量のあるそれを、少女は綿でできているかのように片手で振りぬいた。
 きっかけこそ不意ではなかったが、速度は余りあるほどの不意であった。しかし、勇者はそれを見ながらただため息をつくだけで、

 ぶちっ

少女「え?」

 次の瞬間には勇者の潰れた頭部が転がっていた。

 これくらい軽く回避できると思っていたのだろう。もしかしたら単なる威嚇のつもりだったのかもしれない。
 少女はぽかんとした表情で、声すらあげず、目に涙を溜めるばかりである。
17 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:24:23.59 ID:yFuxTM2h0

 砕かれた頭から、頸動脈から、血が噴出し往来を染め上げていく。

 遠くから聞こえる通行人の困惑と、叫び声。

エッ ヒト シンデナイ?
サツジン?
ウソデショ……

少女「ッ!?」

狩人「逃げます」

老婆「おやおや……転移魔法を使うかい?」

狩人「できれば」

老婆「ほれ、孫、行くよ」

老婆「んじゃ、ほい、と」ヒュンッ
18 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:27:35.22 ID:yFuxTM2h0
――――――――――――――――
 勇者は夢を見ていた。
 いつも、死んでいる最中は夢を見る。
 大抵は地獄のような、彼を苛む夢であるが、時たま生まれ故郷の夢を見ることもある。

 今回は後者であった。

 生まれたのは魔王城を頂く山の麓にある町だ。
 治安は決してよくないけれど、それゆえに守りも手厚く、目立った人死にが出ることもない。そんなところ。

 幼いころから、剣の素養も魔法の素養もあった。
 器用なのか器用貧乏なのか、それはともかく、支配領域を強めている魔王に対抗すべく出発するのは、まったく不自然ではなかった。

 誰しも口にこそしなかったが、彼の双肩には期待がかかっていたのだ。

 このままでは、町はいずれ迎えるであろう魔王城攻略の要衝となり、戦火は免れない。そのためだった。
19 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:28:48.68 ID:yFuxTM2h0
 旅は熾烈を極めた。最寄のギルドに行くのすら、山を下りなければいけない。
 魔王を倒す仲間を集めることすら難しい。
 一週間もたたず殺された。どこにでもいるようなゴブリンが相手だった。

 意識が朦朧とする中、光に包まれた女性が目の前に立っているのを見た。
彼は、彼女に何者なのかを問うた。

『あなたの嘗ての先祖に、高名な冒険者がいました。彼は仲間とともに、魔王を打ち破ったのです』
『血に刻まれた加護が、魔王を倒す力をあなたに与えている』
『魔王を倒すまで、あなたにとって、死は休息であり終焉ではない』
『古の加護。自動蘇生。その名はコンティニュー』

 夕方、木の根元で目を覚ました。
20 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:29:44.18 ID:yFuxTM2h0
 とりあえず仲間を探すところから始めた。
 魔物を殺しながら経験を積み、山を下り、王都に向かった。
 煌びやかな装飾。聳え立つ煉瓦造りの教会。煙を吐き出す煙突。

 故郷と比べてはるかに偉大な土地を、ひっきりなしに兵士が動いていた。
 魔王の軍勢が各地で活動し、その対応に追われているのだと、武器屋の主が教えてくれた。

 最初に旅をしたのは、そこで見つけた三人の仲間とである。
 青い瞳の柔和な僧侶。
 故郷に錦を飾るのが夢の武闘家。
 国境警備軍を辞めてやってきた騎士。

 いい仲間だった。

 武闘家には酒を。騎士には戦術を。僧侶には女を。それぞれ教えてもらった。
21 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:31:28.58 ID:yFuxTM2h0
 そして、全員が死んだ。

 わずかな気の緩みが命取りだったのだ。
 魔物の隊長格との戦闘で、騎士が倒れ、武闘家が倒れ、僧侶もまた倒れた。
 相討ち覚悟で隊長格の首を薙ぎ払い、勇者もまた倒れた。

『コンティニュー』

 暗闇の中にその文字が浮かんだかと思えば、魔物の根城の前で倒れていた。
 根城の中には、三人の死体と、魔物の灰だけがあった。
 彼は勝ったのだ。方法と、犠牲はともかくとして。

 しかし、犠牲を顧みない勝利に、いったいどれだけの価値があるだろうか?
22 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:32:23.32 ID:yFuxTM2h0
――――――――――――

 勇者が目を覚ますと、鬱蒼と茂った木の葉が見えた。
 ところどころから木漏れ日が差し込んでくるが、それにしたって薄暗い。
 気温から察するに夕方のようだ。

勇者「……あー、復活したか」

 首と顔を確かめながら呟く。加護はいまだ健在のようだ。

狩人「おはよう」

勇者「どれくらい寝てた? ここは?」

狩人「おばあさんの転移魔法で、森の中。四時間くらいかな、復活までには」

勇者「そっか」

狩人「大変だったんだから」

勇者「いっつも迷惑をかけるな」

狩人「女の子は吐きまくってグロッキーだったし、宿屋には泊まれないし」
23 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:33:09.81 ID:yFuxTM2h0
勇者「埋め合わせは、必ず」

狩人「別に、いいけど」プイッ

勇者「あの、狩人さん?」

狩人「なに」

勇者「腕を抱きしめてるのは、なぜ」

狩人「……」ギュッ

勇者「……なんだよ」

狩人「辛そうな顔してたから」

勇者「夢を見てた」

狩人「いっつもだね」

勇者「うん」
24 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:33:40.64 ID:yFuxTM2h0

勇者「夢の中で、俺の冒険を俯瞰してるんだ。どんどん仲間を使い捨ててきたよ」

狩人「大丈夫だから」ギュッ

勇者「お前もいつか死ぬだろ?」

狩人「死なない。逃げる」

勇者「……」

勇者「ていうか、あのばあさんとガキは?」

狩人「薪を集めにいった。慣れてるみたい、野営」

勇者「すげぇばあさんとガキだな」

狩人「うん……」ギュッ

勇者(あったけぇ……勃ちそう)
25 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:35:23.86 ID:yFuxTM2h0
狩人「楽したでしょ」

勇者「え?」

狩人「女の子と戦ったとき。死んだほうが早いって」

勇者「あれはダメだ、勝てない。逆立ちしても無理。負けイベントだな」

狩人「やっぱりそうだったの?」

勇者「対峙してわかった。ありゃ化けもんだ。手練れってレベルじゃない」

狩人「あの後、大変だった」

勇者「あぁ、村の人たち騒がせちゃったな」

狩人「そうじゃなくて、女の子」

勇者「そっちか。驚かせて悪かったとは思うけど」

狩人「そうでもなくて」

勇者「?」
26 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:36:28.58 ID:yFuxTM2h0
狩人「あのあと――」

少女「本人のいないところでそういう話は感心しないなっ!」

 振り向けば、鎚を背中に背負った少女が立っている。手には大小の木の枝。
 恐らく焚火にするつもりなのだろう。

狩人「ごめん」

少女「いいですけど。……ふん、アンタは大した食わせもんだね。勇者っていったっけ」

勇者「だってお前強すぎるんだもん」

少女「ふんっ。そりゃそうだよ。だから魔王倒しに行けるんだし」

勇者「ていうか、バ……おばあさんは?」

老婆「ここにおるぞえ」サワリ

勇者「ギャーッ!」

 背後から節くれだった指が勇者の頬を撫でた。
 性的なにおいのする愛撫に、全身が鳥肌を立てて拒絶する。
27 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:37:07.70 ID:yFuxTM2h0

勇者「な、なにすんだ!」

老婆「ひゃひゃひゃ。たまには若い男に触らんと長生きできんのよ」

 老婆もまた枝葉を抱えていた。それをまるで重そうに狩人へと渡す。

狩人「ありがとうございます」

老婆「なに、そう大した手間でもない。若者も元気そうで何より」

老婆「で、若者。ひとつ聞きたいんじゃが……」

老婆「お前のその蘇生、一体全体、どういう理屈じゃ?」

 深い皺の刻まれた表情に一瞬だけ狂気の色があらわになる。
 老婆は目を剥いて、食い入るように勇者から視線を逸らさない。

老婆「蘇生魔法は遥か昔に失われておる。その加護、神代のにおいがするなぁ……?」

老婆「お前に目を付けたのはそれのためよ。なぁ、若者。実に興味深い」

勇者「あんまり顔を近づけないでくれ。加齢臭がやばい」

老婆「あまりつれないことを言うなよ」
28 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:37:57.70 ID:yFuxTM2h0

 指が勇者ののど元に突き付けられる。
 老婆の爪は、なぜかその一本、右手の人差し指だけが、やたらに長く鋭い。
 皮膚に爪が押し込まれる。血こそは出ないが、かなりの力だ。

 ぞわり、としたものを、勇者は背筋に感じた。

老婆「お前の腹を捌けばわかるかもねぇ?」

少女「おばあちゃん!」

 鋭い声。
 老婆が振り向くよりも早く、背中へと短刀の刃があてがわれる。
 狩人が持っていた木の枝が、ばらばらと音を立てて落ちた。

狩人「冗談だとしても笑えない」

 相も変わらずに朴訥な声で狩人は言った。底冷えのする眼光を伴って。
 少女はその時漸く、いけ好かないあの男と行動している女が、なるほど確かに狩人なのだと気が付かされた。
29 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:38:32.48 ID:yFuxTM2h0

 老婆は「ひゃひゃひゃ」と一転軽く笑って立ち上がる。
 そうして深々と下がる、彼女の頭。

老婆「いや、なに。すまなかった。悪ふざけが過ぎたようじゃ」

狩人「……そう」

 短刀を鞘に納めて狩人は息を吐く。それだけで幾分か空気が弛緩するようで。

少女「もうおばあちゃんなにやってんのっ!」

老婆「老い先短いババアの戯言だと思って、大目に見てくれ」

勇者「……とりあえず、ご飯食べない?」
30 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:40:10.75 ID:yFuxTM2h0
――――――――――――――――――
 日もとっぷり暮れ、月影すらも見えない曇天が、群青と薄灰に空を染める。

 木の陰ではそれぞれが眠りに落ちている。

 老婆の転移魔法で毛布の類が手に入ったのは僥倖だった。
 これまで野営といえば地べたに横になるだけで、疲れがまったくとれなかったのだ。

 勇者は石に腰おろしながら独り、火の番をしている。
 火勢が弱くなれば木の枝を放り込む。三回やれば交代だ。

 行先は勇者に一任された。女性三人はこぞって経路に興味がないためである。
 それでいいのかと思ったが、いいと言う。ならば仕方がない。

 さてどうしたものかと彼が考えていると、思考を邪魔するかのようにぱちんと火の粉が弾け飛んだ。

 食事などを通して、老婆や少女との仲はだいぶ近づいた気がする。
 とはいえ先の老婆との件を考えると空恐ろしいものもあったのだが……。

 と、不意に遠くのほうで人の声がした――気がした。
 昼間の村からそう離れていないとはいえ、ここは魔物の出る森の中。村人がおいそれと入ってくるはずはない。
31 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:40:36.39 ID:yFuxTM2h0

 炎を見つけて近寄ってきた旅人だろうか。
 それとも。

勇者「……」

 唇を舐めて湿らせる。
 木々の隙間から、影が見えた。

 飛び出す。

 木のあるところで長剣など振り回していられない。短剣を腰から抜いて、弧を描きながら接近。

 相手がこちらに気が付く――前に二、後ろに一……否、後方にもう一人いた。

??「誰だっ!?」

 野太い男の声だった。
32 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:41:20.05 ID:yFuxTM2h0

 無論答えるはずもなく、肉薄、前衛の脇をすり抜けて、中衛の喉笛へと刃を充てる。

勇者「それはこっちの台詞だ。夜盗か? 俺の前に姿を見せろ」

 人質はどうやら女のようである。質のいい鎧を身に着けているが、匂いと柔らかさが女のそれだ。
 鎧? 勇者は眉間にしわを寄せた。こんなものを拵えた夜盗などいるものか。
 しかも女は儀式杖を手にしている。これはもしかすると。

 暗がりから光源魔法が唱えられた。
 わずかにあたりが照らし出され、その場にいた人物の姿が浮かび上がる。

兵士1「そいつを離せ」

 屈強な兵士だった。鎧には王家の紋章が刻まれている。

兵士2「我々は王立軍の者だ。この紋章がその証」

勇者「知っている」

 嘗てともに旅をした騎士が持っていた武器防具にも、同じ紋章が刻まれていた。
 古い記憶だが忘れるはずもない。
33 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:41:58.05 ID:yFuxTM2h0

 誤解を招いても困る。勇者は女兵士の首からナイフを離し、解放してやる。

勇者「こちらはただの旅人だ。手荒な真似をしてすまなかった」

 非礼を詫び、短剣を鞘に戻す。

兵士1「いや、いいんだ」

勇者「王立軍がたった四人で夜の森を抜けるだなんて、何があった?」

兵士3「極秘事項だ。それを答えることは許可されていない」

勇者「じゃあ、代わりになんだが、この辺で魔物の噂を聞いたことはないか?」

兵士2「ないな」

女兵士「わたし、あります、ケド」ビクビク

女兵士「この森を西に抜けると、町があります。わたしの故郷、ですケド」ビクビク

女兵士「そのそばに小さな集落があって、洞窟があって、困ってる、みたいな」ビクビク

勇者「(完全に怯えてるな)……そうか、ありがとう」
34 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:42:30.51 ID:yFuxTM2h0

兵士3「では、我々はこれで失礼する。我々と会ったことはくれぐれも他言しないように」

 ざく、ざく、ざく。四人の兵士は土くれを巻き上げながら、夜の森を行進していく。

勇者「小さな集落、ねぇ」

少女「無茶するね」

 木にもたれかかる格好で少女が立っていた。肩に毛布を掛けている。
 右手に鎚を握っているところを見ると、もしや加勢に入ろうと思ったのだろうか。

少女「無礼を働いたってことで殺されたらどうするのよ」

勇者「生き返るからいいさ」

少女「もっと自分を大事にしたら? ひねないでさ」

勇者「そんなつもりはないんだけど」

 よもや五、六は離れている少女に言われるとは思わなかった。

少女「結構戦えるじゃんっ」

 少女は不満気味に、ぶっきらぼうにそう言った。
 そのしぐさがどうにも年相応だったので、笑いをこらえきれず、勇者は噴出してしまう。
35 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:43:13.21 ID:yFuxTM2h0
少女「ちょっとちょっと、なんなのよっ」

 胸ぐらを掴み掛らん勢いで少女が勇者に迫る。
 この男がなぜか気に食わなかった。魔王を倒そうと息巻く癖にどうもひねているというか、厭世的なところが、特に。

 それか、逆か。
 厭世的でひねているくせに、魔王を倒そうとしていることが理解できないからか。

 少女は「ふん」と鼻を鳴らして、鎚を突き付けた。

少女「結果的に一緒に行くことになっちゃったけど、勝負、あれ、認めないから」

少女「魔王倒す足手まといにだけはならないでよねっ」

 それだけ言うと、肩を怒らせながら木の向こうに消えていく。

勇者「そうだ、悪かったな」

少女「なにが」

勇者「あー、なんだ。俺を、殺させて」

 少女の顔が引き攣った。
 反射的に少女が口元に手をやるが、体は止まらない。

少女「――――ッ!」
36 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:44:00.56 ID:yFuxTM2h0
 びちゃびちゃと耳障りな音を立てて、指と指、手と口の隙間から、得体の知れない液体が零れ落ちる。
 鼻を突く酢酸の臭い。

 少女はえずきながら頽れる。その間にも隙間から吐瀉物が零れ落ちていくのだった。

勇者「な、おい! 大丈夫か!」

 そんなわけはないのである。あまりにもわかりきったことしか言えないおのれに、勇者は心底腹が立つ。

 吐瀉物に塗れるのも構わず、勇者は少女に駆け寄った。
 が、しかし。

少女「大丈夫よ」

 あくまで毅然に少女は言った。汚れた口元を袖で拭い、手のひらは地面へこすり付ける。
 目には涙こそ浮かべているが、その瞳の鋭さと言ったら!
37 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 18:45:47.32 ID:yFuxTM2h0
 
 大丈夫だなどと、そんなわけがあるか、と勇者は思った。けれど同時に、少女もまた心の底からそんなわけがあるのだ、と思ってもいた。

 少女は何よりも目の前の男に心配されるのが殊の外業腹だったのだ。
 命を粗末にする人間は嫌いだった。

少女「みっともないとこ、見せたわね」

 唾を二回吐き出して、少女はようやく立ち上がる。

少女「寝るから。ついてこないで。おやすみ」

勇者「嫌われてる、なぁ」

 答えなどが降って落ちてくるわけもなく、ただ夜は過ぎていく。
38 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/07/11(水) 18:49:08.46 ID:UtySBwRO0
興味深い
39 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [sage saga]:2012/07/11(水) 18:52:09.18 ID:nqtQz2nB0
メール欄に「saga(sageじゃない)」を入れないと「殺す」とかが「[ピーーー]」になるよ
40 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/07/11(水) 19:08:29.13 ID:62DAyY5lo
期待
41 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 19:23:08.20 ID:yFuxTM2h0
――――――――――――――――

 どすん、と地面を鳴らし、魔物が倒れた。
 凶暴に変化した大猿だ。二人のときは苦戦した敵も、人数が倍になればその限りではない。
 というよりも、老婆と少女があまりにも拾いものであった。

老婆「もう少し数が出てくれば本気の出し甲斐があるってもんだけどねぇ」

少女「アタシまで吹き飛ばさないでよ、おばあちゃん」

勇者「信じらんねぇなぁ」

 少女は服に返り血がついてしまったと嘆き、老婆は仕方ないという風に時間遡行の魔法をかけている。
 日常と死線の境界はもはや曖昧だ。

 そしてもう一人、マイペースな人間が。

狩人「……」ザクザク

 狩人は黙々と猿の毛皮を剥ぎ、肉を手ごろな大きさに切り取っていた。
 赤味の部分を一口噛み千切り、

狩人「筋が多くてだめかも」
42 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 19:23:46.56 ID:yFuxTM2h0
勇者「今日中には村だ。保存食はいいよ」

狩人「燻製……」

少女「なんか生き生きしてるね、狩人さん」

勇者「狩猟採集民族の血が騒ぐんだろ」

勇者「っていうか、老婆、あんたの転移魔法で村までいけないのか?」

老婆「行ったことのある地点にしか行けないんじゃよ」

勇者「思ったより使えないんだな」

老婆「」ペロン

 老婆の舌が勇者の頬を這いずる。

勇者「――――!!!!!」

 ゆうしゃの わかさに 15の ダメージ !!
43 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 19:24:12.71 ID:yFuxTM2h0
老婆「そう、こんなことにしか使えないんじゃよ、うひゃひゃひゃひゃ」

勇者「老けた老けた俺今絶対老けた若さが! 童貞失った時より歳食った気分!」

狩人「何気に爆弾発言」

老婆「ほれ、立ち止まっていないでしゃきっと歩け」

勇者「誰のせいだよ、誰の……」

少女「でも、もうそろそろ着くころだよね、きっと」

狩人「たぶん。植生が変わってるから」

少女「植生? そんなのわかるんだ」

狩人「奥に行けばいくほど、葉っぱの大きい植物になるから」

老婆「この辺は手のひらサイズじゃし、ピクニックも終わりじゃな」

勇者「そんな気分だったのかよ」
44 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 19:25:09.15 ID:yFuxTM2h0
老婆「何よりも重要なのは精神じゃよ」

勇者「魔法使いの言うことはわかんねぇなぁ」

老婆「魔法使いじゃあなくて、賢者じゃ」

勇者「自分で賢者って名乗るのはどうなの?」

老婆「事実なんだからしょうがあるまい」

勇者「俺も魔法は使えるけど、重要なのは肉体じゃねぇの? 体は資本だし」

老婆「肉体など所詮精神の容器にすぎんよ」

勇者「健全な肉体にこそ健全な精神は宿るっていうぞ」

老婆「重要なのは何をするか、じゃ。健全な精神は健全な生を導く」

老婆「人生を左右するほどに心のありようというのは重要なのじゃよ」

勇者「わかったような、わからないような」

老婆「うひゃひゃ。いずれわかるときもくる」
45 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 19:25:39.43 ID:yFuxTM2h0
 戦闘を歩いていた狩人が突然立ち止まる。後ろを歩いていた勇者は、当然彼女の背中に追突した。

勇者「どうした?」

狩人「……?」

 勇者の声が聞こえていないのか、狩人は無言で中空に死線を彷徨わせている。
 数度鼻をヒクつかせると、あらぬ方向を狩人が向いた。

勇者「どうした」

 勇者が声をかけるが、彼女の顔はあさってを向き、依然虚空を睨みつけている。

 応えを出さず、駆け出した。

狩人「早く!」

 木と木の間を華麗にすり抜け、森の奥、光のほうへと消えていく。
46 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 19:27:00.53 ID:yFuxTM2h0
勇者「行くぞ」

 剣を鞘に戻しながら言った。

少女「ど、どうしたの?」

勇者「知るか。ただ、前にもこんなことがあった。――嫌な予感がする」

少女「おばあちゃんっ!」

老婆「はいはい、行きますよ」

 三人はすでに遠く離れた狩人を追う。
 姿こそ見えないけれど、下草を踏み倒した跡が彼女の行先を告げていた。

老婆「と、年寄りを、いた、わ、らんかぁ……」

勇者「自慢の魔法でなんとかしろ!」
47 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 19:28:06.79 ID:yFuxTM2h0

 光がだいぶ強くなってくる。
 視界のかなたには森の切れ目が見えた。

 そして、感じる異変。

勇者(なんだ、この臭いは?)

勇者(まるで何かが焼けるような……)

 光の中へと飛び出す。
 明るさに一瞬目が眩んだが――そこで三人は、明るさが昼間の太陽だけでないことを知った。

 町がひとつ、黒煙をたなびかせながら炎に包まれているのである。

勇者「ばあさん!」

老婆「わかってるよぉっ!」

老婆「一週間分の飲料水、全部ぶちまけてやるよっ!」

 人差し指を向けると町の上空に大きな亀裂が走り、そこから大量の水が降り注ぐ。
48 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 19:29:30.14 ID:yFuxTM2h0

 水の蒸発する音が一面に響き、けれど、火勢は一向に弱まる気配を見せない。
 十数メートルほど離れていても熱気が伝わってくる程度なのだ。

勇者「もう終わりか!?」

老婆「ババア扱いの悪いやつだねぇっ! ただの転移魔法にどれだけの効果があると思ってんだい!」

老婆「近くに湖でもあれば……」

 水源は探せばどこかにあるはずだが、そんな暇も土地勘も、今の三人にはない。

少女「なんで、なんでこんなっ……あっ! 狩人さん!」

 少女の視線をたどれば、確かに狩人がいた。
 一枚隔てて炎の燃ゆる塀のそばで、呆然と立ち尽くしている。

 いや、足元に誰かが倒れていた。
49 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 19:32:10.57 ID:yFuxTM2h0
勇者「これは……昨日の」

 倒れていたのは、昨晩勇者に人質に取られた女兵士であった。
 顔こそ見ていないが、紋章の付いた鎧と儀式杖は見間違えようもない。
 背後から大きく袈裟切りの傷。煙に巻かれて死んだわけではなさそうだ。

狩人「嫌なにおいがした。やっぱりだ」

 それは果たして、煙の臭いなのか、死の臭いなのか。

 勇者は少女を見た。それこそ漏らすのではとも思ったが、予想に反して、少女は眉根を寄せている。

勇者「ほかにだれかは?」

狩人「それは、どっちの?」

 その返しで勇者たちが愕然とするくらいには、不幸なことに彼らは理解力があった。
 彼女はつまりこう言いたいのだ。生きている者を指しているのか? 死んでいる者を指しているのか? と。

 すなわち、死体がこれだけでないことを暗に意味している。
50 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 19:32:47.74 ID:yFuxTM2h0
勇者「何人死んでた」

 直截的に尋ねる。彼女はこういうとき、はぐらかしたりしない。
 すぐに応えはあった。

狩人「町の周囲にはぐるっと八人。あと……十二匹? くらい」

 匹。
 勇者は改めて確認するように、ゆっくりと問う。

勇者「魔物、なのか?」

狩人「可能性は高い。魔物が襲ってきて、応戦して、こうなったのかも」

老婆「勇者よ、この近くには魔王軍の駐屯基地がある。そこからでは?」

勇者「かもしれないけど、わかんない。保留だ。とりあえず生存者を探す」

少女「……」
51 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 19:40:32.29 ID:yFuxTM2h0

 じっとこちらを見てくる少女に対し、勇者は怪訝な顔をした。

勇者「なんだ」

少女「いや……アンタ、こういうこと気にしなさそうなのにな、って。ごめん。忘れていいよ」

勇者「人が死ぬのは悲しいだろ」

 それは紛うことのない正論であった。少女は黙って炎を見つめる。

52 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/11(水) 20:10:24.06 ID:HyegmwRao
貴重な女兵士が(´;ω;`)
53 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 22:42:47.75 ID:yFuxTM2h0
―――――――――――――――――
 結局、生存者は見つからなかったが、狩人が見つけた以上の死者をみつけることもまたなかった。
 町の炎はその後半日燃え続け、水源を発見した老婆の転移魔法により、なんとか消化に成功した。だがそれだけである。

 火が消えたからと言って死者は生き返らない。
 何があっても、死者は死者のままだ。

 透き通った湖のほとりで、四人はひざを突き合わせながら今後のことを話し合っていた。

少女「アタシは一刻も早くこのことを伝えるべきだと思う」

勇者「伝えるってどこに?」

少女「それはいっぱいあるでしょ。それこそ王国軍とかさっ」

勇者「魔王はどうする?」

少女「どうせ魔王城は王都の延長線上でしょ。おばあちゃんの転移魔法もあるんだから」
54 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 22:43:36.77 ID:yFuxTM2h0
狩人「ここって、村の人も使ってたんだよね」

 唐突なことを言い出した狩人に、少女は軽く眉を顰める。

少女「そうじゃないのかな?」

狩人「野営も?」

勇者「え?」

狩人「少し入った森の中に、火を起こした跡があった。三つ。新しいの」

少女「どういうこと?」

老婆「町が燃えたのと関係がある。そういうことじゃないのかえ?」

狩人「……」コクコク

少女「……魔物は、野営しないでしょ」

狩人「あと、倒れてた女兵士。剣で切られたみたいだった」

狩人「魔物、剣、使うかな」

少女「そりゃ、知能による、でしょ。ゴブリンとかオークとか、鬼とか、人型なら、使うし……」
55 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 22:44:05.76 ID:yFuxTM2h0
 少女は自分の声が震えていることに気が付いた。
 だって、そういうことではないか。狩人が言っているのは、つまり、そういうことではないか。

 あぁ――吐き気が、する。

 死はとても冷たいものだ。それだのに、死は同時に、自分の中の激情を酷く揺さぶる。
 これは駄目だ、と少女は思った。獣を解き放つことは許されない。

 折角できた仲間が離れて行ってしまう。

 少女が自らの体を抱きしめるように力を込めたことに、勇者も狩人も気が付かない。
 ただ老婆だけが静かな視線を送り続けている。

 勇者も狩人も老婆も、あえて先を促すことはしなかった。それから先は自明で、口に出すことも憚られる内容で。
 しかし、言いたくなくても誰かがいつかは言わねばならない。
 それは関わってしまったものの責務であり、自らの命にもかかわってくる事柄なのだ。
56 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 22:45:40.58 ID:yFuxTM2h0
勇者「……焼き討ちか?」

狩人「可能性としては」

少女「そんな、なんで、バカじゃないのっ!」

 獣が檻を揺さぶる。原始的な雷に、檻はどこまで耐えられるのか。
 落ち着け、落ち着け。鞭でも飴でもなんでもいいから、早く、誰か、持ってきて。

 祖母とともに旅をして、人が死ぬところなど何回も見てきた。
 世の中には辛く悲しいことが充満していることもわかっている。

 だけれど、同胞殺しなど……。

 少女の前に老婆が手を出す。

老婆「まぁ、落ち着け。勇者、狩人よ、憶測で物事を喋るべきではない」
57 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 22:46:06.94 ID:yFuxTM2h0
狩人「わかってる。ごめん」

少女「おばあちゃん、いますぐ王都に連れてって。報告しないと」

 あくまで自然な言葉であった。真剣なまなざしで、老婆に向かっている。

 老婆は帽子を整えながら、「やれやれ」と笑みを浮かべた。

老婆「すまんが、二人とも。不肖の孫に付き合ってやってはくれんか」

 勇者と狩人は顔を見合わせ、頷く。二人とてこのままにしていいとは思っていない。

勇者「しょうがねぇなぁ、子供の相手をするのは大人の義務だ」

狩人「勇者にわたしは従うだけ」

老婆「よし、それじゃあ――」

??「おいお前ら、そこで何をしている!?」
58 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 22:47:46.35 ID:yFuxTM2h0

 下草をかき分け姿を現したのは、一人の兵士であった。紋章の刻まれた鎧を身に着けている。
 勇者はその声に聞き覚えがあった。昨晩出会った兵士だったからだ。

 兵士はすでに剣を抜いていた。
 空気にぴりりとしたものを感じながら、勇者は立ち上がる。

勇者「それより、近くの町が大変なことになってる。ありゃなんだ」

兵士「そうか……あれを、見たのか」

 ざく、ざく、ざく。周囲の木々を後ろから、同様の剣と鎧を身に着けた兵士が、ぞくぞくと姿を現す。
 その数はゆうに十人を超え、小隊規模を超えている。
59 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 22:48:46.29 ID:yFuxTM2h0
老婆「不穏な雰囲気じゃのう」

 あくまで楽しそうに老婆は言った。そんなところではないというのに。
 勇者はあえてそれを咎めない。精神のどこかが焼き切れたような人種は、確かに、ときたまいるものだ。

勇者「転移魔法は」

老婆「使ってもええが、顔を見られているのも始末が悪い」

勇者「じゃ、ま、正当防衛ってことで。……狩人」

狩人「うん」

勇者「皆殺しだな」

兵士「かかれぇえええええっ!」

 号令。兵士たちは鬨の声を上げ、一斉にこちらへと向かってくる。
 勇者は相手に滅多な隙がないことをその瞬間に悟った。

 相当に訓練された兵士が、なぜこんな森の中に? 彼は当然浮かんでくる疑問に対し、首を横に振る。
 今はそんなことを考えている場合ではない。
60 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) :2012/07/11(水) 22:51:19.91 ID:yFuxTM2h0

 剣戟が降り注ぐ。上段からの一撃を短剣でいなし、片手の長剣で反撃を試みる。が、それも弾き返される。

 側面から向かってくる兵士の顔面に、鏃が深々突き刺さる。勇者が前衛、狩人が後衛。実地で慣らした連携は健在だ。
 狩人はそのまま矢を速射し、そのまま背後の木へと登っていく。

 正対する兵士は筋骨隆々ですらないが、引き絞られた肉体を持っている。これもまた実地で慣らされたものに違いない。
 突き。鎧の側面を大きく傷つけるも、大きく反らされた。上体が大きく開き、左手が遠い。
 陽光に光る兵士の長剣。

 どうせ生き返るのだ。勇者はあえて、目を瞑り、

 ぶぉん、と、音がして、

 勇者の隣では少女が兵士を鎧ごと打ち砕いていた。ミスリルのひしゃげる音とともに、骨がそうなる音もまた、響く。
61 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 22:54:09.86 ID:yFuxTM2h0
少女「あんたらが」

 少女は、確かに自分が酷い顔をしているのだと思った。

 檻はいったいどこへいってしまったのか。これでは二の舞ではないか。
 もう人間なんて殺したくないのに。

少女「あんたらが、あんたらがあんなことをしたのかっ!」

 怪力乱神であるかのように、少女は血眼になりながら、鎚をふるう。ふるう。ふるう。
 多大な遠心力を伴う一撃は、掠めるだけで兵士たちをぼろ雑巾に変えていく。

兵士「な、なんだあの小娘は、化け物かっ!」

少女「化け物はあんたらだっ! 人の面をかぶった怪物めっ!」
62 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 22:55:14.35 ID:yFuxTM2h0
 どうやら少女は兵士たちがあの惨状の主犯であると決めてかかっているようだった。
 それもやむなし、と勇者は思う。この状況は不自然に過ぎる。

 気を抜いた瞬間、金槌が勇者の髪の毛を掠めていった。
 勇者は少女に文句の一つでも言おうとするが、少女の荒れ狂う姿には、声をかける隙すら見つけることができない。

少女「ッ! ッ!」

勇者「……」

 力任せに鎚をふるうが、少女の怒りを逆に扱い易しと判断したのか、兵士たちは一定の距離を保って相手取る。
 少女一人に兵士が三人。勇者も加勢に向かいたいが、号令をかけていた兵士がそれをさせてくれない。
63 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 22:56:23.10 ID:yFuxTM2h0
兵士「せいっ! やあ!」

 裂帛の気合とともに繰り出された一閃が、勇者の剣を弾き飛ばす。

勇者「ちっ! (短剣を抜くか、魔法か、死ぬか)どうする……?」

兵士「ちぇえええええすとおおおおおおおおっ!」

 大上段から振りかぶった、唐竹割。
 反射的に雷魔法を唱える――しかし間に合わない。武勲が知れる速度と太刀筋のそれは、確かな殺意で勇者に襲い掛かる。

狩人「勇者!」

 振動が、鈍い音として勇者の体を震わせる。
 意思とは別に宙を舞う、右腕。

 無理な大勢で回避しようとしたため、そのまま地面に倒れこんだ。

 白兵戦からわずかに離れた樹上では、狩人が矢を番えて狙いを定めていた。
64 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 22:57:01.63 ID:yFuxTM2h0
狩人「寸分違わず、射る」

 軽やかに風切音。
 たった今勇者と対峙していた兵士は、肩に突き刺さった矢を抜き、剣を構える。

兵士「あんなところから!?」

 驚愕か、苛立ちか。叫んだ兵士の視線の揺らぎを勇者は見逃さない。
 起き上がりざまに雷魔法を兵士の腹に叩き込む。

兵士「――――――――ッ!」

 声にならない声。肉の焦げる臭い。
 彼の持っていた長剣を奪い、体重を預ける形で立ち上がる。

 激痛という棘が体内から皮膚を食い破り、それに伴って意識にまで穴が空く。

 視界の端では少女が依然として複数人を相手取っていた。
 その数、八人。
65 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 23:00:55.79 ID:yFuxTM2h0
狩人「させない」

 狩人が矢を放つが、巨漢の兵士が一人、手を広げて立ちふさがった。
 一本が肩、もう一本が腹の鎧を貫通して突き立つ。

 兵士の顔が苦痛に歪む。けれどその先に届くことはない。

狩人「届くまで射るだけ……!」

 鎧の隙間を狙う技術は一流であったが、対する兵士の仁王立ちもまた一流であった。
 倒れることなく矢を受ける背後では、少女が徐々に押されつつある。

兵士「怯むな! 距離を取って隙を突け! 紋章に賭けて戦い抜け!」

兵士「ウォオオオオッ!」

 掲げられた旗印に、その他の兵士は喊声で以て返す。

少女「人殺しのどこに大義がある!」

 鎚が地面を大きく抉る。土塊が舞い、落ちる。
 大きく見せたその間隙を、無論兵士は見逃さない。突き出された刃が微かに、だが確かに少女に傷を与えていく。
66 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 23:01:46.23 ID:yFuxTM2h0
 鎚が地面を大きく抉る。土塊が舞い、落ちる。
 大きく見せたその間隙を、無論兵士は見逃さない。突き出された刃が微かに、だが確かに少女に傷を与えていく。

 振り向きざまに大振りするが、その時点で兵士は射程距離外へと退避している。

少女(くそっ!)

 たまらないもどかしさがあった。自らの気持ちを斟酌する余裕すらない。
 涙と疲労で心がぐちゃぐちゃでは、自然と力任せにもなる。

 そしてその隙を狙われるのだ。

狩人「早く、早く倒れて……!」

 矢の一本が、兵士の眼球へと突き刺さった。それが最後の一押しとなったのだろう、兵士がようやく前のめりに倒れる。
 感慨もなく、追加の矢を番え、弦を引き絞る。速射でどれだけ殺せるか。

 見えてきたのは少女が片膝をつきながら、それでも鎚を振り回している姿であった。
67 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 23:04:04.91 ID:yFuxTM2h0
勇者「おい、この、クソガキッ! 頭冷やせ、一回引け!」

 体が動かない。なんだ、この体たらくは。また自分だけが生き返るのか。
 視界が歪む。出血のせいだ。涙などでは断じてない。

 あんな喧嘩腰の少女のために流す涙などない。

勇者「誰かあいつを助けろよぉっ!」

老婆「無論じゃ」

 老婆が、それまで諳んじ続けてきた詠唱を終える。途端にあふれ出る魔力の余波は、ヴェールとなって辺りを黄金色に染め上げた。
 恐ろしく鋭い爪を、兵士の集団に向ける。

 その場にいた誰もが、魔法の心得はなくとも、それが所謂危険なものであるとすぐに知れた。

 兵士が叫ぶ。

兵士「全員、防御姿勢を――!」

老婆「それくらいで防げるかよ!」
68 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 23:05:32.89 ID:yFuxTM2h0
 光が迸る。

 勇者がまず目にしたのは躑躅であった。立派な桃色と茶色が眼前に屹立していたのである。
 それだけではない。向日葵、紫陽花、桔梗、蓮華、柊、福寿草と、時系列を違えた草花が、辺り一面に、所狭しと咲き乱れている。

 躑躅が揺れて、倒れる。
 勇者はそこで、初めてそれが、躑躅の外骨格を纏った何かであることを知った。
 それだけではない。すべての植物は、兵士の衣としてそこにあるのだ。

 恐らく養分という形で。

勇者「――ッ!?」

 驚きは二重である。「何か」の正体もそうであったし、その瞬間に見てしまった自らの残った腕もまた、枯れた大地となっていたのだ。
 乾燥し、骨と皮だけになった、血の通っていない化石じみた腕。僅かな衝撃でも根元から折れそうな危うさを秘めている。

 腕の脆さとは裏腹に、そこに生えている数百もの薄は、まるで今が人生の春とでもいうかのように風にそよぐ。
 活力と勢力に満ち溢れた生命力の塊は、生に対しての貪欲さも同時に意味している。他の全てを奪い取ってでも自らの糧にしようという生存戦略。
 理解ができない。こんな魔法は見たことがない。
69 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 23:12:02.42 ID:yFuxTM2h0
 意識が暗転する。衝撃などは微塵もなかった。それだのに、まるで薄こそが勇者の生まれ変わりであるかのように揺れている。

 奥歯を噛みしめ踏みこらえる。が、骨も筋肉もまるごと漏出してしまったかのように手ごたえがない。

狩人「勇者!」

 遠くから一足飛びでやってくる狩人。彼女の太ももからも、僅かだが銀杏の新芽が顔をのぞかせていた。

勇者「……お前、もっと加減しろよ」

 口を出すだけで精いっぱいである。
 踏みとどまった衝撃で、腕が肘から折れて砕ける。

老婆「……」

 何も応えがないのが奇妙であった。老婆は足早に植物の群生地へと進んでいく。その先にいるのは少女である。

 少女の右ひじから先は、さながら樹海となっていた。
70 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 23:13:53.76 ID:yFuxTM2h0
 恐らく、老婆の魔法は爆心地を最大として、距離が遠ざかるにつれて効果が減衰するのであろう。爆心地にいなかった兵士たちでさえ植物に吸い尽くされたのだ、少女がその被害を受けないなどどうして思えるだろうか。
 いや、待て。樹海とはいえ、右ひじから先?

 どうやら気絶をしているらしい少女をもう一度よく見る。
 彼女は、そうだ、鎚を持っていたのであった。

老婆「……そんな、心配な顔を、するでない。考えなしにやるわけなかろう」

 勇者は自らの顔を触ろうとして、両の腕が失われていたことに、ようやく気が付く。
 そんな顔をしていただろうか。もししていたらならばそれはきっと生まれつきだ。

老婆「ミョルニル。生命力の塊。これが勝算じゃよ」

狩人「勇者、この人、まだ息がある」

 勇者と対峙していた兵士であった。昨晩言葉を交わした兵士でもある。
 彼は肩から止めどなく血を流しつつも、呻きをあげて虚空をつかむ動作を繰り返していた。
 植物は藤が下半身から発生し、大きくとぐろを巻いて拘束されていたが、直ちには命に別状はなさそうだ。
71 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/11(水) 23:15:26.12 ID:yFuxTM2h0
勇者「あー、それより悪い」

 勇者は自らの意識が薄れていくのを感じた。
 次に目を覚ましたとき、薄になっているのかもな、などと思いながら。

勇者「ちょっと一回死ぬわ」
72 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sagesaga]:2012/07/12(木) 08:33:49.68 ID:gGSfHi93o
期待
73 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:06:57.46 ID:WnvzWUdt0
―――――――――――――――

 勇者が目を覚ましたのは夕方であった。場所は依然として湖のほとり。
 なるべく早い蘇生で助かった、というのが現実である。後手後手に回ると何が起こるか予想も知れない。
 右手を握り、開く。まだ人間の体は保てているようだ。内面こそ定かでないけれど。

 傍らでは少女が昏々と眠り続けている。ラグを重ねた上に横になり、呼吸も浅く、早い。

 疲れがたまっているのだろう、と老婆は言った。
 魔法的なものだから、心配しないでくれ、とも。

 魔法的なものとはいったいどういうことか。聞こうとして、やめる。
 老婆と少女はともに旅をする仲間であるが、それ以上に他人でもあった。明確な壁がそこには存在する。

 いずれ二人のことを知るときが来るだろう。意図してのものか、意図せざるものかという差はあれど。
74 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:07:36.84 ID:WnvzWUdt0
狩人「やっと起きた」

勇者「悪いな。で、どうだ、こいつは」

 勇者、狩人、老婆の前では、兵士が木にくくりつけられている。
 生命吸収を受けてなお呼吸はあり、目立つ外傷は肩の裂傷、手と足の骨折くらいだ。

狩人「おばあさんの魔法で眠ってる。勇者か少女か、どっちかは起きてたほうがいいかなって」

老婆「起こすかえ? なら呪文を解くが」

勇者「そうだな、頼む」

 老婆が短く詠唱すると、光がさっと兵士を包み、溶けていく。
 ややあって目を覚ました兵士は、けれど大きな反応を示さなかった。自らの状況を理解しているらしい。

勇者「お前、昨日会ったやつだな。なんで俺たちを襲った。あの町はお前らのせいか」
75 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:09:11.58 ID:WnvzWUdt0
兵士「それ、は……言えない……この紋章に――ッ!」

 僅かに血が舞った。
 兵士の右手の親指が、一本切り離されたのだ。

勇者「紋章と、指。どっちが大事だ?」

 兵士は目を見開いたが、嘲笑めいた笑みを浮かべ、そして自らの舌を噛み切った。
 血が噴き出し、息絶える。

勇者「国に殉じたか」

 少女は寝ていてよかったのかもしれなかった。

老婆「もうほかにすることもないじゃろ。王都へ行くか?」

勇者「そうだな……狩人は?」

狩人「勇者の言うとおりに」

老婆「ひゃひゃひゃ。それじゃ、行くぞえ」ヒュン
76 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:18:33.94 ID:WnvzWUdt0
――――――――――――――――

 少女は自分の体が揺れている感覚に目を覚ました。
 思いのほか体が軽い……というよりも、宙に浮いているかのような。

 頭。
 が、目に飛び込んできた。

勇者「起きたか」

 そこでようやく、自分が勇者に――あの斜に構えた腹の立つ男だ!――背負われていることに気が付く。

少女「なんであんたがアタシをおんぶしてんのよっ!」

勇者「ちょ、暴れるな!」

 なんとか少女を下ろして勇者は一息つく。どうやら彼女は、一人で立てる程度には回復したらしい。
77 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:19:10.24 ID:WnvzWUdt0
少女「なに、なに、なんなの。なんでっ!?」

勇者「お前が倒れた。ばあさんと狩人は情報収集。俺は先にお前を運んで宿屋に向かう」

少女 (イラッ)バシーン!

勇者「ぐえっ!」

 力いっぱいに勇者の背中を叩くと、潰れたヒキガエルのような声が漏れる。
 あの鎚を振り回す膂力で叩いたのだ、下手をすれば骨だって折れてもおかしくないだろうに。

勇者「なにすんだ!」

少女「勝手にアタシの言いたいことを理解するんじゃない!」

勇者「違ってたか?」

少女「うるさいっ!」

 違わないから腹が立つのだ。
78 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:20:17.35 ID:WnvzWUdt0
 実に理不尽であるとわかっていても、勇者はそれ以上何も言わなかった。

 彼女は決して素直になれないわけではない。寧ろ、素直でありすぎるくらいだった。勇者への嫌悪感を隠しきれないくらいには。
 ただし、勇者のつま先からてっぺんまで、全てを嫌悪しているわけではない。先の戦いでも彼は彼女のことを助けようとしてくれた。四人の中で一番弱い彼が、である。
 そのことは嬉しさを感じることこそあれ、嫌悪の対象ではない。

 乗りかかった船、不本意だがともに魔王を討伐する仲間なのだ、できうる限り仲良くしたいとは彼女もまた思っている。しかし、勇者の厭世観――世の中を斜に見て、命を蔑ろにする姿勢はどうしても好きになれない。

 わかっているのだ。自動蘇生の加護など聞こえはいいが、所詮運命の傀儡にすぎない。自らの命運を運命に翻弄され続けていては、あぁなるのも無理はなかろう。
 一体彼が何人の身近な存在の死を見てきたのか、彼女はそれを知らない。知りたいとも思わない。そして同じ状況におかれたとき、彼のようにならないとは、口が裂けても言えなかった。
 けれどそれは理屈である。理解である。納得とは程遠い。

 少女にだって泥のような感情の奔流が一つや二つはあった。それを無理やり押し込め、押し込めきれず、右往左往している。同族嫌悪に似たものなのかもしれない。
79 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:21:21.84 ID:WnvzWUdt0
 と、少女はそこでようやく、辺りを見回す余裕ができた。
 行交う人とモノ。珍しく馬車も通っている。

 煙突。赤煉瓦。風に乗って微かに小麦の焼けるにおいもする。
 なにより、目抜き通りの奥に見える城門と尖塔。あれは……。

少女「王城……」

勇者「あぁ。転移魔法で一っ跳び。お前のばあさんは凄いやつだよ」

 転移魔法だけでも相当なものなのに、植物魔法……でいいのだろうか、あれは。
 性格に難はあるが、えてして達人とはそういうものなのかもしれない。

勇者「これからここを拠点にして、休みを取る。あとは魔王城攻略に向けての調達だな」

勇者「水は全部ぶちまけちまったし、食べ物も、服も、あんまりない」

勇者「魔王城に辿り着く前に最後の洞窟や砦や四天王がいるらしいし。補給は最重要事項だ」

少女「で、手配書は回ってなかった?」
80 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:22:16.55 ID:WnvzWUdt0
勇者「え?」

少女「だから!」

 小声で叫ぶという妙技を披露する少女。

少女「あんなことしたんだから、手配書が回っててもおかしくないでしょっ!」

勇者「あぁ、今のところは大丈夫だそうだ。ただ、伝達には時間がかかる。明日明後日くらいに、もしかしたら」

少女「アタシはいやだからね、この年でお尋ね者だなんて」

勇者「お前」

 の、せいだろ。勇者は続きを何とか飲み込む。

勇者「……とりあえず、宿はそこだ。行くぞ」テクテク

少女「はいはい」テクテク
81 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:23:34.59 ID:WnvzWUdt0
二人「「……」」テクテク

イラッシャイ ヤスイヨ ヤスイヨ
イマナラ コノ ハガネノツルギガ タッタノ 480ゴールド!
ソノ ミルク モラオウカシラ

二人「「……」」テクテク

 不思議と無言であった。話す内容などたくさんあるはずなのに。

 勇者はふと、少女の素性を――老婆もであるが――ほとんど知らないことを思い出した。
 知っていることと言えば、故郷で護り手を務めていたということくらい。

少女「ねぇ」

 勇者が話しかけるより先に、少女から声が飛ぶ。

勇者「ん?」

少女「なんであの町は燃えなきゃいけなかったの?」
82 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:24:05.96 ID:WnvzWUdt0
 答えるべきか否か。わずかな間を開けて、勇者は返す。

勇者「そういうことは、関係ないことだ」

少女「関係なくないっ!」

 キンとした声が大通りに響く。
 人々はちらりとこちらを見るが、さほど興味もないのだろう、歩みを止めるものはいない。

少女「関係なくなんて、ないでしょ。悲しいと思わないの」

勇者「関係ないんだ」

少女「勇者ッ!」

勇者「俺たちの旅には関係ない。そうだろ。魔王を倒して世界が平和になればそれでいいんだ」

少女「あれは路傍の石だって?」

勇者「そうは言ってない。ただ、優先順位を間違えるなってことだ」
83 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:24:45.03 ID:WnvzWUdt0
勇者「それに、もう一つ」

勇者「関係あろうがなかろうが、悲しいものは悲しい」

勇者「『関係ある』かどうかは、関係ない」

少女「……なにそれ。全ッ然わかんない」

勇者「……そっか」

少女「アタシね、あんたのそういうところ、「あー、注目、ちゅうもーく!」

 二人ならず、周囲の人間が全員空を見た。
 声は上から降ってきていた。

 白い蓬髪に丸みのある顔。厳格そうな瞳と眉。紛うことない壮年男性。
 その顔が、浮かんでいる。

 勇者はその人物に見覚えがあった。いや、勇者だけでなく、少女も、その場にいた誰もが見たことのある人物だった。
 なにせこの国の国王である。
84 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:25:23.79 ID:WnvzWUdt0
国王「この像は魔法によって全領土に配信されている、安心して聞いてほしい」

国王「今は長い冬の時代じゃ。山の上、そして点々と領土を持つ魔王軍は、人類に脅威を与え続けている」

国王「今もどこかで誰かが犠牲になっている。先日もまた、森のそばの村が一つ襲撃され、……消えた」

少女「それって……もしかして」

国王「何の罪もない民草が、生命に曝され続ける。そんなことがあっていいのか?」

国王「否! 答えは無論、否! あのような悪鬼どもにはこの世界を渡すことはできない!」

国王「そこで私は考えた。最早打破しかない! 決起せよ! 立ち上がれ! そして我が国は、諸君の働きに大いなる期待をしている!」

国王「砦を築け! 兵を集めろ! 敵に人間という種の強さを見せつけてやるのだ!」

国王「王都はいつでも諸君らを受け入れる! 愛国心に富む者の積極的な参加を待つ!」
85 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 09:26:04.84 ID:WnvzWUdt0
 威厳のある声で、堂々とした態度で、国王は一気に捲し立てた。
 つまりはこういうことだ。「戦争をする」。

 少女はなんだか空恐ろしいものを感じて、小さくつばを飲み込んだ。

 周囲の人々はみな呆気にとられたような顔をしていたが、僅かに間を開けて――

「そうだよ、怯えてる必要なんてないんだ」
「やられたらやり返せばいいんだもんな……」
「女でも兵士って慣れるのかしら」
「さすが国王様だ」「よぅし、腕が鳴るぜ」「怖いわ」「え、どういうこと?」「なんていう」「俺が」「私も」「」「」「」「「「「」」」」「「「「「「「「「「「「「「「

 声のうねりは次第に大きくなっていく。
 波は高く、打ち寄せては砕け、そのたびに白い飛沫となって還元されるサイクル。

 誰がはじめたのか、上空に浮かぶ国王に対し、みなが手を突き出していた。
86 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 19:08:58.54 ID:WnvzWUdt0
狩人「勇者!」

 人込みをかき分けかき分け狩人がやってくる。褐色の肌に珠のような汗が浮かんでいる。
 後ろには老婆もちゃんといた。

老婆「は、は、走るんで、ない」

狩人「戦争だって」

勇者「みたいだな」

狩人「どうして、こんな急に?」

老婆「急じゃないとすれば」

狩人「?」

老婆「兆候はあった。先日のもそうじゃし、傭兵どもがピリピリしていたからのぅ」
87 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 19:09:41.45 ID:WnvzWUdt0
 二人と出会った村にて道具屋の主が言っていたことを思い出す。
 半年か、そうでなくとも一月は持つだろうと踏んでいたのだが、どうやら当てが外れたらしい。勇者は自然と自らの眉根が寄るのを感じた。

勇者「……どうする?」

老婆「リーダーはおぬしじゃろ。……まぁ、情報収集を続けるか。宿はここじゃな」

勇者「あぁ。まだ予約をしていないけど」

少女「長期でとっておいたほうがいいんじゃない? 王都に人が大挙して押し寄せる。宿も足りなくなるかも」

 民衆の昂ぶりを見ていると、あながち杞憂とも思えなかった。

老婆「いや、とりあえず一泊か、二泊。わしに考えがある」

勇者「あぁ、わかった」

 その後宿屋で二人部屋を二つとったのはよかったのだが――
88 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 19:10:18.49 ID:WnvzWUdt0
勇者「なんで俺がばあさんとなんだ?」

老婆「どのみち女3:男1なら男女相部屋よ。襲われる可能性がないほうがよかろ」

勇者「俺が襲われるわっ!」

狩人「じゃ、わたしと一緒に、なるか?」

少女「……アタシは死んでも嫌だからね」

 勇者は頭に手を当てた。老婆に襲われるのも嫌だが、狩人と相部屋だと、ともすると襲ってしまう可能性が出てくる。
 それは狩人の本意でこそあれ、勇者の本意ではない。

 とはいえ自らの理性で抑えられるだけ、老婆よりはましか。勇者は判断して、結局狩人と相部屋となる。

狩人「やった……」

老婆「じゃあ、二時間後にここで集合しよう。やることもあるしな」

勇者「あいよ」
89 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 19:11:05.32 ID:WnvzWUdt0
 部屋を開けると、いつぞやの宿屋よりは十二分に立派だ。さすが王都ということだろうか。

 装備を外し、ベッドに倒れこむ。久しぶりの柔らかさに一瞬で意識が飛びかける。

狩人「勇者」

勇者「大丈夫だよ、寝ないって」

狩人「二人なのも久しぶり」

勇者「ま、そうだな」

狩人「嬉しい」

勇者「そんなにか」

狩人「うんっ」

狩人「あ、あの二人が嫌だとかじゃなくて」

勇者「わかってるよ」

狩人「うん。……わかってくれてる。ふふ」

狩人「勇者」

勇者「ん」

狩人「好き」
90 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 19:11:38.59 ID:WnvzWUdt0
狩人「大好き」

勇者「……」

 狩人が勇者へと近づき、ベッドへと体重を乗せた。
 ぎし、と木の軋む音がする。品のいい音だ。

 三白眼がしっかりと勇者を射抜いていた。

狩人「私はずっと言ってるのに、勇者は気にしてない」

勇者「あのなぁ、お前のそれは、恩を勘違いしてるんだ」

勇者「命を助けてやったのは俺だろうさ、けどな」

狩人「違うの、勇者」

狩人「一族郎党皆殺しにあって、目の前でお父さんが死んで、私ももうだめだって思ったとき」

狩人「魔物を倒してくれた勇者が、凄く格好良かった。だから」

狩人「恩とかじゃない。自然なこと」
91 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 20:24:33.89 ID:WnvzWUdt0
勇者「あれは、お前を助けるつもりだったわけじゃない」

狩人「知ってる。勇者は魔王城への道すがらだった」

勇者「そうだ。あいつは砦の主で、俺はあいつが持ってる鍵が欲しかったんだ」

狩人「事実なんてどうだっていい」

 漂ってくる狩人の色香に、勇者は思わず眩暈がしそうになる。
 言語化できない感覚があった。それは一般的に予感、もしくは危機察知と呼ばれるものだ。

 これはやばいぞ、と。何が何だかわからないけれど、彼は思ったのだ。

 こちらを覗きこんでくる狩人の瞳は、大きく、つぶらで、肌と同じように茶色い。
 生命力に満ちた輝き。これが濁っていくところを、彼は何度も目にしていた。

 武闘家も。僧侶も。騎士も。戦士も。魔法使いも。賢者も。遊び人も。盗賊も。商人も。踊子も。羊飼いも。
 今まで出会った人間は、全て同じ輝きを持っていた。
 そうして最後には輝きを失うのだ。
92 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 20:25:10.82 ID:WnvzWUdt0
狩人「お母さんは言ってた。魔物ってのは、災害だって。誰にもどうにもできないものなんだって」

狩人「勇者はそれをどうにかしてくれた。それだけじゃなくて、悼んでくれた」

狩人「それは凄い。誰にだってできることじゃない。と、思う。私は」

勇者「違うんだ、違うんだよ、狩人」

狩人「?」

勇者「不幸な目にあった不特定多数を悼むのは簡単だ。誰にだってできる」

勇者「本当に難しいのは……」

 言葉が喉から出てこない。
 この世界は、横にも縦にも、不幸なことがありすぎる。
 つまり、空間と時間の両面で。

 けれど違うのだ。不幸な誰かの死は、不幸であるがゆえに悲しい。
 それが違うのだ。

 間違いではないにしろ。本質的ではない。

 それでは死を悼むとは言えない。
93 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 20:25:52.28 ID:WnvzWUdt0
狩人「勇者」

 意識を思考から切り替えれば、目の前には狩人の顔があった。

 唇が唇に押し付けられる。触れる、というほど軽くない。押し倒されるようにベッドに転がった。
 視界いっぱいに狩人。天井の板目も滲んで見える。

狩人「愛してる」

勇者「……知ってる」

狩人「知られてた」

勇者「まぁ、な」

狩人「んっ……」

 もう一度の口づけ。今度は先ほどよりも長く、貪るようで。

狩人「んっ、ふぅ……ゆうひゃ……」
94 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 20:48:04.56 ID:WnvzWUdt0
 彼女が勇者を好いているように、そして同程度には、彼も狩人のことを好いている。今こうしているさなかにも、下半身は熱を帯び、抑えきれないくらいなのだ。
 だからこそ彼は恐ろしいと感じる。愛する人の命が失われることが。そしてそれを何が何でも忌避したいと願う。

 けれど。
 自覚はあるのである。自分は少女より、老婆より、狩人より弱い。コンティニューという奇跡は彼に対しての護法であり、彼の愛する人に対しての護法ではない。

 この世の中、人を愛すためには、守る力が必要なのだ。
 そして彼には力がない。

 彼女の肩をつかみ、引きはがした。

狩人「ぷはっ……」

勇者「ごめん」

狩人「……」

狩人「勇者、違うんだよ」

 先ほど彼が彼女に言ったように、あくまで優しく、狩人は言った。
95 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 20:48:55.04 ID:WnvzWUdt0
狩人「わたしはわかってる。だから勇者は苦しんでる」

狩人「人が死ぬのは悲しいから」

勇者「そうだ……」

狩人「あのね」

勇者「もういい」

狩人「……」

勇者「もう、やめてくれ」

勇者「俺はただ、手の届く範囲だけを守りたかったんだ……」

勇者「それもできないなら、俺は高望みをするべきじゃない」

狩人「でも結局、勇者にできることって、一つしかない」

勇者「……?」

狩人「守ること。昔、勇者がわたしを守ってくれたみたいに」

狩人「もちろん私はもう守られるだけじゃない。勇者のことを守りたい」

狩人「だって、好きだもの」
96 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 20:49:45.17 ID:WnvzWUdt0
 口づけ。
 狩人はふうわりとした笑顔を勇者に向けた。乙女の、天使の、笑顔。

 選択を迫られているようであった。臆病風に吹かれて彼女を突き放すのか、失う恐怖を抑え込んで彼女を抱くのか。
 考えるまでもないのだ、本来は。しかし、心の奥に深く根を張った毒草は、厄介なことに、至極生命力が強い。

 狩人は困ったように眉根を寄せて、「まったく」とつぶやいた。
 そうして胸元に飛び込んでくる。

狩人「あー」

勇者「ん?」

狩人「落ち着く」

勇者「そうか」

狩人「心臓の音が、聞こえる」

勇者「このままがいいか?」

狩人「我慢できない」
97 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/12(木) 21:03:57.53 ID:WnvzWUdt0
 狩人の手がゆっくりと勇者の下腹部を這っていく。
 艶めかしい……意思を持った動きだ。

勇者「……待ち合わせがあるぞ」

狩人「こんなになっといて、私をこんなにしといて、何言ってる」

狩人「初めてだけど、がんばるから」

 陰部に触れた指先の刺激は、体中を電光石火で走り抜ける。
 忘れて久しい感覚。最初に出会った僧侶が教えてくれた快楽。
 彼女も死んだ。

 分水嶺であった。勇者は狩人の肩をつかんでいる手に、力を込める。
 引きはがすよりも先に狩人が退く。

狩人「――なんて、嘘。勇者の答え、待つから、大丈夫」

 困ったような笑顔の彼女に、勇者はかける言葉がない。

狩人「……ばーか」ボソッ
98 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [sage]:2012/07/12(木) 21:44:00.45 ID:mjb05PS0o
( ^ω^)
99 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/13(金) 00:24:40.86 ID:z1Bx0fSDO
天膳様…
100 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [sage]:2012/07/13(金) 11:30:44.80 ID:IdU4fDaAO
このヘタレ…('・ω・`)
101 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/13(金) 15:18:30.84 ID:T4ozyPJw0
―――――――――――――――――――――――

 隣室。老婆と少女が滞在している。
 少女は元気だと主張していたが、老婆にはそれが虚勢だとすぐに知れたし、実際少女はベッドに寝転ぶや否や熟睡し始めた。
 少女の栗色の髪の毛を撫でながら、老婆は窓の外へと視線をやる。
 胸の透くような青空だ。
 実に腹立たしい。

 何もこんな天気の良い日に、あの王め、あんな発表をしなくてもいいものを。
 老婆はため息を一つ、大きくついた。

「――」

 隣室から聞こえてくる、微かなやりとり。狩人のものだと判断が付く。
 あの二人を同室にした時点でわかっていたことであったが……勇者にも、狩人にも、思うところはあるのだろう。これまでの旅路はどうであったのだろうか。ふと疑問がわいた。

老婆「まぁ若いということはいいことじゃ」

 自分も昔は――いや、やめておこう。益体のない考えをする時間はもうない。
 老婆はゆっくりと杖を手に取る。一振りすると亜空間の入り口が開き、中から一つの金属が落下してきた。

 繊細な金属細工である。これ一つ質に入れれば、それだけで半年は生活できるだろう。何しろ純銀で、それに精緻な意匠が施されているのだから。

 金属細工は王家の紋章を象っていた。
102 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/13(金) 18:55:05.71 ID:B9geSkMSO
興味深い
103 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 09:26:54.05 ID:W3EaA2D20
――――――――――――――
 太陽がわずかに傾き始めたころ、宿屋の入り口にて、四人は顔を突き合わせていた。

勇者「これからどうするか、だが」

狩人「私は勇者と一緒ならどうだっていい」

少女「アタシは魔王さえ倒せればいい。でも、王様が軍隊派遣するんでしょ?」

老婆「それについてなんじゃがな?」

 老婆は鋭く三人を伺い、言う。

老婆「王城へ向かう」

勇者「そりゃどういうことだ」

老婆「どうもこうも。そのままの意味じゃ」

 老婆はあっけらかんと言うが、勇者を含む三人は意味が分からない。そもそも王城は許可がなければ入れない。衛兵を打倒していくとでもいうのか。
 名声があれば別だが、単なる旅団である四人には、そんなものなど存在しない。
104 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 09:27:38.01 ID:W3EaA2D20
勇者「入れてくれるわけないだろ?」

少女「そうだよっ!? しかもあんな発表のすぐ後で……忙しいに決まってるよ!」

勇者「ついボケたか、ババア――ぐはっ!」

 咽頭に叩き込まれた水平チョップで勇者は悶絶する。
 激しく咳き込む勇者を横目に、老婆は杖の先で空間に一本線を描いた。
 本来何も生み出すことのない動作であるが、その時ばかりは違う。空中に僅かな亀裂が走ったかと思うと、急激に膨張し、丸い入り口となる。穴の向こうは暗闇だ。

狩人「なに、これ」

老婆「転移魔法じゃ。これで、王城へと入る」

少女「え、それって……大丈夫、なの?」

老婆「大丈夫じゃ、わしを信じろ」

 そう言われてはぐうの音も出ないのか、少女は小さく「うん」と頷いた。

勇者「本当に大丈夫なんだろうな。とっ捕まって不敬罪、なんて冗談じゃねぇぞ」

老婆「いちいち細かくうるさい男じゃのう、先にいっとれ」

 言うや否や老婆が勇者の背中を蹴り飛ばし、暗闇の中へと叩き込む。

老婆「ほれ、行くぞ」

 追って三人も暗闇へと飛び込んだ。
105 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 09:32:16.67 ID:W3EaA2D20
 時間にして一秒かそこらだろう。三人の足に衝撃が伝わる。柔らかい、絨毯のような感覚が足の裏にある。
 降り立った先は部屋であった。一般的と言えばあまりにも一般的なベッドが一つ、木机、そして書架。部屋の半分を埋め尽くす本は、棚に収まりきらず、地面に平積みされている。

勇者「いてて……」

 勇者が繊毛の上に倒れ伏している。どうやら着地に失敗したようだ。

少女「おばあちゃん、ここは……?」

 それは狩人と勇者の疑問でもあった。受けて老婆は口の端を歪める。

老婆「城内。儀仗兵長の部屋じゃ」

勇者「お偉いさんじゃねぇか。大丈夫なのかよ」

老婆「なに、どうということはない」

 勇者はふと違和感を覚えたが、その原因に至るより先に、背後から声。

??「あ、あなたたち、なにをやっているんですか!」

 慎ましやかな声が不釣り合いなほどに大きく響いた。
 女性である。法衣を身にまとい、小ぶりの儀式杖を右手に握っている。中年一歩手前といった風体だが、モノクルの奥の瞳はいまだ子供の輝きである。

 勇者は一瞬剣を抜こうとして――いや、そんなことをしてしまえば大ごとだ、慌てて剣の柄から手を離す。
 どうやってこの場を切り抜けるべきか。高速で回転する頭脳を停止させたのは、運転のきっかけである女性自身であった。

女性「って、えー!? なんであなたがここにいるんですか!」
106 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 09:39:35.62 ID:W3EaA2D20
 「あなた」が誰を示しているか、すぐに合点がいった。
 女性だけでなく、勇者も、狩人も、少女も、老婆を見る。

老婆「久しぶりじゃな、儀仗兵。いや、今は兵長か」

儀仗兵長「そんな軽く言わないで下さいよ! 許可は、って、あるわけないですよねっ?」

老婆「野暮用でな。少し話がしたい。時間を寄越せ」

儀仗兵長「……」

 どうやら女性――儀仗兵長は絶句しているようだった。それ無論勇者たちとて同様である。知り合いであるらしいが、それにしてもいきなり乗り込んで「時間を寄越せ」とは。
 儀仗兵長は僅かに困った顔をしていたが、すぐに諦観のそれへと変わる。大きくため息をついて、

兵長「わかりました、わかりましたよ、もう。人払いの護符張りますから」

 と、懐から一枚の札を取り出し、兵長は扉に張り付ける。

老婆「さて」

 老婆は椅子に腰かけながら言った。兵長はもう一つの椅子に座り、三人はベッドに腰を下ろしている。

老婆「話は単純でな。……わしらを、魔王討伐軍に入れてほしい」

少女・勇者「「え?」」
107 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 10:47:00.51 ID:W3EaA2D20
勇者「お前、いきなりだろそれは!」

老婆「なに、そちらのほうが早いじゃろう。使えるものは使わねば」

兵長「ちょっとちょっと、待ってください。まだ許可したわけじゃ」

老婆「損はさせんぞ?」

兵長「そんなのはわかってますけど!」

老婆「老い先短いババアの頼みじゃ、聞いてくれよ。わしだけじゃなくて、この三人も実力は相当なものじゃ。お前といい勝負ができるかもしれん程度に」

兵長「……どうせ言っても聞かないんでしょう? まぁ兵士を公募するのは既定路線です、ねじ込むことは難しくないでしょうが……」

老婆「すまんな」

勇者「何が何だかわからん」

少女「アタシもよ」

狩人「うん」

老婆「紹介が遅れたな。この三人は、わしと一緒に旅をしておる。これが孫で、勇者と狩人じゃ」

兵長「初めまして、私はこのお城で儀仗兵長を務めています。老婆さんとは……なんといったらいいのか」
108 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 10:47:28.67 ID:W3EaA2D20
老婆「知り合いでな。使わせてもらった」

兵長「まったくもう……変わらないんですから」

老婆「じゃあ行くぞ」

兵長「え? 老婆さんも来るんですか?」

老婆「そっちのほうが話が早い。年寄りだと馬鹿にする連中もいるじゃろう。実力を見せてやらねば」

老婆「ということじゃから、待っててくれ」

勇者「はぁ」

兵長「わかりました、わかりましたよ、もう。え? 今からですか?」

 ぶつくさ言いながら、兵長は扉を開けて廊下へと出る。老婆もそれに続いた。

兵長「済みませんが、ここで待っていてください。人払いの護符は残しておきます。くれぐれも廊下に出ないよう」

兵長「ちょっと、老婆さん、別にいいんですけど、王城ふっとばさないでくださいねっ?」

 蝶番の軋む音なく、静かに扉が閉まる。二人は廊下を歩いているのだろうが絨毯のためか足音は聞こえてこなかった。

 そして部屋には呆気にとられる三人が残された。
109 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 10:53:03.88 ID:W3EaA2D20
狩人「なんか、やばい言葉が最後に聞こえた」

少女「うん……」

 しばし呆然としている三人。
 昼からこっち、急といえばあまりにも急な展開に、正直なところついていけないのが実情であった。より遡れば村の火災から兵士の集団に襲われたところから。
 それらが全て独立した事象であるとは三人も思っていなかった。全てが絡み合っているのかは定かではないにしろ、不穏な空気が国を包んでいるのは理解できる。
 自分たちが知らないだけのミッシングリンクも数多く存在するのかもしれない。

 反面、老婆は少なくとも三人より何かを知っているようだった。年の功か、独自の情報網か。とりあえずは彼女についていけば間違いはないのだろう。

勇者「なんだったんだ、あれは」

少女「わかんないよ。アタシだって何が何だか」

狩人「たぶん」

 廊下へと続く扉から視線をずらさず、狩人は言う。

狩人「おばあさんは、ここに勤めていたことがある」
110 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 10:53:57.61 ID:W3EaA2D20
勇者「可能性は大だが、ここは王城だぞ? エリートっていうレベルじゃあない」

勇者「ガキ、お前はなんか知らないのか」

少女「ガキっていうな。……そうだね、アタシ、おばあちゃんが若いころ何してたかってのはわからないから、ありうると思う」

狩人「転移魔法でここに来たから」

少女「?」

勇者「あぁ。そういうことか」

少女「ちょっと、どういうことよ」

勇者「ばあさんの転移魔法は一度来たところにしか行けないんだろ。じゃあばあさんは一度はこの部屋に来たことがあるんだ」

少女「あぁ。……あー」

勇者「もしかしてお前のばあさん、結構要人だったりする?」

少女「わ、わかんないよそんなのっ。アタシが生まれたときからずっと村にいるって聞いてただけで……」

狩人「もしかしたら、以前になにか、あるのかもしれない」

勇者「しかし、戦争か。それが当然なんだよな。旅の一行が魔王を倒すのを待つよりも」

少女「隣国との情勢も安定してきたってことなんでしょ」

 水資源、鉱山資源をめぐる隣国との争いは、収まりつつあるとはいえ鎮火したとはいえない。安心して背中を向けられるところが存在しないのは、魔族との全面戦争に踏み切らなかった理由の一つでもあった。
111 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 10:55:08.21 ID:W3EaA2D20
勇者「恐らく志願者は多いだろう。映像魔法で戦争のことは人口に膾炙した。もしかするとほかの国からも人が来るかもな」

 魔王軍で割を食っているのはなにもこの国だけではないのだ。

狩人「世界が平和になるなら、過程はそんなに気にならないけど。でも、大丈夫なのかな」

少女「大丈夫かなって?」

狩人「それこそ、隣国が攻めてこないか、とか」

少女「その辺は講和を結んでるんじゃ? 政治には疎くて、どうもね」

 このような動きが起こるということは、隣国ともいくらか密約が交わされているのだろう。もしかしたら隣国も軍隊を編成しているのかもしれない。

 魔王軍に進軍を行う際の問題は、何より背後から刺されかねないことである。この場合は隣国が刃にあたる。
 そしてもう一つ、勝手に軍備を進めては、隣国に要らぬ不安を与えることにもなりかねない。摩擦は火種の原因だ。どんな動きをするにしろ、他国に情報を伝えなければいけない。

勇者「鍛錬と旅ばっかりしてるからな、しょうがない」

少女「平和になったらどうしよう。腕っぷしだけじゃ渡っていけないよねぇ」

狩人「それはみんな同じ。わたしも、勇者も」
112 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 10:55:40.78 ID:W3EaA2D20
少女「狩人さんはまだ生きてくスキルがあるからいいけどさ」

狩人「というか、勇者に養ってもらう」

少女「やしなっ……!? そ、それって、つまり……」

狩人「そういうこと」

少女「勇者! あんたねぇっ!」

勇者「そんなことを言われても困る……」

老婆「ただいま」

勇者「うおっ」

 老婆が唐突に勇者の背後へと姿を現す。お得意の転移魔法だろう。

勇者「いきなりだな。びっくりするじゃねぇか」

老婆「ちょっと詰所に来てほしい」

勇者「詰所って、兵士詰所か? なんで」

老婆「入隊試験じゃ」
113 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) [sage]:2012/07/14(土) 14:33:49.20 ID:PUl7d6hAO
面白いんだが平仮名が続くと無感情に思える
114 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:43:54.55 ID:W3EaA2D20
―――――――――――――――

 部隊の編成や志願者の入隊を一手に引き受けている人事部曰く、志願してくれる分には一向に構わないが、元来は書類審査や身元の確認がある。それらを免除するには、それだけの力量が必要である、とのことだった。
 半ば自明のことである。老婆とて、三人の実力を信じているから連れてきたのであろう。

 一対一の真っ当な真っ向勝負。勇者も、狩人も、少女も、相手の兵士と一定の間隔をあけたまま得物を握りしめている。

 傍らには複数の兵士と、儀仗兵長、そして老婆。お前も戦えよ、とは勇者は言わなかった。十人が束になっても勝てるかどうか。

 それにしても唐突なことである。それだけ状況が逼迫しているということなのか、それとも単に老婆の隠された権力の賜物なのか。
 とはいえ、現時点でそれを考慮する必要性は薄い。思考を純粋な戦闘に切り替える。

兵士A「相手に『参った』と言わせたほうの負け。制限時間はなし。武器も、魔法も、好きなものを使っていい。準備はいいよね?」

勇者「あぁ」

兵士A「それじゃ……」

 勇者は脚に力を込め、剣の柄を握りしめる。

兵士A「いくよっ!」
115 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:44:23.66 ID:W3EaA2D20
 合図と同時に踏み込む。相手との距離はおおよそ三歩分。剣のリーチも鑑みれば一歩半から二歩といったところか。
 すなわち、相手も踏み込んできた場合、一瞬で攻撃圏内へと踏み込むことを意味する。

 頭上からの剣戟。勇者は体の軸を僅かにずらし、必死圏内から頭をずらす。
 と、カウンターで剣を横に振り抜いた。相手が体をひねり、刃は鎧の上を流れていく。
 一歩さらに踏み込もうとしたところで相手が一足飛びに後ろへと下がる。今度開いた距離は四歩。互いが同時に踏み込んだとして微妙なところだ。

 僅かに互いの呼吸を図る間が生まれ、瞬間的に兵士が勇者へと切迫する。
 屈んだ低い姿勢。腰に当てた長剣。捻じりを加えられて放たれた刃は、鞘の中ですでに十分な加速をしている。

勇者「くっ!」

 剣で受け流そうとして、できない。手から落としこそしないが体勢を崩されてしまった。返す刀で攻めてくるか――と思いきや、あちらも振り抜いた事後動作が大きい。
 助かったとばかりに今度は勇者のほうから距離を取る。

勇者(なかなか強いやつが当たったなぁ。実力を図るんだから当然か)

 頬を伝ってきた汗を舌先で掬い取り、精神を賦活させる。舌先に感じるぴりぴりとした感覚は、それが何であれいいものだ。

勇者(さすがにここで死ぬわけにゃいかない。ネタバラシには早すぎる)

 電撃魔法を詠唱する。長々と諳んじている暇などないので、簡潔に、属性付加程度の効果だ。殺すのが目的でない今回はそれで十分だともいえる。
116 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:44:59.40 ID:W3EaA2D20
 向こうはまっすぐにこちらを見てくるばかりで、さしたる動きは見られない。間合いを計っているのか、こちらの動きを待っているのか。
 握りを確かめて地を蹴る。

勇者「っ!?」

 失敗した。勇者の脳裏に後悔がよぎる。
 踏み込んだ脚が地を蹴り、靴の裏が床を跳ね上げるその僅かな瞬間、もはや行動の制御が効かないタイミングを狙われて、長剣が飛来する。
 先ほどまで兵士が握っていた長剣が。

勇者(剣を捨てるかよ、普通!?)

 勇者は一瞬理解できない。じっとしていたのはこの瞬間を待っていたのだということはわかったが、しかし、あえて長剣を投げつけるなど。
 仕方がなしに剣で長剣を弾く。速度こそ脅威ではないが、重量は厄介である。手が痺れ、剣先もぶれる。
 勇者の視界の先ではナイフの投擲が確認できた。

勇者(こいつ……剣士っていうか、狩人タイプか?)

 長剣はカモフラージュでこそないにしろ得意武器ではなかったのだ、恐らく。
 いや、今は思考の暇すらもったいない。無傷は不可能と判断し、顔、喉といった重要部位だけを守り、一気にナイフの中を突っ切る。

勇者「うぉああああああっ!」

 気合の雄叫びとともに刃を走らせる。ナイフによる痛みは走るが、握力と腕力を蝕むほどではない。
 兵士の懐に勇者は飛び込んでいる。この距離ならば外すことはない。
117 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:45:36.42 ID:W3EaA2D20

 金属と金属のぶつかる音が響く。
 なぜ、と尋ねる余裕はどこにもなかった。括目するまでもなく、勇者の剣は兵士の剣に阻まれていたからである。
 紫電が走る。刃に込められた電撃は兵士の剣へと注ぎ込まれ、そして、

兵士A「っ!」
勇者「っ!」

 存外軽い音が響いた。
 兵士の持っていた剣が内部からふくらみ、弾け、空気中に霧散し溶けていく。
 魔力で編まれた金属なのだ、恐らく。魔力で剣や防具を具現化する者には勇者もかつて出会ったことがあった。

 意識を驚愕から戦闘へと引き戻したのはほぼ同時であった。
 兵士の反対側に手に握られたナイフが勇者の背中を狙う。

 避けるか? 切るか? 鈍化した思考の中では寧ろ本能と経験だけが活きる。勇者はそれを短くない戦いの中から悟っていた。重要なことは全て肉体に刻まれている。

 白く霞がかる意識の中で、勇者は刃を振り抜いた。
118 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:47:02.84 ID:W3EaA2D20
 鮮血が飛び散る。大した量ではない。痛みは――ある。が、覚悟を要するほどでもない。
 対峙していた兵士が倒れていた。腹から血を流している。死にはしないだろうが、安静にしていたほうがよいだろう、程度の傷である。

 倒れて腹から血を流しながらも笑っていた。「参りましたよ」と困った風に言うその声で、勇者は初めてその兵士が女であることを知る。

 背中の痛みは引いていた。どうやら鮮血は兵士のものであって、勇者を狙った刃は鎧の隙間を撫でる程度に終わったらしい。

 それもそのはずかもしれない、と彼は一人で思う。鍛錬こそそこそこだが、代わりに幾度もの死を経験してきているのだ。どの程度の攻撃でどこを狙われたら絶命するのか十二分に知っている。
 それすらもアドバンテージとして捉える武芸者脳に辟易するが、旅人の宿命なのだろう。勇者は床に座り込んで大きく息を吐く。
 呼吸すらも忘れていた気がした。
119 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:51:41.51 ID:W3EaA2D20
―――――――――――

 どうやら無事に狩人と少女も勝利を収めたようだった。

勇者「あんまり派手にやらなかっただろうな」

少女「当然でしょっ。あんたも、ふん。死ななかったみたいね」

 それだけ言うと少女は足早に去り、老婆の下へと向かってしまう。

狩人「おつかれ」

勇者「おう、お前も、お疲れ様」

狩人「大丈夫だった?」

勇者「ま、な。ここで死んでられないわ」

狩人「うん。うん。そうだね、ふふ」
120 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:54:01.89 ID:W3EaA2D20
老婆「おい、二人とも」

 一段高いところから老婆が声をかける。そばには僅かに衣装の異なる鎧を身に着けた兵士が立っている。
 二メートルに届くかという巨躯に勇者は圧倒されそうになったが、気を取り直して軽々近づいていく。

老婆「こいつは指揮官。軍隊を掌握する権限を持っている。直属ではないにしろ、わしの我儘を聞いてくれたナイスガイじゃ」

 老婆が鎧を撫でる。気のせいか大男――指揮官が体を震わせたような気がした。

勇者(ま、気持ちはよくわかるけれども)

老婆「お前も後でしてやろうかえ」

勇者「思考を読むな」

指揮官「とりあえず、話を切りかえようか」

 見てくれ通りの野太い声であった。しかし粗野な雰囲気はしない。誠実そうな、武人のイメージが想起される。
121 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:55:04.03 ID:W3EaA2D20
指揮官「特例ではあるが、なるほど、確かに実力者のようだ。我々は君たちを歓迎しよう。詳しい話は追って伝える。とりあえず、おばあさんとともに部屋で待機してくれ。場所は儀仗兵長が教えてくれる」

 三人の背後には儀仗兵長が笑顔で立っていた。三人、そして老婆は、促されるままに儀仗兵長のあとをついていく。

儀仗兵長「みなさんお強いんですね。失礼かもしれませんが、わたし驚いてしまいました」

少女「別に、当然だしっ」

 にやけながら少女が言う。
 勇者はそれを聞いて、はて、どうだろうかと思った。少女がではなく、自分がである。
 コンティニューという名の奇跡は言うなれば外法だ。それがなければ自分はここに立っていなかっただろう。

 外法に頼り切った結果の強さを、少女や狩人と言った生え抜きの強さと比較してもいいものか、彼には判断が付きかねた。

 通されたのは客室であった。入隊試験に合格した以上、兵士の隊舎に入るのが常なのではと思ったが、とりあえずの処置なのだろう。追って連絡が来るはずだ。

儀仗兵長「それでは、また呼びに来ますので、ごゆっくりと」

 ゆっくりと扉がしまる。蝶番の軋む音がしないのは、さすがは王城と言ったところだろう。
122 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:56:55.86 ID:W3EaA2D20
勇者「で、だ」

少女「そうだよおばあちゃん、詳しい説明をしてよっ!」

狩人「こんなコネクションを、持ってたなんて」

老婆「まぁまぁ、三人ともそう慌てるな。長い話になってもあれじゃから、端的に説明すると……そうじゃな」

老婆「わしは昔、王城に勤めていた」

 さもありなん。その答えを予想していなかった三人ではない。

老婆「あれは昔……わしが紅顔の美少女だったころじゃ」

勇者(なに言ってんだこいt「――ごふっ!?」

老婆「人の悪口を言うでない」

勇者「なにさらっと人の心読んでんだ!」

老婆「わしは王城で魔法の研究や後輩の育成に力を注いでいた」

勇者「無視かよ」

老婆「あのころは特に隣国との関係が逼迫し、戦争は不可避と思われていた時代じゃ」

老婆「互いに利権を求めてな……そして結局、戦争は起きた」
123 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:57:36.95 ID:W3EaA2D20
 自然と喉が鳴る。それは恐らく三人が生まれていない時代の話だ。

老婆「ま、幸いにしてそれほど規模は大きくなかったがな」

老婆「わしも当然参加した。結果的には勝利したが、彼我ともに死傷者多数の惨事じゃ」

老婆「わしは勝利の功労者として表彰を受け、勲章を賜った」

 苦虫を噛み潰したような、吐き捨てるふうに老婆は言った。三人はそれを疑問に思う。胸を張ることでさえあっても、憎むようなことではないのでは、と。

老婆「しかし、王城勤めが嫌になったのもそのころじゃ。わしゃ、政治とは無関係な世界で生きていたかったんじゃよ」

老婆「田舎へ帰っても、一応交流は続けていたが、それがこうやって生きるとは思わなかった」

少女「初耳なんだけど」

老婆「いや、悪い悪い。タイミングがなくてな」

少女「お母さんたちは知ってるの?」

老婆「大体はな」

少女「なによ、もう……」
124 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:58:47.84 ID:W3EaA2D20
狩人「でも、どうして?」

老婆「なにがじゃ?」

狩人「どうして急に王城勤めになろうだなんて」

老婆「魔王を倒すという目的のためなら、こっちのほうが手っ取り早いじゃろ」

老婆「軍隊が組まれ、戦争が不可避になってしまった以上、強いものの尻馬に乗るほうが合理的じゃよ」

狩人「わたし、世情に疎いからわからないけど、なんか嫌な感じがする」

勇者「嫌な感じ?」

狩人「うん。言葉では説明できないんだけど」

老婆「ま、いざという時はわしがなんとかするから安心せい。ひょひょひょ」

勇者「……」

 老婆は声こそ笑っているが、目ははっきりと笑っていない。勇者はそれを感じ取った。
 また、狩人の言葉も気にかかる。彼女には類稀な直観が宿っている。先日の村の焼き討ちとも合わせて、自分たちの知らないところで、世界がどんどんと先に進んでいく気がした。
125 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:59:16.98 ID:W3EaA2D20
――――――――――――――

 一週間後。
 四人は王国軍の隊舎に移り住み、それぞれがそれぞれの訓練、教育などを受けていた。
 王国全土から兵を募るというのは嘘ではなかったようで、義憤に駆られたもの、一旗揚げようと思っているもの、様々な手合いが見える。
 勇者はその中で目立たないようにひっそりと暮らしていた。

兵士A「やあ」

 午前の訓練を終えて一息ついている勇者の下へ、一人の女兵士がやってきた。
 鎧の隙間から包帯が見える。そしてこの声には聴き覚えがあった。

勇者「入隊試験の時の」

兵士A「お。ボクのことを覚えていてくれたんだ、光栄だねぇ」

勇者「怪我は大丈夫か? 悪かったな」

兵士A「や。負けたほうが悪いのさ。そういう世界にボクたちは生きてるからね」

兵士A「それにしても、なんだい。全然訓練に手抜きしてるじゃないか」

勇者「そう見えたかな」

 そうであった。勇者は自らの実力を抑え、いわゆる「落ちこぼれ」扱いされている。
 理由は単純で、強い相手と組みあいたくないからである。何が原因で加護がばれてしまうかわかったものではない。
126 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 19:59:52.70 ID:W3EaA2D20
兵士A「ま。ボクはとやかく言わないけどね」

兵士A「見る人が見たらわかるんだから、往生際悪くならないように」

兵士A「ボクが化けの皮をはがしてやってもいいんだよ? いつかのリベンジで」

兵士A「今度は本気でお相手するよ」

勇者「そうならないように願ってるよ」

兵士A「はは、それじゃあね、ばいびー」

 兵士Aはあっけらかんと手を振り振り、扉の向こうに消えていく。そちらは上官の詰所がある。

兵士B「おいおい。あんちゃん、あの人と知り合いなのかよ」
兵士C「きゃわいいよなぁ。俺の田舎にゃあんな上玉いなかったぜ」
兵士D「なぁ俺たちに紹介してくれよ」

 傭兵上がりと思しき兵士たちが勇者へと近づいてくる。面倒くさいのにからまれたな、と思いながら、余所行きの顔で応対する。

勇者「入隊試験の時にお世話になりまして」

兵士B「うらやましいぜ。俺の時なんてきたならしいおっさんだったからな」

 あんたも汚らしいおっさんだろうとは言わず、曖昧に返事を返すばかりだ。

兵士C「それじゃあよろしくな、あんちゃん、はっはっは!」バシバシ

 粗野な声を上げて三人が去っていく。兵士Cに叩かれた背中が痛いけれど、仕方ないと飲み込むことにした。
127 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 20:00:22.48 ID:W3EaA2D20
兵士E「だ、大丈夫ですか?」

 声をかけてきたのは、当然というか、兵士である。ただし随分と若い。
 恐らく元服を過ぎたあたりだろう。おっかなびっくり勇者のことを見ている。

兵士E「あの人たち、その……ちょっと乱暴だから」

 声変わりも途中のようだ。声音に多少黄色い部分が垣間見える。
 勇者は彼のことを知っていた。彼は勇者と同じ「落ちこぼれ」である。剣の素養も体力も、明らかに劣っている。それゆえ同時期に入隊したほかの兵士から虐げられる存在だった。
 改めて少女が埒外であることを確認する。彼女ほど年齢と戦闘力に差がある存在もあるまい。

勇者「大したことじゃない」

兵士E「あ、そ、そうですか。すいません……」

勇者「……なんでそんなおどおどしてるんだ」

兵士E「え? あ、してますか、ごめんなさい」

兵士E「あの、俺、農家の五男で、家にいてもしょうがないし、頭もよくないし、だから」

兵士E「親が、『いい機会だから』って」

勇者「……そうか」

兵士E「あの、それじゃ、はい」

 そそくさと兵士Eは去っていく。
128 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 20:00:51.42 ID:W3EaA2D20
「いい機会」それは、この機会に鍛えなおしてこいという意味か。
 それとも、口減らしの口上として最適だったということか。

 いや、考えるべきではない。勇者は頭を振る。
 彼らの中で一体何人が生きていられるだろうか? それの保証がされないのであれば、深く接するべきではないのだ。

 と、鋭い声で伝令が城内へと駆け込んできた。

 伝令はすぐさま城門へ集合するようにと叫んだ。
 魔物の討伐に向かうのだ、と。
129 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 23:44:36.20 ID:W3EaA2D20
――――――――――――――――

 事情は単純であった。魔物がとある町を襲い、偶然にも駐留していた兵士団が撃退した。逃げていく魔物の後を追うと、今まで知られていなかった拠点を発見したというのだ。
 広場に勇者たちは集められ、壇上に立つ兵士Aの話を聞いている。
 初めての出撃に緊張している者もあれば、気炎を上げている者もあった。

 勇者は運よく――もしくは悪く――討伐隊に選出された。兵士Aをトップに据える一個小隊である。
 兵士BからEまでもいることを考えれば、あの場にいた新米兵士があらかた選ばれているのであろう。
 彼我の戦力差はわからないが、上層部は新米に経験させるつもりなのかもしれない。

 狩人や少女、老婆の姿は見当たらない。隊の組み分けの時点で離ればなれになった彼女らとは、もう三日ほども顔を見ていない。

勇者(狩人のやつ、寂しくしてねぇだろうか)

 うぬぼれとも取られかねないことを思ってみる。
 なんだかんだで狩人は強かだ。何とかやっていけているだろうが。
130 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/14(土) 23:45:17.09 ID:W3EaA2D20
兵士A「や。みんな、元気ィー?」
兵士たち「うぉおおおおおおおお!」

兵士A「いきなりで悪いんだけど、これから魔物の討伐に向かいます」

兵士たち「うぉおおおおおおおお!」

兵士A「規模がまだわからないから、斥候って感じね。新米の人たちは頑張ってEXPためてねー」

兵士たち「うぉおおおおおおおお!」

 冷静な兵士Aと、熱狂がうねる兵士たち。まるでアイドルのコンサートだ。
 もちろんただやる気がありすぎるだけなのだろうが……。

兵士A「元気があってよろしい。けど、気だけは抜かないでね」

兵士A「死ぬから」

 冷たくきっぱりと兵士Aが言い切る。その声音は兵士たちに冷や水を浴びせるには十分だったようで、先ほどまでの喊声は鳴りを潜め、どこからか喉を鳴らす音すら聞こえた。

兵士A「ん。みんなわかってくれたようだね。それじゃ、行こうか」
131 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/16(月) 23:48:09.72 ID:soZzpkCE0
―――――――――――――
 二日間の野営の末に辿り着いた町は比較的規模の大きいところであった。
 魔物もわかっているのだろう、彼らはあまり大都市を襲わない。襲われるのは大抵周辺地域の農村などが主だ。
 その点で今回の事例は珍しいものであると言えた。

 とはいえ、一回の兵士である勇者には、その辺りの事情はまったく気にならない。究極的には魔王を倒せればそれでよいのだ。

兵士A「宿できちんと寝た? 朝ご飯はたっぷりとった? 体は資本だからね」

兵士A「さ。これから本格的に拠点攻略に入るよ。第一隊から第三隊まで、各自小隊長が点呼、その後問題がなければ中天の時刻より第一隊から突入開始」

兵士A「今回は町が近くにあるということで、兵站を気にしなくてもいいと言うこと、駐屯が楽であるということから、深入りはしない」

兵士A「問題が起こる前に、目敏く発見し、各自ボクや小隊長に報告してちょうだい。以上」

 拠点は森の中にある洞穴であった。恐らく地下空間が広がっているのだろう。中から生温い、瘴気を纏った風が吹いてくる。
 勇者は第二隊だ。点呼が終了し、第一隊の突入を待つことになる。中には先ほどであった、あまり柄の良くない兵士Cがいた。BとDは別働隊のようだ。
132 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/16(月) 23:48:37.83 ID:soZzpkCE0
勇者「どれくらいの大きさなんだろうな」

 これまで様々な砦、洞窟を攻略してきたが、地下に広がる洞穴へは足を踏み入れたことはない。
 経験としては、余程の規模でなければ自分と狩人だけで十分だった。ただそれは何より死んでも生き返れるという反則技のおかげでもある。安全を期すならやはり数十人はいるべきなのか。

 配給された袋の中を漁る。水と、食糧……林檎や干し肉だ。得物が配給されないのは、各自が使い慣れたものを使えということだ。
 勇者は無造作に林檎にかじりつく。手放しでうまいと言える代物ではなかったが、無為を紛らわすには十分すぎる。

兵士A「ん。なに、心配なの?」

勇者「A……今は小隊長殿か」シャリシャリ

兵士A「呼称を気にしなくてもいいけど。勇者くんはこんなの慣れっこじゃ?」

勇者「まぁな。ただ、集団行動は勝手が違う」シャリシャリ ゴクン

兵士A「あ。だよね。それでもいざとなったら頼んだよ」

勇者「冗談だろ」

兵士A「こんなところで冗談なんか言わないよ」
133 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/16(月) 23:49:51.46 ID:soZzpkCE0
 兵士Aの瞳がまっすぐ勇者を覗き込む。

勇者「……」

兵士A「ね。ボクは、力がないのはしょうがないと思ってる。けど、力がないフリをするやつってのは、馬に蹴られて死ねばいいとも、思っているよ」

勇者「俺は弱い」

兵士A「え。勇者くんがそれを言っちゃうのってどうなの」

勇者「もっと強いやつはいっぱいいる」

兵士A「確かに老婆さんは超弩級だよねー。女の子も狩人さんも弩級って感じだし。あ、知ってる? 弩級の弩はドレッドノートの弩なんだけどね?」

勇者「……」

兵士A「ま、いいや。上を見てもきりがないし、下を見てもきりがないボクらとしては」

兵士A「今の立ち位置でできることをするしかないんだよ」

兵士A「あはっ。それじゃあね。約束守らないと殺すからね。ばいびー」

 さらりと恐ろしいことを言って、兵士Aは指揮系統の集団に戻っていく。

勇者「……」
134 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/16(月) 23:50:52.02 ID:soZzpkCE0
 今の立ち位置でできることをする。それは狩人も先日言っていたことである。
 勇者の強さは、それこそ中の上である。上にも下にもたくさんの他人がいる。
 だけれど彼は、誰かを救いたいのだ。

 この世界には縦にも横にも不幸が多すぎる。嘗てから彼が述懐しているその台詞は、彼の全ての苦悩を包含している。
 今こうしている間にも国内では貧困に苦しむ農民がいるだろう。エンクロージャーに苦しむ小作農がいるだろう。
 また、魔物に襲われている村々もあるかもしれない。実の両親からの虐待で殺されそうになっている少年少女がいるかもしれない。

 勇者は全てを救いたかった。そんなことできるはずないと知っていて尚、彼は諦めが悪かった。断念という言葉に対して狭量であった。

 彼は知っている。仮に自分が世界で最も強い人間であっても、人間である以上、彼の手の届く範囲は限られている。
 空間的にも、なおさら時間的にも、苦しんでいる人間すべてを救うためには、彼は人外にならなければいけない。神か妖精にでも。

 寧ろ強さなど関係がない、意味がないと断定してしまうのは単純である。どれほど強くなっても不幸を救えないなら、強さなどは無関係ではないか。
 違うと勇者は頭を振った。彼はすでに散々な死を散々見せつけられてしまっている。もう血の臭いも嗅ぐのも絶望にうなされ悪夢で目が覚めるのも嫌なのだ。そのために強くなりたいのだ。

 否。強く在らねばならないのだ。
135 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/17(火) 01:19:10.42 ID:JOODjsxyo
おつ
136 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/17(火) 08:12:25.69 ID:qwJ/f0zF0
 なんだか無性に業腹だった。というよりも、思考の乱雑加減に苛立ちを覚えた。汚い部屋を見たときの苛立ちと同じようなものだった。
 憂さを晴らす術がない。狩人も少女も、あまりどうでもいいが老婆もいない。
 むしゃくしゃしてもう一度林檎を齧ろうと顔の高さまで持ち上げた瞬間、飛来したナイフが貫いた。
 鼻先一センチに突如現れた切っ先に驚かないわけがない。勇者は思わず座っていた切り株から転げ落ちる。

勇者「うわっ!」

兵士A「『配給された食料は各隊で小隊長の指示に応じてとること』……勇者くん、規律違反だよ」

勇者「……きっついねぇ」

――――――――――――――――
137 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/17(火) 13:11:14.08 ID:7cyJBucg0
――――――――――――――――
 ややあって、勇者はようやく洞穴の中へと足を踏み入れた。熟練の兵士が前後を抑え、前から二番目に小隊長、残りはその後ろに一列で続く。
 勇者は真ん中より前ほどについた。後ろには兵士Cもいて、緊張しているのかあたりをきょろきょろと見回している。

兵士C「な、なぁお前、こういうところもモンスターって出るのかな」

勇者「モンスターの住処なんだからでないほうがおかしいだろ」

兵士C「そ、そうだよな。そうだよなぁ」

兵士C「いやさ、俺、傭兵だなんて名乗ってるけど、実際は野生動物を対峙するくらいしかなかったんだ」

兵士C「BやDと同じ村でさ、農作物を荒らす猪とかを退治してさ」

兵士C「な、お前倒したことあるんだろ、魔物。どうなんだよ」

 あまりにもへっぴり腰の年上に、勇者は一体どうしたものかと思案する。が、故郷を発ったばかりの自分もこんなものだったと勇者は思いなおす。
 あのころは何より夜が怖かったと記憶している。

勇者「どう、って言われても。ピンキリですが」

兵士C「ここにいるのはどっちかなぁ……」
138 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/17(火) 13:11:51.88 ID:7cyJBucg0
勇者「お」

 途中までこそ一本道であったが、すぐに大きく開けた空間へと出る。

 先頭の兵士が光る粉を撒いている。これで迷わず帰ってこられるようにするのだ。先遣隊が撒いた粉も見受けられる。

小隊長「俺たちはこっちだな。行くぞ」

 大空洞を、松明を頼りに進んでいく。地盤が固いのか、存外崩落の危険性はないようだった。

勇者(圧死とか窒息死でも復活するんだろうか、俺)

儀仗兵「もし、小隊長殿」

小隊長「どうした」

儀仗兵「通信魔法で連絡が。第三隊も洞穴へ入ったようです」

小隊長「了解した。ご苦労」

 音が反響し、空洞いっぱいに響き渡る。石を蹴飛ばす音すらも拡大している。
 その時である。殿を務める兵士の足元が急激に膨らみ、土を巻き上げながら隆起していく。

兵士「くっ……敵襲、敵襲ぅううううっ!」

 隆起した土から転がりながら、兵士が叫ぶ。
139 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/17(火) 13:12:24.31 ID:7cyJBucg0
 現れたのは巨大な環形動物であった。粘液でぬらぬらとしたその全体、細かな牙の生えた口、明らかに異形のものだ。
 太さはおおよそ直径二メートル、体長は半分地面に埋まっているため定かでないが、十メートルほどはあるだろう。
 大ミミズだ。

小隊長「全体、得物を抜けっ!」

兵士「小隊長、前方からも、スライムの群体です!」

 兵士が叫んだ。待ち伏せ――いや、そんなはずはあるまい。この挟撃は単なる偶然だろう。
 小隊長は舌打ちをして応答する。

小隊長「なにっ? くそ……戦力を分散、片方を防ぎながら、まずは一方の撃破に勤めろ!」

兵士たち「「「「はっ!」」」」

 前衛と後衛に別れ、まずはミミズを叩く。スライムの溶解液よりも巨躯の突進のほうが命に係わる。
 兵士たちはそれぞれに剣や斧を振るった。当然その中には勇者や兵士Cの姿もある。見てくれ通り体は柔らかいらしく、存外簡単に切り込んでいくことができた。
 後方からは儀仗兵が放つ火球が大きく粘液を焦がす。火炎魔法は苦手なのか過剰に嫌がるそぶりを見せていた。効果は抜群のようだ。
 勇者は電撃魔法を左手に溜めつつ、剣を振るう。
140 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/17(火) 13:34:51.73 ID:7cyJBucg0
ミミズ「――――――!」

 ミミズは声にならない声を上げた。透き通った泥のような声であった。
 大口を開ける。その中に儀仗兵が火球を叩き込むが、それは相手を怒らせるにすぎない。
 体をくねらせてミミズが儀仗兵へと突っ込んでいく。

儀仗兵「っ!」

兵士「とぅおりゃあああああ!」

 剣がいくつも突き刺さるが、止まらない。
 歯牙が逃げようと背を向けた儀仗兵のローブに引っかかったとき、勇者は大きく左手をミミズの粘液に叩きこむ。

 大空洞が一瞬だけ昼間の明るさを取り戻す。松明のものではない、ケルビンの高い光が満ち、弾ける音とともにミミズの体が跳ねる。
 その隙を見逃すほど勇者は愚かではなかった。剣を固く握りしめ、ミミズの、恐らく人間であれば頸部に相当するであろう部位に、深々突き刺す。青緑色の臭い体液が飛び散る。

勇者「早く! 突き刺せ!」

 その声につられて兵士たちはみな剣を突き出す。
 一本、また一本と鋼が体に打ち込まれていくたびにミミズは大きくうねり、声を上げ、そうして息絶えた。
 ミミズが倒れると地面が大きく揺れた。新米兵士たちは肩で息をし、自らの人生で初めて魔物を倒した手ごたえに感激しているようであるが、そんな暇は実は無い。

 そう、まだ終わったわけではないのだ。勇者はすぐさま剣を引き抜き反転、電撃魔法を刃に付加し、スライムの群体を切り伏せていく。
 分離したスライムの破片はそれでも緩慢な動作を続けていたが、刀身から迸る電撃で根こそぎ蒸発させられる。彼の魔法は軟体系の魔物を倒すためのみに会得したといってもよかった。

 師である賢者はすでに死んでいる。魔物の大軍に囲まれ、自らの命を犠牲にして勇者たちを助けてくれたのだった。
141 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/17(火) 13:55:28.96 ID:7cyJBucg0
 周囲から、それこそ掛けなしの歓声が上がる。

勇者(いいから早く加勢しろよっ!)

 所詮ほとんどが兵士Cのような一般市民や農民である。兵士としての責務を果たせるようになるには、一週間では短すぎた。本や鍬を剣に置き換えたからと言って、それがそのまま仕事になるわけではないのだ。
 せめて気概でも見せれば別なのだが、それすらも周囲にはないようだった。

兵士「お、俺もっ!」

 なんとか克己心に駆られた者が何人か走る。勇者の記憶が正しければ、彼らは武勇を求めてやってきた者であったはずだ。しかし、魔法を覚えていない限りはスライムに決定打を与えることはできない。

儀仗兵「下がっていてください! 燃やします!」

 儀仗兵が前に出て詠唱を始めた。手と手の間に火球が生まれる。
 勇者の視界の端で破片が蠢動する。不覚にも殺しきれない一部が存在したのだ。舌打ちをするが、遅い。
 破片は先端が鋭く研ぎ澄まされ、一挙に伸びた。標的はもちろん――スライムと言えど生物としての生存本能、危機察知能力はあるのだろう――熱源である儀仗兵。
 勇者に逡巡が生まれる。身を挺して守るか、儀仗兵を犠牲にスライムを殺すか。前者であれば自らのある種平穏な生活は望めなくなるであろうし、後者であれば彼の心に毒草が一輪増えることとなる。どちらも地獄の苦しみである。

 けれど、あぁ、考える必要などはなかったのだ。彼には身に沁みついてしまった行動原理が存在する。それは今まで彼を人間として生かしてきたものだ。
 彼は誰かを助けたかった。
142 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/17(火) 13:59:25.44 ID:7cyJBucg0
 右手に雷魔法、左手を伸ばしてスライムの動線上に。
 衝撃。スライムの触手が深々と勇者の肩の付け根を抉る――と思われた。
 しかし。

兵士C「年下にいい格好ばっかりさせらんねぇんだよっ!」

 見るからに素人くさいへっぴり腰で、兵士Cがスライムの触手を切断する。切断された部分は宙を舞い、素敵になって辺りへと飛び散る。

勇者「っ!」

 閃光が迸り、今度こそ完膚なきまでにスライムを消滅させた。後に残るのは僅かな焦げ跡だけだ。

 終わってみれば、ものの数分で終了した討伐であった。

勇者「あ、ありがとう」

 素直に勇者は礼を言った。死ぬことはないにしろ、助けてもらったことには変わらない。寧ろ死んでいてはより面倒なことになったかもしれないのだ。
 兵士Cは冷や汗で光る顔をぎこちなく笑顔に歪めながら、親指を突き出した。

兵士C「はは、ははっ。なぁに、いいってことよ! お前が頑張ってるのにおっさんが頑張らなくてどうするよ」
143 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/17(火) 13:59:59.79 ID:7cyJBucg0
小隊長「いやぁ、お前強いんだなぁっ」

 満面の笑みで小隊長が近づいてくる。祭り上げられてはたまらない。勇者は軽く受け流す。

勇者「いえ、そんなでもないです」

小隊長「謙遜しなくてもいいって。こりゃ拾い物だぁ」

 満足そうに笑う小隊長。
 初めての戦闘に腰を抜かした兵士も幾人かいるようだが、それ以外は皆健全で、手入れののちにすぐ出発できそうであった。

勇者(しかし……奥から流れてくるこの感覚、なんだ?)

 そう、悪意の宿る気……瘴気が確かに、大空洞の奥から流れてきていた。
 魔物が住むところに瘴気がたまるのは当然であるが、従来それは龍脈によって浄化される。高い濃度は、つまり龍脈が機能していないか、処理能力を超える瘴気を発生する何かが存在するということである。
 後者は当然、前者もまた捨て置ける要素ではない。理由が自然発生的ならばまだしも魔物たちの工作による可能性もある。

 どうやら小隊の中には気づいた者もいるようで、険しい顔をして奥を睨みつけている。だが、大多数は額の汗を拭うばかりだ。

勇者(大物がいる、か? ……気を付けるに越したことはないな)

 一行はまた奥を目指して歩き始める。

――――――――――――――
144 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/17(火) 19:22:39.66 ID:Yb2dicpxo
1乙
楽しく読んでます。臨場感があって良いわー
145 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:04:46.21 ID:FvCAQEFi0
――――――――――――――
 土塊が弾け飛び、インプが倒れる。
 肩の肉を抉る肉食蝙蝠を魔法で撃ち落とす。
 ゴブリンの軍勢を薙ぎ払う。

 いったいどれだけ進んだのだろう。かなりの距離を歩行しているが、通路は広くなることこそあれ、一向に収斂する様子を見せない。
 この奥には何があるのか。兵士全員が、期待と恐怖の入り混じった表情で前を見据える。

勇者(おかしい。魔物は出てくるけど、全然強くないぞ……?)

 流れてくる瘴気は濃くなる一方だ。それだのに、魔物は旺盛でこそあれ、全く低次元のものばかりが出てくる。
 濃さと魔物の強さは比例するものだ。濃い瘴気は魔物を強くし、強い魔物は濃い瘴気を発する。そのサイクルが魔物たちの厄介なところだ。

勇者(わからん)

儀仗兵「小隊長殿! 帰還命令です!」

 通話魔法を受け取った儀仗兵が言う。どうやら他の小隊も大空洞の奥までたどり着けていないらしい。日を改めて、もしくは人員を増加して、というのも詮無き話であろう。
 反面勇者はもどかしさも感じていた。こんなとき、周囲が狩人や少女や老婆ならば、犠牲を気にせず――無論悪い意味ではなく――奥へと進んでいけるだろうに。

小隊長「だいぶ歩いてもこれだしな。よし、全体、帰還だ」

兵士「しょ、小隊長殿!」

小隊長「なんだ」

兵士「光の粉が消えかかっています!」
146 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:05:15.47 ID:FvCAQEFi0
小隊長「なにっ?」

 これまで撒いてきたはずの粉の発光が、だんだんと薄れていっていた。
 兵士たちの間に戦慄が走る。発光がなくなるとは、即ち出入口までの道しるべがなくなることを意味する。

小隊長「こ、これは……どういうことだっ!」

儀仗兵「わ、わかりません――え? ど、どうやら他の隊でも同様の現象が起きているらしくっ!」

小隊長「もういい! 全体、走るぞ! 消えてなくなる前にだ!」

兵士たち「「「「は、はいっ!」」」」

 がちゃがちゃと鎧を激しく軋ませ、兵士たちは一目散に今来た道を駆け戻る。

小隊長「くそ、冗談じゃない、なんでこんな――ぶっ」

 「ぶ」? 誰もが疑問を浮かべて小隊長のほうを振り向けば、

 ぐらり、と、彼の体が倒れる。
 頭のない体が。

兵士「ひ、ひひ、あああああぁ……」
兵士「なんだ、なんだよ、これ」
兵士「おぇえええぇっ!」

勇者「敵だっ!」

 そんなことは言わなくてもとうにわかっているというのに、勇者は言わずにはいられなかった。
 油断をしすぎたのだ。弱い魔物しか出ないからと、瘴気の強さを見くびって。

 視線の先には鬼神がいた。
147 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:05:53.45 ID:FvCAQEFi0
 背丈は三メートル近くあるだろう。見るからに硬質な筋肉に包まれた体と、右手には大剣を持ち、人間のパワーファイターもかくやと言わんばかりに仁王立ちしている。
 鬼神は空いた左手で、転がっていた小隊長の頭部をつかみ――口の中へと放り込む。
 形容しがたい骨の砕ける音。愕然とする一行とは対照的に、鬼神は満面の笑みを浮かべるばかりだ。

鬼神「おうおう人間ども、折角こっちが拵えた塒、荒らすんじゃあねぇぞぉ」

兵士「ひ、……逃げろォッ!」

 とある兵士の声がきっかけとなった。恐れに背中を押され、みなが一目散に駆け出す。
 震脚。洞穴を崩さんばかりに踏み込まれた一歩で、鬼神はたやすく先行していた誰よりも前に回る。
 大剣がわずかな光を反射してギラリと光る。

勇者「避け――」

鬼神「られるわけねぇだろ! クソが!」

 鬼神が大剣を薙ぐ。

 旋風が巻き起こり、前方にいた数人の体から血が飛び散った。粘っこい音とともに、欠片が地面に落ちていく。

 勇者は驚愕した。あれは剣技ではない。技量を全く伴わない、ただの筋力による暴力に過ぎない。
 彼は別段剣技をはじめとする武術に明るいわけではない。ただ、あれが獣の行いであることはわかった。そしてただ横に薙ぐという行為で数人もの命を絶てる鬼神の膂力も。

 まるで大型の少女を相手にしているようだった。醜悪な顔をしていないだけオリジナルのほうが万倍もましだ。
148 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:12:47.80 ID:FvCAQEFi0
兵士「く、くっそぉおおお!」

 果敢な兵士が突貫する。

 鬼神はそれを見、にやりと笑った。
 勇敢であると褒めたのか、無謀だと嘲ったのか。

 大上段に構えられた兵士の剣が、大きく鬼神に叩きつけられた――そう、叩きつけられたという表現が正しい。
 刃は皮膚を内側から盛り上げている筋肉の前に文字通り歯が立たず、大きく歪んでひしゃげた。鬼神の赤い肌には傷一ついていない。
 彼にとっては恐らく、今の一撃は、幼児が駄々をこねた程度にしか効いていないのだろう。

鬼神「じゃ、やり返すぞぅ――と!」

 鬼神が大上段に振りかぶる。
 兵士は顔を大きく歪めたが、それは鬼神にとってはスパイスにしかならない。ひしゃげた剣でなんとか身を守ろうとするが、頭上から振り下ろされた温度の無い刃は、剣のなりそこないなど意にも介すはずもなかった。

 大剣が大きく地面に突き刺さる。
 地獄絵図にも描かれないであろう「人であったモノ」が、両側に倒れる。

 まさに阿鼻叫喚であった。逃走も闘争も叶わないと知ったとき、人間という種はもはや泣きわめくこともできないらしい。兵士たちはみな尻もちをつき、震えながら鬼神を呆然と眺めている。

勇者「立てよ! 立って死ぬまで戦えよ!?」

 勇者は叫んだ。死んでも構わぬ自分の心が折れていないというのに、死にたくない彼らの心が折れているのはどういうことか。
 生きようとしなければ生きていけないだろうに。
149 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:13:25.69 ID:FvCAQEFi0
鬼神「お? お? やるか? やるんだな?」

 勇者は雷呪文を唱えつつ、片手で剣を握りしめる。もしかしたら戦っているうちに兵士たちが逃げ出してくれるという淡い期待も抱きつつ。

鬼神「来ないならこっちから行くぜっ!」

 震脚を駆使し、鬼神が一気に近づいてくる。一歩で大剣の圏内まで寄られた。

勇者(これは、やばいっ!)

 剣での受け流しが通用しないのは先ほどで証明済みだ。ならば回避しかないのだが、あの移動速度を相手にどこまでそれが成るか。
 反射的に地を蹴って後ろへ下がる。同時に左手から雷を乱射し、相手の怯みを期待する。

 数条の雷は確かに鬼神に命中するが、効果はそれほど見当たらない。僅かに皮膚を焼いただけだ。

鬼神「なんだなんだ、蚊トンボかぁっ!?」

 もう一度地面が震える。震脚によって更なる加速をした鬼神は、容易く勇者に追いついた。

勇者「速いっ」

 大剣が眼前に迫った。左手から残った雷を全開放、その威力でなんとか鬼神の攻撃を反らす。
 硬質であるはずの大空洞の壁に深々と傷。手荒く振り回しても壊れないということは、魔物独自の製鉄技術を用いられているのだろう。武器破壊は望めなさそうだ。
150 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:14:44.58 ID:FvCAQEFi0
 巨躯の懐に飛び込む。ここでは大剣も使いにくかろう。
 勇者は両手でしっかり柄を握り、切るのではなく突いた。まるで鋼のような体には剣先が微塵も入っていかないが、その代わり刃は滑り、脇腹に一陣の傷跡をつけることに成功する。
 そのまま脇を駆け抜ける。鬼神が右手の拳を握り締め、無造作に向けてきたが、それに反応できないほど勇者は鈍くはない。翻って今度は目を切り裂いた。

鬼神「ぐ、おぅううおおおおおっ!?」

 叫びをあげる鬼神。流石に鋼鉄の体を持つとはいえど、眼球の硬度には限界があるようだ。

 兵士たちを背に勇者は剣をもう一度握りしめる。

 鬼神は左目を抑え、残った右目でしばらく勇者のことを睨みつけていたが、不意に大きく笑った。

鬼神「ぐふ、ぐふはははは、はははっ! やるじゃねぇか小僧。人間が俺に傷を与えるだなんて上出来だ!」

鬼神「よし、お前は認めてやろう。お前はな」

 鬼神は左目から手を離した。眼光を中心として血に塗れているが、どうやら傷ついたのは眼球でなく瞼であるようだ。完全に失明したわけではないらしい。
 大剣を腰に当て、体をひねる。まるで居合のようなその構えに、勇者の警戒心が爆発的に膨らんでいく。

鬼神「死ねや!」

 剛腕と大剣が唸りを挙げた。
 遠心力によって十分に加速した大剣は、驚くべきことに、そのまま鬼神の手を離れる。
 すっぽ抜けたわけではない。自ら放ったのだ。

 最も驚愕したのは勇者その人であった。突如として向かってくる大剣をなんとか屈んで回避する。
 大剣はそのままはるか後方へと吹き飛び、鈍い音を立てて落下した。どこまで飛んで行ったのか見当もつかない。
151 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:15:14.07 ID:FvCAQEFi0
 眼前の鬼神に目を向けると、愉悦そうな笑みを浮かんでいた。野生的な下卑た笑みだ。

鬼神「大剣はいらねぇ。ここじゃ邪魔だ」

 するりと腰に帯びていた短刀を――それは縮尺上の問題であり、実際は兵士たちみなが持っている長剣程度の長さだが――二本、抜く。

鬼神「ギャラリーもいらねぇ。野次馬は邪魔だ」

鬼神「二刀で殺しあおうぜ、人間!」

 そこで勇者は、違和感を覚える。
 なぜだろう。

 なぜか、背後がやたらに静かなような――

勇者「……おい、鬼神」

鬼神「んー?」

勇者「お前、何をした」

鬼神「なにも。ただ、てめぇの後ろに大剣を投げただけだぁ」

鬼神「それを避けられるかどうかは、俺の知ったこっちゃねぇけどなぁ!」

勇者「……!」

 背後を振り返るのが恐ろしかった。背後の静寂が恐ろしかった。
 誰も喋らないのではなく、喋れないだけなのではないか。

 振り向くだけの動作が、まるで障碍者のように、彼にはできなかった。
 手足が震える。奥歯が割れるほど噛みしめてしまう。

 絞り出した言葉は、こうだった。

勇者「殺す」
152 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:17:58.47 ID:FvCAQEFi0
鬼神「来いよ!」

 いつか、誰かが言った。「『殺す』と言った時には、既に殺し終わっていなければならない」と。
 勇者はそれを違うとはっきり思えた。それは他人に向かっての言葉ではなく、自分に対しての戒めなのだ。
 殺すまでは殺し続ける、という。

 勇者が跳ねた。極大まで膨らませた雷魔法を刀身にまとわせ、下から上へと逆袈裟切り。
 がちん、と刃同士が噛み合う。勇者は両手、鬼神は片手のみだというのに、この拮抗である。肉体の基礎能力が大幅に異なることを思い知らされる。
 残った手に握られた短刀が勇者の脇腹を狙う。

勇者「ちっ!」

 雷を解放、短刀を軽く弾いて、脇腹に向かう短刀を受ける。
 追撃が来るより先に一歩後ろに下がった。

 ぬるり。足元が滑る感覚。水よりももっと粘液の高い、薄気味の悪い液体。
 大空洞が暗いのが幸いだっただろう。日の下であればどうなっていたか。

鬼神「逃げてんじゃ、ねぇよぅっ!」

 一歩で大きく踏み込んでくる。
 本来二刀流というものは使い難い。片手で剣を握るということは、どうしたって両手で握られた剣には力で負ける。生半な腕力では剣に振られてしまうということもある。
 鬼神の場合は話が違った。種として生まれ持った膂力は、まさに暴力というものを体現している。剣が石でも大した違いはない。
153 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:18:36.05 ID:FvCAQEFi0
 ゆえに勇者は攻め手を欠いていた。大きく踏み込み、大きく切り裂くことができるならば希望も見えるだろうが、難しい。
 逆にあちらの攻撃は大抵が一撃必殺だ。命を失うことが怖くないとはいえ、ただ挑んでただ負けるだけ等は許せなかった。石に齧りついてでも何らかの成果を得なければ、死んだ仲間に申し訳が立たないのだ。

 乱舞する短刀の刃。何とか紙一重のところで回避し続けるが、どこまで持つか。
 時折放つ雷撃も、鋼の肉体の前ではたかが知れている。あの肉体こそが最強の武器であり防具であるかのようだ。

 短刀の連撃を、剣で何とか反らす。大剣は重量の関係で受けきれなかったが、短刀ならばまだ受け流すことができる。勝機を見出すとすればこの一点しか存在しない。

鬼神「早く死ねよぉおおおっ!」

 大振りの一撃。速度はあるが、軌道が単純だ。勇者は交錯する二振りの刃をかいくぐり、太ももを切りつけて離脱した。
 目に見えたダメージは与えられていないが、精神的にはどうだろう。

鬼神「くそ、チョコマカと動きやがって!」

 優勢を保ち続けてはいるものの、鬼神は次第にこの戦いに飽いてきたらしかった。優勢なはずの自分が致命的な攻撃を与えられていないことに苛立っているのだろう。
 無論勇者は冷や汗をかきっぱなしである。五回攻撃を回避したからと言って、次の一回も回避できるとは限らないのだから。

鬼神「あーもう、イライラするぜぇ! いい加減殺されろよ!」

 一撃必殺は依然変わらないと言え、状況の微かな好転は感じていた。大振りは剣筋が読みやすい。これを続けていればいつか隙はできるだろう。

 所詮鬼神か。筋肉こそ一流でも、それを司る脳が立派でなければ意味がない。
154 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:19:18.38 ID:FvCAQEFi0
鬼神「チッ。最初の任務を遂行する前に、邪魔が入っちまったな!」

 吐き捨てるように鬼神が言う。その中に含まれている単語に勇者が反応しないわけがなかった。

勇者「任務……?」

鬼神「おっと言えねぇ、こればっかりは言えねぇなぁ、ぐひゃひゃひゃひゃ」

鬼神「なんたって俺が九尾に怒られっちまうからよぉ!」

 短刀が振りかぶられる――振り下ろされる。
 大地を憎しと錯覚するほどの威力は、まさしく斬鉄の勢いである。しかもそれが二回分だ。一度死ぬだけではまだ足りない。
 しかし、それともやはりというべきか、単調な線の攻撃は勇者にとって回避に難くない。鬼神の目に見える傲慢さは、己の足元に硝子を撒き散らしているのと同じだ。

 それより彼が気になったのは、先ほど鬼神の言った「九尾」という単語である。彼は前にも砦の主からその単語を聞いたことがあった。
 魔王軍の四天王、九尾の狐。

勇者「四天王ってやつか」

鬼神「それを知ってるって、てめぇ、普通じゃねぇなぁ?」
155 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 10:20:19.05 ID:FvCAQEFi0
 短刀をちらつかせながら鬼神が語る。隙あらばこちらを殺そうとしているのが見え見えだが、勇者はそれに乗ってみることにした。
 ある意味丁半博打である。情報は何よりも偉大だ。ここで鬼神を冷静にさせても、情報を得るべきだと感じたのだ。

勇者「普通じゃない自信はあるさ」

勇者「俺の剣はいずれ四天王にも届くからな」

鬼神「四天王! 四天王だぁ!? 言うねぇ、ぐへひゃひゃひゃ!」

 高笑いをした後、鬼神はふと真顔になる。柄を握る両手に力が入るのが遠目に見てもわかった。

鬼神「……ふん。けどよ、つまらんぜ、四天王もな」

鬼神「九尾は何考えてるのかわかんねぇ、アルプは部屋で寝てばっか、デュラハンは静観決め込んでるし、ウェパルについちゃ行方知れずと来たもんだ!」

鬼神「つまんねぇだろうそんなのよぉ! 魔物は人間殺してなんぼだろうがよぉ!」

鬼神「だから殺す! お前を殺す! 今殺す!」

 鬼神は踏み込んだ。人外の加速。煌めく刃が一閃、二閃、三閃と繰り返す。
 勇者はそれを何とか回避するけれど、回数を増すごとに刃と肌とが肉薄していく。僅かに金属の冷たさが感じられるほどなのだ。

勇者「そろそろ、潮時か……?」

鬼神「なにくっちゃべってんだよぉおおお! 死ね!」

 二刀が勇者へと吸い込まれていく。
 勇者はにやりと笑った。

勇者「おうともさ」
――――――――――
156 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 23:25:48.45 ID:OzJ5qNj10
――――――――――
 勇者が目を覚ましたのは洞穴の入口であった。固い剥き出しの地盤の上に横になっていたためか、非常に背中や肩が痛い。
 どれくらい時間が経ったかはわからないが、外がまだ明るいところを見ると、それほどでもないらしかった。

 勇者は助走をつけ、慌てたように飛び出す。

勇者「すいません!」

 その先にいたのは兵士Aをはじめとする首脳陣であった。他の隊の姿は見当たらない。

勇者(ということは……全滅、か)

勇者(だけど、他の二隊も……? 鬼神はまだ二人いるのか?

兵士A「勇者くん!? 大丈夫!? どうしたの、急に連絡取れなくなったから!」

勇者「それについて話があるんです」

 勇者はそうして洞穴の中であった一部始終を話した。もちろん、鬼神の言っていた四天王の話も交えて。

兵士A「……」

157 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 23:26:15.43 ID:OzJ5qNj10
儀仗兵「どうしましょうか。鬼神は、話が伝わっている限りでは、四天王に勝るとも劣らない武闘派だとか」

兵士A「……」

儀仗兵「隊長?」

兵士A「すぐに国に知らせて。そして、手練れを十人ほど」

儀仗兵「それだけでよろしいのですか?」

兵士A「洞穴の中じゃたくさん連れ込んでもしょうがないよ。それに、防御力も高そうだから、生半可な腕じゃ弾かれちゃうでしょ」

儀仗兵「わかりました。さっそくそう伝えます」

兵士A「勇者くんもお疲れ様。大変だったでしょ、ボクの命令で休んで」

勇者「あぁ……」

 先ほどまで寝ていたのだが、などとは口が裂けても言えない。

兵士A「宿は町にとってあるからさ」

―――――――――――――――
158 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 23:28:00.64 ID:OzJ5qNj10
―――――――――――――――
「なぜ、お前だけが」
「俺たちは苦しんでいるのに」
「痛い、痛い、痛いよぅ」
「勇者、助けて」
「もっと生きたかった……あぁ……」
「勇者」
「勇者」
「ゆうしゃ」
「ユウシャ」

「勇者くん」

勇者「うああああああああああっ!」

 飛び起きる。じっとりと嫌な汗が体中にまとわりついていた。
 コンティニューをした後はいつもこうだ。ひどく夢見が悪い。だるいだけではなく、頭も痛くなってくる。

 誰かが常に、そばで張り付いて自分を見ているのではないかという錯覚に彼は常に陥っている。それは当たらずとも遠からずだ。

兵士A「大丈夫?」

 枕元に兵士Aが立っていた。

勇者「なにをやっている」

兵士A「え。なにって、やだなぁ、起きてこないから部屋に入っただけですけど」
159 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 23:29:09.99 ID:OzJ5qNj10
兵士A「ボクとしては、勇者くんももうちょっと心を開いてほしいんですよね」

勇者「あんたと付き合い長いわけじゃないだろ」

兵士A「ま。そのとおりですけどね」

 そう言って兵士Aは後ろ手に扉を閉め、姿を消す。

兵士A「あ。そうそう、昼までには一団が来ますから」

勇者「昼まで? 随分と早いな。昨日の今日だろう」

兵士A「あー。老婆さんが来ますので」

 なるほど。

勇者「それまでは?」

兵士A「ボクたちは責任問題とか、引継ぎがあります。忙しいんですよ、これでも」

勇者「……そうか、外されるのか」

兵士A「そ。上はカンカンですよ。だから女に任せておけないんだーって」

勇者「大変だな」

兵士A「自分から好んでこの世界に来ましたから、しょうがないです」

兵士A「ま。でも、そろそろ終わりそうですけど」
160 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 23:30:21.24 ID:OzJ5qNj10
勇者「? よくわからんが、お疲れ様」

兵士A「お疲れ様です。勇者くんは待機しててください。呼びに来ますんで」

兵士A「ぐっばーい」

 扉越しに聞こえていた声すらも遠くなる。本当に行ってしまったようだ。
 勇者は一度ベッドに横になる。月並みな言葉だが、いろいろと大変である。

 予想外の事態になってしまったと、彼は一度脳内を整理する。状況の把握は重要だ。やってくる老婆に事情を説明するためにも。

 まず、あの鬼神。九尾の密命を受けていると思って間違いはないであろう。それがどのようなものなのかは、現時点では定かではない。
 四天王の登場。無論いつかは戦わねばならぬ相手とは思っていたが、勇者にとってもそれはもう少し後になるはずであった。これはいわばイレギュラーだ。

 四天王――傾国の妖狐・九尾の狐/首なしライダー・デュラハン/海の災難・ウェパル/夢魔・アルプ。
 音に聞こえた豪の者たち。

 鬼神は四天王クラスではないにしろ、比肩しうる強さを持っているのではないかと勇者は思った。魔法が使えなくともあの膂力は脅威である。ともすれば少女を上回る可能性だってありうる。

 彼とて単なる冒険者ではない。その戦歴はなかなかに輝かしいものがある。同じ年の人間で、いくつもの魔物の砦や棲家を叩いた人間がどれほどいるだろうか。
 そんな彼であるから、四天王については聞いたこともある。

 しかし、と勇者は思考を続ける。
 四天王はそもそも人間の侵略に興味がなかったのではなかったか?
161 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 23:31:41.12 ID:OzJ5qNj10
 これまで討伐してきた魔物は、全てどこかはぐれ者というか、魔物の中でも独立的に動いていた。だからこそ被害も小規模で、王国が重い腰を挙げなかったのだ。
 彼はそれまで魔王軍には命令系統が存在しないのだと思っていた。四天王のやる気がなく、ゆえに魔物たちはばらばらに動いているのだと。

 鬼神が喋ってくれたこともその裏付けになる。彼は現体制に不満を抱いているようだった。

『九尾は何考えてるのかわかんねぇ、アルプは部屋で寝てばっか、デュラハンは静観決め込んでるし、ウェパルについちゃ行方知れずと来たもんだ!』

 彼が九尾の指示を受けているのだとすれば、考えられる可能性はこうである。
 即ち四天王や魔王を頂点とする命令系統は、現在機能していない。少なくともベクトルが人間に対しては向いていない。
 だが、鬼神は四天王である九尾の密命を受け、町を襲ったという。それは、九尾が四天王の中で唯一人間に牙を剥こうとしている証左である。

 とはいえ、鬼神は九尾に対しても不満を抱いていた。彼も九尾の真意は読み取れていないためだ。所詮一回の手駒に過ぎない、そういうことであろう。

 そこまで考えたところで勇者はベッドから上体を起こす。

勇者「とりあえず鬼神の討伐と、四天王についての聞き出しだな」

勇者(それにしても重鎮の動きの鈍さが気になるけど、まぁ追ってわかるだろう)

 あくびを一つ。
 今度こそしっかり起きようとした時、唐突に勇者の腹部へ衝撃が走った。
162 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 23:32:21.66 ID:OzJ5qNj10
勇者「おうふっ!」

 悶絶である。見事に鳩尾へと叩き込まれ、一瞬で息が詰まる。

狩人「あ、その、ごめん。大丈夫?」

 狩人であった。勇者の上に乗っている。

勇者「……どうした」

狩人「選抜隊に選ばれたから。勇者に会いたくって」

勇者「一足先に?」

狩人「うん。おばあさんに送ってもらった」

勇者「はぁ」

狩人「浮気してなかった?」

狩人「あのボクっ娘に言い寄られてない?」

勇者「それは大丈夫だけど、むっ」

 口づけ。狩人は口を話すと満開の花のように笑う。

狩人「それならいいの」

 勇者は危うく襲ってしまいそうになるのを堪え、咳払いを一つ。
163 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 23:33:10.35 ID:OzJ5qNj10
勇者「ごほん。それで、それで、そうか、お前も選ばれたのか。元気か?」

狩人「うん。宮仕えって、そんな楽しくなかった」

狩人「わたしはやっぱり勇者と一緒がいい」

勇者「……お前は可愛いなぁ」

狩人「ふぇっ?」

勇者「あー、いや、なんでもない。忘れてくれ」

狩人「やだ。忘れない」

狩人「そういえば、おばあさんは後から来るけど、少女も来るよ」

勇者「あいつも? あー、また俺一人生き残ったっつったら、面倒くさくなるんだろうな」

狩人「そうそう、それが知りたかったの」

勇者「ん?」

狩人「全滅って……どういうこと?」

勇者「あぁ。普通の洞穴じゃなかった。中に鬼神がいて……俺のところが全滅した」

勇者「他の隊も全滅したってことは、似たようなのが他にもいるんだろうな」

村人「そう……」
164 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 23:34:07.11 ID:OzJ5qNj10
兵士A「もし、勇者くん。入るよ」コンコン ガチャ

兵士A「ん?」

狩人「どうも、です」

兵士A「こんなかわいい子を部屋に連れ込むなんて、隅におけないねぇ」

勇者「そういうんじゃないです」

兵士A「ん? あ、もしかして一緒のパーティの? 道理で見覚えがあるわけだ」

狩人「おばあさんの魔法で一足先に送ってもらいました。追加派遣組です」

兵士A「あ。なーる、なる。なるほどね。わかった」

兵士A「その追加派遣組ももうそろ全員そろうみたいだから、洞穴前に来てよ」

勇者「わかった」

兵士A「あ。勇者くん」

兵士A「避妊魔法はきちんと使わないとだめだよ?」

狩人「〜〜〜〜っ!?」

勇者「なに言ってるんだこいつ」

兵士A「ははは。じゃ、ボクは先にいってるよ」

165 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/18(水) 23:34:52.03 ID:OzJ5qNj10
狩人「……」

勇者「狩人?

狩人「はっ」

勇者「大丈夫か?」

狩人「すっ、するか!?」

勇者「しない」

狩人「そうか……」

勇者「とりあえず、行くぞ。こんな気が抜けた状態で戦いなんかできるか」

――――――――――――――――
166 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/19(木) 00:00:20.72 ID:TTHjOCCGo
乙!
167 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/19(木) 09:41:26.63 ID:jg+zxKUDO
避妊魔法か……

便利そうでいいな〜……
168 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/19(木) 10:21:46.70 ID:Ou/VIvLY0
――――――――――――――――
 簡易的に組まれた陣地に向かうと、そこにはすでに追加派遣組が到着していた。
 十数人からなる追加派遣隊は、数こそ先遣隊より少ないが、確かに手練れで編成された雰囲気は見て取れた。誰も彼もが隙を見せない。
 その中には少女と老婆も確かにいた。屈強な男の中にいる二人は明らかに場違いに思える。それは単なる気のせいではないのだろうが。

 どうやって声をかけたものだろうか。そんな風に遠巻きから眺めていると、先に老婆がこちらへと目をやる。

老婆「やっと来たか」

勇者「悪いな。状況は」

老婆「すでに聞いておるよ。あと数刻もせずに中へ行くじゃろう」

勇者「オーケー、わかった」

少女「ちょっと、何の話よ」

勇者「大した話じゃないよ」

少女「ふーん。ま、いいけどねっ」

少女「ていうか、中のやつそんなに強いわけ?」

 中のやつとは鬼神のことを指しているのであろう。勇者は少女に、自分が出会った鬼神の話をする。

少女「脳筋タイプねぇ。いまどき流行んないよね、そんなの」

 魔法を使えない少女が言うとどうにもおかしかったが、勇者はそれを堪える。
 しかし、脳筋とは言いえて妙である。だからこそ九尾は選んだのだ。破壊衝動が強く、御しやすい、手の上で操りやすい手駒。
 何も知らぬ鬼神のことを考えると可哀そうにも思えたが、それは勇者たちとて同じこと。どのような事態が水面下で黙々と進行しているのかはわからないのだ。
169 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/19(木) 10:22:32.08 ID:Ou/VIvLY0
勇者「追加派遣組はどうだ。見るからに強そうだけど」

少女「強いわね。熟練、って感じ」

 少女は素直に彼らのことを評する。

少女「アタシもおばあちゃんも、結構体の内から改造されてるからね。そういう意味ではチートしてる。だからどっちかってーと、狩人さんみたいなもんなのかな。生きるための技術としての、っていう」

勇者「体一つでやってかなきゃいけないからな。俺らも、似たようなもんだけど」

 勇者も生まれ故郷を発ったころは野営の仕方もわからず、途方に暮れたものだ。
 常識や方法というものは世界の数だけある。戦闘力がコンテクストとなって他者を判断する世界も、当然ながら存在するのだ。

兵士A「みなさん、集まってください。新しい隊長からお話があります」

勇者「お前は降りたのか」

兵士A「上の者が来ましたからね、しょうがないです。ささ、早く」

 促されるままについていくと、陣地の中央で簡易な椅子に座っている男がいた。
 強面で、髭を蓄えた三十半ばの男性である。精力に満ち溢れた体と顔をもち、真剣な面持ちで周囲を見回している。
170 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/19(木) 10:23:10.33 ID:Ou/VIvLY0
 促されるままについていくと、陣地の中央で簡易な椅子に座っている男がいた。
 強面で、髭を蓄えた三十半ばの男性である。精力に満ち溢れた体と顔をもち、真剣な面持ちで周囲を見回している。

隊長「諸君、俺は兵士Aから任務を引き継いだ。洞穴の中には大空洞が広がっていて、瘴気が濃いという」

隊長「我々の目的は、同胞を冷たい躯に変えた鬼神を討伐することである」

隊長「情報では鬼神は一体しか確認されていないが、三隊全てが壊滅したということを考えると、少なくとも三対はいると考えてよいだろう」

隊長「今回は老婆殿のお力も借りることができた。このかたは転移魔法のスペシャリストだ」

隊長「このたび、特別にアイテムを作っていただいた。それを今から配布したいと思う」

 隊長が指示をすると、傍らに立っていた兵士たちが手に持っていたものを配り始める。
 それは……。

勇者「羽?」

隊長「これはキマイラの羽だ。老婆殿が転移魔法をかけてくださった。一回きりだが、使うと入り口まで転移することができる」

隊長「洞穴内だが、頭をぶつける心配はしなくてもよい」

 隊長がそういうと兵士の中から笑いが漏れる。隊長の顔を伺うと、どうもそのような意図があるわけではなさそうだったが。
 咳払いをするとその笑いも収まる。

隊長「では、半刻後より突入する。各自それまで武器の手入れ等を行っておくように」

―――――――――――――――
171 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/19(木) 12:27:37.85 ID:XlwWW98SO
172 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/20(金) 13:49:15.80 ID:rJdugw9IO
173 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) [sage]:2012/07/20(金) 21:11:23.23 ID:Na/yEGCAO
九尾だけ強さがヤバイ気がするんだが
他の奴らそんな強いか?
174 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:27:09.23 ID:YTX0ptQ10
―――――――――――――――

少女「よし、行くわよっ」

 洞穴の入り口を前にして少女が言う。右手には鎚――神器ミョルニルを握って、暗闇を睨みつけている。
 勇者たちは以前よりパーティを組んでいたということで、今回の探索でもパーティを組むことになった。それに兵士A、隊長を加えた六人が第三陣として突入する。

勇者「意気揚揚だな」

少女「だって宮仕えはつまらないったらないよっ!」

少女「手加減しなきゃならないのは、もう苦痛で苦痛で」

兵士A「ですって、隊長」

隊長「あれでまだ手加減してたのか……驚きだ」

 兵士Aと隊長は、そんな少女の姿を見ながら落胆するやら感嘆するやらで忙しい。
 もし自分が一般人であるならばそれもやむなしと勇者は思った。攻撃を受けることのできないほど腕力とは、理解の範疇を超えている。同時に人間の範疇をも。
 彼が己の護法を兵士たちに知られやしまいかと戦々恐々としているのに対して、少女はその埒外な力を隠そうとはしない。その差異は、恐らく先天的か後天的かの差異なのだろう。

 どうせなら子供らしく暗闇を怖がるくらいしてもいいのでは。勇者はそんな考えを「は」と笑い飛ばす。暗所恐怖症で旅人ができるか。
 しかし、少女は本当に待ちきれないようだ。このままでは一人勝手に進んでいくとも限らない。
175 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:28:04.25 ID:YTX0ptQ10
隊長「よし、そろそろ進むぞ」

 ちょうどいいタイミングで隊長が洞穴の中へと歩を進める。瘴気の漂う空気は相も変わらずで、僅かに腐臭すら混じっているように感じられる。
 先頭から隊長、少女、勇者、兵士A、狩人、老婆という並び。一行は辺りを気にしながら、かつ早足で奥を目指す。

 勇者は松明に火をつけた。ぼう、と辺りが照らされる。
 少女をはじめとする女衆の実力のほどはわかっていたが、さて隊長はどうなのだろうかと彼の動きを見ると、当然のように行軍慣れした足取りである。常に周囲に気を配り、一定のペースで黙々と歩き続ける彼の実力は、考えるまでもなかろう。
 まぁ派遣される隊長が弱くては話にならないのだが。勇者は松明の熱に汗が滲み出てくるのを堪えつつ、先を急ぐ。

狩人「臭う」

 狩人が足を動かしながらも言った。勇者には何も感じない。他の者も感じていないようだが、彼女にしか理解できないレベルの、微量なものなのだろう。

隊長「どこから、どのような?」

狩人「血と、……獣みたいな、臭い」

 嫌な想像しかもたらさない例え。隊長は顔を顰め、少女と勇者は顔を見合わせて頷いた。

狩人「距離は……この先まっすぐ、結構離れてるかも」

隊長「まっすぐってことは、このまま?」

狩人「うん、恐らく」

隊長「よし、わかった。先を急ごう」

兵士A「隊長、下です!」

 兵士Aが叫ぶ。確かに地面が微振動をしていた。
 地震のような機械的なものではなく、もっと生物的な。
176 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:28:33.77 ID:YTX0ptQ10
大ミミズ「イィ――――ッ!」

 けたたましい叫びをあげながら大ミミズが地面から姿を現す。
 ぬらぬらと光る粘液、細かく大量に生えた牙、勇者が昨日に遭遇したものとまったく同じものだ。

少女「うわキモッ」

狩人「不快」

勇者「そんなこと言ってる場合じゃねえだろう」

 そういう勇者も実はそれほど慌ててはいない。先遣隊ならばまだしも、このパーティでミミズ一体にてこずるとは到底思えなかった。
 勇者が剣を抜こうとした瞬間、ミミズに向かってナイフが投擲された。それらは見事に全てがミミズの顔面付近に突き刺さる。

兵士A「ランダムエンカウントに付き合ってる暇なんてないんですよねぇ、ボクら」

隊長「よく言った、ボクちゃん」

ミミズ「イィ――――ッ!」

 痛みに大ミミズは身をよじらせ、頭部を振り回して先頭にいた隊長を狙う。
 もたげた上体が思い切り叩きつけられる。体の深奥に響く振動音が洞穴を大きく揺らすが、隊長はすでにそこにはいない。
 粘液でねばつくミミズの上に立っていた。
177 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:29:18.82 ID:YTX0ptQ10
 一閃。

 直径二メートルはあろうかという胴体を、隊長は手にした得物で容易く切断した。
 しかしミミズの動きは止まらない。野生生物がゆえの生命力で、残った部分だけでもなんとか一矢報いようと、粘液や体液をしこたまに撒き散らしながら暴れ散らす。

 勇者が雷魔法を準備し、少女が鎚を構え、狩人が鏃を番え、老婆が詠唱を始める。

 そんな援護など必要ないとでも言うように、隊長は口の端を歪めて笑った。

隊長「威勢がいいな」

 隊長はミミズの体の上から飛び降り、合わせて刃でミミズの胴体を貫いて壁に磔にする。無論ミミズは暴れ続けるけれど、一体どれほどの力で強く打ちこんだのだろう、洞窟の壁に突き刺さった刃はそう簡単に抜けはしない。

 ややあって、ミミズもついに息絶える。体液の川が足をひたひたにしているものの、それくらいは我慢しなければならない。少女は露骨に嫌そうな顔をしているが。

少女「おじさんも全然強いんじゃない」

隊長「そうでもないな。お嬢ちゃんが俺くらいの年になったら、俺よりもずっと強くなってるさ」

 そういいながら隊長はミミズの死骸に足をかけ、柄に手をやり、力任せに引き抜く。
 体液に塗れた片刃の剣が姿を現した。

勇者「珍しいですね、片刃なんて」

 この国では両刃の剣が主流である。理由はわからないが、一説によると製鉄技術が乏しかった時代では刃がすぐなまくらになってしまうため、両刃のほうが都合がいいのだとか。
 今でこそ製鉄技術は十分に向上したが、昔からの名残でまだこの国は両刃の剣を使っている。

 体液をふき取っていた隊長はやおら機嫌がよくなり、「そうだろわかるか!」と笑顔になった。
178 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:43:41.04 ID:YTX0ptQ10
隊長「東の国からの輸入品の大業物だ。一年分の給料突っ込んでるからな」

兵士A「この人刀剣オタクなんですよ、困っちゃって」

隊長「趣味と実益を兼ねてるだけだ」

 そういう隊長の表情は誇らしげだ。
 勇者はちらりと片刃の刀剣に目をやった。一点の曇りもない彎刀である。柄巻は深紫で、楕円の鍔にもきっちりと意匠が凝らしてある。ずっしりと重そうだが、隊長は先ほど軽々と振るっていた。

 勇者とて男である。武器具の類に心動かされないはずはなかった。
 彼の剣は値こそそこそこ張るとはいえ、所詮武器屋で購入した量産品だ。つまりは使い捨てということである。
 それこそ彼の先祖にいたという高名な冒険者はワン・オーダーの一品を用いていたのだろう。それが彼の家に残存していないのは残念というほかない。

 とはいえ武器の希少度だけでいえば――それが本当かは別として――少女の持つミョルニルにかなうはずもないのだろうが。

 大空洞の先からは、依然濃い瘴気が流れ出ている。
 勇者は鼻をヒクつかせてみるが、臭いと言えば土の臭いと草木の臭い、そして饐えたカビの臭いくらいなものだ。血の臭いは感じられない。

勇者「狩人、さっき言ってた臭いは」

狩人「うん。移動はしてないね。あれ、でも、なんだろ。水のにおいがする」
179 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:44:27.16 ID:YTX0ptQ10
少女「水? 水ににおいなんてあるの?」

狩人「わたしにはわかる。けど、なんで?」

老婆「地底湖じゃろう。水源から染み出した地底湖は、結構どこにもあるものじゃ」

老婆「もしくは地下水の経由地なのかもわからん」

隊長「くさいな。勇者くんの言ってた鬼神が本当だとすると、塒はどうしても水の近くになる。いそうだぞ」

 心なしか全員の表情は硬い。勇者の話が確かならば、あちらには相当の強さを持った鬼神がいるということである。数的優位があったとしても楽に勝てる相手ではないだろう。
 四天王が関わっているかもしれないという点で、王国はこの件の危険度を引き上げた。隊長や老婆をはじめとする熟練勢がやってきたのはそれが理由だ。
 彼らの双肩には責任がのしかかっている。それは本件だけのものではなく、もっと未来的なものも含めて。

勇者「老婆」

老婆「なんじゃ?」

勇者「四天王について聞いたことは?」

老婆「そりゃああるぞ。九尾、デュラハン、ウェパル、アルプの四人じゃろ。魔王軍の最高幹部」

勇者「そこまで俺も知ってる。名前だけ、だけどな」

老婆「あぁ。わしも、能力までは知らんな」
180 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:49:02.07 ID:YTX0ptQ10
勇者「いや、それはいいんだ。けどな、俺にはどうもわからん事がある」

老婆「?」

勇者「魔王ってなんだ?」

 鬼神と会ってから疑問に思ったことを述べてみる。
 魔王。それは伝承の中の存在として伝わる、魔物を統べ、人間に牙を剥き、暴虐の限りを尽くす悪漢。出自や姿かたちなどが全て闇に包まれている。
 かつて魔王は勇者の子孫に倒されたのだという。それは眉に唾をつけて聞くとしても、魔王がいたというのは事実らしい。

老婆「魔王とは、魔物の長ではないのか。それ以上でも以下でもなく」

勇者「いや、そうかもしれないけど、俺が聞きたいのはそういうことじゃなくて」

勇者「俺は今まで魔王の話なんて聞いたことないぞ?」

 そう。断片的に、例えば王国軍に所属するきっかけとなった王の演説のように、又聞きという形で魔王のことは幾度も聞いた。もしくは御伽噺的な伝承で。けれど勇者は、これまで、魔物の口から魔王の存在を詳らかにされたことがない。

 もし仮に魔王というものが存在するなら、彼を頂点としたピラミッド型の組織が確立しているはずだ、と勇者は考える。そしてそのような統治構造にはなっているはずなのだ。
 なぜなら、四天王という幹部がいて、また各地には魔物の砦があり、主が住んでいるから。
 少なくとも魔物の社会にも上下関係はあるのだ。
181 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:50:55.61 ID:YTX0ptQ10
 だとすれば、魔王が、例えば人間社会の国王のように統治していないのはどういうことか。ただ息を顰め、下部構成員の裁量に任せているという推量は何を意味するのか。

 魔物はあくまで独自で行動をとっている。低級のものは本能に任せ、級の高いものは人間と同様に欲で動く。その営みのどこに魔王がいるのだろう。
 魔王を討伐する自分たちは、果たして魔王のことを知らないのだ。

老婆「そう言われてみれば、まっこと、不思議じゃな。隠れているのか、それとも」

少女「おばあちゃーん、先に進むよー。勇者も早くー」

 少女からの声がかかる。老婆と勇者は顔を見合わせ、話題を中断した。
 これ以上考えても時間を無為に消費するだけで、何らかの答えが出てくるわけでもあるまい。二人は洞窟の奥へと歩を進める。

少女「何の話をしてたの?」

老婆「あぁ、四天王と魔王について、ちょっとな」

隊長「どれも人の前に姿を見せなくなって随分立つからな」

狩人「そうなの?」

隊長「おう。昔は魔物を引き連れて悪さをしたり、逆に人間とも仲良くやってた時代もあるみたいだけど」

少女「うっそだ、信じられない」

隊長「いや、本当に昔だよ。ま、書いてあった本も御伽噺みたいなもんだから、眉唾だな」

兵士A「隊長もそんな本読むんですね」

隊長「ん? ガキが寝る前に本読んでくれって言うからな」

老婆「おぬし、結婚しているのか」

兵士A「そうなんですよ、すっごい可愛い奥さんで、ボクもう嫉妬しちゃいます」

 等々、雑談を続けつつ、一行は奥へと進む。雑談をしながらでも警戒は怠らない。とは言っても狩人が一人いれば不意打ちはだいぶ防げるだろうが。
182 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:52:09.78 ID:YTX0ptQ10
勇者「この戦争の終わりっていつなんだ?」

隊長「そりゃ魔王を倒したときだろう。魔王城にいるんだろうからな」

勇者「魔王を倒せば全てが終わるもんかな」

狩人「どういうこと?」

勇者「今まで俺たちは盲目的に魔王を倒せば全てがドミノ式にうまくいくと思ってたけど、本当にそうなのかな?」

隊長「あんまり小難しい考え話にしようぜ、少年。俺たちは王国の矛であり盾だ。そこに思考はいらねーのよ」

兵士A「魔王は隠れてますからね」

隊長「そうだな、探すのだって一苦労だ」

兵士A「はい。ほんと、どうしたものか」

 兵士Aはどこか遠く見て言う。
 彼女の憂いを気が付く者はいない。いたとしても理解できないだろうが……。

狩人「静かに」

 唐突に狩人が全員を制止させる。それが示す事実は単純だ。
 敵の襲来。もしくは索敵の成功。
 この場合は後者だった。

狩人「いる。前……大体百メートル。一人だけ。大分重い音がするから、勇者の言ってた鬼神かな」

狩人「獣の臭い。やっぱり鬼神? あと水のにおいと、音。大分反響してるから、広い空間がある。地底湖?」

狩人「……うん、そうだ。せせらぎがある。ビンゴだね」

隊長「……すげぇな」

老婆「どうする?」

少女「先手必勝でいいんじゃない?」

 勇者もその意見には賛成だった。小細工をしたところで、基本スペックが全ての鬼神相手では、それほど意味をなさないだろう。
 最大の攻撃であちらの防御を貫く。それが最も単純で最も効果的に思えた。
183 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:53:27.71 ID:YTX0ptQ10
少女「あんたと一緒でも嬉しくないねっ」

勇者「別にお前を喜ばせるためにここにいるわけじゃない」

少女「むー」

隊長「喧嘩をするな。相手は化け物だぞ。気を抜いて勝てると思うなよ」

隊長「前衛は俺とお嬢ちゃんが務める。中衛に勇者とA、光栄で狩人と老婆さん。これでいこうと思う」

隊長「作戦は……まぁいいか。新米ってわけじゃないんだ、慣れてるだろう。ガンガン行こうぜ、ってやつだな」

狩人「……」

勇者「どうした」

狩人「ごめん。やっぱり黙ってられない」

老婆「どうしたのじゃ」

狩人「血の臭いがする」

 全員が眉を寄せた。血の臭い。それは深く勘ぐらなければ、全滅した先遣隊のものに違いなかろう。
 九割がたそうであると思っていても、誰もが口にしなかったことであった。先遣隊はこの先に進み、鬼神に出会い、全滅した。勇者の経験を参照するに、逃げ出すことすら叶わなかったのだろう。
 狩人はそのことを随分と前から知っていたし、その上であえて無言を貫いていた。しかし、隠し通せればまた別だが、それもできそうにない。最早これまでとなるのも詮無きことである。
184 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:54:42.87 ID:YTX0ptQ10
 狩人には深い考えはなかった。ただ勇者にこれ以上精神をすり減らして欲しくないだけだった。
 彼の望みは限りなく遠大で、人の身には持て余す。彼のために彼女ができることは少ない。
 だからこそ、その数少ないできることくらいはしたかった。

 僅かな無言の間をおいて、隊長が小さく「行くぞ」と呟く。
 人間は生きている限りにおいて人間である。そして人間の時間は人間のためにのみ使われる。感傷に浸るのはタイミングが違う。

勇者「……」

狩人「……」

 緩やかに曲がる通路を歩いていくと、気圧の関係だろうか、瘴気を伴って生温い風が吹き込んできた。すでに勇者たちの嗅覚でも不快なにおいを感じ取れるほどの距離に来ている。
 最早目的地は目と鼻の先だ。

隊長「!」

 悪臭の原因がそこには満ち満ちていた。
 何人分であったのか判断がつかないほどに引き千切られ、撒き散らかされたそれらが、かつて人間の一部であったと誰が気付くだろうか。

少女「酷い……」

 勇者はある地点で屈んだ。人間の頬から顎にかけてが無造作に打ち付けられている。
 そこに落ちていたのは眼鏡だった。記憶が正しければ、田舎から出てきた兵士Eのかけていたものだ。
 彼は死に際に何を思ったのだろう。後悔か、絶望か。それとも田舎の家族に祈ったのか。
 決して栄光などではないはずだ。お国のために死ねた、万歳などと、聖人君子でさえも思えるはずはない。
185 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:55:38.38 ID:YTX0ptQ10
 ふつふつと勇者に湧き上がる感情があった。それは一見すると獰猛な獣の形をしており、どす黒く、プロミネンスを巻き上げている。
 ぐるる、と獣が唸りを挙げた。口の隙間から垂れた涎は強酸性で、理性の防波堤を溶かしにかかる。

狩人「――来る!」

 狩人が叫ぶのと、前方から猛烈な勢いで「何か」が突っ込んでくるのはほぼ同時だった。

 空気を切り裂き大剣が唸る。力加減というものを知らない大振りの一撃。
 触れたものを両断するだけでは済まないであろう攻撃を、驚くべきことに少女が鎚で食い止める。

 一際高い金属音が鼓膜を揺さぶる。鎚の柄は大剣をしっかりと受けとめ、刃毀れが起きることも、反対に柄に傷がつくこともない。全くの互角。
 火花が散って、大剣の持ち主――鬼神の姿を一瞬だけ明るく照らす。

隊長「うぉおおおおおっ!」

 限りなく低い体勢で隊長が詰め寄る。鞘に納めた刀に手をやり、そのまま体を捻って抜刀、遠心力を加算して一気に切り抜く。
 鬼神は容易く大剣を手放した。そうして右手に握った短刀で刀を受け止めようとするが、あまりの攻撃の鋭さに、短刀の中ほどまで亀裂が走る。

鬼神「ンだとぉっ!?」
186 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:56:10.99 ID:YTX0ptQ10
 鬼神が残った左手で短刀を抜こうとしたその時、爪の隙間に鏃が突き刺さった。眼球と同様に鍛えられない部位への激痛に、思わず鬼神は刃を取り落す。

 勇者が駆ける。ついで兵士Aも飛び出した。
 兵士Aの投擲。それらは鬼神の鋼鉄の皮膚の前には通用しないものの、意識を兵士Aにずらす程度の働きは持つ。そしてその隙に、雷を纏った勇者の剣が、鬼神の皮膚に大きく食い込む。

 肉の焦げる音と臭いが五感を不快に染め上げていく。けれど、不快であるその感覚を勇者は望んだ。その不快の先に勇者の求めるものがあるのだ。
 柄をさらに力強く握りしめ、地を蹴った。

 血飛沫が勇者の頭に降り注いでいく。どうであったかなどの確認をする暇はない。勇者はすぐさま踵を返し、傷口をさらに広げるために再度攻撃を試みる。

 しかし鬼神もやられてばかりではない。短刀などあるだけ無駄だと判断したのか、固く握った己の拳で勇者を叩きつける。

少女「させないっ!」

 鎚の一撃が鬼神の左肘から先をおかしな方向へとひん曲げる。同時に着弾する老婆からの火炎弾が、盛大に鬼神の顔面を焼いた。
 獣染みた鬼神の絶叫が鼓膜を破らんばかりに反響する。

鬼神「うごぉおおおっ! くそ、畜生、なんだよぉおおおっ、人間の分際でよぉおおおお!」

 残った右手を振り回して手探りの攻撃を行うが、無論勇者をはじめとするメンバーには、そんな攻撃など届くはずもない。勇者は余裕をもって背中を大きく横に切り付けた。
 合わせて兵士Aは魔法の剣を生成、右腕に深々と突き立てる。
187 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:56:40.84 ID:YTX0ptQ10
兵士A「隊長!」

隊長「おう」

 阿吽の呼吸で隊長が飛び上がり、大上段に刀を構えた。
 兵士Aが魔法剣を解除すると、剣は王城でもそうであったように、光の粒子となって洞窟の中に溶ける。そしてそこを目掛け、隊長が一思いに刀を振り下ろす。
 低く、鈍い音がした。一拍おいて地面に切り離された鬼神の腕が転がり落ちる。

鬼神「うおおおお、おお、あ、くっ、く、が、ぐぁあああっ!」

 激痛に身悶えし、のた打ち回る鬼神。純粋な戦闘種族とは言っても、桁外れの身体機能のせいでまともな痛みというものを受けたことがないのだろう、耐性は寧ろ一般人よりも低いとも思われた。
 鬼神はのたうつことこそ落ち着いたけれど、両腕が使い物にならないのは事実である。倒れた常態からでも殺意を向けているのはある種見事なものだったが。

鬼神「許さねぇ、許さねぇぞ、人間……」

 鬼神が呟いた。その恨み節にも苦痛の色は濃い。
 もともと自尊心の高い魔物である。魔物の中でも格が高いゆえに、他の者をどうしても見下しがちになる。それを人間ごときと馬鹿にしていた存在に怪我されたのだから、怒りは計り知れないのだろう。

鬼神「殺してやる……絶対だ、絶対だ!」

鬼神「俺は九尾の指令を受けて――!」

勇者「うるさい」
188 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:57:34.85 ID:YTX0ptQ10
 反射的に勇者は、辛うじて残っていた左腕も切り落とす。筋肉が弛緩しているためか、それとも自身の怒りのためか、切断は戦闘中より随分と容易かった。
 またも鬼神の絶叫が響く。

勇者「これでバランスが取れただろう」

隊長「おい、それくらいにしておけ」

勇者「あんた、悔しくないのか? 仲間が殺されたんだぞ。一人や二人じゃない。数十人単位でだ」

隊長「それとこれとは話が別だ」

勇者「は。流石大人は言うことが違いますねぇ」

少女「勇者!」

 鋭い声が飛ぶ。
 少女にはわからなかった。本当に彼が、かつて彼女にたいして「燃えた町のことは関係がない」と切って捨てた人物なのかどうか。
 彼は一体誰の死を悼み、誰の死を悲しんでいるのか。

 ただの冷徹ならば嫌いになることもできる。しかし、彼がそれだけの存在でないことは、少女も無論理解していた。彼にも彼なりの思いが、苦悩が、葛藤が、存在するのだ。自らがそうであるように。
 実質不死であるその性質が毒となって悪さをしているのだということはすでに知れた。どだい人間の心が耐えうるような代物ではないのだ。
 だが、勇者は何も言わない。それが少女の腹をより一層立たせる。

狩人「落ち着いて」

 少女を制して狩人が一歩前に踏み出す。彼女はまっすぐに勇者を見ている。
189 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/21(土) 12:58:11.86 ID:YTX0ptQ10
 さらに一歩。勇者との距離が縮まり、手を伸ばせば届く距離になった。
 狩人はおもむろに勇者の手を取る。血に濡れた、だが暖かい手だ。彼女の愛する、愛する者の手だ。

狩人「勇者」

勇者「……悪い。隊長さんも」

隊長「ん、いや、まぁ構わんさ」

老婆「青春じゃのぅ」

 にやにやと老婆は笑っている。
 なんだか恥ずかしくなって、勇者は明後日の方向を振り向いた。

 鬼神が立ち上がっていた。

鬼神「――――――」

 蹄鉄が舗装された道路と擦れあうような音が鬼神の口から洩れる。
 肉を引き裂く倚音が鬼神の体からしたかと思うと、肩の付け根から新たに右腕が生えようとしている。無論鬼神にそのような特性があるわけはないが、そうなっているのもまた事実である。
 鬼神は新たに生えた片腕で剣を抜く。狙いは最も近かった少女。

 最初に動いたのは勇者である。というよりも、余りにも咄嗟の出来事で、彼以外に動いている者は存在しない。
 一拍遅れてその他のメンバーも反応する。剣を抜き、弓を番え、呪文の詠唱を始めるが、それよりも鬼神の剣は早い。間に合わない。
 少女が鎚を手に取るが、その上を滑るように刃が向かい、そして。

「――――!」
190 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/21(土) 17:35:37.93 ID:Z5JGdt3SO
いいところで……
191 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/07/21(土) 17:59:43.09 ID:dNoJtn77o
なんという…
192 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/07/21(土) 19:36:36.14 ID:IYPz7Lfqo
仕打ち……
193 : :2012/07/21(土) 20:30:12.05 ID:o5fNbaGqo
んこ…
194 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/21(土) 22:57:28.53 ID:P01kPd1DO
こすり……
195 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 08:47:54.80 ID:COvsRb4l0
 誰かの悲鳴が大空洞内を満たす。誰かのではなく、彼らの、であるかもしれない。

 勇者の鳩尾に深々と短刀が突き刺さっていた。
 虫ピンで昆虫を磔にするように、刃が勇者を貫き、庇われた少女ごと壁に縫い付けている。少女は勇者が突き飛ばしたおかげで軽傷のようだが、それでも肋骨の付近を刃が通った状況だ。布の服が鮮血を吸って徐々に色を変化させていく。

 勇者に重なる形で壁と挟まれた少女はすぐさま状況を理解する。動こうと意思を見せただけで全身を激痛が苛むものの、激痛程度で止まってはいられないのだ。
 こんなところで死んでいられないのだ。
 彼女の償いはまだ終わっていないのだから。

狩人「勇者っ!?」

老婆「そいつは捨て置け! それよりも今は敵じゃ、わけがわからん!」

 二人の声をBGMに少女が鎚を持って駆け出す。一歩踏み出すごとに染み出す血液が、激痛が、まだ生きていることを教えてくれる。

 老婆は詠唱を終えた。十からの火球が空中に生まれ、推進力を得て鬼神に叩き込まれる。
 赤を通り越して青白く燃える超高熱の炎は、燃やすという概念からは程遠い。正鵠を得た表現をするならば蒸発である。
 だが、結局はそれも命中せねば意味がない。
196 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 08:50:28.20 ID:COvsRb4l0
鬼神「――――!」

 実に耳障りな、ぬかるみの底のような雄叫びを挙げ、鬼神はおおよそ有り得ない動きで回避した。筋肉で動いているのではなく、重力に操られているかのような動きであった。
 制動が聞かずに鬼神はそのままの速度で壁に激突する。かなりの衝撃だろうに、鬼神は相も変わらず無表情でけたたましい声を上げているばかりだ。

 衝突の隙を狩人が狙い、矢を放つ。同時に兵士Aが魔法剣を精製、狩人の動線からずれながら、抜刀。
 鬼神は今度は攻撃を回避しなかった。魔法剣の刃が深々胸部に傷をつける。
 必中だと思われていた鏃はすんでのところで復活した右手に掴み取られるが、さらにその手を狙って追加された矢の雨は、防御する一瞬も与えない。突き刺さるくぐもった音が連続して大空洞に響く。

 兵士Aの腰につけている魔法受信機から、他の隊からの連絡が入る。別働隊両隊が鬼神の討伐に成功したという連絡である。
 そちらは、少なくとも死んだはずの鬼神が動き出したりはしていない。

少女「なんなの、これ。なんなのよっ!」

 少女が叫ぶ。あわせて隊長が刀を抜き、首を狙う。
 さらに少女が鎚を振るう波状攻撃。

鬼神「――――!」

 二人の気迫にたじろいだ鬼神は、またおおよそ生物らしくない動作で後ろへと逃げる。
197 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 08:54:50.20 ID:COvsRb4l0
少女「逃がすか!」

隊長「あ、おい、待てよ!」

 隊長も少女を追い、さらに兵士A、狩人、老婆と続く。
 鬼神を追って大空洞内を進んでいくと、唐突に広い空間に出た。しかも、地下だというのに明るいのだ。

狩人「これは……?」

 光源は壁そのものであった。大空洞内の壁が仄かに発光しているのだ。

 そして開けた空間の中心には、広く透き通った地底湖が鎮座ましましている。向こう岸があるのかないのか、見えない程度には大きな直径だ。
 老婆の言ったとおりだ、と隊長が呟いた。

老婆「この光……魔法的なものじゃな」

隊長「敵がここを基地化したってことか」

老婆「恐らくその理解で――」

少女「いた!」

 少女が指差した先には四つん這いになった鬼神が、気の違えた笑みを浮かべて壁に張り付いている。いや、左腕が失われているので三つん這いか。

鬼神「よくここまでやってきた、ご苦労だ諸君!」

 鬼神が唐突に喋り出す。流石にこの事態は誰も予想だにしていないようで、度肝を抜かれた五人は、まるきり口調の変わった鬼神を呆然と見つめている。
 問題は、鬼神の様子は依然として生命的でないということだ。瞳は濁り、血まみれで、焦点はあっていない。まともな精神状態を期待するほうがおかしいだろう。
198 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 08:56:35.21 ID:COvsRb4l0
鬼神?「そんなに驚いた顔をしないでいただきたい。別にサプライズのつもりはないのだ」

 忘我から脱した五人は、それぞれの得物を抜いて鬼神に向ける。実に洗練された動きである。

鬼神?「いい動きだ。それでこそ誘き寄せたという甲斐もある」

隊長「誰だ、てめぇ」

 凄む隊長。刀の切っ先を鬼神に向け、どのような動きにも対応できるようにしている。

鬼神?「ふむ。下賤の者に名乗る名は持ち合わせておらんのでな、すまんが通称で勘弁してもらおう」

鬼神?「否。寧ろ貴様らにはこちらのほうが通りがいいかもしれんな」

鬼神?「我が名は九尾。傾国の妖狐、魔王軍四天王、九尾の狐だ」

全員「っ!?」

 驚愕の表情。それはそうだろう、いきなり敵の幹部が、声だけとはいえ姿を――表現として正しいかどうかは定かではないが――現したのだ。
 一歩前に歩み出たのは老婆である。膨大な層の魔力のヴェールを身に纏い、合図さえあればすぐにでも魔力の奔流を叩きつけられる準備を備えている。見るものが見れば、それだけで魔力に卒倒してしまいそうなほどだ。
 老婆はいつもの飄々とした様子の一切を消して、急速に殺意を膨らませていく。

老婆「お前が九尾の狐であるかはこの際どうでもいい。何が目的じゃ」

九尾?「その鬼神から聞いていないか。今回の任務は九尾から直々の命令だ。不本意ながら、部下の失態は上司の責任だと聞き及んでいる」

老婆「何が目的じゃと聞いておるっ!」
199 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:00:36.97 ID:COvsRb4l0
九尾?「……別に答える義務はないんだが、そうだな……」

九尾?「この世界の安定のために」

九尾?「と、いうところか?」

少女「何言ってんのよ、ばっかじゃないのっ!?」

兵士A「……」

 すかさず少女の苛立ちが飛んだ。血の気が多い彼女は今にでも飛び出していきたそうだったが、老婆と狩人が前にいるため、なんとか踏みとどまっているようであった。
 彼らはここまでお茶を飲みにきたわけでも、それこそ地底湖探検ツアーに来たわけでもない。鬼神を殺し、洞穴を魔物の手から解放するために来たのだ。気が逸るのは仕方のないことでもある。

 しかし、九尾は慌てない。そもそも体はここにはないのだ。最早ボロも同然の鬼神がどうなろうと、関係はない。

九尾?「いずれわかる……。しかし、ここ以外の二か所でも、鬼神がやられてしまった。思ったより人間という種は手ごわいものだな」

九尾?「いや、手ごわいからこそ、か」

老婆「何を言っているのじゃ、さっきから」

 老婆のヴェールが急速に収束していく。光は渦を成し、杖の先端で大きな珠となる。

老婆「大体お主な、わしとキャラが微妙にかぶっとるんじゃよ」
200 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:01:33.20 ID:COvsRb4l0
 数条の光が先端から迸り、そのまま鬼神を貫いた。
 鬼神の体に十ほどの大小の穴が空く。一瞬で炭化したためか、血液すらこぼれてこない。ただぱらぱらと炭が落ち、次いでバランスを崩した鬼神が壁から地面に落下する。
 頭から先が潰れていた。それ以外にも様々な部分が消し炭になっている。

九尾?「おお怖い怖い。なんとも暴力的な婆だ」

 一体どこから見て、どこから声を出しているのか、五人にはわからないが、声は止まらない。地底湖内に不気味に反響する。

九尾?「このまま人間にやられっぱなしというのもアレだから、九尾も一応最後っ屁くらいは残していこうかな?」

九尾?「ま、所謂『お約束』というやつだ」

 そう言った途端、鬼神の体がおもむろに膨張しだす。膨らむのではない。中から何かが蠢き、胎動し、外に出ようと皮膚を盛り上げているのだ。
 筋肉と皮膚の裂ける音が聞こえる。中にいる「何か」はもがき、そしてついにその片鱗を見せる。

 その生物は。
 白い体毛を持っていた。
 白い鬣を持っていた。
 巨大な牙をもっていた。
 巨大な角を持っていた。
 手足は合計四つ。
 瞳は合計六つ。
 力強さの中に聖なる気配すらも感じる獣。

九尾?「白沢」

九尾?「適当にそいつらと遊んでやっといてくれ」
201 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:02:28.42 ID:COvsRb4l0
兵士A「九尾ィッ!」

 今までほとんど沈黙を守ってきた兵士Aが、この段になってようやく口を開く。

兵士A「こんな、こんなものを持ち出して、お前はっ……くっ!」

 兵士Aの激昂する姿を見て、声に思わず快楽の色が混じる。
 心底、心底楽しそうな声である。

九尾?「そいつは強いぞ。何せ九尾自信で招いた聖獣だ。逃げたかったら逃げてもいいが……」

九尾?「さて、近隣の町はどうなるか、見ものだな」

 それを最後に声が消える。それでも兵士Aはずっと虚空を睨みつけていた。

隊長「A、白沢ってのはなんだ」

兵士A「化け物です。聖獣と称される……強さは折り紙つきです」

 鬼神の死体がぼろきれのように引き裂かれ、中からついに白沢が姿を現す。
 白沢は四肢でしっかりと地面を踏みしめ、うぉおおおおん、と嘶いた。

 空気が振動となって鼓膜を揺らす。思わず目を閉じてしまう衝撃に、彼らは一歩踏みとどまる。
 空恐ろしいほどの存在感であった。鬼神も強かったが、それとは格が違う。決して歩み寄れない隔たりがそこには存在した。

 一般人なら思わず失禁するか、失神していたことだろう。老練の兵士であったとしても、尻尾を巻いて逃げだしていたかもしれない。
 彼らがそうしなかったのは、ひとえに使命を帯びていたからである。なまじ白沢の強さを肌で感じたからこそ、彼らは「ここで食い止めなければならない」という思いを強く抱くこととなった。
202 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:03:49.00 ID:COvsRb4l0
 白い獣が動いた。

 一瞬で姿が消え、背後をとられる。全員が事実に気が付いた時には、既に五人は高く宙を舞っていた。
 地面に叩きつけられる。地面は土ではなく岩盤で、固い。かなりの激痛だ。

 白沢の角に光が溜まっていく。超高密度の力場がそこに収斂する。
 危険度が高いことは誰しもが見て取れた。しかし、叩きつけられた衝撃で、動くことなどできない。

老婆「大木!」

 紫電が五人に向けられて発射されるすんでのところで、老婆が大木を壁に召喚するのが勝った。あまりの衝撃に大木は中途から根こそぎ消滅するが、威力そのものを食らうと考えれば背筋が凍る。

 しかし事態は何一つ好転していない。隊長が立ち上がって刀を向けるが、そもそも触れられるかどうか。
 殺気を察知したのか、聖獣が地を蹴る。残像が残りかねないほどの急加速に、なんとか隊長は反応する。

 真っ直ぐに突っ込んでくる白沢に刃を振るが、その間にすでに白沢の姿は消えていた。

少女「横!」

 同時に白沢が横から突進してくる。なんとか角だけは回避し、頭部が隊長の脇の部分にめり込む。
 肋骨の折れる鈍い音。勢いによって隊長は強く壁に叩きつけられる。

少女「くっそぉおおおおおおお!」

 少女が叫んだ。がっしりと白沢の体を掴み、動かないように踏ん張る。
 白沢も最初は地面を蹴っていたが、どうやら拮抗して埒が明かないと踏んだのか、角に力場を収斂させ始める。
 老婆が放った火球は、しかし白沢に届く前に撃ち落とされる。
 角に充填された光が限界を迎えた。

 落雷。
 少女は体をぴんと硬直させ、声にならない声を挙げながら地面に大きく倒れる。意識がすでにないのか受け身すらできず、頭から。
203 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:07:58.22 ID:COvsRb4l0
老婆「く! 大空におわす我らが天の神よ、いまこそ――」

 詠唱よりも白沢の縮地のほうが早い。老婆も隊長と同様に壁に吹き飛ばされた。
 と同時に、数ある目の一つに鏃が叩き込まれる。白沢は一瞬だけ声を発するが、それ以降には殺意が爆発的に膨らむばかりで、有効打を与えられたとは言い難い。
 白沢が地を蹴り、姿を消す。

勇者「させねぇよっ!」

 落雷が地底湖全土を襲う。縦横無尽に打ち出される電撃に、さしもの白沢も回避はならなかったのか、衝撃で弾き飛ばされた。
 地面に爪痕を残しながら白沢はバランスをとる。獲物を狩る邪魔をされたためか、瞳が怒りに細められる。

狩人「勇者!」

隊長「お、お前……死んで、なかったのか」

狩人「早いね」

勇者「あぁ。異常な早さだ。女神の加護も水ものだな」

 自らにまつわることを、勇者は異常と切って捨てた。

 白沢は新たな敵の登場に警戒しているのか、前足で地面を擦り続けている。
204 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:09:15.79 ID:COvsRb4l0
勇者「ありゃ、なんだ」

老婆「あ、あれは……白沢、じゃ」

少女「……あんた、来るのが遅いのよ……」

 鬼神を圧倒できていた五人がここまでやられるということは、勇者にとって驚愕の事態であった。白沢がそれほどの強さを持っていることは、実際に垣間見ればすぐにわかることでもある。

 そこで兵士Aが前に出た。

隊長「……どうした」

兵士A「さすがに、もう無理、か」

兵士A「ごめんね?」

 一体何に謝っているのか全員が首を傾げた時、ついに白沢が突っ込んでくる。巨大な角は槍以上の鋭さで体を貫きに来るだろう。そして高速の一撃を回避できる余力は、彼らにはもう残されていなかった。

 だから、兵士Aは、片手で白沢を吹き飛ばすしかなかった。

 ちょうどいい強さの抑えなど、白沢相手にできる気が知れなかったから。
205 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:11:24.47 ID:COvsRb4l0
 五人は何が起こったのか理解できなかった。目に見えない速度を誇る獣を、抑えても抑えきれない力を誇る獣を、片手で弾き飛ばすなど――それこそ人間業ではない。

九尾「おお!」

 喜色がこれまで以上に交じる。まるで子供のように無邪気な声が、笑いとなって自然とこぼれ出す。

九尾?「ついにお前も諦めたか! 諦めてくれたか! 長かった、長かったぞ、なぁ――」

九尾?「ウェパルよ!」

 兵士Aはあくまで何も言わず、白沢のほうを向いた。今はそれに集中したいとでも言うように。
 白沢は唸りを挙げ、口の端から涎を垂らし、角に光を溜める。

白沢「おおおおおおおおおお!」

 激しい雄叫びとともに、雷を乱射しながら白沢が突進してくる。
 その速度は神速。人間には目にもとらえられない速度。

 けれど兵士Aには、それに対応するなど造作もない。

 地底湖の水が渦を巻き、次の瞬間には鉄砲水となって白沢を押し流す。地面に勢いよく叩きつけられた白沢の前足はあらぬ方向に折れている。

兵士A?「……」

 彼女が軽く手を振ると、地底湖の上に船が現れた。無論そんなものが存在するはずはない。青く、薄く透けるそれは、魔力で編まれた武装船団である。
 大量の剣と砲弾が放たれる。

 戦いはそれだけで決した。
206 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:12:23.08 ID:COvsRb4l0
 数多の砲弾が撃ち込まれ、数多の剣が突き刺された白沢は、最早立ち上がることすら叶わない。時折呼吸で体が上下するだけだった。

兵士A?「……」

 近づいていく。不用心だと指摘する者はどこにもいない。

九尾?「流石じゃウェパル! さぁ、見せてくれ、お前の深奥を!」

 兵士Aの姿をした彼女は、唇をきゅっと噛みしめた。しかし何も言わず、白沢のそばまで寄り、手をかざす。
 傷口から白い何かが湧き出る。それを見ている者には、それが最初、膿か何かであると思った。もしくは体液の一種なのでは、と。
 当たらずとも遠からず。それは蛆である。

 マゴットセラピィというものがあるという。蛆療法と訳されるそれは、壊死した患部を蛆に食わせることにより、術後の回復が良くなるという療法である。
 しかしこの時ばかりは事情が別だ。蛆たちは壊死の有無にかかわらず、体組織が体組織であるという理由だけで食らいつく。何万から何億という爆発的増殖を繰り返し、蛆は白沢を瞬く間に覆い尽くした。

 覆い尽くした次は食らいつくすだけである。蛆に覆われた白沢のシルエットが段々とやせ細り、小さくなり、後には骨しか残らない。

兵士A?「……」

 そこでようやく、彼女が五人を振り返る。
 その瞳は暗く、暗く、どこまでも暗く、深い悲しみに覆われているように思われた。
207 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:13:36.56 ID:COvsRb4l0
 隊長が無言で刀を向ける。白沢を瞬殺できる実力を見てなお、己の傷を理解してなお、魔物は敵だというように。

兵士A?「騙すつもりはなかったんだ。こればっかりは信じてほしい。難しいと思うけど」

 その発言は、彼女についての九尾の発言が全て事実であることを、半ば肯定したようなものだった。
 いや、目の前であのような規格外の出来事を見せられては、今の発言は駄目押しにしかならない。
 五人は理解していた。彼女は確かに人間ではないのだと。

兵士A?「ボクはウェパル。海の災厄、ウェパル。魔王軍の四天王」

隊長「何が目的だ。王城の中に紛れ込んで、何をしようとしていた」

ウェパル「……」

隊長「答えろっ!」

ウェパル「ボクが言ったことを君たちは信じてくれるのかい?」

 兵士Aは――ウェパルは、あくまで柔和に言った。きみたちと刃を交えるつもりはないと言外に伝えている。
 兵士Aの中身が変容したわけではない。彼女は今まで兵士Aであり、かつウェパルでもあった。事実を知ったからと言って人が変わったように思えるのは、人間の傲慢というものだ。

 兜に隠れた短髪。くりくりとした瞳。どこか憂いを帯びた表情。
 彼女は常に彼女である。
208 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:14:40.82 ID:COvsRb4l0
隊長「……」

 隊長は口を噤んだ。無論、彼とて長年の部下を一刀のもとに切り捨てたくなどない。そもそも物理的にそれが可能であるかどうか。
 それでも彼は王国の兵士であった。騎士の名を賜るほど豊かな精神を持っているわけではないが、火種を放置していくわけにはいかない。

ウェパル「隊長はわかりやすいねぇ。ボクを信じたいけど、信じるのも職務的に、ねぇ?」

隊長「……魔物ってのは、心も読めるのか」

ウェパル「そんなわけないよ。ちょっと想像しただけ。心を読めるのは、それこそ九尾くらいのもんかな」

隊長「……」

ウェパル「説明するよ」

――そうしてウェパルは、自らの身に起こったこと、自らの心に起こったことを話し始めた。

 『人魚姫』という書物がある。一般的な童話だ。国の人間だけでなく、隣国の人間だって知っている、誰しも一度は読んだことがあるフェアリィテイル。
 物語では、陸に住む王子に恋をした人魚が人間として足をもらい、生活しに陸へと上がる。
 ウェパルもそうであった。

ウェパル「今でこそこんな姿だけど、ボクの本当の姿は人魚みたいなものなんだ」

 そう言って彼女は地底湖へと飛び込んだ。

隊長「おい!」

 逃げるのか――そう言いかけて、あるわけないと思いなおす。逃げるくらいなら皆殺しにしたほうが早い。それだけの魔力を彼女は有している。
209 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:15:35.45 ID:COvsRb4l0
 兵士Aの姿は湖面に消え、一拍置いて浮上する。いつの間にか鎧や兜は消え失せ、代わりに現れたのは一匹の――もしくは一人の――見目麗しい人魚の姿。
 木綿のシャツは体液で次第に腐食していく。臍の下から足の先までが緑青の鱗に覆われており、上半身の一部にもところどころ鱗がある。
 両の足は接合して一つの尾鰭を形成し、どこから見ても魚類のものだ。

 何より異質なのはその左腕。右腕はヒトの腕だったが、左腕は違う。刺胞生物のような、具体的に例えるならばヒドラのような、数多のうねる触手が枝分かれを繰り返している器官が付随していた。
 
 顔のつくりや髪の色、長さだけが、兵士Aのままである。
 ただ、僅かに瞳が黒く濁っているか……?

 いや、異なる部分が一つだけあった。胸から首、そして首から左の顔半分にかけて、赤紫色の大きな紋様が浮き出ているのだ。
 痣とも違う、完全に人為的な幾何学模様である。

ウェパル「ボクが海で生きる限り、この姿とこの紋様からは逃げられない。ボクは好きな人のそばにいたかっただけなんだ」

 だから、自らの魔法で足を生み出し、陸で生きようと決めた。もう二度と水辺には帰るまいと、そう思っていたはずなのに。
 童話のように泡になって消えたりはしない。また姿を人間に戻すことだってできる。けれど、情勢が情勢だ、もう二度と愛する人に近づくことはできないだろう。

 なぜなら、彼は王城で兵士に就いており、比較的高い地位にいたから。
 なにより、彼は職務に忠実だから。
 愛する妻と子供のために戦っているから。
210 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:16:21.76 ID:COvsRb4l0
 まさか九尾が白沢まで持ち出してくるとは思わなかった。本気を出せば瞬殺できるとはいえ、人外の力を見せることなどできない。そうすれば正体が知れてしまう。彼のそばにいられなくなってしまう。
 しかし白沢を殺さねば、それこそ彼が殺されてしまう。
 天秤にかけるまでもないのに、心は苦しい。大きな不幸か小さな不幸か。不幸とわかっている未来の紐を引くのは、決して笑顔ではできない。

 それでも自分は紐を引いた。引くことができたのだ。
 それについて、誇ることすらあっても後悔はない。

 理由がどうであれ、正体がばれてしまえば、愛する人は自分に刃を向けるだろう。魔物と人間が手を取り合う世界はとうに終わりを迎えている。初めから実らぬ恋だったのだ。

 そんな風に諦めればどんなに楽だったろうか!

 心は不思議だ。押し込めた分だけ反発して、蓋を激しく叩きつづける。ここから出してくれと。自分を解き放ってくれと。
 だからこそここまで饒舌に話すことができるのだ。積りに積もった思い、積年の情は土石流のように流れ出す。堰はどこにも見当たらない。あまりの水流にどこかへ流されていったのだろう。

 だから、ねぇ、隊長。

 ウェパルはそこまで訥々と語って、顔を抑えた。

 ウェパルはぼろぼろと真珠の涙を零す。顔を抑えても指の隙間から溢れ出てしまう液体は、生命が生まれた原初の海の味である。

ウェパル「早く、逃げてください」

ウェパル「ボクは――所詮、魔物なんです」

ウェパル「醜い腕と、恥さらしな呪印を押し付けられて」

ウェパル「魔族も、海も、全部捨てて陸に上がったっていうのに、結局ボクは幸せには成れなかった」
211 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:17:02.62 ID:COvsRb4l0
 ウェパルの口の端が次第に引き攣っていく。
 ひ、ひ、とウェパルは何とか笑いを堪えていた。鋭い牙をなんとか隠しながら、全身の筋肉を働かせ、謀反を押しとどめる。

 魔物の体は心すらも魔物にする。

 著名な作家は、その著書の中でフランケン・シュタインの怪物についてこのように論じた。「怪物は生まれたときから怪物の心を持っているのではなく、周囲が彼を怪物として扱うことによって、はじめて怪物になるのである」と。
 作家は「顔」にのみ注目していたが、要するに同じことである。真実は存在しない。ただ解釈だけが心を形作るのだ。

 ぞわり、ぞわりとした感覚が、勇者たちを包む。

 ウェパルから染み出しつつある膨大な魔力が、地底湖に徐々に武装船団を顕現させる。海の災厄と名のつく通り、彼女は水を操り、嵐を起こし、武装船団を召喚させ、傷を操作する能力を持っている。

ウェパル「だから、ねぇ、早く、早くっ!」

 武装船団は帆の天辺まで現れた。陸であった頃は剣の一本しか形作れなかった具現化能力。水の中に潜ってしまえば、武装船団など造作もない。
 二十の砲台と五の帆を備えた巨大船。砲台を先端に備えた小型船。大量の剣と矢と鉾。
 あるものは水に浮かび、またあるものは宙に浮き、圧倒的物量が狙いを定めている。

「早く逃げてぇっ!」

 手に入らないなら奪えばいい。
 心が手に入らないなら、体だけでも奪ってしまえ。

 水中に沈んだものは全て自分のものなのだから。
212 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/07/24(火) 09:17:44.27 ID:COvsRb4l0
 怪物という毒がウェパルの心を侵食していく。

ウェパル「このままじゃ、あなたたちを殺して、殺しちゃう、殺す、こ、ころ、殺し、」

ウェパル「殺したいよぉおおおおおおぉっ!」

 大仰な音を立てて、全砲門が一斉に五人を捉える。
 勇者は咄嗟に道具袋から、洞穴に入る前に支給されたものを取り出す。
 キマイラの翼。老婆が特注した、移動用道具。

勇者「飛べ!」

 魔力で形づくられた砲弾が、武器が、十と言わず五十と言わず、それこそ二桁違いの千の数、一斉に放たれた。

 洞窟全体を震わす爆発音。一部ではそれこそ崩落した音すらも聞こえる。

 煙の晴れた後には、五人の姿はない。

 跡形も残らないほど粉々になったのか――否。タッチの差で逃げられてしまったようだ。
 それを果たして「残念だった」というべきかどうかは定かではない。

九尾?「ご苦労様」

ウェパル「もとはと言えば、九尾が原因でしょ。殺すよ」

 虚空に対して大砲の口が向けられる。ウェパルは本気だ。

九尾?「命などいくらでも持って行け。ただ、全てが終わったらだ。それまで九尾は誰にも殺されるつもりはない」

九尾「九尾にはまだやることがある」

ウェパル「……お前は、何を考えている? ……ボクにはわからない」

 返事を聞こうともせずに、ウェパルは武装船団を消失させた。そうして地底湖に潜って消える。

―――――――――――――
213 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/07/25(水) 02:02:10.00 ID:GslLdmULo
214 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/25(水) 12:47:14.41 ID:Ucy2DLXSO
215 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/07/30(月) 23:35:09.85 ID:zcnDvpbIO
久々にわくわくするSSだわ。
216 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(関西地方) [sage]:2012/07/31(火) 00:39:21.01 ID:VKCbe3CSo
なんだろう、地の文が兵士と勇者とアルビノ魔王の人っぽい
217 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/07/31(火) 02:22:04.26 ID:UubldWq5o
乙乙!
218 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:10:46.03 ID:HjpWLE040
―――――――――――――
 兵士Aは戦死した、という報告がなされた。

 王都、王城にある一室。兵士たちは鬼神討伐の功労を称えられ、いい酒、いい食事を前にした宴会が行われている。
 様子ははっきり言ってしまえば有頂天だ。強者たちは鬼神に苦戦しながらも、なんとか一人も欠けることなく倒し、帰ってきた。それでも激戦だったことには違いないようで、欠席者こそいないものの、いまだに包帯でぐるぐる巻きになっている者もいる。
 死線を潜り抜けたものの顔は晴れやかだ。どんなものが相手でも、もう二目見ることができないのだと思ってからでは、感動はひとしおである。

 なぜ、立地的にも戦略上の要衝となりえないあの洞穴に鬼神が住みついたのか。老婆含む上層部はその点について議論していたが、今ばかりは羽目を外している。
 話を聞く限り、明日の朝一でまた洞穴へと戻るらしい。魔術的な痕跡から敵の目論見がわからないか、と老婆は勇者に言っていたが、話の内容があまりにも術式的に高度で理解がおっつかないというのが正直なところだった。

 勇者は葡萄酒をちびちびとやりながら、ライ麦のパンを千切って口に運んだ。
 やはり王城の食べ物はうまい。もう一口、もう一口と食べ進める間に、パンは半分ほどになってしまう。
 まぁ誰に迷惑をかけるわけでもなし、勇者はさらにパンを千切る。

狩人「あーん」

勇者「……」

狩人「勇者?」

 狩人が口を開けていた。
 表情は普段と変わらないが、顔がかなり赤い。
219 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:12:35.24 ID:HjpWLE040

狩人「あーん」

勇者「あ、あーん」

勇者(なんだこれ、めちゃくちゃ恥ずかしい)

 勇者の気持ちなどどこ吹く風、狩人はパンの欠片を咀嚼し、にこりと笑う。

狩人「勇者、勇者」

狩人「好き」

 しなだれかかってくる狩人。眠っているのかと思えばそういうわけでもないらしい。表情を蕩けさせて、うへへ、と笑っている。
 勇者は辺りを見回した。なんだか周囲の、面識もない兵士たちが、こちらを見てにやにや笑っているように思えたためだ。

 所詮酔っ払いの嬌態だと、勇者は努めて冷静になるよう心掛ける。彼自身酒は回っているが、さすがにここまではならない。

狩人「ね、お酒飲も、お酒」

勇者「そろそろいい加減にしておけよ」

狩人「だって最近ずっと戦いっぱなしで、息抜きもできてないから」

勇者「だからってさ」

狩人「このままだと心病んじゃうよ?」

 はっとした。狩人はどこまで自分のことを見ているのだと彼は思った。

狩人「世界を平和にしてもさ、自分を犠牲にしちゃ意味ないじゃん」
220 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:14:07.75 ID:HjpWLE040
勇者「狩人」

 返事はない。

勇者「……狩人?」

狩人「んー……勇者……好き……」

勇者(寝たのか)

 段々と彼女の顔が落ちてくるものだから、勇者は観念して自分の太腿に頭を誘導してやる。すやすや眠る彼女の顔は、いい夢でも見ているのだろうか、幸せそうだ。
 一年半前、彼女と旅を始めたころは、彼女に笑顔が戻るときが来るとは思っていなかった。あのころは……そうだ、賢者と盗賊を連れていたのだ。

 ゆっくりと頭を撫でてやる。狩人の髪質は細く、柔らかい。まるで子供のそれだ。
 指に絡みつき、持ち上げればするりと溶けていく感覚が、勇者は当然嫌いではなかった。彼女が覚醒しているときにやるといろいろ面倒なので自重しているだけだ。
 面倒というのは、主に理性とか、自制とかが。

勇者「?」

 部屋の隅が何やら騒がしかった。目を凝らせば老婆をはじめとする一団が随分と盛り上がっている様子である。年寄りの冷や水は寿命を短くするというのに大丈夫なのだろうか。

 勇者が葡萄酒を呷ると、ジョッキは空になった。葡萄酒だけではなく、蒸留酒も麦酒も控えている。どうせ自分らの金ではないのだから、飲めるだけ飲んでも罰は当たるまい。
 太腿に頭を乗せている狩人を起こさないように、そっと立ち上がる。
 足がふらついた。

勇者(おっと……久しく飲んでないから、弱くなったかな)

 一応麦酒を注ぐだけ注いで、廊下に出る。涼しい風が頬にあたった。

勇者(窓が開いているのか)

 夜風にあたろうとバルコニーへ向かう。記憶が正しければ今夜は下弦の月だ。
221 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:15:47.37 ID:HjpWLE040
少女「よ」

 先客がいた。脇腹に包帯を巻いて、上から軽く着物をひっかけている。
 流石に飲み物は酒ではないらしい。普通の茶だろう。

勇者「風邪ひくぞ」

少女「そん時ゃそん時でしょ」

 少女は快活に笑って言った。

少女「今は夜風に当たりたい気分なのよ」

 奇遇だな俺もだ、とは言わなかった。勇者は無言で少女の隣に立ち、手すりに体を預ける。

少女「ありがとね、庇ってくれて」

勇者「あぁ。傷、大丈夫か?」

少女「掠っただけよ、大ごとじゃないわ。あんたのお蔭。……業腹だけど」

勇者「そりゃすまんね。ま、でも、盾になるのは俺が適任だ」

少女「そう。そうよね。うん」

少女「死ぬのは怖くないの?」

勇者「最初は怖かったけどな。今はもう慣れた。慣れは、つまり麻痺ってことだ。感覚を鈍化させる」
222 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:20:31.63 ID:HjpWLE040
少女「でもさ、さっき生き返ったから、次も生き返るなんて保証はどこにもないわけじゃない。もしかしたら最後の一回だったかもしれない。回数制限があるのかもしれない」

少女「大体、あんたに能力を授けてくれた女神様? そいつだってそれ以降は全然姿を見せないんでしょ?」

少女「なんで不確定なものを信じられるの? 怖くないの?」

 質問攻めである。勇者は苦笑して月を見た。
 やはり、下弦の月だ。大分痩せている。

少女「アタシは、あんたのことがわからない」

勇者「知りたいのか」

少女「……狩人さんだって知ってるんでしょ。おばあちゃんも、なんとなくはわかってるみたいだし。癪なの、そういうの」

少女「アタシはあんたに死んでほしくない。例え生き返るんだとしても」

勇者「……」

少女「なによっ、悪いっ!?」

勇者「いや」

少女「もう! いいからあんたの話をしなさいよっ!」

勇者「……笑うなよ」

少女「笑わないよ」

 勇者は自分が何を言っているのかわからなかった。プライベートな、しかも心の内を吐露するなど、考えられなかったことだ。
 アルコールによる酩酊が悪さをしているのだろう。そう思うことにする。
223 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:21:32.59 ID:HjpWLE040
勇者「……俺は、お前らがうらやましい」

少女「は?」

勇者「最後まで聞け。……お前らは強い。俺はお前らみたいな強さが欲しい」

勇者「目の前でどんどん人が死んでいくんだ。魔物を相手にしてれば当然だけどな。でも、五人、十人が死んで、俺はたまに思うんだ。俺は疫病神なんじゃないかって」

勇者「少なくとも、俺が強ければ仲間は死なないだろう。その程度の強さくらいは欲しいもんだ、そう思うもんだ」

勇者「誰かが目の前で死ぬのは見たくない。それが嫌だからって引きこもってても、俺はたぶん、世界のだれかがどこかで苦しんでいる事実に耐えられない」

勇者「みんなを救うなんてできるはずもないのにな」

勇者「だからせめて、俺の手の届く範囲のやつは救いたいんだけど、な。狩人とか、ばあさんとか……お前とか」

勇者「でも、お前らのほうが強いわけだ。なんていうか、大変だよ」

少女「ガキっぽいよね」

勇者「自覚はあるんだ」

少女「自覚はあるんだ?」

勇者「なきゃ、こんなに苦労はしないな」

少女「ま、そうか」
224 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:22:39.74 ID:HjpWLE040
少女「でもね、勇者。誰かを救うってことは、助けるってことは、強くたって難しいよ」

少女「アタシは……過去に人を殺したことがある」

勇者「……」

少女「もうね、最悪。何度も夢に見た。フラッシュバックも終わらない」

少女「最初会ったとき、あんたにも苦しめられたし」

勇者「……悪い」

少女「もういいよ。よくないけど」

少女「人を殺したことが仕方ないとは思えない。思いたくない。もしかしたらもっと他にいい方法があったのかもしれない。でも、アタシが人を殺すことによって、結果として殺した数より多くを救えたのは事実。そしてそれがアタシの誇りなの」

少女「アタシはその誇りを杖に、今まで生きてきた」

少女「個人の絶対的価値は存在しないんだよ。事実はこの世にはない。ただ解釈があるだけ」

少女「何人救えなかったかじゃなくて、何人救えたかの物差しで測ればいいじゃん」

少女「少なくとも、狩人さんは救われてるんでしょ、アンタと出会って」

少女「アタシだって救われたわ」

少女「あんまりバカ言ってると、ぶっとばすよ」

勇者「……」
225 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:24:14.55 ID:HjpWLE040

 勇者は少女の顔が直視できなかった。だから、彼女がどんな顔をしているのか、彼にはわからない。
 笑っているのか、悲しんでいるのか、真顔なのか。
 そのどれもが当てはまるような気がした。

少女「……ちょっと寒くなってきたね。アタシは部屋に戻るかな。お酒はどうにも飲めないし。アンタは?」

勇者「もう少し、いるよ」

少女「そ。……最後に、一つだけ」

少女「世界の裏側にいる人を助けたいって気持ちは立派だけど、どんな死もどんな苦しみも、たった一つのものだよ」

少女「世界の裏側のそれに気をとられて、すぐ隣のそれを蔑ろにするのは、どうなのかなって思う」

少女「不幸な死が悲しいんじゃない」

少女「死は普遍的に悲しいもんでしょ」

少女「地震や津波で死んだ人が、家族に看取られて死んだ人に比べて悲しむ必要があるっていうのは、やっぱり欺瞞だよ」

少女「わかってるとは思うけど、一応ね」

少女「それじゃ、おやすみ」

勇者「おやすみ」

 少女が廊下の向こうに消えていく。
 彼女の片鱗はたった一枚でも重厚だ。だが、重厚な片鱗を持たない存在が、果たしてこの世に存在するだろうか。
226 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:25:24.79 ID:HjpWLE040
 目頭が熱くなって思わず勇者は空を仰ぐ。墨を垂らした宵闇に、尖ったもので引っ掻いたような傷跡として、月と星が点々と輝いている。

 彼は信念の虜囚だ。
 信念という目に見えないほど細く、そして頑丈な糸が、彼を縛り付けている。
 自縄自縛。もがけばもがくほど糸は絡まり出られない。

勇者「……寒いな」

 呟いて、引き返す。まだ先ほどの部屋ではどんちゃん騒ぎが繰り返されていた。
 酔いも覚めている。最後に一杯ひっかけてから帰ろうと、部屋に入って麦酒とビスケットをつまんだ。

 喉が鳴る。酒はいいものだ。憂き世の辛さを忘れさせてくれる。

 ジョッキから口を離し、辺りをぼんやり見まわせば、なんとまだ狩人が潰れて寝ていた。空いた樽に抱き着いている。

勇者「しょうがねぇやつだ」

勇者「おい、狩人。寝るなら寝るで、部屋で寝ろ」

狩人「んー……」

 一向に起きる気配を見せない狩人であった。顔は依然上気し、気持ちよさそうだ。全く緊張感のない。
 ぺちぺちと頬を叩くが、それも効果はない。

 勇者はため息を一つついて、なんとか上手に狩人を背負う。風邪でも引かれたら厄介だし、他の男に寝姿を曝させるのも、その、なんというか……心がざわつく。

狩人「ん……やめて……」

 背負われるのが嫌なのかと思ったが、どうやら夢のようだ。悲痛な、切迫した声。そういう夢を見ているのだろう。
227 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:26:30.81 ID:HjpWLE040
 背負われるのが嫌なのかと思ったが、どうやら夢のようだ。悲痛な、切迫した声。そういう夢を見ているのだろう。

 大陸の中央に大きく聳える大森林、そこで狩人の一族は住んでいた。狩猟採集を主として生活する彼らは、文明とは縁遠い生活を送る、いわば未開人だ。その分食物加工技術や手工芸品の腕には優れ、周辺地域の人々の生活とは密接にかかわっていた。
 驚くべき弓の腕前も生活の中で培われたものだ。

 ある日、彼女の集落が襲われた。近隣の砦から魔物が群を成してやってきたのである。その進行の速度は迅雷で、波が砂の城を浚っていくように集落を飲み込んだ。
 
 彼女はそこであったことを勇者に伝えていない。よって彼が知ることは断片的である。

 必死に彼らは抵抗したが、鏃や短剣だけでは、抗うことはできても対峙することは難しいかったこと。
 ひとり、またひとりと狩人の親族や仲間が倒れていったこと。
 ついには敗走へと至ったこと。

 そして、勇者らがやってきたときには、唯一狩人が生き残りとして追い詰められている最中であった。

 勇者はそれを運命であるとは思っていない。結局は偶然で、狩人は運がよかっただけということになる。
 傷物にされて殺された女性がいる中、狩人がなんとか毒牙にかけられなかったというのもそうだろう。ほんのタッチの差で、恐らく狩人は死んでいたはずだ。

 勇者の服が強く掴まれる。
 夢は誰にだって苛烈だ。狩人にも、勇者にも、少女にも。それはある意味平等で、公平で、分け隔てなく優しい。
228 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:27:25.12 ID:HjpWLE040
 部屋の前についた。鍵はかかっていない。
 一般兵は二人部屋で、狩人の場合は少女と同室だった。部屋に入って扉を閉めると、暗闇の中で少女と狩人の二人分の寝息が聞こえてくる。

勇者「ほら、狩人。ベッドで寝ろ。部屋だ」

狩人「……」

 狩人は深い眠りに入っているのか、呼んでも揺さぶっても一向に起きる気配を見せない。それでも夢に魘されるよりはいいのだろうが、おぶっている勇者としては複雑である。
 ベッドに腰掛け、手を離した。首に回されている狩人の手をそろりそろりと外し、なんとかベッドに寝かせることに成功する。

勇者(子供かこいつ……ん?)

 立ち上がろうとして、立ち上がれない。心霊現象の類ではない。単に狩人が服の袖を掴んでいるだけだ。
 寧ろ心霊現象よりもたちが悪い。

勇者(いやいや、離してくださいよ狩人さん)

 きつく服が握りしめられている。
 勇者はなんだか頭が混乱してきた。自分の身に起きた事態を理解できない。

 なぜなら、恐らく狩人は起きているから。

 寝ながらこんな握力を誇るはずがない。大体彼の背中から降りようとしなかったこと自体がおかしいのだ。
 それが指し示す事実は一つだけ。

 しかし、彼女が起きているのはわかっても、対処法がわからなかった。なまじっか狩人の気持ちと真意を理解しているだけに、無下にもできない。

勇者「……ばれてるから」
229 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:28:28.11 ID:HjpWLE040
 少しの間をおいて、狩人はむくりと起き上がった。

狩人「ばれてた」

勇者「ばればれだよ」

狩人「二人の仲だし」

勇者「お前、まだ酒に酔ってるだろ」

狩人「うん。だって、えへへ、こんな楽しいのは久しぶりなんだもん」

狩人「勇者が無事で、一緒にいられてうれしい。えへ」

 いつの間にか狩人の手が勇者の手と重なっていた。
 溶け合っているかの如く感覚が定まらない。輪郭も定まらない。
 肌と肌の境界線が曖昧だ。酒と空気の相乗効果は、ここに至って恐ろしい。

 手を跳ね除けようと思えばできるだろう。そして狩人はすぐに引き下がるだろう。わかっているのだそんなことは。
 けれど、彼だってそんなことはしたくないのだ。

 二人の顔が近づく。
 艶っぽい、熱を持った唇。うっすらと濡れた瞳と睫毛。
 微かにアルコール臭のする吐息が勇者の鼻先をくすぐる。

狩人「ね、勇者。お願いがあるの」

勇者「……」

 緊張ゆえの無言を狩人は肯定と受け取ったようで、娼婦の笑顔でこう言った。

狩人「わたしがピンチになったら、絶対助けに来てね」

勇者「!」
230 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/01(水) 08:31:42.14 ID:HjpWLE040
 理性など最早無力だった。唇と唇が触れ合うほどの、限りなく零に近い二人の間の距離を零に至らしめたのは、勇者であった。
 貪るような口づけ。狩人から勇者に対してしたことは幾度かあれど、彼から積極的にしたことは、今までない。狩人の瞳が驚きに見開かれ、すぐに蕩けた顔になる。

狩人「積極的」

勇者「俺が悪いんじゃない」

狩人「そう、わたしが悪い。悪女。罪作りな女……ふふ」

 勝手に笑い始める狩人の肩を掴んで、正面から顔を見た。
 ただならぬ雰囲気を察して、狩人も真面目に勇者の瞳を覗き込む。

勇者「俺は、強く在ろうと思う」

狩人「……よかった」

 会話はそれだけでよかった。
231 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/08/01(水) 09:55:18.30 ID:zjoBLuo4o
乙乙…?
232 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/01(水) 11:48:52.51 ID:rv24PISIO
233 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/02(木) 09:49:25.47 ID:G+yFa/4DO
乙っん
234 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 17:50:44.97 ID:vSRjzYLw0
 強く在ることは強くなることとは一線を画す。後者は未来に希望を託すことだが、前者は生き方を変えることだ。
 打ちのめされても折れない、強靭な生き方を彼は目指したかった。

 もう一度口づけを交わす。口唇だけではなく、舌も絡めて全てを舐め、吸い尽くす。唾液はやはりアルコールの香りで、しかしそれだけではない。狩人のにおいと混じって寧ろ官能的ですらあった。

 髪の毛をくしゃりと握りつぶす形で抱く。先ほども触った柔らかな、絹のような髪の毛。何日も満足に風呂に入れない時もあるというのに、ここまでの髪質を保てるのが不思議だ。
 次第に狩人の顔が下がってくる。唇から顎、顎から首、首から鎖骨。舌といわず唇といわず、形容できない感触が皮膚の上を這って行く。
 背筋を突き抜ける快感。勇者も負けじと首筋へ舌を這わせる。

狩人「ふ、やぁ……あっ! だめっ……」

勇者「今更何言ってんだ……」

狩人「だって、こ、こんなの、んっ、ぁう……こんなの、知らない……」

 髪の毛を撫でていた手がふと耳にあたる。小ぶりな耳は、当然のごとく耳たぶも小ぶりだ。勇者は思わず耳に舌をやった。

狩人「あぅっ!」

 一際大きい声が漏れた。
235 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 17:51:17.84 ID:vSRjzYLw0
勇者(性感帯、ってやつか?)

 丁寧にそこに舌をやり、唇で優しく食んでもみる。外耳の窪みを舐め、耳の奥を軽く、音を立てて吸う。

狩人「ふぁ、や、んあぅ! ゆう、ゆうしゃ、なにこれぇ」

狩人「ふぁ……きもひよすぎて、怖いよぉ、ゆうひゃぁ……」

 狩人は勇者の体を啄むのすらやめ、子供のように必死で彼にしがみつくばかりだ。
 これは少しやりすぎたかなと、勇者は耳から口を離して抱きしめる。

勇者「ごめん、ごめんよ、調子に乗った」

狩人「……」

 上気した顔の狩人は、焦点がいまいちあっていない目で勇者のことを見つめている。
 
狩人「んっ!」

 勢いに任せた口づけ。思わず歯と歯がぶつかり、音が鳴る。
 狩人は勇者の首の後ろに手を回し、そのままベッドに引っ張り倒した。

狩人「あ。あたってる」

 勇者の足の付け根が狩人の太腿に押し付けられていた。当然の生理現象とはいえ、勇者はなんだか恥ずかしくなって、思わず体を離そうとする。
 が、狩人はそんな彼のことを離してくれなかった。

狩人「逃げるな」

 そう言って勇者の股間を、服の上から擦りはじめる。
236 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 17:51:55.39 ID:vSRjzYLw0
狩人「おっきい……おっきくなってる……」

勇者「そ、そりゃ男だからな」

狩人「舐める」

勇者「う……おう」

 言うが早いか狩人が勇者のズボンを膝まで一気に降ろしにかかる。鎧も付けていない室内着なので、腰のところはゴム紐である。容易くズボンは降りた。
 押しこめられていたものが弾けた。反動で屹立が狩人の眼前へ飛び出す。

狩人「凄い……熱い……」

狩人「え、男のひとって、こんなに熱くて大丈夫なの?」

勇者「大丈夫じゃないかも」

 いろいろな意味で。

狩人「はむっ」

 溜めをつくってから狩人が勇者のそれを口に咥えた。むっとした男の臭いに思わず咽そうになるが、すぐさま狡猾館へと変異、次第に脳髄を満たしていく。
 唾液が出てくる。狩人は自然な動作で勇者のものに眩し、口内全体を使って擦りあげる。

狩人「んっ、ちゅ、ぐちゅ、ん、ひもひーい? ぷちゅ、ちゅっ」

 気持ちいいどころの話ではなかった。ともすれば腰砕けになってしまいそうな快感の波が、絶えず勇者に叩きつけられる。
狩人「じゅる、ちゅぷ、ちゅ、いっぱひ、ん、んっ、きもひよくなっへえ? くちゅ、じゅ、じゅるるっ」

 一心不乱に勇者のものを口内で扱く狩人。彼女の視点は勇者を見ておらず、ただ扱くことに夢中になっているようだった。

狩人「ぷはっ」

 口から一回離し、啄むようなキスを繰り返す。顔全体と舌で擦るように、裏筋まで舌を這わす。
 どこで学んだのか全く疑問になるほどの性技である。
237 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 18:12:35.47 ID:/JlUVHnk0
狩人「ぐぷ、じゅるるるっ! ん、おいひーよ、ゆうひゃ……ちゅ、じゅる、んっ!」

 快感の高まりの終着点が見えた。勇者は狩人を撫でていた手に力を入れ、申し訳ないとは思いつつも、己のものに押し付ける。

勇者「ごめん、出るっ!」

狩人「――――っ!?」

 欲望の奔流が喉に向かって流し込まれる。
 長く、長い、射精。
 彼も一人でしたことがないわけではなかったが、それとは比べ物にならない量だった。二度、三度脈打っても、まだ止まらない。

 ようやく射精が止まり、彼は口からいまだ萎える気配のないそれを引き抜いた。

狩人「んっ」コクン

 間髪入れずに狩人が出されたものを嚥下する。そうして口の端に残ったものまで舌で掬い、飲んだ。

勇者「だ、大丈夫か」

狩人「うん。だって勇者のだもん」

狩人「ね。わたしにも、して欲しいな、って」

 狩人は自分の股間に手をやり、勇者に見せた。指先は何か液体で光っている。
 たまらず勇者は口づけをした。最早何が起こっても止められる気がしなかった。
238 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 18:13:25.50 ID:/JlUVHnk0
 静まらないそれを、狩人に近づけていく。
 肌と肌が触れた。

狩人「熱い……」

勇者「お前だって、大概だ」

勇者「じゃ、行くぞ」

狩人「うん、うん」

 一気に狩人の奥へと入っていく。
 狩人の足が張り、肩に回されていた手が強く閉じられる。爪が肉に食い込んで多少の痛みはあったが、今彼女が感じている痛みはそんなものではないのだろう。
 半分ほどまで挿入し、そこで止めた。彼女の顔を見れば、痛みに耐えて笑顔をつくっている。

勇者「大丈夫か?」

狩人「大丈夫、だから。もっと……」

勇者「無理すんなよ」

 残り半分も狩人の中に埋めていく。

狩人「んっ!」

 狩人の中は火傷しそうなほど熱く、濡れ、勇者を閉じ込めてくる。抽送するたびに様々な部分に絡みつき、口内とは次元の違う快楽だった。
 どうやらそれは狩人も同じらしい。半開きの口からは涎が垂れている。痛みも残っているのかもしれないが、それより快楽のほうが勝っているのだろう。ぎゅっと勇者のことを抱きしめ続けている。

狩人「手、手ッ」

 狩人は朦朧としながらも手を開いた。勇者は合点がいって、そこに自分の手を合わせ、指が絡み合うように手を握る。
 その間も抽送は止めない。止められない。狩人のことを気にしていられるほど彼に余裕があるわけでもない。
239 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 18:14:06.71 ID:/JlUVHnk0
狩人「勇者、ゆうひゃっ! 好き、好き、好きだからっ」

勇者「俺もだっ……」

 より強く手が握りしめられた。涙目、涙声になってくる狩人の姿を見て、彼女の限界が近いことを勇者は知る。そして、限界が近いのは彼もまた然り。本能に任せるかのように腰を打ち付けていく。
 染み出した愛液はすでにシーツを汚し、勇者の陰毛すらもべたべたにする。当然その感覚は不快ではない。

 勇者は己の限界を悟った。我慢できない射精感。

勇者「くっ……出るぞっ」

狩人「出して、出してえっ!」

 全身が脈動するほどの波が打ち寄せた。彼はもう一度、己の欲望を、今度は彼女の胎内へと流し込む。
 同時に狩人の全身がこわばった。口が開き、ピンク色の舌が見える。
 火照った頬。視線の定まらない瞳。
 たっぷり一秒ほど二人は絶頂を迎え、そして勇者は狩人に倒れこんだ。

狩人「ゆうしゃ……んっ、だめ、そこ」

 勇者が狩人の服を捲り上げ、胸に舌を這わせていた。褐色の肌とは異なる桜色のきれいな先端に舌を這わせ、時折優しく噛んでもみる。

狩人「んっ、だめ、またしたくなっちゃう……」

 二人の合わさる体を、窓から月が見ていた。
 そしてもう一人。

少女(ここでおっぱじめんじゃないわよっ! アタシのことすっかり忘れやがってぇっ!)

 夜は更けていく。
――――――――――――――
240 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 18:15:34.34 ID:/JlUVHnk0
――――――――――――――
 翌朝。
 朝食は複数グループで順番にとっていくことになっていた。
 あくびをしながら廊下へ出た勇者は、ちょうど部屋から出てきた狩人と少女に出会う。
 三人は全員目の下にくまができていた。

勇者(腰が……)
狩人(痛い……)
少女(眠い……)

 ひょこひょこ歩く狩人を横目に、少女は苛立ちを誰にぶつければいいのか、困ったように憤慨している。
 結局太陽が空を照らし出すまで彼女は寝られなかったのだった。

少女「送り狼……」ボソ

勇者「?」

 食堂につく。長いテーブルに粗末な椅子。厨房に一声かければ、木製のプレートに乗った朝食が手渡される。
 今日の朝食はパンに野菜のスープ、ふかした芋だった。粗末と言えば粗末だが、野生動物を捕まえ焚火で炙って食べる生活と比べれば、どちらがより文明らしいかは一目瞭然だ。

 食堂にはおおよそ三十人が入る。三人が入った時点でそれなりに人の波は少なく、容易く席をとることができた。

少女「空いててラッキーだね」

勇者「そうだな、珍しいな。昨日の酒が残ってるやつもいるのかもしれん」

 いつもならば、満席とは言わないまでも、三人が揃って食事をとれるのは珍しいほどの混雑度を誇っているのだ。国王が義勇兵を募集したあの日以来兵士の数は徐々に膨れ上がり、誰かしら門を叩かない日はないという。それが一因でもあるのだろう。
241 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 18:17:29.77 ID:/JlUVHnk0
 パンをかじる。ごく普通のライ麦パンだ。市販されているパンよりは酵母の風味が少なく、反対に麦の香りが強い。焼き立てでないのが残念だが、それは望みすぎというものだろう。
 冷めているとはいえ、噛めば噛むほど芳醇な香りが口に広がる。素朴な、田舎の風景が思い出される味だ。なんだかんだ言いつつも勇者はこの味が嫌いではなかった。

 ふかし芋もこれまたごく普通のふかし芋である。丸く、大きめで、でんぷん質の多い種類だ。芋と麦は合わせてこのあたりに一大農場群を形成している、立派なこの国の主要作物である。
 南下した国の外れでは稲も作っているようだが、勇者は今まで白米というものを食べたことがなかった。まだそれはこの国では奢侈品の類だ。

 ふかし芋をフォークで割ると、これはまだ熱が残っているのか、湯気が上った。きれいに四等分して口の中に放り込む。
 野性味の強い、だが僅かに甘みもある。二口目は塩を振って食べた。より甘みの引き立つ食べ方だ。

 芋の感触が残っていたので野菜スープで洗い落とす。滋味である。栄養が溶けだした琥珀色のスープは、体を心から健康にしてくれる気がした。
 中に入っている野菜の細切れは、大根、人参、セロリ、キャベツと言った具合。勇者はキュウリが食べられない。スープに入るような代物ではないのが救いだった。

 狩人と少女も、それぞれおいしそうに食べている。一汁一菜がほとんどの質素な食事ではあるが、しっかりと三食とれるのは大きい。
 三人揃ってごちそうさま。食器を配膳台に戻し、勇者は大きく伸びをした。
242 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 21:27:48.84 ID:LbZ1XUOu0
勇者「今日はどんな感じ?」

少女「このあと朝の訓練があるわね。そのあと昼食、訓練、で作戦会議」

 鬼神討伐の功によって勇者たちは上位兵と同様の立場についていた。そのため、勇者や狩人、少女は訓練内容や一日の予定に差がない状態だった。

勇者「作戦会議?」

少女「あんた御触れ見てないの? 鬼神があんなところに出張るのはおかしいってんで、遠征早まったんでしょうが」

 そう、老婆たち上層部が会議を行った結果、三体の鬼神はいかにも怪しいという結論に至ったのである。魔王軍の目的はわからないが、水面下で黙々と侵攻されるくらいならばいっそこちらから、ということだ。
 無論いきなり全軍を引き連れて「さぁ魔王城へ!」とはいかない。四天王の件もあり、その他幹部が陣取る砦もある。ある程度は腰を落ち着けてじっくりと侵略してかなければ。

狩人「……」

 狩人は険しい顔をして立ち止まった。

勇者「どうした?」

狩人「静かすぎる」

 鋭い狩人の言葉。勇者も耳を澄ませば、確かに静かだ。静かすぎると言っていいくらいに。
 朝食後のこの時間は、本来ならば他部隊では点呼があり、もしくは訓練を注げる点鐘があり、そうでなければ兵士たちの雑談が聞こえてくるはずである。
 本を運ぶ儀仗兵の姿も、シーツを取り換えてあたふたする従者の姿もいない。
 明らかに異常事態だった。

 と、曲がり角から兵士がゆっくりとした足取りでやってきた。
 ぞろぞろと。

勇者「!?」
243 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 21:30:00.77 ID:LbZ1XUOu0
 十人から二十人の兵士の集団が、抜身の剣を持って、うつむきがちに迫ってくる。その足取りは決して早くはないが、それゆえに圧迫感のある行進だ。

勇者「こ、これはっ!」

少女「操られてるよっ!」

 狩人が無言で腰の袋から鏃を取り出す。
 矢の先端だけを外したそれは、使い方によっては投擲武器にもなる。

勇者「殺すなよ」

狩人「がんばる。けど」

 鏃が放たれた。
 鋭く空気を切り裂く矢は、兵士の皮の鎧を貫通し、肩に深々と突き刺さる。しかし兵士は痛みを感じていないのか、その動きが止まることはない。

狩人「止まらない。痛みがないのかな」

少女「どーすんのよっ! アタシ、殺すなんてまっぴらだからねっ!」

勇者「俺だっていやだよ! ちっ、ひとまず逃げるぞ」

 三人は慌てて踵を返す。あちらの動きは遅い。撒くことは容易だろう。
 だが……。

勇者「くそ、こっちも!」

 数が段違いだった。行く先行く先で傀儡となった兵士たちの軍勢が行く手を阻む。一体どれだけの人数が操られているのか見当もつかない。
 もしかすると、それこそ三人以外の全員が、既に敵の術中に落ちているのかもしれない。

 術の範囲が王城だけならば、窓ガラスを破って外に出れば勝機はある。が、もしも城下町すらも術の範囲内であったら。

 勇者は己の予感が外れていないと確信していた。敵の戦力も正体も未知数だが、王城にも魔術的な障壁は恐幾重にも張り巡らされていたはずだ。それを突破できる程度の格を持った敵となれば、やはり城下町すらも掌握できると考えるのが安全である。
 ならば、敵は一体なんなのか。本命は魔物だが、隣国が騒乱の隙を狙った可能性も考えられる。
244 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 21:53:03.92 ID:NP2bXgEL0
 どのみち一国の危機であることには違いない。指揮系統は完全に麻痺し、軍備が己に牙をも向きかねないのだ。今は三人だけを狙っているが、それもいつまで続くだろうか。

 三人はひとまず場内を走り続ける。無駄に広いことに悪態をつく毎日だったが、このたびばかりはそれに救われた。なんとか出会うたびに回避を続け、逃げ惑う。
 しかしそれにも限界があった。追い込まれてしまったのだ。

 背中にはひんやりとした壁。周囲には樽や木箱が積まれている。恐らくは食料の備蓄場所なのだ。

少女「追い込まれちゃったじゃないっ!」

狩人「鏃ならある」

勇者「……俺たちも応戦するぞ」

少女「殺すの!? いやだってば!」

勇者「そうしないと襲われるんだぞ!」

少女「って言っても、どうせ剣もミョルニルもないんだよっ、どうやって対応するのさ!」

 そうなのだ。ここは城内で、しかも食後である。朝食に剣や鎚を担いでいく必要はないため、二人は今手ぶらなのだった。
 武器と呼べる武器は、辛うじて狩人の鏃程度。それも数に限りがあるため、戦い続けるのは現実的でない。

 勇者は舌打ちをして、早口で詠唱を行う。文言を唱え終わると放電現象が起こり、勇者の両手が淡く光る。

勇者「しょうがない、俺は魔法でいく。少女は……ま、腕力で何とかなるだろ」
245 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 21:53:32.82 ID:NP2bXgEL0
狩人「でも、ここから逃げてどうするの?」

 それは城下町もこのような状態の住民で埋め尽くされている、ということを指しているのではない。狩人の心配は、単純に逃走が事態の解決にならない事実を指摘している。
 どのような原理で人々が操られているのかはわからない。が、少なくとも術者を倒さない限り、この状況に終わりは見いだせないだろう。逃げるよりもまず術者を探し出す、炙り出すところから始めなければ。
 狩人は兵士の軍勢へ目をやりながらそのようなことを言った。

 そばまで寄ってきた兵士を、勇者が雷魔法で吹き飛ばす。兵士は後続の兵士を巻き込んで倒れるが、立ち上がり、何事もなかったかのようにこちらへ向かってくる。

勇者「確かに、埒があかないな」

少女「もう!」

 少女は力に任せて壁を叩いた。大きな音がして、壁に大穴が空く。

少女「非常事態だから許してもらうもんっ! 行くよ! 逃げながら今後の方針を考えないと!」

 穴に飛び込んでいく少女。隣は穀物蔵になっているようで、小麦やライ麦の入った袋が所狭しと並んでいた。
 扉には目をくれず、少女はさらに反対側の扉も叩き壊してずんずん進んでいく。
 廊下に出ないのは、出ればいつ傀儡と鉢合わせになるかわからないためだ。道なき道を進んでいけば出会うこともない。

 倉庫の並びを貫いていくと、部屋の趣が変わる。客間だ。
 客間は王城の中心から見て北西にある。食堂があるのは南西なので、北上していたらしい。
246 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/07(火) 21:54:15.58 ID:NP2bXgEL0
 壁に空けた穴から勇者と狩人が姿を現した。後ろを覗き込むが、兵士の姿は見えない。足音も聞こえない。狩人にはもしかすると聞こえているのかもしれなかったが。

少女「とりあえず、一安心かな?」

勇者「しかし、術者を叩くったって、範囲が広くちゃ話にならないぞ」

 城内にいるのか、それとも都市内にいるのか、それとももっと離れたところでほくそえんでいるのか。もし遠く離れたところにいるならば手の打ちようがない。お手上げだ。

 ベッドに腰を下ろしても、勇者は落ち着けなかった。追手が大した脅威ではないとはいえ、追われているという事実そのものが重圧だ。
 狩人と少女は考え込んでいるようだった。どうしたらよいか。目的を見つけなければ対処はできない。

狩人「ちょっと見てくる」

 狩人は壁に空いた穴に歩み寄る。彼女の耳に届く足音は次第に近づいてこそいるけれど、すぐさまの脅威であるとは言えないほど遠い。あと二、三分は体を休められるだろう。

狩人「……?」

 違和感があった。しかしその正体がわからない。
 そろそろ行こう、と彼女が二人に声をかけようと振り向くと、部屋には誰もいなかった。

――――――――――――――
247 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/07(火) 23:19:56.64 ID:pNy3f44SO
248 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) [sage]:2012/08/08(水) 00:31:01.76 ID:5UFX74QAO
まさか…
249 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(大阪府) [sage]:2012/08/08(水) 08:40:45.95 ID:EadAM1zno
250 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/08(水) 12:10:40.29 ID:Jjoxes8DO



しかし、隣で一晩お楽しみされた挙げ句これとは少女も大変だなwwww
251 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/09(木) 23:30:34.27 ID:s+mPglMj0
――――――――――――――

??「勇! いさむーっ! アンタいつまで寝てんのよ、起きなさいってば!」

 俺を呼ぶ声が聞こえる。きんきんと頭に響く金切声だ。正直勘弁してほしい。
 がしかし、なんだかんだ言っても幼馴染。邪険に扱うことはできない。起こしに来るのだって十割の善意からなのだし。

 俺の両親は現在地方巡業で家を空けている。二人そろって舞台人なのだ。

??「田中勇ッ! 早く起きなさい!」

 布団がはぎとられ、カーテンが開かれる。朝日が直接俺の顔にあたっている。たまらず目を覚ました。

勇「女川、少し静かにしてくれ」

 ツインテールで小柄な少女が、セーラー服を身に纏って眉根を寄せていた。
 女川祥子。俺の幼馴染兼、両親の不在の間の我が家を任された存在でもある。両親はこいつに「息子をよろしくね」と言いやがり、挙句の果てには丁寧に合鍵すらも渡して旅立った。まったくいい迷惑だ。

勇「あと五分だけ……」

 とりあえずテンプレから入る。するとこれもまたテンプレ通りに、女川のぶん投げたスクールバッグが俺の顔面へ飛んでくる。
 慣れた状況である。俺は枕でそれを受け止めた。

女川「アタシまであんたの遅刻に巻き込まないでほしいのっ」

勇「先に行け、先に」

女川「そんなことしたらご両親に顔向けできないでしょっ! ご飯はおにぎりだから、食べながら行くよっ!」
252 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/09(木) 23:31:34.79 ID:s+mPglMj0
 胸ぐらを掴んで一気に引き寄せてくる女川。準備をしていなかったものだから、勢い余って顔が近づきすぎてしまう。

女川「――っ!」

 顔を赤くして女川は飛び上がった。全く不思議な奴だ。騒ぐだけ騒いで勝手に静かになるだなんて。
 俺はのそのそと起き上がり、寝間着代わりのジャージを脱いだ。パンツ一丁になったのでまた女川がぎゃーぎゃー喚くが、なんのことはなかった。
 スラックスに足を通し、シャツに腕を通す。季節は夏なので学ランは羽織らず、そのまま居間へと歩いていく。

 なるほど、確かにおにぎりが小皿の上に置いてあった。二つ。恐らく中身は梅干しとチーズおかかだろう。なんだかんだで女川は俺の好みをわかってくれている。こいつの作る弁当には、俺の嫌いなものなど一つも入っていない。

 それを口に運び、一度部屋に戻った。かばんを忘れていたのだ。
 今度こそ準備を万端にして学校へと向かう。起きてからここまで五分である。

 顔は最悪学校で洗ったって怒られやしない。学校で寝ては怒られるから家で寝るのだ。これぞ合理的というものだろう。

 女川と話をしながら歩く。話と言ってもたわいもないものばかりだ。やれ天気がどうした、やれ昨日のアイドルがどうした、やれ授業がわからない、等々。学生の身分にとっては中身よりもコミュニケーションという手段が重要で、目的だ。
 手段の目的化が悪いことであるとは一概に言えない。悪いものは、初めから性悪な手段を用いているから性悪なのだ。
253 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/09(木) 23:32:42.63 ID:2t9yK5bgo
誤爆?
254 :誤爆ではない [saga]:2012/08/09(木) 23:44:01.34 ID:mWpCjEH10
??「あ、勇くーん」

女川「げっ」

 合流する信号で手を振っているのは上春瑛先輩であった。俺と女川の一つ上で、俺の所属する冒険部の先輩でもある。一人称が「ボク」という、いまどき珍しい部類の女子である。

上春「や。おはようだね。ボクは眠くてたまんないよ」

勇「実は俺もなんですよ」

女川「上春先輩、早く行ったほうがいいですよ、遅刻しちゃいますから」イライラ

 馬鹿丁寧に女川が言う。
 俺は時計を見た。八時半……学校の正門は八時四十分に閉まる。ぎりぎり間に合わなさそうな時間だ。とは言っても少し気合を入れて走れば十分間に合う時間と距離だろう。

勇「速度と距離と時間を求める公式ってどうやって覚えたっけ」

女川「『はじき』でしょ。ってそんなことはどうでもよくてっ」

勇「避難訓練のは」

女川「『おかし』でしょ! もう!」

上春「ボクのところは『おさない・はしらない・しゃべらない』で『おはし』だったけどね」

女川「そんなことはもうどうだっていいんですよっ!」

 乗った癖に文句を言うのは理不尽ではないだろうか。
255 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/09(木) 23:57:02.19 ID:mWpCjEH10
 と、その時である。
 キーンコーンカーンコーン。前方で鐘が鳴った。登校時刻を過ぎた合図だ。これ以降は正門が閉まり、教師にねちねち言われながらの裏口登校となる。
 ……そこはかとなく犯罪くささを感じるのは気のせいだろうか。

上春「あはは。二人の漫才は面白いなぁ」

 冗談でも茶化しでもなく、単純に笑って上春先輩は言った。

二人「「漫才じゃありません」」

 上春先輩はそれを受けて、今度こそ大きな声で笑った。
 先輩の声は快活だ。聞くだけで元気になる類のエネルギーを持っている。声がでかいのは女川も同じだが……おっと、睨まれたのでくわばらくわばらと九字を切っておこう。

 学校へとついたが、当然のように正門は締まっている。生徒指導部の教師が適当に「おらー、遅刻したなら裏口だー」と生徒の移動を促す。無論俺たちもそれに従って歩くしかない。
 どうやら遅刻者は俺たち三人だけのようで、裏口は人の気配がしなかった。こっそりと上がり、正面玄関へと移動し、上履きを履いて教室を目指す。

 二年B組が俺と女川のクラスである。目立たないように教室の後ろから入るも、HR中だったようで、注目はやはり避けられなかった。女川が八つ当たり気味に俺を小突いてくるのを耐え、着席。

勇「ん?」

 おかしなものがあった。今まではなかったところに空席ができているのだ。
 これは、もしや。

勇「転校生?」
256 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/09(木) 23:58:55.00 ID:mWpCjEH10
??「らしいぞ」

 呟きに返したのは長部だった。おっさん臭い顔をしている、俺の隣席の気さくなやつだ。
 刀剣が趣味という変なところはあるが、それを補って余りある以上の真人間である。

長部「ほら、来た」

 長部が指で示した先には、教壇に今昇ろうとしている一人の少女がいた。そういえば先ほど廊下にいたような……。
 どよめきが上がる。それもやむなしと俺は思った。壇上の女子は、なるほど確かに魅力的だったからだ。

 異国の血が混じっているのか、それとも活発なだけか、割と浅黒い肌。大きな瞳は多少三白眼がちで、アンニュイなイメージをもたらす。
 体はすらりとしており、長身でこそないものの、とてもスタイルが良い。実に均整のとれた、端整な異性だった。
 俺は思わず面喰いながらも、それが周囲にばれないように気を巡らせる。

??「狩野真弓。よろしく」

 ぶっきらぼうに転校生は言った。気持ち低めのトーン。顔立ちとのギャップが著しい。新たな生活集団に馴染む気がないのか、それともなるようになるだろうと構えているのか。

教師「えー、狩野さんはお仕事の都合で、こんな時期だが転校してくることになった。みんな仲良く頼む。席はあの空いてるところだな」

 促されるままに彼女――狩野は席に着いた。
 俺の席の隣を通った時、仄かに甘い香りが漂ってくる。コロンや香水ではない。女子特有の香りだ。
 俺はどこかでこの香りを嗅いだことがあるような気がした。だが、それがいつ、どこでであったかはわからない。
 なんだかもやもやしていると、前の席に座っていた夢野がにんまりと笑って振り返った。

夢野「勇ちゃん、かわいー娘だねぇ」
257 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/09(木) 23:59:25.13 ID:mWpCjEH10
勇「そうだな。ってか、ちゃんづけはやめろよ」

夢野「転校生が来るかもとは聞いてたけど、あんなかわいー娘だとは思わなかったわぁ」

 聞いちゃいなかった。夢野はにやにや笑いのまま、視界の端で狩野を捉えている。
 燃えるような長髪にグラマラスなスタイル。夢野だって十二分に美形だと思うが、そんな意見は実際はクラスの誰からも上がってこない。飄々とした、人を喰ったような性格が一因だろう。

女川「どこにも美人はいるものなんだね」

夢野「あら、女川っち」

夢野「朝から勇ちゃんと一緒に遅刻とは、熟年の夫婦カポーですな」

 夫婦とカップルは同時に存在しないのじゃないか? カップルは所詮「つがい」という意味だから、別にかまわないのか?
 俺の疑問をよそに、女川は慌ててそれを否定にかかる。両手を胸の前でぶんぶんと振りながら、

女川「な! 夢野、あんた朝から頭に蛆がわいたこと言わないでよっ!」

 お前も、女の子が「頭に蛆がわいた」なんて言っちゃだめだと思うが。
 あ、夢野の背中が叩かれてる。それでも動じずに女川をからかい続ける夢野は、遊びに命を燃やしているというか、真面目に不真面目を貫いているというか。見上げた根性だ。

 遊びのために自らを貫ける人間は強いと思う。そこにはある種の恐ろしさもある。
 大抵人間の動機なんて経済的か宗教的か大別できる。そのどちらにも当てはまらない時、それは第三者から観測しえない事柄となり、それが恐ろしさを呼ぶのである。
258 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/10(金) 00:00:53.62 ID:FbrR8VTh0
 閑話休題。女川はぷんすかと長部に八つ当たりをし、夢野は転校生へ手を振っていた。
 転校生の席の周りには人の壁が出来上がっている。構成員は全員女子だ。あいつらはすぐに新しい人間をコミュニティに取り入れたがるが、俺にはそれがいまいち理解できない。友達すらもファッション感覚なのだろうか。
 男子はそんなことはしない。というか、男子という生き物は根性なしが大半を占めているので――特に美人には――畏れ多くて声などかけられないチキンなのだ。
 それゆえに、クラスの男子らは颯爽と登場した可愛い級友に視線と興味を向けることこそすれ、積極的に声をかけたりはしないのである。

 人と人の隙間から見える転校生は、どうにも興味がなさそうに見えた。応えはもちろん返しているのだろうが、鞄や机や教科書を確認するふりをして、あえて視線を合わそうとはしない感じが見て取れる。

夢野「気難しい感じなのかなぁ?」

女川「緊張ってのもあると思うけど。でも、ま、あんまり人付き合いの好きそうな自己紹介でもなかったしね」

 嫌がる猫を無理やり触れば嫌われるだけだ。そういう時は遠巻きに見ているしかできないし、それが一番利口なのだ。急がば回れとも言う。

 結局、狩野は授業の合間合間にも囲まれたが、一体どんな受け答えをしているのだろうか、一日のうちに次第に人は減っていった。昼休みには、それこそ根気強い、もしくはそっけなく扱われることの気に食わない女子のリーダー格が「わたしのグループに入れてあげる」的に近づいて行ったが、それも大した成果はあげなかったようである。
 となると、クラスの男子も危機察知能力を働かせる。狩野は可愛いが、手綱を握るのは難しそうだぞ、と。またクラスの女子を敵に回すことになりかねないぞ、と。

 俺はここにきて逆に狩野という転校生に俄然興味がわく。自分の初志を貫くことは難しく、彼女はそれができている。純然たる尊敬と、僅かに見世物小屋の興奮を覚えたのだ。
 とはいえ、俺も人並みの危機察知能力はある。気安く彼女に声をかけては誰からもいい印象を受けないだろう。ほとぼりが冷めるまで、数日、もしくは一週間程度待つ必要があった。

 そのはずだった。
259 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/10(金) 00:02:55.62 ID:FbrR8VTh0
 が、しかし。

 狩野が席を立つ。
 とことこと歩いて、やってくる。
 なぜか、俺のところへ。

 教室中の視線が俺に向けられているのがわかる。それは錯覚ではない。
 俺は唾を飲み込んで、ひたすら机の上に置かれた自分の手を見ていた。

狩野「田中勇くん、だよね」

 やはり、俺であった。ここまで来たら無視するほうが労力を使う。ここでようやく視線を挙げる。

勇「……なんだ」

 務めて無愛想に受け応えた。

狩野「学校を案内してもらいたくて」

 なんで俺が。なんで俺が。なんで俺が。

勇「……なんで俺が?」

狩野「その辺に理由はいる?」

勇「いるだろ」

 あってくれなければ困るのだ。いや、ないはずがない。こいつは今の状況を楽しんでこそいないが、義務感の雰囲気が漂う。彼女にとってこれは「なくてはならない」行動なのだ。
 けれど、その義務はどこまでも彼女の世界の内側にあるものだ。俺の世界に内側にまで侵入しては来ない。

 狩野は一瞬、本当に一瞬だけ、その瞳の奥が揺らぐ。そして俺はその一瞬を見逃さなかった。

勇「……」

狩野「なんていうか……まぁ、いろいろ。こっちにも色々事情があって」

 罰ゲームの類なのではないかと思える返答だった。そんなわけはありえないので、余計に頭を悩ませられる。
 有体に言えば、困った。
260 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/10(金) 00:04:48.38 ID:FbrR8VTh0
勇「今?」

 言ってから、しまったと思った。これでは校内の案内を前向きにとらえていると思われても仕方がないではないか。
 狩野は頷いた。コミュニケーションの成立。もう待ったはかけられない。
 ここまで来てしまえば理由をつけて断るほうが不興を買う原因となる。「周囲を気にしています」アピールは、周囲にアピールしていることを悟られてはいけないのだ。

 俺はあくまで平静を装って立ち上がった。学級内ヒエラルキー、もしくはスクールカーストは、今日この時を持って大幅な変動を果たした。主に悪い方向で。
 仕方がない。最早狩野真弓という存在を俺は被弾した。箇所は治療でどうにかなる部分で、銃創も大きくない。追撃さえきっちりと避けられれば、俺の楽しい生活をエンジョイする道は、まだ残されている。
 そしてそのための逆転の方法が俺には残されている。

勇「今からじゃ、悪いけど案内できないなぁ。部活なんだ」

 そう、部活である。本当は部活などはない。いや、ないというか、適当に部室に集まって適当に駄弁っているだけなので、あるなしの問題でもないのだ。
 が、狩野がそれを知ることはできない。理由としては完璧だ。

 歯医者、アルバイトと並んで、部活は学生の言い訳ベスト3であると個人的には思っている。許されないことでもなんとなく許されてしまう魔の言い訳。伝家の宝刀をまさかここで抜くことになろうとは。

狩野「わたしも行く」

 ……え?

狩野「冒険部でしょ。わたしも気になる」
261 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/10(金) 00:06:50.80 ID:FbrR8VTh0
 追撃を被弾した。しかもこれは、予想していなかった。腹に大穴が空いている。ホローポイント弾なんじゃないか?
 こいつ、どこまでついてくる気だ?

 可能性は二つある。まず一つ目は、そもそも冒険部に入りたくて俺に声をかけてきた場合。これは理由としては正当だ。そして俺も周囲に言い訳が聞くというものである。
 どこからその情報を仕入れたかは定かでないが、経路などいくらでもある。級友からでもいいし教師からだって教えてもらえるだろう。ただ冒険部に入りたいことを伝えれば、周りが教えてくれるのだから。
 二つ目は、これが厄介だ。狩野はなんとしても俺にまとわりつきたい、という可能性。自意識過剰と言われるのを恐れずに言えば、どうも裏があるようでならない。

 とはいえ、結局は周囲に言い訳が立てばどうだっていいのだ。俺は積極的に前者を支持する。

勇「お、そうなのか。ならついてこいよ、紹介するから」

 心にもない笑顔を塗布し、俺は教室を後にした。スクールバッグを持った狩野も小さい歩幅で後を追ってくる。
 てくてくと、とことこと。
 狩野が僅かに足を速める気配があれば、俺もそれだけ足を速め、決して一定以上の間隔が狭まらないように努める。数字にしておおよそ一メートル。それは心の距離に他ならない。

 結局のところ、俺は狩野真弓という人物がいまだ掴めていないのだ。何が目的で俺に近づいているのか。本当に他意はないのか、等。この距離を詰めるのか、それともさらに広げるのかは、今後の展開次第。

 旧校舎への渡り廊下は二階にある。二年生の教室は三階にある。そして部室は三階にあるため、三階、二階、三階という手間を踏まなければいけないのが面倒だった。

勇「……」
狩野「……」

 無言のまま扉を横にスライドさせた。
262 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/10(金) 00:07:42.10 ID:FbrR8VTh0
勇「おはようござーす……え?」

 上原先輩はともかくとして、夢野がいた。

夢野「遅かったねー」

 ひらひらと手を振る夢野。なんでこいつがここにいるのかわからないが、いるものはいるのだから仕方がない。
 俺の背後で狩野がごくりとつばを飲み込む音がした。鉄面皮を絵に描いたような女だが、緊張もするのか。

 冒険部は冒険とは名ばかりの弱小部であり、そのため部室を与えられるだけでも恩の字だろうと、僻地にある元物置をあてがわれている。長机と椅子の数個でいっぱいいっぱいの部屋に、三人以上がいるのを見るのは初めてだった。
 なんとか机と壁の隙間に体を押し込み、椅子に座る。

上春「今日はお客さんがたくさんくるね。いいことだ」

上春「で。勇くん、そっちの女の子は誰かな?」

勇「あー。今日来た転校生で」

狩野「狩野真弓です。冒険部に興味があったので」

 流石に自己紹介くらいはできるようだ。恭しく頭を下げた狩野は、けれど雰囲気を決して変えることがない。まるで自らのアイデンティティのように。

 俺、上春先輩、狩野、夢野。四人で、どうでもいい話を始めた。

 冒険部の活動の趣旨は、本来は冒険をすることである。どうやら話に聞く限り、かつての先輩方はそうしていたらしい。たとえば山に登るとか、たとえば森に行くとか、様々だ。
 しかし時代の流れは残酷である。教師たちも生徒を放任していては、保護者や教育委員会からの突き上げがある。自らの目の届いていないところで生徒に怪我や問題が起こっては、火の粉は全て彼らにかかる。
 それを恐れた結果が、冒険部の暗黙的な活動の自粛だ。校外活動許可証は、こと我が部に限っては、十割受理されないといってよい。
263 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(北海道) [saga]:2012/08/10(金) 00:09:12.65 ID:FbrR8VTh0
狩野「大変なんですね」

上春「ん。まぁでも、ボクたちは話してるだけで十分楽しいからねぇ。ね、勇くん」

勇「そうですねぇ」

上春「狩野さんは冒険に興味があるんだって?」

狩野「はい。いろいろ、ありまして」

 「いろいろ」を強調して狩野が言った。
 ……なぜ俺を見てくる? そしてなぜ夢野はくつくつと笑う?

 よくわからないひと時は、のんびりと流れていく。

* * *
264 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/10(金) 00:22:32.01 ID:XWa6UXHJo
>>253です
失礼しました
265 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [saga]:2012/08/10(金) 03:25:00.17 ID:DYJhXkle0
266 :名無しNIPPER [sage]:2012/08/10(金) 06:16:09.70 ID:BR/H1EcAO
つまりどういう事だってばよ
267 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/10(金) 09:16:49.05 ID:iFcQZVFIO
誤爆ではなく荒らしか
ゲスだな
268 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/10(金) 09:21:57.01 ID:s/GZXs1SO
登場人物の名前と冒険部って名前から荒らしではないだろ

逆にこんな荒らしがいたら別にスレたててほしいわ
269 : ◆yufVJNsZ3s [sage]:2012/08/10(金) 12:10:10.78 ID:93YAR9ss0
作者です。
誤解を招いて申し訳ないとは思っておりますが、誤爆ではありませんし、荒らしでも当然ありません。

これを機にトリップつけておきます。
270 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/10(金) 17:47:47.63 ID:n1+RyvVV0
なんだこれ、女川は言動とか考えると少女だよな?
271 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(千葉県) [sage]:2012/08/11(土) 02:46:26.86 ID:WjAh3OtRo
>>252
同じ北海道で乗っ取りか?こんな所に民族闘争持ち込むなよ。
クソ面白くもない。
せっかく舞ってたのに穢れたな。好きなだけ暴れろよ。スレ閉じ〜
272 : ◆yufVJNsZ3s [sage]:2012/08/11(土) 14:01:34.33 ID:WuXosgBm0
* * *

 空は朱色に染まっている。
 ビルの向こうに隠れて夕日は見えないけれど、その存在は確かに確信できる。他者の心というものも、恐らくはそんな類のものなのだろう。

 何やら自分でもくさすぎると自嘲。まったく、キャラではない。

 帰りには大抵書店に寄ることにしていた。めぼしいものがあるわけではない。ただ、なんとなくで帰路につくのはもったいないような気がしたのだ。
 自動ドアを開き、冷房のよく効いた店内へと足を踏み入れる。

 平日の夕方でも人はいるものだった。やはり学生が多い。セーラー服に学ランに、ブレザー。
 白いセーラー服と学ランは俺が通う県立高校、ブレザーは近所の有名私立高校のものである。校則が厳しいと噂のブレザーたちでも下校時の道草は許されているらしい。それともお忍びで来ているのだろうか。だとしたらご苦労なことだと思う。

 入口に入るあたりで、店に入るセーラー服と、出ていくブレザーがニアミスを起こす。スクールバッグ同士がぶつかり、お互いの中身が多少ばらまかれた。
 慌てて落ちたものを拾っていく二人。俺も手伝おうと小走りになるが、どうやらそこまでたくさんのものは落ちなかったようだ、そこへたどり着くまでには二人ともものを拾い終えている。

女子生徒「あ、すいませんでした」

 セーラー服が言うと、ブレザーも頭を下げ、歩いていく。そういえば鞄同士がすれ違う際、お互いのキーホルダーが絡まって云々という話を聞くけれど、今回のこともそういうことだったのだろうか。
 俺はいつの間に関わっていた店内の内装を見やりながら、ぼんやりと考える。

 店内にはポップや店員からのおすすめ紹介などがひしめいていて、実に自己主張の強い場となっていた。躍る惹句は「ゴールデンウィークに本を読もう! 春の読書フェア!」を筆頭に、五月の長期連休にちなんだものばかりだ。
273 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/11(土) 14:05:05.01 ID:WuXosgBm0
 残念ながら新刊は出ていなかった。前回来たのが三日か四日前だから、それも当然と言えば当然だ。
 まぁ、本を買うのが本懐ではない。店の中をもう一度見まわしながら、足の向くまま気の向くまま、散策する。

女川「あ、勇じゃん」

勇「女川か」

女川「なに、文句ある?」

勇「ねぇよ。絡むなよ」

女川「いーじゃん。幼馴染の仲でしょっ」

勇「はぁ……」

 相も変わらずよくわからない女だった。十数年の付き合いだが、時たま以上に理不尽である。
 だがしかし、あの転校生には負けるだろうが……。

 女川の眉根が寄った。

女川「あの転校生、可愛かったもんねっ!」

勇「……なんでわかった」

女川「ふん、デレデレしちゃってさっ」

 俺の質問に答えることなく女川は言った。そんなに顔に出やすいタイプではないと思っているのだが。

女川「あ、そうだ。あんた夜ヒマ?」

勇「まぁな」

 高校生に夜の予定などはいるはずもない。我が高校はよほどの理由がなければバイトも禁止されているのだし。
274 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/11(土) 14:08:09.18 ID:WuXosgBm0
 女川は「ま、そうでしょうね」と呆れたようにつぶやく。いや、お前だってヒマに違いないだろう。

女川「今日そっち行くから、待っててよ」

勇「なんかあるのか?」

女川「なんかっていうか、なんていうか」

勇「焦らすなよ。笑ったりしねぇよ」

女川「ちょっと、夢を見るんだけど、その話」

勇「夢?」

女川「その話は夜に言うから! 帰るよ!」

 帰るよ、と言われても、俺はたった今来たばかりなのだが。
 ……仕方がない。我を通すばかりがコミュニケーションではない。どうせ用事も別段存在はしないのだ。
 女川に促され、帰路についた。

* * *
275 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/11(土) 14:09:19.44 ID:WuXosgBm0
* * *

 夕食はカレーライスだった。月に一回は必ずカレーの日がある。そして一旦カレーが出ると、その後数日は出続けるのだ。これは我が家の特徴というよりは、全国どこでもそうなのではないだろうか。
 明日も明後日も食べられることを思うと、どうにもがっつく気にはならない。皿一杯だけを食べ、部屋に向かう。

 宿題は確かなかったはずだ。手持無沙汰を紛らわすために本棚から漫画を引き抜き、読み始める。
 久しぶりに読んだ本だったため、思ったよりも展開を忘れていた。知らず知らずのうちに夢中になって読み込んでしまう。
 スペースオペラはたまに理解できない部分があるけれども、他の読者はわかっているのだろうか。特にタイムリープや並行世界などが出てくるとお手上げだ。とはいえ、難解さも含めて魅力であるという論には俺も同意ではある。

 魔女とスペースオペラという素材の料理の仕方に妙味を感じつつ頁を繰っていると、俺の部屋の窓が叩かれた。
 窓である。扉ではない。

勇「鍵は開いてるぞ」

 女川が外に立っていた。
 こいつの家は我が家の隣である。お互いの部屋は二階にあって、しかも窓を面している。スチール製の梯子を渡せば、高さに目を瞑る限りにおいて、簡単に行き来ができるのだった。

女川「お邪魔」

勇「夕飯は」

女川「食べてきたよ。あんたもでしょっ」

勇「まぁな」
276 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/11(土) 14:13:07.17 ID:WuXosgBm0
勇「で、なんだっけ、夕方に言ってた……」

女川「夢」

勇「そう、それ。たかが夢だろ、って……言えたら、お前はそんな顔してねぇわな」

 俺の知っている女川祥子という人間は、小柄で、だけれど強気だ。不安になることもあるだろう。辛いことだってあるだろう。ただ、夢見が悪いといって俺に話をしに来るなんてのは尋常じゃない。
 夢の話は、本題の呼び水なのかとも思ったが、どうやらそうでもないようだった。

女川「あんた、夢は覚えてるほう?」

勇「……あんまり気にしたことはないな」

女川「アタシは覚えてるほうなの。でね、最近同じ夢を見る」

 夢に同じ場所や同じ人が繰り返し出てくるというのは珍しくない話だ。
 かくいう俺も、気にしたことはないとは言いつつも、夢を見ると決まって廃工場が舞台になる。人間の頭は実に不思議な構造をしている。

女川「ファンタジーの世界、なのかな。アタシは旅をしてる。魔王を倒すために。……RPGまんまな感じ」

女川「道路は土が剥き出しの未舗装で、森がぶわぁってあって、町も、なんていうか、スチームパンクみたいな世界」

勇「お前、その歳でそんな夢みたいなこと言うなよ」

女川「うっさいっ!」

 座布団が飛んでくる。
 顔目掛けて投げられたそれを軽く弾き、俺は女川の顔を見た。

 あ、これは駄目だ。実によくない。
 本気でどうしたらいいか困っている顔だ。
277 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/11(土) 14:15:41.60 ID:WuXosgBm0
女川「アタシだって真剣に考えるだけ馬鹿らしいとは思ってるけど……」

女川「でも、こんなばからしいこと相談できるの、あんたしかいないし……」

 どきりとした。平静を装いつつ、言葉を返す。

勇「……それで」

女川「出てくるの。あんたが。いや、あんたに似てる人が、なんだけど」

勇「知り合いが夢に出てくるなんて珍しくないだろ」

女川「そうなんだけど、そうじゃないの!」

 女川は語気を荒げた。普段から強い物言いをするやつだが、それとはニュアンスが違うように感じられる。わかってもらえない苛立ちがそうさせるのだ。

女川「そりゃ、あんたが出てくるだけなら単なる夢で済むと思う。けど、あんただけじゃなくて、長部も、上春先輩も出てきてて……」

女川「長部はともかく、上春先輩なんて、アタシ会ったこと一回か二回しかないよ。夢に出てくるもんかな」

勇「出てきたなら、しょうがないだろう」

女川「でもっ!」

 これから話すことが、話の核心なのだ――女川は言外にそうまとわせて、身を乗り出してきた。

女川「転校生――狩野真弓、あいつもアタシ、夢の中で見たことあったのっ!」

勇「まさ」

 「か」を何とか飲み込んだ。まさか、そんなことがあるはずはない。きっと偶然じゃあないのか? それを言うことは簡単だ。そう断定してしまうこともまた。
 だけれど、それがどう作用するというのだろう? 女川は自分が所謂現実的でないことを言っている事実を客観視できている。そして頭がおかしな女のレッテルを張られることを覚悟の上で、俺を頼っているのだ。
278 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/11(土) 14:17:53.00 ID:WuXosgBm0
 俺は慎重に言葉を探し、選び、言う。

勇「……本当に狩野なのか」

女川「うん。絶対」

 絶対、か。それほど自信があるのだろう。
 確かに狩野は特徴的だ。容姿や喋り方が。夢に出て、現実にも現れれば、「あ」と思う気持ちもわかる。
 だが、女川の不安はそれだけではないはずだ。狩野が夢の世界から抜け出してきたなどとは彼女も思っていない。でなければ、不安にする要素が他にもあるのだ。

女川「夢が、さ、すっごいリアルなの。どっちが現実なのかわからないくらい。夢ってそういうものなのかもしれないけど、最近なんか、わかんないんだ。アタシってのが」

勇、女川「「果たして本当にここは現実なんだろうか?」」

 言葉が重なる。
 胡蝶の夢だ。夢を見ているのは蝶か、人間か。

女川「……なんか、ごめんね」

勇「いや、別にかまわないけど?」

女川「うん、わかってるけど、ごめん」

女川「そろそろ戻るわ。今日のこと、覚えといても忘れても、どっちでもいいから。じゃあね」

勇「風邪ひくなよ」

女川「うん……」

 女川は窓から出て、梯子を伝って自室へと戻る。
 部屋に戻る前にこちらへと手を振ってきたので振りかえす。そうして窓ガラスが閉じられた。
 俺はベッドへと倒れこむ。

 女川には悪いが、真面目に聞く類の話ではなかった。が、あいつが何かを不安に思っているならば、それを取り除かなければならないと、俺はそう思う。
 そんなことを考えていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。

* * *
279 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/11(土) 14:20:05.09 ID:buotYeLoo
>>269
別の作品・シナリオなら別スレでやるべき。たとえ作者が同じでも。
同作品であれば、ちゃんと伏線回収してくれないと混乱の元だ。

んで、少女と勇者のいちゃいちゃはまだかね?
280 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/11(土) 14:38:53.26 ID:WuXosgBm0
>>279
別の作品でも別のシナリオでもありません。
伏線はきっちり回収しますよ。そのために学生編書いてるのです。
281 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/11(土) 16:58:53.30 ID:gKv2kaGDO
大体どうゆう事なのかは
ちゃんと読んでれば察しがつく
みんな落ち着いて読みなよ
282 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東京都) [sage]:2012/08/11(土) 18:10:48.54 ID:tDuO6XLyo
ここは早漏が多いインターネッツですね
283 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/11(土) 18:38:36.94 ID:3uesdh9SO
むしろなぜ分からないんだ
それが分からん
284 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/08/11(土) 19:29:49.78 ID:dymkf13mo
>>283
夏だからだろ
285 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/11(土) 20:48:32.11 ID:pk/0ZM11o
最近別のスレのSSをコピペしてく荒らしがいたから、それかと勘違いしてたよ。
落ち着いてみると、自分が荒らしに見えるね、騒がして皆さん申し訳ないです。
286 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/11(土) 22:11:26.14 ID:NF3ppNNIO
意味があるということをちゃんと読み取れ。ただ口開けて待ってるだけじゃ面白くねーだろが。脳味噌は使うためにあるんだよ。
287 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) [sage]:2012/08/12(日) 04:34:13.00 ID:0bikR3DAO
伏線というかもはや別次元すぎて何がなにやら
288 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/14(火) 09:46:39.94 ID:hgvusBa00
* * *

 醜悪な魔物が眼前にいた。
 剣で切って、倒す。

 醜悪な魔物は次々湧き出てくる。
 剣で切って、倒す。

 醜悪な魔物の出現は止まらない。
 剣で切って、倒す。

 「俺」は、剣と防具を身に着けていた。機動力を重視しているためか、分厚い鎧ではなく簡素な皮の鎧だ。鞣した皮のにおいは甘く、まだ新品なのだろうということは容易く想像できる。
 念じると体の内部に火が灯る感覚が走る。丹田から全身へ駆け巡る暖かい衝動。それをコントロールし、左手に集めると、手のひらから紫電が走った。

 不思議と痛みはない。体内のエネルギーとでも呼ぶしかないものが、徐々に、徐々に放出されている感覚はあるものの、「俺」が感じることのできるのはそれだけだ。

 「俺」は、勇者だ。

 ぞわり、とした感覚が、足元の泥濘から這い上がってくる。
 否、泥濘などはどこにもなかった。感覚器官が暴発しているだけで、地面は確かに濃密な土の匂いを醸している。
 暴発? 「俺」は考えた。それは一体どういうことだ。ならばこの黒い塊はなんなのだ。

 黒い、靄のような塊。それは酷く冷たく、類稀な悪意を包含し、じわりじわり「俺」の体を這いあがってくる。
 足から腰へ。
 腰から胸へ。

 黒い塊が、ついに「俺」の首へとかかる。
 それは手の形をしていた。

 頸動脈に指が押し込まれる。それだけでいともたやすく血流は止まり、俺は目の前が白くなっていくのを感じた。

??「勇者!」
289 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/14(火) 09:47:57.95 ID:hgvusBa00
 俺が目を覚ますと、目の前には少女がいた。狩人も老婆も、心配そうにこちらを覗き込んでいる。
 なんだ、何がどうなっているんだ。

狩人「急に倒れるから、どうしたかと思った」

老婆「日頃の不摂生の賜物じゃな、ひゃひゃひゃ」

 俺の体よりあんたの寿命を心配したらどうだ。

老婆「いざとなったらおぬしの体に乗り移らせてもらうから大丈夫じゃよ」

 こいつなら本当にやりかねない。俺は少し老婆との距離を置く。

狩人「大丈夫?」

 冷えた手が俺の額にあてられる。随分と気持ちの良い手だ。安心する。

 なに、疲れが溜まってるんだろうさ。もうちょっと頑張って、宿についたらしっかり休むよ。

狩人「……そう、それならいいんだけど」

 森の切れ目には、確か交易で栄えた町があるはずだった。鬱蒼とした大森林と切り立った尾根を避けながらうねる道々の交差点、俺の国にも隣国にも属さない、交易という唯一にした絶対のカードを握る町だ。
 俺たち四人は現在そこを目指しているのだ。

 夜な夜な亡霊が現れ、町の人間を襲うのだという。ギルドや酒場から依頼があったわけではないが、賞金もかけられており、財布の中身が心もとなくなってきた俺たちとしては、この機会を逃すつもりはなかった。
290 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/14(火) 09:48:48.05 ID:hgvusBa00
 と、不意に違和感を覚える。

 いや、それは違和感という次元ではない。普段と何かが違う、とか、そういうことではない。

 根本がおかしい。

 不意に気が付いてしまった事実に、俺は眩暈をせずにはいられない。頭を横殴りにされたような衝撃と驚愕。そして混乱。
 思わず足元が前後不覚になる。なんとか木に手をついて体を支えようとするが、力が入らないのは脚だけではなく全身だ。背中を木に預け、滑り落ちて尻もちをつく。

 ここはどこだ。
 こいつらは誰だ。

少女「ちょっと、あんた本当に大丈夫? ここは大森林のはずれでしょ?」

 かわいらしい姿の少女が、今の俺には化け物のように感じられた。俺のことを取って食おうとしているのではないか――そんな感覚が拭い去れない。
 というか、この少女、どことなく女川に雰囲気が似ているような……。

少女「は? 何言ってるの? ちょ、ちょっとおばあちゃん!」

 老婆――俺の担任に似ている人物は、今更気が付くが、時代錯誤のローブと杖を持っている。何のコスプレかと思うほどに。

狩人「ゆう、しゃ?」

 その少女は弓を背負い、肌こそより浅黒かったが、確かに狩野真弓その人であった。寡黙そうな雰囲気も、三白眼も、全て。

 三人が心配そうな顔をして俺に近づく。
 俺は喉から「ひっ」という引き攣った音が漏れ出るのを、自ら聞いた。

 圧倒的な恐怖。
 俺は世界から見放されている。

少女「ちょっといい、先に謝っとくけど、ごめんね?」

 少女は手を振りかぶって、そして――
291 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/14(火) 09:49:47.06 ID:hgvusBa00

 バチーン!

 と、俺の頬が鳴った。

女川「勇、勇!? 大丈夫?」

 瞳を開けば天井があった。空を遮る木の葉も、枝も、何もない。
 尻の下にはベッドがあって、腐葉土の痕跡など感じられない。しっかりとした自室の床。大地の質の差異は歴然としている。

 そして、視界いっぱいに移りこむように、女川祥子が俺を覗き込んでいた。

 涙を目に一杯溜めて。

女川「よかった、揺すっても叫んでも起きないから、どうしたのかって……」

 俺は、けれど暫し愕然としていた。今の夢は、即ち、女川が昨晩言っていたそれではないのか? 一笑に付すことこそしなかったが、内心女川の不安を俺は理解できなかった。それも今ならば理解できよう。
 酷く、気分が悪い。
 あのまま世界に連れていかれるのではないかという焦燥は、依然消えることなく全身を取り巻いている。

 夢なのだ。それは事実であるが、決して納得を俺にもたらさない。なぜなら俺はこの景色――ベッドと、出窓と、本棚と、机と、女川に対して、限りなく懐疑的になりつつあるからだ。
 もちろん無意味さを感じないわけではない。触れているものは存在しているし、見えているものは存在している。唯物論は主観において絶対的である。そのはずだ。

 そのはずなのに。
292 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/14(火) 09:52:20.39 ID:hgvusBa00
 頭の中に霞がかかっていく。桃色の霧が俺の耳から侵入して脳髄を握りしめた実感が確かにあった。力を籠めれば今すぐにもお前のことなど殺せるのだぞ、という警告だ。
 けれど同時に愉悦も感じられた。だけど、お前のことは絶対に殺さないぞ、という。その上でびくびくしながら生きればよいのだ、という。

 頭を振る。まるで脳内の霧を散らすかのように。

 そんな俺の様子をどう思ったのだろう、もう一度女川は俺の顔をじっと覗き込んだ。
 一点の曇りもないその瞳。白状せずにはいられなかった。

勇「昨日お前が言ってた夢な。たぶん俺も見た」

女川「!」

勇「ありゃ、駄目だ。引きずり込まれそうになる」

女川「それで、いた?」

勇「いた、って?」

女川「アタシに似た人。転校生とか、長部とか、先生とかに似た人」

勇「あぁ、見たよ。長部はいなかったけど、狩野もいたな」

勇「たぶんあの世界での俺は、俺に似てるんだろうな」

女川「単なる夢なのかな」

勇「……」

 当たり前だ、そりゃそうだろう。軽く言えればどれだけ楽か。
 荒唐無稽な話だとはわかっている。だが、今の俺たちは、あれがそんなたやすいものではないということを、肌でひしひしと感じていたのだ。

 あれは恐ろしいものだ。心から底冷えするほどの。

 母親の「遅刻するよ!」の声に促され、俺たちは家を出た。
 脳内のしこりがとれないまま。

* * *
293 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/14(火) 09:54:56.63 ID:hgvusBa00
 授業中に自然と狩野の背中へと視線をやってしまっていた。
 どうやらそれは女川も同様であるらしく、時たま彼女と視線が合うこともある。そのたびに気まずそうな顔をして俺たちは顔を反らすのだ。

 夢の原因が可能であるなどとは思ってはいない。だが、だとしたらあの夢はなんなのだろう。いったい何があの夢をもたらしているのだろう。
 当事者である俺たちにはわかる。あれはよくないものだ。決してこの世のとは相容れないものだ。
 陳腐な表現だが、心霊的怪奇現象。

 教室の前方では、我が学級の担任、夢に出てきた老婆に酷似している定年間際の女性教師が、国民年金について説明している。
 板書を書き取らなければいけないが、つい視線は狩野のほうへ。

勇「!」

 狩野が俺のことを見ていた。視線に気が付いたのだろうか。
 堂々としていればいいものを、つい視線をそらしてしまう。黒板へと視線を移すが文字など頭に入っては来ない。脳にそこまでのCPUはつまれてはいない。

 視線をそらす一瞬、俺は気が付いた。狩野が微笑んだのを。

 その微笑みが意味するところを理解できない。意味がないと断ずれないほどには、その微笑みはこれ見よがしだった。

 チャイムが鳴る。担任は中途半端なところで終わってしまったことにため息をつきながらも、教科書を閉じる。
 それを合図にして、教室の仲が徐々にざわめき始めた。いつものことだ。一時間目とはいえ、授業の終わった解放感は、いつだって誰にだって格別である。
294 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/14(火) 10:00:04.01 ID:hgvusBa00
 狩野が立ち上がった。こちらへ来るのかと思って身構えるが、何のことはない、そのまま教室の外へとぺたぺた歩いていく。

 ぺたぺた?

 狩野は上靴を履いていなかった。
 白い無地のソックスが、細すぎる足首に映えている。色の濃い肌とのコントラストもまた眩しい。
 転校してきたばかりだから指定の上靴がない? いやまさか、そんな。昨日は履いていたはずだろう。大体、それにしたって靴下のままやってくる必要もあるまい。

 熱くなっていく頭を冷ましたのは、背後から投げられた女川の言葉であった。

女川「あんた、ちょっと不自然すぎじゃないの」

勇「え? あ、女川か」

女川「気になるのはわかるけどね」

 小声で女川は言った。彼女もまた狩野が気になる一人なのだ。
 しかも女川の場合、狩野が転校する以前から夢で狩野に酷似した少女を見ていたのだから、それも仕方がないのかもしれない。

勇「そういや、狩野の奴上靴履いてないみたいだけど」

 何の気なしの指摘だったが、それは存外女川のクリティカルなポイントを突いたらしい。露骨に視線をそらし、頬へと手をやる。

女川「あー、それは、なんていうか」
295 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/14(火) 10:02:20.47 ID:hgvusBa00
 言葉を濁す女川を見て、ようやく俺も一つの答えに辿り着く。

勇「……マジかよ」

女川「マジもマジ、大マジよ。クラスの女子に昨日メール回ってきたっつーの」

 努めて小声で女川は言う。自らの立場を公言するのは得策ではないのだ。
 学生という身分は、つまり一介の兵士であると同時に首相でもある。時として、自らという領土を守るために銃を取り、指揮を執り、生存を勝ち取らなければならない。そのためには外交努力も当然手段として入ってくる。
 狩野側に回ることは敵対を意味する。せめて中立でいれば、戦火からは逃れられる。物資の提供をすることがあっても、戦争へ加担しているという罪悪感は軽い。

 俺は女川を叱責できなかった。叱責するのならば、今すぐ首謀者をひっぱたいてやらなければならないからだ。

 しかし、それにしても、転入してきたのは昨日だ。たった一日どれだけ不興を買ったというのか。狙いでもしなければできないことである。

夢野「どうしたの、二人でこそこそと」

 遠くからやっとこやってきたのは夢野だった。あっけらかんとした笑顔で、虐めなど自領域には存在しないかのように、距離を詰めてくる。

女川「ん、ま、ちょっとね」

夢野「えー、仲間はずれかよぅ」

女川「ちょっと、やめてよ。あんまり大声で喋ることじゃないんだから」

夢野「ってーと、あれ? 転校生のメンタルをボコそうってやつ?」

勇「ばっ」

 あまりにも普段の声量で夢野が言うものだから、俺は思わず叫び出しそうになる。
 この学級でいじめはないものなのだ。あるとしたらヒエラルキーであり、調教なのだ。
 俺たちは知らんぷりをしていなければいけない。それがいじめられもしない、いじめもしない中立派の、ただ一つのルール。

 そのルールを破ったものは、次に対象となってもおかしくはない。
296 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/14(火) 10:04:52.18 ID:hgvusBa00
夢野「なに、そんな大声で。気にしなくていいじゃん。そんなのストレスフルになるだけだって」

勇「お前……!」

夢野「やだなぁ、勇ちゃん。面白けりゃいいんだって。娯楽だよ、娯楽」

 視界が赤熱する錯覚を覚えた。見て見ぬ振りする俺や女川が人間として上等だとは思わない。だが、五十歩百歩、どんぐりの背比べ、目くそ鼻くそを笑うだとしても、夢野の言いぐさはあまりにもあんまりではないか。
 俺のそんな雰囲気を察して、夢野は困ったような顔をした。そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ。感情を表すならばこうだろうか。

 肩をすくめて夢野は去っていく。俺はそれを追うことはなかった。俺に一体全体追う権利があるだろうか? 既にまったき加害者だというのに?

 酷く吐き気がした。重石を飲み込んでしまったと思える程度には、重力が辛い。

 わかっている。俺「も」悪いのだ。俺「すらも」悪いのだ。
 だけれど、平穏で安寧とした学校生活を送るために、全力で策を巡らせて何が悪い!?

女川「……勇」

 女川がばつの悪そうな顔をしている。こいつの性根は真面目で正義感が強い。例え同調圧力に負け、保身に走ってしまったとしても、根が腐っているわけではないのだ。
 それが欺瞞であるということは、恐らく彼女自身が最もわかっている。だから口にしない。口に出さないことで、何とか自らを罰しているのだ。
 自己満足であるとしても。

* * *
297 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sagesaga]:2012/08/14(火) 12:24:49.31 ID:48PfO+u3o
ついてけない
意味不
298 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/08/14(火) 12:28:53.52 ID:PvxQptSso
オラ何がしたいのかわからなくなってきたぞ
299 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/14(火) 12:52:48.35 ID:dD3CJuVd0
昔の[たぬき]映画を思い出すぜ
これはどっちが現実なんだろうな
300 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/14(火) 18:52:02.12 ID:zUdBbNQPo
結構面白いと思うが
301 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/14(火) 21:37:05.74 ID:u197zNZIO
頭の悪い読者はここで振り落とされるのかめしがうまいな。
302 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/08/14(火) 23:51:37.64 ID:SevjfQgMo
今のところ理解できるように書かれてないんだから、分からなくて当然だろ・・・
むしろ分かったふりしてる方が・・・
303 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(不明なsoftbank) [sage]:2012/08/15(水) 02:09:00.39 ID:XQII9ipPo
理解できないのは思考放棄してるからだろ
1から10まで説明が無いと理解できないとか頭悪すぎ
304 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/08/15(水) 03:22:07.62 ID:k3nvqfQYo
スレが荒れそうな喧嘩腰のレスをする頭のいい読者がいるみたいだな
305 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/15(水) 04:34:44.96 ID:D1ROQJKDO
とうさん今日もこの板は平和です
306 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/08/15(水) 06:09:40.40 ID:4P7qs/CKo
頑張ってくれ
307 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 08:47:11.54 ID:nCIrDtoE0
* * *

 次の日、狩野の机に菊が置かれていた。
 狩野は一瞬目を見開くが、まるで何もなかったかのように椅子を引く。
 せめて花と花瓶くらい除ければいいのに。そのようなこれ見よがしな態度が攻撃を激化させることをわかっていないのだろうか?

 しかし狩野の行動は明らかに不自然だ。俺が今考えたように、本来ならばおとなしくなるべきなのだ、やられている側は。
 性格なのだろうか。やられて黙っていられないほどの。

夢野「全く、転校生もよくわかんないねぇ」

女川「……」

勇「……」

夢野「どうしたのさ、二人とも。そんな黙りこくっちゃって」

勇「いや、なんか、頭が痛くてさ」

女川「うん……」

夢野「風邪でも引いたんじゃないのー? 保健室にでも行ってくればいいよ」

女川「うん……」

 女川の生返事を夢野は気にしないようで、花瓶に挿された菊の花を前に、じっと席に座っている狩野をにやにや見ている。
308 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 08:47:42.86 ID:nCIrDtoE0
夢野「怖いよねぇ女って」

 女である夢野が言うのはおかしかったが、俺はそれを指摘する元気もない。日がな一日こうなのだ。それでいて病院にかかろうとは全く思えない。
 思えないというのは、単にやる気の問題であり、かつやる気の問題でしかなかった。やる気が根こそぎ奪われているのだ。誰が何の目的で俺のやる気などを奪っているのかはわからない。世界中の恵まれない子供にでもばらまくつもりだろうか?

夢野「ま、転校生も付き合いが悪かったしね。ね、ね、聞いてよ。あの娘、クラスのリーダー格の○○さんに、『存在が臭いからどっか行って』って言ったんだってさ!」

勇「あぁ……あぁ、そう……」

夢野「もう、もっと頑張ってよ! 張り合いがないなぁ!」

夢野「九尾の一押しだから期待してるのにさ!」

 夢野が何やら変なことを言っている。
 隣にいるはずの彼女なのに、どうしてか薄い膜を隔てた向こう側にいるようで、俺はどうにもうまくそちらを見られない。
 あぁ、そうだ、頑張らなければいけないのだ。頑張って、頑張って、何かをどうにかしなければいけないのだ。
 そんな気が、するのだけれど。

 チャイムに引きずられるように、俺は眠りについた。腕の枕は実に気持ちがいい。

* * *
309 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 08:48:28.90 ID:nCIrDtoE0
* * *

 また次の日、トイレから戻ってきた狩野は、なぜかびしょ濡れだった。まさかトイレの中で夕立にでも降られたのだろうか? だとしたら運の悪いことである。
 朝にやっている教育番組のように、狩野に対するソーユーコトは、手を変え品を変えバリエーションが豊富だ。ゲームでチーププレイを拒む心理に通じるものがある。変なことに熱意を燃やす人間もいるものだ。
 最近、頭は痛くなくなってきた。代わりと言ってはなんだが、視界の端がうっすらと桃色に染まり始めている気がする。

 俺は女川の席を見た。彼女は本日欠席である。体調が悪そうだったから、家で安静にでもしているのだろう。

夢野「ねーねー、勇ちゃん。転校生がまたやられてるよ。あんなに頑張って意味あるのかな。どうせうまくいきっこないんだしね」

 何がうまくいきっこないんだろう。夢野は何を知っているんだろう。

夢野「ていうか、本当わけわかんない。クラスメイトに喧嘩吹っかけるなんて、どういう攻略法だろう?」

 俺にはお前の言っていることのほうが全然わかんないけどな。
 喉まで出かかった言葉は、けれどやる気の問題で失われる。無気力が全身をつつみ、がんじがらめにしているイメージ。
 なんとかしなければな、とは思っているのだが。

 いずれこの意思さえも縛られてしまうに違いない。

 それはそれで楽な生き方なのかもしれなかった。全てを自分の意思で選択し、決定し、進んでいくのは、経済的ではない。時には周囲に流されることも利得である。
 俺はぼんやりと夢野の言葉を聞いている。
310 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 08:49:39.16 ID:nCIrDtoE0
夢野「あ、もしかしたらマゾなのかもね。それならよかったな」

そうなのか?

夢野「うん。ちょーっと登場人物のパターン弄って、みんな転校生をいじめるようにしといたんだ」

夢野「折角みんなに喧嘩売ってるみたいだったからさ」

 そんなこともできるのか。

夢野「まぁねー」

 違和感があった。俺はいま、口に出していたか?
 ……会話が成立しているということは、恐らくそうなのだろう。

 チャイムが鳴る。頭の奥へと侵食する、鈍い音だ。
 ぐぉおおおん、ぐぉおおおんという独特の鐘の音は、何かしら叫びだしたくなる衝動を増幅させる。もちろん俺は理性によって守られているため、そんなことはしないのだが、それにしてもこの音はどうにかならないだろうか。

 俺は立ち上がって鞄を取る。今のチャイムは放課を告げるものだ。ならば教室にいる必要もない。一刻も早く部室へ行かなければ。

 部室は安息の地である。あそこならば、何ものに惑わされることもない。
311 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 08:50:14.41 ID:nCIrDtoE0
 脳髄へと伸ばされた誰かの手を振り払い、教室を後にする。無節操に解剖されるのは好きではない。だのに、誰かが違法行為をおかしているのだ。ぞわりぞわり這い登ってくる悪寒の主はその誰かに決まっている。

 部室へ行って、夢野と駄弁る必要がある。そしてそのあと本屋に寄って、女川の見舞いに行こう。そうしたら明日は学校で、それさえ乗り切ってしまえば土日の連休。
 そこで頭をゆっくりリフレッシュすればいい。夢だの現実だのに振り回される必要はない。

 もうすぐ終わるのだ。
 なにが? ――学校が。平日が。

 だけれど本当にそうだろうか? もっと大事な何かが終わりを迎えるのではないだろうか?
 心がぎしぎしと軋んで悲鳴を上げる。経年劣化した輪ゴムが千切れるように、心もまた、劣化は早い。

 体中を掻き毟りたくなる感覚をなんとか押さえつけ、俺は部室を目指す。

* * *
312 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 08:51:36.40 ID:nCIrDtoE0
* * *

 さらに次の日、狩野の机の中身が丸ごと避妊具に置き換えられていた。ご丁寧に中身が入った状態で。

 誰が何のためにやっているのか。そんなことは最早どうでもいい。戦争はすでに包囲戦へと突入している。諦めて退くか、兵糧が尽きて陥落するか、どちらか一つしか結末は存在しない。
 生きるということは戦争である。学校ならば、それに拍車をかける。

 吐き気がする。頭痛がする。倦怠感。眩暈。幻聴に幻覚。病んでいるのは周囲なのか、それとも俺の精神なのか。
 現実は加速し、とどまるところを知らない。ブレーキはすでにどこかへ吹っ飛んで行ってしまったのだろう。手を伸ばしたとしても、それより早く遠ざかってしまっては、行為をするだけ無駄というものだ。

 そしてまた、夢もとどまらなかった。あの日を境に現れた仮想現実は、俺の安眠を妨害こそしないまでも、着実に現実を蝕み始めている。
 目を覚ませば、明日にも俺は俺であって俺でない俺になっているのかもしれない。その考えは何度振り払ってもこびりついて黒ずんでいく。
313 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 08:54:10.43 ID:nCIrDtoE0
 ぐぉおおおん。ぐぉおおおん。ぐぉおおおん。

 鐘の音で気が付けば、すでに放課後であった。昼食はどうしたのか、板書は書き留めたのか――その辺りの記憶がまるでない。霞がかかった中で、正確な事実を引き出せない。引き出すほどの事実が本当にあったのだろうか。

 苛立ちは焦燥感を引き寄せ、精神を不安定にさせる。
 何かをしなければいけない強迫観念だけがあった。けれど、何を強迫されているのかがまるでわからないのだ。目的の欠如は方向感覚を乱して大いに俺を惑わせる。

 自然と手に力が入ってしまっていた。爪は加工された机の天板の上を滑っていくだけで、何にも引っかかることはない。力すら籠めさせてくれないのは、俺に対しての罰のつもりだろうか。だとすればなんと効果的な。

勇「部室……いかなきゃ」

 ほとんど反射でそう口にする。こんな状況下でも、俺は足繁く部室に顔を出していた。必ずそこには夢野がいて、気さくな会話を繰り広げる。
 あそこが唯一の安住の地だった。俺をやさしく包み込んでくれる桃源郷だった。
314 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 08:56:11.61 ID:nCIrDtoE0
 脇目も振らず一目散に、誰よりも早く教室を出る。後ろからクラスメイトが声をかけてくるが知ったことか。掃除当番などサボタージュの対象だ。今はただ、今はただ俺は、この心を休めたいのだ。

 二階に一旦降り、渡り廊下を伝って特別教室棟へ移動し、さらにそこから階段を上って三階へ。
 突き当りを右に曲がった一番奥、物置のような小さな冒険部の部室。
 そこに酸素を求めるかのように、俺は扉を開ける。

夢野「やっほー」

勇「あぁ、夢野か。上春先輩は」

夢野「今日は用事でお休みだって言ってたよ」

勇「そうか……そうか」

 それは残念であるが、とにかく部室までたどり着けたことに意味がある。ともすれば過呼吸気味になりそうな深呼吸を経て、俺はぼんやり天井を見上げた。

 夢野の顔が目の前にあった。

夢野「――んっ」

 口づけをされる。舌が歯の間から割り込んでくる。
 蹂躙される口内。舐られる舌。
 けれど、驚きよりも心地よさが増すのはなぜだろう。

夢野「ぷはっ」

 口を離すと唾液が糸を引いた。満足そうな顔をしている夢野を見ると、俺は心の中心がほっこりしていくのを感じる。

 思考がうまく回らない。抵抗感が失われ、筋肉が弛緩する。

夢野「あの娘は結局どうにもできなかったみたいだね。賭けは、私の勝ちか」

夢野「なーんだ。案外呆気ない。見込み違いだったかな」

 下卑た笑みを浮かべ、軽やかに笑った。
315 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 08:56:55.38 ID:nCIrDtoE0
 こいつは何を言っているのだろうか。浮かんだ疑問は、しかし一瞬で霧散する。誰かが思考の流れを絞っているのだ。脳髄の根っこを掴んだ手が、きっとどこかに転がっているはず。

夢野「勇ちゃん、私のこと、好き?」

 血のように真っ赤な夢野の唇の向こうに覗く、鋭い犬歯。桃色の吐息は酷い酩酊をもたらす。
 最早何もかもが面倒くさかった。

 ゆっくりと頷く。全てを彼女に任せておけば問題はないのだ。だって夢野は夢野なのだ。だから大丈夫。問題ない。
 ワイシャツのボタンが外されていく。次いで、夢野自身のそれも。
 豊満な胸が零れ落ちた。それに手を伸ばすと、夢野はにこりと笑って、触りやすいように突き出してくれる。

 夢の中にいるようだった。こんな心地のよいことがあるだろうか。茫洋とした霧の中でへらへらと浮かんでいるアリの群れが俺だ。
 外からは吹奏楽団の飛行機が屋根の上で大蛇と缶詰のツーシームに決まっていて格好いい。四件目のラーメン屋を混ぜ込んだヨーグルトと粘土の川は、今日がまた今日で来年の今日に決まった。
 蛋白質は電波に重なる魚の樹液に違いない。なぜならその中心に夢野が立っているから。

 夢野。
 歪む景色の中で夢野とその周りだけが燦然と煌めいていた。明るく、後光が差し、道を指示してくれているのだと俺はすぐにわかった。
 甘い香りに包まれる中で、これが現実なのだ。これだけが現実なのだ。
316 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 08:59:43.27 ID:nCIrDtoE0
 柔らかく反復するトリツチェルマジネ電離層が俺の背中を押してくれていた。足元も蚕の微笑みが渦巻くように前転をしていて、放っていても自然と足が前に進む。実に快適な環境だった。

 思わず夢野の唇を貪る。

 頭の中でリトルボーイが五人ワルツを踊っている。おーい、俺も混ぜておくれよ。お料理教室のテーマに沿って踊りましょう。
 快楽物質で世界中の多幸感が俺にハッピーエンド。スポイトで一滴一滴垂らされたラブ&ピースは俺の幸福上限値に表面張力を働かせる形で盛り上がる。

 気持ちいい。
 気持ちいい。

 このまま溶けてなくなったとして、俺は何一つ不満がないだろう。

夢野「ちょっと勇ちゃん、そんなにがっつかないでよ」

 苦笑しながら夢野は言った。そんなことを言われても止まらない。夢野を壁に押し付け、唇と言わず耳朶と言わず、舌を這わせて吸い尽くす。
 仄かに甘い香りは香水だろうか? いや、ケミカルな感じではない。もっと生物由来の、艶めかしい香りだ。

 窓の外は夕焼けだった。橙の光が俺と夢野のシルエットを部室に浮かび上がらせる。
 窓は空いていて、そのためか陽光だけでなく風もふんわりと差し込んでくる。外の景色は不思議と見えない。きっと夢野だけを俺が見ていたいからそうなったに違いない。

 誰かの苛立ち交じりの声が聞こえて、硬いものと硬いものがぶつかる音も聞こえた。
 別に、そのまま夢野の体を漂っていてもよかったのだけれど、当の夢野が「ほらほら、勇ちゃん」と引っ張って、外を見させてくれる。

 ちょうど真下で、狩野が暴行を受けていた。
317 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 09:01:26.75 ID:nCIrDtoE0
 四人の女子が彼女を取り囲んで、ひたすらに足蹴にし続けている。狩野は蹲って耐えているようだが、それにどんな意味があるだろうか。
 もっと楽に生きればいいのに。だって世界はこんなにも濃密な乳白色の空なのだ。

 辛いことなど何もない、悦楽だけがそこにある、桃源郷色のユートピア。
 いや、ユートピア色の桃源郷なのかもしれない。どっちだろう。

 俺のへらへらした笑みが零れ、狩野に落下する。
 音符の見えない世界において、どうしてだろう、俺はその事実を視覚的に捉えた。

 そうして、彼女は俺を見る。
 鋭い、余りにも鋭い、まるで矢のような視線が俺を打ち抜く。

 血を吐いた。

 いや勿論そんなことはなくて俺は健全健康な学生だし肺尖カタルなんてもってのほかだから急に血を吐くことなどありえない。袖で口元を擦っても学生服の黒は黒のままで黒々しくそこにある黒でどこにも赤い要素が見当たらないということはつまりそういうことになるだろう。だけれど果たしてそれが本当にそうなのかはわからないという思考の波と波と波と波と大回転と
318 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 09:02:23.49 ID:nCIrDtoE0
「わたしがピンチになったら、絶対助けに来てね」

 誰かがそう言った。
 誰がそう言った?
 言われたのは、いつだ?

 助けるって誰を?

 ん?

夢野「勇、ちゃん?」

 夢野の顔が驚愕に彩られている。
 心配をかけてしまったか。俺はせめて大丈夫だと示すため、引き攣る顔面の筋肉を総動員し、笑顔をつくって見せる。

夢野「まさか、なんで、こんな、今更……っ!」

夢野「私の勝ちだったのに、そのはずだったのに、なんで!」

 珍しく見る夢野の恐慌状態だ。なんとか宥めなければ。ほら、俺は大丈夫だぜ。いつも通りの田中勇だぜ。だから落ち着けよ。

勇「ら、らい、らいじょーぶ、らお」

 呂律が回らない。落ち着かなければ、一度落ち着かなければ。夢野を落ち着かせるよりもまず先に。
 落ち着かなければ世界の街灯が全部計画停電だ。それだけでなく俺はスナック菓子すらもマントルの/夢野の/中に放り込まれ/服を掴んで/スティック糊の熱さ/窓から身を/が券売機/投げ/を焦が――投げ、

 意識と行動に介入が/力一杯に夢野を/この感覚は一体/いや、「夢野」では、なく/俺は/俺は/俺は/俺は
319 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 09:08:48.04 ID:nCIrDtoE0
 切れそうになった電球が点滅している。おかしい。部屋の電気はつけていないはずだ。ならばこの明滅はどこで起きているというのだ。
 あぁ、そうか。
 俺の脳内だ。

 妙に冷静な感覚があった。思考だけが急速に回転し、肉体の動きはほぼ停止しているといっても過言ではないだろう。
 頭の中は冴え冴えとしている。と同時に、割れそうなほどの頭痛もまた。

 本来同時に起こりえないであろう事象が同時に起きているのに、俺は極めてそれを傍観者気取りで見ている。そんなことに振り回される前にすべきことがあるのではないか。
 すべきことがあるのだ。
 理屈とか、理由とか、わからないけれど。
 過程とか、考えたところでわからないけれど。

 誰かと約束をしたのだ。
 約束を守らねばならないのだ。

 「勇者」と誰かを呼ぶ声がした。

 だから。

 だから、俺は、
320 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/15(水) 09:10:07.31 ID:nCIrDtoE0
 俺は、

 夢野の、

 服を、掴ん、で!

 窓――窓、窓だ、窓から、落ちたら、死ぬかもしれないけれど!

 死ぬかもしれないけれど、

 けれど――だからこそ!

 しれないからこそ、俺は、

 俺は!

 爪切りの内臓が四つ折りになって違う! そうじゃない!

 夢野の悲鳴、が、聞こえる、と、言う、

 ことは!

 家賃の漬け汁違う! このまま、で、

 正しい!

夢野「や――やめろ、やめろ、やめろぉおおおおおっ!」

勇「か、の――か、か!」

勇「狩人ぉおおおおお!」

 重力からの解放。

 衝撃。

――――――――――――――
321 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/15(水) 09:16:44.08 ID:ba4f9NRSO
良い狂気の表現だ
322 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(東海・関東) [sage]:2012/08/15(水) 11:44:01.11 ID:xXIZ9N/AO
なんとなく掴めたかもしれない
323 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福島県) [sage]:2012/08/16(木) 09:08:23.74 ID:+z7jp8i+o
夢魔的な感じなのかな
乙乙
324 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/16(木) 09:39:58.14 ID:ToiG1YgIO


作風をパクるにしてももう少しうまくパクれ
差し込む位置や差し込み方を次からは改善した方がいいよ
じゃないと荒れる

最後までガンバ
325 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/16(木) 18:08:09.76 ID:vzSG9YmKo
流れから推測できなかったってのはちょっとアホすぎて理解不能(^^;;
326 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(長屋) [sage]:2012/08/16(木) 19:28:19.67 ID:lItfDD6+o
夢パート引っ張りすぎじゃね?
単なる夢を操る敵の仕業でした〜ってのにならない様に期待してるよ!
327 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:21:41.14 ID:YYhMJExk0
――――――――――――――

 頭の中で焦燥と冷静が入り混じる。赤と青は決して紫になることはなく、それぞれの色を保ったまま思考の渦を巻く。
 狩人は頬に汗が伝うのを感じたが、それを意識的に無視した。冷静を装うふりなどしてられなかった。

 焦燥の部分――二人はどこへ行ったのか。無事なのか。攻撃を受けたのは彼らなのか、それとも自分なのか。
 冷静の部分――違和感の正体はこれだ、という理解。背後が静かすぎたのだ。

 ともかく、分断されてしまったようだ。二人は二人でいるのか、あちらも一人ずつに分断されたかまでは、彼女にはわからない。

 狩人は沈思黙考する。焦ってはいけない、敵の思うつぼだ。冷静に、冷静に。

 この状況が敵の攻撃によるものであることは明白。しかし、敵の術中に自分たちが陥っているならば、なぜ傀儡となっていないのか。他の兵士と自分たちの置かれている状態の差異は捨て置けない。

 仮定。意識は明快であるが、実は肉体は傀儡となって勇者たちを襲っている。
 仮定。何らかの理由があってこちらに傀儡の術をかけることができず、やむなく分断した。
 仮定。初めから分断することが目的であった。

 可能性としては一番か三番が有り得そうな気もしたが、あくまで可能性だ。
 狩人はあまり魔法に詳しくはない。初歩の初歩くらいならば用いることもできるが、精神汚染、精神操作といった超高難度の魔法など、理論すら聞いたこともない。
 老婆ならばわかったのだろうがと考えて、気が付く。

 老婆がいない。
328 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:22:17.56 ID:YYhMJExk0
 否。狩人は知っている。老婆は洞穴や大空洞を調査していて、まだ王城へは戻ってきていない。
 問題はそこではないのだ。老婆がいれば、恐らく精神操作には対抗できるだろう。気付けだってできるかもしれない。

 この状況は老婆がいなくなった隙を意図的に狙って引き起こされた。そうでなければここまで大規模にはならない。
 つまり、相手はこちらの状態を把握しているのだ。その考えに至って狩人は眉根を寄せる。

 それが、例えばウェパルのように兵士に化けているのか、それとも遠見なのかは、彼女にはわからない。しかしなぜ自分たちが? 狩人はそれだけが納得できなかった。
 確かに自分たちは冒険者にしては強いだろう。勇者は実質不死で、少女も老婆も埒外の強さを誇る。正当な手続きを踏まずに宮仕えとなったことからもそれは明らかである。
 ただ、その程度で敵に目を付けられる理由になるだろうか。脅威という観点ならば隊長のほうがずっと魔物に対して脅威だろうし、そもそも傀儡にしてしまわないわけも不明だ。二人を消せるならいっそ傀儡にしてしまえばいいのに。

 ざく、と瓦礫を踏みしめる音が聞こえた。反射的に狩人は鏃を後方へと投げつける。

??「あ、あっぶないなぁ!」

 赤髪の女が立っていた。煽情的な体つき、顔つきで、露出も多い。
 背中からは悪魔の羽が一対生えており、尻尾もある。切れ長の眼に収まる桃色の瞳は、それを見ているだけでくらくらしそうだ。

 脳内に手が伸ばされる感覚がした。思わず地を蹴って後ろへ下がり、鏃で腕を突き刺す。
 激痛が走る――しかしその痛みで覚醒。不快感は消失した。

??「え、マジ。チャーム効かないの。そっかー、マジかー。やっべー」

狩人「あなたが、元凶……」

 最早疑う余地はなかった。狩人は断定的に呟いて、鏃をあるだけ指の隙間に挟む。武器はこれだけしかないが、それでも立ち向かわなければならない。傀儡となった兵士、そして消えた勇者と少女を助けるためにも。

329 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:24:06.27 ID:YYhMJExk0
??「やや、どもども。私はアルプ。夢魔アルプ。よろしく」

 目の前のアルプは言う。けらけらと、あっけらかんと。

 内心の動揺を悟られぬようにしつつも、狩人は実のところ気が気でなかった。夢魔アルプ。第四の四天王。精神も肉体も操れぬものはない、状態変化の卓越者。
 彼女の攻撃は物理的に働きかけるものではなく、限りなく精神的かつ魔術的だ。狩人は魔法抵抗のルーンなど刻めなかったが、結局のところ退くわけにもいかない。せめて一矢報いようという気概だけは心にとどめている。

アルプ「うわ、すっごい警戒されてるよ」

狩人「……これはあなたのせいなんでしょ」

アルプ「そうだよ」

 まさか返事が普通に帰ってくるとは思っていなかった。狩人は拍子抜けした感覚を受け、しかし罠かもしれないと気を引き締める。何せ相手は単なる魔物ではないのだ。

狩人「……あなたを殺せば、兵士たちは元に戻る?」

アルプ「まぁね」

狩人「あなたを殺せば、勇者と少女は帰ってくる?」

アルプ「さぁ、どうだ――」

 ろう。アルプが続ける前に、鏃が二つ、時間差でアルプを襲う。
 あらぬ方向へと曲がって、それぞれ地面と天井へ突き刺さった。

狩人「……!」

 有り得ない動きであった。狩人は決して手加減などしておらず、乾坤一擲、頭を潰して殺すつもりで投げたのだ。しかしアルプはそれを触れることなく軌道を変えて見せた。
 鏃が弾ける音以外は静かすぎる城内に、唾液を飲む音さえ響く。
330 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:24:38.00 ID:YYhMJExk0
 狩人は、手や背中にじっとりと汗をかいている自覚が確かにあった。そうやってなんとか恐怖としり込みを体外に排出しようとしているのである。

アルプ「四人組ならまだしも、私とタイマン張ろうってのは、ちょーっと早いんじゃないの」

 飄々とした態度とは裏腹に、なるほど確かにアルプは実力者で、四天王なのだと狩人は理解する。
 実力差はいくらもあろう。だが、しかし。

狩人「それでも、私が死ぬまで私は貴方を殺す」

 鏃を引き抜く。とは言っても勝機なぞ皆無であった。隙を見て逃げ出す算段なのだ。

 投擲――弾けて本棚を砕く。
 投擲――軌道が歪曲し壁に突き刺さる。
 投擲――衝突寸前で停止、アルプはそれを軽くつまんで捨てた。

 木製の机に鏃が転がる。

狩人「――っ!」

 隙もクソもあったものではない。こちらは攻撃するために行動しなければいけないのに、あちらは防御に行動をしなくてもよいのだ。まともに遣り合えば遣り合うほど損をするばかりである。
 狩人はちらりと背後を見た。電気の付いていない物置には、箒や藁、板などが無造作に積まれている。そこの壁に、少女が空けた穴と、扉の二種類の脱出路。

 かび臭い部屋の外からは依然として足音が近づいてきている。時間にして一分か、一分半。それまでに心を決めなければいけない。

 アルプは客室のベッドへ腰を下ろした。その余裕が狩人にとっては憎らしいが、それこそが実力の違いである。

アルプ「別に逃げてもいいけどさ、きみの仲間の身柄、こっちで預かってるんだからね」
331 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:25:22.03 ID:YYhMJExk0
狩人「……何が目的。殺すなら殺せばいい」

アルプ「だから人間って駄目なんだよねー。なんていうの、ほら」

アルプ「生き急ぎすぎ」

 狩人の体を唐突に衝撃が襲った。横からの圧力にたまらず吹き飛び、冷たい石の壁に激突する。
 からん、からんと床に何かが散らばる音。見れば物置においてあった木の板であった。それがぶつかってきたのだ。

 地面に肩から落ちる。打撲がもたらす痛みに顔を顰めるが、それより先に立ち上がらねばという危機感が体を叱咤した。反射的に体を叩き起こし、

狩人「……」

 背後、喉元、両足の付け根の五か所に、鏃の先が押し付けられる。先ほど狩人が投擲した鏃が、なぜか空中に浮かんでいるのだ。
 動けば刺さる。痛みを度外視したとしても、アルプが今度こそ息の根を止めに来るだろう。
 逆に言えば、ここまでして動きを封じてくるという以上、あっけなく殺される可能性は少ないと考えられる。無論まだアルプの過ぎたお遊びという考えもできるが、狩人はアルプから殺意の気配を感じられなかった。それを唯一の頼りにして不動を貫く。

アルプ「ただでさえ短い寿命を自分で削ってどうするのさ」

 いつの間にか傍らにいたアルプが、やれやれというふうにため息をつく。
 背中から生えている一対の羽が泳いでいる。天使の羽が厚く、温かく、柔らかいのだとすれば、彼女の羽はその真逆だ。薄く、ひんやりとしていて、骨ばっている。
 その姿からは筋肉の緊張は一切見られず、あくまでも自然体だ。単に狩人が取るに足らない相手として認識されているわけではない。彼女は常に真剣で、真剣に他人のことに興味がないのである。

 それはある種の魔族らしさだった。そのような意味での「らしさ」という一点において、アルプは誰よりも――序列的には上である九尾よりも、ウェパルよりも、デュラハンよりも、魔族然としている。

アルプ「逃げられないんだから、頑張らなくていいんだけど?」

 狩人はそのとき視線の端に確かにとらえた。壁に空けた穴はきれいに塞がり、存在したはずの部屋の扉が、まるで最初からそうであったかのように、石の壁となっているのを。
 彼女には何が起こっているのかわからない。アルプは夢魔である。その名の通り、精神を操ることしかできないのではないか。
332 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:26:21.78 ID:YYhMJExk0
アルプ「折角チャンスをあげてるのに、変なことしないでよねー」

狩人「チャンス……?」

アルプ「そう。これからあなたにやってもらいたいことがあるの。で、それを成し遂げられたら、あなたの最愛の人は返してあげるよー」

狩人「……もし断ったら」

アルプ「あなたは死ぬし、操られてる人たちも、お仲間も全滅だね」

 狩人は口内で舌を噛んだ。アルプの意図がまったく読めない。
 いや、と頭を振る。思考などここに至っては意味がない。彼女の申し出を引き受けないことには全滅しかないのだ。

狩人「……わかった。どうせ選択肢なんてない」

アルプ「さっすが、そうじゃないとね」

 喜色満面の笑みを零して、アルプは笑った。狩人はその笑みに、けれど恐ろしいものしか感じない。

 アルプが指を鳴らすと景色は一瞬にして転換した。王城から、異空間へと。

 桃色の空間であった。地面を踏みしめている感覚はないが、確かに大地のような基準平面があって、そこに狩人もアルプも立っている。
 空間はどこまでも広く、限りなく向こうまで伸び続けている。が、この見えざる大地と同様に、もしかしたら不可視の障壁に囲まれているのかもしれない。
333 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:29:08.53 ID:YYhMJExk0
狩人「ここは……」

アルプ「私のテリトリー。夢と精神の世界。心の内。貪欲なる病」

アルプ「私は他人の心を弄ぶのが好きなの。その点では、魔族よりも人間のほうがずっとおもしろい。だから、ね」

アルプ「賭けをしようよ」

狩人「賭け?」

アルプ「ゲームと言い換えてもいいかな。あなたがクリアできたら、ご褒美をあげる」

 狩人は覚悟を決めて先を促す。

アルプ「ルールは単純」

アルプ「仮想世界の中で、あなたの愛する彼の目を覚まさせてみてよ」

狩人「目を、覚まさせる」

 言葉の意味が理解しきれずに思わず鸚鵡返しで尋ねる。

アルプ「そう。勇者くんの精神は私の手の上にある。今から仮想世界をつくって、これをそこにぶち込むから、あなたはそれを助け出すの」

狩人「そんなことができるの?」

アルプ「さぁ? 今までできた人はいないけど、どうかな。できるんじゃない。知らなーい」

 全く無責任な返答に狩人は苛立ちを隠せない。
 目の前の夢魔は、結局のところ狩人にも勇者にも少女にも、ましてや何百人以上の傀儡にも、興味がまるでないのだ。無理難題を吹っかけてそれに喘ぐ様子を高みから見物したいだけに違いない。
334 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:30:20.12 ID:YYhMJExk0
 が、立場が弱いのは狩人である。拳を握りしめて会話を試みる。

狩人「その、仮想世界? って、どういうものなの」

アルプ「んー、ま、普通の学生生活だよ。アカデミーみたいなものだね。あなたには縁がないかもしれないけど」

アルプ「あなたは転校生としてやってくる。クラスには勇者くんがいるから、なんとかして精神を現実世界に引き戻さないと、あなた共々ゲームオーバー」

アルプ「心が壊れたまま一生を終えることになるから、気を付けてね」

アルプ「期限は五日間。それを超えても駄目だから。……何か聞いておきたいことは?」

狩人「私が使えるものは?」

アルプ「んー、答える義務はないよ」

狩人「……っ」

 そちらが聞いてきたんだろう。一言言ってやりたかったが、寧ろアルプはそれを待っているのだ。
 人の心を弄び、揺らぎを生み出し、見つけ、そこに付け入ることを何よりの娯楽と感じているのだ。
 だから狩人は、努めて冷静に自己を律する。あちらのペースに巻き込まれては負けだ。

アルプ「ま、説明もそろそろ面倒くさくなってきたから、いっちょ行ってみっかー」

 桃色の空間がぐにゃりと歪んで、現れたのは青い空とコンクリートのブロック塀、電柱とガードレール、生垣の向こうで鳴く犬の存在であった。
335 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:30:58.03 ID:YYhMJExk0
 不意に、今後やらねばならないことがわかった。この世界での常識。ルール。物品の使用法。何より、勇者の精神を助け出すこと。

 このまま緩やかな坂を上っていけば学校につくらしい。時間は決してたっぷりあるとは言い難い。この世界の彼は記憶を消され、この世界での記憶が埋め込まれている。そんな彼に真実を正直に話したとしても、それを信じてくれるだろうか。
 アルプは、あの人の怒りのツボを的確に押してくる夢魔は、確かに言っていた。「今までできた人はいない」と。
 恐らく狩人が最初ではないのだ。今までに彼女は何度もこのような「ゲーム」を主宰し、それら全てに勝ってきた。

 狩人は苛立ちがせり上がってくるのを感じた。
 勝たなければいけない。何としてでも。

 正直に話す、つまり正攻法が望めないのならば、搦め手を使っていくしかない。彼の精神を正気に引き戻す誘引剤を考えなければ。
 彼のためならば、どんなつらいことにだって乗り越えられるから。
 泥水を啜ってでもゲームに勝たなければならない。

 力強く右手を天に伸ばした。

――――――――――――――
336 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:32:00.73 ID:YYhMJExk0
――――――――――――――

――だから私はっ!」

 勇者を背に、アルプに対峙した狩人は、鏃を構えて鋭く睨みつける。

狩人「あえて自らやられに行ったんだっ!」

 怒声を張り上げるなど何年ぶりだろうか。ともすれば人生初なのかもしれない。
 狩人は自らを温厚で冷静だと評していた。そしてその自らについての人物評は、あながち外れではない。だが、彼女は知らなかった。自らの中にここまでの激情が眠っていたことを。

狩人「人の恋人に手を出した罪、今すぐここで償ってもらう……!」

 現実世界に戻っていた。場所は転移する寸前の、来客用の一室である。勇者はまだ気を失っているが、その顔、格好は間違いなく勇者で、その点についてはアルプは約束を守ったのだ。
 最終的に約束を破ったとしたら。狩人は心の内ではそのような心配をしていたが、アルプは自らの持ち出したルールに対しては厳格だ。そうしなければゲームとしての体をなさない。そしてそれは彼女が最も忌避すべき、「楽しくない」ことである。

 狩人には仮想世界での記憶が残っていた。残滓ではない。まるまるしっかり、自分が何をしたのか、何をされたのか、どうしてこうしているのか、すべて覚えている。
 賭けだった。しかも、分の悪い、リセットの効かない、一度きりの投身自殺だった。
 それでも生きているということは、賽を投げた甲斐はあったのである。

 狩人が仮想世界において行ったことはただ一点、勇者を信じる、それのみ。彼は誰かを助けたかったし、誰もを助けたかった。その想いの強さとそれによって引き起こされた苦悩を狩人が知らないはずもない。
 彼が仮想世界においても彼であるならば、意識を取り戻す願いはそこにしかない。
 あのゲームが単純に看破されないのならば、単純でない策を打つ必要があった。
337 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:32:50.63 ID:YYhMJExk0
 問題は時間の兼ね合いであったが、アルプが思わぬ手助けをしてくれたことは僥倖だ。無論、彼女の性格からして、こちらを甚振る何かしらを仕掛けてくることは想像に難くなかった。うまく利用できた、の一言に尽きる。

 狩人の眼前、深紅の髪を持つ夢魔は、顔を顰めて頭を押さえている。三階の窓から落下した衝撃は仮想のものだが、仮想から現実に放り出された衝撃は、特に彼女には堪えたらしい。
 先ほどの、アルプ曰くゲームには勝てたものの、次に彼女が何を起こしてくるのかは全く予想がつかなかった。潔く引き下がってくれるのか、それとも。

狩人(……動きがない)

 その事実がなおさら怪しく、狩人は僅かに身をこわばらせる。

 アルプの行為に対して狩人も勇者も抗う術を持たない。魔術的な障壁自体を展開できないし、仮に展開できたとしても、生半可なものでは気休めにしかならないだろう。
 彼女は王城へと侵入し、容易く今回の事件を引き起こして見せた。侵食力には、いらない折り紙が付帯している。

 アルプの瞳が見開かれる。
 体が震え、爆発するように立ち上がった。

アルプ「す、す」

アルプ「すっげー!」

 奇術に魅せられた子供のように、目を輝かせてアルプは言った。狩人が鏃さえ持っていなければ彼女に抱き着いていたかもしれない。

アルプ「いやいや、マジで、すっげー! 何それ、まさか普通できないでしょ、賭けにしては分が悪すぎるでしょー!」

 甲高い黄色い声とともにはしゃぎだす。興奮冷めやらぬ様子だ。
338 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:33:24.42 ID:YYhMJExk0
 そもそも彼女はゲームがクリアされるとは思っていなかった。他の四天王が気にかけている冒険者がいるから、とりあえず潰してみよう、その程度の悪意だったのである。
 何より狩人が用いた方策こそがツボに嵌ったらしい。これまでの挑戦者は、みな当初から積極的な交流を以て攻略しようとしていた。その程度で解ける術ならばアルプは四天王など名乗っていないというのに。
 自らを追い込んで、気が付かせる。まさかそんな方法があったとは。

 二人の関係をアルプは知っていたが、間で交わされた言葉や約束までは知らなかった。もし敗因を探るとするなら、その辺りの情報収集が足りなかったと言わねばならないだろう。
 しかし、アルプは試合に負けてこそいるが、勝負に負けたわけではない。

アルプ「自分を虐めさせて気が付かせるかよ、おかしいっしょー! どんだけ肝っ玉母さんなんですかー、もう!」

アルプ「あー、くそ、惜しかったなー! もうちょっとで精神ぐちゃぐちゃにできたのにさー!」

狩人「ちょっと……」

アルプ「約束通り返してあげるよ、あなたの最愛の人をね!」

アルプ「んじゃ、お幸せにー!」

 大きな音を立てて彼女は翼を広げた。指を鳴らすと、彼女の背後の壁に、音もなく穴が空く。ひと一人なら簡単に出入りできるほどの大きさだ。
 狩人は鏃を振りかぶる。

狩人「逃がすと思っているの?」

アルプ「逃げられないと思っているの?」
339 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:33:59.92 ID:YYhMJExk0
狩人「あなたには聴きたいことが山ほどある。食らいついてでも止める」

アルプ「やってみるがいいよ!」

 もしかするとアルプにとってはこの現状すらもゲーム、遊戯なのかもしれなかった。そこにあるものをただポジティブに享受するだけの姿勢。
 勝とうが負けようが、畢竟それすら関係はないのだ。

 アルプが叫ぶと同時に、部屋中の家具が一斉に狩人へと襲い掛かる。机、本棚、それに収まっていた本、ベッド、壁の装飾。それぞれが巨大な弾丸となって狩人を打ち砕こうとする。
 防御に時間を割く狩人を見やりながら、すぐさま後ろへと飛び出すアルプ。しつこい存在など相手にしていられない。彼女にはもっと楽しいことが待っているのだから。

 落雷。

アルプ「う、ぎゃあああっ!」

 幾条もの電撃が、狩人だけを避ける形で部屋を蹂躙する。全ての存在は撃ち落とされ、当然それはアルプも例外ではない。
 焼け焦げ破壊された家具のせいで、部屋中に異臭が蔓延した。鼻の奥を刺激する灰の臭いだ。

勇者「てめぇ、よくもやってくれたな……」

 狩人の背後で勇者が何とか立ち上がっていた。精神を弄繰り回されていた後遺症だろうか、脂汗が酷いが、命に別状は無いようで何よりである。果たして精神をやられて死んだら、彼は生き返ったのちどうなるのだろうか?

 勇者の右手にもう一度稲妻の光が集中する。
 光は収斂し、人差し指の先端で一際大きく輝きを増した。
340 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:34:46.71 ID:YYhMJExk0
勇者「きっちり倍返しだ」

 電撃を放つ。
 まるで雲間から降り注ぐ光条のような太さの雷撃が、まっすぐにアルプを狙う。

アルプ「効かないよ!」

 雷撃は膝をつくアルプに命中する寸前で大きく方向転換し、体の表面を滑るようにして、壁に空いた穴から外へと逃げていく。そうして一拍後に大きな爆発音。

狩人「大丈夫なの」

 短く狩人は尋ねる。お互いの背中を預けあう形での戦闘は、二人きりで旅をしていたころは日常茶飯事であったものの、少女や老婆と組んでからは久しい。
 緊張を解かずに、どこまで自然体で呼吸を合わせることができるのか。しかも相手は単なる魔物ではなく、四天王の夢魔アルプ。

勇者「まだちょっと頭痛はするけどな。……しかし、なんだ今の……魔術障壁でもないみたいだし」

狩人「わかんない。さっきからそうだった」

 魔術障壁ならば展開する瞬間に詠唱か、ないしは詠唱破棄のための手続き――ルーン文字の書かれた護符などが該当する――が必要になる。しかしアルプにはそれすらも見られない。
 恐らくはアルプ特有の能力なのであろう。二人にもそこまでは考えが至るが、それ以降へ思考を進めることはできなかった。

 方向性を切り替え、二人は半身になりながらアルプのほうへと目をやる。
341 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:35:19.60 ID:YYhMJExk0
 落雷に撃ち落とされたアルプが立ち上がろうとしている最中だった。それほど効果はなかったようだが、皆無とまではいかない。痺れが残るのか動きにくそうにしている。
 ずい、と二人は一歩前に出た。

狩人「訊かせてもらう。なんでこんなことを?」

アルプ「なんでって言われてもなー。遊び?」

 電撃を纏った勇者の右手が向けられる。回避されるのだろうが、脅しとしてはまだ何とか有効だろう。
 アルプは諦めて両手を挙げた。負けを認めたのではなく、強情な二人に付き合ってやるか、その程度の認識だ。

 随分と余裕であったが、その余裕こそがアルプの強みでもあり、力量差を指示しているといってもよい。一度に百人もの兵士を操ったことからもわかるとおり、アルプにとっては一対多の戦いは全く苦ではないのだ。

アルプ「わかった、わかった、わかりました。わかったよぅ」

 何度も繰り返し、にやりと笑む。

アルプ「だってみんなずっと戦いばかりやってるからさー、つまらないんじゃないかなって」

勇者「つまらない?」

アルプ「そう。視聴者サービスってやつだよ」

勇者「?」
狩人「?」

 要領を得ない返答に、二人は顔を見合わせるばかりだった。全く会話が噛み合っていない。それでもアルプは「訊かれたことには答えた」という顔をしている。
342 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:36:26.82 ID:YYhMJExk0
狩人「私たちをどうして狙ったの」

アルプ「九尾があなたらばかり気にしてるんだもん。ここ最近は特に」

勇者「九尾が……?」

 大空洞、地底湖での一件を二人は思い出す。鬼神。白沢。海の災厄ウェパル。不穏な暗雲渦巻く事件は、考えればつい数日前のことだ。
 魔物が近隣の町を襲ったことに端を発する一連は、ここにきて必然実を帯びたことを勇者は感じた。もしかしたら初めから自分たちは九尾の手の上で踊らされていたのではないか。そして、今もまた。

 先日の一件を皮切りに、九尾が自分たちに興味を持ったというのならばまだわかる。そこにはれっきとした始まりが存在する。事の起こりに疑問を抱く必要はない。
 が、先日の一件すらも九尾の興味の上でのことなのだとしたら、折角の始まりは消失だ。なぜ九尾が興味を持ったのかについて答えてくれる事実や人物は存在しない。永遠に思考を続けなくてはならなくなる。

勇者「どういうことだ……?」

 アルプに向けてではなく、自分に向けて呟いた。

 問題はアルプの言葉にある。彼女の言葉には、九尾が勇者たちを気にし出したのが数日より前であることを暗に示していた。それが果たしてわざとなのか、無意識なのかは彼女にしかわからない部分である。
 そのまま素直に受け取るなら、九尾と勇者たちの関係は後者ということになるだろう。しかしそれでは彼は納得できないのだ。

アルプ「九尾、全然かまってくれないしさ。だから、ね。殺しちゃおうかなって」
343 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:37:05.92 ID:YYhMJExk0
狩人「……クソみたいな女」

 吐き捨てるように言う狩人であった。アルプは寧ろそれが褒め言葉のように鼻を鳴らす。

アルプ「上等だよ」

勇者「狩人」

 狩人を制して勇者はアルプを見据えた。

勇者「お前、何か知ってるのか」

アルプ「知ってても答えると思う?」

勇者「無理にでも答えてもらう」

 返事を聞いてアルプは大きくため息をついた。

アルプ「恋人二人して同じこと言うんだもんなぁー」

アルプ「知らないよ。本当にね。考えはあるんだろうけど、みんな秘密主義者だから」

勇者「魔王の指示かなにかなのか?」

アルプ「魔王?」

 アルプの眉が初めて顰められた。歪んだ顔の理由を勇者たちは理解できない。

アルプ「魔王なんていないよ?」
344 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:37:39.22 ID:YYhMJExk0
 今度は二人の顔が歪む番であった。魔王がいない。それはどういう意味なのか――二人が問い質すよりも先に、アルプの眼が見開かれている。
 桃色の、魅了の魔を宿した瞳が。

アルプ「ゲームオーバーだよ、二人とも! 既に魅了はかけ終わった!」

勇者「ん、なっ!」

 ごぐん、と、低く響く音が、周囲から万遍なく響く。
 部屋が揺れる。煉瓦造りの建築が、怒りに打ち震えているのだ。
 狩人はそれが、まるで巨大生物の胃腸に住んでいるかのような錯覚に陥った。城を一個の生き物に喩えるならば、確かに部屋は、客室ならなおさら胃にあたるだろう。そこに住む人々は絶えず居り、かつ流動的なのだから。

 天井が抜けた。
 大量の煉瓦と、土と、木材と、そして上の階に存在した全てが、二人目掛けてなだれ込んでくる。

 狩人は察する。これまでの攻撃がアルプにあたらなかったわけを。そして、なぜ彼女が四天王足り得ているのかを。
 彼女は二人に魅了をかけたのではなかった。
 魅了をかけたのは、この部屋に、だ。

勇者「うぉおおおおおおおおっ!」

 押し潰されそうな焦燥感――それは決して比喩ではない。
 勇者は咄嗟に狩人の手を取り、蹴り飛ばす。少女が客室に空けた穴はまだ空いていた。そこ目掛けて力一杯。

 彼の視界を覆う、雑多。

 一寸の差で狩人は隣の部屋へと倒れこむ。地鳴りと土煙が聴覚と視覚を奪っていて、最早何を感じることもできなかった。
 しかし、何が起こったのかはわかる。勇者は身を挺して自分を助けてくれたのだと。
345 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 09:38:36.74 ID:YYhMJExk0
 やがて地鳴りも止んだ。恐ろしいほどの静寂。静けさが針となって心をひっかくというのは、まさか彼女も想像していなかったことである。

 アルプには恐らく逃げられてしまっただろう。油断がこの事態を招いたのだと思うと、悔やんでも悔やみきれない。
 無論あのまま二人でアルプを倒したり、実力で抑え続けることができたかというと、それは甚だ疑問である。そうだとしても、狩人は徒に勇者を復活させることには消極的だった。
 彼は笑って言うだろう。死んでも平気な人間が死ぬべきなのだ、と。それは正しいが、狩人は正しいことならばすべて納得し受け入れられるほど大人ではなかった。
 なにより、そんな大人にはなりたくなかった。

 考えはまとまらない。先ほどアルプの言った、「魔王などいない」という言葉もある。その言葉が示す意味を、狩人はわからない。所詮考えることは本業ではないのだ。そのようなことは、それが得意な老婆や少女にやってもらえばいい。

 ……少女?

狩人「……え?」

 狩人は思わず土煙の晴れてきた周囲を見回す。
 少女の姿はどこにもなかった。

――――――――――――
346 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/18(土) 10:22:02.95 ID:oNFuv8fSO
田中勇…「勇」から「勇者」
女川祥子…女+祥から「少女」
上春瑛…上春+瑛(A)、一人称が「ボク」から「ウェパル」
長部…おっさん臭い顔、刀剣が趣味、「長」から「隊長」
担任…勇者のセリフから「老婆」
狩野真弓…狩+弓と身体的特徴から「狩人」

名前と特徴もそれぞれしっかりと過去に登場したキャラを散りばめてるんだな
347 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/18(土) 23:14:18.17 ID:YYhMJExk0
――――――――――――

 黒い疾風が川沿いを奔っていた。
 黒毛で首から上のない馬が一頭、己の体よりも暗い、闇夜のような馬車を引いている。幌がついているため中の様子は窺えないが、それがこの世のものでないのは明らかだ。

??「しかし、いいのか。こんな形で連れてきてしまって」

 馬車の中では全身鎧を着た、男の声を持つ存在が、目の前のアルプに尋ねる。

アルプ「別に。だって私嘘言ってないし。最愛の人は返したけどね、他の人は知らないよ」

アルプ「それよりも、あなたの我儘叶えてあげたんだから、もう少し感謝してくれてもいいんじゃないの。デュラハン」

デュラハン「うーむ……まぁ、そうだな」

 デュラハン――漆黒の首なし騎士は、どこから声を出しているのか、唸って頭を下げた。
 彼の膝の上には、眠ったままの少女が横抱きにされている。

 彼は気が付いた。アルプが馬車の外、高速で移り変わる景色を見ながら、何やらにやにやと笑みを零しているのを。
 長年の経験から、彼はその笑みが決して良い類のものではないことを知っている。歪んで歪んで歪みきった性根がもたらす、他人の努力を嘲笑う笑みだ。他人を出し抜き、してやることに情熱を燃やしている顔だ。

 無い首を器用に使ってため息をつく。仕方がないとはいえ、アルプに頼んだのは大きな不安を引き起こす。もしかしたら人選のミスでないかと思う程度には。

 馬車はある塔へと向かっていく。

アルプ「さぁ、勇者くん、囚われのお姫様だよ。早く助けに来てあげないとね、うふふふふふふふふ……」

――――――――――――――
348 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(埼玉県) [sage]:2012/08/23(木) 20:57:35.76 ID:pR9n+NXzo
まだー?
349 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:22:06.24 ID:z4Z7oF2k0
――――――――――――――
 子供のころから勝気なことで有名だった。
 今も子供だろう。勇者――あのいけ好かない男はそういうかもしれない。まぁ、それは置いておいて。

 生まれ故郷の町は牧畜が盛んだった。
 朝は鶏の鳴き声とともに目覚め、日が沈むとともに眠る、そんな生活。
 けれど、その生活は、だからといって穏やかであるとは言い難い。

 唯一にして無二の問題は、魔物の砦と砦の、ちょうど中間にあるという立地。
 たとえ碌な思考を持たない、生殖と食欲に突き動かされている魔物といえども、見栄や他人に先んじたいという気持ちはあるのだろう。
 お互い競い合うようにこの町へとあの汚らしい手を伸ばすのだ。

 家畜が襲われるだけならまだいい。それが人に及ぶとなると……。

 我が家は代々、町の人々を守る家系だった。護り手、防人などと呼ばれる。
 幾世代を経て受け継がれてきた魔力は、ルーン文字ではなく血液に刻まれている。体中を巡るその力は、アタシの場合、膂力として顕現した。

 楽観的に見れば誰かを守るための力であり、悲観的に見れば刻まれた肉体改造の歴史である。どちらかと問われれば、
 ……どっちだろう。どちらでもあるという答えが許されるならば、そう答えるしかない気がした。

 その日は厚く暗い雲が空を覆い、湿度も高く、嫌な天気だと記憶している。
 かん、かん、かんと三点鐘。火事ではない。まぎれもなく魔物たちが襲ってくる音に違いない。
 アタシは反射的に武器を取った。家族も武器をとる。おばあちゃんは杖、お父さんは剣、お母さんは弓、アタシは鎚。
 見張りの人が駆けてきて、方向とおおよその規模を伝えてくれる。かなりの規模だ。だけど、絶望するほどでもない。
350 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:22:38.30 ID:z4Z7oF2k0
 散開。真正面にアタシとお父さん、後ろにおばあちゃんとお母さん。撃ち漏らしのないように。
 町の人々は非難するか、でなければ最終防衛ラインを築いている。
 
 見えたのはゴブリンの軍勢だ。浅黒い肌、尖った耳と鼻、醜悪な顔つき、鋭い牙と餓鬼のような肢体。こん棒や剣のなりそこないをそれぞれ手に、突っ込んでくる。
 鎚を力強く握りしめ、走り、振るう。アタシの仕事はそれだけでよかった。

老婆「……おかしい」

 おばあちゃんが言う。アタシはゴブリンの手首から先を吹き飛ばしながら、尋ねる。

少女「なにが?」

老婆「一気に襲ってくるでもなく、退くでもなく……なんじゃ? なにが目的じゃ?」

老婆「継戦になんの意味が……」

「大変だ!」

 声が背後から聞こえた。背後には町しかないはずだし、門は一つしかない。いったい何が?
 やってきた男性は息を切らしながら、こう言ったのだ。

「ゴブリンども、ならず者たちと手を組んでやがった! 女子供がさらわれて……!」

 さぁっと血の気が引いていくのがわかった。それはきっとおばあちゃんも、お父さんも、お母さんも同じ。
 おばあちゃんが目を剥いた。早口で呪文を唱えながら――アタシにはわかった。おばあちゃんは怒りに打ち震えているのだと――力の奔流を杖の先端に蓄えたまま、ゴブリンの軍団へ歩を進めていく。
351 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:26:03.99 ID:z4Z7oF2k0
少女「おばあちゃん!」

父親「逃げるぞ!」

少女「なんで!? おばあちゃんが――」

父親「バカ言ってんじゃない! おふくろ――ばあちゃんから逃げるんだよ!」

 アタシの返事を両親は待たなかった。軽々と担がれたアタシは、韋駄天の速さで町へと引き戻される。
 背後で地鳴り。何故だか心の臓がつかまれたみたいに、きゅっとなった。

* * *

 町は大騒ぎだった。破壊の後こそほとんどないが、ところどころに血や、服の切れ端や、農具、武器の類が散らばっている。

母親「あなた……!」

父親「もちろんだ。助けに行く」

 後から先のことは、覚えていな

 ……いや、覚えているのだ、本当は。
 思い出したくなど、ないだけで。

 ならず者のアジトに辿り着いたアタシたちは、結果として、遅かったのだ。
 狂乱。享楽。饗宴。
 ゴブリンと人が交わっているところなど、見たくなかった。
 同族の血のにおいなど、かぎたくなかった。
352 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:34:50.28 ID:z4Z7oF2k0
 ならず者たちは金と女がほしかっただけなのだろう。ゴブリンだって、きっと大差はあるまい。

 なぜ無辜の民が殺されなければならないのか?
 なぜこんな目に合わねばならないのか?

 お父さんが叫び、お母さんが無言で矢を引き絞り、おばあちゃんが呪文を詠唱するその僅かな間隙を縫って、アタシは走り出していた。

 激情。
 激情!

 真っ赤に滾る溶岩は誰しも腹の内に秘めている。普段はおとなしいそれを御しきれなくなったとき、噴火は加速力となって、一気に思考を蹂躙するのだ。

 アタシはそうして人を殺した。
 ヒトであって人でない獣に成り果てた。

――――――
353 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:35:42.53 ID:z4Z7oF2k0
――――――

 少女は目を覚ます。
 体が重たい。思考回路がジャムを起こしている。重要な体の神経は絡み合ってぐちゃぐちゃだ。
 夢の中で夢を見ていたような、連続するスライドをずっと眺めていたような、そんな気分である。思わず彼女は自らの頬を触り、次いで手の甲をつまんでみる。

少女「いた……」

 痛覚がある。意識も次第に明敏化してくる。この感覚すらも夢の産物でなければ、確かに自分は夢から目覚めたのだろう。
 と、少女はそこで、自らの居場所が王城でもどこかの宿屋でもないことに気が付いた。
 天蓋――少女はそれを初めて見たため、言葉では知っていても、それが本当に「それ」であるか自信がなかったが――つきのベッドに、彼女は寝かされていたのだった。

 ベッドは柔らかく、体をやさしく包んでくれると同時に、しっかりと受け止めてもくれる。その上に敷かれたシーツもまた上物で、素材は恐らく絹。流れていくような触感がどこかこそばゆい。
 枕も、上にかけるリネンもまた一級品であった。詳しくない者でもわかる程度には。

少女「え、これって……」

 まさかまだ自分は夢の中にいるのだろうか。少女は考える。だって、自分はこれまで王城にいて、何らかの敵の攻撃を受けて、そして――
 そして。

少女「……それから」

 それからの記憶がないのだ。目が覚めたらここにいるということは、繰り返すがまだ夢の中にいるのか、それとも敵に拉致されたか。
 はっとして背中に手をやる。ミョルニルがない。
 豪奢な調度品で埋め尽くされている部屋を見回しても、そぐわない、あの武骨な鎚はどこにもない。
354 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:37:33.82 ID:z4Z7oF2k0
少女「うそっ!」

 跳ね起きる。
 頭が急激に覚醒していくのがわかった。あの鎚は代々の家宝だ。そして何より彼女の長年のパートナーでもある。刻まれたルーンは全てを容易く打ち砕き、千の兵士にも劣らぬ力を授けてくれる。
 いや、だがしかし、待てよ。深呼吸をして一度冷静を取り戻した。

少女「そもそも、ミョルニルは部屋に置いてきた。ってことは、王城まで戻らないと、ミョルニルは手に入らない……?」

少女「ミョルニルはアタシにしか使えない。そういう術式になってるはず。……狙いはミョルニル? でも、だとしたらアタシは殺されてる……」

 敵――もうこの際敵と呼んでしまっても差し支えないだろう。敵の目論見が、現時点では彼女にはわからなかった。
 王城でのあの兵士は陽動だったのだろうか。少女を捉えるために、三人を分離させ、隙をつくるための策略だったのだろうか。もしそうならば三人は術中に見事に嵌ってしまったこととなる。

 と、そのとき、扉が開いた。

 開いた扉から人物が入ってくる。上に青磁の水差しとティーカップを置いた丸い盆を右手に、小分けされ和紙で包装された菓子を入れた皿を左手に、鼻歌など歌いながら。
 その人物は一歩部屋に踏み入れ、少女が起きたことを確認して一歩後ずさる。どうやら驚いたようだ。

??「起きていたのか。申し訳ない。ノックくらいすべきだったかな」

??「おっと、すまない、デリカシーがなくて。女の子だものな、寝起きを見られるのは嫌か。あとでまた来るよ」

少女「いや、ちょっと」

 しかし、驚いたのは少女もまた同じだった。
355 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:38:00.39 ID:z4Z7oF2k0
少女「訊きたいことはいろいろあるんです、けど」

??「あぁそれはそうだろうな。なんでも答えよう」

少女「……」

 慎重に言葉を選ぶ。尋ねたいことは山ほどあったが、それ以前に気になって仕方のないことがあった。

少女「どっから声出してるんですか?」

 その問いに、漆黒の騎士はくつくつと笑った。

デュラハン「御嬢さんはどうやら中々肝が据わっているようだ」

少女「え、いや、あの、すいません」

デュラハン「いや、いいんだ。ちょっと面白くてね」

少女「はぁ……」

 少女は自分が生返事になっていることに気が付いていない。
 それよりも事態の理解をしようと必死なのだった。豪奢な調度品に彩られた部屋。そこに現れた、茶話会の道具を持って現れた化け物。極めつけは、その化け物が友好的だということだ。
 本来の少女ならば忽ち切って捨てていただろう。が、今は混乱しているということもあり、ミョルニルがないということもある。呆然とした精神は肉体に命令を出さない。

 デュラハンは部屋に備え付けのテーブルの上に盆と皿を乗せた。そして椅子を引いて、その重厚な身体を乗せる。
 ぎっ、と椅子が軋んだ。
356 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:39:32.63 ID:z4Z7oF2k0
デュラハン「お腹は空いてないかな? 中々に美味しいお菓子だ。お茶もある。最高級のウバがね」

 毒という単語が一瞬少女の脳裏をよぎる。しかし、少女は自分の腹が食べ物を欲していることに気が付いた。ついさっき食べたような気がするが――どれほど時間が経っているのだろう。
 窓へと目をやるが、カーテンが閉まっていて外の様子を伺うことはできない。つまり、もう夜なのだ。

 夜! 少女は愕然とする。
 朝食を食べてその後すぐに記憶を失ったから、十時間程度は経過していることになる。

少女(ってことは、あいつらはどうしてるのかな……)

 いけ好かない男のことを思う。彼らもここへと連れてこられているのか、それとも別のところにいるのか。

デュラハン「あー、お考えのところ悪いけど、いいかな?」

 話しかけられて、少女は驚き体を震わす。
 それを恐怖と受け取ったのだろう、デュラハンはわかりやすくしゅんとし、悲しそうな声を出した。

デュラハン「ごめん。驚かすつもりはなかったのだが」

少女「いや、全然、そんなんじゃないです!」

 デュラハンから少女は殺意や悪意というものを感じなかった。それは魔族ならば必ず発しているものなのだと思っていた。
 目の前の騎士が、だから安全であると断定することはできない。それでも警戒心を解くには値する。ネガティヴな要素を考えれば、そもそもミョルニルを持たない彼女が、デュラハンに勝てる道理もないという意味もある。

 少女は柔らかいベッドを離れ、騎士の対面へと座る。砂糖の焼けた芳しい香りが鼻腔をくすぐる。

少女「あの、訊きたいことがあるんですけど」
357 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:40:07.29 ID:z4Z7oF2k0
デュラハン「そうだろうな。こちらからも言いたいことがいくつかある」

デュラハン「まずはそっちの質問を聞くよ。たくさんあるんだろうし」

 友好的な態度に少女は気勢を殺がれながらも、最低限の警戒は残しつつ、尋ねた。

少女「ここは?」

デュラハン「俺が管理している塔だね。名前はないが、周囲の人間は『必死の塔』とか呼んでいるっけ」

 周囲の人間。少女は心の中で反芻する。やはり目の前の騎士は魔族なのだ。

少女「なんでアタシは、その、必死の塔? に連れてこられたんですか」

デュラハン「それに答えるまでに、自己紹介をしなければいけない」

デュラハン「俺の名はデュラハン。御嬢さんがたが倒そうとしている魔王の配下、四天王のひとりだ」

 大きな音を立てて椅子が蹴倒された。少女は一足飛びで後ろへと下がり、窓をぶち破ろうと体当たりをする。
 しかし。

少女(堅い! これ、魔法の力で強化してある!)

 大きな音を立てるだけで、窓ガラスが破れる気配は一向になかった。
 少女の膂力で破れないとなると、十分すぎるほど十分な魔法がかけてあるのだ。しかも大から小まで重層的に。
 デュラハンは、今度こそ悲痛な声を上げた。
358 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:40:34.07 ID:z4Z7oF2k0
デュラハン「……だから嫌だったんだ、名乗るのは。だが、まぁ、仕方がない。わかっていたことだ」

 その態度にも少女は今度こそ警戒を解かなかった。ミョルニルはないにしろ、ぎろりと睨みつける。

デュラハン「誤解を言葉だけで解けるとは思わないが、聞いてもらいたい。俺は別に、御嬢さんに危害を加えたくて連れてきたわけではない」

少女「じゃあ、なに。ミョルニルが目的?」

 デュラハンは大きくため息をついた。

デュラハン「それは一面では真実だ。だけど、俺の目的はミョルニルそれだけではない。御嬢さんとミョルニルのセットが目的なんだ」

少女「アタシと、ミョルニル……」

デュラハン「言葉だけで誤解が解けると思わないと、言ったばかりだな。やっぱり行動が伴わなければいけないか」

 彼が空中に手を伸ばすと、何もない虚空へと手が吸い込まれていく。音もなく腕が空間に埋まっていくのは、何も知らない分には随分と衝撃的な光景であった。
 デュラハンの抜いた腕に握られていたのは、紛うことないミョルニルそのものだ。

デュラハン「王城から持ってきた。返そう」

 と、布団へと放り投げる。柔らかい音とともに神の加護を受けた鎚はその柔らかさに吸い込まれる。

少女「……」

 何か罠があるのではないか。考えながら、それでも一歩ずつ、恐る恐る少女はベッドへ近づく。
 鎚に触れると独特の暖かさがあった。自らの血の暖かさ。少女はそれが贋物ではなく本物のミョルニルであることを理解する。
359 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:41:27.85 ID:z4Z7oF2k0

 理解したからこそ、なおさら彼女にはデュラハンのことが理解できなかった。命が目的ではなく、ミョルニルすらも目的ではない? ならば何を目的としてここまでもてなすのか。
 食客として招かれる謂れが少女には全く心当たりがなかった。なぜなら彼女はただの田舎の防人でしかないのである。

デュラハン「疑問は尤もだ。だから俺は、御嬢さんの疑問を解くためにここにいる。そしてそれは俺にとっても利益がある」

少女「……」

デュラハン「俺と手合わせを願いたい」

少女「……え?」

 拍子抜けした。同時に、それが首なし騎士の本心なのか、判断にあぐねた。
 デュラハンは続ける。

デュラハン「我が名はデュラハン。死を告げる妖精にして、武の道を歩む者也」

デュラハン「兵士たちとの戦い、鬼神との戦い、白沢との戦い、俺は全て見ていた。その上で、手合わせを申し込む」

デュラハン「御嬢さんの強さに、俺は興味がある」

 あるはずのない視線が真剣みを帯びていて、少女は思わずデュラハンをまっすぐに見やる。
 手合わせ、つまりは戦いということだ。「勝負」であるのか「試合」であるのかは、彼の言葉からはわかりかねる。
360 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:42:02.94 ID:z4Z7oF2k0
 思わずミョルニルを握る手に力が入る少女だった。この世に生を受けて十数年、戦いに明け暮れ、何十何百の魔物を殺し、僅かに同胞をも殺した。それが己の生きる道であり、誇りでもあった。
 では、これはそれが認められた結果だというのか? 考えて、しかし違うと首を振った。デュラハンが求めているのは自らの強さという結果であり、過程には決して目をくれない。畢竟、彼は強ければそれでいいのだ。

少女(は、今更赦しなんてくれるわけもないか)

 自虐的に笑う少女。

デュラハン「もちろん今すぐに、というわけではない。御嬢さんの気が向いた時でいい」

デュラハン「ただ、卑怯なこととはわかっているが、御嬢さんが受けてくれない限り、この部屋から出ることはできない」

デュラハン「衣食住の心配をさせるつもりはない。が、早く受けたほうがお互いのためだとは思う」

少女「……」

デュラハン「無理やり連れてきて、礼を失しているということはわかっているつもりだ」

少女「他のみんなは」
 
デュラハン「アルプの夢からは醒めたようだ。あいつは楽しそうに負けたと言っていたが、半分本気で、半分は負け惜しみなんだろうな……」

少女「アルプ?」

 尋ね返しつつも安堵感が去来する。あの二人はどうやら助かったらしい。現状、王宮は蜂の巣をつついたような騒ぎになっているのだろう。
361 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:42:48.14 ID:z4Z7oF2k0
デュラハン「兵士を操り、御嬢さんを夢の世界に引きずり込んだ張本人。あいつは勇者と狩人に興味があった。俺は御嬢さんに興味があった。だから、協力してもらった」

少女「無事なんだ。そっか。よかった」

 胸を撫で下ろす少女をデュラハンは見つめ、椅子から立ち上がる。

デュラハン「どのみち、今日はもう遅い。俺は去ろう。部屋は自由に使ってくれていい。呼び鈴を使えば、従者が大抵のことは叶えてくれる」

 それだけを一方的に言って、デュラハンは霧のように透けて消えた。
 紅茶と甘味の芳香だけを揺るがせながら。

 少女はその光景を見て、糸が切れたようにベッドに倒れこむ。
 高級な品質のそれを楽しむ余裕などない。それよりも涙が溢れてきて仕方がなかった。
 重力に何とかしてほしいのに、止まらない涙は決壊し、眦から頬を伝ってベッドを濡らしていく。

 考えてはいけないことを考えてしまう。それは今までの人生を叩き折る行為だ。してはならぬ唯一の自虐だ。

 強くなかったらよかったなんて、思ってはいけないのだ。

少女「っ、く、う、うぅ、ぅっく、ひっく」

 歯を噛みしめても喉から嗚咽は零れていく。
 引き攣る喉。眉根は寄り、手は行き所をなくしてミョルニルを握りしめる。

 勇者はどうやって乗り越えたのだろう。もしくは、耐えてきたのだろう。
 唐突に、何の前触れもなく夜に襲い来る、ナイーブ。激情は、獣は、今度こそ自らに牙を剥く。

少女「うぅ、っく、ひっく、くそ、バカ、止まれ、止まれよぅっ……」
362 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/08/28(火) 11:44:51.39 ID:z4Z7oF2k0
 少女はあの男が大嫌いだった。大嫌いだったし、大嫌いだ。
 だって、いちいちうじうじしているのだもの。少女は常々そう思っていた。思っていたし、思っている。覚悟を決めて狩人を抱いたからと言って、その評価は何ら変わるものではない。

 けれど結局は同族嫌悪なのだ。その事実を自覚的に無視し、勇者をけなすことによって、少女は自らを遠回しにけなして精神のバランスを取っていた。
 うじうじしているのは自分だろうに。

 誰かを救うってことは、助けるってことは、強くたって難しいよ。彼女は彼に先日そう言った。それは本心で、彼女自身を縛り付ける鎖でもある。
 もっと力があれば人を殺すことなく助けることができただろう。もっと無力であれば、そもそも人を殺せなかっただろう。なぜ中途半端に、人を殺すことでしか人を助けられない程度に強く在ってしまったのか。

 わかっている。人を殺してでも人を助けることができるのは、稀有だ。人を助けられない存在ばかりの世の中においては。
 十を殺しても百を救えれば表彰される。救えたのが十一であったとしても。
 それは確かに誇りであった。誇りという名の杖であった。

 その杖を芯から腐らせたのは自分なのだ。

 しかし、一体どれだけの人間が、そう単純に割り切れるだろうか。

 少女は何とか赤く腫らした目を袖で乱暴に擦る。そうして無理やりにでも涙を止めなければ心に悪い。自らの頬すらも張りたくなるほどに心がひしゃげている。
 なんとかしなくてはならないとはわかっているのである。だが、方法がわからない。手探りで探すしかないとは思いつつも、余りも茫洋としたものが周囲に漂っていて、どれから手を伸ばせばいいのやら。

 腹の虫が鳴った。普段なら恥ずかしくも思うのだが、そんな余裕はない。
 何もしなくても、食べる気がしなくても、腹は減るものだ。徐に紅茶をカップに注ぎ、皿から菓子を掴みあげる。

 どちらも一気に口へ放り込み、嚥下したところで椅子にすっと腰を下ろした。

少女「あま……」

――――――――
363 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/28(火) 15:32:33.45 ID:19yIPsgVo
364 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/08/28(火) 19:58:19.96 ID:YqEWfsVw0
365 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/03(月) 18:38:47.16 ID:/Y9BHaZa0
――――――――

 時は遡り、中天の時刻。
 鬼神が潜んでいた洞穴、その最奥の地底湖において、老婆含む儀仗兵の一団はキャンプを張っていた。一通り調査は終わったが、いくつかの試料の反応検出待ちなのである。
 あれだけ濃度の高かった瘴気はすでに跡形もない。深呼吸をして眩暈が起きるということも、最早ない。

 鬼神が死んだからだと言う儀仗兵もいたが、老婆はそれは違うと考えていた。
 あの瘴気の正体は、老婆が思うに、恐らく陣地構築の産物なのだ。

 指定領域を快適な環境にする陣地構築は、洞穴でキャンプを張るにあたって老婆たちも使用している。洞穴、特に地底湖には、より一層強力なそれが張り巡らされてあった。中途で襲ってきた大ミミズらも影響を受けたに違いない。
 問題は誰が強力な陣地を構築したかと言うことだ。老婆は陣地構築が専門ではないため、詳細についてはそれこそ検出待ちである。ただ、同じ魔法を行使する者として、素直に感嘆を覚えるほどだ。

 外道に堕ちた魔法使い、リッチ、アルラウネ、魔族でも魔法を使える者は多い。今後も油断はできないだろう。
 それこそ、九尾やウェパルの仕業かもしれないのだ。

儀仗兵長「すいません、今よろしいですか?」

 儀仗兵長がテントの中に顔を突っ込んできた。彼女の顔には疲労の顔が濃い。恐らく自分もそんな顔をしているのだろうと老婆は思った。
 頷き、テントの外へと出る。

老婆「どうした?」

儀仗兵長「反応検出については一晩かかりそうです。痕跡削除がこれでもかってくらいにされてます。はっきり言っておかしいですよ、あれ」

 苛立ちよりも驚きの色を強め、儀仗兵長は続ける。

儀仗兵長「慎重なのか、臆病なのかはわかりませんけど……こうなることが初めからわかってたみたいで気味が悪いです」
366 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/03(月) 18:39:34.99 ID:/Y9BHaZa0
 老婆は何も言わなかった。最初からそうであろうと彼女は思っていたためである。
 恐らく、鬼神は捨て駒だったのだ。経済的にも地政的にもそれほど重要でない町を、鬼神のような上位種が、ある程度の統率で襲うなどということは信じられない。そこを簒奪しないのならばなおさらだ。
 鬼神に指示を出した黒幕がいる。そしてその黒幕は、存在こそ前面に押し出すけれど、尻尾を掴ませるつもりはないのだ。

老婆「……やはり、九尾か」

 ぼそりと呟く。九尾は鬼神に指令を与えた。陣地構築も行った。たった数日間のために。
 九尾の行為の意味と意義を、恐らく老婆は理解できないだろう。しかし、いつかは辿り着くに違いない。そのように九尾はこれまで振る舞ってきたのだ。

 老婆は頭を回す。儀仗兵長は置いてけぼりになっているようだが、知ったことではなかった。

 九尾が黒幕である可能性は限りなく高い。問題は、なぜ九尾が鬼神をけしかけたのかということだ。
 老婆はその答えに辿り着いていた。辿り着いた上で、自分で出した答えだというのに、その答えが全く信じられなかった。歯牙にもかけないほどに嘘であると思っていた。
 それでも打ち捨てないのは、それ以外に真実味を帯びた仮定が出てこないからである。どんなに荒唐無稽な結論が導き出されたとしても、それが論理的な過程で以て、唯一導き出されたものならば、それが真実である。
 しかし、と老婆はやはり素直に首を振れない。

 全ては自分たちを誘き寄せるためだったのだと、誰が信じられるだろう?
367 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/03(月) 18:41:37.94 ID:/Y9BHaZa0
 ウェパルが目当てだったのかもしれない。そうであれば話は単純だ。ウェパルに執心していた九尾が、ウェパルを自らの元に戻すために策を講じた。比較的規模の大きな事件を引き起こせば調査隊がやってくるだろうと踏んで。
 だが、老婆はもう一つの可能性を案じていた。それはつまり、九尾はウェパル以外の誰かが目当てだった場合である。

 無論、あの時、洞窟へと進軍したのは三つの部隊である。から、九尾の目当てが他の部隊にいた可能性も、一応否定できなくはない。だが他の部隊では九尾の声すら聞いてはいないという。
 もし九尾が、自らのパーティの誰かを目当てにしていた場合、それが一番厄介だった。恐らくイベントは洞穴だけでは終わらないだろう。

――老婆は知らない。この時点ですでに王城は襲撃に遭い、愛すべき孫は連れ去られていることを。
 彼女の仮定は、考え得る中で最悪な、そして迅速な形で現実化していたのだ。

 老婆はさらに思考を深めていく。

 そもそも彼女には理解できないことがあった。彼女らが兵士の一団と戦闘を行った一件である。
 遥か過去のかなたに霞んでいたそれは、やにわに確かな輪郭を伴って目の前へ浮上してくる。果たしてあの兵士たちは何をしていたのか。なぜ町を燃やしたのか。

 老婆が王城へ勤めるよう三人に求めたのはこの件を調べるためでもあった。嘗ての経歴を生かしてシンクタンクとして活動している現在、並行してさりげない聞き込みを行っていたが、あまり有益な情報は得られていないというのが実情だ。
 恐らく、軍の上層部で情報が遮断され、隠匿されているのだ。そして物事を秘匿するのは、それが重要であるからか、でなければ後ろめたいからに決まっている。
 そこに九尾の思惑はあるのだろうか――老婆は考え得る可能性を網羅しようとし始め、そこで儀仗兵長の声がかかる。

儀仗兵長「あの?」

 老婆ははっとして儀仗兵長を見た。どうやら思考に埋没してしまったらしい。
368 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/03(月) 18:43:59.42 ID:/Y9BHaZa0
儀仗兵長「大丈夫ですか? 体調が悪いなら休んでらしたほうが……」

老婆「いや、平気だ。すまん」

儀仗兵長「なら、いいんですが」

老婆「時に儀仗兵長よ。お前は今の情勢をどう思う?」

 その質問の示すところをすぐには理解できなかったのか、僅かに下を向き、そして顔をあげる儀仗兵長。

儀仗兵長「戦争は不可避だと思います。釈迦に説法だとは存じてますが、隣国との不仲の原因は、情勢不安の面が大きい」

儀仗兵長「敵を外に作ってしまいたいのです。飢饉、資源の枯渇、宗教問題……もちろん全て王家のせいではないでしょう。が、民衆はそんなことはどうだっていいのです」

老婆「かといって、こちらも国力は低下する一方。天候に恵まれないと言ってしまえばそれまでだが……」

儀仗兵長「はい。大変なのはどこも同じです。しかし、隣の芝生は青く見えるもの。民衆のガス抜きも必要です」

儀仗兵長「今は魔族という大きな危機があるため、同盟と称してそちらに戦力を割いてますが、この関係が長く続くとは思いませんね」

老婆「キナ臭いにおいもするしな」

 儀仗兵長は苦虫を噛み潰したような顔をした。

儀仗兵長「誠実であり続けることは難しいですから。糾弾されない程度に一歩先んじらなくては」
369 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/03(月) 18:44:32.91 ID:/Y9BHaZa0
大きくため息をつく老婆であった。目の前の嘗ての弟子は、今も昔も嘘をつくのが苦手だ。そういう意味では決して上層部には向かない立場の人間である。
 人を動かす人間は、人が動きやすい環境をつくってやらねばならない。換言すれば人が動きやすいような言い訳が必要なのだ。ばれないように、息をするように、耳触りのいい嘘を作れなければ。

老婆「ここから東に半日歩いたところに盆地があるじゃろ。ま、あそこじゃろうな、基地をつくるなら」

儀仗兵長「……」

老婆「前線基地の構築か。ご苦労なことじゃ」

儀仗兵長「わたしは――」

老婆「言うな。お前の気持ちはわかっているつもりじゃからの」

 ぴしゃりと老婆は言った。それ以上喋れば軍規に触れる。作戦の漏洩は、状況問わずに大罪だ。
 儀仗兵長の専門は陣地構築。空気の清浄、浄水、結界、探知、それら全てを内蔵した魔法陣の描写によって、石造りの家屋を一瞬で前線基地へと変貌させることができる。

 儀仗兵長はしばらく俯いていたが、やがて意を決したように顔をあげる。

儀仗兵長「また戦争がはじまります。老婆さん、旅になんて出ずに、このまま王城で戦い続ける覚悟はありませんか?」

 驚きもせず、ただ「やはりか」と老婆は思った。いくらコネクションがあるとはいえ、身元の明らかでない者をそう易々雇い入れるわけがないのだ。
 情報が欲しかった老婆らと、戦力が欲しかった王国。ある種の互恵関係がそこには成立していた。とはいえ、王国側の欲していた戦力は、所詮一介の兵士レベルではない。戦術的ではなく戦略的に役立つ人材を彼らは求めていた。

 だからこその老婆である。彼らは老婆の一騎当千ぶりを知っていた。
 それは彼女にとっては触れてほしくない傷跡であったが……。
370 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/03(月) 18:46:06.40 ID:/Y9BHaZa0
儀仗兵長「長引けば長引くだけ民草は苦しみます。こちらも、向こうも。早く終わらせるためにはそれだけ強大な力がなければいけません」

 気が付けば、老婆の周囲をぐるりと儀仗兵たちが取り囲んでいた。杖を彼女に向けている。返答如何ではいつでも魔法を打ち込めるぞ――そんな陣形である。
 その気になれば相討ち覚悟で呪文を唱えることは可能だった。だが、その行為にどれだけの意味があるだろうか。虎穴に入らずんば虎児を得ず。リスクを負わずにリターンを求めるのは、何よりのリスク。

老婆「さしずめ、孫たちは人質と言ったところか」

 しわがれた声で老婆が言う。

儀仗兵長「……最初からそのつもりだったわけではありません」

老婆「ま、そうじゃろうな。上に性根の拗けたやつがいるのじゃろ、大方」

老婆「魔族は滅ぼすのか」

儀仗兵長「はい」

老婆「隣国もか」

儀仗兵長「……」

 儀仗兵長は言葉に詰まる。彼女が王国の生まれでないことを老婆は聞いたことがあった。隣国なのか、それとももっと向こうの公国、宗教国、交易国、その他諸々のどこかなのか。ともかく、王国が覇道を往かぬ確証はない。
371 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/03(月) 18:46:40.55 ID:/Y9BHaZa0
 たっぷりと間を取って、儀仗兵長はうなずく。強く。

「はい」

儀仗兵長「やる前にやらなければいけません。魔族との戦争を盾に、今のうちに隣国との国境付近に、準備をしておかなければ」

 魔族との戦争など所詮は隠れ蓑にすぎないのだと行間で主張していた。
 無論、魔族との戦争は不可避だろう。もともと彼らは魔族を潰すつもりであった。が、それは行きがけの駄賃にすぎない。本懐は別のところにある。

 老婆は両手を挙げた。降参のポーズである。

老婆「仕方がない。手伝うしかないなら、手伝うしかないか」

儀仗兵長「恩に着ます」

 脅しておいて白々しい。が、儀仗兵長を責める気にはならない。組織に属するとはそういうことだし、何より老婆自身、いくつもの悪事を働いてきた。それを思えば脅迫など大したことではない。
 それよりも、大義名分があることが何よりの問題なのだと彼女は思っている。大義は罪悪感を使命感へと転化する。その二つの本質が異なっていようとも、半透明の膜で包んでしまうのだ。
 そして使命感は人を狂わせる。行きつく先は目的のためなら手段を選ばない、非人道的な効率化だ。

儀仗兵「兵長! た、大変です!」
372 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/03(月) 18:47:56.59 ID:/Y9BHaZa0
 儀仗兵の一人が通信機を片手にやってくる。顔面蒼白の顔は、まるで死人のそれだった。
 ぴりりとしたものが走る。何かあったのだ、と一瞬で全員が理解した。

 本来であればそれは小声で話すべき事態だったのだろう。が、儀仗兵にはそれほどの余裕はなかった。
 責任は彼にこそあれど、責めることはできない。

 儀仗兵は儀仗兵長に捲し立てる。

儀仗兵「魔族と隣国が手を組み、王城を強襲したとの報告が!」

 その場にいた全員が凍りついた。

老婆「どういうことじゃっ、儀仗兵長! 同盟を組んでいるんではなかったか!」

儀仗兵長「そうですよ、そのはずなんです!」

 やや遅れて儀仗兵たちがざわつきだす。いや、ざわつくというよりも、それは聊か悲鳴にも似ていた。このタイミングでの王城の強襲は誰にとっても予想外でしかない。

儀仗兵長「敵の情報攪乱じゃないの!?」

儀仗兵「専用の魔法経路を使って飛んできた通信魔法です、これが情報攪乱だったら、
俺はもうどうしようもないですよ!」

 涙目で言う儀仗兵であった。
 受けて、儀仗兵長も老婆も黙り込む。そして黙り込んだ二人を見て、儀仗兵たちもまた黙り込んだ。二人が思考を巡らせていることを察したからだ。
373 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/03(月) 18:49:29.03 ID:/Y9BHaZa0
 通信魔法に指向性を持たせる場合、魔法経路を敷くことによって可能にする。魔法経路は儀仗兵長謹製のもので、幾重にも障壁がかけられている。この魔法経路に情報攪乱がなされたなら、それだけで敵は戦争に勝てるだろう。
 ならば王城の強襲は事実であり、その報告は正しい。そこまで考え、老婆は眉を寄せる。
 ほぼ同時に儀仗兵長も同様の事実に思い当たったようで、老婆と顔を見合わせる。

老婆「お前、敵の本拠地に、転送魔法で軍隊を送り込むということは可能か?」

儀仗兵長「理屈だけなら、可能です。私はできませんが」

老婆「そうじゃ。わしにもできん。しかし、なんでこのタイミングで……?」

 二人が言っているのはこういうことである。
 まず、情報が真実であるならば、王城が強襲されるだけの戦力が投入されたことになる。城下町は巨大な都市だ。兵士も多く、迎撃用の装置や堀もきちんと整備されている。そんじょそこらの村とは勝手が違う。
 ここで一つの疑問が生まれる。それだけの戦力をどうやって移動させたのか、ということである。

 十人程度ならば見つかることなく王都までたどり着けるかもしれない。国境に関所はあれど、長い壁があるわけでもなし、比較的難しい話ではない。
 だが、それが数百ならばどうだろう。密かな移動ができない状態で王都まで移動すれば、当然目立つ。そんなものを見逃すほど王国の監視体制はざるではない。

 老婆は舌打ちをした。理屈が実践に勝るときもあるが、今はTPOが違う。
374 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/03(月) 18:49:57.00 ID:/Y9BHaZa0
老婆「誰からの報告じゃ」

儀仗兵「それが、そのっ!」

 儀仗兵は慌てて告げる。
 彼は決して老婆の迫力に負けたのではなかった。それよりももっと大きな何か、端的に言うならば、未曽有の不理解と戦っていたのだ。

儀仗兵「王からの直通です!」

儀仗兵長「っ!」

老婆「うさんくさいなどと、言っておれんな」

 老婆は杖を振った。と、地底湖全体を覆い尽くすように、巨大な魔法陣がうっすらと光を放ち始める。

老婆「全員着地の衝撃に備えろ! きちんとした座標指定をする暇など、最早なくなった!」

老婆「転移魔法――王城に戻るぞ!」

――――――――――――
375 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/04(火) 00:58:19.94 ID:NOtThJko0
376 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/16(日) 14:44:30.40 ID:8SIkVUbf0
377 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/17(月) 05:42:19.33 ID:mtWM/HEIO
続きはよ…

はよ…!
378 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:04:40.10 ID:mCa2nlGM0
――――――――――――

 ざく、と砂利を踏みしめる音で、そこが王城の中庭、枯山水だと気が付いた。着地に失敗した兵士たちは腰を大きく打ち付け、顔を歪めて摩っている。
 老婆は全く彼らに気をやる余裕がなかった。周囲を見回して今一度場所を確認し、大股で王城へと続く扉をくぐる。慌てて儀仗兵長が追うけれど、それも無視だ。
 ずんずんと歩く老婆。彼女の目の前の扉はまるで彼女にひれ伏すかのように、近づくだけで音を立てて開く。

 ひときわ大きな音を立てて大広間につながる扉が開いた。精緻な細工の施された巨大な柱が二本あり、高い天井を支えている。赤い天鵞絨の絨毯の両脇には槍を持った衛兵が立っており、闖入者を阻む。

老婆「退けぃ!」

 一喝で二人が吹き飛んだ。周囲で見ていた衛兵が急いで駆け付けようとするが、体はピクリとも動かない。見えない糸で雁字搦めにされているような。

 背後で見ていた儀仗兵長にはわかる。詠唱破棄した魔法の連続使用。日常生活で用いる必要のないそれを惜しげもなく用いるだなんて、溜息が出るほど埒外だった。
 が、それは換言すれば、老婆が埒外なのではなく現状が埒外なのである。儀仗兵長もそれをわかっているからこそ、老婆を止めようとはしない。
379 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:05:31.69 ID:mCa2nlGM0
 老婆は段差の上、玉座に座っている白髪白髭の老人に対し、叫んだ。

老婆「国王、隣国が魔族と手を組んだというのは、どういうことですか!」

国王「そのままの意味だ」

 老人――国王は豊かな眉を動かさず、重厚な声で言う。

国王「本日の午前に、兵士たちが操られる一件があった。幸いにも死者はゼロ。報告を聞けば、どうやら四天王のアルプによるものらしい」

老婆「それは、本当なのですか」

国王「疑わしいのなら、ほら、聞けばよい。そこにいる」

 顎をしゃくって示した先には、勇者と狩人が立っていた。
 手錠をかけられた姿で。

勇者「……」
狩人「……」

 もちろん老婆は気が気ではなかった。二人に手錠がかけられている理由を全く理解できなかったからだ。
380 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:06:16.12 ID:mCa2nlGM0

老婆「これはどういう……」

国王「そこの二人は幻術にかからなかったらしい。そこの二人だけが幻術にかからなかったのだ。アルプと何らかのつながりがあると想定し、万一を考えている。

老婆「つまり、二人がアルプを手引きした、と?」

国王「儂は王だ。この国を統べ、民の安全を守らねばならない義務がある」

 念には念を、ということなのだろう。王の理屈も理念も老婆には痛いほどよくわかったが、心中は決して穏やかではなかった。
 努めて落ち着こうとして、息を細く吐く。

老婆「して、隣国と組んでいるという証拠は」

国王「それについては、残念ながらない」

老婆「王!」

 思わず声を荒げた。
 証拠がないにもかかわらず、隣国が魔族と手を組んでいるなどと仮定するのは、侮辱以上のなにものでもない。いや、ともするとそれ以上の可能性もありうる。
 老婆の知る国王は無鉄砲な男ではなかった。無節操な男でもなかった。思慮深く、智慧に富み、国と民のことを何よりも重視する男だった。

しかし今はどうだろう。彼の考えていることが、老婆にはわからない。
381 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:06:53.79 ID:mCa2nlGM0

国王「確かに我々は魔族と争いを起こそうとしている。小競り合いは激化し、砦の攻防も、ないわけではない」

国王「が、四天王がいきなり王城に攻撃を仕掛け、あまつさえ途中で引くなどありうると思うか? スタンドプレーを許すほどには、魔族はばらばらではないだろう」

国王「隣国が何らかの目的をもって、アルプを使ったのだ。おそらく。でなければ、それこそその二人が先導したか……」

 余裕を持った表情のまま、国王が勇者と狩人を見る。

 二人の表情は、息苦しさと苛立ちこそあれど、確かに強さがあった。権威や衛兵の数にもひるまない意志の強さが。
 いや……老婆は違和感を覚える。二人の表情が老婆に示すこと。気が付かなければならない大切なこと。

 孫が――少女がいない。

 その事実に意識を奪われそうになるが、なんとかベクトルを王との会話に振り戻す。おざなりで会話をしていい相手ではないのだ。
 何より彼は老婆を脅迫しているのだから。
382 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:07:21.97 ID:mCa2nlGM0
 老婆は王の先ほどの言葉で理解した。隣国と魔族が結託しているなど、王自身が微塵も信じていないのだと。不信の上で、国の行く末をアジテイトしているのだと。
 否。それはアジテイト、煽動ではない。王のまっさらな瞳がそれを物語っている。彼は確かに往年のままだ。往年のまま、思慮深く、智慧に富み、国と民のことを何よりも重視している。

 しかし、と老婆は唇を噛んだ。水清ければ魚棲まず。まっさらな瞳が見据える世界は、あまりにも苛烈だ。

 王は一足飛びに目的を果たそうとしている。
 魔族と隣国が手を組んでいるのだとでっち上げ、それを旗印に攻め入るつもりなのだ。開戦の口火を切るつもりなのだ。

 それが果たして許されるのだろうか。国と民のためでは、確かにある。が、方法としてそれは善き方法か。
 王は言うだろう。善悪は些末だ、と。

 そして老婆はそれを否定できない。

 なぜなら、彼女もまた、善だの悪だの語れるほど崇高な立場にはいないから。
 人を殺して生を掴んだ人間に語れることなど、何一つないから。
383 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:09:21.64 ID:mCa2nlGM0
王「……」

 王は無言を通じて老婆にこう語りかけている。「仲間を殺して儂に刃向うか、儂を見過ごして仲間を救うか」

 異を唱えれば、王は魔族との内通者として二人を処刑できる。二人がアルプの魅了から逃れられたというのは事実なのだろう。だから二人も黙って捕まっているに違いない。

 老婆は結局、無言を貫いた。

 王を見逃すことになっても、老婆は二人を救いたかった。連れてきたのは自分であるという責任感と、戦争までの猶予で何かできることに賭けたのだ。

王「儂は軍備を指揮せねばならない。そのために、老婆、お前を手元に置いておきたい。手伝ってくれるな」

老婆「……御意」

王「そこの二人の手錠を解け。解放だ」

 王が言うと、すぐに二人の手を縛っていた金具が外された。押し出されるように老婆の前にやってきた二人は、悲痛な面持ちで言う。

狩人「少女が……」

勇者「すまん、俺たちのせいだ」
384 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:10:01.95 ID:mCa2nlGM0
老婆「王、この二人の話を別室で伺ってもよろしいでしょうか」

国王「許す。必要になったら呼ぶ。それまでは自由にしていてよい。洞穴の調査もご苦労であった」

老婆「ありがたきお言葉でございます。報告は儀仗兵長、その他儀仗兵に任せてあります」

 背後で儀仗兵長が肩を竦める。管理職は大変です、と唇の端を軽く吊り上げ、溜息をついた。
 申し訳ない、と老婆は済まない気持ちでいっぱいだった。儀仗兵長とて老婆と王のやり取りの深い意味をわからないわけではない。しかし彼女はとうに骨を王城にうずめる覚悟をしていた。

 王が立ち上がり衣の裾を翻したのを見て、老婆も転移魔法を唱える。一瞬で空間が歪み、体が空中へと放り出される。

 とある部屋へと転移していた。分厚い本が山積し、広い。兵士の詰所の倍以上ある広さは、権力のある人間の部屋だと一目でわかる。

狩人「ここは?」

老婆「わしの部屋じゃ」

勇者「随分と広いな。さすがって感じだ」

老婆「それで」

 一秒の時間も惜しいと老婆は勇者に詰め寄る。すぐに勇者も真剣な顔つきになって、

勇者「あぁそうだな」
385 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:12:48.68 ID:mCa2nlGM0
勇者「実はアルプが……」

 と事の顛末を話しだす。

 兵士たちが操られていたこと。
 夢の世界に引きずり込まれたこと。
 狩人が夢の世界から助けてくれたこと。

 アルプと相対したこと。
 アルプが不思議なセリフを吐いていたこと。

 そして。

勇者「少女は、どうやら連れて行かれたらしい」

老婆「……なぜじゃ」

勇者「わからん。ミョルニルが狙われた可能性はあるけど、本人を連れて行く必要はないだろう」

 顎に手をやって幾許か老婆は考え込んでいたものの、現状はあまりに手がかりが少なく、それではどうしようもなかった。
 が、解決しなければいけない事案であることも確かだ。もし懸念が正しければ、この国はそう遠くないうちに戦火に包まれることとなる。そうなってからでは十分な対策は施せない。
386 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:15:21.05 ID:mCa2nlGM0
勇者「ばあさん、戦争が始まるまで、猶予はどれだけある?」

老婆「あまりない、というのが率直な感想だ。もともと対魔族用に準備はしていた。補給所の敷設、道路の拡張などをこれから行うとしても……ひと月もかかるまい」

老婆「恐らく、王はかねてから機会を伺っていた。秘密裡に隣国用の準備を進めていたとしてもおかしくはない」

老婆「本当に最速で、国民の周知と非難を含めても、一週間、か」

 勇者と狩人は息を呑んだ。まさかという思いと、あの人物ならやりかねないという思いがないまぜになっている

老婆「映像魔法を使えば遠隔地まで情報など簡単に行き渡る。王の発表は偉大じゃ。事実かどうかにかかわらず」

 それはつまり言ったもの勝ちということである。隣国が魔族と手を組んでいるのかなど民衆にはわからないのだから。
 すべての因果関係がわかるのは、戦争が終わったとき。そしてその時にはもう、歴史の正誤なぞは曖昧に違いない。

 なんという――なんという人間の恐ろしさか!

 勇者は頭を振った。ここまで来ては、善悪で物事を測れる範疇を凌駕している。統治行為論という単語が、彼の頭で明滅を繰り返す。

 と、老婆の腰に据え付けられていた通信機から、砂嵐交じりの声が鳴り出す。

??「あー、あー、テステス、聞こえますか聞こえますか、どーぞ」

老婆「聞こえておる。そちらは誰じゃ。名前と所属と階級を答えてくれ。どーぞ」

??「アルプ。魔族の四天王です。どーぞ」

狩人「何しに来た、クズ」
387 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:20:26.73 ID:mCa2nlGM0
 驚愕する老婆と勇者を尻目に、狩人は冷ややかな声で返した。
 ノイズ交じりの、しかしよく聞けば確かにアルプの声が、通信機から響く。

アルプ「うっわ! つれねーなー、つれーなー。同じ学校に通った中じゃにゃーの」

狩人「御託はいい。そっちからコンタクトをとるってことは、要件があるんでしょ。少女のこと?」

アルプ「あー、そっちじゃないんだけどね。でも気になる? 気になるか。教えてあげてもいいよ」

 あまりにもあっさりとしたアルプの物言いに、三人は同時に眉を顰めた。少女を攫ったのはアルプではなかったのか。それとも、誰かに頼まれてアルプが手助けしたのか。
 どのみちあの夢魔は気まぐれで、その事実を特に二人は承知していた。快楽主義者ゆえの無鉄砲さに乗っからない理由は、少なくとも現時点ではない。何しろ彼らは少女が必死の塔にいることすら知らないのだから。

 三人の戸惑いなど意に介さず、アルプは続ける。

アルプ「女の子は必死の塔にいるよ。川沿いを下った先、共和国連邦との国境付近だね」

 勇者は視線で二人に尋ねる。聞いたことがあるか? と。
 頷いたのは老婆だった。噂だけだが、と前置きして、

老婆「魑魅魍魎の類が巣食っている、との話は聞いた。名うての者どもが束になって攻略しようとしたが、ついに誰も帰ってこなかった」

老婆「ゆえに名前が『必死の塔』」

勇者「ってことは、つまり、そこにお前らの仲間がいるわけだな」

アルプ「きみたちの仲間もね」

 一瞬の間。
 狩人は気を取り直し、鋭く詰問する。

狩人「で? 何が目的なの」
388 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:23:37.26 ID:mCa2nlGM0
アルプ「あぁそうそう、そっちの王様さ、あることないこと言ってるじゃん。私たちが他国と結託してどうとか、こうとか」

 老婆は小さく「情報は筒抜けか」と呟いた。
 王城は特に限界な防衛魔法がかけられている。それを突破して千里眼を行えるのは、よほどの術者だけである。

 とはいえ、彼女はそれを半ばわかっていた。信じたくないことではあったが、洞穴の陣地構築や、アルプの侵入のことを考えれば、それもやむなしといったところだろう。魔法経路をジャックしてのこの会話だって、つまるところそういうことなのだ。
 より一層守護を強化せねばならないが、それがどれだけ役に立つか、老婆には疑問だった。

アルプ「人間同士が争うのは構わないけど、魔族を巻き込まないでほしいんだよね。そういうのは、なんてーの?」

アルプ「癪に障る」

勇者「っ!」

 ぞわりとした感覚が肌を撫でた。勇者らは思わず体を退き、壁に背中を押しつける。
 本能が発する警告は黄色。「警戒」色のそれは、アルプと対峙していなくてよかったと素直に思える程度に、心臓を高鳴らせている。

 おどけた様子で、序列こそ四天王最下位ではあるが、アルプはそれでも四天王である。

 ひんやりとした煉瓦が冷や汗を吸って黒ずむ。
389 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:25:20.39 ID:mCa2nlGM0
アルプ「そこで一つお願いがあんだけどさー」

老婆「お願いとは、随分下手に出たものじゃな」

アルプ「九尾が言ってたおばあちゃんだね、よろしく。なんだっけ? あ、そうそう、お願いお願い」

アルプ「あんまりやりすぎないで欲しいの」

老婆「やりすぎない、とは」

アルプ「そのままの意味。どっちかが滅んだりするようなことがあれば、隙を見てこっちも……なんつーの? 侵略だーってなっちゃうから」

アルプ「そっちにも都合と事情はあるっしょ? その辺は見て見ぬふりするからさぁ……せめて水源地とか、領土争い程度にしてもらいたいなって」

老婆「どういうことじゃ?」

アルプ「どういうことって?」

老婆「お前ら魔族が人間に干渉する理由がわからん」

アルプ「そっち同様に、こっちにも都合と事情があるっつーことだね。っていうか、だめだー、私はこういうの向いてないんだわー」

アルプ「だからさぁ、ね、喋るの変わってよ、九尾」

 通信機の向こうで何やらごそごそと音が聞こえてくる。ノイズではない、衣擦れにも似た音だ。
 それきりアルプの声が途絶え、通信機は沈黙を続けている。ラインがオンになっているため、通信そのものが切れたわけではない。
390 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:25:56.47 ID:mCa2nlGM0

 ややあって、もう一度大きな雑音が入り、唐突に通信がクリアになった。

九尾「もしもし、聞こえているか。九尾だ」

 幼ないながらも老成した口調が通信機から漏れる。三人は先のアルプのそれとは異なる重圧を確かに感じつつ、通信機をまっすぐに見据えた。

老婆「儂が応対する」

 二人が頷く。古来より狐は人を騙す。九尾の口八丁手八丁を警戒しているだろう。

老婆「九尾か。この間、言葉を交わしたな」

九尾「そうだな。洞穴の調査ご苦労」

 それすらもばれているのか、と老婆は舌打ちをした。どこまで見えているのか全く理解できていないようだ。

九尾「早速本題に入ろう。とはいえ、大まかにはアルプの言ったことと同じだ。あまり戦争が激化するような事態はこちらとしても好ましくない」

老婆「何か理由があるということじゃな」

九尾「そう受け取ってもらって構わない」

老婆「儂らの力だけでは戦争のコントロールなどできない。もし激化した場合にはどうする」

九尾「魔族が襲うだろうな」

老婆「優勢なほうを? 劣勢なほうを?」
391 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:26:23.32 ID:mCa2nlGM0
九尾「なぁ」

 老婆が警戒しているのはわかったが、このような会話では埒が明かない。九尾はため息交じりに言葉を紡ぐ。
九尾「九尾は別に腹の探り合いがしたいわけではない。こちらがしたいのは取引だ」

老婆「……わかった。一応国王には進言してみる。が、信じてもらえるかどうか」

九尾「その時はその時だ。いくらでも脅迫できる」

九尾「もう一度アルプをけしかけてもよいし、九尾が出て行ってもいいな」

老婆「お前から王に話をつけることはできないのか。そちらのほうが簡単だろう」

九尾「九尾が? 勘弁してくれ。それに、向こうが嫌がるだろう。魔族と関係があると疑われるだけでもマイナスイメージだ」

 そもそも、老婆が九尾をはじめとする四天王と会話をできていること自体が問題なのではあるが。

九尾「こちらには目的がある。そのために、九尾も活動している」

九尾「派手なことをされても困るんだ。色よい返事を期待しているぞ」

老婆「おい、待て――」

 一方的に告げて、今度こそ本当に通信が切断される。聞こえてくるのは砂嵐の音だけで、矯めつ眇めつしても再度連絡が入ることはない。
 老婆は無言で背後の二人を振り向いた。二人はそれを受けて、ようやく緊張が解けたのか、大きく息を吐き出す。
392 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:28:17.21 ID:mCa2nlGM0
勇者「なんていうか……大変なことになってきたな」

老婆「今更だがな。しかし、問題はあちらの目的がわからないことじゃ」

狩人「考えたってしょうがないよ」

 軽く組んだ自分の手に視線を下し、狩人はぽつりと、けれどしっかりと地面に着地した言葉を吐く。

狩人「考えたってしょうがないよ」

 繰り返し、ふっと笑った。
 勇者にはわかった。狩人の言葉は、決して思考の放棄ではないということに。言うなれば決意の表明なのだ。例え何が起ころうとも、全力で当たるしかないのだという。

 勇者と老婆もまた笑った。その通りでしかないと思ったからだ。

 どんな遠望深慮も十重二十重の謀略も構わず打ち砕く。
 権謀術数を弾き返すためには鋼だけでも柔皮だけでも不足だが、そんな強さをこのパーティなら得られると、彼らは信じていた。
 そしてその強さを得るためには、一人足りない。

 物事が全て加速していく中で、変わらないものなど存在しない。それでも彼らは確かにもう一人の存在を欲している。
 必死の塔に囚われた少女。
393 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/19(水) 14:34:46.56 ID:mCa2nlGM0
 差し迫る戦争の脅威と彼女を助け出すことは決して両立しえない。が、少女なしでどうして自分たちが戦っていけるだろうかと、勇者は思った。
 なんとかせねばならぬ、とも。

 九尾の思惑を彼らは当然知らない。正体不明に立ち向かうのは相当の勇気がいることである。が、彼らならば必ずや全てを乗り越えてたどり着けることだろう。

 老婆は膝に手をついて「どっこらせ」と立ち上がる。

勇者「年寄りくさいぞ」

老婆「実際に年寄りじゃ、気にするでない」

老婆「それとも、お前が精気をくれるか?」

 深いしわの刻まれた手が勇者の腕を取ろうとするも、寸前で狩人が抱きしめる形で腕を横取りする。

狩人「だめ」

 恥ずかしいやらうれしいやらで勇者の顔がみるみる赤くなっていく。
 狩人本人はどうやらいたって真面目なようだ。無論老婆は単なる冗談のつもりだったのであるが、真面目というより融通が効かないというべきか。
 いや、単に愛のなせる業かもしれない。

 老婆は喉の奥から笑い声を漏らす。

老婆「仲良きことは素晴らしきことかな、じゃ」

 そう言って、扉を開けた。

勇者「……王のところか」

老婆「心配せんでもよい。付き合いは長い。何とかしてみせるさぁ」

 困ったような顔をしていたが、勇者はあえて何も言わず、そのまま見送った。

―――――――――――――――――
394 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福島県) [sage]:2012/09/19(水) 16:48:40.49 ID:N5IRTK1No
乙乙
待ってました〜
395 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/20(木) 11:17:12.88 ID:JMA/K7S50
―――――――――――――――――

 質素な部屋、そして簡素な部屋。
 板張りで、床には絨毯こそ敷いてあるが、決して上等なものではない。黄土色に白で抜く形で稲穂の図柄が織り込まれている。
 九尾は何よりその図柄が気に入っていた。

 部屋には陣地構築の魔法がかけてあるため窓はなくとも空気は清潔だし、壁自体がうっすらと光を放って採光にも困らない。
 長期間部屋にこもりっぱなしになることもままある身として、これ以上便利な部屋はないといってよい。

 ベッドの上ではアルプが暇そうに転がっている。そう見えるだけで実際暇ではないはずなのだが、半日も居座られるとアルプの役割と役職を忘れそうにもなる。

九尾「お前は反省が足らんのか?」

 椅子を回して視線を向ければ、アルプはベッドに突っ伏した。顔を隠すように。

アルプ「ごめんってー。あいつが逆手に取ってくるなんて思わなかったんだよー」

 あいつとはかの国の王のことである。聡明で、小賢しい男。九尾は一人の人間として彼を評価してはいたが、目の上のこぶでもあった。
 とはいえ行動原理は単純で、ゆえに読みやすくもある。
396 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/20(木) 11:17:46.19 ID:JMA/K7S50
アルプ「でもでも、勇者くんたちに接触できたし、なんとかなるんじゃないの?」

九尾「そうだといいがな。二の矢、三の矢は番えておいて損はない」

アルプ「ウェパルとデュラハン?」

九尾「あいつらは九尾に協力してはくれまいよ。いや、魔族はそういう生き方しかできない、か」

 哲学的なことをぽつりと吐いて、続ける。

九尾「アルプ、お前、一度に何人くらい魅了できる?」

アルプ「んー、試したことないけど……100人とか?」

九尾「上出来だな」

 尻尾がぱたぱたと揺れる。自らの意思に反して動く九本の尾――今は七本しかないが――は、どうにも直情的である。それは九尾のキャラではないとは思っているのだけれど。

九尾「不穏な動きがあれば引っ掻き回してやれ。千里眼と読心術でサポートする」

アルプ「あいあいさー!」

アルプ「でも、本当に二人に協力を要請しなくていいの? 戦力は多いほうがよくない?」

九尾「あいつらは所詮魔族だ。衝動からは逃れられん。九尾やアルプも含めてな」
397 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/20(木) 11:18:39.99 ID:JMA/K7S50
九尾「それに、どうせ言ったって聞きやしないのさ。夢中になれるもののあるうちはね」

九尾「予定に少々狂いは生じたが、まだ十分リカバリーの範囲内。ゆっくり衝動の射程圏内に引きずり込んでやるのさ」

アルプ「へー、すっげーなー。私にゃ全然わからん」

 わからないといいつつも、至極楽しそうにアルプはベッドで転がる。彼女は「楽しそう」という感覚だけで楽しむことのできる人間――否、夢魔である。
 それが夢魔としてもともと持ち合わせている気質なのか、それともアルプ自身の性質なのかは、流石に九尾といえども知らない。夢魔族は殆ど滅亡しかかっているためだ。

 九尾はアルプにも計画の詳細を教えていない。
 その理由はいくらかあるが、まず彼女自身が計画に興味を持たないという点。
 そして目的の達成は複数の錯綜した臨機応変な手段によって成されるため、一口での説明ができないという点が大きかった。
398 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/20(木) 11:19:29.04 ID:JMA/K7S50
 目的だけならアルプも知っているし、それこそウェパルもデュラハンも、九尾が何をしようとしているのかという情報は耳に入っているはずだ。
 が、ウェパルは衝動と恋慕の情の間でにっちもさっちもいかなくなっている。デュラハンは少女を攫って決闘を申し込んだ。それどころではないらしい。

 どこまで無関係でいられるだろうか。まるで並べたドミノの最初の一枚を倒す心持ちだった。どんなに離れた場所にあるドミノであっても、連鎖からは逃げられない。

 すでに連鎖は始まっている。九尾にできることは、いまだ倒れていない部分の不具合を見つけたとき、ちょっとずらしてやる程度だ。それ以上のことは神でもなければ。
 そう、九尾は神ではない。万能とも思える魔法を行使できても、なお。そしてそれをしっかりと自覚している。

 分を弁えること。そして、背丈よりもわずかに高いところへ手を伸ばすこと。それが秘訣。

アルプ「しっかし、頑張るねぇ」

九尾「頑張るって……九尾がか?」

アルプ「ほかにいないじゃーん」

九尾「そんなつもりはないのだがな。これは九尾がやらねばならない責務だ」

アルプ「ふーん。ま、頑張ってね」
399 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/20(木) 11:20:05.62 ID:JMA/K7S50
 アルプがようやくベッドから起き上がり、扉を押し開ける。

アルプ「ちょっと見張ってくるよ。隣の国も何やらかすかわからないし」

九尾「任せたぞ」

アルプ「任されたよ。じゃ、お互いしっかりやろーね」



九尾「魔王の復活のために」
アルプ「魔王の復活のために」


400 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/20(木) 11:20:56.50 ID:JMA/K7S50
 静かに扉が閉まった。アルプの足音すらも聞こえない静寂の中、部屋の隅を見つめる。
 そこには体を拘束された人間がいた。睡眠魔法の効果でぐっすりと眠っている。

 どこにでも見られる一般的な服装だ。布の半ズボン、シャツに綿の上着を軽くひっかけた状態。恐らくどこかの村民か町民。
 年齢は二十前後だろうか。線の細い女性である。

 九尾はこの程度の人間を最も好んでいた。

 椅子から降り、つかつかと近づいて、

 合掌――胸の前で手を合わせ、

九尾「いただきます」

――――――――――――――
401 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/20(木) 15:06:04.52 ID:BkmFxl/IO


クールぶってるのに一人称が自分の名前って…
402 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福島県) [sage]:2012/09/20(木) 16:57:15.48 ID:tKijymAlo
九尾はメンヘラに違いない
乙乙
403 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/22(土) 03:08:50.49 ID:gqGAUGBDO
いただきます……スカトロ?
404 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(チベット自治区) [sage]:2012/09/23(日) 00:15:13.31 ID:02ukFUMko
九尾と書いて、カエと読むと脳内変換しました
405 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(静岡県) [sage]:2012/09/23(日) 11:39:03.05 ID:AGTph50Ho
期待
406 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/24(月) 13:48:38.38 ID:ppIGPuHLo
まさかの百合?!
407 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:48:22.78 ID:KyMiL0240
――――――――――――――

 ゆっくりと扉が押し開かれる。入ってきたのは老婆で、その顔色は優れない。
 言葉を聞かずとも、芳しい結果でなかったのは明らかだった。

勇者「だめだったか」

老婆「一応考慮に入れておくとは言っていたが、本当に『一応』だろうな」

狩人「あの人なら、攻められても倒せばいいとか思ってそう」

勇者「それはありうるな」

老婆「あいつは勝ち目のない戦いをするような男ではない。それに賭けるしかないじゃろう」

 そうして老婆は椅子へと腰を下ろし、

老婆「で、孫娘の話なんじゃが」

 やおらに三人が真剣な顔つきとなる。
 それまでが真剣でないとは決して言えないが、それでも表情のほどは異なっている。

 少女が必死の塔にいるとアルプは言った。その点についてアルプが能動的に嘘をつく必要はないため、真実であろうと三人は判断している。
 問題は、なぜ必死の塔にいるのか、である。理由がわからければ優先順位もつけられない。
408 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:49:08.66 ID:KyMiL0240
 生命が危険に晒されているならば一刻も早く助け出しに行かねばならない。が、価値ありとして囚われているだけならば、決して拙速を尊ぶ必要はないだろう。
 すでに少女が姿を消してから半日以上が経過している。行動は起こさないまでも、行動の方針を固める必要があった。

勇者「どう思う?」

狩人「アルプが事件を起こしたのは、そもそも少女を攫うのが目的だったのかな?」

勇者「そんな感じはしなかったな」

狩人「うん。多分、利害が一致したんだと思う」

老婆「攫うということは、あやつに対して用があったんじゃろうな」

狩人「その用について何も思い当たることはないの?」

 老婆は顎に手を当てて暫し熟考していたが、やがて首を横に振った。

老婆「有り得るのはミョルニルじゃが……あれはあやつにしか使えない。そういう術式が組まれている」

勇者「それを何とかするために、って可能性はないのか」

老婆「ないわけではない、が……そんじょそこらの武器ではないといえ、あの強さは腕力に起因する部分が多いからのぅ」

老婆「魅力がある武器かと尋ねられると、どうだろうな」
409 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:51:04.31 ID:KyMiL0240
狩人「でも、ミョルニルが目的にしろそうでないにしろ、攫われたってことは何らかの用があった。それは確か」

 勇者と老婆は頷いた。その意見に否やはなかった。
 少女は決して恨みを買うタイプの人間ではない。もしどこかあずかり知らぬところで恨みを買っていたとしても、その場で殺してしまえばよかっただけだ。

 わざわざ手間をかけてあの膂力の持ち主を攫ったのは、それに値する目的が犯人にはあったに違いない。三人の考えは同じだった。

勇者「っていうことは、すぐに殺されたりは、しない、か……?」

老婆「死ぬよりも辛い目にあっている可能性はあるが」

狩人「拷問とか、そっち系」

勇者「……やめろよ、そういうの」

 露骨に嫌そうな顔をしたのは勇者である。が、老婆も狩人も、あくまで可能性として淡々と進める。

老婆「何度も死んだくせに、こういう話に耐性はないんじゃな」

勇者「死ぬことと痛みを伴うのは別だ」

勇者「俺だって情報を得るためにそれくらいしたことはある。けど……冷静になって言葉として聞くのは、なんというか、威力が違う」

老婆「いいか、よく聞け」

 勇者にずいと顔を近づけ、目を見開き、老婆は言う。
410 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:51:45.18 ID:KyMiL0240
老婆「目的のためなら手段を択ばないということは往々にして有り得る。そして情報は一人の苦痛を犠牲にしても手に入れる価値がある」

勇者「……わかってるよ」

老婆「いや、お前はわかっておらん」

老婆「より大きなもののためにより小さなものを犠牲にする。その生き方から目をそらすでない」

狩人「おばあさん、勇者はそれでも、みんなを守りたいんだよ」

老婆「わかっている、わかっているが!」

 老婆は思わず手を振り上げ、そしてその手の振り下ろし場所をついに見つけることができなかった。
 挙げた右拳をぶらりと降ろし、息を吐く。

老婆「一人も犠牲にせず、全員を助けられれば、それがいいに決まっている。しかし、それだけを目指すのは、視野狭窄じゃ」

狩人「……何があるかわからないし、なるべく早く助けに行くってことでいいんだよね」

老婆「……まぁな」

勇者「けど、タイミングが悪い」

 そう。国王が戦争を始めようとしている現在、そうおいそれと自由行動などとれたものではない。
 老婆ならばまだしも、勇者も狩人も、所詮一兵卒に過ぎない。そして囚われの少女もまた。彼女を助けに行くことが理由になる現状ではなかった。
411 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:52:30.01 ID:KyMiL0240
 だが少女を助けに行かないという選択肢が彼らにあるはずもない。理屈ではなしに、思考ではなしに、胸の奥から衝動がこみあげてくるのだ。

――衝動。それは生物ならば全てが持つもの。
 そして全ての生物は、それを御し、それに御され、何とか生きている。

 ある種「その生物」らしさを形作る部分であるといってもよいだろう。

 鬼神ならば破壊衝動。ウェパルならば入手衝動。デュラハンならば戦闘衝動。
 人間の場合なら、恐らくそれは、誰かの無事を願う衝動なのだろう。そしてそのために己が身すら犠牲にするという、強烈な仲間意識。

 どうしようもないほどに彼らは人間なのだ。あまりに人間らしく人間なのだ。

 衝動がもたらす理想主義に苛まれることもあろう。たとえばそれは勇者や少女のように。けれど、打ちひしがれても泥に突っ込んでも前を向くその姿は、何よりも美しいものだ。
 少なくとも、そう思えて仕方がない。

勇者「……しょうがねぇか」

 軽い口調で、重々しく、勇者が立ち上がる。

勇者「俺が行く」
412 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:53:03.25 ID:KyMiL0240
狩人「そっか」

老婆「まったく……」

 女二人は反応するが、必要以上に声を荒げることはなかった。この中で真っ先に声を上げるとしたら、それは勇者であるだろうと二人は思っていた。そしてその予想は当たった結果になる。

勇者「何があるかわからないなら、俺が行くのが安全だろ。死んでも生き返るし」

 それは一面の事実であるが、勇者の偽りない本心ではない。
 勇者はただ、もう自分の大事な仲間が危険な目に合うのは嫌なのだ。

 全てを救うことはできない。であるならば、自分の目の届く範囲、手の届く範囲をちまちまと救っていくしかない。
 逆説的にその誓いは目と手の届かない人々を見殺しにすることと同義である。いまだにその事実は彼を苛むが、彼は決めたのだ、強く在るのだと。

 少なくとも今は、なのだと。

老婆「出発は」

勇者「今晩か、明日の夜明け前にでも出ようと思う。人の少ない時間帯を見計らってな」

狩人「私も行く」

勇者「いや、やめとけ」

狩人「どうして?」

 真っ直ぐ勇者の顔を覗き込む狩人。そこに詰問の様子は見られない。
 ただ単純に彼女は勇者の力になりたかっただけなのだろう。
413 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:53:40.80 ID:KyMiL0240
勇者「あのガキが捕まってるのは必死の塔とか言ってた。お前の弓は確かに凄いけど、建物の中じゃ限界があるだろ」

狩人「まぁ……いや、でも」

勇者「大丈夫。俺は必ず戻ってくる」

 頭の上にぽんと手を乗せる。狩人は恥ずかしそうにはにかみつつも、その手を除けることは決してしなかった。

狩人「うへへ……」

勇者「キャラが変わってるぞ」

狩人「そんなことない」

老婆「あー、すまんが、二人とも」

 直視するのも恥ずかしい様子で老婆が声をかける。

老婆「勇者よ、必死の塔の場所はわかるのか?」

勇者「いや、わかんねぇな。共和国連邦のそばだろ、そっちにゃ行ったことないんだ」

勇者「転移魔法で送ってもらえたりするのか?」

老婆「すまんが、儂もそちらには行ったことがない。移動するだけなら、最寄までは転移魔法で連れて行くこともできるんじゃがな」
414 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:54:40.24 ID:KyMiL0240
 共和国連邦は、大森林を抜けた先、かつて焼打ちにされた町をさらに超えたところに国境がある。
 基本的に「隣国」と言った場合、小都市の集合であるこちらよりも、より長い国境を接している隣の王国を指す。統治機構も、共和国連邦は各領主による分割統治が行われているが、この国と隣国は王政である。

老婆「大体の場所は予想がつくが……ここからだと二日。最寄からでも一日はかかるぞ」

勇者「待てよ。ここから二日かかるところにあいつはいるのか? まだ一日も経ってねぇぞ」

老婆「つまりはそういうことなのじゃろ」

 そういうこと――高速移動か、瞬間転移か、またはそれらに準じた能力の持ち主が、少女を攫ったということ。イコールで、必死の塔にいるのは実力者に違いないということ。
 塔の名称の由来から察してはいたが、やはりというところだろう。

勇者「とにかく、出発は今日の二時にする。中庭に出るから、悪いけどばあさん、転移魔法で連れて行ってくれ」

老婆「承知した」

狩人「私も見送りに行く」

勇者「あぁ。悪いな」

狩人「別に。勇者はいつも心配ばっかりかけるから」
415 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:55:34.31 ID:KyMiL0240
勇者「悪いとは思ってるんだけどなぁ」

老婆「各自解散としよう。勇者は準備をしてくれ。狩人もそれに付き添って」

老婆「儂は、少し情報を集めてくるよ」

勇者「ありがとう」

 老婆は莞爾と笑って、

老婆「なぁに、いいってことよ。不肖の孫娘を代わりに救ってもらえるんじゃ」

老婆「深夜二時まで、それじゃあの」

―――――――――――――
416 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:56:34.32 ID:KyMiL0240
―――――――――――――

 狩人の部屋で二人は見つめあっていた。いや、見つめあっていたという表現はロマンティックに過ぎる。かつ、恣意的に過ぎる。
 正鵠を得る表現をするならば、こうだ。

 二人は顔を突き合わせていた。

勇者「さて……どうしたもんかな」

狩人「私は勇者に従う。勇者が行くところに行くよ」

 ぎゅっと勇者の手を握り締める狩人。

 本来ならば良い雰囲気であってもおかしくはないのだろう。が、二人のそれは決して恋人のものではなく、冒険者のそれであった。
 いや、二人は過去から現在に至るまで冒険者である。冒険者以外の何物でもなかった。少なくとも彼らは自分たちが王城に務めている兵士などとは思っていなかった。

 彼らの目的は魔王を倒すこと。
 そして世界を平和にすること。
 それだけなのだから。

 当面の目的は無論少女を必死の塔より救い出すことである。しかし、それですべてが終わるわけでは、当然ない。四天王はまだ健在。国の情勢も不安。戦争はすでに着火され、沈下などできそうにもない。
 少女を救ったのち、どうするのか。
 二人はそれを話し合っていた。
417 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:57:23.55 ID:KyMiL0240
 否。話し合う必要など二人にはなかった。狩人が勇者の顔を確認する動作だけですべてのコミュニケーションは終わっていたからである。

狩人「難儀な性格してる」

勇者「ついてこなくっても、」

狩人「やだ」

 勇者は苦笑した。彼が狩人をこうしたのか、狩人がこうであるからこうなっているのか、判断が付きかねた。
 彼女の幸せを願うならば彼女こそ置いていくべきなのかもしれなかったが、勇者は結局そうしなかった。エゴイズムだと罵られても彼は彼女と一緒にいたかったのだ。

勇者「お前も随分難儀だよ」

狩人「かな。かもしれない」

勇者「ま、ばあさんには迷惑かけられねぇしな」

 狩人は無言で首を振る。縦に。

 彼らの決断は、旅人の外套を脱ぎ捨てて、兵士の鎧を着ることだった。
418 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 14:58:27.35 ID:KyMiL0240
 勇者はわからなかった。どうしても、彼には理解できなかった。
 なぜ人が人を殺すのか。

 さんざん仲間を見殺しにしてきた自分が言うのは間違っていると知っている。それでも、こんなことは間違っていると思った。国同士が総力を挙げて水や、資源や、領土を奪い合おうとしているなど。
 二人を助けるために一人を殺すことを勇者は否定しない。国だって恐らくそういうものなのだろう。

 けれども、わからないものをわからないままにしておくのは、どうにも居心地が悪かった。
 癪だったのだ。――何に? と尋ねられれば、恐らく二人は逡巡し、こう答えるだろう。

 自分より遥かに巨大な何かに対して。

 それは国か、政府か、あるいは運命という名前のものかもしれない。

 とにかく、勇者は何がそうさせているのかをこの目で確かめたかったのだ。
 いままで幾度も戦いに身を投じてなお、彼にはわからない。どんな原理が争いに導いているのか。生物を殺し合いに突き動かしているのか。

 戦いではなく戦場でならばそれの正体にも判断が付くのではないか。
419 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:00:08.89 ID:KyMiL0240
 魔王を倒すためにひたすら冒険してきた。殺し、殺され、殺してきた。が、世界は一向に平和になる気配がない。そもそもが見当違いであるかのように。
 魔王を倒せばイコールで平和になるなんて状況ではない。ならばどうすれば世界は平和になるのか。
 勇者はその方法を探そうというのだった。

 なんと――途方もない、ばからしい、夢物語。
 だがしかし、それでこそ勇者である。身の程を知らない傾奇者。世界を変える権利を持つのは、やはり彼のような人物であるべきなのだ。

勇者「今晩あのガキを助けに行く。何日かかるかわからないけど、そうしたら、戦争にいこう」

勇者「一体何が人を殺すのか、見極めないと」

 人を殺すのではなく、あくまで彼は戦争を止めに――出来うる限り被害者を少なくするために戦場へ身を投じる覚悟であった。

 一介の兵士に何ができよう。勇者自身そう思っていたが、それでもやらなければならない。
 居ても立っても居られない。
420 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:00:59.46 ID:KyMiL0240
勇者「魔王退治から随分と離れちまったけどな……」

狩人「魔王退治は目的じゃなくて手段」

勇者「あぁ、そうだな。世界を平和にしないと」

 彼の脳裏に去来するかつての仲間たち。
 自分より若い者も、自分より老いた者も、皆等しく死んでいった。
 勇者は、自分が生き残ったのは不死の奇跡のためだということをよく理解している。運命という言葉で華麗に装飾しようが、偶然という言葉で地べたに放り投げようが、本質は変わらない。

狩人「……」

 そんな勇者を見て、狩人は複雑な表情を浮かべている。彼女は彼の仲間と面識がない。彼の思う大事な仲間を、彼女は知らない。
 なんだか置いてきぼりを食らっている感覚なのだった。

勇者「どうした?」

狩人「なんでもない」

勇者「ほんとに?」

狩人「ほんと、ほんと」

 勇者は黙った。これ以上言っても無駄だと悟ったからだ。
 黙った勇者を見て、狩人もまた黙る。
421 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:01:54.60 ID:KyMiL0240
勇者「……」
狩人「……」

 自然と二人の視線があった。ゆっくりと二人の唇が近づき、

 そして、

 唐突に部屋がノックされる。

二人「!」

 思わず跳ね上がる二人だった。
 消灯時間は過ぎている。勇者が狩人の部屋にいることが知られては、どちらも懲罰だ。勇者は慌ててベッドの陰に隠れる。

??「おーい、入るぞー」

 入ってきたのは隊長であった。洞穴を探検していたのがつい一昨日のことだというのに、どうにも久しぶりの感を二人は感じた。

狩人「隊長? どうしたの」

隊長「どうしたっていうか……勇者いるべ? 出てきていいぞ、わかってるから」

勇者「?」
狩人「?」
422 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:02:51.82 ID:KyMiL0240
 二人は不可思議な空気を感じ取った。部屋を抜け出した懲罰でもなければ、そもそも狩人を呼んでいるわけでもないのだ。なぜ彼は勇者がここにいることを知っているのか。

隊長「部屋に行ってもいないなら、ここにいるしかねぇだろ」

勇者「それで、どうかしたのか」

隊長「どうかっていうか……二人とも、ちょっと来てくれ」

 隊長が手招きする。二人は首をかしげながらもついていくしかない。
 部屋を出ようとしたところで隊長が振り返り、

隊長「二人とも、武器を持ってきてくれ」

 なおさら怪しい。勇者は唾をごくりと飲み込んだ。

 案内された先は儀式用の魔方陣が描かれている部屋で、すでにその中には老婆がおり、ほかに数名の兵士がいた。老婆と隊長、狩人と勇者を含めて十人。

 勇者は老婆がひどくばつの悪い顔をしていることに気が付いた。不本意極まりないという表情である。

 兵士の一人、暗い顔をした男が一歩歩み出る。

暗い顔の兵士「あなたたちが、噂の……」

暗い顔の兵士「初めまして。今回の作戦で参謀を務めることになりました。以後お見知りおきを」
423 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:03:36.29 ID:KyMiL0240
勇者「作戦?」

 勇者は思わず尋ねた。そんな話は聞いていない。しかも今は深夜ではないか。
 そこまで考え、急遽飛来した想像に、勇者は自らの思考を打ち消す。

勇者「まさか、夜襲か」

 暗い顔の兵士――参謀は表情を変えずに頷いた。

参謀「えぇ、まぁそういうことになりますかねぇ……」

参謀「いやね、あんまり僕としても望んでないんですが、統括参謀殿から言われちゃどうしようもないんですよ、すいません。あぁ……死にたい」

勇者「どういうことだ」

隊長「これから俺たちは転移魔法で前線基地に移動する。そこからさらに移動し、宣戦布告、本隊の準備完了とタイミングを合わせ、敵の前線基地を可及的速やかに制圧する、だそうだ」

参謀「僕の仕事を取らないで下さいよ……もう」

 鬱々とした様子で参謀は続ける。

参謀「死にたくなりますよ、本当に。急ピッチで軍備を整えている最中らしいんですが、その前に敵の補給の経路を断っておきたいそうで」

参謀「前線基地って言っても、まぁいわゆる食料庫ですね。兵站が詰まってます」
424 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:04:26.68 ID:KyMiL0240
勇者「……話を聞く限り、開戦の口火を切る大事な役目みたいだが」

参謀「はい。重要、かつ極秘の任務です。宣戦布告をしていない状況なので」

 遍くところにルールは存在する。戦争もまた然りで、すべからくルールが存在する。
 人殺しに規則を守る誠実さが求められるなど自家撞着も甚だしいが、それを順守しなければ戦争に勝利しても得られるものは何もない。正当な手続きを踏んだ勝利でなければ他国が許さないためである。

 正当な手続きによって得た物のみが国家ないし個人の所有物となる。それは資本主義の大原則であるが、正当な手続きであるかどうかは客観的にしか判断できない。
 ゆえに、誰もが違反を知らなければ、それは正当であり続けるのだ。

 例え宣戦布告をせずに敵国を襲っても、である。

 だからこその夜襲。だからこその少人数。

勇者「それに、なんで俺とか狩人とかが選ばれるんだ? もっといいやつがいるんじゃないか?」

 なんだかんだ言っても二人はまだ新米兵士である。こんな重要な任務に赴任される謂れが彼には想像できなかった。
425 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:04:55.73 ID:KyMiL0240
参謀「隊長殿と、あとは僕もですが、独断ですね」

参謀「先日の鬼神討伐の一件、伺いました。僕らはたぶん、きみたちが思っている以上にきみたちを戦力として考えています」

参謀「奮励してください」

 たった十人で敵の補給所を襲うこの作戦は、迅速かつ的確に行えるかが肝となる。余計な人数をかけられない分だけ一人一人の力量が求められるのだろう。

 無論十人では継戦能力などないし、ゲリラ活動に身を窶せるわけもない。本隊とうまくタイミングを合わせる必要がある。
 理想は作戦終了とほぼ同時に宣戦布告を開始、攻撃を始めること。

 僅かばかりのフライングスタートだが、それが与える影響は存外重大である。

勇者「……拒否権はないんだろ」

参謀「拒否したいんですか?」

 少女のことを言うかどうか、躊躇われた。
 鬼神討伐について触れられているということは、当然少女の存在も知っているだろう。が、ここに少女はおらず、また少女の不在についての言及もされていない。
 老婆がある程度事情を説明しているのだろうか。勇者はそこまで考え、結局言うのを辞めた。軍隊の中にあって少女の存在など歯牙にかける必要もないのだと思ったからだ。
426 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:06:03.81 ID:KyMiL0240
 勇者は結局首をふるふると横に振った。参謀は細い目をわずかに歪めたが、あえて何も言わずに魔方陣の中心へと移動する。

参謀「さ、皆さん、乗ってください。転移魔法を起動します。……厄介な作戦に引きずり込んで、申し訳ないです」

老婆「準備はできたぞ」

参謀「そうですか。では、行きましょう」

 魔方陣が起動する。空気が振動する音とともに光が部屋中に満ち、次の瞬間十人の姿が消えうせる。

――――――――――――――――
427 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:06:32.33 ID:KyMiL0240
――――――――――――――――

 夜でも部屋の中は陣地構築のおかげで明るい。九尾も生物の宿命として食事や睡眠はとらねばならないが、ある程度は魔力で補える。今は寝る間も惜しかった。

アルプ「ただいまー」

九尾「おかえり」

アルプ「やっぱりガチで戦争始めるみたい。勇者くんたちは先遣隊で、ちょっかいかける役目だってさ」

九尾「あぁ、それは見ていた」

九尾「宣戦布告の前にアドバンテージを稼いでおきたいということなのだろう。浅ましいというかなんというか」

アルプ「今勇者くんたちは国境沿いの河川をずーっと下ってるね。あと二日か三日くらいで目的地に辿り着くかな」

九尾「本隊の準備はどれくらい進んでた?」

アルプ「練度の高い部隊はもう作戦の確認に移ってる。歩兵の一個大隊と儀仗兵の一個中隊。ただ、医療班がまだ揃ってない」

アルプ「国中から急いでかき集めてるみたいだけど、そこ待ちじゃない? あんまり急いでもほかの国に悟られちゃうし」
428 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:08:21.26 ID:KyMiL0240
 かの国の戦法は極めてオーソドックスで、前衛に歩兵、後衛に儀仗兵を置き、圧倒的な物量で殲滅するというものだ。
 歩兵の種類も騎馬をあまり用いず、軽歩兵を多用する。質より量、そして小回りの利く遊撃隊が別働で戦果をあげている。

 対する隣国は重歩兵による密集戦法と、後方にいる儀仗兵からの魔法が強力とされている。また隣接している宗教国から派遣されている僧兵も侮れない。

九尾「気に食わないな。あの王、九尾の忠告を丸無視する気か」

アルプ「どうする? 数十人くらい殺してこようか?」

九尾「いや、最早戦争を止めるつもりはない。が……あんまり少女を拘束しておくのも厄介だな」

アルプ「あー、デュラハン? 厄介ってどういうこと」

九尾「戦争に出るべきか、助けるべきか、悩んでばかりいられるのも扱いづらい。方向性をはっきりさせてやらねばならん」

九尾「アルプ、やれるか?」

アルプ「うーん、できなかないと思うけどねー。どっちがいい?」

九尾「どうせ戦争と言っても些細なものだ。別段九尾は望んでいない」

アルプ「あいよ。じゃ、先にあの女の子助けに行かせるねー」
429 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:08:57.45 ID:KyMiL0240
九尾「待て」

 踵を返して部屋を出ようとしたアルプの姿に、なんだか九尾は嫌な予感がして声をかける。

九尾「どうするつもりじゃ」

アルプ「え? 兵站基地の敵兵全員わたしがぶっ殺してくるよ。それでいいでしょ」

九尾「……」

 返答に困った。確かにそれは一番手っ取り早い方法であるが……。
 とはいえ、九尾が動くことはできない。九尾にはまだやることがたんまり残っていて、だからこそこの部屋に籠っているのだから。

 自然と漏れる溜息を放置して、手をひらひらと振る。

九尾「あー、まぁそれでいい」

アルプ「うわ、適当な感じ!」

九尾「一応デュラハンにも声をかけておいてくれ。手練れがたくさんいるぞ、と」

アルプ「りょーかい」

 今度こそアルプは扉から出て行こうとして、先ほどとは逆に、反転して九尾へ声をかけてくる。

アルプ「そういえばさ」

九尾「?」
430 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/09/28(金) 15:09:30.56 ID:KyMiL0240
アルプ「その血、どうにかしたほうがいいよ」

 言われて自分の服を見る。流しの着物は本来薄い青であったが、前の部分が真っ赤に染まっていた。
 部屋の隅に視線をずらす。そこには先ほどとった「食事」の残骸がまだ転がっている。陣地構築のおかげで死体が腐敗することはないにしろ、生肉を食わないアルプからしてみれば気になるのだろう。

九尾「と、言われてもな。誰かに会うわけでもなし。構わんよ」

アルプ「魔王様が生きてたらなんていうかな」

九尾「死んだやつのことなど、どうでもいい」

 強がりであった。アルプは少し表情を歪めるも、それ以上は何も言わない。

アルプ「んじゃ、まぁ行ってきますにゃー」

九尾「おう。任せたぞ」

 蝶番の軋む音すら立てず、アルプは部屋を後にする。

 静寂が部屋を満たす。壁が光るこの部屋は、蝋燭のにおいも、ランプの炎が縮れる音も、何もない。ただ血流の微かな音だけが五感を刺激する。

 もう一度九尾は部屋の隅の残骸に目をやった。人間であったもの。そのなれの果て。

 目的をしっかりと確認し直し、また机に向かう。

――――――――――――――――
431 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/28(金) 20:12:01.44 ID:YAOFKQvso

安定して面白いです
432 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/09/30(日) 12:08:30.21 ID:ohGQSauDO
来てたか乙
433 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:44:15.89 ID:l/mMv4+i0
――――――――――――――――

 老婆は、王城の者からは賢者と呼ばれている。彼女はその呼称を否定こそしないが、いい気もしていなかった。自身にわからないことも力の及ばないことも山ほどあると知っていたから。
 しかし、今までのどんな奇問難問でさえ、これほどまでに彼女の眼を見開かせたりはしなかった。そう、故郷を魔族とならず者が結託して襲ってきた時でさえも。

 なぜ――兵站基地が壊滅しているのか。
 なぜ――アルプと、物々しい鎧を着けた漆黒の首無し騎士が、その前に立っているのか。

 転移魔法で移動し、そこから急いで一日と半分。強行軍でやってきたためか十人に疲労の色は濃い。
 しかし、向かえばすでに、簡易であるが基地は構築されているのだという。辿り着けば作戦の前に休息は得られる。それだけを杖に全員歩いていた。

 老婆は疲労の中で不安を覚えていた。それは、予想と言い換えてもよい不安であった。どうか的中して欲しくないというレベルの。

 大陸の東、海岸沿いに巨大な山脈がそのまま海に落ち込んでいる。そこから流れた河川を辿っていくと、王国を横に横切り、宗教国に行きつく。件の必死の塔や焼打ちされた町もこの河川のそばにある。
434 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:48:33.03 ID:S3Fp1WnN0
 兵站基地が隣国の中心部、王都付近ではなく外縁に存在しているのは、大きく二つの理由がある。

 一つは、兵站基地は輸送のコストを軽減するものであるから、なるべく大都市が存在しない、補給の難しい地点を見据えて設置するため。
 もう一つは、宗教国から輸入したものを一時保管しておくため。

 戦争を見越していようが見越していなかろうが、魔族討伐のための駐屯を考えたとき、どうしても兵站基地は必要になる。それは老婆の国でも同様だ。
 兵站基地の場所は周知だ。だから、あらかじめそこを攻めるための陣地を構築するのは、なんら難しいことではない。
 そう、露見することを考えなければ。

 老婆は下唇を強く噛み締めた。背筋を悪寒が走る。そんなことあるはずがないと、否定しきれない。

 陣地構築、基地の設営は、何とかして秘密裡に行われなければいけない。戦争の準備を進めているということが周辺国に、また自国民にばれてしまえば、一気に問題となって国王たちに噴出するだろう。
 国民は戦争を望んではいない。望むのは平穏な生活だけだ。
 だからこそ、彼らは平穏な生活の護持のためには、鍬や槌を剣に持ち替えることを厭わない。
435 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:49:18.31 ID:S3Fp1WnN0

 嘗て老婆たちが遭遇した、焼けた町。そして問答無用で襲ってきた兵士の一団。
 彼らは恐らく、基地の設営に携わっていたのだ。
 そして守秘のために町を焼いた。

 指示を出したのは、恐らく王だ。

老婆「……」

 この事実を――否、こんな反逆的な妄想を、勇者に垂れ流していいものだろうかと、老婆は逡巡する。が、すぐに首を振った。知らないほうがよいこともあるだろうと判断したのだ。

 だから、老婆は基地でも決して休まらなかった。それ以上に休まらないのは焼かれた町の民の魂だろうとも思った。
436 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:49:46.29 ID:S3Fp1WnN0
 そして、現在である。
 攻める対象である兵站基地は壊滅状態で、空恐ろしくなる静けさを背中に負って、怪物が二人立っている。
 なぜこんなことになっているのか、理解できるものは誰一人としていない。

隊長「お前ら、なんだ?」

 隊長が問答無用で彎刀を抜いた。自ら襲い掛かる気概ではなく、警戒の表れなのだろう。彼ほどの実力者が彼我の力量差を判断できていないとも思えない。
 それに反応したのはデュラハンである。一歩前に出て、気色の良い声を出した。

デュラハン「おっ、あなた見るからに強そうだ。どうです? 俺と一戦」

隊長「は?」

デュラハン「いや、強いんでしょ? いいじゃない、俺と戦いましょうよ」

アルプ「デュラハン」

 アルプに窘められ、デュラハンは肩を竦めて見せた。はいはいわかりましたよ、とでもいう風に。
437 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:50:47.58 ID:S3Fp1WnN0
参謀「……王様の言っていたことは正しかったということですか」

参謀「やはり、隣国は魔族と手を組んでいるようですねぇ」

 参謀らにとっては二人が兵站基地を守っているようにすら見えたのだろう。アルプは苦笑しながら手を顔の前で振って、

アルプ「あー、それは誤解だよ。私たちはただここを潰しただけ」

参謀「潰した……?」

アルプ「そう。もう誰もいないよ――生きている人間はね」

狩人「なんでまた私たちの前に? 答えなければ、撃つ」

 きりりと弓を引き絞りながら狩人は言った。

参謀「狩人さん」

狩人「あなたは黙ってて。私は、こいつと因縁がある」

アルプ「こんなことで時間を使ってる場合じゃないんだってさ」

狩人「『だってさ』……また、九尾の指示?」

アルプ「ま、そういうことだね」
438 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:51:24.79 ID:S3Fp1WnN0
狩人「こんなことをして何の利益があるの」

アルプ「それは言えないねぇ。言う理由もないし」

 二人の間にピリピリとしたものが走る。
 焦れた狩人がついに番えた矢を放とうとしたとき、絶妙なタイミングで参謀が割って入った。

参謀「ストップ、ストップ。そちらの首無し騎士……デュラハンと呼ばれてましたね。ということは、四天王の?」

デュラハン「その通りだね。俺としては肩書きなんて興味ないんだけど」

参謀「ということは、あなたがアルプ?」

アルプ「そうだよ」

参謀「あなたたちの行動の理由はわかりませんが、とりあえず兵站基地の中に入れてもらえませんか。こちらも『はいそうですか』で終わらせられる案件じゃあないので」

隊長「お前、マジで言ってるのか」

参謀「大マジです。この二人が隣国の味方である可能性は十分にあり得ます」

隊長「じゃなくて。こいつらに話を通じると思ってるのか」

老婆「Aのことを忘れたわけではないじゃろう」

 老婆が小声でぼそりという。魔族と言えども意思があり、行動原理がある。何より彼らはしっかりとした思考回路を持っている。闇雲に兵站基地を襲ったりはしない。
439 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:51:56.97 ID:S3Fp1WnN0
 隊長は僅かに逡巡して、

隊長「味方だったとしたら、すぐに襲ってきてるんじゃないのか?」

参謀「それを含めても、です。面倒くさいんですけどね、本当は。ドンパチやってるほうが楽なんですが……死にたい」

参謀「ま、四天王が先に潰してましただなんて王国に報告もできませんし。時間はまだあります。確認を惜しむ必要はないでしょう」

アルプ「へー、慎重派なんだね」

参謀「そうじゃないと死ぬだけですから」

 アルプはにやにやと下卑た笑いを口元に浮かべている。
 勇者も狩人も嫌な予感しかしていなかった。そもそも四天王が二人、こんなところに出張ってくる時点で常軌を逸しているのだ。

 無論、常軌を逸しているとはいえ、九尾にもきちんとした考えがあった。まるで絡繰り人形のように歯車が噛みあう、長い長い先を見据えた考えが。
440 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:52:24.08 ID:S3Fp1WnN0
 九尾の暗躍を知らない勇者たちではない。兵士たちとて警戒を解いているわけではないが、勇者たちはもっと大きなスパンで警戒をしていた。
 明日か、来週か、一か月後か、それはわからないにせよ、何かがあるのだと。

 アルプは依然として不気味な笑みを湛えていたが、それでも行動は起こさなかった。ちらりと隣のデュラハンに視線を向けてから一瞬で消え失せる。

アルプ「ま、好きにしたらいいよ。私の案件はこれでおしまいだからね」

アルプ「好きにできれば、の話だけど」

 虚空から聞こえてきた声を受けて動いたのはデュラハンであった。亜空間に腕を突っ込み、日本刀を引き抜く。
 西洋式の甲冑に東洋式の刀剣はちぐはぐであったが、デュラハン自身は全く気にしていない。彼にしてみれば使いやすいものを使うだけなのだろう。

デュラハン「ここで会ったも何かの縁! 俺と心行くまで戦おう!」

 気骨満面の声音が響きわたる。
441 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:52:50.68 ID:S3Fp1WnN0
 すっと一歩前に出たのは隊長であった。細く睨み付ける形で、デュラハンの一挙手一投足に注目している。
 そんな姿を見たデュラハンは小さく「ほう」と声を上げる。

デュラハン「確かに手練れだ。九尾の口車に乗った甲斐があるってもんだね」

隊長「お前、戦闘狂か?」

デュラハン「そんなつもりは決してないんだけどね。ただ……そういう存在ってだけで!」

 語る間も惜しいとデュラハンが駆けた。
 気合の踏込。それは一歩で世界を限りなく縮める速度を誇る。

デュラハン「大丈夫! 命を取るぐらいしかしないさっ!」

 頸を狙った一閃をなんとか隊長は回避した。殺しに来ているというのは語弊がある。あの攻撃なら、頸でなくともどこを切られたって致命傷だ。

 返す刀が煌めく。

勇者「死ね」

 雷撃を帯びた剣が頭上から落ちてくる。柄をしっかり握った勇者の眼は見開かれており、怒りに打ち震えている。
 まさかの位置からの攻撃に、さしものデュラハンも反応が遅れる。回避行動は間に合いきらない。肩当が大きく抉られ、弾き飛んだ。
442 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:53:36.36 ID:S3Fp1WnN0
 反撃に備えて勇者は素早く飛び退く。デュラハンも追撃を回避するために距離を取っており、勇者、隊長、デュラハンで三つ巴の形になっていた。立ち位置も三角形。

 少し離れた場所では老婆が魔方陣を展開している。簡易の転移魔法陣だ。

老婆「無茶しおって……何を怒っているんだか」

参謀「逃げることはできないんですか」

老婆「転移魔法が妨害されてる。距離が制限されすぎてて、無理だな」

 参謀は大きくため息をついた。しかし、その姿勢とは裏腹に、瞳の奥は高揚に彩られているように思えた。

参謀「隊長と勇者さん、僕とおばあさんで行きます。残りの者は兵站基地の確認を」

兵士「で、ですがっ!」

 四天王に人間四人で挑もうというのだ。そのあまりの無茶に、流石に彼の部下も驚きの声を上げざるを得ない。
 けれど参謀はあくまで落ち着いた、というよりも陰気な声を出す。

参謀「死にたくないでしょ……巻き添えなんて、ごめんでしょ」
443 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:54:15.60 ID:S3Fp1WnN0
 その言葉に兵士は息を呑みこんだ。僅かにおいて、頷く。
 兵士たちが走り出す姿を、デュラハンは泰然自若で過ごした。もとより彼には兵站基地などどうでもよい。その有り様は当然だ。

参謀「……なんであなたもいるんですか?」

狩人「私も、戦う」

 参謀は眉をわずかに動かし、頷く。

参謀「死んでも責任取りませんから」

狩人「うん」

デュラハン「もういいかな? 俺はそろそろ、待ちきれないんだけどな!」

 再度デュラハンの踏込。狙うは狩人、老婆、参謀の遠距離組。
 黒い疾風となったその姿はわずかな時間も与えてくれない。蹴り上げた土が舞い上がるよりも素早くデュラハンは参謀に切迫する。

デュラハン「っ!」

 声にこそ出さないが、驚きが伝わってくる。
 刀を握る右手の手首、肘、肩の各可動部に、鏃が突き刺さっていた。

 血液は飛び散らない。そもそも彼に暖かな血液が流れているかも定かではない。が、少なくともダメージは受けているようだ。無理やり振るった刀の速度は明らかに落ちている。
444 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:54:45.04 ID:S3Fp1WnN0
 きりり、と弓を引き絞る音。

狩人「隙間だらけの甲冑なんて」

 胸板と腹当ての隙間を縫うように矢が突き刺さる。

 さすがのデュラハンも体が揺らいだ。そしてその揺らめきを見落とすほどの素人は、この場にはいなかった。

 帯電した剣が足を、業物の彎刀が胴体を、それぞれ獣の獰猛さで襲いかかる。

デュラハン「いいね、いいね、いいよきみたちっ!」

 体勢を崩しながらデュラハンが叫ぶ。その間にも、当然危機は迫っているというのに。

デュラハン「――認めたっ!」

 デュラハンの足元に、突如として無骨な魔法陣が浮かび上がる。
 ペンタグラムを基にしたその魔方陣は最初淡く光っていたが、すぐにその輝きを強め、そして一際明るく輝いた。
 そして、
445 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:55:16.14 ID:S3Fp1WnN0

 刃。

 刃、であった。

 刃が地面から――魔方陣から、突き出しているのだ。

 いや、より正確な表現をするならば、こうである。

 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が
 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が
 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が
 刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が刃が

――突き出しているのだ。

 しめて六十本の刀剣はまるで初めからそこに鎮座ましましていたかのごとく、襲撃者の体を傷つける。
 足と言わず手と言わず胴といわず、それら全てを突き刺し、切り裂いた。
446 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:56:04.87 ID:S3Fp1WnN0
隊長「ぐっ……くぅ、うっ!」

 間一髪のところで致命傷を避けられた隊長であるが、それでもなお被害は甚大だ。大小細やかな傷からは血液がとめどなく流れ出している。

 狩人「ゆ、勇者っ!」

 叫び声で、その場にいた全員が彼のほうを向く。
 突き出た剣が腹にきっちりと食い込んでいたのだ。

 突き刺さったそれ自体が栓となって、出血自体はそれほどひどくない。が、一度体を動かせば、腹からの出血はすぐさま死に直結するだろう。

 デュラハンはそんな二人の姿を見て、ない顔を顰める。

デュラハン「もしかして、きみが勇者?」

勇者「それ、が……なんだ」

 息も絶え絶えとした様子で勇者はデュラハンをにらみつける。喋るたびに口の端から逆流した血液が滲んで垂れていく。

デュラハン「あ、きみの仲間の女の子を攫って閉じ込めてるの、俺だから」

デュラハン「でも、九尾もなんできみみたいな雑魚に――」

老婆「余所見をしていていいのか?」
447 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:56:52.95 ID:S3Fp1WnN0
 大きな爆発がデュラハンのそばで起こった。指向性を持つ爆発は、焦げの臭いを振りまきながらデュラハンのみを大きく吹き飛ばす。
 が、デュラハンは重量を感じさせない体運びで苦も無く地面に着地した。

 そこを狙うは傷だらけの隊長。体を動かすたびに血が垂れていくが、そんなことはお構いなしに刀を握り締めている。

 デュラハンは刀でそれを受け止めた。刃毀れすら恐れない重たい一撃に、魔族の彼ですら思わず手が痺れそうになるが、基本スペックの違いはどうにもならない。次第に隊長は押し返されていく。

 が、それはつまり反対ががら空きであるということだ。

 拳を固く握りしめた参謀が、まるで地面を滑るようにデュラハンへととびかかる。

 しかしデュラハンもその程度が予測できていないわけではない。彼の鎧に魔方陣が浮かんだかと思えば、次の瞬間にはそこから刀剣が生えてくる。
 参謀を串刺しにしようと刀剣が逼迫したが、参謀はそれらを全て自らの拳で叩き折っていく。
448 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:57:20.36 ID:S3Fp1WnN0
デュラハン「はぁっ!?」

 まさか、という声をデュラハンは挙げた。

 参謀の拳がデュラハンを確かにとらえる。かなりの硬度を有する鎧を、参謀はまるで気にせず殴りつける。
 デュラハンは住んでのところでその拳を左手で受け止めたが、大きく上へと弾かれた。
 今度こそ大きく開いた懐に、彼は拳を握りしめて潜り込む。

 デュラハンの鎧に刻まれた魔方陣が輝く。

 刃が大きく参謀の体を貫いたが、握り締められた拳が開かれることは、ない。

 参謀が口を大きく開いて息を吸い込んだ。涎に塗れた犬歯がのぞく。

 参謀は腰を落とし、デュラハンを真っ直ぐ突いた。

 鉄で鉄を打ったかのような轟音。
 デュラハンが大きく、地面と垂直に飛んでいく。

 接地とともに大きな砂埃が舞った。濛々とあがるそれを、全員が大きく注目している。

 倒したわけではないと誰もが感じていた。特に参謀を除く者らは、嘗て戦った白沢、そして何よりウェパルを思い出し、気を引き締める。四天王はこんなものではないと。
 果たして砂煙の中よりデュラハンが現れる。鎧は大きくへこんでいるが、足取りは依然として軽い。
449 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 16:58:00.74 ID:S3Fp1WnN0
デュラハン「あんた参謀じゃないの、俺びっくりしたよ」

参謀「魔法使いが近接に弱いなんてのは幻想です」

デュラハン「うん。いい勉強になったよ」

デュラハン「じゃあ勉強代を支払おうかな。楽しませてもらったしね」

 空気を震わせる音が響いた。
 特に魔法使いには聞き覚えのある音。魔方陣が起動する際の、独特の音だ。

 しかし。

老婆「どこだ……?」

 魔方陣が起動したということは、必ず陣本体が存在するはずなのである。しかし、目の前のデュラハンに変化はない。地にも、空にも、描かれていない。

 身構える彼らをよそに、デュラハンはまたも虚空に手を突っ込んだ。右手に握っているそれとは違う刀が一本、左手に新たに握られる。

 そしてそれを投擲した。

 高速で飛来する鉄塊は、刃の有無を問わず凶器である。狩人はそれを何とか回避し、矢を番える間すら惜しいとナイフを数本引き抜いた。
450 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 17:00:10.44 ID:S3Fp1WnN0

狩人「不気味」

 そう、確かに無気味であった。デュラハンの攻撃意図がわからない。
 それでも戦うしかない。
 恐らく彼は逃がしてはくれない。

 突っ込む狩人に合わせ、囲むように残りの面子もかかっていく。魔方陣から突き出される刃のことも考え、素早く、けれど慎重に。

 応対するデュラハンの反応は素早かった。というよりも、投擲からすでに一連の流れとして動いていたといったほうが正しい。
 地を蹴り、片手で握った刀を隊長に向ける。この中で一番の手練れだと踏んだのだろう。顔のないのに心なしか嬉しそうだと感じるのが実に不思議である。

 横の一線を隊長は身を屈めて避ける。と同時に、強い踏込から必殺の居合抜き。

 甲高い金属音。甲冑ではなく、地面から生えている刃が攻撃を防いでいた。

 隊長が舌打ちをする。その間にも刀は軌道を変えて脳天めがけて振り下ろされるが、今度は隊長が守る番であった。
 素早く引き抜かれたのは小太刀。弾くのではなく受け流す形で、デュラハンの攻撃は無力化される。
451 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 17:00:40.00 ID:S3Fp1WnN0

 背後から襲う参謀と狩人。限りない前傾姿勢で突っ込んでくる参謀の背後では、死角を除すためにナイフを握った狩人が控えている。
 ダッキング気味に加速する参謀。腹の大穴はいつの間にか修復されていた。

デュラハン「遅いっ!」

 振り向きざまに今度は右手に握っていた刀すら投擲した。驚愕しながらも参謀はそれを打ち落とすが、デュラハンから視線を移動させたその瞬間、反転したデュラハンが向かってくる。

 狩人の投擲。寸分違わず関節を狙う正確さは、しかし地面から生える刃の壁で妨げられた。そのまま迂回しながら投擲用の鏃を取り出す。

 参謀とデュラハンが一瞬で肉薄した。

 震脚とともに重たい拳が構えられる。
 参謀は己の体を限界まで使役するつもりで魔力を充填、解放、体を駆け巡らせた。

 同時に刀が数本地面から生える。今度は刃ではなく、柄を上にした状態で。
 デュラハンは素早く新たに現れた柄を全て掴んだ。そのうち一本を右手、残りを左手で握り、突貫する。

 拳と刃がかち合って歪な音を奏でる。
452 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 17:01:18.19 ID:S3Fp1WnN0
 デュラハンが大きく下がると、それに追いすがる形で参謀は前進していく。拳と刃は数度ぶつかり合って、ついに刃が根元から折れた。

デュラハン「どんな体してるんだ、あんた!」

 叫ぶ彼の声は愉悦に満ちている。まるで今が世の春とでも言うように。

 参謀はあくまでも無言で、ここが好機と加速した。摩擦がないかのような動きでデュラハンの懐に潜り込み、溜めを作る。

 デュラハンの体から生えた数十もの刃が、そうはさせじと襲いかかる。
 絶妙なタイミングで参謀は後ろに跳んだ。
 途端にデュラハンの視界が白く染まる。あまりの光量に立ちくらみさえ覚えるほどの。

 参謀の背後から巨大な火球が向かっていた。

デュラハン「あ、まぁああああああいっ!」

 左手の刀を全て投擲する。
 火球にそれらは当然飲み込まれていくが、あまりの質量と速度が巻き起こす旋風に、火球が大きく揺らめいて拡散。そこにデュラハンが突っ込む。

 ほとんど無傷で抜けたデュラハンの目の前には老婆がいる。
453 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 17:06:05.90 ID:S3Fp1WnN0
 爆裂音。爆裂音。爆裂音。
 老婆の魔力が爆発という形でデュラハンを襲う。生身の人間ならひとたまりもないそれであるが、しかしデュラハンの勢いを殺すには足りない。たった数秒で切迫が完了し、

 地面から生える刀をデュラハンが手に取る。

 流れる動作で投擲。

 そして、大上段からの一撃。

 音のない衝撃が空間を揺らす。
 咄嗟に老婆が張った十枚重ねの障壁を、デュラハンは八枚まで刀で叩き割った。そこで刀の動きこそ止まったが、デュラハン自身の動きは止まらない。

 地面から生えた刃が老婆の体とローブを引き裂いていく。さらに持っていた刀を捨て、新たに生えた刀を握り、そのまま襲いかかる。
 間に隊長が割って入る。

 横への一閃。バックステップで回避してもデュラハンは止まらない。退避よりもはやい速度で迫る漆黒と刃を、隊長はがっちりと受け止める。
 人外と力比べなどするつもりはなかった。が、それはデュラハンも同様だった。刀を捨てて左手の刀を振るう。

 小太刀で防ぐが勢いを殺しきれない。力に負けて思わず後ろへ押し出される。
454 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 17:06:31.69 ID:S3Fp1WnN0
 デュラハンの投擲。回避し、体勢のさらに崩れたところへ、新たな刀を両手に握ってデュラハンが来る。

 唐突にデュラハンが反転、両手の刀をまたも投擲。背後から近づいてきた参謀がそれを打ち落とす。

 地面から近づかせまいと刃が無尽に生える。さながら金属の薄野原の上を参謀は走り、デュラハンへと蹴りを繰り出した。
 その足すらも叩ききろうと地面より刀を抜いてデュラハンが迫る。
 足と刃が邂逅する寸前で、唐突に参謀の体が後ろへと急激な移動をする。まるで見えない手か、おかしな重力に引きずられるように。

 デュラハンの刃が大きく空振る。

 と、彼は自らの頭上がいきなり翳ったことに気が付いた。
 肩の上に、デュラハンの無い首を跨ぐ形で、狩人が弓をその鎧の内部に向けている。

 弦の風を切る音。

狩人「っ!」

 放たれた矢は殆ど動かず、デュラハンによって掴まれていた。そればかりではなく狩人の足も同様に。

 力一杯に狩人は放り投げられる。地面で数度跳ね、木に激突してようやく止まった。
455 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 17:07:09.19 ID:S3Fp1WnN0
デュラハン「数的有利はあるとはいえ、俺と対等なんてね。驚きだよ」

デュラハン「見せてあげよう――この俺の刃を!」

 言い終わると同時に、地面から鋭い光が発せられる。
 光の粒子が下から上へと吹き上げられ、掻き消えていく。

老婆「く――うぅうううっ!」

 全てに合点がいった老婆は大至急、かつ大規模の障壁を展開しようと試みる。が、それよりも圧倒的にデュラハンのほうが早かった。

 魔方陣は展開されていた。ただ巨大すぎただけで。

 ヘキサグラムの中心、六角形の空白地点で、彼らは戦っていたのだ。

 俯瞰すればおおよそ1キロメートルの直径を持つ魔方陣が、デュラハンを中心にして描かれているのが見える。光を抱くその魔方陣は、規模こそ巨大であるけれど、魔法陣としては何ら珍しいものではない。
 デュラハンが見せ続けていた召喚魔法の正体。召喚対象を刀のみにすることによって、数、速度を飛躍的に増幅させる工夫がなされている。

 無差別的に刃を生やせばどうなるか――単純な答えだ。魔方陣に含まれる部分が全て刃の林となるだけである。
 が、そこで原形をとどめていられる生物が、いったいどれだけいるだろうか?

デュラハン「生き残って見せてくれよぉおおおおおっ!?」

 魔力の奔流が陣に流し込まれる。

 ずぐん、と地面が揺れた。
456 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/05(金) 17:07:39.31 ID:S3Fp1WnN0
 老婆と狩人は地面に落下した。老婆が、なんとか距離の近かった狩人とともに、可能な限り遠くへと転移したのだ。
 とはいっても魔方陣の半径から逃げ切ることはできなかった。比較的密度の薄い部分を択んだはずではあったが、それでも体中は傷だらけで、何より老婆の左足の先がなくなってしまっている。

 激痛に顔を歪めるが、命があっただけでも僥倖である。狩人は急いで止血帯をし、上部をきつく縛って応急処置を施す。

 デュラハンの姿は刃の林で見えなくなっている。隊長と参謀の姿も。

狩人「二人は……大丈夫かな」

老婆「なんとか生きてるじゃろ。参謀に酷使されてれば、そのはずじゃ」

老婆「あいつらは死んでも死なぬ。勇者と同様にな」

狩人「勇者も……生き返ると思うけど、どうかな」

老婆「あー、そのことなんじゃが」

 老婆は脂汗をぬぐい、言う。

老婆「あいつなら必死の塔に飛ばした」

――――――――――――――――
457 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福島県) [sage]:2012/10/05(金) 17:12:15.28 ID:RcFLQOKuo
乙乙
458 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/05(金) 18:28:47.73 ID:vA8S2v5IO
459 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:27:44.86 ID:nvk55JaF0
――――――――――――――――

参謀「……無茶苦茶しますね」

 突き立つ剣先に立つ参謀。その脇には隊長が抱えられている。

デュラハン「それは俺の台詞だよ。期待以上の強さで、俺は嬉しい」

 林の中心でデュラハンは剣を生み出し、柄に手を添える。

デュラハン「迸りが止まらないよ。強い存在と戦うために俺はこの世に生を受けた。複数とはいえ、こんな良い戦いができたのはいつぶりだろう」

隊長「四天王ってのは全員ストイックなのか」

デュラハン「魔族はどうしても本能に縛られてる。抗えない性質が、確かにあるんだ」

デュラハン「でも、人間だってそれは同じだろう? 個体が多いからバラけているように見えるだけさ」

 デュラハンは戦わずにはいられない。アルプは刹那の享楽に身を投じずにはいられない。ウェパルも、鬼神も、程度の低い魔物でさえも、本能からは逃れられない。
 理性の有無は問題ではないのだ。たとえ血の涙を流しながらでも為さねばならぬ心的脈動。睡眠、食事、性交、そしてもう一つの衝動は、確かにある。それは人間も例外ではない。
460 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:28:15.30 ID:nvk55JaF0
 人間は限りなく利己的だ。いや、生物が遺伝子の乗り物である以上、利己的でなければいけない。
 大のために小を犠牲にする残酷さが人間の本質であり、衝動である。

 参謀は一歩前に出た。ちらりと兵站所を見やって、無事であること、即ち彼の部下の生存を確認する。

参謀「十分戦ったんじゃないですか。はっきり言って、僕たちを見逃してもらいたい」

 彼らの任務は決してデュラハンを倒すことでも、ましてやデュラハンの衝動を満たしてやることでもない。その申し出は当然であった。

 デュラハンは無言で剣を投擲した。
 高速で迫る剣を、参謀は剣の林の上を走って避ける。同時に隊長は反対方向へと刀を抜きながら飛ぶ。
 彼の傷はあらかた塞がっていた。血の飛沫は飛び散らないにせよ、痛みは依然として尾を引いている。逐一歯を食いしばらなければならない程度には。

 飛び上がったデュラハンの一閃。隊長が刀で滑らせて防ぎ、その間に、背後へ参謀が音もなく滑りこんでいる。
461 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:29:17.24 ID:nvk55JaF0
 魔法陣が光った。デュラハンの体から生えた幾つもの刃が参謀の体を貫くが、参謀は止まらない。重要な器官だけを守りながら足を掬う。
 バランスを崩したデュラハンへ隊長が刃を叩きつける。大上段に振りかぶった、速度と重量のある攻撃。

 急遽生やした刃ではそれを完璧に受け止めるには至らない。三本まとめて叩き負って、漆黒の鎧の右腕部に半分ほどの切り込みを入れる。

 驚愕と舌打ちは両者ともにであった。隊長はまさか両断できなかったと、デュラハンはまさかここまで深く切り込まれたと。
 血液は出ない。デュラハンの鎧の中身がどうなっているのかはわからないが、さもありなんというところではある。

 ぞくり。
 隊長の全身を怖気が貫く。

 あるはずのないデュラハンの瞳が光って感じられた。

 思わず飛びのこうとするが、それよりも早く鎧より刃が生える。

隊長(間に合わねぇっ!?)

 内心の絶叫。
 と、途端に重力の方向が変わったような、襟首を引っ張られたような力が隊長にかかる。
462 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:29:52.68 ID:nvk55JaF0
 刃を間一髪で回避した体は不自然なまでのスムーズさで剣山の上に収まった。

隊長「ありがとよ」

参謀「僕一人じゃ勝てませんから」

 言って、二人は半身になった。

 参謀の魔法は人体操作。単純な強化から運動神経の支配まで、一通りはこなせる実力者である。だからこそ剣山の上にも立てれば痛みに怯まず殴りかかることもできる。
 先程彼は、隊長の身体を一瞬支配し、無理やりに退避の行動をとらせたのである。

デュラハン「俺は君らを見逃すつもりはない」

参謀「それでも逃げたら」

デュラハン「部下を殺すよ」

参謀「……」

デュラハン「それでも足りないなら、周囲の街を襲う。そうすれば強い兵士が派遣されてくるんだろう?」

隊長「この戦闘狂が!」

デュラハン「なんとでも言うがいいよ! 俺は、今この瞬間を生きる!」

 二刀を振ってデュラハンは地を蹴った。
463 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:30:48.75 ID:nvk55JaF0
 急激な加速。素人目には転移魔法にしか見えない速度で、隊長ににじり寄る。

 縦横無尽の剣戟が降り注ぐ。手数は多いが、見合わないほどの重さと速度を誇る攻撃を、隊長はなんとか捌くことしかできない。
 刃と刃がぶつかるたびに火花が散り、肌を傷めつけていく。

デュラハン「この世は腐ってる! 腐って腐って腐りきって、もうどこもかしこもぐずぐずじゃないか!」

デュラハン「甘ったるいあの腐敗臭が鼻を突くんだ! 政治とか、未来とか、考えることにどんな意味がある!?」

デュラハン「結局争いの中でしか存在は保てない! だからっ!」

 横から突っ込んでくる参謀に対して剣を投擲して牽制する。稼げたのは一秒程度だが、鈍化しつつある時間の中では、その一秒の価値は絶大だ。
 左右から袈裟切り。隊長を確実に殺しにくる一手。
 人間相手ならば空いた懐に刃を突き立てればいい。しかし、対峙しているのは魔族の貴族たる四天王。どうやって殺せば死ぬのかすら曖昧だ。

 隊長の判断は、それでも、攻めることだった。

デュラハン「刃物で語ろう! 存分に!」
464 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:31:20.58 ID:nvk55JaF0
 全てが色を失っていく。流れる景色。溶け出していく思考。
 見ているものと見ていないものの境界線は模糊としている。そこに頭脳の余地はない。骨と筋肉と、それらをつなぐ神経だけが、強酸で焙られた果てに残っていた。

 高揚! 高揚! 高揚!

 抜刀。
 無駄のない動きで放たれた刃は、デュラハンの胸を貫通する。

 ほぼ同時にデュラハンの刀が首を刎ねようと迫る。息を吸い込みつつ紙一重で回避するが、左の耳が吹き飛ばされた。

 デュラハンはたった今振った剣を捨てた。軽くなって素早く動く右手を、返す刃で逆方向へと持っていく。
 虚空より現れる刀。繰り出される速度は迅雷。

 大きく刀が宙を舞った。

 デュラハンの右腕を参謀が力一杯に蹴り上げ、その軌道をずらす。

 隊長は刀を捩じりながら力を籠める。
 鉄を引き裂きながら、隊長の握る刃が抜けた。隙間からは暗黒が見えるばかりで、肉も、血も、窺い知ることはできない。
465 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:32:09.67 ID:nvk55JaF0
 漆黒の騎士はひるまない。力任せに動かす左手はそれでも十分必殺の一撃。
 それは今度こそ弾かれなかった。身体操作すら間に合わない刹那で、参謀は己の左手を捨てる覚悟を決め、隊長との間に割って入る。

 痛覚に触れない鋭さの断裂。

 参謀の血飛沫が舞う中を隊長の咆哮が劈いた。

 右から左へ斬撃。突き。突き。大きな一閃。
 流れるような連撃は防御に用いた全ての武器を使い捨てにしていく。デュラハンは新たに二刀を生み出しながら攻勢に出た。

 片方で攻撃を捌きながらの唐竹割り。

 一歩下がって回避される。追撃のための踏み込みを狙って、背後から参謀が飛び込んでくる。
 踵を使った打ち下ろし。鎧が大きくぐらつくが、倒れる気配はない。しかしぐらつきさえあれば今の二人には十分だった。

 視線の交差。意思の疎通。
 殺せぬモノすら殺すべしという。
466 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:32:37.70 ID:nvk55JaF0
 不安定な剣山の上で、人間二人が大きく踏み込んだ。
 体は止まらない。止める気もない。
 彼らは感じていた。ひしひしと感じていた。デュラハンが確実に人間の敵であるという事実は、最早疑うことはなかった。

 魔族がどうとか、四天王がこうとか、そういうことではない。

 デュラハンの衝動。強者との戦いのためならば手段を問わないその性向こそが、人類の敵なのだと。

 彼ら二人は別段愛国者ではない。無論愛国心はあれど、それは一般人程度にであって、ゆえの兵士であるとか、逆に兵士ゆえのであるとかはなかった。
 最早作戦の遂行を鑑みる余裕もない。畢竟、部下である兵士たちや周辺住民よりもさらに遠いところまで来ていると言ってしまってもいいだろう。
 そんな目先の人命よりも遥か先の脅威が、眼前には立っているのだ。

 だからこそ止める。
 今、ここで、殺しきる。

 参謀の正拳突き。深く腰を下ろした体勢から放たれる、必殺の一撃。
 大きくデュラハンの体が吹き飛ばされた。地面とほとんど水平に飛んでいくその先には、隊長がいる。

 白刃が煌めく。昼の太陽を反射し、弧を描く刃。

 無言と無音が、極僅かな時間、空間を支配する。
467 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:33:24.69 ID:nvk55JaF0
 信じられないほどの驚愕がもたらすそれら。たっぷり一分ほどの一秒が経過して、隊長はようやく、自らの右腕が存在しないことに気づく。
 目の前の巨大な刃に視線を奪われていて。

 巨大な刃――そう、三十センチはあろうかという幅広の刃が地面から生えていた。
 デュラハンは吹き飛ばされながらもそれを踏み台にして攻撃を避け、上空高くから隊長の腕を切り落としたのであった。

 着地したデュラハンは「レ」の字に形を振るった。隊長は目を見開くばかりで対処できない。
 震脚とともに参謀の突進。しかし焦燥は攻撃を直線的にしすぎる。片手しかないのも大きなハンデであった。

 左手でデュラハンが拳を受け止める。腕を円運動させぐるりと回すと、たやすく参謀は体勢を崩す。
 刃と刃の隙間に落ち込んでいく参謀。鋭い刃先が体中を切り刻んでいく。

 同時に、デュラハンの刀が隊長を大きく切り裂いた。剣圧で肋骨の部分が大きく抉れ、血と肉の交じり合った赤黒いものが、べちゃべちゃと地面にまき散らされる。

隊長「――ッ!」
468 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:34:04.57 ID:nvk55JaF0
 足に力を籠めようとするが、できない。
 上半身と下半身の接合があいまいだった。足はしっかり地面を踏みしめているのに、上半身が揺らぐ。
 いや、揺らいでいるのは彼の意識か?

 口から血が伝って落ちる。何か言おうとするたびに、空気の混じった血が口角から吐き出され、言葉にならない。

 そんなはずはなかった。このままではいけなかった。
 それだのに。

隊長(こんなところで、死ぬのか?)

 しかし発奮にも限界がある。体が頭の言うことを聞かない。まだ戦えるのに。デュラハンをここ殺しておかなければ、のちの脅威になるのはわかりきっているのに。

デュラハン「きみたちは実にいい戦士だった。――無様な最期を遂げるのは本懐ではないと思う。一思いに終わらせてあげよう」

デュラハン「さらば。実に楽しいひと時だったよ」

 刀を構えたデュラハンが、無慈悲の一撃を放つ。
469 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:34:55.88 ID:nvk55JaF0

 頽れたのはデュラハンのほうだった。

 鎧の脇腹が大きく抉り取られ、ぽっかりと穴が開いている。
 そこからは、恐らく血液に類似した存在なのだろう、黒い靄が空気に流れて溶けていく。

 デュラハンの体がついにバランスを崩した。膝を折り、刀すら取り落とす。
 その一撃で決まったわけではない。が、デュラハンは身に起こったことが理解できなかった。いったい何が起こったというのか。

デュラハン(二人とも戦闘不能なはず――!?)

 視線を向けた先で、デュラハンは全ての合点がいった。
 同時に、いまだ嘗てない高揚のこみあげてくるのも感じられた。
 言うなればこれは隠しステージだ。エクストラステージだ。終わっても終わらない、醜く浅ましい、けれども神秘的な生命の生き様。

 もしくは生命に対する冒涜かもしれない。

デュラハン「と、言うことはっ!」

 背後からの剣戟をぎりぎりで弾き、横へいったん逃げた。虚空から刀を取り出して構える。

 視線の先には参謀と隊長が立っていた。
470 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:36:20.74 ID:nvk55JaF0

 二人の背後に、黒い屍と、彼らに巻きつく黒い糸が見える。
 切り落とされたはずの二人の片腕は、黒い糸で接合される形で復元されていた。抉られた隊長の腹部こそ戻っていないが、どうやら痛みは感じていないようである。

デュラハン「自動操作……人ならざる領域じゃないの、それ」

隊長「往生際の悪い男なんだよ、俺たちは」

参謀「王城に召し上げられてなければ、今頃は禁術の罪で死刑ですよ」

参謀「あぁ――死にたい」

 三人が飛び出すのはほぼ同時であった。

――――――――――――
471 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:37:13.79 ID:nvk55JaF0
――――――――――――

 森の中、刃の林が遠くに見える位置で、老婆の通信機が震えた。

 老婆は眉を顰める。早く二人に加勢しなければいけないというのに、魔法経路は王族直轄のものであったからだ。

老婆「なんじゃ! こっちは今取り込み中じゃ、要件なら早く済ませていただきたい!」

国王「作戦の途中経過を聞きたい。参謀にも隊長にも連絡がつかないのだが」

 老婆は通信機から顔を離し、舌打ちをした。

老婆「……補給基地は無事殲滅、占領に完了。現時点では外部に漏れていないと思われます。が……」

国王「が?」

老婆「……魔族の襲撃を受けました。四天王、デュラハンです」

 通信機の先から国王の驚きは伝わってこない。一秒ほどおいて老婆は続ける。

老婆「魔法妨害を受け、満足に転移魔法が使用できません。また、敵の巨大な魔法使用を確認、いったん退避しています」

老婆「隊長と参謀は現在継戦しております。私たちもここから合流し、デュラハンの討伐を」

国王「いい」
472 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:38:52.36 ID:nvk55JaF0
老婆「いい、とは」

 俄かには王の真意が辿れず、老婆は思わず聞き返す。

国王「いい、ということだ。魔族、しかも四天王の相手など、無理にする必要はない。ここで今そなたを失うつもりはない」

老婆「しかし、王。隊長と参謀は」

国王「あの二人ならば善戦してくれるだろう。死んでも戦い続けてくれる。そのためにあいつを雇っているのだ」

老婆「お言葉ですが! あの二人ではデュラハンに勝ち目がないかと存じます」

国王「問題は二人の兵士を失うことではない」

 「兵士」という言葉を強調して、王は続けた。

国王「戦争に勝つためにはお前の魔法力が必要だ。イレギュラーな事態が起こったならば仕方がない。帰還し、合流してくれ」

国王「こちらもそろそろ準備が整う。攻めるぞ」

老婆「……わたしの、魔法力、ね」

国王「いつぞやのようにな」
473 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:39:45.94 ID:nvk55JaF0
老婆「……」

国王「この国のためだ」

 視線を刃の森のほうに向ける。そこではデュラハンと二人がいまだ戦い続けているはずだった。

 二人の命よりも大局的なものが重要であるという意見に老婆も否やはなかった。
 なかったが……。

 喉元まで出かかった言葉を嚥下する。個人のほうを重視するなら、なぜ嘗てそうしなかったのか。
 何千という敵兵を国のために殺しておいて、今更国を蔑にすることは、比類なき大逆ではないのか。

老婆「……わかりました」

国王「ご苦労。なるべく早い帰還を待つ。それでは」

 音もなく通信が切れる。

 傍らでは石に腰かけた狩人が老婆を見ている。その瞳に映るのは心配の色だ。
 狩人はあくまで口数が少ないだけで、心がないわけではない。老婆はなんだか心がほっこりするような気がした。
474 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/15(月) 11:41:43.27 ID:nvk55JaF0
狩人「行くの?」

 声音に詰問は感じられない。狩人は所詮部外者で、単なる旅人だ。兵士のしがらみなどとは無縁の世界に生きてきた。
 彼女にとって老婆の住む世界は理解できなかったが、だからといって無意味だと切り捨てるほど愚かでもなかった。

老婆「あぁ」

狩人「私は、行かない」

老婆「そうか」

 そうなのではないかと思っていた。そもそも国王は老婆についてしか言及していない。その他大勢に含まれる狩人のことなど、当然覚えてもいないのだろう。
 だからこそ彼女は二人に合流しようというのだ。助けに行こうと。
 例え敵が強大だとしても。

老婆「ここで、お別れじゃな」

狩人「お別れ」

 狩人が手を出す。老婆はきょとんとした顔をするが、笑ってその手を握った。

狩人「また、今度」

老婆「また、今度」

―――――――――
475 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/15(月) 13:06:19.28 ID:58ojzNnIO
476 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福島県) [sage]:2012/10/15(月) 14:34:23.85 ID:KAsxAuW+o
乙乙
477 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/15(月) 18:20:44.83 ID:SvF/Y3G4o
面白い 乙
戦闘描写もわかりやすい表現を使ってくれるから場面を想像しやすい
478 : ◆yufVJNsZ3s [sage]:2012/10/15(月) 22:14:24.45 ID:qgC0G8i+0
ありがとうございます。そう言っていただけると、遅筆ながらも速度もあがろうものです。
現在17万文字に届くかというところで、しかしまだ終わる気配はありませんが、
どうか気長に完結までお待ちくだされば幸いです。
479 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:22:12.00 ID:itCyvvs/0
―――――――――

 剣が舞う。
 それは字面の上では剣舞と酷似しているが、決して剣舞そのものではない。というよりも、寧ろ優雅さとは対極に位置するものだ。

 猛獣のような咆哮。

 野生の猛りが空気を震わせる。

隊長「うぉおおおおおおっ!」

 自慢の彎刀はなまくらになっている。しかし、そんなこと委細構わず、彼はひたすらにそれを振り回す。
 縦横無尽の攻撃を、デュラハンは軽傷で何とか済ませる。鎧の端ががりがりと削り取られていくが、そんなことを気にしている隙に鉄はデュラハンの体を叩き切るだろう。

デュラハン(だからと言って――!)

 背後からの気配を察し、視線すら向けずに体を逸らす。刃を展開しながら、自身も傷つきながらの無理やりな回避。
480 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:23:08.89 ID:itCyvvs/0
 間一髪で背後から突進してくる参謀とかち合わずはすんだ。そのままバックステップで距離を離し、手を一振り。

 剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が剣が!

 銀色に鈍く光る驟雨が二人に降り注ぐ。

 隊長が大きく剣を振るった。剣圧で十八本中の十五本を両断し、残りを参謀が砕く。

 二人が翳る。上空へ視線を向ければ、大きく飛び上がったデュラハンが大上段に構えた大剣を――

 振り下ろす。

 大地が揺れた。
 刃の林が軒並み吹き飛んで、数多の破片が平原へと散らばる。
 重力の力を借りているとはいえ、受け止めることを考えさせない破壊力を有していた。あまりの衝撃で二人は攻撃することすらできない。

 大量に舞い上がる土煙の中より腕が伸びた。
 漆黒のそれはそばにいた参謀の手首を掴み、そのまま関節を折りにかかる。

参謀「――っ!」

 皮膚の下から尋常ならざる音が響いた。まるで飴玉を噛み潰したようなざらりと耳に障る音だった。
 参謀の目が大きく見開かれる。

 が、しかし。

 次に驚愕を覚えたのは、あろうことかデュラハンのほうだった。
481 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:23:37.09 ID:itCyvvs/0
 参謀が、折れた腕をそのまま叩きつける。

 デュラハンの鎧が大きくひしゃげ、同時に参謀の左腕が衝撃に負けて千切れ飛んでいく。
 舞い散る鮮血。皮膚の破片と肉の欠片。
 そんなことをできるのが人間であるはずなどないほどに、目の前の存在は殺意を漲らせていた。

 試合に勝って勝負に負けたような納得のいかなさが、漆黒の騎士を支配する。
 否。彼が気づいていないだけで、すでに彼はおおよそ不利な戦いに身を投じていた。何故ならば彼が好むのは戦いであり、命の削りあいであるからだ。
 そしてそれらは決して戦略的ではない。

 すでになまくらを握った隊長が逼迫していた。
 突き出される剣先をデュラハンは手刀にて叩き折ったが、決して勢いは止まらない。腹部に食い込んだ鋼がそのまま吹き飛ばしにかかる。

 足を引いて踏みとどまった先にはすでに隊長はいない。

 ぎらりと地面すれすれで何かが光る。
 それが、デュラハンが今まで使い捨ててきた刃だと判明するのに、そう時間はかからない。しかしその一瞬で隊長はデュラハンの胴体へと鋭い斬撃を放っていた。

 間に合わない。

 デュラハンの判断は迅速で、冷静で。
 だからこそ誰にも共感されない。

 しかし、彼は言うだろう。共感に一体どんな意味があるんだい? と。
 俺たちはでたらめに走り続ける矢印なんだから、と。
482 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:25:46.07 ID:itCyvvs/0
 右腰から左肩にかけて大きく刃が躍る。
 隊長は自らの右手に確かな手ごたえを感じていた。何千何万と巻き藁を切り倒し、何百も魔物を切り伏せてきた感覚が、確かに殺したと告げている。

 ずしゃり。
 地面に漆黒の鎧、その上半分が落ちて散らばる。
 鎧の中には何もなかった。

隊長「どういう――!」

参謀「上です!」

 見上げる先に黒い何か。

 その「何か」は一見すると人の形をしていた。筋骨隆々の大男。身長は二メートルはあるだろうか。腕も、胸板も、太く厚い。
 ただし、その「何か」は決して人ではなかった。光をどこまでも吸収する漆黒。そして霧状に溶けている下半身。

デュラハン「こんな姿を見せるなんてね」

 手を振ると空気を震わせて光がまとわりついた。そうして、すぐに光は漆黒の鎧へと変化する。

 足首に手が巻き付いた。

デュラハン「――っ!?」

 垂直跳びで数メートルを飛びあがった――肉体操作で無理やり体を使役しているだけで、体をつなぐ黒い糸すらぶちぶちと音を立てている――参謀は、そのまま刃の林へと投げ飛ばす。
 金属の砕ける音と土煙。二人は瞬きすら待たずにその中へと突進していく。
483 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:26:52.04 ID:itCyvvs/0
 デュラハンを庇うように刃の壁が続々姿を現す。それすら気にせず参謀は体ごと突っ込んだ。体に刃が食い込むことなど気にもせず。
 切り裂かれ、落ち、欠けた個所は即座に黒い糸が補修する。すでに彼らに痛覚はない。鼓動すら魔法で補っている状況なのだ。人間と呼べるものではない。

 前を行く参謀の背中を蹴って隊長が飛び出した。手にはまたも拾った剣がある。

隊長「潰すっ!」

 五月雨切り。
 前後左右の見境なし、出せる限りの手数を出し切る子供の喧嘩染みた斬撃は、まるで無策のそれであった。
 デュラハンは衝撃に目を丸くしながらも、あくまで静かな思考で向かってくる二人を分析する。

 だからこそ、彼には焦燥が生まれていた。

 デュラハンの手刀が隊長の左外耳を切断し、肩を粉砕する。体は大きくぐらつくも剣の軌道だけは唯一安定している。
 剣がデュラハンの腹を裂いた。横から入った剣先は、けれど横に抜けることはなく、円の軌道を描いて臍のあたりから抜けていく。
484 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:28:03.82 ID:itCyvvs/0

 黒い靄が霧散する。

隊長「うぉああああああっ!」

 雄叫びとともに隊長は両手で剣を握った――両手で!
 折れて使い物にならないはずの肩は、確かにひしゃげた外見をしている。どうやってもそこから先など動きそうにない。
 それでも彼は、彼らは、動けるのだ。最早彼らの体は彼らのものではなく、魔法のものなのだから。

 霊視によってかろうじて見える、体内を駆け巡る黒い糸。それが筋繊維と神経系の代理をして健常に見せかけているのだ。

 返す刃の速度は神速。
 長年の鍛錬のみが可能にする、生物の反応速度を上回る必殺の一撃。

 デュラハンは長らく味わったことのない恐怖を感じた。それは焦燥をさらに煮詰めた先にあるものだ。
 なんだかわからないがやばいと、彼はそう思ったのだ。

 魔方陣が作動する。淡く光を生み出し、さらにそこから派生して、大量の刃先が隊長へと向かっていく。

隊長「知るかぁっ!」

 隊長はそのまま剣を振るった。

 デュラハンの足が両方消え去り、遠く離れた地面へと転がっていく。
485 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:43:56.32 ID:pPv+eC4q0

 肉を裂き、骨を砕く音。串刺しになりながらも、それを力技で引き抜いて、地面に倒れ伏すデュラハンへ隊長が飛びかかっていく。

 なんだかわからないがやばいと、彼はまた思った。

 よくわからないが、これはこのままではいけないと。
 死ぬことはないが、負けるのではないかと。
 背中を見せて無様に逃げるのは自分なのではないかと。

 眼前に迫る隊長と切っ先。

デュラハン「頭おかしいだろ君らっ、勝てないとわかってるのに――」

 剣を生成、黒い靄を足の形に再形成して、デュラハンは鋭く後ろへ跳んだ。

参謀「勝てます」

 背後で参謀が呟いた。
 すでに参謀はデュラハンの後ろに切迫している。

デュラハン「――っ!?」

参謀「僕らが例えここで死んだとしても――兵士が例え何千人死んでも、国民が一人でも残っていれば」

参謀「最後に残ったのが僕らの国民であるなら」

 参謀は感慨深げに、もしくは吐き捨てるように、繰り返した。

参謀「それは僕らの勝ちです」
486 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:45:53.20 ID:pPv+eC4q0
 デュラハンは今度こそ耐え切れなくなった。参謀の左ストレートを防御し、その勢いを使って距離を取る。

デュラハン「気が、狂ってる」

隊長「戦いを楽しむために何でもする、そんな存在には言われたくないな」

 二人が飛びかかってくる。あくまで真剣な表情で、魔法に操られながら。

デュラハン(駄目だ、こいつら話にならない!)

デュラハン(何度殺してもこいつらは突っ込んでくる! 肉と骨を犠牲にして、俺の一秒を稼ぎに来る!)

デュラハン(物理攻撃で俺が死ぬことはないけど、あまり魔力を浪費させられるのも、また不味い)

デュラハン(最悪自分と一緒に俺を磔にするくらいはやってのけるだろう。目の前の二人からは、そんな凄みを感じるっ!)

デュラハン(そして何より……今更気が付いたが、こいつは、そうなのか?)

デュラハン(だからあいつが向かって……)

デュラハン(もし本当にそうだとしたら、なおさら不味い!)

デュラハン(自動操作ごと切り捨てなければっ!)

 二人の攻撃を捌き、受け、時に喰らいながら、デュラハンは魔力を貯めていた。このいつ終わるかも知れない地獄から脱するために。
487 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:47:03.40 ID:pPv+eC4q0

 魔方陣が、そしてそれが刻まれている大地が大きく光を放ち始める。
 しかし二人の攻撃が休まる様子はなかった。最早彼らは防御を考える必要がないのだ。生き残ることを考える必要がないのだから。

 デュラハンは大量の剣を空中に出現させ、それを二人目がけて発射する。それで二人の足止めができるとは思っていない。が、攻撃を受けた際に起こる数秒のラグを期待してのことだ。

 二人は体を切り刻まれながらも決して止まらない。傷ついた部分はすぐさま現れた体内の黒い糸が修復していく。
 その間、僅かに全身の動きが鈍った。

 そしてその刹那を見逃すデュラハンではなかった。

デュラハン「来いっ! 天下七剣の壱、破邪の剣!」

 虚空からデュラハンが抜き出したのは、一本の細身の剣である。それまで彼が使っていた無骨な刀や剣とは違う、レイピアに近い、細剣だ。
 刀身にはルーンが刻まれ、淡く光を放っている。魔族によっては見ることすら嫌がるものもいるだろう、それほど強い破邪のルーン。

 精緻な細工の刻まれた柄をデュラハンは掴んで、それを構える。

 破邪のルーンは、どんな魔法すらも切り裂く。

 例え自動操作だろうとも、黒い糸が切れてしまえば。
488 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:48:13.39 ID:pPv+eC4q0
 デュラハンは渾身の力で剣を振るった。裂帛の気合いを叫ぶ余裕などなかった。ただ一刻も早くこの終わりない戦いから身を引きたいと願っていた。
 そんなことは初めてだった。

 いや、彼は信じていた。こんなものは戦いではないと。
 彼が相手にしているのは個人であって、決して国家ではないのだ。

 それでも、驚愕と恐怖の中に、確かに興奮があった。今まで会ったことのないタイプの敵に、どうやっても抑えきれない昂ぶりの萌芽が、漆黒の中にひっそりとあった。
 デュラハンは、存在しない自分の口角が上がるのを、確かに感じる。

 衝撃がデュラハンを襲った。

 手首に突如受けた衝撃によって、剣の軌道が大きく逸れる。
 地面を大きく切り付け、そこから眩いほどの光が立ち上った。天まで届かんばかりの光のヴェールに、デュラハンは自ら体をよろめかせる。

 手には矢が三本突き刺さっていた。

狩人「間に合った」

デュラハン「もう手遅れだ!」

 デュラハンは叫んで、彼方を向いた。
 狩人でも隊長でも参謀でもないほうを。

 狩人は彼が何を言っているのか全く理解できず、つい同じ方向を向いてしまう。
489 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:50:18.60 ID:pPv+eC4q0
 船が。

 空中に、浮いていた。

 何十という魔法で編まれた武装船団。
 その集団に囲まれた、黒い瘴気の塊。

「あははははははははははははははははははははははははは」
「けたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけたけた」
「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」
「ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇ」

 吐き気のするほど凄絶な笑顔を浮かべて、ウェパルが立っていた。
 体から顔にかけて刻まれた文様が、赤紫色にどす黒く発行している。

ウェパル「デュラハン」

 一言一言が呪詛であった。
 一文字一文字が刃であった。

 狩人は、そして隊長と参謀の二人でさえも、自分がこの場にいてはならないことをすぐさま感じ取る。
 言葉のやり取りを聞くだけで蒸発するなんて、そんなことは願い下げなのだ。

 考えるよりも体が動いていた。狩人は大地を蹴って二人の元へと移動し、なんとかここから逃げ出そうと試みる。

 しかし。
490 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:51:37.73 ID:pPv+eC4q0
 激痛でもって初めて、狩人は自分の体に鏃が突き刺さったことを知った。
 緑色のオーラが弾け、鏃は空気中に霧散する。魔法で編まれたウェパルの武器だ。

 即座に洞窟で見たウェパルの力、腐敗を一瞬で進める力を思い出し、狩人は死を覚悟する。が、ウェパルは狩人に一瞥をくれただけで何も行動に起こそうとはしなかった。

ウェパル「あんまり隊長には近づかないでね」

 そう言うだけで。

 ウェパルはデュラハンに向き直る。

ウェパル「なんで隊長殺そうとしてんの? もう死んでるの? どっちでも、いいんだけどさ」

デュラハン「……」

ウェパル「なんか言ったらどう」

 デュラハンは大きくため息をついた。

デュラハン「そいつが君の言う『隊長』だとは知らなかった。さっき思い出したくらいだ」

ウェパル「そんなことはどうでもいいの。死んで、って言ってるの」

ウェパル「隊長はボクのものなの。ボクのものなんだから。海の底に沈んだものは全部ボクのものだ」

ウェパル「だからデュラハンは手を出さないで。死んで」

デュラハン「断ったら?」

ウェパル「死ね」
491 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:52:37.54 ID:pPv+eC4q0
 全砲門が弾けるような音を上げた。
 目に見えない、魔法で編まれた弾丸。質量が存在せず、それでいて物理法則を完全に無視するそれは、どんな身体能力でも逃げることはできない。

 土煙の中からデュラハンがぬっと顔を出した。鎧はぼろぼろだが、中の黒い靄には揺らめきひとつ見いだせない。

デュラハン「どうにもそいつらとの戦いは楽しくて仕方がないんだ」

 言って、デュラハンは虚空に手を突っ込む。

デュラハン「天下七剣、竜殺し‐ドラゴンキラー‐」

 大仰な名前とは裏腹に、小さなカタールであった。しかし刃に内包された弾けそうなエネルギーは、遠くから見ているだけでもすぐにわかる。

デュラハン「天下七剣、隼の剣」

 羽と猛禽をあしらった剣であった。破邪の剣と同様に細身だが、すらりと長い。
 二振りの剣を握り締め、デュラハンは懐かしむように言う。

デュラハン「いつぶりだっけ、きみと戦うのは」

ウェパル「きみが生まれた日に一回、これが二回目」

デュラハン「そうか。あのときは魔王様もいたんだよな」

ウェパル「何百年前だったか――」
492 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:54:23.56 ID:pPv+eC4q0
 と、唐突にウェパルが膝をついた。
 苦悶の表情を浮かべ、隊長をちらりと見やる。

ウェパル「ボクは……人間に……」

 なりたかった、のか。

 ウェパルはそれ以降口を噤んだ。いつの間にか文様の発光がおさまっている。

 いや、違う。
 顔を上げたウェパルの瞳は、すでに黒く濁り始めていた。

 狩人は今しかないと判断した。隊長はデュラハンを止めたそうにしていたが、膨れ上がるウェパルの圧力に、それ以上前に進むことはできない。

参謀「部下たちは……」

狩人「気になって、見てきた。出るに出られなくなってたから、事情を説明したら、本当に危なくなったら転移石を使うって」

狩人「そのせいで助けに来るのが遅くなった。ごめん」

参謀「いや、いいんです。ありがとうございます」

参謀「これ以上の作戦の続行は不可能と判断します。帰還しましょう」
493 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:55:11.26 ID:pPv+eC4q0
参謀「隊長さんも」

 ウェパルに対して苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている隊長は、参謀に声をかけられてびくりと体を震わせた。が、たっぷり一秒使って、首を縦に振る。

デュラハン「俺を忘れちゃいないかい?」

 二刀を構えた状態でデュラハンが迫ってきていた。
 三人が迎撃態勢を作る。

ウェパル「させない!」

 砲弾がデュラハンを襲う。デュラハンは剣を破邪の剣に持ち替え、素早くそれを両断した。

ウェパル「隊長を、隊長をぉおおおおおっ! こ、ころっ、こ!」

 言葉を何とか押しとどめようとするウェパル。しかし言葉はどんどん胸から湧き上がってくる。コールタールの泉が、そこにある。
 文様が妖しく光り始める。

ウェパル「うっ、うっ、うぅうううぅううっ! こ――ころ、殺すのは!」

ウェパル「ボクだっ!」

参謀「ポータル、用意できました。早く!」
494 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/10/19(金) 13:55:50.63 ID:pPv+eC4q0
 空間にぽっかりと開いた穴に参謀、狩人と飛び込んでいく。

狩人「早く!」

 服を掴んだ狩人の手を、隊長はにこやかに笑って、そして、

 振りほどいた。

 穴に吸い込まれていく狩人。戻ろうと思えば当然戻れるのだろうが、あまり長くつなげていられない。参謀の残存魔力的にも、外界の脅威的にも。

隊長「俺は、だめだな。あいつの辛い顔、見たくねぇんだよなぁ」

 そう言って、駆け出していく。

参謀「何してるんですか!」

狩人「隊長が!」

 参謀は一瞬息を呑んで、そしてわずかに視線を下に向けた後、反転する。

参謀「行きましょう」

狩人「でもっ」

参謀「僕の仕事は、最後に自国民が立ってるようにお膳立てすることです」

狩人「……」

 狩人は振り返って、穴の外に出ていく。

狩人「私には、そんな生きかた、できない」

 穴が急速に縮小していく。もう時間がないのだ。
 飛び込むタイムリミットが近づいても、狩人はもう振り向かない。隊長の姿も、穴の中からは見えない。

 参謀は大きくため息をついた。

参謀「あぁ――死にたい」

――――――――――――――
495 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/20(土) 00:00:12.37 ID:TnEnbquDO
496 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/10/20(土) 10:30:09.43 ID:UWtN45B+0
おつ
497 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/05(月) 22:48:27.56 ID:jGPmnd3Ko
どうした?
498 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:39:49.36 ID:i6iad9cF0
――――――――――――――――

 勇者は目を覚ますと同時に腰の剣を抜いた。

勇者「……?」

 おかしい。自分は死んだはずだ。デュラハンと戦っている最中、剣に腹を突き刺されて。
 しかし、だとするならば、なぜ自分が大森林の中にいるのだ?
 混乱はしていたが、それもまたコンティニューの力だろうとは想像できた。復活する際に必ずしも死んだところでは復活しないのは、これまでの経験からも明らかだ。

 とりあえずは現在の位置を把握する必要がある。狩人たちにも合流しなければいけない。

勇者「四天王、デュラハンか」

 武人という言葉がしっくりとくる佇まいだった。そして四天王という立場がしっくりとくる手強さでもあった。生半可では勝てそうにもない。

 少し歩くと川があった。遡上なり下降していけば、自分たちがいたところに戻れるだろうか。
 勇者は考え、ひとまずあたりを見回す。

勇者「なんだ、あれ」

 視点が定まる。
 大森林の奥、木と木の隙間にうっすらと、明らかに場違いな建物が見えた。
 象牙色した尖塔である。決して大きい建物だとは言えない。が、仮に宗教公国のそばであるとしても、こんな森の中にまで信仰施設を立てるだろうか。
499 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:40:21.12 ID:i6iad9cF0
 とにもかくにも現在の位置がわからなければ、どこに向かうべきかもわからない。勇者は誘われるように象牙の塔へと歩いていく。

??「くきぃえええええぇいいいぃっ!」

勇者「!?」

 突如として近くの茂みが大きく揺らぎ、中から黒い巨大な影が勇者へと飛びかかる。

 咄嗟に勇者は剣を突き出した。がきん、と剣先に衝撃を感じる。
 見れば一匹の猪であった。瘴気に侵され、歪んだ口の端から止め処なく涎を零している。黒くまだらになった皮膚も瘴気の影響なのだろう。

 猪は地面を擦り付けながら勇者を押し込んでくる。口から生えた牙は鋭く、突かれれば感染症の危険性は大いにあり得た。

 勇者は目を細める。今はこんな畜生に構っている暇など、ない。

 森の中を一瞬だけ閃光が照らす。鋭く音が二、三度弾けたかと思えば、猪は全身から煙を噴き上げて倒れる。
 勇者お得意の電撃魔法である。今更野生動物に毛の生えた――野生動物には無論体毛はあるのだが、言葉の妙だ――程度の存在に後れを取るような勇者ではなかった。

??「ひっひっひ、流石に一筋縄ではいかぬか」
500 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:41:50.83 ID:i6iad9cF0
 木々の隙間からしわがれた老人が現れる。濃い緑のローブの向こうの顔は窺えないが、瘴気を確かに感じる。人間か、それを辞めた存在か。

老人「これ以上先には行かせんぞ。ここから先は必死の塔。武人以外が入れる場所ではない」

勇者「必死の塔」

 勇者は反芻した。なるほど、象牙の塔は決して信仰施設ではないのだ。

老人「親切心じゃ。デュラハン様の機嫌を損ねる前に――」

 老人に構わず勇者は駆けだした。慌てた老人が火炎魔法を放ってくるが、勇者はそれを容易く回避し、剣で老人の腹を貫く。

 声にならない声を老人が挙げた。勇者はそれを聞いて、随分と汚い声で叫ぶものだなと感じた。
 彼には使命があるのだ。囚われの少女を助けるという、重大な使命が。
 必死の塔に辿り着いたことを勇者は運がいいとも偶然だとも思っていなかった。そして、だとするならば、恐らくは老婆の意思が働いたのだろう、と思った。

 老婆は勇者に少女を助け出してほしいのだ。
 勇者はそれに否やはなかった。もとより初めからそのつもりである。老婆の気持ちがわからぬほど、そして少女を見捨ててもいいと思うほど、彼は二人と短い時間を過ごしていない。

 老人の体を蹴って刃を引き抜く。絶命した老人の体は存外重く、どさりと地面に倒れた。
501 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:42:51.95 ID:i6iad9cF0
 倒れた「ソレ」に一瞥もくれず、勇者は真っ直ぐ必死の塔へと歩いていく。腰には愛用の剣が一振り、短剣が二振り。
 また道具袋を括り付け、中には魔法の聖水が入っている。

 行く手を阻むように鎧が現れた。一瞬デュラハンかとも思ったが、鎧の色が違う、大きさも違う、何より迫力が違う。眷属か、ただの無関係な衛兵か。

さまよう鎧「ココカラ、サキ、トオサナイ」

 剣を抜いた鎧が、地面と水平に伸ばす。勇者は何かの気配を感じて視線を横へやる。

勇者「仲間か」

 スライムが数匹周囲に漂っていた。青い、透き通った体。クラゲのようなフォルムで、黄色い触手が伸びている。

 一直線に勇者は駆けた。走りながら剣を振ると、鎧はそれを剣で受ける。
 鎧の力は十分にあった。重量がある。動く気配のないのを悟ると、反撃を想定して一歩後ろに下がる。

 鎧は追ってきた。見かけどおりの鈍重な足運び。
 周囲を見回し、スライムたちの攻め気がないのを確認して、勇者は剣から片手を離す。

 呪文の詠唱。左手に雷撃が溜まっていく。
502 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:43:21.04 ID:i6iad9cF0
 打ち下ろしを剣で守るが、両手と片手ではやはり満足に防ぎきれない。弾かれ、剣先が地面に食い込むが、カウンターで電撃を鎧に叩き込む。
 鎧は衝撃でわずかによろめき、木にぶつかる。

 光が鎧を包んだ。

 すぐさま立ち上がり、勇者へと剣を突き出してくる。
 予想しない速度での復活に、勇者は完全に反応が遅れた。体をねじってかわすが、腰骨の上を刃が通っていく。

 ぬるりとした液体が地面に落ちる。痛みはある。が、死なないと思えば恐怖はない。

 勇者は鎧よりもまず周囲のスライムたちへと視線をやった。恐らく、あの光は回復魔法のそれだ。そして鎧が魔法を使ったようには見えないので、スライムたちが術者なのだろう。
 多勢に無勢の戦いなど、勇者は今まで幾度となく繰り返した。回復魔法を使う敵との戦いもまた。

 殺気を向けられたことに気付いたのか、スライムたちが一斉に触手を伸ばしていく。自在にうねる触手は一見回避が不可能そうに見えるが、なんてことない。
 勇者が剣を振るって、向かう触手を切り落としていく。

 触手はどうやら再生するようだが、その速度は遅々としている。触手を切り落としながらスライムたちへと進んでいく。
 背後からの鎧の攻撃もケアしながら、勇者はまず一匹、スライムを切り伏せた。

 断末魔は聞こえない。両断すればどろりと溶けて、地面に落ちる。
503 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:43:52.39 ID:i6iad9cF0
 死んでしまえば回復魔法など意味がないのは承知の通りだ。そのまま鎧と数度打ち合い、蹴り飛ばして距離を稼ぐ。
 触手がその隙をついて右手首に巻きついた。ギリギリと締め上げるその力は、ともすれば骨すら砕きかねない力だ。

 もしもそれが勇者でなければ十分に効力を発揮しただろうに。

 ごぎん、という音とともに勇者の右手があらぬ方向へと折れ曲がった。勇者の神経を激痛が引っ掻き回すが、しかし彼にとっては痛みなど慣れっこだ。

 一刀のもとにスライムが両断される。

勇者「お前らにかかずらわってる暇はねぇんだよなぁ」

勇者「ぶすぶす焦げとけ」

 閃光が迸った。
 勇者から放たれた魔力の波動、それは雷撃の性質を持って、スライムたちを一斉に打ち落とす。
 スライムたちは雷撃を受けたところから溶けていき、消失する。

 けたたましい音を立てて向かってきた鎧が、大きく剣を振りかぶった。しかし、デュラハンと先ほどまで戦っていた勇者には、その動きがあまりにも鈍重に思えて仕方がない。

 リーチを読み切って、半歩後ろに下がるだけで攻撃を回避する。そうして剣に雷撃をまとわせ、無造作に鎧の腰を断絶させる。

 上半身と下半身が分離した鎧は、けれどどうやら生きているようではあった。もがいているが起き上がれないようで、無力化に成功したといってもいいだろう。
504 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:48:31.20 ID:i6iad9cF0
 勇者は刃毀れがないかを確認し、道具袋から薬草を取り出して食んだ。苦いこの草は全く得意ではなかったが、それでも覿面に聞くため文句は言えない。

勇者「……」

 前方で、何か大軍の蠢くのが見えた。

 魔物の軍勢だ。
 恐らくは、必死の塔を守護する、デュラハンの配下。

 ふつふつと込みあがってくるものを勇者は確かに感じていた。そしてそれは、その存在だけなら遥か昔から感じていたものだった。

勇者「上等だ」

 勇者は口を大きく開いて、唾を吐き捨てる。

勇者「俺の前をふさぐんじゃねぇ!」

―――――――――――――――
505 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:49:22.86 ID:i6iad9cF0
―――――――――――――――

 土煙が立ち込め、戦況の確認は死角では難しい。老婆と、そして参謀は、儀仗兵たちからの報告を逐一羊皮紙と地形図上にまとめ、リアルタイムで指揮を執っていた。

 大陸の中心から東北にずれた位置にある山岳地帯。王都から隣国の王都へとつながる最短経路であると同時に、交通の要衝でもある。
 本来ここは単なる関所であるのだが、隣国の采配によって、現在要塞化されていた。その手筈の見事さに、老婆も参謀も、隣国もまた戦争の臭いを嗅ぎつけ準備をしていたのだと悟る。
 ゆえに、これからの戦いが決して楽ではないことも。

 デュラハンとの戦いから二日を経て、王国軍と隣国軍はついに衝突した。各国から忠告などがあったようだが、両軍ともそれを聞き入れることはなかった。

 老婆は羊皮紙と地図に視線を落とす。

老婆「彼我の戦力差は800対1500。戦力の内訳は、歩兵が800、儀仗兵400、救護兵150、技術兵150か」

老婆「戦力差は二倍以上だが、防衛されている拠点の攻略には三倍程度の兵力が必要だという。このままだと膠着状態だな」

老婆「ぐずぐずしていると隣国の王都から本隊が到着する。また、迂回ルートで別の地点から攻め込まれるかもしれない」
506 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:50:03.20 ID:i6iad9cF0
老婆「現在、戦況はどうだ?」

儀仗兵長「まさしく膠着状態という形です。白兵戦では優勢を保てていますが、敵は要塞に障壁を張っているため、儀仗兵の魔法は遮断されます」

儀仗兵長「逆に一方的にあちらは魔法を打ち込んでくるため、あまりアドバンテージはありません」

老婆「負傷者については」

儀仗兵長「適宜後方に送って回復を待っています。死者の数はそれほど多くはありませんね。ただ、これから増えるとは思われます」

 老婆は息を吐いた。高台にある会議所からは、戦況が一望できない。凹凸に囲まれてわかりづらいのだ。

老婆「本当にこれは必要な戦いなのだろうか」

参謀「それ以上はダメです」

 参謀はいつもより薄暗い顔をして、ぎょろついた目を老婆に向ける。

参謀「考えちゃダメです。それは、僕らの仕事じゃないです」

老婆「……」
507 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:50:31.87 ID:i6iad9cF0
 参謀は先日ぼろぼろになりながらも帰ってきて、ぽつりと一言「隊長は死にました。死ぬつもりです」とどっちつかずのことを言ったのだった。
 それ以上老婆は尋ねるつもりもなかったし、そうしてはいけないのだと思っていた。彼の全身に自動蘇生を酷使した跡が残っていたことも含めて。

参謀「けど、障壁ですか。厄介ですね」

儀仗兵長「現在後方部隊が解除を試みているようですが、まだ時間はかかりそうです」

参謀「老婆さんなら壊せませんか」

老婆「実力行使で、か? やれなくはないが……被害が出る」

 参謀はゆっくりと立ち上がった。首を回し、肩と足首も次いで、ほぐしていく。

老婆「行くのか」

参謀「はい。ま、五十人位なら殺せるでしょう」

儀仗兵長「ちょっと、勝手な行動は!」

参謀「大丈夫ですよ、僕は前線で指揮してるほうが性に合ってます。それに、隊長さんの代わりも、務めないとですし」

儀仗兵長「あなたの白兵能力は買ってるけど、戦争は一人でやるものじゃないわ」

儀仗兵長「勝手な動きをしたら、軍法会議にかけられることだってあるのよ」

参謀「そんなのわかってますよ」
508 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:52:17.81 ID:i6iad9cF0
老婆「行かせてやれ」

儀仗兵長「でもっ!」

老婆「儂らがいなくとも、王城で見ているやつらがなんとかする。そういうものじゃ」

儀仗兵長「それは、そうですが……」

参謀「では、行ってきます」

 参謀は地面に薄く粉を撒いた。そこが淡く光ったかと思うと、参謀の姿が一瞬で消える。

 老婆と儀仗兵長は遠くの土煙を見た。鬨の声と地鳴りがここまで聞こえてくる。あそこで戦いが行われているのだ。換言すれば殺し合いが。
 こうしている間にも通信は入り続けている。老婆はそれを無心で羊皮紙に書き写し、そして地図に今後のプランをくみ上げていく。

 勝敗は細い綱を渡っているようなものだ。どちらに落ちてくるか、誰にもわからない。ちょっとのそよ風で変わることすらも有り得る。

 老婆は自分が唇を噛み締めていることに気が付いた。
 勇者の志は、彼女にはとてもよくわかった。

―――――――――――――――
509 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:52:46.11 ID:i6iad9cF0
―――――――――――――――

 剣戟。剣戟。剣戟!

 最早前後不覚も極まれる。自分が東西南北どちらを向いているのか、わからない。疲労困憊ですぐにでもたたらを踏んでしまう。
 額から流れてきた汗が目に入り、刺激に思わず目を顰める。間の悪いことに視界の端で緑色の鎧――敵国の歩兵の鎧が近づいているのを捉えてしまった。

 振り上げられるロングソード。俺は死を覚悟する。せめて一思いにやってくれよ、と。

兵士「ぐあああああっ!」

 血飛沫を上げて緑の鎧が倒れこむ。その背後からは同僚のビュウが現れた。剣を振り下ろした状態で止まっている。
 兜の隙間から流れる金髪が顔に張り付いていた。端正な顔も歪んでいる。優男のくせに役に立つ男なのだというのは年上に対して言い過ぎだろうか。

 ビュウ・コルビサ。軍人で、俺と同じマズラ王国の第三歩兵大隊第五班に所属している。階級のついていない下っ端であるというのも俺と同じ。

ビュウ「大丈夫か、ポルパ」

ポルパ「名前を略すな。俺はポルパラピム・サングーストだ」

ビュウ「命の恩人になんてー口の利き方だよ」

ポルパ「それとこれとは」

 俺は地を蹴って、ビュウの背後に忍び寄っていた敵兵の刃を弾く。
 ビュウがその場で反転、体を捩じって刃を放った。敵兵は左腕を落とされて地面に伏せる。
510 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:54:07.46 ID:i6iad9cF0
ポルパ「……これでおあいこ、だろ」

ビュウ「大体ポルパラピムって言い辛いんだよな」

ポルパ「そんなことを言われても困る」

??「おう、二人とも無事か!」

 騎馬に跨って現れたのは、直属の上司であるコバ・ジーマ。幾つもの戦の経験を持つ、初老の戦士だ。そして俺たちの戦闘教官でもある。

コバ「戦場を移すぞ。東の部隊が押されている」

ビュウ「いいんですか、基地を目指さなくて」

コバ「砦には防御魔法がかけられている。迂闊に手を出せん」

ビュウ「了解しましたよ」

ポルパ「ルドッカは?」

 俺は同僚の女兵士の名前を出した。彼女もまたコバを師とする下っ端兵士だ。
 俺と、ビュウと、ルドッカ。俺たちは年齢こそ違えど同期で、入隊からこれまで、いくつもの過酷な訓練を乗り越えてきた血盟の同志である。

コバ「ルドッカには殿を務めてもらっている。じきに追いつくだろう」

コバ「俺は先に行っている。お前らも早く合流してくれ。密集地帯だとどうしても魔法は使えないからな」
511 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:54:39.30 ID:i6iad9cF0
 騎馬に鞭を入れ、コバが砂煙をあげながら駆け出していく。
 現在、攻城戦は俺たちマズラ王国軍が優勢であるようだが、あちらの基地はどうにも堅守だ。兵は拙速を尊ぶ。それは何もせっかちというわけではなく、兵站や、戦略的意味もある。……のだという。受け売りだ。

 長くとどまればとどまるだけ兵站も必要になる。時間を稼がれている間に別働隊がこちらの都市を攻めてくる可能性だって有り得る。
 攻城戦は防御側が有利なため、攻める側はどうしても多くの人数を攻城に割かなければならない。それはつまり、ほかの防御が手薄になるということだ。

 また、密集状態での乱戦ともなれば、儀仗兵たちが後方で唱える魔術もどうしたって難しくなる。俺たちは敵の剣で命を落とすことはよしとしても、仲間の火球を背中に受けて死にたくはない。

 儀仗兵は集団で呪文を唱え、ある程度広範囲に兵器としての魔法を降らせる。混戦になってしまえば味方まで薙ぎ払ってしまう。それは当然向こうも同じだが……。

 そういっている間にも、流れ火球が俺たちに向かって飛んできた。それは十メートルほど離れた地点に落ち、大きな爆発音とともに土塊を巻き上げる。

ビュウ「……早めに行くか」

ポルパ「そうだな」

 俺たちは駆けだした。

 砂煙の中を突き進み、対峙した敵兵と剣を交えながら、俺はどうしても故郷のことを思っていた。正確には、故郷においてきた幼馴染のことを。
512 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:55:29.71 ID:i6iad9cF0
 口うるさい女だ。同い年のくせに、半年ばかり早く生まれたことを理由に、俺に対して姉さん面するのだ。子供のころこそ仲は良かったが、今ではもうそれほど話すこともない。

 決して美人ではなかった。くせのある髪の毛で、本人はそれを嫌がっていた。俺もその意見には同意だった。
 肌だって農作業のせいかいつも日焼けで赤く、おしゃれでもない。

 それでも、なぜか愛嬌はあった。ただいつも元気でにこにこしていたからだろうか?

 王様が映像魔法で国内に声明を発表した日、俺は道場で剣の修業をしていた。幸か不幸か、俺は辺鄙な田舎の農村にあって、大人を圧倒できるくらいには強かった。
 兵士に志願すれば金が手に入る。それも、数年分の収入に匹敵するくらいの大金だ。農家の二男坊の命の値段にしては破格だと言える。

 兵士になると言い出したのは俺からで、両親はそれを止めはしなかった。ただ小さくうなずいて、「そうか」と言っただけだった。
 国のために戦うといったが、それは嘘だ。ただ俺はあんな娯楽も何もない村を飛び出して、都会でうまくやりたかっただけなのだ。酒と女を味わって、自分の腕を試したかっただけなのだ。

 戦争なんて起こらない。起こったとしても死ぬはずはない。さすがにそこまで楽観的ではなかった。けど、俺は全然そんなことはどうでもよかった。
 そう、どうでもよかった。

ビュウ「ポルパ!」

 ビュウの声がかかるとともに、兵士が三人、こちらに向かってくる。長剣、長剣、メイス。ビュウが長剣へと向かうので俺はメイスへと向かった。
513 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:56:05.83 ID:i6iad9cF0
 メイスが振り下ろされる。鈍重だが、重い。剣で受けてもこんなオンボロすぐにぽっきり折れてしまうだろう。そう判断して回避した。
 風を切る音が俺の耳に届く。思わず息を細く吸い込んでしまう。

 カウンターで剣を突き出す。切っ先がメイスの皮鎧を突き破って肩口に食い込む。しかしメイスの動きはちぃとも鈍らず、なかなかの速度でメイスを振り上げてきた。

 視界が赤くなる。

 それが、近くに火炎弾が着弾したのだと理解した時には、すでに俺たちは吹き飛ばされた後だった。
 魔法の火炎の独特なにおい。プラスして、これは……そうだ、反吐の出るにおいだ。皮膚が燃えるにおいだ。

 幸いにも燃えているのは俺の皮膚ではない。そして不幸にも、メイスの皮膚でもなかった。誰かわからないが、太った人間の焼死体が転がっている。
 いや、ソレはまだ熱にもがき苦しんでいた。決して死体ではない。

 が、最早戦えない存在など一顧だにする価値はなかった。そして自分のそんな考えにすら反吐が出かける。人間のクズじゃないかこれは。
 いや、今更か。したたか打ち付けられて痛む左半身を無視して俺は立ち上がった。

 剣がない!

 どこへ行った? 今の爆発で手を離してしまったのか。なんていう失態だ、命綱を自ら話しちまうなんて!

 メイスを殺さなければいけないのに……ん?
 あった。
514 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:56:37.33 ID:i6iad9cF0
 俺は素早く火達磨が握っていたのであろう剣を拾う。メイスは今まさに立ち上がろうとしている最中。
 メイスが手を出して顔面を守ろうとする。それは殆ど反射だったのだろう。斬撃を手のひらで受けられるわけがないのだから。

 両手に力を籠め、俺は大きく振り上げた。
 肉と骨を断つ、固く、重い感触が確かに伝わる。剣は確かにメイスの手を切断し、顔面に食い込んだ。
 血と歯が舞った。メイスはびくんびくんと痙攣して地面に突っ伏する。

  剣がひん曲がってしまった。別の剣を探さないと。

 最初に思ったことがそれで、また血と炎の臭いで、吐き気がヤバイ。戦争が始まって二日。昨日の時点で胃の中は空っぽになって、もう何も残ってないというのに、これ以上何を絞り出すんだ俺の体よ。

 体と頭は別だった。もしくは、俺の精神だけが浮遊していた。
 えずく。

 朝からステーキを食わされたみたいな最悪の気分だ。

 戦場は地獄。だからこそ俺たちがいる。この世に地獄があることを一般に広く知らしめないためにも。
 幼馴染の幻影が見える。頑張れ、頑張れと応援してくるが、うるさい、黙れ。
 あいつの姿をこんなところに持ち込むな。

 あいつは平和な村で平和に生きて、適当な奴と結婚して、子供を産んで、死んでしまえばいいんだ。
515 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:57:15.23 ID:i6iad9cF0
 拳を振った。あいつの姿は掻き消える。
 ざまぁみろ。

ビュウ「ポル、パ」

 足元でビュウが俺を呼ぶ声がした。

 足元?

ビュウ「くそ、いってぇ、なぁ」

 ビュウの脇腹に、剣が突き刺さっている。

 俺の剣だ。

 いやいやまさかそんなと頭を振っても現実は変わらない。偶然? 必然? そんな理由に何の意味がある?

 ビュウが全く困ったもんだぜと言った。そんなんじゃないだろうと俺は思った。なんなんだお前はと、俺は思った。

ビュウ「そんなこと言われても」

 どうやら口に出していたらしい。ビュウは眉根を寄せて俺に微笑んだ。こんな時まで優男風だ、くそ!

 俺には何もできない。救護班まで送り届けるか? どうやって? 転移石の支給なんて下っ端の俺たちにはされてないのに!
516 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:57:41.16 ID:i6iad9cF0
 剣を抜くべきじゃないのはわかった。俺はとりあえず、本当にとりあえず、わからないながらもビュウの肩の下に体を入れて、足に力を込める。
 細身のくせに重たい。筋肉がしっかりついているのだ。なんだこれ。なんでこんなに重いんだよ。
 冗談じゃない。冗談じゃねぇぞ。

 力の入っていない人間は軽いなんて、俺は信じないぞ!

 思わず足を滑らせて俺はビュウごと地面に倒れた。体に力が入らない。疲れてるのだ。仲間一人支えてやれないなんて仲間失格だ。

 ちらりと見えた俺の手のひらは真っ赤だった。ビュウの体も、また。

 え?

 俺の体も?

 なんで俺の体に。
 剣、が。

 あ――?

 ぐらりと空転する視界。ビュウから地面へ。地面から空へ。空から、緑の鎧へ。
 いつの間に出てきたんだお前は。
 卑怯者め。

 剣を抜かなきゃ。
517 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:58:25.82 ID:i6iad9cF0
 いや、そんなことができるはずはないのだ。だって俺の剣はビュウの腹に突き刺さってるから。
 何より、俺の右手はたったいま、俺の支配下から逃れたから。

 手首から鮮血が噴き出る。もぎたてのトマトみたいな色。幼馴染のあいつが、好きだった色。
 それでもあいつはきっと血は好まない。俺には分かる。

 ……夜這いでもかけとくんだったなぁ。

 急速に視野が狭まっていく中、さらに緑の鎧が頽れたのを、俺は見た。
 血にまみれた拳の、噂にしか聞いたことのない、参謀殿のご尊顔を拝見した。

 ひたひたと足音が聞こえる。

 ひたひたと。

 俺は手を伸ばした。そこに誰かがいるような気がしたから。人間ではない何かが。

 でもきっと、そんなのは俺の気のせいだと思う。いや、絶対にそうだ。

参謀「あなたたちの犠牲は無駄にしません」

 そんな言葉が聞こえる。こいつは俺の名前を知ってるんだろうか? 知っているはずがない。だって、所詮俺たちは雑兵なんだ。

 いいか、最後に教えてやろう。俺の名前はポルパラピ

――――――――――――――――――
518 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:59:03.99 ID:i6iad9cF0
――――――――――――――――――

 着弾確認の合図が届く。自軍も巻き添えにしたようだが、なに、どうということはない。ここからでは人の死はわからないし、いずれそれは数字に変換されるだけだ。

 観測手がタイミングと方角の指示を出す。次撃、南南西に二度調整、三秒後に詠唱開始、一種三級魔法火炎礫を三連。オーダー。

 詠唱開始。

 発射。

 着弾確認。

 次撃指示。調整なし、五秒後に詠唱開始、魔法種同上、単発。オーダー。

 魔力の枯渇の合図があった。後方支援大隊一種魔法隊第十四班は一度下がり、代わりに十五班が詠唱を開始する。

セクラ「先輩、戦争ってこんなもんなんですか」

 一年坊のセクラだった。回復用の聖水を呑みながら、あっけらかんとした様子で俺に言う。

セクラ「ハーバンマーン先輩が驚かすから、どんなふうかなって思ってたんですけど」
519 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 02:59:39.71 ID:i6iad9cF0
 ハーバンマーン。俺と無意味に張り合ってくる、あの出来の悪い男のことを想像するだけで顔が歪む。やめてくれ。
 俺のそんな表情を読みとったのか、セクラは慌てて頭を振って、

セクラ「ジャライバ先輩の機嫌を損ねるつもりはなかったんですよ?」

 俺はわかっているという風に頷いた。名門ムチン家の流れを汲むこのジャライバ・ムチンがあんな男に気を取られるはずもないのだ。
 そこをあえて言葉には出さず、態度で示してやるというのがいわゆる嗜みというやつである。

儀仗兵長「調子はどう」

 休憩所の扉をくぐってやってきたのは儀仗兵長だ。初老のおばさんで、物腰柔らかな淑女。魔法の力も理論も確かにずば抜けて凄いが、一つだけ言わせてもらえば、他国の出自というのが惜しい。

ジャライバ「特段異常はないです。前線のやつらの頑張り次第じゃないですか」

ジャライバ「前線はどうなんですか」

儀仗兵長「押しつ押されつ、といった感じらしいわ。均衡しているというよりは、ある個所で前進、ある個所で後退、というような」

ジャライバ「基地に手さえかかれば攻城槌で一発なんですがね。あんな障壁さえなければ、俺一人で壊滅させられますよ」
520 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:00:14.88 ID:i6iad9cF0
儀仗兵長「……そうですか。頑張ってください。尽力、期待してます」

ジャライバ「言われなくてもそうしますよ。こんな埃っぽいところにはあんまり長く居たくないですし」

儀仗兵長「前線の一部で後退が始まっています。サポートをお願いします」

ジャライバ「兵長は?」

儀仗兵長「お手伝いをしたいのはやまやまなのですが、各部隊の報告の集積があります。これで失礼します」

 儀仗兵長が外へと出ていく。忙しいのは確かなのだろう。疲労の色が濃い。
 とはいえ、そんなの俺だって同じだ。朝から魔法を唱えっぱなし。単純な火炎魔法なのが不幸中の幸いだろうか。

セクラ「先輩、いきましょうよ」

 セクラが急かす。ほかにもぞろぞろと外へと向かっていく。全く、慌ただしいやつらだ。庶民はゆとりを生活に持たないから困る。
 しかし庶民に付き合うのも集団の中では悲しいかな必要なのだ。俺は椅子から腰を下ろし、外へと続く。
521 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:00:43.64 ID:i6iad9cF0
 外にはすでに十三班、十五班の面々が立っていた。どうやら三班合同での詠唱らしい。それまで巨大な魔法を唱えるとは考えにくい。質より量だろうか。

 十三班の隊長が指揮を執り、通信機を基にして方向、強さ、魔法種を指定していく。俺たちはそれに従って詠唱を開始、魔力を練る。

 三十数人の中心で魔力の塊がうねりを上げていた。渦巻く光。それに働きかけて炎の性質を付与していく。
 詠唱も終盤に差し掛かる。すでに何度も唱えている詠唱を、俺は無難に終わらせた。

 魔力の塊が一層の光を放ち、砕け散る。
 失敗ではない。粉々となった魔力の欠片が、拳ほどの散弾となって、細かく、しかし殺傷力も十分に、敵の陣営へと降りかかるのだ。

 丘の上からでは大して戦況を見ることはできない。しかし、今の俺には目をつむっていてもわかる。降り注ぐ炎に為す術もなく逃げ惑う敵兵の姿が!

 第二射の用意。俺は杖を握り、精神を集中させる。

 と、その時、生ぬるい風が吹いた。

 俺は思わず風上を向く。なんだかとても嫌な雰囲気が流れてきている。

 衛兵が死んでいた。

 え?
522 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:01:13.60 ID:i6iad9cF0
 思わず喉から変な声が出る。詠唱も止まる。止めてはいけないと、理解はしているのだが。
 魔力が不安定になって歪み始める。俺だけのせいじゃない。その証拠にほら、ほかのやつだってそちらを見て――

 セクラが倒れた。うつぶせに倒れたその背中に、大ぶりのナイフが一本、深々と突き刺さっている。
 いやいや、まさか、そんな。

「敵襲、敵襲ッ! 敵しゅ――!」

 叫んだやつもまた死んだ。人海を割ってナイフを振り上げる、黒い装束に身を包んだ数人が、俺の視界目いっぱいに入ってくる。

 太陽光がまぶしい。刃に反射したそれで、目が痛い。

 嫌だ、嫌だ! こんなの、嫌だ!

 衛兵め、衛兵め、俺を守ることすらなく死んでいきやがっ

―――――――――――――――――
523 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:01:42.54 ID:i6iad9cF0
―――――――――――――――――

ルドッカ「遅い……」

 嫌な予感を押し込めて私は槍に突き刺さった兵士の体を捨てる。だいぶ切れ味は鈍い。殆ど棍棒に近くなっている。それでも、大事な武器には変わらない。
 ルドッカ・ガイマン、二四歳。鍛冶屋の両親に作ってもらったワンオフを片手に、私は今日もまた、人を殺す。

 合流地点では自軍が大きく後退を余儀なくされていて、私はその殿を務めていた。追っ手の前に立ちふさがって、何とか時間を稼ぐ。

 刃を柄で弾き返し、そのまま遠心力を保って脳天へと打ち付ける。
 確かな手ごたえ。目の前の兵士は昏倒し、地面に倒れこんだ。じわりじわりと地面に鮮血が広がっていく。

 同じく殿を務める者たちの、鉄をぶつけ合う音がそこらで聞こえる。それに交じって、悲鳴や怒声や怨嗟、そして鬨の声も。
524 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:02:09.33 ID:i6iad9cF0

「痛ェ、いてぇよぉっ!」

「走れ! 右だ右だ右だ、そう、早く!」

「全員突っ込めぇっ!」

「欠員多数、どうしましょうか!?」
「てめぇの胸に手ェ当てれや!」

「誰か助け――ぐぇ」

「このまま攻め込むぞ!」
「そうはさせん!」

「早く救援を!」

 その救援が私なんだけど、声の主なんてわかりっこない。そもそも敵なのか味方なのか。
 友軍なら命を懸けて守り抜かなきゃならないし、敵軍なら命を懸けて追い返さなきゃならな。それが私の仕事なのだ。
525 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:02:39.48 ID:i6iad9cF0

 通信機からは依然何の連絡もない。泥仕合だ。せめて、せめて現状の把握さえできれば、この先の見えない戦いに希望も持てるんだけど。
 通信兵は恐らく死んだのだと思う。所詮私は遊撃隊で、便利な手ごまに過ぎない。頼れるものは仲間よりも自分の技術。

 もしかしたらここは切り捨てられたのかもしれなかった。ここを餌にして、大きく別働隊が今まさに切り込んでいるのかもしれなかった。シビアな考えこそが生存戦略なのかもしれなかった。
 かもしれない、と続けたところで不毛なのはわかっている。私だって、普段ならこんな堂々巡りを考えたりはしやしないのに。くそっ!

 火球が飛んでくる。十メートルほど先で炸裂したそれは土塊を巻き上げ、火が産毛を焼いて吹き飛んでいく。
 思わず細く息を吸った。下手したら死んでいた可能性もある。

 ぐ、と槍を握りなおす。力は入る。確かに私は、生きている。

ルドッカ「ケツに喰らいつきたきゃ、私を倒してからにしなっ!」

 煙を抜けてやってきた兵士を三人、真正面に見据え、大見得を切る。こちらもぼろぼろだがあちらもぼろぼろ。鋭い動きなんてできやしないだろうに。

ルドッカ「死ね!」

 それでも体は動くのだ。動いてしまうのだ。
 まるで黒い糸に操られるように。
526 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:03:13.87 ID:i6iad9cF0
 剣で肉を削がれながらも三人を倒す。倒れ伏した三人に、念には念を入れて槍の穂先を突き刺した。

参謀「お疲れ様です」

 音もなく、陰気な男が現れた。一瞬身構えるが、見たことがある。確か……そうだ、自軍の参謀だった、はずだ。
 参謀なのに前線に出る不思議な男として有名だった。茫洋としてわからないが、どうも実力のある魔法使いらしい。近接格闘タイプの。

ルドッカ「全然、状況がっ……はぁ、わからないん、ですけど」

 喋ると思わず噎せ返りそうだ。体が奮い立ってくれないのはもどかしすぎる。

 参謀は遠くを見据えるように目を細めた。

参謀「互いに戦線が伸びきっていて、このままでは敵の本隊が間に合ってしまいます。可及的に速やかに攻略する必要がある」

ルドッカ「そんなことはわかってるんですよ!」

 思わず大きな声が出た。

ルドッカ「……指揮系統が崩壊して、乱戦になってます。体勢を立て直さないと」

参謀「そう、ですね。三十分だけ持ちこたえてください。こちらも切り札を抜きます」
527 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:04:51.53 ID:i6iad9cF0
 この戦いは、否、この戦争は電撃戦でなければいけない。相手に対策の余地がないほどに素早く攻め込み、粉砕する必要がある。そんな目的なんて私は何度も聞いた。
 長引けば長引くほど不利になるんですよと、言葉が口元まで出かかった。三十分あればどれだけの数の命が失われるのかわからないのか。切り札とやらがあるなら、抜けるなら、今だろうに。

 わかっているのだ。参謀は恐らく、適当なことは言っていない。私は敵を一人でも多く殺して、味方を一人でも多く生かすのが役目。彼はこの戦争を勝利に導くのが役目。その差は大きくそして深い。

ルドッカ「三十分、ですね。本当に三十分あれば」

 突如背後から飛び出した黒装束の男――敵軍の特別遊撃隊の首根っこを捕まえ、へし折って、そのあたりに放り投げてから、参謀はこちらに顔を向けた。

参謀「……あれば?」

ルドッカ「……!」

 言葉も出ない。
 黒装束が手練れなのは明らかだった。そしてそれを容易く撃墜した参謀の鮮やかさは、私の技量を軽く上回る。人間業でないかのように。
 私は微動だにできてないというのに!

ルドッカ「……あれば、なんとかなるんですね」

参謀「それは、もちろん。保証します。だからあなたはこれ以上敵を進行させないでください。広がられると、厄介だ」
528 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:05:20.05 ID:i6iad9cF0
 私は槍をぐっと握り締めた。私には私にしかできないことがある。今は参謀を信じるしかない。
 頷いた。参謀に対してというよりは、自分の中での決意を確かめるため。

ルドッカ「わかりました。任されました」

 参謀は軽くうなずいて、奥歯を噛み締めた。苦痛に歪んだ理由に思い当たる節はないが、指摘するよりも先に、彼は風だけを残して姿を消した。転移魔法か、ポータルを使ったのだろう。
 少し遅れて、蹄鉄が地面を打ち鳴らす音が聞こえてきた。コバ。コバ・ジーマ。歴戦の強者で、私たちの指導教官でもある。
 彼は返り血に塗れていた。きっと私だってそうなんだとは、思うけど。

コバ「生きていたか」

 ぶっきらぼうにコバはそう言った。普段からこんな人柄だけど、戦場の彼は、いつもよりもっと無機質だ。心を努めて掻き消そうとしているのが見て取れる。

ルドッカ「参謀が来ました。暗い感じの男性で」

コバ「あいつか……何かされなかったか」

 眉間にしわが寄せられる。私はコバの背後にあるものを理解できない。
529 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:05:49.89 ID:i6iad9cF0

ルドッカ「三十分でいいから持ちこたえてくれ、と。切り札があるから、と」

コバ「いや、そういうことでは……まぁいい。それで、なに? 三十分だと」

ルドッカ「はい」

コバ「……」

ルドッカ「あの、教官?」

コバ「あいわかった」

 コバは手綱を引いた。途端に馬がのけぞり、大きく嘶く。
 戦場を劈く大きな嘶きだ。
 
 風が吹いた。ずぉおおおと音を立てて耳元を過ぎていくそれは、単なる風ではない。周囲の――敵も味方も問わない兵士たちの視線が練りこまれた風だ。
 コバが手に持ったハルバートを高々振り上げ、叫んだ。

コバ「やぁやぁ! 我こそは歩兵部隊第二中隊隊長、コバ・ジーマである! この殿を努めさせてもらう!」

コバ「友軍の背中を狙う者ども! 俺を乗り越えてからゆけぇええええっ!」

 栗毛の馬が地を蹴った。軽快な音とともに砂が舞う。
 振り回されるハルバート。当然剣の先はコバと、彼の足である馬に向けられる。それらを軽快なステップで回避し、もしくは無理やり馬ごと突っ込み、コバは友軍に追いすがる敵兵を蹂躙していく。
 私は自分の体が動いていないことにようやく気が付いて、びくっと振るわせる。
530 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:06:22.81 ID:i6iad9cF0
 コバの頭に矢が命中する。矢は大きな音を立てて弾かれこそしたけれど、その衝撃は消しきれるものではない。コバは思わず前後不覚になってぐらついた。
 そこを見逃さず敵兵たちは剣を向けてくる。私はとっさに彼らに指を向け、呪文を詠唱した。

 ぽすん!

 あまりにも幼稚な爆発だった。子供だましの、花火にも劣る白煙が、コバを中心として起きた。しかし、どんなちゃちな爆発だとしても、それは敵兵の動きを一秒止めるには十分だ。
 そして、一秒動きを止めていられたなら、詰めるにも十分すぎる。

 無我夢中で突き出した穂先が敵兵の喉を貫く。ぐぇ、という声、妙に固く、かつ柔らかい感触。体中を虫が這いずり回る――不快感が全身を支配するのだ。

 人なんて殺したくないのに!

 それでも、私は、

ルドッカ「死にたくない。殺させも、」

 しない!
531 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:06:52.39 ID:i6iad9cF0
 そのまま大きく槍を振って、近くの兵士をなぎ倒す。殺すことはできないまでも距離さえ取れれば問題はない。

ルドッカ「大丈夫ですか」

コバ「お前は逃げろ!」

ルドッカ「は?」

 何を言っているのかわからなかった。コバは優しい人だ。だからといって、職務放棄を促す人物ではない。それに、自惚れだとはわかっていても、言ってしまう。

ルドッカ「私がここを離れたら、誰が殿を守るんですか!」

コバ「俺がなんとかする。三十分間。お前はだから、できるだけ遠くへ逃げろ」

ルドッカ「ほかの皆は!?」

コバ「戦場でほかの皆とか考えてるんじゃあねぇ!」

ルドッカ「おかしいですそれは矛盾です! だって、教官――」

 ――自分一人で死ぬつもりじゃないですか!
532 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:07:22.37 ID:i6iad9cF0
コバ「うるせぇ! こちとらそんなこたぁ百も承知の上だ!」

コバ「この世にはな、大局的に物事を見られるやつがいる。その中には、見すぎちまうやつも、いる」

コバ「俺たちがそんな奴らのために何かしてやる必要はねぇ」

ルドッカ「意味がわかりません!」

コバ「それは俺がまだ軍人だからだ。喋りたくても喋っちゃならねぇことは喋らねぇもんだ。だけど、ルドッカ。何をやっても勝てればいいだなんてのは思い上がりだ。それは所詮人間の考えにすぎねぇ」

コバ「俺たちは確かに人間だ。神様じゃない。できることには限界がある」

コバ「だけど、だからこそ、俺たちは人間並みでないことを目指すべきなんだ。そうだろう」

コバ「目的を達成できないのは三流だ。目的を達成できて、まだ二流」

コバ「目的のために手段を選んで一流になる。それはつまり勇気があるってことだ。お前には勇気がある。俺には分かる。あっついハートが俺には見える」

コバ「だから、行け。手段を選んで勝て」

ルドッカ「いつか手段を選ぶために、今手段を選ぶなと!?」

コバ「そういうことじゃ――」
533 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:08:49.37 ID:i6iad9cF0
 コバが勢いよく振り向いた。怒りの冷めやらぬ中、それでも私も反射的に振り向いてしまう。長年の訓練の賜物というやつで。

ルドッカ「……なに、あれ」

 明らかに異様な存在がいた。丸太のように太い腕。樽のようなシルエット。白銀の甲冑に、長い剣。
 身の丈は約1・8メートル。兵士としては普通だけれど、気当たりのせいかもっと大きく見えた。

 コバの舌打ちが聞こえた。

コバ「来ちまったか」

ルドッカ「教官!」

 あれの正体を聞くより先に、コバが飛び出していく。最後に私に声をかけて。

 逃げろ、と。

 あれから逃げればいいのですか? それとも、もっと大きなものから逃げればいいのですか?
 どのみちあなたとみんなを置いて?
534 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:09:33.56 ID:i6iad9cF0
 そんなことできるはずがなかった。できるとも思えなかった。
 私はわかってしまった。私が加勢しても、あの白銀には勝てない。あれは恐らく人間でこそあるが、もっと次元の異なる存在だ。煌めく魔法のヴェールを身に纏った至高の戦士だ。

 子供だましな爆発呪文しか使えない私とは、天地ほども差がある。

 もう一度柄をしっかりと握って、地面を踏みしめていることを確かめた。踏んばらないと倒れてしまう。
 わけがわからない。この世には私のわからないことが多すぎる。コバが言っていたことの意味も、何よりこの戦争の意義も、私は何一つわからないのだ!
 それらは大事なことのはずなのに、大切なことのはずなのに。

 私は周囲を見回した。歴々たる死体が築かれている。四肢の欠損、鼻っ柱に叩き込まれた刀剣、血の海、身体の痙攣、様々な形のグロテスクがそこには山積していた。
 敵軍も友軍もいる。彼らはわかっていたのだろうか? この戦争の意義を。なぜ自分たちが人を殺し、人に殺されなければならないのかを。

ルドッカ「っ!」

 物思いに耽っている暇などありはしないのだった。友軍は今も逃げ続けているが、まだ背中は近い。それに追いすがる敵の姿も見える。
 コバへと視線を向けた。白銀との死闘が、僅かに、見える。劣勢だ。当然だとも思う。あの白銀は、風に聞こえる豪の者に違いない。隣国にそのような魔法剣士がいると、確か聞いたことがある。

 頭がぼーっとする。
 私は何をやっているんだ?
535 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:10:48.10 ID:i6iad9cF0

 敵兵の刃が味方の背中を切り裂いた。その敵兵もまた、味方の矢に顔を穿たれて死ぬ。

 何もわからないんなら考えるだけ無駄なのかもしれない。

 ふと浮かんだその考えを振り払う理由を私は持っていなかった。

 こんなはずじゃあなかったなどと泣き言を言うつもりはない。だけど、それにしたって、私たちは所詮一つの駒に過ぎないのだという考えを受け入れるほど、人間ができているわけでもない。
 あぁ――それだのに、どうしてこんなに思考停止がしたいのだろう。

 無我夢中で走りだした。逃げるつもりは毛ほどもなくて、ただひたすらに、槍を振るって敵陣中央へ特攻していく。
 同じく殿を務めている一団と合流した。数は三十前後といったところだろう。対して敵は百近くいる。なぜこんなにと思うが、白銀の部下に違いない。確かに練度も段違いだ。

 その中には少年兵がいた。新進気鋭の兵士なのだろう。幼いながらもその面構えは戦士のもので、二回りは年上の兵士と剣を交えあっている。

 彼の頭が炸裂した。

 至近距離からの石弓による狙撃――いや、狙撃と呼べるほど精度の高い射撃はこちらにはできない。流れ弾に被弾したに過ぎないのだ。
 それでも人は死ぬ。
536 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:11:15.92 ID:i6iad9cF0

 視界が歪む。滲む。気が付けば私は泣いていた。

 私たちは、敵も味方も、どこへ向かっているのだろうか。
 約束の地は見えてこない。ただ、先頭の旗手が振る御旗を目指して、がむしゃらに走っているだけだ。

 逃げることなどできるものか。
 叶うことなら一刻も早く、一秒でも早く、

ルドッカ「誰か私を……」

 楽にしてくれ。

ルドッカ「うぉああああああっ!」

 走った勢いで兵士たちの顔面を穿っていく。最早槍は捨てた。信念も、誇りも、この手には重すぎる。

 目玉と脳漿を横目で流しながら、兵士が取り落とした剣を拾った。敵兵が眼を剥いてこちらに迫ってくる。獣のような風貌。私も、もしくはそうなのだろうか。
 しかし、だとすれば随分と楽だ。こちらも向こうも。

 獣が相手ならばそれこそ何も考えなくてもいいのだから。
537 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:11:49.21 ID:i6iad9cF0

 振り下ろされる剣。振り上げる剣。私の剣は後者で、そして前者を叩き折って、そのまま敵兵の肋骨すらも叩き折る。
 体の中央で刃が止まった。敵兵はがひゅ、がひゅ、と不規則な呼吸を発し、最後の力を振り絞って一歩前に出たが、そこで倒れる。

 私は剣から手を離す。頼れるものは何もない。
 せめて味方が私を頼ってくれさえすれば。

 激痛が走った。それだのにどこかその痛みは体から分離されていて、あくまで客観的に、私は激痛の発生地である脇腹を見る。
 腹から刃が突き出ていた。

 刃が捩じられる。ぐじゅ、という不快な音とともに肉が捻られて、思わず私は歯を食いしばる。

 反転。

 聞くに堪えない音が耳へと届くが、それの発生源が私であろうとなかろうと、そんなことはどうだっていいのだ。
 僅かでも味方を避難させられれば、それで。
538 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:12:35.65 ID:i6iad9cF0

 振り返った先には老兵がいた。驚いた様子でこちらの顔を見ている。失礼な。
 私は別に幽霊じゃないというのに。

 拳を振り上げて老兵の顔面へと叩きつける。一発目は防がれたので、もう一度。今度こそ鼻っ柱へとクリーンヒット。
 倒れた老兵の腹に馬乗りになって、ひたすらに顔面を殴打し続ける。

 殴打。
 殴打。
 殴打!

 次第に手の感覚がなくなってくる。手甲に守られた拳が痛い。いや、拳というよりは手首だろうか。

 老兵が動かなくなっているのに私が気が付いたのは、地面に血まみれの歯が散らばり始めてからだった。まるで呆然として、縁側で一息つくように「ほう」と息を吐く。
 口の端から伝うものは、血だ。

 地面には血が海のようになっていて、恐らくそれは、老兵のものだけではないのだ。

 思わず地面に倒れた。視界の中では死屍累々。そしてさらにその中で、遠くから白銀が近づいている。
 あぁ、コバは死んだのだな、と悟った。
539 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:13:08.47 ID:i6iad9cF0

 右手は動かない。左手も動かない。
 足は……左だけが、僅かに動く。

 だけれどそれにどんな意味があるのだろう。ただ座して死を待つだけの最期を汚す必要はあるまい。

 意識に段々と靄がかかっていく。これで大丈夫だ、もう楽になれる。私は十分頑張った。仲間が逃げる時間も、ある程度は稼げただろう。だから、おやすみなさい。

ルドッカ「――」

 私は、何かを言った。のだと、思う。

 あぁ、眠い。

 私はもう一度呟く。内心で。

 おやすみなさい。

――――――――――――――――――
540 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:13:42.96 ID:i6iad9cF0
――――――――――――――――――

「寝るのにはまだ早いですよ」

――――――――――――――――――
541 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:14:09.20 ID:i6iad9cF0
――――――――――――――――――

 なぜだか俺は生きていた。ポルパの剣に腹をぶち抜かれて、それで……?

 それで?

 手を見る。体を見る。確かにぼろぼろで、生きているのが不思議なくらいで、それでも確かに、生きている。

 いや、生きているのか?

 仮にも自分の体だ。そこはかとない自覚はあった。体の奥からの鼓動が感じられない。かといって現状は戦場で、夢にも見えない。夢だとしたらこれは、あれだ。

ビュウ「悪夢だな」

 ずらりと目の前に兵士の大軍。
 その数、およそ二百。
542 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:14:57.34 ID:i6iad9cF0

 対するこちらは数十名。参謀を先頭にして、コバ、ルドッカ、そして……なんだ、ポルパもいるじゃないか。ほかには、どうしてだ? 儀仗兵のやつらも前線に出て来てやがる。

 参謀が指を前に示した。

 ぐん、と俺の体が前につられて動き出す。

 え?

 なんだ、これは。

 それは俺だけじゃない。周りの人間も顔だけがひきつった様子で、それでも体は真っ直ぐに、引きずられるように、前へと突き進んでいく。

ビュウ(なんだよこれぇっ!)

 声は出ない。先ほどまでは動いていたのに!?

ビュウ(なんだこれ、なんだ、なんだこれ!)

ビュウ(なんだなんだなんなんだよぅ!)

 思考は止まらない。体も止まらない。
 こうしている間にも体は勝手に敵兵をなぎ倒していく。おおよそ今までの俺とは違う、素早い動き。力強い剣の振り。そして何より、

ビュウ(痛みがねぇ!)
543 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:15:35.56 ID:i6iad9cF0

 怖い怖い怖い怖い怖い!
 全てが糸で操られてるみたいだ!

 俺が一人を切り伏せる間に、三人が俺の体を切りつける。だけど俺は倒れない。どういうことだ? お前ら、そんな不思議そうな顔をして、困惑した顔をして、俺を切るんじゃない!
 俺だってわかんないんだから!

 嫌だ嫌だ嫌だ、だって俺はこんなの知らない!
 こんなの望んでない!

 ちらっとでも、楽になれるんだと思ったのに!

 大軍は強い。強すぎる。煌めく粒子をその身に纏った兵団は、身体能力が向上しているのか、おおよそ人間離れした動きを見せてくる。
 だけど、悲しいかな、人間離れっぷりではこっちのほうが数段上をいっている。

 これほどまで悲しいこともそうそうない。
544 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:16:02.23 ID:i6iad9cF0

 だけれど、事実として俺たち三十人が、人間離れした二百人と渡り合えているのもまた事実なのだ。

 みんなが地獄のような顔をしている。
 ルドッカも、コバも、残らず。
 きっと俺だって。

 戦場の中心で白銀と参謀が戦っているのが見えた。どちらにも疲労の色が濃い。いや、白銀に関しては、純粋な驚きと恐怖か? そりゃそうだろうな。俺だってそうだ。

 どうだっていいことを考えている間にも体は敵兵を殺していく。眼に血液が入って視界が赤く染まっても、自動的にターゲッティング、アタック。
 そして俺の顔面に剣が叩き込まれて、一瞬だけ意識が

――はぁ、この通りだ。嫌になる。
 ちなみにこうしている間にも俺は死んで? いる。

参謀「もうそろ、時間ですか。時間切れでも、ありますけど」

 参謀の声が遠巻きながら聞こえた。時間。タイムリミット。いったい何がそこにあるというのか。

 空が唐突に光を放った。
545 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:16:36.83 ID:i6iad9cF0

 戦場のど真ん中に、突如としてばあさんが――国王様のそばでよく見かける、険しい顔をしたばあさんだ――現れた。
 緑色の光を放ち、力に満ち満ちていて、

 ?

 俺は首を捻った。つもりだ。
 なぜなら、ばあさんがあまりにも、虚ろな顔をしていたから。

 ばあさんが杖を天に突きだした。

 緑の波動が、迸る。

―――――――――――
546 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:17:04.68 ID:i6iad9cF0
―――――――――――

 老婆が放った波動は、その場にいた有象無象の人間を、

 ……単純に表すならば、「殺した」。

 老婆は確かに数百の人間を殺しはしたが、それは決して殺戮ではなかった。血みどろの、惨たらしい、殺人ではなかった。
 単に彼女は「死」を与えただけだ。

 敵と味方の区別なく、老婆が放った緑の波動は、あたり一帯を森へと変えた。
 全ての人間は、老婆を除いてその養分となった。

 緑の波動は敵拠点の障壁すらも吸い取って、打ち砕く。
 老婆の血に刻まれた、長き肉体改造の果ての、膨大な魔力。それによってはじめてなしえる特大魔法。例え九尾でも真似は到底できないだろう。

老婆「……」

 彼女はあくまで無言であたりを見回した。嘗ても彼女は同様の魔法を唱え、大森林の拡大に一役買ったことがある。思うことは、数十年たった今でも変わらない。

 こんなことによって得られる平和に意味があるのか?
547 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:17:32.48 ID:i6iad9cF0

 いや、わかっているのだ。彼女には力がない。彼女にあるのは人を殺して平和を勝ち得る能力だけで、人を殺さずして、もしくは最小限の犠牲で平和を勝ち得る能力はない。
 だからこそ彼女は勇者に期待をせずには――否。願わずにはいられなかった。
 全てを救うと嘯く彼が、自分の夢をかなえてくれると。

「また、派手に、やりました、ね」

 樹木が声を発していた。参謀の声である。
 全てを気に吸い尽くされても、まだ自動操作は健在らしい。全くしぶとい人間である。

老婆「派手にやることしか、できないのでな」

「ともかく、敵の進軍は、水際で、止められまし、た。あとは、第二軍を出して、攻めれば、ひとまずは」

老婆「勝ち、か」

「はい」

老婆「お前はどうするんだ」

「僕は、もう無理ですね。死んでる体を、動かすのも、限界です」

老婆「魔力を回復してやろうか?」

「勘弁、して、くださいよ」

「魔力が切れたら、隊長も、本当に死にます」

「けど、それでいいような気も」

老婆「そうか」
548 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:18:01.02 ID:i6iad9cF0
「勝って、ください」

老婆「わかった」

「最後に、立ってさえ、いれば。それで、勝ちなん、ですから」

老婆「何千何万死んでも」

「はい」

老婆「儂もずっとそう思っていたよ。そう思い込もうとしていた」

「勇者、さん、ですか」

老婆「……」

「図星、ですか」

老婆「あいつなら、できる気がするんじゃ」

老婆「根拠など何もないんじゃがな。限りない愚か者のあいつなら、きっと、いつか、必ず」

老婆「そう思うのは、このババアの勝手じゃろうか」

老婆「……」

老婆「参謀?」

 木は喋らない。当然である。死んだ人間が動かないように。
 それが自然の摂理というものだ。
549 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:19:13.79 ID:i6iad9cF0

 だが、それを曲げようとする者がいるのもまた、自然の摂理と言える。

 老婆は通信機を取り出した。

老婆「全隊へ次ぐ。ただちに敵拠点を攻撃し、制圧してくれ。兵站を断っている今が勝負じゃ」

老婆「攻められるかぎり、攻めろ」

 通信機をそう言って切って、空を仰ぐ。

老婆「くそ」

―――――――――――
550 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/08(木) 03:20:08.67 ID:i6iad9cF0
今回の更新はここまでです。間が空いてしまって申し訳ございませんでした。
551 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/08(木) 05:19:59.76 ID:fKsgtZSbo
552 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/08(木) 12:25:19.93 ID:nSCzdRxIO
すごく良いと思います
553 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/08(木) 17:40:47.62 ID:XN4wGmCd0
おつ
554 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/08(木) 20:28:28.47 ID:OKbivAxIO
中々モブにスポットが当たる機会がないから新鮮だった

実にいい乙
555 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:25:38.29 ID:vmtqTpQG0
―――――――――――

 振動で少女は目を覚ました。

 カーテンの隙間から朝日が漏れ、差し込んできている。名前のわからない鳥の声も聞こえてきた。
 どうやら昨晩は泣き疲れてそのまま眠ってしまったようだ。顔を見ればきっとひどい顔になっているのだろうと少女は思う。

 部屋の隅には見るからに上等そうな化粧台が置いてある。少女はそもそも化粧などしたことがない。それに、泣き腫らした顔を見るのも嫌なので、見なかったことにしてベッドから立ち上がった。

 いい部屋で、いい空気である。ここが敵地ではないのならば最高だっただろうに。

少女「地震……?」

 やはり、床が揺れている。自らの呟きを、少女はすぐに撤回した。揺れが地震のそれとは違う。
 地震ならば継続した揺れのはずだ。しかしこの揺れは、短く、断続的で、しかも存外に強い。

 まさか塔が崩壊することはないだろうが、いったい外で何が起こっているのか。
 少女は思わず早足になってカーテンを開いた。
556 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:28:24.05 ID:vmtqTpQG0
 あたり一面の森が広がっている。深い深い森だ。葉の色も、緑というよりは黒に近い。
 視線を下せば河川が見えた。それを追っていくと、はるか遠くに見える山々と、その中間地点あたりに城壁が見える。

 隣国にはあのようなものを建造する文化はないし、かといって少女の国にもああやって都市を防衛するところは少ない。共和国連邦か、宗教公国か、どこかだろう。
 そこまで考えて少女は随分と遠くに連れ去られたものだと感じた。同時に、自分が諦念を覚えているということもまた。

 窓からは一体何が起きているのかを把握することはできなかった。窓の向きが違うのだ。
 部屋から出られないか――そう思ってドアノブを回すが、やはり回らない。

少女「当然か……」

 厳密な意味での人質ではないにしろ、少女が囚われの身であることに変わりはない。そう簡単に出してもらえるはずもなかった。

 そうしている間にも断続的に揺れは続いている。

 気になる。気になるが――今の彼女にできることなど何一つない。
 そしてそれが無性に彼女を刺激するのだ。

 彼女の劣等感を。

 お前にできることなど何一つないのだと言われているようで。
557 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:31:18.46 ID:vmtqTpQG0

??「どうした」

 突然の声に振り向けば、漆黒の甲冑が立っていた。首から上のないその姿は、塔の主、デュラハンである。

 少女は警戒こそすれど、彼が見境なしに襲ってくるわけではないと理解していた。一定の距離を取りながら尋ねる。

少女「何か、起こってるの?」

デュラハン「あぁ、そこで戦があるらしい」

少女「いく、さ?」

 たった三文字の言葉だのに、頭にすっと入ってこなかった。

デュラハン「二つの王国がぶつかっているようみたいだね。名前は……何と言ったかな。俺はほら、この通りだから、どうにも物覚えが悪くて」

 緊張をほぐすつもりの冗談だったのか、デュラハンはにこやかに言ったが、少女としては気が気でなかった。
 なぜなら、王国はこの大陸に二つしかないから。

 少女の故郷を含む王国と、隣国。

 それらが、戦争をしている。
558 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:31:54.32 ID:vmtqTpQG0

 理解できなかった。
 確かに危険な雰囲気はあった。どちらの国も旱魃による凶作で、食料が足りなくなっている。鉱山や水資源の小競り合いも、最近は多い。

 それに輪をかけた魔族の活動の活発化。地力を確保するためには合法、非合法問わない成長戦略がとられていたとも聞く。

 だからこそ少女たちは魔王を倒すために出たのだし、勇者たちもそうである。

 が、王城の中にいてなお、少女はそんな話を聞いたことがなかったし、予感もなかった。密かに準備を進めているという噂はあったものの、いったい何が火をつけたのか、判然としない。

 無論少女は知らない。アルプが王城にてしでかしたあの一件が、王の口実として掬われてしまったのだと。

少女「まだ、アタシと戦いたいの?」

デュラハン「もちろん!」

 ご機嫌にデュラハンは言った。
559 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:32:31.27 ID:vmtqTpQG0

デュラハン「……と、言いたいところだけど、もうくたくたでね。いや、楽しかった。だけどやっぱり、疲れるもんは疲れるもんだ」

 この異形の者が何を言っているのか少女には皆目見当がつかない。ただ、デュラハンが至極機嫌がよいのだな、ということは伝わった。

 少女はかねてから疑問に思っていたことがあった。それは、魔族と魔物の違いについてである。
 人間の中では魔族は魔物の上級としての扱いをされている。それはつまり、智慧の有無を指している。具体的には意思の疎通、ある程度の将来を見通した行動などが含まれる。また、純粋な戦闘力も。

 その差は一体どこで生まれてくるのか。少なくともデュラハンをはじめとする四天王が、瘴気に侵された野生動物と根を同じくするものだとは思えなかったのだ。

 デュラハンには喜怒哀楽がある。意思の疎通もできる。ジョークを介し、好む。自らの嗜好を理解したうえで存在している。そんな存在がいったいどこから生まれるのか。
 人間のような生殖をするとは、どうしても彼女には思えなかった。血脈の存続を目的とした機能がそもそも備わっているようには見えない。

デュラハン「どうかした?」

少女「……妙に人間臭いんだな、って」

 少女はデュラハンが所謂「悪人」だとは思っていなかった。自らの戦闘欲求を満たすために人身を誘拐するのは確実に「邪悪」な行いであるが、それでいて彼はどこまでも紳士的であったから。
560 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:33:02.34 ID:vmtqTpQG0

 少なくとも少女のその認識は、彼女にデュラハンとの会話を成立させる程度には警戒心を解かせていた。

デュラハン「人間臭い、人間臭い、か」

 デュラハンは得心が言ったような笑みを浮かべている。

デュラハン「ま、それはしょうがないだろうね。俺たちは魔族だから」

少女「魔族だから、どうなの」

デュラハン「人間がどう分類してるかわからないけど、俺たちが使う『魔族』ってのは、魔王様から直々に生み出された存在のことを指してる」

デュラハン「種族ごと生み出すこともあるし、単一の存在として生み出すこともあるね」

少女「……」

 いつの間にか少女は黙っていた。もしかすると、自分はかつてない情報を手にしたのではないか、魔族研究者が苦心しても手に入らない情報を、いともたやすく手に入れてしまったのではないかと思ったからだ。
561 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:33:33.92 ID:vmtqTpQG0

デュラハン「それにしても」

 デュラハンは器用に鎧の指を鳴らした。いつの間にそこにいたのか、子供程度の大きさの妖精が、部屋の隅でかしこまっている。

デュラハン「俺は疲れた。ひと眠りするよ。ウェパルに負けたのは悔しいけど――楽しかったなぁ」

少女「せっ、戦争って、どういうこと」

 部屋を出ようとするデュラハン相手に少女は慌てて尋ねた。ここ数日で激変してしまった世界。彼女だけがそこから取り残されている。

 それが怖いのだ。

 肥大化する自尊心。誰だって自分が特別な存在でありたいと願うし、誰かにとって――もしくは世界や社会にとってかけがえのない存在でありたいと願う。それはちいともおかしなことではない。
 人間の思春期にはありがちだという現象だ。だが、ゆえに根源的なものである。承認欲求はいつだってどこにだって付きまとう。

 「ここ」にいる理由がほしいのだ。誰かとつながっている実感がほしいのだ。こんな自分でも生きていいのだと、存在してもいいのだと、誰か太鼓判を押してくれ!
 と、思う。誰が? 別段彼女に限らない、世界中の人間が。
562 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:34:17.21 ID:vmtqTpQG0

 今まではそんなことを少女は思わなかった。彼女の世界は故郷の村で、家族と防人を務めていれば十分満足だったからだ。そこでは、彼女は確かに世界を守れていた。
 しかし世界の外には更なる大きい世界が広がっている。そこへと足を踏み出したのは彼女の意思だ。その選択を彼女は後悔したことはなかったし、これからも後悔することはないと感じていた。
 それでも現実は彼女を苛む。彼女は何も守れていない。そして、守れないことを正当化できるだけの論理も、無恥も、持っていない。

 そんなことは無視してしまえばいいのだと心無い人間は言うだろう。そして彼女は言うのだ。無視できるものならしたい、と。
 そうだ、あいつが悪いのだ、と彼女は思った。全てあいつが悪いのだ。全てあいつが悪くて、あいつのせいで、あいつがいなければこんな弱さを感じることもなかったのだ。
 弱さを認めて、見つめて生きるなんて、そんなことはできない。

 それだけが存在意義だったのだから。

 何に縋り付けばいいというのだろう。誰がこんな自分の手を取ってくれるのというのだ? 中途半端にしか人を救えない、こんな半端者の手を。

 思わず伸ばしてしまった手を思わず引っ込める。敵に対して手を伸ばすだなんてありえないことだ。考えられないことだ。
563 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:34:47.67 ID:vmtqTpQG0

 デュラハンは少女の瞳を見つめていた。それに気が付いて、少女は慌てて視線を逸らす。

デュラハン「……戦争のことは、俺にはわからないんだ。あの二人以上に強い存在がいるとも思えないし、興味はないね」

少女「だったら、早く戦って。あなたが満足するまで戦うから。だから、早くアタシを外に出して。戦争なんて放っておけない」

デュラハン「……」

 デュラハンは無言のままに踵を返す。

少女「ま、待ってよ!?」

デュラハン「今の御嬢さんには戦う価値なんてない。参ったね。鈍った心じゃ誰も切れないよ」

 そのまま音を立てて扉が閉まった。がちゃがちゃとドアノブを回すが、開かない。それはそうだ。監禁なのだから。

少女「待ってよ……」

少女「待って!」

 そのままぺたんと地面に座り込む。なんで? 頭の中はそれでいっぱいだった。戦う価値なんてないと、なんで言われてしまったのか。

 戦争に行かなければいけないのに。
 この手で誰かを救わなければいけないのに。
564 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:35:17.58 ID:vmtqTpQG0

少女「うぅううう……」

 喉の奥から嗚咽が漏れる。少女は歯を食いしばるが、体の奥底からこみあげてくるものは到底堪えきれるものではない。

 もしも、もしも自分が祖母のように強かったのなら、きっと何も悩む必要はなかったのだろう。誰かを守れないことに苦悩するなんてことは無縁の生活がおくれたのだろう。
 しかし、現実として、自分は弱い。弱すぎる。
 満足に誰かを守ることもできない、ちっぽけな人間だ。

 少女は、けれど、知らなかった。彼女の祖母、老婆の苦悩を。
 弱き者には弱き者の、そして強き者にだって、強き者なりの苦悩がある。彼女はそこにまで思い至らないが、それによって彼女が愚かだと断定するのは早計だろう。

少女「……!」

 まとも地面が揺れた。どこかで、こうしている間にも人が死んでいる。自分は何もできない。それがもどかしくてもどかしくて、少女は思わず絨毯に爪を立てる。

少女「アタシは、無力だ」

 何もできない。誰にも認めてもらえない。それはそうだ、何もできないのだから。
 何かができれば、誰かに認めてもらうことだってできるだろうに。
565 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:36:02.14 ID:vmtqTpQG0




 あいつのように。
 勇者のように。



566 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:36:40.64 ID:vmtqTpQG0

 思わず少女は自嘲が浮かんでいるのに気が付いた。嗚咽は止まらない。涙も止まらない。それでも口元は歪んで口角が上がる。
 あまりにも愚かしかった。愚かしくて、おかしかった。これではまるで道化師ではないか。出口のない網の中でもがき続けるさまを誰かがどこかで笑って見ているのだ。

少女「なに見てるのよ、アンタ」

 部屋の隅でたったまま微動だにしない妖精を見て、少女は不愉快そうに顔を歪めた。

妖精「マスターよりあなたの周りの世話を仰せつかっておりますので」

少女「アタシは客人ってわけ? さっきのアンタの主人の態度、見た?」

妖精「マスターはあなたを認めていらっしゃいます。機会を待っているのです」

少女「は! 認める? ふざけんじゃないわよ!」

 少女はミョルニルを抜いて壁へと叩きつけた。壮絶なる破壊力でも壁は傷一つついていない。

少女「おべんちゃらはいいのよ。こんなアタシに何ができるっていうの」

少女「戦うことしかできないアタシが! 戦っても意味がないんだっていうなら! アタシに意味なんてないでしょう!」

妖精「申し訳ありませんが、あなたのおっしゃっていることが、妖精であるわた」

 妖精の肩から上が吹き飛んだ。光る粉を霧散させて、妖精の姿が溶けていく。
567 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:37:28.44 ID:vmtqTpQG0

 ミョルニルを振りぬいた少女は、「は」と小さく顔を歪めた。
 答えを持たない相手と会話をしても無駄だと判断したのだった。

 手の中にずしりと重いミョルニルだけは、決して彼女を裏切らない。彼女はその重みだけを信じていた。自分すら信頼できない中、確かなものはそれだけだった。

 こんな自分に何ができるのだろう。
 人を殺すことしかできない人間に。

 絨毯の上に横になった。体を起こす気力すらもない。
 何をしても全て無駄なのだという確信があった。戦争は起こった。自分は塔に囚われている。今更できることなどない。そして、戦争にたとえ出陣したとしても、人を殺すことしかきっとできないに違いない。
 救うことすら中途半端未満にしかできない、愚か者なのだ。

 掬い上げようとした命は指の隙間から溶けて流れ出していく。手のひらに残るのは、救いきれなかった命の残滓ばかり。目に映るのも、また。

 何もできないこの手を誰か取って、お願いだから。
 それができないなら、いっそアタシを殺して。
 こんな無力さを味わうなら、死んでしまったほうが幾分かマシだ。

 こんなに辛いのもあいつのせいなのだ。
 勇者のせいなのだ。
568 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:37:54.75 ID:vmtqTpQG0

 だって、だって、だって!

 だって!

少女「なんで――!」

 少女の言葉の先を掻っ攫っていったのは、耳を劈く爆裂音。そしてその音は確かに階下から聞こえてきていた。

少女(砲弾?)

 少女がそう考えたのも仕方がない。なぜならすぐそばでは戦争の音が聞こえてきていて、明らかに森の中で必死の塔は異質だ。ここが狙われたとしてもおかしくはない。
 けれど、爆裂音はそれにしたってすぐ階下で聞こえていたのだ。少女が囚われているのが何階かはわからないが、景色から鑑みても、三階より下ということはない。塔の中に砲弾が着弾するなんてことは、恐らくあり得まい。

少女「どういうこと……?」

 これがイレギュラーであることは想像に難くない。その証拠に、扉の向こうの恐らく廊下では、魔物の唸りや人語が飛び交っているからである。
 侵入者なのだと少女が判断するのはすぐだった。

「ここが四天王、デュラハン様の住まう塔だと知ってか知らずか、どのみち命知らずなやつめ!」

「実に。首と体を切り離したうえで、デュラハン様に献上しよう」

「そうだな。どうやらお疲れのご様子でもある。邪魔をさせぬ」
569 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:38:30.30 ID:vmtqTpQG0

 扉越しにそんな会話が聞こえてきたものだから、少女はまさしくその通りだと思った。必死の塔に攻めてくるなんて、命知らずというか、そうでなければ最高に不幸なやつだ。

 爆裂音。

 どうやら順調に侵入者は突き進んでいるようである。なるほど、流石に単なる雑魚ではないようだ。でなければここまですらたどり着けなかっただろう。
 扉の向こうは次第に騒然としてくる。どうやら侵入者はたった一人で、それだのにざくざくと向かってくるのだから当然だろう。

少女「ま、アタシには関係ないことか」

 もうどうにでもなってしまえばいいのだ。世界も、この身も。

 そして、その考えがあまりに楽観的過ぎたことを、少女はすぐに身をもって知ることとなる。



 部屋の壁が大きく吹き飛んだ。
570 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:38:59.15 ID:vmtqTpQG0

 あまりの大きな破壊に、少女は思わず両腕で身を守る。土塊や木材、砂埃が部屋中を満たす。
 こんな状況でもミョルニルを握り締めているのが悲しいサガだ。

??「やーっと見つけたぞ、この野郎、迷惑掛けやがって」

 聞きなれた声。大嫌いな声。気に食わない声。

少女「なんで……」

 なんで、アンタがいるのよ。

 その言葉を少女は飲み込んだ。飲み込まざるを得なかった。
 薄れる煙の中に見えた勇者の姿は、なんで生きているのかわからないくらいの重傷だったから。

 いや、勇者は死なない。死んでも生き返るという意味で、彼は不死だ。だからそんなことを心配する必要は、本当ならばないのだ。少女だってそれはわかっている。
 それでも痛みは感じるだろう。気を失ってもおかしくないのに、勇者は立っていた。
571 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:40:02.48 ID:vmtqTpQG0

 左腕の肘から先がない。

 左肩が大きく噛み砕かれている。

 右脇腹に大きな穿孔があって、向こうの景色が見える。

 剣を握る右手も、親指と人差し指、そして薬指だけがあって、中指と小指はあらぬ方向にひん曲がっていた。

 脚こそは両方健在だが、酷く焼け爛れている。鮮やかな皮下組織の桃色が痛々しい。

 外耳も両方失われていて、そこから垂れた血液が頬を真っ赤に濡らしている。

 右目も潰れていた。縦に一本、大きな切り傷が走っている。
572 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:40:58.54 ID:vmtqTpQG0

勇者「ここに来るまでに3Lvくらいアップしたわ」

少女「そっ、そういうことじゃないでしょぉおおおおっ!?」

 彼の背後に迫る敵影。思わず体が反応した。
 少女は跳ね、魔物を数匹まとめて砕き飛ばす。

少女「アンタなんなの、バカじゃないの、なんで一人で、こんなっ、アタシ、アタシなんか、アタシなんて!」

勇者「ばあさんと狩人は、よくわからん。はぐれた」

少女「はぐれたって」

勇者「デュラハンと戦っててな。俺だけ死んで、まぁいろいろとな」

少女「ここがデュラハンの住処よ!?」

勇者「あ、やっぱりか。どいつもこいつもデュラハン様が、って言ってたからな。そうなんじゃないかとは」

少女「なんでそんな軽い反応なのよっ、アンタはっ!」

勇者「いやーなんていうかさぁ、もう笑うしかねぇって感じ?」

少女「感じ? ってアタシに聞かれても……」

勇者「ま、お前に会えたからいいや」

少女「は、はははは、はあっ!?」
573 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:41:27.80 ID:vmtqTpQG0

勇者「帰るぞ」

 勇者は剣を鞘に納めて少女に手を伸ばした。

 手。

 少女は思わず体を強張らせ、息を呑んだ。
 壁には穴が開いている。廊下が見えていて、このままもしかすると、逃げることはできるのかもしれない。

 デュラハンは出てこない。休んでいるのか、それとも、勇者にも少女にもすでに興味は尽きたのか。

少女「やだ。帰らない」

 自然と言葉が出ていた。いや、出てしまっていた、というべきだろう。
 勇者は当然のように顔を顰める。

勇者「お前、何言ってんだ?」

少女「ここから出たら戦争に参加しなきゃならなくなる。アタシはもう、人を殺したくない」

勇者「……お前が参加しなきゃ、もっと人が死ぬ」

少女「なにそれ、脅し?」

勇者「そうだな。そういうことに、なるか」

少女「そりゃアンタはいいでしょ、人を守りたいんだから。十人死んでも十一人助けられれば十二分」
574 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:42:12.01 ID:vmtqTpQG0

――なんで怒ってくれないのか。ふざけるな、馬鹿にするなと叫んでくれれば、こっちだって本望なのに。
 どうしてそんな、可哀そうな目でこちらを見てくるのだ。

勇者「お前だってそうじゃないのか?」

 はっとした。心の奥底を見透かされたようで、苛立ちが喉を突き破る。

少女「わかったような口を利くな! アンタに何ができる!」

勇者「俺を信じろ」

少女「は。誰がアンタなんて信じるのよ。うじうじうじうじ悩んでたくせにっ! アンタなんてアタシと同類じゃないっ!」

少女「――同類のはずなのに、どうしてアンタだけ強くなってんのよっ! そんな強い生き方できんのよっ!?」

 そうなのだ。全てはこいつのせいなのだ。
 こいつがあまりにも前向きだから。
 例え弱くても、強く在るから。

 例え弱くなくとも、強く在れない少女には、あまりにも勇者の姿は眩しすぎる。
575 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:42:44.83 ID:vmtqTpQG0

 見ているものは同じはずなのに。叶うはずもない夢を見ているはずなのに。
 世界のすべてを救うなんてことは、とても人の身で実現できることではない。それこそ神か、統べる側に回らなければ。

 勇者は少女よりは弱いのに、彼女より強い。それが彼女には癪に障るのだった。
 同類なのに、なぜ自分はこうなのか。
 なぜ彼はああなのか。

 ああなることができたのか。

 八つ当たりだ。八つ当たりなのだ、そんなことはわかっているのだ。
 わかっているのだ!

 だけれど、わかっていたところでどうにもならないのだ!

少女「アタシにはできない、世界を救うなんてできっこない! もうやだ、もうアンタと一緒にいたくない!」

少女「キラキラしないでよ! なんでそんな笑顔でいられるのよ! 叶わない夢を真っ直ぐ見続けて、それで平然としてられるのよ!」

少女「アタシにはできない! アタシは十人殺しても九人しか救えない!」

 地面を叩く。叩かずにはいられない。高ぶった感情を、振り上げた拳を、ぶつける先がないと壊れてしまいそうだった。
576 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:43:14.09 ID:vmtqTpQG0

勇者「うるっせぇ!」

 勇者の体から発せられた雷撃が、背後の敵を軒並みなぎ倒す。それが最後の一団だったようで廊下はしんと静まり返った。
 勇者はけれどそんなことお構いなしで、少女を真っ直ぐと見ながらまくし立てる。それこそ少女に負けないくらい。

勇者「気に食わねぇんだよ全部! 戦争も、九尾の暗躍も、お前が苦しんでるのも、全部だ!」

勇者「ずーっと前から俺ははらわたが煮えくり返ってるんだ!」

勇者「俺が気に食わねぇから、気に食うようにしてやろうってんじゃねぇか!」

少女「な、なにそれ。そんなの単なる我儘じゃん。我儘じゃんっ!」

勇者「そうだ」

 短く言って、勇者は再度手を差し伸べる。剣を握ってできたマメの目立つ、武骨な、けれど優しい手のひらだった。
577 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:43:50.06 ID:vmtqTpQG0




勇者「手を取れ! 俺が勝手にお前を幸せにしてやる!」



578 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:44:19.20 ID:vmtqTpQG0

 勇者はそう言い切った。到底信じられない、信じたくなる、大風呂敷だった。

 少女はついぞ彼のことを我儘だと言ったが、それはまさしくその通りなのである。なぜなら、彼はこれまで、彼の気に食わないものを気に食うようにするために旅をしているようなものだったからだ。
 つまるところそうなのだ。誰かのためではない、自分のために、彼は世界を平和にしたがっている。

 誰かが悲しむなんてことはあってはいけないし、無辜の民が苦しむなんてことも、彼は許容しがたかった。
 明確な堅苦しい理論なぞそこにはない。ただ彼の「気に食わなさ」だけがある。
579 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:45:17.31 ID:vmtqTpQG0

 彼は戦争が嫌いだった。
 自国民を幸せにするために他国民を不幸にするなんてことは、本来あってはならないことだと思っていた。
 魔王を倒す途中で、戦争をなくす方法が見つかりはしないかと、彼は常々思っていた。

 彼は九尾が嫌いだった。
 会ったこともない傾国の妖狐にいいように扱われるのは癪だった。ウェパルもアルプもデュラハンも、恐らく彼女の差し金のいったんなのだろうと思っていた。
 いつか一矢報いてやるのだと、彼は常々思っていた。

 彼は少女が苦しんでいるのが嫌いだった。
 無論、誰かが苦しんでいること自体、彼には耐えられないことだった。それが仲間ともなればなおさらで、彼は仲間のためにではなく、自分のために、全てを擲ってどうにかしてやると思っていた。
 そのためなら瀕死の怪我などはどうでもいいのだと彼は常々思っていた。
580 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:45:50.73 ID:vmtqTpQG0

 愚か者なのだ。少女に輪をかける形で愚か者なのだ。
 だからこそ九尾は彼に目を付けたといっても過言ではない。

 それくらいでなければ、九尾の計画には力不足だった。

少女「信じて、いいの?」

勇者「……」

 勇者は頷くだけで、あくまで無言だった。これ以上の言葉はいらないとでもいうように。

 彼を信じれば、本当になんとかなるのではないか。少女はそう思わずにはいられなかった。思いたかったということも含めて。

 いや、違う、と少女は瞬きをして、滲んだ涙を押しやる。勇者は手を引き上げてはくれない。立ち上がるのは自分の力でなければいけない。

 二人の手が重なった。

少女「信じたから」

勇者「おう」

少女「アタシのこと、幸せにしなさいよ」

 そう言って、少女は立ち上がる。

勇者「おう」

少女「いい返事ね」

 少女は勇者の手を握ったまま、左手でミョルニルを握り締める。

 左手の重さと右手の暖かさ。どちらも確かにそこにある、大事なもの。
581 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:47:08.61 ID:vmtqTpQG0
少女「さ、アンタの鎧、粉々に砕いてあげるわ。――アタシ、ちょっと戦場まで用事があるから」

 いつの間にか部屋の中にいたデュラハンは、腕組みを解いて、にやりと笑った――気がした。

デュラハン「実にいい表情だ。――天下七剣、全召喚」

―――――――――――――――
582 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/10(土) 02:49:47.86 ID:vmtqTpQG0
今回の更新はここまでとなります。
583 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/10(土) 10:01:19.43 ID:5QyIafNP0
おつぅ
584 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/10(土) 13:13:58.38 ID:cNDf5tf0o
おつ
全召喚…参謀戦では本気じゃなかったのか
585 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/10(土) 15:23:05.48 ID:CVh2R2mIO
なんだよ
かっこいいじゃないかよ
586 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/12(月) 15:20:14.51 ID:CXr9lpy/0
――――――――

 全てが静まり返っていた。

 砲弾と剣がぶつかり合い、ウォーターカッターと天下七剣が切り結ぶ、空前絶後の争いにも終止符が打たれている。デュラハンの敗走という形で。
 それでも、そもそもウェパルとデュラハンでは目的が異なっていた。デュラハンはただ戦闘欲を満たせればよかっただけであるので、彼の負けとは言い難い。その点では両者の勝ちとも言えた。

 そうして対峙するウェパルと狩人。隊長は、すでに事切れている。ウェパルの腕の中で。

狩人「……死んだの?」

ウェパル「死んだっていうか、もともと死んでたよ。糸が切れただけだね。多分術者が死んだか、魔力が切れたか、じゃないかな」

狩人「そう」

ウェパル「ふふ。これで隊長は、僕のもの。永遠に、ずっと」

ウェパル「ね。だから、さ」

 ウェパルは触手の左手を狩人に向けた。禍々しいその左手からは、紫色の瘴気が立ち上っている。

ウェパル「僕の目の前に立ちふさがるの、やめてくれない?」

狩人「……」
587 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/12(月) 15:21:08.02 ID:CXr9lpy/0

狩人「別に、もうあなたを止めるつもりは、ない。けど」

ウェパル「けど?」

狩人「それで、いいの?」

ウェパル「……」

 ウェパルは大きく息を吐いた。すでにその姿は人間であった頃のそれに半分戻りつつある。

ウェパル「そんなわけないでしょ」

ウェパル「でもね、これはどうしようもないんだ。これはボクの、ウェパルの、衝動」

狩人「衝動?」

ウェパル「そ。人間にもあるけど、魔物と魔族のそれは一段と強い。抗おうと思っても抗え切れないもの。それが、衝動」
588 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/12(月) 15:22:09.45 ID:CXr9lpy/0

ウェパル「だめなんだ。頭では分かっていても、だめなんだ。手に入れたいと思ったものはどうしても手に入れたくなっちゃう。自分だけのものにしたくなる」

ウェパル「衝動が強いってことは、存在として強いってことさ。強い衝動――我を通すためには強い力が必要ってことでもある」

ウェパル「僕は一族でも特にそうでね。こんな左手を持って生まれたせいで、忌み嫌われて、困ったよ」

ウェパル「顔の呪印もそうさ。危険人物の恥晒し。ま、その一族も今はもうないんだけど」

狩人「そ、か。ないんだ」

ウェパル「うん。僕が皆殺しにしちゃったから」

狩人「……」

ウェパル「狩人、きみは気をつけなよ。人間は衝動に飲まれない強い生き物だ。だけど、たまに衝動に飲まれるやつもいる。目的のために手段を択ばないやつが」

狩人「魔族に心配されるのって、不思議な気分」

ウェパル「ここまで堕ちても、人間だった時の記憶はあるからね」

ウェパル「それに――九尾の思惑は、僕にもわからない」
589 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/12(月) 15:23:10.10 ID:CXr9lpy/0

狩人「九尾」

ウェパル「アルプと組んで何やらやらかしてるらしいけど、ね。あの快楽主義者は不気味だ。九尾のほうがまだかわいげがあると、僕は思うよ」

狩人「あのクソ夢魔には借りがある。絶対に返す」

ウェパル「うん、うん。あいつが命乞いをするところは見てみたい気もする」

狩人「九尾ってのはどんなの?」

ウェパル「わかりやすく言うなら最強の魔法使いってとこ。千里眼、読心術、空間移動、なんでもござれ」

ウェパル「定期的に人を食べたくなる衝動に駆られるらしくてさ。そこだけ魔物っぽいんだけど」

狩人「魔物っぽい?」

ウェパル「そ。僕ら魔族――魔王様から直々に生み出された存在って、別に人を喰いたくならないから」

狩人「なんでそんな情報をくれるの?」

ウェパル「敵なのに、ってこと? 別に意味はないよ。隊長を手に入れられた今、ほかの存在なんて些末だもん。どうだっていい。どうだって」

ウェパル「九尾にもアルプにもデュラハンにも与するつもりはないし、単なる気まぐれさ」
590 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/12(月) 15:24:19.53 ID:CXr9lpy/0

ウェパル「ってことで、そろそろ僕は行くよ。邪魔したら殺すから」

 ぎろりと、そこだけ途方もない圧力を発揮して、デュラハンは空間に穴を開ける。空間に指を突っ込んで力任せにこじ開ける、老婆の空間移動よりは随分と乱暴な開け方である。

 さすがに狩人にもそれを邪魔しないだけの分別はあった。一人でウェパルに挑んだところで勝ち目はない。そもそも勝ち目を語ること自体がおこがましいほどの実力差がある。
 数秒も経たずに消し炭にされるのは、狩人とて本意ではない。それに収穫はあった。

 音もなくウェパルと、腕に抱かれた隊長の姿が消える。

 狩人は耳をぴくりと動かした。遠くで戦争の音が聞こえる。
 それは最も恐れていたものだ。同時に、どうしたって避けられないものでもある。

 だからこそ何とかしなければならないのだと狩人は思っていた。たとえ避けられなくとも、状況を改善することならまだできるのではないか。
 そしてそれが勇者の望むことだと考えていたから。

 狩人は地面を蹴って、大急ぎで戦場へと向かう。彼女の健脚をもってすれば数時間あれば戦場へとたどり着けるだろう。

 全ては始まったばかりである。

――――――――――――――

591 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/12(月) 15:25:33.17 ID:CXr9lpy/0
――――――――――――――

デュラハン「うーん、この、ね」

 必死の塔の一室、破壊の限りを尽くされた、もとはかなりの豪奢な部屋の中央で、デュラハンは困ったように呟いた。
 いや、彼は事実困っていた。

 鎧を木端微塵に破壊され、本体も原形をとどめられないほど消耗している。死とは縁遠い身であるが、ここまで完膚なきまでにしてやられたのは、本当に久しぶりであった。

 自分の目は正しかったのだとデュラハンは確信する。あの少女は宝石だ。鬼神の如き強さを誰かに渡すつもりは毛頭ない。
 彼女と、そして勇者は、すでに部屋を出て行った。満足そうな顔つきで。デュラハンもまた満足している。Win−Winの関係である。

 ただ一つ問題があるとするならば……

デュラハン「動けん」

 そう、動けないのだ。
 デュラハンの鎧や運動機能はそのほとんどが魔法によって補われている。五人との戦闘、その後のウェパル、少女とのそれもあって、デュラハンの魔力は底をついていた。

 時間が全てを解決してくれるのはわかっているので、この満足感を十分味わって損はない。とはいえある程度の暇も確かにあった。
592 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/12(月) 15:27:09.72 ID:CXr9lpy/0

妖精「何やってるんですか、マスター」

 彼に仕えているうちの一匹、羽の生えた小柄な妖精が、殆ど霧になっているデュラハンを見やりながら言った。屈んだ状態で彼の鎧をつついている。

デュラハン「のんびりと昼寝さ」

妖精「マスターはどうしてそんなバカなんですか?」

デュラハン「酷い言われようだな」

妖精「自分で自分のことがわからないんですか? 魔力が枯渇してるから塔に戻ってきたのに、連戦だなんて」

デュラハン「ちょっと興奮しちゃって」

妖精「別にわかってますよ、マスターのことは。わざわざあの男性をここまで誘導したりなんかして」

デュラハン「あれ、ばれてた?」

妖精「ばればれです。もう。お掃除するのはわたしたちなのに」

妖精「そんなにあの女の子と戦いたかったんですか」
593 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/12(月) 15:30:11.78 ID:CXr9lpy/0

デュラハン「そうだね。そういうにおいがしたよ。強い人間だけが持つにおいが」

デュラハン「それに……俺は今日、人間に初めて恐怖したんだ。彼らには凄みがあった。俺を殺すために命を擲つ覚悟があった。またあれを見たいっていうのも、あったかな」

妖精「まったくもう」

デュラハン「悪いね。お前らには迷惑をかけるよ」

妖精「本当です。天下七剣も結局出せなかったじゃないですか。格好悪い」

妖精「ばたーんって倒れて。……召喚失敗するくらいなら寝てればいいんです。全力で戦えないのは不本意でしょう?」

デュラハン「あぁ。また今度、絶対にお相手してもらわないと」

妖精「そのために、今は寝てください。マスターが寝てる間に、お掃除と、ご飯の支度、済ませちゃいますから」

デュラハン「わかった。頼んだよ」

妖精「いいえ。それでは、おやすみなさい」

デュラハン「おやすみ」

 妖精に手を取られ、デュラハンは意識を解き放った。
 水中に沈む感覚。そのまま思考は白く染まっていき、眠りに没入するまでにそう時間はかからなかった。

――――――――――――――――――
594 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/12(月) 15:32:00.10 ID:CXr9lpy/0
今回の更新は、短いですが、以上になります。
595 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/12(月) 16:48:50.85 ID:9uwmmdUso
乙乙乙
596 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/12(月) 19:12:11.99 ID:Hqws7ucC0
おつ
597 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/12(月) 22:10:34.94 ID:I2JPZS5y0
いきなりデュラハンが空間をこじ開けた件について
598 : ◆yufVJNsZ3s [sage]:2012/11/12(月) 23:58:40.18 ID:Qy5UbWPU0
>>597
突然現れてますね、お恥ずかしい……ウェパルと読み替えてください。
599 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/19(月) 21:03:50.58 ID:TltFGcZB0
――――――――――――――――――

 戦争の開始から一か月が経過した。
 両軍ともに、初戦に戦力の大きな部分を費やしたためか、その後の争いの規模は縮小気味であった。

 こちらはルニ・ソウ参謀を筆頭にして、ゴダイ・カワシマ隊長、コバ・ジーマ隊長などを失い、あちらは五人いる聖騎士のうちの一人を失った。恐らくそれはどちらにとっても予想外の展開なのだろう。
 いや、それすらも全て国王の手のひらの上なのではないか? あの稀代の戦略家――否。あれは戦略ではなく、純粋な愛国かもしれない――の考えていることは、俺にはおおよそ考えもつかない。

 別働隊が兵站基地を予め殲滅していたこと(これは全てが終わってから小耳にはさんだことなのだが)で、当初より現在まで、こちらは比較的優位に戦争を進められている。しかし、その優位に胡坐をかくことは決してできない。
 問題は進めば進むほどに抵抗が増すということだ。そしてそれは、単に敵の士気の問題ではない。周囲国の援助が増加するということでもある。

 一強状態はどの国も望んでいない。バランスをいたずらに崩すようなまねは反感を買うばかりだ。
 となるとこちらが有利なように落としどころをつけるのかもしれないが、それは上層部の判断であって、一介の兵士にすぎない俺には全く関係のない話である。
600 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/19(月) 21:04:42.84 ID:TltFGcZB0

 ……関係ない、か。
 そんなはずはない、はずなのだ。俺だって下っ端なりに矜持はある。なんらかの形でこの国に貢献してやりたいのだとは。
 しかし、あの日に目の前で起こったことを、俺はいまだに信じられないでいた。

 襲いくる黒装束の男たち。
 為す術もなく倒れていく仲間。
 そして一瞬で屠った、ルニ参謀。

 悪運が強いにもほどがあった。第十三班、十四、十五班で生き残ったのは俺だけだった。

 ルニ参謀は俺に「ここから逃げたほうがいいです」と言って、すぐさま駐屯地をあとにしたのだ。それに従っていなければ、恐らく、俺はここにいなかったろう。
 そのあとに起きた巨大な魔法を目の当たりにしていれば、確信できる。

 治療を受けながら俺は巨大な魔法の奔流を感じたのだ。素人でもわかるほど強力で強大な余波。
 大勢が治療テントから外をのぞくと、雲の切れ間から光が幾条も差し込んでいたのが印象的だった。幻想的だなと思ったものだ。
 そうして一秒後、地面が震えた。

 遠くからでもはっきりわかった。明らかに今までは平野だった場所が、一瞬で森と化したのだ。

 全員が死んだのだと俺は思った。その光景を見ていたほかの人らも、疑いようなくそう思っていたに違いない。
601 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/19(月) 21:05:09.93 ID:TltFGcZB0

 あんな存在と肩を並べて戦えるものなのか? 疑問に思ってなお、俺は依然軍隊に、戦場にいる。今はそこへの移動の道すがらであるが。

「セクラくん、なにやってるの?」

セクラ「あ、クレイアさん」

 クレイア・ルルマタージ。俺の所属する儀仗兵団のトップだ。肩書きは確か、儀仗兵長、だったか。
 クレイアさんは俺の手元を覗き込んだ。そこには手帳とペンがある。

セクラ「あ、日記、というか、はい」

 しどろもどろになる。どうも女性相手に喋るのは苦手だった。相手は四十を過ぎたおばさんだとしても。

セクラ「この戦争のことを物語にしたら売れますかね」

クレイア「売れても、国家侮辱罪で発売中止ね。最悪手が後ろに回っちゃうかも」

セクラ「それは……ごめんです」

 まさかそこまでは、と思ったが、あの国王ならばやりかねないとも思った。粉骨砕身した残骸すべてを国家のために捧げているような存在なのだ。
 俺にはそこまでできない……と言ってしまえば、先の戦いで死んだ仲間に失礼だろうか。
602 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/19(月) 21:05:59.89 ID:TltFGcZB0

クレイア「よく歩きながら読めるわね」

セクラ「実家が山の中だったんですよ。教会もアカデミーもなかったんで、魔法は自分で覚えるしかなくて」

クレイア「山の中を歩きながら?」

セクラ「はい。行商の途中とかに」

 炭を焼くことくらいでしか生計を立てられない両親のことを思うと不幸だった。彼らを馬鹿にするつもりではないが、そんな生き方はあまりに狭量だと感じていたのだ。

セクラ「最近は平和でいいですよね。戦争のさなかだってのに、のどかで、鳥なんかも結構どこにでもいるし……」

クレイア「……」

 クレイアさんは黙った。まずいことを言ってしまっただろうか。
 だが、それを尋ねることもできない。行軍の中、気まずい間だけが流れていく。

クレイア「これは」

 ぽつりとつぶやく。俺に話しかけているのか判然としない。

クレイア「平和なんかじゃないわ。ただ、静かな……そう、ただ静かなだけ……」

セクラ「……」

 今度は俺が黙る番だった。静か。確かにクレイアさんはそう言った。そしてその言葉の意味するところを、俺は当然理解できない。
603 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/19(月) 21:06:42.96 ID:TltFGcZB0

クレイア「ルニはよくやってくれた。ゴダイも……」

クレイア「白兵戦ではあの二人に敵うのなんて……。死んだのなら、それが運命だったのだとは、思うのだけれどね」

セクラ「……」

「セクラ・アンバーキンソン!」

セクラ「は、はい!」

 突然名前が呼ばれたものだから、思わず声が上ずった。

 俺を呼んだのは先頭を歩いていた上官だ。名前は覚えていない。「ア」だか「サ」だかがついた気はするのだが。

上官「索敵を頼む。もうそろ敵の哨戒圏内だ」

セクラ「はい」

 俺は索敵魔法を唱え、周囲の生命体の反応を確認する。
 雑多な声がうるさい。人間だけでなく、小動物などの存在も拾ってしまっているためだろう。

 熟練者、それこそクレイアさんなどであれば、もっときっちり人間に対象を絞り込めるのだろうが……俺はまだ訓練中の身だ。いつかあのレベルに辿り着きたいものである。
604 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/19(月) 21:07:10.30 ID:TltFGcZB0

 索敵の限りでは、範囲内の半径百五十メートル圏内には、自軍以外の存在は確認できない。このまま無事に済んでくれればいいのだが。

 今回の俺たちの目的地は、敵国の中央やや下の農耕地。そこで待機している部隊と合流し、周辺の村を制圧していくのが任務とされる。
 最初の戦闘が敵国の西端、領土境界線付近であったためか、だんだん東へと移動していく形となっている。

 とはいっても、最初の戦争からこれまで、殆どが残党狩りのようなものだった。そしてそれも条約によって取り決めがなされているため、所定の手続きを踏む事務的な色合いが強い。
 それを暇だとは口が裂けても言えないし、大事な任務で、人が死ぬより何百倍もマシだ。

 と、その瞬間、索敵圏内に侵入する存在を察知した。電気が肌の上を走り回る感覚。確実に、味方ではない。

セクラ「上官」

上官「なんだ」

セクラ「索敵圏内に自軍以外の存在を探知しました。距離、東に一三八、南に一七です」

 二十人ほどの隊列が足を止めた。視線の集まるのがわかる。
605 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/19(月) 21:07:44.31 ID:TltFGcZB0

上官「ルルマタージ兵長」

クレイア「はい」

クレイア「セクラくん、ご苦労でした。精密な索敵は私が引き継ぎます」

 そう言ってクレイアさんは杖を振った。途端に、それまでの俺の緩い索敵結界とは違う、ぴんと張った静謐な結界が生み出される。
 なら最初からあんたがやれよとは思わない。クレイアさんは俺とは違って、個人としても戦闘力に数えられている。出来うる限り魔力を温存しておくのは策として当然だ。

クレイア「……どうやら農民のようです。街道を防ぐ様に、五人……随分と多いですね」

兵長「自警団でしょうか?」

クレイア「その可能性は高いと思います。特にこの辺りは小作農から自作農へと、地主に対する蜂起で転換した土地です。団結力は高い」

兵長「殺しましょうか?」

 兵長の言葉を受けてクレイアさんは若干眉を顰めた。血なまぐさいことが嫌いな人なのだ。
 しかし、戦場では兵長のようなセンスが一般的であって、寧ろ彼女の感性は少数派だと言ってもよいだろう。

クレイア「ひとまず様子を見ましょう。条約に抵触する可能性もあります」

兵長「ルルマタージ兵長が言うなら。しかし、こんな辺鄙な田舎街道、どうせばれないのでは?」

クレイア「それでも、です」

 変わらずにクレイアさんは言った。心なしか前を向く瞳に力強いものが感じられる。
606 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/19(月) 21:08:55.33 ID:TltFGcZB0

農民「あんたら、マズラ王国の兵隊さんだな?」

ディエルド「そうだ」

農民「悪いが、ここから先は俺たちの土地だ。よそ者を入れるつもりはない」

ディエルド「押しとおると言ったら?」

農民「俺たちの手にあるものが見えないのか」

ディエルド「……」

 寡黙な男の目が細められた。兵長も同じような顔をしている。こいつら命が惜しくないのかと訝る視線だ。

 ディエルドが戦斧を振りかぶる。それが彼の、そして俺たちの答えだ。

兵長「いいですか?」

クレイア「……」

 不承不承という体でクレイアさんが手を水平に伸ばす。そしてそのままそれを振り下ろした。
 殺人の指示は全て自分が出す――そんな覚悟が透けて見える。

クレイア「やってください」
農民「やれ!」

 それを合図に両者が飛びかか――らない!
607 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/19(月) 21:10:27.82 ID:TltFGcZB0

 農民たちは腰から球を抜出し、それぞれ地面に叩きつける。
 濛々と煙が割れた球から立ち込め、あたりが一瞬で白く覆われる。

兵長「密集陣形! 攻撃に備えろ!」

 合図で一斉に俺たちは集まり、外を向いた。最も外に兵士、そのうちに儀仗兵。

 しかし、一秒たっても二秒たっても、あちらの動きがみられない。時間の経過に伴って煙の晴れたその跡地には、

兵長「?」

 誰もいなかった。
 逃げたのだろうか。あそこまで啖呵を切っておきながら?

 俺たちの目的はあくまでこの先に駐留している部隊との合流であって、この村にはまあったく関係ない。

「ま、待て! あれを見ろ!」

 部隊の誰かが叫んだ。そいつが指しているのは街道の先、畑作地帯だ。

 赤い光が木々の隙間から見える。風に乗って、どこか煤けた臭いも。

クレイア「まさか……」
608 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/19(月) 21:11:24.83 ID:TltFGcZB0

 誰ともなく走り出す。嫌な予感がした。まさかそこまでやるまいと思っていたことが現実となった感覚があった。

 畑が、穀物倉庫が、民家が、燃えている。
 あらかじめ街道に積んであったのだろう、乾燥した藁屑が、何より一際大きな火柱を挙げていた。恐らくこの先にも続々と火がつけられているに違いない。

 馬が背後で落ち着かなさそうに動き回る。恐らく黒煙の臭いが鼻につくのだろう。炎も本能を刺激するのかもしれない。

クレイア「ここまでするとは……」

 それほど彼らはこの先に進んでほしくなったのだろう。誰かに自らの土地を凌辱されるなら、自ら殺すのが親の役目。そんなある種盲信的な考えを感じる。
 自分たちさえいれば、また一から作り上げられるのだと。

 ここは迂回しなければならない。俺たちは待機している部隊に連絡を入れ、来た道を引き返し始める。

――――――――――――――――――
609 : ◆yufVJNsZ3s [sage]:2012/11/19(月) 21:12:14.20 ID:TltFGcZB0
短いですが、今回の更新は以上となります。
610 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/20(火) 09:04:40.89 ID:8I0r4+hIO
なんか次々と名前が明らかになった回だな
611 : ◆yufVJNsZ3s [sage]:2012/11/20(火) 12:40:58.47 ID:hW/nFImB0
>>605-606の間に抜けがありました。以下、補完です。


 条約とは多国間で決めた戦争に関する条約である。奇襲の禁止、非人道魔法の禁止、拷問の禁止、民間人への暴力の禁止、様々な禁止条項が存在する。
 武装した農民とはいえ、民間人とみなされる可能性がないわけではない。兵長の言うとおり殺したってどこかで監視されているとも思えないが、あえて言うならば、見ているのは自分自身とお天道様なのだろう。

 そもそも理由なんていくらでも作れるのだ。死人に口なし。正当防衛にするのは簡単だ。

 兵長が手を挙げた。すっとその脇を巨漢、ディエルド・マイタが一歩前に出る。

 ディエルドが兵長を見た。兵長は頷き、指示を出したようだった。

クレイア「来ます」

 ディエルドの持つ戦斧が振り上げられる。二メートルもある体格と比較しても、何ら遜色ないくらいには、その戦斧も大きい。

 街道を真っ直ぐにやってきたのは、それぞれ三叉の農具、鎚、古びた剣を手にした農民たちであった。想像を裏切らない人物たちの登場に、俺はそれでも驚きを隠せない。
 こちらは二十人。あちらは五人。練度の差だって一見してわかる。だのに彼らは何をしに来たのか。

 ディエルドが五人の前に立ちふさがった。いや、五人がディエルドの前に立ちふさがった、という表現が正しいだろうか?

 一触即発の空気がある。それでも俺はあくまで自然体で、その光景を見ている。
 どうでもいいと言ってしまえば語弊があった。けれども確かにどうでもいいのだ。戦争の趨勢も、この国の行く先も、隣国の行く末も。
 俺は知っていた。知ってしまっていた。何が、というと、それは……
612 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/21(水) 00:08:09.62 ID:hff2QR9DO
613 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:37:29.03 ID:MLkB2vTH0
――――――――――――――――――

 大急ぎで進路転換、来た道を引き返しつつ新たなルートの構築、同時に到着までの所要時間の計算が急ピッチで行われる。俺はルート構築班に放り込まれ、速度のためいつもより揺れる馬車で地図とにらみ合っていた。

セクラ「谷間を抜けていくっていうのは?」

ディエルド「そこは山賊がいる。また、桟橋も古い。馬が通れるかはわからないな」

クレイア「王国の紋章を頂いている馬車を襲う山賊もいないと思いますが」

ディエルド「そうですね。しかし、それを抜きにしても、ここは危険かと」

 土地勘のあるディエルドが言うのであればそうなのだろう。

 地図の上では途中の分かれ道まで戻り、谷を抜けていくのが最もの近道だ。そうでなければさらに戻ってもう一つの街道をゆくしかない。
 ただし、時間はない。安全を支払って時間を買う選択が迫られているのも事実である。

 俺はクレイアさんを見た。最終的な決断をするのは彼女である。

 通信機から連絡はない。それが、果たしてよい意味なのか、それとも悪い意味なのかを類推することは、決して心によくない。俺は努めて平静を装うことにする。

クレイア「わかりました。谷間を抜けましょう」

 ディエルドの頬がぴくっと動いた、気がする。
614 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:37:55.68 ID:MLkB2vTH0

クレイア「山賊がいる? 結構。私はこの一団が山賊などものともしない武士-もののふ-であることを知っています」

クレイア「馬車が通れない? 結構。馬など捨てていきましょう。どうせ移動中の食料と飲料水しか積んでいません。一日二日程度なら、持つでしょう」

 谷間の強行軍、か。確かに馬車には大したものは積んでいない。所詮二十名ぽっちの遊撃部隊だ。多少根性を出せばできないこともないだろう。

セクラ、ディエルド「了解しました」

御者「そういうことでいいんですねぃ? ルート変更させてもらいますよ、っと!」

 御者は手綱を捌きながら、まっすぐ進んだのちに左へと曲がる。

 谷間を抜けるルートが採用されたことはすぐにほかのやつらにも伝えられた。一瞬驚きの顔があったものの、すぐに覚悟を決めた顔になる。これくらいでへこたれる面子を集めたわけもない。
 それにしても、このクレイアさん。優しそうな、ともすればなよなよしているふうに見えるけど、存外肝が据わっている。
 いや、肝が据わってなければ戦争には加担できないか。

 谷の入り口、平坦な均された道が終わりをつげ、勾配のある砂利道へと差し掛かった。俺たちはめいめい食料を背負い、武器を手にし、御者に別れを告げる。
615 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:38:28.35 ID:MLkB2vTH0

 全二十名による行軍。地図が正確で問題もなければ、一両日中にはつくだろう。

 道は狭い。それまで二列縦隊だったものが、一列になっても微かにきつい。
 右側は壁となっている。高い崖だ。左は斜面で、その先には沢が流れている。沢沿いを歩く限りにおいては水の心配はしなくてよさそうだが……。

セクラ「思ったより勾配が激しいですね」

ディエルド「そうだな。俺なんかは慣れたもんだが……」

 ディエルドは後ろを向いた。兵士はともかく、俺を除く儀仗兵はみんな息が上がっている。一時間も歩いていないというのに。これだからアカデミー育ちのお坊ちゃんは困るのだ。
 脳みそまで筋肉にしたいとは思わないが、体は資本である。例え儀仗兵であろうとも。それが戦争に参加するものならなおさらだ。

ディエルド「なんとかならないもんか?」

セクラ「回復魔法は俺使えないんですよねぇ。クレイアさんは?」

クレイア「私もです。が……まぁ、このままじゃあ進行に支障が出ますしね。仕方ありません」

 クレイアさんは懐から何かを取り出した。
 それは一見すると一枚の板だ。細かな模様が刻まれていて、恐らくそれは魔力経路であるようなのだが、俺にはその経路が何を示しているのかわからない。

 ぱきん。クレイアさんが指に力を入れ、それを追った。
616 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:39:08.80 ID:MLkB2vTH0

 空気がわずかに震える。

 不思議と体に活力の漲るのが感じられた。足元から熱量が、表皮ではなく体内を上っていく。血流に乗って。

 足元?

 視線を向けると、淡く光る魔方陣が展開されていた。橙色の仄暖かい光を放っている。
 理解した。これは陣地構築だ。

 クレイア・ルルマタージ。彼女を儀仗兵長の地位にまで高めたのは、その陣地構築の手腕に他ならない。瘴気を浄化し濁った水を透き通らせ、獰猛な獣や魔物からその身を守る、安寧の地。
 陣地構築にもさまざまな性質があるが、現在クレイアさんが構築したのは、自動回復の陣地だろう。クレイアさんを中心に展開する型の。

 なんだ、回復魔法が使えるんじゃないか。クレイアさんの中では、これは陣地構築魔法の扱いなのだろうか。

 陣地構築のおかげで大分俺も楽になった。山登り自体は問題ないが、これが続くとなるとさすがに骨だ。しかも山を越えるのが目的ではないのだから、疲労は少ないに越したことがない。
 後ろでもたもたしていた仲間の歩みも速度が上がる。なんとか時間通りに所定の位置までつくことはできそうだ。

 いくつもの勾配と桟橋を通り過ぎて、一際大きな木が植わっているそばに差し掛かったあたりで、日はとっぷりと暮れていた。本来のルートならばもうそろ着いているころだろう。
617 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:40:18.18 ID:MLkB2vTH0
 実際はあと一つ、山の麓を縫っていかなければならない。それでもあと五時間程度。眠気と疲れを押してもよいのだが、繰り返すように目的地へたどり着くだけではだめなのだ。

 俺たちは無事に目的地へとたどり着かねばならない。くたくたでは結局足手まといにしかならず、無駄死にだ。

 そういうわけもあって、現在はキャンプを張っている最中だった。魔法であっても万能ではない。飯の支度は必ず自分たちで行う。杖を振ればできたてほやほやが目の前に! という世界ではないのだ。
 無念。

 そうは言っても俺はこの時間が嫌いではなかった。もともと料理は得手のほうだったし、何より空腹を満たせる期待に胸が高まり、高鳴る。
 兵士としてはペーペーだが、戦場での楽しみが三度の食事位だというのはまったく同意だ。息もつかせぬ戦場の中において、唯一安らげるひと時がそれなのである。

 俺は笑みがこぼれるのを止められなかった。もうすぐだ。もうすぐで自由な時間が俺を待っている。解放の時が。

 今日の食事は銀シャリに携帯していた干し肉、野菜のスパイス炒め、そして偶然捕獲された猪である。干し肉と牡丹肉で肉が被っているが、なに、男だらけの部隊で困ることはない。
 猪を殺したのはディエルドである。でかい図体に似合わず手先も器用で、猪を弓でいるところから解体までを殆ど一人でこなした。人は見かけによらないものだ。

 す、と手が眼前を横切った。

セクラ「?」

 そのまま手は俺の右頬をがっしりとホールドし、力任せに手前に引いてくる。首が首が首が首が変な音を立てながら!

セクラ「なん――」

 大きくバランスを崩したの俺の眼前を、火球が通り過ぎる。
618 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:41:34.78 ID:MLkB2vTH0

 地面へ着弾したそれは食器類を粉々にしながら火の粉をまき散らした。威力は低い。しかし、その分数が多い。

 数が多いのだ。

 視界いっぱいに広がる火球と火球と火球!
 思考の暇すら与えてくれないほどの!

「敵襲、敵襲ぅううう!」
「全員剣を抜け! 円陣を組め!」
「山賊か!? にしては、くそ、魔法なんて使ってきやがって!」

クレイア「セクラくん、大丈夫ですか!?」

セクラ「ま、まぁ、なんとか。……ありがとうございます」

 どうやら俺を助けてくれたのはクレイアさんらしい。彼女はきっと闇の帳の降りつつある山中を睨みながら、陣地構築を再展開する。

クレイア「自動回復、身体能力向上、索敵結界、全部込みで陣地を構築しました。これで負けはない、はずっ!?」

 素っ頓狂な声を上げた。俺は視線で尋ねる。いったい何がどうしたんですか、と。

クレイア「聖騎士……っ」

 答えは迅速で、何より簡潔だった。
619 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:42:06.06 ID:MLkB2vTH0

 聖騎士。
 隣国随一の戦士集団を指して、そう言う。

 こちらの国ではおおよそ該当するのがクレイアさんや、先の戦争で亡くなったルニ参謀などだろう。個人の存在を作戦に組み込めるほどの逸材を、あちらでは総称して聖騎士と呼んでいる。
 白銀の鎧と武具を持った聖騎士は、確かにすばらしい武芸者なのだろうが、敵としては忌まわしい限りだ。

 それはつまり、懸念していた山賊ではないということである。クレイアさんはすぐにその情報を仲間へと伝えた。
 聖騎士という単語を聞いて、僅かに部隊の中に怯え、尻込みといった感情が伝播するのを、俺は見逃さなかった。恐らくクレイアさんも。

クレイア「なぜここに聖騎士がいるのか、そのようなことは後回しです! 総員密集陣形のまま退却! 殿は私が勤めます!」

クレイア「敵の規模も目的もわからない以上、戦闘を続けるのは得策ではありません! 早く!」

 言いながらクレイアさんは懐から一枚の板を取り出した。それを割りながら、呪文を詠唱する。
 ――呪文を、詠唱?

クレイア「東の最果て、南の滝壺、遍く生命の傍ら、飲み込むもの!」

クレイア「ザラキ!」

 ずん、と空気が――地面が、震える。
 俺の前方、進行方向から見ると後方、敵の攻撃源に向かって、巨大などす黒い魔方陣が現れている。
620 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:42:38.13 ID:MLkB2vTH0

 思わず吐きそうになった。

 なんだ、なんだあれは。
 あれもまた陣地構築だというのか? そんなの俺は認めない!

 魔方陣から溢れ出す瘴気。死臭。地面もまたぶすぶすと黒く変色していって、その上にある木々や大岩を、全てその暗闇の中に飲み込んでいく。
 聞きなれない悲鳴が合奏していた。

 僅かに遅れて、倒れる音。

セクラ「今のは……?」

クレイア「……生命を、冒涜する呪文です」

 クレイアさんはそれだけ言った。

 殿を務める俺たちの先では、仲間が層になっていた。見れば既に敵に回り込まれている。
 いや、初めからこれだけの数がいたのか?
 だとしたらご苦労なことだ。

 視界の端が明るくなる。
 反射的に体を捻って、火炎弾を光源へと叩きつけた。が、俺は大きな勘違いをしていた。光源はただそこにあるのではなく、迫ってきていたのだ。
621 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:43:05.26 ID:MLkB2vTH0

セクラ「くっ!」

 陣地構築で身体能力が向上していたのは僥倖だった。超高密度の魔力体であるそれをぎりぎりで回避し、俺は続けて火炎弾を叩き込む。
 確かに魔力の減りが遅い。いつまでも戦え続けそうだった。

 炎の燃える中から現れたのは、一人の白銀と、配下の部下。

聖騎士「クレイア・ルルマタージ……まさかこんなところで出会うとは」

クレイア「その声、イクシフォン・ドロッドですね」

 声の主――どうやらイクシフォン・ドロッドというらしい――は、しわがれた声を大きく揺らした。

イクシフォン「こうなったのも神の采配よ。戦争には、邪魔だ。死んでもらおう」

 魔力の粒子が敵の体から噴出する。それを見て、クレイアさんも俺も体を強張らせた。

クレイア「セクラくん、あなたはあっちと合流して」

 敵から視線を外さずにクレイアさんは言った。逡巡するも、確かにそちらのほうがよさそうだと判断した俺は、頷くだけして踵を返す。

クレイア「いつかの裏切りの借り、返してもらいますよ、伯父さん」

 最後にそれだけが聞こえた。

 後ろ髪を引かれる思いで走る。交戦場所に辿り着くまではすぐだ。人数はあちらのほうが多く、それでなくても登山を経てのこれである。当然のように押されていた。
622 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:44:10.13 ID:MLkB2vTH0

セクラ「退けろ!」

 杖を振る。炎が夕闇の迫る空間をぱっと照らし、敵兵へと襲いかかる。

ディエルド「遅いぞっ」

セクラ「クレイアさんが聖騎士と戦ってます。こちらを片付けて向かわないと……」

ディエルド「お前はあの人が聖騎士に負けると思ってるのか」

セクラ「いえ、そうではないですが!」

ディエルド「後のことを考えるな、今のことだけ考えろ。そうしなきゃ一秒後も危ない」

 戦斧が一閃。敵兵を鎧ごとぶった切って、嫌なにおいが鼻をつく。
 死の臭い。血の臭い。何度嗅いでもこれだけは苦手だ。

 斬撃、斬撃、斬撃!

 刃と刃がぶつかって火の粉が散る。それを鼻っ柱に受けて痛みが走る。鋭い痛みで汗が滲む。
 舞い上がる土埃。怒声。喊声。悲鳴。

 視界の端で兵長が倒れるのが見えた。慌ててそちらに駆け寄るところを、槍で阻まれる。脇腹の肉を持っていかれた、くそ!
623 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:44:37.87 ID:MLkB2vTH0

 火炎弾で敵の顔面を砕く。肉の焦げる臭いに今は気を取られている場合じゃない!

セクラ「大丈夫ですか!?」

兵長「あ、おぉ、セクラ、か」

 脈を測ろうと取った左腕が、肘の部分からぶちぶちととれる。鋭利な傷痕。考えるまでもなく、剣戟でできたものだ。
 いや、それよりも、鎧を突き破って胸に深々と折れた剣が突き刺さっている。

兵長「俺は、だめだな」

 全てを理解して兵長は言った。
 あきらめないでください、などと言えるはずもない。俺は口を結んで、「はい」と呟く。

兵長「この戦争が終わったら、結婚する、つもり、だったんだけど、なぁ」

 ひときわ大きく血を吐いて、兵長の首が横になる。安らかな顔だ。血が顔についてなければ、ともすれば眠っていると思えるほどの。
 まだ体温はある。暖かい。人のぬくもりが残っている。

 この体温は恐らく次第に失われていくのだろう。そして腐敗し、野犬に啄まれる。

 恐ろしい。
 俺は死ぬことが怖い。
 生きたい。生きていたい。
624 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:45:04.37 ID:MLkB2vTH0

 すぐそばで敵兵の足音があった。ざく、と土を踏みしめる音。俺は気づけば血まみれになっていた右手を握り締め、

――詠唱を始める。
 詠唱は危険なものだ。普段儀仗兵がそれを省略するのは何も時間の短縮のためだけではない。省略することによって、オーバーワークを回避する意味合いをも兼ねているのである。

 唱えるということは正しい手順を踏むということである。ゆえに消費する魔力も段違いとなる。
 無尽蔵に魔力を注ぎ込んでやれば、無尽蔵に呪文は育つ。術者が魔力の枯渇で干からびない限り。

 一つの蝋燭、三つの松明、五つの篝火、焦土の地平線、肌を焼く原初の風!

セクラ「ぐ、く……っ、うぅっ! くぅっ!」

 体が引っ張られる。
 魔力を己の内側からひねり出す行為は、同時に魔力に己の内側へ引っ張られることを含意している。

 筋肉が千切れる!

 唇を噛み切った!

 だけど、まだ足りない。
 これでは足りない。

 さらに、さらに、さらに。
 もっと、もっと、もっと。
625 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:45:38.76 ID:MLkB2vTH0

セクラ「放浪する点滅! 恐怖の根源! 飲み込み、圧倒し、降り注ぐ赤い潮!」

セクラ「ベギラゴン!」

 脳の奥で閃光が弾ける。

 全てを、ただ無我夢中で解き放つ。

 熱波と衝撃があたりを舐めた。立っている者、倒れている者、どちらも一定数いる。立っている者はみなふらふらであったが。

 ざん、とディエルドが敵を切り捨てる。俺など恐らく眼中にあるまい。ただ敵に猛進し、切り捨てるだけなのだ。
 俺に向けられているきれいな背中がその証。

 ナイフを引き抜いた。俺もぼーっとしているわけにはいかないのだ。
 魔力は枯渇気味だが、しかし、満身創痍の人間相手に後れを取るほどでもない。

 刃を突き刺す。手にずっしりとくる衝撃。だのに妙に柔らかくて、その不協和が俺を一層不安にさせる。俺が殺しているのは本当に人間なのかと。
 いや、現実逃避はよくない。俺は生き抜くと決めたのだ。人を殺してでも。

 視界の中でついにディエルドが倒れた。眼を見開いて、口をぱくぱくとさせ、何かを発したいようであったが、それも叶わない。巨体が音を立てて地面に倒れる。

 最早立っているのは俺だけだった。生きているのも、俺だけだった。
626 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:46:08.01 ID:MLkB2vTH0

 感傷に浸っている暇はない。そんなことは時間のある人間のすることであって、今の俺がその権利を有するとは、到底思えなかった。
 走り出す。クレイアさんのもとへ。

 そのまま体に鞭を打って、おおよそ三十秒。視界の中にクレイアさんを捉えた。木に体を預けて腰を下ろしている。

 そしてその前に、数多の死体。
 その中には聖騎士のものもあった。

セクラ「クレイアさん!」

クレイア「セクラ、くん? その声は」

 どうやら目が見えていないようだ。魔力の酷使による弊害だろう。身体の疲労もまた。
 時間経過で回復するとはいえ、この人をここまで消耗させるとは、やはり聖騎士である。驚きを禁じ得ない。
 いや、あの聖騎士相手に勝利を収めたこの人こそが驚愕の対象なのだろうか。

セクラ「あっちは俺以外全滅です……クレイアさんは大丈夫ですか」

クレイア「えぇ、なんとか、ね。一時間も休めば、きっと」

 そうか、大丈夫なのか。
627 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:46:44.61 ID:MLkB2vTH0



セクラ「それは困る」



 ナイフがクレイアさんの腹に突き立てられる。
 否。

 俺は、ナイフを彼女の腹に突き立てた。

クレイア「がっ! ……え、な、んで……ぐっ」

 刃を捻ってやるとクレイアさんは声にならない声を出して意識を失った。ディエルドと同じである。

??「よくやってくれた」

 木陰から姿を現す、白銀。
 死んだはずの聖騎士だった。

イクシフォン「お前がここまで連れてきてくれなかったら、この先で負けていただろう。礼を言う」

セクラ「本当ですよ。他の誰かに思考が読まれていてもいいように、直接的に意識はせず、遠回りで情報を考えるのは骨なんですから」

イクシフォン「まぁまぁ。その労力に見合う程度に報酬は弾んだつもりだ。ほら」

 イクシフォンが懐から大きめの袋を取り出した。揺れて、じゃらり、と音を立てる。

イクシフォン「金貨五十枚。色を付けておいた。ご苦労だった」

セクラ「俺が仲間を殺すくらいだったら、あんたらが殺せばよかったのに」」
628 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:47:19.41 ID:MLkB2vTH0

イクシフォン「なに、クレイアのやつは強敵で、俺よりもお前のほうが警戒心がないだろう。それにあの大男……」

セクラ「ディエルドですか」

イクシフォン「そうだ。俺がクレイアにかかりきりになる以上、そいつを倒せるやつはうちにはいない。お前にやってもらう必要があったのさ」

セクラ「ま、そういう事情ならしょうがないですけどね」

イクシフォン「これからどうする気だ?」

セクラ「……」

イクシフォン「いや、なに、単なる好奇心だよ」

セクラ「それは、まぁ、こうします」

 先ほどクレイアさんの命を奪った刃が、今度は目の前の白銀の喉を切り裂いた。
 金貨の入った袋を手渡しできる距離。呪文よりもナイフのほうが早いのは、考えるまでもない。
629 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/23(金) 13:47:57.98 ID:MLkB2vTH0

イクシフォン「え?」

 数秒彼は何をされたか気づいていないようだったが、それに気が付くと、こちらに攻撃をするのも忘れて頸へと手をやる。しかしそんなことで噴き出る血が止まるわけもなく。

イクシフォン「き、きききっ! き、貴様ぁっ!」

 向けてきた杖を掻い潜って、今度は顔面に中心へと刃を叩き込んだ。頭蓋骨を貫いて刃が埋没すれば、まぁ、死んだだろう。
 びくんびくんと痙攣したままイクシフォンは倒れる。

セクラ「死んだら負けなんだよ。覚えておきな」

 そう、死んだら負けなのだ。
 俺以外の全員が死んだあの日、俺は理解したのだ。死なないことが何よりも大事なのだと。たとえば誰かを守ったり、誰かの死を悼んだりするのは、確かに上等なことかもしれない。仲間殺しなんて下の下の所業だ。
 けれども死んだ奴に一体何の価値があるだろうか。俺は絶対に死なないと決めたのだ。死にたくないと思ったのだ。

セクラ「こんな戦争なんかで命を取られてたまるか」

 金はたっぷり手に入れた。放蕩しなければ数十年は楽に過ごせるだろう大金だ。これをもって他の国へ逃げよう。俺はきっと、死んだことになるだろう。
 死体は腐乱する。誰が誰だかわからないに違いない。

「ちょっと、アンタ」

 唐突に肩を掴まれる。

 え?

 俺の眼前に女の子がいてハンマーを

――――――――――――――――――
630 : ◆yufVJNsZ3s [sage]:2012/11/23(金) 13:50:14.35 ID:MLkB2vTH0
今回の更新はここまでとなります。
631 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/23(金) 17:05:59.94 ID:eJmWIvKp0
632 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/24(土) 11:10:37.53 ID:OO2bC1VDO
乙!

今回も秀逸だね、引き込まれたわww
633 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/24(土) 13:36:31.57 ID:miyzPsu70
おつ
634 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(奈良県) [sage]:2012/11/24(土) 13:42:42.05 ID:onyWkMG4o
意味不明な名前出てき過ぎ
635 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/25(日) 02:41:27.40 ID:Sl3xflM2P
名前が付いたら死亡フラグだな
636 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/25(日) 18:40:08.99 ID:TL+y6+zko
>>635
脇役たちにスポットライトが当たる数少ない時間
637 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(神奈川県) [sage]:2012/11/25(日) 18:41:10.43 ID:TL+y6+zko
脇役たちにスポットライトが当たる数少ない時間
638 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(福島県) [sage]:2012/11/26(月) 10:02:03.74 ID:Yh6CrbWjo
名無しはメイン、名有りはモブとか新しいな
639 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:15:36.53 ID:Cav8RLV20
―――――――――――――――――

勇者「……殴るだけでよかったのか」

少女「何、殺せっての?」

勇者「そうじゃなくて。軍に引き渡したっていいんだし」

少女「勘弁してよ。こんなクズのために使う労力も時間も、アタシたちにはないわ。そうでしょ?」

勇者「まぁそうだけど」

狩人「それより、勇者。この人、まだ、息がある」

 狩人が儀仗兵長の傍らに屈んで言った。
 近づいてみると、確かに微弱ながらも息がある。
 しかし、それでも出血がひどい。内臓に傷がついているのかもしれなかった。そのあたりの医学的知識は勇者にはなかったけれど。
 問題はここが山中だということだ。病院に運び込むにも一旦降りねばならない。

勇者「ばあさん、頼めるか?」

老婆「無論じゃ。こいつまで死なせるわけにはいかん」

 老婆の従軍時代からの知り合いも、だいぶその数を減らしている。そして彼女は老婆の嘗ての弟子でもある。老婆の言葉にも力が籠る。
640 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:16:16.65 ID:Cav8RLV20

狩人「山を越えたところに駐留してる部隊があって、そこと合流するつもりだったみたい」

勇者「ってことは……来た道を戻る形か」

老婆「どのみち魔力もそれほど残っておらん。あまり長距離はいけんよ。ちょうどいい」

 老婆が杖で地面に真円を描くと、それが発光を始める。それを見た三人が円の内部に入って、光はやがて光の柱となる。勇者は儀仗兵長を背負う形で。

 光が消えたとき、五人の姿はない。

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641 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:16:54.72 ID:Cav8RLV20
―――――――――――――――

 勇者たちがやってきたのは麓の町の病院であった。ここは占領下にありながらも、大した制限を受けずに生活を営める稀有な町だ。
 周囲を見渡せば、勇者たちと同じ兵服を着た人間が何人も見つかる。しかし彼ら彼女らの様子は緊張した戦争のそれとは違っていた。
 ここはいわゆる療養所なのだ。前線で傷ついた兵士たちを癒すための。

勇者「おい、頼む」

医者「あんたらまた……って、どうしたんだ!?」

狩人「道すがら、交戦の後に全滅している部隊が、敵と味方であった。その生き残り」

勇者「治せそうか?」

 儀仗兵長を診察台に載せた勇者が尋ねると、医者は患部にひっついた衣服を鋏で切り離しながら頷く。

医者「見たところ間に合う。が、治癒魔法でどうにかなるレベルは超えているな。開腹してみて、次第によっては長く入院生活だ」

勇者「金はこっちで持つから、なんとかしてやってくれ。頼む」

医者「いや、金なんていいさ。軍のほうから給金は出てる。これも仕事のうちだ」

医者「それに……」

 言って、ちらりと勇者の顔を見やる。

医者「あんたらから金をとるなんてできんよ。最近、随分と活躍してるそうじゃないか」
642 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:17:25.45 ID:Cav8RLV20

 思わず勇者は視線を逸らし、頬を掻いた。どうにも無性に恥ずかしくなったからだ。

 勇者たちはこの一か月、たった四人で戦場を駆け回っていた。

 東では砦の攻略に手を貸し。
 西では略奪を行う自軍の不届き者を捉え。
 南では境界線を割ってきた敵を食い止め。
 北では魔物に襲われた村を救った。

 本来ならば老婆は王城にいなければいけないらしいのだが、帰還連絡を彼女は常に無視し続けてきた。現場で活躍しているためお咎めなしの状態である。
 勇者や狩人、少女も本来ならば軍属であって、現状は軍規違反も甚だしい。それでも何ら処罰がないのは、前述したことと、老婆という後ろ盾があるからだろう。

 しかし、最早彼らには軍などどうでもよかった。狩人も、少女も、老婆も、戦争の行く末を見据えてはいなかった。
 彼女らが見ているのは、勇者の向く方向。
 この戦争の中にあって、世界を平和にする方法を、何とか探り当てようとしているのだった。

 人は恐らくそれを愚かしいと思うだろう。夢に飲み込まれた狂人と後ろ指を指すだろう。もしかしたら、めくらと揶揄する者だっているかもしれない。
 それでも、目が離せないものが確かに遥か彼方で光っているのを、彼らは知っていた。
643 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:17:52.85 ID:Cav8RLV20

 だからこそ勇者たちはなるべく人を殺さないようにしていた。強く在ること。揺らがない自身を持つこと。誰かを助けるために人を殺すことに抵抗はなかったが、だからこそ殺そうとは思わなかった。
 殺すしかなくなってから殺せばいいのだ。

 いや、殺せばいいのだという表現は、命の軽視である。殺すしかなくなったときに初めて、それを実行できる。

 ひと月たった今も世界を平和にする方法は見つからない。九尾の企みもわからぬまま、四天王もめっきり現れなくなった。ただ戦争が続いているだけである。

 勇者たちが山岳地帯にいたのは、敵軍に不穏な動きがあることを突き止めたからだった。単なる駐屯所ならまだしも、そこに聖騎士が出入りしているのであれば大事である。王城から受けた依頼を、勇者たちは断らなかった。
 それは結果的に良い方向へと向かった。彼らがあのタイミングであそこにいなければ、恐らく儀仗兵長は死んでいただろうから。

 勇者たちは医者に礼を言い、病院を後にした。夜も更けている。山岳地帯に建設されかけていた魔道砲場は完膚なきまでに叩き潰したため、今夜は枕を高くして眠ることができるはずだった。

 とりあえずひと眠りして、今後の行動はまた明日考えよう。
 そう思いながらやってきたのは宿屋である。戦場で休養を取ることが多かったため、たとえ固くともベッドで眠れるのはうれしかった。

勇者「四人なんだけど、何部屋空いてる?」

店主「二部屋だね。どっちも大きさは変わらないけど、片方はベッドが一つしかないんだ。毛布なら貸し出すけど……」
644 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:18:25.65 ID:Cav8RLV20

勇者「ということは、誰かが床で寝ることになるな。俺が寝るよ」

狩人「だめ。勇者はベッドで寝て。私が」

少女「ちょっと待ってよ。ここは頑丈なアタシに任せてって」

勇者「うーん、そう言われてもな」

少女「じゃ、一緒のベッドで寝る?」

狩人「ちょっと待って」

少女「?」

狩人「なんで、一緒の部屋の前提?」

少女「べ、別にそんなつもりはないけどさっ」

狩人「私は勇者の恋人。私が一緒の部屋」

少女「狩人さんがこいつの恋人だってことは認めるよ。うん。疑いようのない事実。でもね、アタシたちは四人で旅してるわけじゃん?」

少女「つまり、一心同体。四人で一つ。みんな仲間。そこに、ほら、そーゆーのを持ち込むのって、危険じゃない?」

狩人「危険なのは、勇者のていそ……」
645 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:19:16.89 ID:Cav8RLV20
勇者「ちょーっと、ストップ! ストップ! お前ら何の話をしてるんだ」

 宿屋の主人の好奇の目に耐え切れず、勇者は叫んだ。

勇者「俺はばあさんと寝る! お前らが一緒の部屋! 以上!」

老婆「わしと寝るだなんて……勇者もなかなか積極的じゃのう」

勇者「うるせぇ。なんかしてきてみろ、ぶっ飛ばすぞ」

老婆「ひゃひゃひゃ。空間移動できるわしを捉えられるかな?」

狩人「……貞操が危険なのは、依然変わらず」

少女「ってちょっと、置いてかないでよ!」

 云々やりながら四人は渡された鍵を受けとって寝室へと向かう。
 部屋が分かれる前に立ち止まり、今後の予定を口頭で確認しあう。

勇者「今日はこれ以上は予定はない。オフだ」

少女「もともと帰ってくる予定なかったしね」

勇者「そういうことだな。魔道砲場は潰した。ま、問題はないだろう。残党は見逃すこととして」

狩人「今後は?」

老婆「近々平原と林の境界線に場所を移して、規模の大きめのドンパチを繰り広げるらしい。わしらは裏から回り込んで、対象の首を取る」

少女「殺す、の?」

老婆「さぁな。重要な情報源じゃし、殺しはしないじゃろ。確保になると思う」

少女「そっか。そっか」
646 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:19:44.83 ID:Cav8RLV20

狩人「召集があるまでは、待機? それとも、また、どこかへ行く?」

勇者「一応、待機。近くで何かが起きればそっちへ行くけど、話を聞く限り次の戦場のここは近いから、あんまり離れたくはないな」

老婆「何かあれば指示を出してくれよ。お前の言うことなら何でも聞こう」

狩人「私も」

少女「アタシだって、聞いてやらなくもないし」

 勇者は思わず自身の顔がほころぶのを感じた。

勇者「じゃ、各々ゆっくり過ごしてくれ」

狩人「勇者は?」

勇者「俺は食料と消耗品の調達に行ってくるよ」

少女「アタシも!」
狩人「行く……」

少女・狩人「「ん?」」

 二人は顔を見合わせた。少女が無理やり笑顔を作り、狩人は逆に眉を顰める。

少女・狩人「「勇者はどっちと行く?」」

 ぐるんと捻られた二人の視界に、しかし勇者は入ってこない。ついでに老婆も。

 二人は叫んだ。

「「逃げられた!」」

――――――――――――――
647 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:20:14.22 ID:Cav8RLV20
老婆「逃げてもよかったのかえ?」

勇者「いいんだよ。ここ最近のあいつらは、なんかおかしいからな」

老婆「朴念仁」

勇者「は?」

老婆「――と、言われても仕方がないのじゃよ」

勇者「わけがわからん。ついにボケたか」

老婆「抉るぞ」

勇者「抉るってなに!? こわっ!」

老婆「ふん。まぁいい。ちょうどわしもお前に話があったところじゃ。行くぞ」

 場所は路地裏。老婆が先行し、勇者はそれに続く形で歩を進めていく。
 戦争中でも賑わいはある。療養と慰安のために作り替えられた町なのだから、寧ろ賑わいのないほうがおかしい。二人のいる路地裏まで往来の声が届いていた。

勇者「で。話ってなんだよ」

老婆「なに、大したことじゃあない」

老婆「孫のことで、ちょっとな」

老婆「あの子を助けてくれてありがとう」
648 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:20:42.06 ID:Cav8RLV20

 老婆は真っ直ぐにお辞儀をした。
 思わず面喰ってしまい、勇者は一歩後ろに後ずさる。こんな殊勝な老婆を見るのは初めてだった。いや、別に彼女に常識がないというわけではないが。

勇者「大したことはしてねぇよ。それに、俺にはあいつが必要だ。だから助けた。仲間だしな」

 くさいセリフをしゃべっている自覚があった。しかし言ってしまった以上は止まらない。ええい、ままよ、と一気に言葉を紡ぐ。

勇者「俺一人だけの力じゃどうにもならないってことを、俺はわかってるつもりだ」

勇者「それにしても急にどうした。礼なんて前にも聞いたぞ」

老婆「最近のあやつの顔を見ているとな、昔と違うんじゃ。それはきっと、勇者、お前のおかげが大きいのだと、わしは思っている」

勇者「やめてくれ。俺は俺のことで精いっぱいだ」

老婆「魔王を討伐するために村を出てから、わしは孫の笑ったところを見ていなかった。今あんなに楽しそうにしているのは、わし一人じゃできんかっただろう……」

 老婆は真っ直ぐに勇者を見据えた。なんとなく視線を外しそうになるが、そこでふと気が付く。老婆が泣きそうになっていることに。
 一瞬、感極まったのかと思った。が、すぐにそれが違うことを知る。小さな、掻き消えるような声で「頼む」と呟いたからだ。

老婆「この戦争を止めてくれ」
649 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:21:24.06 ID:Cav8RLV20
勇者「……」

老婆「この戦争は、止まらん。王は各国の停戦勧告を受け入れるつもりがないらしい。敵国もじゃ。わしのあずかり知らんところで、危険な魔道具も開発されていると聞く」

老婆「『核』という大規模な殺戮兵器じゃ。わしの樹木魔法を量産化したような、ひどい……ひどい、ものじゃ」

老婆「本当なら今すぐ王城へでも乗り込んで、王の頭をひっぱたいてやるべきなのじゃろう。あぁ、そうすべきなのじゃろう」

老婆「しかし、勇者。恥ずかしい話じゃが、わしにはそれができん。国のために何百何千と、敵と味方の区別なく、人を森の養分としてきたわしには、そんなことはできん」

老婆「罵りたければ罵るがええ。こんな時になってまで、わしは過去の妄執に囚われているのじゃ!」

老婆「だから、頼む。都合のいいことを言っているのはわかっている。この老いぼれの代わりに、戦争をなんとかしてくれ」

 ともすれば土下座までしそうな勢いであった。老婆の必死な姿はこれまでに何度か勇者も目にしたことがあるが、今回のこれは度を越している。
 今言われたことがどれだけ大変で、問題で、恐ろしい出来事なのか、勇者にもわかった。戦争を止める。短いながらも壮大だ。果たして一介の人間、ただコンティニューの奇跡があるだけの人間に、できるだろうか。

 いや、しなければいけない。しようとしなければいけない。勇者はそう思った。
 そうでなければ、世界を平和になぞできるものか。
 そう思える者でなければ、世界を平和になぞしてくれるものか。
650 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:21:53.40 ID:Cav8RLV20
勇者「俺は」

老婆「!」

 老婆は自然と体が震えた。勇者の言葉を、返事を聞くのは勇気のいることだった。
 恐らく自分には勇気がないのだと老婆は感じる。彼が彼女に対して大きく秀でているその一点が、彼に期待してしまう要因なのだ。

 勇気のある者。
 ゆえに、勇者。

勇者「……約束はできない」

 空を見上げる勇者。それ以降言葉を紡ぐことはない。

 それでも老婆には分かった。省略された次の言葉。「それでも」。
 約束はできなくとも、それを目指すと。

 その言葉が聞きたかった。勇者と志が同じなのだと、確信できたから。

老婆「さ、買い物にいくぞえ。腹も減った。あいつらも腹をすかしているじゃろ。さっさと買って、帰るぞ」

勇者「はいはい」

老婆「『はい』は一回でいいのじゃ」

勇者「はーい」
651 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:22:40.32 ID:Cav8RLV20

老婆「……」

勇者「……」

 二人、肩を並べて歩く。
 どちらも無言だったが、やがて老婆がぽつりと言った。

老婆「ありがとうな」

勇者「それほどでも」

―――――――――――――――――
652 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/11/28(水) 10:23:36.82 ID:Cav8RLV20
今回の更新はここまでとなります。
653 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/28(水) 10:56:38.83 ID:Nk3WA3YIO
少女のデレ期が来たか

それぞれ色んなもん抱えてんだな
654 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/28(水) 10:57:00.99 ID:/am/w0oko
核…NuClearの儀式魔法?!かのマダンテをも越え(以下省略されました。続きはありません。
655 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/11/28(水) 12:28:43.72 ID:N2Ew+pQDO
ティルトウェイト?
656 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 22:57:49.00 ID:9US10Z/s0
――――――――――――――――――

 ついに大規模な戦闘の開始を告げる法螺が吹かれた。遠くまで響き渡る低音は、当然林の中にいる勇者たちにも聞こえている。
 四人は林の中を突っ切って敵の側面から攻撃する算段であった。無論、敵も同じことを考えているに違いない。つまり敵の攻撃の手を予め潰しておくということでもある。

少女「アタシ、正直、気が進まないんだけど」

勇者「何がだ」

少女「目的のためにでかい戦いを見て見ぬふりしなきゃいけないってのが。アタシはやっぱり、敵陣中央に突っ込んでいきたい派なのよねぇ」

狩人「でも、必要なこと。早く敵を倒せば死人も減る」

少女「わかってんだけど、わかってんだけど……うー」

勇者「さっさと終わらせるぞ。行くぞ」

 不承不承少女は頷き、歩き出す。

 林の中は視界が悪い。光が差さないので昼でも薄暗く、索敵を怠るのは恐ろしすぎた。
 勇者たちの索敵手段は主に老婆による魔法と狩人の五感である。老婆は索敵が本職ではない。全員、どちらかと言えば狩人の五感を頼りにしている節があった。
 そういうこともあってか一団の戦闘は狩人である。遅れて勇者、老婆、少女と続く。
657 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 22:59:38.37 ID:9US10Z/s0

 時たま地響きを足の裏に感じることがあった。仲間が、敵が、戦っているのだ。がむしゃらに。
 戦争の必要性は勇者にだってわかる。しかし、代替可能性に一縷の望みを託さずにはいられなくもあった。

狩人「待って」
老婆「待て」

 二人の声がシンクロする。四人は視線を前方からずらさず、僅かに緊張に体を強張らせた。

狩人「なんか、変な感じがする」

老婆「狩人の言っていることは確かじゃ。前方に魔法的な侵入警報が仕掛けられている。敵の存在を教え、罠のスイッチにもなっているやつじゃ」

老婆「しっかし、お前、よく気が付くな……」

 感嘆が老婆の口から洩れた。魔法によって仕掛けられた不可視のトラップを、霊視もせずに看破するのはもはや人間業ではない。

狩人「なんか最近、凄い感覚が鋭敏になってる」

勇者「この先に、敵がいるってことか」

老婆「そうじゃな。敵か、営舎か……そこまではわからないが」

勇者「『しのびあし』で行くぞ」

狩人「任して」
658 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:02:07.43 ID:9US10Z/s0
 一歩一歩踏みしめるように狩人は先行する。魔法的な仕掛けは重層的に、線のように張り巡らされていたが、その切れ目を四人は抜けて行った。
 いったいどれほどの距離を歩いたのかわからなくなるほどの時間が経つ。それでも一向に敵の姿は見えてこない。疑問が全員の脳裏をよぎり始めたころ、不意に老婆が舌を打った。

老婆「やられたっ」

少女「どうしたの、おばあちゃん」

老婆「これは罠じゃ! わしらが歩いてきた道順それ自体が、魔法的な――呪術的な意味を持っているっ!」

 見れば四人の身体の周りに、うっすらと、黒い光がまとわりついていた。老婆の魔法によるものでないのだとすれば、それが敵の手によるものだというのは明らかだ。
 しかし、問題はその魔法が一体どのような類のものなのかということである。解呪の類は老婆が一通り覚えているとはいえ、適切な魔法を唱えなければ魔力の無駄になる。

 老婆はぎりりと奥歯を噛み締めた。

老婆「この魔法……見たことがない。かなり高度な魔法じゃ。解けるか……?」

少女「解けなかったらどうなるのっ?」

老婆「それすらもわからんっ!」
659 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:03:21.50 ID:9US10Z/s0

狩人「誰っ!?」

 反射的に狩人が弓を射る。矢は十数メートル離れた幹に突き刺さり、木を揺らした。

狩人「誰か、いる」

 僅かな空白が続いて、ぱき、という踏みしめる音とともに、一人の偉丈夫が姿を現した。
 同時に、少女顔が引きつる。鉄面皮の狩人もまた、僅かに。

 現れた偉丈夫は、下駄にふんどし、上半身裸という露出の多いいでたちの、中年男性だった。
 筋肉の盛り上がりが遠目からでもわかる。それも腕だけでなく、足、腹、胸と全身がとにかく太い。デュラハンに負けるとも劣らない恵体の持ち主である。

少女「変態だ――――っ!?」

狩人「汚い、殺すっ……!」

 咄嗟に武器を構えた二人に対して、偉丈夫は叫んだ。

偉丈夫「その言いぐさはなんだっ!」

 体を震わせる咆哮に、思わず二人の女子もたじろいでしまう。

偉丈夫「健全なる精神は健全なる肉体に宿る! 即ち、健全なる精神の持ち主が健全なる肉体であるのも、当然のことよ!」

偉丈夫「我は聖騎士! この林を進むものを待ち構える者なり!」
660 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:05:52.14 ID:9US10Z/s0

 聖騎士の単語にやおら四人が色めき立つ。聖騎士。彼らはいまだ聖騎士とは戦ったことがなかった。それは不運でもあり幸運でもある。ただ、この土壇場で出会ってしまったことに関しては、不運としか言いようもない。

少女「この裸ふんどしのおっさんが聖騎士!? 信じらんない!」

 とはいえ、恰好はともかく、目の前の偉丈夫が放つ圧力は確かに実力者のそれであった。その事実を認識してなお、四人は目の前の人物から目を離せなかった――もしくは離したかった。

狩人「とにかく、倒す」

少女「えぇそうね、そうよ。アタシ、こいつを倒したいもん、今ものすごく!」

偉丈夫「たわけがっ! 口でだけならどうとでも言えるわ!」

偉丈夫「すでに貴様らは我の呪術にかかっている! 歴代最高と謳われる呪術師の力に慄くがいい!」

勇者「武闘派じゃない、だと……」

 偉丈夫が踵を返して走り出す。
 少女はそれを追った。魔法の罠を力任せに突っ切りながら、偉丈夫を追う。

 偉丈夫は確かに健脚だったが、少女には当然敵わない。随分とあった差が一瞬にして縮んでいく。

少女「アンタ、寝てなさい!」

偉丈夫「健全なる精神を持たぬものに、健全なる肉体を持つ資格なぁああああしっ!」
661 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:10:01.00 ID:9US10Z/s0

 ミョルニルが振るわれる。すんでのところで偉丈夫はそれを回避し、手で印を結んだ。
 僅かな間をおいて、偉丈夫の姿が消えてゆく。

 少女は舌打ちをして、ミョルニルを握る右手を見た。なんだか先ほどから違和感をそこに覚えていたのだ。

少女「え」

 信じられなかった。
 少女の薬指と小指、そして手首の手前の部分が、黒く抉り取られていたからだ。

 手は動く。血は出ていない。つまりそれが物理的な仕業でない――聖騎士の直接的な攻撃によるものではなく、たとえば呪術的な――理由によるものだとは、少女も理解できた。しかしそれ以降がわからない。
 呪文の詠唱、発動、着弾。詠唱は省略されることも多いといえ、発動と着弾は必須である。それだのに聖騎士の攻撃にはどちらもなかった。それがあまりにも不可解だった。

勇者「少女!」

 勇者の声が背後から聞こえる。

勇者「大丈夫か!?」

少女「攻撃をっ、受けてる……っ!」

 苦々しく呟いて、少女は自らの右手を見せた。
 黒い抉れ。断面は黒煙のようになっていて、肉も見えない。異次元に近いのかもしれない。
662 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:12:56.46 ID:9US10Z/s0

勇者「なんなんだ、これ」

少女「わかんないよ、追って、攻撃したら急に……」

勇者「全員固まれ! 何が何だかわからないけど、これはヤバイ! そんな気がする!」

狩人「なにされてるか、わかる?」

老婆「いや、皆目見当もつかん。あの変態の攻撃なのは確かじゃろうが、正体が見えん」

少女「って、ちょっと待ってよ」

 少女が勇者と狩人を指さして、叫んだ。

少女「なんでアンタらも抉り取られてるのよぉっ!?」

 勇者の左ほほと狩人の手の甲に、イチゴ大の黒い抉れができていた。どうやら二人は指摘されるまで気が付いていなかったらしく、自らのその部位に触れ、ようやく驚きをあらわにする。

老婆「お前もじゃ!」

 少女は言われて全身を見回した。次いで顔を触って――首筋に同程度の抉れを発見する。

狩人(血が出てない、ってことは……怪我ではない、ってこと、か……)

 狩人の考えは皆思っていた。即ち、この抉れによってすぐに死に至るわけではないという、ひとまずの安心は得られたということだ。
663 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:13:24.83 ID:9US10Z/s0

 が、安心が問題解決に直接結びついているわけではない。血こそ出ないが確かにその部位は「ない」のだ。このまま進行が進めば命を失う可能性も出てくる。それこそ、抉れが心臓に達するなどしたら。

勇者「ばあさんっ! これ、本当に攻撃を受けてるわけじゃあねぇんだよなぁ!?」

狩人「勇者、また……!」

 今度は少し大きい抉れが、勇者の左ひじに現れる。

勇者「くっ……」

 だらりと下がる勇者の腕。どうやら力が入らないらしい。
 関節を抉られればそれ以降が使えなくなるのは、普通の怪我と同様。恐らく目を抉られれば目が見えなくなるのだと思われる。

 問題は、その条件。

 敵が攻撃を逐一行っていないことは明白だ。すでに呪術はかけ終っていて、何らかの行動がキーになって発動している。老婆もその考えであった。
 そのキーさえわかれば、それを回避して敵の下までたどり着ける。わからなければ、いずれ死ぬ。

老婆「とりあえず、落ち着け。冷静になろう。現状の把握じゃ」

老婆「三人とも、痛みはないんじゃな?」

 全員が頷いた。痛みはない。

老婆「感覚は?」

 全員が首を横に振った。痛みはないが、感覚もまたない。

老婆「なぜお前らが抉られ、わしだけが抉られていないのか。そこに恐らく鍵があるはずじゃ」
664 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:15:48.91 ID:9US10Z/s0

老婆(この抉れが、穴が心臓か脳に達すれば、死ぬ……)

老婆(なんじゃ? なにが発動のキーじゃ?)

 焦る内心を抑え、老婆は必死に頭を回す。が、あまりにも答えを導き出すにはヒントが少なすぎた。犯人は明白だというのに。

 そして、敵も考える暇を与えるつもりはないようだった。

 木陰から兵士たちが続々と姿を現す。素直に考えれば、先ほどの聖騎士の部下に違いない。

勇者「ちくしょう、なんだってこんな時に!」

狩人「ここを通すわけには、いかない……っ!」

 両者が激突する。

 狩人が弓を絞り、放つ。木々の僅かな隙間を縫って尚急所に命中させる手腕は感嘆しか出ないが、やはりパフォーマンスの低下は避けられない。焦燥が顔に滲んでいる。
 
 勇者は三人と切り結んでいた。コンティニューという奇跡があると思えば、死への恐怖も恐れる。それに彼は幾度も死んで、死ぬこと、そのさじ加減に関しては誰にも負けるつもりがなかった。
 鈍く光る刃が首筋を撫でていく。一瞬首筋に熱。大丈夫、それくらいで死ぬわけないと彼は知っていた。
 切り落としを剣で防ぐ。その間に片手に電撃を充填し、

少女「危ない!」
665 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:18:27.27 ID:9US10Z/s0

 遠方から飛んできた火炎弾を少女が壁となって吹き飛ばした。
 煤のついた顔を拭って、少女は「はん」と鼻を鳴らす。

少女「アンタ、なまってんじゃないのっ! ――っ!?」

 新たな抉れが少女に現れる。脇腹に、拳大のものが。

 少女は思わず膝をついた。

少女(くっ……忘れてたっ! しかもだんだん大きくなってる!?)

 そうしている間にも抉れの進行は止まらない。太ももと胸部に同程度のものが二つ、新しく現れる。

少女(どういうことよっ!)

勇者「大丈夫か!」

少女「わかんないわよ!」

 そして、抉れがまた一つ。
666 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:19:03.20 ID:9US10Z/s0

 二人の隙間を風が通り過ぎる。
 狩人の放った矢が、たった今二人に襲いかかろうとしていた兵士の顔面に突き刺さった。兵士は勢い余って二人に倒れこむ。
 さらにその後ろから十人ほどの兵士がやってくるのが見えた。どれだけ控えているのか想像もつかない。

 しかし逃げることはできなかった。友軍は聖騎士には勝てないだろう。ここで食い止めなければ不利な状態になるのは火を見るよりも明らかだ。

 しかも……。

狩人「もう一人、来る」

 二刀を携えた銀色が、森の奥からやってきた。彼が一歩歩くたびに兵士は横に避け、さながら海を割る預言者のような光景に、四人は途方もない圧を感じずにはいられない。
 聖騎士――しかも段違いな強さを持つ。

老婆「あいつ、見たことがある。聖騎士団の……団長だ」

 老婆がぼそりと呟いた。

 聖騎士団の団長。その言葉が意味するところを分からない勇者たちでは無論なかった。寧ろ、聖騎士団の団長クラスが出陣するほど、この戦場に意味があることのほうが驚愕の種でもあった。
 銀色に隙はない。一歩一歩距離を詰められるたびに、勇者は一歩一歩後ろに下がりたくなる気持ちすらしている。

狩人「やるしか、ない」

 狩人は矢を番えた。殺さずに済まそうなどと虫のよいことは言っていられなかった。
667 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:21:54.26 ID:9US10Z/s0
 放つ。

「無駄だ」

 声が狩人の背後から聞こえてくる。

狩人「――ッ!?」

 思わず反転――した先に、二刀のきらめきが眼を穿つ。

 反応できなかったのは狩人ばかりではない。少女も、勇者も、老婆も、誰もその速度に追いつくことはできていなかった。

 勇者が飛ぶ。

 刃はそのまま勇者の左腕を断ち切って、狩人の肩へと食い込む。噴き出る血液。二人は声を押し殺しつつ、体勢を立て直す。
 横からミョルニルが迫る。その勢いに僅かに驚きの反応を示した聖騎士だったが、一拍遅れて、今度は老婆の後ろに姿を現していた。

少女「速い!?」

勇者「っていう次元じゃないぞ……!」

 刃を動かそうとしたその瞬間、聖騎士が大きく弾かれ、四人との距離が開かれる。

老婆「障壁を展開した。ないよりはマシじゃ」

 それでもジリ貧には変わりない。多勢に無勢。聖騎士団長。呪術の解除すらままならない状況は、前門の虎、後門の狼だけでは窮地が足りない。
668 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:22:58.53 ID:9US10Z/s0

 白銀の姿が消えた。
 四人の頭上で空気の弾ける音が聞こえ、障壁を無理やりこじ開けて白銀が降ってくる。煌めく二刀を携えて。

 もっとも反応の速かったのは狩人だった。矢を番える暇がないことを即座に察知し、鏃を素早く引き抜いて、振り向きざまに投擲する。
 四つの鏃は二刀によって防がれた。が、狩人はそれでいいのだと思った。

 両脇から勇者と少女が迫る。

 唸りを上げるミョルニルと長剣。しかし聖騎士は二刀を巧みにさばいて、攻撃を受け流す。

勇者(これも無駄かよっ! ……けどっ)

 大きく開いた上体目がけて、老婆が火炎弾を放った。

 突如として現れた火炎弾は、さすがに聖騎士でも回避が間に合わない。着弾、炸裂し、内包されていた大量の熱が拡散する。
 空中で吹き飛ばされたため、聖騎士は受け身も取れずに木に激突した。そのままさらに後方へと転がり、茂みの中に突っ込んでいく。

 周囲の兵士が慌てて四人へと向かう。今まで聖騎士に加勢しなかったのは、単に実力差故、彼らが聖騎士の足手まといにしかならないためだった。
 それぞれが剣を抜いて四人を囲む。その数、二十強。遮蔽物の多い林の中であるため平原よりも人数差の脅威は減るが、だからといって消耗する体力にそれほど差が出るわけでもない。
669 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:23:27.38 ID:9US10Z/s0

聖騎士「なかなかやるな」

 恐ろしい声が聞こえた。それも勇者の眼前から。

勇者(いつの間に――!? ノーダメージかよ!)

 既に聖騎士の刀は振るわれていた。限りない速度と鋭さをもって、勇者の首へと迫る。

狩人「くっ!」

 思わず狩人は弓を放り投げた。勇者と聖騎士の間に割って入る形で、弓は刀の進路をふさぐ。
 しかし刃は軌道を変えることすらなく、そのまま金属製の弓を両断する。

 鮮血が散る。

 勇者の胸部が横一文字に切り裂かれた。鎧の上からでもなおその傷は深い。狩人が弓を投げた際の一瞬の反応が聖騎士になければ、刃は勇者を上下に分割していたことだろう。

 体がぐらつきながらも、勇者は両手に雷撃を貯め、聖騎士に放った。白銀の鎧は高い魔法抵抗力を持っているようで、衝撃にたたらを踏みはするものの、昏倒する気配などは微塵もない。
 舌打ちする暇すら与えてくれはしなかった。聖騎士が一歩、踏み出す。

老婆「ここは一旦、引くぞ!」

 ぶつかり合おうとしていた少女と勇者の首根っこを掴み、老婆が転移魔法を起動する。座標の指定も適当に、老婆は慌てて飛んだ。
670 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:23:53.22 ID:9US10Z/s0

 どさり、と衝撃が尻に来る。景色は依然林の中だったが、周囲に人影は見えない。どうやら距離を取ることはできたようだ。

老婆(これで終わりじゃないんじゃがな)

 そう、これは敗北であった。あの聖騎士たちの進軍をこれ以上許してはならなかったし、逆に彼女らは進軍しなければならなかった。打ち倒す策と、呪術を解除する術を考えなければ。

 が、現実は非情である。勇者は死んではいないものの、胸には大きな傷が刻まれている。脂汗を勇者はぬぐいながら平気そうに笑ってみせているけれど、それが単なる強がりであることは明白。

 狩人もまた、己が愛用していた弓が、勇者を守るためとはいえ破壊されてしまったことに大きなショックを受けているようだった。咄嗟に拾ってきた残骸の一部を握り締めながら微動だにしない。

 少女もまた、黒く抉れた部位がしっくりこないようである。先ほどから何度も手の握りを確認し、膝の屈伸を続けている。

 最早これまでか、という言葉が老婆の脳裏をよぎる。そしてそれを無理やり力技でねじ伏せる。諦めることが真の敗北を生む。死の瞬間まであきらめてはならない。

老婆(とはいってもどうする? どうすればいい?)

 老婆にも、なにもわからなかった。
671 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:24:22.57 ID:9US10Z/s0

 思わず前後不覚になって、近くにあった石に腰かける。
 なんだか腹部に違和感を覚えて、老婆は無意識にそこに手をやった。

 ぬるり、と。

 短剣が突き刺さっている。

老婆「こっ、これ、はっ!」

 真っ先に反応したのはやはり狩人である。背後に向かって狙いも定めず鏃を乱射、弾く音を頼りにして、ナイフを抜いた。
 振るうよりも先に、二刀が振るわれる。それはナイフの刃を容易く切断して、周囲の木々を数本まとめて切り倒す。

 白銀。
 聖騎士!

少女「なんで――!」

勇者(異常だ、あまりにも、異常すぎるっ! 人間を超えた速度ッ!)

狩人(弓も、ナイフも、失った。どうする? どうすればいい?)

 反撃を許さず聖騎士の姿が消えた。と思えば、次の瞬間には全くの反対方向から攻撃が降り注ぐ。
 少女がミョルニルで防いでいる間に勇者がカウンターを狙うが、剣は虚しく空を切るばかり。そして聖騎士はまたも全く違う方向から命を狩りに来る。

 速度という次元を超えている速さ。勇者は一つの予感を覚える。

勇者「少女、狩人! 多分、こいつの能力……時間操作だ!」

――――――――――――――――
672 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:24:49.63 ID:9US10Z/s0
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 九尾の部屋に四天王が集まっている。
 九尾は椅子に腰かけ、デュラハンは地べたに腰を下ろし、アルプは胡坐をかいたまま宙に浮き、ウェパルはやる気なさげに壁へ体を預けていた。

九尾「さて、そろそろ佳境だ。ついに九尾も動く」

アルプ「首尾は上々だよー。デュラハンもウェパルも協力してくれるって言ってるし」

デュラハン「ま、そりゃ、ね。もう一度彼女と戦えるっていうおいしい話に飛びつかないわけがない」

ウェパル「……」

アルプ「もー、ウェパルは陰気くさいなぁ」

ウェパル「魔王様の復活なんか、僕にはまるで興味がないんだけど」

アルプ「でも、参加するんでしょ」

九尾「あぁ、そうだ。九尾はそれに対して礼を言わねばならない」

ウェパル「やめて、やめてよ。僕じゃなきゃだめだってんなら、別にいいよ。僕だけのことでもないんだし、ましてや四天王だけのことでもね」
673 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:26:32.05 ID:9US10Z/s0

デュラハン「そんなぐちぐち考えて面倒くさくないのか?」

アルプ「本当にねー」

ウェパル「きみたちは特別でしょ」

九尾「いったん話を戻してもいいか」

九尾「タイミングは九尾が教える。してもらう仕事は先ほど教えたとおりだが、やりたいようにやってくれ」

ウェパル「もし、失敗した場合は?」

九尾「そんなことはないと信じたいが、そのときは……九尾の見込み違いだったということだ」

アルプ「手加減はしちゃだめなんでしょ」

九尾「無論。全力で、殺しあってくれ」

九尾「勇者の一行と」

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674 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/01(土) 23:28:41.37 ID:9US10Z/s0
今回の更新はここまでとなります。
675 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/02(日) 01:09:12.54 ID:PbYTTZMDO
乙乙
676 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/02(日) 06:40:49.35 ID:lvxQmK70o
クソッ
偉丈夫はネタキャラだと思ったら地味に強え
677 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:16:04.18 ID:aaH0ifRe0
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聖騎士「……そのとおりだ。俺の魔法は時間停止」

 訥々と聖騎士は喋りだす。その口調にはどうも抑揚というものがなく、宙に浮いた語りであった。

勇者「自分から、ばらすのか」

聖騎士「どうせお前らに勝つのが目的じゃあないんだ」

勇者「じゃあ、何が?」

 老婆に治療を施す狩人を背後に、勇者は聖騎士に尋ねた。

聖騎士「俺の、過去のために」

 まさか答えが返ってくると思っていなかった勇者は思わず変な顔になる。しかも、それがどうやら軍隊がらみではなく、個人的な事情ならばなおさらだ。
 聖騎士の意図が読み取れなかったのは勇者だけでない。その光景を見ていた誰もが、聖騎士の言葉の意味を理解できない。

 剣を構える勇者。老婆の治療の時間を稼がなくてはならないが、あまり悠長にもしていられない。休んでいても戦争は進むし、呪術もいつ体を蝕むかわからないのだ。

聖騎士「俺には記憶がない。ある日、気が付いたら王城のベッドで横になっていた」
678 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:16:33.56 ID:aaH0ifRe0

 勇者は跳んだ。聖騎士に言葉をかけたのは大きな間違いだったと、今更ながらにひしひしと感じている。もっと焦るべきだった。聖騎士を一人の人間ではなく、単なる化け物として対峙しておけばよかったのだ。
 近づく勇者に聖騎士は全く動じない。白銀の甲冑の下の表情は窺えないが、訥々と喋る様子から察するに、さほども動揺はないのだろう。

聖騎士「病院にもいった。高名な魔術師にも罹った。それでも、誰も俺の失われた過去を救っては――掬いだしてはくれなかった」

 少女も合わせて走り出す。勇者の剣が空を切ったその瞬間に、時間操作の解除地点へミョルニルを叩き込む算段だった。

聖騎士「途方にくれて、一つの光明を得たよ。人間は死ぬ間際に走馬灯を見るっていうだろう? 生死の淵に足をかければ、もしかしたら俺は過去が垣間見えるかもしれない」

 勇者の剣が振り下ろされる。しかし、一瞬前にはそこにいた聖騎士の姿は、いつの間にか掻き消えている。
 時間操作は超を幾つ重ねても足りないほどの高騰魔術だ。努力ではたどり着けない、素養が全ての世界。老婆も、九尾でさえも、それを操ることはできない。

 聖騎士、彼には速度という概念が存在しない。本来連綿と続くはずの時間軸を唯一断絶できる彼は、認識したものからダメージを食らうなど、考えられるはずもない。

 勇者の剣が、やはり空を切る。
679 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:17:20.03 ID:aaH0ifRe0

 聖騎士は勇者の背後へと姿を現していた。

 しかし、そこまでが少女の読み通りである。
 そこに合わせてミョルニルをすでに振るっている。

少女「――っ?」

 少女の視界に銀色が入る。白銀の鎧ではない。もっと、いわゆる銀色然とした銀色が、一つ二つではなく、十数視界の中で煌めいている。

狩人「危ない!」

 四方八方からナイフが少女を狙っていた。

少女「いつの間にっ……!」

 言ってから少女はそれがまったく見当はずれであることに気が付く。時間を止めている間にナイフを投げれば、こんな芸当は他愛もない。いくら少女がまばたきすらも止めていたとしても、である。
 叩き落とすか、差し違えるか。その逡巡が、けれど命とりであった。

 聖騎士の姿が消える。
680 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:17:47.58 ID:aaH0ifRe0

少女(後ろ――っ!)

 わかっているのに体が動かない。目の前の脅威、ナイフの豪雨に備えてしまっている。
 既に初動は始まっている。ミョルニルを振り、その風圧でナイフを叩き落とすが――

聖騎士「無駄だ」

 背後から声が聞こえた。
 わかっていた。そこに聖騎士が現れるだろうことを、少女は想定していた。していたが……

少女(間に合わない!)

 それでも振り向く。腕の一本、腹の肉はくれてやる。だから、その命を。
 戦闘不能になるだけの怪我を。

少女「アタシによこせぇえええっ!」

 その刹那、少女の視界の中で火花が弾けた。それが、端からやってきた何かが聖騎士の剣に激突した衝撃であることを、少女は当然理解しているはずもない。それでも確かに体は動く。
 体を捩じりながら、一息で聖騎士の肩口へとミョルニルを叩きつける。
681 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:18:32.99 ID:aaH0ifRe0

 肉体だけの堅さではなく、鎧だけのそれでもない手応え。恐らくは物理障壁を発生させる魔法が鎧に刻まれているのだろうと少女は思った。

 ミョルニルの一撃は物理障壁を容易く打ち破り、聖騎士をそのまま森の奥へと吹き飛ばした。しかし油断はできない。先ほども彼はすぐに復活し、勇者たちに追いついて見せた。それがまぐれでも偶然でもないと、誰もが思う。
 事実、聖騎士はむくりと起き上がったのだ。

狩人「二人とも!」

少女「おばあちゃんは!?」

狩人「気を失って……血の量はそうでもないけど、あたりどころがあんまりよくない。早めに何とかしないと」

勇者「魔法救護の道具が一つだけある、けど」

 勇者は二人を見た。二人の考えも同じであった。

少女「あいつが許してくれはしない、か」
682 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:19:13.32 ID:aaH0ifRe0

 がちゃり、と聖騎士の鎧が音を立てる。今回は時を止めて近づいてこない。魔力が切れたわけではないようなので、単調な攻撃が利かない相手であると理解したのだろう。

 勇者は苦し紛れに雷撃を放った。紫電はそのまま、まっすぐに聖騎士へと直撃する。

勇者「避けなかった……?」

 白銀の鎧の魔力抵抗の高さでダメージは微々たるものらしいが、確かに命中した。勇者はてっきりまた時間操作で回避されると思っていたのだ。
 いや。彼は考える。本質的に、雷撃を回避できる人間などいやしない。もし回避できるのだとすれば、それは発動を事前に予測したうえで射線上からずれているだけであって、雷撃が放たれてからでは遅いのだ。

 恐らく聖騎士の時間操作は自動で行われない。誘発しない以上、聖騎士が自ら魔法を使っているのだ。
 であるならば、雷撃は意識よりも早く聖騎士を襲うことができる。ダメージの多寡はともかくとして。
 そう、問題はダメージなのだ。あの鎧を破壊するか、それともより強い雷撃を見舞うか……しかし勇者の雷撃は先ほど放ったもので精いっぱいである。あれ以上の威力は、先に彼の魔力が枯渇する。
 解決の糸口は見つかりそうなのだが、途中で道がなくなっている。歯がゆい思いだ。
683 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:20:26.87 ID:aaH0ifRe0

 狩人もまた歯がゆい思いをしていた。弓を失くした彼女はもはや狩人ではなく、ただの少女であった。鏃も先ほど少女を助けるのに最後の一個を使ってしまい、腰に括り付けた袋の軽さは彼女の無力を現している。
 なにをどうすればいいのかがわからない。いったい自分に何ができるのか。それを考えてはいるものの、これといった結論は探り当てられなかった。

 せめて自分にも魔法が使えれば。生身で戦える強さがあれば。悔いても詮無いことを、けれど悔やまずにはいられない。

 ずい、と狩人の視界の端で、少女が一歩前に出る。ところどころ黒く侵食されたその体は、万全の体調でないのは明らかだのに。
 それを狩人は素直に凄いと思う。囚われ、勇者に助けられてから、彼女は明らかに変わった。
 恐らく勇者が変えたのだという確信を狩人は持っている。そしてそれは事実である。

 誰もが勇者に頼りたくなる、不思議な何かを彼は持っているのだ。
 彼なら大言壮語が、本当に実現するのではないかと思えるほどの何かを。
684 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:21:29.74 ID:aaH0ifRe0

少女「つまり、こういうことでしょ」

少女「認識よりも早く――意識されるよりも早く、アイツにミョルニルを叩ッ込めば!」

 音もなく、今度は少女の顔面が――右の眼窩から耳、頬と額の一部に跨る形で、黒く抉り取られた。
 何がスイッチなのか、彼らにはわからない。

 少女はそれで己の視界が確かに半分になったことを知る。遠近感覚もうまく働かない。脳もいくばくか削り取られているはずだが、とりあえずは前後不覚になっていないし、思考もきちんとできている。

少女(わかった、わかった。オーケー。アタシにはどうせ考えることなんて似合わない)

 今度はつま先から足の甲に至るまでが消えた。地面を掴んでいる感覚がない。

 下手の考え休むに似たり。ただミョルニルを自分のために、何より勇者のためにふるえていれば、彼女は畢竟問題なかった。
 心臓さえ働いていてくれれば。
685 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:22:20.81 ID:aaH0ifRe0

 地を蹴る少女。消える聖騎士。雷撃を放つ勇者。
 聖騎士に攻撃は当たらない。しかし、聖騎士の攻撃もまた、彼らには当たらなかった。
 いや、すんでのところで勇者と少女が避けているのだ。

 これではだめだ、と狩人は思った。自分はいったい何をしているのだ、と。

狩人(私にも何か)

 できることを。

 狩人は嘗て勇者に、彼女の窮地を救いに来てと頼んだ。結果的にその言葉が勇者の窮地を救ったけれど、決して勇者を救うために言ったのではない。彼女は確かに一人の女として恋人に守ってもらいたかった。
 それを少女趣味が過ぎると言うのは女心を理解していない人間だけだ。

 が、今は違った。今は彼女「ら」の窮地であって、彼女の窮地ではない。今はむしろ、彼女が仲間を助けなければいけない場面。

狩人(もう、仲間を失うのは、いやだ!)

 誰も目の前で死なせたりなんてしない。
 そう念じた瞬間、指先に暖かさが募るのを狩人は理解した。

 ゆえに、理解が、できない。
686 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:22:49.21 ID:aaH0ifRe0

 「ソレ」の正体は、魔力。本来彼女の体内には未熟な回路しか備わっていないはずの、魔力。
 狩人自身はその正体を知らないが、ただ、何に使うためのモノであるのかはわかった。長年彼女の右手にあったもの。生きる道具。守る道具。自己同一性が形を成したもの。わからいでか。 

 虹の弓。
 光の矢。

 魔力によって具現化された武具。
 たとえば、ウェパルの武装船団の同質の。

狩人「……っ!」

 まるで誘われるように矢羽へ手を伸ばした。手に吸い付くような感触が伝わって、そのまま筈を弦にかけると、力を入れてもいないのに引き絞れる。

 射る。
687 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:23:20.99 ID:aaH0ifRe0

 光の矢は確かに光であった。ただひたすらに真っ直ぐ飛び、直線のままに聖騎士の腕へと突き刺さる。
 聖騎士は咄嗟に踏ん張りを利かせて転倒こそ避けたが、数メートル地面に足の痕跡を残すこととなった。

 三人の視線が一斉に狩人へと向く。

狩人「虹の弓と光の矢」

狩人「正確に、関節を――」

狩人「撃ち抜く!」

 光が集まって自然と矢を形作り、狩人はただ指を離すだけでよかった。
 白い奔流が聖騎士へと降り注ぎ、鈍い音を立てながら鎧を穿っていく。それでも聖騎士の鎧の魔法抵抗は十分で、大したダメージを与えられているようには見えない。

狩人(威力が足りない……でもっ)

少女「隙ができれば十分ッ!」

 光の僅かな隙間を縫って、少女は聖騎士へと逼迫する。
 数度二刀とミョルニルが打ち合って、その間に光が聖騎士の足元を掬った。

少女「アタシたちの邪魔を、すんなぁあああ――!」
688 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:25:13.50 ID:aaH0ifRe0

 ごぶり。

 ミョルニルを振り上げて、そして、そのまま少女の口から血が噴き出す。
 胸元に大きく黒い抉れ。心臓はかろうじて回避している位置であるが、胃と、肺と、横隔膜が根こそぎ奪われている。

 脚を踏み込んで押しとどめようとするが、すでに聖騎士は少女の眼前にはいない。

勇者「ちっ!」

 勇者はあたり一面へと雷撃を降らせる。追撃だけは何としてでも避けなければならなかった。
 草木を踏み倒す音の方向には聖騎士が立っている。おおよそ三人から十メートルといったところだろう。彼には一瞬で詰められる距離だ。

勇者「大丈夫か」

 少女に迂闊に駆け寄ることはできなかった。聖騎士がにらみを利かせていて、不用意になど動けない。

少女「なんとか、ね」

 それが強がりなことは一目瞭然だ。口から下は血まみれで、脂汗も酷い。足も常に震えている。
689 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:26:40.04 ID:aaH0ifRe0

狩人「二十秒、耐えて」

少女「それだけで、何ができるって、言うんですか」

狩人「できる。やって見せる」

少女「……」

少女「やってもらなくても、死ぬだけ、か」


 狩人はすっと手を勇者に差しだした。
 その動きのあまりの自然さに、勇者も少女も、聖騎士さえも、動作が終わってからようやく気が付くありさまだった。

 狩人の穏やかな顔。パーティ会場で「エスコートしてくださる?」とでも言わんばかりの、優雅な、そして何より満ち足りた表情。
 思わず勇者はその手を取った。敵の眼前であっても、手を取らねばならないような気がしたから。

 二人は互いの手を握り締める。

 体温が交換される。

狩人「勇者、行こう」

 あなたとならば、どこまででも行ける。
690 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:27:27.31 ID:aaH0ifRe0

 聖騎士の姿が消えた。同時に数十本のナイフが空中へと突如現れ、二人へと四方八方から襲いかかる。
 しかし二人は動じない。二人の眼前には少女がいて、五体不満足が極まりながらも、しっかりとミョルニルで全てのナイフを打ち落としたからだ。

少女(なによなによなによっ、見せつけてくれるじゃないっ! もう!)

少女「わかったわ! 二十秒、命を懸けて稼いであげる!」

 言いながらミョルニルを頭上に振るった。金属と金属のぶつかる音。そこには聖騎士がいて、またも姿を消す。

 ナイフの雨の出現。打ち落とす。背後から現れる聖騎士と斬撃。切り結び、弾き飛ばし――数メートルの距離などゼロだ。聖騎士の二刀を回避しながら反撃。
 二刀での連撃をミョルニルの大ぶりで迎え撃つ。数度のかち合いの後、ついに一刀が刃の中腹から砕け散る。それでも聖騎士は止まらない。人を殺すにはその命さえあればいいという気概で突っ込んでくる。無論、少女も小細工なしで迎え撃つ。

 剣戟。手数では聖騎士に分があるが、重みでは少女に分がある。聖騎士は打ち合いをなるべく避けつつ、死角を取ろうと試みる。対する少女は木を背にするなどしながら、なんとか正面に聖騎士を出現させようともがく。
 一刀の振り下ろしを少女は寸でで回避した。回り込んで攻撃。しかしそのときすでに聖騎士はおらず、変わりにナイフの雨が眼前へと迫る。
691 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:29:20.96 ID:aaH0ifRe0

 聖騎士が背後から一刀を振り上げた。
 少女は反転を試みる。しかし抉れでどうしても反応は鈍い。意識も、体も。

 この時点まで、僅か五秒。

 悠久に感じるほど濃密に圧縮された時間の中、少女の左腕が、体という制約から解き放たれる。
 血は出ない。剣戟の鋭さに、体は攻撃に気が付かない。

 少女は吠えた。無意識の行動だった。

 こんな奴に負けるわけにはいかないと、少女は先ほどからずっと思っていたのだ。
 何が「こんな奴」なのかはわからないけれど、確かに目の前の聖騎士は所詮「こんな奴」にすぎなかった。その程度の男だった。

 だから、負けるわけがない。

少女「負けるわけが! ないっ!」
 左腕を右手が掴んだ。そのまま切断面と切断面を無理やりに押し付け――また吠える。

 自分の体は自分のものだ。切り離されても、抉られても、自分のものなのだ。
 自分の思い通りにならないわけがない。

 少女はそのまま左腕で、

 左?

 左。

 左腕で!

 聖騎士を、殴り飛ばした。
692 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:30:27.29 ID:aaH0ifRe0

 高速で吹き飛ぶ聖騎士に、地面を蹴って追いすがる。聖騎士は時間を止めて対処しようとするが、時間を止めても止めても止まらない少女の追撃に、焦燥を感じずにはいられない。

 圧縮された濃密な時間が解放される。

少女「二十秒! 確かに、稼いだわよ!」

 血をまき散らしながら少女はまた吠えた。勝利の咆哮であった。
 狩人と勇者が何をするかはわからないが、狩人が言ったからには勝利なのだ。そう信じられる程度には、少女は彼らを信じていた。
 他の何においても信じられる程度には。

 少女の視界の中で、手を固く結んだ二人の残った手、その間に小さな、けれど渦巻くほどの雷撃が現れていた。矢の形をした雷。いや、雷の姿を持った矢なのかもしれない。
 ひどく中間的なその魔力体から聖騎士へと視線を向けて、狩人は呟く。
 ぽつりと、一言。

狩人「インドラ」

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693 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/09(日) 04:31:09.56 ID:aaH0ifRe0
今回の更新はここまでとなります。
694 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/09(日) 08:00:00.26 ID:KiaiD0bDo
695 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/09(日) 09:27:31.46 ID:+Vz5F/RIO
インドラ!


( °∀°)キタアアアこれでかつる!
696 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/09(日) 10:04:17.63 ID:hRBGP9Pfo
ラピュタはここにあったのか
697 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/10(月) 17:53:55.89 ID:fVqbuGpro

インドラってインド神話の神の名前だね

ラピュタではインドラの矢と言われるものがラピュタの対地エネルギー弾の別名(ムスカが説明したもので真偽不明)として出てくる
698 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:39:57.42 ID:ZKwRGWwZ0
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 聖騎士は「あぁ」と呟いた。そこには何の感慨もなく、ただ「あぁ」という呟きだけが漏れた。
 光が聖騎士を照らす。雷撃の生み出す光。触れただけで溶け落ちそうな魔力の矢は、一瞬の思考、意識、反射すら待たずに彼の首から下を持っていく。

 即死だった。僅かに時間があれば、彼は反応して時間操作を行い、逃げおおせるつもりだった。それもできないほどの威力と速度だけれど、なぜか不思議と、残る意識がある。
 渦を巻き、尾を引く思考。

 彼とともにあった、四人の仲間の姿。

 彼は確かに見たのだ、彼が求め続けていたものを。
 不完全ながらも。

 それは決して彼の願いをかなえたわけではなかった。結局、彼は最後まで、自身のルーツを知ることはなかった。なぜ記憶喪失になったのかも。
 しかし安穏の一助にはなった。自分にも確かに過去はあって、仲間がいたのだと思えたことは、彼の短い――記憶の上では――人生の中で、最大級の幸福だった。

 そうして、やがて意識も絶える。

 嘗て「魔王」と呼ばれた男は、こうして最期を遂げたのだった。

 そんなことなど露知らず、勇者たちは老婆に駆け寄る。少女もふらふらになりながら、己の祖母のところへと、向かっていく。
699 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:40:26.79 ID:ZKwRGWwZ0

勇者「ばあさん、大丈夫か!」

 勇者が老婆の肩を揺さぶると、瞳が苦痛に歪みながらも、ゆっくりと開いた。

老婆「そんなに、叫ぶな……大丈夫じゃ、生きておるよ」

 腹をさする老婆。破けたローブの隙間からは血の滲んだ包帯が見え隠れしている。

少女「本当に大丈夫なの?」

老婆「大丈夫じゃ。やられる寸前、治癒の陣地を体内に構築した……とはいえ、痛みはどうにもならんが、いつつっ!」

 確かに老婆の腹から血液の流出はない。ナイフの刺さっていた箇所は、包帯の下ですでに瘡蓋になりつつあるのだろう。
 聖騎士の攻撃が腹を一突きであったのが幸いだった。これがたとえば首を刎ねられたりしていたら、如何な老婆と言えどもどうしようもない。

 とはいえ、どうしようもないのはむしろ聖騎士だった。時間操作によって停止した対象には、文字通り刃が立たない。ゆえに聖騎士は時間操作を主として移動のみに使っていたのだし、攻撃手段もナイフの物量に頼った。
700 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:40:56.48 ID:ZKwRGWwZ0

勇者「大丈夫っていえば、お前も左腕、大丈夫なのか?」

 一度は切り離された左腕。少女は自らの腕を上げ、手を握ったり開いたりして、なんでもないことを示して見せる。
 まさか、という気分であった。あまりにそれは人間業ではない。

勇者「……お前もだんだん人間離れしてきたな」

少女「死んでも生き返るアンタに言われたかないわよ」

勇者「狩人もいつの間にあんな魔法を……狩人?」

狩人「……」

 狩人は己の手を見る。突如として現れた弓と矢。それが出てくる原因を、意味を、狩人自身が図りかねている。
 もし普段から魔法の訓練を積んでいたならば、結実とみることもできたろう。しかし狩人はいまだかつて魔法の訓練など行ったことがない。運が良かったと、ご都合主義だと思えばよかったのだろうか。

 確かに己の体内に熱を狩人は感じていた。それは灯だ。ついぞ存在しないと思われていたものだ。

 狩人は、なぜだか安らかな顔で転がっている聖騎士を見て、呟く。
701 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:41:30.37 ID:ZKwRGWwZ0

狩人「私たちは過去を乗り越えて、未来のために生きている。過去のために生きてるあなたが勝てる道理は、ない」

 後ろ向きであることを否定するつもりはないが、聖騎士の生き方は目的と過程において同一化のなされた、あまりにも後ろ向きすぎる営為であった。その営為の生み出す熱量は、所詮あの程度である。
 前を向いて泥の中をもがく者たちに比べれば、とてもとても。

老婆「しかし……だいぶ魔力を消費してしまった、な。済まんが、このまますぐに行動というわけには、いかなさそうじゃ」

 それもそのはずである。老婆はもともと陣地構築を得意としているわけではなかったし、ただでさえ本来ならば準備の要する呪文である。即座にその展開を可能にしたのは、老婆の類稀なる魔力量に他ならない。
 必要とする行程はすべて魔力ですっ飛ばした。その結果として魔力が枯渇に近づいたとしてなんらおかしくはない。

少女「しょうがないね。おばあちゃんはゆっくり休んでて。アタシたちだけで、あの変態を――」

 ぐらりと少女の体が傾いだ。勇者と狩人が手を伸ばすが、それよりも先に少女は地面に倒れる。
 いや、さらにそれより先に、少女の全身が黒い抉れに飲み込まれ、消失した。

 勇者と狩人の手は虚空を浚う。
702 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:42:56.55 ID:ZKwRGWwZ0

 脳が理解を拒んだ。
 あまりにあっけなさすぎる結末。

勇者「は……?」

 全ては油断が招いた結果だった。そのような誹りを受けても、誰も否定はできない。即効性のなさに後回しにしていたことが全ての問題だ。
 寧ろ誹りを受けるくらいで過去を修正できるならば、どんな罵倒も拷問も受けるつもりだった。

 だが現実はあまりにも苛烈で、過去はどこまで不可逆である。

 名前を呼んでも、応えはない。

勇者「なんだよこれぇっ!」

勇者「ふざけんじゃねぇぞっ……!」

 勇者はあたりを見渡した。どこかに偉丈夫がいて、この周囲からこちらの様子を窺っているのではないかと思ったのだ。
 当然そんなはずはなかったし、勇者もそんなはずはないと思っていた。体を動かさなければ重責に押しつぶされてしまいそうだったのだ。

 無論、勇者たちは知らない。偉丈夫の呪術の効力が及ぶ範囲を。その途方もなさを。
 偉丈夫の呪術は、基本的に彼が死ぬか解除しなければ、隣国に逃げようともついて回るほど強力なものだということを。
 
703 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:43:25.71 ID:ZKwRGWwZ0

狩人「勇者! とりあえず落ち着かないと!」

勇者「って言ったって!」

狩人「ここはもう敵陣で、戦場。なんのために私たちがここにいるのか思い出して!」

 世界を平和にするのだ。わかっている。そんなことわかっている。忘れこともない。
 それでも。

勇者「はいそうですか、って言えるわけねぇだろ……」

 勇者が苛立ちを隠せずに舌打ちをした、その時である。

 ずしん、と。

 否。ずぅううううううん、と。

 地を鳴り響かせる轟音が、林の奥、恐らく平原の戦場から、聞こえてきた。
 それは単なる轟音ではなかった。地震を彷彿とさせる揺れを伴って、魔力の余波が、確かに彼らにも届く。

 たっぷり三十秒ほど揺れて、ついに音も揺れも収まる。

勇者「……」
狩人「……」
老婆「……」

 顔を見合わせる三人。一体奥地で何が起こったのか、想像だにできなかった。
704 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:45:33.80 ID:ZKwRGWwZ0

狩人「あれが、核、ってやつなの?」

 呆然と狩人は尋ねた。老婆は音源から顔を逸らさず、僅かに顔を横に振る。

老婆「あれは途方もない熱波を伴う。この辺りが焦土になっていないということは、あれは核魔法では、ない」

狩人「なら……」

 あれはいったい何なのか。
 狩人はその言葉を飲み込んだ。が、二人も気持ちは同じだった。

 魔法に精通している老婆に正体がわからないということは、滅多なことではありえない。そこにある何かは、恐らくイレギュラーだ。そしてそのイレギュラーがプラスに働かないことは明白である。
 考える間もなく勇者は立ち上がる。頭に上った血はだいぶ降りてきていた。

勇者「行くぞ」

狩人「……うん」

老婆「わしを置いて行ってくれるなよ」

 老婆も何とか立ち上がって言った。
705 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:48:39.40 ID:ZKwRGWwZ0

 声が一人分足りないことはいまだに精神を苛む。しかし、勇者は知っていた。悼むことはいつでもできるのだと。そして全てが終わってから悼むことこそが、少女にとって本当の悼みになるのだと。
 三人は視線を交わらせる。そうして頷いたのち、駆けた。

 木を避け、藪を突っ切り、下草を踏みつけながら走る。

勇者(おかしい)

 先ほど狩人が言ったように、ここは戦場で敵陣だ。それだのに……

勇者(敵兵が、いない?)

 あの轟音が敵軍のものならば、敵兵は恐らくそのことを知っているはず。敵兵がいないということは、轟音のもとを対処するために持ち場を離れたのだろう。
 その事実は逆説的に、あの轟音が勇者たちの国のものであることを意味している。しかしその仮説は、老婆が轟音の正体を知らないことで否定される。彼女の知らないほどの機密だというのは考えにくい。
 曲がりなりにも彼女は兵器としての個人で、さらにかつての戦争の英雄なのだ。
706 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:49:29.32 ID:ZKwRGWwZ0

 ならば導き出せる帰結はただ一つ。あの轟音は恐らく第三者が引き起こしたものだということ。

勇者「っ!」

 剣を抜き、走りざまに切りつける。
 手ごたえがあって、トロールの脂肪のついた首から上が、地面に転がった。
 数度痙攣して緑色の体もまた崩れ落ちる。

狩人「トロールなんて、この辺にいたっけ?」

老婆「いや、いないはずじゃ。が……」

勇者「いるんだから、いるんだろうよっ!」

 三人の視界いっぱいに魔物の大群が押し寄せていた。

 トロール。コボルト。スライム。ゴブリン。キメラ。ローパー。そしてそれらの眷属たち。明らかに地上にいるはずのない、水棲の魔物まで這いずってきている。

勇者「なんだ、これ……」

 十や二十では利かない数の魔物に、思わず体の力が抜ける勇者。誰だってわかる。これが異常事態であることに。
707 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:50:29.60 ID:ZKwRGWwZ0

 ゴブリンメイジが放った火球を、狩人が光の矢で相殺させる。

狩人「ぼーっとしちゃだめ」

勇者「あ、あぁ。悪い」

老婆「轟音と関係があるんじゃろうな、きっと」

 そして、魔物たちはここにだけ押し寄せているわけではあるまいとも、老婆は思った。
 轟音の正体が敵軍でも自軍でもないのだとすれば、それは第三者以外が引き起こしたものに他ならない。そしてその第三者足りえるのは、この現状を鑑みるに、魔王軍しか考えられない。
 魔王軍の目的が何なのかはひとまず置いておくとして、意味もなくこのような事態が起こるはずはなかった。

 老婆のその考えはほぼ十割が的中している。あの轟音の正体は確かに九尾によるものであるし、この魔物の大群も、全て九尾が用意したものであった。

 その数、一億八千万。

 数を多く用意した分個々の強さは落ちたが、九尾がほしいのは質より量。軍隊の足止めができればそれでよいのである。
708 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:51:43.35 ID:ZKwRGWwZ0

勇者「くそっ! 倒しても倒してもキリがねぇ!」

狩人「勇者!」

 狩人が手を伸ばす。魔力の奔流がその手のうちに生まれている。
 勇者はそれに合わせた。手を取り、己の魔力を手のひらに顕現、狩人の魔力と練り上げる形で雷に形を付与していく。

狩人「私たちの邪魔は、させないっ――インドラ!」

 閃光が魔物たちを食い尽くしていく。あくまで貪欲な悪魔の矢は、彼らの前方に位置した魔物たちを、一体一体ではなく塊として焼失させる。生物と無生物の区別なく、焦土が広がるばかりだ。
 しかし魔物たちは止まらなかった。もとより恐怖という感情すらないほどの低能である。焦げ付いた地面に足の裏を焼かれても止まることなく、ずんずんと向かってくる。

狩人「もう一発!」

 インドラが作った禿道の上を走りながら、二人はもう一度、インドラを魔物たちに向けて放った。閃光とともに一瞬で魔物が蒸発するが、しかし、全滅には程遠い。

 インドラが弱いわけではない。ただ、雷の矢は限りなく個人を殺すためのものだ。百の強さの一人を殺すことはできても、一の強さの百人を殺すには不向きである。
 何より行く手を阻まれては、単なる固定砲台にしかならない。専守防衛ならばそれもよいが、彼らの目的はこの先に向かうことである。インドラでは役割が違うのだ。

老婆「退いておれ、二人とも」

709 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:53:46.30 ID:ZKwRGWwZ0

 僅かな魔力から特大の火球を生成し、それを大群に向けて解き放つ。速度こそ決して早くないけれど、火炎は木を飲み込み、魔物を飲み込み、止まる様子を見せない。

老婆「この後ろについて走れ! 行くぞ!」

 熱気と火の粉が肌を撫でていく。それでも確かに、僅かに、前へとは進めていた。
 時折左右から迫りくる魔物を蹴散らしながら、三人は火球の後を追って走る。

 と、突如として火球が押しとどめられる。それどころか段々と縮小し、僅かな光とともに炸裂、雲散した。
 前方に鋼のウロコを備えた、燃えるように赤い巨大なトカゲが、舌を出しながら三人を睨みつけている。

老婆「サラマンダーッ!?」

 回避行動をとるよりも先に、サラマンダーが灼熱の息を放つ。骨すらも残さない高熱の炎は、周囲の木々と、仲間であるはずの魔物すらも炎で包み、構わず根絶やしにしてゆく。

 老婆は対ブレス用の障壁を張って被害を軽減するが、サラマンダーの目つきを見る限り、どうやら逃がしてはくれないようだ。
 口から放たれる火炎弾を狩人が打ち抜き、その隙を狙って勇者は切りかかる。固いウロコに剣の利きは悪いが、電撃は普通に効果がある。サラマンダーは距離を取ってブレス攻撃を続けてきた。
710 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:55:25.98 ID:ZKwRGWwZ0

狩人「ふっ!」

 光の矢が幾本も降り注ぐ。それらは正確にサラマンダーの関節を撃ち抜くが、すぐに炎で燃え、炭になった。

勇者「埒があかない! 逃げるぞ!」

 ブレス攻撃の隙をついて三人はサラマンダーの脇を抜けて走り去る。後ろから地響きとともにサラマンダーが追ってくるも、その速度は脅威ではなかった。
 寧ろ脅威は目の前の魔物たち。肉の壁となって立ちはだかるそれらを、勇者は切り、狩人は穿ち、老婆は薙ぎ払っていくが、進むにつれてその密度もだんだん濃くなっていく。

「これはどういうことなのよっ!?」

 声とともに三人の後方からサラマンダーが吹き飛んできた。
 赤熱するその爬虫類は、体液もまた赤く燃えている。それを周囲の魔物にぶちまけながら、まとめて吹き飛んでいく。

 少女であった。

 彼女は険しい表情をしながらも、ミョルニルを構えて魔物の集団に突っ込んでいく。

勇者「おい、なんで……」

少女「アタシだってわっかんないわよ! 気が付いたら戻ってきてたの! それとも、なに、アタシなんて必要なかった!?」
711 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:56:34.23 ID:ZKwRGWwZ0

 全力でスイングしたミョルニルは、トロールの腹を撃ち抜いて、そのまま前方に吹き飛ばす。そうして空いた空間に少女はさらに躍り出る。

少女「何が何だか分かんないなら足を止めないほうがいいんじゃない!?」

 その言葉に行動でもって三人は返事とした。少女の後に追従して、あたりの魔物を薙ぎ払いながら突き進んでいく。
 やはり純粋な突破力という一点で言えば、それは少女に分があった。力任せに殴りつけて遠くまで飛ばすという、原初の攻撃は、けれども前に進むだけならば有効だ。

 そうしてどれだけ進んだろうか、ついに森の先に切れ目が見えてくる。光が差し込んで白く輝いているのだ。

 四人は光の下へと踏み入れた。

勇者「っ!」

 目を凝らすまでもなかった。地平線のように固まり、並び、蠢く魔物と、その中心に一つの塔が立っているのがわかる。
 塔は窓もない角柱で、ただただ白い。まるでオベリスクだ。
 蠢く魔物たちの動きを見ていれば、彼らがあの塔の周辺に設置された魔方陣から、次々と生み出されているのが見て取れる。
712 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 02:57:02.16 ID:ZKwRGWwZ0

 そして魔物たちをさらに囲むように、兵士たち。
 身に着けている鎧に違いはないものの、それぞれ二つの旗印を中心とした軍勢があった。赤と青を基調としたものが勇者たちの軍、白と灰色を基調としたものが敵軍のものだ。

 最初三つ巴なのかと勇者は思ったが、違った。兵士たちは魔物たちと戦っていて、決して人間同士で戦いを行おうとはしていない。その余裕がないのか、何らかの取り決めが一瞬でなされたのかは、わからないが。

 人間の抵抗虚しく、じりじりと魔物の軍勢は拡大し、塔を中心とする黒い円もその直系を広げていた。何せ魔方陣から生み出される数が途方もないのだ。所詮数千人の人間で止められるわけもない。
 勇者たちは急いで塔へと向かっていく。何が起きているのかはわからないが、どうすればいいのかは一目瞭然だった。

 途中で数人の兵士たちと出会った。勇者らは彼らを知らないが、彼らは勇者を知っているようで、うれしそうな、しかし緊迫した様子で声をかけてくる。

兵士「おう、あんたらも来てたのか! こりゃ助かる!」
713 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 03:02:01.84 ID:ZKwRGWwZ0

勇者「どうしたんだ、これ」

兵士「俺たちにもわからん! ただ、急に地面が揺れたかと思ったら、あんな塔が出てきやがった。そして魔物もだ! ちくしょう!」

狩人「敵軍は」

兵士「それもわからん! 俺たちは最初敵軍の秘密兵器かなんかだと思ったんだ、でも、魔物は敵兵も喰った。どうやらあっちのものじゃあないらしい」

兵士「だから今は停戦だ。そんなお達しがあったわけじゃねぇが、ま、暗黙の了解ってやつで、とりあえずは魔物をぶっ殺すって話だぜ」

勇者「そうか。ありがとう」

兵士「なに、いいってことよ。お前らには期待してるんだ。悪いが、一緒に食い止めてくれ」

少女「合点!」
714 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 03:32:51.02 ID:k2Vwk+xV0

「お前ら、生きていたのか」

 声のする方向を向けば、そこには上半身裸、衣類はふんどし一枚の男が、剣を振るう兵士の後ろで脂汗を流していた。
 彼らに呪いをかけた偉丈夫その人である。

少女「あ、あんた――!」

偉丈夫「待て。我はもう呪術を解除した。いや、解除せざるをえなかった」

老婆「魔物か」

偉丈夫「そうだ。今、両軍で魔物を抑えにかかっている。魔方陣の解除の仕方はわからなかった。が、恐らくこの塔の中に、犯人がいるのだとは思う」

偉丈夫「……団長を倒したのか」

 いささか驚いたふうに偉丈夫は言った。聖騎士として彼の強さを知っている者としては、なおさら信じがたかったのだろう。しかし、勇者らがここにいることが何よりの証左だった。

狩人「……うん」

偉丈夫「いや、何も言うまい」
715 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 03:35:18.99 ID:k2Vwk+xV0

 偉丈夫はそこで一度会話を打ち切り、黒い光に包まれた両の手を、胸の前で勢いよく合わせた。
 黒い波動が両手を中心に迸り、生物の体を貫通していく。

 ぐらり、と魔物たちの体が揺れた。見れば体中が抉れに侵されている。
 倒れた魔物の上を後方から来た魔物が踏みつけて進んでいく。それに合わせて銀色の甲冑を身に着けた偉丈夫の部下たちが迎え撃った。
 密集した長槍の穂が無計画に突っ込んでくるゴブリンを串刺しにするが、さらにその後ろからの圧力に、じりじりと後退を迫られている。

兵士「聖騎士様! このままでは埒があきません!」

偉丈夫「何としてでも耐えろ! 全身全霊を振り絞れ! 今本隊と交信を行っている最中である!」

 兵士たちが一斉に「はい!」と答え、唸った。
 偉丈夫はそれを険しい表情で見つめている。彼は交信など行っていなかったからだ。
 塔が姿を現したその時、すぐに彼は本隊に今後の策を尋ねた。そして本隊は答えなかった。状況の把握ができていなかったことと、それでも彼らの手に余る事態であることを、保身に長けた上層部は知っていたからだ。

 この防衛線の先には未来がない。ただ事態の先延ばしがあるだけである。それでも、偉丈夫はそれを行っている。
 理由など考えるまでもなかった。
716 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 03:36:58.96 ID:k2Vwk+xV0

兵士「右前方で一部防衛ラインが決壊、一部の魔物が漏れ出しています! あそこから崩されます!」

少女「アタシたちが――!」

偉丈夫「行くな!」

 偉丈夫が手を向けたその先に紫色の杭が撃ち込まれる。大人一人はあろうかという杭は、兵士たちをなぎ倒しながら進む魔物の進路を塞ぎ、それだけではなく鼓動も止める。
 杭から放たれる毒素の霧を吸い込んだ魔物は、ばたばたと倒れ伏していく。

偉丈夫「我はこの場を離れられん。なんとかして、食い止めなければ」

偉丈夫「ここはまだいい。人気が少ないからな。しかし、数キロ離れた地点には村がある。町がある。そこに住む人がいる。そいつらに牙を向けさせてはならないのである」

偉丈夫「そのために我ら兵士はいるのだからな」

 ここは偉丈夫たちの国土なのだ。緊迫も勇者たちの比ではないのだろう。
 彼らが決死の覚悟で防衛線を築いているのはそのためだ。
717 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 03:38:39.95 ID:k2Vwk+xV0

 とはいえ畢竟勇者たちも同じではあるのだ。だけでなく、自国の兵士もまた。このまま際限なく魔物が湧き続ければ――そんな怖気もよだつような思考はどうしても頭から離れない。
 愛する者のため、家族のため、命を賭しても成し遂げなければならないことがあるのだった。

偉丈夫「お前ら、我が道を開ける。塔へと突っ込め」

狩人「……いいの?」

勇者「そんな大役……」

偉丈夫「怖気づくか? 団長を倒したお前らなら、あるいは、な」

 勇者はちらりと三人を見た。狩人も、少女も、老婆も、その視線を受けて小さく、だがしっかりと頷く。

偉丈夫「済まない、頼むぞ!」
718 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 03:40:15.62 ID:k2Vwk+xV0

偉丈夫「裂ける地、割れる空、静謐なる澱み、ぬかるみの恍惚! 心の拒絶千里を走り、その道程に敵は無し!」

偉丈夫「マヌーサ!」

 魔物の頭上で黒い粒子が拡散していく。数秒後、周囲の魔物は一斉に、あるものは同士討ちをはじめ、またあるものはその場でぐるぐると回りだした。
 初歩的な眩惑呪文である。しかし、それを数百数千という対象のかけて見せるとは、さすが聖騎士の一員と称賛できよう。

勇者「今のうちに、ってことかい」

老婆「あとは任された」

狩人「なんとかしてくる」

少女「期待して、待っててよ!」

 誰よりも早く少女が駆けた。地を蹴り上げたその速度は、それまでの呪術に蝕まれた体が嘘であるかのように軽快で、あらぬ方向を向く魔物たちを蹴散らしながら進んでいく。
 それをサポートするのは老婆と狩人だ。頭上から降り注ぐ光の矢と火炎弾に魔物たちは為す術もない。胸を穿たれ、頭を焼かれては、たとえ生命力の強いキャタピラーであろうとも一瞬である。
 背後や側面から迫るインプは勇者が雷撃で撃ち落とす。閃光が放たれるたびに、焼け焦げた醜悪な使い魔は地面へと無残に落下してゆく。
719 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 03:41:12.66 ID:k2Vwk+xV0

 光の矢が最後のぶちスライムを粉々にしたとき、勇者たちはすでに魔方陣の上に立っていた。
 淡く光る六芒星と、それを取り囲む三重の円。円と円の間には細かなルーン文字が書かれている。あくまで一般的な召喚魔法陣ではあるが、ただそれが塔をぐるりと囲んでいるとなると、結果として途方もない召喚魔法陣と呼べるだろう。
 入り口はあったが先は暗闇で何も見えない。時刻は昼で、太陽の光は確かに差し込んでいるはずなのに、薄暗いという次元を超越している。

老婆「魔法的な処理が施されている。空間転送か、遮断か……」

少女「入れないってことは?」

老婆「それはない。そういう処理はされていない」

勇者「誰でもウェルカム状態ってことか。逆に怪しいな」

狩人「でも、行かなくちゃ」

少女「そう、その通り! 行くっきゃないっしょ、おばあちゃん!」
720 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 03:42:38.34 ID:k2Vwk+xV0

 制止をする間もなく塔の中へと歩いていく少女。それを勇者たちは慌てて追って、漆黒の中へと体を埋めてゆく。

 気が付けばそこは四角い空間であった。三十メートル四方の、正方形の空間。茶色い土壁のような印象を受けるが、その実どこもかしこも魔法的な障壁が張られている。
 部屋の隅に丸く魔方陣があって、薄く光っている。転移用のポータルとして起動しているそれ以外は、出入り口がない。たった今四人が入ってきたはずの入り口でさえもなくなっていた。

 四人はとりあえず寄り添って一塊になる。どこから何が襲ってきてもいいように。

「もし。お前ら、元気か」

 虚空から声が響いた。彼らにとって聞きたくのないであろう――そしてしばらくぶりの声だ。
 勇者の顔が歪む。老婆もまた、「やはりか」といった表情で、眉根を寄せた。

 その声は九尾のものだ。

九尾「魔方陣と魔物を生み出しているのは、九尾だ」

 四人に動じるところはない。恐らく想像はしていたのだろう。
 もしかするとちょっかいをかけすぎたかな、と九尾は思う。もしそうなのだとすれば、それは恐らくアルプの影響を受けてしまったのだとも、思った。

 しかし。九尾は考え直す。計画は絵図通りに進んでいる。ここまできての計画変更はあり得なかった。
721 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 03:43:13.14 ID:k2Vwk+xV0

九尾「魔方陣を止めたければ――世界を救いたければ、この塔の最上階まで登ってこい。以上だ。健闘を祈る」

老婆「待て!」

 老婆の声が響くよりも先に、彼らが感じていた九尾の気配が消失する。そしてそれと入れ替わり形で、部屋の隅に害悪的な存在感が、重みをもって現れた。
 桃色の髪の毛と光彩。燃えるように赤い唇。絶世の美貌。そして恐ろしいまでに蠱惑的な表情。恐怖が不思議と彼女にスパイスとなって降りかかり、老若男女を問わずに死地へと追いやる。

 魔王軍四天王、序列四位、夢魔・アルプ。

 彼女は壁にもたれかかるように立って、にやりと笑った。

―――――――――――――――――――
722 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2012/12/19(水) 03:43:44.88 ID:k2Vwk+xV0
遅くなりましたが、今回の更新はここまでとなります。
723 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/19(水) 08:47:50.46 ID:gh0qkFvIO
724 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2012/12/24(月) 06:52:15.44 ID:I7pGv3jIO
( ´・ω・`)っ乙

( ´・ω・`)インドラ!

( ´・ω・`)チョット イッテミタカッタダケ…
725 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/20(日) 23:11:29.09 ID:pbe4J2rUo
もう1ヶ月か……。
早く戻ってきてくれ!
726 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/21(月) 00:41:26.64 ID:otHSWTwGo
     ...| ̄ ̄ | < 続きはまだかね?
   /:::|  ___|       ∧∧    ∧∧
  /::::_|___|_    ( 。_。).  ( 。_。)
  ||:::::::( ・∀・)     /<▽>  /<▽>
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  ||::|   <ヽ/>.- |  |:と),__」   |:と),__」
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\  \__(久)__/_\::::::|    |:::::::|
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727 : ◆yufVJNsZ3s :2013/01/25(金) 23:56:41.80 ID:yIzD51JZ0
―――――――――――――――――――

アルプ「へろー、久しぶりだね」

 あくまでも気さくにアルプは言った。それに対する四人の返事は、武器を構える。

アルプ「待って、今からルールを説明するから」

勇者「ルール? 俺とお前らは敵だろう」

アルプ「それでも、だよ。何事にもルールはある。戦争にもあるようにね」

アルプ「勘違いしないでよ。あくまで攻めてるのはこっち。ルールに従えないって言うなら、交渉は決裂。人類は滅亡。オーケィ?」

勇者「……」

アルプ「とりあえず武器を下ろしてよ」

 無言のままに四人は武器を下ろした。アルプに攻撃の姿勢が見えないというのもその一助となった。
 とはいえ、アルプは目を合わせるだけで人と物を魅了できる。そのことを特に勇者と狩人が忘れているわけはなかった。アルプの瞳を視線に入れないように、足元に視線をやっている。
728 : ◆yufVJNsZ3s :2013/01/25(金) 23:57:57.43 ID:yIzD51JZ0

アルプ「じゃ、ルール説明。この塔は四階建て。最上階に九尾がいて、九尾を倒せば魔方陣は止まります」

アルプ「で、各階、つまり一階と二階と三階には、四天王がいるよ」

アルプ「きみらは各階で四天王と戦って倒してください。全員倒せば魔方陣は解除されるっていう寸法だから」

アルプ「ただし、一人だけ。戦うのは一人。残りの人は次の階に行って、また別の四天王と戦う。あくまでフェアにやる」

アルプ「何か質問は?」

老婆「なんでこんなことを」

アルプ「おっと、ストップ。それは関係のない質問っしょ。ま、いずれわかるよ」

アルプ「ほかには?」

 勇者たちは顔を見合わせる。アルプの、ひいては九尾の意図が彼らにはわからなかったし、だからといって暗闇の中に飛び込んでいくほど愚かでもなかった。
 ただし時間がないのもまた事実。一刻も早く魔物の召喚を食い止めたい彼らにとっては、たとえ暗闇が地獄であったとしても飛び込まざるを得ない。飛び込む覚悟でやってきていた。

 狩人が一歩前へと踏み出した。
729 : ◆yufVJNsZ3s :2013/01/25(金) 23:59:51.38 ID:yIzD51JZ0

狩人「私が、行く」

勇者「大丈夫なのか」

狩人「大丈夫。それに何より、こいつとは、因縁がある」

 ぎろりと狩人はアルプを睨みつけた。三白眼にひるむことなく、アルプは適当にあくびを一つして、「ふん」と笑い飛ばす。

アルプ「根に持つタイプだねぇ」

狩人「生きることは遊びじゃない」

 アルプの顔が皮肉っぽく歪んだ。

アルプ「生きることは娯楽だって」

狩人「……本当に、あなたの存在って、反吐が出る」

アルプ「お、奇遇ゥッ! 実は私もそうなのよねぇ」

狩人「勇者、早く」
730 : ◆yufVJNsZ3s :2013/01/26(土) 00:01:38.64 ID:1LgMsAnp0

 既に臨戦態勢の二人を見やりながら、三人はじりじりと後ろへと下がっていく。
 ポータル乗り込むと光が三人を包み込んだ。そうして、ややあってから三人は光とともに消えていく。一つ上の階へと進んだのだろう。

 狩人は左手に虹の弓、右手に光の矢を顕現させ、無言のままに跳んだ。
 既に戦闘は始まっている。三人が消えきったのがその合図。

アルプ「どういう裏技を使ったのさ。きみ、魔法なんて使えないはずでしょ」

 返事を射撃に変えて狩人は放った。数条の光線が弧を描きながらアルプへと襲いかかる。
 アルプの反応よりも先に、すでに彼女は壁を蹴って方向を転換。異なる方向から斉射を浴びせかけた。
 
 光の矢が壁へと突き刺さっていく。ひらりと身を翻して十数の矢を全て回避したアルプは、羽を一度大きく羽ばたかせ、その勢いで狩人に切迫する。
 アルプは真っ直ぐに狩人を見た。桃色の瞳が、まるで炎のように揺らめいている。
 見てはいけないと思う暇もなかった。ぐんと引力に精神と肉体が支配される。

狩人「くっ!」

 小指を自力で折る。激痛で思わず息が漏れていくが、脳髄に延ばされた手は確かに振りほどけたようだった。
 狩人はそのまま光の矢を乱射しながら、極力アルプの首から下だけを見つつ、距離を開ける。
731 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:02:13.88 ID:1LgMsAnp0

 そこをアルプが追いすがる。彼女の精神攻撃を耐える術は限られている。対抗ではなく、予防が必要だった。

狩人「しつこい!」

 弦が鳴る。
 放つたびに現れる光の矢は、それこそ狩人にとってはいつまでも撃ち続けられる弾丸である。張られた弾幕にアルプも一旦たたらを踏んだ。
 しかし、

アルプ「私の魅力に酔いしれるがよいさっ!」

 光の矢が急激に方向を転換し、地面、天上、壁へと突き刺さる。そしてアルプは速度を落とさない。驚きで歩みを遅らせた狩人とは対照的に。
 アルプの魅了は生物だけではなく無生物すらも支配下に置くことができる。当然、対象が魔力的なものであっても例外ではない。

アルプ「あと! 私がチャームしかできないなんて、思ってるんじゃないよね?」

 壁際へと追いやられていた狩人はそれを嫌って、だが、不自然に足が縺れた。そのまま背中から壁へと激突する。
 違和感があった。手の先と、足先が、ぴりぴりと確かに痺れている。いや、それだけではない。脹脛は痙攣までしているではないか。
 身体の酷使か――一瞬だけ狩人の脳裏にそんな疑問がよぎるが、そんなはずはない。確かにハードな生活を送っているとは言っても、この程度で根を上げる体のつもりはなかった。
732 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:03:44.68 ID:1LgMsAnp0

狩人「麻痺……ッ」

アルプ「私が操るのは精神だけじゃなくて、神経も」

 反射的に弓を構え、番えようとして、その腕を思いきりアルプが踏みつけた。

狩人「うあっ!」

アルプ「させないよ」

アルプ「ねぇ、なんで急に魔法が使えるようになったの? 私、それだけが気になって気になってしょうがないんだけど?」

狩人「そんなの、私が聞きたい」

アルプ「ふーん。わかんないんだ」

 狩人の前髪をアルプは掴みあげ、無理やりに己のほうを向かせる。
 三白眼と桃色の瞳が、否が応でも真っ直ぐに交じり合う。

狩人「よそ見してていいの?」
733 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:05:08.43 ID:1LgMsAnp0

アルプ「!?」

 確かな魔力の存在を感じて、アルプは思わず振り返った。その瞬間、アルプの羽を穿つ形で、数本の光の矢がアルプを襲う。
 飛び散る血液。体をかきむしる激痛。けれど、久しく感じていなかったその痛みという感覚は、アルプにとってはまさしく甘美なものだった。思わず口元に笑みが浮かんでしまうくらいには。

 アルプの力が弱まった瞬間を見計らって狩人は飛び出す。まだ麻痺は継続しているが、動けないほどでも弓を握れないほどでもない。
 状態異常を操る敵を相手取って、こちらに回復薬がいないのだとすれば、それは短期決戦しか攻略法がない。
 そもそも時間をかけるつもりもなかった。狩人はアルプと戦いに来たわけではない。ここはあくまで通過点に過ぎないのだ。ゆえに、より迅速にアルプを倒し、あの魔方陣を解除しなければいけない。

 それはつまりここでの勝利条件が単にアルプを倒すだけでは駄目だということをも意味していた。倒したうえで生き残り、勇者らと合流しなければいけないのだ。

 結果的に偶然授かった狩人の新たな弓と矢であるが、彼女はすでにその能力を我が物としつつあった。単純な弓と矢の性質に加えて、光は収束し、ある程度彼女の意思に従った軌道を描く。
 一度に放てるのは四発が限界だが、速射が従来の比ではない。矢を引き抜いて番え、引き絞り、放つという工程の一切を省いた結果、詰め寄られてからすら射出は間に合うようになった。
734 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:07:41.58 ID:1LgMsAnp0

 とはいえ、彼女がまだその能力の深奥を測りきれていないのも事実だった。魔力はいったいどこから供給されているのか。残弾の有無は。そのあたりは丸ごとブラックボックスに押し込まれている。

狩人(だけどっ!)

 そんなことを気にしないという選択肢を彼女は選んでいた。

 光の矢を顕現。同時に、それをすぐさま放つのではなく、顕現した場所に停滞させていく。
 移動しながら設置し続け、ぐるりとアルプを囲むように走る。

 アルプはその行為が意図するところをすぐに察したらしく、穴の開いた羽を一度はばたかせ、その勢いで素早く立ち上がった。

アルプ「殺すなって言われてるんだけど、なぁっ!」

 アルプの体から緑色の霧が吹きだされる。
 狩人はその正体に心当たりがあった。猛毒の霧。殺意を噴霧するその技は、アルプレベルともなると、一体どれだけの少量で人を死に至らしめるのか全くわからない。
 息を止めるだけでは生ぬるい。皮膚からも粘膜からも毒素は沁みこんでくるはずだ。
735 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:09:04.58 ID:1LgMsAnp0

 足元にたまる毒素に耐え切れず、狩人は光の矢を一斉に射出した。その勢いでもって猛毒の霧を散らし、中を掻い潜って今まさに突っ込んできているアルプと、真っ向から対峙する。

 狩人が撃った矢をアルプは魅了してそらし、桃色の瞳で狩人を見る。一瞬だけだがその瞳をまともに見てしまった狩人は、大きく前後不覚に陥る。

アルプ「『スタン』したね! でもそれだけじゃ、まだまだ――もうちょっとゆっくりしてもいいんじゃないの!?」

 途端に狩人の体が重くなる。麻痺だ。
 一体いつ、どこで麻痺を受けたのか、狩人にはわからない。力の入らない体に鞭をうって、一発、矢を放つ――魅了されて壁へと突き刺さる。
 アルプのつま先が狩人の鳩尾へとめり込んだ。勢いよく床を転がる狩人と、容赦なくそこへと追いすがるアルプ。床には毒素がまだ沈殿している。

狩人(これは、危険……っ!)

 ある程度なら毒素に抵抗のある狩人も、アルプの毒素にまで抵抗はできない。起き上がろうとするも、四肢は確かに麻痺しているのだ。

狩人(なんとか起き上がらないとっ!)

 光の矢を床に向けて放つと、大きな炸裂が起きた。魔力は狩人の体を弾き飛ばすと同時に傷つけても行くが、あのまま毒に侵され続けるよりはましだと彼女は思った。
736 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:17:13.53 ID:1LgMsAnp0

アルプ「『麻痺』にも慣れちゃった? なら今度は頭にゴー!」

 アルプが指を鳴らすと同時に、アルプの姿が四人に増える。否、狩人は妙に重い頭を無理やり振って、その事実を否定した。
 なぜなら、四つに見えるのはアルプの姿だけではないからだ。

 自らの手も、弓も、矢も、すべてがぼやけて増殖して見える。
 それだけではない。空間のところどころは捩じれて歪み、陽炎のように揺らめいていた。

狩人(混乱ッ……)

アルプ「状態異常なんて一つ与えれば十分! 私が指揮してあげるから、好き勝手に踊ればいいよ!」

 アルプの恐ろしさは何よりその性格にあるが、それでも能力もまた強力かつ無比であることに違いはない。
 彼女は状態異常の性質を変えることのできる能力の持ち主である。

 即ち、スタンを麻痺に、麻痺を混乱に、そして混乱を毒に、変化させることができるのだ。彼女の前では状態異常の耐性など無意味に等しい。それこそすべてに完全なる耐性を持たないのでない限り。

 そして意識を混乱へと導かれている間に、すでにアルプは狩人へと切迫している。
 甘ったるいアルプの芳香が、狩人には確かに香った。それだけで脳をくらくらさせる、淫靡な香りだ。
737 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:20:09.89 ID:1LgMsAnp0

狩人(光の――)

アルプ「遅い遅いね遅いよ遅いとき遅ければ、遅い!」

 光の矢を掴んでいた右手が大きく火炎に包まれた。まとわりつくように粘ついたその炎は、じりじりと狩人の右手を燃やしだす。
 同時にアルプの左手が狩人の首へとかかった。反射的に手首を掴み、首の骨を折られるのは避けたものの、がら空きになった胴体へアルプの蹴りが決まった。

 なんとか解いて狩人は地面へ手を叩きつけるも、それで火が消える気配はない。針で皮膚を何度も突き刺されるような激痛が絶え間なく神経を苛み、混乱と相まって世界が赤と黒に明滅し続けている。
 唐突に胸から込み上げてくるものがあって、手を口にやるよりも早く何かがこぼれていく。ぼやけた視界の中でもそれが何か分かった。血だ。

狩人(毒が……回ってきてるっ……)

狩人(なんとか、しないと。なんとか……)

 死が近い。
 足音がすぐそばで聞こえる。
738 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:25:43.09 ID:1LgMsAnp0

 「あいつ」は、すぐそばに来るまで気が付かないほど静かだ。そのくせ隣に来たときはこれでもかというくらいに自己主張をしてくる。狩人は「あいつ」、死という存在が自らのそばで顔を覗き込んでいるのではないかと思った。
 家族のみならず一族郎党まですべてがあいつの鎌の餌食となった。しかし、狩人は死を恐れこそするが、憎みはしない。死は誰にでも平等で、いつか彼女の下にもやってくることは自明だったからだ。
 ゆえに、許せないのは魔物だった。そして魔王だった。

 人間に仇なす存在がいなければ、愛する人々は死ななくても済んだのに。

 そのためにここまでやってきたのだ。もう二度と、自分の愛する人を、誰かが愛している人を、失う/失わせることのないために。

 世界を救うために。

 そうだ、世界を救うのだ。大仰な、大言壮語。それを狩人は不可能とは思えなかった。なぜなら彼女には勇者がいる。彼と一緒ならば、どこにだって行ける気がした。
 彼は不思議とそう思わせる人種なのだ。

 狩人は旅を通して、何より戦争を通して、わかったことがある。世界を救うことは魔物を倒すことでも、ましてや魔王を倒すことでもないのだと。
 ならば一体世界を救うとは何か。その答えを、けれど狩人はいまだ用意できていなかった。ただ従来のそれでは世界を救えないことだけはわかった。

 方法はこれから探す。
 ここで死んでなんかいられない。
739 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:28:23.76 ID:1LgMsAnp0
 死が平等で、いつかは自分のそばに立つものだとしても。

 「いつ」はいつかで、今ではない。

狩人(動いて、私の足)

狩人(動いて、私の手)

狩人(動いてよ、私の体ッ!)

狩人「動けぇええええええっ!」

 絶叫を中断させるようにアルプの炎が、今度は左手も焼いた。さらに蹴りまでもが飛んできて、大きく吹き飛んで壁へと激突する。
 体中の骨が軋んだ。どこかが折れているのかもしれない。
 だのに、心は折れない。不思議なことではない。

 だから、立ち上がれもする。

狩人「うご、けっ……!」

アルプ「執念は認めるけどさ、どうやって私に勝つつもりかにゃ?」

狩人「まだ、インドラが、ある」

 あの雷神ならば、たとえアルプでさえもチャームできないに違いない。もしされた場合には……それこそ一貫の終わりだ。

アルプ「……ま、期待しないでおくよ」
740 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:29:30.01 ID:1LgMsAnp0

 アルプの姿が消える。同時に砕けた壁の破片が周囲から狩人を目指して向かってくる。
 彼女はそれを光の矢でなんとか撃ち落とし、精神と皮膚の端を削りながらも、なんとか命だけはとどめていく。
 体と生命の原型がだんだんと擦り減っていく中、確かに狩人は、自分のそばに死が立っているのを見た。

狩人(こっちに来るな! まだ私は、やれる!)

 踏み込むたびに体が歪む。最早片足では体重を支えられない。
 口の中が血まみれで不快極まりなかった。血を吐いても吐いてもたまるので、すでに狩人は対処するのを止めている。

 アルプはそんな狩人を見ながら、最初は楽しそうな、未知の生物を見るような眼をしていたが、そのうち次第に眉根を寄せ始めていた。その感情は嫌悪であり、忌避に近い。

アルプ「なんでそんな頑張るのさ」

 アルプの指の一振りで、狩人の体内の毒が、全て四肢への麻痺へと変換される。途端に狩人はバランスを崩し、受け身も満足に取れないまま地面へと倒れこんだ。

アルプ「どうせみんな死ぬんだから、楽しまなきゃ損でしょ。誰かと遊ぶよりも誰かで遊ばないと」

狩人「あなたの……人生観なんて聞いてない」

アルプ「私は興味がある」
741 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:30:06.12 ID:1LgMsAnp0

 吐息がかかる距離まで顔を近づけたアルプは、まっすぐに狩人の目を見た。麻痺している狩人の体はそれを拒むことができない。

アルプ「夢魔族は滅亡した。先代の魔王様が生み出してくれた八六人の夢魔は、私を除いてみんな殺された。人間に。それはしょうがない。どうせいつか私も死ぬ。なら私は、誰に迷惑をかけたっていい」

アルプ「迷惑をかけて楽しむような畜生に、私はなりたい」

アルプ「恋慕だとか、情だとか、それに基づいて誰かを守るだとかがそんなに大事? それがそんなに強い力を生み出すもん?」

アルプ「私にゃ、わっかんねぇなぁ……」

 狩人の脳内に何かが流れ込んでくるような気がした。いや、寧ろ引っ張って外に流れ出しているのかもしれなかった。
 脳髄をまるごとわしづかみにされているようなこの感覚は、嘗て感じたことのあるものだ。アルプが催した趣味の悪い「ゲーム」の入り口と、どこか似ている。

狩人「させ、ない」

 その声があまりに意志の籠った声だったから、アルプは思わず振り返った。
742 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:30:41.80 ID:1LgMsAnp0

 彼女の視界のいっぱいに、燦然と煌めく数多が見えた。

アルプ「いつの間にっ!」

狩人「あんまり、私を、見くびるな……」

狩人「これでも、私は狩人だから」

アルプ(さっき!? さっき、壁の破片を打ち砕いた時に――ちっ!)

アルプ「うぉおおおおおっ!? しゃらくせぇ真似してんじゃねぇよ、くたばりぞこないのくせにぃっ!」

アルプ(光の矢が十本――十三本! 避けられるか? いや、この距離だとこいつが、こいつが!)

 迂闊だった。アルプはすでに狩人に近づきすぎている。息も絶え絶えとはいえ、今の彼女に背を向けることなど、恐ろしくてできやしない。

アルプ(それでもこれはヤバイ! これは、ヤバイ!)

 アルプはぺろりと舌で上唇を舐めた。思考の猶予は、もうない。

 狩人から手を離し、意識も離し、十三本の光の矢全てにチャームをかける。
 背後を狙われるのは織り込み済み。その上でアルプは覚悟を決めた。無傷で狩人に勝とうとしたのが、そもそも見くびりすぎたのだ。
743 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:32:15.94 ID:1LgMsAnp0

 嘗て、アルプの作った世界で彼女が見せた魂の輝き。それはまったく嘘ではなかった。ゆえにアルプは歓喜する。自分の人物評は間違っていなかったのだと。

 全ての光の矢を視界に納める。それら全てに働きかけ、視神経が焼き切れるような激痛を走らせながらも、寸でのところであさっての方向へ誘導した。
 はるか後方で爆発が起きる。

アルプ「ぐっ……」

 予想していたことだ。アルプは自身の腹から光の矢が突き出ているのを見て、顔を歪めながらも笑う。
 背後では光の矢を握り締めた狩人が、脇腹にそれを突き立てている。

アルプ「いったぁ……いったぁい、ねぇっ!」

 アルプの放った火炎が地面を焼く。狩人はすでに後ろへ跳び、矢を弓に番えていた。

狩人「動きが止まることもないの……」

 矢を抜くこともなく追ってくるアルプの姿を見て、狩人は眉を顰めた。曲がりなりにも相手は四天王。魔物よりも数段化け物染みた存在だとはわかっていたが、ここまで来るとうさんくさくもなる。
744 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:33:43.65 ID:1LgMsAnp0

アルプ「その力の源って、やっぱりあれなの!? あれあれ、あれなのかなぁっ!?」

 アルプはまたも火炎を放射した。ぼたぼたと、粘液のように粘つく炎が、毒霧に引火してあたりを火の海に染め上げる。
 不思議な炎だった。赤でも橙でもなく、紫と桃色が基調の妖しい色をしている。
 狩人は思わずそれから目を逸らした。ずっと見つめていれば精神がどうにかなりそうだった。

狩人「光の矢ッ……!」

 光の奔流がアルプに向かって走る。アルプは一度舌打ちして、それら全てにチャームをかけた。

アルプ「そんな真正面からの馬鹿正直な――っ!?」

 矢が弾かれたさらにその後ろ、完璧にぴたりと重なる位置に、さらにもう一本、光の矢が隠されていた。

狩人「誰が、馬鹿正直だって?」
745 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:34:23.37 ID:1LgMsAnp0
 胸を真っ直ぐ狙ったその矢に対し、アルプは反射的に左手で庇う。

 鈍い音。

 アルプの肉に深々と刺さる光の矢。
 防御したアルプの右手は、胸に代わって犠牲となった。左手の肘から先が、自重に耐え切れずぶちぶちと肉が裂け、地面に転がる。
 血飛沫。びちゃびちゃと床に滴る血液。

 その血があまりにも赤く赤々しいものだったから、狩人は「魔族に流れているのも赤い血なのか」と場にそぐわないことをふと思ってしまった。

 しかし、それでもアルプは止まらない。
 止まるだなんて生き方は、彼女の性には合わないのだというように。

狩人「止まれ、止まれっ!」

 またも光の奔流。幾条ものそれは確かにアルプを傷づけていくけれど、致命傷には至らない。そうなるより前にアルプが僅かに射線を逸らしている。

アルプ「ね、ねっ! 誰かのためとか、世界のためとか、それがそんなに美味しいもの?」
746 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:35:42.49 ID:1LgMsAnp0

 穿たれた羽をも器用に使って、素早く宙を舞うアルプ。その動きは狩人の矢でも捉えきることはできない。
 炎が躍る。毒霧が満ちる。狩人はなんとかそれを散らしながら、飛び回る桃色を捉えようと必死だった。

アルプ「私にゃ、わっかんねぇーんだよなぁっ!」

 壁を蹴って方向転換。光の奔流を避けて、そのまま狩人に突っ込んでいく。
 狩人の反応は素早い。横っ飛びで体勢を崩しながらもアルプを視界から逃すことはしない。一発、矢を放った。

アルプ「壁ェッ!」

 地面がせりあがって矢を弾く。
 地面も、壁も、天上も、最早アルプの箱庭だ。

狩人(どっちから来る……右か、左か、上か!)

 しかし、狩人の思考をあざ笑うかのように、アルプの手がぬるりと現れる。
 壁をすり抜けて。

狩人「チャーム……ッ!?」

 そんなことまでできるのか。
747 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:37:08.62 ID:1LgMsAnp0

アルプ「もらったぁああああああっ!」

狩人「くぅっ!」

 アルプが手を伸ばす。狩人も対抗して射出。そしてそれらにチャームをかけ、後方にどんどんと逸らしながら、アルプは無我夢中で狩人へと突っ込んでいく。
 隠された光の矢がチャームを逃れ、アルプの肩口の肉を抉った。が、アルプは決して止まらない。そういう生命体ではないのだ。

アルプ「もっとお話をしようよっ! あんたみたいな生命、存在、私はずっと待ってたに違いないんだ! 誰かのために誰かを救おうとする、そんなやつをさぁっ!」

アルプ「楽しければいいじゃん!? 誰かを犠牲にしても、楽しければさあっ!」

アルプ「私はもうどっかが壊れっちまってるんだ! いや、それが魔族としての衝動! しょうがないっちゃ、しょうがないのかもしれないけどさ!」

アルプ「私はおかしいかな、狂ってるかな!? あんた、私のこと腹立つでしょ!? むかつくでしょ!? クソ畜生だと思ってるでしょ!?」
748 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:39:24.96 ID:1LgMsAnp0

 ついにアルプと狩人が逼迫する。
 アルプの眼前には光の矢が、狩人の眼前にはアルプの右手が。

アルプ「――私もそう思う」

 二人はぴたりと止まった。あと一歩で互いを殺すことができる。ゆえに、動けない。この至近距離でも、互いの攻撃が当たらないことを、本能的に理解しているのだ。
 攻撃すれば負ける。一瞬の隙を、恐らく相手は見逃さないだろうと。

 互いに息は上がっていた。肩が上下している。玉のような汗が顔と言わず体と言わず、肌を伝って地面に落ちる。

狩人「私は、勇者を助けることが、楽しい」

 恐らくそれは独り言ではなかった。それは彼女なりのアルプに対する返答なのだ。

 ずらりと二人を取り囲む光の矢。半球状に、それぞれアルプを狙っている。

 アルプがチャームで弾いた光の矢を、狩人は支配下に取り戻したのだ。
749 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:41:29.76 ID:1LgMsAnp0

狩人「これだけあれば、あなたも殺せる」

アルプ「桁が二ケタ足りないんじゃない?」

狩人「試してみる?」

アルプ「試してみなよ」

 無言のうちに、全ての矢が射出された。
 ひときわ輝きながら、矢がアルプを目指す。光の粒子をまき散らしながら、光の軌跡を描きながら。

アルプ「あはははは! あっははははあはははっ!」 

 アルプはチャームした光の矢を、まだチャームしていない別の矢にぶつけ、どんどん相殺させていく。視界に入る量には限りがある。苦肉の策だった。
750 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:42:27.57 ID:1LgMsAnp0

 既に第一波はアルプの下へと到着し、確実に彼女の肉を、命を、抉り取っていく。
 けれどアルプは倒れない。次々と来る光の矢を次々と魅了し、次々と他の光の矢へとぶつけていく。

 羽が二本とも付け根からもげた。破けた脇腹からは内臓がはみ出し、燃えるような髪の毛はすでに長さがばらばらだ。
 肌の色すらもすでに赤い。

 それでも、アルプは立っていた。

 光の矢に紛れて狩人が突進する。泡を食ったのではない。もとより、こんな手軽にアルプを倒せるとは、彼女も思っていなかった。
 右手に握った光の矢をアルプに突き刺す――弾かれる。

 アルプの目の奥で、魅惑の炎が揺らめいた。

 右腕が狩人の首根っこを掴む。
 脳髄へと手がのばされる。
751 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:46:01.16 ID:1LgMsAnp0

 どすっ、と。

 鈍い音が、二人の腹から響いた。

アルプ「……」

狩人「……」

アルプ「よく、やるわ」

 狩人の背中から突き刺さった光の矢は、そのままアルプの腹へと突き刺さり、二人を同時に串刺しにしていた。
 アルプは視界に入ったものしか魅了できない。狩人が彼女に矢をあてるには、身を投げ捨てるこの方法が、最も確実だった。

 ごぶり、と血が噴き出される。誰の口から? ――両者の口から。

狩人「私は、死なない」

アルプ「いや、死ぬでしょ」

狩人「死なない」
752 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:47:13.50 ID:1LgMsAnp0

 頑丈で、強情だと、アルプは思った。

 アルプの目が剥かれる。この距離では狩人は逃げることができない。しかし、それでよかった。
 アルプの魅了など打ち破ってやるのだと狩人は思っていたからだ。

 もう一度脳髄へ手がのばされる。柔らかく、甘い、桃色の世界。

 ぼんやりとアルプの姿が消えていき、周囲には、代わりに彼女の最愛の人だけが残った。父。母。長老。そして何より、勇者、少女、老婆。
 彼らは虚ろな目で狩人を見ていた。なぜ死なないのかと問う眼だった。
 それはあくまで幻覚にすぎない。何より、勇者も少女も老婆も、まだ死んでいない。
753 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:50:24.24 ID:1LgMsAnp0

 それでも死は甘美であった。折れた骨、体内にたまってきた毒素、何より腹の矢。その他もろもろが生み出す痛みからの唯一の逃げ道が死だ。
 疲れたら休んでもいいんだよ、と誰かが言った。その誰かに対して、また誰かが「そうだそうだ」と口を合わせる。
 確かにそうだ、と彼女は思った。確かに疲れたら休まなければいけない。正論だ。反論の余地もない。だけど、今休んでしまってもいいのだろうか。疑問に思う一方で、肯定する自分も確かにいた。

 何より、それが魅了だとわかっている自分も確かにいて、それでも誘惑は強い。

 勇者が狩人の手を取った。

狩人(違う! 勇者じゃない!)

 勇者は微笑んでいて、あぁ、自分はこの笑顔が見たいのだ。この笑顔を守りたかったのだと、狩人はほっとする。自分がいることで彼をこんな表情にできたなら、確かに自分はもう、死んでもいい。
754 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:53:32.83 ID:1LgMsAnp0

狩人(違う! 勇者じゃない!)

 疲れたろう、と勇者は言った。優しい声音だった。

勇者「あとは気にせず、休め。な?」

 暖かい掌が頬に当たる。至福だ。涙すら出てきて視界を歪ませる。

狩人(これは、だから、勇者じゃあ……ない、のに!)

 意識が遠のく。

狩人(勇者と一緒だったら、私も、もっと)

 頑張れたのだろうか。

 私がピンチの時は駆けつけてくれって言ったのに。うそつき。

 ふと、勇者の温かみが、手のひらだけではないことに気が付いた。そこに触れている頬だけではないことに気が付いた。
 胸の内。心臓から全身を駆け巡る勇者の波動が感じられた。
 暖かい、春の日差しのような、勇気の湧いてくる温度だ。
755 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:55:04.88 ID:1LgMsAnp0

狩人(勇者が、私のうちにいる……)

 自信があった。それは確かに勇者の存在だった。

 胸に手を当てる。それは勇者と手をつなぐことに等しい。
 それさえあれば。

 眼を開いた。
 目の前には、驚愕した、どうしようもないほどに愉快そうな、アルプの顔があった。

アルプ「おいおいおいおい、なに、それぇ……ずるっこじゃん」

アルプ「やっぱり私、あんたに会えて楽しかったわ」

 狩人の手のひらでは、確かに電撃が暴れていた。
 矢の形すら持たないそれは、解放の時を今か今かと待ち望んでいる。

狩人「私を勇者と会わせたのが悪かった。例え夢の中だとしても」

アルプ「これだからっ! 生きるのって、たぁのしぃーっ!」

 言葉を言い終わるあたりで、アルプの左半身を、雷が喰らいつくした。
756 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:55:41.31 ID:1LgMsAnp0

 ぐらりとアルプの体が揺れて、そのまま倒れる。光の矢も合わせて抜けた。
 アルプは動かない。そして動けないのは狩人も同様。しかし、狩人は、自分が勝ったことを理解した。

 不思議な、考えられないことであった。彼女は一体どこからインドラを持ってきているのか、まったく魔力の痕跡がつかめないのである。
 狩人自身もそれは不思議に思っているようだったが、最早不問にしているようでもある。彼女としては、理屈はどうであれ、武器として攻撃手段としてきちんと運用できさえすればそれでいいという考えなのだろう。

 それよりなにより、今はただ眠たかった。

 死の存在は、感じられない。

 ほっと一息ついて、狩人は目を瞑った。五分間だけ眠ろうと、そう思って。

――――――――――――――――――――
757 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/01/26(土) 00:56:28.51 ID:1LgMsAnp0
更新遅れて申し訳ございません。いろいろありまして……。
今回更新分は以上となります。今年もよろしくお願いいたします。
758 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/26(土) 01:12:34.19 ID:cAqX8wZno
息をするのを忘れるな
759 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/01/26(土) 12:33:26.46 ID:9wFvxvcl0

至高のssである
760 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/02(土) 23:02:17.60 ID:KS8x+6PIO
楽しみにしてます
761 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:13:30.14 ID:7tqjT6nh0
――――――――――――――――――――
 狩人を見送ったのち、勇者たちはポータルの中で無言を貫いていた。
 緊張と不安が半分半分といったかたちだ。今後がどうなるのか、まったく想像もできない。

 ポータルは魔力で動いているのだろうが、中にいる三人には、本当に動いているのかの把握がついていない。老婆が感じる限りでは間違いなく起動していて、別段おかしなところはないようとのことであったから、少女と勇者はそれを信じることにした。

 わずかにポータルが揺れ、三人の前方の扉が開いた。次の階へと着いたのだ。

 部屋の中心では、漆黒の鎧が直立している。

 四天王、序列第三位。首なしライダー、デュラハン。

 少女は無言のまますっと一歩前に出た。勇者と老婆は何も口を挟まない。そうなるだろうと、あらかじめ分かっていたことだった。

デュラハン「久しぶり、でいいのかな?」

少女「アタシはあんたに会いたくなかった。けど、……ふん」

少女「勇者の障害はアタシが全部ぶっ叩き壊してあげるわ」
762 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:14:29.49 ID:7tqjT6nh0

勇者「頑張れよ」

少女「は。アタシを誰だと思ってるのさ。もうちょっと、仲間を――うん、仲間を信じなさい」

勇者「そういうわけじゃないんだけど、さ」

少女「ま、どうしても頑張ってほしいんだって、生きて帰ってほしいんだって言うなら、そうだね……」

 踵を返して反転。少女は勇者に近寄って、そして、

 勇者と少女の距離が、一時的にゼロになる。

勇者「――っ!?」

少女「うん、これで元気出た。じゃ、行ってくるから」

 勇者が何かをいうより先に、ポータルの扉がまた閉まる。
 デュラハンは少女の視界の端で何やら楽しそうにしていた。顔がなくとも彼の場合はわかるのである。
763 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:14:59.41 ID:7tqjT6nh0

デュラハン「見せつけてくれるじゃないか」

少女「あー、ほっぺたにしとけばよかったかなぁ。狩人さんに殺されちゃうかも」

デュラハン「でも、いい顔だ」

少女「ま、ね。恋する女は強いのよ」

少女「って、恋じゃない!」

デュラハン「俺は何も言ってないんだけどなぁ」

少女「ふん。さくさくっと終わらせて、世界を平和にしてあげる」

デュラハン「その意気だ! その意気じゃなきゃ、俺はここにいる意味がない!」

デュラハン「九尾はしきりに世界のことを気にしているようだったけど、俺はそんなのどうでもいいさ。ただ、強い奴と戦えさえすれば」
764 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:15:39.30 ID:7tqjT6nh0

 デュラハンは両手を広げた。魔力の渦が、両手を中心として生まれるのがわかる。
 あわせて少女もミョルニルを構えた。

デュラハン「さぁ!」

デュラハン「戦闘をっ! 始めようっ!」

 中空に七つの魔方陣が生まれた。規模こそそれほどではないが、その密度が段違いだ。幾層にも重なったルーン文字の中心には、一筆書きで多重円が描かれている。
 空間に亀裂が走る。空気が震え、余波で部屋の壁に亀裂が走った。

 デュラハンは魔方陣に手を伸ばした。

デュラハン「これが俺の全身全霊! 天下七剣――全召喚ッ!」

 魔方陣のうちの一つから音もなく剣の柄が姿を現す。ルーンの刻まれた、けれどどこか無骨な造形だ。

デュラハン「其の壱ィッ! 破邪の剣!」

 それを手に取ると同時に走りだす。いや、跳んだ。
 一歩で間合いを詰める超人的な跳躍。さらに空中に力場を生み出すことによって、跳躍の途中で方向転換を行う。
 少女の後ろに回り込みながら、破邪の剣を振るった。
765 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:17:07.11 ID:7tqjT6nh0

 甲高い金属音。デュラハンの速度に少女は真っ向から立ち向かうことこそできないが、それでも遅れない程度には目で追えていた。
 しかし。

少女「!?」

 少女の膂力をもってしても、デュラハンの剣は止まらない。ぎりぎりと押し込められていく。

少女(なんて力! いや、違う。私とミョルニルの能力が減衰されてる!?)

 破邪の剣は魔力的な能力を全て掻き消す能力を持っている。
 障壁を切り裂き、呪いを消し、支配の糸すら断てるルーン。当然それはミョルニルの魔力も、そして少女の中に宿る血液に刻まれた魔法式すらも弱らせるのだ。

少女「くっ!」

 無理やりにでも剣を弾き返し、少女は後ろへと下がった。その途端に体に力が漲ってくるのがわかる。
 当然デュラハンもそれを追う。破邪の剣は大きく円を描き、正確に少女の生命を削りにかかった。

少女(切り結んだら負ける……ってことは!)

 少女は後ろ向きに跳ねつつ、腰をかがめて地面へと手を伸ばした。そうして幾つかの「何か」を手に取り、感触を確かめる。

 それを投げつけた。
766 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:18:13.41 ID:7tqjT6nh0

 高速で飛来するそれは小石だった。もしくは建物の破片だった。
 大きさはこの際問題ではない。少女は当然理解していたし、対峙するデュラハンも理解していた。手の銀色を翻して叩き落としにかかる。

少女「もういっちょ!」

 横っ飛び。
 一度速度を落としたデュラハンは韋駄天に為す術を持たなかった。破片を弾き、防御し、反撃の機会を窺っている。

少女(こいつが同時に叩き落とせるのは、六発が限界程度……)

少女(つまり)

 少女は十の石の欠片を取って、投げつける。

 空洞を叩く音が響いた。

 ただの石とは言え、少女の膂力によって投げつけられたそれは、かなりの速度とエネルギーを有している。デュラハンの鎧に大きな傷が生まれ、大きくバランスを崩した。

 ようやく少女はミョルニルを握り締める。ひんやりとした金属の感触は、けれど気分を高揚させた。

 みちり、みちりと感触が伝わる。同時に音も。
 ミョルニルの鎚が確かにデュラハンの腹部を捉えていた。
767 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:19:05.27 ID:7tqjT6nh0

デュラハン「ぐぅっ!」

 苦悶の声。何とか肘を挟んで直撃こそ避けたが、体勢が崩れていたのもあって踏ん張りがきかない。デュラハンは勢いそのままに壁に叩きつけられる。
 部屋が震えた。激突した壁の一部が崩壊し、崩れる。

 無論追撃を忘れる少女ではなかった。大きく飛び上がり、そのまま力一杯に叩きつける。
 跡形も残さぬとばかりに。

 今度こそ建物全体を崩壊させかねない揺れが襲った。各部屋は九尾が障壁魔法を幾重にもかけているとはいえ、あまりの威力にそれも心配になる。なにせ少女の膂力、血に刻まれた魔法式は、それだけ強力な代物なのだ。
 だからこそデュラハンも第二の剣を引き抜かなければならない。

デュラハン「其の二、はやぶさの剣」

 少女の眼前に立っていたデュラハンが、音も立てずに姿を消す。

 いや、少女にはわかっていた。空間移動にも見間違えるほどの高速移動。そして、その速度を与える天下七剣の存在。

 背後から迫るデュラハンの攻撃。少女は反射的に体を反転させ、地面に倒れこむ形で回避を試みる。
 細剣が少女の肩を貫通した。激痛が神経を引っ掻き回すも、歯を食いしばって叫び声だけはあげない。その分、押しやった声が涙腺を圧迫し、涙が滲む。

 だめだ、それすらもひっこめ。少女は一度だけ強くまばたきをして、涙を体外に押しやる。痛みに支配されているようではだめなのだ。そんな状態ではデュラハンには勝てやしない。
768 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:20:05.49 ID:7tqjT6nh0

少女「脳内麻薬が足りないのよっ!」

デュラハン「致命傷を避けたか! さすがだ!」

 デュラハンが感嘆の声を上げる。
 しかし、少女が今の攻撃を避けることができたのは、殆ど直観と運の賜物だった。次があるかと問われれば難しいというのが実情だ。
 それでも少女は果敢にも攻撃に転ずる。デュラハンの感触を確かめた後の突進。

 少女の突貫には二つの理由があった。一つは、前方に向かって走っていれば、必然的にデュラハンは後ろから攻撃してこざるを得ない。移動の終着点がある程度読めるということ。
 もう一つは、デュラハンがまだ五本の剣を残しているという事実に因る。二本目で防戦になるようでは今後を勝ち抜くことなどできない。

 そもそもデュラハンが一度に全ての剣を一度に抜かないのだって手加減のような意味合いがあるのだと少女は思っていた。しかし、その考えは事実とは僅かに異なっている。
 デュラハンの天下七剣はあくまで召喚魔法であって、いずれは召「還」される代物である。魔力を注ぎ込むことによって現界させているにすぎず、そして召喚状態を維持するのは、対象が高レベルであればあるほど消耗する。

 一瞬でよければ七本すべてを召喚することも可能であるが、そうすると今度はデュラハンが干からびる可能性が出てくる。また、デュラハンの目的はあくまで戦闘欲を満たすことであり、少女を殺すことではない。
 そう、彼が望むのは戦争ではないのだ。

 彼はただ、少女がどこまで天下七剣に耐えきれるのか、その輝きが見たいのだ。

769 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:22:20.55 ID:7tqjT6nh0

 ミョルニルの一撃が空を切る――ここまでは予想通り。回避されるのは織り込み済みだ。
 ここからが、賭け。

 右か左か。

少女(ひ、だり!)

 少女は左に回転しながらミョルニルを振り回した。

デュラハン「其の三ッ、竜殺し‐ドラゴンキラー‐!」

 音もなくミョルニルの軌道が止まる。刮目するまでもなく、ミョルニルの先端にカタールの刃が付きつけられているのが見える。
 ただ単に受け止められたのだ。その事実を把握すると同時に、デュラハンは竜殺しを大きく横に薙いだ。

 ずん、と手応え。大岩を押しとどめたような衝撃に、少女の足が地面から一瞬で引きはがされる。
 破邪の剣のような魔力減衰の気配はなかった。寧ろ逆、デュラハンの腕力や魔力を強化しているのだろうと思われた。

 衝撃の中でも体勢を立て直し、少女は激突するはずだった壁へ足をかけ、そのまま宙へ飛び出した。
770 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:24:52.88 ID:7tqjT6nh0

少女「はあぁっ!」

 気合込めた一撃。しかしデュラハンに届くよりも先に、不可視の障壁によって押しとどめられる。
 空間に閃光が迸る。ばちばちと魔法の粒子が跳ね、それでも少女は無理やりにでも押し込んでいく。

少女「叩き割るっ……!」」

 音のない反響音が全身を劈く。ミョルニルが障壁を破壊した音だった。
 だがそこまでである。勢いはすでに焼失した。少女は舌打ちを一度して、再度デュラハンに向かって突貫する。

デュラハン「竜の息吹すら耐える障壁なんだけど、なぁっ!」

少女「くっ!」

 剣閃。竜殺しが生み出す風圧のみで、少女は自らの小柄な体が舞いあげられる恐怖さえ感じた。
 一度距離が開く。互いに大きな怪我さえないが、解けない緊張が神経にくる。汗すらも拭くひと手間が惜しい。

 肩の傷はすでに瘡蓋ができていて、痛みこそあるものの、出血は止まっている。勇者ほどではない回復能力が少女にも備わりつつあった。
771 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:26:07.37 ID:7tqjT6nh0

デュラハン「前に戦ったときは、きみが見たのはここまで、だっけ?」

 あくまで気楽にデュラハンが尋ねてくる。恐らく、そこに意図はない。番外戦術からデュラハンは無縁な男だった。
 どこまで行っても魔の者は魔の者なのだ。確かに逆らえないものがあり、だからこそ人生のそのために費やそうとする性質がある。

 階下では狩人が、階上では勇者や老婆が戦っているに違いない。命を賭して。
 それだのに自分ばかりこんなのんびりしていていいものかと少女は思ったが、乱れた息を整えるためにも、この時間はありがたくもあった。

少女「そう。アンタ、すぐに倒れたから」

デュラハン「ははっ。あのときは連戦に続く連戦でね、不甲斐ない姿を見せたよ」

デュラハン「今度はそんな姿を見せるつもりはない。期待しててくれ」

少女「期待なんかしちゃいないわよ」

 それは半分だけ本当だった。別段少女はデュラハンと戦いたくはなかった。寧ろ一刻も早く撃破して、上の階に上りたいとすら思っていた。

 しかし、残りの半分、確かに少女は自らが高揚しているのを感じていた。それは幸せではないにしろ、不思議と口角の上がる感覚だった。
 強敵との戦いを楽しむ素質が、素養が、彼女にはある。そしておおよそ一般人らしくないそれを、少女は無意識のうちに押しとどめようとしているのだ。
772 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:27:37.77 ID:7tqjT6nh0

 無言のままに少女は跳んだ。大きく振りかぶったミョルニルを、そのまま力任せに叩きつける。
 戦術も何もなかった。ただ、人を超越した身体に任せた一撃を放つだけ。

 デュラハンも合わせて前に出た。退くつもりは彼にはない。寧ろ真っ向から圧力を破ることこそが楽しみである。

 障壁が火花を散らす。

 竜殺しをデュラハンが振るう。

少女「アタシだってねぇ! ちぃとは強く、なってるんだから!」

 あの日のままではいられないのだから。
 いつか、誰かを救えるくらいにならなければいけないのだから。

 少女の手からミョルニルへと光が流れ込む。体の震央から湧き上がる力。血に刻まれた魔方陣が、より強く、より早く、力を与えていく。

 障壁ごと――

少女「殴り、飛ば、すっ!」
773 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:28:28.08 ID:7tqjT6nh0

 ついに障壁を貫けた。竜殺しとかち合ったミョルニルが一際大きく閃光を放ち、少女は負けじと足を踏ん張って力を込める。
 無論力を込めるのはデュラハンも同様だった。小細工無用の力比べ。両者ともに裂帛の気合いが口からこぼれる。

少女「やぁああああああああっ!」
デュラハン「うぉおおおおおおおおっ!」

 振りぬいたのは、ミョルニルであった。

 竜殺しの刃が圧力に負けた。ついに砕け、そのまま勢いでデュラハンの手から離れる。すっぽ抜けたそれは壁へと激突し、巨大な破壊痕を生み出して召還される。
 デュラハンの右手があらぬ方向へと曲がっていた。竜殺しを握っていたため、吹き飛んだ衝撃で右腕自体が持っていかれたのだろう。それほどまでの力比べであったというわけだ。

デュラハン「……竜殺しを破るか。驚きだけど、そうじゃないかって思っていた。きみなら、それくらいはやるんじゃないかって」

少女「お褒めに預かり光栄だわ」

デュラハン「ここから先は君の見たことのない領域だ。――天下七剣、其の四」

 魔方陣の一つが起動し、それまでの剣とは明らかに毛色の違う、禍々しい粒子が漏れてくる。
 おおよそおかしな形状であった。円柱の柄こそ珍しくはないが、何よりもその刀身が、あたかも針葉樹のような、もしくは槍の穂先のような形態をしている。
 鋭利な一枚の鋼板を薄く延ばし、支柱の周りに螺旋状に据え付けたような、剣と呼べるのかすら怪しいその剣。

 名前は――
774 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:29:30.06 ID:7tqjT6nh0

デュラハン「まどろみの剣!」

 名を諳んじるのと波動が迸るのは同時。それは鐘の音を空間に響かせながら、ぐらり、ぐらりと距離を歪ませにかかる。

 少女は自らの平衡感覚がどこかへすっぽ抜けてしまったのだと思った。それほどまでに、視界は揺れ、地面は揺れていたのだ。
 足を一歩踏み出した先が本当に前なのかもあやふやである。ただはっきりと感覚が捉えるのは、まどろみの剣が生み出す鐘の音だけ。

 その音が彼女の平衡感覚を狂わせている元凶であることは明らかであるが、だからといって元凶を容易く叩くこともできない。
 肩幅に足をひらいて、前を見つめる。
 デュラハンを待つよりほかに安全策はなかった。

 殺気。

 出所は、真後ろ。

少女「でやぁあああっ!」

 振り向きざまにミョルニルを振り抜く。踏み込んだ脚が掴む地面、その感触は綿のようで、思わず転倒しそうになるも、筋力でなんとか堪えた。
 金属とぶつかる感覚が伝わる。歪む視界の中にははっきりと漆黒が屹立している。
775 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:34:07.46 ID:7tqjT6nh0

 だのに、少女は背後からの斬撃に、思わず膝をつく。

少女「どういう……」

少女(いや)

 これは少女の失態であった。痛みが彼女の鈍っていた思考と視界を徐々に平静に取り戻させつつあって、初めて気が付いたのだ。
 デュラハンは天下七剣を用いる。しかし、いつから天下七剣「のみ」を用いると言っただろうか。

 そもそも彼は、最初に会い見えたとき、隊長や参謀を相手にどうやって戦っていた?

 肩甲骨のあたりに突き刺さった刀を放り投げ、少女は自らの血液の暖かさを噛み締めるように握りつぶす。

少女「投げた刀より速く移動とか、化け物じゃない」

デュラハン「事実、化け物だからね」

 自嘲気味にデュラハンは笑った。

デュラハン「ウェパルはどうやら人間になりたかったみたいだ。化け物なんかじゃなくってね。それができたら、まぁ一番よかったんだろうけど」
776 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:35:09.07 ID:7tqjT6nh0

 その結果は知ってのとおりである。ウェパルは結局、人間にはなれなかった。いや、九尾がさせなかったという表現のほうが正しい。
 しかし、もともと人間になることなど、初めから彼女には無理だったのだ。行きつく先は破滅しか待っていない。それでもなお、彼女は人間として生きることを――というよりも、愛する人を手中に入れたいと願った。

デュラハン「困ったもんだよ、魔族ってのは。衝動が勝ちすぎる。やっちゃだめだってことは、わかってるんだけど」

 例え誰かに迷惑をかけ、悲しませるのだとしても、それをやらずにはいられない。
 生きていること自体がすでに害悪。
 それが、魔物。魔族。人ならざるもの。

 デュラハンはまどろみの剣を握り締めた。すると鐘の音は強くなり、より強く少女の脳へと作用する。
 もう片方の手で魔方陣を描くと、そこから数十の刀が地面と水平に、切っ先を少女に向ける形で現れる。

デュラハン「こういうのは趣味じゃあないんだけどね。ただ、見てみたい」

デュラハン「歪む視界の中、刃の散弾をどうやってきみが避けるのか!」

 それら全てを、デュラハンは投擲する。
777 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:35:50.21 ID:7tqjT6nh0

 ごう、と震える空気。少女の足はまだ覚束ない。

 視界の中で血飛沫が舞った。

 串刺しにされる少女の肢体。腕から、足から、腹から、胸から、刃が貫通して覗いている。
 しかし。

少女「そこ、か」

 ぼそりと短く呟いて、跳んだ。
 光のような初速を切った少女の踏込で、床に大きくひびが入る。感覚として揺れるそれを脚力でごまかしながら少女は走っているのだった。
 半ば地面に足を埋め込んでしまえば、揺れなど関係ないとでも言うように。

 加速についていけずに肉が千切れていく。ぼたぼたぼたと真っ赤な肉片をまき散らしつつ、少女の速度は衰えることを知らない。
 咄嗟にデュラハンはまどろみの剣を構えた。刀の召喚と射出よりも少女の到着のほうが明らかに早かった。

少女「逃がさない!」

 数度の打ち合いの末に、大きくまどろみの剣が弾きあげられ、がら空きになった胸部へと少女は潜り込んだ。
778 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:36:37.07 ID:7tqjT6nh0

少女「全身全霊ッ!」

 鎧がひしゃげ――潰れ――砕け――音速を超えた空気の破裂音が響いて、デュラハンは地面と平行に吹き飛んでいく。

少女「お前をぉっ!」

 筋肉を引き千切りながら少女の右腕が伸びる。
 デュラハンの足首に手をかけ、地面へ叩きつけた。

少女「倒すっ!」

 振り下ろされるミョルニル。
 それはデュラハンの胸部を完全なるまでに叩き潰した。金属特有の軋みすら経ずに、一気に。

 少女は思わず尻もちをついて、すぐさま立ち上がる。デュラハンがこの程度で倒れるとは思わなかった。彼の中身はあってないようなものなのだから。

 地面が光り、魔方陣が多重に展開される。

 少女が後ろに跳び退いたのと、魔方陣から刃が生えてくるのはほぼ同時である。少女は距離が開いているうちに、自らの体に突き刺さった刀の類を一本一本丁寧に抜いていく。
 刀が抜けるたびに血が噴き出すが、それと相まって、不快感もまた体外へ排出されているようだった。
779 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:38:18.32 ID:7tqjT6nh0

 不思議な感覚だった。彼女はここに来て、自らが今までで最高のパフォーマンスができているような気がしてならなかった。

少女(やっぱり、ほっぺたじゃなくてよかったのかも、しんないけどね! ははっ!)

 いわゆる「女の子らしさ」なんて自分には一生縁のないものなのだと思っていた。ミョルニルを背負い、握り、叩きつける自分には、所詮「オンナノコラシサ」しか存在しないのだと。
 こういうのを馬子にも衣装というのだろうか。それとも、自分の中にも「女性」が確かにいるのだろうか。

 少女は考えながら、ぺろりと唇をなめた。心なしか勇者の感触と体温がまだ残っている気がした。そんなはずはないのに。

 絶対に死なない上で、少女は思う。

少女「もう死んでもいいな、こりゃ」

デュラハン「まだまだだよ。俺はまだ、満足しきってない」

 視界の中ではやはりというべきか、デュラハンが立ち上がり始めている。その姿は一目見てぼろぼろであるが、確かに生きていた。
780 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:39:47.87 ID:7tqjT6nh0

 デュラハンが右手を伸ばす。すると、熟練された執事の趣で魔方陣が展開、剣をデュラハンへと恭しく差し出した。
 溢れんばかりの光。聖なる光。それは白銀の剣で反射して、さらなるハレーションを起こす。

デュラハン「其の五。奇跡の剣」

 白銀の柄。白銀の刃。鍔はなく、鎬だけがある、すらりとした両刃の剣であった。
 奇跡の剣はいまだに光を放ち続けている。召喚の光ではなく、剣自体が光を放っているのだ。そしてそれは右手からデュラハンの全身へとじわじわ広がり、彼自身を光で包んでいる。

 聖なる守護。性質こそ異なるけれど、核に込められた神性でいえば、少女のミョルニルと同様の系統だ。

 デュラハンの傷が、鎧につけられた傷が、次第に治っていく。いや、それは治癒ではない。修復だ。
 生命が本来持つ機能を高めるのではなく、剣それ自体がデュラハンをあるべき姿に戻しているのである。

 デュラハンの姿が消えた。合わせて、少女の姿も消える。

 金属同士がぶつかり合う音が響き、そこでようやく二人の姿を捉えることができる。
 空中で、剣と鎚をぶつけ合っている二人の姿を。

 少女の一撃がデュラハンの左足を消し飛ばす。中に満ちていた黒い靄も霧散するが、流出より修復の速度が上回っている。当然デュラハンに隙は生まれない。
 反撃としてデュラハンが片手を振るう。少女のスウェイ。眼と鼻の先にある切っ先をしっかりと目に焼き付けながら、少女はミョルニルでデュラハンではなく奇跡の剣そのものを狙いに行く。
781 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:41:55.25 ID:7tqjT6nh0

 が、デュラハンもその目論見は当然予想していた。空中に生じた魔方陣から、刃が生まれる。
 舞う破片。刃の障壁を根こそぎ砕きながらも、ミョルニルは奇跡の剣へ迫る。

 僅かに届かない。

 勢いの落ちたミョルニルを、空いた手でデュラハンは受け止める。下へ押しつけながら、切っ先を少女へと。
 少女は退かない。ただ、まっすぐに前へと踏み込む。

 刃が胸へと吸い込まれていった。肋骨の隙間を抜け、肺と心臓と血管すらも抜け、皮膚を食い破って反対側へと貫通する。
 神経がかき乱される。鉄が分子レベルで体を苛む。ぎりぎりと、ぐちぐちと。
 だが、臓器は掠ってもいない。

 死ぬ気はしなかった。
 死ぬ気はなかった。

 それは果たして度胸が齎した偶然なのか、それとも武の化身が与えた必然なのか。

 デュラハンが奇跡の剣を捻る――撹拌される肉。それに巻き込まれる肺組織。
 喀血。痙攣。自分の意に反して動く――動きやがる体。

 そんな体だから。

 そんな体だからだ。
782 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:43:13.71 ID:7tqjT6nh0

 身を捨てても再び浮かび上がってこれることを信じて、体の全ての反射をシャットアウトして。
 そうでもしなければ、勝てない。

 血を流しすぎた。だからなに?
 肺が潰れている。それで?
 腱が切れかかった。ふーん?

 全幅の信頼を寄せるこの体。

少女「もっとやってくれるに決まってぐぼぁっ!」

 血を吐きながら声にならない声を出しながらミョルニルを振りながら、彼女は、

 ただ前へ。

 ただ前へ!

 彼女に勝機はなかった。勝機はなくとも突っ込むその動きは、正気の沙汰ではない。
 ただ、そこには勝機と正気の代わりに信頼があった。彼女は自分の訓練と、身体と、ミョルニルを信じていたのだ。

 少女の能力は身体機能の増幅。魔力経路を全て内向きにして、彼女は魔法が使えない反面、魔力を体内に駆け巡らせることができる。
 魔力は全て、彼女の血肉。
783 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:44:02.98 ID:7tqjT6nh0

 無我の中で振ったミョルニルが、デュラハンの右手を、今度こそ引き千切った。握られていた奇跡の剣は、依然として彼女の体内に残っている。
 まだ僅かに修復の奇跡は残存している。光がデュラハンの傷口に集まり、即座に修復を開始した。
 そして少女はそれよりも早く、今度は肩口から吹き飛ばす。

 重厚な鎧に包まれているはずのデュラハンの体が、まるで木の葉のように舞った。踏ん張りの利かないそのタイミングで、返す刀、いや鎚か、少女は渾身の一撃をデュラハンに見舞う。

 魔方陣の展開。

 刃が刃が刃が、襲う。

少女「まだるっこしいっ!」

 少女はそう叫んで、三本の刃を全て掴み――無造作に掴んで、握力だけで砕く。

 裂け、千切れる左手の五指。

 残った右腕の掴むミョルニルが、デュラハンの上半身から上を、文字通り粉々にした。
 鎧から黒い霧が吹き出し、そこを中心としてまた鎧が召喚、デュラハンの形を取り戻していく。

 そんな隙など与えまいと少女は一歩踏み出し、そこでブレーキをかける。天下七剣、その魔方陣が起動していた。恐らくは先ほどの刃と同時に起動したのだろう。

 だが、何もない。
784 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:45:15.10 ID:7tqjT6nh0

少女「……っ?」

 少女が率直に思ったのは、召喚を失敗したのではないかということだった。

 魔方陣から剣は現れていない。
 デュラハンの手にも、ない。

少女「……剣を抜かないの? それとも失敗?」

デュラハン「剣はもう抜いている」

 そんなまさかと少女が周囲を見回して、思わず少女は膝をついた。
 体に力が入らない。

 少女はまた、そんなまさかと思った。

 胸に小型のナイフが突き刺さっている。いつの間に? 何かを投げる動作はおろか剣の召喚自体少女には見えていなかった。それでも確かに胸にナイフは刺さっている。心臓を一突きにする形で。
 まどろみの剣による幻覚とも思えない。確かに激痛がある。体の感覚もまたある。

 少女は膝より上を支えることすらできなくなって、地面に突っ伏した。
 ごぅん、とミョルニルが音を立てる。

デュラハン「天下七剣、其の六。アサシンダガー」

デュラハン「因果関係抹消武器」
785 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:46:47.12 ID:7tqjT6nh0

 因果関係抹消。即ち、過程と結果の乖離。
 切る動作を経ずに、切った結果だけを生み出す、絶対的な必中の剣。

 デュラハンはない頭を掻いた。

 理由は二つ。一つは、純粋にこの武器が、彼の好むところではないということ。発動してしまえば片が付くというのは、最早武具というよりも魔法の範疇で、それはデュラハンの本意ではない。

 そしてもう一つ。

 デュラハンは嘗てアサシンダガーを三回抜いたことがある。一度は当然今回。その前には先のウェパルとの戦いで抜いており、最初に抜いたのは九尾との腕試し。
 単純に、彼はアサシンダガーを信用していなかった。いや、効力は無論有意であるが、ジンクスというか、そういうものを感じていたのだ。

 ウェパルも九尾も死んでいないという事実が、この剣に対するデュラハンの不信の源であった。
786 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:49:12.38 ID:7tqjT6nh0

 アサシンダガーは必中で、必ず心臓に突き刺さる。それは殆ど即死とイコールであるが、あくまで殆どにすぎない。
 心臓に突き刺さったとしても死ななければ。

デュラハン「うーん」

 一度唸って、アサシンダガーを召還する。

デュラハン「どうやら、こいつは俺とは相性が良くないみたいだ」

少女「悪いのは、運じゃ、ないの」

 少女が立ち上がっている。
 体から煙を立ち上らせつつ、少女は膝に手をついて、デュラハンを見やる。
 体の傷が癒えつつあった。考えるまでもなく、魔力によるものである。目で追えるほどの細胞の再生速度に、さしものデュラハンも息を呑まざるを得なかった。
 そしてそれは、不思議なことに、少女もなのであった。
787 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:50:15.64 ID:7tqjT6nh0

 いや、聖騎士団団長と切り結んだ際も、同様の再生を少女はした。切り落とされた腕を無理やりにくっつけるという、離れ業というよりも人間離れした技で、彼女は彼に一矢報いたことがある。
 だが、彼女の能力は、元来そこまで強力ではないはずなのだ。

 無論怪我は常人より早く治るし、皮膚と筋肉の硬質化――なにより高質化――によって怪我自体を受けにくくはなっている。それでも落ちた腕が、指が、切断面を合わせればすぐさま癒着するなんてことは、考えられないことだった。
 自分の身に何かが起こっている。彼女はそれを理解していた。理由はともかくとして。

 それは狩人にも通じていることである。理屈を考えるのはあとだった。まずは利用できる限り利用してから。

デュラハン「奇跡の剣でも持ってるのかい」

少女「さぁね。あんただって、不死身みたいなもんじゃない。何度も復活して」

デュラハン「これは召喚だからなぁ。そう何度も使えるわけじゃ、ないんだよね」

 デュラハンはそこで言葉を止め、少し間をおいてから莞爾と笑った。
788 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:51:10.02 ID:7tqjT6nh0

デュラハン「あぁ、でも、楽しいなぁ。幸せだ。こんなに満ち足りた瞬間は、滅多にあるもんじゃない。そうそうあるもんじゃない」

デュラハン「あの男性二人組といい、人間の潜在能力の高さには目を見張るものがあるよ」

デュラハン「ゆえに、惜しい」

デュラハン「戦争なんてくだらないことで、猛者の命が失われてしまうのは」

少女「……アンタの手だって借りたいくらい」

デュラハン「はは。そんな義理はないんだ、残念ながら、俺は」

 デュラハンは両手を合わせた。一瞬紫電が走り、魔方陣が手と手の間に生まれる。
 空恐ろしいほどの魔力が、魔方陣の先に潜んでいることは明らかだった。空気が、地面が、それぞれ唸りを上げる錯覚すら感じられる。

 少女は対応してミョルニルを構えた。天下七剣の七。次で終わりだ。
 これを乗り越えてなお生きていることができれば、その際は、デュラハンが負けているに違いない。
789 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:52:23.17 ID:7tqjT6nh0

 その自覚の一番の持ち主はデュラハンその人だった。天下七剣の召喚。漆黒の鎧の召喚。刃と剣の群れの召喚。魔力はだいぶ消耗してしまった。いや、それが彼の本望なのだが。
 彼には常にガス欠の危険が付きまとっている。しかし彼はそれでよいと、それがよいのだとすら思っていた。全力で戦った末に打ち倒せないのならば、それ以降は蛇足であると、彼は考えていたからだ。

 だからこそ彼は容赦をしない。攻撃全てが一撃必殺。

 そして、彼の手から生み出されるそれもまた、そう。

デュラハン「天下七剣、其の七ッ!」

 少女は地を踏みしめる。靴の底がこすれ、焦げ臭いにおいを生み出した。
 一息でデュラハンへと向かう。

 デュラハンは慌てない。一気に両手の感覚を広げ、一本の、無骨で、何より実用的な、金属を召喚する。

デュラハン「ロトの剣!」

 金属の軌跡が空間を切り開いた。

 少女はミョルニルに刻まれたルーンが解れる音を聞いた。
790 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:53:03.42 ID:7tqjT6nh0

 切断。そして破砕。
 ミョルニルの頭部分が切り離されて、地面へと、ごとり。
 少女の右腕部分が切り落とされて、地面へと、ぼとり。

少女「……え」

 少女は自分の身が傷ついた覚えは何度もあれど、それだけは、唯一それだけは覚えがなかったし、そんなことあり得るはずがないとも思っていた。
 神代の遺物であるミョルニルが、壊れるだなんてことは。

 視界を自らの血が真っ赤に色づけしていく中、呆然と少女は欠けたミョルニルへと目を落としている。

デュラハン「ロトの剣。ミョルニルに負けず劣らずの、神代の遺物。特殊能力なんて大層なものはない」

 ロトの剣。それは。

デュラハン「これは」

デュラハン「ただよく切れて、ただよく折れない、それだけの剣」

 それだけで数多の強者の手に渡り、世界を救って来た剣。
 ミョルニルさえも切り落とすほどの、ただそれだけ。

 デュラハンが跳ぶ。少女はようやくはっとして、斬撃に対してミョルニルの柄を掲げる――
791 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:54:33.56 ID:7tqjT6nh0

 ざくんと。
 音がすることすらなく、ミョルニルの柄は切断された。

 大きく胸のあたりが一文字に切り裂かれ、またも地面に赤い花が咲く。
 わずかに傾く少女の体。胸が痛い。心は痛くないのに、胸だけが痛い。

少女「う……」

少女「うぉあああああああああっ!」

 咆哮。追撃をかけようとするデュラハンに、少女は片腕で特攻した。
 斬撃。デュラハンの一振りを紙一重で回避して、懐に潜り込む。

 握りこんだ左拳。ミョルニルがなくとも、彼女の膂力は健在だ。

 爆弾が炸裂するかのような轟音と共に、デュラハンの体が大きく吹き飛ばされた。しかし壁に激突する直前に体勢を変え、壁を蹴って着地、そのまま一気に少女との距離を詰めにかかる。
 少女は退かなかった。守りに徹すれば負けだと思った。事実それはそうだ。守れないのに守ってもしょうがあるまい。

 が、綱渡りであった。木綿の糸一本の上をわたっているにも等しい行いだった。

 デュラハンはひたすらに切る。斬る。
 ロトの剣が振られるたび、空気が裂け、幾重にも結界が張られた壁や地面が裂け、少女の髪の毛が、服が、裂けていく。
792 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:56:43.66 ID:7tqjT6nh0
 恐らく彼がその気になって大きく振れば、老婆の植物魔法にだって耐えられるはずのこの塔も、たやすく両断できてしまうのではないかと思われた。

 左拳を半身になって回避すると、がら空きになった側面に対して剣を向ける。が、少女はそのままの勢いで飛び込み、空中から踵を降らせてデュラハンの肩を狙う。
 デュラハンの反応も早い。ただ、それでも僅かに掠った。ちっと、舌打ちなのだか掠れた音なのだかわからない擦過音が響いて、デュラハンは僅かに揺らぐ。

 それでもデュラハンの剣先が止まることはない。抵抗すらなく剣先は少女の脇腹と、内臓の一部を持っていく。
 それでも少女の猛攻が止まることもなかった。踏込は刹那。右腕の関節を極め、一気に折りにかかる。

 空気が震えた。見れば地面と空中に、計四つ、魔方陣が展開されている。
 デュラハンがわずかに苦痛の雰囲気を漏らす。彼もまた魔力の枯渇が見え始めているのだった。

 刃と刃と刃と刃が四方から少女に向かう。逃げ場は残されているが、それはデュラハンが意図的に残したものに違いなかった。
 ゆえに少女は刃へと飛び込む。

 服と肉が裂けるが、命はまだ健全である。軽くステップを踏んでから急加速と急旋回、背後を取ろうと試みる。
 対応して振り向きざまの切り付け。速度は、これもまた神速である。
 屈んだ少女の髪の毛が、途中からそっくり霧散した。
793 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:57:30.65 ID:7tqjT6nh0

 足払い――そして、一閃。
 コンマの差で、少女の左足が、彼女の制御を離れ

少女「アタシのもんだ!」

 手が伸び、それを掴む。

少女「アタシの体は、アタシのもんだっ!」

少女「だからアタシに自由にできないことは、ないっ!」

 少女の体が光を放った。無理やりに接合面をくっつけたそれは、瞬時に治癒する。どういう理屈かわからないままに。

デュラハン「おいおい、ウソだろ」

 唖然としたデュラハンの体は、振り抜いた反動で大きく空いている。

少女「力ずくで!」

少女「ぶんっ……殴る!」

 風が吹いた。

 少女は自らの拳が砕ける音と――デュラハンの鎧が砕ける音を聞いて、笑みを浮かべる。
794 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 00:59:21.91 ID:7tqjT6nh0

 デュラハンは地面を二回バウンドし、土煙を巻き上げながら壁に激突し、そこでようやく止まった。土煙の中には脇腹から胸部にかけてが大きく粉砕されたデュラハンの姿がある。

 しかし、デュラハンは依然として立ち上がる。

少女「おとなしく、やられておきなさいよっ!」

デュラハン「はっは! 言うね! でもでも、だめだよ、まだまだ、足りない!」

 溜めすらなくデュラハンは宙へ駆け出す。鎧の修復は間に合っていない。そこから彼の生命たる黒い靄が流れ出てはいるが、そんなことお構いなしだ。

 力一杯にロトの剣を振るった。横薙ぎに空間が断裂し、少女の遥か後方の壁が壊滅する。
 今度は唐竹割。地面と天井が、真っ直ぐに亀裂の餌食となる。

 血にまみれながらも少女は地を踏みしめる。あと三歩。たったそれだけの距離が、いまや彼女には数キロ先のように感じられた。
 時間は遅々として進まない。泥濘の中をもがくような息苦しさと、ほんの少しの高揚が、世界を満たしている。

 どうすればいいのだ、と少女は自らに問うた。どうすればデュラハンに勝てるのかと。
 拳は砕けた。鎧を砕けても、あいつの命を、存在を、砕くことはできない。
795 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 01:00:33.75 ID:7tqjT6nh0

 酷く胸が熱い。そこから始まって、全身が熱い。血を流しすぎたら本当ならば冷たくなるはずなのに。
 それとも、この熱は血液のそれか。

 いや、違う、と少女は思った。

 これは血液のそれではなく、血潮のそれだ。
 彼女の内に流れる、魔力のそれだ。

 誰かの手を少女は握っていた。しかしそれは錯覚だった。ここには誰もいない。少女とデュラハンしかいない。だから、彼女は、こんな切迫した中でも、なぜか冷静に「いやいや、違うでしょ、アタシ」と自分に対応できる。
 それでも、誰かが手を握っているのだ。

 否。誰かの手を握っているのだ。

 デュラハンがロトの剣を振るった。少女にはそれがよく見える。回避できないだろうことも、防御できないだろうことも、ゆえによくわかった。

 少女は、それを踏みつける。
796 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 01:01:38.10 ID:7tqjT6nh0

 触れた瞬間に足の裏がもっていかれる。皮と肉がずたぼろになり、勢いに飲まれて体が空中で回転する。
 回る視界。だが、デュラハンの姿は視界いっぱいにある。
 回る世界の中でも、居場所はわかる。

少女「ミョォオオオオオルニィイイイイイルッ!」

 誰かの手を、少女は振るった。

 そこでようやく少女はその誰かを確認する。
 誰もいない。当然だ。ただそこには、ミョルニルがあるだけだった。

 ミョルニルが?

 思考の暇は与えられない。そのままデュラハンの腰が、腹が、胸が、全身が、

 雷でできたミョルニル――寧ろトール・ハンマーなのではないか――によって!

 飲み込まれ

デュラハン「勝手に終わらせないでくれよぉおおおっ!」

 返す刀でロトの剣。
 雷をすらも切り裂いて、少女に残された左腕すらも、一刀のもとに切り落とす。
797 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 01:03:00.11 ID:7tqjT6nh0









798 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 01:03:46.47 ID:7tqjT6nh0

 無音。

 無音。

 無音。

 うるさいくらいの無音が頭に鳴り響いていた。
799 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 01:04:59.87 ID:7tqjT6nh0

 たっぷり十秒ほどの間をおいて、ついに、世界に音が戻ってくる。
 最初の音は、金属と金属が擦れあう音であった。

 がちゃり。
 がちゃり。
 と、デュラハンの姿が揺らめいている。

デュラハン「参ったなぁ」

 揺らめいているのではなかった。魔力が底をついて、すでに鎧を維持できないほどになっていたのであった。
 漆黒の鎧は今や漆黒の破片となって、漆黒の破片は次第に漆黒の霧となって、消失していく。

少女「アタシの、勝ち、みたいね」

デュラハン「何秒か、何分か、わからないけどね」

少女「それでも」

デュラハン「勝ちは勝ち、負けは負け、か」
800 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 01:06:15.03 ID:7tqjT6nh0

 少女の両腕はない。血の海に横たわる彼女の寿命はデュラハンに比べればほんの少しだけ、数秒か数分だけ、長い。
 ゆえに少女の勝ちである。

少女「でもね。アタシは、この先がある」

デュラハン「この先?」

少女「そう、この先」

少女「勇者と合流して、魔方陣を止めて、世界を平和にするっていう」

少女「アタシは、アンタとは違う」

デュラハン「そうか。そうだね。俺とは、違う」

少女「だからアタシは、死なない」

少女「死なないのよ」

 語気は強くなかった。声も大きくはなかった。それでも、確かに言葉は空気を震わせた。
 意志の籠った声だった。
801 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 01:06:57.93 ID:7tqjT6nh0

 血液が光り出す。横たわる少女の体もまた。

デュラハン「ま、楽しく、見させてもらうよ」

 ロトの剣が地面へと落ちた。すでに漆黒の霞さえも霧散して、どこにも見出すことはできない。
 やがてロトの剣すらも召還される。

 少女は這いずって、這いずって、這いずって、自分の左腕が落ちている地点までたどり着く。きれいすぎるほどにきれいな切断面を合わせ、仰向けに寝転がった。
 空は見えない。ただ、限りなく灰色な天井があるばかりである。

少女「勇者、やったよ……倒したよ……」

少女「疲れたなぁ、眠いなぁ」

少女「ね、勇者。寝て、起きたらさ。アタシ、頑張ったからさ、褒めてよ。ね。いっぱい褒めて」

少女「そしたらアタシ、頑張るから。頑張れると、思うから」

少女「ふぅ、疲れた。ごめんね、ちょっと寝るわ」

少女「あぁ――幸せだなぁ」

 少女は目を閉じた。
 寝息だけが、確かに聞こえた。

――――――――――――――――――――
802 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/04(月) 01:10:59.83 ID:7tqjT6nh0
今回の更新はここまでとなります。
803 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/04(月) 01:15:20.93 ID:oEyYWXM9o
ロトの剣とか激アツじゃねーか

少女が出したのは雷でできたハンマーか?
804 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/04(月) 13:24:57.96 ID:MCvNItaIO
狩人、少女…煌めく光の粒子のような戦闘描写だったぜ

至高のSS
805 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/04(月) 21:27:59.93 ID:aVlExgiIO
更新乙!これは一度あげるべきだよ!
これはいいものだ
806 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/05(火) 03:49:12.64 ID:KWD7vSvDO
乙乙乙
圧倒的!圧倒的な面白さ!
807 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/05(火) 12:56:24.68 ID:zKe9g6j3o
うむ
大義である
808 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/05(火) 19:05:59.06 ID:Ia7IcA150
うーん、ぐんぐん面白くなって行く。
すばらしい!
809 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします :2013/02/10(日) 10:47:45.47 ID:87SQCY5IO
最高乙ぱい
810 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:04:07.03 ID:4pa/UlSp0
―――――――――――――――――

勇者(なんだってんだ、あいつは)

 唇を半ば無意識に指先で触れながら、勇者は思う。

勇者(キスだなんて、あんな……)

 老婆はそんな勇者の姿を見ながら、にやにやと笑い、同時に「困ったものだ」とも思う。
 朴念仁は、というよりも、勇者が自らの特別性を理解していないことに。

 彼は、なぜ彼が慕われるのかを理解していない。狩人から、少女から、老婆から、街を行く人々から、仲間の兵士から、どうして慕われているのかを。
 誰しも彼が眩しくて、それでも託したくなるのだ。彼ならば自分の希望を託してもよいのではないかと思われる何かを、生まれつき持っている。それは決して才能という言葉では言い表せない。

 しかし勇者は誰よりも自らのそれに無自覚だった。周囲の人間が彼を見るなり声をかけてくるのは偶然で、もしくは狩人や少女や老婆が強く、それのおこぼれを預かっているにすぎないのだとすら思っていた。
 この世界に「世界を救う」と大言壮語を吐ける人間がどれだけいるだろう? ましてやそれを実行途中などと。
811 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:04:38.77 ID:4pa/UlSp0

勇者「……残る四天王は、ウェパルと九尾か」

老婆「そうじゃな。九尾が最上階にいるということは、必然的に次の階にはウェパルがいることとなるな」

 ウェパル。嘗ての兵士A。二人とも、不思議な情が彼女には生まれていた。
 当然隊長にまつわる様々は聞き及んでいて、それを納得も許せもできないのだけれど、しかし、確かに彼女は仲間だった。その時の絆は嘘ではない。彼女が白沢から救ってくれたことは事実なのだ。

 僅かに下を向いて思考し、勇者は老婆を振り返った。

勇者「どっちが行く?」

 老婆の姿がない。

勇者「え?」

 勇者の認識は異なっている。老婆の姿が消えたのではない。そもそもそこはポータルではなかった。
 限りなく灰色の部屋。
 広く、広々とした、部屋。

 中心に人影。その正体が何かだなんてことは考えるまでもなかった。

 四天王、序列二位。海の災厄、ウェパル。
812 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:05:06.78 ID:4pa/UlSp0

 彼女は今回は二本の足で立っていた。半人半魚ではなく、れっきとした人間の姿で。

勇者「どういうことだ」

ウェパル「どういうことって言われてもね。九尾の考えだから、ボクには全部はわからないよ」

ウェパル「九尾はおばあちゃんと話がしたいんだってさ」

勇者「話がしたい?」

 勇者は明らかに怪訝そうな顔をする。

勇者「戦うじゃなくて、話?」

ウェパル「そ。九尾の遠望深慮はボクにはわかりかねるんだけどさ」

勇者「……俺は、お前と戦うのか」

ウェパル「ん。まぁ、そういうことになるかな。ボクは乗り気じゃないっていうか、どうでもいいんだけど」
813 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:05:34.39 ID:4pa/UlSp0

勇者「俺たちは急いでる。見逃してはくれないか」

ウェパル「……」

勇者「今も下では仲間が――敵だったやつも、今じゃ仲間だ。仲間たちが、戦ってる。九尾の召喚してる魔物と」

勇者「なぁ、なんでこんなことをするんだ? こんなことに何の意味がある?」

ウェパル「……九尾に会えばわかるよ」

勇者「お前も結局四天王ってことか」

ウェパル「ボクは別に、魔族とか九尾とか、どうだっていいんだ。どうだっていいんだけど――知り合いの努力に手を貸さないほど、非情でもない」

ウェパル「九尾は一生懸命やっている。傍から見てて痛々しいほどに。それを助けてあげたいと思うことはおかしなことかな」

ウェパル「安心して。手加減してあげる。最後には負けてあげるよ。でも、ある程度の時間は稼がせてもらうから」
814 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:06:50.39 ID:4pa/UlSp0

 ウェパルは空間に手を突っ込んで、何かを取り出した。
 人くらいの大きさの何か。

勇者「!」

 否。それは、人だ。勇者もよく知る人。

 隊長の死体。

 顔は青白いが、安らかな寝顔である。血に塗れた最期が嘘のように、幸せそうで、四肢の欠損もない。恐らくウェパルが魔法によって何とかしたのだろう。
 修復、防腐、そんなところか。

 ウェパルは驚愕に目を見開いている勇者など視界に入っていないように、隊長の死体と口づけを交わし、抱きしめ、部屋の壁へと背中を預けさせた。

ウェパル「隊長ッ、見ててくださいねっ! ボク、頑張りますから。頑張っちゃいますから!」

 勇者は自らに走った怖気の甚大さに、自然と口角が引きつる気持ちだった。
 なんと言えばいいのだろう。「気持ち悪い」か、「それはおもちゃじゃない」か、それとも他に言うべき言葉があったのかもしれないが、勇者には到底思いつきそうになかった。
815 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:07:22.42 ID:4pa/UlSp0

 ただ唯一、言葉がこぼれる。

勇者「……お前、やっぱり魔族だわ」

 剣を構える。戦いたくはなかった。戦う気もなかった。しかし、生存本能が勇者にそうさせた。

 目の前の存在は本当に正気なのか。

 人間であった頃の、兵士Aであった頃の彼女を勇者はなまじ知っているだけに、余計に信じられない。もし彼女がいまだ人間の心を有しているのだとすれば、最早狂気に堕してしまったことは明白である。
 そして、もしすでに人間の心を落としてしまったのだとすれば、完全に魔に堕してしまったこととなる。

 どのみち、彼女との精神のずれは、どうしようにも避けようがない。

ウェパル「なに、愛する二人の仲を引き裂こうっていうの?」

ウェパル「そういうのはあれだ。あれ。えーっと、なんだっけ。こういう度忘れが最近多くて困るんだよなぁ」
816 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:07:49.29 ID:4pa/UlSp0

 ウェパルの文様が妖しく光る。どす黒く、紫色に。

 爛々と目を輝かせて勇者を見た。

ウェパル「そうだ、あれだ」

ウェパル「馬に蹴られて死んじまえ、でしたよね、隊長ッ!」

 衝撃。
 高速で打ち出された不可視の何かが、音を置き去りにして勇者の上半身を吹き飛ばした。

 べちゃり。勇者の上半身が容赦なく壁に叩きつけられ、赤い肉塊へと変貌する。

 僅かに遅れて、ゆっくりと残った下半身が、その場に頽れた。

ウェパル「よわ」

ウェパル「……勇者くん、覚えてるかなぁ」

ウェパル「最初に王城で会ったとき、戦って、そしてボクは言ったんだ。今度は本気でお手合わせしようって」

ウェパル「それが、こんなふうになるなんて、思ってなかったよ」
817 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:08:18.75 ID:4pa/UlSp0

 ご、え、ご、うぁ

 地震のような音だった。地の底から溶岩があぶくとなって弾ける、そんな音だった。
 そう、声ではない。

 頽れた下半身、その腰部から、次第に勇者の体が再生していっている。成長する筋肉繊維と神経。血管は繋がる血管を自ずから探し、幾重にも重なりあって皮膚が形作られる。
 震えた音は声帯も満足にできていない勇者が発した「音」だった。骨と、筋肉の軋みと言い換えても問題はなかろう。

 腱で固定されたばかりの、殆ど骨だけの腕で、勇者は体を起こそうと試みる。

ウェパル「わ。間近で見るのは初めてだけど……凄い加護だね。まるで呪いだ」

 ん、ご、じ……お、い……あ、ちか、に、ぞぶ、がぼじで、ねぇ、だぁ

ウェパル「はは。何言っているのか全然わかんないよ、勇者くん」

 のろ、い……たち、か、に……そうかも、じれねぇ、なぁって言ったんだよ!」
818 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:08:46.49 ID:4pa/UlSp0

 跳躍。すでに体は完成している。
 両手に電撃をまとわせ、剣を抜く。

 衝撃。
 またも勇者の体、今度は剣を握っていた右腕から肩口にかけてが、ごっそりと消失した。
 勢いに体を取られて勇者は転倒する。みずぼらしく、みっともなく、顔面を地面に擦り付けながら。

 勇者の絶叫。一撃死でないぶんだけ、痛みはダイレクトに全身を駆け巡る。蘇生の加護も痛覚を消してはくれない。

ウェパル「死なないと再生はしないんだね」

 ウェパルは人差し指を立て、振った。

 切断面から白い粒が生まれ、山になり、ぼとぼとと地面に落ちていく。
 いや、それは粒ではない。蛆だ。
819 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:09:14.38 ID:4pa/UlSp0

 肉食蛆は蠅が汚物に集るように肉を喰い、しかし本来の蛆とはことなって、壊死した部分以外も喰らいにかかる。
 勇者の絶叫以外は何一つ聞こえない空間で、蛆たちは肉を、骨を、食む音すら響かせずに貪りつくす。

 蛆は際限なく湧き、ついに勇者の全身を覆った。既に勇者の姿は人間のそれではなく、ただの白い蠢く何かとしてしか認識されえない。

 増殖を続けていた蛆たちであったが、ある時を境にしてその体積が減っていく。否。減っているのは蛆の体積ではない。勇者の皮膚が食い破られ、体内に雪崩れ込んだ証拠なのだ。

 やがて、骨と、僅かな肉片だけがその場に残された。

ウェパル「完食っと」

 冗談めかしてウェパルが言った。その視線の先には、雷撃を両手に宿す勇者の姿がある。
820 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:09:43.77 ID:4pa/UlSp0

 勇者の耳が刎ねる。

 不可視の衝撃は今度こそ勇者を戦闘不能に陥らせなかった。ぎりぎりで身を屈めて回避した勇者は、そのまま走りだし、同時に雷撃を放つ。
 ウェパルはそれを避けなかった。彼女が手を広げると魔力障壁が展開され、雷撃を完全に無効化する。

 その間にも勇者はウェパルに迫っている。依然として雷撃は放ちながら、右手で剣の柄を握り、胴を狙う。
 物理障壁。剣は僅かに食い込むが、所詮そこまで。反撃として不可視の衝撃が来るのを回避して回り込む。

勇者「二回も喰らえば予期できないわけないだろうがっ!」

 斬撃。ウェパルはまたも物理障壁を展開するが、今度の刃は帯電している。物理障壁では防ぎきれない。
 物理障壁ごとウェパルの腕を切る。青味がかった、まるで魚類のような血液が、床に滴った。しかし致命傷には程遠い。こんなもの、生命力の強い相手にしては、擦り傷も同然だ。

 すぐに反撃が来るのはわかっていた。しかし距離を取ることも考えられない。折角つめた距離を取り戻すのに、どれだけの労力が必要だというのか。
 取る選択肢はただ一つ。
 どうせ死んでも生き返るのだ。
821 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:10:12.43 ID:4pa/UlSp0

 ウェパルの左腕、ヒドラのように細かくうねる触手が、悪い雰囲気を放ちながら勇者へと飛びかかった。毒か呪いか、少なくとも悪い何かを帯びているだろうことは想像に難くない。死ぬよりも辛い目にあうことも。
 勇者「はっ!」

 伸びてくる触手をたちどころに切り落とし、さらに勇者は深くへと潜る。それを阻止する魔力の剣が、勇者の頭を狙って振ってきた。

 雷撃で弾く。魔力の剣は内部から炸裂し、あたりに魔力を振りまいた。

 柄の部分をしっかりと握り、乾坤一擲、攻撃を加えようとしたところで――

勇者「!」

 剣が根元から腐り落ちているのを見た。圧倒的なまでの腐食。どう見ても、化学反応ではない。もっとおどろおどろしい何かに違いなかった。
822 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:10:57.25 ID:4pa/UlSp0

 魔力の剣が四方八方から迫る。ウェパルの魔力で編まれたそれは、錯覚だろうか、どこか毒々しい色をしている。

 剣では弾けない。雷撃も間に合わない。

 鈍い音がして、勇者の首と胸に、刃が深々と突き刺さった。

勇者「あ……が……っ」

 声を出すのもままならない中で、勇者はかろうじて倒れる身を踏みとどめたが、それも所詮気休めだった。すぐに力が入らなくなり、地面に倒れる。
 血だまりの中で彼は感じた。自分とウェパルの間にある、限りない断絶。力の差を。

 しかし同時にウェパルも思っていた。これでは埒があかないと。
 彼女は特別九尾に汲みしているわけではない。彼女が今ここで勇者と戦っているのは、先ほど彼女自身が口にした以上の理由はなかった。つまり、九尾の努力に敬意を表してということだ。
 ウェパルは必要以上に何かをしない。また、彼と彼女は階下の二人――アルプと狩人、デュラハンと少女のように、大きなしがらみにからめ捕られてはいなかったというのもある。
823 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:11:26.09 ID:4pa/UlSp0

 しかし――いや、ここは「ゆえに」と言おうか。ゆえに、ウェパルは九尾の指示とは異なって、全力で戦わず、最終的には九尾の下へと通すつもりだった。それもまた彼女の言ったとおりである。
 指示とは異なり、その実九尾の希望通りに。

 九尾は全力で三人とぶつかるよう指示した。最悪殺してしまっても構わないと。その指示は事実だが、本意ではない。それを乗り越えて三人がここまで来ることを希望していた。
 全ては目的のために。

 魔王の復活のために。

 勇者は一度出血多量で死に、そしてすぐに立ち上がる。突き刺さった魔力の剣を帯電した両手で無理やり引っこ抜いて。
 不思議な感覚を覚えていた。これまで、蘇生がこんなに早く行われることはなかった。一日、早くても半日は蘇生までにかかったはずだ。ここに来て能力が向上する理由が彼にはわからない。
824 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:12:19.34 ID:4pa/UlSp0

勇者「人外だな」

ウェパル「やっぱり、きみなら魔王にもなれるんじゃない」

勇者「俺は世界を救いたいんだ。魔族だなんて、ごめんだよ」

ウェパル「……ふーん」

 ウェパルが手を上げると、魔力の粒子がある形を構築していく。限りなく濃密な魔力構築物。その密度と堅牢さは剣の比ではない。
 砲台、であった。
 無論、ただの砲台ではない。まずその数がおかしくて、おおよそ二十台ほどのそれが、口を勇者にきっちりとむけている。そしてそれらは全て宙に浮き、半透明の体の中に無色透明な魔力の砲弾が装填された状態で、火を放つ時を今か今かと待っているのだ。

 ウェパルは九尾やデュラハンのような召喚魔法は使わない。結局、自分のものにならないものを、彼女は嫌っていた。それが彼女の業でもあるし、強さでもある。

 勇者は帯電した拳を構えた。剣が折れてしまった以上仕方がない。
825 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:12:52.82 ID:4pa/UlSp0

 轟音。
 空気を揺らす低く鈍い音とともに、全ての砲台から一斉に砲弾が射出される。
 さながら死の驟雨である。砲弾は装填の必要がない。次から次へと勇者の命を奪いに来る。

 同時に駆け出した。この雨の中を縫ってこそ勝機が掴めると彼は思った。でなければ、所詮ウェパルに勝つことはできないのだと。
 ウェパルはまだ半分も本気を出してはいない。その程度に絶望して諦めるくらいならば、その程度にすら必死こいて本気出して、そうするほうが余程よい生き方である。

勇者「どうせ死んでも復活するんだしなぁあぁっ!」

 己の加護に対する無辜の信頼がそこにはあった。
 彼には狩人のような精密さも、少女のような膂力も、老婆のような魔力もない。彼が持つのはただ一つ、死んでも復活するという加護だけである。それを駆使することでここまでやってきたのだ。
 階下、そして階上では仲間たちが命を賭して戦っている。勇者は彼女らが生き残り、勝ちあがってくれることを信じている。

 だからこそ自分がくじけるわけにはいかないのだ。日和るわけにはいかないのだ。
 例え何度死んだとしても。
826 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:14:13.09 ID:4pa/UlSp0

 腕がもげる。バランスを崩しながらも前進。
 頭部よりも一回りは大きい砲弾。一つ一つの隙間はあるが、その隙間を埋めるように後続が向かってくる。無理やりに体をねじ込みながら進んでいくが、掠れただけでも肉と骨が持っていかれる。

勇者「ぐ、う、おおおおっ!」

 全身がこそげ落ちていく激痛。肉片が、骨が、だらしなく地面に叩きつけられる。
 生きたまま体積が減っていくというのは拷問に等しい。悲鳴を何とか噛み殺し、眼を剥いて、ただ足を動かし続ける。

勇者(あと、四歩!)

 かろうじて残っていた右腕に力を込める。電撃。帯電した拳が音を立て、空気中に紫電を放出する。

 砲弾。勇者は瞬時に回避が間に合わないことを悟る。
 一か八かであった。そのまま魔力の砲弾を拳で殴りつけ、後方へと逸らした。

勇者「ぐっ、う……」

 砕ける右拳。満足に力が入らない。剣があっても握ることなど到底無理だろう。
827 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:24:43.15 ID:woLPL6sN0

勇者(あと、三歩!)

 僅かに高く浮いていた砲弾の下をくぐる。急な体勢の変化に、末端の筋肉がぶちぶちと悲鳴を上げていく。足首から先が、手首から先が、動きについていけずに置いてけぼりをくらったかのようだった。
 口から洩れるのは、最早悲鳴でも苦痛でもなく、吐息でしかない。喉はすでに引きつって言葉も出ない。

勇者(あと、二歩!)

 砲弾にナイフが加わった。至近距離では砲弾はそれほど有効ではない。一撃の殺傷力では砲弾に及ぶべくもないが、しかし、その分手数がある。
 おおよそ七十と言ったところか。

勇者「怒れる空! 果てなき暗雲! 神が振らせる幾万の槍! 刹那の裁きに言葉は出ず、頭を垂れ、懺悔を持たずに滅する炎!」

勇者「ギガデイン!」
828 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:25:11.89 ID:woLPL6sN0

 勇者の全身から雷撃が迸る。それは魔力のナイフを片っ端から消失させるも、勇者にのしかかる負担こそ甚大であった。
 体の内からひねり出す魔力は、逆に体の内から魔力に引きずり出されることを意味する。それでも勇者は何とか堪え、鼻血を抑える手すら既になく、顔面を真っ赤にしてただただひた走る。

勇者(あと一歩!)

 勇者の視界を水が舞う。
 水の弾丸が勇者の全身を撃ち抜いた。

 体から力が抜ける。足、腹だけでなく、頭も打ち抜かれた。視界が暗転する。
 海の支配者たるウェパル。水を使わせれば彼女の右に出る者はいない。

ウェパル「惜しかったよ――っ!?」

 最大級の賛辞の途中で、ウェパルは驚愕する。

 弾け飛んだ勇者の全身が、即座に形を成していた。

ウェパル「なっ――死んだから、蘇生したって、こんな一瞬で!?」

 既に勇者は肉薄している。

勇者「零歩!」

 距離も、零。
829 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:28:05.15 ID:woLPL6sN0

 ウェパルは反射的にナイフを魔力で編みこんで投げつける。同時に左腕の触手で勇者を狙った。
 勇者の行動は迅速である。ナイフは左手で無理やり掴み、触手は雷撃で撃ち落とす。
 痛みが全身を駆け巡るより、触手が再生するよりも早く、勇者はウェパルの肩を掴む。

 速度は落とさない。
 そのままウェパルに頭突きを繰り出した。

ウェパル「ぐっ!」

 ウェパルは倒れない。出血する額に目を細めながらも、しっかりと勇者へ第二のナイフを投擲している。
 刃はきっちり勇者の頸動脈を掻き切った。一気に血液が吹き出し、あたりの床を、天上を、赤く染めていく。

 失血死までには時間があった。それはありすぎたと表現できるくらいにである。既に勇者の右腕は帯電していて、ウェパルの胸へと狙いが定められている。

勇者「うぉおおおおあああああああっ!」
830 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:28:34.37 ID:woLPL6sN0

ウェパル「ちょ、まっ!」

 触手で右腕を固定しようとするも、あまりの電力に触れるたび触手が先から蒸発していく。並みの攻撃ならば再生力が上回るはずのそれでも、今の勇者には触れることすら叶わない。

 拳を振り下ろす。

 電撃が軌跡を描いて、ウェパルを大きく吹き飛ばした。

ウェパル「っ、ち、くしょぅ……うあああっ!」

 雷撃がウェパルの体を蝕む。全身が麻痺して受け身も満足に取れないが、それでも何とか空気中の水分を凝固、緩衝材として勢いを押し殺す。
 全身から煙が噴き出す。ウェパルは口の中から蛆を吐き捨てた。ダメージは全て蛆に吸い取ってもらったが、やはり依然として四肢に痺れが残っていた。

 ウェパルの視界の中で、勇者の胸部がずり落ちる。

 反射的に彼女が放ったウォーターカッターは、勇者の胸部を袈裟切りにした。彼はウェパルに攻撃するので精いっぱいで回避行動などとれるはずもない。
 頸動脈の傷など比にならないほどの血液。錆びた鉄の臭いが部屋中に充満する。それでなくとも勇者はすでに何度も死んでいるのだから。
831 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:29:07.69 ID:woLPL6sN0

 地面を引きずる音が聞こえた。蘇生した勇者が地面を這う音だった。
 ウェパルが腕を振ると水の弾丸が勇者を襲う。それをなんとか電撃で弾くと、全身をばねにして勇者はウェパルへ飛びかかる。

 勇者の左足が、膝から先が消し飛んだ。
 圧倒的にウェパルの攻撃のほうが早い。

 頭上からの雨が勇者の体を幾重にも貫く。それは単なる雨ではない。機銃の散弾だ。限界まで圧力をかけ、鋼鉄もかくやと言わんばかりの硬度を誇る水滴は、人間の体などものともしない。
832 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:29:35.07 ID:woLPL6sN0

勇者「俺は、まだ……!」

 言葉を紡ぐ暇は与えられない。
 蘇生し立ち上がった勇者の首をウェパルがわしづかみにした。そのまま無造作に、単なる腕力で勇者を振り回すと、遠心力に負けて勇者の胴体だけが壁に叩きつけられる。
 ウェパルの持った頭蓋から、脊髄だけがだらりと垂れ下がる。

 ウェパルは頭蓋を軽く握り潰すと、つかつか勇者へと歩み寄る。
833 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:30:01.97 ID:woLPL6sN0

勇者「負けちゃ」

 つま先が勇者の腹部を撃ち抜く。勢いのままに壁に叩きつけられ、関節と関節の隙間から血液が溢れ出す。体が壁に張り付いたままという事実が、彼の体にかかった衝撃の置き差を物語っていた。

 ウェパルは水から槍を形作る。二又の槍。根元が螺旋状になったそれを、大きく振りかぶり、投げた。
834 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:30:31.73 ID:woLPL6sN0

勇者「いな」

 僅かに肘、膝から先だけが残る。
 あまりの速度と衝撃に血液さえも残らない。
835 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:31:05.98 ID:woLPL6sN0

 最早それは作業だった。そしてその無為さを、誰よりもウェパルが理解していた。
 次から次へと現れる害虫を、一匹一匹潰し続けるような、嫌気の止まらないルーティンワーク。繰り返しの繰り返しに次第に表情が消えていくほどの。

 砲弾が勇者の顔面を砕いた。

 水の刃が勇者の脳天から股間までを断った。

 蛆が勇者の肉を喰いきった。

 それでも、勇者は生き返る。生き返って、立ち上がる。
 眼には闘志を抱いたまま。

勇者「行くぞ」
836 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:31:50.04 ID:woLPL6sN0

ウェパル「あー、もう!」

 地団太を踏むウェパル。かかとが地面に振り下ろされるたびに塔全体が大きく揺らぐ。

ウェパル「なんなのさ! なんなのささっきから! もう!」

ウェパル「……疲れた」

勇者「は?」

 だらりと両手を下げたウェパルに対し、勇者は明らかに怪訝な表情をぶつける。彼女の発した言葉の意図が彼には全く理解できない。
 しかし、恐らく、それは彼だけだったろう。当事者である彼にはわからないのだ。彼と対峙する者のやるせなさを。どうしようもないほどの実力差を理解してなお、死んでも死んでも突っ込んでくる敵の厄介さを。
 換言すれば、面倒くささを。

 踵を返すウェパル。手をひらひらと振りながら、壁にもたれかけさせてあった隊長の死体を、丁寧に、丁寧に、僅かの傷もつかないように、優しく抱きかかえる。
837 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:32:21.95 ID:woLPL6sN0

勇者「おい、ちょっと!」

ウェパル「は。もう終わり。もうおしまいだよ。ボクの役目はここまで。殺しても殺してもきりがないんじゃ、なんの感慨もわかないよ。ただ嫌なだけだ」

ウェパル「わかったよ。確かに君は『勇者』なんだね」

 勇者が口を開くより先に、ウェパルが空間をこじ開ける。

ウェパル「ん。ばいばい。また今度」

ウェパル「どうでしたか隊長、ボクの雄姿! え、かっこよくてかわいすぎて困る!? そんなこと言われたボクのほうが困っちゃいますよ、もう!」

ウェパル「でも隊長は本当にいっつもボクのことをそうやって褒めてくれるんですもんね、ボクがこうして頑張ってられるのも隊長のおかげってやつで――」

 姿が消えた。勇者はあっけにとられた様子で、彼女の消えた空間をぼんやりと眺めている。

勇者「そんなの、ありかよ」

 音もなく現れたポータルの扉――九尾の部屋へとつながる扉だ――へ視線を移しながら、勇者は呟いた。

―――――――――――――――
838 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:33:21.05 ID:woLPL6sN0
―――――――――――――――

 ポータルが動いている。ごうん、ごうんと。
 魔力で動くそれは、九尾が制御している。即ち九尾には三人が今こちらへ向かってきていることがつぶさにわかった。それが例え、老婆と話している最中であったとしても。

 九尾の目の前では、老婆が驚愕に目を見開いている。彼女と九尾は戦っていない。ただ言葉を交わしただけだ。そしてそれは、決して舌戦というわけでもなかった。

老婆「まさか、そんな、そんなことのためにっ!」

九尾「そんなこと、さ。よいことだろう?」

 九尾は意識的に飄々と言った。老婆はまっすぐ睨みつけてくるが、反論はない。理は九尾にあり、利は互いにあることを知っているのだ。

 老婆はたっぷり時間をおいて、頷いた。

老婆「わかった。お前の計画に乗ろう」

 そうだ、それでいい。九尾は内心で鼻を鳴らす。お前も今更生き方を変えられないだろう。数千人を殺しておいて、たった一人を犠牲にすることに憤れるほど、厚顔無恥ではないはずだ。

 ポータルの動きが止まった。三つ同時に。

―――――――――――――――――
839 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:36:34.58 ID:woLPL6sN0
―――――――――――――――――

勇者「お前ら……」

少女「なんとか、無事よ。ま、ほんと、何とかって感じ、だけど」

狩人「倒してきた。あとは、九尾だけ」

 扉があいた先はこれまでと違って一本の廊下だ。そして、その先に重厚な扉があるのが見える。そこが九尾の部屋である。

 再開した三人は抱き合うこともせず、ただ頷いた。それだけでコミュニケーションは十分なのだ。

 走り出す。最早体力も十分に残っていないだろうに、それでも。
 いや、彼らは走ろうと思ったのではなかった。逸る気持ちが無意識的に足の動きを速めていたのだ。

 いや、逸る気持ちを抑えられないのは、何も彼らだけでない。

 あと数秒で彼らはやってくる。九尾の部屋へ。

 この部屋へ。

 私の部屋へ!

―――――――――――――――――――
840 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/10(日) 14:37:56.99 ID:woLPL6sN0
今回の更新はここまでとなります。
次スレを用意する必要、ありやなしや……。
841 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/10(日) 14:45:53.26 ID:kzPYpxOIO
乙!もりあがってまいりましたあああ
842 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/11(月) 00:11:13.43 ID:F3piuh1co
さりげなくウェパルロンギヌスの槍生成してたな
ウェパル強過ぎワロリーヌ
843 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:01:04.91 ID:opZmc0y00
―――――――――――――――――――
 九尾は――私は、回想する。

 九尾は常に見てきた。

 勇者を。
 狩人を。
 少女を。
 老婆を。

 いや、正確な表現をするならば、勇者を見続けた結果として、彼女らを輻輳して見ることとなった――である。
 九尾が彼を見始めたのは、彼が一桁の時である。最初は単なる偶然だった。魔王復活のための主人公役を丁度探していたとき、あまりにも正義感の強い、日常を生きるには不便すぎるほどのそれを持った少年の心を、偶然読んでしまったのだ。

 天啓が降りてきたのはそのときである。使える、と思ったのだ。

 九尾の気持ちを誰がわかるだろう!? アルプもデュラハンもウェパルも、深奥では九尾のことをわからない。ゆえに九尾は喜んだのだ。そこで絵図は整ったのだ。
844 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:01:46.22 ID:opZmc0y00

 九尾は――私は、その時から今日このときたった今を目指して生きてきたに違いない。

 勇者にコンティニューの加護を与え、
 鬼神に洞穴を治めさせ、
 四天王をも動かして、

 なぁ、そうだろう? 九尾はよくやっただろう? 褒めておくれよ、魔王。
 お前が受け継ぎ、受け継いだ思いが、こうして成就されようとしているのだぞ。

 記録をつけようと思ったのもその頃だ。計画がどれだけ進んだのか、勇者の行動を記録していくのは重要だった。何せ九尾は人の心がわからない。人の顔と名前も曖昧だ。そうでもしないと、誰が誰だかわからなくなってしまう。
 それでもやはり名前を覚えるのは苦手だった。役職、パーツ、そう言った特徴を捉えて何とか書き続けたのだ。
 頭がよいほうだとは、思っているのだけれど。

 いつから手記を書き始めたのだったか……すでに分厚い写本が一冊終わろうとしているのを見ると、大層昔のようだ。そう、ちょうど勇者がとある村に着いた時だ。
 その村で二人は少女と老婆に出会ったのだ。それは多分にイレギュラーで、同時に好都合でもあった。勇者には迅速に強くなってもらい、九尾の下へとやってきてもらわねばならなかった。
 そこに迷いは不必要だ。否、迷いは不可欠である。ただし、その迷いを乗り越えた存在こそが、魔王たるにふさわしいのだと九尾は思っていた。

 それは今も変わっていない。勇者はよく成長してくれた。
845 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:02:20.04 ID:opZmc0y00

 自動書記はこうしている間にも写本を続けている。千里眼で姿を見、読心で心を見、得られた情報は全て筆記される。

 ちょうど一〇〇〇頁の紙は、すでに八〇〇頁を消費し、そろそろ終わりも近づいている。残り二〇〇頁で全てが終わるかどうか、九尾にも自信はない。

 だがしかし、ここまで計画が進んできた以上、最早九尾にだってどうしようもできないのだ。動き始めたトロッコを押しとどめることは難しい。身を擲っても、どうだろう。
――いや、やめよう。不安はよくない。九尾は十分やってきた。多少の計算違いはあれど、順調に進んできているはずだ。

 無意識的に尾を触る。柔らかい金色の毛並。自分でもきれいだと自負しているそれは、今は六本しかない。九尾ではなく六尾だ。
 一本は勇者への加護で使った。一本は白沢の召喚で使った。一本は億を超える召喚魔法で使った。また九尾へと戻すには悠久の時間がかかるだろう。ゆっくりと体を休め、魔力を貯めなければ。
 そのためには人間だ。人間を喰わねばならない。
846 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:02:51.33 ID:opZmc0y00

 老婆は地面へと視線を落とし、不気味に長い爪を噛んでいた。苛々している。不安に思っている。直観的にわかる。

 それは九尾だって同じだから。

 どれだけ万全に策を練り、第二、第三の矢を打ち立てたところで、運命というやつはそれを軽々しく乗り越えていく。その膂力に立ち向かうことは難しい。強い意志が必要だ。
 だが、強い意志? そんなのがないわけはなかろう。だから、大丈夫だ。大丈夫なのだ。
 必死に言い聞かせる。あと、三歩。

 あと、二歩。

 あと、一歩。

 来た。
847 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:03:29.61 ID:opZmc0y00

 扉が開く。

 勇者と狩人と少女がそこにいる。
 自然と口角が上がるのを感じた。実際に会うのは初めてだった。歓喜か、感激か――否! 断じて否! こんな劇的な感情がそんな陳腐なものであるはずがない!

九尾「勇者! 九尾はお前を待っていた!」

 真実だ。この日をずっと待ちわびてきた。彼がこの扉を開く日を夢想しない日はなかった。

 勇者が剣を抜く。視線は真っ直ぐに九尾。
 合わせて狩人と少女も武器を取った。虹の弓と光の矢、そしてミョルニル。体はボロボロでも殺意は十分。こちらの話を聞いてくれるかどうかも疑わしい。
 だからこそ老婆と一対一で話す時間が必要だった。ありていに言えば、老婆をこちらに取り込む時間が。

九尾「安心しろ、九尾はお前らに危害を加えるつもりはない」

勇者「んなこたぁどうだっていいんだよ。魔方陣を消せ。召喚を止めろ!」

九尾「わかった」
848 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:03:56.98 ID:opZmc0y00

 指を鳴らす。窓のないこの部屋から確認はできないのだが、確かに魔方陣は消した。

九尾「すでに召喚した魔物は残念ながら消せないが、新たに生まれてくることはない」

少女「どういうことよ!」

九尾「どういうことって、お前らが要求したんだろう?」

 理解はできる。敵であるはずの九尾がそんな単純に従うはずがないのだと彼らは思っていたのだろう。
 まぁ、そのあたりは老婆がきちんと説明してくれるはずだ。九尾がちらと眼をやると、老婆は不承不承といった感じで頷いた。

老婆「勇者」

勇者「おい、ばあさん。なんであんた、そっち側にいる?」

老婆「話を聞け」

勇者「聞けるかよ。今更何を聞くことがあるっていうんだ」

老婆「聞け!」
 空気を震わせる大声だった。老体の一体どこからそんな声が出ているのだろう。
849 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:05:12.61 ID:opZmc0y00

老婆「何と言えばいいのか……誤解しないで、落ち着いて聞いてほしい。九尾の目的はわしらと同じじゃ」

九尾「そう」

 老婆の後を引き継いで、答える。

九尾「九尾の目的、それは、世界平和だ」

 雷撃が部屋の壁を穿った。勇者が拳を壁に叩きつけていたのだ。
 彼の眼光はぎらりと鋭く、それだけで命を射抜けるほどである。ただしその眼光も、九尾の胆力の前では無力。こちらもこちらなりに退けない理由がある。そのための覚悟も十分してきたつもりだった。
 目の前の三人の体には緊張がある。その緊張は九尾をいつでも殺しに来れる緊張だ。入念な下準備だ。

勇者「ここまでやっといて、どの口が世界平和をほざく?」

少女「そうだよおばあちゃん! 洗脳でもされちゃったの!?」

九尾「戦争を止めたいのだろ?」

 戦争、という単語に勇者たちが反応した。
850 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:07:23.83 ID:opZmc0y00

九尾「九尾はその方法を授けてやることができる。対症療法的にだが、世界を平和にすることだって、できる」

勇者「まだ言うか、てめぇ」

老婆「敵じゃよ」

 三人が老婆のほうを向いた。しかし老婆は視線を三人から――特に勇者から逸らし、続ける。

老婆「結局のところ、みな、敵がほしいのじゃ。外部に敵を作っている間、国家は国家で有り続ける。目標がなければ、この頭打ちの世の中では、内部から崩壊せざるを得ない……」

 そう、それはもはや仕方がないことなのだ。パイの絶対量は減少の一途を辿る。ブレイクスルーが起こる確率は天文学的確立だ。国家を運営し続けるためにはナショナリズムを高揚させるしかない。
 そして、そのもっとも単純な方法は、不幸な境遇を誰かのせいにすることである。

老婆「そのための、魔王」

九尾「九尾たちは魔王を復活させようとしている」
851 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:10:06.31 ID:opZmc0y00

 殺す。

 読心を必要としないほど強い思念が、真っ直ぐ九尾の心へ突き刺さる。
 勇者たち三人が飛びかかってきていた。正面から勇者、左右から少女と狩人。
 ぴたりと息の合った連携であった。全く隙のない、信頼が透けて見える連続攻撃。速度とタイミングは回避も防御も許しそうにない。

 ならば反撃するのみ。

 尾を振る。しゃらん、と鈴の音が鳴った。


 魔力によって導かれた旋風が三人をまとめて吹き飛ばした。それでも闘志が衰える様子はない。受け身を取ってすぐさま突っ込んでくる。
852 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:10:44.47 ID:opZmc0y00

 煌めき。光の矢が大量に降り注ぐ。障壁でそれを防ぎながら、反対側から迫る少女のミョルニルを爆発魔法で本人ごと対処。

 黒煙を抜けて突っ込んでくる勇者の拳を、九尾は無造作に掴んでそのまま捻り上げる。
 削り折り砕ける音が彼の体内から響く。

九尾「おとなしく人の話を聞けないのなら、おとなしくさせてくれるわっ!」

 それが一番手っ取り早い。

 両手を広げる。重層する魔方陣が右手に、そして左手に生まれた。どちらも魔法式は異なり、数は十を用意している。

九尾「ピオラ!」

 左手の魔方陣が十、解けて体内に吸収される。高速化の魔法は全ての動きを過去にする速度を与えてくれる。

九尾「スカラ!」

 右手の魔方陣が十、解けて体内に吸収される。堅牢化の魔法は全ての攻撃を無意味にする防御力を与えてくれる。
853 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:11:16.09 ID:opZmc0y00

 勇者たちの反撃。真っ先に来たのは少女だ。イオラをものともしなかったようで、雷で編まれたミョルニルを手に向かってくる。
 しかし、遅い。

 振り上げられ振り下ろされる間に九尾はすでに彼女の背後へと移動している。首根っこを掴んで放り投げ、無抵抗なうちに爆発呪文を連打、地面に擦り付けながら丁寧に骨を砕いていく。

 視界の端が光る。高速で飛んでくる光の矢を回避するのは少しばかり骨だ。着流しの端が少々撃ち抜かれ、反応速度の高い狩人はこの速度にも何とか追いついてくる。光の矢を引き絞りながら。
 閃光。至近距離で放たれた矢は確かに胸へ命中したが、穿ちも抉りもしない。衝撃にたたら踏む程度である。
854 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:13:10.46 ID:opZmc0y00

 狩人が予想外の表情をした。彼女が一歩退くのに合わせ、脚部へと火炎弾を放つ。
 火炎弾は命中するとはじけ飛び、一瞬だけ周囲を仄明るく照らす。狩人は火の粉散る中受け身も満足に取れず、肩から思い切り地面へと激突した。

 間近へと迫っていた勇者の拳、その手首を軽く掴む。帯電は防御魔法で無視できている。そのまま手首を握力で砕き、魔方陣を展開。

九尾「バイキルト!」

 震脚。踏込だけで地面が揺れ、僅かに勇者の体が浮いた。
 その瞬間を狙って、拳を真っ直ぐに彼の腹部へとぶち込む。

 命を奪った感覚があった。

 地面を数度跳ねた勇者は壁に激突して肉片と化す。少しすれば復活するだろうから、それに先んじて束縛呪文を唱えた。
 影から現れた手が、三人の四肢を拘束する。
855 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:14:17.71 ID:opZmc0y00

老婆「……」
九尾「お前らは何か勘違いをしている。魔王は世界を破滅に導くものではない」

九尾「魔王はバランサーだ。少なくとも九尾はそう思っている」

九尾「魔王が敵となることで、人間界は平和になるだろう。そして九尾もそれを望んでいるのだ」

少女「その魔王と、やらが、魔物を生み出すん、でしょ」

九尾「全てではないがな」

狩人「でも、それが、何の罪もない人たちを殺すのだとしたら……」

少女「そんな平和は望んでない」
狩人「そんな平和は望んでいない」

 二人の意志の籠った瞳を見ていると、なぜだか彼女らがいとおしくなってくる。いや、勇者も老婆も含めて、精一杯、人の身には大きすぎる想いを抱えている者というのは、どうしてかくも美しいのだろうか。
856 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:14:53.05 ID:opZmc0y00

 しかし彼女らは勘違いしていた。あぁ、そうか、とそこでようやく合点がいく。

九尾「それは魔王に頼んでくれ。九尾の知ったことではないのだ」

少女「だからっ……!」

狩人「私たちはそもそも、魔王が――」

九尾「次代の魔王は、そいつじゃよ」

 指を指した。
 九尾の指の先では、勇者が、今まさに目を覚まそうとしている。

 九尾は繰り返した。

九尾「次代の魔王は、そいつじゃ」

――――――――――――――――――――
857 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/12(火) 01:15:59.91 ID:opZmc0y00
短いですが、今回の更新は以上となります。
858 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/12(火) 01:48:02.82 ID:RnuT1rd1o
想像以上に早い更新だった
勇者が魔王になるのはなるのはなんたなく察してたが、コンティニューまで九尾の差金とは
859 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/12(火) 06:55:12.82 ID:DGwCceyIO

これはいいものだ
860 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/12(火) 18:49:24.70 ID:MmBw3B2IO
至高乙
861 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:18:55.83 ID:7cRQjCOC0
――――――――――――――――――――

 夢を見る。死んだときはいつもこうだ。
 何度も死んで、何度も夢を見てきた。決まって先に死んだやつらが俺を苛む。そして俺はそれに謝り続ける。彼らに恥じない立派な生き方をと志を新たにして。
 これは呪いなのだろうか? それとも、俺のうしろめたさの具現なのだろうか?

 あぁ、だけど、そうなのだ。俺は結局、前へと歩くことしかできない。後ろを振り返ることはできても、戻ることはできないのだ。
 ならば一歩でも遠くへ、一秒でも早く、目的地を目指す。それが合理的な帰結というやつだろう?

 とはいえ、俺は所詮ガキに過ぎない。死んでも復活するというだけの。肉体はそうだが、精神は果たしてそうではない。一人では、生きていけない。
 アルス・ブレイバという人間が生きていけるのは、仲間がいるからだ。

 仲間たちには感謝してもしきれない。彼女たちがいなければ俺はとっくに心が折れていたし、四天王にも勝てなかった。戦争の渦中に身を投じて粉骨砕身するなんて、とてもではないができない。
 もう少しだ。もう少しで全てが終わる。いや、終わらせてみせる。
862 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:19:25.55 ID:7cRQjCOC0

 俺は目を開けた。

 目に飛び込んできたのは、九尾の狐である。着流し。金色の髪の毛と、金色の尻尾。九尾という名のはずなのに、今はそれは六本しかない。
 そして、俺の右側に、虹の弓と光の矢を携えたクルル・アーチ。驚愕の表情で俺を見ている。
 左側に立っていたメイ・スレッジも呆然と俺を見てきていた。

 なんだ? 一体、なんだ?

 顔に触る。何もない。
 体に触る。何もない。

メイ「……なんで?」

 ぽつりとメイが漏らした。

メイ「なんでこいつが魔王にならなくちゃならないのよ!」

 こいつ――即ち、俺。
 俺?
863 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:20:26.49 ID:7cRQjCOC0

アルス「……どういうことだ」

 立ち上がりながら言う。全身の魔法経路に働きかけ、両手を帯電させる。

アルス「俺が、魔王?」

九尾「そうだ。九尾としても、魔王の座と力を私利私欲のために使われては堪らん。魔王には重大な責任と、何より気高い思想が必要になる。世界を平和にするという」

九尾「勇者よ。お前が魔王となり、人類の敵となれ。それが平和の近道だ」

アルス「勇者って、なんだよ」

九尾「お前のことだ。お前には勇気がある。無謀と言い換えられかねない勇気が。それは誰もが持っているものじゃあない」

メイ「アルス、こんなやつの口車に乗っちゃだめだよっ!」

クルル「信用、できない」

 それ以前に俺はたった今言われたことを咀嚼するだけでも一杯一杯だった。俺が魔王になって、世界を救う?
864 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:20:55.88 ID:7cRQjCOC0

 それは途方も突拍子もないことであったが、言わんとしていることは理解できた。
 だって俺はすでに見ていたのだ。魔方陣から魔物が大挙して押し寄せたとき、手と手を取って共闘していた両軍の姿を。
 合点がいった――というよりは、ああそうか、と思ってしまった。そういうことか、と。

 体中から力が抜ける。俺一人が人間を止めるだけで、この戦争を止めることができるのだ。そして将来的な戦争をも。
 つまりは戦争を管理しろということだ。万が一のときに勢力を拡大し、昂ぶった空気を一身に受ける。ガス抜き、ストレス解消、言い方はいくらでもある。九尾はその相手として魔王を設定していて、選ばれたのが、俺。

 あまりにも壮大すぎる役割だった。九尾がどこまで本当のことを言っているかはわからないし、それこそメイやクルルの言うように、全て嘘なのかもしれない。それはそうだ。何せ相手は魔族きっての智将、九尾の狐なのだ。
 古来より狐は人を化かす。今こうして話している俺たちが、彼女の手のひらの上で踊っていないと誰が保証してくれるだろうか。
865 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:21:22.88 ID:7cRQjCOC0
 ただ、その提案に魅力を感じている俺も、確かにいるのだ。

 なぜ九尾が俺に執心し、俺を魔王に仕立て上げようとしているのか、それは単にコンティニューの加護があるからだけではあるまい。九尾の考えていた条件を、それこそ無謀と紙一重の勇気が俺にはある――らしい――からこそ、俺が選定された。
 俺は一歩も動けなかった。二人の声も、耳に入らない。

 不意に夢が思い出される。

 みんな死んだ。みんな、死んだ。
 あるものは凶刃に倒れ、またあるものは火炎に呑まれて死んだ。毒が全身に回って死んだやつもいたし、誰かの犠牲になったやつもいた。
 ダイゴ隊長はウェパルに殺されて、ルニ参謀は国のために死んだ。鬼神に殺された兵卒もいる。彼らは生きたかったはずだ。死にたくなかったはずだ。

 よりよい世界にしたかったはずだ。

 誰もが自分の信じるものに基づいて進んでいる。それは俺も同じ。

 俺は世界を平和にしたい。
866 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:21:53.47 ID:7cRQjCOC0

 何も世界を救いたいなどと大それたことを言っているわけではない。俺が全てを掬い上げる救いの形ではなくて、ただ懸命にもがくだけでよかった。
 俺にはわかるのだ。わかってしまうのだ。目の前の妖狐の瞳の色を、俺は毎日鏡の中で見てきているのだ。

 九尾と俺の目指すところは同じだと、わかりたくないのにわかってしまうのだ。

アルス「どうしたもんか」

 呟く。わかってしまっては、もうどうしようもない。九尾の言うとおり、俺が魔王になることが、一番の近道なのだ、きっと。九尾は嘘をついていない。彼女は世界を平和にしたい。
 それは果たして幾分度胸と覚悟のいることだった。さっきの今で答えを出せるような代物ではない。だけど、ここで拒否して、そのあとはどうする? 俺に、俺たちに、世界を平和にする具体案など出せるのか?

クルル「アルス……」

 うつむいたまま喋らない俺を見て、クルルが心配そうに手を取ってくる。
 仄暖かさ。そうだ、俺は一人じゃない。彼女らの住む世界もまた、俺の世界と同一だ。

 俺が世界を平和にするということは、彼女らの世界を平和にするということと等しい。
867 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:22:21.17 ID:7cRQjCOC0

 クルルの家族は死んだ。一族の者も、全員死んだ。彼女は孤独だ。そして何より死を恐れ、死を拒み、命を尊重している。
 俺が彼女の命を助けたのは完全に偶然で、幸運の賜物である。しかし、彼女が俺についてきてくれたのは偶然ではないし、彼女が俺のねじくれた精神を救いだしてくれたのも偶然ではない。

 俺はメイを見た。彼女もまた、世界の平和を望んでいる。
 メイの苦しみを俺は直接的には知らない。彼女が一体何に苦しみ、何を恐れ、何を克服したのかは、俺には断片的しか判断できない。
 しかし、彼女もまた平和を希求していた。その上で、自分の無力さを痛感してもいた。彼女は俺だ。クルルのいない俺だ。

 最後にばあさん――グローテ・マギカを見た。悲痛な表情をしている。彼女は恐らく、誰よりも責任を感じている。なぜなら彼女は王国の歴史を知っているから。
 ばあさんは俺を魔王にさせたくはないが、俺が魔王になることが最もよい選択なのだと思っているし、知っている。合理的な選択だ。そしてそれが彼女を苦しめている。
868 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:22:50.58 ID:7cRQjCOC0

 息を呑んだ。喉の鳴るのが自分でもわかる。
 世界を平和にしたいと願った。世界を平和にすると誓った。そして今、俺は世界を平和にする覚悟を要求されている。
 必要なのは、あとは覚悟だけだ。それさえあれば。

 視界は明朗。思考も明晰。後戻りはするつもりもない。

 帯電を解く。俺は九尾に向かって踏み出した。

アルス「俺は世界を平和にしたい」

 手を差し出す。三人が背後で何かを言おうとして、口を噤んだのがわかった。

九尾「あいわかった。後悔はないな」

アルス「あるさ。けど、戦争を止められるならそれが勿論いいし、そのために犠牲が必要なら、俺がなる」

九尾「恐ろしいほどの献身、あっぱれだな」

グローテ「……すまない」

 視界の外で、ばあさんが呟いたのが聞こえた。きっと頭を下げているに違いない。
 そんな姿は見たくなかったので、そちらを向かずに声をかける。

アルス「気にすんじゃねーよ、ばあさん。俺はずっと、このために旅をしてきたんだ。方法こそこんなふうになっちまったけどな」
869 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:23:23.75 ID:7cRQjCOC0

 九尾は袖から四つの珠を取り出した。角度によって虹色に輝く、何とも不思議な珠である。生きているようにも見える。

九尾「これは魔王の核じゃ。四天王が一人一つ持っていて、これを四つ体内に取り込むことによって、魔王の力を得られる。……持て」

 手渡されたそれは冷たく、それでいて脈動を感じる。生きているように見えたのはこの脈動のせいらしい。

 ……俺はふと疑問に思ったことを尋ねた。

アルス「九尾、なんでお前は世界を平和にしたいんだ」

九尾「九尾か? 九尾は、そうだな……」

九尾「人を喰うためだな」

 は?

九尾「九尾は人を喰いたい。そういう生物なのだ。戦争で人口が著しく減られると、そのしわ寄せは九尾にも来る。だから、」

 世界は平和でなくては困るのだ。九尾はそう言った。
870 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:24:01.84 ID:7cRQjCOC0

アルス「……」

 無言は俺だけではなかった。クルルもメイもばあさんも、平然としている九尾を注視している。
 やはりこいつは魔族なのだと、どこか安心できる。完全に無害な、人間に与するだけの存在が、魔族であるはずがない。
 人間とはどうしても相容れない衝動があるからこそ魔族。

 九尾の体が吹き飛ぶ。

 メイだった。
 背後からの不意打ちを敢行した彼女の表情は、口の端が引きつっている。

メイ「やっぱり! やっぱり魔族はどこまで行っても魔族! 人間の敵ってことね、そうでしょ、アルス!」

 ミョルニルを振り回しながら吹き飛んだ九尾へと追いすがる。
 九尾の足首を掴み、引きつけながらの大振り。九尾の防御ごと吹き飛ばして壁を破砕した。
 幾本もの光が土煙の中へ吸い込まれ、更なる破壊を引き起こす。メイとは反対側からクルルも九尾へと迫っている。

クルル「それは、流石に、許せない」
871 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:24:31.07 ID:7cRQjCOC0

 煙の中から生えた腕が二人の手首を掴む。
 そのまま地面に叩きつけられ、反動で腕の主、九尾は立ち上がった。衣服はぼろぼろになっているが、その振る舞いからは全くダメージというものが見られない。

 九尾の頭上に巨大な火球が出現する。それはぐんぐんと大きくなって、あっという間に頭と同じほどにまで成長した。

 考えている暇はなかった。あんなものを食らえば死は免れない。一気に飛び出して、雷撃を全力で火球へと放つ。
 視界で閃光が弾け、なんとか相殺することに成功する。

 九尾は二人から俺たちから距離を取り、首をかしげた。

九尾「なんだ、何をする」

メイ「はっ、ばっかじゃ、ないの……」

クルル「世界は平和になってほしい、けど……あなたに食料を供給するためじゃあ、ない」

アルス「そういうことだ。悪いが、交渉は決裂だ」
872 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:25:14.25 ID:7cRQjCOC0

 九尾は目を細めた。苛立ちなのか、それとも別の感情なのか、判別がつかない。

九尾「解せん。何も九尾は毎日三食人間を取って食うわけじゃあないぞ。一日二日に一人で十分だ。おやつみたいなものだからな」

メイ「数が問題じゃあないのよっ!」

九尾「数の問題だ。その程度の犠牲で世界を平和にできるなら十分だろう。お前らの我儘で戦争を長引かせるつもりか」

九尾「なぁ、老婆よ!」

 グローテが体を震わせた。なんだか泣きそうな顔をしている彼女は、メイと九尾を交互に見やって、なぜか笑う。

九尾「お前に選択肢なんてないのだ! いや、与えられるはずもない! お前が殺した仲間たちは、選択肢を与えられずに死んでいったのだから!」

九尾「頭では分かっているはずだ。勇者を魔王にするのが最も手っ取り早いのだ。今更一人の犠牲を厭うか!? これまで自分が殺してきた数を思い出せ!」
873 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:25:53.02 ID:7cRQjCOC0

アルス「うるせぇ!」

 俺は叫んだ。九尾の言うことはもしかしたら正論なのかもしれない。かもしれないが――例え部外者の勝手な意見だと罵られようとも、気に食わなかった。
 ばあさんは俺の仲間であって、お前の仲間じゃあない。
 俺が何とかしてやる。そう約束したのだ。

アルス「ばあさん、あんたは見てろ。こいつなんて俺一人で十分だ」

メイ「アタシと二人で十分よ!」

クルル「私たち三人で、十分」
874 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:26:24.94 ID:7cRQjCOC0

 すっかり臨戦態勢に入った俺たちが、老婆と九尾の間に割って入る形で立ちふさがる。そんなこちらの姿を見て、九尾は小さく舌打ちをした。

九尾「人間風情が、調子に乗るなよ」

九尾「四天王、序列一位! 傾国の妖狐、九尾の狐! お前ら程度に相手しきれる存在だと思うな!」

 九尾の姿が消える。高速移動という次元の話ではなかった。恐らく、それよりももっと瞬間的な、転移魔法に違いなかった。
 誰よりも先にクルルが反応した。振り返りざまに光の矢を放つ。これでもかというほどに。

 背後に、老婆のそばに現れた九尾は、そのまま老婆を引っ掴んで転移する。光の矢は壁を大きく破壊しただけに終わった。

クルル「どこにっ!?」

 爆発が俺たちの体を吹き飛ばした。と、メイがなんとか俺とクルルの服を掴み、体勢を立て直して着地。十メートルほど離れた九尾を見定める。
 そばでは老婆が倒れている。死んではないようだ。ただ気絶しているだけ、だろう。
875 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:27:52.08 ID:7cRQjCOC0

メイ「おばあちゃんをどうするつもりだっ!」

 メイの行動は素早く、一瞬で九尾へと肉薄する。ミョルニルの一撃を転移魔法で回避した九尾は、彼女の背後へと現れ、火炎弾を叩きつける。
 飛び込んだ俺と、俺の電撃が火炎弾を弾く。同時に背後から迫る光の矢。

 九尾は光の矢をまとめて掴んで霧散させる。その行動には驚きを禁じ得なかったが、感情を動かす暇があるならば、全て動きに費やしたかった。

 帯電。剣がないのが悔やまれる。徒手空拳ではリーチと取り回しに絶望的なまでの差異があるが、それでもないものねだりはしていられない。
 地を蹴って距離を詰める。フェイントを交えたこちらの拳を、九尾は軽やかなステップで回避していく。振り下ろしざまに放った雷撃も、九尾は魔法障壁で難なく弾いてしまうのだ。

 合わせてメイがミョルニルを振る。さすがにこれは防御しきれないと踏んだのか、転移魔法ですぐさまメイの後ろへと移動、そのまま打ち下ろしを見舞う。
 小柄な彼女の体が大きく揺れた。それでもメイは戦士である。前につんのめった体勢を堪え、あたりもつけずにミョルニルを振り抜いた。

 音もなく九尾は離れた位置に着地する。またも転移魔法だ。
876 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:28:18.96 ID:7cRQjCOC0

 九尾は智将であるが、足りない身体能力は十二分に強化魔法で補える。どこにも隙がなかった。歯噛みしたくなるほどに。

メイ「アルスッ!」

アルス「おう!」

 即応するより先に俺の体は向かっていた。俺の背中を踏み台にしてメイが跳躍、俺は九尾の下半身を、メイは上半身を狙った。
 九尾が転移魔法を展開する。一瞬で時空が歪み、しかし何度も見ているその魔法のタイミングを見逃すほど学習能力がないわけではない。遥か後方から光の矢が跳んできて、その歪みを寸分の狂いなく射抜いた。

 錯聴染みたガラスの割れる音が聞こえて九尾の顔面をミョルニルがぶっ叩く。
 確かに手ごたえはあった。九尾は大きく吹き飛ぶが、風をクッションにして勢いを殺す。

 しかしすでに追撃は完了している。数十の光の矢が九尾へと降り注いだ。

九尾「イオナズン」

 平静の声だった。

 光の矢が爆裂。爆発が引き起こす突風に一瞬呼吸すら不全になって、眼を開けていられない。
877 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:28:44.77 ID:7cRQjCOC0

九尾「メラゾーマ」

 煙を巻き上げて飛来する火炎弾がメイを直撃した。メイの体が炎に包まれ、堪えきれない悲鳴が漏れるのを、俺は確かに聞いた。
 だが、

メイ「きか、ないっ!」

 震脚で火炎を全て振り払い、メイは再度九尾へ突っ込む。支援すべく俺とクルルも後を追う。
 火炎弾が連続で向かってくるのを紙一重でじりじり回避していくが、それでも肌が焦げる音が聞こえてきそうだった。

九尾「マヒャド」

クルル「下ッ!」

 地面を食い破って氷柱が突き出してくる。いや、それは氷柱ではなく、氷河にも等しいほどの巨大さだ。クルルの声がなければ胸を一突きにされていただろう。
 みればメイの左腕に氷が突き刺さっている。青白い氷に赤い血液がひときわ目立って見える。

アルス「おいっ!?」

メイ「大丈夫、だけど――!」

 何よりも問題なのはその氷河。
878 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:29:57.05 ID:7cRQjCOC0

九尾「足を止めたな?」

 ぞくり、と背筋に悪寒が走る。
 氷と氷の隙間から九尾が真っ直ぐにこちらを睨みつけていた。両掌を向け、その間に魔力の塊が煌びやかに輝いているのを見ることができる。そう、まるであれは、俺とクルルのインドラのように。

九尾「これを受けて死ねることを光栄に思え」

 みち、みち、と空気が震える。
 耳鳴りがする。いや、これは耳鳴りなどではない。全ての物質が九尾の魔力の波動に共鳴を起こしているのだ。
 体が震える。これは、恐怖だ。

アルス「あれはっ、だめだ! わかんねぇけど――あれはだめだっ!」

クルル「間に合えっ……!」

 光の矢。
 展開できる限りの本数をクルルは展開、九尾に対して射出するが、いまだマヒャドは生きていた。光の矢を食べるかのように襲いかかって打ち消していく。
 その氷山を駆け上るメイ。だが、九尾までの距離は果てしなく遠い。

九尾「マダンテ!」

 暴走した魔力が爆発を起こす!
879 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:30:24.54 ID:7cRQjCOC0

 部屋に光が満ちた。
 衝撃はなかった。ただ体が浮かび上がって、真っ白に染まる視界の中、その白に体が塗り潰されて押し潰されて、喰われて、体だけじゃなく、意識も、

 抵抗の意志すらも真白く染まる。

 僅かに視界が翳った。翳ったというのに、俺は手で目庇しを作り、その遮蔽物へと視線をやる。
 視界の中を揺蕩うローブ。不気味に長い爪を伴う指が、真っ直ぐに光源――九尾のほうへとむけられ、不可視の障壁が展開されているのを俺は見た。

 ばあさん。

 言葉が出ない。筋肉が失われたかのように全身が動かない。四肢だけでなく、喉までもそうだ。

 誰かの咆哮が聞こえた。裂帛の気合いだった。
 悲鳴でも、怒声でも、断じてない。克己するためのものだということはすぐにわかった。

 満ちていた光が失われていく。

 世界が元に戻ると同時に、俺は血を吐いた。両腕が、両足が、それぞれありえない方向に曲がっている。関節の部分からは血に塗れた骨すらものぞいていた。
 体も腰を起点として捩じれていて、俺の上半身は真っ直ぐ前を見ていても、下半身そのものが九十度左を向いている。当然内臓だってぐちゃぐちゃで、骨もぐちゃぐちゃになっているはずだ。
880 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:32:04.08 ID:7cRQjCOC0

 ばあさん。

 言葉の代わりに血反吐しか出ていかない。
 残る二人の無事を確認したくても、頸も回らない。

九尾「遅い復活じゃないか。それで、なんだ。九尾に刃向おうと? そんなぼろぼろで?」

 ばあさんは左腕がなく、右足も完全に折れていた。膝をついて息も荒い。障壁を張っていても、あの魔力の奔流が齎す破壊を防ぎきるなどできなかったのだろう。

グローテ「マダンテは、術者の全ての魔力を消費する……お前はもう、魔法はつかえまい」

クルル「そういうことなら」

メイ「アタシたちが、あとはやるわ」

 地面の感触を踏みしめるように二人が立っていた。裂傷、擦過傷はいくつか見られるが、俺やばあさんのように大きなけがはない。恐らくばあさんは優先的に二人を守ったのだろう。
 ナイスだぜ、ばあさん。それでいいんだ。

グローテ「形勢逆転――」

九尾「とでも言うつもりか?」
881 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:32:46.35 ID:7cRQjCOC0

 ばあさんの腹部が爆ぜた。

グローテ「っ!?」

メイ「おばあちゃん!」

 二人が同時に駆け出す。クルルは右から、メイは左から。
 しかし、

九尾「ピオラ――スカラ――バイキルト!」

 身体能力向上呪文を九尾は連続で唱え、一瞬で二人の攻撃を掻い潜る。ミョルニルは肩口を掠り、光の矢は金色の髪の毛を散らすけれど、どれも決定打にはならない。
 九尾の手刀がクルルの脇腹を抉った。カウンターでクルルは矢を放つが、九尾はそれを瞬間的に掴んで投げ捨てる。

 返す刀で振り向くことすらせずに、氷柱をメイにみまった。絶妙のタイミングで挟まれたその攻撃にメイは反応せざるを得ない。ミョルニルで氷柱を砕き――その隙に九尾が肉薄する。
 旋風魔法。足を掬われたメイはバランスを崩し、そのまま地面に叩きつけられる。そして九尾はそのまま左腕を踏み抜いた。

 左腕、その二の腕から先が宙を舞う。

 九尾はそれを途中で掴み、思い切りかぶりついた。
882 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:33:29.49 ID:7cRQjCOC0

九尾「やはり人肉は若い女性に限るな」

メイ「アタシの体を、返せぇええええっ!」

九尾「うるさい」

 ごぐ、と鈍い音がした。九尾がメイの頭を思い切り踏みつけたのだ。
 踏み抜いたのではないようで、どうやらメイの頭は原形をとどめているが、血がじわじわと床に広がっている。

グローテ「どう、して……」

 床に倒れたばあさんは息も絶え絶えで尋ねる。どうして魔法が使えるのか、ということなのだろう。

九尾「この塔は誰が作ったものなのか忘れたのか? 九尾が構築した陣地である以上、九尾の魔力に転換するのもたやすいことよ」
883 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:34:50.04 ID:7cRQjCOC0

九尾「……なんじゃ、まだやるのか」

 九尾は依然起き上がるクルルに対して冷たい視線を向ける。クルルは立ち上がれこそすれど、腹部からこぼれる内臓を押さえるのに手いっぱいで、まともに戦えそうな様相ではなかった。
 九尾が一歩でクルルのそばに移動する。クルルはそれに対応すらできない。自分の顔が翳るの感じて、ようやく顔を上げるありさまだ。
 頬を打たれてそのまま倒れこむ。起き上がろうとするその努力もむなしく、ただ指先が力なく地面をひっかくだけである。

 見ているだけで涙がこぼれる。

 俺はなにをやっているんだ。

 歯噛みした。こうなるならいっそ早く死んで、万全の態勢で復活したかった。いや、それも逃げなのか? 次の復活が迅速に行われる保証なんてないのだから。

 それでも、いくら自分を発奮させても、指の一本すら動かない。視界もだんだん霞がかかってくる。
 いや、これは断じて死なのではない。ただの涙だ。そうでなければ眦が、液体の伝う頬が、熱いわけもない!
884 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:36:39.70 ID:7cRQjCOC0

 思わず目を拭った。何もできないなりに何かをしなければいけないと、俺は思った。

 ん?

 腕が、動く?

「ああ、そういうことだったんですね。納得です」

 誰かの声が耳元で聞こえた。

 誰の、声だ。

 俺はなぜだか動く顔を、頸を、胸を、体中を稼働させて、声の方向を見た。

 ローブ、だった。
 ばあさんが身に着けているのと同じローブ。ねずみ色でフードのついたそれの背中には、王国の紋章が大きく金色で刺繍されていた。
 しゃらん、と儀仗が鳴る。金属製の長い柄の先端には翼を模した飾りがついていて、そこからさらにいくつもの銀製の輪が連なりあっている。

 クレイア・ルルマタージ儀仗兵長。
 病院で安静にしているはずの彼女が、なぜここへ?

クレイア「わたし一人寝ているわけには、行きませんから」
885 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:37:10.22 ID:7cRQjCOC0

九尾「貴様、どうやってここに入り込めた!」

クレイア「やはり、九尾、あなたですか。洞穴と同じ魔力のパターン、陣地の構築方式……一度見たから解析は用意でした」

九尾「どうやって入り込めたと聞いているっ! 幾重にもプロテクトはかけていたはずだぞ!」

クレイア「構築した陣地から魔力を削りましたね。綻び、見えてましたよ」

クレイア「これでも陣地構築のエキスパートなんです、わたし」

九尾「愚弄するかっ!」

 九尾が飛び出した。魔法によって得られた圧倒的な速度を用いて、クレイアさんの喉首を狙っている。

アルス「させねぇよ!」

 間に割り込む形で九尾の腕を取る。とてつもない力だ。片手ではとてもじゃないが抑えきれない。
 顔面が爆ぜる。激痛。視界も奪われ、咄嗟のことで足元もふらつく。ただ、それでも、決して腕だけは離さない。離して堪るか!
886 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:41:09.83 ID:7cRQjCOC0

 電撃を流して九尾ごと地面に倒れこむ。マウントポジションを取ろうともんどり打って、強か体を打ちつけながら、九尾と転がりあった。

九尾「くそ、離れろ、離れろっ、邪魔だ貴様!」

 腹部が何度も爆ぜる。そのたびに体が浮かび上がり、激痛が走り、内臓が口からそっくりそのまま飛び出してしまいそうになる。だが、痛みなどはどうだっていいのだ。どうせ癒えるものはどうだっていいのだ。
 どうにもならないものが問題なのだ。

 命とか。

 九尾はついに転移魔法を使用していったん距離を取る。俺は九尾との距離があることを確認し、周囲を見回す。
 戻ってきた視界ではクレイアさんが老婆に治癒魔法をかけていた。陣地構築を基とする、回復の魔方陣だ。

九尾「勇者ァ……お前に蘇生の加護をくれてやったのはこの九尾ぞ! その分際で刃向うというのか!」

アルス「そりゃ感謝だ。だけど、だめだ。お前の未来は次善だ」

アルス「俺が犠牲になるだけなら喜んでなってやる。ただ、お前に食わせてやれる人間は一人としていない」
887 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:42:53.11 ID:7cRQjCOC0

アルス「俺は我儘なんだ。だから、目的のために手段を選ぶ」

九尾「老婆、こいつらを殺すぞ! 手伝え! どうせ勇者は復活する! 他の奴らは殺しても構わん!」

アルス「うるせぇ! 黙れ! 殺す!」

クレイア「アルスさん、これを」

 クレイアさんが懐から剣を――否、刀を取り出した。鞘に包まれた彎刀。随分と使い込まれていて、それでもなお柄から鞘まで輝きに包まれている。

クレイア「ダイゴ隊長の遺品です」

 俺は一瞬息を呑んで、丁寧に、しかし迅速にそれを受け取った。鞘を抜いて背負う。投げ捨てるだなんて真似は出来なかった。

 跳ぶ。彎刀はずしりと手に重い。その重さが逆に安心できもする。それは命を預けるに足る重さだった。
 俺は今ならわかる。ダイゴ隊長とルニ参謀のふるまいが。その真意が。二人は根っからの兵士で、軍人で、だから死んだ。常に死んでもいいと思っていたに違いない。国のためなら全てを犠牲にできていたのだ。
888 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:44:28.66 ID:7cRQjCOC0

 俺はその生き方を否定しない。ただ、もっと理想を抱いてもいいのではないかと、希望を持ってもいいのではないかと思う。
 きっと、いつか、なんとかなる。もっとうまくいく方法がある。そう思えないものだろうか? それとも俺が理想主義なだけなのだろうか?
 きっとばあさんもそうなのだ。個人と国の関係性。国があるから個人があるのだと、彼らは、彼女らは、おおよそ信じきっている。信じきってはいなくとも、そのために命を擲てる。

 それはつまり命の軽視だ。全体主義的で、国家の形さえ成していれば他に何もいらないという、ある種の狂信だ。
 だけど人間の精神がそれに耐えられるものだろうか。罪悪感に。

 いや、誤魔化すのはよくない。素直に言おう。俺の生き様も相似なのだ。俺は世界が平和であれば他に何もいらないという狂信を胸に抱いている。そして、一度は精神が耐えられなかった。
 手を差し伸べてくれたのはクルル。俺は世界を平和にするためでなくて、彼女の世界を平和にするためにやっているのだ。そうやって目標を意識的に矮小化しているのだ。
889 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:44:57.26 ID:7cRQjCOC0

 九尾が言ったのは、きっとそういうことなのだと思う。国のために個人を殺し続けてきたばあさんは、今更後戻りできない。小のために大を犠牲にする選択肢をとれない。
 苦しんでいるのは明らかだ。ならば俺に何ができる? 俺は何をすればいい?

 簡単だ。
 俺がその選択肢を代わりに選んでやればいい。

 どんな罰だって受けてやるから。

 神様。

 俺の仲間に、安寧を!

 特攻――爆裂で腹が吹き飛ぶ。反射的に、さらに強く地面を踏みしめ、体幹をぶらさずにそのまま走り抜け!
 火炎弾の連打。喰らえばひとたまりもない。しかし今更速度も落とせない。大丈夫、ウェパルの驟雨よりは密度は薄い。何より今の俺には刀がある。

 帯電させ、九尾までの最短距離を行く。火炎弾は切り落とし、真っ直ぐ、ひたすらに真っ直ぐ。
 光の束が横から火炎弾を全て打ち落とした。それで一気に視界が開ける。

クルル「アルス! あとは!」
890 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:45:28.98 ID:7cRQjCOC0

 俺はにやりと笑って返事を返す。

 九尾の姿が消える。転移か、それとも高速移動か。
 考えて、途中でどうでもいいと思考を打ち切った。余計な思考に割くリソースなど存在しない。

 僅かにずれた位置に九尾。手をこちらに向けて呪文を詠唱している――呪文の詠唱。九尾のレベルで?

九尾「地の怒り、終わりなき鼓動、打ち倒す者の屍。十五里を行き、広がるは死肉ばかり。招く亡者の手を払うことは何人たりとも許されない」

九尾「流転。震動。隆起し、歓喜せよ。滂沱の涙と忘我の涙を具し、我が名を諳んじ賜え」

九尾「奉れ! 死の顕現こそ足元にあり!」

九尾「ジゴスパーク!」

クレイア「マホカンタ――ッ!」

 急いでクレイアさんが反射結界を張る。が、九尾から放たれる圧力はそれすらものともせず、急激に世界がそちらへ引っ張られていく。
 黒い、帯電する球体。それは絶え間なく雷撃を放ち、しかもその雷撃の一つ一つが、俺の全力よりも遥かに強い。

 打ち砕く。
 打ち砕く。
 打ち砕き続ける。
891 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:46:20.57 ID:7cRQjCOC0

 空気が振動して髪の毛がなびく。
 早く九尾を倒さなければ!

 反射結界が割れた。

 発せられた極太の放電。白い光線としてしか捉えられないそれは、俺をきっちり呑み込めるほどに巨大で、俺は蒸発を覚悟する。
 だけど、それでも。

アルス「俺はっ!」

 脚を、止めない!

メイ「退きなさい!」

 むんずと俺の襟を掴んで、メイが放り投げる。ぐんと体が浮いて、俺はそのまま地面に落下した。
 俺とメイは入れ替わる形で――つまり射線上にメイが、

 言葉は出ない。涙は出る。それでも確かに、俺は九尾のそばに辿り着いた。

アルス「うぉおおおおああああああっ!」

 刀を握る。握らずに敵が殺せるか。

九尾「温すぎるわっ!」

 九尾が斬撃を掻い潜って俺の懐に飛び込んでくる。ぞっとするほど冷たい九尾の瞳と、視線が合う。
 速い。力も倍増している。九尾の拳が握り締められているのを、俺は確かに見た。
892 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:46:58.89 ID:7cRQjCOC0

 腹部に衝撃。九尾の腕が肘まで突き刺さっていた。あまりの衝撃と激痛に眼を剥くが、しかし、俺の役目は忘れていない。
 刀はすでに捨てている。その腕を掴んで、

 九尾の背後、俺の視界の中に、こちらへ向かってくる煌めく数多が見えた。
 同時に周囲に張り巡らされている結界も。

クルル「虹の弓と、光の矢ッ!」
クレイア「陣地構築、結界!」

アルス「俺の仲間をなめんじゃねぇええええええっ!」

九尾「貴様は死なない、九尾は死ぬ、そういう算段かっ! だが、しかし!」

九尾「まだ温いわっ!」

 九尾の足元が急激に膨れ上がる。現れたのは大量の水の奔流だ。
 それらは猛烈な勢いで渦を巻き、結界と光の矢すら飲み込み破壊し、部屋中を大渦に飲み込んだ。巨大なうねり、メイルシュトロムに太刀打ちできる体力など残っているはずもない。
 壁に叩きつけられる。腹の大穴からは血液とともに内臓も飛び出し、見るに堪えない。呼吸すら怪しくなっているが、徐々に治癒して言っているのは、クレイアさんが部屋全体に構築してくれた治癒の陣地のおかげだろう。

 全員が倒れている中、部屋の中央で九尾だけが立っている。
893 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:47:30.15 ID:7cRQjCOC0

 俺は立ち上がった。立ち上がって、そして血を吐いた。
 クルルも立ち上がった。左足が折れている。壁にもたれかからなければ立ち上がれない状況で、それでも。
 メイもまた、なんとか上体だけを起こす。右手には依然としてミョルニルが握られていて、死んでも離すまいという意思が見て取れた。

九尾「まだやるか。いい加減あきらめたらどうだ」

アルス「まだ、まだだ……」

 九尾は大きくため息をついた。こちらはほぼ全員満身創痍、しかし九尾は五体満足で、攻撃自体まともに喰らってはいないのだ。その時点で実力差は明白なのだが、俺たちには引けない理由がある。
 自己満足と言ってしまえばそれまでだった。だがそんなことを言えば、この世はすべて自己満足と自己満足のぶつかりあいだ。
894 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:47:57.42 ID:7cRQjCOC0

九尾「それで、お前はどうするつもりだ、老婆」

 九尾が唐突にばあさんに声をかける。俺は思わず九尾の視線の先を追った。

 ばあさんが杖を九尾に向けていた。
 二人の視線が交わっている。

 は、と九尾はばあさんを嘲笑する。

九尾「結局お前はどちらにも与できん。邪魔だ。己の葛藤に押し潰されて死ね」

グローテ「儂は、誰にも死んでほしくはなかった。それが不可能だと気付いた時、次にとれたのは、一を切り捨て十を助けることだった」

九尾「誰もお前の話になんて興味はない」

 火炎弾がばあさんに向かって飛ぶ。ばあさんは旋風を巻き起こし、火炎弾を拡散、無効化した。

グローテ「だが、わかった。わしは何も、信念を曲げる必要などないのだと」

グローテ「葛藤する必要などないのだと!」
895 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:48:24.91 ID:7cRQjCOC0

グローテ「クレイア!」

クレイア「はい! 準備は、できていますよぉっ!」

 俺とクルル、メイの三人がいる地点のみが、淡く光り出した。それに伴って俺たちの体もまた発光しだす。
 この体験は初めてではなかった。転移魔法を使う際の感覚とまるきり同じだ。
 それはつまり、クレイアさんが転移魔法を俺たちに対して使用しているということの証左に他ならない。何のために? ――考えるまでもない。俺たちをここから逃がすために。

 自分たちだけで九尾と戦うために。

アルス「だめだっ! 二人だけじゃ!」

 勝てるわけがない、と言おうとして、ふととある考えが脳裏をよぎる。まさか。
 勝てない戦いを二人がするだろうか? 無駄死にを一番厭いそうな二人が、である。もし仮に勝機があるのだとして、その上で俺たちを逃がすのだとすれば、思い当たる可能性はただ一つ。
896 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:49:58.38 ID:7cRQjCOC0

 体が粒子に溶けていく。
 言葉を発したいのに、それが届かない。

 メイとクルルも当然それに気づいたはずだ。眼が見開かれて、表情が引きつって、大きく口を開ける。しかし言葉は出ない。聞こえていないだけかもしれない。

グローテ「お前らと一緒の旅は、楽しかったよ」

 だから、なんで過去形なんだよ!

 ばあさん、あんたやっぱり――

アルス「死ぬつもりなんだろう!?」

 声が届いたのかどうか。
 ばあさんは、グローテ・マギカは、困ったようににこりと笑った。
897 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:50:27.59 ID:7cRQjCOC0

 光が収束していく。だめだ。転送される。そして――そして、ばあさんとクレイアさんが、死んでしまう。
 気に食わない。それはだめだ。それは俺の専売特許だ。

 犠牲になるのは、死んでも生き返るやつがやるべきなのだ。そうだろう?

 しかし、これ以降どうすればいいというのか、まったく考えが浮かばない。このまま戦ったところで犬死だ。俺は復活するとして、四人を見殺しにはできない。
 ばあさんたちが自らの命と引き換えに九尾を倒せるなら、それは現状では恐らく最良なのだ。俺の制止を恐らく彼女らは聞きもしないだろう。それだけの覚悟を秘めた顔がそこにはある。

アルス「……」

 一つの恐ろしい考えが浮かぶ。それは、なんというか、考えてはいけない考えだ。

 九尾と目が合う。九尾は口角をひきつらせ、眼を見開いて、こちらを見ていた。
 あぁ、そうか、と思う。噂によれば彼女は心を読むことができるそうだ。もし彼女が今の俺の思考を読んでいたとするならば、当然そんな表情にもなるだろう。
898 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:51:04.57 ID:7cRQjCOC0

九尾「正気か? 頭がおかしいんじゃあないのか? 実行に移すかどうかというより、考えが至るだけで、狂っている」

アルス「思いついちまったんだから、しょうがねぇ、だろう」

 唐突に会話を始めた俺たちを、周囲は黙って見ている。何が何だかわからないのだろう。それはそうだ。
 クレイアさんは転移魔法を解いた。光は柔らかく散っていく。怪訝な表情だ。

九尾「勇者よ。本当にそれを――世にも恐ろしいそれを実行に移すだけの気概が、お前にはあるのか?」

九尾「九尾は、心配をする立場ではない自覚はある。が、……お前は九尾の予想以上で、予想外だ。はっきり言って人外だ。気持ち悪いよ」

アルス「は、ご心配ありがとうよ。だけど、知るか。俺は世界を救いたい。俺は仲間に死んでほしくない。お前に人を喰わせるわけにもいかない。四方八方丸く収まる最適手、だろ」

 九尾に向かって手を伸ばした。決して握手をしようなどと思っているのではない。
899 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:51:44.38 ID:7cRQjCOC0




アルス「九尾、俺を喰え」



900 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:52:25.68 ID:7cRQjCOC0

アルス「お前が人を喰いたくなったら、俺に言え。俺を殺して、喰え。どうせ復活するんだ。何度も殺されてやるさ」

メイ「なっ、ばっ!」

 反射的にメイが罵倒の言葉を吐こうとする。しかし、あまりに想定外だったのか、それ以上の言葉は紡がれない。

グローテ「本気、なのか? 自分を喰わせると?」

クレイア「そんな! きみが犠牲になる必要は――!」

アルス「あるんですよ。例え俺の自己満足だとしても」

クルル「……」

 クルルは泣きそうな、困った顔でこちらを見ていた。彼女との付き合いは最も長い。言い出したら聞かないこともわかっているのだろう。
 心配をかけて、悪いな。

クルル「……ばか」

アルス「悪い」
901 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:52:51.48 ID:7cRQjCOC0

アルス「九尾、お前はそれでいいのか。誰も喰うな。俺だけを喰え。それでお前は同意してくれるのか。誰も喰わないと誓えるのか」

九尾「ただ、やはりお前は愚かだ。九尾は男の骨ばった固い肉なんて喰いたくはない。お前を喰っても、九尾にはメリットがない」

 九尾の目的が世界平和――何より人肉の供給にあるのだとすれば、その返事は予想してしかるべきであった。事実俺は九尾のその返事を予想はしていた。
 九尾は俺たちに頼らなくとも人を浚い、喰える。安定供給の意味合いは僅かにここでは異なっている。
 だが、俺には脅し文句があった。これ以上ない、人間ゆえの根性というものを、覚悟というものを、所詮魔族でしかないこいつに見せつけてやる文句が。

アルス「俺たちは立ち上がり続けるぞ」
902 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:53:34.68 ID:7cRQjCOC0

九尾「……」

アルス「お前がどんなに強かろうが、絶対、必ず、どこまでもお前に刃向って、逃げても追い続けて必ず殺す。俺たちは負けない。少なくとも精神は」

アルス「一生お前の邪魔をし続けてやる。人生をかけて、お前の人生をめちゃくちゃにしてやる」

アルス「それでもいいなら、人間を喰え。それが嫌なら、俺を喰え」

 真っ直ぐ九尾を見据えて呪詛を吐く。脅し文句と言ったが、単なる脅しではなかった。本気の脅しだった。
 今も俺たちが九尾への闘志を絶やさないように、今後も俺たちは九尾を宿敵とすることができる。
 強さの差は限りない。それでも肉体の敗北は精神の勝利で上書きできる。俺たちは今まで何度も立ち上がってきた。

 自称正義の味方の言うことかと思った。しかし、正義の味方だからこそ言えるセリフのような気も、またした。
903 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 10:54:00.90 ID:7cRQjCOC0

 九尾は逡巡しているようだったが、ややあってから頷く。そして、嘆息。

九尾「わかった。この九尾、こんな形で収まるとは思っていなかった。正直、お前だけを喰うなぞ御免被りたいのだが……お前の気概に折れてやろう」

九尾「九尾の名に誓って証言しよう。九尾はお前だけしか喰わん」

九尾「しかし、逆に聞こう。お前は本当にそれでいいのだな? お前の加護は九尾が与えたものだ。血に刻まれた魔法は膨大だが、決して無尽蔵というわけではない。いつか復活できずに死ぬぞ」

アルス「人間、いつかは死ぬさ。俺は死にすぎたくらいだ。

九尾「違いない」

 くつくつと笑った。強者の余裕が垣間見える。こちらははったりと気勢で何とか意識を保っているというのに。
904 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 11:00:44.61 ID:7cRQjCOC0

メイ「まったく……なに、考えてんのよ、ほんと……」

 メイがクレイアさんに肩を借りる形で近づいてきていた。左腕は依然としてないが、血液の流出は止まっていて、顔色も少しずつだがよくなってきているようだ。
 彼女はそのまま自立して、俺の肩を掴む。

 なぜかメイは背伸びをして、俺と顔の高さを合わせようとしてくる。「んー、んー」と唸る姿は年相応に幼くて、俺は笑みがこぼれるのを抑えきれない。
 そのままひざを折って高さを合わせる。

 こつん、と、額と額がぶつかった。

 近い。

 気まずいくらいに、近い。

メイ「アンタが魔王になっても、アタシはアンタのそばに居続けるから。問題ないでしょ?」

アルス「……お手柔らかに」
905 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 11:01:11.46 ID:7cRQjCOC0

クルル「当然、私も」

 俺の腕を抱きしめるクルル。俺の服も彼女の服も血まみれだが、最早気にしてなどいられない。

クルル「私、正妻だから。あなたは、側室。愛人」

メイ「は、はぁっ? 全然わけわかんないんだけどっ!」

クルル「っていうのは、ちょっとだけ嘘」

 クルルは上目づかいにこちらを見てくる。だけれどその視線は至って真面目だ。

クルル「私は、ずっとアルスの味方。辛いことは、私となんとかしよう。楽しいことは、私としよう」

クルル「好きだよ」

アルス「お、おう」

 なんだかドギマギしてしまう。
906 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 11:01:52.62 ID:7cRQjCOC0

 だけど、そうなのだ。クルルの言う通りなのだ。納得はされていないかもしれないが、進むべき進路は決まった。大事なのはこれからなのだ。
 魔王の役割。それをどうやって果たしていくのか、課題は山積みだ。

九尾「それについては九尾がサポートする」

アルス「……心を読むな」 

九尾「お前ら三人は四天王――三人だから厳密には違うのだが、側近となってサポートしてやってほしい。そのためにあいつらをぶつけたのだ」

 無視して話を進める九尾であった。

グローテ「やっぱりお前の差し金だったのか」

九尾「おいおい、これでも九尾は気を使ってやったのだぞ? 魔王になれば狙われる。そのためには身を守る武力が必要だ。あいつらに勝てないようなら、人間の軍勢にも勝てないさ」

 それはつまり、裏を返せば、ウェパルやデュラハン、アルプが軍勢一つと同程度の実力を持っているということである。今思い返せば実に恐ろしい。
 しかし、彼女らはそれに勝利してきたのだ。俺のそれは勝利とは決して言い難いが、彼女らのそれは恐らく紛うことのない勝利なのだろう。

クレイア「王国に具申しますか?」

グローテ「いや、どうだろう。あの王のことだ、きっと勇者を自国に引き込もうとするだろう。それはよくない」
907 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 11:02:18.74 ID:7cRQjCOC0

九尾「デュラハンも、アルプも死んだ。ウェパルも、最早こちらには興味がないだろう。さびしくないと言ったら、まぁ、嘘だな」

アルス「まぁ、何はともあれ、なんていうか」

 息を吐く。心の底から。体の隅々から。

アルス「疲れたぁ……」

アルス「なぁ、そうだろ?」

 メイとクルルを振り返る。

 二人が死んでいた。

 クルルは頭を潰されて。
 メイは泡を吹き、白眼を剥いて。

アルス「な――」

 驚きの声は、それよりも大きな声にかき消される。
 九尾のそれによって。

九尾「なんでお前らがいるっ!?」

九尾「デュラハン! アルプ!」

―――――――――――――――――――
908 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/02/16(土) 11:05:30.89 ID:7cRQjCOC0
今回はここまでとなります。
以下、2点だけ。

1.名称がころころ変わってすいません。ただ、構造的に不可避でした。

2.次スレ突入します。次回投稿後建てようと思います。

もう少しだけ、彼らの物語におつきあいくだされば光栄です。
909 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/16(土) 11:15:56.62 ID:z6is/7+Do
九尾強過ぎワロリーヌ
ここにきてようやく名前が出たか

終わり近いかと思ったらまだ続くのか期待
910 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/16(土) 11:22:45.30 ID:mxU4qSXIO
おおおおお
二回読み直したわ!おおお最後二度見しちまったぜええ乙
911 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/16(土) 14:13:38.89 ID:8tMNVyVqo
このss名前でたら死ぬよな
912 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/16(土) 21:02:44.56 ID:nTLekjszo
おつ!
最後・・グスン
913 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/02/18(月) 08:43:10.84 ID:VjBTWoIbo
最後の展開でまりもちゃん思い出したよ…
914 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/03/01(金) 00:41:39.61 ID:/DXUYhgpO
乙よかった更新されてた!
915 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/03/02(土) 01:09:27.36 ID:7bYBkThfo
ss速報歴はそんなに長くないんですが今まで読んだssの中で一番質が高いっす
916 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/03/04(月) 18:38:56.27 ID:KTUv0/8vo
固定名が付く=死亡フラグとは新しい…。
917 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 20:50:51.17 ID:ZPGCsz/S0
アルプ「ちゃお」

デュラハン「やぁ九尾。久しぶりだね」

九尾「貴様らは死んだはずでは――いや、なぜあの二人を――どういうことだ!」

アルプ「そんな一気に喋らないでよ。ま、わかりやすく言うなら、こうかな」

アルプ「いつからチャームされていないと思ってた?」

アルプ「九尾が見てたのは、九十九パーセント真実だよ。ただ、私とデュラハンが死んだのは、偽り」

九尾「なぜ殺した! 必要はなかったはずだ!」

アルプ「九尾にはなくても」

デュラハン「俺たちにはある」

 口論を続ける化け物たち。そんな彼らの会話の内容は、最早途中から耳に入ってこなかった。
 よろよろと、自分でも危なっかしいと思うくらいに足に力が入らないまま、倒れ伏した二人の下へと近づいていく。呼吸がない。鼓動もない。クルルに至っては頭がない。
918 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 20:51:21.82 ID:ZPGCsz/S0

 クルルはデュラハンに殺され、メイはアルプに殺された。何もわからない中でそれだけが明らかだった。

 思考が生まれてくる。いや、違う。思考はもともと生まれてくるものだ。勝手に生み出されるものだ。これは、感覚が異なっている。
 言うなれば、まるで注入されるかのような。

 殺す。

 息をするように、あぶくが生まれた。
 俺はそれを遠くからぼぉっと見ている。
 そんな、イメージ。

アルス「殺す」

 腰に括り付けた道具袋が光を放っている。そこには確か、九尾からもらった珠が入っていたはずだ。
 脈動を太ももに感じる。
 どくん、どくん、と。
919 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 20:52:57.52 ID:ZPGCsz/S0

 殺す。

 なぜ、彼女らが死なねばならなかったのか。違う。間違っている。それは、誰にでもあてはまる。だから、彼女らについてのみ言及するのは、正しくない。

 殺す。

 あいつらは今更何をしに来たのか。

 殺す。

 全てがうまくいくはずだったのに殺す。

 俺は殺す。
 選択を間違え殺すていたのか。
 殺すでも、ほかに殺すどんな殺す選択肢があった殺すって言うのだろう。
920 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 20:53:25.49 ID:ZPGCsz/S0

デュラハン「天下七剣ッ! 其の一、破邪の剣!」

 歓喜の声とともに刃が俺に迫る。ばあさんの火炎弾を切り裂き、クレイアさんの結界を切り裂き、漆黒の騎士の剣が今まさに俺に。

 太ももが熱い。
 体中が熱い。

 何より、目頭が熱い。

 あぁ、そうか。俺は泣いているのか。

 そうとわかってしまえば話は早い。向かってくる刃の腹を叩き、まるでつららを折るように、根元からぽっきりとやってやる。

アルス「殺す」

 俺の邪魔をしないでくれ。

 ん。
 んん?
 思考と言語の境界線があいまいだ。
921 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 20:54:21.93 ID:ZPGCsz/S0

 返す刀で漆黒の鎧、その胸に深々と突き立てる。
 ぐ、と漆黒の鎧が呻きを上げて、それでも至極楽しそうに、粒子を散らせながら距離を取った。
 両手に二本の剣が現れる。

デュラハン「いいね、いいよ! 塔にきたときよりも、数段――いいっ!」

 強い踏込み。一瞬の移動。障壁を展開しながらの攻撃は攻防一体で、そもそも高速移動する障壁に触れるだけで体が吹き飛ばされるのだろうと思ったけれど、だからなんだっていうんだ?
 俺は無造作に腕を突っ込む。
 障壁を貫通して、そのまま鎧の左腕を掴んだ。

 捥ぐ。

 捻って、金属の塊を地面に打ち捨てる。

 相手は首無し。クルルの頭を潰したのは、仲間がほしかったのだろうか? 魔族の分際で?
 残念だ。頭が最初からないのなら、クルルと同じ状況にしてやれない。それとも、それすらもこいつには過ぎた死だろうか。
922 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 20:55:05.20 ID:ZPGCsz/S0

デュラハン「其の四、まどろみの」

 左腕も捥いだ。

デュラハン「っ!? 、しっ、信じられ、ないなぁっ!」

 肩の付け根から光が漏れ出し、新たな腕を構築する。更なる魔方陣が展開され、新たに三本、剣が現れる。

 いつの間にか心臓へ深々ナイフが突き刺さっていた。いつの間に、と思う暇もなく、漆黒が眼前へと向かってくる。どうにもせっかちな奴だ。そんなに慌てて何がしたいのだろうか。
 何が彼をここまで死に急がせるのだろうか。

デュラハン「だけど、これこそ! 俺の望んでいたものっ!」

デュラハン「人間の強者と戦って、四天王とも戦って、だけど、俺は、魔王様とは結局一度も戦えなかった! だから!」

アルス「殺す」

 俺は魔王じゃない。
923 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 20:55:40.32 ID:ZPGCsz/S0

 刃が俺にずぶりずぶり浸み込んでいく。俺はそれを確かにスローモーションで見ることができる。
 通った先から肉体が再生していくのも。

 切った後には、元通り。

 鎧の脇腹に手のひらをあて、一気に外へと押し出す。
 ぐんと加速。そのまま壁に叩きつけ、左半身を真っ平にしてやる。
 限りない圧縮、そのまま平らになった接壁面を擦りながら、鎧は地面に落ちて砕けた。

 突風。
 光とともに、光の中から漆黒が生まれていく。頭はなくて、頸、肩、腕、胸、腹、腰、足と順繰りに顕現していく。手には当然二刀が握られていて、圧力ではなく、事実として体が先ほどよりも大きい。
 超高密度な魔力体。今の俺にはわかった。

デュラハン「ははっ、こりゃ大当たりも大当たり! わかった、俺はきみに殺されてもいい――違うね、殺されたい! 殺してくれ!」

デュラハン「ようやくこの、不毛で、不毛な、不毛に、終止符を打っておくれ!」

デュラハン「俺の衝動に、俺はもう飽いた!」
924 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 20:56:32.71 ID:ZPGCsz/S0

デュラハン「ははっ、はははは、あは、ふははあはははっ!」

アルス「殺す」

 勝手なことを言うんじゃない。

デュラハン「そうだ! その意気だ!」

九尾「老婆、儀仗兵長、さっさとそいつを転送――だめだ、隔離しろ! 次元のはざまにぶち込め!」

老婆「だが、あいつの破邪の剣は!」

九尾「違うわ馬鹿者! 勇者を消せ! デュラハンごとでいい! こいつはもう、だめだ!」

九尾「反転した!」

 九尾が何やら叫んでいる。ばあさんも、クレイアさんも、何やら叫んでいる。それまではわかるのだけど、一体何を叫んでいるのか、わからない。
 どうでもいいことではあった。だからわからないのだと思った。
 クルルとメイの仇を殺す取ってやる以外は瑣事に過ぎない。

 体が熱い。太ももの熱さは消え、代わりに全身へと拡散、撹拌している。
 頭の中で鐘が響く。警鐘を鳴らしている。三点鐘。実にうるさい。

九尾「こいつはもう、魔王だ!」
925 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 20:57:05.96 ID:ZPGCsz/S0

アルプ「おーい、無視するなよぉ」

九尾「アルプゥ……ッ!」

クレイア「師匠! アルスさんが!」

グローテ「くっ、ぐぅううううううっ!」

 魔力が俺の周囲を流れ、渦を巻いている。
 それを切り裂いて突っ込んでくるデュラハン。

グローテ「すまん、勇者! 必ず助けるから――」

クレイア「早く、師匠! もうこの空間が持ちません!」

クレイア「一緒に隔離術式を!」

グローテ「ちく、しょおおおおおおおおおっ!」

 デュラハンの胸を俺の素手が貫いた。

 視界が歪む。
 世界が歪む。

 そこから先の記憶は、ない。
―――――――――――――――――――――――
926 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 20:57:36.92 ID:ZPGCsz/S0
―――――――――――――――――――――――

 即座にクレイアが結界を展開したのを受けて、わしは周囲に火炎弾を展開、デュラハンにもアルプにも、そして万が一の可能性を考えて九尾にも対応できるよう、にらみを利かせる。
 この現状。この惨状。九尾は驚いていたが、果たしてそれがあいつの演技でないと誰が保証できるだろう。ここまで含めてあいつの策略のうちである可能性は、十分にある。
 けれど、疑っておいてなんだが、わしには九尾のそれが演技には決して見えなかった。自尊心の高い九尾が例え演技でも声を荒げ、驚愕の表情を形作るだろうか?

九尾「なぜ殺した! 必要はなかったはずだ!」

アルプ「九尾にはなくても」

デュラハン「俺たちにはある」

 デュラハンが剣を顕現した。
927 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 21:06:26.48 ID:smZLP8A60

 孫と、クルルは死んだ。悲しいのに涙すら出てこないこの心が憎い。
 大事な存在を守れない己の無力が憎い。

 何より、命を奪ったあいつらが憎い。

 あぁ、けれど、戦場で培ったのは人の殺し方だけではなかった。自分の心の殺し方も、戦場で培ったものの一つだ。
 真っ当な人生には全く必要のないその技術を、わしはもう二度と使うまいと決めていたのに、まさか戦場ではないこんなところで使うことになるだなんて。

 追悼はいつでもできる。だからこそ今は眼前の敵を。
 わかっている。わかっているのだ。
 それでも心は軋みを上げる。
928 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 21:08:31.63 ID:smZLP8A60

 ぎちり、ぎちり、手と足と首と胴体と……全身を輪のついた鎖が拘束していた。その先には何かとてつもなく、とてつもなく重いものが括り付けられている。
 頭を振ってそのビジョンを吹き飛ばす。何が括り付けられているのか、何を引きずっているのか、わからいでか。

 だからこそ、死者に恥じない生き方を。

 ちらりと勇者に視線をやる。呆然とした表情。それは当然だが、しかし、わしの視線は別のところへ向いていた。
 彼の太もも、道具袋が発光していた。

 なんだ? 何が起きている?
 確かあそこには、魔王の珠が……?

 背筋に悪寒が走り、体が自然と震える。嫌な予感しかしない。何が起こるかは未知であるが、何かが起こるとわかった。出なければ歯の音が噛みあわないはずがない!
 がちがちと鳴る歯を喰いしばって、デュラハンとアルプに対し、火炎弾を放つ。

 斬、と音がして、火炎弾が切り裂かれる。
 次弾を放つより先にデュラハンはアルスへと切迫している。速い。さすが四天王などと暢気なことは言っていられなかった。今のアルスに迎撃の余裕など――

 殺す。
 くぐもった低い声が、耳に届いた。
 幻聴でないのかと思った。いや、幻聴であってほしいと願った。人間の口から地獄が飛び出してくるなんてことは考えたくもなかったから。
929 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 21:09:18.53 ID:smZLP8A60

 一拍おいて、対照的な甲高い音が空気を震わせる。
 光に反射して鉄の粉が煌めいている。
 破邪の剣、其の刃が途中から折れ――もぎ取られ、流れるような動作でデュラハンへと突き立てられる。

 速度がおかしい。動きと、表情がおかしい。

グローテ「九尾ィッ! お前、アルスになにをしたぁっ!?」

九尾「魔王の珠の影響だ! あれは濃密な魔力構造体で、吸収した者を魔王にする!」

アルプ「そう。最早彼は人間じゃあない」

 ぎろりと九尾がアルプを睨みつけた。アルプはそれを受けて肩を竦め、けれど、こちらを嘲笑するでもなく、寧ろ逆に悲しそうな顔をした。
 なんでそんな顔をしているのだ。それではまるで、こんなことを望んでいないようではないか。

アルプ「ごめんね、九尾」
930 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 21:10:41.00 ID:smZLP8A60

 九尾の息を呑むのがこちらまで伝わってくる。わしにはわからない何かが、恐らく二人の間で交わされたに違いない。そして九尾は今の一瞬で、アルプを赦した。

九尾「そうか、そういうことか……」

九尾「あいわかった。お前を殺す」

アルプ「うん、うん。お願い」

クレイア「ししょぉおおおっ! 結界が持ちませんっ、二人の戦闘の余波が、こっちまでっ!」

 アルスとデュラハン、二人とこちら側を魔法的に隔てていた障壁が、みしみしと悲鳴を上げている。
 あと数秒で限界が来る。瞬時に悟ったが、結界の向こう側にいる二人の戦闘は寧ろ激化の一途を辿っている。
 デュラハンは呵呵大笑しながら突っ込み、アルスはそれを容易く迎撃。まるで飛燕だ。重力すらも振り切る身体能力。

 あれが、魔王の力なのか。
931 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 21:11:11.96 ID:smZLP8A60

デュラハン「ははっ、こりゃ大当たりも大当たり! わかった、俺はきみに殺されてもいい――違うね、殺されたい! 殺してくれ!」

デュラハン「ようやくこの、不毛で、不毛な、不毛に、終止符を打っておくれ!」

デュラハン「俺の衝動に、俺はもう飽いた!」

デュラハン「ははっ、はははは、あは、ふははあはははっ!」

 まさしく人外だった。わしら人間には想像もつかないような、歪な精神構造と行動理念。
 だが、恐らく、同じ人外には理解できるのだ。九尾が歯を噛み締めているのがその証左である。

アルス「殺す」

 感情の欠落した声をアルスが漏らす。加勢に行きたいが……今の彼に、わしとデュラハンの区別がつくかどうか。
 そもそもわしがあの戦いについて行けまい。

デュラハン「そうだ! その意気だ!」
932 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 21:12:24.41 ID:smZLP8A60

九尾「老婆、儀仗兵長、さっさとそいつを転送――だめだ、隔離しろ! 次元のはざまにぶち込め!」

 慌てたように九尾が言った。そうだ、二人の戦闘にこの塔がいつまで耐えられるかわかったものではない。ただでさえ塔は疲弊しているというのに。
 言われなくともとクレイアが呟いた。舌打ちを一つして、彼女は結界の範囲と性質を変化、無理やりに空間転移を試みる。
 しかし、出力が足らない。わしも力を貸さなければ。

老婆「だが、あいつの破邪の剣は!」

九尾「違うわ馬鹿者! 勇者を消せ! デュラハンごとでいい! こいつはもう、だめだ!」

九尾「反転した!」

 反転。その言葉の詳細まではわからないけれど、なんとなく、方向性はわかった。魔王の力が諸刃の剣でないわけがないのだ。
 恐らく九尾は大丈夫だと思っていたに違いない。「反転」しないと。それは彼の精神と、何より仲間がいたからだ。

 だが、それは裏切られた。この絵図は九尾が描いていたものから逸脱している。

九尾「こいつはもう、魔王だ!」
933 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 21:12:50.65 ID:smZLP8A60

 九尾が叫ぶ。うるさい。わかっている!
 アルスはもはや、人間にとっての脅威でしかない!

 脅威は屠らねばならない。世界のために。国のために。
 今までわしが何人もそうしてきたように。

グローテ「ぐ、く、ううっ!」

 噛み締めた奥歯のさらに奥、魂の深奥に位置する魂から、嗚咽が漏れていく。
 目頭が熱い。液体が頬を、顎を伝っている。

 わしはこんな生き方しかできない。

 手のひらをアルスに向ける。詫びはいれない。そんなことはおためごかしにしかならない。非情に、冷徹に。それが屠殺者に求められるもの。
934 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 21:13:21.25 ID:smZLP8A60

アルプ「おーい、無視するなよぉ」

九尾「アルプゥ……ッ!」

 ずるりとアルプが九尾に切迫する。伸びる腕。かわす体。九尾は容赦なくアルプの命を取りに行って、アルプもそれを急かす。早く自分を殺してくれと。

九尾「お前は、黙って、立っていろ! そうすれば一瞬だ!」

 九尾の爪がアルプの耳を切断した。徒手空拳なのは、せめてもの心遣いなのだろうか、などと考えてしまう。
 魅了された空気が、壁の破片が、九尾を襲う。それすらも九尾は爪で切り裂いて、右手に火炎、左手に氷をまとわせながら、高速で突っ込んでいく。

クレイア「師匠! アルスさんが!」

 猶予はない。
 迷っている暇など、ない。

 ないのだ!
935 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 21:13:49.93 ID:smZLP8A60

グローテ「くっ、ぐぅううううううっ!」

グローテ「すまん、勇者! 必ず助けるから――」

 ぎちぎちと空気が震え、今にも塔は倒壊しそうだ。アルプと九尾も戦いを始めているのだからなおさらである。

クレイア「早く、師匠! もうこの空間が持ちません!」

クレイア「一緒に隔離術式を!」

グローテ「ちく、しょおおおおおおおおおっ!」

 時空を揺るがしながら、空間にあくまで二次元的な切れ目が開く。それは途轍もない圧力を持って、結界ごと二人を飲み込んでいく。
 そして、そんなことなどお構いなしで、デュラハンとアルスは戦いを続けている。

 最後に彼の雄叫びが聞こえたような気がした。

―――――――――――――――――――
936 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/12(火) 21:15:59.47 ID:smZLP8A60
用事が出来たので一度ここで更新を切ります。すいません。
帰ってきたら、残りの一万文字を投下します。
937 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/03/12(火) 21:28:43.20 ID:HNArP37Wo
ここで放置プレイですかそうですかビクンビクン
938 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/03/12(火) 23:16:53.31 ID:cAvinyOto
裸ネクタイ靴下正座して待ってる
939 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:03:14.27 ID:wBktaGLT0
―――――――――――――――――――

 皮膚が、肉体が、削れていく。
 身を襲う激痛。焼けた鉄の棒を押し付けられているかのようだ。痛いのではなく、ただ熱い。それはもしかしたら血液の熱さなのかもしれないと思う。
 こんな私でも血は赤い。こんなどうしようもない存在でも、確かに血は赤いのだ。

 それは誇りでもある反面、心を苛む原因でもあった。私の血が赤くてよいはずがない。こんな、歪んだ心の持ち主には、それは重すぎる。申し訳なさすぎる。

九尾「お前は、黙って、立っていろ! そうすれば一瞬だ!」

 九尾が叫ぶ。でも、ごめん。そういうわけにはいかないんだ。
 こんな屑だけど、生きる資格なんてない鬼畜生だけど、生存本能は足を引っ張っているから。
 それに私は、きみに罰して欲しいんだよ。

 それが夢魔アルプとしての生き様にふさわしい。
940 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:03:41.83 ID:wBktaGLT0
 あぁそうだ。私は一度たりとも曲がってはいなかった。私の性質と本分を紛うことは、ただの一つもなかった。そしてそれが、私の幸せが、誰かの不幸せの上に成り立つことを私は自覚していたのだ。
 人を騙し、裏切らせ、弄び、踏み躙り、何もかもをおじゃんにさせて。
 崩壊するものすべてに愛をこめて。

 楽しければいいのだ。それが私に課せられた衝動なのだ。
 だって、人間に一族全員殺された時も、私は笑っていたのだから。

 ま、私が煽動したんだけど、さ。

 あぁ、ごめんね、ごめんね九尾。

アルプ「でもこの生き方はどうにもできない!」

 クルル――九尾の言う狩人との戦いで、すでに体力も魔力も底を尽きかけている。勝てる要素は一つもない。勝つつもりも微塵もない。
 それでも体は動く。動いてしまう。
941 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:04:23.83 ID:wBktaGLT0

アルプ「これが私の全力全開ッ!」

アルプ「チャアアアアアアアアアムッ!」

 眼を限界まで見開く。見る者/物すべてを魅了する誘惑の瞳。

 九尾だけでなく、老婆と、儀仗兵長も目を瞑った。
 でも遅い。でも温い。
 そんなんで私の魅了を避けられると思ったか!

 世界が変わる。まるで霧吹きで色水を噴霧していくかのように、さぁっと、世界は世界でなくなった。
 広がる菜の花と蒲公英。道はただ、人が踏みしめた跡が残っているだけ。
 青空が透き通っている。幾つもの丘の先に、白い雲がぷかぷかと浮かんでいた。

 風が吹くと草のにおいが届いてくる。その空気の静謐で力強いことと言ったら!
 力強いのは何も薫風だけではない。陽光もまた差し込んでいて、体から湯気が出ると錯覚するくらいに、柔らかく暖かい。
942 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:04:50.58 ID:wBktaGLT0

九尾「ここは……」

クレイア「別の空間……いや、空間そのものを、チャームした……!?」

 儀仗兵長が目を白黒させている。そんなことができるのか、といった具合だ。
 できるんだよなぁ。

アルプ「ま、実際に挑戦したのは、初めてなんだけどね」

アルプ「ここは外界から完全に隔離された場所。いくらドンパチしたって、影響は出ない」

アルプ「あ、大丈夫だよ。私が死んだらチャームは解ける。殺してくれさえすれば、無事に戻れるはずだから」

九尾「お前、ここまでして……」

 死にたいのか。続くそれを飲み込んで、九尾は構えた。

九尾「……お前も、辛かったんだな」

アルプ「私が辛いなんて言ったら、私の犠牲になった人たちに申し訳なさすぎるってもんだね。でも、ま、なんてーの?」

アルプ「なんでこんな衝動、持っちまったんだろーなぁ……」
943 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:05:17.66 ID:wBktaGLT0

 九尾が魔王を復活させようとしていたのは、かなり前から聞いていた。世界平和という目的も、九尾の食人衝動も、わかっていた。
 純粋に九尾を応援していたのだ。前魔王が消えて、新たな魔族は生まれない。私たちは兄弟みたいなものだったから、九尾に協力するのは当たり前だと思った。

 デュラハンのために少女を捕まえてきたのも結局はそういうことなのだ。九尾も、ウェパルも、デュラハンも、みんな幸せになればよかった。そのためなら私は何だってするつもりだった。
 事実してきたのだ。例えそれが全く関係のないことだとしても。

 だけど、衝動からは逃れられない。

 ふと、思ってしまったのだ。それはいつだったか……この戦争が始まったときか? 具体的な時期は、最早忘却の彼方だけれど。
 九尾の目論見を潰せば、彼女はどんな顔をするのだろうかと、どれだけ楽しい顔が見られるのだろうと、思ってしまった。

 それはやっていけないことだ。倫理ではなく感情でわかる。頭と心がそれの実践を必死になって止めている。だけど、鎌首をいったんもたげてしまったどす黒い魂の片鱗は、そんなものなど容易く吹き飛ばして……。
944 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:06:03.73 ID:wBktaGLT0

 デュラハンも、耐え切れなかった。彼は少女との戦いだけでは満足できなかった。より強い相手を求め、その相手として魔王を選定した。それくらいしか彼には衝動を満たせる相手が残っていなかった。

 何度九尾に心のなかで謝ったろう。ごめんと、ごめんなさいと。
 幸いにも九尾はこの衝動をわかってくれた。どうにもならないものなのだ。私が私でいる限り。そして、だからよしとはせずに、きちりと裁いてくれるという。それが、何よりうれしい。
 裁かれるのは人格があるからだ。私はこんな屑だけれど、確かに一つの個体として殺される。それは涙が出てしまうくらいの過ぎた幸せだと思った。
 同時に、私の願いが叶えられてはいけないとも思った。だって、そうだろう。今まで散々他人の邪魔をして、計画を、希望を、ぶち壊して踏み躙って楽しんできた私に、幸せな死が訪れるだなんて……。

 まとまらない思考。二律背反。葛藤。ぐるぐる渦を巻く涙の螺旋。
945 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:06:32.33 ID:wBktaGLT0

 九尾の突撃。限界まで素早さを上げ、攻撃力を上げ、防御力を上げたその肉体は、まさに意思を持った砲弾だ。間に合わない。

 自動で地面がせりあがり、壁を作る。この世界は私の匣庭。全てが私を守ってくれる。

九尾「無駄ァッ!」

 所詮土塊。砲弾には叶わず、壁を打ち砕いて九尾が逼迫してくる。速い。
 ぼろぼろの羽をはばたかせて回避。追いすがる九尾のほうが速度は上だ。毒霧をまき散らしながらの攻撃も、全てフバーハで散らされる。

 やっぱり、九尾は強い。

 拳が腹にめり込んだ。内臓ごと持っていかれそうだが、神経が苛まれるよりも高速で、景色が前へとぶっ飛んでいく。いや、ぶっ飛んでいるのは私の体だ。
 地面をバウンドすること実に八回。皮膚は削げ、口の中は歯と土と血で大変なことになっている。それらをまとめて吐き捨ててから、

 背後に殺意。
946 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:08:16.55 ID:wBktaGLT0
 煌々と明るい右手と、燦々と煌めく左手。
 メラゾーマとマヒャド。

九尾「合体魔法――!」

 本気だった。舐めプではない。
 自然と口角があがる。今は痛みも、恐怖も、心地よい。

 熱と冷気を伴った光線が向かってくる。チャームで軌道をずらそうとするも、軌道の振れ幅が速度に圧倒されていて、命中の進路は変えられそうにな

アルプ「――っ!」

 右腕が、右肩が、右肺が、根こそぎ持っていかれる。なんとか直撃は回避したが、掠っただけでもこの威力だ。
 呼吸が乱れる。というよりも、全然うまくできない。吸っても吸っても肺は空気を交換してはくれなくて、だんだん視界がしらけていく。

 だけど、それでも、この世界は私の匣庭。

 失われた組織が魔力によって補填されていく。
 自動回復。九尾相手にどこまで持つかはわからないが、せめてこのひと時を、もう少し、僅かでも、
947 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:12:00.86 ID:wBktaGLT0

アルプ「っ!?」

 脚が動かない。
 手が動かない。

 九尾のせいではない。九尾は目を見開いている。
 ということは……人間か。

九尾「おい人間、これはこちらの問題だ、手を出すな!」

グローテ「……」

 老婆は無言だった。ここに来てのその対応は恐ろしさしか感じない。
 いや、逆に当然かもしれない。だって、私は彼女の孫を殺したのだ。恨みを抱かれても、なんらおかしくはないだろう。

 ぱきぱきと音を立てて世界が刷新していく。元の世界に戻っていくわけでもない。チャームされた世界の内部に、さらに新しい世界が……陣地が、構築されようとしているのだ。

 刷新の時間は僅かに数秒。

 何もない世界だった。砂漠。だだっぴろいそこには、何もない。草木も、水も、雲もない。風もない。太陽もない。青空というには色の単一すぎる空が広がっていて、臭いも何もあったものではない。
948 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:12:57.36 ID:wBktaGLT0

グローテ「アルスは死んだ」

 人間としての、ということかな。
 さすがにここで、「いや、隔離したのあんただし」とは言えない。

グローテ「クルルは死んだ」

グローテ「メイは死んだ」

グローテ「お前らが殺したのじゃ」

 うん、そのとおりだ。そのとおりすぎて、別に何も言うことがない。

グローテ「だから死ね」

 目の前に迫る火球。四肢は依然として拘束されている。
 既に世界は魅了から解き放たれている。私の自動回復も、きっと意味をなさない。

 ……死んだな、こりゃ。

アルプ「ごめんね、九尾」

 全てを台無しにして。
 でも、私が死ねば、もうこれで、そんなことはないのだ。
949 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:13:27.85 ID:wBktaGLT0

九尾「謝ってどうする!」

 九尾が私の前に現れて、火球を無造作に握りつぶした。

グローテ「……」

 火球の連射。その数は両手で足りないくらい。
 対する九尾も火球でもって応戦する。飛んでくるそれにぶつけ、相殺し、なんとか無傷で切り抜けた。

九尾「お前の始末は九尾が責任を持つ。あんな人間にやられてたまるかっ」

クレイア「師匠、準備はできています!」

 老婆の隣にいた女性の言葉で、ようやく私は、この陣地が老婆の手によるものでないことを理解する。魔力の波長が先ほどの火球のものとは異なっている。
 こちらも二人、あちらも二人……数に不足はない。実力にも。

グローテ「十人を救うために一人を見捨ててきた。千人を救うために、百人を巻き添えにしてきた。そんな人生、よかったとは到底思えないが……今更宗旨替えもできん」

グローテ「九尾、お前を殺して、お前に食われる何人かを救えるのなら……わしはお前を殺すことを厭わない」

九尾「御託はいいからやってみろよ、人間! たった二人でこの九尾を殺せると思うか!」
950 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:15:20.73 ID:wBktaGLT0

 九尾は跳んだ。速い。瞬きの瞬間に首を刎ねられる速度だ。
 切迫した九尾は、けれど大きく弾かれる。帯電する空気。老婆と女性の周囲に不可視の障壁が張り巡らされているのだ。

九尾「小癪な」

 火炎弾を放つ。障壁に直撃し、互いの魔法が粒子を飛び散らせて拮抗していく。
 そこへ九尾が拳を叩き込んだ。鼓膜を直接震わせる高音が、障壁の破壊を示唆していた。

 だけど、

 老婆が剣を――刀を握っていた。骨ばった老体には全く不釣り合いな彎刀。事実彼女はそれを持ちきれず、切っ先を接地させ、柄の部分だけをなんとか支えている。
 それは確か、記憶が正しいならば、女性が持ってきて勇者に渡したものだ。確か誰かの形見だとか遺品だとか、そんなことを言っていたような気がする。

グローテ「わしは国のために殺してきた。見殺しにもしてきた。わしのためじゃない。国のためにじゃ」

グローテ「であるなら、志は全く同じ!」

 九尾は老婆の言葉に聞く耳を持たない。追加で出現した障壁を三枚同時に叩き割って、魔力の奔流の中、空気に渦を作って突進していく。
951 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:15:58.73 ID:wBktaGLT0

グローテ「行くぞ、クレイア!」

クレイア「はい、師匠!」

 莫大な魔力を感じた。それは当然九尾も感じたようで、地を蹴って横っ飛び、その後空間転移で私のそばまで戻ってくる。
 虚飾に満ちた空っぽな世界に、一瞬、光が満ちた。

グローテ、クレイア「「ザオリク!」」

九尾「……」
アルプ「……」

 ずらり。
 と。

 立ち並ぶ黒い影。
 いや……人、人、人。
 兵士の海。

 その数はいったいどれだけだろう。百、二百……それだけでは全く足りない。何しろ奥の奥まで視認ができないレベルなのだから、きっと千は楽に超えているんじゃないだろうか。
952 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:16:46.31 ID:wBktaGLT0

 みな甲冑を身に着けていた。しかしその意匠はばらばらで、同一国家なら統一されているはずの紋章すらばらばらである。
 周辺諸国の連合? そこまで考えて、固定されている首を脳内で横に振った。あれは事実として、同一国家の兵士じゃない。
 ならば一体何か。老婆はザオリクで、一体どんな集団を蘇生させたのか。

グローテ「さっき、たった二人と言ったな。わしらは二人ではない! わしらの目的のために犠牲になった者たちが、全員背後にいるのだ!」

グローテ「わしが殺したその数一六八九人! これだけの人数を――いや! これだけの意志を相手に、それでも九尾、お前はまだ軽々と勝てると言うか!」

 老婆が眼を血走らせて叫ぶ。魔力の消費が尋常ではないはずだ。これだけの魔法……ザオリクとは言っているが、厳密には完全な蘇生ではなく、召喚の類。
 この陣地内でのみ、彼らはもう一度生を受けられる。

 がふ、と音を立てて、女性が血を吐いた。地面についた両膝ががくがく震えている。完全に魔力枯渇の症状だ。
 老婆はそれよりも比較的症状は軽微だったけれど、血涙を垂れ流しながら歯を噛み締めている。力を籠めねば生きていけないとでもいうつもりだろうか。

アルプ「はっ、人外かよ」

 人外の私たちに言われるのも心外だろうけど。
 一人で一六八九人殺した? そりゃあんた、ちょっと、私たちより極悪じゃないか。
 
953 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:17:32.21 ID:wBktaGLT0
 いや、何よりも人外なのは、二人の凄絶なまでの意志。あそこまで体を傷つけても、私たちを倒さなければいけないと思える精神が、すでに人のものではない。そして目的は自分たちのためではないというのだから驚きだ。

 誰かのために、ましてや国のために全身全霊を捧げられる人間が、どれほどいるというのか。
 そんなのいるはずがないと思う。思った。思っていた。事実、私はずっとそうだった。ずっと私の娯楽のために全身全霊を捧げていて、それ以外は知ったこっちゃなかったのだ。

 しかし、どうだろう。勇者は、少女は、何よりあの腹立たしい狩人の娘は、そして目の前にいる二人の女は、まるで自分のことなど意に介さない。人間とは果たしてそんな生き物だったか。私の人物評が、間違っていたのか。

 楽しい。

 心の奥からふつふつと込み上げてくるただ一つの感情がそれだった。
 真っ黒な色。翳っているのではなくて、もともと漆黒なのだ。光を反射することしかない、どす黒さ。

 あの心を折ったら、あの希望を打ち砕いたら、

アルプ「一体どんな顔すんのか見てみてぇなあっ!」
954 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:18:15.89 ID:wBktaGLT0

 四肢はまだ固定されている。かなり頑丈な封印だ。濃縮された固定の陣地。やはり、あの二人はどっちもかなりの手練れらしい。
 だけど。

アルプ「私の衝動を止められるなんて、馬鹿言っちゃだめだってば!」

 私でさえ止められないというのに。
 寧ろこの程度で止めてくれるならどれだけ幸せだったか!

 ぶちぶちと関節が音を立てて引き千切れていく。痛い痛い痛い痛い! 肺から息が全部毀れていく!
 だけど、これで抜けた!

 既に眼前では軍勢が始動していた。とてつもない圧力を持った個々が、集団として九尾に襲いかかろうとしていたのだ。
 戦闘には中年男性。先ほど老婆が持っていた彎刀を握り締め、苦い顔をしながらも、真っ直ぐに視線は九尾。

 そのあとを槍兵、騎兵、一兵卒と続いている。人数が多いから兵種も多種多様だ。

 私は羽ばたきながら、先の無くなった肩関節、股関節にチャームをかける。魔力による補填がなされ、半透明な力場が、四肢の代わりを形作る。

ダイゴ「状況は理解したが、流石にこれはむちゃくちゃすぎるだろう、ばあさんよっ!」

 中年男性が叫んだ。
 九尾の神速になんとか男性は刃を合わせるが、それにも反射神経の限界がある。九尾は容易く攻撃を回避して地を蹴り、宙に跳びあがる。
955 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:18:51.89 ID:wBktaGLT0

 火炎が手のひらに集まっていく。

「全軍、よぉおおおおおおおおおい!」

 後方に控えていた儀仗兵たちが障壁を築いた。数百人がまとめて作った、まさに戦術級の特大障壁。九尾でもこれを破壊するのは難しい、か?

アルプ「だけど!」

 あぁ――楽しい!
 デュラハンみたいに戦闘狂いなつもりはないんだけどなぁ!

アルプ「目に見えるもので、魅了できないものなんて、ないっ!」

 障壁をひたすらに「視る」。
 魔力的に物質/非物質に働きかける私の瞳。障壁の魔法構造に侵入して、無理やり装甲を薄く、がりがりと削っていく。

アルプ(それでも、なんてぇ物量だいっ)

 一際両者が輝いて、僅かに九尾が勝った。火炎弾は散り散りになって兵士の集団へと降り注いでいく。

ジャライバ「第三隊から六隊まで消火準備! 七隊以降は次撃に備えて魔力充填!」

ハーバンマーン「第一、二隊は俺たちについてこい!」
956 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:19:54.97 ID:wBktaGLT0

 高射砲撃が九尾を狙う。同時に打ち上げられた数人の魔法戦士が足元に起動力場を生み出しながら、それを蹴って九尾へと迫った。
 二人の首が一瞬にして落ちる。それでもあちらに戦意の喪失は見えない。寧ろ発奮を促したかのようだった。

アルプ(そうかい、そこまで私らは、敵ってことかい)

 そうじゃなくちゃ「面白」くない。

ルニ「お噂はかねがね」

 優男風の青瓢箪が言った。瓢箪が喋るほどに世界は進んでいたらしい。

 九尾は返事をせずに爪を、火炎を振るった。青瓢箪は身体強化の魔法でもかけているのか、信じられない速度でそれをいなしながら接敵、九尾と格闘戦を繰り広げる。

アルプ「九尾、今――!」

九尾「構わん! まず数を減らすぞ!」

 あいよ、と返事をして、私は大きく息を吸い込んだ。

アルプ(あれ、九尾と共闘するなんて、はじめてじゃね?)

 だからかもしれない。こんなにも楽しいのは。
957 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:20:45.68 ID:wBktaGLT0

 毒霧の噴霧。羽ばたきながらそれを全体に拡散させていく。高射砲撃をなんとか回避しながら。

ルニ「ぐっ……」

 青瓢箪の胸を九尾の腕が貫通する。向こう側にとおった九尾が握っているのは、恐らく彼の心臓だ。

 青瓢箪が倒れ、九尾はそれを打ち捨てる。
 そこへさらに襲いかかる二人。手にした短刀が僅かに九尾の髪の毛に触れていくが、次の瞬間にはその腕が根元から消失する。そうしてバランスを崩し、地面へ落ちた。

九尾「老婆、貴様は本当に見境がないな!」

ルニ「それがいいところなんですよ」

九尾「なっ!」

 九尾の背後に、なぜか青瓢箪が立っていた。そのまま打ち下ろしで九尾が吹き飛び、地面に叩きつけられる。
 当然、今まで下で戦いを見ていた兵士たちが、それでよしとするわけもない。寧ろ待ちわびていたかのように、地に付した九尾に剣を突き立てる。
958 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:21:26.94 ID:wBktaGLT0
 炸裂。

 大量の肉片が長い滞空時間を得て、ぼたぼた降り注ぐ。

九尾「き、さまぁ……!」

 イオナズンを唱え、なんとか制空権を確保しなおした九尾は、這いつくばりながら舌打ちをした。

九尾「バギクロス!」

 不可視の殺意が兵士たちを切り刻む。が、それも後方からの障壁で弾かれ、目立った効果は得られない。
 私が散布している毒も、いくらかは効果があったようだったけれど、思ったよりは倒れ伏している人間は少ない。解毒魔法の持ち主がかったぱしからかけて回っているのだろう。

 うーん。さすがにこの人数は……。

アルプ「きっついなぁ! ひゃははははは!」

 頬が濡れているので拭えば、手の甲が血に塗れていた。恐らく血涙だ。私も、やっぱり魔力がなくなっているってことなんだろう。
 このまま毒を撒き続ければ、チャームをし続ければ、当然死ぬ。
 でも、遅かれ早かれ死ぬもんでしょ?
959 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:21:58.64 ID:wBktaGLT0

ビュウ「ポルパ! そっちはどうなってる!」

ポルパ「今のバギクロスで負傷者多数! でも、死んだ奴は少ない! まだいける!」

コバ「あまり無茶な攻めをするな! 相手は九尾の狐と夢魔アルプ、城砦を落とすように攻めるんだ!」

ルドッカ「教官、七時の方向よりアルプが突っ込んできます!」

コバ「全員気張れ! 間違っても目を見るんじゃあないぞ!」

 私は高速で飛んだ。飛んだ。飛んだ。
 構築されたこの世界に果たして本当に空気が存在するのか疑わしいほど、風を切るはずの羽に何も当たらない。ただ、どこまでも飛べそうな気がした。
 自然と犬歯がむき出しになる。笑みがこぼれるのだ。

アルプ「ひゃはっ」

 手を交差して頭上に掲げる。
 炎のイメージ。
 僅かな風にも揺らぐ、頼りない炎。だけどそれは仄暖かく、どこか卑猥で、妖しい。見る者を魅了する妖艶さを湛えている。

 まるで私じゃないか、なんて。
960 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:22:38.44 ID:wBktaGLT0

アルプ「燃えて狂って死んじゃえ!」

 眩惑の炎を投下する。
 それはれっきとした炎だけれど、焼くのは肉体よりもむしろ精神。じりじりと蝕むように、相手の心を焦がしていく。

 頭が痛い。息切れが激しい。視界がちかちか瞬いて、今自分がどの高度を飛んでいるのか判然としない。
 それでも前方は見える。宙に浮かんだ魔方陣から氷が生成されていて、それはきっちりと、ざくざく人間をなぎ倒している九尾に向けられている。

 九尾に群がる大軍。さまざまな角度から迫る刃を、九尾は紙一重で回避し、もしくはなんとか致命傷を避け、手の一振りで五人の頭をまとめて潰す。
 だけどその後ろにも兵士は控えている。その後ろにも、その後ろにも、その後ろにも。
 唯一大立ち回りを演じているのは、人間では二人。彎刀を持った中年男性と、九尾を叩き落とした青瓢箪。彼ら二人が跳びぬけて強い。

 九尾が負けるとは到底思えなかった。ただ、この先の見えない戦いが、まるで人類の総力を結集してぶつけてきたような数の暴力が、九尾を追い詰めることはあるとも思った。

 だから、私は敵陣に突っ込む。
 速度を上げて、上げて、上げて。
 高度なんてわからないから、地面に突っ込むかもしれないけど。

 それでも。
961 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:23:33.43 ID:wBktaGLT0

 衝撃を体が襲う。不時着ではあるが、チャームで全てを誤魔化して、敵軍の中央へと落下。周囲数メートルの兵士が肉片と化したのがわかる。
 降り注ぐ血液と肉片の驟雨の中を、私は一息で加速した。チャームと炎を振りまきながら、ただひたすらに同士討ちを狙う。
 制御を失った頭上の氷塊が落下し、人間を、そして私の羽を穿った。もう空も飛べない。逃げることはできない。

 もとより逃げるつもりもない。

 例え魔力が枯渇していたとしても、人間より遥かに高い膂力を私は有している。なんたって魔族なのだ。魔王の眷属。身体スペックは段違い。
 千切っては投げ、千切っては投げ……そんなふうにいっていたかは実際怪しいけれど、私は剣先を掴み折り、相手の腕を捥ぎ、腹を抉って、ひたすらに戦い続ける。

 命の削れていく音が聞こえる。

 ごりごり。
 ごりごりごりごり。

 身にまとわりつく血の一滴すらも重い。
962 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:24:08.92 ID:wBktaGLT0

 これは決して懺悔なんかじゃあない。私は九尾に許してもらいたくて、申し訳なくて、だからこんな特攻をしかけているのでは、決してない。
 これは純粋な善意なのだ。私が善意だなんて、ちゃんちゃらおかしい。所詮衝動の前でははかなく消えてしまう灯のくせに、確かにその感情は、私のこのクソみたいな魂の中に息吹があるのだ。

 胸を掻き毟りたい。そうして心臓を抉った先に、私の許されざる魂があるはずだ。それさえなければ、もしくは感情さえなければ。

 いっそ魔物になりたかった。どうしてこんな、感情の欠片があるんだろう。
 どうして両方を持ち合わせてしまったんだろう。

 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!

 辛いよぅ!

 視界が歪む。どっちだろう。涙か、枯渇か。

 伸ばした腕が何人目かもわからない人間の命を奪った。その腕にまとわりつく何か――恐らく、人間。
 反応が遅れた。そうしている間にも、兵士たちは私の腕へ、足へ、背中へ、手を伸ばしてまとわりついてくる。

 戦法を変えたのだとわかった。こいつら、私を殺すためならなんだってする!
963 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:24:40.93 ID:wBktaGLT0

グローテ「国のために戦い、死んでなお、国のために儂に力を貸してくれるのじゃ。それくらいはするさぁ」

 老婆の声が聞こえた。その姿こそ見えないが、声
は……死にそうだ。私といい勝負かも。

 そうか。死者は、死んでからも、国の行き先を憂うか。国のために再度死ねるか。
 なら、きっと私も同じ。
 私は九尾を憂うだろう。だからこそこんなことを、

アルプ「ひゃはっ! こんな無駄なことをして、馬鹿なやつだよ私ってばさ!」

 さようなら、九尾。
 私の最高の……友達? わかんないや。ひゃはっ。

 剣がついに私の首を刎ねたのを、宙に舞う頭部で、確かに見た。

 吹き出す血液。

 薄れゆく意識の中、私は思った。

 かかった。

―――――――――――――――――――――――――
964 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/13(水) 11:26:12.73 ID:wBktaGLT0
お待たせしました。
間が空きましたが、今回の更新は以上となります。
次回更新の際には新スレ建てようと思ってますので、よろしくお願いします。
965 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/03/13(水) 11:28:13.52 ID:mcXeQgqZo
裸ネクタイ靴下正座して待ってた甲斐があった
乙乙
966 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/03/13(水) 13:10:47.87 ID:7X4wSLEWo
次スレ誘導頼む
967 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/03/13(水) 13:16:19.45 ID:7X4wSLEWo
てか九尾ちゃっかりメドローア使えんだな
968 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/03/15(金) 17:50:12.13 ID:0g3In59gO
たっぷり更新すぎて乙が遅れちまったぜ(`・ω・´)キリッ
969 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします [sage]:2013/03/18(月) 02:15:50.76 ID:gOTF/Q3go
正に乙
略して正乙
970 : ◆yufVJNsZ3s [saga]:2013/03/20(水) 02:03:36.80 ID:3mmpyc380
更新しました。それにつき、2スレ目建てました。
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1363711181/
2スレ目突入&三十万文字突破なんて、当初のプロットからは考えもしてませんでした。
読んでくださってる方々の乙、感謝してます。これからもよろしくお願いいたします。

展開とか設定の疑問があれば、スレの消化ついでに受け付けます。考えてないことも多いと思いますが。
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