傘を忘れた金曜日には.

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224 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/11/23(金) 07:51:43.88 ID:TquJE6WgO
おつです
225 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/23(金) 08:18:03.29 ID:3G+o5k7H0
おつです
226 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/11/23(金) 08:22:47.46 ID:hkOoPsTU0
乙です
ついに青葉が爆弾発言。ちせは相変わらずエロ路線
227 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/11/23(金) 10:17:39.14 ID:ua+ShhtY0
おつです
228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/11/23(金) 10:19:57.16 ID:ua+ShhtY0
鏡ってことは瀬尾とちどりのどっちかがスワンプマンで、瀬尾が本物でちどりがスワンプマンの可能性もある?
229 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/11/23(金) 11:40:44.17 ID:hkOoPsTU0
ちどりと青葉はもうすっかり別人格になった
サクラとカレハも完全に別人格
隼は片方が森に残ったから一つの身体を2つの人格が共有してる
さて、これからどうなる?
230 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/23(金) 12:44:26.80 ID:BU4Df4nI0
おつです
231 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/24(土) 01:02:30.47 ID:h5BkXevyo

◇

「……どういう意味ですか?」

 と訊ねて、それに答えを返してもらったところで、わたしは理解できたのでしょうか。

「帰ったほうがいいね、ちせちゃん」

「青葉さん」

「はぐらかしてるわけじゃないよ。ねえ、ちせちゃん、わかってないかもしれないけど、ちせちゃんは今とっても危ない状態なんだよ」

「……どういう意味ですか」

「何かを我慢してるよね?」

 どうして、そんなことを言うんですか。
 そう言いたかったです。

「我慢しちゃいけない。抑え込んじゃいけない。抑え込んだものは別の形を取るんだよ。
 鴻ノ巣ちどりもそうだった。たぶん、副部長もそうだったんだと思う」

「……」

「だから、なんだろうな、きっと」

「……ひとりで、分かったようなこと、言わないでください」

「……」

「なんで、隼さんも、青葉さんも、そうなんですか。ほのめかすみたいに、はぐらかすみたいに言って、本心を言ってくれないんですか」

 青葉さんは、困ったみたいに笑いました。

232 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/24(土) 01:02:58.96 ID:h5BkXevyo

「人が何かをはぐらかす理由なんて、そこに話したくないことがあるからに決まってるよ」

「……」

「ちせちゃん、ごめんね。まだ帰れない。探してるものがあるの」

「いったい、何を探しているんですか」

 ……波が、近付いているのがわかります。

「わたしが探してるのは……」

 青葉さんは、綺麗な顔で笑いました。

 それはどうしてでしょう、とても晴れやかな笑顔で、それなのに、とても寂しそうでした。

「わたしが探してるのは、きっと、どこにもないものだよ」

 そんなことを、今までに見たことがないくらい、澄んだ顔で言うので、
 わたしは思わず泣き出しそうになりました。

「なんなんですか、それは」

「うまく言葉にできないんだけど、たぶんそれは、正しい恋の仕方、みたいなものだと思う」

「……正しい恋の仕方?」

「うん。……もう、行ったほうがいいよ」

233 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/24(土) 01:03:26.69 ID:h5BkXevyo

 これ以上、青葉さんは何も話すつもりがない様子でした。
 彼女はテーブルの上の伝奇集を手にとって、ページをめくりはじめました。
 
 まるで、早く行けと、わざとそうしているようです。

「……帰ってきますよね」

「きっとね」

「本当ですよね」

「うん。でも、そのときには……」

「……なんですか」

「わたしは、わたしじゃなくなってるかもしれない」

「どういう意味ですか」

「わかんない」

 また、彼女は笑います。
 わたしは、立ち上がって、ドアへと歩き出しました。

「……戻ってこなかったら、また来ます」

「うん。あ、ねえ、ちせちゃん」

「はい」

「副部長のこと、よろしくね」

「……」

「誰かが見ててあげないと、だめな人なんだ」

「だったら、青葉さんが戻ってきてください」


234 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/24(土) 01:04:56.09 ID:h5BkXevyo

 青葉さんは、痛いところを突かれたという顔をしました。

「ねえ、ちせちゃん。恋をするってどういうことなんだろうね?」

「……そんなの、わたしにはわからないです」

「わたしは……人を好きになるって、とっても孤独なことなのかもしれないって思う」

 孤独。
 どうして、そうなんでしょう。

 納得もできないのに、反論もできませんでした。
 だって、わたしだって、人を好きになるということがどういうことなのか、わからなかったんですから。

「青葉さんは、誰かのことが好きなんですか」

「……たぶんね。でもそれは、偽物かもしれない」

「……偽物って、なんですか」

「偽物は偽物だよ。本物じゃない」

「……言葉遊びです」

「そうかも」

「……わたしは、青葉さんがいないと寂しいです」

 彼女はそこで、驚いたような顔になりました。

「そっか。寂しいか」

 気付かなかったというみたいに、彼女は照れくさそうに笑いました。

235 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/24(土) 01:06:08.60 ID:h5BkXevyo

◇


 小屋の扉を出て、わたしはもと来た道を歩きました。

 息が、浅い。苦しい。もどかしい。
 寂しい。切ない。やるせない。身体が重い。熱い。

 熱に浮かされたみたいに、触れなくても頬が熱くなっているのがわかります。

 呼吸が乱れています。それがわかります。

 抑え込んではいけない、と青葉さんは言いました。

 自分の呼吸の音を聞くと、なんだか更に気分がひどくなりそうで、わたしは口を掌で抑えました。
 
 全身の感覚が鋭敏になっています。
 身体をどこかに擦り付けたいような、そんな気持ちすらして、そんな自分に戸惑いを覚えてしまいます。

 ここは鏡の国だと、青葉さんは言いました。

 鏡を望む人は、まず自分自身と出会うのです。

 この世界が、わたしという人間を、わたし自身に突きつけているとしたら。
 もし、その人の本心や本質を、余すところなく突きつけるような場所だとしたら。

 それって、つまり、この熱は、つまり、わたしは……。

 わたしが……他の人と比べて、ものすごく……。

 だめな人間、だということなんでしょうか……。


236 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/24(土) 01:06:58.81 ID:h5BkXevyo


 全身の感覚は、鋭敏になっています。

 今すぐにこの熱をどうにかしてしまいたい、とわたしは思っています。
 そう思っている自分に気付いて泣きたくなります。

 これでは、これではまるで……。

 違う、違うはずです。

 でも、身体は言うことをききません。
 
 全身の肌という肌が、まるで誰かに触れられたがっているみたいに、粟立つように、寒気のように、熱に浮かされています。

「……うぅ」

 さすがにわたしは自分にちょっとがっかりしています。
 
 この鏡の森で、まさか、わたし自身に突きつけられる"わたし自身"というのが、こんなものだなんて……。
 隼さんも、青葉さんも、なんでもなさそうにしていたということは……たぶん、ふたりは感じていないのです。

 ましろ姉さんもまた、そういうのではなかったのです。

 ということはつまり、少なくともわたしは、あの三人よりも、そういうのが強いということになるのでしょうか。
 そんなの、悲しい。

「……いやだ」

 自分の声が思ったよりか細くて、震えていて、それに驚いてしまいます。
 
 抑え込んではいけない、と、青葉さんは言いました。
 抑え込んではいけない。

 ……もしかして、
"ここで否認し続けていたら"、"わたしのこれが分離して"、"スワンプマンが生まれる"なんてことは……。
 そういう仕組だとしたら、わたしは……。

237 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/24(土) 01:07:44.93 ID:h5BkXevyo

「……待って、ください」

 誰にともなく、わたしはそう言っていました。

 もしそうだとしたら、わたしは、この欲望を受け入れることでしか、自分自身を保てないのではないでしょうか。
 そう想像した瞬間、そんなのあんまりだ、と思いました。

 けれど、思考が一瞬、ひとつのひらめきにたどり着きました。

 ──抑え込んだものは別の形を取るんだよ。
 
 もし、本当にそんなプロセスでスワンプマンが発生した場合、です。

 わたしが仮に、この突きつけられた自分自身を否認し続けた場合。
 そしてその否認されたわたし自身が、もし分離し、スワンプマンが生まれた場合。

 生まれるスワンプマンの性質は……おそらく、わたしが否認しているこの欲望に忠実なものになるのではないでしょうか。

「……生き地獄だ」とわたしは呟きました。

 どっちにしても地獄です。

 どっちにしても恥ずかしすぎます。

 こんな自分いやだ。
 恥ずかしすぎる……。

 いくら、抑え込んではいけないと言われても、こんなの……。

238 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/24(土) 01:09:16.79 ID:h5BkXevyo

 青葉さんのことを思い出して、それから、隼さんのことを思い出して、
 初めて会った夜に、自分が彼の手を借りたことを思い出しました。

 わたしはどうしてあのとき、あんなことをしたのでしょう。

 話でしか聞いたことのなかった、初めて会った、見ず知らずと言ってもいい人に。
 
 隼さんは……でも……。

 湖畔に沿って遊歩道を歩きながら、わたしは荒い息をどうにか整えようと必死に呼吸を繰り返します。
 手のひらが、熱を帯びていきます。

 まるで今、誰かに触れられているみたいに。触れられたがっているみたいに。

 あの大きな手。
 ……いえ、きっと、わたしの手が、小さいだけ、だったのでしょうけれど。

 昔から、お兄ちゃんという存在に憧れていました。

 不意に、視界が滲みました。
 ふっと、からだから、張り詰めていた力が緩むのを感じます。

「……少し、なら、大丈夫、だよね」

 わたしは、小屋のあった方を一度振り返り、それが木々の枝に阻まれて見えないことをたしかめました。
 
「……だれも、みてない、し」

239 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/24(土) 01:10:13.15 ID:h5BkXevyo

 わたしは、静かに、小径の脇から森に足を踏み入れ、自分自身を隠すように、木の幹に背を預けました。
 湖畔の景色はとても綺麗で、わたしはなんだか自分がひどく汚い存在のように思えてきます。

 あのときは、まだ、柚子に出会っていなかった。
 柚子に出会わなければ、わたしは……。

 人を好きになるのは、孤独なことなのかもしれない、と、青葉さんは言いました。

 もしかしたら、そうなのかもしれない、とわたしも今、そう思いました。
 そう思いたくなったのかもしれません。

 誰かを好きになることは、この深い森に、いまたったひとりでいる自分自身のように、孤独なことなのかもしれないのです。

 わたしは、柚子のことも、好きでした。
 それでも自分の気持ちが、そんなに勝手なものだとは思えなくて、
 だから、こっそりと、神さまに祈るみたいに、心の中だけで、柚子にごめんねを言いました。

 それから、湖の水面に飲み込まれるようにわたしが元いた世界の自分の部屋に戻るまで、ほんの少し時間が必要でした。

 姉さんは、「会えた?」とだけ聞いて、わたしは、「うん」とだけ答えて、部屋を出ていってもらいました。
 翌日の朝、わたしはこっそりと、あの絵を、文芸部の部室へと返しました。

 絵に映る景色は、あの森の果てで見た湖のように、綺麗で、少しだけ寂しそうに、そのときのわたしには見えました。

240 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/24(土) 01:13:08.04 ID:h5BkXevyo
つづく
241 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/24(土) 08:05:34.28 ID:Wg7OrPMMO
おつです
242 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/11/24(土) 12:00:56.24 ID:CBmxT8Tl0
おつです
243 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/24(土) 23:51:38.86 ID:IzN/uv+E0
おつです
244 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:21:43.36 ID:u+wsZHJyo

◆


 
 深い深い水の底から浮かび上がるように、意識が取り戻されていく。
 
 気がついたとき、すぐそばに、カレハの姿が見えた。

「……起きましたか」

 横たえた俺の顔を、彼女は覗き込んでいたようだ。

 身体を起こそうとすると、節々が痛むのを感じた。
 手のひらや、手首、肘や肩や、背中。全身が悲鳴をあげるようにぎしぎしと軋む。

「起きなくても大丈夫ですよ」と彼女は言う。

 その言葉に、俺はうなずきだけをかえして、起き上がるのをやめた。

「ここは……」

「あなたの部屋ですよ」

 そう言われて、俺は目を動かして周囲の様子を見る。

 家具や、本棚に並ぶ本、CD、雑誌。

 俺は、

「違う」

 と言った。
 
245 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:22:09.33 ID:u+wsZHJyo

「ここは、俺の部屋じゃない」

 カレハは、憐れむような目で俺を見た。

「……ここは、俺の部屋じゃない」

 泉澤怜は、俺に言った。

「きみは三枝隼なのか」と。

 どうしてだ。

 俺が三枝隼なのに、たった一日で、誰もが俺を疑う。
 俺が、俺じゃないみたいに。

 ようやく帰ってこられたのに。
 
 うまくごまかして、帰ってきたつもりだった。
  
 それでも気分はずしりと重い。

 たとえ、あの森にいるであろう偽物を殺したところで……もう、同じことだ。

 誰も、俺が三枝隼だと思わない。

 俺のための居場所は、この世界にはもうどこにもない。
 失われてしまった。

246 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:22:37.86 ID:u+wsZHJyo

「……それじゃ、どうするんですか?」

「どうする……?」

 どうしろっていうんだろう。

 寝転がったまま、天井に手を伸ばす。俺は自分の腕を眺めている。
 その長ささえ、大きささえ、もう俺自身とは思えない。

「わかんないな」

「それは……困りましたね」

「いま、何時?」

「……九時半ですね」

「純佳は……」

「一度様子を見に来て、眠っているのを見て出ていきました」

「そっか」

「大丈夫ですか?」

「わかんない」

 わからない。わからない。わからないな。
 
 何をすればいい?

 怜は勘付いたんだ。

 怜が勘付いた以上、他の誰が気付くかわかったものじゃない。
 瀬尾が戻ってきたときに、俺の正体が露見するのを恐れて、俺はあの絵をどうにかしようとした。
 でも、もうそれも手遅れだ。

 俺はもう疑われている。

247 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:23:06.23 ID:u+wsZHJyo


「……あの、隼」

 カレハは、とつぜん、そんなふうに俺のことを呼んだ。

「あなたは……」

「もういいよ」と俺は言う。

 とっくに気付いていた。六年もの間、誰ひとり、俺がいなくなったことに気付かなかった。
 それなのに、俺が戻ってきた途端、俺という人間が何か余計物であるかのように、みんなが怪訝げな目を向けてくる。

 俺は必要のない余計ものだ。
 いなくてもいい人間だ。
 いないほうが誰もが喜ぶ。

 俺じゃなくて、あいつのほうが、みんな、良いんだろう。

 だったらもう仕方ない。
 どうしようもない。

 俺の居場所なんてどこにもない。

248 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:23:51.73 ID:u+wsZHJyo


「隼、聞いてください。あなたはまだ、何も失っていません」

「どこがだよ」

「まだ、戻ってきたばかりじゃないですか」

「……」

「うまくいかなくても、それって、仕方ないです」

「怜は俺を疑ってるんだ。もう時間の問題だ」

「わたしは、そうは思いません」

「じゃあ、どうしろって言うんだ」

「とぼけていればいいんです。そうすれば、本当に区別することなんて、不可能ですから」

「……そう、そうなんだよな」

 本当に区別することなんて、不可能だ。

 偽物がいつか読んでいた、文芸部の部誌を思い出す。

 ──ぼくたちは、なにが偽物で、なにが本物なのか、ほんとうの意味では、これっぽっちもわかっていないのです。
 ──区別なんて、できていないのです。

249 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:24:20.89 ID:u+wsZHJyo

 気付かれないほうが都合がよかった。
 でも、俺は気付いてほしかった。
 
 どうして誰も、俺があの森に囚われていたと気付いてくれなかったのか。

 いや……。

「もう、いいよ」

 そうなんだろう、きっと。

「なにがいいんですか」

「わかったんだ」

「だから、なにがですか」

「テセウスの船だ」

「……」

「俺がむこうにいた六年のうちに、偽物は、三枝隼として生きながら、変化していった。
 その変化の内容は、俺との間に激しい差異を生んだ」

「でも、それは偽物です」

「問題はそこじゃない。問題は、俺が居た場所もまた、それと同じように、俺の知らない場所になってしまっていることなんだ。
 俺の知っている人も、俺の知らない人になっている。だから、変なんだ」

 そうだ。
 最初から違和感はずっとあった。

250 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:25:07.35 ID:u+wsZHJyo

「六年間、ずっとこっちに戻りたいと思ってた。どうして俺の身体があんなふうになったのか、
 どうして誰も俺がいなくなったことに気付かないのか、どうして、誰も迎えに来てくれないのかって……」

 喉が涸れるまで、あの森で叫んだ。
 身体が動かなくなるまで、あの森を歩いた。

 目が変になるくらいに、あの夜の森で過ごした。

 お願いだから誰か迎えに来てくれ。
 誰か助けてくれ。

 俺がいなくなったことに気付いてくれ。
 
 そうして最後には、自分でも気付かないうちに、身体が動かなくなっていた。

 どのくらいの時間をあそこで過ごしたかなんてわからなかった。

 指先をぴくりとも動かせなかった。声だってとっくに出し方を忘れた。

 どれだけ歩いたって無駄だった。どれだけ叫んだって無駄だった。
 だから、歩くのも、叫ぶのもやめてしまった。
 
 どうせ、どこにも行き着かない。誰も気付かない。

 そしてただ、夢でも眺めるように、あの偽物が過ごす景色を、俺は眺めていた。

251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:25:34.79 ID:u+wsZHJyo

 こんなのってあんまりじゃないか?

 俺はこんな仕打ちを受けなければいけないようなことをしただろうか?

 でも、本当はそんなことはどうでもよくて……ただ、誰かの視界に映りたかった。
 誰かを視界に収めたかった。

「あんまりじゃないか」と、そう笑い飛ばしてしまいたかった。

 こんなありさまは。

 あの暗い森で、ずっと、俺が居るべき場所にあいつがいるのだと思っていた。
 そして今、この身体を取り戻して、俺は気付く。

 俺の場所は、もう俺のための場所ではなくなっていた。

 そこには、俺のための世界は残されていない。

 すべてにあの偽物の手垢がついていて、
 なにもかもが、もう、俺が戻りたかったあの世界とは違っている。

「……もういいんだ」と俺は繰り返す。

 テセウスの船の比喩がパラドックスになりうるのは、“まったく異なるもので構築された同一の船”でありうるのは、
 その船が同じ時間軸上で、連続的に存在し続けたからだ。

 いま俺の目の前にある世界は、もう、俺がいなくなったあのときの世界ではない。

 じゃあ、俺が戻りたかった場所も、
 会いたかった人も、
 もう、どこにもいないんじゃないか?

 ちどりも、怜も、純佳も、俺じゃない俺と過ごした記憶を持ち、その記憶によって、俺を判断する。
 そうである以上、ちどりの中の俺も、怜の中の俺も、純佳の中の俺も、俺ではない。

 だから仮に、彼女たちからどのような信頼を、好意を寄せられたところでそれは……
 あの偽物に対するそれでしかない。

252 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:26:30.24 ID:u+wsZHJyo

「隼」

「……うん」

 何かを、カレハが言いかけた。
 
 そのとき、純佳の声が聞こえる。

「兄、起きてますか?」

「……ああ」

「体調、大丈夫ですか?」

「ああ」

 この声すらも、
 やさしさや気遣いでさえも、
 宛先は俺ではない。

 この世界にはもう、俺宛のものは残されていない。

 だから、もう……。

 いいんじゃないか?
 
 こんな自分、どうなっても。
 こんな世界、どうなっても。

 べつに、要らないじゃないか。


253 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:26:56.87 ID:u+wsZHJyo

 三枝隼としての存在なんて、あいつにくれてやればいい。
 
 そうしたほうがずっといい。

 誰も彼も悲しませるよりは、俺の存在が、ただ三枝隼の不調として片付けられたほうが、ずっといい。
 俺はもう、いいじゃないか。

「隼」とカレハは繰り返した。
 それを俺は、ただ、
 ああ、
 うるさいな、と。
 そう思った。

 誰かを求める気持ちも、誰かに会いたいと望むことも、
 誰かと繋がりたいという欲望もすべて無意味で、
 まるでこの世のすべてが空虚な舞台のようだった。

 何もかもがただ暗闇のうちにまどろんで区別がつかなくなっていく。
 偽物も、本物も。たとえば俺だって、きっと気付かない。
 誰かが誰かと入れ替わっていても、ある日突然偽物になっていても、気付かない。

「兄」

 扉が、不意に開けられて、純佳が部屋に入ってきた。


254 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:28:20.47 ID:u+wsZHJyo


「……どうした」と俺はかろうじて返事をした。 
 ちょっと笑って見せすらした。寝転んだままだったけれど、見えたはずだ。うまくできたかは、わからない。

「兄、どうかしたんですか」

「少しね。体調がね」

「……頭痛ですか?」

 偽物の方も憐れなものだ。
 仕方ないとはいえ、純佳でさえ、あいつと俺が入れ替わったことに気付かない。
 みんな、俺達のどっちでもいいんだ。

「……兄、くすり、もってきますか?」

「うん……いや、なあ、純佳」

「はい?」

「あのさ、手を……」

 手、と、純佳は繰り返した。

「いや、やっぱりいい」

 そんなことをして、なんになる?

 
255 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:29:06.98 ID:u+wsZHJyo

 けれど純佳は、見透かしたように俺の手をとった。

「こうですか?」
  
 ベッドのそばに膝をつき、やわらかく笑った。

「ああ、うん」

「悲しいことでも、あったんですか?」

「そう、だなあ。うん、とても……」

「じゃあ、しばらくこうしていましょう」

 まるで介護でもされているみたいだ。

 ほんの少しだけ、こうやって体温に触れていよう。
 ちどりにも会って、純佳とこうして過ごして、
 怜とは、まともに話もできなかったけど……

 そしてしばらく休んだら、もうお別れにしてしまおう。
 長い夢を見ていたことにしよう。

 そうして気持ちひとつ残さずに、俺は消えてしまおう。

 ほんのすこしだけ、休んだあとに。

256 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/25(日) 18:32:26.15 ID:u+wsZHJyo
つづく
257 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/26(月) 00:08:32.79 ID:aLiDcI2Oo

◇

 
 ──遠くから、誰かがすすり泣く声が聞こえる。

 いつからだろう。俺の意識は今までもずっとここにあった。
 
 その声もきっと、ずっと聞こえていた。
 それなのに今、たった今、俺はその声が聞こえていたことに気付いた。

 いつからだろう、どうしてだろう。

 誰かがどこかで泣いている。

 それに気付いて、俺は、瞼を開ける。

 そして瞼を開くと、俺は、明るい森の広場にいる。

 太陽は中天に浮かび、燦々と日差しを撒き散らしている。吹き込む風に木々は枝葉を揺らし、影は川の流れのように姿を変える。
 その隙間にさしこむ木漏れ日は涸れた噴水に溜まった雨水をちらちらと照らす。


258 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/26(月) 00:09:05.99 ID:aLiDcI2Oo


 いつからだろう、どうしてだろう。
 
 記憶が、はっきりとしない。意識を失っていたことはたしかだと思う。
 でも、いつから意識を失って、そして、いつのまに意識を取り戻していたのか、どうしてもわからない。

 いったい、自分の身に何があったのか、それが思い出せない。

 噴水の向こう側では、大きな藤棚がアーチのようにその口を広げている。

 木々を背景に、迷路の入り口のように、滝の飛沫のように藤の花が揺れている。
 周囲には人の気配もなく、動くものといったら、風と日差しと影と雲くらいだ。

 なにもかもが不意に、からっぽになってしまったような、
 何かを忘れているような、
 でも、その方がいいような、そんな不思議な気分だった。

 俺はいま、とても澄んだ空気を吸っている。
 とても孤独で、とても気楽でいる。

 ここでは、きっと、何も言わなくていい、何も考えなくていい。
 それってとっても幸せなことじゃないだろうか。
 
 とても簡単で、とても満たされたことじゃないだろうか。


259 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/26(月) 00:09:33.36 ID:aLiDcI2Oo

 ここには誰もいないから、
 俺は誰のことも求めなくていい。
 何もしなくていい。

 責任も、重圧も、後ろめたさも、やましさも、今はない。

 この肩に乗っていた見えない重石が、いまはかき消えている。
 
 ずっと、頭を悩ませていた、何か。

 それがなんなのか、思い出せないけど、でも、いまはそれがなくなっていることが、分かる。

 視界も、聴覚も、すべて、俺自身のものになっている。

 光がただあたたかで、それがうれしくて、
 そんなふうに感じることを、俺はいま、誰にも咎められないし、責められない。

 気に入らないものを気に入らないと語ることも、
 好きなものを好きということも、ここではきっと難しくない。

 誰もいないから。

260 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/26(月) 00:10:05.96 ID:aLiDcI2Oo

 それが悲しいとは、あまり思わなかった。

 もう、誰にも何も言わなくていいし、誰からも何も言われなくていい。

 誰かを“好きになる”必要もない。
 どこかに行きたがる必要もない。

 なにもしたくないのになにかをしたいふりをしなくてもいいし、
 何の展望もないくせに、何の不安も抱いていないみたいな顔をしていなくてもいい。

 からっぽであることを、隠さなくてもいい。

 噴水のそばに腰掛けて、俺は空を見た。雲は、絵の具で壁に描かれたように、微動だにしない。

 あまりにもせわしなく生きてきたような気がする。
 太陽の光が、今この瞬間、ひどく尊いものに思える。

 自分の身体が陽の光に透けているような気さえする。
 
 ……また、すすり泣きが聞こえる。

 どうしてだろう。
 本当に小さな声なのだ。
 
 それなのに、周囲には誰ひとりいない。

 その声は俺に関係のないものなのだろうと思う。
 その声はもう、俺には関係のないものなのだ。

261 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/26(月) 00:10:52.92 ID:aLiDcI2Oo

 今、この場所はとても、静謐で、すきとおっている。
 あたたかな春の日差しのように、いま、俺のからだを包んでいる。

 もうなにも考えなくていい。
 何も演じなくていい。

 誰のことも好きにならなくていい。
 
 居場所なんて探さなくていい。

 ずっとこの場所で、まどろみのように休んでいればいい。
 
 そうすれば俺は、何一つ得られないかわりに、自分自身に落胆せずに済む。
 ずっとここで安らかに過ごすことができる。

 今はそんな気がする。


262 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/26(月) 00:11:31.90 ID:aLiDcI2Oo


 俺は静かに瞼を閉じる。

 悲しかったのだろうか。
 苦しかったのだろうか。

 それとも、ほんの少し寂しかっただけなんだろうか。

 何が欲しかったのだろう。

 もういいんだ、と俺は言った。
 
 もういいんだよ、と。

 全部、もういいんだ。

 俺は結局偽物で、だから、なにひとつ手に入れられなくても、誰のことも好きになれなくても、
 それでいいんだ。

 それは仕方ないことだったんだ。

 言ってしまえば、存在自体が事故のようなものだったのだ。

 それが悲しいなんて、錯覚に決まっている。

 それなのに、やはり、すすり泣きの声は止まない。
 俺は、目を開く。
 
 噴水の向こう側では、大きな藤棚がアーチのようにその口を広げている。
 木々を背景に、迷路の入り口のように、滝の飛沫のように藤の花が揺れている。

 そのむこうには、誰かがいる。俺はそれを知っている。

263 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/26(月) 00:11:59.04 ID:aLiDcI2Oo

 ふと、俺は、その藤棚の前に、誰かがいるのを見つける。

 気付かなければいけなかったと、そう思ったのはどうしてだろう。

 俺は立ち上がり、藤棚の方へと近付いていく。

 そうしながら、俺は既に後悔している。
 でも、もう気付いてしまった。

 その誰かは、藤棚の前にしゃがみこんで、泣いているようだった。
 小さな子供のようだった。

 どうしたらいいんだろう。そう思った。

 どうしたらいいんだ?

 わからない。なにもわからないな。

 やがてその子供は、俺の存在に気付いたように、こちらを振り返った。
 彼は驚いた顔をしている。そこに人間がいるなんて思わなかったんだろう。
 
 俺もまた、彼の顔を見て、驚いた。


264 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/26(月) 00:13:07.33 ID:aLiDcI2Oo

「どうした?」と俺は声をかけた。

「……誰」と彼は言う。

「さあ」と俺は首をかしげた。

「それがわかるかもしれないと思って、今日まで生きてきたんだが……」

 どうも、無理みたいだな。

「友達が」と、彼は言う。

「友達が、迷子なんだ」

 どう言ったらいいんだろうな、と俺は思った。

「帰れなくなってるのかもしれない」

「……それでおまえは、どうして泣いているんだ?」

「泣いてなんかいない」

「そうか」

「そうだ」

 さて、と俺は思った。

「……迷子か。それは、困ったな」

 
265 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/26(月) 00:13:35.75 ID:aLiDcI2Oo

 彼は頷いた。
 
 本当に困っているんだ、というふうに。

 でも、俺は知っている。
 こいつが本当は怖がってることを。
 本当は、こんな場所に来たくなかったことを。

「……仕方がないから、ついていってやるよ」
 
 そう言うと、彼は俺の方を見上げた。
 かわいげのない無表情。

 俺は夢を見ているのだろうか?
 それとも悪趣味な喜劇の続きなのだろうか?
 
 わからない。
 でも、どうやら、俺の役目はまだ終わっていないみたいだ。
 
 意識も記憶も、まだ判然としない。
 夢でも見ているような気がする。
 
 それでも俺は、彼の手を取った。

「本当は俺も、誰かを探しているような気がしてたんだ」

266 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/26(月) 00:14:17.42 ID:aLiDcI2Oo
つづく
267 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/26(月) 00:55:26.51 ID:MvYHq0m50
おつです
268 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/11/26(月) 08:06:34.99 ID:xJlgkaHyO
乙です。
ちせのボーナスステージは終了なのか。もうちょい読みたかった気もする
269 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2018/11/26(月) 08:07:21.25 ID:xJlgkaHyO
乙です。
ちせのボーナスステージは終了なのか。もうちょい読みたかった気もする
270 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/26(月) 09:47:10.19 ID:rKyCOrbtO
おつです
271 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/26(月) 09:53:24.07 ID:Ypqnem4io
おつです
モノローグあるとスワンプマン可哀想にも思えてくるな
272 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2018/11/26(月) 20:04:37.31 ID:uGRrDgGi0
おつです
273 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:20:45.43 ID:aN3WtGnbo

「あんたは誰を探してるの」と子供は訊いてきた。
 
 俺たちはふたりで手をとって藤棚のむこうへと足を踏み入れていく。

「さあ」と俺は首をかしげる。

「それを考えていたところなんだ」

「変なやつ」

 そう、変なやつかもしれない。
 周囲には花の香りが充満している。

 それは分厚いカーテンのように周囲を覆っている。

 自分自身のからだが、いまどこにあるのかもわかっていないような気がする。
 このまま、こんなふうに、曖昧にまどろむような景色を歩くだけならば、悪くもない気がしていた。

 隣を歩く子供は、怯えているようだった。

「……変なとこだな、ここ」

 おかしな世界に、違和感があるのかもしれない。
 それはそうだろう。

「そう、変なところかもしれない」

274 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:21:14.02 ID:aN3WtGnbo

 立ち並ぶ背の高い生垣が、迷路のように幾重にも連なっている。

 太陽の位置は変わらない。

「……友達か」

 不意に、そう呟いた。

「そうなんだ」と彼は答えた。

「その友達を、見つけないといけないのか」

 彼は少し不思議そうな顔をした。

「ああ」

「どうして?」と訊ねると、その質問が不可解だというように、彼は首をかしげる。

「どうして?」と彼は繰り返した。

 理由なんてきっと考えてもいないんだろう。

275 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:22:00.17 ID:aN3WtGnbo

「あんたは、どうしてここにいたんだ?」

 迷路の中を何も考えずに漫然と歩いていると、そんな問いかけを向けられる。

「思い出せないな」と俺は答えた。

「いつからここにいたんだ?」

「わからない」

「寂しくないのか?」

 俺は少しだけ考えて、

「きっととても寂しかっただろうな」

 と、他人事のような返事をした。
 彼は少しだけ不服そうに眉をひそめる。

「へんなやつ」

 そうかもしれない。

276 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:22:26.38 ID:aN3WtGnbo

 生垣の迷路をどのくらい歩いただろうか。

 視界を覆う緑は徐々に現実感を失っていく。
 この先がどこに繋がっているか、俺は知っている。

 ずいぶんとさまよい歩いて、やがて迷路は終わりをむかえる。

 そして俺たちは、夜の森へと辿り着いた。

 線を引いたように切り替わる、昼と夜。

 浮かぶ月は銀色に光り鏡のようだった。木々は手招きするように枝を広げている。

 細い道が、頼りなく伸びている。
 木々の枝に隠されたその道が、どこまで繋がっているのかは、わからない。

 その夜が視界を覆った瞬間、俺は、立ち止まってしまった。

 隣を行く彼もまた、気圧されたように立ち止まる。
 驚いたのだろう。怯えたのだろう。

 でも、その理由は、俺のそれとはきっと違う。


277 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:23:10.70 ID:aN3WtGnbo

 夜はすべての音を吸い込むような静寂に包まれている。
 声のひとつさえどこにも響かないような気がした。

 飲み込まれたままどこにも届かない。

 光は浮かぶ月だけで、隣に立つこどもの顔すらよくわからない。

 伸ばした手さえも黒い影でしかない。

「行かなきゃ」と子供は言った。
 俺は仕方なく頷く。

 小径の向こうへ歩き出す。

「友達っていうのは」

 と俺は言う。

「良いやつだろうな」

 子供は俯いた。

「……そう、良いやつなんだ」

「そうかい」

 含みがありそうな言い方だったが、俺は何も言わなかった。

278 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:24:06.86 ID:aN3WtGnbo

 続く暗闇の道には何もない。
 
 何もないように見える。

「……友達が心配なだけには、見えないな」

 隣を歩く子供は、不快そうに俺を睨んだ。

「どうして、そんなことを言う」

「さあな」

 彼が、何を考えているのかはわからない。
 この頼りない月明かりの下では、なにもかもが不確かだ。
 自分と世界の境界でさえ、あやふやだ。

279 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:24:41.23 ID:aN3WtGnbo


「友達といるのは、楽しいか?」

「……ああ」

 足を一歩踏み入れるたびに、まるで暗い洞窟を歩いているような気分になる。
 声が反響しているような気さえする。

「でも、すり減っていくような気がする」

 そんな言葉を俺は聞きたくなかった。
 俺たちは歩いていく。深い森のなかを進んでいく。

「怜はなんでもできるから……」

「……そうじゃないだろう」

 彼は何かを諦めたようにこちらを見た。そんな気配がした。

「どうしてそう思うの」

「羨ましかったんだろう」

「……そうだよ」

 違う。こいつは嘘をついている。

280 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:26:27.49 ID:aN3WtGnbo


「嘘をつくなよ」と俺は言った。

「なんでわかるんだ」

 俺は答えなかった。

「おまえは怜を僻んでいたんだ。でもそれは、怜がなんでもできるからじゃない」

「……」

「怜だけが評価されたからだ。そうだろう?」

「……」

「花壇の花が枯れていたのはただの根腐れだ。水のやりすぎだった」

「そうだ」

「動物小屋のうさぎがいなくなっていたのは、単に小屋の清掃のために用務員がケージに移していただけだった」

「……」

「筆箱をなくした女の子は、前の時間の授業のときに、理科室に置き忘れていただけだったな」

「……そうだよ。全部、怜が解決した」

「そうだ。怜には観察眼も、推理力もあった」

「……俺は何もできなかった。あいつは探偵で、俺は助手なんだ」

281 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:27:18.34 ID:aN3WtGnbo

「でも、探しただろう」

「……」

「花壇の花が枯れたときも、美化委員の仕事を手伝った。
 うさぎだって筆箱だって、おまえは校舎中を駆け回って探した。
 ……そうだったよな」

「……」

「でも誰も、おまえに感謝なんてしなかった」

「……当たり前だ」

「そうだな」と俺は頷いた。

「別に感謝されたかったわけでもない。善意でやっておいて、感謝されたいなんておこがましいにもほどがある」

「……」

「でも……」

「うるさい」

 と、子供は言った。

「黙れよ」

 俺はひとつ息をついた。空には星ひとつ見えない。

282 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:28:22.56 ID:aN3WtGnbo

「仕方ないじゃないか。実際、解決したのは怜なんだ。俺じゃない。俺がしてたことなんて見当違いの徒労だったんだ」

「……」

「それなのに感謝されないからって不満なんて覚えるわけないだろ? 俺には何もできなかったんだ」

「そうかもしれないな」と俺は言った。べつにそこまで否定するつもりはない。

 彼は何も言わなかった。

 やがて道は徐々に広くなっていく。
 木々が懐を見せるように道を開けていく。

 開けた場所に出る。

 焼け落ちた、大きな建物の後。

 そこに、泣いている少女たちがいる。

「……でも、少しだけ思ったんだ」

 少年は言う。

「怜がここに来るって聞いたとき、俺はたしかに思った」

「……」

「怜には俺の助けなんていらない。俺がいなくてもなんとかするからついていく必要はないって」

「……」

「もしそうじゃなくても、もしうまくいかなくても、それはそれでよかったんだ」

 そう、俺は思ったんだ。

「怜だって失敗するんだって、俺は思いたかったんだ。それで思ったんだ、怜が帰って来なかったとき……」

「……」

「『怜が失敗したんだ』って、俺は、心のどこかで喜んでたんだ」

283 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:29:20.19 ID:aN3WtGnbo

「大した友達だ」と俺は言った。

 やつは何も言わずに、俺の手をそっと振り払った。

「俺はなんにもできないくせに、怜の失敗を喜んでたんだ。自分は、なんにもないのに」

「……」

 俺は目の前の景色を見る。

 木々の枝、焼け落ちた建物。
 泣いているふたりの少女。

 小さな子供の背中。

 俺はこんなところに来たくなんてなかった。
 こんなふうにこんな景色を見たくなんてなかった。

「おまえ、がんばってたよ」

 俺は、そう声をかけた。

「がんばってたよ。俺は知ってる。一生懸命だったじゃないか。
 下心なんかじゃなかった。おまえは、誰かのためにがんばってただろ。なんにも考えずに」

「でも」と子供は、俺の方を振り返った。

「全部無駄だった」

 歯噛みしたいような思い。
 忸怩たる思い。

284 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:30:23.23 ID:aN3WtGnbo

 背中を見送りながら、思う。

 俺はあのとき、何を考えていたのだろう。

 怜を助け、ちどりを助け、そのときに、俺は何を考えていたんだろう。

 そのとき俺にあったのは幼稚なヒロイズムだったんじゃないか。
 助ける側に回れるという悦びだったんじゃないか。

 俺は結局のところ、 
 何の努力もせずに、誰かに認められたかった。
 だから、いままさに、空っぽなのかもしれない。

285 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:31:03.45 ID:aN3WtGnbo

◇

 いつのまにか、三人の姿は影も残さずに消えていた。

 俺は、ひとり、焼け落ちたどこかの前に立っている。
 ここに何があったのか、俺は知らない。興味もない。

 いま、俺はひとりぼっちだ。

 そうしてここで俺は、何を探そうというんだろう。

 この何もない森で。

 けれど、今、俺はなんら背負うものもなく、
 だから心はこの森に馴染んでいる。

 この森はもう俺からなにひとつ奪えない。
 俺は何も持っていないからだ。


286 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:32:01.99 ID:aN3WtGnbo


 そう思うとおそろしかったこの森も、どことなく優しげにさえ見えるから不思議なものだ。

「酔ってんの?」

 と、不意に声が聞こえた。

 どうしてだろう。
 本当に求めたときに与えられなかったものが、いまここにあらわれるのは。

「……瀬尾」

「副部長、暇してるみたいだね」

 瀬尾青葉がそこに立っている。
 高校の制服を着て、当たり前みたいな顔で、そこに立っている。

「なんでいるんだよ、こんなとこに」

「副部長こそ、こんなところでなにしてるの」

「暇してるんだよ、おまえが言ったとおり」

「なんで暇してるの?」

「なんでなんだろうな」


287 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:33:28.01 ID:aN3WtGnbo

 いまさら瀬尾がこんなところにいたって、驚きはほとんどない。
 どこからでもこの森に繋がっている。そう言っていたのも怜だった。

「結局ここがお似合いだってことじゃないか」

「……副部長、くらーい」

「……うるさい。あっちいけ」

「心の装甲が閉じる音が聞こえたよいま」

「……やかましいやつだな」

「またまた。ホントはわたしに会えてホッとしてるくせに」

「なんだよ、その自信」
 
 と、俺は思わず笑ってしまった。

288 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:34:21.17 ID:aN3WtGnbo

「なあ、瀬尾」

「ん」

「おまえは分かるか?」

「なにが?」

「俺が──どっちの三枝隼か、分かるか?」

「なあに、それ」

 瀬尾はおかしそうに笑った。

「瀬尾青葉はきみしか知らないよ」

「……」


289 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:34:49.78 ID:aN3WtGnbo


「わたしが、鴻ノ巣ちどりだったって言ったら、信じる?」

「……信じない」

「ざんねん」

 と、瀬尾はさして残念そうでもない顔でそう言うと、

「捜し物をみつけたんだ」

 何の前触れもなくそう続けた。

「よかったな」

「うん。だから、わたしはそろそろ帰るよ」

「……」

「ごめんね、きみとここに残ってアダムとイヴごっこをするのも悪くないんだけど」

「……似合わないな、そういう冗談」

「そうかな」

「恋なんて、しなくてもべつにいいだろう」

「……ん。そうかもね」

290 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:35:30.49 ID:aN3WtGnbo


「隼ちゃん」と、とつぜん彼女は俺のことをそう呼んだ。

「やめろよ、その呼び方」

「だめかな」

「どっちがどっちか、わからなくなる」

「うん。わたしもわかんなくなっちゃったくらいだからね」

「……」

「でも、わたしは瀬尾青葉だから」

「それでいいのか?」

「うん。考えてたんだ。わたしは、偽物なのかな、本物なのかな、どっちなのかな、って」

「……」

「でも、どっちでもいいやって思った。わたしには居場所があるから。
 ね、じゃあ、なんて呼んだらいいかな。副部長じゃないなら……」

「……」

「三枝くん? 変なかんじ」

「なんでもいいよ、瀬尾」

「あ、うん。これいいね」

「なにが」

「なんか、対等っぽくてさ」

「……なんだそれ」

291 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:35:56.16 ID:aN3WtGnbo

「きみは悲しいまま?」

 そう、瀬尾は訊ねてくる。

「寂しいまま、からっぽなまま、誰も必要としないまま、誰にも必要とされないまま。
 そうしていまもひとりぼっちで、誰にも手を伸ばせないまま?」

「……」

 どうして何も求めることができないんだろう。
 どうして誰のことも好きになるべきじゃないと思うんだろう。

 その答えを俺ははじめから知っていたのかもしれない。

 たとえば、失うことへの恐れとか、
 不意にさめてしまう自分に嫌気がさしたとか、
 そんな、聞き方によってはかっこいいような言い草でもなくて。
 
 とてもシンプルに俺は、疲れてしまったんだろう。

 俺が何もしなくても、何もかもがうまくいく。
 俺がいなくても、誰も困らない。

 みんなの好意を受け取ることができるくらいに、俺は自分自身が好きじゃない。
 そんなに良いやつなんて思えない。

「三枝くんは、卑屈だね」

「そう。俺は卑屈なんだ」

 そう言ってしまうといくらかすっきりした。

「立派な人間じゃない。誰かに好きになってもらえるような人間じゃない」

「そうかなあ」

「そうなんだ」

「ん。そうかもしれないね」と瀬尾は肯定した。

「精進しなさい」

「……そんな、あっさり言うなよな」

 
292 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:36:39.33 ID:aN3WtGnbo

 瀬尾ならわかってくれるかな。

 どうなんだろうな。

 結局のところ、どっちの三枝隼でも同じことだ。

 俺がしてきたことに対する、手応えみたいなものがまるでない。
 声をあげても、歩き続けても、どれだけ求めても、
 誰からも返事はなかった。

 全部、無駄だった、と。
 さっきの子供の声が頭の中で響く。

 だから、もう、声を出すことに意味があるとも思えない。

 俺が求めたところで、誰かが返事をくれるかもしれないなんて期待は持てない。

「……セリグマンの犬」

「たぶんこれは、学習性無力感って呼ばれるやつなんだよな」

「……そういうの、詳しいもんね」

「そう、でも、知っていることは……どうにかできるって意味じゃない」

「……本当にそうなのかな」

「……」

「きみはでも、本当は……」

「『桜の森の満開の下』みたいだ」

「……なに、それ。とつぜん」

 どこまでも続く桜の花。
 伸ばした手すらも透きとおるように消えていき、桜の森の下にはただ虚空のみが残される。

 覆い隠すように、花びらが降っている。

「とても孤独な気がするってことだ」

「そう、きっとみんな」

293 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:37:08.18 ID:aN3WtGnbo

「そうなんだよな」

 本当に繋がり合うことなんてできない。
 理解し合うことも、触れ合うことさえ簡単じゃない。

「……そんな場所で、奇跡的に誰かと繋がり合える錯覚をしたからって、なんなんだ」

「……」

「結局俺は偽物なんだ」

「そうかな」

「何者にもなれない」

「何者かになりたかった?」

「誰にもやさしくなんてできない」

「やさしくなりたかった?」

 俺は首を横に振った。

「嘘だ、全部。……心細いだけなんだよ、きっと」

「……きっとね」

 瀬尾は俺を見て笑う。
 ちどりみたいな顔。
 でも瀬尾の顔。

294 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:37:46.45 ID:aN3WtGnbo

「本当はおまえのために何か言ってやりたかったんだ」

「……わたしのため?」

「おまえがなにかに苦しんでるなら、何か言ってやりたいって思ってた。
 おまえの居場所なんてあるんだって、おまえがどんな人間だってべつに、それでいいんだって」

「……」

「おまえがちどりと繋がりを持つ何かでも、スワンプマンでも、本物でも偽物でも。
 べつにおまえは瀬尾青葉で、それでいいんだって、言いたかった」

「……」

「でも、それって結局、俺が誰かに言ってほしいことだったんだ」

「三枝くんは」と瀬尾は言う。

「やさしいねえ」

「茶化すなよ」

「いや、ここで真面目に反応しても、シリアス振り払えないなって」

「……シリアス扱いするな、人の悩みを」

295 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:38:37.24 ID:aN3WtGnbo

「三枝くん、あのさ、わたしにも悩みがあってさ」

「……」

「残念だけど、偉そうなアドバイスしてる余裕もないんだ」

「俺が聞いてやろうか」

「いまに消えそうな人に聞いてもらってもね」

 そう言って瀬尾は笑う。

「だからわたしは先に帰るね」

「……」

「きみにも、探しものがあるんだと思うんだ」

「……どうだろうな」

「見つけてあげてよ。じゃないと怒るよ」

「なんで、瀬尾が怒るんだよ」

「わたしにとっても、大事なものだからだよ」

「……」

「きっと、みんなにとってもね。……でも、きっと、きみはもう知ってるんだと思う」

 だからさ、

「大事にしてあげてよ。それと……」

 彼女はそこで、綺麗に笑った。

「もっと、楽しんだほうがいいよ」

 そして瀬尾は去っていった。
 背を向けて、俺の知らない道へ、歩いていった。

296 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/27(火) 22:39:12.15 ID:aN3WtGnbo
つづく
297 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/27(火) 23:39:07.35 ID:6KF5xApJO
乙です

二話分読めてラッキーと思ったらそういうことですか
青葉復帰してうれしい
298 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 01:48:34.20 ID:tdL3Yt9/0
おつです
299 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 08:18:41.30 ID:YRBGZbZr0
おつです
300 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:42:17.12 ID:uq51x7xMo

◇

 取り残されて、ひとり、焼け落ちた何かの残骸を眺めている。

 探せと瀬尾は言う。

 けれど、俺は何を探せばいいのか、何を探しにきたのか、見当もつかない。

 瀬尾がそうだと思った。俺は瀬尾を探しに来たんだと、そう思っていた。

 でも、違った。
 
 俺はべつに誰のことも探していない。
 いまさら、誰のことも、見つけ出そうとはしていない。

 たとえば、誰か迎えにきたら、どうだろうか。

301 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:42:42.19 ID:uq51x7xMo

 ちせなら、こちらに来れるだろうか。
 あるいは、ましろ先輩なら?

 それとも俺がいなくなったなら、真中は探してくれるだろうか。
 彼女は、いいかげん嫌気がさす頃かもしれない。

 あるいは、怜なら?
 ちどりなら?

 純佳なら……。

 純佳は、きっと、待つだろう。
 
 俺が帰るのを、待つのだろう。

 市川や大野は、呆れているだろうか。

 でも、俺がいた場所には、俺じゃない俺がいるだろうから……。
 たぶん、誰も俺のことなんて探していないだろう。

 でも、瀬尾は言った。
 
 俺には探しものがある。
 それはみんなにとっても大切なものだって。
 
 それはつまり、俺は、探される立場ではなく、探す立場にあるということだ。

 本当にそうなんだろうか?
 そんなものが、あるんだろうか?

302 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:43:11.63 ID:uq51x7xMo


 俺は少しだけ考えて、首を横に振った。

 そんなふうに考えて、いいものなんだろうか。
 自分には何かが欠けているだなんて、そんな考え方でどこに行き着くっていうんだろう。

 欠けた何かのせいにしていれば楽だ。
 言い訳がつく。

 話が簡単になる。

 ものごとをそんなふうに物質的に考えたって、きっとうまくいかないだろう。

 欠けた何かを見つければいいなんて、そんな単純な話だとは思えない。

 それでも俺は探すのだろう。
 それがなにかもわからないまま。

 まだ、舞台の上で踊らされるのだろう。

303 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:43:47.41 ID:uq51x7xMo

◇

 
 森の奥を分け入っていく。どこまでも、分け入っていく。
 このまま帰れなくなったら、と思うと、少しだけ肩の力が抜けた。
 
 それはそれで、何もかもを投げ出す言い訳ができて、ちょうどいい。

 帰れないなら、帰らないのとは違う。
 逃げたのではなく、戻れなくなっただけなのだ。

 そんなことを考える自分自身が、ほんのすこしだけ嫌になる。

 月の光はやさしくて、俺は何かを思い出しそうになる。

 たとえばこんな寂しさも、いつかはなくなってしまうだろう。
 たとえばこのまま元に戻って、そして誰とも繋がれないまま、ひとりぼっちでいたとしても、
 それはそれで、間違いなんかじゃないのだろう。
 
 そう思った上で、俺はじんじんと心臓のあたりが熱を持つのを感じた。

 ……それでいいのだろうか?

 わからない。

 繋がる道はどこに続いているのだろう。

 道をはずれれば、抜け出すことは簡単ではない。
 俺はそれを既に知っている。

 けれど、用意された道を歩くだけでは探しものにたどり着けないだろうことにも気付いている。

304 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:44:15.05 ID:uq51x7xMo


 やがて、道が、分かれた。 

 中央は広場のようになっていて、そこを中心に、八つくらいだろうか、道が伸びている。

 立て札……いや、道標か。

 八つの道標はそれぞれの道へと矢印を伸ばしていた。
 けれど、今俺が歩いてきた道の方には、何の矢印も書かれていない。
 
 縦に並んだ八つの札には文字が並んでいる。

「退廃」「失意」「空虚」「期待」「焦燥」「愛」「保留」

 と文字があり、そのなかのひとつだけ、何の文字も書かれていなかった。

 こんな道標があってたまるか。

 乗せられているような気もしたが、俺は何も書かれていない道へと進んだ。
 乗せられている?

 誰に?

 それも分からない。


305 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:45:15.93 ID:uq51x7xMo


 続く道は、やがて道とは呼べないものになっていった。
 看板に文字がなかったのは、もしかしたら、道なんかじゃないからかもしれない。

 誰も通らない道だからかもしれない。

 そう考えた瞬間、俺は笑ってしまった。

 誰が通るんだ、こんな道を。

 でも俺は道標に出会い、そして進んできた。

 あるいはこれは……誰もが通る道だとでもいうんだろうか。

 やがて、木々が道を塞ぐように立ちふさがった。
 それでも俺は歩き続ける。

 引き返す気にはなれなかった。

 それなのに、後悔はしていた。

 素直に「愛」でも選んでいたらよかったか?」
 あるいは「保留」というのもおもしろそうだ。

「保留」を「選ぶ」というのもおもしろそうなものだ。

 それとも開き直って、「退廃」か「空虚」がよかったか?

 そこまで考えて、俺はふと考え込む。

 まるで「失意」や「焦燥」さえ、自分で選び取るものだというような気がした。
 ひょっとしたら本当にそうなのかもしれない。

 本当のことなんて、俺にはわからない。
 それでいいのかもしれない。


306 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:45:48.51 ID:uq51x7xMo

 木々の枝をかき分けるように歩いていく。

 道が悪く、一歩歩くごとに体力が奪われていく。
 どうして俺は歩いているんだ?
 何に向かって歩いているんだ?

 わからない。

 わからないな。

 やがて、また、開けた場所に出た。

 そこに、人が立っている。

 また、人か、と俺は思う。
 今度は誰だ、と思うけれど、近付いてみても、誰なのかわからない。
 誰かに似ているような気もするし、見たことがあるような気もする。

 けれど、心当たりはない。
 分かるのは、それが俺の学校の制服らしき服を着た男だということくらいだ。
 らしき、というのは、どことは言えないが、デザインが少し異なっているように見えたからだ。

 彼は俺の存在に気付いていすらいないみたいに、ぼんやりと月の光を浴びて立っている。

 まるで誰かにしつらえられたみたいに、そこだけ木々が頭を垂れたように、月の光が差し込んでいる。

 月の庭、と、そんな言葉が浮かんだ。
 そして彼のそばには噴水があった。
 
 まだ、生きている。

307 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:46:31.65 ID:uq51x7xMo

 飛沫が霧のように浮かんでいる。

 夜霧。そんな言葉をどこかで聞いた。
 どこでだっただろう……。

「やあ」と、不意に彼は言った。

「探しものかい?」

 背の高い、柔和そうな男だった。
 その笑い方を、俺はやはり、どこかで見たことがあるような気がする。

「……人ひとりいない場所だと、思ってたんだけどな」

「意外かな? きみはお客さんだ」

「……いつからいるんだ、あんた」

「僕はずっとここにいるよ」

 俺は思わず舌打ちをしそうになる。

 怜、こんな奴がいるなんて話は聞いていない。
 などと、頭の中で文句を言っても始まらないか。

308 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:47:08.76 ID:uq51x7xMo

「誰だよ、あんた」

「きみと僕とは初対面だ。だから、きみにそんな言われ方をする筋合いはない。……が」

 彼はくすりと笑った。
 見下されているような気がした。

「そうだね、そういう態度は嫌いじゃない。僕は人に嫌われると安心するんだ」

「マゾなのか?」

「違うよ。上っ面の好意なんかより、嫌悪感を表明されたほうが安心できるんだ。
 好きって言われると疑わなきゃいけなくなる。でも嫌いって言われると、それ以上はない。安心だろう?」

 変なやつだ、とそう思った。
 その変な奴が、どうしてここにいる?

「それで、誰だって?」

「サクマだ」

「……さく」

「サクマ」

 サクマ。

 ……佐久間?

 どこで聞いた名前だ?
309 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:47:49.59 ID:uq51x7xMo

「といっても、それは便宜的な名前だ。まあ、便宜的じゃない名前なんてものはないだろうけどね」

「なんだよ、それ」

「どうやらきみは、ずいぶん僕に対してあたりが厳しいみたいだね」

「……」

 言われて、思わず目をそらす。たしかに、やけにきつい口調になってしまう。
 どうしてだ、と考えかけたところで、

「怖いかい?」

 と笑われる。
 それが図星だと分かる。
 
 俺は目の前のこいつを恐れている。

「怯えることはないよ。少し話がしたいだけだよ。そういえば僕は、話し相手を求めていたような気もする。
 退屈してるんだ。ずいぶん長いことね」

「……」

 こいつは駄目だ、と俺は思う。
 こいつは違う。
 
 何か、質が違う。

310 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:48:26.87 ID:uq51x7xMo

 熱がないみたいな肌の透け具合。
 死人みたいだ。

「そんなにわかりやすく怯えるなよ。今のきみに怖いものなんてないはずだろ?」

「……誰だよ、あんた」

「ま、亡霊みたいなものかな」

「……亡霊?」

「そう、孤独なゴースト」

 冗談めかして笑う顔つきすら気に入らない。

 こいつは駄目だ。
 こいつの話に耳を傾けちゃいけない。

 それが分かる。

「佐久間……?」

 佐久間、佐久間。

 ──これは極論ですがつまりこういうことです。
 ──ぼくたちは、なにが偽物で、なにが本物なのか、ほんとうの意味では、これっぽっちもわかっていないのです。
 ──区別なんて、できていないのです。

311 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/28(水) 19:49:58.84 ID:uq51x7xMo

「……佐久間茂」

「そうだね、きみは知っている。きみが知っていることも、僕は知っている」

『薄明』の、佐久間……。

「あれは良いタイトルだと思わないか? 『薄明』。僕は好きだったんだ」

 冗談よせ。

 佐久間茂が文芸部の部誌に参加していたのは平成四年のことだ。
 二十六年前だ。当時十六か十七だったとしても、今は四十を越えてるはずだ。
 
 その佐久間が、どうして、俺と同年代みたいな姿でここにいるんだ?

「言っただろ、僕は亡霊だ」

 月明かりがほのかに彼の顔を照らす。
 これはどんな筋書きなんだ?

「少しきみと、話がしてみたくなっただけなんだよ」

 そういって、佐久間茂は俺に笑いかけた。

312 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 19:51:16.38 ID:uq51x7xMo
つづく
313 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 20:18:51.17 ID:IdermYhpO
乙です。
長く感じないのはモノローグが少ないからだと思うよ
314 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 23:56:55.12 ID:fTRdtmhJ0
おつです
315 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/29(木) 00:22:58.35 ID:H6Y2hnNxO
ここで佐久間とは、乙です
316 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/29(木) 08:40:28.11 ID:wv4Rp5Gp0
おつです
317 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:10:03.31 ID:+7FKUzoBo


 噴水は水音をあげて飛沫を撒き散らししている。

 佐久間茂は、にっこりと笑う。
 それが毒のない笑みだと分かる。
 食虫植物めいた笑みだった。

 こいつにとっては何の裏もない笑みなのだろう。
 ただその「裏のない」「表」が、俺には要警戒のものに見える。

 捕食者のようだ。
 
「そんなに怯えるなって」と佐久間は笑った。

「噛みつきゃしないさ」

「……なんなんだ、おまえは」


318 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:11:22.89 ID:+7FKUzoBo


「まったく、どういう冗談なんだ、ときみは今思っていることだと思う」

 あたりだ。話が早くていい。

「だから聞きたいんだ。佐久間、あんたはここで何をしてる?」

 いや、やっぱり、同じ問いを繰り返すことになってしまう。

「あんたは、いったい、なんなんだ?」

「ゴースト、とさっきも言った」

「そういうのはいい」

「でもね、残念ながらここはそういうルールで動いてるんだ」

「ルール?」

「何もかもが象徴化される幻、不確かな幻燈。景色を変える万華鏡みたいにね」

「……景色を変える、ね」

 けれどここは暗い森だ。
 カレイドスコープ。 

 洒落た言い回しだ。

「じゃあ、あんたもなにかの象徴か」

「そういう言い方もできる」


319 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:11:51.35 ID:+7FKUzoBo

「冗談よせよ」と俺は思う。

「冗談? そうかな」

 それから二回、納得するように頷いて、

「うん、そうかもしれないね」

 と、よくわからないことを言う。

「……話したいって、何をだよ」

「なんだっけ?」

「あんたが言ったんだろ。少し話したかったんだって。
 第一あんたは、俺が誰だか知ってるのか?」

「……どうだろうね? 知っていると言えば、知っているような気もする」

 でも、と彼は続けた。

「僕が知っていることなんて本当は皆無なんだ。完璧に、皆無だ」

「言葉遊びはいい。話がないなら、俺はもう行くよ」

「行くって、どこに?」

 そう言われて、言葉に詰まる。
 行きたい場所なんて、俺にあっただろうか?

320 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:12:25.13 ID:+7FKUzoBo


「少し話そうよ、少年。なあに、時間ならあるさ」

 そういって佐久間は噴水の脇に腰掛ける。

 俺は溜め息をついて、その前に立った。

「座らないのかい?」

「気が進まない」

「噛みつきゃしないって言ってるのにな」

「そうじゃない」

 そうじゃないんだけれど、何を言えばいいのか分からない。

「あんたを見てると落ち着かない。……なんでだ? 不気味なんだ、すごく」

「ひどい言いようだね。でも、心地よいな、それが」

「……本当に、気味が悪い」

「どうして気味が悪いんだろう?」

「俺が知るかよ」

「たぶん……鏡でも見ているような気分だからじゃないかな?」

「……鏡」

「そういう場所なんだ」

「なるほどね」

 さっぱりわからないが、さっぱりわからないと言うのも癪なので言わないでおく。

321 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:12:51.70 ID:+7FKUzoBo

「調子が戻ってきたみたいじゃないか」と佐久間はくすくす笑った。

「気に入らないな」

「この場所では」と佐久間は突然話を変える。

「ある特定の条件で、きみの言うスワンプマンがあらわれる」

「……」

「よく似た呼び方だけど……僕はむしろ、それをストローマンと呼んでた」

「ストローマン」

「藁人形だね」

「藁人形と言えよ。かっこつけて横文字にするな」

「雰囲気ってものがあるだろう」

「英語にしてりゃ雰囲気が出るなんて、素人の小説じゃあるまいし」

「きみだって文章は素人もいいところだろう」

「よくご存知で」

322 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:13:30.30 ID:+7FKUzoBo


「それにストローマンには含意もある。藁人形論法ってやつだね」

「藁人形論法」

「詭弁の一種さ。言葉遊びは嫌いかい?」

「あんたはストローマンなのか?」

「そうだね。きみの言うスワンプマンで、僕の言うストローマンだ」

「……ストローマンは歳を取らないのか?」

「そういうわけじゃない。僕が歳を取るのをやめただけだよ」

「……それで、ストローマンがなんだって?」

「スワンプマンのたとえは不適切だ。
 スワンプマンは完全なるコピー。でも、ストローマンは、本当はそうじゃない」

「……」

「ストローマンは藁人形だ。身代わりに焼かれる」

「……五寸釘じゃなくてか?」

「五寸釘でもいいよ」

「たとえ話はもういい」と俺は言った。

「面倒なんだ。そんな使い古されたメタファーなんか聞き飽きてる。
 俺が話したいことも聞きたいこともそんなことじゃない」

323 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2018/11/29(木) 23:13:58.53 ID:+7FKUzoBo

「でも残念ながら、その陳腐なメタファーが支配している空間がここなんだ。
 今となっては古びてしまったもの。ここを造った人間はそれが真実だと信じていたからね」

「……待て」

「なに?」

「造った人間って、何の話だ?」

「ああ、聞き流してくれよ」と佐久間は言う。

「そこはべつにきみには関係のない部分なんだ」

「……俺に関係のある話をしてくれるのかよ?」

「ま、それはきみ次第だね」

 なんなんだこいつは。

「ストローマンは……」と佐久間は続けた。

「本人が捨て去ったものだ」

「……捨て去ったもの?」

「もっとそれっぽい言い方をするかい? 抑圧され異化、分離された願望と言ってもいいだろうね」

「……」

「ただしそれは『人間』として生まれる。
 だから、ずっと分離されたままでいるわけじゃない。
 当時切り離されたものを、切り離されたまま、元の当人がふたたび抱くこともあるだろうね」

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