俺「アンチョビが画面から出てきた」

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2 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:37:44.03 ID:ema8T1+O0
 2017年11月5日。日曜日。
 一人暮らしのリビングで、アンチョビが眠っているのを見つけた。

「…………???」

 昨日は従姉妹の結婚式。
 地元の愛知まで出向き久方ぶりの親族と顔を合わせ、疲れ果てて埼玉の自宅へ戻った俺は、酒をかっくらいながらガルパンの劇場版を観て眠りについたのだった。

 それで、何故、自宅にアンチョビが?
 まだ寝ぼけているのかと冷蔵庫からボトルコーヒーを取り出して口に含んでみたが、やはり目の前のアンチョビは消えてくれない。

 いや、『アンチョビ』と表現してはいるが、冷静な頭で考えれば、彼女はアンチョビのコスプレをした一ファンに過ぎない。
 コスプレの完成度は相当に高く、身に纏ったアンツィオ高校の制服などは、市販のものでなくおそらくは手製だろう。

 彼女はこたつに倒れ込むようにして眠っているが、目を覚ます様子はない。
3 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:39:16.99 ID:ema8T1+O0
 俺が連れ込んだのか、それとも不法侵入か。

 さすがに前者であれば記憶も残っているだろうから、おそらくは後者だろう。
 とはいえ、どれだけ間抜けな泥棒だって、ターゲットの家のこたつで眠りに就くなんてことしやしない。

「あ、鍵をかけ忘れたとか?」

 それで彼女の方も部屋を間違えて入ってきてしまったとか?
 顔を合わせたことはないけれど、お隣さんという可能性だ。

 しかし玄関へ向かい確認してみたところ、問題なく鍵はかかっている。

 ――だとしたら、考えられるストーリーはこの辺りだろう。

 俺は鍵をかけ忘れた。
 部屋を間違えた彼女が内鍵をかけた。
 内装が似ていたせいでミスに気付かず、疲れていた彼女はそのままこたつで眠り込んでしまった。
4 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:41:06.48 ID:ema8T1+O0
 ……俺の部屋に似ているなんて、彼女も相当ひどい生活を送っているんだなあ。

 壁一面を覆い尽くす本棚。
 そこに並ぶゲーム、漫画、小説、CD、Blu-ray。
 床には同人誌タワー。空いた酒瓶に、Amazonの段ボール箱。

 彼女が目覚める前に多少なりとも片付けておかないと。

「……と、その前に、シャワーでも浴びるか」

 昨夜は風呂に入らなかったし、寝間着のままだ(フリースの上に着る毛布)。
 シャワーついでに着替えてしまおう。

 バスタオルと着替えを洗面室へ持って行き、シャワーを浴びる。
 バスタオルで水滴を拭い服を着て髭を剃ると、リビングの方から「う"あ"あ"あ"っ!?」と音の濁った声が聞こえた。
5 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:43:42.13 ID:ema8T1+O0
 目を覚ましたかとリビングの扉を開くと、その通り、彼女は座椅子の上に立ち上がり、大きく目を見開いていた。

「誰だっ!?」

 発せられた声が思いのほかアンチョビとそっくりで驚く。
 薄緑のツインテールを揺らしこちらを振り向いた彼女は、改めて見ると超がつく美人だ。
 綺麗に巻かれた縦ロールが映える。

「いや、あの、どうも貴女は昨晩、酔っ払ってうちに入ってきちゃったみたいなんですよね。あ、私、戸庭といいます。二十八歳です。どうか落ち着いてください」

 自分でもしどろもどろになっているのがよくわかる。

「落ち着いていられるかあ! どこだここは! ちゃんと説明しろお"お"お"っ!」
6 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:45:58.52 ID:ema8T1+O0
「えーっと、まず、ここは私の家です。朝起きたら貴女がリビングで寝ていたという状況なので、私もあまり話を飲み込めてません」

「……なにい? 本気か?」

「あ、はい。本気です。不法侵入なのではないかと疑ってるくらいですし。いえ実際その通りだと思うんですけど、ひとまず貴女の名前を聞かせてもらえますか」

「わたしはアンチョビ。ドゥーチェ、アンチョビだ!」

「そういうのじゃなくて、本名をお願いしたいんですけど」

「う…………安斎、千代美、です」

「いや、そういうのでもなくて」

「そういうのってどういう意味だあ"あ"あ"あ"っ!」
7 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:47:35.09 ID:ema8T1+O0
 叫ぶ彼女はやはり音が濁る。
 濁点だらけの彼女の声はやはりアンチョビそのものだ。
 ファンだというだけでこれほど似せられるものなのだろうか。

 あぁ、ひょっとして声優の卵だったりするのだろうか?

「仕事は何をされてるんですか?」

「わたしは学生だ! アンツィオ高校で戦車道をやってるぞ!」

 どこまでもアンチョビになりきるつもりらしい。
 確かに、アンチョビが現実にいたらこんな風だろうという出で立ちだし、演じたくなるのも無理はない。

 年の方も――カマをかけて訊いてはみたが、働いているような年齢ではないだろう。
 せいぜい二十歳くらいかと思う。
8 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:49:11.49 ID:ema8T1+O0
 俺が疑いの眼差しを向けているのに気付いたのだろう、彼女は少し棘をおさめ、座椅子に尻をつけた。

「なんとなく、嘘をついてる感じじゃないな」

 むしろ嘘をついているのはそちらなのでは、と言いたくなる気持ちをおさえ、「ホントのことしか言ってないですよ」と答える。

 彼女は、大きなため息と共に、

「何が起きているのかはわからないが、事態は複雑そうだ。冬の大会も終わって、わたしももう引退。あの子たちに戦車道の訓練をつけているところだったんだけどなあ」

 しみじみと、漏らすように口にする。

 大した演技力だ。
 全身に纏ったその空気は、声優はもちろん、女優にもなれるレベルだと思う。
9 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:51:00.26 ID:ema8T1+O0
 ――――。
 まさかとは思うが、本当に?

「……あの子たちって? 誰のことですか?」

 確かめるように、俺は質問を投げかけた。

「戦車道の後輩だ。ペパロニ、カルパッチョ、アマレット、ジェラート、パネトーネ――」

「アマレット……?」

 馴染みのある名前のなかに、聞き覚えのないものが並ぶ。

「ん? 知り合いだったのか?」

「いえその逆です。まぁそれは置いといて、じゃあ、アンツィオ高校ってどういうところなんですか?」

「おおっ! うちに興味があるのか! そうだな! まずアンツィオ高校は19世紀にイタリア商人が――」
10 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:53:05.37 ID:ema8T1+O0
 彼女はアンチョビだ。認めるしかない。

 一体何が起きているのか俺には理解できないが――特徴的な髪の色、声質、語り口、姿形、知識。全てが全て、彼女がアンチョビであると示している。
 一片の曇りもない。

 試しに「ちょっとそのウィッグ取ってくださいよ」と言ってみたらノータイムで「地毛だ!」と返された。感動した。

「アンチョビさん。ファンです。握手してもらって良いですか」

「え、ええっ!? 今更か! し、仕方ないなあ〜」

 俺の言葉に応じて握手してくれるアンチョビは、とてもサービス精神旺盛だ。嬉しい。

「アンチョビさん、そこに座って待っててください。とりあえず飲み物買ってきますから。部屋のものにはあんまり触れないでくださいね。あぁ、漫画ならいくらでも読んでてくれて構わないですよ」

「飲み物を買ってくる? わざわざ買わなくても、わたしは何でも構わないぞ」

「この家には酒とチェイサー用の水しかないんですよ」

「そうか……生活習慣を改めた方が良いと思うぞ」
11 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:55:26.88 ID:ema8T1+O0
 自宅から徒歩1分のコンビニで、適当なペットボトル飲料を5種類ほど購入して戻る。
 アンチョビは座椅子に座って『私の少年』を読んでいた。

「どうぞ、選んでください」

「買いすぎじゃないか? ありがとう」

 コンビニ袋の中から、彼女はボトルコーヒーを取り出す。

 俺はアンチョビの対面に座ると話を切り出した。

「まず、アンチョビさんに発表があります」

「と、突然どうした。やっぱりこれ、ドッキリか何かなのか?」

「驚かずに聞いてください」

 アンチョビが喉を鳴らす。

「ここは、アンチョビさんがいたのとは、別の世界です」

 俺は画面の向こうで何度も目にした「な"あ"に"ぃ""い"い"い"っ!?」という反応を期待していたのだが、実際の彼女はぽかんと口を開けるばかりだった。

「別の世界? どういう意味なんだ?」

 なるほど、確かにこの言葉だけでは何一つ伝わらないだろう。
12 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:56:40.11 ID:ema8T1+O0
「本棚の、『私の少年』が並んでいる二つ下の段を見てください。そこに『ガールズ&パンツァー劇場版ハートフル・タンク・アンソロジー』という本がありますね」

「うん、あるな」

「手にとってみてください」

 俺の言葉通り、素直に本を手に取ったアンチョビは、表紙を見て「これって」と呟いた。

「西住みほさんです。あぁ、継続のミカさんなんかもいますね」

「……西住、漫画になるほど人気があったのか?」

「主人公ですからね。たぶん中を見るとアンチョビさんも描かれてますよ。この世界では、貴女がたの物語は『ガールズ&パンツァー』と呼ばれており、絶大な人気を誇っています。原作はアニメですね」

「……な」

 驚愕の表情を浮かべた彼女は、声を震わせて続きを口にした。

「な"あ"に"ぃ""い"い"い"っ!?」

 ありがとう、ドゥーチェ。
13 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 21:59:23.14 ID:ema8T1+O0
 一つ一つ、探り合うように互いの認識を共有していった。

 ガールズ&パンツァーとは。
 戦車道とは。学園艦とは。大洗とは。
 アンツィオ高校とは。アンチョビとは。

 俺の見た世界と彼女の見た世界は同じだった。
 けれど、彼女はその世界の渦中にいて、俺は外側にいた。

 彼女はアンチョビ。
 アンツィオ高校のドゥーチェ、アンチョビなのだ。

 話が一息つくと、彼女はばったりとこたつ机へと倒れ込んだ。

「朝もそうやって寝てましたけど、机拭いてないから汚いですよ」

「ショックを受けてるんだ……そっとしておいてくれえ……」

「まぁ、気持ちはわかります」
14 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:00:26.28 ID:ema8T1+O0
 自分は物語の中の、創られた存在だと判明したのだ。
 そりゃあしんどいだろうと思う。

 俺だって、今いるこの世界が小説の中の一ページだと言われれば、きっと自分の存在意義に苦しむ。

「夢か? 夢なのか? ちょっとほっぺたつねってくれないか」

「自分でやってください」

 彼女は右頬を自分で引っ張る。
 が、「痛い」とすぐにやめてしまった。

「ドゥーチェ、うどん好きですか」

「嫌いじゃない……」

「ひとまず、お昼ご飯にしませんか。近くにうまいうどん屋があるんです」

 俺が誘うと、彼女は低く「行く」と言葉を返した。
15 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:02:43.39 ID:ema8T1+O0
「いらっしゃ――」

 うどん屋の主人は、俺の背後に目を向けた途端に声をつまらせた。
 が、無理矢理に「いませー」と言葉を繋げると、俺たちを二人がけの席へと案内する。プロだ。

 注文を取りに来たおばちゃんは「コスプレ? コスプレ?」と楽しそうに訊いてくるので、「いやまぁそんなところかもしれないですねー」と適当に返しておいた。

 おそらくおばちゃんは、アンチョビの着ているアンツィオ高校の制服のことを指しているのだろう。
 確かにこれは、我々の世界では高校の制服と言うには苦しいところがある。

「服、買わなきゃいけないですね」

「ああ、そうだな。……て、そういえばわたし、お金も持ってないんだが」

「良いですよ、出しますよ。それなりに収入はありますし」

「すまん。落ち着いたら、わたしのできる限りのお礼をするからな」

「あんまりそういうこと言わない方が良いと思いますよ」
16 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:04:39.19 ID:ema8T1+O0
 うどんが届き、互いに箸へ手を付ける。
 薬味をからめた透き通るような麺が美味だ。

「アンチョビさん、これからどうするんですか」

「帰る方法を探す。それしかないからな」

「具体的に、どうやって?」

「……うーん、すぐには思いつかないが、まぁ、何とかなるだろう」

 ごにょごにょとアンチョビは語尾を弱める。

 彼女もわかっているのだと思う。
 身よりも何もない、金も持ち合わせていない彼女が、この世界でたった一人で生きていく術はない。
 帰る方法を探す以前の問題だ。

 今の彼女は、何もできない。彼女には助けが必要なのだ。

 そして、彼女の事情を理解し、助けになれる人間など、俺をおいて他にない。

 その事実は、俺にとって大層嬉しかった。
17 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:05:58.04 ID:ema8T1+O0
「アンチョビさん。なんでしたら、うちを拠点にしてくれても構わないですよ」

「え?」

 アンチョビの顔に生気が増す。
 良かった、嫌悪感を示されたらどうしようかと思った。

「アンチョビさんさえ宜しければですけど。一人暮らしにしては広めの物件を借りてますし」

 物持ちなので漫画と小説を押し込めただけの部屋が一つ余っている。
 中身を整理すればなんとかあの部屋は空けられるはずだ。

 アンチョビは「うーん」と唸り、返事をかえす。

「それは助かるが。迷惑じゃないのか」

「いえいえそんな。迷惑というかむしろなんというか」

 これ以上言葉を続けるのはやぶ蛇だろうからやめておく。
18 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:07:34.47 ID:ema8T1+O0
「――まぁ、助かるなら、決まりですね」

 悩んだところできっとアンチョビの答えは変わらない。
 だからさっさとそう言ってしまうと、彼女もすぐに言葉をかえした。

「……うう、なにからなにまで世話になって申し訳ない。絶対にお礼はするからな!」

「いえ、ホントお礼とか良いんですけど」

「あ、それだ。そろそろ、それをやめよう」

「はい?」

「敬語だ敬語ー。わたしの方が年下なのに敬語とかおかしいだろー?」

 あぁ、まぁ確かに。
 こちらとしては全国的な有名人と接してる感覚なのだからそりゃあ敬語になろうものだが、向こうからすれば違和感もあるのか。

「じゃあ、はい。ここからはタメ口で。これで良い?」

「うん、良いぞ」

 アンチョビは笑顔で答えた。
19 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:09:02.26 ID:ema8T1+O0
「じゃ、そうと決まれば時間もない。とりあえず日用品を揃えなきゃいけないよな。俺が買うのも何だから安斎さんの方で見繕ってきてよ」

「安斎じゃない! アンチョビだ!」

「あぁ、そこはアンチョビで通すんだ。了解です。はい。アンチョビさんで」

 器はお互い空になっている。そろそろ席を立とう。

「行きますか」

 アンチョビに声をかけると、店主に伝票を渡し金を払う。

 店を出る前に、うどん屋までの道程でなんとなくアンチョビが寒そうにしていたのを思いだし、彼女へコートを手渡した。
 目立つ制服も少なからず隠せるだろう。
20 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:11:10.06 ID:ema8T1+O0
「店を出て右手へずっと歩いて行くと――ええっと、でっかいショッピングモールがあるから。アンチョビさんはそこで必要そうなものを買ってきて。俺はその間に部屋を片付けとくから」

「お、おう」

「まぁまずはお金を卸しにいきますか。あんまり手持ちもないので」

 生活のためのあれこれを揃えるには――とりあえず10万円くらいは彼女へ渡しておく必要があるだろう。
 郵便局のATMはすぐ近くだ。

 うどん屋を出て「こっち」と短く声をかけて歩き出す。

「なんかこれって、よく考えてみたら、ど、ど、ど、どうせ、同棲――」

 ごにょごにょと呟く彼女の顔を振り返るのは、どうにも気恥ずかしくてできなかった。
21 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:13:39.58 ID:ema8T1+O0
 アンチョビが我が家へ戻ってきたのは4時間後――16時頃のことだった。

 部屋の整理も初めは2時間もあれば終わるだろうとたかをくくっていたのだが、漫画を段ボール5箱ほど詰めたところで時間切れとなった。
 処分する漫画の選別をしたり、懐かしくて読み返したりなどしていたせいである。
 つくづく駄目人間だ。

「ごめん。片付け終わってない」

「大丈夫だ! 二人でやれば早いぞ!」

 笑顔で応えるアンチョビが眩しくて見ていられなかったが、手伝ってくれるというのは助かった。

「これはいるか」「どうかなー読むかもなー」
「保留だな。じゃあこれは?」「あ、読むかなーどうかなー」

 というやり取りを幾度か繰り返したところで、アンチョビが「ふあああぁ! 保留のやつ全部処分で決定だあぁああっ!」と叫んだ。
 段ボールは計12箱となった。

 残った空の本棚は部屋の隅に寄せ、廃品回収を依頼。
 段ボールの中身は某古書店に電話した。
22 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:16:38.05 ID:ema8T1+O0
 さて、これで居住空間は確保できた。衣食住の、『住』だ。

 寝具についてはあいにく寝袋と毛布くらいしかなかったので、注文した布団が届くまではこれで我慢してもらう。
 俺のベッドは同人誌や脱ぎ散らかした衣類だらけの寝室にある。申し訳ないけれど貸すことはできなかった。

「『衣』は、とりあえず買ってきてもらったし、残るは『食』か。まぁこれもどうにでもなるだろ」

「あ、食といえば、ついでに夕飯の食材を買ってきたぞ」

「え? アンチョビさん、料理するの?」

「んー。なんだその言い方は。これでも料理は得意だぞ」

「でもうち、調理道具とかないけど」

「包丁とまな板くらいあるだろう」

「ないよ」

「これまでどうやって料理をしていたんだ!?」

「料理をしないので」

「しょ、食事はどうしていたんだ?」

「外食か、総菜か、コンビニ飯」

「今日から節約だ!」

 節約だ節約だ、と騒ぐアンチョビを見て、そういえばアンツィオ高校は気が遠くなるような時間をかけて貯めたお金でP40を購入したんだったな、と思い出した。
 まぁこれからのことを考えると、アンチョビの言う通り、可能な限り節約をした方が良いだろう。
23 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:17:56.85 ID:ema8T1+O0
「そんなら俺、ちょっと調理道具買ってくるよ。そういえば食器もないし食器も。何がいるの?」

「おー、それが良い。ひとまずお皿にフォークに、包丁とまな板、フライパン、あとは鍋だな。あ、それと調味料もないよな? まず塩とコショウと――」

 アンチョビの並べる名詞が思いのほか多いので慌ててメモる。

「終わり! これで全部だ!」

「了解。ちなみに何作るの?」

「牛肉のラグーソースとサラダ、あとはトマトスープだな」

「赤ワイン買ってこよ」

「節約するって言っただろ!」
24 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:19:47.63 ID:ema8T1+O0
 自転車でららぽーとへ。
 言われたものを購入して家へ戻ると、19時すぎだ。

「急いで作るからな」と言うアンチョビは30分ほどで調理を終える。

「いやー、アンチョビさんの手料理が食えるとか感動しかないなあ」

 パスタを口にいれると外食と遜色ないほど美味で、堪らずワインへ手が伸びる。

 そして「幸せだなあ最高だなあ」とぐびぐびワインを飲みながらアンチョビと向こうの世界の話をしていると、いつの間にか日付が変わっているのに気付く。
 彼女へ「寝まーす」と告げて、俺は寝室のベッドへ倒れ込んだ。
25 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:22:39.66 ID:ema8T1+O0
 2017年11月6日。月曜日。
 少しだけ痛みの残る頭を抱えながら寝室を出ると、普段の我が家にはない香りが漂っているのに気付く。

 違和感を覚えながらもシャワーを浴びて洗面室でじゃこじゃこと歯を磨いていると、「おはよお」と声が聞こえた。
 視線を送ると、ドアの隙間から半分だけ、彼女が綺麗な顔を覗かせている。
 そこでようやく俺は、アンチョビが我が家にやってきていたことを思い出した。

「おはよう、何で隠れてるの?」

「うう、終わったら言ってくれえ。わたしも着替えたい」

 あぁなるほど、寝起き姿をあまり晒したくないんだな、と合点する。

 ぺっぺっと口内の水を吐き出しゆすぐと、ワックスで髪型を整え、寝室へ戻りスーツへ着替える。
26 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:24:56.74 ID:ema8T1+O0
「じゃ、会社へ行くので」

 ドアごしに洗面室の中へ声をかけると、すぐさまアンチョビの声が返ってきた。

「もう行くのか!? 朝食はどうした!?」

「会社でコンビニ飯。あんまり時間ないし」

「駄目だ駄目だ! パンを焼くから待ってろ!」

 扉が開く。
 アンチョビは髪を解きフリースのパジャマという出で立ちだ。ほう。

 まだシャワーも浴びていないだろうに彼女は先程の恥じらいなど忘れたかのようにキッチンへ向かい、器用にフライパンで食パンを焼き、上にチーズとハムを載せた。

「完成だ! ほら、すぐできただろ!」

「絶対旨いやつじゃんこれ……」

 実際に口に入れてみると、想像の倍ほど旨い。
 数分で完食してしまったが、その間にアンチョビは洗面室の方へ消えてしまっていた。

 俺はドアの向こうへ「今度こそ行ってきますよー」と投げかけて家を出た。
27 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:27:27.36 ID:ema8T1+O0
 電車に揺られて新宿の会社まで1時間強。

 顧客から仕様の詳細を聞き出したり、コードを書いたり、部下のコードをレビューしたり打ち合わせしたりなどしていたら夜が更けていた。

 リリースまで一ヶ月と少し。問題は山積み、追い込みの時期である。
 忙しくてかなわない。

 未だ社内に残る同僚や部下に「帰るわー」と声をかけ、電車でどんぶらこ、我が家へ着いたのは深夜23時だ。

「遅すぎだろ……何時間仕事をしてるんだ……」

「SEというのは不思議な人種ですよね」

 俺を出迎えたアンチョビは、パジャマ姿ではあるものの、朝とは違い髪をリボンでまとめていた。
28 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:30:59.18 ID:ema8T1+O0
 SNSで「夕飯いらないので」と伝えておいた(スマホは俺の予備端末を貸した)のだが、キッチンからはトマトの香りが漂ってきている。

 アンチョビも食べずに待っててくれていた(天使か)し、俺の分を捨てるのももったいないし、なによりアンチョビの手料理なら是非いただきたい。
 遅めの夕食とあいなった。

「夕食のついでに今後の作成会議をしたかったんだが、また今度にした方が良いか?」

「いやいや、また今度となるとたぶん次の土曜とかになるから、今日やろう」

 パスタと昨日の残りのワインを取り、こたつの前へと座る。
 向かいにアンチョビも座ったのを確認し、口を開く。

「ちなみに、布団はもう届いた? 段ボールの引き取りは?」

「両方終わってるぞ。ばっちりだ!」

「良かった良かった。じゃあこれでひとまず暮らすのに支障はなくなったわけだ」

「おー、戸庭のおかげだ。ありがとう」

「いやいやそんな」

 こうも面と向かって礼を言われると照れくさくなってしまう。
29 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:33:54.08 ID:ema8T1+O0
「それじゃ、ようやく元の世界に帰る方法を探し始められるな。何か案はあるの?」

「仲間を探す。……こんな状態になっているのはわたし一人だけじゃないと思うんだ。わたし以外にも――ガールズ&パンツァーじゃないかもしれないけど、他の世界からこっちに出てきた人がいるかもしれないだろ。その人達を探すんだ」

 なるほど、今日一日で考えをまとめたらしいな。

「ちなみに根拠はある? 手がかりは?」

「う……実は、昼間に思いついてからネットで調べてたんだが、まだ何も見つかってない」

 無理もないだろう。普通に調べて出てくるようなものじゃない。
 画面の向こうからキャラクターが現れたなんて大ニュース、実際に起こってたらすでに俺が知ってなきゃおかしい。
 仮にあったとして、公表していないか、デマだとあしらわれているかのどちらかだ。
30 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:36:19.07 ID:ema8T1+O0
「一日二日で何か見つかったら苦労しないでしょう。俺は――まぁさっき『案はあるか』なんて訊いておいてなんだけど、まずは情報収集から入るべきだと思うけどね」

「情報収集? なんのだ?」

「この世界とアンチョビさんのいた世界との違い。そして作品内で描かれているガルパンの世界と、アンチョビさんのいた世界との違いだ。後者は結構簡単だと思うけどね。昨日も少し認識合わせしたけどさ。今度は実際にアンチョビさんが作品に触れてみようってこと。うちにBlu-rayとドラマCDは全部揃ってるから、とりあえず全部消化しよう」

「ドラマCDなんてあるのか……」

「うん、これとか」

 ドラマCD2巻の武部沙織によるアンツィオ訪問を流し始める。
 と、初っ端で登場した自分の声に、アンチョビは「はあああっ!? なんでこんなものが録音されてるんだ!?」と叫んだ。

「マイクがどこかに設置されてたのか!? どういうことだ!?」

「あ、やっぱそういう認識なんだ。じゃあこっちは?」

 今度はドラマCD4巻の戦車道講座(乗車編)だ。
31 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:38:44.22 ID:ema8T1+O0
「……あぁ、これは覚えてるぞ。カットされるかと思ってたところも全部収録されててびっくりした」

「収録? 向こうだとどういう扱いなの? これ、こっちのファンとしては『月刊戦車道のドラマCD版ってなんやねん』みたいな反応だったんだけど」

「月刊戦車道の公式サイトで配信したんだ」

 なるほど、きちんと補間されてるなあ。

「まぁこの調子ならスムーズに進められそうかな。じゃ、一旦明日はこれをよろしく。仕事から戻ってくるまでに、ある程度、差異をまとめておいてくれると助かる」

「おお、了解だ!」

 応えたアンチョビは、伏し目がちに言葉を続ける。

「……な、なんか、今日の戸庭は昨日よりも頼りになるような気がするな」

「脳みそが仕事モードになってるんですよ」

 今日の作成会議はこれで終わり。
 続きは明日だ。
32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/15(日) 22:38:45.64 ID:TELzLe0d0
三大珍味の話ではなかった…?
33 : ◆JeBzCbkT3k [sage saga]:2018/07/15(日) 22:40:43.12 ID:ema8T1+O0
>>32
すまんかった。ガルパンです。
34 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:44:01.59 ID:ema8T1+O0
 2017年11月7日。火曜日。

 通勤電車の中で考える。
 何故、アンチョビが現れたのは我が家だったのか。

 もしかして、アンチョビは俺の妄想の産物なのではないかとも考えた。
 漫画や小説でもよくあるだろう、俺がそれを願ったから、神様だか仏様だかがそれを叶えて彼女は現れた。

 しかし、彼女はどうやら俺の知らない事実を知っているようだ。
 アマレットの件が良い例だ。
 俺が創りだした存在なのだとしたら、おそらく俺の脳内にないことは出てこないんじゃないかとも思う。

 アンチョビの教えてくれた、俺の知らないガルパン世界の情報。
 それが今後のメディア展開で明らかになる情報と一致すれば、また一つの指標にもなるだろう。
35 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:47:03.42 ID:ema8T1+O0
 話を戻して、どうして我が家なのか。
 これについて、今日のところは結論を出せなかった。

 けれど、考えることに意味がある。
 少しずつ情報を整理すればいつかゴールにも辿り着けるだろう。

 家へ帰る。と、部屋が綺麗に片付けられているのに気付いた。
 床にはホコリ一つないしどうもトイレや浴室なんかも掃除されているようだ。

「え、これ全部アンチョビさんやったの」

「他に誰がいるんだ!」

「なんかすみません」

 リビングで腰を落ち着けて、再び作戦会議。
 今日の夕飯はホワイトシチューとパンだった。

「そろそろ米が食べたいなあ。日本食は作らないの?」

「この家には炊飯器がないんだが。買って良いか?」

「あ、はい。ホントすみません。炊飯器含め、調理道具やら調味料やら好き勝手に購入していただいて良いので」

 アンチョビにはまとめて数万円を渡してある。
 足りなくなればアンチョビの方から申し出てもらうシステムだ。
 ネット通販も自由に使って良い旨伝えてある。
36 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:48:36.62 ID:ema8T1+O0
「まぁその話は置いといて。じゃ、始めようか。アンチョビさん、報告をどうぞ」

「ああ。結論から言うと、勧めてもらったアニメとドラマCDに関しては、わたしの認識とのずれは一切なかったぞ」

「に関しては?」

「漫画とか小説も読んでみたが、そっちは記憶にないことが多かったな」

「確かに、そもそもコミカライズ版とか全然性格の違うアンチョビさんもいるし。記憶にない方はあくまでパラレルワールドの物語なんでしょう」

「パラレルワールドっていうのがよくわからんが、たぶんそういうことだな」
37 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:50:30.39 ID:ema8T1+O0
「あ、そういえば、アマレットって出てた?」

「おー。えっとな――――この子がアマレットだ!」

 俺のPCを操作し、キャラクター画像を表示させる。

「Si子! Si子じゃないか!」

 なるほどなるほど、となると。

「他にも言ってた、ジェラートとかも出てるの?」

 俺が言うと、アンチョビは「いるぞー」と答え、OVA版を流し始める。
 アンチョビが皆の前で演説をしているシーンだ。

 配下の生徒を指さし、アンチョビは、「これがジェラート、これが――」と次々に口にする。

 しかし、その口調から徐々に元気がなくなってきた。
 一度言葉を切り、彼女はしんみりと呟く。

「……あの子たち、心配してないかな」

 あぁ、ホームシック的な。
38 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:52:19.06 ID:ema8T1+O0
「向こうがこっちの世界と同じように時間が流れてるとは限らないよ」

「どういう意味だ?」

「アンチョビさん、こっちの世界に来た時、向こうでは何月だった?」

「12月だ。もう少しでカルパッチョの誕生日だった」

「こっちはまだ11月の初旬だよ。日付が一致してないんだから、極端な話、向こうの時間はいま止まってる可能性だってある。アンチョビさんがガルパンの世界へ戻った時、向こうでは全く時間が経過してないかもしれないよ。だから、そんなに焦る必要はないと思う」

「お、おー。賢いな! 戸庭!」

「それなりに小説読んでるからなー知識があるんすよねえ」

 はっはっはと笑い、大人げなかったと反省して声のトーンを戻す。

「とにかくまぁ、こうして少しずつ情報を集めていきましょう。次は、この世界とアンチョビさんのいた世界との違いだ。でっかいところでは、世界の歴史や地形、ちっさいところでは存在するお店やブランド、漫画辺りかな。アニメ観る限り、とりあえずサンクスとか大洗の店舗はあるみたいだけど」

「おー! 任せとけ!」
39 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:56:05.88 ID:ema8T1+O0
 2017年11月12日。日曜日。

 簡単な朝食を済ませ、リビングでアンチョビと向かい合う。
 久しぶりの休みなので(昨日は休日出勤だった)、今日は長めの作戦会議だ。

「そろそろ立ち直りました?」

「さすがにな。気落ちばかりしていても仕方ない」

 水曜日のことだ、家に帰るとアンチョビが死にそうな顔でこたつに突っ伏しているのを見つけた。
 この世界に『戦車道』が存在しないという事実がショックだったらしい。

 続けざまに彼女は、学園艦、アンツィオ高校なども、全てこの世界には存在しないことを知った。
 先週の段階で俺が話しておけば良かったのかもしれないが、だとしても受けるショックは変わらないだろう。

 アンチョビは「薄々勘付いてはいたんだがなあ」とぼやきつつも、見るからに意気消沈していた。

 おそらく彼女自身、ようやく別の世界に来てしまったのだという自覚が出てきたのだと思う。
40 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 22:58:28.27 ID:ema8T1+O0
 ぱんぱんと頬を自分で叩き、アンチョビは威勢良く口を開く。

「さて、始めるぞ!」

「はい、どうぞ」

 この数日間、アンチョビは俺のPCを介してどっぷりとこの世界に浸かっていた。
 ネットにない情報は市の図書館で。
 4日間もの時間を費やした彼女は、ニュースもろくにみない俺が持ってるくらいの情報はあらかた頭に叩き込んだことだろう。

「――まず率直な感想だが、この世界、大丈夫なのか」

「あー、そういう話になります?」

「戦車道がないのは、戦車がまだ実戦で使われてるからだろう。ていうか終末時計ってなんなんだ!」

「いやいや、実際アンチョビさんが思ってるのより世紀末感は薄いと思うよ。人類滅亡寸前ってことはない。それに、どうせアンチョビさんの世界とは関係ないんだし、こっちの世界のことは良いじゃん」

「んー、そういう話でもないんだよなあ」
41 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 23:01:13.16 ID:ema8T1+O0
「とりあえず置いておきましょう。はい。で、本題に戻して、じゃあアンチョビさん、以上の情報を踏まえて、案は何か浮かんだ?」

「……まぁ良いか。もちろん案はあるぞ。まずな、あんまり認めたくはなかったんだが、やっぱりガルパンの世界は創られたものだってことが実感できたんだ。戦車が競技に使われるなんてこっちの世界じゃありえない。だからこそ、娯楽として楽しめるようにガルパンが生まれた。わたしの世界との比較をすることで、それがよくわかった」

「元々この世界にいた自分としては、自明のことだな。それで?」

「だったら、ガルパンを創った人たちが、何か知ってるんじゃないか?」

 ガルパンを創った人たち。

「ガルパンは創られたものだ。それは認める。だが、もしかしたら元になった何かがあるかもしれないだろ。その何かは、わたしと同じように、この世界へやってきたガルパン世界の誰かかもしれない。そして、ガルパンを創った人は、そこから着想を得たのかもしれない」

 なるほど、単なる可能性の一つではあるが、確かに制作陣に事情を訊いてみるというのは、かなり有効な手だと思う。

 懸念があるとしたら――、

「会ってくれるかどうかが、問題かなあ」

「それだよなあ」

 アンチョビが天井を仰ぐ。
42 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/15(日) 23:07:52.87 ID:ema8T1+O0
「向こうから見たらこっちはただのファンに過ぎないわけだし、難しいかもね」

「まぁ、やってみるしかないだろう。正直に全てを話すんだ」

「頭のおかしい奴だと思われて終わるんじゃないかなあ」

「やってみなきゃわからないだろ〜!」

 アンチョビが可愛く唸るのでさすがにこれを無下になどできない。

「うーん、じゃあとりあえず試してみますか」

「おー! そうだな! とりあえず制作会社にメールを送ろう!」

「いや、メールだけだとホント、マジで気が狂ってるんだと判断されて終わりだと思うよ。迷惑メール直行ですわ」

「じゃあ、どうするんだ!」

「直接、会いに行こう」

「え? どこに?」

 今日が11月12日だから、ちょうど1週間後だ。

「来週、11月19日、大洗であんこう祭りがある」
43 : ◆JeBzCbkT3k [sage saga]:2018/07/15(日) 23:10:13.98 ID:ema8T1+O0
疲れたので今日はここまでにしておきます。
(たぶん)明日再開します。
44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/16(月) 04:18:03.88 ID:a8DPH2nDO
期待
45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/16(月) 08:58:01.47 ID:hQn4GSq/O
俺嫁豚はハーメルンとかで書けよキモいから
46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/07/16(月) 14:14:27.76 ID:/usfqHgXO
>>28
飯の要否を世界的に公開するSEすき
47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/16(月) 14:22:34.87 ID:2KADWlQ+O
>>46
LINEっていうsnsがあってですね
48 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:08:41.20 ID:TQ5drJ1c0
>>46 >>47
LINEと書いておいた方が良かったかもしれませんね。
次からLINEにしておきます。

再開します。
49 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:12:52.54 ID:TQ5drJ1c0
 2017年11月18日。土曜日。

 あんこう祭り、前日。俺は職場にいた。
 何故か。リリースが近いからだ。

 顧客から尚も繰り返される仕様変更を受け、設計書を修正しなければならない。
 ついでに言うとテスト仕様書の作成も始めなければならないし、更に言えばコーディングも進めなければならない。
 地獄か。

 とはいえ設計書の修正やテスト仕様書の作成なんかは手慣れているので脳みそを空にしていても進められる。
 職場に一人しかいないのを良いことに、時折アンチョビとLINEなど嗜みながら仕事に臨んだ。

 帰宅は午前0時となった。やあすごい。

「お疲れ様。今日は休日ではなかったのか? 大丈夫か?」

 アンチョビに励まされさえすれば大丈夫です。
50 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:14:25.83 ID:TQ5drJ1c0
「できれば、大洗に前日入りしたかったんだけどねえ」

「ん、まあ仕事なら仕方ない」

「あ、いや、仕事は関係なしに前日入りは無理なんだよ。宿がとれないから」

「なんだ、大洗は宿が少ないのか?」

 そもそも人が多すぎて予約瞬殺とか色々説明するのが面倒で「まぁそれもありますよねー」と濁す。
 アンチョビも何となく俺の疲れを感じ取ってくれたみたいで問答はそこで切れた。

 一瞬、間があって、アンチョビが呟く。

「……そろそろわたしも働かないとな。いつまでも甘えてばかりじゃ駄目だ」

「いやいやお金は何とかなってるから良いよ」

「そうはいかないぞ。……どう恩返しをすれば良いのかまだ考えられてないが、せめて少しでも戸庭の苦労を減らさなければ」

 アンチョビが働いてくれても俺の仕事は減らないんだなあ。
51 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:16:42.33 ID:TQ5drJ1c0
「一緒に飯食ってくれたらそれで良いよ」

「んー? 今も一緒に食べてるじゃないか」

「だから、それで良いの」

 アンチョビの声を聴いているだけで耳が幸せなので、十分に仕事の苦痛は癒やされる。
 それに、こんな深夜まで夕飯を我慢して待っててくれているのだ。
 心の底から、感謝の念しかない。

「さあ、さっさとご飯食べて今日はもう寝よう。明日は早い」

「ん? 何時に起きるんだ?」

「7時過ぎの電車に乗るから、6時起きかな」

「……早すぎないか?」

「ホントは前日入りしたかったんだって」

 納得しない様子でしかめ面を浮かべるアンチョビを眺めながら食事を終える。
 俺は歯を磨き、スーツを脱ぎ捨てて床に就いた。
52 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:20:35.19 ID:TQ5drJ1c0
 2017年11月19日。日曜日。

 起床して枕元の時計を見ると、6時20分。
 若干の寝坊に慌てて飛び起きると洗面台へと向かう。

 がらがらぺーっとうがいしてシャワーを浴びてリビングへ。
 ふーっと落ち着いたところで、そういえばアンチョビの姿が見当たらないのに気付いた。

「まだ寝ているのか……?」

 いやまさかそんな、と思いつつも、彼女が某戦車道全国高校生大会の決勝戦に現れなかった理由を思い出すとそのまさかだろう。

 部屋の扉をノックし「あの、アンチョビさん、朝なんですけども」と声をかけると、低く濁った「ん"ー?」という返答が聞こえた。

「寝過ごしたぁあっ!」

 リビングでドラクエライバルズなど嗜みながら彼女の身支度を待ち、出発。
 対面からの朝日が眩しかった。

 いつもならアンチョビが作る朝食も今日はコンビニ飯で済まし、電車に乗ったのは30分遅れの7時35分となった。
53 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:22:44.99 ID:TQ5drJ1c0
「うう……すまない」

「まぁ俺もよく寝坊するので。気にしなくて良いよ」

 朝霞台。新松戸。
 何度か乗り換えを繰り返して、柏に到着。
 駅のホームで特急券を買って、ときわ53号に乗り込む。

 切符は急いでいたので未指定席だったが、特に指定客も現れる様子はない。
 アンチョビの横顔越しに窓の外を眺めると、段々と景色が田舎へと変わり始めた。

 田畑。その合間を縫った道路。
 走る車。並んだソーラーパネル。
 今にも倒壊しそうな家屋。溜め池。
 鉄塔。発電所。山。林。森。

 水戸に近付くにつれ、黄色、赤、緑と木々がカラフルになってゆくのが綺麗だった。
54 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:24:36.33 ID:TQ5drJ1c0
 水戸駅。鹿島臨海鉄道大洗鹿島線。

 3分ほどで切符を購入できた(手売りだった)ので「全然待たなかったなあ」と言うと、「そうか?」とアンチョビは不思議そうな表情を浮かべた。
 今日のアンチョビは黒縁の眼鏡と深めの帽子で顔を隠しており、新鮮で可愛らしい。

 大洗鹿島線の列車は、入り口に段差があったり車内券売機が置かれていたりと、いかにも私鉄らしかった。
 一人分の座席が空いていたので彼女を座らせる。

 そして再び田畑。並ぶ家屋。
 味噌ラーメン屋。川。ボート。
 マリンタワーが遠くに見えて、大洗への到着を知る。

「やった! 着いた! 大洗だ!」

「いつになくテンションが高いな、戸庭っ!?」

「いやだって年に一度のお祭りだし」

「地元にも祭りはあるだろう……? まぁ、わたしも祭りは好きだけどな!」
55 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:27:24.80 ID:TQ5drJ1c0
 マリンタワーへの大通りにはあんこう祭りののぼりが並び、歩行者天国はすでに通行が困難なほどの賑わいを見せている。
 わいのわいのとはしゃぎながらマリンタワー前へ向かうと、ステージの方角からはヒーローショーのお姉さんの声が届いた。

 まいわい市場が見えてふいに物販列に並ぼうかとも思ったのだが、列の長さが恐ろしいことになっているようだしアンチョビもいるので、諦めてそのまま広場へ。
 密集した人・人・人。そして漂う屋台の香りと白くたちこめる煙に気持ちが昂ぶる。

「おぉおお、すごい人だな」

「ガルパン人気もあると思うけど、そもそものお祭りが有名だからね。あ、ビール飲んで良い?」

「もちろんだ!」

「よっしゃ」

 地元の人間半分、ガルパンおじさん(&お姉さん)半分の空間は妙に居心地が良い。
 からあげや牛串や「おぉうまいなーっ!」と笑顔のアンチョビを肴に飲み歩いていると、1時間も経たぬ間に体力が切れた。
56 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:30:00.21 ID:TQ5drJ1c0
「……ガルパンキャストの出演するステージって、何時からだっけ」

「11時半から――20分後だな。戸庭はここで休んでて大丈夫だぞ。仕事の疲れもあるだろうし、付き合わせるのも悪いからな。私一人で行ってくる」

 言われて気付いた。
 あぁ、これ、移動疲れとか酒で体力を奪われたとかじゃなくて、日頃の疲れが出てるのか。

「……いやいや、そうは言ってもね。こっちこそ悪いよ。説得するんなら人数は多い方が良い。俺も行く」

「そんな赤い顔で交渉になるのか?」

「……仰る通りですね。ごめんなさい」

 俺が言うと、アンチョビはにんまりと笑顔で返した。

「おー! 安心して待っててくれ! 回復したらぷらぷら歩いてても良いからな!」
57 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:33:43.88 ID:TQ5drJ1c0
 アンチョビが去ると、祭りの喧噪の中でふいに俺の周りだけ音が消えたような気がして、妙に寂しかった。
 ぼうっと宙を見上げると空は快晴で、『いい一日』っていうのはこういう日のことをいうのだなと何となく思った。

 アルミ製のベンチに座って、屋台でやきそばを焼くおっさんやらビールを手に談笑するおっさんやらを眺めていると、ステージを中心とした人だかりが大きくなってきたのに気付く。
 もはやベンチに座っているのもままならず、後方に下がると、マリンタワーの裏から、ステージ右手へと向かった。

 アンチョビは首尾良くやっているだろうか。
 計画では、スタッフに頼み込んで出演を終えたキャストと面会することになっていた。
 無駄かもしれないが、事前に商工会議所側と制作側の両方へメールも送ってある。

「……まぁ、心配しても仕方ないか」

 きっとアンチョビなら上手くやるだろう。
 俺を説得できたのだから、同じようにやるだけだ。
58 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:36:11.98 ID:TQ5drJ1c0
 やがてステージが始まった。
 まずバンビジュの宣伝担当が司会進行役として現れ、その後にあんこうチームの声優陣が登壇する。

「みなさんこんにちはー」「みなさんと楽しい時間が過ごすことができて嬉しいです」
「毎年毎年すごいですね」「お元気そうでなによりです」「みなさんおはようございまーす」

 最終章に関するトーク、主題歌のライブ、公演やイベントの告知などが行われ、ステージは1時間ほどで終わりを迎えた。

 最終章の公開まで残り一ヶ月を切っている。
 そのことを楽しみに思いつつも、そういえばアンチョビはその先の未来を知っているんだよなあ、とふいに思い当たった。
 後で訊いてみようか……いやでもネタバレになるからなあ。

「あ」

 くだらないことを考えていると、人混みのなかにアンチョビの姿を見つけた。
59 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:40:44.80 ID:TQ5drJ1c0
「こっちこっち」

 手を振ると、顔を上げた彼女がこちらに気付く。
 ひらひらと彼女も手を振って応じた。

 合流して、窮屈な人混みを抜け出すとマリンタワーの裏手へ。

「どうだった? 誰と話した?」

「いや、駄目だった」

「え?」

「んー、戸庭の言う通り、信用を得るのは難しいな! キャストの人達と会う前に追い返されてしまった」

 あっけらかんと言うアンチョビだが、その内容は暗い。

「ごめん、やっぱり俺も一緒に行ってれば良かった」

「良いんだ良いんだ! 戸庭は悪くない。帰ったら次の手を考えよう」
60 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:43:33.34 ID:TQ5drJ1c0
 横目に広場の方をうかがうと、ステージが終わったからか先程の人混みは消えていた。
 太陽はいまだ頭上で燦々と輝いている。

「さあ、今日はもうぱーっとあんこう祭りを楽しもー!」

「アンチョビさんがそう言うなら、まぁ良いんだけど」

 広場へ戻り、佐世保バーガーや唐揚げで再び腹を満たすと、埠頭の物販を見て回る。
 アンチョビの水着フィギュアが並んでいるのを見て彼女は赤面していた。

 商店街は去年よりも空いており歩きやすかった。
 らくがきバスやコスプレイヤーや戦車を眺め、歩き疲れてカフェでコーヒーを飲んで休憩すると、15時頃に二人で大洗を後にした。

 帰りの大洗鹿島線の列車には、側面にでかでかとガルパンのラッピングがされていた。
 そのことをアンチョビへ伝えると、彼女は「あぁ、そうだなあ」と気のない返事をかえした。
61 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:45:43.35 ID:TQ5drJ1c0
 2017年11月20日。月曜日。

 あんこう祭り翌日。
 非日常にどっぷり浸かって緩んだ脳みそが、一瞬で現実に引き戻される。
 束の間の休憩すら許されぬ怒濤の作業量、気付けば時刻は夜中の23時となっていた。

 同僚に「帰る」と告げ、帰宅する頃には日付が変わっている。

「おー、おかえり。大変だったな」

 アンチョビと共に夕食を食べ、俺は布団に潜った。
62 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:48:35.03 ID:TQ5drJ1c0
 2017年11月22日。水曜日。

 仕事量は増える一方だ。
 リリースに向けて少しずつ仕事は減っていくはずが、何故増えるのか。謎だ。

 帰宅。やはり日付は変わっており、アンチョビと共に夕食を食べた。

 アンチョビが元の世界へ戻るための、次の手を講じなければならない。
 結局、あんこう祭り当日はお互い疲れて夕食を食べたら眠ってしまい、それきりだ。
 この三日間も、一緒に食事をとってはいるが、取るに足らない話題ばかりである。

「――アンチョビ、なにか作戦は考えた?」

「ん? 作戦? なんのだ?」

「アンチョビが、ガルパンの世界へ帰るための策だよ。そういえばあんこう祭りの時の話も詳しく聞いてないし」
63 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:51:43.29 ID:TQ5drJ1c0
「あ、あぁ、その話か。でも戸庭も疲れてるだろ? 話すのは明日にしよう。明日は仕事も休みだしな!」

「……休み? いや、何故に?」

「明日は祝日だろ?」

「祝日がイコールで休みにならないのがこの仕事の怖いところですよね」

 どん引きした表情のアンチョビを置いて、食器を流し台へ持ってゆく。

「まぁ、明日はもう少し早く帰ってくるようにするよ。21時くらいかな。そしたら少し話そう」

 そう言葉を残すと、洗い物はアンチョビに任せて、俺は眠りに就いた。
64 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:53:39.65 ID:TQ5drJ1c0
 2017年11月23日。木曜日。
 というわけで、祝日(勤労感謝の日である、ははは)ではあるが出社だ。

 出社早々、部下へ「今日は早めにあがるぜ」と声をかけると仕事へ臨む。
 昼飯を菓子パンで済ませ、延々とPCの前へ向かっていると、なんとか20時過ぎに仕事にキリがついた。

 まだ会社へ残る部下に謝罪しつつも退社し、新宿から自宅へと帰る。

「さあ、始めるか。あんこう祭りの件、よろしく」

「とはいっても、大した話ではないんだけどな」

 そう言ってアンチョビが切り出す。
65 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:55:01.33 ID:TQ5drJ1c0
「いきなりテントの中へ入っていくのもどうかと思ったからな、まずは外で仕事をしてたスタッフに声をかけたんだ。キャストの人たちと話がしたい。取り次いでくれないかってな」

「うんうん、それで?」

「それで、責任者っぽい人が現れて、その人に怒られた。突然現れた不審者を会わせるはずないだろってな。はい、以上、それだけだ!」

「食い下がったりはしなかったの?」

「……ん、取りつく島は、なかったと思う」

 うーん、厳しい対応だな。
 責任者というのが誰なのかはわからないが、やり方が良くなかったのかもしれない。
 せめてアンチョビがアンチョビたる証をアピールできれば芽はあったのだろうが、その機会すら与えられなかったわけだ。
66 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 20:56:47.40 ID:TQ5drJ1c0
「次は、どうしようかなあ」

 乾いた表情で告げるアンチョビに違和感を覚えながらも、俺は言葉をかえす。

「方向性を切り替えるのはどうかな。こちらから直接声をかけるんじゃなくて、むしろあちらから声をかけさせる」

「んー、よくわからないな」

「つまり――」

 俺が言葉を続けようとすると、アンチョビが「あー」と遮った。

「実は、少し寝不足でな。ごめん、今日はここまでにしよう」

「ん? そうなの? じゃあ、続きは明日また俺が帰ってきてからかな?」

「そうだな。そうしよう」

 アンチョビが食器を手に立ち上がる。
 それで本日の会議は終了となった。
67 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:02:03.62 ID:TQ5drJ1c0
「う」

 目覚めると、室内は薄暗かった。

 スマホを取り時刻を確認すると、いまだ5時すぎ。夜は明けていない。

 疲れは溜まっているから、そう簡単に目覚めるはずはないんだけどな、と思うと、ふいに下半身へ尿意を覚えた。
 どうやら原因はこれらしかった。

 トイレトイレ――と、立ち上がり、寝室を出ると、廊下の先に明かりが見える。
 洗面室から漏れているようだ。

 扉が開いているので、ひょいと中を覗く。

 髪を解いたアンチョビが、目元を抑えて、俺から顔を背けていた。
68 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:03:39.74 ID:TQ5drJ1c0
「……アンチョビさん?」

「お、ぉお、と、戸庭、どうした」

 どうしたじゃないよ。こっちが言いたいよ。

 目元から腕をどけ言葉を放ったものの、その声は震えている。
 赤みの強い頬と、僅かに血管の走る瞳、そしてなにより、両の眼から直線に涙の跡が残っていた。

「……あー」

 涙の理由には、察しがついた。

 知らない世界へ放り出されて、知らない男の家にいるしかなく、何とか元の世界へ戻ろうにも一向に上手くいかない。
 いくら頼もしくとも、戦車道の隊長を務める彼女でも、一人の女子高生だ。

 あんこう祭りの件が決定打となったのか、それとも以前から夜中に隠れて泣いていたのか、どちらなのかは判断がつかないが、しかし彼女の辛さはこんな俺でも理解できた。
69 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:05:33.18 ID:TQ5drJ1c0
「と、戸庭?」

 俺は、何をやっていたのだろう。
 仕事の忙しさを言い訳にしていたのか。それともこの状況に浮かれていたせいか。
 どうしてアンチョビがここまで塞ぎ込むまで気付けなかったのだろう。

「あのさ、俺、トイレ行きたくて起きてきたんだよね」

「ぉ、おぉ、そうなのか?」

 俺の言葉に、アンチョビは戸惑った様子で応える。
 俺に何か訊かれるとでも思ったのだろう。

 確かに、俺が物語の主人公なら、例えば西住みほならば、ここで彼女にハンカチの一つでも渡すだろう。
 しかし俺はあいにく現実世界の人間だし、そんなスマートな行動を取れるくらいならこの年で自堕落な生活を送ってもいない。
70 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:07:22.68 ID:TQ5drJ1c0
 出来ないことは出来ないのだから仕方ない。

 けれど、だからといってこのままで良いのか?

 アンチョビが泣いているのだ。
 もし仮に、画面の向こう側で彼女が泣いていたならば、俺はただ祈ることしかできなかったろう。
 けれど今、彼女は目の前にいるのだ。

 現実世界の人間だからといって、境界線を引くのか。
 かつて俺は、窮地に陥る彼女たちの姿に、力になりたいと願ったことはなかったか。
 今がその時ではないのか。

 自己嫌悪に陥るなんて、尽力していない証拠だ。
 スマートなやり方じゃなくても、構わないじゃないか。
71 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:09:15.04 ID:TQ5drJ1c0
 はーっと息を吐くと、呼吸を整えて彼女へ言葉を返す。

「……アンチョビさん、まだ5時だし寝てなきゃ駄目だよ」

「お、おう。そうだな」

「おやすみ」

 アンチョビへ言葉を残して、トイレへと入る。

 便座に座っていると、やがて洗面室から自室へと移動する物音が聞こえた。
 俺は用を足して寝室へと戻る。

 そして床に就くことなく、ただただ思考の海へと潜った。
72 : ◆JeBzCbkT3k [sage saga]:2018/07/16(月) 21:11:17.71 ID:TQ5drJ1c0
見てる人いるかもしれないので一応。ちょっと休憩します。たぶん15分くらい。
73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/07/16(月) 21:18:05.06 ID:a8DPH2nDO
見てるよー
74 : ◆JeBzCbkT3k [sage saga]:2018/07/16(月) 21:26:23.95 ID:TQ5drJ1c0
>>73

ありがてえ。再開します。
75 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:28:48.92 ID:TQ5drJ1c0
 2017年11月24日。金曜日。

「あれ? 戸庭、まだ着替えなくて良いのか?」

 太陽が顔を出して、寝室からリビングへと移動した俺に、アンチョビがそう口にした。
 アンチョビの言うように、いつもなら俺はスーツに着替えている頃合いだ。

「ああ。そういえば今日は代休を取ったんだって思い出したんだよ」

「ふうん、そうなのか。最近、戸庭は前にも増して忙しそうだったしな。うん、ゆっくり休むと良い!」

 上司には電話で「ウイルス性胃腸炎でドクターストップが出ました」と伝えた。
「マジかよ」と呟く上司の声には感情が乗っていなかったが、まぁ、うん、何とかなるだろう。
76 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:30:08.40 ID:TQ5drJ1c0
「いやいや、アンチョビさん。せっかく休日が取れたんだからやるべきことがあるでしょう」

「ん? 遊びにでも行くのか?」

「昨日の会議の続きだよ」

 俺が言うと、アンチョビは目を伏せる。

「……ん、でも、それは――そう、戸庭は働き過ぎだからな。きちんと休んだ方が良いぞ。映画を観たり本を読んだり」

 アンチョビの反応が芳しくない理由もようやくわかった。

 彼女は、元の世界へ帰るのを半ば諦めかけているのだ。
 これ以上頑張っても無駄なんじゃないかと、アンチョビらしくもなく、弱気になっている。

 俺まで弱気に飲まれてしまったら、終わりだ。
77 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:32:20.92 ID:TQ5drJ1c0
「大丈夫だよ。ほら、俺、元気だし。今日は会議で決まり。有効な策が見つかるまで続けるよ」

 ウイルス性胃腸炎と言ったのは、5日間ほどは他人への感染を口実に休みを作れるからだ。
 実際、本当に俺がウイルス性胃腸炎だったなら、来週の火曜辺りまで出社は禁止される。

 だから、この5日間で、結果を出す。

「そうは言うけどな」

「俺が良いって言うから、良いんだ。アンチョビさん、元の世界へ帰りたくないのか。アンツィオ高校のみんなに会いたいんだろう。だったら、さあ、気合いを入れて、始めよう」

 俺がそう応えると、彼女の様子に変化があった。

「……うん、うん、そうだな」

 言い含めるように頷き、アンチョビは笑顔で言葉を続ける。

「よーし、じゃあ、やるか!」
78 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:33:59.80 ID:TQ5drJ1c0
 朝食をさっと済ませ、こたつを挟んでアンチョビと対面する。
 コーヒーを一口啜ると、俺は口火を切った。

「方針を変える必要はないと思うんだよね」

「どういうことだ?」

 アンチョビが首を傾げる。

「ガルパンの制作陣に話を聞くっていう第一目的は間違ってないんじゃないかってこと。間違ってたのは方法だ」

 アンチョビは渋い顔をして、

「怒られてしまったしなあ。まぁそうだろう。しかし、それじゃあどうするんだ?」

「アンチョビがここにいるぞーっていうのをアピールするんだ。制作陣じゃなくて、まずはファンや一般人に『あれ、本物なんじゃない?』と思わせる」

「ふむ」

「つまりは向こうが無視できない存在になってやろうってことだね。声優や音響、ガルパンの関係者はたくさんいるし、その中の誰かの目に留まれば御の字だ。向こうから声をかけてくれるかもしれない」
79 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:39:48.31 ID:TQ5drJ1c0
「理屈はわかったが、具体的にどうやるんだ? 大事なのはそこだろ」

「これを使う」

 言って、俺は脇に置いていたPCの画面を見せる。
 そこには、上から下へとフォローしたユーザーの呟きが並んでいる。

「えーっと……確かこれ、ツイッターだったか?」

「そう。ここでアンチョビさんの声や姿をツイートする。俺のフォロワーが……えーっと、今のところ842か。まぁこれはもう少し数を増やすとして、1000人ってことにしよう。作りたてのアカウントじゃフォロワーは0だから、アンチョビさんのツイートを俺が引用して、1000人に飛ばす」

 フォロワーからは俺も正気を疑われるだろうが、そこは乗りかかった船だ。一緒に沈む覚悟はある。
 アンチョビの存在が信用されれば、どうせまた浮上するのだ。

「もっとも、1000人全てがツイートを見るわけじゃないし、動画まで観てくれるのはその中でも稀だろう」
「しかし、俺のフォロワーの中にもアンチョビさんのツイートをRTする人間はきっといる」
「徐々に信憑性を増していけば、どんどんその数も増えていくはずだ」
「元より1000人でおさめるつもりはない。大事なのはクオリティと継続」
「とにかく一発目はインパクトを出したいな。バズりさえすれば、こっちのもんだ」
80 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:41:47.92 ID:TQ5drJ1c0
 俺が言い切ると、アンチョビは口を横へ広げ、「うー」と唸った。

「すまん。何を言っているのか理解できないんだが」

 あぁ、そうか。ガルパンの世界にツイッターは存在しないと言っていた。
 詳しい用語はわからないだろう。

 リツイートやらフォロワーやら、一つ一つの用語をかみ砕いて説明していくと最後にアンチョビは「おぉーっ! 良いじゃないかーっ!」と大きく笑った。

「カメラやマイクなんかの機材はこれから池袋に行って買ってくるよ。その間にアンチョビさんは話す内容をまとめておいて」

「おーっ! 任せとけ!」

 そうやって胸を叩く頼もしいアンチョビを家に残し、俺は東武東上線でどんぶらこ、池袋へ。
 駅正面にそびえるヤマダ電機で機材を購入すると、すぐに下り列車で戻った。
81 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:44:24.19 ID:TQ5drJ1c0
「買ってきたよ」

「早いな! 昼食はまだ出来てないぞ!」

「え? 昼食? 原稿は?」

 俺が訊くと、キッチンに立つアンチョビがすまし顔で答える。

「ふふーん、出来てるに決まってるだろう。私を誰だと思ってるんだ?」

「安斎千代美さんでしょうか」

「アンチョビだっ! ドゥーチェ、アンチョビっ! ほら、机の上に置いてあるぞ!」

 ぷりぷりと怒るアンチョビに従い、机の上からコピー用紙を手に取る。

 印刷された原稿は、A4のコピー用紙2枚分。
 各所に、「ここ強調!」とか「この辺はその場のノリ!」とか、丸文字で注意書きが挿入されている。

 ノリで喋る部分が全体の4割以上を占めている気がするが、まぁアンチョビ自身が自信満々なのだから問題ないだろう。
 アドリブが上手くなければきっと戦車道の隊長は務まらない。
82 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:47:17.23 ID:TQ5drJ1c0
「じゃ、撮りましょうか」

「え? すぐ撮るのか?」

「問題あるならもう少し後にするけど」

「い、いや、撮るのは良いんだが、き、着替えさせてくれ」

 ふとアンチョビを見れば、部屋着にエプロン、地味な黒縁眼鏡と、確かに人前に出るような服装ではない。

「それじゃあ、せっかくだからアンツィオの制服にしよう。その方がアンチョビらしさが出て信用も得られるだろうし」

「おー、良い考えだな! よし、着替えてくるから待ってろ!」

 ばーんと部屋を出て行って、10数分後にばーんと戻ってきた彼女は、アンツィオの制服に身を包んでおり、髪の毛を馴染みのリボンでまとめていた。
 アンチョビが制服を着るのは、思い返してみれば、我が家へ彼女が現れて以来のことかと思う。
83 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:48:11.86 ID:TQ5drJ1c0
「どうだ!」

「とてもかわいい」

「そ、そうか?」

 照れるアンチョビへ「そこ座って」と促す。
 あまり生活感を漂わせるのもどうかと思うので、壁を背景にする形だ。

 アンチョビが姿勢を正し、それをビデオカメラのレンズで捉える。
 ビデオカメラの位置を調整し、三脚で固定する。

「いきますよ」

「おー!」

「――録画、スタート!」

 俺が言うと、アンチョビはにかっと笑って、「まず始めに名乗っておくぞ!」と切り出した。
84 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:52:11.78 ID:TQ5drJ1c0
「まず始めに名乗っておくぞ! 私の名前はアンチョビ! アンツィオ高校で戦車道の隊長をやってるぞ!」
「……とはいえ、私のことを知ってる人もいると思う。私たちの戦車道は、こっちの世界ではガルパンって呼ばれてるみたいだからな」
「まぁ信じてくれる人だけ信じてくれたら嬉しいんだが、私はガルパンの世界から、こっちの世界へ出てきてしまったんだ」
「あぁああ急にこんな話を聞いて信用できないのはわかる! でももう少しだけ聞いてくれ!」
「とりあえず、私がこうしてここにいることとか、喋ってることを色んな人に知って欲しいんだ」
「……私は、元の世界へ帰る手段がわからない」
「だからとにかく情報が集めたい! アンチョビを名乗る女の子がなんか言ってるらしいぞ! て、噂になるだけでも大助かりだ!」
「私のことを信用できる人も信用できない人も、どうかこの動画を広めてくれ! わかったな! ドゥーチェとの約束だぞ!」
「あ、信用できない人はツイッターでリプライをくれれば、音声くらいならいくらでも録音するし、動画だって撮るぞ!」
「よろしく! じゃあまたなー!」

 モニタ上で、ぶんぶんと手を振っていたアンチョビの姿がぴたりと止まる。

「うん、良いと思う」

 さすがアンチョビ。一発撮りでこれだけ喋れれば上等だ。
 なによりリアリティがある。
85 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:55:30.83 ID:TQ5drJ1c0
 しかし俺の言葉に、アンチョビは納得のいっていないような表情を見せる。

「んー、戸庭、なんか反応が薄いな」

「感情表現が苦手なので。点数にすると90点超えは固いよ」

「90点!? いや、100点を目指さなきゃダメだろ!」

「……んー、正直撮り直してもこれより良くはならないと思うけど。じゃあ何度か撮ってみます?」

「もちろんだ!」

 そうアンチョビが言うので、5回ほど新たに動画を撮影してみる。
 ノリと勢いで話していた部分には台詞に変更があるが、大筋の流れは変わりない。

 しかしやはり、何度も同じ話をしていればノリと勢いというのは衰えていくものだ。

「うーん、やっぱりワンテイク目が一番良い気がするなあ」

「だから言ったじゃないすか」

「何事もやってみなきゃわからないだろー!」

 良いことを言うなあ。
86 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 21:59:20.19 ID:TQ5drJ1c0
 とにかく、公開する動画が出来上がったので、あとは編集&圧縮、ツイートをするのみとなった。
 ツイートの時刻は17時30分に決めた。

「なんで夕方なんだ?」

「会社勤めと学生の帰宅ラッシュが重なる時間だから。みんな移動中はスマホいじるからね」

「おー、なるほど」

 とはいえ、現在、16時過ぎ。
 予定時刻まで1時間という微妙な隙間があるので、編集と圧縮を終わらせると、アンチョビと二人用のボードゲーム(バトルラインとか)を遊んで待つ。

 そして17時20分。

「じゃあ、アンチョビさんのアカウントでログインするよ」
87 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:01:14.60 ID:TQ5drJ1c0
 あらかじめ、ツイッターアカウントは作成しておいた。
 表示名はシンプルに『アンチョビ』だ。
 プロフィール欄には、ガルパンの世界から出てきてしまった件など、動画で話した内容を短くまとめて記載してある。
 まだツイートは一つもない。

「はい、ログインしました。じゃあ、動画を添付するから、文章を入力して」

 元気よく「任せろ!」と答えるアンチョビへPCを譲る。

 アンチョビは軽快にキーボードを叩き、「アンチョビだ! とにかく動画を観てくれ! そして拡散してくれ!」と入力した。
 単刀直入でとても宜しい。

「これで動画を添付したことになってるのか?」

 画面を見ると、文章入力欄の下にアンチョビの顔が表示されている。

「あー、はいはい、大丈夫。あとはそこのツイートってボタン押せばオッケー」

 アンチョビはにかっと笑うと、「パンツァーフォーっ!」とツイートボタンを押した。
88 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:04:37.70 ID:TQ5drJ1c0
「さあ、どうだ!」

「ちょっと待って」

 アカウントのフォロワーは俺一人だ。
 だから、いまだこの動画は誰の目にも留まっていない。

 俺はスマホを操作すると、自分のアカウントで、「友人のアンチョビさんから、皆さんへ伝えたいことがあるようです」とコメントを付け、アンチョビのツイートを引用RTした。

 ぶうんと、アンチョビのスマホが震える。

「おぉ! きたか!」

「たぶん、俺がRTした通知だと思うよ」

 おそらくツイッターの反応を見ているのだろう、アンチョビがスマホの画面をスライドさせる。
 数秒して、「お、おぉ?」とアンチョビは声を発した。

「通知がたくさんきてるぞ! あ、あ、また増えてる。凄いな戸庭っ!」

 言われて俺もPCのモニタを見る。ツイートのいいね数は1、RT数も同じく1。
 F5で更新すると、いいねが84、RTが104に増加した。
 気になってアンチョビのフォロワー数を確認してみると、こちらもぽつぽつと増えており、現在、45。
89 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:06:04.01 ID:TQ5drJ1c0
「これは、凄いんだよな!? な!?」

「うん。すごい」

 画面を更新する度に、それぞれの数字が増加する。
 徐々に増加速度も上がっており、この様子だとすぐに四桁へ到達するだろう。
 あぁほら、すでにRT数は926だ。

「フォローしてくれた人は、フォローしかえした方が良いか!?」

「あからさまな広告っぽいの以外はばんばんしちゃって良いと思う。あ、それと、リプライがいくつか来てるから返事をかえそう。……下品なコメントも少なくないから、こっちはちゃんと選別しましょうね」

「よしきたっ!」

 アンチョビはそう言って、スマホの画面と向かい合う。

 時ににんまりと笑い、時に赤面し、時にげんなりとした表情を浮かべながら、一件一件リプライへ対処していく。
90 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:08:41.09 ID:TQ5drJ1c0
 俺のアカウントにもリプライがあるので、こっちも同じ作業に移った。

「本物みたいですね」「よく出来てますね」「マジですか?」とか、そんな反応全てに「本当ですよ」と返す。

 アンチョビの方には、俺の方よりも具体的な質問が多かった。

 例えば、「大洗行った?」とか、「アンツィオには招聘されたんだよね。いつ頃呼ばれたの?」とか「ペパロニ達とは土日も会ったりするの?」とか。

 おそらく本当にアンチョビの存在を信じているのはごく僅か――というか、いないだろう。
 彼女が本物だという前提の、あくまでお遊びとして質問を投げかけているのだと思う。

 しかし、それでもバズは生まれ、彼女の存在は広まる。ありがたい限りだ。
91 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:10:55.58 ID:TQ5drJ1c0
 夕飯を食べるのも忘れてツイッターに没頭し、お互い、気付いた頃には午後10時を回っていた。

「腹減った」

「……夜も遅いけど、パスタでも茹でるかあ」

 のそりとアンチョビが立ち上がり、キッチンで鍋に水を入れ始める。
 待つこと15分。「できたぞー」とアンチョビが皿を運んでくる。

 ――と、ふいにスマホが震え、『あれ誰? お前に彼女出来るわけないし、職場の同僚?』と友人から失礼極まりないメッセージが届いた。

「本物だっつってんだろ」

 俺はアンチョビに「ちょっと良い?」と断りを入れると、パスタを手に持つアンチョビをフォーカスし、ぱしゃりと撮影。
 画像をその友人へ送りつけてやった。

 すると友人から「明日お前ん家行く」とふざけたメッセージが返ってくる。はっはっは。

「いただきます」

 アンチョビの作るペペロンチーノ。うまし。
92 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:13:26.80 ID:TQ5drJ1c0
 2017年11月25日。土曜日。

 昨日やり取りをしていた友人が、別の友人を引き連れて我が家へやってきた。

「うっわ、マジやんけ」

「え、彼女? いつできたの?」

 玄関先でアンチョビを目にした途端に騒ぎ出す二人へ「とりあえず入って」と促す。

 リビングで三人こたつを囲んで座ると、アンチョビが「どうぞ」と笑顔でコーヒーのカップを差し出した。エスプレッソだ。
 友人らが心なしか緊張した様子で「あ、どうも」と受け取るのが面白い。
93 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:14:36.80 ID:TQ5drJ1c0
「で、君らは何しに来たわけ?」

「なんかツイッターで変なこと言ってるからおちょくりにきた」

「俺もまぁ気になって真相を確かめに来た感じだよね」

 ……正直、家にあげはしたが、今はこいつらの相手をしている余裕はない。
 冷やかしに現れただけだというのなら尚更である。

「彼女はアンチョビ本人です。はい、帰って」

「いやそれじゃ説明になっとらんでしょ」

「こっちは忙しいの。くだらん話ならまた今度聞いてやるから。ほら帰って」

 そう言って追い返そうとするものの、二人はふて腐れた顔で「帰らん」「冷たくない?」とかなんとかぼやくばかりだ。
94 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:16:48.98 ID:TQ5drJ1c0
 しばらく愚にも付かないやり取りを繰り返していると、アンチョビが割って入った。

「まぁまぁ。せっかく来てくれたんじゃないか。少し落ち着け戸庭」

「天使か」「天使」

 ……いやいや。

「こいつらがいると計画も進まないよ」

「とはいえなあ、ここまで来てくれたのを追い返すのも申し訳ないだろう」

「こいつらは良いの。どうせ暇してんだから、追い返したら追い返したでどっかで酒飲んでるだけだよ」

「しかしなあ――」

「ちょっと待った!」

 今度は俺の友人が割って入る。
95 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:18:12.13 ID:TQ5drJ1c0
「言い争いは良くない。良くないですよ」

「元々お前らのせいだけどね」

「どうせ争うなら、麻雀で勝負をつけましょう」

 …………?

「あのさ、人の話聞いてた? 麻雀すんのに時間かかるでしょ? その時間も惜しいの。ねえ、わかる?」

「あ、負けるのが怖いのね。ごめんごめん、悪かった」

「は? ……あ、いやいや」

「おぉおお良いじゃないか! 楽しそうだ! やろうやろう!」

 ――俺が言いよどんだ隙に、アンチョビが乗ってしまった。

「アンチョビさん、麻雀のルールわかるの?」

「なんとなくわかるぞ!」

 わかってないやつだな、これ。

「……まぁ良いや、じゃあやりますか。俺だけ反論し続けるのもなんだし」

 俺が言うと、友人二人は「「うぇーーい!」」と歓声を上げた。
96 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:19:59.49 ID:TQ5drJ1c0
「えー、じゃあ、こっちの横に長い方が、花澤。そんで、縦に長い方が、長田ね」

「花澤です」「長田です」

「アンチョビだ! よろしくな!」

 花澤と長田の二人が、右手を差し出したアンチョビと順に握手をする。

 結局、麻雀は、南入することすらなく、アンチョビが長田から親倍満を食らい飛ばされて終わった。

 勝者となった長田は「じゃあもうちょっといさせて」と宣言。
 仕方なく俺はそれを認め、友人らは、今日一日、我が家へ居座ることとなったのだ。
97 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:21:58.32 ID:TQ5drJ1c0
「まぁ、それならどうせだし、二人とも手伝ってくれる?」

「はあ? 何を?」

「わかるでしょう。アンチョビの宣伝さ」

 昨日のアンチョビのツイートは、最終的にRT数が五桁にも及んだ。
 幸先は良い。大事なのは、間髪入れずにアピールし続けることだ。

 なので今日も今日とて新たに動画を撮るのだが、ただ昨日と同じようにやるというのはあまり宜しくない。

「二人とも、昨日のアンチョビの動画観た?」

「観たから来たっつったでしょ」「そりゃ観たよ」

「おぉー、どうだった?」

 嬉しそうにアンチョビが問う。

「あー、なんか、すげえなって思いました」

 語彙力。

「声も姿も本物によく似てるし、まぁクオリティ高いよね。よくここまでやれるなあと思いますよ。あ、もちろん良い意味で」

 口ぶりから、やはりアンチョビが本物だと信じているわけではないのだとわかる。
98 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:23:27.81 ID:TQ5drJ1c0
「こっちは『よく似てる』って感想を変えたいんだよ。どうしたら本物だと信じる?」

「何やられても信じないと思うけどね。無理でしょ。次元の壁ってあるじゃん?」

「だから、俺は、それでも信じてるんだよ」

「じゃあ戸庭の時と同じことをやれば良いのでは?」

 ……なるほど。
 俺がアンチョビを信じたのは、彼女と延々語り続けたからだ。
 質問を交えながら、彼女の言葉に耳を傾け、仕草や表情を眺めることで、画面の向こうの彼女と同一人物だと知れた。

 それと、同じことを、やる。
99 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:25:42.87 ID:TQ5drJ1c0
「アンチョビさんアンチョビさん、ちょっとしばらくこいつらと喋ってみてくれる?」

「し、指示がざっくりすぎないか?」

「じゃあアンツィオ高校の紹介してよ。P40とか、ジェラートの話とか」

「おー、それなら任せろ!」

「花澤と長田は、適宜、適当な質問をアンチョビさんにして」

「指示がざっくりすぎん?」

 そうして、アンチョビと、花澤と長田の二人が会話する様子を隣で眺める。

 ジェスチャーを交えて活き活きと話すアンチョビは、太陽のようで、やはりというべきか、当然なのだが、まさにアンチョビそのものだ。
 先程は「無理」と断じていた花澤も、すでに心を掴まれているのがわかる。
100 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:27:56.89 ID:TQ5drJ1c0
 三言二言では駄目なのだ。
 アンチョビの存在を信じさせるためには、時間をかける必要がある。
 昨日の動画は1分足らず。短すぎた。

 しかし反対に、あまりに長すぎるのも良くはない。
 見ず知らずの他人が作った30分超えの動画なんて、そもそも、観る前からお断りである。

 ちょうど良い時間は、大体5分くらいかと思う。
 5分の動画も、積もれば数時間だ。

 コンテンツとしては、視聴者からの質問に答える形式が良いだろう。
 昨日、アンチョビがツイッターのリプライに答えていたのを、動画の中でやる感じだ。

 あとは、新しく興味を持ってくれた人のために、過去の動画を漁りやすくするのも重要だろう。

「よし。ユーチューバー始めるか」

 俺が言うと、三人は揃って首を傾げた。
101 : ◆JeBzCbkT3k [saga]:2018/07/16(月) 22:31:01.04 ID:TQ5drJ1c0
 さて、ユーチューバーとはいえ、実際やることといえば、普通に動画を撮ってちょこっと手を入れてユーチューブにアップロードするだけの話である。
 編集のない方が自然なアンチョビ感を演出できるだろうし(アンチョビ感とは)、そもそも、凝った動画編集など出来る面子は俺たちの中にいない。

 とはいえ、5分ともなればそれなりに台本は必要だし、アンチョビへの質問も用意しなければならない。
 アンチョビに頼み、ツイッターにて「次の動画を撮るから、みんな、私への質問をくれないか!」と募ったところ、50以上の質問がばーんと集まった。

 俺が質問を選別し、それへの返答をアンチョビが考えつつ、台本の構成に組み込む。

 花澤と長田の二人は特に出来ることもないので、裏でずっとガルパンの劇場版を観賞しつつ酒を飲んでいた。
 アンチョビがスクリーンへ登場する度に「あっアンチョビさんだ!」と声をあげるのが実に騒々しい。

 アンチョビは、アニメでの自分の姿を目にするのに慣れないのか、彼らの声を耳にしてスクリーンへ目を向けると、苦しいんだか恥ずかしいんだかよくわからない複雑な表情を浮かべていた。
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