魔女「ふふ。妻の鑑だろう?」

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

273 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:28:24.75 ID:D2uU4S3W0



賢者「…私、パス。
   分の悪い賭けはしないわ」

戦士「ここで考えあぐねてる方が分が悪いよ」

賢者「駄目よ。
   死を先延ばしにするだけ、って考え方は正しいわ。
   少しでも生きていれば、やれる事はあるんだから」

戦士「お前、どうせ死ぬなら今がいい、って、
   さっきまで言ってたじゃねえか」

賢者「……………そーだけど」

戦士「そもそも、死ぬつもりはないんだ。
   これは生きるためだよ。
   俺を、上まで運べ。
   足止めしてる間に、
   …いい案、出してくれよな」


賢者は目を伏せ、
…そして、揺るがぬ眼差しでこちらを見直す。
魔女の話をしていた時もそうだ。
心が激しく動いた時の彼女は、
まるで涙をこらえるような素顔を見せる。

きっと本来の彼女が涙もろいせいだ。
彼女の生き方は、本来のその性質を、
悲しい鉄面皮で覆ってしまったのだ。


賢者「…死んだら、許さない。
   私を生かしておいて、先に死ぬなんて、
   …ありえないわ」


頭上の天蓋を睥睨する。
長い筒の先、まるで満月のような天井。
どのように地上フロアと通じているかは定かではないが、
少なくとも上にある事には違いない。
蛇のように壁を這う螺旋階段に欄干は無く、
そこで戦闘になれば、不利は、
身体が大きく得物の長いこちらなのか、
体重の軽い勇者なのかは、時至るまでわからないだろう。

しかし、遮蔽物の無い細い地形は、
雷魔法の前では、
距離が離れる事は即座に死を意味する事を充分に理解させた。



274 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/10/05(月) 03:29:24.21 ID:D2uU4S3W0



戦士「…勇者の動向は?」

賢者「すぐ上まで来てるわ。
   飛ばすから、動かないでね」

戦士「………おう」


賢者がぶつぶつと呪文を唱え始める。
身体が青い光に包まれ、
まるで重力が消え失せていくかのような、風圧を感じ始めた。


賢者「上、よく見ててね。
   離れると姿勢制御がしにくいから、その辺りは精霊に命じて…」

戦士「は?
   そんな事できねーよ」

賢者「シルフ、飼ってるんじゃないの?」

戦士「まだ足に棲みついてるらしいけど、
   命じるとか、した事ないよ」

賢者「…ふぅん。
   なにも知らないのね」


途方もない轟音と振動が地下を揺るがしたのは、その時だった。
賢者は驚きに身を強張らせ、
身体を包む風圧が消える。
衝撃は天井からだ。
やがて粉塵が降り注ぎ、それで、天井が壊されようとしている事を悟る。

賢者の眼差しは、より一層鋭さを増す。
なにかが猛烈な力で天井を壊そうとしている。
方法はわからないが、その力、魔性の類である事は疑いがない。

再び地下は激震する。
天井の中央から、蜘蛛の巣を思わせるような罅が走る。
相当な厚みがあるようだが、あの損傷では、次は耐えられないだろう。


賢者「…戦士」

戦士「作戦変更だ。
   あれが崩落すると同時に、俺を上に飛ばせてくれ」

賢者「馬鹿、瓦礫に当たって死ぬわよ」

戦士「大丈夫さ。
   ただ、頼みがあるんだ」

賢者「何よ」

戦士「うんと、身を軽くしてくれ。
   姿勢制御は、しなくていい」

賢者「……………わかった。
   やってみるわ」


道がひとつしか無いのなら、
迷わずに済むという事だ。
それが死地に向かおうとも。



275 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:31:04.83 ID:D2uU4S3W0



夜の王城が騒がしい。
近衛騎士団が出撃し、文官たちは急な雑務に追われている。
どれだけ壮麗に飾り立てようと、騎士団は殺しが生業だ。
王城に詰めた、250の騎兵たち。
一体何人を殺すのか知らないが、その数だけ愁嘆場があり、
その数だけ様々な人生が幕を閉じる。
犠牲も産むだろう。
しかし騎士団は確実な戦果を挙げるに違いない。
彼らはそのために技を磨き、鍛え上げ、
それが正義だと信ずるからこそ、敵を見つけ力を放つ。
250の物語は、みなそういった物語だ。
そこに世俗的なヒューマニズムは必要ない。
軍とはそういうものだ。
個ではなく群としてラベリングされた人生たち。
彼らはそれぞれ名を持つが、
使命と誇りは時として名以上の価値を持つ。


憲兵「全く、なんの騒ぎだ」

兵士「魔研に襲撃だそうです。
   魔法執行部隊だとか。
   ま、すぐに片がつくでしょう」

憲兵「襲撃?
   大体、なぜ執行部だとわかるんだ」

兵士「大規模な魔法行使を感知したそうです。
   組織だった動きで瞬く間に制圧されたそうで。
   情況証拠に過ぎませんがね」

憲兵「…見事な手並みだ。
   なんの研究をしていたかは知らんが、
   上はお冠だろうな」

兵士「まぁしかし、魔法の王国も、それだけの精鋭を失います。
   痛み分けでしょうな」

憲兵「痛み分け………?」

兵士「違いますか?」

憲兵「………いや。
   確かに痛み分けだ。
   どうやったって、痛み分けがいいところだ」

兵士「戦争になれば、勝利するのは我々です。
   悪あがきといったところでしょうか」

憲兵「……………」



276 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:32:57.98 ID:D2uU4S3W0



悪あがき?
魔法使いらしからぬ発想だ。
無様に足掻くより、自ら死を選ぶ。
彼らはそういった美意識を持つはずだ。

ならば、襲撃を決意させた理由とは。


憲兵「…ひとつだ」

兵士「なんです?」


熱狂、そして怒り。
それらが人を変える。

こんな話を聞いた事がある。
なんの事はない、古典的な社会心理学の研究だ。
研究者は、少年たちを2つのグループに分けた。
2つのグループは1週間、それぞれ親睦を深める。
他のグループとの接触はなかった。
1週後、2つのグループは賞品を賭けて競い争った。
グループの結束は高まり、グループ間では敵対心が生まれた。
これは自明の理といえるだろう。

さて問題はここからだ。
その後、グループ間の対立を解消する試みが行われた。
2集団の交流の機会を増やし、
音楽鑑賞や食事を共に楽しませ、詩の朗読会を開いた。

ところが、集団間の葛藤はむしろ増加する傾向になったのだ。

2つの集団は、似たものを賭け、この先も争い合うのだろう。
交流が溝を深めるのでは、和解の手段は無い。
幾度争い合えば気付くのか。
集団が1つになれば良いだけの話だ。

だがそれに気付く頃には、もはや手遅れなのだ。

…熱狂、そして怒り。
伝播するそれらは、やがて恐怖に変わり、
無慈悲に救世主を求める。
だが救世主は現れない。
恐怖に駆られた民草は、やがて。


憲兵「暴走だよ。
   …これは、始まりだ」


自ら命を断つだろう。


兵士「………なんです?」


自覚の、無いままに。



277 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:34:17.78 ID:D2uU4S3W0



3度目の激震。
天井はもはや持たない。
疼くような音がして、ひとつ、またひとつと、
小さな破片が降る。


賢者「ちょっと!いつまでこうしてればいいの!?」

戦士「……………」


まだ早い。
これでは、届かない。


戦士「…もう、少しだ」


罅は天井の姿をすっかり隠してしまい、
ねずみ色はもはや黒一色だ。
反響していた轟音はやがて静まり、
一瞬の静寂が地下を包む。

そして、突然、まるで巨人に踏み抜かれたように、
天井は激しく崩落を開始した。


戦士「今だ!!」

賢者「もうっ!急なのよ!」


身体がふわりと持ち上がる。
うねる気流を視界が捉える。
だから、理解できる。
この長い筒状の縦穴に、螺旋状に道ができている事を。


戦士「気流の道か!やるな、賢者!」

賢者「うるっさい!さっさと行け!
   招きは天に、私の腕は大気を掴む………!」


足が地を掴む感覚が無い。
重力が身体を包む気流に相殺される、絶妙な力加減だ。
賢者の感覚の鋭さゆえに成せる事だろう。


賢者「バギクロス!!!!」


地を蹴り、斜めに跳ぶ。
少し遅れ、背に風を受け、加速。
膨大な風量に押された加速感は、まるで時を加速させるかの如くだ。
瓦礫のその落下を静止させたようにさえ感じさせる。
第一の目標と定めるは、自らの体重を支えるだけのサイズの瓦礫。
それを足蹴にし、更なる目標を定め、戦士は文字通り疾走する。
風魔法の恩恵があればその程度、階段を駆け上ると同じ事。
落下速度を遥かに上回る速度で跳べば、
瓦礫は宙に浮かぶ足場となんら変わりない。



278 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/10/05(月) 03:35:40.75 ID:D2uU4S3W0



戦士「うおおおおおおお!!!」


更に瓦礫を足蹴にして、次なる瓦礫へと跳躍する。
まずい事に、想像していた以上に速度がのる。
これではじっくりと「足場」を選ぶ余裕は無い。
速度は跳躍ごとに増し、戦士の身体を猛然と突き進む尾を引く流星へと変える。
姿勢が乱れ、その移動はもはや跳躍ではなく、バウンドするボールを思わせた。
だが動きを止める訳にはいかない。
甲冑、腕、身体のあらゆる場所を使い、
賢者が作った道を追い、
気流の螺旋階段を駆け上り、戦士は空へと疾走する。

回数にして、七度。
戦士は遂に天蓋を穿ち、崩落する天井を抜け、
地上へと躍り出た。


勇者「………戦士?」


そこに、驚きに身を固める、青い鎧姿の女性を見る。

想像よりも速度が落ちない。
戦士は身を翻し、地上フロアの天井に「着地」し、
更に反転し、地上へと降りた。
地下を抜けたら解除されるようになっていたのか、
魔法は既に解けている。
突然、身体を重く感じた。
先ほどまでの身軽さは、僅かの時間だったが、
充分に、身体に重力を忘れさせてしまったようだ。

地上フロアは大きなホールになっている。
会議室、だろうか。
多数の研究者が暮らす魔研の居住フロアに存在するだけあり、
かなりの人数が収容できそうだ。

その中央で、勇者と邂逅する。
魔翌力灯は全ては壊れてはいないが、
フロアは暗い。
勇者の表情はよく見えないが、
僅かな戸惑いと、確かに存在する敵意を感じ取る事ができる。


戦士「…お前、なんでここに居るんだ」

勇者「こっちが聞きたいよ。
   なんで魔研なんかに居るの?」

戦士「野暮用だ」

勇者「隠れてたね?」

戦士「気のせいじゃないか?」

勇者「………あは、は。
   浮気者だなぁ、戦士は」



279 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:36:42.08 ID:D2uU4S3W0



勇者「…僕から、隠れてたね」

戦士「お前の見落としじゃないか?」

勇者「…今の、魔法じゃん。
   それにこの魔力の匂い。
   凄く、むかむかするなぁ」


ブルーメタルの鎧が光る。
勇猛なる青の鎧は、暗い室内で、より暗く紺碧に染まっている。
本来ならばどこまでも華美な拵え。
救国の英雄にこそ、この鎧は相応しい。
猛々しいこの鎧を身にまとう英雄を目にした者はみな、
希望を胸に膨らませ、どれだけ幸薄き世だろうと光明を見出すだろう。

退魔のルーンが刻まれた剣もそうだ。
鏡面のように磨き上げられ、僅かの曇りも見せない。
怜悧なる輝きは正義の心を喚び覚ます。
どれだけ敵に打ち付けようと、刀身は刃毀れひとつ見せない。

あれは、オリハルコンだ。
ミスリルの白銀の輝きとは違う、やや鋼の色の強い輝き。
太古の鍛冶師が神に挑み、鍛え上げたものだといわれる、
王国に伝わる王者の剣。

だがそれらの輝きも、
身に纏う冷たさに染め上げられてしまっている。
伝説の英雄の姿を模した、
憎悪と絶望に疲れ果て、その全てを皮肉るような笑みを湛える、
勇者という女性の冷たさに。

怜悧な眼光と白銀の髪。
これは希望を捨てた眼だ。
擦り切れた神託の証とやらも、
神などものの役に立たぬ、と切り捨てているかのようだ。


戦士「…雷魔法以外も、使えたのか」

勇者「んー?んーん。使えないよ」



280 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:37:27.76 ID:D2uU4S3W0



戦士「じゃ、どうやって、床を割ったんだ」

勇者「内緒」

戦士「…へいへい」

勇者「時間稼ぎ、楽しい?」

戦士「………いいや」

勇者「この下も懐かしいなぁ」

戦士「来た事あるのか?」

勇者「ま、そーなるね」


やばい。全く信用されてない。


戦士「あー、聞け、勇者。
   俺がここに居るのには訳があるんだ」

勇者「………仕方ないなぁ。
   そんなに言いたいなら聞いてあげるよ」

戦士「おう。
   …頼む、聞いてくれ。
   だから、それまで手を出すな。
   ………お互いに」

勇者「……………ちぇ。
   ほんとに、気配を殺すのが上手いね。
   君ほど相性の悪い敵は居ないよ」

賢者「悪いけど、聞けないわ、戦士。
   この子は危険なのよ。
   私は、この子だけは、
   殺せる時に、殺すわ」

勇者「やってみなよ。
   ………きっと、共倒れだね」

賢者「………ッ……」


どこから現れたのか、
賢者は背後から勇者に剣を突きつけるが、
勇者の右手には既に魔力が練られていた。
僅かに纏った雷霆にどれ程の威力があるのかは定かではない。
しかし、そもそもこの距離では、勇者とて無事では済まないだろう。



281 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:38:30.73 ID:D2uU4S3W0



賢者「………で?
   戦士、あんたは、どうすんの?」

戦士「……………」

勇者「なんも考えてないんでしょ」

戦士「いや、ある。考えは」

勇者「戦うしか脳ないもんね」

賢者「同感」

戦士「あるって。
   とにかく二人とも、抑えてくれ。
   このままじゃ話にならない」

勇者「やだよ」

賢者「いやよ」

戦士「頼むって。
   話合いでなんとかなるはずだ」

勇者「なにを話すの?
   僕だって、こいつだけは殺しておかないと、
   困るんだけど」

賢者「…なぜ、第6師団が魔研襲撃に駆けつけるのかしらね」

勇者「プライベートに口出す人って嫌だなぁ」

戦士「……………2人とも、やめろ。
   それじゃ、共倒れにしかならない。
   やめないと、どちらかが生き残っても、
   俺が殺してやる」



282 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:39:21.13 ID:D2uU4S3W0



勇者「言うじゃん、らしくない。
   …まぁ、いいよ。
   じゃあ、なにから聞こうかな」


腕から雷が消える。
少しだけ不満気に、勇者は全身に漲らせた殺気を解いた。


賢者「質問は私達がするのよ。
   あなたに選択権があると思わないで」

勇者「私達?ふぅん。
   戦士は、本当の君の仲間なの?」

賢者「っ………!
   ええ、そうよ。
   彼は、私の仲間」

勇者「君の仲間は殺し屋でしょ。
   身体に死臭残ってるよ」

賢者「侮辱は許さないわ。
   私達には私達のルールがあるの」

戦士「やめろって。
   …勇者は、ここに、何しに来たんだ」


敵意は決して消えないが、
とにかく戦闘は避けられたようだ。
賢者もまた剣先を下ろしている。


勇者「んー………」

賢者「答えなさい。
   ここで何をしているの?
   なぜ、近衛師団が派遣されないのか、
   あなたは、知っているのかしら」



283 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:41:33.42 ID:D2uU4S3W0



憲兵「不審な男?」

兵士「ええ、郊外で確保されました。
   たまたま出回っていた兵が声をかけたところ、
   死体を埋めていたとかで」

憲兵「死体、ね。
   最近は王都も物騒だな」

兵士「ですが、その被害者の身許というのが…」

憲兵「身許?
   そんなもの、すぐわかるだろう」

兵士「わかってしまうのが問題なのです。
   まぁ、一度見てみてください」


城の地下へ向かう。
地下は地熱と地下水を利用した簡易的冷蔵室となっていて、
貯蔵庫にも使われてはいるが、
我々の目的はその奥に存在する死体置き場だ。
存在を知らなければつい見落としてしまうような階段は、
闇色に満たされ、その先を隠している。
我々はランプを片手に闇に身を潜らせる。
階段を一段降りる度、鼻を刺す死臭が強くなり、
足取りは徐々に重くなる。
石造りの階段には足音がよく響き、
死の国へ足を踏み入れる自らの姿を俯瞰させるようだ。


憲兵「…死体は、俺は会った事があるのか?」

兵士「まぁ、一度だけですが。
   どうぞ」


一室に通される。
死体には番号が与えられているが、番号通りに並んでいるわけではない。
事件性や共通する状況など、同時に捜査が進められるべき場合に、
同じ部屋に収容されるのだが…。


憲兵「この部屋は。
   …近衛師団長の」


部屋には、解剖が済み縫合された近衛師団長、宰相の死体。
そして見覚えのある、新たな死体が並んでいた。


憲兵「………兵長、殿」


284 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:42:39.26 ID:D2uU4S3W0



憲兵「なぜこの3人が同じ部屋に?」

兵士「…この痣を見てください。
   シダの葉のような」


右肩口から、虫が這ったような痣が、
シダの葉のように広がっている。
それはまるで刺青のようだが、
とうの昔に治癒しているようで、所々かすれていたり、
途切れている場所もある。


憲兵「古傷じゃないか。
   直接の死因ではないだろう」

兵士「これはなんの跡かおわかりですか?」

憲兵「いいや。
   …まるで前衛芸術のようだが」

兵士「王都に住むというこの方のご母堂にお話を伺いました。
   兵長殿はどうやら、かつて雷に打たれた経験があるようです」

憲兵「………雷に?」

兵士「…宰相殿のご遺体に、薄く、同じ痣がある事を、
   覚えていますか」

憲兵「馬鹿な。
   室内で雷に打たれるはずはない。
   ………そんなはずは、ない。
   不審な男という者はどこに?」

兵士「死にました」

憲兵「自殺か?」

兵士「そうです。カンダタという男です」



285 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:43:42.43 ID:D2uU4S3W0



憲兵「…妄想型の殺人鬼だ。
   とんだお尋ね者だろう」

兵士「ええ。
   しばらく足取りを消していましたが、
   遠方の街で殺人を繰り返し、
   結局逮捕されています。
   最終的な身柄は第6師団が」

憲兵「……………」


考えてはならぬ事だ。
言葉もなく、憲兵は沈黙の中で、自らの考えを疑った。
しかし雷の痣は決定的な証拠になり得るものだ。
救国の英雄が軍部で暗殺を続けているという推論を、
充分に裏付ける事ができる。

しかし、その、動機とは。


憲兵「証拠が足りない。
   手を出すべきではない案件だ」

兵士「そうも言っていられますかね?」

憲兵「救国の英雄が国家転覆を?
   馬鹿馬鹿しい。
   お前も、そう思うだろう」

兵士「国王の身辺警護を固めるくらいしか出来ませんが…。
   あなたは捜査を続ける事ができますか?」

憲兵「具体的な最終目標が無ければ動くにも動けないな。
   勇者殿の罷免か。
   …それとも」

兵士「我が国には彼女を討ち取れるだけの兵は居ませんよ。
   …あなたは、どうかはわかりませんが」

憲兵「とにかく、この件は誰にも話すな。
   あと、魔法使いを見つけて来い。
   時が来るまで、部屋を冷凍しておく必要がある」

兵士「わかりました」



286 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:44:22.18 ID:D2uU4S3W0



勇者「近衛師団ー?
   さぁ。
   なにしてんだろ?」

戦士「教えてくれ、勇者。
   お前は、何をしにここへ来たんだ」

勇者「里帰り、だって。
   僕の実家はここだから」


勇者は心底おかしいとでも言うように、
こみあげる笑いを隠そうともせずにくつくつと笑う。
だが、それでは真意を図る事ができない。


戦士「仲間は、居るのか?」

勇者「んー、もう帰ったんじゃないかなぁ」

賢者「…そうね。
   撤退する部隊の姿が見えたわ。
   私の部隊に生き残りは居るのかしら?」

勇者「生きてるかどうかは関係ないよ。
   今ここに、人間は3人だけ」

賢者「あなたが喋らないというのなら、
   私が喋りましょう。
   ひとつ、わかった事があるから」

勇者「………なにが?」


賢者はつとめて冷静だ。
一呼吸置き、彼女は会話を続ける。


賢者「あなたの雷魔法の秘密についてよ」



287 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/10/05(月) 03:45:17.38 ID:D2uU4S3W0



勇者「………へぇ。
   聞いてあげようじゃん」

賢者「軽々しく魔法使いの近くで使うべきではなかったわね。
   まず、あなたの雷だけど、
   発動効果は一瞬だけ。
   そうでしょう?」

勇者「………そうだね」


意外にも勇者はすぐに認める。
確かにそうだ。
勇者の雷魔法は、遠く目撃できる自然のものと同じ。
発動は一瞬だが、それでも凄まじい威力がある事は確かだ。


賢者「発動までは少しのタイムラグがある。
   あと…これは推測だけど。
   狙いは至って正確だけど、
   雷の、『軌道までは操れない』。違うかしら?」

勇者「……………」


勇者の顔から色が消えた。
賢者が何を見抜いたのかはわからないが、
恐らく的を射ているのだろう。


勇者「……凄いね。
   その通りだよ。
   僕は、雷を支配しているわけじゃない」

賢者「私達魔法使いの自然干渉系魔法は、自然現象を支配する事で成立する。
   そもそも、雷なんて属性はないわ。
   つまり自然現象である雷は、エレメンタルのどこかに組み込まれるという事。
   …あなたの雷はなにか絡繰りがあって作られたものって、ずっと思っていたわ。
   あなたの本当の魔法は、つまり」

勇者「……………」

賢者「天候魔法。
   あなたは超高速で雷雲を作る事ができるのよ」



288 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:46:10.88 ID:D2uU4S3W0



勇者「…ほんとに、君は嫌いだよ」

賢者「私も天候魔法は使えるけど、
   同じ芸当なんて出来ないわ。
   まだ秘密がありそうだけど、それだけわかっただけでも充分」

勇者「…まー、まがい物でも、彼女の自信作なんだけどね」

戦士「彼女って、まさか」

勇者「………あはは。
   想像はつくかもしれないけど、
   それは、秘密だよ」

賢者「里帰り、と言ったわね」

勇者「……………」

戦士「勇者。もしかして、下の牢獄に居たのは」

勇者「あははは!違うよ。
   あの牢獄に居たのは、『本物』だから」

戦士「………本物?」

勇者「そ。
   今は、もう居ないんだけどね」

賢者「なんの話をしているの?」

勇者「だめだめ。
   次は僕が喋る番だよ。
   戦士、あれ、見た?」

戦士「あれ?って、どれだ?」

勇者「んー?違うの?
   てっきりあれ見て怒ったからこんな事したのかと」

賢者「……………」



289 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:47:04.34 ID:D2uU4S3W0



勇者「魔法使いたちの死体の話」

戦士「……………死体?」

勇者「燃やしてくれちゃって、困るなぁ。
   まぁ新しいのをいっぱい仕入れられたからいいんだけど」

賢者「………あなた、まさか」

勇者「さぁねー」

賢者「私の部下達を、…どうしたの」

勇者「内緒だよ。言う必要ある?」


話の内容はわからない。
しかし断片的な単語から推測出来ることは、
…とても人の道ではない。
死体を使って何をする?
人が魔法使いに求めるもの。
…それは。


戦士「魔力か?」

勇者「お、戦士はやっぱり賢いね。
   馬鹿だけど」

賢者「あなた達は、一体なにを……」

勇者「うーん。
   教えてあげたいけど、
   教えられないんだよね」

賢者「あれはあなたの仕業なの?」

勇者「なんだ、見たのは君なんだ。
   君って意外に直情的なんだね」

賢者「……………」


賢者は、ぎり、と唇を噛む。
彼女は見てはいけないものを見たと言った。
どれだけ苛烈な状況に身を置こうとも、
激情に駆られようとも、彼女は心の静謐さを失わない。
その彼女が冷静さを失い、凶行に及ぶだけの理由とは、
きっと誇りと尊厳でも踏みにじられたのだろう。
そしてそれは恐らく、決して自らのものではないのだ。


勇者「ま、そろそろ幕引きだね」



290 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:48:02.65 ID:D2uU4S3W0



賢者「………ッ、……ぁっ………」


賢者は声にならない悲鳴をあげ、
こめかみを押さえ、突然膝を屈した。
理由はわからない。
だが、この場においての彼女の特異性とは、
彼女が魔法使いであるという事のみだ。


戦士「賢者!どうしたっ!?」

賢者「わ、わから……」

勇者「知覚を解けばいいだけだよ。
   無理すると死んじゃうよー」

賢者「ぅ、く……」


思わず賢者に駆け寄る。
未だ痛むのか、賢者は少し頭を気にしながら立ち上がった。
視線を外したのは僅かの時間だったが、
勇者に距離を取らせるには充分の時間だったようだ。


勇者「迎えが来たんだ。
   欲しいものは回収したいし、
   邪魔はされたくないんだよ。
   ごめんね」

戦士「待て、勇者!!
   欲しい物ってなんなんだ!」

勇者「これこれ」


勇者の右手には、拳大の赤黒い球体が握られていた。
毒々しい赤だ。
見覚えはないが、なぜだかあの色を知っている気がする。

記憶を頼りにその色から受ける印象を必死に言葉にしようとして、
…そして、気付く。
赤黒い球体から想起させる印象。
勇者が手に入れたという魔法使いの死体たち。
それの意味するところとは。



291 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:49:12.39 ID:D2uU4S3W0



戦士「それ、…血でできてるのか」

勇者「だけじゃないよ。
   ほら、うちの司令部、荒れ野の近くにあるって知ってたっけ?
   荒れ野で採掘される妙な石があってさ。
   木炭と混ぜるとほんとよく燃えるんだ」

賢者「…ブラックパウダー………」

勇者「…なんで、知ってるの?」

賢者「…魔法学院が最近発見した技術よ。
   私としては、王国軍が製法を知っている事が驚きだわ」

勇者「ま、いいよ。
   これはブラックパウダーにね、魔法使いの血液を染み込ませたものだよ」

賢者「……………」

勇者「魔力って血液に溜まるんだって。
   知ってた?」

賢者「そういう説もあるけど。
   そうしたらどうなるの?」

勇者「魔力って勝手なものでさ。
   意思が通わなくても、起こった現象を真似するんだよ。
   馬鹿みたい。
   魔力は血液に溜まるってわかっても、
   魔法石みたいにその魔力を取り出す方法もわからないし。
   …だから単純に、ブラックパウダーの威力を高めれないかってね」

戦士「………賢者」

勇者「自慢したくてたまんなくてさぁ。
   ま、試しに防いでみて」

賢者「戦士、私の後ろに!!!」



292 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:50:02.63 ID:D2uU4S3W0



勇者の放り投げた赤黒い球体は、
床に落下するなり、閃光を放ち轟音を響かせた。
圧倒的な熱量と急激に膨張した大気が放つ衝撃波は、
容易くコンクリートを崩壊させる。
それを見て、床を壊したのはこの爆発だと確信できた。
爆轟の規模は決して大きくはない。
しかし眩む視界の中、爆轟の周囲に、更に炸裂する大気を見た。

まるで連鎖するかのように、
爆発は蟻の巣のように周囲を取り囲む。
球体に蓄積された魔力が新たな爆発を産んでいるのか。
乱れ咲く爆轟はまさに雨粒の飛沫を散らすが如くだ。
反応速度が高すぎて、爆轟は一度のみに感じられる。


賢者「………ぐっ……………!!!」


連鎖反応が終わり、
焦げ付いたような臭いが鼻を刺す。
範囲はおよそ10メートル四方だろうか。
身体が無傷のところを見ると、
どうやら賢者に守られたようだ。


戦士「…無事、か?」

賢者「たまんないわね、これは。
   何度も防げるものじゃないわ」

戦士「お前も無傷か。
   すまない、助かった」

賢者「でも魔力切れよ。
   もう、…搾り粕も出ないわ」

戦士「…………あとは任せろ。
   どうにか守ってやる」



293 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:51:04.88 ID:D2uU4S3W0



勇者「へぇ、防げたんだ。
   さすが百戦錬磨の魔法使いだね」

賢者「…とんでもないもの、作ってくれたわね」

勇者「あはは。
   余力、ある?
   戦士はいーけど、魔力切れの君を見逃す手、
   …ないんじゃないかなぁ…?」

賢者「……戦士………」

戦士「間合いが、離れすぎてる。
   …俺の後ろに」

賢者「ごめん………眠くて……」

戦士「賢者っ!?」

勇者「あー、もう、めんどくさい。
   …まとめてやっちゃおうか」


魔力切れの影響か、
賢者は力なく崩れ落ちてしまった。
すんでの処で抱きとめるが、
賢者の息は荒く、身体は燃えるように熱い。
勇者の手が振り上がる。
その手に僅かに、雷霆を纏わせながら。


戦士「………やめろ、勇者。
   目的を聞かせてくれ。
   話次第では、敵にはなり得ないはずだ」

勇者「そーゆーわけにもいかないって。
   時間もないし、彼女とはずっと殺し合ってきたんだもん。
   爆弾も見せちゃったし、彼女に同じ手は二度通じないから、
   今のうちに殺しておかないとって、
   僕間違ってる?」

戦士「………俺が、気に入らない」

勇者「子供みたいな事言わないでよ。
   苛めたくなっちゃうじゃん」


どうする。
ミスリルの外套に賭けるか。
ハルバードを投擲するか。
…どの手立ても、見込みが薄い。
睨み合いは続く。
例え雷を防いだところで、
勇者は接近戦もデーモンと渡り合える腕前だ。



294 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:51:48.94 ID:D2uU4S3W0



勇者「もう、さっさと逃げてよ。
   戦士には、できるだけこんな姿、見せたくなかったのに」

戦士「馬鹿言え。
   みすみす見逃せる事じゃねえ」

勇者「…ほんと、何度も命は狙われるわ、
   戦士は誑かすわ。
   …目障りだね、賢者は」


勇者は仕掛けてこない。
おかしい。
これは勇者にとって、絶好の機会と言えるはずだ。
俺が間に立っているとはいえ、
脅すのみに留めている理由がない。


戦士「仲間が、来るのか?」

勇者「……………さぁ?」


なぜ、気付かなかったのか。
勇者は魔法使いの死体を求めていると言った。
しかし爆弾が魔法使いの血液を原料としているのなら、
魔法使いは生け捕りが都合が良いはずだ。
つまり、勇者は。


戦士「動けない賢者を、捕らえるつもりなんだな」

勇者「……………」


勇者は沈黙で応える。
そもそも勇者の返答は関係が無い。
これは確信に近い推測だ。


勇者「………ふぅ。
   ま、別に殺してもいいんだ。
   賢者ほどの魔法使いが生け捕りにできて、
   生かしておけば血液が収穫できるってのは魅力的だけどさ」

戦士「………収穫、……だと?」

勇者「怒んないでよ。
   賢者の存在は、殺すだけでも、
   充分に戦略的価値を見出だせるんだ。
   …だから、戦士がそこから動いたら捕らえるし。
   動かないなら、君ごと殺すしかない」



295 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:52:37.21 ID:D2uU4S3W0



勇者「じゃ、5つ数えるね。
   どっちか選んでね」

戦士「………くっそ……」

勇者「ごー、よーん」


どうする。
賢者を連れ縦穴に降りる。
…駄目だ、精霊さんの機嫌次第だし、
下は瓦礫だらけだし雷を遮るものがない。
勇者に挑みかかる。
…雷魔法の発動より速く斬りかかれるか?
…八方塞がりだ。
いくら考えても、状況を打開する方法が思い浮かばない。


勇者「さーん、にーい」


それだけは駄目だ。
賢者を見捨てる事はできない。
命をもらうと約束したんだから。


戦士「………く、そぉっ……!」


この勝負の帰趨は既に決している。
間合いを取られては魔法の餌食だし、
後ろには賢者が倒れ伏している。
故に俺は身を横に躱す事ができない。
足に棲んでいるという精霊は気まぐれで、
助力は期待できたものではないし、
間合いを詰めるより先を取られる事は明白だ。

だが俺の身体は、雷を耐える事などできない。
これは死へと向かう疾走だ。
だが諦観も絶望も、あってたまるものか。
これは俺の打てる最善の一手。
気休めかもしれないが、ミスリルの外套を身体の前に翻す。


戦士「うおおおおおおお!!!!」

勇者「ふうん。
   それが君の答えなんだね」


勇者の手から雷霆が放たれようとした、その時。


「旦那!!!止まってください!!!!」


見知った、声が響いた。



296 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:53:27.85 ID:D2uU4S3W0



王城に、一人の伝令が戻ってきたと聞いたのは数分前。
通信水晶が発見されてからというもの、
伝令のための駿馬が駆けるという事は、
作戦行動の失敗を意味しているようなもので、
報告を受けた時、俄に心がけばだった。


憲兵「…近衛騎士団が?」


そして、その予感は正しい。
伝令は出撃した近衛騎士団の全滅を報せるものだったのだ。


兵士「ええ。
   魔研に向かう森で、全滅したそうです」

憲兵「馬鹿な。全滅というのなら、生き残りは…」

兵士「先ほど帰った一人のみです。
   なにやら恐慌状態のようで、
   詳しい話が聞けるのは数日後でしょうね」

憲兵「………何故だ?
   近衛騎士団を全滅させられるだけの兵力、
   秘密裏に王都に送り込めるわけはない」

兵士「真偽の程はわかりませんが、
   魔研の近くで轟音が鳴り響いたという証言も出ています。
   …信憑性は、7、3といったところですかね?
   とにかく20分後に軍議です。
   あなたもご出席を」

憲兵「…ああ。
   すまないが、それまでに例の雷撃痕の資料を纏めておいてくれ」

兵士「………なぜ、今?」

憲兵「今だからだ。
   国が危機に瀕している時に勝負をかけるべきだ。
   手遅れになってからでは遅いとは思わないか?」

兵士「…わかりました。
   纏めておきます」



297 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 03:56:25.89 ID:D2uU4S3W0



大将「おお、憲兵か。
   なにやら国に暗雲が立ち込めておるな」


王国軍大将、
第2師団長。
中央王国軍最高評議会の議長でもある。
ヒゲを結わえた禿頭、巨腹の小男で、
かつては軍神とまで言われた戦略家だったが、
寄る年波にその知略にも陰りが差しているようで、
近年では専ら権力に縋り付く俗物と評されている。

評議会というのも、前線に赴かないこの男のポストを用意した程度だ。
軍議とは王国軍の意向を再確認するのみに過ぎない。
つまり必要性はないのだが、
一定の権限が与えられている事が質が悪い。


憲兵「評議会が機能するのも久しい事です。
   この程度の暗雲、王国なら容易く払えるでしょう」

大将「ははは。
   うむ、その通りだ。
   我が軍は精強無比故にな!
   大陸統一も近いと言えるだろう、はははは!!!」


軍は王のものだ。
だが王国で軍権を握る事は、巨大な権力を手にする事になる。
ある程度の増長は仕方ない。


憲兵「…大将殿。
   軍議の前に、大将殿のお耳に入れておきたい事項がございます」


近衛師団長亡き今、この男こそ名目上軍権の頂点に立つ男だ。
ならば根回しくらいはしておくべき、と憲兵は判断する。
近衛騎士団の全滅は由々しき事態だが、
憲兵はあくまで軍警察だ。
軍内部を取り締まる任務を帯びている。



298 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 04:01:48.39 ID:D2uU4S3W0



大将「…勇者殿が、国家転覆を?」

憲兵「ええ。
   例の暗殺事件も、下手人は勇者殿で間違いありません」


大将は少し思案顔を見せたが、


大将「なに、それがどうしたのだ」


すぐに、普段の顔に戻った。


憲兵「……………は?」

大将「さぁ、行くぞ。
   軍議だ。
   どうした?突っ立っていては始まるまい」

憲兵「いえ。
   事態が、おわかりなのですか!?」

大将「…そうさな。
   まぁ、しいて言えば、
   事態は早急ではないと言えるが、
   …何、先に始末しておくのも一手か」

憲兵「!?!?!?」


ドアが蹴破られ、
雪崩れ込んで来る衛兵たち。
それを目にし、理解した。


………国家転覆など、

既に終わっていた事を。



299 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/05(月) 04:03:46.31 ID:D2uU4S3W0

中央王国編、終わりです。
直接続きになりますが、
次回からは魔法の王国編です。

次回の投下はいつになるかまだわかりませんが、
よろしくお付き合いください。
数々のレスありがとうございます。
励みになります。
300 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/05(月) 06:00:31.55 ID:IB0NZWCAO
乙!
面白い!続き期待!
301 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/05(月) 08:45:19.97 ID:Zq1frQ6yO
賢者には死なないで欲しいよねー
やっぱり主要キャラが死んでいくと面白い話でも読む気が削られる
302 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/05(月) 10:26:38.10 ID:5AzK3oO7o
乙です
303 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお迭りします [sage]:2015/10/05(月) 12:23:09.40 ID:wrULK/sqO
304 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2015/10/05(月) 19:21:06.23 ID:9fUh6+7EO
>>301

まぁそれを決めるのは作者だし
305 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/06(火) 20:04:09.47 ID:23q7bCh8O
つまりこれは勇者によるクーデターって事かしら?
306 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/07(水) 09:29:56.19 ID:miittZUVO
主犯は勇者なのかなって
307 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/09(金) 02:54:25.48 ID:xzhCBjuTO
良い奴から死んでいく法則
308 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/11(日) 21:32:21.22 ID:wZwpyTtY0
賢者殺したら許さん
309 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/14(水) 19:36:03.95 ID:Ib97cq8co
おつ
310 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/15(木) 11:19:53.56 ID:gNbaGjQWO
まだかー
311 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 00:55:34.83 ID:GXsKHRI30
ご無沙汰しております。
ちょっとだけ時間が取れたので、
もうちょいしたらちょっとだけ投下します。

かなり期間が開いてしまいました。
申し訳ありません。

魔法の王国編の導入部だけでお茶を濁す作戦。
312 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:20:08.92 ID:GXsKHRI30

*****


戦士「盗賊!?」


声がしたその時、
機を伺っていたのであろう、勇者の背後に現れた壮年の男が、
勇者に向け、桶に汲んだ水を浴びせた。
投げつけられた桶如き、勇者の身体能力をもってすれば、
容易く避けられるものだが、

しかし声に虚を突かれた勇者は身を固めてしまい、
全身に水を浴びる事を、完全に許してしまっていた。


盗賊「…お許しを」


盗賊は手に、
内反りに湾曲した、大振りなナイフを構えている。
それは決然とした戦闘態勢だ。
盗賊の装束は街着のままだが、
その姿こそが市井に潜む無頼の男の真の姿なのだろう。


勇者「………君まで、裏切るの?」

盗賊「そのつもりはありません。
   …しかし、あなたの行動を諌める事も、
   私の賜った役目かと」

勇者「そんな事頼んでないよ。
   君に、その資格があるとでも?」


勇者は身体を戦士に向けたまま盗賊と話をする。
顔は伏せられ表情は読めないが、
その双眸に宿った暗い輝きを、声色から容易に知ることができた。



313 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:22:56.47 ID:GXsKHRI30



盗賊「これは君のすべき事ではない。
   私がこうして君の生き方を正す事は、
   君に仕えた時から、決めていた事だ」

勇者「…意外に、つまんない事で死ねる男」


勇者は言うなり、逆巻く波の如く反転し、
壮年の男へと躍りかかった。


盗賊「ぐ、っ――――!!!」


眉間に迫るオリハルコンの剣。
神速の踏み込みから唐竹に振り下ろされた刃を、
盗賊は湾曲した短刀で防ぐ。


勇者「君、戦えたんだ。
   知らなかったよ。
   君が戦えるなら、これまで僕も苦労しなかったんだけど」

盗賊「なに、…嗜みのようなものです。
   披露する機会は無いと思っていましたが」

勇者「全く、鼠賊如きが剣士の真似事を…ッ!」


響き合う、剣と短刀。
盗賊はトップヘビーなグルカナイフの利点を活かし、
しなやかに距離を稼ぐような軌道で、身に迫る剣を迎撃する。
それは驚嘆すべき達人の技だ。
しかし盗賊が達人ならば、
対する勇者の剣腕は超人の域。
人の身で人ならざる膂力を誇る魔神と互角に打ち合う程の。



314 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:24:18.68 ID:GXsKHRI30



盗賊「(やはり、及ばぬか………ッ!)」


盗賊の顔に焦りが滲み出る。
そもそも勇者と剣を交わす事が、彼にとっての死地となる事は、
彼なら理解できていただろう。

得物の間合いの不利。
足に古傷を抱え、疾走が許されぬ事。
力量の差。
グルカナイフは厄介な武器だが、
その利は投擲にこそある。
接近戦では決め手に欠ける武器を用いる事に加え、
足を使えず距離の取れない事からしてこの状況は、
勝利もなく敗走も許されぬ、
ただ死を待つ戦いだ。

一際高い剣戟の音がして、
ふたつの刃が鬩ぎ合う。
鍔元で刃を受ける勇者に対し、
盗賊は反りの中央に落としこむように受け止める。
体格は盗賊が有利だが、勇者の鋭い踏み込みによる体勢の差が災いし、
拮抗した鍔迫り合いとなった。


勇者「実はなかなか腕が立つみたいだけど。
   あんまり怖くはないかな」

盗賊「…ご冗談を。
   あなたが恐怖を感じる事など、ありはしないでしょうに」


鍔迫り合いは続く。
どこか愉悦を覚えたような勇者とは対照的に、
盗賊はもはや忘我の域にでも居るのか、
表情は引き攣り、大粒の汗を額に浮かばせ、
しかし確かな感情の昂ぶりを見せている。

それは使命を帯び絶望の戦場に赴く兵士の貌。
そこに趨勢を案じる必要は無く、
ただ使命のために己を賭すのみ。
そこが生の終着地となろうと、
己が役割を果たさんとするだけの男の貌だ。



315 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:26:23.96 ID:GXsKHRI30




盗賊「ぐっ――――!!!」


先に限界を迎えたのは盗賊だった。
崩れ落ちるように蹴り足にした右膝を折り、
だらしなく地を這い、勇者の間合いから逃れようとするが、


勇者「じゃ。
   なかなか楽しかったよ―――」


銀髪の女性は、その背に上段に構えた剣を容赦なく振り下ろす。


勇者「――!?」


しかしその剣が届く事は無い。
振り下ろされた剣は、斧槍の穂先が迎え撃つ。
戦士がホールの隅に昏睡状態の賢者を横たえ、
手助けに戻るだけの時間を、盗賊は稼いだのだ。
弾かれた剣先を眺め、勇者は苛ついたように唇を噛み締める。


勇者「………ちっ、君まで」

戦士「わりぃけど、俺はそいつの護衛の仕事を受けたんだ」


理由はわからないが、
勇者は水に濡れていては雷魔法を扱えないようだ。
加えて間合いを詰めれば、接近戦なら勝機がある。

しかしそれでも、ただひとつの懸念材料があるが―――


勇者「……………っ、」


先程の赤黒い球体だ。
正体はわからない。
しかしその威力、直撃すればひとたまりもないだろう。


盗賊「旦那、殺しはいけません。
   ………頼みます、無力化を」



316 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:29:49.63 ID:GXsKHRI30




勇者「捕まえる気?」

盗賊「そうです。
   あなたが"彼"の命で動いているとすれば、
   まずあなたの身柄を確保しなければ」

勇者「……そうだよ。
   でも勇者ってのは、王の命令で動くものでしょ」

戦士「なんだかわかんねぇが諦めろ。
   2対1だ。
   趨勢は決まっただろう」


戦士は立ち上がった盗賊と挟む形で勇者と対峙し、
その中で戦士一人のみ、摺り足でじりじりと間合いを詰める。
接近戦しか脳が無いという事は実に不便だ。
だが立ち合いとは長所の潰し合いといえる。
勇者はまごうことなき強者であり、
どんな強者に総合力で劣っていようと、
「接近すれば打ち勝てる」という強みを持つ戦士もまた、
超人の域の者であるという証として過言無い。

先に仕掛けたのも、やはり戦士。
彼にとって細かな技など必要なく、勇者にとっても警戒すべきはその威力のみ。
ただ実直な突き込みを、勇者は僅かに身を捻り躱す。
しかし――――


勇者「……は、やっ……!!」


その突き込みの速度は、勇者の想像を遥かに超えていた。
繰り返される刺突と縦横無尽な薙ぎ払い。
戦士が踏みしめる蹴り足は床を割り、荒れ狂う薙ぎ払いは、
暴風のようにホールの机や椅子を舞い上がらせる。
勇者はひたすらに追われる刃先を近づけないよう、
追い散らされる鹿のごとく防戦に徹する事しかできず、
武器使いとしての技量の差を、ひしひしと肌に感じていた。



317 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:30:22.99 ID:GXsKHRI30



勇者「………はぁ、はぁ………つ、よいね、ほんとに…」


だが勇者は同時に、確かな血の滾りも感じた。
戦士のファイターとしての技量はまさに無双のものだが、
勇者はそもそも剣と魔法とを複合的に用いる魔法剣士だ。
決して武器による戦闘のみで優劣が決まる訳はない。

難敵を前に、自らの長所を頼りに血が滾るなど、
そんな清冽な覚悟はとうに捨てたものと思っていたが、
どうやら武人としての自己も捨てたものではないらしい。
多少の距離を取り、向かい合う。
荒い息をつく勇者と対照的に、戦士は汗ひとつ流していない。

そのとき、勇者の真横から、気配を殺して見守っていた、
壮年の男が斬りかかる。
戦士との剣戟で疲弊した事が災いしてか、
先程まで圧倒していた相手の連撃さえ、精々凌ぐ事しかできない。
盗賊の短刀が勇者に届く事こそ決して無いが、
勇者の力はもはや盗賊と伯仲の領域まで落ち込んでいた。

剣戟の中、盗賊の左手が腰に伸びる。
同時に盗賊は一瞬のうちに胸元で右手の短刀を逆手に持ち替え、
勇者の握る剣の鍔元に短刀の背を絡ませた。


勇者「――――ッ!?」

盗賊「お許しを」


絡ませた腕を右へ振りぬき、勇者の側頭部が露わになる。
身を捩る勢いをそのままに盗賊は左手を振るう。

その手には、紐の先に金属塊のついた武器が握られていた。



318 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:33:02.55 ID:GXsKHRI30



勇者「―――ぁ、ぅぁ―――ッ…」


太く重苦しい音と、高い金属音がして、
勇者の額に光っていた"神託の証"が宙を舞う。
衝撃は鉢金を通しても充分に脳を揺らしたようで、
勇者は額を押さえ蹲った。

戦士は盗賊の手に握られた武器を目にし、記憶を巡らせる。
記憶が正しければあれは東洋で生まれた暗器の一種だ。
縄の先に金属の重りをつけ、振り回し攻撃する。
それなりに遠心力をつけなければ効果的ではないためか、
盗賊は一度背で振り回してから攻撃に移った。
武器の持ち替えからディスアームまでとそれは同時に行われた事。
一朝一夕でできる芸当ではない。


勇者「……暗器、使い…っ」

盗賊「―――旦那、拘束をお願いします。
   最悪眠らせても」

戦士「紐なんて持ってねーよ。
   それ、貸せ」


戦士は盗賊から流星錘を受け取り、勇者の腕を後ろ手に縛る。
弾かれた鉢金を見やると、大鎚で叩いたかの如く、見事にひしゃげていた。
鉢金が無ければ死んでいると見て間違いない。


盗賊「すみません、勇者殿。
   しかし、あなたの望みとは…」

勇者「…うぐ…わ、かってる、はずだよ。
   僕の望みは、ずっとひとつ」

盗賊「………私は。
   あなたがこうして変わり果てて行く姿を、
   ただ見ていただけだった」

勇者「…………そうだ。
   君は、ただ見ていただけだった。
   いや、…初めは。
   見てすらもいなかったんだ」



319 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:35:53.66 ID:GXsKHRI30



戦士「おい、盗賊。
   外が騒がしいぞ。
   さっさと逃げねーと、新手が来る」

盗賊「あなたは賢者殿を。
   私は、この子を…」

賢者「……その必要はないわ。
   どうやら、あなたに助けられたようね」


休んでいるうちに回復したのであろう賢者は、
頬を僅かに紅潮させ吐息も未だ荒いが、
なんとか足は動くようだった。


賢者「髪が濡れてるわね。
   …ふーん。
   そっか、水は雷を通しやすいから。
   濡れてちゃ使えないってわけね」

勇者「……………」

戦士「賢者、走れるか?」

賢者「多少なら平気よ。
   …頭はずきずきするけど、
   魔力切れは初めてじゃないから」

盗賊「行きましょう。
   脱出経路は調べてあります」

勇者「………ふざけないでよ。
   絶対に、逃がさない」


盗賊が勇者に手を掛けた時、
勇者は手を縛られたまま、投げやられた剣に弾かれたように跳躍した。
落ちた剣で紐を切り、手を縛る流星錘がはらりと地に落ちる。
勇者の左手には魔力が練られていた。
身体を濡らす水はもはや渇き、
ただ蒼い光と薪の音が響く。



320 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:37:50.54 ID:GXsKHRI30



戦士「賢者!後ろに隠れてろ!!」

賢者「―――ッ!」


結局、状況が戻ってしまった。
距離を取られ、勇者の手には魔力。
対してこちらは、魔法に抗する力を持たない戦士と、
病み上がりの賢者、速く走れない盗賊。


勇者「昔盗賊に、
   …僕の望みを語ったね」

盗賊「…ええ」

勇者「それは今でも変わってないよ。
   いや、ずっと変わらないんだ」

盗賊「……………」


盗賊は痛々しげに目を伏せ、
しかしすぐに揺るがぬ眼差しで勇者を見返した。


盗賊「君の望みが、そうであるなら。
   "家族"を求めるのであれば、
   …君は、彼に従うべきではない」

勇者「…求めるんじゃない。
   取り戻すんだ。
   あの頃を!!あの時を!!!」


声は徐々に振り絞られ、
やがて後悔を越えた慟哭となる。


勇者「僕は、自由になるんだ!
   あの館から!暗い地下の底から!
   魔法の王国からも!中央王国からも!!
   "彼"からも!!!」


悲しみに引き裂かれるような。
はじめから叶わぬと知る願いを訴えるような。

失った生きる意味を取り戻そうとするかのような。


勇者「最後の家族と一緒に!!」

盗賊「…しかし、彼女は、もう」

勇者「うるさいうるさいうるさい!!
   元はといえば君が悪いんだ!!
   奴隷商の癖に僕に優しくなんてしないでよ!!!」

盗賊「ただ、私は君に―――」

勇者「君は殺さないよ。
   君はずっと見続けるんだ。
   僕と、――――」

盗賊「………………ああ」

勇者「魔女の、結末まで」



321 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:39:47.71 ID:GXsKHRI30



勇者の右手から放たれる雷。
それは戦士でも盗賊でもなく、
戦士の背後の賢者を狙ったものだった。

雷は弧を描くように放たれた。
その軌道は尋常では予測し得ないものだ。
魔法に疎い戦士は勿論の事、
魔法使いである賢者でも。

故に、勇者の傍に在り続けた盗賊が、
2人よりも早く行動に移る事ができたのは必然だったのだ。


勇者「―――――え?」


賢者を庇う形で身を投げ出す壮年の男。
いかづちは無慈悲に命を奪う。
男の胸元に直撃した雷は、不条理なほどの殺傷能力で、
その心の臓の動きを停止させた。



322 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:41:43.80 ID:GXsKHRI30



不運な事に、部屋には窓が無く、
外の状況は望めなかった。
城内での帯剣は許されてはいるが、雪崩れ込んだ衛兵たちの数は多く、
突破する事も不可能ではなさそうだが、
こちらも無傷では済まないだろう。

影響はどこまで及んでいるのか。
大将は、先に始末しておく、と言った。
自らの出自を慮るに、
では事態は切迫しているに相違なかろう。


憲兵「…王国軍大将ともあろうものが、
   卦体な謀に手を染めたのか」

大将「王国軍を真の大陸の覇者とするに必要な事よ」


顎を撫で回し、下卑た笑みを浮かべ、大将は言葉を繋ぐ。


大将「勇者殿を見て確信したのだ。
   我が王国の王家には、血は伝わっていないとな」

憲兵「……………」

大将「魔法排斥?馬鹿馬鹿しい。
   王家の血筋に魔力が宿らぬ言い訳だろうに。
   魔法を認めてしまえば、王家の血筋が詳らかになる危険もある。
   民草は与太話をよく信じるからな。
   ……しかしその割に、躍起になって研究所を建造するあたり、
   さもしいものよ」

憲兵「…王国軍は既に大陸の覇者だ。
   そもそも、魔法などという不公平な力に依存することは、
   文明として危険な事だ」

大将「だが現に、神託の者などというくだらぬ演出に、
   王国は大いに沸いたではないか」

憲兵「それは、あなたがお膳立てをした―――」

大将「そうだ。
   三文芝居もいいところだが、
   まがい物とはいえ英雄と同じ力を振るえるというだけでこの通りだ。
   愚かな民草どもにはいい慰みだろうよ。
   …まぁ、故に、わしの目指す王国に王家は必要ないのだ」

憲兵「……………」

大将「英雄の血を引いておきながら――――
   その象徴たる、雷の力を受け継いでいない王家などな」



323 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:42:53.98 ID:GXsKHRI30




憲兵「…愛国故の造反とばかり思っていたが、
   なんの事もない、ただの強権的なテロリストとはな」


吐き捨て、抜剣する。
同時に己の無能さを嘆いた。
軍警察の地位にありながら、ここまでの造反を許してしまったのだ。

しかし、今知り得た事をよしとせざるを得ない。
軍議には王も出席するのだ。
恐らく軍議が始まってしまえば、
その場で国家転覆は完了してしまうのだろう。


大将「王家の血筋は根絶やしにする。
   くくく、そしてそれはあなたも例外にはならん」

憲兵「………ほざけ。そうはさせん」

大将「城内に味方が居るとは思わない方がいい。
   では、わしは失礼しよう。
   せいぜい足掻くがいい―――――」

憲兵「待て、貴様!!」

大将「―――――第二王子殿」


大将がこちらに背を向けた時、
一人の衛兵が斬りかかってきた。

視界が閃光に包まれるのと、それは同時。
室内の誰もが目を眩ませ、
気付いた時には手を引かれ、
大将を通そうと兵たちが開けた道へと誘われていた。



324 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:44:04.22 ID:GXsKHRI30



勇者「……………なんで」

戦士「お、おい!!
   盗賊!!!!」


勇者は呆然となにかを呟き続け、
戦士は倒れ伏す男を抱き起こし、
賢者は男の身を確かめようと、残り滓のような魔力を振り絞る。

しかし賢者が首を横に振った時、
勇者はなぜ、どうして、と呟いたのち、


勇者「……………つまんない」


それだけはっきりと声に出し、
その場に背を向けた。


戦士「待て、勇者!!!」


勇者の身体にはなおも雷が纏わりついている。
それは追えば殺すという意味だ。
勇者は一度も振り返る事なく、
扉の先に消えてしまった。


賢者「………逃げるわよ。
   彼は…置いていくしか…」

戦士「……ああ」

賢者「…あんたのせいじゃないわ。
   …絶対に、違う」

戦士「わかって、るよ」


恐らく、考えあぐねる時間はないのだろう。
2人は少しだけ倒れた男を見、
外へと駆け出した。



325 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:46:32.23 ID:GXsKHRI30



――――――そこで、物見の水晶球への魔力を切る。

盗賊の死は慮外だが、
彼女の意思を継ぐ者の顔を知る事ができた。
賢者が魔力切れを起こしてくれたおかげだ。

あの武器は、ミスリルだろうか。
また随分と嫌われたものだ。


「ふふ、ははは――――。
 死んでも、僕の、邪魔、するんだねぇ――――」


ここは暗い地の底の館。
誰も知らぬ、時の流れに埋葬された場所。
領地には死にきれぬ哀れな人形が徘徊し、魔獣たちが庭を守る、
涜神の館。
ここは死の国。
"彼"の作り上げた、"彼"の王国。


「早くおいでよ。
 負けないよー、なんつって。
 ははははははは!!!」


戦士はまだ、知る事はない。
大陸に巣食う、本当の敵の姿を。



326 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:49:17.95 ID:GXsKHRI30



如何に鍛えようと、
何人を打ち倒そうと、
所詮は人の身ひとつ。
そんな詮無き事、十を過ぎる頃には悟ったはずだ。

しかしそこで歩みを止めず、愚かと知りながら、
人の身ひとつで出来る事を必死に探し続けてきた。
それは無駄に等しい足掻き。
しかしそれが真に無駄ならば、
人とはその無駄こそが生ならば、
なんとこの世は無常な事だろう。


「昨夜!!王立魔法研究所への、魔法の王国と思われる兵による攻撃があった!!」


少女の描いたたったひとつの夢。
その夢の彼方に、千、万の潰えた夢がある。
その夢を思えば、昨夜は、万に一つの機であったはずだ。


「国王は事態を重く鑑み、
 自ら近衛騎士団を率い出撃したが、
 魔法の王国の新兵器と思われる攻撃の前に、奮戦し全滅!
 あろうことか、国王までも崩御された!!!」


所詮無明の旅だったのか。
冬の訪れを告げる、冷たい風が肌に刺さる。


「中央王国評議会は、既に国境封鎖を決定した!
 研究所襲撃を事実上の宣戦布告と見做し、
 国王の弔いの為、
 第六師団長、救国の英雄と称される勇者中将に非常時大権を委任!」


彼女の夢は、戦争を止める事。


「現時点より、我が国は戦争状態となる!!!」


俺は彼女の意思を、継いだはずだった。



327 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:52:20.43 ID:GXsKHRI30



賢者「………どう?」

戦士「…駄目だ。
   どこに行っても兵隊がうろうろ。
   こりゃお忍びで国境越えは無理だな」

賢者「魔法も探知されるでしょうねー…」

戦士「…ま、俺は俺で、なんとかするよ。
   お前も、一人の方がなんとかなるんじゃねぇか?」

賢者「そうね。お互い単独の方がやりやすいかも。
   あんたは一応、王国軍所属だし」


兵長のご母堂から、兵長の死を聞かされた。
下手人はわからないとの事だが、
…勇者の手による事だと、なんとなくわかった。

…勇者がどんな意図で行動しているのかは、
俺にはわからない。
唯一、知るはずの盗賊も死に、
結局俺の仲間は、賢者だけになってしまった。


賢者「じゃ、私はとにかく、
   一度魔法の都に戻るわ。
   あんたは?」

戦士「…俺は、火竜山脈に向かうよ。
   あいつの研究室を見つけないと」

賢者「そ。
   …きっと、見つかるわ。
   あんたが、あの子の事を想い続ければきっとね」

戦士「………そうだと、いいがね」



328 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 01:53:19.87 ID:GXsKHRI30



賢者「じゃ、気をつけてね」

戦士「………ああ。
   お前もな」


賢者は一度背を向けたが、


賢者「…あ」


なにかを思い出したように振り向いた。


賢者「そういえば、言いたい事あるんだけど」

戦士「ん?」

賢者「………うーん」

戦士「なんだよ」

賢者「…やっぱり、いいわ。
   次に会った時の方が良さそうね」

戦士「な、なんなんだよ」

賢者「んーん。いいの。
   とにかく今は、あの子の言う事、聞いてあげて。
   私、魔法の王国で待ってるから、
   その時のあんた見て、決めるから」

戦士「…よくわかんねーけど。
   はは。じゃあ、意地でも死ねねぇわ」

賢者「当たり前じゃん。
   私より先に死んだら怒るからね。
   じゃあ、またね」


そして彼女はいつものように、
一陣の風と共に消えた。



329 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 02:00:21.32 ID:GXsKHRI30



思えば旅を始めてから、
一人旅は初めてだ。
勇者と、盗賊と、賢者。
辺境を発ってから、常に誰かと行動を共にした。

師と仲間を同時に失ったからか、
それとも一人になった事で彼女の死をより強く感じるからか、
ふと空虚な闇を、心に感じてしまう。


戦士「………旅を、続けよう。
   まだまだわからない事が多いんだから」


先は長い。
立ち止まっている暇はない。

空虚な心は軽くて良い。
次なる目的地、火竜山脈へ。
雪が降るまでに着ければ良いのだが。


330 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/10/22(木) 02:02:14.11 ID:GXsKHRI30
今日の分終わりです。
>>1を完全に無視しています。
申し訳ありません。
許して…お願い……。
331 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/22(木) 03:59:44.03 ID:RfH0yjhko

続きを気長に待ってる
332 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/22(木) 05:51:35.88 ID:MUikWtjAO
乙!
待ってたぜ!
333 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/22(木) 09:42:14.85 ID:3oKTTFDUo
乙です
334 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/22(木) 14:56:00.42 ID:VdhZuSQFO
乙!
面白いよ
マイペースでいいから続けておくれ
335 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/10/24(土) 11:21:17.21 ID:+pLwHqTjo
おつ
336 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/06(金) 00:22:43.12 ID:ZdYx0jZqO
保守
337 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/19(木) 07:54:18.51 ID:TTswnx2PO
まだかな?
338 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/22(日) 16:43:43.47 ID:RJ1HzsC/O
ご無沙汰しております。
今晩更新します。
という生存報告。
339 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/22(日) 16:48:51.42 ID:kqBxNA+ko
うお
待ってた‼
340 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/22(日) 16:54:45.71 ID:6k7iZVzDO
楽しみにしてる
341 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/22(日) 19:17:01.81 ID:hQbQJ2vAO
了解!
待ってた!
342 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/22(日) 19:53:27.32 ID:WN+UhwwKo
やったぜ
343 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:11:28.19 ID:9DwdlqBj0



中央王国の北部、魔法の王国との境界は山岳地帯になっていて、
裂け谷と呼ばれる谷間に中央王国にとって重要な拠点となる砦がある。
砦といっても城や城壁のような建造物があるわけではないが、
北部には断崖から蛇行して降りる細い道が一本のみ、魔法の王国領まで繋がっていて、
地形として防衛に非常に適している、天然の要塞だ。
この道は互い違いに石造りの段で築かれており、折り返すごとに石碑が立てられている。
魔法の王国領を一望できる上、南東に荘厳に聳える火竜山脈が後部からの偵察と奇襲を防ぐこの地を守る限り、
中央王国北部の守りは鉄壁であると言われた。


賢者「…なんとかならないものかしら。
   ここを奪わない限り攻め込めないけど、
   ここを奪う事は不可能に近いだなんて」


夜、一人王都を抜けだした賢者は、
一夜のうちに裂け谷砦に辿り着いた。
一夜にして80キロを踏破する、徒歩としてそれは驚くべき移動速度だ。
戦士と別れた事は正解だった。
単独であるからこそ、王国軍が裂け谷砦の防備を固める前にここに辿り着けた。
非戦時、砦にはおよそ200名の人員が割かれているが、
その程度の防備なら、この魔法使いにとって突破する事は容易い事だろう。


賢者「崖下の森に身を隠せれば、
   魔法の都まですぐね。
   …馬を調達できればいいけど、
   崖を下る時目立ちすぎるかしら」


陽の昇る前に裂け谷砦を抜ける必要がある。
見張り番の息の根を止め、賢者は崖へと向かう。

そしてその時、静穏だった賢者の心が、少しだけ傾いだ。


賢者「……………ちぇ。
   依存、してる」


魔研を最後に会っていない、不出来な部下を思い出す。
彼は無事だろうか。
魔法の都に着けば、消息はわかるだろうか。

不出来な部下だが彼の存在は、賢者にとって大きかった。
これがもし彼の結末だとしても、それを恐れ自らの指揮下に置いていたとしても、
全ては彼が望んだ事だ。
忠告はしたとはいえ、それが彼の選んだ道なら、彼を守り抜く事は自らに課せられた役目だった。

では賢者の失態とは、さしずめ力不足という事か。

国王への報告を終えたら暇を貰おう、などと嘯く。
そうしたら、今度こそ胸を張り故国を守れる仕事にでも就こう。
戦争が避けられぬなら、
その戦いの果てが平和であるべきだ。

世が平和になれば、命を奪いすぎたこの身も、
平穏に暮らす事も許されるかもしれない。


344 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:13:34.29 ID:9DwdlqBj0



老婆「ああ。今年はまだ、降っとらんはずじゃよ。
   毎年11月の半ばじゃな。
   上の方は根雪になっとるが、中腹を抜ければいい」

戦士「そうか。
   なら雪の心配はないな」

老婆「あんた、火竜山脈なんぞを抜けてどうするんじゃ?
   鉱山都市を回れば山間の街道があるのに」

戦士「少し探し物があるんだ。
   そうだな、食料を買い込みたい。
   どこかに店はないか?」

老婆「良いが、この街は高いよ。
   少し登れば烽火台がある。南部諸侯国に救援を伝えるためのものだけど、
   今となっては老兵たちが余生を過ごすだけの施設じゃ。
   そこで分けてもらうといい」

戦士「わざわざありがとう。
   なら、そうさせてもらうよ」


火竜山脈を越える道を選んだ理由はひとつだ。
可能性は高いとはいえ、彼女の研究室は必ずしも火竜の巣穴にあるとは限らない。
山脈を横断しても南を迂回しても然程時間は変わらないため、
少しでも長い時間、山脈を探し回れるルートを選んだ。


老婆「食料はそれでいいが、それなりの準備をして行きなさい。
   山脈の魔物たちは手強い」

戦士「魔物が相手なら問題ないさ。
   それなりに腕に覚えもある」

老婆「…神の導きのあらんことを」

戦士「よしてくれ、俺は違う」

老婆「おや、この辺りでは珍しいねぇ。
   …なら、武運でも祈ろうかの」



345 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:14:08.28 ID:9DwdlqBj0



朝方のうちに烽火台に着くように、
日の出を待たず登頂を開始する事にした。
携行魔力灯のつたない光を頼りに闇の山中を歩く。
樹林帯の山道は険しく、霧が身体に張り付き、
汗をかいたような錯覚を覚える。
気温はむしろ低いのに身体が茹だるように錯覚してしまう事が、
余計に体力を奪う原因なのだろうか。


戦士「さっさと林を抜けたいな、こりゃ。
   魔物に出くわしませんように」


烽火台は山の中腹、林を抜け岩肌が目立つようになれば見えてくると聞いた。
地元の老人の話では4時間も登れば着くそうだが、その見通しが甘かった事には存外すぐに気付いた。
山道に慣れていない自分では、何時間かかるのかわからない。
手持ちの焼き菓子を齧り、更に林を歩く。

陽の光が顔を出し、気温が上がり、
疲れから鈍く熱を持つ膝をひたすら動かし続ける。
そうして6時間後、視界が開けた。
時刻は11時。
地元の人間しか知らぬ道があるのか、ペースが遅いのかはわからないが、
とにかく空き地に出た。
まだまだ余力はあるが、一息入れる事とする。

高地は空気が薄いと聞く。
6時間登っただけで、随分と息苦しいものだ。
岩場に腰を下ろし、来た道を確認すると、林の向こうに大きな湖が見下ろせた。
旅路の気の重みを差し引いたとしても、なかなかに素晴らしい見晴らしなのだろう。
前方には樹林帯が見下ろせ、そのすぐ先にまた山が見える。
その山の中腹に、小さく小屋が見えた。
間抜けな事に、どうやら登る山を間違えたようだ。

小さくため息をつく。
陽の差さぬ樹林帯が方向感覚を狂わせたのだろうか。
どうにかして、枝尾根伝いに回れないかと眺めていると、
小さく、唸り声が聴こえた。


戦士「……………」


小屋を眺める、その背後。
少し離れた岩場に、こちらを伺っている四足歩行の魔物が見える。
体毛の薄い褐色の肌。
野蛮な細い目と大きな胴体を、力強く太い四肢が低く屈ませ、
醜穢な口元は巨大な牙を剥いている。
その体躯は馬ほどもあり、太く響く唸り声は虎を思わせた。
更に不穏な事に、その背後には林が広がっている。


戦士「…魔狼か。
   群れ、だろうなぁ…」


1体でもなかなかの強敵だが、魔狼はその名の通り、
狼のように群れをなして行動する。
胸の飾り毛を見せつけるように魔物は誇らしげに遠吠える。
獲物を見つけた事を知らせているのだろうか。

姿を現していた1体が岩を蹴ると、林から次々とまた魔狼が飛び出してきた。
岩場を駆ける音はまるで鼓を打ち鳴らすが如くその体躯の大きさを予感させ、
涎を撒き散らし剥かれた牙がその殺傷力を如実に表わしていた。



346 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:16:47.80 ID:9DwdlqBj0



戦士「でああっ!!!」


最初の1体を迎撃する。
飛び上がった魔狼の下に飛び込み、すれ違いざまに首を飛ばした。
林を見やると、視認できるだけで15体ほどの魔狼が見える。
疾駆するその速度は駿馬と変わらぬものだ。
囲まれる危険はあるが、ここで迎撃する他ない。

突進してくる次の1体をやり過ごし、横脇から逆風に切り上げる。
しかし3体目までは防げなかった。
突進をまともに受け、膨大な質量を感じた瞬間、
10メートルほど離れた岩壁まで吹き飛ばされた。


戦士「ぐ、はっ……」


斧槍を離さなかった事は奇跡に近い。
一斉に飛びかかる肚か、
魔狼たちは一定の距離を保ち吠えかけてくる。
頭から痛みを振り払い、斧槍を構え、

―――頭上を、狙った。

岩壁の背後から狙っていた1体の頭部を串刺しにする。
そのまま力を込め、魔狼たちの前に躯と化した1体を投げ捨てた。


戦士「…魔狼の狩りは、得物を追い詰め背後から狙うんだったな」


魔狼たちは多少怯んだ様子を見せたが、
より一層速度を増し、一斉に突進してきた。
その一体を逆袈裟に切り伏せ、前方に身を投げ出す。
更に斧槍を横薙ぎに払い、5体目を仕留めた。


戦士「あと10体くらいか!!
   たまには魔物を斬っとかねぇと、
   勘が鈍っちまうなぁ!!!」


その時、更に鼓を打ち鳴らすような足音を耳にする。
闘志は少しも揺るがぬものの、少しの諦観がじくりと心を刺し、
背後に迫る敵意がひとつの事実を悟らせた。

群れがこれだけではなかった事を。

振り返るその目に、新たに飛び出してくる魔狼の群れが見えた。



347 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:18:01.00 ID:9DwdlqBj0



魔法の王国領の小さな村で宿を取る。
村は慌ただしくも、人の数は少なかった。
それも無理の無い話だ。
ここは中央王国に程近い小さな村で、戦争になれば戦禍を被るに違いなく、
更に20キロほど離れた場所に魔法の王国の砦がある。

埃っぽく、著名な出身者も居なければ、
特別なものを産出するわけでもない、存在する意義を見出だせない村だ。
宿は1件だけ。村唯一の酒場も兼ねているようだが、
自分以外に客の姿は見られなかった。


賢者「みんな、どこへ避難するのかしら?」

店主「避難先なんぞないよ。
   皆できるだけ北に行こうって肚だ。
   しかしまぁ、いつの間にか商人どもがやってきて、
   軍票欲しさにひと稼ぎしようとしとる。
   うちもそうだが」

賢者「…勝敗は見えてるものね。
   現金なものだわ」

店主「ま、学院が痛い目に遭うなら俺らとしちゃ願ってもない話だ。
   …と、失礼。
   あんたもしかして魔法使いか?」

賢者「うふふ、だったらどうするの?」

店主「………いや、
   どうしようかねぇ」


店主は体裁の悪そうな顔をして、それきり奥に引っ込んでしまった。
…学院の魔法使いたちの傲岸な振る舞いは魔法の王国中に知られている。
血税で成り立っておきながら市井を見下す精神性。
導士たちは国民を虫程度にしか考えておらず、
あろうことか催眠を掛け同意書を作成させ、民を対象に実験を行う者まで居る。
政府はその振る舞いを見てすらもいない。
なぜなら、政府もまた、魔法使いのみを人として扱っているからだ。

しかしそれでも民草は皆魔法使いに憧れる。
国土の肥沃さに恵まれぬこの地に豊かさをもたらしているのは魔法技術の恩恵に他ならない。
荒れ野に近いが故に雨が降らず水資源に乏しく、夜は寒く昼は暑い。
土は石だらけでろくな作物が育たない。
北部は極寒地帯に近く、とても人の住める環境ではない。

ならば魔法使いの選民思想が根付くのも自然と言えるだろう。



348 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:19:30.42 ID:9DwdlqBj0



少年「お姉さん、魔法使いなの?」


いつの間にそこに居たのか、
端正な顔立ちをした、黄金色の髪の少年がカウンターの隣に座っていた。


賢者「……………」


知覚魔法を使っていないとはいえ、
これだけ接近されて気付かないとは。

賢者は少年を見て、不可思議な違和感を覚える。
この少年には気配が無いのだ。
確かに少年の姿をその双眸で捕らえては居るはずだが、
まるで本来そこには居ない者のような、
例え頬を撫でられても気付かないような。

存在を目にしているのに、瞳に映っていないかのような。


賢者「…そうね。
   魔法使いかもしれないわね」


しばらく警戒心を強めていた賢者だったが、
無邪気に微笑む少年に少しだけ毒気を抜かれ、
賢者はつい、答えを返してしまった。


少年「ふうん。やっぱり魔法使いだね。
   それも、かなり高位の術士だね」

賢者「それで?君も、そうなの?」


賢者がそう尋ね返した事に、少年は幾許かの疑念を抱いたようで、
少しばかり頭を捻った後、答えた。


少年「僕は…そうだね、魔法使いなんだけど、
   ちょっと違うのかも」

賢者「魔法が使えるのなら、魔法使いよ。
   自慢できる事だと思うわ」

少年「いや、本来魔法使いだった、が正しいのかなぁ」

賢者「だった?今は使えないの?」

少年「使えるよ。
   でも、魔法が使える事だけが魔法使いの条件じゃないでしょ?」


349 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:20:23.47 ID:9DwdlqBj0



魔法使いの定義。
それは、魔法行使が可能である事。
魔力を用い、なんらかの事象を起こせる事。

なら、魔法が使えるのなら、魔法使いであるはずだ。


賢者「…どういう事かしら」

少年「だからさー、それは演繹だよね。
   魔法が使えるなら魔法使い、じゃ進歩なくない?
   魔法使いという存在について、お姉さん、考えた事ある?」

賢者「…ないわね。
   私は、覚えた魔法を、自分なりに使っているだけ。
   そういう話は、学院の導士たちの仕事よ」


少年は一度大きく笑顔を浮かべ、
目を輝かせた。


少年「なら、お姉さんは間違いなく魔法使いだね。
   良かった」

賢者「じゃ、君の考える魔法使いって?」

少年「概念として?…いや、資質の話かな。
   なんにせよ、きっと他のみんなは、魔法が使える人ってだけだよ。
   魔法使いとは違うと思うな」

賢者「そう。ありがと」


興味なさげに、賢者はグラスを空にする。
少年の正体はわからないがきっとどこかの導士なのだろう。
接近に気付かなかったのは、気配遮断のスクロールでも身につけているのだろう。
見ない顔だが、当然ながらこの国に魔法使いは珍しくもない。



350 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:21:23.23 ID:9DwdlqBj0



少年「でもさ。
   この国の魔法使い達、あ、これは役割としての表現だね。
   魔法使いたちは、みんな選民思想が激しいね。
   分離政策なんてとってないのに」

賢者「そうね。でも、この国を育てたのは魔法よ。
   あなたも、この国で魔法を習ったんでしょう」

少年「習った?まさか。
   逆はまだしもね」


と言い切って、まるで心外という顔をする。
やはり少年には存在感がない。
身振りから巻き起こる気流を感じない。
声は聞こえるのに鼓膜を震わせない。
足音を響かせるのに、振動を感じない。
それは、まるで幻のように。


少年「なら、お姉さん。
   あなたは魔法使いだけど、
   そうでない素質も持ってるね」

賢者「………どういう事なのか、わからないわ」

少年「魔法使いはなぜ魔法を習うの?
   世の中を豊かにするため?
   人々の助けとなるため?
   それとも、ただ便利だから?
   お姉さんは3つめだね。
   でも、みんなそうではないよね」


大仰な身振りで少年は続ける。
賢者は何故か言葉を発せられない自分に気付いた。
少年の言葉に僅かな毒と、思想の胎動を感じたからだろう。


少年「みんな次の段階に進みたいからだよね。
   世の中なんて関係ないし、人々の事なんて見向きもしない。
   勿体ぶって利便性にも目を向けない。
   ただ、魔法の行く末を見たいんだ。
   この世に魔法しか無いと思ってる。
   でも頭打ちだ。
   新しい理念が欲しいんだ。
   それらは魔法では生み出せないものなのに、魔法は再現する事しか出来ないのに、
   未だ見ぬものを魔法で生み出そうとしている」



351 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:22:34.01 ID:9DwdlqBj0



賢者「愚かだと言いたいのね」


似た話を、どこかで聞いた。
魔法とは引き返す事だと。
結果を知らなければ魔法は使えないのだと。


少年「愚かだよ。
   でも、魔法使いが愚かでは立ち行かないでしょ?
   だからみんなほんとは魔法使いじゃないんだ。
   僕に言わせればね」

賢者「うふふ。評論家気取りかしら。
   随分と能弁なのね」


少年は少しだけ笑みを浮かべ、
忘れ去られ、苔むし、澱み、腐りきった沼のような瞳を僅かに歪め、
その双眸に初めて賢者の姿を捕らえる。
拭い去れぬ違和感と未知への恐怖に、
賢者は思わず身を竦ませる事もできずただ身動ぎを止めた。
少年の声はまるで脳へ直接響くかのようで、
反芻する言霊は脳髄をごりごりと軋ませる。
少年から目を離せない。
耳を塞ぐ事もできない。

大きな手で顔を掴まれているみたい。
空気の震えを感じさせない声は、ともすれば、
自らの心の声なのかと錯覚してしまうようだった。


少年「だから思うんだ。
   ただの魔法が使える人なら、意思さえあればいいんじゃないかってね」

賢者「…………意思…」

少年「肉体なんてめんどくさいもの、必要ないんじゃない?
   あ、でも、アストラル体はやわっこいから、
   まぁほらあれだよ。
   要は身体がどんなのでも別に大した問題じゃないんじゃないかって」

賢者「………………ぁ、」

少年「魔法は随分と進歩したね。
   かつて精霊と対話する力は森に棲むエルフたちだけのものだった。
   神聖魔法と銘打たれた神職者たちの秘伝も、魔法の範疇である事が証明されて、
   教会は力を失った。
   でも、それらはみな元々あったものだ。
   …ここらで、生物として次のステージに進んでみるべきじゃない?
   違うかな?」



352 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:24:01.42 ID:9DwdlqBj0



少年「…あれ?」

賢者「……………」

少年「意外と可愛いね。
   もう喋れないか」


瞳の色を失い呆ける賢者の額に、そっと光る指先を触れさせる。
人のものとは違う、強力な催眠。
魔力の糸を心の奥底まで伸ばす瞬間はこの少年にとって嗜好するものに値する。
どれだけ肉体を蹂躙しようと、これに勝る征服感は味わえないから。


少年「さて。
   ちょっと小細工させてもらうね。
   君は、逃げ足が速いから…」


細い糸を滑らせ、
ひとつひとつ心の壁を紐解いていく。
読心とは異なる、這うような精神汚染。


少年「やっぱりロックされてるけど。
   このくらいなら」


引き金をひとつひとつ下ろすように糸を滑らせる。
他者の心象風景は自らの心とは異なるものだ。
それを一度映像化した上で自らの心に投影する。
この少年はピッキングのようなイメージを好んだ。
心に咲く小さな悪の華。その小さな遊び心で、
他者の人生を大きく狂わせる趣向こそ、
この少年の本質なのだろう。


少年「…でーきた。
   おじゃましまーす」


開いた心の壁の先。
鍵は既に用をなさず、扉は開け放たれている。
僅かな達成感と旅立ちを前にするような高揚感に少年の心は踊った。

しかし、
鍵開けに没頭していた事が災いしてか、
少年には気付くことはできなかった。
賢者は間諜であり、情報は守られねばならない。
持つ情報の機密性には国家レベルのものすらもある。

その可用性を守るものは、決して鍵のみではない。
乙女の寝所には、番人が居るのだ。



353 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:24:57.19 ID:9DwdlqBj0



少年「―――っつ―――!!!」


前兆も、脈略も、意思すらも感じぬ一振り。
はじめから引き絞られていた弓を思わせる、ナイフの切っ先が少年を襲う。
しかし危機を察知し、そして反応するまで、それはまさに刹那の瞬間だった。
その少年の回避速度たるや、およそ人間ではありえない速度だ。
結果としてナイフの切っ先は少年の頬を掠めるに留まった。

賢者が自らの持つ情報を守るために行っている事は2つだ。
ひとつは、昏迷時以上の深度の意識レベルでは思考を停止させ、読心を防ぐ精神操作魔法。
そしてもうひとつが、精神への外部アクセスを引き金として、敵を自動的に迎撃する自己暗示だ。

しかし、その結果はどうであったのか。
この攻撃は、この少年にとって確実に、意識の外からの攻撃であるはずだった。
しかし少年はその危機を即座に察知し、反応し、かわしてみせたのだ。


少年「…へー。
   なかなか気の利いたセキュリティじゃん」


ナイフを構える賢者の瞳に光が戻る。
少年が持ち合わせる魔眼の力が解けたのか、
賢者の魔法抵抗力がその魔力に勝ったのか、
あるいはそのどちらもが理由なのか。


賢者「………いったい、何?」


意識を取り戻した賢者の第一声、
その謎めいた言葉は心の混乱に必死に耐え、溢れ出た疑問だった。
魔法使いである彼女は、自らの意識を容易く奪った魔法の正体が、
この黄金色の髪の少年が持つ魔眼の力である事には既に気付いていた。
しかし呪文の詠唱をせず、ただ視線のみで魔力を叩き込む魔眼では、
せいぜい1カウント相当の効果しか持たぬはずだ。
高位魔法使いである賢者にそれと気付かせず意識を奪う程の魔眼など、
果たして世に存在するのか。



354 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:26:27.84 ID:9DwdlqBj0



存在感のない肉体の持つ身体能力。
埒外の魔力を湛える魔の双眸。
十を過ぎたばかりであろう年齢にそぐわぬ魔法の練度。

その意味するところとは。


賢者「少なくとも、人間ではないわね」

少年「解答は具体的にお願いしまーす」


嘲るような口調で少年は応え、
渦巻く混沌を掬い取った瞳をぐにゃりと歪めた。
底抜けに愉しむようなその表情はまるで人形遊びをする子供だ。
だが、少年から滲み出る隠しようもない邪悪さは、
同時に倒錯的な嗜虐心も感じさせる。


賢者「(冗談じゃないわ。
    これじゃ、遊び終わる頃には、)」

少年「大体僕が人間じゃない事くらい、
   誰だってわかるでしょ」

賢者「(人形はバラバラにされてるじゃない…!)」


彼女は未知の敵と戦った経験に欠ける。
賢者の間諜としての本質は卓越した情報収集能力にあり、
どんな難敵に対してもひとつの「勝ちの一手」を用意する事で対抗してきた。

故に今、能力や種族すらも想像だにする事のできない難敵を前に、
彼女には打倒できる自信がなかった。
こちらの武装はナイフ一本、徒手錬成による魔法行使。
敵の能力はわからないが、ひとまずは、


賢者「(敵の攻撃を待って、対抗…)」

少年「手段を、考えようって肚だね。
   消極的だけどいい手だ」


心をぴたりと言い当てられ、
隠せぬ動揺が顔に滲む。



355 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:27:52.21 ID:9DwdlqBj0



少年「汚れ仕事のいいところだね。
   彼我の実力差を感じ取り、それを受け入れる事ができる」

賢者「……………」


容易く心を覗かれた事もそうだが、
先程の魔眼による催眠効果の事もある。
つまり対話は不利益だ、と賢者は考える。
ではこの状況は旨くない。
ナイフを逆手に持ち替え、身体に魔力を通わせる。


少年「悪くないフィジカルエンチャントだ。
   やっぱり君は時世にそぐわない実践的な魔法使いだよ。
   でもごめんね、凄く凄くもったいないんだけど…」

賢者「はぁぁぁっ!!」


帯剣していない事が悔やまれるが、
単純な魔法であれば徒手であれど行使が可能だ。
賢者の好む、猫科をモデルとした肉体強化は、
静止状態から即座に最大速度での踏み込みを可能とする。
渾身の速度で半身に胸元へとナイフを構え、
少年の心臓へと切っ先を突き立てたが、


少年「ま、殺すのは僕じゃないんだけど」


その言葉だけを残し、少年の姿は掻き消えていた。


賢者「…転、」

少年「転移じゃないよーん」


声は背後から響く。
魔法を駆使した賢者の知覚力は例え音の速度で動こうと視認を可能とする。
ではその姿がはじめから幻であった事以外に考えられず、
少年は元よりそこに居たかのように、賢者の背後、バーカウンターに腰掛けていた。



356 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:29:12.74 ID:9DwdlqBj0



少年「なんて顔してるのさ」

賢者「………バカげてるわ」


少年は賢者のグラスをひと舐めし、続ける。


少年「君の知覚はおかしくないよ。
   でも僕を知覚するには少し足りない。
   意識の外に目を向けてみる事だね」

賢者「…ご高説ありがと」

少年「ま、ひとつだけ教えてあげる。
   臨戦態勢の君に魔眼は効かないし、
   そもそも僕は幻なんかじゃなかったよ。
   これ以上は自分で考えてね」

賢者「……………」

少年「ま、目的は果たしたし。
   ごめんね、バイバイ」


その言葉を響かせながら、
少年の身体は再び霧散した。
それは姿を消す事とは異なる。
滲む視界を思わせる、
僅かに残像の残るような、
焦点が徐々に合わなくなるような、

…奥深い霧の向こうへと沈むような。


賢者「…ああ、なるほど」


そして彼女は、少年の正体を悟った。


賢者「仕事、増やしてほしくないんだけどな…」


その正体が賢者の想像の通りだとすれば、
交戦が不利である事も頷ける。

少年は目的は果たしたと言った。
目的とは恐らく賢者自身であるはずだ。



357 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:31:59.83 ID:9DwdlqBj0



心を覗かれかけた事からして、
目的は彼女の持つ情報と考える事が自然だ。
だが精神侵入は未然に防がれたはず。
その意味するところは、


賢者「…いったい、『何をされた』のかしらね」


目的とは、賢者の少しだけ開いた心に、
「なにか」を遺していく事だ。

陽はやがて沈み、
影は昏く長く、やがて夜の帳を下ろす。
外は蝙蝠がぎゃあぎゃあと鳴き、
窓から差す夕陽が室内の湿気を洗い流した。

それで、残された気配は完全に消える。

目的はわからないが、
それは人に仇なすものとしか考えられない。
年数にもよるが、一介の魔法使いの敵う相手ではないだろう。
一刻も早く都へと向かう必要がある。

賢者は自己に誇りを持たない。
故に、自らが敵わぬ事など大した問題にはなり得ない。
どんな難敵だろうと、打倒できる手段は必ずあるのだ。

旅支度を整え、宿を跡にする。
町は先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っていた。


賢者「髄から骨、肉から皮へ。
   流れ還る力の渦は我が四肢をそうならしめよ」


肉体強化の呪文を唱える。
イメージするはかつて見た、エルフの手により育てられたという駿馬。


賢者「人の身のいましめを脱し、我が身は草原を駆ける。
   風のように。
   音のように。
   朝が来ずとも、陽が沈まぬとも。
   …我が疾走は、決して止めぬ」


一陣の風に乗り、賢者は魔法の都へと駆け出した。



358 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:34:12.98 ID:9DwdlqBj0



どれだけの戦闘があったのか。

岩場は夥しい魔物の血で黒く染まり、
累々と魔狼の屍が横たわる。
そして倒れ伏し小さく唸る最後の一頭に穂先を突き立てた男もまた、
深く傷つき、吐く息は硬く、眼や鼻からすら流血し、
長物の支えが無ければ地を踏む事すら難しいといわんばかりに、
斧槍に身体を預けていた。

血を失いすぎたのか、
戦士は朦朧と、すぐ側まで迫る自らの死に思いを馳せる。

旅の目的とはなんだったのか。
足取りを追う度に、彼女の短い生涯が、
無学な田舎者の範疇に収まらぬものと知るのみだ。

鉱山都市での彼女の行い、
中央王国で見た研究の実情。
そのどちらもが彼女だとすれば、

幸せに過ごした3ヶ月間すら、今や虚像と思えてしまう。

彼女が止めたかったという戦争は避けられぬものとなり、
敵の姿も未だ見えず、
魔神の足取りもわからない。
勇者を止めるもできず、
魔物を狩るために磨いたはずの腕すら力が及ばない。

状況に流され続け、こうして命を落とすのなら、
この旅に意味などなかったのだろうか。


戦士「………………死ねば、会える、か」


どうしてだか、
これでは死後彼女に会えると思えないが、
既に手に力は入らないし、
膝ももう伸ばしていられない。

ずるずると柄から崩れ落ち、
あるはずの地がないかのように、意識の底へと落ちていく。
なにもかもが希薄に感じられる中、
ただ孤独感だけが昏く大きく心に陰を落とした。


「ああ。それが死というものだよ」


どこからか響く声。
これは彼女も味わったものだと思えば、少しだけ、
その孤独感も受け入れられた。

復讐は身を滅ぼすとどこかで聞いた事があるが、
その意味が少しだけわかった気がした。



359 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:35:23.59 ID:9DwdlqBj0



寄せては返す波間に揺蕩う意識。
四肢に感覚は無く、波の鼓に綯い交ぜにされた自己は混濁とした意識をより希薄にする。
揺られ、流れ、そして岸辺へと押し戻される。
海の先には死者の国。
どれだけの時間が経ったのか、そもそもここに時間などは意味をなさぬのか、
まぁ、とにかく、暇だ。

さて、状況を整理しよう。

あの日、故郷で。


「あの数の魔狼を、一人で。
 確かに、大した腕だ」


俺は魔物の群れを相手に、街中を駆け回っていた。
その時彼女の使い魔を介した念信があり、
彼女は民の避難を手伝っていると聞いた。

そこで、念信が途切れた。

次に会った時、彼女は傷を負っていた。
念信が途切れた時、俺には彼女の身になにか起こったとしか思えなかったが、
腹に受けた傷はひとつのみ。
恐らく魔物の爪によるものだ。
だが、念信が途切れる時の声色には少しの焦りも感じられなかった。

つまり、念信は彼女により、切られたのだ。

それがなにを意味するかはわからないが、
重要な事は念信が途切れた間、何が起こったかだ。
彼女の魔法の腕前を考えれば、あの程度の魔物に容易く屈する事など考えられない。
デーモンがそこに居たという事も考えれば辻褄は合うが、


『既に手負いの状態で眼前に現れてくれるとは!!!!』


彼女の傷はデーモンによるものではない。
彼女が言った、第三者の意図。
彼女の傷がその第三者によるものだとすれば、

あの場には、街の者、攻め寄せたデーモンと魔物たち、
そのどちらにも属さない、何者かが居た事になる。



360 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:37:03.75 ID:9DwdlqBj0



「傷は多いが、深いものは無い。
 目覚める頃には治癒しているだろう」


魔研の一件はどうだろう。
地下の彼女の研究室。
それは彼女が魔研に居た事を示す。

彼女は3年前、鉱山都市を去ったという。
居たとすればその後3年間の間のどこかだろう。
向かいには、勇者の語る処での「本物」が居たという牢獄。
勇者は魔研を実家だと言った。
雷魔法が魔研での研究の産物だとすれば、
牢獄には雷魔法の使い手が?
しかし、「本物」が雷魔法の使い手だとして、
容易く幽閉できるような存在なのだろうか。

そもそも、あの赤黒い球体だ。
魔法使いの血が勇者の言うようなものだとすれば、
魔法使いの血液は火にくべれば燃えあがる事になる。
魔力の正体がそのようなものだとして、
そんな単純な事を、魔法学院が見逃しているはずがない。
恐らくなにか特殊な処理が必要なのだろうが、
なんにせよあの爆発は大きな驚異だ。
中央王国軍は現在勇者により掌握されている。
加えてあのような新兵器が投入されれば、趨勢は決まったも同然だろう。

そしてそれらの研究に魔女が手を貸していたとすれば。

謎は未だ残る。
賢者の知覚を封じたものの正体。
賢者は、宣戦布告の口実になると理解した上で、なぜ魔研を襲撃したのか。

そして、勇者と盗賊が言った、「彼」とは。

…まぁ、考えるだけ無駄なのだろう。
俺は、もう。


「…いい加減、起きろ。
 いつまで寝ている気だ」



361 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:37:45.93 ID:9DwdlqBj0



戦士「…へ?」

老人「生きておる。
   傷跡すらあるまいて」

戦士「………はぁ」


寝かされていたのは、
東方風の、妙にオリエンタルな内装の部屋だった。
ちりん、ちりんと下げられた鈴が揺れ、
魔力灯の柔らかな光が強く感じられる。
それは他に光が差さない事の証左だ。
つまり、今は夜であるか、それとも、


戦士「洞窟なのか?ここは」


土壁から覗く岩を見るに、後者なのだろう。


老人「無礼な男だ。
   君を助けたのは誰だと思うておる」


憮然とした面持ちの老人は、如何にも隠者が好みそうな、
黒いローブを流し着て、木椅子に腰掛けている。
助かった理由はわからないが、礼を言っておくべきだろう。


戦士「ああ、すまない。
   助けてもらったようだ。ありがとう」

老人「…まぁ、いいだろう」


釈然とはしないが、助けられた事は事実だ。
老人は少し顎をしゃくり、
口を開く。



362 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:38:26.12 ID:9DwdlqBj0



老人「君は、あの子の縁者かね」

戦士「…あの子?」

老人「魔女と呼ばれておるはずだ。
   名前には疎くてな」

戦士「………夫だ」

老人「やはりそうか。
   ミスリルの斧槍には見覚えがあった」


少しため息をつき、
棚から、水晶球を取り出す。
はっきりと見覚えのある、彼女の水晶球だ。


老人「竜の巣穴へようこそ。
   私は、…そうだな、番人とでも思っておきなさい」

戦士「…あいつを、知っているのか?」


老人は目を伏せ、


老人「私は、あの子の魔法の師にあたる」


水晶を木机に置き、そう呟いた。



363 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/23(月) 01:40:10.54 ID:9DwdlqBj0

今日はここまでです。
数々の応援レスありがとうございます。
励みになります。

なかなか時間が取れず申し訳ありません。
頑張って進めます。
読んでくださる方が居る限り頑張ります。
見捨てないで…お願い…。
364 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/23(月) 01:48:17.75 ID:yEQdqG6to
お疲れ様です!
365 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/23(月) 04:30:09.22 ID:BTywW08Do
見捨てるわけがないじゃん。
お疲れさま!
366 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/23(月) 05:11:28.44 ID:PHskQaSgO
367 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/23(月) 07:19:15.94 ID:E9DD0P8AO
乙!
次も楽しみに待ってる!
368 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2015/11/24(火) 07:19:58.21 ID:wcbX7P67o
賢者がなにされたかわからんが無事でいて欲しい
369 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/25(水) 02:49:28.49 ID:Mm2oT6db0


一昨日のおまけです。
筆休めに書きました。
完全な番外編です。
良ければ読んでやってください。


370 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/25(水) 02:54:12.56 ID:Mm2oT6db0



出自にとりわけ意味はなく、

なんの事はない町で産まれた。


時計職人の厳格な父と、美しく優しい母、気の強い妹の4人家族だった。
厳格な父は仕事ぶりもまた、その性に相応しく厳格なものであり、
父の作る時計は、大陸で最も正確に時を報せると言われる鐘の音と、
如何なる時も寸分の狂いなく時刻を示した。
父は毎日のように時計を作り続けた。
春夏秋冬、雨の日も、風の日も。
幼心に、父は誇れるものだった。

厳格な父の作品は厳格に時を刻み続ける。
その仕事は一日たりとも休まれる事はない。
命芽吹く春も、茹だるような暑い夏も。
葉が黄金色に色づき虫たちの音色が響く秋も、
身体の芯まで凍りつくような冬も。
父はまるでそれしかないようにひたすらに時を刻み続ける。
ただ、正確に時を刻む事こそが父の人生であるというように。

魔法技術の発展に伴い、
もはや世の中が機械仕掛の時計を必要としなくなっても、
父は時計を作り続けた。
発注など来ないというのに、
もはや高価な壁掛け時計など誰も必要としないというのに、
正確な時計の動きを再現するだけの金属板の方がずっと小型で便利だというのに、
父は何も言わず時計を作り続けた。

そしてやがて、
14に差し掛かる頃、やっと彼は、
父には本当に"それ"しかないのだと気付いた。

父は時間に魅せられていた。
何十年という間、正確な時に生き、正確に時を刻もうとし続けた父は、
もはや他にすべき事を見出だせなくなっていたのだと。
時計は父の自我の結晶であり、
自分とは流れる時の異なる、自らの妻や子供にすら、
興味を失ってしまっているのだと。



371 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/25(水) 02:55:49.10 ID:Mm2oT6db0



生活が困窮し、、
母が働きに出るようになっても、
父は時計を作り続ける。
彼は、そんな父を見捨てられない母を見捨てられず、
妹を食わせる必要もあり、
彼もまた働きに出るようになった。
作れど作れど発注は来ない。
家は時計が溢れかえり、
こち、こち、と寸分の狂いなく時を刻み続ける。
ある日彼はもう何年も父の声を聞いていない事に気付いた。

妹がいつの間にか家族を見捨て家を出たのは、その頃だった。

嵩む時計の製作費。
彼は何度も父を捨て家を出ようと訴えたが、母の耳には届かず、
少しでも多い収入を求めた母は、仕出し女として従軍する事を決め、
帰宅は数ヶ月に一度となった。

家には彼と時計を作る父、そして、山のような時計のみが残された。
2人を囲む時計たちは全て同じリズムで時を刻む。

こち、こち、こち、と。

振り返ってこっちを見ろ、
時計を作るのをやめろ。
それができないのなら、母を解放してくれ。

詰る彼の言葉も、父に流れる正確な時間を止める事はできない。
怒り狂った彼が時計を破壊し、父の向かう机に叩きつけると、
父は少し目を歪め、製作途中の時計を脇へ追いやり、
何事もなかったかのように破壊された時計を修理し始めた。


その時。

背骨が熱された鉄芯に感じられるほどの激しい怒りが心を満たし、

彼は、ならばその正確な時を止めようと思い至った。



ふた月後、母が帰宅した。
久しく見る母はどこか窶れて見え、"父さんはどこへ?"と問いかけてきた。
彼は、"出て行った"、とだけ伝えた。
"そう"それだけ言葉を発すると、母は倒れ、その日から床に伏した。
従軍中、兵士に強姦され、その傷が元で感染症を引き起こしたと知ったのは、
母が亡くなった後だった。



372 : ◆DTYk0ojAZ4Op [saga]:2015/11/25(水) 02:57:09.27 ID:Mm2oT6db0



そして父も母も妹も、時計すらも、彼の前から消えた。
なにも失くした彼は引きずられるようにふらふらと、
無音の家を跡にした。

今日からは、無音の時を刻もう。
それだけを思い、あてのない旅に出る。

あれはどこだっただろう。
名もない街の市場で、腹を空かした彼は、店先に積まれた林檎をふと目にし、
虚ろに林檎を見つめるうち、心に疑念が渦巻くのを感じた。

自分は何が悪かったのだろう。
なぜこのような人生になったのだろう。
店先で無邪気に遊ぶ子供、
それを笑いながら見守る母。
我が家はどうなっているのか。
溢れかえる時計を全て捨ててみれば、我が家にはなにも残らなかった。
時を刻む事を止めた我が家はただ朽ちるだけだというのか。
だというのに、我が家がそうだというのに、なぜこの家は、
硝子一枚割れていないのだ。

店先を通り掛かる時、
なんの澱みもなく指が動いた。

まるで、何年も前から、生業としていたかのように。

少しも傷まぬ心と、口に広がる、爽やかな甘味と酸味。
自分は何も悪くない。全て親が悪いのだ。
そのひとつの小さな窃盗が、
全てを失くした彼の心を、黒く染め上げたのだった。



472.43 KB Speed:0.1   VIP Service SS速報VIP 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 続きを読む
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)