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【オリジナル】男「没落貴族ショタ奴隷を買ったwwww」
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302 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/02/08(日) 03:03:18.32 ID:FC6GIJMj0
がんばれ!のんびり待ってるよー
303 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/02/13(金) 22:35:45.54 ID:kNyXN/eDO
鳴かぬなら
鳴くまで待とう
ホトトギス
304 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/02/17(火) 01:21:57.26 ID:letCskjA0
そろそろ更新くる?
305 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/03/05(木) 01:10:29.15 ID:fX2ogqWV0
待ってる保守
306 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 20:58:38.19 ID:PPbBn0gE0
トリップあってるか不安……。
307 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:01:48.19 ID:PPbBn0gE0
****
その年、タカシの肉体年齢は十八年目の春を迎えていた。
とは言え十四年間と少しの間は肉体の生育期間であったから、
タカシとして意識を保有しての生は僅か三年と言うことになる。
そのごく短い三年の間で、タカシは人生のやり直しを図っていた。
学生としての、いや、一人の少年としてのやり直しの期間を過ごしていたのだ。
通常、子供は九年間の義務教育総合校での教育を経て卒業を迎えたのち、
その先の義務教育高等学校へと進学をしていく。
しかしタカシの『体』はその手の学校に通った履歴が一切残されておらず、
故に、膨大な量のテストを受ける必要があった。それらを無事クリアして
なんとか義務教育総合校へと続く教育機関である義務教育高等学校へと在籍を果たしたが、
タカシが属した群れは、毎日のように勉学に励んだ学生のそれであり、
そのような場から遠のいて数年経つタカシは追いつくのがやっとであった。
少しでも気を抜けば、成績ががた落ち、などと言うことになりかねず、
常に緊張をした三年間を送っていた。
――ミユキと結婚するだけで全てが丸く収まるわけではない。
そう気づいたのは彼女との結婚を約束した後のことで、
それからはミユキの配偶者となるに相応しい男である振る舞いや学力を身につけるべく、
目覚めてからの向こう三年、殆どの時間はそれらの鍛錬に費やされた。
自由時間はないに等しく、生活の全てはこの上ない苦行そのものであったが、
タカシは文句を言えるような身分ではなく、必死で日常を過ごして行った。
思えば、前回のタカシの人生は早く短く過ぎ去った。
学習した記憶よりも、戦犯として捕まり拷問を受けた記憶ばかりが強烈で、
『教育を受ける一般的な少年』と言う感覚を取り戻すのには多大な労力が要されたのだ。
一度失った感覚は取り戻すのに時間が掛かる。
まず、目覚めてからの一年は、その感覚を取り戻すことに始終していたようにタカシには思える。
だが、その感覚に慣れ、かつタカシと名乗ることになれた頃には、
その肉体の年齢に引きずられてでもいるのか、
思春期の少年然とした振る舞いをごく自然に取るようになっていた。
308 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:04:06.40 ID:PPbBn0gE0
つまり、思考回路が少年らしく変化し、中身が三十路を越えた男とは思えないような、
例えば、やや自信家で、少々我がままで、若干癇癪を起こしやすい、
そんな振る舞いを意図せず取るようになっていたのだ。
これに一番困惑をしたのはミユキの父であろう。
ある日の朝にはは息子のことなど忘れたかのように『ミユキとの結婚はない』と言い放ち、
その晩には『今朝の話は嘘だ』と思いつめた顔で告げるのだ。
しかもそのジグザグとした不可解な言動はタカシ自身がコントロールしてわざと行っているものではなく、
自然と勝手にそういう思考回路になってしまい周りを振り回すのだというからたまらない。
だが、周囲の人々以上に戸惑いっているのは他ならぬタカシであった。
まず、感情がコントロールできない。
子供っぽい自分を制することができない。
そんな自分に遭遇するのは初めてのことで、
どこか精神的におかしくなってしまったのだろうかと危惧したものだ。
だが「しかしよくよく考えてみれば、
ミユキも中身が五十を越えた中年女とは到底思えぬような少女然とした振る舞いをそており、
そのような結果を鑑みれば、なるほど、
精神の成熟度は肉体に引きずられがちになることは決して珍しくないらしいと
タカシは判断するに至った。
ある日は息子を人質に取られたことに怒り狂い『人身御供だ』と涙を撒き散らしながら叫び、
ある日は『すまなかったと』懇願をする。
いずれはこの激しい情動も肉体の成熟と共に落ち着くだろうと医師に――、
あのマッドサイエンティストの決して数の多くない門下生たちだ――、と告げられ、
それに安堵したのか、タカシの精神も次第に落ち着いていった。
ただし、タカシやミユキのような脳移植を受けた例は少ない。
非合法な行いを戦中に行っていたマッドサイエンティストの例を含めればかなりの数になる術例も、
公式的なものとなればその数は激減した。
そのため二人には長期的な診察が要されたが、肉体的には全くの健常であり、問題はないだろうと診断を下され、
移植を受けたあくる年には一般的な十六歳に交じって、それぞれ義務教育高等学校へと入学を果たし、
つつがなく三年間は刹那に過ぎ去っていった。
そしてついに十八の肉体的誕生日を迎えた翌日、タカシはミユキと婚姻関係を結んだのだった。
309 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:15:15.60 ID:PPbBn0gE0
「流産したの」
ミユキは夕食を囲みながらぽつりと告げた。
二十一歳二ヵ月、婚姻関係をミユキと結んでから三年以上が過ぎ去った夜、
ミユキから告げられたその言葉にタカシは「そうか」、と短く返答した。
つまり、また数ヶ月の期間をおきその後『お勤め』をせねばならないということだ。
しかしタカシは、うんざりとすると同時にホッとしていた。
――着床しなかった、流産した。
様々な理由があったが、種が悪いのか畑が悪いのか、ミユキはなかなか子を身篭ることができなかった。
医師の診察を受け両者共に肉体的な問題は見受けられないとされていたが、
本当にそうであるのか怪しいものだとタカシは考えた。
この国の出生率は四十年ほど前から落ちている。
ここ数年の間に算出が行われ、と同時にそれらは国から開示されることととなり、
漸く公に少子化現象が認められたのだ。
兆候が見られはじめた最初の年は戦争の真っ只中にあったためか、
国民が「なんとなく」感じていたことであっても、データとして公にすることは憚られたようだ。
そして戦争も終わった現代、国は出生人数を向上させるべく人工的な妊娠を奨励し始めた。
国民の大半もそれを受け入れており、夫婦の精子と卵子を受精させる一般的な体外受精は勿論のこと、
未婚女性には容姿や頭脳の優れた男性の精子を受精することができる『選別的体外受精』も人気であった。
これは、子供の性別も選択できる、非常に優れた受精方法だった。
しかしミユキもタカシもあくまでも自然な妊娠にこだわったため、それらの方法を率先して取ることがなかったのだ。
「残念だわ」
婚姻関係を結び、三年。となると、そろそろ保健所から体外受精のお知らせ、などという通知が届く頃だろうか。
そんなことを考えながら、タカシは野菜炒めを箸でつまんだ。
「気を落とすことはない。ミユキはまだ若い」
「ええ、そうね」
310 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:18:04.38 ID:PPbBn0gE0
タイムリミットははるか先のように思えるが、しかし、時間とは瞬く間に過ぎ去っていくものなのだ。
――最早自然妊娠は不可能なのではないか。
タカシは顔には出さずに時々そんなことを考える。
女性の五人に三人は自然妊娠が難しいとの裏づけがなされた昨今、
ミユキがその三人に含まれることは数度に渡る結果を見れば最早明白で、
それならば国の金銭的な支援も受けられる今、積極的に体外受精を受けるべきなのだ。
出生人数の低下――それが叫ばれ始めてから十年ほどになるという話だ。
深刻な大気汚染が原因のひとつではないかとされていたが、本当のところの原因は判らずじまいだ。
国には特定する気がないのだから仕方がない。例え大気汚染が原因と確定したところで、
打たれる対策はさしてないに等しいのだから、あえて特定をせずにいるのだろう。
そんな事情もあってかミユキの妊娠は遠い夢のように感じられていた。
肉体的に問題がない、などと言う言葉は詭弁であろう、と言うのは、
タカシを含め子を得られない夫婦たちの共通認識であるようにさえ感じられる。
だが、今しばらくは子が生まれなければいいともタカシは考えていたのだ。
彼女が無事出産をせねば息子の『再現』もまた夢と終わる。
それはなんとしても阻止せねばならなかったが、実のところ、タカシはまだ未来を決めかねていた。
問題はそう、ミユキの父だ。
彼がなにを思いタカシを女婿として迎え入れたのかが、その腹が判らぬ以上は動くことはできない。
ミユキとの『お勤め』は少ないに越したことがないし、
タカシもさっさと体外受精に切り替えたいというのが本音であったが、それは彼女の妊娠を早めるばかりで、
タカシにとっての根本的な問題の解決は望めぬままになってしまうのではないかと危惧しているのだ。
ミユキの子が生まれたとして、なにかと理由をつけられ息子の『再現』が行われず
『そんな約束をした覚えはない』と約束を反故にされる可能性も大いにある。
それを阻止するためにも何故タカシがミユキへと宛がわれたのか本当の理由を知る必要があったのだ。
「お義父さんには?」
「伝えてないわ。着床したことも言ってなかったから。またがっかりさせたら可哀想だもの」
額に掛かったか髪を細い指先で避けながらミユキは答えた。
「……また頑張ろう」
心にもない台詞を口にすれば、少しだけこけた頬を微笑ませ、ミユキは「ええ」と返事をして見せた。
「男の子がいいわ。男の子なら、きっと貴方によく似ている」
「それは判らない。男児は母親に似るとも聞く」
仲睦まじい夫婦が互いを支えあっているように見えるような薄ら寒い会話だ。
タカシは溜息を飲み込んで食事を続けた。
311 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:20:26.24 ID:PPbBn0gE0
「いつもと変わりませんよ」
その探偵は、近代的な街並みにそぐわぬ煤けた屋台で、出所不明の肉をつつきながらまずそう切り出した。
彼が日中のオフィス街に紛れ込むべくカムフラージュの為に着込んだスーツは、
普段愛用しているヨレヨレのコートに比べれば随分と上質なものに見える。
赤い提灯が風に揺れ暗闇に光りの残像を残していくのを目で追いながら、
タカシは一先ず「つくね」と注文をする。
「私はネギマ……、貴方が指定した一族、どんな関係が貴方とあるのか判りませんけど、サッパリですよ。
まず『あの』一族――、毎回お尋ねしてますけど、この一族と貴方はどんな関係なんですか?
ああいいですよ、どうせ答えてくれないんですから」
「悪いな」
タカシはくすんだ色のコップでアルコールを煽りながら形ばかりの謝罪をする。
――己の一族を調べるのは妙な気分だった。
この二年もの間、タカシは自分を育んでくれた一族を、その末端まで探している。
一族特有の病に侵される女たちを守るべく、濃い親戚づきあいを続けてきた一族は、
ある者は戦火の中で、ある者は病で、ある者は――、タカシの生み出した水製造機の為に死んでいった。
迫害を受けたのだろう。暴行を受け死んだ者も少なくはなかった。
だからこそ、タカシは自身の一族を探っているのだ。
「この一族、やっぱり一人を残して死に絶えてますね。ま、戦争がありましたからねー、仕方がないです。
何度も調べましたけど、女性一人だけしか生き残ってない。
本家を継いだ人間もいませんし、末端の末端、ただ一人生き残った女で、彼女、今年三十五歳なんですけど、
アルツハイマー病で入院中です。若いのにねぇ。そして訪ねてくる親族は一人もおりませんし、
天涯孤独ってのは本当かと」
その言葉に、タカシは胸を撫で下ろした。
例えば、自分の見知った顔が生き残っていたのならば、
タカシはそこに赴き対象をしつこく尋問することになっただろう。
そう、タカシは、自身の親族があのマッドサイエンティストへと誤った情報をリークしたのではないかと
疑っていたのだ。
312 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:23:56.80 ID:PPbBn0gE0
思えば、一族はタカシが戦犯となったことによって不利益を被った者の集団なのだ。
そのタカシへと一矢を報いようとするのはごく自然な感情の流れであろう。
一族の女たちは、呪われた持病の治療のため、自己注射を行っていた者も居た。姉もそのうちに一人だ。
薬剤の注入はもとより、大病院を受診する際にスムーズに診察が済むよう、血液検査が必用な場合はあらかじめ
血液を自宅で採取することもあった。
つまり一族の者は、注射器の扱いになれていた。
その上、一族間では密な親戚づきあいをしており、互いの知り合いを把握していた。
もしもタカシに憎しみを抱く親族が、姉の血液をタカシのものだと偽り提供したとしたら、
マッドサイエンティストが戦時中の混乱の中、
たった一度の血液検査のみで脳移植が可能であるかどうかを判断し、
最終的な検査を碌に行わずに移植をしたのにも合点がいく。
報復の機会を虎視眈々と狙っていた一族の誰かによって、タカシも、またあのマッドサイエンティストも
陥れられたのかもしれない――、タカシはそう考えていたのである。
通常は親子間で一致しないことが殆どであるHLA抗原であるが、息子のタカシはその特異な出自故に
タカシとの適合率は兄弟間のそれと同等の、1/4の確率までに引き上げられる。
だが、それはタカシと息子との適合率としての話だ。
タカシと姉、二人合わせてての適合率ならば確率は1/4+1/4で1/2までに引き上げられるのだ。
姉と息子が適合しなかった場合、またはタカシと息子のHLAが一致した場合には、復讐は失敗に終わるだろう。
だが万が一、姉と息子が適合しており、姉の血液をタカシのものだと偽っていたとしたら?
マッドサイエンティストは、姉の血液をタカシのものと信じ、タカシの脳を息子に移植しただろう。
実際、あの女は何かの根拠を持って移植を遂行した。
だが、実際には移植は成功することなく、息子は死に、そして表向きにはタカシも死んだ。
タカシに復讐をしたいと望む者がをあの女に渡していたとすれば、
これ以上にいい報復はないだろう。
タカシを苦しめて得をする人間は、考えてみれば己の親族であると言うのが最も妥当な考えだ。
313 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:26:50.04 ID:PPbBn0gE0
タカシは姉を助けるために政府へと技術提供をしたわけだが、
名声を博するようになるにつれ、国から一族全体の治療費を工面する動きが見られた。
つまり、一族全体がタカシのおかげで潤ったわけだが、それもある日を境に一転することとなった。
タカシが戦犯となった為だ。
親族たちにとって、タカシは自慢の存在から、国内に戦争の火種を作った悪魔となったのだった。
同時に、親族たちも迫害されるようになったのだから、
彼らにとってタカシの存在は悪魔などと言う生易しいものではなかったのかもしれない。
復讐を誓うには充分すぎる要因をタカシは保持していたのだ。
「大丈夫ですか?」
探偵に声を掛けられ、タカシはハッと現実へと引き戻された。
単なる仮定であったが、可能性としては一番濃厚な線だろう。
「引き続き捜索しますか? 打ち切りますか?」
――タカシは、息子を諦めきれずにいた。
再現される息子のことではない。『オリジナル』の息子のことだ。
誰かがマッドサイエンティストへと嘘を吹き込んだことによって息子は死んだ。
その犯人を、タカシはどうしても突き止めたかったのだ。
敵討ちなどと言う高尚なものを目論んでいるわけではない。
ただ、誰かのせいで息子が死んだのだと結論付けたかったのだ。
「あの……」
「引き続き頼む」
「判りました」
冷たい木枯らしに頬をなでられながら、タカシは短く告げた。
タカシの推測が当たっているのなら、犯人はすでにこの世に居ないかもしれない。
だが、タカシはその人物を知りたかったのだ。
何故それほどまでに執拗に追い詰めたいのかと言えば、答えは単純明快だ。
「逃げたい」
ぽつりと呟いた言葉に、探偵が「はい?」と返事した。
「いや、なんでもない」
タカシは、自身の誤った選択で息子を喪ったことを悔いていた。
その思いは、一人で抱えるには重みがありすぎるのだ。それをどうにか小さくするには、
自分以外の誰かの所為で息子の命が喪われたということにしたいのだ。
そうしなければ、あまりにも重かった。
一族を探し出し、何かしらの理由を聞き出したい。
だが、聞きだせる人間が居ないのなら、『諦めるしかない』。
そんな風にして、タカシは自身を誤魔化し続けているのだ。
314 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:29:06.28 ID:PPbBn0gE0
「……まぁ、なんでもいいですけどね」
肉が焼けるくすんだ空気を振り払うように、探偵は酒を煽りつつ言った。
「私は金さえもらえれば文句はありませんよ」
正直な男だ。
探偵は、一族ひとりひとりの死因を具に調べていた。何故殺されたのか、どんな人物だったのか。
だがタカシはそこまでは望んでいなかった。単純に一族が『生き残っているかどうか』を知りたかったわけだが、
それでは流石の探偵もタカシのことを訝るだろうから、それらしい理由を添えて調査を続けさせている。
きっと誰がリークしたのかは判らず仕舞いであろう。
探偵は自身が調べている一族が、悪名高き水製造機を生み出した戦犯の一族であると疾うの昔に知っている。
タカシが水製造機を我が物にせんとしているだとか、または水製造機で不利益を被っただとか、
そんな線で調査を依頼されたと思い込んでいることであろう。
クローン技術は一般的なものとして浸透してきたものの、
脳を挿げ替えるという使い方は一般的とは言いがたいため、
今目の前に居るタカシがまさかその『戦犯』だとは露ほどにも思っていないに違いない。
タカシは三十年近く前に失踪ののちに死体が見つかったということになっていたし、
その死体も暴行を受けたようにひき肉状態だったとの探偵の報告があるからこそ、
あのいけ好かないミユキの父が言ったように、タカシはまっさらな少年――、否、もう青年だが――、
として生きていけるのだ。
死体が実際のところ誰の者であるのか、タカシは知る由もないし興味もない。
「それでですね」
タカシが残り僅かとなった酒をグイッと飲み込むと同時に、探偵はそう切り出した。
「『こっち』についてもあまりいい結果をお持ちできませんでした。面目ない」
「うん、そうか」
315 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:33:09.14 ID:PPbBn0gE0
タカシが探偵に調べさせているのは、己の身内についてのみではなかった。
「真っ当に会社の親分をしてますよ。あ、カワください」
あいよ、と大将は軽快な返事をひとつして、網の上へとその妙に黄色っぽい肉を並べていった。
「そうか……」
二週間ぶりの報告には何ひとつ芳しいものがなく、タカシは口を引き結んで渋面した。
ミユキの父親の動向について、タカシは二年もの間探っていた。
タカシを女婿として迎え入れたその行動にはなにか目的が隠されているはずだと踏んでから早数年、
しかしあの男が尻尾を見せることはなかった。
「朝の出勤、それから退勤、会うの仕事関係の人間ばかりですよ。
大企業のシャチョーさんで怪しいやつってのは、大体ガラの悪いのとか人相が悪いのとか、
要するに真っ当でない人間と付き合いがあるのが普通ですけど、
清すぎるくらいに普通の生活をしてますね。貴族や政治家のお友達はたくさん居るみたいですけどね、
それも大して面白い会話をしているわけではない。いつもと同じですよ」
タカシがこの探偵を雇い始めてもう二年になる。
その間定期的に繰り返される報告にはなんら怪しいものはないと言うのが現状だ。
この探偵がタカシを裏切らないとも限らないため、他に九名の探偵を雇っているが、
みな口をそろえて「怪しい動きはない」との報告を繰り返していた。
「タカシさん、貴方が想像するようなことは、なにもないのではないですか?
もう二年も私はあの老人を追いかけてますよ。それこそストーカーのように。
今では彼の経歴を諳んじることもできますし、彼が愛用しているシェービングジェルの名前も判るほどだ」
タカシの妄想ではないのか。雇った探偵はそれぞれ、その言葉をオブラートに包んで告げ始めている。
頭の狂った義理の息子が義父をストーキングしている。しかも相手はあのA社CEOだ。
これ以上に面白いスキャンダルはないだろう。
そのような醜聞が漏れ出ぬよう細心の注意を払い人選はしたつもりだが、
やはりかすかな不安は拭えずに居るのもまた確かだ。
そろそろ潮時だろうか。タカシ自身もそんなことを思う時間が増えてきた。
316 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:35:58.09 ID:PPbBn0gE0
ただミユキ可愛さに、彼女の願いを叶えるべく義父はタカシをミユキに宛がったのではないか。
戦犯の汚名を着せられたといっても、二十五年も前のことだ。
以前のタカシ――、つまり『三歳で死んだ男児タカシ』の父であった男は、
公文書上では死亡したことになっているし、
今ここに生きるタカシは何の汚点もない人生を歩む戦後生まれの青年だ。
戦犯でもなく、研究者でもなく、近親相姦で子をもうけた穢れた男でもない。
そう、大企業の物好きのCEOが、身寄りのない才覚ある青年を引き取り娘に宛がっただけ。
プレスにも顔を出すことのないタカシの存在は、A社の上層部ではそのように捉えられており、
ミユキの存在はと言えば「生体利用アンチエイジング」を受けた「ちょっと痛い娘」と言う程度の存在だ。
クローンを栽培してその脳をくり貫き自己の脳を植えつける鬼のような所業が
「生体利用アンチエイジング」などと言う名称で罷り通っているのには驚きが隠せないが、
とにもかくにもミユキやタカシの存在はそのように捉えられていた。
水製造機もなにもかもが関係ない世界で生きるまっさらな青年なのだ、今のタカシは。
ただ娘を幸せにしてやりたくて、そんな男を――?
怪しげな肉を口に運び、咀嚼する。
ジワッっと肉汁が口に広がり、タカシはそのどこか焦げ臭い匂いに眉を顰めた。
そこはかとなく機械油の匂いがするような気がした。失敗したかもしれない。
「娘のほうも同様ですね。ご学友と会ってお茶をしたり、あとは定期的に病院へ通うくらいで。
あとは気分転換のために散歩をしていたり。この辺りは貴方もご存知でしょう」
そう、ミユキは逐一その日のスケジュールをタカシに報告してきたから、それを知らぬわけではなかった。
父が駄目なら娘を探ってみろと探偵に依頼を出したものの、
やはりこちらからもそれらしい話が漏れることはなかった。
「時々お墓参りに行ったりして、なんていうか、いい奥さんじゃないですか」
いい奥さん、いい義父。その通りなのかもしれない。
だが、やはり心の片隅に巣くう不安は打ち消せなかった。
なにかがある。なにかがなければ、タカシを助けるはずがない。
そんな風に思えてならないのだ。
どうしますか、続けますか、と探偵が訪ねてくる。
毎月費やされるこの費用も馬鹿にならない。だが、それでもタカシは「頼む」とたった一言だけで
周囲を疑い続ける道を選ぶのだ。
人は疑うべき存在だ。二度と騙されないために、タカシは人を疑い続ける人生を選ぶのだ。
317 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:39:35.03 ID:PPbBn0gE0
****
タカシは焦っていた。
ミユキが妊娠をしない。
もう何度目だろう。流産について、そして月の物が来たと言う報告も、もう何度目になるか判らない。
「そうか」と言う答えも日に日にぞんざいになり、おはようの挨拶と同レベルの重みと化してしまった。
数えるのもやめてしまった。着床したかと思えばすぐに流れる。
ミユキの母体に問題があるのかと思い検査をしたこともあるが、問題は一切見つからなかった。
排卵もある、卵子の質も悪くはない、子宮も健全に保たれている。
ではタカシのほうはどうかと言えば、こちらもミユキ同様に初期の検査では『問題なし』とされていた。
『前回』の短い『生』では姉は妊娠をしたことから、DNAが全く同じ今回の体で何かしらの問題が
生じることはないと考えていたのだ。
しかし、もうタカシには時間がなかった。
何故か妊娠できないミユキ――、おそらく環境の所為だろう――、の
人工的でない自然な妊娠を待っている余裕はなかったのだ。
もうこれ以上は待てない。待てないが、何をどうすればいいのかが判らない。
人工的な妊娠をミユキに促すも、彼女は首を横に振り頑として頷かない。
最早お手上げである。
婚姻関係を結び、六年目の夏、タカシは自ら医院へと赴き再び自身の体を検査した。
それくらい、焦っていた。
しかし医者から告げられたのは、タカシの望んだ答えではなく、
やはりタカシの精子にも問題はないこと、体外受精を勧めると言う旨の話だった。
体外受精は今や珍しいことではない。多くの夫婦が利用しているし、
自然妊娠と同じくらいにスタンダードな妊娠方法だった。
ミユキが何故そこまで自然な妊娠にこだわるのかが理解できなかった。
偏見があった時代ならともかく、
今は広く受け入れられている子をもうけるその方法を厭う理由が皆目判らない。
病院をあとにし、タカシは馬車に乗り込み家路を急いだ。
318 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:42:45.94 ID:PPbBn0gE0
信号で立ち止まると、浮遊した電光掲示板に
『クローン禁止法来再来年春施行決定』の文字が大きく浮かんでいるのが目に留まる。
額に手をつき、大きく溜息を吐く。
長らくの間、一部の国民から「受け入れがたい残虐な行為」とバッシングをされ続けていたクローンのパーツ買いが、
ついに法として禁止される運びとなったのだ。
これに伴い、生体パーツの体の部位単品での製造は可能であるが、
人を丸々と作ることは禁止されることとなった。
人を丸ごと作るよりも、生体パーツとして人の体の部分部分を生み出すことの方が技術的に難しく、
また金も掛かるために、その技術はあまり浸透していなかった。
人間は卵子の核を取り除き、人の細胞を中に注入すれば勝手に育つ。
だが、部分的な育成は、特別な細胞を要し、その権威であった博士が死亡したため――、
殺したのはタカシであるのだが――、パーツ生成が一般の流通に乗るまでに多くの時間が費やされたのだ。
だが昨年の冬、ついにその技術が完全な形で確立され安定性を持ち、
その手の技術を身につけてきた専門医ならば誰でもパーツ生成を行うことができるようになったのだ。
と、同時に、クローンは正式に禁止されることとなってしまったのである。
即ちそれは、再来年冬以降は息子を『再現』できなくなるということだ。
いかにA社が金持ちであり、そのCEOであるミユキの父が暗躍しようとも、
それなりに大掛かりな施設を要するクローンをこっそりと作り出すことは不可能だろう。
今、無理やり作ればいい。そう考えるが、しかしタカシには、どこに息子の細胞があるのか、
また脳のスキャンデータがあるのか、それさえ教えられてなかったのだ。
間抜けな話だと思う。散々『そこに保管してある』とされていた場所にもタカシは立ち入ることを許されなかったし、
許されたとしても、人を生み出すクローン技術には数千万の資金が要され、
ミユキの父のお情けでA社の子会社で身分を隠し平社員として働いているタカシにはそんな大金はなかった。
タカシが息子を再現するには、ミユキが今すぐ妊娠をすることしか道がないのである。
なんとしてもミユキには妊娠をしてもらわなくてはならない。そうしなければ、
好いても居ないミユキと婚姻関係を結び『お勤め』を果たしている意味がなくなる。
ミユキの父が何を考えてタカシを女婿にしたのかは未だ明らかになっていない。
だが、どうやらそれをゆっくりと探っている時間はなさそうだ。急がなくてはならない。
319 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:44:50.29 ID:PPbBn0gE0
あの男は、ミユキが出産をしなければ再現は行わないと言った。
どんなにタカシがごねても、約束は条件を満たした時にしか遂行されないだろうし、
最悪の場合約束を反故にされる可能性もある。
「チクショウ……」
舌打ちをしつ呟いた声は、馬車の揺れる音にかき消される。
子供なんて欲しくはない。好きでもない女と自身のDNAが交じり合ったイキモノなど愛せるわけがない。
だが、子供が生まれないことには再現は行われない。タカシの息子であったあの子供は永遠に喪われるのだ。
どんな声をしていたか、どんな顔で笑ったか。
年を追うごとにそれらの記憶はどんどんと磨耗していき、少しずつ日々の忙しさに混じって薄れていくのだ。
それが恐ろしくて、タカシはを拳を強く握り締めた。
姉から与えられた、ただひとつの存在なのだ、息子は。
なんとしてもこの世に呼び戻さなくてはならないのだ。でなければ、タカシがここにいる意味はなくなる。
生きている意味が、ない。
そうだ、生きている意味なんて、もう疾うの昔に喪われていたのだ。
息子がいること、ただひとつそれだけがタカシがこの世に生きる意味なのだ。
たとえ息子が呪われた子だとか、鬼の化身だとか、そんな風に身内から蔑まされたとしても、
姉が死んだあともタカシが生き続けるたった一つの理由だったのだ。
身勝手だと罵られても、息子には生きていてもらわなくてはらないのだ。
だから、今すぐにミユキを説得しなくてはならない。
なんとしても、人工的な手段に頼ってでも子を産んでもらい、そして早くに息子を再現しなくてはならない。
馬車が止まった。
いつの間にか自宅に到着していた様だ。
「着きましたよ」
御者が扉を開けると、タカシは礼もそこそこに庭へと素早く降り立った。
結婚と同時に与えられた邸宅は回廊型をしている。
なんとも不便な造りで、タカシはこの家が好きではなかった。
芝生を踏みしめ玄関へと向かう。その重厚な扉にはすぐにたどり着き、タカシは指紋認証をすべく
指先を小型端末に押しつけた。その僅か数秒の判定にさえタカシは焦れ、そして認証が降りた瞬間に
鍵穴へと鍵を乱暴に突っ込んで扉を開けた。
なんとしてもミユキを説得する。誓いを胸に、靴を放り出すようにして脱ぎ、上り框へと足を乗せた。
320 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:46:25.16 ID:PPbBn0gE0
午後三時を回ったこの時間ならば、彼女は角部屋に当たる『八の間』でお茶でも飲んでいることだろう。
タカシはすぐさま左を向いて八の間を目指した。
己の足音がどすどすと醜く響く。ミユキはそのような乱暴な歩みをひどく嫌ったが、
そんなことを気にしている場合ではない。
「ミユキ!」
歩みを進めつつ、怒気を孕んだ声で女の名を呼ぶ。
子供を、産ませる。タカシの頭にはもうその考えしかなかった。
ミユキはただの道具だ。息子を再現させるための手段に過ぎない。
愛情の欠片もなく、ただ、息子の為の道具に過ぎなかった。それでもいいと言ったのはミユキだ。
だからタカシはそれを利用したに過ぎず、なにも悪くないはずだ。
種が欲しいのならばくれてやろう。そこに愛情は欠片さえ、ひとしずくさえなかったが、
ミユキは確かに「それでいい」と言ったのだから。
「ミユキ!」
タカシの濁った怒声に反応するかのように、八の間の襖が開けられた。
「タカシさん、大きな声を、」
「体外受精をしてくれ」
タカシの乱暴な動作と声に眉を顰めつつ顔を覗かせたミユキは、やぶからぼうに告げたタカシの言葉に、
一瞬唖然としたのち、目を瞬かせて見せた。
何を言っているのか理解しかねる――、そんな顔に見えた。
しかし、そう思ったのはタカシのみだったのかもしれない、
ミユキはぽかんと開けた口をすぐさま引き結び、そして口角を上げて見せた。
「嫌よ、絶対に嫌」
タカシの鼓膜を振るわせたのはそんな言葉で、ミユキはきっぱりと拒否を示したのち、
優雅に小首を傾げて見せた。
「ミユキ……」
「二人で話し合ったでしょ、妊娠は自然の流れに任せようって。今さらなんなの?」
ずり下がったストールを引き寄せ、ミユキは「嫌よ」と繰り返した。
彼女が自然妊娠にこだわる理由が皆目判らない。
体外受精は今やスタンダードな妊娠方法であるし、差別的に揶揄されることもない。
だというのに一体何故彼女は自然妊娠にこだわっているのか理解に苦しむ。
321 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:48:38.09 ID:PPbBn0gE0
「時間がない」
タカシは声をしぼませて正直に言った。
「クローン禁止法が可決された」
「そう」
だからなんだというのか。そう言いたげな眼差しのまま、ミユキは真っ直ぐにタカシを見つめてきた。
あれほどまでに息巻いて帰宅したというのに、彼女を説得する言葉はひとつも見つからない。
どうすれば説得できるのか、どうしたら彼女がその気になるのか。
渦巻く疑問は、頭の中で膨れ上がり、
だがその無為に過ごした時間からは、適切な言葉を見つけ出すことができなかった。
やがてそれは苛立ちに変わり、タカシはガシガシと頭を掻いた。
――ミユキは、これほどまでに物分りの悪い女だっただろうか。
ふとそんな疑問が頭を掠めるが、しかしタカシは自身が思っている以上にミユキのことを知らない上に、
「どうでもいい人間」とカテゴライズしていることに気がついた。
なにせ、彼女をその気にさせる言葉を見つけ出すことさえできぬのだ。
「ふふ……」
静寂を破ったのは、ミユキの笑い声だった。
「ミユキ、」
「あははは!」
彼女は体を「くの字」にまげて笑い出した。
折り曲げられ揺れ出した体の向こうにティーテーブルが見え、
タカシはその対となる椅子に座す人物が居ることに、今さら気づいた。ミユキの父だ。
彼は二人の成り行きを黙って見つめていた。
「私、待ってたのよ! ふふ、おかしいわ、タカシさんったら!」
「ミユキ……?」
「私、クローンが禁止されるのを待っていたの! 気づかなかったの?」
涙の浮かんだ目で、ミユキはタカシを見た。
ああ、とタカシは今更ながら合点がいったのだ。
今までタカシは、ミユキをただの金持ちのあまり頭のよくない娘だと思っていたが、
タカシ自身もあまり頭がよくないのだと気づかされる。
――ミユキは、最初から息子を再現させるつもりなどなかったのだ。
322 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:50:04.51 ID:PPbBn0gE0
「絶対嫌よ。なにもかもが全て嫌!
人工的に妊娠をするのも嫌、貴方の息子を再現するのも絶対に嫌、娘を産むのも嫌!」
全部嫌なのよ、とミユキは捲くし立てるように言った。
回廊の家には光りがあまり入らない。それを補うようにしている擬似太陽光LEDが、
彼女の病的にまで白い肌を照らしていた。
おかしそうに笑う彼女は口許を醜悪に歪め、「馬鹿ねぇ、タカシさんったら」と言い放った。
「ミユキ……」
「貴方のお姉さんにできて、私にできないはずがないわ。
ねぇ、タカシさん、私が貴方のお姉さんに劣っているわけがないの」
ミユキは涙で濡れた目元をきつく吊り上げ、そして真っ直ぐにタカシを見た。
タカシの姉に自分が劣っているわけがない――、そう言い聞かせ、
つまり、彼女はずっと姉に張り合っていたということか。
――姉が自然に妊娠をできて、ミユキにできないはずがない。
彼女の自然妊娠に対する拘りは、そんなちんけなプライドによって齎されたものだったのだ。
女として情を掛けられていないことを理解しているはずの彼女は、
愚かしくも心の底では姉に張り合っていたとうことだ。
そんなこと、無駄だと言うのに。
タカシにとって姉は唯一の存在であるし、他の者にその立場か挿げ替えられることはこの先ない。
ましてや姉は死人であって、死者が生者より美しく記憶に刻まれているのは至極当然のことだ。
タカシの目に姉よりもミユキが美しく映ることはないし、女として上の存在になることもない。
ミユキはタカシを侮蔑するような視線を投げ掛けている。その顔のなんと醜悪なことか。
タカシも口許を歪めて彼女を見た。
「何度か妊娠したのよ」
ミユキは不遜な態度でチェアへと腰を下ろした。
彼女の向かいには、彼女の父が座していた。
「……流産しただろ」
「してないわ。妊娠するたびに、堕胎していたの」
「嘘だろ……」
ミユキの告白に、タカシは頭を振るった。
「本当よ」
ミユキがなにを考えているのかが判らなかった。
そしてタカシは、己がショックを受けていることがなによりも意外であった。
ミユキとの子供など要らないと、確かに思っていたのだ。だがどうだ、堕胎した――、
それも何度か堕胎したと告げられ、タカシは自身でも驚くほどに動揺していた。
「何でだ……」
「女の子だったのよ。女の子なんて要らないわ」
「何故だ」
「女の子なんて、貴方がなにをするか判らないじゃない」
323 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:51:55.95 ID:PPbBn0gE0
一瞬、頭が白くなるのをタカシは感じた。
白くなった思考のまま、ミユキに近寄り彼女の衣類の襟元を掴み手を振り上げた。
「やめろ!」
成り行きを静かに見守っていた義父が俊敏に動き、タカシの前に立ちはだかると、
その手を掴み、動きを制止させた。
老人の者と思えぬ力強さは娘可愛さ故に発揮されたものか、
枝のような腕はタカシの手首をきつく握り締めたまま、
ミユキを庇うようにして前に立ち、鋭い眼光でタカシを睨みあげてきたのだった。
ミユキは父が動くのを見越していたのか、のんびりとした眼差しでタカシを見ている。
「タカシ君、ミユキから手を離しなさい」
地鳴りのような低い声で言われても、タカシはその手をミユキの襟元からどけることができなかった。
「離しなさい!」
二度目の命令に、タカシは仕方がなく手を下ろした。
ミユキが優雅に微笑んでいる。穏やかな笑顔に無性に腹が立った。
タカシは近親者ならば誰もでもいいケダモノと言うわけではない。
ミユキの中ではそれが真実であったとしても、それは実際のタカシではない。
それは、確実に誤解である。
――だがそれを弁明してどうなるというのだろうか。
元々上手く行くはずのない関係だったのだ。
タカシにとってこの婚姻は目的があってのものであった。ミユキにしても同様だ。
誤解を正すことで修復されるような関係では、元々なかったのだ。
「男の子じゃないと駄目」
ミユキがぽつりと言った。
「どうしても、男の子じゃないと駄目」
選択的妊娠で、男児は確実に望める。しかし、彼女のプライドはそれを許さない。
だが、彼女は数回の堕胎を告白したのだから、姉に女性として劣ってるとは言えないはずだ。
なにが彼女をここまで追い詰めるのかが判らない。
いや、判っているはずだ、とタカシは考えた。
324 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:53:58.03 ID:PPbBn0gE0
彼女は、完璧でありたいのだ。
誰よりも完璧であって、完璧な子供を産みたいのかもしれない。
望むような、完璧な女、そして母でありたいのかもしれない。
だがその考えは結局のところタカシの思い込みかもしれぬし、
果たして彼女の心の奥底に巣くう答えが正しいものであるかどうかは判らない。
それほどまでに、タカシとミユキは完璧とは程遠い夫婦であったのだ。
「貴方に言っても判らないでしょうね」
彼女の感情の起伏についていけない。怒っていたかと思えば急に聖女のように微笑む。
不安定な精神状態は、タカシのせいなのだろうか。
そもそも、子を望みながら堕胎を繰り返す精神状態は、真っ当とは言いかねる。
一体何人の子供を堕胎したのだろう。考えただけで、タカシは気分が悪くなった。
「アンタも知ってたのか」
事の成り行きを見守るようにしていた義父に、タカシは問いかけた。
ミユキの父と言うより、祖父と行った方が年齢的に相応しいような男は、
シワが深く刻まれた顔を左右に振ってみせる。どうやら彼もミユキの堕胎に関しては知らなかったようだ。
「タカシ君」
老人がふいに口を開いた。
「水製造機が壊れつつある」
今、このタイミングでなにを言っているのだろう。
「そんなことはどうでもいい」
今はミユキの話をしている。娘が堕胎を繰り返していたことを、
この老人はなかったことにするつもりなのだろうか。
タカシは拳をきつく握り締め、「どうでもいい」と繰り返した。
「君が死ぬより前から、その兆候は見え始めていた。水が戦争の元凶であると怒りを抱き、
テロにあった機体も少なくはない。
襲撃の衝撃によって、君の仕掛けたブラックボックス保護のプログラムが起動して自爆した製造機も数多くある」
「今、その話は必要がないはずだ!」
「三百機あった製造機は、今や百機ほどしかない。それも戦争を経たため、各所にほころびが見え始め、
修理が必要な状態だ。だが、これらは君にしか修理ができない」
「アンタ……!」
「全てを直すことを条件に、君の息子を再現しよう」
325 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 21:55:46.57 ID:PPbBn0gE0
「は……?」
「お父様、なにを言っているの!?」
「国は今、修理が可能な技術者を欲している」
「お父様!?」
ミユキの甲高い声が老人を激しく非難した。
何故そんなことを言い出すのだ、酷い裏切りだ――、要約すればおおよそのの内容はそんなところで、
今にも始まりそうな親子喧嘩寸前の一方的な金切り声を、タカシはぼんやりと阿呆のようにして見ていた。
「ミユキを壊してしまったのは、私だ」
「お父様!?」
「私は、水製造機の利権が欲しかった。
君が死ねばミユキは必ず君を再現しようとすることは、判っていた」
ああ、とタカシは納得をした。
つまり、この老人がタカシと息子のHLA抗原が一致すると、『あの女』にリークしたということか。
タカシが死ねば、ブラックボックスの中身は隠匿される。永遠に。
タカシが死んだのならば、その中身の謎が表に出ることはない。
だがどうだ。もしタカシが記憶を保持したまま復活したとしたら。
もしもその復活ののち、タカシがこの老人の言うこと全てに従う人形であったのならどうだろう。
タカシは表向きには死んだこととになっている。
こんなに早くほころびが現れるとは予想外であったが、老人はタカシが死ぬその瞬間には、
もうこの未来を予測していたのだろう。
製造機は機械だ。いずれ壊れる。メンテナンスを要する状況になった場合、それを行えるのはタカシのみだ。
タカシの命を握りこむことで、そして息子と言うニンジンを目の前にぶら下げることで、
タカシはいいようにコントロールされるに至ったということだ。
「――チクショウ……」
最早、怒りさえ湧いてこなかった。
自分の頭の足りなさにただただ情けなさを感じるだけだ。
「姉貴の血液はどこから得た」
「君の叔父さんからだ」
なるほど、身内も確かにグルだったというわけか。
噛み締めた唇から鉄の匂いを感じた。
「俺を『買った』と言うわけか。あんたは」
おそらく、叔父には大金が流れたに違いない。
「アンタ、俺を買っただけじゃまだ足りないのか」
老人はなにも言わない。
「俺の『種』も道具にしたわけか」
やはり、老人はなにも答えなかった。
326 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:05:31.80 ID:PPbBn0gE0
思えば、ミユキは唯一つ、タカシの子供だけを望んでいた。
タカシに対して彼女が欲したのはそれだけだ。
老人は、タカシに人間的な情を期待していたのだろう。
子が生まれれば、それなりに愛情を感じるだろう。
その情はやがてはタカシをがんじがらめにすると考えたに違いない。
息子の再現を条件に、好いても居ない女と添うことを決めたタカシならば、
ミユキとの間に設けた子もそれなりに愛するだろう、と。
その子供を人質にすれば、おそらくタカシは言いなりになるだろう、と。
老人は、タカシを手の内で転がせるとそう目論んでいたのだろうが、だがそれは甘い考えだ。
「だが残念だったな。俺はこうなった以上ミユキと交尾するつもりはない」
「タカシさ、」
「水も記憶も知ったこっちゃない! お前らの馬鹿げた目論見に巻き込まれた自分が情けない。
お前にも、世間にも、うんざりだ」
タカシの人生は翻弄されっぱなしだ。
ただの開発者であったのに戦犯と罵られ、そして騙され殺された。
死んだと思ったら今度は勝手に生き返らされ、二度目の人生を歩み始めたかと思えば、
それは搾取されるためのものだった。
「水も、大戦も俺には関係ない! お前らが勝手に始めたことだ!!」
「タカシさん、」
「俺には関係ない! なにもかも!! 知ったことではない!
好きにしろ、もう好きにしてくれ、だがそこに俺を巻き込むな!」
肩を怒らせ、心に渦巻くどす黒い熱を撒き散らした。
タカシは、この老人の支配下で生きている。
情けないことに、そうしないと生きていけないのが現状だ。
「大戦なんて俺には関係ない! だが世間は俺を戦犯だと罵る!
俺のせいで何人死んだ!? そう問いかけては石を投げる! 勝手だろ!
俺を殺し復活させたアンタが欲しかったのは利権だと!? 人を二人も殺して、
なにを成し遂げたかったのかと思えば、そんなことか! 馬鹿馬鹿しい!」
「君はあのまま生きていたとしてもいずれは殺されていただろう」
「だから『殺して』助けてやったってか。ご立派だな!」
「君が死すれば安全な水は再び供給困難となり、国民の体はたちまち病に侵されることとなる」
「そんなこと、俺の人生にも『あの子』の人生にもまったく関係のないことだ!
勝手に病気にでもなんでもなって死ねばいい!」
「君の命が安全な状態で保たれていれば、苦しむ国民は減るだろう。君の技術は保管されるべきものだ!
その技術は永久に保存されるべきもので、引き継ぐべきものだ!」
まるで話しにならない。
老人の語る理想はすべてタカシの人生を犠牲にした上に成り立つもので、
そこに無理やり巻き込まれ、既に僅か三歳で散った幼い命もある。
憎しみが腹の中で増幅されていく。
327 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:07:18.46 ID:PPbBn0gE0
「人を殺してまで……、俺は、『そんなこと』をしてまで、
技術を引き継がせるのはおかしいと言っているんだ!
では俺が再び死んだらどする!? 技術は再び消え行くぞ! クローンは禁止されると決まった!」
「だから君の技術を私に開示しろと言っている」
「……はッ」
呆れてものが言えなくなるというのは、こういうことだろう。
ひとしきり怒りをぶちまけたのちに湧き上がったのは、呆れとそれに伴う嘲笑であった。
この男は、金のことしか考えていない。
金が全てなのだ。
ミユキに対して多少の愛情はあるようだが、それも金の為の道具としか思っていないフシがある。
息子を『再現』すると申し出たのも、『再現』が終わってしまえばミユキが妊娠を諦めると踏んでのことだろうが、
最大の目的はブラックボックスの開示であり、やはりミユキは二の次となっている。
つまり、愛娘に対して『死を望まない程度』には愛情を抱いているようではあるが、
その薄っぺらな愛情でさえ、何かしらの衝撃を与えれば剥離してしまうような脆いものなのではないか、
とタカシは考えた。
現に老人は、ミユキの体調よりも先に製造機の内部を気にしているではないか。
ミユキの存在は、老人の中では『二番目』なのだ。
だが、事がそう上手く運ぶものだろうか。最大の障害はミユキの存在だ。
再現を厭うミユキが納得するとは思えない。
――とはいえ、タカシも老人のことを批判できない程度には薄情なのは確かであろう。
タカシはどう足掻いてもミユキを愛することはないし、そしてこの先、一切の生殖行為を行うつもりがない。
ミユキなど、最早どうなっても構わなかった。
もしかしたら生まれていたかもしれない娘たち、彼女たちのことを思うと胸は痛んだが、
生まれても居らずタカシを『お父さん』と呼んだことのない胎児よりも、
タカシにとってなによりも大切なのは、やはり三歳で無残にも殺された『息子のタカシ』だけなのだ。
そう、タカシは誰よりも愚かなのだ。
タカシにとって、息子は全てだ。
息子が鼻先にぶら下げられたニンジンであるとわかった今、今後息子を再現することは
老人の思い通りに動かされることとなると充分に判っている。
328 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:08:51.45 ID:PPbBn0gE0
それでも、騙されていたと判っていても、タカシは愚かしくも望むのだ。
息子の『再現』を。
「……再現が先だ。そうしなければ俺はアンタにブラックボックスの中身を決して教えない」
「判った」
老人はあっさりと頷いた。
もしかしたら、息子の記憶や脳のスキャンデータはないのではないかと危惧していたが、
しかしそれはないようだ。タカシは心中安堵していたが、それは顔に出さぬように努めた。
二人の間で、取引は成立した。あとは息子を再現させるだけだ。
だが――、
「冗談じゃないわ!!」
金切り声が二人の間に割って入った。
「なんで、なんで、お父様、酷いわ、結局お父様、私を利用しただけじゃない! 私のことなんて、
私のことなんて、」
「違う、ミユキ、私はお前のことを可愛いと思っている」
「嘘よ! でなかったらこんな、こんな、酷い! どうして! どうして再現するだなんて言うの!
そんなことしないって言ったじゃない! 私、私にタカシさんの子供をくれるって、言ったじゃない!」
耳に突き刺さるような声は、酷い酷いと何度も泣き叫ぶ。
再現は行われない――、最初からそのつもりであったことに、タカシは驚きなど感じない。
正直、その可能性は大いにあると考えていたのだ。
もしもそうされた場合、ミユキが出産した子供を人質にとってでも再現を行うつもりだったのだが……。
「そうしてやりたかったさ! だがミユキ、お前は自ら子供を……、」
「うるさい! 女の子なんて要らないの! 男の子じゃないと駄目なのよ!! じゃないと、じゃないと……、」
「落ち着きなさい」
「絶対嫌よ!! 絶対に嫌! 再現なんて認めない! 絶対に!!」
「ミユキ、」
絶対に嫌。
ミユキは勢いよく立ち上がり、そして襖を勢いよく開けた。
白いワンピースが揺れている。
いつの日か、タカシを迎えに来たあの日のように、ワンピースの裾がタカシをからかうように揺れていた。
329 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:15:40.04 ID:PPbBn0gE0
***
ガガガガガ、と大地を大きく削る音がする。
今日もそこかしこで工事が行われているらしい。
「避難をしたいのよ。貴方にも一緒に居てもらいたい」
ミユキはチェアに座り込んだまま、轟音にかき消されそうな細い声で呟いた。
「警備アンドロイドも居るだろ。避難したいならすればいいが、俺が一緒に居る必要はない。
そんなに心配なら、二台でも三台でもアンドロイドを増やせばいいだろ」
タバコを携帯灰皿の上で押しつぶしながらぞんざいに答えると、ミユキは目元を吊り上げてタカシを見た。
「タカシさん、貴方はあの子がどうなってもいいって言うの!?」
漂うタバコの煙を払い、ミユキは俯いてみせる。
どうなってもいい? そうなのかもしれない。
ミユキが『一人』で身ごもった末に産み落とした子供など、タカシには関係のない存在のはずだ。
夫婦相互の同意の上のもとにもうけた子供ではないのだから。
「俺には関係ない」
「酷い……! あんまりだわ!」
「あの子はミユキ、お前が勝手に『一人』で作った子だ。俺は種を利用されていただけに過ぎない」
「遺伝子上は貴方は父親なのよ!?」
「お前の卵子を勝手に利用され、例えば隣の親父が『お前の子供だから育てろ』と子供をつれてきたとして、
お前はその子供を育てようと思うのか? お前が主張するのはそういう話であるし、
お前が俺にしたことはそういうことだ。俺は忙しい。帰る」
「待って!」
冷たい指先が、タカシの手首を掴んですがる。まるで蛇にまつわりつかれたような薄気味悪さを感じて、
タカシはその指を振りほどいた。
部屋の出入り口である扉が随分と遠くに感じられる。
待って、と叫ぶミユキの声に無視を決め込むと、漸く辿り着いた扉を開け放ち、
タカシは素早く部屋を後にした。
330 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:18:55.53 ID:PPbBn0gE0
飛び出すようにして玄関を開ければ、暖かい風が頬を撫でた。
気温は二十度前後。花粉も飛ばずに過ごしやすい気候だ。
他国の侵入に備えて上空をシールドで覆うようになったのは数年前のこと。
それと同時に、大日本帝国内の全ての気温も暑すぎず寒すぎずの気温に統一される技術も導入された。
今ではこの国は一年中『春』なのだ。なんとも不自然であるが、人の体は楽なほうへと流れ行く。
それでも春を感じられるのだから、不思議なものである。
「タカシさん」
春の匂いに一瞬だけ気を緩めたタカシを不快な現実に引き戻したのは、
工事の低周波でもなく、少しばかりまぶしく網膜を刺激する日光でもなく、
自身に呼びかける、まだ幼い声だった。
「タカシさん、こんにちは」
ミユキのものとは異なる、明らかに幼い男児の声は、しきりにタカシを『タカシさん』と呼び続けた。
「あの、タカシさん、話があるの!」
無視して歩き出すタカシに近づくべく、足音は必死といった様子で追いかけてくる。
――気味が悪い。
タカシは喉もとまでせり上がってきた言葉を寸でのところで飲み込むと、漸く観念して立ち止まった。
茶色く変色した芝を踏みしる足音は次第に近づいてきて、それはタカシの嫌悪も知らずに、
リズミカルに音を奏でていた。
「おいついた!」
はあはあと息を切らし、その子供はタカシを見上げ、そして汗で湿って張り付いた前髪を
乱暴に掻き揚げるとニコリと微笑んでみせる。
「あのね、」
小さな手はタカシの手の甲を掴む。
それは、何と言うことはない、ただの『親子』のスキンシップである。
だがタカシは、その柔らかい感触に物理的な、ゾワリとした不気味な塊が
背筋を辿って頭のてっぺんまで流れていくような感覚を覚えた。
331 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:30:22.19 ID:PPbBn0gE0
「……忙しいんだが」
「ごめんなさい。あのね、」
子供はもじもじとして、もったいぶった仕草でタカシを上目遣いに見た。
「……忙しいと言っただろ。話が無いのなら帰る」
「あ……っ」
掴まれた手をするりと抜き取って、タカシは待たせている馬車へと向かって再び歩き出す。
「ま、まって!」
今度こそ返事をせずにタカシは歩く。早く、一秒でも早くこの家から、この子供から逃げ出したかったのだ。
風にあおられて、子供が愛用している赤ん坊用のシャンプーの香りがした。
その匂いさえ気持ちが悪くて、気がつけば掌は、口と鼻を覆っていた。
子供は、妻が一人で身ごもった子供だった。だが確かに四十六本の染色体のうち、
二十三本はタカシに由来するそれを持って生まれてきた子供であった。
遺伝的には確かにタカシの子供である『それ』は、母親に倣ってタカシを『タカシさん』と呼ぶのだ。
それがどうにも気味が悪くて好きになれなかった。
タカシは無視を決め込んで芝を乱暴に踏みしめながら足早に馬車へと向かう。
――五歳。可愛いさかり。
世間一般ではそのように呼ばれているのだろうが、タカシには彼をそのように思えなかったし、
おそらくこれからもそうは思えないまま年を重ねていくのであろうと言う確信があった。
実子を愛せないタカシを欠陥品と呼び詰る人間は多い。
だが、知らぬ間に種だけ採取され、
いつの間にか妻が『独りでに』身篭った子供のどこをどう愛せばいいと言うのだろう。
妻でさえ今はただ忌々しいだけの存在なのだ。いや、妻と呼ぶのもおぞましい。
妻――、ミユキは、ある日勝手に妊娠をした。
ならば最初から体外受精をすればよかったものの、
六年前、そう、老人がタカシの息子の『再現』を申し出たあの日だ、その直後に、
彼女はあれほど厭っていた人工授精を『勝手』に行ったのだ。
最早妻がなにを考えているのか判らなかった。
いや、最初から互いを理解できるような関係性ではなかったのだろう。
半ば強制的な、それも人質――、つまり息子のスキャンデータだ、を取られた上での脅迫めいた結婚に、
最初から愛情などない。
332 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:36:38.80 ID:PPbBn0gE0
「帰る。自宅に向かってくれ」
御者に告げると、彼は目を泳がせたのちに、ひとつ頷いて見せた。
庭に乗り入れた馬車は厩舎に収められることなく乗り付けられたままとなっており、
それは早々にこの場所から立ち去ることを態度でミユキに、そしてこの子供に周知させたものであった。
『妻子の住まう家』には十分ほど前に到着したばかりであったが、今日の『お勤め』はもう済ませたのだ。
長居する理由はなにひとつない。
週一で顔を出してやっているだけ、ありがたく思ってもらいたいものである。
「タカシさん、あのね……!」
馬車の外から、男児の声が響く。
その必死の声に愛情のかけらも抱くことができなタカシは間違っているのだろうか。
いや、そんなはずは無い。
タカシは馬車の内部にしつらえられたカーテンを開き、そして冷ややかに「離れなさい」と言い放つ。
「タカシさん、でも、」
「でも、じゃない。忙しいんだ」
「でも……」
「離れなさい、ショウタ」
子供の――、ショウタの『あ』の形に開かれた口が静かに閉ざされ、そして小さく「ごめんなさい」と謝罪した。
真っ白い真珠のような小さな歯が、日光に反射して光っていた。
健全なそのつやつやとした輝きでさえどうにも不気味に見え、嫌悪感が募る。
タカシがミユキに対して抱く感情は最早嫌悪しかなく、
その子であるショウタを見つめる瞳も冷たいものとなる。
ショウタに罪が無いのは判っているが、抗いがたい嫌悪感にまみれた感情は、
どうしても拭い去ることが出来ず、この幼子を傷つけずに済ませる道は今後一切の接触を絶つ意外には
考えられぬというところまできていた。
「離れなさい」
もう一度言うと、眉を八の字にしたショウタは震える声で再度「ごめんなさい」と謝罪した。
333 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:38:40.79 ID:PPbBn0gE0
丸い頬に、小さい手足。赤ん坊という生き物から人になったばかりの頼りないシルエットが静かに揺れる。
不完全な体は、だが、その端々に確かにタカシの遺伝子を引き継いでいると主張するように、
どことは断言できぬ微妙な体の部位、例えば四肢のラインやまつげの生え方、そのような些細な部位が
あの子……、たった三歳で強制的に人生を終了させられた『あの子』に似ているのだ。
本来死んだ子に似た部分は好ましく思うものなのであろうが、姉の遺伝子が組み込まれていないショウタに
『あの子』と似通った部分があることが憎々しく思えてならなかった。
そう、ショウタ自身にはなんの罪も無いにもかかわらず、
この一個の生命体が、ミユキの身勝手な想いのもと産み落とされた存在だと思うと、
どうにも受け入れがたいものとなるのだ。
ショウタは遺伝子的にはタカシの子供であろうが、しかし姉の子供ではない。
だというのに、何故こんなにも、そう、時折見せる表情でさえ、かすかに似通っているのだろうか。
あの気持ちの悪い女、ミユキの血を引いているというのに。
気持ちの悪い子供、気持ちの悪い妻、そして幼子を厭う自身、その全てが気味悪かった。
馬車に乗り込み、天井からぶら下がった鉄のパイプ越しに「出してくれ」と御者へと告げる。
「ですが、お坊ちゃまが……、」
「いい、出せ」
同じパイプから響く不満げな声に有無を言わせ命令を下すとタカシは口を引き結んだ。
この御者も回廊の家で働く使用人たちも、誰も彼もがショウタを哀れんだ。
実の父に冷たくあしらわれる幼子に同情しない人間など居るはずもないだろうが、
タカシはそんな非難の視線すら気にならぬほど、とにかくショウタを受け入れられずに居た。
「出せ」
再び強い口調で告げると、馬車はのろのろと発進する。
窓の外で、「タカシさん」とくぐもった声が聞こえたが、タカシは窓のしつらえられたカーテンをめくることもせず、
ゆっくりと嘆息すると目を瞑った。
もとより崩れていた思考とその感情が、端からほつれていきいつかバラバラに、完全に分離して
嫌悪だけが生き残って、まるで自身が鬼かなにかになるのではないかと、タカシはそんな馬鹿な危惧を抱いていた。
334 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:39:43.14 ID:PPbBn0gE0
――どうにも息苦しい。
この屋敷に赴くと、タカシはある種の息苦しさをいつでも感じるのだ。
結婚当初に、妻の父から与えられたものであったが、不便極まりない造りで、
住み始めから住み終わりまで、
ついに好ましく思えることが一度としてないまま、タカシはこの家での生活を終えた。
ショウタと一緒だ。
屋敷にも、ショウタにも、息苦しさしか覚えぬままタカシはこの家を出たのだった。
赤ん坊のショウタが真っ黒い瞳でタカシを見上げたことを覚えているが、
その護るべき幼い顔にさえ、愛情を抱くことが出来なかったのだ。
馬車の振動が太ももの裏に響く。
こっそりと窓越しに背後を見やると、回廊の家の二階の窓、そこから、
幽鬼のごとき表情を浮かべた女のぼんやりとした影が見え、背中がぞっとするのを感じる。
徐々に遠ざかる回廊の家はやがてはるか彼方にポツンと見えるばかりとなり、
タカシはその芥子粒のように小さくなった輪郭に、漸く安堵したのだった。
この屋敷にタカシが戻ってくることは殆どない。週に一度か、或いは二週間に一度、
もしくは月に一度。タカシは「用事がある」と呼びだれることが無い限り、
屋敷の近辺へと近寄ろうとさえしなかった。
タカシが本日ここを訪れたのには、もちろん呼び出しがあったからで、
その内容がどうにも物騒であったからだ。
335 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:41:50.98 ID:PPbBn0gE0
――ショウタの命が狙われている。
電話越しに激しくまくし立てられた内容は要約するとそんなところであった。
不気味という感情しか抱けぬ子供であったが、如何せん命が狙われている、
などとと告げられれば心配する程度の情はある。
ミユキが告げた内容を端的にまとめると、
「近頃、ショウタの通う幼稚園へと脅迫状が届いた」と言うことだった。
この何もかもがデジタル化される世の中で、脅迫状とはなんともレトロな話である。
さっさと犯人を特定しなくては困る、とミユキは叫んでいたが、タカシにはおおよその目星はついていた。
この国を戦争へと導いたとして、終戦から数十年経った今も水製造機を敵視する団体が数個ある。
おそらくそれらのうちのどこかに違いない。ショウタがA社の御曹司であるという話がどこからか漏れでたことによって
そのような物騒なものが送りつけられるに至ったのだろう。
――A社がアンドロイド製造の片手間に水製造機のメンテナンスを行うようになって六年経過した。
当初は戦争を導いたとして水製造機に対して憎しみを向いていたテロ集団であったが、
今では標的を『A社メンテナンス部門社員』へと鞍替えし、A社本社ビルの前で怪しい動きを見せては
警備アンドロイドに拘束されるというパフォーマンスを連日繰り返していた。
それに伴いA社の株価は下落、
その上、他社のアンドロイド開発も追い上げを見せたことから窮地に立たされていることもあり、
今や本社勤務となったタカシは、遺伝子上の息子のことなど二の次にしおなければなぬ程、切羽詰っているのだ。
「まずは抗議団体をどうにか片付け、それからショウタのことだ」
ぽつりと呟いた自らの声は、驚くほど冷ややかで、それが妙に居心地悪く感じ、
タカシは備え付けのコーヒーメーカーから黒い液体を注ぐとそれを飲み干した。
紙コップをダストボックスに放り込むと、再び嘆息し目を瞑る。
336 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:43:38.69 ID:PPbBn0gE0
連日行われる小規模な抗議デモがブランドイメージを低下させていることは確実だろう。
メンテナンス部門の社員の中には、危うく誘拐をされかけた者も居るという。
ブランドイメージの低下も問題であるが、人命に危機が及びかねない状況のほうが問題としては大きかった。
しかし。
「それも、あと少しの辛抱だろうが」
そう、手を拱いてばかりいるA社ではない。
ここ数ヶ月の間の異常な賑わいを見せた抗議活動は、一年もすれば収束の兆しをみせることだろう。
抗議活動の類は、時期はまちまちではあるが、これまでも幾度かランダムに行われていた。
問題は抗議などよりも、社員が誘拐されかけた、という事実のほうだ。
今までいかに過激な活動をされたとしても、さすがに誘拐されかけるような社員はいなかった。
社員を特別大事にしている、というわけではない。
メンテナンス部門に属する人間は、それぞれ重要機密を抱えており、つまりそれは、
ブラックボックスの秘密を知っているということにつながる。
秘密はパズルのピースのごとく細分化され、メンテナンス部社員の全てを集めないことには
秘密が意味を成すことはない。だが、万が一の可能性を考え、早急に対策を練る必要があった。
団体を一斉清掃という手立ては流石にない。それはもう殆ど、団体の壊滅を意味しており、
血が流れることは必須であろう。ブランドイメージの低下どころの話ではなくなることは確かだ。
だからA社は、社員の安全を確保できるだけのあるプロジェクトを立ち上げたのである。
プロジェクトの名は『箱庭』
それは、A社だけではなく、国防までをも視野に入れた盛大な作戦であった。
まずは今現在、A社が晒されている脅威から身を守るために発足されたプロジェクトであるが、
いずれは国の防衛までもを見込んだ計画だった。
337 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:45:48.33 ID:PPbBn0gE0
プロジェクト内容は名前のまま、つまり、擬似的な首都を作るという、壮大な目くらまし計画だ。
先の大戦で焼け野原となった京都府を頑丈なセキュリティで固めて復興させる――、
端的に言えばそのような計画であったが、復興した都市に住まうのは、人ではない。
アンドロイドが住まい、政治を行い、病院を運営し、そしてアンドロイドが学校に通うのだ。
国の中枢が集約された首都を新たに形成し、本物さながらに運営される巨大都市。
しかし実のところ、そこへと通い、或いは生活を営むのは政治家とその子に擬態したアンドロイドだ。
実際の政は別の都市で行われ、そして子供たちも、国に用意された代替地へとこっそりと通う。
万が一、再び炎がこの国を覆い尽くしたとしても、ダメージを最小限に抑えるべく、
ダミー都市を置くというわけだ。
終戦後、そのような計画は確かにあって、再び訪れることが予測される災厄に備え、
かついて大日本帝国国防軍としてこの国を守り抜いた男たちの子孫に、
アンドロイドを密かに紛れ込ませという無謀な計画を国は遂行してきた。
アンドロイドをどうするかまでの見通しは立っていなかったのが、今回の箱庭計画の発足に伴い、
漸くその使い道の目処が立ったというわけだ。
そんな理由から、タカシは確かに忙しくもあったのだ。
一分、いや、ほんの十数秒でさえ、
遺伝子上の息子と、そして戸籍上だけのつながりしか持たぬ妻へ注ぐことが厭わしかった。
タカシにはやるべきことがあった。製造機のメンテナンス。そして部門をまたいでの箱庭計画への参加。
それらの全ては――。
馬車が速度を緩めていく。
どうやら、あれやこれやと散漫に思考しているうちに、かなりの時間が経過していたようだった。
車輪が小石に乗り上げ、ほんの少しだけバウンドすると、その後そろりと停車する。
それから御者が馬車から一旦降りる音と、そしてタカシの横へと車外から近づく気配がした。
「お疲れ様でした。到着です」
開け放たれた扉の前で、御者が恭しく頭を下げていた。
腹の中ではタカシのことをぼろくそに罵っているのだろうが、知ったことではない。
メンテナンス業、そして箱庭計画。
多くのことについて「どうでもいい」「面倒だ」と無気力であるタカシが必死で時間をやりくりするのには、
それなりの理由があった。
338 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:48:09.49 ID:PPbBn0gE0
降り立った先、赤茶色のレンガを革靴で踏み、タカシは頭上を見上げた。
空を射抜く勢いで高く伸びるビルの窓は空模様を反射しており、鏡のようだ。
実際には十階建のマンションは、上空からのテロに備え、十階以上を虚実の映像で補われている。
その、セキュリティオプションを最大限に盛り付けたその部屋の八階、
その中央の部屋がタカシの住まいであった。
警備アンドロイドの瞳が一瞬の間にタカシの顔をスキャンし、登録された人物であると確認をする。
彼らの横をすり抜け、エントランスも同様に、
そして玄関からまっすぐ伸びた廊下の先にあるエレベーターへと飛び乗った。
まもなく到着した八階のフロアを、足早に進んでいく。辿り着いた自宅の玄関扉の脇にしつらえられた
網膜スキャンに瞳をかざし、それが認証されると、ほんの僅かな音が開場をしめした。
扉が完全に開くのを待たずに、タカシは自宅へと滑り込んだ。
「ただいま」
タカシがハードスケジュールを望んでこなすのには、意味があった。
水など最早どうにでもなってしまえ。そんな風に思っていた時期もあったが、今は違う。
子供には、安全な水が必要だ。箱庭もそうだ。子供の身の安全を確保するためには、
それなりの環境が必要なのだ。
革靴を脱ぎ捨てると、部屋の置くから小さな足音がした。
「お帰りのようですよ」という女の声は、五年前に導入した女性型育児アンドロイドだ。
「……おとうさん!」
子供の高い声が響くと同時に、それは飛び込んできた。
さらさらとした髪がタカシの手の甲をくすぐった。髪が細いのは『あのひと』に似たからかもしれない。
「おかえりさない!」
タカシの腰にぎゅっと抱きつくのは、一人の男児。年齢は五歳。
――死んだ三歳のあのときから、二年未来を生きている、かつて『タカシ』と名づけた幼子だった。
己の遺伝子と、そして最愛の姉の遺伝子を引継ぎ、記憶までをも完全に『再現』された子供。
その男児を抱き上げると、タカシは微笑んだ。
「ただいま、シュウ」
最愛の子供が、そこに確かに生きていた。
339 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/03/05(木) 22:49:19.17 ID:PPbBn0gE0
今日はここまで。
保守してくれた人、ありがとう。助かります。
遅くなってすみませんでした。
340 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/03/05(木) 23:19:42.52 ID:u6Jc6b0H0
おもしろかった!
続きが気になる
341 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/03/06(金) 20:23:02.66 ID:wWS7Aal6O
来てた!乙!
あれだな…もう一度読み直すのは相当時間かかるし完結してからにしよう
342 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/03/07(土) 02:13:26.18 ID:UFXFos1N0
来てた!お疲れ様です、どうもありがとう!!!
今までの謎がどんどん繋がっている感じがして、今回も面白かったです。
343 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/04/05(日) 00:04:08.45 ID:uDFYpKXs0
のんびり待機保守
344 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/05/02(土) 02:11:32.49 ID:wkGkpqfc0
ほしゅ
345 :
◆OfJ9ogrNko
:2015/05/04(月) 02:47:05.80 ID:h2pw8Udd0
セルフ保守
346 :
◆OfJ9ogrNko
:2015/05/04(月) 02:47:05.80 ID:h2pw8Udd0
セルフ保守
347 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/05/04(月) 23:40:04.69 ID:g2fPX9AU0
保守。楽しみに待ってるよ〜!
348 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/05/13(水) 00:25:22.15 ID:wjbjFa690
来てたの気づかんかった
今回も面白かった、おつ
349 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/05/13(水) 00:25:22.15 ID:wjbjFa690
来てたの気づかんかった
今回も面白かった、おつ
350 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/05/17(日) 17:10:25.95 ID:n6ZY0lmSO
次はいつかなー
351 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/06/12(金) 00:39:03.60 ID:Kf90P0zI0
ほしゅ
352 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/06/28(日) 18:19:28.12 ID:SYrinhpJO
まだだ!まだ終わってない!
353 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/07/08(水) 03:02:01.54 ID:1t2tcMd90
「ぼん!」
技師の声が響く。
スローモーションのように再生される目の前の映像には現実味がなく、
身動きの取れぬタカシはただじっとその様子を見守っていた。
ショウタの手に握られたメスは、暗い照明を反射して網膜に焼きつくような光を放っている。
細い腕が振り上げられ、その力がどこへ向かうのかも理解できぬまま、成り行きを見守るしかない。
自分は刺されるのだろうか――、漸くそんな考えへと思考が到達した瞬間には、
その銀色の凶器は柔らかな皮膚へと深く深くめり込んでいた。
充分に刃が肉の内部へと落とし込まれると、それは次第にスライドを続け、
やがて十センチ程度の窓を作った。
本来暴かれることのない皮膚の内側が、ぱっくりと開け放たれた窓から顔を覗かせて、
飛び散った血液はタカシの頬をしとどに濡らしていく。
赤いフィルムで視界を覆われたかのように、世界の色が変わっていった。
目に飛び込んだ血液は、明瞭な視界を奪い去り、目の前の出来事を輪郭でしか把握させてはくれない。
肉が切り裂かれた。それだけがはっきりと把握できる事実であった。
――ただしその矛先は、タカシ自身に向かうことは無く、つまり彼の予見は見事に外れ、
メスは振り上げた本人、ショウタの腹を切腹のごとく真横一文字に切り裂いていたのだった。
凶器は腹にめり込んだままだ。噴出す血液は瞬く間に床を赤い海に変えていく。
医師が舌打ちをし、ショウタの手を強引に押さえた。
「動かすんじゃない。下手に動かすと、損傷が酷くなる」
「……いい……」
か細い声で、ショウタは歯を食いしばりつつそう告げる。
「もう、いい」
「いいわけが無い。私は医者だ。目の前の怪我人を放っておけるわけが無い」
「もう、いい。疲れた」
「いいから、メスから手を離したまえ」
「いやだ……」
354 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/07/08(水) 03:04:46.30 ID:1t2tcMd90
離せ、離さぬという攻防はいつまでも続き、
その間も傷口からは血液が湧き水のように吹き出ては滴り落ちる。
やがて鉄臭さが鼻腔にまとわりつく程の血だまりが出来上がった頃、
ショウタの手からするりと力なくメスが零れ落ちた。
「坊ちゃん、いい子だ。今から止血を行い、同時に人工血液を輸血する。いいね?」
医師の声が少しばかり上ずって聞こえるのは、気のせいではないだろう。
彼は赤く染まった掌を浮かせ、傷口を窺ったのち、小さなため息をもらすと「無茶ばかりする」と呟いた。
「もう、いい」
「よくない」
「いい……疲れた」
疲れた、とショウタはしきりに言う。
疲れた、疲れた。
肉体的な疲れではなくて、精神的な疲れを告げていてるのであろう。
ショウタはまだ子供だ。
そう、子供なのだ、と唐突に理解した。
判っていたはずの事実だが、それがはじめてストンと胸に落ちるような、奇妙な感覚。
タカシは、判っていなかったのだ。いや、判るはずもなかった。
ショウタは、タカシの子供なのだ。
「違う……」
そういうことではない、とタカシは首を振った。
血の海を見つめながら、かろうじて記憶の片隅に張る居ているかのような、
薄く崩れそうな感覚を感じ取っていた。
――これは、なんだ。
355 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/07/08(水) 03:06:55.93 ID:1t2tcMd90
「返さなきゃ……」
「黙りたまえ」
医師が細心の注意を払いつつ、ショウタの体を横たえた。
細い手足がどんどん血の気を失い青白く染まっていく。
その壊れそうな細さは、成長期さえ迎えていない少年の手足に他ならなかった。
手足だけではない。よくよく観察を繰り返してみれば、ショウタの体はなにもかもが幼くて小さい。
彼の年齢さえ碌に知らぬタカシであったから、それが年相応の体格なのかどうかは判断しかねたが、
骨の上に乗っている肉が、あまり多くはないことは安易に理解できた。
――何故、それほどまでにか細い体に無体を働けたのだろう。
いくら記憶を書き換えられていたとは言え、理性の部分でセーブが効きそうなものだ。
現にタカシは今、とても『焦っていた』。それは記憶の書き換えに付随するものではなく、
このシーン、つまりこの状況に応じて産み落とされた、今のタカシ自身からなる感情のはずだ。
それは即ち突き詰めれば、タカシは『選択』の自由がないわけではなく、行動は自身の感情と理性の元に
コントロールが可能であると言うことに相違ない。
タカシは、自身の選択でショウタを組み敷き穿ち、そして痛めつけたことになる。
混乱、動揺、そして焦り。
「返さなきゃ、駄目……」
意識が混濁しているのか、意味不明な言葉ばかりを繰り返すショウタを、タカシはじっと見つめていた。
「かえ、す……」
ショウタは自らが作り上げた肉の窓に指を伸ばしつつ、うわごとのように『返さなきゃ』と呟き続けた。
356 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/07/08(水) 03:11:34.41 ID:1t2tcMd90
「返さないと、全部……」
「やめたまえ。これ以上の勝手は医師として承服しかねる」
「せんせい……」
「なんだね」
「あれ、こいつに返す」
青白く変色した指先が、医者の指を掴む。蝋のように白い指先とは対照的な赤さに怖気が走る。
現実味なく過ぎ去っていくやり取りは、
まるでタカシとは関係がない世界の出来事のように完結しているくせに、恐怖だけは明確に迫り来るのだ。
行き場のない恐怖に、冷や汗が滴り落ちるのを、タカシはなんとかやり過ごしていた。
「判った。そのために腹を裂いたのかね。……無茶苦茶だ」
「痛くないよ」
ただ体が思うように動かなくなるだけ、とショウタは呟いた。
「そういう問題ではないのだよ」
医師は眉間によった自身のシワを伸ばすべく、血塗れたままの指先を額に押し付けると、
もう一度、「そういう問題ではないのだ」と繰り返した。
「止血する。体を動かすことの一切を禁じる。君、手伝いたまえ」
技師はハッとした顔で頷くと、医師の傍らに膝をついた。彼のパンツが血の色の染まるのにも、
そう時間は掛からなかった。
「……例え君の体の五割がメカニカル化されていたとしても、
現にこうして君の体は君自身の『生命の危機』を訴え血を流している」
「え……?」
思わず呟いた自身の声に、タカシ自身が最も驚いていた。
「タカシ君。坊ちゃんの体は君の体と然して変わりない。
半分が機械なのだよ」
357 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/07/08(水) 03:13:58.50 ID:1t2tcMd90
ビニル製の手袋を嵌めた医師は、ショウタの腹の中に躊躇することなく指先を突っ込んでいった。
慎重に、内部に差し入れた指先を蠢かせている。
――一体何を『探して』いるのだろう。
医師はこともなげにショウタの体の半分が機械であると告げ、そして奇妙に指を動かし続けている。
なにをしようと言うのだろうか。
「……痛くはないかね」
「機械の体が、痛くなるわけないじゃん……大丈夫」
「何度も言うが、そういう問題ではない。
君は馬鹿ではない。私の言いたいことを理解しているはずだ」
「大げさだなぁ……」
掠れた声は、微かに笑い声を含んでいたが、どうにもタカシには、それがとても不思議に思えた。
「メカニカル化された体と言うのはかなり頑丈で、多少の無理は利く。
だが、君は今動くこともままならない。それは体への負担がかなり重いと言うことだ」
「知ってる……」
「機械部分はどこかしらが損傷すると、生身の部分に麻酔薬を流出させる。
その場で負傷者を眠らせて損傷部位の破壊がそれ以上進まないようにするためだ」
「それも知っているってば……、まって、せんせい、くるしい」
「ああ、すまない」
そう医師が答えると同時に、彼の手は動くことをやめた。
「……あった」
たった一言だけそう告げると、医師は来たときと同じようにして手首を慎重に動かしながら、
ショウタの体外へと出ようとしているようだった。
しかしその手には何かが握られているのだろう、皮膚の下で、時折ふくらみが移動するのが見て取れた。
「つまり君の体は損傷している。かなり深くね。わかるね」
ショウタは静かに頷いて見せた。
358 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/07/08(水) 03:19:03.27 ID:1t2tcMd90
「坊ちゃんの体は――、」
彼は作業を続けながら、再び口を開く。
一瞬だけ投げられた視線により、これから紡ぐ言葉は全てタカシに向けるものだと推測できた。
「――坊ちゃんの体はね、あえてメカニカル化されたものなのだ。
いいかい、体の部位の殆どは生のパーツを作ることができる。なんにでも変化できる細胞が最近みつかってね。
つまり再生医学の始祖とも呼ばれるある博士が開発したそれよりも、より簡単に体を再生できる技術だったのだ。
だが坊ちゃんはあえてそれを拒み続けた。こと内臓に関してはね」
「何故……」
医者の口ぶりから、ショウタの体がメカニカル化されているその理由は、
彼の無茶な行動からなる度重なる損傷とはまた別問題なのだろうということはタカシにも理解できた。
「何故ですか」
喉が渇いて、言葉が上手く発せない。喉と喉が張り付きそうだった。
「先生、その話はいいよ……」
「君の所為だ、タカシ君」
「先生……」
ショウタの手が弱々しく動き、血塗れたままのそれは医師の白衣を掴む。
だが、医師はその制止をやんわりと拒絶し、そして言葉を続けた。
「君が『そう』なったのも、坊ちゃんが『こう』なったのも、元を辿れば全て『昔』の君の所為だ。
『今』の君には罪はないが、私は『昔』の君のことが反吐が出るほど嫌いだ。
……坊ちゃん、大丈夫かね。君の腹から私の手を出すよ」
医師の手の動きが止まった。
ちらりと一瞬だけタカシを見遣り、そして医師は確認するようにショウタに向き直った。
互いに目だけで合図をしあい、そして下された決断は『続行』であるようだった。
359 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/07/08(水) 03:21:02.71 ID:1t2tcMd90
タカシの知らないなにかが動き出そうとしている予感はあった。
そしてそれをタカシが拒否できる類のモノではないという予感も、
タカシにとって都合の悪いものであろうことも。
タカシの精神面に嫌な引っかき傷を残すことは、おそらく確実である。
「私はね、『昔』の君が大嫌いであったが、それでも坊ちゃんを救ったことだけは評価している」
「救った……?」
「君は、テロに会った際、坊ちゃんを助けた。君の一人目の息子、シュウ君と両方ね。
……これが君の全てだよ、タカシ君」
ショウタの腹から腕を抜き取ると、医師はタカシにそれを見せた。
彼の指先につままれていたものは、小さなカプセルだ。それは銀色で、滑った血液でてらてらと濡れている。
鉄の匂いが鼻の奥を突く。嫌な匂いだ。そしてよく知っている匂いだった。
「ここに、君の全てが詰め込まれたチップが入っている。頭を少しだけ開いてこれを接続させれば、
君は『昔』の君の記憶と今の君の記憶が交じり合って再び新しい君になる」
――どうするね。
医師は選択肢のない問いを投げ掛け、タカシの返答を待っていた。
答えなど決まっている。タカシは全てを知らなくてはならないのだ。
360 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/07/08(水) 03:27:14.61 ID:1t2tcMd90
流れ出た大量の血液の中に、ショウタが沈んでいた。
血の気を失った顔は青白く、まるで死人のようだ。時折揺れ動く睫と、僅かに上下する腹によって、
彼がまだ辛うじて生きていることが判った。
辛うじて――、タカシには、ショウタの命の灯火は今にも消えうせんばかりに見えるが、
医師も技師も慌てた様子はない。
ならば大丈夫なのだろが、ショウタの顔はあまりにも青白く、
観察を続けることは、タカシの精神衛生上難しいことだった。
タカシは椅子に座り込んだまま、死体のようなショウタからゆっくりと視線を外した。
「動けるかね」
問われ、タカシは否と答えた。
「どこか損傷でもしたのかもしれないな」
医師はタカシの体を検分しようとしているのか、衣類に触れた。
彼の行動を遮ったのはショウタだった。
「解除、D、A、Y、L」
か細いショウタの声がそう読み上げた瞬間、体のこわばりがカクリと抜け落ち、
勢いあまったタカシは体全体が滑落していくような感覚を覚えた。
「もう自由に動けるよ……」
はぁ、と大儀そうに嘆息したショウタは、それきり血溜まりの中で目を瞑ってしまった。
「君、坊ちゃんの傷は塞がったかね」
「一応」
医師は短く技師に尋ね、技師も短く返答をした。
タカシは二人の会話を右から左へと聞き流しながら、確認するようにゆっくりと手を開閉を繰り返す。
自由に動く。
続いて足を軽く動かす。そして上半身を。
ぎこちなさは残るものの、全ての部位の稼動が確認できた。
361 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/07/08(水) 03:30:35.03 ID:1t2tcMd90
「なるほどね……機械部分に制御をかけたわけか。Do as you like――、お好きにしなさいってか」
――自分勝手が過ぎるぞ、ぼん。
技師が心底軽蔑した声でそう吐き出した。
タカシには、どうにも医者と技師の立ち居地が判らなかった。
時折ショウタを批判し、また次の瞬間には過去のタカシを軽蔑と共に非難する。
二人が二人とも、ショウタにも、タカシにも完全に味方をしているわけではないのは確かだが、
彼らが何故そのようにフラフラとしているのかが理解できない。
「もう手に負えないのだよ」
タカシの疑問を汲み取ったかのように、医師が口を開いた。
「私はもう、君の記憶に手を加えたりはしたくなかった。
坊ちゃんがこれ以上君の頭を弄れといっても拒否するつもりではあった。
だが、彼が記憶を戻せと言うのならば、それは君にとっても坊ちゃんにとってもいいことだと考えた。
欠けていても不自然、補うことも不自然、どとらも自然とは言いがたい状況ならば、補われていた方がマシだろう。
それに、おそらく……」
そこで医師は言葉を切った。
「聞こえるかね。いや、この地下では聞こえるはずがない。私の幻聴だろうか」
医師の視線がつい、と天井に向かう。
「――再び、そう遠くない未来に戦争が始まるだろう」
「え……?」
「この国の防衛網は破られた。完璧とされていた防衛網が、だ。
密かに大日本帝国国防軍も動き出している。私は有事の際、軍医として借り出されることとなっていてね、
その通知がつい先日届いたのだよ。大昔の言い方で言えば『赤紙』とでもいうのだろうか」
「そんな……、」
「だから、私がもし死んだとしても、君と坊ちゃんが困らないようにしておきたい」
「困らないように……?」
ぼんやりとして追いつかぬ思考のまま、阿呆のようにタカシは医師の言葉をリピートした。
「坊ちゃん、『箱庭遊び』はもう仕舞だ」
医師の右手に注射器が光る。
透明の液体で満たされたそれが、タカシの腕へと向けられた。
今、ここで意識を失うわけには行かぬ。そんな気がしたが、医師は容赦なくタカシの腕を押さえつけに掛かった。
「ま……っ、」
待ってくれ、話がある。
そう紡ぎかけた唇は、腕からタカシを犯す液体に遮られ、
だらんとだらしがなく開け放たれたまま沈黙することとなった。
訪れた抗いがたい睡魔に、タカシの意識はゆっくりと落下していく。
深い深い意識の底へと、魂ごと落ちてゆく感覚は、恐怖とも、あるいは微弱な好奇心ともつかぬ、
奇妙な感覚だった。
362 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/07/08(水) 03:33:05.28 ID:1t2tcMd90
きょうはここまで。
なんか……ほんとすみません……。
2ヶ月ルール突破しちゃってるけど大丈夫なのかな。
保守してくださった方、ありがとう。
あと3回くらいで終わらせたい。
363 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/07/08(水) 09:50:55.78 ID:Moc9FMrto
乙
364 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2015/07/17(金) 19:45:18.75 ID:dpt5HhsiO
きてた!
まってた!
まってる!
365 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/07/18(土) 23:49:24.33 ID:7H7Dgc9S0
きてた!!乙です!!
相変わらず読み応えあって面白い。続きも待ってる!!
366 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2015/08/16(日) 23:17:38.86 ID:O2DqF4Iv0
セルフ保守
367 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/08/22(土) 00:30:46.73 ID:zmrLqPyf0
のんびり待ってる保守
368 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
:2015/09/13(日) 01:55:47.40 ID:OJqudtK60
追いついてしもた
予想外にSF展開でワクワク
369 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/09/19(土) 09:34:16.12 ID:AAv+BMCcO
待ってる
370 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/09/26(土) 00:24:03.31 ID:z90QUhle0
待つわ〜いつまでも待つわ〜
371 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/10/07(水) 00:01:38.18 ID:o739+m/o0
ほしゅ
372 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:05:37.10 ID:vHoLDIIk0
***
子供は無邪気なものだと思う。
親の思惑やら腹に抱えた葛藤やら、そう言ったものの一切を挟まずに、子供同士で勝手に仲良くなっていく。
「シュウ、あまりはしゃぐんじゃない」
「うん」
後部座席を振り返ると、頬を真っ赤に染めるほどに興奮しきったシュウが居た。
その横に座るのはショウタだ。
好きなヒーローの話で盛り上がる二人には、
運転席と助手席に座る両親の刺々しい空気に気づいていないようだった。
車のフロントガラスの端に浮かび上がった英数字は、気温二十度、湿度四十%を示している。
一年に渡って気候が統一されているこの時代において、この機能の必要性がよく判らない。不要な機能ではないか。
そんなことを散漫に考える余裕は充分にあるが、如何せん遠すぎやしないか、と言うのが率直な感想だ。
安全補助装置の付いた車を運転し始めて漸く一時間が経過したところであるが、目的地は未だに見えない。
大人が退屈をしているのだから、そろそろ子供たはぐずり始める頃――、
と思いきや、その気配は一向に見えず、できたばかりの友達とはしゃぎ続けていた。
暢気なものである。
空は真っ青で快晴。子供同士の初の顔合わせにはもってこいの天気であるが、
だがしかし、タカシの気持ちはどうにも晴れず、
ため息を口の中で作ってはなんとか飲み込む、ということを繰り返していた。
ショウタの通う幼稚園に脅迫状が届いたことに伴い、
ミユキはいつにもましてぴりぴりと神経を尖らせ、幾度も避難を希望する電話をよこしてきた。
昼夜問わぬ気がふれたかのような電話攻撃に、タカシはついに観念し、こうして仕事をパソコンに詰め込み
『家族四人』で避難するに至ったのだ。
373 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:11:12.65 ID:vHoLDIIk0
本来、現場を離れられる時期ではない。
製造機のメンテナンスはいつもどおりに定期的に行っていればいいが、
急ぎ足で行わなければならぬ箱庭計画を抱えていのだる。
夫婦関係はとっくの昔に破綻しているにもかかわらず、
少しでも隙を見せようものなら、外野はいとも容易く「これだから社長の義息子は」と陰口を叩くのだ。
タカシは誰よりも懸命に働かなくてはならぬのだ。
にも関わらず、タカシはこうして家族四人、こんな僻地まで――、
「お父さん」
シュウが身を乗り出しタカシの耳元へと顔を寄せた。チラと見遣ったのは助手席に座るミユキのことで、
慣れぬ女の存在に、シュウは少しばかり戸惑っているようだった。
「まだ着かないの? ええと、せーふ、えーと、せー?」
運転席まで身を乗り出したシュウが、首を傾げて覚えたての単語を唇に乗せようとする。
「セーフハウス」
「そう、そこ。セーフハウス」
「まだ着かないよ。ほら、座ってなさい」
「うん。お菓子食べていい?」
「いいけど、ひとつだけ。お昼、食べられなくなるからな。ショウタにも分けてあげなさい」
「わかった」
大人しく後部座席へと戻ったシュウは、出掛けに買った菓子の詰まった袋を探りながら、
ショウタとヒーローの話を続けている。
バックミラーに映る二人を確認すると、タカシは再び視線を前方へと戻したのだった。
道路の脇にはピンクの花をいっぱいにつけた桜の木がどこまでも植わっている。
その木の向こうに広がるのは田んぼで、随分田舎まで来てしまったものだと思うが、目的地は未だ遠い。
タイヤが転がる道路は冷たい黒で、おそらくその下には国を保護するための兵器が埋まっているはずだ。
暢気な田舎の風景には似つかわしくない警備システムは、
だが有事に際しては確実にこの国を保護してくれることだろう。
「セーフハウスね……」
嫌味を含んだタカシの呟きに、助手席のミユキはキッと眦を吊り上げタカシを睨んだ。
374 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:13:39.60 ID:vHoLDIIk0
避難――、タカシには、それがとても大げさなことに思えた。
A社のメンテナンス部門に属する社員が浚われかけたその理由は、
警備アンドロイドを通勤に同行させていないことに起因している。
大戦後、国家の科学的な機密を握る研究者には、国から警備用アンドロイドが支給されるようになっており、
その家族にも四六時中彼らが張り付き生活を共にすることが当たり前のこととなっていた。
だが、一般人――、
どんなに素晴らしい研究結果を出そうにも、一企業の勤め人程度では"一般人"と称されるのだ――、
にはそれがなく、ゆえの被害であったが、しかしミユキやショウタはそれとは事情が少々異なるのだ。
何せ、A社CEOの娘とその子供だ。高価な警備アンドロイドなど何台も所持できるだけの金銭的ゆとりがあり、
実際、庭には幾台ものアンドロイドが配置されていた。
警備アンドロイドを一台の威力はすさまじく、例えば五人の軍人に武器を所持した状態で襲われたとしても、
彼らは軍人を死滅させ、かつ保護対象に傷ひとつつけることが無い。
そんなものに囲まれ生活しているのだから、旧時代の警備システムのみが施された別荘――、
もとい、セーフハウスへと出向くほうが、よほど危険なように感じられた。
一応アンドロイドはつれてきてはいるが、トランクに横たわった状態で収納されており、
いざという場面に直面したとしても、すぐに起動することはかなわない。
まったく、危険で、かつ面白みもくそもない親子四人の遠足だ。
おまけに本来の目的は「避難」であるはずだというのに、警備を担当するアンドロイドはトランクの中、
全くもって危機感のない旅である。
375 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:16:37.84 ID:vHoLDIIk0
苛立ちをやり過ごすようにしてミント味の錠剤を口に放り込むと、奥歯で勢いよく噛み砕いた。
バックミラーに映る二人の子供。うち一人は時折、物言いたげにタカシを盗み見見ている。
自分の父親を『お父さん』と素直に呼ぶ子供の存在が気にかかっているようだが、
タカシもあえてあれこれとフォローすることもせずにドライブをスタートさせたのだ。
「お父さん、あーん」
グミゼリーを挟んだシュウの指が、タカシに開口を迫る。
少しだけ後ろを向き、素直に口を開くと、人工的なグレープの味が口に漂った。
ミントと混じって妙な具合の味わいとなったが、タカシは微笑んだ。
「美味しい? もっと食べる?」
「ありがとう、でもお父さんはもういいよ、二人で食べな」
「わかった」
細い腕を引っ込めたシュウを確認すると、タカシは視線を前方へと戻す。
と、そのときなにか大きな影がフロントガラスの上を通過した。
「鳥だ!」
シュウが歓声を上げる。
おそらく本物の鳥ではない。
国防や国民監視の名目で放たれたメカニカルアニマルだろう。
「お父さん、あれ、なんていう鳥?」
真っ黒い翼に、それとそろいの瞳は親子を乗せた車の上をごく自然に旋回すると、そのまま遠く離れていった。
「カラスだよ」
ふうん、とシュウは返事をした。
二度目の人生を歩み始めたシュウは、家の外に出ることが、今日の今日まで殆どなかった。。
いつになく興奮しているのもそのためで、彼にとっては、目に映るもの全てがものめずらしいようだった。
「さぁ、そろそろ着くよ。それまで少しだけ大人しくしてなさい」
山はどんどんと深くなっていく。
上空に張り巡らされた国防シールドがブレて、蜃気楼のような歪みを作っているのが見える。
地方に行くにつれ、カモフラージュは手抜きになっているようだ。やがて道路も、整備が追いつかなかったのか
砂利がそこかしこに転がる雑なナリへと姿を変え、
小刻みなバウンドを繰り返すほどの悪路に車中の全員が辟易し始めたころ、車は漸く到着をしたのだった。
376 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:19:00.76 ID:vHoLDIIk0
黒い立方体の建築物の前に車を停車させたタカシは、ミユキもショウタもほったらかしで、
ひとまずはシュウは後部座席から引きずり出すと、小さく身を屈める彼の背中をさすった。
「シュウ、平気か?」
すっかり顔色をなくしうなだれるシュウは、座らされた木陰の下で、小さな頭を左右へと一度だけ振るった。
車酔いという未体験の衝撃に、体が追いつかなかったのだろう。
戦時中はタカシに抱えられて西へ東へとどたばたと走り回ったものだが、
彼の体はその記憶を消し去っているようだった。
「いいよ、ビニール袋に吐いちゃいなさい」
「……でないの」
「でない? じゃあ横になるか?」
こくりと頷いたのを確認すると、タカシはシュウを片手で抱え上げ、車へと向かった。
空いた片手でトランクを開けると、そこには『ヒト型』が横たわっており、
タカシはそれに向かって短く『起動』と命じた。
その青年型アンドロイドは、力仕事もカバーする警備アンドロイドだ。
子供の警戒心を解くために、顔立ちこそ優しげなものに設定されているが、しかしその警備能力は
軍人数人を上回る本格的なものだった。
彼は起動命令に従い狭いとランクの中で起用に動き、そしてタカシへと顔を向けた。
『声紋認証――、ユーザーIDを発声してください。声紋の確認と同時に警備システムが起動します』
滑らかな肉声じみた声が発声を促した。
近頃のアンドロイドは、盗難防止のため、シャットダウンののちの立ち上げにはユーザー認証が必要となっているのだ。
声紋とIDを同時に確認し、その後にパスワードの入力が求められる。
『確認しました。パスワードを入力してください』
まるで血の通った人間のような質感の掌が差し出された。
タカシはその掌へと、一本指を押し当てて五桁からなるパスワードを書き込んでいく。
『パスワードが認証されました――、』
「こんにちは、タカシ様」
認証とともにアンドロイドは表情を緩め、人らしく微笑み「なにかお手伝いすることはありますか?」と質問をした。
声はタカシの好みで、高すぎず低すぎないものに設定されている。
377 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:20:20.50 ID:vHoLDIIk0
「ああ、ベッドのシーツを変えてくれ。
そのあと、部屋は片付いているはずだが、一応空調をフルに働かせて空気を入れ替えを頼む。
荷物はひとまず玄関へ。それぞれのバッグにはユーザータグがついているから、
のちほどそれぞれが希望した部屋に運んでくれ。」
「かしこまりました。シュウ様に吐き気止めは?」
「様子を見る。収まらないようだったら飲ませようと思う」
「判りました。どのお部屋のシーツを交換しますか?
「取り敢えずは……、シュウ、お父さんと同じ部屋でいいか?」
シュウが小さく頷いたのを確認すると、タカシは二階の部屋を指定し指示を出した。
「シュウを早く寝かせてやりたい。なるべく早くに頼む」
「承知いたしました」
アンドロイドがセーフハウスに消えていった頃、ミユキは漸く車から降り、
嫌味を滲ませた表情のまま革張りのトランクを自ら引きずり出した。
タカシがアンドロイドを使っているために、ミユキとショウタは自分で荷物を持つしかない。
どうやらそれについて文句を言いたいようだが、
絶賛不機嫌週間のミユキはタカシと口を利きたくはないようだった。
ならばセーフハウスなどミユキとショウタ二人でくればいいものを、
『父親の務め』を果たすべきだとして、ミユキはそこだけは譲らず、
結局こうして四人で地方の山奥に来ることと相成ったのだ。
女とは面倒なイキモノだ。なにを考えているのかサッパリ判らないし、
不機嫌になれば喚くか無視を決め込むかのどちらかだ。
それにしても。
378 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:23:27.67 ID:vHoLDIIk0
「不便だ」
タカシはシュウを抱きかかえたまま、小さく嘆息した。
ネットには辛うじて繋がっていたが、セーフハウスに避難している以上は出前だのを頼むわけにはいかないし、
そもそも、わざと人が集まらぬ場所を選び建てられた家であったから、近隣にはコンビニさえないのである。
近隣にレジャー施設は存在するが、それらは所謂『大人の遊園地』であり、
つまりは性産業に従事する者たちが集いし街であり、不健全極まりなく、妻帯者には些か不向きな遊び場なのである。
尤も、避難時においてその手の遊びに興じるほどタカシの神経も図太くできてはいない。
「避難か」
溜息とともにこぼれだす単語に、タカシは頭痛を覚えた。
――避難は本当に必要なのか、そしていつまで避難をしていればいいのか、
タカシはいつ自宅、そして仕事に戻れるのか――、
つまりタカシは、到着早々この田舎の生活の不便さに辟易し、
実行されるとは到底思えぬ脅しに屈している自分を恥、さらにはいつ帰宅できるのか、
そればかりが気になっていたのである。
「お父さん、気持ち悪いよう……」
「ああ、悪い。早く横になろうな」
頭を微かに振るったシュウに振動を与えぬよう、なるべくゆっくりと歩みを進める。
チラと見遣ったショウタが、物ほしそうな瞳でシュウを見ていたのを捉えるが、気づかぬフリを続けるしかない。
――幼い子供を、気味悪く思う。
シュウと然して変わらぬ年齢の子供に、優しく接してやることもできないのだ。
ショウタはなにも悪くない。
媚びた態度もタカシが冷たく当たるが故に、なんとか気に入られようとしている所為であるし、
タカシを『タカシさん』などと呼ぶのもミユキを真似てのものに違いない。
可哀想な子どもだと思う。父親は生まれながらにしていないも同然で、
しかし生物学上の父であるタカシはそこにいるのだから、甘えたくもなるのは道理であろう。
379 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:26:03.86 ID:vHoLDIIk0
だが、どうしても愛せないのだ。
今や試験管ベイビーなど珍しくもなく、性行為の末に生まれ出た子供と言うのは、明らかに少数派である。
そのような現状においても、世の生物学上の父親たちは立派に父としての務めを果たしているのだから、
つまりショウタを愛せないのはタカシ側の問題であって、その問題を作ったミユキの所為でもある。
羨ましそうなショウタの視線が、背中を焼き尽くしそうなほどに注がれているのを肌で感じる。
だが、それでも、タカシにとって我が子と呼びたいのはシュウだけなのである。
そもそもミユキがショウタを孕んだ理由がよく判らない。
体外受精を厭った彼女は、自然妊娠に拘り、
しかし運よく妊娠できても胎に巣くう子が女児であると判った途端に堕胎を繰り返していた。
だというのに、タカシとの関係が完全に破綻すると同時に、
彼女はあれほどまでに厭っていた体外受精を密かに行いそしてショウタを産み落としたのだ。
タカシの精子をどこで手に入れたかも今をもっても謎であるが、
タカシにとってそれ以上に不気味であったのは、ミユキの思惑が不透明、どころか全く見えないところである。
ショウタを産み落としたことはまだ感情的に理解できる。
ミユキはタカシに酷く執着していたから、タカシの子を産みたいと言う感情はまだ理解できたのだ。
そして執着を深めてしまった理由はタカシ自身にあり、
長年、ミユキの思慕に気づきながらも利用するだけして利用して、
その思いに答えなかったことにあると言うことも理解している。
だが、何故突然体外受精をする気になったのか、それが判らなかった。
関係の破綻にともない、自然妊娠が望めないことが確定し、やけになる――、にしては、
ミユキの体外受精を断固拒否する態度はひどく強固なものであったし、
それについて妥協することは、彼女の中にある一つのプライド、
即ち『姉と同等、もしくはそれ以上の存在である』ことを打ち砕くことに繋がるはずだ。
それは最早彼女のアイデンティティと化しており、それをねじ伏せてまで選択的体外受精を利用し身篭った事実は、
その先に何か目的があることを示しているようにしか思えないのだ。
だが、その目的が判らない。
380 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:27:35.10 ID:vHoLDIIk0
――驚くべきことに、彼女は幼いショウタに教育と言うものを殆ど行わない。
衣食住の世話、及び教育の大半はアンドロイドに依存しており、
彼女自身のアイデンティティの崩壊を招きかねない状態で産み落とした子に対するそれにしては、
その態度はあまりにもお粗末なものなのだ。
そのくせ少しでもショウタの身の危険が迫っているとなると、彼女は過剰に反応しこうしてセーフハウスに
『一家総出』で避難し彼を守ろうと必死になる。
彼女のショウタに対する態度は、アンバランスが過ぎるのだ。
今だって、ショウタは重い荷物を自分自身で持ち、顔を真っ赤に染めていた。
母親として手伝ってやることもなければ、自分の荷物を後回しにして世話をやくこともない。
なんとも不可思議で、そして不気味なのだ。
あれほどまでに望んで産み落とした我が子ならば、
どんなことをしてでも守ってやりたいと思うはずであろう。だがミユキからはそのような熱が一切感じられない。
「もう少しだからな」
腕に抱いたシュウに話しかけると、彼は小さく頷いた。
そう、少しの吐き気を感じている姿でさえ、かわいそうに思うはずなのだ、親ならば。
ミユキは何か隠している。
だが、その何かを探れるほど、二人は近しい関係ではなくなっていたのだった。
381 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:31:27.04 ID:vHoLDIIk0
吐き気に苦しんでいたシュウも、二時間ほど経過をすれば、すっかりと元気を取り戻し、
今日出会ったばかりのショウタとすっかりと打ち解け、飛ぶや跳ねるやの大運動会を繰り返していた。
子供のキャッキャと言う甲高い声が鼓膜を震わせる。
ショウタのものも入り混じっているはずのそれに対して、今日は不快感を抱くことがないのは、
おそらくシュウの声がその半分を占めているからであろう。
時々『お父さん』と呼ばれては手を振り、持参したタブレットで本社と通信しながらの作業を進める。
『不便ですね。貴方が居ないと作業が滞る』
タブレット越しの嫌味に、タカシは「すまない」と一言だけ謝った。
何でもかんでもがネットワークでつながれた昨今においても、在宅で仕事をする社員は少数派で、
ことタカシのような『現場に足を運んで何ぼ』の社員では、そのような選択肢は最初からないも等しかった。
ある程度の現場作業を済ませておいてからの在宅業務への一時切り替えあったが、それでも不便は多く、
なかなか伝わらない己の拙い指示に苛立ちを覚えることも少なくはなかった。
『それで、どうなんですか、親子水入らずのバカンスは』
嫌味の含まれた会話にタカシはポーカーフェイスのまま『特になにも』と返す。
『奥さん、落ち着かれましたか?』
忙しい時期の長期離脱に社は勿論のこと、部下や同僚にも迷惑を掛けていることは重々承知だ。
家族旅行などと曖昧に申請すればそれこそ針のムシロであろう。
それを見越してタカシは、少しでも自身の申請した休日に理解を示してもらおうと、
息子の通う園に脅迫状が幾度か送りつけられた旨を書き添え、その上で休みを取り付けたのだ。
社員への襲撃があったことも加味され、確かにちくりとする嫌味の二言三言は吐かれるものの、
それでも微かには「それも已む無し」と言う空気が漂っていた。
「迷惑を掛けてすまない」
『……冗談ですよ。仕方のない話です。どちらに避難されてるんでしたっけ?』
「すまない、それも話せない」
ただ、もろ手を挙げての許容でないことは、タカシも承知していた。
現に、はぁそうですか、ぞんざいに返事をした電話の相手は、不快感を隠すことなく、
言葉と態度でそれらを示して見せた。
382 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:32:48.30 ID:vHoLDIIk0
なんとしても早々に現場に戻らなくてはなるまい。
こんな片田舎の、花街ばかりが賑わうようなド田舎にいつまでもいるわけにはいかないのである。
表立って文句を言われることはなかったが、多くの社員はそれを口にしないだけであり、
タカシの突然の休暇を不服に思っていることは間違いない。
ましてや、今は箱庭計画が動き出した大切な時期なのだ。いつまでも休んでいるわけにもいかないだろう。
「なるべく早くに戻るようにする」
『わかりました。それでは』
素っ気無い挨拶と共に通信は遮断され、そしてタブレットは一瞬の闇に包まれた。
アプリケーションを終了させ、嘆息する。
――ミユキを説得する言葉が見つからない。
いや、彼女はタカシが何を言っても首を縦に振ることはないだろう。
たとえタカシの進言に心の底では納得をしたとしても、今の彼女は己の感情でその先の行動を選ぶほどに、
タカシに対して意固地になっている。
今回の避難とて、こんなセキュリティの甘い一昔前のセーフハウスよりも、
体感センサーや複数台の警備アンドロイドで警護を固めた自宅の方が安全だと、
彼女も心のどこかでは判っているはずなのだ。判らないほど愚かしい女ではないはずだ。
「お父さん! 外に行っていい?」
シュウが玄関近くで呼んでいる。隣にはショウタを伴っている。
腕に抱えられているのは小型の浮遊型スケボーだ。
近頃販売された、空気圧で浮かび上がる玩具は、対象年齢が子供であるのにもかかわらず、
大人たちもがこぞって買い求める人気商品であった。
フライボードと呼ばれる買い与えたばかりのそれは、シュウの気に入りの一つだった。
「いいよ。いいけどアンドロイドを連れて行きなさい。それから庭からはでないこと、
プロテクタはちゃんと着けること」
「はぁい!」
「ショウタにも貸してあげなさい」
「うん、判ってる!」
名を呼ばれ、ショウタの瞳が輝いたのを感じるが、
タカシはそれに気づかなかったフリをしてタブレットに視線を戻す。
383 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:33:44.41 ID:vHoLDIIk0
あの視線が、どうにも駄目なのだ。
とろりとした、濃厚な期待を含んだ視線――、そんな目で見つめられたところで、
タカシは父親としての情を与えてやることはできないのだ。
何故できないのか、どうして頑なに拒否をするのか、幼いショウタにはあまりにも残酷で、
その事実を伝えて納得させてやることもできなければ、またタカシ自身も伝える勇気など持ち合わせていない。
と、タブレットが通話を告げる点滅を繰り返した。
ディスプレイに浮かび上がる文字は義父の名である。タカシは眉間に浮かぶシワを人差し指でぐいと押し広げてから、
『通話』と書かれた文字をタップした。
「はい」
『タカシ君、今時間は大丈夫かね』
「ええ。どうぞ」
この義父のことを、タカシは嫌っている。ミユキを憎むのと同等程度には嫌い、そして憎んでいるのだ。
当然だ。タカシは彼らにはそれだけのことをされたのだから。ミユキの気持ちを弄び利用した代償にしては、
大きすぎるほどの罰をタカシは与えられた。
『ショウタは元気かね』
仕事の話かと思えばそんなことか、とタカシはこれ見よがしに嘆息した。
「元気ですよ。それが?」
『暫く顔を見ていないから……、ミユキが会わせてくれんのだ』
タカシのぞんざいな返答を気にした様子もなく、義父である老人はしきりにショウタを気にしていた。
「そうですか。元気ですよ。『ウチの』シュウと遊んでいます。御用はそれだけですか?」
ウチの、を強調したのは、自身の子はシュウだけであると言う意思表明のつもりであった。
『そうか……』
そう返事をしたきり、タブレットの向こうで男が沈黙をした。
384 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:35:13.16 ID:vHoLDIIk0
ミユキへの――、実の娘への愛情でさえ希薄に感じられたこの男であるが、
だがしかし、ショウタには甘かった。
時折こうしてショウタの様子を窺いにタカシへと連絡を寄越してくるのである。
おかしなものだ。自身の娘さえ手駒として扱っていたにも関わらず、この男は孫を恋しがる素振りは見せる。
なにかショウタの存在には秘められた目的があるのではないか――、
嘗て自身に降りかかった災厄の発端はこの義父であることから、タカシはこうして警戒を怠らず、
彼の言動の全てを疑って掛かっていた。
ショウタの様子を尋ねる言葉、ショウタが何か伝言を残していなかったかと言う問いかけ、
その全ては孫を思う祖父の態度そのものであったが、しかし過去から現在に連なる仕打ちを思えば、
タカシでなくとも警戒をするのは当たり前と言うものだろう。
「なんなんですか。私は忙しい」
『ああ……、すまない。その……、』
まだ何か告げたそうにして男は口篭る。
だが、タカシにお伺いを立てられたところで、さして旨みのある情報を与えられるわけではない。
義父はタカシとショウタの関係が、良好とまでは行かないものの、それなりに安定した親子関係を保っている――、
そう楽観視しているに違いないが、それは大きな間違いであったし、親子の接触は驚くほど少なかった。
タカシが拒絶しているためでもあったが、ここでわざわざそれを告げる必用もあるまいと、タカシは黙りこくった。
『屋敷に設置したアンドロイドから、毎回レポートが自動送信されてくるのだが……、
その、ミユキはショウタの世話を全てアンドロイドへと任せているようなのだ』
「だからどうしました? その為のアンドロイドでしょう」
モニタの向こうで義父が黙りこくった。
「仮にそれがおかしな態度だとしても、そう子育てするようミユキを育てたのは貴方だ」
卑怯な言い方だと大いに自覚していたが、嫌味の一つくらいは許されるべきだと思うのだ。
タカシは日に日に『嫌なやつ』に成り下がる自身を自覚している。
だが、それを抑止することはもう不可能に近い。
ミユキのこともどうでもいい。義父のこともどうでもいい。
ショウタのことは少しばかり気になったが、それは罪悪感からで、親として気に掛けているわけではない。
ただひとつ、タカシにとって大切なのはシュウのことで、その他のことは些末な問題であった。
些末な問題の割りにタカシの思考の奥深くにトゲのごとく突き刺さっているから厄介なのだ。
――気に入らない、端的に言えばそういうことだ。気に入らない。
正直なところ、シュウを除いた自身の周辺人物、環境の全てに辟易していた。
だが、タカシはなによりも、そんな大人気ない自身にも嫌気がさしているのである。
385 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:36:31.19 ID:vHoLDIIk0
『ショウタを、少しでいい、気遣って欲しい』
「ご自分でして差し上げたら如何ですか? 私は父親としての務めをまっとうする気はない」
『そうしてやりたいが――、』
義父はそう言ったきり、黙りこくった。
タブレットの画面に浮かび上がる顔は、かなり高齢の老人に見えた。
様々な技術を駆使して彼が生き延びていることは知っている。
近頃は体調があまり優れず頻繁に医師や技術者を招いているとも聞く。
そんな陰りの見え始めた『生』からの逃避に孫を使っているのかもしれない。
だが、とタカシは考える。
ミユキと義父が不仲となった今、しかしその橋渡しをしてやるほどの義理も情もタカシにはないのである。
二人の間に立ちはだかる因縁を、例えば他人に打ち明けたとしたら、
きっと多くの人は『過去の仕打ちをいつまでも根に持つなどみっともない』と、タカシを非難することであろう。
その代わりに第二の生を授かったじゃないか、と。シュウを再現したではないか、と。
だが、シュウを、最愛の息子を失った痛み――、それを思えば、どうしても義父を許すことはできないのだ。
自分自身に降りかかった不幸は飲み下しても、子に手を掛けられた過去は、
未来永劫水に流すことなどできぬのだ。
『ミユキを――、なるべく、ミユキを、ショウタと引き離してやってくれ。
こんなこと、君にしか頼めないんだ』
「頼みごとなどできる立場ですか、貴方は」
『それは――……』
老人はそれきり沈黙した。
目先の欲を、目先の儲けを、それらを貪欲に求め、たった一人の子供をタカシから奪ったのだ、この男は。
その恨みは一生消えることがない。
くすぶりつつ付ける恨みの炎はちりちりと燃え続け、憎しみの刻印を、今もなおタカシの脳へと刻むのだ。
恨みと同時にそこにあるのは喪失の悲しみ。あれらを忘れることなど、できるはずもない。
『タカ、』
「通話終了」
無慈悲にタカシは呟くと、冷めた眼差しで画面がブラックアウトするのをまった。
程なくして義父の残像は消えうせ、そしてその重ったるい気持ちを打ち消すような、
明るい子供の声がタカシを呼べば、嫌な気持ちは一瞬にして消えうせる。
そう、些末な問題なのだ。タカシにとって、シュウ以外の存在は。
「おとうさーん!!」
器用にフライボードに乗ったシュウが、タカシに向かって手を振った。
太陽のような笑顔は、きっと母親である姉によく似たに違いない。
晩年は笑顔すら見せぬ、ただの人形になってしまっていた彼女の面影が、笑顔の端に垣間見える。
「上手く乗れるようになったな!」
「うん!」
褒められて満足したのか、シュウは再び遊びに集中すべく、背中を向けたのだった。
汗ばんだ小さな背中は、肩甲骨のラインを浮き上がらせている。
明日にはプールの用意でもしてやるべきか。そんなことを散漫に考えつつ、
タカシは再びタブレットへと向かったのだった。
386 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:37:57.12 ID:vHoLDIIk0
今までマンションに缶詰状態での生活を余儀なくされていたシュウであったが、
それに耐えられるのも精々一週間であろう、と言うのがタカシの見立てであった。
自分専用のタブレットもない、テレビもない、気に入りの本を読んでくれる育児アンドロイドも居ないとなれば、
その窒息しそうな退屈にぐずり始めるのも自然の流れであり、
それでも我慢強いのか、『家に帰りたい』と彼が漏らすようになったのは二週間と一日が半分経過した頃だった。
なんとかなだめて半日をやり過ごしたが、できたばかりの友達と遊ぶ内容もこの僻地では限られており、
次第にワンパターン化していく遊びにも『うんざり』と言った顔をするようになってきた。
アンドロイドが力技を駆使して体を宙に放り投げたり、庭木によじ登って遊んだり。
そんなことも回数をこなせば飽きが来るのも当然で、シュウの口からは小さな溜息が零れ落ちるようになった。
「まだお家に帰れないの?」
入浴後の寝かし付けの為自らもベッドに転がりながら「ごめんな」と返事をする。
「なんで帰れないの? マミィのご飯が食べたい」
マミィとはタカシ不在時にシュウの面倒を見ていると女性型育児アンドロイドのことだ。
「難しい事情があるんだ。ごめんな」
なだめようと腹を優しく叩くが、しかしシュウの機嫌は直らず、頬を膨らませてフイとタカシに背中を向けてしまった。
「もうお家に帰りたいよ。ショウタ君のママ、なんだか怖いし、ご飯もあんまり美味しくない。
それにここで遊ぶのも、もうつまんないもん」
ここまでシュウが不満を漏らすのも珍しいことだった。
確かに退屈だろう。タカシでさえ辟易するような、なにもない田舎だ。
毎夜花火が夜空を飾るが、それらは祭りでもなく、テーマパークのパレードでもなく、
近隣の花街が客を呼び込むために賑やかしに鳴かせるものだった。
子供たちはこの退屈な場所に咲く、ひどく鮮やかな大輪の花に興味を示してて居たが、
流石にいかがわしい界隈に年端も行かぬ彼らを連れて行くわけには行かず、
「あそこは大人でなくては入れない場所」などと言葉を濁し、彼らの好奇心にストッパーを掛けていた次第だ。
「いつごろ帰れるの?」
「判らない」
その返答に、シュウの背中がますます不機嫌になっていくのが目に見えた。
387 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:39:12.05 ID:vHoLDIIk0
「シュウ……お父さんも早く帰りたいんだけど、今は事情が許さないんだ」
「ジジョーなんて僕知らないもん……帰りたいよ……」
プールも要らない、フライボードももういいから帰りたい、とシュウは切に訴えた。
「マミィが居ればもう少し我慢できそうか?」
最悪、誰かしらにアンドロイドをつれてこさせることも視野に入れ始めていたのだ。
『セーフハウス』の意味はなくなってしまうが、ある程度の妥協は仕方がないのかもしれない。
「……」
「シュウ」
「……ショウタ君のママが怖い」
「何かされたのか……?」
「ううん、なにもされないよ、僕」
二度に渡るシュウの吐露に、一瞬肝が冷えた。
流石のミユキも、タカシの耳に入りかねない場所で、シュウに危害を加えることはないだろうと踏んではいたが、
もしかしたら、と言うことも有り得る。
「本当に何もされていないんだな?」
「うん」
背を向けたまま頷きを伴った返事をするシュウは、嘘を吐いている様子はなかった。
ミユキが怖い――、そう思わせるのは、彼女のまとう気迫か、それとも視線か。
鋭敏な子供の五感は、ミユキの放つ負の空気を察知したに違いない。
「もう少し、もう少しだけだから、我慢してくれないか?」
「……うん……」
小さな返事のあと、一時間経っても、いつもの穏やかな寝息が聞こえてくることはなかった。
なんとかせねばならないだろう。
タカシとて、これ以上現場を離れるのは難しいのだ。
なんとかミユキを説得しなくてはならない。
タカシの言葉など今更聞くはずもない彼女を説得するのは、どれほど難しい作業になるか、
想像するだけで頭を抱えたくなった。
「おやすみ」
月夜に照らされた頭がかすかに動いたような気がしたが、
タカシはそれに気づかぬフリで部屋を後にした。
388 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:40:14.76 ID:vHoLDIIk0
旧時代の電話機と言うものは、酷く耳に障る音を上げる。
かつての人類は『家電』などという、移動もできない、ネットも接続をされていない、
これほどまでに不便な通信機を、どの家にも保持していたというのだから不思議なものである。
埃を被って玄関の片隅に存在さえ忘れ去られたまま放置されていたそれが、
悲鳴じみた不快な音を上げたのは深夜三時のことだった。
ソファで仕事をこなしていたタカシがまどろみ始めていたころ、
それは突如としてけたたましくなりだし、それがなにか理解できないままうろつくこと二分、
漸く発生源を探り当てた彼は、なれない手つきで受話器を拾い上げた。
「……はい」
応答はケータイやその他通信機と同じはずだ。相手の顔が見えぬ不便に違和感を抱きつつ、
タカシはシンプルにそう返事した。
『私だ』
その声は、よく知った声だ。タカシを一瞬にして不快にさせるのは一種の才能かもしれない。
「――何時だと思っているんですか」
『すまない。だが……』
義父は、口篭りながら謝罪を述べたのち、実は、と切り出した。
『アンドロイドからのレポートが届かないのだ』
ジジジ、と言う不快なノイズに混じった男の声は、しわがれた声でそう告げた。
酒でも飲んでいたのか、それとも大量の煙草を吸ったのか。常日頃より聞き取りづらかったその声は、
ノイズと交じり合うことによって、強い雨降りの日の音に似て聞こえた。
「そうですか」
ネット接続が時折不安定になることは珍しいことではない。
家電の放つ電磁波の影響を受けることもままあるし、そもそも電波が届きづらい場所に居る場合もあるだろう。
アンドロイドのレポートが遅れたことの何が問題だと言うのだろう。
タカシは嫌みったらしく溜息一つを吐き出し、その旨を伝える。
389 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:41:26.33 ID:vHoLDIIk0
『いや、だが……、私は二時間ごとにレポートを送信するよう設定している。
だが、二十二時を最後にレポートが送られてこなくなったのだ。
もしかしたら電源が落とされているかもしれない』
「……まるでストーカーですね。そんなにショウタが大事ですか」
かつてタカシと呼ばれていた幼子を――、オリジナルのシュウを、無残にも奪い取った老人が、
こうして実の孫をアンドロイドのレポートが遅れた程度で心配をしている。その姿が酷く滑稽であった。
タカシの元の名前を奪い取り、何を考えたのか、タカシにタカシと名づけた男。
そんな非道な行いをした男が、一丁前に孫の実を案じている。
あまりにも馬鹿馬鹿しくて、真っ当に人らしい受け答えをしてやる気にもなれない。
「私から私の大事な者を奪い取った人の行動とは思えませんね」
グッと押し黙る老人の気配に、タカシは思わず笑みがこぼれた。
本当に、滑稽だ。
アンドロイドに子の世話を一任している状態のミユキは、確かに普通ではないだろう。
世間一般で母型アンドロイドがどのように扱われているかと言えば、
彼らはあくまでもサポート役であり、それ以上の存在にはなりえていないのが現状だ。
いや、顔の多様性が出始めた辺りから、彼らをパートナーと見なす『アンドロイドフリーク』は確かに存在していたが、
それらのユーザーはごく少数であったし、
であるからして、本物の母親に成り代わるほどにアンドロイドに依存した家庭は殆どないといっていいだろう。
とは言え、アンドロイドが母親になれぬのかと尋ねられた、タカシは迷うことなく『否』と答える。
安全面、世話の熟練度、その他の『母親としてのスキル』を総合的に鑑みれば、
彼らほど完璧は『母』はおらぬはずだ。
そのように彼らは作られている。そのようにA社が設計をしたのだから。
つまり、ミユキのような不完全極まりない、育児そのものを放棄したい女に嫌々子の面倒を見せるよりも、
アンドロイドに世話の全てを任せたほうが、はるかに安全なのだ。
持参したアンドロイドは警備型であったが、主人に仕える態度は基本的にそう変わりはない。
彼らは『完璧』なのだ。
しかしタカシにも、老人の言いたいことは判っていた。
つまり、『その』アンドロイドからのレポートがないのを、この老人は心配しているのだろうが、
それはおそらく単なる不具合だろうし、今もなお、つれてきた警備型アンドロイドは、
眠り続ける二人の幼子の部屋を静かに行き来して見守り続けているはずだ。
二時間に一度のレポートなど無意味だ。何かが起きることなど、ないのだから。
390 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:41:59.71 ID:vHoLDIIk0
「そんなに大切ならば、ご自分で引き取るなりなんなりなさったら如何ですか。
私の子はシュウだけです。ミユキともども引き取っていただけるならばありがたい」
なにか言いかけたのだろう、電話の向こうで男が息を飲む声がして、
しかしそれは紡がれることはなかった。
あれほどまでにタカシに対して居丈高で傲慢であった男は、
『ショウタ』と言う唯一無二の孫を得て、いつの間にか脆く弱く変化した。
紙面上の関係でしかない義理の息子のことを快くは思っていないことは確かであるのに、
しかしその血と遺伝子を受け継いだショウタのことをいつでも気に掛けている。
タカシにへりくだってまで、『ショウタをどうか気遣ってくれ』とささやかな懇願をする。
おかしなものだ。ショウタの半分はタカシでできているというのに。
ふ、と自嘲するような、或いは嘲笑するような奇妙な笑いが漏れた。
「兎に角、もう休ませてください。何時だと思っているんですか。非常識極まりない」
冷淡に言い放つと、年老いた男はしわがれた声で『すまない』と謝罪をした。
画面もなく、ホログラムが浮き上がるわけでもない旧時代の電話機の向こう、
背中を丸めてしょぼくれた顔をする老人の姿が、タカシの脳裏にはハッキリと見えた。
それがあまりにも愉快で、タカシは追い討ちを掛けるように無言で受話器を元の位置へと戻したのだった。
391 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:43:59.83 ID:vHoLDIIk0
老人の言葉を鵜呑みにしたようで癪であったが、子の様子が気になるのは確かであった。
アンドロイドが稼動しているのだろうから、老人が気にするような出来事は何ひとつ起こっては居ないはずだ。
タカシは軋む階段がなるべく悲鳴を上げぬよう、慎重に階段を上った。
天窓からの月明かりが細く降り注ぐ廊下までたどり着き、タカシは漸く小さな吐息を漏らす。
全く、不便極まりない造りの屋敷である。階段は足運びを誤れば途端に軋むし、長い廊下には照明の一つもない。
『廊下の明かりは自動的に灯るものである』と確信して憚らない世代の少年少女ならば、
この薄暗い廊下をどう歩けばいいのか判らずに途方に暮れるに違いない。
幸いタカシは二度目の生を送っている、『旧時代』の人間だ。
雲の切れ間から降り注ぐか弱い月明かりに順応すべく『目を慣らす』ことも知っているし、
どうすれば慣れるのかも知っている。
タカシは暫しの間そこに佇むと、目が薄闇に慣れるのを待った。
雲の流れが速い。この国の空高くに張り巡らされたシールドの外では、やや強めの風が吹いているのかもしれない。
月はランダムに、その姿をハッキリと、或いはぼんやりと覗かせた。
と、月が一際強く輝きを見せたその瞬間に、タカシはそれを目にしたのだった。
廊下の奥、そこは小さな飾り窓があるだけの行き止まりで、読書でもするためか、
小さな木製の椅子が置かれていた。
誰の趣味であるのかはタカシの存ぜぬところであったが、
時折シュウが、或いはショウタがその上に座って足を前後に揺すっている姿を見ることがあった。
その上に、なにか――、いや、誰かが座っていた。
子供のどちらかにしては大振りな影であることは間違いない。
392 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:45:09.03 ID:vHoLDIIk0
「……おい」
声は小さく響く。
体躯から、アンドロイドであることは判ったが、しかしそれはタカシの声に一切の反応を示さなかったのだ。
通常、アンドロイドの聴覚は周囲の音をいくつも聞き分けることを得意としており、
その能力は人間の何倍にも及ぶことは誰もが知っていることであった。
警護用となれば五感は人間のそれに比べて何十倍にも及び、
例えば車の異常音を風に感じ、事前に人の列に暴走車が突っ込む、などと言う悲劇さえ回避して見せるのである。
そのアンドロイドが、主人であるタカシの声に一切の反応を見せない。
「おい」
もう一度呼ぶが、やはり反応はなかった。
瞬時に、足元に向かって血が落下していくような感覚が体中を走っていく。
タカシは矢も楯も溜まらずその場から走り出した。
廊下が軋む。スリッパが脱げ落ちそうになる。
タカシはシュウが眠っているはずの自身の寝室の扉を蹴破るようにして入った。
「シュウ!」
タカシは何故こんな不便で辺鄙なことこの上ない土地へ家族――、
戸籍上のみのそれも含む一団体でえっちらおっちらやってきたのかを、唐突に思い出したのだ。
肝心なところで選択を誤るのはタカシの特技か或いは運命か。
――なにも危険なのはショウタだけではない。
そう思い至るのがあまりにも遅すぎた。
果たして、月明かり差し込む大きな窓は開け放たれて、そして薄く白いカーテンが闇夜にはためいていたのだった。
血の気が引くとはこのことか。タカシはまず、冷静にそんなことを思った。
次に一体誰が、と言う疑問が浮かび、そして眠っているはずのシュウがそこにいない現実を再び確認すると、
足のつま先に妙な力がこもり、そして指先がサッと冷たくなり、そのくせ背中にはドッと大量の汗が噴出すのを感じた。
393 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:46:54.15 ID:vHoLDIIk0
「シュウ!!」
もしかしたらシュウはタカシを驚かそうと、部屋のどこかに隠れているのかもしれない。
そんな浅はかな希望を胸に、タカシは大声で息子の名を呼んだ。
心臓が早鐘を打つ。
甦るのは、あの時――、そう、あの時だ、あの子を失ったと知ったあの瞬間だ。
「シュウ!!」
返事はない。
シュウはここには居ない。そう確信をすると、タカシは来た道を戻り、ショウタの眠る部屋へと入った。
窓辺に置かれたベッドには丸みがない。半分以上が床へとずり落ちた掛け布団は、
荒らされている様子は微塵もなく、そこは乱れているというよりも、
寝相の悪い子供が寝ている間に足で蹴って落としてしまったような様子であった。
そこに少しだけ希望を覚えるのはおかしなことかもしれないが、
タカシは二人が誰かに誘拐されたのではないか、と言う不安が少しだけ拭い去られるのを感じた。
もしも自分たちの意思で出て行ったのなら、少なくとも誰かの手によって傷つけられる心配はない。
絶望的な状況で、少しでも楽観的に物事を考えようとするのはただの現実逃避に過ぎないが、
シュウが誰かの手によってその命を落としてしまうのではないかと言う恐怖に耐えられるほどには、
タカシのメンタルは丈夫にできていないのだ。何せ、一度喪った過去がある。
あれを二度経験して耐えられる親などいるわけがない。
湿った掌をシャツで拭うと、深呼吸を繰り返す。
やるべきことを考えろと自身に言い聞かせ、そして廊下へと小走りで急いだ。
ショウタの部屋から出るとすぐそこに椅子が置かれており、
アンドロイドはまるで眠りに落ちた人の如く目を瞑っていた。
394 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:48:43.25 ID:vHoLDIIk0
「起動……ッ」
情けないことに、声が震えていた。そんな状況でもアンドロイドは律儀に起動し、
薄目で俯いたままいつもどおりの言葉をタカシに投げ掛ける。
『声紋認証――、ユーザーIDを発声してください。声紋の確認と同時に警備システムが起動します』
幾度か噛みつつもユーザーIDと、続いてパスワードの入力を済ませると、
無機質なそれは途端に笑顔を向けて「こんにちは、タカシ様」と挨拶をした。
「……何故お前は"落ちて"いた?」
起動した瞬間に投げ掛けた質問に対し、アンドロイドは『質問の意味が判らない』と言う趣旨の表情を作り、
「落ちていた、とは私が何故起動していいなかった、と言う意味でしょうか?」と大真面目に質問をする。
「そういう意味だ」
「シュウさまのご命令により、システムを終了致しました」
「何故?」
「判りかねます。ですが、ユーザーであるタカシ様との血縁関係を確認済み、
かつチャイルドロックが未使用でしたので、シュウ様によるID、ならびにパスワードの入力によって、
私は昨晩午後二十三時十分十五秒をもって、システムを終了させました」
「あの子はどんな顔でそれを行った?」
「意味が判りかねます」
「……怯えた表情であったり、誰かにそれをさせられていた可能性を聞いている」
まどろっこしいやり取りとしながら、それでもタカシは冷静さを取り戻しつつあった。
もしも侵入者が居たのなら、この警備アンドロイドもそれに気づきそれなりの対処を行ったはずだ。
だが、そうでないのなら、少なくともシュウは自らの意思で最強のボディガードにしてセキュリティである
アンドロイドをシャットダウンさせたことになる。少なくとも、その身に危険が迫って行ったわけではないということだ。
「いいえ、寧ろ、いつもより生き生きとしていらっしゃいました」
つまり、シュウの安全は『アンドロイドをシャットダウンした時点』では確定されたことになる。
タカシはその事実に一先ずは嘆息した。
395 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:49:36.71 ID:vHoLDIIk0
過激派グループによる誘拐であるとか、そう言った線が消えさえすれば、
タカシも冷えた頭で思考をめぐらせる事ができるだろう。
できるだけ早くに見つけることが望ましいのは確かであるが、それでも人に攫われたのと自ら出て行ったのでは、
心配の度合いが随分と異なってくる。
シュウは確かにここ数日の間は環境に対する不満を幾度か呟いていた。
そのような背景を考えれば、この夜中の出奔は単なる冒険の延長であると考えても差し支えはないだろう。
「どこへ、」
どこへ行ったのか、など考える必要はないのかもしれない。
ここは田舎にぽつんと建った一軒家だ。
遠くに見える夜毎花火を打ち上げる街は、
退屈な時間に辟易した子供にはやたらと魅力的に映ったことは間違いない。
そもそもほかに目立った場所がないのだから、向かう先はあの如何わしい花街くらいしかないだろう。
客だと思われればいいが、逃亡を目論む奴隷かなにかだと思われたら非常に拙い。
シュウくらいの年齢の少年を好む男が、或いは女がいるらしいということは、タカシも耳にしたことがある。
「拙いな」
早く見つけなくてはならないだろう。
396 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:51:25.61 ID:vHoLDIIk0
だが、ああいった花街は地形がとても複雑なのだ。
元々人が住める土地ではない。
国の中枢を掌握する老人たちは、箱庭計画を遂行するための下地として、地方都市の発展にも力を注いできた。
その甲斐あって、地方都市はそれなりに発展を遂げ、
その計画に飼いならされた若者たちは自身が生まれ出た土地から出ようとさえしなくなった。
そうなるように老人たちは計画をしてきたのだ。
人は一箇所にまとめられている。それ以外の場所に人はいないし、
行ってはいけないと刷り込まれているのである。
住みよい、何でも揃う平坦な土地から出ようとする人々は殆ど居ない。
だが花街は、その下地が作られる前に形成されたものだ。
この現代においても、因習やしがらみが根深く残る、あらゆる面で特殊な土地ゆえに、
国がどうこう対処することもできず、
ついにはそっと蓋をして地図上からもひっそりと消しさった場所なのである。
かつて不運にも、産業も何もない場所に生まれ育った人々が、
苦肉の策で編み出した生きるための術、それが性産業。
まともな産業が栄えなかったということは、つまり、
土地も痩せ気味で工場さえ建てられぬ地形であることの証明だ。
花街は、そんな風に、平坦とは言いがたい土地に建物を無理やり建設しているのだ。
おまけに性産業を国が黙認した事実に乗じて、近隣の村――、同じく性産業なくしては食うにも困る村である――、
からも人が集まり、ごく近距離に村ごとの地区が形成され、
そのように村がせめぎあい、一つの性産業コロニーを形成していた。
複雑な道は人を惑わす。それだけならば兎も角、街は産業を盛りたてるため、
人を酔わす作用のある、怪しげな香を地区ごとに炊き続けているのだ。
故に土地に慣れた者でも方向感覚を失いやすく、おまけに地区から地区への移動が安易であるため、
A村管理地区を歩いていたはずが、細い路地に迷い込んだ拍子にB村管理地区の端にいた、
などと言うことも決して珍しくないのである。
そんな複雑な慣れぬ土地で、我が子を無事見つけることが可能であるのかどうか、非常に不安であった。
だがしかし、逸る気持ちを押しとどめることは難しく、タカシは当てもないにも関わらず、
花街へと向かう準備を始めていた。
397 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:53:28.46 ID:vHoLDIIk0
「タカシさま」
「お前は留守番を頼む。俺がいなくても警備はキチンと行うように」
「はい、ですが」
「頼んだぞ」
無計画に子供を捜すのは非効率的だと充分に理解していた。
だが動かずにはどうしてもいられなかったのだ。
「タカシ様」
最悪の場合、タブレットだけを持っていれば問題ないだろう。端末の中には身分証は勿論のこと、
シュウとタカシが親子であることを証明する、顔写真つきの証明書も入っている。
駐車場はあるだろうか、いや、あったとしても、あの複雑な地形にこの車を乗り付けることは可能だろうか。
「タカシ様」
「――、」
はた、と気づく。
一体、シュウはどうやって花街へと向かったのだろう、と。
明かりが見える距離とは言え、子供の足では随分と遠い筈だ。
途中まで道はあっても、その後の山あり谷ありの道を足だけで進むのは厳しいかもしれない。
「フライボード……」
シュウが使える交通手段と言えば、それぐらいしか思い浮かばなかった。
あの手の玩具には紛失に備えてGPSが組み込まれているはずだった。
だが、タブレットにそれらを登録した記憶はタカシにはない。
チクショウ、と小さく呟く。こんなことならば、たかが玩具とは思わずに登録をしておくべきだった。
「タカシさま」
いや、パソコンには登録したような気がしたが、あれは自宅用のモバイルだっただろうか。
今日も持参している仕事用のパソコンには登録はしていただろうか。
いいや、それよりも万が一バッテリーが切れて木々の間に落下でもしていたら――。
「タカシさま」
「なんだ!」
先ほどからしきりに呼ぶアンドロイドにタカシは漸く向き直り、そして思わず叫んだ。
398 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:59:02.88 ID:vHoLDIIk0
「忙しいのが見て判らないか!」
「ですが、」
「お前に付き合っている暇はない!」
「ですがショウタ様の、」
「なんだ!?」
「ショウタ様の個体反応を、ここから五キロの距離に確認したのですが」
「個体反応……?」
「ショウタ様の内耳には、私がいつでも体調を把握できるよう、センサーのようなものが埋め込まれています。
体温、呼吸数、心拍数、血圧。それらを総合的に見て、興奮状態である、或いは体調が悪いようだ、
などとショウタ様の体調を確認することが、ある程度は可能になっております」
アンドロイドは人のように瞼を開閉させたのち、タカシをじっと見た。
――思えばこのアンドロイドは義父によって与えられたものだ。
今回の避難に合わせて譲渡されたものであったが、警備の為のみならず、ショウタの体調を逐一知る目的で、
送られたものに違いなかった。
なにせあの男は、孫の身を案じて二時間に一度の頻度でレポートを送らせているのだから、
それくらいはしてもおかしくはない。
センサーもかなり小型で、胡麻よりも小さなものを注射針で送り出すだけで済むはずだ。ミユキに隠れて、
或いはこのアンドロイド自身が埋め込んだのかもしれなかった。
「ショウタ様の皮膚越しに、もう一体反応が感じられます。シュウ様だと思われます」
「ショウタの様子はどうだ」
「多少心拍数が上がっておりますが、命の危険はない状態であると判断できます」
「そうか……、お前、ショウタの居場所はハッキリと判るか」
「勿論です。この距離からではおおよその場所しか判りませんが、
半径五百メートルならば一ミリも違わずに特定できます」
なにを当たり前のことを言っているのだ。そう言わんばかりの眼差しでアンドロイドはタカシを見つめてきた。
「お前も来なさい。一刻も早く子供たちを保護したい」
「判りました」
慌しく身支度を整えて階下へ向かう。
軋む階段も、誰にも遠慮することなく駆け降りると、アンドロイドもそれに倣う様にして降りてきた。
「俺は車を出してくる。お前はこの家のセキュリティレベルをできるだけ上げてから、
鍵を閉じ車まで来なさい」
タカシはアンドロイドの返事も待たず、庭へと飛び出した。
命の危険はない状態。その言葉に少しばかり胸を撫で下ろしたが、しかしこれから危険な目に遭わないとも限らない。
なるべく早く、一刻も早くシュウを保護したかった。
やがてアンドロイドが車に飛び乗ると、タカシはやはり彼が扉を閉じるより早く、車を発進させたのだった。
399 :
◆OfJ9ogrNko
[saga]:2015/10/17(土) 00:59:41.78 ID:vHoLDIIk0
今日はここまで。
保守ありがとうございます。
400 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/10/17(土) 02:03:09.27 ID:OwO0CNsa0
続ききてた!お疲れさまです!
ショウタとシュウに一体何が起こってるんだ…気になりすぎる。
続きも楽しみにしてます。いつもありがとう!
以前の投稿読み返しながら、続きに備えてますね。
401 :
以下、名無しにかわりましてSS速報VIPがお送りします
[sage]:2015/10/30(金) 10:16:07.43 ID:RMxiH6mJO
待ってる!
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