【ミリマス】静香「ユートピア」

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97 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:10:19.21 ID:6s/A4gNC0


志保はこの子たちを練習終わりに掌返しだと私にだけこっそり非難した。
昔ならその場で突っかかって猛烈に非難していただろうに。

私は「そうね」とだけ返した。
「何笑ってんのよ」と肩をペシッと叩かれたけど。


私達は羽村さん経由でほぼ全員の連絡先が繋がり、
私や羽村さんを中心に集まれるメンバーが集まって練習をするようになった。

その練習の合間には決まって
アイドル業界がどんな風に変化していて、
私達がどのような功績を残したのかというのが良く語られていた。

98 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:11:33.30 ID:6s/A4gNC0


羽村さんはそのあたりにとても詳しく教えてくれた。

クレシェンドブルーというユニットは
現代アイドルの基礎とも呼ばれるパワフルなダンスと歌と
そのストイックさ、それからファンへの誠実な態度。

しかし、決してファンに近づきすぎることもなければ、
ファンを無闇に近づけさせない絶対王者の風格を持っていたという。

子供の頃でもその歌やパフォーマンスの鋭さや荒々しさはビリビリと伝わっていた。
まさに女子が憧れるカッコイイ女子がそこに詰まっていたという。
その頂点が私と志保だったらしい。
特に私と志保のダブルセンターの曲に対しては
「あのバチバチ感がほんっとうに堪らないんです」と言っていた。

99 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:14:11.80 ID:6s/A4gNC0


正直、ただ……本当に不仲だっただけで、
バチバチ感を演出していたわけではなく、
本当にバチバチしていた。

さすがに私はこれ以上彼女たちの夢を壊したくないなぁ
と思い演出ということにしておいた。
私と志保が完全に和解したのはユニット解散後なのだけど、
舞台裏では手を取り合い崖を登るCMが如く熱い協力プレイがきっとあるんだろうと思われていた。


また、私達がシアターという大きな拠点で
月に1回の定期公演をするという基盤も
その後のアイドル業界では大きく影響されていた。

そのおかげでアイドルが常駐するタイプの劇場が
全国に乱立しては多大な借金と共に消えていくということが跡を絶たなかった。
皆が一攫千金を狙い、外せば相応の地獄を見る。

100 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:15:32.95 ID:6s/A4gNC0


それはこのシーガールズというアイドルたちも決して他人事ではない。
私達は本当に偶然生き残ったに過ぎないんだ、と。運が良かったんだと。

借金に溺れ表の業界から姿を消した子たちは何人もいる。
昨日共演したはずの他所の事務所の女の子が
今日になったら居なくなっているなんてことが時々あると聞いた。


そういう過激になっていくアイドル戦国時代は誰もが
唄って踊れるだけじゃない”何か”を求めてもいた。

例えば、私達の同期に居たロコというアイドルのようにアイドル×アーティスト、
例えば舞浜歩のようにアイドル×ブレイクダンスといったような世間の認知を欲していた。


世間はもういつの間にか、
可愛い女性というのは全員唄って踊れるが前提になっていて、
そこに何を付け加えられた人なのかを見るようになっていたという。

それもこれも奇人変人の集まりだった765プロシアターのメンバーが原因だったという。

それはなんというか、とても申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
世界各地で活躍するようになったシアターメンバーたちが
日本の常識をじわじわと塗り替えていったのだそうだ。


101 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:16:39.15 ID:6s/A4gNC0


私は割と早い段階でアイドル業界の頂点に立ってしまって引退したので、
そういう情勢の変化を全くと言っていい程知らなかった。
当然志保は知っていたようだけど。


志保はユニットで活動している内からそういうのを
肌感覚で感じ取って女優路線に転向したのかもしれない。

あの子のことだから天性の勘で生き抜いているんだと思う。
もしくはこういう激化するアイドル業界とは
少し違う女優業に逃げ込みたかったのかもしれない。


でも私はこの話を聞いて、怖い業界になってしまったなぁ、だなんて思わなかった。

むしろ面白い業界になったと思う。

隙間を見つけて、パイを奪い合う、そういう競争の激しい場所になったんだ。
私ももう少しやっていれば良かった……。
そう、純粋に思ってしまった。



私はどんなアイドルになっていたのだろう。


102 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:18:19.29 ID:6s/A4gNC0


シーガールズの女の子たちはこの業界のことをみんな熟知している。
よく勉強しているし、よその事務所のライブ情報も詳しく知っている。
アンテナの強度が主婦に成り下がった私とはまるで違う。

隙あらば喰らうつもりで狙いに行っているし、
こちらも狙われている覚悟がある。
だからこの子たちもこんなおばさん相手になんてしていられなくて、
激化するこの業界で生き抜くのに必死なんだ。


そうだ、私だって自分の時は自分のことで精一杯で、
昔流行った人の歌やパフォーマンスなんて興味なかったし、
見向きもしなかった。
でも、覚えているものがある。

気迫。

彼女らの真っ向から向けられた敵対心。
若い者には負けないぞ、という強い意思は確かに感じていた。

もしかしたら私はその気迫に負けて目をそらして
そっぽを向いていただけで勝ったつもりでいたのかもしれない。
そういう意味では、私達のパフォーマンスを見て
心を改めて非を認めたシーガールズの子たちの方が何倍も強い子たちなんだ。



何もかも、今を走り抜くこの子たちや、志保には敵わないんだ。


103 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:19:41.74 ID:6s/A4gNC0



――そうやって練習しながらあっという間にリハを終わらせて本番に望んでいた。



当日の朝、昨晩は早めに就寝したはずなのに、何度も目が覚めた。


寝ることを諦めた4時過ぎに熱い紅茶を淹れた。
なんとなく志保にLINEで「今日はよろしく」と送ってみる。
送った瞬間に既読がついたのでびっくりした。


数秒後に

「びっくりさせないで」
「よろしく」
「起きてたの?徹夜?」

と矢継ぎ早にメッセージが飛んでくる。


104 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:20:50.61 ID:6s/A4gNC0


「違う」
「ねれないだけで。もう起きてようかなって」


「まあ本番は夜なんだからあんまり体力使わないようにね」


それ以降私は了解と書かれたスタンプを1つ送って、
椅子に座ったまま「ふぅ」とため息をつく。

薄暗い部屋に素足がひんやりとする。
それでも寝れる気がしなくて、私は自分の昔の動画を見始めた。

何でも良かったはずなのに、自分の動画だった。
この頃、本当に仲が悪かったのに、
腕組む振り付けや目を合わせるものがやたらあったなぁ……。

105 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:21:55.75 ID:6s/A4gNC0


フェスの会場で大雨の中でやったこともあった。
びしょ濡れになりながらやった。
懐かしい。麗花さん意外風邪引いた気がする。


星梨花の成人記念のライブもやった。
メンバーそれぞれ成人する度にやっていた恒例行事ではあったけれど、
この日のお客さんやメンバーの泣き方が異常だったのはよく覚えている。
星梨花はそれに対して慌てるばかりだったけれど。


765プロシアター全員が参加するアイドル運動会にチームで出たことがあった。
あの時は星梨花のカバーをするのに4人が必死になっていた。
結局優勝はできなかったけれど。
確か私と志保が協力競技でグダグダだったせいで負けた気がする。


106 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:22:56.44 ID:6s/A4gNC0


太陽が登ってくるのがカーテン越しに分かる。

こういう時間になってやっと眠気が襲ってくるものよね。
大あくびを1つして、いつもセットしてあるスマホのタイマーが鳴るまでの時間を見る。
あと1時間か。
少し寝よう。いややっぱり最後に振り付けの確認しようかな。
椅子に座ったまま鼻歌でスローテンポにした振りを始める。
カーテンの隙間から漏れて入ってくる朝日がスポットライトのよう。




そのスポットライトの向こうに輝く星の海を幻る。


107 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:24:00.96 ID:6s/A4gNC0




――て。



――起きて。




「ママ?」

「へっ!?」



気が付くと私は椅子に座って眠っていたらしい。
いつも起こす娘に、起こされてしまった。

あとで聞いたらいつもなら起こしに来るママが来ないから
おかしいと思って自分で起きてきたのだという。
じゃあいつも私が起こさなくても自分で起きれるんじゃない……。

108 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:25:30.53 ID:6s/A4gNC0


「もう、朝ご飯はー?」


と、娘は急かすように私に言う。
娘には近い内に朝ご飯は自分で作ってもらうようにしようかしら。

娘の誰に似たんだかお小言が聞こえてくる。

「今日本番なんでしょう」
「こんなところで寝たらだめってママがいつも言うのに」

私はごめんごめんと言いながら起き上がる。
少し身体が痛かった。


いい加減朝食の支度をしないと、出しっぱなしにしていた紅茶に手を伸ばす。
あれだけ出ていた湯気はすっかり消えて、口をつけても冷たくなっていた。
それでも勿体無くて口に流し込んでから流し台に軽くゆすいでから入れておく。

109 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:28:19.38 ID:6s/A4gNC0


朝食が出てくるタイミングですっかり身支度の終わった旦那が卓につき、朝御飯を食べ始める。


「今日、本番の収録だから晩御飯遅くなりそうだけど、どうする?」

「ああ、そうか。食べてくるよ、そしたら」

「そう、分かった。よろしくね」

「母さん……頑張ってな」

「うん、ありがとう」


これまで何も言ってこなかった旦那だったが、
ここに来て少しだけ後押しをしてくれた。

でも別に「言ってくれたらいいのに」とは少し思ってはいたものの、
いざ本当に言われるとなると、嬉しくはあるけど、
底からパワーがみなぎる! という程ではなくてどこか淋しさを勝手に感じていた。

娘はとっくに食べ終わって朝の支度をバタバタとしていた。
あれほど昨日の夜に「明日の準備は終わったの?」と聞いていたのに。

110 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:29:11.09 ID:6s/A4gNC0



「今日電車は大丈夫? 一人で来れる?」

「うん、そっちの準備は大丈夫」


本番は夕方からの収録。
ずっと前に私は休みを会社に出していたから
今日はゆっくりと収録現場に向かうことができる。
旦那も娘も家から出ていく姿を見送って、私はゆっくりと自分の準備をする。


――その日のお昼前。
またしても慣れないテレビ局の受付をする。
前に来たのはシーガールズの子たちとの顔合わせの時だったか。
その時には思わなかったのに、何故か今、テレビ局の廊下を懐かしいと感じていた。

111 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:30:57.83 ID:6s/A4gNC0


楽屋では大御所に挨拶に行き、お久しぶりです、
と挨拶をする方もいればはじめましての挨拶の方もいた。

私自身も娘の影響で「あ〜テレビで見る人だ!」という興奮を必死に抑えながら挨拶をする。

その中にはあの頃聞いていましたという方もいたし、
スタッフでさえも私の楽屋に挨拶をしに来る程だった。

楽屋は志保と一緒にしてもらっていたので、
志保の方ばかり見ている本当は志保狙いなんだろうな、というスタッフも紛れていた。

入ったばかりで挨拶に行けと言われたから来たみたいな人も楽屋にやって来た。

志保に
「あの時、スタジオの隅っこで怒鳴られてて、
正座させられていた坊主頭の男の子覚えてる? 
今ああなってるのよ」
とこっそり指さされ教えてもらった先には
筋骨隆々の坊主頭の男性が若い社員を怒鳴っていた。

112 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:33:28.70 ID:6s/A4gNC0


私は視聴者だけが懐かしむための番組企画なのかと思っていたけれど、
それだけじゃなかったことをようやく分かった。

こうやってスタッフの間同士でも
懐かしいあの頃の話をしている様子があちこちで見られていた。

スタッフたちにとっても”あの頃”という
貴重な記憶の追体験は何よりも格別な味がするのだろう。
上の世代のスタッフたちは特にそうだったが、
どこか皆が心の中で同窓会を開いて楽しそうに仕事をしている。


リハーサル前に娘からのLINEが届く。

「学校終わった」
「今から電車乗る」

私はそれに「気をつけてね」とだけ返し、リハーサルに向かう。

113 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:34:32.08 ID:6s/A4gNC0



私と志保は靴だけ本番用に履き替えて、
緩い服装のままスタジオに入る。

そこにはシーガールズのメンバーはすでに全員揃っていて、
私達にいつかの会議室で見せた軍隊式の挨拶をかますのだった。

志保はそれに対して「よろしくお願いしま〜す」と緩い挨拶を交わす。

彼女らもその志保の様子もさすがに見慣れいるようで普通に志保に話しかける娘も居た。
ああ見えて案外後輩に好かれるのよね。実は面倒見がいいから。


「最上さん、今日はよろしくお願いします!」

「羽村さん、よろしくね。さすがに緊張してきちゃうわね」

「えへへ、大丈夫です! なにかあっても私達がいますので」


羽村さんは笑顔でそう答えた。
それから私達はリハーサルを粛々と行っていく。

114 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:35:30.44 ID:6s/A4gNC0


一度通しで踊ってみようということでやることに。
私や志保はここを全力でやると本番で出来なくなるので
40%の力しか出さずに踊り切ることに。

それでもスタッフたちから「おお……」という声が漏れる。
ここだけで確かな手応えがある。


きっとうまくいく。


そう言えば、両親が住む実家に遊びに行った時に見せてもらった絵を思い出す。
私が子供の頃にクレヨンで描いた絵だった。
真っ白のひらひらの服に、手には黒いものを持っている。たぶんマイク。
頭の上からは黄色い光、スポットライトが私を照らしている。



115 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:36:17.06 ID:6s/A4gNC0


今、私は志保とお揃いのデザインされた白いドレスを着ている。
メイクさんにされるがままにメイクされていく。
隣の志保は緊張しているのかあまり喋らなかった。
いや、たぶん私が緊張していて何も喋らなかっただけなのかもしれない。


メイクさんは私たちに「昔見てました」と
話題を振ってもらいようやく私も志保もポツリポツリと喋りだし、
最後には私の担当のメイクさん、志保の担当のメイクさん、
それから私達4人で大笑いしながら準備を勧めていた。


LINEを見ると「ママ、頑張ってね!」とメッセージが入っていた。


靴の紐を固く結ぶ。
志保は私を見て拳を突き出して言う。


116 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:36:44.14 ID:6s/A4gNC0



「いつものあれ、頼むわ」


「ええ……行きましょう志保」


今、ここにいるのは2人だけ。
でもきっと届いてるはず、私達の絆は。





「ミラクル起こせ……!!」


「クレシェンドブルーッ!!」






117 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:37:26.57 ID:6s/A4gNC0


第六章 ユートピア









あれから――。


地上波というのは恐ろしいもので、
仕事をしていても別の部署だったり
別の階の人だったりが私を見に現れたりするようになった。

おかげで同じフロアの誰かから「仕事に集中できない」とクレームを受け、
私は別室のほぼ個室みたいな部屋に異動させられてしまった。

何で、私ばかりそんな目に……と思ったが
上司や会社の人たちは私にとても丁寧に謝ってくれていたので、
仕事を奪われなかっただけまだ良いか、と思うことにした。

118 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:39:11.31 ID:6s/A4gNC0


あの時のテレビの企画はテレビ局側からは大満足の行くステージだったそうだ。

結局のところ、私達がどれだけ気合いを入れようと視聴者が見たいのは
今をときめく若いアイドルや勢いのあるバンドサウンドだった。

番組の流れで言えば3時間もある特番の一曲に過ぎないことを
収録の段階でようやく思い知ったのだった。

若い世代にとって私達の番はせいぜいトイレ休憩タイムでしかなく、
お父さんお母さん世代には子供たちに付き合って見る中で唯一
「懐かしい」と楽しめる時間になったのだと思う。

私と志保が二人並んで唄い上げた”たった一曲”は、
私たちからしても成功したと言ってもいいものだった。
十分、私達はよくやった。

久しぶりに浴びるスポットライトは私を芯から熱くさせ、迎え入れてくれた。

それと同時に今の私には見合わない、不釣り合いな欲を持たせた。

もっと唄いたい。
もっとステージに立ちたい。
出来ることならこの一曲が終わらなければいいのに。


119 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:40:09.94 ID:6s/A4gNC0


眩いばかりのステージの上から観覧に入っている一般のお客さんが見えた。

若い人ばかりで、
本当はこのあと控えている男性アイドルグループの方をメインに見に来たんだろうけれど……
それでもみんなテレビで見たことのある馴染み深い志保のことを目で追っている。

あの女優が目の前でキレキレに踊って唄ってるんだもの。
誰だって釘付けになるわよ。


そんな中で私の娘だけは私をじっと見ていた。

身動きひとつせずに真っ直ぐに見て来たので、
その視線を感じた私はすぐに娘に気がついた。


その目は「私のすごいママ」を見る目ではなくて、
「私がこれから超えないといけない目標」を見ているように感じた。

120 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:41:26.77 ID:6s/A4gNC0


放送し終わったあとの世間一般の反応を見てみたが、
私のことは結局

「あの人だれ?」
「なんで北沢志保が一緒に唄ってるの?」
「北沢志保と一緒に唄っている人はだれ?」
という反応ばかりだった。
当然ね。

でもやっぱり中には
「もがみんだ!」
「懐かしい〜」
「変わらないね」
「今なにしてるんだろう」という私宛の反応もちらほら見られた。

不思議なことに
「いまどこかでボーカルレッスンの先生やってるらしい」とか
「ピアノ教室の先生になってるらしい」とか色んな噂が飛び交っていた。

普通に一般企業でこっそり事務仕事してるだけなのだけど。
まあイメージのために黙っておこう。
というかどこで否定をしていいのか分からないし、
その場所も機会も無い。

121 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:42:21.55 ID:6s/A4gNC0


志保はあれから歌の仕事がいくつか来るようになったのだとか言うが、
全て断っているのだそう。

でも舞台女優とか歌を唄う役の時は唄ったりしているとか。

「それは何の基準でそうしてるの?」
と娘が聞いたら志保はそれに対してこう言っていたらしい。


「役者としての私はそういう役を演じないといけないんだから、
 歌を唄う役だって言われたら、そりゃあ唄うわよ。
 でもアイドルとして唄えって言うんだったら話は別よ。

 私はクレシェンドブルーというアイドルユニットの一人。
 でもクレシェンドブルーは解散したの。だから唄わない」



122 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:44:03.25 ID:6s/A4gNC0


娘はそう答えた志保に対して納得いってない表情をしていた。
唄えるんだから唄えばいいのに、と不満なのだろう。

でもそれを聞いた私はなんだかとても嬉しくなってしまった。

現役時代、何度も何度もぶつかりあっていがみ合って、
口論を繰り返し、実力でねじ伏せて、理論で説き伏せられて。

でも、あの子が居たからあそこまで私は来れた。
あの子と巡り会えたから今の私がある。

もし、現役の時、素直に認めあっていたら
もっと高みに行けたのかもしれない、なんて何度思ったことか。


123 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:45:11.85 ID:6s/A4gNC0


引退兼解散ライブが終わりステージ裏で
メンバーを代表して志保から花束を貰う時、
志保は少しうつむきがちに言った。


「お疲れ。まあ……よくやったわ。すごくいいステージになったと思う。お疲れ様」


「うん、ありがとう」


持っている花を受け取ろうと手を伸ばした時、
志保は中々渡そうとしなかった。


124 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:46:29.26 ID:6s/A4gNC0


どうしたのだろう? と思っていたら、
バッと顔をあげた志保は涙でぐしゃぐしゃの顔を私に向けて、
震える声で言った。



「あなたのことがずっとずっと大好きで、
 ずっと……ずっと羨ましかった。
 どうして……辞めるなんて言ったの! 
 ばか! もっと……ずっとあなたと唄いたかったのに!」


もう27歳にもなる頃だったのに、
志保は真っ先に声をあげて子供のように泣きじゃくった。

花束を持ったまま私に体当たりするように抱きついてきた彼女を見て
星梨花も茜さんも麗花さんまでもが泣きながら私にしがみついてきた。

125 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:46:57.14 ID:6s/A4gNC0


「どうして今言うのよぉ……」


志保の持っていた花はすっかり押しつぶされて、
ぐしゃぐしゃになっていた。

ずるずると崩れ落ちる私達はその場でわんわん泣き続けた。
今でもこの日のことは思い出しては泣きそうになる。


126 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:48:09.25 ID:6s/A4gNC0



あれから――。



そんな地上波出演に狂わされていた私の生活が
足音も無く徐々に戻っていく最中プロデューサーから連絡が来る。


なんでも私に会わせたい人がいるというので
都内の喫茶店で待ち合わせをして、
久しぶりにプロデューサーに会うことになった。

プロデューサーの横には見知らぬ女性が座っていたので、
この男もついに身を固めるのか、
と一瞬思ったがそんな報告を私に何故するのだろうという疑問とともに、
女性の顔を見た瞬間にそんな考えは吹き飛んだ。



野々原茜だった。



店に入ってくる私を見るなり「久しぶり〜!」と甲高い声で泣きついてきた。

127 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:48:50.11 ID:6s/A4gNC0


「あ、茜さん!? どうしてここに」


あの特番の時だって顔を出さなかったのに今になって何故……。宗教の勧誘?
しかし、その真相はプロデューサーが整理しながら話してくれた。


あの時、茜さんは病気で入院していて誰ともろくに連絡を取れていなかったのだという。
だからプロデューサーからの番組のオファーにも結局返事が出来ず、
出来たとしても断ることになっていたのだという。

というか、プロデューサーは茜さんが入院していることも
全て知っていた上で私や志保には話さなかったらしい。

……まあ理由は単純で私達がそっちを心配して練習が疎かになるからだという。
否定できないのが悔しいところ。

これに茜さんも「そうなるんだったら知らせなくていい」と同意したそうだ。

128 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:49:23.97 ID:6s/A4gNC0

それから茜さんからは意外なことも聞いた。


「誰とも連絡が取れない状態だったのに、麗花ちゃんだけはお見舞いに来てくれたんだよね」


「麗花さんが!?」


生きていたんだ。そっか、良かった。
あの人がいまどこで何をしているのかも分からなかったし、
生きているのか死んでいるのかも分からない状態だったから、
それだけでも知れたのが本当に良かった。


「今はヒマラヤの近くで馬に乗ってるとか言ってた……」


129 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:50:03.15 ID:6s/A4gNC0


茜さんは頭を抱えながら言っていた。
その気持はよく分かる。あのひとのことはやっぱり良く分からない。

茜さんは麗花さんとのツーショを見せてくれたが、
寝ている茜さんをバックに自撮りしている麗花さんだった。

お見舞いに来た日、夜に「ツーショ撮るの忘れた」と思っていた茜さんだったが、
寝ている隙に何故か戻ってきた麗花さんが撮っておいたらしい。

後日、いつのまにか加わってる写真に驚いてひっくり返ったと茜さんは言っていた。
麗花さんは殆ど変わっていなかった。
若々しく今でも透き通る声で唄っていそう。


130 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:50:46.24 ID:6s/A4gNC0


「それから星梨花ちゃんは今は医療系の機器メーカーの主任だとかで
私の入ってた病院でその機械を使ってたみたいなんだよね。
で、星梨花ちゃんもお見舞いに来てくれたんだよね」


その時のツーショも見せてもらえた。
星梨花はすっかり成長していてパッと見ても星梨花かなんて分からなかった。
髪もショートでスッキリしていて、
ぴしっと着こなしたパンツスタイルのスーツがかっこよかった。



「茜さんは今は……?」

131 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:51:22.98 ID:6s/A4gNC0


みんなが色々な所で元気にしていたのに、
茜さんは病気だったとか。
様子を見る限りは多少頬のあたりが痩せこけてはいるものの、
瞳に宿るパワーは昔と変わらない。
もうだいぶ良くなってきて回復していってるんだろうな。


「そう、よくぞ。よくぞ聞いてくれました。
 本題なんだよ、これが。
 今、実はタレント事務所も退所して、バーを経営しているんだけどね。
 そこでさ、唄ってみない?」


「えっ!? 私がですか!?」



132 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:52:22.52 ID:6s/A4gNC0


茜さんはテーブルを飛び越すように立ち上がる。
確かに5年くらい前から地方の事務所に移って
そこでミニライブか何かしてるみたいなのことは聞いてたけど……
まさかそんなことを始めていたとは知らなかった。

聞くと茜さんは小さい箱を転々としていくうちに、
自分にあった小さい箱を持ちたいと思うようになり、
そこで売れない歌手やミュージシャンの発表の場や足掛けになるような場所を
作れたらと思うようになったらしい。

それでまずは話題性として私に来てもらうようにしたいとのこと。
回数はそれほど多くなくてもいいから、ということだった。


私はこの時、あの子達のことを思い出していた。
そして、何よりもステージに立ったときに感じてしまった物足りなさを、悔いた。
シーガールズというこの激化したアイドル業界を突き進む女の子たち。

あの子達から色々と現在の業界について教わるごとに「面白い」と
思うようになっていった私の気持ちが
この茜さんの言葉をきっかけにまた現れたのだった。

133 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:53:14.75 ID:6s/A4gNC0


確かに、私にはシーガールズの女の子たちのように
大きなステージでド派手に立ち振舞、
鮮やかなパフォーマンスを決めることは出来ない。

でも茜さんの言うような条件で唄うならそれでもいいかもしれない。


娘に相談してみようかな。
志保に相談したら即決で「やれ」って言うに決まってるもの。
娘はなんて言うだろうか。


茜さんたちにはその場では答えを出さなかった。
こういう時にいつも出てくるのは娘の顔で、旦那の顔で……。
でも私の中ではもう答えは決まっていた。

話をしたら旦那は「やりたいようにやりなよ」と言う。
そういう癖に家事は未だにお風呂掃除くらいしかしないんだけど、
少しは手伝ってくれるようになるのかしら?

134 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:53:44.37 ID:6s/A4gNC0


一方、娘は呆れたように言った。



「ママさぁ……全然引退する気なんて無いんじゃん。なんで引退したの?」


「子供の頃から見ていた夢をちょっとだけ描き変えただけよ」


「……描き変えすぎじゃないそれ?」


135 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:55:04.12 ID:6s/A4gNC0


あれから――。



……私はまたステージに立つようになっていた。
でも今度は大きなカメラがあったり
たくさんのお客さんが居たりもしない。

数えられる程のお客さんがゆったりとお酒を嗜みながら、
こちらの様子を伺うように見ているだけ。

時にはピアノで、人の話し声の妨げにならない程度に、
緩く、他愛もない曲を弾く。タイトルなんて無い、
適当な即興の曲を弾く。


136 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:55:57.99 ID:6s/A4gNC0



私は茜さんの誘いを受けることにして
週2度だけ夜の6時から都内のバーで唄っている。

演奏を手伝う茜さんを含んだジャズバンドのメンバーとも
だんだん馴染んできて、
演奏後は朝まで反省会と称してメンバーと飲んだくれるようになった。


志保は月1で顔を出す。時々夫婦で来るとか。

星梨花は半年に1度くらい現れるらしい。
でも深い時間帯に来て、1時間で2杯程カクテルを飲んだあとすぐに帰ってしまうとか。
まだ私は遭ってない。

それから国内からのクール便では
必ず熊とか猪とか鹿とかの肉が冷凍で送られてくる。
茜さんは「あらゆるところからうちの店宛になんか送りつけてくるんだよね」と困っていた。
嫌そうではなかったけど。


137 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:57:12.21 ID:6s/A4gNC0


あれから――。


そうやって時々ステージに立つようにはなったけど、
相変わらず娘には口うるさく宿題をしろと言い、
旦那には小言をつい言ってしまう。

今日の晩御飯だってあとで電子レンジで
温めて食べられるようなものを作らないといけない。
今日は茜さんの店だから夜は留守にしてるし。


朝になってから支度をバダバタする娘に色々文句を言いながらも聞く。





「今日からでしょ? レッスン。場所は大丈夫?」


「うん、それは平気……。でもどうしようママ〜、私全然センスなかったら……。着いていけるかなぁ……」


「何を今更……。大丈夫よ、今日からなんだから。一歩ずつ、ゆっくりね」

138 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:58:10.17 ID:6s/A4gNC0


子供の頃に見ていた夢は漠然とアイドルになることだった。
アイドルになってからの夢はトップアイドルになることだった。
引退したあと、私がなんとなく描いていた幸せの空間は現実となり、ただ時が過ぎていった。

思い切り恋をして、好きな人と結ばれて、子供ができて、大切な家庭が出来た。
この理想だった私の生活を、描く夢を私はまた描きなおす。





あの日の夕暮れの帰り道を今でも思い出す。



139 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:58:47.06 ID:6s/A4gNC0



「ママは笑わない?」


「ん? 笑わない」


「絶対?」


「うん、絶対」




「私ね、大きくなったら”ママみたいなアイドル”になりたい」




「そっか……。うん、応援する」





140 : ◆BAS9sRqc3g [sage saga]:2019/11/19(火) 22:59:53.34 ID:6s/A4gNC0




今夜、私はまたステージに立つ。
古くから知るメンバーが営むバーにある小さなステージ。

店の名前は”クレシェンドブルー”。



今日も私は歌を唄う。






おわり





141 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/20(水) 03:03:11.20 ID:ON/sDFLjO
おつおつ。
歳を重ねたメンバーをもっと見てみたくなたったよ
142 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/20(水) 07:25:18.51 ID:bH5Gb8t1O
おつ
143 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/20(水) 07:43:53.41 ID:UedJPxzO0
乙!
144 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/22(金) 02:34:33.06 ID:oH7R3n2B0
145 : ◆NdBxVzEDf6 [sage]:2019/11/24(日) 14:08:19.03 ID:yrbNFe4w0
未来の姿がリアルでいいね
乙です

最上静香
http://i.imgur.com/NhOGuq5.jpg
http://i.imgur.com/fwXwtUx.jpg

北沢志保
http://i.imgur.com/7cXy7ng.png
http://i.imgur.com/n2acEO5.jpg

>>126
野々原茜
http://i.imgur.com/W0TULNr.png
http://i.imgur.com/eTLxQH5.jpg

>>41
「Shooting Stars」
http://www.youtube.com/watch?v=-dxufzS0ff0

>>84
「Catch my dream」
http://www.youtube.com/watch?v=DUAVVN3OSeg
146 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2019/11/26(火) 05:09:27.73 ID:SYdoQDGYo
かーっ、やっぱクレブルは最高だぜ!!
クレブル一夜限りの再結成編とか書いてみない?
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