【オリジナル】ファーストプリキュア!【プリキュア】

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598 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:11:47.34 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 連れが体調が悪いようなので、電話を貸してもらえませんか?

 そう伝えたところ、気さくな店員さんは快く店の裏に案内してくれた。細い階段を上ると、広い廊下のようなところに出て、そこは店内とは異質な雰囲気の場所だった。

「二階は下宿なの」

 ひかるの疑問を感じ取ったのだろう。店員さんはそう言うと、ひかるを廊下の電話に案内した。

「すぐ済みます。すみません」

「ええ、どうぞ」

 ひかるははじめからもらった生徒手帳の裏表紙に、達筆な字で書かれた電話番号をプッシュホンに押し込んでいく。数コールも待たず、先方は受話器を取ったようだった。

『はい。騎馬でございます』

 その涼やか声を聞いた瞬間、それがはじめの母親であると確信した。静かながら自信と威厳にあふれ、はじめが成長したらこういう声になるのだろうなと、一瞬にして想像させられたのだ。

「もしもし。はじめまして。はじめさんの友人の王野ゆうき……の弟のひかるです。はじめさんのお母様ですか?」

『はぁ……。そうですが』

 怪訝そうな声。当然だろう。突然電話がかかってきたと思えば、友人の弟からだというのだから。かといって、ひかるもためらっている場合ではないので、話を続けた。

「はじめさんが体調を崩されて、ひとりでは帰れない状態です。迎えに来ていただけると助かります」

 ひかるは、嫌そうな声か、疑うような声か、はたまた、悪意を発露するような声を予想していた。しかし、ひかるがそう告げると、電話口の相手が動揺するのがわかった。

『は、はじめが……!?』

 泰然としていて、絶対に動じないだろうと思われた電話口の声が震えた。

『はじめはどこにおりますの? 学校ですか?』

「いえ。学校から少し離れた喫茶店“ひなカフェ”です。住所をお伝えします」

 女性は住所を聞くと、電話の向こうで誰かに車を出すように指示しているようだった。そして、電話口に声が戻ってくる頃には、平静さを取り戻していたようだった。

『……すみません。宅の娘が、まったくご迷惑をおかけしたようで、面目次第もありません』

 声は、無理をして冷静を保っているようにひかるには思えた。

 それがどうというわけではない。

 ただ、なんとなく、少し。

 昨日、ひかるが傘を貸そうとするのを固辞するはじめと重なるように思えて。

 本当の本当に、少しだけ。

(……なんか、ムカつく)

 そう、思った。

『娘には迷惑をかけぬようきつく言っておきますので……――』

「――きつく言う必要はないですし、もしもぼくに面目次第もないのなら、はじめさんに優しい言葉をかけてあげてください」

 だからひかるは、相手の声を遮って、そう言った。

『なっ……』

 当然、電話口のはじめの母親は、驚いているようだった。
599 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:12:14.42 ID:IIOvQ4Oi0

「お母さんがお迎えに来てくださいね。それでは、お借りしている電話なので、切ります。失礼します」

 そのまま、何を言わせる間も置かず受話器を置く。言い過ぎただろうか。

 姉たちやクラスメイトに気を遣う必要がないから、やりすぎてしまった気がする。

 ふと思う。本当の自分の、こんな冷たい一面を知ったら、家族やクラスメイトの皆はどう思うだろうか。

「……そんなこと考えても仕方ないのは分かってるんだけどさ」

 これが本当の自分。

 王野ひかるという、自分。

 情けないとは思う。

 そんな後ろ向きなことを考えていたからだろう。

「……あれ……?」

 気づいたときには、世界が変質していた。

 それは言い過ぎだろうか。場所が変わったわけではない。何の特質もない廊下のままだ。

 けれど、何かが確実に異質だった。

 その正体に気づくのに、数秒を要した。それだけ、その変容はありえないことだったのだ。

「色が……」

 色が消えた、モノクロの世界。音が消え、寒さも暑さも消えた、異様な世界だ。

 すぐ傍にいたはずの店員さんが消えている。

 その静かな世界に、まるでひかるひとりが取り残されたようだった。

「……騎馬さん」

 ひかるは体調を悪くしていたはじめのことを思い出し、慌てて元来た道を戻った。店の奥から戻ると、やはり客席スペースはおろか、窓から覗く外の景色までもがモノクロに墜ちていた。そして、学校帰りの女子学生たちが大勢いた店内は、いつの間にか空っぽになっている。

「なんなんだ、一体……」

 ひかるは焦燥を憶えつつ、席に戻る。果たしてはじめはそこにいた。しかし、とても容態がいいとはいえない様子だ。テーブルに突っ伏し、息は荒い。

「騎馬さん。騎馬さん」

「ん……。ひかるくんか……」

 呼びかけると、少しだけ目が開く。

「何か様子がおかしいんです。まるで、色が抜け落ちたように、真っ黒なんです。わかりますか?」

「以前、一度だけ見たことがある。これは、暗い場所。暗い世界。しばらく待っていれば、いつもの世界に戻れる。けれど、怪物が……」

「怪物……?」




「――なるほど。位相をここまでアンリミテッドに近づけても、貴様らはまだ残るのだな」




 ゾッと、背筋が凍る。

 いつからそこにいたのだろうか。華奢な背格好に漆黒の装い、表情の見えない仮面。そんな紳士が店の入り口に立っていた。
600 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:12:43.57 ID:IIOvQ4Oi0

「それだけ、このホーピッシュが我らアンリミテッドに近づいてきたということか。特に、貴様らふたりは光と闇の影響を色濃く受けた影響で、闇にも光にもなじみやすくなっているのだな」

 その黒衣の紳士が何を言っているのかはわからなかった。ただ、その紳士がただ者ではないことだけは明確にわかる。ひかるは荒く息をするはじめを庇うように立った。

「ほう。男気あふれることだ。さすがは王野ゆうきの弟といったところか」

「なっ……! お、お姉ちゃんを知っているのか!」

「ふっ……」

 紳士は一笑に付すと、仮面の顔をひかるに向けた。表情は分からない。目線も見えない。しかし、その視線がひかるの全てを見透かしているのは、疑いようもないことだった。つかつかと歩み寄り、ひかるのすぐ前までやってくる。

「なるほど。貴様は、普段は良い子の自分を演じ続けているのか。姉やクラスメイトの前では、良い子の仮面を被り続けているのだな。殊勝なことだ」

「ッ……!?」

 心まで見透かされている。ひかるがたじろぐと、紳士はまっすぐひかるに腕を伸ばした。

「良い子でありたいという欲望か。まったく理解できないことではあるが、欲望は欲望だ。それも、極上だ」

 ひかるの目の前で、紳士が仮面の奥の顔を嗜虐的に歪めたのがわかった。ひかるは内心の焦燥と恐怖を悟られまいと、仮面を睨み付け続けるだけで精一杯だった。

「貴様ならば生み出せるかもしれんな。ウバイトールを超える、新たな闇の使徒を」

「……なっ」

 紳士がひかるの手をつかむ。華奢な割には凄まじい力で、ひかるの腕が押さえつけられる。

「何をするんだ……!」

「貴様の良い子でありたいという欲望に用がある。安心しろ。悪いようにはしない」

 そして、紳士の手から黒い波動が生まれる。その黒いもやのような波動は、瞬く間にひかるを覆い尽くす。



「その欲望、自分自身で購うのだな」



「がっ……」

 ドクン、と。

 ひかるの中で、何かが胎動した。

 頭の中に、何かが生まれた。

 “悪い奴だと思われたくない。”

 “良い子だと言われたい。”

 “姉に褒められたい。”

 “クラスメイトから頼りにされたい。”

 それは、欲望の胎動。

 そして、生まれる。世界を闇に染める使途。





『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』





「ふっ……生まれたか。このホーピッシュもだいぶ闇に染まってきたのだな」

 紳士は仮面の奥で微笑んだ。

「さぁ、いけ。“ウバイトーレ”。ウバイトールより強靱なその力で、プリキュアどもを迎え撃て」
601 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:13:11.82 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 ゆうきたちは全速力でほまれ町の住宅街を走り抜けた。

「とても強い闇の波動レプ……! この前の、大量のウバイトーレが現れたとき以上の闇レプ!」

 ゆうきの肩の上でラブリが言う。

「うん。わたしたちも、少しだけわかるよ」

 ゆうきは走りながら、胸に手を当てた。

「なんだろう。とてつもなく嫌なものが生まれた。とんでもないものが生まれた。それが、なんとなくわかるんだ」

 めぐみも、あきらも、小さく頷く。プリキュアたちは皆、そのゆうきが感じたものと同じようなものを感じたのだろう。

 その気配が生まれたのは、学校帰りのときだった。はじめたちと別れ、三人と妖精たちで少しだけプリキュアの作戦会議をしているときに、ブレイたちが凄まじい勢いで闇が生まれたと騒ぎはじめたのだ。そしてブレイたちの言うとおり、その方向に向かうにつれて、ゆうきたちにもしっかりとわかるようになってきた。

 そして気づけば、ゆうきたちは闇の領域に足を踏み入れていた。

「……空が暗い。アンリミテッドだわ」

 モノクロに沈んだ世界。建物や街見覚えこそあるものの、そこはまぎれもなくアンリミテッドの闇の領域に他ならない。そして、ゆうきたちがよく見知った場所が、その闇の中心のようだった。

「うそでしょ……! あれ、ひなカフェだよ!?」

「……グリ!?」

 ブレイがうめき声を上げる。その理由は、ひなカフェの入り口に立っていた人物にある。

「で、デザイア!?」

 全員が一斉に身構える。のんきに構えていられる相手ではないと知っているからだ。

「ん……? あ、あれ、騎馬さんよね?」

 めぐみが声を上げる。指で示す方向には、窓越しにはじめの姿見える。しかし、どうも様子がおかしい。テーブルに突っ伏す姿は、まるで体調を崩しているようだ。

「ふっ……。驚くべきはそちらではないのではないか? 王野ゆうき」

「へ……?」

 デザイアの言葉に、デザイアが示すソレを見つけた。その瞬間、いつかと同じように、ゆうきの中の何かが弾けそうになる。



「ひ、ひかる……!?」



 モノクロに墜ちた世界で、なおモノクロに沈むような姿だった。だからこそそれにすぐに気づくことができなかったのだ。

 ひかるは、ひなカフェの入り口近くで、幾重にも及ぶ鉄格子のようなものに囲まれ、縮こまるように座り込んでいた。

 はじめは色を持ったままそこに存在しているが、ひかるは違う。ひかるは、まるで世界と同じように、アンリミテッドのモノクロに染まっているのだ。

「ひかる! ひかる!! ひかるってば!! 返事をして! ひかる!!」

 うつろな目は何も映していないようで、ゆうきの悲鳴にも近い声にも何の反応も示すことはなかった。
602 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:13:56.08 ID:IIOvQ4Oi0

「……ゆうき。落ち着いて」

「うん。大丈夫だよ、ゆうき。みんなでひかるくんを助けよう」

「……うん」

 そんなゆうきの手を、めぐみとあきらが両側から取ってくれる。ふたりの温かい手が、ゆうきに落ち着きをくれるようだった。ゆうきは大きく頷いた。目を閉じ、深呼吸をして、目を開く。

 大丈夫。やれる。

「ふむ。以前、ゴドーに妹が巻き込まれたときは、もう少し動揺していたようだが、変わりもするか。戦士として強くなってきたようだな、プリキュア」

 デザイアが嘲笑する。

「しかし、果たしてこれを相手に今の貴様たちでどこまで戦えるかな」

 ずしん、ずしん、と。地を響かせるような轟音が響いた。それが何かの足音だと気づいたときには、その何かは近くの住宅の陰から身を乗り出していた。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「ウバイトール……? じゃない?」

 その巨大な怪物は、少年の姿をしていた。全身が黒く染まっていて、手にはサッカーボールのようなものを持っている。全体的に見ればウバイトールによく似ているが、その実何もかもがウバイトールとは違うようにゆうきには思えた。

 しかし、そんなことを気にしている余裕はない。

「……行くよ、みんな」

 ブレイ、フレン、パーシーからそれぞれの紋章が飛ぶ。三人はそれぞれの紋章を受け取り、それをロイヤルブレスに装填する。

 そして、叫ぶ。

 伝説の戦士の宣誓を。



「「「プリキュア・エンブレムロード!」」」



 世界が闇に墜ちたとしても、その光だけは色あせることはない。

 それは、ロイヤリティの誇りと戦士たちの絆によって生まれる光。

 薄紅色、空色、真紅の光。

 世界に光を取り戻すために、戦士たちは大地へ降り立った。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」



「「「ファーストプリキュア!」」」
603 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:14:22.30 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

「まだプロトタイプだが、やれるな。行け、“ウバイトーレ”」

 デザイアが指示を出すように腕を振る。その途端、ウバイトーレと呼ばれたその怪物は、凶悪な目を嗜虐的に眇め、足音を響かせながらその巨体でプリキュアたちに向かい前進する。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエ!!』

「ウバイトーレ……? やはりウバイトールではないのね」

「ユニコ、わたしたちであの怪物を引きつけよう」

 冷静に分析をするユニコに、ドラゴが言う。

「グリフは、わたしたちがアレを引きつけている間に、ひかるくんと騎馬さんを助けてあげて」

「うん、わかった。ありがとう、ドラゴ」

「そうと決まれば、行くわよ!」

 ユニコとドラゴが怪物に向かい走り出す。怪物と相対したふたりの横を、グリフは足早に通り抜けた。

『ウバッ……!!』

 ウバイトーレがグリフに手を伸ばす。しかし、その手は空色の光によって弾かれる。

「あなたの相手はわたしたちよ。グリフの邪魔はさせないわ」

「そういうこと!」

 ドラゴが跳び上がり、炎をまとわせた拳でウバイトーレの腹に正拳突きを放つ。

『ウバァ……!?』

 ウバイトーレはよろけ、後退する。その間に、グリフはデザイアの近くまでたどり着いていた。

「デザイア! ひかるを返してもらうよ!」

「無駄なことだ。なんなら試してみるといいだろう」

 デザイアはグリフに道を譲る。デザイアは罠を仕掛けるような敵ではない。グリフは警戒しつつも、ひかるに近づき、牢獄にてをかけた。

「ひかる! ひかる! 起きなさい!」

「………………」

 やはりひかるの目はうつろで、何を映してもいない。返事どころか、呼吸をしているのかすら、判然としないほどだ。

「……っ! デザイア! ひかるに何をしたの!? この牢獄は何!?」

「その子が己の欲望を果たせるようにしてあげただけのことだ。礼を言ってもらいたいくらいなのだがな」

 デザイアは嘲笑するように言う。

「その牢獄こそ、欲望にとらわれた証。人間の本質を引き出すためのものだ」

「人間の本質を引き出す……?」

「ふふ。その結果が、あのウバイトーレだ」

 その瞬間、轟音が響いた。振り返ると、ウバイトーレが黒い塊のような巨大なサッカーボールを蹴り、ユニコとドラゴを吹き飛ばしていた。

「きゃっ……!?」

「っ……!? 強い! その辺のウバイトールと比較にならないくらい強いわ!」

 ふたりはなんとか体勢を立て直し、ウバイトーレと対峙する。しかしふたりがこの短い時間で消耗していることは火を見るより明らかだ。
604 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:15:04.04 ID:IIOvQ4Oi0

「ウバイトーレって何なの? ウバイトールとは違うものなの?」

「ウバイトールはご存知のように、物に込められた欲望を解放することで生み出される闇の使徒だ」

 デザイアは言う。

「そしてウバイトーレは、人の持つ欲望を解放することで生み出される闇の使徒……いわば、本物の欲望の化身だ」

「人の持つ欲望……? じゃあ、あの怪物は――」

「――そう。貴様の弟、王野ひかるの欲望で生み出されたのだ」

 衝撃的なことだった。つまり、方法はわからないが、デザイアはひかるの欲望を抜き出し、あの怪物にしたということだろう。

 つまり、あの怪物は、ひかるから生まれたということに他ならないのだ。

「わけがわからないことを言わないで! 良い子のひかるに欲望なんてあるわけないじゃない!」

 少なくとも、グリフにとって、弟のひかるはとても良い子だ。手もかからない。友達も多くて、勉強もできて、スポーツも上手だ。そんなひかるが、あんな怪物を生み出すような欲望を抱くとは思えない。

「そうか。ならば、その少年の欲望の化身である、あのウバイトーレに聞いてみるとしよう」

 デザイアがウバイトーレに向かい、言う。

「さぁ、良い子でありたいのだろう? ならば、プリキュアを全員倒すのだ。それが、良い子への近道だ」

『ウバッ……!! ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「きゃっ!?」

 ウバイトーレが凄まじい速度で蹴りを放つ。防御する暇もなく、ふたりのプリキュアが瞬く間に吹き飛ばされる。

「ユニコ! ドラゴ!」

「ほら見たことか。貴様は姉でありながら、弟のことをまるで分かっていないな」

 デザイアが言う。

「貴様は弟のことを良い子だと言っていたな? 良い子だと褒めそやしたな。良い子でい続けろという呪縛を、その子に与え続けたな。それが弟に、どれだけの枷だったか分かるか? 貴様は、姉という立場にかこつけて、弟を利用していたのだ。その結果が、これだ」

「わ、わたしは……」

 そんなつもりはなかった、と言うのは簡単だろう。

 けれど、それがウバイトーレになるほどに抑圧されていたひかるに対して、何の意味があるだろう。

 もしも、ひかるがウバイトーレになるに至るだけの欲望を溜めることになったのが、王野ゆうきという己のせいなのなら、キュアグリフは。

「……わたしが、もっとひかるのことを見てあげられていたら……――」



「――そんなわけ、ないでしょ……!」

「……そうだよ、違うよ。絶対!」



 耳朶を叩いたのは、よく知った声。

 グリフが誰よりも信頼する、ふたりの声。
605 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:15:30.99 ID:IIOvQ4Oi0

「ひかるくんが“良い子でありたい”と願うことの、何がいけないのよ!」

「それは“ゆうきのせい”なんかじゃない! “ゆうきのため”なんだよ!」

 ふたりのプリキュアは、よろよろと立ち上がる。けれどその眼光は力強く、言葉はその場を圧倒していた。

「私だってそうよ。みんなに頭が良いって思われたいもの。ゆうきに、頼れると思われたいもの」

「わたしだって。ゆうきに勉強で頼りにされたいし、お母さんからも褒められたいよ」

 だから、と。ふたりのプリキュアは断言する。

「人間、誰だってなりたい自分になろうって必死なのよ。そうやって自分を作っていくんだもの」

「だから、いいんだよ。苦しいときもあるかもしれないけど、それでも、」



「「どんな自分も、自分なんだから!」」



『ウバッ……! ウバァアアアアアアアアアアアアア!!』

 ふたりのプリキュアの言葉に、ウバイトーレが頭を抱える。ゆうきのすぐ近くのひかるも、苦悶の表情を浮かべていた。

 ふたりの言葉に、闇に支配されたひかるの心が動かされようとしているのだ。

「……ふん。まだ動作は不安定か。致し方ない。もっと安定する欲望を探さねばならんな」

「デザイア! ひかるを元に戻しなさい!」

「案ずるな、キュアグリフ。あのウバイトーレを倒せばすべては元に戻る」

 デザイアが仮面の下で笑うのが分かった。

「貴様ら三人のプリキュアに、ウバイトーレを倒すことができるのならば、だがな」

 デザイアの言葉を聞いたユニコとドラゴの反応は早かった。ふたりは目を合わせ、頷き合う。

「それがわかればこっちのものよ!」

「いくよ、ユニコ!」

「ええ!」



「優しさの光よ、この手に集え! カルテナ・ユニコーン!」



「情熱の光よ、この手に集え! カルテナ・ドラゴン!」



606 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:15:58.18 ID:IIOvQ4Oi0

 ドラゴがカルテナを振るう。

「情熱の炎を燃やす。心穏やかに、燃やすべき物を、見極めて」

 そして、炎が生まれる。

「行って、ドラゴネイト!」

 ドラゴの拳から無数の炎が弾ける。それはまっすぐにウバイトーレに直撃する。しかし、ウバイトーレは少しよろけただけで、致命的なダメージとはなっていないようだった。

「並のウバイトールと同じ耐久力だと思わぬ方が身のためだぞ? しかし、貴様は愛のプリキュアがいない今、それ以上出力を上げれば身を滅ぼすことになる。さて、どうする?」

「こうするのよ」

 デザイアの嘲笑に、ユニコもまた余裕の笑みを返す。そして、カルテナが空色に瞬いた。

「角ある純白の駿馬よ! プリキュアに力を!」

 ユニコがカルテナをウバイトーレに向けて突き出した。



「プリキュア・ユニコーンシール!」



「何ッ……!?」

 デザイアの声が驚愕を帯びた。そのユニコの技は、空色の巨大な光の壁を作り出すものだった。しかし、それがただの“守り抜く優しさの光”でないことは誰の目にも明らかだった。青く輝くその光の壁は、瞬く間にウバイトーレを四方から囲み、閉じ込める。

「このユニコーンの清浄なる壁は、悪辣なる者を絶対に逃さないわ」

「そして、このドラゴンの炎は、悪辣なる者だけを徹底的に燃やし尽くす」

 ドラゴが、空色の壁の内側に入り、慌てふためくウバイトーレの足下に触れた。

 その瞬間、壁の中を紅蓮の炎が支配した。

『ウバッ……!? ウバアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 ウバイトーレが凄まじい勢いの炎にダメージを受けていく。空色の壁はウバイトーレを逃さないだけでなく、炎の熱を逃さない役割も果たしているのだ。

 やがて壁が払われると、ウバイトーレはその場に膝をついた。ドラゴは素早く飛び退りながら、叫ぶ。

「グリフ! ウバイトーレを浄化して、ひかるくんを解放してあげて!」

 その声に我に返り、ゆうきは心を集中させる。

「勇気の光よ、この手に集え! カルテナ・グリフィン!」

 薄紅色の光がその場を照らす。グリフの右手にその光が集約され、勇気の国の伝説の剣が現れる。

「……なるほど。頭がキレるキュアユニコとキュアドラゴは厄介なものだ」

 デザイアの呟く声が耳に届く。しかし、次の瞬間には、グリフは駆けだしていた。
607 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:16:27.37 ID:IIOvQ4Oi0

「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を!」

 薄紅色の光を羽ばたかせ、グリフはウバイトーレの横を駆け抜けた。



「プリキュア・グリフィンスラッシュ!」



『ウバァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……!!』

 両断されたウバイトーレは宙に溶けて消え、そのうちの幾分かはひかるの中へと戻る。そして、ひかるは牢獄から解放され、倒れた。

「ひかる!」

 慌てて駆け寄り抱き起こす。ひかるはむにゃむにゃと寝ぼけていた。

「……よかった」

「ふっ。やはりプロトタイプは不安定だな。より安定させるには、もっと強い欲望が必要ということか」

「デザイア! 人の家族を巻き込んで!」

「ふっ……。いずれこの世界すべてがアンリミテッドに飲み込まれるのだ。家族も何もあるものか」

 デザイアはマントを翻し、三人に背を向けた。

「今後はウバイトーレを主戦力として戦うことができそうだ。貴様らの命運が尽きる日も近い。ゆめゆめ、油断せぬことだな」

 デザイアはそれだけ言い残すと、宙に溶けて消えた。

 世界が色と光を取り戻す。そして、ひかるがうーんと目覚めそうになったので、三人は慌てて身を隠した。
608 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:16:54.49 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 まぶた越しに眩しい光が見えた。それが夕焼けの赤光だと気づき、目を開ける。

「あれ……? ぼく、寝てたのか……」

 周囲を見渡す。どうやらひかるは、ひなカフェ前の通りで座って眠っていたようだった。

 周囲には喧噪が戻り、行き交う人やテラスで談笑をする女子学生の姿も見える。

「さっきのは夢……?」

 いやに生々しい夢だった。世界から色が消え、光が消え、人が消えた、あの夢のこと。

 そして、自分自身が怪物となり暴れ回った夢。

「……そんなことより、はじめさんだ」

 席に戻る。はじめは荒い息をしているが、先ほどよりは具合がマシになったようだった。

 ふと、視界の隅、窓の外に車が止まるのが見えた。車に詳しくないひかるでも分かるくらい、見るからに高そうな高級車だ。そこから着物を身につけた上品そうな女性が降りてくるのを見て、ひかるはその女性の正体を察した。

 はじめの母親だ。

 ひかるは店を出て、その女性と目を合わせる。それだけで、女性もひかるが先ほどの電話の相手だと見抜いたようだった。

「……宅の娘がご迷惑をおかけします。はじめはどちらですか?」

「店内の席です。ご案内します」

「ええ」

 出てきた運転手を連れて、はじめが突っ伏す席まで案内する。筋骨隆々とした運転手は軽々とはじめを持ち上げると、車まで運び、後部座席に優しく乗せた。その間、はじめの母親は店員さんにも頭を下げているようだった。ひかるははじめの表情を見る。汗をかき、紅潮した顔は、辛そうだ。辛そうだが、年相応の表情だ。さすがの意地っ張りも、発熱して苦しいときにまで澄ました顔をすることはできないらしい。

「王野ひかるさん、とおっしゃいましたか」

「……はい」

 背後からの声に振り返る。はじめの母親が、何の感情も見えない顔で、ひかるを見下ろしていた。

「このたびのこと、お礼を申し上げます。後々改めてお礼に伺いますから、連絡先を教えていただけますか?」

「必要ありません。苦しんでいる人がいたら助けるのは当然のことじゃないですか」

 ひかるはその、はじめによく似た女性の言葉に、淡々と返すだけだ。

「ぼくにお礼をする余裕があるのなら、それをはじめさんに向けてあげたらどうですか」

「はじめに?」

 ひかるの言葉に、女性が眉をひそめる。ひかるの無礼な物言いに、明確な不快感を示しているのだ。
609 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:17:20.97 ID:IIOvQ4Oi0

「さっき、電話口で、はじめさんの体調不良を言った瞬間、あなたはとても慌てていました」

「……それが何か?」

「はじめさんは、騎馬家の跡取りであること、そしてダイアナ学園の生徒会長であること、その他の色々なことに誇りを持っていました。それはとても良いことだと思います。けど、反面、それらすべてが、はじめさんの枷にもなっていると思います。それがはじめさんを縛り付けています」

「…………」

「……さっき、電話口でぼくに見せてくれた慌てようを、本人にも見せてあげてください。その愛情を、きっとはじめさんは知らない。失礼を承知で言わせてもらえるなら、はじめさんは、あなたを恐れているようにも見えた。あなたに電話をしようとしたぼくを、止めようとするくらいには」

「……随分と言ってくれますね。ですが、それでいいのです。わたくしは、愛情を見せることだけが、愛情の示し方ではないと思いますので」

 女性は後部座席のはじめに手を伸ばす。で荒い息をするはじめを、とても慈しみ深い目で見つめる。

「この子は女として生まれました。そして、騎馬家の子どもはこの子だけです。だから、この子には今後、あらゆるしがらみが生まれます。そのときに、ひとりで対処できるだけの能力と胆力、その他すべてを与えてあげるのが、わたくしの責務であり、この子への愛情です」

「……わかりました。なら」

 ひかるはその女性の言うこともまた正しいと分かっていたからこそ、敬意を払い、言った。

「その他の愛情は、ぼくや、ぼくの姉が、責任を持って与えます」

「……ご勝手に」

 女性はそれだけ言うと、もうひかるを見ることもなく、反対側の後部座席に乗り込んだ。

 車はゆっくりと発進した。ひかるはただ、その車を見送ることしかできなかった。

 間違いなく、はじめはひかるにとって、昨日知り合っただけのただの姉の友達だった。

 しかし、今は違う。

 思い返す、昨日、雨に打たれ、寒さに震えるはじめの姿を。

 震えながら、どうしたものか考えて、けれど答えを出すことができず、途方に暮れて寂しく揺れていた瞳を。

 もしも、はじめがまたあんな目にあっていたら。

 もしもはじめが、今後もあんなことになるのなら。

「……ぼくが」

 ひかるは、拳を握りしめ、決意する。

「ぼくが、助けてあげればいい。あの意地っ張りなひとを、ぼくが」
610 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:17:47.88 ID:IIOvQ4Oi0

…………………………

 車の中、そっと、娘に手を伸ばした。何年ぶりかというくらい久しぶりに、娘の頭を撫でた。

「はじめ、あなたを愛していますよ」

 はじめがすでに眠っていると知っていた。だから、そう言うことが出来た。

「けれど、その愛は見せません。あなたを強くするのが、わたくしのあなたへの愛の形なのですから」

 はじめは知らない。



 熱にうなされる己を見る母の目が、慈愛に満ちていることを。

 そして――、



「わたくしは、他の何より、あなたが大切なのですよ」



 その愛を、まだ。

 はじめは、知らない。
611 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/05/27(日) 10:18:17.14 ID:IIOvQ4Oi0

 次 回 予 告

ひかる 「ちょっとマジでこういう話やめてほしいんだけど」

ゆうき 「のっけから真っ黒全開だなぁ弟よ。機嫌直してよ」

ひかる 「身内どころか姉の友達のお姉さんたちにまで本性を知られるって……どんな罰ゲームだよ」

ゆうき 「まぁまぁまぁ」

めぐみ 「まったく、ゆうきは暢気ね。ウバイトーレなんて新しい脅威が生まれたっていうのに」

あきら 「はは、まぁ姉弟水入らずにしてあげようよ」

ブレイ 「…………」 ソワソワ

フレン 「……? なんでブレイはソワソワしてるわけ?」

パーシー 「自分以外の男の子が出てきて、嬉しくて、早く仲良くなりたい、ってこと、かも……」

フレン 「ああ、そういうこと……。なんだかブレイが可哀想に思えてきたわ」

ラブリ 「……まぁそんなブレイは置いておいて、次回予告だ」

めぐみ 「新たに生まれた脅威、ウバイトーレ! デザイアはその力を三幹部に教えるため、ある人物をウバイトーレにする……!」

あきら 「次回、ファーストプリキュア! 第19話【凶悪な陰! その名はウバイトーレ!】」

めぐみ 「次回もよろしくね! それじゃ、また来週!」

あきら 「ばいばーい!」
612 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/05/27(日) 10:19:45.18 ID:IIOvQ4Oi0
>>1です。キャラクターが増えてきて分かりづらいかもしれませんが、もうしばらくお付き合いいただければと思います。
読んでくださった方ありがとうございました。来週は所用により投下できません。
また再来週、よろしくお願いします。
613 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/10(日) 22:38:55.74 ID:xoiTqQ9oO
>>1です。
本日所用により投下できませんでした。
ごめんなさい。
来週日曜日夜に投下できると思います。
よろしくお願いします。
614 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/06/17(日) 22:11:21.99 ID:XR8SCYGe0
>>1です。
連絡が遅くなって申し訳ないのですが、本日も時間的に投下が難しいです。
気長に待っていただけると助かります。
ごめんなさい。
615 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:00:08.55 ID:sW82/1G70

ファーストプリキュア!
第十八話【凶悪な陰! その名はウバイトーレ!】




…………………………

「……まったく。校長先生も、渡す書類があるのなら、直接出向けばいいのに」

 昼休みのことだ。ダイアナ学園教諭、皆井先生は、木工室に向けて歩を進めていた。ダイアナ学園の校長先生から、同僚の松永先生に書類を渡してくれと頼まれたのだ。

「あ、皆井先生。こんにちは」

「ああ、こんにちは」

 すれ違う女子生徒数人があいさつをしてくれる。皆井先生はそれに笑顔で応じる。

「あ、そうだ。皆井せーんせっ」

「ん? なんだい?」

 すれ違ってから、女子生徒たちが振り返り、こちらを見ている。

「皆井先生にずっと聞きたいことがあったんです。いま、少しだけいいですか?」

「ん、ああ。まぁ少しなら。勉強で分からないところでもあるのかな?」

 皆井先生は基本的には熱意のある先生だ。だからこそ、生徒からの学びたいという想いを踏みにじったりしない。たとえ、ただでさえ校長先生に頼まれ事をされてお昼ご飯を食べる時間が怪しくなりつつあったとしても、生徒の要望を聞いてあげることを最優先にする。

「皆井先生って……」

「ん?」

「絶対、誉田先生のこと、好きですよね?」

「……んなっ」

 女子生徒たちはくすくすと笑う。

「お、大人をからかうようなことを言うんじゃない。私は先生だ。誉田先生は、ただの同僚だよ」

「へぇ〜」

 女子生徒たちはニヤニヤと笑う。

「そうですか。でも、ライバルは多いですから、がんばってくださいね、浩二先生」

「だ、だからなぁ……」

 皆井先生が何かを言う前に、女子生徒たちはどこかへと走り去ってしまう。

「こ、こら! 廊下を走るんじゃない……って、もう行ってしまったな」
616 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:00:36.87 ID:sW82/1G70

 女子生徒からそれなりにイケメンと評されることの多い彼だが、やや空気を読めない性格とついうっかり失言をしてしまう特質から、女子生徒からは憧れというより色々と残念な人というレッテルを貼られている先生だ。この学校にそれを理由に先生を舐めてかかるような生徒はいないものの、その自覚があるからこそ、彼はつらい。

 色々と残念なことや、失言を繰り返してしまう自覚くらい、皆井先生自身にもある。

 とぼとぼと歩いて、ようやく木工室の前までくる。

 書類を渡す相手は、木工室で授業をすることが多いから、隣の技術準備室にこもりきりなことがある。木工室は校舎の一番奥にあるから、職員室から遠く、校長先生は木工室へ行くのを厭って皆井先生にお遣いを頼んだのだろう。

「まったく、仕方ないよな……」

 皆井先生はそして、木工室の引き戸に手をかけ――、




「――小次郎くん」



 木工室の中から聞こえた、その声。

 そう声はどこまでも親密そうで。

「その呼び方はやめろって言ってるだろ、華姉」

 そう返す声は嫌そうでいて、その実嬉しそうで。

 ああ、そうか、と。

 彼は気づいてしまった。

 己の恋は叶うことはないのだ、と。

 叶わぬ恋を、己は捨てなければならないのだ、と。

 彼はゆっくりと引き戸を開け、中を覗く。


 皆井浩二。


 20代も中盤にさしかかった男性教諭。

 彼は昼休みの木工室で、きゃっきゃと楽しそうに同僚と話をする想い人を、見てしまったのだ。
617 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:01:03.45 ID:sW82/1G70

…………………………

「……へぇ」

 そして、そんな姿を廊下から見つめる陰があった。

「これは、ひょっとしたら、使えるかもしれないわ」

 ふふ、と、小さく笑う。

 彼女は、エプロンの紐を縛りながら、皆井先生を見つめ、ニヤリと笑った。
618 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:01:35.53 ID:sW82/1G70

…………………………

「本当にすまなかった」

 ひなカフェでの戦いの翌日、はじめはそう言って、ゆうきに凄まじい勢いで頭を下げた。

「へ? へ? へ?」

「騎馬さん、ゆうきが困惑してるわ。どうして謝ってるのか教えてあげて」

 めぐみが混乱するゆうきを代弁して言う。

「ああ、そうか。いや、本当にすまない。昨日、実はひかるくんと会っていたんだ」

「え……? ああ、うん。知ってるよ。ひかるから聞いたし」

 本当は直接一緒にいるところを見もしたのだけど、それは言っても仕方がないだろう。

「っていうか、騎馬さん、学校来て大丈夫なの? 昨日すごい熱があったって聞いたけど……」

「それは大丈夫だ。騎馬家の跡取りたる者、発熱くらいなら一日で全快しなければならないからね」

「どういう理屈なんだろう……」

 あきらが首を傾げる。

「それはいいとして、だ。ひかるくんに大変迷惑をかけてしまったようだ。ひかるくんは、動けなくなった私を喝破して、お母様に電話をしてくれたんだ。あまり記憶はないのだが、お母様はその電話を受けて、私を迎えに来てくれたらしい」

 はじめは言う。

「王野さん。ひかるくんは本当に良く出来た弟さんだね。大切にしてあげてくれ。……まぁ、凄まじく生意気ではあったけれど」

「?」

 後半、はじめが何と言ったかよく聞き取れなかったが、詳しく聞かない方が良さそうだと、ゆうきははじめの表情を見て思った。

「それでだね、お母様が、なんとしてもお礼をしたいから、連絡先を絶対に手に入れなさいと言っているんだ」

「なんとしても……。絶対……」

 少し怖いのは気のせいだろうか。

「だから、王野さんの家の電話番号を教えてもらってもいいかい? 今夜あたり、ひかるくんにお礼の電話をしたいらしいんだ」

「らしいって……?」

「いや、もちろん私も電話で謝意を伝えたいが、それ以上に、お母様がひかるくんと電話で話したいと言っているんだ」

「そ、そういうことなら……」

 ゆうきは困惑しつつも素直にはじめに電話番号を伝えた。はじめは丁寧に生徒手帳にそれをかき込むと、もう一度ゆうきに頭を下げた。
619 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:02:02.42 ID:sW82/1G70

「……ともあれ、本当に、遅くまで弟君を連れ出して、すまなかった」

「いいって。気にしてないよ。ひかるはしっかりしてるから、少しくらい夜遅くなっても大丈夫だし」

「うむ……。ところで、ひとつ聞きたいんだが」

「? なぁに?」

 はじめが恥ずかしそうに目を伏せる。はじめらしからぬその表情に、ゆうきは首を傾げた。

「……つまらない話なのだが、ひかるくんは、私のことを何か言っていただろうか?」

「はぇ? 騎馬さんのこと?」

 ゆうきは昨晩のことを思い出す。ウバイトーレとなっていたひかるに変化などが見られずほっと安心している晩ご飯のときだ。ひかるは、そう、たしか。

「えっと、“黒くて長い髪がとても綺麗で、凄まじい美人さん”、とか言ってたかな……?」

「……び、美人」

 はじめの頬が紅潮する。その本当にはじめらしからぬ反応に、ゆうきの首がもっと傾く。

「あとは、素直じゃなくて、意地っ張りで、不器用で、口うるさくて、もう少し歳相応に振る舞ったらいいのに……とかも」

「む……」

 一瞬ではじめの頬の紅潮が消える。残されたのは、はじめらしいキリッと引き締まった顔だ。

「……なるほど。ひかるくんには、今度覚えておいてくれ、と伝えてくれるかい?」

「え、ああ、いいけど……」

 と、いうか、だ。

 驚くべきなのか、困惑するべきなのか、分からないけれど。

(騎馬さん、ひかると今後も会うつもりなんだ……)

 小学生の弟相手にご立腹の様子のはじめに、それを聞く勇気が、ゆうきにはなかった。
620 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:02:40.19 ID:sW82/1G70

…………………………

 高等部の体育の授業で体力をゴリゴリと削られ、昼休みももう終わるという段になって、彼はようやく職員室に戻ることができた。今日もお昼ご飯は抜きになるだろう。

「……? 皆井先生、どうかされましたか?」

 そして職員室の戸を開けた瞬間目に飛び込んできたのは、見るからに沈み込む皆井先生の姿だ。

「ああ、郷田先生……」

 皆井先生はゆっくりと振り返った。その顔は見るからに落ち込んでいる。

「いえ、ちょっと、凹んでいるだけなので、お気になさらずに……」

「いや、尋常な落ち込み方ではなさそうですが……」

 あくまで職務を遂行するための言葉だ。同僚がもし悩みを持っているのなら、それを聞いてあげなければ、組織的な行動に支障が出る可能性がある。

「私で良ければ話を聞きますが」

「……うぅ。今はその優しさが胸に痛い」

「……はい?」

 皆井先生は暗い顔のまま。

「いや、あることにショックを受けたのです。そして、それにショックを受けている自分自身が、嫌になっているんです……」

「……よく、わかりませんが、わかりました」

 彼は言った。

「何か悩み事があるのなら聞きますから、無理をなさらずに」

「ありがとうございます……」

 そのとき、職員室の戸が開いて、同僚の松永先生が顔を覗かせた。

「げっ、もうこんな時間か。今日も昼飯食う時間はなさそうだな」

「あら、無計画ね。私はもう食べたわよ?」

 松永先生に続いて職員室に入ってきたのは、やはり同僚の誉田先生だ。

「あんたの長話を聞いてたおかげで、時間がなくなったんだけどな」

「失礼ね。先輩として、後輩に指導をしてあげていたんじゃない」

「昨日ひなカフェに行ってひなぎくさんに新作スイーツの試食をさせてもらった、ってのがOJTのつもりかよ」

 軽快な会話は幼なじみだからこそ成り立つものだろう。松永先生は嫌々という様子だが、誉田先生は間違いなく会話を楽しんでいる。ふと、暗い気配を感じて振り返る。

「…………」

 そこには、暗い目でそんなふたりの同僚を見つめる、皆井先生の姿があった。

「……皆井先生?」

「あっ、いや……」

 松永先生の不思議そうな声に、皆井先生はそう言って机に向き直り、書類整理を始めた。

 一体、皆井先生はどうしたというのだろうか。
621 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:03:12.54 ID:sW82/1G70

…………………………

 六時間目の授業の終了を告げるチャイムが校内に響いた。

 担当の先生に礼をして、その日の授業はおしまいだ。

「……ねぇ、はじめ」

 帰り支度をしていると、横から声がかけられた。隣の席の鈴蘭だ。

「なんだい?」

「……その、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」

「うん?」

 鈴蘭は言いづらそうにうつむいて、かと思えば顔を真っ赤にして上を向いて、また下を向く。

「……なんだい? にらめっこでもしたいのかい?」

「そんなわけないでしょ」

 鈴蘭は恨みがましそうな視線をくれる。そんな目をされても、はじめには鈴蘭の真意は計りようがない。

「言いにくいことなら、無理して言わなくていいと思うよ」

「……べつに、言いにくくはないわよ。ただ、あんたにちょっと、勘違いされたら、嫌だなって思うだけ」

「それは聞いてみないと分からないよ」

 はじめは苦笑いしながら。

「とにかく話してごらんよ。皆井先生がいらしてしまうよ?」

「……ん。その、あのね」

 鈴蘭はぽつりぽつりと話しはじめた。

「はじめは、あたしの友達よね」

「なんだい、いきなり。当然だろう」

 鈴蘭からそんな言葉が飛び出て嬉しいが、周囲には他のクラスメイトもいる。内心の嬉しさを抑えながら、はじめは応えた。
622 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:03:38.97 ID:sW82/1G70

…………………………

「じゃあ、あの、王野さんとか、大埜さんとか、美旗さんは……?」

「へ?」

 鈴蘭から飛び出るとは思わなかった生徒会メンバーの名前だ。はじめは驚きながら、少し考える。

 友達というものについてだ。

「……どうだろう。難しいな。私が勝手に友達と思っていても、向こうはそうは思っていないかもしれないからね」

「はじめは友達だと思ってるの?」

「……たぶん。私は、そうでありたいと思うよ」

 はじめの答えに、鈴蘭はどんな反応も見せなかった。ただ、それきり話は終わりだとばかりに、カバンの整理をし始めた。

「……でも、私は」

「何よ」

 はじめが口を開く。鈴蘭ははじめのほうを見ようともしない。

「でも、私は、鈴蘭がいてくれれば、それでいいけどね」

「なっ……」

 鈴蘭の頬に朱がさした。病的に白い肌は、紅潮するとすぐわかる。

「……あ、あたしは別に、あんたの友達じゃないし」

「さっき確認したばかりじゃないか。友達だよ」

「……ふん」

 鈴蘭の横顔を見つめて、はじめは微笑んだ。

 たとえ何がどうなっても、この子の友達でい続けたいな、なんて考えながら。
623 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:04:21.49 ID:sW82/1G70

………………………………

 どうしてそんなことを聞いてしまったのか、彼女自身にも分からないことだった。

「はじめは、あたしの友達よね」

 そして、続けざまに聞いてしまったことが、もっと不可解なことだった。

「じゃあ、あの、王野さんとか、大埜さんとか、美旗さんは……?」

 まるで己が、はじめに嫉妬しているような問いかけ。

 わけが分からない。どうして自分があんなことを聞いたのか、まるっきり分からないのだ。

「……たぶん。私は、そうでありたいと思うよ」

 そして、はじめの返答を聞いて、なぜかイライラと機嫌を悪くして。

「でも、私は、鈴蘭がいてくれれば、それでいいよ」

 続いて飛び出したはじめの言葉が嬉しいなんて思ってしまって、頬が熱くなって。

 本当の本当に、一体何をやっているのだろう。

 彼女が必死で頬の朱と戦っていると、担任の皆井先生が教室に入ってきた。良い子揃いのダイアナ学園では、担任の先生が入ってきた瞬間に全員が着席し、口を閉じる。隣のはじめもまた、ピシリと姿勢を正した。

「……特に、連絡事項はないです。皆さんから何かありますか?」

 いやに低く暗い声だった。最初、彼女はそれがいつも元気が空回り気味の担任の声とは思えなくて、顔を上げた。どう見ても前に立っているのは皆井先生だ。しかし、いつもは快活で爽やかな笑みを浮かべている皆井先生が、なぜか暗い顔をしている。彼女だけではない。周囲のクラスメイトも皆、驚いた顔で皆井先生を見つめている。

「……あの、先生」

 はじめが手を挙げた。

「はい、騎馬さん。どうしましたか?」

「あの、失礼かもしれませんが、お聞きします。先生、体調でも悪いのでしょうか? 顔色が優れないようですが……」

 皆の疑問を代弁するように、はじめが言う。

「……ああ、ごめんなさい。気にしないでください。何でもありませんから」

「は、はぁ……」

 当の皆井先生にそう言われてしまえばそこまでだ。はじめは着席し、その他に生徒からは何もなく、終礼をして、HRもつつがなく終わった。皆井先生は暗い顔をしたまま、暗いオーラを携えて、教室を後にした。その間、口を開く生徒はいなかったが、皆井先生が去った直後、教室にざわめきが走った。

「ど、どうしたのかな、浩二先生」

 皆井先生は、女子生徒から黄色い歓声を浴びることはないが、親しみを込めて浩二先生と下の名前で呼ぶ生徒はいる。
624 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:04:47.48 ID:sW82/1G70

「今までどんなときでも笑顔だった浩二先生が、あんなお暗い顔をされるなんて……」

「きっと何かあったのよ」

「でも、会長がお聞きになっても何も答えてくれなかったわ」

「どうしたらいいかしら」

 いつの間にやら、教室中の生徒がはじめの席を中心に集まりつつある。少し様子がおかしかっただけで、担任の先生の心配をしているのだ。彼女には信じられないことだが、どの生徒も本気で皆井先生のことを心配しているようだ。

 はじめの席を囲むわけだから、自然、その隣の彼女の席も巻き込まれることになる。クラスメイトたちに囲まれ、出るに出られない状態だ。

「会長。どうしたらいいかしら」

「……うーむ。先生は社会人で、大人でいらっしゃる。私たち中学生には及びもつかないような悩みがあるのかもしれない。だから、心配もするし不安だろうが、皆にできることは少ないとは思う」

 不安そうなクラスメイトたちに、はじめは諭すように言う。その口調は、普段彼女と喋るときとは打って変わり、頼れる生徒会長然としている。

「私たちにできることは、できるだけ先生の負担にならないよう、普段通りの学校生活を送ることだと思う。そうすればきっと皆井先生もすぐに、元の皆井先生に戻ってくださるよ」

 ぱぁぁ、と光明を得たかのように、クラスメイトたちの顔が明るくなる。はじめの言葉は、それだけクラスに影響力をもたらすのだ。

「……でも、私、浩二先生のために何かしてあげたいです」

 生徒のひとりが言う。ショートカットにリボンが可愛らしい彼女は、今にも泣き出しそうな顔だ。

「ふふ。リエさんは浩二先生のことが大好きですものね」

「やっ、やめてください。恥ずかしいです……」

 あの空回りしてばかりの担任のどこがいいのか、彼女には分からない。。リエさんと呼ばれた生徒は、顔を真っ赤にしてうつむている。

「そうだなぁ……」

 はじめがうんうんと唸る。

「学校に迷惑がかからなくて、なおかつ先生にも迷惑がかからないものなら……」

 はじめが何かを思いついたように手を叩いた。

「寄せ書きをする、というのはどうだろうか」

「寄せ書き?」

 リエさんが聞き返す。はじめは頷いて続けた。

「色紙一枚なら100円もしない。皆で5円玉一枚ずつくらいお金を出せば買えるだろう。そこに、皆の想いを素直に書くんだ。もちろん、お金が絡むことだから、賛同してくれるひとだけになるが……」

 返事は聞くまでもないようだった。クラスメイトたちは一様に名案だとはじめを褒めそやしだしたのだ。

「名案ですわ、会長」

「さすがダイアナ学園中等部の生徒会長ね!」

「はじめさんってやっぱりすごいわ」

 口々に褒める言葉に、はじめが笑みで応えながら言う。

「よし、では、私は今日の帰りに色紙を買うよ。この趣旨に賛同してくれる人は、明日の朝、早くに学校に来てくれ。みんな、書く内容を考えておいてほしい」

 クラスメイトたちは元気よく返事をして、その臨時集会はお開きとなった。
625 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:05:22.28 ID:sW82/1G70

「……ふん。なんか、ばかみたいね」

 誰にも聞こえない声で、彼女は言った。もしもその声を誰かが聞いていたら、きっとこう思っただろう。

 素直になればいいのに、と。

 それくらい、彼女は自身では気づかなかったけれど、とても温かい声色だったのだ。

「リエさん、元気を出して。明日、浩二先生を励まして差し上げましょう」

「……はい!」

 リエさんは頬を赤くして、笑顔で頷いた。

「……いやあ、私たちの担任は愛されているねえ」

「ふんだ。あたしのしったことじゃないけどね」

 はじめのヒソヒソ声にそう返す。

「じゃあ、鈴蘭、行こうか」

「? 行くって、どこによ」

「当然、商店街に色紙を買いに、さ。付き合ってくれるだろう?」

「は、はぁ? なんであたしがそんな……」

「あら、後藤さんも行ってくださるの? ありがとうございます」

 ふたりの会話が聞こえたのだろう。お上品そうなクラスメイトがそう言った。

「おふたりには手間をかけますが、よろしくお願いします」

「……しっ、仕方ないわね」

 そのときだった。



 ――ぞわ、と。

 

 背筋が泡立つような感覚を憶えた。

「……ッ!?」

「……? どうかされました、後藤さん?」

「あ……な、なんでもないわ」

 それはとてつもない闇の発露だ。その闇の波動が、彼女の背筋を凍らせたのだ。

 こんなとてつもない闇を持っている者など、彼女の知る限りひとりしかいない。

(どうして学園内で、あの方が現れるの……!?)

 彼女はカバンを持つと、はじめに言った。

「……ごめん。今日は、約束があるの。だから、買い物、付き合えないわ」

「えっ……? あ、そうだったのか。そうとは知らず、勝手に盛り上がってしまった。すまない」

「……いいわよ」

 彼女はそれきり、誰も振り返らず、教室を後にした。
626 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:05:49.12 ID:sW82/1G70

…………………………

「後藤さん、色紙書いてくださるかしら……」

「何か気を悪くするようなことを言ってしまったかしら」

「……大丈夫だよ」

 クラスメイトたちの不安げな声に、はじめは断言するようにいった。

「鈴蘭も明日の朝、ちゃんと寄せ書きを書いてくれるさ」
627 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:06:16.42 ID:sW82/1G70

………………………………

 HRが終わり、皆井先生は心の底まで落ち込んでいた。

「……生徒に沈んだ顔を見せてしまった」

 少なくとも皆井先生は、生徒に対して自分の個人的な事を押しつけるつもりはない。そんなことしたくもない。

 そして今まで、できるだけそういったことをしないようにしてきたつもりだ。

 だというのに、今日は生徒相手にひどく落ち込んだ様を見せてしまった。

 それは、学校の先生としてしてはならないことだと、皆井先生は考えている。

 その、してはならないこと、をしてしまったことが、皆井先生の心を強く苛んだ。

「まったく、不甲斐ない。私事と仕事をごっちゃにしてしまった」

 廊下をとぼとぼと歩くが、その姿を他の生徒に見られるのもいけないことだ。皆井先生は息を吐いて、背筋を伸ばす。

 自分にできることは、過ぎてしまったことを引きずらず、今をきちんとすることだけだ。

 とはいえ、だ。

「……はぁ。へこむものはへこむよなぁ」

「あら、何か悩み事ですか?」

「あ……ひなぎくさん」

 かけられた声は涼やかで、透き通っている。少し前まで誰もいないと思っていた廊下の先に、笑顔のひなぎくさんがたたずんでいた。簡素なエプロン姿だが、上品な気配は隠しきれていない。親しみやすいが、とてつもない美人だ。普段の皆井先生なら、ここでお世辞のひとつでも言ってその場を白けさせていただろうが、今はそんな気分にはならない。

「いや、ちょっと……。色々ありまして」

「身近な人には逆に話しづらいこと、ありますよね」

 ひなぎくさんは微笑んで、手招きした。

「購買でお茶でもいれますよ。私で良ければ、話してみませんか?」

「……じゃあ、少しだけ、お言葉に甘えます」

 せっかくの申し出だ。皆井先生はひなぎくさんに誘われるまま、彼女についていった。
628 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:06:43.71 ID:sW82/1G70

…………………………

 闇の戦士ゴーダーツは、久々にホーピッシュの大地を踏んだ。そこはダイアナ学園の裏庭だ。

「……あの方の闇の波動はこのあたりで感じたが」

 プリキュアやその他の学校関係者に、いまの姿で見つかるわけにはいかない。良くて不審者、最悪妖怪や都市伝説の類いにされてしまうかもしれない。

 放課後に現れる漆黒の巨漢、なんて学校の七不思議になってしまったら、本当に目も当てられない。

「やっぱりあんたも来たのね」

「……ゴドーか」

 ガサガサと草を踏み分けながら、同志である闇の戦士ゴドーが現れる。

「あれほどの闇の発露。今すぐ来いと言っているようなものだったからね」

 そして木の上には先客がいた。暇そうに太い枝に腰かけるのは、もうひとりの同志、闇の戦士ダッシューだ。

「いや、しかし、このホーピッシュで君たちとこんな形で顔を合わせることになるとは思わなかったね。まったく、あのお方は何をお考えなのか」

「お前はデザイア様のお考えに文句をつけることしか知らんのか」

「盲目に付き従うよりはいいと思うけどね」

「……何だと?」

「やめなさいよ、くだらないわね。あたしだって予定があったのに行けなくなって、気が立ってるんだから」

 三人は押し黙り、それきりその不毛な会話をやめにした。

 そしてその場に、彼らを呼び寄せた人物が現れた。

「よく来てくれた、ゴーダーツ、ダッシュー、ゴドー」

 その漆黒の出で立ちは、まるでホーピッシュに穴が空いたような印象を与える。それはあながち間違いではないだろう。

 アンリミテッド最強の騎士、暗黒騎士デザイア。

 それは、ホーピッシュに巨大な穴を穿ち、闇に染め上げようとしている彼らの最高司令官だ。

「今日は貴様たちに、新たな力を授けようと思う」

「新たな力?」

 ダッシューが木の上から降りて、問う。

「それは一体……」

「今から見せてやろう」

 デザイアが腕を振るう。闇がその場を覆う。一瞬にして、ホーピッシュからアンリミテッドへ位相をずらしたのだ。

 そしてそこに現れたのは、座って寝息を立てる――、

「――――ッ……!? 皆井先生!?」

 ゴドー動揺するような声を出す。デザイアが仮面の顔をもたげ、問うた。

「どうかしたか、ゴドー」

「い、いえ。なんでもありません」

 ゴドーは何かを飲み込むように、そう言った。
629 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:07:09.85 ID:sW82/1G70

「……この男をどうするおつもりですか?」

 次いで、ゴーダーツがデザイアに問う。

「すぐにわかる」

 デザイアが皆井先生に腕をかざす。

「見えるか? この男の欲望が。この男の胸の中にある、悲哀、憎悪、そして、欲望が」

 言葉とともに、それが明確なビジョンとして三人の脳裏に再生される。





 想いを寄せる女性がいた。

 しかし、その女性には、他に好意を寄せる男性がいた。

 そのふたりは、己から見てもお似合いで、自分にはどうすることもできない。

 その気持ちを押し込めて、押し込めて、我慢する。

 同僚が羨ましい。想いを寄せる女性が、好意を寄せる男だ。

 羨ましい。

 けれど、彼が自分にないものをたくさん持っていることも知っている。

 そしてそんな彼に惹かれる彼女の気持ちも分かる。

 自分のように、生徒からは気軽に名前で呼ばれ、慕われているのか舐められているのか分からないような立場にいるような教員よりは、よっぽど。

 彼のように、校長や理事長からも信頼され、色々な仕事を任される男の方が魅力的なのも分かる。

 彼のようになりたい。

 けれど、自分には無理だとわかる。

 苦しい。

 つらい。

 憎らしい。

 そんな人間になりたい。

 願わくは、彼女の好意を勝ち取りたい。





「この欲望を解き放つ。それが、“ウバイトーレ”を生み出す方法だ」

 いつの間にか、皆井先生の心の中に入り込んでいたようだった。デザイアの言葉で我に返る。
630 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:07:41.22 ID:sW82/1G70

「ウバイトーレ……?」

「そうだ。ウバイトールは人間が物に込めた欲望を解放することによって誕生する。しかし、ウバイトーレは人間の欲望そのものを解放する。その強さは、ウバイトールの比ではない」

「……ウバイトーレにされた人間は、どうなるのですか?」

 ゴドーが問う。本人は隠しているつもりだが、どうしても倒れる皆井先生に目を向けてしまう。

「それを知ってどうするというのだ?」

「…………」

 ゴドーは黙したまま、デザイアの仮面を見つめた。ゴーダーツは、無言のまま視線を交わす司令官と同志の間に入る。

「……単純な疑問でしょう。そうだな、ゴドー」

「……ええ。そうよ」

「そうか」

 デザイアが再び口を開いた。

「どうなるも何もない。いずれはこの世界も闇に墜ち、我々アンリミテッドの領域に完全に墜ちる。そのとき、すべての人間は欲望に取り込まれる運命だ」

 デザイアはそのまま続ける。

「まぁ、もしもウバイトーレとされた人間を取り戻したいなどと考えるのなら、」

「っ……」

「……プリキュアたちに、浄化させればいい。そうすれば、ウバイトーレは元の人間に戻る」

「……そんなこと、思ってはいないです」

「そうか」

 会話は終わった。デザイアは再び皆井先生に手をかざす。そして、皆井先生の心に巣くう欲望に向かい、言った。



「その欲望、自分自身で購うのだな」



 闇が爆発的に広がっていく。デザイアの身体から放たれたその闇は、皆井先生に取り付き、その心の中にある欲望を無尽蔵に広げていく。闇が胎動し、産声を上げる。


『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』


「これがウバイトーレだ。生み出し方はわかったな?」

 三人が頷いたのを見て、デザイアも満足げに頷いた。

「さぁ、そろそろプリキュアどもがやってくる。我々は、ウバイトーレとプリキュアの戦いを眺めるとしようではないか」

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 ウバイトーレは雄叫びをあげながら、進軍を始めた。

「……皆井先生」

 デザイア、ゴーダーツ、ダッシューがその後に続く。しかし、ゴドーだけは、ウバイトーレの近くに浮遊する、闇の牢獄に囚われた皆井先生を見つめる。

「……関係ない。あたしには、関係ない」

 まるで自分に言い聞かせるようにそう言って、ゴドーもまた、ウバイトーレを追いかけた。
631 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:08:23.50 ID:sW82/1G70

………………………………

「この気配は、昨日の怪物と同じ気配グリ……」

 ブレイが震えながら言うとおり、そこはすでにアンリミテッドのモノクロの世界に墜ちていた。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 闇の瘴気が発生する中庭で、三人は昨日のウバイトーレと似た怪物を発見した。そのウバイトーレは、スーツを身につけているようだった。しっかりとネクタイをしめ、教科書とチョークを持っている。背中に提げているのは指し棒だろうか。

「あっ! あれ!」

 ゆうきが指をさす。ウバイトーレのすぐ近くに、昨日ひかるが囚われていた闇の牢獄と同じものがある。そこに囚われているのは、隣のクラスの担任、皆井先生だ。

「皆井先生……!」

「この学校の教員か。なるほど。大した欲望を持っていたぞ」

 巨大なウバイトーレの足下から現れる陰。それは凄まじいまでの圧力を放つ、アンリミテッドの最高司令官――、

「――デザイア……!」

「皆井先生は、少し口下手で空回りも多いけど、しっかりとした熱意あふれる先生よ!」

「先生を解放しなさい!」

 三人の言葉に、デザイアはにべもなく答える。

「昨日告げた通りだ。この男をとりもどしたければ、ウバイトーレを浄化するのだな。昨日のウバイトーレとは比べものにならない、本物の欲望を宿すこのウバイトーレを、」

 そして、仮面の奥で、笑った。

「……浄化できるものなら、浄化してみるがいい」

「昨日やれたんだもの! やってやるわよ!」

 三人はロイヤルブレスを掲げる。それは、その闇の世界にあって、なお一層光り輝いているようだった。

 妖精たちから放たれた紋章を受け取り、ゆうき、めぐみ、あきらは伝説の戦士の宣誓を叫ぶ。



「「「プリキュア・エンブレムロード!」」」



 旋風と光が吹き荒れたそれは闇の瘴気に包まれた中庭を鋭く照らし出す。薄紅色と空色と真紅の光が吹き荒れ、その場を制圧する。それは、ロイヤリティの誇りの光。勇気・優しさ・情熱の発露そのものだ。そして、高貴な光が埋め尽くしたその場に、三人の伝説の戦士が降り立った。



「立ち向かう勇気の証! キュアグリフ!」



「守り抜く優しさの証! キュアユニコ!」



「燃え上がる情熱の証! キュアドラゴ!」



 世界が闇に飲まれ、欲望に囚われた使途たちが毒牙を伸ばすとき、現れるとされる伝説の戦士。

 その名は――、



「「「ファーストプリキュア!」」」



 三人が変身するのを見届けて、どこか満足したように、デザイアは闇に溶けて消えた。
632 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:08:50.22 ID:sW82/1G70

…………………………

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 ウバイトーレが右手を振りかぶる。それを振り抜いた瞬間、そこに握られるチョークが、まるで小さなミサイルのようにプリキュアたちめがけて放たれる。三人は飛び上がり、散開して回避する。

「昨日みたいに浄化して、皆井先生を救い出すんだから!」

 キュアグリフはウバイトーレに真正面から飛び込んだ。巨大なウバイトーレの胸元めがけて跳び蹴りを放つも、ウバイトーレが左手に持つ教科書で叩かれる。

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「きゃっ……!」

 巨大な教科書による殴打は、いともたやすくグリフを弾き飛ばす。

「わたしの炎なら……!」

 左方からキュアドラゴがウバイトーレに接近する。情熱の炎を燃やして戦う、最高の攻撃力を持つプリキュアは、すでに両手に炎を宿していた。ドラゴに対しても教科書で応戦しようとするウバイトーレに対し、ドラゴは拳を振りかぶり、教科書めがけて拳を放った。

『ウバッ……!? ウバァアアアアア!!』

 教科書がドラゴの炎に飲まれ、燃え上がる。たまらず、ウバイトーレがその教科書を取り落とす。

「ユニコ!」

「ええ!」

 続けて、キュアユニコが右方からウバイトーレに接近する。その手にためた空色の光を、ウバイトーレの前で展開する。

「優しさの光よ、この手に集え!」

 集約した光がカタチを成す。それは伝説の神獣、ユニコーンを模した剣だ。

「カルテナ・ユニコ−ン!」

 ユニコはその剣を振るい、ウバイトーレに肉薄する。

 ギィン! と、凄まじい金属音が鳴り響いた。ウバイトーレは背中から抜いた指し棒で、ユニコのカルテナを受け止めたのだ。

「ッ……。指し棒なんかで、私のカルテナを受けたって言うの!」

『ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 まるで剣のように指し棒を構えたウバイトーレが、ユニコに向かい指し棒を振るう。圧倒的な上背の差が、如実に戦力差として表われる。ウバイトーレは巨人のようなものだ。その巨人に対し、ユニコはあまりにも小さい。

「ユニコ!」

 グリフが横からウバイトーレに飛び込む。しかしウバイトーレはその動きすら見切っていた。ユニコに向け上段から指し棒を打ち下ろすと、そのまま斬り上げるようにグリフに向け指し棒を振ったのだ。ユニコはあまりの衝撃に膝をつき、グリフは指し棒を下から叩きつけられた。

 しかし、グリフはそれだけでは終わらなかった。

『ウバッ……!?』

「ふん、だ……つかんじゃえば、こっちのもんだもんね」

 グリフは指し棒の先端を両手を使って掴んでいた。そのまま着地し、指し棒を引き抜こうとするウバイトーレに負けないよう、力一杯指し棒を引く。
633 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:09:17.05 ID:sW82/1G70

「情熱の炎を燃やす。正確に。燃やす物を見極めて! 行って、ドラゴネイト!」

 ドラゴの拳から炎が放たれる。その炎は、まっすぐ指し棒に向かう。すわグリフも巻き込むかと思われたその炎はしかし、グリフにキズ一つつけることはない。情熱の国に伝わる伝説の中の伝説、最秘奥とされる“ドラゴネイト”は、その正確無比な特性によって、光強い存在を傷つけることはない。そしてその炎は、ダッシューの持つのこぎりやはさみすら一瞬で燃やし尽くすほどの出力だ。ウバイトーレの指し棒など、ひとたまりもない――、

「……えっ!?」

「うそ……!」

 ――はずだった。

『ウバッ……ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

 指し棒は燃え上がった。しかし、その外側だけが剥がれ落ちる。指し棒だと思っていたものに隠されたソレが、プリキュアたちの目の前に現れる。それは、細長い剣だ。

「剣……?」

「あれはフルーレだよ」

 グリフの不思議そうな声に、ドラゴが応える。

「あのウバイトーレ、指し棒の中にあんなものを隠してるなんてね」

「あ、そういえば、皆井先生ってたしか、フェンシング部の顧問だよね……」

 納得する。昨日のウバイトーレはサッカーボールのようなものを持っていた。ひかるはサッカーが好きだ。つまり、ウバイトーレは元の人間の特性や好みを反映する姿になるようだ。

「……ちょうどいいわ」

 ゆらりと、立ち上がる影があった。それは、空色の優しさのプリキュア、キュアユニコだ。

「ユニコ、大丈夫?」

「大丈夫よ。相手も剣を持っているのね。そして、皆井先生のフェンシングの技術を持っているっていうわけね」

「えっ……?」

 大丈夫、などと聞くだけ野暮だったかもしれない。ユニコの目は闘志に燃えていた。それこそ、少年漫画の主人公のように、メラメラと。

「郷田先生との毎朝の特訓の成果を見せるときだわ。ゴーダーツとデザイアの代わりの、仮想敵にちょうどいいわ。ふたりとも、悪いけど手出しは無用よ。私は自分の剣技がどこまで通用するか確認したいの」

 ユニコはカルテナを構える。それは、郷田先生に毎朝一時間ほど習っている、剣道の型だ。目を閉じ、呼吸をするユニコは、大真面目にウバイトーレと決闘をするつもりのようだ。

「……あー」

「ああなっちゃったら、ユニコは止まらないよね」

「本当に、少年漫画みたいなんだもん……」

 グリフとドラゴが目を見合わせ、苦笑する。驚異的な力を持つウバイトーレを相手に苦戦しているはずなのに、どうにかなると思えてくるから不思議だ。

「……アアアアアアアアアアアアアア!!」

 カッ、と目を見開いたユニコが吼えた。そして、まっすぐに跳ぶ。巨大な相手を物ともせず、“守り抜く優しさの光”で足場を作り、まるで階段を駆け上るように、一気にウバイトーレの顔に肉薄する。

『ウバッ……!?』
634 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:09:43.68 ID:sW82/1G70

 そのユニコの三次元的な移動に、ウバイトーレは対応しきれないようだった。慌てて目の前にかざしたフルーレで防御をしようとする。

「そんな中途半端な防御で、何ができるのよ!」

 ユニコはそのまま、カルテナをフルーレに叩きつけた。

「………………」

『………………』

 交錯し、ウバイトーレの背後に、ユニコは着地した。グリフとドラゴが固唾を呑んで見守る中、一拍遅れて、カラン、と乾いた音が響いた。両断されたフルーレが地に落ちた音だ。

『ウバッ……!? ウバァアアア!?』

「……つまらないものを斬ってしまったわ」

 一体あの学業優秀スポーツ万能な生徒会副会長は、どこを目指しているのだろうか。一瞬グリフとドラゴの頭に不安がよぎるが、それはそれとして、だ。

『ウバ……! ウバイトォォオオレェェエエエエエエ!!』

「あっ……! ゆ、ユニコ!」

 ウバイトーレが逆上したように、後ろを振り返りユニコに両手を伸ばす。しかし、慌てたグリフとドラゴが動くより早く、ユニコは振り返った。その顔は、歓喜に満ちていた。

 己の剣が通用したことが、心の底から嬉しいのだろう。

「角ある純白の駿馬、ユニコーンよ! プリキュアに力を!」

 空色の光がその場を埋め尽くさんばかりに広がり、カルテナに集約される。

『ウバッ……!?』

 ウバイトーレが己の危機に気づくが、もう遅い。ユニコは空色の光をこれでもかとため込んだカルテナを、すでに構えていた。



「プリキュア・ユニコーンアサルト!!」



 それは、初めてカルテナを手にしたとき、ゴーダーツに放ったのと同じ、零距離で敵を穿つアサルトだ。回避不能のその一角獣の突撃に、ウバイトーレの腹に大きな穴が穿たれる。しかし。

『ウバッ……ウバッ……』

 ウバイトーレは倒れない。ウバイトールであれば、それで浄化されて終わりだっただろう。ウバイトーレは、ユニコの凄まじい剣戟をもってしても、浄化しきることができなかったのだ。
635 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:10:28.26 ID:sW82/1G70

「……大丈夫だよ。あとはわたしに任せて」

 前に出たのはキュアドラゴだ。よろよろとよろけるウバイトーレに向かい、精神を集中する。心の中から湧き上がる情熱の炎を、まっすぐに、相手に届かせるように。

「……わたし、皆井先生の不器用なところ、好きですよ」

 ぽつぽつと、ドラゴは口を開く。

「少しゆうきと似てるし、めぐみとも似てる気がするんです。空回りしちゃうところとか、口下手なところとか」

 自然と笑みが洩れる。心の中が、皆井先生を救い出したいという気持ちでいっぱいになる。その情熱により生み出される炎は、苛烈だが、優しく、美しい。

「だから、戻ってきて欲しい。先生のそういうところが好きな生徒、他にもたくさんいると思うから」

 だから、と。ドラゴは胸の内の情熱を解放した。

「情熱の光よ、この手に集え」

 心静かに。けれど、心を燃やして。静かな中に宿る、高尚な情熱を、纏わせるように。

「カルテナ・ドラゴン」

 苛烈な力を持つ情熱の剣が炎の中から現れる。

「天翔る烈火の飛竜、ドラゴンよ。プリキュアに力を」

 紅蓮の炎を付き従え、まるで天高く空を駆けるドラゴンのように、ドラゴは跳んだ。



「プリキュア・ドラゴンストライク」



 放たれた必殺の炎弾は、ウバイトーレに直撃した。プリキュアたちの浄化の力を二回連続で浴びたウバイトーレはしかし、それでもまだ立ち上がる。

『ウバッ……アアアアア……』

「うそでしょ……」

 ドラゴは間違いなく、ドラゴネイトを使い、現時点で放てる最強の炎を放ったのだ。それでもまだ立ち上がるウバイトーレは、一体どれほどの力を持っているのだろう。デザイアの言った、昨日のウバイトーレの比ではないという言葉は、ウソでも何でもなかったのだ。

 腹に穴を空けながら、身体を燃え上がらせながら、それでもなお、ウバイトーレは立ち上がる。



『……なり、たい……』



「えっ……」

 ウバイトーレから、人間の声のようなものが聞こえた。けれどそれは、ウバイトーレから放たれたことばではなかった。ウバイトーレの横に浮遊する、牢獄に囚われた皆井先生から放たれた言葉だった。それはきっと、ウバイトーレを介して流れ込んでくる、皆井先生の心そのものなのだろう。
636 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:10:55.28 ID:sW82/1G70

『なりたい……私も……松永先生のような、立派な先生に……郷田先生のような、強い先生に……。私は……弱いから……』

「っ……」

『誉田先生に、相応しい、男になりたい……』

 グリフにとって、その大人が見せる弱気な姿は、とても珍しいもので、衝撃的だった。大人とは皆強くて、心にしっかりとした志を持っていて、子どもである自分たちには及びもつかないような、すごい生き方をしているのだろうと思っていたからだ。

 大人はきっと、自分たちとは違う。完成された存在なのだと、心のどこかで思っていたからだ。

「……そっか。先生も、そういう弱いところがあるんだね」

 だからグリフは、胸に手を当てて、その既存の考えを上書きする。

「そうだよね。私だって、あと何年かしたら大人になるんだもん。そのときに、何もかも完ぺきで、自分に満足することなんて、きっとできないよね。先生たちだって、悩んで、考えて、苦しんで、生きているんだよね」

 頭のいいユニコやドラゴは、きっとそんなこと百も承知だったのだろう。だから、ウバイトーレと対話するように、自分の気持ちを技に乗せて打つことができたのだ。

「……わたし、子どもだから、先生が何に悩んでるかわからないけど、皆井先生にもいいところ、たくさんあると思いますよ」

 だから、グリフも、ウバイトーレに、皆井先生に、語りかけるように言葉をつむいだ。

「さっきドラゴも言ってたけど、皆井先生の時々空回りしちゃうところとか、すごく親近感が湧くし、口下手なところも、めぐみみたいでかわいいと思うし……」

 ジロッ、と。ユニコの鋭い視線が飛ぶ。視線で謝りながら、グリフは続けた。

「……誰かに憧れて、近づきたいっていうのは、きっと素晴らしいことだと思います。でも、皆井先生は他の誰にもなれないですよ。なっちゃいけないんです。だってわたし、皆井先生がいなくなったら、寂しいです」

 炎に巻かれて苦しんでいたウバイトーレの動きが止まった。グリフの言葉が、皆井先生の欲望に支配された心に、届いたのだ。

「だから、戻ってきてください。ううん。わたしが連れ戻します。このキュアグリフが、先生の心を解放してみせます」

 グリフは薄紅色の光を纏う。

「勇気の光よ、この手に集え! カルテナ・グリフィン!」

 その光が集約される右手に現れるのは伝説の剣、グリフィンを模したカルテナ・グリフィンだ。

「翼持つ勇猛なる獅子、グリフィンよ! プリキュアに力を!」

 薄紅色の光が翼のように広がり、駆けだしたグリフに追随する。光を付き従えた伝説の戦士は、本物のグリフィンの如く、駆ける。まっすぐ、欲望に落ちた怪物へと。



「プリキュア・グリフィンスラッシュ!」



 ウバイトーレと交錯する刹那、神速の斬撃が放たれた様を視認できたものはいない。交錯の直後、血を払うかのように、グリフが剣を振る。

『ウバッ……ウバアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 その瞬間、ウバイトーレは両断され、今度こそ宙に溶けて消えた。黒々とした欲望は、少しだけ皆井先生の元に向かい、その胸元にとけ込んだ。皆井先生は牢獄から解放され、その場に倒れた。
637 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:11:22.82 ID:sW82/1G70

「……っ」

 ふらりと、身体中の力が抜ける気がして、グリフは膝をついた。周囲を見渡せば、ユニコとドラゴもまた、ひざまずいて、肩で息をしていた。全員が全力で必殺技を放ち、ようやくウバイトーレ一体を浄化することができたのだ。

 もしも、この場にもう一体ウバイトーレが現れたら。

 いや、今、自分たちが弱っているこの瞬間に、アンリミテッドの幹部が現れたら――、



「――三人しかいない現状で、よくあのウバイトーレを退けられたものだ」



「ッ……!」

「デザイア!」

 恐れていた事態が、最悪のカタチを伴ってやってきた。消えたと思われたデザイアが、はるか頭上、校舎の屋上からプリキュアたちを見下ろしていた。そして、その傍に控えるのは、ゴーダーツ、ダッシュー、ゴドーの三幹部だ。

 いま、この消耗しきった状態で、デザイアを含めたアンリミテッドの幹部と戦う余裕はない。疲れ果てた身体は、立ち上がることはおろか、カルテナを握ることすら難しいほどに消耗している。

「ふっ……。なんともまぁ、絶望に暮れるような顔をしているな。安心しろ。いま、我々は貴様らと戦う気はない」

 デザイアが言う。その言葉に反応したのは、ダッシューだ。

「なぜです? いまこの場でプリキュアを倒してしまえば、すべて終わることでしょう?」

「ダッシュー!」

 ゴーダーツのたしなめるような声が飛ぶ。しかし、ダッシューは構わず続けた。

「デザイア様の生み出したウバイトーレが弱らせたのでしょう? なら、今ここでデザイア様があの三人と妖精から紋章とブレスを奪い取れば、それで済む話ではありませんか」

「……なるほど。貴様の言い分ももっともだ」

 デザイアが納得するように言う。

「しかし、“私はそうしたいとは思わない”。それだけだ」

「なっ……」

 デザイアの言葉は、どこまでも淡泊だった。滅多なことでは感情を見せないダッシューが顔を歪め、腰につけたはさみに手を伸ばした。

「……やめておけ。我々で敵うお方ではないとわかっているはずだ」

「っ……」

 その手をゴーダーツに掴まれて、ダッシューは平静さを取り戻したようだった。ゴーダーツの手を振り払い、そっぽを向いた。
638 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:11:50.24 ID:sW82/1G70

「……と、いうことだ。しかし安心するなよ、プリキュア諸君」

 デザイアははるか頭上からプリキュアたちに言う。

「三幹部もウバイトーレの生み出し方を知った。今後は、ウバイトーレとの戦いが続くと思うのだな」

 デザイアは仮面の奥で笑う。

「三人のまま戦い続ければ、いずれ貴様らは消耗して敗北する。三人のままでは、ウバイトーレには絶対に対抗しきれぬよ」

「っ……」

 プリキュアたちは、その言葉に何も返すことができなかった。現状、プリキュアは誰一人、立ち上がることすらできないのだから。

「せいぜい、ウバイトーレとなるに足るだけの欲望を持つ者が現れぬことを祈るのだな」

 デザイアはそう言い残すと、マントを翻し、宙に消えた。それに追随するように、ゴーダーツとゴドーも消える。そして、残されたダッシューがプリキュアを見下ろした。

「……命拾いしたね、プリキュア。しかし、これまでと同じだと思わない方がいい」

 顔は普段通り、貼り付けたような不自然な笑みだ。けれど、声は今までにないくらいに冷たい。

「君たちがロイヤリティに与する限り、ぼくらアンリミテッドは君たちを絶対に許さない」

 そう言い残すと、ダッシューもまた宙に溶けて消えた。

「……皆井先生を取り戻すことはできたけど、」

「課題ばかりが残る戦いだったわね」

「愛のプリキュア……。一体どこにいるんだろう……」

 辛勝を得たプリキュアたちだが、その心は、不安に占拠されていた。
639 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:12:16.49 ID:sW82/1G70

…………………………

「よかった……」

 彼女は、誰にも聞こえない声で、そう呟いた。

「皆井先生が無事で、よかった……」
640 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:12:43.95 ID:sW82/1G70

…………………………

 朝の職員室は戦場だ。生徒の欠席連絡や教員からの服務事項の連絡で、電話線がパンクする勢いだ。そしてそんな朝の電話を取るのは、若手教諭の仕事だ。このダイアナ学園に若輩の教諭に電話番をやらせるような文化はないが、若手たちは年配の先生方に電話を取らせる気まずさを厭って、自ら率先して電話に手を伸ばす。

「……はぁ。今日電話取るの何件目だよ。つか、今日誰かいないな?」

 いつもより電話を取る回数が多くて、勤務時間前の雑務が終わらない。松永先生は通話を終えて受話器を置くと、周囲を見回す。郷田先生、誉田先生は受話器相手に何事か会話をしている。その近くにいるはずの、皆井先生が見当たらない。と、

「……おはようございます、松永先生」

「ああ、皆井先生、おはようございます……って、どうしたんですか? すごい隈ですね」

「ああ……。昨日、全然寝られなくてね……」

「また悩み事ですか?」

 皆井先生は自席に着くと、首を振った。

「いや、夢を見ていた……。嫌な夢だったな。自分が怪物になり、女の子たちに腹に穴を空けられ、燃やされ、両断された」

「……すげえ夢っすね」

「元は昨日の昼に見た白昼夢なのだけどね。夜にまったく同じ夢を見たんだ……」

 そう言う皆井先生は、今にも倒れそうな様子で雑務を始めた。と、電話のベルが鳴る。慌てて受話器を取ろうとすると、皆井先生が先に受話器を取った。

「……遅れてきたのだから、少しくらいやらせてください」

 受話器をふさいで、皆井先生は小声でそう言った。そのまま、耳に当てた。

「おはようございます。ダイアナ学園です」

 そんな皆井先生を見て、松永先生は決して本人に聞こえないように、小さく呟いた。

「……そういうところがあるから、すごいと思うんだよな。この人」

 直接言ったらすぐ調子に乗るから、絶対に本人には言わないけれど、それはまぎれもなく松永先生の本心だ。

 何か落ち込むようなことがあっても、夢見が悪くて眠れていなくても、それでも自分にできることを一生懸命やろうとする。

 そんなところが、松永先生が見習いたいと思う、皆井先生のいいところなのだ。
641 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:13:10.48 ID:sW82/1G70

…………………………

 朝の学年の打ち合わせが終わり、皆井先生はHRに向かっていた。

 昨日は本当にほぼ一睡もできていないのだ。

 その上、昨日のショックがまだ残っている。

 松永先生と誉田先生がどういう関係なのか、問いただす勇気もなくて、聞けてはいない。

 たとえ、「ただの幼なじみ」という返答が返ってきたって、きっとふたりの気持ちはそれだけではないだろう。

 ならば、皆井先生に割り込む余地などないのだ。

「……それでも、好きでいさせてもらうくらいは、いいだろうか」

 呟いてから、いつの間にか2年B組の前まで来ていることに気がついた。皆井先生は両手でぱしんと頬を叩く。昨日の反省を生かさねばならない。生徒の前で、気落ちした姿を見せるのは、教員としてあるまじき姿だ。

「私のことなど生徒にとってはどうでもいいことだ」

 そう。生徒にとって、教員は信頼できる大人でなければならない。それは、少なくとも、皆井先生にとっては、絶対のことだ。

 生徒を不安がらせたり、ましてや生徒に心配されるようなことはあってはならない。だから、皆井先生はできるだけ普段通りの笑みを浮かべて、努めて明るく教室の戸を開けた。

「みんな、おはよう!」

『おはようございます!』

「うおっ……」

 驚いた。普段ならば、始業のチャイムが鳴る前に生徒たちが着席していることなどない。なぜなら、皆井先生自身が、朝のHRに担任が来て、始業のチャイムが鳴ったら着席をしなさい、と指導しているからだ。

 しかしどうだろう。この日は、全員が揃ってピシリと、姿勢正しく席に着いているではないか。その上、普段なら空回り気味の皆井先生のあいさつに、全員がそろってあいさつを返してくれたのだ。

「ん、えっと……みんな、どうしたんだ……?」

 困惑しつつも、皆井先生は教壇に立つ。出席簿を教卓において、改めてクラスを眺める。今日は空いている席がないから、遅刻や欠席の生徒はいないようだ。不思議なのは、全員が皆井先生をまっすぐ見つめていることだ。

(な、なんだろう……。ひょっとして昨日の私の態度に怒っているのだろうか……)

 皆井先生の胃がキリキリと痛み始めた頃、教室の一角がにわかに活気づき始めた。

「……ほら、いってらっしゃい、リエさん」

「で、でも。やっぱりこういうのって、会長が行った方が……」

「いいんだよ。リエさんが“何かをしてあげたい”と言ってやったことなのだから、リエさんが渡すべきだ」

 話しているのは生徒会長の騎馬はじめと、大きなリボンが可愛らしい佐藤リエさんだ。やがて、はじめに促されて、リエさんが立ち上がった。その手には四角い板のようなものがある。リエさんがおずおずと近づいてきて、その板のようなものが色紙だとわかった。

「……あ、あの、皆井先生」

「あ、ああ。なんだい?」

 元々、リエさんはおとなしいタイプの生徒だったはずだ。皆井先生はそのおとなしい生徒の突然の行動に戸惑いながらも、しっかりとリエさんと向き合った。

「これ、みんなで書いたんです。色紙は会長が買ってきて、みんなでお金を出し合いました」

 リエさんはそう言うと、色紙を皆井先生に差し出した。皆井先生は賞状を受け取るように、両手でその色紙を受け取った。

 何が起きているのか分からなかった。

 その色紙の上に踊る、多くのメッセージを見てもまだ、現実感が湧かなかった。
642 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:13:38.17 ID:sW82/1G70

「ど、どうして……?」

 皆井先生は、そんなつまらないことしか言えない自分を全力で呪いたい気分だが、そうとしか言えなかったのだ。

「昨日、浩二先生が、落ち込んでらっしゃるように見えたので……」

「みんなで相談して、会長が色紙に寄せ書きを書こうって提案をしてくださったんです」

「私たち、浩二先生が心配で、だから……」

「私たちにできることはないから、できるだけ良い子でいます。先生の迷惑にならないように、しっかりします」

「その色紙をもらって、先生が嬉しいかも、わかりません、でも……」

 生徒たちは口々に言う。その言葉のひとつひとつだけで、皆井先生は倒れてしまいそうなくらい衝撃を受けていた。

「私たち、浩二先生のために何かをしてあげたかったんです」

 ああ、そうか、と。

 気づけば、両目から、涙がこぼれ落ちていた。その涙が色紙に落ちそうになって、慌ててスーツの袖で拭う。けれど涙は次々あふれてきて、生徒たちの目の前で、皆井先生は床に大粒の涙を床に落としていた。

「浩二先生……」

「……ごめん。みんな、本当に、ごめんなさい」

 申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「……昨日は、落ち込むような姿を見せてしまって、ごめんなさい……。少し、プライベートで、嫌なことがあって、それで、みんなにも気落ちしている姿を見せてしまいました……。ごめんなさい」

「あ、謝らないでください! わたしたちは、先生に謝ってもらうために寄せ書きをしたわけではありません!」

 リエさんの言葉にハッとする。

「……そう。そうだ。ごめんより、言うことが、あるね」

 皆井先生は、それ以上生徒に情けない姿を見せたくなかった。だから、ポケットからハンカチを取り出し、徹底的に涙を拭うと、目を真っ赤にしたまま、深々と頭を下げた。

「みんな、本当にありがとう」

 すぐ傍のリエさんが笑った。クラス全体が笑顔で包まれた。そして、皆井先生は顔を上げ、寄せ書きに目を落とした。皆、思い思いの言葉で、皆井先生を励ましてくれている。その中で、ひとつ、簡素だが綺麗な字で書かれた一文が目にとまった。



『あんたが元気ないとつまらないから、早く元気になんなさいよ 後藤鈴蘭』



 その名前がそこにあることが信じられなくて、皆井先生は顔を上げ、後方の鈴蘭を見つめた。

「な、何よ……」

「……散々手を焼かせてくれた後藤まで書いてくれるとは……」

「なっ……! そ、そんなことでまた泣き出すんじゃないわよ!」

 鈴蘭の声に、教室中がどっとわいた。皆井先生はひとりひとりの寄せ書きに目を通しながら、もう一度、心の中で、言った。

(……本当にありがとう)

 もう、何に悩んでいたのか思い出せないくらい、心は充足で満たされていた。
643 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:14:05.19 ID:sW82/1G70

…………………………

 同日、夕方のこと。

 この日の王野家は、久々にお母さんが家にいる日だ。ひかるはお母さんの背中が見えるリビングで、夕飯ができるのを待っていた。

「お母さん、もうお皿出しておく?」

「そうね。じゃあ、大きなお皿を一枚と、お椀を四つ持ってきてくれる?」

「はーい」

 次姉のともえはお母さんにべったりで、楽しそうにお手伝いをしている。長姉のゆうきにお手伝いを頼まれると嫌そうな顔をするくせに、お母さんには頼まれなくてもお手伝いをしているのだ。ひかるの前では大人ぶったりするけれど、次姉はかなり子どもだ。

(……まぁ、ぼくも人のことは言えないけど)

 次姉のように思い切り甘えるのは恥ずかしいけれど、こうやってお母さんの背中を見ていたいと思うのだ。ひかるもまた、まだまだ子どもだ。

 と、電話のベルが鳴る。お母さんが振り返る。お母さんは元より、ともえも皿を出している最中で手が離せない。ひかるは自発的にソファを立って、電話に向かい、受話器を取った。

「もしもし」

『お忙しいところ失礼致します。王野さんのお宅でよろしいでしょうか?』

 その澄ました声には聞き覚えがあった。

「……はじめさん?」

『ああ、声から察しはついていたが、やはりひかるくんか。それにしても、最初の「もしもし」は随分と可愛らしい声だったのに、私だとわかった途端に随分と怖い声になったな。君の変わり様にはまったく感服だ』

「姉ならまだ学校から帰っていませんよ。帰ったら折り返し電話をさせますね。では、失礼します」

『ちょっと待ちたまえ。まだ何も言っていないだろう』

 はじめの声は慌てた様子だ。何も言っていないも何も、のっけから失礼極まりないことを言っただろう。

『お姉さんに用事があるのではない。君に用があって電話をしたんだ』

「……ぼくに?」

『そう嫌そうな声を出さないでくれ』

 はじめが言った。

『……昨日は本当にありがとう。助かったよ。また今度お礼をさせてくれ』

「……なんだ。そんなことですか。お礼なら結構です。また熱を出されて倒れられても嫌なので」

『君は少し相手をいたわることを覚えたらどうだ?』

 いたわるも何も、はじめの声は昨日高熱を出した人と同一人物とは思えないほどに元気だ。

「それだけですか? では、失礼します」

『いや、私からはこれだけなのだが……』

 電話口ではじめが口ごもる。何事だといぶかしむひかるの耳朶を、別の声が叩いた。

『……もしもし? お電話を代わりました。騎馬はじめの母です』

「え……」

 一瞬思考が止まった。
644 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:14:58.38 ID:sW82/1G70

「……はじめさんの、お母さん?」

『はい。王野ひかるさんですね?』

「は、はい……」

 ふと思い出されるのは、先日、はじめの母と別れる前に言ったことだ。



 ――――『その他の愛情は、ぼくや、ぼくの姉が、責任を持って与えます』



 今さらなことではあるけれど。

 いくらなんでも、恥ずかしい啖呵を切りすぎた気がする。

 自然と頬が熱くなるが、相手がそれを意に介するわけもない。

『昨日のお礼を、わたくしの口からも言っておきたくて、お電話を差し上げました』

「はぁ……」

『昨日はありがとうございました。はじめには体調が悪いときは無理をしないように言っておきました』

「……そうですか」

『それから……』

 電話口の声の調子が変わる。

『あの子に、愛を与えてくださるのですよね?』

「……はい?」

 それは、素のはじめとそっくりの、挑戦的な声だ。

『そう言ってくださいましたよね? はじめに、愛を与えてくれると』

「……言いましたけれども」

 口から出てしまった言葉は取り消すことができない。
645 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:15:27.85 ID:sW82/1G70

『では、今後とも、娘をよろしくお願いします』

「それはぼくの姉に言うべきでは?」

『お姉さんはお姉さん。あなたはあなたでしょう』

 正論にぐうの音も出ない。ひかるは嘆息して、頷いた。

「わかりました。はじめさんが望むなら、そうしますよ」

『はい、よろしくお願いします』

 まるではじめがひかると今後も関わり続けることを予見しているような口ぶりだ。ひかるはまだ小学生で、どうしてはじめのお母さんがそんなことを言うのかわからない。

『では、宿題などでお忙しい時間帯にお時間をいただいてありがとうございました』

「宿題なんて帰ってすぐ終わらせましたよ」

『ふふ、そうですか。では、失礼致します』

「……はい。失礼します」

 受話器を置いて、ひかるは思う。

 はじめの気持ちも、はじめのお母さんの意志も分からない。

 分からないけれど、分からないなりに、なんとなく、思う。

 今度、はじめはどこに連れて行ってくれるのだろうか、なんて。

 そんなことを考えてしまうあたり、自分もまた、はじめに会いたいなんて、考えているのだろうか、と。
646 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/06/24(日) 10:15:55.63 ID:sW82/1G70

 次 回 予 告

めぐみ 「………………」

あきら 「……ねえ、ゆうき。なんでめぐみはあんなに不満そうな顔なの?」

ゆうき 「たぶん、自分の剣が相手に通用しきらなかったからじゃないかな」

あきら 「熱血だなぁ。少年漫画みたい」

めぐみ 「……剣の道は険しい。私はまだ未熟だわ」

ゆうき 「うん。本当にあの優等生がどこに向かっているのか知りたいね」

ゆうき 「ま、いいや。気を取り直して次回予告、いっちゃおう!」

あきら 「生徒会副会長、十条さんのために、生徒会が写生大会を企画することに!」

あきら 「けれどそんな十条さんに、アンリミテッドの魔の手が迫る!?」

ゆうき 「次回、ファーストプリキュア! 第二十話【芸術家みことの苦悩? みんなで写生大会!】」

ゆうき 「次回もお楽しみに!」

あきら 「また来週! ばいばーい!」
647 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga sage]:2018/06/24(日) 10:16:35.47 ID:sW82/1G70
>>1です。
お待たせしてしまってすみません。
また来週、よろしくお願いします。
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