このスレッドは950レスを超えています。そろそろ次スレを建てないと書き込みができなくなりますよ。

風俗嬢と僕

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374 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/19(水) 09:44:11.21 ID:OAJrQYtoo
更新の仕方に口だして作者がそれに替えてエタったのを何回か見たことある
外野の意見はスルーを推奨しつつ次回の更新も楽しみにしてます!
375 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/20(木) 01:27:24.92 ID:Sbg7eu1G0
その声に反応して、ヒロさんは説明を続けてくれる。

「まぁ、早い話がクビになってさ。それで、今のチームに入って趣味でサッカーしてるわけ」

「はぁ……そうなんですね……」

プロっていう言葉は、やっぱり私には縁遠い世界の言葉にしか聞こえなかった。

じゃあ、カズヤは元プロ……っていうのがどんなに凄いことかは分かってないんだけど、とにかく凄い人たちとサッカーをしてるってことなの? 

「おいおい、俺は趣味でサッカーやってるやつに負けたっていうの?」

「あー、いやいや、あれは偶然……」

「それを本番で出されたら実力負けだって。本当に、あのサイドバックの子には参ったよ」

「あいつは趣味っていうか……サッカーが生きがい見たいなやつなんで。あ、カズのことね」

私にそう補足をしてくれて、ヤギサワさんも名前を知ったようだ。

「カズって名前なんだ? かーっ、名前までサッカー向きときたもんだ。キングかよ」

「それ、あいつに言ったら喜びますよ、ファンだから」

私でも何となく名前を聞いたことがある選手の通称が出てきて、私はクスリと笑みを漏らした。そういえば、考えたこともなかったけど、あの名選手と同じ呼ばれ方だ。

「本戦はあの子がキープレイヤーだろうなぁ……たぶんうちと同じで、他のチームも君のことに意識が向いてるだろうし」

「ニ部のベンチプレイヤーなんて、そんなに気にするもんでもないですよ。スカウティングされたら、むしろあいつの方が厳しいと思いますし」

その会話を耳にして、何となくカズヤが誉められているのは分かった。

元プロのヒロさんと、同じくらいなのかは分からないけど、とにかく評価されているカズヤ。

思っていた以上に、私と彼の距離はあるのかもしれない。
376 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/20(木) 01:35:57.11 ID:Sbg7eu1G0
「まぁ、とにかく頑張ってよ。そして俺が言えることじゃないけど、冷める前に食べてね」

その言葉を残して、ヤギサワさんは厨房に戻って行った。

頭が混乱してすっかり忘れてしまっていたけど、美味しそうなオムライスが目の前には置かれている。

「いただきます」

手を合わせて挨拶をする。

何となくだけど、料理を食べる前に挨拶をしないと落ち着かないんだよね。自分で作った料理を家で一人で食べるとしても、それはつい癖で言ってしまう。

「お、礼儀正しい。じゃあ俺も……いただきます」

冗談っぽくそう言い残し、ヒロさんはハンバーグに、私はオムライスに手を伸ばした。

なんだろう、見た目は普通にどこの洋食店にもありそうなオムライスなんだけど、何て言って良いか分からないけどすごく美味しい。

卵はふわふわで、デミグラスソースも絶妙で、中には懐かしい感じのケチャップライス。

「美味し」
 
つい、ヒロさんが目の前にいるのを忘れて独り言が漏れてしまう程。 

それは彼も同じだったようで、「うまっ」と漏らしながら、どんどん手を動かしていく。

美味しいものを食べるとなると、ついついそれに夢中になって会話は減ってしまう。私は黙って手を動かしてオムライスを口に運び、ヒロさんはハンバーグを咀嚼する。

気づいたらお互いの目の前のお皿は空っぽになっていた。

「お、早いかなと思ったけどちょうど良かった? サービスだから。コーヒー飲める?」                           
いつの間にか厨房から戻ってきていたヤギサワさんは、アイスコーヒーのコップを二つ、私たちの目の前に置いた。
377 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/20(木) 01:39:03.40 ID:Sbg7eu1G0
>>372 >>373 >>374
ご意見ありがとうございます。
書き溜めも考えているのですが、当面の間は書き溜める余裕もなさそうです。
とりあえずしばらくは現状維持の投稿をしつつ、
週末や休日に書き溜める余裕がありそうでしたら、その際はまとめて投下するように意識したいと思います。
378 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/20(木) 01:53:02.33 ID:hVk7A2zU0
379 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/20(木) 20:55:34.92 ID:AGnApF+2o
ぼちぼち2,3レス投下のほうが俺は好きだけどな
380 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/20(木) 21:31:38.47 ID:GQUGJotgO
完結してくれるならどんな投下頻度でもいいよ
381 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:28:45.79 ID:ihq6t8Np0
「ありがとうございます……、すいません」

「良いの良いの、若い人は気を使わなくて。で、オオタくんたち、実際どうなの、調子の方は」

「うーん……良くはない、ですね」

その返事に、ヤギサワさんは肩をすくめて言葉を漏らす。

「ちょっと、初戦は勝ってよ? 試合後にも言ったけどさ、プロとやるくらいまでは」

「それはカズに期待……ってことで」

ね、と私の方を見て笑うカズさんに、私は苦笑いで返す。

「ま、何にせよやっぱりカズくん? がカギになるんだね。俺も試合、見に行くからさ、応援するよ」

「ありがとうございますっ。やれるだけ、やってきます」

「おうおう、楽しみにしてる」

あ、何か良いな、こういうの。

敵なのに敵対してるわけじゃないっていうか、仲間っていうか。

男同士って、こういう入り込めない世界があるよね。

「羨ましいなぁ」

「何が?」

つい想いを言葉にしてしまったら、ヒロさんが問いかけてきた。

「いや、何ていうか、仲間……みたいな感じがして。チームメイトじゃないのに、良いなって」

「そう? でもさ、ゆうちゃんだってもううちのチームの仲間じゃん」

「えっ」

「違うの? 応援してくれない?」

「いや、してますけど……良いんですか、私なんかで」

「良いも何も、大歓迎だよ。特にカズは、そう思ってると思うよ」

あはは、とヤギサワさんは声を漏らして笑った。

何だろう、何だろう。この感情を正しく言葉にできないけど、それでもまとめるなら、ただただ嬉しい。

「……本当ですか?」
382 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:29:21.47 ID:ihq6t8Np0
「うんうん、ていうか、嘘つく必要もないじゃん。本人に聞いてみる?」

ヒロさんは携帯を手にして、私に問いかけてくる。

「いやっ、それはさすがに……」

嫌じゃないけど、まだ平気な顔をしてカズヤと話せる自信は無い。

「そう? カズも元気出ると思うし……嫌じゃなかったら」

嫌というわけではもちろんないけど、私なんかで良いのだろうか。

私なんかが、あんなに迷惑をかけてしまったカズヤとまた話してしまって良いのだろうか。

「無理にとは言わないけど……」

そう言われてしまうと、急に惜しくなってしまうのが人間の心情じゃない?

悩んでいたのは本当なんだけど、でも、今を逃すと次はもっと悩んでしまって気まずくなってしまって、そんな気がした。

「……はい、お願いします。すみません」

「良いの?」

その確認には頷いて気持ちを表すと、ヒロさんはスマートフォンを操作して耳に当てた。

「あ、カズ、俺。今、大丈夫? 電車に乗ってない?」

どうやら、カズヤはまだ練習からの帰り道みたいだ。

確認をとったヒロさんは、「カズ、ちょっと電話代わるわ」と私の名前を出さずに耳から電話を話し、私に差し出してきた。

それをおそるおそる耳に当てると、ヒロさんは椅子から立ち上がり、「ちょっと話してくるから、ごゆっくり」と言い残し、ヤギサワさんと入口から店外へ出て行ってしまった。
383 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:30:01.85 ID:ihq6t8Np0
「もしもし……」

「……えっ」

「えーと、私。ゆうです……」

「えっ、何で? 何で、どういうこと? ちょっと待って、何?」

カズヤはまるで状況が読めてないようで、同じことを何度も繰り返す。

まぁ、事情がすぐに飲みこめる方がおかしいんだけどね。

「落ち着いて、ご飯食べにきたらね、たまたまオオタさんに会ったの。それで、オオタさんが気を使ってくれて、電話させてくれたの」

「あっ、なるほど……って、今どこ? ヒロさんも練習帰りってことはもしかして近く?」

「えーっとね……」

散歩しながら来た道だから、ここを何て説明したらいいのか分からない。

何て伝えようと思っていると、張り紙にレストランの名前が見えた。私がそれを伝えると「……あっ、分かったかも、ちょっと待ってそこ向かうよ」と言ってきた。

「えっ、えっ」

そうなると、今度は私が混乱する番がやってくる。

「あっ、迷惑だったら止めるよ、ルール……だったよね?」

「いや、迷惑とか嫌とかじゃないんだけど……」

ルールなのはそうだけど、それ以上に会いたい気持ちがあるのは間違いない。

ただ、彼は良いのだろうか。

「会ってくれるの?」
384 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:30:41.18 ID:ihq6t8Np0
あんなことに巻き込んでしまったのに。

それは言葉にできずにいると、カズヤは素で問いかけてきた。

「何で? むしろそれ、僕が言いたいんだけど」

それこそ、何で……なんだけど。

でも、きっと彼はそれを聞いても困るだけ、戸惑うだけなのかもしれない。

これが私の幸せな勘違いでなければ嬉しいんだけど、もしかしたら彼は私のせいで迷惑をかけられたとは、思っていないのかもしれない。

そんなことを考る私は、お気楽で頭が空っぽな女なのかもしれない。それでも良い。カズヤが迷惑じゃないと思っていてくれたのなら、それだけでもう私の悩みなんて無くなってしまう。

「……ううん、何でもない。楽しみ」

「ちょっと急ぐから電話切るね、また後で」

そう言い残すと、電話は切れてしまった。

……えっ、今から来る?

電話が切れて冷静になると、急に慌て始める私がいた。

どうしようどうしよう、そんなことになると思ってなかった。買い物に行ってたから服はおかしくないと思うけど、ここまで歩いて来たし汗臭くなってないかな?髪崩れてないかな?

そんな心配をしていると、ヒロさんたちがドアを開けて戻って来た。
385 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:31:23.53 ID:ihq6t8Np0
「カズ、何か言ってた? 元気出てそうだった?」

「いや、何か……あの、こっちに来るって」

ヒュー、と八木沢さんは口笛を吹いてみせる。

「やるねぇ、彼」

「それくらい、プレーにも積極性があると良いんですけどね」

私はお礼を言いながら携帯電話を返して、荷物を持ってお手洗いに向かって席を立った。

髪型……うん、崩れてない。メイク……も、大丈夫。よし。

お手洗いの鏡でゆっくりと自分の顔をチェックする。仕事の時は薄暗いからよく見えないと高をくくっているんだけど、今日はそういうわけにもいかない。

深呼吸をして、お手洗いの扉を開けて、自分の席に向かおうとしたところで、入口が開いた。

「おい、おせぇよカズ」

「いやいやヒロさん……あんな急に……」

本当に急いで来たらしい、カズヤは汗を流しながらの登場だった。

「こんばんは」

私の声に、彼はこちらに目を向けた。何だか久しぶりのような、そうでもないような、不思議な感覚。

私は今ここで、彼と会っている。目を合わせている。それだけで、ある種の奇跡のような気がしてしまう。

「……こんばんは」
386 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:31:51.03 ID:ihq6t8Np0
「ほら、じゃあカズ、後は二人で行ってこい」

笑いながらヒロさんがそう言うと、冗談のようにカズヤも返す。

「行ってこいって、どこにですか」

「そりゃ、お前が考えろ。俺は今からヤギサワさんと大人の話があるんだよ」

「ヤギサワさんって……あっ、こんばんは。キックスの……」

「こんばんは。ほら、女の子を待たせるなよ、行ってきな」

「えーっと……じゃあ、行く?」

その問いかけに、私は困ったようにしつつも頷こうとしてあることを思い出す。

「あっ、お会計……」

「そんなこと気にしなくていいから。オオタくんとカズくん? に、次の試合で勝ってもらうからそれが代金、ってことで」

プレッシャーかけないでくださいよ、とオオタさんが笑いながら突っ込む。ヤギサワさんも笑いを隠しきれない様子で言葉を続ける。

「ほら、行ってらっしゃい。俺は今からオオタくんと渋い大人のオトコ談義をするからさ」

「ありがとうございます……ごちそうさまでした」

申し訳ない気持ちもあるけど、こういう時は厚意に甘え無い方が失礼だと思う。

ぺこりと頭を下げると、カズヤは入口のドアを開けてくれる。

「じゃ、行こっか」
387 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/25(火) 23:32:17.69 ID:ihq6t8Np0
どこに行くか分からないけど、と照れ隠しのように笑うカズヤにつられて、私も笑ってしまった。

後ろから「暗いから気をつけて」と声をかけられると、それにお礼を告げてドアを閉めた。そのドアに吊るされていたのはcloseの文字。

……あ、そうか。気を使ってくれてたんだ。

私がカズヤと電話をしている時に、他のお客さんが来て邪魔をされないように。邪魔なのは私なんだろうけど。

それにしても、改めて状況を考えると何だか緊張してしまう。

会いたくて、でも会えないと思っていたカズヤが隣にいる。それも、予想外に。

何となく、お互いに声をかけられないままお店から離れるように歩き始めた。気まずい沈黙ではないけど、私には話さなければいけないことがある気がする。

「「あのさ」」

話を切りだす声が重なって、私たちは視線を合わせた。お互いに小さく笑いながら、相手の言葉の続きを待つ。

「えっと……どうぞ?」

「ううん、カズヤからいいよ?」

「えっ、いいよ、大したことじゃないし」

「じゃあ尚更。私は、カズヤに話さないといけないと思ってたことだから、きっと長くなっちゃうし」
388 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/26(水) 00:40:54.79 ID:rtlKbPB2O
おつ!
389 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/26(水) 06:26:17.43 ID:wnNJJkBj0
待ってました!
390 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/27(木) 01:25:18.30 ID:BiEE8kd00
「えっと、うん、じゃあ、はい」

私はずっとドキドキしているけど、細かく言葉を区切って返事をするカズヤも、少し緊張しているのかな。そうだったら、少し嬉しい。

「あの、この間の、大丈夫? 怪我とかしてない?」

この間の、という時に、彼は自分の頬を指さした。

あの女の子、ヒロさんの妹さんに、平手打ちをされた箇所だ。

「うん、平気平気」

実際、その瞬間にぱちっと痛んだだけだし。

「そっか、良かった。あの……巻き込んでごめんね」

「巻き込んで、って?」

どういうことだろう。私がカズヤを巻き込んだのであって、彼が私を何かに巻き込んだりしただろうか。

「いや、ほら、事情もあんまり分かってないけどさ、せっかく応援に来てくれたのに、あんな風になっちゃって……」

「ううん、悪いのは私だし……あのね、その話を聞いてほしいの」

歩いたまま話すのも何だし、と言いたして、私は近くのコーヒーチェーンを指さして入らないか誘ってみた。

頷いた彼を見て、私たちは店内に足を踏み入れ、注文を済ませて席に着く。さっきコーヒーを飲んでしまった私はジュースみたいに甘いフラぺチーノを、カズヤはコーヒーをテーブルに置いた。

「ちょっと長くなるから、ごめんね」

そして私は語り出す。私自身の、堕落した物語を。
391 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/27(木) 01:25:46.32 ID:BiEE8kd00
えっと、まず最初に、あそこで働き始めたきっかけなんだけど、楽してお金を稼ぎたかったからなの。うん、もうダメ人間だよね。

それでね、お金はそこそこ、まあ私達の歳にしては金持ちだなってくらいには稼げたんだけど、今度はそのお金をホストに使うようになっちゃったの。

アキラっていうホストだったんだけどね、私は彼女でもないし、あっちだって彼氏でもないんだけど、ヤるだけヤっておしまい、みたいな。

彼女になれないって分かっていても、私は彼に貢ぐことをやめられなかったし、抱かれたらやっぱり嬉しかったの。
 
でも、このままじゃいけないって漠然と思ってた時に、カズヤに会って。

最初は若くて珍しいお客さんだなって思ってたの。でも、たまにだけど、カズヤ以外にもお店に来てもエッチなことをしないお客さんもいたし、そういううちの一人かなって。

そう思ってたんだけど、でも何か違うなって。

どこが他のお客さんと違うかは分からないんだけど、羨ましかったのかも。

同い年でも、私は何にもない、ただの風俗嬢。でもカズヤは好きなことがあって、それを追いかけていて。そんな目標があって前に進んでるカズヤが、羨ましかったんだと思う。

正直ね、何でサッカーしてるんだろうって思ってたの。見に行ったのだって、応援とかより興味本意っていうのが正直。だって、お金にもならないのに何で苦しい思いをして走るんだろう、追いかけるんだろうって。

でも、あの日カズヤのプレーを見て、感動したの。

嘘じゃないの、本当だよ。私みたいなクズに言われても嬉しくないかもしれないけど、本当に。これだけは信じてほしいの。

変な話、救われたんだ。

プロじゃない、お金にもならない。それでもカズヤは走ってて、ボールを追いかけていて、人を夢中にさせて。

覚えてるかな、初めて見に行った試合で、他の人が諦めたボールをカズヤが追いかけて、そのままゴールになったプレー。

技術的なこととか私は全く分からないけどさ、理由じゃないんだなって教えてもらった気がするの。

「何でお金にならないサッカーをするの」とか「他の人が諦めてるのに何で追いかけるの」とか、私は理由ばかり探してしまっていたのね。

私は臆病者で楽をしたがるダメな女だからさ、理由が無ければ頑張らなくて良いやって思っていたのね。

高校を出て進学をしなかったのは、勉強を頑張る理由が無かったから。定職につかなかったのは、働きたい理由が見つからなかったから。

唯一の理由が「遊ぶお金が欲しいから」っていうもので、だから何となく、今の仕事についたの。
392 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/27(木) 14:28:23.17 ID:eyooOuKLO
続き楽しみにしてる
393 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/27(木) 22:02:55.02 ID:BiEE8kd00
楽な仕事じゃないけど、嫌なことばかりでもないよ。

カズヤにも会えたし、私と会えて良かったって言ってくれる人もいたり、可愛いねって褒めてもらえたり。でも、好きでやってるわけでもなくて。

カズヤの試合を見てね、今のままじゃいけないって本当に思ったの。

私は何が楽しくて生きてるんだろう、何を追いかけているんだろうって。

買い物をするとか、美味しいものを食べるとか、楽しいことはいっぱいあるんだけどさ、カズヤにとってのサッカーみたいなものが、私には無いってことが、恥ずかしくなってきたの。

でも、思うだけで行動に移すこともなかなかできなくて。アキラ、ホストね、彼にも貢ぐのもやめなきゃって思っていたんだけど、それも無理で。

変わりたいけど変われなくて、どうすればいいんだろうって。

あの女の子いたじゃない、この間、スタンドに来た子。あの子の彼氏がさ、たぶんアキラなんだと思う。

アキラって源氏名だから、私も本名は知らないんだけど、それ以外思い当たる節は無いから。

彼には、女の子がいっぱいいるから。私はそのうちの一人だったってだけの話。

……ごめんね、面白くもない話をダラダラと。

たぶん、私のそういうダメなところが重なって、この間みたいなことになったの。

全く関係のないカズヤを巻き込んじゃって、本当にごめんね。
394 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/27(木) 22:03:26.59 ID:BiEE8kd00
そこまで言い切って、黙って聞いてくれていた彼の顔を恐る恐るのぞいてみた。

きっと私は失望されてしまっただろう。こんな話を聞いて、そうじゃない方が変だと思う。

「そっか」

小さく、彼は呟いた。

困らせてしまったかな、そうだよね。急に自分語りをしちゃって、何て言って良いかもわからないよね。

「ごめんね、変な話をしちゃって」

でも、それでも、私は彼に話さないといけないと思ったの。本名も伝えてない、連絡先も教えてない、それでも私は、彼に対して誠実でいないといけない気がした。偽りの自分なんてかっこいいものじゃなくて、堕落した私の嫌なところを彼には見てもらう必要があった。

誰にも見せていない、私の 汚い部分を、好きな人だからこそ見てもらいたかった。

誰にも胸を張れない私を、認めてはくれなくても知っては欲しかった。

カズヤのまっすぐさは、私じゃなくてサッカーに向いているものだ。それでも、私も彼のように、何かに対してまっすぐでいたかった。誠実になりたかった。そしてその何かは、自分の好きなものじゃないとダメだった。

あんなに憂鬱だったのに、カズヤに会えるってだけで嬉しくなってしまった。カズヤがもしかしたら私に会うことを嫌じゃないのなら、幸せだと感じてしまった。

そして私は気づいてもしまった。

私は、カズヤのことが好きだ。
395 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/27(木) 22:38:26.28 ID:sZTAIthkO
おつー
396 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/27(木) 22:44:56.24 ID:JIvLIZrpo
おつ
長く追い続けてきたけどそろそろ終わりそうで悲しいな
397 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/28(金) 01:44:14.52 ID:B0K4t2/80
「ううん、話してくれてありがとう」

ありがとうは、私のセリフだ。

最後まで口を挟まずに聞いてくれて、ありがとう。

軽蔑されても、これで彼が私に近づかなくなっても、それは仕方が無いことだ。

このまま自分のことを黙って、汚い部分を見せずに彼に近づいていくよりは、ずっと良い。

それが、私なりの誠実さだった。

「でも、何で僕に話してくれようと思ったの?」

勇気が必要なこと……だよね。

と、彼は言い足した。

確かに怖かった、というか、今でも怖い。話を聞いたカズヤが、私のことをどう思っているのか。良い感情ではないとしても、どれくらい私のことを嫌いになったのか。

でも、それを乗り越えようとする勇気をくれたのも、あなただった。

「言ったじゃない、変わりたいと思うきっかけをくれたのは、カズヤだったから」

あなたの姿を見て、私は本当に変わりたいと思えた。

そして、もし私が本当に変われるとしたら、やっぱりカズヤの前で変わらないといけないと思ったの。そこで変われなかったら、私はきっとどこでも今までの私のままだったから。

「私を軽蔑したかもしれないけど、でも、きっかけをくれたカズヤに聞いて欲しかったの。私のわがままに巻き込んじゃって、ごめんね」
398 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/28(金) 01:44:44.82 ID:B0K4t2/80
「ううん、迷惑なんて全く。聞かせてくれて、嬉しかったよ」

「嬉しかった?」

「だってさ、僕はゆうちゃん……いや、『貴方』のことを何も知らないから。身の程知らずだって思うんだけどさ、あの後改めて思ったんだ、貴方のことを何も知らないなって」

『貴方』と言ってくれたことが、何だか暖かい言い直しに感じられる。

堕落した私である『ゆう』ではなくて、新しく『私』を見てくれているきがして。

ただの勘違いで、私に対して距離を置こうとしているだけかもしれないけど、それでも、私は嬉しかった。

「……何も話せなくて、ごめんね」

「いやいや、謝ってほしいとかじゃなくて!」

慌てて言葉を続ける彼に、私は耳を傾ける。

「ほら、名前も知らないし、僕から会おうと思うとお店でしか会えないし。寂しい、って思うことも間違ってるんだろうけど、でもやっぱり会えて嬉しかったんだ。会いに行こうかなって思ったけど、お店じゃどんな顔して会えば良いか分からなかったし。迷惑かなって」

それには首を横に振って見せる。

私だってカズヤに会いたかった。ただ、会う手段が無かっただけで。
399 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/28(金) 06:36:20.99 ID:2g1syD2C0
良い
400 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/30(日) 12:32:23.26 ID:EcTh8wP50
それでも、私は彼に気持ちを伝えることができない。

彼の会いたいという気持ちが、イコールで好きであったとしても、私はそれを確かめることもできない。

臆病な言い訳なのかもしれないけど、今の私は彼に到底つりあっていない気がする。彼が私を嫌っていなかったとして、それでも私なんかが隣に立っていていいのだろうかと思ってしまうの。

「……また、応援に行っても良い?」

だから私の口から出てくるのは、そんな言葉。

本当は、伝えたい気持ちはもっといっぱいあるのに。好きだってことを伝えたいのに。

それを彼に言葉で伝えることが、今の私にはできない。

本当は、胸を張って見に行けるだけで嬉しいはずなのに、欲深い私は、もっともっとと欲しがってしまう。

カズヤにはもっとお似合いの女の子がいるのかもしれない。元カノだったらしい、サキさんも凄い美人だったし。私なんかが好きでいても、どうしようもないのかもしれない。

そんなのは、結局ただの言い訳に過ぎないんだけど。

カズヤに拒絶されるのが、今の私には何よりも怖い。もちろん、カズヤにだって女を選ぶ権利がある。私に対するカズヤの好意がどういった類のものか分からない私には、その一歩を踏み出すことができない。

私は乞うように彼を見つめる。どうか臆病な私を許してほしい。
401 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/08/31(月) 01:37:26.59 ID:bvvohl5i0
「うん、こっちからお願いしたいくらい」

そう言って、カズヤは笑って私を見た。安心させてくれる、太陽みたいな笑顔だ。私には、眩しすぎるくらい。

「じゃ、気合い入れて応援に行くね! もう迷惑はかけないように、後ろの端っこで見てるし、終わったらすぐに帰るから」

カズヤが応援に来ても良いと言ってくれても、問題が解決したわけではない。彼女からしてみたら私なんかただの二股女で、見たくも無いにちがいないだろう。

「あ、うーん……そっか。話せないのは残念だけど……そうだよね、うん。」

残念がってくれるのは嬉しいけど、私にはそうするしか方法が無い。また彼女の前でカズヤと話していたら、次はもっと酷いことが起きるかもしれないから。

「あの、迷惑じゃなかったら、だけど……」

言いづらそうに、カズヤが声を出した。

「どうしたの?」

キョトンとした目で、私は問い返す。今まで散々彼に迷惑をかけていたのに、彼にどんな迷惑をかけられても、私には責める権利なんてない。

「連絡先、交換してもらっても良いかな?」

やっぱり迷惑だよね忘れて、と彼は言い足したけど、忘れることなんてできない。

「……そんなことで良いの?」

むしろ、それは私が望んでいることでもある
402 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/31(月) 01:43:27.74 ID:e3mOjDGY0
支援
403 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/31(月) 02:23:59.92 ID:dq/pJ1qso
最近本ばっか読んでるけど、そこらの本よりこのSSのが面白いわ
404 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/08/31(月) 20:31:36.73 ID:4zI8gLcZO
やっと追いついた。人間の暗い部分を書いてるのに絶妙に甘くて物凄い好みだな、更新頑張ってくだされ
405 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/01(火) 01:04:04.78 ID:ry+afxMv0
「良いの?」

不安そうな目で、彼は私を見返してくる。

それはこっちのセリフなのに。今にも「冗談だよ」って言われるんじゃないかって怯えていたのは私なのに、彼のその可愛さすら感じる視線に、私はつい笑ってしまいそうになる。

「もちろん。私も、カズヤの連絡先、知りたかったし」

何かこれ、携帯を持ったばかりの初々しい学生みたい。こんな歳になっても、連絡先を交換できるというだけで、私はこんなに舞い上がってしまいそうになる。

彼との距離が、一つ縮まったことを実感できるから。私が素敵な人間になったとか、カズヤみたいになれたとか、そういうことじゃないんだけど。それでも、私はただただ嬉しい。

「えっと、赤外線ある?」

私のその言葉に、カズヤは「あ、アドレス?」と聞き返した。

彼の携帯画面を覗いて見ると、スマートフォンユーザーの大半が使っているであろうメッセンジャーアプリが立ち上げられていた。

「あ、そっか。そっちの方が良いよね」

連絡先の交換なんて、高校を出てから滅多にしなくなったから、ついつい昔の感覚でそっちを選んでしまった。大学生だと連絡先を交換する機会もいっぱいあるだろうし、簡単なアプリの方が便利なんだろう。

私も彼にならってそのアプリを立ち上げようとすると、彼にそれを制された。

「待って、 僕も赤外線準備するから。せっかくだし、アドレスと番号交換しようよ。そしたらアプリでも追加されると思うし」
406 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/01(火) 01:04:49.21 ID:ry+afxMv0
彼のその優しさに、私は甘えることにした。

アプリが嫌ってわけじゃないんだけどさ、何か軽い気がするんだよね。グループで複数人と話せたり、可愛いスタンプを送れたり、メールにはない便利な機能もあるんだけど、だからこそ軽い……っていうか。

「本当は、僕もアドレスと番号知りたかったし。ただ、重たいかなって?」

「重たいって?」

「ほら、アプリならさ、僕のこと嫌になったらすぐに拒否できるけど、メールと電話も拒否できるとはいえ個人情報じゃん。良いのかな、って」

そんな杞憂を真面目な顔で話されて、私はつい笑いをこぼしてしまった。

「良いに決まってるじゃない。カズヤこそ、良いの? 私、悪い女だよ?」

「自分でそんなことを言う人に悪い女はいないから。ほら、早く」

気づくと、彼は赤外線を既に準備していた。送信の彼に合わせて、私は受信をする。

「シイナ……っていうんだね、苗字」

「うわ、そっかそこからか、今さらだよね。何か恥ずかしい……」

照れたように俯く彼を見て、今度は私が送信するように準備をする。俯いたまま、カズヤも受信ボタンを押して、私の個人情報が、彼の携帯に流れていく。

「送れた?」

「……うん、きた。そういえば、僕、名前も知らなかったんだよね」

ゆうちゃん、が当然の呼び方になっていたから、何の違和感もなかったけど。言われてみれば確かにそうだ。
407 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/01(火) 01:18:53.86 ID:ry+afxMv0
「これ、ぼくはどっちの名前で呼ぶべき?」

「どっちって?」

「この名前と、『ゆうちゃん』」

「えー、カズヤの好きな方で良いよ。呼びやすい方で」

本当は、もちろん本名の方が嬉しいんだけど。とはいえ、呼び慣れた方が恥ずかしくないとか、そう言う気持ちも分かるからわがままは言わないでおこう。

「そっか、分かった」

彼は腕時計をチラっと見た。私もつられて携帯で時間を確認すると、楽しい時はすぐに過ぎるからか、それとも私が緊張しすぎたせいかは分からないけど、もうかなり良い時間だった。

「時間大丈夫? そろそろ、帰ろうか」

彼にそう聞かれて、私も頷く。本当はもっと話したいんだけど、もう今までみたいにあやふやな繋がりじゃない。私たちは、明確に繋がっている。

連絡先を知っているから繋がっているっていうのも、ちょっと機械的な気もするけど。

「それじゃ、行こうか」

私の分のコップも持って、彼はそう言った。その小さな優しさすら、とても嬉しいものに思える。

素敵な服の掘り出し物があったわけでもなければ、宝くじにあたったわけでもない。私のこの気持ちが満たされるかどうかも分からない。

なのに、私はこの夜をきっと忘れないと分かった。

それくらい、大切な時間だった。
408 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/02(水) 00:01:05.72 ID:q2DoNl/B0
サッカー日和というにはあまりに強い日差しだ。八月も終わりだというのに、残暑が猛威をふるっている。

天皇杯初戦、やっとここまで辿りつけた。

会場は予選決勝と同じでも、空気感が違う。

テレビの中継も入っているし、お客さんの数だって少なくは無い。やっぱり、予選と本戦って何か違う。

「何だよ、カズ、緊張してんのか?」

ロッカールームでの円陣を終え整列していた僕に、後ろからヒロさんが声をかけてきた。

「いやいや、武者震いですよ」

「ははっ、頼もしいことで」

ヒロさんとの空気は、あの夜以来元通りになってしまっていた。

大したことは無い会話……っていうか、挨拶くらいしかしてないのにね。不思議だけど、そういうことって結構あるのかもしれない。

勝つぞ、と言ってヒロさんは僕の背中をバシッと叩いた。それに応えるように、僕は手を挙げる。

アンセムが流れ始めて、前方に並んでいた人たちからピッチに向かって足を進め始めた。

高揚感と緊張が良い感じに胸にこみあげてくる。さあ、ゲームを始めよう。  
409 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/02(水) 08:13:15.19 ID:O68NOyEqO
このまま平穏に
と思っても、色々問題が燻ってるんだよな
先が怖い
けど読みたい
410 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/03(木) 01:47:36.01 ID:wCP4j9i60
試合が始まってすぐに、一つの事実に気がついた。 

彼らは、チームとしてはキックスほどのレベルではなく、ワンマンチームだってこと。

所属しているリーグという肩書きだけではなく、実際の選手の能力もキックスには劣っているように思える。一人を除いて、の話ではあるけれど。

油断とか慢心とかじゃなく、勝たないといけない相手だと思う。次に当たるプロと少しでも良い試合をしたいと思うのなら、圧勝とは言わずとも、手こずって良いチームではない。

相手にとってもそれは当てはまることなんだろうけどね。

気がかりは、ディフェンダーなのに僕のマークが厳しいこと。普通だったらディフェンスのオーバーラップなんて、そのタイミングでケアをするだけなのに、今回は逆サイドにボールがあるときでも、中盤のサイドの選手が僕を見てきている。

光栄なことなんだけど、僕より意識すべき人はいるはずなのにね。それこそ、予選決勝でスーパーボレーを決めた選手とか。

僕をケアしている彼は、試合前のミーティングで要注意選手としてあげられていた。高校時代には選手権で全国四強まで進み、大学でもユニバーシアード代表に選ばれるほどの選手だと、ヤマさんは警戒を呼び掛けてきた。

相手チームのなかでは例外とも思えるくらい、技術レベルが高い選手だ。

プロになってもおかしくない世界でやってきた選手と、僕は今日マッチアップをしている。

彼に負けると、僕が穴として狙われてしまうことになる。絶対に負けることはできない。

僕がそんなにVIP待遇でケアをされている一方で、ヒロさんにも当然ながらマンマークが付けられている。

うちのチームの決定機は、ほとんどヒロさんを経由してのものだ。そのヒロさんにボールが渡らないとなれば、必然的にチャンスは減ってしまう。
411 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/06(日) 12:35:30.05 ID:qWMiNwlXO
ヒロさんも僕も、なかなか厳しい試合になりそうだ。

僕と対面する相手のエース……イヌイというらしい彼は、一対一の局面でボールを持つと必ず個人技で勝負を仕掛けてくる。

ボールを失わないことを第一に考えて、バックパスや横パスを多用しがちな僕とは、言わば真逆の選手だ。

そして、その個人技は当然のことながらレベルが高い。

キックスよりリーグカテゴリは低いはずなのに、前の試合の数倍、僕は圧されている。

決定機を作らせないことに一生懸命で、カットインのコースを消すことに従事すると、今度は深く切り込まれてクロスをあげられる。

相手フォワードの決定力が低いからか、センターバックが頑張っているからか、或いはどちらのおかげでもあるのか、まだ得点は決められていない。しかし、それも今のままだと時間の問題のように思える。

試合自体は防戦一方とは言わずとも、現状では僕のサイドはイヌイに好き勝手されている。
412 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/06(日) 18:00:01.96 ID:TlDytG7AO
カバーに来ないボランチが悪い
413 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/06(日) 18:11:19.42 ID:sIA4s3Ywo
サイドバックは忙しすぎる
オーバーラップとかしないと怒られるし
したらしたで守備が疎かとか怒られる
414 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/07(月) 01:20:02.77 ID:YISJ/UDc0
イヌイにパスが渡る瞬間に近づいて圧を与えようとしても、彼はぴたりと足元にボールを納めて見せた。

中央へのコースを切っているから、縦に仕掛けてくるしかないのは分かっている。

イヌイは一瞬だけ中央へ切り込むように右足アウトサイドでボールを押し出そうとする。それに反応して、僕の重心が移動した瞬間、ボールは予測していたのと逆方向に転がっていた。

かつてのブラジル代表のエースが得意としていた逆エラシコというフェイントだ。練習でやってる選手はいても、実際の試合で使うには相当な技術が必要な技を、イヌイは簡単にやってのけた。

僕をあっさりとかわした彼は、そのままダブルタッチ気味に左足でボールを前に運んで僕に背中を見せつけてゴールに向かって斜めにドリブルを始める。

もちろん、僕だってこのまま独走をさせるわけにはいかない。すぐに体制を立て直して、縋るように彼を追いかける。
 
カバーに入ったセンターバックが引っ張りだされたスペースに、二列目から相手選手が飛び出してくる。そして、イヌイは簡単にそこにパスを出した。

やばい、ボランチが振り切られている。
415 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/08(火) 02:01:00.90 ID:+S2KEddA0
ボールウォッチャーになっているこっちサイド、右センターバックはイヌイのパスアンドゴーの動きに気づいていない。

くそっ、間に合え!

ボールサイドに関わらず、ドがつくほどフリーになっているイヌイの背中を追いかける。幸いにも、彼はドリブルが巧みであっても俊足というわけではないらしい、間に合えっ。

二列目の選手は、届いたパスをそのままランウィズザボールのように大きく前に蹴りだして走りだした。

センターバック二枚が挟み打ちのようにそこを目指していくと、それをあざ笑うかのように彼はイヌイに向かってリターンのパスを出す。

技術的な問題なのか、そのパスは精度に欠けて少し長いボールとなっている。

いける、間に合う。

夢中で走って、イヌイがボールに触れる直前にスライディングで右足を伸ばす。

どうにかつま先に当たったそれは、そのまま縦に流れてタッチラインを割った。イヌイは、伸ばした僕の足につまずいて倒れてしまったけど、笛は鳴らずに流してくれた。

危ない、今のは僕が簡単に振り切られてしまったせいだ。

「二列目気をつけろ!」

自分の反省は心の中で消化すると、立ちあがりながらボランチに注意を促す。
 
倒れたままのイヌイに手を差し出して立ちあがらせる。

「やるじゃん、間に合うとは思ってなかった」

「そっちこそ、あんなフェイント持ってるとは」

そんな言葉を交わすと、彼はコーナーに向かった。

決定機は免れたとはいえ、まだまだピンチだ。
416 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/08(火) 02:07:46.94 ID:+S2KEddA0
ボールをセットした彼は、右足でゴールに向かってくるボールを蹴って来た。

幸いにも高さはこちらの方があるようで、先程はウォッチャーになってしまっていたセンターバックがそれを跳ね返す。

そのボールをヒロさんが拾って前を向くと、すぐに相手選手がプレッシャーをかけてくる。

混戦状態から逃げ出すためにクリアしたボールを相手選手が拾うと、コーナーのままサイドに張っていたイヌイに、アタッキングサードで再びパスが渡る。

ゴール前からポジションを戻していた僕と、再びマッチアップ。

今度は何をしてくる?

不思議だよね、上手い選手が相手チームにいるって自分たちにとっては良いことじゃないのに、でもこんなにワクワクしてしまう。

イヌイを止めることができたら、勝つことができたら、僕はまだまだ上手くなれる気がする。
417 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [Saga]:2015/09/09(水) 02:40:37.16 ID:E343tD0OO
今度は縦に突っかかってくる。どうにかダッシュで対応しようとすると、足裏で急にボールを止めて急停止をした。それに反応をして体の動きを無理にブレーキをかけた瞬間、イヌイは再びボールを前に運んだ。

プルプッシュというフェイントだ。ぱっと見では華麗な足技でじゃないけど、あのキレで繰り出されたら足止めするのも楽じゃない。

再び振り切られた僕は、つい手を彼に伸ばしてしまった。

強い笛が鳴って、審判が僕に近づいてくる。

強い口調で注意を促されたけど、カードは貰わずに済んだ。危ない、このやられようだとどこかで一枚はもらう羽目になるかもしれないけど、今はまだ前半だ。それにはあまりに早すぎる。

イヌイは立ち上がり、ボールをセットしようとする。

薄く笑っているように見えるのは、僕を手玉に取ったという勝利感からなのだろうか。

くそっ、見てろ。

そんな悔しさもそこそこに、僕はフリーキックの壁に入る。

中央の選手に向かったボールはやはり弾き返すことができて、こぼれ球がヒロさんの前に落ちた。

そのまま前を向き、マーカーが寄せてくるよりも早く、前線に張っていたフォワードに向かって強いグラウンダーのパスを出した。
418 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/09(水) 20:25:51.90 ID:vGGigxYAO
ところで4−4−2なの?中盤はダイヤモンド形?
419 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/09(水) 20:41:11.97 ID:lEdQYEDXO
それあんまり関係なくないか
420 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/14(月) 01:10:37.75 ID:ooCh5tra0
久しぶりにこちらが攻撃する番だ。

フォワードは相手のセンターバックを背負ったまま、ヒロさんからのパスをキープしてためを作っている。

フリーキックのキッカーになっていたイヌイに追いつかれる前に、全力で前に向かって走る。とにかく枚数を増やさないと、数的不利ではカウンターのカウンターにされてしまう可能性が高い。

全体が押しあがり始めたところで、キープしていたボールはボランチに一旦落とされた。

「来い!」

そのボールを要求するのは僕の仕事だ。

中央から一気に右サイドに展開されたボール、僕はそれをトラップしてそのままサイドをえぐる。

ドリブルを始めると、どうしても普通に走るよりは遅くなってしまって、後ろからイヌイの足音を感じてしまう。

一か八か、僕の選択はアーリークロスだった。

ゴール前にはフォワード1枚と、縦パスを入れてから走っていたヒロさんの二枚。

高さでは五分……いや、うちのチームの方が低い。

一瞬の判断で、高くて緩い弾道ではなく、低くて早いライナー性のクロスを上げた。

後ろからイヌイがスライディングで足を伸ばしてきたけど、それより一足先にボールはゴール前に向かって飛んでいく。
421 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/14(月) 08:40:51.15 ID:Dp6tbt9jO
やだ
この子格好いい
422 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/15(火) 01:53:40.22 ID:d5zLQOj+0
その弾道を見届けた直後、僕はイヌイの足に引っ掛かって転倒する。

しかし、クロス自体はゴール前に飛んで行ったからか、審判がプレイオンを宣告してプレーは続いた。

どうなった?

ボールに合わせる音が聞こえて、倒れたままに慌てて首をそちらへ向ける。ゴール前では、後ろから走り込んできたからかヒロさんがフリーでいて、しかしダイレクトボレーをふかしてしまっていた。

珍しいな、あれくらいフリーだったら枠内には飛ばせる技術があると思うんだけど。
                     
審判はゴールキックに移る前にプレーを一度止めて、イヌイに注意をしに来た。

彼はそれに頷きながら、僕の手を引っ張って立たせる。

「大丈夫か?」

「もちろん」

こんなことで怪我なんかしていられない。イヌイとのマッチアップは楽しいし、勝てばもっと楽しくなってくる。こんなところで怪我をするわけにはいかない。

立ちあがって彼の肩を叩いていると、ヒロさんからも確認の声が聞こえてきた。

「カズー! 大丈夫かー!」

それには、僕はサムズアップで返事を帰す。流れのプレーだったし、モロに入ったわけじゃない。

ちょっと大げさだな、なんて思いながら、僕はゴールキックに備えてポジションをとる。
423 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/15(火) 02:05:44.32 ID:d5zLQOj+0
それからも、僕とイヌイのマッチアップは勝ったり負けたりの繰り返しだった。僕は勝負をしかけるタイプではないから、要するに抜かれたり止めたり、ってことだ。

イヌイの個人技は圧倒的だけど、周りの選手が彼のレベルに追い付けていないから、そこに助けられている感はある。本来なら、都道府県リーグレベルの選手ではないんだ。

彼の活躍で、県リーグでは首位を独走、次は地域リーグに昇格しそうな勢いだってミーティングでは聞いたけど、彼はなぜこのチームでサッカーをしているんだろう。もっと上のチームにも入れたはずなのに。

いや、試合中に余計なことを考えるのはやめておこう。とにかく今は、イヌイをどうやって止めるかに集中しないと。

前半も着々と時間が過ぎ、そろそろ前半終了が近づいて来た。

どちらかといえば押してる相手からすると、前半中に一点を奪いたいだろうし、逆にうちは耐えて後半に希望を繋ぎたい。

ここが正念場だ。

相手センターバックがボランチに預けたパスが、そのままイヌイに渡った。

対峙しないと分からない、何かをしそうな選手ってこういうことなのかな。今までにマッチアップしてきた選手の中ではヒロさんしかもっていなかったような、華やオーラみたいな何かを、彼には感じてしまう。

きっと、僕には持つことができないものだ。

それでも、だからと言って諦めるわけにはいかない。
424 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/18(金) 01:40:41.48 ID:bPnTwyh70
半身の姿勢になって彼の仕掛けに備える。

さぁ、来い。

右の足裏でボールを転がすように前に進め、そのまま左足のインサイドでカットインを狙ってくる動きを見せてきた。

そうはさせないと中央への切りこみを防ごうと動くと、彼の左足はボールに触ることなくまたいでいき、そのまま更に縦に進まれた。

シンプルなインサイドシザースではあるけど、何度も何度も練習したのか、天性のものなのかその動きにつられてしまった。

そのまま独走されそうになって、つい右手が彼の背中を掴みそうになる。

縋るように伸ばしても、それは届かぬところまで進んで閉まっていた。

まずい、この時間に失点だけは避けないといけない。リードされて前半が終わると、うちのチームには絶望感が、相手チームには楽観的な感情がわいてくるに違いない。

後ろから全力で追いかけつつ、ゴール前の枚数は足りているのを確認する。

技術で負ける僕ができるのは、頭をつかってその分をカバーすること、考えてプレーすることだ。

クロスなら対応できる。問題はシュート。でも、それにはこのままでは角度が無さすぎる。

必ずどこかで中に向かってくるはずだ。そこで追いつく。
425 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/24(木) 00:23:22.54 ID:vxtZq+kh0
僕の読みとは裏腹に、彼はほとんど中に向かうことなくサイドを縦に切り裂いていく。

読まれている?

だとしても、少しくらい中に向かった方がフェイントの幅も広がるし、クロスだって質が高くなるはずだ。

ドリブルの彼よりは純粋に走っているだけの僕の方が早くて、徐々に彼の背中が近づいて来た。

よし、ここで体を当てる。

その決心で体を当てようとした瞬間、彼はボールを右足のアウトサイドに引っかけて止めた。そのブレーキに、タックルを仕掛けていた僕の体は反応できずに勢い余って倒れそうになってしまう。

そんな僕をあざ笑うかのように、彼は僕の背中を抜けて中央へカットインしていく。もうペナルティエリアの中で、彼から見てゴール前左ななめ45度。巻いてシュートを打つには絶好の角度だ。

視線をゴールに向けてシュートモーションに入った。センターバックが慌てて寄せに行ったところで、彼は冷静にアウトサイドでゴール前のディフェンダーに優しくパスを出した。

そのボールがぴったりとフォワードに渡り、足が振り抜かれそうになった瞬間、そのボールはクリアされ、前半終了を告げるホイッスルが二度鳴らされた。

スライディングで足を伸ばしたのは、他でもないうちのチームの10番、ヒロさんだった。
426 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/24(木) 00:50:12.89 ID:ZcwKVY9AO
サッカーの描写がどんどん詳しく書かれてきて嬉しい
427 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/27(日) 22:32:51.14 ID:9gMdeDUs0
「チェッ、ちょっと弱かったか」

イヌイは反省の独り言を漏らすと、僕に近づいて来た。

「お前、やるね」

そう言って肩をぽんぽんと叩くと、彼は自分のベンチに向かって歩いていった。

やるね、だって? こんなにボコボコに崩されて、攻撃のパターンもほとんど作れていなかったというのに?

試合はともかく、少なくとも前半の『勝負』においては、僕は彼に完敗だった。いや、元の実力差を考えたら当然のことかもしれないんだけど。

落ち込んでいるというよりは、能力差を見せつけられて落ち込んだというべきなのかな。あれだけ上手くても、彼はプロにはなれなかったのだろうか。

少し肩を落として俯き気味に歩いていると、ヒロさんに急かされた。小走りで追いついて、並んでベンチに向かう。

「前半を無失点でいけたのは大きい、良い働きだったよ」

励ましなのか慰めなのか、ヒロさんは僕にそう言ってくれる。

「いや、全然……形は作れなかったし、崩されまくってたし……」
428 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/09/29(火) 23:03:19.50 ID:vvz9dm25O
足りないよ
429 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/30(水) 22:17:39.12 ID:S515wxf90
「あのな」

ヒロさんは、強い口調で僕に言い聞かせる。

「イヌイを抑えるっていうのは簡単なことじゃないんだよ。で、どんな形であれお前は前半は無失点に抑えた。それで良いの」

分かったか、と確認するような目つきで僕を見てくるから、分かりましたと答える代わりに頷いた。

本当は、釈然としないんだけどさ。でも、たしかにこれは僕とイヌイの勝負じゃない。僕たちと、イヌイたちの試合なんだ。個人のマッチアップで負けても、チームを勝たせないと意味が無い。

ベンチに戻ると、自分で給水ボトルを拾いに行く。

今まではミユが渡してくれていたけど、彼女は相変わらずうちのチームに顔を出さない。練習だけでなく、試合にまで来ないって言うのはちょっと予想外だった。

ヒロさんとの関係は回復しても、ミユとはその機会もないままだった。何て話して良いかも分からなくて、連絡すらできていない。

チームメイトなんだから、一緒に戦いたかったって言うのは、本心。

気まずいから、来てなくて良かったというのも、本心。

「おい、カズ、聞いてるか?」

そんな声で、頭がミーティングへ戻される。

「えっ」

「バカ、集中しとけ。イヌイとのマッチアップで疲れてるのも分かるけど……後半、お前がキーマンだぞ」
430 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/09/30(水) 22:25:45.38 ID:S515wxf90
後半の作戦はこうだ。

イヌイは個人技でガンガン仕掛けてきて、相手チーム全体が彼に信頼感を置いている。当然だ、彼のレベルは明らかに傑出している。

そして、そこに隙がある。

イヌイは攻撃に特化した選手だから、守備に限ってはこのピッチ上で標準程度のレベルでしかない。

ただ攻撃は最大の防御という言葉通り、彼が守勢に回ることは滅多にない。イヌイが勝負を仕掛けると、シュートなりラインを割るなり、何らかの形でプレーが止まり、守備の形を作られてしまうからだ。

しかし、流れの中では彼が仕掛けてきた時にできる、裏の広大なスペースはカバーされることなくぽっかり空いていることが多い。本来カバーに入るべき選手が、イヌイのサポートをしやすいポジションに入ることが多いからだ。

つまり、そのスペースをつくことができれば、必ずチャンスが出来る。

そのために重要なのは、イヌイにやりきらせないこと。流れでボールを奪いきってしまうことだ。

「要するに……」

「まぁ、簡単な話、お前がイヌイに勝てってことだよ。マッチアップで」
431 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/10/05(月) 01:02:01.05 ID:5ALlwoTv0
「いやいや……あんなにボコボコにされてたのに……」

実際、攻撃する余裕なんて全くないほど、赤子の手をひねるより簡単に僕は手玉に取られていた。

それなのに、彼を止めてカウンターを狙え? 無茶だ、できるとは思えない。

冷静にそんなネガティブなことを考えているのに、ワクワクしてしまっている自分もそこにはいた。

彼からボールを奪えたら、カウンターを決めることができたら。それはどんなに気持ちが良いことだろうか。どんなに爽快なことだろうか。

「とにかく、チームとしての後半の攻撃プランは右サイドのカウンター。で、カズの負担が大きくなるから、そこのカバーとフォローは忘れずに」

オッケー? とヒロさんが全体に確認をして、それぞれが返事をする。

「最近、ヒロのほうが俺より監督っぽいよな」

そんな愚痴を、ヤマさんはこぼしていたけれど。
432 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/10/05(月) 01:54:51.60 ID:5ALlwoTv0
ハーフタイム終了を告げる笛が鳴らされて、僕たちはピッチに戻っていく。

イヌイと視線がぶつかると、彼は僕に笑って見せた。

『後半はお前を抜いてゴールを貰う』

そんなメッセージが込められている気がした。

僕も、やれるもんならやってみなという気持ちを込めて笑い返しておく。自信はないけど、実力で負けているのに気持ちでも負けるわけにはいかない。

視線が外れて、笑顔を止めてはっと気付いた。

数年前のブラジル代表のエースは、プレー中でも笑顔を絶やさなかった。サッカーを純粋に楽しんでいるから、漏れてしまうらしい。

前半の僕はどうだ?

守備に忙殺されて息があがってしまっていたとはいえ、楽しめていたのだろうか。笑えていたのだろうか。

イヌイみたいに凄いプレイヤーとマッチアップできる、この試合。もっと楽しもう。そうしないと、ここまで来た甲斐がない。

さっきの意識的な笑みではなく、今度は心の底から湧いてくる感情で口角が上がって来た。

「よっし、一本いこうぜ!」

一人で笑うのはちょっと恥ずかしいから、それを誤魔化すようにチームに喝を入れた。後半、僕はイヌイに勝ってみせる。勝負でも、試合でも。
433 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/05(月) 19:02:52.45 ID:a+bkzS1EO
おつ
434 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/10/06(火) 01:37:18.34 ID:jSRYqsLZ0
相手は前半通り、イヌイを起点にゲームを作ってきた。

後手の対応と言われたらそれまでだけど、前半以上にうちのチームも右サイドを固めてそれを迎え撃つ。

イヌイにボールが渡ると、まずディレイさせて人数を増やす。僕が抜かれてもカバーに入った選手が彼を再び足止めして、逃げのパスを流させる。

そのボールをカットできたらチャンスになるんだろうけど、安全なバックパスが多かったり、フォローするポジションが的確なせいだったりで、なかなか上手く攻撃に結び付けられない。

イヌイのドリブルがゴールラインを割って得たボールで、自陣後方からのビルドアップを始める。僕も右サイドいっぱいに張ってポジションを取って、そのボールを受ける準備を始めた。

センターバックが僕に出した緩いパス。それを狙われていた。

少しルーズに僕を見ていたイヌイが、全力でボールに向かって走り始めた。パススピードが速くないうえに、ルーズに見られているという油断から、それを一気にインターセプトされてしまう。

僕とセンターバックの間で奪った勢いそのままに、イヌイは縦に向かって突き進んでいく。
435 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/12(月) 01:15:38.37 ID:0QhTXijCo
まだぁ?
436 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/12(月) 01:48:55.67 ID:LGn0J9Z6o
サッカー描写がつまらない訳ではないのだけどどうしても話が進んでる気がしなくてむず痒い
437 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/10/14(水) 01:27:44.89 ID:QrrWVCEo0
更新が停滞していてすみません……!
来月中には完結するように書きためているので、まだ読んでいただけているならもう少々お待ちいただけると幸いです。
438 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/14(水) 01:34:27.98 ID:8QRClpKAO
了解
面白いから端折らずに完結させてくれ
439 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/10/14(水) 12:29:47.56 ID:ElCLbAoJO
面白い 読んでるよー
楽しみに待ってるよー
440 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/14(水) 15:41:14.91 ID:V0ry4sJ5o
ゆっくりで構わんよ〜
なんだかサッカーしたくなってきた
441 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/15(木) 04:49:17.40 ID:xFlmpDoBO
サッカーの展開描写とプレイヤーの心理描写がうまくて恐れ入る。映像でイメージできるくらい。
カズには『お前ン中のジャイアントキリングを起こせ』って言葉、ピッタリだ。

続き楽しみにしてます。
442 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/24(土) 10:39:46.60 ID:FVxKr9drO
まだかな
443 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/24(土) 11:14:38.31 ID:4DXpHg6Fo
まだ書き溜め途中なんだろ
444 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/07(土) 20:45:47.84 ID:7AKl9qgs0
まだか
445 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/12(木) 22:27:05.96 ID:jQRfb6+AO
まもなく1ヶ月だのぉ
446 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/15(日) 18:24:26.97 ID:KxOAOxjkO
書き溜めファイトです
447 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/16(月) 01:21:48.33 ID:yyh9YrbO0
スピードに乗ってパスカットをした彼と、ボールを待っていた僕。

速さの差は歴然で、僕より後方にいたパスを出してきたセンターバックでさえ、フォローに間に合いそうもない。

少しずつ、中央に向かって角度をつけながらイヌイはボールを運ぶ。

逆サイドのセンターバックもカバーに入っているけど、枚数が足りていない。足りない枚数を埋めに僕もダッシュはしているけど、ポジション取りを高くしていたせいでどうしても間に合いそうにない。

ペナルティエリアに侵入されたあたりで、キーパーが我慢できずに前へ飛び出した。イヌイのシュートコースはかなり限定されたけど、当然ゴールはガラ空きになっている。

前半とは違い、今度はキックモーションを入れるまでもなく、彼はフォワードにパスを出した。

カバーに入っているセンターバックが体を寄せて守ろうとしたけど、無人のゴールに向けてボールを流し込むだけの、簡単な仕事だ。

相手フォワードはそれを完遂してみせた。

誰にも邪魔をされることはなく、そのボールはゴール内側の白線を越えた。
448 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/16(月) 02:27:50.04 ID:M7Z2mC2Go
待ってた!
449 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/11/20(金) 00:03:20.43 ID:ZPJwTbbK0
試合が再開すると、一層激しさは増してきた。
イヌイサイド偏重の攻撃を繰り広げてくる彼らに対抗するように、うちのチームも僕にボールを預ける。
一緒にプレーをしてわかったイヌイのすごいところはプレー自体に限らない。仲間に絶大な信頼を受けているところだ。
イヌイなら組み立てられる、イヌイならマークが厳しくてもどうにかしてくれる。そんな信頼関係がなければ、これほど彼にボールは集まらない。
僕はというと、失点もしたし、得点に繋げられてもいない。信用してくれという方が難しいはずだ。
それなのに、皆は僕にボールを預けてくれる。任せてくれる。
その信用に応えたくて、僕は自分に出来るプレーを最大限に活かせるように頭を回転させる。ベストな選択、ミスのない、迷惑をかけないプレー。それこそが最善だと、僕に求められるものだと信じて。
450 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/20(金) 00:04:30.39 ID:ZPJwTbbK0
ゴールを決めた選手とイヌイが抱き合いながらゴールを喜ぶ。それを横目に、僕は両手を叩いて仲間を鼓舞する。
「切り替え! 次とるぞ、次!」
その言葉は、自分に言い聞かせるためでもある。ここ最近、先制点を取られる試合が多すぎる気がする。予選初戦、決勝、今日。重要な試合で立ち上がりが悪いのはうちのチームの課題でもある。
審判に促されて、イヌイたちは自陣に戻っていく。一瞬、彼と目があった。イヌイは不適な笑みを浮かべて、僕に一本指を立てて見せた。
『まずは一点、お前から奪った』
そんな、挑発じみたサインだろうか。悔しいことに、失点は僕のサイドからだし、何も言い返せやしないんだけど。



※投下順を間違えました、すみません。
先程の投稿より、こちらを先に投下予定でした。
451 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/20(金) 00:05:03.00 ID:ZPJwTbbK0
残り時間が15分ほどになったところで、イヌイがボールを持った。
ドリブルを始めた彼に、予選よりは多く入った観客が歓声をあげる。イヌイが何かをしてくれそうな期待を、観客が抱いている。
彼がヒールリフトを仕掛けてきた。僕はどうにかボールを頭にかすらせて、タッチラインの外に追いやった。観客は溜め息を漏らす。
くそっ、雰囲気までイヌイに持っていかれてる。これが華のあるイヌイと、僕程度の選手の差なんだろうか。
色んなものに押し潰されそうになる。マッチアップする相手とのレベル差に、僕に任せられた仕事の重さに。
それでも、それでも。
452 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/11/20(金) 00:05:33.25 ID:ZPJwTbbK0
「カズヤー! ナイスカット!」
そんな声が、スタンドから聞こえてしまった。今までは、聞こえなかったのに。声色だけで、誰か分かってしまう。
「カズ、いいぞ! 次だ、次!」
「これ凌いでカウンターいくぞ!」
ピッチの上からも、声が聞こえてくる。
これだけもて遊ばれると、自分では僕がイヌイに勝てるなんて思えない。期待もできない。
それでも、応援してくれてる人がいる。信じてパスを出してくれる仲間がいる。
応援してくれる人、信じてくれる仲間がいるから、諦めることができない。そんなかっこいいことは、僕には言えない。
ただ僕は、信用されたい。認められたい。
イヌイみたいに、プレーでチームを引っ張れる存在に。ヒロさんみたいに、うちのチームの中心に。
華やかな彼らのようにはなれないと言い聞かせてはある。それでも結局は、その望を捨て去ることなんて出来ていない。
453 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/20(金) 00:06:11.87 ID:ZPJwTbbK0
どんな形でも良いから、僕は僕で認められたいと強く願う。
泥臭くても、みっともなくても、下手くそでも。イヌイみたいに、僕はなりたい。
でも、そのためにはどうすれば良いんだろう。華麗な足技を持つことが、彼みたいになれるということなのだろうか。それとも、ヒロさんみたいにリーダーシップを伴った存在感を持てば良いのか。
残り時間も短く、徐々に焦りが出てきている。くそっ、こんなところで負けるわけにはいかないのに。
恨めしい、惜しい、悲しい、焦り、そんな感情が顔に出ていたのか、マッチアップをしているイヌイに声をかけられる。
「アンタさぁ、勿体ないよね」
そんな、どういうことなのかも掴めない言葉。
意味がわからないという目で彼を見つめ返すと、言葉を続けた。
「せっかく上手いのにさ、無難なプレーばかりだし。それに、今もそんな顔してる」
「そんな顔って?」
オウム返しのように問い返すと、それには答えず彼は言った。
「もっとやりたいようにやってみろよ。せっかく楽しい試合をしてるんだぜ?」
454 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/20(金) 00:07:49.69 ID:ZPJwTbbK0
今日から再び、書き貯め分を少しずつ投下していきます。
今月内とは言っていましたが、年内一杯くらいまでかかるかもしれません……!

改行し損ねていたのは自分のミスです。
色々とすみません…!
455 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/20(金) 00:13:38.02 ID:JtRzB8rAO
おっ、大量投下か
書きたいコト全部書いてくれ
最後まで付き合うぞ
456 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/21(土) 16:02:18.32 ID:brc2+gEoO
「楽しい、試合」

一言、僕は呟いた。

後半が始まる頃の胸の高鳴りを、僕は忘れてしまっていたのだろうか。

試合を任された重さに、押し潰されそうになっていた。イヌイにやられ続けて、勝てないとも思った。それでも僕を信じてくれる仲間の信用を失いたくなくて。

そんなことをごちゃごちゃと考えるのが、僕のやりたいサッカーだったんだろうか。

サッカーを始めた頃は、ただただ楽しくて仕方がなかった。失敗してもボールを蹴ることが楽しくて、上手くいくともっと気持ちが良い。

その気持ちを、今の僕はなくしているんじゃないのか。

サッカーは、自分の存在意義を認めさせる道具じゃない。自分の価値を見いだすためのものじゃない。もしそうだったとしても、一番根底にあるべきものはそれじゃない。

僕は、サッカーが好きだ。

ハッと目が覚めた気がした。彼に目を合わせると、彼は満足げに頷いた。

「さぁ、もっと楽しもうぜ」

そんな一言を、言い残して。
457 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/21(土) 16:05:54.01 ID:brc2+gEoO
「カズ!」

オーバーラップを仕掛けた僕に、ヒロさんがボールを供給する。前にボールを運ぶと、相手ディフェンダーが目の前に立ちふさがった。

……ここで、いつも逃げてたんだな。

今まで通り、フォローに入ったボランチにパスを出す。そんな単純なパスフェイント。

それでも、今までパス一辺倒だった僕のそれは、効果が絶大だ。

完全にそちらへ重心が傾いていたディフェンダーを置き去りにして、相手陣地を抉っていく。

そのままクロスをあげようとしたところで、ヒロさんがやや後方から走り込んできているのが目に入った。

強いゴロでマイナス方向にパスを出し、ヒロさんの足下にそれが届いた。

ワントラップを入れて、シュートを放とうとする。

その瞬間、スライディングにいく相手選手の脚が、後ろからヒロさんの軸足ふくらはぎに入った。
458 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/21(土) 16:06:37.97 ID:brc2+gEoO
強い笛が鳴って、レフェリーがその選手にレッドカードを提示した。

「おいっ、お前! わざと削りやがったな!」

「うっせぇ! レッド貰ってんだからお互い様だろ!」

「割にあわねぇんだよ!」

相手と仲間がもみくちゃになって争っている中、ヒロさんは踞ったまま立ち上がれない。

「ヒロさん!」

声をかけながら近づいても、ヒロさんは反応がない。

「大丈夫ですか?」

審判が担架をピッチ内に呼び寄せても、ヒロさんに反応がない。

削られたとはいえ、そこまでの痛むほどの強い接触では無かったと思う。それでも、ヒロさんは立ち上がれない。

左足を押さえたまま、彼は声も漏らさない。

何度か、首を左右にふった。

「無理そう、ですか?」

その問い掛けにも、彼は、左右に首を振った。何にせよ、一旦は外に出ないと試合が再開できない。
459 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/21(土) 16:07:25.54 ID:brc2+gEoO
担架に乗るように審判に指示されると、ヒロさんはそれを拒否して自分で立ち上がった。

その頃には争いも一段落していて、スライディングを仕掛けた相手はピッチを退こうとしている。

ピッチの外に向かう前、ヒロさんは僕を呼び寄せた。小走りに彼に向かうと、一言だけ僕に告げた。

「悪い、昔を思い出しただけだ。すぐに戻る」

そのまま、ヒロさんは歩き始めた。

昔……あぁ、そうか。そうだった。

ヒロさんのかつての悩みに繋がっていた、プロ時代の怪我。

それは確か、後ろから受けたスライディングが原因だったと、彼は言っていた。

だからか。僕は一人で納得する。

前半、イヌイからスライディングを受けたときにオーバー気味に心配していたのは、自身に置き換えていたのかもしれない。

何にせよ、これはチャンスだ。残り時間が少ないとはいえ、数的有利に立った。しかも、相手ゴール前でフリーキック。
460 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/11/21(土) 16:07:58.97 ID:brc2+gEoO
いつもは、セットプレーのキッカーはヒロさんの仕事だ。でも彼は、今はいない。

「俺、蹴ります」

無意識に、その言葉が出てきた。

周りにいたチームメイトは驚いた目で僕を見る。当然だよね、今までなら絶対に自分からそんなことは言わなかったから。

「いけるか?」

「大丈夫か?」

問いかけに、僕は頷いて答える。心配はされても、誰も否定はしないでくれた。

各々がポジションに散っていき、僕はボールをセットする。

サッカーを始めたのは、あるサッカー選手に憧れたからだった。

親が見ていた、日本代表の試合。背番号10の左足から繰り出されるフリーキックは、サッカーのことなんて何も知らない僕にさえ、感動を覚えさせた。

それから彼に憧れて、何度も何度もボールを蹴った。今のチームではヒロさんがいるから、フリーキックを蹴る機会なんて無かったけど。それでも、一人で自主練習は続けてきた。

あの頃の気持ちを思い出せ。彼みたいになりたいと、日が暮れてもボールを蹴るのが楽しくて仕方がなかった、あの頃を。
461 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/21(土) 16:09:17.58 ID:brc2+gEoO
狙うのは、ゴール左上。

相手キーパーとの駆引きは、特にしない。コースを読まれていても、必ず決まるコースに蹴ってやる。

助走を始めても、その自信は無くならない。左足で踏み込んで、右足のインフロントで擦るようにボールを叩いた。

キーパーの動きも、ボールの動きもスローに見える。こぼれ球を狙う選手は、ゴール前に雪崩れていく。

そうだ、そのコースだ。キーパーの動きは適切だった。それでも、止められはしないという確信がある。

僕の右足に打たれたボールは放物線を描いて、キーパーの指先から数センチ先を通りすぎた。

一瞬の静寂が、ネットを揺らす音を伝えてくれた。その次に聞こえたのは、歓声とホイッスル。
462 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/21(土) 22:47:16.93 ID:E7kJAwMKo
ゴール来た乙乙
年跨いだとしても構わんのでいつも楽しみにしてるよ
463 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/21(土) 23:13:59.26 ID:HY+nLm4mO
少し内容とんでたから読み直してきたわ
乙です
464 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/22(日) 01:31:57.73 ID:5bAiqOqO0
すげえ
まさかFKという形で決めてくるとは
期待
465 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/23(月) 12:26:10.33 ID:2l4yraE0O
左足の痛みは大したことは無かった。ただ、メンタルには強いダメージ。

後ろからスライディングを受けた俺は、立ち上がることもできないままに足を押さえる。

カズが名前を呼びながら近づいて来たのは分かったけど、それに返すこともできない。

大したことはない、はずなのに。どうしても立ち上がってすぐにプレー再開へ向かうことはできなかった。

残り時間わずかで、セットプレーのチャンス。それも、俺の得意な位置だ。それなのに、今すぐそのボールを蹴れるようなメンタルではない。

いくつかの問い掛けに首を振って答えると、落ち込んだ気持ちを震い立たせて、どうにか立ち上がってピッチの外に出ることにした。

足は……うん、大丈夫だ。

カズを呼び寄せて、一言伝える。心の機微に敏感なやつだ、あれできっと分かってくれるだろう。

ピッチの外に座って冷却スプレーを当てながら、プレーが再開されるのを見守る。

キッカーは……カズか。実力的には妥当、だけど意外でもある。

勝負がかかった場面、あいつは逃げがちだったから。普段のプレーもそうだし、こういう場面でもそうだ。プレッシャーがかかる場面で、あいつは無難で妥当、みんなと同じ。そんな選択が多かった。自信がないとか、遠慮してるとか、性格的なものもあったんだとは思う。

近くにいない俺には、その選択がカズ自身のものなのか、それとも任されたものなのかは分からない。

それでも、あいつはそこに立つことを選んだ。逃げ出さないことを、選んだんだ。

このフリーキックの結果を問わず、それは成長であると、俺は信じている。だから今は、成長したカズを信じる。

あいつの蹴るフリーキックは、きっと決まる。
466 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/23(月) 12:26:59.60 ID:2l4yraE0O
カズが助走に入った時点で、ボールの軌道の予想はついた。

小細工は入れずに、俺のその予想のままにボールが放たれる。

文句のつけようもなかった。プロでも触れそうにない、完璧なコースに完璧な速度でそれは向かった。

「やりやがったな!」

「すげぇ、すげぇよ!」

そんな声に追われながら、カズはピッチの外にいる俺の元に向かってくる。

「カズ!」

「ヒロさん!」

そのまま俺に飛び付いてきて、返すように強く抱き締める。そして、遅れてきたやつらも集まると、みんなでカズをもみくちゃにする。

でっかくなったな、と父親のような気持ちにすらなってしまった。

俺がこのチームに入ったときは、ちょっと上手いだけのガキだったのに。今となっては、みんながこいつに信用をおいている。昔のブラジル代表じゃないけど、『戦術はカズだ』って言いたくなるほど、こいつはうちの真ん中にいる。

本人にその自覚はなかっただろうけど、さっきのフリーキックでそれは一段と強くなった。

審判に促され、ポジションに戻るあいつらと一緒に、俺も許可をもらって再びピッチに入った。

「さっきのフリーキック、カズが蹴るって誰が決めたんだよ」

ジョギングで戻りながら、隣を走るカズに問いかけてみた。

照れ臭そうに笑って、「僕が蹴りたいって言いました」と答えるこいつは、これからきっともっと上手くなる。

でも、それを口に出すのは同じサッカー選手として少し悔しさもあって、言葉の代わりにあいつの背中を強く叩いてやった。

俺も、変わらないとな。
467 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/23(月) 12:27:36.09 ID:2l4yraE0O
残りわずかな後半はあっという間に終了を迎えた。

うちのチームにとって、予選を含めて延長戦は初めてだ。体力面に不安が残るけど、カズはむしろ後半から動きがキレてきた。この調子なら、初めての延長でも、むしろうちが有利かもしれない。

延長が始まる前に、俺はカズに話しかけた。

「カズさ、何でフリーキック蹴ろうと思ったの? いや、すげぇ良いボールだったよ。でも、そういう主張するの、珍しいじゃん」

その問い掛けに、カズはこんな答えをくれた。

「イヌイに言われたんです。楽しめって。試合は楽しいのに、サッカーって楽しいのに、そんなプレーばかりで楽しいのかって」

イヌイ……あの、カズのマッチアップの相手か。

「俺、サッカー好きです。楽しいし、上手くなりたい。でも、ミスが怖いからチャレンジもできてなくて。イヌイにそれを言われて、サッカーを始めた頃のことを思い出して」

「始めた頃って?」

「その頃って失敗してもボールを蹴るのって楽しかったな、って。上手くいく方がもちろん楽しいけど、失敗しても楽しい。だから、失敗を怖がらずにボールを蹴れたんだって。それを思い出したら、今の僕って本当に楽しめてるのかなって思って……」

「だから、失敗を恐れずにフリーキックを蹴れた?」

その言葉に、カズは頷いた。

「はい。だって、ミスするかもしれないから、成功したら嬉しいんだなって気づいたんです。だから今、めちゃくちゃ嬉しいです!」

「今さらかよ!」

そんな突っ込みが、横のヤマさんから入った。「あの時はびびったぜ、急に俺って一人称になるしさ」「かっこつけやがって!」そんな茶化しを入れられながら、カズは赤面して話をまとめようとする。

「とにかく! 延長はもっと仕掛けていくんで、フォローお願いします!」
468 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2015/11/23(月) 12:28:27.37 ID:2l4yraE0O
サッカーの楽しさ、か。

延長前半が始まったピッチ上で、ポジションを取りながら俺は考えていた。

楽しいとは、いつも思う。好きだなってことも自覚している。ただ、その本質が何なのか、俺は言葉には出来ない。

カズの言っていることもサッカーの本質の一部ではあり、そして全体でもあると思う。

上手くいかなくても楽しいし、上手くいくともっと楽しい。

サッカーに対する感情は、とてもシンプルだ。

今までの俺は、余計なことばかり考えていたのかもしれない。

シンヤに対する嫉妬。カズに対する希望。怪我に対する恐怖。

それら全てを、サッカーに結びつけて考えていた。サッカーをする上で、それは切り離すことが出来ないことだと思っていた。だから、プレーしながら考えてしまう。

「ヒロさん!」

俺の名前を呼んでパスを求める、弟みたいな後輩に教えられた。

「カズ!」

答えて、あいつの求めるパスを出してやった。何とも嬉しそうに、そのパスをトラップしている。

楽しいから、俺はサッカーをする。楽しいから、上手くなりたい。

「カズ、中!」

楽しいからこそ、俺は勝ちたい。もっとこいつらと上にいきたい。
469 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/11/23(月) 12:29:03.98 ID:2l4yraE0O
仕掛けるフェイントでイヌイの重心をサイド方向にかけさせると、逆をついて中を向いたカズが、バイタルエリアに強いパスを出した。

そこに走り込んだ俺は、ゴールに向かってボールをコントロールする。

ゴールが……見えた!

後半終了間際と同様に、右足を振り上げてキックモーションに入る。

そうはさせぬとセンターバックがゴールを隠しにきた。振り上げた足をそのまま振り降ろし、キックフェイント変更すると、体を硬直させていたディフェンダーは反応ができずにぽっかりとゴールが開いて見えた。

ここしかないというコースが見えて、今度こそと左足を振り上げた。そこで、俺の危機察知能力みたいなものが警鐘を鳴らし始める。

「後ろ!」

カズの声が聞こえた。何だ、そういうことか。

ボールを左足で軽く浮かせ、俺自身もジャンプする。後ろからスライディングを仕掛けていた相手のボランチは、信じられないという目で俺を見上げているのが視界の端に映った。

悪いけど、もう立ち止まるわけにはいかないんだ。これ以上カズに置いていかれないためにも、俺も進まないといけない。

ジャンプした体を寝かせながら、右足ボレーでボールを叩いた。

「すげぇ! スーパーゴール! さすがヒロさん!」

そんな声をあげながら近づいてくる後輩に、わざとらしく作ったドヤ顔で言ってやった。

「上手くいくと、やっぱり楽しいな」
470 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/24(火) 01:31:51.77 ID:MMYeZfBq0
相手のボランチクズすぎワロタ
471 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/29(日) 18:27:28.72 ID:OcIneAh7o
はよ
472 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/12/09(水) 18:48:42.87 ID:zu3LmgmAO
まだ?
473 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/12/12(土) 09:12:58.54 ID:4MW3xV2O0
終わらないなら終わらないでいいから11月中とか年内とか期待させないでくれ…
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