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【デレマス】橘ありす「花にかける呪い」
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1 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:03:20.38 ID:DoK8Vme/0
ありすとPの始まり、そして終わりの物語。
SSWiki :
http://ss.vip2ch.com/jmp/1753887799
2 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:11:31.35 ID:DoK8Vme/0
何時間、画面に現れる文字を見つめていただろうか。いい加減疲れた目を癒すべく、一度パソコンを畳んで体を伸ばす。暴力的な日差しが降り注ぐ大阪の街は眩しく、思わず顔をしかめてしまった。
冷めきったコーヒーに手を伸ばせば、思わず苦笑するような顔が拡がる。答えるように水面の上の顔も歪んだ。見慣れたその童顔は、どう贔屓目に見ても二流半といったところ。ええい、何でこんな顔をまじまじと見なならんのや。
振り払うように外を見る。大阪の街を見下ろすこのビルは高速エレベーターが出来る前はアイドルたちから不評を極めていた。おそらく昔の俺が見ても同じ事を言うだろう。だが今は違う。この街でも5本の指に入る企業であることを否が応でも思い出させる、プロダクションの象徴だ。
ここに移転してからもう10年になる。当然部屋は変わり、広く、明るくなっている。しかしこの部屋だけは例外だった。今じゃ骨董品になったパソコン。博物館と居場所を間違えたようなコーヒーセット。昔ながらの紙の書類。そして、友人から貰った「不撓不屈 豪快に進めアイドル道」の額縁。
かつては誰もが見える位置にあった額縁は、今はこの部屋だけの主になっている。だがそれは何か劇的な質的変化があったからではない。この事務所全ての人間に適用されるべき言葉だとして、今も全ての人の脳に刻まれている。
そう、最初のオーディションの時に誰かが諦めていれば。屈していれば。今の事務所は無かったのだから。
3 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:13:05.95 ID:DoK8Vme/0
ぽつりぽつりと降る雨に対抗するように、ほんのりと蛍光灯が照らす部屋。青く品のいい服を身にまとった少女がいた。
「橘ありす、12歳です」
そう名乗った少女のビジュアルは、誰が見てもアイドルに向いている。長い黒髪に、青くかわいらしいリボン。美しい立ち居振る舞い。かなり育ちがいいな、これは。
さらに言えば声も良い。聞き取りやすく、透き通った声は十分アイドル向きと言えるだろう。完成形はかの如月千早、といったところだろうか。よく言えば個性派揃いのうちのアイドルにとっては、いい刺激剤になる。一つだけ欠点があるが、それさえ何とかすれば事務所のエースになれるかもしれない。よし。
「合格」
「へ?」
「合格です。ようこそ728プロダクションへ」
「……え、あ、ありがとうございます……?」
口角を少しだけあげる。わたわたしながらも頭を下げた彼女の頬は緩んでいた。どうやらもう一つ欠点ー予想外のことに弱いというのがあったようだ。この点はレッスンなりで何とでもなる。
彼女は会場ーと言っても事務所の使ってない部屋だがーを戸惑ったように見渡して聞いた。綺麗な声が二人っきりの部屋で反響する。
4 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:16:39.14 ID:DoK8Vme/0
「あの、私以外の受験者は」
「いない」
「えっ」
「この事務所は立ち上げたばかりなのは知っているよね。アイドルも2人しかいない、弱小事務所だってことも」
自分で言って悲しくなってくる。事実だから仕方ない。彼女はこくりと頷いた。意外と毒舌なんだろうか。
「そんな弱小事務所が新聞の片隅に出した広告を見て来てくれるような子なんて、君ぐらいのものだよ。まぁ才能が無かったら落とすつもりだったけどね」
「そうですか……」
少し呆れたような目。だが長い黒髪と青いリボンは心なしか嬉しそうに揺れていた。猫の尻尾を思わせる。
「質問はある?」
「特には」
「ふむふむ。じゃあこっちからもいいかな」
しっかりと頷いてくれた。さぁ、どう出るか。
「親御さんに、本当に許可を取った?」
5 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:21:24.15 ID:DoK8Vme/0
まず気になったのは、サインの筆跡だった。親子はある程度字が似るとは言うが、彼女の母のサインと彼女のそれはあまりにも似通っていた。
さらに、待っている間に何度か外を見ていたのも気になった。本格的に降り始めた雨の音が気になるのかと思ったが、ただ見ているだけではない、怖がるような目を見て察した。余程親が怖いのだろうか。
彼女の反応は予想通りだった。答えることはなく、俯いている。その目には薄っすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。自分に嫌悪感は抱かない。涙を見る覚悟はこの悪しき世界に飛び込んだ時に済ませている。
「親御さんのご職業は?」
「父がコンサルタントで、母が弁護士です……」
「ふむ。お忙しいのかな?」
「はい……あの、この質問は何の意味が」
怯えたような目。親に通報されることを怖がっているんだろうか。ようやく年相応の反応を見ることが出来たような気がする。
「担当するアイドルの家族のことは、ある程度は知っておきたいんだ。とりあえず、僕は君をアイドルにしたい。それだけは理解してくれるかな」
「っ!本当ですかっ!」
「本当だよ。君は間違いなくこの事務所を支えるようなアイドルになれる。こっちから頭を下げないといけないぐらいだ」
「じゃあー」
その先の言葉はなかった。建物を壊そうとするかのような足音が迫り、顔を見合わせているうちに部屋のドアがかなり乱暴にノックされる。鍵が開いていると気付くやいなや蹴破らんばかりの勢いで2人が入ってきたのだ。
6 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:23:06.73 ID:DoK8Vme/0
「あの……頭を上げていただけますと……」
「いえ、我々の管理不行届ですから」
直角に頭を下げられた時はどうすればいいのだろうか。
2人の侵入者ー橘さんの両親は心底申し訳なさそうに頭を下げていた。どちらも仕立てのいいスーツに身を固めてはいるが、髪の毛は不釣り合いなほどに濡れている。忙しいというのは本当だったようだ。
一方橘さん本人は不貞腐れたような表情のまま動かない。気持ちは分かるしそれでとやかく言うつもりはない。ただー
「ありす。頭を下げなさい」
「嫌や。アイドルしたいもん」
「あんたアイドルやれるわけないやん!才能ないくせに!」
「出来るし!おかんに何が分かんの!」
こうなるだろうな、とは思った。娘がアイドルになるという決断はそうそう認められるものじゃないだろう。彼女の場合は例外だが。あれを見せられて才能がないなどと言うのなら、この国にいるアイドルとやらは一体なんになるのだ。
7 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:25:22.30 ID:DoK8Vme/0
「……あー、少しよろしいでしょうか?」
「……お見苦しい所をお見せしました。どうぞ」
「私としましては、彼女をアイドルとしてプロデュースさせていただければと思っております。彼女自身のダンスや歌等は確かに未熟です。ですが、彼女は非常にアイドル向きだと言えます。それらのー特に歌唱力の才能が秀でていますから。私としては、あの如月千早に並び、超えることすら出来ると考えます」
「それでも我々としては」
母親が口を開いた。父親の方は揺らぎかけていたのが分かったが、どうも橘家の最高権力者は母親らしい。ま、娘を褒められて喜ばぬ父親などいないからな。
「ありすの才能については分かりません。ですが娘を……言い方はあまり良くないですが、不安定な業界に入れることはできません。金銭感覚等の面で世間から感覚が乖離する可能性はありますし、はっきり言ってこの事務所は大手では無いでしょう?社員も若い貴方1人だけですよね。そのような所に娘を預けるわけには」
沈黙が降りてきた。
辛口だが妥当な感覚なのだ。正社員1人(よく推理できたものだ)、所属アイドル2人、契約したトレーナーが3人の吹けば飛ぶような事務所に娘を所属させたいと思う親はいない。むしろ言葉を選んでくれた方ではないだろうか。
8 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:26:27.43 ID:DoK8Vme/0
「言葉もありません。ですが、小さな事務所であるが故のメリットもあります……まずは細かな指導が出来るという点。私は大手から独立したのですが、かつていたプロダクションでは私の担当していたアイドルは決められたレッスンをこなすだけ。本人にあった指導というものはありませんでした」
「それは……」
「ついで、仕事が回ってきやすいという点。意外なようですがアイドルが参加する小さな仕事というものはたくさんあります。地域のイベントへの出演オファーですとか、大手が取りたがらないような仕事が」
「……」
「さらに言えば大手ですとそういう仕事が来ても娘さんに来るとは限りません。他にもアイドルがたくさん居ますから。ここならそのような心配はあまり無いかと思います。もしよろしければ他のアイドルのスケジュールをお見せしましょうか?」
荒れた呼吸を整えながら、しっかりと見据える。言えることは言った。少なくとも嘘は何一つとしてついていない。ただ説明不足であるだけだ。雨はますます強くなる。
9 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:27:17.89 ID:DoK8Vme/0
時計の針すら聞こえない、永遠に近い沈黙。それを破るように、母親は頭を横に振った。ゴネリルとオールバニ公が同居したような表情であった。
「……それでも、娘をアイドルにすることは出来ません」
「お母さん!」
「来る時にこの会社を少し調べました。契約に関するトラブルを抱えているにも関わらず、資金不足により何も出来ていないようですね」
「……よくご存知ですね。もし今のままならまさにその通りです。ですが」
「ありすが入れば話は変わる、そう言いたいのでしょう。ですが経営としてはあまりに不健全です、1人に全てをかけるなど」
紛うことなき正論。実は反論の材料は無いわけではないのだが、言うことは出来ない。まだ一般に告知されていないラジオパーソナリティの仕事は口止めされている。
「話は以上です。アポも取らず押しかけてしまい、申し訳ありませんでした」
かつかつと去っていく夫妻と責め立てるような橘さんの顔を、俺はただ黙って見送ることしかできなかった。
10 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:28:12.15 ID:DoK8Vme/0
「馬鹿なの?」
時計の針がやけにうるさく鳴る事務所。曇り空を不満げに眺めながら、この事務所のエースたる姫川友紀は心底馬鹿馬鹿しそうに吐き捨てた。手元のビール缶のことは一旦無視しよう。
「プロデューサー、ほんっと現実論に弱いよねぇ」
「法律的に勝てない勝負はしない主義なんよ。今回やとありすちゃんが明らかに書類偽造してるし、相手は弁護士や。あの状態でこっちが押したら事務所が消し飛びかねん。ただでさえ経営はギリ黒字レベルやのに」
「事務所作る時にはあんだけ危ない橋渡ってたのに。あの時のかっこいいプロデューサーはどこ行ったのさ」
「ありゃ事情がちゃうわ。打てる手打って使えるものを何もかも使って、ようやく立ち上げられたんやから」
何なら彼女にすら言えないようなこともしている。346プロが一枚岩でないことに心の底から感謝したものだ。
日が落ちた街並みを眺める。ため息が漏れた。現実の壁はどこまでも分厚い。理想のために肉1ポンドを捧げたところで、それが返ってくる頃に俺が死んでいたら意味がない。紛うことなき現実。この業界は理想を売る。そのためには現実の石垣が必要で、俺はそれを建てられなかった。ただそれだけのことだ。
11 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:30:45.43 ID:DoK8Vme/0
「……ありすちゃん、欲しい人材やったなぁ」
「うじうじするなら今からでも追っかけていく!プロデューサーも男でしょ!」
「やからあれで押すのは無理やって。実際親御さんの気持ちも痛いほど分かるし、違約金の支払いものらりくらりかわされたままやし」
「えー」
空気が重くよどむ。それにしても、以前のイベントの出演料未払いの問題などどこから探ったんだろうか。ああ、こういう時にアドバイスしてくれる人がー
「……待てよ?」
「プロデューサー、どうしたの?」
「いや、何とか出来るかも知れん。色々電話とかするから先帰っとき」
友紀も意図を察したらしい、頷くと荷物をまとめ出した。こういう所で空気を読めるのが彼女だ。もし橘さんが加入したらいい先輩になるだろう。
カタカタと検索をかける俺を横目に、彼女は何でもないことのように言った。俺がスカウトした時に信じた、彼女の人間として美しい点を詰め込んだような声だった。
「プロデューサー、いい目してるよ。頑張ってね」
ああ、やはり彼女もまた天性のアイドルなのだ。ならば。
飛ばすのは、俺の使命だ。
12 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:34:14.87 ID:r9ema6LhO
それから数日後。俺はある駅に来ていた。本当は使うべきではない情報を使っているのだが、まぁそこはどうとでも言い訳ができる。そのためにわざわざ私服で来ているのだ。
腕時計を見た。これで8回目ぐらいか。回数とは裏腹に、たった30分しか進んでいない。恋人を待っているような感覚とはこういったものだろうか?ある意味で俺は彼女に恋したと言えるのかもしれないな。ふん。
売店で買ったコーヒーの底が見えてきた頃、彼女は現れた。
「……あ」
「橘さん……1週間弱ぶり、かな?」
13 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:35:21.96 ID:r9ema6LhO
彼女の最寄り駅から少し離れた、私鉄の大きな駅のコンコース。光が差し込むベンチは、運の良いことにまるまる1つ空いていた。
「申し訳ない、君をアイドルに出来なくて」
「あっあの、それはもういいんです……あの後、お母さんから沢山怒られましたし」
感情を無理やり押し殺した声。自分ではない、止める理由の主体。騒がしいコンコースの真ん中で、その言葉は重く響く。やはり。
「本当に?」
「……」
「オーディション会場で見た時の君はキラキラしていた。正直ダンスは未熟だったけど、それでも人を元気づけるものがあった。心の底から楽しそうだった」
「……でも」
「君は将来、何になりたいとかはあるかい?」
話題をずらしてみる。話しやすい所から会話の糸口を繋げていくのは会話の鉄則だ。
少しだけ、彼女の纏うオーラが明るくなった気がした。
14 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:35:48.51 ID:r9ema6LhO
「……歌に関わる仕事に就きたいんです」
「いい夢だね。理由を聞いてもいい?」
「歌には力があります。誰かを勇気づけたり、楽しくさせたりする力が。だから、私もそうなりたいんです。なりたいんですけど……」
輝いていた声がしぼんだ。彼女の家族のことだ、そうやすやすと認めはしないはずだ。
だが、帰ってきたのは俺の予想とは少し違った答えだった。
「……それを仕事に出来る自信がなくて」
「仕事に、か……」
とても真面目で現実的な子だ。きっと親をその線で説得しようと思いーそして失敗したのだろう。確かにこの業界で才能があると言われながら花開かなかった人間などごまんといる。少しでも関わった人間なら知っている話だ。そういう人材は小さな事務所にこそ多かった、ということも。
「ま、確かに小さな事務所やったら才能のある子に全てを賭けて失敗することも多いね。それに、アイドルだけでずっと生活するのはとても難しい。才能ある子でもって25年……そうならない子のほうが圧倒的に多い」
「っ……」
空気が澱む感覚。悲しみをためた目。俺の理想のために彼女の理想を壊す自覚。ああ。
15 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:37:44.14 ID:r9ema6LhO
「で、僕は決めた。君を待つ。アイドルとして輝いたあと、どうやって音楽に関わるか決まるまで」
「!」
「業界を一度見るといい。成功するのはそう難しい話じゃないし、橘さんはまだまだ若い。どう音楽に関わるかを決めるのは、今じゃなくていいんじゃないかな?」
「でも……急がないと。私に才能なんてありませんし」
行き場所を失った目線が波のように揺れる。20センチの空白が、まるでバルコニーと地上の間のように思える。ロミオ役にしては醜すぎるな、だなんて益体もない考えが脳裏をよぎった。こんな時ですら俺は現実から目を逸らしてしまう。忌々しい理想論者!
「急ぐ必要は無いよ。どうか自分が才能がない、だなんて思わないでくれ」
「!」
「ご家族は才能のことを色々言うかもしれない。でもそれは違う。少なくとも君の才能は本物だ。大きなプロダクションで何十人とアイドルを見てきた僕が保証する」
酷い魔法使いだとは思う。呪いをかけたような気さえする。終わりまで示したのだ。3人の魔女よりよっぽど歪んだ生き物だろう。苦労も苦悩も2倍で済めばよいのだが。
橘さんはくすりと笑った。小さくて、可憐で、吹けば飛びそうで、それでいて誰かを救えるほどに強い笑顔だった。
「……待ってて、下さいね?」
16 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:38:26.33 ID:r9ema6LhO
その翌日。俺はとあるカフェに呼ばれていた。目の前には鋭い目つきの女性。出されたコーヒーに手を付ける気になれないと思ったのは久しぶりだ。
目の前の女性ー橘さんの母親、珊瑚さんは不信感を隠そうともせずに言った。
「何のつもりですか?」
「文字通りの意味です。貴女の腕を見込んでの」
「私は貴方に言いましたよね?貴方の事務所は信頼するに足らないと。いくら条件が良いとは言え、そんな事務所の顧問弁護士になると思ったんですか?」
「普通ならそうですがね。大学の同期が貴女は非常に有能だと申していましたので、是非ともと思いまして。この条件はそんな貴女たち『一家』へのこちらの誠意という形です」
「……」
人脈があって助かった。
橘家は一見裕福に見える。だが内実はそうでもなく、ありすちゃんへの教育にかける金がかなりの重荷となっているようだ。さらに最近顧問弁護士をしていた企業が倒産したために珊瑚さんはフリーになっているーというのが友人からの情報だった。今度高い酒でも渡しておこう。
そんな俺の心を見透かしてか、珊瑚さんの目はさらに鋭くなった。心臓を突く目線というのはあるのだと思わされた。
17 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:48:56.55 ID:DoK8Vme/0
「……その代わりに娘を、ということですか」
「まさか、全ての利益を考えた結果ですよ。私どもは有能な顧問弁護士とスターの原石を、貴女は新たな取引相手と安定した収入源を、そして娘さんは夢の舞台を得られる。私どもが出来る提案としては破格のものかと」
現実問題として橘家の財政は苦しい。また、全ての人が得をしている。恐らくこれで何とかなるだろう。
あまり得意ではないが、しっかりと珊瑚さんの顔を見る。その表情は値踏みして……いや、不信感だ。よほど信頼されていないらしい。あるいは信頼以前の問題だろうか。
「何故そうまでして娘を芸能界に入れたがるのですか?」
「それだけの才能と熱意があり、彼女の将来にも繋がるからです。貴女が以前おっしゃったように私は若手です。しかし、それでも彼女は別格の存在なことは簡単に分かります。経営者というよりはいちプロデューサーとして、彼女が望む高さまで運びたい」
「才能!便利な言葉です。芸能界の誰もがそう言えば信じてくれると思っています。その正体を知る者はあまりにもすくないのに!」
珊瑚さんはセイレーンのように歌いあげた。一面の事実ではある。正面から押し切るには無理があるな。よし。最後の手だ。
ここから俺は色々詭弁を撒き散らす。彼女のポーシャになるため、そして俺のため。高邁な理想と下劣きわまりない妄想の行き着いた先はちっぽけなデマゴーグというわけだ。くそったれ。こんな業界、俺の代で潰れてしまえ。
18 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:50:54.02 ID:DoK8Vme/0
「才能とおっしゃいましたが、確かに世の中には汚い芸能界関係者もあります。才能のない人間に才能があると言い、レッスン料と称して金をせしめるような人間が」
ここは事実やな。
「問題は、彼らは養成所の人間であって事務所の関係者ではないということです。オーディション合格者となると話が変わります。才能のない人間がオーディションに現れても落とされるだけです。つまりはオーディションに合格した時点で、娘さんの才能は保証されたわけですよ」
ここもまぁ事実。
「さらに言うならば、大手の事務所であればあるほど未来は狭まります。例えばかつて私が所属していたプロダクションであれば、娘さんは即座に歌手としての道を歩むことになったでしょう。彼女は歌唱力が極めて優れていますから。ですがそれは本当に彼女の望む道でしょうか?」
ありすちゃんが聞いたら怒るだろうな。
「彼女は歌にまつわる仕事に興味があります。その上でアイドル事務所を選んだということはその選択は意味を持っているわけです。その意味は何か?彼女なりに未来を広げたいのです。将来どのような形であれ、歌に関わる仕事を目指せるように」
珊瑚さんは真剣に話を聞いていた。乾ききった笑いが口からこぼれそうになる。いっそのこと詭弁だと罵ってくれればよいのに。
19 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:53:14.38 ID:DoK8Vme/0
「実際問題として、何らかの形でコネを作ることは非常に有用です。可能性は0に近いですが彼女がアイドルとして大成できなかったとしても、芸能界で作った人脈は必ず役に立ちます。さらに言えば私どもの事務所が小規模で仕事が来やすく、交流も多いですからね」
「つまり?」
「チャンスは今をおいて他にない、ってことです。逆にこれを逃せば、彼女の夢が完全に叶う日は来ないでしょう」
20 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:54:07.05 ID:DoK8Vme/0
「……結局のところ、貴方の身勝手では?もちろん、貴方がありすのことを誠実に考えていることを否定するつもりはありませんが」
痛い所を突く人だ。他人の人生を歪めるこの業界は確かにそういう所がある。よくプロデューサーはシンデレラの魔法使いだなんて言うが、俺に言わせれば同じ魔法使いでもマクベスのそれだ。運命という呪いを、どこにでもいたはずの人間にかける存在。そうして作られた人生は喚き声に溢れている。それに意味をつけるとするならば。
「否定はしません。ですがそれは全ての人に共通するものでは?誰かが言葉で呪い、舞台で大見得を切らせて、愚か者がその物語を語るだけ。ならばせめて、舞台だけでも広く、大きく、客の多いところを選ばせたいというのが私の意見です」
彼女が満足して舞台を降りられた時にこそ、完成するのだ。まったく理想論者みたいな話ではあるが。
21 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:54:39.38 ID:DoK8Vme/0
「……ありすが舞台を降りたあと、貴方はどうされるつもりですか?」
「本人が望む舞台があるのなら、そちらへ手招きしますよ。あらゆる手を使って。それが私の出来る善行です」
「そうですか」
先程よりも落ち着いた声。ほのかに香る嗅ぎ慣れた安たばこの匂いが鼻をつく。不味そうに吸っていたな、そういえば。
一度椅子に座り直した珊瑚さんの目は母親のそれだった。
「……書類を見せていただけますか。娘に責任を持って下さるのなら、私もこれ以上は言いません」
22 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:55:25.88 ID:DoK8Vme/0
俺たちが違えてはならない約束をした3ヶ月後、橘さんーありすはアイドルとしてデビューした。誰もが予測しないほどのスピードで。
23 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:57:20.72 ID:DoK8Vme/0
【断章・夜桜】
大学生の頃だったか、友人と桜を見に行ったことがあった。地元の桜の名所だ。とっくに日は暮れていて、スポットライトに照らされた夜桜が川沿いに並んでいる光景は言葉にしがたいほどだった。
その翌日。たまたま用事があってそこを通った俺は、ちいさな違和感を覚えた。桜が咲き誇り、誰もが喝采を送る。笑顔を見せる女の子に、写真を撮る若者。この世の何よりも美しいはずだ、なのに。
しばらく考えて気がつく。簡単な話だ。今日の俺は酒に酔っていないじゃないか。夜桜とは、酔っているからこそ美しく見えるものなのだ。となれば。
夜桜とやらにだけは、なりたくないものだ。
24 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:57:58.70 ID:DoK8Vme/0
私が3歳の頃のことです。珍しく両親が花見に連れて行ってくれました。地元の桜の名所に場所を取って、3人で飲み食いして。その時に見た夜桜の美しさは、今でも思い出せます。
それから私は花見をする時は、必ず夜にしようと決めていました。あの時ほどに美しくなくても、私にはそれでよかったんです。視野が狭いと、今はそう思えます。でも、大切な目標をくれました。
私は、誰かにとっての夜桜になりたいんです。
25 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 00:59:49.14 ID:DoK8Vme/0
【20年後】
あれからそれなりの時間が経った。事務所は大手になり、あの懐かしきビルは手狭になって解体された。今や設立当初の2人は別の舞台にいる。喜ぶべきなのだろう。変化とは誰にとっても美しきことだ。
「……プロデューサー、何してるんですか」
「あれ、今日はオフやなかった?」
「オフだから来ました。ここも落ち着きますから」
目の前のスレンダーな彼女ー今や光を一身に浴びる存在となったありすを除いて。
26 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 01:00:49.83 ID:DoK8Vme/0
自分の手でコーヒーを淹れる人間も少なくなった。それでも2人だけのコーヒーミルは機嫌良さげに豆を砕く。ここ最近は2人が交代で淹れることになっていた。粉にゆっくりと少し冷めた湯を入れてドリップし、完成。2人の舌に合った温度になるまで置いて、口をつける。変わることのない味と豊かな香りが2人を包んだ。
「腕を上げましたね」
「最初の頃のお前も酷いもんやったよ。コーヒーにいちごを混ぜようなんて言うた時はひっくり返ったわ……ようここまで変わったなぁ」
彼女の料理音痴ぶりが世の中に出なくてよかったものだ。完璧なものは一つで十分だ、ということなのだろう。
「変わったのはプロデューサーです。頼りがいのある背中は薄汚れていましたし、容赦無く見えて誰よりも優しかったんですから」
「お前も変わったよ。口を開けば論破しにかかったくせに誰よりも甘えたがりやった娘が、今じゃ事務所一のお姉さんや」
「それが成長ですよ。橘ありすは進化し続けるんです」
にこりと笑う。相変わらずだなと思ってーふと気付いた。目が真面目だ。姿勢を正す。
「……場所、変えるか?」
「ここが、いいです」
27 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 01:02:08.42 ID:DoK8Vme/0
「……は?」
「だから、プロデューサーになろうと思います」
覚悟は出来ていた。音楽にどう関わるかをゆっくり決めろと言ったのは俺自身だ。しかし、しかし。
「……お前、音楽に関わるって話はどないすんねん」
「それもやりますよ?作詞家として」
「二足のわらじ履く……ってことよな?」
「そういうことです」
軽いドヤ顔をするありすにバレないよう、心の中でだけ頭を抱えた。
作詞家になりたいと言うのは予想ができていた。ありすは言葉を使うのがうまい。ぴったりの職業だし、事務所で支援もできる。いい夢だ。
翻って、アイドルのプロデュースはけして綺麗な世界ではない。この事務所の場合そうでも無かったが、いずれにせよ光から暗がりへ行こうだなんて正気じゃない。長いこと業界を見てきたのだし、この業界が汚いことぐらい分かっていると思ったのだが。
28 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 01:03:50.86 ID:DoK8Vme/0
「……理由は」
「私は欲張りなんです。だから音楽に関わりながら、人に関わりたい」
「やからってこんな業界くること無いやろ。言っちゃあれやがこの業界は魔女の大釜みたいなもんや。ひっかき回すのは俺らだけでええ」
ありすが睨み返す。あの日母親がした目と全く同じものだった。
「嫌です。私はPさんに魔法をかけてもらいました、だから次は私の番じゃないですか?」
「そんなに魔女になりたいんか?苦労も苦悩も2倍どころじゃないのはお前が一番よう分かっとるやろ。何年俺を見てきた」
ありすには意図的に苦労を見せていたというのに。そもそも俺はアイドルが引退後にこの魔窟に来ないように手筈を整えている。1人だけ例外はいたが、それは俺がそうする義務を負い、彼女がそれを望んだからだ。光は光のままでいなければならない。
「Pさんの理想じゃないですか!」
「そう、俺のわがまま。魔法は必ず解ける。解けない魔法は呪いにしかならん。俺は一度女を呪った。しかも俺のわがままで!二度とそうするわけにはいかん」
29 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 01:05:35.07 ID:DoK8Vme/0
彼女の顔がよぎる。彼女に魔法をかけーそれを呪いに変えてしまったとき。彼女は確かに幸せそうに見えた。しかしそれは彼女が本当に掴むべき幸せだったのか?俺が与えられる幸せの総和は、本当に何よりも大きかったのか?
「……私が呪いをかけられたがっていても、ですか」
「呪いをかけられたがっていても、や。魔女の大釜は望んで飛び込むところじゃない」
ありすの悲しそうな瞳を、まっすぐに受け止める。もちろん主義に反する行いだ。男たるもの、プロデューサーである前に紳士であらなければならない。だが。
これが俺が人間たる対価として選んだ、高邁な理想と下劣きわまりない妄想なのだ。20年近く見続けた担当の願いを折ってでも守るべき幻想は、確かに存在する。少なくとも俺の理想には。だから。
その先に続くべき言葉は、水蒸気まじりの何かに消えた。胸元に何かが当たる感覚。避ける間もなく身体に回される細い腕。高価な磁器のようでいて、小さく震えている。その原因が何にあるかを察せない人間などいないだろう。
30 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 01:06:28.39 ID:DoK8Vme/0
「……呪った責任から逃げるんですか」
「呪いを魔法に戻すためや。なぁ、頼む」
「嫌です。Pさんは私を呪った、それを一生覚えていて貰わないと気がすみませんから」
ワイシャツにシミが広がる。その声色は震えていて、俺が悪人たらねばならないと示していた。拒むことは出来るー俺がリア王になれるのなら。畜生。俺は悲劇は嫌いなんだ。
ふと昔の光景が蘇る。けして美しいとは言えなかった夜桜。酔っていたからこそ美しかった夜桜。ああ、俺はそれにだけはなりたくなかったのに。
最後の抵抗は弱々しかった。すくなくとも、西日本最大手の芸能プロダクションの社長のものとは思えなかった。
「……後悔するぞ」
「分かってます」
「何度も何度も手を洗いたくなるような目に何度も何度も遭うんだぞ」
「望むところです。人生最大の悪事は12歳の時に済ませましたから」
「魔法が呪いになってもか?」
「魔法が呪いになってもです。それに」
小さな顔が俺を見上げる。その微笑みは美しく、悪戯を成功させたような楽しさを湛えていた。ああ。俺は最初から間違っていたのか。
「魔女は3人、いるものでしょう?」
魔法をかけたのは俺だけじゃない。彼女もまた、魔女だったのだ。
31 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 01:07:16.44 ID:DoK8Vme/0
Pさんの顔は無実の人間を死刑にする裁判官にも見えました。彼の肩に顔を埋めながら、誰にも気づかれないように笑みを浮かべます。
別に私は嘘をついたわけじゃありません。ただすこし説明が足りない、それだけです。あの人を見ているうちに、音楽に関わるのと同じぐらい人に関わりたいと思うようになったのは本当ですから。ただ。
彼は私の心の父親たろうとしました。がさつで、無茶振りをして、たまに怒って、その数倍褒めました。今思えば、きっとそれは彼なりの誠意だったんでしょう。嫌な思い出を残さないようにしつつ、私が事務所を離れるという決断を下しやすくするための。世の中の父親は娘に嫌われるものです。
でも彼は一つ大事なことを忘れていました。小学生という時期に魔法をかけてくれた人を、女の子はどう思うでしょうか?例えため息と流し目と嘘の涙にまみれていても、鬱陶しい父親のようであっても、その事実だけで十分でした。
32 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 01:08:31.75 ID:DoK8Vme/0
酔いが覚めて見る夜桜は、確かに美しいとは言えません。それでも、私は一番近くであの桜を追い続けたかったんです。いつか私自身が、誰かの夜桜になれるまで。
33 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 01:10:32.97 ID:DoK8Vme/0
その次の年の6月、ありすは引退ライブを行った。会場は人で埋まり、その数倍の人数が画面越しに見守った。誰もが一つの時代が終わったと思い、懐かしむことだろう。だが、それは大きな間違いだ。これからも誰もがありすの魔法に魅せられるのだから。
完
34 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/07/31(木) 01:14:53.06 ID:DoK8Vme/0
ありすの誕生日SSでした。ありすは将来千早みたいになると思うんですよ。肉体的にも性格的にも。
完結報告してきます。
35 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2025/08/02(土) 20:56:50.46 ID:ScOJYAQ2o
おつ。関西弁Pとユッキの人か。いいSSをありがとう。
36 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2025/08/02(土) 21:58:52.07 ID:+aFw7rUc0
ダディャーナザァーンのお山が育たないのは全会一致だわ…
37 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2025/08/03(日) 08:32:05.69 ID:dNtg+xOu0
>>35
乙ありです!そう言ってもらえるととても嬉しいものです。
>>36
普通に仁奈や薫におっぱいで負けて凹んでそうですよねぇ
38 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2025/08/03(日) 23:08:08.61 ID:NuYBEBfQo
おつおつ
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