男「元奴隷が居候する事になった」【安価有】

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502 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 16:51:00.93 ID:lpdju8Jx0
新年あけましておめでとうございます。
今宵どこかで投下をば。
503 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 18:12:48.12 ID:uhGUIKFFo
あけおめ!
504 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 20:50:20.17 ID:lpdju8Jx0
 
秋の兆しよりも、夏の名残が風に乗って頬を撫でてくる。

そんな九月の半ばを迎える暦の頃。

私は探偵事務所のテーブルで、とある同年代の子と一緒に向き合って勉強をしている。


体面にいる男の子の名前は、水瀬 真生(みなせ まお)くん。

先月の夏祭りで知り合ったばかりだが、

なんとなく彼とは非常に気が合いそうな気がしている。

日本語でいう“同好の士”とでもいうのだろうか。

いや、何か違うような気がするが、それに近い空気を感じるのだ。


>>444
 
505 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 20:55:31.70 ID:lpdju8Jx0

彼は非常に中性的な顔立ちをしていて、

黙っていると女の子にも見えてしまう。

同じくらいの年の友人なんて殆どいないけれど、

テレビで見るような賑やかな子ども達とは違う、独特の雰囲気がある。

そんな彼を見つめていると、チラッとだけ目が合った。


「……なに?」

「あ、いや、別に……なんでも、ないです……」


ふーん、とだけ言葉を残して、マオくんは再びテーブルの下に目を落とす。

人の動向を見過ぎる仕草は失礼に値する。

昔そう教えられていた事もあり、反省をしつつ

私も机に敷かれた積本を崩す作業に戻ることにした。

カリカリ、カリカリと鉛筆が滑る音に紛れて

ペラリ、ペラリと本を捲る音が、私たちのいる空間に反響する。

とても静謐で淑やかな時間だと感じている。

マオくんとは出会ったばかりなのだけれど、あまり緊張しないのは

こういう空気を共有できるからなのかも知れない。
 
506 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 21:01:10.70 ID:lpdju8Jx0

そのまましばらく時が流れて、私は本を一冊読み終えた。

さて次は何を読もうと考えていると、体面で机に噛り付いている子が目に入る。

ふと興味が湧く。マオくんが何を一心不乱に学んでいるのか。

そっと覗いてみると、どうやら国語の四字熟語を覚えるために

何度もノートに書きなぐっていたのだ。


私も日本語は文字通り叩き込まれながら覚えたのだけれど、

当時を振り返ると四字熟語は結構苦手だったりした。

慣用句と違い、漢字のみで形成される言葉の成り立ちがイコールで結び付けづらいから。

設問を間違えた回数分、シャープペンを腕に突き立てられた事もある。

私は無意識に左腕の少し肉厚になった傷跡に手を添えていた。

過去の記憶を思い出しそうになり、思わずぶんぶんと頭を振ると、

訝しげな表情でマオくんが見つめてきていた。


「なに? ……どこか痛いの?」

「え、う、ううん。大丈夫です、大丈夫……」


そっか、と言いながらも、チラチラと私を気にするように、

目が合う頻度が少し上がった気がする。

マオくん、優しいなぁ。
 
507 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:07:00.63 ID:lpdju8Jx0

ただ、私がいることで彼の気を散らせてしまっているのなら申し訳ない限り。

ずっと勉強を続けているマオくんの息抜きになればと、

ほんの少し勇気を出して話しかけてみた。


「それ、何の勉強をしているんですか?」

「ん、塾。宿題とは別にテスト勉強してるだけ」

「へぇ……すごいなぁ。私、そういうのやった事ないから」

「そうなの?」


マオくんが不思議そうに首をかしげる。

何となく猫を想起させてくる仕草だなぁ。

私は、うん、と首を縦に振りながら、思っている事を口から紡いだ。


「ちょっとだけ憧れているんだ、学校みたいなこと」

「学校に来たことないの?」

「うん」

「そっか……」

「マオくんは、学校楽しい?」

「別に。俺は早く大人になりたいから、学校に居ること自体、なんかもやもやしてる」

「大人になりたいの?なんで?」

「それは、その、そう……何となく、かな。
 せ、背伸びしてるみたいでダサいよな……」


そう言いながらも、彼は耳を真っ赤にしている。

ふと笑顔の素敵なお姉さんが脳裏をよぎった。

きっと、好きな人に一秒でも早く追いつきたいんだ。


「わかります」


私は思わず口に出していた。
 
508 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:12:26.37 ID:lpdju8Jx0

彼はきょとんとした顔で、私を見つめてくる。

次は私の鼓動が早くなる番だった。

何も考えずに零れた言葉、私の心。

言葉の裏に思い描くのは、私の神様。

あの人の横に並べる女性に成りたいから、私は大人になるまで生きていたい。

生きていたいと、願ってしまうのだ。


「君も、そうなんだ……」


コクリ、と首を振ってマオくんからの質問に答える。

何故か凄く恥ずかしい。耳まで真っ赤になっているのが分かる。


「じゃあ俺たち、戦友だな」


マオくんが、二カッと無邪気な笑顔を返してくる。

私は、ようやく彼が男の子と認識できたような気がした。

何故か不思議と嬉しくなって、返事の代わりに笑顔を向けてみた。


イザベル、クロエ。

わたし、友達ができたよ。
 
509 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:15:35.35 ID:lpdju8Jx0

それから私とマオくんは、他愛もない話を交わしていく。

マオくんは学校の友達のこと。通っている塾のこと。

そして、お姉さんのこと。

私は基本的にお兄さんのことが話の内容として多くなってしまう。

そんな話の流れは、マオくんが勉強をしている四字熟語の事にスポットが当てられた。


「マオくんは何の四字熟語を勉強していたの?」

「ん、色々。 今は“岡目八目”ってのを覚えていた」

「岡目八目?」

「サンディにはあんまり馴染みないかもね。
 囲碁っていうゲームから生まれた言葉だし」

「それってどういう意味?」

「ああ、それはね……」


マオくんがその解答を告げようとしたその時、

探偵事務所の扉がきぃ、と音を立てて開いた。


「ただいまー。 二人ともお留守番ありがとね。
 アイス買ってきたから、お利口さん方は好きなの選んじゃって」


朗らかな声が私の鼓膜と心を震わせてくれる。

お兄さんの声だ!!
 
510 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:19:14.86 ID:lpdju8Jx0

「おお、マオくん。勉強いつも頑張ってるね。
 お姉さんから『塾が始まるまでの一時間だけ預かってくれ』って頼まれてるし、
 時間がくるまでゆっくりしていっていいよ」


お兄さんはマオくんにそう告げると、

マオくんは、「……りがとざっす」と、小さな声でお礼を返す。

そしてお兄さんは手元のコンビニ袋を私たちに差し出してくれた。

マオくんが「先にいいよ、サンディ」と気を使ってくれるので

なんだか恐縮してしまって「ま、マオくんからいいよ!」と返事をする。

じゃあ遠慮なく、と言わんばかりにラムネ味のアイスバーを彼は選んだ。

残る一つはなんだろうと袋の中に手を入れ、それを取り出してみる。

私が選んだアイスは、千切ると二つになり、啜るように食べるものだった。

パ〇コと書いてある。

前にお兄さんと分けて食べた事があるが、チョコ味でとても美味しかったのを覚えている。

おもむろに袋からそれを取り出し、二つに分けてお兄さんに差し出す。

お兄さんは嬉しそうにそれを手に取り、余った手で私の頭を撫でてくれた。

嬉しさ半分、こそばゆさ半分。

いや、やや嬉しさが勝っている。体感の比率では8:2くらいか。

マオくんが何か考えながら私たちを見ているような気がするが、気のせいだろう。


「ありがとう、サンディ」


お兄さんは嬉しそうに言う。

わたしは、それが、とってもうれしい。
 
511 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:24:58.75 ID:lpdju8Jx0


「でもサンディのご褒美で買ったんだから、二つ食べていいんだよ?」

「あ、そ、それはですね……今日読んだ本に……」

「何か書いてあったの?」

「“愛する人には、全てを注ぐの。何も見返りを望まずに。”って……」


視界の端でマオくんが、やるじゃん、と言わんばかりの顔をしている。

お兄さんがパ〇コを返そうとしたから、口から咄嗟に出た言葉なんだけれど。

愛などと大層な言葉を使ってしまい、恥ずかしさが止まらない。


「『献身』か。僕もそう在りたいな。いい本を読んでいるね、サンディ」


そういうと、またしても頭を優しく撫でてくる。

慈しむように触れてくるから、胸がいっぱいになってしまう。
 
512 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:29:52.70 ID:lpdju8Jx0

アイスをガリガリと齧りつつ、何やら考えていたマオくん。

「ああ……そういう事ね……」と呟きながら、

ハズレの表記が出たまま半分残っているアイスを銜えつつ、テーブルを片付け始めた。

お兄さんはそれに気づいて、事務所に置いてある時計に目を向けた。


「もう塾の時間か。自分で気づけてえらいね。
 またこうしてサンディと一緒に遊んでくれたらうれしいな」

「はい、また来ます。 俺、サンディと気が合いそうなんで」


お兄さんは嬉しそうに、うんうんと頷いている。

そして勉強道具をすべて仕舞い込んだマオくんが、帰る前にそっと私に耳打ちする。


「大変だな……」

「なにが?」

「いや、なんでもない……。二人のおかげで、一つ勉強になったよ」

「?」



「岡目八目、ってやつ」
 
513 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 21:37:52.89 ID:lpdju8Jx0
ご無沙汰しております。
またこうして、ゆっくりと綴っていけたらいいな、と。
たまには覗いてくれると嬉しい限り。
514 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 21:42:15.94 ID:4RYyFHTu0

ずっと待っていたよ
515 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/06(月) 22:09:28.80 ID:uhGUIKFFo
おつおつ!
よろしくお願いします
こいつ…中々の察し、どこかのソフトマイルドさんは見習って?
516 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/06(月) 22:14:29.05 ID:lpdju8Jx0
感想を頂ける喜びを噛み締めつつ、
話を綴る楽しさを改めて思い出しています。
有難うございます。感謝。
517 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/09(木) 06:37:58.01 ID:eXxQ/tD40
あけおめ更新乙
518 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/01/09(木) 08:20:02.51 ID:utGKCd1V0
昨日読み始めて追いついたけどすごくいいねファンになったわ
519 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/21(火) 10:22:41.38 ID:cnAJyixHO
相も変わらずオサレだなぁ……
更新お疲れ様です
520 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/01/26(日) 10:51:19.00 ID:uZ4Ygj190
【二人のエピソード】  ※連れて行きたい場所、日常の一コマ、未来の話など

>>521


【視点:男 or サンディ or その他】

>>523
521 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/26(日) 11:22:49.25 ID:5H/sa4jy0
たまには仕事帰りのお兄さんを
522 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/26(日) 11:23:20.83 ID:xQE9gnT5o
イザベル、クロエ、会いに来た
523 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/01/27(月) 08:33:47.84 ID:TeAvOi/SO
サンディ視点で
524 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/03/04(水) 10:48:14.35 ID:KaEFgGcH0
保守
のんびりとお待ちしております
525 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/04(土) 21:00:54.26 ID:oQRrTn2I0
保守
526 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/11(土) 07:13:09.11 ID:Y25hWkHhO
引き込まれますね
続き楽しみです
保守
527 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/04/11(土) 10:29:11.41 ID:awJL6YJno
読み返したくなる名作
そして毎回クリスマスで死ぬ
528 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/05/05(火) 05:56:13.01 ID:reK9YqafO
保守
529 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/05/12(火) 14:20:11.10 ID:GSr3VfmPO
保守
530 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/06/03(水) 08:19:30.35 ID:uokk9BjHO
保守
531 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/06/24(水) 00:32:02.60 ID:5DmSTfA6O
保守
532 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 19:58:55.23 ID:xBNddiV40

【二人のエピソード】  ※連れて行きたい場所、日常の一コマ、未来の話など

たまには仕事帰りのお兄さんを


【視点:男 or サンディ or その他】

サンディ視点
 
533 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:00:49.06 ID:xBNddiV40
 
六月中旬。夕刻の頃。

どんよりとした空模様から、しとしとと降っている生温い雫がアスファルトを濡らす。

天気予報の週間予想は、一昨日からずっと傘マークを示していた。

これほどまでに雨が続くと、恵みの雨と表するには少々供給が過ぎているようにも感じる。


夏が始まる前の日本の空のカーテンは、グレイの色合いをしていた。

今まで私が居た場所の天井を想起させてきて、何だか少し気が滅入る。

ただ、外の景色を歩く人々は、色とりどりの傘を差していて

灰色の用紙にビビットな色彩の絵の具を撒いたような

高翌揚感のある風景も一緒に見せてくれる。
 
534 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:03:00.90 ID:xBNddiV40
 
街並みを探偵事務所から見下ろしながら、私は一人の影を探す。

探し人は、居候先でお世話になっているお兄さんだ。

今日はお仕事で午前中から外出していて、帰宅が夕方頃になるとの事。

お兄さんを玄関で「おかえりなさい」と迎えたいので、

帰路の姿を見つけられるよう、こうしてチラチラと外を気にしてしまう。

まだ来ない、まだ来ない……。

待ち続けること三十分。

その間、「ただいま」と私に向けてくれる、ほんわかとした笑顔を思い描くたび。

何故だか耳が紅潮してしまい、どうしても落ち着かない。
535 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:04:08.16 ID:xBNddiV40
 
既に家事は粗方片付いており、強いて言えば夕飯をどうするか悩んでいるくらい。

いつも夕方の時間帯はテレビを見ているか、読書、勉強をしているけれど、

今日はそんな気分ではない。

窓の外に映る景色が気分を落ち着かせてくれているのか、

もしくは昔の景色が瞼の裏に映って気分が落ち着かないのか。

お昼寝をしたらお兄さんの帰宅のタイミングを逃すかも知れないので、

何某かの行動はしておきたいところ。

何か良いものは無いものかと事務所内を見渡してみると、

旧型のラジオが目に飛び込んだ。

早起きした時にお兄さんがそれをよく聞いているので、

周波数は合っていると考えられる。


ご飯の準備の片手間に、ラジオでも聞いてみようと思い、

電源スイッチをオンにしてみると、丁度のタイミングで曲が流れてきた。

美しく澄んだ女性の声が耳に心地よくて。

それ以上に、歌の最初のフレーズに私は心を鷲掴みにされた。
 
536 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:05:45.55 ID:xBNddiV40


Someday I want to run away
(いつか私は 逃げ出したい)

To the World of Midnight
(真夜中の世界へ)


曲自体は二分となく、短いものだった。

でも、その歌がずっと頭の中をリフレインしている。

覚えたフレーズだけ、自然と口から紡がれる。

 
537 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:06:33.16 ID:xBNddiV40


「さーむでぃ……あい、うぉんと…とぅ、らなうぇい……」


いつか私は 逃げ出したい。


「とぅ……ざ、わーると…おぶ、みっどないと……」


真夜中の世界へ。
 
538 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:08:01.30 ID:xBNddiV40
 
私が、ずっと、ずっと考えていた事。

逃げ出して、どこかに行きたかった事。

あの時に居た暗がりよりも、暗いところに行きたかった事。
 
539 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:08:50.62 ID:xBNddiV40

堅い木材で頭を殴られた事を思い出すような衝撃だった。

不意に前に居た場所を思い出し、呼吸が少し荒くなる。

苦しさを顔に出すと更に折檻を受けた事を体が覚えていて、もっと息が辛くなる。

いきているのが、つらくなる。

お兄さんから渡されている青い錠剤を、ポケットから取り出し、

台所から水を調達して急いで胃の中へ流し込んだ。
 
540 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:09:31.00 ID:xBNddiV40

ぜぇぜぇ、と肩で息をしながら、ふっと深呼吸をする。

深く息を吸い、ゆっくりと吐く事を数度。

心拍数はやや乱れているものの、先ほどよりも幾分か気分が楽になった。

それでも、あの美しい歌声が、頭の中で優しく響いてくるのは変わりなく。

悲しい曲。けれど、とても美しい曲だな、と感じたから。

つい、ぽつぽつと、私のか細い声帯はその歌を奏でてしまう。


雨音にかき消されるように小さく歌うその曲が、

誰もいない探偵事務所に反響する。


それを数度繰り返していると、その中で一番大きな音が鳴り響いた。

ピンポン、ピンポンというチャイムが二回。

お兄さんが帰ってきた合図だ。
 
541 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:10:06.57 ID:xBNddiV40

私はバタバタと慌てて玄関まで走り、お兄さんを出迎える準備をする。

お兄さんが濡れているかも知れないから、タオルを片手に持ち、ドアのチェーンを外した。

金属を擦る無機質な音が聞こえてから一拍、ドアがきぃ、と開いた。


「ただいま、サンディ」

「おかえりなさい、お兄さん」


優しく微笑む彼の顔を見て、私は嬉しくなり、笑顔を返す。

そして手に持っていたタオルを渡すと、ありがとう、と受け取ってくれた。
 
542 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:11:13.24 ID:xBNddiV40

「いやー、外は思ったより降っていたけれど、大きめの傘だったから殆ど濡れなかったね。
 出かける前に一緒に見ていたテレビの天気予報さまさまだよ」

「ふふ、それは良かったです」

「だからね、サンディ。気になる所は一つだけ」


お兄さんは手に取ったタオルを、優しく、優しく私の顔に添えてくれる。


「君の頬の方が濡れてる」

「えっ?」

「そりゃっ!」


お兄さんはそのまま、私の顔をタオルで覆い隠すようにぐるりと巻いて、

肩と膝裏に手を添え、お姫様抱っこの要領で私を持ち上げた。

突然の事に、うひゃあっ、と声が漏れてしまう。

顔が真っ赤になっているのが直ぐにバレそうだったので

恥ずかしさを隠す為にタオルはそのまま顔に添えて、

後はもうお兄さんの好きにしてほしいと言わんばかりに身を預けた。
 
543 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:13:07.62 ID:xBNddiV40
 
そしてそのまま事務所のソファまで運ばれ、一番フカフカのクッションを敷いた所に私を置いた。

どうやら無意識のうちに滂沱の如く涙を流していたようで、

ようやく首元の襟筋まで濡れていることに気づき、割と新品の服を汚したようで申し訳ない気持ちがある。

お兄さんは心配しながらも、内証について深くは聞かず、

私にホットミルクを作ってくれた。じんわりと心まで温めてくれる、優しい味。

彼は私がミルクに口を少しずつ付けるのを、見守るように微笑んでいたあと、

部屋着に着替えるために自室へ戻った。

ふっと、また歌が頭を駆け巡る。

美しい歌の歌詞が、私の口から零れてくる。


「サンディ、声が綺麗だね」


自室の奥からお兄さんの声が聞こえ、私は気恥ずかしくなって俯いた。
 
544 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:14:21.15 ID:xBNddiV40

恰好を部屋着にシフトしたお兄さんは、片手にコーヒーを持って私の横に腰を下ろした。

そのまま何も言わず、私の頭にそっと右手を伸ばして、自分の肩元に抱き寄せる。

何故だかまた涙が溢れてきた。

雨のような生温さのそれは、私の頬をポロポロと零れてゆく。

ふと、自分の頭の上から、調子が少し外れた歌が聞こえてくる。


「Someday I want to run away、To the World of Midnight……♪」


私が聞いたあの曲を、楽しそうにお兄さんが歌っていた。
 
545 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:15:15.50 ID:xBNddiV40

「サンディ、懐かしい歌を知ってるね」

「え、あの……さっきラジオで聞いていたので……」

「この曲をラジオで流すのもまた凄いな……最近のFMを見くびっていたよ……」

「お兄さんはどうしてこれを知ってるんですか?」

「ああ、前の所長がジャンル問わずで音楽を車内で流す人でね。
 好きな作品で使われた曲だってのを熱弁された事があるんだ」


そう言いながら事務所の天井を見上げるお兄さんは、

どこか遠くの暗い場所を覗き込んでいるような、寂しい目をしていた。
 
546 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:16:05.75 ID:xBNddiV40
 
「サンディ、ハードボイルドが生きる時間帯って知ってるかい?」

「いえ……分からないです……」

「ハードボイルドは真夜中に生きているんだよ」


ハードボイルドは生き物だったのか。

などと一瞬思ったがそうではなく、恐らく活動時間帯の事を指しているのだろう。


「だからね、サンディ」


お兄さんはくしゃり、と私の髪を撫でてくる。


「ハードボイルドたる僕は真夜中の世界にいるからさ」

「逃げてきたんじゃなくて、僕の所に走ってきたと思えばいいさ」


あの歌を聞いて、原因の分からない気持ちを抱えていた私は、

ようやく泣いていた意味を理解する。

あの場所から、この世界から、逃げ出したかった気持ちの後ろめたさを

全て包んでくれるような言葉を貰ったような気がした。

この人は、どうして私の事が分かるのだろう。

私でも分からない所を、分かってくれるのだろう。

色々な感情が混ざり合い、何も思考が出来なくなって。


私はふっと立ち上がり、お兄さんの額を右手で捲り、

そこに唇を当ててみた。

 
547 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:16:45.09 ID:xBNddiV40

その感触で正気に戻り、お兄さんの顔を見つめる事無く、

我ながら物凄い勢いで台所の奥へと駆けだした。

この状態で目が合ってしまえば、きっと息が出来なくなる。

どうしようもないほどに心拍数や脈拍が上がってしまうけれど、

これはきっと、悪い症状ではないのだと、自分に言い聞かせる。


「お兄さん! 今日の晩御飯は何がいいですか!?」

「え、あ、じゃあ、ハンバーグで……」

「承知しました!いっぱい作りますね!」

「おおぅ、急に元気になったね、サンディ……」

「はい、もうずっと元気です!!!」


貴方が居てくれるから、私は元気でいられます。
 
548 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:18:26.20 ID:xBNddiV40
 
 
貴方は自分を真夜中の世界の住人みたいに仰いましたけれど。

それを聞いた私は、貴方の事をそうは思っておりません。


私は生きている。

明るくて、温かい、お日様の世界に。

 
549 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/07/02(木) 20:21:05.34 ID:xBNddiV40
日々なかなかの勢いで忙殺されていて、家の役割が風呂と就寝くらいしか果たせていない今日この頃。
投下が遅くなって申し訳ございません。
ボチボチと書いてはいますので、またゆるりとお付き合い頂ければ幸いです。


※サンディが聞いていた楽曲
https://www.youtube.com/watch?v=6Yg6uDKdvHU
550 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/07/02(木) 20:24:53.51 ID:HhIAA2dDo
待っててよかった、…、!
551 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/07/02(木) 21:03:42.02 ID:6Oaw9sEq0

待ってた
552 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/07/04(土) 06:31:07.02 ID:ZkPPyWBy0
投下乙です
日向に生きるハードボイルドがいたっていいじゃない
553 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/08/07(金) 05:44:17.94 ID:F+vZmmib0
保守
554 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/06(日) 23:25:42.59 ID:rjRU/foq0
保守
555 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/18(金) 07:22:36.32 ID:lilqAKcVO
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