塩見周子「LOVE」

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1 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/08/14(水) 19:22:08.33 ID:mgdU2KIu0
   * * *



 (カランカラン――♪)

「あ、いらっしゃいませー!」


SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1565778128
2 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:23:35.42 ID:mgdU2KIu0
 朝の予報によれば、午後の早い時間帯には関東の平野部で雨が降るらしい。
 だが、近所で昼飯を済ませて事務所に戻る途中、彼女にバッタリ出会い、この店に立ち寄るまでの間、外はまだまだ強い日差しが照りつける青空だった。

 それにしても、この店に来るのも久しぶりだな。
 相変わらず、客の入りはそれほど多くないらしい。


 奥の窓際のテーブルに案内され、二人で席に着く。

 彼女を担当していた頃は、仕事先へ向かう前の時間潰しや、事務所に戻る途中の反省会にもよく利用していた。
 そういえば、速水さんを連れてきたことはまだ無い。
3 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:26:24.68 ID:mgdU2KIu0
 多少手間取ってしまったが、注文をするとウェイトレスの子は元気よく返事をして、マスターの方へと向かっていった。
 今日はそれほど長居できないので、後日改めてくつろぎに来たい所だが――。


 ――――。

 なんだ。
「偶然だね〜」なんて、白々しく無理矢理誘ってきたのはコイツの方なのに、当の本人はなぜかご機嫌斜めらしい。
 頬杖をつきながら、窓の外へムスッと顔を向けている。

「何をむくれてるんだよ」
「べっつにぃ〜〜」

 まったく、年頃の女の子は気まぐれで困る。
 鼻でため息をつき、ポケットからタバコを取り出し、口にくわえたところで、ハッと気づいた。
 灰皿が無い。


 見ると、店内の壁には「全席禁煙」という張り紙がチラホラ掲示されている。

 でたよ。
 近く世界的なスポーツの祭典が東京で行われるとあって、どこもかしこも揃って禁煙ブームときてる。
 ストレス社会に生きるサラリーマンの数少ない嗜好品を奪うそれは、タピオカよりよほどタチが悪い。


 舌打ちしながら視線を戻すと、周子がこちらを見てニヤニヤと笑っていた。

「へへーん、残念でしたー♪ ついこの間から禁煙だよ、ここ」
4 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:27:50.94 ID:mgdU2KIu0
「こんな所で油売ってていいのか」
 タバコをしまい、今度は俺がむくれる番だった。

「二時からやるミーティング、お前も出るんだろ」

 そう言うと、周子は「あぁ」と曖昧な返事を零しながら、椅子の背にもたれ直した。


 まさに今日、我が事務所が最重要戦略として掲げる新規プロジェクトのキックオフミーティングが間もなく予定されている。
 事務所内でも勢いのある精鋭アイドルを五人、クインテットで組ませるという派手な企画であり、当人達とそのプロデューサーも出席するものだ。

 何を隠そう、目の前にいる塩見周子は、今回選ばれた栄えある五人のうちの一人である。
 そして、俺の今の担当アイドル、速水奏も。
 事務所創立以来となるであろう肝入りのプロジェクトであるだけに、俺だって直前の準備は心身共に万全にしておきたい所だったのに。


 少し間を置いて、当の周子はボンヤリと口を開いた。

「まぁ、どんな雰囲気になるんかなぁって、外堀を埋めるっていうかさ、予め探りを入れといた方がいいかなーって」
5 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:29:13.56 ID:mgdU2KIu0
 ――表面上は普段どおりを装ってはいるが、らしくもない、少し不安を覗かせた顔つきだ。
 コイツも、大仕事を前に多少なりナーバスになっているということか。

「殊勝な心掛けだが、お前のプロデューサーに直接聞けばいいだろ」
「そんなつれないこと言わないでさー、Pさん」

 ケラケラと笑いながら、周子はテーブルの上に身を乗り出してきた。

「なんだよ、あの人とはソリが合わないか?」
「そんなんじゃないって、仲良くやってるよ。
 でも、あの人脳筋」

 と言いかけて、慌てて手を振るう。

「いやいや、何ていうか、小癪な真似とか、小手先の腹芸とか苦手そうやん。
 実際、今日のこと聞いても「心配するな! 当たって砕けてみろ!」としか言われんかったし」
「だろうな」
「ね? だからさ、あたしも事前に情報収集して、心の準備したいんよ。
 他の子達のこととか、この企画の裏事情とかさ。
 Pさん、そういうの詳しいでしょ?」

「…………」
6 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:31:17.96 ID:mgdU2KIu0
 周子の言うとおり、俺はチキンだから、何か新しいことを始める時は、できる限り情報を整理してシミュレーションを重ねることが多い。
 周子も、表向きは感覚派を気取ってはいるが、本音の部分ではこうして慎重な面もあるから、何だかんだソリは合ったのだと思う。
 後任のプロデューサーが、彼女のそういう側面を上手く汲んでくれるといいが――。

 まぁ、今さら俺が心配する筋合いのものでもないか。


「今回のプロジェクトの発起人は、城ヶ崎美嘉のプロデューサーだ」

「へぇ、美嘉ちゃんの」
「表向きはな」

 そう言うと、周子が話の調子を合わせるように首を傾げる。
「何、表向きって?」

「俺達の間では、城ヶ崎美嘉のプロデューサーは一番のヤリ手でな。
 実直で熱意もあり、社内での人望も厚い。
 彼を立ち上げの中心人物に据えておけば、従う社員も多いし、スムーズにプロジェクトが進むだろうという上役の考えだ」
「ふーん」

「もちろん、カリスマギャルの実力も折り紙付きだから、彼女を抜擢することも初期段階から決まっていたらしい。
 順当に考えれば、今回のは城ヶ崎美嘉がユニットのリーダーになって、彼女のプロデューサーがプロジェクトを引っ張る形になるだろうな」
7 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:32:19.49 ID:mgdU2KIu0
「美嘉ちゃん、ねぇ」
 手持ち無沙汰そうにコップの中身をスプーンでいじりながら、周子はまた窓の外に視線を投げた。

「あたし、あの子とあまり話したことないんよね。
 すごいストイックなんでしょ? 仲良くできるかなぁ」

「お前なら、誰とでもそれなりに上手くやれるだろ」
「ふーん、大きなお仕事なのに“それなり”でいいんだ?」
「それがお前の良さだと俺は思っている」

 周子は視線を外に向けたまま、「ふふっ」と鼻で笑った。
 見慣れないピアスが、陽の光に当たってキラリと光る。

「お前はちゃんと自分で考えて行動できる子だ。
 それなりで済ませていい部分と、そうじゃない部分の分別も、お前はつけることが出来る」
「Pさん、どうしたん? えらい褒めるね今日」
8 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:34:14.79 ID:mgdU2KIu0
「担当じゃないアイドルには、いくらでも無責任なことを言えるんだよ、プロデューサーってのは」
「言い方きぃつけや。
 ていうか、そういうお調子の良い言葉は、担当の子にこそ言ってあげるべきじゃない?」

 視線を戻し、キャラメルフロートを掬ったスプーンを向けて、ニンマリと周子が笑ってみせる。

「さてはPさん、ちゃんと奏ちゃんにサービスしてあげてないでしょ」

「ところでそのピアス、どうしたんだ?」
「ごまかすなや。でも、よくぞ聞いてくれましたーん♪」

 得意げに耳元をチラチラ見せびらかすと、先ほどからやや目障りな煌めきが一層際だって見えた。

「プレゼントしてもらったんだー、今のあたしのプロデューサーさんに。
 えへへ、いいでしょ。似合う?」
「あぁ、キレイだよ」
「ホント?」
「ちょっとだけ」
「一言余計だっての、こらぁ」

 笑いながらむくれる彼女に、俺も知らず笑みがこぼれる。
9 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:35:01.37 ID:mgdU2KIu0
 彼女は知る由も無いだろうが、周子が付けているピアスには、心当たりがあった。


 先日、彼女のプロデューサーが、

「おい、お前! 周子は一体どんなプレゼントが好きなんだ! お前、知ってるだろ! 教えろ!」

と、俺が事務所の自販機コーナーで携帯を弄っている時、ドカドカ歩いてきて藪から棒に聞いてきたのだ。


 事情を聞いてみると、

「デカいイベントをこなしたご褒美をしてやりたいんだ! 教えろ!」

とのことだった。


 まぁ、年頃の子ですし、ピアスとか、アイツたぶん自分では買わなそうだから喜ぶんじゃないですか、と適当に言ったら、

「そうか!」

と、そのままドカドカ歩いて帰っていったのだった。
10 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:35:38.53 ID:mgdU2KIu0
 俺が茶々を入れてやったことなど、言うつもりは無い。
 だが――。

 なかなかどうして、よく似合っている。
 あの人にしては、センスのあるチョイスだ。


 こんな風に会う度に、周子は変わっていく。
 担当から離れると、俺以外の誰かに彼女を染められていくのだということを、今さらながらに実感させられる。
 周子なら、極端に自分を見失うことは無いと思ってはいるが――。

 ヤキモチ、というべきなのか。
 こうも気に掛かってしまうのは、何だか釈然としない。


「それで、Pさん?」
11 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:37:05.41 ID:mgdU2KIu0
「え?」

 思わず間抜けな返事を返すと、周子は満足げな笑みを浮かべている。

「ほら〜、シューコちゃんがキレイなのはしょうがないけど、いつまでも鼻伸ばしてる場合じゃないでしょ。
 あ、すいませーん」

 思いついたように、通りがかったウェイトレスを彼女は呼び止めた。
「コーヒーゼリー二つくださーい」
「はーい♪」

「おい」
 今日は長居するつもりなんて無いんだ。
 第一、タバコも吸えないんじゃ話にならない。
 ミーティングの時間も近づいてきている。

「だって、まだあたし、表向きの事情しか聞けてないしさ?」


 あぁ――そういうことか。
 コイツもよくよく、いらないことに首を突っ込みたがる。

「裏の事情なんか知ってどうすんだよ」
「知ってから決めようかな」

「そうか」
12 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:38:38.79 ID:mgdU2KIu0
 わざわざアイドルに伝え聞かせるような話ではない。
 まして担当でもない子に――。

 だけどまぁ、いいか。担当じゃないし。
 ここまで来たら、言い訳を考えるのも面倒だ。

 サラサラな責任感をアイスコーヒーで飲み下し、一つ息をついてから仕切り直した。


「大した話じゃないさ。一ノ瀬志希って、いるだろ?」
「おぉ、志希ちゃん。
 そりゃ知ってるよ、一緒に別のユニット組んでるし」

「元はと言えば、あの子のプロデューサーが仕掛け人なんだ、今回の企画は」

 コップを置いて、窓から見える事務所のビルに目を向ける。
 業界内ではそれなりに大手だけあり、立派な社屋だ。
 禁煙ブームに乗っかりさえしなければ。
 何だって喫煙コーナーを閉鎖したんだろう。


「一ノ瀬志希があまりに癖の強い子だったために、その世話に手を焼いた彼女のプロデューサーが、SOSを出した。
 お偉方も集まる懇親会の場で、ユニットの企画を幹部連中に直談判したんだ。
 せっかくのギフテッドなる逸材なのだから、自分一人だけでなく、より多角的な視野でもって彼女のプロデュースを行える体制にするべきだとな」
13 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:40:00.98 ID:mgdU2KIu0
「ほぉー。
 志希ちゃんが問題行動を起こした時の責任の所在を曖昧にしようと、そのプロデューサーさんは上手いことやったわけや」
「そういうことだ」

 周子は相変わらず、こういう感性は実に鋭い。
 まさに一を聞いて十を知るタイプである。
 その要領の良さ故に、俺も随分と楽をさせてもらったものだ。

「助け合いという名の責任逃れ、ねぇ……まるで政治家みたい。あはは」
「実際、アイツのやったこともロビー活動みたいなもんだしな」
「アイツって、その志希ちゃんのプロデューサーさんのこと?」

「正直言って、あまり好きじゃない」

 そこらのプロデューサーよりも、アイツはずっとしたたかだ。
 表向きはヘーコラして無力な後輩を装ってはいるが、周りを上手く利用し、決して自分だけが怪我を負わない立ち回りをアイツは心得ている。


「まぁいいや。
 あともう一人、フレちゃんはどうよ? Pさん的には」
「ん? そうだなぁ」

 ――宮本フレデリカか。
 ついこの間、ラウンジで彼女とそのプロデューサーが随分と楽しそうに談笑していたのを思い出す。

「あまり会ったことが無いから、逆に教えてほしいな」
14 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:41:33.75 ID:mgdU2KIu0
「フレちゃんねー、めっちゃいい子だよ」
「そういうアバウトな情報じゃなくて」
「いや、あたし的にはそうとしか形容できんもん。
 マジ、めっちゃいい子。話せばわかるって」

 何だよその言い草は――ただ。

「一目は置いている。まぁ、注意して見ておくよ」
「あの子のプロデューサーさんもクセがある人なん? やっぱ」
「まぁな」

「見たカンジは気の良いおじいちゃんやけどなぁ、あの人」


 我が社の社員は、基本的に上が抜ければ、その後釜を埋めるようにエスカレーター式に昇格していく仕組みだ。
 一方で、宮本フレデリカのプロデューサーは、ほぼ役員クラスの年齢にも関わらず、未だに俺達みたいな現場レベルのスタッフに身をやつしている。

 おそらくあの人自身の希望なのだろうが、いずれにしろ、社内でも屈指の変人であることには違いない。
 周子の言うとおり、傍目には好々爺然としているが、腹の底では何を考えているやら――。
15 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:43:30.00 ID:mgdU2KIu0
「その人達、あたしのプロデューサーさんとも上手くやれるかな?」
「それはお前が心配することじゃない」
「Pさん的にはどうなん?」
「たぶんやべーと思う」
「あははは」

 長々とくだらない話をしてしまった所で、ちょうど余計なコーヒーゼリーが運ばれてきた。


「それ食ったら帰れよ」
「Pさんのもあたしが食べちゃっていい?」
「デブになったら、お前のプロデューサーが何て言うだろうな」
「それじゃあ、Pさんに無理矢理食べさせられましたーって言うわ」


「あのなぁ」

 俺だって、いい加減に腹を据えかねるぞ。
 タバコを吸えないイライラもあって、だんだんコイツの言動が憎たらしくなってきた。

「何だってそう、俺のことを無闇に巻き込もうとするんだ。
 いいか、もしそんなことをあの人に言ってみろ。
 ドカドカ歩いてきて「おい、お前! 周子に何を食わせた! デブになったらどうするんだ、この野郎!」とか言いながら殴られたっておかしくないんだぞ」
「あはは、そりゃあ笑えないね」

 笑ってんじゃねぇか。
 コップに残ったアイスコーヒーを飲み干し、何とか気分を落ち着かせる。
16 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:45:55.07 ID:mgdU2KIu0
「プロデューサーさん、昔野球やってたんだってね」
「甲子園にも行ったらしいな」
「観客として?」
「お前それ本人に言うなよ、マジでぶん殴られるぞ。
 そんな間違いはあってはならない」

 往時の球界の某番長もかくやという、あのガタイでどつかれようものなら――。
 想像しただけでゾッとする。

「本当に勘弁してくれ。
 あの人、短気で勘違いしやすいから、今日ここで会ってるのだって、浮気とか思われたら大事だぞ」


「……浮気っていうならさ」

 周子はスプーンを置いた。
 コーヒーゼリーはまだ半分ほど残っている。

 健啖家の彼女にしては、自分で頼んだくせにペースが遅い。
 いつだったか、ここでケーキを馬鹿みたいにドカ食いしたこともあったくせに。
 しかも、残ったヤツは全部俺が食わされて――。


「大事な人、忘れてない?
 さっきからPさん、奏ちゃんの話全然してないやん」
17 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:47:20.29 ID:mgdU2KIu0
「…………」

 ギクッ、としてしまった。
 それを見透かしたように、周子は含みを持たせた笑い方をしてみせる。

 注意をしているつもりでも、気がつけばこうして手の上で転がされている。
 いつもコイツのペースだ。

「……そういう流れではなかっただろ」
「あの子は勘が鋭いし、見た目以上に感情豊かやでー?
 あたしとだけこの店に来てるなんて知られたら拗ねちゃうよー?」
「速水さんには余計なこと言うなって」

「その“速水さん”って呼び方もどうなん?」

 ――――?
「あたしには、最初から下の名前で呼び捨てだったくせに」


 言われて気がついた。
 何で俺は、速水さんを名字にさん付けで呼んでいるんだろう?

 というより――。

「お前はあまり“塩見さん”って感じがしなかったんだ」
「しかも“お前”呼ばわりときてる。
 奏ちゃんのは大方“速水さん”でなけりゃ“君”でしょ、どうせ」
「……あぁ」

 何で、周子は最初から“周子”だったんだろうな――。
18 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:48:29.33 ID:mgdU2KIu0
「ちゃんと向き合ってあげなよ。
 奏ちゃんにとって、Pさんは親しくしてほしい人なんだから。
 あたしとみたくラブラブになれーとは言わんけど、たまにでも甘えさせてあげなきゃ」

「何がラブラブだよ……
 あのな、いいか、接し方について言えばお前が特別だっただけだ。それは俺も反省…」
「どうだっていいけど!」

 いつの間にか、周子の表情からは笑みが消えていた。

「だったら奏ちゃんの特別に、Pさんがなってあげなきゃ。奏ちゃんだけの特別に。
 Pさんには、その辺の心構えが足りてないんじゃない?」


「……タバコ吸ってくる」

 席を立ち、周子の呼び止める声を背中で受けながら、店の外に出た。
19 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:49:36.99 ID:mgdU2KIu0
 先ほどよりも太陽は高く上っていて、庇の外に出る勇気は出ない。
 夏が近づいているらしく、ジメジメと嫌な暑さだ。
 雨はまだ降る様子が無い。

 慣れない電子タバコを少し深く吸いすぎて、軽くむせた。


 ――――。

 周子の言わんとすることも、分からなくはない。
 そもそも、あまり的外れなことを言う子ではなかった。


 なぜ、俺は速水さんに対し、距離を置いているのか――。
20 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:51:29.44 ID:mgdU2KIu0
 アイドルとプロデューサーは、邪な関係になってはならない。
 あくまでビジネスライクな間柄であるべきだ。

 適切なタイミングで、効果的なレッスンや仕事を与えて、実力を身につけさせて、人気を得る。
 その地道な積み重ねが、結果的にはアイドルとプロデューサー、お互いの信頼関係の構築に繋がる。

 実際、城ヶ崎美嘉と彼女のプロデューサーが、そうして今のステイタスを獲得してきたのを、俺も見てきた。
 自身を律するあの二人の姿こそ理想像であり、かくあるべしと思った。


 周子に対しては、俺はきっと甘えていたのだ。
 居心地の良い無遠慮な距離感で、不出来な俺が適当な環境を与えても、彼女は事も無げに上手にこなしてしまう。
 それでいいのだと――。

 でも、それは彼女が有能だったから上手くいっていただけで、そんなのは健全なプロデュースとは言えない。
 担当であるなら、俺が責任感を強く持ち、アイドルをしっかり導いていかなくては。


 ――言い訳がましい、とか言われそうだな。
 タバコタイム中に整理した、今のこの気持ちを周子に言ったら。

 でも、きっとそう思う。
 両者の間にあるのは、決して燃えるような恋じゃなく、ときめきでもない。
 距離感は必要なんだ。友達や恋人同士を気取ってやれる仕事じゃないのだから。


 ――――。

 だがそれは――周子にしたプロデュースを否定することになるのか?
21 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:54:04.82 ID:mgdU2KIu0
「…………」

 携帯を取り出し、着信の有無を確認する。

 今頃、一人で事務室で待っているであろう速水さんからは、何の連絡も来ていない。
 余計な連絡は、する必要が無いからだ。
 そういう関係だ。

 今の俺のスタンスは、周子を担当していた当時の俺のプロデュースを――。
 それによりもたらされた自身の成功体験を否定されるに等しいと、周子は考えている。
 確かに、お前の教育は失敗だったと、親や先生から言われたとしたらそりゃ怒るよな。


 でもなぁ――。
 速水さん、何か怖いんだよなぁ。
 あんまり美人すぎると緊張するというか、アレでまだ高校生だからなおのこと扱い難しいし。
 周子の言うとおり、かなり勘が鋭いから、何かのきっかけで突然怒られそうな――。
 その辺、ほんと周子は楽だったというか――。

 ていうか、ちょっと待て。
 言うほど俺は周子とベタベタだったか?
 全然そんなんじゃなかったよな。第一、ラブラブな関係というのは――。


 ――一人で何ぶつぶつ言ってんだ俺。
 あっつ。いい加減戻るか。
22 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:55:28.93 ID:mgdU2KIu0
「……おわっ」

 テーブルに戻ると、周子がサッと携帯をポケットにしまうのが見えた。

 俺の分のコーヒーゼリーは、傍目には健在だ。
 良からぬものが盛られている可能性は高い。


「上手い言い訳は思いついたん?」

「その前に、聞いておきたいことがある」
 椅子に座り、周子の目を真っ直ぐに見つめる。
 ニヤニヤ顔がほんの少したじろいだ。


「お前は、俺と組めて良かったか?」


「は?」
 周子があんぐりと口を開け、目をパチクリとさせた。

 分かる。
 いきなり何言ってんだコイツ、ってなるのはしょうがない。


「すまないが、真面目な質問だ」

「…………」
23 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:56:38.91 ID:mgdU2KIu0
 こんなことを大真面目に当人に聞くのは、本当は死ぬほど恥ずかしい。

 大体、肯定してもらえた所で素直に喜べるかどうかも分からない。
 空気を読んで無理に言わせたのではないかと、疑心暗鬼になるかも知れない。
 面と向かって否定されたら、それこそヘコむだろう。


 周子は俯き、しばらく黙り込んだあと、ぷくくっと笑った。

「……アホやなぁ」
「何?」

 店の外でシミュレーションを重ね想像していたどのケースとも違う返答をする周子の表情は、どこまでも柔らかくて、いじらしい。


「Pさん自身が、そこに自信持てなくてどうすんのさ」
24 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:57:58.33 ID:mgdU2KIu0
 ――――。

「……俺自身が、か」

「まっ、お陰様でこれからやるミーティングもユニット企画も、楽しくなりそうやなーって確信できたからいいけどね」 
「どういう意味だよ」
「言葉どおりの意味ですけどー?」


 ――まったく。

 やっぱりムカつくなお前。
 いつも人のことをおちょくって、自分のペースで振り回して――だけど、楽しくて。


 コイツほど、口さえ無ければと思った女の子はいない。
 誰もが振り向くようなそのスタイルで、観客を虜にする正統派アイドルの道を歩ませる未来もあっただろう。

 俺が伸び伸び育てたおかげで、差し詰めコイツの将来はバラドル一直線だ。
 ざまぁない。
25 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 19:59:46.99 ID:mgdU2KIu0
「……まぁ、いい。
 コーヒーゼリー、食わないのか? いいぞ、俺のも食って」
「なんか、お腹いっぱいになっちゃって」
「そうか」

 俺は、自分のコーヒーゼリーを口の中に掻き込んだ。
 この際、たとえ毒を盛られていようが構うものか。

「うひょー、お兄さんいい食いっぷりやねー♪」
「出るぞ。いい加減、そろそろ時間だ」
「はいはい」

 素直に従い、立ち上がる。
 速水さんのことで、焚きつけてきたのはコイツの方なのに、あまりガツガツ追求してこない辺り、コイツは間合いの取り方が憎らしいほど上手い。


「ところで、聞いてこないのか? 俺の言い訳」

 店を出て、それとなく俺が尋ねても、周子は肩をすくめるだけだった。

「Pさん的に気持ちの整理がついたんなら、それでいいんじゃない?
 あたしはもう、Pさんの担当アイドルじゃないんだしさ」

 ニコリと笑い、事務所へ向かって先に歩き出していく彼女の背を見つめる。


 ――ひょっとして、そのために俺を誘ったのか?

 大事なミーティングを前に、煮え切らない俺に、担当アイドルに対する気持ちの整理をつけさせるために――。


「……それもそうだな」
26 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 20:01:20.15 ID:mgdU2KIu0
 最近の天気予報は、データの統計量が昔より膨大かつ緻密になり、モデルの精度も向上したこともあって、昔ほど大きく外れることは無くなったという。
 それにつけても、今日の予報は珍しく大ハズレだったようで、ムカつく日差しを無限に浴びせかける青空には、今なお真っ白な雲が二、三個浮かんでいるだけだ。

 ミーティング前に情報収集をしたいだと?
 コイツめ、涼しい顔してよくもいけしゃあしゃあと――。

 目の前を意気揚々と歩く彼女は、今日の天気予報よりもずっと嘘つきで、本当に俺の手には負えない存在なのだなと改めて思う。
 担当を外させてもらって良かったよ。


「なぁ、周子」
「ん?」

 足を止め、クルリと彼女が振りかける。
 先ほどまでは小憎らしいと勝手に思っていたピアスが、少し柔らかく光るのが見えた。

「お前、先に帰れよ。一緒に戻ると変な噂されそうだ」
「言われなくてもそうするよ。って……」

 口元に悪戯っぽく手を当てて、ニヤニヤと笑い出す。
「何だよ」

「んーや、いかにもお忍びデートの偽装工作みたいやなーって」

「ば……お前、いいからさっさと帰れ!」
「はーい♪ ……あ、Pさん」

 歩き出そうとした所で、ふと思い出したように止めて、また周子は振り返った。


「今日は、ありがとね」
27 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 20:04:57.78 ID:mgdU2KIu0
「……次からは電話にしてくれないか」

 俺の方こそ、今日は周子に感謝をしなければならなかった。
 速水さんに対し、担当としての心構えをつけさせてくれた彼女に。

 こういう時、素直な「ありがとう」を咄嗟に言えない辺り、俺もまだまだなっていない。

「えー? だってPさん電話に出らんもん」
「夜中でもいいよ。遠慮はいらない」
「へぇー、あっそ。
 言質取ったし、ほんなら昼間でも夜中でもバンバンかけたるわ」
「そこは時々にしとけよ」

「あはは、アホ」
 悪戯っぽく手を振りながら、周子は楽しそうに笑った。


「愛しの奏ちゃんからの電話に出られんくなるからやめろ、くらい言ってや。
 じゃ、また後でねー♪」

 振り返り、弾むように軽い足取りで、かつての担当が俺のもとを離れていく。


 ――アイツ、何があんなに楽しいんだか。
 そう思っていた時、携帯が鳴った。
28 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 20:06:05.00 ID:mgdU2KIu0
 誰だ?
 ――は、速水さんだ。

 え、何で――?


「……もしもし」
『ふふ、プロデューサー?』

 電話越しの速水さんの声は、今まで聞いた記憶が無いほど楽しげだった。
 何なのだ、さっきの周子といい――。


『そろそろ時間よ。どこで油を売っているの?』
「あぁ……すまない。すぐに行くよ」

『急いで来てほしいけれど、忘れ物もしないようにしてね。
 特に』

 含みを持たせるような間の後、およそ女子高生とは思えない妖艶な声が耳の奥に響いた。


『私だけの特別になってくれる心構えだけは、ちゃんとね』
29 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 20:07:51.77 ID:mgdU2KIu0
 ――あー、なるほど。

 これは勘が鋭いのとは違うな。
 さてはコイツら、グルになって俺をからかってんのか。

 周子と同様、この子もよくよく手に負えない存在なのだと、改めて痛感させられる。
 一ノ瀬志希のプロデューサーよろしく、お偉方へのロビー活動を行うべきは俺の方だったのかも知れない。

 けれど――。


 携帯を耳に当てながら、空を見上げる。
 調子の良い周子のあの笑顔が、嘘つきの青空の中に、鮮やかに映って見えた。


「もちろんだ。一緒に頑張ろうな……奏」

 まったく――。
 中学生じゃあるまいし、女の子の呼び方一つ変えるのに何をこんなに緊張する必要があるんだ。
 情けない。


 少しの間を置いて、小さく笑う声の後、

『うん』
という短い、素直な返事が返ってきた。
30 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 20:10:50.46 ID:mgdU2KIu0
 距離感は必要だ。
 でも、担当アイドルと向き合い、好きになっていかないことには、プロデュースは始まらない。

 俺が考えるべきは、それくらいシンプルなことだったのかも知れない。
 そう、今の俺は速水さ――もとい奏の担当だ。
 彼女の魅力を一番に見出してやれるのは俺なんだ。

 それを周子は気づかせてくれた。

 ――やっぱり邪なのかな。
 何だかんだ言っても手に負えない、かけがえのない人――。
 奏だけでなく、今日のように俺を頼ってくれるのなら、いつまでもそんなお前だけの特別でいたいと思うのは。


 アイドルとプロデューサー、両者の間にあるのは燃えるような恋じゃなく、ときめきでもない。
 でも、いいじゃないか。
 それもまた一つのラブ、ってことにしておこう。

 携帯をしまい、青空に映る邪魔者をしっしと追い払って、俺は愛しの担当アイドルが待つ事務所への道を急いだ。
31 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 20:12:17.87 ID:mgdU2KIu0
   * * *



 (カランカラン――♪)

「あ、いらっしゃいませー!」
32 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2019/08/14(水) 20:13:48.86 ID:mgdU2KIu0
 えへへ、このドアのカランカランって音好き。


 お店に入ると、馴染みの店員さんがあたしらを出迎えた。

 あっ、薬指に指輪つけてる!
 可愛いし、彼氏さんできたのかな?
 それとも、ナンパしてくる男連中への牽制かな。


「二人なんですが」
「二名様ですねー、こちらのお席へどうぞー♪」

 あはは、どうやら気づいてないねーPさん。
 いつもなら、このタイミングで「おタバコは吸われますか?」って聞かれたのに。

 ふふっ、張り紙も結構あるけど、いつ気がつくんかな?
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