男「元奴隷が居候する事になった」【安価有】

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 20:00:48.85 ID:1bqYoAB70

書き溜めなし、安価有、地の文有。

思いつきのみで形成されております。

ゆるくまったり進めていけたらと思いますので、お付き合いの程をよしなに。 

 

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1509966048
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 20:05:38.82 ID:1bqYoAB70

浮気調査、動物探し、盗聴器ハント、簡易的な身辺保護。

平々凡々な探偵業をこなしていると、しがない依頼しか大抵は来ないものだ。

自分の掲げていた理想のハードボイルドと呼ぶには程遠い。

まだサラリーマン時代の方が楽だったのかもしれないとまで思っている。

霞でメシを食わないと仏様になってしまうような日々を過ごしていた。

だからこそ、今日の依頼人が提示してきた仕事には度肝を抜かれてしまう。


「マフィア殲滅のために情報収集を依頼したい。
 報酬は貴方が会社員を続けていた頃を基盤とした生涯年収分で如何ですか」


内容から察して詳細なんか聞かずとも、超弩級にきな臭い案件以外の何物でもないじゃないか。

それにこんな赤貧探偵に頼むなんて、どう考えても鉄砲玉のようにしか扱われないに決まってる。

即々でノーと返事を出してお引き取り願おう。

頭じゃ理解していても、心に宿る愚かな自分が吠え猛るのだ。

これこそがハードボイルドの真骨頂だろう、と。

震える指先を誤魔化すように煙草に火を点け、大きく吸い込み、溜め息のように煙を吐き出す。



「その仕事、請け負いましょう」


退路は断った。

後は野と成れ山と成れ、だ。

 
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 20:19:17.95 ID:1bqYoAB70

依頼の概要はこうだった。

“マフィアの元締めが来日する日付は七ヶ月後。
 それまで構成員に成りすまして内部調査を行なってほしい。”

俗に言うスパイというやつだ。

ターゲットとなる組織内に従属して、武器の貯蔵や構成員数、幹部のマル秘ネタなど、

出来得る限りの事柄を詳細に報告してほしいとの事。


有り体に言って自分には無理だと思った。

素人に毛が生えたくらいの人間に、そんな大それた事が出来るものかと。

ただ、向こうはどうやら自分が今までこなしてきた依頼を調べ上げており、

その功績や実績を何故かやたらと高く評価してくれていた。


先方は言う。

出来得る限りでいい。それに、構成員の中には既に君と同じように潜り込んでいる人が複数人いるから安心してくれと。

なるほど自分と同じような境遇の輩がいるのか。

先駆者がいるなら多少は安心だ。きっと同じように蓮っ葉な扱いをされている人達なのだろう。

ちなみにどういった経歴の方が紛れているのか訊ねてみた。


「FBIです」


この仕事を断るのは今からでも遅くないのではないかと本気で考える良いキッカケになる一言だった。

吐いた唾を飲めないのがハードボイルドの辛い所である。

 
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 20:34:18.63 ID:1bqYoAB70


先駆者のスパイらしき人物からの勧誘により、組織内には割とスムーズに侵入する事が出来た。

様々な人種がいたが、みな流暢に日本語を喋っている。

どうやら自分が潜入したのは日本支部のような扱いをされている場所のようで、

そこにイタリア本部からボスが視察にくる所を一網打尽にする予定なのだとか。


それからというもの、地獄のような日々が始まった。

ミスしたら即座に消される。正に文字通り。

不安と緊張が鎧のように体を重くして、血と硝煙の香りが鼻腔と脳内を率先して狂わせてくる。

依頼達成のための意地と根性で篩い立ち、親しくなりなくもない奴らとコミュニケーションを取って、

幹部の情報や武器の売買先を確認して定時連絡を取る。

お金と酔狂という飾りのようなモチベーションで、どうにか毎日を過ごしていた。

そんなある日の事、麻薬中毒者(ジャンキー)の構成員がいきなり後ろからガッツリ肩を組んでくる。

内心では死ぬほどビビっていたが、なんだよブラザーとヘラヘラ笑いつつも平静を装う。

すると、虚ろな目をしたそいつは、誰にも聞こえないようにこそこそと話してきた。


「Hey,bro. 聞いたか?今日ようやく本商品が届くんだってよ」


一体何の事だ?

あまり良い予感はしなかったが、そいつの次の一言で予感は確信に変わった。


「糞以下の金持ち共に売り払う用の、愛玩動物(クソガキ)共の事だよ」

 
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 20:54:56.54 ID:1bqYoAB70

なるほど、本商品とはそういう事か。

確かに組織は潤沢な金銭を抱えている。潤沢すぎるほど、金の流動を見せていた。

その謎の財源はどこから来ているのかと思えば、その子どもたちの人身売買が出処だったのか。

なるほど、なるほど。

握り拳の隙間から血が滴るのを隠しつつ、そのジャンキーに詳細を聞いてみた。

現状は船のタコ部屋で軟禁状態。

船に乗せる前から長期間“しつけ”を行なっているので、暴れる奴はいない。

ボスの到着と同じ日に〇〇港に着く予定なので、ボスが子ども達を出迎える手筈になっている、との事。

貴重な情報が聞けた事の小さじ一杯ほどの感謝をしつつ、どうして只のジャンキーがここまで情報を握っているのか訊ねてみた。

曰く、彼は幹部と飲み仲間で、且つこういう情報を小耳に挟んで組織内を立ち回る情報屋だった。

ある日新人から勧められた薬が非常にハマってしまい、

そいつから薬を貰う代わりにこういう情報を喋ってしまうので、ついつい口が滑ってしまったんだ。

わひゃわひゃわひゃ、と心ここに在らずのような笑い方をしながらそのままジャンキーは去っていった。

どうやら自分の同業者には素晴らしいマキャベリストが居るようだ。

手段はさておき、顔も知らない彼の手練手管に感心しつつ、ホットな報告を依頼人に送った。


「承知しました。つい先ほど貴方と同じ情報が入ったので、信憑性はヒトマルですね。
 不審な船の調査を急ぎます。元締め退治と奪還は同時に行う作戦に変更です」


了解、と残して通話終了。後はもう少しだけ情報を探るとしよう。

この組織の壊滅も近い。

なんとなく、そんな気がする。

 
 
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 21:14:35.03 ID:1bqYoAB70


運命の日。それはあっけなく終わった。

元締めが来日し、そのまま港に足を向け、そこで待ち構えていた警察たちに彼はあっけなく捕縛される。

彼の両手に手錠がかけられたタイミングで船が寄港し、その際に多少のドンパチはあったものの

こちら側に然したる被害もなく収まった。

そのドンパチに加担した身としては、弾が当たらなくて何よりだった。

久々に撃った感覚は変わらず気持ちの悪いもので、相変わらず苦手意識は変わっていない。

船に乗り込んだ際、どうやら配置の都合上、自分が子どもたちのいるタコ部屋に一番近かったらしく保護の役目を担う事になった。

これは依頼内容に含まれていないから後で追徴しようなどとボヤきつつ、その部屋に突入する。


そこには三人の子どもがいた。

どの子も将来は見目麗しい素敵な女性になるのだろうと思わせるような見た目だった。

体中に刻まれた夥しい数の傷跡さえなけば。

その子ども達は、自分を見るや否や震え出した。

何か恐ろしいものを見るような目で見つめられ、うち二人は頭を抱えて泣き出した。

ごめんなさい、ごめんなさいと絞り出すような嗚咽を漏らしながら。

そして自分の前に一人の少女が両手を広げて立ちはだかった。

手入れのされていない黒髪を振り乱し、澱んだ瞳孔をこちらに向ける。

後ろで泣いている子を庇うかのような立ち振る舞いだったが、

小鹿のようにやせ細った両足が大仰に震えており、必死で恐怖と戦っているのが見て取れる。


「いたいこと、するなら、わたしが、うけます」


その惨たらしい献身を見て、体中の力が抜けた。

守れて良かった、という思いと。

護れずに済まなかった、という想いで。


気付けば自分は、大粒の涙を零しながら、その子どもを抱きしめていた。

 
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 21:26:06.15 ID:1bqYoAB70


しばらくして抱擁を解くと、少し息苦しかったのか、けほけほと咳き込んでいた。

すまないと思わず謝った。力加減が分からなかったのだ。

その黒髪の少女は一体何をされていたのだろうといった表情で呆気に取られている。


「君たちを、助けにきた」


そう伝えて、髪をくしゃくしゃと撫でてみる。

眼前の黒髪の少女の瞳に一瞬だけ光が戻り、その子が逆にこちらの胸に飛び込んできた。

そして、そのまま大声で泣き始めた。

奥で震えていた子どもたちも次々に抱き着いてきて、しゃくりを上げて大泣きしてきた。


目先のお金と恰好つけで始めた仕事にしては、随分と貰える報酬の多さに驚いている。

死ぬほど辛くて、何度か本当に黄泉路を歩きそうになったけれど。

請けて良かった。あの時の自分の判断こそが正しかったのだと、ようやく実感できた。


 
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 21:38:00.79 ID:1bqYoAB70


それから約一か月後、日射しの気持ち良い秋晴れの頃。

依頼人が自分の事務所を訊ねてきた。


「依頼達成、お疲れ様でした。請け負ってくれて有難うございます」


事務所の安革ソファに腰を下ろし、労いの言葉をかけてくる。

気にしないでください、お役立てできて何よりです。

そんな言葉を返すと、眼前のスーツ姿の青年は、にこりと会釈を返してくれた。


「貴方が身を粉にしてくださったおかげで、一つの大きな組織が滅びました。
 子ども達も無事に保護できて何よりです」


あの子達は元気かどうか聞くと、今はまだ療養中との事だった。


「元々あの三人は、組織お抱えの娼婦たちがそれぞれ捨てた孤児だったのです。
 身寄りどころか戸籍もなく、組織内で文字通り飼われていた子でしたから……。
 劣悪な環境下で育っていたので、日本の病院の綺麗さを天国だと言ってました。
 まぁ確かに天国へ繋がっている人も居るかも知れませんがね。 はっはっは」


いや、はっはっはじゃないだろう。地味なブラックジョークは止めてほしい。


 
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2017/11/06(月) 21:51:39.96 ID:1bqYoAB70


「世界にはお金で狂った人が大勢います。
 道徳心を亡くした小金持ちは子どもを愛玩や嗜虐の道具で欲しがる、歪んだ人々もいます。割といます。結構います」


神妙な面持ちで、スーツ姿の青年は語りかけてくる。


「あの子たちは、奴隷として飼われており、奴隷として買われるところでした。
 貴方はその子どもを助け、世界を美しくする一端を担ってくれました。
 本当に、本当に有難うございます」


そういって、深々と頭を下げてきた。

流石に恐縮してしまう。

いえいえ、人として当然の事をしたまでです。頭を上げてください、というので精一杯。

そういえば、あの子たちはどうなるのですか。

気恥ずかしさで話をすり替えるために別の話題を振ってみた。


「そうですね……あの中の二人は、アメリカの孤児院に行く事になっていまして……」


何故か急に歯切れが悪くなった。あまり聞いてはいけない内容だったのか。

では報酬の話にでも移ろうかと思った瞬間、スーツ姿の男が洗練された営業スマイルを向けてきた。



「ところで少々話は変わって、物は相談なのですが。追加依頼を受けて頂けないでしょうか」

 
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/06(月) 22:15:14.82 ID:1bqYoAB70


「助けて頂いた子のうち二人はアメリカに行く事が決まりました。
 ただ、もう一人の子はこの国への残留を強く望んでおりまして。
 それで、この国の戸籍を準備するのが少々手間取っている現状ですね」


ほぅほぅ、難儀な事ですね。

そう言いつつも手元のコーヒーを優雅に啜ってみる。


「それでですね、こちら側が戸籍を準備するまで、その子を預かって貰えないでしょうか」


飲んでいたコーヒーを盛大に噴出した。

男一人で侘しくものんびり暮らしていた生活なのに、そこに住人一人増えるのはたまったものではない。

断固反対、絶対不可。これを心情に断ろう。


「その子、いたく貴方を気に入っているんです。
 実は今日も連れてきていまして……。入っておいで」


スーツの青年が事務所の出入り口に声をかけて、少しだけ間の空いた後、おずおずと入ってきた一人の少女。

変わらずボサボサだが、変わらぬ綺麗な黒髪。華奢な肢体に少しだけ血色の良くなった顔。


あの日、船の中で自分が助けて、抱きしめた子だった。


「……迷惑だったら、断ってください」


その子は、涙を浮かべて不安そうな瞳を向けてくる。

自分の事は自分が一番よく分かる。

ノーだというのは、きっと無理だろう。
 
 
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/06(月) 22:25:49.34 ID:1bqYoAB70


……期間は、どのくらいですか。


諦めたように依頼人に告げた。

ぱぁっ、っと少女の表情が明るくなり、依頼人はネクタイを正して商談に入るような姿勢を向けてきた。


「まぁ、組織内の情報を洗う意味で少々時間を空けて、一年です。
 延びるかもしれないし、短くなるかもわかりません。」


報酬は如何ほどになります?


「そこは要相談で。ああ、ちなみに彼女の生活費はこちらで出しますので、そこは気にしないでください」


ふぅ、と思わずため息をついた。

腹をくくったからには、まぁそれなりに過ごしていこうと思う。

それに、あの船で出会ったときに感じた、あの気持ちは未だに忘れていない。この胸で燻っている。

大人として未熟な身だが、出来得る限りこの子が幸せになれるよう、自分なりに最善を尽くそう。

出入り口で立ったままの少女に向き合い、言葉をかける。


「初めまして。君の名前は何ていうんだい?」


少女は、おずおずと口を開いた。




「わ、私の名前は……>>14です……」



 
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 22:26:26.87 ID:RfneMM/3o
ksk
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/06(月) 22:26:58.90 ID:vC6TSfSp0
リンダ

まともな名前が来ますように!
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 22:27:10.84 ID:t2BjLYsM0
サンディ
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/06(月) 22:47:57.10 ID:1bqYoAB70

>>14


「私の名前は……サンディ、です……」


少女は俯いたまま、ぼそりと呟く。

可愛い名前だね。

そう率直な感想を告げると、さらに身を縮こまらせて耳を真っ赤にしていた。


「仲睦まじいようで何よりです。では、私はこの辺りで失礼させてもらいますね」


ああ、そうだ。報酬は忘れないでくださいよ。

そう釘を打つと、彼は微笑みを返してくる。

謎の不安が胸をよぎるが、まぁここは信用しておこう。


そして依頼人は去り、中に残されたのは自分と、少女……サンディの二人。

これから一年間の同居人に向かって、とりあえずは声をかけてみよう



「ずっと入口に立ってると寒いでしょ? 汚い事務所だけれど、まぁお入りなさい」

「お、お邪魔します……」


「これから宜しくお願いするよ、サンディ」

「は、はい、ご主人様……」


変な言葉が聞こえてきたのは気のせいだと願いたい。

前途多難になりそうだが、まぁ楽しくやっていきたいところだ。
 

彼女がほんの少しでも幸せで在るよう、祈りを続ける日々がこうして幕を開けた。


 
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/06(月) 23:00:14.17 ID:1bqYoAB70


今日はここまで。お目通し、安価協力に感謝を。

のんびり書いているので、ゆるりとお茶でも飲みつつお待ちください。

感想やご意見などあれば是非ぜひ。


【作業用BGMより一曲】

https://youtu.be/P20NA5_nMfw

 
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 23:03:09.32 ID:c7c87bhwo
おつ
きたい
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 23:03:28.70 ID:RfneMM/3o
19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/06(月) 23:16:05.09 ID:CbR4GO9cO
おつ
20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 06:41:20.02 ID:lfj9bXFJ0


仕事場でもあり居住地として使用している我が根城。

事務所兼自宅に男が一人だけ。

そこに暮らす輩が無精者だとすれば、それはまぁ見事に散らかっているもので。

顧客を招く職場としての事務所は辛うじて綺麗な環境を保ってはいるが、

これぞハリボテと呼ぶのが正しいものだろう。

少し裏に回れば掃き溜めの如き環境が広がっている。

ここに年頃の娘を住まわせるのか?


……え、ここに?

 
21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 06:48:30.54 ID:lfj9bXFJ0


否、断じて否。

部屋の散らかりは心の散らかり。美しい場所でこそ凛とした育ての場に相応しい。

元から性根の腐っている自分ならまだしも、これは子どもを預かる環境としてはあまりに不適切。


「サンディ。もしかしなくて、今日から早速一緒に住むって事でいいのかな?」

「は、はい。ご迷惑でしたら、適当に野宿をしながらでも生きていきますので……」


彼女の目じりに涙が一気に溜まる。

人に泣かれる事なぞ滅多にないので、ついあわあわと狼狽してしまう。


「いやいや、違う違う。もしそうだったら、ちょっとお願い事があってね」

「あ、しょ、承知いたしました。私に何なりとお申し付けください」


サンディは目元の涙を腕でごしごしと拭った後、スカートの端を軽くつまんでお辞儀をしてくる。

なんとも優雅な身のこなしだ。堂に入っている事が妙に胸をざわつかせるが、それは現状まぁ置いといて。

はい、どうぞと。彼女の両手にそれぞれハタキと空のバケツを持たせる。

そしてそのまま玄関先に向かい、OPEN札を裏返しておく。今日は早々に店じまいだ。


「……部屋の片づけ、一緒にやってもらってもいいかい?」

「お任せください。謹んでお受け致します」


普段から綺麗にしておかないから別嬪さんに迷惑かけるんだよ、と。

今は亡き母が空から怒っているような幻聴がした。

うむ、ごもっとも。

この情けない現状は自分だって心苦しいし恥ずかしいのだ。

とりあえずは、えっちな本だけ先に片付けておくことにしよう。

 
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 07:14:10.65 ID:lfj9bXFJ0


彼女を招いたのがお昼過ぎくらいの頃だったか。

今やすっかり日も傾いて、もう夜の帳が下りそうな時間だ。

もっとこう、時間もあれば多少は片付けて招けたのだが……などと、心の内で言い訳だけ噛み砕く。

彼女の尽力のおかげで、居住地だけではなく、トイレ、風呂、果ては事務所の隅々まで見事に綺麗になっている。

久々に自分の部屋の床が見えて感動していた昼下がりの自分が、また何とも残念な大人っぷりを醸し出していた。

サンディは、未だに事務所の床をモップで一所懸命に磨いている。

そんなに擦ると摩擦係数がなくなるんじゃなかろうかと思ってしまう程だ。


「お疲れ様、サンディ。まだしんどいだろうに、初日から無理させてごめんね」

「いいえ、ご主人様。私如きがお役に立てるのならば幸いです」


滔々と彼女は言う。

滅私奉公が義務のような言い方だ。

そんな言葉を使い慣れているのが、今までの環境を想起させてくる。


「君が居てくれて良かった。今日はこのくらいにして、夕飯にでもしようか」


そんな素直な感想を伝えると、彼女は一瞬ピタっと動きを止めて、目を大きく見開いて驚いていた。

何か不味い事でもあったのかと心配していると、


「……今、なんと?」


と、訊ねてきた。


「いや、もう今日は終わりにして、ご飯でも食べようかって……」

「いえ、その、前の、言葉です……」

「ああ、君が居てくれて良かったっていうあれか。 うん、僕の正直な気持ちだよ」

「……っ」


彼女はその大きな瞳から、滂沱の涙を零し始めた。

とめどなく流れていくそれを抑えようと、サンディは両手を顔に添えて必死に堪えている。


「も、もったい、ない、おこ、おことば、です……。
 あ、あり、ありが、……うっ、ありがどう、ございまず……」


当たり前の言動で心が震えてしまうほど。

虐げられてきたのだろう。傷ついてきたのだろう。

今まで辛かったのだろう。

かける言葉は、今の自分には見つからない。

ただ今日の夕飯は、とても美味しいものを準備してあげたい。

そう心に決めた。

 
23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 07:34:15.98 ID:lfj9bXFJ0


涙を流していたサンディを事務所のソファに座らせ、手元にティッシュを添えてやる。

その対面に自分は腰をおろして、感情の起伏が治まるのを待ってみた。


「お見苦しいところを、失礼いたしました」


ずびっ、っと鼻を啜りながら彼女は謝罪を口にする。

ようやく泣き止んでくれた頃には、辺りは既に真っ暗になっていた。

時刻は十八時を回って少々。秋の半ばは夏に比べると宵の口が早くなる。


「いいよ、気にしないで。ゆっくり慣れていけばいいさ」

「お心遣い、恐縮です」


不器用に頭をかくん、と下げてくる。彼女の年相応な本意の礼だろう。

何とも不慣れなのが妙に可愛らしい。


「それで、今日の夕飯なんだけれど。何か食べたいものとかあるかい?」

「いいえ、特に。……それで、私は何をすれば宜しいのですか?」

「え、いや別に。何もしなくても、出前で適当に頼もうかなって」

「そうではなく。食べ物を貰うときは、相応の何かをするという事でいつも貰っていたので」

「そういうのは要らないし、受け取らないよ」


冷えた言葉が口から漏れた。

彼女の過ごした環境への憤りが、つい態度に出てしまう。

こういう点が自身の幼い所で、改善しなければならないところだというのに。

猛省しながらサンディを見ると、やはり空気が変わってしまった機微に触れている。

緊張していただろう体が更にこわばっており、顔面蒼白になっていた。


「も、も、申し訳ありません……ご主人様への不快な発言をしてしまい、まして……」


彼女のスカートの裾が大きく皺になる。両手で握りしめているから。

早々に誤解を解かねばならない。


「ああいや、違う、違うんだ。君に怒っていたんじゃない。
 君がいた昔の場所を考えて、僕はつい変な空気にしてしまった。そして、不安にさせてしまった事を心から謝罪する」


赦してくれとは言えないが、誠意が伝わりますようにと思いながら大きく頭を下げた。

 
24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 07:49:42.18 ID:lfj9bXFJ0

彼女の返答を待つまで頭を下げていたが、一向に答えが返ってこない。

嫌われてしまったか。

それも已む無しと思いつつ、ふと顔を上げると。

両手をあわあわと振りながらも、言葉に詰まって慌てふためく彼女の姿があった。


「あ、あの、あのその! お、お気にならさず、なさらず!?
 わ、私如きに頭を下げるというのは滅相もないというか何というか
 そういう風にされるのは生まれて初めてだからどうすればいいのか分からないというか私はそのあのそのその…!!」


一気にまくし立てて喋るから、後半は何を言ってるのか正直分からなかった。

だが、何とも愛くるしいその様に、つい吹き出してしまう。

嫌われていないのが分かっただけでも、こちらの心も随分と軽くなるものだ。


「ゴメンよ、サンディ。次から気を付ける。
 付けるついでに取り直して、夕飯の相談をしよう」

「しょ、承知しました……」


尻すぼみな返答をしつつ、何となく「ここでは何もしなくても良い」と伝わってくれたようだ。

後は何か美味しいものでも食べよう。

食事というのは、それだけで心を満たしてくれる。


「ところで、君は何か好きな食べ物とかあるのかい?」

「す、好きな食べ物ですか……?」

「うん、ご飯を食べるついでと言っちゃ何だけれど、これから一緒に暮らすんだから、趣味嗜好とか知っておきたいんだ」

「出されたものは何でも全て食べていましたから、嫌いなものはありませんが……。
 好きなもの、というのは存外難しいです……」

「まぁまぁ、何でもいいよ。インタビューみたいなものさ。 あくまで、好みだけ教えてほしい」

「そう、ですね……。今まで食べて来られたもの、で、美味しかったものと言えば……」


>>27、ですかね」


 
25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 07:54:42.49 ID:fV6fJm9D0
さつまいも
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 08:40:19.82 ID:d9cRRv3Uo
ピーマン
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 08:41:03.41 ID:CpKmnU3DO
お魚
28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 09:14:24.06 ID:lfj9bXFJ0

>>27

「お魚、ですかね」


これはまたずいぶん漠然とした好物だ。

種類は何か、調理方法はどういったものが好きか、味付けはソースと塩のどちらが良いのか。

色々と聞きたい所はあるが、まずは彼女の好きな物が分かっただけでも良しとしよう。


「そうか、君は魚が好きなのか」

「はい。特に食べ方のこだわり等はありませんが、お魚さんが好きです」


お魚さん。なにそれ可愛い。

こほん、と誤魔化すための咳払いを一つ。


「何で魚が好きなのか、聞いてもいいかい?」

「私は物心が着く頃辺りまで港町に住んでいたのだと思います。
 もう記憶も朧気なので、どこに居たのかまでは思い出せないのですが。」

「ほぅほぅ」

「そこで覚えているのは、活気のある町と、顔も思い出せない母の手、そしてお魚さんを使った色んな料理。
 だから、魚を食べているときだけは、何となく昔を思い出してもいいような気がしまして……」

「なるほどね」

「失礼致しました。つまらない話をして申し訳ありません」

「いや、いいんだ。話してくれて有難う。
 おかげさまで出前のメニューがようやく決まったよ」


まだ報酬の振り込みが確認できていないからほとんど素寒貧だが、今こそ見栄の張り所。

サンディ、君にはジャパニーズ海鮮料理の金字塔こと“SUSHI”の魅力を存分に堪能してほしい。

 
29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 09:28:46.63 ID:lfj9bXFJ0


「……綺麗」


届いた特上寿司を見た彼女の感想だ。

美味しそう、ではなく、綺麗というのがまた何とも奥ゆかしいというか。

薄いピンクの霜降りが垂涎を誘う大トロ、こんなに並んでいるのは自分でもほとんど見た事がない。

イクラが宝石と喩えたのは一体誰だったか。今なら非常に共感できる。

眺めているだけで垂涎を誘う素晴らしい光景、お預けのままでいるのはあまりに惜しい。


「よし、では一緒に食べよう」

「?」


サンディは首をかしげてこちらを見てくる。

はて一体どうしたのか。


「一緒に食べても、宜しいのですか?」

「いいよ。むしろ君に食べてもらいたいから準備したんだ。遠慮はダメだぞ」

「……すいません。あまりにも普段と違う環境なので、その、どうしていいのか分からなくて」

「うん。 これから少しずつ慣れていけばいいさ」


そう言いながら、彼女の頭をくしゃりと撫でてみる。

こそばゆそうな、でもどこか嬉しそうな顔で撫でる手を享受してくれた。


「では、いただきます」

「い、いただき、ます……?」


自分が手を合わせるのを見たサンディは、その仕草を真似たのちに寿司に向かって頭を下げる。

そう。美味しい物を食べるという当たり前の日常。いや、寿司は当たり前ではないが。

人が日々の中で過ごすそんな幸せに、少しずつ、慣れていってほしい。


 
30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 09:34:51.89 ID:lfj9bXFJ0

昨今の出前寿司は、ワサビ抜きがデフォルトになっている。

別個でワサビは準備されており、それを醤油入れ用の小皿に分けて好みの量を取るのが普通なのだ。

ただ、きっと彼女の食べた一口目はきっと例外でワサビがてんこ盛りだったのだろう。


泣きながら寿司を食べる人を初めて見た。


それでも美味しそうに食べているその様は、お腹よりも、心を充分に満たしてくれた。

まだ食べていないのに、何故かこっちまで泣きそうになってしまうのは困りものだ。

 
31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 09:50:17.57 ID:lfj9bXFJ0


「少し横になっても良いですか?」


それを承諾すると、お腹いっぱいになったらしい彼女は充足したようにソファに横たわった。

どうやら食べ過ぎたらしい。

もともと線の細い少女だと思っていたから、これからどんどん食べてほしいものだ。


「こんなに美味しいものを食べたのは、とっても、久しぶりです……」


くりくりの大きい瞳を目蓋が覆い隠そうとしている。

どうやら眠気が襲ってきたようだ。まるで子どものようだと思いつつ、そういえば子どもだったなと再確認する。

食後のお茶でも準備するために席を立ち、再び戻ってきた頃には対面の少女は穏やかな寝息を立てていた。

就寝用のベッドは一つしかないから、彼女にはそれを利用してもらい、自分は事務所のソファで寝ることにしよう。

寝室には後から運ぼうと決め、まずは一服しようと自分が淹れた玄米茶を軽く啜る。

気持ちよさそうに眠っているサンディを見ると、心が温かくなる。ふっと自分の口元がたわんでしまう。

これは傍から見たら事案になるのか。などと変な事を考える前に、窓際にかけてあるカレンダーに視線を移した。

今日の日付は、十一月十一日。語呂も良くて覚えやすく良い日だ。

同居人というか居候が突然増えた日。

おおよそ一年という期間が長いのか短いのは今は分からないが、とかく、大切に過ごそうと思った。

 
32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 09:56:55.52 ID:lfj9bXFJ0


【今後の呼ばせ方について】


1:ご主人様のままで構わない

2:先生、お兄さん、など特定の呼び名(要安価)

3:主人公の名前(要安価)


>>33-40までの間、多数決にて検討。
 
33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 09:59:13.41 ID:d9cRRv3Uo
先生
34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 10:06:20.42 ID:zeWxoSbb0
お兄さんで
35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 10:11:06.25 ID:o4MwoIQHo
先生
36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 10:31:52.55 ID:XUmJd7Qro
3名前+さん

名前はまた安価で
37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 11:11:54.49 ID:mV0W04Za0
兄さん
38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 12:03:31.83 ID:MoSOz1bTo
兄さん
39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 12:04:07.34 ID:VPXDCBzPO
名前+さん
40 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 12:19:59.13 ID:4w0OIzJ2o
兄さんで
41 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/07(火) 12:34:07.81 ID:lfj9bXFJ0

では、2番の「兄さん」にて採決を。ご協力に感謝。

ご主人様枠がレスで一つも無いという皆の優しさほんとすき。

のんびり書いているので、ゆるりとお茶でも飲みつつお待ちください。

感想やご意見などあれば是非ぜひ。

 
42 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/07(火) 13:38:29.16 ID:nEbuNM+xo
1だと他人に言い訳きかないからね…
43 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/08(水) 15:00:34.01 ID:q2+5VjSt0

【追加設定】


サンディの年齢は?(10〜15歳の間)

>>45


連れて行ってあげたい場所

>>47

44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/08(水) 15:07:24.67 ID:J6iX0LlOo
13歳
45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/08(水) 15:16:57.88 ID:BORsb27Ro
11
46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/08(水) 15:20:35.16 ID:J6iX0LlOo
展望塔
47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/08(水) 15:21:27.42 ID:ZXD2NsuDO
動物園
48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 22:08:10.74 ID:o6ummrG70
安価協力に感謝。
今帰宅したばかりなので、一息ついたらのんびり書いてみます。
49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/09(木) 22:35:59.32 ID:oARFd2Gho
了解しました
50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 23:12:53.01 ID:o6ummrG70


ハードボイルドの朝は早い。

東雲の空に有明の月が少しだけ白を残す頃、僕はゆるりと目が覚める。

カーテンを開けると未だに外は静かなまま。静寂の帳があける前の時間帯。

今日はソファで眠ったので、少し姿勢が悪い寝方をしていたようだ。背伸びをすると軟骨が音を立ててくる。

くあぁ、と軽く欠伸を噛み潰すと、緩い虚脱感に抱かれているような心地良い気分を覚える。

寝起きで覚束ない足取りのまま、事務所の戸棚からコーヒー豆を取り出した。

それをミルで砕くと芳醇な香りが広がり、目覚まし代わりの気付けになってくれる。

今日の豆は粗挽きで仕上げてみた。コーヒーメーカーを起動させて、夜明けの一杯としけこもう。

出来上がるのを待つまでの間に微睡のゆりかごに揺られていると、ぴーぴーと機械音が聞こえてきた。

少し温めておいたカップにコーヒーを注いで、鼻先に近づけてみる。

ほろ苦さを醸し出す匂いが鼻腔をくすぐる空気を楽しみ、そのまま口元へ。

ずずっ、と一啜り。

これぞ朝の醍醐味。美味しい以外の感想なぞ野暮というものだ。

そしてそのまま淹れたてのコーヒーを嗜むため、次は一口目よりも少し多めに含んでみると。



< ええええぇぇぇぇぇーーーーーーーー!!!!



寝室からの絶叫でそれを盛大に吹き出した。

ハードボイルドな朝は終わりを告げたようだ。

 
51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 23:22:56.59 ID:o6ummrG70

すぐさま引き出しの拳銃を握りしめて駆け出した。

昨日は彼女をベッドに運んで、僕はそのままソファで眠っていた。

だからこそ、さっき寝室から聞こえてきた大声はサンディだろう。

一体なにがあったのか。もしや組織の残党が連れ戻しに来たのか。

口元に垂れたコーヒーと頭に浮かぶ不安は拭えぬまま、急いで寝室に駆け込んだ。


「サンディ、無事か!?」


そこで見たものは。

ベッドの上で深々と土下座をして迎えてくれた、年端もいかない少女の姿だった。

なんちゅう美しいフォームで頭をさげるんだこの子は。

 
52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 23:34:17.71 ID:o6ummrG70

気まずい雰囲気の際は時が止まる、というのは比喩表現ではなかったようだ。

自分の手には拳銃、目先には土下座スタイルの少女。外からうっすら聞こえてくる鶏の声。

体感的にだが、今たぶん確実に時間は停止している。凄まじい空気が部屋に漂っているぞこれ。

何なのだこれは、どうすればよいのだ。

一体どうやって声をかけようかと寝起きの頭を無理やり動かそうとする前に、彼女はゆっくりと頭を上げた。

そして、絞り出すように声を発する。


「……ご主人様より先に眠ってしまい、あまつさえ、寝室を占領するような体たらくで申し訳ありません」


一気に肩の力が抜けた。溜息をつきながら、ドアにもたれかかり、そのまま尻もちをついてしまう。

大事じゃなくて何よりだ。頭の中で思い描いた悪い想像が杞憂に終わってホッとした。


「いいよ別に、主従関係とか僕らにはないから気にしないで」

「ですが……」

「それより、サンディ。大事なことを一つ忘れてるよ」

「はい……?」

「おはよう。良い朝だね」


目の前の少女は目をまん丸にして、狼狽しつつも手元の枕を抱きしめる。

そして、とっても照れくさそうに、恥ずかしそうに、言葉を返してくれた。


「お、おはようございます……!」


 
53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 23:44:50.58 ID:o6ummrG70


予想外の形ではあるが、まぁ良い目覚ましにはなったかなと思う。

そのまま洗顔を済ませて朝食の準備に取り掛かる。

私にも何か手伝えることはありませんか、とはサンディ談。

特にこれといって手伝うものは無いというと彼女は気を遣うだろうから、とりあえずお皿を並べるようにお願いした。

朝食はトーストと目玉焼き、そして簡素なサラダ。

僕はコーヒーを、サンディには牛乳を準備して食卓に並べた。

彼女は目をキラキラさせながら朝食が出来上がる様子を眺めている。


「どうしたの?」

「私も食べて、いいんですか……」

「もちろん。ああ、でもパンは今この二枚しかないから、おかわりが無くてゴメンね」


彼女は首を大きくブンブンと何度も横に振り、ついでに手もパタパタさせる。


「いいえ!いいえ!お気になさらず!!こうしてご主人様からお恵みを頂けるだけで幸せです!!」


そんなサンディの頭に手を置き、軽くクシャクシャと撫でてみる。

そうすると、こそばゆそうな、でもちょっぴり嬉しそうなのが見て取れた。

俯きかげんな表情から覗ける口元がもにゅもにゅしているから。



「顔を洗っておいで。それが済んだら朝ごはんにしよう」

「は、はい!!」

 

54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2017/11/09(木) 23:56:38.28 ID:uf8KxLWkO
見てます
55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/09(木) 23:59:49.17 ID:o6ummrG70


「では、いただきます」

「い、いただきます」


昨日食べたお寿司の時と同じく、ご飯を食べる前の自分の動作を彼女も真似てみた。

たどたどしい身ぶりだが、これから時間が経つ毎に慣れていくだろう。

それにしても、とても美味しそうに食べてくれるなぁ。

作った身としては割と嬉しかったりする。

頬をぷっくりさせて一心不乱にもぐもぐしている様は、まるでハムスターみたいだ。


「ご飯は逃げないから大丈夫だよ。喉に引っ掛けないようにね」

「ふぇ!? ふぁ、ふぁい! 行儀が悪くてすいません……」


あまりに微笑ましいので、くっくっとつい笑いつつも一言告げてしまう。

サンディはあわあわしながら急いで牛乳を飲んで口内の食べ物を流し込んだ。

空になったコップにおかわりの分を注ぎ足すと、頭をぺこぺこ下げてお礼の動きを見せてくれる。

上司にビールを注がれたサラリーマンの動きそのものじゃないか。

くっはっは、とまたしても笑ってしまった。失敬失敬。

サンディは何が面白くて笑っていたのか分からなかったようで、キョロキョロしながら赤面していた。

 
56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 00:13:00.19 ID:uuR+QXp40

「ところでさ、サンディ」

「ご主人様、どうされました?」


朝食を終えてホッと一息ついた頃。

僕は片手に朝淹れたコーヒーを、サンディはオレンジジュースを持って、

お互いソファに向き合うように座っている。



「僕をご主人様って呼ぶのはそろそろ止めてみないかい?」

「え……? でも貴方様は私を助けてくれた恩人なので、貴方のモノとしてこれから生きていくのが普通では?」

「いやまぁ、そりゃ確かに助けたのは事実だけどさ。君に奉公されたくて動いたわけじゃないんだ」

「では、どうして助けてくださったのですか?」

「どうして助けた、か。 うーん……」


これはまた難しいな。どうして助けたのか、とは難しい。

誰かを助けるのに理由はいるかい、などと言うのはヒーローみたいだが、ハードボイルドではないな。

いや別にそこ(ハードボイルド)にこだわらなくてもいいんだけれど。

どうして助けたのか。仕事のためだ。

でも、きっとそれだけじゃない。

仕事のためというのは後出しの理由だ。本音を言うなら、たぶん。


「助けたかったから、かな」

「……」


サンディは訝しんだ顔をしている。理由になっていないからだろうか。

そう取られても仕方ない。確かに論理的ではないからね。

でも、あの時自分に浮かんだ感情なんて、そりゃもうシンプルなもの。

助けたかったから。

人の手を取る理由なんて、そのくらいの緩いスタンスで良いと僕は思うんだ。


 
57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 00:35:54.77 ID:uuR+QXp40

少しの間、サンディは黙ったままだった。何かを考えている様子だ。

それから、ぽつりと声を漏らした。


「私は、今まで生きてきた環境で、道具のように扱われてきました」

「うん」

「気に入られなかったらひどい事をされて、ご主人様の機嫌が悪くてもひどい事をされて。
 機嫌が良いときこそ悲鳴が聞きたくなるという理由で、痛い事をされてきました」

「……そうなのか」

「ある日、その気まぐれで拷問を受けました。今までに一回だけ、本当に惨たらしい事を受けました。
 その日の夜は死ぬ事ばかり考えていました」

「……うん」

「気まぐれというのは悪いものしか呼ばないと思ってました」


そしてサンディは、顔を上げてこちらを見つめてきた。

目には涙が今にも溢れんばかりに溜まっている。


「だから、そんな優しい気まぐれがあるなんて、思いませんでした」


涙の膜が張られた瞳は真珠のように淡く輝いて、美しかった。


「私は、ご主人様を、信じても、いいんですか……?」


僕はコーヒーを軽く啜る。彼女の気持ちに答える言葉を発するために喉を潤した。


「ご主人様、なんて呼ばせるような輩は信じちゃいけない」

「……」

「だから、この“お兄さん”を信じなさい」

「……!! はい、はい……! 信じます、信じます……! 信じさせて、ください……!!」


コーヒーを机に置いて席を立ち、そっと彼女の横に座る。

そのままゆっくり抱きしめて、胸の中に収めてみた。

朝方に零した淹れたてのコーヒーよりも熱いものが胸元を濡らしてくる。

ぽんぽん、出来るだけ優しく彼女の背中を叩いてみると、そのたびに胸にうずまった後頭部から嗚咽が響いてくる。


今まで辛い思いばかりの彼女が、ようやく年相応に泣くことが出来ているのかも知れない。

そう思うと何故だが僕の頬も濡れてしまう。涙を貰ってしまったようだ。

ハードボイルドとは程遠い朝だが、今日くらいは許してほしい。

 
58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 00:42:44.60 ID:uuR+QXp40
睡魔の都合にて小休止。現行で書いているゆえ、ゆっくりペースで恐縮です。
59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 00:49:47.09 ID:1yn0SZtN0
60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 01:05:51.01 ID:5Ourvn8DO
61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2017/11/10(金) 01:08:00.01 ID:E++DTx1Qo
すき
おつ
62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 05:09:20.93 ID:uuR+QXp40


それからしばらく経って、ようやく落ち着いた頃、幼い顔が懐から離れる。

ぐずぐずの顔になっているサンディにティッシュを渡した。

びろんと鼻水がワイシャツに染み付いたのを恥ずかしがりながら、彼女は慌てて鼻をかむ。

一呼吸のちに、すん、と鼻を鳴らしながら言葉を紡いだ。


「泣いてばかりで申し訳ありません」


感情を流水、それを受け入れる心を器として喩えるなら。

きっとサンディの心は割れ物なのだ。

ほんの少し感情の起伏があるだけで、心の器が受け入れきれずに

涙となって溢れてしまうのだろう。

だからこそ、涙を流すことについてお咎めなんてある筈も無く。

それこそ嬉しかったり楽しかったりしたときに零れるならば致し方ないだろう。

63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 05:12:16.61 ID:uuR+QXp40

「気にしないで」

そう言いながら僕は彼女に微笑んでみる。

心に形は無いから、先ほどのはあくまで例え話の一環。

これから彼女に起こるのは幸せな事柄ばかり。祝福の花吹雪で毎日を過ごすのだ。

たった一年の間だけとはいえ、僕がそうしてみせる。

その度に泣かれては脱水症状でも起こしかねない。

僕がしてあげられそうなのは、サンディの傷ついた心と体をこれからゆっくり戻すこと。

今まで生きてきた結果で積み上げられた心身を大事にしながら、また新しく形成していけば良いだけ。

結論は至って単純。シンプルこそが難しくも美しいのだ。

 
64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2017/11/10(金) 05:50:55.29 ID:uuR+QXp40

さて、今日はもともと探偵事務所が休みの日付だ。

折角ならサンディを連れてどこか外出でもしてみようか。

ふと改めて彼女の恰好をまじまじと確認してみる。

藍色を基調とした無地のパーカー、飾り気のない白いスカートに黒いタイツ。

これは服の下にある古傷を見せないための配慮なのか。

それとも見立ててくれた人の輝きすぎるセンスなのか。

後者ならばそっと目を瞑ろう。

何にせよ、将来はモデルか芸能人にでもなるような整った顔立ちに対して少々無骨すぎるファッションだ。

彼女も立派なレディ予備軍。ここはひとつ外出用やら部屋着やらで洋服を見立てるとするか。


「よし、今日は軽く出かけるとするか」

「はい、いってらっしゃいませ」


危うく前のめりにこけるところだった。ノータイムでお留守番の返事と来たか。


「いや、君も来るんだよ」

「私がついて行っても宜しいのですか?」

「もちろん。これから一緒に住むんだから、君の日用品とか買い足そうと思ってね。
 好みの問題もあるだろうから一緒に選んでくれると嬉しいな」

「そ、それは恐縮ですが……では、ご一緒させて頂きます!」


そう言ってサンディはびしっと姿勢を正す。うむ、善き哉善き哉。

 
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