【咲-Saki-】京太郎「たのしい宮永一家」【微安価】

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263 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:03:33.76 ID:rlDX+EL/0


【のどっちと学ぶ『発達段階』・『アイデンティティ』】

264 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:04:24.10 ID:rlDX+EL/0
和「エリック・H・エリクソンは20世紀の中盤から後半にかけてアメリカで活躍した心理学者です」

和「主に発達心理学の分野で大きな功績を残しました」

咲「発達心理学って?」

和「心理学の中でも、人が年を取るごとにどう発達していくのかを研究する分野のことですよ」

和「エリクソンは人間が生まれてから死ぬまでの生涯を八つの『発達期間』に区分しました」


エリクソンによる心理社会的発達段階の分類

1. 乳児期(0〜2歳)
2. 幼児期(2〜4歳)
3. 児童期(4〜5歳)
4. 学童期(5〜12歳)
5. 青年期(13〜19歳)
6. 初期成人期(20〜39歳)
7. 成人期(40〜64歳)
8. 老年期(65歳〜)

※それぞれの期間や呼称については文献により揺れがあるので注意すること。


和「こんな感じですね」

和「もちろん年齢については一人ひとり個人差があるでしょうが、大まかにこのように分けられると考えてください」

咲「この一覧で言えば私たちは青年期で、お父さんたちは成年期に入ることになるね」

優希「ふーん......でも、そもそも『発達段階』ってなんなんだ?」
265 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:05:03.03 ID:rlDX+EL/0
I:発達段階と発達課題


和「根底にあるのは『人間は心理的な疑問や課題を解決しながら成長していく』という考え方です」

和「乳児期を例に見てみましょうか」


乳児期と発達課題

年齢:0〜2歳
要素:希望
課題:基本的信頼
失敗:不信


咲「基本的信頼?」

和「生まれたばかりの乳児は自分では何も出来ませんし、何より自分と他人の境界すら曖昧なこともあります」

和「自分とそれ以外―――具体的には母親ですね―――が別の人間であるということをこの時期にようやく認識するんです」

和「その過程で自分や他人を信頼することの価値を学ぶのが、この乳児期における心理的な課題ということになります」

咲「へぇ......赤ちゃんなのにそんな難しいこと出来るのかな」

和「あくまで『基本的』ですから。自分は何とか生きていけそうだというレベルの信頼感が得られればいいんでしょう」

和「例えばお母さんのお乳を飲むとか」バイーン

咲「......」スカッ

優希「......」スカッ
266 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:07:41.77 ID:rlDX+EL/0
和「エリクソンはこうした課題―――発達課題が人生の各区間に存在すると指摘しました」

和「これが発達段階です」

優希「へー。言葉だけ聞くと難しそうだけど、内容は思ったよりフツーの話だ」

咲「和ちゃん、この『不信』っていうのは何?」

和「発達課題をクリア出来なかったとき、このような状態に陥ってしまう可能性があるんです」

和「こうして無事成長した私たちでも赤の他人を信じるというのは難しいことですから」

和「赤ちゃんの頃にお母さんの愛情に触れられなかった人が、人間不信になってしまっても無理はありません」

咲「なるほど」

和「ここで勘違いしてはいけないのは、必ずしも全て上手くいくことが良いわけではないということです」

和「最終的には全体として成功する必要がありますが、やはりそれなりの失敗も経験しないと正常な成長には繋がらない」

和「......と、一般には言われているようですね」
267 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:08:45.76 ID:rlDX+EL/0
和「もう一つ例を出してみましょうか」


老年期の発達課題
年齢:65歳〜
要素:賢さ
課題:自我の統合
失敗:絶望・孤立


和「ある種人生の振り返りのようなものですね」

和「人類や世界という大きな括りの中で『自分はこれでよかったのか?』という問いに答えを出すことがこの段階での発達課題になります」

優希「なんか仰々しい感じだ」

和「この年齢ともなると、やり直したくても既に取り返しのつかない物事も多くなってしまうでしょうから」

咲「私たちも後悔のないように、だね」
268 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:09:34.94 ID:rlDX+EL/0
II:青年期とアイデンティティ


和「次に青年期の発達課題について確認しましょう」

和「いわゆるティーンエイジャー、日本の感覚に当てはめなおせば中学校入学から高校卒業くらいの年齢になります」


青年期の発達課題
年齢:13〜19歳
要素:忠誠心
課題:アイデンティティの確立
失敗:アイデンティティの拡散・混乱等


和「この通り、青年期においては『アイデンティティ』がキーワードになっています」

優希「アイデンティティ......?」

和「日本語で言えば自己同一性ですね。辞書で引いてみましょうか」
269 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:10:04.35 ID:rlDX+EL/0
アイデンティティ【identity】

1 自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性。
2 本人にまちがいないこと。また、身分証明。

― 小学館「デジタル大辞林」より。ただし一部表記ゆれを訂正した。
270 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:10:38.94 ID:rlDX+EL/0
和「心理学においては自分がどういう存在かを認識している状況という意味合いで使われます」

和『私は何者なのか。何者であることができるのか』

和「それが青年期の―――つまり、今の私たちが達成しなければならない発達課題なんです」

優希「私は私じゃないのか?」キョトン

和「そういう漠然としたものだけではなくて、ある程度は具体性のある認識も必要ですよ」

和「どういう職業に就くのか?政治的にどういう主義主張を持っているのか?」

和「学問、文化、性別、宗教......そういった社会の中での自分の立ち位置を確立することが求められます」

和「これが『アイデンティティの確立』です」

咲「なんだか凄く難しそうだね......」

和「エリクソンはこの段階を一つのターニングポイントと見なしていました。実際難しい話なのでしょう」

和「元々アイデンティティ自体はこれまでの児童期や学童期段階でも形成されていますが、それらとは全くもって異質ですから」

和「『これまで育ってきた自分』と『社会から必要とされる自分』を摺り合わせなければならないのが青年期の特徴と言えます」
271 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:11:08.73 ID:rlDX+EL/0
III:アイデンティティの確立の失敗


和「アイデンティティの確立を脅かすような状況のことを『アイデンティティ危機』と呼んでいます」

和「しかしそれを乗り越えられなかったり、あるいは未だ経験していないような場合に陥ってしまうと......」
272 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:11:59.79 ID:rlDX+EL/0
・アイデンティティ拡散
全ての可能性を残そうとして選択が出来ず、延々と自分探しを続ける

マホ「和先輩みたいになりたいのです!でも咲先輩もカッコいいし、優希先輩だって凄いし」

マホ「そもそも本当のマホってなんなんでしょうか」グスッ



・患者アイデンティティ
何らかの病人であることに自分の属性を見出す

怜「私は病弱やし、別に勉強とかどうでもええよなー」グデー



・否定的アイデンティティ
非行や反社会的行為に走る

京太郎「どーせ俺なんて練習したって全然上手くならねえし」メソメソ

京太郎「......イカサマしちゃうか」
273 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:12:27.85 ID:rlDX+EL/0
和「他にも様々なパターンが知られていますが、分かりやすいのはこういうものでしょうか」

咲「ま、マホちゃんはもっと明るくていい子だよ!京ちゃんだってそんなことしないもん!」バタバタ

和「落ち着いてください咲さん!マホと須賀くんはモノの例えですから!」ガシッ

優希「でも、ちょっと前に京太郎がツバメ返しの練習してるの見たじぇ」

咲「!?」

和「.........続けてもいいですか?」

咲「......うん」ワナワナ

優希(すまん京太郎、南無三)

和「えー、とにかくですね」

和「青年期は特に大切な時期で、アイデンティティの確立はその後の人生を健全に送るのに大きく影響する」

和「だから子供や青年に対しては社会がサポートしなくてはいけないんですよ」

優希「なるほど......現代日本にはそれがないなんて残念だじょ」

和「ありますよ?」

優希「えっ?」

和「というか今は私も咲さんも、ゆーきだって受けてるじゃないですか」

優希「......?」

咲「ひょっとして、それって学校のこと?」

和「正解です」
274 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:13:02.77 ID:rlDX+EL/0
IV:アイデンティティの確立と心理社会的モラトリアム


優希「どういうことだ?学校って勉強を教えてもらうところじゃないのか?」

優希「数学とか数学とか、あと数学とか」

咲「優希ちゃん、本当に数学嫌いなんだね......」

和「確かに学校の一番の目的は学問や技術の伝授ですけど、それ以外にも様々な役割があるんです」

優希「その割には先生からそんな話された覚えは全然ないじょ」

和「アイデンティティの確立をする主体はあくまで生徒の側ですからね。むしろ学校の目的は『何もしないこと』とも言えます」

和「二人とも、染谷先輩の家以外のお店で働いたことはありますか?」

優希「私はないな」

咲「私は一年生の頃に一回だけコンビニでバイトしてみたんだけど―――」
275 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:13:37.98 ID:rlDX+EL/0
【回想】


咲「おかしいな、これどうすればいいんだろう......」ピピピ

客「馬鹿野郎!レジもまともに使えねえのか!」

客「どんだけ待たせるつもりじゃコラ!」

咲「すみません!あれ......?」ガチャガチャ


咲「ゴミ出し行ってきま―――きゃあっ!」ドサッ

咲「いたたた......あ、袋が......」

店長「......ゴミ、ちゃんと全部集めといてね」


店員「宮永さん!これ発注したの宮永さん!?」

咲「えっ?そうですけど......」

店員「こんなに沢山発注してどうするのよ!そんなことも考えられないの!?」

咲「ご、ごめんなさい!私、どうすればいいのか分からなくて」

店員「なら確認しにきてよバカ!全く...」チッ

咲「.........ごめんなさい」


【回想おわり】
276 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:14:05.73 ID:rlDX+EL/0
咲「それですぐ辞めちゃったんだ......」グスッ

優希「よしよし、泣くな咲ちゃん......しかし、世の中酷いこと言う人もいるもんだなー」

優希(鈍臭すぎるような気もするけど)

和「その話は災難でしたが、実際世の中にはそういう人が沢山います」

和「例え表面上は敵対していなくとも、水面下で攻撃をしてくるような人間すらいるでしょう」

和「こんな状況に子供が居てはアイデンティティの確立に支障を来すこと請け合いでしょうね」

優希「小学校出たばかりの子にコンビニバイトなんてさせたら絶対精神病んじゃうじょ」

和「だから一人前になるまでの青年には保護された環境が必要なんです」

咲「なるほど、それが学校なんだね」

和「その期間生徒や学生という身分を与えたりすることで、青年に対しアイデンティティを確立するまで社会へ出るのを猶予する」

和「これを『心理社会的モラトリアム』といいます」
277 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:15:10.41 ID:rlDX+EL/0
<まとめ>


・エリクソンは人生を八つの『発達段階』に区分し、それぞれで達成すべき『発達課題』の存在を提唱した。
・青年期においては、自分は何者なのかを認識する『アイデンティティの確立』が課題である。
・それを支援するために社会は青年に対して、社会人になるのを猶予する『心理社会的モラトリアム』を与える。
278 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:15:45.26 ID:rlDX+EL/0
和「さてと。その青年期の次にあたる初期成人期ですが―――」


ガチャッ


マホ「こんにちはー」

和「マホ、おはようございます」

マホ「暖房があったかくて嬉しいのです」

優希「ムロと一緒じゃないのか?」

咲「京ちゃんは!?」ゴッ

マホ「わわぁ!?」ビクッ

マホ「む、ムロ先輩はお手洗いに行きました」

マホ「京太郎先輩はいつも通り生徒会室に向かうのを見ましたけど......」

咲「.........仕方ないか。聞くのは後にしてあげる」

マホ(なんだか分からないけど咲先輩がすっごく怖いのです)

和「まだ話の途中だったんですが......とにかく、これで四人揃いましたね」

優希「やっと始められるじぇ!」
279 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:16:45.49 ID:rlDX+EL/0
和(こうして卓を囲めるのもあと数回ですね......)

和(私や須賀くんは進学するけれど、咲さんとゆーきは春にはプロ雀士になる)

和(そうなれば、もはや貴女たちを守るものは何もない)

咲「和ちゃんどうしたの?そんな険しい顔して」

和「いえ。何でもありません」

和「......さぁ、始めましょうか」


ツモ!リンシャンカイホー!

ギャー!



【のどっちと学ぶ『発達段階』・『アイデンティティ』】


  終
制作・著作
―――――
Ⓝ Ⓓ  Ⓚ
280 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:17:11.39 ID:rlDX+EL/0
参考文献
・「幼児期と社会」 エリクソン
・「アイデンティティの心理学」 鑪幹八郎
・「青年の心理」 遠藤由美
・他

>>1は専門家ではありません。
内容の正確さについては細心の注意を払っていますが、この文章によって生じた不都合について一切の責任は負いません。
281 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/21(日) 01:20:40.31 ID:rlDX+EL/0
以上です。
本筋から外れた話にはなりますが、本編に関係あったりなかったりする内容ですので宜しければご一読ください。

既にご存じの方はテキトーに読み飛ばしてください。
282 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/03/21(日) 17:24:02.92 ID:xNtGxY3X0
乙です
283 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/03/21(日) 21:42:16.67 ID:aRQEXXki0
乙です
誰かが"発達"に失敗したって事なのかな
284 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/03/24(水) 00:52:29.29 ID:YkvHrJzXo
乙ー
285 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:45:06.69 ID:7SyiISYv0
ちょっちお久しぶり&投下
286 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:45:42.45 ID:7SyiISYv0
【21歳 5月】


この頃には週末の夜にたむろして酒盛りに興ずることが私たち三人の恒例行事になっていた。
しかしその会場は概して大学近くの居酒屋であって、こうして彼の住処に来るのは今日が初めてだ。
当然モモと私の間には「男の部屋に上がり込んで大丈夫なのか」という疑念はあったものの、それもほんの一瞬だけ。
キョータローがそんな度胸を一ミリも持ち合わせていないことは十分承知のことだったからだ。


京太郎「淡、生きてるか?」

淡「............」

京太郎「おい、淡」

淡「..................あれ」

京太郎「眠いのか?」

淡「ううん、全然」

京太郎「嘘つけ」

京太郎「ったく......ほら、これ飲めよ」


――― 京太郎の部屋
287 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:46:27.85 ID:7SyiISYv0
手渡された麦茶を一口飲み干すごとに段々と意識が明瞭になっていく。
気がつくと私はモノの散乱した部屋の床に座り込み、座卓へもたれ掛かっていた。
お世辞にも広いとは言えない学生向けのアパート―――初めての風景、初めての空気、初めての匂い。

京太郎「モモ、起きろってば」ユサユサ

モモ「ここは私が......早く...先に..........行く、っすよ.........Zzz」

京太郎「まったく......一体何と戦ってんだか」

京太郎「こりゃそろそろお開きだな」

淡「えー?もうちょっと飲もうよ」

京太郎「さっきまで船漕いでたくせによく言うわ」

京太郎「それに、見ての通りモモは潰れちまったぜ?」

淡「別に私は二人でもいいけど」

京太郎「それは......何というか、俺が困るんだよ」

淡「なんで?」

京太郎「そのくらい察してくれ」

淡「......へぇ、キョータローったら案外ウブなんだね」

京太郎「小学100年生が生意気なこと言ってんじゃねーぞ」

口角を上げ、わざとからかうような口調でキョータローにそう問いかける。
.....らしくないことをしていた。そんなことはわかっちゃいるけども。
288 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:48:00.99 ID:7SyiISYv0
確かにキョータローは一見バカで助平なようだけどその実紳士的で、安易に手を出してくるような男ではない。
しかしこの時の私は、むしろ彼に度胸があった方が都合が良いとさえ思っていたのだ。
長らく麻雀漬けの青春を送ってきた私にとって、須賀京太郎は初めて触れた男性にも等しかった―――それが悲劇の始まり。
彼と積み重ねてきた二年間は私にある種の『思い込み』をさせていた。

京太郎「先輩に電話掛けてくる。テキトーにモモの荷物をまとめておいてくれ」

淡「はーい」

京太郎「あーもしもし、加治木先輩ですか?須賀です。ええ、はい......いやぁ、ホントにすいません」

京太郎「今帰ったところですか......ああ、それなら―――」

淡「............」

普段であれば吐くほどに酔っ払うにもかかわらず、今日は飲む量を相当抑えてある。結果的には少し寝てしまったが妥協点だろう。
先輩がもう三十分もしないうちに車で乗り付け、モモを乗せて彼女たちの住まいへと引き揚げていく。
そして玄関の扉が閉まった途端、この部屋は私たち二人だけの国へと様変わりするのだ。
......だからどうってわけでもないけど。今のところその先にまで進む決心はないが、如何にせよ事は悪くは運ばない筈だ。
289 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:50:23.27 ID:7SyiISYv0
京太郎「ふぅ......仕事終わりだろうに悪いことしたかな」

淡「大変だなー、ゆみ先輩」

京太郎「他人事みたいに言うけどなぁ。俺たちだってあっという間に先輩と同じ立場だぜ」

淡「私はどこかのチームに契約してもらうし大丈夫」

京太郎「麻雀プロにだって社会人らしい苦労は沢山あるだろうさ」

淡「キョータローこそどうするの?プロ目指すんでしょ」

京太郎「俺か?俺は.........」

京太郎「......さぁ、どうだろうな」

淡「あ............その......ごめんね」

なぜ、口から出す前にその浅はかさに気づけなかったのだろうか。
近年のプロ麻雀界は青田買いが激しい。高校卒業はおろか在学中―――下手をすれば中学卒業と同時に話を持ちかけ、自分たちのチームで囲い込む。
そんな中で大卒がプロになるには、相当の実力を持っていることをインカレで示さなければならないのだ。
今のキョータローは明らかにそのレベルには達していなかった。一昨年の東京予選敗退、そして去年の本戦一回戦負け......
高校時代を焼き増ししたような実績に、彼自身も焦燥感を持っていたに違いない。
290 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:51:39.38 ID:7SyiISYv0
モモが食い散らかしたつまみの皿と私が平らげた冷凍チャーハンの皿を片手で器用に持ち上げる。
キョータローはシンクへ向かうと、そのまま洗い物を始めてしまった。

京太郎「―――ま、なるようになるだろ!」

京太郎「プロになれれば万々歳。それがダメなら実業団、それがダメなら.........」

淡「雀荘に入り浸ってるおっさんとか?」

京太郎「ははっ、それも良いな」

京太郎「どうにせよ麻雀しながら生きていくさ。それは変わんねーから安心しろ」

淡「私はキョータローが将来どうなろうと知ったこっちゃないよ」

京太郎「相変わらず冷たいやつだなお前は」

淡「いーじゃん別に」

京太郎「第一みんな俺の扱いが雑すぎるんだよ!お前もモモも先輩達も、俺のことを何だと思ってんだ」

京太郎「お陰で後輩まで真似し始めるし......はぁ」

つい先程までの張り詰めた空気が嘘であるかのように、一瞬にして私たちの顔はほころんだ。
しかし果たしてキョータローが大して気にしていないのか、苛立ちを隠しているだけなのかは私には判別できなかった。
291 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:52:23.03 ID:7SyiISYv0
京太郎「淡、お前どうやって帰るつもりだ?加治木先輩に一緒に送ってもらうか」

淡「逆方面だし申し訳ないからいいや」

京太郎「不遜なお前に『申し訳ない』なんて考えがあるなんて、天変地異の前兆か何かかよ?」

淡「なにをー!?私だってそのくらい持ち合わせてるぞー!」ポカポカ

京太郎「痛っ!おい、お前やめろって!」ゲシッ

淡「うわっ、女の子を足蹴にするなんてサイテー」

京太郎「洗い物してんだから仕方ないだろ!」

淡「うるさい!正義の鉄槌だー!」ポカッ

京太郎「ぐっ......ガード!」

淡「きゃっ!ちょっとどこ触ってんの変態!」

京太郎「あ、いや違うんだ!これはそういう意図があったとか―――」


ピンポーン
292 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:53:09.07 ID:7SyiISYv0
京太郎「.........加治木先輩か?やけに早かったな」

京太郎「すまん。手が離せなくてさ」

淡「はいはい、淡ちゃんが出てあげますよーだ」スタスタ



来た。
あとはゆみ先輩に飲んだくれを預けてしまえば―――



咲「さっきからうるさいよ!いま何時か、わかっ...て.......あれ?」

淡「.........!」

咲「淡ちゃん......なんでこんなところに......?」
293 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:53:54.59 ID:7SyiISYv0
【数十分後】


咲「あはは、そうだったんだ。京ちゃんったら大学の話はあんまりしないから」

淡「シェフ!私はタコスを所望するぞー!」グビッ

京太郎「二人とも、もうちょい声のトーンを落としてくれ。あとタコス作る材料なんてねぇよ」

咲「うるさいよ!今日の試合全然ダメだったし......あーもう!むかつくー!」ゴクッゴクッ

咲「京ちゃん!おつまみ全部もってこーい!」ゲフッ

京太郎「ミイラ取りがミイラになってどうすんだよ、おい」

宮永咲。麻雀プロでテルの妹で、しかもキョータローの隣人らしい。
思わぬ人物の来訪によってペースを崩された私は、全てを諦めて完全にヤケ酒の方向に舵を切っていた。
294 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:54:38.61 ID:7SyiISYv0
不意にチャイムが鳴る。
キョータローが玄関へ走っていき、すぐにもう一人の訪問者を連れて戻ってきた。

ゆみ「うわっ、酒臭―――って宮永咲プロ!?」

咲「やだなぁ。堅っ苦しいし宮永でいいですよー」

ゆみ「えっ?ああ......すまない。仕事の癖が入ってしまうとどうにも」

淡「ライターも大変だね、ゆみせんぱーい」

ゆみ「......随分入れたようだな、須賀」

京太郎「まさかこいつらがこんなに飲むなんて思いもしませんでしたよ」

ゆみ「だからってこの惨状は一体どうやったら......いや、取り敢えずモモだけでも回収して帰ろう」

ゆみ「おいモモ、起きろ」ユサユサ

モモ「......せんぱ、い......?......Zzz.........」

京太郎「ダメみたいですね」
295 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:55:14.96 ID:7SyiISYv0
ゆみ「おぶっていくしかないか」

京太郎「手伝いましょうか?」

ゆみ「大丈夫だよ。手荷物も大した量じゃないし一人でもなんとかなる」

京太郎「俺が下まで担いでいきますよ」

ゆみ「私がそれを許すと思うか?」

京太郎「あぁ、なるほど」

ゆみ「そういうわけだ。須賀、迷惑を掛けて悪かったな」

先輩が荷物を―――じゃなかった。モモを背負ってよろよろと玄関を出ていった。
それを見送ったキョータローは深く溜息をつくと、

京太郎「はぁ......疲れた。俺も頭冷やしてくるか」

京太郎「二人とも、少し出てくるから大人しくしてろよ」

咲「あっ、ちゃんと外まで行ってから吸わないとまた大家さんに怒られちゃうよ」

京太郎「分かってるって」


バタン
296 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:55:57.20 ID:7SyiISYv0
淡「......行っちゃった」

咲「行っちゃったねぇ」

淡「......ねぇねぇ、サキ」

咲「ん、どうしたの?」

淡「サキとキョータロー、付き合ってんの?」

咲「ううん、違うよ。でもどうして?」

淡「何でもない男の人と一緒に東京まで出てきて、しかも隣に住むなんてありえないでしょ」

咲「あはは、なんでだろうね......成り行きかな?」

淡「えー、なにそれ」

咲「......でもね。これからどうなるかはわかんないかも」

淡「......?」

咲「この前、京ちゃんと話したんだ」
297 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:56:45.50 ID:7SyiISYv0


 京太郎「咲、八月の二週目って空いてるか?」

 咲「えーっと......」パラパラ

 咲「まだわかんないけど、今のところはお仕事入ってないよ」

 京太郎「その週に大会があるんだ。一緒に観に来ないか?」

 咲「インカレの話?別に良いけど......」

 京太郎「なら、それからもう一個頼みがあるんだけど......」

 咲「?」

 京太郎「あー......あのさ。もし俺がベスト4に入ったら」

 京太郎「俺と付き合ってほしい.........とか、思ったり」

 咲「.........バカ。そういうことは予選終わってから言いなよ」

298 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:58:00.64 ID:7SyiISYv0
淡「......それで、サキはなんて言ったの」

咲「『いいよ』って返したよ」

淡「なんで?」

咲「なんでって、えーっと.........」

咲「......好きだから、かな」

淡「.........そっか」

淡「どうせなら優勝って言っちゃえばいいのに、格好悪いなー」

咲「十分じゃない?京ちゃんが決勝まで行けるだけでも凄いし」

淡「もし四位に入れなかったらどうするの?」

咲「もちろんダメでしょ。京ちゃんが自分で決めたんだもん」

淡「.........バカだよね。なんで普通に言えないんだろ」

咲「おバカだよ。でもそういうものだから」

淡「そっか」

咲「うん」
299 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/03/30(火) 04:58:30.44 ID:7SyiISYv0
今回はここまで
300 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/03/30(火) 09:53:46.49 ID:nh7i3rfl0
乙です
301 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/03/30(火) 14:48:22.76 ID:XplmIFT6o
302 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:41:14.61 ID:TrFu1u/e0
投下
303 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:41:57.95 ID:TrFu1u/e0
【21歳 8月】


――― 部室


モモ「インカレ、終わっちゃったっすね」

京太郎「そうだなぁ」

モモ「はぁ、いい加減インターンとか考えなきゃ......」

京太郎「加治木先輩のところに永久就職するんじゃないのか?」

モモ「それとこれとは別問題っすよ」

モモ「この先何があるか分からないし、食い扶持は必要っす」

京太郎「へぇ、結構真面目に考えてるんだな」
304 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:42:27.53 ID:TrFu1u/e0
モモ「これからは忙しくなるし、ここに来る機会も暫くは無さそうっすね」

京太郎「そう寂しいこと言うなって!たまには息抜きしに来いよ」

京太郎「俺と淡はもう少し居座ることになりそうだしさ」

モモ「京さん、本気でプロ雀士を目指すつもりなんすね」

京太郎「あぁ。今回の大会でやっと光明が見えてきたんだ」

モモ「男子の部で個人第三位......確かに実績としては悪くないっすけど」

モモ「この先も上手くいく保証なんて無いのに」

京太郎「それでも、なんとか繋げてみせるよ」

今年度のインターカレッジが閉幕し、お盆休みを挟んだある平日の昼下がり。
まだ夏休みの最中であるが、一度私物を引き上げたいというモモの手伝いをしに私たちは大学まで足を運んでいた。
―――もっとも、手伝いが必要なほどの片付けがあるわけもない。ただ単純に集まる口実が欲しかっただけだ。
305 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:43:21.38 ID:TrFu1u/e0
キョータロー、モモ、そして私。三人で作り上げた青春は一つの終焉を迎えようとしていた。
それはモモが就活準備のために部活を引退するためだけではなく、むしろ私にとっては『もう一つの理由』の方が余程重要だった。

モモ「さてと。こんなもんっすかね」

京太郎「あーあ、せっかくの一張羅なのに汚れちまったぜ」

モモ「どうしてそんな......あぁ、デートっすか」

京太郎「ご名答。実は付き合い始めてからアイツと出掛けるの初めてでさ」

モモ「リンシャンさんも物好きっすねぇ。こんなチャラ男のどこが良いんだか」ヤレヤレ

京太郎「俺ってそんなにチャラいか?」

モモ「金髪だし、実際軽薄な性格してるじゃないっすか」

京太郎「失礼な奴だなぁ」

モモ「半分冗談っすよ」

京太郎「半分は冗談じゃねーのかよ......」
306 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:43:53.63 ID:TrFu1u/e0
モモ「それで、どこに行くつもりっすか?」

京太郎「具体的には決めてないんだ。都心の方に行くつもりではあるんだけど」

モモ「はぁ!?よく大事な初デートにそんな準備で臨めるっすね」

京太郎「ま、マズかったか!?」

モモ「確かに京さんは大学生かもしれないけど、相手はれっきとした社会人っすよ?」

モモ「夕食だってその辺のファミレスってわけにもいかないに決まってるじゃないっすか!」

京太郎「しかし俺と咲の仲だしなぁ......あんまり堅苦しいのも」

京太郎「それに、初めてなんだからそんなこと言われても困るぜ」

モモ「情けないっすねぇ」

京太郎「なら教えてくれよ。モモは普段どうしてるんだ?」

モモ「えーっと......あー、ウチはいつも先輩がセットしてくれるから......」

京太郎「よくもまあ偉そうに言えたもんだな、おい」
307 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:44:26.49 ID:TrFu1u/e0
京太郎「......っと、もうこんな時間か」

モモ「待ち合わせは?」

京太郎「四時に新宿駅で」

モモ「なら早く行ってくるっすよ!」ゲシッ

京太郎「うげっ」

モモ「遅刻したら市中引き回しの上打首獄門っす」

京太郎「なんでお前が......まぁいいけど」

京太郎「じゃ、またな」
308 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:45:50.71 ID:TrFu1u/e0
小洒落たジャケットの裾を払うと、そう言ってキョータローは部室を後にした。
宙に舞う埃が窓から差し込む西日によって映し出され、その隙間を縫ってヒグラシの鳴き声が聞こえてくる。
額に浮かんだ汗をハンカチで拭い取ったモモは辟易した様子で、

モモ「まったく、浮かれちゃって.....男ってホントに単純っす」

淡「......そうだね」

モモ「淡さんらしくないっすね。普段ならもっとおしゃべりなのに」

淡「黙っちゃ悪い?」

モモ「やっぱりあの人のことっすか」

淡「別に。キョータローのことそんな目で見たことないし」

淡「友達としては楽しいけど、付き合うなんてこっちから願い下げ」

モモ「そこまでは言ってないっすよ」

淡「......」

モモ「......」

淡「......」
309 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:46:18.17 ID:TrFu1u/e0
モモ「......あぁもう、しょうがないっすね!」

淡「な、なに?」ビクッ

モモ「失恋くらいでそんなにショゲてどうするんすか」

モモ「男や女の十人や百人くらい、淡さんならすぐにいい人見つかるに決まってるっすよ」

淡「だからそんなんじゃ―――」

モモ「こういう時は気分転換が一番!」

モモ「駅前のゲーセンで豪遊して、その後いつもの居酒屋にでも行けばサッパリ忘れられるっす」ガシッ

淡「ちょ、ちょっと待ってってばー!」

普段のモモはこんなに強引な性格だっただろうか。
ともかく、ズンズン進む彼女に腕を引かれるまま私は歩くほかなかった。

モモ「淡さん、音ゲーとか好きっすか?」

淡「うーん......あんまりやったことないかな」

モモ「やってみたら絶対ハマるっすよ!最近のオススメは―――」
310 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:46:51.02 ID:TrFu1u/e0
【夜】


――― 居酒屋


モモ「生中追加で!それからたこわさ一つ」

淡「モモ、そんなに飲んで大丈夫?」

店主「ガハハハ!相変わらず桃子ちゃんはうわばみだなぁ!」

モモ「無駄口叩いてないで早く持ってくるっすよ」

店主「冷てぇや」

淡「あ、ピーチソーダもお願いしまーす」

店主「はいよ」

旨くもなければ綺麗でもなく、安いくらいが取り柄であるいつもの居酒屋のカウンター席。
駅から離れ、路地からも入り組んだところに店を構えているので客は少ない。こういう穴場感を私は結構気に入っているのだ。
テーブル席に座っていた数人連れの客も少し前に出ていき、今では私たちの話し声と喧しいラジオの音が店内に流れていた。
311 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:48:09.78 ID:TrFu1u/e0
店主「生中とピーチソーダ、それとたこわさお待ち」ゴトン

モモ「どうもっす」

店主「そういや一人足りなくねえか?須賀くんはどうしたのよ」

淡「キョータローなら......」


『―――最後に麻雀、M1リーグの対局結果をお伝えします』

『午前中に行われた第二十八節A試合、立川・富山・松山・恵比寿戦を制したのは立川ブルーセーラーズです』

『前半に宮永が+22.7の大トップ。後半でフロティーラの戒能が盛り返しますが、神原がリードを守りきりました』

『B試合はつくばが延岡・美作・仙台を下し―――』


店主「おっ、やるなぁ宮永」

淡「おっちゃん、セーラーズファンなの?」

店主「地元だしな」
312 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:49:10.09 ID:TrFu1u/e0
モモ「京さんなら今頃、その宮永プロとデート中っすよ」

店主「宮永だって!?そりゃなんでまた」

モモ「中学からの同級生で、この度無事お付き合いすることになったらしいっす」

店主「ははあ......しかし”あの”須賀くんがなァ」チラッ

おっちゃんの目線がこちらへ向く。

淡「なによ」

店主「俺はてっきり淡ちゃんとデキてるもんだとばかり」

淡「そ、そんなわけないじゃん!」

店主「付き合ってるってのも嘘なんじゃねえの?」

店主「実は淡ちゃんの気ィ引こうとしてハッタリ掛けてるとか」

モモ「それにしては悪手な気もするっすけど......」

店主「ま、しばらく待ってみるのも良いんじゃないか」ケラケラ

淡「......今更そんなこと言ったって知らないっての」ボソッ

それ以降私があまり喋らなくなったのを見ると、モモはおっちゃん相手に雑談を始めた。
モモと違ってアルコールに強いわけでもない。どういう内容だったかはいまいち記憶にないが、キョータローと関係ない話だったのは確かだ。
313 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:50:04.74 ID:TrFu1u/e0
――― 路上


モモ「じゃあ私はここで」

淡「またね〜」

居酒屋からすぐ近くのバス停でモモと別れる。
彼女と加治木先輩の住まいはそう遠くないので路線バス一本で帰ることが出来るが、都心方面の私はそうもいかない。
まず駅に向かい、数回の乗り換えを挟まなければ我が家に辿り着けないのだ。
あと二時間もしないうちに日付が変わるが、街は未だに人で溢れかえっていた。


歩きながら一日の出来事を振り返る。久々に入ったゲームセンターではモモに振りまわれ続けた。
音楽ゲームの才能は全然なかったがUFOキャッチャーの才能はあったようで、お陰で私の右手にはぬいぐるみで一杯の紙袋がぶら下がっている。
居酒屋は相変わらずだったな。お酒は美味しくないし、悪酔いして頭がガンガン痛くなる。
店主のおっちゃんはやけに馴れ馴れしい上に下品だけど、案外ああいうのは嫌いじゃない。
ただムカつくのはキョータローの話を振ってきたことだ!
ハッタリだなんて、あんな変なこと言わなくたっていいのに......
314 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:51:00.15 ID:TrFu1u/e0
淡(......私、またキョータローのこと考えてる)


結局、本当に私は彼のことが好きだったんだろうか。
好きな人が他の人と付き合うなんて話を聞いたら、普通は「悲しい」とか「つらい」とかそういう感想を持つものだろう。
でも私はそうじゃない。別に悲しいとは思わないし、涙の一滴も流れそうな様子はないのだ。
今思えば、数ヶ月前の『アレ』も所詮は一時の気の迷いだったのだろう。
実際彼に抱いているのは友情であって、誰かを好きになったことがないからそれを恋情だと勘違いしてしまっただけだ。

だからキョータローがサキと恋人になろうがどうしようが、私の関知することではない。
私とキョータローは友達で、それが変わるわけではないのだから。
......たぶん。きっと。


淡(あーもう!よくわかんなくなってきた!)

淡(キョータローに会ってみたら、ちょっとは整理つくのかな)


だから私の足は駅でなく、彼の住むアパートへと向いていたのだろう。
315 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:51:37.27 ID:TrFu1u/e0
アパートの二階にあるキョータローの部屋の玄関は―――当然その隣にあるサキの部屋と共に、すぐ外の路上から十分はっきり見える。
携帯電話の時計は、時刻が間もなく夜の十時半を回ることを示していた。

淡(キョータロー、そろそろ帰ってるかな......)

淡(でも、会ったら何話せばいいんだろ)

淡「.........人?」

その時だった。
鉄柵で囲まれた螺旋階段を昇っていた二つのシルエットが廊下に出ると、キョータローの部屋の前で止まった。
逆光のせいでそれが誰かまでは分からない。
316 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:52:25.89 ID:TrFu1u/e0
「今日は助かったよ」

「もう!今度からどこに行くかくらいはちゃんと考えといてね!」

「分かっとりますわい」

「ふふっ......でも楽しかった」

「ああ。俺も楽しかったぜ」

「あのさ............」

「お、お前ってそんなキャラだったっけ......?」

「だって寂しいんだもん」

「寂しいったって隣の部屋じゃねーか」

「それでも!ね、いいでしょ?」

「仕方ねぇな......下手でも文句言うなよ」

「うん.........」

「.........」

「............んっ」
317 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:53:04.84 ID:TrFu1u/e0
『影が重なる』という表現がただの比喩でないことを知った。
気がつけば、私の両脚は駅に向かって駆け出していた。
318 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:53:35.21 ID:TrFu1u/e0
京太郎「あれ?」

咲「どうしたの?」

京太郎「いや、そこに誰かが居たような気がしてさ」

咲「......まさか。見間違いだよ」

京太郎「そうかな」
319 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:54:30.90 ID:TrFu1u/e0
――― 淡 自宅


淡「ただいま......」

母「あら、おかえりなさい」

母「晩ご飯は用意してないけど平気?」

淡「モモと飲んできたから大丈夫」

母「また東横さんと?一度ご両親に挨拶したほうがいいのかしら」

淡「子供じゃないんだからそんなことしなくていいってば!」

母「それともう一人の、えーっと......須賀くん、だったっけ」

母「彼は一緒だったの?」

淡「―――ママのバカッ!!!」バタン

母「.........淡?」
320 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:55:23.80 ID:TrFu1u/e0
勢い良く自室のドアを閉める。
天井の照明は最近LEDに替えたばかりだが、部屋はちっとも明るくはならない。スイッチを入れていないのだから当然だ。
右手の紙袋を乱暴に放り投げ、肩に掛けた鞄も同じように―――しようとしたが、少し考え直して丁寧に置く。
上着とストッキングを床に脱ぎ捨て、ベッドに寝転がって布団を頭まで被った。
嫌なことがあった後は昔からこうするのが一番だった。
何もせずともいつの間にか眠りに落ちていて、朝になればどんな悩みも大した事には思えなくなっている。
化粧がそのままだったけど、そんなのは些末事だ。
321 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:56:09.67 ID:TrFu1u/e0
淡「..........」

淡「..........」

淡「..........」

淡「..........」

淡「..........」

淡「..........」

淡「..........」

淡「..........」

淡「..........」

淡「..........」

淡「..........」

淡「..........」
322 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:56:39.57 ID:TrFu1u/e0
淡「..........なんでよ」

淡「なんで、いまさら.........」ポロポロ

淡「すきでも......なんでもないのに.........」ポロポロ

淡「どうでもいいのに............」ボロボロ

淡「.........なんでよ.........きょう、たろう.........」ボロボロ
323 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:57:09.49 ID:TrFu1u/e0
朝が来た。
いつも通りに陽が昇り、いつも通りに降りていくと、階下では母親がいつも通り朝食を用意していた。
得体の知れないナニかは、未だ私の心にのしかかったまま離れない。
324 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/02(金) 03:57:57.87 ID:TrFu1u/e0
今回はここまで
325 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/04/02(金) 06:01:59.48 ID:EFihVdFMO
乙です
326 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/04/03(土) 10:17:45.92 ID:/+up7SAL0
乙乙
327 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/04/03(土) 18:40:13.84 ID:almY8WkOo
乙 あわあわ…
328 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:41:31.60 ID:3ZGr4JZ20
とうか
329 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:43:35.83 ID:3ZGr4JZ20
それからのことにあまり面白い話はないので、大まかな流れだけ話しておこうと思う。
翌年、何の支障もなくインターカレッジは開催された。
私の成績はともかくとして、キョータローが個人優勝を修めたのは特筆に値するだろう。
彼の実力は本物に育っていたということだ。

その後すぐ私と彼のもとにはいくつかのチームからオファーが舞い込み、私たちは卒業後そのままプロ雀士になった。
キョータローは北関東の地方都市に本拠地を構えるチームに入った。テルがいるところだ。
そして私は―――


ゆみ「......以上でインタビューは終了となります」

ゆみ「大星プロ、本日はありがとうございました」

淡「ありがとうございました」
330 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:44:09.06 ID:3ZGr4JZ20
【25歳 4月】


――― 立川ブルーセーラーズ運営事務所 第一会議室


ピッ

ゆみ「ふぅ......お疲れ様、淡」

淡「でも、ゆみ先輩が来るなんて知らなかったよ。ビックリしちゃった」

ゆみ「淡の特集を組むと聞いて、インタビュアーをやらせてもらえるよう編集長に頼んだんだ」

ゆみ「久々に部活の後輩と会うのも悪くないと思ってね」

淡「そっか。私の卒業式の時以来だっけ」

ゆみ「お互い全国を飛び回ってばかりだからな......休みすら中々合わせられんよ」

ゆみ「聞けば今日も大変だったそうじゃないか」

淡「そーなんだよ!GMがインタビューのことすっかり忘れてたらしくてさー」

淡「せっかくの芦原だったのに温泉すら入れないうちに新幹線に放り込まれちゃって」
331 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:44:44.95 ID:3ZGr4JZ20
今日の予定は数週間前から入っていたのだが、手違いにより午前中に地方での対局を割り当てられてしまった。
お陰で私は碌に休む暇すら与えられないまま東京へとんぼ返りするハメになったのだ。

淡「あーあ、なんでわざわざ行ったり来たりしなきゃならないんだろ」

淡「全部東京でやればいいのにさ」

ゆみ「こればかりは政治的な理由が絡むからなぁ」

ゆみ「町興しのために全国各地に試合会場を設け、そこで対局を行う」

ゆみ「実際今のシステムになってからチームもファンも増えた。業界が賑やかになるのは良いことさ」

淡「移動だけでクタクタだよ......」

ゆみ「だが、経費で旅行気分を味わえるのは悪くないだろう?」

淡「それは否定しないけど」

今回はその旅行気分すら味わえなかったわけではあるが、本来は仕事の途中であって空き時間に自由行動を許してもらっているだけなので文句は言えない。
サラリーマン程ではないにしても、完全に自由というわけにもいかないのである。
332 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:45:40.54 ID:3ZGr4JZ20
ゆみ先輩が手土産に持ってきた源氏パイをお茶請けに、取材前に給湯室で入れてきたコーヒーを啜る。
最近ブラックを飲めるようになったのが自慢なのだ。

ゆみ「ところで宮永はどうしたんだ?」

淡「観光してからゆっくり帰ってくるって言ってた」

淡「キョータローがゲストで金沢の雀荘にいるから合流するんだってさ」

ゆみ「ほう」

淡「サキはカップルで温泉デート、片や私は会議室で夜までお仕事......」

淡「世の中不公平だよねー」ズズッ

ゆみ「須賀か......そういえば」

淡「なに?」

ゆみ「今度宮永が須賀と結婚するらしいと聞いたんだが」

ゆみ「本当なのか?」

淡「.........えっ?」ポトン

ゆみ「淡、お菓子落としたぞ」
333 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:46:18.56 ID:3ZGr4JZ20
【十数分後】


ゆみ「さてと、そろそろお暇しようかな」

ゆみ「恐らく再来週の発刊分に載るはずだ。楽しみにしていてくれよ?」

淡「やだよ!恥ずかしいもん」

ゆみ「ははっ、まあいいじゃないか。もし気が向いたら買ってくれ」

淡「ホントに気が向いたらだよ!」

ゆみ「ではまた、機会があれば」

淡「モモによろしくねー」

ゆみ「あぁ」


バタン


淡「特集か.........やっぱり気になるかも」

淡(それにしても、まさかサキが―――)
334 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:47:00.67 ID:3ZGr4JZ20
後輩「失礼しまーす!」

その時、会議室を出ていったゆみ先輩と入れ替わりで茶髪の少女が部屋に入ってきた。
今年高校を卒業したばかりの新人で、まだあどけなさが残る快活な子だ。
もっとも快活というか、どちらかと言えば暑苦しいというか。

後輩「取材ってもう終わったんですか?」

淡「ついさっきね」

後輩「ホントですか!?お疲れ様です!」

後輩「あっ、そうだ!大星先輩に見せたいものがあって......」ゴソゴソ

淡「見せたいもの......?」

後輩「ほらこれ、つしまえんのタダ券ですよ!しかも二枚!」

後輩「監督が『貰ってきたけど要らないからお前にやる』って」

淡(完全に子供扱いされてるなー)

後輩「今週末に一緒に行きましょうよ!」
335 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:47:30.31 ID:3ZGr4JZ20
淡「でも私ってマイちゃんと歳離れてるし、行っても楽しくないでしょ?」

淡「高校の友達でも誘って行ってきなよ」

後輩「そんなの全然気にしませんよ!それにたった六歳差ですよ?」

後輩「だからほら、ねっ?」

淡「うーん......やっぱ私は遠慮しとこうかな」

後輩「えー」

淡「ごめん、声かけてくれてありがと」

淡「他の人とか誘ってみて」

後輩「......はい」

淡「お疲れ様。また明日ね」


バタン


後輩「ちぇーっ......大星先輩のいけず」
336 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:50:05.40 ID:3ZGr4JZ20
【二週間後】


彼女が読んでいる『WEEKLY麻雀TODAY』に目をやりながら、私は何気なくキョータローに言った。

淡「キョータローってさ」

京太郎「ん?」ムシャムシャ

淡「結婚するの?」

京太郎「ゲホッ!ゲホッ!」

淡「うわっ、ばっちいからやめてよ」

咲「京ちゃん大丈夫!?」

トーストを喉につまらせたらしく、咳き込む度に空気が通るヒューヒューという音が聞こえる。
横に置いてあった水を一気に飲んでからキョータローは、

京太郎「はぁ......ったく、誤嚥性肺炎になったらどーしてくれんだ」

咲「淡ちゃんに話したの?」ボソボソ

京太郎「俺は誰にも言ってないけど......」ボソボソ

淡「聞こえてますよーだ」
337 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:50:40.80 ID:3ZGr4JZ20
対局でバディを組まされることの多い私とサキは必然的に休暇も被りがちで、よく遊びに行く仲だ。
そこにキョータローの休みも重なったため、折角ならばと昼食会の運びになったのだが......


照「それ、私のせいかも」

咲「お姉ちゃん!?」


彼が休みとなれば、当然彼女も休みなのである。
338 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:51:29.93 ID:3ZGr4JZ20
――― 喫茶 『カメダ珈琲店』


照「この前小鍛治さんと話してる時にうっかり」

咲「『うっかり』じゃないよ!お姉ちゃんのバカ!」

京太郎「最近やけにみんなから変な目で見られると思ったら......」

淡「小鍛治さんに言っちゃったのかー。ゆみ先輩も知ってたし、今頃噂になってるんじゃないかな」

咲「面倒くさいから内緒にしてたのに」ガクッ

淡「テルは教えてもらってんだね」

照「家族だから」フンス

威張るテルの口には髭のように白いモジャモジャがくっついている。
右手に握られたカップの中には、クリームたっぷりのウィンナーコーヒーが半分ほど残っていた。
339 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:52:09.25 ID:3ZGr4JZ20
淡「じゃあ結婚するのは本当なんだ」

咲「うん」

淡「いつ?」

京太郎「六月くらいになる予定だ」

咲「今はどこに住もうか迷ってるんだけど......」

咲「立川にも大宮にも行きやすいってなると、どうしても都心になっちゃうんだよね」

淡「いいじゃん。お給料たくさん貰ってるんでしょ?」

京太郎「俺はそうでもないけど、咲はな」

咲「いやいや!それほどじゃないよ」

ちなみに私より貰っていることは確かだ。
キョータローは―――うん、成績からして男子の中ではそこそこなんじゃないだろうか。
340 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:52:37.81 ID:3ZGr4JZ20
キョータローがポケットから煙草の箱を取り出す素振りを見せると、一瞬だけテルが嫌そうな顔をした。

照「淡は結婚する予定はないの?」

淡「欠片もないけど」

照「じゃあ仲間だね」

淡「えー......」
341 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:53:17.51 ID:3ZGr4JZ20
【26歳 3月】


――― 長野県内 病院


昨晩からの猛吹雪も止み、一面が銀世界と化した朝だった。
慣れない雪道の上をざくざくと歩いて正面玄関に入り、受付のお姉さんとの長い問答を終えてやっとの思いで病室に辿り着く。

淡「サキ!」

咲「あれ、淡ちゃん?どうしてここに......」

淡「ちょうど松本で昼前からイベントが入ってて。かっ飛ばしてきた!」

フナQの運転だけどね。
キョータローから出産の知らせを貰ったのは昨夜の十時を過ぎた頃だったろうか。
一晩中悶々とした気持ちを押さえつけていたが、結局居ても立ってもいられなくなった私は無理を言って朝早くから車を出してもらったのだ。
342 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:53:52.27 ID:3ZGr4JZ20
よく見ると、その張本人はその長い躯体を折り曲げてベッドに寄りかかっていた。
こんな時にもかかわらず呑気に眠りこけているらしい。

咲「京ちゃんったら、心配でここ何日も寝れなかったんだって」

咲「産まれたら産まれたで大騒ぎだし......別に京ちゃんが産むわけじゃないのにね」

淡「キョータローはお子様だから」

咲「そういうところも可愛いんだけど」

淡「サキはこんな時までお惚気ですかー」

淡「でも残念だけど、今はキョータローなんかより赤ちゃんのほうが興味あるな」

咲「......見たい?」

淡「うん!!」
343 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:54:29.90 ID:3ZGr4JZ20
横に寝かされていた小さな赤子をサキの細い手が抱きかかえる。
―――まるで大事な宝物を見せる子供のように、その顔は得意げで幸せそうだった。

淡「この子が......」

咲「触ってみる?」

淡「う、うん......」

咲「ほーら、あわいおねえちゃんですよー」


淡「.........!」


吹けば飛んでしまいそうな儚い命だ。私は指を恐る恐る彼女に差し出した。
そんな私を見て、彼女はにっこりと笑みを浮かべたのだ。
344 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 01:58:47.73 ID:3ZGr4JZ20
いや、それは私の都合の良い思い込みかもしれない。
産まれたばかりの赤ちゃんはほとんど視力を持たないらしいし、ましてや私を認識して微笑みかけるなんてありえるのだろうか。
......なんてことは今だからこそ言えることで、当時の私といえば只々言葉を失っていた。
どちらにしても、私が彼女の虜になるには十分だった。

淡「あ.........」

咲「可愛いでしょ?」

淡「す、すごい.........」

咲「ふふっ」

淡「名前はなんていうの?」

咲「えー、でもまだお七日だってしてないし......」

淡「そんなの建前だけじゃないの」

咲「......いいよ。お父さんにもまだ言ってないけど、淡ちゃんには教えてあげる」

「―――メイ」

淡「......?」

「明。その子は宮永明だ」

京太郎「いい名前だろ」ニカッ

キョータローが床に座り込んだまま笑う。
サキと同じ、幸せそうな顔だ。
345 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 02:00:05.72 ID:3ZGr4JZ20
京太郎「いててて!腰が......」ヨロヨロ

咲「変な所で寝るからだよ」

京太郎「んなこと言ったってなぁ」


ガララッ


優希「おーっす咲ちゃん!元気か?」

和「病院なんですからもっと静かにしてください」

京太郎「あれ、お前らまで来たのか」

優希「久先輩とまこちゃんも後で来るぞ」

和「ごめんなさい。私はもっと落ち着いてから伺った方が良いかと思ったんですけど」

和「ゆーきがどうしてもすぐに行こうと......」

咲「いいよ。私もみんなが来てくれて嬉しいから」
346 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 02:00:59.48 ID:3ZGr4JZ20
優希「なんだ京太郎、そんなボサボサの格好してだらしないぞ」

京太郎「仕方ねーだろ!営業の後に飛んできてから二日もそのままなんだから」

「うっ...ううっ......」ジワッ

咲「ちょっとお父さん、静かにしてよね」

京太郎「うぐっ......すまん」

優希「あの京太郎が『お父さん』って......ぷぷっ、笑えるな」

京太郎「窓から放り投げるぞこのチンチクリンが」


淡「.........ふふっ」


天使のようだった。
彼女が笑えば皆が笑い、彼女が泣けば皆が泣く―――いや、どっちにしても笑ってるか。
間違いなく、彼女は祝福されて産まれてきたのだ。
347 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 02:01:33.75 ID:3ZGr4JZ20
【30歳 7月】


――― 遊園地


照「......気持ち悪い」

淡「テル大丈夫?」

照「うん、なんとか.........うっぷ」フラッ

淡「ちょっ!」

テルがジェットコースターに乗りたいというので隣に座ってみると、意外にも私のほうが楽しんでしまい当の本人はこの有様である。
さすが一足先に三十路に突入しただけのことはあるな......そう考えているうち、自分も十二月には三十代であることを思い出してしまった。

淡(遊園地かぁ。どれくらいぶりかな)

もっとも、こうしてアラサーのお守りをするためにわざわざ遊園地まで来たわけではない。
本来の役目は三人のサポートだ。
348 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 02:02:37.38 ID:3ZGr4JZ20
明「ねえねえ、おとーさん、おかーさん」

京太郎「ん?どうしたんだ?」

明「ふたりとも、なんでずっとおててつないでるの?」

京太郎「ふっふっふ......教えてやろうか」

京太郎「それはな、母さんがすぐに迷子になるからだよ」

咲「もうっ、お父さんったら」

明「おかーさん......」

京太郎「三歳児に憐れみの目で見られてら」ケラケラ

咲「......」ポカッ

京太郎「いてっ」
349 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 02:03:24.08 ID:3ZGr4JZ20
淡「ラブラブですなー」

照「だね」

淡「生まれたばっかだと思ってた親友の娘がこんなに成長してるのに」

淡「一方わたしゃ行かず後家まっしぐらですよ。とほほ......」

照「しょっちゅうそういう話してるけど、淡は結婚したいの?」

淡「あー......これはなんていうか、自虐ネタっていうかさ」

淡「真面目に考えると別にそうでもないかも」

照「そっか」

淡「うん」
350 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 02:07:43.56 ID:3ZGr4JZ20
照「.........」

淡「テルー?」

照「私はちょっと興味あるかもしれない」

淡「!?」

テルこそ『結婚』というワードから一番縁遠いタイプの人種だと思っていただけに意外だった。
結婚はおろか、休日に他人と会うことすら稀だという彼女がそんなことを言い出すとは......

淡(......まぁ、これを間近で見てたら無理もないか)


明「おとーさん!これ!」

京太郎「バイキングか......うーん、明にはちょっと早すぎるかもな」

明「えー」

咲「明がもっと大きくなったらまた来ようね」

京太郎「母さんみたいに怖がりじゃなければの話だけど」

咲「一言多いってば」


見守るように並んで歩く二人の前方を、メイがベビーカーをぐいぐい押しながら進んでゆく。
実に牧歌的な風景じゃないか。
351 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 02:08:51.31 ID:3ZGr4JZ20
淡(メイ.........)

キョータローが私から離れていくのを感じたくなかった。
キョータローがサキのものになるのが嫌だった。
花嫁姿のサキの横で笑うキョータローを、胸が張り裂けそうになりながら眺めていた。
大学三年の夏―――キョータローのアパートの手前で引き返した夜から、私の心にはしこりが残り続けていた。

でも、メイがそれを変えた。
あの微笑みを見た瞬間、暗闇にいた私の五年半など全て馬鹿馬鹿しく思えてしまったのだ。
もはや私の願いは彼の隣にいることではなかった。
ただ彼と彼女と、そしてあの子を遠くから見守るだけで幸せだった。
352 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 02:09:52.30 ID:3ZGr4JZ20
【30歳 12月】


淡「もしもし、大星ですけど」

淡「.........事故?」





―――あの日までは。
353 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 02:10:20.28 ID:3ZGr4JZ20


<大星淡の回想> 終

354 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/06(火) 02:13:55.03 ID:3ZGr4JZ20
今回はここまで

過去編の後半は照編ですが、
ちょっとずつ書いていった淡編が少しダレたので書き溜めて一気に投下しようと思います。
ということでしばらくお休みします。
355 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/04/13(火) 20:36:17.85 ID:1j0W2UEAo
乙です!
速報復活したし一安心。楽しみに待ってます
356 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/04/13(火) 21:56:00.39 ID:6VB0h95T0
357 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/04/13(火) 22:56:33.49 ID:x30IFLWc0
乙です
続きが待ち遠しかった
358 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/04/20(火) 19:45:41.32 ID:DKyH24Dh0
乙ッ!
359 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/25(日) 10:14:04.84 ID:7TsduQjI0
>>1です。
前々から考えていたことについて準備が出来ましたのでお知らせします。


1. ハーメルンに移転します
以後はハーメルンで書くことにします。主な理由は以下の通りです。

・SS速報がしょっちゅう落ちる
落ちるっていうかドメイン失効なんですが、ともかく面倒なのでこれを期に移動します。
・書き直しが効く
実はミスったところが(誤字の範疇から展開の失敗まで含めて)結構存在します。
そのままに残しておくのも気持ち悪いので、書き直しが出来ると非常に助かるのです。


2. 非安価になります
ハーメルンに移転するので当然っちゃ当然ですけど。
元々安価要素は薄かったし、取りたかったところももう粗方終わったので問題ないと判断しました。


SS速報を出ていくわけではなく、今後も安価スレがやりたい時はここが中心になると思います。
最初は既存部分の書き直しが主になりますが、色々変更を加えていく予定なのでサラッとでも目を通していただけると幸いです。
360 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/25(日) 10:14:52.07 ID:7TsduQjI0
移転先URL:
https://syosetu.org/novel/256574/
361 : ◆copBIXhjP6 [sage saga]:2021/04/25(日) 10:18:49.81 ID:7TsduQjI0
あと、京カプスレで本作の事に言及している方がいたのを拝見しました。
めっっっっっっっちゃ嬉しかったです。

>>1はバカなので、少しでもおだてられるとそれを燃料に百万行書くことができます。
せっかくハーメルンに移転しますから、感想とか書いていただけると非常にありがたいです。
362 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2021/04/30(金) 09:56:14.49 ID:cOTpItTu0
ハーメルンに行ったら見ることないかな
今までおつでした
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