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双葉杏「透明のプリズム」
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68 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:47:52.15 ID:OJA0wgUK0
――やっぱり彼の行動は、全て独善に起因していたんじゃないだろうか?
急に頭の先を糸で引っ張られるような、そんな感覚を覚えた。
やっと腑に落ちた。
私は彼の言葉の背後に潜む独善を見抜けなかったのだ。
それは間違いない。
――でも、それは何故だ?
隠れていた?
違う。
隠されていたんだ。
悪夢から覚めたときのように、私は突然上半身を起こす。
あまりの衝撃だった。
プロデューサーは、言葉の背後に独善を隠していた。
それは決して過失じゃない。
故意だ。
独善を偽りの言葉で隠匿して、私を騙したんだ。
それは、何だ?
大人がよく使う、あれだ。
人類の英知が生み出した、便利なシステムを指す、あの言葉だ。
言葉にすれば、その事実は確かな質量を得て、私に圧し掛かってくる。
私は嘘を吐かれていた。
しかも、嘘を吐かれていたことに気付けなかった。
69 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:48:25.34 ID:OJA0wgUK0
☆
私は騙されていたんだ。
プロデューサーを騙したつもりが、逆に騙し返されていて、しかも私は家に帰るまでそれに気付くことが出来なかったんだ。
プロデューサーは、私の罪悪感と同情の心を的確に刺激して、私から、彼の嘘の背後に匿われている独善を遠ざけていた。
それなら、彼の謝罪の意味も察しがつく。
あれは、直前の私の言葉と同じで、嘘を吐いてごめん、という意味だったんだ。
なんて大人げないんだ。
嘘を吐くなんて、許せない。
最初は彼に対する怒りや苛立ちが、心の中で赤くめらめらと燃えていた。
でも当時の私は賢いことに、そんな感情を抱いてはいけないことに思い至った。
そのような感情を抱くことが許されるかはまた別問題なのかもしれないけれど、その態度はあまりに自分本位で、論理的でないのだ。
だって、最初に嘘を吐いたのは私だ。
私が嘘を吐いたから、プロデューサーは嘘を吐いたのだ。
そうだ。
私はやり返されただけなのだ。
――それなら彼の嘘には、私に対する報復の意図が含まれていたのではないだろうか?
あのとき彼は、尋常ではない程度に動揺していた。
あれだけ動揺させられて、結局手のひらの上で転がされていただけだと、綺麗に騙されただけだったと思い知らされれば、意趣返しを図るのも無理はない。
彼の嘘は、真意を隠す意図があったことは確かだけれど、それ以上に、彼がやり返したかったからこそ吐かれたものだったのかもしれない。
70 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:49:03.87 ID:OJA0wgUK0
そう考えると突然、プロデューサーが子供っぽく思えた。
脳内で冷笑的な笑みを浮かべていた彼が、動揺させられた腹いせに私に対する報復の機会を窺っているような、そんなちっぽけな存在に変貌を遂げた。
その想像は、私の感情の起伏を和らげるのには充分なほどに喜劇的だった。
「……ふふっ」
あまりのおかしさに、ついつい笑いが零れてしまう。
子供っぽいという言葉までがおかしく思えてくる。
あのプロデューサーが、子供っぽい、か。
でも意外と、そういうところはあるよね。
部屋の前で私を驚かせたり。
よく分からないなぞなぞを出題したり。
そんなことを考えているうちに、怒りや羞恥のことはすっかり吹き飛んでしまった。
――私が邪な感情でプロデューサーを騙したのと同じように、彼もまた、邪な感情で私を騙したのだろうか。
それは勝手な妄想だったけれど、でも、もしそうだったら。
もしそうだったら、きっと。
私たちは、よく似ている。
そのフレーズは私には気恥ずかしく感じられて、慌てて布団とうさぎのぬいぐるみに顔を埋めた。
71 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:49:31.37 ID:OJA0wgUK0
☆
私と彼の間に、本当に大事な話をするときは事務所で、という暗黙の了解があった。
私はいつもの時間帯――土曜日の夕方だ――に、彼の部署の部屋を訪れていた。
この時間帯は暇だと言っていたけれど、でもその割にはいつも私の話を聞く片手間で仕事を処理していたりした。
しかしこの日は本当に暇らしく、彼はもう開き直ってテレビを観ていた。
土曜のこの時間のテレビって、こう、ノスタルジックだよな。
確かに。
どうしてだろう。
小学生向けのアニメとか放映してるからじゃないの。
……百年来の謎が解けたよ。
大げさだよ。
プロデューサーはどことなく、本質的な会話を避けようとしていた。
あるいは、話を始めるタイミングの決定権を私に譲渡しようとしていたのかもしれない。
いずれにせよ、私はなかなか例の件の話――選択の話と、彼の行動の真意の話――に踏み込めないでいた。
私に固有の面倒臭がりな性質が、このままテレビを観れればそれでいいや、という投げやりな感情に針を振れさせていた。
私が今日この七階の部屋を訪れたのは、彼の真意を聞き出すためだ。
彼が嘘を吐いてまで隠したかったもの。
私は、概ね答えに当たりを付けていた。
その仮説は一度は否定されてしまったけれど、否定材料が嘘だと分かった今、やはりそれが真実なんじゃないだろうか、という確信に近い疑いが強まっていた。
そして、もしその仮説が正しいのなら。
彼はまだ、目の前にいる私から目を逸らしていることになる。
72 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:50:11.83 ID:OJA0wgUK0
「プロデューサー」
私の声を契機にして、プロデューサーは慌てて神妙な面持ちを作った。
ソファーの横に座る彼の方へと体を向ける。
――彼は依然、テレビの方を向いている。
ふとその場面が、私たちの関係をよく表しているその場面が、あまりに象徴的に思えた。
私が彼の方を向いているときでも、彼は明後日の方向を向いている。
私の方を見向きもせずに、申し訳程度に耳だけ傾けて、テレビをぼんやり眺めている。
いつだって彼は、私から目を逸らしていた。近づいてみても、目を見てみても、彼の目に私の全てが映ることはない。
早い話が、私は認められたかったのだ。
アイドル双葉杏としてでもなく、何をするにつけてもものぐさな私としてでもなく、何に対しても無気力な私としてでもなく、全てにおいて無関心な私としてでもなく。
子供っぽい私としてでもなく、子ども扱いされるのを嫌う私としてでもなく、あるいは、口ではあんなことを言いながらも、心の底ではアイドルを楽しんでいる私としてでもなく、それらを全て――全て含んだ、一人の人間として、認められたかったのだ。
73 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:50:45.85 ID:OJA0wgUK0
「私、今のプロデューサーのところに残ることにするよ」
今度のプロデューサーは冷静だった。
流石に二回目ともなると、心の準備も出来ているのだろう。
分かった、と念押しのように言うと、私から返事が無いのを確認して、それから炭酸の蓋を開けたときのように、口内に貯め込んでいた空気を一気に吐き出した。
私がその意志――今のプロデューサーのもとに留まる意志を強くしたのは、私が元プロデューサーのところに戻ることになっていると伝えられたときだ。
あの感覚をどう形容すればいいのだろう。焦燥感という言葉が一番相応しいのかもしれない。
あのとき私は、プロデューサーのもとに戻ることを恐れていた。
もし私が彼の担当アイドルに復帰するのなら、彼にとっての私は、世間一般のために上手に拵えられたアイドル双葉杏に戻ってしまう。
この日まで私がやって来たことが、全て無かったことになる。
それだけは避けたい。
私は、元の関係には戻りたくなかった。
せっかく巻いた螺子を、空回りさせたくはなかった。
それは、一人の人間として認められたいがゆえの選択だった。
かつて私と彼とを繋ぎとめていた糸を断ち切ってまで、私は彼に認められようと必死に背伸びをしていたのだ。
「杏の」
口を開いたのはプロデューサーだった。
「杏の考えてることは、ときどき分からないよ」
「そうかな」
そんなことを言いながらも、彼は随分と、憑き物が落ちたような顔をしていた。口元を綻ばせて、穏やかな笑顔を見せていた。
74 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:51:18.11 ID:OJA0wgUK0
俺のところに戻りたいんじゃなかったの。
今はもう、そうでもないかな。
寂しいって言ってたくせに。
そういえばそんなことも言ったね。
でも、あいつのところに残るんだろ。
今はそういう気分なんだよ。
俺には杏が分からないよ。
人間なんてそんなもんだよ。
私は私で、僅かに張りつめていた空気から解放され、清々しい気分に浸っていた。
その傍らで、私は次の会話のシミュレーションをしていた。
忘れてはいけない。彼の真意を問い質すことが、私がやるべきことのもう半分なのだ。
部屋に痛々しいぐらいに射し込んでいた夕暮れの茜色は、気が付かないうちに消え入りそうな薄い赤になっていた。
それと交代するように、藍色が空を漂い始める。
日は既に沈んでいるようだった。
段々と日の入りが遅くなってきたとはいえ、夜は人の気が付かないような速度で忍び寄ってくる。
家まで送っていってやるよ、と立ち上がったプロデューサーを、私は言葉で制する。
「待って」
――まだ、聞いていないことがあるんだよ。
彼は心底不思議そうな顔をしていたけれど、私はその表情の中に、微かな怯えを感じ取った。
プロデューサーなりの、虫の知らせというやつだったのかもしれない。
そしてその予感は、ちゃんと的中している。
私は尋問の続きをしに来たのだから。
75 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:51:59.32 ID:OJA0wgUK0
☆
あえて言葉を選ばずに言うなら、私は性格の悪い子供だった。
私の尋問の目的は何だったのだろう。
そもそも尋問を働こうと思ったのだって邪な気持ちが湧いたからなんだし、初めから正当な目的なんて存在しなかった気がする。
私は尋問を楽しんでいた。そして、楽しむために尋問をしていた。
尋問の目的は、半分が私の予想が正しいかどうかを確かめること。そして、もう半分は、仕返しだ。
「プロデューサー。結局さ、プロデューサーが杏に黙って外堀を埋めてたのはどうして?」
次の瞬間、彼の表情は凍り付いた。
時間が止まったように固まっている彼に構わず、私は言葉を続ける。
「誤魔化せたとでも思ってたの?」
「……外堀って、そんな人聞きの悪い」
「はぐらかさないでよ」
「もしかして怒ってるのか? それなら謝るから、さ」
「あのね、杏は理由を聞いてるんだよ」
「どうして笑顔なの」
「話を逸らさないで」
いたちごっこだった。
プロデューサーが話の方向性を別の軌道に逸らそうとして、私がそれを阻止する。
まるで会話になっていなかった。
そのくせ私は努めて笑顔を作っていたし、彼も穏やかな笑顔を浮かべていたから、不思議を通り越して不気味な状況だった。
76 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:52:36.35 ID:OJA0wgUK0
「杏、俺はそろそろ時間なんだ」
「時間って、何の?」
「……とにかく、時間がないんだ」
「うん。時間がないし、早く答えてよ」
「えっと、何だっけ。忘れちゃったよ」
まだ続けるのか。
苛立ちは加速度的に膨らんでいく。
それは彼が時間稼ぎに精を出しているからというのもあったけれど、それ以上に、彼の行動の節々に私を子ども扱いしているような態度が現れていたからだった。
――彼のその態度は、子ども扱いという言葉が適切かどうかはわからないけれど、そうと表現する以外に言いようがない。
見下しているだとか軽蔑しているだとか、そういう類の態度ではないことは確かだ。
ぞんざいに扱われていたわけでもないし、むしろ彼は私を丁寧に扱っていた。
どちらかと言えば、彼の私に対する態度は、丁寧過ぎたとも言える。
彼の中には、彼自身が定めていた、踏み越えてはいけない一線というものがあったように思う。
彼はその一線を踏み越えないように、慎重にコミュニケーションをしていた。
私に必要以上に干渉しないようにしていたのだ。
確かに、コミュニケーションにおいて、過干渉になり過ぎないことは大切だ。
でもそれは、出会って日の浅い人間同士の話だ。
長い間アイドルとその担当プロデューサーという関係だったのに、お互いに無闇に干渉しないというのは、あまりに淡泊すぎる。
彼は私に関心のあるふりをしていたけれど、本質的なところで無関心だった。
私自身に、関心を持ってほしかったのだ。
そうやって、肝心なところで私から目を逸らすんだ。
私は『プロデューサーに会えなくて寂しい』とまで言ったのに。
人にあんなことまで言わせておいて、自分はだんまり。
これだから大人は狡いんだ。
77 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:53:13.06 ID:OJA0wgUK0
「でもね、プロデューサー」
私は、彼に外堀を埋めるという行動を選択させたその理由を知っていた。
――それはひどく独善的な理由だ。
ものすごく単純で、笑ってしまいそうになる理由。
彼は、私が彼を選択すると確信していた。
そしてそれは、彼自身の希望的観測によるものだ。
彼は「もしもの話」を、私に選択肢を与えるつもりで話したのではない。
彼が口にすべきだった言葉は、おそらくこうだ。
――やっと俺の部署に杏を受け入れる余裕が出来たから、戻ってきてくれ。
彼は本来、私に対して、「自分のところへ戻ってきてほしい」と頼み込むべきだった。
でも彼はそれに類することは口にせず、「もしもの話」を持ち出した。
彼がその真意を、わざわざ「もしもの話」という建前をもって隠したのは何故か。
78 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:54:28.54 ID:OJA0wgUK0
彼は、私に「戻ってきてほしい」と言いたくなかっただけなのだ。
彼の中にある踏み越えてはいけない一線が、「戻ってきてほしい」という言葉を言わせなかったのか。
あるいは、大人の持つプライドがそれを許さなかったのか。
いずれにせよ、彼は自分の意志を隠す意味で、「もしもの話」をした。
そしてそれは、私に捻じ曲がって伝わった。
――私にはまるで、プロデューサーから別の選択を迫られているように思えたのだ。
彼が提示したつもりになっていた選択肢は、「はい」か「いいえ」の二択だ。
しかし私はこれを、「プロデューサーのところに戻る」か、「今のプロデューサーのところに留まる」の二択だと解釈した。
この二択は、一見すると違いがない。
実際に、選択肢の内容は同じことを指している。
しかし、選択する側にとって、このふたつの問題には大きな隔たりがある。
なぜなら、肯定の選択と否定の選択は対等ではないからだ。
私だって、戻ってきてほしいと言われていれば、彼のところへ戻る気持ちを強くしただろう。
否定することには勇気が必要だし、私の頭の中にはちゃんと、「プロデューサーのところに戻りたい」という意志があった。
肯定をしない理由がない。
しかし、そのふたつの選択肢が対等に提示されたら?
選択には、常に程度の概念が付きまとうこととなる。
現に私は、プロデューサーのところに戻りたいと思う気持ちと、今のプロデューサーのところに留まりたいと思う気持ちを水平的に比較して、その程度を根拠に選択をしようとしていた。
それに、対等な二つの選択肢から一つを選ぶのに、否定するための勇気は必要ない。
一つを選べばもう一つを否定することになるわけだけれど、それはどちらを選んでも同じなのだ。
否定することを仕方のないことと割り切れるのなら、簡単に踏ん切りがつく。
79 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:54:59.82 ID:OJA0wgUK0
結局は、彼の思惑通りには物事が進まなかった、という話だ。
そしてそれの直接的な原因になったのは、彼の独善的な感情――私に、「戻ってきてほしい」という言葉すら言えない、彼のちっぽけなプライドのせいだ。
笑ってしまうような結末だ。
でもこう考えれば、色々なことに説明がつく。
例えば、彼が「もしもの話」をした日。
彼は最後に、「もしもの話だけどな」と言っていた。
あれは体裁を保とうとする形式的な言葉などではなく、「まだ確定じゃないけど」という意味の、万が一私がプロデューサーのところへ戻れる権利を失ってしまったときの、逃げ道の確保のための言葉だった。
彼の予想以上の動揺にも今なら納得がいく。
あのとき彼は初めて、自分が提示したはずの選択肢と、私が解釈した選択肢が異なっていることに思い至ったのだから。
きっと彼は、自分のしでかしたミスを認めたくはなかっただろう。
認めたくはなくて、でも認めざるを得なかったからこそ、諦念と不甲斐なさの入り混じった表情を浮かべていたのかもしれない。
「私はね、プロデューサーが何を考えてたか、知ってるんだよ」
「プロデューサー、言ってたよね」
「言わなきゃ、分からないんでしょ」
「杏にあんなことまで言わせておいて、自分だけ言わないってのは、ずるいよ」
だから、これは罰なんだ。
自分だけ逃げようとしたことへの、罰だ。
私には内心を打ち明けさせておいて、自分だけそれを回避しようとするのは、あまりに都合が良すぎる。
プロデューサーは何も言わなかった。
否定も肯定もせずに、ただ沈黙を貫いていた。
何の反応もないことは、私の仮説が正しいことの何よりの証拠だった。
80 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:55:39.35 ID:OJA0wgUK0
プロデューサーが顔を上げる。
彼の視線は、私を捉えている。
目が合う。
電流が走る。
記憶が呼び覚まされる。
ただならぬ予感が芽生えて、心の中が嵐の夜のようにざわつく。
また、だ。
私の視界に映る彼の目には、青色が揺らめいていた。
あの青色だ。
流れ星のような青色。
一瞬で空を真っ二つに切り裂いて、一秒足らずで世界を大きく作り変えてしまうような、流れ星のような青色。
私はその青色の正体を掴みかけている。
掴みかけているけれど、まだ、はっきりとはしていない。
「大人はね、ずるいんだ」
――言わなくても伝わるからって、それに甘えていたんだ。
彼の目に宿った青が、静かに燃えている。
81 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:56:12.06 ID:OJA0wgUK0
☆
初夏の夜はわずかに生ぬるい。
コートを着込むにはあまりに蒸し暑い。かといって春物のコートを脱ごうとすれば、その矢先に冷たい風が私に突き刺さる。
暑さと寒さが交互に押し寄せる、どっちつかずな気温だった。
事務所から駅までの道のりは、長くもなく短くもないような、中途半端な距離だ。
私は車で家に送ってもらいたかったのに、プロデューサーは時間がないと言うし、今のプロデューサーは既に退社しているような時間だった。
私は仕方なく、しかめっ面で駅まで歩いていた。
「あ」
その帰り道だった。
私は答えを見つけた。
私は思わず、間抜けな声を辺りに響かせてしまった。
答え――一番最初に話した、緑色の空にまつわるなぞなぞの、答えだ。
妙に腑に落ちる感覚があった。
かといって、納得がいくような答えでもない。
……このなぞなぞは、ずるい。
こんなの、思いつくわけがないじゃんか。
だってこれは、空じゃない。
82 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:56:53.85 ID:OJA0wgUK0
☆
炎と空と人の一生は似ている。
炎。
1500℃の炎は青色だ。
温度が下がれば、炎は赤色になる。
やがて燃え尽きると、そこには消し炭の黒が残る。
空。
昼間の空は青色だ。
太陽が傾き始めると、空は焼けるような赤色に染まる。
やがて日が沈めば、そこには黒が残される。
人はそれを夜と呼んでいる。
人。
日本語では若さを青で表現する。
やがて年を取れば、その青は消え去って、赤が残る。
その赤は、いつかは黒になる。
人はそれを死と呼んでいる。
どうしてこんな話をするのかって?
もっともな疑問だ。
こんなの、杏らしくない。
これは、プロデューサーの受け売りだ。
彼はこういうことをよく言うような人間だった。
考察や思索で逐一アップデートされる円熟した価値観と、その思索により得られた結果を嬉々として私に語るような子供っぽさを、自身の中に共存させていた。
彼がこの話をしたのはいつだったか。
どんな場所で、どんなタイミングでその話をしていたかを、私はよく覚えていない。
彼がその話をした理由だって、彼の気分によるものだったのだろう。
しかしこの話は、この話だけは、私の脳裏に深く刻み込まれているのだ。
83 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:57:25.42 ID:OJA0wgUK0
☆
あの件以降も、私たちは定期的に集まってどこかに出掛けることが多くあった。
あの件というのは、私が今のプロデューサーのところに留まることを決めた件のことだ。
私たちはその流れ――暇な時間にどこかの駅で落ち合って、宛て所もなくぶらぶらしたり、思いついた場所に行ってみたりして、適当な時間に解散する流れ――を、打ち合わせと呼んでいた。
無論打ち合わせというのは名ばかりで、あくまで形式的な呼称だった。
どちらが初めて打ち合わせという言葉を使い始めたのかは覚えていない。
外聞が良いし、負い目を感じないので、私たちはその呼称を好んで用いていた。
打ち合わせは、多いときには週に二、三回のペースで行われていた。
彼は定時で帰れることが多かったし、この業界にしては珍しく完全週休二日制を手にしていたので、彼は積極的に私に付き合ってくれた。
六月に入っても、相変わらず打ち合わせは定期的に開催された。
雨がよく降るようになって、出来るだけ傘を差さずに済むような場所を選ぶようになった。
水族館に行ったのも確か六月だった。
その、六月の頭のことだった。
84 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:57:54.55 ID:OJA0wgUK0
私はカフェの二人席に座っていた。
プロデューサーがどうしても観たい映画があるというので、それに付き合っていた。
上映後に映画館近くのカフェに寄って、プロデューサーが会計を済ませるのを席で待っていたのだった。
「緑色の空」のなぞなぞの答えを見つけて以来、私はよくそのことに思いを巡らせていた。
答えが分かってしまったのだから、今更何を考えることがあるのか、と思われるかもしれない。
私が考えていたのはその答えについてではない。
何故、彼があんななぞなぞを私に出題したのか、についてだ。
大した理由はない、と投げやりな態度で処理しても良かったのだろう。
しかし私の頭の中には、彼がなぞなぞを出題した動機に対する疑問が尽きなかった。
果たして本当に、彼は特に理由もなくあんななぞなぞを出題したのだろうか?
それにしてはおかしい点がある。
彼は、答えを言うのを渋っていた。
しかも最終的に、その答えを明かさなかった。
あまりに不可解だ。
多少渋るくらいならまだ分かる。でも、たかがなぞなぞの答えぐらい、その場で言ってしまう方が禍根を残さないはずだ。
あの日、プロデューサーが答えを口にすることは無かったのだし、教えてくれそうなそぶりも見せない。
違和感を感じる点はまだある。
そもそも、車の中で突然なぞなぞを出すのも変だ。
あのときの私は暇を持て余していたからすんなりと受け入れたけど、ものぐさの私にあんななぞなぞを出題することだって不審だ。
普通の私なら、耳を貸そうとすらしなかったのかも知れないのに。
不可解な点が多すぎるのだ。
同時に私は、その違和感を全て打ち消してしまえるような、たったひとつの答えがあるような予感を感じ取っていた。
思考の末、私はひとつの仮説に吸い込まれていく。
――彼は初めから、私が答えを出すことに期待をしていないんじゃないか?
いや、むしろ、彼は私に、答えを出して欲しくすらないんじゃないか?
85 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:58:36.55 ID:OJA0wgUK0
「杏」
思考の海に潜っていた私を、プロデューサーが現実へと引き戻した。慌てて生返事を返すと、彼は首をかしげた。
「大丈夫か? なんというか、上の空みたいだけど」
「あ、うん。ちょっとね」
頭の中で、ついさっき生まれた結論をこねくり回してみる。
なぞなぞの答えを出して欲しくない状況というのはたくさん思いつくけれど、そのいずれも極端な状況で、今の私たちには合致しない。
「映画のアクションが予想以上に激しくて、疲れちゃったんだよ」
ふと、思い付きの嘘を口にしてみる。
嘘を吐くのは嫌いではなかった。
昔はよく嘘を吐いてはいけないと教えられたものだけど、私は嘘を吐くことの罪の大小は嘘のもたらす結果にのみ左右されると思っていたから、小さな嘘を吐くことに抵抗が無かったのだ。
それに、彼もよく嘘を吐いていた。
お互いに嘘を吐き合って、でもそういう嘘が私たちの関係を円滑に進ませることを、二人とも熟知していた。
「そんなに激しかったかな」
プロデューサーは私の嘘を鵜呑みにしていた。
彼は嘘を吐かれていることに気付かない。
無理もない。
疑うことは疲れる。信じるために頭を働かせる必要は無いのに対して、疑うためには常に頭を働かせなければならない。
それに、疑い尽くして嘘を暴いたところで、得られるのは私が些細な嘘を吐いたという事実と、その嘘に理由はないという空虚な真相だけなのだ。
彼の目をじっと睨んでみる。
彼もこうやって、半ば無自覚に小さな嘘を積み重ねているのかもしれない。
いや、きっとそうだ。
緑色の空の話。
彼はきっと、あの件に関して、何かを隠している。
彼が「もしもの話」をしたとき、あのときと同じように。
彼は本心を、嘘と演技で覆い隠している。
「プロデューサー」
だから私は、踏み込むことにした。
彼の目の奥、心の中に。
「あの……さ」
86 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:59:07.07 ID:OJA0wgUK0
――「緑色の空」の話、覚えてる?
彼の反応は、意外にもあっさりとしていた。
彼から返ってきたのは、ああ、という相槌に近い返事だった。
「そういえば、そんなこともあったね」
「覚えてるの? 随分と前のことなのに」
「そりゃ、覚えてるよ」
同時に私は、彼にとって「緑色の空」が、ただのなぞなぞ以上の意味を持っていることに対して確信を強めた。
「緑色の空」の話を思いつきで口にした程度なら、そんな些末なことを覚えているはずがない。
たまたま記憶に残っていた可能性も無きにしも非ずではあるけれど、それは彼がそれを覚えていることが当然であるかのような口ぶりで話していることと食い違う。
「あれってさ、どういう意味なの」
「意味? ……ああ、問題文の意味が分からないってことか」
「違うよ。あの問題の意味というか、存在理由というか」
「何だそりゃ」
プロデューサーは穏やかな含み笑いを見せた。
随分と難しいことを考えてるんだな。
私を小馬鹿にするように呟いて、目の前のコーヒーを啜る。
――彼のその、私の言葉を相手にしようとしない態度は珍しいものではなかったし、私とて他人の何気ない言動にいちいち腹を立てるほど子供でもなかったのだけれど、その態度は私にもやもやとした影を落とした。
「ね、教えてよ。どうしてあんなクイズを出したのさ」
「どうしてって言ったって……。気分だよ」
「せめてもっとマシな嘘を吐いてよ」
彼は参ったというように首の付け根に手を当てた。
私に構うのが面倒だと言わんばかりの表情だった。
私は彼が、質問の返答として適切な言葉を考えているのではなく、その場を穏便に済ませるための文句をこねくり回していることをうっすらと察していた。
彼が口を開く。思い返せば、私は随分と身構えていた。
先ほどの彼の、私を冷やかすような態度に対して拗ねていたんだと思う。
私は彼の返答から綻びを見つけ出し、矛盾点を彼の目の前に突き付け、崖際まで彼を追い詰めることに躍起になっていた。
嘘が吐けなくなる状況にまで彼を追い詰めて、そして本音を引っ張り出そうとしていた。
「杏」
とどのつまり、私は彼の喉元から弁解の言葉以外の何かが飛び出ることを、全く予期していなかったのである。
87 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 02:59:47.57 ID:OJA0wgUK0
「大人はね、ずるいんだ」
これは彼の本音だ。
言葉を聞き届けたその瞬間に、私は直感で悟った。
嘘でも何でもない、真実を端的に言い表した言葉だ。
その言葉を発したときの彼の態度が、あまりに普段と異なっていたのだ。
私はそこに、どれだけ強い力を加えてみても風を掴むようにすり抜けてしまう、底知れない彼の本質を見た。
あの日――彼が緑色の空の話をした日から、彼の全身を巡っていたひとつの信念を、私は垣間見たのだ。
行動という形で外の世界に現れていたものは全て、信念という名の一本の大動脈に支えられていた。
当時の私――十七歳の私には杳として知れなかった彼の本質。
あの頃から二年が経った今の私は、彼の軸というものを知っている。
有体に言ってしまえば、彼は最初からずっと、本心を嘘で隠していたのだ。
88 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:00:19.79 ID:OJA0wgUK0
誰だって一度は、自分と他人の誰かが似ていると思ったことがあるはずだ。
でもそれは、無数にある自分の性質とその人の性質の中に、たまたま一致したものがあっただけだったりする。
そして、同じ時間を長く共有していればその分だけ、似ていると感じる部分が多くなるのだ。
十七歳の私はそんなことにも思い至らずに、私と彼は似ているのだと信じて疑わなかった。
私も彼も思考回路がやや中性的だったから、価値観が合うことが多かった。
普段は一歩引いて周りを見ているのに、ふとした瞬間に感情的になるところも似ていた。
確かに彼と私は、一部分においては似ていたと言える。
それでも、肝心なところで私たちは異なっていた。
彼の行動の理由を考えるとき、私は決まって、彼になりきって、彼の思考回路を類推してみる。
そしてそれは、大抵の場合上手くいっていた。
しかし今回の件――彼が「緑色の空」の話をした理由に関して、彼の気持ちを想像してみても、どうにも思い当たるものが無かった。
私は見返したかったのだ。
嘘と演技のバリケードで覆い隠されている彼の本質を見破って、一泡吹かせたかった。
彼の本質を見抜いたその先に、彼に認められるような未来があると信じていた。
一種の反骨精神のようなものだったと思うけれど、振り返ればそれは、彼の目にはただの反抗期のように映っていたのかもしれない。
相変わらず真剣に取り合ってくれないような言動がほとんどだったし、私はそんな彼の態度にいちいち怒っていた。
私はこんなにプロデューサーのことを考えているのに、どうして彼は私に見向きもしないんだ。
そんなことを考えては、しょげたり拗ねたり苛立ったり、急に恥ずかしくなったり情けなくなったりしていた。
二年も経てば、さすがに自分を客観視できる。
二年前の私はあまりに傲慢だった。
他人に努力を望むくせに、自分は労力を払わないような人間だった。
それに気付くのはもう少し後の話だ。
当時の彼の眼中には、ちゃんと私が映りこんでいた。
私がその事実に気付けなかったのは、彼が本音を隠していたからだ。
大人は本心を隠すのが上手い。
そして、大人は狡い。
89 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:01:19.14 ID:OJA0wgUK0
☆
その年の六月の終わり頃は大変だった。
ただでさえ梅雨のせいで体が重いのに、スケジュールは多忙を極めていた。
七月に事務所開催の合同ライブがあるというので、私は歌やらダンスやらを叩きこまねばならなかったし、かといって写真撮影や雑誌の取材などの通常の仕事の手も休まらなかった。
レッスンや長丁場の仕事でボロボロになりながらも這う這うの体で帰還し、やっと帰れると事務所を出たところで雨が私に追い打ちをかける。
私は、このまま私が突然失踪したら皆はどんな顔をするのだろうかというのを想像し、その想像だけで何とか毎日を乗り切っていた。
七月頭のライブが終わって、ほぼ同時期に梅雨が明けた。
燃え尽きて消し炭になった私は、ライブの日を境に、部屋でごろごろ寝転がって時間を潰すことが多くなった。
六月の下旬はプロデューサーと打ち合わせに行く時間がないのを惜しく思っていたけれど、いざ暇になると、やっぱり外出しようという気分にはならない。
ひとりで寝転がる時間が増えると、考え事をする時間も増える。
「緑色の空」のこと、彼のこと、私のこと。分からないことが増えるばかりで、状況は少しも進展しなかった。
私はふと考える。
彼の本質に踏み込むためには、私は何かしらの行動を起こさなければならないんじゃないか?
突然脳裏に姿を現した言葉は、私の急所を的確に突いていた。
当時の私に欠けていたものは行動力だった。
何かに必死になろうとする度に、理性の皮を被った感情が邪魔をしていた。
些末なことに本気になることは格好悪いと決めつけて、泥臭くなろうとする自分を押し留めようとする心理が働いていた。
振り返れば、今までだってそうだ。
私は常に、流れに身を任せて生きてきた。
十五年間を生きた北海道を離れて、東京に独り暮らしすることになったのだって、私の自堕落な生活を見かねた両親の計らいによるものだ。
アイドルをやっているのだって、印税で儲かるというプロデューサーの口車に乗せられたからだ。
――口車に乗せられたというのは半分は建前で、アイドルに興味があったというのも理由のひとつだった。
自分で選択に踏み切った経験がなかった。
私は自身の選択を、全て他人に任せて生きてきた。
目の前に映る選択肢から目を逸らし、選択肢を選ぶことに伴う責任から逃げてきた。
でも、そんな生き方もそろそろ、限界なのかもしれない。
私にはいずれ、選択をしなければならない日が来る。
そんな直感があった。
90 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:02:26.05 ID:OJA0wgUK0
「あの、さ」
その翌日に、私はプロデューサーの部署の部屋を訪れていた。
夕方もいい時間だったけれど、夏と言うだけあって、日はまだ落ち切ってはいなかった。
プロデューサーは伏し目がちに私と会話をしながら、パソコンを叩いていた。
何をしてるの、という質問に対する彼の答えは『メールの処理』とのことで、これが何故か印象に残っている。
――私はプロデューサーが仕事として具体的に何をやっているのかについて、よく知らないままにアイドルをやっていた。
その当時は、メール処理なんかやらされるのか、と殊更に感銘を受けたけれど、今考えれば電子メールの処理をしない社会人の方が珍しいように思う。
「プロデューサー。『大人はずるい』って、どういう意味?」
一瞬彼の手が止まる。何事も無かったかのように仕事を再開すると、彼はぱっとしない返事をした。
「そのままの意味だよ。大人はずるいんだ」
はぐらかそうとしているのは明々白々だった。
しかし私は、彼の法則を知っている。
彼は私を無視しない。
必ず返事をする。
私はそのことに気付いていた。
むしろそれこそが、彼が嘘を吐く理由なのかもしれなかった。
本当のことを言いたくはないけど、私を無視したくはない。
そんな行動規範に縛られた彼の行き着いた最適解が、嘘を吐くことなのかもしれない。
「大人はずるいから、嘘を吐くんだよね」
「……そうだな」
「プロデューサーは、いつ嘘を吐いたの?」
彼は答えに窮していた。
無理もないことだ。
人は常々無数の嘘を吐いて生きているし、吐いた嘘をいちいち覚えているような人間は神経質を通り越してもはや異常だ。
それでも、私の知りたかったことは、彼がいつ嘘を吐いたのか、なのだ。
彼はあの日――映画館に行った日だ――最後に、大人はずるいんだ、と口にした。
それは言わば自白のようなもので、彼が「緑色の空」の話をしたとき、あるいはそれに関する出来事の中で、何らかの嘘を吐いたことを認めたようなものなのだ。
しかし私は、彼のどの言葉が嘘だったのか、特定できずにいる。
それが分からなければ、何も始まらない。
91 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:02:59.31 ID:OJA0wgUK0
「いつって言われても、範囲が広すぎるよ」
「『緑色の空』の話をしたあたりだよ」
「ずいぶんと前だね」
「でも、覚えてるんでしょ」
彼は、そうだなぁ、と右頬を掻く。
言葉を練り終わったのか、ため息交じりに口を開いた。
「強いて言うなら、嘘を吐いてはないかな」
「……それ、本当?」
「今さら嘘は吐かないよ」
これは私にとって衝撃だった。
彼は嘘を吐いていない。
解けかけていた糸が再び絡まり合ってしまった。
彼が嘘を吐いていないということは、どういうことなのだろう?
「じゃあ、何か隠してたの?」
彼の目には迷いが浮かんでいた。その態度から察するに、彼が何かを隠しているのは明らかだった。
私が知りたいのはその先、具体的に何を隠しているか、なのだ。
彼の迷いはどうやら、その先についてどこまで言及するか、に関するものらしかった。
92 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:03:30.43 ID:OJA0wgUK0
「ねぇ、何を隠してたの?」
プロデューサーは答えなかった。
彼はいつだって、直接的に答えを明かすことがない。
彼の行動の裏側には常に、漠然としたものを言語化することへの拒絶があった。
輪郭のぼやけたものを言葉にすることに伴う副作用を、極度に恐れていた。
曖昧を曖昧のままに放置することで、身に災いが降りかかるのを防いでいたのだ。
しかしその態度は、この質問への返答を与えることを不可能にしていた。
それでは埒が明かない。
「プロデューサー」
「別にさ、答えを直接言ってくれなくたっていいんだよ」
「ヒントでいいんだ」
「ねぇ、プロデューサーは何を隠してたの?」
顔を上げた彼と目が合う。
彼の表情には憂鬱と倦怠感が刻まれていた。
その表情のまま、やおら口を開く。
――本心を隠すのには、別に嘘じゃなくたっていいんだよ。
93 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:04:07.79 ID:OJA0wgUK0
記憶を順番に辿ってみる。
『そういえば、こんななぞなぞがあるんだ』
『緑色の空はどこにある?』
『そうだなぁ……日本にあるよ』
『一週間考えてみて、それでも思いつかなかったら、答えを教えてあげるよ』
彼は嘘を吐いてはいないと言った。
しかし本心を隠していたことも確かだ。
嘘以外で本心を隠す方法。
演技。
私の頭にふと浮かんだその言葉。
演技だ。
彼はあの時点、緑色の空の話をした時点で、演技をしていた。
具体的にどんな演技をしていたのか?
答えは喉元まで出かかっている気がした。
『彼は私に、答えを知ってほしくないんじゃないか?』
これは少し前、彼と映画館に行った日に行き着いた仮説だ。
しかしこの仮説は、彼の発言と矛盾する。
『一週間考えてみて、それでも思いつかなかったら、答えを教えてあげるよ』
彼は一週間後に答えを教えてくれるはずだった。
だから本当なら、この仮説は誤っている。
――私がこの仮説を捨てきれないのは、彼があのなぞなぞの答えを私に打ち明けるのを渋っているからだ。
答えを言うのを先送りにし続けることの理由は、答えを知ってほしくないから、以外に考えられない。
94 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:04:38.82 ID:OJA0wgUK0
でも、もし、一週間後に答えを教えるつもりがなかったとしたら?
あるいは、一週間後に、なぞなぞの答えを私が催促する可能性が低いことを知っていたとしたら?
私があのなぞなぞの答えを彼に聞くことが出来なかったのは、「緑色の空」の話をした翌日に、プロデューサーの担当を外れることが決まったからだ。担当替えのごたごたに巻き込まれて、一週間後の私はなぞなぞのことをすっかり失念していた。
――もし、彼が担当替えのことを事前に知っていたとしたら?
突如私に舞い降りたその仮説は、瞬く間に現実味を帯びて私の脳内に浸透していく。
彼がもし担当替えの件を、「緑色の空」の話をした時点で知っていたとしたら。
彼があの話をした一週間後には、彼と私が面と向かって会話する機会は極端に減少する。何ならそんな機会が存在しない可能性だってある。
この二つの仮説を正しいとすれば、彼の取った行動はこんな流れになる。
彼は何らかの理由で、出題することだけに意味があって、答えを知られてしまうと意味がないなぞなぞを出す。
答えを言うのを一時的に先延ばしにするため、彼は一週間後に答えを教えることを約束する。
しかしその一週間後というのは、担当替えが行われた後だ。
彼と私が会う機会も理由も存在しないはずだ。
だから、その約束は有耶無耶にできる。
95 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:05:08.28 ID:OJA0wgUK0
私にはこの想像が、辻褄が合っているように思われてならなかった。
論理的整合性がどうとかそれ以前に、あまりに彼らしく思えたのだ。
計算高く綿密に練られた計画が、約束を反故にするという子供じみた結果を生み出すところが、いかにも彼らしい。
それに、この仮説をもとにすれば、彼の演技とは何だったのかについても簡単に特定できる。
彼は、担当替えのことを知らないフリをしていたのだ。
「緑色の空」の話をする前から、彼は担当替えが決まったことを聞かされていたのだろう。
しかし彼はその決定を、ぎりぎりまで私に隠し通した。
それは私に対する一種の配慮だったのかもしれないし、あるいは、適切なタイミングを窺っていたのかもしれない。
視界が一気に開けたような感覚を覚えた。
あちこちで絡み合っていた謎が連鎖的に消滅した。
あと少しだ。
残存する不可思議な点はたったひとつだ。
――どうして彼は、出題自体に意味があって、解かれてしまってはいけないようななぞなぞを出したのか?
でも、例の仮説を元に考えてみたら、答えはすぐに見つかった。
分かってしまえば、あまりに呆気ない。
何と言えば良いのだろう。
私たちは、やっぱり似ていた。
96 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:05:52.67 ID:OJA0wgUK0
☆
扉の前で僅かに気を引き締める。
目を閉じて二回深呼吸してみて、初めてここに来たときもこんな感じだったことを思い出した。
私は緊張していた。
緊張しない性質なのだと思っていた。
どんな大きな番組であろうが生放送であろうが、私は緊張とは無縁だった。
でもそれは、アイドル双葉杏という殻が自分を守っていたからだ。
今の私は、本当の自分――一人の人間としての双葉杏だ。
左手に握っているうさぎのぬいぐるみを、両手で持ちあげてみる。
そいつの間抜けで心底何も考えていないような顔を見ると、少しだけ緊張が和らいだ。
扉を押して中に入る。
彼はいつも通り、奥のデスクで作業をしていた。
私を視界の縁に入れると、すぐに穏やかな面持ちを作った。
飴玉を要求すると、彼は引き出しから一個を取り出して、私に投げてよこした。
「ね、プロデューサー。こっち来てよ」
ソファーに座るように催促すると、渋々といった表情で私の横に腰掛ける。
私は目の前に飛んできていた飴玉を口に含んだ。
緑色の包みにはメロンの写真が印刷されていた。
果物系統の飴玉は基本的にハズレがない。私は飴玉を舌で堪能しながら、用意してきた言葉を口ずさむように呟く。
「大事な話があるんだ」
97 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:06:40.51 ID:OJA0wgUK0
☆
――杏はあまり長ったらしいのが好きじゃないから、短く済ませるつもりだよ。
面倒臭がりなのはアイドルの杏も今の杏も同じこと。
だから、黙って聞いててくれればいいよ。
プロデューサーが黙ってる限り、私の出した答えが正解だってことで、私は話を続けるから。
「緑色の空」の話、覚えてるよね?
流石に覚えてるって?
でもそれ自体、本当は変なんだよ。
だってそんななぞなぞを覚えてるなんて、おかしいじゃんか。
半年近くの前のことなんだよ?
気まぐれで出したそんなクイズを覚えてる方が不自然なんじゃないかなぁ。
可能性としてはあり得るって?
そりゃそうかもね。
でもね、プロデューサー。仮にそうだとして、それなら何で、プロデューサーは答えを言うのを渋ってるの?
ねぇ。本当はこのなぞなぞ、意味があるんでしょ?
杏も色々考えたんだよ。
全部分かったんだ。
98 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:07:21.58 ID:OJA0wgUK0
――「緑色の空」の話をしたのって、杏に担当替えの話が伝わったその前日だったよね?
担当替えの日のこと、覚えてる?
あの時期はやたらと忙しくって、あんまり覚えてないかもね。
プロデューサー、こう言ってたよね。
正式に担当が変わるのは明日から。
でもさ、おかしくない?
担当替えなんて大事な連絡、ふつう前日にするかなぁ。
あの日にプロデューサーから送られてきた担当替えについてのメール、転送だったよね?
メール欄をさ、遡って見てみたんだ。
転送元のメール、担当替えの日の一週間前に送信されたものだったんだよ。
あのときはあまりに動揺してて、そんなことに目が行かなかったんだ。
あはは。そんな謝らなくたっていいよ。
でもさ、いつ杏に伝えるかってのを悩んで悩んで、結局保留にし続けて、前日に送るって、あまりにもプロデューサーらしいよね。
話を戻すよ。
転送元のメールがその日の一週間前に送信されたものなんだったら、プロデューサーはその日の一週間前から、担当替えのことを知ってたってことになるよね。
杏、気が付かなかったよ。
プロデューサーは、ずっと演技をしてたんだ。
杏にその情報を漏らさないように。
大人はずるいよね。
全く。
99 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:07:55.66 ID:OJA0wgUK0
それはさておいて、それならプロデューサーは、「緑色の空」の話をした日の時点で、既に担当替えの話を聞いていたことになるんだよ。
これは、プロデューサーが緑色の空の話をした動機に関わってくるんだ。
おかしいよね。絶対に答えを知られたくないなぞなぞなんてさ。
永遠に分からないままだったらさ、一生もやもやしたまま過ごさなきゃいけないじゃん。
答えが分からないのは、もやもやするからね。
でも、それ自体が狙いだったんだ。
プロデューサー。
あのなぞなぞは、杏とプロデューサーが、いざというときに会えるようにするための口実だったんだよね?
……沈黙は肯定だよ。
杏は最初、これは答えじゃないと思ってたんだ。
だって、時系列が逆じゃん。
プロデューサーが「緑色の空」の話をしたのは、担当替えが決まる前だったから。
でも、「緑色の空」の話をしたときに、既にプロデューサーが担当替えの話を知っていたとしたら?
すごく辻褄が合うんだよ。
100 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:08:39.27 ID:OJA0wgUK0
プロデューサー。
あのなぞなぞは、会うための理由だったんだ。
杏の担当プロデューサーが変わって、プロデューサーの担当アイドルも別の子たちになる。
離れ離れになってすぐの頃こそ無理に会ったりもするけれど、そのうち疎遠になって、やがてぷつんと縁が切れる。
そんな状況に陥ったときに、私たちを繋ぎとめてくれる、最終兵器だったんだ。
昔、そんな感じの本を読んだことがあるんだよ。
二人の女の子がいて、片方の子がもう片方の子の家に遊びに行くんだ。
で、遊びに来た方の子はいつも、もう片方の子の家に忘れ物をしていくんだよ。
何でだと思う?
察しの悪いプロデューサーでも、さすがに分かるよね。
会いに行く理由を作るためなんだ。
それを読んだ当時の杏は、よく分からなかったんだよ。
別に、会いに行くのに理由なんてなくたっていいじゃん。
でもさ、そういうわけにはいかないよね。
何か理由がないとさ、後ろめたいよね。
お互いはお互いに会いたいと思ってても、自分の思いが一方通行なんじゃないかって可能性を考えずにはいられないんだ。
だから無理にでも理由を作りでもしないと、会いに行けないんだよね。
「緑色の空」だって同じだよ。
あのなぞなぞの答えを明かさない限り、杏は「なぞなぞの答えを聞きに来た」って口実でプロデューサーに会いに行けるし、プロデューサーはプロデューサーで、「なぞなぞの答えを教えに来た」って口実で、杏に会いに来ればいい。
現に杏がプロデューサーの部署を初めて訪れたのは、あのなぞなぞの答えを聞きたかったから、だった。
杏はまんまと手のひらの上で踊らされてたんだよ。
101 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:09:38.45 ID:OJA0wgUK0
でもね、プロデューサー。
「緑色の空」の役割は、これだけじゃないんだよね?
そんなに驚かなくてもいいじゃん。
杏がそれに辿り着けないとでも思ってたの?
杏はね、実はもう、「緑色の空」の答えを知ってるんだ。
驚いた?
……そんなに驚かないでしょ?
このなぞなぞは、そもそも核の部分はそんなに難しくはないんだ。
でも私は、四ヶ月は考えないと分からなかったよ。
何でだと思う?
プロデューサーはあえて、なぞなぞを難しくしてたんだよね。
晴れの日の空は青、夕方の空は赤。
あんな前置きを付けたら、誰だって、緑色に染まる空を想像するよ。
でもさ、あのなぞなぞの答えで言うところの「空」って、その意味の空じゃないよね?
ミスリードだったんだよ。
プロデューサーは私から答えを遠ざけるため、ミスリードをしたんだ。
あのなぞなぞは、本来、こうだったんでしょ?
――緑色の『空の字』はどこで見ることができるだろうか?
杏、完璧に引っかかっちゃったよ。
102 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:10:40.72 ID:OJA0wgUK0
話を戻すね。
ここで問題なのは、プロデューサーが出したなぞなぞの難易度なんだ。
なぞなぞが「最終兵器」としての役割を果たせばいいだけなら、プロデューサーは、そもそも解くことが出来ないクイズを出題すればいいんだ。
クイズとして成立していない、適当な日本語を出鱈目にくっつけたなぞなぞっぽい何かを出題してもいいし、何ならクイズじゃなくてもいい。
とにかく私の気を引く何かであれば、何でも良かったんだ。
でもそれならどうして、プロデューサーは「緑色の空」のなぞなぞを出したんだろう?
あのなぞなぞは、時間こそかかるかもしれないけれど、街中を注意深く観察していれば、いつかは答えに辿り着けるような難易度のクイズだよ。
プロデューサー。
本当は、解いて欲しかったんでしょ?
あのなぞなぞを解いて、それから、プロデューサーがあのなぞなぞを出題した理由を知って欲しかったんでしょ?
「緑色の空」が「最終兵器」なら、このなぞなぞは本来解かれちゃいけないものだった。
でも万一、解かれてしまったら?
それでお終い、なんてことにはならないでしょ。
自然と、プロデューサーがあのなぞなぞを出題した動機に目が行くはずなんだ。
そうなれば、よっぽど察しの悪い人じゃない限り、「緑色の空」の一つ目の役割に気付くんだよ。
それが、もう一つの役割に関わってくるんだ。
103 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:11:17.90 ID:OJA0wgUK0
杏はね、プロデューサーの口から聞きたかったんだ。
認められたかったんだよ。
――私はあなたを必要としています。
その言葉を聞きたかったんだ。
認められたくて、でもプロデューサーは杏をすぐ子ども扱いするし。
プロデューサーに会えなくて寂しい、って告白紛いの言葉まで言ったのに。
悪かったって? 今さらだよ。
でもね、プロデューサー。
プロデューサーは既に、その言葉を杏に伝えてるんだよね?
だって、そう思ってもみなきゃ、会う理由なんてわざわざ作らないでしょ?
だから「緑色の空」は、その言葉――私はあなたを必要としています――という言葉を伝える役割も担ってたんだよね?
104 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:11:53.01 ID:OJA0wgUK0
……沈黙は肯定だよ?
あのさ、プロデューサー。
ちょっとさ、婉曲的すぎるんだよ。
杏、気付くのに半年かかっちゃったよ。
もっと真っ直ぐ言葉にしてくれればさ、杏もプロデューサーも傷つかずに済んだのにね。
杏たち、似てるんだよね。
そんなに似てないって?
……杏ね、プロデューサーが何も言ってくれないからさ、ずっと杏の一方通行だと思ってたんだよ。
杏はこんなにプロデューサーの方を見てるのに、プロデューサーは杏に目もくれない。
そう思ってたんだよ。
違ったんだ。
最初から、「緑色の空」のときから、ずっと杏を見てたんだね。
105 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:12:29.41 ID:OJA0wgUK0
プロデューサー、言ってたじゃん。
――俺のことなんか、目覚まし時計程度にしか思ってなくて。
あれだってそうだよ。
プロデューサーはあのときまでずっと、プロデューサーの一方通行だと思ってたんだよね。
ほら、似てるでしょ。
杏、ずっと気が付かなかったよ。
お互いがお互いを誤解してたんだ。
全く、大人はずるいよね。
そんな本心も隠しちゃうんだから、さ。
ね、プロデューサー。
「緑色の空」なんて道具に頼ってまで、苦痛を味わい続けるぐらいならさ、嘘なんて吐かなきゃいいのに。
今回はたまたま杏が察せたから良いけど。
次があるなんて思っちゃだめだよ。
だから杏はね、「緑色の空」を捨てるよ。
106 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:13:03.48 ID:OJA0wgUK0
緑色の空。
あれって、駐車場の、空車のマークでしょ?
107 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:14:00.58 ID:OJA0wgUK0
……合ってるよね?
うん、良かった。
ほんと、ずるい問題だよね。
漢字で書けばどっちも空だけどさ、読み方としては「ソラ」じゃなくて「カラ」の方が正しいじゃんか。
さて、と。
これでもう、「緑色の空」は使えなくなったよ。
杏たちを繋ぐ最終兵器は、晴れて粗大ごみになったんだ。
これが杏の選択だよ。
プロデューサー。
これは誰かさんの受け売りだけどさ。
言葉にしなきゃ、分からないんだよ。
ね、そうでしょ?
プロデューサー。
108 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:14:52.22 ID:OJA0wgUK0
☆
青色だ。
彼の目には青色が映っている。
私には、青色が映っているように見える。
吸い込まれそうな青。
世界中の青という青を集めて、ひとつにしたような群青。
遠くから眺めた海のような、近づけば消えてしまう青色。
私はその正体を知っている。
その青は、本物の彼だ。
例えばそれは、杏から、アイドル双葉杏を抜き去って残る、本物の私のようなもの。
誰もが心に住まわせている、隠された本性。
プロデューサーから、ひとりの社会人として、ひとりの大人として生きる彼を取り除いたときに残る、もう一人のプロデューサー。
彼はかつて、こう言っていた。
炎と空と人の一生は似ている。
青に始まって、赤を経由して、黒で終わる。
青色。
それなら、本物の彼は。
109 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:15:42.75 ID:OJA0wgUK0
大人じゃなくて、子供だ。
彼は、大人としての自分と、子供としての自分を同居させているのだ。
杏と同じなんだ。
私たちは、どこまでも似ていたんだ。
子供と大人の中間にいるんだ。
中途半端な存在なんだ。
最初から、ずっとそうだった。
全てを真っ直ぐに言葉にできるほど無垢じゃない。
でも、全てを完璧に隠し通してしまえるほど、強くも賢くもない。
だから、時には嘘を吐いて、時には間違えて、そうやって進んできた。
私の世界の色は、何色だろうか?
ふと、そんなことを思う。
青でも赤でもない。
何色でもない。
いや。
何色にだってなれるんだ。
無色透明のプリズムが、無数の色を映し出すように。
110 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:16:48.57 ID:OJA0wgUK0
☆
あれから二年が経過した。
大学生になった私は、少しだけ地に足を付けた格好をするようになった。
変わったことといえばそれぐらいで、アイドルはまだ続けているし、身長は相変わらずのままだ。
プロデューサー、すなわち私の元プロデューサーは、私以上に変化がない。
社会人なんてそんなものだ。
でも、人は小さな変化に気付きにくいと言うから、彼は彼で少しずつ変わっていっているのかもしれない。
私だってそうだ。
自覚がないだけで、刻々と変化していっているに違いない。
大人になるというのは、背負う責任が増えることだ。
散々聞かされたそのフレーズ。
私はその言葉を聞くたびに、憂鬱な気分になる。
責任。
嫌な言葉だ。
出来ることなら、何も背負わずに生きていたかった。
左手にうさぎのぬいぐるみだけ握って、一切の重たい荷物を持たずに、宙を泳ぐように生きていたかった。
でも、そんな生き方は机上の空論だ。
初めから分かっていた。
111 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:17:20.22 ID:OJA0wgUK0
――目の前には、無数の選択肢が転がっている。
どれを選んでもいいし、何も選ばないという選択肢ですらちゃんと目の前に落ちている。
どれを選んでも、選択の結果として、当然のように責任が付きまとう。
そのうち正解はひとつかふたつ程度だし、何を選ぼうが後悔することになる場合だってある。
でも、だからこそ。
選ばされるんじゃないんだ。
選ぶんだ。
選んで、無数の責任を背負って、時に後悔して、時に過去の自分を恨んで、そうやって生きていけばいい。
大丈夫。
人は後悔できるようなつくりになっている。
何色だっていい。
青色でも、夕焼けのようなオレンジ色でも、一点の濁りもない白だっていい。
夜明けのような黄色でも、太陽の沈みゆく瞬間の藍色だって許される。
空は緑色だっていいし、世界を真っ赤な嘘で塗りたくったっていい。
君の世界に色を塗るのは、君自身なんだ。
112 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[saga]:2019/08/18(日) 03:22:13.23 ID:OJA0wgUK0
終わりです
お付き合いいただきありがとうございました
113 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/08/18(日) 04:02:04.87 ID:ifTVfYH3o
乙
よかった
114 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/08/18(日) 07:05:09.94 ID:GEhGZQB1o
読みごたえあったわあ
クイズの答えは目から鱗w
115 :
◆YF8GfXUcn3pJ
[sage]:2019/08/18(日) 14:42:11.43 ID:OJA0wgUK0
気が向いたので少しだけ過去作の話をさせてください。
だいぶ前の過去作 高森藍子「終末旅行」
http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1499442756/
ちょっと前の過去作 モバP「ハッピーハロウィン!!! イヤッホォォォォウ!!!」
https://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1541309987/
などを書いてます。良ければそちらもよろしくお願いします。
116 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2019/08/19(月) 03:09:27.86 ID:uTRVkVSHO
おつ
117 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2019/08/22(木) 23:09:56.18 ID:xhmaATRLO
おつおつ
最高やんこんなの
やっぱり杏がナンバーワン!
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