【ミリマス】電話越しのシガレット

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39 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:28:24.48 ID:F8D/mY4l0


レッスンしてくれるはずだったこのみねぇさんや歌織ちゃん達から、続々と私を心配するメッセージを受信する。


そんなみんなの心遣いが、プスプスと胸に刺さる。



「……みんなに、迷惑掛けちゃってる。私、23歳児だ…」



考えることは、どうしたって、昨日のこと。
彼の、吸いかけのタバコを口に運ぼうとした理由。


少しの理性と、葛藤はあったハズ。
でも自分でも驚くくらい自然に、ソレを唇に近づけていた。


「彼、すごく怒ってた、な…」




パフッとベッドの枕に顔を埋めて、手の中のケータイを見る。

40 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:29:11.91 ID:F8D/mY4l0


こんな状況なのに。
彼からのメッセージ、待っちゃってる自分。


心配するメッセージでも、怒りをぶつけるメッセージでも、なんだって、構わない。
今、彼が私のことを、どう思ってるのか。
それだけが気になって。



当然、待っていたって、彼からの着信はない。
でも私は、今だってケータイを手放せないでいる。



たぶん。


いや、間違いなく。


バカ、なんだろうな。




あんなに怒らせたのに。
着信なんて、来るわけないのに。
私、嫌われちゃったかな。
きっと、センター公演も、降板かな……。

41 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:29:48.56 ID:F8D/mY4l0

そのまま、瞼を閉じて。
枕へ、意識が落ちていく、寸前。




手の中のケータイが、震える。
パチリ、覚醒する。


少しの期待を込めて。
私は、通知画面を確認する―――!








『はぁい!残念美人ちゃん!チケット、用意できた?』



42 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:30:40.40 ID:F8D/mY4l0




「そりゃ、アンタが悪いわ!あはは!!」


夕方、バタ子が缶ビールとおつまみを持って私のアパートに来てくれた。
宅飲み反省会だー!って笑って。


今は、事情を洗いざらい話して、手を叩いて笑われてる。


「笑わないでよー。こっちは結構、切実!」

私は机に顔を伏せて、手に持った空き缶を振る。



「ごめんごめん。
でもね、これはまだ平謝りで済む問題。
明日、一番に事務所に顔だして、いの一番に彼に謝ること。
今は苦しいかもだけど、それが大人の対応。オーケー?」



そう話すバタ子。
話を聞いてもらって、ずいぶんスッキリした気がする。
そうよね。やってしまったことは、仕方ないし。


でも…


43 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:31:37.51 ID:F8D/mY4l0



「明日、気まずいな。プロデューサーくんに会うの。まだ、怒ってたらどうしよ?」

「……んー、どうだろ。話聞いた感じ、怒ってるというより、アンタのことを…」



言葉を切って、顎に手を当てて少し考えるようにする。



「ねぇ。彼、優しい?」

「え?なによ、いきなり。プロデューサーくんが?」

「うん」

「……全っっっ然!
いつもメール、返してくれないし。
初センターの時、言いたいだけ言って放って置かれるし!
私の胸ばっかり見て、お化粧の変化とか全然気づいてくれないし!」



なんか、話してたら腹が立ってきた!
なによ。あのすかんぴん!
タバコなんかで、あんなに怒ることないじゃない!


私はあたりめを一掴みして、カジカジ齧る。
44 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:32:14.63 ID:F8D/mY4l0


それをニコニコ見ていたバタ子。



「でも、好きなんだ?」

「……きらいよ。あんなやつ」


私の言葉を無視して、バタ子は詰める。


「好きなら、いえばいいじゃない。好きだって」


「……言えないわよ。
私はアイドルで、彼はプロデューサー。
困らせたくないもん。
そんなこと、言えるわけ、ないじゃない…」


言う勇気だって、権利だって今の私には。
と、出かかった言葉を飲み込む。


「……はぁー、私よりよっぽど青春だ」


呆れたように机に突っ伏した私を見下ろして言う。
いつぞやと、逆。


45 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:32:59.76 ID:F8D/mY4l0

「ムムー!
アンタはどうなのよ。私のライブで先輩といい仲になるつもりなんでしょ?
恋のキューピットなんて私、ガラじゃないんですけど?」


私は悔し紛れにそう言う。
バタ子は少し目線を伏せて、一瞬間をおいたあとニカッと笑う。


「まぁ、ね!アンタの歌声に全部かかってるんだから、もう馬鹿なことして喉潰さないでよ?」

「言われなくても、もうタバコなんてこりごりよ!」

私はグビっとビールを飲み干す。
そんな私を、微笑ましく見るバタ子。

「でもこれ、噂の彼のタバコの空き箱でしょ?」

後ろに隠していたものを取り出す。
化粧台の隅に置いておいた、潰れたタバコの箱。
どうやらお手洗いの後、目ざとく見つけられてしまったようだ。



「うん。どんな銘柄なのか、覚えておきたくって」


それも今は、あんまり見たくないケド…。
46 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:34:32.14 ID:F8D/mY4l0



「こんなクシャクシャの箱、大事にとっておいちゃって。健気ねぇ。
うわー、あっまいの吸ってるわねぇ!」


バタ子はクシャクシャの空き箱を手で弄び始める。
それを見て、私はふと気がつく。



「そういえば、今日はタバコ吸わないの?」

バタ子は、一瞬間をおいて、口を開く。


「ん〜。今日はパス、かな」

「別に気にしなくていいのに。ベランダで吸ってくれば?」



「ううん。今日はなんか気分じゃないし!
それに、また莉緒殿が吸いたくなったら困りますからな!」


「まぁ!もう、知らないから!」



って私は怒ったフリをする。
そんな顔は、5秒と持たずに。
ふたりでプッと吹き出してしまうのだった。


47 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:35:19.61 ID:F8D/mY4l0



バタ子は深酒にならないようにって、早めに帰っていった。
美味しいお酒を飲んで、ぐっすり眠った。
朝、かなり早く起きて。
メイクだって、いつもより気合入れてきたし。
自分なりのゲン担ぎをして、家を出てきた。



朝の劇場。
他の人間は、誰もいない時間。
1人……プロデューサーくんを除いて。



プロデューサーくんが劇場に一番に来て、鍵開けをすることになっている。
彼と、二人きりになるチャンス。


劇場裏口の施錠は解かれていた。
彼がいる証拠。


ゆっくり、廊下を歩いて。
劇場事務所へ、恐る恐る、顔を出す。




「おはよう……ございます」


48 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:36:10.52 ID:F8D/mY4l0





ーーーーいた。





そして、目が合った。
ここ数日、振り回されてる張本人。
プロデューサーくん。

イスに座って、コーヒーを飲みながら、パソコンを眺めていたみたい。


私の顔を見て、驚いたような顔をして。
手に持ったコーヒーカップを置いて、席を立って私を見る。
でも、勢いよく置いたからかカップからコーヒーが少しこぼれて、手にかかってしまったみたい。


「うっ。 お、おはよう莉緒!」


そう苦笑いを浮かべながらハンカチで手を拭く。


「う、うん。おはよ。手伝う?」

「ああ。大丈夫。朝から締まらないな、あはは…!」



プロデューサーくんがこぼれたコーヒーを拭き取り終わると、私達二人、立ちつくしたままで。
部屋には静寂が訪れる。

49 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:36:53.45 ID:F8D/mY4l0



「昨日、自主レッスン。休んだんだってな」

「……うん」

「お、俺もさ。ロケの引率でさ。夜知ったんだ。連絡しないで、悪かった」

「そっか…お疲れ、さま」

「うん…」




そしてまた、静寂。
歯切れの悪い、会話。




このままじゃ、ダメ。
言わなきゃ。
私は大人。オトナ。
ケジメくらい、自分でつけなきゃ!

50 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:37:50.07 ID:F8D/mY4l0




「あのさ!」「あのね!」




重なる言葉。
タイミング、ぴったり。
また、気まずい、静寂。






そうすると、
プロデューサーくんが、わざとらしく咳払いをして、話し出す。




「ん。えと。この前の、居酒屋のことだけど、さ」



51 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:38:42.82 ID:F8D/mY4l0




キタ。
まさか、彼から振ってくるなんて。


昨日から、気にしてた話題。
できるなら、避けたい話題。
でも、向き合わないといけない話題。





顔をそむけたい気持ちを堪えて。
真正面から受け止めよう。
私は彼の顔を見据えて、言葉を待つ。



52 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:39:59.88 ID:F8D/mY4l0


「……すまなかった!
莉緒の話もロクに聞かないで、大きな声を出して、すまなかった!」



深々と、頭を下げる、プロデューサーくん。


……え、なんで?
なんでプロデューサーくんが謝るの?
悪いのは、私なのに?



予想外の言葉に、頭に疑問符だけが積み重なる。




「莉緒は、もう大人だ。
吸うか吸わないかは莉緒が決めることで、俺が口を出していい立場じゃなかった」



「で、でも言ってたじゃない。アイドルとタバコは、ご法度だって!
それを破るようなことしたの、私…」

53 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:40:31.06 ID:F8D/mY4l0



「確かに、そうだ。
でも、話も聞かずに、頭から否定するなんて、プロデューサーとして失格だった。本当に、すまなかった」

「プロデューサー、くん……」



そして、頭を上げて、続ける。


「よかったら、もう一度話をさせてくれないか?今度は、ちゃんと受け止めるから」



そうまっすぐ私を見つめる。
彼が、ここまで私に向き合ってくれている。
次は、私の番だ。

54 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:41:06.44 ID:F8D/mY4l0



「もう、いいの」

「もういいって、どういう……?」


彼は私の言葉の意味を探るように尋ねる。


「私、もうタバコなんて、吸いたいなんて思ってないから!」


「そう……なのか?なら、なんで?」




そう。
なぜ彼のタバコを口に運ぼうとしたのか。
昨日、グルグル考えていたけど。結局コレ、といった回答は、分からなくて。



55 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:42:29.96 ID:F8D/mY4l0


「たぶん君が、いつも美味しそうに吸ってたから、かな。
お酒も入ってたし、きっと魔が差しちゃったんだろうな。自分でも、びっくり。
私の方こそ馬鹿なことしちゃって、ごめんなさい!」



私は、頭を下げる。
彼は、慌てて声をあげる。



「あ、頭を上げてくれ!
アイドルに頭を下げさせるなんて、それこそプロデューサー失格だ!
そういうことなら、元はと言えば、俺が吸ってるところ見られちゃったのが悪いんだ!」


私が顔を上げると、彼と目が合う。




「……莉緒。なら、もう大丈夫か?」


そう、確認するように、優しく尋ねる。
あのとき、私からタバコを奪い取った時の目じゃない。
私達のことをいつも後ろから、見守ってくれる。
優しい目。

56 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:43:13.36 ID:F8D/mY4l0

私は改めて、彼と向き合う。



「……ねぇ。プロデューサーくん。私からもお願い。
こんなことがあったけど。
改めてセンター公演、私にやらせてほしいの。
あんなことの後で、信用なんかないかもしれないけど。
それでも、信じてほしいの。
今なら、私、やりきれる気がするから!」



お互いの目線が、正面から重なって。
一瞬の静寂のあと。
ふっと口元を緩めて、彼は話す。



「お願いも何も、はじめから莉緒以外のセンターなんか、考えてないよ」

「っ!じゃあ、いいのね?」


「ああ。今更逃げようったって、そうは行かないからな!」

彼も真面目な顔を崩して、そう応えてくれる。



……ありがとう。
私はそうボソッと呟いて。

57 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:43:54.18 ID:F8D/mY4l0


「なら、今日からガンガンレッスンして最高のステージにしてみせるから!
一瞬でも私から目を離したらダメよ?プロデューサーくん!」


私は、声を張り上げて。
ウィンクなんかして、応える。


「ああ!俺も楽しみにしてるぞ、莉緒!」




彼と、私しかいない朝の事務所で。
ふたりで、笑い合うのだった。


58 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:45:20.99 ID:F8D/mY4l0




ライブ当日。
開演前、数十分前。
私はライブ衣装を身にまとって、準備万端。
控室から抜け出して、劇場の袖から恐る恐る、客席を伺う。



「心配しなくたって、満員御礼だよ」

「……わっ!プロデューサーくん!」

後ろから急に声をかけられて、ビクッとしてしまう。
彼は、腕組みして私の様子を見ていたみたい。
それに気が付かないくらいには、私は浮足立っているのか。



「し、心配なんか、してないわ!
今日は、誰が主役だと思ってるのかしら?」

わたしは、精いっぱい、強がってみせる。

「はは!そうだな。今日まで、よく頑張ってたな」



そう、笑顔を見せるプロデューサーくん。
その笑顔とは裏腹に、私はまだ不安で。


59 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:46:02.76 ID:F8D/mY4l0


「……ほんと?髪の先から爪の先まで、キレイになるようにしてたんだけど。変なところ、ない?」

私は、クルッと回ってみせる。
プロデューサーくんは、まじまじと全身を見て。

「……うん。変なところはないかな?」

「声も。変じゃない?大丈夫かな?」

「大丈夫だよ。なんだ、莉緒。さっきの強がりはどうしたんだ?」

「だって、今日、あの娘がきてるんだもん」

「友達の、あの娘か」



さっき、ケータイでもう来てるってメッセージがあった。
あの娘……バタ子に見られている。それも好きな人と一緒に。


失敗、出来ない。
そう思うと本番直前なのに、新人アイドルみたいに、いても立ってもいられなくって、やり残したことがないかを探してしまう。

60 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:47:29.93 ID:F8D/mY4l0




「やっぱり、メイクが気になるから、私ちょっと行ってーーー」



「なぁ、莉緒」

そわそわしている私を見据えて、
プロデューサーくんが、私の名前をハッキリと呼ぶ。




「タバコの、話なんだけど」



61 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:48:20.27 ID:F8D/mY4l0


体が強ばる。
お互い、あれから避けるようにしていた話題。
もう、忘れたと思ってた、あのこと。
なんで、今?




「あれからさ、考えたんだよ。
もしも、莉緒がまたタバコを吸いたいって言ってきたら、その時、俺はどうするだろうって」



「……」



私は、黙って彼の言葉を待つ。
彼は絞り出すように、言葉を紡ぐ。
62 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:49:41.82 ID:F8D/mY4l0



「俺は、やっぱり莉緒を止めると思うんだ」

「プロデューサーくん…」



「俺はさ」



彼は、顔を真っ赤に染めて。
でも私を見つめて。まっすぐ、言葉をくれる。


「莉緒の歌声が、好きなんだ。
伸びやかな声で、切ない恋の曲を歌い上げる、ステージを包む空気感も。全部。

もしもそれが、タバコなんかで傷つくことを想像しただけで、ゾッとする。

莉緒の歳なら、たしかに喫煙は自由だ。
でも、また莉緒がタバコを吸おうとしたら、俺は同じように止めると思う」



そこで一度咳払いをして、続ける。



「それで……た、たとえ嫌われたって、構わないと思ってる。
俺が嫌われるくらいで莉緒の声が守れるのなら、安いもんだ。
その覚悟はあるつもりだ」



言い終えたあと、彼は、黙りこくる。
私の言葉を待つように。


63 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:51:04.23 ID:F8D/mY4l0



彼の言葉を聞いて。
咀嚼して。
飲み込んで。



絞り出した一言。




「……バカ」

「なんでだよ」

「なんでも!ホント、バカ!バカバカー!」





それを聞いて、
嫌いになる方が難しいって分からないかな!




むしろ、その逆で―――


64 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:51:54.69 ID:F8D/mY4l0



顔が、熱くなる。
私の声、好きだって言ってくれたことが、嬉しくて。
大切にしてるって不器用に伝えてくれた、
彼の心遣いが、暖かくて、恥ずかしくてむず痒くて。
そしてたまらなく、愛おしくて。




色んな感情がない混ぜになっていく。




――――私、いま絶対変な顔になってる!




65 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:52:39.80 ID:F8D/mY4l0



顔を見られないように。
うつむいて、彼の胸に、おでこを当てる。


「お、おい」

「……ありがと。プロデューサーくん。うれしい。
でも、本番前に言ったの、ゆるさないから」


「ちょっとは自信、ついたか?」

「……バカ」



おでこ、グリグリ。
胸に擦り付ける。
ちょっとでも、しかえし。



彼のスーツからする、ほのかな香り。
彼のタバコの香り。
彼の香り。


66 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:57:14.40 ID:F8D/mY4l0



すると。
後ろからバックダンサーをしてくれる劇場の娘たちのにぎやかな声が近づいてくる。





パッと、離れて。
顔を、見られないように。
クルッと、彼に背を向ける。




押し付けた前髪を、手早く整えて。
手、後ろに組んで。
後ろの彼へ、伝える。




「プロデューサーくん。聞いていてね。私の歌!」





チラリと見えた、リンゴみたいに真っ赤な、惚けた顔を胸に刻んで。
私は、劇場の娘たちのところへ駆ける。



67 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:57:49.03 ID:F8D/mY4l0



バタ子だって。
お客さんだって。
劇場の娘たちだって。
今日ここにいる皆、全員。
私の歌の、トリコにしてみせるから。





あなたが、好きだって言ってくれた歌声で。
あなたが、守ってくれた歌声で。






劇場ぜんぶ、満たしてくるから!




68 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:58:33.28 ID:F8D/mY4l0





「えぇ!先輩が大阪へ出向になった!?」


ライブが終わってから、数週間後。
チケットのお礼がしたいから、と私はバタ子に呼び出されてあの焼鳥屋で肩を並べてお酒を飲んでいたとき。


あ、そうだ。と軽い口調で切り出された。


「だ、だって、私のライブで先輩と急接近するって…!」

「あはは!そんなこと言ったっけなー?」

69 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 01:59:31.53 ID:F8D/mY4l0

なんでも、担当している雑誌の姉妹誌を創刊するそうで、
その編集部を大阪支社に設けることになり、先輩はその編集長に抜擢されたようで。



バタ子は、結露だらけのグラスのビールを、ぐびっと飲み干す。



「……先輩、だいぶ前に話があったらしいんだけど。
私が通した企画をやり抜くのを見届けるまで、返事を先延ばししてくれてたんだって」


無事に企画をやり遂げたバタ子は、
晴れてお墨付きを貰い、先輩の担当していた本誌のコーナーを引き継ぐことになったそう。

70 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:00:05.77 ID:F8D/mY4l0

私は話を聞いて、聞かざるを得ない。


「彼の事、止めなかったの?」

「私はただの研修中のアシスタントだし!それに―――」

バタ子は頬杖をついて、串でお皿に残ったきゅうりの漬物をつんつんとつつきながら、こぼす。


「……彼と1年間、ずっと一緒だったからさ。あんな嬉しそうな顔見て、言えないよ」


そう言ったあと、にへら、と笑うバタ子の顔は、以前より少しやつれたように見えて。



「じゃあ私のライブに誘ったときは?」

「うん。全部分かってた。分かった上で、誘ったの」

71 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:00:46.58 ID:F8D/mY4l0


バタ子は整理するような間をおいて、ゆっくりと口を開く。


「……多分いい思い出にはならないんだろうなって分かってたけど。
でも、もうどうにでもなれーーっ!って思い切って誘ったんだ。

なんにもしないで失恋するのが、なんかヤだったんだ。
しっかり苦しんで、もがいて、ジタバタしておかないと、それこそ絶対後悔するって思ったんだ」



結局、ライブのあと、先輩とはホントになーーんにもなかったけど!と笑う。


72 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:02:11.59 ID:F8D/mY4l0

話し終わってから。
彼女は胸ポケットから四角い箱を取りだす。
一本引き抜いて、それにライターで火をつける。


ルージュの唇に、ソレを咥えて。
薄い胸をゆっくりと膨らませて、口から煙を吐き出す。
長くなった灰を灰皿へポトリ、と落として。



バタ子は口を開く。



「ライブ、よかったよ。莉緒」



短くて。そっけないけれど。
この子なりの、これ以上ない称賛の言葉。



「そう。よかった」


私も同じように、そっけなく応える。
自身の表情を隠すように、彼女は煙を吐き出す。

73 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:03:25.25 ID:F8D/mY4l0

それからお互い無言で。
バタ子が一本目最後の煙を吐き終わって、
灰皿にジュッと押し付けるのを見届けてから、私は尋ねる。



「タバコ、銘柄変えたんだ」



煙の香りが違ったことは、すぐに気がついた。
バタ子は、2本目のタバコをつまみ上げて、フリフリ振ったり、転がしたりして弄ぶ。



「私、これからは仕事の鬼になるから!
昔の男なんか、とっとと忘れて、戦士バタ子は強く生きてくんだから!」


「なによ、昔の男って。告白もできなかったくせに!」


「ははっ。それも、そうね」




疲れた目を細めて。
まだ吸い慣れていないであろう銘柄のソレに、
彼女はゆっくりと、
火を灯した。


74 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:05:01.61 ID:F8D/mY4l0




『……こんなところだな。なにか質問はあるか?莉緒』

「うん。大丈夫!わざわざ連絡ありがとね。プロデューサーくん」



夜の21時頃。
自宅で過ごしていたときで、突然彼から連絡が来た。
明日の私の撮影の仕事の時間変更の話だった。



『先方から急に連絡が来てな。すぐに伝えた方がいいと思って。夜にすまなかった』


「別に寂しくなったら、いつでもおねぇさんに電話してくれていいんだぞ〜?」


『はは……気持ちだけ受け取っておくよ』



彼は冗談めかして言う。
確かに半分は、冗談だけれど。

75 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:05:58.30 ID:F8D/mY4l0


「……ねぇ、そっちはどう?」

『ああ。撮影の方も順調だ。今は自分の部屋でのんびりしてるよ。そっちは変わりはないか?』

「うん。仕事も順調よ。ただ」

『なにかあったか?』


「ううん。そうじゃないけど。
なんか最近、顔見れてないなーって」


『ーーーああ。そういえば、そうだな』


「……うん。同じ事務所にいたはずなのに。不思議ね」


今、彼は地方での撮影の引率で東京を離れている。
それでなくとも、ここのところお互い仕事だレッスンがと、タイミングが噛み合わなくて、顔を合わせる機会がなかった。
それも1週間?いや、もっとかもしれない。

76 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:06:47.80 ID:F8D/mY4l0

こうして彼と話しながら、手持ち沙汰になった手で、彼のくしゃくしゃのタバコの箱を弄んでいた。
気まぐれに潰れた箱を元の形に戻していると、タバコの葉がパラパラと落ちてくる。
中を見ると、数本タバコが入っているようだった。




ちょっと待ってて、と彼に伝えて、席を立つ。




キッチンで、小皿の上に箱の中身を出すと、数本タバコが残っていたようで、細かい葉が出てきた。
2本はもう葉巻が破れていたけど。1本だけは歪に曲がっているが、葉は出ておらず形を保っていた。

77 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:07:26.82 ID:F8D/mY4l0



ーーーしけってるって言ってたけど。




半ば祈るようにひしゃげたタバコの先端に、ガスコンロで、火を付ける。
すると、先端からゆるく煙が立ち込め始める。


私はそれをお皿に乗せてベランダに移動して、電話を取る。



「……ゴメン。おまたせ」

『おう。明日の撮影資料を読んでた』

「うん。私もちょっと、ね」



そう言いながら、脇のベランダの縁においたタバコを見る。
立ち上る煙の行く先を目で追うと、キレイな満月が、そこにあった。

78 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:08:05.17 ID:F8D/mY4l0

「……ねぇ。今日の仕事の話、聞かせて?」


『え?仕事の話?』

「うん。なんでもいいの。
今日、ご飯を何食べたとか。誰かがどうした、とか。なんでも」

『うーん、わかった。
えっと、今日は群馬に来ていてな、志保の撮影がーーー』




彼の話に、私はうん、うん、と相槌をうちながら聞く。
……いや、聞くフリをしていた。


内容はどうでも良かった。
ただ彼の声が聞きたかった。それだけ。




電話の声を聞きながら。
私は目を閉じて、脇で立ち上る煙の匂いを愉しむ。
タバコをお香みたいに使ってる人なんて、たぶん私くらいだろう。

79 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:08:40.94 ID:F8D/mY4l0

思えば、この香りには、たくさん悩まされたな。



匂いを嗅いでいると、思い出す。
もう何日も会っていないはずの、あの顔を。
それも、鮮明に。



劇場裏で、タバコを咥えていた顔。
屋上で目を細めて、タバコを吸う横顔。
喫煙室で談笑する顔。
灰皿にタバコを押し付ける顔。
朝の事務所での、笑った顔。
ライブ前の、赤くなった顔。




瞼の裏で、彼の顔が、いくつも浮かんでは消えていく。

80 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:09:17.94 ID:F8D/mY4l0

ふと、思い出す。
バタ子が、言ってた、ナゾナゾ。





なぜ、好きな人と同じ銘柄のタバコを吸うのかーーー




ずっと分からなかった、その答え。
きっと、『今』が答え。




ーーー離れていても、匂いで、彼を感じられるから。



81 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:09:54.26 ID:F8D/mY4l0



手元の煙の元を見る。
灰が、どんどん長くなっていく。
終わりゆくソレを見ているうちに、
自然と口が動いてしまう。





「ねぇ、プロデューサーくん」


『ーーーん、どうした?』


82 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:10:41.18 ID:F8D/mY4l0




「会いたいな。君に」


そう、短く伝える。
それが今の私の思ってることの、全部だった。


『ああ。俺もだ』



そっけなくて。
短くて。
私でないと、聞き逃しちゃいそうな、答え。


でも、それが今、
一番欲しい答えだったから。
私は、なんだか泣きそうになってしまう。





「うん…。
 明日、劇場で、待ってるから!」




83 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:11:32.65 ID:F8D/mY4l0




やっぱり、私は、
匂いだけで満足なんて、とてもできない。


会いたいよ。今すぐ。
会えたら、君の匂いも、君の声も、君の笑顔も、全部手に入るのに。




私、全然辛抱強くなんて、ないけど。
それでも私、待ってるから。
君の帰り。


他の誰でもない、
カッコ良くて、可愛い、君だから!



84 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:12:44.88 ID:F8D/mY4l0


―――――― お互いおやすみ、と言いあって、通話を終える。




脇に置いた小皿のタバコは、まるで役割を終えるように、
最期の煙を上げて、全て灰になり、燃え尽きる。




煙の軌跡を目で追いかける。
月に向かって立ち上る煙のカタチは、
なんとなく君の顔に見えたから。




目尻に溜まった涙を拭って、それに投げかける。





「好きよ、プロデューサーくん」






そんなつぶやきは、
煙と一緒に、静かに、消えてなくなった。







85 :伊丹 [sage]:2020/11/21(土) 02:16:54.43 ID:F8D/mY4l0
以上です。お目汚しを失礼しました。


アイドルと喫煙って、タブーですよね。
だからこそ、一本、書いてみました。


煙草と酒と炭火臭い一本になりました。
莉緒ちゃんの誕生日に投稿できて、よかったです。



皆様のお暇つぶしになれれば、幸いです。




また、わたしの過去作です。
掲示板に貼ったものを加筆・修正しております。お暇があれば、ぜひ。

https://www.pixiv.net/users/4208213
86 : ◆NdBxVzEDf6 [sage saga]:2020/11/21(土) 02:19:58.92 ID:aqBP14m00
最後の雰囲気いいですなぁ
乙です

百瀬莉緒(23) Da/Fa
http://i.imgur.com/SbTMRR0.png
http://i.imgur.com/m5rlZUJ.jpg
http://i.imgur.com/Bs3RzIe.png
87 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2020/11/21(土) 08:39:48.31 ID:KuAgJAMDO


煙草か……肺をやっちゃったから、育桃が煙草を吸える年齢まで生きていられるかな
88 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2020/11/22(日) 16:50:50.01 ID:j4+KPWs/0
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