塩見周子「煎餅ババア」

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90 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 16:57:57.77 ID:a8uQb+4u0
 アイドルになってからの日常は、こんな事ばっかりだ。


 事務所に入った当初、あたしが受けたオーディションは、まさかの役員面接というヤツだった。
 常務っていうお偉方が主導する、『プロジェクトクローネ』とかいう肝煎りのプロジェクトがあって、その参加者を決めるものだったそう。
 受けた時は、「うわっ、なんか圧の強い人おるなー」くらいの印象だったけど、まさかそんな偉い人だとは思わなかった。

 でも、軌道に乗るのも早かった。と思う。
 いわゆる新人発掘の一環であり、お偉いさんのお墨付きでもあったから、そこそこ力を入れて売り出してもらえた。
 シンデレラっていう、一応のライバル関係に当たる隣のプロジェクトの子らとも仲良くなれたし、事務所内でのあたしの立ち位置はすこぶる良好だ。

 そのプロジェクトの活動を終えた後、次にあたしが厄介になったのが、プロデューサーさん。

 あの日、塩見屋まで来てあたしをスカウトしてくれた人。
 東京に来た初日に事務所まで押しかけて、住む場所が無いことを言ったら、目を丸くしながらも入寮の手続きをしてくれた恩人だ。

 本来は、アイドルをスカウトしたら、すぐにそのプロデューサーが担当になるらしい。
 クローネは常務さんの管轄だから、一介のプロデューサーが口を挟むこともできず、内心ヤキモキしてたんだって。

 プロジェクトが終わり、ようやくあたしを担当する事になったプロデューサーさんは、ちょっと嬉しそうだったのを覚えてる。
91 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:01:00.80 ID:a8uQb+4u0
 挨拶もそこそこに、あたしは当初から聞きたかったことをプロデューサーさんにぶつけてみた。
 一体あたしをどういう風に売り出したいのか。何をしたら良いのか。

 プロデューサーさんの答えはこうだ。

「何もしなくていい」

 ――は?
 え、何それ。働かなくていいってこと? ホントに?
 なんて、そんな美味い話なワケないよね。

 要するにプロデューサーさんは、飾らない、自然体の状態でいてくれ、って事を言いたかったみたい。
 新人アイドルに対する、ただの「肩の力を抜け」っていう忠告ではなく、そういうキャラこそが塩見周子の魅力なのだと。

「一つとして同じ星は無い。
 周子らしくいてくれさえすれば、それが周子の輝きになる」

 言うは易し、だ。
 頑張らなくていいって解釈できるなら楽そうだなとか思ってたけど、意識すればするほど飾ってしまう。
 まして、「あたしはこの道で頑張るんだ!」って少なからず意気込んでいたから、どうしたって肩に力を入れなきゃ落ち着かない。
 (もしかしてあたし、結構真面目?)
92 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:06:20.24 ID:a8uQb+4u0
 あたしに課された「飾らないキャラ」というセルフプロデュースは、とてもじゃないけど無理難題だった。

 仲間がいなかったら。


 おかげさまで、今いるプロデューサーさんの元には、あたしの他に個性豊かなアイドル達がウンザリするほど居る。

 電車の乗り方や箸の使い方もまともに知らん、人智を超えた気まぐれの塊たるギフテッド。
 面白おかしいテキトーなアッパーテンションで皆を楽しくしちゃう、なんちゃってハーフおフランス。
 お姉さんを通り越しておかんの役回りを強いられる、苦労人の相丸出しのカリスマギャル。
 年齢詐称かってくらい大人びてるけど、なんやかんや弄り甲斐のある小悪魔気取りのリーダー。

 さっき一緒にインタビューを受けてくれた、紗枝はんっていう同郷の子も一緒だ。

 こんな個性豊かなメンバーに囲まれてりゃ、せいぜい髪を染めて個性を手に入れたつもりのあたしなんかまるで空気。
 おかげさまでのんびりユルくやらせてもらえて、それが結果的にプロデューサーさんの要求?にたぶん応えているんだから、感謝感謝だよねー。
93 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:08:20.12 ID:a8uQb+4u0
「和菓子と言っても、何でも良いというものではないんでしょう?」

 志希ちゃんを皆で引き摺りながらレッスン室に向かう途中で、奏ちゃんが思わせぶりにあたしに尋ねてきた。

「どういう意味?」
「さっきの差し入れ、あなたは一口も手につけていなかったみたいだから」
「あぁ、そうだっけ」

「そっか、周子ちゃんの実家、京都の有名な和菓子屋さんなんだよね」

 美嘉ちゃんが納得したように頷き、あたしに振り返る。

「プロデューサーに頼んでさ、周子ちゃんちの和菓子、取り寄せてもらおうよ。
 経費で落とせなかったら、アタシ達でお金出しあってもいいしさ★」
「おほー、さすが美嘉ちゃんお金持ちやなー、あざーっす」
「い、いやいや! アタシ一人持ち!?」
「あはは、まぁ頼めば送ってくれると思うよ」

 家出、もとい家を追い出された後も、実家への電話は定期的にしてあげている。

 でも、そうか――お菓子の仕送りを頼むのは、初めてだな。
 家にいたときは毎日食べていたのに。
94 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:09:50.78 ID:a8uQb+4u0
 どんな種類があるのかと聞かれて、昔取った杵柄というヤツで一通り紹介してみる。
 お菓子作りが趣味なだけあって、フレちゃんも興味津々そうに食いついた。

「カスタード餡は知ってたけど、チョコとかイチゴもあるんだー。
 さすが歴史アリだねー、楽しみだなーシューコちゃんのお袋の味しるぶぷれ〜♪」
「んー……お袋ってより、むしろ親父の味かな。
 お母さんはあたしと同じで、売り子役だったから」
「パパデリカ?」

「ま、ケチくさい店だから値引きとかは無いだろうけど、味は保障するよ。
 今度実家に電話しとくわ。請求書はプロデューサーさん宛てでさ」

 ケラケラと笑いながら、いつものようにレッスン室の扉を開ける。
 いつもと違う心持ちになったのは、トレーナーさんが鬼の形相で遅刻したあたし達を待ち構えていたから、だけじゃない。

 1年以上ぶりに塩見屋の和菓子を食べられるのが、内心楽しみになっていた。
95 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:11:36.20 ID:a8uQb+4u0
「……あぁ、もしもしあたし」
『テレビ見とるよ。
 綺麗な黒髪やったのに、そないな色にして……ほんま悲しいわ』
「あーもう、何回それ言うん?
 ほら、この髪色になってそこそこキャラ立ってる所もあるんやし」

 レッスンが終わって事務室に戻るなり、すぐにあたしは実家に電話をした。

『そうは言うてもねぇ……で、今日は何の用?』
「とりあえずさ、八ツ橋とお団子」
『はい?』
「4種類20個入りのあったでしょ。八ツ橋はそれを8箱と、お団子は普通のと胡麻のヤツ2箱ずつ。
 メンバーの子らとプロデューサーさんのお土産の分もあるから、持ち帰り用の袋も6個入れといてくれる?」

 久々なもんで、ちょっとはしゃぎ過ぎたかな?
 思いつくままに注文すると、電話の向こうのお母さんから呆れるようなため息が聞こえた。

『そんなに頼んで大丈夫なん? ウチは構わないけれど』
「大丈夫大丈夫。あたしの事務所、結構人いるから余ること無いって」
『そうやなくて、お金の問題。
 ウチは負けられんけど、ちゃんと経費っていうので落ちるん?』
「あぁ、ちょっと待って」

 一旦顔を上げて、あたしは部屋の隅にあるプロデューサーさんのデスクを見やった。

「プロデューサーさーん! あたしの実家のお土産経費で落ちるー?」
96 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:14:00.80 ID:a8uQb+4u0
 プロデューサーさんはキーボードを叩く手を止め、困り眉をしながら手を上げた。
 あたしに送られたサインは、バツ印の“×”だ。

「大丈夫だってさ」
『そう? あんまりプロデューサーはんを困らせるようなコトしたらあかんえ』
「いやぁ、その辺は上手いことやってるからさ、心配しないでよ」
『あんたは調子だけはええんやから……それで、送り先はこの間メールしとった住所でええねんな?
 宛先は、みしろプロダクションやったっけ。みしろってどういう字書くん? 三つの代でええの?』
「ううん、数字」
『数字ぃ?』
「数字で346」

 ところで、お父さんから借りたお金は、まだ返していない。

 自分で言うのもなんだけど、今のあたしはハイティーン世代に大人気のアイドルユニットの一翼だ。
 それなりに稼ぎはあるし、返そうと思えば返せなくもないんだけど――。

「うんうん、んじゃそういう事で」
『ええ……ところで、周子?』
「ん、何?」

 返しちゃったら、繋がりが消えちゃうというか。

『あんた、言葉変わったねぇ』

 すっかり東京人らしくなっていく自分が、何となく寂しくなる気持ちもあったりして。
97 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:15:09.70 ID:a8uQb+4u0
 後日。

「うーぉ、重ったぁ……!」
「手伝うよ、周子ちゃん★」
「助かるわ」

 絶対あたしが注文したヤツ以外のも入ってるでしょ、ってくらいの量がダンボール1箱分、事務所に届いた。
 数も数えられんのか、お母さんめ。

「ワァォ☆ シューコちゃんのお団子もう届いたんだー!
 アタシ朝と昼しか食べてないからすっかりお腹ペコチャンだよー、早く開けよ−♪」

 あたしのじゃなくって、あたしのパパデリカのだけどね。
 まぁいいや。
 皆がこうして喜んでくれるのは、悪い気がしない。

 ビリッとガムテープを剥がして開封すると、中には菓子箱がギッシリ。
 どうりで重いわけだ。
98 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:16:41.00 ID:a8uQb+4u0
「こんな送りつけ商法でもさ、請求されたら払わなきゃいけないんかな。
 プロデューサーさん可哀想に……」
「勝手にプロデューサー持ちって決めつけてるし」
「まぁ、あの人もたくさん残業して、使う暇も無いだろうから、ね?」
「奏ちゃんも悪い顔してるわぁ」

 あーあー、美嘉ちゃんの「待て」を待たずして志希ちゃんが手近の八ツ橋を開封してペチャクチャ食べだしちゃった。
 ていうかあの時わざわざゴザ持ってきて雰囲気がどうとか言ってたくせに、あたしの時には無いんかい。

「ふむふむ……んー、あれ?」

 口の周りを餡子でベチャベチャにした志希ちゃんが、突然鼻をくんくんと鳴らし、辺りを見回す。

「どうしたん?」
「んー、ちょっと違う匂い……ハスハス、お、違和感の正体はやっぱりここかにゃ?」

 ゴソゴソと箱の中を漁り始める志希ちゃん。
 だーから手を拭きなっての。
 あ、フレちゃんが濡れタオルあげた。さすが気配り屋さんやね、フレちゃん。

 そして、目当ての物と思われるそれを、彼女は引っ張り上げた。
99 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:18:43.48 ID:a8uQb+4u0
「志希、それは?」
「あたしにもわかんなーい、にゃははー♪」
「よく見たら、他のと包装がちょっと違う……っていうか、周子ちゃんちのお店じゃなくないそれ?」

 そう。
 それは塩見屋のお菓子じゃなかった。

 でも、あたしには見覚えがある。
 忘れられるはずがない。

「お煎餅屋さんもあるんだねー、スッゴいたくさん入ってない? ポチャデリカになっちゃう?」
「お団子と比べれば低カロリーだけど、ザッと見た感じ成人女性一人当たりの摂取カロリーを優に上回る分はあるねー。
 もっとも、食べきる前に体力と顎が消耗しちゃいそうだけど。
 美嘉ちゃん美嘉ちゃん、ここは一つチャレンジしてみない?」
「な、何でアタシが!? でも美味しそう!
 オーソドックスなお醤油と胡麻、あっ、ザラメもあるじゃん。アタシザラメ好きなんだよねー」


 どうして、こんなものが入っているんだろう。
100 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:19:43.66 ID:a8uQb+4u0
「……周子?」

 お母さんや、お父さんだって、あの人とはもう関わらないつもりでいたはずだ。
 あたしも――挨拶を交わしていない。

「周子ちゃん、どうしたの?」

 あたしがアイドルになった事を、ばあちゃんは――テレビとかを通じて、知ったのかな。
 それで、これをあたしに――?

「シューコちゃん……」


「こんな……どうして……」

 どうりで重いわけだ。
 塩見屋の菓子箱の下、ダンボール箱の底にあったのは、ギッシリ詰まったお煎餅の箱。

 それと――ばあちゃんからの手紙。

 忘れられるはずがないものの中に、ずっと忘れていたものを思い知らされたのは、久々に味わうレベルの衝撃だった。
101 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:21:46.02 ID:a8uQb+4u0
 ・ ・ ・ ・ ・

 シュウちゃんへ


 お元気にしているでしょうか?
 東京におられるとのことですが、お身体の方は、お変わりないですか?

 煎餅の婆は、いつもの場所で細々と煎餅屋をやっております。

 先日、お母様より話をお聞きし、ご迷惑かと存じますが、贈り物をさせていただきました。
 お友達と一緒に、召し上がり下さい。
 人懐こいシュウちゃんですから、そちらでもお友達がたくさんいることでしょうね。

 何だかとても、シュウちゃんが小さかった頃のことを懐かしく思い出しながら、筆を執っています。
 小さな看板娘に助けられた、あの日々を。
 今ではとても美人に育っているのだろう、お母様に似て溌剌とされているのだろう、
 などと、勝手に思いを巡らすばかりです。

 先日、京都では雪が降りました。
 東京ではきっと、珍しい事ではないでしょうか。

 こちらの方は気にせず、どうかお身体にだけ気をつけて。
 シュウちゃんのやりたい夢を、伸び伸びと。

 京都へお帰りになることがあれば、婆の所へも立ち寄ってくださいね。

 息災でありますように。


 煎餅の婆

 ・ ・ ・ ・ ・
102 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/08/14(日) 17:53:32.87 ID:a8uQb+4u0
 その時は、どうやら早く訪れそうだった。
 ゲスト出演するドラマの撮影のため、紗枝はんと一緒に京都へ行く事になったのだ。

 撮影自体は1日で終わるらしい。
 それでも、ユニット皆のスケジュールを調整し、前日から前乗りして1泊する予定を組んでくれたのは、プロデューサーさんの計らいによるものだった。

「ありがとう、って……言うべきなんは、分かってるけど」

 プロデューサーさんのデスクの前のソファーに腰掛け、フッと力無く笑ってしまう。
 人の好意を素直に受け止めることができない、自分の器量の小ささに。


「あたしさ……実家から追い出された、んだよね」

 知ってる、というプロデューサーさんの声が聞こえる。
 あたしが話してんのに、仕事の手を止めようともしない。

 ったく、この人はどこまでも淡泊やなぁ。
 まぁ、そういう所がありがたいし、こっちも遠慮無く独り言を続けられるんだけどさ。

「でも、実家に顔を出したくないのは、それが理由ってワケじゃない。
 むしろ、あたしは……あ、皆には言わんといてね? あたし結構、故郷に錦を飾ってやるんだ、って思ってて。
 今の自分のいる場所っていうか……到達点?っていうのには、満足してて、たぶん凱旋ってことになるんだろうなー、なんて」
103 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:55:34.49 ID:a8uQb+4u0
 目の前のセンターテーブルには、例の煎餅が1箱置いてある。
 他所の人から見れば、それはごく普通の差し入れにしか見えないんだろう。

 あたしはそれを1枚取り、目の前に掲げた。

「実家じゃなくて……この煎餅屋さんなんよ。
 あたしには、ずっと心の中で重しになってた。
 何で重しになってんのか、あたし自身、分からなかった。でも……ついさっき、分かってさ」

 こういう風に表現するのは、きっと間違いなんだと思いたい。
 ただ、この気持ちに一番近い言葉で言い表すなら、“トラウマ”なんだろう。

「アイハバドリーム……あの有名なヤツ。私には夢がある、ってね。
 その煎餅屋のばあちゃんにもあたし、夢があったんか聞いたんよ。
 その聞き方がさ、ホント……アホやなぁっていう聞き方でさ」

 食べなくても知り尽くしている味。
 キラキラした思い出も、そうじゃないものも、全てがこの1枚には詰まっている。
 あたしはずっと、それを避けてきた。

 心の中にずっと残っていたしこりの正体を、ようやく認識できた。


「どうして煎餅屋さん“なんか”になろうと思ったん、ってね……聞いたんだよね」
104 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:58:29.10 ID:a8uQb+4u0
 何であんなに失礼なことを、無意識に言ってしまったんだろう。

 それはずっと、あたしの胸の中にチクチクしていて。
 でも何が良くないのかも、よく分かっていなくて。

 たぶん、“後悔”というのもある。
 でもそれは、他のシーンでも散々やっていることで、あたしが既に知っていた感情。
 今回のとはちょっと違う。

 あの時感じたあたしの感情の正体は、“負い目”だ。

「煎餅屋のばあちゃんに、その日からあたし、会うのが何となくしんどくなっちゃった。
 ばあちゃんに、自分の夢を否定されるのが怖かったのもある。だけど……
 あたしは……何かアカン事をした、って、心のどこかで分かっちゃうのが、怖かったんかな」

 失礼な事を言ったことに、面と向かって謝ることすらビビっていたなんて、ね。


 ばあちゃんからの手紙には、「京都では雪が降りました」とあった。

 今は初夏だ。
 当たり前だけど、雪なんて降るはずがない。

 いよいよ本当にボケてしまったんだろう。

 人との繋がりが無くなった人は、その進行が早いって聞いたことがある。
 お店にお客さんがめっきり来なくなれば、さもありなんってヤツだ。

 そして、そのきっかけを生んだのは、あたし。
 そんなつもりは無かったとしても、結果的に突き落としたんだ。
105 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 17:59:49.22 ID:a8uQb+4u0
 ――――。

 ――えへへ。
 なーんてね。ガラにも無くちょっとおセンチになっちゃったわ。
 照れ隠しに大袈裟な仕草で袋を開け、中のお煎餅をパリッと頬張ってみる。

 あぁ――懐かしいな。やっぱ。

「思いも寄らない拍子に、いきなり何かこう、ポロッと思い出すのってあるもんだねー。
 大した思い出でもないのにさ。何でこんなピンポイントでフラッシュバックすんだろ?
 変な話しちゃってごめんね、忘れてや」


「そんな事はないよ、周子」

「えっ?」


 いつの間にか、プロデューサーさんの仕事の手が止まっていた。

「成長したから、当時は分からなかった感情に、今気づくことができた。
 それは大した事のない思い出でも、変な話でもなくて、とても尊い事なんだと思うし」

 ガタッと椅子を引いて立ち上がり、あたしの前に座り直す。

「きっと周子自身、そこに置き忘れてきた何かがあるんじゃないかな」
106 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:01:08.79 ID:a8uQb+4u0
「置き忘れてきた何か?」

 煎餅を1枚取り、プロデューサーさんはニコリとあたしに笑いかけた。
 言葉は淡泊なくせに、とても優しい顔。

「たぶん、呼ばれているんだよ。
 お婆さんだけじゃなく、“負い目”を感じたその時の周子からも。
 この煎餅は、清算したい過去を持つ周子に宛てた、周子自身からの便りでもあるんだと思う」


「……へぇぇー、プロデューサーさん、結構ポエミーだねー♪」

 なんて、斜に構えて揶揄するのはあたしの悪い癖だ。

 過去にチョンボをしたあたし自身に、あたしが呼ばれている、か――確かにね。
 ええ事言うやん。


「でもさぁ〜〜……」

 あたしはグデーッとソファーに寝そべり、手持ちの煎餅をモソモソと囓る。

「どんな顔して会ったらいいんか、分かんないもーん……
 あ、いや、怒られるのが怖いって話じゃないんよ? 違くてね? そのぉ、さ……えーと」

「女は度胸、ですえ。周子はん?」

「へ? うわあぁっ!?」
107 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:02:43.94 ID:a8uQb+4u0
 視線をふっと外した先に、いつからそこにいたのか、紗枝はんがソファーの上からあたしの顔を覗き込んでいた。
 ビックリして飛び起きちゃったけど、頭ゴチンってぶつけなくて良かったわ。

「な、何、何っ?
 あ、奏ちゃんもおる。いつからそこにいたん、二人して」
「何やらプロデューサーと、親密そうな話をしているように見えたものだから」
「ほんまに周子はん、自分がからかわれる側になるとかいらしなぁ」

 普段あたしに弄られている腹いせか、目を合わせてクスクスと笑ってみせる二人。
 ていうか、プロデューサーの位置からだと絶対見えたでしょ。
 言ってよー、意地悪いなぁ。

「それはそれとして」

 コホン、と咳払いを一つして、奏ちゃんがちょっとだけ真顔になる。


「せっかくプロデューサーが、私達のスケジュールを調整してくれたんでしょう?
 行ってする後悔よりも、行かない事による後悔に付き合わされる方が、ユニットメンバーとしては面白くないのだけど」

 グサッ――!

「前、うちが帰省するんに二の足踏んでた時、周子はんがうちの背中押してくれはったやろ?
 せやから、今度はうちが周子はんの背中、押させてもらわんと。
 一方的に言いたいこと言うんは、ふぇあとちゃいますなぁ?」

 グサグサッ――!
108 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:03:43.89 ID:a8uQb+4u0
 ――あーあ、はいはい分かった分かりましたっ。

 まったく、愉快な仲間に囲まれて助かってますわ、ホントに。

「何をため息してるん?」
「紗枝はん、これため息じゃなくて深呼吸ね」
「そうやなぁ、りらっくすは周子はんの十八番やさかい、サマになってるわぁ」

 うっさいわ。
 ったく、あの時のコバにこんなかいらしい親戚がおったとは。

 ふぅ〜〜――よし。


 あたしは今一度プロデューサーさんに向き直った。

「お言葉に甘えて、帰らせてもらうわ。
 プロデューサーさんの目論見通り、“実家”にね」

 フッと満足げに笑うプロデューサー。
 その横で、奏ちゃんがソファーの肘掛けにもたれ、クスッと悪戯っぽく微笑む。

「楽しい旅になりそうね」
109 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:05:58.87 ID:a8uQb+4u0
 京都って、帰ろうと思えば3時間くらいでサクッと帰れちゃうんだよね。
 東京での普段の仕事でも、1日中あっちこっち移動してればそれくらい時間かかってる時もある。

 だからと言って、感じ入るものが無いと言えばウソになる。
 久しぶりに故郷の駅に降り立つと、あぁ、これが郷愁ってヤツなんかなぁ、なんて。

「どんな匂いする?」

 新幹線の中では20〜30分おきに暴走と爆睡を繰り返していた志希ちゃんが、興味津々そうにあたしの顔を覗き込む。

「自分のルーツに直面すると、周子ちゃんはどんな気持ちになるのかにゃ?」

「志希ちゃんの実家って、岩手だっけ? そこに帰った時と同じような気持ちだよ」
「実家とかしきちゃん分かんなーい、にゃははー♪
 ダッドに連れられてアメリカとか色々行ってたからねー。
 ふーあむあい、ふぇあいずまいるーつ、ゆーのう?」

 美嘉ちゃんが、志希ちゃんの分の荷物を持ちながら追いかけてくる。
 それから逃げるように、志希ちゃんは駅前の階段をステップを踏むように跳ねながら降りていく。

「だから、後で教えてね?
 ついでに言うと、今の周子ちゃん、すっごくイイ匂いしてるよ♪」
「こらあぁ待てぇー、志希ちゃん!」
「わーい♪」
110 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:08:09.79 ID:a8uQb+4u0
 必死に追いかける美嘉ちゃんを茶化すように、志希ちゃんは向こうの通りへと駆けていってしまった。
 あーあ、あたしんちそっちじゃないんだけど。
 まぁいいか。

「周子」


 後ろからあたしに声を掛けたのは、奏ちゃんだ。
 フレちゃんも隣にいる。

「私達は、しばらく市内を観光していれば良いのかしら?」
「え? あぁ」

 ――なるほど。
 志希ちゃん達も、わざとあっちに走って行ったのかな。

「ひょっとして、気ぃ遣ってくれてるん?」
「あら、何のことかしら。
 修学旅行以来の京都観光を楽しみたいだけよ。ね、フレちゃん?」
「ウィームシュ、カナデちゃん。
 アタシ大仏見に行きたいなー、あ、ねぇねぇアタシ外国人サンのフリすればたくさん話しかけてもらえたりして☆
 めんそーれ〜京の都〜♪」
111 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:09:00.00 ID:a8uQb+4u0
「それなら、紗枝はんが同行できたら良かったなぁ」

 紗枝はんとプロデューサーさんは、仕事の都合であたし達と一緒の新幹線では来れなかった。
 大仏は奈良で、めんそーれは沖縄だってことをフレちゃんに教えてあげられる人がいない事が悔やまれる。


 ま、それはともかくとして。

「じゃあ、あたしちょっと寄るトコあるんで」

 後ろ手に手を振って歩き出すと、

「シューコちゃーん、ファイトー!」

 っていう声を上げたフレちゃんが、人目もはばからず手を大きく振っているのが、振り返らずとも分かった。
 もう、恥ずかしいからやめぇって。知らんぷりしよ。
112 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:10:27.97 ID:a8uQb+4u0
 1年と、ちょっとか――。
 キンキンに冷えた朝だったな、あの日は。

 お上りさん丸出しのデッカいキャリーバッグをガラガラ引きながら、陽も昇らない時間に、この通りを歩いてた。

「懐かしいっちゃ、懐かしいか」

 1年で街並みがそう変わるわけじゃない。
 ましてこの辺の街道は、よく知らんけど街並みの保全がどうとか、そういう仕組みができてるらしいし。

 それでも、帰ってきたな、って感じはする。

 ただ、一つだけおかしいなって思うのは、通りにいる誰一人として、あたしの存在に気づかないってこと。

「あ、LiPPSの塩見周子ちゃんだ!」「羽衣小町の周子ちゃんだ!」

 とかもあって良いと思うし、それも無いのもちょっとアレ?って感じやけど、あたしが気にしてんのはそっちじゃない。

 沿道の商店さん、結構あたし顔出してたよ?
 ホントに誰も気がつかんの? 髪を染めた程度で?
 うわー、薄情。

「ま、いいけどね」

 その方があたしも気を遣わんで済むし、のんびりふらふら思い出に浸れるし。

 っと――。
113 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:11:39.15 ID:a8uQb+4u0
 向こうに見えたのは、あたしの実家『塩見屋』。
 今日も繁盛して――。

 は? 何あれ?
 あたしがいる。

 遠目でよく見えないけど、あたしっぽいシルエットの等身大パネルが店先に置いてあるのが見える。

 飛ぶ鳥を落とす勢いの人気アイドル塩見周子の生家ですー、ってか?
 あんな事をお父さんが率先してするはずがない。

 お母さんめ、散々あたしの髪に文句言ってたくせに。
 ホンマええ根性してるわ。

 まっ! 今日のあたしの目的は塩見屋じゃないし?


 さて――。

 その塩見屋より手前――つまり今、あたしは言うまでもなく、かの煎餅屋の前に立っている。

 ケジメ、付けてくっか。
114 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:13:01.98 ID:a8uQb+4u0
 と言いつつ、やっぱりビビリなのがあたし。
 なので、いつぞやのヤンチャ坊主達よろしく、入口の端っこからそーっと顔を伸ばし、中の様子を伺う。

 ばあちゃんはカウンターの奥で、まるで置物のように座っていた。

 よく見ると、トレードマークの襷をかけていない。
 ちょっとムワッとする陽気の中、厚手の着物を折り目正しいままに着て。

 微動だにせず、まるで目を開けながら眠っているみたいだった。


 いや――ひょっとして、ひょっとしないよね?

 まさか、ってことは無いよね?


 慎重に――何に対して慎重になってんのか知らないけど――店の中に足を踏み入れる。
 ばあちゃんは、まだあたしに気づかない。
 ていうか、動かない。

 どうりで静かだと思ったのは、壁んとこの扇風機が止まっているからだと気づいた。

 いよいよ壊れたのはしょうがない。
 だけど、新しいの付けようとも思わないんかな。

 店内をソロソロと見回しながら、ばあちゃんに近づく。

 ばあちゃんは、虚ろな目をして壁に掛かってるカレンダーの方をボーッと見てる。
115 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:13:58.09 ID:a8uQb+4u0
「あ、あのぉ……」

 勇気を出して、とうとうあたしは声を掛けた。
 ばあちゃんは、まだ動かない。

「あの……す、すみませぇんっ」


 少し声を張ると、ばあちゃんの肩がピクッと動いた。
 おぉ、良かった生きてたわ。


 ゆっくりと顔をこちらに向けて、ばあちゃんの視線があたしと交錯する。

 前よりも、少し頬がこけたかな。
 でも、いつものデッカい眼鏡と、その奥にある優しげな一重の眼は、相変わらずだった。

 何だ、思ったより元気そうやん。

「あぁお客さんかい?」

 よっこらしょ、と緩慢な仕草でばあちゃんは立ち上がる。

「どちらから来はったん?」
116 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:15:36.41 ID:a8uQb+4u0
 ――あたしに気づいていない、か。

 ま、通りの人達からも、気づかれなかったし。こんな髪色だし。


「東京です」

 ほんの少し悩みながら答えたあたしに、ばあちゃんは「えっ?」と耳を向けた。

「あ、あの……東京です」
「えぇ?」
「あの、と、東京っ」
「トウキョー? あぁ〜、東京、へぇー、遠いとこからよう来はったねぇ」

 いつからだろう。
 ばあちゃんの耳に、見慣れない補聴器が付いていた。

 ふーん――。

「何か、おすすめありますか?」

 東京人のフリを続け、あたしは愛想よく話しかける。

 もちろん、聞かなくても分かることだった。
 でも、本題を切り出す勇気やきっかけが、持てなかった。

「おすすめねぇ、そうやねぇ」

 久々のお客さんが、よほど嬉しいんだろう。
 ノソノソとカウンターから出て、ばあちゃんはニコニコと丁寧に、陳列された商品を案内してみせる。

 あたしがかつて、誰よりもこの店に詳しかった人とは気づかないまま。
117 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:16:56.75 ID:a8uQb+4u0
「よう買うていきはるんは、この辺りかしらねぇ。
 好きなのを5枚選んで1000円。ザラメはちょっと固いけどね、美味しいですえ。
 ほいでね、えーと、こっちの箱はね、えぇーと、10枚入ってますよ。
 こっちは20枚。ちょっと女性だと重たいかしらね。
 宅急便もありますさかいね。あぁ、そうそう、後ろにあるのが変わり種です。のりチーズとか。
 あぁ、ええと、そこに座ってね、お茶出しますんで食べていかれるんも大丈夫ですよ」

「へぇー」

 値上げしたんだ。
 あたしがいた頃は、5枚で800円やったのにな。

 しかし、要領を得ない紹介だ。
 あたしがやった方が、よっぽどマシにできる。
 ていうか間違えてるし。そっちのは12枚入りで、こっちのは24枚入り。

 ま、看板娘でしたし? 目ぇつむってても出来ちゃうよね。
 言うなりゃ、ジョブズにiPhoneのプレゼンをするようなもんやな。
 それは言い過ぎか、あはは。

 はは――。

「ええと、それがねぇ、そうそう、ごめんなさいね、暑くないですか?
 こっちの扇風機がねぇ、最近ちっとも働きませんで」
「…………」
「この「強」のボタンを押してもねぇ……あら」
118 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:18:29.66 ID:a8uQb+4u0
「…………」
「どないしはりました?」

「いや、その……」


 言え!
 あたしは塩見周子や、って。

 今のタイミングしかない。

 あの時、ばあちゃんの夢を“なんか”呼ばわりして、ごめんなさいって言え! あたし!


「その……」
「はい」


「……そっちのデカイ方のヤツ、ください」

「あぁ、こっちね。毎度おおきに。
 ……あら、24枚も入ってたかしらね。ごめんなさいね、おほほ」
「あはは」


 ビビんな! まだ間に合う――!


「そ、その……あの……」
「ビニール袋いります? あぁ、こっちの紙袋がええわ。
 それと、お嬢さんお綺麗ですし、婆からのサービスで何枚か入れときますね?」
「す、すみません……ねぇ」
119 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:19:40.05 ID:a8uQb+4u0
「そうや」

「え?」

 レジに向かおうとしたばあちゃんの足が、ピタリと止まった。

「お時間、ありますかの?
 ちょっとそこに掛けて、涼んでいってください。
 今ね、冷たいお茶お出ししますんで、ちょぉ待っとってくださいね」

「えっ? ちょ……」

 急に何かを思い出したらしいばあちゃんが、先ほどまでとは5割増しくらいの速さでパタパタと奥に引っ込んでいった。


 何や一体。
 ひょっとして、あたしの正体に気づいたかな?

 でも、これは見方によっては好都合だ。
 あのまま会計していたら、もう店を出るしかなくなる。
 ばあちゃんと話す時間が――謝るチャンスが、もう少しできた。

 ――やっぱりあたし、ばあちゃんが好きだな。

 おっ、胡麻ある。
 コッソリ食べちゃおうかな。なんちて。
120 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:20:29.23 ID:a8uQb+4u0
 ――――。

 本当にお客さん、来ないな。
 まるで、この店の中だけ時間が止まっているみたいだ。

 今日が最後になるんかな。あたし。

「ごめんなさいねぇ」


 振り返ると、ばあちゃんがお盆を持ってこちらに向かってきていた。

「あ、えっと、大丈夫ですよ、持ちましょうか?」
「いーえー。お客さんにそんな、いいですよぉ、掛けててください」
「ど、どうも」

 そうは言っても、危なっかしくて見てられんわ。
 すっかり鼻緒がくたびれた歩きにくそうな草履で、転んだりしないかハラハラする。

「はい、お茶。それと……」

「あ……」
121 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:21:21.41 ID:a8uQb+4u0
 見たことが無い。
 ばあちゃんの新商品だ。

 黒文字を添えられたそれは、およそ煎餅とは思えないような上品な出で立ちで――。

 舞妓はんのような――雪のような白粉をあしらった、今まで見た中で一番綺麗なお煎餅だった。


「柔いのが好きやったでしょう?」

「……えっ?」


 あたしの隣に座り、ニコリとばあちゃんが微笑む。

「切りやすいよう、ちょっとだけふやかしてるんよ。
 お煎餅っぽくないかも知れんけど、シュウちゃんに喜んでもらえたらって、ね?」
122 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:22:20.16 ID:a8uQb+4u0
「……何や」

 照れくさくて、頬をポリポリと掻く。

「気づいてたん?」
「何言うてんの。当たり前やないの」
「ふふ……言ってよ」

 ええ根性してはるわぁ。さすが京都の商人。


「その、さ……ばあちゃん」
「なぁに?」

「あたし……ずっとばあちゃんに、謝りたかってん」


 あたしの中にいる小さいあたしが、手招きしている。

 手を引かれ、あの日のあたしに帰っていくあたしを見つける。


「ばあちゃん、ここであたしに話してくれたこと、あったでしょ?
 旦那さんと駆け落ちして、このお煎餅屋さんを継いだって話。
 その時、あたし……語ってくれたばあちゃんの夢を、馬鹿にした」

 あたしはブンブンと、かぶりを振った。
 違う。もっとある。
123 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:23:53.56 ID:a8uQb+4u0
 いくらでも思い出せる。
 いちいち特定できないくらい、あたしはばあちゃんに迷惑をかけ続けてきた。

「それだけやない。もっと……まだある。
 あたしがお中元持っていって、その日の夕方、あたしの勘違いで救急車呼ぶ事になって……
 皆からばあちゃん、白い目で見られてさ」

 ばあちゃんと目を合わせることができないまま、お皿の上に乗ったお煎餅に視線を落として、やっと気づく。

 手紙にあった雪って、これのことか。

 あたしはずっと、ばあちゃんの事を勘違いしてたんだな。
 勝手にボケたもんだと。
 下り坂の残り試合を、衰えながら消化していく、可哀想な境遇にいるんだと。

「あぁ、あと……万引きしたり?
 あはは、覚えてる? こんな小っさい頃の話。ヤンチャ坊主が、その辺の影から見ててさ」

 そんな事無かった。
 ばあちゃんはずっと、変わってない。
 ちょっとトロくなったけど。細くなって、耳も遠くなったけど。

「それに……もっと失礼な事も言ったよね。こんなん売れるワケない、って」
124 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:25:23.21 ID:a8uQb+4u0
 あたしが馬鹿にしたアイデアを、こんな素敵なものにできるほど、まだまだ心は萎えてないし――。
 優しくて可愛い、大きな人だった。

 でも、だからと言って――。
 ばあちゃんに対するやらかしに、あたしが無責任のままでいていいはずが無い。

「今日来てみてさ……やっぱあたし、この店好きやわ。
 でも、これからも好きでいさせてもらえるために……あたし、言わなきゃあかん」


「あの人が好きでねぇ。新しいお煎餅を考えるの」


 顔を上げると、お婆ちゃんは視線を外し、遠い目をしながら懐かしむように通りを眺めていた。

「私もねぇ、最初は、お煎餅なんてどれも同じでしょ、って言って、旦那から怒られてたんやけど……。
 そういう時、決まってあの人が言う口癖があってな」

 手近にあった変わり種を取り、ばあちゃんはあたしに向かって、ニカッと笑いかけた。

「人との繋がりを作り続けるんが人生や。
 そのためには、新しいもんに挑み続けなあかん」

「新しいもん?」
「私には、そういうんがからっきし無くてねぇ」
125 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:27:05.54 ID:a8uQb+4u0
 ケラケラと笑って、ばあちゃんは話を続ける。

「次第に客足も遠くなって、つまんなくなっちゃったんだろうねぇ。
 イライラして、一度、おイタをした子に怒鳴った事があったんよ。
 したら、その親御さんから、逆にお礼言われちゃって」

 ――ははーん、なるほど。
 煎餅ババアの誕生秘話見たり、ってか。

「ばあちゃんの成功体験だったわけやね」
「そう。何も生み出せない私が、人との繋がりを保つ唯一の手段。
 おかげで子供達からも、親御さん達からも、たっぷり注目してもらえてねぇ」

 今で言う炎上商法ってヤツかな。
 一歩間違えばぶっ叩かれる危ない橋渡りだろうけど、当時はSNSも無かった。
 幸いにして、トンチキな鬼ババア程度の認識で留まったというわけだ。

「え、じゃあ、外人さんの前歯を煎餅手裏剣で折ったってのは……」
「何やのそれ。初めて聞いたわぁ」
「さすがにデマかぁ、あははは」

「でも……シュウちゃんが来てくれてからは、それもしなくて良くなってん」
126 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:28:21.29 ID:a8uQb+4u0
「……ばあちゃん」
「たくさんお客さん来てくれて、たくさん、新しいお煎餅できたねぇ……。
 ホンマに、いくら感謝しても、しきれんよねぇ」

「言わんでよ……」

 そんなこと無い。
 あんなの、好きでやってただけで――それに第一。

「言わないでよ……あたし、感謝される筋合いなんてない。
 何もばあちゃんにしてあげられてない……!」

 全部それをぶっ壊したんだ。
 今閑古鳥が鳴ってるの、あたしのせいなんだよ。

 謝らなきゃいけないのは、あたしなんだ!

「変な噂が立ったあたしをばあちゃんが庇ったせいで……だから、あたしなんか……!」
「私がやった事や」

「え……」

 シワシワの指で、あたしの目尻をそっと優しく拭い、ばあちゃんは笑う。

「やりたいようにやっただけ。
 優しいシュウちゃんとの繋がりができた私は、果報者やからねぇ」

 細くて骨張った、でも温かい手で、ばあちゃんは私の手を握った。

「謝る必要なんてない。何もしてないなんて嘘。
 私が、シュウちゃんにありがとうや。
 どんなものより得難いもんを、シュウちゃんは私にくれてきたんよ。小さい頃からずっと」
127 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:30:21.41 ID:a8uQb+4u0
「ばあちゃん……!」

 やめてよ――!
 そんな事、あたしなんかに言わんでよ!

「ただ、ちょっと怒鳴り方間違えたかしらねぇ。
 ああいう怒り方で、もっと新しいお客さん増えるかと思っとったんやけど、全然サッパリ来んで」
「アホ! 当たり前や!
 せっかく救急車呼ばれといて、あんな……あんな難癖あらへんわっ!」
「忘れてもうたんやねぇ、煎餅ババアの怒り方。
 しばらく怒鳴ってなかったものねぇ、誰かさんのせいで、おほほほ」
「アホぉ……!」

 そんな優しい言葉、言われたら――謝れないやんか。

 ケラケラと楽しそうに笑うばあちゃん。
 その顔が、何だかひどく憎たらしくて、悔しくて――でも、すごくホッとして。

 ボロボロ泣きながら、あたしも笑った。
 感情が行方不明になってる自分が、自分でもおかしくて。

 モヤモヤしていたあの頃のあたしが、氷解していく。

「ほれ、シュウちゃん。そんな事より」

 パッと手を放し、ばあちゃんはあたしの膝元にあるそれを指差した。
128 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:31:53.55 ID:a8uQb+4u0
「冷めないうちに、早う」
「とっくに冷めとるわ」

 お鼻をチンして、フンッと笑い、あたしは黒文字を手にとって改めてそれと対峙した。


 ――お。意外と、柔らかくない。
 そりゃ、ケーキとかと違うのは分かるけど。

 おや、今気づいたけど、餡子をお煎餅で挟んでるんだ。
 そういやそんなん言った事あったなー。ずっとあっためてたんかな。

 そして、煎餅っぽい食感を残してそうな、そこそこ絶妙な固さ。
 ちゃんと考えられてそうやん。

 期待大、だ。
 では。

「いただきます」
「あいよ」


 ――――。

 ――――――。

「どう、シュウちゃん?」


「……まぁ、好きな人は好きなんちゃう?」
「えぇー?」

「ていうか、何で塩入れたん?」
129 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:33:58.93 ID:a8uQb+4u0
 完全に裏切られた。悪い意味で。
 食感は悪くない。お煎餅としての存在感を残しつつ、中に挟んだ餡子を邪魔していない。

 でも、こんな見た目やったら、ケーキみたいな甘々のお菓子やと思うやん。
 粉糖だけとちゃうんかい。

「だってぇ、お煎餅言うたら多少の塩っ気は必要やんか。きな粉だってお砂糖と塩入れるし」
「そこは割り切った方がええって。
 餡子の甘味を引き立てるどころか、見事に大喧嘩してるわ」
「あら〜」
「あら〜ちゃうよ、もう」

 ったく、煎餅のセンスが欠片も無いくせに、今までようやれたもんやわホンマに。

「これもお蔵入り、かぁ」
「残念でした」

 あたしはスクッと立ち上がり、先ほど買ったお土産袋を手に取った。

「また来るわ。次はもっとマシなのにして」
「あいよ。ああ、シュウちゃん」

 お土産の袋を指さして、ばあちゃんがニッコリと笑う。

「お勘定、まだよ?」

 ――抜け目無いなぁ、ババアのクセして。

「……こら、すいまへんなぁ」
「おほほほ」

 でもどうやら、まだお迎えが来ることは無さそうだ。
 少なくとも、自分の夢を見出したあたしが、もう一度ここに来るまでは。
130 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:35:36.18 ID:a8uQb+4u0
 お店を出て、もう一つのあたしの実家、塩見屋の方をふと見やる。

 案の定、というか何というか――見知った連中が大はしゃぎしてるのが見えた。

 あたしの等身大パネルと並んでピースするフレちゃんと志希ちゃん。
 それをスマホで撮る奏ちゃん。
 その横では、美嘉ちゃんとお母さんが話をしている。
 可哀想に、お母さんの世間話に捕まったんだろう。その人話長いよー?


「用事は済んだん?」

 呆れてため息をついた所で、後ろから声を掛けられた。

「紗枝はん……」
「スッキリした顔、してはるなぁ」

「おかげさんでね」

 横にいたプロデューサーさんから、紗枝はんの仕事が予定より早く上がった事を知らされる。
 真っ直ぐこちらに来た二人と、寄り道しながら来たあたし達。

 奇しくもあたしのターニングポイントで、皆が大集合ってワケだ。

「それじゃあ行きまひょか、周子はんのお店」
131 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:36:56.39 ID:a8uQb+4u0
 紗枝はんは、食べたことはあるものの、塩見屋に実際に来るのは初めてだという。
 それなら、しっかり案内してやらんとね。

「よっしゃ……あ、そうだ、プロデューサーさん」
「ん?」

 二人の姿を見て、明日の仕事のことでお願いしたい事を思いついた。

 素の自分――。
 そこに住んでた時と同じように、普通で飾らない、自然体のあたしでいられるように。

「明日の撮影さ……あたしの“実家”でやらせてもらう事って、できるかな?」


 あたしが登場するシーンは、こっちの希望を聞いてもらえるって話だった。
 既に希望はスタッフさん達に伝えていて、予定ではそれは塩見屋になっているけれど――。

「大丈夫」

 プロデューサーは頷いた。

「“もう一つの実家”でお願いしたい、とは昨日、先方に伝えているよ」

「……あっはっはっは」

 嬉しくなって、ついプロデューサーさんのお尻を叩く。
 はしたない、って紗枝はんは憤慨するけど、構うもんか。
132 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga]:2022/08/14(日) 18:38:09.23 ID:a8uQb+4u0
 繋がりを作り続けるのが人生なら、アイドルという道を選んだあたしは正しく謳歌し放題なんだろう。
 周りを見れば退屈しない人達に囲まれて、あたしの方が果報者だ。

 それでもあたしには、帰りたい場所があって、どこにいてもそこに至る道は続いているんだと気づく。
 それがある限り、たとえ破天荒に見えたとしても、決して地図の無い旅にはならない確信を与えてくれる。

 あるいは、あたしを通して、それを感じてくれる人がいてくれるなら――。

 誰かにとっての帰る場所にあたしがなれるなら、それが一つの恩返しで、繋がりになる。
 そうだよね?

 ばあちゃんだけじゃなく、この道へと“追い出して”くれたお父さんに、うるさく見守ってくれたお母さん。
 それに、アイドル塩見周子を見出してくれたプロデューサーと、愉快なアイドル仲間達。

 すぐには無理だけど、少しずつ返していきたい。
 アイドル塩見周子という一等星が持つ輝きが、誰かにとっての帰り道になれたなら。

 それがあたしの育む夢。
 アイハバドリーム、なんちて。

「ささ、早うおいでませ塩見屋へー♪」

 うるっさい連中が待つ場所へ、あたしはプロデューサーさんの手を引いた。


〜おしまい〜
133 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [saga sage]:2022/08/14(日) 18:39:54.39 ID:N7xo8uyDO
乙型駆逐艦
134 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage saga]:2022/08/14(日) 18:40:22.91 ID:a8uQb+4u0
周子にこういう過去があったらと思い、書きました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
135 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/08/14(日) 18:49:56.99 ID:jRs+hZp30
長編おつでした!
合いの手を入れようかと思ったけど、なんか雰囲気壊しそうでずっと見ておりました

やはり周子の原点は京都なんですよね
自由人っぽさが強くても
そして婆ちゃんもまた立派な「京女」
弱々しく見えてもしっかりと芯の強さを忘れず、それでいて計算高いw
過去に何があったかは気になりますが、それは想像の中ということで
136 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/08/15(月) 13:09:18.96 ID:C+rgt/nmo
数年ぶりだなこんな本格派のSSは
もしかしてプロかな?
長さが気にならない面白さだった
137 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/08/15(月) 21:34:09.67 ID:iZhXbZjRo
すごくよかったわ。
お盆にいいものが読めた。感謝。
138 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/08/17(水) 20:20:02.96 ID:XzOAWYlWo
SS避難所
https://jbbs.shitaraba.net/internet/20196
139 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします :2022/09/11(日) 21:50:57.84 ID:v5lYIYPH0
統一教会スパイクタンパクISISは、正当に選挙されたスパイクタンパク会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸スパイクタンパクISISとの協和による成果と、わがスパイクタンパク全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権がスパイクタンパクISISに存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそもスパイクタンパク政は、スパイクタンパクISISの厳粛な信託によるものであつて、その権威はスパイクタンパクISISに由来し、その権力はスパイクタンパクISISの代表者がこれを行使し、その福利はスパイクタンパクISISがこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
統一教会スパイクタンパクISISは、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸スパイクタンパクISISの公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐるスパイクタンパク際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界のスパイクタンパクISISが、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれのスパイクタンパク家も、自スパイクタンパクのことのみに専念して他スパイクタンパクを無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自スパイクタンパクの主権を維持し、他スパイクタンパクと対等関係に立たうとする各スパイクタンパクの責務であると信ずる。
統一教会スパイクタンパクISISは、スパイクタンパク家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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