杉坂海「オンショアをつかまえて」

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1 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:49:41.93 ID:GPsfCuOW0
・モバマスのSS

・地の文あり

・ある程度書けたら順次投稿

・少し長めになる予定

それでは始めて行きます

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1500036581
2 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:50:35.10 ID:GPsfCuOW0
1.ビーチの出会い

ボードを持ち、セイルを持って、ウチは海に入る。
本当なら、まだ海に入るの早い時期。ウェットスーツとシューズ越しとはいえ、冷たい海水が身に沁みる。
まぁこの感覚も、ウチは好きなんだけど。

「よいしょ、っと……!」

ボードを海に浮かべ、セイルを支える。
時間はまだまだ早朝だけれど、風は西よりのオンショア。
強すぎず、適度に波も立っていて……うん、いいカンジ。これは、早起きした甲斐があったかな。
回りを見てみれば、ウチと同じようなウィンドサーファーが、次々と海へ出て行く。
3 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:51:20.31 ID:GPsfCuOW0
「よしっ……それじゃあウチも行くとするかな!」

ホントは良くないのだけれど……一瞬片手を放して、ぱんっと頬を叩いて気合を入れた。
そうしてから、もう一度セイルをしっかり掴んで、後ろの足をボードに乗せて引き寄せる。
決してボードを蹴り出さないようにしながら、反り上がるように体を上げて、前の足をそっとボードに乗せた。
そして――

「セイルで風を……掴む!」
4 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:52:03.91 ID:GPsfCuOW0
ボードに乗った瞬間、ぐっとセイルが力を受けるのを感じる。
その力に体を支えてもらえるようにしながら、風を掴んで、推進力に変えていく。
風を掴んで、風を切って、波を切って、大海原を進む。
まだまだ風は冷たい時間帯だけれど、すぐに熱くなっていく体には寧ろ丁度いい。
波と波の間でターンすれば、飛沫が飛び散り、朝日に照らされて宝石みたいにキラキラ輝く。
そんな飛沫は思いっきり顔に掛かるけれど、そんなことはまったく気にならない。
冷たい飛沫は心地よくて、風を受けて、風を切って進むのは気持ち良くて。

ああ、もうこの瞬間が本当に、心の底から!

「―――最ッ高!」
5 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:52:42.51 ID:GPsfCuOW0
そう叫んだ瞬間、一際大きい波が砕けて、ウチの方へと襲い掛かる。
けれどそれに負けじと風に乗って、海を滑って飛沫の中を走り抜けた。
ああ、気持ちいい……本当に気持ちいい!
こうやって風に乗り、海を滑るたび、思い知らされる。
ウチは――杉坂海は、ウィンドサーフィンがたまらなく大好きなんだって。
6 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:53:14.20 ID:GPsfCuOW0


それから一時間ほど風に乗って海を滑り、ウチは浜へと上がっていた。
レイルジャイブもだいぶ出来るようになってきたし、いい感じかな。まあ、倒れたりもしたけれど……ウォータースタートの練習にもなったし。
途中、風がオフショア気味になったので少し心焦ったけど、戻る頃にはまたオンショアになってて一安心だった。
まだウチの技量じゃ、オフショアの時に上手く戻れる自信がないからなぁ。
まぁその辺は今後の課題ってことにして、とりあえず、ボードとセイルを艇庫に仕舞って、シャワーを浴びようかな。
もうそろそろ行かないと、短大の授業も間に合わないしね。
朝ご飯はどこで食べようかな――なんて、考えていたその時。
7 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:53:48.33 ID:GPsfCuOW0
「いやー、ウィンドサーフィンしてるところ見てたんだけど、キミ上手いねぇ!」

パチパチパチと拍手しながら、近づいてくる男の人がいた。
何だろう、と思ってそちらにちゃんと視線を向けてみたけれど……。

「……はぁ、どうも」

その瞬間、思わず身構えてしまった。
いやだって、正直これはウチじゃなくても身構えると思う。
歳の頃は、きっとウチよりも少し年上。20代半ばか後半くらいかな。
日焼けして色黒な肌に、赤茶けた髪。おまけになんだか軽いノリ。歯が白いのもやけに目立つ。なんかサメの歯のネックレスしてるし。
ウェットは着てるから、サーファーかウィンドサーファーなんだろうけど……なんというか、だからこそ余計というか。

うん。一言でいって、チャラい。

ウチがそんな風に身構えてるのを知ってか知らずか、その男は親しげな調子で続ける。それも少しずつ近づきながら。
8 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:54:19.07 ID:GPsfCuOW0
「途中コケても、すんなりウォータースタートしてたし、かなり上手いよね。もう結構長いの?」
「んー……まぁ、一応」

一応、山口にいたころからやってたから、歴はそれなりに長いことにはなる。
けど、いきなりそんなこと聞いてくるなんて何が……っていうか距離近っ!
な、なんか急にぐいっと近づいてきてるし!
何、都会の人ってこんなにパーソナルスペース近いわけ!?
9 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:55:04.03 ID:GPsfCuOW0
「やっぱそうだよね。いやー、あんま上手いんで驚いたよ」

「あの、そう言ってもらえるのは嬉しいんですけど……何か、」

「あ、ゴメンゴメン。キミが滑ってるところ、ホント綺麗だったからさぁ! 思わず見惚れちゃってさぁ。そんで声かけたんだ」

「んなっ」

――綺麗とかそんなこと、普通いきなり言う!?
驚きのあまり、思わず答えに詰まってしまう。
これはアレなんだろうか。ウワサに聞くナンパってやつ? いや違うんだろうけど、でもなんでよりによってウチ?
いやでも、ウチみたいにガサツなだけの女に声かけた所で、この人に何も得はないし……ああ、もう!
10 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:55:35.32 ID:GPsfCuOW0
「あの、その……ウチ、これから学校なんで! 失礼します!」

「あ、ちょっと――」

何か言いかけてた気もするけれど、それを気にしている余裕はなかった。
もう、内心はひっちゃかめっちゃか。いきなりあんな事言われるなんて……!
ばっと頭を下げて、手早く荷物を纏めてボードとセイルを担ぐ。
顔は熱いし、もうなんだかワケがわかんない。

「……やっぱ都会、怖いわぁ」

思わず、そんな呟きが漏れていた。
11 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:56:30.33 ID:GPsfCuOW0


「……ってことがあってさぁ。もうビックリしちゃったよ」

一限が始まる前、朝ご飯用に作ってあったおにぎりを、中庭のベンチでほおばりながら、今朝あったことを友達に話していた。
こっちに――鎌倉に移ってからできた友達だけれど、なんだか妙に馬が合ったんだよね、これが。
専攻してる学科は違うけど、スポーツ好きってとこも同じだしね。
12 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:57:39.84 ID:GPsfCuOW0
「へぇー。ていうか、また朝からやりにいってたの?」

「まぁね! 今は少し余裕あるし、出来るうちは行くつもり」

「講義前なのに元気だよねぇ、海」

「いや、そっちだってランニングとかしてるじゃん?」

かわいらしい外見からは想像できないけれど、この子は毎朝ランニングするのが日課になってるらしい。
ウチからすれば、たまにウィンドサーフィンするより毎日ランニングのほうが、よっぽどすごいと思うんだけど。
でも、そんなウチの言葉に、うーん、なんて首をかしげている。
13 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:58:25.74 ID:GPsfCuOW0
「してることはしてるけど、健康のためみたいなものだし……ウィンドサーフィンとは全然違うよ、やっぱり」

「うーん、ウチはそんなに違わないと思うんだけど。ま、好きだからこそ、ってねっ!」

この短大を選んだのだって、学びたいことが学べるのはもちろん、東京近郊最高のゲレンデ、逗子海岸や材木座海岸が近いからなワケだしね。
わざわざ艇庫も借りてるし、それなら思いっきりやらないとそれだけ損、ってね!
でも、朝も思ったけど……ウチ、本当にウィンドサーフィン好きなんだなぁ。
なんて、そんなことを考えていると。
14 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:59:12.07 ID:GPsfCuOW0
「まぁでも、その人が言ってることもわかる気はするかな」

「え?」

「ほら、一度ウィンドサーフィンやってるところ、見せてもらったじゃない?」

「ああー、ここに入りたての頃だっけ?」

「そうそう」

一度、ウィンドサーフィンをやってるところを見てみたい、というから連れて行ったことがあったっけ、そういえば。
まだそんなに前じゃないのに、なんだか懐かしいなぁ。
15 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 21:59:47.16 ID:GPsfCuOW0
「あの時の海、キレイだったもん。なんていうかさ、溌剌としてて、キラキラしててさ!」

「!?」

「ちょ、海、大丈夫!?」

思いがけない言葉に、ちょうど頬張ったおにぎりでむせてしまう。

「ゲホ、ゴホッ……み、みず……!」

「これ!? はい!」

「……はぁ。死ぬかと思った」
16 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:00:39.75 ID:GPsfCuOW0
とりあえず事なきを得はしたけれど……うーん。
彼女の言葉は、嬉しいと思う反面、納得はいかない。

「輝いてるって……ウチ、そんな柄じゃないと思うけど」

「そうかな?」

「そうだって! こんなガサツな女を掴まえて、輝いてるとかさぁ……」

ウチは、『女の子』らしさなんてものとは、無縁だったからなぁ。自分でも、綺麗とか可愛いとか、そういうタイプじゃないと思うし。
むしろウチとしては、目の前にいる彼女のほうがよほどかわいいしキレイだと思う。
すらっとしてて、引き締まってて、私服もいっつも可愛いし……。正直、ちょっと羨ましい。
けど彼女は、そんなウチの言葉に思案顔を浮かべる。
17 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:01:23.79 ID:GPsfCuOW0
「んー、海はいっつもそう言うけど、そんなことないと思うけどなぁ」

「そうかねぇ」

「まぁ、男勝りだなー、とは思うけどさ。でも、そこがいいっていうか」

「ウチの場合、下が男どもばっかだったからねぇ。よりにもよって元気いっぱいの煩いのばっかだったし」

そういえば、アイツら、ウチがこっちに出てきてから悪さしてないかな。
一応、一番上の弟がしっかりしてるから大丈夫だとは思うけど……。
ああ、考え出したらなんだか不安になってきた。今度電話して聞かないと、いろいろ。
18 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:01:56.86 ID:GPsfCuOW0
「あはは、本当に私のところとはまるっきり逆だなぁ」

「ん、ああ。そういえば女ばっかって言ってたっけ?」

「うん。まぁ、上二人は熱血でちょっと暑苦しいけどねー」

なんて、そんなことを話しながら時計を見てみれば、もういい時間だった。

「っと、そろそろ行かないとだね」

「あ、ホントだ。私は専門の講義だから1号館だけど……」

「ウチは教養だから3号館。方向逆だね」

「じゃあ、お昼にここかな。また後でね、海」

「ん、また後でっ、慶!」
19 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:02:23.16 ID:GPsfCuOW0
軽く手を振り合って、それぞれの教室へと向かう。
んー、今日の数学はどこやるって言ってたっけ。あんまり難しいとこじゃないといいんだけど……。
なんて、そんな事を思いながら、ふと脳裏に響いた気がしたのは、あの男の人の言葉。

『キミが滑ってるところ、ホント綺麗だったからさぁ!』

ホント、なんであんなことを初対面の人に言えるんだろう。
それとも都会の人は、みんなそうなんだろうか。ウチの常識からすれば、ちょっと信じられない。
けれど、そんなことを思う反面……思い出す度に、なんだか頬が熱くなってしまうのも、また事実だった。
20 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:02:49.03 ID:GPsfCuOW0


それから、数日後の休日。
ウチは、ウィンドサーフィンをやろうと思い立って、いつものゲレンデに来ていた。
今日は晴れてるし、風もそこそこ出てるし、絶好のウィンドサーフィン日和。
でも、艇庫とビーチが近いから、ほんとに便利だなぁ。
ここを教えてくれた父さんには、感謝しないとね!
そんな事を考えながら、ウェットを着て、シューズを履いて、更衣室を出る。
そうしたら。
21 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:03:15.79 ID:GPsfCuOW0
「お、キミ、やっぱりここの艇庫だったんだ」

そんな声を掛けられて振り返ってみれば。

「……あ。あの時の」

「おっ、俺のこと覚えてる?」

ウチが覚えている素振りを見せたら、嬉しそうにニコニコとそう言う。相変わらずの軽そうな笑顔で。
……うん、なんかちょっとイラっと来る。ウチはいろいろ気にしてたっていうのに。
だから、完全な八つ当たりだけど、少し意地悪をしようと思って、ウチは。
22 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:03:42.44 ID:GPsfCuOW0
「あの時の、いきなり声掛けてきたチャラい人」

ウチの言葉に、その男はガックっと、思いっきり脱力する。
よし、一矢報いた! 心の中でガッツポーズ。
……って、なんでウチは、こんなことしてるんだろ。
まぁいっか!
23 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:04:11.25 ID:GPsfCuOW0


「いやー、あの時はホントごめんね。急に声かけちゃってさ」

「いえ、もう気にしないでください。ちょっとびっくりしましたけど」

「はは、そう言ってもらえると助かるかなぁ」

少しの後、ウチとチャラい人――お兄さんは、海岸で話をしていた。
ウチはウィンドサーフィンの機材を持って、お兄さんはサーフボードを持って。
そう、つまるところは。
24 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:06:05.07 ID:GPsfCuOW0
「お兄さん、サーファーだったんですね」
「そ。ほら、あそこの艇庫、ウィンドサーフィンとSUPだけじゃなくて、サーフボードも保管してくれるから」
「ああ、そういえば」

ウチはいつも立ち入らないから忘れかけてたけど、そういえばボードも保管してたっけ。
ん、あれ? でも。

「あの時のお兄さん、濡れてなかったし、ボードも持ってなかったような……?」
「よく見てるなぁ」
25 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:07:01.77 ID:GPsfCuOW0
なんか気になって何度も思い出してしまったからです。
なんて、さすがにいえるわけもなかった。

「ほら、あの時、朝からオンショアだったじゃん? それで早々に切り上げて、知り合いと駄弁ってたんだよね」

「ああ、なるほど。サーフィンはオフショアのがいいんでしたっけ」

「そ、面ツルならいうコト無しってね」

ウィンドサーフィンはオンショアやサイドショア。サーフィンはオフショア。
同じ「サーフィン」でも、実は求める風が違ったりする。
まぁ、荒れてる方がいいって、オンショアを好むサーファーもいるらしいけど。
26 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:07:31.75 ID:GPsfCuOW0
「んでさ、駄弁りながら海を見てたら、最高、なんて叫びながら風に乗ってるキミがいてさ」

「え゛っ」

「ん?」

「あれ、浜まで聞こえてました……?」

「うん、割とバッチリ」

あああああ。
ついテンションが上がって叫んじゃったけど、浜まで聞こえてたとか……!
挨拶してたオジサンたちが妙に暖かい視線だった理由がようやくわかった!
は、恥ずかしい……!
27 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:08:13.03 ID:GPsfCuOW0
「まぁ、それで気を惹かれて見てたらさ、なんだかキラキラ輝いててさ」

「ちょ」

この人は、まだウチに追いうちをかけるつもりだろうか。

「いやその、輝いてるとか、そういうの、恥ずかしいですから……」

「なんで? 本当の事だよ?」

「いや、だから……ああ、もう!」

この人、話通じない!
こうやって話して、なんとなく悪い人じゃないってのはわかったけど!
28 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:09:09.89 ID:GPsfCuOW0
「うーん、ホントの事なんだけどなぁ」

「いやもう、それはわかりましたから……」

こういう話は、ホントに慣れない。
そりゃ、ウチだって輝いてるとか言われて嬉しくないわけじゃないけど、恥ずかしさが先に立つし……。
それにどうしても、ウチなんか、って思いは拭えない。
そんなウチの様子に気づいているのかいないのか。
お兄さんは、気軽な調子で続ける。
29 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:09:51.98 ID:GPsfCuOW0
「ま、そんなワケでキミの事が気になってね。そういえば、ウィンドサーフィンは長いんだっけ?」

「はい。子どもの頃、父さんに教えてもらって以来だから……うーん、7、8年になるかな」

「でも、結構お金かかる趣味じゃない? ウィンドサーフィン。よく続けてるねぇ」

「実は、ボードとかその辺は、全部父さんのお下がりなんで。まぁ古くなったところかは、少しずつ買い替えてますけど」

「あー、なるほどね」

お兄さんの言うとおり、ウィンドサーフィンは結構お金がかかる。新品で揃えようと思ったら、それこそ20万は堅いし。
たとえボードがあっても、艇庫借りるのだってそれなりの出費だし、ウェットだって、安いわけじゃない。
それこそ、お兄さんのやってるサーフィンよりはだいぶお金がかかることは確かだろう。
正直、学生にはすぎた趣味かもしれない。きっと、そう考える人もいると思う。
30 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:10:18.46 ID:GPsfCuOW0
けど――それでも。

「好き……だから」

「ん?」

「海の上を滑るのが……風を切るのが、波を切るのが。もう、全部、好きだからさっ!」

思い出すのは、初めてウィンドサーフィンをやった、あの時の感覚。
風をセイルで捕まえて、ふわりと滑るように海の上を進むあの感覚に、きっとウチは魅了されたんだと思う。
セイルとボードを通じて、海と、風と、自然と繋がっているような……あの感覚に!
31 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:11:32.33 ID:GPsfCuOW0
「……ふぅん。なるほど。そっか、そういうところなのかな、うん」

「ん? お兄さん、何か言った?」

「いやいや、なんでもないよ。それよりどうする? 風向き、変わってきたけど」

言われてみれば、確かに南からのクロスオンショアになってきた。
これなら――うん、まぁ行けるかな。
32 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:12:01.67 ID:GPsfCuOW0
「ウチは行こうと思うけど、お兄さんはどうする?」

「こっちも行くかなー。これくらいならまぁ、許容範囲でしょ」

「よし、それじゃあ……って、あ」

「ん、どうしたの?」

「いや、その、敬語……!」

気づいたら、いつの間にか敬語がとれてしまってた。
ウィンドサーフィンの話でテンションが上がって、思わず……!あああ、やっちゃった!
内心、ウチは結構焦ってしまったのだけれど……お兄さんは、からからと笑う。
33 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:13:20.39 ID:GPsfCuOW0
「いやいや、気にしないで良いよ。俺もこんなカンジだしさ。マリンスポーツ仲間、ってことで」

「そう……ですか?」

「いやいや、気にしないでいいって。それにキミ、敬語じゃない方が似合ってるし。いい意味でね」

いい意味でって……一体どういうことだろう。
まぁ、でも。
34 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:14:09.63 ID:GPsfCuOW0
「……ん。それじゃ、お言葉に甘えて」

そう言ってくれるなら、そうさせてもらおうかな。お兄さんには、そう思わせてくれる雰囲気があった。
ウチは勢いよく浜辺から立ち上がってからくるりと振り向くと、少し屈んでお兄さんへと手を差し出した。

「さ、行こっか!」

一瞬、お兄さんは呆気にとられたような表情を見せたけれど、すぐに笑顔でウチの手を取る。
見かけによらず、意外と大きくて、がっしりしたその手を掴んで、ぐいっと引き寄せる。
それに合わせてお兄さんは立ち上がって、そして。
35 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:14:46.28 ID:GPsfCuOW0
「よっしゃ、行こう!」

そう言ったお兄さんの目は、とてもキラキラとしていて。
ああ、きっとこの人は海に……波や風に魅せられた人なんだなと、すっと理解した。
ならウチと同じだと、そう思った。



――これが、ウチと「お兄さん」の出会い。
この時は、いいマリンスポーツ好きの仲間が出来たと、それくらいに思っていた。
そう。
この時は、まだ。
36 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:15:13.05 ID:GPsfCuOW0
今日はここまで。
また書けたら続きを投稿します。
37 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/14(金) 22:22:30.43 ID:GPsfCuOW0
少しだけ単語について。一般的じゃない言葉もでてきたので。

・オンショア、オフショア
 オンショアは海から陸に吹く風、オフショアは陸から海に吹く風のこと。

・ボード、セイル
 言わずもがなウィンドサーフィンの道具。
 セイルは本来リグというけれど、分かりやすいのでセイルで統一。

・レイルジャイブ
 基本的なターンの一種。海がやると多分カッコイイ。

・ビーチスタート、ウォータースタート
 それぞれビーチから、海の中から、ボードに乗ってウィンドサーフィンを始めること。
 ウォータースタートは足のつかないところから始めるので割と難しい。
 海はそれが出来る中級者くらいを想定してます。

こんな感じです。
それではまた。
38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/07/16(日) 00:08:56.36 ID:7jwH1jz8O
海ちゃんのss初めて読んだしウインドサーフィンしてるのも珍しいなと楽しみ
39 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:17:53.56 ID:apvgBKJC0
海さん誕生日おめでとう。 
まだ完結しないけど続き投稿していきます
40 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:19:27.88 ID:apvgBKJC0
2.海と夢とお兄さん


お兄さんとの出会いから、だいたい3週間ほどが経った。
だいぶ暖かくなってきて、日によっては暑い日もあるくらいだ。
ウェットスーツも、少し前にシーガルからスプリングに変えたし。痛い出費だったけど。
まぁそんなこんなで、ウチは相変わらずなワケで――

「え、海、今日も行ってきたの?」

「うん。いやー、いい風が吹くって予報だっからさ!」

「本当にウィンドサーフィン好きなんだねぇ、海」

「まあねっ!」

「よくやるなぁ」

いつものごとく、講義前に慶と話していたら、そんな風に呆れられてしまった。
まぁここのところ隔日くらいで行ってるし、そう言われても仕方ないんだけど。
41 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:20:01.12 ID:apvgBKJC0
「でも海、講義とか大丈夫なの?」

「ん? ちゃんと出てるけど」

「それは知ってるけど、でも、眠くなったりとか」

「んー、昼前になると偶にあるけど……まぁ大丈夫かな?」

「う、うらやましい……」

そういえば、慶はランニングとかする割に、朝弱いって言ってたっけ。朝つらそうな時、たまにあるし。
でも、そうは言うけど。

「んー、ウチは普通だと思うけどなぁ」

「いやいや、それは絶対ないって……と、まぁそれはともかく、だよ」
42 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:20:33.24 ID:apvgBKJC0
ぱんっ、と手を打ち合わせて、慶がこちらににんんまりとしいた笑みを向ける。
……な、なんかイヤな予感がするんだけど。

「な、何?」

「いやー。海としては、件の『お兄さん』とはどうなのかなー、と思ってさ」

や、やっぱりそういう話!
確かに、お兄さんとはあれ以来、偶に会うし、話すようにもなった。
年上だけど、いい友達みたいな存在になっていると思う。
それは、確かに慶にも話したりしていたんだけど……。
43 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:21:08.33 ID:apvgBKJC0
「いやだから、前にも言ったけどお兄さんとはそういうんじゃないんだって」

「またまたー」

「またまたじゃなくて……あー、もう!」

と、そこで、ちょうどよくチャイムが鳴る。
……って、ちょうど良くない!始業チャイムだコレ!

「やばっ、話しすぎた! 慶、走るよ!」

「了解!」
44 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:21:41.49 ID:apvgBKJC0
ウチらは急いで荷物をまとめて、ダッシュでそれぞれの教室へと向かった。
今日の講義は先生来るの遅いし間に合う……筈!
とりあえず小テストもやらないって言ってたし、なんとかなるだろう。
――なんて、講義のことを頭で考えている一方で。
ウチは、頭の片隅でお兄さんのことを思い浮かべていた。
ちょっとチャラいところはあるけど、フレンドリーな話しやすい人。
ウチの、貴重なマリンスポーツ仲間。
お互いのことなんてロクに知らない、それだけの関係。
けど……それでも。

「お兄さん……明日は、いるかな」

思わずそんな呟きが漏れるくらいには、気になっているのかも知れなかった。
45 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:22:07.45 ID:apvgBKJC0


果たして、翌日。
ウチはやっぱり、いつものゲレンデへと来ていた。
まぁ今日は休日で短大もないし、いつもと違って気軽なモンだよね。
弁当も持ってきてるし、今日は昼過ぎまでのんびりやるかな!
こういうことできるのも、きっと学生の特権だろうし……ね。

「……っと。今はヤメヤメ」

余計な方向に行きかけた思考を、頭を振って軌道修正。
色々考えなきゃいけないことはあるけど、今はそういうことを考えないで、精一杯楽しもう。
ウィンドサーフィンはそういう時間って、決めてるから。
46 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:22:44.82 ID:apvgBKJC0
「さて、と」

浜に置いておいたボードとセイルを持ち上げて、ウチは海へと向かう。
海が海に向かう……なんて、あのアイドルの人みたいだなぁ、これじゃ。
風はサイドショアで、少し強め。
んー、ちょっと荒れそうだけど……これならまぁ、大丈夫だと思う。
まぁ、危ないと思ったらすぐ上がるようにはしようと決める。
いつだったかのドラマみたいに、波に飲まれて行方不明、なんて勘弁だし。

「んー、まだちょっと冷たいかなぁ」

足を浸した海水は、春先より随分ましとはいえまだかなり冷たい。
まぁ、泳ぐわけでもないし、ウチ的にはこれくらいで全然OKではあるけども。
と、その時、ふと人影が目に入る。
47 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:23:12.75 ID:apvgBKJC0
「……あれ?」

それは1人のサーファーで、丁度海からあがろうとしているところのようだった。
日に焼けたような茶髪、最近見慣れた青いボードと黒のウェット。
それは、よく見なくても。

「お兄さん?」

「や、海ちゃん」

やっぱり、お兄さんだった。
波のせいか髪はびっしょりで顔に張り付いていて……うん、なんだかちょっとワカメっぽいかも。
48 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:23:46.96 ID:apvgBKJC0
「今日はもう上がり?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどね。風がサイドよりになってきたし、ついでにちょっと休憩」

「そっか。見た感じ今は荒れてないけど、どう?」

「うん、波もイイ感じだし、ウィンドサーフィンにもいいんじゃない?」

「お、やった。こりゃ楽しみだなぁ」

やってることは違くても、こうやって海のことについて、気軽に話せる人がいるのは、何だか楽しい。
勿論、ウィンドサーフィンは1人だって楽しいけれど、それを共有できる人がいれば、そこにはきっと、また違った楽しさがある。
お兄さんと出会って、こうして話すようになって、それを実感していた。
と、そこまで考えて。ふと違和感を覚えた。一瞬何故かと思ったけれど、その正体にすぐに気づく。
49 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:24:24.14 ID:apvgBKJC0

「そういえばお兄さん、いつもに比べて遅いね。仕事大丈夫なの?」

いつも、お兄さんは仕事の前の早朝に来ることが多いと言っていたし、実際そんな感じだった。
けど、今日はいつもよりかなり遅めの時間。
正直、多分お兄さんはいないと思っていたんだけど……。

「あぁ、今日は珍しく全休でさ。社長にも偶には余暇を満喫しろっていわれちゃってねー」

「へぇー。普段は土日も休みってわけじゃないって言ってよね、前」

「そ、ちょっと特殊なシゴトだし。まぁ、そんなもんで、今日は偶の休みだし、サーフィン楽しむかなって」

「ふーん」

……そうすると。
ちょっと、思いついたことがあった。
50 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:24:50.73 ID:apvgBKJC0
「お兄さん、まだ上がらないんだよね」

「ん? そのつもりだよ。昼過ぎまではやってようかなとは思ってる」

「ん、それじゃあお昼もここ?」

「そ。ほら、あそこの弁当屋、あるじゃん。うさぎマークの。あそこに買いに行くつもり」

「ああー」

その弁当屋は、結構昔からある、海水浴客やサーファー御用達のお弁当屋さんらしい。
ウチも、何回か使った事があるけど、確かに結構おいしかった。
……じゃなくて!
51 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:25:29.99 ID:apvgBKJC0
「ん? それがどうかした、海ちゃん」

「ん、あー、いやさ。ウチも今日、短大無くて、昼までいるからさ」

「お、そうなんだ。いいなぁ学生は。懐かしい」

「まぁ、そんなわけでさ。よかったら一緒にお昼、どうかなと思って」

思い切って言ってみたはいいけど……ちょっと、急すぎたかな。
なんて、思いはしたのだけれど。

「お、イイね。海ちゃんも一緒に買いに行く?」

うん、アッサリとオーケーだった。
……改めて考えてみれば、割と軽いノリのこの人がOKしない方が想像できないかも。
うん。なんかちょっとためらったウチがバカみたいだ。
52 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:26:03.33 ID:apvgBKJC0
「いや、ウチは弁当あるから。それじゃ昼ぐらいに、浜で食べる?」

「オッケー、そうしようか」

「了解。それじゃウチ、ちょっと行って来るから」

「行ってらっしゃーい」

お兄さんの声を背に受けて、ウチはボードに足を掛ける。
少し粘つくような潮風に、燦燦と輝く太陽、ひやりとする海水。
いつも、こうやっていざ海に出る直前、自然を感じるだけでワクワクする。
けれど、今日はそのワクワクに、少しだけ……ほんの少しだけ。
いつもと違うドキドキが混ざっている気がして……。

「ああ、もう……ったく、慶がヘンなこと言うせいだよ、コレ」

ウチらしくない変化の責任を、心の中で慶へと押し付けて、ウチは海へと繰り出した。
53 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:26:30.20 ID:apvgBKJC0


「海ちゃん、お待たせー」

「ん、お帰り」

それから暫く、波と風に乗って、ウチは浜へと上がった。
その後、お弁当を買いに行ったお兄さんを暫く待ってたのだけど、どうやらようやく帰って来たらしい。

「結構かかったけど、混んでた?」

「まぁね。今日は休日だし、そこそこサーファーも来てるじゃん?」

「あー、確かに。あそこ、値段の割に美味しいもんねぇ、混むのも仕方ないかぁ」

「そういうコト。あ、それとこれお茶ね」
54 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:26:58.75 ID:apvgBKJC0
そう言って、急にひょい、とお兄さんがペットボトルを投げて寄越す。

「おっ、と! もう、急だなぁ」

「はは、ナイスキャッチ、ってね」

「まったく……でもありがとね! あー、お金、上がってからでもいい?」

それくらいは礼儀――だと思ったんだけど。
ウチがそう言うと、お兄さんは苦笑しながら首を振る。

「いやいや、これくらい気にしないでよ。社会人だしさ、これでも」

「いや、でも」

「ホント、大したもんじゃないしさ。待たせちゃったお詫びってことで、ね?」

「……ん。そういうことなら、お言葉に甘えようかなっ」

「そうしてそうして。ところで……海ちゃん」
55 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:27:25.37 ID:apvgBKJC0
それじゃあ食べやすいとこに移動しようかな、と思ったのだけど。
いつになく、真剣な表情でお兄さんがこちらを見ていた。
……ど、どうしたんだろ。

「……何?」

「いやさぁ、それ、いいの?」

「それって……ああ、ウェットのこと?」

「まぁ、そう」
56 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:27:55.74 ID:apvgBKJC0
お兄さんがこちらを指さしても、一瞬何のことかわからなかったけど、すぐに察した。
今ウチは、ウェットの上だけをはだけている状態になってる。浜に上がった状態じゃ、スプリングとはいえ流石に暑いしね。
けどそれは、逆に言えば今、ウチの上半身は水着――ビキニのトップスだけの状態になっている、というコト。
お兄さんはどうやら、それを気にしてるらしい。
……そういうの気にしない人かと思ってたけど、意外と純情なのかねぇ?
ともあれ。

「これ、水着だし。ウチに限らず、サーファーとかウィンドサーファーなんて、こんなもんじゃない?」

「いやまぁ、そうだけどさ」
57 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:28:36.25 ID:apvgBKJC0
実際ビーチを見渡してみれば、何人かそういう女性サーファーが見える。
ウチだって、全く気にしないというわけじゃないけど。そもそも海に来てるわけだし。
そんなこと気にしてたら、ウィンドサーフィンなんてやってられない、ってね!

「そういうわけで、ウチは気にしないからさ! とにかく食べようよっ」

「ま、海ちゃんがいいならいいか。俺としては眼福だしね!」

「……やっぱちゃんと着ようかな」

「あ、ウソウソ。冗談だってば」
58 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:29:04.05 ID:apvgBKJC0
前言撤回。やっぱお兄さん、印象通りの人だわ。

……まぁ、でも。

こうやって軽口を叩き合えるくらいには、いつの間にか仲良くなっていた。
なんというか……妙に気が合うというか、波長が合うというか。
ホント、人と人の出会いって、不思議なもんだと、そう思わずにはいられなかった。
59 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:29:32.09 ID:apvgBKJC0


それから暫くの間、ウチとお兄さんは他愛もない話に興じながら、お昼ご飯を楽しんだ。
ウィンドサーフィンやサーフィンのこと、他の趣味のこと、友達のこと、普段のこと……その他諸々。
そういえばこんなに話したのは初めてのことだったかもしれないけれど、不思議と会話が途切れることは無かった。
そんな、ウチとお兄さんの会話もひと段落したころ、お兄さんがぱんっ、と小気味よく手を打ち合わせた。

「ふぅ、御馳走様っと」

お弁当に視線を向けてみれば、確かにいつのまにやら空になっていた。
あれ、大盛りって言ってたと思うんだけど……その辺は、流石に男の人ってことなのかなぁ。
60 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:30:07.18 ID:apvgBKJC0
「量、結構あった気がするけど早いねぇ、食べるの」

「そうかな? これくらい普通だと思うけど……正直、ちょっと足りないくらいだし」

なんて言って、ゴミを纏めながら笑うお兄さん。
うーん、お兄さんが特別大食いなんだろうか。あんまり比較対象を知らないからなんとも言えないけれど。
でも、それなら。

「足りないなら、このおにぎり食べる?」

「え、いいの?」

「うん。まぁ、ウチが適当に作ったやつで悪いけどさっ」
61 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:30:35.63 ID:apvgBKJC0
ちょっと多かったと思ってたし丁度いいかなと、何の気なしにウチがそう言うと。
お兄さんは、驚いたように眼を丸くしていた。
……あれ? ウチ何か変なこと言った?

「海ちゃん、それ手作りなの?」

「そうだよ。弁当は全部。まっ、野菜炒めも、昨日の余りもの使っただけだけどね」

「へぇー! 俺は全然やらないから感心しちゃうなぁ。海ちゃん、料理好きなんだ?」

なんだ、驚いてたのはそういうことかぁ。心の中で、思わず胸をなで下ろす。
でもそっか、料理かぁ。うん、それは、確かに嫌いじゃない。
嫌いじゃないけれど、それが理由ではなくて……
62 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:31:04.63 ID:apvgBKJC0
「ウチの場合は、独り暮らしだしさ。これくらいはやらないとねっ」

結局のところ、独り暮らしの人間にはありがちな理由だったりする。
今は買うだけでも十分済むけど……趣味で結構お金使ってるわけだし、これくらいは節約しないとね。
でも、バイトに入る回数、増やした方がいいかなぁ。
そんなことを考えていたのだけれど、お兄さんはといえば、また目を丸くして、驚いたような声を挙げていた。

「そっか、一人暮らしなんだね、海ちゃん」

「あ、言ってなかったか。ウチ、デザインの勉強したくて、1人でこっち出て来たからさ。今は独り暮らし」
63 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:31:35.08 ID:apvgBKJC0
そういえば、言ってなかったかもしれない。
大分話すようになったから、なんだか言ったような気になってたなぁ。

「ほー、勉強のために一人で、かぁ。短大っていうのは聞いてたけど、デザインなんだ」

「そ。主に服飾とか、小物とか、そっちの方。地元で専門も考えたんだけど、こっちにいい短大があったからさ」

いいゲレンデが近いから、というのも大きな理由の一つなんだけれど……。
まぁ、それはナイショっていうことで。だってそれじゃあ、遊ぶためみたいで鎌倉に来たみたいでなんだか、ねぇ?

「ははぁ、しっかりやりたいこと考えてるワケだ。遊び呆けてた俺の学生時代とは大違いだなぁ」

「あはは、そんな大層なモンじゃないけどね。やりたいこと、やってるだけの話だしさっ!」

「俺からしたら、それがまず立派だけどねぇ……そうだ、モノはついでに、1つ聞いてもいいかな?」

「うん? 別にいいけど……何?」
64 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:32:03.34 ID:apvgBKJC0
お兄さんがわざわざそんなことを断るなんて、珍しい。
一体どんな質問だろう、そう思ったのだけれど。

「いやさ。海ちゃんはなんで、デザインをやろうと思ったのかなって」

問われたのは、意外にもとても単純なこと。
けれど……ウチはそう問われて、会話の合間合間に動かしていた箸が完全に止まってしまった。

「どうして、かぁ」
65 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:32:31.83 ID:apvgBKJC0
昔から、ウチは綺麗な服や、バッグや、そういうものを考えて絵にしたり、形にするのが好きだった。
それは、成長してからも変わらなかった。弟達がお下がりで着回す服を、簡単にアレンジしてあげたりなんかしていたっけ。
そしていざ進学先を選ぶ段になって、好きだからこそ勉強したいし、自分の職にしたい。そう思ったのは確かだと思う。

「……そう、好きだった。好きだった、けど」

けど……その『好き』は、一体どこから来たんだろう?
なんとなく、お兄さんが求めている答えは、そういうコトのような気がした。
なんでそれが分かったのかは、分からなかったけれど。

「……」
66 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:32:58.17 ID:apvgBKJC0
ふっと、記憶の海へと身を沈める。
いったい、この『好き』という気持ちの原点はどこにあるんだろう。それを、自分でも探ってみたくなったから。
深いところへ、もっと深いところへ……ウチ自身の中に潜っていくようにしながら、自分の記憶を探る。

「……あ」

そうしているうちに、ふっ、と浮かんでくる光景があった。
それは、実家にいた時……子供の頃の光景。
騒がしいばかりの弟達の面倒を見ながら、ふと目にした、あの、キラキラとした――。
67 : ◆OVwHF4NJCE [saga]:2017/07/20(木) 23:33:32.93 ID:apvgBKJC0
「……ウチはさ。長女なんだけど、下に弟が沢山いてさ。いっつも面倒見てたんだよね」

「うん」

上手く言葉にできるかどうかは、自信が無い。
ウチだって、たった今それの輪郭に触れただけなのだから。
でも一度考え始め、口に出してみれば、それは不思議と止まらなかった。
きっと堰を切った、っていうのは、こういう時に使うのかな。

「上の子の宿命ってヤツなのかもしれないけどさ、親の目はどうしても下に向くし、ウチのことは、どうしたって後回しだった」

今度は無言で、お兄さんは頷く。
少し遠い目をしているし、ひょっとしたら似た経験があるのかな。
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