ミュウツー『……これは、逆襲だ』 第三幕

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1 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:16:45.01 ID:CXQiijtko
ミュウツー『……これは、逆襲だ』
ミュウツー『……これは、逆襲だ』 第二幕
の続きです

・本編ゲーム(赤緑〜XY)の設定をベースに、『逆襲』の設定、首藤要素、妄想を盛り込んだ世界です

・『逆襲』のミュウツーが、ななしのどうくつからヤグルマのもりへ飛び出します

・そんなミュウツーが、ヤグルマの森でいろんなポケモンや人間たちと出会います

・人間キャラ、肩書きの設定もおおむねゲーム準拠、アニポケ由来のキャラはほとんどいません

・とんでもなくゆっくりペースで投稿しますが、ちゃんと終わらせます

第一幕: http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1373648472/
第二幕: http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1411566555/

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1456323404
2 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:19:52.18 ID:CXQiijtko


見慣れた寝床がようやく見えてきた。

木肌は青白く、ぼんやりと光っている。

月明かりと、地面に落ちた淡い反射とを受けている。

暖かみのある色ではないのに、心のどこかでほっとした。


ミュウツー(これはこれで『愛しの我が家』……というわけか)


むろんこの場所に、かりそめの拠点という以外の意味はない。

ないつもりだ。


いつまでもここにいるわけではない。

ないつもりだ。


とはいえ。

今はあの寒々しい朽ちかけた場所に、ミュウツーは安心感を覚えた。

なにしろ、ここに来て以来ずっと寝所として使ってきた空間だ。

愛着を感じるのも、そう不自然なことではないかもしれない。


ミュウツー(今日は、とにかく一日が長かった)

ミュウツー(これでようやく眠れる……)

ミュウツー(……というわけでもないのが残念だな)


そう思っただけで、深く長い溜め息が自然と出ていた。


ダゲキ「つかれた?」


溜め息に気づいたのか、背後から声が飛んできた。

その声には、相変わらず顔色を窺うような響きがある。

今の溜め息や疲労は自分のせいだと思っているに違いない。

無理からぬことだとは思う。

3 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:23:56.49 ID:CXQiijtko

ミュウツー『いや、その……』

ダゲキ「ほんとうに、ごめんね」

ミュウツー『……まあ、気にするな』


本音を言えば、ぐったり疲れている。

肉体的にというよりも、どちらかといえば精神的にだ。

決して彼だけのせいではないが。

それを誤解のないように説明するのは、少し億劫だった。


ジュプトル「あの ニンゲン、いいの?」

ミュウツー『放っておけばいい』


答えながら、ミュウツーは樹に寄りかかって腰を降ろした。

目を堅く閉じる。

気をつけないと、息以外のものまで流れ出てしまいそうだった。


ミュウツー『明日の朝には、出ていくと言っていた』

ジュプトル「もりで わるいこと、するかな」

ミュウツー『孵化したばかりのポケモンを抱えて、無茶もしないだろう』

ヨノワール「……わるい ひととは、おもえない です」

ダゲキ「ぼくも、わるいニンゲンじゃ、ないと おもう」

ジュプトル「うん」

ジュプトル「いいやつ ぽい」

ミュウツー『……あるいは、そうかもしれないな』


ゆっくりと目を開き、自分をゆるく囲む友人たちを見回した。

不審そうな、あるいは自信なさげな、あるいは不安そうな目が並んでいる。

4 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:26:22.84 ID:CXQiijtko

ミュウツー『だが、だからどうしたというのだ』


いやな空気だ。

あまりいいものではない。

刺さなくていい釘を刺そうとしているような気もした。


ミュウツー『善良であるかもしれないあの男ひとりを取り上げたところで』

ミュウツー『お前たちの過去が変わるわけではない』

ジュプトル「……」

ミュウツー『全てのニンゲンが、ああではないことも、最初からわかっているはずだ』

ダゲキ「……」

ミュウツー『理解できるな』

ジュプトル「……よ、よく わかんないけど、わかる」

ダゲキ「むずかしい」


ふたりは少し意気消沈したように見えた。

ヨノワールはそんなふたりを、困ったような目つきで見ている。


ミュウツー『こいつらも私も、ニンゲンは嫌いだ』

ヨノワール「はい」

ミュウツー『お前は、少し違うらしいが』


ミュウツーは回答を待たず、友人たちから目を逸らした。

ふたりの気持ちがわからないわけではない。

わからないわけではないが、だからこそ言うのだ。


ミュウツー『妙な期待は、もうしない方がいい』

5 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:31:58.55 ID:CXQiijtko

焦れていく感覚すら伴いながら、ミュウツーはそう強調した。

なんとか言葉になったのはこれだけだ。

言いたいことの半分も伝えられていない。


ダゲキ「わかってる」

ダゲキ「あの ニンゲンだったら、よかったかな、って」

ダゲキ「ちょっと、おもった」

ミュウツー『そんなことだろうと思った』

ジュプトル「お、おれは ちがう!」

ダゲキ「そうなの?」

ジュプトル「そうだよ!」

ダゲキ「どんな?」

ジュプトル「な、ないしょ」


恥ずかしそうにジュプトルは目を逸らした。

それを、妙に優しげな表情でダゲキが見ている。


ミュウツー『……なんでもいいが、私は少し休みたい』

ミュウツー『あのニンゲンが森を出ていくところを、自分の目で確かめておきたいしな』

ダゲキ「おこすの、しようか?」

ミュウツー『い、いや、自分で起きられる』

ダゲキ「そう?」

ミュウツー『むしろ、お前こそさっさと寝るべきだろうが』

ダゲキ「むり」


彼の話しぶりはいつもと変わらず、どこか飄々としている。

それでいて、それ以上は詮索してくれるな、と言外に言っている。

そうした強い拒絶が潜んでいる。


6 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:36:01.71 ID:CXQiijtko

ミュウツー『……好きにしろ。私は寝たい』

ジュプトル「ねればいいのに」

ミュウツー『お前たちがいつまでも喋っているから、寝られないんだろうが』

ヨノワール「すみません」

ダゲキ「ごめん」

ジュプトル「なんだよ! じゃあ、かえる」


場違いなほど憤慨した口調でジュプトルが喚いた。

緊張の糸が切れたためか、ひたすら喚き散らしてばかりだ。


ミュウツー『そうしてくれると助かる』

ジュプトル「……ねえ、おれ つかれた」

ダゲキ「うう、ごめんね」

ジュプトル「えっ、いいの、いいの」


今のミュウツーには、安心して浮かれる気持ちも、少しだけ理解できたが。


とはいえ頭も身体も、十分すぎるほど疲れていた。

必死で意識を繋ぎ止めているところだ。

そうしてくれれば、多少とはいえ、たしかに休める。

なのに――。


ミュウツー(……)


なのに、なんとなく惜しい。

なんとなく、もったいない。

もやもやとした不定形の狼狽が、反応を鈍らせた。

7 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:38:16.51 ID:CXQiijtko

呼び止めれば、彼らはきっと、もうしばらく留まってくれるに違いない。

ほんの少しだけなら、きっとわがままに付き合ってくれる。


ちゃんと、自分で、言いさえすれば、の話だ。


ジュプトルが機敏に首を曲げ、傍らのダゲキを見上げた。


ジュプトル「のせて」

ダゲキ「あるかないの?」

ジュプトル「おれはー、つかれた」

ダゲキ「……い、いいけど」


ジュプトルはキリキリと小さく、上機嫌に鳴いた。

言質を取るが早いか、もうダゲキの背中を登り始めている。

その動きを意識しながら、ダゲキはまっすぐこちらを向いた。


ぎくりとしながら、彼の視線を受け止める。

油断していた。


ダゲキ「じゃあ おやすみ」

ミュウツー『あ……ああ』


ジュプトルは我が物顔で、丸い頭の上に顎を載せてくつろいでいる。

ダゲキも少し鬱陶しそうにしているが、その程度のようだ。


立ち去りかけて、ダゲキはふとヨノワールの方を振り向いた。

振り回され、キィッ、とジュプトルの小さな悲鳴が響く。


ダゲキ「きみは」

ヨノワール「すぐ かえります」

ダゲキ「ふうん」

ジュプトル「じゃーな」

8 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:42:03.62 ID:CXQiijtko

あっけない挨拶をすませ、ふたりは青黒い闇の中へ踏み込んでいった。

ミュウツーはその後ろ姿を、ひやひやしながら目で追う。

昏い木々に紛れて、ふたりの姿はすぐに見えなくなった。

やかましいジュプトルの声だけは、まだかすかに響いている。


しばらくするとその声も聞こえなくなった。

小石が池に沈み、だんだん見えなくなっていくさまを想像する。


急に、あたりがしんと静まり返った。

ふと見ると、ヨノワールもまた、ふたりの消えていった方を見ている。

ぼうっとしている。

何か思うところがあるらしい。


ミュウツー『どうした』

ヨノワール「まえと ちがいます」


重い声がする。


ミュウツー『なにがだ?』

ヨノワール「あの ふたり」

ミュウツー『そうなのか?』

ヨノワール「わかりませんか」


こちらを見もせずに、ヨノワールはそう問いかけてきた。

わからないから尋ねているんだ、とミュウツーは思う。


ミュウツー『……お前の方が、あいつらとは長い』

ヨノワール「ながくても……なかが、いいのでは ないです」

ミュウツー『それでも、私の知らない、以前の姿を知っているのだろう』

ミュウツー『私は……』

ミュウツー『私はなにも知らないが』

9 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:43:11.92 ID:CXQiijtko

ヨノワールがゆっくりとこちらを向く。

敵意はもとより、怯えも卑屈さも今は見られない。

その大きな目玉に、怖気を震うような輝きはもうなかった。


ミュウツー(いや、ひょっとすると……)

ミュウツー(はじめから、そんなものはなかったのか)


得体の知れなさは、見る者が勝手に見出していただけ、なのだろうか。

そう思えるほど、今のヨノワールは『普通』にしている。


ミュウツー『あいつらが、変わったのだとして……』

ミュウツー『それは、あいつらが努力した成果ではないのか』

ヨノワール「どりょく……?」

ミュウツー『さっき言った、ニンゲンの本を使ったやつのことだ』

ミュウツー『本を読んでみたり、聞かされたり、字を書いたり』

ミュウツー『ニンゲンがするような、「勉強」というものだ』

ヨノワール『わかります』

ミュウツー『以前は、そんなことをしていなかったはずだ』

ミュウツー『だから変わったように感じるのではないのか』


ミュウツーの返事に、ヨノワールは少し考えるしぐさを見せた。

こちらの言う意味が伝わらなかったのだろうか。


そういえば、とミュウツーは思う。

ヨノワールとのコミュニケーションで、不自由を感じたことは特にない。

だが、実際のところ、どこまで『わかっている』のか、よくは知らない。

10 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:47:14.77 ID:CXQiijtko

くるくると目を動かし、ヨノワールは瞬きを繰り返す。

しばらくして首を力強く横に振り、ミュウツーをやや不安げに見た。


ヨノワール「……それも、ある……かもしれない、ですが……」

ミュウツー『では、お前は何が理由だと思う』

ヨノワール「たぶん……あの……」


ふたたび、ヨノワールは口籠もってしまった。

あまりその先を言いたくないように見える。


ヨノワール「あの……」

ミュウツー『いいから言え』

ヨノワール「あなたが きたから……だと おもいます」

ミュウツー『……私?』


ミュウツーは思わず、樹に預けていた身を起こした。


ヨノワールはミュウツーを、腹が立つほどまっすぐ見ている。

とても冗談を言っているようには見えない。


ざあっ、と騒々しい風が頭上を吹き抜けた。

ばたばたとマントのはためく音がして、風に目を細める。

ミュウツーはその間も目を逸らすことなくヨノワールを見つめた。

ヨノワールの方も、視線を外さない。


ミュウツー『それは……どういう意味だ?』


吹き抜ける音が収まった頃、ヨノワールは低く聞き取りにくい声で続けた。

鐘の中で反響したような、いつもの妙な声があたりに響いている。

11 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:52:12.54 ID:CXQiijtko

ヨノワール「いままで、ふたりは……だれとも」

ヨノワール「なかよく なかったのです」

ミュウツー『チュリネや、フシデもいただろう』


ヨノワールは首を横に振る。


ヨノワール「それは、ちがいます」

ミュウツー『……』

ヨノワール「チュリネも、フシデにも、だれにも、おなじです」

ヨノワール「とても なかよく……したり、しません」

ヨノワール「いっしょに こまったり、よろこんだり」


ミュウツーは、ヨノワールの発言を反芻する。

言わんとしているところは、わかる気がした。


ヨノワールは瞬きを繰り返した。

巨大な手は開閉を繰り返し、困ったようにこちらを見ている。


ヨノワール「……ごめんなさい」

ヨノワール「もう、うまく いえない です」

ミュウツー『そうか……』


申し訳なさそうに身を縮め、ヨノワールは上目遣いでこちらを見た。


ヨノワール「でも……まえより たのしそう で」

ヨノワール「ずっと げんきです」

ヨノワール「あなたと いる とき、とても そう みえます」

ミュウツー『……へえ』

12 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/24(水) 23:57:10.38 ID:CXQiijtko

冷静を装い、そっけなく返答する。

だが腹かその背中側か、身体の柔らかい部分がこそばゆかった。

これではまるで――


彼らが楽しそうにしているのは、自分が来てから。


そんなはずはない。

ないに違いない。


身体の内側が勝手に、ふふふと震えている。


ミュウツー『仮に私が何かしらの影響を与えているとしても』

ミュウツー『それが、好ましいこととは限らない』

ヨノワール「そうですか?」

ミュウツー『……いや』

ミュウツー『あいつらが「そうだ」と言っているわけではないが』

ヨノワール「はい」


何が言いたいのか、自分でもよくわからなくなっていた。

ヨノワールが言うことを否定しようと、躍起になっているようだ。

むろん、嘘や欺瞞を吹聴しているわけではない。


ひょっとすると、自分は照れているのではないだろうか

拗ねている気もする。

自分がそうに感じていることを、気づかれてはいないと思う。


ヨノワール「そうですか……でも」

ヨノワール「わたしは、とても うらやましい」

13 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/25(木) 00:01:45.65 ID:RJx23RzYo

ヨノワールの言葉はただの感想だ。

こちらの反応は、あまり気にしていないように見える。


ミュウツーは視線を落とした。

なんだか、頭がどろどろと重い。


まるで何かの決意表明のように、その声は自信に満ちている。

自分の感情を正面から受け止めている。

その姿と声の、なんと真っ当で健全なことか。

それこそ、なんと羨ましいことだろう。


ミュウツー『羨ましい……か』

ミュウツー『私からすれば』

ヨノワール「……“すべての”」


声がひときわ朗々とした響きを帯び始めた。

なにごとか、とミュウツーは顔を上げる。

ヨノワールは友人たちの去っていった方をまた見ていた。

だがその目は、木々の隙間さえ映していない。


今まで以上に大きく丸く見開かれ、ここではないどこかを見ている。


ヨノワール「“すべての いのちは”」

ヨノワール「“べつの いのちと であい”」

ヨノワール「“なにかを うみだす”」

ミュウツー『……どういう意味だ』


ヨノワールは腕をわずかに広げた。

深呼吸をしているように見えたが、やけに嬉しそうにしている。

14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/02/25(木) 00:07:46.75 ID:UaE5hp+i0
一年以上やってるんだっけ?凄いなあ
15 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/25(木) 00:08:36.59 ID:RJx23RzYo

ヨノワール「ふたりは……であった」

ヨノワール「であえたんです」

ミュウツー『……』

ヨノワール「この、コトバは……いせきに ありました」

ミュウツー『遺跡?』

ヨノワール「ズイという、いせきです」

ヨノワール「ニンゲンと、いっしょに いったんです」

ヨノワール「た……たのしかった」


大きな目に映っていたのは、ヨノワール自身の過去だったようだ。

ヨノワールの目が、よく見ると小刻みに震えている。


ヨノワール「あの ことば、は」

ヨノワール「ずっと ずっと むかし、だれかが かいたんです」

ヨノワール「むかしの、ニンゲンかも しれない」

ヨノワール「ニンゲンじゃない、だれか……かもしれない、って」

ヨノワール「あのひとは、そう いっていました」

ヨノワール「たくさん、おしえて、くれたんです」

ミュウツー『……本当は、ニンゲンの文字が読めるのか?』

ヨノワール「いいえ」


寂しげに目を伏せてから、ヨノワールは空を見上げた。

それからふたたびミュウツーを見つめる。

目が合った。

ヨノワールの目は、もう『現在』に焦点が合っている。

16 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/25(木) 00:12:30.15 ID:RJx23RzYo

ヨノワール「よんで もらいました」

ミュウツー『……そのニンゲンにか』

ヨノワール「ほんとう だと、おもいます」

ミュウツー『あのふたりを見て、お前はそう思うのか』

ヨノワール「あなたと であって、いままでと、ちがった」

ヨノワール「あたらしく かわった」

ヨノワール「ともだち」

ヨノワール「わたしは、ああ……うらやましい のです」


こちらを見ているヨノワールの目。

かつてミュウツーを射竦めた人間の女の眼差しに、似ていなくもない。


ミュウツー『私が……』

ミュウツー『こんな私が、いったい彼らにどう影響できるというんだ』


ミュウツーの言葉に、ヨノワールは少しだけ驚いたような目をした。



ヨノワール「……あなたも ひとつの いのちだ」

ヨノワール「そうでしょう?」

17 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/25(木) 00:15:46.34 ID:RJx23RzYo

ミュウツーは息を飲み、吐き出しかけた言葉を飲み込んだ。

ヨノワールの言葉がじわじわと頭に忍び込んでくる。


何も言い返せなかった。

肯定も、否定も、茶化すことも、異論を唱えることさえもできない。

できることといえば、ただ喉の奥で呻き、押し黙るだけだ。


その沈黙を会話の終わりと解釈したらしい。

ヨノワールは小さく唸り、慌てて申し訳なさそうに身を縮めた。


ヨノワール「ご、ごめんなさい、ねたい と、いってたのに」

ミュウツー『あ、いや……』

ヨノワール「わたしも かえります」


人間じみた軽い会釈を残し、ヨノワールは音もなく姿を消した。

上の空で応じた……と思う。


ひょっとすると、別れの挨拶も口にしていたかもしれない。

だが、それもはっきりとは憶えていない。


あの不思議な響きの声が、頭の中をぐるぐるとまわっている。



――ともだち

――あなたも



――あなたも ひとつの


18 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/25(木) 00:18:29.39 ID:RJx23RzYo


どれほど時間が過ぎただろうか。


夜はさらに更け、森は静かに息をしていた。

遠いさざめきと風に揺れる葉の音が聞こえる。

どれも、いつも聞こえている音ばかりだ。


ミュウツー(ああ……)

ミュウツー(……やっとひとりになれた)


自分に延々絡んでこようとする、騒々しい連中が消えただけだ。

静かになって、ようやくほっとするひとときのはずなのだ。


ミュウツー(ひとりになってしまった)

ミュウツー(なんだか……静かだ)


頭の中にぽっかりと、無為な空間が生まれたような頼りなさを感じた。

もたれかかれる倒木や岩が急になくなってしまったような。

そんな心持ちだ。


ミュウツーはそれでもゆっくり、重々しく立ち上がる。

少なくとも今は、自分の足だけで立たなければならない。


ミュウツー(眠い)

ミュウツー(だが、もうひと仕事だな)


そう自分に言い聞かせ、ひとつ大きく深呼吸する。

臓器や骨がむりやり拡げられて、胸が痛い。

吸い込んだ空気は、ここへ来た当時より湿っぽく感じられた。

これはこれで、悪くない。

19 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/25(木) 00:20:09.32 ID:RJx23RzYo


ミュウツー(さっきの話も、聞かれていたのだろうか)


それならそれで構うものか、とミュウツーは覚悟を決める。


夜明けを待つ暗い森。

そのさらに向こう。

はるか遠く一点に意識を向け、せいいっぱい睨みつける。

睨んでいることが、相手にわかってしまうかもしれない。


もっとも、覗き屋に示すべき礼儀があるとも思えなかった。

ミュウツーは少しだけどきどきしながら、言葉を投げかけた。



ミュウツー『いいかげん、姿くらい見せたらどうだ』



20 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/02/25(木) 00:29:05.38 ID:RJx23RzYo
今回はここまでです

ご無沙汰しとります

今やどれくらいの方が読んでくださってるかわかりませんが
これからもマイペースに書いていきます
楽しいからいいんですけどね

>>14
振り返ってみると2年半です!
やーよく続いたもんです

ではまた


ところで近況ですが

ガルパンはいいな
21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/02/25(木) 00:30:34.70 ID:PQSX9SH5O
乙です
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/02/25(木) 02:39:32.07 ID:bBK7BBgv0

久し振り
23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/02/25(木) 05:21:17.26 ID:k4CuP3s/0
おつ
そろそろ日暮かオリンピックマンの称号を得られそうだな!
24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/02/25(木) 09:45:43.70 ID:VD8H5uWco
お帰り待ってた!
みんなかわいいんだよなあ
25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/02/25(木) 15:31:55.71 ID:ykid5kypo
お帰りなさい乙
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/02/26(金) 18:19:39.19 ID:kgj5b5RjO
乙!
ずっと待ってた
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/03(木) 18:35:08.56 ID:udQVfS8IO
き、きてる!お疲れ様です!!
28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/07(月) 17:05:59.65 ID:QK7wAWZU0
ああああ復活してる!!
ずっと待ってました、また続きが読めるなんて嬉しいです
どうかあなたのペースで頑張ってください
29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/15(火) 07:36:31.50 ID:3hly4TJIO
二幕って途中で終わってるん?
30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/16(水) 04:19:34.13 ID:wSuukhg50
二幕は気付いたら落ちてた気がする
31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/16(水) 12:14:23.51 ID:bRtCZow3o
うん
話は直接続いてるね
32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/16(水) 12:58:22.83 ID:GDmwPRJmO
そうなん?ありがとう
33 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:39:28.81 ID:d1B0J0ZHo
よーし、始めます!
34 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:40:05.14 ID:d1B0J0ZHo

何度も、うつらうつらと意識が途切れる。

とても疲れている。

それに、とてもとても眠い。


ミュウツーやヨノワールと別れたあと。

ジュプトルは無理を言い、ダゲキの寝床までついて来ていた。


にも関わらず、どうにも眠れずにいる。

せっかく『ひとりでは寝たくない』と駄々をこね、わがままを通したというのに。


ダゲキは、生木の匂いもなくなった倒木に寄りかかり、腰を下ろしている。

呼吸は静かだが、眠っているということはないとジュプトルも確信していた。


そんなダゲキの膝で何度、無理に目を閉じてみたかわからない。

そのたびに、瞼は言うことをきかず勝手に開いていく。

頭の中も目もぴりぴりして、寝てなどいられないと喚いている。


なのに、開けていると今度は眠くて目が痛い。

瞼は疲労と重さに負けて勝手に下りていく。


起きていることも、かといって眠ることもできない。

そんな孤独な闘いを続けて、ずいぶん時間がたった気がした。


ダゲキ「……ジュプトルは、おきてる?」


上の方から、少し高く、呑気な声が降ってきた。

彼なりに『声を潜めている』響きがある。

眠っていた場合を気にしてくれていたようだ。

顔を少しもたげ、ジュプトルは目玉をぐるりと動かして彼の方に向けた。


輪郭に月明かりが当たって、彼の顔が丸く縁取られている。

よく見れば、ダゲキは顔をまったく違う方に向けていた。
35 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:40:43.07 ID:d1B0J0ZHo

ジュプトル「おきてる」

ジュプトル「ねむいのに、だめだ」

ダゲキ「おなじ」


溜め息まじりに、ダゲキがそう答えた。

今も表情は見えないが、なんとなく苦笑しているような気がする。

もちろん、彼が苦笑しているところなど見たことはない。


ジュプトル「……おまえ、いつも そうなの?」

ダゲキ「いつも、そう」


ダゲキは、いまだにジュプトルの方を見ようともしない。

木に背を預け、空を見上げてぼんやりしている。


ジュプトル「ふうん」


投げやりな返事をし、ジュプトルはふたたび顔を下ろした。

さきほどまでのように、両足を放り出しているダゲキの膝に顎を載せる。

頭の上の方がずっと居心地はよかった、と思わないでもない。


眠りに落ちそこねるたびに、空や友人を見上げてみる。

いくら見上げても、空はなかなか白んでこない。

いつ見上げても、友人は変わらず起きている。

眠るどころか、眠そうな気配さえない。


ジュプトル「……なんで、ニンゲンに つかまったの」


ずっと抱いていた疑問が口を突いて出た。

どうしても尋きたかった、というわけではない。

沈黙に耐えきれなかったからだけだ。

『おまえらしくもない』と言いたかったが、ジュプトルにはその語彙がない。

36 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:41:09.55 ID:d1B0J0ZHo

ジュプトル「ねてたから?」

ダゲキ「ううん」

ダゲキ「ねてなかったけど、たくさん つかれた」

ダゲキ「そうしたら、まっくらに なるんだよ」

ジュプトル「まっくら?」

ダゲキ「まっくら」

ダゲキ「いつも、そう」

ジュプトル「いつも?」

ダゲキ「……うん」

ジュプトル「ふうん」


よくわからない答えだった。

それは、自分が今まさに沈みきれずにいる眠りとどう違うのだろう。

普通に誰もが落ちていく睡眠と、なにが違うのだろう。


考えているあいだにも、眠気はまだらに濃くなる一方だ。

思考も少しずつ一貫性が失せ、意味をなさなくなっていく。

このまま、もうすぐ、深い眠りに引きずり込まれるはずだ。


ジュプトル「よ、よるの そらより……く、くらい?」

ダゲキ「うん、ずっと くらい」

ダゲキ「まっくろ だよ」

ジュプトル「げ、『げすいどう』、よりも?」


ジュプトルの言葉に、ダゲキはようやく顔を自分の膝へと向けた。

かくん、と振動が顎に伝わる。


その拍子に、歯車がずれてしまったような気がした。

眠気が噛み合わなくなってしまった。


きっと、今夜はもう、このまま眠れないに違いない。

ジュプトルは根拠もなく、そう確信した。
37 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:41:58.55 ID:d1B0J0ZHo

ダゲキ「『げすいどう』って、なに?」

ジュプトル「じめん……した」

ジュプトル「ニン、ゲンの……ま、まち とか」

ジュプトル「したに、かわの あなが、ある……の」

ダゲキ「ふうん……?」


そう呟きながら、ダゲキは頭を軽く傾けた。

知らない言葉を教えられているときの顔だ。


ひとしきり唸ってから、ダゲキはふたたび口を開いた。


ダゲキ「それは、『ちかしつ』と、にてる?」

ジュプトル「ち、『ちかしつ』?」

ジュプトル「わかんない」

ダゲキ「そっか」


ほんの少しだけ残念そうにダゲキが応じた。

誰が悪いわけでもないのに、ジュプトルは申し訳なく思った。


頭を使ったせいか、眠りの沼はさらに遠のいてしまった。

まだ少し、目がひりひりしている。

波はすっかり引いてしまったのに、目を開けているのが億劫でならない。


ジュプトル「じゃあ、おれの こえ、きこえたんだ」

ダゲキ「うん、おきてたから」

ジュプトル「……なんだぁ」


とんでもなく格好悪いところを見られたような気がして、恥ずかしくなった。

そう思ってこっそりと盗み見たが、彼はまた明後日の方角を見ている。

最後の呟きも、彼の耳には届いていないような気がした。

どことなく上の空な顔をして、胸のあたりをさすっている。
38 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:43:00.32 ID:d1B0J0ZHo

ダゲキ「うーん……」


彼は、自分の身体の内側にある、どこか一点を探り当てようとしている。

痛い部位を突き止めようとするときのような、そういう顔だ。


ややあって、ダゲキは胸をさするのをやめた。

背を丸めて小さく呻く。


ジュプトル「お、おい」

ジュプトル「やっぱり、ぐあい わるいの?」


痛みに耐えている顔に見えないこともない。

怪我はないという話だったはずだが、どこか痛むところでもあるのだろうか。


ダゲキ「ううん、ちがう」


誰かの呼吸するかすれた音が、やけに大きく聞こえる。

反対に、それ以外の音が少し遠のいている。

粘り気のある眠気は、とうにどこかへ吹き飛んでいた。


ダゲキ「あ……そうか」

ジュプトル「……?」

ダゲキ「わかった」


ダゲキが、大きな目でジュプトルを見ていた。

反射的に身体がこわばる。


ダゲキ「ふたりが きたとき、ね」

ジュプトル「う……うん」

ダゲキ「そのとき……いたかった」

ダゲキ「いま、おもいだしたら、また ここが、いたい」

ダゲキ「いたい は、いや……だけど」

ダゲキ「これは、だいじょうぶ」
39 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:44:09.36 ID:d1B0J0ZHo

ジュプトル「……」

ジュプトル「だいじょうぶなら、いいけど」

ダゲキ「……」

ダゲキ「ありがとう」

ジュプトル「そりゃあ」

ジュプトル「……とも、……ともだち だし」


ジュプトルは顔がかっと熱くなった。

『ともだち』とはなんなのか、自分でも理解できているわけではない。

要は、あの人間の受け売りだ。


ダゲキ「ともだち」

ダゲキ「きみは、ともだち なんだ……」


ダゲキはジュプトルの言葉を復唱し、そして妙な顔をした。


ジュプトル「お、おう」


胸の奥を握り潰されるような感覚。

苦しいが、不快ではない。


ジュプトル「お、おれ さあ……」


急に、抗いがたい不安に襲われた。


ジュプトル「おまえが、つれて いかれたら、どうしよう、って」

ジュプトル「……あと、えっと、ああ……」

ジュプトル「すごい こ、こわかった」


鼻梁を乱暴に掻いてそれを紛らわそうとする。

そうでもしないとやっていられない。

そうしていれば、少しだけ焦りも落ち着くような気がした。


ダゲキ「……ごめん、しんぱい させて」
40 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:44:50.50 ID:d1B0J0ZHo

ぺたん、と地面に滑り落ち、ジュプトルは必死で呼吸を整えた。


月明かりを背後に受けて、ダゲキがこちらを覗き込んでいる。

早く落ち着かなければと思うほどに焦る。


ダゲキ「だいじょうぶ?」

ジュプトル「だ、だいじょぶ……だいじょぶ」


慌てて、両手で顔をごしごしとこする。

爪が鱗を傷つけて痛いが、今それは些細なことだ。


ジュプトル「な、なあ」

ダゲキ「?」

ジュプトル「い……いなく ならないよな」

ダゲキ「……ぼくが?」

ジュプトル「あの ぼうしのニンゲンの、ところとか」

ジュプトル「おまえも、ミュウツーも」


ダゲキは視線をそらして、地面に向けた。

それがどういう意味を含んでいるのか、ジュプトルにはわからない。

考え込んでいるように見えた。


どうして即答してくれないのか、と不安になる。

「そんなことは絶対にない」と切り捨ててはくれないのか。


ダゲキ「……ねえ」

ジュプトル「あと、ほかの ところ、とか」

ダゲキ「どうして、そんなこと いうの?」


喉の奥から絞り出したような声だ。

疑問というより、抗議されているような気がした。

ちりちりと居心地が悪くなっていく。
41 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:46:42.60 ID:d1B0J0ZHo

とんでもないことを言ってしまったような気がした。


ジュプトル「だ、だって……あのニンゲン……」

ジュプトル「あんまり、わるい やつじゃ なかった」


赤毛で豪快な男のことが脳裏に甦った。

彼は少しだけ目を細めた。

まだ地面に視線を移し、瞬きもしない。

自分の釈明が彼に届いたかどうか、確信は持てなかった。


ダゲキ「うん」

ダゲキ「さっきの ニンゲンも、ぼうしの ひとも」

ダゲキ「きっと、いいニンゲンだよ」

ジュプトル「……ごめん」


悪い想像もなかなか止まらない。

肯定的な答えが返ってきたらどうしよう、いやそんなことはないはずだ。

『実は』と、最悪の話を切り出されてしまったらどうしよう。

やっと心を許した相手が、また自分の前から消えてしまったら?

また、置いていかれてしまったら?

また、ひとりぼっちになったら。


ダゲキ「それは、わかってる」

ダゲキ「でも」


やけに長く思えた沈黙を経て、ダゲキはジュプトルに視線を戻した。


ダゲキ「ぼく、もう どこも いきたくない」


やけにはっきりと、彼はそう言った。

少し怒っているように聞こえなくもない。
42 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:47:52.37 ID:d1B0J0ZHo

ダゲキ「あのニンゲンたちは……きらいじゃない けど」

ダゲキ「ニンゲンと いるのは もう、いらない」

ダゲキ「みんなと、もりに いるのが、いいな」


ジュプトルは「ひゅう」と喉を鳴らした。

望んでいたとおりの返事だ。

背筋に違和感を覚えながらもほっとする。


だから、腹の奥から湧き上がる喜びに素直に従うことにした。

そうすれば、自分に巣喰う落ち着かなさは払拭されるからだ。


ジュプトル「うん」


ジュプトルはもう一度ダゲキの膝によじのぼり、しがみついた。

顎から腹まで、どこでもいいから身体を密着させたかった。

接している面積が広ければ広いほど、不安を押し遣ることもできる気がする。


ジュプトル「おれも、みんな いるのが、いい」

ダゲキ「うん」

ジュプトル「ここに いるのが、いい」

ダゲキ「うん」

ジュプトル「おれ は、なにも できないけど」

ジュプトル「ミュウツーとか、ヨノワールとか、おまえもいて」

ジュプトル「ずっと このままがいい」


そこまで口にすると、ジュプトルは黙り込んだ。

自分でも、何を言いたいのかもうよくわからなくなっていた。

頭の中がぱんぱんに膨らんで、破裂してしまいそうだ。

自分の声がどんどん情けなくなっていくのにも耐えられない。


ダゲキ「……なにも できない……は、ちがう」


しばらくしてから、ぽつん、とダゲキが言った。
43 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:49:24.74 ID:d1B0J0ZHo

ジュプトルはおそるおそる目を開き、彼を盗み見た。

ダゲキは、またどこかを違うところを見ている。

ほっとしたようで、少し残念だ。


ダゲキ「ぼく を、たすけたよ」

ジュプトル「え」

ダゲキ「きみは、ぼくを たすけて くれたよ」

ジュプトル「で、でも、おれ なにも してない」

ジュプトル「ぜんぶ ミュウツーが やった」

ジュプトル「ニンゲンと、はなし したのも、おれじゃない」

ジュプトル「おれは……みつけた だけ……」

ダゲキ「ちがう」


少しだけ、語気が強くなったような気がする。


ダゲキ「ともだち、って いった」


ジュプトルは小さく呻く。

きつく目を閉じる。


ジュプトル「そ、それが なんだよ」

ジュプトル「おれは」

ダゲキ「ぼくは、すごく うれしかった」


ジュプトルは、彼の返事にぎょっとして目を大きく開いた。

また首を捻って見上げると、ダゲキが口元を歪めてこちらを見ている。


そんな彼と目が合った。


ジュプトル「おまえ……すごい、かわった」

ダゲキ「……どこが?」

ジュプトル「うれしい とか、……いわなかった」
44 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:50:22.61 ID:d1B0J0ZHo

ダゲキは、やや不満げに眉間に皺を寄せた。

顔に出るという一点を見ても、彼の場合は大きな違いだ。


ジュプトル「ほら、そんなかお し、しなかった」

ダゲキ「そう かな」


ダゲキは困ったように自分の顔面を撫でた。

いかにも『腑に落ちない』という顔だ。

その顔こそが、ジュプトルの言葉を証明しているようなものだった。


ダゲキ「ずっと、うれしい、って、おもわなかった から」

ジュプトル「ほんとに?」

ダゲキ「うん」


たしかに、ジュプトルの記憶にある彼は、いつも無表情だった。

楽しそうな顔も、悲しそうな顔も、嬉しそうな顔も、憤怒も、不満も出さない。

ミュウツーがやってくるまでは。


ジュプトル「いっかいも?」

ダゲキ「そんなこと、ないけど」


ダゲキは、少し考え込むような目をした。

考えてみれば、彼とじっくり話をしたことなど、なかったかもしれない。

こんなふうにとりとめのない話は、とくに機会がなかった。


しばらくしてダゲキがこちらを見た。


ダゲキ「あ……あたま、なでられたとき」

ジュプトル「……チュリネに する やつ?」

ダゲキ「うん」

ダゲキ「でも、チュリネじゃ ないよ」

ダゲキ「なでて もらった」

ジュプトル「おまえが?」

ダゲキ「なでるの されたら……なんだか、むずむず した」

ダゲキ「うれしかった……と おもう」
45 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:51:11.81 ID:d1B0J0ZHo

少し背を丸め、ダゲキは照れくさそうに身じろぎした。


ジュプトル「まえ いた、ニンゲン?」

ダゲキ「ううん、ぼうしの」

ジュプトル「……なんだ」


オレンジ色の服を着込み、帽子を被ったレンジャーのことだろう。

レンジャーが出てくるとなれば、思いのほか、近い過去だ。


もっと古い思い出話が聞けるのかと思ったが、そうではないようだ。


ダゲキ「コマタナも なでてた」

ジュプトル「ふうん……」

ダゲキ「あのニンゲンは、すぐ なでるんだ」


そう話す顔は、ジュプトルも見たことのない表情を浮かべている。

何を思うとそういう顔になるのか、ジュプトルにはわからない。

今までと明らかに勝手が違った。


ダゲキ「こう……てで つかんで なでる」


自分で自分の頭に手を置く。


ジュプトル「……いや だった?」

ダゲキ「いやじゃ なかった」

ダゲキ「でも……ときどき、いやだった」


『いやだった』というわりに、それほど嫌そうでもない。

だが、そう思う気持ちは、なんとなく理解できるような気がする。
46 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:52:28.61 ID:d1B0J0ZHo

ジュプトル「へんなの」

ダゲキ「……」

ダゲキ「『ケシゴム ひろって くれて、ありがとう』、って」

ジュプトル「ケシゴムって、まずい しかくい しろいやつだ」

ダゲキ「……たべたの?」

ジュプトル「たべたけど、たべられなかった」

ジュプトル「あじ ないし、のみこむの できないし」


「そうなんだ」とまた苦笑して、ダゲキは空を見上げた。

あのレンジャーがいる昔の風景を思い出しているに違いない。

いや、あのレンジャー『と』いた風景か。


空気が冷たい。

長い息を吐いて、ダゲキはそのまま話を切り上げてしまった。

思いを馳せていただろう記憶についても、話す気はないようだ。


ふたりがどういう関係なのか、ジュプトルはまったく知らない。


あの人間は、自分が見たことのない、かつてのダゲキを知っているらしい。

だが、あの人間が元トレーナーだとは思えない。

そういう単純な経緯ではない、ということが窺い知れるだけだ。


彼がそうやって過去に目を向けている姿は、あまり好きになれなかった。

見ず知らずの土地に置いてけぼりにされたようで、少しだけ心細くなる。


勝手なものだ、とジュプトルは自分を罵った。


自分にも、きっと同じような瞬間があるに違いない。

それを見せているとき、友人たちもまた同じように心細さを感じるのだろうか。


ジュプトル「なあ」


ジュプトルは、ともすれば場違いなほど、つとめて明るい声を出した。

彼を『こちら』に引き戻したい一心だった。
47 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:54:16.51 ID:d1B0J0ZHo

ダゲキ「うん?」


目論見どおり、ダゲキは『こちら』を向いた。

大きく目を見開き、我に返った顔をしている。


ジュプトル「なでるの、おれにも やって」


そう言うと、ダゲキは意外にも、露骨に渋る顔を見せた。

喜んでやってくれると思っていただけに、今度はジュプトルの方が面喰らってしまった。


ダゲキ「え……いいの?」

ジュプトル「え、なんで?」


なぜか、やけにうんざりした声で、めんどくさそうに言う。


ダゲキ「ほんとうに わすれたの?」

ジュプトル「なにを?」


小さな頭がめまぐるしく回転したのに、なにひとつ答えは出ない。

困り果てて喉を鳴らしたとき、ダゲキが小さく溜め息をついた。


ダゲキ「こんどは、ひっかかない?」

ジュプトル「……だ、だれが?」


ダゲキは黙ってジュプトルの顔を指差した。


ジュプトル「おれ? だれを?」


今度は、ダゲキ自身の顔を指差す。


ダゲキ「きて すぐの、とき」

ジュプトル「おぼえてない、そんなの」

ダゲキ「ずるい」


心から恨めしそうな声で、ダゲキはそう呟いた。
48 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 11:55:32.39 ID:d1B0J0ZHo

彼は深い溜め息をつき、こめかみのあたりをこすっている。

呆れられているらしいことだけは、いやというほどわかった。

ジュプトルにしてみれば、溜め息をつかれても困るのだが。


ダゲキ「……ずるいなあ」


そう愚痴を漏らしながらも、ジュプトルの頭を撫で始めてくれた。


頭から背中にかけて、あまり経験のない圧迫感が覆い被さる。

重くて暖かい。

ジュプトルは、ダゲキの膝と手で挟まれている格好になった。


ジュプトル「だ、だって、おぼえてない」

ダゲキ「じゃあ、いいや」


撫でる動作は少し乱暴だ。

だが、むしろその雑な感触に安心感さえ覚える。


ジュプトル「……うん」


ジュプトルはごろごろと喉を鳴らして、されるに任せた。

黙って撫でられていると、不思議と眠気が戻ってくるような気がする。


目を細めて、ジュプトルは小刻みに唸る。

過去の自分は、なぜこんなによいものを拒絶したのだろうか。

相手を引っ掻いてまで。


結局、いくら考えても、思い出すことはできなかった。


どちらかといえば。

どれほど望んでも、最後まで人間から得られなかったものなのに。

49 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/03/21(月) 12:01:56.84 ID:d1B0J0ZHo
今日はここまでです
いつもコメントありがとうございます
ジュプトルも撫でられたかった系女子だったんだな(すっとぼけ

これを書き始めてから、XYが発売されORASが発売され
今度はまた新作が発売されちゃうけど間に合わないなこれ

>>23
よ、4年に一度ほど酷くないから…

>>29-32
前スレは434レスで落ちて、そこから続いています
今度は落とさないように気をつけたいです
1回の投稿の量は減るかわり、回数を増やすか

ではまた
50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/21(月) 13:03:13.37 ID:9ljwOEsl0

ジュプトルマジ乙女
51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/21(月) 17:27:45.08 ID:DlPOlHxlo
乙です
52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/21(月) 19:01:14.97 ID:3U8+F8Tho
きゅんきゅん…する……
53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/03/22(火) 06:50:46.95 ID:EbRQLGpjO
おつやでー
54 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2016/04/15(金) 00:52:19.55 ID:3PO6MNjlo
保守
55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/04/16(土) 14:53:35.88 ID:GWPN/75BO
>>54
まってるーーーー
56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/04/16(土) 16:19:20.98 ID:LHp6Bwh8o
ゆっくり待つ
57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/04/16(土) 23:51:45.58 ID:3jrSxejd0
ようやく追いついた!
楽しく詠ませてもらってます
58 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:28:50.40 ID:WHcPEpPlo
それでは投稿しますやで
今日はちょっと不愉快な描写があります
59 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:31:00.94 ID:WHcPEpPlo


あたたかいというのは、とてもいいことだ。

ジュプトルはしみじみと思う。

自分を包む空気はむしろ暑いが、それとはまた別だ。

不快ではないし、辛くないし、なにより、気分がいい。


ぼうっとして、余計な考えがぼろぼろと落ちていく。

自分の望むものがなんなのか、はっきりしていくのは少し悔しい。


ジュプトル「……いいなあ、これ」

ダゲキ「ぼくも、いいな、と おもった」

ジュプトル「なでるのが?」

ダゲキ「なでるの、されるのが」

ジュプトル「だろー?」

ジュプトル「さっき、ミュウツーも なでてたな」

ダゲキ「あれは、あんまり よくないよ」

ダゲキ「ちょっと いたい」


痛いと言うわりに、それほど嫌そうではない。

そんなややこしい物言いをする彼は、やはり珍しかった。


手は、ジュプトルの頭に置かれたままだ。

心地良い圧力を存分に味わい、ジュプトルはゆっくりと息を吐いた。


こんなに穏やかで満たされた時間は、初めてかもしれない。

全身がすみずみまで、にぶくぼんやり痺れている。

それでも、その痺れに嫌な感触はない。


ジュプトル「……やっぱり まえと ちがうよ」

ダゲキ「なにが?」

ジュプトル「おまえ、こんな やさしく なかった」


少し驚いたような顔をして、ダゲキは苦笑いした。

60 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:33:17.77 ID:WHcPEpPlo

ダゲキ「ちがうのは、きみも だよ」

ダゲキ「けんか しないし」

ダゲキ「まえ みたいに、……なんていうのかな」

ジュプトル「?」

ダゲキ「えーと」

ダゲキ「あ、ぎ、『ぎすぎす』? してない」

ジュプトル「それ、しってる」


聞き覚えのある言葉だった。

人間たちが、とげとげしく緊迫しているときをそう言うはずだ。


ジュプトルが以前いた大きな街の、市場がまさにそうだった。

野良と化したポケモンが商品を掠め取って行ったからだ。

それがあまりに頻発したために、当時は市場全体の雰囲気が悪くなっていた。


もっとも、商品を盗んでいたのはジュプトルたちだったが。

自分がその『ぎすぎす』した状態だと言われると、妙に心外だった。


ジュプトル「おれ……『ぎすぎす』してたんだ」

ダゲキ「うん」

ダゲキ「でも、いまは ちがうね」

ジュプトル「……だって、『かわいそう』は、やめたから」

ダゲキ「え?」

ジュプトル「おれ、いま ぜんぜん、『かわいそう』じゃないし」


言いたいことを言えている自信は、正直なところあまりない。

だが、自分でも不思議と、自分の言葉に確信を持つことができた。


ダゲキは、いたく感心したように目を瞠った。


ジュプトル「だから、もう へいきなんだよ」

ジュプトル「おれは、おこらないで いいんだー」

ダゲキ「……そっか……」

ダゲキ「ジュプトルは、えらいなあ」

61 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:36:47.54 ID:WHcPEpPlo

ダゲキはそう呟いたきり、口を閉ざしてしまった。

何と返せばいいのか、ジュプトルも思いつかず黙っている。


ジュプトル(……まあ、いいや)


自分たちの呼吸音がかすかに聞こえる。

それから、やはりどこかから、同じようにかすかな足音が聞こえていた。


夜が開ける前の、森がいちばん静かな時間だ。

ずっとずっと遠くの空が、嫌味たらしく少しだけ白んでいる。

さっさと朝になれ、とジュプトルはじれったく思った。


ぼんやり見上げていると、小さな影が宙を横切った気がした。

自分の頭の葉のように細く長い何かが、視界の隅をかすめただけだ。

眠気に比べればとるに足らない。

だが、気になる。


影は、自分たちを見ていた。


ダゲキ「……ミュウツーが きたのは、 いいこと、と おもう?」


ジュプトルの意識がそれた。

疑う余地もなく、彼はジュプトルに尋ねている。


ジュプトル「……うん」

ジュプトル「あいつが きたら……たくさん かわったよ」

ダゲキ「いいこと だよね」

ジュプトル「いいこと だよ」


聞かれている言葉の意味の、その裏側に潜む意味を考えた。

直接は言いたくない本心があるはずなのだ。

まるでミュウツーがするような、ややこしい尋ね方をするからには。

それは一体なんなのだろう。

62 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:38:52.20 ID:WHcPEpPlo

ジュプトル「おれも、『じ』、かける ように、なるかも」

ダゲキ「……『ほん』、じ、じぶんで よめるように、なるかな」

ジュプトル「おまえ、『てがみ』 かくんだろ」

ダゲキ「うん」

ジュプトル「おれも やろうかな」


できること、わかることが少しずつ増えていくのだ。

素晴らしいことに違いない。

とても素晴らしいことで、そこに疑問の余地はない。

できないより、できる方がいいに決まっている。


ダゲキ「すごいなあ」

ジュプトル「ニンゲン みたいだな」

ダゲキ「ほんとう だ」


疑問の余地がないはずのことを、彼はなぜ尋ねてくる。

きっと、彼が聞きたい返答は最初からひとつしかない。

もう付き合いが長いのだから、そんなことはわかる。


ジュプトル「……なあ」


腹の奥底でまどろむ、もうひとりの自分が不安を告げている。

一度は押し退けられた本能が、もう一度だけ警鐘を鳴らしている。


ダゲキ「なに?」


これはきっと、耳を傾けるべき声なのだろう。

自分でも、それはわかっている。


ジュプトル「あのさあ……」

????「あっ、にーちゃんたち!」

ジュプトル「!?」

63 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:40:59.94 ID:WHcPEpPlo

ジュプトルは“びくり”と首を跳ね上げて、声のした方に曲げた。

思いがけず近くから、それも突如として聞こえてきたように感じた。


????「ね、いたでしょ!」

????「ほらー、こっち!」


きっと、しばらく前から音はずっと聞こえていたのだ。

別のことにすっかり気を取られていただけで。


ダゲキ「どうしたの?」


自分の頭上を、やや甲高いダゲキの声が通り抜けていく。

頭の葉を逆に撫で上げられたような、ぞわぞわする感触が残った。


彼の視線の先には、大きな目をぱちぱちと瞬かせるイーブイが佇んでいた。

長い耳をせわしなく動かし、ふさふさした尾を振っている。


イーブイ「もう! どこ いたんだ!」

イーブイ「にーちゃん たち、いっぱい、さがしたの!」


そう喚きながら、あまり長くない前脚で地団駄を踏んでいる。

体重が軽いから大した音はしない。

腹を立てたときによく見せるしぐさだ。

だが、ジュプトルはそのかすかな音がやけに気に障った。


短い体毛が、もうはっきり茶色に見えている。

うっすらと青みがかっているが、もう茶色は茶色だ。

いつの間にか、周囲は意外なほど明るくなっていた。


ダゲキ「……? コマタナは?」

イーブイ「つかれて ねた」

ジュプトル「おれも ねたかったよお」


ジュプトルは息を吐いて、空を見上げた。

気に入らない。

64 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:43:21.17 ID:WHcPEpPlo

ジュプトル(……さっきの、もう いないな)


さきほど視界をかすめた小さな『何か』は、とっくに姿を消している。

何か大事なものを見過ごしてしまったような気がした。

もっとも、あの『何か』に、とりたてて不審なところがあったわけではない。

ただ気になっただけだ。


ダゲキ「それで、なに?」

イーブイ「みつけたの!」

ジュプトル「……なにを?」

イーブイ「あたらしい の、こ」


ああ、とがっかりしたような声が、上の方から聞こえた。

ジュプトルには、それが深い深い溜め息にしか思えない。


イーブイ「もう! ぼくも ちゃんと、たすける、できたのにー」

イーブイ「がんばったの!」

ダゲキ「あ、ああ……うん」

ダゲキ「そうだね、ちゃんと できたんだね」


イーブイは少し機嫌を損ねたようだ。

それを宥めようとするダゲキのこともまた、ジュプトルは気に食わなかった。

もう誰が何を言っても、等しく気に入らない。

自分でも、その理不尽さはよくよくわかっていた。


イーブイの背後に目を向ける。

うすぼんやりした茂みに紛れてよく見えないが、たしかに誰かがいるようだ。


ダゲキ「どこに いたの?」

イーブイ「うん と……ね、みえる かべの とこ」


難しい顔を見せ、イーブイは前脚で顔を掻いた。

どうやら、上手く言えずに自分でもやきもきしているようだ。

65 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:45:36.66 ID:WHcPEpPlo

ダゲキ「か……かべ?」

イーブイ「しろいの。おそと みえるの ところ!」

ジュプトル「『さく』じゃない?」

ダゲキ「ああ……」

イーブイ「うーんと、うんと ね……ううーん」

イーブイ「き ひっかいたの」

ジュプトル「……わかんない」

イーブイ「もう! いじわるだ!」

イーブイ「もりの はじっこなの! はじっこ、いったの!」

ダゲキ「そんなところ まで、いったんだ」

イーブイ「だ、だって……」


見上げるとダゲキは、渋い顔をしている。

無理もない、とジュプトルは溜息をついた。

『森の端』に行けば、人間の街はそれだけ近くなる。

外から森に来て居着いた連中には、あまり近づかないよう言い含めていたはずだった。

特に、チュリネやイーブイには、ジュプトルも繰り返し言った記憶がある。


ジュプトル「まちに ちかすぎ」

ジュプトル「また ニンゲン、つかまるぞ」

イーブイ「だって、こえ きこえたもん! いじわる!」

ジュプトル「おれとか、いえ って、いっただろ」

ダゲキ「……ふたりとも おこらないでよ」


ふん、と鼻を鳴らして、また膝の上に顎を載せる。

ジュプトルは怒っているわけではない。

気に入らないだけだ。


叱られたと受け取ったらしく、イーブイは両耳を水平に倒している。

不服そうだが、近づくなと言われていたのは事実だから言い返せないようだ。

66 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:48:12.59 ID:WHcPEpPlo

ジュプトル「おこってない」

ジュプトル「けんか じゃないし」

ダゲキ「……もう」


呆れたような溜息が聞こえた。

だがそれ以上、ダゲキは何も追求してこなかった。


ダゲキ「すてられた こは、げんき?」

イーブイ「うん!」

イーブイ「でも、おなか すいてる……とおもう」


イーブイはもたもたと喋りながら振り返り、背後の誰かを示した。


イーブイ「ね!」


ふたりも、動きにつられて奥に目を向ける。

視線が集まったからか、その誰かが一瞬ひるんだような気配が見えた。


警戒しているらしく、よく聞くと低く唸る声もする。


イーブイ「だいじょぶ だよー」

イーブイ「おいで!」


イーブイが更に声をかけると、唸り声はぴたりと止んだ。


かさかさと草を踏む音がする。

足音が近づくにつれ、少しずつ暗い紫色の体毛が見え始めた。


くねくね動く長い尾に、ときおり光が当たって見え隠れする。

みゃあ、と一声鳴いて、そのポケモンがゆっくり進み出た。


姿を見せたのは、艶のない、荒れた毛並みのチョロネコだった。

現れた顔も続く四肢も、とにかく薄汚れている。

特定の何かで汚れているわけではなく、垢と土埃、堆積した疲弊そのものだ。


誰かの呻く声がした。

67 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:51:58.00 ID:WHcPEpPlo

ジュプトルはこの汚れかたに馴染みがある。

このチョロネコが、最近どのような生活をしていたのか。

どのような環境を味わってきたのか、なんとなく想像できた。


路地裏を徘徊し、思うように雨風を凌げない環境に長くいたのだろう。

安心や安全とは縁も薄く、常に緊張を強いられてきたかもしれない。

かつての自分と同じように。


ジュプトルは同情を禁じえない。

チョロネコはイーブイのすぐ隣に立ち止まり、おどおどした目つきで辺りを見回した。

警戒を解く気配はなく、尻尾は攻撃的に逆立ち、ふくらんでいる。


見覚えのあるポケモンだった。


ジュプトル「もりの そと、おなじ やつ、いるな」

イーブイ「うん」


ふたりのやりとりを聞いて、チョロネコが首を振った。

慌てふためいて、みゃあみゃあと喚き、必死に何かを訴えている。

残念なことに、理解できる者はこの場にいない。


もっとも、同族がいると聞いてこの反応だ。

なんとなく予想はつく。


ジュプトルは下を向いて嘆いた。

イーブイもまた、いかにも困った顔で溜め息をついている。


このチョロネコもまた、自分たちと大差ない道を辿ったのだろう。

とても残念な話ではあるが、ある意味では手慣れた事態でもある。

することはいつもと変わらない。

いつもと同じように対応するだけのことだ。


ジュプトル「なあ、ダ……」

68 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:52:57.00 ID:WHcPEpPlo

共感を求めて見上げ――


ジュプトルはそのまま絶句した。


ダゲキはチョロネコを見ていた。

目は見たこともないほど大きく見開かれている。

驚きというよりも、怯えのような感情が垣間見えた。


ジュプトルの声にさえ気づいていないようだ。

喉から、かすれた呻き声が漏れている。

それから、聞いたこともないひどい声で、ダゲキは絞り出すように言った。


ダゲキ「どうして……おまえがここに」



69 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:54:51.64 ID:WHcPEpPlo



夢を見た。



いや、『夢を見ている』。

いやな夢だ。

とても不愉快で、いやな夢だ。



夢であったことに気づくのは、いつも目覚めてからだ。

それまでは、自分でも夢ではないかと疑うことさえない。

ところが今回に限って、私は既に理解していた。

望んでいたとも言える。


夢の中にあってなお、これが現実ではないことを。

これが夢であることを。



こんな光景は、現実であってほしくなかった。



まわりは真っ白だった。

前もうしろも、左も右も区別がない。

地面のような何かに脚が触れているから、かろうじて上下はわかる。


いつもの夢と同じで、ふわふわして思うように動けない。

生暖かく、やけに密度の高い空気に包まれている。

何をしようにも、もたもたと重い。

身体もいうことを聞かない。

だがこれは夢なのだから、しかたない、と自分で理解している。



さきほどからずっと、場違いに笑う声が聞こえている。

聞き覚えのない声だ、と思う。

下品な残響に顔を顰める。

70 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:57:25.70 ID:WHcPEpPlo


ふと、視界の隅に気配を感じ取った。

ぼんやりと存在を感じる方へ、私は目を向ける。


すると、真っ白ではっきりしない地面に誰かが“いた”。

まるで、ずっと前からそこにいたとでもいうように。


若葉色の小柄な誰かがうずくまり、憐れな声で鳴いている。

生木を折るような軋む声で、さめざめと嘆いている。


ああ、私は奴を知っている。


呻きながら、それでも薄汚い何かに齧りついている。

そして、咀嚼して飲み込みかけたところで嘔吐する。

薄汚い何かは、腐乱した果実のような不快な色をしている。


見ていられなくなり、脇に視線をそらす。

すると、そこにもいつの間にか、誰かが“いた”。


群青色の誰かがだらしなく座り、聞くに堪えない声で唸っている。

背中を丸め、身を縮めて怯えている。


ああ、私は奴を知っている。


右の眼孔をまさぐる指の間から、黒っぽい液体を垂れ流している。

怯えながら、それでも無事な方の目をぎょろぎょろ動かしている。

足元には黒い水溜りができ、下半身もべたべたに黒く汚れている。

その染みに、白く不気味な球体が転がっている。


笑い声はやまない。

なぜ笑っているのだろう。

誰が笑っているのだろう。

声の源を探る。


けしからん奴だ。


いや違う。

71 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 00:59:26.57 ID:WHcPEpPlo

笑っているのは私だ。

ずっと聞こえていたのは、私の笑い声だったのだ。


私は腕をまっすぐ伸ばし、友人たちのおぞましい姿を指して嘲っている。

喉を震わせ、声を響かせて笑っていた。


罪深いからだ。

穢れているからだ。


違う。

『お前たちを苦しめているのは、遥か遠い過去の亡霊だ』。

そう言ってふたりを落ち着かせるべきだ。

笑うことも、今すぐやめるべきだ。

なのに、どうしてもできない。


あれは私の友人たちではないか。


すると突然、目の前に大きな影が現れた。

赤々と輝く大きな目玉が、私を見下ろしている。

それでも私は、狂ったように笑うことをやめようとしない。


赤い一つ目の主は、私と彼らを隔てるように立っている。

邪悪な存在を遠ざけようとして、私を睨み立ち塞がっている。


ああ、私は奴を知っている。


あの目は、私を責めているのだ。

怒りと憎しみを剥き出し、私を無言でなじっている。


こんなときに限って、夢はだらだらと同じ光景を見せ続けた。

理由はなんとなくわかっている。

これは、深淵を覗いてしまった、その代償なのだ。

最後までしっかり見なければならないのだ。

72 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 01:01:21.89 ID:WHcPEpPlo

別の声が言う。

出ていけ、出ていけ、出ていけ。


彼らがこんなふうになってしまったのは、きっと私のせいなのだ。



ずるずると音のない音が聞こえ、私の身体に何かが絡みついた。

明るい灰色で、ところどころに色が散っている。

識別するための赤や青のテープが巻かれているのだ。

どういうわけか、何の疑いもなく、私はそう理解した。


入り乱れる灰色に、妙な懐かしさを覚えた。

背後から、次々に同じような灰色のチューブが姿を現わす。

そのチューブが私に絡みつく。

重心が後ろに傾く。


身動きがとれない。

自分の夢なのに。

後ろに引き摺られる。

これは夢なのに。

彼らから引き離されていく。

これが夢だとわかっているのに。



赤い目玉が、まだ私を睨んでいる。



笑い声が、ぶつんと途切れる。

真っ白だった視界も真っ黒に染まり、夢は幕を閉じた。



なのに私は、まだ眠っている。


73 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/04/17(日) 01:09:10.50 ID:WHcPEpPlo
今回はここまで

>>50,52
乙女というか子供ですがね!
幼稚園〜小学校低学年くらいの

>>55,56
ペース遅くてすみますん!

>>57
ここまで40万字くらいあるはず…神か…


なかなか投稿する予定が立てられなくて
不定期極まりないですけど
今後とも読んでいただけたら嬉しいです

それえはまた
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/04/17(日) 01:15:25.89 ID:jiDpU3kZO

先が気になるところで切りなさる
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/04/17(日) 01:23:52.96 ID:yZT1NxEqo
乙乙
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/04/17(日) 01:56:00.75 ID:YMr9vfAFo
乙です
77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/04/17(日) 14:29:04.87 ID:AWKnmfAIo
ドキドキするなあ
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/04/19(火) 21:29:08.94 ID:MORhv5QLo
乙です
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/05/03(火) 07:29:23.17 ID:1xTZnC8KO
保守
80 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2016/05/08(日) 23:42:38.37 ID:GCmcYDPMo
念の為保守
結局、連休に投稿できなかった…
81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/05/09(月) 13:43:41.69 ID:iCORDw5po
ええんやで
ゆっくり待ってる
82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/05/26(木) 09:46:46.00 ID:PY/+Nzroo
ホシュ
83 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/05/27(金) 22:50:10.31 ID:aj4xDXo6o


男が少しオーバーな動きで手を振っている。

笑っている、とジュプトルは目をこらして想像した。

動作と笑顔が自分たちに向けられているのは、遠目にも明らかだった。

ところで、彼にはこちらが見えているのだろうか、とも思う。


強い太陽光に燃やされて、人影もなんとなく滲んでいる。

空気も熱ければ、光だけでも熱い。

気持ちのいい風も吹いてはいるものの、涼しいとはお世辞にも言えなかった。


『もう少し時季が変われば、多少は過ごしやすくなる。』

実際は遥かにたどたどしい言葉遣いだが、ダゲキは毎年そう言うのだ。

もっとも、ジュプトルにとって、暑さはそれほど不愉快でもない。

むしろ、寒くなると動きが鈍ってしまうから、ありがたいくらいだった。


ミュウツー『あの小さい、孵ったばかりのポケモンはどうした』


ヨノワールは黙って腕に何かを抱えるしぐさをした。


ミュウツー『……そうか』


樹上のジュプトルは、足元の友人たちを眺めた。

ミュウツーとヨノワールは、大きな図体を必死で縮めている。

ジュプトルには、それが無駄な努力に思えてならない。

身を隠そうとする一方で、ねちねちと顔を覗かせているのだから、世話はない。


別の場所を見る。

彼らよりやや低いところにある青い頭が見えた。

ダゲキもまた、人間のいる方をじっと見ている。


ジュプトル「おい、だいじょうぶか」

ダゲキ「うん……」


声をかけても、ダゲキは心ここにあらずといった面持ちだった。

昨日からずっとこうなのだ。

84 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/05/27(金) 22:54:04.32 ID:aj4xDXo6o


ジュプトル(きのうの ポケモンの、せいか……)


正確には、昨夜あのチョロネコを目にしたあとからだ。

思い返してみると、実際そうかもしれないと思う。

紫色で、ぼさぼさに毛羽立っていてもなお、しなやかな印象を受けたポケモン。

自分と大差ない状態で森にやって来たあのポケモン。


考えるほど、あのチョロネコが関係あるに違いない気がしてきた。

あのポケモンが姿を見せてから、彼はいつにも増しておかしくなったのだ。

あんな奴が、なんだというのだろう。


昨夜のことを思い出す。



ダゲキは現れたチョロネコをじっと見ていた。

ジュプトルを膝に抱えたまま。


おかしかったのは、その様子だ。

目を見開き、ぎりぎりと硬直している。

喘ぐような擦れた音を喉から響かせ、苦しそうに呼吸している。

驚きのあまり、というように見える。

何かショックを受けているようにも見えた。


チョロネコの方も少し困惑していたようだ。

それはそうだろう、とジュプトルも思う。

とてもいやな感じがしていた。


「どうしたの?」と、チョロネコの横に立つイーブイが声をあげる。

ダゲキははっとしたような顔で、イーブイを見た。


それきり、ダゲキはチョロネコの方をあまり見なくなった。

ちらちらと視線を送ることはあっても、逃げるように目を逸らす。

ジュプトルが声をかけても生返事ばかりで、耳には入っていなかったようだ。

それきり。


85 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/05/27(金) 22:55:22.67 ID:aj4xDXo6o


アデク「君たちの未来に、幸多からんことを!」


ジュプトルは意識を引き戻された。

男が、まるで怒鳴るようにそう叫んだからだ。


その言葉を最後に、豪快な男はこちらに背を向けた。

返事など待ってもいない。

堂々とした足取りで、大股にどんどん木々に紛れていく。

男の姿は、あっという間に消えてしまった。


ふう、と誰かが息を吐いた音が聞こえた。

つられてジュプトルも肩の力を抜く。


ミュウツー『やっと出て行ったな』


空気を震わせているわけではないのに、頭に響くその声には疲れが滲んでいた。

ああ見えて、緊張していたのは自分だけではないらしい。


ジュプトルは地面に滑り下りた。

友人たちは、まだ人間が去って行った方を見ている。


ジュプトル「なあ」

ミュウツー『なんだ』

ジュプトル「ミライ、って、なんだよ」


見上げた先のミュウツーは、目を見開いた。

首と首のうしろにある管を捻り、こちらを見下ろしている。

よく知らなければ、睨まれているとしか思えない。


ミュウツー『……私には』


眉間に濃い皺が刻まれる。


ミュウツー『よく、わからないのだ、それが』

86 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/05/27(金) 22:58:50.44 ID:aj4xDXo6o

心なしか、歯噛みしているように聞こえた。

こう答えざるを得ないことが悔しくてしょうがない、とでもいうようだ。


ぐるりと首を回す、やはり顔色の悪いダゲキがいた。

こちらを見ている彼と目が合う。


ジュプトル「おまえは?」

ダゲキ「しってる……けど、わからない」

ジュプトル「なんだそれ」

ダゲキ「ニンゲン は、いうよ」

ジュプトル「そうなの?」


ダゲキは返事せず、そのかわりに傍らを遠慮がちに見上げた。

ヨノワールに同意を求めているらしい。


ダゲキの視線を受けて、ヨノワールはかすかに頷いた。


ヨノワール「でも、わたし も、いみ わからないです」

ジュプトル「……そうなんだ」

ジュプトル「おまえも、しらないの?」

ミュウツー『知らないものは知らない』

ミュウツー『そんなに知りたければ、自分でニンゲンに聞け』

ジュプトル「い、いじわる」


毒突きながら視線を戻す。

けぶる緑がゆっくりと揺れている。

アデクと名乗った男は、その向こうに消えていったのだ。


ジュプトル(?)


何匹かのクルマユがくさむらの間から顔を見せる。

男のいた方角を眺め、周囲をきょろきょろと見回し、そして消えた。

彼らなりに、侵入者を警戒していた、ということなのだろうか。

87 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/05/27(金) 23:01:32.45 ID:aj4xDXo6o

ミュウツー『行くぞ』


慌てて振り返る。

友人たちは、もうこちらに背中を向け、歩き出している。

よく目にする、いつもの、なんでもない光景だった。


ジュプトル「ま、まてよー」

ミュウツー『早くしろ』


にも関わらず、ジュプトルは妙にそわそわした。

ああ急がなければ、と焦る。

遅れずついて行かなければ、と逸る。


ジュプトル「いく って……」


思うように舌がまわらず、喉も動いてくれない。

まるでずっと前の、今よりなにもかもが未熟だった頃のようだ。

なにもわかっていない、わかろうともしていなかった頃のようだ。


それはとても困る。

絶対に嫌だった。


ジュプトルの挙動不審に気づいたのか、ダゲキが振り返った。

少し不思議そうに眉間に皺を寄せている。


ダゲキ「おなか すいた?」

ジュプトル「す、すいた!」


なかばやけになりながらそう叫ぶ。

本当は、別にそこまで空腹でもない。

なんでもいいから、早く反応したかったのだ。

一刻も早く問いかけに答え、ちぎれてしまわないようにしなければならなかった。


がむしゃらに草を蹴り、ダゲキの背中に飛びつく。

彼が何か言おうとしてやめた気配があった。

言っても無駄だと理解したに違いない。

88 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/05/27(金) 23:04:18.32 ID:aj4xDXo6o

丸い頭によじ登り、ジュプトルは盛大に喉を鳴らした。

これで、やっと一息つくことができる。


ダゲキ「くすぐったいよ」

ジュプトル「いいじゃん」


文句を言うかわりに、ダゲキがかすかに唸った。

それから深い溜息をついて、ううんと呻く。


ジュプトル「なに?」

ダゲキ「あのさ」

ミュウツー『なんだ』

ダゲキ「……ミライって、なんだろう」


ミュウツーが、ゆっくりとした動作で振り返った。

世にも恐しい目つきで、ダゲキを見ている。


自分に向けられたものではないのに、ジュプトルはひやりとした。

怒っているようでもあり、怯えているようでもある。

とても強い感情によるものだということはわかる。

彼は、この視線に気づいているのだろうか。


ジュプトル「お、おれは……」


何も言わぬまま、ミュウツーは再びゆっくりと前を向いた。


ダゲキ自身はジュプトルの重みを受け、やや下を向いているはずだ。

あの目には、気づいていないに違いない。


ジュプトル「……わかんない」

ダゲキ「うん」


ミュウツーはそれきり、こちらを振り向こうとしない。

振り向いていないのに、まだ背中から視線が向けられているようにさえ思えた。

ヨノワールは、そんなミュウツーを困ったように見ている。

ダゲキは、少し先の地面を見て、ひたすら歩いている。


ジュプトルは、妙な落ち着かなさを覚えていた。

89 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/05/27(金) 23:05:14.65 ID:aj4xDXo6o




夢を見た。

そう、かつてボクは夢を見た。

ずいぶん昔のことだったと思うが、今も不思議と忘れない。


ボクはどこか、見たことのない場所に立っている。

行ったこともない場所だ。

だから、これは夢なんだ。

夢だったに違いない。



とても暗いのに、ぼんやりと周囲が見えている。

地面と空の区別も危うく、荒野のように広い。

上にも、横にも、それから下にも。

夢なのだから、それもそう不思議ではないと思う。


周囲には誰もいない。

境目のない空間がただ無作為にどこまでも広がっている。

全てが目に見えているわけでもないのに、五感がそう理解している。

ボクの『上』と感じられる方向に、何かが浮いていると『思う』。

ボクの『足元』と思う方向に、他と比べればややしっかりした足場がある『らしい』。



90 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/05/27(金) 23:07:53.06 ID:aj4xDXo6o



轟々と前から吹く風の中を、ボクはあてもなく進む。

どうしてこんなところにいるのか。

それもはっきりとは憶えていない。


風向きが変わって、束ねた長いボクの髪が視界を横切った。

ばたばたと音のない音をさせて、帽子の下で髪が暴れている。

ボクは帽子を被りなおしてまた進む。


ボクは、なんだか鬱陶しく思って、足を止める。

これから行こうとする方向に、大きな気配が立ち塞がった。

いくつもの巨大な存在が、いつの間にか目の前に並んでいる。

『彼ら』に見られている気がする。

『彼ら』は、ボクを見下ろしている。


連中は、今この瞬間、ここに出現したのだろうか。

いや違う。

連中は、前からずっと、あそこにいたように思う。

ああやって、ずっとボクを監視していたんだろう。



91 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/05/27(金) 23:09:00.18 ID:aj4xDXo6o



風の唸るような、地響きのような音がする。

誰かが話している声に聞こえる。

それとも、ボクを威嚇しているのだろうか。

この巨大な連中がその発生源であるように思えた。


横を見ると、また別の誰かがいる。

ぼんやりと霞んだ影、あの気配ほど大きくはない影がいくつか。

あれは誰だろう。

誰と誰で、知っている相手なのだろうか。

いや、誰ひとりとして、見知った者はいない。



影がボクに気づいた。

影たちがボクに振り向こうとしている。

巨大な存在の方は、とっくに気づいていたと言っている。

彼らは、彼らの言葉でそう言っているのだ。

“言っている”。

そうだ。

ボクには、ボクだけには、彼らが話す声が理解できる。


……そのあとのことは、よく憶えていない。




92 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/05/27(金) 23:12:01.15 ID:aj4xDXo6o
今日はここまで
「始める方のレスはなくてもいいんじゃね?」と言われたのでスレ節約にやめてみる

それではまた
93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/05/27(金) 23:20:33.03 ID:FFxzY8f00
乙!
あれ?ジュプトルの性別どっちだったけ?オレだから♂?それともオレ系♀?
94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/05/27(金) 23:27:25.79 ID:K++K8/aOo
乙です
95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/05/27(金) 23:29:14.62 ID:cYOaEHj20
ずいぶん長いことやってるSSなのねぇ。>>1頑張って
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/05/28(土) 14:17:10.61 ID:VQoKsycFo
不穏だわぁ…


そもそもポケモンに性別はあるのだろうかという疑問
97 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2016/06/20(月) 22:39:01.47 ID:Ce/H1oiuo
       _
      /  │       /´´ヽ    この私がみずから保守だ
     /  −───  /   │          
      ´         /   │          ´;:;:;:;:;:;:;:;:;:ヽ
   /              │        /;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:丿
   /                │        /;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:/
    \      /       │    /;:;:;:;:;:/´´´´´
  ヽ ●      ●      │   (;:;:;:;:;:;:(
   ⊃        ⊂⊃    /   /⌒ヽ;:;:;:;:ヽ
   /    、_,、_,       丿ヽ /   /ヽ;:;:;:;:ヽ
   \___ゝ._)___/‐‐/   /   │;:;:;:;;::
       /  ヽ     イ´   /     │;:;:;:;:│
      │      ´   ヽ  イ│       │;:;:;:;:│
      へ           /    |丿      /;:;:;:;:;:;:│
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このAAほんとかわいいな…
また落ちてしまっても困るので保守します

>>93
俺系♀だと思っていただいていいです!
彼らは、「私」「俺」「僕」の性別使い分けをわかって使ってるわけじゃないです
人間語を憶えるときに身近だった言い方を使うようになっただけです

>>95
自分でもびっくりです

>>96
初代からやってるんで、自分も性別はあるようなないような中途半端な認識です
98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/06/20(月) 22:58:49.83 ID:S7G8SGIUo
俺系♀だったのか!
99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/06/20(月) 23:12:35.01 ID:P6hGuG2rO
ジュプトル♀だったのか!?その発想が一切なかった
100 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2016/06/20(月) 23:30:57.92 ID:Ce/H1oiuo
>>98
ど、どっちでもいいといえばどっちでも…(急に弱気)
それは冗談としても、「話には関わらないけど一応♀かな」と設定してあるだけで
性別に大きな意味はないです

>>99
最初の頃も「ジュプトル♀か?」みたいなレスがあって
実は内心すげードキッとしてたんだよね!
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/06/21(火) 07:06:20.18 ID:SFEIwtyyo
どちらかといえば、♀系俺みたいな認識をしていた
保守乙
102 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/07/02(土) 22:54:10.69 ID:g+YmgrcZo

ざくざくと葉を蹴散らす音が、地表近くから聞こえている。

重みすら感じる暑さのせいで、ダゲキの頭の働きは鈍っていた。


ジュプトル「……もう いいよねえ!」


地面に積み重なる若葉を睨みつけ、そのジュプトルが喚いた。

斜め上から聞こえたその声には、ぐったりと疲れた響きがある。


声のする方へ、ダゲキはのろのろと顔を向けた。

次に、太い枝にまたがったまま視線を動かす。

ジュプトルと同じように地面の『成果』を眺め、ダゲキはウウンと唸った。


コマタナ「あ゙……あ゙あ……」


うず高く積まれた葉の隅で、コマタナがもぞもぞ動いている。

山が崩れるそばから葉を拾い、また積み上げる。

理不尽に流れ落ちる葉の山に憤慨している。

指がなく物を掴めない手で、意外なほど頑張っているのがわかった。

コマタナなりに『参加』しようとした結果らしい。


あたりには、叩き落とした葉の青々とした匂いが漂っている。

全身にじわじわ染み入る熱気に、ダゲキもいい加減うんざりしたところだった。


といっても、今のダゲキは機敏に動けない。

元から高いところは苦手な上、暑さで動きも鈍っている。

ちょこまかと跳ね回り、葉のほとんどを落としたのはジュプトルだ。

だから、向こうが「もうやらない」と言うなら、有無を言わさず終了なのだった。

『枝ごと叩き折れ』『木を倒せ』と命令される方が、まだ自分に向いている。


ダゲキ「うん」


答えを聞くが早いか、ジュプトルはさっさと枝から飛び降りてしまった。

地面から見上げていたコマタナが、慌てて飛び退く。

ダゲキはその危なげない動作をぼんやり見ている。

103 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/07/02(土) 22:56:18.91 ID:g+YmgrcZo

自分も降りるべく、慎重にそろりそろりと幹の方へ身体をずらしていく。

ジュプトルがしたように躊躇なく身を躍らせる勇気は、もうなかった。


地面に降りたジュプトルがどこかに向けて、ひときわ大きな声で鳴いた。

ダゲキやコマタナにではなく、別の誰かに向かってだ。


がさがさごそごそ、といくつもの小さな足音が響く。

間もなく、くさむらからたくさんのクルミルが這い出してきた。

一歩引いた場所からついて行く、引率者じみたクルマユもいる。

秋口の落葉のような色をした、渋い色合いのクルマユだ。

クルミルたちは、口々になにごとか鳴きながら若葉を目指して寄ってくる。


コマタナ「お゙、お゙……!?」


コマタナは、急に集まってきたクルミルたちに驚いているようだ。

懸命に手を振り回しているが、クルミルたちはコマタナを気にも留めていない。

唯一、後方のクルマユがコマタナに向かって鳴いた。

次いで樹上を仰ぎ、いまだ降りられずにいるダゲキに向けて鳴く。


上から見ていると、コマタナの慌てぶりがよく見えた。


ダゲキ「こわくないよ」


やっとのことで地表に降り立ったダゲキは、コマタナに声をかけた。

するとコマタナは、憐れな声で呻きながら足元に駆け寄ってきた。

助けを求めるような目でダゲキを見上げている。

驚いたのか怖かったのか、ひどい濁声で何かを必死に訴えた。


ジュプトルはクルミルたちが葉を齧る中に佇み、盛大に溜め息を漏らした。


ジュプトル「なんだよお」

ダゲキ「びっくり したんだよ」

コマタナ「お、ううう……」

ジュプトル「こどもだなあ」

ジュプトル「でも、けが なおったのに、へんな こえだ」

ダゲキ「うーん……」

104 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/07/02(土) 22:59:11.24 ID:g+YmgrcZo

『進化』すればまた状況は変わるはずだ、とあの人間は言っていた。

よくわからないが、レンジャーが言うならきっとそうなのだろう。

もっとも、その時がいつになるのか、自分たちではわからない。


人間なら誰でも、当然のように知っていることなのかもしれない。

そう思うと、無性にやるせない。


ぺたぺたと寄ってきたジュプトルが、コマタナの顔を覗き込んだ。


ジュプトル「いたい とか、ないの?」

コマタナ「……?」

ダゲキ「だいじょうぶ みたい」

ジュプトル「ふうーん」

ダゲキ「……でも、ニンゲンのとこ、いこうか」

コマタナ「!?」

ダゲキ「……いや?」


瞬きしながら、コマタナは少し考えて首を横に振った。

それからひとしきり声を張り上げ、ふたりに何かを訴える。


ダゲキ「……わかんないよ」

ジュプトル「でも、いやじゃない みたい」

ダゲキ「じゃあ……なでるの してもらお」

コマタナ「お゙! お゙お!」


コマタナはおおげさに喜び、手を振り回して跳ねた。

そんなに撫でてもらうことが嬉しいのだろうか。

ふと、ダゲキは自分で提案しておいて、そんなことを思った。


自分はどうだろうか。

嬉しいのだろうか。

あのとき、実は嬉しかったのだろうか。

あれは、自分にとっても『嬉しいこと』だったのだろうか。

だからコマタナにもああ言ったのだろうか。

105 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/07/02(土) 23:02:54.25 ID:g+YmgrcZo

消しゴムを拾って渡したくらいのことで。

あんなにニコニコと礼を言われ、頭を撫でられたくらいで。


コマタナ「……ゔお……?」


ダゲキは我に返った。

不思議そうな顔で自分を見上げるコマタナが見える。


ひょっとすると、と頭のどこかから声がする。

あの人間のところへ、自分も行ってみればいいのではないか。

会ってみれば、今こうして身の内にうねる感覚の正体がわかるかもしれない。

朝の来ない不安のような、夜が来てしまう焦りのような。

立ち止まれない恐れのような、再び歩き出すことのできない怯えのような。


だからといって、行くことで何かが変わるとは限らない。

変わるにしても、何がどう変わるのかもわからない。

いずれにせよ、今のコマタナをひとりで行かせるわけにはいかないのだ。

コマタナを人間に見せに行くなら、自分が連れて行くしかない。


ダゲキ「……なんでもないよ」


そういえば、と急に思う。

どうしてだったか。

どうして、自分はあの人間のところにいたのだろう。


ジュプトル「ねえ、おれも、いって いい?」


ダゲキが目を向けると、ジュプトルは居心地が悪そうに肩を竦めていた。

もじもじして鼻を掻き、媚びるような目を向けている。


ダゲキ「……い、いいよ」

ジュプトル「や、やったあ」

ダゲキ「でも、どうして?」

106 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/07/02(土) 23:07:21.30 ID:g+YmgrcZo

コマタナはジュプトルの言葉を聞き、単純に喜んで跳ねている。

クルミルたちに当たらんばかりの距離で暴れているようなものだ。

だがクルミルたちは我関せずという顔で、新鮮な若葉を食んでいる。

実際、彼らには関係ない話だった。

自分たちに危害を及ぼす気のない動作だということもわかっているのだろう。


彼らの食事のせいか、あたりの緑の匂いが一層、濃くなったように思えた。

むせ返るというよりも、咳込んでしまいそうな匂いだ。


ダゲキ「ずっと、いや って、いってたのに」

ジュプトル「うーん……」

ジュプトル「……なんか」

ジュプトル「わかんない、けど……みたい」

ダゲキ「みたい?」

ジュプトル「たくさん ニンゲン、みたら」

ジュプトル「なにか、わかるかな、って」


どこかで聞いたような話だ。


ジュプトル「あ、あと、れんしゅう!」

ダゲキ「へえー」

ジュプトル「な……なんだよ!」


首をかしげてみせると、ジュプトルは必要以上に声を張り上げた。

一瞬、周辺のクルミルたちがこちらを見る。

言うだけ言って、自分でも恥ずかしくなったのかもしれない。


ダゲキ「ううん、べつに」

ジュプトル「まちの ニンゲンとこ」

ジュプトル「ベンキョー いくだろ!」

ダゲキ「うん」

ジュプトル「だから、れ、れんしゅう」

ダゲキ「うん、うん」


思わず笑いながら返事をしている自分に驚く。

そんな自分の姿によけい腹を立てたのか、ジュプトルは地団駄を踏んだ。

107 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/07/02(土) 23:12:28.48 ID:g+YmgrcZo

ジュプトル「もー、いいだろ!」

ダゲキ「うん、いいよ」

ダゲキ「でも、ミュウツーと いっしょに、いくの ほうが さきだよ」

ジュプトル「く……」


そう呻くと、ジュプトルは手近な葉を掴んだ。

乱暴に口に放り込み、何度か噛んで「これまずい」と零す。

見上げるコマタナに「なんだよお」と唸る。

落ち着きのない姿は、思ったよりも見ていて飽きなかった。


ジュプトル「じゃ、じゃあ……けーけん つむ、ってやつ」

ダゲキ「つむ?」

ジュプトル「そう! ふやす!」

ダゲキ「ふーん……」


ジュプトルは少し誇らしげに言う。

ダゲキはそれを見て、ほっとしたような気分になった。


ここのところ、自分を取り巻く世界のさまざまな景色が、容赦なく変化していくからだ。

以前とは比べものにならない。

顔ぶれだけでなく、その彼らの心の内にも変化が訪れている。

その『変化』が、なんとも心躍ると同時に、恐ろしくてしかたない。

周囲ばかりが足踏みをやめて動き始めているのに。

自分だけがどうして、何も変われずにいるのだろうか。


自分によくしてくれるレンジャーのところへ行ってみればいいのだろうか。

あるいはミュウツーが言うように、その人間の女のところへ行けばいいのだろうか。

今までの自分らしからぬことをしていけばいいのだろうか。

あれほど嫌がっていたのに、自分を助けるため人間の前に出たミュウツーのように。

あれほど頑なだったのに、自分を憐れむことをやめたジュプトルのように。


楽しそうに話すふたりを前にして、ダゲキは少しだけ憂鬱になった。
108 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/07/02(土) 23:19:42.67 ID:g+YmgrcZo
今日はここまでです

あまり積極的に情報集めないように細目で生きてるんですけど
サン・ムーンもやっぱり楽しみです、SM貯金はじめました。貯まりました
御三家進化前だけ見たけど炎っぽいネコにしようかな

>>101
それでいいんじゃないかなあと思います

これまでにも何度か触れてる気がするけど
ストーリーに性別とかあんまり重要じゃないんで…

それではまた
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/07/02(土) 23:52:40.08 ID:a6KY4nfJo
乙です
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/07/03(日) 10:28:54.32 ID:YtTL3Lwfo
性別おいといても、このジュプトルはかわいい
ダゲキも変化するのかな
乙!
111 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2016/07/29(金) 23:21:58.61 ID:4l84Xt9So
保守
112 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 00:33:33.77 ID:HsthgRdno


月明かりも弱い灰色の部屋で、スタンドライトだけが煌々と周囲を照らしている。

ゲーチスはその下で紙の束に目を通しているところだった。

読んでいるのは、部下に命じて集めさせたイッシュ内の調査報告だ。

別の地域に送り込んだ部下もいるが、そちらからはまだ届いていない。

任務は終えたとの連絡は受けているため、成果が届くのもそう遠い未来ではないはずだった。


ゲーチスはついに、その分厚い束をデスクの上に放り投げた。

ずっしりと重さを感じさせる音と共に、紙はぬるっと崩れながら動きを止めた。


頬杖をつき、椅子を軋ませて姿勢を変える。

たったいま放り投げた資料の文字を、ゲーチスはふたたび目で追った。


一番上に、『ヤグルマの森』に関する報告が見えている。

広さ、気候、特徴、判明しているポケモンの分布、その他もろもろ。


ゲーチス(……やはり、最近までの報告で考えると、取り立てて目立つ要素のある森ではない)

ゲーチス(ある特定の地域に、近隣の人間が通常の範囲を越えた関心を寄せているとしたら)

ゲーチス(それだけの『なにか』が、あの森に存在してきた可能性もあったのだが……)


細く溜め息をつく。

予想はしていたが、ろくな収穫はなかった。


ゲーチス(以前にも調べたが、その報告と大きく違うところもないようだ)

ゲーチス(これなら、サンギのあそこの方がよほど今に続く“いわく”がある)

ゲーチス(イッシュの昔話もたしか……この森が舞台だったように記憶しているが)

ゲーチス(それも時代があまりに違うから、『ミュウツー』とは関係はあるまい)

ゲーチス(……『ミュウツー』が本当に森にいたとしても、せいぜいこの一年以内にやってきたということか)


ゲーチスは厳しい顔を作る。

期待していなかったとはいえ、こうも存在を示唆するものが少ないのは残念だった。

113 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 00:35:54.32 ID:HsthgRdno

ゲーチス(さすがに、『人語を話すポケモンがいる』という噂の方も)

ゲーチス(現時点で人口に膾炙しているはずはないか)

ゲーチス(ハンター連中が今後、噂を広めることは物理的に不可能ですからね)

ゲーチス(これ以上、周辺の人間に知られることはないに等しい)

ゲーチス(他の人間にとってあの森は、今後ともただの森だ)


事実、どこからどう見ても、どこにでもある森だった。

レンジャーが常駐しているだけだ。

そんな程度には規模があるという、ただただ広大な森である。


目立った伝承や伝説もなければ、特徴らしい特徴もない。

生息しているポケモンも、広さに比例してそれなりに多種多様であるというだけだ。

とりわけ珍しい種類が生息しているわけでも、特筆すべき変わった環境があるわけでもない。


ましてや、ゲーチスが探し求める『例のポケモン』の存在を匂わせる過去の文献はない。


ゲーチス(存在を示すものは、睫毛一本でさえない、と)

ゲーチス(……笑えませんね)


あの森にポケモンが捨てられていくことは、たしかに問題になっている。

ただの方便にせよ、演説の種にしている以上は、ゲーチス自身にも相応に知識がある。

だがそんな『社会問題』も、この森に限った話ではないし、珍しくもない。


ゲーチス(まあ、ある意味で運がいいと言えばそうか)

ゲーチス(行動を起こすにあたって、今なら障害はそれほど多くない、と)

ゲーチス(伝承よりも多少は確実な証言がある以上……)


森の奥、陽も当たらない鬱蒼とした木々の間。

夏の陽射しに反比例するように、落ちる陰は深く藍色に沈んでいく。

そこにじっと佇む、見たこともない都市伝説の影を、ゲーチスは脳裏に描いた。


書類を無造作に数枚めくる。

すると、今度はある個人に関する経歴や人物評をまとめた書類が出現した。

書類の上には、写真が一枚。

面白くなさそうな、少しむっとした表情の人間が写っている。

114 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 00:39:33.40 ID:HsthgRdno

写真の下辺には、赤みの強いオレンジ色の襟が写り込んでいた。

ヤグルマに常駐する『レンジャー』であることが、その色でかろうじてわかる。

もっとも、このレンジャーに、特筆すべき技能や経歴はない。

強いて注目するべき部分があるとすれば、勤務地の偏りだろうか。


一箇所の、具体的にはヤグルマでの勤務が妙に長い。

この年齢ならば、一度や二度は転属の機会もあったはずだった。

書類には、『本人の強い希望により』の一文が見てとれる。


ゲーチス(やけに希望が通っているのは、兄の地位が暗に考慮されているからでしょうね)

ゲーチス(本人にその自覚があるかどうか、それはわからないが)

ゲーチス(探りたいのは、なぜ希望し続けるか、の方だ)


数少ない、ヤグルマにこだわりを見せている人間ということになる。


ゲーチス(うしろの方にある『補足資料』だけが理由なら、まあいいのですが)

ゲーチス(……『何か』知っているから、という可能性もゼロではない)

ゲーチス(『ミュウツー』が関係するにしては、少し古すぎますが……)


個人的な理由でここに勤務しつづけているなら、それはそれで構わない。

だがレンジャー組織が何かを掴んでいて、監視役として配しているなら厄介だった。


ゲーチス(当面は引き続き、見張らせることにしましょう)

ゲーチス(場合によっては引き込めれば好都合だ)

ゲーチス(経歴を見る限りでは、そう難しくはなさそうですねえ)


研修時代の人物評を眺めながらそんなことを思った。

思想的にも実力的にも特徴のない凡庸な研修生だったようだ。

そんな人間があの森に執着する理由を想像して、ゲーチスはふたたびページをめくった。

115 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 00:42:08.27 ID:HsthgRdno

森に程近い、シッポウシティのアロエ。

今度は、隠し撮りらしく妙に写りの悪い写真が添付されている。

この如才ないジムリーダーの女に関しても、特に目新しい情報はない。

ジムリーダーを退きたがっている、という噂は以前からあった。

多忙を理由に、自分にかわる後継者を探しているようだ。


理由を裏付けるかのように、ひとり遅くまで仕事場に残っているとの証言もある。

ここ数ヶ月は、その『残業』もずいぶん頻繁だとあった。

建前でしかない可能性もあるが、彼女に関してそれ以上は探れなかったらしい。


用途がはっきりせず、家庭環境にもそぐわない買い物をしていた、という不思議な情報もある。

彼女の実子の年齢と不釣り合いな、幼児向けの画材だと報告にはあった。

もっとも、その行動と森の間に関係があるとは考えにくい。

これといった結論には、ゲーチスも辿り着くことができなかった。


ゲーチス(あと一歩、もう一押しの要素があれば)

ゲーチス(この女の行動が、なんらかの像を結びそうな気はするのですが)

ゲーチス(いずれ監視しておく予定の人物でしたから、これも継続か)


少なくとも彼女がヤグルマの森に対して、特段の注目を寄せている気配はない。

万が一を考えて調べさせたが、現時点では取り越し苦労だったようだ。


さらにページをめくる。

そこには、少し妙な『補足資料』が添付されていた。


まずは、さきほどのレンジャーが書いたと思しき、粗悪な日誌の粗悪な複写が数枚。

時期はまちまちで、やや古いものもあれば、ごく最近のものもある。


次は、非人道的な試合を興行していた過去の犯罪組織に関わる文書が二種類。

ひとつは組織が検挙された際の報告書で、端的に言えば警察の内部資料だ。

記されている日付は、前述の日誌と比べると少し古い。


二つ目は、この検挙で保護されたポケモンの引き取り先を記した書類の抜粋。

そこに自分の息のかかった保護団体の名を見つけ、ゲーチスはうんざりしていた。

116 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 00:46:00.38 ID:HsthgRdno

これらの資料こそ、あのレンジャーが異動を拒んできた理由だろう。

『監視役』でないのならば、これが主たる動機だと考えていい。


彼らの『興行』は、ずいぶんと個性的なものだったようだ。

ゲーチスにしてみれば、ユニークというより悪趣味の一語に尽きた。

非人道的な試合を設定し、醜悪な対戦をさせ、それを観て楽しむ。

自分たちの常識から逸脱した、いかれた趣味の会だ。


むろん他人やポケモンの命がどうなろうと、ゲーチスに心を痛める気はない。

自分にとって都合がいいかどうかだけが問題になる。

その反面、敗北が死と等価であるような、血腥い試合を喜ぶような趣味もなかった。

報告書にあった保護時の詳しい状況など、ただただ胸糞悪いだけだ。


にもかかわらず、ゲーチスはうっすらほくそ笑んだ。

詳細すぎる記述を思い出して少し気分が悪くなりながらも、口の端を吊り上げる。


ゲーチス(綻びは、世界そのものがそう望む限り、いとも簡単に修復されてしまうはず)

ゲーチス(だがこれはどうだ)

ゲーチス(綻び以外の何物でもない)

ゲーチス(……おそらく、私の手元にあるものが原因なのだろう)

ゲーチス(そして、私だけがその意味を知っている)

ゲーチス(傷を塞ごうとする力は、相応に削られていると見て間違いない)

ゲーチス(ならば、もっと傷口に塩を摺り込めばいいだけのことだ)

ゲーチス(……たしかに不完全以外の何物でもないな)

ゲーチス(おそらく誰ひとりとして、自分の選択が真に意味するところなどわかっていない)

ゲーチス(わからないまま、ただ善意によってパートナーを手放していくのだ)

ゲーチス(そのために何が綻びるのか、考えることも、理解することもない)

ゲーチス(理解しているのは、私とあの化け物だけ)

ゲーチス(ならば……)


その時、折よく、あるいは折も悪く、ゲーチスのデスクの上で電子音が鳴った。

誰かが自分に連絡を取ろうとしている。


ゲーチス「はい」

アクロマ『……今、よろしいですか』

117 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 00:48:19.61 ID:HsthgRdno

聞き慣れた声がモニタ脇のスピーカーから響いた。

声がかすかに焦っているように聞こえる。


ゲーチス「ええ、構いませんよ」

アクロマ『少しお話を、と思いまして』


モニタに彼の顔が正面から映る。

薄く笑った顔には、わずかに疲労が透けて見えた。


アクロマ『いや……取り急ぎ、伺いたいことが、それこそ山ほど……ええと』

アクロマ『まず、イッシュの報告書を受け取りました。ありがとうございます』

アクロマ『一見すると、わたくしにはどんな意味があるのか理解しにくい情報でしたが』

アクロマ『あなたなりの利用価値があるということなのでしょうね』

ゲーチス「いやなに、大して意味のない、ただの周辺調査ですよ」


そうはぐらかすと、アクロマは露骨に不審の目を向けてきた。

こちらの言葉をまったく信じていないことが、手に取るようにわかる。


アクロマ『あなたは、無意味なことはしないはずですが』


評価されているのか嫌味なのか、ゲーチスにも彼の本心は見抜けない。

向こうも、薄ら寒い愛想笑いを浮かべるゲーチスの思惑は読みきれないようだ。

しばしの睨み合いののち、アクロマは肩を竦めて引き下がった。

腹の探り合いよりも優先したい案件がある、ということらしい。


アクロマ『……まあ、そういうことにしておきましょう』

アクロマ『この報告書で言及されているポケモンたちは、たしかに興味深い』

アクロマ『彼らの精神状態や能力には、少なからず気になる部分がありますし』

アクロマ『あなたがこれをどう活かすつもりなのか、楽しみです』

ゲーチス「あなたをがっかりさせずにすむといいのですがねえ」


アクロマは、ゲーチスの嫌味を聞きながら、しきりに眼鏡の位置を直している。

普段はあまり見せないしぐさだ。

ゲーチスはどういうわけか、ほんの少しだけわくわくしていた。

そのしぐさといい、普段はあまりしない『お話』といい。

118 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 00:51:11.39 ID:HsthgRdno

ゲーチス「……ところで、何か話したいことがあったのでは」


アクロマが一瞬、動きを止めてから、深くゆっくり息をついた。

何か事件があったとか、大発見があった、という程ではないようだが、様子はおかしい。

いつも以上に饒舌なのも、それゆえだったのだろうか。


ゲーチス「たしか、『例の個体』を調べているところでしたね」

アクロマ『……あなたは、あれをどこで手に入れたのですか?』

アクロマ『あなたが入手してきたあの個体は、極めて特異な存在である、と現時点でも断言できます』

アクロマ『なんといっても、人間を相手にあそこまで高度な言語コミュニケーションが可能なのです』

アクロマ『会話が成り立つのです、その意味はおわかりでしょう』

アクロマ『これは……あなたの追うイッシュの伝説とは別の意味で、とんでもない発見かもしれませんよ』

ゲーチス「でしょうね」


つとめて平坦な声で応じると、アクロマは少し気分を害したらしく口を噤んだ。

この発見の重大さが理解できないのか、と驚いているのだろう。


アクロマ『……あなたも聞いたでしょう、あの声』

アクロマ『あの個体と話をしたでしょう!』

ゲーチス「ええ、もちろん」

ゲーチス「あなたに先んじて、いろいろと個人的に、ですが」

アクロマ『でしたら、あなたにもわかるはずです!』

アクロマ『あの光景の異常さが!』


次第にアクロマの語気が強くなっていく。

なぜ自分と同じように驚き、取り乱さないのか、と責められているように思えた。

残念ながら今のゲーチスにとって、彼に共感を示すことは少し難しい。


ゲーチス「そうですね。とても稀有なことだと私も思います」

ゲーチス「もっとも、私はあなたほどの衝撃は受けていないのですが」

ゲーチス「なるほど、あなたも直接、あれと話をしたのですね」

アクロマ『……そ……いえ、もちろん、いえ……』

アクロマ『当初は立ち会うだけの予定だったのですが……』


アクロマは目を逸らし、ふたたび眼鏡に手を伸ばす。

眼鏡に触れる手が震え始めているのが、画面越しにもよくわかった。

119 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 00:53:20.80 ID:HsthgRdno

アクロマ『でも駄目でした。研究員はみな、どうしても、嫌がったのです』

ゲーチス「なぜ、嫌がったのでしょう」

アクロマ『……正直なところを申し上げましょう』

アクロマ『あなたから、あれを入手した、と連絡を受けたとき』

アクロマ『わたくしも研究員も、少々事態を甘く見ていたことは否定しません』

ゲーチス「と、言いますと?」


アクロマの顔に、眉間の皺が苛立たしげに刻まれた。

ゲーチスにはその不快感もまた、彼にとっての重要な通過儀礼に思えてならない。


アクロマ『せ、せいぜい……人間の言うことを真似るのが上手い……とか』

アクロマ『話している……ように聞こえなくもない、とか』

アクロマ『そんなことだろうと高を括っていた節がありました』

ゲーチス「無理もありません」

アクロマ『ところがどザザ・ザす! あなたの連れてきたあザ・ザ・ザザは!』


一瞬、スピーカー越しの声が割れた。

研究について興奮を見せることがないわけではないが、それとは少し趣が違う。

これでは、興奮というより動揺しているという方が正確だ。

ゲーチスは彼の『醜態』に、内心少し驚いていた。


我に返ったアクロマはふたたび眼鏡に触れ、深く息を吸った。

自分が声を荒らげたことに、彼自身が驚いているようにも見える。


アクロマ『……失礼しました』

ゲーチス「いえ」

ゲーチス「……」

ゲーチス「話をしてみて、あなたはどう感じましたか?」

アクロマ『……』

アクロマ『……どう、と仰いましたね?』

アクロマ『それについては、むしろわたくしから、あなたに伺いたいくらいだ』

アクロマ『あなたは、なんとも思わないのですか』

ゲーチス「非常にユニークで面白い、と思いましたよ」

ゲーチス「暇であれば、もっと色々と話をしてみたいものです」

ゲーチス「あまり打ち解けてはくれていませんが、ね」


わざとらしく『残念そうに』眉尻を下げ、首を振ってみせる。

120 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 00:55:52.55 ID:HsthgRdno

アクロマ『……』

ゲーチス「おや、あなたも事前に知っていたではありませんか」

ゲーチス「あれがどういう特異さを持っているか」

アクロマ『ええ……それは、はい……』

アクロマ『……しかし、実際にあれを目にし、声を耳にしてみると』

アクロマ『研究員たちが嫌悪したのも理解できます』

アクロマ『わたくしは、どういうわけか、実際に相対するまで、それほど驚いてはいなかったのですが』

ゲーチス「そうですね」

ゲーチス「あなたは、同じような能力を持つ『都市伝説』を知っていた」

ゲーチス「今更、驚くには値しなかったはずですね」

アクロマ『いや、しかし、あれがまるで人間のように話す姿は……』

アクロマ『その……なんというか、好奇心以前に、より原始的な感情を想起させる』

ゲーチス「なるほど」

ゲーチス「あなたの言う、『より原始的な感情』とは?」

アクロマ『……ど』

ゲーチス「……」

アクロマ『どうにも、気味が悪い』


ゲーチスは声を上げて笑い始めた。

押し殺した笑いに始まり、次第に声も大きく、ひきつった笑い方に変わっていく。

アクロマが呆気に取られているのも気にせず、ゲーチスは大声で笑いつづけた。

時たま混じるノイズとゲーチスの哄笑だけが薄暗い部屋を揺らしている。


しばらくして、ゲーチスは笑うのをやめた。

思い出したように、モニタの中のアクロマに視線を戻す。


ゲーチス「ああ、これは失礼しました」

アクロマ『そこまで面白い話でもなかったと思うのですが』

ゲーチス「いえいえ、そういうわけではありません」

ゲーチス「信じてはもらえないかもしれませんが、あなたを笑ったのではないのです」

アクロマ『……そうですか』

ゲーチス「やはりそう感じたのですね、あなたも」

アクロマ『面白いと?』

ゲーチス「いえ、『気味が悪い』という、その感情のことです」

アクロマ『それは……』

ゲーチス「なぜ、我々はそう感じるのでしょうね」

121 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 00:59:34.64 ID:HsthgRdno

眉を顰め、アクロマはふたたびゲーチスに不審の目を向けた。


アクロマ『それは当然でしょう』

アクロマ『ポケモンが人間の言葉を喋るなんて』

ゲーチス「『身の程知らずだ』と?」

アクロマ『いえ、そうは思いませんが……』

アクロマ『実際に見ると、そのちぐはぐさは不気味でしかない』

ゲーチス「ええ、その通りです」

アクロマ『あれがどういった経緯で人間の言語を獲得したのか、わたくしにはまだわかりません』

アクロマ『ですが波形には、同種同士でコミュニケーションを行なっている際と大きく異なる結果が出ています』

アクロマ『ああして喋るにあたって、もはや頭脳のどの部分をどう使っているのかも違うということです』

アクロマ『それにしても、いったいなぜ……』

ゲーチス「本人にとっては、必要なことだったのでしょう」

アクロマ『ああ……そうか、ええ、記録にもありましたね』

アクロマ『しかし、たかがあんな理由で?』

アクロマ『いや……もともと頭脳のみならず、彼らについてはわかっていないことばかりです』

アクロマ『この場合、イレギュラーな能力を後天的に獲得しているわけです』

アクロマ『もともと持っていた能力や特性のいずれかを犠牲にしている可能性があります』

アクロマ『生育にあたって、進化や技能の習得が阻害されるかもしれませんし』

アクロマ『本能が司る部分や、生来備わっているはずの機能に影響が出ることもあるでしょう』

アクロマ『いえ、まだ何の確証も持てない、推測でしかありませんが』

アクロマ『そういう分野を研究している人間は、なぜかあまりいませんから』

ゲーチス「それもまた、なぜなのでしょうね」

アクロマ『……?』


アクロマが不思議そうな顔をした。

そんな疑問は考えたこともない、という表情だ。

だが、幽霊でも見たかのような不安そうな目は間もなく消えていった。

122 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 01:02:17.83 ID:HsthgRdno

少しきょろきょろしてから、アクロマは話を続ける。


アクロマ『あ……いえ、それは、まあ、いいのです』

アクロマ『いずれにせよ、あれはミュウツーではないわけですからね』

ゲーチス「ですから、あれはもう、あなたの好きにしていただいて結構ですよ」

アクロマ『その言葉を待っていました』

ゲーチス「こちらが得られる情報は、もう十分に引き出せたと思いますからね」

ゲーチス「納得のいくまで調べるにせよ、何かしらの実験に使うにせよ」

アクロマ『わたくしひとりで、個人的に調べていいのですね?』

ゲーチス「ええ」

ゲーチス「何かしら、『戦力』として期待できる方向に成果があると、より望ましいですが」

ゲーチス「まあ、そこはお任せします」

アクロマ『ありがとうございます』


そう言いながら、アクロマはちらりと画面外に目を向けた。

彼は、そこにある何かを値踏みするように眺めている。

ゲーチスには、彼が何を見ているのか知ることはできない。

が、予想はついた。


あの目に浮かぶ狂気じみた輝きは、強い好奇心に違いなかった。

普通の世界では満たされない好奇心。

彼は『能力を引き出す』などと聞こえよく嘯くが、手段を選ぶわけでもない。

非人道的な方法であっても一向に構わないと普段から臆面もなく言う。

だから、彼はこうして自分の計画に嬉々として手を貸すのだ。

ゲーチスにとって、その方針は大いに結構である。


?????「ゲーチス様」


不意に、ぼそぼそとした声が頭上で響いた。

首筋に雨粒が入り込んだときのような、いやな気分になる声だ。


ゲーチス「……ずいぶんと時間がかかりましたね」


モニタを睨んだまま、ゲーチスは口を開く。

見上げて確かめるまでもなく、ゲーチスには声の主が誰なのか既にわかっていた。

123 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 01:04:44.60 ID:HsthgRdno

?????「……潜伏先の特定に手間取りました、お許しください」


さきほどとは少し違う位置、部屋の片隅からよく似た声がする。

それも、いつものことだ。


ゲーチス「いえいえ、気にしてはいません」

ゲーチス「で、カントー観光はいかがでしたか?」

?????「……ゲーチス様、われらは、遊びに行ったわけでは」


今度は真後ろからだ。


ゲーチス「わかっていますよ」

アクロマ『なんでしょう』

ゲーチス「私の部下が、カントーから戻ったようです」

アクロマ『ああ……例の三人組ですか』

ゲーチス「ええ」

ゲーチス「……それで、成果は?」

?????「先日お伝えした通り」

?????「お望みのものは全て、手に入れました」

ゲーチス「それは結構」


似たような声が部屋のあちこちから、次々に聞こえてくる。

反響しているようで不気味だが、これが彼らの特性だ。

ゲーチスにはいつものことで、なんら驚くには値しない。


ゲーチス「専門的な資料については、彼の方に渡してください」

ゲーチス「それこそ、私では活用できないですからね」

?????「わかりました」

ゲーチス「お客様は、今どちらに?」

?????「いつもの場所に」

?????「少々、衰弱が見られました」

?????「女神に世話を命じています」

ゲーチス「結構。大事な客人ですからね、まだ今のところは」

ゲーチス「きちんと部屋をあてがい、丁重にもてなしてさしあげなさい」

ゲーチス「今後、いろいろと協力してもらわなければならないのです」

?????「はい」

124 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 01:06:43.46 ID:HsthgRdno

短い返事を残して、気配は瞬時に三つとも消えた。

最後に言葉を発したのが三人の内の誰なのか、ゲーチスにもよくわからない。

ゲーチスは小さく笑うと、挑発するような視線をアクロマに向けた。


ゲーチス「そういうことらしいですね」


対するアクロマもまた、遠慮のない目つきでにやにやしている。


アクロマ『やはり、あなたの計画に参加して正解でした』

ゲーチス「そう言っていただけると、提案した甲斐があるというものです」


重々しく立ち上がり、ゲーチスはアクロマに悟られないように肩で息をした。


ゲーチス「私は今すぐ行きますが、あなたはどうしますか?」

アクロマ『わたくしも、今からそちらに伺います』

ゲーチス「では、下で落ち合うことにしましょう」


そう言うと、ゲーチスは通信を切った。

部屋がしんと静まり返る。

三人組の気配はすっかり消え、アクロマとの会話の残響もない。

スタンドライトも消すと、まるで、初めから誰もいなかったかのようだ。


首を捻り、肩を動かすと、ごきごきと不穏な音がした。

それほど疲れている自覚はなかったが、思わず溜息が漏れる。


ゲーチス(……さて、ここからが本番か)

ゲーチス(素直に協力してくれればいいのですが)


かなり夜も更けているが、眠気はほとんどない。

一刻も早く『客人』に会わなければならないのだから、寝ている暇はないのだ。


自分でもよくわからないが、ゲーチスには妙な確信があった。

アクロマから話を聞いたときから、わかっていたような気さえする。


『もうすぐミュウツーに会える』。




125 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/08/21(日) 01:08:12.92 ID:HsthgRdno
厨二病ゲーチス

今回はここまでです

ではおやすみなさい
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/08/21(日) 01:46:22.68 ID:aJq5H6Kio
乙乙
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/08/21(日) 10:57:34.71 ID:40Ms6Qpko
乙です
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/08/21(日) 11:29:35.76 ID:dK3/SOR3o
厨二いうなしww

ついに事態が動いたかー
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/08/21(日) 21:20:02.29 ID:MDXEvbEi0

ニャースの凄さを痛感するスレだなww
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/09/15(木) 09:51:17.76 ID:74zZv4Ky0
保守
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/09/16(金) 04:49:21.16 ID:+ATlECBQo
ニャースが人語を話せるようになったのって、惚れた雌のためだっけ
結局、気持ちわるいってフられたんだよな
132 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2016/09/16(金) 22:18:10.53 ID:Vg+JdW69o
しょうがないですよ
人間の言葉を喋るポケモンなんて気持ちわr(ここから先は血糊で汚れて読めない

保守ありがとう
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/09/17(土) 19:45:24.37 ID:CpGGjnqvO
>>132
ニャースが喋るのは流血沙汰だったのか...ww
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/10/02(日) 15:25:50.88 ID:XF8joe4io
保守
135 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2016/10/16(日) 21:35:37.49 ID:39lwH7doO
保守
136 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:23:09.23 ID:GKUQ56mXo


????「……あ、あのね!」


背後から、自分たちを控えめに呼び止める声が飛ぶ。

ミュウツーは努めて、のんびりした動作で振り返った。


引き止めたのがイーブイだということは、振り向くまでもなくわかっている。

目を向けたところで、その姿が肉眼ではよく見えないこともわかっていた。


森には、かすかに夕焼けの赤さが残るだけだ。

自分も含めた森の全てに、紺色の幕がうっすらと被さろうとしている。

すぐ近くにある友人たちの顔すらも、はっきりとは見えない。

そんな黄昏時の空間に、地味な色のポケモンはすっかり紛れていた。


こちらを見上げていることも、イーブイの眼球によぎる反射で、かろうじてわかるだけだ。


ミュウツー『なんだ?』


顔に当たった風は生温く、撫でられているようで不快だった。


イーブイ「……えっと……」


聞き返されてイーブイは言葉に詰まった。

自分から話しかけてきたにもかかわらず困っている。

イーブイの場合、表情よりも耳の動きが一番よく感情を表している。


ミュウツーはその姿に、ジュプトルの騒々しい嘆きを思い出していた。

近頃は寒く、夜も早く暗くなってしまうから『眠くなる』と、しきりに憤慨するのだ。

要は周囲の気温が身体的活発さに反映される“たち”であるらしい。

そんなふうに機嫌が悪いとき、ジュプトルの頭部の葉はきりきりと揺れるのだ。


もっとも、気温と体調の関係については、あまりよくわからない。

ダゲキやヨノワールも、その話には首を傾げていたと記憶している。

ミュウツーも、言うほど気になった覚えはない。

137 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:25:45.76 ID:GKUQ56mXo

ぞろぞろと連れ立って移動することを考えれば、暗さはむしろ歓迎だ。

寒さも含めて、ああまで嫌がる理由は得心がゆかぬままだった。

活動に支障が出るほどの寒さを、ミュウツーは経験したこともなければ、想像もできなかった。


ミュウツー(この私が人間のところに、何度も行くことになるとは……)

ミュウツー(妙な話もあったものだ)

ミュウツー(しかも、こいつらを連れて行くとはな)


友人たちをなんとか説得し博物館に連れて行く、という約束だったはずだ。

あの夜、あの人間の女との約束。

その約束を果たすため、ミュウツーは友人たちを伴い、博物館に向けて出発しようとしていた。


ミュウツー(いや、『宿題』……だったか?)


――じゃあ……お友達の説得が、キミの宿題ね


ミュウツー(どんな言葉で言い表そうと、実態は変わらないか)

ミュウツー(やれと言われたことをやり終えて、それを示すだけだ)


だが彼女が意味深に強調した言葉を思い出すと、ミュウツーは妙に浮き足立つのだった。

なにかを、誰かに『任された』からだろうか。

本当のところは、自分でもわからない。


ミュウツー(『宿題』を終えた私に、あの女はなんと声をかけるのだろう)


今の行動は、自分や自分の周囲にどういう結果を齎すのだろうか。

ミュウツーの頭の中で、思考がぐるぐると拡散しては収束するばかりだ。


ミュウツー(いやそれよりも、あの女は『彼ら』を見て、なんと言うだろうか)

ミュウツー(それに、あの女と対面することで、『彼ら』はどう変わるだろう)

ミュウツー(いちど人間に背を向けた者が、再びまみえたとして……)


何かほんの少しでも踏み間違えれば、とんでもない結果を生むに違いない。

多少なりとも居心地のいいこの森や友人たちに、なんらかの累が及ぶかもしれない。

それは、まったくもって望むところではない。

にもかかわらず、頭の中は不思議と楽観的に鈍るばかりだった。

138 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:27:17.92 ID:GKUQ56mXo

辛抱強く待つミュウツーの目の前で、イーブイはまだ首をひねり唸っていた。


ミュウツー『……これでも一応、相手のある約束なんだが』

イーブイ「う、うん」


イーブイなりに、続きを口にするべく努力しているのはわかっている。

その上、彼は先を促され焦っていた。


なかなか話が終わらないせいで、友人たちが振り返り始めたようだ。

視界と意識の隅に、ごそごそ動く気配があった。

視線が集まったためか、イーブイは余計に慌てる。


イーブイ「えっと ね、あのね」

イーブイ「……い、いわないの、いいの?」

ミュウツー『言う? 誰に? ……なにを?』


イーブイは不愉快そうに耳を伏せた。

彼も彼なりに苛立っているらしい。

聞き返されたことにではなく、うまく言えないことに、だとミュウツーは解釈した。


ミュウツーは、我慢強く『続き』を待つ。

自分にしては驚くべき忍耐力だ、と自分でも思う。

不思議と腹も立たない。


イーブイ「うん、と、……えっと、ないしょ なの?」

イーブイ「チュリネちゃん、に」

ミュウツー『……ああ』


ようやく聞こえた『続き』に息をつく。

ずいぶんと懐かしい名前を聞いたような気がした。

自分の溜め息に紛れて、誰かの呻き声も耳をかすめた。

ミュウツーは思わず苦笑した。

139 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:29:44.08 ID:GKUQ56mXo

ミュウツー『それは、こいつに尋いた方がいい』


ミュウツーはそう言いながら、ダゲキを顎でしゃくって示した。

チュリネについては、やはり呻き声の主に決定権があるように思う。


ダゲキはミュウツーを見上げ、恨めしそうな表情を浮かべた。

目が合うと眉間の皺をいっそう深くし、何か言いたそうな顔を作ってみせる。

まずいきのみでも食べさせられたあとのようだ。


ミュウツー(そんな顔になる気持ちも、まあわからないではない)

ミュウツー(チュリネがこれを知ったら、さぞ面倒だろうからな)

ミュウツー(今回は運よく、奴に気付かれずにすんだが)

ミュウツー(……毎回こんなふうに上手くいくとは限るまい)


はたしてどんな賑やかな声で不義理をなじり、何を言い出すだろうか。

彼でなくとも、それは容易に想像がついた。

だからこそ、この小旅行は一貫して彼女に伏せられていたのだ。


もっとも、気付かれてしまった場合には自分で説得する、と豪語したのも彼自身だったが。


ダゲキ「ううん……えっと」


案の定、普段よりずっと沈んだ声でダゲキが応じた。

もう少しで、彼女の名が出ないまま出発できそうだったのに。

そんなふうに言いたげな声だった。


イーブイ「チュリネちゃん、いきたい いうよ」

ダゲキ「わ、わかってる」

イーブイ「でも、ないしょ?」


ダゲキが黙って頷く。

イーブイは腑に落ちない顔を見せ、唸りながら前脚で鼻先を擦った。


背後から、しゃりしゃりと草を踏む音が聞こえる。

ジュプトルが地面に飛び降りたに違いない。

140 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:31:44.55 ID:GKUQ56mXo

イーブイ「どおして?」

ダゲキ「チュリネが いくのは、……よくない と、おもう」

イーブイ「……どお して?」


『自分で説得する』と宣言したわりに、彼の返事は歯切れが悪い。


ミュウツー(助けてやっても構わないんだが)

ミュウツー(もう少しくらい、自力で頑張ってもらおう)


ダゲキ「チュリネは……」

ダゲキ「ニンゲンの こと、ぜんぜん しらない」

イーブイ「うん」

ダゲキ「よくない ニンゲンが、たくさん いるのも わからない」

ダゲキ「なんかい いっても、わからない」

イーブイ「だって、チュリネちゃん、しらないもん」

ダゲキ「うん」

イーブイ「いつも、もり から、みるだけ だよ」

イーブイ「いつも、すごく がまん してるよ」

ダゲキ「だから こわいことも、わからない」


ミュウツーは、ふたりのたどたどしい会話に耳を傾けながら、空を見上げた。

空の赤みはほとんど消え、まばらに星が輝き始めている。

冬になれば、もっと寒くなれば、あの星はもっと数が増えるそうだ。

それは、さぞ壮観だろうと思う。

『もっと寒い』とは、どんな“感じ”なのだろうか。


ミュウツー(『約束の時間』というものがあるわけではないが)

ミュウツー(いつもの時間より遅い理由を、あの人間に釈明しなければならないな)


空の片隅で、乳白色の月がささやかに光っている。

ただの弱い反射光なのに、毛ほどの細い針で目を刺されているような気分になった。

ミュウツーは痩せた月から顔をそむけ、残像に顔を顰めて目を閉じる。

141 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:33:21.88 ID:GKUQ56mXo

イーブイ「うんー……」

イーブイ「でも、チュリネちゃん きもち、わかる」

イーブイ「ぼく……も、しらないから、しりたい だったもん」

ダゲキ「……」

イーブイ「チュリネちゃんも、おなじだよ」

イーブイ「しらないから、もっと もっと、しりたいよ」

イーブイ「……だって、にーちゃんと おなじ、なりたいんだよ」

ダゲキ「……『おなじ』……」


背後から、ジュプトルとヨノワールがひそひそと話す声が聞こえた。

ついに待ちくたびれたのだろうか。

これ以上この会話が長引くようなら、ミュウツーは口を挟む気でいた。


ダゲキ「じゃあ、イーブイは わかるよ」

イーブイ「?」

ダゲキ「ぼくたち は、もう しってる」

ダゲキ「おなじ」

イーブイ「あ、うん」

ダゲキ「イーブイも、ぼく も、ニンゲンのこと しってる」


甲高く沈んだ声で、ダゲキが言った。

悔しさを噛み締めているような声音だ。


ダゲキ「また、『しらない』 には、もどらない」

ダゲキ「ぼくは、もどれない……と、おもう」

ダゲキ「イーブイは、もどる できる?」

イーブイ「……で できないよ」

イーブイ「だって、しってる のこと は、しってる だもん」

ダゲキ「だから、こわいんだよ」

ダゲキ「チュリネが、ぼくたちと おなじ なるのは……」

142 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:35:39.20 ID:GKUQ56mXo

イーブイはダゲキの返事に、少しずつ目を見開いた。

呻くような声を喉から出して、イーブイは耳をひくひく痙攣させる。

言われた意味を徐々に理解していく過程が目に見えるようだ。


イーブイ「あ……わ、わかった」

イーブイ「にーちゃん いうこと、ぼく わかった」

イーブイ「チュリネちゃんの、もう いわない」


ダゲキが、少し安堵した顔でゆっくり頷いた。

こっそり盗み見ると、ジュプトルも訳知り顔で首を掻き、地べたでくつろいでいる。

ふたりの結論に特に異議はない、という態度らしい。


少し視線をずらすと、今度はヨノワールと目が合った。

無言で『お前はどう思う』と問いかけてみる。

ヨノワールは何も言わずに肩を竦め、目を伏せた。


イーブイ「ぼく、ちゃんと ルスバンの、する」

ダゲキ「うん」


ダゲキは重々しく向きを変え、ゆっくり歩き始めた。

振り向きざま、こちらを一瞥していく。

早く出発しよう、と言いたいに違いない。

他に含むところもありそうな目ではある。

ミュウツーはその視線に、失笑しそうなほどの必死さを感じ取り、頷いた。


イーブイ「……にーちゃん」


ダゲキは歩みを止めたが、今度は振り向かなかった。


イーブイ「『もどれない』は、だめ? わるい?」

ダゲキ「……わからない」

ダゲキ「でも、もどれない は、こわいよ」

イーブイ「……そだね」

143 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:37:42.68 ID:GKUQ56mXo

噛み締めた歯の間から絞り出したような声だった。

本当は答えたくなかったのか、ダゲキは俯いたままだ。


ダゲキ「……ねえ」

ミュウツー『うん?』

ダゲキ「はやく いこう」

ミュウツー『あ……ああ、そうだな』


今度は明確に促され、ミュウツーもついに足を動かした。

隠れて溜め息をつきながら、少し意外なくらいの心持ちでダゲキの背中を眺める。


彼の不自然な呼吸が耳障りでしかたない。

ひょっとして、彼も今のやりとりで苛立っているのだろうか。


後方では、イーブイがまだこちらを見ている。

だが間もなく、残念そうに耳を垂らして踵を返した。

賢明な判断だとミュウツーは思う。

おそらくあのまま待っても、もう誰かが口を開くことはないだろう。


去ってくイーブイの後ろ姿に、よく似た別の足音が追従していった。

背後にいた誰かも一緒に歩いていった、ということのようだ。

暗くてほとんど姿は見えないが、ぼんやりした黒い影は見えた。


ミュウツー(……あれが新しく『拾われた』奴か)

ミュウツー(少し前だったと思うが、まだあまり顔を見たことはないな)


前を向く。

ジュプトルが『しゅっ』と細く唸り、ダゲキを見下ろしていた。

いつの間にか、ヨノワールの不安定な肩に再びよじ登っている。

ちゃっかりしたものだ、とミュウツーは内心で舌を巻いた。


ジュプトル「だいじょぶ?」


労るような、ジュプトルにしては優しい口調だ。

眉間に皺を寄せているが、気遣うように彼に視線を送っている。

144 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:39:32.50 ID:GKUQ56mXo

ジュプトル「おれ、どっちも わかるし」

ダゲキ「ぼくも、わかる」

ヨノワール「わ わたしも、わかります!」


どうも彼らの中では、共通の認識が持てているようだ。

ミュウツーは友人たちの横をすり抜け、先頭を歩き始めた。

背中では、彼らのおぼつかない会話が続いている。


ダゲキ「『もどらない』は、わるいこと かな」

ダゲキ「ぼくは、もどりたい の、とき も ある……けど」

ジュプトル「……わかんない」

ダゲキ「ジュプトルは、もどれたら、もどりたい って、おもう?」

ジュプトル「……うーん」

ダゲキ「ヨノワールは?」

ヨノワール「え、ええと、わたしは……」


ミュウツーは深呼吸をひとつして、ゆっくりと自分の身体を浮き上がらせた。

自分の皮膚や周囲の空気がぴりぴりと引き攣っているのがわかる。


ミュウツー『行くぞ』

ヨノワール「あ、はい」

ダゲキ「わっ」

ジュプトル「わあ! もー!」


背後からばらばらと声があがった。

友人たちの抗議には耳を貸さず、ぐんぐん高度を上げる。

その間も、小柄なふたりが驚く声や怖がる声は聞こえていた。


森の木々を見下ろせる高さに至って、ミュウツーはようやく動きを止めた。

ぐるりと身体を回転させると、何もない空間に、もがく友人たちが浮いている。

見えない力で身体の中心だけを空中に縫いつけられ、手足を揺らしている。

目をこらさなければわからない程度だが、彼らの周囲はうっすら青く光っていた。

145 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:40:51.32 ID:GKUQ56mXo

ミュウツー『夜が明けるぞ』

ジュプトル「だ、だ、だって……」


ジュプトルが動きを止めた。

きょろきょろと辺りを見回して身を縮める。


ジュプトル「ひゃー、たかい」

ヨノワール「……まだ、よる に、なった ばかりです」


ヨノワールは慌てることもなくミュウツーに問いかけている。

自力で浮遊できるからには、空はなんでもないのだろう。


ダゲキ「うん」


ダゲキがジュプトルの首筋をひょいと摘んだ。

自分にしがみつかせ、バランスを取りながら、ダゲキはヨノワールに同調する。


ダゲキ「いまは、すぐ あさには、ならないよ」

ミュウツー『それはわかっている』

ミュウツー『だがな、私たちには時間がないんだ』


少し強い調子で言うと、ジュプトルとダゲキは決まり悪そうに顔を見合わせた。

ヨノワールも一緒になって萎縮している。

光る目は落ち着きなく、叱られた子供のように大きな身体を丸めている。


ヨノワール「は、はい……」

ジュプトル「うーん、わかった」


ミュウツーは、後頭部のあたりにうすい痺れを感じた。

罪悪感か、あるいは後ろめたさによるものかもしれない。

自分ではそう思うのだが、不快感の正体ははっきりしない。


自分の言動が明らかに八つ当たりじみている。

146 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:43:15.31 ID:GKUQ56mXo

ミュウツー(私たち……いや違う)

ミュウツー(“私”には、あまり時間がない)

ミュウツー(だが、だからといって……これはいくらなんでも自分勝手だ)


痛くなるほど顔をしかめ、ミュウツーは空を睨みつける。

油断すれば呻いてしまいそうな、妙な焦りが渦を巻き始めていた。


陽はすっかり落ちている。

もはや見下ろしても、さきほどまでいた場所すらよく見えないだろう。


ミュウツー(……なんだか、懐かしい感覚だな)


感傷に浸っている暇はない、と頭の隅に押しやり、ミュウツーは気を引き締める。


ミュウツー(それにあの時と今とでは、状況がまるで違う)

ミュウツー(あの時のように、何かを振り切って逃げようとしているわけではない)

ミュウツー(あの時のように、何かに嫌気がさして、目を背けようとしているわけでもない)

ミュウツー(なにより、今は……)


友人たちを一瞥する。

空に縁のないだろうふたりは下の景色に目を奪われ、ワアワアと言葉を交わしている。

そこに、丸く大きな影が寄り添って話に加わっている姿が見えた。


早く行かなければならない。

賑やかな友人たちを連れ、少しでも早く行動しようと気を取り直した。

これ以上、少しの時間も無駄にしたくなかった。


しばらく空を飛ぶと、いつものように街の灯りが近づいてきた。

初めて来たときより少し時間は早いが、明るさはそう違わないように思う。

奥の方に、ぼんやりと白く目立つ『博物館』が聳え立っていた。

大半の家屋には光がなく、窓も真っ暗だ。

いくつかの店らしい建物と街灯だけが細々と光を放っている。

それでも、夜の森に比べればずっと見通しがきく。

147 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:45:57.74 ID:GKUQ56mXo

軽く振り返り、天を指してヨノワールに上昇の指示を出す。

ヨノワールは静かに頷くと、素早く高度を上げた。

それを確認し、空を飛ぶ能力のないふたりを伴ってミュウツーも上昇する。


ダゲキ「うわあ」

ダゲキ「こんなふうに みえるんだ」

ジュプトル「うん」

ジュプトル「きの うえから、かわ みたとき みたい」

ダゲキ「うん」


例えの意味はよくわからなかったが、彼らなりに夜景を楽しんでいるようだ。

上空からの景色を見慣れていないふたりだから、新鮮に違いない。


ジュプトル「あの しろい おおきい いえ」

ジュプトル「きれいで、おおきいな」

ダゲキ「あそこも、ニンゲンの いえ?」

ヨノワール「え、でも、あそこは……」


建物の真上まで移動し、空中で立ち止まる。

壁は白く、屋根は、昼ならば渋い緑なのだろうが、今は黒にしか見えない。

屋根にはやや傾斜があるものの、降り立っても問題はなさそうだ。


ミュウツー『ここだ』

ダゲキ「うおお……」

ジュプトル「いちばん でかい いえ!」

ジュプトル「ここも、ニンゲン すんでる?」

ヨノワール「……この たてもの……」

ミュウツー『おそらく、お前の予想は当たっているぞ』

ヨノワール「いえじゃ ない……みたい です」


そう答えながら、ミュウツーは音もなく着地した。

ふたりを屋根の上に落とすと、小さな呻き声が聞こえた。

少しして、ヨノワールが降り立った気配も感じる。

148 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:50:54.15 ID:GKUQ56mXo

ミュウツー『たしかにここは、いわゆる住居ではない』


ミュウツーは意を決して振り返った。

建造物の屋根の部分、濃い色の足場に、友人たちが腰を下ろしている。

ミュウツーが振り返ったことに気づくと、彼らは不安そうにこちらを見上げた。


ミュウツー(この頭数だったが、誰にも見られず辿り着けたな)

ミュウツー(このまま大きな問題もなく終わればいいが……)


深く息を吐きながら、ミュウツーは黒い空を見上げた。

いつになく緊張しているようだ。


博物館の屋上は静まり返っていて、当然ながら人間の気配はなかった。

見えるのは黒っぽい屋根、白い建造物の壁、民家の微かな灯りとその奥に佇む真っ黒な森だけだ。

改めてぐるりと見渡しても、監視の目となるものはなさそうだ。


ミュウツー(ここまではあの女の言った通りか)

ミュウツー(空から侵入者が来ることは、やはり想定していないということだな)


『展示物や貴重な資料がある部屋はさておき、全体ではそこまで警備も厳しくはない』。

『特にキミみたいに、空から来る泥棒を見越した警備はしてないしね』。

ホントは部外者に教えちゃマズいんだけど、と前置きをしながら彼女はそう言った。


自分のような物好きと夜間警備を除けば、夜は無人も同然だ、と彼女は笑いながら付け足していた。

今のところ、彼女が寄越した情報に嘘はないようだ。


ミュウツー『いいか、いつものように喋っていいのは、ここまでだ』


『声』の届く範囲を絞り、ミュウツーは友人たちの反応を待った。

ミュウツーの警告に、ヨノワールが真っ先に身を縮める。

黄色く裂けた巨大な口にも、ただの模様にも見える腹部を両手で抑え込む。

あれは本当に発声器官なのだろうか。

ヨノワールなりの冗談なのかもしれないが、いまいちミュウツーにも判じかねた。


その姿を見て、ダゲキも慌てて口を両手で覆う。

149 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:52:57.40 ID:GKUQ56mXo

ヨノワール「みつかったら、たいへん です」

ダゲキ「たいへん なんだ」

ジュプトル「ふうん」


いつもより少し聞き取りにくい声でふたりが話し始めた。

ジュプトルにも異議はないようだが、どこか納得しきれない顔だ。


ミュウツー『……別に、喋りたければ喋ってもいいぞ』

ミュウツー『そのまま捕まって、実験材料にされてもいいならな』

ミュウツー『私はごめんこうむるが』

ミュウツー『“物を言う珍しいポケモンだ、生きたまま頭を切り開いて調べてみよう”』

ジュプトル「……」

ミュウツー『“腕や脚を切り落としたら、どちらで鳴くか試そう”』

ダゲキ「……」

ミュウツー『“ニンゲンのように叫ぶのか、本来の鳴き声に戻るのか、どちらだろう”』

ジュプトル「わ、わ、わかったよ!」

ジュプトル「いたいの、おれ いやだもん」


怯えた声で呟き、ジュプトルはふたりの間に潜り込んだ。

ヨノワールが巨大な手で背中を支え、ダゲキはミュウツーとジュプトルを交互に見ている。

予想より少し幼稚な反応に違和感を覚えたが、それは置いておくことにした。


ジュプトル「ほんとに そんなこと、する?」

ヨノワール「そんなこと する、ニンゲンばかりじゃ ないです」

ダゲキ「う、うん」

ダゲキ「い、いいニンゲンも いるよ」

ミュウツー『まあ、それは冗談だ』

ミュウツー『全てのニンゲンが善良なわけではないことは、わかってるとは思うが』

ミュウツー『おそらく、これから会うニンゲンは、そんなことをしない』

ミュウツー『今のところは私を捕えてどうこうするそぶりもないしな』

ミュウツー『確認はしていないが、私のことを別のニンゲンに話したりもしていないだろう』

ヨノワール「そんなに いいひとなのに、だめ なんですね」

150 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:54:59.68 ID:GKUQ56mXo

ミュウツーは小さく唸った。

アロエと名乗る人間の女は、ヨノワールが言うように『いいひと』ではあるだろう。

何度か顔を合わせているミュウツーは、その点では実感を持っていた。

姿形か、物腰か、あるいは話しぶりやその中身か。

自分がなに見てそう判断したのか、自分でも説明はできないが。


ミュウツー『“きっと”、悪いニンゲンではない』

ミュウツー『一定の信頼は置いていい“はずだ”』

ミュウツー『うまく言えないが、私はそう“思う”』

ヨノワール「……それは、なんとなく わかります」

ミュウツー『だが、だからといって手の内を全て明かせばいいというものではない』

ミュウツー『他にも理由はあるが……』

ミュウツー『信頼を置くというのは、そういう部分で示すことではないと思うし』

ミュウツー『全てを詳らかにしないからといって、信頼していないことにはならない……と思う』

ミュウツー『わ……わかるか?』


いつの間にか、彼らの顔がよく見える。

目が慣れてきたからだろうか、かろうじて表情がわかるまでになっていた。


ダゲキ「……わかった」


独り言を呟くように、ダゲキが口を開いた。

ヨノワールほどではないが大きな目で、こちらをまっすぐ見ている。


ダゲキ「きみが いうこと、ぼくは わかった」

ダゲキ「ぼくも、あのひとに、な……なにも いわない から」

ミュウツー『あのレンジャーか』

ダゲキ「チュリネにも、いわない こと、たくさん ある」

ミュウツー『そうだったな』

ミュウツー『……』


全員の顔に一通り目を向ける。

それ以上、誰かが文句や抗議を示してくることはなかった。


ミュウツーは再び空中に浮かび、全員を連れて静かに移動し始めた。

小柄な方のふたりが身体を強張らせた気配はあったが、それだけだ。

自分が動きを関知していないヨノワールに、行く先を示す。

151 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/24(月) 23:58:02.99 ID:GKUQ56mXo

いつも通る窓を、いつものように開錠して中に入る。

自分より身体の小さいふたりは、問題なく通り抜けることができた。


書架の上にふたりを降ろして後方を見ると、ヨノワールの姿がない。

ジュプトルに目で尋ねても首を横に振るだけだ。

自分より少し図体が大きいくらいだったはずだが、とミュウツーは周囲を見回す。


すると、ダゲキが足元の書架の更に下の方を指差した。

指された方に目を向けると、書架の間にヨノワールの影が漂っているのが見える。

こちらに気付くとヨノワールは目を細め、呑気に巨大な手を振った。


ミュウツー(い、いつのまに……)

ミュウツー(……ううむ……先が思い遣られるな)


???「おッ!」


突然、よく通る声があたりに響いた。

全員が反射的に息を潜める。

同時に、眩しい懐中電灯の光が目に突き刺さった。


???「本当に来てくれたんだねえ!」


さきほどより少し潜めた声が、光の向こうから聞こえる。

よく考えれば聞き覚えのある声に、ミュウツーはようやく少し緊張を解いた。

なんだか、この状況には覚えがある。

懐中電灯の灯りは自分から逸れ、ゆっくりと周囲の友人たちに移動していく。


???「なんだかバタバタ聞こえたから上がってきたけど」

???「これだけいれば、そりゃあ音もするわよねえ」


声の主は小声で笑いながら、懐中電灯を床に向けた。

光は床を照らし、反射して周辺の空間をぼんやりと照らす。

おかげで互いの姿がよく見えるようになった。


目の前には、人間の女が懐中電灯を持って立っている。

笑顔を浮かべ、嬉しそうに手を広げて、彼女は囁いた。


アロエ「いらっしゃい、待ってたよ!」

152 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2016/10/25(火) 00:03:05.10 ID:uD0cK60Po
よく考えてみたらヨノワールはゴーストタイプなんだから
幽霊っぽい瞬間移動とかできそうだよね、っていう

SMは事前情報集めすぎないように気をつけてるけど
あのジャラジャラした名前の新ポケが
見た目エスニックな雰囲気あって楽しみ

ではおやすみなさい
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/10/25(火) 00:39:48.08 ID:o+qQnSOQo
乙です
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/10/25(火) 07:32:21.89 ID:f2zbQyUS0
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/10/26(水) 10:27:18.95 ID:QccysD5do
ドキドキするなあ
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/11/13(日) 10:23:47.14 ID:kDY5u134O
乙!待ってました
157 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2016/11/26(土) 22:38:28.88 ID:PZmDcJyzO
保守
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2016/12/06(火) 10:58:52.00 ID:jt0LXBS8o
おつー
待ってるー
159 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2016/12/26(月) 00:39:26.64 ID:71MKG3A4O
(保守)
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/01/20(金) 00:50:08.75 ID:C4ppJlzUo
ホシュ
161 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:37:51.52 ID:UMm5BcIdO

夢を見た。

かつて見聞きしたことをきわめて曖昧に再生する夢。

馴染み深い内容の夢。

まるで古い映画か、劣化した記録映像だ。

『彼女』との生活で、一度だけ見たことのある映像と似ていた。


その夢の中で、自分は目を薄く閉じている。

膝を抱え、ひんやりした硬い床に腰を下ろしている。


目を開けて確認するまでもない。

自分はこの場所を知っている、とわかっていた。

よく知っている場所だ。

よく知っていた場所だ。

きっと、今ではもう存在すらしていない。


――いま……は、さすが……おまえも つかれただろう


少し離れたところから、誰かの声が聞こえてきた。

くぐもって聞き取りにくい。

だが聞き覚えがある。

声は、こちらの反応を気にもせず語りかけている。


――それにして……よくやったな

――イダテン


声の主が名前で呼びかける。

名前の部分だけがはっきり耳に飛び込んできた。

まるで、そこだけ耳元で囁かれたかのようだ。


にわかに、苦い痛みが胸を掻き乱した。

そんな風に特別な思いを持つのは、きっと自分だけだろう。


ここの人間たちにとって、名前はただの記号だからだ。

対戦するどちらに金を賭けるのか、人間たちが間違えないための識別記号だ。

あるいはその、血腥い娯楽に少しでも興奮するための要素だったかもしれない。

162 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:40:09.97 ID:UMm5BcIdO

ゆっくりと目を開ける。

目の前は薄暗くがらんとしていて、柵の向こうには弱々しい灯りがある。

声の主は、そこにゆらゆら動く影を落としている。

声のする方に、緩慢に顔を向けた。


――きょうの 戦いぶりには、胴もとも まん足している

――たん当してるぼくも、鼻が高い

――お前も嬉しいだろう、派手に殺せて


そうだ。

決まっているじゃないか。


――急所に当てるのは得意だもんな


思わず小さく頷く。

いかに無駄なく、圧倒的に斃せるかが肝心だ。

さもなくば、いかに痛々しく、見栄えのするように傷めつけるか。


それ以外、この生まれながらの破壊力になんの意味がある。

暴力的なだけのこの能力に、いったいどんな使い道があるというのだろう。


――そうだ、そのいき……


突然、自分の身体が後方に引っ張られ始めた。

風景は動かない。

なのに、意識だけが目の前の記録映像から引き剥がされていく。


この感覚は知っている。

夢の泥沼から、じりじりした現世へと浮かび上がっていく瞬間だ。


――つぎも よろしく……たの……よ……


声が遠のく。

風景も遠のいていく。

全てが凄まじい速度で曖昧になっていく。

一瞬、手を伸ばし掴もうと意識してみるが、まったく間に合わない。

163 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:43:37.44 ID:UMm5BcIdO

焦りと同時に、じっとりした諦めが染み出した。

これは夢だから仕方ない、とわかっているからだ。

とうの昔に終わってしまった過去の記録だから、留めおくことはできない。


あっという間に、夢はずるずると崩れ、溶けてしまった。

手で掬った水が指の間を擦り抜けるよりも手応えなく。



がしゃん、という音が響いた――ような気がした。

同時に、バシャーモは自分が急激に覚醒したことを理解した。

良質な熟睡から目覚めたかのように、頭の中は妙にすっきりしている。


習慣として周囲の気配をそれとなく探る。

だが、たしかに耳にしたはずの音は、それらしい発生源さえ見当たらなかった。

誰かがこちらに意識を向けている気配もない。

身体に触れているのも、身体を預けている岩と湿った地面だけだ。

ひやりとしたコンクリートの床ではない。


どうやら、かなり昔の夢を見ていたようだ。

夢に聞こえた懐かしい呼び名に、バシャーモは強い郷愁を覚える。

明るさのない空を見上げて、思わず細長い溜息をついた。

楽しい時間が終わってしまうときの、あの寂しさだけが残る。


バシャーモ(……みんな、今はどこにおるんやろ)


あの場所にいた連中は、ばらばらに引き取られていったと聞いている。

今もどこかで、地下仕込みの腕を活かしているのだろうか。

だとしたら、実に羨ましいことだ。

それとも自分のように、戦いの場を奪われてしまっただろうか。


くるくると記憶が甦る。

164 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:44:54.35 ID:UMm5BcIdO

――助けに来たぞ

――もうこんなことはしなくていい


自分をあそこから引きずり出した人間たちは、口々にそう言っていた。

心からの同情を滲ませた声で。

たしかに言った。

『助ける』と。


だが、助けるとはなんだ。

生きがいを奪うことか。

充実していたのに。

必要とされていたのに。

狭く暗い世界には、いつか闘いたいと願う相手もいたのに。

あの場所が消えてしまった今、その機会も永遠に失われてしまった。

残念なことだ。


もっとも、その相手のことをはっきり憶えているわけではない。

たった一度、檻の前を通ったことがあるだけだった。

檻の隅で通路をじっと睨む、冷ややかな眼差しだけが記憶に残っている。

『視線の主』と拳を交える瞬間を想像すると、今でも背筋がぞくぞくする。

あの頃のような充実感は、二度と味わえないに違いない。


妙に涼しい風が背中を撫でた。


バシャーモ(……!?)


つん、と血と泥に似た、不穏な匂いが鼻をかすめる。

この森では縁がないはずの、埃っぽく不衛生で、ぞくぞくする匂いだ。


バシャーモは反射的に立ち上がる。

背もたれにしていた岩の、さらに向こうに意識を向けた。

夜中の森は、わずかな夜行性のポケモンが蠢くだけだ。

こんな厳しく呑気な場所で、あんな匂いがするはずがなかった。

165 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:47:18.91 ID:UMm5BcIdO

にもかかわらず、殺伐とした気配が、たしかに鼻先を吹き抜けた。

口角が勝手にきりきりと吊り上がる。


しばらくすると、不穏で甘美な匂いはすっかり消えてしまった。

残り香を惜しむように深く息を吸い、バシャーモは喉の奥で小さく笑う。


これは、きっともうすぐ、“楽しいこと”が訪れるという予感だったに違いない。

目前の生死だけに集中せざるを得ない、ぎらぎらした素晴らしい瞬間がやってくる。

これはその前触れなのだ、と奥底で錆びついていた本能が歓喜している。

そのときは、そう遠くない。

バシャーモは根拠もなく、そう確信した。


眠るのをやめ、ふらふらと立ち上がる。

何を求めて歩き始めたのか、自分でもよくわからない。

バシャーモは、暗い森の道を目的地もなく進んだ。

ときおり、草むらでがさがさと音がする。

呑気な夜行性のポケモンに違いない。

そちらに首を向ける。

だが彼らは、ぎょっとして逃げていく。


戦いたいのに。

つまらない。

お前らだって戦いたいんじゃないのか。

残念だ。

臆病者め。


喉の奥でくくくと笑う。

うふふ、と音が漏れる。

これではまるで人間だ。

人間が笑っているのと変わらない。

そう自嘲し、バシャーモはもう一度、けたけた笑った。

166 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/01/25(水) 01:50:03.12 ID:UMm5BcIdO
今日はここまでです
もう忘れられちゃったかな、と思ってたので
>>160 ありがたいっす

ではおやすみなさい
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/01/25(水) 09:36:53.92 ID:nUD7nsh5o
期間開いてても待ってるよ
おやすー

戦闘狂ポケモン! そういうのもあるのか…
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/01/25(水) 22:23:53.20 ID:cP7w2JsW0
待ってました
待ってます
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/01/26(木) 23:49:14.75 ID:7UwoYPtxo
乙乙
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/02/21(火) 10:56:45.27 ID:WiGPps4DO
保守
171 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/02/27(月) 22:26:30.03 ID:R1ySXj31O
保守

>>167
ポケモンもいろいろなんやで(すっとぼけ

>>168-170
ありがとう!
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/17(金) 04:50:00.64 ID:01goXdYYO
来てたのかびっくり…
そして保守
173 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:26:34.32 ID:n9gHiMCwO


少し離れたところで、ちりっ、と蝋燭が唸った。

一瞬、アロエはその方向に目を向ける。

手元の照明と照らされる本が明るいせいか、あまりよく見えない。

じっくり待てば目が慣れて、書斎の壁一面に並ぶ書架も判別できたかもしれない。


だがアロエはすぐに視線を手元に戻し、再び字を追った。

問題がないのなら、眺めている時間は不毛なだけだ。


アロエ「――そして、二人は末永く、幸せに暮らしましたとさ」

アロエ「おッしまい」


最後の部分に勢いをつけて言うと、アロエは自分の膝を見下ろした。

ちょこんと座って本に目を向ける、やけに小柄なジュプトルを見る。

ジュプトルは陽気な響きで『しゅっ』と小さく唸った。


アロエ「……楽しかった?」


ジュプトルは器用に上半身を捻り、アロエを見上げた。

ひときわ甲高く鳴く。

なにかを伝達しようとしているようだ。


細く小さな頭をかたかたと振り、痩せぎすのジュプトルは頷いてみせた。

どうやら、『今回も』喜んでくれているようだ。


アロエは思わずほっとした。

というのも、膝に座らせるだけで一時間以上かかっていたからだ。


アロエ「そーお、よかったわねえ!」


そう応じるアロエも、自然と笑顔を浮かべていた。

彼らがここへやって来たときの、このジュプトルの目つきが脳裏をよぎる。

複雑な経緯を辿った野良が人間に強い警戒心を持つことは、残念ながら珍しくなかった。

さまざまな感情が入り交じったその視線は、容易に忘れられるものではない。

ただその目に浮かぶ、憎悪を押し退けほどの『好奇心』だけが救いだった。

174 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:29:12.31 ID:n9gHiMCwO

アロエは、ちらりと部屋の隅に視線を送る。


ミュウツー『……』


黙々と知識を貪っているはずの『ひとりめの生徒』が、こちらを静かに窺っていた。

妙に年季の入ったシーツの切れ目が、アロエの方に暗く開いている。

洗っていないのだろうなあ、などと呑気にアロエは思う。


ページをめくる手を止め、顔もこちらに向けて、じっと見守っている。

自分の連れてきた連中が粗相をしないか、心配なのだろう。


視線に気づき、シーツが落ち着きなく揺れた。

本人は大真面目なのだろうが、その慌てた動きは少し笑いを誘う。


アロエを見上げていたジュプトルが、遠慮がちに身をよじった。


アロエ「なあに?」


絵本の頭の方を自分の爪で指差しながら、枝の軋むような鳴き声を出した。

どうやらこれは、もう一度読め、という催促らしい。


アロエ「えー、もう一回? また同じやつでいいの?」


笑いながらアロエが尋ねると、ジュプトルは満足そうに頷いてみせた。

予想以上にコミュニケーションが取れることに、アロエはすっかり麻痺していた。

今にも、アロエにもわかる言葉で返事をしてきそうだ。

知能の面では、不可能でないような気がする。

もっとも、本当に人間の言葉を操るとは思えないが。


アロエ「もう三回は読んでる気がするんだけどねー」

アロエ「まあ、いいか」


ジュプトルはアロエの色よい返事に喜んだ。

脚をばたばた揺らし、嬉しそうに何か言っている。

残念ながら、アロエには何を言っているのかわからない。

明確に内容を伴ったものであることは、さすがにわかるのだが。

紙を破く音に似ている、と頭の片隅で思う。

175 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:32:04.70 ID:n9gHiMCwO

離れたところにいる『ひとりめの生徒』が、ぷいと顔を横に向けた。


ミュウツー『……悪かったな』


頭の中に、不満そうな声が響く。

どうやら今の声は、さきほどのジュプトルへの返事らしい。

この子は何を言ったのだろう。

自分の膝を見ると、小柄なジュプトルはまた笑っている。

アロエは仕方なく、拗ねた方に問いかけることにした。


アロエ「なんて言ったの?」

ミュウツー『お前の方が読むのが上手いと言っている』


ジュプトルがまた笑う。

内容の他愛なさに少し安堵して、アロエは吹き出した。


アロエ「あはは、そりゃあ年季が違うよ」

アロエ「それにキミと違って、あたしはテレパシーじゃあないからね」

アロエ「鼓膜を通すかどうか、ってのも、違うのかもしれない」

ミュウツー『……そうか』

ミュウツー『やはり違うのか』


どうして上手くいかないのか、と言わんばかりに首を傾げる。

珍しく、年相応の――といっても年齢は知らないが――反応を見たように思った。

やけに少ない言葉に、隠しきれない悔しさや無力感が滲んでいる。

アロエは憐れに思う反面、微笑ましく思う。

その心境になれないのなら、成長は難しいからだ。

その点において、人間もポケモンも違いはあるまい。


そう思いながらアロエは、書斎の別の片隅に視線を移した。

絨毯にピクニックシートとタオルを敷いただけの床。

手元が暗くならないよう照らされた一角に、人間によく似た小柄な誰かが座り込んでいる。

176 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:33:44.88 ID:n9gHiMCwO

無論よく見れば人間ではなく、薄汚れたダゲキが腰を下ろしているのだった。

小児向けの文字の本と首っ引きで、一心に画用紙に向かっている。

その斜め前には、巨体を必死に縮めクレヨンを握るヨノワールが蹲っている。

自身も画用紙と戦いながら、ときおりダゲキの手元を覗き込んでいた。

ふたりがなにを描いているのか、ここからでは見えない。

ヨノワールが自分の巨体を捌きかねている姿が、妙に面白い。


アロエ「ま、じゃあ、もう一回だけ読もっか」

アロエ「そしたらアタシは休憩で、キミたちはおやつ」

アロエ「それでいい?」


ジュプトルが大きく、どちらかといえばおおげさに頷いた。


そして動作を終えたあとの一瞬、こっそりと肩を落とす。

アロエはそのわずかな動きを目敏く見つけた。


やはり、無理に明るく振る舞っているのだろうか。

ひょっとすると、と思う。

ここまでの大げさな挙動も、こちらに対する気遣いの一種だったのかもしれない。

そう考えると、この細い背中が痛々しいものに思えてならなかった。


アロエ(たしかに、ちょっと『浮き沈みは激しい』かな)

アロエ(今のところは、ただそれだけに見えるけど)


アロエは、ジュプトルの頭に何気なく手を載せる。


手が触れた瞬間、ジュプトルはびくっと全身を強張らせた。

撫でようとしただけで、アロエに他意はない。

「ギッ」と小さく、だが鋭い声で呻いた。


アロエ「あっ……、ごめん」


慌てて手をどける。

ジュプトルはぎょっとするほど身体を硬く縮めている。

まるで親に叩かれる直前の子供だ。

アロエは思わず息を呑み、その貧弱な背中を眺めた。

177 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:36:46.95 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『どうした』

アロエ「……あ、いや、うん」


視線が集まってきているのがわかる。


そのうち、ジュプトルはゆっくりと身体の緊張を解いた。

止めていたらしい息を吐き出して、ゆるゆるとかぶりを振る。

そして自分の頭に触れながら、申し訳なさそうな顔でアロエを見上げた。


アロエ「その……えっと、悪いことしちゃったね」

アロエ「『そういうの』、イヤだったんだね、ごめん」


ジュプトルは下を向き、今度は首を横に振った。

少し疲れた目つきで小さく鳴く。


ミュウツー『少し驚いただけだから気にするな』

ミュウツー『だそうだ』


気難しい通訳が無感動な声で言った。

他のふたりにも、慌てた気配は特にない。

普段の姿を知る者が言うのなら、深刻さはないのかもしれない。


アロエ「……そう」

アロエ「でも、あたしが気をつけてればよかっただけなんだから」

アロエ「ごめんね」


ジュプトルはまた首を振る。

いかにも『気にするな』と言わんばかりのしぐさが、ぞっとするほど人間じみていた。

そのしぐさが終わりきらないうちに、ジュプトルは大きくあくびをした。


アロエ「眠くなっちゃった?」


ジュプトルはさらに首を横に振りながら、またひとつあくびをした。


アロエ「まったく、夜更かしさんだね」


言われたジュプトルは、目をうっすらと閉じ、ゆるく彼女を見上げている。

178 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:38:26.73 ID:n9gHiMCwO

アロエ「眠くないのはいいけどさ、無理するのは駄目だからね」

アロエ「……キミたちは眠くないの?」


シーツのお化けが小さく肩を揺らし、控えめに否定を示した。

その動きもまた、あまりに人間じみている。


ミュウツー『私はまだ、そこまで眠くない』

アロエ「他の子たちは、なんて言ってる?」


アロエの言葉を受け、お化けは友人たちの方へ首を回した。

床に座っていたふたりが、何も言われていないのに、ゆっくりと幽霊を振り向く。

少しの間があって、再びシーツの裂け目がアロエに向いた。


ミュウツー『眠くはないそうだ』

アロエ「そう……なら、いいんだけど」


こちらには聞き取れない、彼らだけのやりとりがあったようだ。

おそらくそれも、テレパシーで行なったに違いない。

特別な能力など持ち合わせないアロエには、想像することしかできない。


ミュウツー『我々が、この時間まで起きていることも、なくはない』

ミュウツー『いつも……ではないが』

アロエ「夜更かしなんかして、具合悪くならないの?」

アロエ「たしか、この子は少なくとも昼行性だったはずだけど」


膝を占拠するジュプトルを、アロエはそっと指差した。

すると、スツールを陣取るシーツの塊が頷いた。


ミュウツー『基本的にはそうだ、と私も思う』

ミュウツー『だが、あまり……責めないでやってくれ』


少し居心地悪そうにシーツが揺れる。

アロエはその姿を注意深く見守った。

そんな風に友人たちを庇うことは、きっと照れくさいに違いない。

179 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:40:00.97 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『お前の膝で眠そうにしているそいつは、今日を楽しみにしていたのだ』

ミュウツー『普段のそいつからは想像しにくいのが、正直なところだが』

アロエ「そうなんだ」

ミュウツー『……私にとっても、少し予想外だった』

ミュウツー『そいつは、いやそいつ“も”、乗り気にはならないと思っていたからな』

ミュウツー『まあ、あそこで何か書いているあのふたりも、それは同じだ』

ミュウツー『いつもの奴ららしくないとさえ言える』

ミュウツー『ただ、彼らはみな、今日を楽しみにしていたのだ』

ミュウツー『それだけは本当だと思う』

ミュウツー『……いいことか悪いことかは、わからないが』

アロエ(なにもそんな言い方)


そう言いかけて、アロエは引っかかった。

相手の口振りに、ほんのわずかだが変化が感じられる。

境界線を少しだけずらすような、微妙な立ち位置の変化だ。


ひょっとすると最後のくだりは、自分にしか聞こえていないのではないだろうか。

特に根拠はなかった。

だが予想を裏付けるように、新しい生徒たちは、この会話に何の反応を示さない。

これほど自分たちが話題にされているというのに。


アロエ(楽しみしててくれたのは嬉しいけど、そんな言い方はないんじゃない?)


アロエはそう思い至り、心の中だけで返答した。

幽霊をまっすぐ見つめる。

シーツの端が鋭く揺れた。


ミュウツー『……どうして気づいた』


頭に響く声に、驚きが滲んでいる。

アロエの予想は当たっていたらしい。

シーツの陰で、開かれていた本のページがぱらぱらと動く。

180 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:42:54.82 ID:n9gHiMCwO

アロエ(年の功ってやつかな)

アロエ(経験の多寡は、物事に対する予測の精度に直結するわけだからね)

ミュウツー『そういうものか』

アロエ(まあね)

アロエ(……内緒話がしたい?)


暗い裂け目が考え込むように下を向き、またアロエの方を向く。

妙に毅然とした動作だった。

腹を括ったような、あるいはなにかを決意するような。


アロエ(わかった、ちょっと待ってな)

ミュウツー『?』


すると、アロエは本をパタンと閉め、ジュプトルを見下ろした。

少し驚いた様子を見せるジュプトルに、アロエは微笑みかける。


アロエ「よしジュプトルちゃん、やっぱり休憩しよ」


ジュプトルは不思議そうに首をかしげた。

もっとも、特に不満があるということではないようだ。

さきほどの警戒も、さすがに影を潜めていた。


アロエ「喋りすぎて、喉からからになっちゃった」

アロエ「きのみとか飲み物とか、持ってくるから」

アロエ「読んでた本、机の上に置いててくれるかな」


不承不承という顔で、ジュプトルはもたもたと腰を上げた。

自分が読んでもらっていた本を抱え、あちこち着地点を探している。

そのままアロエの膝から飛び降り、音もさせずに着地した。

何歩か進み、机の横に立つ。

ふたたびアロエを見上げ、何か言いたそうにしている。


アロエ「そう、その上に置ける?」


ジュプトルは頷いて机を見上げ、躊躇なく跳ねた。

片方の前脚で本を掴み、残る前脚と二本の後ろ脚だけで、器用に机の壁面をよじのぼってみせる。

まるで軽業師か、あるいは物語に出てくる怪盗のようだ、とアロエは思う。

181 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:44:57.77 ID:n9gHiMCwO

アロエ「凄いなあ」

アロエ「キミは、そういうところを登るのがずいぶん上手なんだね」


ジュプトルは気恥ずかしそうに首を縮め、鼻柱を掻いた。

照れ隠しなのか、意味もなくきょろきょろしている。


よっこいしょ、と呟きながらアロエも立ち上がる。

エプロンをはたき、室内をぐるりと見回した。

ぼんやりこちらを見上げていたダゲキやヨノワールと目が合う。


アロエ「ほら、キミたちもちょっと手を止めて、ひとやすみするよ」

アロエ「勉強熱心なのはいいけど、ちゃんと脳に栄養もあげなきゃね」


ふたりが顔を見合わせた。

しばし視線を交わし、ふたりは筆記用具を置いた。

手の空いたジュプトルも、ちょうど彼らの傍らに辿り着いたところだ。

ヨノワールの表情はよく読み取れないが、ダゲキは目に見えて名残惜しそうだった。


アロエ「ダゲキくんは、まだ続けたかった?」


ダゲキは黙って頷く。

使いかけのままの画用紙とクレヨンを振り返っている。


アロエ「根を詰めると、それはそれでよくないよ」

アロエ「休憩したら、また続きをやればいいじゃない」

アロエ「いろいろ、キミたちにもお手伝いしてほしいしね」


足元のジュプトルが小さな声で唸ると、ダゲキもようやく納得してこちらを向いた。

アロエは安心して、ヨノワールに目を向ける。

なにか、期待を込めた目でこちらを見ている気がした。

『手伝い』という言葉に反応したのかもしれない。


アロエ「そうだねえ、力のありそうなキミには、その青いシート運んでもらおうかな」

182 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:46:57.20 ID:n9gHiMCwO

仕事を任されたヨノワールは、傍目にもわかるほど喜んでいる。

慌てふためいて周囲を見回し、背後の畳まれたシートを見つけた。

ヨノワールはいそいそとシートに手を伸ばす。

こちらを向き、抱えたシートを示して、何か言いたそうだ。

アロエは笑って頷く。

ヨノワールは更に目を輝かせた。


アロエ「キミもこっちに来るかい?」

ミュウツー『いや、私はここでいい』

アロエ「しょうがないねえ」

アロエ「じゃあ、誰かに運んでもらうしかないね」


そう言うと、アロエは慣れた手つきで『会食』の支度を始めた。

シートを運ばせたヨノワールにも、次々と指示を出す。

自身もてきぱきと紙皿を並べ、ふたたびスツールの方に視線を投げかけた。


アロエ(内緒話はあんまり得意じゃないんだけど)

アロエ(それで、キミはなんの話をしたいのかな)

ミュウツー『……自分でも、よくわからない』


そうこぼしながら、シーツの陰に隠れた首が下を向く。

視線が向いただろうその先には、それまで読んでいた本がある。

変わらず一定のペースで、本のページは淡々と捲られていく。

もっとも、字面すら追えていないのは傍目にも明らかだった。


アロエ(そういうことは、人間でもよくあるよ)

ミュウツー『そういうものか』


それきり言葉が途切れる。

アロエの周囲には、咀嚼するかすかな音と、誰かの身体がシートに擦れる音だけが響く。

なかなか次の言葉が続かない。

短い逡巡ののち、頭に響く声の主は、ふたたび『ロ』を開いた。

183 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:49:43.16 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『私には今、どうするか決めかねていることがある』

アロエ(うん)

ミュウツ―『その選択肢はひとつ……いや違う、ふたつだ』

アロエ(それを選ぶか、選ばないか、ってこと?)

ミュウツー『そうだ』

ミュウツー『私は、「そうしたい」とは思わないが、「そうすべき」だと思う』

アロエ(「そうしない」理由は、自分でわかってるの?)

ミュウツー『……どうにも気が進まないのだ』

アロエ(そう、それは困ったねえ)


アロエはシートの片隅に座り、新しい友人たちにも、席につくよう示した。

顔を見合わせ、三匹のポケモンたちがおそるおそるシートに腰を下ろす。

座ってからも背後をちらちらと見ている。

ただひとり輪に加わらない友人を、彼らは気にかけているのだった。


アロエ「大丈夫、あの子は、あとで食べるって」

アロエ「みんなの前で食べたら、あたしにまで顔が見えちゃうからね」


そう言い訳すると、彼らはなるほどと納得した表情を見せた。

互いに目配せし、また手元のきのみに視線を戻している。

それがおかしく思えて、アロエは小さく笑った。


アロエ(どうして、その選ぶべき道を、キミは選べないんだろうね)

アロエ(気が進まないのは、どうしてだと思う?)

ミュウツー『……なぜだろう』

ミュウツー『私は……私がそう選択することで、事態は変わるはずなのだ』

ミュウツー『今よりは、少なくともいい方向に』

ミュウツー『少しでも早い方がいいのはわかっている』

アロエ(キミにとっては、とても大事なことなんだね)

ミュウツー『私にとっては、な』

アロエ(でも、みんなには相談したくない話なんだ)

ミュウツー『そうだ』

ミュウツー『これは、私ひとりで考え、結論を出さなければならないことだからだ』

184 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:52:16.09 ID:n9gHiMCwO

響いてくる頭の中の声は、あくまで真剣だ。

ふざけて、わざと大袈裟に言っている気配はまるでない。


アロエ(そんなに、早く結論を出したい?)

ミュウツー『もちろんだ』


『声』に焦れた印象が混じり始めた。

内容は本人が語らない以上わからないが、とても結論を急いでいるようだ。


アロエ(時間をかけて、好きなだけ悩むのは……)

ミュウツー『そういうわけにはいかない』

アロエ(みたいだね)

アロエ(たしかに、あたしもキミに『よく考えろ』とは言ったからね)

アロエ(でもね、考えたところで、必ず結論が出る保証があるわけでもない)

アロエ(考えるのは、本当に、とても大切なことだけど)

アロエ(考えればいい、ってものでもないわけ)

ミュウツー『どこかで聞いたような話だ』

アロエ(へえ、そうなの)

ミュウツー『似たようなことを、以前にも言われたことがある』


この子は苦笑いしている、とアロエは直感した。

それも、少し無理をして笑っている。


アロエ(キミがどんな価値判断でその選択肢を考えたのか、あたしにはわからないけど)

アロエ(いくら考えても答えが出てこない、っていうなら)

アロエ(一旦、考えるのをやめてみる、ってのも手かもしれないね)

ミュウツー『……考えるのをやめる?』

ミュウツー『それで、結論は出せると思うか』


アロエは小さく肩を竦めてみせた。

きのみを齧る小柄なジュプトルの頭を慎重に撫でる。

ちらりとこちらを見上げたが、今度は怯えることもなく、おとなしくされるがままだった。

葉はゆらゆらと、風もないのに揺れているのが不思議だ。

185 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:53:57.77 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『考えるのをやめる……か』

ミュウツー『それもいいかもしれないな』

ミュウツー『考えても、今日この瞬間まで結論を出せなかったのだ』

ミュウツー『むしろ、考えれば考えるほど、自分がどうしたいのか、わからなくなった』

アロエ(それは、やっぱり考えすぎてるのかもしれないね)


見ると、シーツの切れ目がゆっくりと向きを変えていた。

視線はアロエから逸れ、休憩を楽しむ友人たちに向けられているように見える。


彼らに秘密にしておきたいのは、つまりそういうことなのだろう。


ミュウツー『……いつか』


急に声が聞こえた。

アロエは反射的に、声の主を見る。


ミュウツー『いつか、そうしなければならないことは、最初からわかっている』

ミュウツー『いつまでも、このままでは駄目なんだ』

ミュウツー『そうしなければ、このままでは』

アロエ(それは、誰のため?)


痙攣するように、シーツが翻った。

中こそ見えないが、昏い切れ目の奥に、鋭い視線を感じる。

アロエは確信していた。

今、自分はシーツの中の視線と、正面から向き合っている。


ミュウツー『……誰……の?』


別の視線を感じて、アロエは自分のすぐ近くに目を向けた。

いつの間にか、ダゲキが食べる手を止め、こちらを見上げている。

大きな目で、まっすぐこちらを見ている。

感情の薄い冷やかな目に、アロエは少し不気味さを覚えた。

内緒話のことが気付かれているような気がしたのだ。


ミュウツー『誰の……』


アロエが口を開こうとした瞬間、がたん、と大きな音がした。

ヨノワールもまた、音の聞こえた方向を見ている。

186 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:57:19.37 ID:n9gHiMCwO

幽霊が椅子から立ち上がっていた。

汚れたシーツに覆われた誰かが、見上げるほどに伸び上がっている。

アロエは、不意に背筋が凍る思いに駆られた。

危険な存在ではない――少なくとも今のところ、この場所では――にも関わらず。


アロエ(この子は……本当は何者なんだ)


久しぶりに、しげしげとその全身を眺める。

汚いシーツに覆われ、少なくとも上半身はほとんど見えない。

そのかわり下部から、筋肉質で生っ白い脚が二本。

そして少し深い色の、がっちりした尾が見えている。

まるで保管庫で眠ったままだった彫像が、勝手に起き上がり動き出してきたかのようだ。


不思議な感覚が湧く。

ぞっとするような、足元から這い寄る禍々しさ。

ある種の罪から生まれながらにして解き放たれているような、かすかな神々しさ。

得体が知れない、とアロエはこのとき初めて感じた。


人間ではない。

では、ポケモンなのだろうか。

だが見たことも、聞いたこともない。

にもかかわらず、言動が人間とある程度の接触があったことを示している。

それはいったい、何を意味するのだろう。


ミュウツー『……わかった』

ミュウツー『そうだ、わかった』


粛々とした声が聞こえている。

自分にだけ聞こえるのか、足元の彼らにも聞こえているのか、アロエにもわからなかった。

独り言のように声は続いた。

風もないのに、縁のほつれたシーツが妙にゆっくりそよぐ。

187 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:59:15.46 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『最初にそうしようと思い口にしたときは、大した理由はなかった』

ミュウツー『だが今は違う』

ミュウツー『たとえ私がそうしたくなくても、しなければならないのだ』

ミュウツー『私の……』

ミュウツー『私のわがままなどよりも、優先するべきこと、優先しなければならないことがある』

ミュウツー『……いや違う、“優先したい”ことだ』

ミュウツー『思うに、その違いは小さいようで大きい』

ミュウツー『これは私の意志だ』

ミュウツー『今ならまだ間に合うかもしれないからだ』

ミュウツー『私は……』


はっと我に返ったように、シーツが大きく揺れた。

光源の具合で、やはりアロエの位置から中身は見えない。

周囲を見回し、身の丈二メートルの幽霊が急に慌てふためいた。

見れば、きのみを食べていたはずのポケモンたちも、呆気に取られている。

今の話は、そんな彼らにも聞こえていたのだろうか。

いずれにしても、驚いただろうことは想像に難くない。


アロエ「大丈夫?」

ミュウツー『……え、あ、ああ……だ、大丈夫だ』

アロエ「そうは見えないけど」

ミュウツー『そんなことは……おい何を見てる』


ヨノワールが慌てて首を横に振った。

同時に、ぶうん、と弦を弾いたような、低く空気の震える音が聞こえる。

どうやらその唸りが、ヨノワールの鳴き声であるようだ。


アロエ(あんな声なんだ)

アロエ(ヨノワールの声って、そういえば初めて聞たかも)


アロエ「キミが急に立ち上がるから、みんなびっくりしたんだってば」

ミュウツー『……そ、そうか、すまない』

188 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 01:00:20.24 ID:n9gHiMCwO

シーツを靡かせ、保管庫の彫像は宥められた子供のように再び席についた。

友人たちは、どこか不安そうに顔を見合わせている。

ジュプトルがアロエを見上げた。

アロエはジュプトルに笑いかける。


アロエ「キミの友達も、いろいろ大変なんだね」

ジュプトル「?」

アロエ「まあでも、きっと一生懸命考えてるんだよ、あの子なりに」

アロエ「だから、そうやって決めたことは、きちんと尊重してあげないとね」


よくわからない、という顔をして、ジュプトルは首をかしげた。

すぐ横で、ダゲキが物憂げに食べかけのきのみを眺めている。

今の話を聞いていたのか、彼は緩慢にアロエを見上げた。


アロエ「ね」


彼は、戸惑いがちに頷く。

なぜ自分に同意を求めるのだろう、という顔に見えた。

『彫像』はふたたびスツールに腰を下ろし、少し俯いている。

アロエは肩を竦め、ゆっくりと深い溜め息をついた。

189 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 01:04:38.30 ID:n9gHiMCwO
今日はここまでです


すごーい! 君は机の壁を攀じ上るのが得意なフレンズなんだね!


>>172
エタったと思っただろう?
忙しいのと、うっかり投稿する予定より先の部分を書き上げてしまって
今しがた投稿した分も仕上げないと投稿したくても出来なくなっただけなのさ
190 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 01:05:10.25 ID:n9gHiMCwO
あっ、ではまた次回
おやすみなさい
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/28(火) 08:36:05.21 ID:Y9Xam1/co
乙です
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/28(火) 09:47:35.06 ID:pc+jRjJGO
乙!
正直エタるとは思ってない。思いたくないのが本音。
落ちないように保守はしとくので気長に願います。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/28(火) 14:09:58.98 ID:n/k71z4f0
乙乙
なんかよくわからんが本来なら言葉の通じない相手とのコミュニケーションってなんかいいな...
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/29(水) 09:40:14.90 ID:HeOhw2voo
時間あいてても内容濃いからいいのだ
しかし相変わらず緊張感のある微笑ましさよ
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/03(月) 13:26:56.99 ID:WWuI6sbQ0
うおおお来てた乙でした
本編に流れる穏やかさと同じように更新もゆっくりでいいのでいくらだって待ちます、細やかながら応援してます
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/04(火) 19:25:55.73 ID:OBjUrSxjo
最初からずっと張り付いてるぜ!
気長に完結まで待ってるぜ!
197 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/04/28(金) 21:53:00.58 ID:T1q8vX8gO
保守
198 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/05/13(土) 23:39:25.96 ID:kt/KZChQO

とても不思議な光景だった。

自分と、自分の友人が全部で四匹。

そして人間の女がひとり。

天井も四隅も薄暗い、本だらけの部屋にいる。

彼らは壁の蝋燭に照らされ、影だけが別の生き物のように揺れている。

いつもと同じように光はほんのり温かい。


友人たちは薄いシートに腰を下ろして休憩を楽しんでいる。

本を見るのも白い紙に絵や字を書くのも、ひとやすみということらしい。

ミュウツーは一歩も二歩も離れたところから、そんな彼らを見ている。


どうしてこんなことに、とミュウツーはふたたび虚空に問いかけた。

誰からも、またどこからも返答はない。

幾度となく自問しているのに、答えは一度も得られていなかった。


アロエ「あっ、そうだ」


小さな声でそう呟くと、アロエは小振りなバスケットを手に取った。

彼女自身が持ち込んだ籠から、さまざまな色のきのみを適当に放り込む。

少なくともミュウツーには適当に選んでいるようにしか映らなかった。

ジュプトルがやる気のない目つきでその動きを追っている。

放っておけば遠からず眠ってしまいそうだ。

199 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/05/13(土) 23:40:05.35 ID:kt/KZChQO

アロエ「よし、こんなところかな」


すると人間の女は座ったまま上半身を捻り、ダゲキにぐいと顔を近づけた。


アロエ「ねえダゲキくん」


不意を突かれたか、ダゲキは露骨にのけぞり目を丸くしている。


アロエ「あのね、キミの大事な友達に、これ届けてあげてくれるかな」


なんとか踏みとどまり、首を縦に振るダゲキの姿が見えた。

あっ、と不安そうな表情でミュウツーに視線を送る。

『頷いてしまったが、よかったのか』と慌てている顔だ。


アロエが、少しわざとらしいしぐさでこちらを向いた。

含むところのある笑みをミュウツーに見せ、またすぐに彼に語りかける。


アロエ「そう言ってくれて助かるよ」


彼女は口の横に手を添えて首を縮め、こそこそ話している。

いかにも彼にだけ伝えようとしている身振りだ。

もっとも、実際には耳を澄ますまでもなく、ミュウツーにも十分に聞こえている。


ミュウツー(やっていることのわりに、“内緒話”にするつもりはないということか)

ミュウツー(ニンゲンは、本当に不思議なことをする)

200 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/05/13(土) 23:40:56.88 ID:kt/KZChQO

アロエ「あの子は、どうもあたしたち人間には、姿を見られたくないって話だから」

アロエ「キミたちはみんな、それぞれに事情があるんだろうし、ね」


話しかけながら、人間の女はバスケットを彼に差し出した。

そしてダゲキに手の平を示し、頭を撫でるしぐさをしてみせる。


アロエ「キミは……“いいこいいこ”しても平気かな?」


二、三度まばたきしてから、ダゲキは小さく頷いた。

目の前に置かれたバスケットを両手で抱え、立ち上がる。

アロエはすかさず、中を覗き込む彼の頭を撫でる。


アロエ「じゃあ、お願いね」

アロエ「キミの好きそうな味のきのみも入ってるから」

アロエ「なんなら、あっちで一緒に食べてきてもいいよ」


ダゲキが重々しい動作で向きを変えた。

その背中をトン、とアロエが軽く押す。

なぜか少し申し訳なさそうな目でミュウツーを見上げ、ダゲキはのんびりと歩き始めた。

ミュウツーは意味もなく緊張を覚える。

本を持つ手に力が入るのが自分でもわかった。

アロエは背後からそれを見守り、満足そうに笑う。


はらはらする、という気持ちを初めて感じた瞬間だった。
201 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/05/13(土) 23:51:29.80 ID:kt/KZChQO
見返すと信じられないくらい短いけど、今日は以上です

>>191-196
ありがとうございます!
自分でも忘れない限り保守します
まずなによりも頑張ります!

予告↓
                 ┌────────┐
                  |> アロエのむね.   │
                 │  アロエのひざ  .│
                 └────────┘
┌────────────────────┐
│きみは どっちが いいんだい?▼        │
└────────────────────┘

202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/13(土) 23:55:54.80 ID:nvcshHp9o
乙です
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 00:03:26.45 ID:5zp+p3StO
来てた!乙です!
アロエさんならひざかな…
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 01:40:57.69 ID:SXtpCaKco

……尻、かな
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 06:38:11.99 ID:57LlTBwf0

アンケートに反してもふもふの髪の毛かの
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 10:55:07.01 ID:WMqf79/0o

いいこいいこ一択
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/15(月) 16:27:27.72 ID:+NVacnT70
追いついたぁっ!!!!
ミュウツー好きなBBAには幸せなSSだ!
最近のポケモンは知らないからググりながら読んで楽しんでます!
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/03(土) 01:15:45.31 ID:OwqlZj5/o
ホッシュ
209 : ◆/D3JAdPz6s [sage]:2017/06/13(火) 23:14:25.13 ID:pytwHZDzO
保守
210 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:03:05.31 ID:xCyGumQ8O

ダゲキが両手でバスケットを抱え歩く姿が見える。

しきりに足元を気にしている。

そこまで重い荷物とも思えないが、妙に進みづらそうだ。

彼の向こうには心配そうなヨノワールの、あるい眠そうなジュプトルの目が並んでいる。

アロエは笑顔でこちらを見守っている。

彼女が、声には出さず口だけを動かすところが見えた。


アロエ(が、ん、ば、れ)


口の動きは、そう言っている気がする。


肝心の激励が誰に向けられたものなのか、よくわからなかったが。

自分は何も頑張りようがないはずだ。

ダゲキにいたってはアロエに背を向けている。

彼女の口元さえ見えまい。


追求しようと思えば、いくらでもできるかもしれない。

だがミュウツーは、『人間は不思議なことをする』と思うに留めることにした。

ダゲキがミュウツーの足元に到着し、立ち止まったからだ。


眼前までやって来たダゲキを、ミュウツーはじっと見下ろした。

バスケットをわずかに差し出す姿勢で待っている。

表情はどこか不満そうだ。

ミュウツーは今まで読んでいた本を勢いよく閉じ、脇に置く。

それからバスケットの中身に手を伸ばした。

なるべく身体が露出しないよう、いつもと同じように注意する。


だがその“いつもと同じように”気をつけることが、今はこの上なく滑稽なことに思えた。

自分の身を守るために、必要なことだと考えてやっているのに。

“自分の身を守るために”。

なんと自分本位なのだ。

きっとそれこそが、すべての間違いの元だったのだろう、と思う。


ミュウツー『悪いな、ひとつもらおう』

211 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:04:54.12 ID:xCyGumQ8O

するとダゲキはわずかに表情をこわばらせた。

口を開こうとしたが寸前で今の状況を思い出したらしく、慌てて閉じる。

ミュウツーは仕方なく、伸ばしかけていた手で自身の頭を指した。

すると、彼は合点のいった顔で頷いた。


ミュウツーは、こっそりと人間の女の様子を盗み見る。


ミュウツー(……今のは、少し危険だったか)

ミュウツー(もし、今のやりとりの意味を正確に理解されたらまずいな)

ミュウツー(それはそのまま、こいつらの特異性をニンゲンに知られることにもなるか)

ミュウツー(これからは、もっとずっと慎重でなければいけない)


後悔にも似た、居心地の悪い思いが腹の中で膨らんでいく。

最近、そんな感情に囚われてばかりだ。


“ああすればよかった、こうすればよかった”。

“あんなこと、しなければよかった”。

“本当にそうすべきだったのだろうか”。


ダゲキ(ぼくが、わるい?)


自分が何か咎められていると思ったのか、彼の表情は硬い。


ミュウツー『いや……そういうことではなくてな』


罪悪感の口をむりやり塞ぐ。

ミュウツーはダゲキの持つバスケットから、改めてきのみをひとつ拾い上げた。


ミュウツー『お前に運ばせて申し訳ない、手間をかけさせてすまない、と』

ミュウツー『そういうことを言いたいだけだ』

ダゲキ(……そうなんだ)


ほっとした顔で、ダゲキが緊張を緩めた。


ミュウツー『感謝はしているぞ』

ダゲキ(うん、ありがとう)

212 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:06:22.72 ID:xCyGumQ8O

ダゲキはミュウツーと自分の間に、バスケットをそっと置いた。

自分も床に座ると、ちらっとミュウツーを見上げる。


ダゲキ(あのニンゲンと、どんな はなし、した?)

ミュウツー『どうしてそう思った』

ダゲキ(すごく かんがえてる かお、してた)


ミュウツーから視線を外し、ダゲキはバスケットを眺める。

傍目には、ただきのみを物色しているようにしか見えない。


ダゲキ(だから、あのニンゲンと、はなし してるのかな、って)


視線を自分の手に落とす。

ミュウツーの手の中には、さきほどから紫色のきのみが握られている。

全体が三日月のようにきつく曲がり、尖った端だけが黄色っぽい。

ほのかに甘ったるい香りが漂っている。


ミュウツー『よくわかったな』

ダゲキ(ぼくとか みんな……と、はなしてる ときと、おなじ)

ダゲキ(だから、ヨノワールも、ジュプトルも、ぼくも わかった)


淡々と述べるようでいて、上目遣いがどこか誇らしげだ。

その理由は、さすがのミュウツーにもなんとなく察しがつく。


ミュウツー『なるほど、やるじゃないか』


ダゲキがわずかに口角を上げ、視線を下げた。


ミュウツー(褒められて照れるなら、最初から自慢などしなければいいだろうが)

ミュウツー(……相変わらずだな)

ミュウツー(私に何を期待しているんだ、こいつは)


ミュウツー『だが、それならもう少し上手く隠せるようにならないとな』

ミュウツー『お前たちにすら、こうも簡単にばれてしまうようでは、私が面白くない』

213 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:08:41.18 ID:xCyGumQ8O

手に持っていたきのみを、言葉の勢いに任せて半分ほど齧る。

より強くなった甘い香りと、それに相応しい強い甘味が口の中に広がった。

思ったより歯応えがある。

ただひたすら、粘り気があるような気さえしてしまうほど甘い。

一方で、他の風味はまったく感じられない。

酸味が少しあればなおよかったが、これはこれで嫌いではない。


ミュウツー『……なかなか悪くないな』

ミュウツー『ああ、今のは、本当に“まずくない”という意味だ』

ダゲキ(……ニンゲンのことば、むずかしいね)

ダゲキ(『わるくない』は、『いい』んだ……うん、わかった)


眉間に皺を寄せ、ダゲキはそう頭の中で呟く。

ミュウツーと同じように、抱えてきたバスケットからきのみを取り出した。

赤く、短い棒にでこぼこがついたような形をしている。

ミュウツーも見たことのないきのみだった。


ダゲキは片方の端をおそるおそる持ち、くるくる回す。

彼なりに、未知のきのみを観察しているように見えた。


ミュウツー『それで、そっちはどうなんだ』

ダゲキ(まだ たべてない)

ミュウツー『そうじゃない』

ダゲキ(うん)


そう言いながら、ダゲキは顔をきのみに向けたまま、目だけでミュウツーを見た。

わかっていて、わざとああ言ったということらしい。

そこまで思い至って納得したものの、ミュウツーは驚いていた。

はたして彼は、そんな冗談を言う奴だっただろうか。


ミュウツー『お前、少し変わったな』

ダゲキ(そうかな)

ダゲキ(どんなふうに?)

ミュウツー『……なんというか』

ミュウツー『今のは……あまりお前らしくない、ような気がする』

214 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:11:07.36 ID:xCyGumQ8O

ぼきっ、と湿った音がした。

見ると、ダゲキが赤いきのみを半分に折り、断面から匂いを嗅いでいる。

だが手でもてあそぶばかりで、なかなか口に入れようとしない。


ダゲキ(じゃあ、もう いわない)


彼は顎を突き出して、残念そうに目を伏せた。

そういう反応も、そのしぐさも、彼らしくないといえば彼らしくない。


ダゲキ(ぼくは あのひと、……いい ニンゲンだ、って おもった)

ミュウツー『そうか』

ダゲキ(とじこめないし、どならないし、ぶたない)

ミュウツー『それは、そうだな』

ミュウツー『お前に対して、お前が受けてきたような仕打ちをしたニンゲンは、たしかに“わるいニンゲン”だ』

ミュウツー『もちろん、そこにいるニンゲンの女も、当然だが同じニンゲンだ』

ダゲキ(でも、それは べつのニンゲンだよ)

ミュウツー『……そうだ』

ミュウツー『言われてみれば、その通りだ』

ミュウツー『だが、あのレンジャーも“べつのニンゲン”だ』

ダゲキ(……そうだけど)


なんだか腑に落ちないというか、不本意そうな顔だ。

あのレンジャーについては、あまり触れてほしくなかったのかもしれない。

彼らの関係が単純明快なものではないことくらい、ミュウツーにもわかっている。


ダゲキ(……ヨノワールは、きょう とても、うれしそう)

ダゲキ(ぼくも たのしい)

ダゲキ(ジュプトルも、きにいった、みたい)

ミュウツー『それなら……』


彼はあからさまに話を逸らし、ふたたびミュウツーを見上げた。

黒く大きな目が、蝋燭の暖色をちらつかせている。


ダゲキ(ぼくたちは、きみに か、カンシャ、してるよ)

215 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:12:37.95 ID:xCyGumQ8O

なぜだか、身体の中で鼓動を出す場所が、ずきずきと鈍く疼いた。

痛みといえるほどの痛みではないが、妙に息苦しい。

怪我でも病気でもないのに。


ミュウツー『それなら、よかった』

ダゲキ(つかいかた は、あってる?)

ミュウツー『ちゃんと合っている』

ダゲキ(よかった)


胸に響く甘い不快さは、薄膜のような自己嫌悪を伴なっていた。

友人たちはこうして喜んでくれているというのに。

悪いことをしているわけでもないのに。

よかれと思って、しているつもりのことなのに。


ダゲキ(……これ、やっぱり みたことないなぁ)

ミュウツー『だったら、さっさと食べてみればいいだろうが』

ダゲキ(そうだね)


赤く瑞々しい断面のきのみを、ダゲキはようやく口に放り込んだ。

一、二度、彼はゆっくり噛み締める。

わずかに目の下を痙攣させたあと、満足げに口許だけで笑った。


ダゲキ(……おいしいよ)

ミュウツー『ほう』

ダゲキ(ちょっとからいけど、たべる?)


そう言いながら、彼は半分に折った残りをミュウツーに差し出した。

受け取って匂いを嗅ぐが、わかりやすい匂いはない。

ならば、と赤いきのみを口に押し込み、噛み砕く。

すると、思いがけない――ある意味で予想通りの――刺激が口の中に溢れた。


ミュウツー『……辛っ!!』


216 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:14:58.29 ID:xCyGumQ8O




アロエ「キミは、本当に辛い味が好きなんだねえ」


呑気な問いかけに、ダゲキはアロエを見遣り、黙って頷いた。

だが彼の視線は、すぐ煌々と光る懐中電灯の照らす先に向けられる。

懐中電灯そのものが物珍しいのだろうか。

やや身を乗り出しているところが、子供のようだ。

それでも、彼の手はアロエの左手をしっかり握っている。

手を繋いでいるためにバランスが取りにくいのか、いくらか歩き方が心許ない。

もっとも、じっと握っていられるだけ立派なものだ、とアロエは自分の子供を思い出した。


アロエ「あのきのみ、たぶんあの中で一番、辛いんじゃないかな」

アロエ「でも、キミは涼しい顔してたもんねえ」


返事はなかった。

ダゲキは少し照れくさそうに、左手で自分の顔に触れている。


夜の博物館は書斎より遥かに暗く、空気ごと寝静まっていた。

光源は、行く先々に点在する誘導灯とこの懐中電灯だけだ。

そんな展示室の中で、無数の展示物たちがじっと息を潜めている。


いくつにも分かれた展示室を一通り巡回し、不審者を含め異常がないか確認していく。

いつもなら警備員がする仕事だ。

こうして遅くまで残った日には、アロエ自身が巡回することもある。

見慣れた部屋、やり慣れた仕事とはいえ、こんなふうに複数人で回るのは初めてだった。


聞こえてくるのは、アロエの硬い靴が鳴らす勇ましい足音だけだ。

あとのふたりは靴を履いていないか、そもそも脚がなかった。


アロエ「ヨノワールくんも、辛いのは好きなんだよね」

217 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:16:36.99 ID:xCyGumQ8O

声をかけ、懐中電灯をヨノワールの手に向ける。

ヨノワールは立ち止まり、振り返って“にっこり”頷いた。

通路の左右に並ぶ展示物に触れないよう、懸命に巨体を縮めている。

いつ見ても目玉はひとつしかないし、身振りもおどおどしている。

だがその目玉だけで、ヨノワールは思いのほか表情豊かなのだった。

「それはよかったねえ」と呟き、アロエは再び懐中電灯を前方に向けた。


アロエ「でも、あのシーツを被った子は、辛いのがちょっと苦手みたいだね」

アロエ「……あの子は酸っぱいのが好きなんだっけ?」

アロエ「辛いきのみが好きな子もいる、ってあの子から聞いてたから」

アロエ「もらいものの辛いヤツをとっておいたんだけど」

アロエ「さすがに、苦手な子にはキツかったか」


丸い光がケース内の展示物を次々に照らしていく。

指差された先を見るように、照らす先をダゲキが目で追っていた。

人間の大人ほどの背丈はないが、子供というには身長もありがっしりしている。

手を引いて歩くという意味では、あまり馴染みのないサイズの相手だ。


アロエ「ゴミとか変なものとか、落ちてたら教えるんだよ」

アロエ「それに泥棒とかがいたら、捕まえなくちゃいけないからね」


ぶうん、とヨノワールの声がした。

重大な任務を引き受けたと言わんばかりに、急に胸を張ってあたりを見回し始めた。

巨体を器用に滑らせ、一足先に――脚はないが――順路を進み、少し広い場所へ出る。


アロエ「あとは……そうだねえ、展示品で気になるものはあるかな」

アロエ「ちょっとくらいなら見てても、時間的には大丈夫だと思うから」


横目で見ると、ダゲキも物陰を気にしてきょろきょろし始めていた。

自分が言った通りに、落ちているものを探しているようだ。


アロエ(随分、素直というか、なんというか……)

アロエ(こんな子たちが、どうして森に逃げ込むことになったんだろう)

218 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:18:37.21 ID:xCyGumQ8O

暗がりの中で、ふたたびヨノワールの低い声が響く。

何か見つけたのだろうか。

正面の解説パネルと巨大な石の壁に音もなく近づいていく。

アロエは慌てて、ヨノワールの行き先に懐中電灯を向けた。


壁には、正方形に近い石の壁画が二枚、中央に解説パネルを挟んで展示されている。

見上げるほどの石壁は、懐中電灯の遠い光に幽霊じみた曖昧さで浮かび上がっていた。

壁画は人間の背丈より遥かに大きく、ヨノワールと比べてまだお大きい。

それぞれ中央に巨大な何者かが描かれ、よく見ると向かい合う構図になっていた。


アロエ「大きいでしょ」

アロエ「カンナギっていう町にある、大昔の壁画だよ」

アロエ「歴史ある古い町でね、町の中心に遺跡があるんだ」

アロエ「その遺跡を護ってる壁画、ってところかな」

アロエ「といっても、本物はこんな遠くまで持ってこれないから」

アロエ「ここで展示してるのはレプ……そっくりの作り物なんだけどね」


ヨノワールは背を丸め、パネルの解説文を睨んだ。

読めているかどうかはさておき、きちんと文字の流れる方向に視線を動かしているようだ。

このヨノワールは、これまでどんな人間と過ごしてきたのだろうか。


アロエ「ふふふ、大人向けの説明だから、ちょっと難しいかもねえ」

アロエ「そこに書いてあるのはね、シンオウの……」


舐めるようにパネルを見ていたヨノワールが、不意にある部分を指差した。

低く響く鐘のような声を出して、アロエを振り向く。


アロエ「なあに?」


ヨノワールが指す場所を見るため、アロエがパネルに近づいた。

引き摺られるようにしてダゲキも追随する。

自分の子供が小さかった頃を思い出して、アロエは不思議な気持ちになった。

あの頃も、こうして子供に展示物を見せたものだ。


アロエは指差された箇所を声に出して読み上げた。

219 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:20:17.81 ID:xCyGumQ8O

アロエ「……シンオウの伝承には、他の地方と毛色の異なる死生観が根付いている」

アロエ「ある特定の場に死後の世界との接点を見出し、」

アロエ「生と死の変化に可逆性を暗示する記述が多い」

アロエ「人間とポケモンの境界を曖昧に捉える点でも興味深く……」

アロエ「……読むのは、ここでいいの?」

アロエ「……また様々な理由から調査が遅々として進まないが」

アロエ「この伝承で頻出するのは、『おくりのいずみ』、『もどりのどうくつ』、」

アロエ「そして、ごく僅かな記述のみが確認される……」


ある部分に差し掛かったところで、ヨノワールの声が空気を震わせた。


アロエ「もどりのどうくつ?」


ヨノワールが大きく頷く。

その言葉に聞き覚えがあるということなのだろうか。

アロエの脇では、背筋を伸ばしてダゲキがパネルを見ている。


アロエ「もどりのどうくつっていったら、シンオウでもかなり奥深いというか」

アロエ「あんまり人が出入りするような場所じゃなかったと思うけど……」

アロエ「じゃあキミは、そこから来たの?」


もう一度、目を細めて頷く。

ダゲキが不思議そうな顔で、ヨノワールを見上げている。

彼にとっても、今の話は初耳なのだろうか。


アロエ「シンオウから、このイッシュに、ひとりで?」


今度は首を横に振る。


アロエ「じゃあ、トレーナーと一緒にかい?」

アロエ「……あれ、でもキミ、その……トレーナーに捨てられた……んだっけ?」


ヨノワールは慌てて両手を振り、否定するしぐさを見せた。

ぶうん、ぶうんと低い振動が地面を這っている。

『捨てられたわけではなく、』と懸命に説明してくれているのは、かろうじてわかった。

残念なことに、何を言わんとしているのか、正確なところはよくわからない。

220 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:23:10.81 ID:xCyGumQ8O

アロエ「わかったわかった」

アロエ「……そっか、みんな同じようにヤグルマの森にいても、事情はホントにいろいろなんだね」

アロエ「あの子もちょっとだけ話してくれたけど……」

アロエ「辛い思いは、それぞれにしてるってことか」

アロエ「あんまり詮索するのもどうかと思うし、必要がなければ根掘り葉掘り聞かないから」


そして、アロエは横で背伸びしているダゲキを見下ろした。


アロエ「もちろん、キミのこともだよ」


ダゲキはきょとんとしている。

まだパネルを読もうと苦戦していたようだ。


アロエ「……まあいいや。そろそろ戻ろうか」

アロエ「見回りはだいたい終わったし、あまり時間をかけると心配させちゃうからね」


巨大な両手を擦り合わせ、ヨノワールは頷いた。

ふわふわと漂い、先導するように意気揚々と先へ進む。


そのうち、展示室同士をつなぐ何もない通路にさしかかった。


アロエ「あれが入ってきた非常口だよ」


小声でそう言いながら、アロエは懐中電灯で通路の奥に見える非常口を示した。

光につられてダゲキも非常口を仰ぐ。

扉の上には、緑色の光を放つ小さな誘導灯がある。

この暗闇の中では目に刺さるほどの明るさだ。


扉の脇に、金属製の鎖を渡したパーテーションが寄せられていた。

巡回を始める時にアロエ自身が脇に避けたものだ。


アロエ「ヨノワールくん、そこの非常口から書斎に戻ろっか」


張り切ったヨノワールがパーテーションを持ち上げ、もう少し隅に寄せようとした。

221 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:24:35.39 ID:xCyGumQ8O

だが、次に聞こえたのはけたたましい金属音だった。

ガシャン、じゃらじゃらと遠慮のない騒音が響く。

どうやら、ヨノワールがうっかりチェーンを取り落としたようだ。

重い鎖が支柱から外れ、床に転がっているのが見えた。

雑踏ならいざ知らず、しんとした室内では余計に耳障りだ。


アロエは無意識に息を止めていた。

しばらくして、そっと息を吐く。


アロエ「……うーん、凄い音だったねえ」


音に驚いたのは、十秒にも満たない短い時間だったはずだ。

アロエの耳にはまだ、聞こえが悪くなるほどの残響が残っている。

もっともそれはアロエに限った話ではなかったらしい。

ヨノワール自身も、耳障りな音に目を歪めていた。


アロエは努めて平静を装う。


アロエ「怪我とかしてない?」

アロエ「たまにあることだから、気にしなくていいよ」


いかにも大したことではない、という笑顔を浮かべてみせる。

彼らには何の責任もないからだ。

自分は、あとから警備の人間に釈明しなければならないかもしれないが。


ヨノワールは申し訳なさそうに肩を縮め、自分が落としたチェーンをそっと摘み上げている。

気の毒なほど慎重な動作で支柱に戻し、パーテーションを扉の脇に動かした。

今度こそ上手くできたからか、ヨノワールは傍目にも安堵した様子だ。


アロエ「さてと、それじゃ」


ふたたび歩き始めたアロエの左手に妙な抵抗があった。

手を繋いでいるダゲキが立ち止まって動こうとしない。


アロエ「どうした?」

222 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:26:38.21 ID:xCyGumQ8O

そう言いながらアロエは振り返った。

ダゲキが少し俯いている。

何気なく覗き込むと、アロエの顔に緊張が走った。


アロエ「……ダゲキくん?」


ダゲキは目を大きく開き、地面を固く見つめている。

呼吸は浅く、かけた声にも反応しない。

握った手には、少し力が入りすぎている。


アロエ「ヨノワールくん」

アロエ「悪いんだけど、先に戻っててちょうだい」


ヨノワールは一瞬、不思議そうな目をした。

だが、すぐに事態を察したのか、アロエの言葉に素直に従った。

懸命にドアを開けようとしているが、なかなか上手くいかない。

人間用のドアノブには手が大きすぎて開けにくいようだ。


ようやく扉を開けると、ヨノワールはアロエを振り返った。

アロエは無言で頷き、目で促す。

無理やり身体を押し込むようにして、ヨノワールは扉の向こうに消えた。

書斎に残してきた連中にも、これで状況は伝わるはずだ。


扉が閉じる音を確認してから、アロエは深呼吸する。

余韻は間もなく消え、あたりは静かになった。


アロエ「……さてと」

アロエ「びっくりしちゃったねえ」


驚かせないように、ゆっくり静かに話しかける。

まるで大きすぎる子供をあやしている気分だ。

この感覚は少し懐かしい。

握られたままの手は少し痛いが。

アロエはなるべくゆったりした動作で頭に触れた。

223 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:30:24.03 ID:xCyGumQ8O

触れたことに対してか、かすかに彼の肩がひきつる。

身体の緊張が解ける気配はない。

立ったまま抱き抱えるように、がっしりした背中をゆっくりさする。

努めて穏やかな声でダゲキに話しかけた。


アロエ「すごく大きな音だったもんね」

アロエ「あたしもびっくりしたよ」


少しの間があって、彼は一度だけ、時間をかけてまばたきした。

それを認め、アロエはまた言葉を続ける。


アロエ「ゆっくりでいいから、息を深く吸ってごらん」

アロエ「そうそう、上手にできたね」

アロエ「そしたら、次はゆっくり吐く」

アロエ「……ちゃんと聞こえてるね? あたしの言ってること」

アロエ「今あたしたち、手を繋いでるのがわかる?」

アロエ「ここには、あたししかいないから」

アロエ「……だから大丈夫だよ」


アロエは言葉を切ってしばらく様子を見る。

少しずつだが、呼吸が落ち着いてきたのがわかった。

目はかすかに揺れ動き、まばたきの回数も増えている。


アロエ「……ごめんね」

アロエ「キミたちは今日、ものすごく頑張って、ここに来てくれたのにね」


反応はない。

様子から見て、聞こえていることは確かだが。


アロエはふと新聞記事を思い出した。

それから、シーツで頑なに正体を隠すあのポケモンが脳裏をよぎった。

次に、いま書斎で待っているだろうジュプトルやヨノワールのことも。

このダゲキもまた、心に傷を受けてあの森に至ったに違いない。

どういう経緯で受けたどんな傷か知らない。

だが、人間に原因があることは間違いない。

それを捕まえて、こんなふうになだめる権利が、自分にあるのだろうか。

224 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:31:20.62 ID:xCyGumQ8O

黙って背中を撫でていると、ダゲキがのろのろと顔を上げた。

こちらを見上げる目には、驚きと困惑の色が濃い。

どうやら、徐々にだが元の状態に戻ってきているようだ。

手を握る力がわずかに弱まった。


アロエ「やあ」

アロエ「調子はどう?」


ダゲキはまばたきする。


アロエ「ちょっと寄り道しちゃったね」

アロエ「そろそろ、キミのお友達が心配しちゃうかもしれないね」

アロエ「みんなのところに戻ろうか」


事態を飲み込めていない顔でダゲキが頷いた。

どこか不安そうにあたりを見回している。


アロエ「大丈夫、大丈夫」

アロエ「さっきの部屋に戻れば、みんな待ってるよ」


彼の大きな目がアロエを見上げた。

『みんな待ってる』という部分に反応したように思う。


アロエ「きのみもまだたくさんあるから」

アロエ「戻って、お友達と一緒に食べよう」

アロエ「歩ける?」


今度は少しはっきりと頷いた。

ほっと息をつき、アロエは懐中電灯を進行方向に向ける。

移動する光を、またしてもダゲキは目で追っている。

ひとまず大丈夫そうだ。


アロエはそんな彼の手を引いて、ふたたび歩き始めた。





225 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:35:00.65 ID:xCyGumQ8O
今回はここまでです

>>203-206
正解は『アロエの胸に顔を埋めてよしよし』でした!
私は膝枕がいい

>>207
こんなに長いのにありがとう!
他のポケモンも好きになってください!!
SSに出してるポケモンはみんな好きなんです!

ではまた!
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 23:35:48.10 ID:rR4eRERfo
乙です
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/17(土) 00:25:40.33 ID:QgHEHyzyo
おつおつ
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/17(土) 18:14:37.24 ID:x5k/5y/So
毎度どきどきするなあ
229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/17(土) 18:24:24.00 ID:8NYFg3+f0

更新長めなのに1分以内に乙が来とるなwwww

誰かうっかり人語を喋らないか不安だな
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/18(日) 11:44:35.95 ID:8aEEgk4x0
来てた乙!
楽しみすぎる…
231 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/07/14(金) 22:07:59.25 ID:BIcAU8B9O
保守
232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/05(土) 01:06:11.40 ID:quSGUd+No
ホッシュ
233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/12(土) 23:47:17.45 ID:O2+wsln70
保守ぅ

ポケモンが人語喋りだしたらバトルに出しにくいよね...
234 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/08/15(火) 22:24:16.23 ID:zywb0QOgO
保守。
なかなか時間が作れない…

>>233
メガテンの仲魔もみんなめっちゃ喋るけどめっちゃ戦わせてるからへーきへーき
235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/11(月) 00:56:10.93 ID:PoMvoD/Eo
236 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:42:31.64 ID:rkTzmv0FO

書斎に戻ったヨノワールは、血相を変えてミュウツーとジュプトルに経緯を説明した。

とはいえ、伝えることができるのは自分の目で見た部分だけだ。


途中までは問題なく『見回り』ができていたこと。

自分がポールに掛けられていた鎖を床に落としたこと。

それを機に、彼がおかしくなったこと。


いつも以上に口は回らず、言葉も浮かばず、うまく話せない。

要領を得ない話しぶりにもかかわらず、友人たちは茶々も入れずじっと聞いていた。

やっとのことで説明を終える。

ふたりが顔を見合わせた。


ヨノワールは不安にかられ、おろおろしてふたりの反応を待った。

言いたいことは言えたのだろうか。

伝わってほしいことは、ちゃんと伝わったのだろうか。


するとミュウツーは深い溜め息をつき、首を横に振った。

ジュプトルは溜め息こそつかないものの、鼻筋を掻いて困った顔をした。


意外なことに、ふたりともあまり深く追及してこない。


そこでふと、ヨノワールは思い至った。

ふたりは彼の異変について、わけを察しているのかもしれない。

こんな事態になることも、ある程度は予想できていたのかもしれない。

普段からの付き合いは彼らの方がずっとある。

心当たりがあってもおかしくなかった。

では、自分はどうだ。


ヨノワール(わたしは なにも しらない)

ヨノワール(……)

ヨノワール(じぶんの ことだけ、かんがえてた からだ)
237 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:48:31.20 ID:rkTzmv0FO

何かに急き立てられ、焦る気持ちばかりが膨らんでいく。

なぜ、自分はこれまで知ろうとしなかったのだろう。


今となっては修正しようのない過去だ。

なぜと嘆いても意味はない。

それでも後悔せずにはいられなかった。


ミュウツーはじっと考え込んでいる。

結論を待つヨノワールは、まるで判決を待つ罪人の気分だった。


長考ののち、ミュウツーはふたりに視線を送る。

『早めに切り上げよう』とだけ、テレパシーで伝えてきた。

ジュプトルは「うん」と唸り小さく頷く。

むろん帰ることについて、ヨノワールも異論はない。

ないが、ヨノワールにとってはただ死刑の宣告が遠のいただけだ。


ヨノワール「ダ……ダゲキさんは」

ヨノワール「なにが あったんですか」

ジュプトル「わかんない」

ジュプトル「けど、いろいろ だと、おもうよ」

ジュプトル「みんな、そうだもん」

ミュウツー『……それは、そうだな』

ジュプトル「おれは よく しらない」

ジュプトル「あいつ、あんまり そういうの、いわないし」

ヨノワール「き きいたら」

ヨノワール「おしえて もらえる でしょうか」

ジュプトル「ううーん……」


ジュプトルは意見を仰ぐようにミュウツーを見上げる。

ミュウツーは何も言わず、肩を竦めるだけだった。
238 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:51:53.62 ID:rkTzmv0FO




硬い床の上に立っているのに、足元は妙にふわふわしている。

身体の表面が痺れて、頭の芯までぼんやりしていた。

全身の血の巡りが急に悪くなったような感触だ。


自分とそれ以外の境目が妙に不明瞭に思えた。

今の自身の状態について、ダゲキはそんなふうに認識していた。

いつもは当然のように区別できているのだが。

というよりも、その点で疑問を抱いたことすらなかった。


ぐったりするほど眠いようでいて、目の裏はぎらぎらしている。

動けないほど身体は重いのに、宙に浮いている感じがする。

周囲は目に映っているのに、よく見えない。

音は耳に届いているのに、よく聞こえない。


今度は首筋がひやりとする。

暑さと寒さが交互にやってくる。

びりびりした鋭い痛みと、痺れたような鈍い痛みを同時に感じた。


――……くりでいいから、息を深く吸……


不明瞭な雑音としか感じられなかった音が、徐々に言葉として意味を持ち始めた。

かけられた言葉の内容が、だんだん理解できるようになっている。


息を吸え?

言われたとおりに、ダゲキはゆっくりと息を吸った。

機械油を溢したようにぎらぎらしていた視界が、少しずつ元に戻っていく。

自分が今、ひんやりした硬い地面に足をつけていることが認識された。

重心が爪先の方にかかっていることも。


――ここには、あたししかいないから

――だから大丈夫だよ
239 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:57:26.27 ID:rkTzmv0FO

まだ少しぼやけた誰かの声を聞きながら、ダゲキはまだ立ち竦んでいる。

五感が戻ってもなお身体はうまく動かない。

動かそうという気持ちすら起こらない。

意識はふわふわと漂い、半分眠っているような感覚だった。


そのうち、不思議な感触に気づいた。

自分の背中に誰かの手が当たっている。

敵意も悪意も感じられない、柔らかくて温かい手だ。

その手は、考えてみればずっと背中をさすっていた気がする。


ダゲキ(……こんな かんじ)

ダゲキ(まえにも……あった)


ダゲキ自身の記憶は、そこからまたあやふやだ。


いつの間にかアロエに手を引かれ、薄暗い書架の間を歩いている。

彼女はあれきり黙ったままだ。

いま聞こえるのは、アロエの硬そうな靴音とその反響だけだった。


彼女が立ち止まる。

反射的にダゲキも足を止めて視線を上げた。

億劫だったが、かろうじて周囲を見る。

風景に見覚えがある。

ここはどうやら、自分たちがいた部屋の近くだ。


アロエは近くの書架に手をかけ、何かの様子を窺っている。

そして折り曲げた指で硬い本棚をノックした。


書斎の奥から、ばたばたと慌ただしく動き回る音が聞こえ始めた。

アロエがダゲキを振り向く。
240 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:01:17.85 ID:LI7cZ/eGO

アロエ「……今頃、大慌てであの布っきれを被ってるところなんじゃない?」

アロエ「あれ、前にいたところから持ってきたのかな」

アロエ「キングサイズ?」

アロエ「あんな大きなシーツ、見たことないよ」

アロエ「……」

アロエ「大変だよね、あの子も」


少しだけ笑った顔を作り、アロエは優しい声で言う。


アロエ「うちにいらない生地とか、あったかな……」


ダゲキはなにも反応できないまま、二三度まばたきした。

人間が何を考えているのか、よくわからない。


音がやんだ。

彼女に続いて、ダゲキも書斎に踏み入る。

今度はガタガタとスツールをずらす音が聞こえ始めた。

同時に、書斎の奥で誰かがすっと伸び上がる。

音と動きにつられて、ダゲキはその方向に目を向けた。


呻いて息を呑む。


やわらかな蝋燭の光に照らされる、背の高いミュウツーの姿が見えた。

すぐそばでヨノワールが心配そうに佇んでいる。


ミュウツーの頭部から長く垂れたシーツが、足首のあたりでかすかに揺れた。

そのために、隠したいはずの白い手足がわずかに見え隠れしている。

人間から外見を隠すために全身を覆っているのに、不思議と堂々としている。

まるで、ミュウツー自身がおぼろげに光を放っているかのようだ。

見慣れた姿だ。


その姿に、ダゲキは息をするのも忘れて見とれていた。
241 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:06:52.19 ID:LI7cZ/eGO




ヨノワールは、遅れて戻ったダゲキを静かに観察していた。

様子のおかしい彼のことが、どうにも気がかりだったからだ。

当のダゲキは、戸惑った表情でおとなしく引き摺られている。

一方、彼の手を引いて帰ってきたアロエは少し困ったような笑顔だ。

ダゲキはヨノワールたちに気づくと、緊張した面持ちで何かに釘付けになった。


ミュウツー『大丈夫か』


声が目の後ろあたりを突き抜けていく。

聞き慣れたミュウツーの、テレパシーによる声だ。


その声で我に返ったのか、ダゲキはやけに驚いた表情を見せた。

何か言いかけ、そして空いている方の手で口を塞ぐ。

うっかり“いつもと同じく”喋ってしまいかけたということらしい。

息を飲み込んで口を引き結び、黙って首を縦に振った。


ヨノワールもミュウツーを仰ぐ。

ちょうど大きく息を吐き、腰を下ろすところだった。


ミュウツー『……そうか』


ヨノワールはふたたび、いま戻ったばかりのダゲキに目を向ける。

見たところ、おかしな様子は影を潜めているようだ。

まだ寝起きのようなおぼつかなさはあるが、目つきも足取りもしっかりしている。

いつもの彼に戻りつつある。

少なくとも、ヨノワールにはそう見えた。


自分でも気づかないうちに、ヨノワールは胸を撫で下ろしていた。
242 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:09:46.26 ID:LI7cZ/eGO

ヨノワール(……わたしは……)

ヨノワール(わたしは……“よかった” と、おもった?)


友人が無事に戻ったことが無性に喜ばしい。

そう感じる自分を、ヨノワール自身も意外に思った。


ヨノワール(ダゲキさんが、もどって うれしい?)

ヨノワール(みんなが、ぶじで うれしい?)


身体の真ん中あたりがきりきりと痛む。

意味もなく自分の手を見る。

自分が何に怯えているのか自分でもわからない。


ヨノワール(『うれしい』? ……うれしい……うれしい……)


この精神状態は、誰よりもヨノワール自身が願っていたはずだ。

ならば、なぜ戸惑わなければならないのだろう。


ジュプトルがぺたぺたと彼に歩み寄っていく。

しゅるしゅると喉を鳴らしてダゲキを見上げている。

ダゲキは口元を控えめに歪め、ジュプトルの頭を撫でた。


ヨノワールもふたりに近づく。

じっとしていることに耐えられなくなっていた。

自分だけが色合いの違う場所に取り残されている。


少し驚いたようにダゲキがヨノワールを見上げた。

だが、相対しても何をどう伝えたらいいのかわからない。


“もう大丈夫なのか”。

“自分が何か悪いことをしてしまったのか”。

“だとしたら申し訳なかった”。


きっと自分はそう言いたいはずだ。

だが意に反して、ヨノワールは無為に手を泳がせることしかできない。

そんな自分を見て、ダゲキは困ったように短い首を更に縮めた。
243 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:16:02.56 ID:LI7cZ/eGO

アロエ「遅くなっちゃってごめんねー」

アロエ「心配させちゃったかな」


アロエの朗らかに話す声が響き渡る。

ダゲキがそろそろとあたりを見回した。

遠慮がちにアロエを振り返り、居心地悪そうにしている。


アロエ「話はヨノワールくんから聞いてるね」

ミュウツー『ある程度は』


ミュウツーがそう答えると同時に、ヨノワールも慌てて頷く。

『自分はちゃんと伝えた』と人間に知ってほしかった。

彼女はヨノワールを見上げて笑顔を見せる。


アロエ「ちゃんと伝えてくれたんだね、ありがとう」

アロエ「ま、じゃあそういうことで」


彼女の声は、響きこそ穏やかだがよく通る。

言外に追及を拒み、有無を言わせない力があった。


アロエ「一応、もう大丈夫みたいだから」

アロエ「『みたい』っていうか、自分ではどうなんだい?」


アロエがダゲキの顔を強引に覗き込む。

気圧されたダゲキは黙って何度も頷いた。

彼は落ち着いている。

アロエは安堵したように肩で息をした。


アロエ「それならいいんだけど」

ミュウツー『呑気なものだ』

アロエ「許してやんな」

ミュウツー『怒っているわけではない』

アロエ「心配してたんだもんね」

ミュウツー『……』

アロエ「慣れないことするって、大変だからさ」

アロエ「それはキミも知ってるでしょ」

ミュウツー『……そうだな』

アロエ「でも、辛くなったらちゃんと言うんだよ」


もう一度ダゲキの顔を覗き込んで、アロエは笑った。

ダゲキは困ったような顔で小さくまた頷く。
244 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:18:28.54 ID:LI7cZ/eGO

アロエ「……ああ、ええと、あの子から伝えてもらうんでもいいから」


そう言いながら、アロエはミュウツーを指し示した。

駄目押しと言わんばかりにダゲキの頭を撫でる。

そして彼女は、悠々と自身の机に戻っていった。


ミュウツー『……少しだけ話は聞いているが、本当にもう大丈夫なのか』


ダゲキは元々いた場所に腰を下ろした。

撫でられた頭をさすり、アロエの方をおっかなびっくり見上げている。


ダゲキ(……うん)


ダゲキは眩しそうにミュウツーを振り向く。

決まり悪そうに肩を竦めた。


ダゲキ(もう だいじょうぶ)

ミュウツー『……そうか』

ヨノワール(む、むり しないで ください)


ヨノワールが頭の中で声を発すると、ダゲキは少し驚いてこちらを見た。

そして何かに気づいたらしく、ミュウツーに視線を送る。

ミュウツーは本のページを捲るふりをしながら頷いた。


ミュウツー『疲れるから、中継は今しかやらないぞ』

ダゲキ(……うん、わかった)

ダゲキ(むり、してないよ)

ジュプトル(だいじょうぶ?)

ダゲキ(だいじょうぶ だってば)

ジュプトル(うへ、しゃべらないの らくちん)

ミュウツー『怠けさせるためにやってるわけじゃない』

ジュプトル(へへへ……)


大きなあくびをしながら、ジュプトルは言う。

きのみに手を伸ばそうとしているが、手元がおぼつかない。

床をごろごろ転がって眠そうにしている。
245 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:20:25.40 ID:LI7cZ/eGO

ダゲキが改めてヨノワールを見た。


ダゲキ(ごめんね)

ダゲキ(しんぱい させた)

ヨノワール(あやまらない で、ください)

ヨノワール(ダゲキさんは、わるく ない です)

ダゲキ(ヨノワールも、わるく ないよ)

ヨノワール(わるくない……じゃないです)

ダゲキ(なんで?)

ヨノワール(だ だって、わ、わたしが、あの ぼう……)


言葉が途切れる。

言いたいことを、どう伝えればいいかわからない。

道具は手元にあるのに、使い方がわからない。

材料は十分にあるのに、並べ方が思いつかない。

どうにも申し訳ない気持ちになって、ヨノワールは両手で顔を覆った。


ダゲキは首をかしげ、ミュウツーに話しかけた。


ダゲキ(……なんて いえば、いいの?)

ミュウツー『……“わざとじゃない”?』

ダゲキ(うん)

ダゲキ(ヨノワールは、“わざとじゃない” でしょ)

ヨノワール(え、それは はい、もちろん)

ダゲキ(じゃあ、いいよ)

ヨノワール(……ありがとう ございます)

ダゲキ(へへへ)


照れ臭そうに頭を掻き、ダゲキは身を縮める。

ジュプトルが不満そうに彼の膝を引っ掻き唸った。
246 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:22:13.84 ID:LI7cZ/eGO

ジュプトル(おーいー、まね すんなよ)

ダゲキ(まね かな)

ダゲキ(……あ、あのね)

ダゲキ(しんぱい して、くれて ありがとう)

ヨノワール(そんな……)

ミュウツー『雑談はそのくらいにしてくれ』

ミュウツー『中継があのニンゲンにばれたらどうする』

ミュウツー『いくら聞こえないといっても、怪しまれるかもしれないんだ』

ヨノワール(は、はい)

ダゲキ(……わかった)

ダゲキ(ぼく ちょっとつかれた)

ミュウツー『だろうな』

ジュプトル(ねむい)


ジュプトルがまた大口を開けてあくびをした。

それを横目に、ダゲキは赤くて丸いきのみをひとつ口に入れている。


ヨノワールは、ひとりで勝手にすっきりした気分になっていた。

自分勝手だ、と自分でも少しだけ思う。


ミュウツーが少し疲れた様子で溜め息をついた。


ミュウツー『中継は終わりだ』


それきり、互いの声は聞こえなくなった。

元々はそれが当然だったはずなのに、急に物寂しい。

どうにも落ち着かず、ヨノワールはそわそわしていた。

ミュウツーも手元の本に目を落としている。

ダゲキもジュプトルも、何食わぬ顔で座っている。

特に不安を覚えているようなそぶりはない。

ヨノワールには、それがどうにも不思議だった。


今まで聞こえていたものが聞こえなくなったら、不安にならないのだろうか。

自分を取り巻く世界が突如として変質してしまった焦りは感じないのだろうか。

自分だけが異質な存在になったような、取り残される苦しさはないのだろうか。
247 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:24:11.04 ID:LI7cZ/eGO

ダゲキが近くにあった本を手に取り、開いた。

眠そうなジュプトルが横からやる気なく覗き込む。

どんな本なのか、ここからでは見えない。

ダゲキは本を開いたまま右手を握ったり、指を伸ばしたりしている。

中身を真似ているのか、本と首っぴきで手を動かし始めた。

ジュプトルが何度目かの大きなあくびをする。


しかたなく、ヨノワールは手近な書架に近づいて背表紙を眺めた。

見知った文字はあるが、どれも見覚えのある図形でしかない。

意味はちっともわからない。

もっとあの人の仕事に興味を持っておけばよかった、とヨノワールは後悔した。

そうすれば、今頃はこの背表紙くらい理解できたに違いない。

あの人が残したものも、独力で読み解けたに違いないのだ。


ぐるりと書架に背を向け、そっと腰を下ろした。

この位置ならば室内の全員が見渡せた。


ミュウツーがアロエに顔を向けた。

つられてヨノワールもアロエを見る。

自分に注目が集まっていることに気づいたか、アロエが顔を上げた。


アロエ「?」

ミュウツー『そろそろ帰ろうと思う』

アロエ「そう? もっとゆっくりしてってもいいのに」


そう言いながら、壁の大きな時計を見る。

かすかに眉間に皺を寄せ、彼女は残念そうに笑った。


アロエ「……ああ、もうこんな時間か、そうだね」

アロエ「キミたちもいいかげん疲れただろうし」

ミュウツー『特にこいつらはな』
248 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:29:25.95 ID:LI7cZ/eGO

アロエは小さな声で笑った。


アロエ「キミだって」

ミュウツー『私は、別に』

アロエ「ま、無理はしない方がいいからね」

アロエ「じゃあ今日のところは、これでお開きにするか」

アロエ「またこうやって来てくれるんだろ?」


ミュウツーは視線を下げ、返答に詰まった。

アロエは不思議そうに小首を傾げる。

嫌な空白の時間があって、ミュウツーはゆっくり首をもたげた。


ミュウツー『……そうだな』


ヨノワールはミュウツーをじっと見つめる。

今の動作に、言い表しにくい違和感があった。

悪い予感が這い上がり、背中をざわざわと逆撫でする。

友人たちはその視線に気づいてもいない。

あの人間の女もきっと同じだろう。


ミュウツー『なんだ』


視線に気づいたミュウツーがヨノワールを睨みつけた。

ヨノワールは慌てて首を横に振る。

恐る恐る顔を戻すと、ミュウツーの視線はもう膝の上の本に向いていた。


ほっと息をつくが、予感は背中にべったりと張りついて拭えない。

アロエはどこか腑に落ちない顔で肩を竦めた。

いつの間にか、ダゲキとジュプトルがこちらを見ている。


ぬるい霧雨の如き悪寒に怯えているのは、自分だけなのか。

高揚感と不安が拮抗している。

ヨノワールは、どうにも胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
249 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/09/12(火) 00:32:27.42 ID:LI7cZ/eGO
今日はここまで

事情があってサブノートからブラウザで投稿し始めたんだけど
レス1つ投稿するごとに物凄く時間かかって驚いた
慌ててJane入れたっす

まあいっか

次回はまた未定です
いつもレスと保守本当にありがとうございます
おやすみなさい
250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/12(火) 01:17:55.60 ID:PGxoMaJg0
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/12(火) 01:51:21.21 ID:55RmWqRC0
おつおつ
252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/12(火) 04:30:36.90 ID:Bav4t3Xko
この微笑ましいのとドキドキするのが波状でくる感じが相変わらず
乙ー
253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/12(火) 05:56:32.69 ID:Pitan6rmo
乙です
254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/10/07(土) 02:44:56.73 ID:GVnD7boDO
保守
255 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/10/12(木) 23:06:40.73 ID:xWzerkTuO
保守
256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/10/13(金) 21:10:14.85 ID:z3n+B54j0
保守乙
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 00:52:51.34 ID:CXFxsGcNo
258 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/11/14(火) 21:35:38.89 ID:Nfi1COgMO
(保守…やばいな…)
259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/15(水) 07:55:09.63 ID:0+XFa7tR0
制限あるんだっけか…
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/10(日) 02:05:08.34 ID:dgz57lpmo
261 : ◆/D3JAdPz6s [sage]:2017/12/15(金) 00:18:03.90 ID:cuM9FlSYO

ゲーチスは、不意に思い立ってモニタから目を離し、自分の右手を見た。

見慣れたはずの自分の手だ。

その点において間違いはないのに、強烈な違和感がある。


ゲーチス(これは……いったい誰の手だ)


心の中で、ゲーチスは無意識に自問していた。

答えはわかりきっている。

荒唐無稽な妄想が浮かぶ。


いつの間にか、自分の腕は切り落とされていたとしよう。

そしてかわりに別の誰かの腕が継ぎはぎされたのだ。

腕は独自に自我を持ち、宿主であるゲーチスをじっと見ている。

入れ替わる隙を静かに窺っている。


ゲーチス(……子供騙しの空想だ)


自分でそう断じるわりに、根拠薄弱な“子供騙しの空想”は頭を離れない。

あり得ないことだとわかっているのに。

誰かが自分の内側から見ているイメージを、どうしても払拭できない。


ゲーチスは座り心地のいい椅子を軋ませた。

肘掛けから右手を持ち上げてモニタに翳し、しげしげと眺める。

手の甲、掌、と不審そうに手首を捻る。

見た限り、おかしなところはない。

次にその右手で、握っては開くを繰り返す。

いつも通り、思ったように動く。


痛みも、それ以外の自覚症状もない。

少しだけ腕を持ち上げると、外套が滑り落ちた。

ずれた外套を肘までたくし上げ、前腕を露出させてみる。

薄暗い部屋の中でモニタが冷たく光っていた。

その青白い光のせいで、右腕はまるで死人のようだ。
262 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/12/15(金) 00:20:47.26 ID:cuM9FlSYO

ふと気づく。


なぜ私の右腕は、今この瞬間、なんの問題もなく動いているのだろう。

いや、それはそもそも疑問に思うべき部分だったろうか。


ゲーチスは視線を上げる。

そこには、オフィスチェアに浅く座り、訝しげにこちらを見るアクロマがいた。

心配や気遣いではなく、戸惑いや不安が強い表情だ。


アクロマの座る椅子が耳障りな音をたてる。

彼の顔もまたモニタのせいか亡霊か幽鬼のようだ。

いや、もともとあまり血色のいい『たち』ではなかったかもしれない。


ゲーチス「なんでしょう」

アクロマ「聞いていましたか」

ゲーチス「失礼、考えごとをしていました」

アクロマ「……そうですか」

アクロマ「『彼女』はどうしていますか、とお訊ねしたのです」


アクロマは溜め息をつきながら答えた。

ああ、と息を吐いてゲーチスは目を閉じる。


ゲーチス「彼女は……今、休んでいるはずです」

ゲーチス「とても協力的で助かっていますよ」

アクロマ「私も何度か話をしました」

ゲーチス「老いぼれより、よほど目的と手段というものをよく理解している」

アクロマ「……しかし、なにが彼女をそこまで駆り立てるのでしょう」

ゲーチス「好奇心……憧憬……それから、反発心と独占欲といったところでしょうか」

ゲーチス「げに恐しきは、いつの世も女の執念です」

ゲーチス「……愚かなことだ、あそこで掴まなければ……」

アクロマ「? なんの話ですか」

ゲーチス「……」

アクロマ「どうかしましたか」

ゲーチス「いえ……」
263 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:24:29.13 ID:cuM9FlSYO

怪訝な表情でアクロマがこちらを見た。


ゲーチス「ご心配には及びませんよ」


最大限に慇懃無礼な答えを投げ、ゲーチスは口を歪める。

アクロマはその返答に少し気分を害したようだ。


アクロマ「……先日から、少し様子がおかしいですよ」

ゲーチス「なんの様子ですか」

アクロマ「あなたのです」


椅子をゲーチスの方へくるりと回転させて、膝に手を置く。

さっさと続きを言えばいいのに、彼はなかなか口と開こうとしなかった。


すっかり飽きたゲーチスはアクロマから目を背け、再び自分の腕を眺めた。


ゲーチス(……?)


自身の腕に、不穏な痣を見たように思った。

まるで、赤く脚のない縄状の生き物が絡みついた跡だ。

こんなに目立つ痣が、今まで腕にあっただろうか。

そう思ってまばたきすると、痣はすっかりなくなっていた。

いや、そんな痣など、はじめからなかったのだ。


ゲーチス「そうですか」

アクロマ「……」

アクロマ「ええ、間違いなくおかしい」


彼にしては珍しく言葉の端々に嫌味が込められている。

それも当然だろう、とゲーチスは内心、笑っていた。


アクロマ「わたくしはこれでも、あなたを以前から知っています」

アクロマ「知っていた……つもりです」

アクロマ「ですが」

アクロマ「最近のあなたは……どうにも普通ではない」

ゲーチス「どこが普通ではないのでしょう」

アクロマ「うまく説明はできませんが……」
264 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:27:45.97 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「あなたの計画の趣旨に、微妙な変化が見られるように思います」

アクロマ「以前のあなたが説明してくれたものと、もちろん骨子は同じです」

アクロマ「ですが、違う」

ゲーチス「どんなふうに?」

アクロマ「そうですね……たとえるなら」

アクロマ「別の人間が、別の真意をもって、一見同じ計画を作ったとでもいうような」

ゲーチス「なるほど」

ゲーチス「たしかに、そうかもしれません」

ゲーチス「あなたの指摘は、ある面で本質を突いている」


そう言いながらゲーチスは、わざとらしいしぐさで肩を竦めた。


ゲーチス「もはや、違う人間が作った同一の計画なのですよ」


アクロマが理解できないという顔で眉を顰めた。

それも当然だ、とゲーチスはひとりで笑う。


ゲーチス「ですがあなたにとって、それがどうしたというのです」

ゲーチス「あなたの進める研究に、どんな支障が出ますか」

アクロマ「それは……」

ゲーチス「私は、あなたに興味深い研究の場を、今も変わらず提供しています」

ゲーチス「そしてあなたは、念願の研究に精を出すことができる」

ゲーチス「わたくしは、そのおかげで、わたくしの計画をより強固に達成することができる」

ゲーチス「なんら問題ないではありませんか」


彼がわかりやすく言葉に詰まっていた。

表情を見ずとも、アクロマが戸惑っているのは手に取るようにわかる。

両手を擦り合わせる音が聞こえている。

彼もまた、何かに苛立っているのだ。
265 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:31:08.59 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「たしかに……支障は、なにもないです」

アクロマ「計画の趣旨に変化があっても、計画の中身に変更はないわけですから」

アクロマ「悪意ある言い方をすれば……」

アクロマ「『“彼”に知られなければ、何をしてもいい』わけで」

アクロマ「むしろ、これまでより制限は少なくなっています」

アクロマ「『より強力な手札』が目的に加わることで……」

アクロマ「いや『手札』どころの話ではありません」

アクロマ「手に入れれば、あるいはあれだけであなたの本当の目的は達成できるかもしれない」

アクロマ「世界征服など赤子の手を捻るようなものだ」


独り言のように呟き続けている。

さきほどまでと打って変わって、アクロマは力なく俯いていた。

その姿は、罪を告白し懺悔する罪人にも見える。


ゲーチス「だが、赤子の手を捻るには……」

ゲーチス「小煩い母親を退けなければならない」

アクロマ「……そうですね」

ゲーチス「どの程度の成果がありましたか」


アクロマは、はっとして顔を上げた。

そわそわしながら眼鏡に触れ、怯えのような視線をゲーチスに向ける。

落ち着きに欠けた彼の姿は、ゲーチスにとって実に滑稽だった。

アクロマは素早くモニタに向き直った。


無駄のない動きで何かを操作し、ゲーチスに目で合図を送る。

その動きを認めると、ゲーチスも視線を大きなモニタへと向けた。


アクロマ「成果……そうですね、目覚ましい成果が上がっています」

アクロマ「あなたの部下が手に入れてきてくれたもののおかげです」


画面には、すでにどこかの暗い部屋が映っている。

見知った研究室だった。

白衣を着込んだ研究員たちが、 せわしなくうろうろしている。
266 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:35:05.32 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「強化案の方は、今の時点でお見せするものはありません」

アクロマ「こちらで進めていたもののひとつとアプローチは同じですし」

アクロマ「遠からず解析が終了します」

アクロマ「そののち、試験を経て装甲に組込む手筈になっています」

ゲーチス「それは結構です」


彼らは手元と円筒形の水槽を交互に見ては、紙になにか書きつけていた。

水槽は彼ら自身よりずっと大きい。

通信のためのものではないため、音声は遠い幻聴のようにしか聞こえない。


画質もあまりよくない。

水槽の中に何が、あるいは誰がいるのかよく見えない。

かろうじて、大きな何者かが入っているとわかる程度だ。

青白い光に照らされ、まるで悪趣味なインテリアだった。


アクロマ「見えますね?」

ゲーチス「ええ、なかなかの眺めです」

アクロマ「順調ですよ、『いっそ腹立たしいほど』」

ゲーチス「あなたにしては感情的ですね」

アクロマ「……私が言ったことではありませんから」


そうだろうとゲーチスも思っている。

アクロマはゲーチスを見て、ぎょっとしたように目を見開いていた。


アクロマ「……」

アクロマ「もっとも、心情的には十分に理解できますが」

アクロマ「実際、わたくしが『彼』の立場だったら、同じように感じない保証はありません」

アクロマ「いい意味で想定を遥かに上回っていましたから」

ゲーチス「よいことです」


そう話を切り上げると、ゲーチスは再びモニタを見上げる。

アクロマもまた意識を本題へと振り戻したいらしく、手元の資料に目を落とした。
267 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:38:23.61 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「本実験開始から、途中での脱落個体はいません」

ゲーチス「ええ」

アクロマ「今回、あなたの提案で選ばれた実験体が採用されました」

アクロマ「残念ながら現在、あちらのプロジェクトは新規個体を発生させる予定でないらしく」

アクロマ「これら三体の実験体のみで新規に実験を開始しています」

ゲーチス「彼らは、あくまでオリジナルの復元を目的としています」

ゲーチス「それが安定すれば、大砲のひとつも背負わせたりするのでしょうが」

ゲーチス「現状、彼らのプロジェクトは彼らに任せておきましょう」


話しながら操作を続けているらしく、アクロマの言葉に連動してモニタの表示が変わった。

三本のシリンダーに、それぞれ小さな肉塊が浮いている。


アクロマ「発生当初の映像です」

アクロマ「ここから、資料と大きな違いなく発生、細胞分裂を繰り返し成長しました」

アクロマ「対照実験も同時並行しましたが、そちらはどれも発生せずじまいです」

アクロマ「条件の違いは例のDNA一点のみです」

ゲーチス「やはりそうですか」

アクロマ「現在では第一、第二、第三いずれの実験体も非常に安定しています」

アクロマ「物理的にも、情緒的にもです」

アクロマ「外見に奇異な共通点がありますが、解剖学上の問題はないとの報告を受けています」

アクロマ「成長もやや速い程度で想定の範囲内、問題ありません」

アクロマ「我々が与えたあらゆる外部刺激に対し、正常な反応を示しました」

アクロマ「予想より早い段階で、トレーナーと共にある程度の育成を経た個体と同等の理解を見せました」

アクロマ「通常の個体と同様、我々の指示を理解しています」


小さな操作音とともに、映像は数日前の実験風景に切り換わった。

水槽の中で巨躯を揺らす姿が浮かび上がる。

手前に立つ白衣の人間が何かを言う。

水槽に浮かぶ巨大な影は、白衣の人間が出す命令に従って身体の向きを変えている。
268 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:43:00.31 ID:cuM9FlSYO

ゲーチス「外へ出した場合、どのくらい動けますか」

アクロマ「まだ水槽から出したことすらありません」


肩を竦めるアクロマは、少し忌々しげにすら見えた。


アクロマ「本格的な稼動試験は調整しているところです」

アクロマ「不安材料もないわけではありませんが、深刻ではありません」

アクロマ「これまで、前身プロジェクトが苦労してきた部分をほぼ、難なくクリアしています」

ゲーチス「では現状で一番、懸念されることはなんでしょう」

アクロマ「稼動試験の結果、そして『出所のはっきりしない要素』の副作用、でしょうか」

ゲーチス「おや、この上なく情報源ははっきりしているように思いますが」

ゲーチス「少なくとも、私とあなたにとっては」

アクロマ「……まるで神秘の霊薬だ」


ゲーチスは馬鹿にしたように首を振る。

『出所』を知ってなお不安を拭えない彼を、心から憐れんでいだ。


『霊薬』の正体を知っているのは、ゲーチスとアクロマを除けば、いないも同然だった。

以前も口を出してきた『横槍』が、また計画を妨害してきては困る。

『誰が知っているのか』というアクロマの問いに、ゲーチスはそう言って笑った。


ゲーチス「……まあ、あなた以外のプロジェクト参加者は、知りませんからね」

アクロマ「あちらのプロジェクトリーダーにもアドバイザーとして参加してもらっているのですが」

アクロマ「薄々ですが、彼は察しているようです」

ゲーチス「彼もまた、あなたほどではないにせよ、十分に優秀な研究者だということです」

ゲーチス「科学者の勘とやらが働くのかもしれませんね」

アクロマ「……そういうものでしょうか」


ゲーチスとしては褒めているつもりだった。

もっとも、アクロマから喜んでいる気配は微塵も感じられない。
269 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:44:28.93 ID:cuM9FlSYO

ゲーチス「いずれにせよ、みごとな成果です」

ゲーチス「私は十分に満足していますよ」

アクロマ「ごく少量の遺伝情報の有無でここまで違いが出るとは」

ゲーチス「あなたがたプロジェクト参加者の手腕も、むろん評価されて然るべきです」

アクロマ「……ありがとうございます」

ゲーチス「とはいえここまで計画した通りになるとは、少々驚きなのですよ」

ゲーチス「そう簡単に逸脱させてはもらえないということなのでしょうね」

アクロマ「逸脱? あなたはなんの……」


ガタンと立ち上がり、アクロマはゲーチスを見つめた。


アクロマ「まさか、こうなることがわかっていたのですか?」


両手が所在なく空を掴み、椅子が惰性で静かに回っている。

アクロマは、苦しげに口を開いた。


アクロマ「これほどうまくいくことが、はじめからわかっていたと?」


こちらを見るアクロマの目は、不審と驚きで満ちている。

ゲーチスは彼から視線を逸らし、自分の右手を眺めた。


ゲーチス「それは買い被りすぎかもしれませんよ」

ゲーチス「わかっていた……というより、そういうものなのです」

ゲーチス「いずれ、あなたにお話しできる日も来るでしょう」

ゲーチス「その日もそう遠くないと『予想』しますよ」

アクロマ「……ますます、あなたの考えていることがわかりません」

ゲーチス「それでも問題はないのでしょう?」

アクロマ「ええ」
270 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:47:44.65 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「ですが」

アクロマ「……ですが思い返してみれば、あなたの言動はそうと言わんばかりだ」

ゲーチス「……」

アクロマ「実験で採用する種類の選定も、あなたの希望……いや、あれは命令も同然だった」

アクロマ「それがそのまま採用された」

アクロマ「当然です」

アクロマ「あなたが言えば、誰も反対はしないでしょう」

ゲーチス「そうかもしれません」

アクロマ「……なぜ、彼らを候補に挙げたのですか」


アクロマがわずかに声を荒らげた。


アクロマ「なぜ、あの三匹なのですか」


きっと彼は恐れているのだ。

自分のあずかり知らぬところで、自分に計り知れない理屈が動いている。

科学者としては好奇心が勝つか、恐怖が勝つかの瀬戸際なのだろうか。


アクロマ「なぜ……」

ゲーチス「簡単な話です」

ゲーチス「もっとも効果的な顔ぶれなのですよ」

ゲーチス「奴の心をへし折るのにね」
271 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:53:25.13 ID:cuM9FlSYO
今回は以上だす

DSJが思いの外進まなくてまだUSUM開けてないんですよね
ジードももうすぐ最終回だし…あっという間に年末になっちゃうし

ではまたらいげ…らいね…来年っすかね…
おやすみなさい
272 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/15(金) 01:04:48.25 ID:tZD3uVcD0
乙!! 生きてて良かった、良いお年を
273 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/15(金) 18:26:28.66 ID:WSerl3NU0
乙です
274 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/12/16(土) 06:04:57.59 ID:mURvZeCJ0
おつ
275 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/16(土) 13:15:10.67 ID:i3MTF00l0
おお、不穏不穏

そろそろ鬼も笑わない時期ですなー
乙です
276 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/12(金) 00:02:37.21 ID:e8DkKaFdo
277 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/01/28(日) 17:20:36.35 ID:MxCc5nTxO
(明けましておめでとうございました)
278 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/01/29(月) 11:59:52.09 ID:jE9JrBat0
(ことよろ)
279 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/06(火) 23:58:22.16 ID:lFQ6Uf7qO

ふわっ、と周囲の風が渦巻いて、頭から生えた葉がばたばたと揺れた。

ジュプトルはそっと目を開ける。

博物館を発ってずっと目を閉じていたからか、視界は黒くゆるんでいる。

すぐにじわっと焦点が合っていく。

それでも世界はまだ薄暗い。


いつのまにか、ずいぶん低いところまで降りてきたようだ。

真っ黒に茂る葉は頭上にあり、その隙間から星と月が見えている。

白っぽく沈む木々の幹が目と同じ高さにあった。

いくらか見慣れた景色に、ジュプトルは胸を撫で下ろした。


ジュプトル(やっと かえって きたんだ)

ジュプトル(……やっぱり、たかいとこ こわいなあ)

ジュプトル(みんな なんで、へいき なんだろう)


あの高度からの景色は、思い出すだけでも少し足が竦む。

なぜか往路よりかなり高いところを飛んできたのだ。

いつも跳び回っているはずの木々が、一枚の黒い絨毯のように見えた。

飛び移る枝も岩場もない。

空を飛べる友人の背中にしがみつかなければ、来ることもできなかった。


そこからの光景を自分の目で見ていたことが今も不思議でならない。

たちの悪い夢から覚めた時の、あのなんともいえない気分に似ている。

肌触りは妙にいいのに、不愉快で恐ろしくて、嫌な汗をかく夢。


間もなく、ミュウツーが無言でゆっくり着地した。

渦巻いた風が空気の球になり、それに包まれて地面に降り立ったような感じだ。


目を細めて下を向くと、地面に触れた友人の足先が見えた。

その足を中心に、丸く草が押しのけられて激しく揺れている。

目に見えない球が草を押し退けているのだ、とジュプトルは理解した。
280 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:00:40.66 ID:Esng2uEHO

ふっ、と空気の壁が消えた『感じ』がした。

同時に風が止み、頭の葉も無抵抗に垂れ下がる。

こんな妙な感触を、友人は飛ぶたびに味わっているのかと思うと、心臓が縮む。


見上げると、刺さりそうなほど細い月が黒い空に浮いている。

まだ夜は明けないらしい。


少し遅れて、ヨノワールが近くに降り立った。

といっても足はないので、少し浮いたところで止まっているのだが。

その背中には、岩に生えた苔のようにダゲキがしがみついている。

丸い後頭部がきょろきょろと不安そうに動いているのが見えた。

そして足元を見回し、転げるようにして背中から降りる。

なんとか着地はうまくいったようだが、傍目には落っこちたようにしか見えない。

地面に降りてからも、まだ少しよろよろしている。

彼も自分と同じで高所は不得手ということなのだろう。


そう思うと不思議と安心感が芽生えたので、自分も飛び降りることにした。

少なくとも自分なら、あんな風に無様なことにはならないはずだ。

そう思って、ミュウツーのマントから慣れた動きで跳躍してみせる。


ジュプトル「あっ」


ところがどういうわけか、ジュプトルは顔から着地していた。

思いきり擦った顎が痛い。

あっという間に、みんなの視線が自分に集まった。


ジュプトル「……」

ダゲキ「だいじょうぶ?」


自分でもよくわからない。

ジャンプするときに足がもつれたような気がする。

いつもなら、軽々と降りられるはずの高さなのに。
281 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:02:41.64 ID:Esng2uEHO

ヨノワール「だ、だいじょうぶ ですか?」

ジュプトル「うん……、だいじょうぶ だけど」


顎をさすりながら、ジュプトルはふらふらと立ち上がった。

足元がやたらと不安定に思えてならない。


ジュプトル「し、しっぱい しちゃった」

ジュプトル「あし ぶるぶるする」

ダゲキ「ぼくも あるくの たいへん」

ダゲキ「ふらふら するね」

ジュプトル「うん」

ミュウツー『慣れないことをしたから疲れたんだ』


つまらなさそうに言いながら、ミュウツーは友人たちをゆっくり振り返った。

頭に突き刺さるその声は、なんだかそっけない。

ジュプトルはぐいと背筋を伸ばして声の主を見上げた。


ジュプトル「みゅ、ミュウツーは だいじょうぶ なの?」


口にしたあとで、思いがけず恥ずかしいことを言ってしまったような気になる。

背中がちょっとだけ熱い。


ミュウツー『……私も疲れた』

ジュプトル「そ、そう……ごめん」

ミュウツー『いや、いい』

ダゲキ「きょうは ありがとう」

ヨノワール「た、たのしかったです」

ミュウツー『それならいいんだ』


ふたりも少し首をかしげながら応じた。


何も問題は起こっていないのに、なにか張り詰めている。

背筋をそっと引っ掻かれたような、はっきりしない緊張感。

様子を窺うときの卑屈な気持ち。

どれも、ほんの少しだけ居心地を悪くする。
282 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:05:43.58 ID:Esng2uEHO

ミュウツーがほっとしたように肩の力を抜いた。


ダゲキ「どうかしたの?」

ミュウツー『いいや、なんでもない』


ミュウツーは首を振って空を仰いだ。


ミュウツー『私は寝る』


つむじかぜが起こり、その身体は真っ直ぐに浮き上がっていく。

誰も口を開かないまま、小さくなっていく黒い影を見送るしかなかった。


少しして、ダゲキが小さく溜め息をつく音がやけに大きく聞こえた。

あたりは静まり返り、急に肩身が狭くなったように感じる。


思わずダゲキやヨノワールと顔を見合わせた。

せっかくの夜は、最後の最後で妙に萎縮して終わってしまった。


ジュプトル「あいつ どうしたのかな」

ダゲキ「……へん だよ」


怒ったような口ぶりでダゲキが零した。

目が慣れてきたらしく、険しい表情を浮かべているのがなんとなく見える。


ジュプトル「もしかして、すごく つかれたのかな」

ジュプトル「おれたちが ついていったから」

ジュプトル「……あと、なにか、いけないこと したかな」

ヨノワール「ちがうと おもいます」

ヨノワール「でも、わからないです」

ヨノワール「わたしたちと、ちがうこと かんがえてると おもいます」

ジュプトル「ちがうこと?」

ジュプトル「なんのこと かんがえてるの?」

ヨノワール「わ、わからないです」

ダゲキ「……なんでだろう」
283 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:08:00.96 ID:Esng2uEHO

珍しくダゲキが苛立ちの滲む声を上げた。

彼が会話を遮るような物言いをすることは珍しい。


ダゲキ「……どうして、なにも いってくれないんだろう」

ダゲキ「ミュウツーは なにも いわなかったよ」


彼と目が合った。

暗くてわかりづらいが、眉間に皺を寄せている。

ダゲキが下を向く。


ジュプトル「おれは、おこってるんだと おもってた」

ダゲキ「……おこってない……と おもう」

ダゲキ「ぼくたちより、ずっと たくさん しってるから」

ダゲキ「ぼくの しらないことも、たくさん しってるから」

ダゲキ「だ、だから、たくさん たくさん、かんがえてる」


困惑しているのか、ヨノワールが低く唸った。

赤い目はうっすらと光を放ちながら、うっすらと翳っている。

彼が口にしたことを吟味しているようだ。


そのうち、ヨノワールは目を少し見開いて、ぶうんと呻いた。


ヨノワール「おもいだした」

ヨノワール「わたしたちには わからない はなし、してました」

ヨノワール「たぶん、あのニンゲンのひとと」


ダゲキは、はっとしてヨノワールを見た。


ダゲキ「……『これは、わたしの イシだ』」

ダゲキ「『いまなら まだ まにあうかもしれない からだ』」


なかば譫言のようにダゲキが呟いた。

ジュプトルは鼻を鳴らして首を振る。
284 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:16:09.35 ID:Esng2uEHO

ジュプトル「よく わからない」

ジュプトル「なにを きめたんだろ」

ヨノワール「きめた?」

ジュプトル「『きめたことは ソンチョウ してあげろ』」

ジュプトル「……って、ニンゲンが いった」

ダゲキ「ソンチョウ……」

ジュプトル「たぶん、いま ダゲキが いったこと」

ジュプトル「わかんないけど」

ダゲキ「しらない ことば、だけど、ちょっと……わかる」

ヨノワール「……まさか」


ざざっ、と、何者かが枝から枝へ飛び移る音がした。

ジュプトルたちは一斉に空を見上げる。

そういえば、だいぶ明るい。

どうりで眠いはずだ。

互いの顔も表情まで読み取れるようになっていた。

太陽がいつも昇る方角が黄色っぽく光を放っている。


ヨノワール「もう、あさに なっちゃいますね」

ダゲキ「……うん」

ジュプトル「……ねむいけど、いまから ねむれるかなあ」

ダゲキ「ねないと、ぐあい わるくなるよ」

ジュプトル「そうだなあ」

ジュプトル「でも、まだ へいきだよ」

ヨノワール「……」

ダゲキ「……あのさ」


助けを求めるような目でダゲキがジュプトルを見、ヨノワールを見る。


ダゲキ「もし、ミュウツーが もりを でるって、いったら」

ダゲキ「ぼくたちは どうすればいい?」
285 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/02/07(水) 00:20:38.55 ID:Esng2uEHO
ギリギリで2月6日を過ぎちった…まあ投稿開始は間に合ったから許して…
今回はここまで

今年も宜しくお願いいたします

ちょっと忙しくて身動きが取れなかったけど、先週やっとウルトラサンを始めたよ
序盤からけっこう変更入ってて新鮮な気持ちでやってるっす

では、おやすみなさい
286 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/07(水) 00:30:49.16 ID:ab6rvwgco
おつおつ
287 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/02/08(木) 07:42:16.99 ID:7q9HSUR+0
また緊張感があるなあ…

乙おやすー
288 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/02/10(土) 18:41:03.21 ID:RlD/R1yQ0
おつ
289 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/03/12(月) 01:14:22.97 ID:+S8gatdJo
290 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/03(火) 00:41:21.90 ID:kI9w4PSJo
291 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:29:22.15 ID:pdxvH6grO


重い羽毛布団のような暖気に、意識も飛びかける昼下がりのことだった。

昼食はすませたがまだ休憩は残っている、という中途半端な時間帯。

レンジャーの若者は、今にも眠気に負けそうになっていた。

どちらかというと気絶に近いかもしれない。

やや軋む椅子の背もたれに身体を預け、ぼうっとしていた。


すると、こつんこつん、と硬そうな音が聞こえた。

あともう少し意識が遠のいていたら聞き逃してしまいそうな、かすかな音だ。

レンジャーはぎくりと顔を上げ、息を潜めた。

誰かが扉か壁をノックしたことを理解したからだ。


息を呑み、次の音を待つ。

そうしている間にも、頭だけはどんどん覚醒していった。

いったい、こんな時分に誰がヤグルマの森のレンジャー詰所を訪れるというのだ。


こつん、と今度は少し弱々しい音がする。

反応がないから不安になっている、ということなのだろうか。


レンジャー「は、はーい……?」


音がやむ。

まだ動かずに様子を窺う。

緊張のせいか首の皮が痛い。


きゃきゃきゃ、と硬い床板を蹴る音が足元を通じて伝わってきた。

体重の軽い何者かが、忍び足で遠ざかっていく振動に聞こえる。

少し離れたところでごしょごしょと誰かが囁き合う声。


レンジャー(……??)


このまま出てこないと思われてしまうのも不本意だ。

爪先立ちでドアに近寄り、音をさせないようにノブを捻った。

だが努力も虚しく、年季の入った木製のドアはけたたましい鳴き声を発して開いた。
292 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:32:38.48 ID:pdxvH6grO

日光が視界を灼く。

風景が少し揺らめいている気すらした。

目が慣れるに従って、足元に小さな影が佇んでいることが認識できた。


レンジャー「わ、お前かぁ……びっくりさせるなよー」


安堵の溜息をつきながらレンジャーはドアの外へと這い出した。

見覚えのあるコマタナが大きな目を見開いて、自分を見上げている。


コマタナ「ゔ!」


小さなコマタナは、両手を振り上げて自身をアピールした。


レンジャー「うんわかったわかった」


手で自分の顔を拭い、深呼吸する。

レンジャーは屈み、コマタナの目の高さに視線を合わせた。

コマタナの顔を両手で包み込んで感触を確かめる。

保育士かなにかにでもなった気分だ。

コマタナはびっくりしたのか目を見開いたが、されるがままで立っている。


レンジャー「元気なのかあ?」

コマタナ「ゔ?」


警戒されていないことに安堵しながら、素早くコマタナを調べる。

相変わらず、後頭部の硬い部分には痛々しい凸凹がある。

これは、時間が経ってもきっとこのままなのだろう。

あわれな濁声に、紙切れ一枚も切れないなまくらの両手。


レンジャー「……栄養のあるもん、ちゃんと食べてるみたいだな、偉いぞ」

コマタナ「お゙、お゙……?」


見るも憐れな箇所はあるものの、ざっと調べた限りでは元気そうだ。

こうして顔を見せる気力があることにもほっとする。
293 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:35:38.27 ID:pdxvH6grO

ああ、うう、と少し耳障りな鳴き声を上げ、懸命に話しかけてきている。

当然、何を言っているのかさっぱりわからない。

今日までの『積もる話』を、懸命に教えてくれている気がした。


レンジャー「とりあえず元気みたいだなー、安心したよ」

レンジャー「……あれ、お前だけ?」


するとコマタナは喚きながら両手を振り払い、自分の後方を示した。

なまくらの指先を向け、『あっちを見ろ』と促している。


レンジャー「だよなあ、保護者同伴ってやつか」


立ち上がり、レンジャーは大きく手を振った。

数メートル離れた場所に見慣れたシルエットの持ち主がいる。

コマタナがその影に駆け寄り、彼の腰にしがみついた。


レンジャー「おーい、ダゲ……」


彼は強い日差しに目を細めることもせず、立っている。

いつものように、やはりコマタナはダゲキが連れて来たのだ。

どこか卑屈そうで表情の薄い、いつもの彼が――


レンジャー「おいなんだよ、その顔」


レンジャーはぎょっとして息を呑んだ。

ダゲキが少しだけにやにやしている。

まさかと思って瞬きしても、やはり不思議な表情を浮かべている。

笑いを噛み殺しているとか、いたずらでも目論んでいる顔だ。

もしくは、誕生日のサプライズを隠しきれない子供のような顔。


よく見ると、ダゲキのうしろにもうひとつ小振りな影がある。

もうひとり誰かがいるのだ。


ダゲキの脛のあたりから、緑色の揺れる何か――誰かがちらっと見えた。

それが何を意味するのかを理解して、レンジャーは急に浮き足立った。
294 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:37:44.07 ID:pdxvH6grO

ダゲキが身体を少し捻って、うしろの誰かを促している。

『ほら早く出てこい』と言わんばかりの動きだ。

その動作も、どことなく砕けた親しさを感じさせた。

彼がそんなふうに、表情豊かな所作を見せたことに驚く暇もない。


『誰か』が、ダゲキの背後からおそるおそる姿を見せた。

いつかのコマタナの姿が脳裏をかすめる。


レンジャー「うわあっ」


思いがけない客に、レンジャーは思わず声を上げていた。

その声に、コマタナと緑色の影がびくりと痙攣する。


自分の心臓が爆音で波打つのを感じる。

嬉しいと思うよりも前に、レンジャーの足は勝手に動き出した。


駆け寄ってしゃがむ。

背丈はダゲキの半分ほどしかない。

もっと身体は大きくてもいいはずだ、と頭の片隅で『知識』が言う。

最後に見かけたときよりだいぶ改善されているが、いまだにちびで痩せぎすだ。

いまさら食べても、遅れを取り戻すのは大変なのだろうな、と納得する。


観念したのか、ダゲキのうしろから小さな影がそろそろと進み出た。

現れたのは小さな小さなジュプトルだった。
295 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:39:12.08 ID:pdxvH6grO





やり方は知っている。

私になら、それがいとも簡単にできることも知っている。

いずれ、やらねばならないことだと理解もしている。

もっと早く、やっておかなくてはならなかったことだとわかっている。

だが、やらなかった。

チャンスはいくらでもあったのに。

だが、できなかった。


どうして、やらなければならないのだろうか。

それが必要なことだからだ。

それがとても大事なことだからだ。

彼らを守るために。

彼らの居場所を奪わないために。

せめて彼らのささやかな幸せを駄目にしないために。
296 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:42:12.22 ID:pdxvH6grO







大声を出したせいか、ジュプトルは緊張ぎみにこちらを見上げている。

このジュプトルと初めて顔を合わせたときのことは今も忘れていない。



たしか、今日のようにダゲキに引き摺られてやってきたのだ。

当時のジュプトルは今より更に痩せこけていた。

進化して間もないようだったが、それにしては状態が悪かった。


彼らは栄養状態の善し悪しが皮膚より葉に出るから、そこを診る。

頭や尾の葉は色褪せて艶がなく、絵に描いたような栄養失調だった。


体力はすっかり落ちているはずなのに、声を嗄らして威嚇する姿も印象的だった。

目は敵意にぎらぎら光り、人間への不信感や憎悪を隠そうともしない。

連れてきたダゲキに対しても態度はあまり変わらない。

擦れた声で喚き散らし、爪を振り回していたものだ。



ダゲキが顔に引っ掻き傷を作って姿を見せたこともある。

それもこのジュプトルにつけられた傷だったはずだ。


そのジュプトルが、今日は不思議なくらい穏やかにしている。

コマタナにしたようにそっと顔を掴んでも、今日は引っ掻いてこない。

本当は跳んで逃げ出したいのを我慢しているのかもしれないが。

ダゲキの足に爪を引っ掛け、かろうじて踏み止まっている。


相も変わらぬ貧相な姿は、何度見ても心が痛む。

それでも以前と比べればよほど肉付きもよく、色艶もいい。


レンジャー「……元気にしてたんだなあ」


そう声をかけると、返答に困ったのかダゲキを振り返った。

だがダゲキは何も言わず、黒く淡々とした目で見つめ返すだけだ。
297 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:44:10.29 ID:pdxvH6grO

助け船を得られないことがわかると、ジュプトルは諦めてこちらを見上げる。

肩を竦めるしぐさで肯定の意思を示した。

目には不安の色がまだ濃い。


レンジャー「ならいいんだけどさ」

レンジャー「それにしても、いったいどういう風の吹き回しだよ」

レンジャー「今まで、ぜんぜん来てくれなかったのに」

レンジャー「なあダゲキ」


ジュプトルの身体をあちこち調べながらダゲキに問いかける。

ダゲキは短く鳴いただけで、それ以上は何も言わなかった。

今日は黙って見守る兄貴分に徹する、といったところだろうか。


同種の個体を見たことはあるが、まるで遠近感を誤ったように小さく感じる。

この森で初めて姿を見た頃からずっとその印象のままだ。

根本的な体格の貧しさは、人間でいう欠食児童を連想させた。

一応、現時点で病気や怪我があるようには見えない。


レンジャー「何か困ってたりしないか」


改めてジュプトルの顔を見る。

ジュプトルは首を傾げ、慌てたように首を横に振った。


レンジャー「うん? そう、大丈夫なのか」

レンジャー「じゃあ……わざわざ顔を見せに来てくれたってこと?」


ジュプトルが頷く。

ダゲキを盗み見ても、特に否定する気配はなかった。


レンジャー「なんだよ、ほんとにどういう心境の変化だよ、おい」

レンジャー「ほんとにさ、びっくりしたんだから」


笑みを噛み殺しながら、レンジャーは手を掲げようとした。

ジュプトルが反射的に首を竦めて目を閉じる。
298 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:46:29.66 ID:pdxvH6grO

レンジャー「あっ、ごめん」

レンジャー「あっそうか、たしか、えっと頭、触られるのイヤだったよな」


おそるおそる首を伸ばし、ジュプトルはレンジャーを見た。

鼻柱を爪で引っ掻きながらかすかに唸っている。

ダゲキは動かない。

彼の横に立つコマタナが心配そうに鳴いた。


ジュプトルがレンジャーに視線を据えたまま俯いた。

これではまるで首を差し出しているようだ。


レンジャー「……それは」

レンジャー「え、本当にいいの?」


今度はレンジャーが困って、後方の保護者を見る。

ダゲキはやはり表情を変えない。

意を決して、レンジャーはジュプトルの頭にそっと手を乗せた。



 
299 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:49:03.20 ID:pdxvH6grO





『今日は、とても嬉しい日だった』。


ベッドに潜り込んでいたレンジャーは、この一日をそう思い返した。

神経が昂って、とても眠れそうにない。

えも言われぬ高揚感、浮ついた感じがいつまでも残っている。

気をつけないと、勝手に顔が笑い出してしまいそうだった。


ずっと音沙汰のなかったジュプトルが顔を見せてくれたのだ。

それが一向に眠れない主な理由だった。


あれからほどなくして、彼らは去っていった。

結果からいうと、ジュプトルの頭を撫でることは、ほとんどできなかった。

手が触れた瞬間、やはり跳んで擦り抜けてしまったのだ。

引っ掻かれなかっただけ御の字だとは思う。


跳躍したジュプトルは、そのままダゲキとコマタナの背後に舞い戻った。

ダゲキはそれを見て、かすかに残念そうな顔をしていた。

顔を見せに来たというよりは、それが目的だったのかもしれない。


レンジャー(どういう心境の変化なのかな)


天井を眺めて考える。

少なくとも、こちらが大きく変化したとは思えない。

彼らの方に何かしらの変化が起きた、ということなのだ。


レンジャー(……変化、ねえ……)


少しずつ記憶を辿り、遡る。

なにか、小さいかもしれないが決定的な変化があったはずなのだ。


レンジャー(最近、ダゲキが来ること自体、妙に増えてたけど)

レンジャー(関係あるのかな)
300 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:50:43.72 ID:pdxvH6grO

前回までの来訪を思い出す。

日誌にはもちろん書かないし書けないが、特筆すべき変化はあった。


レンジャー(今日はあいつがいなかったな)

レンジャー(……ああ、そうか、あいつか)


木の間からほんの少しだけ見えていた、あの姿を思い浮かべる。

鋭い木洩れ陽を受けて、白っぽい身体のごく一部がキラキラと光っていた。

全体像がしっかり見えたことはないし、無理に見てやろうという気もない。

『あいつ』自身が、あれでも身を隠そうとしていたからだ。

何かを羽織っていたような気がした。

コートや上着にしては生地の薄そうな、薄汚れた布地だったか。


レンジャー(ということは、やっぱり人間に捨てられたりしたんだろうな)

レンジャー(ああやって『上手くやれてる』ってことは)

レンジャー(気性が荒いとか、乱暴ってわけでもないんだろうけど)

レンジャー(ダゲキもあの白い奴のことは気に入ってるみたいだし)


脳裏に浮かぶ見知らぬポケモンは、頭からすっぽりローブを被っている。

その隙間から、こちらをじっと値踏みしている。


“この人間はどうだ”?

“信用するに足る人間なのか”?

“今度は”?


そんな想像をする。

期待には応えることができているのだろうか。


レンジャー(……)

レンジャー(でも、やっぱり見たことないポケモンだった)


自分とて全てのポケモンを知っているわけではない。

机に齧りついていたのも、かなり昔のことだ。

記憶も今は遠い。

とはいえ、一通りの種類は座学や研修で見てきたはずだ。

他の地方のものも、そう一般的でないものも含めて。

それでも、似通った特徴を持つ種類すら思い浮かばなかった、と思う。
301 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:53:49.76 ID:pdxvH6grO

不思議なほど馴染みのない姿だ。


レンジャー(ううーん……)


何か、妙に引っかかる。

“あいつ” のことは、なにも知らないはずだ。

けれど、どこかで見たような気もする。

まったくそのものを、ではない。

見たか、聞いたか、思い描いたか。

図鑑の中ではないし、座学の教科書の中でもない。

映像記録のたぐいでもない。

その記憶に、学術的な匂いは付随しない。

勉強で触れたわけではない、ということか。


勉強でないとすれば、もっと荒唐無稽な子供向けの本だったかもしれない。

都市伝説や、伝承や、古い昔話を読んだ時のような。


子供の頃は、そういう本を積極的に読み漁ったものだ。

世界の誕生やそれに関わった存在だとか。

それぞれの地方の伝わる伝承だとか。

どこかにいるかもしれない、謎に包まれた存在について。


もっとも、ああやって対峙した以上、伝説ではなく実在しているはずだが。

もし図鑑に載っていなかったら、そんな記憶でも手掛かりにせざるを得ないだろう。

伝説の元ネタになった種くらいは存在しているかもしれない。
302 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:54:50.50 ID:pdxvH6grO

レンジャー(あそこの図書館なら、何かしらあるかなー)


少なくとも、近縁種を絞り込んでおくことは無意味ではないはずだ。

もちろんこちらから過度に干渉する気はない。

……ないのだが。

援助を求められたとき、適切に対処するために必要になる気がした。

いつか、もしも、万が一にも求められたら、の話だ。

怪我や病気ひとつとっても、特性がおおいに関係するかもしれない。

そのときになってから調べたのでは遅い場合もある。

どこに報告するわけでもないし、むしろ報告はしない方がいいはずだ。

これまで通り、日誌には彼の存在すら触れず適当に書けばいい。


レンジャー(よし、今度の休みに調べよう)


ベッドの中で身体を伸ばす。

次になにをすればいいかはっきりすると、気分がいい。

展望が開けたような気になれる。


打算的だが、彼らが信頼してくれれば幸いだ。

あの大きなポケモンもいつかは心を開いてくれるかもしれない。

いつの日か、人間のことを許してくれるかもしれない。


こちらが誠実に接していれば。

彼らのことを第一に考えて行動すれば。

彼らの役に立てば。





 
303 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 00:57:04.78 ID:pdxvH6grO
今日はここまで。

保守ありがとうございます
さっきちょっとSS速報VIPが不安定になってたのでビクビクしました

USはやっと4つ目の島に到着したところです
304 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/04/09(月) 01:15:25.04 ID:pdxvH6grO
あっ忘れてた

それではまた
305 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/09(月) 01:17:35.13 ID:JiKjS/h70
乙乙
306 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/04/09(月) 18:17:24.69 ID:+dUNnKnK0
おつ
307 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/09(月) 21:47:16.12 ID:gpS6ql6To
待ってた
おつおつ
308 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/04/10(火) 13:31:13.77 ID:X0mY1yuv0
いい雰囲気なのに毎度ドキドキするぜ
309 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/08(火) 01:09:00.37 ID:763E0+6uo
310 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/03(日) 04:23:52.97 ID:cmSrtH9co
311 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/03(日) 21:13:04.30 ID:H8QMEiW7O
312 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:27:42.80 ID:lH8SKUuEO

強い日差しが容赦なく注ぐ。

刺すような暑さは相変わらずで、風が吹いたくらいでは涼しくならなかった。

そんな街角をゴロゴロと重い音が進む。

シッポウシティの片隅に、痩身の男が旅行用キャリーを引く姿があった。


鼻歌を歌える程度には機嫌もいい。

だが汗は、まるで人体が発する警報のように流れつづける。

暑さには強いと自負する男だが、さすがに目は日陰を探していた。


男は被っていた白い帽子を脱ぎ、顔を扇ぐ。

その眩しさに通行人が目を細め、足早に過ぎていった。

当の本人は、周囲のそんな反応を気に留めてすらいない。

ただ景色を眺めては特徴的な街並みに感心しているだけだった。


禿頭の男(気温だけ見ればそう変わらん気もするが、カントーほど辛くないな)


ちらっ、と何かが視界の隅を駆け抜けた。

今のは何だっただろう、と男は何気なく思い返す。

何度目だろうか、どこか時代錯誤な衣装の人影だったように思う。

なにかイベントでもやっているのだろうか、とさほど気に留めなかった。


男は再び帽子を被り、ふう、と深く溜め息をつく。


禿頭の男(やはり、奴が来なかったのは少々残念だなあ)

禿頭の男(いい気分転換になると思ったんだが)


今度は丸いサングラスをずらして目を細める。

木々の遥か向こうに、今しがた渡ってきたばかりの長い長い橋があるはずだ。

それがこの地方に足を踏み入れて二つ目の橋だった。

一つ目は、下船した街にかかる赤く長い跳ね橋だった。

その跳ね橋を見るのも、この旅における目的のひとつだったのだ。


禿頭の男(あの橋、言うほどリザードンには似ていなかったな)

禿頭の男(赤いという意味では十分に赤かったが)

禿頭の男(……さて)
313 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:31:07.63 ID:lH8SKUuEO

男は立ち止まり、あたりを見回す。

美しい煉瓦造りで統一された古めかしい建造物が並んでいる。


一見したところでは、年季が入っただけの倉庫街にしか見えない。

もっとも、古さのわりにどれも整備は行き届いている。


その中のひとつに目を向ける。

出入口横には、木枠をつけた黒板が立てかけられている。

その黒板に、店名らしき文字が洒落た書体で書かれていた。

しばらく眺める。

若い女性ばかりが頻繁に出入りしている。

とても倉庫として機能しているようには見えない。

意を決して覗き込むとなんのことはない、外側は倉庫のままだが中は古着屋なのだった。


また別の『倉庫』に目を向ける。

そちらはすぐ横に広々としたウッドデッキが設置されている。

店員の格好から、どうやら喫茶店のたぐいらしい、と男は唸った。


同じように、倉庫を画廊や住宅として使っているものもあるようだ。

無骨だが洒落っ気が漂っている。

それがこの街独自の様式と化して、不思議と均衡を保っていた。


男は荷物を引きずりながら、悠々と観光を楽しんでいる。

そのうち、男は気づいた。


禿頭の男(ここからも森が見えるな)


よく考えてみれば街のほとんどの場所から鬱蒼とした木々が見えている。

広い街を、より広い森が大きく囲んでいるのだから当然かもしれない。

それを差し引いても、妙に森の存在が気にかかるのだった。


禿頭の男(かすめる程度にしか見ていないが、やはりずいぶん広いようだ)

禿頭の男(あれほど規模の大きな森なら……まあ、人間に見つからんよう棲むことも難しくはないかもしれん)

禿頭の男(本当にあの森に……なんて、まさかな)
314 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:43:50.33 ID:lH8SKUuEO

男は想像する。

森の奥深く、人間の目の届かない場所がきっとあるはずだ。

友人が『我が子』と呼んだ存在が、そこで静かに潜み暮らしているのだろうか。

自分が知っているのは、巨大なシリンダー状の装置越しに見た姿だけだ。

身体を丸め、目を閉じ、たくさんのケーブルを繋がれている。

今ではどんなふうに成長しているだろうか。


日々の食糧を手に入れることはできているだろうか。

『父親』に言わせると、そういう知恵はなにも持たなかったはずだ。

だが不思議と、飢え苦しんでいる気はしない。


寂しい思いをしてはいないだろうか。

賢い子だから、誤解さえ受けなければきっと大丈夫だ。

広い世界のどこかに、あの子を受け止めてくれる場所がきっとある。


所詮は希望的観測だ、と男はかぶりを振って足元を見た。

地面には使われなくなって久しい線路が埋もれている。

かつての活躍は想像に難くないが、すっかり街を彩る装飾の一部と化していた。

線路の末端も雑草に覆われてよく見えない。


禿頭の男(奴にはああ言ったが、別に確証があったわけではないからな)

禿頭の男(観光がてら、それらしい話が拾えれば奇跡だ、が、まずは……)


男は立ち止まり、がちゃんと音をさせてカートを止めた。

腰に手を当て、目の前に聳える大きな建物を見上げる。


禿頭の男(……さて、ジムある街に来たならば)

禿頭の男(ここはやはり、ジムリーダーらしいやりかたで挨拶をしておかねばな)

禿頭の男(改めて考えれば、まったく難儀なものだなあ、トレーナーという人種は)


男はサングラスの奥で目を細めた。

白く輝く博物館は、沈んだ色合いの街にひときわ目立つ。

そのさらに目立つ正面に、ジムであることを示すエンブレムが堂々と佇んでいるのだった。
315 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:48:16.82 ID:lH8SKUuEO






手元のノートにペンを走らせる。

ぼんやりと苛立ちながら線を引く。

何度も線を重ね、色を濃くしていく。


静かな室内ではその音も少し耳障りだ。

他の利用者は、もっと意味のある音をさせている。

たとえば文字を書くとか、ページを捲るとか。


レンジャーは不意に顔を上げた。

誰かの視線を感じたように思ったのだ。

周囲を見回しても、それらしい顔見知りもいないようだ。


レンジャーの肩書きこそあるものの、たかが下っ端に大した力はない。

一般人も同然だ。

今はユニフォームですらなく、地味な私服に身を包んでいる。

誰かにことさら視線を向けられる理由は思い浮かばなかった。

気にしすぎだろう、と自分を納得させる他ない。


そうするうち、白いノートには、特徴的なシルエットが描き出された。


レンジャー(こんな感じだったかなあ)

レンジャー(いや、もうちょっと、こう……ローブみたいに被ってたかな)

レンジャー(木の間からはよく見えなかったけど)

レンジャー(屋根の上にいたときは、少しだけ見えたよね)


ペンを投げ出し、改めて自分の描いた絵を見る。
316 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:53:11.97 ID:lH8SKUuEO

身長からの割合でいえば小さめの頭部。

その下に直立した胴体が恐らく続いている。

足がどのあたりから生えているかわからないが、二足歩行に違いない。

あんなふうに背筋を伸ばして歩行する種類はあまり多くない。

ちらっと見えただけだが、体長と同じくらいの長い尾があったように思う。

外套のように大きな布を身につけているようだ。

頭からすっぽりと被り、顔つきはわからない。

姿を人間に見られたくないのだろう。

角か耳か、頭部の左右にかすかな盛り上がりがあったような気がする。


レンジャー(よし、あんまり似てないけどそれっぽく描けたかな)

レンジャー(……はあ)


溜め息とともにノートを押し退ける。

『恐らく』、『違いない』、『思う』、『だろう』、『気がする』。

要は“なにもわからない”。

迂遠さを垣間見て、うんざりしたのだ。

何も知らないことを改めて突きつけられるのは面白くない。

もとより、手元に大した情報はないのだが。


本を抱えた誰かが、机の横を通り過ぎていった。

自分の落書きを無意識に手で隠す。

見られて困る理由は特になかったが、なんとなく憚られた。


レンジャー(ここまでわからないとは思わなかった)

レンジャー(困ったな)


彼らが助けを欲したとき、自分は何かしてやれると思っていた。

少しは何かしてやれていると思っていた。

実際にはこのざまだ。

何かしてやるための手掛かりさえ掴めない。
317 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:54:53.68 ID:lH8SKUuEO

机の上には、既に目を通し終えた図鑑が山と積まれている。

イッシュ地方は“いの一番”に調べたが、当然のように空振りだ。

有り体に言えば、ここに積まれた本のどれもが外れだった。

どの地方の図鑑にも載っていない。

似通った部分のある種類さえいない。


そうして考えていくほどに、また別の疑問が明確になっていく。

あのポケモンは、つまるところいったい何者なのだろう。

まず、もちろん人間ではない。

ではどこから来た、どういう素性のポケモンなのだろうか。

これまで深く考えることは敢えて避けてきた疑問だった。

自分と彼らの関係において、そこに踏み込むのは無用な詮索でしかないからだ。

だが今は、それこそが鍵になるような気がしていた。


少なくとも人間には未知のポケモン、ということにはなる。

ならば、なぜ人間の物を持っている。

なぜ汚れた布を頭から被り、姿を包み隠そうとする。

人間を嫌い、憎み、遠巻きに友人たちを見守るのか。

その姿勢こそ、過去に人間の介在があったことを意味するのではないのか。


……ならばなぜ?


読み終えた本の、その隣の山に目を移す。

まだほとんど手をつけていない、毛色の違う本ばかりが残されていた。

信憑性の極めて低い都市伝説や伝承、噂ばかりが載った本だ。

図鑑といえば間違いではないが、情報としての意味はあまりない。

子供向けの本もある。
318 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2018/06/09(土) 23:56:38.34 ID:lH8SKUuEO

正直なところ、息抜きとしては優秀だった。

たとえば、さきほど目を通した本には、遺伝子改造の末、生み出されたポケモンの与太話が載っていた。


そのポケモンは極めて強いかわり、とてつもなく凶暴だとか。

ゆえに自身を生み出した研究者たちを皆殺しにして逃げたとか、なんとか。

まるで醜悪な化け物かのように挿絵が描かれている。

不気味でおどろおどろしい挿絵。

オカルト雑誌のような外連味に溢れた文章。

これでは都市伝説どころか安物のホラー映画だ。

子供を対象にした本とはいえ、いくらなんでも荒唐無稽にすぎる。


レンジャー(って言っても、もうこんなのしかないんだよな)

レンジャー(こんなのに載ってたら、それこそ幻のポケモンだし)

レンジャー(さっきのホラーっぽいのも、ちょっとあり得ないからなあ)


しかし、もう他に調べるものもない。

いい加減、頭も焦げついてきたところだ。

休憩のつもりで、山の一番上にある本へと手を伸ばす。


その瞬間。


すっかり脱力していたレンジャーの肩を、誰かが力いっぱい掴んだ。
319 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2018/06/10(日) 00:06:48.38 ID:Gswb9wreO
今日はここまで

感想・保守ありがとうございます
USはやっとネクロズマと1回戦闘して帰還したところで、
ゲーチスが出てくるらしいんだけどまだリーグすら辿り着けてないのである

ではおやすみなさい
320 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 00:44:27.23 ID:epfoB6RR0

だんだんと各陣営の動きが見え始めたのか?
321 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 01:45:34.68 ID:X5D9Hslwo
乙乙
わくわくしてきた
USゲーチス出るんか、リーグでやめてた
322 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 12:24:53.34 ID:vsY5uC43O
更新乙です
役者が揃ってきたな
323 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/07/12(木) 21:36:28.50 ID:7E2zPDnRO
保守
324 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/08/01(水) 00:33:16.82 ID:sljz0+Kro
来年の映画はミュウツーだな
保守
325 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/08/01(水) 22:19:38.20 ID:iteeJLV7O
保守ありがとございます
またミュウツーで映画やるのか…
326 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/08/22(水) 00:49:40.37 ID:1i+T9FplO
327 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2018/08/24(金) 18:23:57.48 ID:Uz+I2XWm0
保守
328 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2018/09/02(日) 05:11:26.30 ID:WYuJ8SBD0
あれ?書き込みは出来るけど専ブラからこのスレ消えてるお?
ちなスマホのBB2C
どこかに移転したのか?
329 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/15(月) 09:48:03.47 ID:2Nsz2ui1o
復活したか
330 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/10/15(月) 21:19:39.73 ID:YHvciYdxO
>>329
復活だやったー!
ゴブスレ見ながら書いてるぜヒャッハー!!
331 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/10/17(水) 22:53:06.11 ID:BfDJqL3do
復活して良かった……
332 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/27(火) 10:54:25.64 ID:AQQj2Ckg0
ほっしゅる
333 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2018/12/17(月) 21:13:55.76 ID:9Ij23kJZo
保守
334 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2019/01/18(金) 19:15:17.87 ID:sDkDgmtsO
保守
335 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/01/22(火) 01:35:10.08 ID:kXHxljrhO
完結するまでずっと待ってる
336 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2019/01/27(日) 07:38:45.42 ID:k3XqMKHg0
保守…私生活含め色々滞っております…
337 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/01/27(日) 14:04:39.69 ID:xc0/IQka0
余裕のあるときでええんやで
気長に待っとる
338 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/24(日) 00:45:29.69 ID:7zShFztv0
保守
339 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2019/03/20(水) 00:52:05.63 ID:pcdh9weg0
保守
340 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/05/01(水) 01:33:25.89 ID:l7yKtqHoo
341 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2019/05/09(木) 10:02:22.55 ID:Z/NrV6QPO
hoshu
342 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/06/07(金) 21:36:08.19 ID:mXAGn1BS0
保守
343 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2019/07/03(水) 01:58:19.16 ID:KX06cS8LO
保守
344 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2019/07/29(月) 21:09:29.37 ID:RlLGkKQOO
保守
345 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage ]:2019/08/26(月) 19:11:19.02 ID:BvaOEQIn0
保守
346 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/09/17(火) 21:56:41.24 ID:nkF1S3nQo
保守
347 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2019/09/29(日) 23:24:48.33 ID:pMyju1DIO
hoshu
348 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2019/12/17(火) 17:55:44.36 ID:g/iHm7M1O
hoshu
349 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/12/18(水) 00:18:35.34 ID:mczKMWpto
待ってるぞ
350 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/12/19(木) 10:21:18.44 ID:aQeWhtx+0
351 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/29(水) 23:35:26.41 ID:z3B0neLKo
352 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/21(金) 13:49:30.47 ID:LGfpG6R8O
しゅ
353 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/06(金) 01:33:16.28 ID:+4Xs685FO
hoshu
354 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/20(月) 20:45:54.86 ID:stiHiszVo
355 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/05/08(金) 00:04:25.26 ID:K9Plvakg0
保守
356 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/07/08(水) 23:33:15.16 ID:/1HlWhNTo
ほしゅ
357 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/07/17(金) 18:13:16.74 ID:LKcBCdkc0
チュリネが辛い思いしない、せずに済むことをひたすら祈り続ける
叶いそうにないけど
358 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/30(日) 01:40:43.08 ID:+jF6WUTKo
ほし
359 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/11(金) 22:36:45.75 ID:hkVQQJx+0
保守
360 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/10/27(火) 19:34:46.55 ID:rYRDQExXo
ほしゅ
361 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/12/11(金) 17:53:06.31 ID:jgT7ZlOdO
ほしゅ。みなさん、お身体にお気をつけくださいね
362 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/01/21(木) 10:53:14.49 ID:8pVUUksNO
ほしゅ
363 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/02/16(火) 16:00:20.92 ID:mDuVj6MPo
保守
364 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/04/30(金) 00:07:12.80 ID:SX0GdWbq0
保守
365 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/08/17(火) 13:02:48.45 ID:DGUvRi3j0
保守
366 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/09/11(土) 18:45:42.25 ID:HDiDt1Tvo
保守
367 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/04/08(金) 19:28:37.90 ID:wqChY9Cq0
ho
368 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/02/02(木) 21:22:08.62 ID:0drDqm2Mo
保守
369 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2023/03/14(火) 23:07:44.76 ID:FwgsQAaB0
はい
370 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:21:34.91 ID:9Ps6NfVqo

かすかな足音、ページを捲る音、筆記用具の摩擦音。

本を探す人の声、答える職員の声。

空調の静かな唸り。

アロエには、いつもと変わらない光景にしか見えない。

いつも通りの図書館だ。


ただなんとなく、いつもより空気が落ち着かない。

少なくともアロエにはそう感じられた。


アロエ「……ふうん」


静かに息を吐き出し、アロエは腰に手を当てた。

目の前の書架に、ぽっかりと不自然な空白がある。

ひと抱えほど、蔵書が持ち出されている。

周囲の書架から見るに、図鑑らしい。

誰だか知らないが、アロエと同じような調べ物をしていた人物がいたようだ。


371 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:25:08.86 ID:9Ps6NfVqo


アロエ(根こそぎ持ってってる奴がいる、ってことか)

アロエ(システム上は貸し出しになってない本も結構あるから、まだ館内にいる?)

アロエ(“あの子”の手掛かりでもあればと思ったけど)


おおまかな身長や体格は、何度か会って――顔は見ていないが――から知っている。

薄暗い中とはいえ、白っぽい色合いだったことはわかる。

趾行性の二足歩行であることも、身の丈のわりに長くがっしりと太い尾があることも。

おそらく、人間のところから逃げてきたことも。

それも悪意か害意か、そうした感情で“あの子”に対峙していたに違いない。


だがそれだけだ。

それ以外の情報はない。

あとは、実際に顔を合わせた――もちろん、顔は見ていないが――印象だけだ。


???「あ、館長」

372 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:28:22.90 ID:9Ps6NfVqo

不意に背後から声をかけられた。

首を回すと、キダチが返却図書を何冊か抱えて立っている。

書架に戻すところだったようだ。


アロエは妙な後ろめたさを覚えた。

些細な隠しごとが露見しそうなときの、あの居心地の悪さに似ている。

実際には、書架の前に立っているところを夫に見られただけなのだが。


キダチ「……今、忙しいかな。あとでも大丈夫なんだけど」

アロエ「別に忙しかないけど、なんだい」


かろうじて笑顔を作る。

なぜこんなにやましい気持ちを覚えるのか、自分でも不思議だ。


キダチ「備品管理の人が、椅子一脚足りないって」

キダチ「背もたれがなくて座面が丸いやつ」


アロエは心臓が飛び出そうになった。

椅子。

いや違う。

正確には、スツールだ。

373 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:30:48.82 ID:9Ps6NfVqo


――キミは尻尾があるみたいだから


背もたれのないスツール。

心当たりがある。

いや心当たりどころの話ではない。

あの夜のまま、書斎に置きっぱなしだ。


アロエ「ああ、それ……えーと」

キダチ「どこかで見かけたら教えてくださいって言ってた」

アロエ「わ、わかった」


話を終えると、キダチは少し不思議そうな顔をして去っていった。

これでは、思い当たるところがあると言っているも同然だ。


アロエ(……やっちゃった)

アロエ(図鑑は閉館したあとにまた来ればいいか)

アロエ(ああそれに、椅子もこっそり戻しとかないと)

アロエ(……それもそれで不自然かねえ)


アロエはちらちらと周辺の書架に目を配りながら、身体の向きを変えた。

心ない利用者が、図鑑を適当な書架に本を戻した可能性もあったからだ。


アロエ(なにか言い訳を用意して、うっかりしてたことにしとくか……)

374 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:33:13.57 ID:9Ps6NfVqo

ふと、館内のどこかで、雑音に紛れて声が聞こえることに気づいた。

それも独り言ではない。

明らかに二人が『話し合う』声だ。

場に相応しい小声というには、もう少し騒々しい。

やや距離があるのか、話している内容まではわからない。


アロエ(……今日は変な利用者も少ないと思ったのに)

アロエ(あんまり騒ぐようなら、ちょっと声かけなきゃいけないか)


靴音を潜め、アロエは書架と書架の間から歩み出た。

林立する書架コーナーの隣には閲覧スペースがある。

一人用サイズの机と椅子が並び、ちらほらと利用者が腰かけていた。

声はまだほそぼそと響いている。

話し合っているというより、どちらかといえば揉めているような印象を受けた。

やはり、見に行った方がよさそうだ。

アロエはあたりを見回し、声の出所を探す。


すると、閲覧スペースの片隅に目が吸い寄せられた。

男が二人、言い合いをしている。

あれが出所で間違いないようだ。

片方は着席しており、本の山を前にして机上の何かを押さえている。

特に目を引く服装でも、変わった様子でもない。

375 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:35:45.25 ID:9Ps6NfVqo

もう片方は旅行者か何かだろうか。

キャリーカートをそばに置き、相手の肩と机の上の何かに手を伸ばしている。


アロエ(……あの男、たしか)


男の風貌は特徴的だ。

細身の禿頭で、年格好は老人に見えなくもない。

だが洒落た身なりで背筋は伸びており、足腰にも危うさは見えない。


アロエ(間違いない)

アロエ(でも、なんでこんなところに)


どうやら、禿頭の男が座っている青年からノートをもぎ取ろうとしているらしい。

双方とも一応は声を潜めており、喧嘩というほどではなかった。

周辺の利用者はかすかに眉を顰め、遠巻きにしているだけだ。

アロエの姿を認め、ちらちらと見てくる利用者もいる。


しかたなく、アロエはつかつかと近寄った。


アロエ「アンタたち」

アロエ「悪いんだけど、騒ぐなら外でやんなさい」


アロエの声に、二人が顔を上げて彼女を見る。

一瞬怪訝そうな目をしてから、着席している方が『あっ』と小さく叫んだ。

アロエの顔を知っているようだ。

目を見開いてこちらを見上げている。

376 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:38:41.86 ID:9Ps6NfVqo

アロエもまた、なぜか若者の方にも見覚えがあった。

にわかには思い出せないが、たしかにどこかで見た顔だと思う。

そのわりに名前はなかなか浮かんでこない。


見たところ、青年は私服で、いかにもプライベートらしい。

制服で一度か二度会っただけだとすれば、もうわからない。

必死に思い出そうと努力しながら、アロエは続けた。


アロエ「なにがあったか知らないけど、どっちもいい大人なん……」


ちょうどそのとき、彼らの奪い合っているノートに目が行く。


アロエ(……この絵は)


ノートには、黒っぽい絵が書かれている。

ペンでぐりぐりと描かれただけの落書きだ。

だがよく見れば、どこかで見たようなシルエットに思える。


二足歩行の何者かがマントを羽織ったような形。

妙に長い尾。

何が描かれているのか、正確なところはわからない。

だがアロエは、その絵が示すもの、描こうとしたものを理解してしまった。

377 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:42:04.28 ID:9Ps6NfVqo

アロエ(……まさか、あの子のことを)


頭が凄まじい速度で回転し始めた。

思い当たる記憶が一瞬にして眼前に甦る。


アロエ(そういえばたしか、あの子も自分で……ヤグルマの森に棲んでる、って)

アロエ(ヤグルマ……あ、この子)


まさしく、この青年を見たことがあった。

もっとも、見覚えがあったのは暗いオレンジ色の制服姿だったが。

レンジャーのユニフォームに身を包み、会議に出席していた。


アロエ(でも……あの子をどこで知ったっていうんだ)

アロエ(森で?)

アロエ(たしかに、それが順当だけど)

アロエ(あの子が存在を知られるような真似をそうそうするとも思えないし)

アロエ(それに……)


レンジャー「ごっ、ごめんなさい、アロエさん」

禿頭の男「アロエ? あんたが?」


禿頭の男は、青年の肩に置いていた手で自分の髭を撫でた。

もう一方の手はぬかりなくノートを掴んでいる。

378 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:43:43.23 ID:9Ps6NfVqo

禿頭の男「ということは、あんたがここのジムリーダーか」

アロエ「……え? ああ、そういうことだね」

アロエ「それがなに?」

アロエ「ここで騒いだら、他の利用者に迷惑になることくらい……」

禿頭の男「なァに! 騒ぐ気があったわけじゃあない」

禿頭の男「ちょっと、この若造に話を聞きたくてな」

レンジャー「こッ……こっちは話すことなんかないです!」


若者が慌てて首を振った。

その間にも、水面下でノートの奪い合いは続いている。


アロエ「……二人とも、ちょっと来てもらおうかな」

レンジャー「いえ、あの、そろそろ帰りま」

禿頭の男「わしも、長居するつもりは」

アロエ「図書館は騒ぐ場所じゃあないだろ!」


突然、アロエが声を荒げた。

レンジャーが肩を震わせ、驚いている。

禿頭の男もさすがに面喰らったのか、少し身構えた。

周囲の視線が一気に集まる。

そして、騒ぐ人間が館長に叱られていると見るや、みな安堵して目を逸らすのだった。


その隙にアロエは問題のノートをひったくり、急いで閉じた。

覗き込まない限り見えないし、見えたところで誰にも絵の意味は理解できまい。

だが一刻も早く、あの絵が他人の目に触れないようにしたかった。

379 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:45:10.25 ID:9Ps6NfVqo

レンジャーは何か言いたげに口を開こうとした。

それを手で遮り、アロエはレンジャーを睨みつける。


アロエ「図書館は、静かに本を読むところだよね」

アロエ「そんなことくらいわかってるだろうけど」

レンジャー「……ごめんなさい」

アロエ「アンタもアンタだよ」


次にアロエは禿頭の男を睨む。

多少は気圧されたのか、男もキャリーカートを引き寄せて黙っていた。


アロエ「まったく、“他人が読んでる本”を取り上げようとするんじゃないよ」


彼女の口ぶりに、レンジャーが不思議そうに眉を顰めた。

アロエは、そんな彼を敢えて無視した。


アロエ「いい年した大人なら、順番くらい待ちなさい」

アロエ「どうしても読みたいっていうなら、予約でも取り置きでもすりゃあいい」


男がこれみよがしに片方の眉を跳ね上げる。

鼻を鳴らし、何かを合点した顔で軽く頷いた。

レンジャーは不安そうにアロエと男を見比べている。


禿頭の男「……なるほど、それもそうだな」

禿頭の男「“たかが本一冊のために”騒いだことについては、弁解の余地もない」

レンジャー「いや、あの、本じゃなく……」

アロエ「いいから、二人とも」

アロエ「説教の続きは、裏の事務室でするから」

380 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:46:55.63 ID:9Ps6NfVqo

レンジャーはみるみる青ざめていく。

子供のように身を縮めて黙り込んでしまった。


アロエ「ここじゃあ他の利用者に迷惑になるからね」

禿頭の男「おいおい、わしもか」


大袈裟な身振りで男がわざとらしく異を唱えた。

アロエは眉を顰め、子供を叱りつけるように小声で返す。


アロエ「そうだよ。アンタにも話がある」


男は自分の禿げ上がった頭をつるっと撫でた。

小振りなサングラスの奥から、アロエは彼の鋭い視線を感じる。


禿頭の男「……ふーむ」

アロエ「キミ、他の本はそのままにしておいていいから」

アロエ「自分の荷物だけまとめて、ついて来なさい」

レンジャー「……は、はい……」

禿頭の男「それは、わしがどこの誰か、わかった上で言っとるんだな」

アロエ「……ああ、もちろん」


肩を竦め、男は渋々という身振りを見せて了承した。


禿頭の男「なるほど、それならば仕方ない」

381 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:48:45.47 ID:9Ps6NfVqo

レンジャーもばたばたと荷物をサックに詰めている。

アロエは『ふう』と息を吐く。

ずっと息を止めたままだったような気すらした。


アロエはさりげなく周囲に目を配る。

やはり、もう誰も注目していない。

館長が介入したことで、言い争いも収まるものと判断されたのだろう。

騒いだ利用者二人が館長に叱りつけられただけだ。

少なくとも、他の利用者にはそう見えたはずだ。

『そう見える』ことがなによりも肝心なのだった。


アロエ「じゃあ、ついて来なさい」


若者は怯えている。

かわいそうなことをしてしまったかもしれない。

ひとりだけ、状況がよくわかっていないに違いない。

だが、もう少しだけ我慢してもらうしかなかった。


アロエは書架の間を縫って、バックヤードに向かった。

背後からは、硬い床を踏む二人の足音が聞こえている。


すたすたとカウンターを回り込み、躊躇する二人を手招きする。

二人がカウンターの内側に入ったのを確認すると、アロエは奥の扉を開けた。

382 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:54:16.22 ID:9Ps6NfVqo

扉の先は広い事務室になっている。

普段は職員が諸々の仕事をしたり、あるいは待機しているだけだ。

今は事務仕事をしている職員が一人。

それから、何も載っていないトレーを抱えて妙に困り果てた様子の職員が一人。

部外者を二人も引き連れて館長が事務室に戻ってきたのだから、当然といえば当然だ。


アロエはまっすぐ奥に視線を向けた。

事務室を抜け職員用の廊下を進めば、その奥に小さめの保管室がある。

目指しているのはその保管室だ。


???「おお!」


アロエは突然、大声で横っ面をはたかれた。

一瞬ののち、はっとして足を止める。

聞き覚えのある声だ。

誰の声だっけ、とアロエは思う。


知り合いの声だ。

それも、自分に向けられている。

キイ、という椅子の軋む音がした。

アロエは慌てて声の方を向く。


???「久しいな、アロエ」


誰も使っていない席の椅子に、だらしなく座る男がいた。

暖色のポンチョに、大雑把な頭、裸足にサンダル。

首にも腰にもボールを下げ、リーグ規定以上の数を持ち歩いている。

机の上には、水滴のついた空のグラスが見えた。

383 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:56:36.17 ID:9Ps6NfVqo

アロエ「ア……アデク……」


アロエが名前を口にすると、男は嬉しそうに頷いた。


自分の後ろで、レンジャーが何か言おうとしている。

手と目でそれを制し、アロエは話を続けた。


アロエ「生きてたんだねえ、アンタ」

アデク「そう驚くこともないだろ」


そう言いながら、アデクと呼ばれた男は椅子を少し回転させる。

アロエたちに正対し、背もたれから身体を離した。


アデク「見ての通り、幽霊じゃあないぞ」

アロエ「たしかに、向こう側は透けて見えないし、足もあるね」


アデクは声をあげて笑い、自分の膝を叩いた。

孫がいるほどの年齢にもかかわらず、まるで少年のようだ。


アロエ「……“放浪の旅”に出てたと思ったけど」

アデク「ま、その通りなんだが、ちと用があってな」

アデク「自分で本を探すか、さもなくばお前さんに聞きゃあいいと思って寄った」

アデク「まあ自分で探そうにも、タンマツとかいう機械の使い方がわからんかったのだが」

アロエ「そんなこったろうと思ったよ」

384 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2023/08/01(火) 23:58:57.28 ID:9Ps6NfVqo

アロエは肩を竦めた。

なにか引っ掛かる部分があるのに、自分でも正体がよくわからない。


アデク「お前さんに声をかけようにも、取り込み中のようだったしな」

アデク「しかたないから職員を捕まえようとしたんだが」

アデク「わしの顔を見るなり、『コチラヘドウゾ!』などと慌て始めてな」

アデク「いつの間にか、こうして冷えた茶までご馳走になっているというわけだ」


なるほど、トレーを抱えた職員が困っていた原因はこの男だったわけだ。


ぎしぎしと彼の椅子が鳴る。

アデクがすっと立ち上がり、さりげなく自分の荷物に手を伸ばした。

『よっこいしょ』と言わないところが彼らしい、とアロエは思う。


アデク「とはいえ、調べ物は後回しにせにゃならんようだ」

アデク「……と、いうより、もはやその必要もなくなったというか」

アロエ「へえ……そうかい」

アデク「わしも混ぜてもらってかまわんかね」


ぎくりと背筋が冷えた。

アロエは彼の顔を改めて見る。

口元は微笑んでいても、目が笑っていない。


アロエ「……なんのこと」

アデク「お前さんが今からやろうとしとる、その『説教』にだ」



385 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2023/08/02(水) 00:00:14.56 ID:kR8bLL1Xo
今回はここまでです。
保守してきてくださったみなさん、本当にありがとうございます。
ちゃんと完結させたいです!

それでは。
386 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2023/08/02(水) 00:52:45.46 ID:D/Nlj8Cr0
戻って来てくださってありがとうございます。
387 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2023/08/29(火) 22:54:13.09 ID:Bxagxrqso


今日は妙な日だ。

そわそわして、理由はわからないが落ち着かない。

日課の走り込みも珍しくあまり身が入らなかった。

だから、普段の六割ほどでトレーニングを切り上げて戻ったのだ。

ポケモンたちも少し――いやだいぶ不満そうだったが、仕方ない。


誰の姿もない道場の中央に腰を下ろし、努めて静かに呼吸する。

窓も出入口も開け放っているのに、そよとも風は吹かない。

板張りの床は磨き上げられ、昼前の切り詰めた強い日差しが落ちている。

今いる位置も日陰なのにサウナのように蒸し暑い。

空気がまるごと熱いゼラチンの塊になっているような気がした。


いつもならば、こうしていれば精神のざわめきもいずれ鎮まるはずだった。

それは、こんなふうに暑苦しい日も、寒い冬の日も変わらない。


だが今日に限って、一向に平静を取り戻せる気配はない。

それどころか、神経を逆撫でする厄介な記憶が次から次へと思い出される。

どれも行方知れずな師匠に関連する記憶ばかりだ。


彼と出会ったときのこと。

勢いよく勝負を挑み、あっけなく負けたときのこと。

理由は忘れたが褒められて、思いの外、むず痒い思いをしたときのこと。

初めて勝ちをもぎ取ったときのこと。

これでは落ち着くものも落ち着かない。

388 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/08/29(火) 22:55:48.32 ID:Bxagxrqso

ふうう、と意識して息を長く吐き出す。

足が痺れている気もするが、きっと気のせいだろう。


記憶の中の彼は、おおむねいつも豪快に笑っている。

たいていのことは明るく笑い飛ばせる男だったことは確かだ。

怒鳴ったり、激しく怒ることはまずない。

勝負に負けても、いい戦いができたのなら、手を叩いて喜ぶことさえある。

勝ち負けと機嫌の善し悪しは、彼にとって別の話なのだ。

当時の自分には、とても理解しにくい感覚だった。

そもそも彼の負け自体、そう滅多にあることではなかったが。


そんな師匠が、珍しく難しい顔をした日があった。



――私は記憶の中でも膝をつき、正面の硬い地面を睨みつけていた。



サンダルを履いた彼の足が、視界の奥の方に見える。

私たちは、そうだ、私たちは立って向かい合っていたのだ。

最初は。

389 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/08/29(火) 22:57:25.16 ID:Bxagxrqso

???『お前さんは、負けるといつもそんな顔になるなぁ』


私はその顔を見上げ、いや、睨みつけた。

力いっぱい拳を握り悔しがる私に、彼は呆れて――違う、困っていた。

口は笑ったままだったが、眉根を引き上げて溜め息をついている。


???『まったく困ったものだ』

???『勝負に負けることがそんなに嫌か』

???『それとも、“わしに負けた”のが気に入らんというだけか』


そう言われて、余計に私は腹を立てた。

そんなことを改めて問う彼に。

思うように動いてくれない自分のポケモンに。

いくら足掻いても師匠に勝てない自分に。


???『そうまでして、なぜお前さんはわしに勝ちたい』


彼の言葉にカッと怒りが込み上げる。

挑発された、と当時の私は受け取ったのだ。

今にして思うと、ただ疑問を口にしただけだった気もするが。

よくもまあ、いちいち腹を立てていたものだと自分でも思う。

謙虚さや克己の精神から、少しばかり距離を置いていた時期だったのだ。


???『おい、わしを睨んだところで何も変わらんぞ』

???『いつも言っとるだろうが』

???『よく考えろ、と』

390 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/08/29(火) 22:59:47.78 ID:Bxagxrqso

試合用フィールドの真ん中あたりで、私はじりじりと立ち上がった。

薄曇のなんでもない天気、午後のなんでもない時間。

妙なことを尋ねる、とそのときは思ったものだ。


???『“オレは、強くなりたい”』

???『“ただそれだけで、理由なんてないです”』

???『お前さんは、いつもそう言っていた』


師匠は両腕を組み、眉間に皺を寄せて立っている。

衣服が風にはためいて、首から下げたボールがちらっと見えた。

本来ならばリーグの規定違反だ。

機械の使い方が本当にわからないとみんなが知っているから、誰も咎めないだけだ。


???『それだけか』

???『お前は強くなって、何がしたいんだ』


思わず漏れた自分の呻き声はあまりに間抜けだった。

たぶん不思議そうな顔をしていたのだろう。

実際、何を尋かれたのかよくわからなかった。

師匠は片手で顎をさすり、ああ、とかうう、とか唸っている。


???『例え話は本質を見失うから、あまり好きではないんだが』

???『楽器を弾けるようになったら、そこが終着点か』

???『絵の描き方を会得したら、それで終わりか』

???『そうではないだろう』


言われたことを、私は何度も頭の中で反芻した。

彼の言わんとしていることはわかる気がする。

腹は立つが。

391 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/08/29(火) 23:01:45.38 ID:Bxagxrqso

???『では、強くなるとは、どういうことだろうか』

???『お前さんにとっての、で構わん』


そう言われて、思わず視線を泳がせる。


???『それは、勝つことか、負かすことか、負けないことか、それともまた違う、別の何かか』


さきほどの問いよりもなお、尋かれている違いがよくわからない。

子供じみた反抗的な気持ちは、いつの間にか萎えていた。


???『考えたことはあるか』


黙り込む。

視線を落として考える。


???『ないというなら、ここまで運がよかったと言えるのかもしれない』

???『なあに、そこを曖昧にしたままでは破れない壁がいずれ出てくる』


壁。

それなら、今この時点でもう目の前に立ち塞がっているじゃないか。

アンタこそがその壁だ。

そう文句を言いたくなったことを憶えている。


???『ま、偉そうなことを言ったが、わしもすっかりわかっているわけじゃない』

???『強い、とは、つまるところ、なんなのだろうなあ』


彼は不意にこちらを見る。

そして心の底から疑問に思っている、とでもいうように尋ねてきた。


???『……お前さんは、わしが強いと思うか』

392 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/08/29(火) 23:03:10.26 ID:Bxagxrqso

だから私は、彼に言い返したのだ。


『今更、そんなこと尋くんですか』。

『師匠は強いですよ』。

『現にこうして、オレは師匠にろくに勝てない』。

『だからオレは師匠に弟子入りしたんです』。

『それに、この地方では誰よりも強いから、師匠はチャンピオンなんじゃないですか』。


半ばやけっぱちだった。

ところが、師匠は合点がいった顔で唸った。


???『なるほど、そうだったか』


叱られるか呆れられると思っていただけに、少し予想外だった。

顎を擦り、彼は私が投げつけた言葉を咀嚼していた。

しばらくして師匠は首をかしげ、ふたたび私を見た。


???『だがその強いってのは、つまりなんなんだ』

???『トレーナーを標榜する者のその属性のみに絞った話なら、ある意味で単純明快だな』

???『一定の方針に従った適切な育成計画を考案し、それに沿ってポケモンを育成できること』

???『そして、特定のルール下でポケモン同士を戦わせ、状況に応じて最適な指示を出せること』

???『そして、そういう立場の者同士の“試合”に勝てること』

???『「トレーナーとしての強さ」とは、いわば文字通りの調教師として、あるいは指揮官としての優秀さだ』


私はまた黙して師匠を見つめる。

393 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/08/29(火) 23:05:28.45 ID:Bxagxrqso

彼と自分との間に、優劣を決定づけるほどの身長差はない。

体力や年齢を考えれば、むしろこちらの方がずっと有利であるはずだ。

それでもなお、遥か高みから見下ろされている。

雲の上を眩しく仰ぎ見る感覚は、どんなときも纏わりついている。

今、こうして膝をついていたことを差し引いても、だ。

手を捻られる赤子の気分とは、こんなものなのかもしれない。


???『お前さんなら……そうだな』

???『おのれの極める武道で相手より勝ること、も、ある意味では「強さ」かな』


『それ以外に何があるのか』と聞き返す。

ポケモン勝負にせよ、武道にせよ、大した違いはない。


敗者は顧みられることがない点では同じだ。

だが彼の物言いにカチンときたのもまた事実だ。

すると、師匠は――“難しい顔”をした。

ううん、と頭を掻き、鼻を擦り、口をへの字に歪める。


???『おい、レンブ』

???『お前さん、だったら、なぜわしのところなんぞに弟子入りしたんだ』



394 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/08/29(火) 23:07:26.92 ID:Bxagxrqso

レンブはぎくりと顔を上げた。

我に返ってみると、自分の心臓が銅鑼のように鳴っている。

妙に汗をかいているが、暑さのためだけではない気がする。

どうやら白昼夢を見ていたようだ。

周囲を見回しても師匠はおらず、無論ここはフィールドでもない。


太陽の位置もあまり変わっていない。

たださきほどまでと違い、少し耳障りな音が規則的に聞こえている。


キャスターのコール音だ。

発生源は壁を何枚か隔てた事務室らしい。

道場へはキャスターを持ち込まないから当然といえば当然だが。

というか、普段も荷物に放り込んでいる。

もちろん、師匠ではないから使い方はわかっている。


腕で額を拭うと、夕立ちを潜り抜けてきたようにびっしょり濡れていた。

それが膝にしたたり、愛想のない色の染みを作る。


レンブ(……なんだか、嫌な予感がする)


コール音は間断なく響いている。

なかなか途切れないところを見るに、はっきりと用がある相手なのだろう。

395 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/08/29(火) 23:09:03.57 ID:Bxagxrqso

急ぎタオルで汗を拭きながら事務室に入る。

荷物の上に置かれたキャスターがけたたましく鳴いていた。

キャスターを手に取り、まさかと思いながらも発信者の名前を見る。


点灯する『アロエ』の文字を見たとき、レンブは正直なところ少しほっとしていた。

もっとも、心のどこかで『ひょっとしたら』と期待したことは否定できないが。

悪い知らせでないことだけは不思議と確信していた。

とはいえ、悪い予感『も』当たっている気がする。


レンブ「……はい」


わずかな間があって、通信相手を映す小型モニタに人影が浮き上がった。

見知った顔だ。

いつもと同じく、自信に満ち溢れた笑顔を浮かべている。

だが今日はなんとなく切羽詰まった気配があった。


アロエ『……もし、もしもし、忙しかった?』


396 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2023/08/29(火) 23:09:41.64 ID:Bxagxrqso
今回はここまでです。

>>386
こちらこそありがとうございます!
397 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2023/08/30(水) 12:17:06.49 ID:D6KqNzFL0
お早い更新だ!!うれしい!
398 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 00:51:32.99 ID:IYrmd6hRo

少し埃っぽい匂いが部屋に漂っている。

書庫のように林立した金属ラックには、大小さまざまな木箱やトレーが並ぶ。

トレーからは白い布切れにくるまれた、これまた大小さまざまな物体が覗いている。

小さな紙片に整然と文字列が書かれ、トレーに貼り付けられている。


あれらは調査を待つ化石か何かだろうか、とレンジャーは落ち着かない頭で考え続けた。

圧すら感じる夏の日差しもこの部屋ではほとんどわからない。

それもこれも、棚にずらりと並べられた化石たちのためだ。


とはいえ、今はその暑さ寒さも、あってないようなものだった。

近年稀にみる緊張に身体を強張らせながら、レンジャーは木の椅子に腰かけている。

両足を閉じ、膝に両手を載せて背筋を伸ばし、意識が遠のきそうになるのをかろうじて踏み止まっている。

最後にこれほど身の細る思いをしたのはいつだったか。

レンジャーの採用試験で、試験官のひとりが自身の兄であることに気づいたときだったか。

それとも、『初任務』に赴く車内での時間だったか。


同じような椅子に座り、飾り気のない木製の作業卓に片肘を置く男が正面にいる。

目の前に陣取るこの男が誰なのか、レンジャーは知っていた。

むしろ、この地方にあって彼の顔を知らない者はいないはずだ。

399 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 00:52:57.41 ID:IYrmd6hRo

それから、その横で腕を組んで立つ女がいる。

この女のことも当然、知っていた。

少なくともこの街に住んでいて、彼女を知らない者もまたいるまい。


その二人と自分、両方から同じくらいの距離を取って佇む、きれいに禿げ上がった男。

さっきまで自分のノートを奪い取ろうとしていた相手だ。

どこの誰なのか知らないが、あまり関わりたくない部類の人間だと思っていた。


荷物は事務所に押しつけてきたのか、その禿げた男も今は手ぶらだった。


そうやって周囲を観察でもしていないと、内臓が口から飛び出してきそうだった。

前者の二人は、いわばもっとも身近な雲の上の存在だ。

本来ならば、自分のような半人前が気楽に会話できるはずもない。

トレーナーとしての道を邁進することさえやめた自分には、なおさらそう思えた。


いずれにせよ、連行されたコソ泥のように、レンジャーはひたすら膝を握り続ける他なかった。

シッポウジムリーダーの手元に置かれた、自分のノートにやきもきしながら。


アデク「おい、話を聞きたい相手を怯えさせてどうするんだ」


圧力の強い声が顔の横をかすめていく。

あれをじかに浴びたら気絶しそうだ、とレンジャーは思う。

400 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 00:54:03.32 ID:IYrmd6hRo

アロエ「別に怯えさせてなんかないってば」


腕を組むアロエが、肩を竦めながら返している。


アロエ「ねえ?」


そしてレンジャーの方を見て、同意を求めるように小首を傾げた。

笑顔を浮かべている。

だがその笑顔と裏腹に、その目はあまり笑っていないように見えた。


レンジャー「あ、いや、その……大丈夫です」

アロエ「ほおら」


少し勝ち誇ったように、アロエはアデクを振り返った。


アデク「あのなァ、この状況で正直に言えると思うか」

アデク「そんな図太い奴は、ここで萎縮したりせんだろ」

アロエ「それもそうか」


溜め息をつくように同意して、アロエは腕をほどいた。

かわりに両手を腰に当てて、レンジャーに視線を戻す。


イッシュの栄えあるチャンピオンと人望あるジムリーダー。

レンジャーは二人の放つ存在感に圧倒されて息をするのも一苦労だった。

ぎらぎらと輝く太陽に焼かれる凧のような気分だ。

401 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 00:55:22.48 ID:IYrmd6hRo

アデク「なにも、取って食ったりせんから、緊張するな」


不憫に思ったのか、アデクが宥める口調でレンジャーに声をかけた。

もっとも、緊張するなと言われても、どだいこの状況では無理な話だ。


レンジャー「は、はあ」

禿頭の男「すまんが、本題にはいつ入るかな」


静かな湖面に小石、というよりは岩でも投げ込むような大声がレンジャーの耳に突き刺さった。

思わず声のした方を見て、レンジャーはぎょっとした。

例の『はげ頭』がサングラス越しに自分を睨みつけているのがわかったからだ。

もっとも、問いかけそのものはレンジャー個人ではなく、場全体に対するもののようだが。


アデクは男の横槍に小さな溜め息を漏らした。

盗み見ると、アロエもわずかに顔を顰め、苛立っているようだ。

雰囲気は悪い。

それでも、男は一向にお構いなしだった。


禿頭の男「わしは、この若造に確かめなければならないことがある」

アデク「急ぎか」

禿頭の男「まあな」

レンジャー「だ、だから、あなた、なんなんですかさっきから」

禿頭の男「わしか? ……うーむ」

402 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 00:57:18.25 ID:IYrmd6hRo

レンジャーの誰何に、禿げた男は眉を跳ね上げて意外そうな顔をした。

なぜそんな反応を示すのか、レンジャーには理解できない。

思わずアデクを見ると失笑している。

それだけは読み取れるのだが、何を考えているのかまではわからない。


禿頭の男「ただのしがないポケモントレーナーだ」

アデク「ほーお」


男の言葉に、なぜかアデクがわざとらしく顎をさすった。

面白い冗談でも言われたかのように、ニヤニヤ笑っている。


アデク「『ただのしがないジムリーダー』の間違いではないのか」

レンジャー「……ジム?」

アデク「噴火で吹き飛んだジムはどうなった」


知り合いだったのだろうか。

この男のような風貌のジムリーダーを、イッシュで見た覚えはないが。

アデクの口ぶりはあたかも、たちの悪いジョークにあえて付き合ってあげている、といった様子だ。

禿げた男は唇を尖らせる。


禿頭の男「たしかに、その情報は間違っていない」

禿頭の男「だが少しばかり古いな。ジムはとうに建て直した」

アデク「ははは、知っとるよ」

403 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 00:58:22.42 ID:IYrmd6hRo

面白がっている声のアデクと違い、男はどこか上の空だ。

本当は、こんなやりとりを一刻も早く切り上げたいに違いなかった。


アロエはより一層、不愉快そうにしている。

表情を見るに、彼女もまた男の素性を最初から知っていたようだ。

男はレンジャーを一瞥し、しぶしぶといった調子で名乗った。


禿頭の男「グレンジムのカツラだ」

レンジャー「はあ……えっ」


レンジャーの背筋を、冷たいものが滑り落ちた。

聞いたことのある街の名前と聞いたことのあるジム名だ。

有名なジムだから当然だった。


レンジャー「グレンジ……えっ!?」


思わず腰を浮かせレンジャーはうろたえた。

ならば、自分はジムリーダー二名とチャンピオン一名に囲まれていることになる。

困り果ててアロエを見上げ、声にならない声で助けを求めた。


アロエ「なんだ、本当に知らなかったんだ」

アデク「まあ、そんなもんだよ」

404 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 00:59:15.07 ID:IYrmd6hRo

意外そうな顔をするアロエに、アデクは笑って返す。

アロエは意外そうに口を「へ」の字に曲げた。

そういうもんかねぇ、と呟いて両手を広げ、カツラに向き直る。

つまり、状況を全く理解できていなかったのはレンジャーだけだった、ということらしい。


アロエ「それで? イッシュくんだりまで何しに来たんだい、あんた」

アロエ「ひとの図書館で騒ぐために、わざわざ来たわけじゃないでしょ」

アロエ「『あんたが誰なのか』も知らない子相手に、何がしたいの」

カツラ「ご挨拶だな」


言葉のわりに、カツラが気分を害しているようには見えない。

気にしていないというよりも、どうでもいいのだろう。

どちらにしても、ぴりぴりした空気が和らぐ気配はなかった。


アロエ「警戒してるだけ」

カツラ「何を警戒するというのだろうか」

アロエ「いろいろとね、こっちにも事情ってもんがあるのさ」

アデク「事情ならわしにもあるぞ」

レンジャー「わ、わた……」

カツラ「なるほど事情か。ならば仕方ない、そういうこともあろう」


輪に入りそびれてしまった。

そもそも入ろうとしたことを後悔しつつあったが。

405 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 01:00:24.87 ID:IYrmd6hRo

カツラ「知っての通り、リーグ絡みの視察でホドモエに顔を出すことになった」

カツラ「だから、その『ついで』でここまで来たわけだ」

アデク「ホドモエ? あそこで何かあったか?」

カツラ「こっちで、常設のトーナメント施設を作ろうとしとるだろ」

カツラ「わしはその話で来たんだが」


怪訝そうなアデクの反応に、カツラはやや驚いたように答えた。

なんでお前が知らないんだ、と言わんばかりだ。

一方、レンジャーはその話に覚えがあった。

たしかホドモエの冷凍コンテナ区画が再開発される、という話だったように記憶している。

もっとも、『再開発に伴い、現在あそこに定着している個体群をどうするか』という議題として、だったが。


カツラ「地元の実力者に話が来とらんはずないと思うが」

アデク「……ああー……例のなんとかいう施設か、まあな」

アデク「ありゃあヤーコンが進めてる話だから、わしは別に噛んどらん」


ようやく思い当たったとでもいうように、アデクは胡乱に答えた。

あまり興味がなかったらしい。

アロエは、呆れを隠さない視線を彼に向けてから口を開いた。


アロエ「それのことなら、あたしも聞いてるよ」

アロエ「シンオウリーグにも話が行ってる、ってところまでだけど」

アデク「ほう、あいつ本気で全国から引っ張ってくる気なのか」

406 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 01:01:31.00 ID:IYrmd6hRo

仮にもチャンピオンだというのに、アデクの様子はまるで他人事だ。


アデク「わしはまだ、どうするか決めてはおらんがね」

カツラ「おいおい、現地のチャンピオンがそんなことでどうする」

カツラ「ああいう場所は、強いトレーナーと闘えることにこそ意味がある」

カツラ「あんたのように実力と評判のあるチャンピオンが参戦すれば、みんな喜ぶだろうに」

アデク「ははは」

アデク「いつまでチャンピオンやっとるか、正直わからんからな」

アロエ「ちょっと、冗談にしたってそれ笑えないよ」


チャンピオンの何気ない一言に、レンジャーは胸騒ぎを覚えた。

口振りはあくまで年齢をネタにしたジョークでしかない。

だが、目の前にいるチャンピオンは、もしかすると本当にその座を降りようとしているのではないか。

そんな曖昧な直感のようなものが、ふとレンジャーの脳裏をよぎっていた。


アデク「いやーあ、別に冗談じゃ」

アロエ「イッシュに来た理由はわかったけど、じゃあカツラ、あんた今、こんなとこで何してるのさ」


強制的に話を打ち切られたアデクは、わざとらしく萎縮した。

レンジャーの視線に気づき、苦笑いを浮かべてみせる。

407 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 01:02:37.15 ID:IYrmd6hRo

アロエ「ホドモエからここって、街ふたつは越えるでしょ」

カツラ「いや、この街まで来たのは、本当にたまたまだ」

カツラ「思いのほか暇だったし、リザードンの名を冠する橋をこの目で見たかったからでもある」

カツラ「もっとも、あちこちうろついていたのも、きちんと目的があってやっていたことだ」

カツラ「こやつの素性がわからん段階では、まだ話せん」


相変わらず、カツラは鋭い眼光を隠そうともしない。

そこまで身元を心配しなければならない話なのだろうか。

なぜだろう。

輪郭の見えない不安がじわじわと迫り上がってくる。


アロエ「なるほど」

アロエ「つまり、いずれ説明してくれるってことだね」

カツラ「そのつもりだ。適切なタイミングを待たせてもらうよ」

アロエ「好きにして」


アロエはあからさまに苛立っている。

カントーから来たジムリーダーが、どうにも気に食わないようだ。

そして長い息をつくと、気を取り直してレンジャーの顔をまっすぐ見た。

気づけばアロエだけでなく、全員が自分に注目している。


アロエ「で、肝心のキミは……」

アロエ「……あたしたち、どっかで会ったことあるよね」

408 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 01:06:12.04 ID:IYrmd6hRo

その一声だけで、まるで首を絞められたように息ができなくなった。

衣服の膝の部分を握りしめて、レンジャーはどうにか息を整える。


レンジャー「い、以前にあの、地域会議で……」


そこまで言うと、アロエはぱっと花が咲いたように明るい顔になった。

「あぁ!」と小さな声を上げている。


アロエ「そっか、やっぱり。なぁんか見覚えあったんだ」

アデク「ほーう」

アロエ「ここら一帯担当のレンジャーの子」

アロエ「でしょ」

レンジャー「は、はい」


じろじろと全身を検分したのち、アデクは合点がいったように頷いた。


アデク「なるほど、今はプライベートということか」

カツラ「ユニフォームでないとわからんものだな」


レンジャーは困って背を丸めた。

カツラの言葉が嫌味なのか本心の感想なのか、まったくわからない。


だが、そうだ、そうなのだ。

自分など、制服を着ていなければ、どこの誰かもわからない存在なのだ。

半端者だから仕方がない。

409 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 01:07:09.64 ID:IYrmd6hRo

アロエ「で、今日は何しに来てたの」

レンジャー「そ、それは、えっと……休みで、ちょっと調べ物をしに」

レンジャー「そうしたら、いきなりこの……カ、カツラさんが私の」

レンジャー「あ」


そう言って、レンジャーは大切なノートを指差そうとする。

だが、肝心のそのノートが見当たらなかった。

アロエのすぐ手元にあったはずなのだが。


アデク「調べるとは、『こいつ』についてかな」


アデクがノートを開き、問題のページをレンジャーに向けた。

こころなしか声を潜めている。


レンジャー「……そ、その」


落ち着きのない文字がページのあちこちに、ずらずらと書き殴られている。

その合間に、落書きのように描かれた黒いシルエット。


アデク「さっきの騒ぎも、つまりは『こいつ』が原因というわけか」

アロエ「ちょっとアデク、いつの間に」

レンジャー「そ、それは」

アデク「……『こいつ』は、なんだ」

410 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 01:07:55.57 ID:IYrmd6hRo

チャンピオンはレンジャーをまっすぐ見た。

親しみやすさが消えたわけではないのに、同時に厳しい山脈のような威圧感を放っている。

彼に挑む者はみなこれを味わうのだと思うと、レンジャーは縮み上がった。


やっとの思いで目を落とす。

今もなおアデクの視線が身体を焼いている。

レンジャーは困り果て、アロエに助けを求めた。

だがレンジャーの仕草に気づくと、なぜか彼女は目を逸らしてしまった。

仕方なく、自分の膝に視線を戻した。


地獄のような無言の時間が、あるいは永遠に続くのではないか。

そう錯覚するほど空気が重かった。


アデクの問いに答えることは難しい。


『あいつ』のことがなにもわからないから、こうして調べまわっているのだ。

そして成果も芳しくない。

わかっていることも、とても少ない。

シルエットからわかることであるとか。

周辺の木々から類推される体長、身長であるとか。

おそらく、飛行能力があることだとか。

411 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 01:08:57.26 ID:IYrmd6hRo

だが、そのわずかな情報を他人に伝えてしまうことに、どんな余波があるのか。

そうした自分の行動が、どんな結果を引き寄せるのか。

それが、『あいつ』にとってどう影響するのか。


正直なところ、もうさっぱり予想できなかった。

レンジャーの頭の中に、なんだか胸糞の悪くなる想像ばかりが駆け巡る。


しばらくしてアデクはノートを閉じた。

下を見ているのに、視線が外されたことがわかる。


アデク「ま、知ってても答えたかァないだろうよ」


はじめから回答が得られるとは考えていなかったようだ。

かわりに、今度はアロエに目を向ける。

自分の身体を押さえつける重い空気が、かすかにやわらいだ。

ほっとした、というのが本音だった。


アデク「では、お前は答えられるかな」

アデク「アロエ、これが何なのか……いや、何を示したものか、お前は知っているはずだ」

アロエ「……さあね」

アデク「この二人を裏に引っ張り込んだ時点で、自白したようなものだろ」

アデク「あんな小芝居までして」

412 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 01:10:12.17 ID:IYrmd6hRo

あのアロエが居心地悪そうにしている。

まるで父親に叱られる少女だ。


アロエは頭を掻き、覚悟したかのように息を吐いた。


アロエ「……まさか、あんたが見てたなんてねぇ」

アデク「そろそろ老眼でな、遠い方がよく見える」

アデク「まあそれは冗談で、たまたま横を通りすがってな」

アデク「声をかけてもよかったが、下手にやると注目を浴びちまう」

アデク「だから機を窺っていたところで、ああいうことになった」

アデク「……ま、あの場では、他にやりようもなかったよ」

アデク「ああしなければ、もっと人目に触れていたかもしれんからな」

アデク「そこまで悪手だったとは思わん」

アロエ「そういうことにしといて」


あるいは、まるで教師と気難しい年頃の女子生徒だ。

アデクは苦笑している。

そしてレンジャーに視線を戻した。


アデク「さて、お前さんの答えをまだ聞いてないが」


苦労して口を開く。

いつの間にか、口の中はからからに乾いていた。

413 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/09/17(日) 01:11:10.73 ID:IYrmd6hRo

レンジャー「……あの、これは……」

アロエ「ちょっと、あんたこそ怯えさせてんじゃないの」

アデク「お、そうか」

アデク「いやすまん、お前さんを責めてるわけじゃないんだ」

アデク「ただ、なあ……」


そう言いながら、アデクは自身が持つノートに目を落とした。

描かれている落書きを、妙に優しい目つきで見ている。


不意に、アデクが不思議な顔で笑った。


アデク「ひょっとしてお前さん、いや、お前さんたち」

アデク「自分が何か話したら『こいつ』に迷惑がかかる、と思ってるんじゃないか」


レンジャーは思わず目を見開いて、チャンピオンを見てしまった。

アデクはそんなレンジャーをじっと見つめ返している。


逸らすに逸らせない、さきほどとは別の強い力を持つ視線だった。
414 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2023/09/17(日) 01:11:58.98 ID:IYrmd6hRo
今回はここまでです。
ポケモンが出てこなさすぎて不安になってきた。

>>397
読んでもらえて嬉しいです!
415 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2023/09/17(日) 21:12:48.62 ID:1meGC5Qw0
更新お疲れ様です!
ついに彼のことが共有されてしまうのかな…?
ハラハラの展開だあ…
416 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/09/18(月) 08:13:58.07 ID:M8yUiWmX0
未だにsage使えず上げるガイジがいるのか……
417 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:02:11.93 ID:8AI6j1dyo

しばらくしてアデクは目を閉じた。

ほんの一瞬、何かを深く考えるように下を向き、再び顔を上げる。

次にアロエとカツラを順番に見る。

そして最終的に、なにかを覚悟したらしい様子で口を開いた。


アデク「わしもこの……いや、『こいつ』を知っている」

レンジャー「え」


レンジャーは思わず椅子から飛びあがった。


レンジャー「あなたも『あいつ』に会ったんですか!?」

アロエ「あんたも?」

アデク「……『も』?」


アロエは、絵に描いたような『しまった』という顔を見せ、口を閉じた。

レンジャーは呆然として、彼らの顔を交互に見るしかない。


カツラ「なるほど……これは興味深い」


ここまで静観していたカツラが、不意に口を開いた。

アロエがあからさまに身構える。


カツラ「ここにいるわずかな人間が揃いも揃って、同じ存在を知っているらしい」

カツラ「少なくとも、この若造の手による稚拙で迂闊な落書きから、ジムリーダー殿とチャンピオン殿は同じモノを想起したようだ」

レンジャー「……ち、稚拙で迂闊」

カツラ「……その様子では存在を知るのみならず」

カツラ「『あれ』の居所についても心当たりがあるということだろうか」

アデク「それはどうかな」

418 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:03:59.45 ID:8AI6j1dyo

アデクがふたたびニヤニヤと笑った。

カツラも眉を跳ね上げ、狡猾そうな笑みを浮かべる。


カツラ「わしとて、腹の探り合いも嫌いではないが」

アデク「今は、あまりそういう気になれんな」

カツラ「いかにも」

アデク「仮にわしが何か知っていたとしても」

アデク「現状、明かすつもりはない」


肩を竦めながらアデクはそう答える。

カツラはそれを聞き、安心したような、がっかりしたような、不思議な顔をした。


カツラ「……そうか」

カツラ「それが賢明だろう」

アロエ「そういうあんたは色々と知ってる風だけど、それはどういうこと」


アロエが不快そうに割って入った。

そういえば、アロエは終始、カツラを敵対視している。

地域が違うとはいえ同業者ではあるはずだ。


アデク「そうだな」

アデク「お前さんこそ、『こいつ』とどういう関係なんだ」

カツラ「関係? ……関係か……説明は難しい」

アロエ「先に聞いとくけどさ、あんたは密猟者やハンターと関わりはないだろうね」

カツラ「そういう連中はどこにでもいる」

アロエ「もしあんたが『そういう連中』の仲間だってんなら、この話はここでおしまいにするってこと」

アデク「そうだな……申し訳ないが、場合によってはこのまま警備を呼ぶかもしれん」


カツラは小さく頷いた。

419 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:06:34.74 ID:8AI6j1dyo

カツラ「わしがあんたらの立場ならば、きっと同じように考える」

カツラ「幸運なことに、そうするだけの意味がある繊細な案件だ」

カツラ「故に、こうした扱いは適切である」


あからさまに皮肉を滲ませた物言いだ。


カツラは自身の髭を撫でつけ、思案する様子を見せた。

アロエも警戒心を緩めてはいないが、カツラの次の言葉を静かに待っている。


カツラ「あんたらは『ロケット団』について、どの程度を知っている?」


カツラの問いに、イッシュの三人は顔を見合せた。

問われている言葉の意味はわかるが、意図がよくわからなかった。


レンジャーはカツラを見る。

すると、カツラの視線はまっすぐレンジャーを向いていた。

ぎょっとしたものの、つまりは主として自分に向けた問いなのだとレンジャーは理解した。


レンジャー「ロケット団は……むかし、読んだことあります」

レンジャー「えっと、カントーに拠点を置く犯罪組織……だったと」

レンジャー「ポケモンの密猟、乱獲、ポケモンに限らない窃盗、強盗……あとは違法賭博とか」

レンジャー「研修で説明を受けたり、自分でも調べたりしましたけど」

レンジャー「たしか……もう組織としては事実上崩壊している、って言われました」

レンジャー「それ以上のことは知らないです」


かつて憶えた知識をフル回転させ、レンジャーはそう答えた。

カツラは満足そうに頷いている。

420 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:10:15.51 ID:8AI6j1dyo

レンジャー「……あいつ、そのロケット団となにか関係があるんですか」


だが、カツラがその問いに答えることはなかった。

そのままレンジャーから視線を外し、今度はアデクに向ける。


アデク「うん……わしも、カントーのごろつき連中だということくらいは知っている」

アデク「だが、所詮は海の向こうの犯罪組織だ」

アデク「このレンジャーくんが知る以上の詳しいことはわからん」

アデク「つまり、あいつはロケット団絡みの……まあ、それなら神経を使うのもわからなくはないが……」


カツラはその回答にも満足したらしく、次にアロエを見た。


アロエ「たしかに、この子が言ってるように、『壊滅した』って報告は回ってきたねえ」

アロエ「なにやらかした連中なのかもざっくりまとめてあったけど、あの子が関係ありそうなの、あったかな」

アロエ「……そういえば、なんでわざわざそんな報告よこしたんだっけ」


アロエは肘を抱え、こめかみを指で叩きながら言った。

カツラはこちらも不満はなかったらしく、目を伏せる。


アデク「報告なあ。そうだったか」

アロエ「アンタが自主的に欠席し続けてる会議で、だいぶ前に上がってたけど」

アデク「あ、ああ……」

アデク「……いやっ! いや……議事録には、あとから、ちゃーんと目を通しとるぞ」

アデク「だから、その話は一応知っとる……が……」

アデク「……いやあ、すまん」


リーグを放置して旅に出た負い目があるからだろうか。

どうやらアデクはアロエに対して、あまり強く出られないようだった。

421 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:12:51.94 ID:8AI6j1dyo

カツラは話し合う面々の顔を、もう一度順繰りに見た。

何かを見定めようとしている目だった。


レンジャーは思い至った。

思い返してみれば、ここまでのカツラの言動には、唐突に見えても意図があった。


今の彼は何かを見極めようとしている。

彼なりの基準に基づいて、自分たちをジャッジしようとしている。

だが、何を、何のために?


カツラ「……いいだろう」

カツラ「あんたらのその良心と賢明な判断に敬意を表して、話せることは話そう」

カツラ「ある男の長年の友人として、研究者として、あるいはカントーリーグの人間としてな」

アデク「さっきの問答でなにがわかるんだ」

カツラ「いろいろとな」

カツラ「判断基準の半分はわしの勘だが」

アデク「勘か、いいな。そういうのは嫌いじゃない」


アデクはなぜか少し嬉しそうにしている。

だが、カツラは特に反応を見せなかった。


アデク「まあ、元よりここにはリーグ関係者とレンジャー所属しかいないしな」

カツラ「経験上、リーグ関係者といえど潔白とは限らんよ」


カツラの淡々とした返事に、アデクは眉間に皺を寄せた。

422 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:15:43.98 ID:8AI6j1dyo

アデク「……それは、あまり考えられんと思うがなあ」


そう言いながら、同意を求めるようにアロエの方を向く。

視線を受けたアロエは少し煩わしそうに口を開いた。


アロエ「そのロケット団って、要はマフィアでしょ」

アロエ「リーグ内部にマフィアが入り込むって、あたしにもちょっと考えにくいんだけど」

アロエ「あんまりメリットがあるように思えない、というか」


黙って聞いているレンジャーも、その意見には賛成だった。

ジムリーダーになれば何か特殊な権限が与えられるかというと、そういうわけでもない。


アロエ「正直、お金になるっていうより、名誉職みたいなもんだし」

アロエ「そりゃあ……社会的な融通は多少きくかもしれないけど」

アロエ「それだって、別にマフィアが欲しがるようなお金とか人脈とか情報とか、そういう感じでもないし」

アロエ「手間暇かけて潜り込むほどの旨味なんてないでしょ」

アロエ「こっちは、本業に割く時間が減って困ってるくらいだってのに」


特権を手にできるわけでもない。

そのわりに仕事も、拘束時間も、出席しなければならない会合も増える。

負け続ければ資格を剥奪されることもある。

ジムリーダーになるといえば外聞や聞こえはいいが、デメリットも多い。

そのため、アロエのようにジムリーダーを辞めたがる者がいないでもなかった。

423 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:23:24.99 ID:8AI6j1dyo

カツラ「たしかに、あまり利益はなさそうに見える」

カツラ「だがそのロケット団の首領が、サカキという男だったことは知っているな」

アロエ「報告書にあったからね。そのくらいは知って……あれ」

カツラ「当時、現役のトキワジムリーダーだった」


アロエが、ぎょっとした顔でアデクを見る。

レンジャーはすっかり流れについていけなくなっていた。

要職にある三人だけで話が進んでいる。


それでも、どうやらカントーのジムリーダーがマフィアのボスだったということくらいは理解できた。


アロエ「会ったことある?」

アデク「いや、ない」

アデク「だが、そうか……そういうわけがあったのか」

レンジャー「?」

アデク「いや、そのトキワのジムリーダーはな……たしか、なんの前触れもなく除名になったんだ」

アデク「別リーグのわしらに、わざわざ顛末書みたいなものまで送ってきていた」

アデク「なんやかや理由が書かれてたのは覚えてるが、ピンと来なかった記憶がある」

アロエ「そういえば……うん……」


髭の生えた顎をざりざりと擦り、アデクは眉間の皺を深めた。

事情を知らないだろうレンジャーに向けて説明してくれているのだ。


アデク「もっとも、トキワジム自体が廃止になったわけじゃない」

アデク「若い後任が滞りなく着任して継続しているようだ」

アデク「言われて思い出したよ」

アデク「……妙なタイミングの代替わりだ、とな。なるほどそういう話なら合点もいく」

カツラ「やはり海を跨ぐと、情報はずいぶんと抜け落ちるのだな」

カツラ「おそらくロケット団の現状については、『ほぼ壊滅状態』で間違いない」

アロエ「……そっか、だから報告が来てたのか」

アデク「だが『ほぼ』か」

カツラ「残念ながら、全構成員を拘束できたわけではないのでな」

424 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:25:05.33 ID:8AI6j1dyo

カツラが残念そうに言う。


カツラ「あげく、頭領のサカキが逃亡中だ」

アロエ「……で、そのロケット団がどう関係してくるって?」

アデク「わざわざロケット団の話なんぞ持ち出したということは」

アデク「……あいつとロケット団に、十分に深い関わりがあったんだろう」


カツラが大きく頷いた。

なるほどなるほど、とアデクはひとりで納得している。

レンジャーは、今ここで開示された情報の意味を考えていた。


ロケット団は、他地域の自分でさえ知っている、それなりに有名な反社会的組織だ。

司法の手で解体されたという話もあれば、名もない若者がひとりで瓦解させたという都市伝説もある。

そこに、あの見たことのないポケモンというピースがどこに嵌るのか。

わからない。


――違う。

本当は、なんとなく察しがついている。

だが、わかりたくないのだ。


カツラ「私の友人は、ポケモンに関する研究をしていた」


朗々とした声で、カツラが話し始めた。

自分の嫌な予感の、外堀を埋められていくような。

そんなぞわぞわとした不快感が皮膚を這っている。

425 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:27:33.20 ID:8AI6j1dyo

カツラ「公にはあまり知られてなかったはずだが」

アデク「ほーお」

カツラ「少々、危険な内容だったからな」

アデク「あの頭の固い倫理審査委員会が泡を吹くような研究ということかな」

カツラ「……目的のために、人間が手段を選ばなかったことだけは認めよう」

アロエ「まるで都市伝説ね」


カツラは肩を竦める。

遠回しの肯定にも見えた。


カツラ「その都市伝説じみた研究に金を出していたのがロケット団だ」

アロエ「あんたもそいつらの研究に関わってた?」

カツラ「いいや。わしらは元々グレンの研究所にいたが、わしはグレンに残った」

カツラ「彼は、不幸にも……そうだな、『身軽』になったばかりでな」

アロエ「……ああ、そういうこと」

カツラ「一方のわしには、ジムリーダーの肩書きという枷があった」

アロエ「マフィアの金で研究ねえ……」

カツラ「友人自身に、マフィアの金で研究しているつもりはなかっただろうがね」

アデク「スポンサーが正体を伏せているなんて、そう珍しい話ではないからな」

アロエ「じゃあ逆にさ、なんでマフィアがそんな怪しげな研究に金なんか」

カツラ「連中の目的は、突き詰めれば、どこまでも金儲けだ」


アデクが溜息をつくのが見える。

不機嫌そうにカツラは続けた。

426 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:32:36.60 ID:8AI6j1dyo

カツラ「当然ながら、金を生まない研究にも、高尚なだけの科学的探求にも、連中は興味を持たない」

カツラ「あの研究に連中なりの、だが極めて即物的な利益が見込めたというだけのことだ」

アロエ「ヤドン乱獲事件でも名前が出てなかった?」

アデク「……あれは末端の人間が尻尾切りされて終わったように記憶しているが」

アロエ「うまいこと言ったつもり?」

アデク「……」

カツラ「大量捕獲、あるいは量産、あるいは成長促進、あるいは……」

カツラ「そして……『これ』が、彼の造り出した研究成果、集大成というわけだ」


そう言いながら、カツラは懐から小さな紙片を取り出してテーブルの上に置いた。

三人が一斉にそれを覗き込む。


カツラ「もっとも、連中が求めていたものとは少しばかり違う成果物になってしまったわけだが」


紙片は、少し厚みのある紙に出力された写真だった。

といっても、一般的な紙焼き写真ではない。

カラーだが、やけにぼやけていて、明暗が極端に出ている。

なにかの映像を一時停止し、無理やり拡大したのち印刷したもののように見えた。


レンジャー(監視カメラの映像……?)


カツラ「あんたら三人は、ここに映っているモノに見覚えがあるはずだ」


写真には白っぽい何が写っている。

カツラが『モノ』と形容するわりには、人影に見えなくもない。

人間にしては背が高いように思うが、比較対象になるものが写り込んでいないのではっきりしない。

その上、写真の半分ほどが濃い灰色のもやもやした何かに覆われている。

手前に写り込んだ障害物にしては、その灰色は不定形な印象を持っていた。

黒煙というのが一番近いように思えた。

もやがあるために、白い何者かの全貌はわからない。

427 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:35:24.41 ID:8AI6j1dyo

だが、知っている気がする。

見たことがあるように思う。

二足歩行で、太く長い尾。


レンジャーは青ざめた。


――ああこれは


なんの疑いもなく、言語化が追いつかないまま、そう確信できてしまったからだった。

おそるおそる見回すが、アロエもアデクも大差ない反応を示しているようだ。


アロエ「……これは?」


どうにか感情を抑えている、という声色でアロエが尋ねた。

一瞬の間。

そう尋ねられることがわかっていただろうに、カツラは少しだけ言葉に詰まった。

レンジャーには、少なくともそう見えた。


カツラ「……父親である我が友に残された、たったひとりの『子供』だ」

アロエ「なんの映像?」

カツラ「研究所の監視カメラだ」

カツラ「サルベージしたデータもほとんど使い物にならなくてな。修復できたのはわずかだった」

アデク「……なるほど父親ねえ」

アロエ「悪趣味な言い回し」


アロエは短く吐き捨てた。

それを一瞥したアデクは、わずかに口角を引きつらせるだけだった。

428 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:36:36.14 ID:8AI6j1dyo

カツラはアロエ、アデク、レンジャーの顔をじっくりと見て、小さく頷く。


カツラ「あたりのようだな」

カツラ「あんたらが遭遇したのは、『これ』で間違いないようだ」

アロエ「わかんないよ。ちゃんと見たわけじゃないし」

アロエ「でも……印象は同じ、かな」

レンジャー「はい……」

アデク「そうだな」

アデク「あいつ……で間違いないのだろうな……」

アロエ「だけど、ロケット団は壊滅したんだよね」

アロエ「今更、誰があの子を探すってんだ」

アロエ「もう放っておいて、好きにさせてやればいいじゃないか」


どこか個人的な怒りを滲ませながら、アロエが吐き捨てた。

アデクはアロエを制してカツラに目を向ける。


アデク「わしも、できることなら放っておいてやりたい」

カツラ「そう話が単純なら、こっちもコソコソしたりせん」

アデク「……だろうな」

アデク「残党がいれば、『出資したんだから』と権利を主張してくるかな」

カツラ「それも、力づくでな」

カツラ「さっきも言ったと思うが、おおむね壊滅したとはいえ首領だった男がまだ逃亡中だ」
429 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:39:34.51 ID:8AI6j1dyo

カツラ「……いやむしろ、万が一にも組織の再興を狙っている勢力がいるのなら」

カツラ「最優先で狙う兵器と言っても過言ではない」

アロエ「兵器って」

カツラ「よしんば今のロケット団残党にその気がなかったとしても、存在を知れば狙う連中はいくらでもいる」

アロエ「なんで、そんなに欲しがるのよ」

カツラ「その問いに対する答えは単純明快だ」

カツラ「そして、『ロケット団が潰れていてなお、この話を公にしづらい理由』そのものでもある」

カツラ「常識外れに強いのだ、『あれ』は」


カツラの言葉には、うっすらと、ある種の嫌悪があるように思えた。

レンジャーにとっては、なぜそんな種類の感情が伴うのか理解できかったが。

アデクもまた、眉間に皺を寄せている。


カツラ「同系統のポケモンに出来ることを、その何十倍もの威力で、言うなれば指一本振るだけでできる」

カツラ「テレキネシス、テレパス、対象への精神干渉、その他なんでもだ」

アデク「……エスパーか」

カツラ「またフィジカル面も、それが長所であるポケモンを遥かに凌駕する……らしい」

カツラ「そちらは、遺伝子を弄くり回した結果としてだが」

カツラ「そして高度な知能を持ち、人語を解する」

レンジャー「あ……」

アロエ「……」

カツラ「……それこそ、そんじょそこらにいる並大抵のトレーナーでは、手には負えない」

カツラ「チャンピオンといえど容易ではないだろうな」

アデク「わしを見て言うな」

カツラ「あれを造った『父親』でさえ、最後まで制御などできなかった」
430 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/10/14(土) 21:41:53.04 ID:8AI6j1dyo

カツラ「この世界において、それがどういう意味を持つか……」

カツラ「チャンピオンやジムリーダーなら理解できると思う」

アロエ「じゃあ、ロケット団があの子を捕まえたところで、言うこと聞かせられないんじゃないの」

カツラ「奴に自我や意思が存在することを前提とするなら、そうだろうな」

アロエ「……どういう意味よ、それ」

カツラ「さて、ここで問題だ」


不意に、カツラが会話の対象をレンジャーに変えた。

431 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2023/10/14(土) 21:43:39.78 ID:8AI6j1dyo
今回はここまでです。
ありがとうございました。
投稿する長さの配分間違えた…。

>>415
共有されてしまった…!
432 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/10/15(日) 09:43:49.49 ID:5nggsy1S0
お疲れ様です!
共有されちゃいましたねえ…
彼らにとってミュウツーがただの不思議な友達じゃなくなっちゃうの怖いなあ
433 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:09:39.21 ID:5/00eB3no

レンジャーは慌てて姿勢を正した。

これは雑談ではない。


カツラ「他者と意見が衝突したとき」

カツラ「自分の意見を通すために必要なこと」

カツラ「不穏当な言い方をするなら、相手を問答無用で黙らせるために必要なこと」

カツラ「それは突き詰めると何か」

レンジャー「えっと……その……」

レンジャー「説得力……ですか?」

カツラ「言葉の面のみに限ればそれも誤りではない」

カツラ「だが言葉で説得できなかったときを含めると、どうなる」

レンジャー「……強ければ」

カツラ「そうだ」

カツラ「誰よりも強ければいい」

アデク「『誰よりも強い』とは、すなわち試合で勝てることとほぼイコールだ」

アデク「……少なくともこの世界ではそうだ」


なぜかアデクがほんのわずかに眉を顰めた。


カツラ「その『強い力そのもの』が知能を伴っていたとしたら?」

カツラ「憎悪によって人間を敵視し、人間と積極的に敵対する可能性が高いとしたら?」

レンジャー「それは……」

アロエ「……」

アデク「そんな厄介な研究成果とやらが、なぜ野放しになっている」

アデク「首輪のひとつもつけなかったのか」


アロエがアデクを睨んだ。

困ったような顔をしてアデクは手をひらひらと振った。

434 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:12:46.94 ID:5/00eB3no

アデク「待て待て、話の流れでわかるだろ……今日のお前さん、少しおかしいぞ」

アロエ「……へえ、そう?」

アデク「あ、あとは……ほれ、まずボールに入れておくとか」


慌てたアデクは、カツラに話を振った。

露骨にアロエの顔色を窺っている。


アロエの言動は、レンジャーにもどこか尋常でないように思えた。


カツラ「直接はわしも知らんが、首輪に該当する装置は存在したようだ」

カツラ「機能はろくに果たせなかったらしいが」

アデク「……そのレベルから『人間の手に負えなかった』ということか」

カツラ「どちらかといえば、そうだな……」

カツラ「首輪は、しょせん首輪でしかなかった、ということだ」

カツラ「服従する気のない者、噛み千切る力と意志がある者にはなんの意味もない」

アデク「なるほど、リモコンではなかったと」


カツラが大きく頷いた。

話が思わぬ方向に進み、レンジャーは具合が悪くなりつつあった。

この話題の中心にいるのは、きっと森にいた『あいつ』で間違いないのだろう。

蓋を開けてみれば、ずいぶんと微妙な立場にいる存在だったらしい。

それが、どうやら自分のせいで表沙汰になってしまうかもしれないのだ。


自分などが首を突っ込んでいていい話だったのか、レンジャーは今になって疑問に思った。

435 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:16:56.09 ID:5/00eB3no

カツラ「そして皮肉にも、『子供』の能力は、父親が求めていたものを遥かに超越していた」

カツラ「奴はその脆弱な首輪を噛み破り、自身の生まれた施設を消し飛ばして逃亡したのだ」

カツラ「公的な記録には、せいぜい『工場で火災』程度しか残らんかったと思うが」

カツラ「怪我人も犠牲者も、ずいぶん出ていたはずだ」

カツラ「もうどれほど前のことになるかな」

アロエ「むごい話」

カツラ「あれの父親は、そのむごい事件の生き残りだ」

アロエ「……そうじゃなくて」


そう言うアロエをちらりと見て、アデクがぎょっとした。

アロエが唇を噛んで床を睨みつけている。

触りぬ神に祟りなし言わんばかりに、アデクはそろそろと目を逸らした。


カツラ「この写真に映っているモノは、カントーに存在したこの研究所の爆破以降、消息がはっきりしなかった」

カツラ「だが、ここイッシュであんたらから話を聞く前に、わしはもうひとつ、情報を得ていた」

カツラ「こちらに来る前、『あれ』は……とある洞窟に潜伏していたと考えられている」

カツラ「もっとも、いなくなった後になって『いたようだ』と考えられるようになった、というだけのことだが」

アロエ「どういうこと」

カツラ「というのも、その洞窟で『あれ』に遭遇したと思しきトレーナーが複数いるのだ」

カツラ「全員、前後不覚の状態で保護されたがな」

カツラ「洞窟に入る前からの記憶もあやふやで、むろん洞窟内部のことは何も憶えておらん」

カツラ「つまり、なんの証言もできない有様だったそうだ」

アデク「それがあいつの仕業だと?」

カツラ「少なくとも、『あれ』にならば可能だ」

カツラ「いや……精度や威力を考えると、『あれ』以外に実行可能な存在は考えにくい」

カツラ「……『あれ』の存在を知らない者が、『あれ』に行き着くことはないだろうが」

アデク「なるほど……」

カツラ「ここにいる人間がみな『あれ』に出会ったというなら……」

436 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:19:42.00 ID:5/00eB3no

ぐるりと全員の顔を見渡し、カツラは妙に皮肉っぽい口振りで言った。


カツラ「そのトレーナーたちと同じ目に遭わなかったのが不思議なくらいだ」

アデク「おや、わしらは揃いも揃って運がいいということかな」


アデクは更に皮肉で返した。


アデク「あるいは、お前さんの探している対象と、わしらが知っている個体が、やはり別物だった、か」

カツラ「それはないと思うがね」

レンジャー「……あ……あなたが言うような、おっかないことする奴には思えないです」

レンジャー「さっきの話じゃ、まるで都市伝説本に載ってる怪物じゃないですか」

カツラ「そういう手合いの本の出現は防げん」

カツラ「事実、できるできない、という意味では『できる』だろうしな」

レンジャー「じゃあ『実際には』、あいつはそういう奴だ、って言いたいんですか」

アデク「なんだ、お前さんも、やっぱりよく知ってるようだな」


レンジャーは口を噤んだ。

確かにこれでは、よく知っていると言っているも同然だ。


アデク「二人とも、隠しごとが本当に下手だなあ」


チャンピオンは嬉しそうに頬杖をついて苦笑いした。


レンジャー「す、すみません……」

アロエ「そういうね、よくわかんない駆け引きに長けてる人間ばかりじゃないの」

アデク「別に責めちゃいない」

アデク「それはそれで美点だと思うんだがなあ」

アロエ「まったく褒められてる気がしないんだけど」

437 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:22:01.88 ID:5/00eB3no

ふと音が途切れた。

窓の外からかすかに何かが聞こえるだけで、それ以外はしんと静まり返っている。

アロエがアデクからノートを引ったくり、例のページを眺め、そしてノートを閉じてテーブルに置いた。


アロエ「……あの子、というより、あの子に関する情報……っていうのかな」

アロエ「扱いに慎重さが必要ってことは、まあ、わかったよ」

アロエ「さっきの話からすると、居場所どころか存在さえ知る人間は少なくて」

アロエ「しかも『少ないに越したことはない』んじゃないの」

カツラ「いかにも」

アロエ「だったらあんたは?」

アロエ「あの子の居場所とやらを掴んで、どうするつもりなの」


カツラが自分の頭を撫でる。

ううんと唸り、考えているような素振りを見せていた。


カツラ「情報を得て、直接的に何か働きかけようという気は……今のところ、ない」


まるで弁解をしているような歯切れの悪さだ、とレンジャーはそんな感想を抱いた。


アロエ「そんなの、簡単には信じられないね」

アロエ「あの子を積極的に狙うかもしれない連中がいる、とあんたはさっき言ったわけ」

アロエ「だったら、あんたが嗅ぎ回るこの行動こそ、あの子の今の安全を脅かすじゃないか」

アロエ「あの子だけじゃなくて、周りの子たちまで危険に晒すかもしれない」

カツラ「……ほう」

アデク「んー……」

カツラ「だが、あんたらの言動の方がよほど危険だとわしは思う」

カツラ「特に、この若造が危ない」


そう言うと、カツラはレンジャーを指差した。

視線はあくまでアロエに向いたままだ。

438 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:25:40.14 ID:5/00eB3no

レンジャー「わ、私はそんな、危険に晒すなんて」

カツラ「だが、こういう事態になった」

カツラ「それがどういう経緯だったか、もう忘れたのか」

カツラ「あのまま、今日のような調べ方を続けていたら、お前は次にどうした」

レンジャー「……えっ」

カツラ「お前は、自力で調べても情報が集まらないことに痺れを切らし、いずれ誰かに奴のことを尋ねただろう」

レンジャー「……え……は……はい……」


反論できなかった。

実際、そうなるまであと一歩というところだった。

レンジャーとしてはこの日、何も情報が集まらなかったら、それこそアロエに尋いてみようとしていたところだったのだ。


カツラ「自分が持つ情報がどういう性質のものなのか」

カツラ「それを知らないということは、かくも危ういのだ」

カツラ「『あれ』自体の恐ろしさも含めてな」

アロエ「……」

レンジャー「……すみません、気をつけます」

カツラ「そして、このわしがロケット団の仲間でないという保証もない」

アロエ「……自覚があるんならいいよ」

カツラ「シッポウのジムリーダーは慎重だな」

アロエ「茶化さないで」

カツラ「いや、それでいいとわしも考える」


アデクは何も言わずにアロエを見上げた。

この場の判断は彼女に任せるということなのだろう。

その視線を受け、アロエは肩を落としてこめかみに親指を当てた。

439 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:28:28.25 ID:5/00eB3no

アロエ「あんたがロケット団側の人間なら、こういう情報をべらべら漏らさないだろうとは思う」

アロエ「まかり間違って、じゃあこっちのリーグで正式に対応しましょうなんて話になったら」

アロエ「困るのはロケット団の方でしょ」

カツラ「まあ、一理ある」


なぜかカツラは満足げだ。


カツラ「もっとも、実情を知るほど、安易に表沙汰にするわけにはいかんこともわかってもらえると思うが」

アロエ「それは、……まあ、その通りかな」

アロエ「能力に関して言えば、あの子があんたの言う通りの存在だと仮定した場合」

アロエ「……たしかに、迂闊に表立って動くのは得策じゃないかもしれない」


アロエは、ちらりとアデクに視線を送る。


アデク「そうだな」

レンジャー「……な、なにか、してやれること……ないんでしょうか……」

アデク「大の大人が『ちゃんと』動くとなれば、どう工夫しても、なんかの記録に残っちまう」

アデク「うーん……実際、どうしてやるのがいいのか、わしにもわからん」

アロエ「あたしだって、出来ることはしてあげたいけど」


レンジャーは胸が締めつけられる思いだった。

カツラという男の言うことが全て事実だとしても――事実ならなおさらだ。


そんな過去を経てなお人間を完全には見限っていないということではないか。

背が高く用心深いあのポケモンは、少なくとも自分やアロエ、アデクの前には姿を見せたのだ。

自分の場合は、どちらかといえば見ていないに等しいかもしれないが。


すると、カツラが不思議そうに髭を撫でた。

440 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:30:21.06 ID:5/00eB3no

カツラ「……あんたらは、『あれ』を保護や支援をすべき対象だとでも思っているのか」

レンジャー「……どういうことですか」

カツラ「お前には理解できんかもしれんが、『あれ』は人間にとって、言うなればある種の脅威だ」

アデク「……ふむ」

カツラ「研究所が破壊されたとき、どれほどの惨状を生んだか、さっき言っただろう」

レンジャー「それは……」

カツラ「少なくとも当時の『あれ』がその気になれば……」

カツラ「いや、その気になるまでもなく、人間が束になったところで勝ち目は薄い」

カツラ「それほどの力の持ち主だ」

カツラ「そして、その力は人間への憎悪を帯びている」

カツラ「あんたらは、少し考えが甘いのではないか」


男の言葉に、アデクが不満そうにううんと唸った。

レンジャーは、なんと答えたらいいかわからない。

もう一度、『そんな奴ではない』、と反論しようとした瞬間。


アロエ「……あんた、あの子をなんだと思ってるの」


アロエがあからさまに怒りを滲ませた。

だがカツラは顔色ひとつ変えることなく続ける。


カツラ「状況がわからん以上、不用意な接触は避けるべきだ」

カツラ「下手に刺激すれば、過去の悲劇を繰り返すはめになりかねない」

カツラ「そういう姿勢で臨むべき相手だと思っている」

アデク「……なのにわざわざイッシュまであいつを探しに来たのか」

アデク「それもお前さんひとりで。なんのために」

441 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:35:34.59 ID:5/00eB3no

カツラの眉がぴくりと跳ねた。

なにかを躊躇するそぶりを見せ、カツラはもう一度自分の髭を撫でた。


カツラ「友人は……」

カツラ「いや、『あれ』の父親は、長いこと鬱ぎ込んでいる」

カツラ「どんな形であれ元気にやっているとわかれば、少しは気が晴れるかと思ってな」

カツラ「厄介者といえども、親にとっては子供だ」

アロエ「気に入らないね」

アデク「ふむ……わしも、どうにも引っかかるぞ」

カツラ「どこがかな」

アロエ「全部だよ」


大声でこそないものの、アロエの口振りは怒り狂っている。

喚き散らしたいのを必死で抑えているようだ。


アロエ「『あれ』だの、『これ』だの、さっきから……」

アロエ「ず……ずいぶんな言い草じゃないか」

アロエ「あの子はモノじゃないし、怪物でもない」

カツラ「……」

アロエ「あの子にはあの子の意思があって一生懸命生きてるんだ」

アロエ「間違っても、さっきあんたが言ったような、力で他人を黙らせるための道具じゃない」

アロエ「ましてや、存在するだけで争いを引き寄せる厄病神みたいに扱うのはやめて」

アロエ「それに、なに?」

アロエ「黙って聞いてりゃあ、結局あんた、友人とやらの機嫌を取ることしか考えてないじゃないか」

アロエ「そのくせあの子のことは、どれだけ危険で厄介な存在かって話ばっかり」

アロエ「いかに扱いにくい兵器だったかって情報、そんなに大事?」

アロエ「あんたにとって、あの子はなに?」

アロエ「関わりたくないけど、気落ちしてる友人を元気づける土産話にはなってもらいたいってわけ?」

カツラ「……友人は、『あれ』にしたことを心から悔いている」

442 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:37:43.30 ID:5/00eB3no

カツラの言葉に、アロエは何かを感じ取ったらしい。

より一層、怒りをあらわにカツラに噛みついた。


アロエ「……ああ、そう……そういうこと」

アロエ「あんたたちお偉い科学者があの子になにをしたのか、あたしは知らないし知りたくもないけど」

アロエ「人としてやっちゃいけないことをたくさんした、ってのだけはわかったよ」

カツラ「やってはいけないこと、か」

カツラ「否定はできないな」

アロエ「あんた、研究所って言ったね」

アロエ「ポケモンってのは、トレーナーと一緒に成長して強くなるもんだ」

アロエ「『強いポケモン』を試験管で造りゃいいってもんじゃない」

カツラ「あの頃の彼に、そのような思慮深さを求めるのは酷な話だったがね」

アロエ「事情は、さっきの話でまあ察するよ」

カツラ「それに事故があってからというもの、あいつはすっかり意気消沈してしまった」

アロエ「……でもそれが人倫に悖る酷い話のどこを正当化できると思うの」

アロエ「あの子はかわいそうなことに最ッ低な父親のところに生まれさせられて」

アロエ「よってたかって尊厳を踏み躙られて」

アロエ「それが嫌で、ドア蹴破って家出してきただけじゃないか」

カツラ「その『家出』のために、研究所を瓦礫の山へと変え、人命が失われたたとしてもか」

カツラ「指一本動かすことなくだ」

アロエ「だから『人間への脅威』扱いしろっての?」

アロエ「なんでそんな力任せの方法を採ったか、あんたたちが一番よくわかってるでしょうに」

アロエ「こんなこと言える立場かどうか知らないけどね、あんたたち親としては最低」

アロエ「かわいそうに、人間は嫌いだなんて、あの子にそんなことまで」


レンジャーの頭を、なにか妙な感覚をよぎった。

だが、それがなんなのかわからないまま、違和感は霧散してしまった。

なにか、かなり重要なことを彼女は口にしたよう思う。

この状況では問い質すことも容易ではないが。

443 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:43:40.64 ID:5/00eB3no

アロエ「そのくせ今頃になって年食って弱気になったから、慌てて後悔して我が子呼ばわりってわけ?」

アロエ「子供をなんだと思ってんだ!」


両の拳を握りしめ、アロエは怒鳴った。

レンジャーは、まるで空気がびりびりと振動しているような錯覚に囚われた。

母親の立場にある人間の『カミナリ』を目の当たりにしたの久々だった。


アデク「おいアロエ、落ち着け」

カツラ「いや、いい」

カツラ「あんたの指摘は至極もっともだ」

カツラ「その言葉を、あの頃の彼に与える者がいたら……この未来は変わっていたかもしれない」

カツラ「彼は……いや人間は、『あれ』にどんな報復を受けても、抗議する権利はないだろう」

アロエ「へえ、そう。殊勝な心がけで結構なこと」


深い溜息をつきながら、アデクは眉間を揉んだ。


アデク「……だが、まあ、そうだな」

アデク「さっきレンジャー君も言っていたが、本当にそんな恐ろしい奴なんだろうか」

アデク「あんたの言う特殊なポケモンが、あいつのことだったとしよう」

アデク「たしかに不思議な印象を持つ奴……ではあった」

アデク「だが、あんたの言うような凶悪な存在とは……あまり思えん」

カツラ「……」

アデク「わしには、ただの悩み多き若者にしか見えなかったよ」

カツラ「……そうか」


カツラが今まで寄りかかっていた机から体を離し、ポケットに手を突っ込んだ。

片方の手で髭を撫でている。

アデクの言葉について、何か考えているように見える。

444 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:45:30.50 ID:5/00eB3no

カツラ「『あれ』がどうやら、元気にしているらしいとわかっただけでも収穫だ」

アロエ「……だったら、カントーでもなんでもさっさと帰ったらいいじゃない」

アロエ「ついでに、これ以上あの子を侮辱するのもやめてもらいたいもんだね」


刺々しいを通り越して、今のアロエは誰の目から見ても喧嘩腰としか言いようがなかった。

カツラはこれといって表情に出していない。

レンジャーの目には、アデクもいい加減うんざりしているように見えた。


アデク「……いずれにせよ、今日はこのくらいにしておこう」

アデク「幸か不幸か、あいつに関する情報共有が出来て有意義だった」

アデク「ちと情報量が多いから、整理する時間が欲しい」

カツラ「だろうな」

カツラ「こちらとしても同意見だ」

カツラ「シッポウのジムリーダーには申し訳ないが、もうしばらくこの街に留まる」

アロエ「……もう目的はじゅうぶん達成できたでしょ」

アデク「アロエ、少し黙れ。真面目な話、今日のお前さん少しおかしいぞ」

アロエ「そう。別におかしくなんかないつもりだけど」

アデク「……悪いな、カツラ」

アデク「どうやら、お前さんは館長殿の逆鱗に触れてしまっているらしい」

カツラ「そのようだな。今日のところは失礼しよう」

カツラ「連絡が必要になったら……まあ、それはなんとでもなるか」

アロエ「……」

カツラ「では、失礼するよ」


そう言うとカツラは軽く手を振り、出入口に向かって歩き始めた。

扉に手を伸ばす。

彼はそこで動きを止め、レンジャーたちに背を向けたまま口を開いた。

445 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/11/12(日) 22:47:24.64 ID:5/00eB3no

カツラ「そうそう、さっきは『勘』といったがあれは……半分だ」

レンジャー「?」

カツラ「不思議なことに……あんたらは全員、『あれ』を……」


振り向きもしないまま、カツラが言い淀む。


カツラ「……なんというのだろうな……表現が難しいが」

カツラ「『あれ』の存在を受け止めている。不思議だ」

カツラ「恐れもせず、忌避もせず」

カツラ「他のどこにでもいるポケモンに対するときと同じように」

カツラ「……いや、あるいはそれ以上に慈しみ、心を砕いている」

カツラ「あれのために怒り、声を荒げることができる」

カツラ「わしの話を聞いてなお、それは変わらなかった」

カツラ「……なぜなのだろう」

アロエ「だって、そりゃあ……」

カツラ「だから信用してみることにする」

カツラ「そういうことにした」


446 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2023/11/12(日) 22:50:11.99 ID:5/00eB3no
今回はここまでです。
ありがとうございました。

>>432
知らんけどたぶん大丈夫!たぶん!!
447 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/11/13(月) 00:22:48.35 ID:Z5ktQq430
更新されてる〜!お疲れ様です!
みんなミュウツーに対してそれぞれ特別な思いを持ってるんですね…。
448 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/11/13(月) 22:12:04.22 ID:Mqw9faErO
おつおつ
449 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/12/08(金) 21:40:49.35 ID:UHMrsJXTO
450 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:30:35.13 ID:PVvYiWSbo

静かに閉まった引き戸。

スモークガラスの向こうに、今もまだカツラの姿が見える。

ほんの少し動きを止めたあと、カツラは出口の方に動き出した。

部屋の中の人間たちは、その姿をなんとなく目で追う。

硬い足音が遠ざかっていく。

場から音が減っていく。

分厚い窓ガラスの向こうから聞こえる、うっすらと夏の喧騒だけが残っている。

誰も口を開こうとしない。


彼の気配がすっかり消えたあと、アロエは肩を落として長い長い溜息をついた。

さきほどまでとはうって変わって、げっそりしている。

レンジャーにはそれが、『子を連れた母親』が不審者と対峙し終わったあとの姿に見えた。


アロエ「……ごめんね、みっともないとこ見せて」


アロエは軽く肩を竦めてから、レンジャーに手を振った。

ようやく緊張が解けたという表情だ。

攻撃的な雰囲気もすっかり消えている。


レンジャー「いえ、私はいいんですけど、その……大丈夫ですか」

アロエ「大丈夫は大丈夫なんだけど」

アロエ「……あたし、やっぱり冷静じゃなくなってた?」

アデク「昔のお前さんよりはましだ、大したこたぁない」

アロエ「やだなあ」

451 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:36:31.51 ID:PVvYiWSbo

アロエは気まずそうに頭を掻いた。

レンジャーに向かってアデクが小声で言う。


アデク「お前さんは若いから知らんだろうが、こいつも昔は随分と気性が激しくてな」

アデク「その頃に比べりゃあ、お淑やかな方だ」

レンジャー「そ、そうなんですか」

アデク「あのアロエがこうなるし、あのレンブがああなるんだから」

アデク「なんというか、人間ってのは面白いもんだな」


そう言いながら、アデクは嬉しそうにしている。

レンジャーにしてみれば、アデクが何の話をしてるのかもよくわからないのだが。

とはいえ、レンブという名については聞き覚えがあった。

このイッシュにおいて、ジムリーダーとはまた少し違った立ち位置にいるトレーナーのひとりだ。

四天王の名で称えられ、文字通り四人いる。

リーグで勝ち星を重ねてきた者が、チャンピオンに挑む前に戦うことになる。

前座、露払いと言ってしまうと大した相手ではないように聞こえるが、要はチャンピオンの次に強い。

そのレンブがどうしたというのだろうか。


アロエは決まりが悪くて仕方ないとでも言いたげに声を上げた。


アロエ「やめてって」

アデク「昔のお転婆をばらされるのは嫌か」

アロエ「そんな話されても、この子も困るでしょ」

452 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:38:53.71 ID:PVvYiWSbo

それはそうだった。

だが、場の空気は確実に緩んでいる。

カツラももういない。

あの話を蒸し返すなら今しかない。


レンジャーはごくりと喉を鳴らし、口を開いた。


レンジャー「あの」

アロエ「?」

レンジャー「さっき……アロエさんが仰ってたことなんですけど」

アロエ「えっ、あたし、なにか言ったっけ」

レンジャー「あいつが、『人間は嫌い』って」

アロエ「……」


アロエがさっと青ざめる。

レンジャーはその挙動で確信した。


レンジャー「あいつが、そう『言った』んですか」

アロエ「……あ、やっば」

アデク「おいアロエ」


さすがに気付いたのだろう、アデクもわずかに顔色を変えた。


アロエ「あああ……ええと」

アロエ「……はあ……」

アロエ「ああもう……謝んなきゃいけないなぁ、あの子に」

453 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:40:42.97 ID:PVvYiWSbo

そう唸りながらアロエは頭を抱えた。

アデクは目を見開き、この会話の意味に息を呑んでいる。


レンジャー「……こっちの言葉がわかるだけじゃないんですね」

アロエ「あたしらみたいに、こうやって口動かして喋るわけじゃないんだよ」


どこか言い訳じみた口調でアロエが言う。

その言葉を聞き、レンジャーは少し憂鬱になった。


アロエ「テレパシーっていうのかな、そういう、頭の中に直接声が響くような」

アデク「なるほどなあ」

アデク「触れずに物を浮かべたりもできるんじゃないのか、ひょっとして」

アロエ「できるだろうね」

レンジャー「さっき、カツラ……さんもそんなことを仰ってました」


レンジャーはふたりを見上げる。

きりきりと胃が痛くなってくる。


アデク「なんで布きれを被って姿を隠してるのかと思ったが……」

アロエ「……あれ、シーツじゃないかな」

レンジャー「ずっと同じのを被ってますよね。遠目にもずいぶんボロボロに見えました」

アデク「カツラのいうような素性だとすれば、当然といえば当然だな」

レンジャー「実際、シーツを差し引いても、類似した外見のポケモンは図鑑にいませんでした」


アロエは腕を組んだ。

少し複雑な表情になってふたりを交互に見る。

454 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:42:16.72 ID:PVvYiWSbo

アロエ「それも、カツラの話が本当なら、当然ってことよね」

アロエ「最初はずいぶん人間を警戒してる感じだったし」

アデク「だが、頭もいいし理性的だ」

アデク「そこだけは、実際に会ったあいつと、カツラの話とで印象があまりに違う」

レンジャー「そう……ですか……」

アロエ「どうかしたの?」


子供の体調でも気遣うように、アロエはレンジャーの顔を覗き込んだ。

たしかに、まるで子供だ。


レンジャー「……おふたりとも、あいつに『ちゃんと』会ってるんですね」

レンジャー「私は、まだだいぶ距離があるところから、見かけただけなので……」


どんな世界にも、越えようのない『違い』というものはある。

たとえば、自分は兄のように出来がいいわけではない。

同じ両親から生まれたのに、物心ついたときから歴然とした違いがあった。


レンジャー「別に自分が特別に善良なつもりは、全然ないんですけど」


今だってそうだ。

かたや、ひとつの地方を代表するチャンピオンと、ジムリーダー。

かたや、一人前のトレーナーにすらなれなかった落ちこぼれ。


レンジャー「せめて、あの森にいるポケモンたちには、誠実に向き合ってるつもりでした」

レンジャー「特に、色んな事情で、あとからあの森に居着いてる奴らには……」

レンジャー「でも、全然信用されてなかったってことなんですね」

455 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:43:25.45 ID:PVvYiWSbo

ずっと立っていたアロエが、足元の四角い椅子に腰を降ろした。


アロエ「そうなのかな」


まるで職員室で教師と対峙しているような按配だ。

とんでもない三者面談だ。


アロエ「キミは、今もあの子のことを知ってるじゃないか」


疲れは滲むものの柔らかく笑い、アロエはレンジャーを見つめている。


レンジャー「それは、どういう……」

アロエ「キミのこと全然信用してなかったら、そもそもキミはあの子の存在を記憶してられないと思うんだけど」

アロエ「現状、あの子の話は噂の噂にすらなってない」

アロエ「そもそも、あの子も姿を見せる相手は相当慎重に選んでるとは思うけど」

アデク「そうだな」

アデク「あいつがわしの前に姿を見せたのは……なんというか」

アデク「熟慮の末、致し方なく、といった感じだった」

アロエ「どういうこと、それ」

アデク「どういうこともなにも、そのままの意味だ」


眉を八の字に歪めてアデクが答えた。


アロエ「……ま、それを言うならあたしの時も同じようなものか」

アロエ「たまたまあたしに見つかっちゃった、ってとこから始まってるし」

アロエ「あの様子だと、あたしに姿を見せるつもりは全然なかったと思う」

アロエ「キミは?」

レンジャー「私は……」

456 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:44:26.41 ID:PVvYiWSbo

思わず自分の手を眺める。

レンジャーは俯いてぽつぽつ話し始めた。


レンジャー「ご存知のように、私はヤグルマの森を担当してるレンジャーです」

レンジャー「あの森は、街から距離が近いわりに広いというか、深くて」

レンジャー「ここらの産業なんかとはあまり関連がないせいで、開発も進んでないんです」

アロエ「そうね」

アロエ「だから手つかずで残ってるともいえるけど」

レンジャー「ええ……つまり、みんな、あんまり興味ないんだと思います」

レンジャー「特別に希少なポケモンがいないのは、わりと早い段階でわかってたみたいですし」

レンジャー「人目につきにくいのもあって、ポケモンを捨ててく人も、まあまあいて……」


自然と愚痴っぽくなってしまう。


無論、レンジャー組織が何もしていないわけではない。

保護できるならするし、引き取り手を探すこともある。

もっとも、そうして捨てられた個体は人間の前になかなか姿を見せない。

森に馴染めずに出て行く個体も、別の人間が捕獲し連れていってしまう個体もいるはずだった。

実態を掴めているとは言い難い。

457 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:49:20.38 ID:PVvYiWSbo

アロエ「捨てられた……」

レンジャー「え、なにか」

アロエ「ううん、続けて」

レンジャー「あ、もちろん、全部が捨てられた奴ってわけじゃなくて」

レンジャー「よその地域から野生のまま流れてきただけの個体も、含まれているとは思います」

レンジャー「……正確なところは、まだわかってませんけど」

レンジャー「あいつを見たのも、そうやって森に居着いたポケモンが助けを求めてきたときでした」

レンジャー「居着いた連中はたいてい、原生のポケモンとあまり馴染めないようで……」


息を呑む。

これが、他人に話していい内容なのか、話している今もわからない。


レンジャー「……外来種のみで異種混成の群れを作ってます」

レンジャー「えっと……だからたぶん、あいつも一緒にいるんだと思います」

レンジャー「……と、私は考えています」

アデク「あー……、そういうことか」

レンジャー「……え」

アデク「ああいや、気にするな」


アロエを見ても、話を続けろと促してくるだけだ。


レンジャー「……そ、その中の一匹……というか」

レンジャー「最近、捨てられた奴なんでしょうね」

レンジャー「酷い怪我をしたポケモンを連れてきたことがありました」

アロエ「『連れてくる』、って……それ、誰が連れてくるの?」

458 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:50:41.58 ID:PVvYiWSbo

レンジャーはぎくりと身をこわばらせた。

慎重に言葉を選ぶ。

話さなくてはならないことなのだから仕方ないのだが、聞かれると動揺する。

あの不思議なポケモンについてではないにしても、彼らについて必要以上に言い触らしたくはなかった。


レンジャー「……『窓口』になっている個体がいるんです」

レンジャー「人間との接触を嫌がる個体が多いのは容易に予想がつくので」

レンジャー「そいつが私のところに来る……ようにしているみたいです」

レンジャー「そいつも元々は人間が所有していたことがわかっている個体なので……」

レンジャー「こちらの話は理解していて、おおむね意思疎通ができています」

レンジャー「そのとき、遠くからこちらを窺ってるところを見かけたのが最初です」

レンジャー「私が信用に値する人間なのか、見定めに来た、っていう印象でした」

レンジャー「けど、それ以上は近づいてこないんです。やっぱり……」

アデク「……だったら、やはりあいつはお前さんのことをある程度、認めてると思っていいはずだ」


レンジャーは顔を上げた。

アデクは笑って腕を組んでいる。


レンジャー「それは……」

アデク「さっき、カントーのハゲ頭も言っていたじゃないか」

レンジャー「ハゲ頭……」

アデク「あいつは他人の記憶を弄れるって」

アデク「わしらも含めて、たとえば誰彼構わず喋りそうだとか、都合の悪いことをしそうだとか」

アデク「あいつがそう思ったら、そうすればいいわけだ」

アデク「だが、あいつはそうしなかった」

レンジャー「あ……」

アロエ「あー、あーもー、耳が痛い」

459 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:52:23.07 ID:PVvYiWSbo

耳を塞ぎ頭を振るアロエをちらりと見てから、アデクは胸を張る。


アデク「ま、これ以上、評価を落とさんよう気をつけないといかんな」

アロエ「そ……そうね……」

アロエ「あっ、ねえ、まさかと思うけど、あの子のこと、報告書とか日誌に書いたりしてないよね?」


はっとした顔でアロエが尋ねてきた。


レンジャー「い、いいえ」

レンジャー「なんでか自分でもよくわからないですが、あまりそういう気になれなくて」

レンジャー「他の外来の連中は、トラブルがあったときに問題になるんで、かなり控えめとはいえ書いてるんですけど」


アロエは露骨に安堵した表情を見せる。

その気持ちはレンジャーにも想像できた。

彼女は眉間を揉んで、また溜息をつく。


アデク「今日の館長殿は溜息が多いな」

アロエ「うるさいうるさい。考えることが多いの」

アデク「だが、運がよかった」

アデク「記録に残していないことは、おおやけには存在しないと同義だ」

アデク「それに、一度でも記録に残してしまえば、あとから隠すのは難しいからなあ」

アデク「あまりいい手ではないが、今のところ、これ以上話が広がらないようにするしかない」

アデク「な?」

460 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:54:23.93 ID:PVvYiWSbo

お手上げだ、とでもいうようにアデクは両手を広げた。

そしてレンジャーに同意を求めた。

それはつまり、彼らに――お前に――できることはないと言われたも同然だった。


アデク「あいつが、存在を広められることを望むとは思えんしな」

アデク「現状、潜伏場所の周囲で三人もの人間に存在を認知させてしまっている」

アデク「そして、それもさっき四人になってしまった」

アデク「これ以上、話が広がるのも本意ではないはずだ」

アデク「何かあれば、あいつが方針転換する可能性も十分にあるわけだしな」

アデク「まあ……わしらは突発的だが、お前さんの場合だけは向こうからの働きかけだから」

アデク「少しケースが違う、と言えんこともないが」

レンジャー「……わかりました」

レンジャー「私も、こういう形であいつのことを調べるのはやめます」

アデク「それがいいな」

アデク「カツラの話の通りなら、図鑑をいくら調べても出てくるまいよ」

レンジャー「都市伝説本の方がまだ確率高そうです」

アデク「そうだな」


アデクが立ち上がった。

レンジャーに歩み寄り、大きな手で肩をぽんと叩く。


アデク「誰かのためを思って何かするのは、難しいな」


それを待ち構えていたかのように、アロエが端末の画面に目をやる。

461 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:55:03.72 ID:PVvYiWSbo

アロエ「そろそろ、お開きにしましょう」

レンジャー「……はい」

アデク「なーに、お前さんが落ち込むところは、今のところ特にない」

レンジャー「いえ、そんな……」

アロエ「一応、あのハゲも必要なことはひととおり話してくれたみたいだしね」

レンジャー「ハゲって」

アデク「奴の話に嘘が含まれる可能性はあると思うか」


アデクの言葉に、アロエは肩を竦める。


アロエ「さあね」

アロエ「いっそ、全部嘘であってほしいくらいだけど」

アロエ「……そうでないと、あんまりだよ」


小声でアロエはそう吐き捨てる。

レンジャーもそれは同感だった。

462 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:57:30.82 ID:PVvYiWSbo

アロエ「それに、あたしたち三人には『あの子と意思疎通する手段や機会がある』と考えられるわけだし」

アロエ「喋らない他のポケモンならいざ知らず、本人に事実確認ができるのに嘘をつくメリットはないと思う」

アロエ「なんにしてもあたしたちは、あの子自身ときちんと向き合う以外に本質を見極める手段はないわけ」

アデク「それもそうだ」

アデク「うんうん」

アデク「ということは、わしらはあいつの平穏な暮らしを邪魔せんようにすればいいわけだな」

アロエ「助けを求めてきたら、できることはしてあげるけどね」

レンジャー「そ、それはもちろん……」


アロエとレンジャーの言葉に、アデクは満足そうに頷いた。


アデク「じゃあ、あっちで茶をもう一杯もらってから消えるとしようか」

アロエ「何か急ぐ用事でもあるの」

アデク「いや、特にない」

アデク「わしもしばらくは、この辺に留まることにするよ」

アデク「……気になるからな」

アロエ「あら、そう」


そう言いながら、アデクは引き戸を開けた。


アロエ「それはよかった」


レンジャーはアロエを見上げる。

頭に疑問符が浮かぶ。

アロエはちらりとレンジャーに目を向けただけで、何も答えない。

463 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2023/12/09(土) 22:59:05.08 ID:PVvYiWSbo

アロエは、アデクが出て行った引き戸を見ている。

硬い床を擦る履物の音が遠ざかっていく。

そして――


「うわっ」というアデクの呻き声と、別の誰かの声が聞こえた。

『別の誰か』は、どうやら男らしい。

喧嘩のような、そうでもないようなやりとりがかすかに聞こえる。

何を話しているのかは、まったくわからない。


扉を隔てた向こうで、ぼやけた足音がばたばたと響いた。

二人分の声が不思議な具合に遠ざかっていく。

アデクが、『別の誰か』から逃げようとしているのだろうか。


アロエ「ちょうどタイミングばっちりだったみたい」

レンジャー「……?」

アロエ「ほら、せっかく、師匠の居場所がわかったんだからね」

アロエ「せめて弟子には教えてあげないと」

アロエ「ね」


そう言って、アロエは悪戯っ子のように笑った。

464 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2023/12/09(土) 23:04:46.88 ID:PVvYiWSbo
今日はここまでです!

>>447
フジも来れればよかったんですけどね。
でも、そうはならなかった
ならなかったんだよ、ロック
だから、この話はまだまだ続くんだ
465 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/12/09(土) 23:33:35.66 ID:FoWOuTBbO
466 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/12/09(土) 23:37:08.12 ID:uhnRTg7K0
更新お疲れ様です!!

>> 外来種のみで異種混成の群れ
人間からするとこういう表現になりますよねえ…。
「存在を外に知られないようにしよう」が叶うといいなあ…?
467 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/12/10(日) 00:39:37.26 ID:UK0e4MxkO
おつ
468 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/12/15(金) 23:04:20.37 ID:EGYCHbQXO
469 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2023/12/24(日) 16:58:19.78 ID:f3g0dKd1O
おつー
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