荒潮「カミサマ」

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

63 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 01:49:45.98 ID:NtS59UH7O
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

荒潮「はい」スッ

青年「え」

荒潮「お願い」

青年「え、え?」

櫛を渡された。渡した本人は当然のように俺に背を向け正座で座った。

青年「これ、ちゃんと取引になってるんだよな」

荒潮「なってるわよ〜。朝乙女にイタズラを働いたバツとしてねぇ」

青年「…」

思ったより動揺していた荒潮を見て正直ちょっと悪い気はしていたのでここは大人しく従おう。

髪に櫛を入れる。横から差す朝日に透き通る茶髪は恐ろしく滑らかだった。

青年「手入れとかしてるのか?」

荒潮「何もしてないわよ。朝起きて、櫛で梳かすだけ」

青年「そりゃすげぇ。こんな綺麗な髪見た事ない」
64 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 01:50:25.39 ID:NtS59UH7O
荒潮「私、変わらないのよ」

青年「何が」

荒潮「私自身がよ」

青年「髪の毛の事か?」

荒潮「それだけじゃないわ〜。頭のてっぺんから小指の先まで。全て30年前のあの時と変わらないのよ」

青年「不老不死?」

荒潮「不老はそうかもしれないわねぇ。不死は、どうかしら」

青年「あまり確かめたくはない所だな」

荒潮「そうね」グラッ
青年「おっと」

荒潮が体をこちらに倒してきた。正座から膝を抱え込むような形で座り、頭を俺の胸に預けた。

荒潮「艦娘って死ぬのかしら」

青年「さぁな。外的な要因では死ぬらしいけど、老いはどうだろう。なんせこんな世界になってまだ30年も経ってないからな。老いで死んだって話は聞かない」

荒潮「なら私、ずっとこのままかもしれないのねぇ」

青年「それは、いい事なのかな」

荒潮「どうかしら。別に望みはしないけれど」
65 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 01:51:00.70 ID:NtS59UH7O
真下を見る。

荒潮の頭が見える。つむじがある。

意外としっかりしている足と、それを抱え込む細い腕も。

青年「子供のままってのはもったいない気がするな」

荒潮「あら、どうしてかしら〜」

青年「絶対美人になれるぜ」

荒潮「そうかしら」

そう言いつつ足を伸ばし、伸ばした足先を手で触れた。

青年「柔らかいな」

荒潮「大人になりたい訳じゃないけれどぉ、身長はあった方が便利ね〜」

青年「それもそうか」

荒潮「さて。朝食にしましょ〜」スッ
66 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 01:51:47.75 ID:NtS59UH7O
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

荒潮「こんな風に」スッスッ

青年「すげぇ…」

朝食を終え昨日の続きをしていた。

荒潮「上手い人は十個以上でも出来るらしいわよ〜」

青年「二個でも難しいんだが」

荒潮「お手玉初心者だもの。仕方ないわよ」

青年「…あの少年は幾つだ?」

荒潮「どうしてあの子が?」

青年「あの子ともやってるんだろ?ちょっと気になって」

荒潮「あらあらぁ?対抗心でも燃やしているのかしらあ?子供にぃ?」

青年「ち、ちげぇよ!」

荒潮「ちなみにあの子も二個よ」

青年「よし」

荒潮「思いっきり対抗心じゃない」
67 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 01:52:36.21 ID:NtS59UH7O
青年「そういやなんであの子も呼ばないんだ?どうせなら三人でやればいいじゃないか。あーあれか、俺にあんまり接触して欲しくないからか」

荒潮「それもあるけれどぉ、んー…やっぱり秘密」

青年「おいおい」

荒潮「私にとってあの子は今唯一カミサマ以外で話せる相手だもの。特別よ、特別」

青年「特別ねぇ」

つまり俺にも特別な何かの話をしろと。そういう事だろう。

二つのお手玉を慎重に放りながら少し考える。

青年「俺師匠がいるんだよ」

荒潮「師匠?」

青年「いるっつーかいたっつーか。元々孤児でさ。師匠に拾われて、偏った教育されたんだ」

荒潮「師匠って男性かしら」

青年「いんや女だ。酒癖の酷いチビでな。人に商人としての教育ばかりしたあげく18歳の誕生日に合格って書いた紙だけ置いて消えやがった」

荒潮「随分適当な卒業式ねぇ」

青年「適当どころじゃねぇよ。教育内容偏り過ぎてて、最初一人じゃなんも出来なかったよ。卒業一週間で死にかけたよ」

荒潮「空腹かしらぁ。それとも深海棲艦?」

青年「両方だな。結局まともな生き方教えてくれたのはその時であった旅の人だった」

荒潮「ん〜なんかその言い方だと、貴方の師匠って」

青年「クソ野郎だったな」
68 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 01:53:21.00 ID:NtS59UH7O
荒潮「酷い言いようねぇ。育ての親でしょうに」

青年「親だよ。感謝もしてる。それはそれとして許さん」

荒潮「師匠に会いたい?」

青年「…あまり会いたくはないな。でも、死ぬ迄に一度は会いたい。そんな感じだ」

荒潮「どんなひとたったのかしら」

青年「白っぽい癖のあるブロンドの長髪でさ、まつ毛が長くて綺麗だった。でも眉は太かったな。黙ってりゃ人形みたいな可憐さで、おっとりした喋り方で…頭のおかしい人だった。あと常に酔ってた」

荒潮「その人の前だと、きっと貴方は今ここにいる自分とは違う自分なのでしょうねぇ」

青年「…そうだな。なんやかんやで俺にとっての親はあの人で、あの人といる時の俺は子供だよ」

荒潮「私もよ」

青年「は?」

荒潮「カミサマ以外の私。荒潮でいられる相手が欲しいの」

そう言って真っ直ぐこちらを見つめる。
69 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 01:54:03.61 ID:NtS59UH7O
荒潮「大人は皆理解してしまうのよ。私が人でない事を。カミサマとして、触れてはいけない存在だと」

青年「それはまあなんとなくわかるかな」

荒潮「子供はそういう事を理解できないから。私を怖いと思いつつ、怖いもの見たさで触れてしまうのよ」

外に行きたがっていた少年を思い出した。人間好奇心には勝てないな。

荒潮「だからあの子に対しては触れてはいけないカミサマではなくて、触れることの出来る荒潮でいたいの」

青年「なら尚のこと呼べばいいのに」

荒潮「だって可愛いじゃなぁい」

青年「え」

荒潮「私という特別な存在が急に現れた貴方に取られる。今頃一人悶々としているんじゃないかしらぁ」

青年「あーあの不可解な行動の原因はそれか」

荒潮「そして貴方が居なくなったあと、私との関係をより強く意識するようになってしまう。素敵じゃない?」

青年「悪魔かてめぇ。あの少年手篭めにでもする気か」

荒潮「そこまではしないわよぉ。私だって弁えてるわ」

青年「何を?」

荒潮「はいっ」ヒョィッ

青年「うわ」

荒潮「あら残念」

青年「三つは無理だって」
70 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 01:56:54.84 ID:NtS59UH7O
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

青年「いつもこうして暇つぶしてるのか?」

荒潮「いつもは、そうねぇ。あの子と遊んでる以外は寝てるわね〜」

青年「寝てる?今頃でも?」

荒潮「えぇ。でも人間の寝るとは違うと思うわぁ。ボーッとする感じ、かしらねぇ」

青年「それって寝てるのとは違うのか?」

荒潮「ならやって見ましょうか」

荒潮が座布団を二つ取り出す。

荒潮「ほら、座って座って」

青年「俺もか」

荒潮「当たり前じゃない。これはねぇ、坐禅、と言うのよ〜」

青年「ざぜん」

荒潮「本に書いてあったの。まずはこうして座ってぇ」

青年「正座じゃなきゃダメか、これ」

荒潮「え?あらぁ?正座苦手なのかしら〜?」

青年「あんな座り方得意な方がおかしいんだよ」
71 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 01:57:31.23 ID:NtS59UH7O
荒潮「大丈夫よ。座り方はなんでもいいわ。大事なのはここからよ」

青年「そりゃよかった」

荒潮「後はただじっとするだけ。何も考えずに空っぽになるの」

青年「…それだけ?」

荒潮「それだけよ?」

青年「いやいやそれが難しいって話だろ。何も考えないなんて」

荒潮「まあ難しいのはそうなんでしょうねぇ。座禅って修行の一環だったらしいもの」

青年「荒潮は修行したのか?」

荒潮「私は最初からできたわ。ほら、カミサマだもの」ドヤァ

青年「へー」

荒潮「あら、疑ってるわねぇ。ならお手本を見せてあげる」
72 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 01:58:04.45 ID:NtS59UH7O
荒潮が目を瞑り、大きく息を吸って吐く。

まるで置物のように綺麗な姿勢のままゆっくりと目を開ける。

寝ぼけているかのような半開きの瞼の裏に虚ろな瞳が見える。

青年「…」

荒潮「…」

青年「え、これもう始まってるのか?」

荒潮「…」

青年「おーい、荒潮。おーい?」

荒潮「…」

青年「…」

目の前で手を振ってみる。瞳はピクリとも反応しなかった。

いやしかしこれだけではまだからかわれているだけの可能性がある、というかその方が有り得る。
73 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 02:01:48.40 ID:NtS59UH7O
青年「なぁ、これ本人以外からじゃ出来てるか分からなくないか?」

とりあえず荒潮の肩に手を置いて根本的な疑問を投げかける。

だがここで違和感があった。

青年「荒潮?」

別に手の感触におかしな点はなかった。ただ、なんと言うか、生き物に触れている気がしなかった。

少し怖くなってゆっくりと手を肩から首筋にズラす。そこでハッキリと気付いた。気付いてしまった。

"心音がしない"

青年「!?」バッ

慌てて手を離し半ば引っ繰り返るような形で距離を取る。

なんだ?今、何に触れた?いや、むしろ"今まで触れていたこいつは何なんだ?"

畳の独特の匂い、古い木造建築の妙な空気、閉じられたこの塔の中に鎮座する目の前の何か。

色んなものがいっぺんに自分の中に入ってきてわけがわからなくなった。

自分の掌を見つめながら混乱する思考をどうにかまとめようとしていた時だった、

荒潮「ビックリ、させちゃったかしら」

声がした。

顔を上げるとそこにはいつもの荒潮がいた。

愉しそうに笑う口と、少し寂しそうにこちらを見つめる瞳。

青年「荒潮、生きてるのか?」

荒潮「さぁ、どうかしらねぇ。私ではそれを証明できないもの」
74 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 02:02:15.62 ID:NtS59UH7O
荒潮「ふふ、驚いたちゃったかしら〜。それとも怖かった?そんな顔キャッ!?」

抱き着いて、抱きしめた。

あの夜と同じく、荒潮の顔を胸に抱いて。

荒潮「ちょっと、急に何」
青年「荒潮!」
荒潮「は、はい」

自分の心臓の音がうるさかった。それでも集中して耳を澄ます。

荒潮からも、微かにだが俺と同じように小刻みに震える心音が聞こえてきた。

青年「…ビックリした」

荒潮「…私もよ」

互いの鼓動が落ち着くまで、なんとなくそのままじっとしていた。
75 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 02:02:52.07 ID:NtS59UH7O
荒潮「私、人じゃないのよ」

青年「知ってたよ。でも、ここまでとは思ってなかった」

荒潮「神様だもの」

青年「そう、らしいな」

荒潮「少し待っててちょうだい」

荒潮が体を離して部屋の奥へ行く。祭壇のような場所から何かを持ってきた。

青年「なんだそれ」

荒潮「短刀よ。儀式用のだけれど。こっちは升」

青年「ます?」

荒潮「見ていればわかるわ」
76 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 02:03:23.66 ID:NtS59UH7O
正座をして目の前にますとかいう入れ物を置いた。短刀で何をするんだ?

そんな悠長なことを考えている俺の目の前で、

荒潮は右手首を担当で切りつけた。

青年「は?」

あまりに唐突で理解不能な行動に思考が停止する。

だから手首から血がますに向けて滴り落ちるのを見ることしか出来なかった。

荒潮「こんなものかしら」

幾らか血を流した後手首の傷を自らで舐める。

青年「何、してんだ、お前」

荒潮「儀式よ。この村の人々が享受している、私というカミサマの力よ」

そう言って血の入ったますを差し出してきた。

思わず目を背けてしまう。
77 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 02:03:57.82 ID:NtS59UH7O
荒潮「大丈夫よ。あなたが思っている物じゃないわ」

荒潮が俺の目の前でますを少し振った。

ザッという音がした。細かい粒が擦れる音が。

青年「これは、米?」

荒潮「そうよ。私の作ったお米」

荒潮が右手を振る。手首の傷はもうふさがっていた。

青年「俺が食った米も、これなのか…?」

荒潮「そうよ」

青年「こんな事して、大量に米を…?」

荒潮「たまにだけれどね。流石にそういう時は暫く動けなくなるけれど」

青年「なんで、なんでこんな…」

荒潮「さぁ、どうしてかしらねぇ」

傷付いていたはずの右手をそっと掴んだ。小さくて柔らかいその手に、やはり傷はない。

荒潮「試してみる?」

青年「!!」

再び荒潮を抱き締めた。怖くて、強く抱き締めた。
78 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 02:04:28.45 ID:NtS59UH7O
こうしているとただの子供だ。他の人と何ら変わらない。

そう思ってないと頭がおかしくなりそうだった。

荒潮「言ったでしょう。私、人じゃないよ」

手でそっと押された。荒潮が俺から数歩離れる。

荒潮の後ろに例の壁が見える。神様の絵が。

荒潮「このまま首や臓腑を引き裂いても、果たして死ぬかどうか怪しいものよねぇ」

青年「なんで、そんな事まで俺に話すんだよ」

荒潮「あら、てっきり知りたいのだと思ってたわぁ。迷惑だったかしら」

青年「知らずにいれば、と思わずにはいられねぇよ」

荒潮「ふふふ、そう」

何でこんな話をしたんだろうか。

何で俺を突き放すようにするんだろうか。
79 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/04/05(月) 02:05:29.91 ID:NtS59UH7O
最上んごめん設計図無かったよ…

元ネタはSEKIROのお米ちゃん
80 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/05/17(月) 14:31:59.20 ID:OC6fDBFto
柿あげなきゃ(使命感
81 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:45:31.84 ID:kaLjlP3W0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

少年「何かありましたか?」

夕飯を運んできた少年はそんな事を言い出した。

青年「そう、見えるか?」

少年「なんだか変な感じがして」

荒潮「別にぃそういうわけじゃないから大丈夫よ〜」

青年「変な感じって例えばどんな」

少年「お父さんとお母さんが喧嘩した時みたいな感じで」

青年「お、おう」

嫌な例えだった。両親ってのは俺にはピンと来なかったが。

荒潮「?」

どうやら荒潮もそうらしい。
82 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:46:11.16 ID:kaLjlP3W0
青年「美味いな」

荒潮「醤油なんかがあればいいのだけれどねぇ」

青年「あれは高価だぜ。その分美味いがな」

荒潮「嫌な時代だわ〜」

青年「しかしいいのか?客人に魚まで出して」

荒潮「食糧事情は少しづつ良くなっているもの」

青年「ほぉ、努力の賜物か」

荒潮「いいえ」

青年「え、じゃあなんで」

荒潮「年々人が減ってるからよ」

青年「…」

荒潮「もう三十年もすれば、三食魚が食べられるわ」
83 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:46:59.66 ID:kaLjlP3W0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

聞いた事がある。

群れで生きる生き物は、その数が例えば残り百にまで減ったなら、その時点で絶滅が確定するとかそんな話を。

種を残すにはアダムとイブだけでは不足なんだとか。

人も同じだという事だろう。

こんな小さなコミュニティで、しかも食料も限られる。当たり前の結果だ。

青年「なぁひとついいか?」

少年「はい?」

食べ終わった食器を抱えて部屋を出たところで声をかける。荒潮に聞こえないように。

青年「君はここへ出て外に行きたいと思うか?」

少年「…思います。でも多分、行きません」

青年「何故?」

少年「荒潮が、カミサマがここにいるから」

青年「アイツが、何故」

少年「彼女を置いては、行けないですから」

少し恥ずかしそうにそう言った。
84 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:48:00.96 ID:kaLjlP3W0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

青年「なあ」

荒潮「なぁに?」

あぐらをかいた俺の足を枕に寝そべる荒潮。

夕飯を食べてから、というか食べる前からずっとこんな感じだ。

お互いに口を開かず、でも触れ合ったまま。

今は荒潮が巧みにあやつるあやとりを見様見真似で練習していた。

青年「暗くなってきた」

そういや昨日はこの時間に寝たんだったな。

荒潮「そう、ねっ」スッ

反動をつけて荒潮が起き上がる。どうやら例の灯りを取ってくるようだ。まだ起きているつもりなのか。

青年「寝なくていいのか?」

荒潮「睡眠は、必要じゃないもの」

そう言いながら灯りを俺の横に置き、手を入れて、

火をつけた。
85 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:48:31.29 ID:kaLjlP3W0
青年「は?」

ポンと言う音と共に、何も持っていないはずの手で火がついた。

荒潮「こんなことも出来るのよ、私」

俺の目の前で人差し指と親指を擦る。

火種、というより小さな爆発のようなものが起こる。

青年「こりゃカミサマの方かもしれねぇな」

火が起こせるとかサバイバルではあまりにも重宝される能力だ。

荒潮「便利でしょ〜」

青年「他には何か出来るのか?」

荒潮「そうねぇ」ゴロン

再び俺の足を枕に寝転びあやとりを始めた。

荒潮「はい」

青年「…それは」

荒潮「十段はしご」

青年「そういう事じゃなくてな」
86 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:49:08.69 ID:kaLjlP3W0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

青年「ふぁ…ん」

荒潮「…寝ましょうか」

青年「やっとか」

荒潮「あらぁ、眠いなら寝てても良かったのよぉ」

青年「灯りもついてるのにか」

荒潮「私は夜目が効くもの。消しても構わないわよ〜」

青年「先に言えよ」

互いに寝巻きに着替える。まあ俺の方は下着になるだけなんだけど。

布団に入る。うん、やはり布団はいい。寝袋にもこれくらいのやわらかさが欲しいもんだ。

目を瞑る。

荒潮に、色々と話したい事があるにはあるのだが、眠いな今日は。

そう思っていたら急に身体に何か重いものがのしかかってきた。人型の何かがまるで掛布団のようにピッタリと密着してきた。

何か、なんて考えるまでもないが。
87 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:49:49.11 ID:kaLjlP3W0
青年「今度は一体何しウブォッ!?」

目を開けて俺にのしかかっている荒潮を見て、瞬時に顔を逸らした。

掛布団一枚を隔てているから分からなかった。

素っ裸だった。

荒潮「あらあら、初心な反応ねぇ」フフフ

青年「こここんなんも誰でもこうなるわ!つかなんで下着てないだお前!」

荒潮「下着は元から付けてないわよ?」

青年「はあ?」

荒潮「一日の殆ど部屋から出ないしぃ、殆ど動かないもの〜。わざわざ付ける理由がないでしょう?」

青年「一昨日からずっとこれだったのかよ…」

荒潮「ええ、そうよ」

青年「とりあえず離れろ早急に離れろつか服着ろ」

顔を横に逸らしたまま感覚で荒潮の肩を掴み身体から離す。

相変わらず軽いし、少し力を入れれば折れそうな程細い。何より温かかった。
88 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:50:27.68 ID:kaLjlP3W0
荒潮「どうして目を逸らすの?」

青年「流石に裸はダメだろ色々と」

荒潮「ふぅん」ガシッ

青年「ん?」

右手を掴まれた。

思いの外強い力で肩から手をズラされ、体の中心の方へ持っていかれて、

荒潮「ねぇ」

青年「」

右手に柔らかい感触がした。

小さいがハッキリとした形がある。

荒潮「聞こえるかしら?」

青年「」

右手がさらに押し当てられる。

掌の真ん中辺りに何か少し硬いものが当たる。

もうなんかいっぱいいっぱいです。

いっぱいつーかおっぱ待て違うそうじゃない。

指一本でも動かしたら死ぬという想いと掴んでしまいたいという想いが頭の中をぐちゃぐちゃにしてて笑える。
89 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:51:09.93 ID:kaLjlP3W0
荒潮「ねぇ、どうなのよ」

青年「ナニガデスノン」

荒潮「私、生きてる?」

青年「…」

その真面目な少し暗い声にぐちゃぐちゃになっていた脳が少しづつ落ち着いてくる。そして気づいた。

心音が伝わって来ない。

青年「なんで」

目を開け、荒潮と向き合う。裸とかどうとか気にしてる場合じゃなかった。

目の前にある温かい何かが一体何なのか、分からなくなった。

何か、気持ち悪いものに触れている気すらしてくる。

青年「なんでだ。お前今、眠ってないだろ」

荒潮「私はずっとこうよ。一昨日から、生まれた時から」

青年「でも、一昨日の晩は、それにさっきも!」

あの時心音はあった。確かに生きていた。

荒潮「それは貴方の音よ」

そう言うやいなや、俺の布団を素早くめくり入り込んできた。

身体が殆ど直に触れ合う。
90 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:51:43.03 ID:kaLjlP3W0
小さい身体だ。互いの心臓の位置は同じくらいだが足は俺の膝下あたりまでしかなく、顔も肩に乗る程度。

荒潮「ほら、聞こえる?」

馬鹿みたいに脈打つ俺の心臓に重なって同じような心音が聞こえる。

いや同じようなじゃない。同じ心音が聞こえる。

全く同じ、俺の心音が。

青年「どうなってんだよ…」

思い返せばさっきも、一昨日もそうだ。

荒潮から聞こえた心音は俺の心音に重なっていた。

荒潮「触れ合った人の鼓動が響くのよ。何故かは分からないけれど」
91 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:52:31.40 ID:kaLjlP3W0
再び目を瞑る。

荒潮の体重を感じながら心音に集中する。

木霊のように俺の心音に続いて響く音。

鉄の箱に入っている気分だった。そこに俺の音が反響している。

荒潮「あの子は五代目なのよ」

青年「え、何の話」

荒潮「カミサマになってしばらくして、私は村の子供の中から一番背丈が私に近い子供を選んでこう言ったの。その穢れなき幼い徒人を私の手とする、って」

やけに芝居がかった口調でそう言った。

青年「なんだそりゃ。偉そうな」

荒潮「偉かったもの。そして単純に気になったのよ。私と同じくらいの子供に見えるその子が私とどう違うかが」

青年「で結果は」

荒潮「あまりにも違いが多くてガッカリしたわ〜」

青年「ガッカリするとこなのか」

荒潮「えぇ。そこで気づいたの。その子に抱きついてみた後に。自分の中から鼓動が消えていく事に。私がそれまで命の鼓動をしていなかった事に」
92 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:53:15.94 ID:kaLjlP3W0
果たしていつだったろうか。自分の心臓が脈打っている事をハッキリ認識したのは。

もしその時その音がしなかったら。それまでもずっとそうだと知ったら。そんなの想像も出来ないし、したくも無いな。

荒潮「実験の結果人と触れ合う事で私の中に鼓動が響くと分かったのよ」

青年「実験とか言ってやるなよ。お前に抱きつかれたその子供ショック受けるぞ」

荒潮「あら平気よ。もう20年以上前だもの。あの子も今じゃ人の親よ」

青年「そうか。つまりこの20近く幼い子供を取っかえ引っ変えしてんのかてめぇは」

荒潮「ええ、そうよ」

青年「悪魔かよ…俺も大概だと思ってたがその子らも可哀想な青春送ってんだな…」

荒潮「あらあら失礼ねえ。みんなちゃんと卒業したのよ」

青年「何を」

荒潮「子供を。私を畏れない無垢な幼さを」
93 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:53:51.19 ID:kaLjlP3W0
青年「…って事は俺は子供か」

荒潮「そういえば貴方は全然怖がらないわよねぇ」

青年「いや怖がってはいるぞ。結構ビビる事はあった。今とかな」

荒潮「でも悲鳴をあげたり震えたりはしないじゃない」

青年「そんなになるのか?」

荒潮「ここの大人達はそんな感じよぉ。貴方はそうならない。なんでかしら〜、慣れ?」

青年「どうだかな。深海棲艦やら艦娘やら妙なのに会うことは多かったしそうかもしれん」

荒潮「あるいは、その師匠の影響かしらぁ?」

青年「かもなぁ…酔って脱ぎ出す奴だったから度胸はついたのかも」

荒潮「あらあら」

青年「それに、怖いしわけわかんねぇけど、それ以上に心配な気持ちが強い」
94 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:54:23.06 ID:kaLjlP3W0
荒潮「ねえ」

青年「待て、その前に降りろ。服を着ろ」

荒潮「嫌よ」

青年「なんでだよ」

荒潮「私をカミサマでも艦娘でもなく人にしてって言ったら、貴方はどうする?」

真っ直ぐ俺を見つめてそう言った。

そのままゆっくり上半身を持ち上げ俺に覆い被さるように前に出る。灯でキラキラと揺れる髪が雨のように俺の顔を降り注いだ。

そして、少しづつ顔が近づいてk
荒潮「あ」ズルッ

情けない声と共に荒潮の体制が崩れる。どうやら体を支えていた手が布団で滑ったようだ。

唇と唇が触れ合った。

あと額とか鼻とかが、結構な勢いで、ゴッツんと。
95 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:55:07.64 ID:kaLjlP3W0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

青年「なぁ」

荒潮「…なに」

青年「お前が拗ねるのはなんか違うんじゃないか?」

荒潮「うるさい」

幸い怪我する程ではなかった正面衝突の後、お互い痛みに悶え、荒潮は俺の布団の中の左側に篭ってしまった。

青年「はぁ」

おかげで冷静になれた。

ぶっちゃけあのままはヤバかった。

青年「寒くないか」

荒潮「平気よ。汗もかかなければ凍えることも無いもの」

強がりなのか本当にそういう身体なのか判断に困る。

青年「でもほら、そろそろ寝ないと」

荒潮「そうね」バッ

俺の布団の中から荒潮が上半身を伸ばす。

一応目は逸らしておく。

荒潮「フッ!」

荒潮が灯りを消した。思いっきり息をふきかけて。

青年「え?あ、おい!息をふきかけちゃダメなんじゃねえのかよ」

荒潮「カミサマの息は清らかだからいいのよ」

青年「ありかよそんなの…っておいおいおいなんでまたそこに戻る」

荒潮「おやすみなさい」

青年「…あぁ、おやすみ」

荒潮に抱きつかれた左手から感じる温もりは、そう悪いものじゃなかった。
96 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:55:50.56 ID:kaLjlP3W0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

青年「…朝か」

よくいつも通り早起き出来たもんだ。昨晩の疲弊した精神では無理かと思ってた。

青年「荒潮〜」

布団を少しめくる。俺の左手に半ば抱き着くような形で眠る素っ裸の少女が見えた。

左手のこの柔らかい感触は太ももか。

絶対に動かさないようにしよう。

青年「起きろ」
荒潮「んぁ」コツン

青年「朝だぞ。さっさと服着ろ」

荒潮「いぃじゃなぁい。何を急いでいるのよ〜」

青年「この状況を少年に見られたら俺は死ぬしかない」

荒潮「はいはい」

面倒だという意思を身体中から出しながら立ち上がる。

荒潮「…」

青年「え」

荒潮「やっぱり二度寝を」

青年「服着ろ」ペン
荒潮「キャッ」

何気なく尻を叩いたら凄く可愛い声が出た。

青年「あー…すまん」

荒潮「うふふふふふふ」

青年「違うんだたまたま丁度いい高さに」
97 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:56:29.78 ID:kaLjlP3W0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

青年「痛てぇ」

ちっちぇ癖にやたらと痛い回し蹴りだった。

…尻柔らかかったな。

荒潮「今日、出ていくのでしょう?」

青年「あぁ、そのつもりだ」

寝巻きや着物ではなく最初に見たあの姿に戻った荒潮がいた。

荒潮「ならぁ、朝食の後少しお出掛けしない?」

青年「お出掛けって、ここを出ちゃ駄目なんだろ」

荒潮「大丈夫よ〜。他の人には合わないところだもの」

青年「なら別にいいけど」
98 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:57:03.63 ID:kaLjlP3W0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

沢だった。

俺達のいた建物の裏から細い獣道を真っ直ぐ行った先にそれはあった。

緩やかな流れでそれなりに広く、浅い所から少し深めのところもある。

荒潮「どぉかしら。私のお気に入りの場所よ〜」パシャ

予めストッキングを脱いできた荒潮が沢に脚を入れる。

青年「転ぶなよ。って言うまでもないか」

踝程度の浅さだがこういう所は案外滑って危ないのだ。

さて顔でも洗うか。

青年「冷たっ!?」

荒潮「あらあらぁ、情けないわねぇ」

青年「お前よく平気で脚突っ込めるな」

荒潮「冷たいわよ?でもそれだけ」

青年「あぁ、そうかい」

人間からしたら体温を奪われるような危険な温度も、荒潮にとってはただ冷たいというだけなわけか。
99 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:57:37.02 ID:kaLjlP3W0
持ってきたリュックを開ける。

下着と小さいタオルや布を幾つか洗う。大きい物は流石に乾かないだろうから諦めよう。

後は水筒に水を入れて、これも洗うかなあ。

荒潮「ねえ」

青年「どうした」

荒潮「艦娘なら、ここでも浮くのかしら」

青年「…さぁな。艦娘もどきは海に浮く力はもうないって聞いたが、浮くとしてもこの浅さじゃどの道分からないだろ」

荒潮「それもそうね」

青年「荒潮」

荒潮「なあに」

青年「お前結局何になりたいんだ」
100 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:58:51.30 ID:kaLjlP3W0
荒潮「私?」

青年「周りが何言ってるのか知らねぇけどよ、お前はなんか無いのか?なりたいもの」

荒潮「なりたいもの、ねぇ。貴方はあるのかしら」

青年「俺はそうだなぁ。師匠にざまぁみろって言えるくらい立派な商人になりたいかな」

荒潮「そう」

青年「ほら、お前の番だぜ」

荒潮「…ないわよ」

青年「何にもか」

荒潮「だってそうでしょう?自分じゃ行先を決められないのよ。それはいつだって貴方達が決める事じゃない」

青年「俺達?」

荒潮「だからぁ、そう、そうねぇ。艦娘かどうかは分からないけれど、私やっぱり船なのねぇ」

青年「船って、なんだよそれ」

荒潮「行き先を決めるのはいつだって人なのよ」

どこか諦めのこもった静かな言葉だった。

荒潮「それにもう何処にも行けやしないわ」

聞きたいことは色々あったが、もうこれ以上何も答えてはくれない気がした。

緑に囲まれた沢の真ん中で、降り注ぐ水に反射する陽の光を全身に浴びる一人の少女を見ながら、時間が過ぎるのを待った。

いや違うな。

ただただ目が離せなかったんだ。
101 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 01:59:38.73 ID:kaLjlP3W0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

荒潮「行くの?」

青年「あぁ。そろそろ時間だ」

荒潮「もうすぐ日が落ちるわよ」

青年「だからいいのさ」

荒潮「何故?」

青年「ヤツらは夜目が効かない。それはこっちも同じだが、同じならば追われる側の方が有利だ。今から山を降りれば丁度日没だろうからな。少し偵察して闇に隠れるさ」

荒潮「ふぅん。そういう事ね」

青年「さてと」

乾いた道具等をリュックに詰める。準備は万端だ。

青年「出る時はどうすればいい?」

荒潮「なら、付いて来て」
102 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 02:00:05.04 ID:kaLjlP3W0
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

青年「いいのかよこんなコソコソとして」

荒潮「むしろぉ貴方をちゃんと見送る方が変な目で見られるわ〜」フフフ

裏道を通って寺の入口の少し先に出た。裏道っつーか獣道だったけど。

青年「何もお前が見送りに来なくたって良かったんだぜ」

荒潮「私がそうしたかっただけよ」

青年「そうかい。ま、ありがとうな。世話になったよ」

荒潮「えぇ。気が向いたらぁ、また来てちょうだいね〜」スッ

青年「気が向いたらな」

差し出された右手と握手を交わす。

荒潮「さようなら」

青年「…」

このままこの手を引いて行けたらどんなにいいだろうか。

きっと楽しい。心強いし、何よりそれは憧れだった。

艦娘という存在。そして彼女達を連れて生きる者達が羨ましかった。

このまま、このまま荒潮を連れて、連れて、何処に行くんだ?
103 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 02:00:38.86 ID:kaLjlP3W0
艦娘と艦娘を連れた人間には幾度も出会った。

彼ら彼女らはそれぞれ好き勝手に生きていて、その力は自由を象徴していると感じた。

でも今になってようやく共通する点があることに気づいた。

荒潮の言う通りだ。

皆目標を持っていた。方向はなんであれそれを達成する為何処か明確な目的地を目指していた。

行き先を知っていた。

揺るぎない羅針を。


俺はどうだろう。

俺にはあるだろうか。

この手を迷いなく引いていける何かが。
104 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 02:01:06.47 ID:kaLjlP3W0
青年「悪い。俺には無理だ」

そっと手を離した。

荒潮「あらぁ残念」

青年「悪い」

荒潮「何も謝ることじゃないわ」

青年「残念って言ったろ」

荒潮「言葉の綾よ、あ や 」

青年「荒潮は、外に行きたいのか?」

荒潮「別にどちらでもいいのよぉ。ただ今回は滅多にない機会だったから」

青年「そうか」

荒潮「そうよ」

青年「じゃあ」

荒潮に背を向け山道に向かって踏み出す。

ここを降りれば、きっともう二度とは
105 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 02:01:40.59 ID:kaLjlP3W0
青年「ん?」

服の裾を引っ張られた。

控えめで弱々しい力だったが足を止めるには十分だった。

振り返ると荒潮が俺を見つめていた。

その表情は、なんというか表現に困るものだった。

悲しんでるとか喜んでるとかじゃなくて、笑ったり泣いたり怒ったりでもなくて、とにかくそういう揺り動かされるようなものじゃなかった。

荒潮「貴方を乗せては行けないから、私を少し貴方に載せて行って」

青年「はい?」

俺が疑問を投げる前に荒潮の両手が俺の首にかかる。

グイと首元を引っ張られ前に屈む形になったところで、縋り付くようにキスをされた。
106 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 02:02:22.93 ID:kaLjlP3W0
目の前にあの金色の瞳を閉じた荒潮の顔が見える。

つられて俺も目を閉じてみた。

息が詰まる。

別に呼吸ができていないわけじゃない。鼻は開いてるし。

それでもその長い長い口付けは深く溺れていくような感覚に陥るものだった。

引き込まれる。

とてつもない力で。

そして見えた。引きずり込まれた先で。

コイツは船だ。

静かに底に眠る船だ。

皆が皆互いにそこで眠っているんだ。

底に留まってるんだ。

朽ちて消えるまで。

この村そのものがそうなんだ。

あの少年の言っていた意味がわかった。

その重力から逃れられずに。

その重力から逃れたくなくて。

俺は、俺はここには、
107 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 02:02:59.97 ID:kaLjlP3W0
荒潮「ッハ」

どれくらいだったろうか。一瞬だった気もするし、ずっとそうしていた気もする。

ただお互い酷く呼吸を乱して、肩で息をしていた。

青年「発情期か?マセガキめ」

荒潮「おまじないよ」フフ

青年「呪い、ねぇ」

今でもはっきりと感じる。コイツとここに残りたいという誘惑を。確かに呪いだこれは。

青年「俺はここにはいたくない」

荒潮「!」

青年「いや、いたくなくはないんだが、でも他に行きたい所があってな」

荒潮「ざぁんねん、でも、ないかもしれないわ」

青年「呪いはもうゴメンだぜ」

荒潮「さっきので十分よ」

青年「え?」

荒潮「私の中には、今貴方がいる。だから貴方も、私を連れて行って」

荒潮が俺の胸を手を当てる。この激しく脈打つ鼓動は俺のだろうか、それとも
108 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 02:03:48.38 ID:kaLjlP3W0
青年「またくるよ」

荒潮「期待しないで待ってるわぁ」

嬉しそうに笑う。

残念というのが嘘だとは思わないが、きっとこの笑顔も本物なのだろう。

振り返らず山を降りた。

足取りが少し軽かった。

生まれた初めてだ。

何処に行くかがハッキリと決まっているのは。

いつかまた胸を張ってここに来れるように、そういう自分になれるように頑張ろう。

いつかアイツを引き上げることができるような、そんな奴になりたい。

しっかりとした足取りで山を降りる。

別に船でなければ行きたい所に行けないわけじゃあるまい。

この足でも、なんとかなるさ。
109 : ◆rbbm4ODkU. [saga]:2021/05/28(金) 02:07:27.46 ID:kaLjlP3W0
おしまい
抱いたらバットエンド

もう書けないのかなぁと諦めてましたが復活してたのですね。
移住とか考えた方がいいのでしょうか。
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/05/29(土) 16:49:15.80 ID:Ns64p8yEo
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/05/30(日) 19:31:54.95 ID:mKe3XkXY0
おつ
いいね
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2021/06/04(金) 05:44:47.76 ID:rhYIhPuk0
更新きてたのか、完結嬉しい。ホント良い雰囲気、そして荒潮と俺もチュッチュしたい
85.99 KB Speed:0.1   VIP Service SS速報VIP 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 新着レスを表示
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)