男「この俺に全ての幼女刀を保護しろと」

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423 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:36:15.30 ID:0qU1zNu20
愛栗子から見て閉じられた襖の向こう側、彼女らの姿こそもう目に映りはしないが会話は薄い壁を通していまだ愛栗子の耳を触っていた。

「そのお客人というのは」

「例の東山道の妖術使いだ。魂を別の器に移すことで半永久的なものとする妖術とやらに将軍様は興味をお持ちになったようだ」

「百戦錬磨の武将も老いには勝てぬ……ということでしょうか」

「さてな」
424 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:37:59.13 ID:0qU1zNu20

そこで遣いの者の声量は格段に落ちたが彼女らの会話に少しばかり興味を抱いた愛栗子は赤子を寝床におろすと足早に襖へと聞き耳を立てた。

彼女もまた『不老不死』というものに若干の憧れを抱いていたのである。それもそのはずでこの頃既に自らの『美』が異様で異彩であると自覚していた愛栗子は老いていく未来に憂いのようなものを感じていたのである。

そんな所になんとも輝かしく希望ある話……だがそこには絶望もまた同居していたのである。
425 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:38:54.78 ID:0qU1zNu20

「あまり大きな声では言えぬのだが、もしや愛栗子様はその妖術の試しにされるやもしれぬ。何しろあの美しさだからな」

「それ程愛されてらっしゃるということでしょう」

「それはそうかもしれないが妖術とは我らにとって未知。もし上手くいかなかったとき残された至高翌様はどうなる? 否、もう将軍様は決断なさっているのかもしれん」

「あの、何を仰っているのか」

「女子なら育てていくらでも使いようはあるが、至高翌様は男子だ。血筋が祟って面倒なことになる……その前に……」

愛栗子「っ……!?」

愛栗子は思わず口を押さえ込んだ。
あまりの恐ろしさに漏れそうになった小さき悲鳴を力を入れて堪えたのである。
426 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:39:36.68 ID:0qU1zNu20

「え」

「まあどうあれ私たちがどうこうできる問題でもないさ……さあ仕事だ。行くぞ」

遠ざかる足音が無音になったのを確認すると愛栗子は強く意思を固めて赤子を抱き上げそのまま座敷を後にした。
出先の廊下の左右を見渡しながらまず向かったのは透水……もとい透 -すぐ-のいる座敷であった。

427 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:40:38.51 ID:0qU1zNu20
愛栗子「透! おるか!」

透水「ひゃっ……! あ、愛栗子ちゃん……どうしたの?」

愛栗子「手ぬぐいじゃ! 手ぬぐいを貸せ! それもなるべく大きな……そう、頭を広く包めるものがよい」

透水「ええっと……」

愛栗子「はようせい!」

透水「は、はひっ!」

困惑しながら引き出しをあさる透を急かすと彼女から手渡される間も無く手ぬぐいを奪い去り、その黒布で己が髪を隠すよう包んだ。

愛栗子「これは貰ってゆくぞ!」

透水「ふぇぇ……」

そこからまた飛び出して人気のない裏口へと素早く滑り込むと鉢合わせた乱 -らん- の横を颯爽と風切りて外へと繰り出した。

乱怒攻流「え……? 今のって……」



428 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:41:36.52 ID:0qU1zNu20
愛栗子「はっ、はっ、はっ……」

愛栗子(確か、いつの日か駕籠の外から見た……ここらにあるはずじゃ)

確かな記憶を辿りながらそのあて求めて奔走する少女……時としてその姿は黒布など関係ないかのように民衆の目を集めていた。

「おい、あれ」

「いや、気のせいだろ。愛栗子様がこんな所に一人で来るわけが……」

民衆知る人ぞ知る将軍の寵児愛栗子……顔は隠せぞ美は隠せず。
彼女がどれだけ風に乗ろうとその美だけは振り切ることかなわなかった。

429 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:42:08.63 ID:0qU1zNu20
息も絶え絶え彼女が足を止めた場所は『用心棒』と書かれた小さな板を貼り付けた平家であった。

愛栗子「は、は……もし……!」

用心棒「んぁ〜? ぇ……」

愛栗子が転がり込んだ先、奥から出てきたのは見るからに酒の入ったうつけ男であった。

430 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:43:21.98 ID:0qU1zNu20
愛栗子「おぬし、看板からして護衛業の者であろう? ならば……ならばこの子を護ってはくれぬか! 詳しいことは話せぬ! 代も……今は急ぎで持ち合わせてはおらぬ! じゃが、どうか!!!」

彼女が己の意思で深々と頭を下げたのはそれが初めてのことであった。

用心棒「は……」

形式でも接待でもない。ただ懇願のための哀訴……それがうつけ男の琴線に触れたのかは愛栗子の知るところではないが男は差し出された赤子を抱き寄せて微笑を浮かべた。

431 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:43:50.71 ID:0qU1zNu20
用心棒「ハァ……わーったよ。代は、そうだな……いつかでいい。だが綺麗なお嬢ちゃん、アンタ自身で頼むよ」

酔った勢い口任せ。高位と美女には跪く。が、それらが男を筋の通った粋狂にさせるのだと後の時代でも語られる。故にこの時代の生き様を人はみな露離っ子と呼んだ。


432 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:44:27.71 ID:0qU1zNu20
その要求に愛栗子は一瞬こそ驚きを見せたがそれが可笑しくて含み笑い一つ吹くと一気に張った気が解かれて笑いを上げた。

愛栗子「ふふふふっ……よいよいそれでよかろう。礼を言うぞ。それでは、いつかの」

愛栗子(この夢うつつな男……わらわが将軍様の女と知っておればまずこのようなことは言わぬであろうな)

433 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:44:54.63 ID:0qU1zNu20
愛栗子が玄関から立ち去った後うつけ男は眠る赤子を見つめて一人目を丸くしていた。

用心棒「少し呑み過ぎたか? いや、まさか……だがあんな女見間違えるはずもねぇ……となると、このガキは……」

固唾、寝耳に垂らせば飛び起きそうなほど冷ややかな水であったが男の夢未だ覚めず。

用心棒「もしかしなくてもヤベェことに巻き込まれたんじゃねーか俺……」
434 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/09(日) 23:45:27.97 ID:0qU1zNu20

城に戻った愛栗子は壁越しに聞いた女中の話どおり大好木に呼ばれ彼の元に馳せ参じた。

愛栗子「愛栗子、参りました」

大好木「ああ来たか。……ところで、至高はどうした」

愛栗子「はて。しかし、誰もが羨む将軍様とわらわの子……」

435 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/09(日) 23:46:58.62 ID:0qU1zNu20




「子運び鳥にでも攫われたのやもしれませぬ」




436 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/09(日) 23:47:37.07 ID:0qU1zNu20
続く
437 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/02/09(日) 23:55:23.02 ID:uiPIx2Z0O
おつ。え、愛栗子ちゃんって子供産んでたのかよw
438 : ◆hs5MwVGbLE [saga]:2020/02/10(月) 00:47:09.05 ID:CaLDwjtG0
すみませんsagaをつけ忘れていたせいかなんか変なことになっていたので一応修正貼っときます
>>422
>>425
439 : ◆hs5MwVGbLE [saga]:2020/02/10(月) 00:48:17.15 ID:CaLDwjtG0

女中「失礼します。至高様のお守りを……」

愛栗子「ばかもの。坊ならもう寝付いたわ……それに何度も言っておるようにわらわは愛しき我が子にお守りなぞ必要とせぬ。必要となったならばこちらから頼むまでじゃ。散れ」

女中「ですが……」

女中を片手であおる愛栗子。が、女中からすればそれは業の放棄にあたる。
困り果てて一言挟みかけた女中だったが丁度そこに連なるようにしてもう一人遣いが現れた。

「将軍様のお客人がお見えだ。持て成して差し上げろ」

愛栗子「ほれ、どうやらお呼びのようじゃぞ。さっさとそこを閉めてしまえ」

一瞬迷いを見せた女中の者だったが、もう一度愛栗子に頭を下げると襖を閉じて隣に対応した。
440 : ◆hs5MwVGbLE [saga]:2020/02/10(月) 00:49:14.15 ID:CaLDwjtG0

「あまり大きな声では言えぬのだが、もしや愛栗子様はその妖術の試しにされるやもしれぬ。何しろあの美しさだからな」

「それ程愛されてらっしゃるということでしょう」

「それはそうかもしれないが妖術とは我らにとって未知。もし上手くいかなかったとき残された至高様はどうなる? 否、もう将軍様は決断なさっているのかもしれん」

「あの、何を仰っているのか」

「女子なら育てていくらでも使いようはあるが、至高様は男子だ。血筋が祟って面倒なことになる……その前に……」

愛栗子「っ……!?」

愛栗子は思わず口を押さえ込んだ。
あまりの恐ろしさに漏れそうになった小さき悲鳴を力を入れて堪えたのである。
441 : ◆hs5MwVGbLE [saga]:2020/02/10(月) 17:45:18.48 ID:CaLDwjtG0
続き
442 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:46:02.19 ID:CaLDwjtG0

少女は小鳥の囀りに誘われ、やがて追憶の夢から目を覚ます。
宿の床から身体を起こした愛栗子はまだ隣で眠る紺之介の顔を覗き込んだ。

愛栗子(妬いてしまいそうになるほど凛々しい寝顔じゃの)

その寝顔にどこか既視感を覚えつつも愛栗子は彼を起こさぬよう、一旦顔を引かせた。
紺之介が起きればまた旅が始まる。恐らく彼らにとってそこは最後かつ最期の地になり得る場所であった。
443 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2020/02/10(月) 17:47:02.21 ID:CaLDwjtG0

愛栗子、憂鬱に浸りつつそっと紺之介にもたれかかる。
今の旅が終わってしまうことが憂鬱なのか、それとも今歩き続けること自体がそれなのか、彼女今一度考えてはみたが答えは出ず。

彼らが幼刀刃踏-ばぶみ-そして奴-ぺど-を失ってはや一月……が、彼らの中の抉られた喪失感未だ癒えず。
季節はもはや冬近し。開けられた風穴にしっとりと吹き込んだ秋風が愛栗子らをひたすら沈鬱な空気へと陥れやるせなくさせていた。


444 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:47:35.58 ID:CaLDwjtG0
愛栗子「紺……わらわは、どうすれば」

あらゆる意味を含んだ問だった。
彼女の出したか細い声は在るかも知れずの解を追って木造りに吸われていく。

問いかけど声は返らず。
それは単に彼が寝ているせいかもしれなかったが、例えそうでなくとも求める答えは返ってこなかったろうと愛栗子はまた一つ溜息をついた。
445 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:48:50.12 ID:CaLDwjtG0

「あーつめた。顔を洗うのも一憂だわ」

襖が開く。
虚ろを見つめていた愛栗子の瞳は自然と音なる方へと流れていった。

乱怒攻流「あれ、もしかして邪魔だった?」

愛栗子「今さら改めて口に出すこともなかろう」

乱怒攻流「は? ちょっとあんたおもて出なさいよ。その寝起き面に冷水をおみまいしてあげるから」

といいつつも乱怒攻流穏やかに腰掛けて壁にもたれかかる。これらは最早互いにとって戯れで、そうと感じさせられる程度には彼女らは旅疲れていた。

446 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:49:53.71 ID:CaLDwjtG0
乱怒攻流「はぁ」

乱怒攻流も感嘆を漏らさずにはいられなかった。
彼らはあと一本の幼刀を収集すれば完遂だったところを逃したばかりか二本も失ってしまっのだ。
漏らす彼女の嘆きの根元、これに尽きる。

乱怒攻流「ねえ」

疲弊の少女、視線は前方のまま隣の愛栗子に語りかける。

447 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:51:06.58 ID:CaLDwjtG0
愛栗子「なんじゃ」

乱怒攻流「ずっと、聞かないようにしてきたんだけどさ」

愛栗子「はようせい」

乱怒攻流、気遣っていただけにむっと口をつぐむ。それを経て少し大きめの声で改めて口開いた。

乱怒攻流「じゃあ聞くけど! あんた本当は刃踏……ふみを助けられたんじゃないの」

愛栗子「まあ、その気になっておればの」

乱怒攻流「っ! じゃあなんでっ!」

愛栗子「炉と同じじゃ」

乱怒攻流「は」
448 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:52:04.31 ID:CaLDwjtG0

激情する乱怒攻流とは対極に、愛栗子は己でも厭うほど淡々とした調子で話していく。

愛栗子「ふみが刺されるあの瞬間、ほんの一瞬ではあったがあのままでよいと思ってしもうた」

乱怒攻流「それってどういう……」


449 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:53:19.71 ID:CaLDwjtG0
愛栗子「ぬしには今一度伝えておこう。わらわは炉を砕こうと考えておる」

乱怒攻流「な、何でよっ」

動揺する乱怒攻流。が、それでもまだ愛栗子調子崩さず。

愛栗子「その意図は……まあ今はどうでもよかろう。とにかくその意思があったが故に割って入るのに躊躇してしもうた部分はある。じゃがそれよりも……やはりわらわはふみを妬んでしもうたのじゃ」

少女二人、互いの顔が更に影る。


450 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:55:50.79 ID:CaLDwjtG0
愛栗子「紺に頼られたあやつを、強く妬んでしもうた。あの場であやつが砕かれるのをよしとしてしもうた。まるで炉と同じじゃ……奴とわらわとで何が違う。 そう思うと、もはやあの場で奴を追う気すらおこらんかった」

乱怒攻流は愛栗子の言葉に驚愕と不快を抱きつつ児子炉の発言を思い出していた。

乱怒攻流「何よそれっ……最ッ低……!」

とうとう乱怒攻流が愛栗子に掴みかかったときだった。

紺之介「ぅ、ン……煩いぞお前ら。ああもう朝か……適当に支度して行くぞ」

激情した乱怒攻流の声に掻き立てられて目を覚ました彼によって一先ず諍いは身を潜めた。
451 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:56:52.76 ID:CaLDwjtG0

愛栗子の衣服から手を離した乱怒攻流は荷物を纏める紺之介に駆け寄りて小声で告げる。

乱怒攻流「紺之介……ちょっとあいつのこと納めてよ」

紺之介「何故だ」

乱怒攻流「いいから!」

愛栗子の納刀を乞う彼女の意図など一寸とも理解できぬ紺之介であったが愛栗子の方へと目配せしたところ、乱された服装のまま虚ろな目で畳に座した彼女を見て適当に察すると静かに碧色鞘を握りて「納刀」と呟いた。
452 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:57:31.45 ID:CaLDwjtG0
乱怒攻流「珍しく聞き分けいいじゃない」

紺之介「寝起きだったんだろう。あれは何となく歩き出すのに時間がかかりそうだと、そう感じただけだ」

乱怒攻流「そう。まあいいわ……ちょっとあんたに話したいことがあるの」

紺之介「分かっているとは思うが先を急ぐ。歩きながらでも構わんか?」

乱怒攻流「ええ」

彼らは一先ず宿を出て再び武飛威剣術道場へと歩み始めた。
453 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 17:59:32.42 ID:CaLDwjtG0


紺之介「で、なんだ」

乱怒攻流「愛栗子ったら本当は本気を出せばあのときふみたちを助けられたのに助けなかったの。最低だと思わない?」

彼女は今まで内に秘めてきた苛立ちごとまるでその背嚢から取り出すがごとくここぞとばかりに告げ口を開く。

乱怒攻流「で、その理由を聞いてみたら『あんたに気に入られていたふみが気に食わなかったから』だって……ねぇ、幻滅するでしょ? ほんと、ほんっっと最低よね」

隣を歩く彼に共感を求めるよう視線を送る乱怒攻流であったが彼女の思惑とは裏腹に紺之介の顔は至って冷静かつ無表情で、あまりにもいつもの彼のそれであった。

乱怒攻流「ねぇ、ちょっと……」

彼女の話が終わったことを察すると紺之介はやっと口を開く。

紺之介「そうか」

が、その口が開いたのは一瞬だった。

454 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:02:34.93 ID:CaLDwjtG0
乱怒攻流「うそ……それだけなの?」

紺之介「その話が本当だとして、幼刀が情に駆られ他の幼刀の破滅を望むことなどもはや驚くことでもないだろう? それにお前も夜如月では愛栗子を破壊しようとしていただろ……それと何が違うというんだ」

乱怒攻流「それは……」

『そのときの言葉の綾』そう続けたい彼女であったが、それは愛栗子と改めて共にした今だからこそ言える言葉であった。
当時がどうだったかなど正しき指針はもう彼女になく、そのことを認めたのか乱怒攻流の口はそこで潰えた。


455 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:03:00.42 ID:CaLDwjtG0
乱怒攻流「うそ……それだけなの?」

紺之介「その話が本当だとして、幼刀が情に駆られ他の幼刀の破滅を望むことなどもはや驚くことでもないだろう? それにお前も夜如月では愛栗子を破壊しようとしていただろ……それと何が違うというんだ」

乱怒攻流「それは……」

『そのときの言葉の綾』そう続けたい彼女であったが、それは愛栗子と改めて共にした今だからこそ言える言葉であった。
当時がどうだったかなど正しき指針はもう彼女になく、そのことを認めたのか乱怒攻流の口はそこで潰えた。
456 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:03:54.54 ID:CaLDwjtG0
紺之介「あの結果は全て俺の弱さが招いたものだ。あいつに頼る決断をしたのも、あいつらを守れなかったのも、源氏を斬り伏せることが叶わなかったのも、全て俺の弱さだ」

紺之介「故に次こそは弱さを捨て全力を待ってあいつに勝つ。そのために今は前へ進む。それだけの話だ」

紺之介はそうはっきり言い切ったのち言葉の通り真っ直ぐ前を見てまた無言になった。

457 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:05:50.24 ID:CaLDwjtG0
乱怒攻流(もぅ……なんなのよこいつら)

少女は下唇を噛んだ。あまりのやるせなさに。
そして良くも悪くも事が転がらない現状に握り拳が固められる。

彼女はひたすら懸念していた。
『紺之介は源氏に敗れるのではないか』
『紺之介はきっと死にに行く覚悟でも己を実直に通すのだろう』と

ならば罪の意識で愛栗子を動かし事の収拾をつけさせるしかないと願うが……

乱怒攻流(どうせこいつがそれを許さないし、許してくれないなら愛栗子も無理には動かない)

『となればこの身は愛栗子と共に砕かれるであろう』

彼女の考えうる最悪の結末であった。

458 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:07:12.49 ID:CaLDwjtG0
乱怒攻流(共倒れだけはごめんだわ……せめてあたしだけでも勝手に動けるようにしとかないと)

助け舟を求める乱怒攻流はその場に立ち止まって背嚢を漁ると紺之介の袖を引いた。

乱怒攻流「ねえ」

紺之介「なんだ」

乱怒攻流「透水を手元に戻しときましょ。 源氏があんたを待っている内に導路港へ寄り道しないとも限らないでしょ? 」
459 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:08:28.02 ID:CaLDwjtG0

紺之介、差し出された藍色の鞘を握りて乱怒攻流に確認を取る。

紺之介「なるほど一理あるな。しかしいいのか? あいつには一応お前の縦笛を探させている。もしあいつがまだそれを見つけていなければ……」

乱怒攻流「いいからっ!」

彼女にとってもそこだけは博打であったがそれもやむなしとして彼を急かした。

460 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:09:17.74 ID:CaLDwjtG0
紺之介「分かった」

改めて鞘を握りて紺之介、目を閉じ闇を覗き深海の果てよりそれを呼び込む。

紺之介「……納刀」

彼がそう口にしたとき藍色の鞘口に水飛沫が集まりて一つの柄となった。
それを引き抜くと彼らから見て久しき痴態、そこに姿を現わす。

461 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:10:32.75 ID:CaLDwjtG0
透水「ふぇ……? 紺之介、さん……?」

紺之介「相変わらず妙な格好だな」

乱怒攻流「ほんと性格に似合わず変態的よね」

二人の下げた目線に透水は顔を照らして肩を抱く。

透水「うやぁ……」

乱怒攻流「『うやぁ』じゃないわよ。ん!」

乱怒攻流が伸ばした手で例の件を思い出した透水は己の襟口から縦笛を取り出し彼女の手に返した。

透水「あ! これだよね! 乱ちゃん『将軍さまから貰ったんだー』って大事にしてたもんね!」

462 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:12:01.87 ID:CaLDwjtG0
「よかったね」とにこやかに透水が手渡す一方乱怒攻流は嬉しさ半分微妙な顔つきでそれを手にとって見つめる。

乱怒攻流「あんたどこから取り出してんのよ……ってか磯臭っ! もぉ〜……とれるかしらこれ」

透水「一生懸命探したのに……」

微笑みから一転。半べそになる彼女の頭に紺之介は己の手を乗せた。
463 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:12:40.97 ID:CaLDwjtG0


紺之介「欠けた刀の刃が戻ってきたんだ。お前はよくやってくれた」

透水「う゛ぅ〜……紺之介さん……あ! 私を戻したということは……大きなお風呂が!」

紺之介「悪い。事情が変わってな……お前を呼び戻したのはそこの背嚢だ」

透水「え……」

期待の裏切りからか何とも言えぬ表情で透水が彼の指差す先を見る。

乱怒攻流「い、いやそんな言い方ないでしょっ!? どの道この子を守るためには呼び戻す必要があったんだからっ!」

464 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:13:48.47 ID:CaLDwjtG0
透水「なら」

乱怒攻流「? なに」

透水は相変わらず笑顔満面というわけにはいかなかったが微笑み混じりに彼女に語りかけた。

透水「ならせめて、ここまでの旅を私に聞かせてくれませんか」

乱怒攻流「……言われなくてもそうするつもりよ」

紺之介「歩きながらで構わんな。乱、頼んだぞ」

乱怒攻流「あ、もぅ」

黙々と歩き出す紺之介の後に続くようにして二人も歩き出す。

乱怒攻流「とりあえずあんたと導路港で別れたところから話すわね」

透水「うん」

乱怒攻流「あのあとーー」

465 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:16:10.93 ID:CaLDwjtG0

…………

夜、山道青暗くなりて獣の目も光り出す頃紺之介らはひとまず歩みを止めた。

紺之介「前の宿で中居に聞いたのはこの辺りか」

一行山林から少し開けた土地に出ればそこには平家の宿。よく見ると建物後ろ側から湯気立ち込めて淡く霧が如く周囲を包んでいる。

その風景に透水はうっとり瞳を輝かせた。

透水「これってもしかして温泉宿ですか!?」

紺之介「そのようだな」

乱怒攻流「へぇ、いいじゃない」

466 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:16:43.83 ID:CaLDwjtG0
透水「早くまいりましょー!」

一人足早に駆け出した透水は後方の二人に対して大振りに手を振る。
その様子に紺之介と乱怒攻流はつい顔を合わせた。互い呆れ混じりではあるものの口元にほころび浮かばせ前へ進む。

幼刀という名の友を失いし一行、その傷口は簡単に閉じてくれるはずもないが透水との無事の再会は何処か彼らに癒しをもたらしたのだった。

467 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:17:48.92 ID:CaLDwjtG0
………………


透水「ふぅ〜……温かいお風呂なんて久しぶりですよ〜」

紺之介が宿部屋にて足を休める一方、外気に浮いた白湯気が少女三人を包んでいた。

肩を撫ぜる愛栗子、湯に浸かりながらふとこぼす。

愛栗子「ここは混浴なのであろう? ならば紺もくればよかったというのに……まったく無駄に実直なやつめ」

468 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:19:51.08 ID:CaLDwjtG0
乱怒攻流「いや私はあんな刀馬鹿となんか御免だから。きっと幼刀のあたしたちをいやらしい目でじろじろ見るに違いないわ」

愛栗子「ふっ、幼刀でなくともわらわの柔肌に男が惹かれぬという方が無理なこと。あやつが見たいと言うのなら見せてやればよいだけのことではないか。それともなんじゃ、ぬしのそのあまりに貧相な身体では流石に羞恥が勝ってしまうか?」

乱怒攻流「なんですってぇ〜!」

透水「あわわ……二人ともせっかくの温泉なんだからぁ」

顔を突き合わせる二人の間に割って入る透水。が、その光景から彼女はどこかほほえましさのようなものを感じ取った。

透水(導路港じゃあんなに仲が悪そうだったのに)

自らが居なかった期間で紺之介も含め彼女らの間に見えない絆が育まれていることを確信した透水は何処か寂しそうな顔つきになるとついに叶わぬ願いを吐露してしまった。

透水「他のみんなもこの場にいたらもっと楽しかったのかな……」
469 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:21:05.10 ID:CaLDwjtG0
湯と共に和らいだ空気が一転。
湯気をも凍てつく静けさが彼女らを覆った。

透水「へ……ぁ、ごめんね! 私つい……」

愛栗子「恨んでよいぞ」

透水「別にそんなつもりじゃ……! ただ、やっぱりみんないっしょがよかったなって……」

乱怒攻流「それ何の擁護にもなってないわよ」

透水「あぅ……」

俯く愛栗子をなだめるようにかこった透水だったが上手く言葉が纏められず口が滞る。
再び静寂に包まれた温泉場であったが彼女らの髪から滴る水滴と共に乱怒攻流がぽつぽつと喋り始めた。
470 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:22:56.43 ID:CaLDwjtG0
乱怒攻流「ええ恨むわよ。透水もあの子たちもお人好しだから、その分まであたしがあんたを恨んであげる」

透水「ふぇぇ……」

彼女の横で何か言いたげな透水だったがそこを割り込ませまいという気迫で乱怒攻流は口を動かし続ける。

乱怒攻流「でももう悔やんだって壊された二人が戻ってくるわけじゃないしあたしはあたしであいつらに壊されないようにするだけ。紺之介に何を言われようがね」

殆ど一息で通した乱怒攻流であったがそこまで言い切ると一息二息置いて声量を下げ、あとはわずかに残った口内の残響をゆっくりとはきだし始めた。

乱怒攻流「ただ……そうね、まだ少し気がかりなことがあるとすれば、何であたしたちの魂を刀にとどめることのできた将軍さまが、自分の魂を残そうとはしなかったのかしら」

471 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:23:47.28 ID:CaLDwjtG0
透水「た、たしかに。将軍さまも生きててくださったならこんなことには」

愛栗子「それはもはや誰にもわからぬ。理解しえぬことじゃ……しかしあの方は当時露離の世の頂に立つ者だったのじゃ」


愛栗子「物とは誰かに使われて然るもの。例え己が魂を刃に変えたとて、それより上を持たぬ者が人に振るわれるなぞ到底耐えられるとは思えぬがの」



…………………
472 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:24:47.28 ID:CaLDwjtG0
紺之介「ふンッ! ふンッ!」

足を休めたのもつかの間、紺之介は一人外へと繰り出し素振りを重ねていた。
二度もいなされたのだ。彼にくつろぐ時間など皆無だった。

紺之介(九十一……九十二……!)

彼が信じられるのは己の力のみ。その中で最凶と最狂の幼刀剣士を次こそ相手にしなければならない。
今勝てぬ身体ならば、今すぐ勝てる身体にしなければならぬ。紺之介はただ必死だった。
473 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:25:43.41 ID:CaLDwjtG0
紺之介(九十九……百……!)

『百』と心中数えた紺之介であったが実際の数はもはやそれより倍かそれ以上であった。それだけの五里霧中無我夢中に長旅の身体がおとなしくついていけるはずもなく、崩れるようにして力なく真剣を土に立てる。

紺之介「はっ……はっ……」

土に十滴ほど汗を吸わせたところで彼の背後から声がかかった。

「あがったわよ」

474 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:26:57.22 ID:CaLDwjtG0
紺之介「……そうか」

かかる声を気にも止めずにもう一度刀を上げた紺之介に背後から影が忍び寄る。
彼がやっと近づいてくる影に目を向けたとき、それは白刃を持って紺之介を切り裂かん勢いで迫ってきた。

紺之介「っ……!」

475 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:28:26.66 ID:CaLDwjtG0
背後の刀は寸手で契約の壁に阻まれる。
それでも白刃は彼の腹上、紺之介はそれが己に腹部に到達しないことを知っていたが一先ず身を引いてその刀の持ち主から距離をとった。

乱怒攻流「今死んでたわよ。あんた」

手持ちの刀を背嚢にしまいながらな乱怒攻流はフッとため息を吐いた。

紺之介「死ぬと分かっていたらかわしている」

乱怒攻流「嘘つかないでよ」

紺之介「嘘ではない」

乱怒攻流「嘘じゃなくてもよっ! 今の一撃があたしのじゃなかったらどうなっていたことやら」

476 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:29:49.63 ID:CaLDwjtG0
紺之介「そこまで自己評価の低いやつだったか?」

彼の目には目新しく大人びた冷静さを保つ乱怒攻流の姿がそこにあったが、揚げ足をとるような返答に彼女はついに頬を膨らませて大声を上げた。

乱怒攻流「なによっ! せっかく人が心配してあげてるのに! 偶には休まないと本末転倒だって言ってあげてるのが分かんないの!? というかあんた毎日そんなになるまで素振りして汗臭いったらありゃしないのよ! さっさとその汗流してきなさい!」

紺之介「はぁ……分かったから部屋へ戻れ。それ以上叫んだら納刀する」

紺之介はそう言いながら愛刀を納めると浴場の方へと歩き始めた。

乱怒攻流「ふん! 早く! 行った行った!」

乱怒攻流「……」

まだ何か言いたげだった乱怒攻流を残して。

477 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:30:47.51 ID:CaLDwjtG0
……………


紺之介「まだいたのか」

紺之介が浴場を訪れるとそこにはまだ藍髪の少女が肩を浮かべていた。
ただ一人ぼーっとした表情で水面に浮かんだ燭台を見つめていた彼女であったが紺之介の声に気がつくと彼の方へ振り返って軽く手を振る。

478 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:31:48.58 ID:CaLDwjtG0
紺之介「風呂好きだとは知っていたがまさかここまで長風呂とはな。のぼせないのか?」

透水「これくらいでは全然……それに久しぶりのお風呂でしたし」

紺之介「そうか」

ゆっくりと足から浸かり目を瞑って岩壁にもたれかかった紺之介の隣に透水が燭台を運んで並ぶ。

透水「二人から聞きました。素敵な旅のお話」

紺之介「そうか」

目を閉じたままあまりにも素っ気ない返答を続ける紺之介に少し苦笑する透水だったがめげることなく彼に話題を振っていく。

透水「しょの……紺之介さんからも……聞きたいです」

479 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:33:07.36 ID:CaLDwjtG0
その透水の切望すら湯に流すように無視した紺之介。が、徐々に己の耳元に顔が近づいてくるのを感じてようやく目を開けた。

紺之介「なんだ」

透水「ふぇあっ……! ぅ、もしかして眠ってしまったのかと……」

紺之介「こんなところで眠るわけがないだろ」

透水「だって……」

切なそうな表情で水面にて指をこねる彼女に紺之介は重く閉ざした口を仕方なく開き始めた。

紺之介「素敵な旅だと……? 一体何処をどう切り取ればそうなるのやら……俺には全く理解できん。 それにこれはいわば俺の一人旅……否、依頼されたことを考えれば仕事と言って差し支えないことだ。やつらも、お前も、名刀であることを除けば無駄な旅費を啜るだけの荷物に過ぎん」

480 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:34:19.34 ID:CaLDwjtG0
透水「なんで、そんな寂しいこと言うんですか。刀を集めることにわくわくしたりとかしなかったんですか」

紺之介は俯いてしまった透水を細目で見つめつつ懐かしむように旅の記憶をなぞった。

紺之介「高揚感、か……最初はあったかもな。だがそうも言ってられなくなった。ただそれだけの話だ」
481 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:37:49.32 ID:CaLDwjtG0

そして四半時足らずして湯から腰を浮かせる。その様子は自らに時間がないことを行動にして示しているようでもあった。
その場にいる者が対局たる長湯であったため尚更のことと早足が映える。

透水は焦り思わず言葉選ばずして彼を罵った。

透水「そんなっ……! あのとき私に生きる意味を、希望を与えてくださった紺之介さんがそんなつまらない人だなんて私は思いたくありませんっ! ……ぁ」

勿論本心であるはずもなく、彼女自身の柄にも合うはずもなく、言い放った後に彼女はハッとした表情で口を抑え込んだ。

透水「ぅ……すみま、せん」

もはや反射である。
口を覆った彼女の手指の隙間から漏れ出すようにして言葉が寂しく浴場を漂った。

482 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:38:47.32 ID:CaLDwjtG0
紺之介「フン。少なくとも今ばかりはつまらぬ人間で上等だ」

当然紺之介も彼女の内を理解してはいたのだがあえて拗ねるようにしてそっぽを向いた。
そのままとうとう脚も湯を離れる。

483 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:39:29.27 ID:CaLDwjtG0
透水「……私は海とお風呂が大好きです」

背中に張り付くように呟かれたその言葉に紺之介は歩みを止めた。

紺之介「知っている」

透水「私は水が大好きです」

紺之介「だから知っていると言っている。何が言いたい。まだ罵り足りないなら今のうちに全て言っておけ。どうやらお前は溜め込む性分のようだしな」

紺之介振り返りて少女に問う。
彼女は紺之介の方を見ようとはしなかったが伸ばした脚を三角にたたみて抱えるとゆったりと呟き始めた。

484 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:40:58.06 ID:CaLDwjtG0
透水「それは将軍さまと一緒にいたときからそうに違いなかったのですが……暫く導路港にいてもっと大好きになった気がするんです。この気持ちはきっとこの身体にならないと分からなかった」

先の焦りの反動かその声はいつもにも増してか細く繊細につづられる。

透水「愛栗子ちゃんのお話を聞いてて思ったんです。だからもし、私にとってのそれが愛栗子ちゃんの紺之介さんへの想いなら……それはとっても素敵なことだなって……紺之介さんも愛栗子ちゃんのことが大好きなんじゃないんですか?」

485 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:42:02.56 ID:CaLDwjtG0
紺之介「無論。やつほどの美刀、この手中に収めんと奮闘してここまで……」

そこまで口にして紺之介は目を見開く。
彼は己が何のために歩みを積み重ねてきたのかを思い出したのである。

紺之介(そう、か……俺の真の目的は幕府の忠犬の末裔に協力することでも、ましてや父や刃踏たちの仇討ちなどでもない)

紺之介(俺の目的は、こいつら美刀を己の手に収集すること……)

486 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:42:44.34 ID:CaLDwjtG0
紺之介「フッ」

紺之介は言葉を詰まらせたかと思うと唐突に短く鼻笑いをこぼした。

透水「ふぇ? どうしたんですか……?」

何事かと思わず彼の方を見た透水に紺之介は礼を授けた。

紺之介「礼を言う。お前のおかげで、自分が一体ここまで何をしてきたのかを思い出せた」
487 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:43:54.77 ID:CaLDwjtG0

薄く浮かべられた彼の笑みに透水は満面の笑みで返した。

透水「よかったぁ……紺之介さん、導路港で初めて会ったときよりすごく怖い顔してたから……」

紺之介「が、未だに愛栗子が俺に固執する意味が分からん。あの恋愛脳なら他の男でも良さそうなものだがな……まあゆくゆく手に収めておくにはその方が都合が良いと今まで気にしないようにはしてきたが……その点は何か聞いてないのか?」

透水「う……しょ、しょれはぁ……」
488 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:45:01.63 ID:CaLDwjtG0

吃る透水、それを見つめる紺之介。
少しばかり膠着した両者だったがとうとう透水が紺之介の視線から逃げるようにして目をそらし、そうして露骨に声を上げると長湯から立ち上がった。

透水「ああきもちよかったぁ〜!」

ぺたぺたぺたと軽快な足取りでそのまま紺之介の隣を横ぎろうとした透水であったが彼がその不自然を許すはずもなく彼女の肩を捕まえて二の腕ごと引き寄せた。

透水「ひゃっ」

嗚呼哀しきかな力量差。

紺之介「何か知ってそうだな。どうせ大した理由でもないだろう?」

透水「あわわ……」

例え幼刀といえども透水にそれを振り払えるはずもなくがっちりと両肩を掴まれたとき透水はとうとう観念を示した。

透水「あうぅ……愛栗子ちゃんには私から聞いたって言わないでくださいよ?」

紺之介「心得ている」

489 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:45:46.91 ID:CaLDwjtG0
汗にも似た水滴が透水の頬を伝う。
彼女が唾を飲み込んで一呼吸置いたとき、それまで『大した理由ではない』と決めつけていた紺之介もつられて漂う緊張感に当てられた。

紺之介(一体何をそんなに躊躇う必要がある)

透水「紺之介さんは……」

次の瞬間、紺之介は己の耳を疑った。



「将軍さまの末裔かもしれません」




………………
490 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:46:29.17 ID:CaLDwjtG0


紺之介「ふっ……! ふっ……!」

日に十里ばかり渡り歩き夜は鍛えるために真剣を振るう……当然今日も既に疲労を蓄積させた紺之介の身体であったが何故かその身は眠るにいたらなかった。

紺之介「は……はぁ、はっ……」

その原因は透水から聞いた信じられぬ驚言にあり。再び素振りに勤しめば無心になれるやもと試みた紺之介であったがどうにも動揺を振り払えずにいた。
491 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:47:10.43 ID:CaLDwjtG0

「精がでるのう」

そしてその動揺は突如形となりて夜深き闇に浮かびあがる。
声が耳に入るやいな腰の碧鞘を握り込んだ紺之介であったが、ひとまず喉にせり上がる『のうとう』の四文字を呑み込むとその動揺の根源を無理やり振り払うのをやめた。

『案ずるより産むが易し』
本当に気になって仕方がないのならいっそのこと聞いてしまえばよい。
紺之介はそう考えたのである。

492 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:47:54.18 ID:CaLDwjtG0
愛栗子「じゃが、それではあやつらには勝てぬ」

だが聞く前に加えて彼の癇に触る愛栗子の言動。紺之介はそちらの方が気に食わず思わずそれについての返答をしてしまった。

紺之介「だからこうして少しでも鍛えている」

紺之介、聞きたいことを聞くどころかそっぽを向いてまた刀を振い始めてしまう。

彼自称剣豪
勝てないと決めつけられた事が断固許せなかったのである。

493 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:49:10.65 ID:CaLDwjtG0
愛栗子「はあ、強情なやつよの。勝てぬと言っても全く勝機がないと言っておるのではない。ぬしにとっての勝利とはすなわち幼刀児子炉を手中に収めつつ源氏を制することじゃろう? それが不可能なのじゃ」

紺之介「……」

一言も発さずまるで刀を振るう絡繰のようであった彼の腕が止まる。
彼も悟っていたことではあるもののそれは受け入れがたし決断であった。

紺之介「児子炉を壊す気で白刃を握れと」

494 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:50:08.54 ID:CaLDwjtG0
ここまでの出来事で彼らが児子炉の凶暴さを測れる尺は大きく二つ。
一に盾のような硬度を有すると謳われた俎板を破壊していること。
二に紺之介をも唸らせた刃踏の戦意を削ぐ包容力を有無を言わさず貫いた狂気。

どちらも人智を超えた幼刀の力を覆したとされる情報である。
人が手を抜いて抑圧できるはずもなし。
それが分からぬ紺之介でもない。

だが愛栗子の発言はもう一段過激を追求していた。

愛栗子「壊す気≠ナはない。壊せ。それが奴のためでもある」

495 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:51:05.02 ID:CaLDwjtG0
紺之介「どういうことだ?」

紺之介ひとまず愛刀を納め愛栗子の方へと向き直る。

愛栗子「あの控え書きの順は覚えておるな。将軍様が炉を最後に封じ込めたのは彼女を最愛としておったからじゃ。奴はそのことに気づいておらぬ。故に、将軍様のため、奴のためにわらわはもう一度二人を黄泉にて会わせてやるべきじゃと考えておる」

愛栗子は紺之介へと深く歩み寄ってから彼の目に強く訴えかけるようにして告げた。

496 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:53:36.02 ID:CaLDwjtG0



愛栗子「深く愛した故にあのように歪んでしもうたが、奴の恋愛は真のものじゃ。わらわはその尊さに敬愛を捧げたい」


497 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:54:59.25 ID:CaLDwjtG0

辺りは夜。季節は冬間近。
彼らの間には灯一つなし。

しかし微かに慣れた紺之介の夜目に少女の瞳は大きく映った。

それは吸い込まれそうな程の美の幻影。
刃踏とはまた違う、『情熱的に愛を愛する者』の姿。

紺之介、焦がれる心拍に酔いしれてただ思う。

ただ、ただ

紺之介(美しい……)

それは彼が露離魂町にて最初に彼女を目にしたときにも感じた衝撃。何故今さらになってまたそれが起伏したのか、そんなことを考え直す余地も今の彼にはなかった。
498 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:56:06.90 ID:CaLDwjtG0

紺之介はその美の肩に手を置いて呟いた。

紺之介「ああ分かった。お前の言っていることは相変わらず恋愛脳としか思えんが、だが俺はやはりなんとしてでも生きて帰らねばならぬことを思い出した。そのために全力を持って児子炉と対面しよう」

そしてそのまま背に片腕をまわし愛栗子を抱き寄せた。

愛栗子「あっ……」



紺之介「お前を、俺のものとするために」



荒々しくも繊細に。剣豪、美刀をいだく。

499 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:57:29.48 ID:CaLDwjtG0
愛栗子「こ、ん……?」

唐突な抱擁に一瞬らしくなく赤面する愛栗子。だがその言葉の意味をゆっくりと噛みしめて彼のみぞおちに額をうずめるとまたいつもの調子にもどって堂々と想いを告げた。

愛栗子「……うむ。惚れ直したぞ紺。やはりわらわの真の恋愛はぬしとでなければならぬ……迷いもあったが、ふみにそれを思い知らされた」

愛栗子「今は刀としてでもよい。後に必ずおなごとしてぬしを振り向かせてみせよう。それがたとえ、脱兎を追い続ける途方もない夢物語だとしても」

500 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:58:32.97 ID:CaLDwjtG0
愛栗子は紺之介にもう一歩深く寄りかかると彼の手に金色の懐中時計を握らせた。

紺之介「南蛮のものか……?」

愛栗子「絶世の美少女の魂を封じた幼刀 愛栗子-ありす- 。ものにしたくば全力を尽くせ。して、全力を尽くしたくばわらわを振え。それはわらわの真の刀じゃ。露離魂を持つ所有者が使えば心の臓に負荷をかけることで常人にはない速さを得る。わらわがために魂を燃やせ」

501 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 18:59:20.10 ID:CaLDwjtG0
紺之介「これが……なるほど。しかし取り憑いて早死を誘うとはいよいよ妖刀らしくなってきたな」

揶揄うように薄ら笑いを浮かべる紺之介に愛栗子は「笑い事ではない」と頬を膨らませた。

愛栗子「貸してやるのは決戦のときまでじゃ。わらわはできるだけぬしと共に生きたいと考えておる。故にこれでも貸すのを渋っておったのじゃ。しかしわらわ自身が戦場に立つのはならぬのであろう?」

紺之介「無論だ」

彼女の問いかけに紺之介即答す。

愛栗子「うむ。ではの」

502 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 19:00:10.24 ID:CaLDwjtG0
手を後ろに組んで機嫌良く鼻歌を歌いながら宿へと戻る愛栗子。
その姿は紺之介の目に久しく映った。彼女が愉快にこっぽりを鳴らす度、ふきぬける凛とした令風が彼の中にあった不安の靄をも払いのける。

覚悟引き締められつつもなだらかになっていく心の中、紺之介はハッとして愛栗子を呼び止めた。

紺之介「愛栗子」

愛栗子「む……?」

紺之介「何故、俺なんだ」

503 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 19:02:04.24 ID:CaLDwjtG0
紺之介がそう問いかけると愛栗子はフッと微笑を浮かべ彼から見て後ろ姿のまま答えた。

愛栗子「始まりなぞもはやどうでもよかろ? わらわはただ、現世にとどまったこの身で今ぬしに恋い焦がれておる。それだけの話じゃ。しかしそうじゃの……あえて言うのならば」


愛栗子「そこにまことの愛があるから……かの」


その後紺之介が「やはり理解できん」と愛栗子の後ろ姿にぼやくも彼女がもう立ち止まることはなかった。


愛栗子(……うつけ、随分と待たせたの。これで許してもらおうとは思わぬが、ひとまずぬしが遺した場所には帰ってきたぞ)


504 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 19:02:54.57 ID:CaLDwjtG0
その日の夜の夢、紺之介は父と修行した過ぎ去りし日を見た。

庭木の花弁が散りゆく陽の中で、共に竹刀を振るが二人。

百と大きく声を張り上げた少年に、その子の父は手を置いて撫でた。
「百一、百二……」と続ける我が子に休めと伝えるように。

505 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 19:03:41.95 ID:CaLDwjtG0
最高「はっはっはっ! 紺之介、やはりお前には輝く才気がある! この俺よりな! もしや将軍様の子かもしれんな」

紺之介「……? おれは父上と母上の子ではないのですか? もしやめかけの……!? いやしかしそれだと将軍様というのは……」

一人混乱する紺之介に最高は待て待てと言って諭す。

最高「お前は間違いなく俺とあいつの子さ。だがまあ、可能性の話だな。この世には今もいつどこに将軍様の血筋が眠っているか分からんからな」

506 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 19:05:06.63 ID:CaLDwjtG0
紺之介「将軍様は将軍様の兄弟や息子がつぐのではないのですか?」

最高「ははっ、それはそうだがな紺之介。将軍様は俺なんかよりさらに女好きなんだ。となれば妾との子もそれなりだ。しかしその子供はときに乱世をも生み出す」

最高「となれば赤子の道は茨の生か残酷な死か。もし茨の道を選んだのなら影で生きるため真名は隠さねばならん。よって先ずは姓を変えねばならぬのだが不望の子とて城生まれの男。親もその誇りを我が子から完全に奪ってしまうのは忍びないだろう? よってまずは読みを変えたと聞く」

最高「しかしそれだけではやはり危険としてとうとう字をも変えたそうだ。この話が本当なら、今となっては何処にその血筋が残っているかなど分かるまい」

507 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 19:08:00.82 ID:CaLDwjtG0
そこまでは流暢ながらもやや真面目な面持ちで語っていた最高だが急に高笑いを上げるともう一度、今度は深く紺之介の頭に手を置いてそのまま髪をかき混ぜるがごとくわしゃわしゃと撫で回した。

紺之介「んぇっ……父上……?」

最高「でな? 俺はこの話を我が父……お前の祖父にあたる人から聞いたんだが、『故に我が家ももしかすると将軍様の血筋かもしれん』と言ってな? もしそうだったときのために子に釣り合う名を与えてやらねばならぬとして俺に『最高-もりたか-』と名付けたと言うんだ」

最高「だからな……紺之介。同じ理由で俺はお前に紺色の名を授けた。『紺』は権威を持つものが有する魂の色彩なんだ」

……………………………
……………

508 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 19:12:08.39 ID:CaLDwjtG0
紺之介「んっ……」

眩しく晴れやかな朝日に当てられて紺之介は目を覚ます。ゆっくりと上体を起こし軽く伸びる。
心身共に重りを感じぬ己の足に彼は最後の旅立ちの風を乗せた。

彼に続いて歩く三人の少女も何処か昨日より晴ればれとした表情をしている。


再び歩き出した彼は昨晩見た夢を思い出し含み笑いを浮かべると、道中冗句を口にするように呟いた。

509 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 19:13:59.63 ID:CaLDwjtG0




「フッ……『露離 紺之介』か……」



510 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/10(月) 19:14:30.16 ID:CaLDwjtG0
続く
511 : ◆hs5MwVGbLE [saga]:2020/02/24(月) 00:36:50.14 ID:7Hi8D/RJ0

源氏「ハァ〜……どっこいしょっと」

季節は初冬。曇り空の冷めた空間は男の吐いた息を一瞬で白く染め上げた。
彼が腰掛けた木造は短く軋みその音に目を覚ました野良猫は彼らにそこを譲るかのようにその場を去っていった。

自分の洋服と同じ色をした猫を目で追っていく児子炉の横で源氏は寂れた道場の埃をなぞる。

源氏(やっぱ誰も居なかったか……まァ弱ぇ奴しかいなかったしな)

紺之介一行らとの二度目の邂逅から二月。源氏と児子炉は彼らより一足早く武飛威剣術道場に足を踏み入れていた。

猛者どころか刀を握る者すらいなくなったその場所に若干の虚しさを覚えつつも彼はただ一人、理想たり得る強者を待つ。

源氏(ま、所詮は開けた戦場の待ち合わせ場所よ。他には特に思いつかなかったしな。むしろ誰も居なかったのは好都合だ)
512 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:38:05.88 ID:7Hi8D/RJ0
源氏「どうだ、ちゃんと奴らはこっち来てるか」

児子炉「ちかづいてきてる。たぶん、もう少し」

源氏「はァ〜楽しみだなオイ。待ちに待ったアイツとの本気の激闘が遂に幕を開けるってわけだ」

もはや滾る闘志を抑えられないといった様子でガハハと豪快な笑い声をあげる源氏は児子炉の背をバシバシと叩く。
方や別段強者との戦を求めているわけではない児子炉は彼の剛毅な態度に対して不快そうに熊人形を抱きしめた。

513 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:38:55.64 ID:7Hi8D/RJ0
源氏「なんだいつにも増してノリが悪いじゃねェか。お前ももう少しで闘り合いたかった奴に会えるんだろ? もっとアゲてけよ」

無論児子炉が源氏の言うところの『ノリ』がよかったことなど一度たりともない。
だが彼女がいつにも増して陰気であることは確かであり差し当たって源氏もそれを理解しての発言であった。

514 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:40:17.51 ID:7Hi8D/RJ0
児子炉「……愛栗子といっしょにいたアレ」

源氏「んァ?」

最低限聞き取れるかどうかの小声で呟かれたそれが一体何を指すのか、源氏はしばし首を傾け脳内で消去法によってそれを導き出していく。

源氏「……紺之介のことか?」

幼刀の名前となれば彼女がそのように曖昧な呼び方をするはずもない……という導きから出した彼の回答は正解だったようで児子炉は短く首を縦に振った。

515 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:40:55.74 ID:7Hi8D/RJ0
源氏「で、ヤツがどうした」

児子炉「……ちょっと、将軍様のにおいした」

源氏「は? 一体どういうことだそりゃ」

児子炉「だから、壊さないといけないかもしれない」

源氏「──ッ!!!」

瞬間、繊細に施された児子炉の胸ぐらに源氏が掴みかかった。
516 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:42:12.38 ID:7Hi8D/RJ0

相変わらず無言で不快感を表す児子炉だが今度は荒々しく服を引かれたせいかその表情は今にも源氏を吹き飛ばさんとするほどの圧を帯びていた。
だがそれに当てられても尚源氏怯むことなし。
彼女の服に引き裂きかねないほどの力を手に込めたままドスのきいた声色で児子炉に言って聞かせる。

源氏「てめェが何を言っているのかイマイチ理解できねぇが……この際だ、幼刀共はもうてめェにくれてやっても構わねェ。だが紺之介だけは絶対にこの俺が斬り倒す。いいな」

そこまで言うと源氏は彼女の胸ぐらから手を離した。

源氏「やっと愉しめそうな相手が現れやがったんだ。そこは俺の好きにさせてもらうぜ」
517 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:43:27.29 ID:7Hi8D/RJ0

再び軋む木造に腰掛けて一先ず感情の起伏を落ち着かせた源氏は思い出すように呟いた。

源氏「『いつの世も最後に人が求めるものは食に休に色』……か、くだらねェ」

彼にそっぽを向いたまま聞き耳だけ立てる児子炉だったが次の彼の言葉に思わず横顔をちらつかせた。

源氏「茶居戸であの愛栗子とかいう幼刀が言ってたことだ。少なくとも俺はちげェ……俺が最後まで°≠゚るのは強者との『戦』……それだけだ」

518 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:44:22.73 ID:7Hi8D/RJ0
源氏「オイ児子炉ィ」

重々しい呼びかけに児子炉改めて源氏の方へと向き直る。
彼は彼女に薄気味悪い笑みを見せるとその上がった口角のまま交渉を持ちかけた。

源氏「俺とヤツとのサイコーの殺し合いに横取りじゃなく協力するってんなら、こっちもてめェのぶっ壊しに付き合ってやらなくもねェぜ?」


519 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:45:58.46 ID:7Hi8D/RJ0
………………………

そして源氏らがたどり着いて三日後、ついにその時は来た。
己に近づいてくるを鋭い覇気を敏感に察知し道場にもたれてい源氏は直ぐに身構えた。

源氏「ケケッ、来やがったな」

彼の前に現れたのは一人の剣客。
そして二人の少女。

紺之介「待たせたな」

そう言いながら紺之介は腰に掛けていた幼刀透水を後ろの乱怒攻流へと預けた。
それを受け取る乱怒攻流は微苦笑と冷や汗を浮かべる。

乱怒攻流「うっわなんなのアレ……もう鬼そのものって感じね。怖いからって納まっといた透水はどうやら正解みたいね」

愛栗子「ならぬしも見届けることなく鞘にこもるか? なに、透水はわらわが持ってやろう」

乱怒攻流「冗談」
520 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:47:04.62 ID:7Hi8D/RJ0

彼女らが紺之介の後方でやり取りをする中、源氏は腰の児子炉に手をかけてほくそ笑む。

源氏「じゃ、始めるか」

それが抜刀される瞬間一行は一斉に身構えたがそこから抜かれた白刃を目に一同は驚愕した。

紺之介「なッ……どういうことだ……? 愛栗子」

愛栗子「むぅ。アレは確かに幼刀じゃ……児子炉で間違いないじゃろう。あの刀から臭う黒靄がそれをものがたっておる」

乱怒攻流「なんだかよく分かんないけど……お互いの欲望をいっぺんに満たすためについに本当に結託したってわけね」

521 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:48:49.97 ID:7Hi8D/RJ0
紺之介「そんなことが可能なのか?」

予想外の展開に息を飲む一行。
誰も彼もが疑心渦巻くその中で愛栗子は己の考察を述べた。

愛栗子「あやつの露離魂は間違いなく児子炉の魂を解放しておる……しかしそれ以上にあやつの『戦』への執着心、そして炉の『怨恨』が幼刀を敵を切り裂く刃の姿へと変えておるのかもしれぬ」

紺之介「なるほどな。だが、もう手は抜かない。全力で児子炉ごと砕く」

『何となく理解はしたがしきれていない』だがそんなことより今はただ彼に、幼刀に、そしてこの旅に決着を。
募る想い、信念、そして父から継いだ意志を抜刀し紺之介は両手で太刀を構えた。

522 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2020/02/24(月) 00:51:06.22 ID:7Hi8D/RJ0
源氏「ハッ、やっぱ最後の最後まで後ろのは飾りか? まァいい。俺もコイツの仕事を引き受けた身だ。意地でもそいつらごとぶった斬らせてもらうぜ」

愛栗子「案ずるな荒くれの。紺の命がいよいよとなれば嫌でもわらわが相手をしてやろう。泣きわめいてもしらぬがの」

源氏「ハハッ、そいつぁ楽しみだ」

紺之介「心配するな源氏。貴様の相手はこの俺一人で十分だ。こいつらは、俺の剣で護り抜く」

二人の剣客が向き合う時、戦場に木枯らしが走る。

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