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杉坂海「オンショアをつかまえて」
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68 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:34:00.36 ID:apvgBKJC0
「ウチはウチで弟達の面倒見るのは嫌じゃなかったし、大変だけど楽しかったよ。でもその分、可愛い服着てる余裕とかなくてさ」
ウチの弟共はもうヤンチャな連中ばっかりで、日中は働いている両親に代わってウチがずっと面倒を見ていた。
だからその分、お洒落なんかしたことは無かったし、偶に服を買ってもらっても、動きやすいものを優先させていた。
「だから、かな……いつからか、自分で服とかのデザインを考えてた。考えるくらいは自由だったから。そんな時、見たんだよね」
「見た? 何を?」
「偶然付けたテレビでね、音楽祭みたいのがやってたんだ。多分、結構大仰なヤツ」
「何とか賞を決める、みたいな?」
「あー、そう、多分そんなカンジ」
69 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:34:40.67 ID:apvgBKJC0
今となっては、どんな番組かなんて詳しいことは覚えていない。
でもその光景だけは、改めて思い出そうとしてみれば、はっきりと思い出せた。
「司会の芸能人とか、出演者の歌手とかバンドとか、アイドルとか! みんな煌びやかな、綺麗な衣装を着ててさぁ……!」
綺麗な衣装をきた出演者たちは、キラキラと光り輝いていて、綺麗で。
だからきっとそんな光景に、ウチは心を奪われたんだと思う。
「きっとそれからじゃないかな。今までよりも服の絵を描いたりするようになったのは。あんな風に、人をより輝かせられるような衣装を作れたら、凄いステキだなってさ!」
「ん、そっか。それが、海ちゃんがデザインやってる理由なんだ」
70 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:35:07.98 ID:apvgBKJC0
いつもとはどこか違う、落ち着いた調子と、優しい目、それでいて真剣な目で、お兄さんがそう言う。
そんな眼差しが、なんだか意外だとそう思った瞬間、今自分がどんな状態なのかを思い出して、すっと現実に引き戻された。
……どうしよう、なんか調子に乗って夢とか話しちゃって急に恥ずかしくなってきた……!
「あ、あははは。なんかゴメンねっ! 急にこんな話してさっ!」
「いやいや、貴重な話が聞かせてくれてありがと。海ちゃんの目、なんかキラキラしててイイ感じだったよ」
「ちょ、もう! そういうのやめてってば!」
71 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:35:39.50 ID:apvgBKJC0
あいかわらず、お兄さんはそういうコトを言う。
でもなんとなく、今は恥ずかしがってるウチを気遣ってワザと言っているんだろうことがわかった。
うん、やっぱり、お兄さんって、けっこう気が利く人かもしれない。
……なんか悔しいから、絶対に口にはしないけど。
「うん、でも、そっか。『アイドル』もかー……。ねぇ、海ちゃん」
「ん?」
「最後にもう1つだけ、聞いていい?」
「……また変な事じゃないよね」
「はは、違う違う。たださ、海ちゃんはそういう衣装、着る側になりたいとは思わなかったのかなって」
72 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:36:14.80 ID:apvgBKJC0
それは、ちょっと予想外の質問だった。今まで考えた事もなかった、という意味で。
でも、ある意味当然の質問だったのかもしれない。
確かに同年代の子でも、アイドルとか、女優とか、そういう人に憧れている子は多かった。
でもウチは、それよりもああいう衣装をどうやったら作れるかとか、そんなことばかり気にしていたと思う。
だから、その質問に答えるとしたら。
「そうだねぇ……勿論、全く憧れたことがないって言ったら、嘘になると思う」
73 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:36:41.65 ID:apvgBKJC0
無言で頷いて、先を促すお兄さん。
「でも、こういう綺麗な、人を輝かせられる衣装を作りたいって思いの方が強かったかな」
「そっか」
「うん。それに、ああいう綺麗な衣装、ウチには勿体ない気がしたしさっ」
衣装ならば作れるし、素敵に人を輝かせる手伝いをすることは、きっとできる。
けれど、自らが輝く側になることは、どこか想像できなくて……まるで、遠くのことを見ているような気持だった気がする。
そんな思いがあったから、ウチはあんまり、憧れたりしなかったのかもしれない。
74 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:37:09.73 ID:apvgBKJC0
と、その時だった。
昼ごはんを買いに行くついでにとってきていたのだろう、お兄さんのスマホが震えていた。
「と、ゴメン海ちゃん、ちょっと電話」
「どうぞ、気にしないで!」
ゴメン、ともう一度手で示してから、お兄さんは立ち上がって少し離れたところで話し始める。
なんだか深刻な様子だし、仕事のお話なのかな。
でも正直、電話がかかってきて助かったと、胸をなでおろしているウチ自身がいた。
……あれ以上喋っていると、きっと余計なことまで、口走ってしまいそうな気がしたから。
その後、暫く経って電話を終えたのか、お兄さんがこちらへと戻って来た。
75 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:37:36.64 ID:apvgBKJC0
「ゴメン海ちゃん、仕事でトラブルみたい。急遽でなきゃいけなくなった」
「ん、そっか。もともと待ち合わせとかじゃなくて偶々会っただけだしさ、気にしないでよ」
「いやー、話してた途中だったしさ。ホントゴメンね!」
「いいっていいって」
「そう言ってくれると助かるなぁ」
そう言いながらも、お兄さんは手早くゴミを纏めて、ボードをひょいっと抱える。
どうやら、本当に急ぎみたい。詳しいことはよくは知らないけど、なんだか大変な職業なんだなぁ。
76 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:38:02.26 ID:apvgBKJC0
「それじゃ、俺はこれで。またね!」
「うん。お兄さんも、仕事頑張って」
「ありがと。あ、それと海ちゃん」
「ん?」
それまで、軽そうな……けれど、優しい笑みを浮かべていたお兄さんが、すっとその笑みを消す。
代わりに浮かんだのは、真剣な、オトナの表情で。
見た事のないその表情に、どきりと胸が跳ねる。
77 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:38:30.41 ID:apvgBKJC0
「俺はさ。『勿体ない』なんて、そんなことないと思う。海ちゃんはきっと、自らが輝ける人だよ」
「え」
ウチが何か言葉を返す前に、お兄さんはじゃあね、と手を振りながら歩き去ってしまう。
追いかけることは簡単だった。なにせ、使っている艇庫は同じなのだから。
けれど、そうすることはできなかった。
「あ……」
ふと、下に視線を向けてみれば、手の中にあったのは、お兄さんに渡そうとしたおにぎり。
そういえば、お兄さんにあげようかと思ったけど、そこから話が逸れたんだっけ。
食べようと思えば、今食べてしまうことはできたけれど……。
「……おにぎり、余っちゃったなぁ」
不思議と、そんな気持ちにはなれなかった。
78 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:39:04.96 ID:apvgBKJC0
――結局、その後。
それまで多少波がありつつも穏やかだった海は、急に波が強くなってきてしまった。
回りのウィンドサーファーに倣って、ウチも撤退の準備に入る。
けれど器具の片づけをして、着替えをして、帰り道の途中でさえも。
お兄さんの言葉が、何故か耳から離れなかった。
79 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/07/20(木) 23:40:05.34 ID:apvgBKJC0
今日はここまで。
また書けたら、続きを投稿していこうと思います。
本当は海さんの誕生日に完結したかったけど、うん、無理でした。
これからもお付き合い頂けたら嬉しいです。
それでは。海さん、誕生日おめでとう!
80 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/07/21(金) 01:33:31.78 ID:FEyhZlTN0
乙
81 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/07/23(日) 12:40:25.74 ID:9UqWcP7wO
乙、続き待ってる
82 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2017/09/24(日) 19:51:36.64 ID:XhDGe8XPO
あれから2ヶ月
83 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:40:50.97 ID:U37eLnDj0
2ヶ月ぶりに再開。初めて見る方も、是非読んで頂けたら嬉しいです。
それでは始めて行きます。
84 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:42:11.36 ID:U37eLnDj0
3.『プロデューサー』
あれから、数日が経った。
あの日以来、何度か海に出てはいたけれど、お兄さんと会うことは無かった。きっと忙しいんだろう。そう思うことにした。
会えなくて残念なような……ほっとするような。そんな、不思議な気分を味わったのは、これが初めてのことかもしれない。
そんなものだから、なんだか胸の中がモヤっとしていて。
「……はぁ」
「海、ここんとこ溜息多いねぇ」
こんなふうに、どうやら溜息が増えてしまっているらしかった。
「……溜息そんなに多い?」
「うん。けっこうしてるよ」
「そっかぁ」
85 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:43:18.68 ID:U37eLnDj0
これは、あんまりよくない傾向かなぁ。
学業や、課題には影響は出てないけれど、あんまり人前で溜息し続けてるのも、よくないし。
まぁ、原因はなんとなくわかっているんだけれれども……。
「すっきりしないならさ、ウィンドサーフィン行って来れば?」
「そう思って行ってるんだけど、なんかすっきりしないんだよなぁ。気持ち良くはあるんだけどさ」
いつものようにウィンドサーフィンをすれば、いつも通りの爽快感はある。
けれど、普段ならばそれですっきりと、細かい悩み事なんか吹っ飛んでしまうはずなのに、そうはいかなかった。
思わず、カフェのテーブルにぐでーっと臥せってしまう。
「あーあ。なんなんだろうなぁ、コレ」
「いつも元気な海が、珍しいこともあるもんだねぇ。もしかして恋煩いとか?」
「恋煩い、ねぇ」
86 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:43:53.21 ID:U37eLnDj0
その言葉で、ぱっと頭に思い浮かぶのはお兄さんの顔。
……恋、恋かぁ。
こればっかりは、正直なところわからない。今までは、弟達の世話ばっかでそんな余裕なかったし。
わからないけれど、でも、そういうのとはなんとなく違う……気がする。別にこう、胸が苦しくなったりしないし。
ただあの時のお兄さんの言葉が、なんとなく残っている気がしたのは、事実で。
「こりゃ重症かなぁ、海」
「うん。かも」
「……それじゃあさ、いつも行かないとこ、行ってみたら?」
「いつも行かないところ?」
87 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:44:22.62 ID:U37eLnDj0
はて、どこだろう。
いつも行くところといえば、海、バイト先の数店舗、短大、たまに江ノ島……それくらいだけど。
「海ってさ、どうせいつもウィンドサーフィンばっかりでしょ?」
「どうせって……まぁ、その通りだけど」
うん、悔しいくらいに。
「それならさ、偶にはお寺とか、山の方回ってみたら?」
「……お寺かぁ」
「そ。折角鎌倉近辺に住んでるんだしさ」
言われてみれば、今までお寺なんて殆ど行ってないかもしれない。
精々、かの有名な鶴岡八幡宮と、高徳院の大仏を見に行ったくらいだ。
88 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:45:20.42 ID:U37eLnDj0
「それにほら、今の時期なら、そろそろ紫陽花もいいじゃない?」
「あー。そういえば、鎌倉って紫陽花が有名なんだっけ」
「うん、場所は幾つか限られるけどね。だからさ、偶にはそういうところ見に行くのもいいんじゃない?」
「ふーん。それもいいかなぁ」
確かに、いつも海ばっかり見ているというのも、味気ない気はする。いや、好きではあるんだけど。
いつもと違うことをしてみれば、気分転換にはなる、のかね。やっぱ。
「……ん、そうだね。折角だから、慶の言うとおり色々巡ってみるよ」
「そっか。それじゃ折角だし、おすすめの場所、後で送るね」
「了解! ありがとねっ」
そんな会話を交わして、私達は喫茶店を後にして、それぞれのバイト先へと向かう。
……うん。次の休日は、どこに行ってみようかな。
そう思っただけで、もやっとした心が、少し弾んだ。
89 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:46:25.35 ID:U37eLnDj0
●
慶とそんな会話を交わしてから、2日後の休日。
本当だったらバイトが入っていたのだけれど、向うの都合で急に無くなってしまった。
ぽっかり空いてしまった休日。本当なら、課題でも進めるのがいいのかもしれないけれど、なんだかそんな気分にもなれなかった。
そこで早速、慶の序言に従ってお寺にでも行ってみようと、サイクリングに繰り出したんだけど……。
「……あれぇ?」
スマホで地図を見ながら、首を捻る。
これ……うん。思いっきり、道に迷ったね!
「……江ノ島が見えてきたけども、家が近いわけでもないしなぁ」
90 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:46:53.26 ID:U37eLnDj0
そんなことを思わずぼやいてしまうくらいには、割と困っていた。
こっちは住んでるところから大分離れてるし、普段来ないし、道もよくわからない。
ていうかウチ、こんなに地図を読めないんだってことが割とショックかもしれない……。
「慶から教えてもらったお寺、近い筈なんだけどなぁ……」
慶から、花がきれいで、上まで登れば眺めも最高というお寺を教えてもらったのだけれど……うーん。
なんだか悔しくてしばらく、スマホと睨めっこしたけれど、結局。
「ま、いっか!」
91 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:47:23.81 ID:U37eLnDj0
手帳型ケースをパチンと閉じて、バッグに仕舞う。
確かに迷ったのは不覚だけれど、まぁこれも、散歩やサイクリングの醍醐味ってヤツかもしれない。
そもそも今日は気分転換なわけだし、こういうのもまた一興、ってね!
そんな風に決めて、ウチは自転車から降りて、手で押しながら歩く。
さっきまでは漕いでいたから風が気持ちよかったけれど、これはこれで日差しが気持ちいいし、街並みが見られるのも楽しい。
時折立ち止まって、電柱にとまるトンビを写真に撮ったりしながら、歩くこと数分。
「……ん? これ、電車の音?」
そう遠くない場所から、ガタンゴトンと、穏やかな電車の音が聞こえてきた。
こっちに大きな路線は通ってなかったと思うし……ひょっとして江ノ電かな?
何となく気が向いて、ウチはそちらへと足を運ぶことにした。
すると。
92 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:47:57.21 ID:U37eLnDj0
「おお……!」
見えてきたのは、江ノ電の線路と、線路脇に咲く紫陽花、そしてこじんまりとした神社だった。
丁度江ノ電が通って行き、紫陽花を揺らす。紫色の鮮やかな紫陽花が、緑色の車体によく映える。
電車と紫陽花、それに神社……普通ならまじりあわない要素かもしれないけれど、この場所では不思議とピッタリだった。
「ちょっと寄って行くかな」
そう呟いて、自転車を押したまま境内へと向かう。
一応鳥居をくぐる前、境内の端にきちんと自転車を止めておく。
「うわぁ……!」
入ってみて、改めて見回してみて、思わず感嘆の息が漏れる。
江ノ電と紫陽花もとても綺麗だ。けれど、小さな境内を覆うように、大きな気が枝を伸ばしていて、まるで天然の天蓋みたくなっていた。
木漏れ日が綺麗で、涼やかな風が吹き抜ける境内は……なんだか、とても神秘的だった。まるで、ここだけ別の世界みたいだ。
ウチは、そんな境内の端、目立たないあたりにに腰かけて、そんな風と江ノ電の音、そして風景を楽しむことにした。
93 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:48:34.01 ID:U37eLnDj0
「……うん、やっぱり、路に迷ってよかったかも」
目を瞑って、涼やかな風を浴びる。
木の葉が揺れて、偶に日差しが当たるけれど、それすらも気持ちいい。
そんな風に、ウィンドサーフィンとは全く違う形で自然を楽しんでいたら……。
「――……」
いつの間にか、すうっと眠りに落ちていた。
94 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:50:41.33 ID:U37eLnDj0
●
「……ん」
一際強い風に吹かれて目を開けてみれば、影の位置が変わっていた。どうやら、けっこう寝ちゃっていたらしい。
くあ、と大きく欠伸をしてから手首を返して時計を見てみれば、夕方とはいかないまでも、大分時間が経っていた。
うーん、正直不用心だったカンジは、否めないかなぁ。
……でも気持ち良かったし、まぁいっか。
不思議と、気分的にも少しすっきりしてるし。
「よいしょ、っと」
立ち上がって、勢いよく体を伸ばす。変な体制で寝てしまっていたから、少し体が痛い。
不覚にも寝てしまったけど……うん、いいトコ見つけられたかも。是非ってお寺教えてくれた慶には、ちょっと悪いかな。
「さて、帰ろっかな」
だいぶ時間も過ぎてしまったし、駅前の八百屋で買い物でもして帰るかな、なんて思っていたのだけれど。
95 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:51:14.39 ID:U37eLnDj0
「下見の最後はここ?」
「そう、この神社。ほら、あっちに鳥居と線路、紫陽花があるじゃん?」
「あー。そっか、今回は『鎌倉あじさい巡り』だもんね」
「そういうこと」
人も絶えていた筈の境内。けれど、鳥居とは別の入り口の方から、そんな声が聞こえてきた。
声だけでもわかる、跳ねるような快活そうな女性の声と……どこか聞き慣れた声。
ていうか、この声って。
96 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:52:38.11 ID:U37eLnDj0
「おー。あれって江ノ電の線路? へー、電車が来たら、なんかいい雰囲気になりそうだね!」
「だろ? ていうか悪いね、下見なのに美世に運転させちゃって。俺の地元なのに」
「いやいや、私は車の運転好きだし。鎌倉も、一度運転してみたかったからさ」
「そう? まぁ、俺は美世とのドライブデートって感じで役得だったからいいけどね」
「あーハイハイソウデスネ」
「扱い悪っ。そこは照れるとこだろー?」
「自業自得でしょう?」
陽気な声に、少し調子のイイ感じのやり取り。
まさかと思って、声のする方を振り向いてみれば。
そこに居たのは、ボブカットの快活そうな女の人と、そして。
97 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:53:39.25 ID:U37eLnDj0
「……お兄さん?」
「ん? あれ、海ちゃん!」
きっちりとしたスーツ姿で、赤茶けた髪をきちっと整えた、男の人。
それは、いつも海で見る姿とは全く別人に見えるお兄さんだった。
ウチのことに気づいたお兄さんは、綺麗なお姉さんに軽く断って、こちらへと小走りで寄ってきた。
……ていうか、あのお姉さん、どこかで見たことあるような。気のせいかな。
「いやー、まさかこんなところで会うなんて。奇遇だね!」
「それはウチの台詞。ていうかなんか、全然別人みたいだね、お兄さん」
「ま、今は一応仕事中だから」
「……女の子侍らせて?」
98 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:54:13.44 ID:U37eLnDj0
ちらりと見てみれば、綺麗なお姉さんは、こちらを興味深そうに見ながらゆっくり歩いている。
やっぱり見た事ある気がするんだけど……兎も角、なんだかそれが無性に腹が立つ気がする。
ウチはあんなに気を揉んだのに。
「いやー、侍らせてるわけじゃないよ? これも一応仕事だからさ。撮影の下見」
「撮影……? って、あ!」
その言葉で、ようやく繋がった。
あの人、どこかで見た事あると思ったけど、やっぱり!
「ひょっとして、原田美世!? あのアイドルの!」
「あ、私の事知ってるんだ! なんか嬉しいなぁ」
99 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:54:54.81 ID:U37eLnDj0
近づいてきた女性――アイドルの原田美世さんが、はにかむようにして笑う。
うわ、可愛いなぁ……。思わず、そんなことを思ってしまう。
「へぇ、海ちゃん、美世のこと知ってるんだ。ちょっと意外な気もするけど」
「ああ……ウチ、書店でバイトしてるから。車雑誌の表紙とかでね」
「なるほど。道理で」
「……って、そうじゃなくて! あの、どうしてお兄さんが、アイドルと一緒にいるの?」
ウチが恐る恐る聞くと、お兄さんは、ああ、と手を打って、懐から小さなケースを取り出す。
そして、そのケースから取り出したのは、小さな紙――名刺だった。
100 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:55:30.45 ID:U37eLnDj0
「海ちゃんには言ってなかったけど、実はこういう者なんだよね」
そこに書かれていたのは、お兄さんの名前。
そして。
「シンデレラガール事務所、プロデューサー……? って、あの芸能事務所!?」
「そ。恥ずかしながらね」
またナンパ? なんてお兄さんに聞く原田さんの横で。
ウチは、割と予想外の事実に、目を白黒させていた。
101 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:56:34.44 ID:U37eLnDj0
●
「はい、海ちゃん」
「ん、ありがと」
自販機でお茶を買ってきてくれたお兄さんが、ウチの隣に腰を下ろす。
原田さんは気を利かせてくれたのか、境内を興味深そうに見て回っていた。
「……そっかぁ、お兄さん、芸能関係の人だったんだね」
「隠してたわけじゃないんだけどさ。なんかゴメンね」
「ん。気にしないで。ホント、驚いただけだからさ」
でも言われてみれば、妙に納得できる気もした。
普通ではないと言っていた仕事、それに、少し軽いけれど喋りやすい雰囲気。
なんというか……イメージの中の、『業界人』と、妙に一致していた。
102 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:57:03.34 ID:U37eLnDj0
「……」
「……」
ちょっと予想外の場所での出会いに、ウチもお兄さんも、何を喋ればいいか分からなくて、押し黙ってしまう。
けれどそれは、ほんの少しの間のことだった。
どちらからともなく、笑いが漏れる。
「へへっ……なんか、おかしいね」
「そうだね。いつものビーチでなら、いくらだって話せるのに」
「ホントだよ」
お兄さんが買ってきてくれたお茶をあけて、口に含む。
結構暑かったら、冷たい麦茶がなんだか気持ちいい。
103 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:57:51.24 ID:U37eLnDj0
「……ん。今日は仕事なんだ?」
「そう。数日後から、何回かに分けて鎌倉で撮影があってね、その下見」
「原田さんの?」
「と、他数名。大槻唯とか三船美優、脇山珠美に五十嵐響子……知らない? あ、これ、一応オフレコね」
「うん、それはいいけど……うわー、全員知ってるなぁ。お兄さん、凄い人だったんだねぇ」
そんな有名人と一緒に働いてるような人だなんて、思いもしなかった。
ウチは割と本心から言ったんだけど、お兄さんはいやいや、とかぶりを振る。
「俺が凄いんじゃないよ。凄いのは皆だから。俺は、その手伝いをしてるだけ」
「……っ」
104 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:58:21.18 ID:U37eLnDj0
ふと、お兄さんが真剣な表情を見せる。
前も、一度だけ見た表情。あの時と同じく、その表情にどきりとした。
「皆、色々な魅力を持ってる。けど、それをどう引き出すか。どう魅せるか。それを考えるのが俺の役目って感じかな」
「ふーん……」
「正直、大役だけどさ。凄くやりがいがあるよ」
真剣な眼差しで、真面目に自分の仕事について語るお兄さんの姿は、いつものお兄さんとは、正直あまり重ならない。
けれど、真面目で、真剣で……その姿はちょっと、かっこいいとすら思った。
105 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:58:56.09 ID:U37eLnDj0
そんなことを、思っていたのだけれど。
「……この際だから言うけどさ」
「うん? 何、お兄さん」
「実は俺、海ちゃんのこと、最初見た時から、スカウトするつもりだったんだよね」
一拍おいて、その言葉の意味を理解して。
「……え? は、はぁ!?」
驚きのあまり、思わず立ち上がってしまう。
いやだって、ウチをスカウトって……! 何で!?
106 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 19:59:22.60 ID:U37eLnDj0
「海ちゃん、座って座って」
「あ、うん……いやでも、ウチをスカウトって……何で?」
「前に言ったこと、覚えてない?」
「……?」
なんだっただろう、と記憶を探る。
そしてそれは、案外すぐに思い当った。
「『キラキラ輝いてて』……?」
「そう。そういうこと」
それはもう、今となってはなんだか懐かしくすらあることだった。確か、二回目にお兄さんと話した時のこと。
まだ、それほど前のことでもないのになぁ。
107 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:00:05.30 ID:U37eLnDj0
「あの時の海ちゃん、外見の話とかだけじゃなくてさ、本当に綺麗だった。だから、きっとアイドルになれると思ってね」
「……でもお兄さん。そんなコト、一度も」
「うん。まぁ、それは不覚なんだけど。マリンスポーツの話したりしてる内にさ、なんだか……うーん」
「ん?」
「いや、やっぱこれはなしで。ちょっと大人げないし」
「……そう? ならいいけど」
お兄さんがそんなことを言うのも珍しいけど、まぁ、言いにくいこともあるのかな。
「まぁ、そんなわけでさ。海ちゃんに声かけたのは、そんな目的もあってのことだったワケ」
「そっか」
「……軽蔑した?」
「え、何で?」
108 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:00:49.83 ID:U37eLnDj0
何でそんなことを言うんだろう。
ウチは、別にそんなこと思っていないのに。
「だって、ここ暫くで仲良くはなれたと思ってるけどさ……最初はある意味、下心満載だったわけだし」
それは、確かにお兄さんの言うとおりかもしれない。
……うーん、でも。
「……いや正直、お兄さんは別の『下心』があると最初は思ってたから、それに比べれば」
「あ、さいですか……いやまぁ、軽蔑されてないならいいんだけどさ、うん……」
109 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:01:17.50 ID:U37eLnDj0
真面目な雰囲気が解けて、軽く項垂れるお兄さん。
……さっきの原田さんとのやり取りといい、いつもこんな感じなのかな?
やっぱりお兄さんはお兄さんなんだななんて、ちょっとだけ安心した。
「まぁ、そんなわけでさ。海ちゃん」
「は、はい」
気を取り直したように顔を挙げたお兄さんが、真剣な表情に戻る。
思わず、ウチも背筋が伸びる。
110 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:01:47.70 ID:U37eLnDj0
「もう全部喋っちゃったからさ。改めて言うよ」
「う、うん」
「アイドル、やってみない? 海ちゃんの『輝き』、皆に伝えさせてくれないかな」
今までと比べても、一際真剣な瞳に、さっきよりも更に胸が跳ねる。
どきどきとしてしまうくらい、お兄さんの瞳は真剣だった。
でも……何故だろう。
その瞳に見つめられると、すうっと、余計な考えが削ぎ落されていく気がした。
だから、かもしれない。
自分でも意外なほど、すんなりと言葉が口から出た。
111 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:02:21.68 ID:U37eLnDj0
「……そうだねぇ。まずはありがとう、お兄さん。ウチみたいなガサツで可愛げのない女に、そこまで言ってくれて」
「……」
「この前逢った時も、言ってくれたよね。ウチは輝ける人だってさ」
「うん。言った」
「あんな事言われたの、初めてでさ。ウチ、正直戸惑っちゃった。この人はなんで、そんなこと言うんだろう、って」
それが、きっと胸のつかえの正体だったんだと思う。
でもお兄さんの意図が分かって、すうっと、そのつかえがとれた気がした。
だからこそ。
だからこそ、ウチは。
112 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:02:47.92 ID:U37eLnDj0
「でも、ゴメン」
「……理由、聞いてもいい?」
「うん。本当にさ、プロデューサーがそう言ってくれたのは嬉しかったよ。ウチのこと、認めてくれた気がして」
いつも弟達の世話をして、自分のことは二の次。親も、周りも、弟達が第一になる。
弟達の世話するのは楽しかったけれど……きっとウチ自身の心の中に、何か燻るモノがあったのが事実だと思う。
ウチのことを見てほしい。弟のことだけじゃなく、ウチのことも。そんな気持ちが。
だから、だろうか。お兄さんのあの言葉は、そんなウチの心に、不思議と沁みた。
あの言葉に戸惑ったし、初めてのことだから、その理由が分からなかったのかもしれない。
けど。
113 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:03:22.15 ID:U37eLnDj0
「けどさ。前も言ったみたいに……ウチはやっぱり、自分が輝くよりも、人を輝かせるモノを、作りたいから」
「……あぁ」
「ウチのデザインした服で、バッグで、アクセサリーで! その人の魅力をもっと引き出せたら素敵だなって、思うからさ」
プロデューサーの言葉が嬉しかったのも、本当の気持ち。
そしてこれも、ウチ自身の偽らざる気持ちだった。
「だから、ゴメン。今は、その勉強をしっかりしたいんだ」
お兄さんの目を見て、ウチはしっかりとそう言う。
お兄さんは、真剣に言ってくれた。だから真剣に答えないといけないと思うから。
暫くの沈黙の後。お兄さんは、ぱん、と膝を打って立ち上がった。
114 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:03:53.74 ID:U37eLnDj0
「ん、そっか。それなら仕方ない、か。あーあ、振られちゃったなぁ……俺、ちょっと泣きそうかも」
「ちょ、お兄さん! 言い方!」
「いやまぁ、振られたのは事実だし」
そんなやり取りをして、ウチらは顔を見合わせて笑う。
断ったウチと、断られたお兄さん。
それこそ本当に告白の場面みたいだけど、大方のそういう場面とは違って、なんだか晴れやかな気持ちだった。
ウチだけじゃなく、きっとお兄さんも。
115 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:04:24.59 ID:U37eLnDj0
「……さ、それじゃあ俺は帰るかな」
ひとしきり笑いあったあと、お兄さんはそう言う。
言われてみれば日は更に傾いて、もう1時間もすれば夜、という時間になっていた。
「ん。それじゃあね、お兄さん」
「うん。それじゃあまた、海岸でね」
「……いいの?」
「そりゃ勿論。貴重な海遊びの仲間だしね」
「……へへっ! うん、それじゃあ、また海岸でね!」
そう言って、ウチとお兄さんは別れる。
来る前と違って、心はどこか晴れやかで気持ちいい。
……うん。慶の意図とは違ったんだろうけど、やっぱりいつもと違う所に行ってみてよかったかな。
晴れやかな気持ちで自転車を漕ぎながら……それでも、少しだけ残念な気持ちがあるのも、否定できなかった。
116 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:05:06.72 ID:U37eLnDj0
●
「……よかったの、プロデューサー?」
「まぁ、仕方ないよ。振られちゃったからなぁ」
「ふーん」
「それにさ」
「ん?」
「きっとああやって、夢に真っ直ぐで一生懸命な所が、海ちゃんの魅力だと思うからさ」
「そっか」
「それに、諦めたわけじゃないしね」
「……まぁ、ほどほどにね」
117 :
◆OVwHF4NJCE
[saga]:2017/09/29(金) 20:07:14.87 ID:U37eLnDj0
今日はここまで。あれよあれよというまに2ヶ月空いてしまいました。
もう読んでいる人も、少ないかもしれないけれど……それでも完結させたいので、頑張ります。
ちなみに、今回の投稿分の「お寺」や「神社」は全部モチーフとなった場所があります。
特に神社の方は分かる人はわかる……かも?
それでは。また書けたら投稿します。
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