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風俗嬢と僕

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334 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/07/21(火) 19:05:11.27 ID:rFCjOo0u0
おお…おお…
335 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/07/21(火) 21:17:43.17 ID:z/J1ilaz0
「あのね、相談したいことがあるの」

「そんなのヒロさんに聞いてもらいなよ」

「ダメなの、ヒロくんじゃ。カズヤじゃないとダメなの」

「何でだよ。それなら他の友達でも良いじゃん。悪いけど、他をあたってよ」

冷たいとかキツイとか思われても、それが当然ってものじゃないだろうか。僕だっていいように傷つけられたのに、何で僕がサキの相談なんかに乗ってあげないといけないんだろうか。僕は仏じゃなければ、今や都合の良い男でもない。

「ヒロくんのことなの」

小さく、彼女は呟いた。

「えっ」

「ヒロくんのことで、相談したい事があるの」

「だから、それなら 僕じゃなくて……」

「ううん、カズヤじゃないとダメなの。カズヤが一番、ヒロくんのことを分かってるでしょ?」
336 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/07/21(火) 21:34:19.87 ID:z/J1ilaz0
そんなことを言われると、すぐに否定の言葉が出てこない。

尊敬して憧れる先輩との仲をそんな風に言われると、あまり強く否定することもできなくて。

「カズヤ達にもそういう風なのか分からないけどね、ヒロくん最近元気がないの」

それには、僕にも思い当たる節があった。

元気がないっていうか、明らかに僕との距離を掴み損ねている感じ。それは、僕に限った話じゃないんだろうか。

「カズヤ、何か知らない?」

「……」

頭に浮かんできたのは、ミユとの一件だった。

練習にも来なくなったミユを心配しているのかもしれないし、もしかしたら決勝戦後、スタンドで起きた出来事を見かけていたのかもしれない。

「……分からない」

僕に返せる言葉はそれだけだった。

「そっか……」

「それだけ? 悪いけど、その件に関してなら力になれないから、もう切るよ」

ていうか、むしろ僕が聞きたいくらいだし。ヒロさんは、何があってあんなに変に気を使うようになってしまったんだろう。

「続きがあるの」

「はっ?」

まだあるの?

「私ね、ヒロくんに乱暴されてるの」
337 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/07/21(火) 23:02:34.75 ID:m8f2RZg0O
クズ揃いのこのSSの中でもサキは別格だな!
338 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/07/22(水) 01:14:06.27 ID:yJ/fp1eL0
「はっ?」

何を言ってるんだ、こいつは。

「ヒロくんさ、何でか分からないけどストレスがたまってるみたいで……。この間、遊んだ時にさ」

「いやいやいやいや、待てって。乱暴されたって、何、ヒロさんに?」

まさか、ヒロさんがそんなことをするはずが無い。

「そうだよ……って、言ってるじゃない」

「嘘はやめろよ」

「嘘じゃないの……本当に……ひっく……」

電話越しに聞こえてきたのは泣き声。いや、嘘泣きなんだろうけどさ。

「あのさ、何、騙して楽しい?」

苛立ちを募らせながら、僕は彼女を責め立てるように言葉を続ける。

「僕がヒロさんよりサキを信じると思う? 自分が何をしてきたか考えなよ」
339 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/07/22(水) 01:38:56.58 ID:H0yYUxIMo
正論すぎる
340 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/07/22(水) 01:51:35.41 ID:GNzcOGtaO
「何で、信じて……ひっく、くれないのぉ……」

「信じられるような情報もないし、ヒロさんはそんなことする人じゃないから」

少なくとも、僕にとっては『ヒロさんがサキに乱暴をする』ことと、『サキが嘘をついていること』では、後者の方があり得ることに思える。

「何でよぉ……ひっく、私が、こんなことで嘘をついて、何の、得になるって……」

「知らないよ。でも、悪いけどそういうことだから」

これ以上話を聞くつもりにはなれなくて、僕は電話を切って、そのまま電源も落とした。

急に連絡を寄越してきたと思ったら、一体どうしたっていうんだろう。ただでさえ、ヒロさんとの間に微妙な空気が流れているし、試合も近いというのに、余計な茶々を入れないでほしい。

もしかして、以前受信したメールもサキからだったのだろうか。

添付されていた画像を見て、誰が送ってきたのか、何で送ってきたのかは分からないけど、悪意だけは明確に察知できた。

使い捨てのフリーアドレスだったから、誰からのものなのかは分からなくて、それが尚更不気味さを際立たせてもいた。

「最近、何かおかしいよなぁ」

まるで、呪われているみたいに。

とはいえ、呪われていようがそうでなかろうが日々は過ぎて、試合も近づいてくる。

勝とう。まずはそこからだ。ここまで他のことで呪われているなら、サッカーでくらいは良いことがあってほしい。
341 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/07/22(水) 12:19:18.78 ID:qvQ3Sa2GO
おおお…
342 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/07/23(木) 01:55:50.09 ID:SpZY+tPzO
カズヤに失望されようと、人の彼氏と寝やがってと罵られても仕事は毎日やって来る。

ネオン街の風俗やらキャバクラやらが集まったビルに、いつもより浮かない顔で今日も向かう。

仕事、嫌だなぁ。

働きたくないっていうよりは、外に出たくないっていうか、人と顔を会わせたくないっていうか。

ビルの汚いエレベーターに乗って、自分のお店へと近づいていく。

カズヤは初めてここに来たとき、どんな気持ちでこのエレベーターに乗ったんだろう。

ふと、そんなことを気にしてしまった。「今から風俗で遊んでやるぜー」なのか、それとも「緊張するなぁ」なのか、それとも別のものなのか。
343 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/07/24(金) 00:44:52.06 ID:K184yFPx0
「おはようございまーす」

スタッフに挨拶をしながら開店前の店内に入っていく。

女の子の待合室の中には、うちのお店の中では数少ない、私より歴が長い先輩がすでに到着していた。珍しいなぁ、いつもは私が一番なのに。

「おはよう」

「あっ、おはようございます」

挨拶を返すと、彼女は私に問いかけてきた。

「珍しいわね、私の方が早いなんて。今日はゆっくりしてきたの?」

「ゆっくり、というか……」

スタンドでの出来事を考えると、夜に眠れなくなってしまったから寝坊しちゃったんだけどね。

それを言うのも何だか躊躇われて、私は言葉を濁す。

「いや、そうですね。ちょっとゆっくり……」

「そう。何だか目も充血してるし、大丈夫? 体調悪いなら休みなよ」 
344 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/07/25(土) 13:52:26.31 ID:O+2Sx6myO
「……そんなにですか?」

「うん、めちゃくちゃ目が腫れてるし。何、辛いことあった?」

「辛いこと、なのかな……」

辛いこと。

あれを辛いことと言っていいのか、私には分からなかった。だって、あれは自業自得でしかないわけだし。

私がホストにはまっていなければ、あんなことは起きなかった。カズヤっていうお客さんとこそこそ会わなければ、競技場にも行ってなかった。

そういえば、と考えを巡らせる。

彼女も以前、お客さんと付き合っていたことがあったと噂で聞いたことがある。スタッフには秘密にしていたけど、女の子同士ではそういうことって何となく広がっていくものだ。

今日はまだ、スタッフもそんなに出勤していなくて店の前に立っていた一人だけのはずだ。

私は彼女に少し近づき、小声で問いかける。

「あの、ちょっと聞きたいんですけど……」

「私に? 何?」

「あの、昔お客さんとお付き合いしてたって、本当ですか?」
345 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/07/25(土) 13:59:53.66 ID:O+2Sx6myO
「……私?」

彼女は目を大きくさせながら、問い返してきた。

「はい、噂で聞いて……」

「それは何、興味本意で聞いてるの? それとも、あなたがそういう状況だから?」

「付き合って、ではないんですけど……」

言葉を濁すことしか、私にはできなかった。

「お客さんのこと、好きになっちゃった?」

その質問には答えずに、答えられずに、私は彼女の目を見つめる。

彼女も何かを察したように私を見返し、小さく呟いた。

「野次馬根性、ってわけではないみたいね……」

「えっ?」

「ううん、その通りよ。そういう時も、私にはあったわ。噂で聞いた子によく尋ねられるけど、興味本意の子には話しても楽しい話じゃないからね」

「あっ……ごめんなさい」

失礼な質問を直球で投げ掛けた自覚はあるんだけど、彼女の場合はどうだったのか。

「ううん、いいわ。今落ち込んでるのは、それが原因?」
346 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/07/25(土) 14:09:33.06 ID:O+2Sx6myO
「何かされたとか、言われたとかじゃないんですけど……。ただ、ちょっと何て言うか……自分でもどうしたら良いか分からないんです」

「だから、私を参考に?」

それには、私は頷きで返す。

「変わってるのね。普通、そういうことって隠そうとするものじゃない? 一応、禁止されてるわけだし」

「どうせいつかは噂になるなら、変わらないじゃないですか」

本当は、彼女の今までの問いかけから、きっと他の女の子には話さないだろうって思ったのと、藁にもすがる気持ちだからっていうのがあるんだけど。

「あはは、確かにね。私もそうだったし」

ふぅ、と一息ついて、彼女は言った。

「良いわ、話してあげる。でもあくまでこれは、私の場合だからね」
347 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/07/25(土) 14:20:53.51 ID:O+2Sx6myO
ちょうど一年前くらいかな、たまに来るお客さんがいたの。

顔も悪くないし、話も面白かったし、ある日こそっと連絡先を書いた紙を渡して、それからお店の外でも会うようになったのね。

『その時からもう好きだったんですか?』

うーん、どうなんだろうね。でも、嫌いじゃなかったし、もしかしたら好きだったのかも。

それで、一ヶ月くらい経ったときかな、彼に付き合って欲しいって言われて。

まあ、悪くないしいいやって軽い気持ちで始めたの。軽い気持ちでね。

『罪悪感とかは……』

何に対する?

あ、お店のルール? 無いわけじゃないけど、あんなのって形式だけみたいなものだから。

好きでもないお客さんから言い寄られたときの逃げ道っていうか……私だって嫌いじゃないんだから、いいやって思ったのね。
348 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/02(日) 19:41:14.26 ID:jTN+rPO/O
なかなか進まない悲しい
349 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/03(月) 00:29:48.04 ID:fxFr4Mck0
で、付き合い始めたわけだけど。

噂で聞いてるかな、私を可愛がってくれていた彼が、彼氏彼女っていう立場になったら変わっちゃったのね。

浮気されたり、体ばかりを求められたり。

普通にデートすることなんて、すぐになくなちゃった。

でもね、それをやめてほしいって言っても、『お前だって仕事で他の男とヤッてんだろ』って言われたら、私は何も返せなかったの。

最後までヤッてるわけじゃなくても、もう同じことだって。

それで、衝突とか喧嘩とか増えちゃって、彼も元々遊び好きな人だったみたいだから、やめさせることもできなくて。

『お前に仕事を辞めろとは言わないけど、お前が他のやつとヤッてるんだから俺もヤる』ってね。

そういうのに疲れちゃって、別れちゃった。

……私の話は、こんなところ。知ってることばかりだったらごめんね。
350 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/06(木) 22:58:12.49 ID:bFuumfSPo
とまってるぞ
351 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/06(木) 23:28:23.83 ID:8uj0gQGD0
彼女の締めの言葉に、私は首を横に振って返事をする。

「いえ……あの、ありがとうございます。話しづらいこと、話してくれて」

「良いのよ、別に。参考にならなさそうなことでごめんね」

ただ、と続けた言葉に耳を傾ける。

「やっぱり経験者からは、それは推奨はできないわね」

それ、つまりカズヤとのこと。

「こういうお店に来てる時点でさ、人への愛情とか純情さとか、そういうのが無くてもヤレる人だってことだしね」

少し哀しそうに、彼女は呟いた。

風俗は金銭と行為の交換で、つまりカズヤも好きな人じゃなくてもヤりたいからここに来たってこと。

いや、まぁ実際にするわけじゃないんだけど、それは大した問題じゃない。

「止めろとは言わないわ。どの口がって話だし。あとは、あなたが決めることだから」

そう言って、彼女は立ち上がって「お手洗い行ってくるね〜」と扉を開けた。

あとは私が決めること。決断力の無い、この私が。
352 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/07(金) 01:08:48.81 ID:gl5YQxMj0
うむ
353 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/07(金) 01:43:28.21 ID:SRvbt6Nd0
私が決めるべきことは、一体何なんだろう。

今は、それすら分からなくなりつつある。

カズヤとのことを決めるのか、今の自分を変えることなのか。

そもそも、私は彼のことを好きなのか、そうじゃないのか。

もちろん、人としては好き。そうじゃないと、わざわざ試合を見に行ったりなんかしない。

とはいえ、明らかに彼を「好き」だと認識しているにも関わらず、アキラに会ってしまう自分もいる。

アキラとは付き合っているわけではないから浮気とか二股ではないんだけど、じゃあ私は誰に対して愛情とか純粋さを抱いているんだろう。

私は何が好きで、誰を愛して、何に救いを求めているんだろう。カズヤとの関係性の終着点に、何を求めているんだろう。

疑問だけが頭の中をいったりきたりするうちに、私を呼ぶスタッフの声が聞こえてきた。

こんな状況でも、私は愛情もなく男と行為を行う。

それが私の、今のお仕事だから。
354 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/09(日) 09:12:37.62 ID:D3QQw07Ho
忙しいそうだが頑張れ
完結させてくれればそれでいい
355 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/09(日) 14:36:40.13 ID:T9mS6dSv0
決めるって何を?

その疑問に決着をつけられないまま、夏は通り過ぎていく。

天皇杯初戦は8月の終わりに決まった。会場は予選の決勝と同じ会場だから、見に行こうと思えば行ける場所だ。

とはいえ、行くかどうかは未定。私が行くことで、カズヤに迷惑をかけちゃいそうだし。

世間は夏休みに浮かれているけど、私はそんな気持ちにもなれなくて。

例えば、本当に、例えばの話。

カズヤが私のことを、女として好きでいてくれたとしよう。そして私も、カズヤのことを男として好きだとしよう。

だとしたら、私はどうすることが正解なんだろうか。

っていうか、正解なんてあるのかな。

現状のぬるま湯を抜け出したいとは前々から思っていたけど、だったらどうすれば抜けることができるのか。

色んな事が分からないまま、私は仕事と家の往復に日々を費やす。
356 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/09(日) 14:49:33.77 ID:T9mS6dSv0
アキラにも、もう会いに行く気にはなれなかった。

少なくとも、彼に会うということが「正しいこと」ではないということくらいは、私にも分かったから。

アキラに貢がないとなると、手元にはお金が残っていく。

使い道、他に無かったしね。貢ぐ以外にもアキラに会いに行くために服とか買ってたけど、それももうないし。

家に帰ってテレビをつけると、アジアの大会に出ているサッカー日本代表がニュースに映っていた。

いつかカズヤとお店で話した選手、シンヤが負け試合で一人気を吐いてゴールを決めたところを繰り返し流している。

この冬、ヨーロッパのチームに移籍するのではないかと噂されているらしい。

やっぱり私には遠い世界の話なんだけど、今となっては彼と同じくらい、私にはカズヤも遠い存在に思えてきた。

日本代表のニュースが終わると、私は台所に向かって夜食を作り始める。

料理は嫌いじゃない。自炊すると好きな味付けにできるし、何となく、料理が得意な女って響きが可愛い気がするし。

まあ、それでモテたことなんて一度も無いんだけど。

自虐を心の中で入れながら、私はニュースを流し聞きして包丁を手にした。
357 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/11(火) 00:57:19.64 ID:K4Rkc1Ey0
お盆を過ぎると、いよいよ天皇杯が間近に迫ってくる。

応援に行きたいという気持ちと、私が行ったらまた迷惑をかけるのではって気持ちと、まだ決着はつけられていない。

そもそも、カズヤは私に会いたくないんだろうし。

あれ以来、お店にも来てないし。

そこまで考えて、私は何だか申し訳ない気持ちになる。

カズヤは今までに体も行為もしていないのに、お金を払って私に会いに来てくれて、プレゼントの帽子まで買って来てくれていた。

それなのに、私は彼に何をしてあげたんだろう。

試合後の疲れた体に、トラブルに巻き込んじゃって。

やっぱり、行かない方が良いのかな。

そこまでは何度も考えるんだけど、だからって行かないという決断もできない。

誰かがどっちかに、背中を押してくれたら良いのに。

そんな都合のいいこと、ありえない話なのにね。

考えても仕方ないから、私は久しぶりに買い物に出かけることにした。

まだ暑いけど、秋物の服も並んでいるだろうし。
358 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/12(水) 00:18:44.18 ID:pbswcPqb0
ショッピングモールをしばらくうろうろしてみても、欲しい服は見つからなかった。

前だったら、アキラが好きそうな女の子の服を買い漁っていたんだけど、今はそれをする気になれないし。

カズヤはどんな服の子が好きなんだろう、あの美人さんが着てたみたいな服?

そんなことを考えても、答を誰かが教えてくれるわけでもなく、空しい気持ちになるだけ。
  
結局、私は荷物を何も増やさずにショッピングモールから出ることになった。

はぁ、何しに来たんだろ、私。

そのまま帰るか悩んだけど、それも何だか寂しい気がする。

少し歩いてみようかな、まだ夕方だし。

蒸し暑さはあるけど、曇っているから日差しはあまりきつくない。家と仕事の往復ばかりで不健康な生活を過ごしていたし、たまにはそんなのも悪くないかもしれない。

一歩、踏み出してみる。

うん、何かちょっと良いかもしれない。

私はあてもなく、そのまま歩き続ける。どこまで行くかも決めてないけど、何かちょっと楽しくなってきた。
359 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/12(水) 00:27:25.42 ID:pbswcPqb0
気づくと私は、来たことも無いような場所まで来ていた。

周りも暗くなってきているし、そろそろ潮時かもしれない。

良い運動になった……って思うあたり、私もだいぶ変わってしまったのかな。たぶん、カズヤのせい……おかげ、なんだけど。

どうせだから、初めて来た場所で、初めて行くお店でご飯を食べてから帰ろうかな。 

適当にお店を探しながらうろついていると、何だか落ち着いていて雰囲気の良いお店を見つけた。

個人経営みたいな、小さいお店だけど、それがお洒落でちょっと可愛い。

うん、決めた、ここにしよう。

入口のドアを開けると、店員さんが私を席に案内してくれた。 
 
……あれ、この人、どこかで見た気がするんだけどな。どこだろ、思いだせないや。
360 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/12(水) 00:43:49.73 ID:pbswcPqb0
夕飯には微妙に早い時間だからか、今はお客さんは私しかいない。

「ご注文がお決まりになりましたら、お呼びください」

その声の響きも、聞いたことがあるような、ないような。

……ダメだ、思いだせない。

モヤモヤしながらも、それを考えるのを一旦止める。

混雑する時間になる前に注文して、迷惑にならないうちに帰ろう。

気持ちを切り替えてメニューを見てみると、洋食のセットが並んでいた。

うーん、どれにしようかな。悩む。

早く注文しようとは思っていたけど、こういう時、私は優柔不断なんだよね。

どうしよう。

そうやってメニューとにらめっこをしていると、ドアの開く音がした。

チラッとそちらに視線だけ向けると、私はその顔に思わず声を漏らす。
361 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/12(水) 01:22:46.92 ID:mUiM90WAO
うん、どんどん続けて

ってかカズヤみんなが言うほど酷くは感じない
なんなら気持ちわかるまである
362 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/12(水) 23:28:46.84 ID:acjohj4zO
「あっ」

その声に、彼はこちらを一瞥した。

「あれっ、カズの……」

「こんばんは」

ぺこり、と頭を下げた私に、彼は言葉を続ける。

「俺、分かる? カズのチームメイトなんだけど……」

「もちろん、オオタさん……ですよね?」

「あっ、分かるんだ、凄いね、あの一瞬で」

それはお互い様というものではないだろうか。私がカズヤの知り合い……なのかは分からないけど、そうだって分かるあたり、彼の記憶力も凄いと思う。

「いえ、あの、その前にも試合を見に行ったことがあって、上手いなぁと思って」

「そう? ありがとう。今日は一人?」

「あ、はい。散歩してたらお腹が空いちゃって。オオタさんも一人、ですか?」
363 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/16(日) 23:34:28.08 ID:9TKtd2wF0
「あー、うん。恥ずかしいんだけどね、練習が終わって誰も捕まえられなかったから、今日は一人」

そうなんだ。カズヤはオオタさんのことを慕っていたのに、都合が悪かったのかな。まあ、私が口出しすることじゃないか。

なるほど、と私が言葉を漏らすと、彼は私に問うてきた。

「えーと……ごめん、名前を聞いても?」

「あ、えっと……」

何て言えば良いんだろ、本名……は、カズヤも知らないのにオオタさんに先に教えるのも何か変な感じかな。

「ゆう、って呼んでください。そう呼ばれることが多いので」

源氏名なんですけどね、とはもちろん言えなくて。

「了解ですっ。えっと、俺はオオタで間違ってはないんだけど……ヒロって呼んでもらえたら。カズもそう呼んでるからさ」

「あっ、はい。ヒロさん、ですね」

「申し訳ないんだけどさ、俺、一人だからさ。もし嫌じゃなかったら、ご一緒させてもらっても良いかな? あっ、カズに申し訳ないとかなら全然断ってくれていいから!」

とは言われれても、私がオオタさん……ヒロさんとご飯を食べることには特に問題はない。むしろ、カズヤのことを聞いてみたいし。

もちろん、と返事をしようとしたところで、店員さんがやっとヒロさんの案内にやって来た。

店員さんは、ヒロさんの顔を見ると驚いたように目を大きくし、彼に声をかける。

「オオタくん?」

「えっ、あれっ、もしかして……」

どうしたんだろう、お知り合いなのかな。
364 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/17(月) 07:11:23.22 ID:1/YYbo2/0
面白いよ
365 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/18(火) 01:36:17.64 ID:AcvpZ/Qz0
「キックスのキャプテンの……」

「こんばんは……というよりは、いらっしゃいませ、なのかな」

挨拶をする名札には、YAGISAWAと書かれていた。

キックスといえば、この間の試合でカズヤやオオタさんが試合をした相手のはずだよね。だから見覚えがあったんだ。

「ヤギサワさん……の、お店なんですか?」

ヒロさんが驚いたように問いかけると、彼は笑いながらそれを否定する。

「いやいや、奥さんの実家の店なんだけど、今日はちょっと手伝いにね。えっと、彼女は……お連れの方?」

「えっと……カズ、うちのサイドバックやってたあいつの……」

「彼女?」

いやらしさも無く、というか単純な疑問のように、ヤギサワさんは私に問いかけてきた。

「いえ、違うんですけど……はい」

歯切れ悪く返事をすると、彼はこれ以上この話題に触れないようにオオタさんに話を戻した。

「っと、それで、お一人様?」

「あー、そのはずだったんですけど。えっと、彼女と同じ席で」

「かしこまりました、どうぞ」

茶目っけありげに最後だけお堅い言葉を残して、ヤギサワさんは、ヒロさんのお水とメニューを取りに厨房に向かって行った。

「ごめんね、失礼します」

ヒロさんも席に座って、戻って来たヤギサワさんから手渡されたメニューに目を通している。

そうだ、私も注文を決めないと。
366 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/18(火) 01:43:10.10 ID:AcvpZ/Qz0
「ヤギサワさんのお勧めは?」

「俺が頼むのはハンバーグかな。でも人気が一番あるのはデミグラスのオムライス」

「じゃ、俺はハンバーグのセットで。ゆうちゃんは決まった?」

「あ……じゃあ、オムライスで」

こういう時、勧められたもの以外を注文することって出来ないよね。何を頼むか決めてなかったから良いんだけど。

ヤギサワさんはオーダーを伝えに厨房に向かうと、そのまま中に残っているみたい。お客さんがまだ私たちしかいないとはいえ、他にもすることがあるのだろう。

「今日、練習だったんですか?」

とりあえず、同じ席に座った以上何かを話さないと気まずく感じてしまう。

共通の話題なんてカズヤしか見当たらないし、そこに近そうなことを聞いてみよう。

「あ、うん。天皇杯も近いしね」

「今月末? でしたっけ。そうそう、出場おめでとうございます」

今さらだけど、一応賛辞も贈っておこう。

「ありがとね。また応援に来てくれるの?」

「それはまだ……考え中です」

考えて、結論がでるのかはわからないけど。
367 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/18(火) 01:47:39.40 ID:AcvpZ/Qz0
「そっか。まぁ、来れそうならうちのホームだし是非来てもらえたら。カズも最近元気ないし、嬉しいんじゃないかな」

「そうなんですか?」

どうしたんだろ、夏バテ……とかじゃないかな。私のせい?

「最近、会ってないの?」

「あ、はい」

そもそも、会おうとしても会いようがないから。

カズヤがお店に来るか、私が試合を見に行くか。その二択以外、私には彼に会う手段も連絡をとる手段もない。

「じゃあ、そのせいなんじゃない?」

だってカズは明らかに君のこと好きそうだし。

そう、彼は笑いながら呟いた。

冗談なんだろうけど、私は顔が赤くなるのを止められない。冷房の利いた室内なのに、熱くなってきて仕方が無い。
368 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/18(火) 21:30:20.77 ID:iT9hMq8Zo
369 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/19(水) 01:21:57.87 ID:dm2IOORr0
「いや、そんな……」

「そう? 俺、あいつの浮いた話聞かないし、絶対そうだと思ってたんだけど」

あ、そっか、元カノのこと、ヒロさんは知らないのか。

「妹がカズのこと好きそうだったから、残念なんだけど」

「あ、妹さんがいるんですか?」

「そうそう、うちのチームのマネージャーみたいなことしてるんだけどね」

……あの子か。アキラの彼女。

でも、カズヤのことを好きそうって、一体どういうことなんだろう。

私には二人に色目を使うなと言って来て、彼女はカズヤも狙っている?

「そう、なんですね」

薄く相槌を返し、続きを促す。

「そうそう。まぁ、気のせいなのかもしれないけど。君とカズが仲よさそうなの見て、ちょっと落ち込んでたし」
370 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/19(水) 01:28:26.60 ID:dm2IOORr0
「妹さんに、悪いことしちゃいましたかね」

そんなこと、全く思ってないんだけど。
 
でも、お兄さんであるヒロさんには何の罪もないし、とりあえずそう返しておくのが無難なのかな。

「いやいや、それはカズが選ぶことだし。まぁ、本当に、良かったら試合見に来てよ。俺も応援してくれる人は多い方が良いしさ」

「……はい、行けたら」

悩んでいたのが決まったわけではないけど、そう言われると行こうかなって気になってしまう。

元々、心の底では行きたい、カズヤを見たい、会いたいって気持ちがあったのは分かっていたことだし。

ちょうど話が落ち着いたところで、ヤギサワさんがオーダーした料理を持ってきてくれた。

「お待たせしました、ハンバーグと……こっちがオムライス。で、何、天皇杯の話?」

「あ、はい。よかったら応援に来てね、って」

「君、あのスタンドにいた子? 行ってあげなよ、次はともかく、勝ってプロと当たるようになったらサポーターに圧倒されちゃうよ、まいるぜ」

「あ、経験者は語る……ってやつですか?」

その言葉に、ヒロさんは笑って返すけど、私はわけがわからなくて問い返す。

「プロ……って、どういうことですか?」
371 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/19(水) 01:36:20.42 ID:dm2IOORr0
「あれ、天皇杯のことはあんまり分かってない?」

大会の名前が天皇杯、次の試合が近くで開かれて、相手のチームは他の都道府県の代表。私に分かっているのはそれだけだった。

「えっと……日本一、を決める大会……なんですよね?」

私の曖昧な問いかけに、ヒロさんは答を教えてくれる。

「そうそう。そうなんだよ。でも、アマ日本一じゃなくて、プロもアマも合わせた大会なんだ。プロは予選免除だけどね」

「えっと……それって……」

「だから、勝てば勝つだけプロと試合が出来るってこと。正月に決勝のテレビ中継とか見たことない?」

「今は決勝も正月じゃないけど」

そんな些細なツッコミも耳から通り過ぎるように、私はショックを受けていた。

「プロってことは……あの、日本代表選手とかとも……」

「まぁそうだね、そういうチームと当たれば、だけど。次に勝っても、うちが当たるのはニ部だから」

「でも、オオタくんも所属してたチームだし、思うものはあるんじゃない?」

茶化すようにヤギサワさんが口を挟む。

所属していたチーム?

驚きを表情に映していたのか、ヒロさんは私に説明をしてくれる。

「あれ、カズから聞いてない? ……って、自意識過剰か。一応、ニ年前までプロだったんだ、ニ部チームのベンチメンバーだけど」

「えっ、」

頭の中でどんどん新しい情報が更新されていって、私はうまく処理をできずに声を漏らすだけだ。
372 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/19(水) 07:16:51.94 ID:mWcD7LBCo

大変かもしれんが書き溜め方式に替えた方がいいかもね
一回の更新量があんまり多くないから少し読みにくい
まあ完結さけてくれれば嬉しいよ
373 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/08/19(水) 07:57:59.35 ID:uc7U3IbjO
乙!

俺は別に今のままでも良いというか、>>1のやりやすいペースで何も問題無いけどなぁ
374 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/19(水) 09:44:11.21 ID:OAJrQYtoo
更新の仕方に口だして作者がそれに替えてエタったのを何回か見たことある
外野の意見はスルーを推奨しつつ次回の更新も楽しみにしてます!
375 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/20(木) 01:27:24.92 ID:Sbg7eu1G0
その声に反応して、ヒロさんは説明を続けてくれる。

「まぁ、早い話がクビになってさ。それで、今のチームに入って趣味でサッカーしてるわけ」

「はぁ……そうなんですね……」

プロっていう言葉は、やっぱり私には縁遠い世界の言葉にしか聞こえなかった。

じゃあ、カズヤは元プロ……っていうのがどんなに凄いことかは分かってないんだけど、とにかく凄い人たちとサッカーをしてるってことなの? 

「おいおい、俺は趣味でサッカーやってるやつに負けたっていうの?」

「あー、いやいや、あれは偶然……」

「それを本番で出されたら実力負けだって。本当に、あのサイドバックの子には参ったよ」

「あいつは趣味っていうか……サッカーが生きがい見たいなやつなんで。あ、カズのことね」

私にそう補足をしてくれて、ヤギサワさんも名前を知ったようだ。

「カズって名前なんだ? かーっ、名前までサッカー向きときたもんだ。キングかよ」

「それ、あいつに言ったら喜びますよ、ファンだから」

私でも何となく名前を聞いたことがある選手の通称が出てきて、私はクスリと笑みを漏らした。そういえば、考えたこともなかったけど、あの名選手と同じ呼ばれ方だ。

「本戦はあの子がキープレイヤーだろうなぁ……たぶんうちと同じで、他のチームも君のことに意識が向いてるだろうし」

「ニ部のベンチプレイヤーなんて、そんなに気にするもんでもないですよ。スカウティングされたら、むしろあいつの方が厳しいと思いますし」

その会話を耳にして、何となくカズヤが誉められているのは分かった。

元プロのヒロさんと、同じくらいなのかは分からないけど、とにかく評価されているカズヤ。

思っていた以上に、私と彼の距離はあるのかもしれない。
376 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/20(木) 01:35:57.11 ID:Sbg7eu1G0
「まぁ、とにかく頑張ってよ。そして俺が言えることじゃないけど、冷める前に食べてね」

その言葉を残して、ヤギサワさんは厨房に戻って行った。

頭が混乱してすっかり忘れてしまっていたけど、美味しそうなオムライスが目の前には置かれている。

「いただきます」

手を合わせて挨拶をする。

何となくだけど、料理を食べる前に挨拶をしないと落ち着かないんだよね。自分で作った料理を家で一人で食べるとしても、それはつい癖で言ってしまう。

「お、礼儀正しい。じゃあ俺も……いただきます」

冗談っぽくそう言い残し、ヒロさんはハンバーグに、私はオムライスに手を伸ばした。

なんだろう、見た目は普通にどこの洋食店にもありそうなオムライスなんだけど、何て言って良いか分からないけどすごく美味しい。

卵はふわふわで、デミグラスソースも絶妙で、中には懐かしい感じのケチャップライス。

「美味し」
 
つい、ヒロさんが目の前にいるのを忘れて独り言が漏れてしまう程。 

それは彼も同じだったようで、「うまっ」と漏らしながら、どんどん手を動かしていく。

美味しいものを食べるとなると、ついついそれに夢中になって会話は減ってしまう。私は黙って手を動かしてオムライスを口に運び、ヒロさんはハンバーグを咀嚼する。

気づいたらお互いの目の前のお皿は空っぽになっていた。

「お、早いかなと思ったけどちょうど良かった? サービスだから。コーヒー飲める?」                           
いつの間にか厨房から戻ってきていたヤギサワさんは、アイスコーヒーのコップを二つ、私たちの目の前に置いた。
377 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/20(木) 01:39:03.40 ID:Sbg7eu1G0
>>372 >>373 >>374
ご意見ありがとうございます。
書き溜めも考えているのですが、当面の間は書き溜める余裕もなさそうです。
とりあえずしばらくは現状維持の投稿をしつつ、
週末や休日に書き溜める余裕がありそうでしたら、その際はまとめて投下するように意識したいと思います。
378 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/20(木) 01:53:02.33 ID:hVk7A2zU0
379 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/20(木) 20:55:34.92 ID:AGnApF+2o
ぼちぼち2,3レス投下のほうが俺は好きだけどな
380 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/20(木) 21:31:38.47 ID:GQUGJotgO
完結してくれるならどんな投下頻度でもいいよ
381 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:28:45.79 ID:ihq6t8Np0
「ありがとうございます……、すいません」

「良いの良いの、若い人は気を使わなくて。で、オオタくんたち、実際どうなの、調子の方は」

「うーん……良くはない、ですね」

その返事に、ヤギサワさんは肩をすくめて言葉を漏らす。

「ちょっと、初戦は勝ってよ? 試合後にも言ったけどさ、プロとやるくらいまでは」

「それはカズに期待……ってことで」

ね、と私の方を見て笑うカズさんに、私は苦笑いで返す。

「ま、何にせよやっぱりカズくん? がカギになるんだね。俺も試合、見に行くからさ、応援するよ」

「ありがとうございますっ。やれるだけ、やってきます」

「おうおう、楽しみにしてる」

あ、何か良いな、こういうの。

敵なのに敵対してるわけじゃないっていうか、仲間っていうか。

男同士って、こういう入り込めない世界があるよね。

「羨ましいなぁ」

「何が?」

つい想いを言葉にしてしまったら、ヒロさんが問いかけてきた。

「いや、何ていうか、仲間……みたいな感じがして。チームメイトじゃないのに、良いなって」

「そう? でもさ、ゆうちゃんだってもううちのチームの仲間じゃん」

「えっ」

「違うの? 応援してくれない?」

「いや、してますけど……良いんですか、私なんかで」

「良いも何も、大歓迎だよ。特にカズは、そう思ってると思うよ」

あはは、とヤギサワさんは声を漏らして笑った。

何だろう、何だろう。この感情を正しく言葉にできないけど、それでもまとめるなら、ただただ嬉しい。

「……本当ですか?」
382 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:29:21.47 ID:ihq6t8Np0
「うんうん、ていうか、嘘つく必要もないじゃん。本人に聞いてみる?」

ヒロさんは携帯を手にして、私に問いかけてくる。

「いやっ、それはさすがに……」

嫌じゃないけど、まだ平気な顔をしてカズヤと話せる自信は無い。

「そう? カズも元気出ると思うし……嫌じゃなかったら」

嫌というわけではもちろんないけど、私なんかで良いのだろうか。

私なんかが、あんなに迷惑をかけてしまったカズヤとまた話してしまって良いのだろうか。

「無理にとは言わないけど……」

そう言われてしまうと、急に惜しくなってしまうのが人間の心情じゃない?

悩んでいたのは本当なんだけど、でも、今を逃すと次はもっと悩んでしまって気まずくなってしまって、そんな気がした。

「……はい、お願いします。すみません」

「良いの?」

その確認には頷いて気持ちを表すと、ヒロさんはスマートフォンを操作して耳に当てた。

「あ、カズ、俺。今、大丈夫? 電車に乗ってない?」

どうやら、カズヤはまだ練習からの帰り道みたいだ。

確認をとったヒロさんは、「カズ、ちょっと電話代わるわ」と私の名前を出さずに耳から電話を話し、私に差し出してきた。

それをおそるおそる耳に当てると、ヒロさんは椅子から立ち上がり、「ちょっと話してくるから、ごゆっくり」と言い残し、ヤギサワさんと入口から店外へ出て行ってしまった。
383 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:30:01.85 ID:ihq6t8Np0
「もしもし……」

「……えっ」

「えーと、私。ゆうです……」

「えっ、何で? 何で、どういうこと? ちょっと待って、何?」

カズヤはまるで状況が読めてないようで、同じことを何度も繰り返す。

まぁ、事情がすぐに飲みこめる方がおかしいんだけどね。

「落ち着いて、ご飯食べにきたらね、たまたまオオタさんに会ったの。それで、オオタさんが気を使ってくれて、電話させてくれたの」

「あっ、なるほど……って、今どこ? ヒロさんも練習帰りってことはもしかして近く?」

「えーっとね……」

散歩しながら来た道だから、ここを何て説明したらいいのか分からない。

何て伝えようと思っていると、張り紙にレストランの名前が見えた。私がそれを伝えると「……あっ、分かったかも、ちょっと待ってそこ向かうよ」と言ってきた。

「えっ、えっ」

そうなると、今度は私が混乱する番がやってくる。

「あっ、迷惑だったら止めるよ、ルール……だったよね?」

「いや、迷惑とか嫌とかじゃないんだけど……」

ルールなのはそうだけど、それ以上に会いたい気持ちがあるのは間違いない。

ただ、彼は良いのだろうか。

「会ってくれるの?」
384 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:30:41.18 ID:ihq6t8Np0
あんなことに巻き込んでしまったのに。

それは言葉にできずにいると、カズヤは素で問いかけてきた。

「何で? むしろそれ、僕が言いたいんだけど」

それこそ、何で……なんだけど。

でも、きっと彼はそれを聞いても困るだけ、戸惑うだけなのかもしれない。

これが私の幸せな勘違いでなければ嬉しいんだけど、もしかしたら彼は私のせいで迷惑をかけられたとは、思っていないのかもしれない。

そんなことを考る私は、お気楽で頭が空っぽな女なのかもしれない。それでも良い。カズヤが迷惑じゃないと思っていてくれたのなら、それだけでもう私の悩みなんて無くなってしまう。

「……ううん、何でもない。楽しみ」

「ちょっと急ぐから電話切るね、また後で」

そう言い残すと、電話は切れてしまった。

……えっ、今から来る?

電話が切れて冷静になると、急に慌て始める私がいた。

どうしようどうしよう、そんなことになると思ってなかった。買い物に行ってたから服はおかしくないと思うけど、ここまで歩いて来たし汗臭くなってないかな?髪崩れてないかな?

そんな心配をしていると、ヒロさんたちがドアを開けて戻って来た。
385 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:31:23.53 ID:ihq6t8Np0
「カズ、何か言ってた? 元気出てそうだった?」

「いや、何か……あの、こっちに来るって」

ヒュー、と八木沢さんは口笛を吹いてみせる。

「やるねぇ、彼」

「それくらい、プレーにも積極性があると良いんですけどね」

私はお礼を言いながら携帯電話を返して、荷物を持ってお手洗いに向かって席を立った。

髪型……うん、崩れてない。メイク……も、大丈夫。よし。

お手洗いの鏡でゆっくりと自分の顔をチェックする。仕事の時は薄暗いからよく見えないと高をくくっているんだけど、今日はそういうわけにもいかない。

深呼吸をして、お手洗いの扉を開けて、自分の席に向かおうとしたところで、入口が開いた。

「おい、おせぇよカズ」

「いやいやヒロさん……あんな急に……」

本当に急いで来たらしい、カズヤは汗を流しながらの登場だった。

「こんばんは」

私の声に、彼はこちらに目を向けた。何だか久しぶりのような、そうでもないような、不思議な感覚。

私は今ここで、彼と会っている。目を合わせている。それだけで、ある種の奇跡のような気がしてしまう。

「……こんばんは」
386 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:31:51.03 ID:ihq6t8Np0
「ほら、じゃあカズ、後は二人で行ってこい」

笑いながらヒロさんがそう言うと、冗談のようにカズヤも返す。

「行ってこいって、どこにですか」

「そりゃ、お前が考えろ。俺は今からヤギサワさんと大人の話があるんだよ」

「ヤギサワさんって……あっ、こんばんは。キックスの……」

「こんばんは。ほら、女の子を待たせるなよ、行ってきな」

「えーっと……じゃあ、行く?」

その問いかけに、私は困ったようにしつつも頷こうとしてあることを思い出す。

「あっ、お会計……」

「そんなこと気にしなくていいから。オオタくんとカズくん? に、次の試合で勝ってもらうからそれが代金、ってことで」

プレッシャーかけないでくださいよ、とオオタさんが笑いながら突っ込む。ヤギサワさんも笑いを隠しきれない様子で言葉を続ける。

「ほら、行ってらっしゃい。俺は今からオオタくんと渋い大人のオトコ談義をするからさ」

「ありがとうございます……ごちそうさまでした」

申し訳ない気持ちもあるけど、こういう時は厚意に甘え無い方が失礼だと思う。

ぺこりと頭を下げると、カズヤは入口のドアを開けてくれる。

「じゃ、行こっか」
387 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:32:17.69 ID:ihq6t8Np0
どこに行くか分からないけど、と照れ隠しのように笑うカズヤにつられて、私も笑ってしまった。

後ろから「暗いから気をつけて」と声をかけられると、それにお礼を告げてドアを閉めた。そのドアに吊るされていたのはcloseの文字。

……あ、そうか。気を使ってくれてたんだ。

私がカズヤと電話をしている時に、他のお客さんが来て邪魔をされないように。邪魔なのは私なんだろうけど。

それにしても、改めて状況を考えると何だか緊張してしまう。

会いたくて、でも会えないと思っていたカズヤが隣にいる。それも、予想外に。

何となく、お互いに声をかけられないままお店から離れるように歩き始めた。気まずい沈黙ではないけど、私には話さなければいけないことがある気がする。

「「あのさ」」

話を切りだす声が重なって、私たちは視線を合わせた。お互いに小さく笑いながら、相手の言葉の続きを待つ。

「えっと……どうぞ?」

「ううん、カズヤからいいよ?」

「えっ、いいよ、大したことじゃないし」

「じゃあ尚更。私は、カズヤに話さないといけないと思ってたことだから、きっと長くなっちゃうし」
388 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/26(水) 00:40:54.79 ID:rtlKbPB2O
おつ!
389 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/26(水) 06:26:17.43 ID:wnNJJkBj0
待ってました!
390 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/27(木) 01:25:18.30 ID:BiEE8kd00
「えっと、うん、じゃあ、はい」

私はずっとドキドキしているけど、細かく言葉を区切って返事をするカズヤも、少し緊張しているのかな。そうだったら、少し嬉しい。

「あの、この間の、大丈夫? 怪我とかしてない?」

この間の、という時に、彼は自分の頬を指さした。

あの女の子、ヒロさんの妹さんに、平手打ちをされた箇所だ。

「うん、平気平気」

実際、その瞬間にぱちっと痛んだだけだし。

「そっか、良かった。あの……巻き込んでごめんね」

「巻き込んで、って?」

どういうことだろう。私がカズヤを巻き込んだのであって、彼が私を何かに巻き込んだりしただろうか。

「いや、ほら、事情もあんまり分かってないけどさ、せっかく応援に来てくれたのに、あんな風になっちゃって……」

「ううん、悪いのは私だし……あのね、その話を聞いてほしいの」

歩いたまま話すのも何だし、と言いたして、私は近くのコーヒーチェーンを指さして入らないか誘ってみた。

頷いた彼を見て、私たちは店内に足を踏み入れ、注文を済ませて席に着く。さっきコーヒーを飲んでしまった私はジュースみたいに甘いフラぺチーノを、カズヤはコーヒーをテーブルに置いた。

「ちょっと長くなるから、ごめんね」

そして私は語り出す。私自身の、堕落した物語を。
391 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/27(木) 01:25:46.32 ID:BiEE8kd00
えっと、まず最初に、あそこで働き始めたきっかけなんだけど、楽してお金を稼ぎたかったからなの。うん、もうダメ人間だよね。

それでね、お金はそこそこ、まあ私達の歳にしては金持ちだなってくらいには稼げたんだけど、今度はそのお金をホストに使うようになっちゃったの。

アキラっていうホストだったんだけどね、私は彼女でもないし、あっちだって彼氏でもないんだけど、ヤるだけヤっておしまい、みたいな。

彼女になれないって分かっていても、私は彼に貢ぐことをやめられなかったし、抱かれたらやっぱり嬉しかったの。
 
でも、このままじゃいけないって漠然と思ってた時に、カズヤに会って。

最初は若くて珍しいお客さんだなって思ってたの。でも、たまにだけど、カズヤ以外にもお店に来てもエッチなことをしないお客さんもいたし、そういううちの一人かなって。

そう思ってたんだけど、でも何か違うなって。

どこが他のお客さんと違うかは分からないんだけど、羨ましかったのかも。

同い年でも、私は何にもない、ただの風俗嬢。でもカズヤは好きなことがあって、それを追いかけていて。そんな目標があって前に進んでるカズヤが、羨ましかったんだと思う。

正直ね、何でサッカーしてるんだろうって思ってたの。見に行ったのだって、応援とかより興味本意っていうのが正直。だって、お金にもならないのに何で苦しい思いをして走るんだろう、追いかけるんだろうって。

でも、あの日カズヤのプレーを見て、感動したの。

嘘じゃないの、本当だよ。私みたいなクズに言われても嬉しくないかもしれないけど、本当に。これだけは信じてほしいの。

変な話、救われたんだ。

プロじゃない、お金にもならない。それでもカズヤは走ってて、ボールを追いかけていて、人を夢中にさせて。

覚えてるかな、初めて見に行った試合で、他の人が諦めたボールをカズヤが追いかけて、そのままゴールになったプレー。

技術的なこととか私は全く分からないけどさ、理由じゃないんだなって教えてもらった気がするの。

「何でお金にならないサッカーをするの」とか「他の人が諦めてるのに何で追いかけるの」とか、私は理由ばかり探してしまっていたのね。

私は臆病者で楽をしたがるダメな女だからさ、理由が無ければ頑張らなくて良いやって思っていたのね。

高校を出て進学をしなかったのは、勉強を頑張る理由が無かったから。定職につかなかったのは、働きたい理由が見つからなかったから。

唯一の理由が「遊ぶお金が欲しいから」っていうもので、だから何となく、今の仕事についたの。
392 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/27(木) 14:28:23.17 ID:eyooOuKLO
続き楽しみにしてる
393 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/27(木) 22:02:55.02 ID:BiEE8kd00
楽な仕事じゃないけど、嫌なことばかりでもないよ。

カズヤにも会えたし、私と会えて良かったって言ってくれる人もいたり、可愛いねって褒めてもらえたり。でも、好きでやってるわけでもなくて。

カズヤの試合を見てね、今のままじゃいけないって本当に思ったの。

私は何が楽しくて生きてるんだろう、何を追いかけているんだろうって。

買い物をするとか、美味しいものを食べるとか、楽しいことはいっぱいあるんだけどさ、カズヤにとってのサッカーみたいなものが、私には無いってことが、恥ずかしくなってきたの。

でも、思うだけで行動に移すこともなかなかできなくて。アキラ、ホストね、彼にも貢ぐのもやめなきゃって思っていたんだけど、それも無理で。

変わりたいけど変われなくて、どうすればいいんだろうって。

あの女の子いたじゃない、この間、スタンドに来た子。あの子の彼氏がさ、たぶんアキラなんだと思う。

アキラって源氏名だから、私も本名は知らないんだけど、それ以外思い当たる節は無いから。

彼には、女の子がいっぱいいるから。私はそのうちの一人だったってだけの話。

……ごめんね、面白くもない話をダラダラと。

たぶん、私のそういうダメなところが重なって、この間みたいなことになったの。

全く関係のないカズヤを巻き込んじゃって、本当にごめんね。
394 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/27(木) 22:03:26.59 ID:BiEE8kd00
そこまで言い切って、黙って聞いてくれていた彼の顔を恐る恐るのぞいてみた。

きっと私は失望されてしまっただろう。こんな話を聞いて、そうじゃない方が変だと思う。

「そっか」

小さく、彼は呟いた。

困らせてしまったかな、そうだよね。急に自分語りをしちゃって、何て言って良いかもわからないよね。

「ごめんね、変な話をしちゃって」

でも、それでも、私は彼に話さないといけないと思ったの。本名も伝えてない、連絡先も教えてない、それでも私は、彼に対して誠実でいないといけない気がした。偽りの自分なんてかっこいいものじゃなくて、堕落した私の嫌なところを彼には見てもらう必要があった。

誰にも見せていない、私の 汚い部分を、好きな人だからこそ見てもらいたかった。

誰にも胸を張れない私を、認めてはくれなくても知っては欲しかった。

カズヤのまっすぐさは、私じゃなくてサッカーに向いているものだ。それでも、私も彼のように、何かに対してまっすぐでいたかった。誠実になりたかった。そしてその何かは、自分の好きなものじゃないとダメだった。

あんなに憂鬱だったのに、カズヤに会えるってだけで嬉しくなってしまった。カズヤがもしかしたら私に会うことを嫌じゃないのなら、幸せだと感じてしまった。

そして私は気づいてもしまった。

私は、カズヤのことが好きだ。
395 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/27(木) 22:38:26.28 ID:sZTAIthkO
おつー
396 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/27(木) 22:44:56.24 ID:JIvLIZrpo
おつ
長く追い続けてきたけどそろそろ終わりそうで悲しいな
397 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/28(金) 01:44:14.52 ID:B0K4t2/80
「ううん、話してくれてありがとう」

ありがとうは、私のセリフだ。

最後まで口を挟まずに聞いてくれて、ありがとう。

軽蔑されても、これで彼が私に近づかなくなっても、それは仕方が無いことだ。

このまま自分のことを黙って、汚い部分を見せずに彼に近づいていくよりは、ずっと良い。

それが、私なりの誠実さだった。

「でも、何で僕に話してくれようと思ったの?」

勇気が必要なこと……だよね。

と、彼は言い足した。

確かに怖かった、というか、今でも怖い。話を聞いたカズヤが、私のことをどう思っているのか。良い感情ではないとしても、どれくらい私のことを嫌いになったのか。

でも、それを乗り越えようとする勇気をくれたのも、あなただった。

「言ったじゃない、変わりたいと思うきっかけをくれたのは、カズヤだったから」

あなたの姿を見て、私は本当に変わりたいと思えた。

そして、もし私が本当に変われるとしたら、やっぱりカズヤの前で変わらないといけないと思ったの。そこで変われなかったら、私はきっとどこでも今までの私のままだったから。

「私を軽蔑したかもしれないけど、でも、きっかけをくれたカズヤに聞いて欲しかったの。私のわがままに巻き込んじゃって、ごめんね」
398 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/28(金) 01:44:44.82 ID:B0K4t2/80
「ううん、迷惑なんて全く。聞かせてくれて、嬉しかったよ」

「嬉しかった?」

「だってさ、僕はゆうちゃん……いや、『貴方』のことを何も知らないから。身の程知らずだって思うんだけどさ、あの後改めて思ったんだ、貴方のことを何も知らないなって」

『貴方』と言ってくれたことが、何だか暖かい言い直しに感じられる。

堕落した私である『ゆう』ではなくて、新しく『私』を見てくれているきがして。

ただの勘違いで、私に対して距離を置こうとしているだけかもしれないけど、それでも、私は嬉しかった。

「……何も話せなくて、ごめんね」

「いやいや、謝ってほしいとかじゃなくて!」

慌てて言葉を続ける彼に、私は耳を傾ける。

「ほら、名前も知らないし、僕から会おうと思うとお店でしか会えないし。寂しい、って思うことも間違ってるんだろうけど、でもやっぱり会えて嬉しかったんだ。会いに行こうかなって思ったけど、お店じゃどんな顔して会えば良いか分からなかったし。迷惑かなって」

それには首を横に振って見せる。

私だってカズヤに会いたかった。ただ、会う手段が無かっただけで。
399 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/28(金) 06:36:20.99 ID:2g1syD2C0
良い
400 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/30(日) 12:32:23.26 ID:EcTh8wP50
それでも、私は彼に気持ちを伝えることができない。

彼の会いたいという気持ちが、イコールで好きであったとしても、私はそれを確かめることもできない。

臆病な言い訳なのかもしれないけど、今の私は彼に到底つりあっていない気がする。彼が私を嫌っていなかったとして、それでも私なんかが隣に立っていていいのだろうかと思ってしまうの。

「……また、応援に行っても良い?」

だから私の口から出てくるのは、そんな言葉。

本当は、伝えたい気持ちはもっといっぱいあるのに。好きだってことを伝えたいのに。

それを彼に言葉で伝えることが、今の私にはできない。

本当は、胸を張って見に行けるだけで嬉しいはずなのに、欲深い私は、もっともっとと欲しがってしまう。

カズヤにはもっとお似合いの女の子がいるのかもしれない。元カノだったらしい、サキさんも凄い美人だったし。私なんかが好きでいても、どうしようもないのかもしれない。

そんなのは、結局ただの言い訳に過ぎないんだけど。

カズヤに拒絶されるのが、今の私には何よりも怖い。もちろん、カズヤにだって女を選ぶ権利がある。私に対するカズヤの好意がどういった類のものか分からない私には、その一歩を踏み出すことができない。

私は乞うように彼を見つめる。どうか臆病な私を許してほしい。
401 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/31(月) 01:37:26.59 ID:bvvohl5i0
「うん、こっちからお願いしたいくらい」

そう言って、カズヤは笑って私を見た。安心させてくれる、太陽みたいな笑顔だ。私には、眩しすぎるくらい。

「じゃ、気合い入れて応援に行くね! もう迷惑はかけないように、後ろの端っこで見てるし、終わったらすぐに帰るから」

カズヤが応援に来ても良いと言ってくれても、問題が解決したわけではない。彼女からしてみたら私なんかただの二股女で、見たくも無いにちがいないだろう。

「あ、うーん……そっか。話せないのは残念だけど……そうだよね、うん。」

残念がってくれるのは嬉しいけど、私にはそうするしか方法が無い。また彼女の前でカズヤと話していたら、次はもっと酷いことが起きるかもしれないから。

「あの、迷惑じゃなかったら、だけど……」

言いづらそうに、カズヤが声を出した。

「どうしたの?」

キョトンとした目で、私は問い返す。今まで散々彼に迷惑をかけていたのに、彼にどんな迷惑をかけられても、私には責める権利なんてない。

「連絡先、交換してもらっても良いかな?」

やっぱり迷惑だよね忘れて、と彼は言い足したけど、忘れることなんてできない。

「……そんなことで良いの?」

むしろ、それは私が望んでいることでもある
402 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/31(月) 01:43:27.74 ID:e3mOjDGY0
支援
403 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/31(月) 02:23:59.92 ID:dq/pJ1qso
最近本ばっか読んでるけど、そこらの本よりこのSSのが面白いわ
404 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/31(月) 20:31:36.73 ID:4zI8gLcZO
やっと追いついた。人間の暗い部分を書いてるのに絶妙に甘くて物凄い好みだな、更新頑張ってくだされ
405 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/01(火) 01:04:04.78 ID:ry+afxMv0
「良いの?」

不安そうな目で、彼は私を見返してくる。

それはこっちのセリフなのに。今にも「冗談だよ」って言われるんじゃないかって怯えていたのは私なのに、彼のその可愛さすら感じる視線に、私はつい笑ってしまいそうになる。

「もちろん。私も、カズヤの連絡先、知りたかったし」

何かこれ、携帯を持ったばかりの初々しい学生みたい。こんな歳になっても、連絡先を交換できるというだけで、私はこんなに舞い上がってしまいそうになる。

彼との距離が、一つ縮まったことを実感できるから。私が素敵な人間になったとか、カズヤみたいになれたとか、そういうことじゃないんだけど。それでも、私はただただ嬉しい。

「えっと、赤外線ある?」

私のその言葉に、カズヤは「あ、アドレス?」と聞き返した。

彼の携帯画面を覗いて見ると、スマートフォンユーザーの大半が使っているであろうメッセンジャーアプリが立ち上げられていた。

「あ、そっか。そっちの方が良いよね」

連絡先の交換なんて、高校を出てから滅多にしなくなったから、ついつい昔の感覚でそっちを選んでしまった。大学生だと連絡先を交換する機会もいっぱいあるだろうし、簡単なアプリの方が便利なんだろう。

私も彼にならってそのアプリを立ち上げようとすると、彼にそれを制された。

「待って、 僕も赤外線準備するから。せっかくだし、アドレスと番号交換しようよ。そしたらアプリでも追加されると思うし」
406 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/01(火) 01:04:49.21 ID:ry+afxMv0
彼のその優しさに、私は甘えることにした。

アプリが嫌ってわけじゃないんだけどさ、何か軽い気がするんだよね。グループで複数人と話せたり、可愛いスタンプを送れたり、メールにはない便利な機能もあるんだけど、だからこそ軽い……っていうか。

「本当は、僕もアドレスと番号知りたかったし。ただ、重たいかなって?」

「重たいって?」

「ほら、アプリならさ、僕のこと嫌になったらすぐに拒否できるけど、メールと電話も拒否できるとはいえ個人情報じゃん。良いのかな、って」

そんな杞憂を真面目な顔で話されて、私はつい笑いをこぼしてしまった。

「良いに決まってるじゃない。カズヤこそ、良いの? 私、悪い女だよ?」

「自分でそんなことを言う人に悪い女はいないから。ほら、早く」

気づくと、彼は赤外線を既に準備していた。送信の彼に合わせて、私は受信をする。

「シイナ……っていうんだね、苗字」

「うわ、そっかそこからか、今さらだよね。何か恥ずかしい……」

照れたように俯く彼を見て、今度は私が送信するように準備をする。俯いたまま、カズヤも受信ボタンを押して、私の個人情報が、彼の携帯に流れていく。

「送れた?」

「……うん、きた。そういえば、僕、名前も知らなかったんだよね」

ゆうちゃん、が当然の呼び方になっていたから、何の違和感もなかったけど。言われてみれば確かにそうだ。
407 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/01(火) 01:18:53.86 ID:ry+afxMv0
「これ、ぼくはどっちの名前で呼ぶべき?」

「どっちって?」

「この名前と、『ゆうちゃん』」

「えー、カズヤの好きな方で良いよ。呼びやすい方で」

本当は、もちろん本名の方が嬉しいんだけど。とはいえ、呼び慣れた方が恥ずかしくないとか、そう言う気持ちも分かるからわがままは言わないでおこう。

「そっか、分かった」

彼は腕時計をチラっと見た。私もつられて携帯で時間を確認すると、楽しい時はすぐに過ぎるからか、それとも私が緊張しすぎたせいかは分からないけど、もうかなり良い時間だった。

「時間大丈夫? そろそろ、帰ろうか」

彼にそう聞かれて、私も頷く。本当はもっと話したいんだけど、もう今までみたいにあやふやな繋がりじゃない。私たちは、明確に繋がっている。

連絡先を知っているから繋がっているっていうのも、ちょっと機械的な気もするけど。

「それじゃ、行こうか」

私の分のコップも持って、彼はそう言った。その小さな優しさすら、とても嬉しいものに思える。

素敵な服の掘り出し物があったわけでもなければ、宝くじにあたったわけでもない。私のこの気持ちが満たされるかどうかも分からない。

なのに、私はこの夜をきっと忘れないと分かった。

それくらい、大切な時間だった。
408 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/02(水) 00:01:05.72 ID:q2DoNl/B0
サッカー日和というにはあまりに強い日差しだ。八月も終わりだというのに、残暑が猛威をふるっている。

天皇杯初戦、やっとここまで辿りつけた。

会場は予選決勝と同じでも、空気感が違う。

テレビの中継も入っているし、お客さんの数だって少なくは無い。やっぱり、予選と本戦って何か違う。

「何だよ、カズ、緊張してんのか?」

ロッカールームでの円陣を終え整列していた僕に、後ろからヒロさんが声をかけてきた。

「いやいや、武者震いですよ」

「ははっ、頼もしいことで」

ヒロさんとの空気は、あの夜以来元通りになってしまっていた。

大したことは無い会話……っていうか、挨拶くらいしかしてないのにね。不思議だけど、そういうことって結構あるのかもしれない。

勝つぞ、と言ってヒロさんは僕の背中をバシッと叩いた。それに応えるように、僕は手を挙げる。

アンセムが流れ始めて、前方に並んでいた人たちからピッチに向かって足を進め始めた。

高揚感と緊張が良い感じに胸にこみあげてくる。さあ、ゲームを始めよう。  
409 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/02(水) 08:13:15.19 ID:O68NOyEqO
このまま平穏に
と思っても、色々問題が燻ってるんだよな
先が怖い
けど読みたい
410 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/03(木) 01:47:36.01 ID:wCP4j9i60
試合が始まってすぐに、一つの事実に気がついた。 

彼らは、チームとしてはキックスほどのレベルではなく、ワンマンチームだってこと。

所属しているリーグという肩書きだけではなく、実際の選手の能力もキックスには劣っているように思える。一人を除いて、の話ではあるけれど。

油断とか慢心とかじゃなく、勝たないといけない相手だと思う。次に当たるプロと少しでも良い試合をしたいと思うのなら、圧勝とは言わずとも、手こずって良いチームではない。

相手にとってもそれは当てはまることなんだろうけどね。

気がかりは、ディフェンダーなのに僕のマークが厳しいこと。普通だったらディフェンスのオーバーラップなんて、そのタイミングでケアをするだけなのに、今回は逆サイドにボールがあるときでも、中盤のサイドの選手が僕を見てきている。

光栄なことなんだけど、僕より意識すべき人はいるはずなのにね。それこそ、予選決勝でスーパーボレーを決めた選手とか。

僕をケアしている彼は、試合前のミーティングで要注意選手としてあげられていた。高校時代には選手権で全国四強まで進み、大学でもユニバーシアード代表に選ばれるほどの選手だと、ヤマさんは警戒を呼び掛けてきた。

相手チームのなかでは例外とも思えるくらい、技術レベルが高い選手だ。

プロになってもおかしくない世界でやってきた選手と、僕は今日マッチアップをしている。

彼に負けると、僕が穴として狙われてしまうことになる。絶対に負けることはできない。

僕がそんなにVIP待遇でケアをされている一方で、ヒロさんにも当然ながらマンマークが付けられている。

うちのチームの決定機は、ほとんどヒロさんを経由してのものだ。そのヒロさんにボールが渡らないとなれば、必然的にチャンスは減ってしまう。
411 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/06(日) 12:35:30.05 ID:qWMiNwlXO
ヒロさんも僕も、なかなか厳しい試合になりそうだ。

僕と対面する相手のエース……イヌイというらしい彼は、一対一の局面でボールを持つと必ず個人技で勝負を仕掛けてくる。

ボールを失わないことを第一に考えて、バックパスや横パスを多用しがちな僕とは、言わば真逆の選手だ。

そして、その個人技は当然のことながらレベルが高い。

キックスよりリーグカテゴリは低いはずなのに、前の試合の数倍、僕は圧されている。

決定機を作らせないことに一生懸命で、カットインのコースを消すことに従事すると、今度は深く切り込まれてクロスをあげられる。

相手フォワードの決定力が低いからか、センターバックが頑張っているからか、或いはどちらのおかげでもあるのか、まだ得点は決められていない。しかし、それも今のままだと時間の問題のように思える。

試合自体は防戦一方とは言わずとも、現状では僕のサイドはイヌイに好き勝手されている。
412 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/06(日) 18:00:01.96 ID:TlDytG7AO
カバーに来ないボランチが悪い
413 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/06(日) 18:11:19.42 ID:sIA4s3Ywo
サイドバックは忙しすぎる
オーバーラップとかしないと怒られるし
したらしたで守備が疎かとか怒られる
414 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/07(月) 01:20:02.77 ID:YISJ/UDc0
イヌイにパスが渡る瞬間に近づいて圧を与えようとしても、彼はぴたりと足元にボールを納めて見せた。

中央へのコースを切っているから、縦に仕掛けてくるしかないのは分かっている。

イヌイは一瞬だけ中央へ切り込むように右足アウトサイドでボールを押し出そうとする。それに反応して、僕の重心が移動した瞬間、ボールは予測していたのと逆方向に転がっていた。

かつてのブラジル代表のエースが得意としていた逆エラシコというフェイントだ。練習でやってる選手はいても、実際の試合で使うには相当な技術が必要な技を、イヌイは簡単にやってのけた。

僕をあっさりとかわした彼は、そのままダブルタッチ気味に左足でボールを前に運んで僕に背中を見せつけてゴールに向かって斜めにドリブルを始める。

もちろん、僕だってこのまま独走をさせるわけにはいかない。すぐに体制を立て直して、縋るように彼を追いかける。
 
カバーに入ったセンターバックが引っ張りだされたスペースに、二列目から相手選手が飛び出してくる。そして、イヌイは簡単にそこにパスを出した。

やばい、ボランチが振り切られている。
415 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/08(火) 02:01:00.90 ID:+S2KEddA0
ボールウォッチャーになっているこっちサイド、右センターバックはイヌイのパスアンドゴーの動きに気づいていない。

くそっ、間に合え!

ボールサイドに関わらず、ドがつくほどフリーになっているイヌイの背中を追いかける。幸いにも、彼はドリブルが巧みであっても俊足というわけではないらしい、間に合えっ。

二列目の選手は、届いたパスをそのままランウィズザボールのように大きく前に蹴りだして走りだした。

センターバック二枚が挟み打ちのようにそこを目指していくと、それをあざ笑うかのように彼はイヌイに向かってリターンのパスを出す。

技術的な問題なのか、そのパスは精度に欠けて少し長いボールとなっている。

いける、間に合う。

夢中で走って、イヌイがボールに触れる直前にスライディングで右足を伸ばす。

どうにかつま先に当たったそれは、そのまま縦に流れてタッチラインを割った。イヌイは、伸ばした僕の足につまずいて倒れてしまったけど、笛は鳴らずに流してくれた。

危ない、今のは僕が簡単に振り切られてしまったせいだ。

「二列目気をつけろ!」

自分の反省は心の中で消化すると、立ちあがりながらボランチに注意を促す。
 
倒れたままのイヌイに手を差し出して立ちあがらせる。

「やるじゃん、間に合うとは思ってなかった」

「そっちこそ、あんなフェイント持ってるとは」

そんな言葉を交わすと、彼はコーナーに向かった。

決定機は免れたとはいえ、まだまだピンチだ。
416 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/08(火) 02:07:46.94 ID:+S2KEddA0
ボールをセットした彼は、右足でゴールに向かってくるボールを蹴って来た。

幸いにも高さはこちらの方があるようで、先程はウォッチャーになってしまっていたセンターバックがそれを跳ね返す。

そのボールをヒロさんが拾って前を向くと、すぐに相手選手がプレッシャーをかけてくる。

混戦状態から逃げ出すためにクリアしたボールを相手選手が拾うと、コーナーのままサイドに張っていたイヌイに、アタッキングサードで再びパスが渡る。

ゴール前からポジションを戻していた僕と、再びマッチアップ。

今度は何をしてくる?

不思議だよね、上手い選手が相手チームにいるって自分たちにとっては良いことじゃないのに、でもこんなにワクワクしてしまう。

イヌイを止めることができたら、勝つことができたら、僕はまだまだ上手くなれる気がする。
417 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2015/09/09(水) 02:40:37.16 ID:E343tD0OO
今度は縦に突っかかってくる。どうにかダッシュで対応しようとすると、足裏で急にボールを止めて急停止をした。それに反応をして体の動きを無理にブレーキをかけた瞬間、イヌイは再びボールを前に運んだ。

プルプッシュというフェイントだ。ぱっと見では華麗な足技でじゃないけど、あのキレで繰り出されたら足止めするのも楽じゃない。

再び振り切られた僕は、つい手を彼に伸ばしてしまった。

強い笛が鳴って、審判が僕に近づいてくる。

強い口調で注意を促されたけど、カードは貰わずに済んだ。危ない、このやられようだとどこかで一枚はもらう羽目になるかもしれないけど、今はまだ前半だ。それにはあまりに早すぎる。

イヌイは立ち上がり、ボールをセットしようとする。

薄く笑っているように見えるのは、僕を手玉に取ったという勝利感からなのだろうか。

くそっ、見てろ。

そんな悔しさもそこそこに、僕はフリーキックの壁に入る。

中央の選手に向かったボールはやはり弾き返すことができて、こぼれ球がヒロさんの前に落ちた。

そのまま前を向き、マーカーが寄せてくるよりも早く、前線に張っていたフォワードに向かって強いグラウンダーのパスを出した。
418 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/09(水) 20:25:51.90 ID:vGGigxYAO
ところで4−4−2なの?中盤はダイヤモンド形?
419 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/09(水) 20:41:11.97 ID:lEdQYEDXO
それあんまり関係なくないか
420 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/14(月) 01:10:37.75 ID:ooCh5tra0
久しぶりにこちらが攻撃する番だ。

フォワードは相手のセンターバックを背負ったまま、ヒロさんからのパスをキープしてためを作っている。

フリーキックのキッカーになっていたイヌイに追いつかれる前に、全力で前に向かって走る。とにかく枚数を増やさないと、数的不利ではカウンターのカウンターにされてしまう可能性が高い。

全体が押しあがり始めたところで、キープしていたボールはボランチに一旦落とされた。

「来い!」

そのボールを要求するのは僕の仕事だ。

中央から一気に右サイドに展開されたボール、僕はそれをトラップしてそのままサイドをえぐる。

ドリブルを始めると、どうしても普通に走るよりは遅くなってしまって、後ろからイヌイの足音を感じてしまう。

一か八か、僕の選択はアーリークロスだった。

ゴール前にはフォワード1枚と、縦パスを入れてから走っていたヒロさんの二枚。

高さでは五分……いや、うちのチームの方が低い。

一瞬の判断で、高くて緩い弾道ではなく、低くて早いライナー性のクロスを上げた。

後ろからイヌイがスライディングで足を伸ばしてきたけど、それより一足先にボールはゴール前に向かって飛んでいく。
421 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/14(月) 08:40:51.15 ID:Dp6tbt9jO
やだ
この子格好いい
422 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/15(火) 01:53:40.22 ID:d5zLQOj+0
その弾道を見届けた直後、僕はイヌイの足に引っ掛かって転倒する。

しかし、クロス自体はゴール前に飛んで行ったからか、審判がプレイオンを宣告してプレーは続いた。

どうなった?

ボールに合わせる音が聞こえて、倒れたままに慌てて首をそちらへ向ける。ゴール前では、後ろから走り込んできたからかヒロさんがフリーでいて、しかしダイレクトボレーをふかしてしまっていた。

珍しいな、あれくらいフリーだったら枠内には飛ばせる技術があると思うんだけど。
                     
審判はゴールキックに移る前にプレーを一度止めて、イヌイに注意をしに来た。

彼はそれに頷きながら、僕の手を引っ張って立たせる。

「大丈夫か?」

「もちろん」

こんなことで怪我なんかしていられない。イヌイとのマッチアップは楽しいし、勝てばもっと楽しくなってくる。こんなところで怪我をするわけにはいかない。

立ちあがって彼の肩を叩いていると、ヒロさんからも確認の声が聞こえてきた。

「カズー! 大丈夫かー!」

それには、僕はサムズアップで返事を帰す。流れのプレーだったし、モロに入ったわけじゃない。

ちょっと大げさだな、なんて思いながら、僕はゴールキックに備えてポジションをとる。
423 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/15(火) 02:05:44.32 ID:d5zLQOj+0
それからも、僕とイヌイのマッチアップは勝ったり負けたりの繰り返しだった。僕は勝負をしかけるタイプではないから、要するに抜かれたり止めたり、ってことだ。

イヌイの個人技は圧倒的だけど、周りの選手が彼のレベルに追い付けていないから、そこに助けられている感はある。本来なら、都道府県リーグレベルの選手ではないんだ。

彼の活躍で、県リーグでは首位を独走、次は地域リーグに昇格しそうな勢いだってミーティングでは聞いたけど、彼はなぜこのチームでサッカーをしているんだろう。もっと上のチームにも入れたはずなのに。

いや、試合中に余計なことを考えるのはやめておこう。とにかく今は、イヌイをどうやって止めるかに集中しないと。

前半も着々と時間が過ぎ、そろそろ前半終了が近づいて来た。

どちらかといえば押してる相手からすると、前半中に一点を奪いたいだろうし、逆にうちは耐えて後半に希望を繋ぎたい。

ここが正念場だ。

相手センターバックがボランチに預けたパスが、そのままイヌイに渡った。

対峙しないと分からない、何かをしそうな選手ってこういうことなのかな。今までにマッチアップしてきた選手の中ではヒロさんしかもっていなかったような、華やオーラみたいな何かを、彼には感じてしまう。

きっと、僕には持つことができないものだ。

それでも、だからと言って諦めるわけにはいかない。
424 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/18(金) 01:40:41.48 ID:bPnTwyh70
半身の姿勢になって彼の仕掛けに備える。

さぁ、来い。

右の足裏でボールを転がすように前に進め、そのまま左足のインサイドでカットインを狙ってくる動きを見せてきた。

そうはさせないと中央への切りこみを防ごうと動くと、彼の左足はボールに触ることなくまたいでいき、そのまま更に縦に進まれた。

シンプルなインサイドシザースではあるけど、何度も何度も練習したのか、天性のものなのかその動きにつられてしまった。

そのまま独走されそうになって、つい右手が彼の背中を掴みそうになる。

縋るように伸ばしても、それは届かぬところまで進んで閉まっていた。

まずい、この時間に失点だけは避けないといけない。リードされて前半が終わると、うちのチームには絶望感が、相手チームには楽観的な感情がわいてくるに違いない。

後ろから全力で追いかけつつ、ゴール前の枚数は足りているのを確認する。

技術で負ける僕ができるのは、頭をつかってその分をカバーすること、考えてプレーすることだ。

クロスなら対応できる。問題はシュート。でも、それにはこのままでは角度が無さすぎる。

必ずどこかで中に向かってくるはずだ。そこで追いつく。
425 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/24(木) 00:23:22.54 ID:vxtZq+kh0
僕の読みとは裏腹に、彼はほとんど中に向かうことなくサイドを縦に切り裂いていく。

読まれている?

だとしても、少しくらい中に向かった方がフェイントの幅も広がるし、クロスだって質が高くなるはずだ。

ドリブルの彼よりは純粋に走っているだけの僕の方が早くて、徐々に彼の背中が近づいて来た。

よし、ここで体を当てる。

その決心で体を当てようとした瞬間、彼はボールを右足のアウトサイドに引っかけて止めた。そのブレーキに、タックルを仕掛けていた僕の体は反応できずに勢い余って倒れそうになってしまう。

そんな僕をあざ笑うかのように、彼は僕の背中を抜けて中央へカットインしていく。もうペナルティエリアの中で、彼から見てゴール前左ななめ45度。巻いてシュートを打つには絶好の角度だ。

視線をゴールに向けてシュートモーションに入った。センターバックが慌てて寄せに行ったところで、彼は冷静にアウトサイドでゴール前のディフェンダーに優しくパスを出した。

そのボールがぴったりとフォワードに渡り、足が振り抜かれそうになった瞬間、そのボールはクリアされ、前半終了を告げるホイッスルが二度鳴らされた。

スライディングで足を伸ばしたのは、他でもないうちのチームの10番、ヒロさんだった。
426 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/24(木) 00:50:12.89 ID:ZcwKVY9AO
サッカーの描写がどんどん詳しく書かれてきて嬉しい
427 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/27(日) 22:32:51.14 ID:9gMdeDUs0
「チェッ、ちょっと弱かったか」

イヌイは反省の独り言を漏らすと、僕に近づいて来た。

「お前、やるね」

そう言って肩をぽんぽんと叩くと、彼は自分のベンチに向かって歩いていった。

やるね、だって? こんなにボコボコに崩されて、攻撃のパターンもほとんど作れていなかったというのに?

試合はともかく、少なくとも前半の『勝負』においては、僕は彼に完敗だった。いや、元の実力差を考えたら当然のことかもしれないんだけど。

落ち込んでいるというよりは、能力差を見せつけられて落ち込んだというべきなのかな。あれだけ上手くても、彼はプロにはなれなかったのだろうか。

少し肩を落として俯き気味に歩いていると、ヒロさんに急かされた。小走りで追いついて、並んでベンチに向かう。

「前半を無失点でいけたのは大きい、良い働きだったよ」

励ましなのか慰めなのか、ヒロさんは僕にそう言ってくれる。

「いや、全然……形は作れなかったし、崩されまくってたし……」
428 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/29(火) 23:03:19.50 ID:vvz9dm25O
足りないよ
429 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/30(水) 22:17:39.12 ID:S515wxf90
「あのな」

ヒロさんは、強い口調で僕に言い聞かせる。

「イヌイを抑えるっていうのは簡単なことじゃないんだよ。で、どんな形であれお前は前半は無失点に抑えた。それで良いの」

分かったか、と確認するような目つきで僕を見てくるから、分かりましたと答える代わりに頷いた。

本当は、釈然としないんだけどさ。でも、たしかにこれは僕とイヌイの勝負じゃない。僕たちと、イヌイたちの試合なんだ。個人のマッチアップで負けても、チームを勝たせないと意味が無い。

ベンチに戻ると、自分で給水ボトルを拾いに行く。

今まではミユが渡してくれていたけど、彼女は相変わらずうちのチームに顔を出さない。練習だけでなく、試合にまで来ないって言うのはちょっと予想外だった。

ヒロさんとの関係は回復しても、ミユとはその機会もないままだった。何て話して良いかも分からなくて、連絡すらできていない。

チームメイトなんだから、一緒に戦いたかったって言うのは、本心。

気まずいから、来てなくて良かったというのも、本心。

「おい、カズ、聞いてるか?」

そんな声で、頭がミーティングへ戻される。

「えっ」

「バカ、集中しとけ。イヌイとのマッチアップで疲れてるのも分かるけど……後半、お前がキーマンだぞ」
430 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/30(水) 22:25:45.38 ID:S515wxf90
後半の作戦はこうだ。

イヌイは個人技でガンガン仕掛けてきて、相手チーム全体が彼に信頼感を置いている。当然だ、彼のレベルは明らかに傑出している。

そして、そこに隙がある。

イヌイは攻撃に特化した選手だから、守備に限ってはこのピッチ上で標準程度のレベルでしかない。

ただ攻撃は最大の防御という言葉通り、彼が守勢に回ることは滅多にない。イヌイが勝負を仕掛けると、シュートなりラインを割るなり、何らかの形でプレーが止まり、守備の形を作られてしまうからだ。

しかし、流れの中では彼が仕掛けてきた時にできる、裏の広大なスペースはカバーされることなくぽっかり空いていることが多い。本来カバーに入るべき選手が、イヌイのサポートをしやすいポジションに入ることが多いからだ。

つまり、そのスペースをつくことができれば、必ずチャンスが出来る。

そのために重要なのは、イヌイにやりきらせないこと。流れでボールを奪いきってしまうことだ。

「要するに……」

「まぁ、簡単な話、お前がイヌイに勝てってことだよ。マッチアップで」
431 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/10/05(月) 01:02:01.05 ID:5ALlwoTv0
「いやいや……あんなにボコボコにされてたのに……」

実際、攻撃する余裕なんて全くないほど、赤子の手をひねるより簡単に僕は手玉に取られていた。

それなのに、彼を止めてカウンターを狙え? 無茶だ、できるとは思えない。

冷静にそんなネガティブなことを考えているのに、ワクワクしてしまっている自分もそこにはいた。

彼からボールを奪えたら、カウンターを決めることができたら。それはどんなに気持ちが良いことだろうか。どんなに爽快なことだろうか。

「とにかく、チームとしての後半の攻撃プランは右サイドのカウンター。で、カズの負担が大きくなるから、そこのカバーとフォローは忘れずに」

オッケー? とヒロさんが全体に確認をして、それぞれが返事をする。

「最近、ヒロのほうが俺より監督っぽいよな」

そんな愚痴を、ヤマさんはこぼしていたけれど。
432 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/10/05(月) 01:54:51.60 ID:5ALlwoTv0
ハーフタイム終了を告げる笛が鳴らされて、僕たちはピッチに戻っていく。

イヌイと視線がぶつかると、彼は僕に笑って見せた。

『後半はお前を抜いてゴールを貰う』

そんなメッセージが込められている気がした。

僕も、やれるもんならやってみなという気持ちを込めて笑い返しておく。自信はないけど、実力で負けているのに気持ちでも負けるわけにはいかない。

視線が外れて、笑顔を止めてはっと気付いた。

数年前のブラジル代表のエースは、プレー中でも笑顔を絶やさなかった。サッカーを純粋に楽しんでいるから、漏れてしまうらしい。

前半の僕はどうだ?

守備に忙殺されて息があがってしまっていたとはいえ、楽しめていたのだろうか。笑えていたのだろうか。

イヌイみたいに凄いプレイヤーとマッチアップできる、この試合。もっと楽しもう。そうしないと、ここまで来た甲斐がない。

さっきの意識的な笑みではなく、今度は心の底から湧いてくる感情で口角が上がって来た。

「よっし、一本いこうぜ!」

一人で笑うのはちょっと恥ずかしいから、それを誤魔化すようにチームに喝を入れた。後半、僕はイヌイに勝ってみせる。勝負でも、試合でも。
433 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/05(月) 19:02:52.45 ID:a+bkzS1EO
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