【バンドリ】さあやとサアヤの話

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140 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:21:46.43 ID:YWfCY9A20

 みんなと別れて、ライオン丸くんと言葉を交わした(気がした)帰り道。その道すがら、頭の隅ではずっとそのことを考えていた。だけど、いざこうして母の姿を目前にすると、何にも言葉が出てこない。

 言わなければいけないことは、感謝とか、謝罪とか……別れの言葉とか、だ。

 それらがぐるぐる頭をめぐる。胸の中に降り積もる。だけど、一向に口からは出て行こうとしない。どうしたものか、と思っているうちに、洗い物を終えた母が、タオルで手を拭きながら声をかけてきた。

「体調はもう大丈夫?」

「あ、う……うん、平気」

「そう、ならよかった。でもあんまり無理しちゃダメよ? 最近は冷え込むようになってきたし」

「……うん」

『お母さんが言うの、それ? お母さんこそ、もう二度と入院しないでいいように大事にしてよね』

 そんな軽口を返そうとしたけど、口から出てきたのは小さな相づちだけ。ふぅ、と息を吐き出して、沙綾はテーブルに視線を落とした。

「どうかしたの?」

 椅子を引く音が聞こえて、右隣に視線を移せば、少し心配そうな顔で自分を覗き込む母の顔が映る。沙綾は胸が詰まって、余計に声が出せなくなってしまった。

(……でも)

 言葉と感情がうねり、胸中で大渋滞を起こす。でも、それでも言わなくちゃ。唐突だし、わけ分からなくて不振に思われるかもだけど、これだけは言わなくちゃ。

 すー、はー……と少し大きく呼吸をして、そして、

「ありがとう」

 と、沙綾は小さく、呟くように声にした。
141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:22:23.67 ID:YWfCY9A20

「どうしたの、急に?」

「……ううん、言ってみたかった……だけ」

「そう? けど、お礼なら私が沙綾に言う方だと思うわよ?」

「そんなことないよ」

「そうかしら」

「うん」

 頷いて、再びテーブルに視線を移す。それから思う。お礼を言うべきなのは、間違いなく私の方だ。そして、お礼を言われるべきなのは、私じゃない方の山吹沙綾だ。

「それじゃあ、沙綾に見返りを貰ってもいいかしら?」

「え?」

 そんな言葉をかけられて、沙綾はもう一度母へ視線をめぐらせる。そこには少し悪戯な笑みが浮かんでいた。

「沙綾が私に感謝してるって言うなら、もっとわがままを言いなさい」

「……わがまま?」

「そう。最近はちょっとマシになったけど、それでも全然足りてないのよ。だからどんどんわがままを言って。ほら、今もなにかない?」

「…………」

 そう言われても、と沙綾は口ごもる。
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:23:12.90 ID:YWfCY9A20

 正直なことを言ってしまえば、して欲しいことはたくさんある。二年前に母が他界してから、その温もりにもう一度触れられたなら……と考えたことは、数えきれない。

 だけど、やっぱりこの温もりは私のものじゃない。私じゃない方の沙綾のものだ。それを一度でも奪おうと思ってしまった私に、わがままを言う権利なんてない。

「もう、またそうやって遠慮して……本当に誰に似たのかしらね……」

 そう言って、呆れたような、でも優しさに満ち溢れた笑顔が浮かぶ。それを見てしまうと、がんじがらめになっていた心がほぐされてしまう。沙綾も少しだけ素直になってしまう。

「……絶対にお母さんだってば」

「案外自分のことって見えないものねぇ」

「うん……そう思う」

 それから、少し大きく息を吸う。そして、胸中でもうひとりの自分に対して「少しの間だけゴメンね」と謝って、沙綾は声を出す。

「ねぇ、お母さん」

「なぁに?」

「……頭、撫でてくれない……?」

「それくらい、いつだってするわよ」

 その言葉のあとに、母の温かな手が沙綾の頭にそっと乗る。それから、ゆっくり、ゆったりとその手が髪を撫でた。

 沙綾は目を瞑って、ただされるがままになる。脳裏には、もうとっくのとうにセピア色になってしまった、遠い思い出が蘇る。
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:23:59.78 ID:YWfCY9A20

 本当に些細なことだけど、おままごとみたいなことだったけど、初めてお店の手伝いをした時のこと。今よりもちょっと綺麗なヤマブキパンで、今よりもヘンテコな名前のパンが少ない売り場に、焼き上がったばかりのパンを陳列したこと。あの時も優しい声と笑顔があって、そして温かくて大きな手が私の髪を撫でてくれた。

 最後にこうしてもらったのっていつだったっけな。お母さんが入院する前かな。ああ、きっとそうだ。中学生にもなって、こんな風に頭を撫でてもらうだなんてことはないだろう。だからかな。気が付いたらお母さんの手がこんなに小さく感じられて、でも、やっぱり温かくて、すごく心地よくて……懐かしくて泣いちゃいそうだ。

 だけど沙綾は絶対に泣くまいと決めていた。泣き虫な自分だけど、最後くらいは笑っていようと……そう、別れなんて二回目のことなんだから、余裕綽々で笑っていようと心に決めていた。

 目頭が熱くて、目の端から頬に何かが伝った気がするけど、それはきっと気のせいだ。目にゴミでも入ったに違いない。

 胸が震えて、喉も震えているけど、それは、アレだ。きっとまだ風邪が尾を引いているんだ。そうに違いない。

 そうしてどれくらい経っただろうか。しばらくずっとこうしていたような気もするし、あっさりと過ぎ去ったようにも思える、曖昧な長さの時間。

 けれど、確かな温もりをもらえた時間。もう二度と触れられないと思っていた優しさに触れられた時間。

 これ以上を望むのは、きっと罰当たりだ。

「……ありがとう、お母さん」

 だから沙綾は、一度だけ鼻をすすってから口を開く。そして、震えないように、途切れないように、詰まらないように……しっかりとお腹に力を入れて、優しい母の姿に最後の言葉を紡いだ。

144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:25:09.28 ID:YWfCY9A20

 10


 気が付くと彼女は電車の長椅子に座っていた。

 ガタンゴトンと、車両がレールのつなぎ目を超える音。それ以外に音はしない。窓の外からは眩いばかりの白い光が射しこんできていた。そのせいで外の風景は見えない。

 視線を左右に巡らせる。車内には彼女の他に人の姿がない。

 ガタンゴトン。

 幾度目かのその音を耳にしながら、彼女は考える。はて、どうして私は電車に乗っているんだろうか。

 学校へ行くため? いや、学校へは電車は使わない。

 じゃあどこかへ出かけるため? いや、そんな用事があっただろうか。

 そもそも、自分はいつ、どうやってこの電車に乗ったのか。それをまるで覚えていない。

 人のいない車両。まるでこの車内だけで世界が切り取られてしまったかのような空間。

 ふと、彼女は自分の対面の長椅子に人影が現れたことに気付く。

 そして、これが夢であって、夢じゃないことにも気が付いた。

 その対面にいるのは――きっと自分だ。

 窓からの眩い光が弱くなっていって、逆光の影が薄くなる。お互いの姿が見えるようになると、思った通り、そこには見慣れているけどちょっとだけ懐かしく感じる沙綾自身の顔があった。
145 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:25:50.16 ID:YWfCY9A20

「初めまして……じゃないか」

 しばらく無言で見つめ合ってから、どちらかともなく声を出す。その声はがらんとした車内に侘しく反響した。

 どこへ向かっているとも知れない電車の中で、お互いの姿と向き合うふたりの沙綾。そうだ、入れ替わった時と同じだ。あの時もこうして、私たちは向き合って座っていたんだ。

 あの時はお互いに自分の姿を確認した瞬間、意識が黒く塗りつぶされていった。けれど今回は違う。まるで鏡を見つめているみたいに、自分の姿がはっきりと見える。
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:26:30.69 ID:YWfCY9A20

「……ごめんなさい」

 ガタンゴトン。何度目かのその音が過ぎると、沙綾は――サアヤは口を開いた。

 彼女の胸の中には、まだもうひとりの自分に対しての負い目があった。

 机の上のメッセージでは謝ったけど、もしももうひとりの自分と顔を合わせられる時間があるのなら、どうしても言葉にして謝りたい。そう思い続けていたから、少し顔を伏せて言葉を続ける。

「私……サイテーなこと考えてた。こっちの世界がすごく温かくて、まるで陽だまりみたいで……そこを自分のものにしようって考えてた」

 ひとつ分の陽だまりには、ひとりしか入れないのに。自嘲の響きがこだまする。

「……ううん」

 それを聞いて、沙綾も――さあやも、緩く首を振ってから口を開いた。

「気にしないで。気持ちは分かるもん。あなたがこれまで、どんなに大変な環境で過ごしてきたのかも身に沁みるほど分かってるから」

 彼女の口からは自然と優しい声が出る。

 開口一番に謝られるだろうな、とはさあやも確信を抱いていた。一時は罪の意識に身体を擦り潰されそうなほど追い込まれていただろうことも、自分のことのように理解できていた。

「うん……ごめんね。ありがとう」

「どういたしまして」

 サアヤが伏せていた顔を上げる。さあやがそれを見つめ返す。それきり、またふたりの間には沈黙がやってきた。
147 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:27:21.12 ID:YWfCY9A20

 無言の車内に、レールの継ぎ目を超える音。しばらくすると、それに紛れてバラバラという音が聞こえてきた。

 ふたりがお互いの背後の白い光が射しこむ車窓に目をやると、そこには雨粒が当たって弾けていた。相変わらず外の様子は真っ白でうかがえないけれど、あまり天気が良くないようだ。

「雨って嫌いだな」

 沈黙を破って、サアヤが小さく呟く。

「そうなの?」

 さあやが首を傾げる。

 他愛のない言葉。それを、お互いがお互いに、自分の姿に向かって投げる。まるで鏡と喋っているような気分だったけど、そこにいるのは自分であって自分ではない存在だ。

「外に出るのも大変だし、気分が落ち込むから……あんまり好きじゃないんだ」

「ああ、確かに」

「あとさ……電車もあんまり好きじゃないんだよね。いや、電車っていうか、駅なんだけど」

「……どうして?」

「…………」

 さあやが遠慮がちに尋ねてきて、サアヤは少しだけ迷ったような表情になってから、自嘲するような声色で自分自身の姿に向けて呟く。

「みんなに……迷惑かけたからさ」

「そっか……」

 みんなに迷惑をかけた。そのみんなとは、Poppin'Partyの前のバンドのみんなのことだろう、とさあやは思った。

 自分よりもずっと重たい境遇で、自分よりもずっと大切なステージに出られなかった時のこと。その心中を推し量ると、さあやの心にも影が差す。表情が曇る。

「ごめんね。暗い話、しちゃった」

 そんな自分の顔を見て、サアヤは苦笑を浮かべた。七夕の日に香澄ちゃんに夢を撃ち抜かれて、もうとっくに整理出来ていたと思っていたけど……私はまだあの日のことを引きずっているんだろう。
148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:28:42.76 ID:YWfCY9A20

「……あなたって、本当にすごいと思う」

 さあやがぽつりと声に出す。

「え……何が?」

 きょとんと首を傾げた、自分の顔。それに向けて、さあやも言葉を投げる。

「入れ替わってさ、カスミちゃんたちに話を聞いて……それで、こっちの世界の山吹沙綾として過ごしててさ、ずっと思ってたんだ。あなたが過ごしてる環境って、すっごく大変じゃん。私も結構大変な方なのかなー、なんて思ったりしたこともあったけど……あなたに比べたら全然だったよ」

 緩く首を振って、さあやも苦笑いを浮かべた。

「そんなこと、ないよ」

「あると思うよ、私は」

「…………」

 他ならぬ自分の顔に断言されて、サアヤはなんて返せばいいのか分からなくなってしまう。それに向けて、さあやは続ける。

「……正直に言うとね、私、こっちの世界の沙綾で居続けろって言われたら……きっとダメになってたと思うんだ。学校にだってポピパのみんなと一緒にいれないし、母さんもいないし、まだまだ手のかかる弟がいて……父さんだって、あんな張り切り方してたらさ、いつかまた倒れちゃいそうだし……」

 入れ替わったばかりの時のことを思い出す。アリサに導かれた蔵で、自分の世界とは違う友達を見て、サアヤの部屋でスマートフォンのToDoリストを眺めていた時のことだ。

 あの時に感じた途方もない気持ち。それでも頑張らなくちゃと張った虚勢。それをしっかりと保っていられたのは、きっとカスミたちと香澄のおかげだった。

 もし、まだカスミちゃんたちと出会っていない状況のサアヤと入れ替わっていたら……。有り得ないたらればだけど、そうなっていたら、きっととっくのとうに私は潰れていただろうな、とさあやは思う。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:29:38.49 ID:YWfCY9A20

「不安で不安で、きっと……耐えられなかった。私って、案外打たれ弱いんだなって思った」

「そっか……」

 それを聞いて、サアヤは一度だけ俯いた。それから、再びさあやの顔をまっすぐに見据えて、言葉を返す。

「……やっぱりあなたってさ、とっても優しいね」

「そんなこと……」

「あるよ。絶対にある」

 サアヤは強く頷いて見せる。自分の姿でそんなことをされてしまうと、さあやもさあやで返す言葉が見つからなくなってしまった。その姿に向けて、サアヤは言葉を続ける。

「今までよりも大変な環境に投げ出されたって、あなたは泣き言のひとつも言わなかったでしょ? 私なんて、ずっと、ずっと……逃げ続けてたのに。弱い自分と向き合うことが出来なかったのに」

 胸中に浮かぶのは、自分の弱い部分を見つめられず、ただ目を逸らし続けていた日々のこと。自分を気遣ってくれる人たちを、優しさと温もりを与えてくれる人たちを見ないようにして、逃げていただけの日々のこと。

 あの時だって、もうひとりの私は大変な状況にいたんだ。それなのに、自分のことよりも私のことを心配し続けてくれていた。元の世界へ帰る手立てを探し続けてくれていた。

 きっと、香澄に歌を送るように言ってくれたのももうひとりの自分だ。その行動がなければ、今でも私は暗澹たる気持ちを抱えて、逃げ続けていただろう。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:30:35.72 ID:YWfCY9A20

「あなたは、自分が思ってるよりもずっと強いよ」

「……そうかな。私なんかよりも、あなたの方がずっと強いと思うけど」

「そんなことないよ」

「ううん、きっとそんなことある」

「…………」

「…………」

「……ふふ」

「……はは」

 そんなことを言い合い、見つめ合ってるうちに、ふたりは同時に吹き出した。

 目の前に写る姿は紛れもなく自分自身の姿。その顔に向かって、あなたの方が強いだなんだと言い合うのは自画自賛としか表現できない。それがなんだがおかしかった。
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:31:22.61 ID:YWfCY9A20

「無い物ねだりの尽きないタワゴト……なんだろうな、きっと」

 サアヤはどこか懐かしむような口調で声を出す。

「タワゴト?」

 さあやは首を傾げる。

「ほら、入れ替わっちゃう前の日に有咲ちゃんの蔵で遊んでたって言った……じゃなくて、書いたでしょ?」

「うん。確か……『もしも生まれ変わったら』みたいなことを話してたんだっけ」

「そうそう。その時にさ、普段の大人しい香澄ちゃんとギターを持ってキラキラしてる香澄ちゃん、どっちがいいかって有咲ちゃんが考えてて……それにりみちゃんがしたり顔で言ってたんだ」

 瞳を閉じて、その日のことを思い出す。ふざけてじゃれあって、今度ライブやろうとか新曲はこんな風にしようなんて話をした日。“指をつなぎ始まったすべてを、私はもう二度と離さない。離したくない!”……そう思える、私にとってとても大切な、なんでもない日常。
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:32:02.76 ID:YWfCY9A20

 もしもそこにもうひとりの自分のような温かい陽だまりがあれば、どんなに幸せなことだったろうか。どれほど温かい気持ちになれただろうか。

 朝起きて台所に行けば優しいお母さんがいて、お父さんは今日も厨房で元気にパン生地をこねている。朝ご飯の支度はお母さんに任せて、私はぐっすりと眠ってる陸海空を起こしに行くんだ。

 それから制服に着替えて、温かい朝食を食べて、お父さんとお母さんに「行ってきます」って言って、弟たちと一緒に家を出る。朝の商店街は眩しくて、夕方とは違った活気があって、その中を歩いて弟たちを幼稚園へ送り届けてから学校を目指す。

 その途中に香澄ちゃんと有咲ちゃん、それにりみちゃんとたえちゃんとも一緒になって、五人でなんでもない話をしながら歩いていって……ああ、とっても素敵な日常だ。 

 でも、それはやっぱりたらればの話だ。

 瞼を開く。目の前にはいつもと変わらない、自分の姿があった。それを見つめながら言葉を続ける。
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:32:36.65 ID:YWfCY9A20

「あなたのことが羨ましい。私もさ……みんなみたいに、明るい教室で授業を受けたい。もしも全日制なら……香澄ちゃんたちと一緒のクラスがいいな。それでお昼になったら、たえちゃんと合流して、学校の屋上でご飯を食べるんだ」

 さあやは口を開かず、それにただ耳を傾けていた。

「クラベン系女子の有咲ちゃんだって見たいし、炊飯器を抱えて炊き立てご飯を売るりみちゃんも見てみたい。毎朝の恒例になってるたえちゃんとの別れの寸劇はお昼休みもやるのかな。……どうなんだろうなー」

 少しだけ遠い目をして、手の届かない日常に想いを馳せるサアヤ。無い物ねだりのタワゴトは、一度口にすると本当に尽きそうもない。だから彼女は首を振って、頭に思い浮かべた世界を意識の隅に追いやる。

「あー、私って結構わがままだったんだな」

 それからちょっとだけ諦観を込めた、呆れたような口ぶりで呟きを落とす。優しくてしっかりしてるとか、親切ないい子だとか……商店街の人たちなんかにはよくそう言われる。だけど本当は、きっとみんなが思う以上に自分はわがままだ。
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:33:18.21 ID:YWfCY9A20

「……いいんじゃないかな」

 と、そこでさあやが口を開いた。

「え?」

「いいと思う。全然悪いことじゃないんだよ、きっとそれって」

 キョトンとした自分の顔。それに向かって、まるで自分に言い聞かせてるみたいだな、と思いながら彼女は続ける。

「父さんが――あなたの父さんが言ってたよ。昨日、星を見に行ったじゃん? それで帰りが結構遅くなったのにさ、『お前はもっと夜遊びとかしてきてもいいんだぞ』って。おかしいよね。普通、父親って娘が夜に出歩くと怒るのに……何回も何回も、『お前はもっと自由に遊んできていいんだ。花の高校生なんだから』って言って……ちょっとおかしな感じだけど、すごく心配されたんだ」

 入れ替わってからのことを思い出す。このひと月半と少しの間で、どれだけ似たような言葉をかけられただろうか。その回数を数えようとすれば、両手両足の指を使っても足りない。

「だから、あなたはもっと……自分に素直でわがままでいいんだよ。きっとその方がみんなも安心するし、嬉しいと思うんだ。わがままを言うことは、悪いことだけじゃないよ」

「…………」

「って、私がこんなこと言ったら『さーやもだよ!』なんて香澄に言われそうだけどね」

 苦笑いを浮かべたさあやの頭に、ちょっとだけ怒ったような顔をする香澄の姿が浮かぶ。
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:34:06.93 ID:YWfCY9A20

「……うん、あのカスミちゃんなら絶対言うと思う」

 短い期間の付き合いだったサアヤも、その姿が容易に想像できた。それから、在りし日の母にとてもよく似た、もうひとりの自分の母親に言われた言葉を思い出して、口を開く。

「それなら、あなたももっと素直になるべきだよ」

「そうかな? 私、最近はかなり素直になったと思うよ?」

「ううん、全然。だって、言ってたよ? その……お母さんが」

 私も『あなたの』と付けるべきだろうか。少しだけ迷ったけど、さあやが伝えてくれた父の言葉に従うことにした。気を悪くしちゃうかな、とちょっとだけ不安になったけど、さあやはサアヤの言葉を聞いて、なんでもないように首を傾げていた。

「母さんが?」

「……うん。『最近はちょっとマシになったけど、それでも全然足りてないのよ』って。『だからもっとわがままを言いなさい』って」

「そうなんだ……。案外、自分のことって見えないものなんだねぇ……」

「でも、今はよく見えるよ」

「確かに」

 お互いの姿を、鏡を見るように見つめ合う。そうすると自分のことがよく見える。

 わがままを言わずに自分の気持ちを押し殺した時。その時の顔はどこか寂しげというかなんというか、もしも自分の大切な人たちがそんな顔をしていたら、絶対に放っておかないだろう表情だ。

 そっか、私はいつもこういう顔をしてるんだ……。
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:34:54.83 ID:YWfCY9A20

「お父さんが私の前で妙に張り切る理由が少しだけ分かったよ」

「私も、母さんがもっとわがままを言ってって言う理由がちょっと分かった」

「……お互い、なんだか面倒な性格してるね」

「ね。誰に似たんだろ……」

「……それは間違いなく、お母さんだよ」

「やっぱりそう思う?」

「うん」

「だよね。本当に、いっつも自分のことは差し置いててさ」

「身体だって……そんなに強くないのにね。そのくせ、何でもかんでも自分でやろうとしてさ」

「こっちが心配すれば『大丈夫だから』なんて言って笑って……気付いたら辛そうな顔してる時とかあるし」

「ね。無理でしょ。心配するに決まってるじゃん。ていうか、心配くらいさせてよ」

「本当だよね」

 なんて、そんな風に言葉を交わすほど、ふたりの沙綾はなんだかおかしな気持ちになる。
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:35:24.51 ID:YWfCY9A20

 他でもない自分自身の姿から放たれた言葉が自分自身の胸に刺さるということもあるけど、よくよく考えてみれば、それらの言葉は自分たちの身近な人が口を酸っぱくして放つものとほとんど同じだ。

「……私たちに対しても、そう思ってるんだろうね」

「だね……『もっとわがままを言って』とか、『“お前”を大切にしろ』とか……」

「あー、なんだろうな、本当……」

「……恵まれてるよね、私たち」

「うん……」

 こんなにも自分を気遣い、優しくしてくれる人たちが身近にいる。それだけで幸せなことだし、これ以上を望むのはやっぱりわがまま過ぎるとふたりはちょっと思ってしまう。だけど、そう思うことを、きっと自分たちの大切な人たちは望んでいないということも……今こうして、少しだけ理解できたような気がしていた。

「私たち、もう少し素直にならないといけないね」

「ね。難しいけど……でも、そうしなくっちゃね」

 互いに頷いて、笑い合う。気が付けば窓を叩いていた雨は止んでいた。電車はまだ静かに走り続けている。
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:36:19.25 ID:YWfCY9A20

 サアヤは思い立ったように、長椅子から腰を上げた。それからさあやに一歩、二歩と近付く。そしてなんとはなしに前へ右手を伸ばしてみると、ちょうどふたりの中間くらいに、透明の壁があった。

 その見えない壁に掌をつける。少しだけ弾力のある、なんだか温かみのある感触がした。

 さあやも同じように立ち上がって、車内の中央に歩み寄る。そして、左手を伸ばして、透明の壁越しにサアヤの右手に手を重ねた。

「……本当に似てるね、私たちって」

「そりゃそうだよ。だって、同じ山吹沙綾だもん」

 間近に自分の姿があって、自分の声がする。確かに他のポピパのみんなよりも、私たちはずっと似通ってるな、と思う。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:37:00.55 ID:YWfCY9A20

「でも、やっぱりこっちの世界の沙綾はあなただよ」サアヤは囁くように言葉にする。「どんなに温かくて明るい陽だまりだって、これは私のためのものじゃない」

「そうかもしれないけど、でもさ」さあやも同じようにささめく。「偽物じゃないよ。出会った人たちも、もらった優しさも、それが私たちにとって大事なことも……全部、本当だよ。本物だよ」

「うん……みんな、とっても優しくて、温かくて……素敵な人たちばっかりだった」

「そんなみんなに心配されて、こんなに強く想われてるあなたが……ちょっと羨ましかったな、なんて……これも無い物ねだりの尽きないタワゴトかな」

「私もあなたが羨ましいから、多分そうだと思うよ」

「そっか。一緒、だね」

「うん……一緒」
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:38:12.67 ID:YWfCY9A20

 瞳を閉じる。このおかしな、ジョーシキじゃありえない日々を脳裏に呼び起こす。

 暗い校舎、さびしい教室。

 明るい校舎、にぎやかな教室。

 こう比較すれば、一方が損ばかりをしているようにも見えてしまう。だけど、と沙綾は思う。

 明るい場所じゃ星は見えない。暗い夜空だからこそ、星はより強い輝きを放つことが出来る。その星の瞬きに導かれて、私たちは大切で特別な人たちと巡り合うことが出来た。

 だから、暗い場所にいたってきっと悪いことばかりじゃない。明るい場所にいたってきっと良いことばかりじゃない。どこにだって雨は降るし、光は射す。

 その雨がいつまで降り続くかとか、終わりがどこにあるかだとか、光がいつやってくるのかとか、そんなことは分からない。でも、この手を引いてくれる大切な人がいれば、私たちは止まらない音楽(キズナ)を奏で続けるだろう。走り続けるだろう。

 いつか全てが上手くいくなら、涙は通り過ぎる駅だ。そして……涙の雨が上がれば、そこには虹の橋がかかるんだ。
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:39:19.25 ID:YWfCY9A20

 瞳を開く。眼前には、少しだけ見慣れた山吹沙綾がいた。

「……初めまして、かな」

「うん……そうだね」

 いつの間にか窓から射す白い光はなくなっていた。お互いの背中の窓には、自分にとって大切で、だけどもうひとりの自分にとってはもっともっと大切な、それぞれの花咲川の街並みが流れている。

「やっと出会えた……けど」

「もうお別れ、だね」

 透明な壁越しに、さあやとサアヤは手を合わせ続けている。本当の意味でもうひとつの世界の自分と出会えたけど、もうすぐにこの夢は覚めるだろう予感がしていた。それがちょっとだけ寂しいけど、でも、それでいいんだと思う。

 だって――

「ねえ、見て」

「……綺麗だね」

 さあやが電車の進行方向へ視線を動かす。それにならって、サアヤも顔を巡らせて、小さくこぼした。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:39:45.16 ID:YWfCY9A20


 ――電車の進行方向。ずっと続く線路の先には、大きな二重の虹がかかっているんだから。

163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:40:51.08 ID:YWfCY9A20

 エピローグ:さあや


 スマートフォンの目覚ましの音がした。

 ジリジリジリジリ! なんて、いい加減もう起きなさいと枕元でけたたましく叫び声を上げて、意識を夢の世界から無理矢理引っ張ってこようとしている。

「うぅ……ん……」

 沙綾は目を瞑ったまま枕元の音の発生源に手を伸ばす。すぐに指先にスマートフォンの感触を見つけて、手探りでサイドボタンを探し当てて押し込んだ。

 それからまだ眠っていたい欲望にどうにか抗いながら、薄く目を開ける。

「……あれ」

 そしてすぐに頭が覚醒した。身体を起こして、部屋の中をキョロキョロと見回す。

 枕元には時計が三つ……ない。壁にはロックバンドのポスターが……ない。部屋の隅にアコースティックギターも……ない。見慣れているけれど、何だか懐かしく見える自分の部屋だ。

 ということは……。

「戻った……んだ」

 ぽそりと呟く。それすらも他人事に聞こえるくらい、あまりにもあっさりと沙綾は元の世界に帰って来ていた。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:41:21.31 ID:YWfCY9A20

 もしかしてずっと夢を見ていたんじゃないか、なんて不安になったから、沙綾はスマートフォンのディスプレイを覗き込む。そこに表示された日付は十一月十四日の水曜日。

 入れ替わった自覚があったのが九月の終わりだし、星を見ようと約束したのは十一月十三日だった。

「……夢じゃない、ね」

 そう呟くと、今日までのことが一気に確かな輪郭を持つ。ジョーシキでは考えられないおかしな現実も、同じような世界で過ごしていたポピパのみんなも、入れ替わってしまったもうひとりの自分と話したことも、全部本物だ。

 沙綾はひとつ息を吐いた。日付に続けて目に入れたデジタル時計は朝の六時ちょっと過ぎを指している。この時間からなら、学校へ行く準備も、ひと月半振りに顔を合わせる家族やら友達やらと顔を合わせる準備も余裕を持って出来る。

(……気を遣ってくれたんだろうな)

 沙綾が予感を抱いていたように、もうひとりの沙綾も同じものを感じ取っていたのだろう。きっと昨日の夜が最後になるから、色々と整理する時間を作れるように、いつもよりもずっと早い時間に目覚ましが鳴ったんだ。 

「ありがと……沙綾」

 もうひとりの自分に小さくお礼を言ってから、沙綾はベッドを降り立った。

165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:42:03.69 ID:YWfCY9A20


 久しぶりに袖を通したワンピースの制服には懐かしさと新鮮さが同居していて不思議な感じがした。髪の毛も懐かしさを感じるシュシュでポニーテールにくくって、沙綾は台所まで足を向けた。

「…………」

 そして、そこで朝ご飯の支度をする母の後ろ姿を見つけ、沙綾は固まってしまう。

 もうひとりの山吹沙綾として過ごしたひと月半。そのことを考えると、こうして母親が普通に朝ご飯を作ってくれているということがとても貴重に見えるというか、何物にも代えられない大切なことに思える。はてさて、なんて声をかけたものか……。

「あら……おはよう、沙綾」

 そんなことを考えていると、こちらの方へ振り返った母から何でもない挨拶を投げられた。

「あ、うん。……おはよ、母さん」

 沙綾は少しだけたどたどしく、いつもの挨拶を返す。

「……ふふ」

 それを聞いて、どうしてかおかしそうな顔をして笑われた。沙綾は首を傾げながら尋ねる。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:42:40.91 ID:YWfCY9A20

「どうしたの?」

「呼び方がまた戻ったなって思って」

「え?」

「ここ最近はずっと『お母さん』って呼んでくれたじゃない? まだ沙綾が小さかったころを思い出して、ちょっと懐かしかったし……なんだか嬉しかったから」

「あー……」

 言われて、昨日の夢を思い出す。そういえば、もうひとりの私は両親のことをお父さん、お母さんって呼んでたな……。

「……そっちの呼び方の方がいい?」

「どっちでも。沙綾の好きな方でいいわよ」

「ん、分かったよ、母さん。……あ」

 と、そこで突拍子のないことを思い立って、口から漏れた呟き。

「どうかしたの?」

 それを耳ざとく拾った母から尋ねられて、沙綾は「あー」とか「うー」とか少し唸ってしまう。今ふと思ってしまったことを口にするべきか、否か。

「……えっと、大したことじゃないんだけどさ……」散々迷ってから、沙綾は口を開く。「なんだか今日の晩ご飯、ペペロンチーノが食べたいなぁって思って」

「ふふ、分かったわ」

「ん、ありがと」

 胸中には、夢の中でお互いに抱いた『もっと素直になるべきだ』という思いがあった。だからこそ素直にお願いを口にした……のはいいけど、なんだかすごく照れくさい。

「純と紗南、起こしてくるね」

 だから沙綾は取り繕うように言葉を続けて、愛しい弟と妹を起こしに行くのだった。

167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:43:43.53 ID:YWfCY9A20


 この奇妙な感覚はなんて言葉にすればいいんだろうな。そんな思いを抱えながら、沙綾は久方ぶりの見慣れた通学路を歩いていた。

 目に付く街並みは生まれてからずっと一緒に過ごしてきたもの。それに比べれば、この街を離れたひと月半なんていう期間はとても短いものだ。だけど目に映る全部が懐かしくて、秋と冬の境目の肌寒い風が心地よくて、世界が愛しくて優しくて、泣いちゃいそうなほど眩しい。

 どこかへ長期間の旅行へ行って、しばらく故郷から離れたらこんな気持ちになるのだろうか。それとも、将来この街を離れて生きることになれば、たまの帰省でこんな気持ちになるんだろうか。

 どちらにせよ、花咲川の街から離れるような未来予想図を抱えたことは今まで一度もなかったから、沙綾にとってこの郷愁的な感傷がものすごく新鮮に感じられた。

 そんな通学路を歩いていると、やがて花咲川に沿った道へ出る。春は川沿いに桜の花が咲き、舞い落ちる道だ。

「あ、サアヤちゃん」

 今は遠い春の景色を脳裏に思い描きながら歩いていると、後ろから声をかけられた。足を止めて振り返ると、そこにはりみの姿があった。
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:44:25.57 ID:YWfCY9A20

「おはよう」

「……うん。おはよう、りみりん」

 いつもの控えめな笑顔で挨拶をされて、沙綾はまたちょっと照れくさい気持ちになった。少しだけ間を置いて、りみへ挨拶を返す。

 あ、そういえばりみりんって口にしたの、すごい久しぶりな気がするな……なんて思っていると、目の前のりみが少し呆けたような顔をしていた。

「どうしたの?」

「え、あの……サアヤちゃん……? じゃなくて……沙綾、ちゃん?」

「えっと……私も、もうひとりの私も……沙綾だよ」

 我ながらおかしな言葉選びだったな、とぼんやり思う。

「…………」

「その、なんていうか……久しぶりだね、りみりん」

「……ぐすっ」

 やっぱり変な返しだったかなぁ、と続けて考えていたら、どうしてかりみが泣きそうな顔になったから、沙綾は焦ってしまう。

「ちょ、ど、どうしたの、りみりん?」

「あ、ご、ごめんね……。香澄ちゃんからは無事だって聞いてたけど、でもやっぱりずっと心配で……沙綾ちゃんが無事で、安心しちゃって……」

「そっか……心配してくれてありがとう、りみりん」

「うん……」

 自分の無事をずっと祈ってくれていたこと、そして無事に戻れたと知って涙を流してくれること。それに心がほわっと温まる。下手すると沙綾も泣いてしまいそうな気がしたから、気丈に笑って見せる。それを見て、りみも目の端に涙をためたまま笑った。

「一緒に学校、行こっか」

「うんっ」

 そうして、沙綾とりみは肩を並べて、花咲川女子学園を目指した。

169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:45:01.04 ID:YWfCY9A20


 入れ替わっている間にもずっと学校には行っていた。だというのに、沙綾は夏休み明けのような気持ちで教室の敷居をまたいで、自分の席に座っていた。

 窓からの陽射しが明るい、空席がある方が珍しい教室。その中に自分もいることがまだ夢を見ているみたいで、全然実感が湧かない。

 朝のHR前の慌ただしい時間も過ぎて、今は一時間目の授業が始まるところ。ぼんやりと時計を眺めながら、沙綾は脳裏の朝のひと時を思い起こす。

 まず、りみと共に学校に向かう途中、有咲ともばったり出会ったこと。

「沙綾……? 本当に沙綾なんだな?」

「うん。なんていうか、ごめんね? お騒がせしました」

「いや、そりゃ、お前のせいじゃねーんだから……んな謝んなよ……」

 と言いながら、有咲はそっぽを向いた。その耳がちょっと赤くなってて、声も途切れ途切れで震えていたし、やっぱり有咲も有咲で私のことを心配していてくれてたんだ。

「そうだよ、沙綾ちゃん」

 りみも有咲の言葉に頷いて、こちらはパッと笑顔を浮かべていた。

 そのふたりの様子を見て、沙綾はやっぱりとても嬉しくなった。

「ん……ありがとね。有咲、りみりん」

 それから三人並んで、花咲川女子学園の教室まで向かったこと。別のクラスの有咲が別れ際にやたら名残惜しそうにしていて、それにもお礼を言ったこと。そして自分の教室に入って、席に座ってりみと話しているうちに、香澄とたえが一緒に登校してきたこと。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:45:57.91 ID:YWfCY9A20

「おはよ、サーヤ!」

「おはよー。やっぱり月にはうさぎがいるよね」

 と、かたや元気一杯に、かたや昨日星を見ていた時の話の続きと言わんばかりに挨拶を投げられて、沙綾はまた懐かしい気持ちになった。

「おはよう。香澄、おたえ」

 そう沙綾が返すと、ふたりは少しきょとんとして、

「あ、サアヤじゃなくて……沙綾? おかえりなさい」

 なんてたえが何でもないように言って、

「さーやぁぁ――っ!!」

 と香澄が飛びついてきて、それを笑いながら受け止めたこと。

 周りのクラスメイトたちは、いつも以上にテンションの高いPoppin'Partyに首を傾げていた。

 けれど、そんな視線も沙綾たちはまったく気にしなかった。

「おかえり!! 無事でよかった、よかったよぉ――!!」

「大丈夫? 風邪とかひいてない?」

「うん、大丈夫。……ありがとね、香澄、おたえ」

 そんな言葉を交わし合ってから、香澄が隣のクラスの有咲まで引っ張ってきて、みんなできゃいきゃいはしゃいだこと。始業のチャイムが鳴って、「続きはお昼休みに!」なんて言ってそれぞれがそれぞれの席に戻ったこと。

 どれも、世界からすればなんてことない日常の一幕。だけど、私にとってそれは何よりも大切で特別な光景だ。以前よりもずっと強く、そう思える。
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:47:08.52 ID:YWfCY9A20

 もうひとりの自分と入れ替わったことはもちろん大変だったし、挫けそうになったこともあった。

 だけどそれらが、この手の中に偶然の振りして居座る宝物の大切さを改めて教えてくれた。気付かせてくれた。

 それに……私の特別で大切な親友たちによく似た、優しくて素敵な友達が五人も増えたんだ。この入れ替わりも、過ぎてみれば私にとって大切な思い出のひとつだ。

 もしかしたら――いや、もしかしなくても、もうカスミちゃんたちには会うことが出来ないのだろう。だけど、そうだとしても……彼女たちにもらった優しさや勇気は、紛れもなく本物だ。偽物じゃない荷物だ。

 そう思ったところで、教室の扉が開いて、一時間目の数学の教師が入ってきた。教壇に立つその姿に向かって、日直の号令が響く。そして今日も花咲川女子学園の一日が始まった。

 数学教師の声を聞きながら、沙綾は『今日は随分と抑揚のある声で喋るな』と思って、それがなんだかおかしくって少し笑った。

 指定された教科書のページを開いて、次いでノートを開く。

 ぱらぱらとページをめくってみると、九月の終わりから、授業内容は随分と進んでいるようだった。

(これは遅れた分を取り返すのが大変だなぁ……。有咲とりみりんに今度教えてもらおう)

 その勉強会には香澄とおたえも一緒に参加してもらおうかな。そう考えていると、ノートのあるページに折りたたまれた紙が挟まっていた。不思議に思って、それを手にして開いてみる。

 その紙面には、可愛さの中に芯の強さを感じる文字があった。

172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:47:47.03 ID:YWfCY9A20


『――もうひとりの私へ。

 あなたがこの手紙を読んでいるということは、私はもうこの世界にいないのでしょう……なーんて、一回書いてみたかったんだよね。

 きっともう二度と、こうやってメッセージのやり取りが出来ないって思ったから……最後に、あなたに伝えたいことをここに書いておくね。


 まずはじめに、私はあなたに謝らないといけない。

 ごめんね。本当にごめん。温かくて眩しい世界の山吹沙綾のことが、羨ましくて羨ましくて仕方なかった。だから、あなたの世界を……陽だまりを奪おうとしてしまった。もう何度も謝ったけど、何回謝ったって足りないくらいだから……本当にごめんなさい。

 それとね、あなたのことを心配してくれた人がたくさんいたんだ。

 ポピパのみんなは事情も分かってるし名前も知ってるけど、他のクラスの女の子とかやまぶきベーカリーに来てくれた女の子とか……。でも、ちょっとその子たちの名前までは分からなくて……ごめんね。特に、おでこを出した髪型にしてる子とか、すごくマイペースそうな子とか、そういう女の子にすごく心配された。心当たりがあるなら、その子たちとお話してくれると嬉しいな。

 あとね、お母さんが言ってたよ。「沙綾はもっとわがままを言うべきだ」って。

 その、そう言われた時の沙綾は私だったから……ちょっと甘えちゃった。頭撫でて、なんて言って。もしそのことをお母さんにからかわれたら……諦めて受け入れてね?

 それから、学校の勉強に関しては私なりに頑張ってまとめたんだけどさ……やっぱり定時と授業の進み方が全然違うんだ。だから、きちんとまとまりきってないと思う。それもごめんね?

 なんだか私、謝ってばっかりだね。

173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:48:41.86 ID:YWfCY9A20

 伝えたいことがたくさんあって、だけどこの夜を超えたらきっともう二度とメッセージのやり取りが出来なくなっちゃう予感がしたから、とにかく思うことを書いてるんだけど……なかなか上手な言葉が見つからないや。

 ……こんなことを書いちゃうとさ、もしかしたらあなたは気を悪くしちゃうかもしれない。でも、正直な気持ちを書かせてください。


 私、あなたと入れ替わることが出来て……大変は大変だったけど、嬉しかった。

 もう二度と会えないはずだったお母さんに会えて、ちょっとの間だけでも、本当は私のものじゃないんだけど、お母さんの温もりに触れられた。

 そして、私にとって特別に大切な親友たちから……歌を、また送ってもらえた。

 それがすごく嬉しかった。


 最後の最後まで自分勝手なことばっか言ってるね、私……。はぁ、やっぱりサイテーだ。私もあなたみたいに強くて優しい女の子になりたいよ……。

 なんて、これもただの愚痴だよね。泣き言なんて言わないで、私ももっともっと頑張れるように頑張るよ。……なんか変な日本語になっちゃったや。


 沙綾ちゃん。ひと月半くらいの短い間だったけど……ありがとう。

 あなたが元の世界に戻るために色々してくれたおかげで、私もちゃんと自分と向き合えて、大切なことを思い出せた。きっと、入れ替わったのがあなたじゃなかったら……私は不貞腐れたままダメになってたと思う。

 まだまだ伝えたいこととか、聞いてみたいことがたくさんあるけど……言葉が出てこないし、全部書いてたら、きっと夜が明けちゃう。

 だから、お礼を言わせてください。本当にありがとう。あなたのおかげで、きっと私はまた私としていられるんだ。


 これで本当に最後の最後。

 迷惑をかけてごめんなさい。そして、手を差し伸べ続けてくれて、ありがとう。

 どうか、香澄ちゃんたちといつまでも仲良く、元気に過ごしてね!


 ……親愛なる、私の大切な友達へ』

174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:49:56.41 ID:YWfCY9A20

 手紙を読み終わって、沙綾は小さく息を吐き出した。それから思うのは、ああ、やっぱり私たちは似た者同士だったな、ということ。やることなすことがこうも被るなんて……と思うとちょっとおかしくて、少しだけ笑った。

 右の方から視線を感じて、そちらへ目を移す。すると、二つ隣の席のたえが、沙綾を見て不思議そうに首を傾げていた。

 その姿に向けて『なんでもないよ』という意思を込めて小さく手を振る。たえはますます首を傾げる角度を深めてから、ブンブンブン、と小さくも勢いよく手を振り返してきた。

 ああ、これ絶対伝わってないやつだな……なんて思いながら、沙綾はもう一度小さく微笑む。

 それから、いつもよりも強く懐かしさを感じる、窓の外の風景を眺める。

 晩秋と初冬の狭間の青空は、天高く晴れ渡っていた。

 もうすぐ十一月も終わって、今年もすぐに終わるだろう。そして年が明けて、冬が過ぎれば桜の季節で、私たちももう二年生だ。

 その先には何が待ち受けているんだろうか。

 きっと笑い合っているだろうけど、もしかしたらいつかみたいにポピパのみんながすれ違ったり、今回みたいにとても現実とは思えないことが起こるかもしれない。

 ……でも、きっと何があっても大丈夫だ。

 瞳を閉じれば、もうひとりの私と言葉を交わし合った、あの夢の風景がすぐに浮かぶ。

 どんなに雨が強くたって、どんなに風が強くたって、いつか空は晴れ渡る。

 そして、終わらない音楽(キズナ)を奏で続ける限り、私たちの行く先には大きな虹がかかってるんだから。

175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:50:59.86 ID:YWfCY9A20

 エピローグ:サアヤ


『――もうひとりの私へ。

 あなたがこれを読んでいるということは、もう私はこの世界にいないのでしょう……なんて。ちょっとこれ、一回書いてみたかったんだよね。

 えっとね、なんだか予感がするっていうか……もう今日が終わればあなたとメッセージを交わすことも出来なくなるような気がしてさ。だから、最後に手紙を残そうと思うんだ。


 まず最初に……きっとあなたは、私に開口一番で謝ると思う。メッセージのことを香澄に打ち明けられなかったこととか、そういうことを。

 気にするなって言われても難しいかもだけど、でもさ、そんなの気にしないで。私もやっぱりあなたと同じ山吹沙綾だからさ、気持ちは本当に、痛いほど分かるよ。

 またメッセージのやり取りが出来るようになったし、一緒に星空を見上げてさ、『あ、きっと元に戻れるな』っていう予感を感じられたんだから。

 それにね、あなたの父さんが何度も言ってたことがあるんだ。曰く、『お前は花の高校生なんだから、もっと自由に遊んで来い』だって。この短い期間でもう耳にタコが出来るくらい聞いたよ。きっと、それだけあなたは自分のことを後回しにして、他のことを優先させてたんだと思う。

 だからさ、謝ることなんてないよ。あなたと私は同じ山吹沙綾なんだから、遠慮も気遣いもいらないよ。結果オーライっていうのかな。まぁほら、終わりよければ全てよしってことでさ、そのことはもうおしまいにしよ。

 あとね、学校の授業内容の進み具合に関しては、一応私なりにまとめておいたよ。分かりづらかったらごめんね。

 それから弟くんたちなんだけど、来週からお遊戯会の練習が始まるんだって。だからいつもよりも早めに起きて幼稚園に行きたいって言ってたよ。……まぁ、キチンと起きるかどうかは分かんないけど。正直な話、あの子たちを朝起こすのが一番大変だった気がするよ。

176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:51:52.24 ID:YWfCY9A20


 なんだろうな。あなたに伝えたいこと、伝えなきゃいけないことがいっぱいあると思って書き始めたけど、こうしてるとなかなか言葉が見つからない。

 きっと顔を合わせて話すことがあれば、言いたいことも言わなくちゃいけないことも次から次に浮かんでくるんだろうな。

 けど、これだけは言わなくちゃって思う。


 ひと月半くらいの短い間だったけど、ありがとう。

 こう言っちゃうと気を悪くするかもだけど、あなたとして過ごしたおかげで、私は私の中にある『当たり前』の大切さを改めて実感できたような気がするし、私よりも頑張ってるもうひとりの私がいるって思うと、私も負けないように頑張らなくちゃって気合が入るんだ。

 それに……大切な親友たちにちょっとだけ似てる、優しくて可愛くて、素敵な友達が五人も出来た。

 だから、ありがとう。あなたのおかげで、私は大切なものが増えて、それを大事にしていこうって強く思えるんだ。


 言葉が見つからないって思ってたけど、書いてみるとどんどん長くなるものなんだね。この調子でずっと書いてたら、完徹しちゃいそうな勢いだよ。

 いつまでもペンを握ってるわけにはいかないし、これで本当に最後。


 無理はしないでね。あなたはひとりじゃないんだから。いつだってポピパのみんなが心配してくれるし、元気を分けてくれる。だから、もっと素直にあの子たちに甘えちゃってもいいんだよ。

 もしもみんなとケンカしたら、私たちの方のポピパのみんなのことを思い出して。香澄ちゃんも香澄も、有咲ちゃんも有咲も……りみちゃんとりみりん、たえちゃんとおたえはちょっと似てない部分があるけど、とにかく、みんなとっても優しくて素敵な女の子だからさ。きっと勇気をもらえるよ。

 ケンカなんてしないに越したことはないけど、それでもぶつかり合うことで分かり合えたことって私たちにもあったからさ。経験者のアドバイスとして、そういう時は素直でいるのが一番だよ。


 あー……最後って書いたのにまた長々と……。なんでこう、終わらせようとすると伝えたい気持ちばっかり出てくるんだろうね。

 とにかく、とにかくね?


 沙綾。あなたはひとりじゃないよ。どんなに今がつらくたって、何もうまくいかなくたって、積み重ねたものを忘れないで。あなたの周りには大切な人たちがいつもいてくれるんだから。

 どうか、みんなといつまでも仲良く、元気でね。


 ……親愛なる私の大切な友達へ』

177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:52:51.63 ID:YWfCY9A20


 今でもたまに、沙綾はその手紙を読み返すことがある。

 季節は冬。十二月の半ば過ぎ。もう今年も終わろうかという、寒い時期だった。

 本当に非現実的な、フツーに考えたら有り得ない空想みたいなひと月半の日々。けれど、確かに入れ替わって、大切なことにもう一度気付けて、大事なものが増えた日々。

 その日々を思い出すと、いつも沙綾は胸の内が温かくなる。

 お互い本当に似た者同士で、似たようなことを似たようなやり方でそれぞれに残していった。

 だけど、と沙綾は思う。

 確かに私と沙綾ちゃんは同じ山吹沙綾で、似ているところが多くある。けど、あちらの沙綾ちゃんの方が、どことなくお母さんっぽい。それはあの夢の中で話したこともそうだし、手紙に残してあった言葉からもうかがえる。

 だからかは分からないけれど、不意に寂しくなった時なんかに沙綾からの手紙を読むと、いつも気持ちがホッとして落ち着く。

 友達相手に母性を感じるって……と、自分の行動に若干の違和感というか、変な気持ちを覚える沙綾だけど、りみやたえが自分の作ったパンを無心に頬張る可愛い姿を見ると、『まぁそれはそれでいいのかな』とも思ってしまう。
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:53:52.87 ID:YWfCY9A20

「沙綾ちゃん? どうかしたの?」

 と、声をかけられて、沙綾は今まで頭の中に思い浮かべていたことを意識の隅に追いやった。

「ううん。なんでもないよ、香澄ちゃん」

 そしてニコリと笑顔を浮かべて返事をする。それから周りを見渡せば、Poppin'Partyのみんなの顔が見える。

 いま彼女たちがいるのは、都内のあるライブハウス。“ガールズバンドの聖地”と謳われる場所の、舞台袖だ。そこで輪になって向かい合っているところだった。ちらりとステージへ目をやると、自分たちの前の出番のバンドが最後の曲を演奏している。

「まったく、本番前に呆けないでよね」

 沙綾に向けて、有咲が震えたか細い声で言う。

「そういうベンケー殿もおかしいぞ。ウチベン系女子になってるがな」

 りみは関西弁と標準語が入り混じった変な声を出す。

「……やばいっす、初ライブハウスで緊張マックスっす……」

 たえはぶるぶると震えていて、隣に立つ沙綾とりみの肩に時おり身体がぶつかる。

「もう、みんな! そんな緊張しないで!」

 そんなみんなの顔を見て、香澄が輝かんばかりの弾ける笑顔で声を出す。楽屋入りからずっとランダムスターを装備していたからだろうか、それとも彼女の持つ天性のカリスマなんだろうか、今日はいつも以上にテンションが高い。

 それに引っ張られるように、沙綾も声を出す。

「だね。待ちに待ったライブだもん、楽しまなくちゃ!」

「その通り! みんなで、キラキラして、ドキドキしてる夢を撃ち抜こうよ!」

 香澄の弾んだ声が同調して、沙綾も笑顔になる。有咲も、りみも、たえも……まだちょっとぎこちないけど、ニコリと笑った。
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:54:42.37 ID:YWfCY9A20

「初めてのライブハウスがなんだー! ここからわたしたちの伝説が幕を上げる!!」

「……かすみん、流石にテンション上がりすぎ」

「でも……かすみんセンパイ見てたら、なんだか元気出てきたっす」

「うむ。流石師匠、イクサにおける士気の重要さを心得ている」

「ふふ……」

 続けられた元気いっぱいの言葉に、どんどんみんなの緊張がほぐれていく。ああ、やっぱり香澄ちゃんはすごいな、と沙綾はしみじみ思う。

 始まりは、ホシノコドウに導かれたこと。ひとりの少女が、時を超えて“夢”を撃ち抜いたこと。いつしか彼女の周りには、同じように夢を撃ち抜かれた仲間が集い、そして無敵で最強の音楽(キズナ)を奏でるようになった。

 例え道に迷っても、袋小路の突き当りにぶつかっても、彼女はキラキラと輝いて、進むべき道を示してくれる。離れた世界にだって、ジョーシキじゃ考えられない現実にだって、彼女は光を届けてくれる。
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:55:34.37 ID:YWfCY9A20

「あ! 前のバンド、終わったみたいだよ!」

 香澄の明るい声が響く。それに釣られてステージへ目をやれば、観客席に頭を下げてから舞台袖に向かってくる四人組のガールズバンドの姿が見えた。

「お疲れ様! イェーイ!」

「イェーイ! 君たちも頑張ってね!」

 そのボーカルの人と、笑顔でハイタッチする香澄。それから手を振りあって、彼女たちは楽屋の方へと引き上げていった。

「最近のかすみんって、ライブ前になるとさらに別人になるわよね」

「え、なにが?」

「無自覚っすか……すごいっす、かすみんセンパイ」

「……ふふ、カスミちゃんっぽい」

「獅子メタル殿? なにか言ったか?」

「ううん、なんでもないよ」

 自分からハイタッチをしにいく香澄の姿が、自分が一時期お世話になった世界の香澄と重なる。やっぱり似た者同士なんだな、と思うと、沙綾はちょっとおかしくって笑ってしまう。

「沙綾センパイも余裕そうっす……」

「これが場数の違いなのかしらね」

「なんの、うちだって全然、こんなの緊張のうちには入らへんし。はー、なんだかお腹減ったわー、朝ご飯白米しか食べてないから辛いわー」

「なにアピールよそれ」

 きゃいきゃいと、段々といつものような言葉を交わすようになる三人。どうやらいい具合にテンションが上がってきているようだった。
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:56:15.12 ID:YWfCY9A20

「さぁ、みんな! かけ声やろ!」

 そんな中、香澄が声を上げて、スッと輪の中央に手を差し出した。

「そうね。気合入れていきましょう!」

 その手の上に、有咲が手を重ねる。

「うむ。ポピパの土台はうちがまかなう!」

 続けてりみが手を差し出す。

「はいっす! 気合入れていきます!」

 その上にたえが手を乗せる。

「うん。頑張ろうね、みんな!」

 最後に、重ねられた四つの手の上に、沙綾の手が乗った。

「よーし、いくよー!」


 ――ポピパ! ピポパ! ポピパパ! ピポパー!


 香澄の声に合わせ、みんなが大きな声を出す。そして最後に天を指さす。緊張はまだまだあるけれど、気合もやる気も十分だ。
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:57:35.47 ID:YWfCY9A20

 真紅の星を携えた香澄を先頭に、彼女たちは歩を進める。有咲、りみ、たえと続き、沙綾は一番最後にステージへ上がった。

 真っ白なステージライト。それが眩しくて、熱い。ああ、ライブだ。ライブハウスでライブをやるんだ。

 そう思うと、さっきまでよりもずっと大きな気合が身体中に漲っていく。

 それぞれが所定の位置について、アンプと楽器を繋ぎ、調整する。

 それが終わると、五人は目を合わせ、「うん!」と頷き合った。

「みなさーん! 初めましてー!」

 元気な香澄の声がマイクを通してステージに響く。ハウリングを起こしそうなくらいに大きな声だ。それに釣られて、観客席からも歓声が上がる。

「わたしたち、」

『Poppin'Partyですっ!』

 一呼吸おいて、五人の声が揃う。打ち合わせは特にしていなかったけど、こういう風に紹介やりたいね! なんて話はしたことがあって、それをみんなが覚えていたようだった。

 うきゃー! と香澄が嬉しそうに笑う。有咲も少し紅潮した顔で微笑む。りみはステージライトに眩しそうに目を細めていて、たえはいつもよりもずっと凛々しい顔をしていた。

 沙綾は、そんなみんなを一番後ろから見守っている。顔は見えないけど、でも、みんな絶対そういう顔をしているだろうな、という確信を持っていた。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:58:27.89 ID:YWfCY9A20

「それじゃあ早速なんですが、曲に行きたいと思います!」

 溌溂とした声を響かせ続ける香澄。それに呼応するように歓声が上がる。

「この歌は、このライブの為に……ううん、友達のために、みんなのために作った歌です!」

 その言葉を聞いて、沙綾はちょっとだけ泣きそうになったけど、でも涙はこらえる。この眩いステージに涙なんて絶対に似合わないから、最後の最後まで笑って演奏していようと強く思った。

「聞いてください! わたしたちのこれまでと、これからの歌!」

 香澄が強く言い切る。有咲が、りみが、たえが、沙綾が強く頷く。

 教室の机の上に書いたメッセージ。時空を超えて、大切な友達から大切な友達へ届けられた歌。泣き虫のテーマ(仮)、改め――

184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:58:53.96 ID:YWfCY9A20


「1000回潤んだ空!」

185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 12:59:44.59 ID:YWfCY9A20


 ――その声を合図に、一呼吸おいて、有咲のキーボードが静かな音を奏でる。その旋律に、香澄の歌声が乗る。みんなのコーラスが合わさる。サビに入ればりみの重低音が、たえのギターサウンドが入ってきて、最後に沙綾のドラムが重なる。

 香澄たちのこれまでと、これからの歌。

 夢を撃ち抜き、撃ち抜かれた少女たちの歌。

 静かなバラードからロックサウンドに繋がり、やがて歌は収束していく。

 けれど、終わらない。無敵で最強の音楽(キズナ)は、これまでも、これからも、いつまでも奏で続けられる。

186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 13:00:34.81 ID:YWfCY9A20


 香澄と沙綾の机。彼女たちの音楽(キズナ)の始まりがあった場所。そこには香澄の文字で、有咲の文字で、りみの文字で、たえの文字で……この歌が刻まれている。

 その最後の最後には、香澄が指した“みんな色の奇跡”に違わず、可愛さの中に芯の強さを感じる文字で新しいキズナが書き足されていた。

187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 13:01:14.31 ID:YWfCY9A20


 放課後から 私たちの時間

 リボンを緩めたら ミュージックのスタート…♪

188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2019/05/25(土) 13:02:05.03 ID:YWfCY9A20




参考にしました
宮沢賢治 『銀河鉄道の夜』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/456_15050.html

BUMP OF CHICKEN
アルバム『orbital period』から『arrows』

amazarashi 『スターライト』
https://youtu.be/dQ5Vs4dHmWw



もしも生まれ変わったらの話
戸山香澄「たられば」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1534273301/ の>> 145から


最後まで読んでいただきありがとうございました。
HTML化依頼出してきます。
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/05/25(土) 16:07:35.78 ID:7GQ/lR800
「たられば」の人か、良いSSだった。
機会があればまた書いてほしい。

おつ!
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