北条加蓮と過ごす夏

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87 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:19:50.85 ID:i2+4SUsz0


 それに対して、加蓮の返答は。
 呆れるくらい、つまらないものだった。

「……だったらさ、私をツートップに推したの取り下げてくれない?」

 思わず立ち上がりそうになったが、ぐっと堪える。
 今はまゆが、加蓮と話しているのだから。

「……どうして、ですか?」

 対するまゆは、冷静だった。
 もしかしたら腹わたが煮え繰り返っているのかもしれないが、それでも務めて冷静に返す。

「私としてはさ、ツートップにされても困るんだよね。皆んなに迷惑掛けて私のせいとか思われるの嫌だし」

「それは……努力するつもりは無い、という意味ですか?」

「うん、私って努力とかそーゆーの嫌いだし」

「……そうですか」

「キャラじゃなくない?」

「…………そうですか」

「手を抜いてるつもりは無いけど、前ほど本気じゃ無いのは確かにそうかもしれない。だってほら、もう私の夢は叶っちゃったし」

「………………そうですか」

「それにほら、私より李衣菜とかの方がずっと上手いし。って言うか今からまゆセンターにして貰いなよ。その方がずっと良いって」

「……………………加蓮ちゃん」

 ついに、まゆの堪忍袋の尾が切れた。

 と、そう思ったのだが。
 まゆの言葉から怒りは無く。
 適当にあしらおうとする加蓮に対して。

「……ウソつき…………」

 その言葉は、とても寂しそうなものだった。

「……本当は、そんな理由じゃ無いんじゃないですか?」

「…………どうだと思う?」

「分かりません……寧ろ、全く予想も付かない様な出来事だって事を確信しているくらいです」

「考えなくて良いよ、どうせーーーー」

 上手く聞き取れなかった。
 加蓮は、なんて言ったのだろう。

「……待って下さい。最後に一つ、答えて下さい」

 まゆが加蓮を呼び止めた。
 どうやら加蓮は、既に部屋に戻ろうとしている様だ。

「良いよ、カモン!」

「……加蓮ちゃんにとって、佐久間まゆは…………その程度の、ただの知り合い程度の人間でしたか……?」

「……ふふっ、照れ臭いからそのうち答えてあげる」

 照れ臭いから、は加蓮の照れ隠しで。
 それは殆ど、答えの様なものだった。

「……うふふ、逃げる気満々じゃないですか……」

「そんな顔しないでよ、アイドルは笑顔が命でしょ」

「……大丈夫です。さ、お部屋に戻りましょう」

 結局今のやり取りがどう言う意味だったのか、俺には分からない。
 けれど、きっと上手く収まったのだろう。
 まゆが納得したのであれば、大丈夫だろう。
 だとしたら、俺から加蓮には何も言うまい。
 
 俺は再び布団に潜る。
 思いの外直ぐ睡魔はやって来て、あっという間に夢の国へとご招待された。


88 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:20:34.92 ID:i2+4SUsz0




「ううぅ、帰りたく無い……」

「東京はここより暑いですからねぇ……」

 八月十二日月曜日、合宿最終日。
 今日も今日とて、暑い陽射しが降り注ぎ夏を作っている。

 既に午前のレッスンは終え、撤収モードに入っていた。
 荷物をまとめてチェックアウトの準備。
 既にかなり汗をかいていて、もう一度シャワーを浴びたくなる。
 まぁ駅に着くまでにまたかくだろうから諦めるが。

「お世話になりましたー」

 旅館の人に挨拶して、バスに乗り込む。
 それからガタガタ山道を揺られて数十分、途中で乗り換え数十分。

「……街だ……街が見えて来たよみんな!」

 砂漠で遭難でもしていたかの様な加蓮の言葉で、半分寝落ちしかけていた意識を引き戻された。
 他にも乗客がいるのだから、もう少し静かにして頂きたい。

「あ、折角だから旅館で全員で写真とか撮れば良かったですねー」

「そう言えば撮ってませんでしたね。勿体無かったかも」

 ようやくバスは駅前へと到着した。
 降りると同時に伸びをして、大きく息を吸い込む。
 あぁ、酔うし眠かった。
 やはり人間は自分の足で歩くのが一番だ。

 時刻は既に十六時、陽も少しずつ傾き始めている。
 陽射しも多少は和らいでいるが、それでもやはりまだ暑い。

「もう電車乗って帰るんだっけ?」

「いや、近くでお祭りやってるらしいんだ。皆んながよければ寄ってこうかなと思ってたけど」

「行く!」

「行きますよぉ!」

 決まった。

 と言うわけで駅のコインロッカーに荷物を預け、会場である神社に歩いて向かう。
 盆踊り大会を一日早くに開催するのは如何なものかと思ったが、今日は振替休日だしその方が都合が良かったのだろう。
 そもそも今日日、きちんとお盆の日程や習わしを把握して実行している人の方が少ない気がする。
 休みを取れるなら、それで十分だから。

 そう言えば、今年は帰省し損ねてしまったな。
 加蓮一人を家に置く訳にもいかなかったし。
 まぁうちの実家も帰って来れれば程度に考えておいて、くらいだったし良いか。
 これから暫くはユニットの活動で忙しくなるだろうから。
89 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:21:59.48 ID:i2+4SUsz0


 ドンッ! ドンッ!

 近くで太鼓の音がする。
 目的地の神社は、もうすぐそこまで近付いていた。

「おぉぉー、人」

「感想の語彙力が……」

 神社の鳥居をくぐれば、開けた境内に人・人・人。
 中央には櫓が聳え立ち、太鼓の音はその上から響いていた。
 東京の有名な盆踊り大会程の人口密度ではないが、それでもかなり活気があり。
 陽の暑さと踊る人の熱気が相まって、物凄く暑く感じた。

「折角だし浴衣着れれば良かったのに」

「レンタルとかは何処かにないんですかねぇ」

 浴衣姿で櫓を取り囲み踊る人々の中に、早速加蓮とまゆと李衣菜が混ざり込みに行った。
 あいつら、自分がアイドルだって事忘れてるんじゃないだろうか。
 変装用のメガネと帽子で何処まで誤魔化せるだろう。
 おいバカ暑いからって帽子外すんじゃない。

「ちひろさんはどうします?」

「プロデューサーさん。あっちで地酒が飲めるみたいなんですけど、一緒に飲みに行きませんか?」

「いえ、まだ帰りの引率が残っているので……」

「ちぇー、ノリが悪い男はモテませんよー?」

 愚痴りながら、ちひろさんがテントの方へと行ってしまった。
 普通のお祭りみたいに沢山の屋台があったなら、もっと手を付けられなくなっていただろうな。

「どうする、智絵里ちゃん」

「……太鼓、わたしも叩きたいな……交代して貰えないかな……」

「やめて智絵里ちゃん! お願いだから智絵里ちゃんだけはそっちに行かないで!!」

 各々楽しそうにやってるし、放っておいて大丈夫だろう。
 流石に踊る体力は無く、近くのパイプ椅子に座って盆踊りを眺める。
 周りの人にアイドルだとバレたら、その時はその時だ。
 まぁ上手くやるだろう。

 夏の風物詩、盆踊りをぼーっと眺める。
 気が付けば既に空は茜色で、吹く風も少し涼しくなっていた。
 けれど人々の熱気が衰える事は無く。
 むしろまだまだからからだと言わんかの様に、更に熱気は増していた。

 時折踊っている人の中に、四人の姿が見える。
 気付けば隣の席に、紙コップ片手にちひろさんが座っていた。
 その中身は間違いなく日本酒だろう。
 皆、合宿最後の日をこれでもかと楽しんでいる。
 
 ところで櫓の上で太鼓を叩いているツインテールの女の子に嫌という程見覚えがあるのだが、俺の知る彼女はそこまでアクティブじゃないし人違いという事にしておこう。
90 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:22:36.53 ID:i2+4SUsz0



「あー楽しかった。あっつー……」

「ん、お疲れ様」

「周りの人に合わせれば知らなくても踊れちゃうんだね」

「良かったよ、加蓮がそこで周りの人に合わせようとしてくれて」

 バテた加蓮が一足先に輪を抜けて戻って来た。
 そのまま俺の隣に腰を下ろし、パタパタと胸元を扇ぐ。
 こいつの事だから、一人で勝手に別のダンス踊り出すんじゃないかと内心不安だったりした。
 私の事バカにしすぎでしょ、といった視線で睨まれたので目を逸らす。

「それにしても、ふぅ……盆踊りって凄い熱気だね」

「東京の有名な盆踊り大会なんてもっと凄いぞ」

 八王子の盆踊りなんかは、最多人数で踊る盆踊りでギネスを取ったらしい。
 人出も三日間で八十万人と、超人気アイドルでも難しいレベルだ。

「へー、八十万人って東京ドーム何個分?」

「確か収容人数55000人だった筈だから……十四、十五個分くらいだな」

「やば、日本の三分の一じゃん」

 そう言えば以前、日本は東京ドーム四十七個分って事になったんだったな。
 若干記憶が朧げだが、そんな会話をした気がする。

「……で、そもそも盆踊りって何? なんで踊ってるの?」

「詳しくは知らないが……お盆にかえってきた祖霊を慰める為、とかじゃなかったか?」

 おそらく、供養とかの意味合いが強いんだと思う。
 その辺りは神社の方に聞けば嬉々として説明してくれるんじゃないだろうか。

「んー……それってどうなんだろ?」

「もっとしめやかな方がいい、とか?」

「そうじゃなくってさ、霊だって元々は人間じゃん?」

「まぁそうだな」

「こんなに楽しかったら、あの世に帰りたくなくなっちゃうんじゃないかなー、って」

 ワガママな子供かよ。
 いや、霊の中にはまだ子供な人もいるかもしれないが。

「んー……なら、来年また来て貰うしかないな」

 どうせ毎年行われるのだから。
 きちんと十五日に帰って頂かなくては、折角作ったナスの牛が浮かばれない。

「それにほら、暗くてつまらなそうだったら来年戻って来たくなくなっちゃうだろ」

「ふふ、確かに。まぁそれはどうでもいいんだけどさ」

 だったらなんで聞いたんだよ。
 せめて本当は興味無くても隠して欲しい。
 いや、愚かなまでに素直なのは加蓮の良さではあるけれども。
 今の会話の無駄さ何? ってなる。
91 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:23:08.16 ID:i2+4SUsz0


「Pさんは踊らないの?」

「疲れるから」

「大丈夫大丈夫、私がリードしてあげるから」

 いや踊れるかどうかを心配してる訳では無いから。
 けれど加蓮は聞く耳持たず、俺の手を引っ張って立ち上がらせた。

「ほらほら、一緒に踊りに混ざるよ! 男性なんだからちゃんとレディをリードしてくれなきゃ!」

「お前直前と言ってる事違うし……」

 そもそもお前レディなんて感じの女性か? という言葉はぐっと飲み込んだ。
 言ったら機嫌を損ねてしまう事くらい分かり切っているから。

「手を繋がれたままだと盆踊り混ざれないんだが」

「じゃあ私たちだけ舞踏会やる?」

「お前アイドルなんだからな? 変装もしてないアイドルと手を繋いで踊れるか」

「お面買って被れば良いの?」

 お面被った女の子と盆踊りの輪の中ダンスするとか、どんな罰ゲームだ。
 むしろ余計目立つし顰蹙買う。
 結局なかなか手を離してくれなかったので、観念してそのまま踊りに混ざる。
 正直少し身体を動かしただけでもうバテそうだ、普段しない動きはきつい。

「ふふっ、下手っぴー。そんなんじゃステージには立てないよ」

「アイドルと比べるな」

 そもそも俺はプロデューサーなのだから、ステージには立たないだろつ。
 それからしばらく、太鼓と曲と周りに合わせて腕を振る。
 全身を動かすと疲れるから、片腕だけでそれっぽく。
 それでも腕を上げっぱなしというのはなかなか疲れるものだ。

「……そろそろ、帰らないとな」

 灯りのせいで気付かなかったが、陽は既に完全に沈んでいた。
 動いているせいで気付かなかったが、吹く風もかなり冷たくなっている。
 おそらく十八時くらいだろうから、そろそろ駅に向かい始めた方が良いだろう。
 明日、俺たちは普通に仕事が入っているのだから。
92 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:24:01.21 ID:i2+4SUsz0


「えー帰りたくないなーい」

 ワガママかお前。
 そう、からかおうとした時だった。

「きゃっ!」

 加蓮が近くの人にぶつかり、倒れそうになった。
 慌てて繋いだ手を引き、此方側に引き寄せる。

「……お、おー……ファインプレー……」

「俺に感謝しろ」

「……ありがと、助けてくれて」

 意図せず抱き寄せる形になってしまったが、転ぶよりは余程マシだろう。
 ぶつかってしまった背後の方とお互い謝り合い、踊りの輪を抜けようとする。

 けれど、なかなか加蓮は離れてくれなくて。

「……加蓮?」

「…………嫌だなぁ、帰るの。ずっと側に居てくれれば良かったのに」

 昨夜、加蓮とまゆがしていた会話を思い出した。

 東京へ戻れば、もう今週中に加蓮は俺の家を出る。
 でもそれは、仕方の無い事だ。
 アイドルとプロデューサーなのだから。
 それに、事務所でいつでも……

「……呼んでくれれば、いつでも会うから」

「……え?」

「東京戻ったら、加蓮が引っ越す前にスマホ契約するぞ。料金は最初のうちは俺が払うから。会いたくなったら……側に居て欲しくなったら、呼んでくれ」

 それが、プロデューサーである俺に出来る最大限の譲歩。
 北条加蓮という一人の女の子の為に、俺が出来る事。

「そしたら、駆け付けるから。満足するまで側に居るから」

「……何時でも?」

「俺が起きてて連絡に気付けたら」

「何処でも?」

「終電さえ終わってなければ」

「何回でも?」

「何回でも。だから加蓮にも……アイドル、全力で頑張って欲しい」

93 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:24:37.59 ID:i2+4SUsz0



 そこまでしてでも。
 俺の私生活がそれで埋め尽くされたとしても。
 それでも俺は、ステージの上で全力で輝く、いつでも輝くオリオン座の様な。
 アイドル『北条加蓮』を、見たかったから。

「……ふふ、何それ。カッコつけちゃって」

「柄でも無いのは分かってる」

「でも……うん、だったら……私は満足かな」

 ……ところで、と。
 加蓮は申し訳なさそうに、口を開いた。

「…………周りの人、めっちゃ見てるんじゃない?」

 ……あぁ、そうだ。
 今此処は盆踊りの輪の中だったんだった。
 冷やかしの様な歓声が至る所から巻き起こる。
 加蓮が俺に抱き付いているせいで顔を見られていないのは不幸中の幸いか。

 いや、そもそも抱き付いていなければこうして注目を集める事も無かったのだが。

「……なーに公衆の面前でイチャイチャしてくれやがってるんですかぁ?」

 まゆに腕を引っ張られ、加蓮は引き剥がされた。
 そのまま周りに軽く会釈して、すすすっと退場を図る。
 俺も居心地の悪い視線を避けてちひろさんと合流し、急いで神社を出る。
 聞こえてくる太鼓の音は、やけに力が篭っていた。

「……ふぅ」

「Pさぁん? 随分と仲睦まじい御様子でしたねぇ?」

「……お疲れまゆ。智絵里知らないか?」

「李衣菜ちゃんと美穂ちゃんが、そろそろ帰るからバチを手離すようにと説得しているところです」

 そう、か。
 やっぱりあれ智絵里だったんだな。
 夏をエンジョイしてるな。
 活発になったな。

 ……このユニットの頼みの綱が美穂だけになった瞬間だった。

94 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:25:13.64 ID:i2+4SUsz0




「ただーいまー……あー、帰って来ちゃった」

「おかえり、そしてただいま」

 夜二十二時過ぎ、ようやく俺たちは自宅に着いた。
 余程合宿が楽しかったのか、加蓮は露骨にガッカリした表情をしている。
 学生時代に修学旅行が終わって最寄りの駅に着いた時、多分俺も同じ表情をしていたと思う。
 ただいま現実、帰って来たくなかったよ、って感じ。

「あ、おかえりPさん」

 こうして加蓮とおかえりやただいまを交わせるのは、あとどれくらいだろう。
 この生活に慣れきっているのは俺の方も同じだ。
 帰宅して癖でただいまと言っても、お帰りなさいが返ってこなくて少し寂しくなる日がありそうだ。
 まぁ、慣れるか。

「元々は一人だったもんね、お互い」

「そう言えば加蓮、引っ越す先って何処になったんだ?」

「んー、まだナイショ!」

 出来るだけ早目に教えて頂かないと、仕事上困るんだがな。
 それとそう遠くなければ、会いに行くという約束も果たしやすくなる。

 いつも通りにシャワー浴びて、お互い定位置となったソファに沈み込む。
 夕飯はいいだろう、眠気と疲れているせいで食欲が無い。
 テレビを付ければ本当にありそうな怖い話が放送されていた。
 病院で既に亡くなった患者の霊が、といった在り来たりな話。

「……分かる、ナースコールって深夜に押されるとほんっとうにうるさいんだよね」

「恐怖の対象がなんかズレてるな」

「まぁ私もよくお世話になってたけど」

「本当にあった辛い話やめないか?」

 笑い辛いわ。
 重い雰囲気になるのは嫌なのでチャンネルを変える。
 音楽番組、こちらの方が余程良い。
 うちの事務所のアイドルが出している曲が流れると、自分が担当している訳ではなくとも少し嬉しくなる。

95 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:26:05.52 ID:i2+4SUsz0



「……あ、Pさん」

「ん、どうした?」

「ありがとね、私の夢を叶えようとしてくれて」

「突然どうした」

「……テレビに映ってるアイドルに憧れて……憧れる事すら烏滸がましいくらいだった私を、アイドルに変えてくれて」

「烏滸がましいって……憧れるだけなら誰だってしていいし、誰だって出来る。憧れの存在になろうとしてここまで来たのは、全部加蓮の力だよ」

 お互い柄でも無い言葉を紡ぐのは、疲れているからか。
 眠い時の時間の流れは早い。
 もう既に、二十三時を回っていた。
 日付が変わる前には寝ておかないと明日に響きそうだが……

「……すっごく感謝してる。行ってらっしゃいは言う事があっても、行ってきますは全然言えなかったから。お帰りは言えても、ただいまは言えなかったから」

「……そんなに……」

「……そんな私に全力になってくれて。全力で応援してくれて。私のワガママを叶えようとしてくれて……泣きそうになるくらい、嬉しかった」

 嬉しかった、と。
 そう口にする加蓮の表情は、けれど今にも泣き出しそうだった。

「……加蓮ってさ、どのくらい重い病気だったんだ?」

 相当重かった事は分かる。
 既に過ぎた事だし、加蓮自身が言いたく無いだろうと思って聞いて来なかった。
 けれど、どうやらおそらく俺の想像以上に加蓮は重病で。
 だとしたらどのように完治したのかくらいは、聞いておきたかった。
96 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:26:38.83 ID:i2+4SUsz0



「……喉乾いた、ジュース飲みたい」

「今この流れでぶった斬るのか」

 実に加蓮らしくて笑いそうになってしまった。
 冷蔵庫を覗くが、お目当ては見つからなかった様だ。

「カルピスきれてるじゃん、コンビニ行ってくる」

「お中元のやつなら先週加蓮が全部飲みきっただろ……俺もついてくよ、夜遅くて危ないし」

「いいっていいって、もう先寝てたら?」

 そういう訳にもいかないだろう。
 こんな時間に女の子を一人で放り出すのは些か問題だ。

「……じゃあ自販機で我慢する」

 我慢ってなんだ、味変わるのか。
 とは言え、自販機ならマンションのロビーにあるから安心だ。
 
「Pさんが先寝てくれてる方が私も添い寝し易いから、ちゃんと寝ててね?」

「あのなぁ……」

 何を言ったところで聞かないだろうし、無駄足に終わる説教は虚しいだけから寝るとしよう。
 電気を豆電球にしてソファに寝転がると、強烈な眠気が襲いかかって来た。
 盆踊りの疲れが間違いなくきてる。
 明日明後日、筋肉痛にならないといいが……

「それじゃーPさん、合鍵借りるね」

「すぐ戻って来るなら鍵掛けなくて良いぞー」

「ちゃんと閉めないと危ないでしょ」

 まぁ、別にどちらでも良いか……
 ……これは本格的に、加蓮が戻って来るまで起きていられなそうだ。

「……ねえ、Pさん」

「どうした、加蓮」

「…………うん、やっぱり……」

 一呼吸置いて。
 加蓮の楽しそうな声が聞こえてきた。

「……ふふっ、行ってきますっ!」

「おう、行ってらっしゃい」

 扉が閉じる音がした。
 鍵が掛かる音がした。
 ポストに何かが投函される音がした。


 それから、音は何一つ聞こえてこなかった。




97 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:27:34.06 ID:i2+4SUsz0





 その朝は、違和感から始まった。

 アラームの音で目が覚めて、最初に覚えたのは違和感だった。
 何かが、明確に異なっている。
 今まで通りの朝とは、何かが違う。
 けれどそれが何故かと問われれば、具体的な言葉が出てこなかった。

「…………ん?」

 起き上がって気付く。
 どうやら俺は、ソファで寝ていた様だった。
 家にはきちんと寝室もベッドもあるのに、何故俺はこんな場所で寝ていたのだろう。
 ここ三日の合宿の疲れで、帰って来て即寝落ちしてしまったのだろうか。

 シャワーを浴びる。
 一人暮らしなのに、きちんとバスタオルを巻いて上がった。
 朝食を作る。
 明らかに一人分以上の量が出来上がった。
 
 まだ疲れが残っているんだろうか。
 それともまだ夢の中なのだろうか。
 どうにも拭いきれない違和感に苛まれながらも、出社の準備を終える。
 玄関の郵便受けには、何故か合鍵が入っていた。

「行って来まーす……ん?」

 口にしてから気付く。
 行ってらっしゃいと言ってくれる人なんて、部屋には居ないという事に。


98 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:28:51.73 ID:i2+4SUsz0




「おはようございます」

「おはようございます、プロデューサーさん……疲れは取れましたか?」

「取れてないっぽいですね……ちひろさんは……聞くまでも無いか」

 見るからに疲れが溜まっている。
 ちひろさん、かなり飲んでたしな。

「でも疲れたなんて言ってられませんよね。アイドル達はいつでも頑張ってるんですから」

「ふふ、その意気です! コーヒーでも淹れましょうか?」

「あぁいえ、大丈夫です。『息臭くなるからやめて』って怒られますし」

「むむっ、それは恋人さんですか?」

 出歯亀精神マシマシな所申し訳無いが、俺にそう言ったお相手はいない。
 仮にいたとして、同年代の女性がそんなイチャモン付けてくるとか些か子供過ぎるだろう。

「俺に恋人なんていませんって。アイドルの…………」

 ……あれ?
 誰にそんな事言われたんだったかな。

「……あれ、えっと…………誰でしたっけ?」

「ウチのユニットですと、まゆちゃんや美穂ちゃんや智絵里ちゃんはそういう事言いそうにありませんが……」

「私もそんな事言って無いですって」

 ソファで音楽を聴いていた李衣菜がそう主張して来た。
 まぁ李衣菜も、そういう事言って来る様な子じゃないよな。

 ……まぁ、いいか。

「そう言えば、李衣菜って本当に十七歳なんだっけか?」

「えー、プロデューサーさん……流石に年齢くらいは信用しましょうよ……何ならプロフィール見て下さいって」

「よし、確認するか」

「……そこまで疑われてるなんてショックですよ」

 だってお前合宿の時の行動を思い出してみろ。
 何処の十七歳のJKが土管登って遊ぶんだ。

 パソコンを立ち上げ、プロフィール一覧を確認する。
 多田李衣菜……本当に十七歳だった。
 いや、流石に分かってはいたけれど。
 なんとなくこういうのはお約束かな、と……ん?

「ちひろさん、ユニットメンバーのフォルダ一箇所データ消えてますよ」

「えっ?! 私がそんなミスをするなんて……」

 担当ユニットの欄に一つ、0KBのファイルが存在した。
 誰のデータが消えてるんだ……?

99 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:29:35.59 ID:i2+4SUsz0



「……あら? あ、きっと間違えて新しいファイル作っちゃっただけですね」

「いやいや、そんな事は無いでしょ。だってそしたらユニットメンバー四人になっちゃいますって」

「…………何か問題でもあるんですか?」

 何か問題でもも何も、一人減ってたら大問題だろうに。
 ちひろさん、今日どうしたんだ。

 緒方智絵里……ある。
 小日向美穂……ある。
 佐久間まゆ……ある。
 多田李衣菜……ある。

 ……全員分、あるな。
 誰一人として欠けていない。

「……四人全員分、ありますね」

「あるんです……大丈夫ですか、プロデューサーさん……」

 全員分のデータがきちんとある。
 だとしたら、何故俺は四人では一人欠けていると思ったんだ?
 
「……俺多分おかしな事言うと思うんですが……このユニットって、五人じゃありませんでしたっけ?」

 返答はため息を以って代えさせて頂きます、と言った表情の二人。
 まぁそうだよな、そういう反応になるよな。
 自分でも変な事を口にしたと思っている。
 けれども、何か忘れている様な……

「おはようございます、小日向美穂ですっ!」

「お、おはようございます……」

 智絵里と美穂もやって来た。
 若いって良いな、元気と体力があって。
 此方はここ三日の疲れで大変な事になっているというのに。
 俺も本格的に歳を取ったんだなぁ、と再認識した。

「ねー美穂ちゃん智絵里ちゃん聞いてよ。プロデューサーさんがなんか変な事言っててさ」

「……? いつも通りって事かな……」

 智絵里の俺への認識も、改めさせておかないといけない様だ。

「ユニットメンバーって四人だっけ? って」

 ええぇ、みたいな目で二人から見られてしまった。
 ほんと、プロデューサーとして有り得ないって事くらい理解しているから。
 下手な事は言わないに限る。
 もうこれ以上変な人だと思われるのは御免だし、よしておこう。

 ガチャ

「……おはようございます、Pさぁん。まゆですよぉ?」

 眠そうな目を擦りながら、まゆが入って来た。

「おはようまゆ。なぁまゆ、四人?」

「…………いえ、一人ですが……」

 全てにおいて間違えた。
 各所からため息が漏れる。
 これ以上落ちる威厳なんて無いと思うし、折角だから聞いておこう。

「ええっと……このユニットって四人だっけ? って聞きたかったんだが……」

「ええぇ……Pさん、余程お疲れの様ですねぇ……」

 まゆにまでそんな事を言われてしまった。
 疲れてる……確かに、その通りなのだろう。
 自分でも理由は分からないが、何故か違う気がするだなんて。
 更年期障害ではない事を祈るしかない。

「だよな……変な事聞いてすまない」

 だとしたら、俺一人が勘違いしているだけなのだとしたら。
 無かったことにしよう、無かった事にしてもらおう。
 全て忘れよう、忘れて貰おう。
 今日はどうにも、朝からおかしいんだ。
100 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:30:12.33 ID:i2+4SUsz0


「五人ですよぉ? Pさんらしくありませんねぇ、そんな事も忘れてしまうなんて……」

「そうだと…………え?」

 五人、と。
 まゆは、そう言ったのか?

 やはり四人ではなかったのか?
 俺の勘違いでは無かったのか?
 信じられない、と言った視線が部屋に居た全員から向けられた。
 けれどまゆはそんな事気にせず。

 ……それどころか、少し寂しそうな顔をして。

「……うふふ。まゆ、言い間違えちゃいました。気にしないで下さい」

 なーんだ、と言った感じでまたいつも通りに戻るみんな。
 ちひろさんに本格的に心配されて。
 まゆに少し仮眠を取って来た方が良いんじゃないですか? と言われて。
 折角なので一時間程休む事にして仮眠室で寝転がりながら、それでも俺は考えた。

 まゆは、何かを覚えている。
 あれは決して、言い間違えなんかではない。
 あの寂しそうな、哀しそうな表情はなんだったのだろう。
 未だ微塵も減る事は無いこの違和感の正体は、一体……

 いくら考えても答えは出ない。
 疑問は、違和感は山の様に積もり続ける。
 けれどそれは、まるで水の様で。
 いくら手を伸ばして掌に収めようとしても、指の隙間から溢れてゆく。

 コンコン

 仮眠室がノックされた。

「……Pさん、起きてますか?」

「ん、起きてるが……」

 入って来たのは、まゆだった。
 来てくれる気がした。
 俺と一対一で話す為に仮眠室に行かせたのだと信じていたが、どうやらやはり正解の様だった。
 それはそれとして、少し身の危険を感じたりもする。

 いや、まゆはそういう事はしないか。
 先日聞いてしまったから。
 まゆが何故、アイドルを続けているか。
 盗み聞きという形になってしまったが、俺はまゆの話を聞いて……

 ……どうして俺は、その話を聞いたんだっけ。

101 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:30:42.10 ID:i2+4SUsz0



「……Pさん、先程のお話ですが……」

「……頼む。まゆは何か覚えているのか?」

 覚えているのであれば、教えて欲しい。
 何故かは分からないが、それはとても大切な事だった気がする。

「記憶が朧げになってしまう事は知っていたので、一晩中ずーっと考えたり文字に起こしたりしてました……」

「お疲れ様」

「眠いです……王子様の目覚めのキスが早急に求められています」

「…………まゆ」

 何かを頑張ってくれていた事は分かるが、それはそれとして早く教えて欲しい。
 記憶が朧げになってしまう、それが俺にもきっと起こった筈だから。

「おかげでまゆの日記帳が、あの女の名前で埋め尽くされちゃいました」

 あの女……以前もまゆがそう言っていた事を思い出す。
 あれは誰に対して……

「……一番近くで、一緒の時間を過ごしてきたPさんなら覚えている筈です。思い出せる筈です」

 一緒の時間を過ごしてきた相手。
 そう言われて、俺は必死に記憶の海に何度も手を伸ばした。
 居た筈だ、ここ最近。
 そいつは、確か……

「……居たんだ。居た筈なんだ。行ってらっしゃい、行ってきます、って言い合う相手が……」

 確かに居たんだ。
 俺の家には、とある女の子が。
 そいつのせいで俺はソファで寝る事になって。
 ワガママで、面倒で、うるさくて、淋しがり屋で。

 涙が出そうになる。
 間違いない、あいつは居た。
 大切なアイドルだ。
 もう少しで、掴める。

 ユニットのメンバーで。
 俺がスカウトして。
 家が無くて。
 そいつと、夏を過ごして……
102 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:31:27.93 ID:i2+4SUsz0



「…………ポテト」

「あっ」

 完璧に思い出した。
 その単語で思い出したって事を伝えたら絶対怒るだろうな、というところまで理解出来た。

「…………加蓮、あいつカルピス買うのに何時間掛かってるんだ?」

「もう少し綺麗な思い出から思い出してゆきませんか……?」

 そうだよ、北条加蓮だよ。
 なんで忘れてたんだ、なんで気付かなかったんだ。
 と言うか今ではスイッチが切り替わったみたいに、忘れてた事の方を忘れそうだ。
 そして未だに、嫌な予感は拭えない。

「……まゆは、何か知ってたのか?」

「はい……と言うよりも『忘れずにいた』の方が大きいですが」

 どう言う事だ。
 忘れずにいた?
 あぁそうだ、俺は加蓮の事を忘れていたんだ。
 どうしてこんなにも、あいつに関する記憶は朧げになってゆくんだ?

「……って事は、他のみんなは……」

「どうやら完全に、記憶が消えているみたいですねぇ……」

 だから、寂しそうな表情だったのか。
 ユニットメンバーであり、まゆにとってはライバルでもあった加蓮の事を皆が忘れていたから。

103 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:31:54.11 ID:i2+4SUsz0


「で、だ……」

 問題は、まだまだ全く減らない。
 寧ろ思い出したからこそ、目の前に積み重なった問題の量を把握出来るところまで来たくらいだ。
 あまりにも積もったクエスチョンは大き過ぎて、理解出来る気がしない。
 現実味がなさ過ぎるからだ。

「……どうして、加蓮の事を忘れてたんだ……?」

 分からない。
 人間の記憶と言うのは、こんな簡単に消えたり現れたりするものなのだろうか。
 全員が忘れてるなんて、より一層意味が分からない。
 何が起きているのか、一切見当もつかなかった。

「今までもそう言う事はあったと思います。寝たら忘れて、会った時に思い出す事……ありませんでしたか?」

 確かにあった。
 最初の頃は毎度毎度誰だこいつ、ってなっていた様な気がする。
 共に生活し始めてからも、顔を見てようやく加蓮の事を思い出したり。
 けれど名前を聞けば思い出せる程度だったりもした筈だ。

「……今までは、です。外れていて欲しいですが……タイムリミットまで、もう長くありません」

「タイムリミット? それはユニットデビューとか……そう言った話じゃなさそうだな」

「違っていて欲しいんです。そんな事、認めたく無い…………ですから、確かめます」

 確かめる?
 それは、本人に聞くという事だろうか。

 だが、加蓮が居ない以上戻って来るのを待つしかない。
 携帯も持っていない。
 実家が何処かも、俺は知らない。
 事務所に入る時書類に記入しただろうが、そのデータも何故か消えている。
 
「……そんな時間はありません……加蓮ちゃんが今日来ていない以上、今後来るとは思えません」

「そこまでして、加蓮はもうアイドルをやりたくなかったって事か……?」

 だとしたら、流石に堪える。
 結局全て、俺の空回りって事じゃないか。

「……Pさんだけは、加蓮ちゃんを信頼してあげて下さい」

 珍しく、まゆが俺を睨みつけてきた。

「全力で信頼してくれて、応援してくれて……そんなPさんだからこそ、加蓮ちゃんは信じてくれたんじゃないですか?」

 だから、その信頼だけは裏切らないであげて下さい、と。
 そんなまゆは、泣きそうになっていた。

「…………悪い。なんか女々しかったかもしれない」

「まぁ一番信頼されて信頼しているのはまゆですが」

「まゆほんとメンタル強いよな」

 良かった、この場だけでもいつも通りが少し戻って来た気がする。
 あとは、加蓮を連れ戻すだけだ。

「……まゆ、悪い子になります。Pさんも協力してくれますよね?」

「もちろん手伝うよ、担当アイドルのする事には全力で信頼してやる」

「午後のレッスンをサボタージュするので、トレーナーさんに上手く伝えておいて下さい」

「サボりたいだけじゃないんだよな? 信じるからな? 頼むぞ?」



104 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:32:22.65 ID:i2+4SUsz0



「ほう……佐久間は突然の体調不良で休み、と……」

 サボりか?
 そう疑われるのは仕方ない。
 けれど此方にも策はある。

「はい。まゆが俺相手にあんな見苦しい姿は見せた事無いので、本当にしんどいんだと思います」

「……確かにあの佐久間なら、君の前では生理だろうが全力で取り繕おうとするだろうが……」

 それは余り知りたくなかった。
 女性の生々しい話は割と苦手だ。
 それでもまだ完全には信用されていない。
 ならば、信用以外の場所から攻め込めば良い。

「……あと、その分次のレッスンは倍でお願いしますって言ってました」

「ふむ、良い心がけだ。それなら今回はサボりだろうが見逃すとしよう」

 済まない、まゆ。
 パワーアップする機会を用意しておいた、って事で許してくれ。

「それにしても……」

 既にレッスンを始めている三人を眺めながら、トレーナーさんは呟いた。

「何故佐久間は、センターではなく一番端を選んだのだろうな。そのくせ一人でフロントに立ちたいなどと、アンバランスなフォーメーションを……」

 本来は加蓮とまゆのツートップだったが、加蓮の事を忘れている人からしたら謎な配置になってしまっていた。
 後ろ三人と前一人の配置はまだ分かるが、その前一人が一番端に居るのは見栄えが悪過ぎる。
 本当に、何故こんな事が起きているのだろう。
 何も分からないが、理解出来る様な現象では無さそうだ。

 皆が、加蓮の事を忘れている。
 美穂も李衣菜もちひろさんもトレーナーさんも、誰も覚えていなかった。
 書類にも一切、北条加蓮というアイドルが所属していた形跡は失くなっている。
 タチの悪い神隠しとしか思えない程、すっぽりと彼女の存在は失くなっていた。

 唯一智絵里だけが、何かひっかかると言う感じの言葉を言っていた。
 けれど具体的には分からない、と。
 分からないからもう何も出来ない、と。
 そう言っていた。

 集団催眠だろうか。
 それとも俺とまゆだけがおかしくなっているのだろうか。
 俺とまゆだけが別世界に迷い込んでしまった様な、そんな感覚。
 それでも周りは、それが当然と言わんかの様にいつも通りの日常を続ける。

 分からない事を考えるよりも、分かる部分からあたっていく方が良い。
 今はまゆに任せて、なんとか解決の糸口を見つけるしかなかった。



105 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:32:54.61 ID:i2+4SUsz0




「ただいまー……」

 仕事を終えて、家に帰る。
 お帰りなさい、という返事は無かった。
 まだ加蓮は帰って来ていない様だ。
 何故加蓮は、行方をくらましてしまったのだろう。

 あいつ一人で何処かで生活出来るとは思えない。
 お金だって生活能力だって無いだろう。
 そもそも、わざわざあんな日付が変わるくらいの遅い時間に出て行った理由も分からない。
 加蓮は何を考えて、どうして……

 ブーン、ブーン

 俺のスマホが震えた。
 着信相手は……まゆからだった。

「もしもし、まゆ?」

『……こんばんは、Pさん』

 まゆの声のトーンは、あまりにも低い。
 明らかに良い報せではなさそうだ。

「どうした、まゆ」
 
『……実はまゆ、今加蓮ちゃんの実家を訪ねて来たんです。都内なのは知っていましたから』
 
 加蓮の実家、か。
 何故まゆが知っていたのかは、この際深くは聞かない。
 きっと偶然、加蓮の学生証なりを見る機会があったのだろう。
 むしろそこまでして探してくれている事に感謝しているくらいだ。

『実家の電話番号も知っていたので……Pさんのスマホの着信履歴で』

 ……ま、まぁいいだろう。
 
106 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:33:31.41 ID:i2+4SUsz0


「それで……口調からして、ダメだったみたいだな」
 
『…………いえ、挨拶は出来ました』
 
「えっ、居たのか?!」
 
 なんだ、だったら最初からそう言ってくれれば良かったのに。
 それにしては、なんだか歯切れが悪いが。
 
『…………いえ……居ませんでした』
 
「……何を言ってるんだ? 居ないのに挨拶は出来た?」

 謎々だろうか。
 それとも連絡はついた、という事だろうか。
 
『…………おかしいとは思ってたんです、ずっと。あんな子がPさんに出会うまで、一人で生活出来ていたとは思えません』
 
 それは俺も思っていた。
 けれど生活くらいなら、友達を頼ればどうとでもなっていただろうし。
 加蓮だって、学校の友達くらいいた筈だ。
 十五歳の時まで病院での暇な生活が続いていたと言っていたが、退院後は学校に通えていただろう。

『加蓮ちゃんが入院していたのは二年程前までだと、本人から聞きました』

 だとしたらそれこそ、友達くらい……
 ……微妙に、計算が合わない。
 二年前では、加蓮はまだ十四歳だ。
 いや、けれど誕生日は九月だし、一.二ヶ月は誤差の範疇か。

『……出会った時、美城プロダクションに所属しているアイドルを何人か知っているとは言ってましたが……その情報、古くありませんでしたか?』
 
 そう言えばそうだった。
 既にアイドル活動がメインとなっている高垣楓をモデルと言ったり、岡崎泰葉を子役と言ったり。
 まゆの事を読モで見た事があると言ったり、川島瑞樹をニュースキャスターと言ったり。
 まるで、彼女の情報は二年以上前で止まっているかの様な……

 それ以降彼女は、テレビを観ていない?
 そう言えば、そこからどんどん体調が悪くなっていったと言っていた。
 けれど、もし十五歳以降も入院生活が続いていたとしたら。
 それではますます、退院した日と計算が合わなくなる。

『……Pさん。加蓮ちゃんが言ったのは二年前まで入院していた、です』

「……は?」

 何を言ってるんだ。
 それの何が違うんだ?
 入院が終わる事と退院で、何か違いはあるのか?

『病気が治って入院生活が終わる事を退院とするなら……加蓮ちゃんはそもそも、退院出来ていません』

「……言って良い事と悪い事があるぞ、まゆ」

『出会った日は12日でした。そして直ぐには事務所見学に行けないから、と16日を指定して来ましたよね?』

「そうだな……それが、何か関係が……」
 
107 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:34:19.66 ID:i2+4SUsz0


『……7月の13日から15日まで予定が入っていたのは当然です。その3日間は、ご両親の元へ帰らなければいけなかったんですから』
 
「13日から15日…………いや、おい……」

 聞き覚えはある。
 それどころか、昨日俺たちはその為の踊りに参加していたのだから。
 
『…………全国圏では8月の13日から15日、東京都のみ7月の13日から15日』
 
 そんな筈は無い。
 ただの偶然だ。
 たまたま、その日にバイトでも入っていただけだ。
 今居場所が分からないのは、決してもうすぐタイムリミットだからなんていう理由な筈が……
 
『…………お盆です。ご両親から、きちんとお話を聞きました』
 
「……やめろ、まゆ……」
 
 そこから先は、言わないで欲しい。
 知りたくない。
 確信に変えて欲しくない。
 そんな事、あって良い筈がない。
 
『あって良い筈が、ですか……そうですね。本来であれば、それこそ逢って良い存在ですら無かったんです』

 違う、そんな訳がない。
 きっと普通に帰省していただけだ。
 けれどだったら、普通に帰省と伝える筈だ。
 隠したかった事があるから、言わなかった。

『……事実だけを伝えます。簡潔に、ご両親から教えて頂いた事を』
 
「やめてくれ……それ以上は……」

 足元がぐらつく。
 頭がクラクラする。
 視界が白と現実を行き来する。
 聞きたく無い、これ以上は……
 
『……落ち着いて聞いてください、Pさん。北条加蓮という女の子はーー』
 
 


 二年前に、亡くなっています。


108 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:35:12.66 ID:i2+4SUsz0




『感じない……それは、ええと……エッチなお話しでしょうか?』

『え……? そうじゃなくって、視線の話だけど……』

『……げふんっ!』

 確か、八月に入ってすぐの……そうですねぇ、加蓮ちゃんがスマホを持ってないみたいな話をした頃。
 Pさんにデートのお誘いを無碍にされてしまったまゆが、智絵里ちゃんにケーキでも食べに行きませんか? と声を掛けた時の事です。
 まゆとした事が、なんたる醜態でしょう。
 智絵里ちゃんから突然『感じない』と相談されて、マッサージや治療法を真面目にアドバイスしてしまうところでした。

『それで……視線を感じない、ですかぁ?』

『うん、えっと……わたしって、その……敏感なんです』

『やっぱりえっちなお話しですよね?』

『え……?』

『…………げふんっ!!』

 智絵里ちゃん、狙ってやってませんか?
 どうやら真面目なお話しの様なので、これ以上は茶化しませんが。

『人に見られてると分かるって言うか……視線を向けられてると、それに気付く事ってあるよね……?』

『あぁ、そう言う事ですか……それで、何かあったんですか?』

『……加蓮ちゃんからの視線だけ、全く感じないんです……ジッと見られてても、目で確認するまで気付けなくって……』

 ふむふむ……正直どうでも良いです。
 やる気のない加蓮ちゃんの事なんて知りません。

『それに、直ぐ忘れちゃうから……加蓮ちゃんの事、会うまで忘れてる時ってありませんか……?』

『……それは……』

 心当たりはありました。
 加蓮ちゃんの事をすっぽりと忘れてしまっている朝が、何度もあったからです。
 名前を聞いたり直接会ったりすれば思い出しますが、そうすると今度は忘れていた事自体意識から消えていくんです。
 何度『あぁ、あの女がいましたねぇ』となった事か。

『それで、どうしてそれをまゆに?』

『……まゆちゃんならきっと、上手く解決出来るかなって思ったから……』

 まゆちゃんが一番、ユニットの中で加蓮ちゃんの事を大切にしてると思うから、なんて笑う智絵里ちゃん。
 ふむ、それは確かにそうかもしれません。
 加蓮ちゃんの実力と努力は認めていますし、Pさんと同棲なんてライバルとして相手に不足はありません。
 以前の加蓮ちゃんであれば、のお話しですが。


109 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:35:48.25 ID:i2+4SUsz0


 そもそも、現実的に考えればお手上げになってしまいそうな状況で何をすれば良いのかなんて、全く想像もつきません。
 忘れてしまうのなんて、普通に考えればまゆの記憶力が衰えているだけです。
 けれどそれが、まゆだけでは無いと分かって。
 智絵里ちゃんは、何かに気付いていて。

『それと、きっと……わたしもまた忘れちゃうから……だから、今のうちに、って……』

『……ありがとうございます、智絵里ちゃん』

 智絵里ちゃんの頼みとあらば、頑張っちゃいます。
 まゆに頼んだという事は、Pさんには相談してないのでしょう。
 Pさんはお仕事に集中して欲しいですし、そもそもこれ以上負担を増やせません。
 それにやっぱり、本気の加蓮ちゃんと一度で良いから……

『…………加蓮ちゃんって……どことなくふわふわしてる……うーん、上手い言い方が見つかりません……』

『地に足が着いてない? ちゃらんぽらんしてるからじゃないですかねぇ』

『地に足が…………あ、ねぇまゆちゃん。まゆちゃんって、聞いた事はありますか?』

 ですから、なぜ智絵里ちゃんはさっきから勿体ぶった話し方をするんですかねぇ。

『加蓮ちゃんって、すっごく慌ただしく動くんです。ドアの締め方も乱暴で……廊下も走るけどーー』

 ……そうですね。
 確かにまゆも、聞いた事はありませんでした。

 廊下を走っている時も。
 ダンスレッスンをしている時も。
 まゆの代わりに立ったステージから、降りてくる時も。
 初めて会ったあのお店で、階段を上る時も。


 ーー足音だけは、聞いた事が無かったんです。



110 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:36:34.44 ID:i2+4SUsz0





『ですから、おそらく十五日まで……その日に、加蓮ちゃんは向こうへ帰ってしまうと思います』

「……分かった」

『加蓮ちゃんがスマホを持ってないって聞いた時、Pさんのスマホをチェックしちゃったんです……ごめんなさい』

「どうしてだ?」

『七月十五日の深夜、加蓮ちゃんとPさんは通話していたんですよね?』

「そうだな、ほぼ十六日だったが」

『加蓮ちゃんは、公衆電話から掛けるお金すら持っていなさそうでしたから。だとしたら、かつて住んでいた実家から掛けたのでは無いか、と……知っておいて損は無さそうでしたから』

「なるほどな、うん。今後は控えような」

 まゆとの連絡を切って、俺はソファに座り込み大きく息を吐いた。

 既に亡くなっている、だ?
 意味が分からない、脳の処理速度が間に合わずオーバーヒートしそうだ。
 けれど誰も加蓮の事を覚えていない、という現状が既に非現実的過ぎて。
 もう、まともに考える事が阿保らしくなってきた。

 まゆが智絵里から相談された内容も、確かにと頷けるものだった。
 俺は一度も、加蓮の足音を聞いた事が無い。
 あれだけドタバタと走っていそうな加蓮の足音を聞いた事が無いだなんて、有り得ない。
 昨日の夜だって、ドアを閉めた音の後は何の音も聞こえてこなかった。

「…………はぁ」

 盆、か。
 
『こんなに楽しかったら、あの世に帰りたくなくなっちゃうんじゃないかなー、って』

 加蓮がそう言っていた事を思い出す。

 あれが加蓮自身の事だったなんて、微塵も思わなかった。
 寧ろそこでお前幽霊かよとか言い返す方がヤバい人だ。
 ……だから八月の中旬には住処の目処がつく、だったのか。
 そらそうだ、住処を用意する必要が無くなるのだから。

 と言うかまさか、生まれてこのかたイコール年齢じゃない人間がいると思わなかった。
 最初会って名前メモろうとした時の『どうせ意味無いのに』もそういう事か。
 無理死ぬとかの弱音が実体験だとも思わないだろ。
 線香花火、輝けなかったら替えが聞くとかの会話も中々にアレだな。
 今考えると、ブラックジョークが大量に飛び交ってた。
111 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:37:06.77 ID:i2+4SUsz0


 よく分からないが、誰も覚えていないのは恐らく加蓮が既に故人である事に関係しているのだろう。
 吸血鬼が鏡に映れない様に、幽霊が写真にはっきりとは写れない様に。
 死者は、記憶に残れない。
 確証は無いが、そんな感じの理由な気がする。

 ……だとしたら、加蓮が、自分が八月の十五日までしか此方に居られないと理解した上で過ごしていたのだとしたら。

 どんな思いで、デビュー曲を練習していたのだろう。
 どんな思いで、冬の旅行の話をしていたのだろう。
 どんな思いで、線香花火をしていたのだろう。
 どんな思いで……俺と、過ごしていたのだろう。

 分からない。
 俺には、加蓮の気持ちなんて一切分からない。
 分かる訳が無い。
 俺はまだ、生しか経験していないのだから。

「…………さて」

 ならば、やる事は簡単だ。

 分からないのであれば、本人に聞く。
 探して、話を聞くしかない。
 何故こんな事になっているのかとか、なんで出て行ったのかとか。
 聞きたい事なんて、山程ある。

 文句だって言いたい。
 どうせ俺が忘れてしまうにしても、少しくらいは説明しておけ。
 多分信じなかっただろうが、知っているか否かでは大違いだ。
 それももしかしたら、忘れてしまっているだけかもしれないけれど。

 幸い加蓮は俺の事を嫌っている様ではない。
 それならきっと、まだ会える。
 加蓮ならきっと、十五日ギリギリまで此方に居る筈だ。
 それにまだ、俺は見せて貰っていない。

 恩を着せる訳では無いが、どれだけ俺が加蓮の為に頑張ったと思っているんだ。
 しかもその努力が、俺からしたら全て無に帰すんだぞ。

 せめていなくなる前に、一曲くらい披露していけ。


112 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:37:41.55 ID:i2+4SUsz0




「おはようございます、プロデューサーさん」

「おはようございますちひろさん、俺今日と明日休んで大丈夫ですか?」

「……………………え、ええと……本当に頭の病院に?」

 八月十四日、朝。

 事務所に出社してちひろさんに会い、休みを取ろうとした。
 説明も無しにここだけ拾うと、本当に頭がヤバイ。

「いえ、ちょっと人探しです。確か今日明日は俺居なくても大丈夫だった筈ですし」

「…………本気なんですか?」

「はい」

「…………はぁ、良いでしょう」

 ちひろさんからの信頼を少し失った気がする。
 いや、信頼されてるからこそオーケーしてくれたのか。
 兎に角、休みは取れた。
 後は加蓮の居場所を探すだけだ。

 これ以上まゆには頼れない。
 ユニットのレッスンが入っているからだ(しかも二倍)。
 そして、他に誰も頼れる人はいない。
 皆、加蓮の事を忘れているからだ。

「えーっと……何処から行くか……」

 生前の加蓮の事なんて知らないが、ずーっと病院とか行ってたな。
 流石に病院には行かないだろう。
 だとしたら、七月十二日に出逢ってから行った場所全てを漁れば会える気がする。
 会えなかったら、その時はその時だ。

 加蓮と行った場所は何処だったかな。
 思い返そうと手帳を開くが、その辺りの記録は全て消えていた。
 人間の記憶どころか、こういった記録まで消えてるのかよ。
 本当に何も残らない癖に頑張ってたんだな、加蓮。

 最初に会ったのは、駅前のハンバーガーショップだ。
 あと行った場所は……不味い、若干記憶が朧げになっている。
 普段書かない漢字みたいに、覚えている気はするが確証は持てない感じ。
 これは何度も寄り道する羽目になりそうだ。

 ええと……屋上に遊園地のあるデパート、遊園地、その近くの喫茶店、ジュエリーショップ、軽井沢の旅館、神社……パッと思い出せるのはこんなところか。
 他にもスーパーに行った様な、映画館とかに行った様な気がしてくる。
 仕方ない、心当たりのある場所は全て探そう。
 まゆの言う通りなら二日ある、不可能では無い筈だ。

 体力が保つだろうか。
 こんな事なら、少しはみんなと一緒にトレーニングしておけば良かった。
 間に合うだろうか。
 昨夜の時点で軽井沢に向かっておけば良かった。

「……よし!」

 何にしても、動かなければ始まらない。
 加蓮と過ごしたこの夏を、一人で逆行して。
 
 先ずは軽井沢一人旅から、1つずつ戻って行こう。



113 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:38:36.79 ID:i2+4SUsz0



 死者に足跡は残せない。
 死者に軌跡は遺せない。
 死者は記録に残らない。
 死者は記憶に遺らない。
 死者に奇跡は起こせない。

 何故なら、既に亡くなった霊だから。

 既に終わった存在だから、何をしても意味は無い。
 既に過去の存在だから、今も未来も作れない。
 出来るとしたら、生者の足を引っ張るだけ。
 それも意味なんて無いけど、未練や執念でする者もいるらしい。

 生きてる人に何かしたところで、気付いて貰えたところで。
 幽霊なんて、すぐに忘れられちゃう。
 何かあった? なんて。怖いね、なんて。
 無かった事にされて、気付かなかった事にされて、次の季節が訪れる頃には忘れられる存在。

 勿論私にも心残りはあった。
 アイドルになるのは無理でも、せめて誰かを笑顔にしたかった。
 だから、あの人の足を引っ張った。
 私なんかよりもっと上手い人がいたと思うけど、私は自分を優先した。

 結果としては、私的には百点満点だったと思う。
 やりたい事は果たせた。
 前倒しの仮デビューだけど、ステージに立てた。
 その上で、他の人に迷惑を掛けちゃうから、ユニットデビュー前に居なくなる。

 後悔があるとすれば……もうあの人の側で過ごすのが叶わないって事くらいかな。
 あの人と私は、文字通り住む世界が違うから。
 あの人は今を生きていて、私は過去に生きていた。
 本来重なる事が無かった筈の時間を授かれたのは、この一ヶ月だけだったけど。

 生前も今も誰かの足を引っ張る事しか出来なかった、そんな私の手を引いてくれた。
 一ヶ月間まるまるずっと、私をエスコートしてくれた。
 嬉しかった、それこそ泣いちゃいそうになるくらい。
 運命の出逢いなんて信じてなかったけど、神様に感謝しなくちゃ。

 ……でも、どうせ全部忘れられる。
 何をしても、その過程も結果も忘れられちゃう。
 覚えて貰おうとは思わない。
 だって、その方が気が楽だから。

 どうせ皆んな忘れるから、私は好き勝手出来た。
 どうせ直ぐに忘れられちゃうから、私はやりたい事をやれた。
 どうせ無かった事になるから、沢山迷惑を掛けられた。
 どうせ無かった事になる癖に、それでも私は夢を諦め切れなかった。

 どうせ、ぜーんぶ……

「……無かった事になるのに、随分頑張ったんだね」

「こっちの台詞だ家出娘、せめて書き置きくらい遺してけ」



114 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:39:06.92 ID:i2+4SUsz0




 あーあ、やっぱり見つかっちゃった。
 見つかると思ってたけど。
 見つけれくれた。
 見つけてくれるって、信じてたから。

 そう口にする加蓮は、ステージの上に立っていた。
 
 八月十五日、夜。
 煌々と輝く満月の光をスポットライトに、彼女はステージを独り占めしていた。
 誰も居ない屋上で、一人。
 結局見つけたのは、一番最後になってしまった。

 始まりの、加蓮が初めて曲を歌って踊った。
 誰も居ない、デパートの屋上の、既に閉園した遊園地で。

「遺書になっちゃうじゃん」

「死人の遺書とか面白過ぎるな、いや笑えないが」

「どうせ書いても失くなるし」

「デパートの屋上で待ち合わせだなんて、随分とロマンチストだな」

「私は割と現実主義なつもりだけど」

「死人が何をほざいてるんだ」

「むっ……やっぱり、全部知ったんだ」

 まゆが話したのかな。
 まゆなら多分勘付くと思ってたし、でもどうせ忘れると思ってたけど。
 だとしたら、私の両親とも面会済みかな?
 親への挨拶を済ませてから会いに来るとか、プロポーズじゃん。

 そんな風に笑う加蓮は、既に心残りは無いといった感じで。
 どうやら既に、この世界への未練は無くなっている様だ。
 そりゃそうだろう、あれだけ好き勝手に振る舞いやがって。
 何が忘れられるから好き勝手出来た、だ。
 振り回される此方の身にもなってくれ。

「この三日間ってさ、本当は見られちゃいけないんだ。今だってやろうと思えば幽霊みたいに消えられるんだよ?」

「幽霊みたいにも何も、お前幽霊だろ」

「そ、私は幽霊。既に死んだ過去の存在。そんな私に何か用?」

 ギリギリの時間だった。
 超がつく程無理を言って、こんな時間に屋上に入らせて貰った。
 あの時の警備員さんが居てくれて本当に助かった。
 それもなかった事になってしまうなんて、割と癪だな。

 この二日で、沢山の場所に行った。
 加蓮と行った場所は全部行った筈だし、おそらく行って無い場所まで訪れた。
 殆ど寝ていないし、休めてもいない。
 けれどまぁ、間に合ったしオーケーという事にしてやろう。

 思い返せば、この夏の一ヶ月間は人生で一番濃密だった。
115 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:39:52.64 ID:i2+4SUsz0

「すっごく疲れてそうじゃん」

「この二日で何本エナジードリンク飲んだか、途中から数えるのをやめたよ」

 目を閉じれば今すぐにでも寝てしまいそうだ。
 屋上の風は心地良く、日中の暑さを忘れさせてくれる。

「……後、どのくらいなんだ?」

「あと三十分も無いと思ってくれれば」

「……成る程」

「足りる?」

「十分以上だ」

 言いたい事は、今度で良い。
 聞きたい事も、どうせ忘れるなら優先度は低い。
 ある程度は加蓮の独白で把握出来た、理解は出来ないが。
 そして俺が加蓮に本当に望む事は、五分もあれば十分だ。

「……ユニットとしての活動、どうだった?」

「まだデビューしてないのに?」

「誰かと一緒にレッスンしたり、合宿したり……楽しかったか?」

「……うん、みんなに感謝してる。特に智絵里と……まゆに」

 癪だけどね、と笑う加蓮。

「健康な身体でバテるまで運動したり、誰かと一緒に頑張ったり、旅行したり、デートしたり、遊園地に行ったり……人生で一番充実した時間が死後に訪れるなんて、思わなかったから」

「そりゃ誰も思わないだろうな」

「ねぇ…………Pさんは、私と会えてどうだった?」

 それだけは聞いておきたかった。
 怖くて聞けなかったけど。
 そう言って、不安を誤魔化す様にクルッとターンする加蓮。
 さまになってるな、まるでアイドルだ。

「……沢山迷惑掛けて、この後も迷惑掛ける事になっちゃうけど……ユニットの調整とか、多分ある程度は元々私が居なかった事になると思うけど、それでも大変だと思う」

「ツートップのところ、今から変更するの大変なのは俺だけじゃないからな」

「……うん、ごめんなさい。ワガママだったと思ってる。別に忘れられちゃうし良いやって思ってた」

 まぁ、そうだろう。
 どうせ忘れられるのであれば、俺もきっと身勝手に生きてゆく。

「…………それで、どうだった……?」

「……楽しかったよ、色々と。幽霊をプロデュースするなんて、他のプロデューサーは経験した事無いんじゃないかな」

「……ふふ、幽霊だったら誰でも良かった?」

 照れ隠しはさせて貰えないらしい。
 茶化すのもナシ、か。

「……加蓮で良かった。バカだけど、夢に向かって頑張れる女の子と出逢えて、俺は楽しかったよ」

「…………もう、バカは余計だって……」

 二人して、夜空を見上げる。
 そうしないと、想いが溢れてしまいそうだから。
 都会の夜空は明るく、星なんて殆ど見えない。
 月だけがただ単純に、動く事なく居座っている。

「……私も、Pさんに会えて良かった。夢を一気に二つも叶えて貰えちゃったから」

「来年もまた来いよ、一ヶ月だけプロデュースさせろ」

「もうアイドルは十分だって、未練も無いしね」

「……だったら、今度は俺の望みを叶えてくれるか?」

「…………警察呼んだ方が良い流れ?」

 アホか、この流れでそんな訳無いだろ。
 いや、深夜の誰も居ない屋上で男女が二人は確かに警察案件かもしれないが。
116 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:40:23.96 ID:i2+4SUsz0


「……全力でLove∞Destinyを歌う、『アイドル』北条加蓮が見たい」

「プロデューサーとしての最後の指示?」

「ファン第1号からの熱い要望だ」

「なら……リクエストありがと。冥土の土産に披露してあげるっ!」

 音源は俺のスマートフォン。
 衣装はいつも通りの私服。
 ステージは既にひび割れていて、マイクも照明も無い。
 最悪のコンディションに、迫るタイムリミット。

 けれどステージで踊るアイドルは、最高に輝いていた。

「おはようからおやすみまで、あなただけに捧げるの、永遠に」

 この一ヶ月間、本当にずっと加蓮と一緒に過ごしていた。
 それが既に当たり前になり始めていて。
 それがタイムリミット付きの、仮初めの同棲生活だと理解していて。
 そのタイムリミットが、まさかこんなモノだとは理解していなくて。

「お願いshow me見ていてずっと、もっと輝く私になるから」

 これからも、ずっと加蓮の輝く姿を見続けられると思っていた。
 『……もし、二度と会えなくなるとしたら。それでもPさんは、私を追い出す?』
 その言葉の重みに気付けなかった。
 気付いたところで、どうしようも無かった。

「何でも平気、あなたがただ望んでくれるのならばそれだけで」

 けれど、こうして。
 ずっと頑張ってきた加蓮の全力をこうして独り占め出来て。
 俺の望んだ光景が、目の前に広がっていて。
 ファンで埋め尽くされた会場は用意出来なかったが、最高の加蓮を眺める事が出来て。

 間奏に入る。
 けれど、踊りは続く。
 加蓮一人の舞踏会は、見せかけでも偽りでも無く。
 月夜に輝いたそのステージは、紛う事無き本物で。

「お願いshow me見ていてずっと」

 ラスサビに入る。
 これで、終わる。
 ずっと続く訳が無い。
 ずっと見続けられる訳が無い。

 この感動も、忘れてしまう。
 こんなにもステキな、最高のアイドルを。
 俺がスカウトした、二人三脚で進んで来たアイドルの姿を。
 それを全て、忘れてしまう。

 ……けれど。

「あなただけにあげたいの、この愛を」

 今だけは、そんな事なんて考えなくて良い。
 目の前の『アイドル』は。
 望んでいた以上の、最高のパフォーマンスを披露してくれた。
 ならそれで十分だ、俺の努力は十分に報われた。

 強いて言うなら、こんな最高なアイドルを他の人に披露出来ないのが心残りって事くらいか。

「you are my destiny」

 曲が終わる。
 ダンスが止まる。
 けれど俺は未だ、加蓮から目を離せず。
 ただひたすらに、魅入っていた。
117 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:40:57.91 ID:i2+4SUsz0



「……どうだった?」

 泣きそうに、けれど笑顔のアイドルへ。
 俺は全力の拍手で応えた。

「……最高だったよ」

 思わず笑顔が漏れてしまった。
 本当に、最高だった。
 初めて加蓮が、此処でパステルピンクな恋を披露してくれた時も。
 今こうして……

「そ……ふふ、良かった。笑顔になってくれて」

 今になって気付いた。
 加蓮が居るのに、その奥の夜空が見えている。
 背景だった筈の満月が、加蓮を透けて見えている。
 時計を確認すれば23時59分。

 シンデレラの魔法は、もう切れる時間だった。

「……ありがとう、加蓮」

「こっちこそ。一緒に過ごせた夏、私は永遠に忘れないから……あーあ、感謝の気持ちってちゃんと言葉で伝えようとすると、全然時間足りないね」

 盆が、終わる。
 北条加蓮の姿が、段々と薄れてゆく。

「……加蓮。最後に一ついいか?」

「ん、なーに? 好きな人のタイプなら絶対教えてあげないから」

 悪戯っぽく微笑んでいるところ悪いが、俺が聞きたいのはそういう方面では無い。

「なんで七月の十二日からこっちに居たんだ? 盆は十三日からだろ?」

「知らないの? 一応七月の一日からこっちに来れるんだよ? それとほんとは七月の十五日には帰る予定だったけど」

 知ってる訳ないだろ。

「で、なんで十二日に来たんだ?」

「そんなの決まってるじゃん」

 もう、加蓮の姿は殆ど見えない。
 けれど声だけは、きちんと届いていて。

「生きてた時に貰ったポテトのクーポン、期限が十二日までだったから」

 あぁ、実にお前らしい。
 年を確認しないところまで含めて、実に。
 余りにも加蓮らし過ぎて、吹き出してしまった。
 塩抜きを頼んだのは幽霊だからとか考えたが、実際はただの好みだったんだろうな。
118 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:41:25.57 ID:i2+4SUsz0


 既に何も見えない。
 声も殆ど何も聞こえない。
 それでもちゃんと、俺には届いていた。
 きちんと、分かった。

 ーーありがと、あなたに逢えて良かった。

 秒針が真上へと届く。
 同時、短針も長針も十二を指す。
 日付は八月十六日。
 目の前に広がるのは、誰もいないステージとそれを照らす満月だけ。

 ……なんで俺は、こんな場所に居るんだろう。
 次の会場の下見だろうか、こんな時間に。
 思い出せないが、おそらく何か仕事で来ていたのだろう。
 面白いくらい身体は重く、笑えない程の疲れが襲いかかってくる。

 分からない、思い出せない。
 けれど今、何故か心は跳ねていて。
 まるでアイドルのライブを見届けた後の様な感覚になっている。
 目の前のステージには、誰も居ないと言うのに。

 ガチャ

「すいませーん、流石にそろそろお引き取り願えますか?」

「あっ、すいません。ご迷惑お掛けしました」

 現れた警備員の声で我に帰る。
 よく分からないが、そろそろ帰らないと明日に響く。

「……大丈夫ですか?」

「えっ、何かありましたか?」

「いえ、何やら……」

 警備員さんが俺の顔を指差す。
 埃でもついているのかと、俺は指で拭おうとして……

「……え……あれ?」

 指先から伝わる水の感覚。
 どうやら俺は、涙を流していた様だった。

「ん、なんでだ……」

 訳が分からない。
 何故涙が出ているのか分からない。
 何故こんなにも、哀しい様な感動した様な気持ちになっているのか分からない。
 既に乾き始めてはいるが、何故俺は涙を……

「……ははっ」

 分からない。
 でもきっと、感動したんだろう。
 何かを見たのだろう。
 何かに、魅入っていたのだろう。

 警備員さんにお礼を言い、デパートを出る。
 夏とは思えない程、夜風は冷たい。
 民家の前のナスを見て、昨日までお盆だったのだと思い出した。
 お盆だからなんだという話ではあるのだが。
 

 一人の夏の夜風は、何故か寂しく感じた。



119 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:42:06.25 ID:i2+4SUsz0



 ピピピピッ、ピピピピッ

 アラームの音で目を覚ます。
 今日は金曜日、心ときめくウィークエンド。
 疲れ切った身体をベッドから無理やり起こし、歯を磨く。
 シャワーを浴びて、朝食を食べて。

 なんて事はない、いつも通りの日常だ。
 前と同じ、その筈なのに。
 何故か静かな感じがして。
 それはきっと気のせいで。

「ん……?」

 引き出しに、ネックレスが入っていた。
 ペパーミントグリーンの、蓮華を模したネックレスだった。
 プレゼント用のラッピングも隣に入っている。
 何故こんなものが入ってるんだろう。

 ……あぁ、まゆの誕生日プレゼントだろうな。
 そうだ、半月後にはまゆの誕生日だからと購入したのだった。
 それともユニット結成祝いだったろうか。
 とにかく再度ラッピングして鞄に入れておこう。

「行ってきまーす」

 家を出る時、何故か寂しく感じた。
 それもきっと、気のせいだった。


120 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:42:40.18 ID:i2+4SUsz0




「おはようございます、プロデューサーさん」

「おはようございます、ちひろさん」

「まるまる二日も何処に行ってたんですか?」

「プチ旅行です」

 一人で遊園地に行ったり軽井沢に行ったり、充実した有給だった。
 こんな事なら十三日も有給取って六連休にしても良かったかもしれない。
 さて、仕事に遅れは生じていないが休んだ分は張り切らないと。
 アイドルたちもユニットデビューへ向けて頑張っているのだから。

「あ、そういえば……ユニット名、まだ決まってない……」

「そうでしたねぇ……まゆと愉快な」

「エアギター!」

「李衣菜ちゃんそれで良いの?」

 辛子蓮根って言ってた奴が何を言っているんだ。
 それはそれとして、そろそろ本格的にユニット名を……

「……舞踏会的なイメージはどうだろう」

 ポツリと、俺は呟いた。
 このメンバーのデビュー曲Love∞Destinyは、そんな印象を受けた。
 
「舞踏会ですかぁ……ふむふむ、でしたら……」

「うーん、ダンスパーティ?」

「味気ないですねっ!」

「…………あ、えっと……」

 全員の視線が智絵里に集まる。

「……仮面舞踏会、とか……どうかなって……」

「まゆも同じ事を考えてました」

 手柄をあたかも自分であげた物かの様に騙るまゆ。
 後出しジャンケン感が強い。

「でもなんかロックじゃなくない?」

 ロックバンドじゃないからではないだろうか。
 そもそも最近李衣菜の言うロックか分からない。

「では…………そうですね、『Masque:Rade』なんてユニット名は如何でしょう?」

「おー! メッチャ英語!」

「マスカレイド……お洒落なユニット名ですねっ!」

「Masque:Radeか……かなりピッタリかもしれないな」

 流石まゆ、なかなかのネーミングセンスだ。
 他に案がなければ、そのまま決まりだろう。

「そんなユニット名どう? って誰かが言ってませんでしたかぁ?」

「さぁ? でも良いんじゃない、ロックだし」

 ロック、ロックってなんだ。

「マスカレイドって仮面舞踏会って意味で合ってますよね?」

「はい……一応、他にもいくつか意味はありますが」

 確か見せかけとか虚構とか〜〜のフリをする、みたいな意味だった気がするな。
 今回はそちらの意味は関係ないだろうが。

「さて、ユニット名も決まった事だしそろそろ大詰めだ。トレーナーさんもやる気満々だろうし頑張ってこいよ」

 四人を送り出す。
 Masque:Rade……良いユニットになりそうだ。
121 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:43:14.80 ID:i2+4SUsz0



「あ、まゆだけちょっと残ってくれ」

「……うふふ、ダメですよぉPさぁん。事務所でだなんて……帰ってから、ね?」

 クネクネしてるところ悪いが、多分まゆが期待している様な事では無いぞ。
 あぁほらもう、他のアイドル達からの俺への視線が……

 三人が出て行った後に、鞄からプレゼントを取り出す。
 ユニット名も決まった事だし、渡すとしたら今で良いだろう。

「はい、ユニット結成祝い。リーダーとして頑張ってもらえるよう、俺からのプレゼントだ」

「…………し、式はいつにしますかっ?!」

 なんの式?
 何が起こった?
 なんでそうなった?
 明らかに思考の跳躍が起きている。

「うっふふ……うふふふふ……う〜う〜」

 喜びに言語野をやられてしまっている様だ。
 抑えようとしても抑えきれずニヤけてしまっているまゆ。

「こっ、こここっ! これは……その、プロポーズとして受け取っても……あぁ、でもダメです……まゆにはユニットが……」

「ユニット結成祝いって聞いてた?」

「聞いてません!」

「じゃあ聞いてくれ」

 とても不安になる。
 何故まゆはアイドルやってる時はしっかりしているのに、俺と話すとこんな風になってしまうのだろう。

「これは……ネックレス?」

「あぁ、見ての通り」

 ラッピングを解いたまゆが、中身を取り出す。

「…………Pさん、左手の薬指にネックレスは着けませんよぉ」

「左手の薬指じゃなくても指にネックレスは着けないが」

 何度も言っているが、だからユニット結成祝いだと。
 ちひろさんが呆れて苦笑いしている。

「良かったですね、まゆちゃん」

「……これは、Pさんからの贈り物ですか?」

「あぁ、俺が選んだプレゼントだよ」
122 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:43:43.10 ID:i2+4SUsz0


「ふむふむ、でしたら……」

 喜んで受け取ります、と。
 そんな風に言ってくれると思っていた。

「…………まゆは、受け取れません」

 ……え?
 受け取り却下?

「……好みに合わなかったか?」

「逆に聞きます。Pさんはこのネックレスを、まゆに似合うと思って買ったんですか?」

 それは当然だろう、まゆに贈る為に買ったのだから。
 まゆに喜んで貰えるよう、まゆに似合う物を選ぶのは……

「……あれ、確かに……」

「はい。Pさんがまゆの為に選んでくれたのだとしたら、このデザインにはならないと思います」

 確かにそうだ。
 まゆの為に選んだのだとしたら、それこそ紅でバラやリボンを模したデザインにするだろう。
 少なくとも、ペパーミントグリーンは選ばない。
 色は智絵里にはピッタリだろうが、それでも蓮華というのは……

「……Pさんはきっと、別の方へのプレゼントとしてこのネックレスを購入したんだと思います」

 ですから、まゆは受け取れません。
 そう、少し寂しそうに呟くまゆ。

「……すまん、悪い事したな」

「いえ、まゆは気にしませんから。指輪じゃありませんでしたし」

「また後日、きちんと用意するよ」

「指輪ですよね?!」

「引き留めて悪かったな、レッスン頑張ってくれ」

 さて、そろそろ俺も仕事に取り掛からないと。
 ユニットデビューは近い、やるべき事は山程ある。
 一つずつ、着実に進んで。
 最高のユニットデビューを飾らせないと。


123 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:44:10.06 ID:i2+4SUsz0




「ただいまー」

 非常に疲れた。
 仕事の忙しさと連休の疲労と、疲れが絶える事ない波の様に襲い掛かってくる。
 沈み込む様にソファに埋まり、缶ビールを一本開ける。
 テレビを付ければ、何処かで行われている花火大会が生中継されていた。

 夕飯はいいだろう、面倒だし腹も減っていない。
 適当に枝豆でも摘みながら、テレビを眺める。
 連続で打ち上がる花火の音が、まるで近くで行われているかの様に大きく響く。
 色とりどりの火が、都会の夜空に花束を作っている。

 ……こんなに、静かだったっけ。

 事務所の部屋が大人数になって賑やかになったからだろうか。
 テレビの音が少し小さいからだろうか。
 いつも一人で過ごしているこの部屋が、やけに静かに感じて。
 何故か無性に、寂しくなった。

 疲れているんだろう。
 夏の夜空に、センチになっているんだろう。
 ビールの缶は既に空で、二本目に手を伸ばす。
 これ飲んだらシャワー浴びて寝よう。

 それが、いつも通りだった筈なのに。
 こんなにも何かが欠けている様な気分になるのは何故だろう。

 分からない、けれど。

 この気持ちは、決して気のせいなんかでは無かった。


124 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:45:12.78 ID:i2+4SUsz0



 あれから、季節は一巡した。

 沢山の出来事があった。

 Masque:Radeがデビューして、大ヒットして。
 CDを出して、各地でライブをして。
 それぞれの誕生日にパーティをして。
 クリスマスも、当日では無かったがパーティをして。

 まゆも、智絵里も、李衣菜も、美穂も。
 どんどん成長して、そんな皆んなを眺めるのが幸せで。
 もちろん俺とちひろさんも、かなり頑張った。
 何回、朝を事務所で迎えた事か。

 充実していた。
 忙しいながらも、楽しい日々が続いていた。
 満ち足りていた。
 その、筈だった。

 ……けれど、何かが見つからない。
 俺の望んでいたものが、見つけられていない。
 俺が見たかった筈の光景は、未だ何処にも無い。
 それが何かも、未だに分からないが。

 Masque:Radeの四人が立つステージは、それは素晴らしいもので。
 けれど何かが、足りない様な気がした。
 最高の出来だった筈なのに。
 それでも何処か、欠けている様な気がした。

 あの日からずっと、俺は探している。
 休みの日は散歩をする様になった。
 何かは分からないが、その何かを見つける為に。
 木枯らしが吹く日も、雪の積もる日も、花粉の酷い日も。

 そして、今日。
 陽射しがこれでもかと降り注ぐ、暑く溶けそうな夏の日も。

 
125 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:45:48.71 ID:i2+4SUsz0




 七月十二日、日曜日。

 日曜日とは、救いである。
 これなんか前も言ったな。
 長くなるので端折るが、取り敢えず今日は日曜日だった。

 夏の始まりは突然で、冬はあれ程憧れたこの気温は、今ではこれが現実だと言わんばかりに体力を奪う。
 六月頃の肌寒さは名残すら無く、ここ数日は只管に暑さだけが埋め尽くしていた。
 ギラギラという擬音がピッタリな程に煩く輝く太陽が、アスファルトの反射と併せて都会の夏を作っていて。
 日に土に日で暑い、強ち間違いでは無い気がしてくる。

 今日も今日とて、俺は街を歩いていた。
 何かが欠けている様な気がする、そんな事務所は休みで。
 何かが足りない様な気がする、そんな家を抜け出して。
 こんな暑い日だと言うのに、俺は性懲りも無く歩き続ける。

 あの日から、四十を超えて五十に迫る回数の日曜日。
 ただ闇雲に探し続けてている。
 雲や霧どころか、朧げな夢の続きを掴もうとする感覚。
 けれどそれは、案外楽しいものだった。

「Pざぁん……暑い……あづいですよぉ……」

「……たまの休日なんだから休んでれば良いのに」

 ……高頻度で、隣にまゆが居たから。

 春と秋は元気溌剌デートデート! という感じだったが。
 冬は寒さに震えて雪達磨の様になり。
 夏は暑さに溶けてへちょっており。
 今日もこうして、溶け欠けのアイスみたいになっていた。

「Pさん、最近忙しくって全然構ってくれないんですから」

「いや、お前アイドルだから。前から一緒に出かけたりとか無かっただろ」

 おそらく以前より、まゆと過ごす時間は増えてるからな。
 何故かは分からないが散歩に出掛ければ五分かそこらでまゆに遭遇して、そこから二人でのんびり散歩する事になる。
 最初のうちはやめさせようとしたが、全然話を聞いてくれないので諦めた。
 変装はかなりしっかりしているし、気付かれる事は無いと思いたい。

 それはそれとして、何故毎回俺の居場所が分かるんだろう。
 普通に怖い。
 夏はホラーの季節だから許すが、他の季節では控えて頂きたい。

「まゆは日々のお仕事で疲れているんです」

「そっか、家でのんびりしてれば良いだろ」

「うふふ、そんな事言って……本当は嬉しいんですよねぇ?」

「まゆが疲れたって言うから何回散策を諦めたと思ってるんだ」

 嬉しいか嬉しく無いかで言えば、とんとん。
 ただ、暇はしない。
 退屈はしない。
 うるさいけど、やかましいけど。

126 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:46:16.34 ID:i2+4SUsz0



「ふふ、伴侶ですから。休日も隣で添い遂げる者と書いて伴侶ですよねぇ?」

「一回伴侶って字を辞書で引いてこい」

「広辞苑にはPさんとまゆのツーショットが載ってましたよぉ」

「大丈夫かこの国」

 この国の未来が不安になった。
 憂いたところで何が出来る訳でも無いけれど。

「それにしても…………暑いな」

「ですねぇ……一旦休憩しませんかぁ?」

 それも良いだろう。
 既にお昼時になっているし、近くの喫茶店で軽く食べておくか。
 人で埋め尽くされた駅前のロータリーを抜け、適当な喫茶店を探す。
 どこもかしこも帰省で人手が足りていないのか、かなりの行列だった。

「…………むむむ……気になっていた喫茶店はお休みでした」

「これはもうファーストフード店に頼るしか無さそうだな」

 仕切りの少ないファーストフード店は出来れば避けたかったのだが。
 それでも背に腹はかえられない。
 来た道をUターンして、駅の方へと向かい。
 のんびり歩きながら、左右の店を眺める。

 ピロンッ

「ん、メールだ……」

「どちら様ですか? プライベートの方ですか? 女性ですか?」

 食い付いてくるまゆを無視してスマホを開く。
 俺のプライベート用のアドレスにメールを送って来る人なんて……

「……やっぱり迷惑メールっぽいな。『今から会えない?』だとさ」

「あぁ、その手のメール多いですよねぇ。まゆのところにもよく来ます」

 見た事の無いアドレスのメールなんて開くものではないな。
 件名すら空欄だったし、さっさと閉じて店を探そう。

 程なくして、目の前にMの文字で有名なハンバーガーショップが現れた。
 しかもなんと現在、無料でアイスコーヒーを配っていた。
 まるで今の俺たちの為に設えられたかの様なこのハンバーガーショップに、感謝の気持ちでいっぱいになる。
 流石にタダで居座ると言うのも胸が痛いので、適当にアイスなりシェイクなり注文するとしよう。

「まゆはどうする?」

「うふふ、それをまゆの口から言わせようとするなんて……Pさんのえっち」

 会話が成立しない。
 年齢やIQか大きく開いているとそういった事が起こると言うが、この場合は何の数値がどうなのだろう。
 さて、ふざけてばかりでもいられない。
 レジは着々と近付いてきていて、そろそろきちんと注文を決めておきたい頃合いだった。
 
127 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:46:41.72 ID:i2+4SUsz0


 ……筈だった。
 
「大変申し訳ございません……此方のクーポン、既に期限が切れておりまして……」

「今年こそいけるかなーって思ったのに…………だめ? 私手持ち無いんだけど」

「そう仰られましても……」

「……いるんですねぇ、こういうお客さん」
 
 まゆが耳打ちしてきた。
 ついでに距離をかなり縮めて来る。
 けれど俺は、今そちらに意識を向ける余裕が無かった。
 目の前でイチャモン付けながら財布の小銭を漁っている茶髪の女子高生をジッと見て……

 ーーようやく、見つけた気がする。
 
「まったく、クーポンの期限くらい把握してから来店すべきですよぉ……それに高校生くらいなのに所持金が250円も無いなんて……」
 
「……よし」
 
「え? あ、あの……Pさん……?」
 
 これはきっと、またと無いチャンスだ。
 意を決して、俺は前の女子高生に話し掛ける。
 
「代わりに俺が払いましょうか?」

 自分でも何言ってるんだこいつとは思ってる。
 不審者以外の何者でもない。

128 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:47:24.61 ID:i2+4SUsz0


 ……なのに。
 
「……ふふっ、ちゃんと約束守ってくれたんだ」

「えっ?」

 目の前の少女は、笑っていた。

「あ、違う違う。何アンタ、店内でナンパとか非常識にも程があるでしょ」
 
 ずばっと即断された。
 いや、自分でも分かっているけれど。
 ついでに言いたくは無いが、それは君が言えた事でも無いと思う。
 余りにも冷ややか過ぎる視線と店員の目が非常に胸に刺さるが、それでももう少しだけ粘ってみよう。
 
「ナンパとは違うんだが……取り敢えず俺たちも早く買いたいし、此処は払わせて貰えないか?」
 
「……ポテト一つで女子高生が買えると思ってるの?」

 ポテト一つ買えない女子高生が何を言っているんだ。
 なんて言ったら怒られるだろうから、流石に言わないが。
 
「三分話して興味が湧かなかったら俺たちが立ち去るからさ」
 
「…………だーめ」

 断られてしまった。
 それもまぁ、仕方の無い事か。

 出来れば、少しで良いから話を聞いて貰いたかった。
 そうすればアイドルに多少の興味は抱いて貰えただろうし。
 何故俺が彼女をスカウトしようとしたのか、自分でもよく分からない。
 そもそも今俺は、Masque:Radeのプロデュースで手一杯で。

 ……それでも。

 目の前の女の子の。
 ペパーミントグリーンで蓮華を模したネックレスが似合いそうな女の子の。
 うるさそうで、ワガママそうな女の子の。
 ステージに立つ姿が、見てみたかったから。
 
129 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:48:17.17 ID:i2+4SUsz0



「三分じゃ、全然足りないから」

「…………えっ?」

 そんな短い時間じゃ、感謝の気持ちは伝え切れないから。
 今度はちゃんと、伝えるから。
 多分今回だけじゃ全然足りないから。
 来年も、再来年も。

 そう、ふふっと。
 此方へ向き直って、微笑んで。

 少女は、呟いた。

「この夏もよろしくね、Pさん」

 彼女の名前を知ったのは後の事だったが。
 何故俺の名前を知っているのか分からないが。
 想像以上にうるさくてやかましかったが。
 奇跡の様な出逢いが、ファーストフード店のレジで果たされるなんて思っていなかったが。

 こうして、暑い夏の日。
 お盆の始まる一日前から。





 北条加蓮と過ごす夏が、始まった。


130 : ◆x8ozAX/AOWSO [saga]:2018/11/26(月) 19:48:44.38 ID:i2+4SUsz0

以上です
お付き合い、ありがとうございました
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/27(火) 02:38:31.48 ID:q7xXZRhEO
おつかれ
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 00:34:28.64 ID:kUjZ2NNxO
お疲れ様でした
なんというか、感情が一言では言い表せないんですがひとつだけ
すっごくおもしろかったです
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 01:36:50.85 ID:RlAmMIPLO
よかったよー
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 16:27:51.31 ID:bPYQd+PZO
なんで加蓮はすぐに死んでまうの?
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/11/28(水) 20:27:53.80 ID:8eZiz6x3O
すごい好き
また書いて欲しい
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2018/12/01(土) 11:38:21.77 ID:BHnDb44go
加えさん死にすぎワロタ
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