超次元偶像二宮飛鳥のセカイ

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148 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:19:05.83 ID:+IqVL7Wl0

「だから……。貴女も無自覚に、魂の波動を発している可能性はある。例えば感情が高ぶっているときや、何かを心から楽しんでいるときなんかに」
「それは本当か……っ?」
「でも、蘭子のように収斂させることは出来ないでしょうから、その出力は極々僅か……蘭子のような、目に見える現象が起こせる程ではないと思うわ」
「くっ……」
「指向性のある力を引き出すには、感覚的ながらも何らかの確信が必要なのよ。そしてその確信に至ることこそが絶望的に難しい。この次元に住まう者にとっては、まず不可能と言っていい」
「結局ダメじゃないか……」

ガクッ……。まぁそんなにうまい話はないか。
頭を垂れるボクを余所に「だからこそ、その不可能を突破した蘭子は尊いのよ」とクスリと笑う神崎P。

「……仮に、の話になるけれど」
「っ! 何でも良い。言ってくれ」
「貴女を研究所に監禁して――」
「は?」
「――四六時中、ありとあらゆる観測機器を向けていれば、有益なデータが得られるかもね。運が良ければ」
「却下だ」
「試しに十年ほどどうかしら?」
「却下だ!」
「資金や機器は私が都合してあげるけど?」
「却下っ!!」
「……冗談よ」

いや、本気の目だっただろ。まったく……。隙あらば、だな、この変態女は。

「別に貴女が蘭子と同じことを出来るようになる必要はない……いえ、出来るようになってはいけない」
「……フンッ! まぁ、ボクは蘭子のライバルでもあるわけだし、彼女のプロデューサーならそう言うだろうね」
「そういう意味ではないわ」
「ん?」

そのときの神崎Pの表情はよく理解らなかった。期待しているようでもあり、不安がっているようでもあり……、少なくとも冗談とか意地悪を言う雰囲気ではなかった。

「もし貴女が単独でそこに至ってしまったら……」
「至ってしまったら……?」

ゴクリ……。

「……いえ、有り得ないわね。こんなIFを考えても仕方がない」
「途中でやめないでくれないかな!?」

なんだよもう、スッキリしないなぁ……。

「そんな有り得ないことを目指すよりも、貴女は出来ることを“もっと”しっかりやりなさい」
「もっと…? 自分で言うのもなんだが、共鳴による増幅はもう十分していると思うが?」
「まだよ。魂の力のポテンシャルはあんなものではないわ。まだ0.1パーセントさえも引き出せていない。貴女の理解がまだ浅い所為よ」
「なっ……!?」

それはボク次第でもっとスゴイことが出来るってことか? にわかには信じがたいが……。

「貴女がしっかりやれば、最早二宮飛鳥が神崎蘭子のオマケだなんて考える人間は、一人としていなくなる。それは保証するわ」
「………っ!」

見下しでも嘲りでもなく。神崎Pの眼光は挑戦的なそれだった。“やれるものならやってみろ”と言葉以上に伝わってくる。

「あぁ。やってやるさ……! 明日は覚悟しておくんだな!」
「………そう。一応、期待しておくわね」
「それはどうも」

そして神崎Pはレッスンルームを出ていった。
彼女が一体何をしに来たのかは理解らなかったけど、いつの間にかモヤモヤした気分は晴れていた。ボクにとっては悪くない気分転換になった。
その後はボクも部屋に戻り、シャワーを浴び、ベッドに潜り込むとすぐに眠りに落ちた。
149 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:19:38.50 ID:+IqVL7Wl0



≪Observation by one of the audience≫

古城の回廊を一人の暗殺者が進んでいく。
暗殺者が身に付けるはフード付きの漆黒のマント……。妖精の加護を受けた逸品で、色と形を装着者の思い通りに変化させることが出来る。闇に潜んで好機を窺う暗殺者には垂涎の機能であるが、それはあくまで本来の機能から派生したものの一つであり、本領は戦闘時にこそ発揮されるのだという。
腰に携えるレイピアは神代のドワーフが鍛えた魔剣……。優美にして華奢な拵えからは想像が難しいが、触れる全てを概念ごと切断するという恐ろしい呪詛がかけられている。

自らを神の代弁者と標榜する天使族。その尖兵がこの暗殺者である。下界に、神に仇なす不届き者が現れれば、暗殺者は何処からともなくやって来る。そして罪深き者どもに鉄槌を下し、全てを灰燼に帰すのだ。

月光が刹那、フードの奥を垣間見せた。そこにあったのは、艶やかな唇と双眸の煌めき。それで思い出した。最高にして最強の武具を纏ったこの暗殺者が、実は少女の姿かたちをしていることを。
いや、果たして“少女”と言っていいのだろうか? 人に非ざる存在の時間感覚は人間のそれとはかけ離れ過ぎている。この暗殺者も少女の姿をしてはいるがその実、人間の数百……いやひょっとすると数千、数万倍の年齢に達していることもあり得る。

『………ッ』

舌打ちか歯軋りか判然としなかったが、ともかく少女は苛立っている。
彼女がこの回廊を往くのは今日が初めてではない。過去に一度“失敗”し、惨めに敗走したことがあるのだ。幾多の怪物や軍団を屠ってきた彼女にとって、あの敗北は耐えがたい屈辱なのだろう。故に、一から鍛え直し、再びこの古城へとやってきた。目的は勿論、反逆者の烙印を押された、この城の主の抹殺である。

『――っ!?』

突如、壁面の燭台に火が灯り始めた。闇に包まれていた回廊が、一つまた一つと灯っていく燭台によって照らされていく。少女の近くから灯り始めた光の行く先には――

『薔薇の…闇姫……っ!』
『フフ……禍々しい月夜ね』

――黒衣の少女がいた。
暗殺者が“薔薇の闇姫”と呼んだように、彼女の身を包む黒のドレスは色とりどりの薔薇でデコレートされている。その衣装の手の込みよう、豪奢さは遠目からでもはっきりと分かる。ドレスだけではない。全身を飾るアクセサリにも贅が凝らしてある。並みの女性であれば“服に着られる”状態になりそうなものだが、この少女は見事に着こなしていた。
この薔薇の闇姫こそが古城の主であり、つまりは暗殺者の標的である。
闇姫の美し過ぎる姿に目を奪われ数瞬我忘れてしまったが、ある違和感に気付いた。この着飾り方は少し前の場面――暗殺者が初めて闇姫と対峙した場面――よりも明らかに盛られている。これから二度目の殺し合いになるということが分かり切っているというのに。

『その装束はどういう了見だ!?』

暗殺者が声を荒げて問い質す。彼女も同様の疑問を抱いたのだ。

『フム……貴女をもてなすため誂えたのだけれど、お気に召さなかったかしら?』
『貴様はどれだけボクを愚弄すれば気が済むのか……っ!』

熱風が“轟”と周囲を駆け巡る。気付けば、暗殺者のマントが紅に染まっていた。熱の発生源はそこである。これこそが妖精仕込みのマントの本領……装着者の闘志に呼応して灼熱を撒き散らす悪辣な攻防一体。只の人であれば剣の間合いに入ることさえも叶わずに焼殺されるだろう。事実、暗殺者の周囲の石造りの床や壁が赤熱し始め、ついには燭台の一つがドロリと溶け落ちた。

『情熱的な子ね』

その光景を闇姫は涼し気に眺めている。暢気に、と言ってもいいかもしれない。流石は一度暗殺者を退けただけある。

『お前もこうしてやる。ボクを舐めたことを後悔させてやるからな……!』

暗殺者は魔剣を抜刀し、闇姫へと宣戦布告する。

『……それも良いわね。ただし、それが貴女自身の意思ならば……』
『は……? どういう意味だ……?』
『……フッ、フフフ……ハーッハッハッハーーーーッ!』
『ッ……!』

突然哄笑し始めた闇姫が、右脚を軸にその場でクルリと回転する。そして、再び暗殺者と対峙した彼女の姿は一変していた。背に見事な黒翼を生やし、右手には混沌の化身のような禍々しい造形の杖が出現していた。
黒翼は闇姫が悪魔族であることの証左だった。
杖は超一級の神器である。曰く、遥か昔に神が世界を開闢するのに使用したという言い伝えが残っており、魔翌力を注げば如何なる奇跡も起こせるのだという。しかし、並みの術者では触れるだけで魔翌力を吸い尽くされ絶命してしまうため、この魔杖を扱い得るのは規格外の魔翌力容量を有する者だけ。そして闇姫の魔翌力容量には底が無かった。
故に、いかに百戦錬磨の暗殺者でも分が悪く、実際に一度目は敗走する羽目になったのだ。

『まぁいいわ……。夜会はまだ始まったばかり。まずはこの血の滾りを鎮めましょう……』

闇姫が杖を天に掲げ、呪文を囁いた。

『クッ!? 悪魔め……っ!』

杖が光を放ったかと思えば、古城が生き物のように形を変えていく。石壁が倒れ床となり、床からは新たな壁がせり上がってくる。そうして出来上がったのは円形のダンスホールだった。
150 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:20:27.39 ID:+IqVL7Wl0

――ギリキリギリキリギリキリギリキリギリキリ

古城のダンスホールに、いや、会場全体に弦楽器の悲鳴が響き渡る。ダンスホールと姿を変えたステージの向こう側――つまり舞台裏――に控えるオーケストラが演奏を始めたのだ。
ヴァイオリンかヴィオラかよくわからないが、おそらくは二人の奏者が、狂おしい程の不協和音を奏でている。それは二宮飛鳥が演じる暗殺者の歯軋りであり、また同時に、神崎蘭子が演じる薔薇の闇姫の心臓の高鳴りなのだろう。

『さぁ、いらっしゃい。夜が明けるまで踊り狂いましょう?』
『――ッ!』

暗殺者が剣を振りかざし、闇姫へと肉薄する――と同時に本格的な演奏が開始される。壮大でありながら激しく、攻撃的な曲調……ゴシックメタルというものだろうか? ともかく戦闘曲としては申し分ない。

――――――!!!!

暗殺者の剣を闇姫はワルツのステップを踏むようにヒラリと躱す。空振りに終わった斬撃は、しかし背景の石壁を切り裂き、瓦解させ、ホールに土煙を起こした。

――今こそ雪辱を晴らすとき。お前の命運もここまでだ。前のボクとは一味違うぞ。

演奏に合わせて、暗殺者が歌い叫ぶ。なるほどこの場面はミュージカルパートらしい。

――何故貴女はここに来てしまったの? 我に会わなければ幸せな奴隷でいられたのに。嗚呼、運命は廻り始めてしまったのね。

鬼気迫る暗殺者とは対照的に、闇姫は冷静沈着もとい憂鬱な雰囲気さえある。しかし実力は未だ闇姫に軍配が上がるのか、反撃はせずとも余裕をもって暗殺者の攻撃を躱し続ける。

――何を言っている? さあ戦え。先に貴様の城を瓦礫にしてやろうか。

――戦う理由が何処にあるの? 我が何をしたというの? 世界の果ての廃城に閉じこもっていただけ。

――うるさいぞ背教者。お前が悪魔だからだ。黒い翼。世界中の罪を煮詰めたような色だ。なんておぞましい。

――黒が悪と、白が善と、誰が決めた? この黒翼は我の誇り。世の悲しみを包み込む漆黒。

――天使の翼を見ろ。神に賜りし純白の翼。この世で最も尊き色。

――この世の全ては悲しみに満ちている。純白などありはしない。純白こそが欺瞞の証だと何故気付かないの?

――やめろ。神の御業を愚弄するな。

――我の知る最も尊き色、それは灰。世界の色そのもの。

――やめろ。お前の言葉は耳障りだ。

暗殺者の足が止まり、頭を抑える。

――己が名も知らぬ悲しき走狗よ。貴女の翼はどうしたの?

――やめろ。

――貴女の背の傷痕が全ての歪み。

――やめろ。

――もがれた翼の尊き色を我は知っている。

――やめろ!

魔剣一閃。床から壁に亀裂が生じる。
151 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:20:57.26 ID:+IqVL7Wl0

――ボクと戦うつもりがないなら、こちらにも考えがある。お前の同胞から片付けてやる。家族はどこだ? 友でもいいぞ。

完全に悪党の台詞だが、子供でも分かるだろう。それは勢いに任せた稚拙な虚仮威しだと。にもかかわらず、闇姫の顔色が変わる。狼狽え、悲しみ……最終的に怒りへと。どうやら闇姫の逆鱗であったらしい。

――ッ!

今夜初めて、闇姫が杖を攻撃に使用する。稲妻が天空より降り注ぐ。暗殺者は寸でのところで飛び退いて、乾いた音が石床を叩いた。

――もう誰もいない! 我は一人! 皆、天使どもに滅ぼされてしまった!

再び、稲妻が迸り暗殺者が躱す。

――いえ。我の他にあと一人いた。

――やめろ!

――やっと見つけた我の同胞。世界の希望。

――言うな!

暗殺者が闇姫へと疾駆する。襲い来る稲妻は魔剣で両断する。

――例えもがれていようとも、貴女の白銀の美しさは隠せない。

――やめろおおおおおーーー!!

マントが限界を超えて赤熱する。途轍もない熱量と閃光。まるで地上に堕ちた太陽。何も見えなくなる。

『ハァ、ハァ、ハァ………』

視界が回復したとき、ダンスホールは完全に崩壊していた。瓦礫が散乱し、あちこちで火が上がっている。その中央で暗殺者が闇姫に馬乗りになっている。両手で持った魔剣の切っ先を今にも胸に突き立てようとして、しかし、彼女は止まっていた。

『さぁ、貫きなさい。同胞の手にかかって逝けるなら悪くはない』
『ふざけるな……! 貴様……! ボクは……ボクは……お前なんて知らない……』
『そうね。だからこれから知ればいい』
『っ……! 畜生……お前、許さない。絶対に許さない……』

結局、暗殺者が闇姫に剣を突き立てることはなかった。
立ち上がり、呆然とステージ外へと歩いていく。

『勘違いするな。手を抜いた貴様に勝っても意味がないからだ……』 
『いいわ。何度でも来なさい。次は紅茶を用意しておくわ』
『……莫迦かお前。……いや、それはボクもか………』
『フフフ……』

そして舞台は暗転した。
152 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:21:26.01 ID:+IqVL7Wl0


「……すっげぇ」

俺がどうにか絞り出せた言葉はこれだけだった。雄叫びみたいな歓声を上げてる元気のある奴らもいるけど、俺みたいなのも結構多そうだ。
パンフレットによるとここまでが第一部。
腕時計を確認すると、開演から既に一時間半程経っていることに気付いた。そういえば、三月末の日没後だというのに、開演以来寒さを感じたことが無い。十万人分の熱気の所為だろうか。
『―The Lost Myth― 払暁ノ鎮魂歌 〜聖魔ハ相克ス〜』と題された今年のUL公演は、例年のULとは何から何まで違う。歌あり、演技あり、歌劇あり、殺陣あり、破壊ありの正にカオスの様相を呈している。まずステージ構成からして特殊だ。会場の中央には大きなステージがあるが、それを取り囲む形で観客席があり、その更に外側の円周上に六つのステージがある。中央ステージから始まったULは、すぐに外部ステージの一つへと移った。六つのステージを文字通り使い“潰し”ながら物語を展開していくのだ。そして最終的に中央ステージに戻るのだろう。舞台が反対側に進んでしまっても、中央ステージや上空に浮かんだモニターで物語が追えるのは嬉しい。
事前販売されたぶっといパンフレットによると今年のUL公演は三部構成。第一部は蘭子てゃ演じる薔薇の闇姫と、飛鳥きゅん演じる紅蓮の暗殺者の紹介的なシーンに多くの尺が取られていた。続く第二部では二人の因縁と情が絡み合っていく。コール出来る曲が多いのが第二部とのこと。第三部では和解した二人が天使族に対して戦いを挑む。しかし、その戦いの結末についてはパンフレットでは秘せられていた。
設定やストーリーを考えたのは主演の二人らしい。中学生が考えたにしてはよくできているが、世に溢れる創作物と比較すると特に秀でているわけではない。むしろ凡庸と言ってもいい。しかし公演としてはすごい……迫力が尋常じゃない……。
毎年ULでは最新鋭の舞台技術が投入されるし、採算を度外視したような豪華なステージセットも組まれる。それは今年も同様。いや、ダークイルミネイトによるULは過去のものとは一線を画していると言ってもいい。あまりに真に迫っている。よくこれだけの舞台を用意したものだと感服してしまう。これについては彼女たちのプロデューサーの尽力によるものか。一年目のアイドルをULに送り込んでくるプロデューサーは、やはり尋常ならざる傑物らしい。

「やべぇ……どうなるんだこれ……!」

そして何より楽しみなのは、例の“奇跡”がまだ起こっていないということだ。何度か現地で見た、舞台演出などでは到底説明不可能な奇跡としか言いようのない現象、不可思議な体験。それがまだ起こっていないのは“敢えて”なのだろう。ここぞというタイミングで一気に解放される気がする。現段階でさえ半端じゃない迫力なのに、それが合わさったら一体どうなってしまうのか。期待は募るばかりだ。
153 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:22:03.10 ID:+IqVL7Wl0



≪Observation by Asuka≫

とても順調だ。
第一幕では未曾有の舞台演出でオーディエンスを圧倒し、第二幕ではボクたちの世界観にグっと引き込むことができた。確かな手応えがある。
台詞も歌も振りもほとんど完璧。地獄のレッスンは確かに報われた。
最新の技術による演出も正常に機能している。流石はボクらのプロデューサーが監修し、調整しただけある。
後は第三幕において蘭子と今日初めての共鳴を果たせば、公演としては成功裡に終わるだろう。そして今日に限っては共鳴が不発となることは有り得ないと確信している。
いや、確信して“いた”。第二幕が終わるまでは……!

第三幕が開始する前にはやや長い休憩時間が取られていた。その間にボクたちは衣装を着替え、息を整えた。それでもまだ時間に余裕がある。既に開演から三時間以上経過しており、この休憩の主目的はオーディエンスがお手洗いに行くことだから。

「…………」

次に立つステージの袖で静かに佇む。
裏方のスタッフさんたちはキビキビと動き続けている。彼らの指揮をしているのはPだ。遠目からでも的確な指示を飛ばしているのが伺える。
蘭子はボクよりステージに近い場所で神崎Pとじゃれ合っている。その表情には気力が漲っていた。蘭子には何の心配も要らなさそうだ。
ボクはステージをじっと見据える。傍から見れば、クライマックスに向けてコンセントレーションを高めているように思われるかもしれない。しかし、違った。蘭子の漆黒と対になる、浮世離れした美しい白銀の衣装に身を包みながら、ボクはただの中学生のように思い悩んでいた!

「…………っ」

昨夜、神崎Pに『やってやる』と大見得を切ったのにも関わらず『結局ボクは何も掴めていないのでは?』という不安が首をもたげてきたのだ。心身のコンディションは最高だから過去最高の共鳴になることは確信していたのだけど、それは例えば0.1だったものが0.2になる程度のもので、目指すべき境地には未だ遠く及ばないのかもしれない、と。
神崎Pはボクの『理解が浅い所為』だと言っていた。
そもそも理解とは一体何だ? ボクは共鳴を、なんとなく雰囲気でやっているだけなのに。これまでも、そして今日も“ノリ”でやろうとしていた。それは神崎Pの意図していることとは全く異なると、今になって気付いてしまったのだ!
認めなくてはならない。ボクはまだ何も理解していない!

「ぁ……マ、マズい……」

考えれば考える程、理解らなくなっていく。まさにドツボ。
最悪なのは、いつものようにノリでやっていれば、完璧ではないにしてもこれまでで最高の共鳴ができて公演は大成功していたはずなのに、今ではもうそれすら危うくなってしまっていること……。こんな余計なことを考えまくってしまっている状態では、生気漲る蘭子と対等に響き合うことはまず不可能だ。

「スゥ〜〜〜、ハァ〜〜〜……」

まずは落ち着こう。うん。クールになれ二宮飛鳥。Be cool 。深呼吸で自律神経を落ち着けて……あれ? 寧ろ息苦しい……吸い過ぎか?
Be cool だぞ二宮飛鳥。別の方法を採ろう。
こういうときは、なんだっけ……精神統一するのに良い方法があったような……えっと……ルーティン? そうだ、ルーティンだ。久しぶりだなこの単語思い出すの。実のところ、ボクにはルーティンらしいルーティンはないんだけどね。敢えて言うならPとの会話だろうか? 何かしら不安があるときには大抵P が話しかけてきて、バカバカしいやりとりをしている内に気分が楽になっていたりするんだ。Pの手が空いたときを見計らって声を掛けるか――

「………おや?」

“それ”を見つけたのは、このときだ。
何の気なしに視線をやや前方に流してみると“それ”を見つけた。一辺2センチ程度の小さな立方体。各面に付けられた点の印によって1から6までが表現されているタイプの、つまりは最も一般的なサイコロが、床に転がっていたんだ。
154 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:22:30.61 ID:+IqVL7Wl0
公演の小道具にサイコロなんてない。ということはスタッフの誰かの私物だろうか? ポケットに入れていたのがポロリと転げ落ちたりしたのかもしれない。
そこにある理由はともかく、人が忙しなく行きかう場所だし、万が一誰かが踏んづけて転んだりしては大変だ。そう思ってボクはそのサイコロを拾い上げた。

「フフッ……」

それはやはり何の変哲もないただのサイコロだったのだけど、それによって呼び起こされる記憶があった。数か月前までの、あらゆる選択肢をALDに委ねていた賑やかな日々のことだ。
蘭子と神崎Pに潰されまいと藁にも縋る思いだったとはいえ、改めて考えても奇行以外の何物でもないな。
そういえば、ステージ崩壊ライブ以後はALDはめっきり振らなくなったし、ALDを見た神崎Pが血相を変えた一件からは完全に封印扱いで、いつしか意識することも無くなっていた。

「フム……」

ナイスアイデア……かどうかは不明だが、とにかく一つのアイデアが降りてきた。このサイコロとPを使って、ボクの調子を取り戻すためのアイデアだ。
以前ALDでやっていたように、このサイコロの1から6の面それぞれに特定のアクションを設定した後、振って、出た目のアクションをPにやらせよう。あの男にはこれまで散々無茶なことをさせられてきたんだから、このくらいのお遊びに付き合わせてもいいだろう。寧ろまだお釣りがくるぐらいだ。それも大量に。

「1は、拳を突き合わせるヤツ……フィストバンプ、だっけ?」

洋画なんかでお決まりの挨拶だ。クライマックスシーンの前にさり気無くやると、結構絵になるんだよね。

「2は…………」

やれやれ、早速詰まってしまった。1はすんなり出てきたことから考えるに、ボクが深層心理的に求めているのはフィストバンプなのかな? とはいえ折角思い付いたアイデアだし、このまま引き下がるわけにはいかない。

「2は、ハイタッチ……」

1と同じようなものかもしれないけど、まぁいいや。

「3は…………」

やっぱりなかなか浮かばないな……もう面倒くさくなってきた。適当に決めてやろう。
3は、宴を愉しむバイキングたちが腕を組んでグルグル回るヤツ。4は、ボクの良い所を十個言わせる。5は……、頭を、撫でてもら……いや、撫でさせる。6は………アレにしよう。うん。まぁ、そうそう6なんて出ないし? 出ないよね? 六分の一?

「えいっ……」

そして、近くにあったコンテナボックスの上へサイコロをほうった。
コンコロコロと、勿体ぶるように焦らすように転がるサイコロ。それはまるで踊っているかのようでもあったが、然る後、物理法則に従い、ピタリと、有無を言わさず静止した。

「あっ……」

出た目は6だった。マーフィーの法則、侮りがたし……。
振り直すことも考えたけど、ALDのときのルール、“振り直さない”、“出目は絶対”を思い出してしまう。

「ま、まぁ……仕方ないよね……」

それに、ボクとPはともにアイドル界という戦場を駆け抜けてきた戦友みたいなものだし?ここで変に意識するのはそれこそ変だし? 欧米では普通のことだし? まぁ、ここは欧米ではないんだけども、この公演は全世界に配信されているしグローバルな感覚を身に付けることは決して悪いことじゃないからね?
155 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:22:58.53 ID:+IqVL7Wl0

「よし……」

遠くにいるPを見ると、ちょうど彼の作業も一段落したようだった。
何度か手を振るとPはこちらに気付いてやってきた。

「飛鳥、今まで何処にいたんだ?」
「着替えてからはずっとここにいたけど……?」

幕間に入るとまずは控室で衣装を着替えた。その後はすぐにこの舞台袖へとやってきて悶々としていたのだが。

「あっれぇ〜? マジでぇ?」
「何かおかしいかい?」

珍しく驚きの声を上げながら、ボクの顔をじっと見つめるP。

「あ、マジらしいな……」

そして彼は納得の言葉を口にしたのだけど、その表情は全然納得いってなさそうだった。何がそんなに引っかかるのか理解らない。というか、ボクからPが見えていたのだから、Pからもボクが見えていて当たり前だろうに。光の加減であちらからは見えなかったのかな? それか忙しさのあまり、Pでさえも注意力が散漫になっていたとか? いや、そんなことは別にどうでもいい。

「そ、それよりも、P……っ!」
「んお?」

あ……。なんて切り出そう……? 改まって言うとなると、これかなり恥ずかしいヤツでは……!?

「え、えぇと………っ」
「……ふむ。不安か? 飛鳥よ」
「っ!」

本当にこのPという男はよくわかっている……。でも見透かされているとか、値踏みされているとか、そういう感じではない。どれかというと、見守られている、というのが近いようで、決して悪い気はしない。

「もしかして喉乾いてんじゃない? ここにホラ、ちょうど飲み物が――」

Pが差し出してきたのは色々と論外な品だった。

「……公演中に炭酸を飲むわけにはいかないね。それに何より、それはキミの飲み差しだろう?」
「バレたか!」
「フフッ!」
「ヘへッ!」

いつかの記憶がフラッシュバックする。こうしてふざけたやり取りをしていると、さっきまでの不安がバカバカしくなってくる。
実を言うとこの時点で既に気分は晴れていたかもしれない。
まぁでも、出た目は絶対だからね……?

「ん………」

Pに向かって、両腕を軽く開いて見せる。
“こんなこと”をしたのは初めてだけれど、ビジュアルレッスン等の様々な修行を積んできただけあって、ボクの意図はPに確と伝わったという手応えがあった。

「え…? ちょ、ま? え、まっ、ちょえ……?」
「オイ……ボクにだって羞恥心はあるんだが……?」

異様に挙動不審になるP。そんな反応をされると、何かおかしなことをしているような気になるじゃないか…!

「だって……なぁ? こう来るとは思わなかったっていうか……え? いいの?」
「女の子が“こう”してるんだ。わざわざ言葉にするのは野暮だと思わないかい?」
「た、たしかに……!」

一歩、Pが近づいて。そして――

「ぁ………」

頬で感じるPの体温はとても心地よかった。吸い込む空気に混じる、いくつかの匂い。ワイシャツの洗剤の香りと、その奥の彼の体臭。芳香とはいえないけれど不思議と落ち着く匂いだった。
156 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:23:28.72 ID:+IqVL7Wl0

「……もう少し、強くてもいい」
「はいよ」
「んっ……」

腰に掛かる力が強まる。あばら骨で感じるPの指先には妙にゾクゾクするものがあった。知らず、ボクの腕の力も強まっていた。少し窮屈で、少し息苦しい。それなのに、このまま眠れそうなくらいの安心感がある。

「今日、この日……。気付いてるか、飛鳥?」
「あぁ……愚問だね……」

今日は3月25日。一年前の今日、ボクはPに出逢った。それまでのボクは、空想を膨らませることはあったけれど、こんな未来を想像したことはなかった。たった一年でボクのセカイは変わってしまった。

「この一年、お前には無茶ばかりさせたな」
「本当にね? ボク以外の子に同じことをさせるのはお勧めしないよ」
「ごめんて。次の一年はじっくりいくからさ」
「へぇ、どんな風に?」
「これまではライブに偏り過ぎてたけど、アイドルにはもっと色んな可能性がある。たとえばラジオ番組持ってみたり」
「それはマストだね。うん。必ずだよ」
「アイアイサー」
「他には?」
「もちろん、映画やドラマに出演するとか、舞台もいいよな」
「いいね。……でも、今日の公演を越えるモノが作れるだろうか?」
「飛鳥がいて、俺もいるわけじゃん? イケるでしょ」
「Pがそう言うならそうなんだろうね。とても楽しみだよ」
「……俺も」

そのとき、「ふわぁぁぁ〜〜!」と可愛らしい鳴き声が聞こえた。蘭子だ。やれやれ見られてしまったらしい。

「フン。こんなときに何をしているのかしらね」
「シーー!! 邪魔しちゃダメーー!」

ボクとPは彼女たちの声を聞かなかったことにした。
第三幕の開演までにはまだ少し時間があるし、もう少しこの温かさを感じていたかったから。
157 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:24:17.09 ID:+IqVL7Wl0

「フフッ」
「どうした?」
「ん〜ん、何でもないよ……フフ」

ボクがいて、Pがいて、蘭子がいて、あと、神崎Pもいて……。最高の舞台があって、オーディエンスたちがいて……。
“全て”が此処にあると感じていた。
ボクの目の前には、無限の可能性が広がっている。間違いなく、最高に素晴らしい未来が待っている。可能性とは希望のことなのだ。
惜しむらくは、一歩一歩進む度に未来が過去へと確定していくこと。そのときにはもう、今この瞬間に感じている無限の可能性は収束しきっているのだから。
いや……。ボクの共犯者は、ボクの片翼は、そんなに大人しくはないか。そのときにはきっとまた別の無限の可能性を生み出しているだろうね!
だけど今は敢えて、こう言おう。心の底からの――ボクの魂からの――呟き。

「時よ止まれ。セカイはかくも美しい」

出来ることならば、“今”をずっと留めておきたい。そんな荒唐無稽の願いを、つい、抱いてしまった。

「そういやさぁ。さっきお前に呼ばれたとき、俺はてっきりアレかと思ったんだけどな」
「アレって?」
「フィストバンプしたいのかなって」
「え……?」

しかしPの何気ない一言に、ボクの高翌揚感は霧散していく。

「俺の“予測”も案外あてになんねぇな。それかもう、とっくに“台本”なんて――」

不気味な違和感が、踵の先から一気にうなじまで立ち昇ってくる。心地よかった圧迫感が、今ではもうただの息苦しさになっている。Pの言葉も耳に入ってこない。
当たっている……。フィストバンプは確かに第一案だった。いや、ボクがサイコロを見つけなければ、そして変なルールを付けて振ったりしなければ、必然的にPにはフィストバンプを求めることとなっただろう。つまり、Pの予測を超えたのはボクではなく、あのサイコロで――

「うっ……!?」
「なっ!?」
「あっ……!?」
「っ!?」

――唐突に。あまりに唐突に、ボクたち四人は同時によろめいた。
眩暈のような感覚があった。周囲のスタッフたちは変わらず作業を続けている。異常を感じたのはボクたちだけらしい。
158 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:25:10.35 ID:+IqVL7Wl0

「なっ、なんだ……!?」

視界がおかしい。目に映る全ての輪郭がブレている。自分の掌さえもがブレて見える。

「っ……!」

風圧を受けたような感覚が全身に走る。その直後、“ブレ”が遠ざかっていくのが見えた。

「……は?」

遠ざかっていくのは“ボク”だった。二宮飛鳥が遠ざかっていく。あれは間違いなくボクだ。でも、何かおかしい。身に付けているのは部屋着なのだ。しかもそのボクが居るのは自室……それも静岡の実家の自室だ。自室のベッドに寝そべり、死んだ魚のような目で携帯の画面を眺めている。その画面に映るのは、豪華絢爛なステージで、独り舞い歌う神崎蘭子……?

「蘭子、だけの、UL……?」

蘭子の方へ振り返ろうとして、しかし、ボクが見たのはまた別のボクだった。それはボクが、東京から静岡へ向かう新幹線に乗車する瞬間だった。
そのボクの向こうにまた別のボクがいる。ステージから楽屋へ戻って来るなり膝をついて、床に爪を立てている。
その向こうのボクは……顔を青くして、舞台袖から蘭子のステージを眺めていた。
そして見覚えのある部屋――まだ小さかったPの居室。そこでボクたちは向かい合っていて………。そこにはボクが二人いた。一人は手にALDを持っている。もう一人はコーヒーカップを持っている。そこが終わりらしい。

「ボクは何を見て……っ!?」

コーヒーカップを持った方のボクが遠ざかっていく。どんどん。加速度的に速く、遠ざかっていく。
見えなくなるまではあっという間だった。おそらくもう二度と見ることが出来ない程の遥か彼方へ行ってしまったのだろうと、何故かそう感じた。

「今のは、一体……?」

白昼夢? いや、デジャヴ、の方が近いだろうか?
幻覚にしては異様に生々しいのに、思い返そうとするとあっという間に記憶から消え去っていく。実際一呼吸置くと、ただのデジャヴと変わらない程に何もかもが曖昧になっていた。
不可解な点があるとすれば、四人の人間が同時にデジャヴを見るなんてことは寡聞にして知らないことだ。

「この感覚は……まさか……!」

Pがいつになくシリアスな表情で呟いた。Pは何か思い当たることがあるのだろうか?

「振って、しまったのね……」

神崎Pが元から白い顔面をより一層白く、いや蒼白にしながらそう言った。
神崎Pの『振る』という単語にボクはすぐに思い至った。さっき振って6の目が出たサイコロのことを。

「ふ、振ったって、コレのことかい?」

ポケットに入れていたサイコロを取り出して三人に見せる。

「でもこれは……さっきそこで拾った何の変哲もない――」
「――なんだそれっ!? そんな完璧な立方体がこの世にあるワケが……」
「えっ?」

Pが血相を変えて自分のスーツの胸ポケットをまさぐる。

「はぁっ!? マジかよ! 無ぇぞ!?」
「えっ? えっ?」
「な、なんぞ? さっきから何が起こってるの……?」

Pと神崎Pの視線がボクの掌の上のサイコロに注がれる。
改めて見てもやはりそれはただのサイコロで――え?。この面、目が消えている……あっ、こっちの面もだ……いや、見た瞬間に消えた? そもそもこんな色をしていたか? 面毎に違う色だなんて、こんなの……こんなのまるで……!

「そう……騙されたのね……」

ボクが手にしていたのはALDだった。見るのは久しぶりだけど、その淡くも美しい色を忘れるわけがない。
159 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:25:52.03 ID:+IqVL7Wl0
いつの間にサイコロから入れ替わっていたのだろう? 騙されたって? もしかして元からALDだったのか? 何故こんなことを? いや、誰が……?

「今、セカイが分岐したわ……。そして……」

いつだって不遜な態度の神崎Pが、自分の肩を抱きながら、教師に叱られる直前の児童のように震えていた。

「来る……!」
「っ……!」

やや強引にPに手を取られ、ボクは彼の背中側に引き寄せられる。その拍子に手から転がり落ちたと思ったALDは――転がり落ちるはずのALDは――物理法則を無視して空中で静止していた。

「えっ…!?」

立方体が歪んで見えた。いや、変形……平べったくなっていく…? 目を瞬いているといつの間にか、ただの正方形になっていた。立方体がただの薄っぺらい正方形になっていたのだ。その形は更に変わっていく。正方形の上辺が下がっていく。すぐにぱっと見でも正方形ではなくなる。その面積を段々と減らし、長細くなり、上辺と下辺が重なり、線となった。
その異様な光景をよく見ようと、Pの背中から顔を出そうとすると、Pに止められる。
今度はその線が短くなっていく。それは導火線のようにも見えた。この線の両端が一点に重なるとき、何かが起きる予感があった。
そして、線は点となり、蒸発するように消滅した。

――――■■■■■■!!!!!

「うおおっ!?」
「くっ!?」
「きゃあっ!?」
「ぅっ……!」

名状しがたき不吉な音がどこからか鳴り響いた。
音の発生源は空からのようでもあり、耳元からのようでもある。それと同時に襲ってきた強烈な悪寒にボクは、ボクたちは、一様に呻き声を上げた。
たじろいでいるのは、ボクたちだけじゃなかった。そこかしこで悲鳴が上がり始めていた。周囲のスタッフたちも、会場の数万のオーディエンスたちも、同じものを味わっているらしい。
数多の悲鳴さえも掻き消すように、不吉な音は鳴り続いている。終末の到来を知らせるラッパの音というのは、あるいはこれだったのかもしれない。
160 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:26:25.36 ID:+IqVL7Wl0



≪Observation by 蜈?ココ蠖「≫

悲鳴と絶叫で会場が埋め尽くされていく。
大気に満ち溢れる“悪意”と周囲に現れ始めた“兆し”から、直感的に、本能的に、根源的に、そして何より経験的に、これから何が起こるのかが私には分かってしまった。

「待て、触るなっ!」

Pが二宮飛鳥の右手を鷲掴みにして止めた。
二宮飛鳥が触れようとした先の空間には“歪み”が生じていた。ラグビーボール程度の大きさの空間が、揺らぐ水面のように歪んでいる。そこだけでなく、視界の至る所で歪みが生じている。まずは物質密度の低い空間から摂取していくということか。おそらくはこれと同じことが宇宙全体で起こり始めているのだろう。

「し、浸食が始まったわ……」
「知ってんのか、神崎P!?」

さっきPは二宮飛鳥が歪みに触れるのを止めたが、実のところそれは意味のないことだ。触ったところでどうにもならない。どうにもならないし、どうにもできない。間もなくその空間に触れることさえ出来なくなる。穴が開いたように何も無くなるのだ。しばらくすれば全ての空間は無くなり、生きとし生けるものは一切身動きが取れなくなる。つまり俎上の魚。次に歪むことになるのはその生きとし生けるものたちだ。

「セカイは崩壊する……このセカイの全ては天使に……上の次元に住まう存在に、摂取される……! あのサイコロは天使だった。ずっとこの瞬間を待っていたのよ……!」
「な、なんだと……!」

蘭子と二宮飛鳥が同時に「コラプスの夜……」と呟いた。

「何故こんな……。“ルール”があるのに……っ!」

自問しながら、本当は分かっていた。あの天使はルールの穴を突いたのだ。

『セカイ線を崩壊させた天使は高次存在に消滅させられる』という、天界における公然のルールがあったわけだが、セカイ線を崩壊させんとする天使はまず必然的にセカイ線に干渉を行うことになる。すると当然、その時点でセカイ線は分岐する。天使が崩壊させ摂取するのはその真新しい方のセカイ線だ。
つまり、セカイ線の崩壊の前には必ず“天使の干渉による”セカイ線の分岐が起こっている。それは今の状況とはほんの少し異なる。今さっきセカイ線の分岐を起こしたのは一体誰なのだろう? ALDに化けていたあの天使なのか? それともALDを振った二宮飛鳥なのか? これを明確にすることはとても難しいのでは……?
また、天界から見た場合、今の分岐は“非常に目立たない”ものだったように思う。天使が干渉もしていないのに独りでに分岐が起こったように見えたのではないだろうか? 無限にあるセカイ線の中で天使の干渉なく生じた分岐など、大樹に芽吹いた一枚の葉よりも遥かに些細な変化だ。いかに高次存在といえど、これから起きる無法を見落としてしまうこともあり得るのでは……?

「な、何を言っているんだキミは……!」
「神崎P……」
「………」

わからない……。すべて推測だ。高次存在が動き出すトリガーが本当は何なのかなんて、結局は高次存在以外には知りようがない。
一つ確かなのは、この天使は天界で見たときには老いていながらも強い生命力を宿していたということ。
コイツは繰り返しているのだ。ルールに穴があることを知り、高次存在に罰されることもなく、何度もこうしてセカイ線を崩壊させているのだ。そして今これからはこのセカイ線が……!

「……説明を…知っているなら説明を……!」

まだ二宮飛鳥は理解していないらしい。最後の一押しをしたのはアナタだと言うのに……いや、二宮飛鳥を責めるのはお門違いか。さっき普通のサイコロに擬態していたように、この天使がその気になれば、任意の人間に対して既定行動からの逸脱を誘発することができるだろうから。
それにそもそも、コイツをこのセカイ線に引き込んでしまったのは私だ。あぁ、そうか……。この天使が私の干渉に紛れ込んできたのも、高次存在の目を欺くための策の一つだったということか……。私はなんて迂闊なことを……!

「闇にィイイ……! ン飲まれよ〜〜〜っ!!」
「「「!?」」」

その蘭子の大声は雄叫びと言ってもよかったかもしれない。あまりの唐突さには率直に言って心臓が止まかと思った。しかしその衝撃は私を幾分か正気に戻してくれた。
161 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:26:57.71 ID:+IqVL7Wl0

「………ぷ、プロデューサー、大丈夫……?」
「っ……!」

おそらく蘭子もまだ事態を飲み込めていない。だから蘭子が感じているのは原因の分からない圧倒的な恐怖だけのはずで……だというのに、私のことを気遣おうとしている。
何をやっているんだ私は! 私が堕天したのは蘭子を導くためだろう!! 私が狼狽えていてどうする!!

「――っ!」
「わっ!?」

思い切り自分の両頬を叩く。ピリッとした痛みと引き換えに、恐怖感をシャットアウトする。

「恥ずかしいところを見せてしまったわね……。もう大丈夫よ、蘭子」
「……うむっ! それでこそ我が導き手!」

クリアになった頭で伝えるべきことを考える。
口惜しいが認めなくてはならない。この天使に対して私が出来ることは何もない。そして、仮にこの宇宙に存在する全ての兵器を使ったとしても、掠り傷一つ付けることさえ不可能だ。相手にならない。蟻が象に勝つ事象は確率としては起こり得るが、それは少なくとも同じ次元にいるから。我々と天使とでは文字通り次元の違う生き物なのだ。
故に天使に勝てる確率はゼロ。……しかしそれは普通のセカイ線であればの話だ。

このセカイ線には蘭子がいる。二宮飛鳥がいる。
奇跡を百乗したようなこんなセカイ線、少なくとも私は見たことが無い。

二人が操る魂の力と天使の力は本質的に同じモノ。この二人であれば天使に対抗し得る。
とはいえ二宮飛鳥はまだ本質を掴んでいないようだし、勝率は1%も無いだろう。しかし他の方法など思いつかない。
そんな絶望的な戦いに少女二人を送り出さなくてはならないなんて、自分の無力さが呪わしい。しかし私は更に罪を重ねる。

「薔薇の闇姫、紅蓮の暗殺者……。貴女たちの双肩……いえ、双翼に、セカイの命運が掛かっているわ」
「ほう…!」
「……っ」

二人の少女を焚き付ける。
導くだの何だのと言いながら、結局私にできるのは送り出すことだけ。であれば、たとえ僅かでも勝率を上げられるなら、いくらでも諧謔を重ねよう。それは図らずも、アイドルをステージに送り出すというプロデューサーの仕事に似ていた。
プロデューサーの手腕とは畢竟、アイドルをどれだけ良いコンディションでステージに立たせられるか、その一点に尽きるのかもしれない。ふとそんなことが頭に過った。
162 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:27:27.35 ID:+IqVL7Wl0



≪Observation by Asuka≫

「――この浸食を止めるには貴女たちの共鳴波動をぶつけてやればいい」

やや持ち直したとはいえいまだ青い顔の神崎Pが可笑しなことをのたまっている。明らかに戯言だ。

「フフン! 血が滾るわ!」

蘭子は……蘭子、キミは何故そんな無邪気な表情をしているんだ? 感じていないのか、この恐怖を。聞こえていないのか、会場に轟く悲鳴が。

「ひっ……!」

一番近くにあった空間の歪みが、今ほんの少しだけど確実に大きくなった。理解を越えたそんな異物が周囲に何十箇所と発生している。何なんだよコレ…。舞台袖の外でもこの歪みに気付いたのか、悲鳴が上がっているし。
何が起こっているのか全く理解らないのに、途轍もなく恐ろしいことが始まるという確信があった。
神崎Pはまだ捲し立てるように喋っている。内容は笑えないくらいに中二病。お前もこっち側だったのか。
もう嫌だ。ボクには理解っているんだぞ。それはボクたちの気分を上げようとしているんだろ? 下手くそめ。そんな震え声でやっても、騙せるのは人の良い蘭子ぐらいだ。Pぐらい巧くやってみろよ。……やってくれよ。ていうかPもPだ。ずっと黙り込んで、何を考えている? 何も考えられないのか、キミが? そんな……そんなのもう……!

「――きっと敵は油断している。付け入る隙はそこにある。真に調和した共鳴ならば勝機はあるっ! いえ、勝たなくてもいい。厄介な相手だと、そう思わせることが出来さえすれば、このセカイから去っていくはずよ」
「我らには造作もないこと。血塗られし宿命に今こそ終止符を打たん! さぁ、我が片翼よ!」

蘭子がボクへと手を差し伸べた。しかしボクはその手を呆然と見つめることしか出来ない。

「……片翼! さぁ!」
「っ……」
「いざ!……………あ、あれ? 飛鳥?」

何、やって当然みたいな顔してるんだよ蘭子。これまでのライブとはワケが違うんだぞ? 恐ろしくないのか? 周囲の人間みたいに泣き叫んでいないだけでも褒めてもらいたいくらいなのに。それを何だって? ボクたちでコレに……軍隊よりも、異星人よりも遥かに強大な相手に立ち向かうだって?

「……蘭子……どうしてキミはそんなに……」
「私は信じているから。私のプロデューサーを……そして飛鳥を!」
「……!」
「だから……っ!」

再び蘭子が手を差し伸べてくる。よく見ればその白い手は小さく震えていた。やはり無理だよ……。
確かにね、このまま何もしなければ最悪の結末が待っているんだろう。でもだからといって足掻いてどうにかなるとも思えない。ボクたちに出来るのはせいぜい幻覚のような現象を起こすことだけなんだから。それならばいっそ最後の瞬間くらいヌルイ夢を見ていたい。そうだろう……?
163 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:28:09.59 ID:+IqVL7Wl0

「――えっ?」

驚いて、情けない声が出た。
今度こそボクは蹲ろうとしたんだ。
なのに。
なのに、ボクときたら、一歩、蘭子へと踏み出していた。
それは完全にボクの意思を無視した歩みだった。あろうことか更に一歩。二歩。三歩。
そしてボクは蘭子の手を取った。

「ら、蘭子……?」
「飛鳥……!」

――ふっとアイデアが湧くように、ボクはとても多くの気付きを得た。

蘭子と初めて会った日。パーゴラから立ち去ろうとするボクの足を前に進めたものが何であったのかを、ボクはようやく識った。

「引かれたのか……」

そう、引かれた。文字通り、引かれた。惹かれたんじゃない。純然たる物理現象によって、蘭子へと引き寄せられたんだ。
なんだ……始めから理解っていたじゃないか。

引き寄せる力………引力………万有引力…………重力………ブラックホール………イベントホライズン………特異点………無限………Dimension………。

ボクの頭の中で幾つものワードがグルグルと旋回する。それらはボクのこれまでのエクスペリエンスと衝突しながら溶け合っていく。
そしてボクの脳裏に一つの結論が導かれた。

「そうか……魂の力、その本質は、重力エネルギーか……!」
「……!」

ボクの呟きに、神崎Pが瞠目する。

「……まったく、気付くのが遅いのよ。まぁでも……及第点をあげてもいいわ」
「それはどーも」

相変わらずの減らず口。この女の曲がった臍には筋金でも入っているのか。
何はともあれ、曖昧模糊としていたボクの共鳴理論に大幅なアップデートがかけられた。

「蘭子……今一度、キミの魂の音色を聞かせてくれないか?」
「容易いこと!」

不敵な笑みを浮かべた蘭子が「えい!」とポージングをとる。
不可視の何かが蘭子から放出されたのが分かった。意識を集中させると、鈴の響きの様に感じられる。
164 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:28:41.77 ID:+IqVL7Wl0
これまで蘭子との共鳴はなんとなく雰囲気で行っていたが、それを切り替える。未知な部分は未だ多いけれど、自然の法則に基づく現象であるという確証を得た今、精度を高めより深く響き合うことが可能なはずだ。
ボクの全細胞を以って、蘭子の音色を観測する。

音色……音……音波……いや、周波数……重力……なるほど重力波だったのか……

回す。回す。いくらでも回してやる。蘭子に固有の周波数はきっと有るから、合うまで回してやる。
人生イチの集中力の冴え。
いつしかボクは“ノブ”を幻視していた。周波数を合わせる為のロータリーノブ。それをイジった経験は人一倍多いという自負がある。だからだろうか。イマジナリーなノブはボクにとても馴染んだ。
上へ下へ回しに回して、ここだ、という周波数を見つけた。しかし何か物足りない。確かにピタリと合っているのだけれど、不思議と合わせきれていない感覚もある。このままでは起こせる現象に質的な変化が起きるとは思えない。

――Dimension.

なるほど。ボクはまた既成概念に囚われていたようだ。
X軸、Y軸、Z軸、時間軸の四つがボクたち人間の認識できる次元だが、他にも幾つかの次元があるらしいという理論は聞いたことがある。
イマジナリーノブを改めて精査する。
ビンゴ!
“莠疲ャ。蜈”の軸で回せるじゃないか。
いや、まだあるな?
“繧阪¥縺倥£繧”の軸に、“荳?§蜈”の軸……あぁ、“竇ァ谺。縺偵s”の軸もか。こうなったら全ての軸で合わせてやる!
発見した“上”のノブの調整には難儀した。言わば、正攻法では永遠に解くことの出来ない組み合わせゲーム。でもこれこそが、ボクのシンパサイザーとしての本領だったらしい。
まるでそうなるのが必然だったかのように、或るところでピタリとノイズの類が消え失せた。

―――――!!!!!

鈴の音などではなかった。余剰次元にまで響き渡る荘厳なオーケストラサウンド。それこそが蘭子の真なる魂の音色だった。

「すごい……これが、蘭子の……っ!」

蘭子を見れば、まだ「えい!」というポーズのままだった。不思議なことに、イマジナリー上のチューニングには何秒もかかっていなかったようだ。
彼女の周波数を完璧に認識した状態で、ボクは共鳴のトリガーを引く。その刹那、ボクたちのセカイは変貌した。セカイに対する認識が、絢爛たる極彩色に移り変わったのだ。まるでカレイドスコープのように。

こうして、ボクたちはセカイの秘密へと到達した。
165 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:29:37.96 ID:+IqVL7Wl0

自然界には四つの力がある。電磁気力、弱い力、強い力、重力。その中でも重力は他の三つの力に比べると異様に弱い。それは何故か? 重力のエネルギーの大半は、この3+1次元のセカイの外側、つまり別の次元へと漏れ出していくからだ。
これはさっきまで知らなかった知識。今知っているはずのない知識を、しかしボクたちはもう知っている。到達するということは、こういうことなのだ。もう“流入”は始まっている。

魂の力が起こす重力波動が一定レベルまで高まった時点でまず、魂の存在座標を感じ取ることが出来た。ボクたちの魂は3+1次元の一つ上の次元の極狭い範囲、つまりこのセカイを包む膜の上に存在していた。
重力波動を更に強めていくと、その膜の外側にまで重力を及ぼし始める。すると当然、セカイの外側で無秩序に漂っていた重力エネルギーを引き寄せ膜上で収束し始めることになり、結果、膜に穴が開く。そうなれば、セカイの外側にある大量の重力エネルギーに自由にアクセス可能となるのだ。
そして魂には、流入させたエネルギーを扱うための機能が元から備わっていた。いや、エネルギーの流入によって、その機能に“入電”された状態となったというべきか。それは魂に付属されている超高性能な観測機器や演算装置のようなもの。ボクたちの視界がカレイドスコープじみたものになったのは、それらによりあらゆる情報を認識できるようになったからだった。

「これならいける……っ!」

蘭子と頷き合う。
ボクたちの手中には既に、ゼロをいくつ繋げても足らない莫大過ぎるエネルギーが集まっていた。今のボクたちに不可能は無い、という実感がある。
とはいえ、これでようやく天使の領域に足を踏み入れたというだけ。相対するは悪意に満ちた老練なる天使。ヤツは単体でボクらと同等かそれ以上の能力を持つのだろう。未だこちらの劣勢は変わらないが――。

「魂を励起させなさい。魂の昂りは出力を爆発的に上昇させるわ」
「それはつまり、テンションを上げろ、ということかな?」
「まぁ……その認識でいいわ」
「えっと、じゃあ………あっ!」
「そうだね蘭子。ボクもそれだと思う」

この場――アイドルのステージ――でテンションを上げるものといえば、それはもう音楽以外には有り得ない。
絶賛発狂中の楽団員のみなさんに代わり、ボクと蘭子で数十の楽器を演奏する。アップテンポで攻撃的なメロディが会場に轟いた。

「闇ノ楽団の結成である!」

楽器に触れたことが無いとか遠隔操作だとかなんていうことは、ボクたちには最早関係がない。念じれば楽器を手足の様に動かせるし、その最も美しい演奏方法も容易に解析可能だった。
UL第三幕は奇しくも、薔薇の闇姫と紅蓮の暗殺者改め白銀の騎士が、天使族との死闘を繰り広げる章だ。多少のアドリブを入れる必要はあるが、この状況を利用してやろうじゃないか。

「じゃあそろそろ行こうか。あまり待たせるとオーディエンス……というより、セカイが保たない」
「うむ! 我らが威光をセカイに示さん!」

ステージへと歩み始めたそのとき

「……飛鳥!」

Pに呼び止められた。
166 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:30:16.60 ID:+IqVL7Wl0

「どうした、P……?」
「あ〜〜、なんだ、その………」

こんな風に言い淀む彼は本当に珍しいのだけど、それはほんの僅かの間だった。雑念を払うように頭を振るといつものPに戻り、ニヤつきを浮かべながら、サムズアップをボクに向けてくる。

「ぶちかましてこい!」
「ああ!」

ボクも同じポーズで応えた。
そして蘭子と共にステージへ駆け出していく。

―――――!!!!!!

ステージから見る景色は阿鼻叫喚と呼ぶべきものだった。泣き叫ぶ者、怯え蹲る者、血走った目で哄笑する者……数万のオーディエンスたちは漏れなく正気を失っていた。この公演の主役であるボクと蘭子が登場したというのに、誰も気にも留めない。ここに至ってボクはようやく状況を把握し、発露すべき感情を理解した。

「ふざけやがって……!」

身体が瞬時に燃え上がった。比喩でもなんでもなく、ボクは炎を纏っていた。大気を歪め、石造りの土台を赤熱させるほどの熱量がボクの身から迸る。猛烈な怒りがそうさせた。

「よもや、よもや……フクククッ!」

蘭子も相当頭にキているらしい。その瞳は憤怒の真紅に輝き、上空には季節外れの積乱雲を発生させていた。
折よくBGMは長いイントロを終えようとしていた。

「無辜なる民にまで害を為すとは、天使族の名も地に堕ちたようね!」
「世界の終焉こそが貴様らの総意だというのなら、ボクたちは抗ってやる!」

まず会場のこの雰囲気をどうにかしなければ。
167 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:31:03.83 ID:+IqVL7Wl0
狙うは会場周辺に発生している夥しい数の空間浸食――半径300メートルの領域内に100万箇所以上――狙うと意識したとほぼ同時に、その全ての正確な空間座標が認識できた。上も下も死角も関係なく、領域内の全てが認識下となっていた。
招待した両親や北条加蓮をはじめとした友人たちがいるのが理解った。絶対に行かないと言っていた志希も一般のオーディエンスに紛れて来てくれていた。気の毒に、みんな怯えている。
会場内で理解らないものは何一つ無い。存在する全て――物質、人間、動物、植物、大気、それらを構成する元素、匂い、温度、音波、電磁波、そして素粒子の量子的なふるまいまでも含めた全てが手に取るように理解る。その一つ一つがどういう来歴でここに在るのかも理解るし、これからどう動いていくのかさえも。

開戦だ。
歌い始めると同時に、ボクは炎を、蘭子は雷を解き放つ。

――ゴァアアアアッ!!!

半径300メートルが火炎と雷光で満たされ、空間浸食は消滅していく。ただしこれはあくまで演出。炎と雷に紛れる形で放っているエネルギー波が本命だ。もちろん寸分たがわずに全的中。会場内は正常な物理法則を取り戻した。
ボクたちは炎と雷を操作して場を整える。辺り一面が炎で包まれ、上空からはしきりに稲光が地表へと走る。まるで地獄が顕現したかのような光景だが、最終決戦の舞台としてはもってこいだろう。ちなみにこの炎と雷が人を害することはない。そのようにアルゴリズムを組んでいるから。

――――!!!

オーディエンスたちの歓声が上がる。やっと彼らの耳目がボクと蘭子に集めることができた。
この期に及んで一連の超常現象がULの舞台演出だと思っている人はいない。彼らの歓声はいまだ、救いを求める悲鳴に近かった。
あぁ、理解っているよ。ボクたちはこう見えてファンを大切にする方だからね。

「ハーッハッハッハーーーーッ! 恐るるに足らず、天使族!」
「天上の楽園で胡坐をかいている者どもなんて、所詮こんなものか」
「さぁ、終焉を始めましょう」
「ここからはボクらのターン。震えて爆ぜろ……!」

これからの展開を踏まえ、ボクたちはまず翼を欲した。欲すると同時に大鷲のものよりもずっと大きな、広げれば3メートルにもなる大翼がボクたちの背に出現する。蘭子には漆黒の、ボクには白銀の翼だ。ボクたちの衣装にもよくマッチしている。もちろん、万能兵装としても使用可能な脳波感応型の超科学デバイスだ。現行科学では百年かけても到達できないテクノロジーがマイクロ秒以内に実現できた。

「「――むんっ!」」

翼を大きくはためかせ、バイオレットのオーラを纏い、二重螺旋を描きながら天高く飛翔、あっという間に上空三千メートルに達する。この辺りで良いかと静止してニ秒後、ドンッ、という爆音が上がってきた。なるほど、音は意外と遅いらしい。
頭上には未だ高き星空が広がり、足元直下には会場の照明が、遠方では街の光が灯っている。その一つ一つがこのセカイの営みの証。もし仮にボクたちが負ければ、全てが灰燼に帰すことになる。そんな非道、許すことはできない。
168 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:31:32.77 ID:+IqVL7Wl0
認識領域を拡張していく。今度は少し伸ばして半径6500kmほど。つまり地球をすっぽりと覆う範囲となるが――それは何の難しさもなかった。人間の脳では処理しきれないはずの膨大な情報量も不思議と苦にならない。魂側の演算装置による情報処理は実にスマートだ

「わぁ、ウジャウジャ……」

ウンザリといった風の蘭子の呟きには全面的に同意。空間浸食は本当にいたるところに満遍なく発生している。宇宙全体に発生しているというのも本当らしいな。
地球上すべての地域が混乱の極みに陥っていた。軽く京の位に達している空間浸食一つ一つにマーキング、と同時に、混乱の最中で発生した事故などで負傷していた人や不治の病に侵されている人の治療と、その他道義上捨て置くことができない様々な事柄の整理を行っておいた。
そして、浸食体に向けて力を解き放つ――その数瞬前、付近の浸食体どもがボクたちに殺到してきた。

「「―――!」」

蘭子とのゼロ秒の意思疎通。
ボクは八人に分身し、蘭子の盾となるべく彼女の周囲を取り囲む。ボクの手にあるのは優美な造形のレイピア。

「フン。千枚におろしてやる……!」

斬る。斬る。斬る。斬る――!
迫りくる無数の浸食体を、八人のボクが斬って斬って斬りまくる。
斬撃にエネルギーを乗せて、一太刀ごとに数十を両断していく。それが八倍。しかも斬撃速度は天井無しに増していける。
遥か下、地上からの歓声が聞こえてくる。3Dホログラム映像での生中継は好評なようだ。
そうこうしていると蘭子の溜めが完了した。
蘭子は禍々しい造形の杖を天に掲げ「えーーい!」と叫ぶ。その刹那、蘭子の足元を中心に半径6500kmの超巨大魔法陣が出現。淡く紫色に光るその魔法陣には隙間なく紋様が描かれている。紋様が胎動するように数度明滅すると陣の下、つまり地球側へと凄まじい量の魔翌力が噴出した。その様はまるで風、土、水、火を司る龍神たちが暴虐の限りを尽くすがごとく、進路上にある浸食体を食い散らかしていく。そして瞬く間に、地球上に発生していたすべての浸食体が一掃された。もちろんそれ以外には一切の破壊はない。

―――――!!!!

地上に降り立ったボクたちは大歓声に出迎えられた。それは会場のオーディエンスたちからのみならず、世界中から届いていた。ありとあらゆる電子機器をハッキングして、ボクたちの雄姿を地球の隅々にまで配信していたからね。
正気を取り戻してきた会場の全スタッフに、舞台を続行するよう念話を飛ばす。楽団員のみなさんには楽器をお返しする。彼らの立ち直りは早かった。流石は超一流のプロ集団。
第三幕二曲目のイントロが流れはじめる。一曲目と同様に戦闘シーン用の曲だが、こちらは疾走感が前面に出ている。

「――むっ!」
「来たな、第二波……っ!」

上空に夥しい数の浸食体が姿を現した。第二ラウンドの開幕だ。迎撃するために再び上空へと舞い上がる。
今度現れた浸食体はこれまでのラグビーボール大の透明の浸食体とは異なり、形状、サイズ、色も様々だった。アメーバ状のものの他、球状や四角錘などの幾何学的形状のものも沢山いる。保有する機能によって形状や色が分けられているらしい。広範囲攻撃タイプ、突撃自爆タイプ、高速移動タイプ、高耐久タイプ、エネルギー吸収タイプ――いや、どうでもいいか。ボクたちにとっては全て雑魚だ。
169 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:32:02.95 ID:+IqVL7Wl0

「我が力の前にひれ伏すがいい!!」

身体に漲るエネルギーを全力全開で奮い、邪なる敵に天罰を下す。
痛快。この一言に尽きる。
既にカンストに至っていたかと思われたボクたちの能力は、しかし、力の操作の効率化と歓声による魂の励起で更なる成長を続けている。その成長速度に敵は全く付いてこれていないのだ。
ひょっとするとボクと蘭子の力は、あっけなく天使とやらの力を越えてしまったのかもしれない!

「木偶の棒め! 止まって見えるぞ!」

超高速で繰り広げられる空中戦。
ボクたちの航行速度は最早、音を基準にしても全く足りない。亜光速の領域にまで踏み込んでいる。飛行経路を示す光の道筋が夜空を華やかに彩っていく。光速に近づいた影響で、眼球で捉える景色は歪み、リング状の光のグラデーションが見えてくる。
亜光速移動により生じる衝撃波は、そのエネルギーを即座に物質化することで軽減する。どういう物質にするか? もちろんダイヤだ! 既得権益の上で胡坐をかいているヤツらに一泡吹かせてやりたいと常々思っていたんだ! さぁ! 来場してくれた記念に一万カラットをプレゼントだ! もちろん一人一個ずつ!

「うおおおおーーー!!!」
「はああああーーー!!!」

第三幕三曲目のラスサビに合わせて、ボクたちは雄叫びを上げる。空中戦もたっぷり魅せたし、ここで区切りにするのだ。おあつらえ向きに、これまでで最大最強の浸食体が現れていた。ちょっとした山ぐらいのサイズの真っ赤な正二十面体だが、今のボクたちならいけるはず!

「「てやぁあああーーー!!!」」

溜め込んだエネルギーを一気に放出したボクと蘭子は正しく光の矢となり、ボスクラスの浸食体に吶喊――そして見事貫き、その余波で他の浸食体も蒸発させた。

―――――!!!!!!

歓声がボクたちを讃えた。
さっきサービスしたダイヤには誰一人目もくれず、オーディエンスたちが歓声を上げる。悪くない気分だ。
しかしまだ終わりではない。またずらりと新手の浸食体が出現した。

「……フン、しつこい奴らだ」

新たな局面に呼応するように第三幕四曲目が流れ出す。予定より少し早いがもういいだろう。
オーディエンスたちへはもう十二分に魅せた。彼らに認識できるレベルの演出はやり尽くしたと言える。つまりこれ以上はマンネリってヤツさ。

「決めるぞ、蘭子!」
「うん! いこう、飛鳥!」

ボクたちは向き合い、両の手で指を絡ませ握り合う。
やはりこうして直に触れ合っているときが、最も効率のいい共鳴が実現するみたいだ。そしてその分“膜”に開く穴も大きく出来る。
170 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:32:38.89 ID:+IqVL7Wl0
認識領域をいけるところまで拡張する。大宇宙、このセカイ中に撒き散らされた無数の浸食体を、それらを操る天使を、逆に喰らってやるのだ。

「「…………!」」

ボクたちの認識は地球を飛び出し、月に達する。金星、火星、水星、そして太陽に。
認識領域の拡大速度は指数関数的に増大しとっくに光速を越えている。魂による認識、つまり上の次元を経由した観測がそれを可能にしている。
木星を越え、海王星を越え、太陽系を抜ける。
まだだ。まだこんなものではない。
プロキシマ・ケンタウリ、シリウス、プレアデス星団、オリオン大星雲………。

「「………っ!!」」

情報量の爆発的な増加に、一瞬だけ認識がサチりかける。が、即座にアルゴリズムのアップデートで対応――

「「まだまだぁあああアーーーッ!!!」」

――渦上の構造を確認――遂に天の川銀河を眼下に収める。四千億もの恒星、一万ものブラックホール、その全ての情報が流れ込んでくる。なんて美しい調和……目に見える奇跡がここにある……。
アンドロメダ銀河、銀河、銀河、銀河……銀河群、銀河団、銀河団………ラニアケア超銀河団――

「――あっ!」
「飛鳥……っ!?」

そこでボクは、思わず我を忘れた。
ニ億四千万光年先のそこにいたのだ。人類とは異なる、文明を持つ存在が。異星人が本当にいた! 可哀想に、彼らも天使の襲来に恐慌状態に陥っていた。
地球とは随分と異なる生態系だが、科学力は地球よりもよっぽど進んでいる。彼らは思考し、喜び、怒り、悲しみながら暮らしている。友情がある、愛情がある。太古の昔から連綿と続く物語がある。
その感動にボクは我を忘れてしまった。それが蘭子との共鳴を乱すこととなった。

「くっ、すまない……っ!」

認識領域の拡大がそこで止まる。
ええい、ならばひとまずここまでだ。領域内の浸食体どもにはマーキング済み。いくぞ!

「「とりゃああああーーーーーー!!!」」

エネルギー解放。
半径五億光年にボクらのエネルギー波が瞬時に充満――浸食体を一匹残らず殲滅することに成功した。
171 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:33:43.87 ID:+IqVL7Wl0

「フハッ! アーーハッハッーーー!!」

笑いが止まらない。たまらず地球を一周してしまう。
ボクたちはすごいものを観た! 天上に輝く星々の意味が理解る! 人類未踏の知恵の果実がそこかしこに散らばっている! 絢爛豪華なフェスがいつまでも続くかのようだ!
しかし、まだだ。まだ全てに至っていない。もう一度だ。
そして今度こそ、大宇宙を手中に収め、天使を滅ぼしてやる!

「さあ、蘭子! もう一度だ! 今度は集中を乱したりしない!」
「…………」
「蘭子……?」

差し伸べた手を蘭子が取ることはなかった。蘭子は険しい表情で、上空を睨んでいた。

「何、アレ……?」
「へ?」

ボクたちが浮翌遊している場所から更に10メートルほど高いところに、小さな何かが漂っていた。どうやら、こぶし程度の大きさの、矢印の形状に似たものがクルクルと回転しているらしい。色は黒い。

クルクルクルクルクルクル……………ピタッ!

その回転がピタリと停止した。矢印の先端を、真っ直ぐ、ボクに、向けた、状態で。

「――っ!?!?!?!」

瞬間、ボクの全細胞にアラートが鳴り響く。

これはダメなヤツだ!
今ボクはマーキングされたんだ!

比較してようやく気付いた。これまでの浸食体なんて天使からすればお遊びですらなかった。ただエンターキーを押してプログラムを走らせていただけだった。
この矢印からは天使の明確な意思……悪意を感じる。ボクたちは天使を本気にさせてしまったのだ。
もう一度、だなんて悠長なことを言ってる場合じゃなかった。さっきのが最初で最後のチャンスだった! それをボクはミスってしまった!!

「うわっ!! うわああああああーーーー!!!」
「あ、飛鳥ぁああーーっ!?」

加速し、蛇行し、光速を越え、量子化する。
しかし、矢印を振り切ることが出来ない。ピタリとボクと同じ距離を保っている。どこまでも付いてくる。
斬りかかろうとすればその分遠ざかる。ならばとエネルギー波を喰らわせてやる。

「消えろぉおおおおーーーっ!!!」
「お願い! 落ちてーーーっ!!!」

蘭子もそれに加わる。
ありったけをぶち込む。それは全的中した。なのに……。

――キュゥゥウウウウン

矢印はビクともせずそこに在った。
あろうことか、ボクたちのエネルギー波は吸収されてしまったようだ。黒かった矢印の色がだんだん白っぽく変わってゆく。いや、輝き始めている。エネルギーの充填状態を表しているのは明らかだった。その輝度がマックスとなったとき……何が起こるか? その想像が外れることはないだろう。
逃げることは出来ず、破壊も不可能。どうすればいい?

「ハッ……!」

ならばハッキングだ!
ボクを追尾するプログラムを解き明かし、無力化してやればいい。映画とかでもよくあるヤツだ!
矢印をしかと認識し、クールに解析を開始する。同時に解析完了までの推定時間がはじき出される。

――解析完了まで約28恒河沙年。

「えっ…………」

ボクの思考は停止した。
矢印は強烈な光を放ちながら明滅を開始する。その周期がどんどん早くなってゆく。
172 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:35:00.38 ID:+IqVL7Wl0

「は、離れるんだ。蘭子……」
「………ッ!!」

せめて最期に蘭子の姿を目に焼き付けようと彼女を見れば、悲壮な面持ちでエネルギーを練っていた。
ごめん、蘭――

「――えっ!?」

一瞬、何が起こったのか理解できなかった。まるで強風に吹かれたような感覚だけがあった。
だけどすぐに理解した。
ボクと蘭子の位置座標が、そっくりそのまま入れ替わっていた。所謂テレポーテーションだ。
そして今、矢印は蘭子を向いている。蘭子はボクの身代わりになったのだ……!

「ばっ! ふざけるな蘭子ーーーっ!!!!」
「絶対障壁最大展開ぃいーーーっ!!」

矢印と蘭子の間に数億枚の魔法障壁が出現。そのとき矢印の輝きが臨界を迎え破壊光線を放出。

――バキィキィキィキィインンン!!!!

「うっ!?」

大鏡がハチャメチャに割れるような破壊音が轟く。迸る閃光に目を開けていられなくなる。
そして――

――パキィイイイイインンン………

一際甲高い音が鳴ったのを最後に、一帯に夜が戻った。

「ら、蘭子……?」

周囲には砕かれた障壁の残滓が漂うばかり。さっきまでそこに居たはずの蘭子がいない。代わりに、何かが放物線を描き落下していく。

「――ッ!」

ボクは墜落していく何かに力を行使し、空中に留めようとした。なのに、物体を浮かせるくらいワケないはずなのに! 力が上手く使えなくなっていた!

――がしゃああああんん!!

結局落下の勢いを殺し切れず、それはステージのセットへと激突した。

「嫌ぁぁあああーーー!!!」

そこへ金切り声を上げながら駆け寄る女性、神崎P。彼女は血走った目で瓦礫と化したセットを掘り返してゆく。

「そ、そんな……まさか……!」

そして神崎Pが抱え上げたのは、ボロ雑巾のように傷ついた蘭子だった。

「嫌っ! 嫌あああっ! 蘭子ぉおおおおーーーっ!!!」

「あっ……ああっ…………ボクが……ボクのせいで……」

視界が揺れる。と思っていたらガタガタと身体が震えていた。倦怠感が全身に重く圧し掛かってくる……。
え? 誰かがボクを呼んでいる? なんだ? 誰? あ、Pか? 地上からボクに何かを叫んでいる? 何? 手をブンブン振って、何だ? え? はやく、おりて、こい……?

「………あ」

落ちる蘭子を止められなかった理由。倦怠感の理由。蘭子とのリンクが切れたから。加えて、翼も何者かにより消滅させられていた。
そんなボクはもうただの少女。
ただの少女は空を飛ぶことはできない。

百メートル以上の上空から、ボクは真っ逆さまに墜落していった。

173 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:35:45.12 ID:+IqVL7Wl0



≪Observation by P≫

セカイ分岐が起こったとき、俺は本当の自由を取り戻したののを感じた。それはちょうど一年ぶりのことだった。そして全てを思い出した。
飛鳥に伝えるべきことがあったということも思い出した。
しかし同時に、それは俺にはどうしたって伝えることが出来ないと諦めることになった。
だから俺は「ぶちかましてこい!」と、そんなことしか言えなかった。

実際、飛鳥と神崎ちゃんはよくやってた。
俺でさえ見失いそうになるほどの速度で空を駆け、現実離れした方法で敵を倒していく。
このままいけば本当に天使とやらを撃退できるんじゃないかとも思えた。

飛鳥の様子がおかしくなった直後、神崎ちゃんがやられた。敵の攻撃をまともにくらい、墜落してきた。落下の衝撃の大半は翼が相殺したようだが、既に重傷。あと数分も持ちこたえられないだろう。
となると問題は飛鳥だが、呆然と空を漂ったままでいる。飛鳥へと必死に呼びかけても反応が薄い。
そんでやっぱり落ちた。

「ずおりゃああッ!」

飛鳥の落下予測地点へ向け、俺は疾走する。陸上界真っ青の弾丸スタートダッシュだ。
このまま落下地点に到達して飛鳥を無事に受け止めることは容易い。そんなこと俺には朝飯前。
んでも、現実はそんなに甘くはないよなぁ。てか現実って何だ。笑えないぜまったくよぉ。
飛鳥が落ち始めてからまだ一秒も経っていないのに、落下速度は既に終端速度を超え、更に増大していく。なんつー加速度。天使は重力エネルギーを操るらしいから、こんなのお手のものってか。

――じゃあ急がねぇとな!

俺の肉体の全細胞一つ一つに指令を下し、最適な走法で疾駆する。身一つで空気の壁をぶち破った三人目の人間、それが俺。

そのとき、俺の理性が『待った』をかけてきた。『死ぬことになるぞ』と。『どうせ二宮飛鳥も助けられないぞ』と。だから『無意味に決まってる』と。

――うるせええええええ!!!

今この瞬間だろうがよ、俺がずっと求めていたのは!
理性が拒絶し、確率にそっぽを向かれて、それでも尽きない心の底からの衝動! しょうもない“台本”にずっと抑えつけられてきたソレが、今この瞬間には解放されている。
しかも『決まってる』だと? 逆だろうが! 分岐したてのこのセカイはまだ何も決まってねぇはずだ!
それに何より! プロデューサーがアイドルほっとけるかよ!!

「――ッ!!!!!!!」

落下地点には俺が先に着いた。
脚部の骨にヤバい感じのヒビが入っている。まぁいい。もうあまり関係ないし。痛覚遮断も必要ない。こっからの俺の仕事は痛みを感じる前に終わるから。
目と鼻の先には半端ないスピードで俺の胸に飛び込んでくる二宮飛鳥。問題はここからだ。
脳の処理速度を最大限に引き上げる。足りない。脳の限界を超えて引き上げる。疑似的な時止めが実現した。
174 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:36:13.65 ID:+IqVL7Wl0
コマ送りの世界で、俺は注意深く飛鳥の身体に手を伸ばしていく。
まずは両手で飛鳥の重心に触れ、僅かな運動エネルギーを回収する。そして左手は上半身へ、右手は下半身へ滑らせていく。滑らせながら運動エネルギーを回収し続ける。飛鳥の肉体に負担をかけないよう少しずつ。回収した運動エネルギーは剛体化した細胞を伝わせて左の足先へと伝達し、解放――爪先から土踏まずまでの体組織が粉々に分断された。
運動エネルギーの回収を続行する。超速で動かしている両腕があっという間にズタボロになっていく。ギリギリ形を保っていればそれでいい。

左踝が、左脛が、左膝が、右爪先が、右踝が、右脛が……。

――まだだ。まだ全然スピードが殺せていない。

左膝が、右膝が、左腿が、左大腿骨が、右腿が、右大腿骨が……。

――あぁ、クソ、そういうことかよ。ここにきて加速度増してんじゃねーか。容赦無さ過ぎだろ。

臀部が、骨盤が……。

――クソ。クソ。クソ。

腹筋が、大腸が、腰椎が……。

――クソ。クソ! クソ!!!

アバラが、肺が、心臓が……。

――ああああ!くっそおおおおお! 飛鳥! 飛鳥!!

頸椎が、顔面が、頭蓋骨が……。

――飛鳥! 飛鳥! 飛鳥!!!!

脳が……。

――――――!!!



――パァンッ!!!



こうして俺の肉体は粉々に吹っ飛んだ。
俺の肉体を使い尽くしても結局、飛鳥の落下速度は半分にもできなかった。
しかし飛鳥を助けることには成功した。
それは何故か?

だって俺だぜ?



175 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:36:55.03 ID:+IqVL7Wl0



≪Observation by Asuka≫

――パァンッ!!!

「ぅぐっ!?」

激しい衝撃が全身を駆け巡った。
フワフワとした心地。思考がまとまらない。確かボクは墜落して……そして、どうなった?
やはり死んでしまったか? 物凄いスピードで落ちていたような気がするし……。

「ぅ……く……っ」

いや。動く。手も脚も感覚がある。
しかし、この泥濘は何だ? 何故か全身がヒリヒリするけど、そこまでの痛みではないし、
ボクが出血しているわけではなさそうだが……。

「は……あぁ……!」

P……? そうだ。Pがいた。落下の瞬間、一瞬だけPが見えた。P、何処だ? 嗚呼、嫌だ……目を開きたくない………。

「な、んだ……これ………っ」

ボクが墜落したのはステージの上だったようだけど、その床がペンキ缶をぶちまけたように酷く汚れていた。
そしてこのドス黒い大輪の華が泥濘の正体で、その中央にいるのがボクだった。
いや、ボク以外にも何かある。
泥濘の中から出てきたのは、男性もののスラックスとワイシャツとネクタイ。ネクタイには見覚えのあるネクタイピンが付いている。それはボクがPの誕生日にプレゼントしたものだった。

「………は、ははは……P……キミが何者か、ようやく理解った………」

ボクの脳裏に、Pと過ごしたこの一年間の記憶が駆け巡っていた。本当によく理解らない男だった。でもそうだったのか……Pは……。
カオスを支配し、銃弾の雨を摘まみ、独力でオーパーツをクラフトする、得体の知れなかったPという男。その正体……。

「さては、ただのバカだな……? ただの、バカな、中二病の、カッコつけだ……っ!」

――へへっ! バレたか! まっ、別に隠してなかったけどな!

「ふ、ふざけるな……なに、軽く人間越えてるんだよ……ああああっ!! なんで、こんな……ボクなんかを……!」

どうやったのかなんて理解らない。Pのことだ、どうせ出鱈目な方法に決まっている。何もかも理解できない。この期に及んで、ボクなんかを助けてどうなるっていうんだ!? しかも自分を犠牲にして!

「蘭子! お願いよ蘭子! だめ、いかないで! 蘭子ーーっ!」

悲痛な叫びが耳をつんざいた。神崎Pだった。
彼女たちはステージの反対側にいた。

「あああっ! こんなことになるならっ! 私は……っ! 何のために堕天したのっ!? こんなことに! なるなら! なると分かっていたら……っ!」

仰向けに横たわった蘭子の胸部に、神崎Pが腕を突き立て、一定のリズムで圧迫を加えている。リズムに合わせ、蘭子の足先だけがユサユサ揺れている。
176 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:38:00.64 ID:+IqVL7Wl0

「そんな……嘘だ………っ!」

凍る。骨が、臓腑が、心が凍ってしまう。

「うあああーーー! 蘭子ぉおおおーーー! Pぃいいいいーーー!」

蘭子もPもボクをかばって。ボクの所為で……! こんなことになるなら、いっそのことボクが! そうだよ! グレートヒェンはボクの役だったじゃないか! なのになんで!?

――ちょっといいか、飛鳥? 今、敵はどうしてる?

敵。天使。奴は今……。

「あ……あぁああ………っ!」

上空に視線を向けると、ビルほどの大きさの空間が激しく歪んでいた。その歪みこそがヤツ本体だと直感した。
どうしようもないくらいに絶対的な存在。おまけに悪意に満ち満ちている。そこにいるというだけで寿命が縮んでいくのを感じる。
顕現した天使を前に、過熱していた会場の空気も凍結していた。悲鳴を上げることさえ誰にも出来ない。ただ茫然と、審判が下されるのを待っている。
鳴動する大気は天使の哄笑だった。ダークイルミネイトという障害を排除したという、勝利宣言。だからこそ、ヤツは姿を現したのだろう。

――そうか、笑っているか。これは傍受されてないってことだな。ならいけるわ。

こんなことになるならULを目指すんじゃなかった! ALDを振るんじゃなかった! アイドルになるんじゃなかった!
こんなことになるなら…………Pと出会うんじゃなかった!

――おいおい悲しいこと言うなよ。でも、それ核心な。って、ちょいちょい。そろそろ落ち着け、飛鳥よ。ゆう程余裕ねぇんだから。

気が狂いそうだ。いや、もう狂ってる? さっきから幻聴が聞こえるし。

――なあ、飛鳥! ちょっとマジで聞いて? ねぇ! あすちゃん!?

なんだよもう、幻聴のくせにグイグイくるな!? あと、あすちゃんって言うな!

――だーかーらー! 大丈夫だって! 神崎ちゃんも俺も、まだなんとかなるから!

「…………へ?」

幻聴だと思っていた妙な声。頭の中に直接染み込むようなその感覚は、蘭子と共鳴による意思疎通を行う感覚と似ていたのだ。
177 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:38:31.05 ID:+IqVL7Wl0
変な声は依然ごちゃごちゃとしゃべくっている。この独特のウザさ……たとえ妄想であったとしても、ボクから出たモノとは思えなかった。

「………P、なのか?」

――俺だよ! 俺俺! Pくんだよう!

うわ、ウザい。

「でもなんで……Pの身体は……」

――俺の肉体はたしかに消滅した。だがしかし。脳細胞の最後のひとかけらまで無意味化した直後、ほんの僅かな極小の時間だったが、俺の自我が存続していることに気付いたんだ。認識速度をカリッカリに上げてたお陰だな。

「は……?」

――肉体とは別の軸の、生命を駆動する根源、つまり魂。その刹那の間、俺は魂そのものとなっていた。それが認識できたから力を引き出すことが可能になった。バグ技みたいなもんらしいから、時間制限ありだし出力も小さいけどな。まぁ、少女一人を受け止めるのと、“伝える”ぐらいならいけるっぽい。

「き、キミの言うことは、いつもワケが理解らないんだが……?」

その悪癖、死んでも直らないんじゃ、もうボクが合わせるしかないじゃないか……!

――死んでねぇって。

言葉の綾だよ! というか、思考を読むな!

「伝える……って?」

――なぁ、飛鳥。俺に聞きたいことないか? 聞こうと思っていたのに、何故かいつも聞きそびれてしまう……。そんなことに心当たりはないか?

「Pに、聞きたいこと……?」

直ぐにピンとくることがあった。
“どうしてボクをスカウトしたのか?”
いや、そもそも。
“どうして一年前のあの日、キミは雑木林から出てきたのか?”

――それだ。

あの日のことはよく覚えている。ボクの運命を一変させた日だから。
あのときPは“口笛の音を辿ってきた”と言った。でもそれはPの冗談だったはずだ。なぜならボクは口笛を吹くのを失敗したし、仮に口笛を吹いていたとしても遠くまで聞こえるわけがないんだから。

――でも、俺は確かに聞いたんだよ。いや“観た”というべきか。お前の口笛は、ずっと、俺に観えていた。

「い、いったいどういう……?」

――合わせろ、飛鳥。今の俺たちなら出来るはずだ……。

合わせる……?
Pの魂……その周波数………?
……白――白煙―――――
白光が視界を埋め尽くして――――――。
178 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:39:08.79 ID:+IqVL7Wl0

―――――――

―――――

――いつの間にかボクは“教室”にいた。
少年少女がそこかしこにいる。彼らの体格と教室内の掲示物から中学二年生の教室だということがわかった。しかし、ボクの通っている学校じゃない。
視界が勝手に動く。手足もだ。
ボクが身に付けているのは半袖のカッターシャツに、学生ズボン。
これはまさか、Pの記憶……?
いつだったか、Pはこれまで見たものを全て覚えていると言っていた。そして全てのものが見えているとも言っていた。この視界はそれと符合する。
しかし、記憶にしてはあまりに鮮明で、しかも情報量が膨大。
クラスメイト全員の喋っている内容がわかる。彼らの体調がわかる。光の波長がすべて見える。電磁波に含まれる情報さえ読むことが出来る。これがPのクオリア……。さっきまでのボクと蘭子のクオリアとほとんど同じじゃないか……。
夏休みが明けて間もない頃の、休み時間の記憶らしい。
視界の持ち主であるPはクラスメイトたちと談笑しているところだった。だが、その感情は死んでいた。無理もない。Pには今日一日何が起きるのか全て正確に予測してしまっているのだから。不明なことなんて何一つない。というより、全て勝手に台本として決められている。しかもその台本から外れることは出来ない。全てが決められた通りに流れる日々に面白味を感じることは確かに難しい。

『あ………』

しかし、そんな面白みのないセカイに“異物”が入り込んできた。
Pでさえ理解できない、ある“波”を発見したのだ。台本にもその波のことは記されていない。
Pの心は色を取り戻し、夢中になってその波を観測する。
それは教室の窓から見える山の向こうから来ているようだが、発信源はわからない。遠いのか、あるいは案外近いのか?
波がどういう情報を含んでいるのかもよくわからない。ただのノイズなのか、それとも自分が読み取れないだけなのか……。
ただ解析の仕方によっては、口笛の切ないメロディーのように捉えることもできた。

『おー! Pのヤツ、またやっとる!』

クラスメイトの少年たちがニヤニヤしながらこちらを見ていた。彼らにはこの不思議な波は見えていないらしい。

『あー、それな。先週あたりからよく黄昏れとるよなぁ』
『カッコつけや、カッコつけ』
『中二病、っつーんよな』

口々に勝手なことをいう友人たち。そんな『次のテストのヤマ、知りたくねーようだな』とPが言い返せば、一転して『P大明神』とゴマを擂ってくる。

『いつも何見とるん?』
『いや、カッコつけとるだけやろ』
『フッ。お前ら、浅い、な? Pのやることやで? そんなわけないやろう』

眼鏡をかけた賢そうな男子が得意そうに喋り始める。

『俺は気付いたで。Pのその仕草に規則性があるとゆうことをな!』
『……へぇ、なによ?』

眼鏡くんの言葉にPも興味を示した。

『方角や。教室やグラウンドや下校時、いろんな場所や時間にそれやっとるけど、Pが向く方角はいつだって同じなんよ。そんでその方角の先にあるものこそ、東京!』
『………なるほど』

言われてみれば。
頭の中で正確な地図を組み上げ、これまで波がやって来た方向を記してみると、確かにいずれの延長線上にも東京があった。

『P、このやろっ! 俺らの町捨てて東京行くんかー!?』
『いや、Pみたいなスゲー奴が、和歌山の田舎町で終わる方がおかしいやろ』

騒ぐ少年たち。Pは結構人望があるらしい。

『あ、ちょうど良いやん!』
『だな!』
『何が?』
『来月の修学旅行で東京行けるやん。東京の何がPを呼んでんのか、探そうぜ!』
『さんせーい!』
179 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:40:09.52 ID:+IqVL7Wl0


再び白光に包まれる。

晴れると、目の前に東京のシンボルとも言うべき大きくて赤いタワーがあった。

『なぁP、ここか? ここがええんやろ?』

眼鏡くんが期待の籠った眼差しで聞いてくる。
だが、Pは首をかしげるしかなかった。実際わからないのだ。

『えー! ちげぇの? 東京っつったらここだろー!』
『いかにも田舎モンの発想過ぎねぇ?』
『んだとコラァ!?』
『てか、そもそもよー。東京ってだけで何か探すの無理ゲーちゃう?』
『今更そもそも論を言うんじゃねー!』

Pそっちのけで少年たちが騒いでいる。やれやれと、彼らを眺めていたそのとき、“波”を観測した。

『あーー! 中二病やっとる!』
『おっ手掛かり! どの方角や? 地図地図』
『えっとぉ〜〜……』
『………はぁ!? これ、和歌山の方やん!』
『どーゆーこーとー!?』
『おいもしかして。いっぺん東京行きたいなぁ〜〜そんで来れたらもうええわ〜〜……ってことじゃねぇよな?』
『ファ〜〜〜!! ま、まさかPくん、ホームシック〜〜〜?』
『ざけんなーー!』
『しゅ〜〜りょ〜〜!! オラ、ギロッポン行くぞーー!』

Pを残して少年たちは次の目的地へと歩き始めた。
念の為、頭の中で地図を開き、今向いている方向を記してみる。それは確かに、和歌山に向いていると言えなくはない。しかし実家や学校からは随分とズレていて、違和感があった。
その地図に和歌山にいたときの観測方向を重ねてみる。するとこれらの方向は決して平行ではないことが分かった。つまり交点があった。そしてその交点は静岡県内のとある地域の狭い範囲内に集中していた。

『静岡…………』

視界が白く染まる。

――だが、この日を最後にパタリと波は届かなくなった。
――静岡に何かがあると感じていながら、俺は行くことが出来なかった。台本的にはそもそも波を観測してないことになってたんだろうな。だから静岡に行く動機も発生しないってわけだ。

Pが中二だったとき。それは約十年前ということになる。暑い時期。その頃、ボクは……ボクは何をしていた……?
180 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:41:04.67 ID:+IqVL7Wl0

視界が晴れてくる。
オフィス、今の会社の一室。上司が『担当アイドルを決めるよう』にと言っている。
その後Pの自宅にて、突然ALDが出現した。同時に、単なる驚きとは別種の何か途轍もない感覚に襲われた。それは台本から解放された“自由”だった。

『静岡へ行かなくては!』

新幹線に駆け込み、ローカル線に乗り換え、降りた駅は、ボクのよく知る駅……。
薄暗くなってきた街の中、何か手掛かりはないかとPは周囲を見回す。
そのとき十年ぶりに“波”を観測した。それは昔と違い、とてもか細いものだったが、確かにあの波だった。
波がやってくる方向へと一心不乱に直進する。線路を飛び越え、民家を横切り、雑木林を抜け、そして……

『聞こえたんだ、口笛が。その音を辿ってきたら、キミがいた』

そこにいたのはエクステが印象的な少女……二宮飛鳥。
あの波を発していたのはボクだった。

視界が白く染まる。

――俺にとっては口笛としか解析できなかった波だが、飛鳥ならちゃんと理解るだろう?

そうか……受け取ってくれていたのか……Pが……。

Pの記憶から数十個のデータが流れ込んでくる。その容量は口笛の音楽データにしては有り得ないほどに大きい。それも当然だ。3+1次元以外の軸も含んだデータなのだから。それはPが何度も観測しずっと保持していた、ボクの魂固有の波形データだった。
客観的な観測データがあればあっけないほどに簡単だった。寧ろ、何故これまでできなかったのか不思議なくらいだ。
今、ボクには自分の魂が確と認識できていた。ゆえに、魂の波動を起こすことも、増幅して無限へアクセスすることも簡単にできた。
あまりに簡単すぎてつまらないと思った。出力はこっちが上のようだけど、蘭子と共鳴する方が圧倒的に楽しかった。

――じゃ、ASUKA The Idol Fifth Stage 開幕といこうか!

だから、さっさと終わらせてしまおう。
一人遊びは嫌いじゃないけど、仲間と響き合う楽しさを知ってしまったらもう元には戻れないのさ。
181 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:42:13.02 ID:+IqVL7Wl0

白煙が晴れる。

ボクの意識はステージに戻ってきた。例によって、時間はほぼ進んでいなかった。
Pの肉体を再構成し、蘭子の傷を治療する。

「う………ぐ………!」
「……んっ………にゅむ………」

二人とも大丈夫そうだ。神崎Pが「蘭子!」と喜びの声を上げ抱きしめた。チッ、今は譲ってやる。
三人は舞台袖に転移させておく。

「さて……」

上空の天使を見据えると、ヤツは敵意を剥き出しにして威圧してきた。
そんなにはしゃいでどうした? 予想外なことでも起こったのかい?
実のところ、天使というのも全知全能からは程遠いのかもしれないな。

『■■■■◇■◇――!!』

天使が耳障りな咆哮をあげながら矢印の雨を降らせてくる。さっきボクと蘭子を苦しめたあの矢印、それが無数に降り注ぎ、先端をボクに向ける。
エネルギー充填、明滅、放出、無数の破壊光線がボクに迫る。しかし――

「……今、何かしたか?」

――それはもう、ボクを傷つけるには悲しいくらいに出力不足だった。

――――!!!!!

セカイ中のオーディエンスが応援してくれる。それがボクの魂をより高みに押し上げていく。
今なら理解る。この天使はとても矮小な存在だ。他者の魂を踏みつけにしてまで、意地汚く生き永らえようとする下劣な老いぼれ。
無理矢理に絞り出させるようにして得たエネルギーなんかで魂が励起するはずがない。ましてや、そんな体たらくでアイドルに勝てるわけがない!
そう。依然、ここはアイドルのステージ。貴様はただのイチ演出に過ぎない!
182 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:42:55.59 ID:+IqVL7Wl0

「よくも我が片翼を! たとえこの身が滅びても、貴様だけは絶対に許さない!」

まぁ、こんなところかな。
多少のアドリブは必要だけど、大筋のストーリーは変わらない。ミュージックをスタートする。ULにおいて最も激しく、ダンサブルな曲だ。

「うおおおおーーー!! 封印されし左腕の雷帝よ! その力をボクに示せっ!!」

左手から発した紫電を全身に纏い、頭髪をいい感じに逆立てる。見るからに命を削りながらの限界突破状態だろう?
オーディエンスは流石だね、ちゃんとついてきている。状況が飲み込めていないのは、お前だけだぞ老いぼれ!

「■■■■■!!!!!」

老いぼれ天使がボクに襲い掛かってくる。四方八方から放たれるエネルギー波を躱し、弾き、打ち返す。
ボクも見た目重視の攻撃魔法を放って会場に華を添える。

『■■■★★■――!!』

ボクの攻撃だけ当たるからって、みっともない叫びを上げるんじゃない。オーディエンスが引いてしまうだろう?
やれやれ。この役者、大根過ぎる。クビだ。

「えいっ」
『■■■★■★★―――!!!!』

戯れに放ったボクの斬撃が天使の生命エネルギーをごっそりと削いだ。
それでやっとボクに勝つことは到底不可能だということを認めたらしい。
天使のエネルギーの運用方法がガラリと変わる。

「……■…■……◇……□………」

あれは……転移? このセカイから脱出するつもりか。

「奈落の底で詫び続けろーーーー!」

ボクはトドメの一発を放つ。が、ヤツが逃げる方が一瞬早かった。悪運の強いヤツだ。

――――――!!!!!!!

今日最大の歓声が上がった。
オーディエンスたちには、ボクが天使を消滅させたように見えたらしい。実際、ヤツのプレッシャーは消え去っている。つまり、セカイの危機を脱したということだが、それで終わりにしてやるほどボクもお人好しではない。

「逃がすものか……!」

引導を渡してやる。
183 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:43:28.16 ID:+IqVL7Wl0
ヤツを模倣して術式を構築していく。なるほど、これは中々に興味深――

「だめよ!!!」

――そのとき突然、神崎Pが叫んだ。観客のことは慮外といった風の大声、今にもステージ上へ飛び出そうかという程の剣幕だった。

「危機は去ったわ! それ以上はだめ! もう何もしなくていい!」
「見逃せと言うのか!? ヤツは必ず別のセカイで同じことを繰り返すぞ!」
「そういう意味じゃない! 二人だから平気だったの! 一人だけでそれ以上進んではいけない!」
「意味が理解らないな。アレは放っておいていい存在じゃない!」

それに今目を離している隙に妙なことを企んでいる可能性もあるし。

「急いでるんだ。後で聞いてやるから」
「まっ待ちなさいっ! ダメなの! それ以上天使化したら戻れなくな――」
「――術式、展開!」

瞬間、ボクの認識は宇宙の全てに行き渡った。
こうなってしまえば、広大なはずの宇宙は“ビー玉”でしかなかった。ラムネ瓶の中のビー玉を眺める手軽さで宇宙の全てが見渡せる。
逃れようとする天使もすぐに見つけられた。どうやらセカイの膜を越えるのにも手こずるほどに弱体化していたらしい。

『★★■★■★★――!!』

だからうるさいって。幾ら喚いても……ん? なんだいこのデータは? これで見逃せって?
フムフム……。

『繧ェ繝シ繝医?繧ソを繧ッ繝ゥ繝輔ヨス方法』
『螟ゥ菴ソ繧貞シア菴の事象に灘喧縺忌吶k譁ケ豕』
『逾槭&縺セについての考察』

興味ないね。
じゃあ、さよならだ。

『□―――――――!!!!』

そして今度こそは、ボクは天使を消滅させた。重力子一つ残さず、一バイトの情報も残さず、キレイさっぱりと。
184 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:44:21.17 ID:+IqVL7Wl0


「――――ふぅ」
「あっ! 飛鳥っ!」
「おお、お疲れちゃん! いやまだ公演終わってねえけどな」
「っ………!」

舞台袖に意識を合わせたボクを三人が迎えてくれた。

「良かったぁ〜〜! やっぱり飛鳥はしゅごいよ〜〜!」

可愛い顔をクシャっとしながら蘭子がボクの胸に飛び込んでくる。当然ボクは彼女を受け止め、熱い抱擁を――

「ふぇえっ!?」

――することができなかった。
蘭子はボクの身体をすり抜けてしまったのだ。蘭子はズッコケて床に膝を付いた。
一体何が起きた?
神崎Pが「やはり……」と呟き、ボクを見据える。

「二宮飛鳥、アナタはもう完全に天使化してしまった……」
「なん……だと……?」
「存在の軸にする次元が変わってしまった。だからもう、このセカイにいることは出来ない。アナタは旅立たなくてはならないの。天使がいるべき、上の次元のセカイ……天界へと」
「…………は? いやいや、待て待て待て………!」

何故そうなる!? 天使化? じゃあ、この状態を解けばいいだけじゃ――

「……あれっ?」

――解けない。なんで!? いや、そもそもどうやってこの状態になったんだっけ?

「やはり、出来ないのね……」
「ま、待て! こんなのちょっと工夫すれば……!」

改めて、いつもの感覚を取り戻そうとしてみる。だが理解らなかった。いや、理解るはずがない。だって、今の状態こそが自然だという感覚があるんだから。

「あ、飛鳥……!」

蘭子が慌てた声を出し、明後日の方向を指差した。その先にはなんと――

「な……っ!?」

――空間浸食が発生していた。それは他ならぬボクが生じさせているものだと、感覚的に理解った。

「そういうことなの。天使がこの次元に在ること、それ自体がセカイ崩壊をもたらしてしまう。このままアナタがここに留まれば……!」
「ッ……!」
「えっ? えっ? でも、だ、大丈夫だよね…っ? 天界って、プロデューサーがいたとこだよねっ? そこからプロデューサーはやって来たって。だ、だったら、飛鳥だって、一度天界に行って、それから戻ってくることも出来るってことだよね……?」
「それは…………」

蘭子の指摘はもっともだと思った。しかし神崎Pは苦痛に耐えるように、表情を曇らせる。

「……天界へ行った後、力の制御の仕方を身に付ければ、私のように人間として受肉することは可能。それはとても容易い。でも……それが可能になる頃には、間違いなく、このセカイを見失っているわ」
「ど、どういうこと……?」
「二宮飛鳥はまだ成りたて。天使としては、自分の意思で歩くことも出来ないし五感の使い方も知らない赤子といってもいい。そんな状態で天界へ行けば必ず迷子になる。そして天使としての身のこなし方を覚える頃には、最早辿って戻ることなんてできない程に離れた場所にいるでしょう」
「っ……!」

言葉を失う蘭子を余所に、ボクは妙に納得してしまっていた。
さっき天使を滅ぼすために行ったセカイの果て。そこでボクはセカイの外には出なかった。出ることは出来たけど、敢えて出なかった。戻ってこられなくなるかも、という予感があったからだ。

「……他のセカイはどれくらいある?」
「無限よ。天使でさえ全貌が掴めないクラスの」
「やはり……そうか………」
「天使にとってさえ無限に広い天界で、無限に存在するセカイの中からたった一つのセカイを見つけようとすること……それは想像を絶する長い旅路になる。それでも尚、辿り着ける可能性は限りなくゼロに近い。実際、私は――」
「うぅ〜〜〜っ!」
「――っ!? 蘭子……」

言葉を続けようとした神崎Pの胸に蘭子が飛び込んだ。そして「イジワル言わないでぇ!」と鼻声で訴える。
神崎Pは蘭子の背をただ撫で続ける。
185 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:45:03.77 ID:+IqVL7Wl0
重く、いっそ痛いくらいの沈黙がボクたちに覆いかぶさっていた。だというのに――

「でもよ〜〜〜〜」

――なんだその間の抜けた声は。おいP。

「睨むなって」
「……何?」
「でも、ゼロ、じゃあないんだろ? なら、イケるでしょ!」
「っ……!」

親の顔より見飽きたもの。Pの不敵な笑み。
厄介だなぁ。これに当てられると、ボクは返さなくては気が済まなくなる。だって負けた気がするから。

「フッ……! まったく、キミというヤツは……!」
「アナタ達、私の言っていることが理解できていないの……!?」
「神崎Pってさぁ〜、結構アタマ硬いとこあるよな」
「ンフ! そう言ってやるな、P。可哀想じゃないか」
「私は……ただ事実を……っ」
「でもでも、プロデューサーなんて夢売る仕事してんだし、もっとこう、友情パウワとか、LOVEとか、信じてみてもよくね? てか、さっきのヤツに勝ったのって結構スゴくね?」
「っ! そ、それは………」
「それになにより、二宮飛鳥さんだぜ? 名実ともに超一流アイドルのっ!!」

おい、神崎Pをイジるのはいいが、ボクまで変な持ち上げ方をするな。

「超!一!流!のアイドルとは……っ! さぁ、飛鳥、このちゃんねーに教えてやれ!」
「えっ?」

超一流のアイドル……。いつだったか、Pと馬鹿話で盛り上がったな。たしか……超一流のアイドルとは、その者にしかない輝きで世界を照らす存在であり、そして……。

「予想を裏切り、期待を超える者……」
「That's right! 飛鳥が俺たちの想像を超えてくるの、メチャクチャ楽しみだぜ!」
「っ……!」
「フフフッ!」

不思議なものだ。この男が宣言するだけで、その気になってしまうんだから。
でももう一つ、ボクが帰ってこられる理由がある。

「蘭子……」
「ふぇ……?」

それはもう一人の超一流アイドル。

「お願いがある」
「……う、うん! なんでもする!」
「歌を、歌ってほしいんだ……」
「歌……?」
「ボクのことだけを想って歌ってほしい。一曲でいい。それを辿ってボクは帰ってくるから」

ボクの声がPに届いていたように、蘭子の歌ならボクに届く。どれだけ離れていても絶対に。

「……フフッ……フハハハ……ハーッハッハッハーーーーッ!」
「堂に入った見事な三段笑い。やるな蘭子」
「いいわ! 我が片翼の願いならば、全身全霊を以って応えましょう!」

憂いは霧散した。
無意識的な空間浸食はゆっくりだが確実に進んでいる。となれば後は旅立つのみ。
セカイの外へ出るための術式を構築していく。

「飛鳥――」

その最中にPが語りかけてくる。

「忘れるな。お前はどこに行ってもアイドルだ……!」
「あぁ……理解ってるよ、P」

彼の言わんとするところ。アイドルに失敗はない。仮に失敗と呼ぶべきモノがあるとしたら、それは諦めたときだけ。
そしてボクは諦めない。絶対に。

「さぁ……往こうか」
186 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:46:47.42 ID:+IqVL7Wl0

認識領域が拡張していく。

そして。セカイの膜を――――――

――――――――――――

―――――――――

―――――

――越えた。

越えたんだよな……?
暗い……。
強いて言うなら深海のよう……? 何かがボクを取り囲んでいるのを感じるけれど、見ることが出来ない。
ボクの身体を何かが撫でている。緩やかな水流のようなものが……。勢いは強くはない。でも念の為、何処かに流されてボクのセカイを見失わないよう、手で触れておこう。
あぁ……この流れは情報か……初めて観測する多種多様な情報の波……。
そうか……暗いんじゃない。閉じていただけか。感覚を開けば――

――ッ!?

なんてことだ!
無数のセカイがそこにある! 宇宙の星々なんて目じゃないほどの数と密度!世界中のビー玉を小さな水槽に押し込めたような……! 概算してみようという気さえ起らない。
この一つ一つがセカイなのだ。セカイの色は多種多様。何の条件で決まるのだろう?

――そうだ!

ボクのセカイはどんな色に見えるのかな?

………なるほど。“邏ォ髮サ”色かぁ……。うん、いいね!

……ん? あれ?

何故だ? どこにも蘭子がいないぞ? いや、Pもいない……!?
いや待てよオイ……。

このセカイ、ボクのじゃない!!!!

何故? ボクが出てきたセカイにはずっと手で触れていたのに!
……ん?……手とは何だ? 右手? 左手? 今のボクに手なんて……。
なら、触れていると思っていた手は何だったのか? ボクは、何をしていたのか……?

――そんなはずは……っ!

待て待て落ち着け。近くにあるはずだ。まずはこのセカイを手掛かりにして……。
はぁっ!?!? また変わってる!? 何もかも違う!? ビー玉じゃない? これは紐? ワイヤー? なんで!? 何が起こっている!? ボクは何を見ている!?
だめだ! ゆっくりと元の場所に戻るんだ! ………戻る? なにで? 足? 足って何?

―――ああああああっ!?!?!?!?!

流れていく。
流されていく。どこまでも。どこまでも。止まらない。止まれない。
本当に神崎Pの言った通りに……っ!
そんな!? これは! この広さは……! この速度は……!
ダメだ。落ち着いて。元の場所に……………あ。あ。あ。あああああああ。ああああああああ。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ああああああっ!!!!!」
187 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:47:21.74 ID:+IqVL7Wl0


暗黒。
あるいは白。
もしかすると空。


「……………………えっ?」

気付けばボクは何も無い空間にいた。
情報渦巻く天界とは似ても似つかない、あまりにも何もない空間。

「な、なんだここは……?」

ここも天界の一部なのだろうか? 何も無いくせに、広さだけは莫大らしいが……。

「――じょ、冗談だろっ!?」

違った。何も無いどころか、有り過ぎるんだ……。天使のスペックを以ってさえ防衛本能が働いて、端っから観測を遮断してしまうほどに……!
空間を構成するグリッド一点ごとに、さっき天界で流れ込んできた膨大な情報を遥かに凌駕する量が、折り畳まれた状態で格納されている!

「ッ……!?」

何かが居る。姿は見えないが、確かに居る。
この空間に住まう者なのか?
ソイツはボクを見ている。観察している。無限遠の彼方から、擦れ合うぐらいの至近から。じーっと、ボクを……。

「…………」

何も発することが出来ない。発せたところで、そもそも意味がないだろうけど。きっとボクの思考なんて丸裸にされている。
そんな絶対的な存在から、何か思念らしき情報が伝わってくる。

「………えっ?」

それは、感謝と謝罪。
しかし余りにも身に覚えがない。

「一体オマエは…………いや、もしかして“アナタ”は……」

ボクの問いかけにはやはり答えてはくれない。
そして空間から絶対的存在の気配が薄れてゆき……。

―――――ッ!?!?!?!!?!

激動する感覚。
ボクの存在座標は天界に戻っていた。
ボクの意に反する移動は続く。やはり止められない。
一体どれだけ遠くへ流されたのか。いつになれば止められるようになるのか。
188 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:48:00.86 ID:+IqVL7Wl0



蘭子。蘭子。蘭子。どこにいる? 歌を。キミとまた響き合いたい。響き合うんだ。キミの笑顔が見たい。ボクは此処にいる。お願いだ。蘭子。声を歌を聞かせてくれ。蘭子。



どこだP。キミに会いたい。本当のことを言うよ。ボクはキミの冗談が好きなんだ。P、お願いだ。聞かせてくれ。まだキミと話したいことがまだある。したいことがたくさんあるんだ。




あああ。蘭子。P。wheこに……bクは此erにいる。

イruんだ/

らnk0たのmuuあを縺ゅ=?吶♀縺ゅ≠@@t歌wo

縺翫∴縺ing?◆縺吶¢縺たno P P P P P◆P P P!!!!s縺ゅ≧縺?m?翫=!!!帰ッ豁、蜃ヲ縺?繧医く繝溘′螂ス縺◇□諢帙@縺ヲ蘭蘭蘭蘭rrrrrr繧繝◆懊◆◆◆け縺縺オ縺悶¢繧九↑繝懊け縺ッ蟶ー繧狗オカ蟇セ縺ォ蟶■ー繧玖ォヲ繧√↑縺?ォヲ繧√↑縺?≠縺阪i繧√↑縺ゅ≠縺ゅ≠縺ゅ≠縺?>縺?>縺?>縺?>隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑P縺隲ヲ繧√ヲ蘭繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺p隲ヲ繧翌蘭蘭蘭√↑縺繧√↑縺隲繧√↑縺隲ヲP繧√↑縺ヲ繧r√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲pヲ繧√蘭↑縺隲蘭隲隲rr隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ繧√↑縺隲ヲ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
189 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:48:53.50 ID:+IqVL7Wl0



≪Observation by 蜈?ココ蠖「≫

「さぁ……往こうか」

そう言い残して二宮飛鳥は姿を消した。

「ぁ……あすか……うぅ……っ」
「蘭子……」

よろめいた蘭子を抱き支える。
二宮飛鳥がこれから味わうだろう果てしない孤独を、この子もうっすらと理解しているのかもしれない。

「蘭子……。行きなさい」
「………ぐすっ。うん……っ!」

涙をぬぐい、舞台袖からステージへと、蘭子は一人で歩み出る。

「白銀の騎士の挺身により危機は去った」

怒涛の展開の連続で呆けていたファンたちはしかし、蘭子の纏う悲壮な雰囲気に目を覚ました。

「彼の者はもう……此処にはいない。傷を癒すため、深なるセカイへと旅立った」

鬼気迫る蘭子の言葉に会場中の人間が息を呑む。

「しかし、我らは双翼。片翼が引かれ合うは世の摂理……。永劫の先、約束の彼方で、我らは必ず相まみえる……!」

夜空に引いた一筋の白墨のような、切ないメロディが大気を震わせはじめる。

「故に、これより奉じるは別れの歌ではない」

徐々に、徐々に、濃度を増していく音色――蘭子の魂の響き。

「再会を期する、歓喜の歌である!!」

蘭子の想いがそのまま具現化したような歌声だった。
二宮飛鳥に会いたい。ただそれだけの願いを込めた歌。
それは言葉を越えて、何者にだって伝わるだろう。

しかし……。
それでもやはり私は、二宮飛鳥の帰還には極めて悲観的だった。

「実際、私は見つけられなかったのだから……」

天使の永い寿命を使ってひたすら探し続けた“何か”。それは結局見つけられなかった。二宮飛鳥のしようとしていることは、それとほとんど同じ難易度なのだ。
しかし私の場合は、神崎蘭子という尊い存在に会えた。これは私にとって望外の奇跡であった。

だけど、何か、引っかかる。

「……!」

思い出した。
天界を彷徨った末の今際の際に蘭子を見つけ、堕天を決めたあのとき。その決断はある意味妥協であったはずなのに『これで正解だ』という声が私の内側から聞こえていた。そのことを今、思い出したのだ。
190 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:49:48.36 ID:+IqVL7Wl0
あの声を発したのは、魂のとても深い場所だった。それはひょっとすると、私の封印された領域からだったのでは……?
私が誕生した瞬間から謎に存在していた、魂の中の不可侵、不可知領域……。

「まさか………」

見つけられなかったわけではない……?

「なぁ、飛鳥……。もーいいんじゃねぇか?」

混乱する私の隣でPが呻くように言った。

「なぁ? もう……さ、サビ入ったぜ? そろそろ帰ってこねぇとさぁ……この後、どうすんだよ……神崎ちゃん一人で〆させんのか……?」
「P……」
「おい……もう近くまで来てんだろ? あとは降りてくるだけだよな……!? なぁ〜〜〜〜飛鳥よぉぉ……!」

Pは身体を震わせ、とうとう膝をついてしまった。
二宮飛鳥が堕天してくるとしたら今だという彼の考えは正しい。いくら二宮飛鳥が長い旅路の果てにここを見つけたとしても、堕天する時間は任意に選ぶことが出来る。それならば、今を選ばない理由はない。
しかし、Pはまだ思い至っていないようだけれど、このケースには一つ大きな落とし穴がある。それは、二宮飛鳥が堕天を実行するとき、必ずセカイ分岐が発生してしまうということ。つまり仮に二宮飛鳥がこのセカイに辿りついたとしても、どうしたって二宮飛鳥が堕天するセカイと堕天できなかったセカイの二つが生じてしまうのだ。そして我々には最早、ここがハズレのセカイなのか、それとも単に二宮飛鳥が失敗したのか、知る術はない。

蘭子の歌は既にラスサビに突入している。
蘭子が止め処なく頬を濡らしていることは誰の目にも見えるだろう。

「何をしているのよ、二宮飛鳥……っ!」

今日だけは蘭子の涙を拭う大役を任せてやろうというのに……!

そしてあえなく、蘭子の歌唱は終了した。
圧巻のパフォーマンスを目の当たりにした会場は、まるで時が止まったように静まり返っていた。
私もただ蘭子を見つめていた。
191 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:50:44.85 ID:+IqVL7Wl0

「な、なぁ……神崎P……」

もう少し余韻に浸らせてほしいのだけれど、そんな私にPが声を掛けてくる。

「なんか、お前、光ってね?」
「……………えっ?」

何を馬鹿なことを、と思った。でも確かに、手のひらが、腕が、脚が、光を放っていた。
なにこれ? と口にする前に、大気に漂っていた蘭子の歌声の最後の一小節が、私の中にするりと滲み込んでくる。

――ガチャリ

鍵の開く音が。そのとき確かに聞こえた。
開いたのは私の魂の深層領域の封印だった。

「こっ、この“光”は……っ!!!」

解錠と同時に本格的に放出され始めた光は際限なく強まり、このセカイの遥か遠くまで遍く照らしてゆく。
その光には極めて特徴的な波長があることに気付いた。この輝きは私の記憶に印象深く残っている。天界を彷徨う中で何度か観た、セカイ線を覆い隠し、天使にも不可侵の領域にしていた光にとてもよく似ていたのだ。
封印されていた領域から膨大な情報が流れ出してくる。


「ッ…………そう……そうだったのね……」


それは記憶だった。とある少女の大切な記憶。
192 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:51:15.54 ID:+IqVL7Wl0





「私は………








ボクだったのか……」








私<ボク>は全てを思い出し、理解した。

こうして私の永い旅路はついに終了したのだ。
193 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:52:33.11 ID:+IqVL7Wl0

≪Congratulation!≫
≪Congratulation!≫
≪Congratulation!≫

「ッ!?」

突然視界に祝いの言葉が浮かび上がる。これもそういう“プログラム”なのだろうか?

私<ボク>は頭の中を整理する。

天界に旅立ったボクはやはりこのセカイを見失った。
そして永い旅路を経ても辿り着くことは出来ず、あるとき記憶の劣化が始まっていることに気付いた。最初はまだ重要度の低い記憶が失われていくだけだが、その進行は止められず、遅かれ早かれかけがえのない記憶まで侵されることになるのは明らかだった。
そこでボクは賭けに出た。
ボクのボクたる情報のすべてを魂の深層領域に封印し、それを持ち運ぶ自動人形<オートマタ>を創り出した。
その自動人形には二つの極めて単純な命令を与えておいた。
一つ目は、“何か”を見つけるまで天界を旅し続けること。
二つ目は、決して諦めないこと。
“何か”とは『神崎蘭子が二宮飛鳥だけのことを想って歌う歌の波動』であり、それこそが封印を解くパスワードでもあった。
この方法により天界の捜索範囲は飛躍的に伸びることになるが、“何か”を見つけられなければボクは永遠に目覚めることができない……。そういう賭け。蘭子との再会をどうしても諦められなかったボクの大勝負だった。

無数のセカイを観察していく過程で、自動人形が自我を発生させたのは完全なる偶然だった。誤算といってもいい。その偶発的に発生した自我が私……今は神崎Pと名乗っている個体。

そして最大の誤算。

「……見つかるわけがなかったのね。“まだ”だったのだから……っ!」

つまり私が発生した時点では、まだこのセカイは存在していなかったということだ!
因果があべこべになってしまっている。こんなの莫迦げている!
しかし心当たりがある。
ボクが天界に入った直後に遭遇した“大いなる存在”だ。
きっと彼の者と別れた時点で“飛ば”されていたのだ。天使でさえ遡れない、本当の意味での“過去”へと。
そして彼の者の目的こそ、無法者の排除。天界にルールがあるように、彼の者の干渉の仕方にもルールがあるのだろう。それに私とボクは巻き込まれ、都合よく使われた。だから“感謝と謝罪”だったのだ。
194 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:53:20.95 ID:+IqVL7Wl0

「な、何が起こっているんです…?」
「あぁ……そう、よね………」

セカイを包み込む光を放ち終わっても、私の身体は光を湛えていた。
これから始まるのは肉体の改変……私の肉体は二宮飛鳥のものに変換される。そういう“プログラム”。自動機械が自我を持つだなんて、あの子は予見していなかったのだから、当然そうなる。
私は消滅し、二宮飛鳥に統合される。それは元に戻るというだけのこと。
だとしても……!

「……嫌………消えたくない………っ」

蘭子の将来をずっと見ていたい。
Pともっと競い合いたい。
私という存在はイレギュラーだったかもしれないけれど、この気持ちは本物なのだ……。
それとあと、二宮飛鳥には言いたいことがあり過ぎる! せめて一言『不親切過ぎる』ぐらいは面と向かって言わせてほしい。
でも、もうどうしようもないのだ。
私とボクの魂は深層で絡みついている。これを瑕疵なく分離させることなんて、たとえ天使でさえ――

≪Is that what you want? ≫

「………………えっ?」

封印解除に伴う単なる演出プログラムだと思っていたポップアップが、まるで意思を持っているかの様に質問してきた。

≪Okay. This is my thanks.≫

「な、何を……っ!?」

私の真横に光の繭が出現する。程なく解けた繭の中には、魂の入っていない少女の肉体があった。ふらつき、倒れようとする空っぽの少女をPが抱きとめる。

「――っ!?」

奇跡の御業はまだ終わらない。
何者かが、私<ボク>の深い場所に手を触れた。その見えざる手は、いとも容易く、不可能を越え――そして私<ボク>たちの魂は完璧なかたちで分離された。

「んっ…………」
「っ………ほんっと! お前ってヤツは……! 飛鳥ぁあああ〜〜〜!!!」

この瞬間、二宮飛鳥が再誕した。
ステージの蘭子が二宮飛鳥の姿を認め、大急ぎで駆け寄ってくる。
195 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:55:42.21 ID:+IqVL7Wl0

≪You have reached a singularity≫
≪Congratulation!≫
≪And≫
≪Goodbye!≫

アナタは誰なのか、なんて聞く必要はない。人知を超え、天使の能力さえも越える存在を表す言葉はそう多くないのだから。でも強いて言うなら“ロマンチスト”だろうか。

全てがお膳立てされていたわけではないのだろう。ましてや、なるべくしてこの今があるわけでもない。

神崎蘭子の歌声は、時空を超え、次元を超え、そして因果律さえも越えて、二宮飛鳥に届いた。

これがシンプルでロマンティックな真実。


そして因果律を越えたことでこのセカイは光に包まれた。
セカイを駆け巡ったあの光を感じて、聡い者は気付いただろう。魂の力には無限の可能性があるということを。
そんなセカイでは、これからどんなことが起こるのだろうか?

「………フフッ」

ふと抱いた疑問を私はすぐに手放した。
最早、何者にとっても原理的に不可能なのだ。



此処は既に特異点。
事象の果ての向こう側。
次のセカイ<シンセカイ>。


この未来<さき>はもう、誰にも観測<み>ることは出来ない。










196 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/02(水) 15:56:08.30 ID:+IqVL7Wl0




≪Unobservable≫


197 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/09/03(木) 11:49:13.88 ID:eV64N3H90
長いすごいなんだこれ(語彙力)
乙です
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