陛下「聖杯戦争、ですか」

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33 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 21:44:05.58 ID:9Jvjh4Az0
「な、ぁ――?」

 動作の小ささに対して、変化は劇的だった。

 放った矢が空中で停止している。その場に縫いとめられたかのように、皇まであと5メートルという位置で動きを止めていた。

 数秒後、力を失ったように、矢がぽとりと地面に落ちる。強化された士郎の視力は、その理不尽をはっきりと捉えていた。

 そして皇の視線が凛を捉える。舌打ちをしながら、凛は後ろに飛び退った。魔術刻印を過剰回転させ、片っ端から役立ちそうな呪文を詠唱させる。

「Fixierung EileSalve――!」

 凛が伸ばした指先に呪いが宿った。それを無数に乱射する。掠めただけで肉体を砕き、直撃すれば心臓を停止させるであろうフィンの一撃である。

 同時、公園の各所に仕込んでいた宝石が並列して作動。単なる魔弾として皇を狙うモノ。凛の魔術が通りやすくなるように場を整えるモノ。逆に、相手が用いるであろう概念に干渉して妨害するモノ。

 数十の魔術を組み合わせて必殺を狙う。戦力を小出しにしても仕方ない。凛はここに、所持する全宝石を投入していた。

 聖杯戦争の時に用いた10年宝石よりもひとつひとつのランクは下がるが、総じた威力はこれまでの生涯で凛が使用した魔術の中でも間違いなく最上のものだ。

 だが――やはり、皇は避けようともしない。

 矢と同じく一定距離に達した魔弾は停止させられた。そして僅かなラグのあと、溶けるように消失してしまう。

(どういう仕組みよ!?)

 手応えが無さすぎる。おそらく、単に障壁を張って防いでいるのではない。強度で弾くのではなく、攻撃力そのものを無効化するような手管。

 内実を見定めようとして――だが、その時間が与えられないことを凛は悟った。

 皇が掲げた右手に、凶悪なまでの魔力が収束している。第五次のキャスターが高速神言で組み上げた大魔術と同等か、あるいはそれ以上の出力。

 撃たれれば、死ぬ。それを直感し。

 ――直感したが故に、剣が奔った。

 未遠川を挟んで、対岸の水面が爆撃されたかのような水柱を上げる。凛の魔術によって姿を隠していたセイバーが、不可視の剣を携えて結界から飛び出してきたのだ。

 一足目からトップスピードに乗った剣の英霊はもはや常人の目には移りもしない速度で水面を駆けた。凛と桜からの十分すぎる魔力供給によって、常時最大出力での魔力放出が可能となった故の高速移動だ。

 精霊の加護により水上を疾駆するセイバー。足場となる水面が蹴りつけられる度、反動によって数十メートルまで水が吹き上がった。

「そこでしたか」

 だが、皇は迫ってくる暴威に怯みもしない。如何なる御業か、猛速で迫る人外へ正確かつ迅速に対応した。

 静かに呟き、収束した魔力を解き放つ。皇の身体から離れた瞬間、それは光り輝き、全てを焼き尽くす熱を持った。

 光条がセイバーへ向けて放たれる。剣の英霊が轟音を伴って突貫するのに対し、皇の光は静謐に、だが比べようのない速度で飛来した。それは、文字通り光速の攻撃である。

 見てからの回避は不能。事前情報でもなければ、初見で対応することはできない。
34 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 21:46:46.90 ID:9Jvjh4Az0

 ――されど、その条理を覆してこそ騎士王。

「ほう……?」

 皇が感心したように吐息を漏らす。

 光の矢はセイバーの頬をかすめるだけに留まっていた。

 セイバーの未来予知染みた直感スキルのみが可能とする回避方法だった。つまり、発射される前から軌道を予測して身を躱したのである。

 皇はさらに数発、光を放ったが、騎士王もまたさらに転進を繰り返すことで光の線を躱し続ける。

「偶然ではありませんか。良い勘と足裁きです」

 呟いて、皇は光の出力を強めた。

「――では定石通り。まずは足を奪わせて頂きます」

「!?」

 言葉と共に放たれた光が、セイバーの足元――水面に吸い込まれる。次の瞬間、水面が爆発的に盛り上がり、弾けた。

 6000度の熱源を撃ちこまれることで発生した大規模な水蒸気爆発が、十数メートルの高さまでセイバーを撥ね上げたのである。

 強大な衝撃に体が軋む。これが人の身であれば粉々に砕け散っていただろう。

 だが爆発そのものは問題ではなかった。少なくとも、空中で身動きの取れないセイバーへ向けられている、光を蓄えた皇の手よりは。

「しまっ――」

「御無礼をお許しください。ですが――これで御然らばです」

 射出される二条の光。狙いは頭部と心臓。サーヴァントの急所である霊核が宿る位置。

 皇が自在に操る、マキリ・ゾォルケンすらも一蹴した輝き。その正体は、天照大神より受け継ぎし力――放出した魔力を光と熱に変換する、いわば神秘を用いた高出力レーザーである。

 この魔力放出によって生み出された陽光は、害あるものを焦がし、庇護すべき民を癒すという特性があった。昼間、間桐桜の体内から蟲を焼き払い、同時にその痕を癒したのもこの力によるものだ。国内であれば無機物に対する作用は調整できるため、最大出力で撃っても周囲一帯を焼き尽くすというような心配はない。

 そして当然の如く、この国に害をもたらす可能性を持つセイバーに対しては必殺の槍として機能する。

 宙より落下する騎士王に、何らかの動作を行う隙さえ与えず、光はセイバーを通り抜け夜空へ抜けた。

「セイバー!」

 認識がようやく現実に追いついた凛が叫ぶ。

 だが、その声に悲痛さは無い――あるのはマスターとして命令を下す厳然さのみ。

 同時、皇も口を開いた。そこには隠しようのない驚きが滲んでいる。

「なるほど――その剣は、光を曲げて」

 風王結界。

 この風の宝具は、光を屈折させることでセイバーの剣を不可視とする。

 体の前で構えていたのが幸いした。頭部と心臓を目指した光は進路を歪められ、掠めた具足を融解させるに留まったのである。

 無論、狙ってやったわけではない――それは偶然か、あるいは単なる幸運か。

 どちらにせよ、脅威を防ぎ、脅威を防ぐ方法も知れた。凛が命じる。

「河を斬って!」

(……なるほど、そういうことですか!)

 歴戦の英霊は、即座に主の意図を汲み取った。全身から最大規模で魔力を放出する。背部からの放出は落下速度の加速へ、そして腕部より爆発させた魔力は振るわれるその一撃を強化した。

「あああああああっ!」

 水面に触れる直前、セイバーは掬い上げるように不可視の聖剣を切り上げた。腕に凄まじい負荷がかかるが、大量の魔力によるごり押しで通す。

 剣に纏わせた風が多量の水を巻き込み、大瀑布を造り上げる。その状態のまま剣を振りぬけば、さながら水平に流れる滝の如く。岩塊さえ砕くであろう水撃が、岸にいる皇へ殺到した。
35 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 21:48:46.66 ID:9Jvjh4Az0

「っ!」

 閃光が夜を切り裂く。陽光による迎撃。腕からではなく、全身からの発光。精度よりも威力を重視して放たれた熱波が、向かってくる水流に触れ、再び水蒸気爆発を起こす。

 河に接していた海浜公園の一部が見るも無残に砕け散っていく。その破壊の中で、しかし皇は敵の狙いを看破した。

 皇の放つ天照の光熱は、物理現象の――屈折率の影響を受ける。

 つまり水中に入った光は屈折してしまい、正確に狙えば狙うほど目標に命中しなくなるのである。無論、同時に起こる水蒸気爆発は凄まじく、そんな状態で近づける者はいない――生身の人間ならば。

 全身に魔力を防護壁として纏わせたセイバーが、荒れ狂う蒸気の帳を強引に突き抜けた。そのまま皇の眼前へ飛び出す。

「取った――!」

 セイバーは容赦なく首を撥ねた。

 小柄な老人に見えるが、その能力はトップサーヴァントをも凌いでおり、何より対応の仕方も一流の戦士と遜色ないものだ。

 加減できる相手ではない。地を砕く踏み込みと共に、即死させるつもりの一撃を見舞う。

 何に阻まれることもなく、聖剣は振り抜かれ、

「な……」

「流石は音に聞こえしアーサー王。その鋭さ、身が竦む思いです」

 無傷の皇と、目が合った。

 有り得ない、とセイバーは逡巡する。疑問は自分と皇を隔てる距離について。

 確かに、剣の届く間合いにまで踏み込んだ筈だった。この身は剣の英霊なれば、目測を誤ることなど有り得る筈もない。

 それなのに――現在、皇との距離は5m以上も開いている。

 皇が剣裁に合わせてバックステップをした、などということはない。視線は一瞬たりとも離さなかった。皇は対応の為の動きをなにもしなかった。

 だというのに、必殺の一撃は回避され、無傷の皇は再び手に光を溜めている。

「くっ!」

 警告を発した直感に従い、咄嗟に身を翻して放たれた光の線を避ける。

 距離を取っても射出から到達までの時間はほぼ変わらない。単純な運動能力だけならばこちらが有利な以上、近距離にいた方がむしろ避けやすくはあるが――

 永遠に回避し続けられるものではない。そして、神代の神秘を宿すこの光線は喰らえば終わりだ。

 再び防戦一方に陥るセイバーを見て、凛は歯噛みをした。当初の予定では、士郎と凛の攻撃で敵を見定めた上で、セイバーが奇襲をかけることになっていたのだ。

 だが目論見は崩壊した。敵の防御の正体は未だ見抜けず、セイバーの一撃は掠りもしない。
36 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 21:49:56.14 ID:9Jvjh4Az0

「遠坂、大丈夫か?」

「士郎?」

 背後から掛けられた声に、凛は振り向く。そこには声の主である衛宮士郎が軽く息を弾ませながら立っていたが、

「橋から降りてきたにしては早すぎない?」

「ああ、ワイヤーのついた矢を投影してな。地面に撃ちこんで、ワイヤーを滑ってきた」

 見ると、士郎のさらに背後。海浜公園の石畳に深く突き刺さった矢の尻から冬木大橋の方へ、鋼鉄らしいワイヤーロープがピンと伸びている。どうやらワイヤーに通した弓を滑車代わりにして降りてきたらしい。

「ジップラインだっけ? 映画みたいなことするわねー……」

「それより、どういうことだ? 俺の矢も遠坂のガンドも、セイバーの剣も防がれた。けど……」

「反応がばらばら、っていいたいんでしょう? 矢は停止した後落ちて、ガンドも止まった後に消失。聖剣は振り抜けたけど、空振り」

「ある程度以上の神秘がないと止められるってことか?」

「いえ、セイバーの剣だって結局は無力化されてるわけだし……でも、それぞれに別の方法で対処をした、って風でもないのよね」

「どれも共通点は届いてない、ってことか」

 士郎は焦る様に戦場を見る。セイバーはサーヴァントらしい疲れ知らずの運動量を見せているが、それでも長くはもたないだろう。向こうの攻撃は一撃必殺。対してこちらは通用する手管すら見いだせない。手合い違いにも程がある。

「届かない……」

 士郎の台詞を、凛は口の中で繰り返した。届かない――到達しえない。敵は太陽の化身たる天照大神の直系。

(もしかして)

 凛は再び指先を皇に向けた。ひたすら動き続けるセイバーに対して、皇はその場からほとんど動いていない。狙いを付けるのは簡単だった。

 ガンドを一発だけ放つ。黒の病魔は再び皇から5mの地点で停止後、僅かな時を置いて消滅した。

 それを見届けてから、さらに続けてもう一発だけ放つ。ただし、今度は込める魔力を少なくした。

 5m地点で停止、消滅――その結果は変わらない。だが、予想していた僅かな差異を見て取ることができた。

「……ああ、なるほど。そういうこと? インチキにも程がある……」

「何か分かったのか?」

「多分ね。士郎、やって貰いたいことがあるんだけど……」
37 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 21:56:44.75 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

 皇は12発目のレーザーを撃ちだした後、そこで一度魔力を回すのを休止した。不可視の剣を正眼に構える目の前の英霊を、改めてもう一度観察する。

 人形のような端正な造形。反して全身から放たれる魔力・剣気は阿修羅の如く。報告書を信じるなら、真名はアーサー王。円卓を総べるブリテンの王。

 彼女自身に罪はない。ただ、その存在はこの国にとって有害と成り得る。ならばそれを取り除くのが己が役目。

 戦力差を分析する。剣技においては自身の完敗。運動能力も同じくだ。寄る年波には勝てない。皇は神道、修験道をも修めていたし、その中で学んだ剣の心得もあった。それでもなお、真正面から斬り合えば自分は容易く一本を取られるだろう。

 こちらの停止を誘いと取ったのか、セイバーは距離を保ったままじり、と右回りに立ち位置を変え続けている。

 まともに近接戦闘を行えば勝てないだろう――だが逆に言えば、それ以外ではこちらの勝利は揺るがない。報告書を読む限り、敵は<天岩戸>を突破できるような手段を持っていない筈だ。

 このまま光線を撃ち続ければ、いつかは当たる。敵は神懸った勘働きでこちらの攻撃を射出前から回避するが、所詮は勘働きだ。100回、1000回と試行すればいずれ綻びは出る。

(しかし……長くかけるのも良くはない)

 皇は心中で溜息をついた。いまも陵墓課の面々は、おそらく遠巻きに自分を見守っているのだろう。直接の介入は勅令で禁じた。英霊が相手となれば被害が出るだろうからだ。

 それでも陵墓課は戦力をここに集中している。結果として、現在この国の霊的防備に揺らぎが生じているというのは皮肉であった。

 結論として短期決戦を狙わなければならない。皇は右腕を眼前に掲げた。何を掴み取ろうとするように手を伸ばし――そして、その途中で動作を取りやめ首だけで背後を向く。

「ほう?」

 視界に映った光景に、皇は感心したように吐息を漏らした。先ほどから何度か試すような呪い礫を放たれたのは分かっていたが、まさかこの短時間で<天岩戸>の秘密に辿り着くとは。

 皇の視線の先には宙に縫い付けられている――ように見える矢があった。しかし、最初に放たれたただの矢とは違う。

 矢筈の辺りからワイヤーが伸びていた。ワイヤーはそこから射手である少年、衛宮士郎の足元に続き、そこに輪束になって置かれている。

 その束から、続々とワイヤーは送り出されていた。少年の目は驚愕に見開かれ、送り出されるワイヤーと停止しているように見える矢に向けて交互に視線を飛ばしている。

 矢は静止している。それなのに、矢に結ばれたワイヤーはまるで矢が飛び続けているように送り出されているという異常がそこにあった。

「やっぱりね」

 遠坂凛が頷いていた。皇は完全にセイバーから視線を外し、少女へと向き直る。素晴らしい洞察力だ。彼女の様な人材が多ければ、この国も安泰なのだが。

 微笑みを浮かべて、皇は続きを促すように凛の言葉を待った。

「矢もガンドも停止してるんじゃない。それは見せかけのことで、実際は目標に向かって飛び続けている」

 矢が落下したのも、ガンドが消滅したのも、なんのことはない。与えられた推進力や魔力を使い果たしたからに過ぎないのだ。その証拠に、さきほど試し撃ちしたガンドは、魔力を少なくした2発目の方が消失までの時間が短かった。

「つまり、"距離"の問題――見せかけはそのままに、空間を引き伸ばしているんでしょ」

 停止しているように見えていた矢が、さきほど同じように落ちる。同時、送り出されていたワイヤーの大部分が、放り投げられた蛇のように宙で踊りながら士郎の方へ戻ってきた。凛はそれをちらと見やり、続ける。

「セイバーの剣が届かなかったのも同じ理由。見せかけ状は剣の間合いに入っていたけど、実際に踏み込んだのは圧縮された長距離空間の中。一見届きそうに見えるけど、実際の距離はそれを許さない。だからその矛盾が修正されると――こうなる。いかがです、陛下?」

「概ねはその通りです。代々の皇は<天岩戸>と呼んでいます。では、実際にどの程度の距離が圧縮されているかも分かりますか?」

「天岩戸……確か、スサノオの横暴に呆れ果てたアマテラスが洞窟に立て籠もった逸話か」

 士郎の呟きを背に、凛は挑む者にとっては絶望的となる推測を告げた。

「おそらく、名前の通りなのでしょう。岩戸隠れの伝説では、天照大神が隠れると太陽もまた姿を隠した。それはつまり、天照大神と太陽の関連性を示す伝承に他ならない」

 太陽神は世界中で見られる神性だが、ケルトの太陽神であるルーのように太陽に関連する逸話をほぼもたない柱も存在する。対して天照大神は岩戸隠れの神話から見て取れるように、太陽との関連付けを強くされた神性だ。太陽を擬人化したものだと言ってもいい。

 ではそれが"距離"に纏わる防御を用いるとすれば、その長さは――

「太陽は手に届かぬ物という概念を利用した防御。つまり、圧縮された距離は地球から太陽までの距離、一天文単位――約一億五千万キロメートルを踏破しなければ、陛下には辿り着かないことを意味します」
38 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 21:59:53.71 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

「な……」

 と、絶句したのは士郎とセイバーだった。

 当然だ。目の前いる老人との間が、実はそれだけの超超長距離で隔てられていたなど言われてもピンとこない。

 だが老人は感心するように凛に頷いて見せた。そして、言う。

「満点の解答です、凛さん。いままでこの<天岩戸>が突破されたことはありません」

「でしょうね。直接攻撃は言うに及ばず、魔眼や空間転移でさえその距離は越えられない。逆ならともかく、現代においては地球の"外"に飛び出すことを想定した神秘なんて聞いたこともないもの」

 天体の運行からなる地球への影響を利用する神秘はごまんとあるが、その逆――地球から星の海へ干渉するような神秘は、天動説が廃れてこの方ほぼ死に絶えた。

 凛の台詞に、士郎も納得するほかない。そんな距離を飛び越え得るような武器は思いつかなかった。長距離を射抜いた英雄といえばアーラシュが有名だが、彼の希代の弓取りでさえその身と引き換えに放った矢の飛距離はおよそ6000kmだ。必要な距離の二万五千分の一である。

 太陽落としで有名なゲイなど、一部の対太陽特攻とも言える特性を持った神霊ならば可能かもしれない。だが神霊そのものの召喚などそれこそ現代の魔術理論では絵空事。

 神霊級の神秘を、現代まで継承した家系――改めて、その出鱈目さを理解する。

 そして同時に、士郎は気づいた。隣に佇む相棒の瞳に、諦めが見えないことに。

「遠坂、何か手があるのか?」

「倒す為の方法は二つあるわ」

 凛は指を二つ挙げ、すぐにひとつを畳んだ。

「一つ目は、向こう自から防御を解除させること。といっても、これは難しいけどね。セイバーが現界している内は、絶対にあの防御を解くことはない筈。令呪が残っていれば、自害したように見せかけることも出来たかもしれないけど……」

 それは間桐臓硯が行い、そして失敗した方法だった。

 故に、凛は別の手を取る。確実性は、ひとつめの手段よりも低いくらいだが。

「二つ目。覚えてる? セイバーの風王結界の仕組みを、あの人は理解していなかった。陵墓課からの報告は上がっている筈だけど、それだって何でも御見通しってわけじゃない。私達の表面的なことしか調査できていない筈」

「だから?」

「知られていない切り札を使う。士郎、例のあれの準備をして。私の合図で展開。いいわね?」

「いや、待ってくれ。あの防御を突破できるような武器は――」

「足りない部分は私が補う。本当はやりたくなかったけど……」
39 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:03:29.73 ID:9Jvjh4Az0

 話し合う二人を余所に、皇は再び振り返り、セイバーへと向き直った。

「さて。もう一度、願います。遥か過去を生きたブリテンの王、アーサー殿。この地で再び得た生を、諦めては頂けませんか?」

「……断る。我が主とシロウが、御身という脅威と天秤に掛けたうえで"生きよ"と言ってくれたのだ。その厚情を無為には出来ない」

 不可視の聖剣を構え直す剣の英霊に対し、皇は残念そうに頭を振った。

「その忠節を貴く思います。しかし――ならば、私はこうせざるを得ない」

 先ほど停止した動作――虚空を掴みとるような動作を、再度行う。

 瞬間、皇の手の中に剣の柄らしきものが現れた。

「……! セイバー、離れて!」

 凛の声に、セイバーは即応した。凛と同じく、セイバーもまた感じ取っている――現れた"柄"から、息苦しくなるほどの神秘が放たれていた。同時に、周囲のマナがその一点に向け、吸い込まれるように流入していく。

 バックステップで距離を取る剣の英霊に、だが皇は構わずに動作を続けた。

 皇の手が右へ。それこそ剣を鞘から抜き放つかのように、柄を掴んだ右手を横に引いた。虚空から――まるで空間そのものを鞘としているかの如く、直剣の刃がゆっくりとその姿を現す。

 日本刀とはまるで違う、柄と刃が一体になった、ともすれば原始的とすら言える剣。

「あれは――」

「……それは」

 その刃を見て、違和感を覚えたのは二人。士郎とセイバーである。

 士郎はその刃を見て、ほぼ無意識の内に解析を行おうとしていた。だが、通らない。

 英雄王の携えた乖離剣のように全く読み取れないのではない。部分部分が、虫食いにでもなっているかのように不明となっていた。

 それは■が人にこの■■を明け渡す際、■■を材料に創り上げた■■を留める為の――

(駄目だ。解析しきれない)

 だが、その真名は予想できる。皇が手にする剣と言えば、それはつまり。

「天叢雲(アメノムラクモ)」

 解放された真名は、何ら予想を裏切るものではなかった。

 天叢雲。三種の神器の内のひとつ。伝承においては八岐大蛇の尾から発見されたと言われる武具である。

 それは紛れもなく、この国由来の剣。

 だが――否。だからこそ、解析を続ける士郎の隣で、セイバーは違和感を覚えずにはいられなかった。

 あの剣とよく似たモノを、自分は知っている。

 その疑念を、真名に次いで発せられた言葉が氷解させた。

「――神剣、抜錨」
40 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:04:48.32 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

 それは、本来武器ですらなかった。

 世界が神代から人の世に移行する際、世界は人間の為の『物理法則』というテクスチャで覆われた。そして、そのテクスチャを留める為、世界には幾つかの『錨』が沈められたという。

 この神剣は、その内のひとつ。神代を地球の裏側に縫い付ける楔。そして天津国という世界の裏側へ去ったこの国の神性の置き土産である。

 後世においてその残り香が伊吹大明神として崇められることにもなる、古い神の一柱を贄にその剣は鍛えられた。その神は万象に通じる数字を名と体に表し、世界を留める剣の材料として最適だったからだ。

 故にその銘を天叢雲。天(あまつくに)を覆う雲の意を冠したその剣は管理者たる天照大神に献上され、その役割と共に彼の貴い血を引く家系に受け継がれていくこととなり――
41 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:07:27.55 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

「そうか。御身のそれは、最果ての塔と同じ――!」

 セイバーは叫ぶ。人理を人理足らしめる『錨』のひとつ。かつて自分が手にした聖槍と役割を同じくする兵装。

 違うところがあるとすれば、その剣は正しく現代まで継承されてきたという点だ。

 天照大神からその孫である邇邇藝命、さらにその子孫へ代々伝えられてきたそれは、世界を留める楔であり、同時にこの国の神性を総べる大御神の証でもあった。

「高天原に神留り坐す、皇親神漏岐神漏美の命以ちて――」

 "それ"を命じながら、皇が神剣の切っ先を頭上に掲げた。

 剣を担う当人を除いた全員がそれを見て、そして凍りつく。

 星々を湛えていた筈の夜空が、見渡す限り白く染まっていた。まるで昼日中の如く輝き、地上を照らし始める。

 唖然と開かれた凛の口から、漏れるように言葉が零れ落ちる。

「嘘でしょ……神代の神秘とか、そんなレベルじゃない。それって権能そのものじゃない!」

 権能とは、かつての神代において神が振るった法則である。

 現在の地球を満たす物理法則とは違い、神代の幻想法則は全てが神の御心のままに決定されるという理不尽極まりないものだ。

 例えば火ひとつをとって見ても、その違いはありありと見受けられる。通常の火が酸素・温度・燃料を必要とするのに対し、権能の火は【ただ神様が燃やしたいと思っているから】燃えるのである。つまるところ、水中や真空中でも発火するし、物理的な手段では消火できない。消すには同等以上の神秘が必要になる為、別の権能か、もしくは一部のサーヴァントが持つような最高位の宝具が必須となる。

 例えば、セイバーが携える聖剣エクスカリバー。それは神霊級の魔術行使を可能とする最上級の幻想。皇が天に収束させつつある白光と同等の威力を放つだろう。

 故に、皇はそれを八百万に用意する。

 八百万(やおよろず)――それは文字通りに8000000の数を指し示すものではなく、有限の無数。ただ多きを表す言葉である。

 用意された破滅は1億2632万。そこには万象を焼き祓う炎があり、万象を吹き祓う風があり、万象を切り祓う刃があった。

 この神剣はテクスチャの一部を解放し、限定的に呼び戻した神々の権能を自在に使役する神造兵装。天照大神が、人の国を総べるべしと遣わした天孫に与えた3つの恩恵のひとつである。

 莫大なマナが神剣に吸収される。凛は顔を青褪めさせた。自身に感知できる範囲の全てのマナが流動している。

 その勢いはクジラが海水を飲み込むよりも膨大で、夜空を星が流れるよりも短い瞬きの間に完了した。

 神剣が振り下ろされる。皇の厳かな宣言と共に。

「――降罰」

 瞬間、天が落ちた。

 権能の発露。空に収束したその光は、冬木を丸ごと覆ってなお余りある広範囲に切れ目なく降り注いだ。

 仮に、陵墓課からの報告にあった最高の俊敏性を誇るランサーやライダーであっても逃れ切ることは不可能。

 視界が白く染まる中、皇の視界の端で、少年が動く。

 剣の英霊に駆け寄るその姿。それを見て、皇は報告書にあった少年の名前を思い出した。衛宮士郎。第4次聖杯戦争の終幕と同時に発生した大火災の唯一の生存者。それが、使い魔であるサーヴァントを救うために、我が身を投げ出さんとしている。

 それはとても尊い行動であり、だからこそ、その結末を知っている老人の表情に陰りがさした。

 仮に少年が騎士王に覆いかぶさったところで、結果は何も変わらない。権能の真に恐るべきところはその出力ではなく、抗い難い力であることだ。天より降る神威は、他の何物をも傷つけず騎士王のみを消滅させる。この場に居て権能の発動を知ったもの以外には、この光は見えてさえいない。

 光は地上へ到達した瞬間に無音で消えた。僅かな振動すら起こさない。それを知覚できる者なら、余波だけで目を回すほど濃密な神秘が撒き散らされただけだ。吐き気をこらえて膝をついた、遠坂凛のように。

「セイ、バー……」

 途切れ途切れに呟く。いまの一撃を防げたとは思えない。準備していた奥の手も無駄になった。

 それでも、臓腑の奥からこみあげる何かをこらえて、前を見る。

 ――そして、有り得ざるものをその視界に認めた。
42 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:10:23.99 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

 天から滅びの光が降ってくる。

 だがそれには目もくれずに、士郎はセイバーのもとに走っていた。

(何の為に?)

 自問自答。衛宮士郎という三流の魔術師に、一体何ができるというのか。

 理解していた。自分如きに、あれは防げない。頭上のそれは、文字通り神によって用意された抗えぬ運命だ。

 衛宮士郎に、それは覆せない。

 ――だが、それが駆けない理由になるか?

「ああ、なるもんか――!」

 吼えて、己の内側に埋没する。世界の外側に、己の戦うべき場所はない。

 衛宮士郎にあれを防げぬというのなら、防げるものを探せばいい。

 灼熱を帯びて回転する魔術回路。焼き切れることすら覚悟して、さらにその深奥――己が起源と呼べる部分まで決死の潜行を行う。

 暗闇の中で、士郎の手が伸ばされた。撃鉄を落とすイメージと共に、己が知る最高の守りを手の中に表現する。

 不可能な筈はない。何故ならそれは、この身が初めて触れた貴き幻想――!
43 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:14:56.52 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

「それは……」

 展開した奇跡を前に、凛が呆然と呟く。光が地に届く寸前、セイバーと士郎がいた地点。

 そこに、届き得ぬ理想郷が広がっていた。

 セイバーを消滅させる筈だった神光は、その威を果たすことなく消滅している。全ては、セイバーの身体を包む数百の光点――分解した"鞘"の欠片によって遮断されていた。

「エクスカリバーの、鞘……」

 神剣をおろした皇もまた、小さく口にする。想定外の事象を前にしていたのは、神すら総べるこの老人も同じだった。

 だが理解する。全て遠き理想郷。聖剣の鞘。6次元までの干渉を遮断する、アーサー王から失われた筈の宝具。

 何故、それがいまここにあるのか――否。

 横道に逸れた思考を戻す。いま考えるべきは、この国にとっての障害を絶滅させることのみ。

 敵は伝承に名高い至高の守りを取り戻した。自身の纏う<天岩戸>など比べ物にもならない神秘。使用者を妖精郷に退避させる、死なずの鞘。

「……ならば、それを超えるものを産みだすまで」

 6次元までの干渉を防ぐというのなら、それ以上の次元から干渉すればいい。

 だが己が操る権能の中にも、それを可能とするものはない。

 だから、増やす。

 皇はスーツの首元から内側に指先をねじ込んだ。一寸の後、摘まみ出されたのは革紐で首に通されていた勾玉だ。

 それを口に含み、一息に噛み砕く。貴石の強度を持つはずのそれは砂糖菓子よりも柔らかに砕け、一瞬で細かな粒子と化し、老人の周囲に滞留した。

「誓約をここに――八坂五百津之美須麻流之勾玉(ヤサカイオツノミスマルノマガタマ)」

 3種の神器がひとつ、勾玉――その力により、新たな神性を芽吹かせた。

 真名解放により、望む力を持った神性を構築する権能。7次元以上からの干渉を可能とする法則を新たに定め、鞘の守りを突破する。

 粒子として滞留する、無限の可能性を持った架空元素から爆発的な勢いで増える神秘の気配に、凛はもはやひきつるような笑みを浮かべるしかなかった。

「ああもう、なんて出鱈目……! 神産みなんて、それこそ国造りを凌ぐ原初の創造神クラスの大権能じゃない!」

 凛は全力で回路を回し、オドを絞りだした。依然、周囲のマナは皇の真剣に凄まじい勢いで吸収され、自分が取り込むことは困難。

 次に神剣を振り下ろされれば、あの"鞘"を以てしても防げない。

 それでも凛に諦めはなかった。何故ならば、

『――ならば我が生涯に意味は不要ず』

 遠くから、彼の声が聞こえる。

 鞘の展開を終えるセイバーの横で、集中状態に入った衛宮士郎が十小節にも及ぶ大詠唱を終えようとしていた。

 彼は、信じたのだ――自分を、遠坂凛の言葉を。

『この体は、無限の剣で出来ていた』

 ならば、その期待に応えよう。凛は小さく笑う。例え、この身が滅びることになろうとも。
44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:17:18.86 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

 詠唱の末尾が結ばれる。同時、世界に炎が走るのを、士郎は視界に捉えた。

 パスを通して送られてくる魔力は濃厚にして潤沢。その大部分を喰い尽くしながら、己が心象風景を展開する。

 無限の剣製。アンリミテッド・ブレイドワークス。魔法に最も誓い魔術、固有結界の一種。衛宮士郎に可能な、唯一の異能。

 公園の石畳は無数の剣が突き立つ荒野へと変じ、夜天は燃えるような赤へ塗り替えられていく。

「なるほど……」

 目の前に佇む老人が、感心したように呟いた。その手に携える天叢雲から放たれていた恐ろしいほどの神秘の圧が、いまは感じられない。

「第五次の終盤、英雄王と共に姿を消した時間があると報告にはありましたが……まさか、己が心象風景で世界を塗り潰す秘法とは」

 神剣の能力は、テクスチャに穴をあけ限定的な神代への逆行を引き起こし、それを制御・使役するもの。

 ならば新たに世界(テクスチャ)を上書きされれば、その能力は発揮されない。操るべき神性が、ここにはない。

 天叢雲の、天敵。

(ですが)

 衛宮士郎が指揮するように腕を振るう。音もなく、荒野からひとりでに引き抜かれた剣群が宙に浮き、その切っ先を皇へ向けた。

 一斉掃射。文字通り無限の剣戟が老人を貫こうと迫る。

 迫る鋼の殺意を前にして、しかし皇はその笑みも僅かにも崩さない。

「いささか、決定力に欠けると見ます」

 陛下が手を御振りになる。それだけで全剣群が停止した。否、正確には停止したように見えて、飛び続けてはいるのだが。

 <天岩戸>。1天文単位の距離を障壁として纏う、皇の絶対防御圏。

 仮にこの距離を踏破する性能を持ち、光の速度で迫る一撃であったとしても着弾まで8分以上かかる。命中を望みたいのなら、最低でも光速の1000倍以上の速度が求められた。

 皇の全身から熱波が放たれ、差し向けた剣が全滅する光景を前に士郎は唇を噛み締める。

(どうする気だ、遠坂。桜からの補助もあるとはいえ、そう長くはもたないぞ)

 神造兵装である天叢雲の完全な読み取り、模倣は不可能。こちらからの攻撃は悉く撃墜される。

 セイバーは不可視の剣を構えて機を伺っているが、自分では攻撃のチャンスを作れない。

 千日手になればこちらが不利――その不安を視線に込めて、士郎はセイバーと共に結界に取り込んだ凛の方を見やり、

「……遠坂、お前、それは一体――」

 己がパートナーの持つ"異物"を認めて、背筋を怖気が蝕む。

 遠坂凛がコートの内側より取り出したのは、一冊の冊子だった。飾り気のない白い装丁。厚さだってそれほどはない。

 だが、それは確かに存在してはならないものだと分かった。冒涜的で、名状しがたい何か。そんな雰囲気がにじみ出ている。

 あれを使わせてはいけない。何故かは分からないが、そんな思いが強烈に湧き上がる。

 だが声を上げようとした士郎を制するかのように、凛は場違いなほどに儚げな笑みを浮かべて懇願した。

「衛宮君――後のことは頼むわね。もしも私が私でなくなったら、悪いけど貴方の手で始末をつけて頂戴」

「遠坂、やめ――」

 そして、遠坂凛はその呪文を唱えた。

 本来ならば彼女が自ら唱えることなど有り得なかった悪徳。

 それが、本来有り得ぬ再会を呼ぶ。

 遠雷の音と共に、哄笑が響いた。

「ハ。ハハハ。クハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!
 呼んだな! 確かに呼んだな! 此処は、何人も希望を求めぬ流刑の地。人々より忘れ去られた人理の外。だが―――」

 それは、恩讐の彼方に忘れ去られた復讐者。

 空気が切り裂かれる音。煌々と燃え盛るような光を発し、高速でここまで飛来する。
45 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:20:46.09 ID:9Jvjh4Az0

「私を呼びましたね! 我が名は愉快型魔術礼装カレイドステッキ付き人工天然精霊マジカルルビー! 宝石箱の奥底より、我が契約者を笑いにきましたよー!」

 ででーん! と、何か飛んできた杖っぽい形のナニカがそう叫んだ。

 時が、確かに停止した。その場にいる全員が、その珍妙な物体へ視線を集中させる。

 視線を露ほども気にせず、ステッキはふよふよと凛に近づいて行った。

「いやー、まさか凛さん自らが呼んでくれるなんて! どうやって(騙して)もう一度契約してもらおうか、ずっと考えてたんですけどねー」

 『カレイドステッキ取扱い説明書』と書かれた紙束が、凛の手から零れ落ちる。同時に、凛が家に残してきた留守番用使い魔へ声を届ける宝石も。

 封印用の箱の前へ使い魔を待機させ、それ越しに、凛は確かに呼びかけたのだ。開けシュバインオーグ、と。

 それは宝石爺ゼルレッチが遠坂家に残した魔術礼装のひとつ。限定的な第二魔法を可能とするパンドラの箱。

 ばっ、と左腕を延ばしながら、凛が叫んだ。

「ルビー! 貴女が必要なの! 私に力を貸して!」

「なんと! 凛さん、本当に切羽詰まってるんですね……って、相手はあのお爺さんですか! なるほどー、あれは確かに規格外です」

 ぴこぴこ、と羽っぽいパーツを皇へ向けて揺らすルビー。

「神代の神秘をそのままの強度で継承してるとか、マジパネー! 天の国よりこの国を総べよ命じられし王。略して、てんのお――」

「それ以上無駄口叩くと殺すわよ! ――じゃなくて、そういうことよ、ルビー! けど、私達のコンビならいけるでしょう?」

「不自然なくらいノリがいいですねぇ! でもそういうの嫌いじゃないです。ノったぁ! ええ、確かに性能はあちらが上。こちらの勝ち目は1%以下。でもそれって、魔法少女的には勝ちフラグ! では行きましょう、凛さん! マジカルパワーでミラクルチェンジです!」

「ええ、変身よルビー! コンパクトフルオープン! 最初から鏡面回廊最大展開で行くわよ!」

「ヤー!」

「や、やめろ遠坂――!」

 止める士郎の叫びも空しく、カレイドステッキが遠坂凛の左手に握られる。
46 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:22:16.94 ID:9Jvjh4Az0

 が。

「……? あのー、凛さん。どうして左手に対侵食用魔術結界がこれでもかと張ってあるんです? これじゃあルビーちゃん、(洗脳)合体できない――え、ちょっと、なんですかこの魔力!? 凛さんの許容量の倍近く――」

「Welt、Ende.Stil,sciest,Beschiesen,ErscieSsung!(事象崩壊。くたばれクソ杖!)」

 重なる様に二人の絶叫が響き。

 凛は決死の表情で、汚物でも払うかのようにステッキを皇へ投げつけた。

 かつて自分が呼び出した赤色の弓兵。その手管である壊れた幻想。過剰魔力によるオーバーロード・ブロークン。回路・刻印ともに最大まで酷使し、全魔力をステッキに注ぎ込む。

「MPSから魔力が逆流して……ぐ、ぐわぁぁああー!」

 魔力爆弾と化したカレイドステッキが爆発した。ケミカルにカラフルな煙が荒野を彩る。

 はぁ、はぁと荒い息を零しながら、凛は己の左腕を見つめた。

(危なかった……桜からの供給はやっぱり予想外だったみたいね。下手すれば魔法少女になってしまうところだったけど、上手くいった)

 代償として、魔術刻印は停止。下手すればこのまま壊死するかもしれないが、それに見合う成果は手に入れた。拳を握りしめる。

「あなたの犠牲は永遠に忘れないわ、ルビー……」

「おい、遠坂。いまのは何だったんだ。ルビーとか言ったか?」

「ルビー? 何それ、初耳。それより、いまがチャンスよ」

 近寄ってきた士郎の視線を、指で誘導する。煙が張れると、そこには腕を抑えて顔をしかめる皇の姿があった。士郎の目が、驚愕で見開かれる。

「あの防御を、抜いた――?」

「あれは限定的でも、第二魔法に届く魔術礼装だった。賭けだったけど、平行世界を経由して魔力的に"触れる"ことだけは出来たみたいね」

 言って、指先からガンドを放つ。飛来する黒の病魔――それを、皇は神剣で切り払った。

 <天岩戸>が、その効果を発揮していない。

「概念による防御は強力だけど、破り方は単純。一度到達してしまえば、強制終了させられる――セイバー、士郎!」

 号令と共に、二人が動いた。再び剣群が舞い、掃射を開始する。

「くっ――」

 皇は周囲に最大規模で熱圏を張った。太陽核と同等の熱量による防御幕。複製された剣の群れは、それに触れた瞬間に蒸発して消える。

 あの謎の杖による謎の爆発は、確かに<天岩戸>を越えた。ダメージ自体は大したものではないが、"距離を越えて触れられた"という結果により、その概念防御は一時的な機能停止状態に陥っている。

 復帰まで数秒。だが、それでは遅い。偽物の剣群は問題にならないが、あの聖剣は不味い。

 視界の端に、不可視の鞘を解き放ち、極光を放つ剣を構えるセイバーの姿があった。

「約束された――」

 マナが爆縮する。際限なく輝きを増すその剣の銘はエクスカリバー。人々の幻想が星の内側で結実したラスト・ファンタズム。最強の聖剣。
47 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:24:52.01 ID:9Jvjh4Az0

 だが、この一瞬にこそ皇の勝機はある。

「それを、待っていました」

 風の守りを、自ら解除する瞬間を。

 熱圏を維持したまま、皇は指先に魔力を集中させる。最大威力で天照を放ち、聖剣が振り下ろされる前に敵の霊核を穿つ。

 その動きを見て、凛と士郎に焦りが浮かんだ。まさか飛び交う剣を防ぎながら攻撃する余裕があるとは。

 セイバーは光を逸らすことのできる風王結界を解除した。おまけに宝具へ魔力を集中している為、動けない。

 二人はその攻撃を防ごうとするが、しかし光の速度に敵う筈もなく。

 光条が解き放たれた。射線上にある剣群を消滅させながら、それはセイバーに迫り――

「……え?」

 ――セイバーの身体の、ほんの数センチ横を飛び去って行った。

(外した?)

 疑問を持って、士郎と凛が皇を見やる。

 果たして、光を放った老人はふらつき、血に染まる自らの額を抑えていた。

 横一文字に斬られたような傷から流血している。流れ出した血が皇の視界を奪い、狙いを逸らさせていた。

 士郎の剣は当たっていない。では、この傷は――

「……マキリ・ゾォルケン――!」

 昼間、塞いだはずの傷。それが再び開いていた。

 それは単なる偶然か、あるいは全力で魔力を通し相応の負荷をかけた故の必然か。

 狡猾な老魔術師が込めた毒、或いは呪いが、この瞬間に――皇にとって、もっとも致命的な瞬間に発動したのだ。
48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:25:48.98 ID:9Jvjh4Az0
 次の魔力を収束させようとするが、しかし、それよりも早く、荘厳なまでに圧縮された光の斬撃が放たれる。

「勝利の剣――!」

 真名解放。固有結界の中ならば、周囲への被害を気にする必要もない。

 極光が皇へ振り下ろされる。熱の防御を紙切れの如く斬り裂き、最強の剣はこの国のひとつの歴史に幕を降ろさんとしていた。

 対峙する皇は、頭上から迫る光の斬撃へ応じるように神剣を振り上げる。だが固有結界の中で、天叢雲はその真価を発揮しない。それを見て、凛とセイバーは勝利を確信した。

 ――たったひとり、その剣の隠された特性に気づいた、士郎以外は。

「……不味い! セイバー、剣を止め――」

「シロウ――?」

 だが、全てが遅い。老人の切り上げる剣は、光の爆流へ今まさに触れんとしていた。

 どうして気づかなかったのか、と士郎は自問する。

 天叢雲は、スサノオからアマテラスへ献上された後、この国へ降りたニニギに渡る。そして次にその剣を手にしたのは、ヤマトタケルノミコト。

 伝承に曰く、ヤマトタケルは火計に陥れられた際にこの剣を振るい、向かい来る火勢を逆転させたという。

 その際に、天叢雲は名を変えたのだ。その名を――

「草那藝(クサナギ)――!」

 真名が解放される。

 それはひとつの媒体に、二つの真名を持つ宝具だった。

 解放される真名毎にその力を変化させる限定礼装。草那藝と呼ばれた時、それは伝承通りにエネルギーのベクトルを変化させる力を持つ。攻撃を倍加して反射するカウンター型の宝具。

 極光の斬撃を、宝剣が迎え撃つ。光の奔流は逆流を引き起こし――
49 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:27:04.95 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

 そして、固有結界は霧散した。

 軌道を変化させられた聖剣の一撃が、世界を断ったのだ。

 ほとんど魔力切れの状態で、士郎と凛は息も荒くその場に立ち尽くしていた。もはや固有結界の展開は不可能。

「セイバー……」

「……無事です。まだ、やれます」

 セイバーは、生きていた。

 ほぼ無傷と言ってよいだろう。マスターである凛からの魔力供給が減ったので、先ほどまでのステータスは発揮できないが、外傷はない。

 草那藝によってベクトルを捻じ曲げられた光の斬撃は、セイバーを襲わなかった。正確に言えば、軌道を変化させるだけで精一杯で、正確な反射にまでは至れなかったのだ。

 この場で唯一傷を負っているのは、三人の目の前で同じく息を乱している老人だった。神剣は切っ先を大地に埋め、力なくだらりと垂れさがった右腕はシルエットを歪めている。骨折は明らか。

「……さすがは、伝説に名高い聖剣。事前に報告を受けていなければ、負けていたのはこちらだったでしょう」

 流血に視界妨げられ、咄嗟に反射宝具を展開した代償。並の宝具であればそれでも反射に成功しただろうが、最強の幻想は事前にその速度、範囲、タイミングを知っていても逸らすだけで精一杯だったのだ。

「――まこと、御見事でした」

 だが、その上でもはや皇に敗北はない。

 セイバーが再び風王結界を纏わせた聖剣で斬りかかるが、その一撃は空を切った。<天岩戸>が再起動している。

 さらに老人は陽光の魔力を全身に纏わせ、急速にその傷を回復させていた。敵対者の排除と守るべきものへの慰撫を同時に行う大神の光。マキリの乾坤一擲が今度こそ完治し、反動で折れた骨が正常な位置へ戻り癒着する。

 試すように一度、掌を握り、そして開く。完治したことを確認して、皇は神剣を再びその手に握った。その切っ先をセイバーへ向ける。否――

「……衛宮、士郎さん」

 己へと立ちふさがる少年へ、老人は慈しむような視線を向けた。

 先ほどと同じように、権能であらゆる抵抗を無効化し滅ぼす手段もあった。だが、皇は思いとどまる。この少年の想いを無視したくはない。たとえ、結果的に踏みにじらなければならないとしても。

「諦めては、頂けませんか。彼女はもとより、現世に有り得ざる存在です。貴方との邂逅は、黄金の様な一時の夢だった。そう、納得しては頂けませんか」

「……冗談じゃない」

 トレース・オン、の一言と共に、士郎の両手に弓と矢代わりの捻じれた長剣が出現する。明確な反抗の証。

「俺がセイバーを見捨てることなんて、有り得ない。たとえあんたから守れなくても、最後まで抵抗してやるさ」

「何故です? 確かに彼女を召喚したのは貴方でしょう。しかし、その契約は終了しました。己の使い魔であるというわけではないのに――」

「関係ない!」

 老人の言葉を両断する叫び。士郎は物怖じもせず、断言する。

「契約とか使い魔とか、そんなの関係ない。ただ、セイバーが大切な存在ってだけなんだ!」

「……そう、でしたか」

 呟いて。

 皇は神剣を納めた。世界を鞘に、再び神剣が"錨"としての役目を取り戻す。

 疑問を浮かべる三人を前に、だが老人はさらに混乱させるような動きを見せた。その頭を深々とさげたのだ。

「士郎さん、それに、凛さんも。貴方達の想いを、低く見ていました。まことに申し訳なく思います。まさか、それほどまでに彼女のこと想っていたとは」

 だから、と老人は言葉を続ける。もとの位置に戻したそのかんばせには、あるひとつの決意が浮かんでいた。

「――これより、私も手加減をやめましょう」
50 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:27:59.63 ID:9Jvjh4Az0

 ぱん、と乾いた音が立て続けに二度、響いた。

 それは、柏手。老人の皺だらけの手が、打ち鳴らされた音。鋭い、刃のような音。

 たったそれだけで、士郎の背後にいたセイバーがその場に膝を着いた。

「ぐっ……」

「セイバー!?」

 突然の変化に驚きながら、士郎が振り向く。

 セイバーは急速にその存在を薄くしていた。既に鎧は分解し、風王結界は解けている。再び存在を顕にした聖剣は、その輝きを失っていた。

 魔力が、致命的なまでに尽きかけている。

 だが妙だ。確かに固有結界と宝具の使用によって、大幅に魔力は消費された。しかし現界を維持できなくなるほどではなかった筈。

「遠坂、どうなって……!?」

「……セイバーに魔力を送れない。パスが……切断された? 外から契約に干渉したって言うの!?」

 聖杯からのバックアップがない現状、魔力供給が途切れれば、単独行動ももたないセイバーが消滅するまで時間はかからない。

 士郎は弓を構えた。矢を弦に番え、切っ先を敵に向ける。

「今すぐセイバーを解放しろ!」

「……無駄ですよ、それは」

「ああ、そうか。つまり、こ――!?」

 言葉の後半は、驚愕に打ち消された。

 矢を引き絞れない。どれだけ力をかけても、弦は微動だにしなかった。

 老人が首を降る。神託の如き厳かな声が響いた。

「パスを切断したのでも、貴方の弓を固定したのでもない。大御神の名の下に、貴方達の抗いを禁じました」

 天照大御神。

 太陽の神格であるまえに、それはこの国に住む者の大氏神であるとされた存在。

 この国の民は、全て等しく天照大神の子である。その概念による干渉。それはつまり、

「国民への絶対命令権……!?」

 凛が悲鳴のような声を上げた。疲弊した魔術回路をフル稼働させるが、外部からの影響を排除できない。出力が違いすぎる。

 神秘はより強い神秘に敗北する。親から子への干渉は、原則的に跳ね返すことができない。

 歯を食いしばり、士郎が役に立たない弓を地面に叩きつけた。飛び掛かってでも止めたいが、足が動かない。敵対的な行動を完全に封じられている。

「ふざけるな……! なら、なんでそれを最初から使わなかった!」

「貴方達に自ら諦めて貰うのが、一番良かったのです。精一杯抗った上で、仕方なかったのだと納得して欲しかった」

 老人のその台詞に、士郎は愕然とする。

 なんという慈悲。なんという傲慢。

 その考え方は、確かに人よりも神に近い。
51 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:30:19.79 ID:9Jvjh4Az0
「……時間はありません。せめて、お別れの言葉を交わしては」

「くそっ……くそくそくそくそぉ……!」

「シロウ……凛……もう、いいのです」

「セイバー……!」

 地に突き刺した聖剣を杖にするように、セイバーは薄れゆくその体を起き上がらせた。

「我が身をここまで慮ってくれたことに、感謝を……貴方達と出会えて、良かった」

「……ごめんなさい。私は、至らない主だったわ」

「何を言うのです、凛。貴女ほどのメイガスは、私の時代でもそうはいなかった」

 主従が言葉を交わす。別離を受け入れた、最後の会話。

 セイバーの弱々しい視線が、最後に士郎へ向けられた。

「シロウ……貴方の剣であれたことを、私は――」

「……嫌だ」

「……シロウ」

 震えながら首を振るかつての主に、セイバーは宥めるような苦笑を浮かべる。

 抗いそのものを禁じられた以上、もはや手はない。

 ――本当に?

「投影、開始――」

 士郎は全ての回路に撃鉄を叩き込んだ。

 最後まで抗うことは止めないと誓った。残る魔力は投影一回分。

 上等じゃないか。たとえその先に破滅しかないとしても、進み続けてやる。

 手の中に、幻想が結実する。それを見て、凛の顔色が変わった。セイバーの顔色が変わった。

「士郎、あんた、それ……」

「シロウ、まさか」

 ――皇の顔色までもが、確かに変わった。焦るような口調で、士郎に制止をかける。

「おやめなさい、士郎さん」
52 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:31:16.49 ID:9Jvjh4Az0
 士郎は手の中の短剣を、自らの首筋に突き付けていた。奇妙に捻じれた刃を持つ、一振りの短剣を。

「それをすれば、貴方は私の敵になる」

 破戒すべき全ての符。

 裏切りの魔女が振るった短剣。それは契約を一方的に破棄する鬼札。

 親と子の関係から抗いを封じられたというのなら、まずはその系譜を破戒する――!

「やめてください、シロウ!」

「セイバーの言う通りよ。衛宮君、分かってるの? それをすれば、確かにセイバーの味方ができる。けれど!」

 それは目の前の現人神と敵対することを、確実な死を意味する。

 神剣どころか、ただの人間では放たれた光を防ぐこともできない。

 動きを止めようと老人が再び柏手を打とうとするが、牽制するように士郎は己の手に力を込めた。

 向こうの方が、速い。少年は本気だ。諦めたように、皇は手を降ろす。

「何故、そこまで……」

「……確かに俺はもうセイバーのマスターじゃない。けれど、だからせめて、セイバーの隣に立つのに相応しい奴で有り続けたい。それだけだ」

 告げて、士郎は真名を解放するために息を吸った。

「ごめん、遠坂。こんな馬鹿に付き合わせて」

「やめ――」

 最後に静止の声をあげたのは、果たして凛とセイバーのどちらだったのだろうか。

 だがそれに応える者はなく、短剣の切っ先が士郎の肌に浅く埋まった。
53 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:32:11.75 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

 間桐桜は冬木大橋の上に居た。

 衛宮士郎と共に戦場に立ちたいという願いと、安全上の問題との妥協点がこの位置だったのだ。

(何が……起きてるんですか?)

 魔力で視力を強化しているとはいえ、詳細な状況は分からない。特に、固有結界の中の状況は全くの不明だったが。

 だが、どうやら趨勢が老人の側に傾いている、というのは理解できる。

 セイバーは膝をつき、遠坂凛は諦めたように力を抜く。

 しかし、その中で衛宮士郎だけが動いた。

 投影した奇妙な短剣を、自分の首筋に突き付けている。

 それがどういう効果をもたらすものなのか、桜には分からない。

 だが、パスを繋いでいた凛の焦りだけは伝わってきた。あれは、先輩にとって悪いものだ。

 髪を留めていたリボンを抜き取り、束ねて魔力を通す。簡単に強化したそれを士郎が残していったワイヤーに通した。

 失敗すれば落ちて死ぬかもしれないし、いまから下に向かって制止するのが間に合うとも思えない。

 けれど、止まっていることは出来なかった。

 が。

 視界の隅に人影を認めて、桜は欄干に足を掛けたあたりでその表情を困惑に切り替えた。

「え? あれ、なんで――」
54 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:33:24.20 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

「何をやってるんだよお前はぁぁぁぁぁああああああ!」

 絶叫が響いて。

 士郎は勢いよく地面に転がった。背後からの衝撃。どうやら蹴られたらしい。

 ついでに契約破りの短剣の刃が、想定よりも深く首に刺さる感触がした。

「ぉぉおああああああ!?」 

 叫びながら慌てて短剣を手放し、代わりに傷口を抑える。結構な出血量だった。鞘が無かったら死んでいたかもしれない。

「なんでさ!?」

 立ち上がりながら、周囲を見やる。凛も、セイバーも、ぽかんとした表情で新たに現れた人物を見つめていた。

 士郎の背中に飛び蹴りを放ったその人物が、再び掴みかかってくる。

「はぁ、はぁ……お、お前! お前はなんでそうやって人の努力を無駄にするような行動ばっかり取るのかなぁ!? なあ、衛宮ぁ!?」

「し、慎二?」

 間桐慎二がそこに立っていた。ぜぇはぁと、みっともないほど呼吸は荒く、独特の質感を持った髪が汗で額に張り付いている。

 その姿を追うようにして、ワイヤーを滑り降りてきた桜も姿を現した。

「に、兄さん、何でここに」

「桜? あなた、橋の上にいるようにって」

「でも兄さんが走ってくるのが見えたので……」

 凛の疑問に答える桜。それを余所に、士郎は突然現れた旧友への対応を決めあぐねていた。

「慎二、なんでお前がここに……何しに来たんだよ」

「意味がない戦いをやめさせにきたんだよ!」

「あのな、昼に言っただろう? 勝てなくたって、抗うのは止めないって」

「それはそれで馬鹿のやることだと思うけど、僕がここに来たのはそういうあれじゃないよ」

 もどかしそうに士郎を押しのけると、慎二は老人と向き合った。皇もまた微笑を浮かべて応じる。

「間桐慎二さん。お元気そうで何よりです」

「お陰さまで。それより、陛下。矛を収めてよ。もう戦う必要はないんですから」

 走ってきた疲労からか、滅茶苦茶な敬語で慎二は停戦を訴える。

「ほう。どうしてでしょう? 騎士王がこの世に存在する限り、聖杯戦争が再現される可能性は残りますが」

「確かにね。けれど、陛下はそのサーヴァントを攻撃するべきじゃない」

 乱れた呼吸を整える為、一度大きく深呼吸してから、慎二は言った。

「何故なら、そいつの真名を陛下は知らないから」

「? アーサー王、でしょう?」

「それは王という役職を表す呼称であって、名前そのものじゃない」

 慎二の言に、セイバーの真名を知る者達は首をかしげる。

 アルトリア・ペンドラゴン。それがセイバーの真名だ。

 だが、それに何の意味がある?

「そいつの真名は、アルトリア・ペンドラゴン……」

 ポケットから折りたたんだ何かの用紙を取り出し、広げながら慎二はそれを叫んだ。
55 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:37:11.48 ID:9Jvjh4Az0

「――エミヤ。アルトリア・ペンドラゴン・衛宮。そこの馬鹿の妻。つまり、陛下が守るべきこの国の民です!」

 戸籍謄本、と記された紙を突き付けて宣言する。

 鈍器で思いっきり殴られた様な衝撃。思考が確かに一瞬、完全に途絶えた。

「え……えええええええええええええええええええええええええええ!?」

 果たして叫んだのは誰だっただろうか。

 凛がばっ、と己が従者へ確認するような視線を向けて、ぶんぶんとセイバーが首と手を振りまくり、桜があわあわとその場で右往左往し、士郎がなんでさなんでさと念仏の様に呟き続けている。

 その中で、ただひとり。老人が朗らかに笑った。

「そうきましたか。ははは、これは予想していなかった!」

 心の底から愉快そうに、皇は手を打って見せた。再び乾いた音が響き、入れ替わるようにセイバーがその存在濃度を回復させる。

「確かに、我が国の民であるのなら、私は戦う刃を持ちません――騎士王、いえ、アルトリアさん」

「え……あ、はい」

「貴女は、士郎さんの奥さんで間違いないのですか?」

「へ!?」

 呼気の塊をそのまま吐いたような声を出して、セイバーが混乱したようにあちこちを向く。最終的に、彼女の視線は夫とされる士郎の方へ固定された。

 目を向けられた士郎もまた激しく視線を彷徨わせたが、慎二が頭を叩いて無理やり頷かせる。

 それを見て、セイバーは混乱を収めたのか――あるいは混乱したまま流されたのか、同じようにこくこくと首を縦に振った。

 少女の肯定を認めて、老人は深々とその場にいる全員に頭をさげた。

「ならば此度のこと、まことに申し訳ありませんでした。この補償は、いずれ必ず――ああ、それと間桐桜さん」

「は、はい?」

「良い、お兄さんを持ちましたな」

「?」

 唐突な賛辞に桜は疑問符を浮かべるが、老人はそれ以上なにも語らなかった。

 混乱続く現場に背を向け、夜の闇に消えていく。取り残された状況に者達は、ただその背中を見送ることしかできなかった。

 かくして、この一件はここに終息したわけだが――

 実際にはむしろ、ここから始まることの方が多かった。
56 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:37:49.20 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

 後日談。

 衛宮邸の居間。ちゃぶ台の前で、セイバーはぴしりと正座をしていた。そのこめかみからは絶え間なく冷や汗のようなものが流れており、視線はちゃぶ台の天板に固定されている。

 前を向けない。向こう側に座った、女神の様な笑みを浮かべるあかいあくまを直視できない。

「……聞いてるのかしら、衛宮さん?」

「は、はい……あの、いえ。凛。私のことは、これまでどおりセイバーと……」

「あら、私の呼び方に文句がお有り?」

「い、いえ! 決して文句など……」

「良かった」

 欠片も良かったとは思っていないような表情――笑顔だったが、笑っていないと断言できる――で、凛が続ける。

「さて。時計塔への留学は予定通り卒業してからになったわ。けど、どう思う?」

「……な、なにが」

「いえ、衛宮さんは使い魔としては破格の存在でしょう? 私もそれ込みで評価されていたと思うのだけど……でも、どうかしら? 使い魔に恋人を寝取られる主って、どんな評価になるのかしらね?」

「り、凛! わ、私は決してそのような……そ、それにシロウと寝所を共にしたことなどない!」

「寝所を共に、ね。お上品だこと……やっぱり、私みたいな下賤な平民とは違うってわけね」

「違います! 貴女は私の主に相応しい、清廉潔白な傑物だ!」

「あら、そう?」

「ええ、そうですとも!」

「じゃあ、私と同じような言葉使いも出来るわね? 寝所を共にする、ってどんな意味かしら? 私にも分かりやすい言葉で教えて下さらない?」

 あかいあくまは笑顔を絶やさず、声を荒げもしない。責めてくれなければ、謝罪もできない。

 針のむしろ。まさしくその言葉が相応しい。

 胃の辺りを擦りながら、セイバーは現実逃避するように遠い記憶に想いを馳せた。

(ああ、すまないランスロット卿。いま、正しく理解した。貴卿もこのような思いをしていたのだな……)
57 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:39:39.36 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

「遠坂、またやってるのか……」

 締め切られた居間に続くふすまを見て、士郎は溜息をついた。

 数日前、あの事件が解決してからよく見られる光景だ。もちろん、遠坂も本気で自分とセイバーが一応の婚姻関係になったことを恨んだりしているわけではないのだろうが、面白がるように何度もセイバーで遊んでいる……いや、やっぱり多少は何か思うところもあるのだろうか。

 とまれ、こうして会話を交わすことができるのは幸運なことなのだろう。

(そこは、慎二の奴に感謝しないとな)

 あの日。どうやら慎二は自分達と別れてからしばらくした後、冬木教会に駆け込み、例の後任の神父に戸籍の偽造を依頼したらしい。

『パスポートもそいつが偽造したって言ってたろ? 本当に通用するようにしてるんなら、この国の人間にすることもできると思ってさ』

 ただ国籍を偽造するだけではなく、婚姻という形で『縁』を結ばせ、皇による征伐の対象外となる可能性を上げようというのは神父の提案だったらしいが。

 何はともあれ、賭けは上手くいった。いくつか変化はあったが、こうして日常が戻ってきている。

「あ、先輩」

「む、桜か」

 その変化の内のひとつである桜と、縁側ですれ違った。

 間桐邸が完膚なきまでに焼失した為、間桐兄妹は現在、衛宮邸に住んでいる。女性陣が離れに、士郎と慎二と母屋に、という部屋割りだ。

 新都にホテルを取ろうとしていた慎二だが、事件の後は『命を救ってやったんだから、これは当然の権利だ』と我が物顔で居座っている。

 ちなみに間桐邸の再建には1年近くかかるらしい。間桐臓硯が火災保険に入っていた為、手続きなどはスムーズに進んだという。

「遠坂先輩は、またセイバーさんと……?」

「ああ、飽きないよなあいつも」

「む。駄目ですよ、先輩。二人は先輩のことで争ってるんですから、そんな他人事みたいに」

「いやぁ、冗談みたいなもんだろう?」

「冗談みたいなもの、っていうのは、冗談じゃないから冗談みたいなものなんですっ」

 めっ、と怒ったように桜が人差し指をこちらに向ける。

 そう言われると、こちらも反省するしかない。ただ正直、どうすればいいのか自分自身、分かりかねていた。

「……確かに、俺が悪かった。でもさ、どうすれば……」

「まず、遠坂先輩を宥めないと……先輩、遠坂先輩のことが好きなんでしょう? もちろん、いまも」

「それは、そうだけど……」

 歯切れ悪く答える。

 確かに、衛宮士郎は遠坂凛のことがいまなお好きだ。

「でも、一応俺はセイバーと……その、結婚してるから」

「だから、遠坂先輩への好意を表に出しにくい、ってことですよね」

「ああ……俺自身、情けないとは思ってるんだ。でも、どっちに好意を表しても、それはもう片方への裏切りみたいで……」

「ふふふ、先輩は真面目なんですから」

 おかしそうに桜は笑った。そして「なら、ここは」と提案してくる。

「きちんと伝えるべきでしょう。二人とも、同じくらい好きだ、って」

「……いや、それは悪手じゃないか? 刺されても文句は言えないような……」

「でも、これしかないと思いますよ? セイバーさんとの婚姻は絶対に取り消せませんし――」

 何しろ、離婚したらあの神様系老人が再び襲ってくることは想像に難くない。

「――それに、先輩。遠坂先輩と、その……深い関係に、なってますよね? パス、繋がってましたし」

「あ、ああ、その……まあ、な」

 妹分に肉体関係をそれとなく指摘されるのはかなり気まずいが、それでも真実だ。何とか頷いて見せる。
 
「なら、先輩のことです。遠坂先輩をふっても後悔し続けるでしょうし、そもそもセイバーさんのマスターは遠坂先輩なんですから距離を置くこともできませんよ?」

「いや、でもなあ……」

「……こう考えてみてはどうでしょう、先輩」
58 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:40:50.94 ID:9Jvjh4Az0

 にっこりと微笑んで、桜。なにか、その笑みに見覚えがある気がしたが、思い出せない。

「皆を幸せにする。それが、先輩の責任なんです」

「俺の、責任……?」

「はい、そうです。"複数人"と付き合うのは、むしろとても大変なことですよ? 先輩は自分の為じゃなくて、皆を幸せにするために、それをしなくちゃいけないんです」

「……」

「もちろん、いますぐここで決めることじゃありませんけど。まずは三人で話し合って、きちんと思いを伝えることが大事です」

「……そうか。そうだよな。ありがとう、桜」

「いえいえ……それじゃあ、予行練習してみましょうか」

「予行練習?」

「ええ。というより、自己暗示といった方が適切かもしれません。遠坂先輩は圧が強いですから、話し合いの時にきちんと意見を言えるようにしましょう。先輩、私の後に続いて復唱をお願いします」

「え、あの、桜」

「はい、復唱!」

 有無を言わせず桜が先に進める。この奇妙な押しの強さも、事件後の変化のひとつではあった。

「二人を幸せにするぞー!」

「ふ、二人を幸せにするぞー」

「"複数人"と付き合うことは、何もおかしくありません!」

「複数人と付き合うことは、なにもおかしくない」

「深い関係になったら絶対に責任を取ります!」

「深い関係になったら責任を取る――いや、桜。それは関係ないんじゃ」

 桜はそんなこちらの言葉を無視するように、ポケットから取り出した薄い機械をいじっていた。

 なんだろう。ウォークマンに見えるけど、なんでいま操作してるのかな?

「桜、それは一体?」

「あ、なんか偶然電源が入りっぱなしになってたみたいで……」

「そっかー、偶然かー」

「はい、偶然です」

 桜の力説振りには納得するしかない。

 しかし、危うくげすの勘繰りをしてしまうところだったな。いまの言葉が録音されていて、それが遠い将来、何かの証拠として使われるような、そんな光景が浮かびかけたのだ。

 だけど、まさか桜がそんなことする筈ないしな!

「うふふふ。先輩、それじゃあ私はこれで……バックアップを取っておかないといけないので」

 ――これより未来の話。時計塔所属の多くの男性から、衛宮士郎はその命を狙われることになる。

 それについて、彼に付けられた『永遠の幼妻&姉妹丼の三刀流野郎』なる新たな仇名との因果関係は不明である。
59 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:42:18.37 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

 間桐慎二は割り当てられた部屋の文机に向かっていた。

 何しろ、この家にはまともな娯楽物が存在しない。適当に買い揃えることも考えたが、引っ越しの際の手間を考えるとどうにも億劫である。

 なので、こうして受験勉強に精を出しているのだった。慎二の夢だった上京――間桐の家から出ていくことは、間桐臓硯が死亡したことで揺らいではいたが。

 不意に、とんとん、と廊下に通じているふすまが揺れた。

 慎二は胡散臭げな表情で振り向く。

「ふすまをノックするかな普通……入りなよ」

「――失礼します」

 と、入ってきたのは色濃い疲労を浮かべたセイバーだった。

「何だよ、遠坂との話し合いは終わったわけ?」

「話し合い……話し合いだったのでしょうか、あれは……」

 遠くを見るような目をするセイバーに対し、慎二はどうでも良さそうに肩をすくめた。

「で、何の用? 僕もさぁ、暇じゃないんだよね。愛しのダーリンのところにでも行って――分かった。これ以上は言わない」

「賢明な判断です」

 セイバーの手の中にあった、不可視の何かが消える。

「……本当に追い詰められてるんだな、お前」

「貴方にも責任の一端はあるかと」

「何だよ、あの人に殺されてた方が良かった?」

「その点に関しては、感謝をするより他ありませんが」

「要らないよ、言葉だけの感謝なんて。っていうか、別にお前の為にやったんじゃないし」

「――全ては桜の為、ですか」

「……」

 セイバーの台詞に、慎二が睨むような目線で返した。だが構わずセイバーは続ける。

「あの老人の最後の台詞の意味を、ずっと考えていました。慎二。貴方はシロウの為でも、ましてや私の為でもない。桜がシロウの力になりたいと願ったから――桜の為に、あんな行動をしたのでしょう」

「……だったら何さ」

「いえ。ただ、何か桜に伝えたいことがあるのなら、素直に伝えた方がいいと、そう思ったものでして」

「遠坂に何も言えない奴が、偉そうに――分かった。これ以上は言わない」

 騎士王が聖剣を収めて部屋を出て行った後、慎二は文机の上で頬杖を付き、呟いた。

「……まあ、いつかね。そう、その内にさ……」
60 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:43:48.53 ID:9Jvjh4Az0
◇◇◇

「――と、あの事件についてはこれくらいでしょうか」

 数年後、時計塔現代魔術科の学術棟。そのロードの私室にて。

 遠坂凛は君主のひとり、エルメロイU世と対面していた。

 凛がエルメロイ教室に所属してしばらく経つ。本来は鉱石科に所属する筈だった凛が、現代魔術科に所属しているのは、概ね今話した事件のせいだった。

 アンタッチャブルとされてきたあの国の現人神とやりあった、なんて厄介者は、どの科も引き取りたくなかったのだ。

 一時は鉱石科どころか時計塔への所属も危ぶまれるレベルだったが、そこに口を出してきたのが元魔導元帥――キシュア・ゼルレッチ・シュバインオーグである。

 『あの性悪杖を騙くらかすとは見上げた奴よ』とのことで、ある条件と引き換えに、適当な教室に所属させるように口利きをしてくれたのだ。

 かくして各学部での押し付け合いの結果として、問題児の最終処分場であるエルメロイ教室に身柄は落ち着くことになったのだが、ここでもU世から所属に当たっての条件を出されることになる。

 ゼルレッチから出された課題は『逃亡したカレイドステッキの回収』。どうやらあの爆発でも死んでいなかったらしい。柄の部分を尻尾切りに逃げ延びたのだという。ちなみにその柄に良心回路やら欲望抑制回路などが備わっていたという話だ。いまはなんか七つに分裂して好き勝手しているということで、出来れば二度と関わりたくない。

 それに比べれば、エルメロイU世から出された条件は優しいものだった。時計塔の敷地内に、無断でセイバーを連れ込まないこと。なぜそんな条件を出したのかは教えてくれなかったが、どの道、セイバーにとって魔術の授業など退屈なだけだろう、と凛は二つ返事で快諾した。

「……その、お代わりをどうぞ」

「あら、ありがとうございます、グレイさん」

 新しい紅茶のカップをテーブルに配膳してくれたのは、エルメロイU世の内弟子であるミス・グレイである。姉弟子にあたる人物に対し、凛がそちらに向き直ってお礼を言うと、びくり、と体を竦ませてそそくさとU世の背後へ逃げるように退散してしまう。

(どうも、出会った日から避けられてるのよね……)

 深くフードを被っている上にマスクにサングラスという出で立ち故、凛は未だに彼女の顔を見たことが無かった。出会った当初はここまで重装備というわけでもなかった気がするが、きっとそれは出会った時が特別だっただけで、こっちが素なのだろうと納得している。それに、変人奇人揃いのエルメロイ教室の中では比較的常識人の部類だ。

「……協力に感謝する、リン」

 師である不機嫌顔の痩せぎす男が、そんな凛の視線から内弟子を庇うように声を上げた。

 エルメロイU世――現代魔術科のロードであり、現在は凛の魔術の師でもあった。

「いや、聞きしに勝る化け物振りだな。全身からレーザーを放ちつつ天文単位の空間断層を常に付き従えて数多の権能を自在に操る? どこぞのゲームかという」

「本当に。セイバーを守れたのが不思議なくらいです」

「……」

「先生?」

「ああ、いや」

 誤魔化すように葉巻をふかしてから、U世は眉間の皺を揉みほぐすように指で擦った。

「……情報封鎖という点で、陵墓課は強敵でね。当時の詳しい状況は、おそらく当事者である君たちを除けば、他のロードですら知らない情報だろう。貴重な話を聞けたよ。なるほど、確かにこれは触れてはならない類のものだ」

「ええ。もう二度と戦いたくはありませんね」

「……ふむ?」
61 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:46:00.40 ID:9Jvjh4Az0
 険しい目つきで、U世は凛を見つめてきた。凛が訝しむように視線を返すと、ソファから立ち上がり本棚に向かう。

「君は、なぜあの国唯一の貴族が不可侵とされていると思った?」

「え……だから、化け物みたいに強いからでしょう?」

「それは本質ではない。20点、というところだな。ああ、あった」

 何かのファイルから数枚を抜きだし、U世は再び凛の対面に座った。間を隔てるテーブルの上にその資料を乗せる。そこには折れ線グラフが記載されていた。

「……これってマナ密度のグラフですか?」

 周りに書いてある文字などから、凛がその意味を読み取る。

 大源――マナは世界に満ちる力だ。体内で生み出されるオドと比べて、その量は無限ともいっていいほどの隔絶がある。大魔術を使おうと思えば、オドよりマナを使う方が圧倒的に効率がいい。

 U世が持って来たグラフは、どうやらマナ密度の推移についてのものらしかった。地上、水中、山頂など、様々な場所でのデータが記載されている。

 確かにマナは周辺環境、天体の運行などの影響を受ける。だが、この資料自体は大したものではなかった。入学したての学生に、レポートの書き方を教える為の教材くらいにしかならないだろう。

 そんな凛の言葉に、U世も大仰に頷いて見せた。しかし、言葉を付け足す。

「それが、さっき君が話してくれた日のデータだとしてもかね?」

「はぁ、それがどうかして――」

 と、そこで凛が口を閉ざす。しばらく黙考した後、信じられないようなことに気づいた顔つきで、今度は真剣にグラフと向き合い始めた。

「ファック……」

 ぼそり、とU世が口にする。たったこれだけのヒントで到達するとは、やはり彼女は優秀だ。他の弟子たちと同じように、易々と高い位階に辿り着くのだろう。

 やがて、凛がグラフを机上に戻した。紅茶のカップを一息にぐい、と乾し、ぼふりとソファに背を預ける。

「嘘……アンタッチャブルって、そういうこと?」

「どういうことか――答え合わせといこうか」

「……このグラフは、世界各地のマナの密度が記されていますが……」

 ぐったりとした声で、それでも気丈に凛は応じた。
62 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 22:47:42.39 ID:9Jvjh4Az0

「私達があれと戦った時刻、全てのグラフで同等の密度低下が確認できます……つまり、世界中のマナに影響が出ていた」

 数年前の、しかし今なお鮮明な記憶を引っ張り出す。あの老人のが振るった神剣は、確かに呆れる量のマナを喰らっていた。

 だが、ここまでとは思わなかった。当然だ。その場にいる一魔術師に観測できる範囲ではない。それこそ、神の視点で見るか、こうして後に各種データを突き合わせるしかない。

 U世は凛の解答に頷いて見せた。短くなった葉巻の火を消すと、グレイの入れてくれた紅茶で口を湿らせる。

「そうだな。そもそも神の権能など、現代で扱えるはずはないんだ。そこには何らかの代償が存在しなければならない。この場合、特異なのはその代償を個人ではなく世界に押し付けているということだが」

 グラフの折れ線に指を這わせながら、U世。

「君たちの戦闘は、実時間にして五分足らずというところだろう。それだけで彼の帝は世界のマナ総量の実に3%を消費した。単純計算で2時間半も連続戦闘を行えば、世界中のマナは枯渇することになる……いや、権能を一度振るっただけでそれだけのマナを消費したのだろうから、実際はもっと短時間になるだろうな」

「マナが枯渇すれば……」

 ごくり、と凛の喉元が動く。U世はこともなげにその答えを口にした。

「オドが人間の精気であるように、マナはこの星の精気だ。当然、世界への多大な影響も出るだろうが……我々にとっては、もっと不味い影響が出る。何しろ神秘という神秘が死に絶えることになるだろうからな。多くの家系が滅亡し、各魔術基盤も大多数が壊滅するだろう。端的に言えば、この世界から魔術というものがほぼ消えてなくなる。
 ふむ、陵墓課が主の出陣に消極的なのもこの辺りが原因だろうな」

 魔術師にとって、あの国がアンタッチャブルであるとされる本当の理由。

 下手をすればあの日にそれが起こっていたという事実に、凛は背筋を凍らせた。

「……まあ、おかげで聖杯戦争の解体はスムーズに行くだろうがね。穢れているとはいえ、第三魔法由来だ。本来なら解体に乗じて式を手に入れようとする輩は確実に現れただろうが……あれに目をつけられたのではな。護衛を連れて行く必要すらないかもしれん」

「拙は、師匠と一緒に行きます」

「ああ、それは勿論だが……さて、復活したかね、リン」

「……ええ、どうにか」

 ソファからようやく背を離して、凛はぐったりと呻いた。
63 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 23:04:08.65 ID:9Jvjh4Az0

「言うまでもないが、この情報はみだりに口外しないように。それこそ君や君の……従者を狙う魔術師が出てくる可能性がある。全く、うちは問題児揃いだとよく言われるが、君もとびきりだな」

「それを受け入れる先生も先生だと思いますけどね……さてと、私はこれで失礼します。お茶、御馳走様でした」

「何か用事でも?」

「ええ、日本にいる妹が今日こっちに遊びにくるので、一緒に食事でもと。弟子が迎えに行ってて、そろそろここに着く筈です……ああ、セイバーは敷地の外で待たせてますからご安心を」

「……厄介事は勘弁してくれよ。君とルヴィアのファーストコンタクトで、ノーリッジ学舎の2割が全損したのは記憶に新しい」

「あれは人の弟子にちょっかいをかけてきたあっちが悪いんです。それに、今日来るのは妹ですよ? まさか二の舞なんて」

 ないない、と笑いながら手を振りつつ、凛は退室していった。

 それを確認して、グレイはマスクとサングラスを外しポケットにしまう。意気地のない自身に嫌気がさし、小さく溜息をついた。

「そう自分を卑下するものじゃない、レディ……ああ、それとその変装道具はまだつけておきたまえ」

「? どうしてですか?」

「……どうにも、先ほどから嫌な悪寒が止まらんのだ」

 そのU世の言葉が切っ掛けだったように。

 窓から爆音が飛び込んできた。慌ててグレイが駆け寄り、外を見やると、先ほどこの部屋を出て行ったばかりのミス・トオサカと、見覚えのない女性が魔弾を撃ち合っていた。その中央では何度か見た覚えのあるミス・トオサカのお弟子さんが昏倒している。ベルトが千切れでもしたのか、ズボンがずり落ちていた。なぜベルトが千切れるのかは分からなかったが。

 地獄絵図の如き状況に、グレイはどうしたものかと師匠へと振り返る。

「あ、あの、ミス・トオサカが……」

「やはりか。そんな気はしてたんだ……フラットとスヴィンを呼んできて鎮圧させろ。二人とも、まだ補修を受けている筈だ」

「わ、分かりました!」

 ばたばたと部屋を飛び出していく内弟子を見送って、

「聖杯戦争の解体、か……当然、冬木の管理者である彼女の協力は必須だったが……あのトラブルメーカー振りは何とかならんものか」

 これから書くべき始末書の枚数に胃を締め付けられながら。

 エルメロイU世はめっきり深くなった眉間の皺に指を当てて天井を仰ぐのだった
64 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/02/14(木) 23:05:01.26 ID:9Jvjh4Az0
終わりです。事件簿アニメ化やったーーーー!
依頼して来ます
65 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/14(木) 23:11:03.95 ID:kNRSLmO+0
乙でした。良作。
66 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/14(木) 23:21:15.36 ID:X538Q+Nh0
おっつおっつ、良いものを読ませていただいた
67 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/02/14(木) 23:22:12.71 ID:KnGbi3JR0
おつおつ
面白かった
68 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/15(金) 02:27:09.14 ID:GjyihOIAO
何だこの完成度高さは…乙
69 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/15(金) 02:49:12.98 ID:0tnbDuVz0
一発ネタ的なのかと思ってたら重厚だった
乙乙
70 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/15(金) 02:51:10.35 ID:e9H85Sur0
さすがに陛下に勝つってわけにはいかないだろうし
かと言ってセイバーが消えるのでは話として微妙になりそうだと感じてたから
このオチは素晴らしいと思った

面白かったです
71 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/15(金) 07:38:00.92 ID:h24/QKYc0
乙!
72 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/15(金) 14:29:57.74 ID:NH53Hgs/o
今上陛下で二次創作とか何考えてるんだ?陛下はお前のお人形じゃないんだぞ。それになんだこの乙レスは?俺がおかしいのか?
73 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/15(金) 19:06:49.82 ID:fiB3odnmO
乙乙
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/02/15(金) 23:02:16.16 ID:Feoi3eUO0
>>72
文句言う前にちゃんと読もうね
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/15(金) 23:13:51.70 ID:VAg5ekoI0
もし最初から最後まで読んだ上でのレスだとしても、初手批判だけして内容に全く触れてないんじゃそう取られちゃうし
そもそも故人はよくて今の人物はだめってのはよくわからんし(Fate原作を受け入れてる前提で書いてるけど違ったらごめんね)
これが営利目的の作品なら一発アウトだろうけどそういうわけじゃないし

同意を得たいにしろ(正しい意味での)批判が目的にしろもっと論を展開すべきなのでは
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/02/16(土) 06:26:47.16 ID:O18ptIZOO
こんなドヤってる陛下とそれに力貸したアマテラスも
ヴェルバーに総出で土下座したと思うと腐った生える

それはそれとして題材的にいかがなものかと思うので
宮内庁の窓口辺りに通報しておけばいいのかな?
77 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/16(土) 06:51:52.64 ID:RW2SUFixO
通報したければすればいいけどたぶん期待するような事は起きないと思うぞ
78 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/16(土) 09:12:23.96 ID:T3u9+0430
まあ実在する皇族の他にも皇族が居たんだよってのは小説とかでもよくある設定な気が
俺が読み違えてなければこの話の”陛下”もあの方とは関係無いし
79 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/16(土) 09:45:57.38 ID:yVUx4Is3o
あんだけ天皇やら愛子やら眞子がネットでネタにされててもどうにもなってないんだからへーきへーき
80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/16(土) 13:06:12.69 ID:DwN85V7SO
乙乙
そういえば鏡は最後まで出てきていない?
81 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/16(土) 13:37:24.68 ID:auGU7UrD0
>>80
ユーザーが選ぶ使えない宝具NO1だから…
82 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/02/17(日) 00:04:43.37 ID:lw00YFP6o
不敬不敬不敬不敬ってどいつもこいつもうるさいんじゃぼけ
読めばリスペクトしてるのわかるやろ
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