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【オリジナル】男「没落貴族ショタ奴隷を買ったwwww」
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184 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
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[sage]:2014/07/10(木) 00:07:48.56 ID:DYv7KdX20
乙です、待ってました〜!
これからどうなってしまうのか…
続きも楽しみにしてます。
185 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/08(金) 23:51:21.85 ID:fiDAOAZZ0
『人身御供と言うわけか』
タカシはそう吐き捨てた。
ミユキは困った顔でタカシを見つめ、そして『そんなつもりはないのよ』と言い訳じみた返答をする。
それ以外のなんだというのだ、とタカシはミユキを見つめ、そして嘆息した。
『これだから貴族だの華族だのは……』
『そんな言い方、やめて頂戴……』
涙声のミユキは、可憐な女性そのものであった。その彼女は今から――、そう、今から婚約を交わす。
なんと忌まわしい婚約だろう。めでたさの欠片もない。
『愛がない』
『そんな……』
『だってそうだろう、奴隷と変わらない。そこに当人の気持ちがない。命令だ。拒否権はない』
『タカシさ、』
『惨めだ!』
激昂したタカシの声に、ミユキはびくりとその細い肩を揺らし、ついには俯いた。
タカシは猛烈に怒っていた。この女性に対して、酷い怒りを抱いていた。
生まれてこの方、ミユキに対してここまでの怒りを抱いたことはなかった。
慕っていた。ずっとそうだ。ずっとそうだったのに。
『ミユキが拒否すれば、いいだけの話だ』
『私は、私は……』
ミユキが、まるで見たことのない女に見えた。
まるで悪夢だ。何故、一体なんだってミユキが――。
『最悪だ……! 今時政略結婚だなんて、馬鹿げている』
『私はそんなつもりはないわ……!』
『俺にはそうとしか思えないね。ミユキだけはそんなことはしないと思っていた!
結局ミユキは、ミユキは――』
これを言ってしまっては、プライドは木っ端微塵に崩れ去る。
そんなことは判っていた。タカシは口を噤み、そして拳を握った。
『馬鹿馬鹿しい……!』
軋むほどに強く握り締めた手の内側は、かすかにぬめって居た。
186 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/08(金) 23:55:09.37 ID:fiDAOAZZ0
タカシははっとして目を開けた。
暫くの間、気を失っていたようだった。
あまりいい夢ではない。あれは、ミユキの結婚が決まった時の夢で――、
いや、今は夢の内容を思い出している場合ではない。
土煙舞う中、タカシは横たわったままで目の前の状況の確認を急いだ。
下手に動くと攻撃をされかねない。とにかく、状況をじっくりと確認する必要があった。
まず、建設が急ピッチで進められていた箱庭の殆どは破壊されていた。
これはあくまでもタカシの視点からの風景であったから、実際にいかほどの損害があったのかは判らない。
アンドロイドの破片、傾いた鉄筋、そしてえぐれたような地面。それらの全てはタカシの近くに散らばる惨状だ。
地面にぴったりと寄り添った状態でも、箱庭の状態があまりよくないことは見て取れた。
基礎を築いていた建物も、ほぼ完成間近であった建物のも、その多くは失われたようだった。
モスクワ連合かアジア合衆国か、それともオーストラリア中立国、はたまたアメリカ連邦か。
どこかの国が日本帝国による防衛網と、強靭なシールドを打破して進入を果たしたのだと、
土煙にむせながらタカシは冷静に考えていた。
空を見上げればその彼方では、無数の赤い警告ライトが点滅を繰り返している。
こうなってしまっては、もうそんなものは無意味に違いないのに、
戦闘機に乗ったパイロット――、アンドロイドたちは律儀にも一応の警告を続けているのだ。
破壊されたシールドが小刻みに揺れ、その向こうに『本当の空』を映している。
赤いライトのその背景は、随分と薄っすらとした青色で、
平常時にタカシたちが目にする空の色とは随分と異なる覇気のない色合いだった。
身を潜めるように建物の影へと移動をしたタカシは、
目の前で繰り広げられる映画のワンシーンのような惨状を固唾を呑んで見つめていた。
187 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/08(金) 23:57:55.95 ID:fiDAOAZZ0
まず、浸入を果たした爆撃機は、大日本帝国の戦闘機によって『繭玉』に変形させられた。
これは強化凍結スチロールとか呼ばれるもので、それらを目標に向かって吹き付けると、
白い泡のようなものが吹き出し瞬時に目標物は凍結させられ、かつ繭状になり、地面へと激突をする。
激突をするものの、衝撃吸収に優れた素材のおかげで、地面への墜落の衝撃も少ないし、
また内部からの破壊に強いため、万が一中身が凍結が不十分な目標が爆発を起こしたとしても、
外部への衝撃も最小限に済ませられる、と言う仕組みだ。
大日本帝国の戦闘機は、国内に侵入を果たした爆撃機の全て――、タカシの視点から確認できるのは、
今のところ三機だ――、に強化凍結スチロールを吹きつけられ、歪な繭玉と化していた。
それらが爆発することはなさそうだ。中のパイロットが人間であったのなら、とっくに死んでいるだろう。
大日本帝国の戦闘機から降り立った戦闘型アンドロイドたちは、
繭玉に近づくとなにやら手を当て内部を窺っているようだった。
おそらく超音波診断だろう。あれで『中身』が生存しているか否かを確認しているに違いない。
アンドロイドたちはそれらの作業を終えると、
繭玉の中身について、心配をする必要がないと判断したのだろう、周囲を捜索し始めるような仕草を見せ始めた。
一人、二人と、なんとか人と判る残骸――、視察団だ、を掘り起こしていく。
無残にちぎれた腕を拾い集めては一箇所に置く。まるで発掘だ。
もしかしたら生存者はタカシただ一人なのかもしれない。
血液でさえ砂埃に覆われて、そこにあるのは人であった残骸、だがそれもあちらこちらが砂で覆われ
人の肉体であったという現実味が損なわれていた。
せせこましく動く数体のアンドロイドは瓦礫をどけては人を探し出しているようであったが、
タカシに対しては全く興味を示していなかった。無事が確認された人間には興味がないのかもしれない。
188 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:00:49.73 ID:ITUe9XD90
それにしても、とタカシは再び空へと視線を向けた。
なんとも不自然だ。おびただしい数の爆撃機が空を埋め尽くしているのにも関わらず、
破壊されたシールドの隙間から、再度の浸入を果たそうとするものは一機もない。
浸入、いや、これは偵察なのだろうか。この箱庭計画がどこからか漏れたのかもしれない。
しかし、とタカシは壁の向こうを確認した。
箱庭区画外、つまり箱庭建設地より外である壁の向こうにも、火の手は無数に上っている。
遠くで複数のサイレンが鳴り響き、それらが一体どこから響いてくるのかを
正確に判断することは困難であることが窺い知れた。
被害があったのは、ここだけではないらしく、シールドの穴も火の手と同様に複数存在し、
その全てから薄い色合の空が姿を覗かせていた。
サイレンが鳴っている。熱い風に煽られる前髪を押さえ、タカシはその光景をじっと見た。
心がまるで動かない。攻撃されている、侵略されている。だからどうだというのだ。
タカシをもみくちゃにした爆風と一緒に、まるで恐怖や不安が抜け落ちてしまったようだ。
密集した虫のような、綺麗に整列した爆撃機にも、恐怖をあまり感じない。
もしも戦争になったとしたら? それについてもあまり現実的な感想や恐怖は抱けなかった。
戦争を知らないタカシの脳は、この凄惨な光景を対岸の火事として捉えているのかもしれない。
サイレンに交じって悲鳴が聞こえる。ああ、やはり壁の外でも被害はそれなりにあったのだろう。
立ち上る煙、こげた匂い、それらまでは工事の為に設けられた壁では覆い隠すことはできない。
きっと外でも人が何人も死んでいるのだろう。国は何をやっているのだろう。
完璧を自称した防衛システムは上手く作動しなかったのだろうか。
悲鳴はなおも響いている。女、男、子供、少女、少年――、
タカシは立ち上がり、眩暈を振り払うようにして頭を振った。
女、男、子供――、少年?
189 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:02:52.97 ID:ITUe9XD90
『我々は無国籍軍である』
空高くより、訛りの強い発音で、そんなアナウンスが響いた。
ああ、やはり無国籍軍なのか――。
タカシの頭は一方ではアナウンスを認識し、もう片方では別のことを考えていた。
少年、少年、少年。
そう、少年だ。
タカシは今朝、ショウタを家から連れ出したのではなかったたか。
どこに預けた?
頭を右手で押さえ、混濁する記憶を鮮明にしようと考える。
ホテル――、ホテルに預けたのだ。
タカシは東の空を見た。
火の手が上がっている。
背の高い建物はあらかた破壊されているようだ。
ホテルはどうだろうか。
タカシは力のあまり出ない足でふらりと立ち上がった。
ここに来てタカシは、足元へと血が下っていくような、恐怖らしい恐怖を初めて抱いたのだ。
一気に血の気が下る感覚、背中が震える気持ちの悪さ、せり上がる胃液。
それは間違いなく恐怖と呼ばれる感情だ。
目を見開き、東の空の、ホテルがあるであろう場所を見つめた。
『我々は無国籍軍だ』
無遠慮なアナウンスが再度流された。
『大日本帝国には、食料と水の提供、そして我々の駐屯の許可を要求する』
190 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:05:14.70 ID:ITUe9XD90
世界が混沌としていることを、日本人はみな知っている。
そしてこの国が鎖国のおかげで比較的裕福であることも。
だがそれは先人たちが、国民たちが一丸となった対策故のもので、
どこか他の国を衰退に追いやって手に入れたものではない。
端的に言えば、この国の国民は『努力』を重ねてきたのだ。
鎖国を緩和しある程度の輸入を許可したのも、また国民たちの努力の結果だ。
『我々は、食料と水の提供、そして駐屯の許可を要求する』
壊れたMP3のように、同じアナウンスばかりが繰り返される。
この平和は、この国が努力することで得たものだ。
水と食料が欲しいからこの国を破壊しただと? そんな横暴が許されるものか。
空に広がる爆撃機に、タカシは今さらの憎しみを抱いた。
国を衰退させたのは、その国自身の責任だ。それを横から掠め盗ることなど許されるわけがない。
いいや、やつらは許されると思っているのだ。なにせ肌の色で人間の価値を決めようとするクズ共だ。
第四次世界大戦では捕らえた有色人種に地雷原を歩かせたと聞く。
無国籍軍? 世界の平和と秩序を守るもの? ふざけるな。
いや、それよりも、それよりも。
「ショウタ……!」
ヒュッと肺一杯に吸い込んだ空気を、まず何に使ったかと言えばその言葉を発するためにである。
重い足を、油が切れたように動きづらい脚を引きずるようにしながら、
タカシは箱庭計画区画外へと向かって走り出した。
自嘲する余裕すらない。
ただ、ショウタの安否が気になった。何故だから判らないが、とても気になったのだ。
191 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:08:29.79 ID:ITUe9XD90
厳重なセキュリティを突破するのは難しいことであった。
半分壊れかけたような旧型アンドロイドは、数回のスキャンで漸くタカシを『非危険人物』と判断し、
箱庭からの脱出に許可を下したのだった。
外は、予想以上に破壊しつくされていた。
やはり爆撃は、箱庭だけを狙ったものというわけではなさそうである。
箱庭計画がなんの意味も為さなかったということだ。
あと数年、せめて五年ほど早くこの計画が実行に移されていたのなら、人々への被害はもう少し軽かっただろう。
分厚いシールドは、なんの役にたったのだろう。
血みどろの死体や、破壊された家屋の横を通り過ぎ、
立ちふさがるスカイカーや馬車が転がる道路をなんとかすり抜ける。
何故こうまでも焦っているのかが判らなかった。
たかが奴隷、たかがクソ生意気な子供一人。
失ったというところで大した痛手ではない。
だが足は休むことなく進み続けた。まるでそれが本能だと言わんばかりに。
体を休ませ、一刻も早く地下の避難シェルターへと逃げ込むべきだ。
だというのに、何故。
レンガのはがれた道路を歩み続け、漸くたどり着いたそのホテルの前、タカシは瞳が乾いていくのを感じた。
――燃えている。
真っ赤な炎が立ち上り、そしてその熱風はタカシの瞳と皮膚をちりちりと焼いていた。
『我々は無国籍軍である。大日本帝国には――、』
「うるさい! うるさいうるさいうるさい!!」
大音量で響く音を遮ろうと、タカシは大声でそう叫んだ。
人の国を焼き尽くして提供だの駐屯だのとなにを言っているのか判らない。
おこがましいことこの上ない。いいや、奴らはこの上のなく浅ましい獣だ。
あいつらはいつでも自分たちの方が上だと思っている。
そう、いつでもそうだ。
奥歯を噛み締め、タカシは燃え盛るホテルをにらみつけた。
水だの、食料だの、いつでも無遠慮に奪っていこうとするのだ。
無国籍軍を前にしては、今は全ての力が衰退したアメリカ連合国では盾にもならない。
大日本帝国は、自力で奴らを撃退するよりほかはないのだ、昔のように。
192 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:11:02.87 ID:ITUe9XD90
「誰か水を、水をくれ……!」
誰かがそう叫んでいた。ホテルマンだ。所々が煤けた制服でのた打ち回っている。
他にも焼け出された客が路上の転がっている。
幾度か見回すが、そこにショウタの姿は無かった。
早く、助け出さなくてはならないだろう。
馬鹿だと思う。たかが奴隷になにを、と。
タカシは尻のポケットに突っ込んでいたケータイを見る。
タブレット状のその画面には、いくつもの亀裂が入っていたが、なんとか画面の内容は読み取れた。
今朝ホテルから受け取ったメールを開くと、移動した部屋が905五室であると判る。
きっと最上階が空いてなかったのだろう、
グレードの低い部屋になってしまったことを詫びる一文が添えられていた。
905号室は最上階より二階下だ。
燃えているのはスイートが集まる最上階であるから、今なら間に合うかもしれない。
考えようによっては、最上階などに通されなくてよかったかもしれない。
そうなっていては、おそらくショウタは――。
背中がゾワッと冷たくなった。
何故これほどまでに恐怖しているのかが判らない。
だが、今のタカシにはそれらの感情を分析しているような余裕はない。
破損したスプリンクラーがシュルシュルと音を立ててレンガを濡らしている。
清潔とは言いがたい霧雨の中に飛び込んで、タカシは頭からつま先までをも充分に湿らせると、
誰の制止も聞かずにホテルの中へと飛び込んだ。
爆風か爆撃か、そのどちらかで破損した窓ガラスがヒビを作って窓枠にはまり込んでいる。
それを尻目に見ながら、エレベーター脇の階段へと足を進める。
九階までの道のりは長いことだろう。徐々にいぶした匂いで濁っていく空気をやり過ごしながら、
タカシは上階を目差し階段を駆け上る。
途中で玄関ホールを目差す人々とすれ違い、
その都度止められるがタカシは一言二言軽く礼を言うだけで制止を振り切り九階を目差した。
一段二段と駆け上ると同時に、視界も悪くなる。
やがて九階へとたどり着いた頃には、廊下は煙で満たされており、
薄暗い廊下はどちらが右でどちらが左なのか、それさえ判然とせぬほどになっていた。
193 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:16:33.59 ID:ITUe9XD90
階段から最も近い部屋のプレートに901号室と刻まれているのを指先で確認する。
その隣は903号室だ。どうやら部屋は、廊下を挟んで奇数部屋と偶数部屋に分かれているようだった。
ならば、この隣が905号室であろう。
手でプレートに触れると、確かに『5』の数字が確認できた。
「ショウタ!」
吸い込んだ煙は扱った。手探りで漸く見つけ出したドアノブは熱を持っている。
「ショウタ!」
あらん限りの声で叫ぶが、返事はない。
ドアノブを捻るがガチャガチャと引っかかるだけで、そこが開く様子は無かった。
「クソ……! ショウタ!」
もしかしたらもうとっくに逃げているのかもしれない。
馬鹿げている。馬鹿以外の何ものでもない。
煙った空気を吸い込みつつ、タカシはそんな自嘲を繰り返しながら、
幾度も扉に向かって体当たりをした。
二度、三度、四度。
繰り返すうちに、ミシッと言う音が響いた。
熱の為かなんなのか判らないが、ドアは通常よりも脆くなっているようだった。
そのまま体当たりを続けると、扉は勢いよく開いた。
「ショウタ!」
部屋の中の空気はまだ澄んでいた。
グレードがスイートよりは低い部屋とは言え、そこは充分に広さの取れた部屋だった。
一枚ガラスが部屋の全ての窓に設置されているし、ソファは三脚もある。
だがそのリビングにショウタは居らず、やはりもう逃げたのかもしれない、とタカシは考えた。
トイレ、バスルーム、そのどちらにもショウタは居らず、残されたのは寝室のみとなった。
「ショウタ!」
名を呼びながら絨毯を踏みしめ、寝室へと向かう。
「ショウタ!」
ドアノブを捻りつつ、タカシは半ば祈るような気持ちを抱え、そこを開いた。
――果たして、ショウタはそこにいた。
亀裂が広がった一枚ガラスの、僅かに残された透明部分から、階下を見下ろしでもしているのか、
彼は絨毯の上へと座り込み、ガラスにぺたりと手をついていた。
ゆっくりと振り返ったショウタは、驚くべきものを見つけたような目をして、タカシを見た。
大きく開いた瞳は呆気に取られているのか、緩やかに震えている。
194 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:17:49.20 ID:ITUe9XD90
「なんで……?」
掠れた声が僅かにタカシの耳に届く。
「早くしろ、ここはもうすぐ火の海になるぞ!」
ずかずかと近づき、ショウタの腕を引き立ち上がらせる。素足の足裏は、黒く汚れている。
「なんでだよ……」
呆けた顔のショウタがもう一度問う。
「今はそんなことを話している場合じゃない。何故逃げなかった」
「なんで……」
ショウタは俯き、そして前髪を右手で乱した。
「なんでなんだよ……」
何故助けにきたのかと問うているのだろう。タカシは「いいから」と苛立ちながら言うと、
その腕を再び掴んだ。
が、しかし、その腕は乾いた音を発しながら、タカシの掌を振り払ったのだ。
「なんでだよ!」
「今はそんなこと話している場合じゃ、」
「完璧だったのに!」
吐き捨てた言葉には、憎悪が滲んでいた。
「お前……」
死ぬつもりだったのか。
そう紡ごうとした瞬間に「馬鹿じゃん」とショウタは吐き捨てた。
「ショウタ、お前……」
「ああやだ、また一番最初からだ」
「ショウタ……?」
「ああもう、ここまで完璧だったのに……なんでいつも……畜生……畜生……」
195 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:20:54.51 ID:ITUe9XD90
ショウタが何に対して悪態を吐いているのか、まるで判らなかった。
今まで、彼がタカシに向かって暴言を吐くことは多々あった。
だが、今回のこれはそれとは様相が異なった気がした。
今度はタカシが頭を抑える番だ。なにかがおかしい。一体なにがおかしいのか判らないが、
だが本能的におかしさを感じていた。
苛立った目は子供の駄々とも違うような気がした。
熱の為か、怒りのためか、瞳には赤く細い毛細血管が無数に走り、
そして小さな爪は髪をかきむしっている。
「なんでいつもいつも……なんで上手く行かないんだろう。なんで……」
「ショウタ」
最早、タカシの声はショウタには届いていないようだった。
「全部、あの人の好みにしたのに。全部あの人に合わせたのに。
なにが駄目なんだろ……なんで……」
仕舞にはショウタは泣き出した。
情緒不安定な女を見ているような気味悪さがタカシを襲う。
これは、誰だ。一体。いや、ショウタであることは間違いないのだ。だが。
耳鳴りがする。
この空間に、まるで空白ができたかのように、なにも聞こえなくなる。
196 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:22:38.91 ID:ITUe9XD90
『気持ちの悪い子供だ。やはり人工授精などするべきではなかった!』
耳鳴りの合間、誰かの声が耳に響く。聞き覚えのある声だった。
いや、聞こえているわけではない、これは幻聴だ。
「いッた……!」
突然の頭痛にタカシは呻く。
『俺はそんなことをしてまで、技術を引き継がせるのはおかしいと言っているんだ!』
その聞き覚えのある声は、タカシの頭を駆け巡った。
『俺を"買った"だけじゃまだ足りないのか! 水も記憶も知ったこっちゃない!
お前にも、世間にもうんざりだ!』
この声は、一体、誰のものだろう。
動悸がした。頭が痛い。
一体、なにが。
「痛い……!」
目の奥に軋むような痛みを覚えて、タカシは目を硬く瞑った。
ショウタは相変わらず意味不明な言葉を呟いており、タカシには目もくれない。
痛みで、涙がこぼれだす。こげた匂いが強くなっている。
危険だ。そう判っているのに、一歩も足を踏み出すことができない。
なんだ、なんだってこんな時に。
『俺の種を道具にしたな!』
なんの話だ。
『大戦など俺には関係ない! 何人死んだ、俺の所為で!』
唯一鮮明な右目に、チラつく赤いものが見えた。
炎だ。
そう認識しているのに、体は一歩も動かない。
「……さま!」
誰かが、何かを叫んでいる。今度は幻聴ではない。
しかしその声は、ショウタものではなかった。
慌しい足音が、パチパチと言う音に交じって聞こえてくる。
197 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:23:54.97 ID:ITUe9XD90
いつの間にか、部屋は炎で満たされていた。
バン、と何かが弾ける音に交じって、天井が落下してくるのがスローモーションのように見えた。
今度こそ死ぬのだろうか。
煙った視界の中に、男の姿と天井が同時に見えた。
知っている顔だ。あれは、家で使っている下男だろう。
全身が濡れた男が、唖然とした姿で底に立ち、そして。
「ショウタ様!」
そう叫んだのだ。タカシではなく、彼は、ショウタの名前を叫んだのだ。
分厚い天井が落下していることに、それが自らの頭を目掛けてきていることに、
ショウタは漸く気づいたようだった。
「危ない!!」
下男の声がやけにゆっくりと響く。
熱風が頬を煽る。窓ガラスがパンと音を立てて爆ぜる。耐熱強化ガラスもこの熱には耐えられなかったのだろう。
一気に入り込んだ酸素に、炎が一段と大きくなるのを感じた。
ゴウゴウと燃え盛る炎。そして、落下する天井の一部。
タカシは咄嗟に落下物を避け、そしてなんとか危険を回避した。
「ショウタ様!」
落下した天井材と床に挟まれたショウタは、ぺちゃりとつぶれ動かなかった。
「どいて!」
下男がタカシを突き飛ばす。
なにもかもが判らない。
下男がここに居る理由も、彼がショウタを優先する理由も、ショウタの意味不明な呟きも。
198 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:26:11.15 ID:ITUe9XD90
「ショウタ様、ショウタ様!!」
ショウタの手はだらんと力をなくし、返答が無かった。
呆気に取られたままのタカシは、ぼんやりとその様子を見つめるしかない。
天井材をどけ、なんとかその体を救出した下男は、ショウタの頬を二度ほどぶったが反応はない。
「ショウタ様! 起きなさい、ショウタ様!」
「……痛い……!」
幾度かの張り手で、漸くショウタは目を覚ましたようだった。
「……なんでお前、ここに居るの」
呻くような声の後、ショウタがか細い声で尋ねた。
「この爆撃です、貴方になにかあったら……、怪我をされているじゃないですか!」
「……平気だよ」
「平気なわけがありますか!」
「平気だって。こんなの、治せばいい」
「皮膚が裂けてます」
「大丈夫だよ。治せるもん。あー……、骨、折れたかも」
「だから……! 貴方は無茶をしすぎる! 歩けますか?」
「うん、平気」
熱風立ち込める部屋、タカシはただアホのように立ち尽くしていた。
下男に支えられる少年はショウタで、ショウタを支えるのは下男。
そのどちらともが見知った人間であるはずなのに、まるで知らない人間のようだった。
「全部取り替えになるかな」
「どうでしょう、すぐに技師に見せましょう」
「うん。ねぇお前、この炎の中歩けるの?」
「歩けるわけないでしょう。何故早く避難されなかったのですか」
二人はタカシに構うことなく不可思議な会話を続けていた。まるでタカシなど居ないかのように。
「実験、してたんだ」
ショウタの視線が漸くタカシに向けられた。
いつもより幾分も穏やかな目は、タカシの知るショウタのそれでは決してなかった。
警笛が鳴っている。なにかがおかしいと、この世の終わりを告げるようにけたたましくなっている。
199 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:27:19.78 ID:ITUe9XD90
「だめだよ。アレも失敗」
「……そうですか」
ふいに、なにか光るものが目に留まる。
ショウタの手だ。右の手の、肘から下、手首までの皮膚が思い切り裂けていた。
しかし不思議なことに、そこからは僅かな血液がもれ出ているばかりで、
見た目に反してその出血量はきわめて少量であった。
そしてその皮膚の中身。それが光っているのだと、タカシは鈍った思考で確認した。
「回収しますか?」
「ん、一応」
「判りました……、お前」
下男がタカシに向かってそう呼びかけた。『お前』と。
「『ついてきなさい』これは『命令』だ」
途端に体が機械仕掛けのように勝手に動き出す。
これはなんだ。いつの日か、下男の罵声によって体の動きが不自然に停止した時と似ていた。
自分の体であるにもかかわらず、その一切に関しての自由が奪われるような、異常な感覚だ。
――これは、なんだ。
言われるがままに、タカシは下男の背後一メートルほどの距離に立った。
抵抗の言葉は紡げないし、体の自由は利かない。
――これは、一体なんなのだ。
200 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:29:33.52 ID:ITUe9XD90
「ねぇ、関節から取り替えようかな。なんか最近無茶な体勢ばかり取った所為か、ギシギシいうんだ」
「私では判りかねますから、お医者様と技師にご相談なさってください」
ショウタの腕は、光っている。その皮膚の内部は、見事なメタルカラーだ。
彼らは、一体なんなのだ。タカシは全身が粟立つのを感じる。
「やだなぁ、医者のセンセにまた怒られそう」
「おいたが過ぎるんですよ、『坊ちゃま』は。悪い遊びもほどほどになさらないと」
「うん……」
おおよそ火事の現場に似つかわしくない、朗らかな会話は続いてく。
得たいの知れぬ二人は、只管会話を続けた。
「危ない!」
下男が突如叫ぶ。
柱が倒れ、それからショウタを庇うように下男は動いた。
かなりの重量があるのではないかと考えられる柱の衝撃を、下男は易々と腕と、そして頭部で受けた。
「……うわぁ……お前、それ大丈夫?」
「ああ、平気ですよ。お前、大丈夫か?」
下男が振り向きタカシにそう尋ねた。
下男の頭部は、拉げていた。
陥没した頭部、そのあたりの皮膚は、柱からの摩擦で一部がこそげ落ちている。
額から右眼窩の下までズルリと落ちた皮膚が、頬の下にぶら下がっていた。
そして覗いたのは、ショウタの腕と同じメタルカラーの金属で。
「おい?」
むき出しになった眼球がキョロキョロと動く。
ああ、彼らは、彼らは。
「おい、大丈夫か?」
「あーあ、放心してるよ。回収できるかな」
「大丈夫でしょう。ちゃんと『催眠』を掛けてありますから」
「あ、そう。早く行かないと。俺まで燃えちゃう」
タカシは自由にならぬ体で、声にならぬ悲鳴を上げた。
そしてそれから暫くの記憶が、タカシにはない。
201 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/08/09(土) 00:31:00.05 ID:ITUe9XD90
今日はここまで
>>184
保守と感想ありがとう
202 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2014/08/11(月) 19:58:40.81 ID:hK6CSD/zO
なにゃとおお
203 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
:2014/08/15(金) 03:14:13.90 ID:j/Jw/+jGO
人類なんてどこにもいないさ
204 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(SSL)
[sage]:2014/08/17(日) 23:25:57.53 ID:TYjyjSU60
乙です。うおお続き気になる!
いつも読みごたえのあるものをどうもありがとうー
205 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
:2014/08/25(月) 01:37:12.18 ID:J2PQo+rC0
乙です!続き楽しみ!
206 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
:2014/09/11(木) 20:31:12.18 ID:Au7dhndvO
待つわー
私待つわー
207 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/16(火) 23:47:08.18 ID:Rqy22i/q0
*****
バラバラ、と言う不穏な音を立てて、爆撃機が上空を通過したのを青年は確認した。
かなりの大きな音であったから、姉が怯えて暴れやしないかと少しばかり不安になったが問題はないようだ。
青年の押した車椅子に、姉は静かに納まっていた。
姉は病を抱えており、大きな音に弱いのだ。
「姉さん」
声を掛けるが、返事はない。寝ているわけではないことは判っているが、とにかく返事は無かった。
今日は暴れる気力がないらしい。
と、またもや同じような音が響いた。
今度は窓ガラスを振るわせるほどの音であったが、姉は相変わらず静かであったから、
青年はホッと胸を撫で下ろす。
「嫌だな……」
青年は短く呟いた。
はるか上空を行く他国の爆撃機に、この国を攻撃する意図がないことは確かであったが、
やはり気分のいいものではない。
このまま他所の国では戦争が再び始まるのだろう。
前回の第四次世界大戦は何年続いたのだったか。
実害なき地で平穏に過ごしているとは言え、やはり戦争が始まるかも知れないという不安定な情勢には
心が乱されないわけではない。
青年は途端に憂鬱になる気持ちを押し込めて、車椅子を押しつつ渡り廊下を行く足を速めた。
208 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/16(火) 23:48:24.57 ID:Rqy22i/q0
この施設、国立農業開発実験所に男が招かれてから、もう三年が経つ。
大学の二年の中盤でスカウトをされ、そのまま卒業と同時にこの施設へと入所した。
しかし三年経つ今でも慣れないことは多い。
「おはようございます」
すれ違いざまに人の声でそう掛けられ、青年は顔を引きつらせたまま「おはよう」と返事する。
これだ。青年は、『これ』がとにかく嫌いであった。
すれ違うマシーンは、アンドロイドと呼ぶらしい。
彼らはみな、ぎこちない二足歩行、そしてツヤツヤつるんとした機械的なボディで、
にも関わらず言葉だけは人そのものの声と明瞭は発音で「おはようございます」と挨拶をしてくるのだ。
これを気味が悪いと思わずにいられるわけがない。
いっそ顔や体も人らしくあれば気味悪さも激減するのであろうが、
今のところそのような技術はこの国にはないようだ。
とは言え、機械が人の姿に近づくのも遠い未来の話ではないだろうという確信が青年にはあった。
近頃社会では、なにもかもを人工物で補おうとすることが流行のようだから、
きっと彼らが進化する日もそう遠くはないに違いない。
例えば大学の同級生は、ありとあらゆる肉体の部品を人工物で補う実験を繰り返していた。
今はまだ滑らかな人らしい動きには遠く及ばないが、近い未来にはそれらが実用化され、
体の一部を欠損した人々に明るい未来を齎すことだろう。
無いものは人工物で補え。
それは確かに便利で素晴らしい技術であるのかもしれないが、
青年はそれを手放しで歓迎する気持ちにはどうしてもなれなかった。
時代遅れの石頭。そんな風に呼ばれたとしても、受け入れがたい気持ちが青年の眉間にシワを作らせる。
この窓の下――、渡り廊下から一望できる、階下に広がる畑を眺め、青年は溜息を吐いた。
209 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/16(火) 23:49:24.00 ID:Rqy22i/q0
人間の体が人工物で補える日が遠くないのだから、人工的な食べ物などもっと容易い。
農業実験施設とは名ばかりのその巨大プラントの一画は、厳重な警備が為されていた。
水耕栽培、擬似太陽光、通常の十倍の速度で成長をする不自然な植物たち。
自然の流れに逆らったものからそうでないものまで、かなりの種類の食物を、
この国立農業開発実験所は雑多に栽培していた。
今のところ、これらは間違いなく植物そのもので、遺伝的にも植物以外のなにものでもなかったが、
しかしいつ不自然な人工物に切り替わるか気が気ではない。
「そのうちパンが木になるんじゃないか」
流石にそれはないだろが、今の政府ならどんなことでもやりかねない。
「ああ、ごめん、姉さん。行こうか」
随分と長い間、立ち止まっていたようだ。
物言わぬ姉が催促するように青年を見上げていた。
ごめん、ともう一度言うと、再び車椅子を押して歩き出す。
階下の植物が、人工風に煽られそよぐのを横目で見る。
有事の際に、国民に等しく充分な食物を供給するための施設――、これがこの施設が建設された目的だ。
随分と健全な名目を掲げられたものだ、と白けた気持ちになりながら、青年は目的地へと急いだ。
210 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/16(火) 23:51:16.01 ID:Rqy22i/q0
「姉さん、今日は元気がないね」
そう問いかけるも、車椅子に座った女は再び振り返ることも、返事をすることもない。
返事が帰ってくることは期待していなかったので、青年は返答のない会話を一人で続けていた。
今日は天気がいいだとか、昨日の夜には流れ星が見えただとか、そんな他愛もない会話だ。
つまらぬ一人きりの会話を十分ばかり続けていると、やっと青年の職場が見えてきた。
大振りな、シルバーカラーの頑丈そうな扉が突き当たりに鎮座しており、
その先に隠されたのが青年の職場である。
「おはようございます」
扉の真横に立つアンドロイドが滑らかにそう発音し敬礼をしてみせた。
こいつにも返事をしたところでその言葉の意味など判りはしないだろうと思う。
彼らが挨拶をするのはプログラムで、感情からの行動ではない。
それでも挨拶には挨拶で返すのは人間の本能のようなもので、
男は違和感を飲み込みながら「おはよう」と返した。
「今日は肌寒いね」
「本日の最高気温は二十八度、平年並みですがお寒いようでしたら室温を上げますが」
「……いいよ、ありがとう」
本当に、あとほんの少しでも人らしくあったのなら、これほどいい話相手はいないだろう。
何の気なしに呟いた言葉にまで律儀に返事を寄越すのだからたまらない。
異常で、不気味。だが数年後に進化した彼らはきっと、人々に愛される存在となるに違いない。
「失礼、どいてくれるかな。セキュリティを解除したい」
「お邪魔でしたね、すみません」
「いいや、大丈夫」
青年は、アンドロイドの巨体が覆い隠すようにしていたスキャン端末に瞳を晒した。
網膜スキャンは自動的に行われ、数秒ののち、
スキャニング機能は彼をれっきとしたこの施設の研究員だと容易く認めた。
と同時にプシュッと言う奇妙な音を立てて扉は開き、扉は二人を内側へと促した。
――このような扉を実に四回通過して、漸く男の職場にたどり着くのだ。
セキュリティを異常に強化した扉は、外部と内部を断絶させる。
男はなんとなく外界に名残惜しさを感じながら、扉の中に入っていった。
211 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/16(火) 23:52:43.22 ID:Rqy22i/q0
随分厳重な警備であるが、それも仕方がない。男の実験は国が全面的にバックアップしているもので、
その資金は年間数千万円に及ぶ。厳重な管理がされるのも納得であろう。
そして四回目の扉を、男は漸く突破した。
だだっ広い部屋は、義務教育中に使った教室の四部屋分くらいにはなるだろう。
扉から数メートル離れた部屋の片隅の、机が整然と並ぶスペースへと姉を連れて行く。
「姉さん、今日もここにいてくれ」
車椅子の車輪にロックを掛け微笑んでやるが、当然のように彼女は返事をしない。
厳重な管理を施されたこの施設に、姉はひどく不似合いな存在だろうと青年は思う。
本来、この区域は彼女が立ち入っていいような場所ではない。
と言うより、本当ならば姉をこんな場所へと立ち入らせたくはないと言うのが青年の本音だ。
「こんなところに……」。
――こんな、野蛮で薄汚い場所に。
清潔で埃ひとつない空間で、青年は唇を引き結んだ。
つれてきたくはない。こんな場所に。
だが、姉には介護が必要なのだ。
二十代の半ばでもあるにもかかわらず、重度のアルツハイマー病なのだから仕方がない。
担当医は便宜上超若年性のアルツハイマーと呼んでいるが、それが正式名称ではないことは確かだ。
病気だから何なのだ、言われるかもしれないが、しかし青年以外が世話を焼こうにも、
姉は途端に凶暴に暴れだすのだから、彼自身が面倒を見るよりほかはないのである。
青年がこの施設へとスカウトされた際に提示した条件のうちのひとつは、
高額な給料でもなく福利厚生の充実でもなく、姉を職場へと同伴させることの許可だった。
それから彼女は幾度も検査を受けさせられ、情報漏えいが可能なほどの能力がないと判断され、今に至る。
「姉さん、ひざ掛けを掛けような」
話しかけても、返事はやはりない。
脳の萎縮がだいぶ進んでいることが明らかになったのは、前回の検査のことである。
212 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/16(火) 23:54:22.13 ID:Rqy22i/q0
青年の親族は、女性が夭逝する。長くても三十代後半までと言ったところか。
一族外から嫁に来た母は健在であるが、青年と同じ血の流れを汲んでいる女性はみな早々にこの世を去る。
呪われているとしか思えぬこの境遇は、ここ数代のものではなく、もう何十代も続くものであった。
青年やその父の体に流れるのと同じ血を受け継いだ女性たちは、
みな超若年性のアルツハイマーに苦しめられるのである。
近親婚を繰り返したわけでもない。ただ単純に、一族の血を持つ女児は成長したのち、必ず病に倒れるのだ。
アセチルコリンが極端に低い体質、それだけが唯一判っている真実であった。
理由は未だに判っていない。
平和な世ならまだよかった。だが世界はこれ以上にないほどに混沌としている。
一族のこの状況が非常によろしくないことは、誰の目にも明らかであろう。
いつどこで第五次世界大戦が開戦されてもおかしくない空気なのだ。
この大日本帝国は『不参戦』の姿勢を貫いているから、
たとえ開戦されたとしても巻き込まれることはないだろう。
だが万が一の有事の際は、患った女たちを保護することが難しくなる――、
そんな『万が一』の懸念を、一族の男たちはみな抱えているのだ。
空襲に慌てふためきながら、女たちを抱えて走ることは殆ど不可能だ。
軍人家系であったのなら、或いは国が何かしらの手立てを打ってくれたのかもしれぬが、
残念ながら一族の面子は凡庸そのもので、これと言って突出した役職に就くでもなく、
みな平々凡々とした雇われの身であった。
とは言え、置き去りにすることはできぬ。
なにが起きても姉だけは守らねばならぬと使命感に燃えたのは、青年の持って生まれた性分か、
それとも単なる義務感か。
行動の根源となる感情がよりどちらに傾いているのかを、青年は考えたことなど無かった。
無駄なことは考えぬ主義だ。でなければ、こんな事業に加担することなどできないだろう。
青年は宛がわれた研究施設の大部分を埋め尽くす『それ』を、ついと見上げた。
「汚い箱だ」
例えば青年も一族の男たち同様に凡庸であったのなら、こんなものは作らずに済んだのかもしれない。
天井の高さは十メートルほどだろう。それに届くほどであるのだから、
『それ』が如何に巨大であるのかは説明するまでもない。
立方体のその装置の上部からいくつもの金属製のパイプが伸び、
それは天井を貫き、そして研究所の外に繋がっていた。
また、『それ』は一見すればただの箱のようである。六つある面のうち、五つの面は鉄板である。
しかし一面だけはガラスで構成され、だがスモーク加工を施されているため、その中を覗くことはできなかった。
大気中からある特定物質だけを抽出する特殊装置だ。
そしてそれは、潤沢な湿気と豊富な水資源を持つこの大日本帝国の持った環境でしか意味ない装置であった。
213 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/16(火) 23:55:17.27 ID:Rqy22i/q0
戦争に精を出しすぎたこの地球は、大気汚染が深刻だ。
大気中の放射性物質の完全除去は難しく、どんな高性能なフィルタを用いても除去しきれず、
汚れた大気の為に平均寿命はどの国も四十までに下がっている。
比較的汚染のマシなこの国も例外ではなく、なにもしなければ平均寿命は六十五歳ほどと聞く。
近頃では肉体的な欠損も代替パーツで補うことができてきたため、金持ちはやはり九十ほどまで生きると聞くが、
それも庶民には縁のない話であろう。
話が逸れたが、つまるところ、世界は人間の手によって混沌としてしまっているのだ。
汚染された海水、度重なる干ばつ、森の消失、温暖かも手伝った湖やダムの枯渇。
世界の話題はそんなものばかりだ。資源不足が戦争の原因と言っても過言ではない。
そんな世界に嫌気が差した青年は、ある日講義中にふと思い立った構想を元に、
あるものの開発を思いついた。
大学一年の後半で構想を練り、そして二年次に自分を売り込み、あれよあれよと言う間に
めでたくこの施設へと入所が決まったのだ。
それがよかったのか悪かったのか、今となっては判らない。
214 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/16(火) 23:56:51.15 ID:Rqy22i/q0
青年がこの施設に入所する際に出した条件の二つ目は、この機械の設計図を誰にも見せぬことだった。
部品は幼馴染の親が経営するアンドロイド制作会社に頼んで作らせた。
無理にこじ開けようとすればそれは容易く大破し二度と同じ形に戻せぬよう青年が設計した。
加えて静音性を重視した機械は、姉を興奮させて暴れさせることもない。
我ながら素晴らしい機械を作ったものであると思う。
使用方法さえ人道的ならば、なおよかったのでなかったのであるが――。
そこまで考え表情を曇らせかけた青年であったが、しかしそうするには至らず、
吐きかけた溜息さえ飲み込むこととなった。
実験場の扉が突如として開かれたからだ。
プシュッと言う開閉音に驚いたのは、物言わぬ姉ではなく寧ろ青年の方で、
一瞬の遅れをとって振り向けば、そこには五名のスーツ姿の男が立っていた。
一人は知った顔で、この施設――、農業に携わる研究所としての、だ――の所長に据えられている男で、
他の四人は知り合いでもなければこの施設で働く人間でもなさそうであった。
「やあ」
所長が青年に向かって手を上げた。
ああ嫌な感じだ、と青年は考えた。所長の引き連れた男のうち二人には見覚えがあった。
と言ってもやはり知り合いと言うわけではなく、
メディアへの露出が時折あることから見覚えがあると言うだけの話である。
片方は農林水産大臣、もう片方は経済産業大臣だろう。
この二人がやって来たと言うことは、
つまりこの機械が生産している『もの』を、実際に輸出にかけることになる、
と言うことなのだろうと青年は理解した。
青年に求められているのは、この機械の製作、メンテナンス、そして『中身』の抽出――、
そしてその抽出物を国へと提供することであった。
215 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/16(火) 23:58:33.91 ID:Rqy22i/q0
「ほうこれが噂の」
モミアゲの特徴的な農林水産大臣は機械を見上げ、取り敢えずは大仰にそう言った。
「こんなもので本当にできるのかね」
そう漏らしたのはちょび髭の経済産業大臣だ。
説明を求められていることは明白であったが、青年はあえて口を閉ざしていた。
ノコノコと就職しておいてなんではあるが、国が行おうとしている『商売』について、
青年は反対をしていたのだ。
と言っても、一介の研究者に過ぎない彼に拒否権やら意見する力があるわけではない。
ただ、それは非人道的である気がしてならなかったのだ。
人道的でないことを厭うのなら、自分を売り込むべきではなかったと判っている。
「これが噂の水製造機かね」
痺れを切らしたようにそう言ったモミアゲに、青年は致し方がなく頷いて見せた。
「はい。湿気が潤沢な大気から、水だけを取り出すように設計しました。
加えて、汚染物質を完全に取り除けるフィルタも同時に開発しました」
わざと頭の悪そうな言葉を選んで答えたが、男たちは気にした様子もない。
無駄に輝いていている二人の視線に、青年はうんざりとした。
私利私欲の為にこれらを使わせるつもりは毛頭ない。
だが国は使うのだろう。国と言う一個人ならぬ一団体は、金儲けの為にこの機械を利用するに違いなかった。
――世界は戦争をしている。
この国にも一応軍隊はあるが、第一次世界大戦に参加したおりに敗戦し、その傷が癒える間もなく
『不参戦条約』を結ばされたため、国防目的と言う形でしかそれらは存在をしていない。
様々な技術を開発しているこの国は、今も昔もありとあらゆる分野で、
勿論軍事面においても目覚しい開発力を誇っている。
故に、その力をよからぬ輩が利用せぬように、
釘を刺されるようにして国際的に戦争への不参加を強制されたのである。
よからぬ輩とは、『各国』にとって目障りなことこの上ない『各国』、
つまり互いに互いを邪魔者と見なしているためこの国がどこにも『味方』をせぬように牽制をしたのである。
敗戦から暫くののち、この大日本帝国はどの国とも比較的良好な関係を築いている。
それなりにわだかまりのある国もあったのは確かであったが、しかし外交においてはそれをおくびに出さず、
大人の対応を互いに続けている。
親友だとか、仲がいいだとか、そう呼ぶには遠く及ばない距離感ではあるが、
付かず離れず、険悪な間柄である国は一国もない。
216 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:01:16.46 ID:El2CGrKG0
兎も角として、大日本帝国はどの国も味方をせずにいるというわけだ。
それが幸いしして、国内のみにおいては、
外界の燃え盛る炎が嘘のように穏やかな生活を国民は送っているのである。
なんとも平和ボケしそうな大日本帝国民ではあるが、
可哀想なことに他国の民は睡眠もうかうかとれぬ状況だと聞く。
あまりにも戦争が多い。
世界は、腐り落ちる直前の果実のようだ。
戦争、干ばつ、核汚染、海洋汚染、大気汚染、森林の大規模減少。
そんな現実を鑑みれば、大日本帝国のなんと平和なことだろう。
核汚染によって天然物の魚は食えなくなったが、
今や森の奥の実験施設で人工的に稚魚からマグロを育てることが可能な時代だ。
もとより緑豊かなこの国は、植林に力を入れているし、
地上三階以上のビルの地下にはこの施設と同じように
緑を栽培する施設を設けることが原則として義務付けられている。
つまるところ、この国は他の国に比べてかなり豊かで平和で、そして幸福度の高い国なのである。
その平和を壊しかねないことを、国はしようとしているのだ。
「それで、一日何トン抽出できるのかね、水は」
「二トンです」
青年はこともなげに言った。
「二トンが限度です」
ちょび髭が呆気に取られた顔をした。
本当は一日十トンはまず余裕であったが、あえてかなり少なめに申告をした。
「……それでは、君、」
輸出するほどの量ではない。そう言いたいのだろう。
おそらく商売にするには十トンでも少ないと感じるに違いない。
「ええ、でもそれくらいが限界でしょう」
無駄なことは考えぬ主義だ。
それが人道的であろうが非人道的であろうが、本来は知ったことではなかった。
だが、その非人道的な活動は、きっと姉の命に危険を及ぼす。
青年は姉を守るために入所したのだ。
ならばこの国を戦争に巻き込むことを良しとしてはいけない。
217 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:02:55.95 ID:El2CGrKG0
大学時代、綺麗な水を国民に提供できたのならば、
そしてそれが自分にのみ可能にできる事業であったのなら、
平々凡々とした生活から抜け出し、きっとこのか弱い姉を一生の間、守っていけると考えていた。
それがおかしな方向に転がり始めたと気づいたのは入所してからだ。
いや、その可能性を全く考えもしなかったのは、青年が若く浅はかであったからであろう。
自分が馬鹿であったのがいけない。
この国は、世界で品薄状態である全てのものを錬金するがごとく売りさばいていた。
何のためかと言えば、当然国内で供給の足りぬ資源を手に入れるためだ。
石炭や石油、パームオイル、それにレアアースなど。
今や贅沢品であるそれらを手に入れるために、そこれそ土や汚染の少ない食料、戦闘機までを輸出していた。
そして今回は水だ。
どんなに政府が研究に力を入れようとも、
なかなか飲料に適したレベルまで汚染度を下げることができなかったそれを、
若干二十歳の青年がいとも容易く作り上げたのだ。
青年は、自分の知識が換金されているものだとは理解していた。
ただ、換金に甘んじていたのは姉の為だ。
決して戦争の火種を国内に作るためではない。
世界は逼迫している。五年前よりも今、今より半年後にはもっと酷い状態になる。
目に見えていた。
そんな情勢下で、国は愚かにも火種を自ら作ろうというのだ。馬鹿げている。
水は売ってはならない。
そう、国内で『お偉方』が消費するのが精一杯の量にすることが望ましい。
青年はそんなことを考えながら「それが限度です」ともう一度力強く言いながら微笑んで見せたのだった。
*****
218 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:07:56.94 ID:El2CGrKG0
浮上した意識に、タカシははっとした。
奇妙な夢を見ていた気がする。タカシはタカシではなく、もっと若くて、そして姉が居て。
いや、姉は居るがアルツハイマー病ではないし、嫁いでいる。
記憶が混濁している――、それに自分の体が自分のものではないかのように重たかった。
――フィルタ、箱、戦争、姉。
誰かの記憶が流入したような、妙な感覚だ。
映画かなにかだろうか。いや、それにしては記憶が妙にリアルであった。
タカシは子供の頃から空想家であった。
もしもA社を継がなくていい身分に生まれたならば、と想像をしたことが幾度あったか判らないが、
これほどまでに他人の人生に自分を重ねたことは無かった。
断片的な夢により、未だ意識が混乱している。
「馬鹿か……」
自分はタカシだ。見知らぬ男の夢に惑わされてどうするのだ。
そんなことよりも――、頭が痛んだ。ジンジン、シクシク、と言うレベルではなく、ガンガンと痛んだ。
煙を多量に吸い込んだ所為だろうか。
そういえば、何故煙を吸い込んだのだろう――。
そこまで考え、タカシは自分自身が恐ろしくなり、急な吐き気に襲われた。
それは、ほんの少し前の出来事のはずだ。
だというのに、あの強烈な記憶をタカシの脳は、暫くのあいだ忘れ去っていたのだ。
迫り狂う煙と炎。まるで悪魔のようなあれらからショウタを救い出すべく、
まるでナルシストなヒーローのようにホテルへと飛び込んだのではなかったか。
喉が痛むのも、目が妙に潤んでいるのもその火事が原因に他ならない。
そしてその火事の現場でショウタは。
そうだ、彼は下男と不可解な会話を続けていた。
あれも失敗だとか、なにもかもを『あの人』の好みに合わせただとか、ショウタは喚き散らしていた。
そしてそれに対して全てを知っているような態度で返事をする下男がいたのだ。
その姿は、昨日までの彼らとは全くことなる人間のように映った。
いや、彼らが人間かどうかも怪しい。
炎を反射して輝くメタルカラーの骨。
あれは、本当に人間なのだろうか。
彼らを人間だと思い込んでいただけなのではないだろうか。
タカシはもしかしたら何も知らずに生きてきたのかもしれない。
219 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:10:19.26 ID:El2CGrKG0
「ぐ……ッ」
こみ上げる吐き気は、しかし中身を出すほどの勢いは無かったようで、
喉に焼きつくような感覚だけを残して再び胃の腑へと逆戻りをしていった。
なにもかもがおかしいと自覚をしていた。
世界の全てがひっくり返されてしまったような、そんな感覚に陥る。体は未だに動かぬし、頭も痛む。
――それにこの部屋は一体なんだろうか。
タカシはだだっ広い部屋の中心あたりに据えられた、木製の椅子に腰掛けていた。
天井から降り注ぐ照明の光りはオレンジ色で、まるで舞台だ。
しかし照明の光りは弱く、なんとも心もとない。
その上空気が湿っているのだから、この部屋の機能性は舞台とは程遠いだろう。
だが、なんとなく舞台のようだと感じてしまうのだ。
どうしてだろう、とタカシは嘆息しつつ考えた。
まるで自分自身が、運命に翻弄される観劇の主人公のように思えたからかもしれない。
「馬鹿馬鹿しい……」
今日の自分はいやにナルシズムに富んでいると思う。
我ながら気持ちが悪いと自嘲した。
なにもかもが驚くようなことばかりだ。
ただ判るのは、タカシの常識では追いつかないような出来事が今現在起きているらしいと言うことだけだ。
手に負えない出来事に、タカシは自分の陥った状況について考えることを半ば放棄しはじめる。
だからこの部屋について『舞台のようだ』などと暢気に考えているわけで、
本来はもっと考えるべきことがあるはずだった。
例えば急にこの国を襲ってきた無国籍軍についてだ。
それなのに最も気になるのは自分にまつわるあれこれで、しかもそれすら手に負えないとおると、
タカシの思考はそこで停止してしまうのだ。
体は動かない、下男と奴隷は妙な態度、そしてここは自宅であるはずなのに全く知らぬ部屋なのだ。
世界など気にしている場合ではない。無国籍軍が攻め入った様にあれほど怒りを覚えたにも関わらず、
今のタカシはただ阿呆のようにして椅子に座り込んでいるよりほかはないのだ。
220 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:11:56.50 ID:El2CGrKG0
瞳を巡らせて見えるのは、三脚の椅子と、その近くには医療器具のようなもの。
医療器具はまとめてワゴンに乗せられており、照明を反射して鈍く光っている。
医療器具の用途は定かでないが、なんとなく、昔見たスプラッタムービーに登場した狂人が
主人公たちをいたぶる為に用いた拷問道具を髣髴とさせ、タカシの背筋はゾワリと冷えた。
いや、そんなはずはない。
あの小さなショウタにタカシを拷問する術などあるはずがない、と気持ちを落ち着かせる。
ここに拘束されてから――、正確には拘束などされてなく、
この部屋の、この椅子に座ることを命ぜられたのだが――、
おそらく数時間が経ち、しかしショウタや下男からアクションは今のところ何もない。
自分の身になにが起こっているのかが全くわからなかった。相変わらず手足は動かない。
タカシはアホのように椅子に座り込んでいるだけで、部屋と外界を繋ぐ扉に近づくことはおろか、
立ち上がることさえもできなかった。
そればかりか、奇妙な夢の残滓も相まって、記憶さえ曖昧なのだ。
実際にあった出来事と夢がせめぎあって、一体どれが本当であるのか判然としない。
こんなこと、一度も無かったはずだ。そう、一度も。
――本当に?
「……う……ッ」
誰か別の人間に問いかけられた気がして、またもや吐き気に襲われるが、
やはり食道からはなにも飛び出さなかった。
不安で胸が満たされていく。
馬鹿な妄想に取り付かれて不安になり、それでは駄目だと思考を停止させる。
そして再び不安になって――、そんな非生産的なことを繰り返しているうちに、
重ったるい音と耳障りな甲高い音が立て続けに響き、そしてこの部屋唯一の扉が押し開かれた。
そしてその奥から覗いた影は三つ。
二つは大きくて、ひとつは小さかった。
221 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:13:43.87 ID:El2CGrKG0
「ああ、起きてたんだ」
その声はショウタのものだった。
LEDライトの明度が徐々に上げられていき、タカシはその眩しさに目を眇めた。
その光りの所為でショウタの顔はよく見えずぼんやりとし、その気味悪さにタカシは口を引き結ぶ。
「さっき様子を見にいかせたら、寝ちゃってたってよーってアイツが言ってたんだけど」
アイツとは下男のことだろうか。
そんなことをぼんやり考えていると、ショウタは妙に消毒くさい匂いを漂わせながら近づいてきた。
顔の実態が漸く見えてきた。
半ズボンにYシャツと言う典型的なお坊ちゃまスタイルに身を包んだショウタは、
小生意気そうな笑みを浮かべてタカシを見ている。
細い腕の片方には包帯がぐるりと何十にも巻かれており、タカシは首を傾げた。
「それ……、どうした……」
喉が熱を持っている。声は掠れていて、上手く発音できなかった。
ショウタは一瞬怪訝な顔をし、そして――、イラついた顔をしたのちに「馬鹿!」と叫んだ。
甲高い声に驚いたのはタカシだけではないようで、
ショウタが従えた二人の人物――、見慣れぬ男二人だ。片方は背が高くてひょろりとしており若い。
もう片方は眼鏡を掛けていて小さく初老だ――、も一瞬だけタカシを振り返った。
「馬鹿! 馬鹿! くそが! すぐに忘れちゃうんだから!!」
突然ショウタは怒りをあらわにして、そしてひとしきり叫んだあと、
スリッパを履いた脚をタカシの腹をめがけて投げ出した。
小さな脚はタカシの腹に見事に命中し、タカシは体を折り曲げて「ぐ」と声を漏らすが、しかし吐き気はない。
「ホテルで、ホテルで俺怪我したんじゃん! 見てたじゃん! なんですぐ忘れちゃうんだよ! なんで……!」
ひどく興奮した様子のショウタに、タカシは混乱をした。
若い男が呆れ顔で振り返り、そして嘆息すると「ぼん、少し落ち着いたらどうですか」と言った。
「うるさい! これはお前には関係ない話だよ!」
はぁ、と若い男は溜息を吐くと、ワゴンの近くの椅子へと座れとショウタへと促した。
「おら、拗ねてないで椅子に座んなさいよ。腕、治すんですよね。ちゃっちゃとしてくれませんかね」
男の「もうそれ以上はなにも言わない」と言う言葉に促されたショウタは、
不承不承と言った様子でその椅子に腰掛けた。
222 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:15:40.79 ID:El2CGrKG0
タカシはその光景を、涙の滲んだ目でぼんやりと見ていた。
二人の男は続いてワゴンの中身を確認したのち、手に何かを吹きつけていった。
匂いからして、消毒か何かだろう。
ツンとした匂いを漂わせたのち、男たちは指先までぴったりとフィットする手袋を身につけた。
――そうだ、ショウタはホテルで怪我をしたのだ。何故そんなことを忘れていたのだろう。
気分が悪かった。
なにか、タカシの知る世界に齟齬が生じているようだということは判るが、
その齟齬をひとつひとつ拾い上げようとすると途端に吐き気に襲われた。
「君、三種混合ワクチンをきちんと打っていれば、もっと早くに対処ができたのだよ」
「判ってる。でも注射嫌いだもん」
「そういう問題ではないのだよ。君が国の定めた注射を無理に回避したがために、
君の体を洗浄して破傷風菌を取り除くのに時間を要してしまった。
おかげで我々は二時間も時間を無駄にした」
「でも注射は嫌いだ」
「もう大きいのだから少しは我慢を覚えたまえ」
そんな他愛もない会話をしながら、男はショウタの腕を包む包帯を解いていった。
その瞬間、またもや意識が混濁しはじめた。
ショウタは怪我をしている。それを今から治す。
その怪我はホテルでしたものだ。だが何故ショウタはホテルに居た?
根本的な謎が頭に渦巻き始める。さっきまで把握していたことを次の瞬間には忘れている。
何故だろう。何故か判らない。一体なにが起こっている。
混乱する頭で自分の現状を把握したくて口を開こうとするが、
若い方の男がさりげなく自らの唇に人差し指を当てた。
しゃべるな、と言うことだろう。
何故見ず知らずの人間にそのような指示を出されなければらぬのか、と苛立ちを覚えたが、
確かに『何か』に対して怒り狂っているショウタを目の前に、あれこれと面倒ごとを引き起こすのは憚られた。
タカシは致し方がない、と口を閉ざした。
仕方がないので三人を観察していると、どうやら初老の男は医者で、若い男は技師のようだった。
彼らはショウタの腕の、その負傷箇所を観察してはなにやら手を加えていた。
223 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:18:16.31 ID:El2CGrKG0
「君、一体何をどうしたらこんなに捻じ曲がるんだね。総指伸筋が断裂している」
「でもどうせ取り替えられるじゃん」
子供らしい口調でショウタは言った。
「ぼん、あんたなぁ……、麻酔をかけんですよ。肉も切開くわけです。
そうすると、あんたの負担になることは間違いねぇんですよ」
技師はぞんざいな口調で言いつつ、医者と息の合った連係プレーでショウタの腕からパーツを外していく。
骨や筋肉、それから素人にはなにかよく判らないものたちが見え隠れする。
そして腕からすっかり外されたパーツたちは、シルバーのバットにカシャンと音を立てて放られた。
続いて技師が透明なフィルムに包まれた新しいパーツを取り出す。
当然のことながら、先ほど取り除かれたものと同じ形状だ。
血まみれの手袋のまま、技師はそのパーツをショウタの腕に埋め込んで行く。
カチ、だとか、パキ、と言う音を立てた暫くの後、技師はなにやら腕の中を弄くりまわしていたが、
そのうち一通りの作業を終えたのか、スッと指を引っ込めた。
その後は手袋を外してしまう。彼の役目はもう終わったのだろう。
「あんたはしょっちゅう怪我をするから生体適合材料を使うしかねぇんですよ。
もっと自分の体を労わってくれりゃあ、あんたの遺伝情報を丸々コピーした生パーツを使えるってわけです。
いいですか、生体適合材料は大昔なら最新の技術だったかもしれねぇが、今は一般庶民しか使わない。
あんたら金持ちは拒絶反応の一切が起こらない生パーツを使えるんですよ。
ただしコピーには異様に時間がかかる。だから、」
「判ってる! もう、その話何度も聞いたよ!」
「それならば君、少しは自重しないかね。あまり下男さんを困らせるものではない」
指先に縫い針のようなものを握った医師が、表情を少しも変えずにショウタを叱った。
224 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:20:16.96 ID:El2CGrKG0
「だいたいですね、あんたの年でセックスに耽るなんて爛れてんですよ」
技師と医者の両方に罵られ、ショウタの顔は次第に不機嫌に歪められていく。
「いずれはすることになるんだからいいじゃん」
「君、そういう問題ではないのだよ。こら、動くんじゃない」
「なんで俺はしちゃいけないの!」
「あんたはしたいわけじゃねぇだろ。ガキが駄々こねているだけです」
「うるさいよ……」
「ほう、自覚はあるのかね、君。そもそも相手が……」
医師の視線がタカシに向けられる。侮蔑を含んだそれに、胃がキリリと痛んだ。
見ず知らずの人間に、あんな視線を寄越されるようなことをした覚えはなかった。
いや、ショウタへの無体を非難しているのは判るが、
ショウタは奴隷で、その扱いをどうするも主人の自由のはずだ。
なにせ、殺処分でさえ許可されているのだ。ただひとつ許されぬのは、放牧。
つまり家屋外での放し飼いや奴隷を捨てること。
それ以外の全ては飼い主の権利として許されているのだ。なのに……。
タカシは唯一自由になる表情筋を最大限に歪ませて不愉快を表現したが、医師は気にした様子もない。
「相手が『アレ』では不自然が過ぎる。君の行いを私は心底軽蔑する」
「先生に関係ないだろ!」
「動くんじゃないよ、君。とにかく、本来ならば生代替パーツを使うのが望ましいのだよ。
大人しくするつもりになったのなら、いくらでも私にそう言ってくれたまえ。準備は整っている。
……終わった。あとは忘れずに抗生剤を飲みなさい。一週間後にまたこちらに窺う」
「判ったよ。もう、口うるさい奴らばかりで嫌になる!」
ショウタは一瞬だけ視線をタカシに投げ掛けるが、なんの言葉も掛けずに部屋を後にした。
わざと踏み鳴らすようにして階段を上っていく音が、扉の空いた隙間から響いてきた。
225 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:21:36.74 ID:El2CGrKG0
「さて、君」
医師に声を掛けられ、タカシはゆっくりと視線をそちらに向けた。
「調子はどうだね」
なんの調子を窺っているのかがよく判らない。
体、心、記憶。その全てがまともに機能してない今、それについての答えは「よくはない」の一言に尽きたが、
しかし総括して答えていいものかどうか悩んだ。
「どこの調子が悪いのか言えってさ」
技師にそう言われ、なるほど、体調不良の全てを具に答えた方がいいらしい、と言う思いに至る。
「……たぶん、ホテルで体を打った。背中が痛む。喉も痛い」
「うん、そうだろうな。あんたもあちこち破損してるからね」
「記憶はどうだね」
なんと答えたらいいものかと悩んでいた事柄をずばりと指摘され、タカシは息を呑んだ。
彼らは全てを把握しているのだろう。ならば、とタカシは口を開く。
「よく判らない。なにか……、なにか、記憶がおかしい。自分のものではないはずの記憶が交じったり、
かと思えば、ついさっきの出来事を忘れてしまったりする」
「ふむ」
「可哀想に」技師の男が溜息混じりにそう言った。「あの坊ちゃんの所為で、あんたは滅茶苦茶だ」
「君、余計なことを言うものではない」
「だってそうだろ。体どころか頭までグチャグチャだ。どうしてくれんだよ、これ。
あの坊ちゃんに責任が取れんのか? 今までなら、」
「黙りなさい!」
捲くし立てるように言葉を紡いでいた技師の口が、瞬間、貝のように閉ざされた。
彼らは何かを隠し通すつもりだ。タカシは二人のやり取りを見つめてそう考えた。
いや、もしかしたらこれは、お粗末な茶番なのかもしれない。
何かをタカシに伝えたくて、しかし伝えられずに、
致し方がなくこのような間抜けな茶番を繰り広げている可能性もあるだろう。
疑いに満ちた視線で忙しなく二人を見たが、技師の視線は逸らされ、もうタカシを見ることはなかった。
おそらく技師はなにかを口にすることはもうないだろう。しかし。
しかし、医師は違ったようだ。
二度三度と口を開閉させたのち、それから低く重ったるい声で「君、」とタカシへと問いかけた。
「はい」
226 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:24:15.17 ID:El2CGrKG0
「はい」
「君は、何者だ」
「え?」
「なに、確認だ。君は君について知っていることを私に話せばいい。
学生時代に自己紹介をする機会もあったことだろう。そんな風に、君を私に紹介してくれたまえ」
普段のタカシならば、医師の言葉を鼻で笑い馬鹿馬鹿しいと詰ったことだろう。
だが、今は状況が違う。
タカシは今、どこかがおかしいのだ。自分自身が自分自身ではないような、
いや、確実に自分自身が以前の自分とは異なる自信があるのだ。
そんなはずはないと、もう一人の自分は頭の片隅は否定の声を上げていたが、
しかしタカシの理性はその異常事態を確信していた。
「……名前は、タカシ、です。誕生日は、十二月一日。血液型はAB。趣味は、スポーツ観戦。
大学は、K大の経済学部を出ました。今は、A社で働いています。彼女は居ません」
「家族構成を」医師は静かな口調で尋ねた。
「父、母、私です。姉は嫁ぎましたので、所帯は別です。同居はしておりませんが、祖父がおります」
「結構だ」
脚を組みなおした医師は、真っ直ぐにタカシを見つめた。
「君はいつからこの屋敷に住んでいる?」
「二十歳の祝いに、と祖父から賜ったもので――、」
あれ、とタカシは首を傾げた。
何年この屋敷に自分は住んでいたのだろう、と。
「……ですから、」
なにか言葉を紡がなければならない。そんな強迫観念に襲われた。
おかしい、だとか、異常を来たしているだとか、そんなレベルではないような気がしてきたのだ。
「ですから、」
語気が荒くなる。
そんなはずはない。そんなことがあっていいはずは、ない。
「ですから……、」
動かぬ体のままで、精一杯にかぶりを振ろうと試みる。だがそれさえも上手く行かない。
タカシの体は、まるで動くことを放棄したようにして少しも自由にはならないのだ。
おかしい、おかしい、おかしい。
自分は一体どうなってしまったのだろう。
恐怖で満たされ、血の気がサッと引いていく。頭が瞬時に冷え、腹の底から吐き気がせり上がる。
227 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:27:54.76 ID:El2CGrKG0
「自分の年齢ももう判らないかね」
追い討ちを掛けるようにして、医者は静かに言った。
「そんな、はずは……」
「いいや、君は、君の事を忘れている」
「そんなはずはない!」
「では君の年齢はいくつだね。一体何年この屋敷に住まっているのだ」
淡々と冷静に質問を繰り返す医者の存在が恐ろしかった。
だが、彼の声を遮ろうにも手が動かない。部屋を出ていこうにも、脚も動かないのだ。
遮りようが、逃げようがない。
「お母上の名は? お父上の名は? 君は皇紀何年に生まれた?」
タカシは愕然としていた。
自分自身に関するデータが、所々すっぽりと抜け落ちている事実を、今さらながらに認識したのだ。
いつから、忘れてしまったのだろう。一体いつから。
それすら判然としない自分自身に底知れぬ恐怖を覚えた。
自分の中で、自分自身が曖昧模糊とした存在感のない生き物に成り果てている事実に
恐怖を覚えぬ者などいるのだろうか。
一体いつから自分はこんな生き物になってしまったのだろう。
一体、いつから。
「かわいそうに。君は『あの時』脳死状態となるべきだった」
「なに?」
唇が戦慄いた。
医師の目がジッとタカシを見ている。先ほどの侮蔑を含んだ目とは異なるそれに、寧ろ慈愛を含んだ眼差しに、
タカシはこの上ない恐怖を抱いた。
「君の脳は一度破損している。今の君は、人工的な脳を埋め込まれた、いわば二人目のタカシ君だ」
228 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:30:17.30 ID:El2CGrKG0
心臓がどくんと高鳴るのを感じた。
冷や汗が次から次へと噴出し、そして指先はどんどんと冷えていった。
これを聞いてはならない。だと言うにも関わらず、しかし医師はその唇を動かし続けた。
耳鳴りがする、眩暈を覚える、呼吸が浅くなる。
「君の脳は、海馬は、人工的なものだ。生パーツとメカニカルパーツを組み合わせたハイブリッド脳だ。
最先端の技術でもって、君は君のアイデンティティを保っている。
だがそれも全てが本当のものではない。君の記憶は――」
医師が口を開き続ける。技師の制止も聞かずに。
彼は無遠慮に、はっきりと言葉を紡いでいた。
「君の記憶は、人間性は、アイデンティティは、」
視界が真っ白になっていく。
彼が何を言っているのかよく判らなかった。
人工海馬、それは海の向こうで最近開発されたばかりの代物のはずだ。
なのに、何故。
医者は自分を謀っているのだろうか。タカシは未だにそんな馬鹿げたことを考えていた。
これほどまでに不調を来たしている自分自身に戸惑いを抱いてもなお、そんな風に考えていたのだ。
「君の全ては、以前の君をベースにしてはいるものの、
ショウタ君によって改竄されコントロールされた、いわばショウタ君の着せ替え人形だ」
頭がスパークしそうだ。
理解が追いつかない。いや、もう理解はしている。
なにもかもの合点が行った。
タカシはもうずっと前からタカシではなく、心も体も、
全てがショウタにコントロールされた傀儡であったのだ。
だが、どうしてもタカシには判らなかった。
何故自分の体が、心が、思考の全てがショウタによってコントロールされるに至ったのか、
それだけが判らなかった。
しかしきっとそれも。
「全部ショウタの手の内ってわけか……」
技師がちらりとタカシを見た。
哀れみを抱いた視線に怒りをぶつけたくなるが、
それすら自分自身の心から生み出されたものなのかどうか怪しいものだとタカシは考える。
それを自覚すると途端に白けた気分になって、タカシの怒りは瞬時に冷めていった。
もしかしたら、技師に怒りをぶちまけない自分ですら、
ショウタの手によるコントロールなのかもしれない。
自分は一体なんなのだろう。
タカシは消失したアイデンティティの片隅に、ショウタの嘲笑う影をみたような気がした。
229 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/09/17(水) 00:31:18.38 ID:El2CGrKG0
今日はここまで。
保守してくれた人、感想をくれた人ありがとう。
あと待っててくれてありがとなー
230 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
:2014/09/17(水) 21:11:43.70 ID:Wv/Uuc8tO
コノシュンカンヲマッテイタンダー
今更だけどスレタイが騙して悪いが状態
231 :
</b> ◇OfJ9ogrNko<b>
[saga]:2014/10/17(金) 22:01:55.50 ID:0Z7ce72e0
注意:今回は男女間の肉体関係を髣髴とさせる文があります。
****
幼児を抱えて一目を忍ぶのは容易いことではない。
フードを目深に被った男が、空襲を避け、決して安全とは言えない不潔な地下道を通り抜け、
やっとの思いでこの街へと到達したのは、凡そ十分前のことだった。
爆撃に遭うことも、襲われることも無く、なんとかこの街までたどり着けたことは
奇跡としか言いようがない。
とは言え、自分が今現在置かれた状況を鑑みれば、
更なる注意を払って歩みを進めることが得策であるのは確かだ。
決して目立ってはならない。
三歳になったばかりの息子がむずかる都度「シッ」と小さな言葉でたしなめて、
有無を言わせず沈黙させる。そんなことを何度繰り返しただろう。
決して誰にも見つかってはならない。何故なら男は今や立派な戦犯なのだから。
――男が水製造機などと言ういかがわしいものを作ったばかりに、この国を戦争へと導いてしまった。
男の存在を、国民はそんな風に思っているに違いない。
実際男の殺処分をけしかけるように、
いくつかの新聞では男の実名と顔写真を載せ『戦犯』と容赦なく書き責め立てた。
水が悪用されぬよう、この国に戦争の火種を発生させぬよう、男は最大限の努力を続けたが、
平民である男の努力など高だか知れているし、国民の大半がそれを知るはずもない。
尤も、男自身が火種となったのは確かだろう。何せ、国が傾く一因はあの製造機にある。
そして、愚かにも男は一瞬の間、製造機に対して金銭欲を抱いた。
ならばそれを作った男が責めて足られるのも道理かもしれぬ。
判っている、こうなることは、判っていた。
曇った空から漏れ出る僅かな日の光を、男は目を眇めて眺めた。
姉が健康であったのなら、もしもそうであったのなら、この国はもう少し平和であっただろうか。
今さらそんなことを思案したところでもう遅い。
若かったあの頃、男は、きっと酷く浅はかだったのだ。
232 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:03:56.56 ID:0Z7ce72e0
ん、トリップがおかしい?
233 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:06:56.19 ID:0Z7ce72e0
IDの通り、
>>231
も自分です
234 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:09:05.42 ID:0Z7ce72e0
男が姉の治療費と引き換えに、国のお偉方相手に商売を始めたのは数年前のことだ。
安全な水を幾度も幾度も売りさばき、その利益を自身の生活と姉の治療費に当てた。
それは役人が初めて施設へと訪れてから、およそひと月後には開始されていた。
この国は他国に比べれば、大気も水も汚染度が格段に低いものの、
正直に言ってしまえばどちらも健康を害するレベルであり、
こと水においては飲料には適しているとは言えないものであった。
お偉方は疾うの昔から『やや安全』な飲料水を飲んでいたにも関わらず、
『更に安全な水』があると知るや否や我も我もと男の下へと詰め掛けた。
かくして男は、国の中枢を握る男たちへとそれらを売りさばくことを、合法的に許可されるに至ったのだ。
利益の半分は所属していた研究所のもので、もう半分の半分は製造機の稼動に当てられ、残りは男のもの。
全体から見れば取り分は少ないように思えるが、男と姉の生活を保つには充分な資金が懐へと入ったのだ。
最初は順調そのものであった。
水の存在はお偉方の一部しか知らぬものであったし、
設計を知るのもメンテナンスを行えるのも男一人であったのだから、その身分はかなり優遇された。
だからこそ男自身の安全も保障されていたのだ。
だが悪いことはできぬものだ。
水の存在が口伝えで広がりを見せ、庶民にまでその存在が知られることとなるまでにそう時間は掛からなかった。
まず水を巡って暴動が起きた。国は当然ながら、その暴動を終息させようと動いたわけだが、
しかし事態は収まらず、ついには男を捕らえ、拷問を加え、抽出量を増やすよう設計に変更を加えさせたのだ。
男は当初、頑なに抽出量を増やそうとしなかったため、拷問は長引いた。
ついに根を上げ了承することとなるのだが、そもそもの間違いはこの了承にあったのかもしれないと
男は後々後悔することとなる。
235 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:10:34.62 ID:0Z7ce72e0
クオリティの低い水、つまり多少の汚染物が含まれるものでも良しとするならば、
一日の水の製造は五百トンにまで増やすことができる。
それでも今国民が日常的に口にしている飲み水よりも、汚染度がかなり低い値なのだ。
抽出量の変更について報道が為されたころより、暴動は治まりを見せ始めた。
それを見計らうようにして、国は男に、全国に三百機もの製造機を作らせることを約束させた。
即ち、一日一リットルが一人頭の摂取量と計算して、
一億五千万人分の飲料水が一日あたり製造される計算だ。
大日本帝国の現在の人口は一億二千万人であるから、約三千万人分の『遊び』が生まれる計算である。
遊び部分がどうなるかなど、言うまでもない。
国は、それらを当然のように、外国のありとあらゆる軍へと高値で売ったのだった。
それからは戦争へとまっしぐらである。いや、正確に言うならば、各国はこの国に対してなにもしなかった。
そんな世界に対して怒りを抱く者たちがこの国を襲ったのだ。それがのちの無国籍軍である。
男は選択を誤ったのだろう。『安全な水』の製造は、秘匿しておくべきものだったのだ。
やがて戦争が始まると、国民の怒りの矛先は水を生み出した男へと向かった。
男の生み出した水を口にして喉を潤すくせに、彼らは容赦なく男を責めたてた。
勝手なものだ。与えられるものは握って離さないくせに、
それとこれとは別問題だと開き直って男を犯罪者扱いするのだ。
勝手なものだ。実に勝手なものだ。
道を歩けば石を投げられ、時として殴られる。それが男の日常となった。
男は、戦争に借り出されてはいないものの、今や正真正銘の戦犯となったのだった。
236 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:16:02.46 ID:0Z7ce72e0
男はわが子を腕に抱き、周囲をそわそわと見回した。
そして本当にここでいいのだろうかと、その朽ちかけのあばら家を困惑の面持ちで眺め続ける。
家屋をぐるりと囲うのは、家屋よりも背丈の高い鉄格子だ。格子だけがやけに立派で、
その内側に置かれた家とは不釣合いと言っていいほどだった。
ここに旧知の仲である女が住んでいるのかどうか、とても怪しい。
もしかしたら男を憎む誰かの罠かもしれない、という疑いが頭も擡げたが、
今さら引き返すこともできない。
しかし、と考える。
周りに家なんてないからすぐに判ると旧友である女は言ったが、
如何せんこの家は『ボロ』が過ぎるのだ。
こんなところにあの一流の科学者――、
今や人体交換パーツの権威と呼ばれるあの女――、が住まっているとは、到底思えなかった。
ましてや先日電話越しでした会話によると、彼女自宅は実験室もかねているというのだから、
ここが彼女の住まいであるとはにわかに信じがたかったのだ。場所を間違えただろうか。
「お父さん……?」
舌足らずな声で子供が声を掛ける。小さな手が男の衣類をぎゅっと掴み、離すまいとしている。
「大丈夫」
安心させるように言うが、しかしこの短い言葉が、彼を安堵させるに至らなかったのは明白だろう。
幼い子供は、男の肩口に顔を埋め、外敵から自分を守るかのようにさらに体を丸めて見せた。
それにしても酷いボロ屋だ。
今時珍しい、壁までを木材で作られた平屋の日本家屋は、所々の窓にはヒビが入っており、
科学者が住んでいるとはとても思えぬ風体であった。
犯罪者やストリートチルドレンの闊歩するここは、所謂スラム街と呼ばれる場所で、
周囲には建物と呼べるかどうかさえ怪しい建築物、ゴミ、そして転がって干からびた人の死体以外は何もない。
廃れた街の廃れた風景は、物騒や厄介ごとを常に抱えている。
真っ当な人間ならば、こんな場所に幼児を連れてノコノコやって来たりはしないだろう。
男は尻のポケットを撫で、その固い感触に身震いをする。
遠き日の遺産とも言うべき、リボルバー式の拳銃。護身用に入手したものであったが、
幸運にも使う機会には恵まれず目的地へと到達することができた。これからも使わずに済めばいいのだが。
そんなことを考えながら、男は恐る恐るインターホンを押した。
237 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:17:37.93 ID:0Z7ce72e0
『はい』
ボタンをプッシュしてから十秒も待たずに、スピーカーから女の声が聞こえてきた。
それは確かに知った声であり、男はその事実にひどく安堵した。
「俺だ。今ついた」
『ああ、アンタね。待ってたわ。今扉を開ける。侵入しようとしてくる輩がいたら、
"それ"で撃ち殺すのよ。いいわね?』
物騒なことを平然と言ってのける女に顔を顰めつつも、
しかし男は警戒を解かずに周りをキョロキョロと見回したのち、
鉄格子に設けられた鉄扉が開くと、素早くその体を庭先へと滑り込ませ、
オートロックのその扉を勢いよく閉めた。
鉄扉から玄関までは差して距離はない。メートルにして十と言うところか。
男は乾いた薄黄色砂を踏みしめて玄関へと歩を進めた。
辿り付いた――、男がそう思った瞬間に横開きの扉が開き、
スッとした鼻梁の、目鼻立ちのハッキリした女が顔を覗かせてきた。
文句なしの美人だ。だがもう十数年前にはいやと言うほど観察した顔に、今さら然したる感嘆はない。
単に、久しぶりだと思っただけだ。大学時代の友人など、そんなものだろう。
Webカメラで顔を見ることは頻繁にあったが、実際に対面するのは実に数年ぶりだ。
女は口に加えた煙草を指先で摘むと「待ってたわ」と言ったのちに、それを庭先に放って捨てた。
「入って」
「ああ」
女に言われて男は家屋に足を踏み入れると、男はまず最初に違和感を覚えた。
土間が土間ではなく、大判の大理石が敷き詰められていたからだ。
それから何の気なしに数メートル先の天井を見上げ、男は思わず口をあんぐりと開けることとなる。
点在するカメラは自動発砲機つきのものだった。
「これで顔を登録して頂戴」
女は掌に収まるサイズのタブレット型端末を男に差し出した。どうやら情報取得端末の類ではなく、
情報登録の為の端末のようだ。
つまり、男と子供の顔を、その端末に登録しろと言うことだ。
「カメラを起動させて顔を映すだけ。
そうしたら、アンタと息子の顔はうちのセキュリティに登録されるわ」
――大丈夫、今はセキュリティを切ってあるの。
女はそう言いながら端末を差し出した。
238 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:22:25.21 ID:0Z7ce72e0
確かにカメラは止まったまま動く気配はない。
この手のカメラは通常、始終左右を、或いは上下を観察して忙しなく動いているものだ。
男は言われた通りにスリープ状態の端末を起こし、自身の顔を画面に映し出す。
画面に『登録完了』の赤い文字が表示されたのを確認すると、
事態を飲み込めていない息子の顔も撮影する。
同じく画面に四文字の感じが浮かび上がったのを男が確認するよりも早く、
女は端末を男の手から取り上げ、
そして「セキュリティ起動」と凛とした声で、はっきりと発音をしたのだった。
ブン、と言う僅かな起動音が聞こえたその瞬間に、数台のカメラは男と息子、
そして家主たる女の顔までをも凝視するかのように観察を開始する。
その間およそ数秒だ。登録情報と顔を照らし合わせた結果、
三人が『外敵』ではないと判断したのだろう、カメラたちは忙しなく、
セキュリティカメラ然とした態度で動き始めたのだった。
「外観と中身はだいぶ違うんだな」
「ああ、内側はセキュリティを強化してあるのよ。物騒でしょ、このあたり」
確かに女一人で住むには些か厳しい環境であろう。
しかし男が訝しんでいるのはそのことではない。
外観はあばら家のまま、だがその周囲をぐると『判りやすく』鉄格子で覆い、
そしてセキュリティをわざわざ強化していることに引っかかりを覚えるのだ。
「なんで……、」
問いかけようとしたところで、男は口をつぐんだ。
いいたくないような事情があるのかもしれない。
この旧友は貴族なのだ。そして、所謂妾腹の子でもある。
もしかしたら、家の事情――、それも実にくだらない身内同士の諍いによって、
こんな場所に閉じ込められているのかもしれない。そんなことを考えたのだ。
その手の問題は、なにも珍しい話ではない。
「なぁに?」
いや、と男は考える。
そもそも『その手の問題』と言うもの自体が男の憶測であるかもしれないし、
この天才科学者――、と言えば聞こえがいいが、
実のところこの女は『変人』と呼ばれる類の人間であったし、
好き好んでこんな場所に住んでいるだけかもしれない。
様々な面倒な話を避けるべく、男は「なんでもない」と短く返事をしたのだった。
239 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:23:22.11 ID:0Z7ce72e0
「ろぼっと」
「え?」
不意に息子が言葉を紡いだ。
男が頭を駆け巡る些細な疑問に気をとられている間、
息子は物珍しそうにあちこちを観察していたようで、
目の前に見えたその珍しいものに対してそう短く発音し指差して見せた。
丸い指が指し示すその先では、廊下に点在する照明が明滅を繰り返していた。
どうやらセンサーが内蔵された照明のようで、『それ』が通り過ぎる都度、
光りが点いたり消えたりを繰り返しているようだ。
「ああ、アンドロイドって言うんだよ」
人の形を模した、しかし足の代わりに車輪が取りつけられた、
その奇妙な機体の正しい名称を男は教えてやった。
廊下のはるか遠くに見える突き当りから、数台のアンドロイドが行き来を繰り返している。
きっとこのアンドロイドは愛玩用ではなく警備用だ。
例えば、男が今ここで銃を抜いたとしたら、
彼らは主人である女を守るべく警告を始めることであろう。
「さ、あがって」
「ああ」
お邪魔します、と一言告げて土間から一段上のリノリウムに上がるべく靴を脱ごうとすると、
女は「ああ、土足でいいわ」と制してきた。
「土足でいいのか」
「スリッパじゃ、いざって時に逃げられないでしょ」
「ああ……」
それだけこの地域は危険だということだろう。
240 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:25:02.91 ID:0Z7ce72e0
子供の順応は早い。
父から許可が出た今、なにも臆することはないと言わんばかりに廊下を闊歩している。
「……可愛いわね。結婚したなんて、最近知ったわ」
「……まあね」
男は言葉を濁して微笑んで見せた。
「そういえばお姉さんはどうしてらっしゃるの?」
姉が死んだのは、一年前のことだ。
三年前まではそれなりに呼吸も健全に保たれていたが、症状が急速に悪化したのが二年前。
男が憲兵に任意同行を命ぜられている間に亡くなったようだった。
男は戦慄く唇を開き、「亡くなった」と答えるのが精一杯だった。
もしも男がそばに居たのなら、彼女はまだ生きていたかもしれない。
いや、だが――。
それは、有り得ないのかもしれない。
男は、鬼の形相を取った姉の死に顔を思い浮かべた。
醜く歪んだ顔から、その死が決して穏やかでなかったことは安易に知れる。
そこまで他人に話す必要はないだろう。男はもう一度「亡くなったんだ」と短く告げた。
「気の毒に。私知らなかったから、お葬式にも行けなかったわ」
眉を顰めた女に、男は首を振る。
「葬式はやってないから」
「……そう」
女はそれ以上は言わず、こっちよ、と家を案内した。
深く追求してこない気遣いが嬉しかった。
「ここまで来るの大変だったでしょ」
「地下道を通ってきた」
廊下をキュッキュと言う音を立てて進んでいく。
その道中、いくつかメタルカラーの扉があったが、どれも入り口に網膜スキャンが設けられ、
簡単には立ち入ることができぬように処置されていた。
セキュリティレベルがどの程度なのかは判らないが、
一般の家屋にしては厳重な方だろう。
「急に連絡を寄越したから、驚いたよ」
「アンタのことが心配だったのよ。優秀な科学者が――、戦犯扱いなんて納得できないもの」
「……まさか俺もこんなことになるとは思わなかったよ」
男は白髪の随分増えてしまった頭をかき回しながら溜息を吐いた。
241 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:28:31.53 ID:0Z7ce72e0
「酷い顔」
女は小さく呟き、男の顔へと手を伸ばした。冷たい指先が頬に触れ、男は顔を顰める。
「ごめんなさい、痛かった?」
「少し」
男の顔には、無数の傷があった。拷問された跡だ。
それに幾度かの殴打のおかげで、顔も相当に歪んでいる。
やはり目立つのだろうな、と男はなにも答えずに苦笑した。
痛むのは、近頃道端で暴漢に襲われたものだが、敢えて口にしなかった。
拷問の際に作られた怪我は、もう殆ど癒えている。
だが、歪んでしまった骨までは自然に治ることはなかったのだ。
適性な処置をしたのなら、或いは元に戻ったかも知れぬが、男はその一切を拒否したのだった。
何せ金がない。
そんなものに金を使うのなら、息子に少しでもいいものを食べさせてやりたかったのだ。
と、女が立ち止まり、ふいにもう一度「ごめんなさい」と言った。
「なにが」
「恥ずかしいわ。同じ貴族として」
「君の所為ではない」
「でも、アンタにこんなことをしたのは、間違いなく私と同じ貴族よ。
憲兵には貴族しかなれないもの。この戦時下、彼らは戦地にも赴かずにいるのよ。
情けない話だわ……、本当にごめんなさい」
「やめてくれ」
男は掌を女へと向け、もう一度「もうよしてくれ」と制止の言葉を紡いだ。
「君が俺に何かをしたわけではない」
242 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:30:46.54 ID:0Z7ce72e0
男は全てを奪われた。酷い暴力も振られたし、財産まで巻き上げられた。
確かに男は世界の全てが憎かった。特に憎いのは国の中枢を握る貴族たちだ。
男もとんでもないものを作ってしまったかもしれないが、
最初から、この技術を悪用せんとしていたお偉方も同罪ではないのだろうか。
自分たちが美味しい思いをしたのち、分が悪くなれば今度は大量に生産させ、
それが落ち着きを見せれば、頃合を見計らって国外に水を売りさばき、
その見返りとして様々な物品を手に入れている。
一体どちらが悪であろうか。姉の為と甘んじていた男だけが悪いのだろうか。
そう幾度も考えたが、責めるべきは今目の前に居る女でないのは確かだ。
貴族と言うくくりで全てを捉えて憎むほど、男は愚かしくはない。
「……君の所為では、ないよ」
それに、と付け加える。
「実験に付き合えば、俺たちを匿ってくれると君は言った。
どこに行っても石を投げられるから、その申し出はありがたい」
だから気にしないでくれと告げれば、女はやっと曇っていた表情を明るく微笑ませてくれた。
少し前の男ならば、突っぱねた申し出かもしれない。
だが、男には協力してくれる人間はもう僅かにしか残されていない。
特に息子のこととなれば、戦犯の子どもなど誰も引き取ってはくれまい。
男は自分に万が一のことがあった場合を考え、女をよすがにここまでやってきたのだ。
243 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:34:13.48 ID:0Z7ce72e0
「いいのよ。アンタが実験に協力してくれるのなら、例えアンタになにかあっても
絶対にこの子だけは守ってあげる」
「……ありがとう」
もう自分の命などどうでもよかった。ただひとつ、息子の命さえ安全ならば。
男が死守したいものなど、もう彼の命しかない。あとひとつあるとすればそれは。
「結局設計図は教えなかったの?」
そう、設計図くらいだろう。
「ああ。教えていない。全部俺の頭の中だ」
「そう。それが賢明だわ」
製造機の設計図だけは、男は絶対に口を割らなかった。
同じ能力を有する機体であっても、それらはパズルのピースのように、
形も、組み立て順も異なっている。三百機すべてが、中身の設計はバラバラなのだ。
「よく死守できたわね」
「死ぬと脅した」
リノリウムの床を踏みしめ、
物珍しげにそこら中をキョロキョロと見回しつつ先を行く息子に視線を落とし、
そして声を潜めてそう小さく呟く。
どれほどの効果があるか判らぬ子供っぽい脅しであったそれは、思いの外効果覿面で、
男はなんとか自身の命と息子の命、そして製造機の設計を死守することに成功したのだ。
「俺がいなくてはあれは組み立てることも分解することもできない。
爆弾と同じだ。どこかひとつでも分解の順番を間違えれば即座に壊れる」
男が生き残ったのは、皮肉にも製造機の存在があったからなのだ。
この機械を失うことを、国は良しとしなかった。
「しくみは?」
「サージ電流」
なるほどね、と女は頷いた。
「手順を誤ると電流が逆流するのね」
「そして燃え尽きる」
片頬を上げるようにして男は笑った。
244 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:35:23.20 ID:0Z7ce72e0
汚染物質をろ過するフィルタとて、一般に想像されるただの漉し器ではない。
電流を流すことによって初めて有害物質をブロックすることが適う精密機器なのだ。
国は男の作ったもの全てをどうにかしてモノにしたいと考えているようであるが、
果たしてそれが可能な人間はいるのだろうか。
よしんば分解ができたとしても、
その先に待つのは英数字を組み合わせた四十桁にも及ぶパスワード入力画面だ。
ブラックボックスたるフィルタの仕組みは、最後の最後まで足掻いて死守してみせるつもりだ。
尤も、そこまでたどり着ける人間がいるとは到底思えぬが、
念には念を入れて男は製造機を設計したのだった。
機械を作るにあたりパーツの鋳造に尽力してくれた幼馴染――、
アンドロイドを作っている会社の娘だ。実際にパーツを作ったのは、
彼女の家で働くアンドロイドだが――、とて、
それぞれ三百機分をランダムに発注されたそれらからは、
どこをどうすれば機体が出来上がるのかは判りはしないだろう。
組み立てを行ったのも同じく彼女の家から貸し出されたアンドロイドであったが、
彼らは作業用機器であり、記憶媒体を持たぬアンドロイドで、
組み立て専属の、どちらかと言うとロボットに近い単純な造りのモノであるから、
機密漏えいの心配もない。
245 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:38:08.23 ID:0Z7ce72e0
男が巨大な製造機の製造に当たってわざわざ幼馴染に会社を指定したのには理由があった。
あの会社が安全であるからだ。
日本中から男がバッシングを受ける中、幼馴染の一族は、
陰ながら男の味方に回ってくれた唯一の存在なのだ。
と言っても、望んで協力を申し出たわけではない。
アンドロイド製造業を営む翁は孫娘に酷く甘く、そんな彼女のお願いと言う名の脅迫めいた要求を、
翁は渋々受け入れたのだった。
『お爺様に貴方への全面協力と保護の約束を取り付けたわ』
笑顔でそう言った彼女は、だから心配しないで、と添えて
百体以上のアンドロイドを無償で男に貸し出してくれたのだ。
彼女に男を出し抜こうだとか、そういう意志は絶対にない。
男が子をもうけた今でも、男に対して恋心を抱いているのは知っていた。
卑怯といわれようが、その移ろい易く不安定な気持ちにすがるよりほかに
男には道は残されていなかったのだ。
――と言った具合に、そういう意味で会社を安全と見なしていたわけだが、
幼馴染の会社が比較的安全だと確信を持てる理由はあとひとつあるのだ。
それは、彼女の家が名門貴族として名を馳せる家であることに由来する。
貴族には『美徳』と言うか、下らぬプライドがあるらしく、
貴族同士を潰しあうことをよししない『習性』があったのだ。
男は貴族、それも名門貴族の手によって保護されている。
幼馴染の祖父は実業家であるが、しかしその親族には政治家やら官僚もちらほらといるのである。
貴族同士は潰しあえぬ。
そうとなれば、男を保護しているという理由で幼馴染の家が奇襲を掛けられることもないだろうし、
虐待したいがために男を引きずり出そうとするサディスティックな輩に手出しをされることもない。
アンドロイドは苦手だし、貴族も苦手であるが、強かにも男はそれらを利用し、
そして誰も死なないであろう方法を取ったのだった。
「これ以上誰も……」
死なせたくはなかった。
そのためには、貴族の協力を得ることが、男に唯一残された道だったのだ。
246 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:39:31.04 ID:0Z7ce72e0
案内された一室は、他の部屋とは異なりセキュリティが施されていなかった。
ソファやテレビが置かれ、そして区切り無く続く部屋にキッチンが見える。
女は二人をソファに座るよう促すと、自身はキッチンへと消えて行った。
「ところで、実験とはどんな実験だ?」
キッチンカウンターの向こうでなにやら作業をする女の背に向かって、男は声を掛けた。
匿ってもらう条件は『実験に付き合うこと』、ならばそれに協力せねばなるまい。
彼女の研究内容を鑑みれば不安が無いわけではなかったが、
男は自ら切り出し『約束通り協力はする』と言う姿勢を示した。
尤も、それがどんなに過酷な実験であったとしても、拷問ほどの厳しさはないだろう。
男はどんな実験にでも付き合うつもりでいた。
ところが女は口を開かない。
相変わらずカウンターの中でなにやら作業を繰り返しているようだが、返答はなかった。
「おい?」
不審に思い問いかけると、女は観念したような顔で振り返り、そしてこう告げたのだ。
「頭を開かせて欲しいの」
今度は男が黙る番だった。
男も、女がなんの研究をしているのか知っていた。
「開頭か……」
男は辛うじてそう口を開いたが、紡ぐ言葉はもうない。
覚悟をしていたとは言え、はっきりとそう告げられると即座に了承することはできなかった。
そうだよな、と男は考える。それしか有り得ないだろう、と。
247 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:41:00.20 ID:0Z7ce72e0
女が患者の遺伝情報を丸々コピーした生体パーツを作り出す実験をしていることは知っていた。
例えばある患者が事故で親指を失ったとする。
女は失った親指の組織が『生きているうちに』その遺伝情報のすべてをコピーするのだ。
勿論、その指が『形を保っている』のならそのまま接合させるが、指が瀕死の重傷であった場合――、
例えば『グチャグチャで再建不可能』な場合、細胞から親指となる遺伝子を特定し、再現するのだ。
培養には時間がかかる。そこで、女は3Dプリンタでそれらの遺伝情報を元に指を再現――、
再建というべきだろうか――、する技術を開発したのだ。
材料は人の細胞を構成するものたち。カリウムだとか、リンやナトリウム、etc.そういうものを使っ
コピーした情報を再建していく。
ここまでは、既に女が数年前に完成させた医療技術である。
だが、彼女はその先を見ていた。
脳の『記憶』の復元と再建。それを追い求めていたのだ。
細胞記憶と言うものがSFの世界で扱われるようになって久しいが、
彼女はそれを長らくの間、追い求め続けいていた。
馬鹿げた疑似科学と笑う医者も多い中、
彼女は現実的な手法を用いてそれらを抽出することを目指していたのだった。
――と言うのが女からたびたび聞かせられた話で、
門外漢である男はどんな実験に自身が協力することとなるのかまでは知らない。
「できたのか? 記憶の再建」
「ある程度はね。新しいマイクロチップができたの」
「そうか」
「直接脳に埋め込めるレベルのものがやっとできたのよ」
つまり、最初に記憶を抽出するということだろう。
そのチップを埋め込む実験に、男は協力することになるに違いないと男は理解した。
頭を開くことに抵抗が無いわけではない。寧ろ多大な抵抗がある。
だが、息子の安全を保障してくれるというのなら――。
男は自身が実験台になることも致し方がないと感じる程度には切羽詰っていた。
自身の親類からも放り出され協力者も数少ない今、男の身に万が一のことがあった場合、
幼い息子を守ってくれる後ろ盾はなにもない。
248 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:42:39.54 ID:0Z7ce72e0
「だが、チップだけでは君の目指す『再建』には繋がらないだろ」
彼女の専門はあくまで『再建』だ。記憶の抽出だけでは物足りないはずである。
脳の物理的な再構築はとても難しく、
例えば脳を破壊された患者の脳を3Dプリンタで再現するには、多大な技術力が要される。
生きているニューロンネットワークを構築することが難しいのだ。
それに、それを再現できたとして、実験するのは不可能だ。人道的に許されないだろう。
「うん、だからね、私、決めたの」
女は湯気立つカップを持ってソファへと近づいてきた。
目の前に置かれたのは、コーヒーとホットミルクのようだ。男は促されるまま、息子にミルクを、
自身は火傷しそうに熱いその濃いコーヒーを啜った。
「なにを?」
カップから唇を話、そう問うと、女は口を大きく開けて笑った。
真っ白い歯が見える。何故かそれが不気味に感じられ、男は気取られぬ範囲で眉を顰めた。
「アンタの脳をスライスさせてもらうことに決めたの」
249 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:44:17.20 ID:0Z7ce72e0
あまりにもさらりと女が告げるものだから、男はその言葉の内容を危うく聞き落とすところだった。
「は……?」
男が漸く告げたのは、その一言だけである。とんでもない言葉を紡がれたようだが、
左から右へと耳が音を素通りさせていたように感じられる。
「脳みそと神経系を凍結するの。
そのあと、最新のレーザーで物凄く小さく小さくスライスするのよ。んで、
これも最近できた高解像度装置なのだけど、それでスキャンする。
スキャンしたら結果を起こして復元し3D化させる。
神経細胞は増えないから、やっぱり培養じゃなくて『材料』をつかって再現するしかないのね。
それが人工の脳になるんだけど、記憶って結局電気信号だから、ある程度は記憶を媒体に保存できる。
あとはニューラルネットワークさえ完全再現できれば同じ思考回路の脳みそができるってわけ」
「ちょっと待て!」
男は思わず叫んだ。
脳をスライスする。女はそう言ったのだ。
「……ちょっと、待ってくれ」
女はうん、と頷き男を見ている。二人のやり取りを息子が不安げに見つめていた。
脳をスライスするということは、つまり男の脳が失われるということだ。
男は額に手をあて俯いた。どんなことでも協力するとは言ったが、精々実験の手助けとして、
脳を開き、マイクロチップを埋め込む、或いは脳の一部を切り取って遺伝情報をスキャンする――、
その程度の協力だと考えていたのだ。
250 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:46:33.78 ID:0Z7ce72e0
「俺の脳はどうなる……?」
「オリジナルは消失するわね。切り刻むわけだから」
「完全に再現できるのか……?」
「させて見せるわ。すでに動物実験では成功している」
「人間では……?」
その第一号に抜擢されるのが、自分なのだろうと男は考えた。
これが震えずに居られるわけがない。突然声を荒げた父親に、
息子は不安げに視線を投げ掛けている。
一瞬、ほんの一瞬だけ、男は息子の身の安否を後回しにしようとした。
それを瞬間的に自覚して、顔がサッと赤く染まる。
おそらく二人はそのことに気づかなかっただろうが、
男は息子の安全と自身の体を天秤に掛けるような真似をしたことを恥じ、そして恐怖した。
「実験は成功しているのよ。最初はね、まず猿に学習をしてもらった。
自分を可愛がり遊んでれる飼育員Aと、日常的な接触が少ないながら、猿に暴力を振るう飼育員Bがいる。
やがて猿はAには懐き甘えるけれど、ふた月に一度訪れるBには威嚇をし警戒を示すようになった。
その状態で猿の脳を開き、凍結、スライス。そして再現された脳はつつがなく猿の中に戻されたのだけど、
『彼』は確かにAとBを認識したのよ」
一息に女は喋り、そして「だから安全なのよ」と言わんばかりに微笑んで見せたのだ。
不気味な微笑だった。猿で成功したからなんだというのだろう。
その程度の結果が出たからと言って人間で実験を始めるなど馬鹿げているとしか思えなかった。
「なんで、俺なんだ……? と言うか、猿以外での実験は?」
掌に滲む汗をパンツで拭いながら、男は乾いた声で尋ねた。
動物実験と人間での実験では結果が異なることは珍しいことではない。ましてや彼女の実験は『猿』だ。
人間と意思の疎通を図ることができぬ『猿』が、
感情や記憶を以前と変わらずに保有しているという確かな保障はない。
「無茶を言う……考えさせてくれ」
251 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:51:18.01 ID:0Z7ce72e0
「アンタに『先』はあるの?」
女は間髪入れずに残酷にも尋ねた。
「アンタはどこに行っても『戦犯』よ。例えばアンタになにかあったらこの子はどうなるの?
幼馴染のお家だって、戦犯の子供を引き取ってくれたりしないわ。
この子自身には落ち度はないのに、いきなりわけもなく襲われたりするようになるでしょうね。
アンタが道で襲われるのと同じよ」
「なにが言いたい……」
男は息子を抱き上げソファから立ち上がる。
女の思考が、僅かに透けて見える。
もしかしたら、男はとんでもない場所へとやってきてしまったのかもしれない。
「判るでしょ? 私なら大事に育ててあげるって言ってるの」
「いや、そうではなくて……」
先ほどから女が言いたいことが判然としないのは、
わざと核心部分を隠しているからだと男にも感じられた。
彼女はわざわざ回りくどい話し方をしている。
まるで、男が死ぬことを前提としているような話し方だ。
脳をスライスして復元すると言っているのにも関わらず、
実験は失敗し、男の死がそこにはあるような口調なのだ。
いや、そうではない。もっと別のたくらみがそこにあるのは確実だ。
「……人間での実験も成功しているわ」
「え?」
「私が、なんでこんな物騒な場所に好き好んで住んでいると思っているの?」
「……どういう意味だ……」
空調がやけに冷えて感じられる。
女の実験は、いつでも『再建』と『移植』に比重が置かれていた。
考えろ、と男は自分を追い込んだ。彼女がなにをしでかそうとしているのか、考えるべきだ。
ニューラルネットワークが構築されたところで、男の意識はそこにあるのか? いいや、ないだろう。
それがいくら完璧なものであっても、そこに男の意識はないはずだ。
ではどうすれば脳は男が男たるゆえん、つまりアイデンティティを維持できるのか。
あらかじめ記憶しなくてはならないだろう。そこまでは許せる。そこまでなら男も実験に協力できる。
だが、その『先』がきっとあるのだ。男の将来と違い、彼女の実験には確実に『先』がある。
252 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:54:02.44 ID:0Z7ce72e0
「新しいマイクロチップはね、すっごく小さくて精密で、三十年分の記憶は維持できるの。
と言っても、まあそれを脳に埋め込んでおけば、
一年もすればアンタの人生の半分くらいは記憶してくれるでしょ」
女は微笑む。いや、これは本当に微笑みなのだろうか。
まるで、実験が成功すると踏んでいる時の研究者の顔だ。
そこにはネズミを切り刻むことに対する慈悲などない。
ただ単純に、実験の成功を確信した、喜びの感情しかない。
実験動物なのは、男だ。
「対象者の頭にマイクロチップを埋め込んで、記憶を抽出した。一年くらいね。
そのあとで、脳を切り刻む実験もしたわ。
再建した脳とマイクロチップは対象者の中に戻されたの。
結果、対象者は記憶が正常に保たれることを知ったのよ! だから大丈夫」
興奮したかのように、女の瞳孔が開いている。
「信じられる? 一昔前は絶対にできないことだったのよ!」
「……対象者は、どこから調達した……?」
「この屋敷にはたくさん浮浪者が侵入しようとするから、実験材料には事欠かないのよ。
みんな元気な体でこの家の外に出て行ってるから平気よ」
「なんてことを……」
おそらく女は、実験対象者の許可なく頭を切開いているに違いない。
いや、それよりももっと考えなくてはならない問題がある。
実験は成功している。ならば何故男を実験台にしたいと考えているのだろうか。
男の背筋を伝っていく冷たい汗を、女は知ってかしらずか冷房を強めた。
腕に抱いた息子が震えたのは、恐怖からかそれとも寒さからか判らなかったが、
男はその腕の拘束を強める。
253 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:57:46.29 ID:0Z7ce72e0
「浮浪者の記憶もそれなりに上手く抽出されたのね。
でも、私がやりたいのはやっぱり『再建』と『移植』なのよね。
脳って、やっぱり思考パターンと記憶が一番大事でしょ?
だから脳を切り刻んでニューラルネットワークを完全再現させて
思考パターンを同じくする脳を作りたいし、マイクロチップに保存された記憶を使って
その人のアイデンティティを再現したい」
「それは、成功しているだろ……?」
ひりつく喉で、男は漸くその言葉を紡ぎだした。
彼女は、浮浪者で何度も実験をしている口ぶりだった。
「そう! 本当に素晴らしいことよ!! 実験は全て成功しているの!」
そう、実験は、成功しているのだ。
人の記憶を保存し、なおかつ思考パターンを再現することに、彼女は成功している。
では彼女は、男を使ってどんな実験をしたいというのだろう。
女は、今まで、欠損したパーツを新たに生み出し
『再建』し『移植』することに重点を置いた研究を繰り返していた。
再建は成功している。つまり、残すところはあとひとつ。それらは禁忌とされることに違いない。
嫌な予感がした。いや、男の考えは百パーセント当たっているだろう。
人間は上を追い求める。
脳の寿命は一五〇年と言われている。
脳と記憶の再建が可能のなったのなら、
アイデンティティとその人独自の思考パターンは保存が可能となったということだ。
その次に目指すところなど、馬鹿でも判る。
『器』の変更だろう。
254 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 22:58:45.94 ID:0Z7ce72e0
「……帰らせてもらう」
「なに言ってるの? 大事に育ててあげるって言ってるじゃない」
「断る! 息子を実験台にされてよしとする親がどこにいる!」
「ああ……そう……」
不機嫌に歪んだ顔からは、正常な観念が失われていた。
わざわざ『息子を育ててあげる』と女は言ったのだ。
この時勢、戦犯として扱われる男と親しくしたい人間はそうはいない。
彼女がどうして男に親切だったのか、今漸く男は理解した。
男は、彼女の実験体だったのだ。
いや、それは最初から判っていた。問題は、息子も実験対象だったということだ。
再建された男の脳を、息子に移植する――、それが目的だったのだろう。
若い体で新たな人生を送ることを可能とする実験、彼女はそれを行いたかったのだ。
体のパーツは生み出せる。それらを繋げて新たな人間を作り出すことも容易となるのだろう。
だが、金持ちの欲望は止まらない。
どうせ二度目の人生を送るのなら、新たな体で楽しみたい――、そんな要望もあるのだ。
「待ちなさいよ」
女が怒りを含んだ口調で男を呼び止めた。
「上手く行くはずがないだろ!」
そんなことが上手く行くとは思えなかった。免疫が拒絶反応を起こさないはずがない。
だが。
255 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 23:00:10.35 ID:0Z7ce72e0
「私知っているのよ。アンタとその息子だったら、拒絶反応は凄く少なく済むはずよ」
何故知っている。その言葉と一緒に、男は唾を飲み込んだ。
「アンタが『そんなこと』をしなければ、
もう少しアンタに協力してくれる人間も多かったんじゃないの?」
「……どこで聞いた……」
情けないことに、声が震えた。
このマッドサイエンティストに、男は確かな恐怖を抱いている。
震える腕では、息子の体を抱くだけで精一杯だった。
「ああ、やっぱりそうなんだ!」
しまった、と男は顔を歪めた。
カマを掛けられたのだ。頭の回転が遅いのは、疲れの所為かもしれない。
男は間違ってはならないところでまたもや間違えたのだ。
また、間違えてしまったのだ。失敗をしたのだ。
「やっぱりその子、アンタとアンタのお姉さんの子供なのね!」
嬉々とした女の表情に、男は口をつぐんで拳を握った。
許されない行為の果てに、息子は生まれた。
「きっもちわるーい! でもアンタが変態でよかったと今は思うわ!」
女はケラケラと笑っている。学生時代に好ましく感じられた明るい笑い声は、
今は不気味にしか感じられない。
姉は悪くない。悪いのは自分ただ一人で、物言わぬ人形のような姉を無理に孕ませたのは男だ。
意識がろくにない姉に行為を強要し、いっそのこと孕んでしまえと避妊さえしなかった。
その結果が息子だ。
腕の中の息子には二人の会話が何なのか判らないだろう。いや、判らずに居てくれと男は願った。
256 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 23:01:41.79 ID:0Z7ce72e0
「とにかく、帰らせてもらう」
帰宅に向けて足を一歩踏み出す。
早くここから出なくてはならない。
尻のポケットに入れた拳銃にさりげなく手を伸ばし、もう片方の手は息子の体を強く抱きしめた。
早くここから立ち去らなくてはならない。なるべく早く。
「させるわけがないでしょ」
男の耳元で、いつの間にか近寄っていた女の声がした。
ゾワッと首筋が粟立つ。
吐息が首筋にあたり、その場所には次の瞬間、鋭い傷みが感じられた。
無理に振り変えれば、その場所から何かが首から抜ける感覚がした。
皮膚が裂けたのか、微量の血液が宙を舞うのも視界に写る。
なにか薬を注入された。そう気づくも対処の仕様がない。
拳銃に引っ掛けていた指を素早く首に移すと、生ぬるい感触と錆びた鉄のような匂いがした。
「……!」
「逃さないわ」
こんなにいい実験対象、そう居ないもの。
悪びれるでもなく、女は心底嬉しそうに微笑んでそう言った。
体が倒れこむ。指先が痺れて、視界がぼやけていった。
次に目を覚ました時、男の体はどうなっているのだろう。
不安、焦燥、怒り。
それらの入り混じった感情を胸に押し込め、ただひとつ、
男に残された唯一の守るべきものの名を男は口にしていた。
ごめんな、すまなかった、守るつもりだったのに。
わが子さえ守れぬとは、なんと情けないことだろう。
いっそのこと、この手で殺してやったほうが、まだマシだったかもしれない。
「お父さん……!」
三年間、幾度も耳にした息子の泣きそうな声に、男は答えることができないまま、名前を呼んでやった。
――タカシ。
そう男はか細い声で呼びながら冷たいリノリウムの床へと倒れたのだった。
257 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/10/17(金) 23:03:21.96 ID:0Z7ce72e0
今日はここまで。
>>230
ショタそっちのけになっていて本当にすまない……すまない……
そのうちショウタも戻ってくる……すまない……
258 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(SSL)
[sage]:2014/10/19(日) 23:58:34.49 ID:kKW+hg7M0
待ってた!乙です〜
続きも楽しみにしてます。
259 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2014/10/29(水) 19:35:16.99 ID:HxQGvTN9O
クライマックスかそれともまだまだ続くのか
どっちにしろ楽しみ
260 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
:2014/11/05(水) 01:00:07.50 ID:bJDvdU+U0
乙〜毎回楽しみだよ〜
完結は来年かな?
261 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(SSL)
:2014/11/05(水) 23:19:21.68 ID:wb/m0ndS0
解
262 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
(SSL)
[sage]:2014/11/05(水) 23:25:38.49 ID:3T8YgfzC0
ぬ
263 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
:2014/11/22(土) 08:55:45.37 ID:6AFpwh3xO
マッテイルヨ
264 :
VIPにかわりましてNIPPERがお送りします
[sage]:2014/11/22(土) 09:59:06.56 ID:jdM24uCAO
ならsageようか
265 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:29:45.96 ID:CXTObaj+0
****
膝丈までのワンピースタイプの検査衣は真っ赤に染まっていた。
壁に掛かった額縁型テレビでは、神経質な女の声がなにやら緊迫した状況を伝えていたが、
それは殆ど耳には届かず、『彼』の耳を右から左へと素通りしていく。
『クローン人間の"権利"を巡り、暴動が……』
機能が鈍くなった聴覚情報に変わって、視覚は通常の二倍、いや三倍の情報を取得しようと
忙しなく稼動しているように感じられる。
ちりちりと網膜に焼きつく情報の大半は『赤』。それ以上でもそれ以下でもなく、
床の大部分を染めるその色は、男の感覚の全てをジャックしていた。
ハァ、ハァ、と短い呼吸が繰り返される。
肩から掌までが細かく痙攣し、立てひざを突いたままの脚も同様に笑っていた。
素足の裏や足の指の間を湿らせるのは、赤。
赤い水気の中心には中年女性が仰向けで倒れており、男はその腰辺りにまたがっていた。
女は白衣を着ている。だが、その白衣も真っ赤に染まっており、彼女は少しも動かなかった。
いや、動けぬようにしたのは男だ。
彼が、ぴくぴくと痙攣する彼女に、助けを求めて這いずる彼女に、
何度も何度も、その手に未だ握られたままのメスを突き刺したのだった。
『十五年前に確立されたクローン製造に関する定義によると……』
血みどろの彼女は完全に絶命している。
男は、ハァ、ハァと息を吐いた。
ハァ、ハァと何度も繰り返し吐息しながら、今から二時間前のことを反芻していた。
266 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:31:48.87 ID:CXTObaj+0
意識が浮上する瞬間に、いつもと何かが違うと感じていた。
まず、爆音が聞こえない。爆撃機が地上を攻撃する音が、少しも聞こえなかった。
その代わりに聞こえてくるのは、爆音と同等程度に不快な、
だが生命を脅かすような危険性を少しも感じない音で、
それはどうやら地面を掘削する音のようだと男は判断した。
その重低音に辛うじて埋もれない程度の声音で、『それ』は『おはよう』と告げた。
女の声だった。
男はベッドに横たわったまま、声の方向へと顔を動かすと、
ほのかに首の筋肉が軋むのを感じつつも、その視線の先には華奢な女がいたから、
やはり自身に声を掛けたのはその女だと把握することができたのだ。
「……だ」
誰だ。口はそう開いたはずであるが、
喉から飛び出したのはヒュウヒュウと言う呼気に伴う音ばかりで、その発音は判然としなった。
真っ白いLEDライトが目に眩しい。
よく見るとそれは手術室にあるような無影灯だと気づいたが、
しかし何故自身がそんなものに照らされているのかが男は判らなかった。
その上、光りに慣れぬ視界は未だ女の正体を掴むことができず、
男は少しばかりの不安に襲われながら
周囲を確認すべく、首を左右に動かしてみた。
「もう少し横になっていて」
女の声が短く告げたが、男の問いに対する返答はなかった。
267 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:34:00.04 ID:CXTObaj+0
「だれ、だ……?」
男は性懲りもなくもう一度尋ねる。
今度は何とかハッキリと発音することに成功したが、
しかし彼は自分自身の声に驚きを隠せなかった。
干からびた喉は、皮同士がくっ付くような不快感があったが、それ以上に彼が驚いたのは、
その掠れた声でさえ確認できるほど、自身の声が少年のように『若かった』ことだ。
霞が掛かったような脳は上手く機能しない。
彼は、気を抜けば意識を失いそうなほどの頭痛に襲われながら、
なんとか起き上がるべく、ベッドのはしに手を額につき、
そして目に染みる光りを遮るべく目を瞑りつつ体を起こした。
否、起こそうという努力も束の間で潰えて、男は力なくベッドに沈み込んだ。
体が鉛のように重くて、まるで言うことを聞かないのだ。
頭も痛むし、両手両足はとにかく重くて、まともに動くことがままならない。
「その体にも、そのうち慣れるわ。大サービスよ。うるさい人がいるから」
「なに……?」
どういう意味だ。
そう問いかけようとした瞬間に、女は短く告げたのだ。
「タカシ君。今日アンタにはここを出て行ってもらうわ」
タカシ――?
その名を耳にすれば、男――、否、タカシは、
己の意識が突然にクリアになっていく感覚に襲われた。
違う、『そう』ではない。
タカシはゆっくりとかぶりを振った。
目の前の誰だか判らぬ相手に対して、懸命にかぶりを振る。
違う、『そう』ではない、『それ』ではない、と。
『それ』を耳にした瞬間、今現在自分の身を襲っている全ての事象がどうでもいいことのように感じられた。
まず、『そう』ではないとと伝えなくてはならないと、そう考えたのだ。
だが、男はふと思った。
『そう』ではないとは、なにが『そう』ではないのだろう、と。
268 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:36:27.12 ID:CXTObaj+0
男の動揺を差し置き、女はツラツラと言葉を紡ぎ続けた。
規則的な抑揚をつけて続けられる言葉は、どこかよその国の言葉のようにさえ感じられる。
「大丈夫、国へ申請する書類には、戦時下のいざこざで書類に不備があったことにしてあるから。
望むのなら医療機関も受診できるし、誰もアンタのことを気に止めたりしない。
アンタはアンタが望むように生きていけるのよ」
女は矢継ぎ早にそう告げるが、それらはどれひとつとしてタカシの知りたいことではなく、
だが女がさも当たり前のように言葉を羅列していくものだから、押し寄せる混乱の中、
タカシはたった一つ、『違う』と懸命に、短く、幾度かに分けて発音した。
「とにかく、アンタはなんの問題もなく生きていけるから安心しなさい」
安心などできるものか。何故ならば『それ』は『違う』のだ。
か細い声での訂正を、女はなにも聞こえないように振る舞い今後の生活について進言し始めた。
まず男はタカシと言う名であるということ。
そして当面の生活の面倒は金銭的にもキチンと見てくれる人がいるということ。
そして女自身が、今後はタカシに関わることはないと言うこと。
――理解が追いつかない。
なにを言っているのだ、と彼は考えた。
ぼんやりとした視界がだんだんと明瞭になっていく。
眩しい光に未だ目を眇めてはいたが、二百万本の視神経はその女の容貌を把握し始めていた。
彼女は、それを見計らうようにして、これ見よがしに溜息を吐いて見せる。
タカシの頭の回転の鈍さに憤っているのか、それとも別の出来事が彼女を苛立たせているのか、
或いはその両方か。
とにかく彼女はイライラとした面持ちで、タカシの横たわるベッドの周囲を歩き始めた。
行ったり来たり、それを繰り返す姿は忙しなくて、
見ているタカシからしても気分のいいものではない。
269 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:38:13.81 ID:CXTObaj+0
幾度もタカシの視界の端を通り過ぎる彼女に、タカシは只管『違う』と言葉を紡いだが、
その全てが無視された。やがてタカシは『違う』と告げるのをやめ、彼女を観察し始める。
彼女が誰か判らなかったが、
とにかくいずれは『それ』が『違う』と言うことを理解してもらわねばならないと感じたのだ。
シワの深く刻まれた顔、白髪の交じり始めた短い髪。
それらをよく観察したのちに、タカシは既視感を覚えた。
彼女を知っているような気がしたのだ。
だが、それらはタカシの記憶の片鱗へと引っかき傷を作るが、
しかし誰だと断言するまでには至らない。
あと少しで彼女が誰だか判りそうなのだが、しかしハッキリと『誰』と判断できぬのだ。
忙しなくタカシの周囲を歩き続ける彼女がふいに歩みを止めた。
そしてその視線はタカシへと注がれ、
口を軽く開き何某かを紡ごうと二度ほど開閉を繰り返して見せる。
強烈なほどに赤く塗りたくられたルージュは、あまり彼女に似合ってないように感じられた。
「もう二度と会わないって約束『させられた』から、先に言っておくわ」
意を決したように口を開いた彼女は、それが不本意であると隠すことなくその表情で示している。
横たわったままのタカシも、その表情からして今から『特別』なことを伝えるのだろうと悟って身構えた。
「先に言っておくわ、ゴメンナサイね」
「なに……? 意味、が、判らな、い」
何を謝っているのだろうか。
タカシはまずそう考えたが、しかしそれを伝えるほどの体力はない。
女はタカシの様子をちらと見て、それから、『失敗したのよ私』と先ほどと同様に早口で言った。
失敗した。
その言葉を耳にした瞬間、タカシは何故か背筋が震えるのを感じた。
270 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:39:47.17 ID:CXTObaj+0
「タカシ君」
女は尚も言葉を紡ぐ。
違う、『そう』ではない。
だが何が『違う』のか、そして『そう』ではないのか、タカシにも判然としない。
ただ、『違う』と言うことを伝えなくてはならないような気がしたが、
今タカシが最も気になっているのは、女の口にした『失敗』と言う単語だ。
「し、っぱい、した?」
「そう、失敗したの。だからその『体』もアンタの遺伝子から復元した、
アンタそのものの体よ」
女の言葉の意味が判らなくて、タカシは眉根を寄せて見せた。
今しがた女が告げた『復元したアンタそのものの体』と言う意味も判らなかったし、
『失敗』の意味も未だ判然としない。
暫くタカシは考えていたが、答えは結局見つからず、
意味が判らぬという意志を告げるために首を左右に振った。
「判らないなら好都合だわ。……私だって適合すると思ったのよ。
絶対するはずだったの」
「わから、な……」
「判らないの? ……でもそのうち思い出すかもしれない。
アンタの記憶はそのうちキチンと戻る。アンタは私を恨むでしょうね。だから、今言うわ」
意味深に紡がれる言葉は、どれもが謎めいていて、タカシの頭にしっくりとはまり込むことがない。
どれも知っているよ言葉のような気がしたが、
だがやはり決定的な答えを導き出すことができぬのだ。
タカシは彼女の言葉を待った。言葉の続きを。
「残念ながら、アンタの息子は死んだわ」
271 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:44:57.03 ID:CXTObaj+0
息子。死んだ。息子、死んだ。
息子が、死んだ。
その言葉に、ゆっくりと意識が覚醒していくのをタカシは感じた。
タカシ、自分の名前はタカシではない。
ではタカシとは誰だ。タカシ。タカシ。
「た、かし」
「そう、タカシは死んだ。だからアンタの名前は便宜上のものよ」
タカシは死んだ。タカシは、死んだ。
息子、死んだ、死んだのは、タカシ。
「タカシ……」
「もうすぐ、アンタの幼馴染が迎えに来るわ。よかったわね。
浦島太郎状態だけど頑張りなさいね。
戦争は終わってるわ。改めて言うわ、おはよう、タカシ君。
今はアンタが眠りについてから二十五年先の未来よ」
タカシ。
男の頭に閉じ込められた記憶が、ゆっくりと溶け出していく。
タカシ。小さい手。三歳の子供。まだ、三歳。
――お父さん。
舌足らずな声。なんだ、と答えた。
――ろぼっと。
アンドロイドって言うんだよ。
タカシ――、否、『男』はそう答えてやってた。そう、息子の『タカシ』に。
男はゆっくりと顔を持ち上げた。女は背を向けている。無防備だ。
テレビからはニュースが垂れ流されている。
画面はなにやら暴徒と化した人々を映し出しており、アナウンサーは冷静な声で現状を告げている。
『引き続きクローン人間を巡ってのニュースです。国会では、』
――お父さん。
なんだ。
――お父さん。
なんだ、どうした。
『次は、水製造機に関するニュースです』
アナウンサーの声。
右から左へと素通りする声であったが、その音だけはハッキリと男の脳に響いた。
水製造機。その言葉を耳にした途端、頭の中で、何かがカチリと噛みあうような音がして、
男の意識は今まで以上にハッキリとしていった。
272 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:49:46.97 ID:CXTObaj+0
「息子、は」
干からびる声で尋ねた。
「だから、死んだわ」
女は悪びれもせずそう言った。
つま先から、血流が一気に脳に向かって駆け上がるような感覚がした。
「でも、」
女がなにか言いかけた。それを待たずに男はベッドから立ち上がり、
そして女に向かって突進した。
うおおお、と言う声は自分の叫び声だろうか。獣の慟哭のような音が鼓膜を揺さぶっているが、
それが自分のものであると男は暫くの間判らなかった。
足がもたつく。ちらと視界に飛び込んだ己の脚は、酷く痩せて見えたが、
それをものともせず女へと突進していく。
渾身の力を込めて、女の体に体当たりをした。
女と接触した右半身が酷く痛む。
自身の体もろとも、女の体が体が床へと倒れていき、
景色がスローモーションのように緩やかに傾いていった。
と同時に、彼女が引っ掴んでいたシルバーバットも一緒に床へと転がり、
そして中身のメスやハサミがリノリウムの上へとぶちまけれる耳障りな音が鼓膜を激しく振るわせる。
女が制止をしようと手を振り回すが、男はその首を引っ掴み床へと押し付けると、
右の拳を振り上げた。
「やめ、」
制止の言葉を短く叫ぶ女は、中年だと男は再度確認した。
手や顔にシワとシミが刻まれており、それだけの歳月が『経ったのだ』と知らされた。
細い首だった。それに、骨っぽい顔の輪郭。
だが、今ならハッキリと判る。その年齢を重ねた顔は、確かにあの女――、
『男』の『脳』を『息子』に移植しようとした、あの『マッドサイエンティスト』である。
男は拳を握り締め、その頬に向かって拳を幾度も振り下ろした。
273 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 03:54:39.80 ID:CXTObaj+0
「ぃ……、」
女が悲鳴を押し殺したような吐息を漏らす。
それでも男は振り上げる腕を止めなかった。
拳に、ミシッと言う感覚が伝わった。
自身の拳にヒビが入った音なのか、はたまた女の頬に打撃が入った音なのかは判然としない。
だが、男は夢中で拳を振り下ろしていた。
ミシッと言う音が何度も伝わる。興奮の為か、その腕が止まることはない。
やがて女の顔は赤く染まっていき、そして指先が痙攣しているのが見えた。
それでもなお抵抗をする女に、
男は転がっていたメスを握るとその首元めがけて躊躇なく振り下ろした。
鮮血が舞う。
すっぱりと切れた皮膚からは、切断された血管がビクビクと脈打ちながら血液を放出し続けていた。
鉄臭く生ぬるい雫が口に入るが、男はそれでもなおメスを振り下ろし続けた。
顔を、目を、そして首を。
容赦なく加えられる暴力に、女の体からは生気が抜け落ちやがて沈黙した。
――どれほどそうしていただろうか。
女に馬乗りになったまま、男はぼんやりとその肉塊を見下ろしていた。
男は、人を殺した。
たった今、その手で女の首を引っ掴み、引きずり倒して、人であった者をただの肉の塊へと変化させた。
今さらながら震え始めた両手を握り締め、
男はおびただしい血液でぬめる床の上へとゆっくりと足の裏をくっ付けた。
立てる。立てるが、しかしその脚は驚くほど細く、頼りない。
真っ赤に染まった検査衣が鬱陶しい。血まみれのそれを脱ぎ捨てると、男はその部屋から脱出すべく、
メタルカラーの扉に近づいた。扉は、パスワードの入力を求めることもなく、すんなりと開いた。
変わっていない。
男が監禁され体の自由を奪われたあの日から、この部屋は然して変わっていなかった
274 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:07:00.08 ID:CXTObaj+0
男――、タカシと名乗るよう言われた男は、その場に再び力なく崩れ落ちた。
ぬるついた脚は未だ本調子ではないのか、
いつまで経っても、リノリウムの床が体温で温まり始めても、立ち上がることができなかった。
いや、これは気力の問題だろうか、と男――、タカシは考える。
息子が死んだ。三歳の息子が。
その事実を頭に少しずつ刷り込んでいくと、死と言う概念を初めて認識し方のように、
突如として悲しみが胸に渦巻き始めた。
それを過ぎると極度の悲しみからか吐き気が襲ってきて、男は耐え切れずにそのまま嘔吐した。
だが、なにも出ない。吐き気は襲うのに、空っぽの胃は何ひとつ吐き出すことができなかった。
女は本当にタカシを――、息子を殺したに違いない。
元々失敗する確立の方が高い実験だったのだ。
「なんでだ……」
タカシは呟いた。
あまりにも不自然だと、タカシは考えたのだ。
死体をひとつ築き上げたあとで冷静になるとは妙な話であるが、
タカシは覚醒した脳で、ふと大きな疑問を抱いたのだ。
移植についての疑問だ。
男とタカシは確かに兄弟であり親子であったが、移植の成功率は一般の兄弟の確率と変わらない。
女が何故、どうして男とタカシの移植が成功すると睨んでいたのか、タカシには未だ判らなかった。
移植を成功させるにはHLA抗原と言う、細胞の表面にあるたんぱく質の一致が重要で、
それらがあることによって自己と他者は正しく区別され、即ち彼らの存在によって体は守られるのだ。
免疫の一種と思えばいい。それらの一致なくしては移植は成功しない。
そしてそれらは、元々親子では一致しにくいとされている。
仮に父を◇◆型とし、母を○●型とすると、子は◇○、◇●、◆○、◆●の四タイプが生まれる。
即ち、兄弟間での移植の適合率は1/4。
確かに男とタカシの適合率は高いものの、それは通常の親子に比べて、と言う程度なのである。
例えば男を◇○型、姉を◇●型としても、生まれる子のタイプは同じく四種、
つまり男とタカシは兄弟間の適合率と変わらぬ1/4のままなのだ。
何故女が、男とタカシを検査することなくHLAが完全一致するとの誤解を抱いていたのか、
男には理解ができなかった。
移植は彼女の専門だ。移植の基礎部分で過ちを犯すはずがないのだ。
だというのに――、一体なにが。
もしかしたら、誰かが意図的に男とタカシのHLA抗原が一致すると
嘘の情報を彼女に流したのではないか。
そんな考えが頭を駆け巡った。
だが一体誰が。
タカシは、それを確めなければならないだろう。息子が死んだ、その理由を。
だが、嘘の情報をリークするような人間がサッパリ思い当たらなかったのだった。
****
275 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:09:40.78 ID:CXTObaj+0
「タカシ君、君、大丈夫かね」
医師の言葉に、タカシは「いいえ」と短く返事した。
「体はまだ動かないのかね」
それには「はい」、と答える。
「頚椎かもなぁ。代替パーツ作ってねぇけど平気かな。『再現』に時間が掛かるかも」
技師がなにやらブツブツと言っていたが、タカシにはそれに耳を傾ける余裕もない。
タカシの記憶は、そして情動は、すべてがショウタの管理下に置かれている。
今しがた受けた告白は、タカシを呆然とさせるには充分な衝撃であった。
少し前のタカシなら鼻で笑って否定したことであろうが、今はそれすらできない。
何せ、記憶が曖昧すぎる。タカシは今は、自身が何もであるかさえ判然としないのだ。
「君は君について知る必要がありそうだ」
医師は淡々と告げていたが、しかしのその瞳はタカシを哀れんでいるような色合いをしていた。
風ひとつ吹かない地下室だ。澱んだ空気はまるで、混濁したタカシの記憶そのもののようである。
「私はね、タカシ君。君を失いたくはないんだよ」
タカシにとっては初対面とも言える医師が、苦渋を浮かべて言った。
彼は足を組みなおし、そしてその膝頭を組んだ掌で覆って見せた。
「君の頭を毎回開いているのはこの私だ。そして記憶を捏造しているのは、彼」
親指でひょいと指した先のは技師が居た。彼も医師と同様に、苦い表情を取っている。
「君の開頭に何度も携わった。正直、それはいいことではない。
いや、同じ医師が同じ患者の手術をするのは構わない。
そうではなくて、そう何度も頭を開けるのは、決していいことではない。
頭は人間にとって重要な部位だ」
それに、と医師は続ける。
「人の記憶を捏造するのは、楽しい仕事ではない」
「捏造してんのは俺だけどな……、今じゃな、人の記憶の五割程度は映像として抽出できるんだ。
俺はそれをコンピュータ上で弄って捏造する。全部あの坊ちゃんの依頼だ」
276 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:13:57.87 ID:CXTObaj+0
「……ショウタは、何者なんだ……」
タカシは苦々しくそう吐き出した。
タカシの記憶が捏造されたものならば、
そもそもショウタは奴隷でさえないのかもしれないと、漸くそこに考えが至ったのだ。
タカシが買ってきた生意気な貴族奴隷。それがタカシの認識であったが、
それが事実である可能性はきわめて低いとタカシは自覚していた。
何せ、タカシは己の実態さえ判らぬのだから、他人に関する記憶などそれこそ怪しい。
そして目の前の二人は、ショウタを知っているようである。
この二つの事実によって、ショウタはタカシに買われてきた奴隷ではないということは、
殆ど確定した事実と考えていいだろう。
「何者なんですか……」
二人のどちらかが答えてくれるに違いないと尋ねるが、返答はいつまで経っても帰ってこない。
項垂れたタカシの耳に、吐息が届く。
「それは、知らねぇ方が幸せだ」
答えたのは技師だった。
思わず顔を持ち上げるが、彼の眉間はシワが寄っており、タカシと視線がかち合えば、
首を左右に振って見せる。続いて医師へと視線を移せば、やはり彼も同じように首を振って見せた。
話すつもりはない、と二人ともハッキリと意思表示している。
おそらくそれは、ショウタの為ではなく、タカシの為に隠匿しようとしているのだ。
そう気づけばタカシはもう何も言えなくなる。
これ以上の衝撃が襲い掛かるなど、タカシには到底耐えられそうにない。
全てを知る勇気など、あるわけがなかった。
「あんたは数年前、大きな事故に遭った。と言うより、テロに遭ったっつーか」
「……テロ?」
「ああ、テロだ。落ち着いて聞きたまえ。
この国の水が、とある製造機によって作られたものだと知っているね?」
勿論だ、とタカシは頷いた。
「それを作ったのは、君だ。そしてそれが引き金となり、戦争が起こった」
277 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:17:03.98 ID:CXTObaj+0
「……ちょっと待ってください、意味が判らない」
記憶の断片、ほんの少し前に見た夢の内容がふいに思い出されるが、
タカシは首を振って否定する。
そんなはずはない、と。この国を戦争に巻き込んだ原因が自分であるはずはない。そう思いたかったのだ。
あれは、ただの夢のはずだ。タカシにそれほどまでに大それたことができるはずもない。
そう自身に言い聞かせるように頭を振るが、しかし医師の言葉が鼓膜に、脳に絡み付いて振りほどけない。
「君は、今も残る過激派の残党の手によるテロ行為にあったのだ。
それは明確に君を狙ったものだった。君がそこにいると、何者かがリークしたのだ」
タカシの乗った車は、仕掛けられた爆発物によって大破したのだという。
「そして君は、」
医師の瞳が揺れた。
「そして君は、妻を失った」
「つ、妻?」
思わず声が上ずった。
タカシは今しがたまで己を独身だと――、性嗜好が多少歪んでいようとも、不貞はしない主義だ――、
そう思っていたのだから、その事実に驚くのも無理のない話しだろう。
「ちょっと待ってください、妻って……」
全く記憶にない妻。それを思い出そうにも、
記憶そのものが改竄されているのだから思い出されるはずもない。
「あとひとつ、これだけは教えておこう」
医師が浅く息を吸い込み、タカシを真っ直ぐに見た。
「ミユキ君は、君の姉ではない」
「……嘘だ……」
思わずそう返答するが、二人のどちらともがその言葉を肯定してはくれなかった。
――なにもかもが虚像で満たされている。
タカシの中には、真実などただのひとつも、ひとかけらもないに違いない。
ミユキはタカシにとって、何者であるのか、またショウタはどこから来たのか。
タカシは誰なのか、一体なんなのか。
278 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:19:33.36 ID:CXTObaj+0
「じゃあ、彼女は、姉は一体何者ですか?」
彼らは、おそらくタカシの味方となりうる人物なのだろう。
そして、ショウタにはあまり好意的ではないことも判る。
タカシはその味方に縋るようにして返答を求めた。
医師として、技師として、人の記憶を好き勝手弄り倒すことに拒否感を覚えているのだろうか。
タカシは、彼らに期待をしていた。そう、ショウタを裏切ることを。
「姉は、何者なんですか……?」
「彼女は、」
医師が口を開きかけたときだった。
「ミユキはアンタの奥さんだよ」
静かな声が三人の会話に割って入ってきた。
「ミユキはアンタの奥さん」
凛とした、少年の声。
音もなく重い扉を開けたのか、それとも三人が話しに夢中になっていたのか、
ショウタはそこに居た。
半ズボンに、Yシャツ、ニットのベストはお坊ちゃま然としており、
その態度はどこか威圧的にさえ感じられた。
「ぼん……」
チッと、技師が舌打ちをした。
「酷いよね、二人とも。裏切るなんてさ」
「俺はぼんに雇われているわけじゃねぇ。裏切るもクソもねぇだろ」
「今は俺が雇ってるのと同じじゃん」
お前は何を言ってるんだ。そう言いたげな小馬鹿にしたような表情で、ショウタは首を傾げて見せた。
その顔は、貴族の少年らしいふてぶてしさがあった。
タカシはその顔にひどい嫌悪感を覚え、そして視線を逸らした。
279 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:22:59.29 ID:CXTObaj+0
「いいや違う」医師は首を横に振った。「雇い主は、タカシ君だ」
「まだ言うんだ、そういうこと。馬鹿みたい。馬鹿じゃないの。
誰のおかげでこいつは生きていると思ってるの。なんでこんな死に損ないを雇い主だなんていうの」
「坊ちゃん、やめたまえ。それ以上は言っていいことではない」
「こいつを、生かしてやってるのは俺じゃん! そうしなかったらこいつはあのテロで死んでた!」
「ぼん」
「坊ちゃん」
きつい声音での制止は効果がまるでないようだ。
ショウタはその小さな口を目一杯広げ、そして言い放った。
「こいつの体はもう全部機械じゃん!
脳みそしか生身の部分がないなんて、アンドロイドと変わんない!
でもそうしないと助からなかった」
「いい加減にしたまえ!」
医師が立ち上がり、ショウタの襟首を掴んで平手打ちをした。
小さな体が一瞬だけ、その力に押されて斜めになった。
タカシは、その様を冷静に見ていた。
冷静に見てるしか、なかった。
「お前は機械なんだよ! ずっとずっとそうだった! 機械なんだ、機械!」
キカイキカイキカイ。
なにを言っているのか、判らなかった。
タカシは機械。脳以外の殆どが機械。
「こいつらがアンタに頭を弄りたくないとか言っているのだって、
人間を機械にすることを怖がってるからなんだ!
別にいいことをしようと思ってあんたに本当のことを言ったわけじゃない!」
「坊ちゃん!」
280 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:24:40.09 ID:CXTObaj+0
「アンタがそうなったのは当然のことだよ! バチが当たったんだ!
アンタは、アンタは、アンタは……、
アンタはいつだってアンタとアンタの姉ちゃんとその子供のことしか考えてなかった!
俺がどんなに惨めだったか判る!?」
どんなに惨めだったか判るか。
何度も何度も、ショウタは繰り返し問うた。
肩を怒らせ、また、胸元をその手で押さえながら。
だが、そのショウタの態度よりも、続けざまに襲ってくる真実の大群に、タカシはなすすべもなく、
言葉一つ一つを理解することもなく、ただただ為すがまま、されるがままになりながら、
ショウタの吐き出す真実の告白に耳を傾けていた。
「変態! 自分の姉ちゃんと子供を作った変態の癖に!!」
「ぼん」
――自分の姉と子供を作った。
こみ上げる吐き気に耐え切れず、タカシは胃の中身をぶちまけた。
吐瀉物で下半身が汚れるが、それに構うことなく中身を吐き出した。
「アンタは、俺のことなんてどうてもよかったんだ! 俺だって、俺だって……、」
「坊ちゃん!」
「俺だって、アンタの子供なのに!」
悲鳴のような声だった。
澱んだうす闇を切り裂くような声は、室内に木霊する。
ショウタの叫びに呼応するようなその音の漣は、
タカシの鼓膜に絡みつき、纏わりつき、そして脳をえぐった。
「こども……?」
信じられない気持ちで尋ねるように、
いいや、何かの間違いであるようにと願うように、祈るように呟く。
ショウタの目がタカシを見た。
真っ赤に充血した目は、燃えるような憎しみで満たされていた。
涙を湛え、しかしそれを一滴も零すまいするかのように、
真っ白になるまで拳を握り締め、襟元に宛てている。
281 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:26:56.46 ID:CXTObaj+0
「そうだよ! アンタは自分の子供をレイプしたんだよ! ざまあみろ!
アンタが大嫌いな俺のことを、アンタはあの時だけは見てた!
"生きてた頃"は俺の顔を見るたびに目ぇ逸らしたくせに! 俺が邪魔だったくせに!
ざまあみろ! ざまあみろ!! 俺が悪いんじゃないのに! 俺のせいじゃないのに!!
なのにアンタは俺を邪魔者にした! ざまあみろ!!
姉ちゃんと子供を作っただけじゃなくて、お前は自分の子供もレイプしたんだ!
変態! 地獄に落ちろ!!」
「ぼん、もうやめろ!」
「うるさい! うるさいうるさい!」
ざまあみろ。支離滅裂にそう繰り返すショウタは、
タカシの記憶にあるショウタのどの姿よりも幼かった。
初めてショウタを犯したとき、ショウタは叫ばなかったか。お父さん助けて、と。
目の前が暗くなっていくのを感じる。
「ぼん、落ち着け」
「離せ、離せよ!」
技師がショウタを羽交い絞めにしている。
「許さない! 俺のことを邪魔者にしたお前を許さない! ざまあみろ……!!」
「ぼん……! いってぇな、クソ、引っかくな! おい、ぼん!」
「死んじゃえばよかったんだ! あの時、死んじゃえばよかったんだ!」
技師の腕に爪を立て、ショウタは自身を阻む存在から逃れようとしている。
「死んじゃえばよかったんだよ、そうだ、死ねばよかったんだ!」
「こら、ぼん!」
ついにショウタの目から大粒の涙がこぼれだした。それが合図だったかのように、
ショウタの動きが止まった。
「死んじゃえばよかったんだ……俺なんて……俺が死ねばよかったんだ……」
はぁはぁと息を切り、ショウタは俯いた。
ひっひとえづくような声がして、そして技師の服を引っ張り無理やり顔を拭いて見せた。
「ショウタ……」
震える声でタカシは名前を呼んだ。
自分の息子だと名乗る子供の名前を、干からびた声で呼ぶ。
「おれ、俺なんて、死ねばよかったんだ……」
ショウタは泣き続けている。
『お父さん』
ふいに、耳の奥で声がした。
子供の声だ。幼児の、声。
タカシは、何故かそれがショウタの声ではないと断言できた。
そしてそれが、『息子』の『タカシ』の声だとも。
「タカシ……」
呟いた声に、ショウタは、目を見開いた。
「やっぱり、俺なんて死ねばよかったんだ……」
絶望したような目。
「お前は完璧じゃなかった。ホテルになんか助けに来なければ、完璧だったのに……」
そう呟いたかと思うと、医療器具の入ったバットからメスを振り上げ、そして――、
282 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:30:02.23 ID:CXTObaj+0
****
血に滑った足が気持ち悪い。
タカシは足を床に擦り付け、なんとか殺人の記憶を体から追い出そうと努力した。
だがそんなことをしても乾きかけた血液は取れてはくれぬし、女の死体が消えるわけでもない。
肉塊と共に過ごし、凡そ一時間ほどが経った。
ぼんやりとアホのように佇むには、なかなか長い時間だろう。
のそりと動き出したのは体中に血の匂いがして気持ち悪かったからだ。
女の家に、男物の服などあるだろか。
手術室を後にして、タカシはまずそんなことを考えていた。
死体を隠さなくてはならないという意思よりも先に、そんなことを考える自分がおかしかった。
なんとかタカシでも身につけられる衣類を引っ張り出して、
それらに漸く着替えたところで、突然その訪問者は訪れた。
タカシの記憶では、セキュリティの強化されたこの家に訪れる人間はそういなかった。
インターフォンが鳴らされ、モニタに映し出された『少女』の顔には見覚えがあった。
タカシは暫しモニタの前で状況を把握しきれず、
そして混乱の入り混じった思考のまま『誰だ』と問うたのだ。
モニタの向こう、彼女は怪訝な顔で首を傾げ――、
それはタカシにとって見覚えのある仕草であった――、
言葉少なに答えられた名に、タカシは仰天した。
『ミユキよ』
そう彼女は返事したのだ。
ミユキは、アンドロイド製造業を生業とする貴族の娘である。
水製造機量産に協力をしてくれたタカシの幼馴染で、
当時、協力者として立候補してくれた数少ない知人だ。
最後に会ったとき、彼女は三十手前の女性であったはずだ。
だが、モニタの向こうでワンピースをまとう彼女はどう見ても十代の少女である。
そして彼女は『今日、貴方……、タカシさんの目が覚めるって聞いたから、迎えに来たのよ』と告げたのだ。
殺される前、確かにあの女は『幼馴染が迎えに来る』と言っていた。
そして女は『今が二十五年先の未来』だとも言っていた。だというのに、彼女は少女だった。
283 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2014/11/24(月) 04:31:39.70 ID:CXTObaj+0
タカシはハタと自身の声に対する違和感について思い出した。妙に若い、己の声。
それについての違和感は、女に対する憎しみを前にすっかりと記憶の彼方に放られていた。
恐る恐る頬に両手で触れる。違和感はない。
だが、確かに『体』に違和感を覚えるのだ。
モニタの向こうで、タカシの混乱をよそにミユキはタカシを呼び続けた。
待ってくれ、だとか、いや、と歯切れの悪い言葉をタカシが数回紡いだところで、
彼女は『開けるわね』と短く告げたかと思えば、なにやらモニタから姿を消した。
身をかがめている。網膜スキャンをしているに違いないと気づくが、
彼女はタカシの制止も聞かずに鍵を開けに掛かっている。
まずい。そう思った。何せタカシが今しがたまで眠っていた部屋には、そう、女の死体があるのだ。
誰かが死体を目にするという可能性に直面し、タカシは漸く己のしでかしたことの重大さを思い出した。
待ってくれ、と言う叫びに似た制止もむなしく、果たして扉は開け放たれ、
そして彼女は家屋に侵入してきたのだった。
瞬間、タカシは息を飲んだ。
彼女の姿に驚いたのではない。その衝撃は既に過ぎ去っている。
そうではなく、扉のその向こう、そこにあるのは発展した都市だった。
いや、発展すべく工事を重ねている最中のビルの群れのだ。
タカシたちはその中にいたのだ。
空の色が妙に薄い。敷地の外を馬車が通り過ぎ、
それとは不似合いな近未来的な街並みがそこにはあった。
ビルからビルを繋ぐのは、空と同じく淡い青色のチューブ。
どうやら巨大なビルには、それごとに駅が存在しているようだ。
どういう仕組みなのか、チューブの中を浮遊するようにして球体が移動している。
球体の中には人が入っているようだった。
浦島太郎状態、まさにソレだった。死ぬ前に女が言っていた台詞を思い出す。
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