ミュウツー『……これは、逆襲だ』 第三幕

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173 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:26:34.32 ID:n9gHiMCwO


少し離れたところで、ちりっ、と蝋燭が唸った。

一瞬、アロエはその方向に目を向ける。

手元の照明と照らされる本が明るいせいか、あまりよく見えない。

じっくり待てば目が慣れて、書斎の壁一面に並ぶ書架も判別できたかもしれない。


だがアロエはすぐに視線を手元に戻し、再び字を追った。

問題がないのなら、眺めている時間は不毛なだけだ。


アロエ「――そして、二人は末永く、幸せに暮らしましたとさ」

アロエ「おッしまい」


最後の部分に勢いをつけて言うと、アロエは自分の膝を見下ろした。

ちょこんと座って本に目を向ける、やけに小柄なジュプトルを見る。

ジュプトルは陽気な響きで『しゅっ』と小さく唸った。


アロエ「……楽しかった?」


ジュプトルは器用に上半身を捻り、アロエを見上げた。

ひときわ甲高く鳴く。

なにかを伝達しようとしているようだ。


細く小さな頭をかたかたと振り、痩せぎすのジュプトルは頷いてみせた。

どうやら、『今回も』喜んでくれているようだ。


アロエは思わずほっとした。

というのも、膝に座らせるだけで一時間以上かかっていたからだ。


アロエ「そーお、よかったわねえ!」


そう応じるアロエも、自然と笑顔を浮かべていた。

彼らがここへやって来たときの、このジュプトルの目つきが脳裏をよぎる。

複雑な経緯を辿った野良が人間に強い警戒心を持つことは、残念ながら珍しくなかった。

さまざまな感情が入り交じったその視線は、容易に忘れられるものではない。

ただその目に浮かぶ、憎悪を押し退けほどの『好奇心』だけが救いだった。

174 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:29:12.31 ID:n9gHiMCwO

アロエは、ちらりと部屋の隅に視線を送る。


ミュウツー『……』


黙々と知識を貪っているはずの『ひとりめの生徒』が、こちらを静かに窺っていた。

妙に年季の入ったシーツの切れ目が、アロエの方に暗く開いている。

洗っていないのだろうなあ、などと呑気にアロエは思う。


ページをめくる手を止め、顔もこちらに向けて、じっと見守っている。

自分の連れてきた連中が粗相をしないか、心配なのだろう。


視線に気づき、シーツが落ち着きなく揺れた。

本人は大真面目なのだろうが、その慌てた動きは少し笑いを誘う。


アロエを見上げていたジュプトルが、遠慮がちに身をよじった。


アロエ「なあに?」


絵本の頭の方を自分の爪で指差しながら、枝の軋むような鳴き声を出した。

どうやらこれは、もう一度読め、という催促らしい。


アロエ「えー、もう一回? また同じやつでいいの?」


笑いながらアロエが尋ねると、ジュプトルは満足そうに頷いてみせた。

予想以上にコミュニケーションが取れることに、アロエはすっかり麻痺していた。

今にも、アロエにもわかる言葉で返事をしてきそうだ。

知能の面では、不可能でないような気がする。

もっとも、本当に人間の言葉を操るとは思えないが。


アロエ「もう三回は読んでる気がするんだけどねー」

アロエ「まあ、いいか」


ジュプトルはアロエの色よい返事に喜んだ。

脚をばたばた揺らし、嬉しそうに何か言っている。

残念ながら、アロエには何を言っているのかわからない。

明確に内容を伴ったものであることは、さすがにわかるのだが。

紙を破く音に似ている、と頭の片隅で思う。

175 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:32:04.70 ID:n9gHiMCwO

離れたところにいる『ひとりめの生徒』が、ぷいと顔を横に向けた。


ミュウツー『……悪かったな』


頭の中に、不満そうな声が響く。

どうやら今の声は、さきほどのジュプトルへの返事らしい。

この子は何を言ったのだろう。

自分の膝を見ると、小柄なジュプトルはまた笑っている。

アロエは仕方なく、拗ねた方に問いかけることにした。


アロエ「なんて言ったの?」

ミュウツー『お前の方が読むのが上手いと言っている』


ジュプトルがまた笑う。

内容の他愛なさに少し安堵して、アロエは吹き出した。


アロエ「あはは、そりゃあ年季が違うよ」

アロエ「それにキミと違って、あたしはテレパシーじゃあないからね」

アロエ「鼓膜を通すかどうか、ってのも、違うのかもしれない」

ミュウツー『……そうか』

ミュウツー『やはり違うのか』


どうして上手くいかないのか、と言わんばかりに首を傾げる。

珍しく、年相応の――といっても年齢は知らないが――反応を見たように思った。

やけに少ない言葉に、隠しきれない悔しさや無力感が滲んでいる。

アロエは憐れに思う反面、微笑ましく思う。

その心境になれないのなら、成長は難しいからだ。

その点において、人間もポケモンも違いはあるまい。


そう思いながらアロエは、書斎の別の片隅に視線を移した。

絨毯にピクニックシートとタオルを敷いただけの床。

手元が暗くならないよう照らされた一角に、人間によく似た小柄な誰かが座り込んでいる。

176 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:33:44.88 ID:n9gHiMCwO

無論よく見れば人間ではなく、薄汚れたダゲキが腰を下ろしているのだった。

小児向けの文字の本と首っ引きで、一心に画用紙に向かっている。

その斜め前には、巨体を必死に縮めクレヨンを握るヨノワールが蹲っている。

自身も画用紙と戦いながら、ときおりダゲキの手元を覗き込んでいた。

ふたりがなにを描いているのか、ここからでは見えない。

ヨノワールが自分の巨体を捌きかねている姿が、妙に面白い。


アロエ「ま、じゃあ、もう一回だけ読もっか」

アロエ「そしたらアタシは休憩で、キミたちはおやつ」

アロエ「それでいい?」


ジュプトルが大きく、どちらかといえばおおげさに頷いた。


そして動作を終えたあとの一瞬、こっそりと肩を落とす。

アロエはそのわずかな動きを目敏く見つけた。


やはり、無理に明るく振る舞っているのだろうか。

ひょっとすると、と思う。

ここまでの大げさな挙動も、こちらに対する気遣いの一種だったのかもしれない。

そう考えると、この細い背中が痛々しいものに思えてならなかった。


アロエ(たしかに、ちょっと『浮き沈みは激しい』かな)

アロエ(今のところは、ただそれだけに見えるけど)


アロエは、ジュプトルの頭に何気なく手を載せる。


手が触れた瞬間、ジュプトルはびくっと全身を強張らせた。

撫でようとしただけで、アロエに他意はない。

「ギッ」と小さく、だが鋭い声で呻いた。


アロエ「あっ……、ごめん」


慌てて手をどける。

ジュプトルはぎょっとするほど身体を硬く縮めている。

まるで親に叩かれる直前の子供だ。

アロエは思わず息を呑み、その貧弱な背中を眺めた。

177 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:36:46.95 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『どうした』

アロエ「……あ、いや、うん」


視線が集まってきているのがわかる。


そのうち、ジュプトルはゆっくりと身体の緊張を解いた。

止めていたらしい息を吐き出して、ゆるゆるとかぶりを振る。

そして自分の頭に触れながら、申し訳なさそうな顔でアロエを見上げた。


アロエ「その……えっと、悪いことしちゃったね」

アロエ「『そういうの』、イヤだったんだね、ごめん」


ジュプトルは下を向き、今度は首を横に振った。

少し疲れた目つきで小さく鳴く。


ミュウツー『少し驚いただけだから気にするな』

ミュウツー『だそうだ』


気難しい通訳が無感動な声で言った。

他のふたりにも、慌てた気配は特にない。

普段の姿を知る者が言うのなら、深刻さはないのかもしれない。


アロエ「……そう」

アロエ「でも、あたしが気をつけてればよかっただけなんだから」

アロエ「ごめんね」


ジュプトルはまた首を振る。

いかにも『気にするな』と言わんばかりのしぐさが、ぞっとするほど人間じみていた。

そのしぐさが終わりきらないうちに、ジュプトルは大きくあくびをした。


アロエ「眠くなっちゃった?」


ジュプトルはさらに首を横に振りながら、またひとつあくびをした。


アロエ「まったく、夜更かしさんだね」


言われたジュプトルは、目をうっすらと閉じ、ゆるく彼女を見上げている。

178 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:38:26.73 ID:n9gHiMCwO

アロエ「眠くないのはいいけどさ、無理するのは駄目だからね」

アロエ「……キミたちは眠くないの?」


シーツのお化けが小さく肩を揺らし、控えめに否定を示した。

その動きもまた、あまりに人間じみている。


ミュウツー『私はまだ、そこまで眠くない』

アロエ「他の子たちは、なんて言ってる?」


アロエの言葉を受け、お化けは友人たちの方へ首を回した。

床に座っていたふたりが、何も言われていないのに、ゆっくりと幽霊を振り向く。

少しの間があって、再びシーツの裂け目がアロエに向いた。


ミュウツー『眠くはないそうだ』

アロエ「そう……なら、いいんだけど」


こちらには聞き取れない、彼らだけのやりとりがあったようだ。

おそらくそれも、テレパシーで行なったに違いない。

特別な能力など持ち合わせないアロエには、想像することしかできない。


ミュウツー『我々が、この時間まで起きていることも、なくはない』

ミュウツー『いつも……ではないが』

アロエ「夜更かしなんかして、具合悪くならないの?」

アロエ「たしか、この子は少なくとも昼行性だったはずだけど」


膝を占拠するジュプトルを、アロエはそっと指差した。

すると、スツールを陣取るシーツの塊が頷いた。


ミュウツー『基本的にはそうだ、と私も思う』

ミュウツー『だが、あまり……責めないでやってくれ』


少し居心地悪そうにシーツが揺れる。

アロエはその姿を注意深く見守った。

そんな風に友人たちを庇うことは、きっと照れくさいに違いない。

179 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:40:00.97 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『お前の膝で眠そうにしているそいつは、今日を楽しみにしていたのだ』

ミュウツー『普段のそいつからは想像しにくいのが、正直なところだが』

アロエ「そうなんだ」

ミュウツー『……私にとっても、少し予想外だった』

ミュウツー『そいつは、いやそいつ“も”、乗り気にはならないと思っていたからな』

ミュウツー『まあ、あそこで何か書いているあのふたりも、それは同じだ』

ミュウツー『いつもの奴ららしくないとさえ言える』

ミュウツー『ただ、彼らはみな、今日を楽しみにしていたのだ』

ミュウツー『それだけは本当だと思う』

ミュウツー『……いいことか悪いことかは、わからないが』

アロエ(なにもそんな言い方)


そう言いかけて、アロエは引っかかった。

相手の口振りに、ほんのわずかだが変化が感じられる。

境界線を少しだけずらすような、微妙な立ち位置の変化だ。


ひょっとすると最後のくだりは、自分にしか聞こえていないのではないだろうか。

特に根拠はなかった。

だが予想を裏付けるように、新しい生徒たちは、この会話に何の反応を示さない。

これほど自分たちが話題にされているというのに。


アロエ(楽しみしててくれたのは嬉しいけど、そんな言い方はないんじゃない?)


アロエはそう思い至り、心の中だけで返答した。

幽霊をまっすぐ見つめる。

シーツの端が鋭く揺れた。


ミュウツー『……どうして気づいた』


頭に響く声に、驚きが滲んでいる。

アロエの予想は当たっていたらしい。

シーツの陰で、開かれていた本のページがぱらぱらと動く。

180 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:42:54.82 ID:n9gHiMCwO

アロエ(年の功ってやつかな)

アロエ(経験の多寡は、物事に対する予測の精度に直結するわけだからね)

ミュウツー『そういうものか』

アロエ(まあね)

アロエ(……内緒話がしたい?)


暗い裂け目が考え込むように下を向き、またアロエの方を向く。

妙に毅然とした動作だった。

腹を括ったような、あるいはなにかを決意するような。


アロエ(わかった、ちょっと待ってな)

ミュウツー『?』


すると、アロエは本をパタンと閉め、ジュプトルを見下ろした。

少し驚いた様子を見せるジュプトルに、アロエは微笑みかける。


アロエ「よしジュプトルちゃん、やっぱり休憩しよ」


ジュプトルは不思議そうに首をかしげた。

もっとも、特に不満があるということではないようだ。

さきほどの警戒も、さすがに影を潜めていた。


アロエ「喋りすぎて、喉からからになっちゃった」

アロエ「きのみとか飲み物とか、持ってくるから」

アロエ「読んでた本、机の上に置いててくれるかな」


不承不承という顔で、ジュプトルはもたもたと腰を上げた。

自分が読んでもらっていた本を抱え、あちこち着地点を探している。

そのままアロエの膝から飛び降り、音もさせずに着地した。

何歩か進み、机の横に立つ。

ふたたびアロエを見上げ、何か言いたそうにしている。


アロエ「そう、その上に置ける?」


ジュプトルは頷いて机を見上げ、躊躇なく跳ねた。

片方の前脚で本を掴み、残る前脚と二本の後ろ脚だけで、器用に机の壁面をよじのぼってみせる。

まるで軽業師か、あるいは物語に出てくる怪盗のようだ、とアロエは思う。

181 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:44:57.77 ID:n9gHiMCwO

アロエ「凄いなあ」

アロエ「キミは、そういうところを登るのがずいぶん上手なんだね」


ジュプトルは気恥ずかしそうに首を縮め、鼻柱を掻いた。

照れ隠しなのか、意味もなくきょろきょろしている。


よっこいしょ、と呟きながらアロエも立ち上がる。

エプロンをはたき、室内をぐるりと見回した。

ぼんやりこちらを見上げていたダゲキやヨノワールと目が合う。


アロエ「ほら、キミたちもちょっと手を止めて、ひとやすみするよ」

アロエ「勉強熱心なのはいいけど、ちゃんと脳に栄養もあげなきゃね」


ふたりが顔を見合わせた。

しばし視線を交わし、ふたりは筆記用具を置いた。

手の空いたジュプトルも、ちょうど彼らの傍らに辿り着いたところだ。

ヨノワールの表情はよく読み取れないが、ダゲキは目に見えて名残惜しそうだった。


アロエ「ダゲキくんは、まだ続けたかった?」


ダゲキは黙って頷く。

使いかけのままの画用紙とクレヨンを振り返っている。


アロエ「根を詰めると、それはそれでよくないよ」

アロエ「休憩したら、また続きをやればいいじゃない」

アロエ「いろいろ、キミたちにもお手伝いしてほしいしね」


足元のジュプトルが小さな声で唸ると、ダゲキもようやく納得してこちらを向いた。

アロエは安心して、ヨノワールに目を向ける。

なにか、期待を込めた目でこちらを見ている気がした。

『手伝い』という言葉に反応したのかもしれない。


アロエ「そうだねえ、力のありそうなキミには、その青いシート運んでもらおうかな」

182 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:46:57.20 ID:n9gHiMCwO

仕事を任されたヨノワールは、傍目にもわかるほど喜んでいる。

慌てふためいて周囲を見回し、背後の畳まれたシートを見つけた。

ヨノワールはいそいそとシートに手を伸ばす。

こちらを向き、抱えたシートを示して、何か言いたそうだ。

アロエは笑って頷く。

ヨノワールは更に目を輝かせた。


アロエ「キミもこっちに来るかい?」

ミュウツー『いや、私はここでいい』

アロエ「しょうがないねえ」

アロエ「じゃあ、誰かに運んでもらうしかないね」


そう言うと、アロエは慣れた手つきで『会食』の支度を始めた。

シートを運ばせたヨノワールにも、次々と指示を出す。

自身もてきぱきと紙皿を並べ、ふたたびスツールの方に視線を投げかけた。


アロエ(内緒話はあんまり得意じゃないんだけど)

アロエ(それで、キミはなんの話をしたいのかな)

ミュウツー『……自分でも、よくわからない』


そうこぼしながら、シーツの陰に隠れた首が下を向く。

視線が向いただろうその先には、それまで読んでいた本がある。

変わらず一定のペースで、本のページは淡々と捲られていく。

もっとも、字面すら追えていないのは傍目にも明らかだった。


アロエ(そういうことは、人間でもよくあるよ)

ミュウツー『そういうものか』


それきり言葉が途切れる。

アロエの周囲には、咀嚼するかすかな音と、誰かの身体がシートに擦れる音だけが響く。

なかなか次の言葉が続かない。

短い逡巡ののち、頭に響く声の主は、ふたたび『ロ』を開いた。

183 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:49:43.16 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『私には今、どうするか決めかねていることがある』

アロエ(うん)

ミュウツ―『その選択肢はひとつ……いや違う、ふたつだ』

アロエ(それを選ぶか、選ばないか、ってこと?)

ミュウツー『そうだ』

ミュウツー『私は、「そうしたい」とは思わないが、「そうすべき」だと思う』

アロエ(「そうしない」理由は、自分でわかってるの?)

ミュウツー『……どうにも気が進まないのだ』

アロエ(そう、それは困ったねえ)


アロエはシートの片隅に座り、新しい友人たちにも、席につくよう示した。

顔を見合わせ、三匹のポケモンたちがおそるおそるシートに腰を下ろす。

座ってからも背後をちらちらと見ている。

ただひとり輪に加わらない友人を、彼らは気にかけているのだった。


アロエ「大丈夫、あの子は、あとで食べるって」

アロエ「みんなの前で食べたら、あたしにまで顔が見えちゃうからね」


そう言い訳すると、彼らはなるほどと納得した表情を見せた。

互いに目配せし、また手元のきのみに視線を戻している。

それがおかしく思えて、アロエは小さく笑った。


アロエ(どうして、その選ぶべき道を、キミは選べないんだろうね)

アロエ(気が進まないのは、どうしてだと思う?)

ミュウツー『……なぜだろう』

ミュウツー『私は……私がそう選択することで、事態は変わるはずなのだ』

ミュウツー『今よりは、少なくともいい方向に』

ミュウツー『少しでも早い方がいいのはわかっている』

アロエ(キミにとっては、とても大事なことなんだね)

ミュウツー『私にとっては、な』

アロエ(でも、みんなには相談したくない話なんだ)

ミュウツー『そうだ』

ミュウツー『これは、私ひとりで考え、結論を出さなければならないことだからだ』

184 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:52:16.09 ID:n9gHiMCwO

響いてくる頭の中の声は、あくまで真剣だ。

ふざけて、わざと大袈裟に言っている気配はまるでない。


アロエ(そんなに、早く結論を出したい?)

ミュウツー『もちろんだ』


『声』に焦れた印象が混じり始めた。

内容は本人が語らない以上わからないが、とても結論を急いでいるようだ。


アロエ(時間をかけて、好きなだけ悩むのは……)

ミュウツー『そういうわけにはいかない』

アロエ(みたいだね)

アロエ(たしかに、あたしもキミに『よく考えろ』とは言ったからね)

アロエ(でもね、考えたところで、必ず結論が出る保証があるわけでもない)

アロエ(考えるのは、本当に、とても大切なことだけど)

アロエ(考えればいい、ってものでもないわけ)

ミュウツー『どこかで聞いたような話だ』

アロエ(へえ、そうなの)

ミュウツー『似たようなことを、以前にも言われたことがある』


この子は苦笑いしている、とアロエは直感した。

それも、少し無理をして笑っている。


アロエ(キミがどんな価値判断でその選択肢を考えたのか、あたしにはわからないけど)

アロエ(いくら考えても答えが出てこない、っていうなら)

アロエ(一旦、考えるのをやめてみる、ってのも手かもしれないね)

ミュウツー『……考えるのをやめる?』

ミュウツー『それで、結論は出せると思うか』


アロエは小さく肩を竦めてみせた。

きのみを齧る小柄なジュプトルの頭を慎重に撫でる。

ちらりとこちらを見上げたが、今度は怯えることもなく、おとなしくされるがままだった。

葉はゆらゆらと、風もないのに揺れているのが不思議だ。

185 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:53:57.77 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『考えるのをやめる……か』

ミュウツー『それもいいかもしれないな』

ミュウツー『考えても、今日この瞬間まで結論を出せなかったのだ』

ミュウツー『むしろ、考えれば考えるほど、自分がどうしたいのか、わからなくなった』

アロエ(それは、やっぱり考えすぎてるのかもしれないね)


見ると、シーツの切れ目がゆっくりと向きを変えていた。

視線はアロエから逸れ、休憩を楽しむ友人たちに向けられているように見える。


彼らに秘密にしておきたいのは、つまりそういうことなのだろう。


ミュウツー『……いつか』


急に声が聞こえた。

アロエは反射的に、声の主を見る。


ミュウツー『いつか、そうしなければならないことは、最初からわかっている』

ミュウツー『いつまでも、このままでは駄目なんだ』

ミュウツー『そうしなければ、このままでは』

アロエ(それは、誰のため?)


痙攣するように、シーツが翻った。

中こそ見えないが、昏い切れ目の奥に、鋭い視線を感じる。

アロエは確信していた。

今、自分はシーツの中の視線と、正面から向き合っている。


ミュウツー『……誰……の?』


別の視線を感じて、アロエは自分のすぐ近くに目を向けた。

いつの間にか、ダゲキが食べる手を止め、こちらを見上げている。

大きな目で、まっすぐこちらを見ている。

感情の薄い冷やかな目に、アロエは少し不気味さを覚えた。

内緒話のことが気付かれているような気がしたのだ。


ミュウツー『誰の……』


アロエが口を開こうとした瞬間、がたん、と大きな音がした。

ヨノワールもまた、音の聞こえた方向を見ている。

186 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:57:19.37 ID:n9gHiMCwO

幽霊が椅子から立ち上がっていた。

汚れたシーツに覆われた誰かが、見上げるほどに伸び上がっている。

アロエは、不意に背筋が凍る思いに駆られた。

危険な存在ではない――少なくとも今のところ、この場所では――にも関わらず。


アロエ(この子は……本当は何者なんだ)


久しぶりに、しげしげとその全身を眺める。

汚いシーツに覆われ、少なくとも上半身はほとんど見えない。

そのかわり下部から、筋肉質で生っ白い脚が二本。

そして少し深い色の、がっちりした尾が見えている。

まるで保管庫で眠ったままだった彫像が、勝手に起き上がり動き出してきたかのようだ。


不思議な感覚が湧く。

ぞっとするような、足元から這い寄る禍々しさ。

ある種の罪から生まれながらにして解き放たれているような、かすかな神々しさ。

得体が知れない、とアロエはこのとき初めて感じた。


人間ではない。

では、ポケモンなのだろうか。

だが見たことも、聞いたこともない。

にもかかわらず、言動が人間とある程度の接触があったことを示している。

それはいったい、何を意味するのだろう。


ミュウツー『……わかった』

ミュウツー『そうだ、わかった』


粛々とした声が聞こえている。

自分にだけ聞こえるのか、足元の彼らにも聞こえているのか、アロエにもわからなかった。

独り言のように声は続いた。

風もないのに、縁のほつれたシーツが妙にゆっくりそよぐ。

187 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 00:59:15.46 ID:n9gHiMCwO

ミュウツー『最初にそうしようと思い口にしたときは、大した理由はなかった』

ミュウツー『だが今は違う』

ミュウツー『たとえ私がそうしたくなくても、しなければならないのだ』

ミュウツー『私の……』

ミュウツー『私のわがままなどよりも、優先するべきこと、優先しなければならないことがある』

ミュウツー『……いや違う、“優先したい”ことだ』

ミュウツー『思うに、その違いは小さいようで大きい』

ミュウツー『これは私の意志だ』

ミュウツー『今ならまだ間に合うかもしれないからだ』

ミュウツー『私は……』


はっと我に返ったように、シーツが大きく揺れた。

光源の具合で、やはりアロエの位置から中身は見えない。

周囲を見回し、身の丈二メートルの幽霊が急に慌てふためいた。

見れば、きのみを食べていたはずのポケモンたちも、呆気に取られている。

今の話は、そんな彼らにも聞こえていたのだろうか。

いずれにしても、驚いただろうことは想像に難くない。


アロエ「大丈夫?」

ミュウツー『……え、あ、ああ……だ、大丈夫だ』

アロエ「そうは見えないけど」

ミュウツー『そんなことは……おい何を見てる』


ヨノワールが慌てて首を横に振った。

同時に、ぶうん、と弦を弾いたような、低く空気の震える音が聞こえる。

どうやらその唸りが、ヨノワールの鳴き声であるようだ。


アロエ(あんな声なんだ)

アロエ(ヨノワールの声って、そういえば初めて聞たかも)


アロエ「キミが急に立ち上がるから、みんなびっくりしたんだってば」

ミュウツー『……そ、そうか、すまない』

188 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 01:00:20.24 ID:n9gHiMCwO

シーツを靡かせ、保管庫の彫像は宥められた子供のように再び席についた。

友人たちは、どこか不安そうに顔を見合わせている。

ジュプトルがアロエを見上げた。

アロエはジュプトルに笑いかける。


アロエ「キミの友達も、いろいろ大変なんだね」

ジュプトル「?」

アロエ「まあでも、きっと一生懸命考えてるんだよ、あの子なりに」

アロエ「だから、そうやって決めたことは、きちんと尊重してあげないとね」


よくわからない、という顔をして、ジュプトルは首をかしげた。

すぐ横で、ダゲキが物憂げに食べかけのきのみを眺めている。

今の話を聞いていたのか、彼は緩慢にアロエを見上げた。


アロエ「ね」


彼は、戸惑いがちに頷く。

なぜ自分に同意を求めるのだろう、という顔に見えた。

『彫像』はふたたびスツールに腰を下ろし、少し俯いている。

アロエは肩を竦め、ゆっくりと深い溜め息をついた。

189 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 01:04:38.30 ID:n9gHiMCwO
今日はここまでです


すごーい! 君は机の壁を攀じ上るのが得意なフレンズなんだね!


>>172
エタったと思っただろう?
忙しいのと、うっかり投稿する予定より先の部分を書き上げてしまって
今しがた投稿した分も仕上げないと投稿したくても出来なくなっただけなのさ
190 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/03/28(火) 01:05:10.25 ID:n9gHiMCwO
あっ、ではまた次回
おやすみなさい
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/28(火) 08:36:05.21 ID:Y9Xam1/co
乙です
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/28(火) 09:47:35.06 ID:pc+jRjJGO
乙!
正直エタるとは思ってない。思いたくないのが本音。
落ちないように保守はしとくので気長に願います。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/28(火) 14:09:58.98 ID:n/k71z4f0
乙乙
なんかよくわからんが本来なら言葉の通じない相手とのコミュニケーションってなんかいいな...
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/03/29(水) 09:40:14.90 ID:HeOhw2voo
時間あいてても内容濃いからいいのだ
しかし相変わらず緊張感のある微笑ましさよ
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/03(月) 13:26:56.99 ID:WWuI6sbQ0
うおおお来てた乙でした
本編に流れる穏やかさと同じように更新もゆっくりでいいのでいくらだって待ちます、細やかながら応援してます
196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/04/04(火) 19:25:55.73 ID:OBjUrSxjo
最初からずっと張り付いてるぜ!
気長に完結まで待ってるぜ!
197 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/04/28(金) 21:53:00.58 ID:T1q8vX8gO
保守
198 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/05/13(土) 23:39:25.96 ID:kt/KZChQO

とても不思議な光景だった。

自分と、自分の友人が全部で四匹。

そして人間の女がひとり。

天井も四隅も薄暗い、本だらけの部屋にいる。

彼らは壁の蝋燭に照らされ、影だけが別の生き物のように揺れている。

いつもと同じように光はほんのり温かい。


友人たちは薄いシートに腰を下ろして休憩を楽しんでいる。

本を見るのも白い紙に絵や字を書くのも、ひとやすみということらしい。

ミュウツーは一歩も二歩も離れたところから、そんな彼らを見ている。


どうしてこんなことに、とミュウツーはふたたび虚空に問いかけた。

誰からも、またどこからも返答はない。

幾度となく自問しているのに、答えは一度も得られていなかった。


アロエ「あっ、そうだ」


小さな声でそう呟くと、アロエは小振りなバスケットを手に取った。

彼女自身が持ち込んだ籠から、さまざまな色のきのみを適当に放り込む。

少なくともミュウツーには適当に選んでいるようにしか映らなかった。

ジュプトルがやる気のない目つきでその動きを追っている。

放っておけば遠からず眠ってしまいそうだ。

199 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/05/13(土) 23:40:05.35 ID:kt/KZChQO

アロエ「よし、こんなところかな」


すると人間の女は座ったまま上半身を捻り、ダゲキにぐいと顔を近づけた。


アロエ「ねえダゲキくん」


不意を突かれたか、ダゲキは露骨にのけぞり目を丸くしている。


アロエ「あのね、キミの大事な友達に、これ届けてあげてくれるかな」


なんとか踏みとどまり、首を縦に振るダゲキの姿が見えた。

あっ、と不安そうな表情でミュウツーに視線を送る。

『頷いてしまったが、よかったのか』と慌てている顔だ。


アロエが、少しわざとらしいしぐさでこちらを向いた。

含むところのある笑みをミュウツーに見せ、またすぐに彼に語りかける。


アロエ「そう言ってくれて助かるよ」


彼女は口の横に手を添えて首を縮め、こそこそ話している。

いかにも彼にだけ伝えようとしている身振りだ。

もっとも、実際には耳を澄ますまでもなく、ミュウツーにも十分に聞こえている。


ミュウツー(やっていることのわりに、“内緒話”にするつもりはないということか)

ミュウツー(ニンゲンは、本当に不思議なことをする)

200 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/05/13(土) 23:40:56.88 ID:kt/KZChQO

アロエ「あの子は、どうもあたしたち人間には、姿を見られたくないって話だから」

アロエ「キミたちはみんな、それぞれに事情があるんだろうし、ね」


話しかけながら、人間の女はバスケットを彼に差し出した。

そしてダゲキに手の平を示し、頭を撫でるしぐさをしてみせる。


アロエ「キミは……“いいこいいこ”しても平気かな?」


二、三度まばたきしてから、ダゲキは小さく頷いた。

目の前に置かれたバスケットを両手で抱え、立ち上がる。

アロエはすかさず、中を覗き込む彼の頭を撫でる。


アロエ「じゃあ、お願いね」

アロエ「キミの好きそうな味のきのみも入ってるから」

アロエ「なんなら、あっちで一緒に食べてきてもいいよ」


ダゲキが重々しい動作で向きを変えた。

その背中をトン、とアロエが軽く押す。

なぜか少し申し訳なさそうな目でミュウツーを見上げ、ダゲキはのんびりと歩き始めた。

ミュウツーは意味もなく緊張を覚える。

本を持つ手に力が入るのが自分でもわかった。

アロエは背後からそれを見守り、満足そうに笑う。


はらはらする、という気持ちを初めて感じた瞬間だった。
201 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/05/13(土) 23:51:29.80 ID:kt/KZChQO
見返すと信じられないくらい短いけど、今日は以上です

>>191-196
ありがとうございます!
自分でも忘れない限り保守します
まずなによりも頑張ります!

予告↓
                 ┌────────┐
                  |> アロエのむね.   │
                 │  アロエのひざ  .│
                 └────────┘
┌────────────────────┐
│きみは どっちが いいんだい?▼        │
└────────────────────┘

202 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/13(土) 23:55:54.80 ID:nvcshHp9o
乙です
203 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 00:03:26.45 ID:5zp+p3StO
来てた!乙です!
アロエさんならひざかな…
204 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 01:40:57.69 ID:SXtpCaKco

……尻、かな
205 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 06:38:11.99 ID:57LlTBwf0

アンケートに反してもふもふの髪の毛かの
206 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/14(日) 10:55:07.01 ID:WMqf79/0o

いいこいいこ一択
207 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/05/15(月) 16:27:27.72 ID:+NVacnT70
追いついたぁっ!!!!
ミュウツー好きなBBAには幸せなSSだ!
最近のポケモンは知らないからググりながら読んで楽しんでます!
208 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/03(土) 01:15:45.31 ID:OwqlZj5/o
ホッシュ
209 : ◆/D3JAdPz6s [sage]:2017/06/13(火) 23:14:25.13 ID:pytwHZDzO
保守
210 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:03:05.31 ID:xCyGumQ8O

ダゲキが両手でバスケットを抱え歩く姿が見える。

しきりに足元を気にしている。

そこまで重い荷物とも思えないが、妙に進みづらそうだ。

彼の向こうには心配そうなヨノワールの、あるい眠そうなジュプトルの目が並んでいる。

アロエは笑顔でこちらを見守っている。

彼女が、声には出さず口だけを動かすところが見えた。


アロエ(が、ん、ば、れ)


口の動きは、そう言っている気がする。


肝心の激励が誰に向けられたものなのか、よくわからなかったが。

自分は何も頑張りようがないはずだ。

ダゲキにいたってはアロエに背を向けている。

彼女の口元さえ見えまい。


追求しようと思えば、いくらでもできるかもしれない。

だがミュウツーは、『人間は不思議なことをする』と思うに留めることにした。

ダゲキがミュウツーの足元に到着し、立ち止まったからだ。


眼前までやって来たダゲキを、ミュウツーはじっと見下ろした。

バスケットをわずかに差し出す姿勢で待っている。

表情はどこか不満そうだ。

ミュウツーは今まで読んでいた本を勢いよく閉じ、脇に置く。

それからバスケットの中身に手を伸ばした。

なるべく身体が露出しないよう、いつもと同じように注意する。


だがその“いつもと同じように”気をつけることが、今はこの上なく滑稽なことに思えた。

自分の身を守るために、必要なことだと考えてやっているのに。

“自分の身を守るために”。

なんと自分本位なのだ。

きっとそれこそが、すべての間違いの元だったのだろう、と思う。


ミュウツー『悪いな、ひとつもらおう』

211 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:04:54.12 ID:xCyGumQ8O

するとダゲキはわずかに表情をこわばらせた。

口を開こうとしたが寸前で今の状況を思い出したらしく、慌てて閉じる。

ミュウツーは仕方なく、伸ばしかけていた手で自身の頭を指した。

すると、彼は合点のいった顔で頷いた。


ミュウツーは、こっそりと人間の女の様子を盗み見る。


ミュウツー(……今のは、少し危険だったか)

ミュウツー(もし、今のやりとりの意味を正確に理解されたらまずいな)

ミュウツー(それはそのまま、こいつらの特異性をニンゲンに知られることにもなるか)

ミュウツー(これからは、もっとずっと慎重でなければいけない)


後悔にも似た、居心地の悪い思いが腹の中で膨らんでいく。

最近、そんな感情に囚われてばかりだ。


“ああすればよかった、こうすればよかった”。

“あんなこと、しなければよかった”。

“本当にそうすべきだったのだろうか”。


ダゲキ(ぼくが、わるい?)


自分が何か咎められていると思ったのか、彼の表情は硬い。


ミュウツー『いや……そういうことではなくてな』


罪悪感の口をむりやり塞ぐ。

ミュウツーはダゲキの持つバスケットから、改めてきのみをひとつ拾い上げた。


ミュウツー『お前に運ばせて申し訳ない、手間をかけさせてすまない、と』

ミュウツー『そういうことを言いたいだけだ』

ダゲキ(……そうなんだ)


ほっとした顔で、ダゲキが緊張を緩めた。


ミュウツー『感謝はしているぞ』

ダゲキ(うん、ありがとう)

212 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:06:22.72 ID:xCyGumQ8O

ダゲキはミュウツーと自分の間に、バスケットをそっと置いた。

自分も床に座ると、ちらっとミュウツーを見上げる。


ダゲキ(あのニンゲンと、どんな はなし、した?)

ミュウツー『どうしてそう思った』

ダゲキ(すごく かんがえてる かお、してた)


ミュウツーから視線を外し、ダゲキはバスケットを眺める。

傍目には、ただきのみを物色しているようにしか見えない。


ダゲキ(だから、あのニンゲンと、はなし してるのかな、って)


視線を自分の手に落とす。

ミュウツーの手の中には、さきほどから紫色のきのみが握られている。

全体が三日月のようにきつく曲がり、尖った端だけが黄色っぽい。

ほのかに甘ったるい香りが漂っている。


ミュウツー『よくわかったな』

ダゲキ(ぼくとか みんな……と、はなしてる ときと、おなじ)

ダゲキ(だから、ヨノワールも、ジュプトルも、ぼくも わかった)


淡々と述べるようでいて、上目遣いがどこか誇らしげだ。

その理由は、さすがのミュウツーにもなんとなく察しがつく。


ミュウツー『なるほど、やるじゃないか』


ダゲキがわずかに口角を上げ、視線を下げた。


ミュウツー(褒められて照れるなら、最初から自慢などしなければいいだろうが)

ミュウツー(……相変わらずだな)

ミュウツー(私に何を期待しているんだ、こいつは)


ミュウツー『だが、それならもう少し上手く隠せるようにならないとな』

ミュウツー『お前たちにすら、こうも簡単にばれてしまうようでは、私が面白くない』

213 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:08:41.18 ID:xCyGumQ8O

手に持っていたきのみを、言葉の勢いに任せて半分ほど齧る。

より強くなった甘い香りと、それに相応しい強い甘味が口の中に広がった。

思ったより歯応えがある。

ただひたすら、粘り気があるような気さえしてしまうほど甘い。

一方で、他の風味はまったく感じられない。

酸味が少しあればなおよかったが、これはこれで嫌いではない。


ミュウツー『……なかなか悪くないな』

ミュウツー『ああ、今のは、本当に“まずくない”という意味だ』

ダゲキ(……ニンゲンのことば、むずかしいね)

ダゲキ(『わるくない』は、『いい』んだ……うん、わかった)


眉間に皺を寄せ、ダゲキはそう頭の中で呟く。

ミュウツーと同じように、抱えてきたバスケットからきのみを取り出した。

赤く、短い棒にでこぼこがついたような形をしている。

ミュウツーも見たことのないきのみだった。


ダゲキは片方の端をおそるおそる持ち、くるくる回す。

彼なりに、未知のきのみを観察しているように見えた。


ミュウツー『それで、そっちはどうなんだ』

ダゲキ(まだ たべてない)

ミュウツー『そうじゃない』

ダゲキ(うん)


そう言いながら、ダゲキは顔をきのみに向けたまま、目だけでミュウツーを見た。

わかっていて、わざとああ言ったということらしい。

そこまで思い至って納得したものの、ミュウツーは驚いていた。

はたして彼は、そんな冗談を言う奴だっただろうか。


ミュウツー『お前、少し変わったな』

ダゲキ(そうかな)

ダゲキ(どんなふうに?)

ミュウツー『……なんというか』

ミュウツー『今のは……あまりお前らしくない、ような気がする』

214 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:11:07.36 ID:xCyGumQ8O

ぼきっ、と湿った音がした。

見ると、ダゲキが赤いきのみを半分に折り、断面から匂いを嗅いでいる。

だが手でもてあそぶばかりで、なかなか口に入れようとしない。


ダゲキ(じゃあ、もう いわない)


彼は顎を突き出して、残念そうに目を伏せた。

そういう反応も、そのしぐさも、彼らしくないといえば彼らしくない。


ダゲキ(ぼくは あのひと、……いい ニンゲンだ、って おもった)

ミュウツー『そうか』

ダゲキ(とじこめないし、どならないし、ぶたない)

ミュウツー『それは、そうだな』

ミュウツー『お前に対して、お前が受けてきたような仕打ちをしたニンゲンは、たしかに“わるいニンゲン”だ』

ミュウツー『もちろん、そこにいるニンゲンの女も、当然だが同じニンゲンだ』

ダゲキ(でも、それは べつのニンゲンだよ)

ミュウツー『……そうだ』

ミュウツー『言われてみれば、その通りだ』

ミュウツー『だが、あのレンジャーも“べつのニンゲン”だ』

ダゲキ(……そうだけど)


なんだか腑に落ちないというか、不本意そうな顔だ。

あのレンジャーについては、あまり触れてほしくなかったのかもしれない。

彼らの関係が単純明快なものではないことくらい、ミュウツーにもわかっている。


ダゲキ(……ヨノワールは、きょう とても、うれしそう)

ダゲキ(ぼくも たのしい)

ダゲキ(ジュプトルも、きにいった、みたい)

ミュウツー『それなら……』


彼はあからさまに話を逸らし、ふたたびミュウツーを見上げた。

黒く大きな目が、蝋燭の暖色をちらつかせている。


ダゲキ(ぼくたちは、きみに か、カンシャ、してるよ)

215 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:12:37.95 ID:xCyGumQ8O

なぜだか、身体の中で鼓動を出す場所が、ずきずきと鈍く疼いた。

痛みといえるほどの痛みではないが、妙に息苦しい。

怪我でも病気でもないのに。


ミュウツー『それなら、よかった』

ダゲキ(つかいかた は、あってる?)

ミュウツー『ちゃんと合っている』

ダゲキ(よかった)


胸に響く甘い不快さは、薄膜のような自己嫌悪を伴なっていた。

友人たちはこうして喜んでくれているというのに。

悪いことをしているわけでもないのに。

よかれと思って、しているつもりのことなのに。


ダゲキ(……これ、やっぱり みたことないなぁ)

ミュウツー『だったら、さっさと食べてみればいいだろうが』

ダゲキ(そうだね)


赤く瑞々しい断面のきのみを、ダゲキはようやく口に放り込んだ。

一、二度、彼はゆっくり噛み締める。

わずかに目の下を痙攣させたあと、満足げに口許だけで笑った。


ダゲキ(……おいしいよ)

ミュウツー『ほう』

ダゲキ(ちょっとからいけど、たべる?)


そう言いながら、彼は半分に折った残りをミュウツーに差し出した。

受け取って匂いを嗅ぐが、わかりやすい匂いはない。

ならば、と赤いきのみを口に押し込み、噛み砕く。

すると、思いがけない――ある意味で予想通りの――刺激が口の中に溢れた。


ミュウツー『……辛っ!!』


216 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:14:58.29 ID:xCyGumQ8O




アロエ「キミは、本当に辛い味が好きなんだねえ」


呑気な問いかけに、ダゲキはアロエを見遣り、黙って頷いた。

だが彼の視線は、すぐ煌々と光る懐中電灯の照らす先に向けられる。

懐中電灯そのものが物珍しいのだろうか。

やや身を乗り出しているところが、子供のようだ。

それでも、彼の手はアロエの左手をしっかり握っている。

手を繋いでいるためにバランスが取りにくいのか、いくらか歩き方が心許ない。

もっとも、じっと握っていられるだけ立派なものだ、とアロエは自分の子供を思い出した。


アロエ「あのきのみ、たぶんあの中で一番、辛いんじゃないかな」

アロエ「でも、キミは涼しい顔してたもんねえ」


返事はなかった。

ダゲキは少し照れくさそうに、左手で自分の顔に触れている。


夜の博物館は書斎より遥かに暗く、空気ごと寝静まっていた。

光源は、行く先々に点在する誘導灯とこの懐中電灯だけだ。

そんな展示室の中で、無数の展示物たちがじっと息を潜めている。


いくつにも分かれた展示室を一通り巡回し、不審者を含め異常がないか確認していく。

いつもなら警備員がする仕事だ。

こうして遅くまで残った日には、アロエ自身が巡回することもある。

見慣れた部屋、やり慣れた仕事とはいえ、こんなふうに複数人で回るのは初めてだった。


聞こえてくるのは、アロエの硬い靴が鳴らす勇ましい足音だけだ。

あとのふたりは靴を履いていないか、そもそも脚がなかった。


アロエ「ヨノワールくんも、辛いのは好きなんだよね」

217 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:16:36.99 ID:xCyGumQ8O

声をかけ、懐中電灯をヨノワールの手に向ける。

ヨノワールは立ち止まり、振り返って“にっこり”頷いた。

通路の左右に並ぶ展示物に触れないよう、懸命に巨体を縮めている。

いつ見ても目玉はひとつしかないし、身振りもおどおどしている。

だがその目玉だけで、ヨノワールは思いのほか表情豊かなのだった。

「それはよかったねえ」と呟き、アロエは再び懐中電灯を前方に向けた。


アロエ「でも、あのシーツを被った子は、辛いのがちょっと苦手みたいだね」

アロエ「……あの子は酸っぱいのが好きなんだっけ?」

アロエ「辛いきのみが好きな子もいる、ってあの子から聞いてたから」

アロエ「もらいものの辛いヤツをとっておいたんだけど」

アロエ「さすがに、苦手な子にはキツかったか」


丸い光がケース内の展示物を次々に照らしていく。

指差された先を見るように、照らす先をダゲキが目で追っていた。

人間の大人ほどの背丈はないが、子供というには身長もありがっしりしている。

手を引いて歩くという意味では、あまり馴染みのないサイズの相手だ。


アロエ「ゴミとか変なものとか、落ちてたら教えるんだよ」

アロエ「それに泥棒とかがいたら、捕まえなくちゃいけないからね」


ぶうん、とヨノワールの声がした。

重大な任務を引き受けたと言わんばかりに、急に胸を張ってあたりを見回し始めた。

巨体を器用に滑らせ、一足先に――脚はないが――順路を進み、少し広い場所へ出る。


アロエ「あとは……そうだねえ、展示品で気になるものはあるかな」

アロエ「ちょっとくらいなら見てても、時間的には大丈夫だと思うから」


横目で見ると、ダゲキも物陰を気にしてきょろきょろし始めていた。

自分が言った通りに、落ちているものを探しているようだ。


アロエ(随分、素直というか、なんというか……)

アロエ(こんな子たちが、どうして森に逃げ込むことになったんだろう)

218 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:18:37.21 ID:xCyGumQ8O

暗がりの中で、ふたたびヨノワールの低い声が響く。

何か見つけたのだろうか。

正面の解説パネルと巨大な石の壁に音もなく近づいていく。

アロエは慌てて、ヨノワールの行き先に懐中電灯を向けた。


壁には、正方形に近い石の壁画が二枚、中央に解説パネルを挟んで展示されている。

見上げるほどの石壁は、懐中電灯の遠い光に幽霊じみた曖昧さで浮かび上がっていた。

壁画は人間の背丈より遥かに大きく、ヨノワールと比べてまだお大きい。

それぞれ中央に巨大な何者かが描かれ、よく見ると向かい合う構図になっていた。


アロエ「大きいでしょ」

アロエ「カンナギっていう町にある、大昔の壁画だよ」

アロエ「歴史ある古い町でね、町の中心に遺跡があるんだ」

アロエ「その遺跡を護ってる壁画、ってところかな」

アロエ「といっても、本物はこんな遠くまで持ってこれないから」

アロエ「ここで展示してるのはレプ……そっくりの作り物なんだけどね」


ヨノワールは背を丸め、パネルの解説文を睨んだ。

読めているかどうかはさておき、きちんと文字の流れる方向に視線を動かしているようだ。

このヨノワールは、これまでどんな人間と過ごしてきたのだろうか。


アロエ「ふふふ、大人向けの説明だから、ちょっと難しいかもねえ」

アロエ「そこに書いてあるのはね、シンオウの……」


舐めるようにパネルを見ていたヨノワールが、不意にある部分を指差した。

低く響く鐘のような声を出して、アロエを振り向く。


アロエ「なあに?」


ヨノワールが指す場所を見るため、アロエがパネルに近づいた。

引き摺られるようにしてダゲキも追随する。

自分の子供が小さかった頃を思い出して、アロエは不思議な気持ちになった。

あの頃も、こうして子供に展示物を見せたものだ。


アロエは指差された箇所を声に出して読み上げた。

219 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:20:17.81 ID:xCyGumQ8O

アロエ「……シンオウの伝承には、他の地方と毛色の異なる死生観が根付いている」

アロエ「ある特定の場に死後の世界との接点を見出し、」

アロエ「生と死の変化に可逆性を暗示する記述が多い」

アロエ「人間とポケモンの境界を曖昧に捉える点でも興味深く……」

アロエ「……読むのは、ここでいいの?」

アロエ「……また様々な理由から調査が遅々として進まないが」

アロエ「この伝承で頻出するのは、『おくりのいずみ』、『もどりのどうくつ』、」

アロエ「そして、ごく僅かな記述のみが確認される……」


ある部分に差し掛かったところで、ヨノワールの声が空気を震わせた。


アロエ「もどりのどうくつ?」


ヨノワールが大きく頷く。

その言葉に聞き覚えがあるということなのだろうか。

アロエの脇では、背筋を伸ばしてダゲキがパネルを見ている。


アロエ「もどりのどうくつっていったら、シンオウでもかなり奥深いというか」

アロエ「あんまり人が出入りするような場所じゃなかったと思うけど……」

アロエ「じゃあキミは、そこから来たの?」


もう一度、目を細めて頷く。

ダゲキが不思議そうな顔で、ヨノワールを見上げている。

彼にとっても、今の話は初耳なのだろうか。


アロエ「シンオウから、このイッシュに、ひとりで?」


今度は首を横に振る。


アロエ「じゃあ、トレーナーと一緒にかい?」

アロエ「……あれ、でもキミ、その……トレーナーに捨てられた……んだっけ?」


ヨノワールは慌てて両手を振り、否定するしぐさを見せた。

ぶうん、ぶうんと低い振動が地面を這っている。

『捨てられたわけではなく、』と懸命に説明してくれているのは、かろうじてわかった。

残念なことに、何を言わんとしているのか、正確なところはよくわからない。

220 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:23:10.81 ID:xCyGumQ8O

アロエ「わかったわかった」

アロエ「……そっか、みんな同じようにヤグルマの森にいても、事情はホントにいろいろなんだね」

アロエ「あの子もちょっとだけ話してくれたけど……」

アロエ「辛い思いは、それぞれにしてるってことか」

アロエ「あんまり詮索するのもどうかと思うし、必要がなければ根掘り葉掘り聞かないから」


そして、アロエは横で背伸びしているダゲキを見下ろした。


アロエ「もちろん、キミのこともだよ」


ダゲキはきょとんとしている。

まだパネルを読もうと苦戦していたようだ。


アロエ「……まあいいや。そろそろ戻ろうか」

アロエ「見回りはだいたい終わったし、あまり時間をかけると心配させちゃうからね」


巨大な両手を擦り合わせ、ヨノワールは頷いた。

ふわふわと漂い、先導するように意気揚々と先へ進む。


そのうち、展示室同士をつなぐ何もない通路にさしかかった。


アロエ「あれが入ってきた非常口だよ」


小声でそう言いながら、アロエは懐中電灯で通路の奥に見える非常口を示した。

光につられてダゲキも非常口を仰ぐ。

扉の上には、緑色の光を放つ小さな誘導灯がある。

この暗闇の中では目に刺さるほどの明るさだ。


扉の脇に、金属製の鎖を渡したパーテーションが寄せられていた。

巡回を始める時にアロエ自身が脇に避けたものだ。


アロエ「ヨノワールくん、そこの非常口から書斎に戻ろっか」


張り切ったヨノワールがパーテーションを持ち上げ、もう少し隅に寄せようとした。

221 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:24:35.39 ID:xCyGumQ8O

だが、次に聞こえたのはけたたましい金属音だった。

ガシャン、じゃらじゃらと遠慮のない騒音が響く。

どうやら、ヨノワールがうっかりチェーンを取り落としたようだ。

重い鎖が支柱から外れ、床に転がっているのが見えた。

雑踏ならいざ知らず、しんとした室内では余計に耳障りだ。


アロエは無意識に息を止めていた。

しばらくして、そっと息を吐く。


アロエ「……うーん、凄い音だったねえ」


音に驚いたのは、十秒にも満たない短い時間だったはずだ。

アロエの耳にはまだ、聞こえが悪くなるほどの残響が残っている。

もっともそれはアロエに限った話ではなかったらしい。

ヨノワール自身も、耳障りな音に目を歪めていた。


アロエは努めて平静を装う。


アロエ「怪我とかしてない?」

アロエ「たまにあることだから、気にしなくていいよ」


いかにも大したことではない、という笑顔を浮かべてみせる。

彼らには何の責任もないからだ。

自分は、あとから警備の人間に釈明しなければならないかもしれないが。


ヨノワールは申し訳なさそうに肩を縮め、自分が落としたチェーンをそっと摘み上げている。

気の毒なほど慎重な動作で支柱に戻し、パーテーションを扉の脇に動かした。

今度こそ上手くできたからか、ヨノワールは傍目にも安堵した様子だ。


アロエ「さてと、それじゃ」


ふたたび歩き始めたアロエの左手に妙な抵抗があった。

手を繋いでいるダゲキが立ち止まって動こうとしない。


アロエ「どうした?」

222 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:26:38.21 ID:xCyGumQ8O

そう言いながらアロエは振り返った。

ダゲキが少し俯いている。

何気なく覗き込むと、アロエの顔に緊張が走った。


アロエ「……ダゲキくん?」


ダゲキは目を大きく開き、地面を固く見つめている。

呼吸は浅く、かけた声にも反応しない。

握った手には、少し力が入りすぎている。


アロエ「ヨノワールくん」

アロエ「悪いんだけど、先に戻っててちょうだい」


ヨノワールは一瞬、不思議そうな目をした。

だが、すぐに事態を察したのか、アロエの言葉に素直に従った。

懸命にドアを開けようとしているが、なかなか上手くいかない。

人間用のドアノブには手が大きすぎて開けにくいようだ。


ようやく扉を開けると、ヨノワールはアロエを振り返った。

アロエは無言で頷き、目で促す。

無理やり身体を押し込むようにして、ヨノワールは扉の向こうに消えた。

書斎に残してきた連中にも、これで状況は伝わるはずだ。


扉が閉じる音を確認してから、アロエは深呼吸する。

余韻は間もなく消え、あたりは静かになった。


アロエ「……さてと」

アロエ「びっくりしちゃったねえ」


驚かせないように、ゆっくり静かに話しかける。

まるで大きすぎる子供をあやしている気分だ。

この感覚は少し懐かしい。

握られたままの手は少し痛いが。

アロエはなるべくゆったりした動作で頭に触れた。

223 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:30:24.03 ID:xCyGumQ8O

触れたことに対してか、かすかに彼の肩がひきつる。

身体の緊張が解ける気配はない。

立ったまま抱き抱えるように、がっしりした背中をゆっくりさする。

努めて穏やかな声でダゲキに話しかけた。


アロエ「すごく大きな音だったもんね」

アロエ「あたしもびっくりしたよ」


少しの間があって、彼は一度だけ、時間をかけてまばたきした。

それを認め、アロエはまた言葉を続ける。


アロエ「ゆっくりでいいから、息を深く吸ってごらん」

アロエ「そうそう、上手にできたね」

アロエ「そしたら、次はゆっくり吐く」

アロエ「……ちゃんと聞こえてるね? あたしの言ってること」

アロエ「今あたしたち、手を繋いでるのがわかる?」

アロエ「ここには、あたししかいないから」

アロエ「……だから大丈夫だよ」


アロエは言葉を切ってしばらく様子を見る。

少しずつだが、呼吸が落ち着いてきたのがわかった。

目はかすかに揺れ動き、まばたきの回数も増えている。


アロエ「……ごめんね」

アロエ「キミたちは今日、ものすごく頑張って、ここに来てくれたのにね」


反応はない。

様子から見て、聞こえていることは確かだが。


アロエはふと新聞記事を思い出した。

それから、シーツで頑なに正体を隠すあのポケモンが脳裏をよぎった。

次に、いま書斎で待っているだろうジュプトルやヨノワールのことも。

このダゲキもまた、心に傷を受けてあの森に至ったに違いない。

どういう経緯で受けたどんな傷か知らない。

だが、人間に原因があることは間違いない。

それを捕まえて、こんなふうになだめる権利が、自分にあるのだろうか。

224 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:31:20.62 ID:xCyGumQ8O

黙って背中を撫でていると、ダゲキがのろのろと顔を上げた。

こちらを見上げる目には、驚きと困惑の色が濃い。

どうやら、徐々にだが元の状態に戻ってきているようだ。

手を握る力がわずかに弱まった。


アロエ「やあ」

アロエ「調子はどう?」


ダゲキはまばたきする。


アロエ「ちょっと寄り道しちゃったね」

アロエ「そろそろ、キミのお友達が心配しちゃうかもしれないね」

アロエ「みんなのところに戻ろうか」


事態を飲み込めていない顔でダゲキが頷いた。

どこか不安そうにあたりを見回している。


アロエ「大丈夫、大丈夫」

アロエ「さっきの部屋に戻れば、みんな待ってるよ」


彼の大きな目がアロエを見上げた。

『みんな待ってる』という部分に反応したように思う。


アロエ「きのみもまだたくさんあるから」

アロエ「戻って、お友達と一緒に食べよう」

アロエ「歩ける?」


今度は少しはっきりと頷いた。

ほっと息をつき、アロエは懐中電灯を進行方向に向ける。

移動する光を、またしてもダゲキは目で追っている。

ひとまず大丈夫そうだ。


アロエはそんな彼の手を引いて、ふたたび歩き始めた。





225 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/06/16(金) 23:35:00.65 ID:xCyGumQ8O
今回はここまでです

>>203-206
正解は『アロエの胸に顔を埋めてよしよし』でした!
私は膝枕がいい

>>207
こんなに長いのにありがとう!
他のポケモンも好きになってください!!
SSに出してるポケモンはみんな好きなんです!

ではまた!
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/16(金) 23:35:48.10 ID:rR4eRERfo
乙です
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/17(土) 00:25:40.33 ID:QgHEHyzyo
おつおつ
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/17(土) 18:14:37.24 ID:x5k/5y/So
毎度どきどきするなあ
229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/17(土) 18:24:24.00 ID:8NYFg3+f0

更新長めなのに1分以内に乙が来とるなwwww

誰かうっかり人語を喋らないか不安だな
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/06/18(日) 11:44:35.95 ID:8aEEgk4x0
来てた乙!
楽しみすぎる…
231 : ◆/D3JAdPz6s [saga sage]:2017/07/14(金) 22:07:59.25 ID:BIcAU8B9O
保守
232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/05(土) 01:06:11.40 ID:quSGUd+No
ホッシュ
233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/08/12(土) 23:47:17.45 ID:O2+wsln70
保守ぅ

ポケモンが人語喋りだしたらバトルに出しにくいよね...
234 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/08/15(火) 22:24:16.23 ID:zywb0QOgO
保守。
なかなか時間が作れない…

>>233
メガテンの仲魔もみんなめっちゃ喋るけどめっちゃ戦わせてるからへーきへーき
235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/11(月) 00:56:10.93 ID:PoMvoD/Eo
236 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:42:31.64 ID:rkTzmv0FO

書斎に戻ったヨノワールは、血相を変えてミュウツーとジュプトルに経緯を説明した。

とはいえ、伝えることができるのは自分の目で見た部分だけだ。


途中までは問題なく『見回り』ができていたこと。

自分がポールに掛けられていた鎖を床に落としたこと。

それを機に、彼がおかしくなったこと。


いつも以上に口は回らず、言葉も浮かばず、うまく話せない。

要領を得ない話しぶりにもかかわらず、友人たちは茶々も入れずじっと聞いていた。

やっとのことで説明を終える。

ふたりが顔を見合わせた。


ヨノワールは不安にかられ、おろおろしてふたりの反応を待った。

言いたいことは言えたのだろうか。

伝わってほしいことは、ちゃんと伝わったのだろうか。


するとミュウツーは深い溜め息をつき、首を横に振った。

ジュプトルは溜め息こそつかないものの、鼻筋を掻いて困った顔をした。


意外なことに、ふたりともあまり深く追及してこない。


そこでふと、ヨノワールは思い至った。

ふたりは彼の異変について、わけを察しているのかもしれない。

こんな事態になることも、ある程度は予想できていたのかもしれない。

普段からの付き合いは彼らの方がずっとある。

心当たりがあってもおかしくなかった。

では、自分はどうだ。


ヨノワール(わたしは なにも しらない)

ヨノワール(……)

ヨノワール(じぶんの ことだけ、かんがえてた からだ)
237 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:48:31.20 ID:rkTzmv0FO

何かに急き立てられ、焦る気持ちばかりが膨らんでいく。

なぜ、自分はこれまで知ろうとしなかったのだろう。


今となっては修正しようのない過去だ。

なぜと嘆いても意味はない。

それでも後悔せずにはいられなかった。


ミュウツーはじっと考え込んでいる。

結論を待つヨノワールは、まるで判決を待つ罪人の気分だった。


長考ののち、ミュウツーはふたりに視線を送る。

『早めに切り上げよう』とだけ、テレパシーで伝えてきた。

ジュプトルは「うん」と唸り小さく頷く。

むろん帰ることについて、ヨノワールも異論はない。

ないが、ヨノワールにとってはただ死刑の宣告が遠のいただけだ。


ヨノワール「ダ……ダゲキさんは」

ヨノワール「なにが あったんですか」

ジュプトル「わかんない」

ジュプトル「けど、いろいろ だと、おもうよ」

ジュプトル「みんな、そうだもん」

ミュウツー『……それは、そうだな』

ジュプトル「おれは よく しらない」

ジュプトル「あいつ、あんまり そういうの、いわないし」

ヨノワール「き きいたら」

ヨノワール「おしえて もらえる でしょうか」

ジュプトル「ううーん……」


ジュプトルは意見を仰ぐようにミュウツーを見上げる。

ミュウツーは何も言わず、肩を竦めるだけだった。
238 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:51:53.62 ID:rkTzmv0FO




硬い床の上に立っているのに、足元は妙にふわふわしている。

身体の表面が痺れて、頭の芯までぼんやりしていた。

全身の血の巡りが急に悪くなったような感触だ。


自分とそれ以外の境目が妙に不明瞭に思えた。

今の自身の状態について、ダゲキはそんなふうに認識していた。

いつもは当然のように区別できているのだが。

というよりも、その点で疑問を抱いたことすらなかった。


ぐったりするほど眠いようでいて、目の裏はぎらぎらしている。

動けないほど身体は重いのに、宙に浮いている感じがする。

周囲は目に映っているのに、よく見えない。

音は耳に届いているのに、よく聞こえない。


今度は首筋がひやりとする。

暑さと寒さが交互にやってくる。

びりびりした鋭い痛みと、痺れたような鈍い痛みを同時に感じた。


――……くりでいいから、息を深く吸……


不明瞭な雑音としか感じられなかった音が、徐々に言葉として意味を持ち始めた。

かけられた言葉の内容が、だんだん理解できるようになっている。


息を吸え?

言われたとおりに、ダゲキはゆっくりと息を吸った。

機械油を溢したようにぎらぎらしていた視界が、少しずつ元に戻っていく。

自分が今、ひんやりした硬い地面に足をつけていることが認識された。

重心が爪先の方にかかっていることも。


――ここには、あたししかいないから

――だから大丈夫だよ
239 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/11(月) 23:57:26.27 ID:rkTzmv0FO

まだ少しぼやけた誰かの声を聞きながら、ダゲキはまだ立ち竦んでいる。

五感が戻ってもなお身体はうまく動かない。

動かそうという気持ちすら起こらない。

意識はふわふわと漂い、半分眠っているような感覚だった。


そのうち、不思議な感触に気づいた。

自分の背中に誰かの手が当たっている。

敵意も悪意も感じられない、柔らかくて温かい手だ。

その手は、考えてみればずっと背中をさすっていた気がする。


ダゲキ(……こんな かんじ)

ダゲキ(まえにも……あった)


ダゲキ自身の記憶は、そこからまたあやふやだ。


いつの間にかアロエに手を引かれ、薄暗い書架の間を歩いている。

彼女はあれきり黙ったままだ。

いま聞こえるのは、アロエの硬そうな靴音とその反響だけだった。


彼女が立ち止まる。

反射的にダゲキも足を止めて視線を上げた。

億劫だったが、かろうじて周囲を見る。

風景に見覚えがある。

ここはどうやら、自分たちがいた部屋の近くだ。


アロエは近くの書架に手をかけ、何かの様子を窺っている。

そして折り曲げた指で硬い本棚をノックした。


書斎の奥から、ばたばたと慌ただしく動き回る音が聞こえ始めた。

アロエがダゲキを振り向く。
240 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:01:17.85 ID:LI7cZ/eGO

アロエ「……今頃、大慌てであの布っきれを被ってるところなんじゃない?」

アロエ「あれ、前にいたところから持ってきたのかな」

アロエ「キングサイズ?」

アロエ「あんな大きなシーツ、見たことないよ」

アロエ「……」

アロエ「大変だよね、あの子も」


少しだけ笑った顔を作り、アロエは優しい声で言う。


アロエ「うちにいらない生地とか、あったかな……」


ダゲキはなにも反応できないまま、二三度まばたきした。

人間が何を考えているのか、よくわからない。


音がやんだ。

彼女に続いて、ダゲキも書斎に踏み入る。

今度はガタガタとスツールをずらす音が聞こえ始めた。

同時に、書斎の奥で誰かがすっと伸び上がる。

音と動きにつられて、ダゲキはその方向に目を向けた。


呻いて息を呑む。


やわらかな蝋燭の光に照らされる、背の高いミュウツーの姿が見えた。

すぐそばでヨノワールが心配そうに佇んでいる。


ミュウツーの頭部から長く垂れたシーツが、足首のあたりでかすかに揺れた。

そのために、隠したいはずの白い手足がわずかに見え隠れしている。

人間から外見を隠すために全身を覆っているのに、不思議と堂々としている。

まるで、ミュウツー自身がおぼろげに光を放っているかのようだ。

見慣れた姿だ。


その姿に、ダゲキは息をするのも忘れて見とれていた。
241 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:06:52.19 ID:LI7cZ/eGO




ヨノワールは、遅れて戻ったダゲキを静かに観察していた。

様子のおかしい彼のことが、どうにも気がかりだったからだ。

当のダゲキは、戸惑った表情でおとなしく引き摺られている。

一方、彼の手を引いて帰ってきたアロエは少し困ったような笑顔だ。

ダゲキはヨノワールたちに気づくと、緊張した面持ちで何かに釘付けになった。


ミュウツー『大丈夫か』


声が目の後ろあたりを突き抜けていく。

聞き慣れたミュウツーの、テレパシーによる声だ。


その声で我に返ったのか、ダゲキはやけに驚いた表情を見せた。

何か言いかけ、そして空いている方の手で口を塞ぐ。

うっかり“いつもと同じく”喋ってしまいかけたということらしい。

息を飲み込んで口を引き結び、黙って首を縦に振った。


ヨノワールもミュウツーを仰ぐ。

ちょうど大きく息を吐き、腰を下ろすところだった。


ミュウツー『……そうか』


ヨノワールはふたたび、いま戻ったばかりのダゲキに目を向ける。

見たところ、おかしな様子は影を潜めているようだ。

まだ寝起きのようなおぼつかなさはあるが、目つきも足取りもしっかりしている。

いつもの彼に戻りつつある。

少なくとも、ヨノワールにはそう見えた。


自分でも気づかないうちに、ヨノワールは胸を撫で下ろしていた。
242 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:09:46.26 ID:LI7cZ/eGO

ヨノワール(……わたしは……)

ヨノワール(わたしは……“よかった” と、おもった?)


友人が無事に戻ったことが無性に喜ばしい。

そう感じる自分を、ヨノワール自身も意外に思った。


ヨノワール(ダゲキさんが、もどって うれしい?)

ヨノワール(みんなが、ぶじで うれしい?)


身体の真ん中あたりがきりきりと痛む。

意味もなく自分の手を見る。

自分が何に怯えているのか自分でもわからない。


ヨノワール(『うれしい』? ……うれしい……うれしい……)


この精神状態は、誰よりもヨノワール自身が願っていたはずだ。

ならば、なぜ戸惑わなければならないのだろう。


ジュプトルがぺたぺたと彼に歩み寄っていく。

しゅるしゅると喉を鳴らしてダゲキを見上げている。

ダゲキは口元を控えめに歪め、ジュプトルの頭を撫でた。


ヨノワールもふたりに近づく。

じっとしていることに耐えられなくなっていた。

自分だけが色合いの違う場所に取り残されている。


少し驚いたようにダゲキがヨノワールを見上げた。

だが、相対しても何をどう伝えたらいいのかわからない。


“もう大丈夫なのか”。

“自分が何か悪いことをしてしまったのか”。

“だとしたら申し訳なかった”。


きっと自分はそう言いたいはずだ。

だが意に反して、ヨノワールは無為に手を泳がせることしかできない。

そんな自分を見て、ダゲキは困ったように短い首を更に縮めた。
243 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:16:02.56 ID:LI7cZ/eGO

アロエ「遅くなっちゃってごめんねー」

アロエ「心配させちゃったかな」


アロエの朗らかに話す声が響き渡る。

ダゲキがそろそろとあたりを見回した。

遠慮がちにアロエを振り返り、居心地悪そうにしている。


アロエ「話はヨノワールくんから聞いてるね」

ミュウツー『ある程度は』


ミュウツーがそう答えると同時に、ヨノワールも慌てて頷く。

『自分はちゃんと伝えた』と人間に知ってほしかった。

彼女はヨノワールを見上げて笑顔を見せる。


アロエ「ちゃんと伝えてくれたんだね、ありがとう」

アロエ「ま、じゃあそういうことで」


彼女の声は、響きこそ穏やかだがよく通る。

言外に追及を拒み、有無を言わせない力があった。


アロエ「一応、もう大丈夫みたいだから」

アロエ「『みたい』っていうか、自分ではどうなんだい?」


アロエがダゲキの顔を強引に覗き込む。

気圧されたダゲキは黙って何度も頷いた。

彼は落ち着いている。

アロエは安堵したように肩で息をした。


アロエ「それならいいんだけど」

ミュウツー『呑気なものだ』

アロエ「許してやんな」

ミュウツー『怒っているわけではない』

アロエ「心配してたんだもんね」

ミュウツー『……』

アロエ「慣れないことするって、大変だからさ」

アロエ「それはキミも知ってるでしょ」

ミュウツー『……そうだな』

アロエ「でも、辛くなったらちゃんと言うんだよ」


もう一度ダゲキの顔を覗き込んで、アロエは笑った。

ダゲキは困ったような顔で小さくまた頷く。
244 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:18:28.54 ID:LI7cZ/eGO

アロエ「……ああ、ええと、あの子から伝えてもらうんでもいいから」


そう言いながら、アロエはミュウツーを指し示した。

駄目押しと言わんばかりにダゲキの頭を撫でる。

そして彼女は、悠々と自身の机に戻っていった。


ミュウツー『……少しだけ話は聞いているが、本当にもう大丈夫なのか』


ダゲキは元々いた場所に腰を下ろした。

撫でられた頭をさすり、アロエの方をおっかなびっくり見上げている。


ダゲキ(……うん)


ダゲキは眩しそうにミュウツーを振り向く。

決まり悪そうに肩を竦めた。


ダゲキ(もう だいじょうぶ)

ミュウツー『……そうか』

ヨノワール(む、むり しないで ください)


ヨノワールが頭の中で声を発すると、ダゲキは少し驚いてこちらを見た。

そして何かに気づいたらしく、ミュウツーに視線を送る。

ミュウツーは本のページを捲るふりをしながら頷いた。


ミュウツー『疲れるから、中継は今しかやらないぞ』

ダゲキ(……うん、わかった)

ダゲキ(むり、してないよ)

ジュプトル(だいじょうぶ?)

ダゲキ(だいじょうぶ だってば)

ジュプトル(うへ、しゃべらないの らくちん)

ミュウツー『怠けさせるためにやってるわけじゃない』

ジュプトル(へへへ……)


大きなあくびをしながら、ジュプトルは言う。

きのみに手を伸ばそうとしているが、手元がおぼつかない。

床をごろごろ転がって眠そうにしている。
245 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:20:25.40 ID:LI7cZ/eGO

ダゲキが改めてヨノワールを見た。


ダゲキ(ごめんね)

ダゲキ(しんぱい させた)

ヨノワール(あやまらない で、ください)

ヨノワール(ダゲキさんは、わるく ない です)

ダゲキ(ヨノワールも、わるく ないよ)

ヨノワール(わるくない……じゃないです)

ダゲキ(なんで?)

ヨノワール(だ だって、わ、わたしが、あの ぼう……)


言葉が途切れる。

言いたいことを、どう伝えればいいかわからない。

道具は手元にあるのに、使い方がわからない。

材料は十分にあるのに、並べ方が思いつかない。

どうにも申し訳ない気持ちになって、ヨノワールは両手で顔を覆った。


ダゲキは首をかしげ、ミュウツーに話しかけた。


ダゲキ(……なんて いえば、いいの?)

ミュウツー『……“わざとじゃない”?』

ダゲキ(うん)

ダゲキ(ヨノワールは、“わざとじゃない” でしょ)

ヨノワール(え、それは はい、もちろん)

ダゲキ(じゃあ、いいよ)

ヨノワール(……ありがとう ございます)

ダゲキ(へへへ)


照れ臭そうに頭を掻き、ダゲキは身を縮める。

ジュプトルが不満そうに彼の膝を引っ掻き唸った。
246 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:22:13.84 ID:LI7cZ/eGO

ジュプトル(おーいー、まね すんなよ)

ダゲキ(まね かな)

ダゲキ(……あ、あのね)

ダゲキ(しんぱい して、くれて ありがとう)

ヨノワール(そんな……)

ミュウツー『雑談はそのくらいにしてくれ』

ミュウツー『中継があのニンゲンにばれたらどうする』

ミュウツー『いくら聞こえないといっても、怪しまれるかもしれないんだ』

ヨノワール(は、はい)

ダゲキ(……わかった)

ダゲキ(ぼく ちょっとつかれた)

ミュウツー『だろうな』

ジュプトル(ねむい)


ジュプトルがまた大口を開けてあくびをした。

それを横目に、ダゲキは赤くて丸いきのみをひとつ口に入れている。


ヨノワールは、ひとりで勝手にすっきりした気分になっていた。

自分勝手だ、と自分でも少しだけ思う。


ミュウツーが少し疲れた様子で溜め息をついた。


ミュウツー『中継は終わりだ』


それきり、互いの声は聞こえなくなった。

元々はそれが当然だったはずなのに、急に物寂しい。

どうにも落ち着かず、ヨノワールはそわそわしていた。

ミュウツーも手元の本に目を落としている。

ダゲキもジュプトルも、何食わぬ顔で座っている。

特に不安を覚えているようなそぶりはない。

ヨノワールには、それがどうにも不思議だった。


今まで聞こえていたものが聞こえなくなったら、不安にならないのだろうか。

自分を取り巻く世界が突如として変質してしまった焦りは感じないのだろうか。

自分だけが異質な存在になったような、取り残される苦しさはないのだろうか。
247 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:24:11.04 ID:LI7cZ/eGO

ダゲキが近くにあった本を手に取り、開いた。

眠そうなジュプトルが横からやる気なく覗き込む。

どんな本なのか、ここからでは見えない。

ダゲキは本を開いたまま右手を握ったり、指を伸ばしたりしている。

中身を真似ているのか、本と首っぴきで手を動かし始めた。

ジュプトルが何度目かの大きなあくびをする。


しかたなく、ヨノワールは手近な書架に近づいて背表紙を眺めた。

見知った文字はあるが、どれも見覚えのある図形でしかない。

意味はちっともわからない。

もっとあの人の仕事に興味を持っておけばよかった、とヨノワールは後悔した。

そうすれば、今頃はこの背表紙くらい理解できたに違いない。

あの人が残したものも、独力で読み解けたに違いないのだ。


ぐるりと書架に背を向け、そっと腰を下ろした。

この位置ならば室内の全員が見渡せた。


ミュウツーがアロエに顔を向けた。

つられてヨノワールもアロエを見る。

自分に注目が集まっていることに気づいたか、アロエが顔を上げた。


アロエ「?」

ミュウツー『そろそろ帰ろうと思う』

アロエ「そう? もっとゆっくりしてってもいいのに」


そう言いながら、壁の大きな時計を見る。

かすかに眉間に皺を寄せ、彼女は残念そうに笑った。


アロエ「……ああ、もうこんな時間か、そうだね」

アロエ「キミたちもいいかげん疲れただろうし」

ミュウツー『特にこいつらはな』
248 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/09/12(火) 00:29:25.95 ID:LI7cZ/eGO

アロエは小さな声で笑った。


アロエ「キミだって」

ミュウツー『私は、別に』

アロエ「ま、無理はしない方がいいからね」

アロエ「じゃあ今日のところは、これでお開きにするか」

アロエ「またこうやって来てくれるんだろ?」


ミュウツーは視線を下げ、返答に詰まった。

アロエは不思議そうに小首を傾げる。

嫌な空白の時間があって、ミュウツーはゆっくり首をもたげた。


ミュウツー『……そうだな』


ヨノワールはミュウツーをじっと見つめる。

今の動作に、言い表しにくい違和感があった。

悪い予感が這い上がり、背中をざわざわと逆撫でする。

友人たちはその視線に気づいてもいない。

あの人間の女もきっと同じだろう。


ミュウツー『なんだ』


視線に気づいたミュウツーがヨノワールを睨みつけた。

ヨノワールは慌てて首を横に振る。

恐る恐る顔を戻すと、ミュウツーの視線はもう膝の上の本に向いていた。


ほっと息をつくが、予感は背中にべったりと張りついて拭えない。

アロエはどこか腑に落ちない顔で肩を竦めた。

いつの間にか、ダゲキとジュプトルがこちらを見ている。


ぬるい霧雨の如き悪寒に怯えているのは、自分だけなのか。

高揚感と不安が拮抗している。

ヨノワールは、どうにも胸騒ぎを感じずにはいられなかった。
249 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/09/12(火) 00:32:27.42 ID:LI7cZ/eGO
今日はここまで

事情があってサブノートからブラウザで投稿し始めたんだけど
レス1つ投稿するごとに物凄く時間かかって驚いた
慌ててJane入れたっす

まあいっか

次回はまた未定です
いつもレスと保守本当にありがとうございます
おやすみなさい
250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/12(火) 01:17:55.60 ID:PGxoMaJg0
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/09/12(火) 01:51:21.21 ID:55RmWqRC0
おつおつ
252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/12(火) 04:30:36.90 ID:Bav4t3Xko
この微笑ましいのとドキドキするのが波状でくる感じが相変わらず
乙ー
253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/09/12(火) 05:56:32.69 ID:Pitan6rmo
乙です
254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/10/07(土) 02:44:56.73 ID:GVnD7boDO
保守
255 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/10/12(木) 23:06:40.73 ID:xWzerkTuO
保守
256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/10/13(金) 21:10:14.85 ID:z3n+B54j0
保守乙
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 00:52:51.34 ID:CXFxsGcNo
258 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/11/14(火) 21:35:38.89 ID:Nfi1COgMO
(保守…やばいな…)
259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/15(水) 07:55:09.63 ID:0+XFa7tR0
制限あるんだっけか…
260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/10(日) 02:05:08.34 ID:dgz57lpmo
261 : ◆/D3JAdPz6s [sage]:2017/12/15(金) 00:18:03.90 ID:cuM9FlSYO

ゲーチスは、不意に思い立ってモニタから目を離し、自分の右手を見た。

見慣れたはずの自分の手だ。

その点において間違いはないのに、強烈な違和感がある。


ゲーチス(これは……いったい誰の手だ)


心の中で、ゲーチスは無意識に自問していた。

答えはわかりきっている。

荒唐無稽な妄想が浮かぶ。


いつの間にか、自分の腕は切り落とされていたとしよう。

そしてかわりに別の誰かの腕が継ぎはぎされたのだ。

腕は独自に自我を持ち、宿主であるゲーチスをじっと見ている。

入れ替わる隙を静かに窺っている。


ゲーチス(……子供騙しの空想だ)


自分でそう断じるわりに、根拠薄弱な“子供騙しの空想”は頭を離れない。

あり得ないことだとわかっているのに。

誰かが自分の内側から見ているイメージを、どうしても払拭できない。


ゲーチスは座り心地のいい椅子を軋ませた。

肘掛けから右手を持ち上げてモニタに翳し、しげしげと眺める。

手の甲、掌、と不審そうに手首を捻る。

見た限り、おかしなところはない。

次にその右手で、握っては開くを繰り返す。

いつも通り、思ったように動く。


痛みも、それ以外の自覚症状もない。

少しだけ腕を持ち上げると、外套が滑り落ちた。

ずれた外套を肘までたくし上げ、前腕を露出させてみる。

薄暗い部屋の中でモニタが冷たく光っていた。

その青白い光のせいで、右腕はまるで死人のようだ。
262 : ◆/D3JAdPz6s [sage saga]:2017/12/15(金) 00:20:47.26 ID:cuM9FlSYO

ふと気づく。


なぜ私の右腕は、今この瞬間、なんの問題もなく動いているのだろう。

いや、それはそもそも疑問に思うべき部分だったろうか。


ゲーチスは視線を上げる。

そこには、オフィスチェアに浅く座り、訝しげにこちらを見るアクロマがいた。

心配や気遣いではなく、戸惑いや不安が強い表情だ。


アクロマの座る椅子が耳障りな音をたてる。

彼の顔もまたモニタのせいか亡霊か幽鬼のようだ。

いや、もともとあまり血色のいい『たち』ではなかったかもしれない。


ゲーチス「なんでしょう」

アクロマ「聞いていましたか」

ゲーチス「失礼、考えごとをしていました」

アクロマ「……そうですか」

アクロマ「『彼女』はどうしていますか、とお訊ねしたのです」


アクロマは溜め息をつきながら答えた。

ああ、と息を吐いてゲーチスは目を閉じる。


ゲーチス「彼女は……今、休んでいるはずです」

ゲーチス「とても協力的で助かっていますよ」

アクロマ「私も何度か話をしました」

ゲーチス「老いぼれより、よほど目的と手段というものをよく理解している」

アクロマ「……しかし、なにが彼女をそこまで駆り立てるのでしょう」

ゲーチス「好奇心……憧憬……それから、反発心と独占欲といったところでしょうか」

ゲーチス「げに恐しきは、いつの世も女の執念です」

ゲーチス「……愚かなことだ、あそこで掴まなければ……」

アクロマ「? なんの話ですか」

ゲーチス「……」

アクロマ「どうかしましたか」

ゲーチス「いえ……」
263 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:24:29.13 ID:cuM9FlSYO

怪訝な表情でアクロマがこちらを見た。


ゲーチス「ご心配には及びませんよ」


最大限に慇懃無礼な答えを投げ、ゲーチスは口を歪める。

アクロマはその返答に少し気分を害したようだ。


アクロマ「……先日から、少し様子がおかしいですよ」

ゲーチス「なんの様子ですか」

アクロマ「あなたのです」


椅子をゲーチスの方へくるりと回転させて、膝に手を置く。

さっさと続きを言えばいいのに、彼はなかなか口と開こうとしなかった。


すっかり飽きたゲーチスはアクロマから目を背け、再び自分の腕を眺めた。


ゲーチス(……?)


自身の腕に、不穏な痣を見たように思った。

まるで、赤く脚のない縄状の生き物が絡みついた跡だ。

こんなに目立つ痣が、今まで腕にあっただろうか。

そう思ってまばたきすると、痣はすっかりなくなっていた。

いや、そんな痣など、はじめからなかったのだ。


ゲーチス「そうですか」

アクロマ「……」

アクロマ「ええ、間違いなくおかしい」


彼にしては珍しく言葉の端々に嫌味が込められている。

それも当然だろう、とゲーチスは内心、笑っていた。


アクロマ「わたくしはこれでも、あなたを以前から知っています」

アクロマ「知っていた……つもりです」

アクロマ「ですが」

アクロマ「最近のあなたは……どうにも普通ではない」

ゲーチス「どこが普通ではないのでしょう」

アクロマ「うまく説明はできませんが……」
264 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:27:45.97 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「あなたの計画の趣旨に、微妙な変化が見られるように思います」

アクロマ「以前のあなたが説明してくれたものと、もちろん骨子は同じです」

アクロマ「ですが、違う」

ゲーチス「どんなふうに?」

アクロマ「そうですね……たとえるなら」

アクロマ「別の人間が、別の真意をもって、一見同じ計画を作ったとでもいうような」

ゲーチス「なるほど」

ゲーチス「たしかに、そうかもしれません」

ゲーチス「あなたの指摘は、ある面で本質を突いている」


そう言いながらゲーチスは、わざとらしいしぐさで肩を竦めた。


ゲーチス「もはや、違う人間が作った同一の計画なのですよ」


アクロマが理解できないという顔で眉を顰めた。

それも当然だ、とゲーチスはひとりで笑う。


ゲーチス「ですがあなたにとって、それがどうしたというのです」

ゲーチス「あなたの進める研究に、どんな支障が出ますか」

アクロマ「それは……」

ゲーチス「私は、あなたに興味深い研究の場を、今も変わらず提供しています」

ゲーチス「そしてあなたは、念願の研究に精を出すことができる」

ゲーチス「わたくしは、そのおかげで、わたくしの計画をより強固に達成することができる」

ゲーチス「なんら問題ないではありませんか」


彼がわかりやすく言葉に詰まっていた。

表情を見ずとも、アクロマが戸惑っているのは手に取るようにわかる。

両手を擦り合わせる音が聞こえている。

彼もまた、何かに苛立っているのだ。
265 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:31:08.59 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「たしかに……支障は、なにもないです」

アクロマ「計画の趣旨に変化があっても、計画の中身に変更はないわけですから」

アクロマ「悪意ある言い方をすれば……」

アクロマ「『“彼”に知られなければ、何をしてもいい』わけで」

アクロマ「むしろ、これまでより制限は少なくなっています」

アクロマ「『より強力な手札』が目的に加わることで……」

アクロマ「いや『手札』どころの話ではありません」

アクロマ「手に入れれば、あるいはあれだけであなたの本当の目的は達成できるかもしれない」

アクロマ「世界征服など赤子の手を捻るようなものだ」


独り言のように呟き続けている。

さきほどまでと打って変わって、アクロマは力なく俯いていた。

その姿は、罪を告白し懺悔する罪人にも見える。


ゲーチス「だが、赤子の手を捻るには……」

ゲーチス「小煩い母親を退けなければならない」

アクロマ「……そうですね」

ゲーチス「どの程度の成果がありましたか」


アクロマは、はっとして顔を上げた。

そわそわしながら眼鏡に触れ、怯えのような視線をゲーチスに向ける。

落ち着きに欠けた彼の姿は、ゲーチスにとって実に滑稽だった。

アクロマは素早くモニタに向き直った。


無駄のない動きで何かを操作し、ゲーチスに目で合図を送る。

その動きを認めると、ゲーチスも視線を大きなモニタへと向けた。


アクロマ「成果……そうですね、目覚ましい成果が上がっています」

アクロマ「あなたの部下が手に入れてきてくれたもののおかげです」


画面には、すでにどこかの暗い部屋が映っている。

見知った研究室だった。

白衣を着込んだ研究員たちが、 せわしなくうろうろしている。
266 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:35:05.32 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「強化案の方は、今の時点でお見せするものはありません」

アクロマ「こちらで進めていたもののひとつとアプローチは同じですし」

アクロマ「遠からず解析が終了します」

アクロマ「そののち、試験を経て装甲に組込む手筈になっています」

ゲーチス「それは結構です」


彼らは手元と円筒形の水槽を交互に見ては、紙になにか書きつけていた。

水槽は彼ら自身よりずっと大きい。

通信のためのものではないため、音声は遠い幻聴のようにしか聞こえない。


画質もあまりよくない。

水槽の中に何が、あるいは誰がいるのかよく見えない。

かろうじて、大きな何者かが入っているとわかる程度だ。

青白い光に照らされ、まるで悪趣味なインテリアだった。


アクロマ「見えますね?」

ゲーチス「ええ、なかなかの眺めです」

アクロマ「順調ですよ、『いっそ腹立たしいほど』」

ゲーチス「あなたにしては感情的ですね」

アクロマ「……私が言ったことではありませんから」


そうだろうとゲーチスも思っている。

アクロマはゲーチスを見て、ぎょっとしたように目を見開いていた。


アクロマ「……」

アクロマ「もっとも、心情的には十分に理解できますが」

アクロマ「実際、わたくしが『彼』の立場だったら、同じように感じない保証はありません」

アクロマ「いい意味で想定を遥かに上回っていましたから」

ゲーチス「よいことです」


そう話を切り上げると、ゲーチスは再びモニタを見上げる。

アクロマもまた意識を本題へと振り戻したいらしく、手元の資料に目を落とした。
267 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:38:23.61 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「本実験開始から、途中での脱落個体はいません」

ゲーチス「ええ」

アクロマ「今回、あなたの提案で選ばれた実験体が採用されました」

アクロマ「残念ながら現在、あちらのプロジェクトは新規個体を発生させる予定でないらしく」

アクロマ「これら三体の実験体のみで新規に実験を開始しています」

ゲーチス「彼らは、あくまでオリジナルの復元を目的としています」

ゲーチス「それが安定すれば、大砲のひとつも背負わせたりするのでしょうが」

ゲーチス「現状、彼らのプロジェクトは彼らに任せておきましょう」


話しながら操作を続けているらしく、アクロマの言葉に連動してモニタの表示が変わった。

三本のシリンダーに、それぞれ小さな肉塊が浮いている。


アクロマ「発生当初の映像です」

アクロマ「ここから、資料と大きな違いなく発生、細胞分裂を繰り返し成長しました」

アクロマ「対照実験も同時並行しましたが、そちらはどれも発生せずじまいです」

アクロマ「条件の違いは例のDNA一点のみです」

ゲーチス「やはりそうですか」

アクロマ「現在では第一、第二、第三いずれの実験体も非常に安定しています」

アクロマ「物理的にも、情緒的にもです」

アクロマ「外見に奇異な共通点がありますが、解剖学上の問題はないとの報告を受けています」

アクロマ「成長もやや速い程度で想定の範囲内、問題ありません」

アクロマ「我々が与えたあらゆる外部刺激に対し、正常な反応を示しました」

アクロマ「予想より早い段階で、トレーナーと共にある程度の育成を経た個体と同等の理解を見せました」

アクロマ「通常の個体と同様、我々の指示を理解しています」


小さな操作音とともに、映像は数日前の実験風景に切り換わった。

水槽の中で巨躯を揺らす姿が浮かび上がる。

手前に立つ白衣の人間が何かを言う。

水槽に浮かぶ巨大な影は、白衣の人間が出す命令に従って身体の向きを変えている。
268 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:43:00.31 ID:cuM9FlSYO

ゲーチス「外へ出した場合、どのくらい動けますか」

アクロマ「まだ水槽から出したことすらありません」


肩を竦めるアクロマは、少し忌々しげにすら見えた。


アクロマ「本格的な稼動試験は調整しているところです」

アクロマ「不安材料もないわけではありませんが、深刻ではありません」

アクロマ「これまで、前身プロジェクトが苦労してきた部分をほぼ、難なくクリアしています」

ゲーチス「では現状で一番、懸念されることはなんでしょう」

アクロマ「稼動試験の結果、そして『出所のはっきりしない要素』の副作用、でしょうか」

ゲーチス「おや、この上なく情報源ははっきりしているように思いますが」

ゲーチス「少なくとも、私とあなたにとっては」

アクロマ「……まるで神秘の霊薬だ」


ゲーチスは馬鹿にしたように首を振る。

『出所』を知ってなお不安を拭えない彼を、心から憐れんでいだ。


『霊薬』の正体を知っているのは、ゲーチスとアクロマを除けば、いないも同然だった。

以前も口を出してきた『横槍』が、また計画を妨害してきては困る。

『誰が知っているのか』というアクロマの問いに、ゲーチスはそう言って笑った。


ゲーチス「……まあ、あなた以外のプロジェクト参加者は、知りませんからね」

アクロマ「あちらのプロジェクトリーダーにもアドバイザーとして参加してもらっているのですが」

アクロマ「薄々ですが、彼は察しているようです」

ゲーチス「彼もまた、あなたほどではないにせよ、十分に優秀な研究者だということです」

ゲーチス「科学者の勘とやらが働くのかもしれませんね」

アクロマ「……そういうものでしょうか」


ゲーチスとしては褒めているつもりだった。

もっとも、アクロマから喜んでいる気配は微塵も感じられない。
269 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:44:28.93 ID:cuM9FlSYO

ゲーチス「いずれにせよ、みごとな成果です」

ゲーチス「私は十分に満足していますよ」

アクロマ「ごく少量の遺伝情報の有無でここまで違いが出るとは」

ゲーチス「あなたがたプロジェクト参加者の手腕も、むろん評価されて然るべきです」

アクロマ「……ありがとうございます」

ゲーチス「とはいえここまで計画した通りになるとは、少々驚きなのですよ」

ゲーチス「そう簡単に逸脱させてはもらえないということなのでしょうね」

アクロマ「逸脱? あなたはなんの……」


ガタンと立ち上がり、アクロマはゲーチスを見つめた。


アクロマ「まさか、こうなることがわかっていたのですか?」


両手が所在なく空を掴み、椅子が惰性で静かに回っている。

アクロマは、苦しげに口を開いた。


アクロマ「これほどうまくいくことが、はじめからわかっていたと?」


こちらを見るアクロマの目は、不審と驚きで満ちている。

ゲーチスは彼から視線を逸らし、自分の右手を眺めた。


ゲーチス「それは買い被りすぎかもしれませんよ」

ゲーチス「わかっていた……というより、そういうものなのです」

ゲーチス「いずれ、あなたにお話しできる日も来るでしょう」

ゲーチス「その日もそう遠くないと『予想』しますよ」

アクロマ「……ますます、あなたの考えていることがわかりません」

ゲーチス「それでも問題はないのでしょう?」

アクロマ「ええ」
270 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:47:44.65 ID:cuM9FlSYO

アクロマ「ですが」

アクロマ「……ですが思い返してみれば、あなたの言動はそうと言わんばかりだ」

ゲーチス「……」

アクロマ「実験で採用する種類の選定も、あなたの希望……いや、あれは命令も同然だった」

アクロマ「それがそのまま採用された」

アクロマ「当然です」

アクロマ「あなたが言えば、誰も反対はしないでしょう」

ゲーチス「そうかもしれません」

アクロマ「……なぜ、彼らを候補に挙げたのですか」


アクロマがわずかに声を荒らげた。


アクロマ「なぜ、あの三匹なのですか」


きっと彼は恐れているのだ。

自分のあずかり知らぬところで、自分に計り知れない理屈が動いている。

科学者としては好奇心が勝つか、恐怖が勝つかの瀬戸際なのだろうか。


アクロマ「なぜ……」

ゲーチス「簡単な話です」

ゲーチス「もっとも効果的な顔ぶれなのですよ」

ゲーチス「奴の心をへし折るのにね」
271 : ◆/D3JAdPz6s [saga]:2017/12/15(金) 00:53:25.13 ID:cuM9FlSYO
今回は以上だす

DSJが思いの外進まなくてまだUSUM開けてないんですよね
ジードももうすぐ最終回だし…あっという間に年末になっちゃうし

ではまたらいげ…らいね…来年っすかね…
おやすみなさい
272 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/12/15(金) 01:04:48.25 ID:tZD3uVcD0
乙!! 生きてて良かった、良いお年を
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