【アイマス】滄の惨劇

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152 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 23:02:34.93 ID:eLWNEPPE0
 19時07分。

6人は談話室に戻ってきた。

「もし小鳥さんも来てたら――同じように狙われてたのかな……」

言ったのは春香だ。

「あの告発文のこと?」

律子の問いに彼女は特に反応しない。

「あれに書いてあるように私たちに罪があって、だから誰かがそれを罰するためにやってるのだとしたら――」

「…………?」

「そいつは狂っているわ。正常じゃない」

感情的になって律子は言う。

その視線が響を捉えたので、彼女は咄嗟にそれから逃れるように余所を向いた。

「い、今はそんなことよりどうやって生き延びるか考えるべきだぞ! あと2日――」

「そう、よね……」

「それには……やっぱりひとりにならないほうがいいんじゃないかな……?」

雪歩が控えめに口を挟む。

「あずささんもやよいちゃんも……ひとりのところを…………」

殺された、という直截的な表現を彼女は用いない。

言葉にしなくても意味は全員が理解できていた。

「少し早いけど先に寝具を集めておくのはどうかしら?」

千早が言った。

6人は談話室で夜を明かすことを決めており、ソファをベッド代わりにし、必要な寝具を各自の部屋から持ち寄ることになっていた。

特に異論もなく、春香たちはそれぞれ部屋を回って枕と掛け布団を持ち出すことになる。

ここから最も近い雪歩、続いて春香、真の部屋を順番に巡る。

当然、この移動も6人揃ってである。

さらに響、律子、千早の順に回る。

その際、念のために亜美の部屋のドアをノックする。

「あんたたち、特に異常はないわね?」

だが返事はない。

「亜美…………?」

数秒待つが、やはり反応はなかった。

「まさか…………!」

律子の顔つきが変わった。

彼女が不安げに振り返ると、真や雪歩は神妙な面持ちで見返した。

その横で、

「みんな、大丈夫? 何もおかしなことはないよね?」

春香が呼びかけていた。

ほどなくしてドアが開き、貴音が姿を現した。
153 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 23:08:47.73 ID:eLWNEPPE0
「こちらは異常はありません。春香たちも――特に変わりはないようですね」

彼女たちは隣――真美の部屋に集まっていた。

「そ、そっちだったのね…………」

律子は額を拭って眼鏡をかけなおした。

そして壁に手をついてゆっくりと息を吐く。

「無事で良かったわ。返事がなかったから気が気じゃなかったのよ」

「それは失礼をいたしました。ところで貴方たちは今夜はどうなさるのですか?」

「談話室で寝るつもりよ。ソファをベッド代わりにしてね。それでいま布団やら枕やらを集めて回ってたの」

「なるほど……しかし夜は冷えるでしょう。体調にはくれぐれもご注意を」

「ええ、あなたたちも気を付けて」

4人が無事であると分かり安心したか、律子の声はやや弾んでいた。





律子たちを見送り、ドアを閉めた貴音は大息した。

ゆっくりと振り返り、室内を見渡す。

「談話室で一夜を過ごすそうです」

「聞こえてたわ」

伊織は別段興味なさそうに返した。

「あそこなら見通しもいいだろうし、犯人に対しては牽制になるんじゃないかしら」

「そうですね。ただ――」

犯人にとっても見通しが聞く、と貴音は言う。

「仕方ないわよ。他に場所がないんだし」

貴音はドアの施錠を確認してから一人掛けの椅子に腰をおろした。

伊織も真向かいにある同じような椅子に腰かけ、腕を組んで難しい顔をしている。

亜美と真美はベッドに並んで座っており、落魄した様子のまま顔を上げようとしない。

「2人とも、無理して起きていなくてもいいのですよ」

自分が警戒しておくからと亜美たちに休息を勧める。

ドアはしっかりと施錠されており、窓にも鍵をかけてカーテンを閉めてある。

誰かが入って来ることはない、と貴音は強調した。

「いいよ、まだ起きてる」

「亜美も」

2人は顔を伏せたまま返した。

「――そうですか」

貴音はそれ以上は何も言わず、目を閉じて深く息を吸い込んだ。

それから数分。

「こんなことになるなんてね」

伊織は誰にも聞き取れないような声で呟いたが、貴音には届いていた。
154 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/07(日) 23:14:16.20 ID:eLWNEPPE0
「誰にも予想すらできなかったことです」

「そう、ね――」

「伊織」

「何よ?」

「今の貴方には迷いが見えます」

「こんな状況なんだから当たり前でしょ」

「いえ、そうではなく……後悔しているのではありませんか?」

途端、伊織はばつ悪そうに俯いた。

小さな手をぎゅっと握りしめ、何かに耐えるように表情を固くする。

「伊――」

「してるわ」

「………………」

「………………」

「響のこと、ですか?」

「――そうよ。だけどあんたが思ってるようなことじゃないわ」

「………………?」

貴音はそれ以上は追及しなかった。

「あんたはどう思ってるのよ?」

反対に彼女が問いかける。

貴音はちらりと亜美たちを見た。

2人はずっと同じ姿勢のままで、会話を聞いているのかどうかは分からない。

「悪い夢であれば、と願うばかりです」

「そういうことじゃなくて……!」

大きな声を出しかけた伊織は、貴音が2人を瞥見したのを認めて慌てて言葉を切った。

少しだけ頬を赤くして、

「そうね」

と拗ねたように吐き捨てる。

わずかに吹きつけた微風が窓を叩いていた。



155 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 21:27:46.05 ID:7F57kQa50
 21時35分。

ソファに腰かけていた律子が時おり船を漕ぐようになった。

「無理しないで横になったほうがいいわ」

それにいち早く気づいたのは千早だった。

「え……あ、私、もしかして寝てた!? ごめんなさい! そんなつもりじゃ……!」

睡魔を振り払うように律子は両頬を数度叩いた。

「こんな状況なんだから少しでも休まなきゃ。それでなくても律子はボクたちの代わりに――」

つらい役目を引き受けているのだから、と真も添える。

この十数時間の激動に疲弊したか、面々の顔色は悪い。

特に引率役として立場上、何かと鞅掌していた律子はひどく憔悴しているようだった。

亜美や真美がいなければ、強引にこの場を盛り上げることもできない。

「ええ、でも眠るのは……不安なのよ……」

あずさの件があったから、と彼女は涙混じりに打ち明けた。

「で、でもこんなにたくさんいるから、大丈夫……だと思います……」

数を恃みにしての弁だったが、そのわりには雪歩は落ち着きなく周囲を窺っている。

ここ談話室には西の階段側に続く扉、南側に廊下に繋がる扉と、北側の大きな窓がある。

部屋の中央からそれぞれまでの距離は10メートルはある。

誰かが飛び込んできても身構えるくらいの余裕はある。

だからこそ彼女たちは6人で夜を過ごすならここしかないと考えた。

突然、春香が立ち上がった。

皆の目が一斉に彼女に向けられる。

「何か温かい飲み物でも淹れてこようかと思って……」

「それなら私も……」

一緒に行く、と雪歩が立ち上がる。

2人では危険だということで真も同行することになった。

「みんな、気を付けて」

残るのは律子、千早、響の3人だ。

人数が減ったことで死角ができないようにと周囲に目を凝らす。

しかし物音ひとつしなければ、何かが動く様子もない。

「プロデューサーが見た人影って誰だったのかな――」

窓を見つめながら響が呟く。

「それは誰にも分からないわ」

今となっては、と千早が諦めたようにため息をつく。

「私たちの知っている人なのか、そうでないのか……それとも、見間違いなのか……」

あらゆる可能性があることを千早は付け加えた。
156 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 21:31:52.73 ID:7F57kQa50
しばらくして春香たちがトレイを持って戻ってきた。

「ホットココアにしたよ。これでホッとできればいいんだけど――」

千早は堪らず噴き出してしまった。

「ありがとう、いただくわ」

固くなっていた表情を弛緩させ、律子が差し出されたカップを受け取る。

全員がそれぞれのカップを手にすると、トレイには4人分が余った。

「亜美たちの分も淹れたんだ。今から持って行こうと思って」

「それなら私たちが行くわ。春香たちはここにいて」

立ち上がった千早は響を誘った。

が、彼女は口にこそしないものの同行を渋った。

「い、いいよいいよ! 千早ちゃん、私と一緒に行こっ! 真もお願い」

雪歩と入れ替わるように千早がトレイを持ち、2人を率いて2階へと上がる。

「律子は相当参っているようね」

この声が本人に届かない距離を見定めて千早が言う。

「今日一日であれだけのことがあったから……」

苦悶の表情を浮かべる春香に、

「ボクたちもだけど、それ以上に律子はずっと気を張ってると思う」

と真も続けた。

これ以上の犠牲を出してはならないと彼女たちは誓い合う。

「私だよ。千早と真も一緒にいる」

ドアをノックして廊下に誰がいるかを伝える。

間もなく伊織が出てきた。

「助かるわ。少し気分を落ち着けたいと思っていたから」

「あれから何かあったの?」

「特に何もないわ。ただ、亜美たちの落ち込みようがね――」

伊織は言葉を濁した。

彼女によれば2人はすっかり憔悴しており、話しかけても会話にならない状態だという。

「今からでも私たちと一緒にいることはできないかしら?」

千早の提案に伊織はかぶりを振った。

「たぶん無理ね。大人数の中だとかえって混乱しかねないわ」

落ち込んでいても今はこの状況の方がいいと彼女は言った。
157 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 21:36:54.15 ID:7F57kQa50
「それじゃあ、これ。冷めないうちに。伊織はオレンジジュースのほうが良かったかな?」

「贅沢は言わないわよ。ありがとう」

「なんか調子狂うなあ、伊織が素直にお礼を言うなんて」

真が意地悪な笑みを浮かべた。

「失礼ね! 私だってお礼くらい言うわよ!」

真のくせに、と捨て台詞を残して伊織は部屋に引き揚げた。

「はは、あれだけ言い返せるなら伊織は大丈夫だよね」

春香は安堵したように微笑した。

3人が談話室に戻ると雪歩たちはソファに腰かけ、油断なく辺りを窺っていた。

特に響は目をギラつかせていたが、反対に律子は眠そうな目を抉じ開けるように視線を左右させていた。

「あ、春香ちゃん。亜美ちゃんたちはどうだった?」

「あまり良くないみたい。今は一応は落ち着いてるみたいだけど……」

「そう…………」

「あ、でも伊織も貴音さんもいるから大丈夫だよ!」

春香は大仰に笑ったが、千早の目は笑っていなかった。





158 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 22:17:18.46 ID:7F57kQa50
 22時57分。

秒針が時を刻む音だけが聞こえる。

ホットココアを飲み終えた後、しばらくは周囲を警戒していた律子だったが22時を少し過ぎたあたりで、とうとうソファに横になってしまった。

皆それぞれに疲れていたらしく、雪歩も体を丸めるようにして眠っている。

今はかろうじて起きている春香もしばしば襲ってくる睡魔をどうにかやり過ごしている状態である。

「静か、だね……」

真が当たり前のことを呟いた。

「そうね」

答えた千早はテーブルに置かれたままのカップを眺めていた。

片付けるためにまた厨房に向かう危険を冒すくらいなら、一夜くらい放っておいた方がよいという判断だ。

少々不衛生だが仕方がない。

殺人鬼がいることに比べれば瑣末な問題だ。

「昨日はここで皆で遊んでたんだよね。いろんなゲームを持ち寄って」

感慨深そうに真が言う。

「なんだかもうずっと前のことのようね――」

千早が言うと4人とも俯いてしまった。

「自分たちもそろそろ寝たほうがいいんじゃないかな?」

部屋の隅にある一人掛けの木組みの椅子に座っていた響は、中空を見つめて言った。

「無理して起きてたって疲れるだけだし、犯人も大勢いるこんなところに来たりしないと思うし」

そう言い、響は立ち上がり大袈裟に背伸びした。

「うん、でも――」

春香は迷いを見せた。

「ソファの数が……」

彼女が言っているのは寝床のことだ。

談話室にはテーブルを囲むように4脚、西側の壁際に1脚と、計5脚のソファしかない。

人数と合わないため少なくとも1人はソファを使えないことになる。

その点について彼女たちは当初から気付きながらも話題にはしなかった。

ただ肉体的、精神的に負担の大きい律子には優先的に譲るという共通の認識はあった。

今は律子、雪歩、春香がそれぞれ使用しているので、空いているのは2脚ということになる。

「自分はそのへんの床で寝るからいいぞ? クッションとか多めに持って来たし」

さも意外そうに響は言う。
159 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 22:23:21.05 ID:7F57kQa50
「ダメだよ、そんなの。それならボクが――」

「いいえ、みんなはソファを使って」

「みんなにそんな想いはさせられないよ。ここはリーダーの私が」

「いつ春香が何のリーダーになったんだ?」

わざわざ根心地の悪い床を巡って4人は譲り合わない。

律子たちは寝ているので小声での小競り合いが続いてしばらくした時、

「それなら交代で見張るっていうのはどう?」

真が提案した。

「見張る?」

「うん。1時間ずつ交代でね。最初は響で次がボク。その次は千早で次が春香。で、また交代。これなら全員、ソファで寝られるでしょ?」

「たしかに――それなら犯人が入ってきても対処できるわね」

この状況で3時間ずつ寝られれば充分だ、と彼女は言う。

「これでどう?」

真は響に訊ねた。

「自分は別にかまわないぞ。でも春香が見張りかあ……大丈夫かな?」

「え、私……?」

「うん。転んだりしないかなって」

「見張りってここにいるんだよね? 歩き回ったりしないよね?」

止まっていれば転ぶことは絶対にない、と春香はやや興奮気味に言った。

「じゃあ決まりだね」

見張り役は先ほどまで響が座っていた木組みの椅子を使うことになった。










160 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 22:28:46.28 ID:7F57kQa50
響は辺りを窺った。

椅子は部屋の隅にある。

ここから談話室全体が見通せる。

もし何者かが入ってきても彼女なら先に動けるだろう。

響は深呼吸した。

律子たちはよく眠っているようだ。

秒針の音が木霊する。

異変は――ない。

誰かの足音も、何かが動く気配も。

「――響」

囁くように名前を呼ばれ、彼女はビクリと体を震わせた。

辺りを窺う。

真が手招きしていた。

彼女も寝ていたハズだが、いつの間にかソファに座り直している。

「もしかして犯人――?」

緊張した様子で響が近づく。

真はかぶりを振った。

特に異常はない。

「眠れないのか?」

「そうじゃないよ。いや、まあ、それもちょっとはあるけどさ……」

彼女にしては珍しい歯切れの悪さに、響は首をかしげた。

「響も休んだ方がいいよ、って思ってさ」

「まだ20分くらいしか経ってないぞ?」

次は真の番なのだから今のうちに寝ておいたほうがいい、と響は元の場所に戻ろうとした。

「あれは咄嗟にああ言っただけなんだ」

だが真はそれより早く彼女の手をつかんだ。

「どういうこと? 交代で見張るんじゃなかったの?」

「ウソついちゃったことになるかな、やっぱり」

響は怪訝そうに真を見下ろす。
161 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 22:31:38.60 ID:7F57kQa50
「意味が分かんないぞ。なんでそんなウソついたんだ?」

「そうでもしないと春香も千早も納得しないと思ってさ。もちろんボクもだけど」

「………………?」

「誰かひとりだけソファじゃなく床で寝るなんて気分がいいもんじゃないよ。響もそうだろ?」

「うん、まあ……でも自分は本当にそれでいいと思ってたし」

「それがダメなんだって。ボクたちだって落ち着かないよ」

掴まれた手をぐいっと引っ張られ、響はそのままソファに腰をおろした。

「ちょっと狭いけど肘掛けのところを枕代わりにすれば何とかなるよ」

つまりは2人で1脚のソファを使う、ということだ。

響はじっと真を見た。

「もしかして自分に気を遣ってくれたのか?」

「……そうなる、かな」

真はすぐには答えなかった。

「なんで?」

「なんでって……響だってそうじゃないか」

「…………?」

「ボクたちに気を遣って床で寝るって言ったんじゃないの?」

「ああ――」

それはたしかにそうだ、と彼女は何度も頷いた。

「ボクも同じだよ。ボクたちは同じ事務所の仲間だしね。それに――」

「うん」

「後ろめたさも……あるし――」

「ん? なんて言ったんだ?」

「なんでもないよ!」

真はわざとらしく手を振った。

「………………」

「………………」

「帰ったら……帰ってからも大変だよね」

ソファの反対側に向かって真が言う。

「いろいろ訊かれたりしてさ……週刊誌とかにもいろいろ書かれたりして――」

「うん…………」

「やっぱりアイドル、続けられなくなるのかな?」

「どうだろうな」

「そんなこと言ってる場合じゃないもんなぁ……」

「自分は別だと思う。自分たちは被害者なんだ。それでアイドルやめなくちゃいけないなんて納得できないぞ」

「――響って、ほんと強いよね。いつも何に対しても自信満々っていうかさ」

「だって自分――」

「カンペキだからね」

「それ、自分の台詞だぞ――って」
162 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/08(月) 22:33:46.34 ID:7F57kQa50
響はぎゅっと身を固くした。

「美希にも言ったんだよね……」

暫しの沈黙。

「自分のせいだ……あの時、自分が目を離したから、美希が――」

意を決したように彼女は言う。

その声はとてもか細く、時計の音にさえかき消されそうである。

「――響のせいじゃないよ」

否定する真の声も似たようなものだった。

「ボクたちも一緒に行動していれば犯人だって捕まえられたかもしれないのに」

「自分を責めてもしかたないぞ。悪いのは悪いヤツなんだから」

「それを言うなら響だって」

響は釈然としない様子だったが、

「そう、だな……」

やがて諦めたような調子で言った。

その後も2人は他愛のない話をして時を過ごしたが、やがて睡魔に襲われどちらからともなく眠りに落ちた。








163 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 21:40:27.37 ID:/9IRp8eO0
―― 3日目 ――



 2時51分。

律子はゆっくりと目を開けた。

「ん…………」

目頭を押さえる。

静かだった。

寝息が聞こえ、彼女はのっそりと顔をあげた。

テーブルを挟んだ向かい側のソファで春香が眠っている。

彼女は音を立てないように起き上がった。

その拍子に冷たい空気がわずか渦を巻く。

夏とはいえ深夜の館内は冷える。

「こんな時に……」

律子は露骨に不快そうな顔をした。

「寝る前に行っておけばよかったわ……」

テーブルにはカップがそのままになっている。

彼女はココアを飲んだ後、そのままトイレに行かずに眠ってしまっていた。

「春香……春香……」

耳元で囁きながら体を揺する。

「うぅ〜ん……やめてくださいよぅ……ぷろでゅーさーさぁん……」

「春香、お願い。起きて」

少し強めに揺すると、春香はのっそりと顔を上げた。

「ふぇ……りつこ……さん……?」

目をこすりながら彼女はぼんやりとした表情で律子を認めた。

「起こしちゃってごめんなさい。その、ちょっとお願いが――」

律子は恥ずかしそうに切り出した。
164 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 21:48:02.58 ID:/9IRp8eO0










春香は目を瞬かせた。

寝起きに入ってくるにしては光が強すぎるようだ。

防犯のために館内の照明は全て点けたままにしてあった。

「悪かったわね、起こしてしまって」

「いえ……大丈夫です」

生返事をする彼女はまだ半分眠っているようである。

談話室からトイレまでは近い。

南側の廊下を進めば突き当たりにあるので往復に時間はかからない。

2人は身を寄せ合うようにして廊下を歩く。

手洗い場のドアを開け、中の様子を窺う。

広い洗面所の向こうには男女別の手洗いがある。

中を確認した律子はほっと溜め息をついた。

「何かあったら大声を出して」

そう言い置いて、律子は手洗いに向かう。

「あ、はい」

ようやく目が冴えてきたのか、受け答えもしっかりしてきた。

「あれ…………? そういえば見張りは…………?」

呟いた時、背後から足音が聞こえ、彼女は振り返った。






165 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 21:53:43.05 ID:/9IRp8eO0
 8時27分。

「ん…………」

千早は目を覚ました。

眠気を振り払うように頭を振りながら、部屋の時計を見やる。

「8時…………?」

その視線をそのまま下にベッド代わりのソファを見やる。

雪歩が眠っている。

真白な布団が彼女の呼吸に合わせて上下している。

「みんな、起きて!」

彼女は喉の強さを披露した。

「みんなっ……!」

一番に目を覚ましたのは響だった。

「どうしたんだ、千早……大きな声出して……」

続いて真、遅れて雪歩がもぞもぞと体を動かす。

「春香と律子がいないの!」

そう言い、ソファを指差す。

「いない、って…………?」

真が飛び起きた。

2人の姿はどこにもなかった。

周囲に乱れた様子はなく、まるでふらりとどこかに立ち去ってしまったようだった。

「いったいどこに……!」

振り返った千早は雪歩を見て目を見開いた。

「は、萩原さん……! それ……!!」

ようやく体を起こした雪歩は目を瞬かせた。

しばらくして千早の視線を辿るように自分の胸元を見つめ、

「あ――!?」

小さく悲鳴を上げる。

雪歩の襟元から胸元にかけて点々と血が付着していた。

彼女はそれを払おうとした。

既に凝固していた血液は粉状になって繊維から剥がれ落ちた。

「ゆ、雪歩…………?」

響が怪訝そうに見つめる。

「わ、わたし、何も知らない! 何もしてないよっ!?」

「分かってる! 大丈夫だよ! 誰も疑ってなんかいないから!」

真が慌てた様子で駆け寄り、彼女の両肩に手を置いた。

「ね、ねえ、とりあえず貴音たちと合流しようよ」

響が言い、真と雪歩が曖昧に頷く。
166 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 21:58:41.24 ID:/9IRp8eO0
「ちょっと待って。交代で見張るという話はどうなったの?」

だが千早だけは首肯せず、責めるような視線を2人に向けた。

真たちは困ったように俯いた。

「じ、自分のせいなんだ!」

「我那覇さん?」

「真と交代するつもりだったんだけど、昨日はいろいろあって疲れて……それで寝ちゃったんだ」

「本当なの?」

「………………」

追及するような厳しい視線に、響は目を逸らす。

「本当だと思うよ。次はボクのハズだけど響から声をかけられなかったし」

千早は口元に手を当てて何かを考える素振りを見せた。

「あの……見張りって何の話なの……?」

雪歩は困ったように口を挟んだ。

「そういう話だったんだ。ボクたち4人で交代で見張ろうって」

あ、と雪歩は声をあげた。

「ごめんなさい、私……寝ちゃってたから……」

「雪歩は悪くないぞ。自分たちで勝手に決めたことなんだから」

それより、と響はちらりと千早を見やる。

「自分たちを疑ってたり……しないよね……?」

彼女はすぐには答えなかった。

だがしばらくして顔を上げると、

「今は疑っても仕方がないわ。水瀬さんたちのところに行きましょう」

通る声でそう言った。

4人は談話室を飛び出し、階段を駆け上がった。

「あ…………」

真美の部屋に向かう途中、彼女たちは見た。

管理人室(律子の部屋)のドアに、斜線を引くように赤い塗料で線が引かれてある。

線は取っ手を起点に下に向かって伸びていた。

千早はドアを叩いた。

「律子――」

だが返事はない。

ドアはいっこうに開く気配がない。

彼女はノブに手をかけたが、施錠されているらしくドアは開かなかった。
167 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:11:37.56 ID:/9IRp8eO0
「ねえ……」

真が赤い線を指差して震えていた。

「これ、あずささんの時と――」

同じだ、と彼女は言った。

「犯人の目印なんじゃないか……?」

「目印…………」

響の言葉に、3人は顔を見合わせた。

ドアのことも気になるがまずは伊織たちと合流するのが先だと、彼女たちは真美の部屋の前に立つ。

「真美たち、起きてる? 大変なんだ! 出てきて!」

響がドアを激しく叩いた。

しばらく待つが中からは何の反応もなかった。

「真美! 亜美! 貴音! 伊織!!」

返事は――ない。

「まさか……もう、4人とも…………?」

響が泣きそうな顔で振り返った時、

「待たせたわね」

ゆっくりとドアが開き、伊織が顔を覗かせた。

「い、伊織! みんな無事なんだよね!?」

真が飛びかかような勢いで言うと、彼女は立てた人差し指を自分の口元にあてた。

「貴音がまだ寝てるのよ。全員無事だから安心しなさい」

「そっか……良かった…………」

「それより何かあったの?」

問いに響はすぐには答えず、しばらく視線を彷徨わせたあと、

「春香と律子も……殺されたんだ……」

苦悶の表情を浮かべて言った。

その返答を聞いていた千早は訝るように響を見つめた。

「ウソ、でしょ…………!?」

大声を出しかけて伊織は慌てて口を押さえた。

「とにかく皆で一緒にいたほうがいいと思うんだ。亜美と真美はどんな感じなんだ?」

「――分かったわ。支度をしたらすぐに降りるから談話室にいてちょうだい。詳しい話はその時に聞くから」

「うん、気を付けるんだぞ」

「あんたたちもね」

伊織はドアを閉めて施錠した。

「ボクたちも談話室に行こう」

真が言うと雪歩は控えめに頷き、階段の方へ向きなおった。

4人は1階に降り、布団やクッションを壁際のソファ上にまとめた。

各々、すっかり脱力した様子でソファに座り、伊織たちが来るのを待った。
168 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:17:58.13 ID:/9IRp8eO0
「……ねえ、我那覇さん」

低く、冷たい声だった。

3人とは距離を置くように腰かけ、俯いたまま視線だけを響に向ける。

「ん、なんだ?」

「どうして春香と律子が――その……殺されたと思ったの?」

落魄した様子だった真と雪歩が、弾かれたように響に目を向けた。

当の本人は質問の意味が分からないという様子だ。

「2人はいなくなっただけよ。殺されたとは限らない。現に私は2人とも無事だと信じているわ」

「………………」

「でも我那覇さんはさっき、水瀬さんにこう言ったわ。”春香も律子も殺された”って――」

近くにいたから間違いなく聞いていた、と千早は語気を強めた。

その言葉にようやく何を言わんとしているのかを理解したように、響は視線を彷徨わせた。

「じ、自分、そんなこと言ったっけ……?」

「ええ、間違いなくそう言っていたわ」

反対に千早は彼女を凝視した。

真も雪歩も成り行きを静観し、助け舟を出すことも仲裁することもしなかった。

「たぶんあの赤い線を見ちゃったからだと思う。それで自分……そう思いこんだのかも――」

「春香は?」

「え…………?」

「律子の部屋のドアにはたしかに線が引いてあったわ。でも春香はちがう。まだ確かめていないわ」

響は何も答えない。

だがこれまでの彼女とは異なり、その目はしっかりと千早を見据えていた。




169 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:25:03.05 ID:/9IRp8eO0



「何か……あったのですか?」

伊織が施錠したすぐ後に、貴音は訝しげに問うた。

「あんた、起きてたんでしょ?」

「いえ、話し声が聞こえたものですから、それで目が覚めたのです」

「まあ、いいわ。それより――」

伊織は響から聞いたとおりに伝えた。

「まさか――」

「私も信じられないわ。あっちには律子がいたのに……それに春香まで……」

頭を押さえて彼女は深呼吸した。

「そんな状況だから合流したほうがいいって話になったのよ」

「なるほど、そういうことでしたか」

「さっき寝たばかりの貴音には悪いけど、これから談話室に集まることになってるの」

貴音は緩慢な動作で起き上がり、室内を見渡した。

「こちらには異常はないようですね」

「当然よ。私たちが見張ってたんだから」

拗ねたように言った伊織はまだ眠っていると亜美と真美を起こした。

2人はなかなか目を覚まさなかったが、強引に布団をはぎ取るようにするとようやく起き上がった。

「どしたの……?」

目をこすりながら問う亜美。

「ウソだっ! そんなのウソに決まってるよ!」

経緯を聞いた彼女は耳を被って叫んだ。

真美は何も言わなかったが、信じられないという様子で震えている。

「落ち着きなさい。とにかく合流するのよ。一緒にいたほうがいいわ」

だが亜美はかぶりを振った。

「ワガママ言うんじゃないわよ! 命が懸かってるのよ!?」

「いおりんだっていっつもワガママばっかり言ってんじゃん!」

「今はそういうこと言ってる場合じゃないでしょ!! これは――」

「……伊織」

貴音は目配せした。

「あなたが冷静にならなくてどうするのです。気持ちは分かりますが」

まずは2人を落ち着かせることが先だ、と彼女は宥めた。

「そんな余裕が……!」

「分かっています。ですが元々、私たちの心労を考えて二手に分かれたハズ。今の状態で落ち合っても――」

良いことにはならない、と彼女は言った。
170 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:33:20.80 ID:/9IRp8eO0
「じゃあどうするのよ?」

「2人とも思っている以上に憔悴しています。響たちと合流するのは得策とは思えません」

そこで今しばらくここで慰撫することを伝えに行ってくれないか、と貴音が言う。

彼女は少し考えるそぶりをしてから言った。

「それはできないわ」

「………………」

「こうなったらこの館をひとりで歩く気にはなれないもの。談話室まで近いといってもね」

「ええ、たしかに――」

「だからって”あんただけが”行くのも反対よ」

貴音は何も言わず、瞑目した。

しばらくそうした後、大息した彼女は向きなおり、

「亜美、真美、聞き分けてくださいませんか?」

恭順な態度で理解を求めた。

2人は困ったように視線を彷徨わせる。

伊織は時折り時計を見ながら様子を見守る。

やがて顔を上げたのは真美だった。

「――わかった」

彼女はそれだけ言った。

わずか空気が和らぐ。

「真美たち……みんな無事に帰れるよね……?」

貴音の手を掴んだ彼女は潤んだ瞳で問うた。

「ええ、もちろんです」

ドアノブに手をかけている伊織に向かって、貴音は優しい口調で言った。

4人は音を立てないように部屋を出た。

階段を下りたあたりで言い争う声が聞こえてきた。

「何かしら……?」

談話室のドアを開けた時、

「千早は自分を疑ってるんだな? 千早だけじゃない。真も雪歩も」

響は千早を睥睨しながら言った。
171 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:37:06.37 ID:/9IRp8eO0
「ち、ちがうよ! 響ちゃん! 私はそんなこと……!」

必死に否定する雪歩は既に涙目になっている。

「そうだよ! ボクだって響を疑ったりしないよ! きっと千早だって――」

肩越しに振り返った伊織は、貴音に2人とその場で待つように言った。

だが真美は、

「いいよ。真美たち、大丈夫だから」

凛然と言い、伊織に続いて談話室に入った。

「ちょっとちょっと。どうなってるのよ、これ?」

場を収めるように声を張る。

「あ、伊織……」

幸いとばかりに真が事情を説明する。

昨夜から今朝までに起こったこと。

それぞれがどんなことを言い、どう動いたかを辿っていく。

その間に貴音は2人をソファに座らせ、会話から遠ざけるようにした。

響を問い詰めていた千早も、伊織たちが入ってきたことで追及の手を止めている。

「なるほどね…………」

全て聞き終えた伊織は腕を組んでため息を吐いた。

「私が言えたことじゃないけど、今は疑ってる場合じゃないと思うわ」

「そう、だよね」

一番に真が同調する。

「律子と春香を捜すのが先よ。話はそれからだわ」

千早はまだ何か言いたげだったが、まずは2人を探そうということになった。

全員で動くのも効率が悪く、かといってばらばらになるのも危険ということで4人一組で捜索が始まる。

ただし膠着を避けるため伊織、千早、雪歩、真のグループと、貴音、亜美、真美、響のグループに分かれた。

亜美と真美は離れたがらず、彼女たちをうまく慰撫できるのは貴音だとしてこのような組み分けとなった。

伊織たちは1階を調べることにした。

まずは食堂がある西棟に向かう。

告発文を見ないようにして食堂、厨房と見て回るが異常はない。

美希の部屋の前に来た時、最初にそれに気付いたのは千早だった。
172 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/09(火) 22:40:51.55 ID:/9IRp8eO0
「これは…………!」

ドアには赤い線が引かれてあった。

「昨日はなかったよね?」

「ええ……」

真の呟きに伊織は曖昧に頷いた。

「血を表しているとでもいうのかしら……」

千早が不愉快そうに言う。

ひとつ隣の春香の部屋も同様だった。

念のためにとドアノブに手をかける。

鍵は――かかっていなかった。

部屋の中は特に荒されている様子もなく、ベッドの近くにバッグが置いてあるだけだ。

春香の姿はない。

「まだそうと決まったワケじゃないわ」

落魄した様子の千早に伊織は凛然と言った。

4人はエントランスを横ぎって東棟に向かった。

浴場や脱衣所、手洗いも調べるが不審な点は見つからなかった。

「何か違いがあるのかしら……」

エントランスに戻ると、伊織があごに手を当てて呟く。

「伊織ちゃん……?」

すぐ横にいた雪歩が怪訝な顔をした。




173 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 21:41:48.35 ID:YbMCceeP0
貴音たちは2階を捜すことになった。

ほとんどは客室なので多目的室や遊戯室を中心に調べる。

「この部屋は食堂に繋がっているのですね?」

改めて確認するように貴音が問うと、響は無言で頷いた。

4人は多目的室を前にしていた。

これが正式な合宿であればミーティングやダンスレッスンに活用できただろう。

しかし今回は小旅行だ。

海で泳ぎ、砂浜で遊び、集まるには食堂や談話室があるから、わざわざここや遊戯室を用いることはなかった。

それゆえに何かを隠すに適している、と貴音は言う。

「鍵は――かかっていませんね……?」

彼女は首をかしげた。

「どうしたの、お姫ちん?」

このわずかな所作にも亜美は怯えの色を見せている。

「ええ……昨日、美希を捜す際、私と律子嬢でこの部屋に入ったのですが……その時、彼女は確かに施錠したハズ――」

ゆっくりとドアを開け、不意の襲撃に備える。

暖炉に通じる床の切れ目には不審な点はない。

この室には他に隠れられるような場所もなく、ぐるりと一周しただけで捜索は終わった。

「ねえ……律子が鍵をかけたんだったら、犯人は館中の鍵を持ってるってことになるんじゃないか……?」

響が言った。

「何者かが彼女を殺害して鍵を奪取した、ということですか?」

「うん、だって元々、鍵を管理してたのはプロデューサーと律子だし」

「……一理ありますね――ですが……」

だとすれば大事だ、と貴音は続けた。

「何者かはこの館の全ての部屋を自由に出入りできる、ということになります。立て籠もることさえ容易でしょう」

彼女は一貫して”犯人”という表現を用いなかった。

「じゃあ真美たち、どこにいても同じってこと?」

「私たちの強みは団結できることです。何者かはおそらく単独で行動しているでしょうから」

「なんで分かるの?」

「協力者がいるのであれば効率よく立ち回れるハズです。このような迂曲な手段を用いずとも――」

もっと短時間で多くの人間を殺害できただろう、と彼女は言う。
174 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 21:50:22.04 ID:YbMCceeP0
4人は遊戯室に向かった。

「ここは昨日から開いてたよ」

とは亜美。

「着いた時に真美とちょっとだけ探検してたんだ。廊下側のドアは閉まってたけど、階段側は開いてた」

言いながら彼女はおそるおそる南側のドアノブに手をかけた。

ノブは数センチ下がるが、それ以上はびくともしない。

西側に回り込む。

こちらは施錠されていなかった。

中央にはビリヤード台が置いてあった。

北側の壁にはピアノがあり、小さいながらバーカウンターも設えられている。

設備に合わせるように内装も格調高さが重んじられていて、子どもには退屈な空間である。

照明は薄暗い。

障害物となるものも多く、入り口からでは全体の半分も見通せなかった。

「春香……? 律子……?」

それぞれに呼びかけながら室内を探る。

死角が多いため、4人は慎重に歩を進めた。

テーブルの下やカウンターの裏まで見て回るが、2人の姿はない。

「2人ともどこに行っちゃったんだ……?」

響の呟きに誰も答えなかった。






175 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:00:25.09 ID:YbMCceeP0
30分ほどかけて館内を調べ尽くしたが、春香も律子もとうとう見つからなかった。

談話室に集まった8人の顔は暗い。

「春香…………」

特に千早の落魄した様は甚だしく、今にも倒れてしまいそうなほど青白い顔をしていた。

「竜宮小町は解散だ、なんて……あんたまでいなくなってどうするのよ……!」

対照的に伊織の血色は良い。

もともと勝ち気な目つきに瞋恚(しんい)の色は隠れもしない。

彼女は床の一点を睨んだまま、この場にいない律子への恨み言を呟いている。

歔欷の声が聞こえた。

雪歩だ。

小刻みに揺する肩を、真がしっかりと抑えていた。

それらを貴音は少し離れたところから見ていた。

――数分。

彼女らが落ち着きを取り戻した頃を見計らって、貴音は平素と変わらない口調で状況を説明した。

「律子嬢が施錠したハズの戸には鍵がかかっていませんでした。プロデューサーが既に手にかけられたことも考えれば――」

「………………」

「何者かはおそらく全ての鍵を持っているでしょう。こうなっては自分の部屋に閉じこもる方法も得策とは言えません」

ちらりと亜美たちを見やる。

2人は困ったように視線を彷徨わせていた。

「どうするん、ですか……?」

「死角の少ない、広い場所に集まることです。手を出すのは難くなるでしょう」

他に案は出ない。

昨夜は2つのグループに分かれたが結局、複数で固まって備える、という策を既に実行していたにすぎない。

「律子が言ってた……妖怪の仕業、かもしれないぞ……」

響がぼそりと言うと、貴音は途端に顔を顰めた。

「それはあり得ないって言ったでしょ」

「おかしいじゃないか! 自分たち、犯人の姿を一度も見てないんだぞ? 周りにはちゃんと注意してるハズなのに!」

不機嫌そうな伊織の言葉を遮るように彼女は言った。

「でも妖怪だったら説明がつくでしょ!? 妖怪だったら――」

「音声を流す。告発文を書いて壁に貼る。刃物やロープで人を殺す。鍵をかける……そんな妖怪、いると思う?」

「それは――」

「仮にいたとして、どう対処するつもりよ? 相手が人間のほうがよっぽど対策を立てやすいわよ」

早口でまくしたて、しかし理路整然とした反駁に響は言い返せない。
176 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:06:14.59 ID:YbMCceeP0
「それに……考えてる?」

「な、何をさ……?」

「あんたたちの話だとここで寝たのよね? 交代で見張るって段取りで」

「そうだけど?」

「でも響は寝てしまって、そのまま夜が明けた――そうよね?」

響は躊躇いがちに頷いた。

「で、律子と春香の姿が消えた。雪歩には誰のものかは分からないけど血がついてる」

「……! わ、私じゃないよ…………!」

「分かってる。そんなこと言うつもりはないわ。私が言いたいのはね――」

傍にあったソファの背もたれに手を置き、

「人間にしろ妖怪にしろ、そいつはあんたたちが寝ているこの部屋に入ってきたってことよ」

伊織は通る声ではっきりと言った。

雪歩が小さな悲鳴を上げると、千早は訝るような目を伊織と響に交互に向けた。

「寝てるあんたたちに気付かれずに2人を連れ出して、撹乱するためなのか雪歩の服に血を付けた……。

言ってる意味、分かるでしょ? あんたたち全員、殺されていてもおかしくないのよ?」

あっ、と真が声をあげた。

「そっか! ボクたちだって襲われてたかもしれないんだ!」

「だけどそいつはそうしなかった。理由は分からないけど、わざと4人だけを残したのよ」

挑むような目が響たちに向けられた。

「それは、どうかしら……」

静観していた千早が容喙した。

「眠っていたとはいえ、私たちは6人もいたのよ。誰にも気付かれずに……2人を連れ出すなんてできるかしら?」

「だって実際に――」

「誰かが入って来たら気配くらいするわ。それに足音や衣擦れの音だって」

千早の言い分はこうである。

音を立てずに――立てたとしても――眠っている6人に気付かれず運び出すのは容易ではない。

よほどの怪力の持ち主でない限り2人いっぺんに運ぶことなどできないから、何者かがいたとすれば少なくとも2往復したことになる。

しかし抱き上げられたり、引きずられたりすればさすがに春香たちは目を覚ますだろう。

そうさせないためには談話室で何らかの方法を用いて意識を喪失させる必要があるが当然、そうなると他の5人が気付くハズだ。

以上のように考えると、伊織の言う手順は妥当だがどこかで無理が生じてしまう、というのが彼女の意見だ。

「ならこの状況はどう説明するのよ?」

「そう、ね……」

挑むような視線を躱し、千早は少し考えてから言った。
177 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:19:47.38 ID:YbMCceeP0
「犯人はこの部屋には入って来なかったか……あるいは複数だったらどうかしら?」

複数、という言葉に反応した何人かが亜美と真美に目を向けた。

「亜美たちだと思ってるの……?」

誰も何も言わなかった。

その中で貴音だけは、

「私と伊織には分かっていますよ。同じ部屋にいたのですから」

憐れむような、穏やかな口調で言った。

「じゃあ、もうひとつの、入って来なかったっていうのは――?」

おそるおそる問うたのは響だ。

千早はそんな彼女から目を逸らすようにして、

「最初から談話室にいた、ということになるわ」

搾り出すように言う。

「ドアを閉めれば外からこの部屋の様子を見ることはできない。私たちが起きているかも知れないのに、中の様子を見るのはリスクが大きいわ。

だけど初めから中にいたのなら、寝静まった頃合いを待つのは簡単だと思う」

「つまり自分を疑ってるってことか……?」

「そうじゃないわ。でも……ごめんなさい。我那覇さんじゃないと言い切る自信がないの」

響を庇う声は上がらなかった。

雪歩は困ったように伊織を見やったが、彼女はその視線に対して小さくかぶりを振った。

「なぜそう思うのです?」

誰も口を開こうとしないのを確認して貴音が問う。

射竦めるような炯々とした眼光を叩きつける。

だが千早は動じなかった。

「美希のことがどうしても引っかかるんです。あの状況で彼女を手にかけられるのは――」

響しかいない、と彼女は言う。

その理由として、目を離したほんの数分の隙に殺されるなどありえない、という点を挙げた。

「あの時、我那覇さんを一番庇っていたのは美希だから、我那覇さんが犯人だとしたら彼女を手にかけることはないと思っていましたが」

今となってはそう思わせ、ミスリードを誘った可能性もあると千早は言った。

それに対し、響も反駁する気が失せたように俯いていた。

雪歩は懇願するような目で伊織を見た。

「響じゃないと思うわ」

観念したように伊織が言った。

それに対して瞠目したのは響ではなく千早だった。
178 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:22:45.90 ID:YbMCceeP0
「勘違いしないでよ? 私は美希のことを言ってるんだから」

「どういうことかしら?」

「美希が見つかったのは厨房の奥だったわよね。私の記憶だと、あそこは最初に真と雪歩が調べたけどその時は何もなかった――そうよね?」

「う、うん、そうだよ。間違いないよ」

真が言うと、雪歩も追従するように何度も頷いた。

「その後、再度調べて美希は見つかった。見つけたのは誰だった?」

千早は気まずそうに俯いた。

「私と春香と……我那覇さんだったわ」

貴音が胸元に手を当て、深呼吸した。

「あんたたち3人はずっと一緒に行動してたんでしょ? だったら響に美希を運ぶチャンスはないわ。できたとしたらあんたと春香が協力したことになる」

「そんな! 私たちは……!」

「でしょ? 美希を手にかけた後にどこかに隠し、あんたたちと行動しながら隠した遺体を厨房の奥に移す……そんなの不可能よ」

響はほっとしたようにため息をついた。

「だけど春香と律子の件に関しては別よ。あんたが言うように響の可能性もある」

「ね、ねえ……もうやめようよ……」

掠れた声で雪歩が言う。

「疑い合うのはよくないよ。そんなことしたって何にもならないよ……」

か細い仲裁に一同はしばし言葉を失った。

誰かを責める声は聞こえない。

だが事態を好転させようという声も出なかった。

――数分。

沈黙を破ったのは貴音だった。

「空腹を満たさなければ良い考えも浮かびません」

冗談なのか本気なのか分からない口調に、

「ほんっといいタイミングよね」

本気なのか冗談なのか分からない口調で伊織が言った。




179 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:32:29.21 ID:YbMCceeP0
 10時11分。

彼女たちは食堂にいた。

誰も告発文を見ようとはしなかった。

テーブルの上にはパンと即席のスープ、サラダだけだ。

たったそれだけの量でも雪歩や千早は半分も食べられなかった。

反対に健啖な貴音や真、響は周囲を窺いながらではあるものの全て食べきった。

「これからどうするか考えなくちゃいけないわね」

オレンジジュースを飲みながら伊織が言う。

「どこかで固まっておくしかないんじゃないか? ひとりで行動するのは危険だし」

「それでも春香と律子の件は防げなかったじゃない」

ぴしゃりと言われて響は黙り込んでしまった。

「複数で集まって……はもう意味がないわ。それ以外の方法を考えなくちゃ」

「じゃあ、みんなバラバラになるの?」

真が訝るように問う。

「まさか。それじゃ犯人に狙ってください、って言ってるようなものよ」

「じゃあどうするのさ?」

「そうね……」

伊織は顎に手を当てた。














180 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:36:49.78 ID:YbMCceeP0
 11時27分。

結局、妙案は浮かばず8人は談話室に集まることになった。

そこそこに広い、この空間。

椅子の数も充分にあるが彼女たちは既にいくつかのグループに分かれていた。

ソファで身を小さくしている雪歩とそれを支える真。

互いにずっと手を握り合い、隅で震えている亜美と真美。

千早は響を疑うような目で見、彼女はその視線を躱すように背を向けている。

伊織と貴音はそれぞれ離れたところから談話室全体を見渡すように構えた。

膠着状態が続いた。

交わされる会話は互いを気遣うか、何かを探ろうとするものばかりで言葉が続かない。

亜美も真美もゲームでもして気を紛らそうと提案しないから、談話室には動きがなかった。

「ああ、もう! こんな湿っぽい空気は耐えられないぞ!」

突然、響が立ち上がった。

その声に雪歩はびくりと体を震わせる。

「自分、ちょっと外の様子見てくる!」

言いながらドアノブに手をかける。

「………………!」

その手を掴んだのは伊織だった。

「どこに行くつもりなの?」

「ちょ、ちょっと外の様子を見に行くだけだぞ」

「――ひとりで?」

その言葉に全員の視線が響に注がれた。

彼女はばつ悪そうに俯いてから、

「付いてきてもかまわないぞ」

拗ねるように呟いた。

「どうする?」

伊織は貴音に水を向けた。

「危険です。どこに凶徒が隠れ潜んでいるか分からないのですよ?」

「でも近くを通りかかる船があるかもしれないじゃないか」

何人かが顔を上げた。

「た、たしかにそうよね……」

これには伊織も不意を突かれたように目を丸くした。
181 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/10(水) 22:42:16.40 ID:YbMCceeP0
「迂闊だったわ。迎えが来るまでどうやって生き延びるかばかり考えてた……」

彼女の言うように通りかかる船があれば助けを求めればいい。

そうすれば明日の送迎まで怯えなくてすむ。

何もしないよりはずっといい。

名案だ、というムードが広がり、談話室の空気は少しだけ暖かくなった。

「だけどひとりはダメよ。少なくとも3人……ううん、やっぱり4人くらいでないと」

言いながら伊織は貴音に合図した。

それを受け取った彼女は短く息を吐いて、

「では私が同行いたしましょう。あとの2人は響が選んでください」

「うぇっ? た、貴音?」

「私では問題がありますか?」

「い、いや! そんなことない! そんなことないぞ! そうだなあ……じゃあ――」

響は6人の顔を順番に見回した。

「雪歩と真。どう?」

先に名前を呼ばれた雪歩は困ったように真を見た。

「ボクはかまわないよ。雪歩はどう?」

「う、うん。真ちゃんがいいなら」

メンバーは決まった。

携帯電話が通じず連絡がとれないため、外での行動は2時間以内と決まった。

2時間以上経っても館に戻ってこない場合、今度は伊織たちが4人を捜しに出ることになる。

「無茶しないでよ? 貴音がいるから大丈夫だとは思うけど」

「伊織たちこそ、気を付けてよね。自分たちが出たらすぐに鍵をかけるんだぞ」

「分かってるわよ」

それぞれに武器(モップの柄や擂粉木等)を持ち、4人は館を出た。

言い出したのは自分だからと響が先頭に立つ。






182 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 21:30:33.12 ID:NSwjao7g0
 11時51分。

陽射しはよかったが、それゆえに枝葉が地面に落とす影も濃い。

どこから犯人が飛び出してきてもいいようにと、4人は油断なく周囲を探りながら浜を目指す。

「昨日、物置を調べてた時、律子がこの辺りで何か動いたって言ってたんだ」

雪歩が小さく悲鳴を上げて真にしがみつく。

「ゆ、雪歩。あんまりくっつくとかえって危ないよ」

「で……でもぉ……」

彼女は微風に木の葉が揺れる度に身を固くした。

浜への道はまだ少し泥濘(ぬかる)んでいることもあり、一行の歩みはゆっくりしたものだった。

「お待ちを。皆、注意を怠ってはなりませんよ」

桟橋まで百メートルほどというところで貴音が言った。

「私たちが外部に助けを求めに行くことは犯人も想定しているかもしれません」

つまり待ち伏せの可能性があるという。

「なん、なんくるないさー。こっちは4人もいるし、じぶ……自分がついてるからな!」

「響……声、奮えてるよ……」

そう言う真の声調も上ずっている。

4人はこれまで以上に慎重に歩を進めた。

余分に日光を浴びているからか、浜に続く一帯の樹木は他よりも高く、青葉は蓁々と茂っている。

当然、それだけ死角も多くなるので4人は衣擦れの音にも気を遣った。

しかし不安も杞憂に終わり、一行は開豁とした白浜に出た。

ここならば見通しはよく、人が隠れられるような場所もない。

「とりあえず一安心、かな……?」

常に臨戦態勢だった真は大息した。

とはいえ油断は禁物だ。

相手は神出鬼没の大量殺人犯である。

けして気を抜くべきではない、と貴音は忠告した。

4人はひとまず桟橋のある場所へ向かう。

船が通るなら、できるだけ海に近いほうが発見されやすいだろうとの考えだ。

「ところでさ、響。どうやって合図を送るの?」

「え? あ……」

「もしかして考えてなかった?」

「いや……そんなワケないじゃないか! あ、そうだ! こうすればいいんだ!」

響は慌ててポケットからスマホを取り出し、頭上に翳した。

「ほら、こうやって太陽の光を反射させれば――」

高々と掲げたディスプレイの角度を調節していた響だったが、折角の回答も尻すぼみになる。

厚い雲がぐんぐんと押し寄せて日光を遮ってしまったからだ。
183 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 22:00:20.92 ID:NSwjao7g0
「花火でも持ってくればよかったね」

と言う真の苦笑は慰めにもならない。

桟橋に立った響は時々後ろを振り返りながら、茫乎(ぼんやり)と水平線を眺めた。

5分経ち、10分が経つ。

しかし船どころか海鳥の姿すら見えない。

「そう都合良くはいきませんね……」

貴音が落魄した様子で呟く。

「こうなったら泳いで港まで行って助けを呼ぶしかないかも……」

「そ、そんなの、いくら響ちゃんでも危ないよ」

雪歩に言われて彼女は腕を組んで唸った。

遠泳は大きな危険を伴う。

水棲生物には毒を持つ個体も多い。

いかに体力に自信があろうと、無事に泳ぎきれる確証はない。

「筏(いかだ)を作るのはどうかな……?」

「それも一手かもしれません」

一番に貴音に認められ雪歩は恥ずかしそうに俯いた。

「そんな道具あったっけ?」

厨房にあるような包丁では樹木は切れない。

また川や湖ならまだしも、長距離を安全に移動する筏となると製作は容易ではない。

遠泳よりもマシだが実現は難しいとして、4人はこの案を却下した。

さらに10分ほど経ったところで、他の方角も見てみようという声が誰からとなくあがる。

せっかく船があっても島の反対側にいたのでは意味がない。

いなくなった春香たちの捜索も兼ね、彼女たちは時計回りに海岸線を歩く。

「見えないね……」

船の姿はない。

渺茫(びょうぼう)として広がる海原には漁船の一艘さえ存在しない。

再び木々が生い茂る一帯にさしかかる。

林間では自分たちが茂みを踏み歩く音が僅かに遅れて響くため、4人は何度も何度も振り返った。

道はやがてなだらかな登り坂になる。

蒼い海を左手に見ながら斜面を登りきると、切り立った崖の上に出た。

「ここからでは難しいでしょう」

周辺はかなりの高地になっている。

海との境目は崖になっており、仮に船と交信ができてもここからは降りられそうにない。
184 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 22:08:20.52 ID:NSwjao7g0
「どうしますか? かなり時間が経っていますが……」

時計を見ると4人が館を出てから1時間以上が経過していた。

館まで戻る時間を計算すると、外にいられるのはせいぜい30分ほどだ。

それ以上となると伊織たちとの約束が守れなくなる。

「自分はもう少し船が来ることに賭けたいけど……」

と言って響はちらりと雪歩を見やった。

ここに至るまで険阻な道も多く、彼女は額に大粒の汗を浮かべていた。

「雪歩、つらそうだぞ? 大丈夫?」

「う、うん……私なら大丈夫だよ。ちょっと息が上がっちゃっただけで……」

「無理しちゃダメだよ」

真が背中をさする。

「ありがとう、真ちゃん。ごめんね、足……引っ張っちゃって……」

「――いえ、真の言うとおりです。無理をするべきではありません」

貴音は表情を変えずに言った。

「犯人の所在が分からず島からの脱出も望めない以上、私たちは自分で身を守らなければなりません。体力の消耗は避けるべきでしょう」

そう言って響を見る。

彼女はしばらく海の向こうを眺めていたが、やがて納得したように頷いた。

だがせめて一縷の望みに縋ろうと、館までの帰路はできるだけ海岸線を選ぶことになる。

坂道をゆっくり降りていくと、次第に雪歩の呼吸も整ってきた。

「――では特に物音を聞いたり、異変を感じたりということはなかったのですね?」

道中、昨夜の件について話し合う。

この中でひとり2階にいたため当時の状況を知らない貴音は、見張りをしようとしていた真、響から事情を聞いた。

「うん。こんな状況だし気が張ってたハズだから、何かあったらすぐに目を覚ますと思うんだけど……」

答える2人の歯切れは悪い。

「見張り、ちゃんとしておけばよかったな……」

呟いた響は慌てて真の顔を窺った。

すぐにばつ悪そうに目を逸らす。

「伊織も言っていましたね。2人だけでなく全員が手にかけられていた可能性もあると」

「うん――」

「しかし犯人は敢えて4人を襲わなかった。その理由は分かりませんが、誰ひとり気付かなかったとなると――」

 貴音は響を見た。

「………………」

「2人は自発的に談話室を出た、とは考えられないでしょうか?」

「………………」

響は安堵したように息を吐き出した。

「自発的、ですか?」

「ええ。なんらかの事情で自らの意思で談話室を離れた、と。そこを狙われた――という可能性もあります」

「こんな状況なのにどんな理由で? それに春香と律子は一緒に行動したの? それとも別々で?」
185 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 22:20:43.57 ID:NSwjao7g0
真は矢継ぎ早に質問をぶつけたが、貴音はそのどれにも答えなかった。

代わりに彼女がしたのは、

「交代で見張りをするハズが眠ってしまった――というのは本当ですか?」

新たな疑問を口にすることだった。

その目は一度、真に向けてから次に響を捉えた。

「ああ、えっと――」

響は真に助けを求めた。

「半分は本当、かな。実は――」

見張りを提案した本人として彼女は事情を説明した。

「なるほど、そういうことでしたか」

得心したように貴音が頷くと、雪歩は申し訳なさそうに縮こまった。

「――しかし、そうするとひとつの可能性が出てきますね」

彼女の目つきは俄かに鋭くなった。

その変化に気付いた響は咄嗟に余所を向いた。

「2人が自発的に談話室を出たとしたら、その後を追うのは難しくないでしょう」

「ね、寝てる間のことなんだから無理じゃないか……?」

「そうとは限りません。皆が眠っているのであれば起きている者には造作もないハズです」

「でも、あの……それだと誰かが寝たふりをしていたことになりませんか……?」

おずおずと雪歩が言う。

しばしの沈黙のあと、彼女は天を仰いだ。

「――そういうことになりますね」






186 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 22:30:38.92 ID:NSwjao7g0
 13時44分。

扉を開けるなり、伊織は怒っているような呆れているような目で4人を見た。

「もう少し遅かったら探しに行くところだったわよ」

言ってから彼女は所在なげに髪をいじった。

「ごめんね、伊織ちゃん。私が足手まといだったせいで……」

「ちょっと? 怪我でもしたの?」

「ううん、そうじゃないの」

というやりとりを千早はやや離れたところから見ていた。

「それでどうだったの……って訊くまでもなさそうね」

談話室に集まって情報を共有する。

といっても4人には収穫はない。

念のためにと捜索を兼ねたものの、春香も律子も見つからずだ。

一方、伊織たちには小さな変化があった。

「あんたたちが外に出てる間に千早が見つけたのよ」

彼女がテーブルに置いたのは眼鏡だった。

左側のレンズが割れ、フレームが少し歪んでいる。

「ソファの下に落ちていたわ」

あそこに、と千早が指差す。

「律子の、だよね……?」

「としか考えられないわ」

シーツの乱れ具合やソファの下に潜り込んだと思われる壊れた眼鏡。

このことから彼女たちは、ここで犯人と揉み合いになったのではないかと話し合った。

しかし、と口を挟んだのは貴音だ。

「眼鏡がこうなるほどの揉み合いならなおさら、誰も気付かないというのは不自然に思えますが……」

そしてやはり2人は自発的に移動したのではないか、という説を推す。

「この状況ですよ? どんな理由があるにせよ先に私たちを起こすと思いますけど」

千早の口調は少し怒っているようだった。

これだけ犠牲者が出ていて、迂闊な行動をするほど2人は軽率ではないと彼女は言う。

「何かよほどの事情があったのか、それとも――」

伊織は思いつめた表情でテーブル上の眼鏡を見つめた。

一同が昨夜の出来事について話し合っている間、亜美と真美はこそこそと何かを囁き合っていた。

「どうかしたの?」

それに気付いた真が問う。

2人はどちらが返すか譲り合った。
187 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/11(木) 22:38:31.74 ID:NSwjao7g0
「はるるんと律っちゃんのことだけど……」

小競り合いの末、亜美が答える。

「ほんとに犯人のせいなのかな……」

「どういうことよ?」

挑むように訊き返したのは伊織だ。

「――伊織。亜美、お話しいただけますか?」

貴音は相手が誰であろうと慇懃に接する。

それがしばしば見当違いな発言をする年少者であっても例外はない。

「うん…………」

亜美たちの見解はこうである。

春香と律子は共犯であり、犠牲者を装って姿を隠した、

館の内外を捜しても見つからないのは、捜索の手を巧みにかい潜っているから。

そうして殺害されたと思わせる意図があるのではないか、というものだ。

「………………」

誰も何も言わなかった。

肯定することも否定することもしなかった。

互いが互いを探るような視線だけが複雑に交錯する。

「あ、あの…………」

その雰囲気に耐えかねたように雪歩が立ち上がった。

全員の視線が彼女に注がれる。

「お茶……でも淹れようかと思って……」

雪歩は困ったように俯いた。










188 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 21:57:24.60 ID:oF7vZKkI0
気分転換としては良いタイミングだった。

膠着し、さらなる疑心暗鬼に陥りそうだった彼女たちは一旦はその芽を摘まれたことになる。

厨房には伊織、真、響が同行した。

余計なことを言ったのではないか、と落ち込む亜美たちは貴音が慰撫している。

「亜美たちが言ってたこと、なんとなく分かる気がする」

湯が沸くのを待ちながら響がぼそりと呟いた。

「なんでそう思うの?」

訝るように真が訊く。

「生きてるかどうか――ハッキリ分からないのは2人だけだし……」

「それは……」

二度にわたる捜索は春香と律子が生きている前提で行なったことだ。

もちろん見つかればそれに越したことはない。

仮に遺体が見つかったとしても、確かな死として受け止めることができる。

だが亜美たちの発言により、2人が生きていた場合のほうが問題になってくる。

殺害されたワケではなく突然に姿を消し、しかも存命ということになれば――。

いよいよ彼女が言うように2人が共犯であるという説が濃厚になってくる。

「で、でもさ、そうと決まったワケじゃないよ。犯人に連れ去られたのかもしれないし……」

何か気の利いたことを言ってくれ、と訴えるように真は伊織を見た。

彼女は人数分のカップを用意したところでため息をついた。

「正直、意外だったわ。あの2人があんなこと言うなんて――」

怒っているというより憮然とした口調だ。

「あんなふうに本気で誰かを疑うようなこと、今までなかったのに」

それは仕方がない、と響が言う。

「こんな時、律子がいてくれたら……」

伊織にしては珍しい弱音を吐く。

「それは……」

響が何かを言いかけたところで湯が沸いたことを知らせるビープ音が鳴り、雪歩が火を止めた。

そして手早くお茶を淹れる。

沸騰したての湯を使うのは彼女らしくなかったが、作法など気にしていられない。

人数分のお茶を用意すると4人は談話室に戻った。

「――いえ、まずは安全を確保するほうが先でしょう」

「どこにそんな場所があるんですか? こうしている間にも……」

千早と貴音が揉めていた。

感情的になっている千早を貴音が宥めている。
189 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 22:04:25.64 ID:oF7vZKkI0
「どうしたんだ?」

響は少し離れたところで見守っている亜美たちに訊ねた。

「千早お姉ちゃんがはるるんたちを捜そうって――」

と彼女が言うように、千早は再度捜索することを強く訴えている。

生死をハッキリさせたい、というのが理由らしい。

「縋りたい気持ちは分かります。その想いは私とて同じです。しかし迂闊に行動するのは危険です」

「四条さんだってさっきまで外に出て捜していたじゃないですか」

「それは――」

事の成り行きからだ、と返す調子は弱い。

「はいはい、そこまでよ。せっかく雪歩がお茶を淹れてくれたのに冷めちゃうじゃない」

見かねた様子で伊織が割って入る。

厨房を出る際に持ってきたかき餅を、わざと音を鳴らすようにしてテーブルに置く。

「取り敢えずいただきましょ。何か食べておかないと考えもまとまらないわ」

貴音は身を乗り出した。






190 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 22:40:46.41 ID:oF7vZKkI0
 16時01分。

お茶菓子もとうに底をつき、彼女たちは談話室で時を過ごした。

今後の方針が話し合われたが、それぞれの主義主張が折り合わず殆ど何も決まっていない。

合意できたことといえば、”行動する際は最低でも2人で”、くらいのものだ。

もう一度、春香たちを捜しに行くか、という議論も決着していない。

「あと1日、なんとかすればいいんだよね……?」

そう呟く雪歩は思いつめたような表情だった。

これまでの怯えているような顔つきとはどこかちがう。

「うん……」

相槌を打った真は時計を見た。

明日の今時分にはとうに迎えの船に乗って港に着いているハズだ。

「夜はどうする?」

とは響だ。

つまり一夜を明かす場所のことである。

「やっぱり広くて見通しの良い場所のほうが安全だと思うけど……」

「昨夜のことがあるんだからそれも確実とは言えないわね」

真が言い終わらないうちに伊織が釘を刺す。

「いっそのこと浜辺にテントでも張って、そこで寝泊まりしたほうがいいんじゃないか?」

「あんたたちならそれでいいかもしれないわね」

響に対するツッコミも精細さに欠けている。

平素なら直情的に反応する響も何も言わなくなってしまった。

「な、何か言いなさいよね……」

拗ねるように伊織が呟いた時、突然に千早が立ち上がった。

「どしたの、千早お姉ちゃん……?」

「春香たちを捜したくて……どうしても気になるから」

「でも――」

「分かってるわ。でも真たちが捜したのは外でしょう? まだ館内で調べていない場所だってあるハズ」

千早は拘泥(こだわ)りゆえの頑固さはあっても、強く主張するタイプではない。

その彼女にしては珍しく捜索を断行しようという意思を見せている。

しかしそれに追従する声はあがらない。

希望に縋って危険を冒すよりも安全策をとりたいというムードが広がっていた。
191 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 22:49:58.18 ID:oF7vZKkI0
「自分が行くぞ」

響が同行に名乗りをあげた。

その反応に千早が驚く。

「我那覇さんが……?」

訝るような視線は明らかに響に対する懐疑だった。

「自分も春香と律子は無事だって信じてるし。千早もそうでしょ?」

「え、ええ……」

真っ直ぐに見つめられて彼女は曖昧に頷いた。

「では私も参りましょう」

そう言って立ち上がりかけた貴音を響は制した。

「自分と千早だけで大丈夫だぞ。捜すのも館内だけだし。貴音はここでみんなと一緒にいてよ」

「ですが――」

危ない場所に行くワケではないのだから心配はない。

外とちがって館内は動ける範囲が限られているから大丈夫だ、と響は言った。

「そこまで言うのでしたら……分かりました。ですが危険を感じたらすぐに戻って来るのですよ? もし犯人と対峙してもけして立ち向かってはなりません」

「分かってる。気を付けるから。千早、どこから調べるんだ?」

「館内をくまなく調べ回るつもりはないの……まずは春香の部屋を見ようと思って。何か手がかりがあるかもしれないから」

危険なことはしないと約束し、2人は談話室を出ていった。

「………………」

「………………」

伊織と貴音の目が合う。

「どうかしましたか?」

「あんたなら絶対に付いて行くと思ったけど」

「響が信じているように、私も響を信じておりますから」

「そう……そういえばさっき出ていく時、響は千早より後ろを歩いていたわね……」

言ってから彼女はソファにもたれて大息した。

「私たち、感覚が麻痺してるのかしら……?」

どういうことか、と雪歩が問う。

「あずさがあんなことになってやよい、プロデューサー、それに美希までもが犠牲になったわ。そのうえ今度は春香と律子が行方不明――」

「うん……」

「こんな異常事態、泣き叫んで館を飛び出してもおかしくはないわ。なのに私たちはこうして涙も流さずにじっとしてるだけ……」

「そんなこと、ないよ……」

弱々しい声がぼそりと否定する。

「悲しくないワケないから……私だって逃げ出したいくらいだもん」

「………………」

「でも島からは出られないし、わ、私たちにできることをしないと……」

つまりこうして談話室に集まり、冷静に努めることも大事だと彼女は言った。
192 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:01:45.85 ID:oF7vZKkI0
「あ、そうだ」

自身の言葉の勢いを借りるように雪歩は立ち上がる。

「ど、どうしたの急に?」

横にいた真がびくりと体を震わせた。

「あのね、携帯が繋がるかどうか試してみようと思って」

「なに言ってるのよ。みんなで試したじゃない」

伊織が呆れたように言った。

「あの時は私、携帯を部屋に置いたままでまだ試してなかったから……」

「そういえばボクのを見てたよね」

思い出したように真が言う。

「はて? 携帯電話というのはどれも同じ機能を有しているのでは?」

「ああ、えっと、機種によって性能にも差があるんだよ。ボクたちのはダメでも雪歩のなら繋がるかもしれないね」

試していない携帯がある、という空気に一同は僅かに希望を抱いた。

念のために各々、ポケットから携帯を取り出すが誰の物にもやはり”圏外”と表示されている。

「それでね、真ちゃん……ひとりで行くのは怖いから……」

ついてきて欲しい、と言い終わる前に真は立ち上がっていた。

「分かった。ちょっと言ってくるよ」

もしかしたら外と連絡がとれるかもしれないという期待に、彼女の声はわずかに弾んでいた。

「気を付けるのですよ」

忠言を送った貴音の視線は亜美たちに向けられていた。

2人は足早に談話室を出ていった。

「繋がるとよいのですが……」

貴音の呟きに伊織は小さく頷く。

「あの、さ……」

それまで黙っていた真美が口を開いた。

「真美たちも部屋に戻っていいっしょ?」

「――なぜです?」

「そのほうが安全だから」

「…………」

貴音と目が合った伊織は首を横に振った。
193 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:11:59.13 ID:oF7vZKkI0
「いいえ、2人で部屋にいるのも安全とはいえません。犯人は神出鬼没です。いつ狙われるか分からないのですよ?」

「でも、千早お姉ちゃんやゆきぴょんたちだって2人で行動してるじゃん」

館内を動き回るより部屋に閉じこもっているほうがよほど安全だ、と亜美も加勢する。

「え、ええ……」

貴音は言葉に詰まった。

「あんたたちじゃ身を守れないでしょ?」

何も言わなくなった彼女に代わって伊織が一蹴する。

「真と響が同行してるのよ。あいつらだったら逆に犯人を気絶くらいさせるかもしれないわね」

言葉とは裏腹に表情には余裕がない

状況も相俟って虚しい強がりにしかならなかった。

「じゃあなんではるるんと律っちゃんはいなくなったの?」

挑むような亜美の目が伊織を捉えた。

言外にはその真と響がいながら……という、先ほどの強がりの矛盾を突いている。

伊織はすぐには答えなかった。

ややあって、

「”だからこそ”ここにいなくちゃいけないのよ」

彼女はその矛盾を巧く利用した。

数分後。

雪歩と真が落魄した様子で戻ってきた。

「ダメだったよ……」

とは言うまでもなく、2人の顔が物語っている。

「一応ホールの電話も見たけどやっぱり切れてた……」

雪歩が今にも泣き出しそうな顔をする。

これで外部との連絡手段はなくなった。

「どうにかできないかな……」

目元を指で拭いながら雪歩が呟く。

「手紙を瓶に入れて流すとか……」

この異常事態がそうさせるのか、彼女はどうにか状況を打開できないものかと積極的に案を出す。

「瓶が拾われる前に迎えの船が来るわよ」

「そう、だよね……」

せっかくの雪歩の発案はたった2秒で撃砕された。
194 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:19:13.33 ID:oF7vZKkI0
「まあ、でも外に出ようっていうアイデアは悪くないわね。舟でも造れればいいんだけど」

「筏は無理だよ。ボクたちもそういう話はしてたんだけどね」

「そうなの? あんたが無理なら他の誰にも無理ね」

「えーっと……それ、褒めてる……?」

真はぎこちない笑みを浮かべたあと、

「外に伝える方法――あ! 島の木を燃やすっていうのはどう? それなら遠くからでも分かるんじゃないかな?」

物騒な手段を提案する。

「あ、危ないよぅ。もし燃え広がったりしたら……」

「そもそも放火は犯罪じゃないの」

「うーん、悪い手じゃないと思ったんだけどなあ……」

2人に諭されて渋々意見を引っ込める。

ただ、と伊織が顎に手を当てて言う。

「最終手段としては悪くないかもしれないわね」

「い。伊織ちゃん!?」

「犯人がうろついてるのに放火だの犯罪だの言っていられないわ」

「それはそうだけど……」

「なんなら館ごと燃やせば犯人だって隠れる場所がなくなるんだから、いやでも出てくるわよ」

真顔で言う彼女の策は、文字どおり炙り出し作戦だ。

もちろん風向きや延焼の具合によっては大きな危険を伴う。

しかも遺体の損傷も考えれば後々に面倒を残すことは必至だ。

「ねえ……」

亜美が掠れるような声で言った。

「千早お姉ちゃんたち……遅くない……?」

その一声に全員がハッとなって時計を見る。

2人が談話室を出てから既に20分ちかくが経過していた。

「まさか……!?」

もう何度も口にした言葉が誰からともなく発せられた。

「たしかに遅すぎるわ……!」

一番に立ち上がったのは伊織だ。

続いて全員が腰を上げる。

「千早ちゃん、春香ちゃんの部屋を見るって言ってたよね……?」

「行きましょう!」

貴音が立てかけてあったモップの柄を手に取った。

それぞれに武器を持ち、6人は春香の部屋に向かう。

最後尾を歩く亜美と真美は伊織たちからやや距離を置くようにしてついていく。

陽が沈みはじめ、やや薄暗くなった館内は魔物の棲み家を思わせる。

エントランスを通り抜け、廊下を曲がる。

角に何者かが潜んでいる可能性を考慮し、真と貴音が先頭に立つ。
195 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:50:38.45 ID:oF7vZKkI0
「千早……響……?」

春香の部屋の前に立ち、貴音がひかえめにドアをノックする。

返事は――ない。

「………………」

「ボクが……」

貴音に目配せし、真はドアノブに手を触れた。

鍵は開いていた。

「亜美、真美、もうちょっとこっちに来なさい」

伊織が離れた位置に立っている2人に手招きした。

「――入るよ」

「いえ、私が参りましょう」

踏み込もうとする真を制し、貴音は音を立てないようにして身をすべり込ませる。

異常は見当たらない。

昨夜、談話室で寝るためにベッドからシーツを剥がされている以外は不審な点はなかった。

荷物も手つかずのままだ。

調度品も動かした痕跡はない。

「特におかしなところはないようです」

入り口に立っている真に言ってからバスルームを調べる。

中は乾いていて水滴のひとつもついていなかった。

「ここにはいないようです」

と彼女が言うと、雪歩は安堵したように息を吐いた。

「でも、だったらどこに行ったの……?」

言いかけて伊織はあっと声を上げた。

「管理人室……律子の部屋かもしれないわ!」

6人は来た道を戻り、階段を駆け上がった。

「千早っ!?」

先頭を走る真が叫んだ。

管理人室へと続く廊下の真ん中に、千早がうつ伏せに倒れていた。

「ウソ……でしょ……?」

数秒遅れで辿り着いた雪歩はその場に頽(くずお)れた。

その後ろでは亜美と真美が互いに抱き合うようにして打ち震えている。
196 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:54:26.09 ID:oF7vZKkI0
「千早! 千早っ!」

肩を掴んで仰向けにさせ、真は何度も呼びかけた。

雪歩は慄(おのの)くばかりで行動を起こせない。

「こんな――」

伊織も似たようなものだった。

声をかけることも駆け寄ることも彼女はしない。

「千早…………?」

貴音は小さく呼びかけながら傍に跪いた。

「千早! ねえ、千早!」

真は縋りつくように両肩を掴む。

激しく揺さぶられる千早は、しかしそれでも閉じた目を開けることはなかった。

「ウソ、だよね……?」

力の入らない足を引きずるようにして雪歩が歩み寄る。

ふっと視界が暗くなり、貴音は徐に顔を上げた。

逆光に立つ雪歩は涕を流していなかった。

「ん…………」

その時、不意に千早がうめき声をあげた。

「千早っ!?」

真が反射的に顔を覗きこむ。

瞼がわずかに痙攣していた。

「生きています!」

貴音が彼女の脈をとって叫ぶ。

「生きてるん……ですか……?」

雪歩は言ってから慌てて口に手を当てた。

千早がゆっくりと目を開いた。

そして半ば夢の中にいるような表情で天井――厳密には見下ろす真と貴音の顔――をぼんやりと眺める。

「よかった……無事だったのね……」

伊織はその場にへなへなと座り込んだ。

「目立った外傷は……ないようですね」

貴音がにこりと微笑む。

だがそれも束の間、彼女の表情は再び険しくなる。
197 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/14(日) 23:58:37.27 ID:oF7vZKkI0
「私…………?」

千早はこめかみの辺りを押さえた。

次第に寝起きのような顔がはっきりしていく。

視線を彷徨わせて慌てて振り向く。

すぐそこにあるのは管理人室だ。

「ねえ、いったい何があったの?」

真の問いに彼女は俯いた。

「よく憶えていないの……たしか我那覇さんが先に部屋に入って――何かが倒れるような音がして……」

「………………」

「それで私も急いで部屋を覗いたら、何かを顔に押し当てられたような……」

そこからの記憶はなく、目を覚ましたらこの状況だったと千早は言う。

頭を押さえながら彼女は立ち上がろうとした。

だが蹌踉(よろ)めき、バランスを崩しかけたところを雪歩が支える。

「薬か何かを嗅がされたのかもしれませんね」

貴音が管理人室のドアノブに手をかける。

だが施錠されており開けることができない。

「我那覇さんは……?」

自分を心配そうに見つめる面々を順番に見返す。

その顔が文字どおり蒼白に彩られていく。

「ここに倒れてたのはあんただけよ。それに律子の部屋に鍵がかかってるってことは――」

伊織の額に大粒の汗が浮かんだ。

「――響はどこに行ったの!?」

千早が無事であることが分かり広がった安堵感が、新たな不安感を纏って戻ってきた。

「皆は千早をお願いします」

「四条さん……?」

中央棟に向かって歩き出した彼女を千早が慌てて呼び止める。

「ボクも行くよ」

「私もよ」

真、伊織がそれに続こうとする。

「待って! 私なら大丈夫……私も我那覇さんを捜すわ」

「でも千早ちゃん、まだ……」

「ありがとう、萩原さん。本当に大丈夫だから」

千早は強がりはするも愛想笑いを浮かべることはしない。

その凛然とした目つきに押されたように、雪歩も何かを感じ取ったように頷く。

「亜美、真美、あんたたちも付いてきなさい」

伊織が肩越しに振り向いて言う。

貴音たちは鍵のかかったドアノブをひとつひとつ回しては響の名を呼んでいる。

突き当たりにある千早の部屋、その反対側にある多目的室を見て回るが響の姿はない。

突然、何を思ったか真が東棟に向かって走り出した。
198 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 00:03:05.25 ID:A1H0t0jm0
「え!? 真ちゃん! どこに行くの!?」

「ちょっと見てくるだけ! すぐに戻るから!」

「いけません! 単独行動は危険だと――」

貴音がすぐさまその後を追う。

「なにやってんのよ、あのバカ……!」

伊織も追いかけようとしたが、はたと立ち止まって振り向く。

まだ満足に動けないらしい千早と、彼女を支える雪歩。

亜美と真美は積極的に捜索に加わるでもなく、彼女たちと常に一定の距離を保っている。

「ああ、もう!」

苛立たしげに叫ぶと、彼女は反対側から千早の体を支えた。

真がそこにたどり着いた時には、既に貴音も追いついていた。

――響の部屋の前。

「ここにいると?」

「ううん、これを確かめに来たんだ」

そう言ってドアを示す。

「赤い線が引かれてない。響は無事だと思う」

「ええ、そうですね……」

足音が聞こえ、貴音がそちらを向く。

千早たちだ。

「急に走り出して何なのよ!」

口を尖らせる伊織に真はその理由を説明した。

「………………」

伊織は何の変哲もないドアをしばらく見つめてから言った。

「あの赤い線がないから響は生きてる――あんたはそう考えてるワケね」

「そう言ってるじゃないか。今までのことを考えたら――」

伊織は何か言いたそうに唇を噛んだ。

「響……?」

2人のやりとりを傍目に貴音がノックする。

中から返事はなく、ドアは施錠されていた。

念のためにと伊織の部屋も覗くが、やはり彼女の姿はなかった。










199 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:11:41.90 ID:A1H0t0jm0
彼女たちは廊下の突き当たり――物置へと続くドアの前にいた。

2階でまだ捜していないのはここだけだ。

端に武器を持った貴音が構え、真がドアを開ける。

生暖かい風が流れ出す。

犯人が潜んでいる様子はない。

「――――ッ!!」

千早がハッとなって口を手で押さえた。

見開かれた双眼がその一点を凝視する。

「千早お姉ちゃん……?」

後ろ手に亜美の手を握りながら、真美が気遣うように声をかけた。

「どうかしたの?」

気付いた伊織も問いかける。

千早の右手が操り人形のようにゆっくりと持ち上がり、正面の棚を指差す。

「あれが何か――」

貴音が訝るような目で千早を見た。

「昨日ここを調べたあと、動かした棚を戻さずに出たハズなのに……」

しかし今は元どおり真ん中にあって、奥の小部屋を隠している。

真は棚に向かってゆっくりと歩き出した。

物置部屋に漂うのはカビっぽい臭いだけではなかった。

肌にべったりと張り付くような湿気。

思わず噎せてしまいそうな塵埃。

そして――。

ここに来て彼女たちが幾度となく嗅いだ血の臭い。

埃をかぶった棚に真が手を添える。

全員が見守る中、彼女はゆっくりとそれをスライドさせる。
200 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:14:55.42 ID:A1H0t0jm0
響があった。

隠し部屋の奥で体をくの字に折り曲げて倒れていた。

何かで刺されたのであろう、腹部は赤黒く染まっている。

「ひび……き……?」

伊織が足を引きずりながら近寄る。

響の体にはいくつもの刺し傷があった。

肩にも首にも――。

抵抗した後は見られなかった。

「そんな……ウソだ…………」

真は全身から力が抜けてしまったように崩れ落ちた。

「なんでだよ……ひびき……なんで……?」

その問いに彼女は答えない。

答えられるハズがない。

「まだ決着がついてないじゃないか……泳ぎも、ビーチバレーも……ダンスだって――」

「………………」

「どっちが勝つか、って……また勝負しようって約束したじゃないか……なのに、なんでだよ…………!」

外から様子を見ていた雪歩は、ぐっと拳を握りしめて中に入る。

彼女が動いたことでその背に隠れるようにしていた亜美たちが、隠し部屋の惨状を目の当たりにする。

そして――。

「もうイヤだっ! こんなとこいたくないッッ!!」

連れ立って物置部屋を飛び出していった。

誰もその痕を追おうとはしなかった。

振り返ることも見送ることもせず。

彼女たちの視線は新たな犠牲者に注がれていた。

「どうして…………!?」

跪拝するように伊織はその場に座り込んだ。

その数秒後、全く同じ言葉を雪歩が嗚咽交じりに口にした。

「こんなことになるなら……あんなこと言うんじゃなかった……!!」

泣き崩れる伊織は悔しそうに拳を握りしめた。

「ごめんなさい、響……私は……本当はあんたを疑ったことは一度もなかったのよ――」

貴音の視線が左右に揺れる。

動かぬ響と、動き出した真との間に揺れ動く。

「今さら何を言ってるんだよ? さんざん響を犯人扱いしてたじゃないか!」

掴みかからんばかりの勢いで真が叫ぶ。

「それ……ちがうの……」

それを止めたのは雪歩だった。

「何がちがうのさ? 伊織はずっと――」

「聞いて、真ちゃん!」

震える声が狭い部屋にこだまする。

一呼吸おき、彼女は昨日、頭を冷やすと言って談話室を出ていった伊織を追いかけた時のことを話し始めた。
201 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:20:11.29 ID:A1H0t0jm0








雪歩は真美を伴って食堂に向かった。

先にいた亜美がどうにか伊織を宥めようとしている。

普段は良くも悪くもムードメーカーとなる亜美の口調も、今では空回りしかしない。

「――伊織ちゃん」

「なによ?」

やや後ろめたさの覗く勝ち気な姿勢が、説得に来た雪歩を怯ませる。

「あ、あのね……さっきのことだけど……」

「あんたも私が間違ってるって言いたいワケ?」

「え? うん、えっと――」

迫られ、彼女は助けを求めるように真美を見た。

「ね、いおりん。ひびきんがあんなことするワケないじゃん。ひびきんがウソついてたってすぐに分かるし」

「そーだよ。だいたいさ、理由がないじゃんか」

便乗するように亜美も言葉を重ねる。

しかし伊織は主張を曲げようとはしない。

3人の説得力のない説得がしばらく続き、

「亜美、真美、あんたたちは戻りなさい。律子が心配してるわよ」

苛立ちを抑えるように伊織が言った。

口調は平素の気の強さを感じさせない、事務的なものだった。

「でも……」

「伊織ちゃんとは私がちゃんと話すから。律子さんを心配させちゃだめだよ」

立ち尽くす亜美の背中を雪歩が押す。

「……分かった」

儚げな様子がそうさせるのか、2人は雪歩の言うことには強く反発しない。

時おり振り返りながら、真美の手を引いて亜美は食堂を出ていった。

言葉が飛び交っていた食堂は一転、静寂に包まれる。

自身の見解に否定的な意見を浴びせられ続けた伊織は、憮然とした様子で告発文を眺めている。

「ねえ、伊織ちゃん……」

自分の胸元に拳を押し当て、深呼吸をひとつしてから言う。

「響ちゃんは犯人なんかじゃないよ」

相手の考え方を否定するには、相手を上回る必要がある。

自信、論理、主義、時には声の大きさも必要だ。

彼女にはそのどれもが欠けていた。
202 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:27:53.12 ID:A1H0t0jm0
「分かってるわ」

だが伊織は呆れたようにため息をついて言った。

「え……?」

雪歩は目を白黒させた。

「じゃあ、どうして……?」

伊織はすぐには答えず、入り口から顔だけを出して辺りを見回した。

近くに誰もいないのを確かめてから、

「反応を見てたのよ。響が疑われることで安心してる奴がいないか、ね」

「それってどういう――」

「私たちの中に犯人がいるのは間違いないわ。だったらそいつにとって誰かが疑われるのは都合が良いハズよ」

彼女の射抜くような視線が雪歩に向けられる。

「で、でも、そのために響ちゃんが……」

「ひいてはあいつを守るためでもあるのよ」

意味が分からない、というふうに雪歩は首を傾げた。

「みんなが響を疑えば、犯人は隠れ蓑にするために響を生かしておくハズよ」

そこまで説明させるな、と伊織は長髪をかきあげた。

それでも分からない、と雪歩は疑問を口にする。

「どうして響ちゃんなの?」

彼女はまたため息をついた。

「犯人に仕立て上げるのに都合が良かったからよ。さっきの推理、なかなか説得力があったと思わない?」

雪歩は首肯しかけてやめた。

「それとあの中で一番犯人の可能性が低かったから。あいつに人を殺すなんて無理よ。隠しごとだってできないでしょうね。

この前だって亜美たちにいたずらされて泣いてたくらいだもの」

そう言って苦笑する。

「なんだかんだあいつのバカみたいな明るさに助けられたこともあるからね」

「響ちゃん、優しいもんね。同じくらい伊織ちゃんだって」

微笑む雪歩に彼女は頬を赤らめた。

拗ねたように余所を向き、髪を弄りながら、

「――私にも責任があるから」

ぼそりと呟く。

「伊織ちゃん……?」

「雪歩、分かってる?」

恥ずかしさを誤魔化すように伊織は大袈裟に振り返った。

「な、なにを……?」

「こんな話をあんたにしてるってことは、あんたが2番目に犯人の可能性が低いからよ」







203 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:39:02.90 ID:A1H0t0jm0


こういう話をした時、いつもの伊織なら顔を真っ赤にして否定するところだった。

照れ隠しに髪をかき上げ、拗ねたように腕を組み、悪態のひとつでもつくハズだ。

「…………」

彼女の目にうっすらと涙が浮かぶ。

「響…………!」

泣いていたのは真だった。

蹲(つくば)い、声を殺して、滂沱として溢れる涙を拭いもせず。

「だから、ね……真ちゃん……伊織ちゃんを責めないで――伊織ちゃんは響ちゃんを守ろうとして――」

雪歩は困ったように2人の顔を見やった。

「ほんとは……ボクには伊織を責める資格なんて、ほんとは無いんだ……」

震えた声が狭い部屋の床を叩く。

「あの時――伊織が響を犯人だって言った時……一度だけ、そうだったらいいって思ったんだ……」

この独白に真っ先に反応したのは千早だった。

彼女は何か言いたそうに口を開きかけたあと、ばつ悪そうに視線を逸らした。

「それなら見えない犯人を怖がらなくて済むし、気持ちも楽になれるから――」

精神的な逃避を図りたかった、と彼女は静かに言った。

「でも……大切な仲間を犯人にして楽になろうとする自分がイヤだった。ボクは卑怯者なんだ……」

彼女の肩にそっと手が触れた。

「人には誰しも弱さがあるものです。それを卑怯だなどと誰が責められるでしょうか」

貴音だった。

「なるほど、貴女が響を誰よりも庇っていたのは、そうした後ろめたさもあったからなのですね」

彼女は二度、小さく頷いた。

貴音は彼女の呼吸に合わせて背中をさすった。

「――伊織」

「…………」

「これが貴女の”後悔”なのですね?」

彼女はかぶりを振った。

「たしかに響を犯人扱いしたのは不本意だったわ。でも私にとっての後悔はもっと前からよ」

握りしめた両の拳は震えている。

それは何か、と貴音が口にするより先に、

「――響がここに来た理由よ」

伊織は肺の空気を全て吐き出すようにして続けた。
204 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:42:16.53 ID:A1H0t0jm0
「響はもともと合宿に参加する予定じゃなかった。家族の世話があるから3日も家を空けられないって。

だからうちで預かるって言ったのよ。うちには獣医もいるし不自由はさせないからって……」

「それは彼女のためを思っての配慮でしょう? 悔いるようなことは何も――」

「私が預かるなんて言わなければ響がこの島に来ることはなかった! 殺されずに済んだのよ!」

悔いて余りある不覚だ、と彼女は自らを詬罵(こうば)した。

慟哭も歔欷の声も、ここでは何の意味も持たない。

ひとりの死という事実は変わらず存在し続ける。

銘々がひとしきり涕泣(ていきゅう)したあと、

「このままにはできないよ……」

頃合いを見計らって真が言った。

「ええ」

貴音が力なくそれに答え、2人して亡骸を持ち上げる。

彼女の体は温かかった。

「あ……」

運んでいる最中、響の衣服から部屋の鍵が落ち、雪歩がそれを拾い上げた。

響の部屋は施錠されていたから当初、亡骸は伊織の部屋に安置するつもりだった。

念のためにと伊織と千早が武器を手にドアの前に立ち、雪歩が鍵を開ける。

室内に異常はない。

昨夜、談話室で寝るためにシーツがはがされている以外は、部屋に元々あった物を動かしている様子もなかった。

「こういうとこ、意外と几帳面よね……」

響の体をベッドに横たえ、伊織の部屋から持ってきたシーツを被せる。

短く黙祷を捧げて部屋を出る。

現状、やはり談話室にいるほうが良いと話になり、一丸となって1階に向かう。

その途中、亜美の部屋に立ち寄った。

貴音がドアをノックする。

返事はない。

「私たちは談話室におります。気分が落ち着いたら降りてきてください」

そう言い置き、彼女たちは再び談話室に集まった。






205 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:46:32.12 ID:A1H0t0jm0
 17時00分。

誰の顔も暗かった。

積極的な意見は出ない。

春香たちを捜そうという声も、犯人を見つけようと呼びかける声もあがらない。

この館には何者かがいる。

神出鬼没で、狡猾で、人を殺めることに微塵も躊躇いを感じない殺人鬼だ。

「なんでこんなことに……」

真は手を閉じたり開いたりした。

「プロデューサーが見たのは誰だったんだろう……」

「たしか律子は”犯人に心当たりがあると言われた”って言っていたわよね?」

誰にともなく問う伊織に千早が躊躇いがちに頷いた。

「あれはどういう意味なのかしら……」

「どういう意味って……?」

雪歩が引き攣った声で問う。

「プロデューサーが知っている人間って意味なのか、私たちの中にいるって意味なのか……」

もし前者なら、と伊織は続ける。

「局や事務所の関係者ってことになるかしらね。つまり私たちが知らない人の可能性もあ――」

「伊織ちゃん!」

「な、なによ……急に大きな声出して……?」

驚いた伊織は訝るような目で雪歩を見たが、彼女もまた同じような表情をしていた。

「もう。いいんじゃないかな、そういうのは……それより明日までどうするか考えたほうが――」

言ってから雪歩は他の者の反応を窺うように俯き加減で各々の顔を見た。

順番に見回すその視線が貴音のそれと交わったとき、彼女は天を仰いでため息をついた。

「――千早」

柔和で優雅な顔つきが凛々しくも険しいものに変わる。

「春香の部屋を調べたあと、貴女たちはすぐに2階に上がったのですか?」

全員の視線が貴音に注がれた。

が、雪歩だけは俯いたままだった。

「ええ、特に手がかりになるようなものは何もなかったので。なら次は律子の部屋を見てみようということになって――」

「そう持ちかけたのはどちらですか?」

「………………」

千早はすぐには答えなかった。

数秒の間をおき、搾り出すように、

「……私です」

「分かりました。では2階に上がる際に先を歩いていたのはどちらですか?」

「それも私ですけど……あの、この質問に何か……?」

ほとんど無表情で答えていた千早だったが、ここで不服そうに貴音を見返す。
206 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 22:53:55.54 ID:A1H0t0jm0
「ではなぜ律子の部屋に先に入ったのが響だったのですか?」

「え…………?」

それまで顔を伏していた雪歩が驚いた様子で貴音を見る。

「どういうことですか?」

そう返したのは千早だ。

「答えられませんか?」

「いいえ、我那覇さんが自発的に入ったんです。続いて私も入ろうとしたときに――」

あのようなことになった、と彼女は説明した。

「それより四条さんも答えてください。どうしてそんな質問をするんですか?」

「不自然な点を解消しておきたいからです」

彼女は間髪入れずに答えた。

「春香たちを捜したいという千早に応じたのは響です。ならば捜索は貴女が主導するハズ。響が率先して前を行くのは――」

不自然だ、と貴音が言うと、

「で、でも響の性格ならあり得るんじゃないかな? ほら、行動力あるし……」

真が言い辛そうに割って入った。

「………………」

その容喙に勢いを削がれたように貴音は黙り込んだ。

再び重苦しい沈黙が訪れる。

しかし今度は長くは続かなかった。

「そこまでなの?」

伊織が小馬鹿にしたように言った。

相手は――貴音だ。

「…………?」

「不自然な点を解消したいっていうのなら、なによりも不自然なことが残ってるじゃない」

彼女の視線は千早に向けられていた。

「後ろから響を殴るなり首を絞めるなりして気絶させて物置に運ぶ。それから事に及んで律子の部屋の前に戻り、自分も誰かに襲われたふり――やろうと思えばできなくはないわ」

「い、伊織……なに言い出すんだよ!?」

「そ、そうだよ! 千早ちゃんがそんなことするワケ……!」

揃って抗議する真と雪歩。

しかし貴音は何も言わず、疑うような目を――伊織に向けていた。
207 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 23:01:47.41 ID:A1H0t0jm0
「もし私が犯人なら顔を見られたかもしれない千早をそのままにはしないわ。響を物置の奥に運んで丁寧に仕掛けを動かす余裕なんてないハズよ」

「私が……本当にそんなことをしたと思ってるの? 四条さんも……」

千早は2人から距離をとるように退いた。

「可能性の話よ。断定はしてないわ。ただ腑に落ちないのよ」

「それは私が生きているからでしょう!?」

「そういうワケじゃ……ないわよ……」

珍しく声を張り上げた千早に威圧されたように伊織は目を逸らした。

「――分かったわ。ならこういうのはどうかしら?」

千早の挑むような目は伊織に、続いて貴音に向けられた。

「今までのように一ヵ所に固まるんじゃなくて、それぞれ自分の部屋で過ごすの。明日の朝まで」

「敢えて自分の身を危険に晒すことで犯人を呼び込もうということですか?」

「いいえ、違います。小さなグループを作って行動すると、そのグループ内に犯人がいた場合に身を守れなくなるからです」

それならいっそ全員がバラバラに部屋にこもっていたほうが安全だ、というのが彼女の意見だった。

「美希や響のことを考えると一理あるわね」

伊織がそう言うのを待っていたように、

「こんな提案をする私が犯人ではないと思うけど?」

千早は目を細めて言った。

「それならそれで順番に殺害して回れるわね」

「2人とも、落ち着こうよ! どうしてボクたちの中に犯人がいる前提で話してるのさ」

「そ、そうだよ。プロデューサーが見た人影のこともあるし……」

真が仲裁に入ると、雪歩もその勢いを借りるように言を重ねる。

「プロデューサーには心当たりがあって、でも誰かを見たってことは……私たちじゃないってことだよ……ね……?」

雪歩が同意を求めるように言ったが、頷いたのは真だけだった。

「そう思いたい気持ちは痛いほど分かりますよ、雪歩。ですが――」

小さく息を吐いてから貴音は伊織を見た。

「見間違いってこともあるわ。ううん、その可能性のほうが高いと思う」

「ど、どうして……?」

「不自然なのです」

「…………?」

「あずさの件を考えてみてください。一日目の夜、皆が眠っている時です。犯人の目的が私たち全員を殺めることにあるのなら、あの夜にそうしていたハズです」

「で、でも実際には……」

だからなのよ、と伊織が口を挟んだ。

「殺されたのはあずさだけ。きっと犯人はあずさの部屋の鍵だけを手に入れられたのよ。これってヘンだと思わない?」

「おかしくないと思うけど? ほんとは全部の部屋の鍵を手に入れようとしたけど、犯人にはできなかったってだけでしょ?」

真が呆れたように言うと、伊織はそれに対して呆れたようにため息をついた。

「あずさの部屋の鍵は入手できるのに他は無理ってどういう状況よ? ひとつ手に入れるのも全部手に入れるのも同じことじゃない」

「あずささんからこっそり奪ったかもしれないじゃないか」

「だったらその何者かと接触してるハズでしょうが。鍵は各部屋ふたつずつあって、ひとつは本人、もうひとつはキーボックスに集められてるのよ?

犯人がキーボックスを触れるなら全部取ってるわよ。でもその様子はない。じゃあ本人から手に入れるしかない。気付かれずに自然に手に入れるには――」

彼女と親しい人物しかあり得ない、と伊織は念を押すように言った。
208 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 23:11:47.55 ID:A1H0t0jm0
真は黙り込んでしまった。

雪歩もどうにか反論しようとしている様子だが言葉が出ない。

「美希や響の件についても疑いが残ります」

誰も何も言わなくなり、時機を待っていたように貴音が紡ぐ。

「どちらも2人で行動していた時です。昨日、美希を殺害できた犯人がなぜその際に響を手にかけなかったのか。今日、千早を気絶させて響だけを殺めたのは何故か――」

「えっと、つまり……?」

「さらに言えば春香と律子嬢は何処へ消えたのか? 犯人の仕業だとすれば、なぜそのような迂曲な手段を用いるのか――」

「まだあるわよ」

挑戦的な目で伊織が言う。

「やよいの件があるわ。悲鳴も上げずに犯人に背を向けていたことがね」

「それは響のときみたいにどこかで襲ってから部屋に運んで、それから背中を刺したかもしれないじゃないか」

「鍵はどうするのよ? 私たちは基本的に部屋を出る時は施錠するハズよ。まあ気絶させてからやよいの所持品を漁ればいいでしょうけど」

この程度の反駁では彼女は折れない。

「仮にどこかで襲ったとしても、動かなくなったやよいを抱えるなりして部屋まで運ぶ――なんてリスクをとると思う?」

「………………」

「………………」

「…………みんな、そう思ってるの……?」

問うたのは雪歩だった。

「私たちの中に……あんなひどいことをする人がいるって……?」

「思いたくないわよ。でもそう考えるしかないのよ」

ふらつき、後ろに倒れそうになった雪歩を真が支えた。

「いい加減にしなよ! ボクたちは仲間じゃなかったの? こんなことで壊れるような仲だったの!?」

真は顔を赤くして訴えた。

765プロは幾多の困難を乗り越えてその度に結束を強くしてきた。

互いに疑い合うのは不毛だ、と。

言葉を変え、表現を変えて伝えるが伊織たちが頷くことはなかった。

「平行線ね。これ以上は話をしても何も進まないと思うけれど?」

千早はちらりと伊織を見た。

「共に歩んだ仲間との絆も、このような惨劇の中では脆く崩れ去るのも致し方ないでしょう」

とはいえ、と貴音は憂えた表情を見せた。

「敢えて単独行動をする、という千早の案には賛成しかねます。あまりに危険です」

「でも四条さんも思っているんですよね? 私たちの中に犯人がいると」

彼女はすぐには答えず、困ったように伊織を見た。

そして、

「思いたくはありません……が、そう考えるしかありません」

皮肉っぽく言った。

「そう考えるからこそ身を寄せ合う必要もあると思うのです。互いを監視するようで気分の良い話ではありませんが――」

牽制にはなる、というのが貴音の言い分だ。
209 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/15(月) 23:24:26.34 ID:A1H0t0jm0
「どっちにしても私たちだけで決めるのはどうかと思うわ。あの2人とも話し合わないと」

伊織は天井を見上げた。

「そうですね。酷なようですが2人にも今の状況を伝えておいたほうがよいでしょう」

そう言って談話室を出ようとする貴音を伊織が止めた。

「ひとりで部屋に籠もるのは賛成だけど、ひとりで出歩くのはさすがに反対よ」

つまりは同行するという意思を伝える。

千早はそのやりとりを黙って眺めていた。

やがて彼女たちが連れ立って談話室を後にすると、

「あの2人、いつも一緒にいるわね……」

訝るような目でその背中を流眄(りゅうべん)した。

「千早は伊織たちのことも疑ってるの?」

「最初に私を疑ったのは水瀬さんよ」

「それはそうだけど……」

真は気遣うような目で雪歩を見た。

彼女は何かに耐えるようにずっと俯いている。

「そう言う真も水瀬さんたちのことを信じているワケではないんでしょう?」

「そんなワケないじゃないか」

「ならどうして一緒に行かなかったの? 2人だけでは安全じゃないってことは――私と我那覇さんの件で分かってるハズなのに」

「それは…………」

「――千早ちゃんのことが心配だから」

俯いたまま雪歩が言う。

「そうしたら千早ちゃんを置いていくことになるから……」

「………………」

それには何も答えず、千早はソファに座りなおした。

時おり顔をしかめて蟀谷(こめかみ)を押さえる。

それに気付いた雪歩が声をかけようとした時、伊織たちが戻ってきた。

「あれ? 亜美と真美は?」

一緒じゃないのか、と真が訊く。

「それが――」

伊織によれば亜美の部屋は施錠されており、ノックしても声をかけても反応がなかったという。

真美の部屋も同様で返事がないので諦めて戻ってきたらしい。

「私たちに対しても疑念を抱いているのでしょう」

貴音が残念そうに言った。

「開けたら襲われるかもしれないから無視してた、ってこと?」

真の問いに彼女は渋々といった様子で頷いた。






210 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/16(火) 21:43:58.18 ID:eCS5+ur40
 19時11分。

彼女たちは動けずにいた。

それぞれの部屋で過ごそうという千早の案も有耶無耶になり、といって代替案も出ず談話室で時間を過ごすばかりだった。

座りなおす、咳き込む、髪をかき上げる。

そんなわずかな所作さえ許されない空気だ。

実際、衣擦れの音がしただけで全員の視線がそちらに集まるほどである。

つまりこの場で一語を発するだけでも極めて勇気の要る行動となるのだが、

「あの、みんな……」

彼女はそんな空気を打ち破るように切り出した。

「お腹、空いてない、かな……? よかったらお茶だけでも――」

誰も応じない。

日頃は何かと彼女を庇う真でさえ、このキッカケに乗ろうとはしなかった。

「萩原さんが淹れてくれるのかしら?」

まったく嬉しそうでない声で千早が訊ねる。

「え……? う、うん……そうだけど……」

「ごめんなさい。気を悪くしないでほしいのだけれど、たぶん誰も飲まないと思うわ」

「どうし、て……?」

雪歩は既に泣きそうな顔になっている。

「警戒しているのよ。たとえばそのお茶に毒が入っていないかとか――」

口調に躊躇いはなかった。

「千早――」

真が抗議の声を上げようとしたのを貴音が制する。

「それはないでしょう。私たちは昨日も雪歩の淹れてくれたお茶を飲んでいます。その気があるのならとうに命を落としているハズです」

窘められた千早は不愉快そうな顔をした。

「まあでもたしかに喉は渇いたわね。今日はほとんど何も口にしてないし」

場を取り繕うに伊織が言うと、泣きそうだった雪歩の顔が晴れる。

「そ、それじゃあ……」

いそいそと立ち上がったところに真もそれに倣う。

「千早ちゃんも一緒にどう、かな? お茶淹れるの」

「………………」

しばらく考える素振りを見せた彼女は控えめに頷いた。

「私たちはここにいるわ。もし亜美たちが降りてきたら一番にここに来るでしょうし」

伊織が言うと貴音もそれに同意した。

厨房に向かう3人は見えない何かに怯えるように辺りを窺いながら廊下を進む。
211 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/16(火) 21:48:30.04 ID:eCS5+ur40
「あ……」

その道中、千早が小さく声を上げた。

びくりと体を震わせる2人。

「どうしたの?」

と訊く雪歩の声は掠れていてほとんど聞き取れない。

「我那覇さんのこと……」

「え……?」

「写真を撮るのを忘れていたわ」

遺体を動かす前に現場の状況を写真に残しておく、というのは彼女が提案したことだ。

「昨夜、カメラを部屋に置いてきてしまったから……」

「しゃし……写真はいいんじゃないかな……」

雪歩は額に汗を浮かべて言った。

「どうして?」

「えっと、その……つらいことを思い出しちゃうし――」

「でも記録に残しておかないと警察が捜査する時に……」

今からでも隠し部屋の様子を写真に収めておくべきではないか、と千早が言う。

「ボクも反対、かな。響は……もう運んだ後だし、犯人を刺激してしまうかもしれない」

「……真がそんなこと言うなんて意外だわ」

千早はさりげなく真と距離を取り始めた。

「正直、ボクにもよく分からないんだ」

「…………真ちゃん?」

「最初は絶対に捕まえてやる、って思ってたんだ。人数だってこっちのほうが多いし、隠れててもすぐに見つけられるだろうって」

この告白に覇気はない。

彼女は機械的に口唇を動かして話しているようだった。

「やよいが殺されて、プロデューサーが殺されて……いざ犯人を捕まえるって時になったら一番頼りにしてた響まであんなことになって――」

正体不明の殺人鬼が目の前に現れたら挑めるだろうか、それが不安だと彼女は漏らす。

「そうね……」

それに対し千早も雪歩も気の利いた言葉をかけることはなかった。

食堂にたどり着いた3人は告発文を見ないようにして厨房に入る。

調理器具や湯呑みを用意する雪歩は、千早に見せるようにそれらを並べた。









212 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/16(火) 21:53:17.55 ID:eCS5+ur40
談話室で待つ2人の視線は交わらない。

伊織は俯き、貴音は天井の一角を見つめたままだ。

「いま何を考えていますか?」

彼女の視線は動かない。

「後悔しているだけよ」

伊織もまた俯いたまま、ぶっきらぼうに答えた。

「取り返しのつかないことをしてしまったわ」

「私も同じ想いです」

囁き声に伊織は貴音の横顔を見やった。

「あんたは相変わらず……なんていうか超然としてるわね」

こほんとわざとらしく咳払いをひとつして、

「そういうところ好きじゃないけど、今は頼もしく思えるわ」

いつものように拗ねた調子で言う。

「お褒めの言葉、感謝しますよ、伊織……ですが――」

数秒、深呼吸してから、

「私とて冷静ではないのです。これまでも判断を誤った局面は何度もありました」

天井を見上げたまま憂えるように目を細めて呟く。

伊織は鼻を鳴らした。

獰悪な殺人鬼を除けば、判断を誤らなかった者などいない。

しばらくして複数人の足音が近づいてきた。

雪歩たちだ。

トレイには大きめの急須と7人分の湯呑み、クッキーや煎餅などがある。

「体を冷やすのは良くないと思って――」

熱い緑茶を選んだ理由を説明した彼女はトレイをテーブルに置くと、真と千早を伴って談話室を出ようとした。

「どこに……いえ、いいわ」

伊織はトレイ上の湯呑みを数えた。

「出て来なかったらどうするの?」

「改めて持って行くしかないよ」

答えたのは真だ。

「さっきは伊織ちゃんと四条さんが呼びに行ってくれたから、今度は私たちが行くね」

先に飲んでいてくれていい、と言い置いて雪歩たちは2階に上がっていった。

数秒の沈黙の後、伊織と貴音の視線が合う。
213 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/16(火) 22:00:41.33 ID:eCS5+ur40
「………………」

「………………」

「食べればいいじゃない?」

ソファに悠然と腰かける伊織が意地悪そうな笑みを浮かべる。

「――いえ、そのような不義理はできません。雪歩たちを待ちましょう」

澄ました顔で貴音が答えてから、さらに十数秒。

「………………」

観念したように貴音が菓子に手を伸ばした時、2階で物音がした。

何かを叩きつけるような重く、鈍い音だ。

「な、なんなの!?」

咄嗟に伊織が立ち上がる。

「亜美と真美が……!!」

真が転がり込んできた。

肩で息をしながら緊急事態であることを告げる。

「行きましょう」

手に取った煎餅をトレイに戻し、貴音たちは真に連れられて2階へと駆け上がった。

真美の部屋のドアが開け放たれ、前の廊下で雪歩が蹲(うずくま)っていた。

彼女は落涙していた。

「何があったのです!?」

今にも気を失いそうな雪歩の肩を掴む。

口調とは裏腹に彼女の表情は冷めていた。

「あ、あ…………!」

震える雪歩はまともに発音すらできない。

かろうじて動く手を持ち上げ、部屋の中を指差す。

貴音が顔を上げると、ちょうど伊織が中に入っていくところだった。

部屋の中央に千早が立っている。

彼女は両腕をだらりと下ろし、茫然とそれを見つめていた。
214 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/16(火) 22:09:26.56 ID:eCS5+ur40
「……亜美…………?」

その後ろから覗きこむように身を乗り出した伊織は見た。

ベッドに仰向けになった亜美と真美は手を繋いでいる。

互いの指は絡まっておらず、実際は亜美が真美の手を包むように握っている。

まるで仲の良い双子が遊び疲れて眠っているようだ。

「どうし、て…………!?」

だが2人の様相は全く異なっていた。

亜美は腹部から胸元にかけてを血液で真っ赤に染め上げている。

対して真美の首の辺りには何かで締め上げられたような痕があった。

共通しているのはどちらも呼吸をしていない点だ。

「これは一体……」

遅れて入ってきた貴音もそれを見て絶句した。

ベッド近くの床に撒かれたような血液の痕はバスルームへと続いている。

それを見つけた貴音は血痕を踏まないように辿ってドアを開けた。

内部にこれといって異常はなかったが、バスルーム側のドアに近い床にもわずかに血が付いていた。

「なんで……こんなことになってんのよ……?」

怒りと悲しみが混じり損ねたような声で伊織が言った。

貴音はそれには答えず、緩慢とした所作で肩越しに振り返った。

立ち尽くす千早の向こう、蹲る雪歩と彼女を介抱している真。

この館に来て何度も繰り返してきた光景である。

繰り返す度に犠牲者は増え、涕泣する者は減っていく。

「………………」

彼女は生存者の様子を順番に見回したあと、

「――不可解ですね」

誰にも聞きとれない声で呟いた。

「亜美…………」

伊織が跪いた。

「とうとう、あんたまで……!」

拳を握りしめ、しかし彼女は涕を流さなかった。

爪が掌に食い込み、いくらかの痛みと出血を齎す。

どこかから生暖かい風が吹き抜けていった。






215 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/16(火) 22:19:25.37 ID:eCS5+ur40
 19時44分。

再び談話室に戻ってきた5人には、ただひとりを除いて表情がなかった。

お茶は飲むのに適した温度を逸し、湯気の一筋も昇らない。

「ドアに――」

自身を抱きしめるように腕を組んだ千早は囁くように言った。

「ドアの内側にあの線が引かれてあったわ。2本の線が交差していた」

「見なくても分かるわよ!」

伊織がヒステリックに叫んだ。

怒声に雪歩がびくりと体を震わせる。

「何なのよ! 一体……どういうつもりなのよッ!!」

彼女は2人を睥睨した。

視線の先のひとりは怯えた様子で、もうひとりは訝るような目で見返した。

「やっと分かったわ! ずっと……あんたたちだったんでしょ!?」

貴音は目を細めた。

一歩退いた場所で成り行きを見守る。

「なんでボクたちなんだよ!? そんなことするワケないじゃないか!」

鋭い視線を撥ねのけるように真が前に出る。

だが伊織は怯まない。

「ええ、そうね! 訂正するわ! あんたもよね、千早!!」

名を挙げられた千早は驚いた様子で見返した。

「まだ私を疑っているのね? 私が我那覇さんと一緒にいたから――」

「それだけじゃないわ。あんたたちは亜美と真美も殺したのよ!」

「何を言って――」

「私がバカだったわ! もっと早く気付くべきだったのよ! 犯人はひとりだと思っていた私のミスよ!」

雪歩は信じられないといった様子で伊織を見つめた。

その顔つきは犯人扱いされたことに対する怒りではなく、憐れ嘆くような憂いを帯びたものだった。

「水瀬さん、私たちが亜美と真美を……殺したと言ったわね? どういうことかしら?」

「そのままの意味よ。さっき2人を呼びに行くフリをして手にかけたに決まってるわ。3人なら簡単にできるわよね」

千早は目を閉じ、あからさまに嘲弄するようにため息をついた。

「それは水瀬さんにも同じことが言えると思うけど?」

「なんですって……!?」

「私たちが真美の部屋に入った時には2人は既に殺害されていた。ならその1時間ほど前に2人を呼びに行った水瀬さんと……四条さんの犯行ということになるわ」

「あんた…………!」

「2人はずっと前に水瀬さんたちに殺されていた。それを私たちが発見した――ということじゃないかしら?」

伊織が感情的になればなるほど千早は冷淡にあしらう。
216 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/16(火) 22:29:28.58 ID:eCS5+ur40
「それは聞き捨てるワケにはいきませんね。2人を害するのであれば昨夜にもその機会は充分にあったハズです」

物静かな口調にはわずかに怒気が覗く。

「それに――美希や響の件はどう説明するつもりですか? 私にも伊織にも2人を手にかけることは不可能です」

ここにきて貴音は言葉に熱を込め始めた。

普段の真理を見据えたような双眸は輝きを失いつつあり、自分に嫌疑をかけた千早を射抜くような目で見つめている。

「まだあるわよ」

貴音の援護を受けてか、千早に押され気味だった伊織が勢いづく。

「響が殺されたと思われる時間、不自然な行動をしていたわよね?」

彼女は今度は雪歩を睨みつけた。

「えっ!? わ、私……?」

「あんた、携帯が繋がるか試すって言って真と一緒に出ていったじゃない」

「それは……もし繋がったら助けを呼べると思って……」

「理由としては満点ね。でもどうしてあのタイミングだったワケ? 千早たちが戻って来てからでもよかったハズじゃない?」

これは憶測ではない。

指摘は全て事実だったから、その気迫も相俟って彼女は答えを返すことができなかった。

「あんたたちは千早と合流したのよ。3人ならいくら響が相手でも殺すのは簡単だものね!」

語調には一切の迷いがなかった。

不確かな事柄でも断定口調で詰る様は、平素の水瀬伊織のそれと何ら変わりがない。

唯一の諫言役である貴音は肯定も否定もしなかった。

今は伊織からさえも距離を置き、視線だけは千早に向けたままだ。

「――いくらなんでも言い過ぎだよ」

菊地真にしては控えめだった。

低く、怨嗟を纏ったような声質はそれを聞く者に警戒心を抱かせる。

「こんな状況になって、団結しなきゃいけない時じゃないか。疑い合ってどうするんだよ」

「もう何人も犠牲者が出てるのに、今さら何が団結よ。人殺しと団結して助かるのは共犯者だけだわ!」

「伊織だって765プロだろ! 仲間同士信じ合わなくてどうするんだよ!」

「お、落ち着いて真ちゃん……伊織ちゃんも……!」

仲裁する雪歩は真の傍から離れようとはしない。

「そうやって信じた奴から殺されたじゃない! だからあんたはバカなのよ!!」

「伊織っ!!」

「ま――」

雪歩が制止しようと声をかけたが一瞬だけ遅すぎた。

真の伸ばした手が彼女の胸倉を掴む。
217 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/16(火) 23:16:54.19 ID:eCS5+ur40
――ハズだった。

銀が閃き、赤が散り、真は後退った。

雪歩が悲鳴をあげる。

千早も貴音もまるで磔刑に処されたように身動きひとつしなかった。

悪鬼の形相で睨みつける伊織の手には果物ナイフがあった。

先端はたった今、濡れたばかりだ。

「そうやって頭に血が上って殺したんでしょ!? 今度は! 今度は私を殺すつもりなのね!?」

真は驚愕の表情で伊織を見た。

押さえた手頸から赤い液体が一筋流れ落ちた。

「念のために厨房から持って来ておいてよかったわ。どう? これならあんたたちも迂闊に手出しできないでしょ?」

刃先は真に、視線は千早に向ける。

「ま、真ちゃん! 早く血を止めないと……!」

青白い顔をして雪歩がその手を取った。

鮮血が一滴、カーペットを濡らした。

「見損なったよ、伊織――」

救急セットを持って来ているからという雪歩に促され、彼女は談話室を出て行こうとする。

「ほら見なさいよ! 自分たちは殺されないからそうやって悠々と行動できるんでしょ!? この人殺し! あんたたちが――」

「伊織ちゃんっ!」

呆気にとられたように伊織は雪歩の顔を見た。

「私も真ちゃんもそんなことしないよ! 千早ちゃんだって!」

精一杯と思われる怒声を張り上げ、彼女は真を伴って談話室を出て行った。

その後ろ姿を目で追った伊織は、刃先を千早に向けた。

「あんた、見捨てられたわよ?」

表情にいくらか余裕が戻ってくる。

対する千早は凶器を突きつけられているというのに、まるで動揺する素振りを見せない。

「私は犯人なんかじゃないわ」

とはいえ毅然と抗議はする。

「言ってればいいわ。貴音、私たちも部屋に戻るわよ」

千早から目を離さないようにして談話室を出ようとする伊織。

観念したようにため息をついた貴音もそれに続く。

「――千早」

去り際、彼女は肩越しに振り向き、

「もし貴女が本当に誰も殺めていないというのであれば、部屋に籠もり固く鍵をかけておくことです」

諭すような口調で言った。
218 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/16(火) 23:27:35.36 ID:eCS5+ur40
ひとり残った千早は、生気が抜けてしまったようにソファに座り込んだ。

静寂だ。

自らの心音さえ聞こえそうなほどの静謐を、秒針の音が遠慮がちに打ち破る。

「………………」

ぼんやりと天井を見つめて彼女は長大息した。

照明を眩しく感じてかそっと手を翳す。

「誰も殺めていないというのであれば……?」

つい先ほど、貴音が残した言葉を繰り返す。

「誰も殺めて……誰も……誰も……!?」

突然、弾かれたように立ち上がる。

「プロデューサーは誰かを見た……心当たりがある、とも……でも、もしそれが…………!」

千早は談話室を飛び出した。

階段を駆け上がり、突き当たりの自室に入ると素早く施錠する。

ナイトスタンドに置いてあったカメラを手に取り、この島に来てから撮影した画像を展開していく。

1枚目は港の風景だ。

大小さまざまな漁船をバックに、やよいや亜美たちがはしゃいでいる様子が収められている。

4枚目は船からの光景である。

遠近に映る島嶼は木々が暢茂してどれも青々と美しい。

9枚目以降は島に着いてからのひとこまだ。

最初に館に向かう道中やそれぞれに砂浜で遊ぶ様子、ビーチバレーの経過が捉えられていた。

それら写真を順番に開いた千早は72枚目の画像を注視した。

映っているのは美希だ。

厨房の奥の壁際で体を折り曲げ、まるでいつもどおり仮眠しているような姿の彼女がほぼ真上から撮影されている。

「たしか高槻さんの遺体を最初に発見したのは美希――その時は我那覇さんも……」

さらに数枚の画像を見比べた千早はおもむろにデジカメを置いた。

そしてボイスレッスンの時のように、肺の中の空気をたっぷりと時間をかけて吐き出す。

「………………」

千早は音を立てないように部屋を出た。

そして目的の部屋の前に立ちドアノブを回す。

施錠されている。

彼女は控えめに3度、ドアを叩いた。

しばらくして鍵が外れる音がした。

再びノブに手をかけ、ゆっくりとドアを開ける。

中の様子を窺おうと身を乗り出した瞬間、襟首を掴まれて部屋の中に引きずり込まれた。

「あなただったのね…………!」

それが千早が発した最後の言葉だった。






219 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/17(水) 21:53:21.10 ID:LTgWybDj0
 20時13分。

日はとうに沈み、窓の向こうは黒にちかい灰色が覆っている。

「大丈夫……?」

雪歩がか細い声で問う。

「うん、雪歩のおかげだよ。ありがとう」

幾重にも巻かれた包帯は傷口の上に血が滲んでわずかに赤黒くなっている。

咄嗟に躱したため傷自体は浅かったが裂傷の範囲が広い。

雪歩が救急セットを持ってきていたおかげで真はすぐに手当てを受けることができた。

止血や消毒に多少時間を要したが処置は適切だった。

「ごめんね、真ちゃん……」

「なんで謝るの?」

「あの時、私が携帯を試したい、なんて言わなかったから伊織ちゃんに疑われることもなかったのに……」

雪歩だけのせいじゃないよ、と真は力なく笑った。

「一緒に行ったボクにも責任があるし」

取り繕うように言った直後、その笑みは虚しいものに変わる。

「伊織ちゃんのことだから何か考えがあるんだって思ってたの。だから何を言われても黙っていようと思ってたけど――」

それが仇となって真が怪我をさせられたことが我慢できない、と雪歩は悔恨の情を滲ませた。

あの時、自分がハッキリと否定しておけば――。

誰も感情的にならず、仲違いをするにしても刃傷沙汰は避けられたのではないか。

あるいは真の代わりに自分が切られていればよかった、と彼女は言う。

「そんなこと言わないでよ。こんな状況なんだから誰が悪いとかないよ」

「うん――」

しばし、沈黙。

普段は昵懇の間柄の2人だがこの状況では会話も続かない。

どちらもが何事かを喋ろうと唇を動かすも、空気を振動させるには至らない。

だが言葉に寄らずとも思考や想いを伝える方法はある。

雪歩はそっと、躊躇いがちに彼女の手に触れた。

真はびくっと小さく体を震わせたが、すぐにその手を握りしめる。

その時、インターホンが鳴った。

「ひぅ……っ!!」

雪歩が頓狂な声を上げた。

怯えきった子犬のような目で真を見上げる。

「い、今のは――!?」

突然の音に跳びあがりそうになった真は左見右見(とみこうみ)した。

再び、インターホンの音が鳴り響く。

静寂の中にあっては不気味な余韻がいつまでも部屋の中を巡っているようだ。
220 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/17(水) 21:59:32.59 ID:LTgWybDj0
「もしかして警察が来てくれたんじゃ……?」

雪歩が震える声で言う。

「通報してないんだよ? 警察が来るワケが――」

ない、と言いかけて真は言葉を呑んだ。

「――雪歩」

何かを決意したような顔で言うと、すっくと立ち上がる。

「ここにいて。ボクが出たらすぐに鍵をかけて」

「ま、真ちゃん……?」

「大丈夫。ちょっと様子を見てくるだけだよ」

「あ、危ないよ! もし悪い人だったら……!」

縋るような目で雪歩が訴える、

だが真は首を横に振ってそれを退けた。

「心配しないで。何かあったらすぐに戻って来るから」

またインターホンが鳴った。

今度は続けて2度だ。

「でも……」

と、しばらく押し問答が続き、最後には雪歩が折れる恰好となった。

「それじゃあ、真ちゃん――」

部屋を出tた真は小さく頷いた。

音を立てないようにドアを締め、施錠する音を確かめた彼女は深呼吸した。

「ごめん、雪歩。犯人の罠かもしれないけど……響たちの仇を取りたいんだ……」

呟きはドアを隔てた雪歩には届かない。

しつこく鳴っていたインターホンは鳴り止んでいた。

「………………」

真はひとつ隣の貴音の部屋の前に立ち、ドアを叩いた。

「貴音……?」

返事はない。

しばらく待ってみたが反応は返ってこない。

「さっきのインターホン、聞こえたでしょ? ボク、様子を見てくるから」

ドア越しに言い置いて薄暗い廊下を進む。

エントランスに漂う空気は湿っていて少し冷たい。

真は拳をぎゅっと握りしめたあと、正面扉をゆっくりと開けた。

隙間から生暖かい風が吹き込んでくる。

シャンデリアに照らされ、扉の向こうの土と草木がわずかに浮かび上がる。

特に異常はない。

真は半開きの扉に身を寄せるようにして外を窺った。

微風に枝葉が揺れる。

はらりと舞った一葉が真の前を過ぎった。
221 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/17(水) 23:01:03.83 ID:LTgWybDj0
「…………!?」

それを目で追った彼女は息を呑んだ。

扉のすぐ横。

春香がうつ伏せに倒れていた。

血塗れの彼女は開いた右手を突き出している。

まるでインターホンを押した後に力尽きたような恰好だ。

「……はる、か…………?」

真はしばらく動けないでいた。

一陣の風が砂埃を舞わせ、木の葉と共に砂の一部を館内に運ぶ。

そろりと一歩を踏み出す。

周囲に人の気配はない。

真は充分に辺りを窺い、他に人影がないのを確認すると春香を館内に運び入れた。

硬直し、冷たくなっている彼女の体に目立った外傷はない。

外の砂塵や運び込んだ際にエントランスの床を擦ったせいで衣服は汚れている。

「春香……」

真は無駄なことをした。

呼びかけたところで彼女は死んでいる。

「やっぱり律子も……?」

呟いてから真は思い出したように振り返った。

2階へと続く階段がある。

左右に視線を振れば東棟、西棟に続く通路がある。

彼女はしばらく待った。

だがそれも無駄だった。

「インターホンは聞こえてたハズなのに貴音も伊織も来ないなんて……」

特に貴音に対しては返事がなかったとはいえ、ドア越しにこの件は伝えてある。

「まさか……2人とも、誰かに…………!?」

真は春香から離れた。

そして恐怖に引き攣った顔で亡骸を見下ろすと、エントランスを飛び出した。

東棟に続く廊下の角を曲がる。
222 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/17(水) 23:23:49.17 ID:LTgWybDj0
「…………ッ!!」

突き当たりの部屋のドアが開いていた。

「そんな……まさか……?」

真は激しい動悸に襲われた。

足音を立てないように近づく。

「雪歩!?」

部屋に入るや名を呼ぶ。

部屋の照明は消えていた。

廊下の明かりがほのかに室内を照らしている。

彼女はベッドに横たわっていた。

腹部から流れた血液がシーツを伝って床に達している。

「そんな……っ!!」

真は危うく倒れ込みそうになった。

しかしどうにか踏ん張り、重い足を引きずるようにしてベッドに近寄る。

「雪歩! 雪歩!!」

追い縋るように白い肩を揺さぶる。

しかし眼下の彼女が目を開けることはなかった。

「どうして……なんでだよ……! なんで……!!」

嗚咽を漏らす真の後ろで物音がした。

振り向く。

何かが振り下ろされ、彼女はその場に倒れた。






223 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/17(水) 23:28:02.50 ID:LTgWybDj0
 20時36分。

2人の亡骸を見下ろし、貴音は深呼吸した。

しかし鼻腔を突く血液の臭いに咽んでしまう。

「私は……取り返しのつかないことを…………」

一筋の涙が頬を伝う。

薄明かりの中、彼女はぼやけた視界に腹部を血で染め上げた雪歩と撲殺された真を捉えている。

「………………」

手に握りしめたナイフの感触を確かめた彼女は静かに部屋を出た。

階段を上がりかけたところではたと止まり、エントランスを覗く。

春香が倒れている。

「あの呼び出し音は偽りではなかった……ということでしょうか……?」

貴音はその亡骸の傍に跪いて短く黙祷を捧げた。

「――だとすれば言葉どおり、真が……?」

再び顔を上げた彼女の目は鋭かった。

今度こそ階段を上って西棟へ。

亜美、真美の部屋を通り過ぎた貴音は千早の部屋の前に立った。

深呼吸をひとつし、静かにドアをノックする。

「――千早」

しばらく待つが返事はない。

「お話ししたいことがあります。私だけです。中に入れていただけませんか?」

言葉は丁寧だが口調には棘があった。

さらに数秒。

返事もなければ開錠する音も聞こえない。

貴音はナイフを握りしめた手を後ろに隠し、ドアノブに触れた。

「…………?」

鍵はかかっていなかった。

「入りますよ」

形式だけの断りを入れ、ドアを開ける。

彼女はすぐにそれを見つけた。

千早だ。

仰向けに倒れている彼女は喉を裂かれている。

凝固した血液と乱れた長髪に隠れて分かりにくいが、首には扼殺の痕があった。

「これは一体…………?」

貴音の手からナイフが滑り抜けた。

刃は豪奢なカーペットに小さな傷をつけ、軽く弾んで持ち主の足元に落ちた。
224 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/17(水) 23:40:22.56 ID:LTgWybDj0
「千早…………」

囁く声は震えていた。

実際に震えていたのだ。

彼女自身が。

「――貴女では、なかったのですか……?」

千早は何も答えない。

それが答えだった。

「……いえ、そんな……それはあり得ないことです……」

貴音はかぶりを振った。

「彼女には……美希や響を殺めることはできなかったハズ……」

ではいったい誰が、と口にしかけた彼女はもう一度、千早を見下ろした。

そして何かを得心したように頷くと、足元のナイフを拾い上げた。

部屋を出た貴音は堂々と――悠然と――廊下を曲がり、反対側の棟へ向かった。

突き当たりの部屋のドアを叩く。

「私です。お話ししたいことがあります」

返事を待つ。

「今さら何の話があるのよ?」

相変わらずの勝ち気な物言いが返ってきた。

「私のことも信用できないって言ったくせに」

「今はそれが正しかったと言えます」

「どういう意味よ?」

ドア越しでくぐもっているというのに、彼女の声は廊下までハッキリと聞こえた。

「私は真実を知りたいのです――伊織」

「はあ? 真実?」

「真、雪歩……千早も何者かに害されました。えんとらんすには春香の亡骸が――」

貴音はこのわずか数分で見たものを説明した。

ドアの向こうからがさごそと何かが動く音がした。

そして数秒。

「じゃあそこにいるのはあんただけってことね?」

「はい」

「――分かったわ」

しばらくして鍵を開く音がした。

しかしドアが開く様子はない。
225 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/17(水) 23:42:54.44 ID:LTgWybDj0
「入ってもよろしいですか?」

しびれを切らしたように貴音が問うと、

「いいわよ」

慳貪な声が返ってきた。

ノブに手をかけて深呼吸をひとつする。

そしてゆっくりとドアを開ける。

目の前には伊織がいる。

平素と変わらない自信に満ちた表情だ。

彼女の手の中で何かがきらりと光った。

貴音が身構える。

だがそれより先に飛び込んだ伊織が、それを彼女の腹部に押し当てた。

「…………ッ!」

じわりと熱が広がる。

続いて衣服に血液が浸潤し、不快感に貴音はたまらず後退った。

「貴女だったの……ですね…………」

腹部を押さえた手は真っ赤に染まっている。

「それはこっちの台詞よ! あいつらと組んでたんでしょ!? でも邪魔になったから殺した――そうよね!?」

「なにを……なにを言っているの、です? 貴女こそ……真たちを……」

「騙されないわ!」

伊織がナイフを振り上げた。

目の前の、かつての仲間を切りつけんと迫る。

だがそれが振り下ろされることはなかった。

ほとんど無意識的に突き出した貴音の手には、しっかりとナイフが握られていた。

照明を受けて銀色を返す刃先は驚くほどするりと伊織の喉を刺し貫く。

「た…………」

恨みがましい目で彼女は何か言おうとした。

しかし口から出たのは言葉ではなく夥しい血液だった。

痙攣しながら膝をついた伊織は貴音の首を掴もうと手を伸ばす。

指先が肩に触れかけたところで彼女は力尽き、自らの血液で作った湖に身を没した。

「………………」

一瞬、忘れていた激痛が再び襲ってきた。

「いお、り…………?」

虚しい呼びかけに応える者はいない。
226 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/17(水) 23:47:45.79 ID:LTgWybDj0
「私は……なにを…………?」

問いに対する答えは彼女の手の中にある。

貴音は伊織だったものを見た。

彼女はまだ動いている。

筋肉が動き、血液が流れ、それが喉に空いた穴から止めどなく溢れ出てくる。

彼女の周囲はそこだけ内装を取り違えたように赤とも黒ともつかないカーペットが敷かれている。

咽返る鉄錆の臭い。

体温をぶちまけたことで上がった室温。

肌にべたつく湿り気。

それらが貴音に纏わりついて離れない。

「なんという…………!」

独り言を述べる体力も尽きようとしている。

すぐに適切な手当てを受ければ一命を取り留めることはできるだろうが、ここは医療機関のない孤島である。

雪歩の持っている救急セットでは気休めにもならないだろう。

したがって彼女は――。

「………………」

貴音はナイフを逆手に持ち替えた。

したがって彼女は死ぬのを待つか、自ら死ぬしかない。

「無念……です…………」

刃は脇腹に突き刺さった。




227 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/17(水) 23:50:36.46 ID:LTgWybDj0









 翌日。

迎えのために島に船をつけた岩倉が、約束の時間を過ぎてもいっこうに現れない彼らを不審に思って館を訪れたところ、エントランスで天海春香の遺体を発見した。

岩倉はすぐに本島に戻り、警察に通報した。

その後の捜査により、次のことが分かった。



秋月律子の遺体は2階の管理人室にあった。
腹部に深い刺し傷があった。

天海春香の遺体はエントランスにあった。
紐状のもので絞殺されたとみられる。

我那覇響の遺体は自室にあった。
体には複数の刺し傷があった。

菊地真の遺体は雪歩の部屋にあった。
頭部を鈍器で殴打された痕があり、これが致命傷となったようである。

如月千早の遺体は自室にあった。
首を絞められ、さらに喉を斬られていた。

四条貴音の遺体は伊織の部屋にあった。
腹部に複数の刺し傷があった。

高槻やよいの遺体は自室にあった。
背中を包丁で一突きにされていた。

萩原雪歩の遺体は自室にあった。
腹部を数度刺された痕があった。

双海亜美の遺体は真美の部屋にあった。
胸の辺りを刺されたことが死亡につながったようである。

双海真美の遺体は自室にあった。
紐状のもので絞殺されたとみられる。

星井美希の遺体は自室にあった。
扼殺されたものとみられる。

三浦あずさの遺体は自室にあった。
腹部を包丁のようなもので刺されていた。

水瀬伊織の遺体は自室にあった。
首を刺し貫かれていた。

プロデューサーの遺体は1階の管理人室にあった。
腹部を包丁のようなもので刺されていた。



228 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2019/07/18(木) 01:24:34.91 ID:1Ak+T/QPo
え?全滅エンド?
229 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 21:30:22.85 ID:+5XilU3f0









事務所の一室で高木はそれを何度も読み返していた。

知性的な彼女らしい整った字体に理路整然とした文章だ。

描写も精緻で、その場にいなかった読み手にも当時の情景がありありと浮かんでくるようだ。

「ふむ…………」

彼はそれを脇に置くとわざとらしく背伸びをした。

見計らったように小鳥が入ってくる。

「社長、お茶でも――どうしました?」

落魄した様子の高木に心配そうに声をかける。

「ああ、これを読んでいたものでね……」

「……手紙ですか?」

「彼女からのね。音無君も読んでみるかい?」

湯呑みを差し出した彼女はしばらく考えてから言った。

「少し怖い気もしますが――」

小鳥は1枚の便箋を手に取った。





230 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 21:40:42.30 ID:+5XilU3f0



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―― 3日目 ――



 21時07分。

静まり返った館。

生温い風と、どこにいても鼻腔を衝いてくる血の臭い。

それらが人に齎すのはこの上ない不快感。

あちらこちらに転がる遺体は見る者を震え上がらせ、正常な思考を悉く奪う。

迸(ほとばし)る血液は全て重力に従って下へと落ち、ゆっくりと床面に広がって張り付いている。

彼女はドアを叩いた。

控えめに、3度。

ビジネスマナーとして学んだことだが最近は根拠のないルールだとして見直されつつある。

そのことは分かっているが一応は踏襲してしまうのは彼女の几帳面さと融通の利かなさの表れでもある。

ドアはすぐに開けられた。

「とりあえず手を洗ったらどうだ? 手首まで血が付いてるぞ」

言われて彼女は自分の両手を見る。

拭いはしたが、そのせいでかえって血が広がってしまったようだ。

「ええ、そうします。手洗いを借りますね」

向けられた厚意は受け取っておく。

それが彼女――秋月律子の仕事に対する心構えである。

付着し、凝固した血液はなかなか落ちない。

5分ほどかけてようやく皮膚についた血を洗い流す。

衣服の汚れは諦めるしかない。

「――残念でしたね」

タオルで手を拭きながら律子が言う。

「いろいろと予定が狂ってしまったな」

心底残念そうな声が漏れる。

頭を抱える彼――プロデューサーはこの件をどう報告しようかと思案した。

「もともと無理があったんじゃないか? 今回の企画――」

「でも必要なことですよ。事務所の存続のためには……」
231 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 21:45:22.50 ID:+5XilU3f0
真のアイドルは強力なリーダーシップと恐怖に打ち克つ力を持っていなければならない。

生き延びるために知恵を絞り、どのような状況も打開する機転も必要だ。

ヴィジュアルやヴォーカルやダンス等の基礎的な要素はレッスンでいくらでも向上させることができる。

しかしそれだけでは厳しい業界で生き残ることはできない。

不撓不屈の心、その場その局面に対応できるしなやかさ、強かな謙虚さと形振りかまわぬ貪欲さ。

そのどれが欠けてもトップアイドルとしては成立しない。

誰が最もトップアイドルとしての資質を具(そな)えているか。

この小旅行はその選定のために企画されたものだった。

つまり仲間が殺害され、外に助けを呼べない状況で彼女たちがどのように思考を巡らし、行動するのか。

それを観察することによって誰がトップアイドルに相応しいのかを見極める。

”トップ”というからには合格者はひとりだけ。

最初の犠牲者が決定した後は、彼女たちの反応や状況を見ながら最も不適格と見做された者から逐次脱落していくこととなる。

「それにしても意外だったな」

「なにがです?」

「最初の犠牲者だよ。まさか律子があずささんを選ぶとは思わなかった。竜宮小町だから贔屓目に見てるかと思ったんだが」

「大事な選定に情を挟むワケにはいきませんからね。いろいろとリスクを考えた結果ですよ」

「どんなリスクなんだ?」

「あずささんのおっとりとした雰囲気や柔らかい歌声には多くのファンがついています。その性質は竜宮小町でも個性として確立されていますしね」

「高評価じゃないか」

「アイドルの寿命は長くないんです。若ければ若いほどいい。そこがまずマイナスです。なにより問題はあの迷子癖ですよ。

事故や事件に巻き込まれるリスクも高くなりますし、遅刻でもすれば失う信用は計り知れません。いちいち捜して連れ戻す労力やコストと釣り合わないんです」

それが選出の理由だ、と語る律子は落魄した様子だった。

「次にやよいを選んだのはプロデューサーでしたよね。これはどういう理由なんですか?」

彼女はあずさの話題から逃れるように早々に高槻やよいの名を出した。

「やよいはあずささんとは逆に伸びしろがあった。年齢的にも問題ない。ただ家庭のことが引っかかるんだ」

「長女でしたよね」

「それゆえに責任感や面倒見の良さはあるが、兄弟姉妹が多いから看病や家事等で仕事に穴を空ける恐れがある。大きな仕事を任せられず安定感に欠けるんだ」

彼は大いに残念がった。

「手にかける時はどうやって? 難しかったと思いますが」

「チャンスがあったんだ。千早が偶然、暖炉と多目的室が繋がってることに気付いてな。確かめるために俺たちは多目的室に行ったんだ。

響が降りたあとで亜美と真美を先に合流させた。俺とやよいも戸締りをしてすぐに追いかけると言ってな。

その際にやよいに言っておいたんだ。”大事な話がある。昼食後に施錠して自室で待機しろ。俺が行ったらすぐに入れろ”と」
232 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 21:49:43.84 ID:+5XilU3f0
なるほど、と律子が手を叩いた。

「だからあの時、私に何枚か大皿を割れ、と言ったんですね。皆の注意を引きつけるために」

「ただ大きい音がしただけじゃ注目するのも一瞬だからな。掃除に時間がかかればそれだけ釘付けにできる」

彼は傍に置いてあったコーヒーを一口だけ飲んだ。

「素直だったよ。俺がうつ伏せになれと言ったら疑いもせずにそうした。その背中にハンカチを乗せ、包丁で一突きに――」

「残念ですね」

「ああ、でも失格者だから仕方がない。その分、他のアイドルたちの観察の材料にさせてもらったよ。やよいの死を無駄にしないためにな」

律子は一瞬、訝るような目でプロデューサーを見た。

彼の言葉と表情は一致していない。

口調だけは思いつめたような強弱があるが、顔つきは微塵も変化しない。

「しかし暖炉にあんな仕掛けがあるなんてな。千早もよく気づいたものだよ」

その観察力が評価され、彼女は生存者候補に大きく近づいた。

「3番目に美希を選んだ理由は何ですか? やはり普段の怠けぶりからですか?」

彼は手を振った。

「真面目に取り組めば才能を発揮して、あいつが言うようにキラキラ輝くアイドルになれたかもしれないな――」

しかし、と間を置く。

「それにしても美希には驚かされたよ。死んだふりをしていた俺が起き上がったところにいきなり入って来たんだからな。その時に言われたよ。

”ハニー、やっぱり生きてたんだね”って。あいつ、勘が鋭いから気付いたんだろうな。考えている暇はなかった」

咄嗟に彼女の首を扼してしまった、とため息交じりに言った。

「死んだふりは犯人を欺くために律子と協力してやった、という言い訳もできるけど、あれを見られたからな――」

指差した先には15インチほどのモニターが置いてあった。

画面はいくつかに分割しての表示が可能で、今は談話室、食堂、2階東棟の廊下と伊織の部屋が映っている。

「俺も迂闊だったんだ。ちゃんと鍵をかけておけばよかったな」

些細なミスを振り返る程度の口調だ。

「美希の遺体は頃合いを見計らって裏から厨房に運び込んだ。見つかりやすい場所に置かないと面倒になりそうだしな」

「ええ、そうですね」

「さて、俺からも聞かせてくれ。春香を選んだ理由は何だったんだ?」

3日目になると誰もが警戒するので殺しが難しくなる。

篩(ふるい)にかけたはいいが失格者を減らせないでは意味がないので、夜が明ける前に律子がひとりを選んで始末することになっていた。

「悩みましたよ。春香は際立った個性がないために何にでも化ける可能性がありましたから。その意味では後回しにするべきだったかもしれません。

ですが彼女はメンバーの中心になることはできても、皆を引っ張っていく力まではなかったんです。うちの事務所は皆、個性が強いじゃないですか。

春香はそのまとめ役を担うことはできますが、言い換えれば彼女個人としてはトップアイドルの素養はないんです」

だから色の強いユニットに加えることで真価を発揮しただろう、と彼女は評した。
233 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 21:57:54.57 ID:+5XilU3f0
「単純ながら飲み物に薬を入れるという手も有効でした。あれのおかげで響たちに気付かれずに春香を連れ出すことができましたから」

「響といえばスペアキーの件で伊織が意外な展開に持っていったな。あれにも驚いたよ」

彼によればスペアキーがあるのは管理室のみだから、自分があずさ殺害の実行犯だと疑われるのは想定していた。

それを避けるために存在しない何者かを目撃したと偽ったが、少なくともその時点では伊織は極めて冷静だったと言える。

この点がプラスされ、彼女は生存者候補に一歩近づいていた。

「あの娘は才媛ですよ。ものをよく見ていますし指摘も的確です。響を犯人扱いしたのは彼女を庇うためだったみたいですけどね」

「さいえん……? ああ、才媛か。あんな難しい言葉、よく思いついたな。それを読めて意味も理解できた貴音も流石だが」

「私の趣味、資格取得なんです。漢検一級を持っていますから。誰も読めなければ適当な理由をつけて私が説明するつもりでした」

ここで博学な貴音に加点がなされた。

昨今は芸能界に限らず著名人の失言に厳しい。

軽忽な発言をすればすぐに炎上だ。

この点、貴音なら間違っても迂闊な発言はしない。

余計なトラブルを引き起こさないというのはプロデュースする側にとっても事務所にとってもありがたい。

「さて、肝心の今日ですけど……ここは接戦でしたね」

「ああ、といっても亜美と真美には早々と退場してもらうつもりだったけどな」

「やはり普段の言動からですか?」

「双子、というのはそれだけで充分な個性だ。しかも全く同一じゃないからそれぞれに持ち味がある。でも言動は大きなマイナス点だよ。

現場で何度もハラハラさせられたよ。2人に悪気はないんだろうが信用第一だ。不用意な発言で得意先の心証を損ねるのはまずい」

「でもなかなかチャンスが巡ってきませんでしたね。おかげであんなことをする羽目になりましたよ……」

律子は憤然として言った。

「まあいいですけど。ところで響の件ですが――」

「惜しかったな。あれは苦渋の決断だった。ムードメーカーだったしダンスの才覚だけでもトップアイドルの可能性は充分にあった。

もし千早と一緒に捜索に動いていなかったら脱落はずっと後になっていたと思う。

ただメンタル面がな……ミスが続くと混乱しがちだったし、反対に勢いのある時は調子に乗ってしまう。

それに最後まで仲間を信じていたようだけど、その優しさや脇の甘さはともすればカモにされるかもしれない」

千早か響、どちらかを残す選択に迫られ、彼は僅差で響を脱落させたと述べた。

「響は隠し部屋を見つけた点をプラスして千早ともども上位にあったんだが……あのタイミングを逃すと次にいつチャンスがくるか分からないからな」

館内の様子は複数の隠しカメラで常時監視しており、千早たちの行動も筒抜けとなっている。

そこで2人の行動を見て先回りし、響を脱落させたのである。

止むを得なかったと繰り返すプロデューサーの表情はやはり超然としていた。
234 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 22:43:21.10 ID:+5XilU3f0
「あ、そうだ。あの赤い線の意味は何だったんだ? 律子に言われたとおりにドアに引いたが」

「あれは主に2つの効果を狙ってのことですよ」

「恐怖心を煽るためとか?」

「そんなのは最初にあずささんの遺体が見つかった時点で充分ですよ。思い込みと錯覚、これが重要なんです」

律子は眼鏡をかけ直した。

「最初は犠牲者と赤い線……ここに共通点を持たせるためでした。誰かが死ねばその部屋のドアに線が引かれる。

これが常に一致していれば、彼女たちは次の犠牲者を直接見なくても線の有無だけで生死を判定してしまうんです」

その法則性はあずさ、やよい、プロデューサーでしっかりと示した、と彼女は言った。

「赤を選んだのは単純に血=死という意味ですけどね。ピンクや水色では締まりませんから」

「そんな法則を見せてどうするんだ? 手がかりを与えてどんな推理をするのか観察するためか?」

「プロデューサーはまだ気付いていないみたいですね」

律子は得意気だ。

彼は首をかしげた。

「彼女たちが犠牲者と赤い線を関連づけることが大事なんです。死んだ者の部屋には線が引かれてしまう、と。

次第に彼女たちはこれを次のように解釈します。”線が引かれた部屋の人間は死んでいる”という具合に」

「同じ意味じゃないのか?」

「全く違いますよ。線さえ引かれていれば死んだものと思い込むんです。隠れていようが行方不明になろうが、本当に死んでいようが――。

昨夜、私は春香とともに館から消えました。2本の赤い線を見た彼女たちは思ったハズです。”2人とも殺された”と」

これがこの仕掛けの、ひとつめの効果だと鼻を鳴らす。

「3日目ともなると私も自由に動けなくなります。だから彼女たちには死んだものと思わせておく必要があったんです。

あとは管理人室のモニターを見ながら機会を窺い、実行するだけです」

律子は人を殺すことを”実行”に置き換えた。

「もっともそう認めたくないのか、私も春香も生きていると考えを改めた娘も何人かいましたけどね」

「なるほどな。じゃあもうひとつの効果は何なんだ?」

「言い訳のように聞こえますけど、思い込みを利用した混乱――ですね」

「線を引かずとも皆、混乱していたと思うけどな」

「美希の件を除けばこの仕掛けは完璧だったんです。つまりさっき言った思い込みを生存者の意識に刷り込んでおくことですね。

生存者の数が減って実行が難しくなると線を引くのも難しくなります。いつ線が引かれるのか見張ろう、なんて話になりかねませんから」

「それはあるな」

「だから春香以降は線を引かないようにしたんです。というより引けなかったんですよ。それだけの充分な時間がとれませんでしたからね。

ただ結果的にそれが選定のために良い効果を齎しました」

彼女はいつになく饒舌だった。
235 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 22:53:16.78 ID:+5XilU3f0
「つまりいま何人生きているか、何人殺されたかが分からなくなるんです。まず線が引かれていないにもかかわらず響が殺された。

これで線と犠牲者の関連性が崩れることになり、ちょっとした混乱を引き起こします。まあこれは後付けですけど……。

さっきも言いましたけど最初に線を引くようにしたのは、秋月律子は死んだと皆に思わせるためなんですよ」

この目的はある程度達成できたから彼女は殊の外喜んでいる。

「………………:

プロデューサーは顎をさすった。

何事にも真摯なこの男には、彼女のように奸計を巡らせることはできない。

この企画を任された際、彼が考えたのは選定の基準と殺害のタイミングだけだった。

たとえば告発文を貼り出して面々の反応を見たり、初日の夜に淹れた飲み物に睡眠導入剤を仕込んであずさ殺害を確実にする等は律子のアイデアである。

その仕込みもあらかじめ全てのカップの”右手で持ったときに口が触れる場所”に薬を塗っておくという凝りようだ。

真美は左利きなのでこの手は使えないが夜更かしするのが彼女だけなら対処はできる。

もちろんプロデューサーと律子はわざわざ左手でカップを手に取った。

この仕掛けによってあずさ殺害は容易になった。

実行にあたって廊下を歩く音も彼女の部屋を出入りする音も、熟睡している彼女たちを起こすには至らない。

告発文からプロデューサーを除外し、代わりに小鳥の名を入れたのも律子のちょっとした思い付きだった。

伊織が何度か言ったように、唯一名前のない彼の仕業だと印象付けるためだ。

その彼が何者かの影を目撃し、その後に絞殺されたとなれば普通は第三者の犯行を疑うものだ。

正体不明の殺人鬼に彼女たちが団結し、誰がリーダーシップを発揮し、誰がどう動くのかを観察するのは興味深いものだった。

「それにしても大した手際だったよな」

彼は感心した。

選定にあたってはとにかくイベントを起こさなければならない。

新たな出来事が起こり、その度にどのような言動をするかで加点減点が随時行われる。

誰かが殺されるという大きなイベントの他にも、小さなキッカケをばら撒いたのもほとんど律子である。

象徴的なのは3日目の朝だ。

熟睡している秋月律子を演じた彼女は近くで雪歩の寝息を聞きながら、春香たちのやりとりに耳を傾けていた。

4人で交代で見張りをしてはどうかという案が持ち上がった。

後にそれは響を気遣っての真の提案であることが明らかになったが、分かったところで律子には何の関係もない。

ほどなくして響が真のソファに腰をおろした。

律子はそれを薄目を開けて見ていた。

待つこと数時間。

極度の心労ゆえか薬の効果か、談話室にいる全員が眠っているのを確かめた彼女はトイレに付き添わせるために春香を起こした。

寝ぼけ眼の彼女を背後から絞殺するのは簡単だった。

その様子をモニタリングしていたプロデューサーがトイレに駆け付けた。

彼に遺体を隠すよう頼み、律子は再び談話室に戻る。

掛布団をわざと乱して床に落とし、用意していた血糊を雪歩の襟元に付ける。

外した眼鏡はハンカチに包んでから――音を立てないため――左側のレンズを割り、フレームを軽く捻ってソファの下に忍ばせた。

血糊には鉄粉を混ぜているから臭いも再現できている。

不可解な格闘の跡を演出したのは彼女たちの思考力を見るためであり、雪歩に血糊を付けたのは疑心暗鬼に陥らせるためだ。

その一方、プロデューサーは引き取った春香の遺体をひとまず管理人室横の空き部屋に隠しておいた。

そこは美希の遺体を厨房に運ぶために通った部屋だが、ここに通じるドアは両方とも施錠されているので遺体を隠すには都合がよかった。
236 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 23:03:41.24 ID:+5XilU3f0
「難しかったのは亜美と真美ですね」

「ああ、ちょっとした賭けみたいなものだったからな」

あの2人の脱落は決まっていたが、肝心の実行をする機会が巡ってこない。

これにはプロデューサーも頭を抱えたが、律子がある提案をした。

それは亜美と真美、それぞれの部屋に隠れて待ち伏せしよう、というものだ。

普段はおどけていてもやはりまだまだ子供である。

犠牲者が増えて内部犯の疑いも強まってくると、彼女たちは身内以外を信用できなくなり、2人だけで行動したがるようになる。

律子はそこに目をつけた。

2人はいずれ貴音や伊織も拒絶してどちらかの部屋に閉じこもるに違いない、という読みがあった。

ただしどちらの部屋を選ぶかは運任せのため、真美の部屋には律子、亜美の部屋にはプロデューサーが忍び込むことになった。

チャンスは響の遺体が発見された時にやってきた。

とうとう耐えきれなくなった2人は真美の部屋に閉じこもったのだ。

ベッドの下に身を潜めていた律子はさらに待ち続けた。

やがて亜美がトイレに立つと、まず真美を絞殺した。

持っていたナイフを使わなかったのは彼女に声をあげさせないためだ。

その後、トイレから出てきた亜美を刺す。

遺体をベッドに並べたのはせめてもの慰めだった。

「でも本当に大変だったのはその後だよ。スピード勝負だった」

彼は怒涛の展開を思い返した。

残る生存者は5人だが少なくとも雪歩と真の脱落は決まっていた。

「雪歩にも成長性はあったからな。消極的で内向きな性格も少しずつ変わっていった。いずれ大舞台でも尻込みしない胆力は身に付いただろうな。

でもその成長を気長に待っている余裕はないんだ。そういう意味じゃもっと早い段階で脱落しててもおかしくはなかったな」

「ただ真がいますからね。どうにか引き離さないことには実行は難しいですからね」

「真も脱落させるには惜しかった。響に並ぶダンスの才能はあったし女性ファンも多い。それに大体の現場はそつなくこなしてくれるからな。

残念なのはあの一本気なところだ。正々堂々戦うって姿勢はこの業界ではきつい。最後まで仲間を信じようとしてたけど、その甘さもマイナスだ」
237 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 23:12:57.82 ID:+5XilU3f0
そこで彼がとった作戦はこうである。

律子は2階の管理人室に待機させ、隠しておいた春香の遺体を正門の前に置く。

厨房とつながる物置には外に通じるドアがあり、そこから遺体を運び出すことができた。

勝手口のようなものだが外からは分かりにくくなっており、初日に館近辺を捜索した真や亜美がそれに気付くことはなかった。

そして適当な間隔をおいてインターホンを鳴らす。

館内に鳴り響く音に対して反応は様々なハズだ。

怯え恐れるか、助けだと思って飛び出すか、犯人の罠だと警戒するか。

いずれにしても膠着状態を解す呼び水にはなるだろう。

そうして彼女たちに隙ができたところを葬り去るつもりだったが、ちょっとしたトラブルがあった。

千早が律子の部屋を訪れたのだ。

彼女は生存者の最終候補に残っていたが、部屋に招き入れた律子は躊躇いなく扼殺した。

「千早はどうやって突き止めたんだ? 律子が生きていることを分かっていたみたいな口ぶりだったらしいけど?」

「貴音の言葉がヒントになったみたいですね。その後で写真を見返してましたけど……今となっては理由は分かりませんね」

律子は憮然として言った。

「流石に候補に残るだけありましたね。千早の歌に懸ける熱意は他に抽(ぬき)んでています。ストイックな姿勢も好印象でした。

仕事を着実にこなそうとするところからも安定感や安心感がありましたからね。ただ融通の利かない点は致命的な短所です。

彼女の場合はモチベーションを維持するのも難しかったので――」

それらを勘案すると”実行”は妥当だったと振り返る。

「真相に迫ろうとする気概、実際に私にたどり着いた思考力も申し分ありません。が、直後の行動には問題があると言わざるを得ません。

せめて貴音か伊織を説得して同行させるべきでした。単独で危険に飛び込んだ軽率さ、迂闊さは大きなマイナスポイントですよ」

アイドルの仕事は積み重ねだ。

最後の最後で冷静さを欠いた千早にトップアイドルの素質はない――というのが律子の出した結論だった。

「まあ、そのお陰か俺のほうはやりやすくなったよ」

インターホンに明らかな反応を示したのは真だった。

恐怖心はあったハズだが彼女の場合は好奇心や犯人に対する復讐心がそれを上回ったようだ。
238 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 23:19:31.21 ID:+5XilU3f0
「私は千早の後始末に忙しくてその時の様子は見てないんですよ」

「真がひとりでエントランスに向かったのを見て、まずは彼女から仕留めようかと思ったがやめたんだ。

万が一、他の誰かが遅れてやって来たりしたら鉢合わせする可能性があったからな」

「それで雪歩を先に?」

「ああ。真が外に出て春香を引っ張り込んでいる隙に階段の後ろを通って雪歩の部屋に行くことにした。

施錠されていたけどノックをしたら簡単に開けてくれたよ。よほど不安だったんだろうな。外にいるのが真かどうかも確かめずに――」

ドアを開けた雪歩の口を塞ぎ、腹部を刺す。

絶命したのを確認してから彼女をベッドに横たえ、部屋の照明を消しておく。

隅に隠れて真が戻って来るのを待つ。

彼女は真っ先にベッドに横たわる雪歩に近づく。

その背後からあらかじめ用意しておいた工具で殴打すれば完了だ。

凶器を変えたのは自身も暗がりにいたために刺突では狙いが逸れる恐れがあったからだ。

加えて一撃で昏倒させる必要もあった。

相手は真だから思わぬ反撃を受ける可能性もなくはない。

「貴音はどうしたんですか? 様子を見に行くと声をかけた真にも反応しなかったようですけど」

プロデューサーは大息した。

「俺は貴音はどんなことがあっても動じないと思ってた。実際、これだけの犠牲者を目撃しても平静を保っていたからな。

しかし見た目にはそうでも彼女も限界だったらしい。おそらく真の呼びかけを彼女の罠だと疑っていたのだと思う。

呼びかけに応じてドアを開けたら殺されるのではないか――ドアから離れて窓際に立っていた貴音はそんな感じだったよ」

「まあ、それが普通の反応でしょうね……」

「今にして思えばこの貴音の判断がまずかったんだろうな。まさかこんなことになるなんて――」

結果は惨憺たるものであった。

最終的には伊織または貴音のどちらかが生き残り、事務所が全力を挙げてトップアイドルとして育てあげるつもりだった。

しかし伊織を殺害した貴音が自死してしまい、この3日間はまったくの無駄に終わってしまった。

「プロデューサーは最終的には誰を残すつもりだったんですか?」

「貴音だな。あの独特の雰囲気を持ったアイドルは他にいない。競合がいないっていうのは大きな強みだ。

スタイルもいいからモデルなんかもこなせただろう。浮世離れしているようだが常識がないワケじゃない。

弁えがあるから大きなスキャンダルに発展しにくいのもプラスだ。多少、融通が利かないところもあるが瑣末なものだろう」

なるほど、と律子は唸った。

「律子はどうなんだ?」

「私は伊織ですね。堅実性でいえば千早も最後まで候補でした。伊織はアイドルとしての貪欲さがまず評価の対象です。

妥協を許さず、水瀬の名に胡坐をかくこともしません。竜宮小町でもリーダーシップを発揮していましたしね。

それに意図があったとはいえ響を犯人と断じた際の推理力や説得力を見ても怜悧であることは明らかです。

不遜な言動もありますが必要とあれば猫を被る器用さもあります。うまく馭することができれば優秀なアイドルになれたでしょう。そして何より――」

彼女はわざとらしく間を置いた。
239 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 23:26:50.96 ID:+5XilU3f0
「水瀬家とのパイプがあるのが最大の強みです。資金提供、業界への介入――本人は嫌がるでしょうが使えるものは使うべきです」

「なんだ、結局は金じゃないか」

プロデューサーは冗談っぽく笑ったが律子はいたって真面目だった。

「それはそうでしょう。本人の素養だけではトップには立てません。井渫不食や臥竜鳳雛という言葉もあるように支えが必要なんですよ。

恵まれたレッスン環境、優秀なトレーナー、振付師に作曲家……どれもお金がかかります。これらにお金をかければかけるほどトップに近づけるんです」

彼女は断言した。

これは他のプロダクションや所属アイドルを見てきたからこその持論だ。

「ただ、それも叶わなくなりましたけどね――」

律子は拗ねたような調子で言った。

「伊織も最後まで頑張りましたが貴音の反撃に対応できなかったのが惜しいですね」

「相当参ってたようだな。疑心暗鬼だったみたいだが、この業界で生き残るにはそれくらいでちょうどいいんだ」

彼は何度目か分からないため息をつく。

「さて、これからどうしたものか――」

この結末は想定していなかったから、彼は何からどうすればいいか分からなかった。

予定ではめでたく生き残ったひとりに企画の趣旨を打ち明け、3人で本島に戻る手筈だった。

島に何者かが紛れ込み次々と殺傷したようだと口裏を合わせ、世間の同情を得ながらトップアイドルを目指す――。

単純だが概ねこのような筋書きだった。

「社長にはどう報告すればいいんだ? というかアイドルがいなくなったプロダクションってどうなるんだ?」

と、頭を抱える彼に、

「簡単なことですよ」

律子は呆れたように言う。

「――こうすればいいんです!」

言い終わる前に刃は彼の腹に真っ直ぐに刺さっていた。

飽きるほど見てきた血液と臭いとが、じわりと滲み出してくる。

痛みはそれを自覚した時には熱さに変わっていた。

「…………なぜだ?」

こんなことは予定にない。

いい加減、この赤に慣れてきた彼もそれを齎したのが自分だとなると話は変わってくる。

「なぜ――?」

律子は首をかしげた。

「さっき言ってたじゃないですか。アイドルがいなくなったらどうなるんだ、って」

ナイフを引き抜いた彼女はそれを突き出したまま数歩退く。

伊織の二の舞は演じない。

目の前にいるのは何人ものアイドルを仕留めてきた殺人鬼だ。

油断はできない。
240 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 23:33:03.48 ID:+5XilU3f0
「アイドルのいない事務所にプロデューサーは2人も要らないじゃないですか」

「そ、それを言うなら……お前だって……!」

「私だって元はアイドル――多少のブランクはありますが、その気になれば復帰できます。分かりますか? 私にはまだ価値があるんです」

「………………」

「今のは語弊がありましたね。765プロにはもはや私しかいないんです。今回の企画の主旨に沿うならば私こそ合格者ということになりませんか?」

「なにを、勝手な……」

一滴、また一滴と血が流れ出す度に彼の体から力が奪われていく。

「私にはセルフプロデュースができます。でもあなたはただのプロデューサー……事務所にいても邪魔なだけなんですよ」

彼には眼鏡の奥の澄みきっていて淀んだ双眸が悪魔のそれに見えた。

まるで情を感じさせない、理論と理屈と計算だけで自分を切り捨てた彼女に――。

彼は虚しい怒りを覚えた。

「ふざける、な……! 俺は、俺はこれまで事務所の、ために働いてきた……だぞ……! それがどうして…………」

「それはあずささんたちも同じですよ」

律子はさらに距離をとり、構えを解いた。

これだけ離れていれば不意を突かれることもないだろうし、相手もどうにか余喘を保っている状態だ。

かすり傷ひとつ負わせることはできないだろう。

これは油断ではなく分析の結果である。

「な、なら……せめて事務員でもいい……俺を……」

流れ出た血液にはプライドが含まれていたようである。

彼が必死に縋ろうとしているのは生だけでない。

それと同じ程度に業界とのつながりも求めていた。

「事務なら小鳥さんがいるじゃないですか」

彼女は冷淡に事実を述べた。

その瞬間、熱さは寒さに変わった。

どくどくと溢れ出た血液が、外気に冷やされて再び体内に戻って来るような感覚。

「り、りつ……りつこ……」

「はい?」

「頼む……医者を、呼んでくれ……血が…………」

止まらないんだ、という言葉はかすれて聞き取れない。

「なに言ってるんですか。外との連絡は取れないって知ってるでしょう? 明日になれば船が来ますから」

それから病院に行きましょう、と提案する彼女の口調は妙に軽やかだった。

「ま、まて……まって…………!」

踵を返した律子を追おうと彼は一歩踏み出した。

だがバランスを崩して転倒してしまう。

「……りつ…………」

それから彼は二度と立ち上がることはなかった。






241 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 23:39:24.81 ID:+5XilU3f0





 22時15分。

脱力感から律子はベッドに伏した。

とても疲れていた。

たったひとりを殺めるのにも途方もない体力と精神力、なにより覚悟が要る。

そのどれかが欠けていたとは思えない。

屈強な格闘家ならまだしも、相手は自分とそう変わらない――あるいはずっと幼い――女ばかりである。

作業自体は道具を使えば容易い。

たとえ素手でも隙を突き、力を込めれば扼殺はできよう。

選定は苦痛を伴うものだったが事務所のために必要な企画だと確信していたから、その想いが罪悪感を和らげてくれた。

しかし今、である。

伊織か貴音、どちらかが生存していればこの企画にも意味はあったといえる。

惜しくも脱落してしまった者たちの想いを受け継ぎ、揺るぎないトップアイドルとして君臨させる。

それこそが彼女たちへの弔いになると。

(いいえ、ちがうわ……それは後ろめたさから逃げたいからよ――)

彼女は疲れていた。

企画は失敗に終わった。

つまり12人の脱落者はまったくの無駄死にだった。

ただ恐怖させ、惑わせ、疑わせ、そして――。

あとに何も遺さない、たんなる死であった。

「………………」

涕を拭った律子はペンを取った。

トップアイドルを生み出すためなら耐えられた罪悪感は、それが叶わなくなった途端に鎌となって彼女の首を刎ねようとしていた。

だが、その前に――。

ほんの少しの謝罪の時間が必要だ。

冷たく鋭い鎌も、彼女がそれをする暇くらいは与えてくれた。




242 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 23:46:55.37 ID:+5XilU3f0




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 私は取り返しのつかないことをしてしまいました

 全てはトップアイドルを誕生させるため

 そのために未来も才能もある何の罪もない仲間を手にかけました

 この企画で生き延びたたったひとりに事務所の全力を注ぎアイドル界のトップに君臨させる

 私はその主旨に賛同しそして積極的に実行しました

 しかし結果はご存じのとおりです

 私はただ彼女たちを殺めただけでした

 高尚な理念を掲げたところでこれはただの殺りくに変わりありません

 このような罪深い人間に生きている資格などありません

 わたしは自ら命を絶ちます

 もはやトップアイドルの候補はいません

 彼女たちを殺めた者もおりません

 いるのはこの企画を発案したただひとりです

 時間の許すかぎりここで起こったことを書き記します

 それがせめてもの償いになると信じております

 どうかお願いです

 彼女たちを手あつくほうむってあげてください

 そしてわたしとかれらのつみをえいえんにゆるさないでください



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それから書くべきことを書き遺した律子は生を終わらせた。

使用した便箋は全部で20枚に及び、うち18枚はこの島で起こったことを彼女なりに精緻にまとめたものであった。



243 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 23:52:01.98 ID:+5XilU3f0



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読み終えた小鳥はそっと便箋を置くと目元を拭った。

このたった1枚に彼女の苦痛が凝集されているのだと思うと、滂沱として溢れる涙を止めることができない。

「やはり見せるべきではなかったかもしれないな……」

すまなかった、と高木は謝った。

「いえ――」

小鳥も気丈に振る舞うが、上ずった声調は戻せなかった。

「彼らも765プロのためにあんな企画を考えてくれたのだろう。せめて私に相談してくれれば――」

「どうしてこんなことを……?」

「私はアイドルというのはそれぞれの個性を活かしてのびのびとやるのが一番だと思っている。もちろん結果が出れば、の話だがね。

だが彼らはちがった。レッスンや営業の効率化を重視し、より売れるアイドル――トップアイドルの育成に注力していたんだ」

小鳥は首をかしげた。

たしかに両者の方針はちがうが矛盾するような内容でもない。

個性を活かしたレッスンや営業をすれば双方のやり方を同時に満たせるのではないか、と彼女は思った。

その疑問を悟ったように彼は続けた。

「私がアイドル個人を中心に考えているの対し、彼らは事務所の発展を中心に考えていたんだ。事務所のためにアイドルがいる、とね。

プロデュースは彼らに任せていたから極力、口を挟まないようにしていたが……今となっては……」

高木は落魄したふうを装った。

再びお茶を淹れた小鳥が、そっと湯呑みを差し出す。

「どうやら黒井のやり方に感化されたらしい。真のアイドルは孤高である、と。それも考え方のひとつだろう。しかし私が見誤ったのは――」

「社長……?」

「彼らが黒井以上だった、ということだ」

「どういうことですか?」

「黒井のやり方は一言で言えば”勝つためなら何でもやる”だ。競争相手を陥れることも、仲間を欺くことさえもする」

「ひどいですね……」

「だがその方法でさえトップを維持するのは難しい。961プロはたしかに大手だが、実力あるアイドルはどこにでもいる。

だから彼らは黒井のやり方に共感しつつも、それでもなお甘いと考えていたようだね」

そうして館での惨劇が引き起こされたのだ、と彼は言う。

「仲間を欺いて平気で裏切り、極限の状態で知恵を絞りあらゆる手を講じて生き延びた者だけが真のアイドルになる素養を有する――。

天海君たちがあのような目に遭ったのは……この手紙にあるようにその選定に漏れてしまったからなんだ」

「でも、どうして……? プロデューサーさんも律子さんもアイドルのことを一番に考えていたハズなのに?」

「おそらく業績や財務状態を見てのことだろう。我が765プロには多くのアイドルが在籍していたが余裕のある経営ではない。

事務所としての発展を考えた結果、黒井の流儀に靡いたのだろう。費用を抑えて収益を最大化する――ある意味、黒井をも超越した理念と実践だよ」

小鳥は何も言えなかった。

765プロを想って行動した彼らをただ責めることはできない、と彼が付け加えたからだ。

それからどれほどの時間が流れたか。

高木は意を決したように口を開いた。
244 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/18(木) 23:59:41.55 ID:+5XilU3f0
「こんなことを言うのは気が引けるが……音無君。アイドルにならないかね?」

「ええっ!?」

「プロデュースは私がしよう。大丈夫。彼らのような失敗はしないし、黒井のような手法もとらない」

「で、ですが社長……」

「もはや音無君しかいないんだ。最高の環境を用意しよう。どうだね? 引き受けてくれるかな?」

小鳥は即答しない。

しかし渋っているワケではない。

この誘いに乗らなければ765プロにはアイドルはいない――つまりプロダクションとして成り立たなくなる。

彼女はそれをもちろん理解している。

理解しているからこそ安易に引き受けはしない。

「少し考えさせてください」

妙な愛想笑いを浮かべる彼女に、

「ああ、良い返事を期待しているよ」

一仕事終えたように高木はお茶を飲み干した。

「あ、おかわり、淹れてきますね!」

「ああ、すまないね」

湯呑みを下げ、小鳥はそそくさと給湯室へと消える。

「………………」

その背中を見送った彼はポケットから丸めた便箋を取り出した。

「まったく秋月君にも困ったものだ。仕事には守秘義務というものがあるというのに」

灰皿の上にそれを置き、年季の入ったライターで火を着ける。

「最後の一枚にこんなものを書き遺すとは――あやうく私の発案だということが露見するところだったではないか」

パチパチと弾ける音がする度、真っ白だった便箋が黒く染まっていく。

橙色の手が緩やかに伸び、端から内側へと侵食する。

「遺書を装いながら私を道連れにするつもりだったのかね、秋月君……?」

ゆらゆらと。

踊る火の手が勢いを失い、彼は安堵のため息をついた。

その様子を覗き見ていた小鳥は、くすりと笑った。











   終


245 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/22(月) 21:15:47.05 ID:mlv/4o5L0















朗読を終えた高木は極めて嬉しそうな顔である。

柔和な貫禄はすっかり消え失せ、童心に帰ったかのように無邪気な笑顔を隠そうともしなかった。

「どうかね、きみたち? 私が作ったシナリオは?」

自信に満ちた彼の問いかけに比し、反応はいまひとつである。

「何なのよ、この話! 私なんてすっかり悪者じゃない!」

真っ先に抗議したのは伊織だ。

「頭が良いっていうところだけはその通りだけど、私はこんなに怒りっぽくないし無暗やたらに場を乱すようなことも言わないわよ」

失礼しちゃうわね、と口を尖らせる彼女はすっかり鶏冠にきているようだ。

「そうかなあ、まさに伊織って感じだったけどなあ」

「なんですって!?」

とぼけた調子で言う真に彼女は顔を赤くした。

「いいじゃないかね、いおりんや。見せ場もいっぱいあったんだしマンゾクっしょ?」

「亜美たちなんていつの間にかコロコロされてんだよ? やっぱ律っちゃんはお話の中でも鬼軍曹だよ」

「ちょっと!? お話の中でも、ってどういう意味よ?」

思わず声を荒らげた彼女をプロデューサーが宥める。

「うむ……普段のきみたちを見て違和感の無いように書いたつもりだったんだが……」

高木は首をかしげた。

「あの、私なんかが3日目まで生き残っていいんでしょうか……?」

雪歩は不安げだ。

「こんな私なんて1日目でひっそりと穴にでも埋まっていたほうがいいと思いますぅ」

「お、落ち着いてよ、雪歩。ね? 知らないうちに殺されてる私よりずっと良い役だよ!」

焦った春香はよく分からない励まし方で彼女からスコップを取り上げた。

「ミキもナットクいかないの。どうせならもっとキラキラした死に方がいいの。響もそう思うでしょ?」

「キラキラした死に方ってなんだ……? それはともかく自分も納得いかないぞ。カンペキな自分が犯人を追いつめる見せ場がないじゃないか」

「でも響さんもとってもカッコよかったですよ? いつもみんなのことを考えてすごいなー、って思いました!」

「へ……? そ、そう……? ん〜、やよいがそう言うならそうかも……」

美希に同調して不満を露わにした響だったが、やよいの一言であっさりと翻る。
246 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/22(月) 21:20:05.06 ID:mlv/4o5L0
「やっぱり響はちょろいの……」

呆れついでにひとつ欠伸をして貴音を見る。

彼女は声こそ上げないものの釈然としない様子で高木の持っている台本を凝視していた。

「貴音、どうしたの?」

それに気付いた美希が訝しげに声をかける。

「ええ……いえ、瑣末なことです」

「え〜? なんか気になるの。思ってることがあるならちゃんと言ったほうがいいって思うな」

高木と目が合う。

「どうしたんだい、四条君? もしかして私の完璧なシナリオに圧倒されてしまったかな? いや〜、これでも抑えたほうなんだがね。やはりあり余る才――」

「いえ、そうではなく。ただ一点、不服が――」

「な、なにかね?」

「なぜ館での食事にらぁめんがないのですか?」

「………………」

「………………」

「分かった、書き足しておこう」

貴音は笑顔になった。

「しかしどうにも反応が芳しくないな。きみ、どうしてだと思う?」

突然、話を振られたプロデューサーは視線を彷徨わせた。

「あ、えっと……そうですね。皆、社長の書かれたシナリオが素晴らしすぎて、どう反応すればいいか分からないんじゃないですか?」

「きみ、それは本心から言っているのかい?」

彼の眼力はプロデューサーを鷲掴みにした。

「え、ええ……もちろん……!」

曖昧に頷いてから律子に助けを求める。

だが彼女はその視線に気付きながら知らないふりをした。

「そうかそうか! いや〜、私もそうじゃないかと思っていたんだよ。なにしろ我が765プロが総力を挙げて製作する初の映画、

”iDOLM@STER A 765PRO STORY”のために書き上げた渾身の作だからね!」

すっかり得意になった彼は大仰に笑った。
247 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/22(月) 21:29:29.03 ID:mlv/4o5L0
所属するアイドルたちの仕事が軌道に乗ってきたことで、高木はその人気を活かしたプロジェクトを立ち上げた。

先ほど彼が言った映画製作だ。

出演するのはもちろん765プロ所属のアイドルたち。

だがそれだけに留まらず社長、プロデューサー、事務員に至るまで全員が出演する大規模なものだ。

そのため平凡なストーリーではつまらないだろうと高木自らが脚本を手掛けると言い出した。

今日、そのシナリオが遂に完成し、さっそく披露したいと場を設けたのだが……。

「なんで慰安旅行の初日にそんな暗い話を聞かされなきゃならないのよ」

誰もが思っていることを伊織が代表して言った。

それぞれに人気が出始めてファンも増えてくると、これからますます仕事が忙しくなる。

その前にリフレッシュをしよう、と提案した高木とプロデューサー、律子の働きかけでスケジュールを調整。

奇跡的に全員が4日間のオフを確保することができた。

まだ肌寒い時期ということもあり、都市部から遠く離れた山奥の温泉旅館を提案したところ満場一致で行き先が決定。

今日がその一日目。

豪勢な夕餉を堪能したあと、重要な話があるという高木に連れられ、彼女たちはあらかじめ借りてあった離れにある多目的室に集められた。

そしてプロジェクトの発表とともに高木自身によってシナリオが読み上げられた――という次第である。

「暗い話だなんてとんでもない。765プロ総出の映画なのだよ? これ以上にない明るい話じゃないか」

「シナリオのことよ。みんな死んじゃってるじゃない」

「ま、まあまあ、伊織……」

高木の手前、少しは抑えろと律子が窘めた。

「社長、このお話で本当に大丈夫なんですか?」

横で聴いていた小鳥も不安そうに問うた。

この4日間は完全休業と関係各社に連絡済であり、慰安旅行ということで当然彼女も参加していた。

「いやあ、これくらいインパクトのある筋書きでないとね。もちろん、アイドルとしての側面もきっちり魅せるつもりだよ」

「でもこれじゃあ私が黒幕みたいじゃないですか」

「はっはっはっ! それでいいんだよ。一番犯人の可能性が低い者が実は……これこそミステリの王道、醍醐味じゃないかね?」

「あの、社長」

ここで珍しく千早が手を挙げた。

「うん、どうしたんだね、如月君?」

「できればどこかに歌を挿れていただくことはできませんか?」

「ミュージカル調にするということかい?」

「いえ、形式には拘泥りません。ですが歌があったほうがアイドルらしいかと……」
248 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/22(月) 21:38:08.57 ID:mlv/4o5L0
高木は頷いた。

「実は私も考えていたんだよ。練習風景とか回想シーンの要領で挿れられないかとね。いやあ、如月君もこのシナリオを気に入ってくれたみたいで何よりだ」

「いえ、特にそういうワケでは――」

「ち、千早ちゃん!」

春香が慌ててその口を塞いだ。

「さて、こうして発表も済んだことだしそろそろ戻るとしよう。実は予算の都合でこの部屋は2時間しか借りられなくてね」

そろそろ追い出される時分だ、と彼は陽気に笑って言った。

中身はどうあれ765プロが主役の映画となれば話題になることは間違いない。

これがキッカケとなってさらに露出が増え、たくさんの仕事が舞い込んでくるだろう。

高木は既に前祝いの気分になって揚々としている。

「ねえ、ところであずさは?」

伊織が室内を見回して言った。

「そういえば――?」

と律子もはったとして視線を巡らせる。

そう広くない多目的室に全員が集まって高木の朗読を聴いていたハズだが、いつの間にか彼女の姿がなくなっていた。

「お手洗いに立ったのかもしれませんよ」

と小鳥が言うと、それは大変だとプロデューサーと律子がほぼ同時に声を上げた。

「迷子になっているのかもしれないぞ」

「ありえますね、それ……」

捜しに行こうと、2人が室を出ようとしたその時だった。

廊下の向こうから悲鳴が聞こえた。
249 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/22(月) 21:41:47.93 ID:mlv/4o5L0
「な、なんだ!?」

ほどなくして仲居が息を切らして飛び込んでくる。

「765プロ様……! お、おお、お連れの方が……!」

青白い顔をした仲居にただならぬ雰囲気を感じ取った高木たちは、詳しい事情を聞くために彼女とともに外に出ようとする。

だが焦っていたのか、それより先に、

「本館のお手洗いの前で三浦様がお亡くなりに――!」

そう叫ぶものだから全員に聞こえてしまった。

「そんなバカな……!?」

高木は声を荒らげたが、顔つきは落ち着いている。

「いまスタッフが通報を――」

聞けば腹部を包丁で刺されているという。

彼女がそう言ったのはうつ伏せに倒れているあずさの傍に、血に塗れた包丁が落ちていたかららしい。

「えっと……これも冗談、なんですよね……?」

春香が泣きそうな顔でプロデューサーに言う。

彼は答える代わりに高木を見やった。

「な、何かの間違いだろう。私が見てこよう。きみたちはここにいてくれ」

社長らしく落ち着き払った声で言うも、間もなくやってきたスタッフの一言がそれを台無しにした。

「電話が通じません! 電話線を切られたようです! ここは携帯電話も通じませんし、このままでは――」

悪夢は始まったばかりである。











   完

250 : ◆e85MZF7Uug [sage saga]:2019/07/24(水) 21:33:52.16 ID:oR8DtNQq0
 以上で終わりです。
お読みくださりありがとうございました。
251 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/08/13(火) 09:20:26.24 ID:rZPcCpOg0

自分は終盤まで犯人分からんくらい理解力無かったが長くても内容が濃くて面白かった
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