双葉杏「透明のプリズム」

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1 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 01:57:54.96 ID:OJA0wgUK0



デレマスのSSです




SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1566061074
2 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 01:59:18.42 ID:OJA0wgUK0



晴れの日の空は青色、夕方の空は赤。では緑色の空はどこで見ることが出来るだろうか?


これは私が十七歳の頃――すなわち二年前だ――プロデューサーが私に出したなぞなぞだ。
その日は確か、私はCMを撮りにスタジオに来ていた。
撮影を難なく終わらせ、監督に適当に媚を売って、事務所へと戻る、その帰りの車の中でのことだった。
正確な時間は忘れてしまったけれど、スタジオを出る頃にはすっかり日が暮れてしまっていたのを覚えている。


「そういえば、こんななぞなぞがあるんだ」


話の流れも何もないタイミングだった。
普段通りの私ならば、なぞなぞごときに耳を貸すこともなかっただろう。
けれども、十五分間をいたずらに後部座席で過ごしていたそのときの私は、あまりに暇を持て余していた。
暇を持て余していたから、興味のある風に返事をした。
私が乗り気になったのが嬉しいのか、プロデューサーはかすかに上ずった調子で声を弾ませた。


3 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:00:26.07 ID:OJA0wgUK0



『緑色の空はどこにある?』


私は考え込む。
なぞなぞと言うぐらいなんだから単純な言葉遊びかな、と思って、空とか緑とかの言葉を頭の中でくっつけてみたりしたけれど、それらしい答えは浮かんでこない。
方向性を変えて、緑色の空を想像してみる。
緑色の空の街――一本の道路がビルの大森林の間を貫いていて、車が次から次へと道路を通り過ぎていく。
そんなどこにでもあるような光景の真上に広がる、メロンソーダのような色をした空……。

息の詰まるような雰囲気だな、と感じた。
まるで上から誰かに抑えつけられているような、いくら重力に逆らって泳いでみても酸素を得られない水中にいるような感覚だった。
単なる想像にもかかわらず、私は気分が悪くなって、緑色の空というものについて考えるのをやめた。


「わからないよ、降参」


左手をひらひらと動かす。
運転席からは、「考える時間が短すぎる」だの、「もっとちゃんと考えてよ」だの、そういった類の愚痴が聞こえてきた。
めんどくさいの一言で一蹴すると、プロデューサーは口ごもった。
――窓の外を見上げると、街は一点の濁りもない純粋な闇に包まれていて、その黒さが私を安心させた。


4 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:01:20.85 ID:OJA0wgUK0


「ねぇ、ヒント頂戴」


断続的に響く車の振動は苦痛なものだった。
私は左のポケットに、撮影前にプロデューサーから貰った飴玉が入っているのを思い出した。
薄暗い車の中で、包みに書かれた文字を読もうとする。
何味かをちゃんと確認してから飴を舐めるのが礼儀ってもんでしょ。


「そうだなぁ……日本にあるよ」


どうやらイチゴ味らしい飴は、私の無意識下で舌の上をころころと転がる。
緑色の空は、なんと日本にあるらしい。
私は記憶をあれこれ探ってみるが、日本のどこかで空が緑色になるというのは聞いたことがない。


「本当にわからないんだけど」

「そうか」

「そうか、って何さ。ねえ、答え教えてよ」


プロデューサーは答えなかった。
私は焦らされていたのだ。
教えないという選択肢を取ることで優越感に浸られるのは、癪だった。

ふうん、そんなことするんだ。
私は精一杯の拗ねた演技を見せる。こういうときに、アイドルとして培ってきた演技の技術は役に立つ。

プロデューサーは慌てて、いや、教えないこともないんだけど、と弁解した。
左頬を掻いて、言葉を選んで、
「ほら、もうちょっとさ、考えてみてよ。一週間考えてみて、それでも答えが思いつかなかったら、答えを教えてあげるよ」と続けた。

後部座席の私は、すぐに折れるのもそれはそれで癪だと思って、もう少しだけ緑色の空というものに思いを馳せてみた。
しかし目ぼしいアイデアが浮かばないまま、そのうち車は事務所へと到着したので、その日はもう、緑色の空について考えることはなかった。

5 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:02:03.86 ID:OJA0wgUK0


だから、その日の一週間後にプロデューサーが答えを教えてくれるはずだった。
……こう言うということはつまり、プロデューサーは一週間が経過しても答えを教えてくれなかった、ということだ。
誤解が生まれそうなので先に弁解しておくと、プロデューサーがただ単にこの日のことを忘れていたわけではない。
いや、ただ単に忘れていただけなのかもしれないけれど、忘れていたにしても、ちょっとした事情があるから仕方がない、ということだ。

だってこの翌日――プロデューサーが緑色の空について話した翌日から、私はプロデューサーの担当を外れることが決まったんだから。

その日は何の変哲もないはずの月曜日だった。春休みでやることもなく家でだらだらしていると、プロデューサーから連絡があった。
今の部署から外れて、新設予定の部署へと移る要請があったこと、それに伴って私の担当を外れることになったこと、別の人が私の担当に就くこと。
画面に映る文字の羅列は、ただひたすらに文字の羅列としてのみ私の視界に入り込んできた。
私の身体は布団に入ったまますっかり硬直して、急激に早まった心臓の音が、他人事のように鼓膜を震わせていた。

小一時間部屋で固まってから、私は無言で立ち上がった。
頬を叩いてみても、少し部屋を歩き回ってみても、はっきりとした意識と五感が、これ以上ないぐらいにここが現実であるという現実を私に突き付けていた。
ただ頭が空回りするばかりで、素直な感情表現が出来ない自分に嫌気が差したのを覚えている。

6 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:02:47.58 ID:OJA0wgUK0


数時間経って、仕事終わりらしいプロデューサーからメールがあった。


『色々と話すことがあるから、一度どこかで会おう』


プロデューサーからメールを受信したことに気付いた瞬間の私は、実は嘘でした、とか、勘違いだった、とか、そういう内容を期待していた。
そんなことがあるはずない、と口では呟きながらも、内心ではそんな安っぽい展開、安易な逆転劇が起こることを信じていた。
勝手に期待して勝手に失望する。そんな自分が滑稽に思えた。


『明日』


一言だけのメールをプロデューサーに送る。
その日の私は、その二文字をプロデューサーに伝えるだけで精いっぱいだった。

布団にうつ伏せに倒れ伏して、色んなことを考えた――明日のこと、これからのアイドルの活動について。
昨日のこと、昨日よりずっと前のこと。
新しい担当プロデューサーの人のこと、今の、「元」担当プロデューサーのこと。

――別に私もプロデューサーも死ぬわけじゃないし。
でも、もう駄々をこねたり、飴玉を貰ったりすることも出来ないのかも。

その日の私は結局、夜がすっかり更けきるまで、半ば眠ったように起き続けていた。

7 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:03:18.21 ID:OJA0wgUK0


目覚めは最悪だった。
4時間ほどしか寝ていないうえに、中途半端なタイミングで一度起きてしまって、そこから先は眠ろうにも空腹で眠れない。
そういえば昨日の昼から何にも食べていなかったことを思い出した。
捻じれるように痛む頭を働かせ、昨日のことに思いを巡らせる。

携帯電話の受信履歴を見て、昨日のことが嘘ではないことを確かめた。
文字列は昨日と一字一句違わない。
……茫然自失のままに『明日』と送信したけれど、具体的な日時や場所を伝えていなかった。
何ならそもそも考えていなかった。

時計は朝の8時を示していた。
この時間なら、今から家を出れば事務所にプロデューサーがいるだろうと考え、家を出る準備をすることにした。

8 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:03:58.10 ID:OJA0wgUK0


「まぁ、座って」


プロデューサーの様子は普段と変わりがなかった。
この四角形の部屋も、間取りや向きは私の記憶と寸分違わない。
異なるところを挙げるとすれば、棚のぶ厚いファイル群が外に運び出されていることや、とにかく大量のもので混沌としていたプロデューサーのデスクが、新品同然に片付いていること。
そんな何気ない現実が、私の心から熱を引き抜いていった。


「いつからなの」


私は平静を装って、俯いて言葉を切り出した。
――私はプロデューサーに動揺を悟られまいと、必死に立ち回った。
この期に及んで演技で場をやり過ごそうとすることは馬鹿らしいことだと思うかもしれない。今の私もそう思う。
それでも当時の私は、プロデューサーに頭の中を覗かれるのを、何よりも恐れていた。


「えっと、俺もよく分かってないんだけど――」


プロデューサーは手元の資料を参照しながら答える。
正式に担当が変わるのは明日からだけど、プロデューサーは三日ほど引継ぎとして私について回るらしい。


「ずいぶん急だね」

「俺も突然のことで混乱してるけど」


プロデューサーは情けなさそうに笑って、困ったように頭を掻いた。
それからプロデューサーは、相変わらず資料に目を落としたまま、書いてある事項を棒読みで私に伝達する。
眠気やら動揺やらのせいで、私の脳はプロデューサーの声を雑音程度にしか受け付けなかった。
プロデューサーも私が真面目に聞いていないことに気付いているのか、はたまた機械的な伝達に意味を見出していないのか、最後の方を適当にはぐらかしていた。

9 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:04:29.59 ID:OJA0wgUK0


「新しい人って、明日から来るの?」

「そうだね」


資料の伝達が終わったので、私はもう帰るなりすれば良かった。
それでも私は、プロデューサーに何気ない質問を投げかけた。
プロデューサーも律義に質問に答える。
そうやって永遠に質疑応答を繰り返すことが出来れば良かったのに、と本気で思っていた。


新しい人ってどんな人なの。
俺より若いよ。
そもそもプロデューサーいくつだっけ。
25くらいだな。
くらいって何さ。
あんまり覚えてないんだよ。
そういうものなの?
そういうものだよ。


私たちは無意味な日常会話を繰り返した。
その無意味な日常会話が、日常会話の無意味さが、何よりも意味を持っていることも分かっていた。

最後に、こんな質問をした。


「プロデューサーの新しい部署って、どこにあるの」

「一階下の、エレベーターを降りて右の部屋」


何でそんなこと聞くの、と生意気なことを言うので、別になんだっていいじゃん、と突き放すように答えておいた。

10 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:04:59.09 ID:OJA0wgUK0



結局のところ、当時の私が不安視していたほど、担当替えという行事は怖いものではなかった。
新たに私の担当となったプロデューサーとはすぐに良好な関係を築けたし、仕事の質や量は担当替えの前とさして変わらなかった。
私は単純に、担当プロデューサーが変わることよりも、永遠に続くと思っていた毎日に歪みが生じるのを恐れていただけだったんだと思う。


そしてここまでが、話の前日談だ。
私とプロデューサーと緑色の空にまつわる話は、ここから始まる。


11 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:06:38.36 ID:OJA0wgUK0







「双葉さん」


後部座席で舟を漕いでいた私は、新しいプロデューサーの声で意識を覚醒させた。
眠気のもたらした涙が視界をぼやけさせていて、目に映る物体の輪郭ははっきりとしない。
目を擦って視界を確かめる。
新しいプロデューサーが運転席から身をわざわざ乗り出して私を見ていた。

背伸びをして、大きな欠伸をする。
品も何もない私の欠伸を、彼は黙って、ともすれば不安が読み取れるような表情で、そっと窺っていた。


「お疲れですか」

「そりゃね」


不貞腐れたような声を出す。
担当替えが行われてから二週間が経過したが、仕事の量は以前とほとんど変わりがない。
担当プロデューサーが変わったんだし、仕事の量もレッスンの回数も少しは減らしてくれるだろう、といった目論見は外れてしまった。

とはいえ彼は、仕事とレッスンに埋もれる私をいくらか、というよりかなり心配しているらしく、実際に行動の節々に私への気遣いが表れていた。
厳しく扱われているのか甘やかされているのか。私には判断がつかなかった。
――冗談じゃなく死ぬほどのレッスンを課されたかと思えば、明らかに過剰なまでの気遣いをされる。
そんな風な彼のどっちつかずな行動は、時として私をどぎまぎさせることもあった。
今思えば、彼は不器用だったのだろう。


「この後私は所用があるので、申し訳ありませんが事務所待機でお願いします」

「おっけー」

12 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:07:11.79 ID:OJA0wgUK0


夜7時の事務所にはひんやりと冷気が漂っていた。
そもそもこんな時間まで残っているようなのは私ぐらいのもので、他の子たちは出払っているし、社員の人ですら多くが勤務を終え会社を後にしている。


『一階下の、エレベーターを降りて右の部屋』


エレベーターを待っているとき、ふと思い出した。
乗り込んでから、一階下の階――七階だ――のボタンを押すことを考えた。
でもその日の私には、7の数字を押す勇気はなかった。
そわそわとエレベーターの中で立ち往生しているうちに、社員らしき人が乗り込んできたので、慌てて8のボタンを押した。
その人は私がエレベーターを止めてくれていたと思ったらしく、ありがとうね、と言っていた。

13 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:08:20.78 ID:OJA0wgUK0








「双葉さん」


後部座席でスマートフォンを弄っていた私は、新しいプロデューサーの声で、事務所に辿り着いたことに気付いた。
時計は20時を過ぎたあたりを示していた。
もうそんな時間なの、と呟くと、もうそんな時間です、と鸚鵡返しの返答が聞こえてきた。
独り言に返答をされるのは気恥ずかしい。
――車のドアを開けると、地下駐車場のコンクリートの凝縮した香りが鼻を突いた。


「お疲れ様です」

「まったくだよ」


むくれたような返事をする。彼からすれば、私はいつも懲りずに拗ねているように見えたことだろう。
でもそうやって拗ねるように見せているのは、彼を困らせたかったからではない。
私はきっと、そういうキャラクターを演じたかっただけなんだと思う。
双葉杏というキャラクターは、色々と生きやすい。


「双葉さん」

「何さ」

「今日も別の用事があるので、事務所でお待ちいただけますか」

「ああ、うん」


世の中のどっちを向いてもつまらなさそうに拗ねているような体を装っている一方で、当時の私はあくまで従順だった。
仕事にもレッスンにも決して好意的ではないが、やれと言われればやる。
それが双葉杏だった。

14 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:08:58.31 ID:OJA0wgUK0


「双葉さん」

「何?」

「何か、欲しいものはありますか」

「……藪から棒にどうしたの? ……欲しいもの、かぁ」

「出来れば、休み以外でお願いします」


休み、と答えようとした矢先に、先回りされてしまった。
色々と欲しいものを頭に巡らせる。
そりゃ、お金だとか不労所得とか安定した生活だとか、欲しいものは色々ある。
けれども、質問の意図はおそらくそういうことじゃない。
これはきっと、環境の話だ。
例えば、部屋に本棚が欲しいとか、ソファーにクッションが欲しいとか、そういう類の質問だ。


「そうだなー……」


そして、私が欲しい環境は、もっと独善的なものだ。


「飴、かな」

「飴ですか」

「なんで意外そうにしてるの」


彼は大きく目を見張っていた。
彼のそんな顔を見るのはこれが初めてだった。
そして、彼がそんなに分かりやすく驚く理由も掴めなかった。
――アイドル双葉杏が飴玉を好物としているのは、周知の事実だったからだ。

15 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:09:24.68 ID:OJA0wgUK0


「いや、ずっとキャラを作ってるものだと思ってたから」


彼は驚きのあまり、丁寧語というオブラートを取り外したようだった。
曰く、担当になってから2週間が経過しても「飴くれ」のあの字も言わないし、飴玉を頬張っているのを見ることもないから、飴が好きというのは戦略的なキャラ付けだと思い込んでいた、とのことだった。
――私が飴をここしばらくの間口にしていなかったのは、飴をくれる人もいなかったし、ものぐさな私は飴を自分で買いに行く選択をしなかったから、というだけだ。


「飴は好きだけど、わざわざ人に向かって言わないでしょ」

「飴、やっぱり好きなんですね」

「……それさ、丁寧語は止めた方がいいよ。変に壁作っちゃうし」


私の言葉に説得されたかどうかは怪しいけれど、それ以来、彼は丁寧口調で話すのをやめるようになった。
無理して丁寧語使っても胡散臭いよ、と正直に思ったことを口にすると、彼は、そんな風に思われてたのか、と脱力するように呟いた。
あまりに情けなく聞こえて、思わず吹き出してしまったのを覚えている。

16 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:10:04.51 ID:OJA0wgUK0







次の日から、彼は飴玉を持ち歩くようになった。
一口に飴玉といっても種類は豊富で、爽やかな柑橘系、メロンやイチゴなどの主要な果物類、ソーダやコーラといったドリンクの味を再現したもの、黒糖やミルク、梅やハッカに至るまで、幅広い味の飴玉を、まるで毒見役であるかのように消化させられた。

彼は私の好みの味の飴を探し当てようとしていたんだと思う。
でも私は、特定の味に価値を見出しているのではなく、色々なバリエーションの味を楽しめることこそが飴玉の素晴らしいところだと考えていた。


私にどんな飴玉を与えても、私は「美味しい」しか言わないので、彼は随分と骨を折っていたように思う。
後々になってこの話――私の飴の好みの話――をすると、随分と溜飲を下げたようで、「盲点だった」「その可能性は考慮してなかった」としきりに頷いていた。


次に話が動くのは、彼が飴玉を携帯するようになって一週間ほどが経過した頃だ。
新しいプロデューサーの持ってくる飴の味は、不規則的に変化する。
ボーカルレッスンの前後はのど飴であることが多かったが、それ以外の場合には、飴の味をある程度でも予測するのは難しいことだった。
そんな中、飴の味について思いを巡らせることが、私の日々の楽しみのひとつになっていた。
日常に不確定要素が存在するというのは想像以上に楽しいものなのである。

17 : ◆YF8GfXUcn3pJ [saga]:2019/08/18(日) 02:11:14.95 ID:OJA0wgUK0


その日の仕事はラジオの収録のみで、午後には事務所から帰宅できるとのことだった。
ラジオの収録のみとは言うけれど、宣伝を念頭に入れてのトークは精神力を使うものなのである。
――宣伝というのは私のCDの宣伝だ。
この頃はCDの収録や宣伝でスケジュール帳が真っ黒になっていて、アイドル辞めてやろうかと真剣に考えた覚えすらある。

しかし、貴重な休みを手に入れたところで、あくまで私は私だ。
この日の午後は目いっぱい家でだらだらしよう、と決意した。
出来るだけ早く家に送ってもらうよう懇願し、私は悲願の午後休を手に入れたのである。

ラジオの収録スタジオから事務所へと車に揺られる。
新しいプロデューサーは今日も私に飴をくれた。

それはメロンソーダ味の飴だった。
口に放り込んで、舌の上で転がす。
炭酸の弾けるような刺激は、不思議と苦痛じゃない。
メロンソーダの爽やかな香りが鼻を通り抜け、砂糖の甘味が私の頭を支配する。
……今日の飴も美味しい。
パッケージに描かれたメロンソーダを見る。


――よく思い出せたものだ、と思う。
私はしばらく記憶の奥底で眠っていた、緑色の空のことを思い出していた。
すっかり忘れていた。
裏を返せば、私はそれだけ忙しかったのだ。

プロデューサーがあのなぞなぞを私に出してから、一ヶ月が経過した計算になる。
時間的にも質的にも、当時の生活と今の生活は遠く離れている。
――ずっと、プロデューサーが私を担当し続ける。
そんな青写真を当然のものとして心に仕舞い込んでいた一ヶ月前の私と、現実を知った私。
二人の双葉杏は、あまりに隔たっていた。


「あのさ」


バックミラー越しに彼と目が合う。
彼の眼は驚きを湛えていた。
思えば、私から話しかけることは少なかったから、彼が驚くのも無理からぬことだった。
車はちょうど赤信号に捕まって、ゆるやかな減速の後に停止した。

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