SS「半透明な恋をした」

Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

2 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 22:58:23.65 ID:+0YS1G0z0
 この世界に生を授かって二十年と少し、僕も多くの例に漏れず、山のように思い出を連れ歩いていた。ふと足を止め、振り返りその一つ一つを眺めてみる。
 しかし、その大部分は一度も思い起こされることのなかった記憶たちだ。彼らは最早脳の検索が上手く行かないほどに重く埃を被っていた。
 そんな腐るほどある灰被りの思い出の中に、一つ、宝石のようにきれいに磨き上げられた思い出が目に映る。改めて手に取ってみると、それは異様なほどに光り輝いていた。ともすれば限界以上に丁寧に磨き上げたせいか、もう元の輪郭が捉えられないようにも見えた。
 しかしそれは、この思い出だけが何度となく楽園として機能したゆるぎない間接証拠とも言える。結局のところ、記憶に難色を示す僕もまた、所詮は立派な思い出廃人の一人だった。その果てに待ち受ける結末は必ずこの胸奥を切り裂くことになる。だのに性懲りもなく刹那的な快楽に身を浸してしまう。僕はそういう人間なのだ。

 少し、集中力が切れてしまっただろうか。ジャン・パウル作 『目に見えぬ会話』の一節を読み終えると、僕は何気なく窓枠の向こうへ目をやった。
 真昼の衛星都市は右から左へと早々に流れていく。僕は何を見るでもなく、茫然とその街並みを眺めていた。列車は単調な律動で上下に揺れている。揺動に合わせて、風鈴が軽やかに音を響かせる。
 その穏やかなメトロノームが、自然な流れで僕を遠くの日々へ運びゆく。先程拾い上げた思い出が忘れられず、僕はまた輝きの中を覗き込もうとするのだ。
 楽園の誘惑に抗えないことは重々承知していた。大人しく手元の古い書物を閉ざすと、僕は回送列車みたいに頭を空っぽにして、かつての回想に身を投じた。
 
 今から僕が逃げ込む一生の楽園は、十一歳から十二歳までの約一年間だ。
 
 始まりは、湿っぽい夏のある日だった。
3 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:04:46.67 ID:+0YS1G0z0
♦♦♦


 名も知れぬ雑草を踏みしめ、左手でひび割れた樹皮を力強く掴む。片脚で力いっぱい踏ん張り、やっとのことで急勾配を登り切る。大きく息を吐き出す。それからすぐ空気を吸い込み、足りない酸素を補う。額から零れる汗が目に入らぬよう袖で拭った。
 苦労して登り詰めた上り坂の先には、しかし特別な景色が広がっているわけではない。これまでと変わらない雑多な緑が生え広がっているだけであった。それでも、労力を掛けた分だけ見える世界は美しく見える。眼前に広がる光景を独り占めしようとするも、視界の端には先客が一人、僕の姿を認めていた。
 一足早くゴールに到達した褐色の少年に向けて、僕は牽制するように軽く睨みを利かせた。
 
 「今日も俺の勝ちだな」自慢げな面持ちで彼は言った。
 「…うるさいな、日向」「たったの三秒差じゃないか。そんなので僕に勝った気でいるのか」僕は言い訳がましく言葉を返した。
 日向、と呼ばれた色黒の少年は、僕が幼少期から仲良くやって来ている友達の一人だった。僕よりも頭一つ分背が高くて、肩幅も大きい。子供ながら体格に優れた奴だった。勉強はてんで駄目だったが、そんなものは当時の僕らに必要とされているものではなかった。
 
 「なんだよ、負け惜しみか?」僕の意図を読み取ったらしい日向は、今度は憎たらしい笑顔で言った。
 図星を突かれた僕も僕で、何か言ってやらないと気が済まなくなる。だが口を動かそうとした直前になって、今度は隣から二つ分の声が聞こえてきた。
 
 「こっちからしたら、二人共充分速いんだけどな」「明日はお前が勝つんじゃねーの?」
 
 遅れて到着した二人が、息を切らしながらそう言ってくれる。その言葉に一旦の納得を覚えた僕は、くだらない口論を切り上げることにした。この四人の面子で障害物競走の真似事をするのが、最近僕らの間で流行っている遊びだった。
 草木は四方八方無秩序に生い茂り、厚い緑に遮られた陽光は不規則な形で大地を照らしている。樹木は蟻たちの移動路になっていて、蝉は至る所から音波攻撃を仕掛けていた。一度この状況を体験すれば、街に戻った時には音の失われた世界に突入したかに思えてしまうものだ。
4 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:10:06.38 ID:+0YS1G0z0
 「じゃ、そろそろ戻ろうぜ」
 
 飽きるほどの緑と土色の世界を眺め終えると、日向が肩を回しながら言った。僕ら三人もそれに同調し、今度は木々を足場として活用しながら急傾斜を下っていった。
 来たときは汚れ一つなかった衣類は土で台無しになって、或いは枝に引っ掛けて破れてしまったりと、帰る頃には大目玉な状態と化していた。でもそれはいつものことだから、母さんも何も言わずにいてくれるだろう。
 噂に聞くと、都会の子供たちは公園やテーマパークなんて場所でよく遊ぶらしい。一方、時代に取り残されつつある山間部の田舎町に生まれた子供にとって、男女隔たりのない一番の遊び場は山だった。
 山には川があって、花が咲いて、木の実が落ちて、生き物が溢れている。その大自然の一つ一つが天然の遊び道具で、性別問わずあらゆる子供たちを魅了しているのだ。かくいう僕も同様に、山の虜になっている少年だったというわけだ。
 平坦な地形の場所まで戻って来ると、そのまま真っ直ぐ進めば森の出口はすぐそこだった。森と田舎の境目で三人と解散すると、僕は家に帰ることなく、皆に悟られないよう気配を消してもう一度森の方へと向かった。
 動機は至って単純だ。次の山登り対決で一等賞を取る為の特訓をしてやろうと思ったわけだ。いつも日向にはあと一歩及ばないのだから、明日こそはあいつを負かしてやりたかったのだ。
5 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:14:44.16 ID:+0YS1G0z0
 そんな子供らしい対抗心を燃やしながら、早く移動することだけを念頭に僕は奥へ奥へと森を突き進んでいった。毎日のように入り浸っている森林なのだから、多少の土地勘は持っている、などと過信したのが間違いだった。
 もう練習は充分か、と思って後ろを振り返ると、そこはどうにも見覚えのない場所だった。右へ左へと首を振っても、何か記憶に残っている目印が見える訳でもない。目に映るのは、足元に草木が茂り、疎らに雑木が立ち並んでいる光景だけであった。おろおろと変わり映えのない周囲を見回しているうちに、段々とどちらが北で東なのかも分からなくなり始める。そうして方向感覚が失われ、辿って来た道のりさえあやふやになったところで、ようやく背筋には一滴の冷や汗が流れ落ちた。
 
 ──山で迷子になったのだ。
 
 幼いながらもそれを認識するには充分過ぎる要素が揃っていた。こうなってくると、山地という場所の持つ意味合いが一転する。身体を伝う嫌な汗と同じように、心の淵からじわじわと何か畏れのような感情が浮かび上がってくる。
 右へ行こうか左へ行こうか。その場で立ち往生している間にも日は傾き、緑の地面の上で小さな影法師が縦に伸びていった。迷っても仕方がない、と適当に一歩足を進めた時には、見上げる木々の隙間から薄い橙の色が伺えた。
 もう日没までに時間がないと思った。山は上空が林冠で覆われているせいで日照時間が短くなりがちで、実際外はまだ夕方初めであることに、当時の僕が気が付けるはずもなかった。
 一人で山を下りるとなると、途端に途方もない孤独感が襲い来る。誰かが傍に居てくれると心地良く感じる森林は、打って変わって凍てつくような空気を醸し出していた。身体中を外側からも内側からも押さえつけられている気分で、日向の鼻につくような笑顔も今は恋しかった。
6 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:17:03.91 ID:+0YS1G0z0
 心細い時に限って、蝉しぐれはやけにうるさく聞こえる。しかしその鳴き声は僕を勇気づけることはなく、寧ろ僕こそが世界の異物であると言わんばかりに、彼らは執拗に人間を責め立てていた。
 その爆音が心身の圧迫に拍車をかけた。森の出口を目指す足取りは急激に速まる。心臓は大きく乱れ打ち、呼吸が浅くなっていく。しかしいつまで経っても木々の終わりが見える様子もない。言い表せない恐怖に心が屈し、喉から堪え切れない悲鳴が飛び出す寸前のことだった。
 そこは、一際大きな古木の聳え立っている場所だった。いつもならその偉大な姿を見上げる余裕があったろうが、僕は無視してそこを通り抜けようとした。
 ちょうど大樹から三歩ほど進んだところで、背後から何か物音が聞こえた。
 音の大きさからして、小動物や虫が飛び出したわけではなかった。明らかに大自然の規則から外れた音色を、己の聴覚が鋭く捉えたのだ。
 たったそれだけのことで蒸れた体温が一つ分下がり、僕の身体は金縛りにあったように強張った。足が杭に打ち付けられたように動かない。その間にも動悸は尋常じゃない速度で激しさを増していく。是が非でもこの場から逃げ出すべく、頭の中では緊急サイレンの唸り声が響き渡った。
 とうとう過度に力の伝わった両足が震え、身体は一目散に前へと飛び出そうとした。だが相反するように、背後の謎を確かめるべく頭はそちらに振り返ろうとした。結果、僕は左脚を前に踏み出したまま顔を背後に向けるという、なんとも中途半端な体勢で音の正体を突き止めようとした。
 
 眼球が捉えたのは、全身が黒に染まり切った細長い人型の『何か』だった。
7 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:20:42.38 ID:+0YS1G0z0
 思考は遠くへ放り投げられた。僕は愕然としたままに地面に映ったそれを凝視していた。
 数秒その状態が続くと、ゆっくりと黒のシルエットがこちらに向かって動き出した。思い出したように顔を上向け、しかし僕はまた固まった。認識した光景が、にわかに信じ難いものだったから。
 そこに居たのは、僕と歳が変わらないであろう少女であった。
 ベージュっぽくもあり白っぽくもあり、いわゆるアイボリーカラーの薄っぺらいワンピースをその少女は身に付けていた。サンダルか草履か、日焼けを知らないように真っ白な肌は素足にまで露出している。肩に掛かるか掛からないかの長さの黒髪は日差しを飲み込むかの如く光沢のある艶やかさを誇っており、つぶらな瞳は大きく丸々としていて、僕は思わず吸い込まれるように両目を見つめてしまった。まるで彼女が世界の中心であるかと言わんばかりだった。
 少女の影が細長く見えたのは、橙色に輝く斜陽のせいばかりではない。背は僕と同じかそれより低いぐらいだが、その柔らかなラインを描く体つきには女性特有の華奢さが秘められていた。その整った小顔にしろ流れる睫毛にしろ、彼女はまさしく、黄金比の体現者であった。
 いま目の前にいる彼女は、一言で言い表すのならば、可憐な少女であった。
 しかし同時に、僕は彼女にある種の違和感を覚えていた。それはまるで地底で星空を眺めるように、薄暗い路地裏で深窓の令嬢と出会うように、この少女には山という空間がまるで似合っていなかったからだ。
 色素が抜け落ちたみたいに透き通った肌をしている清純な少女は、とてもじゃないが森林に入り浸り山を駆け回るような人間には思えなかった。場違いで奇妙で、何処か歯車が一つ分ズレているようで、しかしその全てが彼女のために存在しているような、言わば必然的なシンクロニシティがその場に演出されていた。
8 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:25:25.56 ID:+0YS1G0z0
 たっぷり数秒の間、僕は黙りこくって少女に視線を送り続けていたわけだが、対して少女もまた、ただでさえ丸っこい目をより一層丸めてこちらを眺め続けていた。
 先に沈黙を破ったのは少女の方であった。ほんのりと桃色に染まった薄い唇が柔らかい動きを見せた。
 
 「どうして君は、こんな場所に居るの?」
 
 周囲にひしめくアブラゼミの鳴き声が、力んだ弓で演奏される擦弦楽器であるとするのならば、こちらは微風に揺られた風鈴の奏でる淡い響きであったとでも言えばよいのだろうか。細く、柔らかく、小さな声量であったが、その声には雑音にかき消されない芯のある張りが感じられた。
 それが単なる音の調べである以上に、少女から発せられた言葉であったということを認識するまでにやや間を必要とした。ようやく脳髄に彼女の言葉を反響させた頃に、僕は反射的に答えていた。
 
 「なんでって、山で遊んでたからだよ」
 
 僕は涼しい顔でうそぶいた。山で迷った、などと正直に答えるのは恥ずかしかったのだ。そんなことは知らずに、僕の答えを聞いた少女はその言葉を咀嚼するように瞳を閉ざし、次いで目を細めた。
 
 「そっかぁ。君にとってこの場所は遊び場なんだ」
9 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:28:44.41 ID:+0YS1G0z0
「そっちだって、その口だろ?」と今度は僕が何気なく問い掛けた。
 「んー、どうだろうね?」少女はのらりくらりと質問をかわした。彼女は人差し指を立てながら続けざまに言った。
 
 「ね、このあたりから山を下りる近道、君は知ってたりする?」
 
 「いや、知らないな」
 
 今一番欲している情報の手がかりをつかんだ僕は、しかしそれを悟られないよう努めて冷静に言い返した。だがどういう訳だろう。僕が彼女から視線を逸らしているうちに、辺りには鈴を転がすような笑声が木霊した。
 「じゃあ、折角だし教えてあげる」「このまま真っすぐ進んで行ったら、森の切れ目が見えてくるはずだよ」くすくすと上品な笑い声を抑えた彼女はあちらに手を向けた。
 彼女が指差す方角を忘れぬよう目に焼き付け、「ありがとう。助かった」と僕は短く言葉を返した。少女は間を置くことなく「どーいたしまして」と上機嫌に言った。
 脱出経路を確保した今、僕はとにかく山を下りることしか考えていなかった。これ以上得も言われぬ不安感に苛まれるのはごめんだった。電柱でも軽トラでもなんでもいいから、何か人の軌跡を見て些細な安堵を得たかった。
10 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:32:18.03 ID:+0YS1G0z0
 助言を皮切りに、僕は彼女に背を向けた。そして草地を一歩踏み出したその時だった。
 
 「あっ」
 
 後方六メートルあたりから、先程の良く澄んだ声が響いた。後ろ髪を引かれるように振り返ると、少女は恐る恐るといった様子で尋ねてきた。
 
 「えっと、君は山でよく遊ぶんだよね?」

 僕がその言葉にすぐ首肯すると、「じゃあ、明日もこの場所に来てくれるの?」と彼女は興味深そうにまた尋ねた。
 しかし、今度は二つ返事とはいかなかった。闇雲に山を駆け巡った挙句辿り着いたこの場所に、明日もやって来れるのかと問われると、無責任な約束は出来なかった。
 
 「どうかな。それは分からないけど…」
 
 それ故、僕は曖昧な返事をした。途端、少女の表情が僅かに曇ったのを僕は見逃さなかった。なるほど、彼女は山で一緒に遊んでくれる友達がいないのか。だからこんなところに一人でいるんだ。と勝手に納得した僕は「そっちも来るのか?」と試しに尋ね返した。
 少女は気恥ずかしそうな笑みを浮かべた。「うん、そんな感じ。だから良かったら、明日も会えないかなー、って」
 頬を掻く彼女を眺め、同情心六割、恩返し二割と善意一割、そして残りの一割を合算した結果、僕は浅いため息を吐き出した。
 
 「分かった、約束するよ」
11 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:36:23.11 ID:+0YS1G0z0
 了承を受けた少女は、太陽が雲の切れ目から覗いたみたいに表情を輝かせた。その単純な様子を前に、僕は思わず相好を崩していた。緊迫していた神経が僅かに緩み、残りの道中を恐れる微かな気持ちは何処かへ吹き飛んでしまった。「本当!?楽しみにしてるね!じゃ、また明日!」彼女は僕に向けて無邪気に手を振る。同じように手を振り返し、僕は彼女の指差した先を歩いた。
 緩やかな山道を下っていくと、やがて森の端が伺えた。その先には懐かしい灰色のアスファルトが垣間見え、それを目にした瞬間、我慢ならなかった僕は飛ぶようにように出口に駆けて行った。
 茂った植物を身体ごと突き抜けると、なだらかなカーブの坂道が僕を待ち受けていた。車体で何度も擦られたガードレールは傷だらけになっており、くすんだカーブミラーが西日を反射していた。
 やっとのことで人間様がのさばる世界に戻って来たのだ。見慣れた人工物を拝むや否や、身体は一気に脱力した。思わずその場で膝をつきそうになったが、僕はそれを堪えてゆっくりと坂道を下り始めた。
 折角山から抜け出せたのに、そこはまた見知らぬ土地だった、などと言うことは起きまい。そのまま道に沿って慣れ親しんだ農道を通り抜けると、僕はまもなく帰路へと着いた。
12 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:41:46.49 ID:+0YS1G0z0
 暗く閉ざした瞼の向こうで、眩い朝日が差し込んでいる気がした。眠っているとも起きているともつかない、不明瞭ないつもの寝覚めだ。身体に先立って意識だけが覚醒の手順を辿り始める。身体がそれに追いつくように何度か寝返りを繰り返した。ようやく神経系が起床を把握したところで、僕はゆっくりと寝床で目覚めた。
 薄い掛布団を払い除け、蒸れた両足で藺草を踏む。窓に向かって身体をほぐしながら、ぼうっと外の世界の様子を確かめる。
 照りつける白い太陽、眼下に広がる青い畑、遠い蝉の声。今日も今日とて、世界は青空に覆われている。
 それらを形式的に認識すると、僕は目を擦りながら洗面所に向かった。ぬるい水で顔を濡らし、程よい爽やかさを感じる。床鳴りが激しい階段を降りると、風に運ばれた香ばしさが胃袋を刺激した。
 
 「おはよう。ちゃっちゃと食べちゃって」

 匂いに惹かれて居間に辿り着くと、こちらに気が付いた母さんが僕に挨拶を投げ掛けた。もう化粧は完璧に済ませているようで、今は朝の準備に追われているようだ。
 一方急ぐ必要のない僕は同じような言葉を返し、食卓にて合掌。天気予報を横目に朝食を食べ進めていくと、徐々に頭が糖分を取り込んでいった。
13 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:46:00.27 ID:+0YS1G0z0
 ふと昨日のことを思い出した。というのは、今日はあの少女と遊ぶ約束を交わしたことだ。と同時に、その約束に一つの重大な欠点を発見する。僕は彼女と待ち合わせる時間を決め忘れていたのだ。
 一見なんともなさそうに思えることだが、これは深刻な問題だ。いつもの面子で集まるのならば身内での不文律が通用する一方で、昨日であったばかりの少女とはそうもいくまい。メモに残すなどの成文律が必要とまでは言わないが、何かしらの口約束はしておくべきだったろう。幸い集合場所は判明しているが、遊ぶ時間が分からなければ、それだけですれ違いの生じる恐れがあるのだ。
 とは言ったものの、では昨日と同じ時間に向かったとして、あれでは日暮れ前で遊ぶ時間が皆無であることは簡単に想像のつくことだ。となると、朝ご飯を食べたらすぐに向かうべきだろうか?いや普通に考えて、お昼頃からなのだろうか?
 
 「食欲ないの?」
 
 形式的な確認の声掛けが、僕を思考の海から釣り上げた。どうやらすっかり箸が止まっていたらしい。時間のない母さんに急かされ、僕は慌てて汁ものを飲み干した。
14 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:50:36.68 ID:+0YS1G0z0
 

 連日晴天が続いており、お天道さまは今日も遮蔽物のない田圃道をこれでもかと照らし出している。数歩足を進めるごとに、路肩の小さな茂みから蛙が飛び退いた。干乾びないよう水田に逃げ込んだ彼らは、残念ながらそこに安息を見出すことはできない。白鷺にとって格好の獲物になることだろう。
 あれから少し経った今、僕は昨日辿った細い農道をたどたどしく逆行していた。当然その理由は、彼女との約束を守る為だった。
 色々と考えた結果、お昼過ぎというのが一番無難ではないかという結論に落ち着いた。もちろん、遊ぶ時間を示し合わせることを忘れた以上、彼女との約束をなかったことにしてしまうという選択肢もあるにはあった。日向達との遊びであれば、そうする可能性も大いにあり得ただろう。
 だが、昨日の独りぼっちな少女の様子を見た身としては、そういう訳にもいかなかった。ようやく一緒に遊べる人が見つかったというのに、期待のその人にまで無視されるなんてことがあれば、いくらなんでもあの少女が可哀想ではないか。誰かを傷付けると解っている上でその行動を選べるほどに、僕は温かくない人間ではないのだ。
15 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:54:12.14 ID:+0YS1G0z0
 森の入り口に辿り着いた頃には、シャツはびっしりと汗を吸っていた。太陽熱を直に受ける頭は暑くて敵わない。帽子でも持ってこれば良かった、と思いつつも僕は木陰の多い山に忍び込んだ。
 自然のさざめきに包まれながら、妙に覚え易かった山道を登っていく。案外迷うことなく突き進んでいくと、目印の大樹が伺えた。昨日の見間違えだったというわけではないらしい。それは周囲の木々と比べても一段と背が高く、両手を広げても到底抱えられないような太さの幹を持った巨木だった。
 しかし、そこに肝心の少女の姿は見えなかった。場所を間違えたとは思えないし、大方彼女は来なかったという結果なのだろう。少しも残念でなかったと言えば噓になるが、その事実に特段何を思うこともなく、僕は踵を返そうとした。

 「あっ、来てくれたんだ」

 何処からともなく澄んだ声が聞こえてきたかと思ったら、大樹の裏から小さな影が飛び出した。昨日と同じ白いワンピースを身に着けた彼女は手振りを交えながら挨拶すると、昨日と変わらない様子でこちらに笑い掛けてくれた。彼女も今し方来たところなのか、或いは過剰な灼熱から逃れるために古木の日陰で休んでいたのかもしれない。
16 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/25(日) 23:58:56.40 ID:+0YS1G0z0
 「こっちだよ」と手招きされた僕は、彼女と同じように木陰の恩恵に預かった。少女は僕のすぐ隣で幹に背を預け、当たり障りのない会話を切り出した。
 
 「随分早かったね〜」

 「…まぁ、遊ぶ時間がなくなったらあれだしさ」

 その旧友に喋り掛けるような軽い調子を前に、僕は少々言葉に詰まってしまった。目の焦点をあちらこちらに動かしながら、頭を掻いて言葉を返す羽目になった。
 何も自慢できるようなことではないが、僕には特別仲の良い女の子はいない。普段行動を共にしている日向達が女子の大グループと対立しているものだから、当然のように僕も彼女らと親身にする機会がないのだ。
 だから客観的なことを言えるわけではないし、これは僕の気にし過ぎなのかもしれない。しかしそれを加味しても彼女は物理的にも精神的にも距離が近いと言うか、だがまぁ、一緒に遊ぶ約束をした手前もう友達みたいなものなのかもしれない。
 適当な所でそれを割り切った、若しくは自己解決したことにした僕は、そこからは目の前の彼女が日向達であるように振舞った。

 「そんじゃ、今から何して遊ぶんだ?」

 第一声とは打って変わって、僕が少女の目を見てハキハキと問い掛けた。対して彼女は入れ替わるように視線を下向け、「ん〜…ん〜…」と悩ましそうな唸り声を上げた。それを十数秒続けた後になって、彼女はようやくこちらに目を向けた。
17 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:02:46.17 ID:R2psYaIn0
 「君はいつも、何して遊んでるの?」

 もしかしたら、彼女もこういう場所で男の子と遊ぶのは初めてなのかもしれないな。質問返しをされた僕は少女に一種の共感を得つつも、何気ない日々の記憶を辿った。

 「僕、か。そうだな…僕は普段、虫を捕まえに行ったり、何気なく山の中を巡ったり…後は、最近だと山登りの勝負とか──」
 
 「それ!それにしようよ!」
 
 日向達との下らない時間を言葉にしていると、突如として彼女が大きな声をあげた。僕はびっくりして口を閉ざした。僅かな沈黙が訪れると、少女はそれがさも不思議でならなそうに首を傾げた。
 
 「虫取り?」

 恐らく、少女はこちらの言葉を待っている。それに気が付いた僕がそう訊ねると、彼女は小さく首を横に振った。女子は虫が苦手な子も多い。そんな固定観念に僕は落ち着いた。

 「…山巡り?」
 
 二度目の問い掛けに対して、彼女はまたも首を横に振った。十中八九で彼女がここで頷き、これから適当に散策することになるだろうと思っていた僕は当てが外れたことに驚いた。

 「……山登り対決?」

 「うん!競争しよーよ!」

 よもや有り得ないだろうと思っていた第三の選択肢を、僕は半信半疑でゆっくりと訊ねた。彼女は清々しいまでの笑顔で首肯した。
 まず己の耳を疑った。次いで言語を解釈した脳内を隈なく検査した。そのどちらもに異常が無いことを確かめた上で、最後に少女へと疑心を向けた。疑念の視線をぶつけられた彼女は、何故だか申し訳なさそうな表情を作った。

 「…えっと、もしかして、嫌だったりする?」

 「いや、嫌な訳じゃない。ただ…その、勝負にならないんじゃないかなー、って」

 僕が歯切れの悪い様子で言葉を返すと、少女は心外そうに頬を膨らませた。
 遊びの方針を打ち立てた僕らは、適当な斜面を探すために集合地点を出発した。彼女はこの辺りについて詳しいようで、すぐに手ごろな登り坂を見つけ出せた。実際には無いのだろうが四十五度ぐらいありそうな急斜面では、木々がそれに逆らうよう真っすぐ天へと伸びていた。
18 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:07:07.19 ID:R2psYaIn0
 「じゃあ、ここのてっぺんまで先に着いた方が勝ちだからね?まぁ、私は負けないだろうけど」

 実力を下に見られたのが余程腹立たしかったのだろう。さっきから少々ご機嫌斜めな彼女は隠すことなくこちらに敵視をぶつけ、威勢よく言った。
 その言葉に軽く頷き返すと、僕はすぐに勝負のコースへと視線を移した。あの木々を支えにして、そこの岩を取っ掛かりにしようか。といった具合にレースを勝ち抜くためのルートを模索し終えた僕は、準備完了の意を示した。少女も作戦を練り終えたのか、ゴールに視線を固定させながら大きく言った。

 「よーいどん!」

 せめてカウントダウンぐらい取ってくれ。心の中でそんな悪態をつきながらも、僕はゴール目掛けて勢いよく駆け出した。目星を付けておいた岩を蹴り上げ、左手で太い枝を掴む。似たような動きを何度か続けたところで、目標地点までは後どれくらいだろうか、と僕は視線を上向けた。
 今度は自分の目を疑った。何せ、ついさっきまで隣に居たはずの彼女が既に二歩も三歩も僕の先を行っていたのだから。余りの驚愕に足はそれ以上動かず、僕は彼女の動きに釘付けとなった。
 一体、あのか細い身体の何処にそんな力が隠されていたのだろうか。彼女は流れるように木々を掴み、平地を走るのと変わらない調子で斜面をトップスピードで駆け続けていた。
 圧巻であった。もしや彼女の背中には翅が生えているのかと錯覚するぐらいに、その動きはこの上なく洗礼されていた。その華麗なる舞踊に目を奪われている内に、彼女は瞬く間にゴールへと辿り着いてしまった。
 井の中の蛙大海を知らず。当時の僕がそんな言葉を知っている訳もなかったが、知識ではなく実体験としてそれを思い知ることになった。田圃で王者を気取っていた蛙が、大空からやって来た鳥たちに悠々と喰われてしまったみたいだった。
 彼女と比べると随分遅れてゴールに到着した僕は、その急こう配に息絶え絶えだった。一方彼女はと言えば息を切らした様子もない。一から十まで彼女の独壇場であったことを痛感し、天狗の鼻をへし折られた僕は何も言えなかった。対する彼女は勝ち誇った笑顔で、こちらに勝利のvサインを見せつけてくれた。
19 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:11:21.91 ID:R2psYaIn0
 如何にもわざとらしい様子で煽り文句を頂戴されたわけだが、こうにまでも完膚なきまで打ちのめされては、いつものように負け惜しみをすることさえ憚れた。嫌味のない素直な拍手を送ってやると、彼女は満足そうに頷いてくれた。
 山登りで急上昇した心拍数を整えている間、僕はいつもの如く呆然と周囲を俯瞰した。草が伸びて木々が生え渡り、それを蔦植物が覆い隠している。林冠で遮られた太陽光がまばらに差し込み、幾つもの透明なカーテンを作り出している。耳を澄ませば小鳥の羽ばたく音色が反復していて、そのどれもがいつもと変わらない森中であった。
 だけど、いつもと一点違っていることがある。普段は聞こえないはずの柔らかな声が、すぐ隣から僕の耳奥を擽るのだ。

 「ね。君はさ、この植物が何か分かる?」

 透き通った音色と共に、彼女はすぐ足元を指差した。そちらに視線を向けるも、そこに何か目ぼしい草木が見えることはなかった。僕が目配せで疑問を呈示すると、彼女は身を屈めてその植物に触れた。
 
 「ほら、よく見てよ。君も見覚えあるんじゃない?」
20 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:14:19.93 ID:R2psYaIn0
 彼女が優しく撫でた植物は、大きな丸い葉が特徴的な、だがどこにでもありそうな背の低い野草であった。それも凛々しく一本咲き誇っている特別なものという訳でもなく、向こうの方にまで群生しているもののうちの一つだ。
 再び少女へと視線を向けてみると、彼女は今にもため息を吐き出しそうな表情を作った。「蕗だよ、蕗。ほら、蕗の薹とか聞いたことない?」
 ようやく聞き覚えのある名前を耳にした僕は、謎の植物の正体に得心した。「あぁ、フキノトウだったのか。でも、全然見た目が違うんだな」
 確かに、フキノトウは頻繁に食卓に並んでいる気がするが、目の前の野草は僕の見知った姿とは似ても似つかなかったわけだ。こちらの疑問の本質を見抜いたのか、彼女は意気揚々とその口を動かした。
 
 「だって、蕗の薹は春の野草だからね。蕗は今みたいな暑い時期に採れるんだよ?あっ、蕗の薹って言うのは、蕾の部分を食べるんだけどさ、蕗は葉っぱの部分も食べられるから、言ってしまえばこの子は二度美味しい山菜で──」

 それからも少女は間欠泉のように止めどなく蕗の魅力を語り続けた。僕は適当な相槌を打ちながら彼女の話に耳を傾けていた。それはいつまでも聞いていられそうな語り口だったけれど、ある時、「あっ」と彼女は小さな声をあげた。
21 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:16:39.24 ID:R2psYaIn0
 僕と少女の目と目が合う。途端に饒舌であった彼女の口先は固く結ばれ、やがて茹蛸みたいに顔を一色に染めあげた。その分かりやすい様子に僕が笑い声を洩らすと、彼女はしどろもどろに取り乱した。
 
 「ご、ごめんね。わたし、ちょっと夢中になっちゃって…退屈だったよね」少女は取り返しのつかない失態を犯したように目を伏せ、つっかえながらそう言った。
 「そんなことない。聞いていて面白かったし、為になった」そんな卑屈が過ぎるとも取れる彼女の言動に、僕は反射的に返事をしていた。
 「…ほんと?」彼女は逸らしていた視線を上向け、慎重に訊ねた。「あぁ、嘘じゃない。もっと聞きたいぐらいだ」僕が何の迷いもなくそう答えると、彼女はほっと笑みを零した。
 それ以降、登った急斜面を下って元の集合場所に戻るまでに、彼女は森のあちこちを指差しては次から次へとその手の豆知識を披露してくれた。そのあれやこれやについて、僕は子守唄を聞くように拝聴し続けた。
 大樹の傍まで戻って来ると、今度の彼女は年季の入った樹木の枝先を指し示した。そこでは、樹皮の茶色に混じって青い蝉が鳴き声を響かせていた。
22 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:19:14.87 ID:R2psYaIn0
 「この鳴き声はどの蝉だと思う?」

 そいつは蝉の中でも一際高い音を奏で、消え入るような締め括り方をする。そして鳴き始めるのは、大体空が赤く染まり出した時だ。そこまで判断材料が揃っていれば、間違うことなど有り得なかった。

 「ひぐらしだろ?」

 「おー、正解。意外だったなぁ」

 「虫のことには自信があるんだ」

 彼女は心底驚いたような表情で、大袈裟に胸を張る僕を眺めていた。もしかせずとも、僕は今日初めて自信満々になれたんじゃないだろうか。山のことに関しては知識でもフィジカルでも敵わなかったけど、昆虫についてまでそういう訳にはいかないぞ、と僕は意気込んでいたというのに、彼女はにやりとした笑みを浮かべて忘れず言ってくれるのだ。

 「植物に関してはてんで駄目だったけどね〜」

 「そっちが物知りすぎるんだよ」

 流れるように言葉を返し、僕らは示し合わせたみたいに小さな笑い声を洩らした。僕は他人事のように、彼女とのやり取りにもだいぶ慣れてきたことを実感した。
 これなら大丈夫そうだ、と彼女に対する過度な気遣いを止めたところで、不意に気が付いた。今日一日、何かが欠けているような気がしてならなかったが、ようやくその謎が解けたのだ。
23 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:21:32.60 ID:R2psYaIn0
 一度それを意識し始めると、縫い針に糸の通らないようなもどかしさが身体中を撫でた。時間的にもそろそろお別れだろうし、タイミング的にもここしかないのではないだろうか。あとになって訊ねたりしたら、それこそおかしいのではないだろうか。だがなんにせよ、早く訊ねておかなければ。
 不思議な強迫観念に駆られた僕が「なぁ」と会話の切り出すと、彼女はこちらに目を向けてくれた。一日一緒に遊んだ上で、今更こんなことを聞くのも奇妙な話だとは思ったが、僕はこう言ったのだ。

 「あのさ…君の名前って、なんなんだ?」

 思い返せば、僕は彼女の名前を知らないまま今日一日を共に過ごしたわけだ。適当な代名詞で会話を成立させていたが、これからもそれを続けるわけにはいかないだろう。何か理由があるわけではなかったが、僕は僅かに手汗を滲ませ、割れ物に触れるような慎重さで彼女の名を訊ねた。
 すると名無しの少女は、ほんの少しばかり身を強張らせた。それはよくよく考えてみると不自然ではあったが、通常であれば気にも止めないような間の置き方とも言えた。だから当時の僕はそれを気にすることはなかったのだと思う。彼女の一足遅れた沈黙は僅か一瞬のことで、すぐに無邪気な笑顔が戻ってきた。
24 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:24:06.10 ID:R2psYaIn0
 「んー、なんだと思う?当ててみてよ」

 「え?」

 唐突な無茶ぶりに、僕は思わず頓狂な声をあげた。現実的に考えて、なんのヒントもなしに名前を正確に言い当てるなんてことは不可能だと思えた。
 「冗談だろう?」と僕が苦笑いを浮かべるも、彼女は微笑んだままこちらの答えを待つのみだった。そこから、彼女が自発的に名乗り出るつもりは微塵もないことが良く伺えた。無理だ無理だとは思いつつも、最終的には、僕は彼女の名前を推測することに決めた。
 数分か数秒か、彼女とのささやかな交友期間を振り返ると、頭の中には驚くほど流暢に答えが浮かび上がっていた。導き出した言葉は一切つっかえることなく喉奥を通り抜け、だが言葉と化す前にもう一度吟味の機会を得るべく、一旦腹の中に納まった。
 反復するように脳内でその名前を呟き、それを目の前の彼女に重ね合わせる。その行為を繰り返せば繰り返すほど、やっぱり彼女にはこの名前が似合うと思えたし、何より一度思い浮かんでしまえば、もうそうであるとしか考えられなかった。大袈裟に言ってしまえば、良く晴れた夜空には必ず星々が煌めくように、その名前こそが世界の理であると、彼女のあるべき姿を証明するに違いないと、僕は疑いなく信じられたのだ。
 気づかぬうちに、口の端から彼女の名前が零れ落ちていた。
25 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:27:04.76 ID:R2psYaIn0
 「…鈴音…」

 その独りごちるような小さな呟きは、蝉しぐれに掻き消されてしまっただろうか。伏し目を上げて少女の方を見やると、彼女は瞳を閉ざし、胸に両手を当てていた。そして口元を緩く綻ばせ、やがてゆっくりと瞼を開いた。

 「鈴音…うん、良い名前だね。じゃあ、今日から私は鈴音だよ」

 答えの当否には全く触れることなく、彼女は良く分からないことを宣った。一日中振り回され続けている僕は、また振り落とされないよう必死に空間にしがみ付きながら彼女に言葉を返した。

 「今日から?」僕の疑問を受け取った彼女は大きく頷きながら言った。

 「そそ。せっかく君がくれた名前なんだから──って、もう君じゃ駄目だよね。ほら、君も名前教えてよ」彼女は催促するように僕の目を見据えた。偽名でも使おうか、なんてことが一瞬脳裏に過ったが、結局僕は彼女の要望通りに自らの名を告げた。
26 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:29:06.04 ID:R2psYaIn0
 「…千風…だ」

 まるで記憶喪失者のように、僕は覚束ない調子で名乗りを上げていた。何故かはわからないが、これまで何度となく自己紹介を繰り返してきたはずなのに、この時ばかりは妙に自分の名前に自信を持てなかったのだ。
 不安そうな僕に気が付いたのか否か、「君も良い名前なんだね」と彼女は優しく言葉を返してくれた。その時、僕は不思議と心が温かくなったのを覚えている。その柔らかな声は、往々にしてある心にもないお世辞ではなく、彼女が心から僕の名前を褒めてくれているような気にさせてくれたのだ。
 「千風くん、千風くん」と彼女が発音の抑揚を確かめるように数度僕の名前を繰り返している間、僕は先程の言葉の意味について吟味していた。彼女に名前を呟かれる度に背中がこそばゆくて上手く頭が回らなかったが、恐らく、彼女の言い草からして本当の名前はまた別にあるのだろう。要するに、彼女はあだ名みたいなものとして「鈴音」という名前を受け入れただろうと、僕はそんな結論に至った。
 だが何はともあれ、この時初めて少女は鈴音になって、僕は千風になったのだ。
27 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:34:46.33 ID:R2psYaIn0
 

 「そろそろ良い時間かなぁ」

 彼女は不意と呟き、徐に顔を上向けた。その先に僕もまたゆっくりと視線を移した。木々の隙間から伺えるはずであった青色は、いつの間にか塗装屋の手に掛かっていたらしい。知らぬ間に見事なまでの赤黄色へと塗り替えられていた。その中で一匹黒いカラスが、一日の終わりを告げて回るように空を旋回していた。
 一日の初めと終わりを直接繋ぎ合わせたみたいに、今日という日は瞬く間に過ぎ去っていった。もう日照時間が終わってしまうのが名残惜しいぐらいだった。
 日が沈むと言うことは、当然僕らにもお別れの時間がやって来るわけだ。まだまだ遊び足りなそうに空を眺める鈴音を見ていると、夕陽をもう一度東側に引っ張ってやりたくなった。何か言葉で示し合わせたわけではないが、僕らはお別れの準備をしていた。大樹を境に僕は向こうへ、そして彼女はあちらへと足を向けた。

 「それじゃあ、またね、千風くん」

 「ああ、またな、鈴音」
28 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/26(月) 00:39:35.85 ID:R2psYaIn0
 そうして確かめるようにお互いの名前を呼び合うと、やがて僕らは離れ離れになった。緩やかな下り坂を辿り、森の切れ目に辿り着いたところで、僕は突発的に二つのことに気が付いた。
 気づいたことの一つ目は、また詳細な待ち合わせをし忘れたことだった。しまったと森の方に首を向けたが、僕がもう一度山に向かうことはなかった。なるようになると思ったのだ。実際、今日の僕らは問題なかったわけだから。
 そしてもう一つは、僕は彼女の名前を知りたくなったその時から、『また』が確実に訪れるものだと無条件に信じていたことだった。何気なく発見した事実に疑問を提唱してみるも、山のことを知り尽くした鈴音に感心した。だからまた一緒に遊んでみたくなった、程度のことしか思い浮かばなかった。いや実際、当時は本当にそうとしか思っていなかったのだと思う。
 とは言え、その時の僕にはそんなことに目を向けるだけの余力はなかった。今はただ彼女の名を忘れぬよう、あぜ道の先に見える大きな斜陽を目指しながら、何度も何度も脳内で君の名を唱え続けていたのだから。
 
 このようにして僕らの一日目は終わりを迎え、続く日々が幕を開けた。

29 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 19:47:14.95 ID:ik+D4jwf0
 ♦♦♦


 それからというもの、陽が頂点に昇り世界が明るく照らし出されると、僕らは毎日のように山中で落ち合った。
 鈴音は生ける辞書のように新鮮な知識を溜め込んでいて、度々飛び出してくる智恵はそのどれもが刺激的だった。昨日よりも今日、今日よりも明日と、僕は鈴音から生の情報を味わうと、日を追うごとに彼女と遊ぶことが楽しみになっていった。自室の窓際にてるてる坊主を垂らして、明日も晴れますようにと健気にお祈りするぐらいだった。
 だからこそ、瞼の裏を刺激する目覚めの日差しが弱く、加えて一定間隔で屋根を激しく叩く音が聞こえてきた時には酷く気分が落ち込んだ。先ほどほぼ毎日と言ったのは、例えば雨の日なんかは流石に山には入れないからだ。
 これが小雨程度であれば、遊び時間の午後までに止む可能性もあり得るだろう。だが傘が押しつぶされそうな程の土砂降りとなると、それも無理な話だった。
 その日の雨模様は、まるで遥か天空から何者かにバケツをひっくり返されているかのように勢いに凄味があった。アスファルトの上は曇天を映し出す鏡みたいに雨水で覆われており、歩く度に道路に跳ねた雨粒が足首を襲った。靴下が雨水にやられるのが先か、それとも僕が屋内に逃げ込めるのが先か、なんて馬鹿らしいことを考えているうちに、僕は目的地まで辿り着いた。
30 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 19:57:52.30 ID:ik+D4jwf0
 そこでは平屋式の建物が僕を待ち構えていた。横幅は一軒家のニ、三倍以上は裕にあるだろう。何枚もの窓が敷き詰められているのが特徴的で、それは自然採光を意識した結果なのだと思う。もっとも、今日はその目論見も全く機能していないのだが。
 重い引き戸を潜り抜けると、館内は薄暗い電灯で照らし出されていた。子供にとってはちょっとした大空間であるその場には、かび臭いのような、それでいて落ち着く香りが漂っている。
 豪雨で一層湿っぽかった空気は、空調設備によって快適に保たれていた。辺りを見渡すと利用客がちらほらと伺える。僕も同じように慣れた調子で縦列に並ぶ幾つもの本棚を通り抜けていった。
 奥まで行って左に曲がると、そこにお目当ての本棚があった。うちの一つである分厚いその本を両手で抱えると、一目散に休憩スペースへ向かう。こちらはまだ誰も居ないようで、僕は気兼ねなく椅子を一つ占領し、大きな冊子を途中から捲り始めた。空気の流れる音と本を捲る音だけが周囲を湛えていた。もし静けさに音があるとすれば、この空間のことを意味するのだと僕は思う。
31 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 20:04:53.70 ID:ik+D4jwf0
 かなり集中していたらしい。知識を詰め込む作業に限界を感じて、僕は一度本から目を逸らした。凝り固まった筋肉を解すように、大きく伸びをして前方を向いた。
 そこで気が付いた。僕の前の席に一人の女性が腰掛けていることに。
 年は二十代辺りだろうか。その黒縁眼鏡をかけた女性は、肩甲骨まで長く伸びた髪をダークブラウンに染めており、黒いエプロンの上に首から「斎藤」と刻まれたネームプレートを垂らしていた。
 周りを見ても、相変わらず休憩スペースは閑散としている。そんな中この人は、何故わざわざ僕の目の前に腰掛けたのだろうか。と自意識過剰とも言える不思議さを覚えるのは、ある意味当然のことだった。
 何せ彼女の目的は読書ではないらしく、その証拠に手元には本の一冊もない。彼女は僕の持ってきた本へと視線を移し、次いで僕の顔をまじまじと眺めた。
32 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 20:11:00.24 ID:ik+D4jwf0
 「少年、最近よく図書館に来てるね」

 よもや話し掛けられるとは思っていなかった。少し低めの声がこちらに飛んできて、僕は大きく瞬きをした。それを目配せだと思ったのか、彼女は続けて唇を動かした。

 「溜め込んだ宿題に追われて、自由研究の題材でも探しに来たの?」

 そんなことはない。宿題には計画的に取り組んで、今や全ての課題が終わっているのだ。彼女の言葉を否定するように僕は首を横に振った。僕の答えを聞いたお姉さんは、如何にも怪訝そうな表情を作った。

 「だったらどうして?そんなに日に焼けた少年は座って本を読むよりも、外で元気に駆けまわる方が似合ってると思うんだけど」

 「そりゃそうですよ。でも、こんな土砂降りの中で駆け回るなんて蛙ぐらいですから」

 彼女の問い掛けに対して、僕は窓を濡らす雨粒を眺めながらようやく言葉で応えた。
 堅苦しい丁寧語を使うのが嫌だったわけではない。高学年となった今、目上の人には敬語を使うことが習慣化していた。だから発声するのを躊躇った理由は、ひとえにここが図書館という沈黙空間であるから他ならない。
 しかしお姉さんはそんなことお構いなしに、「確かに、人間様にとっては大雨は嫌なものよね」と感心したように頷いた。
33 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 20:13:49.55 ID:ik+D4jwf0
 「ここ、私語厳禁なんじゃないんですか?」

 そろそろ手元の本に集中し直したかった。だから僕は痛いところを突いてやったわけだ。
 図書館がお喋りをする場所ではないことは周知の事実なのだから、これを機にお姉さんも押し黙ざるを得なかった。という未来を予想していたのだが、現実には彼女はすました顔で言い返してきた。

 「あたしはここの司書さんだよ。だから別にいいの」

 卑怯な手を使われた気分だった。ネームプレートを誇示するように見せつけてくる彼女に軽い睨みを利かせてみるも、向こうは素知らぬ顔で話をやめようとはしない。「それよりも」と話題を転換してくる。

 「少年みたいな子がよく図書館に来るなんてさ、やっぱりちょっと疑問なのよね」

 「はぁ」

 先程から固定観念が強過ぎはしないだろうか。僕はため息交じりの相槌を打った。
 まぁ確かに、彼女の言い分には一理ある。以前の僕が図書館に寄り付くような人間じゃなかったことだけは間違いない。やはり僕みたいな褐色少年が姿勢正しく本を読んでいる姿など、場違いという言葉がこれ以上になく似合ってしまうのだろう。
 お姉さんは僕の読みかけていた本の端を指で叩きながら言葉を続けた。
34 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 20:17:03.23 ID:ik+D4jwf0
 「毎度毎度その植物図鑑読んでるみたいだし…あれかな?女の子にお花をプレゼントしようとしてるのかな?」

 「違います」

 脊髄反射であるかのように僕はその言葉を一刀両断した。お姉さんは何とも言えない笑顔を浮かべながら、「ほぉ〜」と良く分からない感嘆を表した。
 僕が図書館を訪れ、植物図鑑を読み漁っている理由。また、そもそも僕が図書館に足を運ぶようになった訳。この二つが不可分である事には疑いがなく、その全てに鈴音の存在が関連付けられていることにも異議はない。
 平たく言えば、鈴音があんまり山に詳しいものだから、僕は少しでも彼女の知識に追いつきたいと思ったが故なのだ。与えられるだけではなく、偶には鈴音に知見を誇ってみたかった。そして願わくば僕がいつもそうするように、僕は彼女に感心されてみたかった。そんな小さな競争心と羨望を望む感情こそが、僕を似合わない場所へと導いているものの正体であった。
 お姉さんがにんまり表情を浮かべている間、僕はそんな風に自らの行動を再確認していた。彼女はようやく表情を戻すと、徐に席から立ち上がった。何処かへ移動する素振りを見せると、手招きで僕を誘導する。それに大人しく着いて行くと、お姉さんは書架から一冊の本を抜き取った。
35 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 20:20:41.17 ID:ik+D4jwf0
 「図鑑は借りられないけどさ、こういう本だったら貸し出しもしてるんだよ?」

 彼女が差し出した書物を、僕は受け取り数ページ眺めた。さしずめ、それは植物に関する情報が詰まった簡易版辞典のようなものであった。お姉さんの紹介してくれた書物は僕に多大な衝撃をもたらしていた。
 目から鱗が落ちた。図鑑以外にも各種植物の詳細が記載されている書物があることなど、僕は今日まで知る由もなかったのだ。本を借りることなく図書館で図鑑を読み耽っていたのは、図鑑が貸し出し対象から外れていたせいだ。この本を借りることができれば、毎朝家から図書館までを歩く手間が省けることになる。夏の怠い暑さに加え、移動手段に乏しかった当時の僕にとっては、その一冊が画期的な発明と同一視されていた。
 僕がこの手の本を大変お気に召したことに気が付いたのだろう。お姉さんは続けて似たような書籍を数冊紹介してくれた。僕は彼女に促されるままに受付カウンターに向かい、貸し出しの手続きを済ませてもらった。
 初対面で浮上したお姉さんを鬱陶しく思う気持ちは、既に何処かへ拡散していた。心のほくほくした僕が純粋な気持ちでお礼を述べると、彼女はふと目的を思い出したように言った。

 「いやいや、女の子にお近づきになろうとしている少年を見過ごすことなんてねぇー。とてもあたしには出来ないかな?」

 その性懲りもない様子に一転して呆れを抱いた僕は、その言葉を無視して出口へと進んだ。それなのに「少年、頑張ってね!」とお姉さんは威勢の良い声を背中に飛ばしてきた。
 何を勘違いしているのだろうか。僕は浅く息を吐き出し、図書館を後にした。
36 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 22:02:50.52 ID:ik+D4jwf0
 ♦♦♦


 扉を押し開け外へ繰り出すと、蒸し暑い世界が妙に明るく輝いていることに気が付いた。何気なく光の差す方へ眼をやると、厚い雲の隙間から太陽が姿を見せていた。
 どうやらバケツの水はすっからかんになってしまったようだ。てっきり午後も降雨に見舞われると思っていた僕は、空っぽなはずの貯金箱から一枚の硬貨を見つけたみたいに、予想外の雨上がりに喜びを隠せなかった。
 雨が止めば山に向かえる。あそこに行けば鈴音が待っている。また彼女から色々を教えてもらえる。
 箇条書きのように嬉しいことばかりが脳裏に列挙され、その時が待ち遠しくなった僕は居ても経ってもいられなくなった。
 当時の僕の心模様の起伏は、その日の急な天気と似たようなものだったのだろう。秒読みで逸る心に身体が置いていかれないよう、僕はアスファルトに反射する家々の屋根を勢いよく踏みつけながら自宅へと急行した。借りてきた本を玄関前に放置する。居間にいるであろう母さんに向けて「行ってきます」を叫んでから、僕はその足で外に飛び出した。
 何度か道を曲がりくねり、水位の上がった田んぼを両脇にあぜ道を駆け抜けた。そのままの勢いで森に突入し、そこからは感覚で山道を辿る。少しばかり斜面を登ると、相も変わらぬ巨大な威容を目が捉えた。
 すっかり僕らのシンボルツリーになってしまったその樹木に近寄ろうとすると、やっぱり小さな姿が飛び出してくれる。君の姿を捉えた僕は思わず頬を緩ませた。彼女は変わらない笑顔で僕を迎えてくれた。
37 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 22:11:54.87 ID:ik+D4jwf0
 「晴れて良かったね〜」と鈴音は空の遠くを眺めながら言った。僕も軽く頷き、彼女の傍へ向かう。そこからはここ一、二週間の流れだ。
 まずは直射日光を避けるために大樹の陰に隠れ、僕も鈴音も他愛もない話に花を咲かせた。とは言ったが、基本的には僕が話題を振りかけ、鈴音が相槌を打つという形だ。たとえば、今朝の大雨が凄かったとか、青かった稲が黄金に輝き始めてたとか、そんな世間話だ。
 だがその合間合間に、地上に降る雨は実は三十分も前の雨粒なんだとか、浮塵子と呼ばれる小虫が稲を食い荒らしてしまうのだとか、鈴音は話の中で付け加えるように説明してくれるのだ。そこには凡そ僕と同じ年代とは思えないような彼女の博識が見え隠れしているから、僕にとってそれは雑談以上の意味を有していた。
 満足いくまで話に花を咲かせると、僕らは徐に立ち上がった。

 「千風くん。今日はさ、山の中を色々見て回ろーよ!」

 鈴音はそう告げると、大樹の裏へと弾む足取りで向かって行った。この辺は彼女の庭であることをこれまでの日々の中でよく知っていた僕は、導かれるようにその後を追った。
 地表にまで露出した大きな根に躓かないよう気を付けながら、僕らは大樹から少しばかり離れていく。今までにこちらの方面へ向かったことがなく、奥に進むほど緑の層は厚くなった。森の創り出す独特な昼間の暗がりの中では、地面と木々の茶色がよく映えていた。森はさながら樹海みたいな深さであったが、そこに陰気な雰囲気は感じられなかった。それどころか却って心が穏やかになるような極相林だとさえ感じた。
38 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 22:15:33.82 ID:ik+D4jwf0
 そこからもう数メートル歩みを進めれば、周囲にはいつもの巨木に負けず劣らずの樹木が幾つも横に大きく倒れていた。まるで行く手を阻んでいるような倒木を、鈴音はいともたやすく飛び越えてしまう。あとに続く僕は苔むした樹皮に手を掛け、なんとかそこを乗り越えた。
 あれほど大きな樹木たちが役目を終えたからなのだろう。転倒した木々の越えたその向こう側には、輪っかみたいにポッカリと穴の開いた広場が生成されていた。いわゆるギャップと呼ばれる空間だ。
 大空に浮かぶ太陽がちょうどその輪の真ん中に入っていて、溢れんばかりの白日がその場に注ぎ込まれていた。辺りを囲む森の薄暗さも相俟って、そこに形成された円柱状の光の障壁は見事なまでのものだった。
 その中心には、背丈が一・五メートル程度の若木が一本、凛々しく輝いていた。何か理由があった訳ではないが、先へ先へと移動する素振りを見せていた鈴音の後を追うことを忘れ、僕は立ち止まりその若木を長らく見つめていた。それに気が付いた君はこちらに振り返った。
39 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 22:18:04.36 ID:ik+D4jwf0
 「そんなに気になるの?」

 「あぁ、綺麗だなって思ってさ」

 思ったままの言葉を返すと、君は何度か瞬きをしてから呑気に答えた。

 「まだまだ成長途中だからね。いずれはこの山の主になるんだよ〜」

 「それは楽しみだ」

 いつかこの小さな木があの大樹を上回るのだと思うと、なんだか大きな自然の循環を感じ取れた気がした。若木を囲む光のベールにゆっくり近づくと、僕は弾かれることなく温かな光に包まれた。本当にこの山の主になれるのかどうかは置いておいて、頑張れよ、という意味を込めて若木を優しく一撫でしてやった。それを見た彼女はくすぐったそうに笑っていた。

 「そう言えばあの若木、どんな樹種だったんだ?」あれから少し歩いた先で、僕は不意にそう訊ねた。「内緒だよ〜。千風くんが当ててみたらいいんじゃないかな?」前方を歩く鈴音は足を止めることなく、お得意ののらりくらりとした濁し方で流してしまった。
 彼女に言われた通りに脳内検索を掛けてみるも、まだまだ知識の薄い僕では全く見当がつかなかった。そういう訳で、今日も鈴音が要所要所で立ち止まっては自然の素晴らしさを伝えてくれて、僕もまたこれまでと変わらず、彼女の詠う終わりのない叡知を聴講していた。
 そうしてあれやこれやとしていると、あっという間に夕暮れが訪れてしまった。鈴音と過ごしている時間は本当に一瞬のように思える。冗談抜きの話で、何者かが時計の針を回していたりはしないだろうか。
40 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 22:21:55.05 ID:ik+D4jwf0
 「早くしないと日が暮れちゃうよ」

 「あぁ、ごめんごめん」

 足音が途絶えたことに気が付いたのだろう。後ろを振り返った彼女は、動きを止めていた僕をそう急かした。日没後に山地に取り残されるなんて事態はご遠慮願いたい。沈む太陽の速度に負けないよう、僕らはいつもの場所へと足を進めていった。その最中、今度は鈴音が立ち止まった。
 再びこちらを向いた彼女は、黙って僕を手招きした。僕が隣にまでやって来ると、彼女は小さな指を茂みへと向けた。

 「今日最後の問題だよ。あの花が何か分かるかな?」

 鈴音の指差した方向には、茂みに隠れて黄色い花が数輪咲き誇っていた。葉っぱの形は大葉のようで、中心にあるイガグリみたいな黄緑色の球体は五つの花弁に囲まれている。
 本来であれば、その程度の情報量では到底その植物を特定できるわけがなかった。だが幸いかな。僕はその姿を見たその時から、花の正体にある程度の見当が付いていた。たまたま今日読んでいた図鑑の右下の方に、これとそっくりの写真が貼られていたからだ。万が一にも間違う気がしなかった僕は、間を置くことなく言ってやった。

 「ダイコンソウだろ?」
41 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 22:24:29.53 ID:ik+D4jwf0
 多分僕は、この上なく得意満面答えたのだと思う。だってそうだろう?これまで鈴音には数々の知識を授けてもらって、対して僕は彼女に何を教えてやれたというのか。これは日々の努力が実ったというよりは運の力が勝ったようなものだが、それでもようやく彼女の領域に片脚踏み込めた気がして、僕は鼻を高くしていたのだ。
 誇らしげな僕を暫く見つめていた鈴音は、とうとう耐えられないといった様子で大きく吹き出した。それにやや遅れて、僕は今の自分がどれほどに幼稚であるかを思い知った。顔面が大火事になった。彼女はその様子を見てまたお腹を抱えていた。あんまり馬鹿にされて僕が拗ねてしまう前に、鈴音は笑い声を抑え、気を取り直したように言った。

 「正解だよ、これは大根草。この時期になったら綺麗な花を咲かせてくれるんだ」彼女は大根草の青い葉をそっと撫でると、今度は優し気な笑顔でこちらに向き直った。

 「大根草の花言葉はね、将来有望なんだよ。今の千風くんにピッタリなんじゃない?」

 鈴音がにこにことこちらを見やった時、「なんのことだよ」と僕は白を切ろうとした。「大根草に気が付くなんて…千風くん。さては私に隠れて色々勉強してるんでしょ〜?」やはり彼女は僕の嘘をすぐに見破った。
42 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 22:27:08.01 ID:ik+D4jwf0
 「…まぁね」

 誤魔化し切れなくなった僕は、左下に視点を置きながら渋々それを認めることにした。それを肯定してしまうことで、彼女にちっぽけな対抗心を燃やしているとか、本当は少し認めてもらいたいと思ってるとか、そういった色んな感情が透けてしまうことが堪らなく恥ずかしかった。
 すると鈴音はなんの前触れもなく、真正面から一歩こちらに身体を寄せてきた。ふわりと甘い香りが鼻を擽る。至近距離で見るその宇宙のように深い黒をした瞳に吸い込まれているうちに、僕の頭にはそっと温かい感触が乗せられた。

 「えらいえらい。これからもしっかり勉強するんだよ〜」

 彼女は目を細めながら、少し背伸びをして僕の髪をわしゃわしゃと優しく撫でていた。
 一瞬の硬直、そして退避。自身の身に起こった事象を把握するや否や、僕は条件反射的に後退りしていた。心臓が異常なほどに締め付けられていることに気が付く。身体中からは尋常ではない量の汗が流れ落ちていた。
 こんなにも恐ろしい思いをしたのは初めてだった。あれ以上その場に長居しては、身体中が何かに呑み込まれてしまうような気さえしたのだ。
 僕が後ろに下がったことで、鈴音の手は僕が居た場所に取り残された。余韻のように動いている手のひらが、寂しそうに宙を彷徨っていた。
43 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 22:29:06.37 ID:ik+D4jwf0
 「何するんだよ」親以外の誰かに頭を撫でられるなど、僕の予想だにするところではなかった。未知が故に動揺を隠せないまま僕は目を泳がせた。
 「なにって、ちゃんと頑張ったんだからご褒美だよ?」視界の端でしっかりと捉えられている鈴音はあくまでも平常運転で、まるで小動物を愛でるかのような調子でそう言ってのけた。
 「別に、そういうのはいいから」脳内を襲った混乱状態も徐々に落ち着いてきたところで、僕は早口で伝えておいた。
 「そう?じゃあやめとこーかな」君は僕の気持ちが余り分かっていないようだった。

 「そろそろ行こっか」と彼女は何気なく前方を向き直る。その横顔には小さな笑みが浮かんでいたが、僕は頭上に残った君の手のひらの妙なもどかしさにばかり気を取られてしまって、そんなことには全く気が付けなかった。
 やがて元の場所に辿り着くと、僕らは手を振り「またね」を交わした。そうして君との一日が終わって、僕は夕陽を見失わないうちに山を出るのだ。
 
 いま思い返せば、「また」が具体的にいつを指すのかなんて、僕らはたったの一度しか約束を交わさなかった。
 雨なき日中にあの大樹の傍で。その不文律が既に僕らの間で完成しているのだと、僕はそう信じてやまなかったのだろう。出会った時からそうであったからこそ、僕らには以心伝心に似た何かがあるのではないだろうかと、そんな風にさえ思っていたのかもしれない。
 だが結果から言えば、当然の如くそんなわけがなかった。以心伝心であるのならば、僕は鈴音のことはなんでも分かっていられたはずなのだから。訪れる結末を捻じ曲げることは出来ずとも、その過程をより良いものに出来ただろうから。
44 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/12/27(火) 22:38:01.90 ID:NWK+yZjS0
導入の記憶のくだりは中々面白かった
ただ気取った文章と、繰り返される似たような文章は目が滑る
少年時代の描写は少年の一人称にそぐわない語彙で違和感を覚えるが
磨き上げられ原型を失った記憶だからだと自己保管
あるいは、物語の根幹に関わるのかもしれないけど
45 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 23:03:59.67 ID:ik+D4jwf0
 ♦♦♦


 毎朝目覚まし時計を設定していると、人は段々とその騒がしい音に拒絶感を覚えるようになる。そのせいなのか、いつからか不協和音が鳴り響く前にふと目を覚ますようになる人は多い。そう言う僕も、ここ数年はそんな調子の毎日が続いている。
 僕はそれが、正確な体内時計によってもたらされる良い現象だとばかり思っていた。しかし、実際はその真逆であることを知ったのはごく最近だ。なんでもそれは過緊張と呼ばれるストレスの一種らしく、放っておくとまず精神が、そして次第に肉体が不健康になるらしい。過緊張に陥らないようにするには、睡眠前のリラックスが重要なのだとか。まるで流し見た記事の受け売りだが、気を付けるに越したことはないだろう。
 最も、当時の僕に目覚まし機能を使う必要はなかった。仮に寝坊したとしても母さんが叩き起こしてくれるし、あの鬱陶しい雑音以外にも寝覚めに繋がるものが多数あったのだ。
 喉奥に感じた干ばつと、肌を覆う湿った熱気。それが自然の目覚ましとなって、意識が覚醒する。眠気の抜けない身体に鞭打って瞼をこじ開けると、まずは窓枠の中に浮かぶお日様を目視した。
 天気良好であることを確認すると、早速朝の支度に取り掛かる。生温い水で顔を洗い、朝ご飯を食べて寝間着から着替える。そこまで終わると、残りの準備を慌ただしく済ませて玄関を開けた。
46 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 23:13:00.77 ID:ik+D4jwf0
 そのまま僕は外の世界を歩き回り始めた訳だが、向かう先はいつもの場所ではなかった。数十メートルほどの等間隔で、家々の白い瓦塀と小さな雑木林が繰り返される。ときおり、刈り取られた雑草の積み上げられた空き地を通り抜けたりもした。
 漬物石が入っているのかと思うぐらいにずっしりとした鞄を背負い、古いアスファルト上をひたすら歩き続ける。被る黄色い帽子に汗が滲み始めたところで、この町で一番の建造物に出くわした。
 縦横何メートルという具体的な大きさを図ったことはないが、その気になればこの街の住民のほとんどがここに収まるのではないだろうか。雨風に晒され、白というよりは灰色と化した外壁は三階部分まで続いており、のっぺりとした屋根は青銅色をしている。左のだだっ広い砂地へ目をやれば、そこには申し訳程度の遊具が点在していた。
 改めて正面に向き直ると、門の前では教師が数人、活力のある挨拶を飛ばしていた。キャッチボールを受け取った児童たちは元気よく挨拶を返している。僕もまたその中に紛れ込んで校門を潜り、下駄箱で靴を履き替えると、真っすぐ自らの教室に向かった。要するに、僕は学校に来たわけだ。
47 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 23:16:35.48 ID:ik+D4jwf0
 つい一週間ほど前、長きに渡った長期休暇には終止符が打たれてしまった。世界は未だ異常な高温で包まれているし、蝉たちが鳴り止んだわけでもない。それでも季節に一つの節目がやって来たことは明らかで、今や陽が沈むと秋虫が騒ぎ立て始めている。そうなると当然、名目上猛暑の危険性ゆえに与えられるお休みも打ち切りということだ。
 そんなこんなで二学期の日常に吞まれつつある僕は、以来山に向かうことはめっきり減った、という訳ではない。僕は学校が終わればいつもの場所に飛んで行ったし、やっぱり鈴音も僕より一足先に大樹の傍で待っていてくれた。これまでと比べると遊ぶ時間が限られてはいたが、僕らは相変わらず山中で落ち合っていた。
 学校に通うようになって一つ疑問に思ったのが、ここでは彼女の姿形が一切見えないことだった。あんまり露骨に探すのもみっともない気がした。だからそれとなく学校内を見渡しているだけだが、どの学年にも鈴音らしき人物は見当たらなかった。
 まぁ恐らく、彼女は隣町のお嬢様学校にでも通っているのだろう。実際、この辺りに住んでいる子供たちには少なからずそういう奴らもいた。それに、こんな辺鄙の学校ではあれ程の知識を手にすることは不可能に近い話だとも思えた。
48 :以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします [sage]:2022/12/27(火) 23:18:20.75 ID:NWK+yZjS0
いやあ、これは読むのきついわ
高尚な文章書きたいって衝動が丸見えのわりに語彙力が貧しくて陳腐極まりない
それと、情景にしろ心情にしろ全て描写する必要はないから削ってくれ
無駄な情報が多すぎて読み続けるのが苦痛だ
そもそも、まともに推敲してないだろ
読み手のことを考えられないならチラシの裏に留めておくべきだ
どんなに良い結末が待っていたとしても
読まれなかったら存在しないのと同じだぞ
49 : ◆jkwYf2kqc. [sage saga]:2022/12/27(火) 23:20:14.30 ID:ik+D4jwf0
 教室に到着して程なくすると、まずは担任の主導する朝学活が始まった。それが終わると退屈な一時間目の国語が始まって、次は図工の時間で…という風にして、学校での一日が過ぎ去っていく。
 しかし僕が真面目に授業に取り組んでいるのかと言われると、それは体裁だけのことだ。ノートと教科書を開いて鉛筆を握っているが、頭の中は放課後のことにしか意識が向いていなかった。
 給食を食べ終えると昼休みが訪れた。僕は当たり前のように鞄から図書館で借りてきた本を一冊取り出して、自然に関する造詣を深めようとした。

 「千風。今日こそサッカーしに行こうぜ!」

 すんでのところで横槍が入って、僕は声の主を見やった。夏休み中遊び回っていたのだろう。僕と同じかそれ以上に日に焼けている日向が、いつものメンバーを代表して声を掛けてくれていた。
 しかし僕はと言えば、変わらぬ一点張りだ。

 「ごめん。今日は本読みたいから、また今度な」

 昨日まではこれで引き下がっていたのだが、今日の日向はまだ諦めないらしい。彼は眉を寄せて言った。

 「お前、そういう奴じゃなかっただろ?」

 「読書も悪くないもんだって気づいたんだよ」

 合気道のような受け流しで言葉を返すと、ぞろぞろと彼の後に続いた数人の友人が顔を顰めた。

 「夏休みの時も全然遊びに来なかったしさ、最近付き合い悪いんじゃねーの?」

 そう言われてしまっては、こちらとしても立つ瀬がなかった。確かに僕は夏休み中、日向達をほったらかしにして鈴音との時間を過ごしていたのだから。
 少しばかり居心地の良くない雰囲気を感じ取った。返す言葉を失った僕は、今日ぐらいはみんなとサッカーするか、と状況を好転させるために席から立ち上がろうとした。
 だがそのタイミングで、電撃的に一つ良い考えが思い浮かんだ。僕は席から立ち上がる前に、日向達にこう言ったのだ。
50 : ◆jkwYf2kqc. [sage]:2022/12/27(火) 23:26:55.56 ID:NWK+yZjS0
それとその酉は割れてるから変えた方が良いぞ
51 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/27(火) 23:48:59.74 ID:ik+D4jwf0
 「なぁ、良かったら今日の放課後、久しぶりに山で遊ばないか?」

 僕からの突然の提案に、日向達は怪訝そうな表情を浮かべていた。しかし最後には「分かった。じゃあ放課後な」と返事をした。それを機に僕が手元の本を開ける仕草を取ってやると、彼らはため息をついて校庭へ向かって行った。彼らを横目に見送った僕は今日の放課後がますます楽しみになりながら、本の内容に集中し始めたのだ。
 この時の僕が思い付いたアイデアが、僕自身の交友関係の安寧という点において大変優れたものであったことは間違いなかったのだと思う。
 ただ、一つだけ見落としがあった。それは、自分にとって良い考えというものは、その大抵が他人にとっては都合の悪いものだということだろう。
52 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/28(水) 00:02:04.77 ID:FBcg8E2q0
 ♦♦♦


 六つ目の授業が終わり、事務的な帰りの会が切り上げられると、ちょうど開放のチャイムが学校中を包み込んだ。学生のオアシスたる放課後に辿り着いた皆は、伸び伸びとした様子で下校を始めている。僕はその中で一際早く正門を潜り抜け、荷物を置きに家へと向かった。   
 そのまま勢いで日向達との集合地点に向かったものだから、僕は一番乗りに集合場所の空き地に到着していた。遅れて彼らもやって来て、僕は勇み足を向けて彼らを先導した。

 「山ってそっちじゃないだろ?」と日向は僕を引き留めたが、「いや、こっちにもっといい場所があるんだ」と僕は彼の制止に構わず歩みを進めていった。

 そう、僕が思い付いた良案というのは、鈴音と日向達を友達にしてしまおう、というものだった。
 というのも、彼女と彼らが仲良くなってくれた暁には、僕は日向達との時間も大切にできるし、鈴音は僕以外の山で遊べる友達を作れるわけだし、日向達も鈴音という新たな仲間を見つけられることになるわけだ。一石二鳥どころか三鳥ではないか。
 このアイデアにはなんの欠点も見当たらないし、無理矢理にでもつっかえるところを捻り出すとすると、僕と鈴音だけの時間が失われてしまうことだろうか。
 しかしそれも、僕にとっては些末な問題でしかなかった。寧ろこのまま友人に彼女のことを知らせずに、僕と鈴音だけの関係を維持することの方が問題だとすら思えた。
 考えてもみてくれ。鈴音の培った見聞は僕以外の人間にも披露すべきものでしかないだろう?それを僕一人が取って隠してしまうことなど、どうして許されようか。
 つまりは僕は鈴音と過ごす日々の中で、彼女に対して友愛を抱いたことはもちろんだが、そこには敬愛のような感情さえ芽生えていた。その結果として、彼女が日向達にどのような心象を抱こうとも一向に構わなかったわけだ。
53 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/28(水) 00:06:04.16 ID:FBcg8E2q0
 「実はさ、夏休みに仲良くなった子がいるんだ」

 不思議といつもより長く思える距離を進みながら、僕は日向達に鈴音のことを語り始めた。植物とか昆虫とか、山の知識に関しては右に出る者がいないのだとか、なんと自分よりも素早く斜面を登れるのだとか、僕は彼女の魅力を自分のことのように自慢げに話していたのだと思う。
 やっとのことで緩やかな坂道の頂上に辿り着くと、前方にはシンボルツリーが聳え立っていた。普段通り僕は大樹の元へ歩み寄ろうとして、ふと違和感を覚えた。

 「…鈴音?」

 妙な引っ掛かりの原因を突き止めるよう、僕は試しに彼女の名を呟いた。
 すると、僕の掛け声に気が付いた鈴音が、いつも通りに樹の裏側から笑顔で姿を見せてくれた。という普段の流れが生じない。
 この場には物静かなそよ風が吹き通しているのみで、首を振って辺りを見回してみても、白いワンピースに身を包んだ彼女の華奢な姿は影も形もなかった。
 その事実を前に、僕はなんとなく釈然としなかった理由を発見した。居ない。鈴音がいないのだ。
 初めての事態に若干の焦りを募らせつつも、「おい、鈴音。何処に居るんだよ?」と僕はまるでそこにいるはずの誰かに手を伸ばすようにして何度か声掛けをしてみた。
 しかし、僕の呼び声に彼女が反応することはなかった。
54 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/28(水) 00:08:19.53 ID:FBcg8E2q0
 「…おかしいな。ごめん、みんな──」

 まぁ、鈴音だってここに来れない日もあるか。今日は少し都合が悪かったか。そうやって彼女の不在に納得しようとしていたその時、誰かがぽつりと呟いた。

 「なんだよ。鈴音ちゃんなんていねーじゃねーか」

 「いや、今日はまだ来てないって言うか──」

 余程鈴音に会えることを期待していたのか、少々棘生えた言葉が空気を裂いた。僕は今日はタイミングが悪かったことを説明しようとするも、便乗するようにまた誰かが言った。

 「千風。鈴音ちゃんに振られたんじゃねーの?」

 「はぁ?ちが──」

 斜め上の方向から小馬鹿にするような言葉が飛んできて、僕は慌てて弁解を図ろうとした。だが重ねるように、次から次へと幾つもの嘲笑の混じった声が響き渡った。

 「あーあ、可哀想になぁ」
 「女の尻なんか追い掛けて、ダセーの」
 「そもそも鈴音ちゃんの話だって嘘なんじゃないのか?俺はそんな子学校でも見たことないしさぁー?」
 「そうかもな。本の読み過ぎで頭おかしくなったんだろうなぁー」

 そこでようやく理解した。その尖った言葉のどれもが、間違いなく僕に向けられた誹りであることを。
 最近一緒に遊べていないことが、日向達よりも読書を優先したことがそんなに気に喰わなかったのだろうか。それからも彼らは僕を散々に冷やかし、気の済むまでせせら笑った後に、勝手にその場を去って行った。
55 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/28(水) 00:13:25.37 ID:FBcg8E2q0
 取り残された僕は曰く言い難い表情で突っ立っていた。彼らの放った誹謗中傷の一つ一つを頭の中で噛み砕いては、沸々とした感情を煮やしていたのだ。
 今日はこれ以上この場に居ても意味がない。取り敢えず家に帰るか。
 不愉快が積もり積もって目に映るもの全てが厭わしく思えてしまう前に、僕はその場から踵を返そうとした。
 だが、神経質になっていた僕の耳は、不自然に小石の転がる僅かな音を聞き逃さなかった。
 反射的に振り返れば、大樹の裏からこっそりと顔を出している鈴音と視線が合った。数秒その状態が続くと、彼女は気まずそうに表にやって来た。

 「…居たのか?」

 その数秒間、僕は頭で何を考えていただろうか。短く、いつもより少し低い声で、僕は慎重に尋ねた。少し間があって、鈴音は「…うん」と小さく頷いた。

 「…居たなら、なんで出てきてくれなかったんだよ」

 あの時ここに居たことを肯定されてしまえば、僕はそう聞かずにはいられなかった。
 彼女の返すであろう言葉を幾通りも推測した。例えそれが納得できないものであったとしても出来るだけ穏便でいられるよう、ある程度の耐性を整えたうえで僕は鈴音の答えを待った。
 しかし彼女が取った行動は、僕の準備を大きく上回るものであった。鈴音はいつも通りにへらと笑い、何事もなかったかのようにその口を動かそうとしたのだ。

 「今日はさ、あっちの方に行ってみよっか──」

 「なんでって聞いてんだよ!!」
56 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/28(水) 00:16:16.04 ID:FBcg8E2q0
 怒鳴りつけるように暴力的な声が、僕自身を中心として周囲に波紋した。
 彼女のふざけた表情を見た瞬間、目の前が真っ赤に染まったような気がしたのだ。
 僕が猛る感情のままに叫んでやると、鈴音は突然の大声に怯えたように身体を固くさせた。
 皆がいる前で鈴音が出てきてくれなかったこと。僕の呼び掛けを無視したこと。そして何よりも、こっちの気持ちも考えずにへらへらと笑ったこと。
 その何から何までが不快でならなかった。鈴音の常套手段であるお茶濁しが、この瞬間には悪手でしかなかった。
 せめて真っ当な理由を説明してくれれば、僕も怒りを腹に沈めようと思っていた。でも鈴音はそれを誤魔化そうとした。それはまさしく火に油を注ぐようで、僕の中で煮えたぎる狂った炎を増々駆り立てた。
 怒気に吞まれて視野が急激に狭まっていた僕は、もう鈴音が日向達と結託して僕を陥れようとしたのだとか、そんな飛躍の過ぎる狭窄にまで陥ってしまっていた。
 急所を突かれたからだろう。静寂が辺りを切り裂く中で、鈴音は何も言えず仕舞いであった。僕は燃え上がる怒りのままに、続けて言葉で殴りつけた。
57 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/28(水) 00:18:11.51 ID:FBcg8E2q0
 「どうして理由を教えてくれないんだよ!!あれか?僕が笑い者にされてる姿を見て楽しかったのか!?」

 「ち、ちがっ──」

 「あぁ、それはそれは面白かったんだろうなぁ!?こっちは酷い目に遭ったって言うのにな!!」

 僕が吐き捨てるように罵倒の言葉を繰り返そうとも、彼女はやはり口を結び続けていた。
 いや、実際の鈴音は必死になって何か言葉を探していたのだと思う。でも憤怒に囚われ暴走機関となった僕に掛けるべき言葉を見つけられず、ひたすらに困り果てていただけなのだろう。
 一度燃え上がった炎はそう簡単には鎮火しない。これが良くないことだということは心の何処かでは分かっていた。それでも心と頭が一致せず、頭の片隅で急ブレーキを踏みこもうとも、僕は怒りの燃料となる薪を燃やし尽くすことでしか平静を取り戻すという手段以外が選べなかった。
 
 「僕がどんな気持ちなったかも想像出来なかったのか!?」「この人でなし!!」

 そうして、僕が更なる罵詈雑言を放った瞬間だった。あれほどの激昂が瞬く間に冷めてしまったのは。
58 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/28(水) 00:21:30.68 ID:FBcg8E2q0
 これまで一切微動だにしなかった鈴音が、突如として大きく瞳孔を震わせた。
 途端、心には僕の燃やした炎がちっぽけに思えるほどの大滝が降り注いだ。
 何か不味いことを言ってしまった。鈴音の反応を見て直感的にその事実に辿り着いた僕は、半ば強制的に冷静さを取り戻していた。さっきまではあれほど饒舌に啖呵を切っていたというのに、今度はまるっきり言葉を失ってしまった。
 小さな瓶に淀んだ空気を詰め込んだみたいに、居心地の悪い雰囲気がその場を支配していた。
 時の流れが嫌に遅く感じる。何かに衝撃を受けている鈴音から目が離せない。
 
 僕を見ているようで何処か別の場所を見ていた彼女はとうとう我に返った。僕の視線が向けられていることに気が付くと、いつも通りの笑顔を浮かべようとして、でもその笑みは何処かぎこちなかった。
 
 胸に杭を打ち込まれたようであった。哀愁漂う笑顔を前にして、僕は息が詰まるほどに苦しくて仕方がなかった。
 鈴音は悲しそうに笑いながら、「ごめんね」と小さく呟いた。
 その時僕が返すべき言葉は何千通りとあったはずなのに、僕は口を動かすどころか、喉を震わすことさえ叶わなかった。
 そんな僕を一瞥した彼女は、逃げ去るように向こうへ駆けてしまった。
 
 今度こそ一人その場に取り残された僕は、茫然自失のままに直立し続けた。
 肌を撫でた秋風が、孤独の冷たさを際立たせていた。
59 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 19:37:11.46 ID:SXxF06Gi0
 ♦♦♦


 七日に二度訪れる休日。安息日一歩手前であるその週末は、風の強い日であった。
 青い空に浮かぶうろこ雲は左から右へと忙しく流れ去っていく。太陽だけがその位置取りを変えることなく、薄雲をすり抜けて輝きを放っていた。
 
 それは絵に描いたような気持ちの良い秋晴れだ。
 しかし、それとは真逆の気怠げなリズムが、アスファルトを物憂げに鳴らしている。一歩進む度にため息が聞こえてきそうなほどに、その足取りは異常に重々しかった。まるで彼の周りだけが酷く重力の影響を受けているようだ。
 
 その少年こそが、今の僕だ。
 
 こんなにも良く晴れた日だというのに、僕は山に向かっていない。その事実が頭に圧し掛かり、一層憂鬱な気分を味わわされる。頭上に見える太陽を恨めしく思いながら、僕は本来辿っていたであろう目的地とは別の方へと向かっていた。
 
 鈴音と遊ばなくなって、一体どれぐらいの日々が過ぎただろうか。
 少なくとも、ここ一カ月近くは彼女の姿を見ていない気がする。
 鈴音と会わないうちに世界は随分と涼しくなって、山はあちこちで赤黄色へと模様替えをしていた。
60 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 19:40:16.52 ID:SXxF06Gi0
 季節に合わせて姿を変えていく遠くの山々を眺めていると、「秋になったらさ、紅葉狩りなんかもしよーね!」とその時が待ち遠しそうに話してくれた鈴音を、そして「あぁ、楽しみだな」と軽く頷いた僕を思い出してしまう。約束破りな自分が嫌いになりそうだ。
 
 だがその美しい記憶を塗り潰すように、次いで苦しげに笑ったあの日の鈴音の姿が脳裏に蘇る。
 とっくに胸の中心にまで食い込んでいた杭は、今日も背中から飛び出す勢いで何度も打ち付けられた。
 胃に詰まった苦い空気を無理矢理吐き出し、僕は胸を穿つ痛みを堪えた。
 その記憶こそが、何から何まで自分が悪かったことをいつ何時でも思い知らせてくれる。今度こそ僕は自分が大嫌いになる。
 
 思い出すのは三週間ほど前、鈴音を傷付けたあの日のことだ。
 日向達に取るに足らないプライドを踏みにじられ、下らない苛立ちを覚えた僕は、あろうことか彼女に八つ当たりしてしまった。その瞬間に燃え上がった怒りのエネルギーは確かにすさまじかったが、この手の感情というものは長続きはしない。
 鈴音が走り去ったその時には、既に僅かながら燻る火種にも冷水を掛けられていたし、家に帰って一晩寝てしまえば、翌日にはすっかり別の感情だけが胸を覆い隠していた。
 
 怒りの次に訪れる感情など、後悔以外の何物でもないだろう。
 翌日からの僕はと言えば、あの日の選択全てを恨み、やり直したいと願い、だがその場で足踏みを続けていた。
 だからこそ、こうして鈴音と会わない日々が続いて、今も山に向かおうとしない僕がここに居るのだ。
61 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 19:43:35.87 ID:SXxF06Gi0
 そして今日もまた、僕は彼女の元に行けなかった。今度こそ隠さずため息を吐き出してから、僕は図書館に入ろうとした。

 「少年、最近元気ないねー」

 ドアノブに手を掛けたところで、見知った声が僕を引き留めた。入り口から離れて後ろを振り返り、一応その姿を確認してから返事をした。

 「…斎藤さん。こんにちは」

 これから勤務時間なのだろう。まだ首元からネームプレートを垂らしているわけではなかったが、ここ数カ月の付き合いで声の主があのお節介が過ぎる司書さんであることはすぐに分かった。
 
 斎藤さんは「こんにちはー」と適当な挨拶を返すと、こちらが本題であると言わんばかりに身を乗り出した。

 「で、どうして少年はそんなに落ち込んでるのかな?しかもここ数週間も」

 「別に、落ち込んでなんかないですよ」

 僕の顔を覗き込むようにして尋ねる彼女に対して、僕は適当な言葉でやり過ごすという選択肢を選んだ。
 斎藤さんは呆れた様子で首を振った。

 「ほらほら、すぐそうやって君は誤魔化すよねー。お姉さんに話してみなさいよ。自分で抱えてたって解決しないものは、誰かに話すのが一番なんだから。あ、これ経験則ね」

 「…」
62 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 19:46:06.96 ID:SXxF06Gi0
 自分の悪癖を見抜かれて、尚且つそれらしいことを年上の人に言われてしまえば、話してみる価値があるように思えた。
 実際のところ、僕一人で色々考えた結果が、約一カ月も鈴音に会えていないという事実なのだから。
 
 僕は恥も外聞もかなぐり捨てて、極力言葉を選びながらあの日のことを簡潔に説明した。
 そのなんとも情けない話に耳を傾けたお姉さんは、一通り僕が話し終えると言った。

 「ふ〜ん…なるほど…。つまり少年は、その子と仲直りしたいってこと?」

 縦に首を小さく振ると、彼女はケロッとした様子で答えを出した。

 「だったら早いとこ『ごめんなさい』って言えばいいだけじゃん」

 「…それが出来たら苦労しないんですよ」

 その一見近道に見える答えを前に、僕は落胆しながら言葉を返した。その失望は果たして彼女の案に向けられた物なのか、それとも僕自身に向けられた物なのかは火を見るより明らかである。
 
 そうだ。僕だってとっくに気が付いているのだ。彼是一カ月も悩んでいることなんていうものは、実は簡単に解決出来るものだということぐらい。
 斎藤さんの言う通り、僕が今すぐに山に向かって、それでもし鈴音が居てくれたらその場で全力で謝って、また仲良くして欲しいと言えばそれで済む話なのだ。
 
 でも僕にとってそれはいばらの道であった。
 
 もし鈴音が僕を赦してくれなかったら?もう絶交だと言われたら?そもそも、二度とあそこに来てくれなかったら?

 その諸々の不確定要素に一度目を向けてしまうと、臆病な僕はその行動を選べなかった。
63 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 19:50:20.22 ID:SXxF06Gi0
 「やらない後悔よりやる後悔。謝られて嫌な気分する人なんていない。さ、レッツアポロジャイズ!」

 僕の重い腰を無理矢理押し上げるようにして、斎藤さんは軽い調子で僕を鼓舞しようとしてくれた。
 だがいつまで経っても思い迷って椅子から退こうとしない僕を前にして、彼女は珍しく真剣な表情を作った。

 「…あのさ、その子に嫌なことしちゃって、それで会えなくなっても、少年はこうやって植物のこと知ろうとしてるわけでしょ?ってことはさ、少なくとも少年は、まだその子と仲良くしたいって思ってるんだよね?」

 お姉さんに核心を突かれて、僕ははっと気が付かされた。
 彼女が言ったことは、何もかもがその通りであった。鈴音を傷付けて一緒に遊べなくなった今、それでも僕がなんとなく図書館に足を運び、自然に関する知識を追い求め続けた理由なんて、それ以外に有り得ないではないか。
 僕が素直に頷くと、お姉さんは諭すように続けた。

 「じゃあ、やっぱり早く仲直りした方が良いよ。ここで頑張んなきゃ一生このままだよ?少年はそれで良いの?」

 もう二度と鈴音とは遊べない。僕は彼女と笑い合うことが出来ない。
 そんな光景がふと脳裏に浮かび上がった。一瞬の沈黙の後に、僕はお姉さんに決意表明をした。

 「…分かりました。ちゃんと謝りに行きます」
64 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 19:53:25.55 ID:SXxF06Gi0
 「えらい!良くぞそう言った少年!折角ならさ、お花屋さんで手向けの花用意してあげれば?植物好きの子なら絶対喜んでくれると思うよ!」

 親指を立てて叱咤激励してくれるお姉さんの良さげな案を採用することにした僕は、すぐさま下準備を始めることに決めた。
 思い立ったが吉日というやつだ。本を借りるのはまたの機会にすることにして、まずは自宅へと舞い戻ろうと思った。
 
 僕が駆け足でその場を去ろうとすると、「頑張りなさいよ、少年」と斎藤さんは手を振ってくれた。

 振り返った僕は元気よくお礼の言葉を述べ、急いで踵を返した。
 
 この一カ月の間、僕の心身を蝕んでいた暗澹は、爽やかな秋空に吸い込まれていった。
65 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 21:24:31.70 ID:SXxF06Gi0
 間もなく家に帰ってきた僕は、手を洗うこともなく二階の自室へ駆け込み、机の上にあった銀の缶を迷うことなくひっくり返した。
 その小さな貯金箱に入っていたなけなしのお小遣いを握り締めると、その足で花屋へと急行した。そこで仲直りに相応しい花を一つ購入した。
 
 心も身体も、今すぐに鈴音の元へと駆けていくつもりだった。
 しかし、その頃にはもう世界は赤焼けに包まれていた。
 今日は時間がないことを悟った僕は、明日こそは、と意気込みながら帰路を辿った。気持ちの逸る自分を落ち着けられず、その夜は上手く寝付けなかった。
 
 翌日、僕が重い瞼を擦って目を覚ますと、まずは肌寒さが皮膚を襲った。その時点で、限りなく嫌な予感がしていた。続いて耳が痛くなるほどの轟音を聞き取り、僕は寝床から飛び起きた。
 慌てて身を乗り出した窓の外には、深い曇天に包まれた街並みが広がっていた。
 幾層にも重なった暗雲からは大粒の雨が激しく降り注ぐばかりでなく、ごうごうとおどろしい音を立てながら横風を吹き荒れさせている。外に見える木々が暗がりの中で横に揺られたと思ったら、自宅が軋み音を立てて悲鳴を上げた。
66 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 21:29:09.09 ID:SXxF06Gi0
 これは山に向かえるような日ではない。鈴音に謝りに行くのはまた明日にしようか。
 
 最悪の気象状況を前に、僕はすぐさま合理的な判断を下した。
 
 が、そこでふと立ち止まる。僕は脳裏に過らせてしまったのだ。
 
 この一カ月もの間、心の中で何かしらの言い訳を重ねてはごめんなさいが出来なかったような愚者が行動を先送りにしたのならば、果たしてそれは実現されるのだろうか、と。
 
 自分のことは自分が一番解っている。答えは自明の理であった。
 明日の僕に託すことを数十回と繰り返してきたのが今日の僕だ。こうしてまた都合の良い理由に縋り付いていては、きっと明日の僕は今日の僕になって、また実現不能な明日の僕を思い描くのだろう。
 
 僕はいつまでこんなことを続けるつもりなんだ。もうそんなことを繰り返している暇はないぞ。せっかく花も買ったんだ。花弁が落ちないうちに渡した方が、鈴音がもう一度屈託のない笑顔を零してくれる可能性だって高くなるに決まっている。だから今日に行け。今すぐ山に向かえ。
 
 言い聞かせるように自分を駆り立てた僕は、直ちに朝の準備に取り掛かった。
 もし母さんが家に居たなら、強風と大雨の中外へ繰り出そうとする僕を引き留めたことだろう。
 だが運が良かったのか悪かったのか、今日の母さんは朝早くから仕事に出ていた。
 作り置きのおにぎりで朝食を済ませ、手早く合羽を身に付け仲直りの印を携えると、僕は意を決して玄関を出た。
67 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 21:35:23.54 ID:SXxF06Gi0
 正面から吹き乱れるあからしま風が、合羽に覆われている頭をいとも簡単に露出させた。
 風に呷られ身体を浮かされないよう、姿勢を低くして一歩ずつ足を進める。単なる住宅路を歩いているだけだというのに、自転車で向かい風に突っ込む以上に体力を消耗させられた。
 
 豪雨に身体を晒しながら田圃のあぜ道に辿り着くも、ここに来るまでに傘どころか人一人として見ることはなかった。
 どんよりと暗い空も相俟って、さながらゴーストタウンにやって来たかのようだった。
 
 用水路の水流が荒くうねっている横を突き進んでいくと、やっとのことで森の入り口が伺えた。薄暗い木々の住処に立ち入れば、気休め程度には雨風がましになった。
 
 それでも時間が経過するごとに暴風が狂風に、豪雨が一段と凄まじく大地を叩き付け、僕は徐々に疲労を蓄積させていった。
 季節のせいもあって冷雨が身体を打ち付けていたことや、風に吹き飛ばされないよう木々の枝にしがみ付いたりしたことも影響していたのだとは思う。
 髪はシャワーを浴びたようにびしょ濡れになって、身体はもう芯まで冷え切っていた。加えて指先の感覚が分からなくなり始めた。
68 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 21:37:25.47 ID:SXxF06Gi0
 軽く息を切らしながら、僕は現在地点を確かめるよう周囲を見渡す。
 目的のシンボルツリーに向かうには、ここからどう動けば良いのかを再確認したわけだ。
 
 しかし、僕はその場から一歩も足を動かすことができなかった。
 最近この辺を歩いていなかったからだろう。季節が転じて森の様子も変化したのか、僕にはここが何処なのかいまいち判然としなかった。
 
 だがこの場で立ち止まり続ける訳にもいかない。身体を動かすことをやめてしまえば、気温と雨風にやられた身体が震えてしまう。
 僕は感覚に頼って前進を再開した。
 
 糸のように細かい雨が周囲に霧を作り出していた。日光の代わりに雨粒が注ぎ込まれる薄暗い木々の密集地帯は、一転して僕に陰鬱な印象を与えた。
69 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 21:41:23.19 ID:SXxF06Gi0
 こんな状況で山に迷い込んだというのに、不思議と恐怖心は芽生えなかった。
 
 今の僕には目指す場所と目的があるからこそ、余計なことに頭を使わなくて良かったからなのかもしれない。いや寧ろ、今さら後ろを振り返っても深い森を出られる気がしなくて、無理にでも他のことから目を逸らしていたとも言えるだろう。

 一旦孤独と恐怖を認識してしまえば、もう正常な判断を下せる気がしなかったのだ。
 とは言え、引き返すという道を選べなかった時点で、まともな思考が出来ていたどうかは怪しいものだろうが。

 絶え間なく降り落ちる雨水は、次第に合羽の隙間から内側へと染み込んでいった。
 靴の中までもが冷水で浸食され、身体から熱量という熱量が奪われていく。徐々に震え出した身体は、やがて小刻みに揺れ始めた。雨に打たれて身体が重くなり、唇が色を失いつつあった。
 
 それでも前へ前へと突き進み続け、だがシンボルツリーの蜃気楼さえ浮かんでこない。
 見覚えのある山道を歩いているはずなのに、暴雨の世界では映るもの何もかもが違って見えた。
 
 激しい雨水に穿たれた斜面には、所々で古い石段のようなものが露出していた。
 嵐で幹を傾かせている木々の中で、頑強にも真っすぐ伸び続ける大樹が一本視界の端で捉えられた。ようやく着いたのかと思って右手に視線を移すと、それは途中でポッキリと折れてしまっている禿げた木の円柱だった。
70 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 21:46:37.14 ID:SXxF06Gi0
 感覚的にはもう目の前に大樹が見えるはずなのに、一向にその姿は伺えない。いつまで経っても同じ場所を歩き続けているような気がしてならなかったが、僕は低回するように右往左往するしかなかった。

 そうこうしているうちに暗雲の立ち込める空は一層の悪天候に見舞われた。
 ときおり鼓膜を破壊するような白の嘶きが不気味に辺りを照らすようになり、雨音の中には帰れ帰れと世界が僕を拒む声が聞こえた気がした。
 
 だとしても、僕は撤退の二文字を選ぶことは出来なかった。最早何かに導かれるようにして、ひたすらに突き進み続けることを選択した。
 
 下風に足元を掬われないよう大地を踏みしめる。森の遥か先に視点を固定させ、シンボルツリーを探し求め続ける。少しずつ少しずつ、だが確実に一歩前進を繰り返す。
 霧のような豪雨で視界不良の中、僕は懸命に視線を左右へと動かし、遠くを眺めていた。
 
 結論から言えば、それがいけなかったのだろう。
 
 一際強い逆風が吹き込み、僕は押し返されないよう両足で踏ん張った。幾ばくか風が弱くなったところで、右足を大きく前に出した。それから右足に力を込めて、今度は左足を蹴り上げるように前へ持ってくる。
 
 その幾度も繰り返した作業に不意の異変が生じた。
71 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 21:52:37.73 ID:SXxF06Gi0
 どれだけ右足に重心を寄せても、どういう訳か大地の感覚が掴めなかった。
 おかしいな、と何気なく視線を下に向けたところで、目には衝撃的な光景が飛び込んできた。
 
 僕の右足は宙に浮かんでいた。大地が続くと思われていたその場所には、地滑りが起きたような空間が広がっていたのだ。
 
 全身の毛穴という毛穴が広がるように、背筋にはゾッと悪寒が走った。あっと気が付き身体を引っ込めようとするも、もう全てが手遅れだった。既に身体は前のめりになってしまっていた。
 
 死に物狂いで崖上へと手を伸ばす。微かに片指が崖先に届いた。
 が、その程度で全体重を支えられる訳もなく崖先の突起から左手が剥がれ落ちた。重苦しい重力は僕を掴んで離さなかった。
 
 今度こそ宙に投げ出されて、僕は元居た場所を見上げる形で仰向けになった。
 
 頭の中は真っ白だった。情けない悲鳴を上げることすらできずに、僕は崖地から身を投げる嵌めになったのだ。
 受け身を取ることもままならない。自分の身に起きたことを脳が上手く処理できなくて、僕は身を藻掻かせることさえ忘れていた。
 
 放心状態で自由落下に身を任せていると、突然、背中を突き破るような衝撃が身体中を貫いた。それは金属バットで脛を叩き割られたように凄まじい威力だった。
 視界が暗転と明転をせわしなく繰り返す。そのまま二転、三転と跳ねるように崖地とぶつかり合いながら、やがて僕は投げ捨てられたように崖下に倒れ込んだ。
72 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 21:56:38.86 ID:SXxF06Gi0
 長い間、辺りは静まり返っていた。
 
 僕はうつ伏せの状態で地にへたり込み、体中の機能が停止したかのように肉体はピクリとも動かなかった。音という音を掻き消すような大雨に打ちのめされ、身体は増々冷えていった。
 そのせいか、興奮状態で麻痺していた感覚も元に戻り始め、段々と身体の至る所に鈍い衝撃や鋭い激痛が襲い来た。
 
 掛け値無しに、それは顔面が渦を巻いて歪むほどに酷い苦しみだった。言葉にならない呻き声が喉奥から漏れ出し、余りの辛さに無意識に身を捩れば、それが無理に動かした身体の痛みを増長させた。僕は悪循環の中で獣のような呻き声を上げていた。
 
 だけど、その状態がしばらく続いてしまうと、次第に身体に起こった異常事態がどうでも良くなっていった。
 熱を帯びた傷口に死神の吐息が纏わりつく。呼吸が遠のくように深くなっていく。なんだか身体がやけに軽いというか、まるで空に浮かんでいるような心地良い気分だとさえ思えた。
73 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 21:59:33.92 ID:SXxF06Gi0
 ぼんやりと霞む視界の先には、薄暗い緑が映え広がっていた。突然片目が鮮やかな赤に覆われて、でもそれを拭う力さえ僕は振り絞れなかった。
 
 朦朧とする身体に反して、意識は異常なほどに鋭敏であった。
 だから、今の僕の身体に何が起きて、これがどういう状況なのかはなんとなく理解出来てしまった。
 
 まぁ、誰かを傷付けるような人間にはお似合いの末路だろう、と僕はこの理不尽を不思議と受け入れてしまう。
 色々とやり残したことはあるけれど、一番に思い浮かぶのはやっぱり、鈴音と仲直り出来ず仕舞いになってしまうことだろうか。でもこの結果は因果応報なのだから、致し方がないことだ。それに、あれから一カ月も経ったのだから、きっと鈴音は僕のことなんて忘れて日常に戻っていることだろう。
 
 このまま誰も居ない場所で、雨粒と共に大地に染み込んでしまえばいい。

 僕は投げやりな気持ちで自ら全身の力を抜き、自然な流れで重い瞼をゆっくりと閉ざした。
74 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 22:02:57.54 ID:SXxF06Gi0
 胸の奥で大事に抱え込んだもの全てを手放そうとして、その時、何かが駆け寄って来るような音が聞こえた気がした。
 
 なんだろう、と思って瞼を薄く持ち上げると、二重にも三重にも重なった輪郭の覚束ない君の姿が見えた。

 「なんで…なんでこんな嵐の中…」

 そんな君は今にも泣き出してしまいそうな程に表情を歪ませていて、繰り出した言葉は酷く取り乱したように震えていた。
 
 君が動揺するなんてらしくないな、とひとごとのように思いつつも、結局僕は最後まで君を笑顔にしてやれないんだな、とどう足掻いても僕は僕が大嫌いになった。
 
 きっと、目の前にいる君は幻なのだろう。僕の未練が形となって現れただけなのだろう。
 だとしても、もう身体は動かないけれど、心は君に伝えたがっていた。ちゃんと言葉にしておかないと死んでも死にきれないように思えた。
 だから僕は残る力を振り絞って、微かに唇を震わせたのだ。

 「……ごめん、鈴音…嫌なこと、たくさん、言って…」

 「……ずっと…ずっと謝れ、なかったけど……僕はやっぱり、鈴音と一緒に居たくて…うん、許してくれないかもしれないけど、ごめん…」

 僕はちゃんと伝えきれただろうか。徐々に鈴音の姿が霞んで、突然真っ暗が訪れた。それは黒よりも深くて、行方の見えない深淵であった。
 たぶん僕は、これからずっとこの場所に縛り付けられるのだろうな、と思った。
 
 そんな中、身体は何か温かいものに包まれた感覚があった。
 想像していたものよりもずっと気持ちの良い余韻を残しながら、僕はとうとう残る意識を手放した。
75 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 22:28:49.88 ID:SXxF06Gi0
 

 初めに僕を促したのは、腹の底に響くような恐ろし気な拍子でもなければ、数多の業を煮詰めた暗赤色の光線でもなかった。
 何処からか間延びした小鳥の囀りが飛んできて、ゆったりとした光が閉じた目に注ぎ込まれている。そんな呑気な環境だった。
 
 地獄行きのはずの僕が、何かの手違いで天国に迷い込んでしまったのだろうか。
 目を閉ざしたまま、僕はそんな疑問を抱いていた。
 
 頭は何か柔らかいものに乗せられていて、僕はもう身体を一歩も動かしたくない気分だった。
 動かせるけど動かさないで、ずっとこの心地良さに浸っていたいような、そんな感じだ。
 
 なんてことを考えて気が付いた。今の僕には、『動かせなかった筈の身体が動かせるようになっている』という事実に。
 
 信じられない事態に目を見開くと、「あっ」と可憐な声がすぐ近くで響いた。
 視界の遥か先には透き通るような青空と白い雲が浮かんでいて、その少し手前には青々とした大樹がそよ風に揺られていた。そこには天地がひっくり返ったように穏やかな天候が何処までも広がっていたのだ。
76 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 22:33:02.46 ID:SXxF06Gi0
 がしかし、そんなことはどうでも良かった。
 空、樹と遠くから順番に焦点を当てて、最後に一番手前に映るものへ視線を移す。
 丸い瞳に反射する僕は間抜けな表情で瞬きを繰り返していて、そんな僕を見つめる君は面白そうに桜色の唇を引いていた。

 「おはよう、千風くん」

 屈託のない笑顔で挨拶を交わされ、僕は未だ狐につままれたままであった。
 一度身体を起そうとすると、僕のおでこに彼女の人差し指が添えられた。僕はそのまま頭を押し返されて、結局彼女の膝の上から起き上がることは許されなかった。

 「えっと、これは一体どういう状況なんだ…?」

 ようやく頭が追い付いてきたところで、僕は彼女を見上げながらそう訊ねた。

 君は一度僕から目を逸らし、遠くを眺めて考える素振りを見せた。すぐに視線を戻すと、彼女は微笑みながら「さぁ〜?」といつもの調子で言った。
 
 君の大きな両目が余すことなく僕を捉えていて、僕もまた君で視界の大部分を覆っている。
 こうして君の笑顔を至近距離で眺めていると、なんだか妙にむずかゆい心地に陥った。自然と僕の視界はその他の部分に移動してしまった。
77 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 22:39:31.22 ID:SXxF06Gi0
 このままで居ると、彼女から発せられる見えない何かが胸奥に溶け込んでくる気がした。だから僕は転がるように彼女の元から脱出したのだ。

 そうして実際に身体を動かして気が付いた。上半身に纏わりついているナイロンのボロ切れが、合羽の無惨ななれ果てであることに。

 数秒合羽を凝視して、再び僕は考え込んだ。果たしてどこからどこまでが現実で、どの部分が夢であったのだろうか、と。
 
 少なくとも合羽を着ている以上、僕は無謀にもあの大嵐を突っ切って山にやって来たことまでは確信を持てる。
 がしかし、その後のことには些か自信がなかった。濃霧に包まれたようにそれ以降の記憶が曖昧で、引き出せる記憶の断片のどれもが非現実的でしかなかったからだ。
 
 でも今は記憶を探ること以上に、為さなければならないことがあった。僕が苦労して森を突き進み、ここにやって来た理由を果たさねばならないのだ。
 夢の中で予行練習をしたお陰なのか、一カ月も言葉に出来なかったこの気持ちは驚くほどにすんなりと喉から繰り出された。

 「…鈴音。その、この前は酷いこと言って、ごめん。ずっと謝りたいと思ってた」

 大樹の下で横座りしていた君は足を解すようにゆったりと立ち上がると、人懐っこい笑顔で呆気なくこう言った。

 「いいよー、そんなことぐらい。全然気にしてないもん」
78 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 22:43:16.68 ID:SXxF06Gi0
 誇張でも捏造でもなんでもなくて、本当になんとも思ってなさそうに思える鈴音を前に、「じゃあ、仲直りってことで良いのか?」と僕は念押しするように確かめた。

 君は間を置くこともなく「うん!これからも一緒にいよーね!」と快活な様子で応えた。
 
 時間が掛かり過ぎたとも言えるが、これでようやく鈴音とのひび割れた関係を修復できたのだろう。ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、僕はもう一つやらねばならぬことを思い出した。
 
 確か、雨風にやられないようシャツの胸ポケットに仕舞っておいたはずだ。僕はレインコートの中に手を伸ばして、鈴音の為に用意していた贈り物を取り出したつもりだった。
 
 しかし僕の手に握られていたものは、昨日購入した可憐な花ではなかった。やけに軽いそれの正体は、千切れた茎の部分だけであったのだ。
 山を彷徨っているうちに花の上半分を失ってしまったのだろうか。僕は呆然と己の手の内を眺めていた。
 一方鈴音は僕の取り出した茎をジッと見つめていた。

 「蔦葉天竺葵」

 「え?」

 突として鈴音が呪文のような早口言葉を呟き、僕は素の調子で聞き返した。
 彼女は意を汲み取ったように、今度はゆっくりとその口を動かした。

 「つたばてんじくあおい。その花の名前だよ?知らなかったの?」

 「うん。花屋のおじさんに選んでもらったから」

 あの美しい花にそんな複雑な名前が付いているとは想像も出来なかった。

 「茎だけでも花の種類が分かるなんて流石だな」と僕は感心して褒め称えた。

 「そんなことないよー」と彼女は満更じゃなさそうな返事をした。
79 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 22:47:07.90 ID:SXxF06Gi0
 「天竺って言うと、あの西遊記の?」

 「そうそう。三蔵法師や孫悟空なんかが出てくるお話だよ。あれすごいよね〜」

 なんだかんだ一カ月以上も植物に関する見聞を広げてきたはずなのだが、この花に関連した内容はさっぱりであった。なので花名に関連した単語から会話を繋げてみると、これは当たりを引いたらしい。彼女は嬉々と僕の話に応じた。
 
 鈴音はこの手の話も好きなのか、と頭の中で彼女の趣向を把握しつつも、仲直りの証という意味で、僕は緑の茎だけとなった花を差し出した。
 暫しそれを眺めていた彼女は、明るい笑顔を振りまきながら言った。

 「ん〜…私、今は受け取りたくない気分かなぁ〜」

 予想外であった。
 いや確かに、花の魅力の大部分を占めているであろう花弁が失われている以上、贈り物としての価値もまた消失したと言っても過言ではないのかもしれない。だが鈴音も形としては受け取ってくれるだろうと、断られるとまでは夢にも思っていなかったのだ。
 
 何が衝撃的だったのかが自分でもよく分からないまま、僕は棒立ち状態を強要された。
 彼女は心配そうに一歩こちらに近づき、首を軽く傾げた。
80 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 22:49:46.08 ID:SXxF06Gi0
 「…どうしたの?もしかして、まだどこか痛かったりする?」

 「…いや、ただ、ちょっと胸が」

 そんなにも不安そうに眺められては、僕も取り繕うことができなかった。隠すべき本音を少し洩らしてしまうと、鈴音はもう一歩こちらに寄ってきた。

 「胸?」

 「あぁ。一応、この花を買うためにお小遣い叩いたからさ、ちょっとばかしショックというか──」

 その小さな指で胸元を指差され、僕はおどけた調子で強がりの鍍金を張ろうとした、瞬間だった。僕の身体が引力に攫われ、時の流れが感じられなくなったのは。
 
 突然僕の身体はぎゅっと柔らかい肌に包み込まれて、背中には温かい君の手のひらを感じ取った。真っ白な首元に艶のある黒髪が目と鼻の先にあって、君の優しい香りが鼻孔いっぱいに広がった。ほとんど理解が及んでいない状態で、耳裏に君の声が響いた。
81 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 22:54:56.43 ID:SXxF06Gi0
 「えっとね、それは分かってるよ。仲直りは仲直り。でも、なんて言うのかな。上手く言葉に出来ないんだ」

 すぐ側で耳に残るような囁きが伝わって、途端に僕の胸は強く締め付けられた。
 それは鈴音を傷付けてしまった時に味わった壊滅的なものではなく、きゅうと痺れるような感覚であった。
 
 周りからは酸素が根こそぎ奪われたみたいで、だけど君のしゃぼん玉みたいな匂いだけがその場に溢れ返っている。
 酷く甘い息苦しさを覚えながら、僕は君という透明なベールに覆われていた。
 
 「どう?もう胸は痛くない?」

 滑らかな声が肉体を突き抜け、危うく魂が掴まれそうになる。徐々に全身の中へ何かが浸透していくのを肌で感じ取り、いつしかその正体不明の存在が、僕自身の形を余さず変えてしまうような不安心を覚えさせられた。
 
 ここには長居してはいけない、といつもの如く頭の中は危険信号を発していた。そしてこれまでもそうしてきたように、僕はその場から脱するべきであった。
 
 でも君に包まれていると、伝播する温もりと共にだんだんとそんな淡い不安の色さえもが塗り替えられていった。
 そのうちに僕は、もうこの甘美なる芳香に逆らう気も起きなくなってしまった。鈴音に言葉を返すこともなく身体を脱力させ、鼻孔を蕩かしながらただただ抱擁され続けていた。
 
 心の隅の方でまずいと思っているうちに、手足の先からじわじわと不思議な心地がせり上がっていった。
 やがてそれは溢れるほどの勢いで頭と心の中枢にまで行き届いた。
 
 その瞬間、一秒を引き延ばして十秒を作り出す世界が訪れた。
 音も匂いも、周囲の景色さえも覚束ない。だけど君の姿だけは鮮明に捉えられた。瞬きを忘れて魅入る先では、鈴音が眩しくて見ていられないほどの煌めく笑顔を零していた。
 君から目が離せなくなった僕は、息継ぎすることすら出来ずに、ひたすら君という海に溺れていった。
 
 
 握り締めていたはずの折れ花は、いつしか大地に音を奏でた。
82 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/29(木) 23:29:53.54 ID:SXxF06Gi0
 ♦♦♦


 何度思い返そうとも、その日、僕の世界には大革命が生じ、君があらゆる物事の中心になったことに疑いはない。
 鈴音が右だと指差せばそこが右となり、彼女が夜だと唱えれば空は黒く染まって、天に丸い月が昇るようになったのだ。
 僕のすることなすこと全てに彼女の存在が関連付けられるようになったし、僕の生きる世界は君がいて初めて成り立つものになった。
 
 つまるところ、当時僕が築き上げようとした要塞はあっさりと陥落してしまったというわけだ。
 
 気だるげなブレーキ音と共に、列車が大きく左右に揺れ動いた。
 どうやら目的地に着いたらしい。回想を一時中断し、僕は列車が停止するのを待った。
 いつも通り、終点で降りるのは僕だけのようだ。足音を響かせながら廃れたプラットフォームを通り抜け、無人の改札窓口に切符を捨て置いた。
 
 古臭い駅を出て、はたと足を止める。降り注ぐ日差しを遮るように手をかざし、頭上を仰ぐ。
 そこには青天井の大空が広がっていた。白雲は上下に大きくたなびき、その中で自己主張の激しい太陽が輝いている。
 強烈な陽光によって、剥き出しの皮膚は焼きつくような痛みを覚える。微かな風が立ったと思えば、籠った熱気が身体を包み込んだ。懐かしい炎天下の匂いだ。
 
 閑古鳥さえ寄り付かない駅前を歩み、近くのバス停の時刻表を確認する。どうやら十分ほど前に先発が行ってしまったようで、今からだと三十分待ちらしい。
 
 まぁ、待つことには随分と慣れてしまった。それぐらいは許容範囲だ。
 
 気長に次のバスを待つことにした僕は、ゆったりと錆びたベンチに腰を下ろした。
 何処からか締まりのない蝉の声が聞こえていた。夏らしい夏に放り込まれたせいか、頭の中では風鈴の調べがちらついてやまない。その爽やかな音に導かれるように、僕はまた頭を空っぽにするのだ。
 
 在りし日の追憶は続く。
83 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 21:40:23.70 ID:3+1GuYNt0
 ♦♦♦


 あの日を契機として、僕らは再び時を共にするようになった。
 一年でも数少ない快適な気候の中、どんぐり拾いに繰り出す日もあれば、遠目に鹿の親子を見守る日もあった。秋風に揺られ、赤く燃える葉や黄に輝く葉が舞い散る森を駆け回る日もあったし、約束通り、幾色にも染まった帳の世界に見惚れる日もあった。
 それは季節に似合った穏やかな日々だった。
 
 そうこう毎日を過ごしていくうちに、木々の隙間を縫うような木枯らしが吹き抜けるようになった。
 首を垂れる黄金の稲穂は綺麗さっぱり刈り取られ、美しかったあぜ道には殺風景な土色だけが広がるようになった。
 色彩に富んだ紅葉樹も、山香ばしを除いてすっかり葉を落としてしまった。
 
 二度目の季節の移ろいを前にして、馴染みの図書館から借り出した蔵書を片手に、僕は今日も今日とて山に入り浸っている。
 こちらもすっかり慣れた道になってしまっていて、僕はすぐにシンボルツリーに辿り着いた。
 
 周囲の木々が剝げ始めたからこそ、常緑樹であるシンボルツリーは一層の存在感を放っている。近くには赤黄色の落ち葉や既に褐色化した枯れ葉が散り積もっており、その下には地面に張り付いたナズナの緑が見え隠れしていた。
 三色に彩られた大地はさながら錦の絨毯のようであった。
 
 紅葉が最後の輝きを放っている世界で、巨木の大きな幹に寄りかかっている君は、僕の姿を見つけるや否や大きく手を振ってくれた。
 それだけで僅かに血の巡りが速まり、僕は飛ぶように彼女の傍に駆け寄った。
84 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 21:43:42.39 ID:3+1GuYNt0
 「そう言えば、今回は千風くんの番だったよね」

 鈴音は思い出したようにそう言うと、その場に腰を下ろした。同じように僕も大樹に身を預け、足を台替わりにして本を用意した。

 「今日はなんのお話なの?」

 「これは司書さんにお勧めされたんだ本なんだけど…」

 僕の持ち寄った本が気になるのか、隣に座る鈴音はこちらに身体を傾けた。
 黒髪が僅かに揺れると、君の柔らかな匂いがこちらに流れ込んだ。そしてその度に僕の心臓は早鐘を打つのだ。
 
 言わずもがなではあるが、それは変化のほんの一部分に過ぎない。
 たとえばあれ以来、僕は長いあいだ君と瞳を合わせることが出来なくなった。一瞬間目が合う程度なら問題ないのだが、その状態が続くと胸の奥がこそばゆくて仕方がなくなるのだ。
 
 しかし、いつまでもそんな調子ではいられない。冷たい空気を熱の籠った身体に吸い込み、僕は平静を取り戻した。

 「今日はエロスとプシュケの話…ギリシャ神話だな」
85 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 21:46:53.50 ID:3+1GuYNt0
 気を取り直して古臭い表紙を見せてやると、「あ〜、あの二人のことかー!」と彼女は得心したように声をあげた。
 
 「これも知ってるのか?」僕は驚き声で尋ね返した。

 「前も言ったでしょ?私は全部覚えてるって」鈴音は堂々と答えた。
 
 なんと本人が言うには、彼女は御伽噺の全てをその頭の中にインプットしているらしい。
 さてそれが真実かどうかは定かではないが、彼女が僕にその手の話を語るときは、確かに本を持って来ずに、自分の言葉で話し始めるのだ。
 
 鈴音の方が内容を把握しているなら、このように隣り合わせに座り、これからわざわざ二人で文章をなぞる必要もないのかもしれない。
 だけど、こうやって二人で息を合わせて黙読をすることは、仲直りを境とした僕らの日常の新たな一コマに加わっていた。
 
 鈴音がこういう御伽噺にも精通していることを知って以来、僕らはこうして大樹の下で並んで座っては、数日に一度はそれぞれの持ち寄ったお話を語らうようになった。
 僕が本に触れる習慣を身に付けられたのは、間違いなく隣で熱心に文字を追っている君のお陰なのだろう。
 差し詰め、僕にも読書の秋がやって来たとでも言えばよいだろうか。もっとも、もうそろそろ秋も終わりが近しいし、季節が変わろうともこの時間は続いていくのだろうが。
86 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 21:49:39.74 ID:3+1GuYNt0
 「愛と疑いは一緒にいられない」

 最終頁を見届けると同時に、嘆息の混じった淡い声が聞こえた。ふと横に首を向けると、彼女は薄い青の秋空の先を眺めていた。

 「千風くんはさ、どう思うかな?」
 
 数拍の間を置いてから、鈴音は僕に問い掛けた。
 『愛と疑いは一緒にいられない』それはエロスとプシュケの物語の一節に出てくる格言のようなものだ。
 
 エロスとプシュケについて大雑把な説明をすると、プシュケと呼ばれる絶世の美女と、彼女を愛したエロスという神が、様々な苦難を乗り越え最後には幸せに至るという物語である。
 
 格言が出てくる場面に焦点を当てると、人間と神が結ばれるには、人は決して神の姿を見てはいけないというルールが存在していて、そのためエロスはプシュケに姿を見せないように生活していた。
 しかし、プシュケは夫であるエロスが人食いの怪物なのでは、という疑心を捨てられず、とうとうエロスの姿を目視してしまった。言いつけを守ってくれなかったプシュケに対して、エロスはその言葉を残し、去ってしまった。大体こんな感じだろう。
 
 内容を追っている間は気にも留めなかったが、なるほど、言われてみれば深い意味の籠った言葉なのかもしれない。
 僕はたっぷり熟考した末に、彼女を見やりながら答えを出した。

 「愛と疑いは共存できる。僕はそう思う」
87 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 21:51:53.16 ID:3+1GuYNt0
 鈴音は目配せで続きを促した。言い切った僕は、なんだか先生に発表しているような緊張感で解答に理由を付した。

 「例えば、愛している人がいたとして、その人に一滴の疑いも向けないなんてことがあったら、それはもう盲目の愛情じゃないか?相手を疑う気持ちが芽生えて、それが胸中を渦巻いたとしても、相手を愛することは出来ると思うんだ。だから愛と疑いっていう気持ちは、必ずどっちか一つしか選べないものなんかじゃなくて…えっと…」

 「一方を立てると他方が立たないものじゃないってことだね」

 頭の中に思い浮かべるイメージを言語化しようとして、でも話しているうちにどんどんこんがらがって言葉を纏められなくなっていると、彼女はくすっと笑いながら上手い言い回しを与えてくれた。
 解答に三角を付けられた僕は、「はい、そうです」と畏まった返事をしてしまった。

 「鈴音はどう思ってるんだ?」

 「私はね、愛と疑いは一緒にいられないと思うよ」

 代わり番こに訊ね返せば、鈴音は僕と真逆の答えを呈示した。同じように視線を送ると、彼女はすらすらと言った。

 「だってさ、どれだけ愛してる人がいてもね、その人に疑いを抱かせるようなことをしたら、或いは疑心の念を抱かせたままにしていたら、きっと相手は愛してなんかいられなくなる。その人の愛は疑いに塗り潰され、そうでなくとも疑いが勝るだろうからさ。私にとって愛と疑いは相反するものだと思うの」
88 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 21:54:26.08 ID:3+1GuYNt0
 鈴音は確固たる様子でキッパリとそう主張した。そこには水と油の如き僕と君との決定的な価値観の差異が現れているように思えた。
 
 愛情が別の形に歪められてしまう。
 彼女の語ったその言葉は、僕にとってはどこかもの寂しいものに思えた。それでも出来るだけ鈴音の思考回路に基づく為に僕が懸命に頭を捻らせていると、「それにね」と彼女は続けた。

 「『信じることは見ること』って言葉もその本には書かれてたでしょ?それってさ、信じることが前提になってるよね。疑っていたら信じれないのはもちろんだけど、そもそも愛と信頼は表裏一体だと思わない?」

 「それはそう思う。信じられなきゃ愛することは出来ない。…って、これじゃ鈴音の解釈の方が正しいってことなのか」

 信頼と愛は強固に繋がっている。彼女の問い掛けに対して、僕は迷うことなく同調した。
 そして思ったのだ。物語上では『愛と疑いは一緒にいられない』とエロスに言われてしまった当の本人であるプシュケこそが、最終的には『信じることは見ること』であると語るようになった。となると、回り回って疑いと愛もまた相容れないものなのではないだろうか、と。
 
 君の完璧な推論にはぐうの音も出ず、僕は両手を上げて降参した。

 「あ、別に言い負かしたかったわけじゃないよ。千風くんの考え方だって素敵だし、それぞれ思うことなんて千差万別なんだから」

 気を落とした僕を気に掛けてくれたのか、鈴音は僕の肩を持つように微笑んでくれた。
 ささやかな同情を噛み締めた僕は「読んでて一つ疑問に思ったんだけど」と話を続けた。
89 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 21:58:14.62 ID:3+1GuYNt0
 「『信じることは見ること』じゃなくて、『見ることは信じること』じゃないのか?ことわざだってそうだろ?」

 『見ることは信じること』これは確か英語圏のことわざを日本語訳したもので、『百聞は一見に如かず』と同じような意味を持っているものだったはずだ。夏休みの国語の課題を真面目に取り組んだことが功を奏したのか、僕はそんな言葉を覚えていた。
 尋ねられた鈴音は、一つも躊躇うことなく言った。

 「ううん、信じることは見ることなんだよ」

 目線で続きを欲すると、彼女は流暢に言葉を並べ始めた。

 「信じることで…つまりそう在ると考えることで、信じた世界が見えるようになる。これはね、イエスの奇跡によって盲目が解かれた人の話なんだけど、見えない状態でもイエスを信じたことで本当に見えるようになったって言う──」

 「あっ、ごめん。ちょっと難しい話だったね」

 饒舌に語り尽くそうとしていた彼女はこちらを眺め、しまった、と言わんばかりの様子で口元を抑えた。次いで苦笑いを浮かべると、申し訳なさげにそう付け加えた。
 その難解過ぎる問答を前に、思わず放心していた僕に気が付いたのだ。
 
 最初こそ鈴音の言わんとすることを噛み砕こうと必死になっていた僕も、いつの間にか限界を迎え、相槌を打つことさえ忘れてしまっていた。
 鈴音の蓄えた知識が放出されることを妨げてしまった僕は、代わりに彼女を称賛するべく口を動かした。
90 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 22:01:07.04 ID:3+1GuYNt0
 「いや、構わない。…ほんと、鈴音はなんでもかんでも知ってるんだな。いつも僕の方が与えられてばかりだ」

 僕は誇張なしの褒め言葉を贈ってやった。
 対する鈴音の反応は、僕の望んだものとは大きくかけ離れていた。
 間違いなくあの満面の笑みが見られると思っていたのに、実際の彼女はというと、微妙な思案顔を浮かべた。

 「んー、そんなことないんだけどなぁ」

 別に、鈴音を褒め上げるために自分のことを下げたわけではない。僕は紛れもない本心でそう言ったつもりだったのだ。
 だが彼女曰く、そういう訳でもないらしい。

 「じゃあさ、僕は鈴音に何を与えられてるんだ?」

 僕の口がその形に動こうとしたその手前で鈴音は立ち上がると、お望み通りの無垢な微笑みを浮かべてくれた。

 「さ、日が暮れる前に駆けっこしに行こうよ!」

 今日も一番欲していたものを拝めて、僕の心は充分に満足を示していた。
 完璧にその笑顔に持っていかれた僕は、二の句を継ぐことなく、駆け出した君を追い掛けるように大樹の下を発った。
 
 見える世界が丸ごと変わって以来、僕は事ある毎に、君の一挙一動に振り回され続けていた。君の横顔に見惚れ、微笑みに脳を蕩けさせ、その声で名前を呼ばれれば心臓が大きく脈打った。
 そんな風に、僕は目の前に浮上した初めての感情にばかり没頭していたのだ。
 
 だからこそ、僕は最も注意を払わなければならないことに意識を向けられなかった。
 
 それをあえて言葉にするのならば、『愛と疑い』に関する僕と鈴音の価値観は、確かに食い違っているように見えたかもしれない。
 だけどもっと注意すべきことだったのは、僕らは『愛と疑い』に対するアプローチの方向性こそが、全くの真逆であったということだろう。
91 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 22:26:06.24 ID:3+1GuYNt0
 ♦♦♦


 あれから更に月日は流れ、朝は布団から出られない時期がやって来た。
 窓には結露が生じ、空気は身を裂くように冷え込むようになった。多くの人はこの季節を、灯油ストーブで暖かくなった家の中で、更には炬燵に引き籠って過ごすべきものとして捉えているだろう。
 
 しかし僕はそうせず、当然ながら山へと足を運んでいた。
 僕は彼女と一緒に居られるだけで、その心に一足も二足も気の早い春が訪れるのだから。
 
 現状、僕の気持ちは三つ巴と呼ぶに相応しい状態だった。かつての僕が抱いた君に対する心の内は、友愛と敬愛、そして親愛の三強であって、心はそれ以外が立場を主張する隙間のないほどに三色で塗りたくられていた。
 
 だがあの一件を切っ掛けに、新たに四色目が頭角を現した。
 それが友愛と親愛のどちらが塗り替えてしまったのかは定かではないが、心が甘く踊るような気持ちが台頭したことは確かだ。
 今はまだそれぞれが均衡しているが、いつかその前線が破壊され、たったの一色に染まる日も近いのかもしれない。
 
 詰まる所、綻びが修復されたその日、解けた糸は別の形に結ばれてしまったのだ。
 もちろん、僕にとってはそれは天地が入れ替わるような大事件だったけれど、悲しいことにも鈴音にとっては何一つとして変化はなかったのだろうが。
92 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 22:29:45.16 ID:3+1GuYNt0
 もしあんなことさえ起きなければ、僕はこうはならなかっただろうか。
 いや、彼女の傍に居続ければ、遅かれ早かれ似たような気持ちを抱かされていたのだろうな。
 
 以前は混じり気のない友情が先行していたからこそ、僕は君本人ではなく、彼女の持つ才気にばかり気を取られていた。
 しかし今となっては鈴音にこそ心惹かれ、好奇心を駆り立てられていることは言うまでもない。君のたわいない一言一句、そして何気ない身振り手振りの一つ一つに、今日も僕の世界は大きく揺さぶられている。
 
 こうして僕が自らの感情を再確認しているのは、そうすることで胸に抱くこの想いを身に深く染みさせ、より強固なものへと発展させること以上の意味があった。
 近頃僕の頭を悩ませているものが、この感情と大きく関係しているように思われたからだ。
 
 と言うのも、これはそうして彼女自身に意識を向けるようになって以来の話だ。
 いつからか僕は、鈴音に対して幾つかの不可思議な点を見つけ出していた。それは普通は見落としてしまいそうな極々細かな点であったが、それでも僕がそれらに気が付いてしまったのは、やはり鈴音に夢中になった僕の心境の変化ゆえなのだろう。

 であれば、件の七不思議とは一体なんなのか。
93 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 22:33:00.29 ID:3+1GuYNt0
 「千風くーん?もう疲れちゃったの?」

 毎晩のように思い浮かべる疑問のあれこれを整理していると、数メートル先で枯れすすきをかき分ける鈴音が大きな声で呼び掛けてきた。
 
 「ちょっと考え事してただけだ。僕が歩き回るぐらいで疲れるわけないだろ?」

 僕が息巻いた言葉で応えると、彼女はペースを上げて森を突き進み始めた。
 僕の強がりを試すつもりなのだろうか。まぁ自分としても、最近は以前に増して虚勢を張りがちな傾向にあることは自覚しているのだけれど。
 
 話を戻そう。
 別に七つも見つけられたわけではないが、一つ目。まずは薄の群生地で藻掻く僕の姿に着目して欲しい。次いで一足早く抜け出した鈴音に目を向けてくれ。
 夏の過剰な熱線を浴びた僕はすっかり小麦色に焼けてしまったというのに、一方同じく時を過ごした彼女は、出会った時と変わらず透き通る乳白色のままである。視認出来ない純白のドレスでも纏っているのだろうか。
94 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 22:35:45.13 ID:3+1GuYNt0
 次に二つ目、兎みたいに木々の茂る斜面を登り詰めていく彼女を、僕は大きく遅れて後ろから眺めることにしよう。
 
 こうして派手に動き回ろうとも汗を掻かない季節になって、僕も少しばかり髪を伸ばすようになった。
 対して彼女の滑らかな黒髪は、今日も鏡のように美しく木漏れ日を反射させているが、これまた夏の頃から一ミリも髪が伸びたように見えない。加えて、毛先までもが依然として綺麗に纏まっているのだ。
 
 とは言え、言ってしまえば上記の二つは前菜や副菜のようなものであり、主菜はこれから語る最後の一つこそである。
 何せこの二つは、それを実際に行うのが現実的であるかどうかは別として、何かしらの形で辻褄が合わないこともないのだ。
 
 例えば前者は、鈴音が毎日肌の手入れを行って日焼け止めを絶やさず塗ったとか、元々日焼けしにくい体質だとでも言えばいいし、後者に関しても、鈴音が毎晩髪型を維持する努力をしたとか、或いは家族に気の利く美容師がいるとでも言えばいいだろう。
 
 がしかし、最後の一つばかりは筋の通る理由を見つけられなかった。
95 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 22:39:40.74 ID:3+1GuYNt0
 「おー、段々速くなってきてるね〜」

 軽々と斜面を登り切った彼女は、余裕綽々の表情でこちらを眺めていた。それに大分と遅れてゴールに辿り着いた僕は、両膝に手を置いて白い息を切らした。

 「鈴音は、相変わらず速過ぎる、だろ…」

 あれから数カ月経とうとも、どうにも彼女には敵わないらしい。僕もそれなりに成長したとは思うのだが、鈴音にはまだまだ余力が残っているように思えた。
 息の乱れた僕が愚痴をこぼすと、鈴音は一層のしたり顔になった。それからはいつも通り、僕が息を整えるまでの間、暫し僕らは勾配の急な斜面の下を眺めているのだ。
 
 一見、こんなことは僕の発見した不可思議とは無関係にも思えるかもしれない。
 がしかし、よく注意して欲しい。空気が涼しくなり、更には底冷えに差し掛かっているのに合わせて、半袖で過ごしていた僕も長袖を、そして今はパーカーまで羽織っている。
 
 こうして身体を動かして初めて手足がじんわりと熱を取り戻し、身体が温かくなるような季節になった。
 例えば御伽噺を読んでいる時なんかは身体を動かすわけでもない。当たり前のことだが、半袖などでは震えが止まらず読書どころの話ではないだろう。そんなことをした翌日には体調を崩して痛い目を見るだけだ。
 それだけに、僕には解せなかった。

 最後に三つ目、僕が季節に合わせて厚手をするようになったというのに、鈴音は相も変わらず薄手のワンピースを身に着けていた。それも、夏ごろから色も形も変わらないものを、だ。
96 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 22:42:55.13 ID:3+1GuYNt0
 この寒さの中、平気で素肌を晒していられるなんておかしくはないだろうか。現に今の彼女は何食わぬ顔で、白いワンピースを一枚だけ纏っていた。
 
 尚も僕を理解不能に追い込んだのが、そんな恰好をしていたら寒くて凍えてしまうはずなのに、君は一切白い息を吐き出さないことだった。
 呼気が湯気のようになってしまうのは、体内と外部の温度差によるものだと理科の授業で習った覚えがある。
 となると、鈴音の身体はこの冷気と変わりない…はずがない。だって、あの時触れた鈴音の身体には、確かな温もりが宿っていたのだから。
 
 であれば何故なのか。これ以上は堂々巡りだった。僕程度の頭脳では到底解き明かせない謎がそこにあった。
 
 しかし一旦意識してしまえば、それを端に追いやり消滅させることは難しかった。
 鈴音のことを考えれば必ずと言っていいほどにそのことが脳裏を過った。家に居ようと学校に行こうと君と遊んでいようと、悶々と晴れない靄が僕に纏わりつき、彼女に対する疑念は日を追うごとに雲の如く膨らんでいった。
 その上、これまでの僕は余りに鈴音のことを知らなかった。
 
 だからこそ、貪欲にも僕はもっと君を知りたいと願うようになっていたのだろう、自らを制御できないほどに。
97 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 22:45:59.53 ID:3+1GuYNt0
 「なぁ、鈴音」

 好奇心という名の欲心に抗えなかった僕は、とうとう話を切り出してしまった。
 鈴音がこちらに顔を向けた。「ちょっと聞きたいんだけどさ」僕は間を置くことなく続けた。

 「鈴音は寒くないのか?こんな季節に半袖なんか着てて」

 募った疑念をようやく言葉に出来て、僕の心のもやもやは些かすっきりした。
 問い掛けられた鈴音は、きょとんと豆鉄砲を喰らったような表情を浮かべていた。
 
 しかし、その唖然としていた顔にも次第に雲が立ち込めていくではないか。
 やがて彼女は落ち着かない様子で自身の身体を見回すようになった。終いには僕を上目に見やり、その表情を憂わしげなものに変えた。
 
 「…おかしいかな?」

 いつもと違って不安げな調子で尋ねられては、徒に疑問を解消した僕こそが悪者であるように思えた。
 やってはいけないことをしてしまっただろうか。自信なさげにワンピースの裾を掴む鈴音を前に、僕は久々にそんな心地に陥った。

 「いや、おかしいとかそういう訳じゃなくて…その、寒くないなら構わないんだ。鈴音が風邪ひいたら心配だしな」

 「…そっか。でも大丈夫だよ、私は風邪なんてひかないから」
98 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 22:49:43.09 ID:3+1GuYNt0
 彼女を安心させるよう、僕は努めて言葉を選んだ。そのお陰か、ようやく鈴音の表情にも微笑みが戻った。
 が、納得いかない部分もあるらしい。彼女は暫し小さな声で何事かを呟いていた。
 僕はそんな彼女をぼんやりと眺めながら、頭はまた別なことに作用していた。
 
 少なくとも今の問答を通して、分かったことが二つある。
 
 一つは、鈴音が冬の寒さを意にも介していないこと。
 そしてもう一つが、気温云々以前の問題として、『彼女はこの季節に半袖で居ることが異常であることを認識していないこと』だろう。
 
 率直に言って、こんなことが有り得るのだろうか?鈴音の体感覚は通常とは違っているとか、そういうことなのだろうか?
 
 疑問を解消出来たと思ったら、また新たな疑問がふわふわと頭に憑りついた。手で払いのけようとも霧が晴れることはなく、僕はどんどんと濃霧に呑み込まれていく。
 謎が謎を呼ぶ。上手くジグソーパズルを解いたつもりが、盤面からピースがそこから根こそぎ抜け落ちたようだった。
 
 それでも僕は性懲りもなく、ばらばらになったピースをはめ直そうと両手を動かし始める。かき集めた情報の断片を繋ぎ合わせることで、鈴音の全てを丸裸に出来るように。
99 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 22:55:35.69 ID:3+1GuYNt0
 しかして以降の僕は、鈴音の不可解な点を見つけ出してはその原因を突き止めようとした。
 だがそれは、僕は探偵にでもなった気分だったとか、そんな自分に有頂天になっていたとかでは断じてない。
 僕はただ純粋に、彼女をより深く知り、もっと強く理解したかったのだ。

 それ故、この日のように鈴音の表情を曇らせることのないよう、それからの僕は疑問を頭の中で解消しようとするに留めた。
 僕にとっての優先順位を履き違えることはなかったのだ。
 
 と言っても、僕が不可思議を解き明かそうとしたことに変わりはない。
 秘密を暴くということには、得られるリターンが未知数である一方で、強大なリスクが付き物であることには留意しなければならない。それは分の悪い賭けに挑んでいると言っても構わないだろう。

 公然であろうと内密であろうと、秘密が秘密でなくなったその時、何かが破綻してしまう。暗黙の了解がいい例だ。
 そこまで分かっておきながら、僕は彼女の不可思議について考えることをやめはしなかった。

 恋は人を盲目にするとはよく言うが、実際はそればかりではない。
 恋とは、自分本位の自己中心的な思考回路へと至らせる破滅的な病でもある。
 そして過ぎた好奇心が滅ぼすのは猫でも人間でもなく、目には見えぬが大切なものなのだ。
100 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 23:17:14.35 ID:3+1GuYNt0
 ♦♦♦


 その次の日は、生憎の雨天であった。
 朝から糸雨が絶え間なく降り注ぎ、昼間だというのに空気は冷え切っていた。
 土に汚れた運動靴が濡れた地面に茶色い足跡を残しては、雨粒が手早くそれを掻き消していく。僕は雨と鼬ごっこを繰り返しながら、霧雨に見舞われた曇り空の下を歩いていた。傘を差すことはなく、代わりに黒いポンチョをぽすりと被っていた。
 
 であれば、その足は毎度の如く図書館へと向いていたのか。
 はたと動きを止めた先には、雨粒を纏い艶やかな緑たちが待ち構えていた。
 なんの躊躇もなく濡れた草木をかき分け、やがて僕は目的の場所に辿り着いた。と同時に、太い幹の裏から彼女が顔を覗かせた。

 「おはよう。鈴音」

 「ん、おはよー。千風くん」

 実際にはもう午後三時を回っていたが、今日鈴音と会うのはこれが初めだ。だからこの挨拶にも何の問題もないだろう。
 そうして定型的な言葉を交わしてから、僕は鈴音の待つ大樹へと向かった。
 
 君との距離あと五メートルというところになって、彼女は突如「待って」と僕を立ち止まらせた。

 「どうしたんだ?」

 「えっとねー」

 鈴音は微笑みを浮かべながら言葉を濁した。彼女が何かを企んでいるのは一目瞭然だった。僅かな間を置いてから、鈴音は調子の良い掛け声と共にこちらに躍り出た。
101 : ◆zUsZnsynWVoO [sage saga]:2022/12/30(金) 23:20:30.67 ID:3+1GuYNt0
 「じゃーん!どうかな〜?」

 裾を掴んでそれらしい姿勢を取った彼女は、この薄暗い天気に似合わないぐらいにいつもに増して陽気な様子であった。
 
 そんな鈴音を目にして、僕はただただ不思議でならなかった。
 だって、彼女はいつもと変わらず下駄っぽいサンダルに白いワンピースを纏って、鏡のような黒髪とその魅惑の頬笑を──。
 
 と、そこで気が付く。星のように僕の両目を惹き付ける微笑みから目を逸らし、まず彼女の足に着目した。
 山を駆け巡っているうちにいつかポッキリ折れてしまうのではないかと、見ている方がヒヤヒヤするほどに細い線を描いた乳白色の脚が、今日は幾ばくか見え辛くなっている。
 
 更に彼女の上体に視線を移してみれば、いよいよその変化は明らかになった。
 いつもは余すことなく外界に晒されていた華奢な腕が、今やすっかり白い生地に覆われてしまっているではないか。

 「長袖にしたのか?」

 再び彼女の顔を見やって問い掛けると、「うん、そうだよ!」と二つ返事が返された。

 やはり鈴音も来たる冬の寒さには耐えられず、半袖は止めにしたということだろうか。いやしかし、結局あの生地の薄さではどんぐりの背比べといったところだろう。となると、何故長袖を着るようになったのだろうか。
 
 などと考えていると、鈴音は妙な咳払いを挟んでから、耳打ちするみたいな小声を発した。
299.09 KB Speed:0.4   VIP Service SS速報VIP 更新 専用ブラウザ 検索 全部 前100 次100 最新50 続きを読む
名前: E-mail(省略可)

256ビットSSL暗号化送信っぽいです 最大6000バイト 最大85行
画像アップロードに対応中!(http://fsmから始まるひらめアップローダからの画像URLがサムネイルで表示されるようになります)


スポンサードリンク


Check このエントリーをはてなブックマークに追加 Tweet

荒巻@中の人 ★ VIP(Powered By VIP Service) read.cgi ver 2013/10/12 prev 2011/01/08 (Base By http://www.toshinari.net/ @Thanks!)
respop.js ver 01.0.4.0 2010/02/10 (by fla@Thanks!)