曜「神隠しの噂」

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176 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/07(木) 23:48:13.03 ID:NOmScrmB0

鞠莉ちゃんは、そう言いながら、ずっと私のことを励まし続けてくれた。

この後も、何度か先ほど同様、『もう平気?』と聞かれたけど、私はそのたびに『平気じゃない』と答えると、鞠莉ちゃんは『わかった』と言って、抱きしめてくれた。

結局、私たちが『びゅうお』を去ったのは、真っ赤に燃える海が火種を失って、黒い顔を覗かせた頃になってからだった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「それじゃあね、曜」

曜「うん……」

鞠莉「……。……やっぱり、わたし泊まって行った方がいい?」

曜「あ、いや……大丈夫。さっき、いっぱいぎゅってしてもらったから……」

鞠莉「そう? いくら甘えてもいいのよ?」

曜「えっと……あのね」

鞠莉「?」

曜「これ以上、鞠莉ちゃんに甘えてると……ホントに離れられなくなっちゃう気がするから……」

鞠莉「そっか、わかった」


わたしは大人しく、曜の考えに頷いた。

本人がいいと言ってるなら、これ以上べったりするのも良くない気がしたから。


曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「ん?」

曜「ホントに……ありがと」

鞠莉「ふふ……他ならぬ曜のためだもの、気にしないで」

曜「うん……ありがとう」

鞠莉「それじゃ、明日学校、ちゃんと来てね?」

曜「うん」


曜が家の中に入っていくのを見届けてから、車を出してもらう。

もろもろの確認のためにスマホを取り出して、


鞠莉「……あ」


梨子からLINEが来ていることに気付く。梨子に報告するのを忘れていた。


 『梨子:曜ちゃん、見つかった・・・?』

 『Mari:見つけたわ。今家に送り届けたところ』


梨子に返信をすると、すぐに返事が来る。


 『梨子:よかった・・・みんな、心配してたよ』

 『Mari:ちょっと、いろいろあってね・・・みんな、何か言ってた?』

 『梨子:何かあったのかとは聞かれたけど、鞠莉ちゃんが一緒にいるって言ったら、みんなそれ以上は追及してこなかったよ』


結局、今日は練習に全く参加できなかった分、皆からもいろいろ訊かれると思っていたから、正直梨子の機転に救われた。
177 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/07(木) 23:53:08.86 ID:NOmScrmB0

 『Mari:ありがとう、助かるわ』

 『梨子:やっぱり・・・内容は聞かない方がいい?』

 『Mari:うん・・・ごめん、そうしてくれると助かるかな』

 『梨子:わかった。もしまた、他のみんなに聞かれたら、ごまかしておくね。曜ちゃんの荷物と靴は放置しておくわけにもいかないと思ったから、一応、私が持ち帰ったよ。明日曜ちゃんに返すね』

 『Mari:なにからなにまで、Thank you. 梨子』


最後に『どういたしまして』とメッセージの添えられたスタンプが送られてきて、会話が終わる。


鞠莉「……ふぅ」


わたしは車の中で一息吐く。

遅かれ早かれこういうことはあると思っていたけど……。


鞠莉「……キスか」


曜はキスしているところを見てしまったと言っていたけど、正直あのダイヤが校内でそんなハレンチなことするとは思えない──もとい、そういう度胸があるとは思えない。

今回に関しては、曜の見間違いか、勘違いだとは思うけど……重要なのはそこじゃない。

二人のそういうスキンシップを見ると、今の曜は傷つく、ということだ。

曜も言っていたけど、二人が恋人としてのスキンシップをしているだろうというのは、Aqoursの全員がわかっていることだ。

結局のところ、最終的に見なければいいとか、そういう問題ではなく、その事実を曜自身が心から受け止められないと、根本的な解決にはならない。

もっともっと時間を必要とすることだ。


鞠莉「……やっぱり、一筋縄で気持ちに整理なんてつかないわよね」


今回の曜の落ち込みようは、今まで見た中でも郡を抜いていたし……しばらく、気を付けて見てあげた方がいいかもしれない。


鞠莉「明日は……迎えに行こうかな」


曜の家は学校とは反対方向だけど……せっかくだから、車を出してもらって迎えに行こう。

一人だともしかしたら、学校に行く勇気が持てない可能性もあるしね……。

わたしは帰りの車の中、車窓を流れる夜の内浦を眺めながら、ずっと曜のことを考え続けていた。





    ✨    ✨    ✨





──9月18日水曜日。


鞠莉「よっと……」


ホテルから出港した船から降りて、辺りを見回す。

本島に着いた今は午前の6時。まだ小原家の車は到着していないようだった。

遅い……と言いたいところだけど、昨日は重要なタイミングで全速力で駆けつけてくれたわけだし、大目に見よう。

車を探す最中、ふと接岸してある一艇の水上スキーが目に留まる。

この水上バイクには見覚えがあった。


鞠莉「これ、果南の……?」
178 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/07(木) 23:56:48.29 ID:NOmScrmB0

確かに、果南は朝早くから、ダイビングショップの準備をしているから、水上バイクに乗っているのはおかしくないけど……。なんで本島に停めてあるのかしら?

ここに水上バイクがあるということは、恐らく近くにいるはずと思い、キョロキョロと周囲を探してみると、


鞠莉「……あ、いた」


近くに見覚えのある、紺碧のポニーテールを見つける。


鞠莉「かなーん!」


手を振りながら、果南に声を掛けると、


果南「? 鞠莉?」


果南が振り返る。そして、それと同時に果南の影に隠れていた、もう一つの人影に気付く。


花丸「ずら?」

鞠莉「花丸?」


こんな早朝から何してるのかしら……?

珍しい組み合わせだし……。


果南「鞠莉、おはよ」

花丸「鞠莉ちゃん、おはようずら〜」

鞠莉「Good morning. 二人とも」

果南「どうしたの? こんな朝早くから」

鞠莉「それはこっちのセリフよ? こんな朝早くから、花丸と二人なんて珍しいわね。何かあったの?」

果南「ん……あー……えっとね」


果南が眉を顰める。


鞠莉「? 言いづらいこと? Assignation──逢引?」

果南「違う」

花丸「実は、果南ちゃんに御祓いのお願いをされて……」

鞠莉「……オハライ?」


今度は私が眉を顰める番だった。朝から何をやってるんだろう。


花丸「実はね、果南ちゃん、朝の仕事をしてるときに、流されてる船を見つけたらしくって」

鞠莉「船?」

果南「あ、船って言っても、そこらへんにある普通の小船じゃないよ? 木で出来たちっちゃな船の形をしたものなんだけど」

鞠莉「……?」


それって、曜の家にあったような木造の模型みたいなものかしら……?
179 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:01:03.68 ID:WJ3m1kFK0

花丸「実はね、昔っから、この辺には、その木の船を使ったお蠱いがあるんだよね」

鞠莉「そうなの……? 聞いたことないけど」

果南「この辺って言っても、ここよりももうちょっと大瀬の方にある話なんだけどね……。まあ、その……ちょっと縁起の悪いやつなんだよね」

鞠莉「Hm...?」

花丸「……ざっくり言うと、嫌いな人を消す呪いみたいなやつなんだよね」

鞠莉「Curseデスか……。確かにそれは穏やかじゃないわね」


しかも、嫌いな人を消すだなんて……。


果南「……まあ、昔からある話だから、稀に見ることはあったんだけどね。ほとんどはただの悪戯なんだろうけど……」

花丸「狐狗狸さんみたいに、興味本位って言うのはありそうだよね」

鞠莉「それを今日たまたま見つけたってこと?」

果南「うん。仕事してたら、沖の方に流れてきててさ……」


なるほど。……とは言うものの、


鞠莉「木の船が流れてるだけで呪いって言うのは……ちょっと極端じゃない?」


さすがにそれだけで呪い断定は、早計な気がする。

すると、花丸が、


花丸「あ、えっとね……ただ、船を流すだけじゃなくて、上に魚を乗せて流すんだよ」


と、補足をする。


鞠莉「Fish?」

果南「そ。その魚に、居なくなって欲しい人の身に付けていた小物とかを飲み込ませて流すんだよ」

鞠莉「……急に悪趣味な話になってきたわね」


再び眉を顰めてしまう。確かにそれは呪いっぽい手順かもしれない。


花丸「それで、マルが呼ばれて、その木の船と魚を、じいちゃんに引き渡したところだったんだよ」

鞠莉「花丸の家って、そういうこともやってるんだ?」

花丸「本来は神道系の儀式らしいから、仏教のお寺では管轄外なんだけど……御祓いくらいは、別にお寺でも頼まれれば普通にするからね。たぶん、このあと、お焚き上げすることになると思うずら」

果南「まあ……たぶん、そこまでしなくても何もないとは思うけど……気味悪くてさ」

鞠莉「あー……果南、そういうの苦手だもんね」

果南「……/// 別にそういうわけじゃないし……/// 不吉だなってだけ」

鞠莉「素直に怖がれば、可愛げもあるのに」

果南「うるさいな……余計なお世話だよ」


果南が苦い顔をする。
180 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:10:43.36 ID:WJ3m1kFK0

花丸「まあ、何もないと思うのはマルも同意見だけど」

鞠莉「そうなの?」

花丸「うん。聞いてた方法と細かい手順が違ったし」

鞠莉「? どういうこと?」

果南「本来、船に乗せる魚は、『神池』っていう特別な池で捕まえてきた淡水魚なんだよ。でも、私が今日見つけたのに乗ってたのは鯖だったんだよね」

鞠莉「サバ……。……呪いをやった人は、随分適当なのね」

果南「あはは……それには同意かな。そんなにじっくり見たわけじゃないけど、木の船も、かなり造りが雑だったし……だから、やっぱり悪戯かなって」

花丸「魚を乗せて流すくらいの断片的な情報しか知らなかったのかもね。それか時間がなかったか。『神池』はここからじゃ遠いし。どっちにしろ、趣味が悪いことには変わりないけど」

鞠莉「ふーん……」


まあ、人を呪いたいなんて思う人の気持ちなんて、別に知りたいとも思わないから、なんでもいいんだけど。


果南「ところで、鞠莉」

鞠莉「What?」

果南「あれ、鞠莉の家の車じゃない?」

鞠莉「え?」


果南が指差した方を見ると、小原家の車が到着して、わたしを待っているところだった。


鞠莉「いけない……忘れてた。二人とも、後でね」

果南「うん、また学校で」

花丸「ばいばーい」


二人と別れて、わたしは車に乗り込む。


運転手「おはようございます。鞠莉お嬢様」

鞠莉「Good morning. 待たせて、ごめんなさい。曜の家まで、お願い」

運転手「かしこまりました」


呪いなんかより、今は曜の下へ行くことの方が大事だ。

わたしは、運転手を促して、早朝の内浦を走り出すのだった。





    *    *    *





曜「……ママ、おはよう」

曜ママ「おはよう。早く朝ごはん食べちゃってね」

曜「はぁい……」


ママがパタパタと忙しなく朝の支度をしている中、私は非常に憂鬱だった。

学校……行きたくないな。

千歌ちゃんと、どんな顔して会えばいいんだろうか……。

でも、鞠莉ちゃんと約束したし……ちゃんと行かなきゃ。

あんなことの直後で夢見は最悪だったし──相変わらず内容は思い出せない──食欲はないけど、頑張って食べよう……。

ご飯と味噌汁を胃袋に詰め込む作業をしていると──ピンポーンと音が鳴る。
181 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:24:09.04 ID:WJ3m1kFK0

曜ママ「あら? 朝からお客さん……」


ママが玄関の方に小走りに向かっていく。朝から誰だろう。

──数分後、リビングに戻ってきたママの隣には、


鞠莉「チャオ〜♪」

曜「ま、鞠莉ちゃん!?」


鞠莉ちゃんの姿。


曜ママ「鞠莉ちゃんも朝ごはん食べていく?」

鞠莉「いえ、朝食は取って来たので、大丈夫です」

曜「え、鞠莉ちゃん、どうしたの……?」

鞠莉「んー? 曜を迎えに来たの♪」

曜「迎えって……家、逆の方向だし……」

鞠莉「だって、曜に会いたかったんだもん♪」

曜「鞠莉ちゃん……」

曜ママ「あらあら、二人とも仲良しさんね♪」

曜「ちょっと待ってて! 朝ごはんすぐ食べちゃうから!」

鞠莉「ふふ……まだ時間あるからゆっくりで大丈夫よ」


そうは言うものの、待たせるのも申し訳ないので、私はご飯をかき込むのだった。





    *    *    *





鞠莉「学校まで、お願いね」

運転手「かしこまりました」


鞠莉ちゃんが運転手さんにお願いすると、車は朝の沼津市内を浦の星女学院に向かって走り出す。

私はというと、鞠莉ちゃんの隣に座ったまま、鞠莉ちゃんと手を繋いでいた。


鞠莉「ふふ♪」


鞠莉ちゃんが突然笑う。


曜「な、なに……?」

鞠莉「うぅん、昨日から曜が素直に甘えてくれて嬉しいなって思って♪」

曜「ん……///」


面と向かってそう言われるのは恥ずかしいから、ぷいっと顔を背けて、景色に目を向ける。

でも、手は繋いだまま。


鞠莉「ふふ……」


千歌ちゃんと顔を合わせるのは、不安だけど……鞠莉ちゃんの顔を見たら、少しだけ勇気が貰えた気がする。

今日も……頑張ろう。
182 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:25:14.02 ID:WJ3m1kFK0




    *    *    *





──浦の星女学院、昇降口。


鞠莉「荷物と靴は梨子が後で持ってきてくれるみたいだから」

曜「うん」


今日は通学に使う革靴がなかったから、運動靴で登校してきた。

これは、袋にでも入れておこうかな……。


鞠莉「ああ、あと……」

曜「?」


鞠莉ちゃんから何かが入った袋を手渡される。

中を覗いてみると──新品の上履きが入っていた。


曜「え」

鞠莉「ボロボロな上履きじゃイヤでしょ? 新しいの用意したから」

曜「え、いや、でも……お、お金払うね」

鞠莉「別にいいよ。あげるから」

曜「で、でも……」

鞠莉「じゃあ、マリーからのプレゼントってことじゃダメ? ちょっと色気のないプレゼントだけど……」

曜「鞠莉ちゃん……。……ありがとう」


確かに実際問題、ボロボロの上履きで校内を歩いていたら変に目立つだろうし、有り難く頂戴することにした。

早速履かせてもらう。


鞠莉「サイズ、平気?」

曜「うん、ぴったり」

鞠莉「そっか、ならよかった」


新品の上履きを履いて、教室に向かって歩き出そうとする私の背中を鞠莉ちゃんが──ポンと、叩く。


鞠莉「お昼に、理事長室で待ってるから、いってらっしゃい」

曜「……! ……うん、いってきます」


息を整え、鞠莉ちゃんからの激励を胸に、私は教室へ歩き出した。





    *    *    *





教室に着くと──


梨子「! 曜ちゃん……!」
183 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:26:36.52 ID:WJ3m1kFK0

梨子ちゃんが駆け寄ってきた。


曜「梨子ちゃん、おはよう」

梨子「おはよう……大丈夫?」

曜「うん」

梨子「これ……荷物」


梨子ちゃんから自分のバッグと袋に入った革靴を受け取る。


曜「ありがとう。面倒掛けちゃって、ごめんね」

梨子「うぅん……何があったのかはわからないけど……無理しないでね?」

曜「うん、ありがとう、梨子ちゃん」


踏み込んで来ないでくれる梨子ちゃんの優しさが身に沁みる。

梨子ちゃんに感謝しながらも、改めて教室の中に視線を配らせてみると──


千歌「…………」


千歌ちゃんがこちらをちらちらと気にしていた。

千歌ちゃんの姿を見た瞬間──昨日の生徒会室での光景がフラッシュバックして、


曜「──……っ……」


胸が軋む。

でも……ケンカしているわけでもないのに、千歌ちゃんを避けるわけにもいかない。

小さく深呼吸して、千歌ちゃんの隣の席──即ち、自分の席へと歩き出す。


曜「ち、千歌ちゃん……おはよう」

千歌「曜ちゃん……。……おはよう、体調大丈夫……?」

曜「う、うん……」


千歌ちゃんの顔が直視できない。


千歌「曜ちゃん……?」


ああ、ダメだ……やっぱり、私──


梨子「千歌ちゃん、曜ちゃん本調子じゃないみたいだから……」

千歌「あ……それもそうだよね、ごめん」

曜「いや……こっちこそ、ごめんね」


そのまま、千歌ちゃんと目を合わせずに、私は机に突っ伏した。


千歌「…………」


千歌ちゃん……今、私のこと心配してる。

それはわかった。でも──そんな今でも、千歌ちゃんの心の中心には、ダイヤさんが居る気がして、胸の痛みが、止まらなかった。


184 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:35:47.33 ID:WJ3m1kFK0


    *    *    *





──お昼休み。

私は教室から逃げるようにして、理事長室に直行していた。

──コンコン。理事長室の扉をノックするが、反応がない。

ノブに手を掛けてみると……。


曜「……鍵閉まってる」


どうやら、早く来すぎたようだった。


鞠莉「──……曜? もう来てたんだ」

曜「!」


待ち人来たり。振り返ると、鞠莉ちゃんの姿。


曜「鞠莉ちゃん……」


鞠莉ちゃんの姿を見ると、不思議と安心する。


鞠莉「ふふ……早く一緒にご飯食べましょうか」

曜「うん……!」





    ✨    ✨    ✨





──お昼の時間が終わり、わたしは曜と別れて、教室へと戻ってきた。


鞠莉「…………」


昼休みの時間いっぱい、曜は理事長室に居た。

曜……よほど、千歌と顔が合わせ辛いのね……。

無理もない。

今は少しでも、わたしが曜の近くに居てあげないと……。


 「──りさん、鞠莉さん?」


わたしはある種の義務感さえ感じていた。曜に頼られていることが嬉しかったというのもあるけど……。

今は、わたしの隣が曜の居場所だから──


ダイヤ「鞠莉さんっ!!」

鞠莉「!?」


急にすぐそこで大声がして、びっくりして顔をあげる──声の主はダイヤだった。
185 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:37:22.63 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「な、なんだ……ダイヤか……」

ダイヤ「なんだとはご挨拶ですわね……。……これ、先ほど、教諭の方から、預かりましたの」

鞠莉「ん……?」


ダイヤから手渡された書類が入っている封筒を受け取る。


ダイヤ「きっと、重要書類だと思いますわ。ちゃんと届けましたからね?」

鞠莉「あ、うん。Thank you. ダイヤ」


書類なら、理事長室に届けてくれれば、そのうち読むのに……。

あ、でも……今は、理事長室は曜との空間だから、邪魔しないでくれたなら、それはそれでいっか。


ダイヤ「……鞠莉さん」

鞠莉「……?」

ダイヤ「貴方……大丈夫ですか……?」

鞠莉「What...? 何が?」

ダイヤ「いえ……少し、ぼんやりしていたので」

鞠莉「え……そうかな」

ダイヤ「……気のせいなら、いいのですけれど。しっかりしてくださいませね。貴方はこの学校の理事長なのですから」

鞠莉「もう、ダイヤったら心配性なんだから♪ マリーはこのとおり、元気全開よ?」

ダイヤ「……それなら、構いませんわ」


ダイヤは肩を竦めて、自分の席へと戻っていった。

その様子を見ていた、果南が、


果南「……? 鞠莉、またなんかやったの?」


失礼な質問を投げかけてくる。


鞠莉「なんで、わたしが何かした前提なの……?」


わたしは思わず難しい顔になってしまう。


鞠莉「いつものダイヤのシンパイショーが発動しただけデース」

果南「ふーん……まあ、理事長の仕事について少しでもわかるのって、生徒の中じゃダイヤくらいだもんね」

鞠莉「それについても、わたしはちゃんとやってるから大丈夫なんだけどなー」


それに今は曜のことの方が大事だ。

理事長も大事だけど、今は曜の傍に居てあげたい。わたしはただ、そんなことを考えていた。





    ✨    ✨    ✨





千歌「──それじゃ、明日の梨子ちゃんのお誕生日会についての会議を始めます!!」
186 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:39:22.35 ID:WJ3m1kFK0

チカッチがホワイトボードを叩きながら、会議を始める。

──今は放課後、スクールアイドル部の部室だ。

明日の9月19日は梨子の誕生日だから、今日はお祝いの準備をしようということになっていた。

ちなみに、この場での欠席者は梨子とダイヤ。

チカッチ曰く──『梨子ちゃんにはうまいこと話つけて、今日の部活はないって言っておいた!』──とのことだけど、十中八九、梨子が察してくれたってだけな気はする。

一方でダイヤは、仕事がまだ片付いてないとのことだった。

メンバーの誕生日のお祝いよりも大事な仕事デースか……。

相変わらずの生真面目さにやれやれと思ってしまう部分もあるけど、それもまたダイヤだ。

そして、何より──


曜「……ん? 何?」

鞠莉「ふふ……うぅん、なんでもないよ」


すぐ隣の席に腰掛けている曜のことを考えると、ダイヤには悪いけど、今は安心かもしれない。なんて思ってしまう。

まあ、せめて、気持ちが落ち着くまでは……ね。

昨日の今日では、曜もしんどいだろうし……。

思わず、机の下で、曜の手を握ってしまう。


曜「!」


曜は少しびくっと肩を竦ませたけど、


曜「……」


そのまま、控えめにわたしの手を握り返してくれた。


善子「……そこのリア充たち、聴いてる?」


千歌同様、ホワイトボードの前で計画担当をしている善子が、睨んでくる。


鞠莉「聴いてマース♪ ほら、早く続けて続けて♪」

善子「……はぁ。まあ、やることやってくれれば、別にいいけど……それじゃ、買出し斑は千歌と花丸と果南。飾り付け斑は私と曜と鞠莉ね。ダイヤはどうしようかしら……」

千歌「ダイヤさんは買出し斑がいいです!」

善子「うっさい、バカップルのバカ担当」

千歌「え、酷い!」

花丸「……そうなると、ダイヤさんはプル担当なのかな」

果南「プル担当……? まあ、それはともかく後から来て、買出し組を追いかけるのは効率悪いでしょ。ダイヤは飾り付けに入ってもらったほうがいいよ」

千歌「ちぇ〜……いいもんいいもーん」


そんな中、隅っこの方に居た一人が、おずおずと手をあげた。


ルビィ「あ、あのぉ〜……ルビィの担当は……」

果南「……?」

千歌「……?」


果南と千歌が、不思議そうな顔をした。
187 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:40:24.23 ID:WJ3m1kFK0

善子「……? ……あ、えっと……そうね」

花丸「ルビィちゃんは飾り付けでいいんじゃないかな。ルビィちゃんはそういう作業、得意だし」

善子「ルビィ……。……そ、そうね。ルビィは飾り付け担当で」

曜「……?」


何故か急に歯切れが悪くなった、善子を見て、曜が首を傾げる。


鞠莉「曜?」

曜「……あ、いや……なんでもない……?」


曜は曜で、不思議そうな顔をしていた。

恐らく、みんなのルビィちゃん? の扱いがよそよそしいことが気になったんだと思う。

でも、仕方ない。だって、マルが連れてきたお友達なんだし。


鞠莉「それじゃ、みんな作業を──」


始めようと言い掛けた、そのとき──


ダイヤ「──鞠莉さんっ!!!」

鞠莉「!?」


部室の引き戸を勢いよく開けながら、ダイヤが入ってきた。


千歌「ダイヤさん……?」

ダイヤ「はぁ、はぁ……!! 鞠莉さん、貴方何をしてるのですか!?」

鞠莉「え……何って……」


息を切らせながら、わたしの方に近寄ってくる。


ダイヤ「いいから、早く来なさい!!」

鞠莉「え……?」


ダイヤはそのまま乱暴にわたしの腕を掴んで、部室から引っ張っていく。


曜「鞠莉ちゃん……?」


そのとき、曜と繋いでいた手が離れて──彼女の不安そうな顔が目に入る。


鞠莉「ダイヤ……! 引っ張らないで!!」

ダイヤ「いいから来なさいっ!!!」

鞠莉「……!!」


普段の怒っている雰囲気とは明らかに違う。これは長年の付き合いから来る勘だけど──憤怒というより、叱責のニュアンスが感じられた。


鞠莉「わ、わかった……」


わたしは大人しく、ダイヤと共に部室を出ることにした。


曜「……」


──曜……ちょっとの間、離れるね。ごめんね。

188 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:42:07.79 ID:WJ3m1kFK0



    ✨    ✨    ✨





ダイヤ「鞠莉さん、貴方本気で忘れていますのね!?」

鞠莉「え……?」

ダイヤ「……ぼーっとしていると思った時点で、もっとしっかり確認するべきでしたわ」

鞠莉「忘れてるって……なに、が……」


──サーっと血の気が引いていく。今日って……。


ダイヤ「……やっと思い出しましたわね」

鞠莉「……理事会議事……」


完全に失念していた。

理事長としての仕事を放り出してしまっていた。


ダイヤ「いつまで経っても理事長が来ないと、わたくしのところに話が来て……案の定、部室でのんきに部活をしていましたのね」

鞠莉「……ごめん」

ダイヤ「全校にアナウンスしなかったのは、先方が貴方のメンツを気遣ってくれたからのようですけれど……。……曜さんに御執心なのは結構ですが、自分の責を忘れるのはどうかと思いますわよ」

鞠莉「……」


返す言葉がなかった。

ダイヤの言うとおり、曜の傍に居ることで頭がいっぱいだった。

ただダイヤは、わたしが余りに真っ青な顔で俯いていたせいか、


ダイヤ「…………まあ、しかし。失敗は誰にでもありますわ。しっかり、謝罪をすれば、そこまで極端に責められるようなことでもないでしょう」


フォローをしてくれる。


ダイヤ「わたくしも一緒に謝罪しますので──」

鞠莉「……いい」

ダイヤ「……ですが」

鞠莉「……これは、わたしのミスだから。一人でちゃんと、頭下げて、議事に参加してくる」

ダイヤ「……そうですか」

鞠莉「……教えてくれて、ありがとう。ダイヤ」

ダイヤ「いえ……。……わたくしも、少し言い過ぎましたわ。議事頑張ってください」

鞠莉「うん……行って来る」


わたしは、自分のミスに後悔しながらも、理事会議事を行っている、会議室へと、一人急ぐのだった。





    *    *    *


189 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:43:27.94 ID:WJ3m1kFK0


ルビィ「……よいしょ……んー!!」

曜「あ、ルビィちゃん、そこ代わるよ」

ルビィ「あ、ごめんね……曜ちゃん。ルビィ、背が低くて……」

曜「あはは、これくらい謝るようなことじゃないって」


ルビィちゃんの代わりに、高いところの飾りをつける。


曜「これでよし」

ルビィ「ありがと、曜ちゃん」


着々と飾り付けは進んでいる。

そんな中ルビィちゃんが、


ルビィ「ねぇ……曜ちゃん」


耳打ちをしてくる。


曜「何?」

ルビィ「……ルビィ、なんかしちゃったのかな……」

曜「……ん」


言われてルビィちゃんの視線の先を見ると、


善子「……」


善子ちゃんが私たちの視線に気付いて目を逸らす。


曜「確かに……なんか、皆、変だよね」

ルビィ「うん……。曜ちゃんと花丸ちゃん以外、なんかよそよそしいというか……」


なんでだろうか。

もしかして、梨子ちゃんの誕生日の二日後にはルビィちゃんの誕生日があるから、そのためのサプライズの準備とか……?

でも、ならなんで私はそれを知らないんだろう……。

……こういうときは、ストレートに訊いちゃう方が早い。


曜「ちょっと、善子ちゃんに直接訊いてくるよ」

ルビィ「え、ええ!? で、でも……」

曜「何かあったんだとしたら、早めに解決しておきたいでしょ?」

ルビィ「ぅゅ……わ、わかった……」


人のことだったら、訊きにいけちゃうのになぁ……。

これが自分のことだったら、絶対こうはいかないのがもどかしい。
190 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:45:25.44 ID:WJ3m1kFK0

曜「──善子ちゃん」

善子「……何? あと、ヨハネ」

曜「ルビィちゃんと何かあったの?」

善子「何かって……? 何もないわよ。ありようがないじゃない」

曜「いやでも、よそよそしいなって……ルビィちゃん気にしてたよ?」

善子「……むしろ、アンタがすごいのよ」

曜「……? どういうこと?」

善子「言葉通りの意味よ……これだから、コミュ強は……」

曜「……? なんかよくわかんないけど、何もないならちゃんと仲良くするんだよ? 同じ一年生なんだから」

善子「……わかったわよ。善処する」


なんだか、歯切れが悪いことには変わりないけど、何か不満があるわけではなさそうだ。

それをルビィちゃんに伝えると、


ルビィ「そっか……よかったぁ」


ルビィちゃんは心底安堵したような息を吐いた。

──ただ、この後も、準備を黙々と進めている中、何故か善子ちゃんは、ルビィちゃんには全然近付こうとしなかったのだった。





    *    *    *





曜「こんなもんかな……」

善子「そうね……それじゃ、帰るわね」


善子ちゃんが手早く荷物をまとめて、出て行こうとする。


曜「え、善子ちゃん、もう帰るの?」

善子「……これ以上やることもないし。あと、ヨハネだからね?」

曜「いやまあ……別にいいけど」

善子「何? 一緒に帰りたいの? それなら、考えてあげなくもないけど」

曜「私は鞠莉ちゃん待つから」

善子「……聞いて損した。ごちそうさま。それじゃ、また明日ね」


善子ちゃんは肩を竦めて、部室から出て行ってしまった。


ルビィ「ぅゅ……やっぱり、ルビィ、何かしちゃったのかな……」

曜「うーん……」


確かに方向は同じなんだから、ルビィちゃんと一緒に帰ってもいいものなのに。

ただ、本人が何もないと言ってる以上なんとも……。

なんて、考えていたら、


 「──あら……もう善子さんは帰ってしまわれたのですわね?」


急に出入り口の方から声を掛けられて、びくっとする。
191 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:46:45.04 ID:WJ3m1kFK0

曜「ダ、ダイヤさん……」

ルビィ「お姉ちゃん……」

ダイヤ「ごめんなさい、準備のお手伝い、ほとんど出来なくて……」

ルビィ「うぅん……生徒会の仕事があったんでしょ? 仕方ないよ」

ダイヤ「ルビィ……ありがとう」

ルビィ「もうお仕事終わったなら、一緒に帰ろ……?」

ダイヤ「ええ、そうですわね。曜さんはどうしますの?」

曜「あ、えっと……鞠莉ちゃんを待とうかなって」

ダイヤ「……そうですか」


ダイヤさんは少し思案顔をしてから、


ダイヤ「──鞠莉さんのこと、お願いしますわね」


そんな意味深なことを言う。


曜「え?」

ダイヤ「それでは、帰りましょうか。ルビィ、いきますわよ」

ルビィ「あ、うん。ばいばい、曜ちゃん」

曜「う、うん……また明日」


去っていく二人を見送る。


曜「……お願いしますって、どういうことだろう」





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「…………」


重い足取りで部室を目指しながら、先ほどまでのことを反芻する。

今日の議事は酷いものだった。

まず入って早々、『理事長、重役出勤ですね』と、わたしをあまりよく思ってないであろう役員に、きつい皮肉を浴びせられて、頭を下げた。

しかし、これは仕方ない。議事を忘れていたのは、わたしだ。

だけど、今日の議事中、何かと揚げ足を取られることが多かった。

──『学業と理事長の両立は大変でしょう』とか『煌びやかな部活を行うのも結構ですが、ちゃんと理事長としての仕事に集中出来てますか?』とか……。


鞠莉「……はぁ」


でも、隙を見せてしまった自分が悪い。

もともと特殊な立場なんだし、一層注意を払うべきだった。


鞠莉「……曜の前ではしっかりしないと」
192 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:48:00.41 ID:WJ3m1kFK0

部室が近くなってきたところで、切り替える。

今は曜に気を遣わせるときではない。

──部室を窓から覗くと、中で曜が一人で待っているところだった。

……わたしのこと待っててくれたのかな。


鞠莉「──曜、お疲れ様」

曜「あ、鞠莉ちゃん!」

鞠莉「ごめんね、待っててくれたの?」

曜「うん」

鞠莉「そっか……」

曜「鞠莉ちゃん、結局なにがあったの?」

鞠莉「んー? まあ、ちょっと急ぎの仕事が入っちゃって」


嘘だけどね……。議事があるのは、もともと決まってたことだし。


曜「そうなんだ」

鞠莉「でも、もう終わったから」

曜「……ねぇ、鞠莉ちゃん」

鞠莉「ん?」

曜「今日……泊まりに行っていい?」

鞠莉「! もちろん、曜ならいつでも大歓迎だヨ!」

曜「じゃあ、先に校門で待ってるね! ママに連絡しないといけないから!」


そう言いながら、曜は部室を飛び出していった。

それにしても、急にお泊りの提案をされたのは、正直驚いた。

それくらい曜は今、不安なのかもしれない。


鞠莉「わたしが、しっかりしないと……」


車の手配の連絡を入れながら、わたしも曜の後を追って、校門へと向かうのだった。





    ✨    ✨    ✨





──ホテルオハラ。


曜「やっぱりこのソファー、最高……」

鞠莉「ふふ……また寝ちゃうわよ?」

曜「鞠莉ちゃんも隣来て?」

鞠莉「ふふ、わかった♪」


もう、曜ったら、実は膝枕して欲しかったのかしらね?

なんだか、笑ってしまう。

言われたとおり、隣に腰を下ろすと──
193 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:49:28.28 ID:WJ3m1kFK0

曜「……鞠莉ちゃん」


曜に抱きしめられた。


鞠莉「え……」

曜「……」

鞠莉「よ、曜……? 急にどうしたの?」

曜「……嫌なこと、あったんだよね」

鞠莉「え」

曜「……理事長のお仕事で何かあったの?」

鞠莉「ち、ちょっと待って……わたしはいつも通り──」

曜「いつも通りじゃないよ」

鞠莉「……!」

曜「鞠莉ちゃんのこと……ずっと、見てたもん……わかるよ」

鞠莉「……いや……その……」

曜「言いたくないなら、言わなくていい」

鞠莉「…………」

曜「でも……鞠莉ちゃんが辛そうにしてるのは放っておけないよ」

鞠莉「……」

曜「だって……鞠莉ちゃんも、私が辛いときにぎゅって……してくれたもん……」

鞠莉「……っ」


より強く、曜がわたしを抱きしめるからか、何故だか、急に、

涙が溢れてきた。


鞠莉「…………っ……」

曜「鞠莉ちゃん……いつも、一人で背負って、戦ってるんだよね……私たちのために、ありがとね……」

鞠莉「……わ、わたし、は……っ……」

曜「ありがとう……鞠莉ちゃん……」

鞠莉「……ちがうの……っ……わたし、失敗……しちゃって……っ……」

曜「……うん」

鞠莉「…………隙、見せちゃいけない……って、わかってたのに……っ……わたし、しっかり出来なきゃダメって……わかってたのに……っ……」

曜「……いろいろ言われちゃった……?」

鞠莉「……ぅ……っ……ぐす……っ……。……じぶんの、せい……だけど……っ……スクールアイドル……なんかに、かまけてるから……って……いわれ、て……っ……。……わ、わたし……くやしくて……くやしくて……っ……!」

曜「……うん」

鞠莉「……スクール、アイドル……っ……すごいのに……っ……! ばかにされて……っ……でも、いいかえせなくて……っ……!」

曜「……うん」

鞠莉「……くだらなくなんか……ないのに……、くだらなくなんか……ないのにっ……! ……ぅ、ぐす……っ……」


うまく言葉がまとまらない。

涙と一緒に、ただ悔しかったという気持ちが言葉と一緒に溢れ出してくる。

でも、曜は──


曜「……うん……。悔しいよね……」
194 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:51:25.27 ID:WJ3m1kFK0

わたしが泣き止むまで、ただ、頷いて話を訊き続けてくれたのだった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「……はぁ……」

曜「落ち着いた?」

鞠莉「……泣きすぎて、疲れた」

曜「あはは……かもね」


気付けば、もうすっかり日も暮れてしまっていた。


鞠莉「……曜」

曜「ん?」

鞠莉「……最初から、こうするつもりで、泊まりたいとか言ったでしょ」

曜「……ばれた?」

鞠莉「……ばか」


曜の胸に顔を埋める。


曜「だって……放っておけなかったし……嫌だった?」

鞠莉「……うぅん……言えてちょっとすっきりした……」

曜「そっか、ならよかった……」

鞠莉「……悔しい」

曜「……そうだよね、いろいろ言われて──」

鞠莉「そっちじゃなくて……」

曜「え?」

鞠莉「わたしが曜を慰めるつもりだったのに、逆に慰められちゃって悔しいの……っ!」

曜「ええ……」

鞠莉「……ごめん。曜も辛いのに……」

曜「うぅん、だから……かな」

鞠莉「……だから……?」

曜「苦しいとき……悲しいときに……誰かが傍に居てくれることが、どれだけ嬉しいか……教えてくれたのは、鞠莉ちゃんだから……」

鞠莉「曜……」

曜「だから、私が悲しいときは、鞠莉ちゃんに傍に居て欲しいし……鞠莉ちゃんが悲しいときには、私が傍に居てあげたい」

鞠莉「……///」


まるでプロポーズみたいだ。聞いているうちに、なんだか、だんだん恥ずかしくなってきたので、


曜「わぷっ……!?///」


仕返しに曜を無理矢理、自分の胸元に抱き寄せる。
195 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:52:56.50 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「今度は曜が抱きしめられる番なんだから……」

曜「ご、強引すぎでしょ!?///」

鞠莉「……抱きしめられるより、抱きしめる方がしっくりくるのよ!」

曜「ま、鞠莉ちゃん、苦しいってー!///」

鞠莉「曜」

曜「な、なに!?///」

鞠莉「......Thank you.」

曜「! ……うん」


いろんなことを、気負いすぎていたのかもしれない。

曜とは──支えて支えられて、そういう関係を築いていけるなら、悪くないなと、そんなことを思ったのだった。





    ✨    ✨    ✨





──あの後、一緒にご飯を食べて、お風呂に入って、あっという間に就寝の時間。

ベッドに入ったら、曜はすぐに寝入ってしまった。

今日は、朝から気を張っていただろうし……更に、わたしのことも考えてくれていたから、疲れたんだと思う。


曜「…………すぅ……すぅ……」

鞠莉「曜……寝ちゃった……?」

曜「………………ん、ぅ………………すぅ……すぅ……」

鞠莉「…………」


暗闇の中で、じーっと……曜の顔を見る。

穏やかな寝顔だった。

なんだか、見ているだけで温かい気持ちでいっぱいだった。幸せだ。

支えて、支えられて、曜とそんな関係になりたい。心の底から、わたしはそう思っていた。

もう、自分の気持ちに嘘は吐けない。わたし──


鞠莉「曜のことが……好き」

曜「…………すぅ…………すぅ……」


我ながら、困ったことを、と思ってしまうけど、もう自分を誤魔化しきれないくらいに、好きになってしまった。

今日の出来事が決め手だった。一番近くで、ここまでわたしを想って抱きしめてくれる人を好きになるなという方が無理がある。


鞠莉「……Guiltyなんだから」

曜「…………んぅ……………………すぅ…………すぅ……」


だから、わたしは胸の内で新たな決意をする。

──曜を振り向かせる。

千歌のことなんて、忘れちゃうくらい、曜を夢中にさせてみせる。


鞠莉「......Be prepared.(……覚悟しておいてよね)」

曜「………………すぅ…………すぅ……」
196 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:54:58.77 ID:WJ3m1kFK0

一人、目の前に愛しい人に宣戦布告をして、わたしも明日に備えて眠るために、目を瞑るのだった。





    *    *    *





千歌「梨子ちゃん、誕生日おめでとう〜っ!」
果南「梨子ちゃん、誕生日おめでとう!」
ダイヤ「梨子さん、誕生日おめでとうございます」
曜「梨子ちゃん、誕生日おめでとう!」
善子「リリー、誕生日おめでとう」
花丸「梨子ちゃん、誕生日おめでとうずら〜」
鞠莉「梨子、Happy birthday!!」
ルビィ「梨子ちゃん、誕生日おめでとうっ!」

梨子「皆……ありがとう!」


9月19日木曜日。放課後、梨子ちゃんの誕生日パーティが始まった。

皆でケーキを切り分けて、雑談しながら楽しくパーティは進行する。


千歌「そういえば、昨日聖良さんから連絡があったんだよね」

ダイヤ「本当ですか?」

千歌「今週も週末は三連休でしょ? そのタイミングで東京に行く予定らしいんだけど、土曜に沼津の方にも来てくれるみたい」

果南「へー、じゃあ土曜はSaint Snowと合同練習かな? 専用メニュー作っておかないと」

梨子「……専用メニュー?」

果南「ほら、聖良も理亞も体力あるし、ランニング20kmくらいは──」

善子「そんなに走ったら堕天しちゃうじゃないっ!?」

鞠莉「善子はもともと堕天使なんだし、堕天しても大丈夫なんじゃないの?」

善子「は……! た、確かに……」

梨子「そこ、納得しちゃうんだ……」


皆、口々に雑談をしているように見えるけど……。

少しだけ、妙な違和感があった。


ルビィ「──あ、あの……えっと……ルビィ……だけ、フォークもらってない……」

花丸「あれ、ホントずら!? フォーク配ってたの善子ちゃんだよね!? せっかくダイヤさんがケーキを切り分けてくれたのに、これじゃ食べられないよ!! 酷いずら!!」

善子「え?」

ルビィ「う、うぅん、大丈夫だよ花丸ちゃん……ルビィ、影が薄いから……えへへ」

花丸「ルビィちゃん、優しすぎだよ……もう、善子ちゃん! 反省してよね!」

善子「はぁ……なんか、ごめん……?」

曜「…………」


何か、ここ数日、メンバーのルビィちゃんへの反応が変な気がする。


ダイヤ「ああもう、ルビィ……! 口の周りにクリームが付いていますわ……!」

ルビィ「え、どこ?」

ダイヤ「もう、拭いてあげますから……」

曜「……」


でも、花丸ちゃんとダイヤさんはいつも通り……かな?
197 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:56:05.88 ID:WJ3m1kFK0

曜「ねぇ、鞠莉ちゃん……」

鞠莉「ん?」


隣の鞠莉ちゃんに耳打ちをする。


曜「皆のルビィちゃんへの反応……変じゃない?」

鞠莉「そう……?」

曜「うん……なんか、よそよそしいというか」

鞠莉「……そうかな……?」

曜「……」


ただ、鞠莉ちゃんに訊いてもピンとこないようで……。私がおかしいのかな……。

──まあ、梨子ちゃんの誕生日にわざわざ騒ぎ立てるのも空気を悪くしちゃうし……。

違和感が続くようだったら、ちゃんと話し合おうかな。

そう思い、この場は流してしまった。

この時点で──これが最悪の事態に対する予兆だったと、気付くべきだったのに。





    *    *    *





──翌日。お昼休みのことだった。

いつものように、理事長室に向かう途中、たまたま廊下でルビィちゃんが歩いている後ろ姿を見掛ける。


ルビィ「…………」

曜「……?」


ルビィちゃんは、何故か辺りをきょろきょろしながら、廊下の隅の方を歩いていた。


曜「ルビィちゃん……? どうしたの?」


後ろから声を掛けると、


ルビィ「ピギッ!?」


ルビィちゃんがびっくりして飛び跳ねる。


ルビィ「あ……よ、曜ちゃん……」

曜「ご、ごめん……驚かせるつもりはなかったんだけど。なんか、変な歩き方してたから」

ルビィ「え、えっと……なんか、今日すごい人とぶつかるから……」

曜「……人とぶつかる? 走ってきた人とか?」

ルビィ「うぅん……歩いてる人とぶつかるんだぁ……」

曜「……?」


思わず怪訝な顔をしてしまう。


ルビィ「なんでかわかんないんだけど……まるで、前から来る人、ルビィが見えてないみたいで……」

曜「……?」
198 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:57:07.61 ID:WJ3m1kFK0

ますますわからない。見えてないってどういうことだろう。


ルビィ「あはは……ルビィ、やっぱり影が薄いから……」

曜「そんなことないと思うけど……」


まあ、理由はどうあれ、こんなびくびくしながら校内を歩いているなんて、少し可哀想だ。

せめて、誰かと一緒なら──


曜「ん……っと、あっ!」


たまたま、廊下を歩いていた、善子ちゃんを見つける。

まあ、一年生の教室も近いし、おかしなことではないけど。


曜「善子ちゃーん!」

善子「? 曜? 呼んだ?」

ルビィ「あ……よ、曜ちゃん……」

曜「? どうかした?」

ルビィ「ぅゅ……」


何故か、ルビィちゃんは私の影に隠れてしまう。

一方で呼ばれた善子ちゃんが、私のすぐ傍まで近付いてくる。


善子「何か用事?」

曜「あ、うん。なんか、ルビィちゃんが今日、よく人とぶつかるみたいで……」

善子「……? ルビィちゃん?」

曜「……? それでさ、善子ちゃんが一緒に居てあげたら、少しは安全かなって」

善子「はぁ……? まあ、いいけど」

ルビィ「ぅゅ……」

善子「この子と一緒に居ればいいのよね」

曜「……? う、うん……」


──なんだ、この会話。

微妙に噛み合っていない感じがして、気持ち悪い。


ルビィ「よ、曜ちゃん!!」

曜「!?」


そのとき、急にルビィちゃんが私を強く引っ張って、


ルビィ「だ、大丈夫……だから……。ルビィ……一人で、平気だから……」


涙目でそう訴えかけてきた。


曜「ルビィ……ちゃん……?」

ルビィ「ご、ごめんね……よし──つ、津島さん……!!」

曜「は……?」
199 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 00:59:30.00 ID:WJ3m1kFK0

ルビィちゃんは、一年生の教室の方に走っていってしまう。

いや、それよりも──津島さん……?

私は眉を顰める。


曜「……善子ちゃん、ルビィちゃんとケンカでもしてるの?」

善子「ケンカというか……」

曜「というか……?」

善子「──あの子、初めて見たんだけど……同じクラス……よね、たぶん」

曜「……は?」


善子ちゃんの言葉に、ポカンとしてしまう。


曜「いや……ルビィちゃんだよ? 黒澤ルビィ」

善子「黒澤……? ダイヤの親戚かなんか?」

曜「いや、ダイヤさんの妹だよ!? 何言ってるの!?」

善子「何言ってるのって言われても……ダイヤに妹がいるとか知らなかったし……」


──善子ちゃんは本当に何を言ってるんだ。


曜「善子ちゃん、それ本気で言ってるの!?」

善子「え、ち、ちょっと……さっきから、アナタ変よ……?」


──変なのは私じゃない。何が起こってるんだ。

何故か善子ちゃんが、ルビィちゃんのことを知らない人だと言っている。

私が混乱しているところに、


鞠莉「──曜? どうしたの?」

曜「! 鞠莉ちゃん……!」


鞠莉ちゃんの姿。

理事長室は同じ一階にあるから、私の声を聞きつけて、やってきたのかもしれない。

いや、今はそれどころじゃない。


善子「ちょっとマリー……曜がおかしいのよ」

曜「私はおかしくなんかないって!! むしろ、おかしいのは善子ちゃんだよ!!」


──よりにもよって、仲間のことを忘れるなんて。


鞠莉「Wait... 何があったのか説明して?」

曜「善子ちゃんが、ルビィちゃんと会ったことがないって……」

鞠莉「Ruby...?」

曜「え……」


鞠莉ちゃんの反応を見て、嫌な予感がした。
200 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:00:53.61 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「ルビーちゃん? ……ちゃんってことは、人の名前……よね? ダイヤの親戚かなにか……?」

曜「うそ……」

善子「マリーもそう思うわよね……。なんか曜は、ダイヤの妹だって、言ってて……」

鞠莉「ダイヤの妹……? ……居たような、居なかったような……」

曜「何言ってるの!? ルビィちゃんだよ!! 黒澤ルビィちゃん!!」

鞠莉「えっと……」


鞠莉ちゃんは私の言葉を受けて、少し考えた素振りをしたけど、


鞠莉「……ごめん、知らないわ」


返ってきたのは結局そんな反応だった。


曜「そ、そんな……」

善子「ねぇ、曜……アナタ疲れてるんじゃない……? この前も体調不良で早退したみたいだし……」

鞠莉「曜……ちょっと、ごめんね」


鞠莉ちゃんがわたしのおでこに手を当ててくる。


鞠莉「熱は……なさそう」

曜「…………」

善子「まぁ……あとはマリーに任せるけど、無理しちゃダメよ」

曜「……あ……うん……」


善子ちゃんが肩を竦めて、教室に戻っていく。


鞠莉「曜……大丈夫? 保健室で休む?」

曜「……そうする」


なんだか、頭痛がしてきた。


鞠莉「それじゃ、付き添うね」

曜「いい……一人で行く」

鞠莉「え、でも……」

曜「ごめん……一人にして……」

鞠莉「う、うん……」

曜「……今日のお昼は、ごめん……ちょっと、食欲ないから……」

鞠莉「わかった……無理しないでね」

曜「うん……ありがと……」


私はよろよろと一人、保健室へと向かう。

──何が……起きてるの……?





    *    *    *


201 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:02:00.97 ID:WJ3m1kFK0


お昼休みいっぱいを保健室で過ごし、気分が快復しないまま、昼休みが終わってしまい教室に戻ってきた。


曜「…………」

梨子「曜ちゃん……? 顔色悪いよ?」

千歌「大丈夫?」


教室に戻ってきて早々、二人からも心配される。

そうだ、二人に聞いてみればいいんだ。

さっきのことは何かの間違いだったのかもしれない。


曜「千歌ちゃん……梨子ちゃん……」

梨子「ん?」 千歌「なに?」

曜「ルビィちゃん……わかる……?」


祈るような気持ちで訊ねた。

でも、


梨子「……? 人の名前、なのかな……?」

千歌「えっと……ごめん、知らない」


返ってきたのは、残酷な回答だった。


曜「…………。……そう、だよね」


私はそのまま、机に突っ伏す。


千歌「よ、曜ちゃん!?」

曜「……ちょっと……寝る」

梨子「え、寝るって……これから、授業……」

曜「起こさないで……」


私は、目を瞑った。

あまりに現実感のない、現実から、目を背けるために──





    *    *    *





──風が吹いている。

ああ、またこの夢だ。

起きたら忘れちゃうのに、夢を見るたびに、この夢を前にも見ていたことを思い出す。

ただ──今日だけは、少し様子が違った。

普段、私を掻き消さんばかりに吹き荒れている、木の葉たちは私の周囲ではなく──少し離れた場所で舞い狂っていた。


曜「何……?」


木の葉の先に目を凝らすと──真っ赤な髪をピッグテールに縛った女の子が、泣いていた。
202 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:03:30.34 ID:WJ3m1kFK0

曜「ルビィ……ちゃん……?」


間も無く、木の葉はルビィちゃんを飲み込み──完全にその姿は見えなくなった。





    *    *    *





 「──う、ちゃん、曜ちゃん……」

曜「……ん……」


揺すられて目を覚ます。


千歌「あ……曜ちゃん、起きた」

曜「……」

梨子「大丈夫……?」


千歌ちゃんと梨子ちゃんが、心配そうに私のことを見下ろしていた。


千歌「これから、部活行くけど……曜ちゃん、来れそう?」

曜「…………」


行って確認しなくちゃいけないことがある。だけど……。


曜「……ごめん……体調悪いから……帰るね……」

梨子「あ、うん……お大事に」


もし、部活に行って、誰もルビィちゃんを知らなかったらという考えが過ぎって、急に怖くなった。

少なくとも── 一番信用していたはず、鞠莉ちゃんすら知らなかったことが相当堪えていた。

ここまで四人に訊いて、四人とも知らないと言われ、先ほどまで感じていた、自分がおかしいんじゃないかという冗談みたいな考えが、逆に現実味を帯びてきてしまった。

とにかく、今誰かと話していると、変になりそうだった。





    *    *    *





家に帰って、ベッドに横たわったまま、ぐるぐると思考を続けて、気付けばもう午後6時を過ぎていた。


曜「…………ダメだ、考えてもわかるはずない」


何故か、皆ルビィちゃんのことを忘れている。鞠莉ちゃんですら。

考えられる可能性は……壮大なドッキリとか……?

そうだとしたら、趣味が悪い話だ。


曜「……こうしてても、何も変わらない」


私はスマホを手にとって、LINEを開く。
203 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:04:42.98 ID:WJ3m1kFK0

曜「ルビィちゃんと直接話をした方がいい……」


『友だち』のリストを開いて、スクロールする。


曜「ルビィちゃん……ルビィちゃんは……」


だけど、なかなかルビィちゃんが見つからない。

……それどころか、


曜「あれ……?」


ルビィちゃんを見つけることなく、スクロールは一番下まで辿り着いてしまった。


曜「まさか……」


何度か、スクロールを上下させてみるけど、結局ルビィちゃんの名前はどこにも見当たらない。


曜「ルビィちゃんの連絡先が……消えてる……」


私はルビィちゃんの連絡先を消去した覚えはない。

……もしかして、


曜「──ホントに……ルビィちゃんって知らない人……なの……?」


本当に私が疲れすぎていただけで、黒澤ルビィという人間は最初から存在していなかった、とか……?


曜「……いや、そんなはずない……あるはずない……」


自問自答するものの、現に皆は知らなかった。

得も言われぬ恐怖がどんどん心を侵食していく。

そのときだった。

──ピロン。

LINEの音だ。


 『Mari:曜、大丈夫?』


鞠莉ちゃんからだった。


曜「……鞠莉ちゃん」


──もうどうすればいいかわからなくて、怖かったんだと思う。

気付けば、私は鞠莉ちゃんに通話を飛ばしていた。





    ✨    ✨    ✨





──LINEにメッセージを送ったら、曜から、返信の代わりに通話が飛んできた。


鞠莉「もしもし、曜?」

曜『……鞠莉ちゃん……』
204 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:06:14.44 ID:WJ3m1kFK0

曜は酷く疲れた声をしていた。


鞠莉「曜……大丈夫……?」

曜『鞠莉、ちゃん……あのね』

鞠莉「うん」

曜『私……おかしくなっちゃったのかも、しれない……』

鞠莉「おかしく……?」

曜『……Aqoursのメンバーって……何人……?』

鞠莉「え?」


曜から投げかけられた疑問。間違えるはずのない、その問いに、


鞠莉「──8人だよね?」


わたしはそう答えた。


曜『…………』

鞠莉「……違うの?」

曜『鞠莉ちゃん……私、Aqoursは9人居たと思うんだ……』

鞠莉「……?」

曜『でも……9人目のこと……私しか覚えてなくて……連絡先も、なくなっちゃってて……』

鞠莉「…………」

曜『ごめん……私……変なこと……言ってるよね』


曜は消え入りそうな声で言う。


鞠莉「……もうちょっと、詳しく教えて」

曜『……え』

鞠莉「Aqoursの中に消えた9人目が居て……それを曜しか覚えてないんだったら、大問題じゃない」

曜『信じて……くれるの……?』

鞠莉「曜が、こんなことで嘘吐かないことくらい、知ってるもの」

曜『鞠莉ちゃん……うん』


曜は一息吸ってから、話し始めた。


曜『黒澤ルビィちゃんって子……わかる?』

鞠莉「黒澤ルビー……お昼に言ってた子だよね?」

曜『うん……ダイヤさんの妹で、Aqoursのメンバーなんだけど……』

鞠莉「Hm...」


確かに全く覚えがなかった。

ダイヤに妹がいるなんて話は聞いたことがないし。
205 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:07:43.07 ID:WJ3m1kFK0

曜『……何故か、そのルビィちゃんのことを皆忘れちゃってて』

鞠莉「…………ちょっと、一度確認したいことがあるから、掛け直していい?」

曜『え、うん……いいけど、なにするの?』

鞠莉「ダイヤに直接確認する」

曜『え、でも……』

鞠莉「……おかしなやつだって思われるかもしれないけど、まあそのときは冗談として流せばいいかなって。それに……」

曜『それに……?』

鞠莉「曜が居るって言ってるんだもん。きっと、そうなんだと思う」

曜『! うん……!』

鞠莉「だから、ちょっと待っててね」

曜『わかった……!』


──曜との通話を切り、そのまま今度はダイヤに通話を飛ばす。

キッチリ3コール程鳴ったところで、


ダイヤ『はい』


ダイヤが通話に応答する。


鞠莉「Good evening. ダイヤ♪」

ダイヤ『こんばんは、鞠莉さん。どうかされましたか?』

鞠莉「ダイヤにちょ〜っと訊きたいことがあってネ」

ダイヤ『訊きたいこと、ですか?』

鞠莉「うん。ダイヤって、妹いたっけ?」

ダイヤ『はぁ?』

鞠莉「ほら、答えて」

ダイヤ『……? 妹……いも、うと……?』

鞠莉「……?」

ダイヤ『…………………………』

鞠莉「ダイヤ……?」


電話の先でダイヤが押し黙る。


鞠莉「もしもーし、ダイヤー?」

ダイヤ『あ……はい……』


ダイヤの様子が、少しおかしい。


鞠莉「大丈夫?」

ダイヤ『……はい』

鞠莉「……。……それで、妹いたっけ?」

ダイヤ『………………居なかった……気が、します……』

鞠莉「……そっか。ありがと」

ダイヤ『いえ……』

鞠莉「訊きたかったことは、それだけだから、チャオ〜♪」

ダイヤ『はい……では、また明日』
206 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:10:25.92 ID:WJ3m1kFK0

──ダイヤとの通話が終わる。すぐさま、曜に掛け直す。

通話を飛ばすと、待っていたからだろうか、曜はすぐに出てくれた。


曜『鞠莉ちゃん、ダイヤさんなんて言ってた……?』

鞠莉「妹は、居なかった気がするって言ってたヨ」

曜『……。……や、やっぱ……そうだよね』


曜の意気が沈む。


鞠莉「待って、曜」

曜『え……?』

鞠莉「ダイヤは、居なかった気がするって言ったのよ」

曜『うん……だから……──気がする……?』

鞠莉「そんな曖昧な言い方……普通するかな?」


家族構成について、そんな言い回しは普通しない。

気がするなんて言い方は、言いたくないか、正確にわからないときに使う言葉だ。


曜『じ、じゃあ……! ルビィちゃんは……!』

鞠莉「うん。……ダイヤすらも忘れかけてる妹が居る可能性はあると思う」


もちろん、ダイヤに言えない事情があるって可能性も、一応残ってるけど……話した感じでは、ダイヤ自身もよくわかってなかったようにも取れた。

もし、曜の言っている前提通りなら、ダイヤの様子がおかしかったことにも、家族だからこそ引っかかる違和感があったということなら説明が付く。

そして、何より──他ならぬ曜が言っていることだ。私は、曜のことは、曜の言ってることだけはなにがあっても信じたい。


鞠莉「曜は、おかしくないよ。おかしくなってるのは、たぶんわたしたち」

曜『……!』

鞠莉「理由はわからないけど……何かが起こってるんだと思う」

曜『鞠莉ちゃん……! いなくなっちゃった、ルビィちゃんを……探さないと……!』

鞠莉「Of course ! もちろんデース!」





    *    *    *





鞠莉ちゃんに連絡をしてよかった。

自分自身が信用出来なくなりかけていたけど、鞠莉ちゃんが私よりも、私を信じてくれた。


曜「鞠莉ちゃん……ありがとう」

鞠莉『ふふ、どういたしまして♪ 曜の力になれたなら……嬉しいわ』

曜「うん……!」


──さて……状況を整理しよう。
207 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:13:04.03 ID:WJ3m1kFK0

曜「ルビィちゃんはもともと存在していて……何かの理由で私以外の人から忘れられちゃってるんだよね」

鞠莉『そうみたいね……とは言っても、わたしも忘れちゃってるから、心当たりは全くないのよね……』

曜「……だよね。そうだったとしても、ルビィちゃんと連絡を取る方法もないし……どうすればいいのか」

鞠莉『……そうよね。そのルビーって子が、今どうなってるのかもよくわからないし……』


確かに、あまりに唐突に起きた出来事だ。理由がわからないと対処のしようがない。


曜「何か原因が……あるのかな」

鞠莉『そうね……。何の理由もなしに、人が消えるなんてこと……。……人が消える……?』

曜「……鞠莉ちゃん?」

鞠莉『……なんか、つい最近、聞いた気がする……。なんだっけ……』

曜「え……?」


人が消えることについて……?


鞠莉『…………そうだ、思い出した。船の呪い……』

曜「えっ!?」

鞠莉『!?』


鞠莉ちゃんから、『船の呪い』というワードが飛び出してきて、思わず大きな声をあげてしまう。


鞠莉『び、びっくりした……曜も知ってるの?』

曜「え、あ、いや……まあ、うん……」

鞠莉『内浦に昔からある呪いだって、果南は言ってた』

曜「果南ちゃんから聞いたの……?」

鞠莉『ええ。つい最近、その呪いの船を見たって話をしててね』

曜「へ、へー……」

鞠莉『もしかしたら……ルビーちゃんはその標的にされちゃったんじゃないかしら……?』

曜「ルビィちゃんが……」


確かに、こんな不可思議な現象が起こってるわけだし、呪いのせいだと言われると、妙な説得力がある。


曜「でも、誰がそんなこと……」

鞠莉『それはわからないけど……ただ、本当にその船の呪いが原因なんだとしても、ちょっと気になることはあるんだけど……』

曜「気になること?」

鞠莉『うん……。花丸曰く、その呪いはやり方を間違ってるから、失敗してるって言ってたのよね』

曜「そうなんだ……?」


どちらにしろ、手掛かりが少なすぎるな……。

再び思案に入ろうとした瞬間──ピロンとLINEの通知音が鳴る。


鞠莉『あら……? なにかしら……?』

曜「あれ? 鞠莉ちゃんも? ……ってことは、グループの方か」


画面を確認してみると、『Aqours』のグループチャットに千歌ちゃんからのメッセージが入っていた。

内容は──


 『ちか★:明日はSaint Snowの二人が来てくれることになったから、朝学校に集合だよ!』
208 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:16:12.16 ID:WJ3m1kFK0

とのこと。


鞠莉『……どうする?』

曜「……うーん」


正直、ルビィちゃんのことを調べたいけど……。


曜「……明日は顔を出そう。皆が居る場所なら何か他に手掛かりがあるかもしれないし」

鞠莉『……まあ、それもそうね。わかった、じゃあ、ひとまずは明日考えるってことでいい?』

曜「うん」


これ以上、二人で話してても手掛かりが見つかりそうもないし……。急いだ方がいいのかもしれないけど、闇雲に探るよりも、皆が集まる場に顔を出した方がいい気がした。

他でもない、Aqoursの問題なわけだし……。

場合によっては、全員が居る場で話をしたら、協力してくれる可能性も十分あるし。


曜「鞠莉ちゃん」

鞠莉『ん?』

曜「ホントにありがとね……私、自分がおかしくなったんじゃないかって、怖かった」

鞠莉『……うぅん、むしろ、わたしに相談してくれてありがとう、曜』

曜「えへへ……やっぱり、鞠莉ちゃんが一番信用できるな」

鞠莉『!/// も、もう……そういうこと、急に言うんだから……///』

曜「え?」

鞠莉『……うぅん、なんでもない/// それじゃ、また明日ね』

曜「うん、また明日」


──鞠莉ちゃんとの通話を終え、


曜「……待っててね、ルビィちゃん」


私は、明日に備えるのだった。





    *    *    *





──翌日。9月21日土曜日。


千歌「そろそろかなー? さっき連絡があったんだけど……」


浦の星女学院の校門にAqours総出で待っている状態──ルビィちゃんは居ないけど……。

そんな本日は、皮肉なことにルビィちゃんの誕生日でもある。

ただ、私と鞠莉ちゃんを除いた、ここに居る6人はそれにほとんど違和感を抱いていない様子。


鞠莉「……曜」


ふいに、鞠莉ちゃんが手を握ってくれた。


曜「……うん」
209 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:23:55.44 ID:WJ3m1kFK0

タイミングを見て、ルビィちゃんの話を皆の前で切り出す。

そういう算段になっていた。

ただ、思ったよりSaint Snowの二人が早く着くとの連絡があったため、こうして全員で校門に集まって待っているところだ。


千歌「あ、来た! おーい!!」


千歌ちゃんの声で皆が一斉に視線を向ける。

向こうも気付いたようで、こっちに向かって駆けて来て、


聖良「──……皆さん、お久しぶりです!」

理亞「……久しぶり」


息を整えながら、Saint Snowの二人が私たちに笑顔を向けてくれる──理亞ちゃんはやや仏頂面だけど。


ダイヤ「お久しぶりです……聖良さん。またお会い出来て、本当に嬉しいですわ……!」

聖良「ダイヤさん……そうですね。あの日以来ですから」

千歌「聖良さーん!!」


千歌ちゃんが、聖良さんに飛び付く。


聖良「おっとと……いいんですか? ダイヤさんの前ですよ?」

ダイヤ「ふふ、千歌さんも嬉しいのですわよね」

千歌「うんっ!」


千歌ちゃんとダイヤさんが何やら聖良さんと楽しげに話している一方で、


理亞「……」


理亞ちゃんは何やらキョロキョロしている。


善子「理亞? どしたの?」

理亞「……いや」

聖良「理亞は、今日ここに来ることをずっと楽しみにしていたんですよ」

理亞「ね、ねえさま!///」

善子「へー」


善子ちゃんが面白いものを見るようにニヤニヤしだす。


理亞「ち、違う……別にそんなんじゃない……///」

善子「じゃあ、何そわそわしてんのよ?」

理亞「……あの子はどこ」

梨子「あの子……?」

曜・鞠莉「「……!」」


まさか──


理亞「……ルビィよ。まさか居ないなんて言わないでしょ?」


理亞ちゃんの口から飛び出したのはルビィちゃんの名前だった。

だけど、
210 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:25:04.10 ID:WJ3m1kFK0

千歌「るびー……?」

果南「宝石……?」

梨子「えっと……どういうこと?」

善子「……なんか、昨日もそんな話されたような……。なんだっけ」


まず、千歌ちゃん、果南ちゃん、梨子ちゃん、善子ちゃんが首を傾げ、


聖良「……ルビィ……?」


聖良さんも不思議そうに理亞ちゃんの顔を見る。


理亞「え……な、何……?」


皆の反応を見て、理亞ちゃんが動揺した表情を見せる。

そのとき、クイクイっと、隣から袖を軽く引っ張られる。


曜「?」

鞠莉「……」


もちろん、袖を引っ張ったのは鞠莉ちゃん。

鞠莉ちゃんは目でダイヤさんの方を示す。


ダイヤ「…………るびぃ……」

曜「……」


やっぱり、ダイヤさんの中には微かに違和感が残っているようだった。


鞠莉「……あと、花丸も」


耳打ちされて、花丸ちゃんの方にも視線を向けると、


花丸「…………ルビィ……あ、れ……なんだっけ……」


花丸ちゃんも違和感があるようだった。


理亞「……ルビィ居ないの?」


あからさまにガッカリした様子の理亞ちゃんに、


善子「……いや、だからそれ何? ……人の名前?」


善子ちゃんが追い討ちを掛けるように、言葉をぶつける。


理亞「はぁ……? 何言ってんの……?」

善子「いや、それはこっちのセリフなんだけど……」

理亞「ルビィ、黒澤ルビィ。知らないなんて、言わせない」

善子「知らないわよ」

理亞「っ!!」


──ガッと、理亞ちゃんが善子ちゃんの胸倉に掴みかかった。
211 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:26:10.86 ID:WJ3m1kFK0

善子「っ!? え、な、なに!?」

聖良「理亞!?」

理亞「……何があったのか知らないけど、よくそんな冗談真顔で言えるわね」

善子「は、はぁ!? だから、ホントに知らないんだって……!!」

理亞「まだ言うか……!!」


ヤバイ──そう思って、止めに入ろうとした瞬間。


千歌「──ダイヤさんっ!!?」


千歌ちゃんが急に、ダイヤさんの名前を叫んだ。


曜「!?」


咄嗟にそっちに目を向けると、


ダイヤ「黒澤……る、びぃ……るびぃ……?」


ダイヤさんが頭を抱えて蹲っていた。


千歌「ダイヤさん!! しっかりして……!!」

理亞「……な、なに……?」

善子「…………どういうこと……?」


気付けば、一触即発だった、理亞ちゃんと善子ちゃんも呆気に取られていた。


鞠莉「──マル!?」

曜「っ!」


今度は、鞠莉ちゃんが花丸ちゃんに駆け寄る。


花丸「ルビィ……ちゃん……。……あ、あれ……なん……だっけ…………わ、忘れちゃ……いけない……はず、なのに……」

鞠莉「マル……!」

果南「ち、ちょっと……! ダイヤもマルもどうしちゃったの!?」


こっちもか……!!

ルビィちゃんのことで少しでも違和感の残っていた二人が、急に苦しみ始めた。


千歌「ダ、ダイヤさん……っ!!」

ダイヤ「……ルビィ……る、びぃ……? だ、め……おもい、だせない……」

千歌「き、救急車っ!! 誰か救急車呼んでっ!!」

果南「千歌、落ち着いて……!!」

千歌「落ち着けるわけないじゃんっ!!」

ダイヤ「……づぅっ……!!」

千歌「ダイヤさんっ!?」

花丸「あ、たま……われる……」

鞠莉「マル!! しっかりして……!!」

梨子「え、えっと!? 999!? あ、あれ!? 救急車って何番!?」
212 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:28:29.84 ID:WJ3m1kFK0

全員が混乱している。

かくいう私も、どうすればいいのかわからずに居ると──

──パンッ!!!!


聖良「“全員落ち着きなさい!!”」


聖良さんが両手を強く叩いて音を鳴らしてから──全員に“命令”した。


果南「え、あれ……」

鞠莉「……あ、わたし」

梨子「……あ、119番だ……」

聖良「梨子さん。救急車は呼ばなくても大丈夫ですよ。皆さんも一度、落ち着いてください」


何故か、聖良さんの言葉で数人が我に帰ったように落ち着きを取り戻した。私を含めて。


千歌「落ち着けって言われても……!!」

聖良「千歌さんも、とにかく今は落ち着いてください」

千歌「……っ」

ダイヤ「…………は、ぁ……ぅ……っ゛……」

千歌「ダイヤさん……」


ただ、千歌ちゃんとダイヤさんは変わらず……そうだ、花丸ちゃんは……!


花丸「ずら……」

鞠莉「マル……大丈夫?」

花丸「う、うん……聖良さんの声聴いたら、なんか落ち着いてきた……」


何故かダイヤさんと違って、花丸ちゃんの容態は回復していた。


善子「え、今何したの……?」

聖良「周りの人を落ち着かせる言い方があると聞いたことがあって、それを試しただけですよ。……尤も、一度では効かない人も居るみたいですけど」

千歌「……!」

ダイヤ「…………ぅ……せいら……さん……」

聖良「千歌さん、もう一度言いますね。落ち着いてください」

千歌「……うん、ごめん。ありがと、聖良さん」


今一瞬、千歌ちゃんと聖良さんが目で会話してた気がするけど……。


聖良「とりあえず、ダイヤさんと花丸さんを保健室に運んだ方がいいでしょう」


そうだった、今はそっちが優先だ。


花丸「マ、マルは大丈夫ずら……」

鞠莉「……一応、大事をとって保健室にいきましょ?」

花丸「わ、わかったずら……」

果南「それじゃ、ダイヤは私が運ぶ」

千歌「私も手伝う……!」


全員が保健室に向かおうとする中、
213 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 01:30:26.42 ID:WJ3m1kFK0

聖良「曜さん、鞠莉さん」


急に名指しで呼び止められる。


曜「え?」

鞠莉「What ?」

聖良「二人はここに残ってもらえますか」

理亞「ねえさま……?」

聖良「理亞も」

理亞「え、うん……」


皆が保健室に向かう中、何故か私と、鞠莉ちゃん、理亞ちゃん、そして聖良さんの4人が残る。

聖良さんの方を見ながら、鞠莉ちゃんが耳打ちしてくる。


鞠莉「……それにしても、大したカリスマね。一声で皆を落ち着かせるなんて」

曜「うん……聖良さんに落ち着けって言われた瞬間、スッと落ち着いたというか……」

理亞「ねえさまはすごいんだから、当然」


話が聞こえていたのか、何故か理亞ちゃんが胸を張る。まあ、確かにすごかったけど。


聖良「……さて、皆さん、行ったみたいですね」

鞠莉「それで、何でわたしと曜だけ残されたのかしら?」

聖良「……お二人とも、先ほどの騒ぎについて、何か知ってますよね」

曜「!? ど、どうして……?」

聖良「皆さんを観察していましたが……ルビィさんの名前が出たとき、貴方たちは反応が明らかに違いました」

鞠莉「……なるほどね」

曜「……すごい、観察力」


トップレベルのスクールアイドルは伊達じゃないってことか……。……いや、関係あるかな……?

それはそれとして、聖良さんの言葉を聞いて、理亞ちゃんが私の目の前に来て、


理亞「……何が起きてるの」


急にガンを飛ばしてきた。


理亞「……悪ふざけだったら、許さないから……」

聖良「理亞、やめなさい」

理亞「ルビィは……どこ?」

曜「私たちも……ルビィちゃんを探してるんだ」

理亞「探してる……?」

聖良「どうやら……ワケ有りのようですね。話を訊きましょうか」

鞠莉「なら、理事長室に行きましょう。あそこなら、落ち着いて話せると思うから」

聖良「わかりました。理亞もいいですね」

理亞「……わかった」


鞠莉ちゃんに促されて、私たちは理事長室へと移動する──


214 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:00:25.80 ID:WJ3m1kFK0


    *    *    *





理事長室に到着して、全員が入室したのを確認してから、鞠莉ちゃんが扉を閉めようとしたら、


聖良「あ、鞠莉さん。そのままで少し待ってもらえますか?」

鞠莉「え?」


何故か、聖良さんに止められる。

そのまま、5秒……10秒……。


鞠莉「……ねえ、閉めちゃだめ?」

聖良「……もう、閉めていいですよ。ただ、ゆっくりお願いします」

鞠莉「……? わかった」


聖良さんの許可が下りて、ゆっくり扉を閉める。

……何、今の?


理亞「それで、何が起こってるの」


それはそれとして、とでも言わんばかりに、早速、理亞ちゃんが話を切り出してくる。


聖良「理亞、焦らない」

理亞「だって……!」

聖良「まず、事実の確認からしましょう。お二人とも、ルビィさんのことを覚えているということでいいんですか?」

鞠莉「いいえ。わたしは、そのルビィちゃんのことは知らないわ」

理亞「な……!?」

曜「覚えてるのは私だけなんだ」

鞠莉「わたしは曜に聞いて、おかしいことに気付いたってところかしら……」

曜「数日前までは、皆、顔と名前が一致しない、くらいだったんだけど……今日見た感じだと、ルビィちゃんの存在ごと忘れちゃってる感じだったよね……」

聖良「なるほど……かくいう私も、ルビィさんのことは存じ上げていなくて……」

理亞「え」

聖良「ただ、理亞が嘘を言っているとも思えない……。となると、自分の記憶を疑うべきかと思いまして」

鞠莉「……真っ先に、そんな発想になる?」

聖良「鞠莉さんが曜さんの言葉を信じたように、私も理亞の言葉を信じただけですよ」

理亞「ね、ねえさま……!」


あまりに察しが良すぎるとは思わなくもないけど……聖良さんって、確かに見透かしたところがあるし、出来そうと言えば出来そうではある。

どっちにしろ、協力してくれるなら、助かるし、そこを疑う理由もないか……。
215 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:04:55.57 ID:WJ3m1kFK0

聖良「理亞は覚えているようですが……Aqoursの中では、曜さん……それと、ダイヤさんと花丸さんが忘れかけという状態なんですか?」

鞠莉「ええ、そうだと思う。わたしたちも確認しようとしてたところだったんだけど……二人の様子はあなたたちが見た通りよ」

曜「二人とも、最初は引っかかってたって感じだったけど……少ししたら苦しみ始めてたよね」

聖良「……恐らくですが、外因的な力で無理矢理記憶を消されかけていて……それに抗うように思い出そうとしたから、負担が掛かって、強い頭痛に襲われたんじゃないでしょうか」

鞠莉「見た通りなら、そんなところかしらね……。わたしも聖良と同意見かな」

聖良「ただ、問題はそこではありません」

曜「……?」

鞠莉「……なんで、曜なのかってことかしら」

曜「え……?」

聖良「はい……。ダイヤさんは親族ですから、納得が行きます。花丸さんも……ルビィさんへの記憶に強い執着が見えました」

理亞「うん、花丸は親友だって、前にルビィが言ってた」

聖良「……失礼を承知で言いますけど、曜さんはそれに匹敵するほど、ルビィさんと仲が良かったんですか?」

曜「うーんと……。……まあ、同じCYaRon!だし、衣装はよく一緒に作ってたから、仲は良いとは思うけど……花丸ちゃんよりも上かと言われると、さすがに……」

鞠莉「それを言うなら、理亞ちゃんもじゃない?」

理亞「な……そんなことない」

曜「でも、理亞ちゃん、ダイヤさんとか花丸ちゃんと違って、完全に覚えてるんだよね」

理亞「当たり前。忘れる理由がない」

鞠莉「あら〜♪ Loveだね〜♪」

理亞「!?/// そ、そういうわけじゃ……!///」

鞠莉「でも、ルビィちゃんのお姉さんのダイヤや、親友だっていうマルよりも深く覚えてるんでしょ? 理亞ちゃんはルビィちゃんのことが大好きで大好きで堪らないってことじゃない♪」

理亞「ち、違う!!///」

曜「鞠莉ちゃん……その辺で」


理亞ちゃんが面白いことになってるのはわかるけど、話が本筋からズレてる。


聖良「別の条件があるか、複数の条件があるか……」

鞠莉「確かに傾向として、ルビィと近しい人間ほど、影響を受けていないっていうのはありそうよね。例外が居るだけで」


例外、つまり私のことだと思う。


聖良「あとは……物理的な距離、でしょうか」

鞠莉「物理的な距離……住んでる場所ってこと?」

理亞「でも、ねえさまは覚えてないんでしょ?」

聖良「そうですね……。ですから、ルビィさんと近しくて、物理的な距離が遠かった理亞は、記憶の改竄から逃れられたんだと思います」

鞠莉「Hmm...? ……まあ、理亞はAqoursとはいろいろ条件が違うからいいとして、結局曜は? 内浦の方だけに効果があったんだとしたら、善子が覚えてないことが説明出来ないわ」

聖良「……正直、検討も付きませんね。曜さん、最近ルビィさんと、何か重要なこととかを話したりしていませんか?」

曜「じ、重要なこと……?」

鞠莉「えらくAboutな質問だネ……」

曜「具体的には……」

聖良「そうですね……。精神状態や、健康状態、人間関係……の話でしょうか。事象的に密接なのはこの辺りだと思うので」

曜「うーん……」


ルビィちゃんとした、話……ルビィちゃんと……。

──『……ホントはね、すっごく寂しいの……。ルビィだけのお姉ちゃんが……千歌ちゃんに取られちゃったみたいで……』──
216 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:06:14.66 ID:WJ3m1kFK0

曜「……あ!」

鞠莉「何か、心当たりがあるの?」

曜「関係してるかはわからないけど……ルビィちゃん、ダイヤさんとの距離感について……ちょっと悩んでた」

聖良「もうちょっと具体的に」

曜「あ、いやー……」


この話……勝手に人にしていいのかな。


鞠莉「まあ、人の悩みは勝手には言いづらいとは思うけど……」

理亞「曜さん……お願い」

曜「…………」


まあ、事態が事態か……。ごめんね、ルビィちゃん。

心の中で謝って、私は話すことにした。


曜「ダイヤさん……まあ、その……恋人が出来たでしょ?」

聖良「はい」

理亞「え……そ、そうなの……?」

鞠莉「へぇ……聖良は知ってたんだ」

聖良「まあ、いろいろありまして」

鞠莉「……ふーん」

理亞「そ、そうだったんだ……恋人……///」


理亞ちゃんの反応が可愛い。まあ、それはともかく続けよう。


曜「それで、まあ……その恋人にダイヤさんを取られちゃったみたいで寂しいって……」

理亞「ルビィ……そんなこと思ってたんだ」

聖良「……なるほど。それは確かに人間関係の悩みですね」

鞠莉「でも、これが今回の話に関係してるのかしら……?」

聖良「それはわかりませんけど……もしかしたら、直近で相談をされていた、というのが記憶が薄れにくくなる条件だったのかもしれません」

曜「……まあ、ダイヤさんや花丸ちゃんだったら、相談事もされてるか……」


そして全員の視線が、理亞ちゃんの方に集まる。


理亞「……え!?」

鞠莉「理亞ちゃん。ルビィちゃんから、何か悩みを訊いたりしたことある?」

理亞「まあ、あるけど……電話でよく話してるし」

聖良「曜さん、その話を聞いたのはいつのことかわかりますか?」

曜「えっと……先週の土曜かな」

聖良「なるほど。……直近がどの程度の期間を指すのかはわかりませんけど、最近相談を受けた人ほど忘れないという説はありますね」


聖良さんがそんな形でまとめるけど、


鞠莉「Hmm...」


鞠莉ちゃんは唸り声を上げる。
217 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:10:50.24 ID:WJ3m1kFK0

聖良「納得行きませんか?」

鞠莉「……なんかしっくりこないのよね……なんか条件って言う割にふわふわしてるというか」

聖良「確かに……仮説の域は出ませんが……」


二人が、仮説について話し合う中、


理亞「……忘れてない人の条件ってそんなに重要?」


理亞ちゃんが二人の会話に割って入った。


曜「ん……どういうこと?」

理亞「結局忘れてない人が居て、その人がルビィを助ける意思のある人。忘れちゃった場合は他の人から事情を聞かないと協力しようがない人。それ以上のことじゃない気がする」

鞠莉「……まあ、それはそうかもしれないわね」

聖良「確かに……存在そのものを忘れてしまう以上、その条件そのものを知ったところで、収穫は少ないかも知れませんね。そこから覚えている人を割り出して、協力者を増やすことは出来るかもしれませんが……」

理亞「重要なのは、どうやってルビィを見つけるかじゃない? 人が増えたところで、方法がわからなかったら、意味ないし」

聖良「……理亞の言うとおりですね。この話は一旦ここまでにしましょう」


話が次に移る。


曜「……じゃあ、どうやってルビィちゃんを見つけるか、だね」

鞠莉「って、言ってもね……消えた人間を探し出す方法……」

理亞「……まず、なんで居なくなったのか」

聖良「そうですね……。原因がわかれば、対策もありそうなものですが……」

鞠莉「原因……やっぱり、アレかな」

聖良「……アレとは?」

鞠莉「……最近、近くの海で、昔からある、嫌いな人を消しちゃうおまじない……というか、呪いの痕跡みたいなのがあったのよ」

曜「…………」

聖良「呪い……呪術ですか」

理亞「ルビィが誰かに呪われたってこと?」

鞠莉「ただね……その痕跡からして、その呪い自体は手順が間違ってたから、恐らく効力はないって話だったんだけど……」

聖良「間違っていたというのは、どういうことですか?」

鞠莉「供物って言うのかな……? 魚を使う呪いらしいんだけど、本来淡水魚を使うところで、海水魚を使ってたらしいのよね」

聖良「……もしかして、それが原因では?」

鞠莉「? いや、だから、間違ってたから効力はないって……」

聖良「いや、逆です」

鞠莉「逆?」

聖良「……手順を間違ったことで、本来呪いを掛けたい相手への効力は発揮されなかった。……ですが、そういう儀式はデリケートなものが多いのではないでしょうか」

鞠莉「……? 何が言いたいの?」

聖良「失敗したことによって……本来向くべきでない方向に、効力を発揮してしまったんだとしたら?」

曜「本来向くべきでない方向……?」

聖良「例えば……呪詛返しのように、術者本人に跳ね返ってしまうような……」

曜「え……」


それって、つまり……。


理亞「それは絶対にないっ!!」
218 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:13:23.37 ID:WJ3m1kFK0

だが、理亞ちゃんが、聖良さんの意見に立ち上がりながら、反論をする。


理亞「ルビィが人を呪うなんて、絶対にありえない!!」


そう、失敗した呪いが跳ね返るというなら、それは即ちルビィちゃんが呪いを行ったということになる。


聖良「可能性の話よ、理亞」

理亞「そんな可能性絶対ない!!」

鞠莉「理亞ちゃん……落ち着いて。……呪いが本来掛かるべきじゃない人に掛かることがあるのはわかった。でも、理亞ちゃんの言うとおり、動機がないとそんなことしないんじゃない?」

聖良「……大好きな姉を奪われたというのは動機になり得ませんか?」

曜「…………」

理亞「ねえさま!!」

鞠莉「……まあ、それは」

曜「──私もルビィちゃんは、呪いはやってないと思う」

鞠莉「? 曜……?」


急に口を挟んできた私を見て、鞠莉ちゃんが不思議そうに私の顔を見つめてくる。


聖良「理由は?」

曜「ルビィちゃんは泳げないし、釣りも得意じゃないから、魚を手に入れる方法がない」

聖良「なるほど……不発したであろう、呪いの痕跡自体、ルビィさんが用意出来るものではなかったと」

理亞「それだけじゃない。ルビィはそんなこと絶対にしない。しようとも思わない。仮に思っても、絶対に実行できない」

聖良「理亞……だから、これは可能性の話で……」

理亞「だから、そんな可能性、最初から1ミリもない!!」

聖良「……。……そこまで言うなら、ルビィさんが呪いを行ったという可能性は外しましょう」

鞠莉「……となると、あとは……他の誰かがやった呪いのとばっちりを受けたとか……?」

聖良「呪いが正しく機能している線が薄いなら、そうなりますかね……」


一瞬、聖良さんが、私の方をチラリと見てくる。


曜「? なんですか?」

聖良「いえ……。……この場合なら、一応ですが、呪術を行った本人がわからなくても、ルビィさんを助ける方法があるかもしれません」

理亞「!? ホント!?」

聖良「もし、ルビィさんが本当にただ、とばっちりを受けたのだったら……ですけど」

鞠莉「どうするの?」

聖良「簡単です。ルビィさん本人に御祓いを受けてもらえばいいんです。本来掛かる理由がないのであれば、一度祓ってしまえば、呪いは本来行くべき場所だったところに行くと思います」

鞠莉「本来行くべき場所って?」

聖良「そうですね……この場合だと、本来呪詛返しを受けるはずだった人、でしょうか」

鞠莉「……なるほどね」

理亞「でも、ねえさま……肝心のルビィがいない」


理亞ちゃんが顔を顰める。でも、確かに理亞ちゃんの言うとおり、その御祓いを受ける本人が居ないんじゃ、どうしようもないような……。

ただ、そんな私たちの考えを覆すように、


聖良「いえ……恐らくですけど、ルビィさんはすぐそこに居ると思います」


聖良さんはそう言った。
219 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:15:01.86 ID:WJ3m1kFK0

曜「え?」

理亞「は?」

鞠莉「What ?」


三人揃って、ポカンとしてしまう。


鞠莉「……聖良、ごめん。何言ってるのか、よくわかんないんだけど」

聖良「曜さん、さっき言ってましたよね」

曜「え?」

聖良「数日前までは顔と名前が一致しない程度だったと」

曜「言いましたけど……」

聖良「それはつまり……変わったのは、ルビィさん自身ではなく、周りの人の認識です」

鞠莉「Hm...?」

聖良「徐々に、周りが認識出来なくなっていっただけで、ルビィさんは何も変わっていないんだとしたら?」


つまり……。


曜「ルビィちゃんは今、透明人間みたいになってるってこと……?」

聖良「近いですね……他者の認識に干渉出来なくなっているという方が正確でしょうか」

理亞「じゃあ、ここにいるの!? ルビィ、出てきて!! お願い……!!」

聖良「理亞、ルビィさんは他者に干渉が出来ないんです。もしここに居ても反応することは難しいと思います」

鞠莉「……もしかして、理事長室に入るとき、しばらく扉を開けてたのって」

曜「居るかもしれない、ルビィちゃんを理事長室に招きいれるため……?」

聖良「はい」

鞠莉「……聖良、あなた……最初からある程度アタリが付いてたの?」

聖良「まあ……現象そのものは、有名な怪奇現象の一つなので、昔似たような事例の話を本で読んだことがあって」

理亞「有名な怪奇現象……?」

聖良「皆さん、心当たりがありませんか? ある日、突然、居たはずの人間が忽然と姿を消してしまう怪奇現象のこと……」


聖良さんに問われて、考える。考えてみて……割とすぐに答えに辿り着いた。


鞠莉「...Spirited Away」

曜「神隠し……?」

聖良「そうです、神隠しです」

曜「でも、神隠しって……行方不明になるってやつじゃないの?」

聖良「パターンがいくつかあります。原因になる怪異もいろいろ居ますし……本人が行方不明になるものから、存在そのものが消えるものまで多岐にわたって」

曜「存在が消えちゃうやつは知らないんだけど……」

鞠莉「いや……確かに、世界中でそういう現象自体はあるって言われてるヨ」

曜「そうなの?」

鞠莉「ただ、存在そのものが消えちゃう場合、Spirited away──神隠しが起こったことを認識出来る人間もいなくなっちゃうから……伝承そのものが極めて残り辛いのよ」

聖良「本来は原因になった怪異を突き止めることが出来るなら、詳細に弱点を調べることで、より正確性をあげられるんですが……。多分、今回はそこまでする時間はないので」

理亞「時間がない……? どういうこと?」

聖良「理亞、曜さんも。……ルビィさんの顔、思い出せますか?」

理亞「……? そんなの、当たり前……」

曜「……あ、あれ……?」
220 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:18:03.61 ID:WJ3m1kFK0

言われて、頭にルビィちゃんの顔を思い浮かべようとするけど、なんだがモヤが掛かったような感じで、上手く顔が思い出せない。


理亞「あ、あれ……な、なんで……」


理亞ちゃんも同様のようだった。


聖良「なんらかの理由で、理亞や曜さんのように、忘れない人が居ることがあっても、それは恐らく一時的なものです。最終的にこの神隠しという現象に目的が存在するなら、それは対象の完全消滅のはずです」

曜「神隠しの……目的……?」

聖良「怪異現象は、人間に理解できるかはともかく、絶対に目的が存在します。今回に関しては、呪いが起因だと仮定するなら、それは呪いの成就です」

鞠莉「呪いの成就……もともと、人を消す呪いだから……」

聖良「恐らく、対象の存在の完全な抹消なのではないでしょうか」

理亞「そんな……!!」

聖良「そして、それは徐々に進行していっている。……最終的に理亞や曜さんの記憶からも抹消される。恐らく、ダイヤさんや花丸さんのような、近しい人たちの記憶からも完全に消えてしまうようになったら、かなり危険信号だと思います」

鞠莉「……なるほど」

理亞「じゃあ、急がないと……!!」

聖良「ええ、ですから、出来る限り早くルビィさんに御祓いを──」

鞠莉「待って」


鞠莉ちゃんが聖良さんを制止する。


曜「鞠莉ちゃん……?」

聖良「なんでしょうか?」

鞠莉「時間がないのはわかった。現象との照らし合わせから説得力もそれなりにあると思う。だけど、重要なことが証明出来てない」

曜「重要なこと……?」

鞠莉「ルビィちゃんが今ここに居るっていう根拠はなに?」

曜「え? でも、ルビィちゃんがさっき部屋に入ってこれるように扉開けて待ってたんじゃ……」

鞠莉「仮に聖良が言うとおり、認識が出来なくなる怪異が原因で、ルビィちゃんが見えなくなってるんだとしても、わたしたちについてきて、今ここに居る保証がないわ」


……確かに、言われてみれば。


鞠莉「もし、お祓いの準備が出来たとしても、ルビィちゃんが今、全然違うところに居たとしたら、全部意味がない……むしろ、そこからルビィちゃんを探すことになると、Time upになっちゃう可能性が高いわ……」

聖良「そうですね。ですから、まずはルビィさんがここにいることを確認する。それからです」

鞠莉「どうやって……? 認識出来ないんでしょ?」

曜「あ、でも……透明人間みたいになってるんだったら、例えばペンを持ち上げてもらうと目の前で浮き上がるんじゃ……」

聖良「いえ、それは出来ないと思います。私たちが直接存在を認識出来うる動作を行うことは恐らく不可能でしょう」

鞠莉「それじゃ、どうやって……」

聖良「直接的ではなく、間接的に認識すればいいんですよ」

理亞「間接的に、認識……?」

聖良「……超常を騙す、とでもいいますか。鞠莉さん、ペンありますか?」

鞠莉「あるけど……」


聖良さんは、椅子から立ち上がり、鞠莉ちゃんから受け取ったペンを窓から近い方の机の端に置く。


聖良「あと、窓を開けてもらっていいですか?」

鞠莉「わかった」
221 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:20:14.94 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉ちゃんは言われたとおり、理事長室の窓を開ける。

すると軽く風が吹き込んでくる。


聖良「いい風ですね。……これだと、見ていないうちに、“偶然”風でペンが机の端から端に移動するかもしれませんね」

鞠莉「……!」

曜・理亞「「……?」」

聖良「それでは、一度、全員部屋の外に出ましょうか」

鞠莉「わかったわ。さぁ、曜も理亞ちゃんも外に出て」


鞠莉ちゃんが私たちの背中を押す。


曜「え、うん……」

理亞「……? これで何がわかるの?」





    *    *    *





部屋の外で待つこと、2分程。


聖良「十分すぎるほど、時間が経ったと思います」

鞠莉「ええ」

曜「どういうこと?」

聖良「見ればわかりますよ」

理亞「……?」


鞠莉ちゃんが、ドアを開けると──やっぱり誰も居ない理事長室内が広がっている。


曜「これで何が……あれ?」


さっき机の端に置いたペンが逆の端に移動していた。


聖良「風に吹かれて、“偶然”、逆側まで転がったようですね」

鞠莉「そうね」


鞠莉ちゃんは言いながら、ペンの位置を元に戻す。


聖良「次は1分で戻ってきましょう──」


──1分後、同様に部屋に戻ると、ペンは再び、逆端に移動していた。


曜「……まさか」

聖良「“偶然”私たちの認識出来ない、自然現象によって、ペンが移動してしまったようですね」

理亞「……もしかして」

鞠莉「誰も見ていないところだったら、これが風によって動いたのか、それとも“別の何か”が動かしたのかを証明する術はない」

聖良「つまり、私たちはこれが動いた理由を主観的に認識することは出来ません」
222 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:22:20.78 ID:WJ3m1kFK0

もう、ここまで来たら私でも理解出来た。

このペンは──ルビィちゃんが移動させたものだ。


曜「ルビィちゃん……! そこに居るんだね……!」

聖良「他者の認識によって、行動が阻害される怪異現象であるなら、逆に他者の認識がなくなれば、行動は阻害されなくなる。怪異の仕組みを逆手に取った裏技のようなものですね」

理亞「ここまでわかれば……!」

曜「後は御祓い……」

鞠莉「それで、お祓いってのはどうやってやるの?」

聖良「簡単ですよ。強い魔除けになるものに触れればいい」

理亞「それで平気なの……? 呪いなんでしょ? そんな簡単に祓えるの?」

聖良「理亞や曜さんの主張を信じるなら、ルビィさんは完全にとばっちりを受けただけです。本来呪いのような極めて強い怪異現象は、対象を強く限定することによって、その効力を発揮するものです。相手を間違えていたら、その効力は激減するはず。魔除けの効果のあるもので、一時的に剥がしてしまえば、後は本来呪詛返しを受けるはずだった人の元に返っていくと思いますよ」

曜「じゃあ、後は……魔除けの道具さえあれば……」

理亞「魔除け……」

聖良「より、想い入れの強いものであるほど、効果があると思います。何かありますか?」


これには心当たりがあった。

──『蹄鉄にも魔除けの効果があるのよ?』──

──『わたし馬が好きだから……この蹄鉄も昔、乗馬をしたときに貰った物で想い入れが強いの』──


曜「鞠莉ちゃん!」

鞠莉「ええ!」


次の目的地は決まった。

ホテルオハラの鞠莉ちゃんの部屋だ。





    ✨    ✨    ✨





あの後、車を呼び、淡島への船着場まで送ってもらって、今からホテルオハラに行く船に乗り込むところだ。

ここまで来る際も、理事長室の扉を完全に開け放ち、出来る限り、ゆっくり歩いて、車に乗るときも念には念を入れて5分ほど、扉を開け放ってから、出発した。


曜「ルビィちゃん……船、乗れてるかな」

聖良「こればかりは、もうルビィさんを信じるしかないので……」

鞠莉「大丈夫よ、もう船を着けて10分は経つし……」

理亞「ルビィ……」

聖良「そうですね……そろそろ出発してもらいましょう」

鞠莉「ええ」


わたしは躁舵手にお願いして、船を出してもらう。


理亞「ルビィ……いるなら、私の服、掴んでてね……ここで落ちたりしたら、ホントに怒るじゃ済まないんだから」

曜「ルビィちゃん! 私の服も掴んで大丈夫だからね!」


さて……ここは曜と理亞ちゃんに任せるとして、
223 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:24:35.55 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「聖良、ちょっと」

聖良「……はい、わかりました」


わたしは聖良を促して、甲板に出る。

まあ、甲板と言っても小型船舶だから、人が数人立てる程度の広さだけど……。

ただ、風の音もあるから、二人だけの話をするには十分な場所だ。


聖良「話があるんですよね」

鞠莉「……ええ。……あなた、何者?」

聖良「何者……ですか」

鞠莉「怪異現象について詳しすぎるわ」

聖良「趣味……と言っても、納得してもらえませんか?」

鞠莉「別に詰問するつもりはないわ。助けてもらってるわけだし……でも、ただの詳しい人というには、視点や考え方も専門家と言っても遜色がないし……」

聖良「そこまで褒めていただけて、光栄ですね」

鞠莉「それで、あなたは何者なの?」

聖良「そうですね……詳細の全ては明かせないんですが……鞠莉さん、あなたに近い生業の人間だと思ってもらえれば」

鞠莉「……!?」

聖良「小原鞠莉さん。貴方、そういう家系の末裔ですよね」


以前、曜には話したことだけど……もちろん聖良には話したことがない。


鞠莉「……もしかして、わたし、そういう世界だと有名人なの?」

聖良「ええ、知っている人は知っていますよ。鞠莉さんがというより、貴方のご先祖様が、ですけど」

鞠莉「……そっか。聖良は現役の人なの?」

聖良「……まあ、現役といえば現役ですね。ただ、理亞はそのことを知りません」

鞠莉「道理で、理亞ちゃん、ところどころ話についてこれてなかったわけね……」

聖良「出来れば理亞には内緒にしておいてくれると嬉しいんですが……」

鞠莉「ええ、もちろん聖良の意向に従うわ。ごめんなさい、問い詰めるようなことしちゃって」

聖良「いえ……鞠莉さんは警戒心が強いくらいでいいと思いますよ。守るものも多いでしょうから」

鞠莉「そう言ってくれると助かるわ。……それじゃ、中に戻りましょうか」


わたしは用件を済ませたので、船室に戻ることにしたのだった。後はホテルに着くのを待つだけだ──





聖良「……今後とも、私の正体を知られないで居られることを祈りますよ。特に鞠莉さん、貴方には……」





    *    *    *





──鞠莉ちゃんの部屋。


鞠莉「──そろそろ、いいかしら?」

聖良「そうですね……扉を開け放って5分。ちゃんと付いて来られているなら、部屋の中に入っていると思います」

鞠莉「それじゃ、ちょっとここで待っててね」
224 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:26:44.29 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉ちゃんはそう言って、奥の部屋に例の蹄鉄を取りに行く。

もちろん、取りに行くだけだから、すぐに戻ってきて、


鞠莉「これが、魔除けの蹄鉄」


蹄鉄を聖良さんたちに見せる。


聖良「……なるほど、これは良い物ですね」

理亞「そうなの……?」

聖良「蹄鉄自体魔除けとして重宝されるものですし、それに加えて手入れも行き届いています……大事に扱っていることがよくわかる。想い入れの強さはどれだけ大事にしているかに左右されるものですから、その点においては全く問題がないと思います」

鞠莉「Thank you. あとはこれをルビィに触れてもらうだけ……」

聖良「出来れば手に持ってもらうのが望ましいですね」

鞠莉「わかった。ルビィちゃん、ここに置いておくから、手に持ってもらえるかしら」

聖良「手に持って、祈ってください。元に戻れるように……」


鞠莉ちゃんと聖良さんが、恐らくここに居るであろうルビィちゃんに語りかける。


鞠莉「……それじゃ、みんな、一旦外に出ましょう」

曜「うん」

理亞「わかった」

聖良「後は……成功を祈るだけですね」


私たちは鞠莉ちゃんの部屋から出て、戸を閉める。


曜「……」

理亞「ルビィ……」


理亞ちゃんが目を閉じて、祈っている。

私も、胸中で祈る。……ルビィちゃん、お願い帰ってきて……!

──そのとき、


鞠莉「──……ルビィ? そうだ、黒澤ルビィ……!」

聖良「……黒澤ルビィさん……本当にどうして、忘れていたんでしょうか」


二人がルビィちゃんの名前を呼んだ。


曜「! 鞠莉ちゃん! 聖良さん! 記憶が……!」

理亞「ルビィ……!!」


理亞ちゃんが戸を押し開けて、飛び込むように鞠莉ちゃんの部屋に戻ると──


ルビィ「……り、理亞ちゃん……!」


胸の前で鞠莉ちゃんの蹄鉄を握り締めた、ルビィちゃんの姿があった。


理亞「ルビィ……!!」


そのまま、理亞ちゃんがルビィちゃんに抱きつく。
225 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:28:06.08 ID:WJ3m1kFK0

ルビィ「理亞ちゃん……! ルビィのこと、見えてる……?」

理亞「うん……ちゃんと、見えてる」

ルビィ「そっか……よかった……よかったよぉ……っ……」


ルビィちゃんは安心したのか、ポロポロと泣き出してしまう。


理亞「ルビィ……もう、大丈夫だから」

ルビィ「うん……っ……」

曜「ルビィちゃん」

ルビィ「曜ちゃん……っ」

曜「よく、頑張ったね……」


頭を撫でてあげると、


ルビィ「ふぇ……っ……うぇぇ……っ……こわかったよぉ……っ……。ルビィ、これから……ずっと、ひとりぼっちなのかなって……っ……」

理亞「大丈夫……ちゃんと見つけたから」

ルビィ「うん……っ……」

鞠莉「ルビィ……」

ルビィ「鞠莉ちゃん……!」

鞠莉「ごめん……わたし……ルビィのこと……」

ルビィ「うぅん……鞠莉ちゃんが助けようとしてくれてたの、ずっと見てたから……えへへ……っ」

鞠莉「うぅん、全部、曜のお陰よ。曜が居なかったら、わたしは忘れてることすら気付けないままだったもの……」

ルビィ「曜ちゃん……ありがとう……っ」

曜「無事にルビィちゃんが戻ってきてくれて……よかったよ」


こうして、私たちは無事、ルビィちゃんを救出することに成功したのだった。





    *    *    *





お昼過ぎになって、私たちはとりあえず本島に戻ることにした。

現在はルビィちゃんを含めた5人で船で戻っているところ。


鞠莉「──ダイヤも目を覚ましたみたい。ただ、大事を取って今日は家に帰ったみたいね」

曜「他の皆もルビィちゃんのこと、思い出したみたいだね……よかった」


先ほど、鞠莉ちゃんと一緒にメンバーに連絡を取ってみたところ、全員のルビィちゃんへの認識は正常に戻っていた。

ただ、ルビィちゃんが消えていたという事実は、実際に解決に立ち会った、私と鞠莉ちゃん以外は覚えていない様子だった。
226 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:31:40.49 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「なにはともあれ、イッケンラクチャクデース」

聖良「……と言いたいところですが、その前に。ルビィさん」

ルビィ「は、はい……なんですか……?」

聖良「今回の出来事について、何か原因に心当たりはありませんか?」

ルビィ「心当たり……呪いをやってたかって話……ですよね?」

理亞「ねえさま……!」

聖良「あくまで確認です」

ルビィ「理亞ちゃん、大丈夫だよ。……えっと、ルビィは呪いとかはホントに心当たりが、ないです……むしろ、そういう呪いがあることも今日初めて知ったくらいで……」

聖良「そうですか……。すみません、問い詰めるような物言いをしてしまって」

ルビィ「いえ……大丈夫です。聖良さんがいろいろ皆に教えてくれたから、助かったんだし……」

聖良「そう言って頂けると、助かります」

ルビィ「──あ……でも」

聖良「?」

ルビィ「呪いじゃないけど、ここ何日か……ずっと、変な夢を見てたかも……」

理亞「変な夢……?」

ルビィ「うん……すごい葉っぱの竜巻みたいなのが、どんどん大きくなって……ルビィもそれに巻き込まれちゃう夢……」

理亞「……? なにそれ……?」

ルビィ「わかんないけど……。その竜巻の中に……誰か居たような……」

聖良「……何かの暗示の可能性はありますね。もしかしたら、その夢の中の竜巻の中心に居た人が原因だったのかもしれません」

鞠莉「そういうものなの?」

聖良「夢は精神や記憶の集合体ですし……あくまで考え方の一つでしかないんですが、夢を見ているときは他人との意識が結びつきやすい状態だという考えもあります」

曜「それじゃ、全く関係のないルビィちゃんがあんな目にあったのは……」

聖良「もしかしたら、呪術を行った張本人と夢で同調してしまったのかもしれません。……尤も、確かめる術がないので、完全に憶測ですけど」

理亞「理由はなんでもいいけど、ルビィが関係ないってわかったなら問題ない。……まあ、私は最初からわかってたけど」

ルビィ「えへへ……うん♪ 理亞ちゃんもありがとう♪」

理亞「……/// ルビィはライバルなんだから、勝手に居なくなられたら、困るって思っただけ……///」

ルビィ「うん♪」

理亞「次の大会までにまた居なくなったりしたら怒るから」

ルビィ「うん♪」

理亞「ぅ……/// ニヤニヤしないでよ……///」

ルビィ「ルビィも理亞ちゃんと競いあえるの、楽しみにしてる!」

理亞「……ふん/// 当然じゃない///」


競い合えるのを楽しみにしてる……か。


鞠莉「……曜?」

曜「ん?」

鞠莉「どうかした?」

曜「ん……いや、なんかルビィちゃんと理亞ちゃんの関係、羨ましいなって」

鞠莉「羨ましい?」

曜「うん……切磋琢磨してるって言うかさ……。お互いライバルだって、認め合って、励めてるというかさ……」

鞠莉「……そうね」
227 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:33:09.77 ID:WJ3m1kFK0

私には……ない要素だ。

ついこの間だって、それが出来なくて、先輩を怒らせちゃったばっかりだし。


鞠莉「曜、関係は人それぞれあるから、曜は曜のペースでいいのよ?」

曜「あはは、わかってる……でもね」

鞠莉「……うん」

曜「もし……二人みたいに、誰かと認め合って、競い合って、向き合い続けられたら……私は今日も飛んでたのかなって……」


あの水面に向かって──スッと飛び込んでいたのかなって。


鞠莉「曜……」

曜「……って、ごめん。こんな話、今することじゃないよね、あはは」


どちらにしろ、もう高飛び込みはやらない気がしていた。だって──もう私は、自分自身が高飛び込みをしている理由が、よくわからないし……。





    *    *    *





ルビィ「ぅゅ……風強い……」

理亞「船がかなり揺れてる……」

鞠莉「ちょっと風が出てきたネ……」


船着場に船が着いて。これから、降りようというタイミングで風が強くなってきた。


曜「太陽はこんなに元気で、いい天気なのになぁ……」

聖良「海辺はもともと風が強いですから……」


まず、聖良さんと私が船から降りる。次に理亞ちゃんが船から顔を出し、


理亞「ルビィ」

ルビィ「あ、うん」


ルビィちゃんの手を引いて、降りるのを手伝ってあげる。


鞠莉「あら♪ 理亞ちゃんったら、かっこいい♪」

理亞「……海に落ちればいいのに」

鞠莉「やだ、酷いわね〜」


最後に鞠莉ちゃんが船から降りようとした、瞬間──突風が吹いた。


鞠莉「え──」

曜「!?」


鞠莉ちゃんが、甲板の上でバランスと崩す。

その瞬間──体が勝手に動いた。


曜「──鞠莉ちゃんっ!!」
228 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:34:52.74 ID:WJ3m1kFK0

岸から戻るようにして、甲板に飛び移り、鞠莉ちゃんの手を掴んで引っ張る。

そのまま、鞠莉ちゃんと立ち位置を入れ替わるようにして──


曜「……!」

鞠莉「!! 曜っ!!」


──私は、海に落ちた。





    *    *    *





──自分が落ちた衝撃で、たくさんの泡が周囲を踊っていた。

海に落ちたのなんて、何年振りかな。

……小さい頃はよく落ちてたっけ。

……あれ、なんでだっけ? なんで、私、よく海に落ちてたんだろう……。

海の中で開いた目には──水面から差し込むように伸びた、陽光。

そして、広がる。青──青、青……。

──ああ、そうだ。

この景色が好きだったんだ。

上も下もない。

全てが青に包まれた、この世界が、自由で。この世界に飛び込んだ瞬間、なんだか生まれ変わったような気がして。

最初はただ、パパの船を待っている間に、飽きてきて、走り回ってたら堤防の先で蹴躓いて──バッシャーンって。それが初めて海に落ちた日。

でも、それが気持ちよくて、楽しくて、いつしかあの大きな船の先から、飛び込めたら、もっともっと気持ちよさそうだって。

私は、あの日、そう思ったんだ。

そうだ、私は──

──この青い景色を、世界を、見たかったんだ。もっともっと深く、長く……。





    *    *    *





曜「──ぷはっ!」


水面から顔を出す。


鞠莉「──曜っ!!」


上から声が降ってきた。


曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「曜!! 今、浮き輪投げるから!!」

曜「うぅん、大丈夫ー!」


私はそのまま、岸まで泳ぎ、タラップをよじ登る。
229 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:36:27.24 ID:WJ3m1kFK0

曜「あはは、びしょびしょだ」


全身ずぶ濡れで、座ったまま苦笑していると──


鞠莉「曜……!!」


鞠莉ちゃんが、船から飛び降りて、私の方に駆け寄ってくる。


鞠莉「ごめん、曜……!!」

曜「……」

鞠莉「曜……!? どこか痛いの……!?」

曜「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「な、何……!?」

曜「やっと、思い出したよ」

鞠莉「え……?」

曜「……私が、なんで──高飛び込みをしてたのか」





    *    *    *





曜「──……さて」


──目の前に広がる、一面のプール。

そして、その近くに聳える飛び込み台。


先輩「──何しに来たの……?」


そして、先輩の姿。


曜「先輩」

先輩「……何?」

曜「これから、飛びます。見てもらえますか」

先輩「……? フォームチェックが今更必要? コーチにでも頼めば?」

曜「それじゃ、飛んでくるんで!」

先輩「え、ちょっと……!?」


言葉を並べるよりも、きっと見せた方が早いから。





    ✨    ✨    ✨





先輩「……馬鹿馬鹿しい」

鞠莉「……待って」


去ろうとする曜の先輩を制止する。
230 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:37:36.10 ID:WJ3m1kFK0

先輩「また、貴方……?」

鞠莉「曜を……ちゃんと見てあげて」

先輩「……」

鞠莉「お願い」

先輩「……プロ顔負けの前逆さ宙返り三回半抱え形を見て、学習しろってこと?」

鞠莉「さぁ……? それはわからないけど……」


曜は、見つけたと言っていた。なら──


鞠莉「きっと、答えを見せてくれるから」

先輩「……はぁ」





    *    *    *





飛び込み台に立つ。

今日飛ぶのは、いつもの前逆さ宙返り三回半抱え形じゃない。

これが一番──青の世界を、上も下もない、あの世界を感じられる気がしたから。

私が、続ける理由を、感じられると思ったから。

もう迷いはなかった。

──トン。

私は、踏み切り、青の世界へと──飛び込んだ。





    *    *    *





──私は、ただ真っ直ぐに飛び込んだ。

いつものように回転を加えることなく、ただ、真っ直ぐに。


曜「──ぷはっ」


私がプールから顔を出すと、


先輩「……どういうつもり……!」


先輩がプールサイドまで、近付いてきていた。まるで問い詰めるように、声を上げる。
231 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:39:50.69 ID:WJ3m1kFK0

曜「先輩……見てくれましたか?」

先輩「“100A”……! 前飛込み伸び型って……! ……あんな初歩的な技、貴方は今更やる必要ないでしょ!?」

曜「……でも、飛びたかったんです」

先輩「え……」

曜「ただ、飛び込みの気持ちよさを、楽しさを、また思い出したくって……難しいことが何一つない、一番基本的なあの技で」

先輩「飛び込みの……楽しさ……?」

曜「先輩、前に私に訊きましたよね。どうして飛び込みを続けるのかって……。私、飛び込み……好きなんです。上も下もない、あの青だけの世界に飛び込む、あの瞬間が……」

先輩「……」

曜「誰のためでもない、あの景色が見たくて、あの瞬間を感じたくて……私は飛び込むんです」

先輩「……!」

曜「千歌ちゃんのためでも、鞠莉ちゃんのためでも……コーチのためでも、周りの人のためでもない……。私は私のために飛ぶんです」

先輩「……」

曜「先輩は、何のために飛びますか……?」

先輩「……私は……。……」

曜「……私は、これからも飛びます。飛び込みを続けます。だって、あの世界に飛び込む、あの一瞬が……大好きだから」

先輩「……」

曜「……誰に何を言われても、私は飛び続けます」

先輩「……そう」

曜「先輩」

先輩「……何?」

曜「高飛び込み……好きですか?」

先輩「好きよ」

曜「えへへ、じゃあ、私たち、同じですね」

先輩「……はぁ、馬鹿らしくなってきた」


先輩は踵を返して、プールサイドから出て行こうとする。

その際、


先輩「そんなに好きなら……勝手に飛べばいいじゃない」


そんな言葉を残して、プールから去っていった。


曜「……ふぅ」


私がプールサイドに掴まっていると、


鞠莉「──曜、お疲れ様」


上から優しい声。


曜「……鞠莉ちゃん」

鞠莉「これが……曜の答えだったんだよね」

曜「うん……やっと、思い出したんだ」
232 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:41:35.94 ID:WJ3m1kFK0

──あの日、堤防から落ちた海で見た、あの景色がまた見たくて。

その話を毎日のようにしていたら、パパとママが、連れてきてくれたのが、この飛び込みプールだった。

ここなら、いっぱい飛び込んでも誰も怒らない。それどころか、私が飛ぶと、何故か皆が喜んでくれる。

私は嬉しくて、毎日飛び込みを続けた。いっぱいいっぱい飛び込んで、そのうち、そんな私を一番近くで応援してくれる人──千歌ちゃんと出会って。

知らず知らずのうちに、千歌ちゃんに恋をして。気付けば、千歌ちゃんが喜ぶから、飛ぶようになっていて。千歌ちゃんに想いが届かなくなって、なんで飛び込むかを見失ってしまっていたけど……。


曜「私……好きだったんだ。飛び込みが──大好きだったんだ……!」

鞠莉「……ふふ、そっか」


今日は、ただそれを先輩に言いたかった。

あの日、ちゃんと答えられなかった、私の答えを、見せるために。


曜「……先輩、私のこと認めてくれたかな……」

鞠莉「それはわからないけど……きっと、曜の気持ちは伝わったと思うわ」

曜「……うん!」


ずっと悩んでばっかりだったけど、わだかまりに一つ決着を付けられた気がして、私は安心を覚えていた。





    ❄️    ❄️    ❄️





──私と理亞は現在、東京に向かう電車の中に居ます。


聖良「理亞、良かったの? もう少し、皆さんと一緒に居ても……」

理亞「別にいい。今会っても、あんなことがあった直後じゃ、落ち着いて話せないだろうし」

聖良「そうですか……」


確かに、問題は解決したとはいえ、ダイヤさんや花丸さんが体調を崩していたのは事実。

無理をさせてはいけないという理亞の考えは尤もかもしれません。


理亞「そういえば、ねえさま」

聖良「なんですか?」

理亞「結局どうして、曜さんはルビィのこと覚えてたのか、わからなかったけど……」

聖良「……そうですね。まあ、解決したのなら、理亞の言ったとおり、知る必要のなかったことなんだと思いますよ」

理亞「まあ、それもそっか……」


確かに、あの呪いとやらの効力は私の吸血鬼性によるガードすらも打ち破って影響を与えてきた。吸血鬼と同等の知名度のある怪異が原因なのかもしれない。

理亞は私よりも更に濃い吸血鬼性のお陰で、影響をほとんど受けなかったようですが……──もちろん、ルビィさんへの信頼度も起因していたと思います。

一方で曜さんは私が見た限りでは完全に一般人だった。

その彼女が、何故ルビィさんを忘れることがなかったのか……。可能性としては──
233 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:44:31.44 ID:WJ3m1kFK0

理亞「ねえさま」

聖良「何ですか?」

理亞「ルビィに憑いてた呪いって結局どうなったの?」

聖良「……恐らく本来の呪詛対象の元へ返ったんだと思います」

理亞「元のって……」

聖良「……理亞。ルビィさんは無事助かったわけですから、これ以上は考える必要のないことですよ」

理亞「でも……」

聖良「これより先は、あくまで自業自得の領域ですから」

理亞「……うん」

聖良「それより、東京に行ったら遊園地を回るんでしょ? 今から行きたいところに目星を付けておいたら?」

理亞「……わかった。……時間無駄に出来ないしね」

聖良「ええ、全部回ると言っていましたからね」


……ルビィさんから、祓われた呪いは恐らく、今理亞にも言ったとおり、本来行くべき場所に戻っていったと思う。

場合によっては、戻っていった先が、呪いを司る神霊の元で、これ以上何も起きない可能性もありますが……。


聖良「どちらにしろ……本当に因果応報であるなら、私はそのルールに従うまで。私もその理の中に居る存在ですからね……」

理亞「? ねえさま、何か言った?」

聖良「いえ、なんでもないですよ」


ただでさえ、リスクを冒して手を貸したのですから。これ以上は、本人の問題です。


聖良「……健闘を祈りますよ」


私は東京に向かう電車の中で、一人呟いたのだった。





    *    *    *





──9月22日日曜日。


曜「よし……飛ぶぞー!!」


今日は、一日プールで過ごすつもりで居た。

Aqoursの練習は結局、大事を取って今週はお休みになってしまったので、三連休は丸々暇になってしまった。

鞠莉ちゃんと一緒に過ごすのも有りだったんだけど……。

今日は久しぶりに思いっきり飛び込みをしたい気分だった。

わだかまりもせっかく解消できたわけだしね!

胸中で気合いを入れながら、プールサイドに足を踏み入れると、


女の子「……」

曜「おっとと……」


前から歩いてきた女の子とぶつかりそうになって、とっさに避ける。


曜「ごめん! ちゃんと前見てなかった、大丈夫?」
234 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:46:23.17 ID:WJ3m1kFK0

振り返って声を掛けるが──


女の子「……」


その子は、そのまま反応せず、更衣室の方へ歩いていってしまった。


曜「……? まあ、いっか……」


別に怪我はなさそうだし……。





    *    *    *





今日は何故だか、非常にスムーズに飛べていた。

たまたま仲の良い人が少ない日だからかもしれない。

呼び止められることが一切ない分、これはこれで集中できて助かる。


曜「よっし……! もう一本!」


今日は本当に調子がいい。再び、飛び込み台を昇って行く。

その際、


曜「ん?」


後ろから私以外の人が昇ってきていることに気付く。

10mの飛び込み台は使う人が少ないから珍しい。

もちろん、飛び込み台は順番に一人ずつしか飛べないから、早く飛んで順番を回さないとね。

──飛び込み台に立つ。

たまには、後飛び込みでもしてみようかな。

踏み切り台の端に逆向きに立つと──


女の子「……」


先ほどの女の子の姿が見えた。

順番待ちをしているはずの子。

その子が──


女の子「──飛びます……!」

曜「え……?」


私が居るにも関わらず、手を挙げてから、こっちに向かって歩いてくる。


曜「ち、ちょっと!? ストップ!!」

女の子「……」


制止するも、女の子は止まらない。


曜「っ!!」
235 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:47:40.21 ID:WJ3m1kFK0

私は咄嗟に、女の子の脇をすり抜けるようにして、彼女の後ろ側に逃れる。


曜「は……はっ……!!」


どうにか、回避出来たけど、心臓が爆音を立てていた。

当たり前だ、危うく落とされかねない状態だったわけだし。


曜「何考えてるの!? 危ないでしょ!?」


思わず振り返って、大きな声を出すが、


女の子「──ふぅー……ふっ!!」


女の子は私のことを無視して、飛び込んで行ってしまった。


曜「え……」


──こんなことは、本来ありえないことだ。

高飛び込みは高所からの競技ゆえに、一歩間違えるととても危険。飛び込み台の使い方についても、事故がないように細心の注意を払う。

この場所で、あんなことをするのは、よほど相手が嫌いか、もしくは──


曜「私のこと……見えて……ない……?」


認識出来ていないとしか、思えなかった。





    *    *    *





プールを後にして、私は考えながら歩く。

先ほどの現象。

つい昨日見たのと同じだった。

ルビィちゃんの身に、起こったことと。


曜「…………」


昨日の、ルビィちゃんが消えかけた、神隠しの呪いと。


曜「……ルビィちゃんは、ただとばっちりを受けただけだった」


即ち──本来、罰を受けるはずの人間が居たはずで……。

ルビィちゃんの呪いは、あくまで追い払っただけだ。じゃあ、追い払った呪いは……本来の呪詛返しの対象の元へ行くと聖良さんは言っていた。

そして、流してしまったけど、結局わからず仕舞いだったことがあった。

それは──


曜「どうして……私がルビィちゃんを覚えていたのか……」


問題が解決してしまったから、すっかり忘れていた。

いや、そもそも──
236 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:49:48.89 ID:WJ3m1kFK0

曜「問題は……解決、してなかったんだ……」


ルビィちゃんから祓われた、呪詛の行き先は──本来、消えるはずだった人の元。


曜「……そっか。……そう、だよね」


私のやったのは、中途半端だったから、違うと勝手に思い込んでいたけど……神様は許してくれなかったんだ。

私は、肩を落として、帰路につく。





    ✨    ✨    ✨





──スマホの画面を点けてみる。


鞠莉「……連絡……ない、か」


今日、何度目だろうか。一日中、曜からの連絡を待っていた気がする。

いや、なくてもおかしくはない。だって、今日は特に一緒に過ごす約束はしていなかったし。


鞠莉「……曜……今、何してるかな……」


でも、曜のことが気になって、他のことは何も手がつかなかった。

だから、今日はこんな感じで、ずっとスマホと睨めっこをしている。


鞠莉「何やってんだろ……わたし……」


ここ数日、毎日のように曜と顔を合わせていたからか、曜と会えないことを思った以上に寂しく感じている自分が居ることに気付く。


鞠莉「これがいわゆる、Lovesickってやつなのかしら……」


気付けば、曜のことで頭がいっぱい……。曜に会いたいな……。曜の声が聴きたいな……。


鞠莉「……もういい、悩んでてもしょうがない」


わたしは、どうにでもなれと言った気持ちのまま、曜へ通話を発信した。

1コール……2コール……3コール。

だけど、曜は出てくれない。


鞠莉「やっぱり……急過ぎたかな……」


諦めかけたそのとき、


曜『……もしもし、鞠莉ちゃん?』

鞠莉「! もしもし、曜!?」


電話が繋がった。


曜「どうしたの?」

鞠莉「え、えーっと……」
237 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:51:04.67 ID:WJ3m1kFK0

しまった、何を話すか考えてなかった。


鞠莉「……デート!」

曜「へ?」

鞠莉「明日、デートしましょ!?///」


咄嗟に出た口実はデートへのお誘いだった。


曜「え、えーと、明日?」

鞠莉「明日、暇ある?」

曜「ある、けど……」

鞠莉「じゃあ、沼津に、1時!」

曜「え、う、うん」

鞠莉「待ってるから!!///」

曜「え、ちょ、鞠莉ちゃ──」


急に恥ずかしくなってきて、通話を切る。


鞠莉「デ、デート……誘っちゃった……///」


散々恋人ごっこと称して、二人で過ごしていたはずなのに、改めてデートに誘ってみた今、顔がとても熱かった。


鞠莉「曜…………曜…………」


自分が暴走気味な自覚はあったけど、気持ちの抑え方がよくわからなくなっていた。

曜のことで本当に頭がいっぱいで……。


鞠莉「……明日……楽しみだな……」


胸の高鳴りが、自分を突き動かしている。

なんだか、不思議な感覚だったけど、イヤじゃなかった。

これが──


鞠莉「恋なんだ……」


トクントクンと高鳴る胸の鼓動を噛み締めながら。


鞠莉「曜……」


わたしは大好きな人の名前を呼びながら、明日を待つ──





    ✨    ✨    ✨





──翌日。9月23日月曜日。本日は秋分の日。

私は沼津駅の前で曜が来るのを待っているところだった。


鞠莉「曜……まだかな」
238 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:52:03.87 ID:WJ3m1kFK0

時刻は12時50分を回ったところ。

正直早く着き過ぎた。

もう20分くらいはこうして、待っている。


 「──おーい!」

鞠莉「!」


声がする方に振り返ると、


曜「鞠莉ちゃーん!」


曜が手を振って駆け寄ってきているところだった。


鞠莉「曜……!」

曜「はぁー……はぁ……ごめん、待った?」

鞠莉「うぅん、さっき着いたばっかりよ」

曜「ホント? よかった……まさか、鞠莉ちゃんが先に来てるなんて思わなくって……」

鞠莉「む……それはどういう意味デースか……?」

曜「だって、鞠莉ちゃん、朝弱いし……」

鞠莉「今日は早起きしたもん……」


デートが楽しみすぎて、目が冴えてしまい、5時くらいには起きてたなんて言えないけど。


鞠莉「それより、曜……」


曜の手を握る。


鞠莉「……デート、始めましょ?///」

曜「えへへ……うん。今日はよろしくね、鞠莉ちゃん」


曜との一日が始まった。





    ✨    ✨    ✨





曜「ところで、どこに行くの?」

鞠莉「えっとね……映画を見たいなって」

曜「映画か……いいね!」

鞠莉「うん♪」


二人で、駅前の映画館が入っているショッピングモールへと足を運ぶ。

──到着した映画館内は、祝日ということもあり、人の入りはそこそこだった。


鞠莉「結構人が多いわね……」


二人で館内を進んでいくと、急に腕を引っ張られた。


鞠莉「きゃ!? 何!?」
239 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:53:13.64 ID:WJ3m1kFK0

慌てて、振り返ると──


曜「い、いたた……」


曜が尻餅をついていた。


鞠莉「曜、大丈夫!?」

曜「あ、うん……ごめん。人にぶつかっちゃって……」

鞠莉「もう! 尻餅つくほど、勢いよくぶつかってくるなんて、乱暴な人がいるのね!?」

曜「あはは、鞠莉ちゃん、大丈夫だから」


曜はお尻をはたきながら、立ち上がる。


曜「人が多いから、出来るだけ早く中に入っちゃおうか」

鞠莉「そうしましょうか……。曜は何か見たい映画とかある?」

曜「んー……そうだなぁ……。……鞠莉ちゃんはどれがオススメ?」

鞠莉「わたし? わたしは、そうねぇ……」


アクション、コメディ、サスペンスチックなものやアニメまで、いろいろとあったけど、わたしは──


鞠莉「あれが見たいな……」


洋画のラブロマンスを指差す。


曜「じゃあ、それにしよっか」

鞠莉「いいの?」

曜「うん、鞠莉ちゃんが好きな映画って、興味あるし」

鞠莉「曜……えへへ、うん♪ それじゃ、チケット買わないとね」

曜「うん」


チケット受付まで、二人で行き、チケットを購入する。


鞠莉「すみません、高校生二枚ください」

受付「学生証お持ちですか?」

鞠莉「はい。えっと……」


学生証を出そうとしたところで、


曜「鞠莉ちゃん……ごめん、学生証忘れちゃった」


曜が耳打ちしてくる。


鞠莉「……ん、忘れちゃったなら、しょうがないか。ごめんなさい、高校生1枚と大人1枚で」

受付「かしこまりました」


チケットを買って、ロビーで待つ。
240 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:56:12.23 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「もう、曜ったらおっちょこちょいなんだから」

曜「あはは、ごめん……」

鞠莉「ふふ、まあ、別にわたしは大人料金でもいいんだけどね。飲み物はどうする? 買ってくるけど」

曜「じゃあ、オレンジジュースがいいな」

鞠莉「了解♪ ちょっと待っててね」

曜「はーい」


──あまり待たせても悪いから、手早く二人分のジュースを買って、戻ってくると。


鞠莉「あれ……? 曜……?」

曜「あ、鞠莉ちゃーん、こっちこっちー」

鞠莉「? あ、いた」


曜はやたらと隅っこの方で待っていた。


鞠莉「もう……居なくなっちゃったのかと思ったわ」

曜「え」

鞠莉「え?」

曜「あ……いや、人が多かったから、端っこで待ってようかなって」

鞠莉「そう? はい、これオレンジジュースね」

曜「あ、うん。ありがとう」


──曜に飲み物を手渡したタイミングで、丁度、わたしたちが見ようとしていた映画の入場アナウンスが響く。


鞠莉「Good timingデース♪」

曜「あはは、そうだね」


曜と一緒に移動して、チケット受付にチケットを2枚提示する。


受付「? 一名様ですか?」

鞠莉「え? 二人ですけど……」

受付「えっと……? 二名様ですか……?」

鞠莉「……? 二人です」

受付「はぁ……」


何故か受付の人は首を傾げながら、二枚の半券をもぎる。


受付「ごゆっくりどうぞ」

鞠莉「……? 何今の……」

曜「ま、まあ……いいじゃん! 通れたんだし!」

鞠莉「……まあ、いいけど」


変な受付さんもいるものね……?





    ✨    ✨    ✨


241 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:57:33.50 ID:WJ3m1kFK0


曜「いやぁ……よかったね」

鞠莉「ふふ、曜ったら、思った以上に夢中になってみてたわね?」

曜「え、そうかな?」

鞠莉「もしかして、ラブロマンス結構好き?」

曜「……実は、結構好きです」

鞠莉「ふふ、やっぱり♪」

曜「よくイメージじゃないって言われるんだけどね……」

鞠莉「あら……わたし的にはイメージ通りなんだけどなー」

曜「え、そうなの?」

鞠莉「曜って実はすっごい乙女だからね♪」

曜「う……/// からかわないでよ……/// 鞠莉ちゃんこそ、どうなのさ」

鞠莉「わたし? んー、普通によく見るけど……」

曜「今回の映画の感想は?」

鞠莉「素敵な映画だったと思うわ。特に『いつまでも、何があっても、貴方のことを想い続けます』って想いを伝えるシーン……すっごく共感しちゃった」

曜「……共感したんだ」

鞠莉「ええ。わたしも……大好きな人の傍にいるためだったら、全部を投げ出せるもの。その人と一緒に居るためだったら、他に何もいらないわ」

曜「……そっか」

鞠莉「曜はそう思わないの?」

曜「……うぅん。私もそう思うよ」

鞠莉「だよね♪」

曜「……うん、私もそう思う……」

鞠莉「……?」

曜「……ねえ、鞠莉ちゃん! 次はどこいこっか?」

鞠莉「えーっと……それじゃあ──」





    ✨    ✨    ✨





 「いらっしゃいませー」


次に来たのはカフェ。


鞠莉「少し混んでるわね……」

曜「そうだね」


わたしは、順番待ちの名簿に名前を書く。

ただ、2名だったこともあり、思ったよりも待つことはなく、


店員「2名様でお待ちのオハラ様〜」


すぐに名前を呼ばれた。
242 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 02:58:35.40 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「はい」

店員「……? 2名様でお待ちのオハラ様ですか?」

鞠莉「……? はい」

店員「……かしこまりました! お席にご案内します」

鞠莉「……?」


何? 今の間……?


曜「ほら、鞠莉ちゃん。いこ?」

鞠莉「あ、うん」





    ✨    ✨    ✨






鞠莉「曜は何にする?」

曜「えっと……鞠莉ちゃんと同じやつ」

鞠莉「あら♪ 相変わらず可愛いこと言うのね♪」


わたしはもう決まっていたから、店員を呼ぶ。


店員「はい、お願いいたします」

鞠莉「ドボシュ・トルテとレモンティーを二つずつ」

店員「えっと、二つずつでよろしいですか?」

鞠莉「? はい」

店員「かしこまりました。少々お待ちください」


注文を受けて、店員はパタパタと店の奥の方へと歩いていく。


鞠莉「ん……」


なんか、今日は変な反応をされることが多い気がする。


曜「鞠莉ちゃん、レモンティーでよかったの?」

鞠莉「ん?」

曜「いや、コーヒー頼むのかなって思ってたから」

鞠莉「んーだって、マリーと同じものだから、コーヒーだと、曜がニガイニガイ〜ってなっちゃうと思ったから〜」


意地っ張りな、曜をからかうように言うと。


曜「そっか……ありがとう、鞠莉ちゃん」


曜は嬉しそうに微笑みながら、お礼を言う。


鞠莉「え? う、うん、どういたしまして」


あれ……てっきり、また膨れちゃうかと思ったんだけどな。
243 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:00:09.37 ID:WJ3m1kFK0

曜「鞠莉ちゃんが、気遣ってくれて……嬉しいよ」

鞠莉「そ、そう……?」


まあ、喜んでくれたなら……いいの、かな?





    *    *    *





鞠莉ちゃんはどこに行っても優しかった。

私の手を優しく握って、私の目を見て、私のことを想って、いろんなことを考えてくれる。

嬉しかった。

鞠莉ちゃんの気持ちが、すごく、すごく嬉しくて……なんだか、幸せだった。

私は──もう、そんな風に扱ってもらう資格なんて、ないのに。

鞠莉ちゃんはきっと……どんな風になっても、わたしを守ろうとしてくれる気がする。助けようとしてくれる気がする。

でも……私は、もう……。

──……だから、私は、一人で決意をする。

私の……こんなどうしようもない、私の運命に……これ以上、鞠莉ちゃんを巻き込まないために。これ以上、鞠莉ちゃんに迷惑を掛けないために──





    ✨    ✨    ✨





──カフェでお茶をして、そのあとショッピングをして……。

わたしはどこに行っても、ドキドキしていた。

手を繋いだまま、二人で歩いて、たまに目が逢うと、


曜「ん? どうかした? 鞠莉ちゃん」

鞠莉「う、うぅん、なんでもない……///」


更にドキドキして。

ああ、どうしよう……幸せだ。

曜と一緒に居られるだけで、わたし幸せなんだ……。

──でも、わたしは……もう一歩先の幸せが欲しい。

曜の──恋人になりたい。


鞠莉「……曜」

曜「ん?」

鞠莉「……あそこに行かない?」

曜「……『びゅうお』?」

鞠莉「うん」

曜「……わかった。いこっか」
244 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:02:18.90 ID:WJ3m1kFK0

あそこで、わたしたちが本音を伝え合えるあの場所で──想いを伝えよう。

わたしは一人、覚悟を決める。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「ふふ、今日も夕日が綺麗ね」

曜「……そうだね」


二人で燃える海を見つめながら、いつもの椅子に腰を下ろす。


鞠莉「……ねぇ、曜」

曜「ん?」

鞠莉「じ、実はね……話があって」

曜「…………話って?」

鞠莉「あ、あのね……わたし、ね……」


ドキドキと、胸が高鳴り始める。

これから、曜に──告白する。


曜「…………」

鞠莉「わ、わたし……今日すっごく楽しかったの」

曜「うん」

鞠莉「その……だから、また一緒に曜とデートしたいなって……」

曜「……そっか」

鞠莉「……曜、あのねっ」


──告白を切り出そうとした、そのときだった。


曜「待って」


曜に言葉を遮られる。


鞠莉「え……?」

曜「……実は、私の方からも、鞠莉ちゃんに話しておきたいことがあるんだ」

鞠莉「え……」

曜「いや……むしろ、私が先に切り出すべきかなって」


それって……もしかして。

──ドキドキドキドキ。胸の高鳴りが加速していく。


曜「──鞠莉ちゃん」

鞠莉「は、はい……!!」


曜がわたしの目を真っ直ぐ見つめてくる。

その瞳は──……酷く、悲しそうだった。
245 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:04:18.84 ID:WJ3m1kFK0

曜「……恋人ごっこ、終わりにしよう」

鞠莉「…………え」


曜の言葉に、固まった。


曜「……もう、今日で終わり」

鞠莉「…………えっと、どういう、意味……?」

曜「言ったとおりの意味だよ。もう恋人の振り、終わりにしよう」

鞠莉「……お、終わりにして……どうするの……?」

曜「どうって? ……元に戻るだけだよ。今までどおり、同じ部活の先輩後輩に」

鞠莉「元……に……?」


先ほどの幸せな高鳴りが、急に苦しい動悸に変わっていく。


鞠莉「なん……で……?」

曜「…………」

鞠莉「ねぇ……曜……なんで、急に……なんで……?」


途切れ途切れの言葉で問いかけながら、曜の手を握るが、その手が震えてしまう。

怖くて、苦しくて、本当は曜の手が震えてるんじゃないかと思ってしまうくらい、わたしの手は震えていた。


曜「…………」


曜は心底、苦々しそうな顔をした。


曜「……言わなきゃ、ダメ?」

鞠莉「え……」

曜「……言わなきゃ、わかんない?」

鞠莉「……わ、わかんないよ……っ」

曜「……そっか」


曜がわたしから視線を外して上を向く。

何……? どういうこと……?


曜「……………………。…………じゃあ、言うけどさ」


曜は長く息を溜めたあと、


曜「……正直、鞠莉ちゃんさ……」


わたしと目を合わせないまま、


曜「──千歌ちゃんの代わりになってないんだよね」


そんな言葉を吐き捨てた。


鞠莉「……ぇ……」

曜「……千歌ちゃんの代わりにならないんじゃ……意味、ないよね」

鞠莉「……意味……ない……」
246 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:05:45.85 ID:WJ3m1kFK0

曜の言ってる言葉の意味が、理解出来ない。

曜は、何を言ってるの……?


曜「だから、もう終わり」

鞠莉「……ゃ……」

曜「…………」

鞠莉「……ぃゃ……なん、で……そんなこと……言うの……?」

曜「……私おかしなこと言ってるかな? それとも──」


曜は再び大きく息を吸ってから、


曜「………………自分が千歌ちゃんの代わりになれるって、本気で思ってたの?」


更に残酷な言葉を吐き出した。


鞠莉「……っ……!!」

曜「……ねえ、鞠莉ちゃん」

鞠莉「……っ!!」


わたしは曜の手を──振り払って、後ずさるように、立ち上がる。


鞠莉「……さいっ……てい……」

曜「…………」

鞠莉「曜……あなた……最低よ……っ……そんなこと……言う人だなんて……思わなかった……っ」

曜「……違うよ。……千歌ちゃんの代わりになろうとしたのは──鞠莉ちゃんじゃん」

鞠莉「……っ!」

曜「でも、鞠莉ちゃんは代わりにはならなかった。それだけでしょ?」


もう聞きたくなかった。

わたしは踵を返す。


曜「帰るの?」

鞠莉「……もう、二度と話しかけないで……あなたのことなんて──」

曜「……ことなんて?」

鞠莉「……っ…………さよなら」

曜「……」


カツカツと、『びゅうお』内に乾いた靴の音が響く。

気付けば、燃える海はすっかりその火を失って、少しずつ少しずつ暗い、闇が侵食を始める時間になっていた──まるで、今のわたしの心の中のように。

嘘だと信じたかった。タチの悪い冗談だって、言ってほしかった。でも、曜は──追ってきてはくれなかった。


247 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:06:41.47 ID:WJ3m1kFK0


    *    *    *





鞠莉ちゃんは、去った。


曜「…………っ……これで、いいんだ……っ……」


私は一人、椅子の上に縮こまる。


曜「これで……いい、んだ……っ……」


気付けば、涙が溢れてきていた。


曜「泣くな……っ! 私が泣くのは……ずるだよ……!!」


涙を拭いながら、自分を怒鳴りつける。


曜「鞠莉ちゃん……ごめん……ごめんなさい……っ……」


泣きたいのは、鞠莉ちゃんの方だ。

きっと、鞠莉ちゃん……すごく傷ついた。

でも、でも……。


曜「こうするしか……っ……ぅ……ぐすっ……」


 施設員「──……誰もいないね」


曜「だって……っ……だって……っ……」


 施設員「……『びゅうお』消灯しまーす」


曜「……私、もう……」



……消えちゃうんだもん──


248 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:07:49.97 ID:WJ3m1kFK0


    ✨    ✨    ✨





──自宅に帰ってから、わたしはベッドに潜り込んで、


鞠莉「…………ぅ……っ……ぐす……ぅ……ぅぇぇ……っ……」


ひたすらに泣き続けていた。

この世の終わりみたいな、絶望感に包まれていた。

これは現実なんだろうか。


鞠莉「…………曜…………曜……っ……」


名前を呼ぶたびに、涙が溢れてくる。

大好きで、呼ぶだけで、幸せになれる魔法の名前のはずだったのに。

今は、名前を呼べば呼ぶほど、胸が苦しくなる。

なのに、何度も何度も、名前を呼んでしまう。


鞠莉「…………曜…………っ……! ……なんで……なんでぇ……っ……!」


曜があんな風に思っていただなんて、知りたくなかった。


鞠莉「…………曜……っ……! ……曜……っ……!」


涙が枯れるまで、わたしはただ、泣き続けた。

苦しくて、悲しくて……ただ、泣き続けた──





    ✨    ✨    ✨





──翌日。9月24日火曜日。

……朝から最悪の気分だった。

教室についた今も、それは変わらない。


鞠莉「…………」


酷くイライラする。


果南「あのー……鞠莉?」

鞠莉「何……」

果南「いや……なんかあったの?」

鞠莉「……ほっといて」

果南「……わ、わかった……ごめん」


苛立ちを隠す気にすらなれなかった。
249 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:09:00.60 ID:WJ3m1kFK0

ダイヤ「鞠莉さん」

鞠莉「……何」

ダイヤ「余りに不機嫌オーラがダダ漏れすぎて、皆さん怖がってますわよ」

鞠莉「……そう」

ダイヤ「……はぁ」

鞠莉「……ごめん、これ以上、話しかけないで」

ダイヤ「……まあ、いいですけれど。……放課後までには機嫌、治してくださいませね」

鞠莉「…………」


そんなことを言われても機嫌が治る気なんて全くしなかった。

案の定、わたしは一日中とにかく不機嫌なままだった。





    ✨    ✨    ✨





──放課後。


鞠莉「……部活」


足は果てしなく重いが、顔くらいは出した方がいい。

イライラしすぎて、もはや体調が悪い。

今のわたしを見たら、曜は何を思うかしら。

考えたくない……。

ただ、それは杞憂だったようで、


鞠莉「……みんな、お疲れ」

ダイヤ「お疲れ様。もう揃ってますわよ」

鞠莉「…………」


部室内を見回すが、そこには曜の姿はなかった。


梨子「鞠莉ちゃん……大丈夫……?」

善子「なんか……死にそうな顔してるわよ……?」

鞠莉「……曜は?」

果南「……? いや、部活だと思うけど……」

鞠莉「は?」

ルビィ「ピギッ!?」


声にドスがきいていたのか、ルビィがビクっとする。

いや、そんな声にもなる。

部活って、まさか、曜……わたしと顔合わせづらいから、兼部先の水泳部に逃げたってこと……?
250 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:10:27.79 ID:WJ3m1kFK0

花丸「ま、鞠莉ちゃんから、まがまがしいオーラが出てるずら……」

鞠莉「……帰る」

千歌「え!? 帰るって……これから、部活……」

鞠莉「…………」


もう返事をする気力もなかった。

ああ、そういうことか。結局全部を投げ出したんだ、曜は。

千歌も、Aqoursも──わたしも。


鞠莉「…………っ」


また、涙が勝手に溢れてきたから、袖で拭う。

もう今日は帰って寝よう。

……疲れてしまった。





    *    *    *





──誰も居ない。

もう、真っ暗だ。


曜「……怖いよ……っ」


誰も私に気付かない。


曜「……寂しいよ……っ」


世界にただ一人、取り残されて、


曜「……やだ……っ……やだ……っ……」


消えていく。

存在が、少しずつ、消えていく。


曜「……はっ……はっ……はっ……!」


恐怖で心臓が嫌な鼓動を刻み続け、冷や汗で全身がびっしょりになり、涙が止まらない。


曜「やだ……っ……誰か、助けて……っ……」


消えたくない。

全部、自業自得かもしれない、それでも、消えたくなかった。怖くて、怖くて──


曜「……鞠莉、ちゃん……っ……」
251 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:11:55.31 ID:WJ3m1kFK0

名前を呼んでしまう。

いつも、私を助けてくれた、大好きな人の名前を……。

あんなことを言って、遠ざけた手前。

ワガママなのは承知の上だけど……それでも、


曜「鞠莉ちゃん……っ……怖いよ……寂しいよ……」


私は、彼女の名前を、呼び続ける。

届くことのない声で──呼び続ける。





    ✨    ✨    ✨





9月25日水曜日。

今日も変わらず、イライラしていた。

ただ、仕事が溜まっていたため、今は理事長室に篭もっている。


鞠莉「…………」


コーヒーを飲みながら、ふとカップの話を曜としたな、などと思い出して。


鞠莉「! ……もう、忘れるのよ、マリー……!」


ぶんぶんと首を振る。

もう終わったことだ。もうわたしには関係ない。関係ないんだ……。

そのとき──コンコン。扉がノックされる。


鞠莉「……どうぞ」

ダイヤ「失礼します」


入ってきたのは、ダイヤだった。


鞠莉「……何?」

ダイヤ「まだ、不機嫌なのですか?」

鞠莉「別にいいでしょ……」

ダイヤ「はぁ……今日も部活には顔を出さないのですか? もう練習も終わって、皆着替えているところですけれど……」

鞠莉「……わたし以外にも言う相手が居るでしょ?」

ダイヤ「……? 誰ですか?」

鞠莉「……っ」


ダイヤがとぼけた顔をして、イラっとする。
252 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:18:00.53 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「もう一人、部活に来てないのがいるでしょ!?」

ダイヤ「え……?」

鞠莉「……は?」

ダイヤ「ごめんなさい、誰のことですか?」

鞠莉「曜よ!」

ダイヤ「……? よう……?」

鞠莉「…………」


なんだ、ダイヤもグルなのか……。

少しでも気持ちを静めようと、コーヒーに口を付けるが、イライラしすぎて、味がよくわからない。


ダイヤ「あの……鞠莉さん……」

鞠莉「何……」

ダイヤ「もしかして……よう、とは……人の名前ですか……?」

鞠莉「え……?」


ダイヤの言葉に、カップが手から滑り落ちた。

──パリンッ。


ダイヤ「!? 鞠莉さん!? 大丈夫ですか!?」

鞠莉「ダイヤ……! 今なんて言った……!?」

ダイヤ「え、いや、だから大丈夫ですかと……」

鞠莉「違う、それより前……!! 曜が……なんですって!?」

ダイヤ「え……ですから、その、よう……? というのは人の名前、ですか……?」

鞠莉「…………まさ……か……」


態度が急変したと思ったら、急に姿を見せなくなった曜。そして、今のダイヤの反応──全てが一気に結びついて、血の気が引いていく。


ダイヤ「鞠莉さん、それより、お怪我は……」

鞠莉「──曜……っ!!」


わたしは、理事長室を飛び出した。


ダイヤ「え!? ちょっと!! 鞠莉さんっ!?」


パパから貰った大切なコーヒーカップは──床に落ちて、バラバラに砕けてしまっていた。

今のわたしは、それどころではなかった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──曜っ!!」


部室の引き戸を乱暴に開けながら、曜の名前を叫ぶ。
253 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:19:55.11 ID:WJ3m1kFK0

ルビィ「ピギッ!?」

花丸「ずらっ!?」

千歌「ま、鞠莉ちゃん……?」

果南「鞠莉……今日はどうしたの……?」

鞠莉「曜!! 曜は!? 曜はどこ!?」

善子「よう……?」

梨子「えっと……鞠莉ちゃんに特別用事はないけど……? 強いて言うなら部活?」

鞠莉「ふざけてる場合じゃないの!! 曜よ!! 渡辺曜!!」

梨子「え、ええ……?」


思わず梨子の肩を掴んで揺すってしまう。


ダイヤ「ちょっと鞠莉さん!!」


背後から、追いついてきたダイヤが、わたしの肩を引っ張る。


ダイヤ「急にどうしたというのですか!!」

鞠莉「ダイヤ!! 曜は!? 曜はどこ!? 来てないの!?」

ダイヤ「だから、何の話ですか!?」

鞠莉「……っ!」


ダメだ、ダイヤはもう忘れてる。……そうだ!!


鞠莉「ルビィ!!」

ルビィ「ピギィッ!?」

鞠莉「あなたは覚えてるわよね!? 曜のこと!!」

ルビィ「ふぇ、ふぇぇ!? な、なに……? ルビィ、なんかしちゃったの……っ!?」

鞠莉「違う!! 曜!! 渡辺曜!! 覚えてるでしょ!!? ねぇっ!!」

ルビィ「だ、誰……っ……ルビィ、知らないよ……っ」

鞠莉「っ!! なんであなたが覚えてないのよっ!!?」

ルビィ「ピギッ!! ご、ごめんなさい……っ!!」

鞠莉「あなた、曜に助けてもらったでしょ!? なんで、そのあなたが……!!」


ルビィの肩を掴んで揺する。


ダイヤ「鞠莉さんっ!! いい加減にしてください!!」


ダイヤがルビィとの間に割って入ってくる。


ルビィ「お、おねぇちゃん……」

ダイヤ「貴方、先ほどから、おかしいですわよ!?」

鞠莉「……どうしよう……どうしよう……っ……!」


ルビィがダメ……あとは……。


千歌「……よう……わたなべ、よう……」

鞠莉「……!! 千歌!! 曜のこと覚えてるの!?」
254 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:24:09.60 ID:WJ3m1kFK0

今度は千歌の肩を掴む。……いや、もはや縋っていた。


千歌「…………よう……よう……? ……よう……わた、なべ……よう……?」

鞠莉「そう!! 曜よ!! あなたの幼馴染の渡辺曜!!」

千歌「……し、しってる?? しらない?? ……よう、だれ? ……え? しって……いっづ……っ……!!」


急に、千歌が頭を抱えて、蹲る。


鞠莉「……っ!! 千歌、お願い!!」

千歌「あ、たま……い、たい……、よう……ちゃ……ん……づぅっ……!!」

鞠莉「千歌っ!!」

ダイヤ「──やめてくださいっ!!!」


ダイヤが血相を変えて、千歌をわたしから引き剥がす。


ダイヤ「千歌さん!? 大丈夫ですか!?」

千歌「……あ、たま……われ、る……」

鞠莉「千歌、お願い!! 思い出して……!!」

千歌「…………づぅっ゛……」

ダイヤ「お願いやめてっ!! 千歌さんが苦しんでる!!」

鞠莉「……っ!!」


混乱する頭の中で、この間、聖良が言っていたことを思い出す。

──『恐らく、ダイヤさんや花丸さんのような、近しい人たちの記憶からも完全に消えてしまうようになったら、かなり危険信号だと思います』──

もう、曜の記憶は千歌にしか残ってない。そして、千歌の記憶も消えかかっている。


鞠莉「……見つけなきゃ!!」

果南「え、ちょっと、鞠莉っ!?」


もう時間がない……!!

わたしは、一人部室を飛び出した。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「車回して!!! 早く!!! お願い!!!」


電話口に叫びながら、校門から飛び出す。

どこを探せばいい!? 曜はどこにいる!?

いや、ルビィはこの状況になったときにはすでに姿が見えなくなっていた。

どこかわかるだけじゃダメだ……!!


鞠莉「そうだ!! 魔除け……!!」
255 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:25:24.73 ID:WJ3m1kFK0

ホテルオハラまで取りに行く余裕がある……?

船を回してもらう……?

混乱する思考の中、必死に最善手を考える。


 「──鞠莉ー!!」

鞠莉「!?」


背後から声がして、振り返る。


果南「はぁ……はぁ……!! 急に、どうしたのさ!?」


声の主は、果南だった。


鞠莉「果南……説明してる暇は──」


そこで──ハッとする。


鞠莉「果南今日、淡島から何で本島まで来た!?」

果南「え……? 水上バイクだけど……」

鞠莉「鍵貸して!!」

果南「え!?」

鞠莉「お願い……っ!」

果南「い、いいけど……」


果南がポケットから出した鍵を、半ばひったくるようにして受け取る。


果南「ちょ、鞠莉、ウェットスーツは!? まさか、制服のまま乗るつもり!?」

鞠莉「ごめん!! 後でちゃんと返すから!!」


わたしは全速力で、浦の星女学院前の下り坂を走り出した。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──はぁ……はぁっ……果南の水上バイク……あった!!」


途中で拾ってもらった車から飛び出し、淡島行きの船着場近くに着けてあった、水上バイクに乗り込もうとした瞬間──


鞠莉「きゃっ!?」


──ザブン。焦っていたせいか、足を滑らせて海に落ちてしまった。


鞠莉「……げほっげほ……っ……時間、ないのに……!!」


這い上がるようにして、水上バイクに跨って、鍵を回してエンジンを入れる。


鞠莉「……お願い、間に合って……!!」
256 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:28:02.98 ID:WJ3m1kFK0

祈るようにして、水上バイクを発進させる。

──ブルンブルンと音を立て、風と水面を切り裂きならが、水上バイクが発進する。


鞠莉「早く……早く……っ!!」


焦りながら、一直線にホテルオハラに向かって突き進む。

水上バイクのお陰で、海上の移動はかなり時間短縮出来た。

ホテルオハラの専用の船着場に水上バイクを停めて、そのまま自分の部屋へ走る──


鞠莉「エレベーター……!! 待ってられないわよっ!!」


階段を二段飛ばしで、全速力で駆け上がる。

脚が悲鳴をあげているが、おかまいなしだ。

それどころじゃない。

最上階にある、自分の部屋に辿り着いたら、そのまま、乱暴に扉を開けて──

ベッドルームにおいてある、魔除けを蹄鉄ごと乱暴に、近くにあった適当な袋に詰め込んで持ち出す。

そのまま、来た道を戻る形で、階段を全速力で駆け下りる。

そのとき──疲労しきった脚がもつれて、


鞠莉「!?」


身体が浮遊感に包まれる。

気付いたときには、階段の踊り場で蹲っていた。

──階段を踏み外した。


鞠莉「……づ、ぅ……っ!」


五段ほど、落ちて、身体を打った。一番上からじゃなかったのは、不幸中の幸いだろうか。


鞠莉「……早く……曜の……ところに……」


魔除けの入った袋を拾いながら、立ち上がる。


鞠莉「……づっ……!!」


右足首に強烈な痛みが走る。

落ちた拍子に足をくじいたのかもしれない。


鞠莉「ぁぁ゛……!!」


それでも、足を引き摺って、歩き出す。


鞠莉「曜の、ところに……行かなきゃ……!!」


足がズキズキ痛むが、それでもわたしは止まるわけにはいかなかった。


鞠莉「曜は……曜は……消えちゃうのが、わかってたんだ……っ」


今思い返せば、あのデートの日、気付けるだけの兆候はいっぱいあった。

尻餅をつくくらい思いっきり人からぶつかられたり、二人居るのに一人だと間違われたり、やたら曜がわたしの注文にあわせてきていたのも全部──もう、わたし以外に見えていなかったんだ。

そして、最後のあのとき──
257 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:30:25.19 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「もう消えちゃうって、わかったから……わざと、わたしから嫌われようと……したんだよね……っ」


そうじゃなきゃ、曜があんなこと言うはずなかった。あんなものが曜の本心なわけなかった。

わたしは、もっと曜を信じてあげなくちゃいけなかった。

寂しがりのあの子は、きっと今、一人で泣いてる。一人ぼっちで泣いている。

だから、わたしが傍に行って、見つけてあげなくちゃ……一秒でも早く……!!


鞠莉「曜……ごめんね……っ……気付いて、あげられなくて……っ……。今行くから……っ……曜……っ!!」





    ✨    ✨    ✨





──水上バイクで、本島へ戻る。


鞠莉「……づっ……」


さっきくじいた右足首がズキズキする。

ウェットスーツどころか、マリンブーツも履いていないため、革靴の中には水が入り放題だし、靴下はびしょ濡れだけど……。


鞠莉「患部が冷えて、むしろ丁度いいんだから……っ!!」


強がりながら、岸まで水上バイクをかっ飛ばす。

──本島に戻ってきたところで、水上バイクを再び岸に着け、車へ走る。


鞠莉「……ぅ、ぐ……っ……」


足の痛みが、どんどん酷くなっている。

下手したら、捻挫しているかもしれない。

でも、今は……今は、それよりも、


鞠莉「曜……っ……!!」


曜の下へ、行くんだ。

──足を引き摺ったまま、車に乗り込む。


運転手「お嬢様……!? お怪我を……!?」

鞠莉「お願い、いいから出して!! 『びゅうお』まで……!!」


──わたしは曜が居るはずの、『びゅうお』へ急ぐ。





    ✨    ✨    ✨





足をくじいてしまったせいで大幅に時間をロスしてしまった。そのため、『びゅうお』についた頃には、もう夕日が沈みかけている時間になっていた。


鞠莉「曜、どこ……っ!!」
258 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:31:51.42 ID:WJ3m1kFK0

人影のない、『びゅうお』の中でわたしは、叫ぶ。


鞠莉「曜……!!」


足を引き摺りながら。

ここにいるはずだと。


鞠莉「曜……っ……!!」


中央通路を見通しても、曜の姿は認められない。


鞠莉「曜……!! どこ……っ……!!」


必死に曜の名前を叫ぶ──だけど、一向に曜を見つけることは出来ない。


鞠莉「曜…………っ」


まさか、間違えた……!?


鞠莉「っ……!!」


足を引き摺りながら、わたしは『びゅうお』の中をくまなく探したが──結局、曜を見つけることは出来なかった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「曜……一体どこ……曜……っ」


車に戻って、必死に頭を回転させる。

気付けば日はすっかり落ちて、時刻は午後7時半を過ぎようとしていた。

曜の行きそうな場所……。


鞠莉「ダメ……わかんない……」


『びゅうお』以外は絶対ありえないと思っていた。

他に曜が行きそうな場所……。


鞠莉「……そうだ、自宅」


渡辺家なら、ありえる。


鞠莉「曜の家……じゃなくて、ここから狩野川沿いに北上して!!」

運転手「は、はい。承知しました」


恐らく、もう運転手には、『曜の家』じゃ伝わらない。

だから、ざっくりとした方向を伝えて、前まで来たら停めてもらうしかない。

わたしは、最後の望みを懸けて──渡辺家へと急ぐ。


259 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:34:10.93 ID:WJ3m1kFK0


    ✨    ✨    ✨





渡辺家が近付いてきたところで──


鞠莉「ここで停めて」

運転手「はい……」


運転手を促し、車を降りる。

渡辺家の方へ、足を引き摺って歩いていくと──

家の前に人影が一つ。

辿り着いた渡辺家の軒先に居たのは──


曜ママ「鞠莉……ちゃん……?」


曜のお母さんだった。


鞠莉「……! あの、曜は……! 曜は居ませんか……!」

曜ママ「鞠莉ちゃん……曜ちゃんが……曜ちゃんが居ないの……」

鞠莉「……!」


まだ、曜のことを覚えている……!


鞠莉「曜を、曜を最後に見たのはどこですか!?」

曜ママ「……鞠莉ちゃん……曜ちゃんが……どんどん、消えていくの……」

鞠莉「……!」

曜ママ「大切な……たった一人の娘なのに……」


会話が上手く噛み合わない。相当、混乱している。現在進行形で刻一刻と、記憶が消えかけてるんだ。


鞠莉「……落ち着いてください……。曜は絶対にわたしが見つけます」

曜ママ「鞠莉ちゃん……」

鞠莉「曜を最後に見たのは……どこですか?」

曜ママ「それが……思い出せないの……」

鞠莉「……っ」


最後の手掛かりだと思ったのに……。


曜ママ「でも……」

鞠莉「?」

曜ママ「曜ちゃんの……声を聴いた気がする……」

鞠莉「声……?」

曜ママ「……いつもの場所に、居るから……って」

鞠莉「…………」


いつもの場所……。
260 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:35:58.88 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「いつもの……」

曜ママ「いっつ……っ……!!」


急に曜のお母さんは頭を抱えて蹲る。


鞠莉「!? 大丈夫ですか!?」

曜ママ「い、嫌……曜ちゃんが……消えてく……曜ちゃん……!!」

鞠莉「っ……!!」


今まさに、曜のお母さんの記憶からも、曜が消えようとしている。

恐らく、曜のお母さんの記憶から消えてしまったら……もう取り返しがつかない。


鞠莉「少しだけ、ここで待っていてください……絶対に曜は、見つけ出します……!!」

曜ママ「曜、ちゃん……」


わたしは足を引き摺りながら、車に戻り。運転手に──


鞠莉「ごめんなさい……あそこの家の人を介抱してあげて」


そうお願いして、


運転手「それは構いませんが……鞠莉お嬢様は……?」

鞠莉「わたしは、まだ……行くところがあるから。……お願いね」


わたしは歩き出す。

ズキズキと痛む足を引き摺りながら──曜の下へ。





    ✨    ✨    ✨





もう、曜がどこに居るのか検討もつかなかった。

でも──『いつもの場所に、居るから』──


鞠莉「……これはわたしに宛てたメッセージ」


あんな拒絶をされて尚、自意識過剰かもしれないけど、何故かそうだと確信出来た。

わたしに宛てたメッセージであるなら、曜の居る場所は──


鞠莉「やっぱり、『びゅうお』以外、ありえない……!!」


足を引き摺りながら、『びゅうお』に戻る。だが、あと数十メートルのところで──『びゅうお』の展望室の照明が落ちた。


鞠莉「……!?」


──午後8時、閉館時間だ。


鞠莉「待って……!!」


わたしは走り出す。
261 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:37:17.72 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「……っ゛……!!」


もちろん、足には激痛が走る。

でも、今止まるわけにはいかない。

死に物狂いで走る。


鞠莉「……ぐ……ぅ……っ……!!」


やっと思いで辿り着いて、わたしは『びゅうお』の入口のドアを押し開いた。


鞠莉「──はぁ……はぁ……っ!!」

受付人「おや、お嬢ちゃん……もう今日は閉館だよ」


いつもの受付のおじさんが閉館の準備をしている真っ最中だった。

もう展示室の中には入れない。だけど、諦めるわけにはいかなかった。


鞠莉「……お願いします……!! 中に入れてください……!!」

受付人「いやぁ、そういうわけにもいかないよ」

鞠莉「お願いします!!」


思いっきり頭を下げる。


受付人「いや、頭を下げられても……」

鞠莉「土下座すればいいですか……!?」

受付人「え、いや……」

鞠莉「お金が必要ならいくらでも払います……!! お願いします、中に入れてください……!!」

受付人「……い、いや」

鞠莉「お願いします……!! ここに──ここにわたしの大切な人が居るんです!! わたしのことを待ってるんです……!!」

受付人「中には誰も居ないよ……? 確認もして──」

鞠莉「お願いします!!! 今だけでいいんです!! 今……今行かないと──」


わたしは目に涙をいっぱい溜めて、


鞠莉「──後悔することすら、出来なくなっちゃうから……っ!!!」


懇願した。


受付人「……」


あまりにわたしの懇願が鬼気迫っていたのか、


受付人「……ちょっとだけだよ」

鞠莉「!」


受付のおじさんは、許可をくれた。


受付人「常連さんだから特別に。ただし、今回だけだよ」

鞠莉「ありがとうございます……っ!!」


曜──待っててね……!! 今行くから……!!

262 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:42:06.44 ID:WJ3m1kFK0



    *    *    *





曜「──……やっぱり、私、このまま消えちゃうんだな」


最後の最後になって、恐怖が一周してしまったのか、不思議と落ち着いていた。

恐らく、今日が終わるのを待たずして、私は居なくなる。

そんなことが直感的に、理解出来た。

それくらい、“存在”が希薄になっていることが、自分でも理解できるくらいに、消えかけていた。

いや、落ち着いているのは、もしかしたら──最後に嬉しいことがあったからかもしれない。


曜「──最後に……鞠莉ちゃんが来てくれた……っ」


夕日で真っ赤に染まる『びゅうお』の中で、鞠莉ちゃんは私を必死に探していた。

私も必死に声を張り上げたけど──もう、鞠莉ちゃんには届かなかった。


曜「しょうがないよね……っ……姿も見えない……声も聞こえないんじゃ……場所がわかっても、どうにもならない……」


それに、自分で決めて遠ざけたんだ。鞠莉ちゃんを、傷つけてでも、一人で居なくなろうって……。

それでも──それなのに、あんなに酷いことを言ったのに、ここに来てくれたことだけで、十分だった。最後に姿を見れただけでも、嬉しかった。鞠莉ちゃんには、もう、感謝の気持ちでいっぱいだった。最後の最後まで、ワガママで素直じゃない、私の傍に居ようとしてくれた、鞠莉ちゃんには。


曜「鞠莉ちゃん……っ……」


名前を呼んでも、もう誰にも届かない。

そして先ほど、この廊下の明りも消えて、『びゅうお』は閉館した。そんな今、もうここに人が来ることはない。

この場所で、鞠莉ちゃんとの思い出がたくさん詰まったこの場所で……終わるみたいだ。

──カツ。


曜「……?」


──カツ、カツ、カツ。

静かな館内に靴音が響く。


曜「……誰……?」


近付いてくる、靴音の方に目を向けると──


鞠莉「……はぁ……はぁ……っ……曜……っ……」

曜「鞠莉……ちゃん…………?」


──鞠莉ちゃんだった。鞠莉ちゃんが右足を引き摺りながら、こちらに向かって歩いてくる。


曜「……鞠莉、ちゃん……」

鞠莉「曜……そこに居るんだよね……」

曜「……! 鞠莉ちゃんっ!! 私、ここに居るよ……!!」

鞠莉「曜……」
263 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:44:18.03 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉ちゃんは私が居ることに気付いてくれている。

だけど、私の姿は、もう鞠莉ちゃんにも見えないし、声も聞こえない。


曜「鞠莉ちゃん……!!」


──そのとき、ふと、


鞠莉「曜……」

曜「!!」


──何故か、目が逢った。

そのまま鞠莉ちゃんが、真っ直ぐ近付いてくる。


曜「鞠莉ちゃんっ!! 鞠莉ちゃん……!!」

鞠莉「曜……」


鞠莉ちゃんは“いつもの場所”に──中央通路の、いつも鞠莉ちゃんが座っていた席に、腰を下ろして。

“隣の席”に居る、私の──手を、握った。


鞠莉「──やっと、見つけた……っ」

曜「鞠莉……ちゃん……?」

鞠莉「曜……隠れるの上手すぎだよ……? わたし、泣いちゃうかと思った……っ」

曜「私の声……聴こえるの……?」

鞠莉「聴こえるよ……ちゃんと、聴こえるし……曜のこと……ちゃんと見えてるよ……っ」

曜「ホントに……? でも……なんで……?」

鞠莉「これがあるから」


言われて見た、鞠莉ちゃんと私の繋がれた手の間には──


曜「蹄鉄……」


鞠莉ちゃんのお守りがあった。


鞠莉「このお守りが……わたしと曜を繋いでくれてる……」

曜「鞠莉ちゃん……っ」

鞠莉「曜……みつけたよ……っ……?」

曜「……! あはは、鞠莉ちゃん……かくれんぼで見つけるのも……上手じゃん……っ……下手だって、言ってたのに……っ」

鞠莉「それは、曜だからだよ……曜だから、見つけられるんだよ……。……ごめんね、一人にして……怖かったよね……」

曜「でも……見つけてくれたよ……っ……」

鞠莉「うん……っ……」

曜「…………鞠莉ちゃん……この間は、酷いこと言って……ごめん……ごめんなさい……っ」

鞠莉「いいよ……全部、わたしを遠ざけるために言った嘘だったんだもんね……曜が消えていく、辛さを……わたしが味わわないために……」

曜「…………それでも、ごめん……。私……鞠莉ちゃんを千歌ちゃんの代わりだなんて……思ってないよ……」

鞠莉「ふふ、知ってるよ……。そもそもマリーにはそんな嘘、通用しないんだからね……? 曜が、ホントは寂しくて、ずっと一人で泣いちゃってたことも……わたし、知ってるんだから……」

曜「……あはは、やっぱり、鞠莉ちゃんには敵わないや……」


ホントに鞠莉ちゃんは私のことはなんでもお見通しみたいだ。
264 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:46:36.77 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉「──曜……」

曜「ん……」


鞠莉ちゃんは、優しい眼差しで、私の顔を真っ直ぐ捉えて、


鞠莉「I love you.」


言う。


鞠莉「わたし……曜のことが……大好きだよ」


鞠莉ちゃんはそのまま──私の唇に軽く、キスをした。


鞠莉「曜──愛してる」

曜「…………うん……っ……うん……っ」


その拍子に、私の目から、ポロポロと涙が溢れ落ちる。

気付けば、鞠莉ちゃんも私と同じように、大粒の涙を流していた。


曜「嬉しい、なぁ……っ……」

鞠莉「曜……帰ろう?」

曜「……帰りたい……っ」

鞠莉「……? 帰るんだよ?」

曜「……出来ないんだよ……っ」

鞠莉「……え……?」

曜「……もう、間に合わないんだ……っ」

鞠莉「どういう、い、み……」


鞠莉ちゃんが目を見開いた。


曜「私……今、鞠莉ちゃんにどう見えてる?」

鞠莉「……なんで、なんで曜が透けてるの……?」

曜「……やっぱり、そうだよね」

鞠莉「曜……なんで……!! 蹄鉄はちゃんとあるのに……!!」

曜「ダメ、なんだよ……私は……──呪われてるから」

鞠莉「え……」

曜「ルビィちゃんと違って……魔除けを使っても、呪いが返る先がないから……」

鞠莉「なに……言ってるの……?」

曜「私だけ、ルビィちゃんをずっと忘れないで居られたのは……本来、私が受けるはずの呪いを、代わりにルビィちゃんが受けてたから」

鞠莉「……うそ……そんなの、うそよ……」

曜「全部自業自得だったんだ……。ルビィちゃんの呪いの元が私だったなら……私への効果が薄くても、おかしくないもんね。……ごめんね……鞠莉ちゃん……最後まで、ダメな私の……傍に居てくれて、ありがとうっ」

鞠莉「ダメ……諦めちゃダメ……っ!! 一緒に帰るの……っ!! 曜……っ!!」

曜「ありがとう、鞠莉ちゃん……その気持ちだけで、もう死ぬほど嬉しいよ……」

鞠莉「何言ってるの!! もっと嬉しいこと、これからもいっぱいあるから……曜……!!」

曜「……でも、もう、私……歩けないから」

鞠莉「え……」
265 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:48:30.89 ID:WJ3m1kFK0

鞠莉ちゃんが私の下半身に目を向ける。


鞠莉「な、に……これ……。……脚が……ない……」

曜「どんどん脚が薄くなっていって……朝には、もうこうなってた。私の脚……もう、存在してないみたい」

鞠莉「やだ……待って……っ……!」


鞠莉ちゃんがいやいやと首を振る。その、拍子に更に大粒の涙が、ポロポロと零れ落ちる。

だけど、無情にも──少しずつ少しずつ、鞠莉ちゃんと繋がれた手が透明になっていく。


鞠莉「いやっ!! 曜、行かないでっ!!」

曜「ごめんね……っ……鞠莉ちゃん……っ……」

鞠莉「魔除け……!! まだ、いっぱいあるから……!! 曜……!!」

曜「ありがとう……鞠莉ちゃん」

鞠莉「曜っ!!」

曜「……いっぱい迷惑掛けて、ごめんね」

鞠莉「曜……っ……曜……っ……!」

曜「私の傍に居てくれて──本当にありがとう。……ばいばい」





鞠莉「あ……」


曜が──すぅっと見えなくなる。


鞠莉「曜……? 曜……嘘だよね? 曜……」


先ほどまで繋いでいた手で、手繰るけど、もう曜が居たはずの場所には、何もない。


鞠莉「…………ぁぁぁっ……!! 曜……っ……!! 曜……っ……!!!」


曜の名前を呼ぶけど、もう返事はない。


鞠莉「なにが……なにが呪いよ……っ……!! 神だか、悪魔だか、知らないけど……勝手に曜のこと連れてかないでよっ!!!」


虚空に向かって叫ぶ。


鞠莉「なんで、曜ばっかり、苦しい想いするのよ……!!! 悲しい想いするのよ……!!! すごい力があるなら、ちゃんと、平等にしてよっ……!!! ねぇっ……!!!」


声を張り上げる。だけど──答えるモノは何も居ない。


鞠莉「曜……っ……わたしを……一人にしないでよぉ……っ……」


わたしは、一人、闇に溶ける真っ黒な海の見える、この『びゅうお』で──かけがえのない、最愛の人を失った。




こうして……渡辺曜は、最悪の結末の下──この世界から……消滅したのだった。


266 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:49:07.25 ID:WJ3m1kFK0


    ✨    ✨    ✨










    ✨    ✨    ✨


267 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:55:41.65 ID:WJ3m1kFK0


──……あれから、一週間が過ぎた。10月3日木曜日。

ここは三年生の教室。


鞠莉「…………」


──カリカリカリ。


鞠莉「…………」


──カリカリカリカリ。


鞠莉「…………」

果南「……ねぇ、鞠莉」


──カリカリカリカリカリカリ。


果南「鞠莉ってば……!」

鞠莉「……なに?」


──カリカリカリカリ。

わたしは手を止めずに果南に返事をする。


果南「っ……! それやめてって!!」

鞠莉「…………なんで?」

果南「今の鞠莉……怖いよ……毎日毎日、一日中ずっとノートに同じ文字書いてて……」

鞠莉「…………果南には、関係ない」

果南「ねぇ……鞠莉、どうしちゃったの……? おかしいよ……いつもの鞠莉に戻ってよ……」

鞠莉「──You're the one who's weird. (おかしいのはあなたたちの方でしょ。)」

果南「え……」

鞠莉「……」

果南「……鞠莉、今なんて言ったの……? 英語……だよね……?」

鞠莉「…………」

果南「鞠莉…………」

鞠莉「……集中できないから、話しかけないで」

果南「…………。……ごめん」


そう言うと、果南はやっと自分の席に戻ってくれた。

──曜が消えてから、一週間。

わたしは、ノートにひたすら文字を書いていた。

忘れないために。『曜』の名前をひたすらに。


鞠莉「──曜……絶対、忘れない。わたしは、忘れたりしないから……」


──ひたすら、書き続ける。

曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜──


鞠莉「……っ」
268 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 03:59:00.39 ID:WJ3m1kFK0

目がチカチカする。眠い。


鞠莉「……っ!」


──ダメだ、寝ちゃダメだ。

眠気を飛ばすために頭を振る。

そのまま、机の横に掛けていた、白いビニール袋の中から、缶コーヒーを無造作に掴み、プルタブを開けて、


鞠莉「……コクコクコク……」


胃の中に流し込む。

──不味い。


鞠莉「…………」


──カリカリカリ。

飲み終えたら、再び書き始める。


ダイヤ「……缶コーヒーですか」


今度はダイヤが話しかけてきた。


鞠莉「…………」

ダイヤ「コーヒーへの拘りの人一倍強い貴方が、缶コーヒーを飲むなんて思いませんでしたわ」


──カリカリカリ。ああ、うるさい。今、大事なことをしているのに。


ダイヤ「珍しくわたくしに勉強法を訊ねてきたと思ったら……そんなこと、いつまで続けるつもりですか?」

鞠莉「……」


それは感謝してる。書くというのは思った以上に、記憶の定着に効果があることが実感できた。でも、邪魔しないで欲しい。


ダイヤ「……酷い隈ですわよ。ちゃんと鏡、見ていますか?」

鞠莉「…………うるさい」

ダイヤ「……そうですか」


ダイヤはそれ以上は何も言わなかった。


鞠莉「…………」


──カリカリカリ。





    ✨    ✨    ✨





──放課後、理事長室。


鞠莉「……ふぅ」
269 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 04:00:20.01 ID:WJ3m1kFK0

手早く、理事長としての仕事に方をつけて、帰りの仕度を始める。

その折──コンコン。戸がノックされる。来客のようだ。


ダイヤ「失礼します」


顔を出したのは、ダイヤだった。


鞠莉「……何?」

ダイヤ「部活、今日も来ないのですか? 皆さん、待っていますわよ」

鞠莉「……皆さん? よく言うわね」

ダイヤ「……」

鞠莉「8人しかいないAqoursなんて、Aqoursじゃない」

ダイヤ「ではその、貴方の言う9人目は……今、何処にいると思うのですか?」

鞠莉「……」


わたしはダイヤを無視して、荷物をまとめる。

ダメだ、話をしてると、イライラする。

早く家に帰ろう。帰って、ノートの続き。


ダイヤ「鞠莉さん……」

鞠莉「あなたたちに……わたしの気持ちはわからない」

ダイヤ「……」

鞠莉「……もう、放っておいて……」

ダイヤ「そう……ですか……」

鞠莉「……鍵、閉めたいから、早く出て」

ダイヤ「……鞠莉さん」

鞠莉「……今度は何?」

ダイヤ「お願いですから……家に帰ったら、ちゃんと寝てくださいね……酷く疲れた顔をしていますわ……」

鞠莉「……」


わたしは再びダイヤを無視した。

寝てる暇なんてない。

眠るわけには、いかない。

ダイヤを追い出すようにしながら出た、理事長室の施錠をしている最中、


鞠莉「ぅ……っ……!」


急に激しい吐き気に襲われて、わたしは口元を押さえる。


ダイヤ「!? 鞠莉さん……!!」


それを見て、よろけたわたしを支えるために、ダイヤが手を伸ばしてくる。

でも、


鞠莉「っ!! 触らないでっ!!」


──パシン。わたしはダイヤの手を払いのけた。
270 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 04:01:23.57 ID:WJ3m1kFK0

ダイヤ「っ……」

鞠莉「やめて……!! わたしの中の曜が、消えちゃう……っ……!」


曜のことを覚えてない人が触れたら、もしかしたら、その影響で、わたしの中からも曜が消え去ってしまうんじゃないか。

そんな強迫観念のせいか、他人から触れられるのが怖かった。

果たしてそういうものなのかは、全くわからない。でももう、この世でたった一人しかいないんだ。渡辺曜を覚えている人間は──わたししか居ない。

だから、わたしは何がなんでも、この思い出を守らなきゃいけない。わたしが忘れたら、曜が居た事実さえ、なくなってしまう。


ダイヤ「……鞠莉さん」

鞠莉「……もう、あっち行って……っ!」

ダイヤ「……ごめんなさい。……落ち着いたらでいいので、一度、部室に顔を出してください。……皆さん、本当に心配していますから」

鞠莉「…………っ」


わたしは今度こそ、ダイヤから顔を背けて、逃げるように、下校する。





    ✨    ✨    ✨





自宅に帰って、すぐさまノートを開く。


鞠莉「……曜」


──カリカリカリ。


鞠莉「……曜……っ」


──カリカリカリカリ。


鞠莉「……ぅ……ぐす……っ……。……曜……っ」


ポタポタとノートに涙が零れて、字が掠れた。


鞠莉「曜……」


まるで、今の曜の存在のように、ぼやけて、見えなくなっていく。

日に日に、曜への記憶が薄れていく。


鞠莉「……っ」


今日何本目かわからない、缶コーヒーを引っつかんで、無理矢理飲用する。


鞠莉「……ぅ……げほっ……げほっ……」
271 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 04:02:57.81 ID:WJ3m1kFK0

──おいしくない。

いつも飲んでるコーヒーに比べると、最初は泥水かと思った。

でも、いちいちコーヒーを淹れてる余裕なんかない。この際、カフェインさえ取れればいい。

とにかく眠りたくなかった。

──……曜が消えて、三日目の朝。

起きたら、曜の顔が思い出せなくなっていた。

泣きながら、思い出そうとした。

でも、何度思い出そうとしても、記憶の中の曜の、顔の部分だけが黒く塗りつぶされたように、思い出せない。

そこから、二日間、徹夜した。

四日目の深夜。気付けば、机の上で寝落ちしていた。

──起きたら曜がどんな声だったのかが思い出せなくなった。

大好きな人の声なのに。忘れるはずないのに。忘れていいはずないのに。


鞠莉「曜…………曜…………」


だから、寝る間も惜しんで、曜の名前を書く。

曜を心に、体に、頭に、刻み込むために……。


鞠莉「……いたっ……」


不意に、右手の親指の付け根に痛みを感じて、ペンを落とす。


鞠莉「……っ……」


手首はとっくに腱鞘炎を起こしていた。


鞠莉「……ダメ……書かなきゃ……」


曜の字を書かないと、曜が消えるという強迫観念に襲われて、すぐにペンを握るけど──

手が震えて、うまく持てない。


鞠莉「……ぅ……っ……うぅ……っ……曜……っ……」


左手に持ち替えて、続きを書き始める。

利き手じゃないから、曜の字が歪む。

まるで、今のわたしの記憶のように。


鞠莉「曜……やだ……消えないで……っ」


わたしは泣きながら、ただ曜のことを、曜の名前を、書き続ける──





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──……あ……れ……」
272 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 04:04:17.86 ID:WJ3m1kFK0

ぼんやりと目を覚ます。

どうやら机で眠ってしまったようだった。


鞠莉「わたし……何してたんだっけ……」


机の上を見ると──


鞠莉「……ひっ」


そこにはノート。そして、おびただしい量の同じ文字の羅列。

──曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜曜──


鞠莉「な、なに……こ、れ……?」


──口に出してから、青ざめた。


鞠莉「曜……!! 渡辺曜!! 曜、曜、曜……!!」


全身に冷や汗が噴き出してくる。

また忘れかけていた。

傍らにある、缶コーヒーをまた、取り出して、


鞠莉「……ゴクゴクゴク……!」


一気に飲み下す。


鞠莉「……はっ……はっ……寝ちゃダメだったのに……!! 寝ちゃダメだったのに……っ!!」


本当に、忘れかけていた。曜が全部消えかけていた。


鞠莉「ぅ……ぉぇ……」


もう何度目かわからない、酷い吐き気に襲われる。

気持ち悪い。

ダメだと思い、席を立とうとするけど、


鞠莉「あ……れ……」


身体に力が入らない。

エネルギーが切れてしまったのか。


鞠莉「…………」


わたしはコーヒーと一緒の袋に入っていた、黄色い箱を取り出す。

──カロリーメイトのチョコレート味。

曜が初めて、わたしにわけてくれた、カロリーメイトと同じ味。


鞠莉「……ぁーん……」


悪心のせいで、全く食欲はないけど、無理矢理口に放り込む。


鞠莉「…………もぐ……もぐ……っ」
273 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 04:06:06.37 ID:WJ3m1kFK0

咀嚼するたびに、なんだか涙が出てきた。


鞠莉「……曜……曜の大好きなカロリーメイトも……いっぱい、あるよ……? 一緒に食べよ……? ねぇ……曜……っ……」


曜に問いかけるように、言うけど。

応えはもちろん返ってこない。

それどころか、


鞠莉「……ぅ……ぉぇ……」


食べたそばから、吐き気がする。それを無理矢理、次の缶コーヒーで胃に流し込む。


鞠莉「は、ぁ……はぁ…………」


息を切らせながら、よろよろと椅子から立ち上がる。


鞠莉「吐いちゃ……ダメ……。せっかく食べたのに……時間が無駄になる……」


確か、どこかに吐き気止めがあったはず……。

ついでに、手首も冷やそう……。保冷剤をタオルで巻いて、手首に当てれば問題ないはず。

薬箱と冷凍庫からそれぞれ、必要としていたものを見つけて、すぐに机に戻る。


鞠莉「続き……」


気休め程度だけど、吐き気止めを手早く水で飲んでから、再びノートと向き合う。

右手首を、タオルで包んだ保冷剤の上において、左手で再び曜の名前を書き始める。

チラリと見た時計は明け方の3時を示していた。

わたしは眠気と吐き気に耐えながら、ひたすらノートに名前を刻み続ける──





    ✨    ✨    ✨





朝になったら、学校に登校する。

車での送迎は眠ってしまうので、早めに出て徒歩で学校に向かう。

ただ、寝不足のままで、浦の星女学院までの長い道のりを歩くのはなかなか辛い。

加えて、幸い大事にこそ至らなかったものの、あの日くじいた足は、まだ少し痛む。

足の痛み、頭痛と吐き気、全身にある倦怠感と戦いながら、学校を目指す。

学校に着いたら、授業が始まるまで──いや、授業が始まっても、ノートに曜の名前を書き続ける。

途中、果南が話しかけてきた気がするけど、どうせ昨日と言ってることは変わらない。

午前の授業が終わり、昼休みになったら、すぐにカロリーメイトとコーヒーを胃に詰め込んで、再開する。

右手首の腱鞘炎は明け方からずっと冷やしていたのと、手首用のサポーターを付けて応急処置をしたため、少しだけ痛みが和らいでいた。


鞠莉「曜……曜……」
274 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 04:10:11.99 ID:WJ3m1kFK0

ぶつぶつと曜の名前を呼びながら、書き続ける。

気付けば、昼休みが終わり、放課後になる。

理事長としての仕事を昨日出来るだけまとめて片付けたので、今日は少し余裕がある。

早く家に帰って、集中しよう。

そう思って、席を立つと──


果南「鞠莉……」


教室の出口を果南が塞いでいた。


鞠莉「……どいて」

果南「……せめて、部活に顔を出して」

鞠莉「...Why?」

果南「皆、心配してる……」

鞠莉「……」


何が皆だ。その中に、曜は居ないのに。


鞠莉「……」


話にならないと思い、果南の横をすり抜けようとすると──


果南「待って」


果南に腕を掴まれた。


鞠莉「っ!? 放してっ!?」


振り払おうとするが、果南の力が強くて振りほどけない。


果南「言ってダメなら……引き摺ってく」

鞠莉「いやっ!! お願い、放して……っ!!」

果南「……っ。行くよ、鞠莉」

鞠莉「いや、いやぁっ!! 放してっ!! 曜が!! 曜が消えちゃう……っ!!」


パニックを起こして、叫ぶわたし。

それを無視して、部活へと引っ張っていく果南。

恐らく、周囲から見たら異様な光景だったと思う。

だけど、それでも、果南はしっかりとわたしの腕を掴んで、放してはくれなかった。





    ✨    ✨    ✨





鞠莉「──はな、して……!! 放してよぉ……っ!!」

果南「……部室、着いたよ」

鞠莉「……!!」
275 : ◆tdNJrUZxQg [saga]:2019/11/08(金) 04:11:08.11 ID:WJ3m1kFK0

果南はそう言いながら、やっと掴んでいた腕を放してくれた。

わたしはそのまま、逃げるように果南から離れて、床にへたり込む。


梨子「鞠莉ちゃん……」

善子「マリー……」


顔を上げると、梨子と善子が、可哀想なものを見るような目をしていた。


花丸「鞠莉ちゃん……顔色が……」

ルビィ「大丈夫……? 鞠莉ちゃん……」


花丸が、ルビィが、病人を見るような目を向けてくる。


果南「鞠莉……お願い、何があったのか話してよ……心配なんだよ」

鞠莉「…………」


背後から果南の声。

ダメだ、早く逃げなくちゃ。

わたしは、へたり込んだまま、じりじりと後ずさる。


果南「鞠莉……」


ただ、出口の方には果南が居る。

どうするかを考える中、


千歌「鞠莉ちゃん……」


千歌が、へたり込むわたしの前に身を屈めて、顔を覗き込んできた。


鞠莉「……!」

千歌「鞠莉ちゃん……私たちは敵じゃないよ……」


そう言いながら、わたしの頬に触れようとしてくる。


鞠莉「……ひっ」


──パシン。

わたしは千歌の手をはたく。


千歌「……っ」

鞠莉「やだ……こないで……」


恐怖で涙が溢れてきた。

このままじゃ曜が消される。曜との思い出が奪われる。


ダイヤ「鞠莉さん……落ち着いてください。貴方は今、傍目から見ていても一目でわかるくらいに疲弊しすぎている。正常に物事を捉えられていませんわ」

鞠莉「……っ!!」


また、おかしいと言われた。
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