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【オリジナル】「治療完了、目をさますよ」2【長編小説】
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109 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[sage]:2017/05/22(月) 21:54:00.84 ID:sdCqcKkA0
乙です。2クール位でアニメ化かドラマ化できそう。
質問や突っ込みたい所が山ほどあるんだけど完結後に受け付けていただけますか?
毎日の更新が楽しみです!
事情通のようであんまりよくわかってない大河内。完全に高畑の手の平。責任を取ってヒゲを剃れ。さては剃ったら童顔だな?
110 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:26:28.37 ID:roP5EhAm0
皆様こんばんは。
第22話を投稿させていただきます。
>>108
この話は、複数の主人公の視点で進行させています。
一貴も主人公の一人ですので、最も感情移入がし易い少年なのかもしれませんね。
>>109
ご質問や討論など、ぜひこのスレでさせていただければと思います。
都度ご返信をさせていただきますm(_ _)m
アニメ化やドラマ化ではありませんが、挿絵やイラストつきの同人小説として、近日に発売する予定ではあります。
もしよろしければ、お手にとっていただければ幸いです。
その際も各所で告知させていただきます。
111 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:28:31.87 ID:roP5EhAm0
◇
第22話 愛しているよ
◇
酸素吸入器を口に取り付けられ、腕には無数の点滴。
そしてマインドスイープ用のヘルメットを装着させられたソフィーが、担架で運ばれていく。
圭介はヘッドセットを外し、フーッ、と息をついた。
その目が、部屋の隅でうずくまり、パイプ椅子に腰を下ろしたジュリアにとまる。
彼は鼻を鳴らすと、ゾロゾロと部屋を出て行くスタッフ達に続いて出ていこうとして……眼前でバタン、と施術室のドアが閉まったのを見て足を止めた。
ドアノブに手をかけて開けようとするが、向こう側からガチン、と鍵が閉められ動かない。
しばらくして開けようとするのを諦め、圭介はポケットに手を突っ込んで振り返った。
ジュリアが立ち上がり、圭介から数歩下がった場所まで近づいてきていた。
彼女の手には、小さなハンドガンが握られていた。
それをまっすぐ圭介の眉間に突きつけ、ジュリアはどこか悲しそうな、空虚な目を向けていた。
112 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:29:09.11 ID:roP5EhAm0
「……成る程な」
意外なことに、圭介は冷静だった。
彼はポケットに手を入れたまま、ジュリアに向き直った。
「いつからだ? アンリエッタ」
彼がそう問いかけると、ジュリアは口元を僅かに歪め、いびつな笑みを発した。
そして掠れた声で答える。
「最初からよ、中萱君」
「そうか……」
「随分と落ち着いているのね……」
小さな声でジュリアがそう言うと、圭介は軽く肩をすくめ、自嘲気味に笑った。
113 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:29:41.32 ID:roP5EhAm0
「そんな気はしていた。人造スカイフィッシュである君を、アメリカ赤十字が何の意図もなく派遣してくるわけがない。なにせ……」
圭介は鼻を軽く引きつらせ、淡々と言った。
「俺達には、人権がない」
「……まるで何もかもがお見通しって言う感じの言い方ね……」
「およそ君が知っている限りのすべてのことはな」
「私は!」
圭介の言葉を打ち消すようにジュリアは叫んだ。
そして両手でハンドガンを構え、安全装置を指先でスライドさせる。
「……私はそんなあなたの、達観した物言いが嫌いだった!」
「…………」
「坂月君も! まるで全てを見透かしているような……私達の存在自体をすでに諦めているような……そんな顔も、声も何もかもが大嫌いだった!」
114 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:30:17.87 ID:roP5EhAm0
「…………」
「命乞いをしなさい」
淡々とした声でジュリアは圭介に言った。
「死にたくないって! 助けてくれって喚きなさい! 抵抗しなさい! 中萱榊!」
圭介の本名を怒鳴り、ジュリアは一歩を踏み出した。
そして圭介の額に銃口をえぐりこむように押し付ける。
「どうしたの? 何余裕かましてるの? 私が撃てないとでも……そう思っているの?」
「…………」
圭介は小さく溜息をつくと、その場から動くでも、抵抗する様子もなく軽く笑った。
それはどこか諦めたような、悲しそうな、やるせなさそうな。
虚脱した笑みだった。
彼のその顔を見て、ジュリアが言葉を飲み込む。
115 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:31:01.94 ID:roP5EhAm0
「いや……君はきっと、引き金を引く。分かってる。これは脅しじゃない」
「…………」
「そして、これは赤十字全体の意思だろう。なら、俺がここで騒いで、たとえ君を組み伏せたとしても。俺が助かる確率は極めてゼロに等しいってわけだ」
「何を冷静に……分析している場合?」
「ああ。最期くらいゆっくりしたいと思ってね」
圭介はそう言って、懐からタバコを取り出した。
そして口にくわえ、ライターで火をつける。
額に銃を押し付けられたまま、彼はフーッ、と煙を空中に吐き出した。
軽く咳をしたジュリアが、咎めるように言う。
「ここは……病院よ」
「硬いことを言うなよ。今までずっと、あの子の世話で吸えなかったんだ」
「いつから気づいてたの……? 私が、あなたを殺すために派遣されてきたって」
ジュリアが問いかけると、圭介はタバコを吸いながら笑った。
116 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:31:47.24 ID:roP5EhAm0
「いつも何も」
「…………」
「そういうものだろう。マインドスイーパーの最期って大体」
「……そうね」
「坂月は、そうやって俺が殺したからな」
笑い話のような調子でそう言うと、ジュリアは目を見開いて硬直した。
そして引きつった声を発する。
「坂月君を……? 中萱君……あ、あなたが……?」
「何を驚いてるんだ。知っているんじゃなかったのか?」
圭介はバカにするように鼻を鳴らし、続けた。
「坂月はS級のマインドスイーパーだった。沢山の人を治療したよ。そして、沢山のエラーを心に蓄積させていった。やがてそれは、処理しきれない悪夢の塊となって坂月を侵食した」
「…………」
117 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:32:16.39 ID:roP5EhAm0
「元の人格は崩壊。理性もなくなり、自分が誰かも分からなくなった。常に何かに怯え、何かに怒り。人を治し続けたS級能力者は、ただのリビングデッドに成り下がった」
「だから……殺したの?」
「そうだ。それが、坂月の遺言でもあった」
「遺言……?」
「人格が壊れる前に、あいつは俺に、自分自身の治療を依頼していた」
圭介の吸っているタバコから、灰がボトリと床に落ちる。
それを空虚な瞳で見下ろしながら、彼は続けた。
「俺は約束通り、坂月を治療した」
「殺すことは治療ではないわ! それはただの殺人よ!」
ジュリアが叫ぶ。
圭介はしかし、それをやるせない瞳で見返し、ゆっくりと首を振った。
「坂月はそれで救われた。俺は、産まれて初めてその時、人を救った」
118 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:32:46.46 ID:roP5EhAm0
「…………」
「最初で最後の、治療だ」
圭介は床にタバコを投げ捨てると、靴のつま先で踏みにじった。
指先でメガネの位置を直し、彼はジュリアをまっすぐ見た。
「坂月は救われた。だが、マインドスイープのネットワーク上にコピーされた坂月の人格は、分裂、増殖を繰り返して『悪夢の元』を延々と生み出し、トラウマとして人の心に介入を続けている。分かるか? 『スカイフィッシュ』というのは、ナンバー1システムの出来損ないの、慣れの果てなんだよ」
「スカイフィッシュが……坂月君の精神体の分裂したものだとでも言うの……?」
「その通りだ」
「嘘よ!」
「じゃあ説明できるのか? スカイフィッシュがどうして同じ姿形をしているのか。どうして介入不能な戦闘能力を有しているのか」
「…………」
圭介は手を伸ばし、ジュリアの頬にそっと触れた。
119 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:33:18.68 ID:roP5EhAm0
「全部、坂月の悪夢がモチーフになっているからなんだ」
「それじゃ……」
「君の中にも、坂月の悪夢が感染させられている。君も病人だ」
絶句したジュリアに冷たい目を向け、圭介は手を降ろした。
「……もう少し足掻けると思ったんだがな。存外に早かった。アルバート・ゴダックか? 君に俺の殺害を命令したのは」
「違うわ」
「へえ……?」
「あなたを殺すのは私の意思。あなたのことを、いっときでも好きだった……この私の意思。これは、私が決めた、私の殺意」
「違うな」
圭介はわずかに震えるジュリアの手を見てから、彼女の目に視線を動かした。
「それは植え付けられた殺意だ。誰かにインプラントされた強迫観念だよ」
120 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:33:50.56 ID:roP5EhAm0
「違う!」
「……違ったら、いいんだけどな」
そこでフッ、と圭介が笑った。
彼の気の抜けたような顔を見て、ジュリアが息を呑む。
「これを」
圭介はポケットから手を出して、ジュリアに差し出した。
そこには小さな紙切れがつままれていた。
「大河内に渡してくれ」
「そんな頼み、私が聞けると思う?」
「聞くさ。なにせ、君は俺のことが好きだからな」
圭介の表情が下卑た笑みに変わる。
121 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:34:33.72 ID:roP5EhAm0
「アンリエッタ。ここで俺が、君のことを愛していると言ったら。君はその引き金を引けるかな?」
小馬鹿にしたような邪悪な言葉に、ジュリアは目を見開いて怒鳴った。
「私を……私を弄んでたばかるつもり?」
「ああ、そうだ。じゃあ逆に聞くが。君は俺を、簡単に殺せるとでも思っていたのか?」
クックと喉を鳴らして笑い、圭介は手を伸ばしてジュリアの、銃を構える右手を掴んだ。
硬直して息を呑んだジュリアの手を引いて、自分の左胸。
心臓に銃口をあてがわせる。
「愛してるよアンリエッタ・パーカー。俺は、君のことが好きだった」
「…………」
歯を噛み締めて圭介を睨みつけるジュリア。
その手がブルブルと震えていた。
「どうした? 俺を殺しに来たんじゃなかったのか?」
122 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:35:05.68 ID:roP5EhAm0
「こんなの……こんなの……!」
ジュリアがヒクッ、と喉を鳴らした。
その泣き笑いのような歪な表情を作った顔が歪み……。
彼女の目から涙が溢れた。
「卑怯すぎる……」
「嘘だと分かっていても、動けないだろう。君は『そういう調整』をされているからな」
圭介はニヤニヤと笑いながら、ジュリアの手を握り込んだ。
「撃てよ! 俺を殺すんじゃなかったのか!」
突然の圭介の怒号を聞いて、ジュリアがヒッ、と息を呑む。
そして彼女はよろめいて、その場に尻もちをついた。
カシャン……と安全装置が外れたハンドガンが床に落ちて転がる。
圭介は冷めた目でそれを見下ろし、ポケットに両手を突っ込んだ。
「その程度の存在なんだよ。君も、俺も」
123 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:35:39.69 ID:roP5EhAm0
頭を抑えて絶叫したジュリアを淡々と見下ろし、圭介は続けた。
「坂月だって、真矢だってそうだ。俺達……赤十字による第一実験体は、今も昔も只のモルモット。モルモットにはモルモット以外のレールを歩くことは出来ない。だって……モルモットなんだからな」
「…………」
震えながら自分を見上げるジュリアに、鉄のような視線を下ろす圭介。
それは、スカイフィッシュの目に酷似していた。
「俺はずっと考えていた。どうして俺はモルモットなのだろうか。モルモット足り得る定義を作った奴は、一体誰なんだろうか……神ではない。そんなものはこの世にはいない。なら誰? ……坂月と、ずっとそれについて考えていた」
「中萱君……あなたは……」
「俺達をモルモットにし、坂月を壊し、真矢を壊し、こんな腐ったレールを作ったのは一体誰だ。自殺病を蔓延させ、人間の心に腐食するトラウマを植え付けている奴は、一体誰なのか」
圭介は足元の潰れたタバコを踏みにじり、それをドン、と足で叩き潰した。
「俺は坂月と誓った。どんな犠牲を払っても。その『悪魔』を地獄に叩き戻してやると」
124 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:36:14.57 ID:roP5EhAm0
「…………」
唖然として硬直しているジュリアに、圭介は続けた。
「だが俺は歳を取りすぎた。君もだ。手足がいる。俺の代わりに、悪魔に鉄槌を下す『カルマ』を持った道具が」
「それが……汀さんだったのではないの?」
震える声でジュリアが言うと、圭介は鼻を鳴らして答えた。
「他に誰がいる」
「あの子は人間よ……あなたの、あなたの復讐のための道具ではない……!」
「汀は真矢を殺した」
淡々と言い放った圭介の言葉に、ジュリアは息を呑んだ。
「え……?」
「マインドスイープした汀の中で、俺達はスカイフィッシュとなったあいつに襲われた。真矢はそこで死んだ。俺を庇って」
「…………」
「真矢のオリジナルは、そこで死んだ」
圭介は小さな声でそう言うと、自嘲気味にクックと笑った。
125 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:36:46.27 ID:roP5EhAm0
「分かるか、俺の気持ちが。俺の憎しみが。真矢を殺したクソガキを、あの悪魔を、俺は今までずっと育てていたんだ。ずっと守っていたんだ。俺の大事な真矢を奪ったあの外道を、俺は『治療』していたんだ」
「そんな……」
「だがもう十分だ。準備は整った。あいつは、もう逃げることは出来ない」
裂けそうなほど口を開いて笑い、圭介はポケットから両手を出して横に広げた。
「俺の復讐の準備は整った。そこにおける、俺の生死など大した問題じゃないんだ、アンリエッタ」
「あなたは……何をしようとしているの?」
掠れた声で問いかけたジュリアに、圭介はメガネの奥の瞳に鈍く光を反射させながら答えた。
「赤十字病院を……マインドスイープというシステムを牛耳っている病人達。『元老院』達を、治療するんだよ」
なめるようにゆっくりとそう言い、彼は舌で唇を湿らせた。
126 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:37:17.66 ID:roP5EhAm0
「元老院……を……?」
「そのために汀を育てた。テロリストと戦わせた。あいつに治療の術を叩き込んだ。そうだ……アンリエッタ。これは最初から、そう、最初から……元老院と、俺の戦争だったんだ」
「まさか……」
「俺だよ。テロリストを動かして、マインドスイープを妨害していたのは。俺と、坂月だ」
「…………」
絶句してジュリアは後ずさりした。
「無論テロリスト達はそれを知らない。テロに対抗するために組織された、君達『機関』も知らない筈だ。だけどな、事実なんだよ」
圭介は面白くてたまらないという調子で体を曲げて小さく笑い始めた。
「大変だったよ。反乱分子に情報を与えて。わざわざ調整された実験体を助けて……機関とテロの対抗図式を構築するまでに十年はかかった」
「……嘘……」
「嘘じゃない。まぁ、今となっては証明する術はないけどな。証明をするつもりもない」
127 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:37:49.17 ID:roP5EhAm0
「テロで、どれだけの人が死んだのか……分かっているの……?」
小さな声で問いかけられ、彼は首を振った。
「興味もないからな。知らない」
「あなたは……!」
ジュリアは弾かれたように顔を上げた。
「あなたは人間ではない……! 悪魔よ! 汀さんを悪魔と呼ぶなら、あなたもその同類よ!」
「……だから何だ」
「だから……」
ジュリアは悲痛な声を上げた。
「だから……!」
言葉にならなかったらしかった。
128 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:38:17.95 ID:roP5EhAm0
しばらく圭介は嗚咽するジュリアを見下ろしていたが、やがてポケットからサバイバルナイフを取り出した。
「さて……」
それを逆手に持って、ジュリアに向き直る。
「そろそろ終わりにしよう、アンリエッタ。この現実の世界で。せめてそこで終わりにしよう」
「…………」
「俺はこれから君を殺そうとする。無論抵抗しなければ、俺は君の頸動脈を切断して、殺す。その後、この病院内の全ての赤十字を皆殺しにする」
もう片方の手をポケットに入れ、彼はリモコンのようなものを取り出した。
「計十八ヶ所。この病院には爆薬を設置した」
「…………」
目を見開いたジュリアに、圭介は淡々と言った。
「ボタンを押せば爆発する。まぁ……多数の死傷者は出るだろう」
129 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:38:48.44 ID:roP5EhAm0
「それが……」
彼女はわななく手で床に爪を立てた。
「それが医者のやることなの……?」
「アンリエッタ……」
圭介は不気味な能面のような顔で、それに返した。
「自殺病に感染した人間は、もう二度と幸せにはなれない。なってはいけないんだ」
「…………」
「なぜだか分かるか? 自殺病に感染した人間が、マインドスイープのネットワークにアクセスするたびに、ネットにトラウマが放流される。ウイルスだ。つまり、自殺病患者は治療されるたびに、自殺病のウイルスをばらまいている。世界中に」
口の端を歪めて、彼は笑った。
「病原体なんだよ。すでに」
130 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:39:22.07 ID:roP5EhAm0
「…………」
「俺はこれから君を殺す。その後ボタンを押す。君が俺を殺さない限り、俺はそれを実行する」
カラカラと空調の音が響いた。
ジュリアは震える手でハンドガンを拾い上げ、立ち上がった。
そして両手で圭介に向けて構える。
「そうだ。それでいい」
彼は銃口が頭を向いているのを確認して、満足げに微笑んだ。
「ああ……これでやっと……」
「…………」
砕けんばかりに歯を噛み締めたジュリアが、指先に力を込める。
「真矢のところに逝ける」
銃声が響いた。
131 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:39:52.20 ID:roP5EhAm0
◇
「…………」
タバコをくゆらせたスーツ姿の男性が、苦々しげな顔で施術室の中に立っていた。
彼の周りには、黒服を着た男達が立って警備している。
警察と思われる者が出入り口を封鎖し、数人が遺体を青い袋に詰めていた。
「待て」
タバコの男はそう言うと、足を踏み出した。
そして二つの遺体袋に近づき、片方の半開きになっているチャックを覗き込んだ。
高畑圭介……というネームプレートと、頭部を銃弾で半ば破壊された遺体が、そこにはあった。
タバコの男は舌打ちをして立ち上がった。
視線をもう一つの遺体袋にやると、そこにも頭部が半ば破壊された女性の亡骸があった。
132 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:40:33.92 ID:roP5EhAm0
「こちらの男性を射殺してから、自殺したようですね……現場の検証を詳しくしないと、断言はできませんが……」
「警部!」
そこで息を切らせて別の刑事が飛び込んできた。
彼は血溜まりを踏み越えて近づくと、警部と呼んだ男に何事かを囁いた。
それを聞いた途端、男が顔面蒼白になる。
「アンリエッタ・パーカー……私の見込み違いだったか……中萱榊を殺して、自分も後を追うとはな……」
苦々しげに呟いたスモーキン・マンに、警部の男が近づいて、耳元に口を近づけて言った。
「即刻ここから退避を」
「何かあったのか?」
「監視カメラの映像と音声を聞いた結果、この病院には爆発物が設置されているようです。パニックにならないよう、内部の人を誘導しますので、あなたも早く外へ」
「…………」
また舌打ちをして、スモーキン・マンが足を踏み出す。
133 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:41:00.00 ID:roP5EhAm0
そこで彼は、血溜まりの中に紙切れが落ちているのを目にした。
さり気なく身をかがめてそれを拾い上げ、血をスーツで拭ってポケットに突っ込む。
そして彼は、火のついたタバコを携帯灰皿に押し込んで、蓋を締めた。
その視線が、圭介が吸って踏みにじったタバコに落ちる。
「……バカ者が……」
苦く、そして重く呟いて、彼は歩き出した。
点、点と血の足跡が、リノリウムの床に広がっていった。
134 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:41:30.93 ID:roP5EhAm0
◇
「高畑が……殺された……?」
愕然として大河内は、携帯電話の向こうに震える声を発した。
「そんな馬鹿な……誰だ、殺したのは? テロリストか?」
『それが……ジュリア医師が、施術後に銃で頭部を撃ち抜いたそうで……』
「…………」
『即死です』
電話口の向こうの医師に、大河内は声を荒げて言った。
「ジュリア女史は……? あの人はどうしたんだ?」
『高畑医師を射殺した後、銃を口にくわえて引き金を引いたようです。二人分の遺体が、施術室から発見されました』
「なんだって……」
大河内は言葉を失い、よろめいて椅子に腰を下ろした。
135 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:42:08.09 ID:roP5EhAm0
そして腹の傷を手で抑えながら、掠れた声を発する。
「……分かった。関東赤十字病院はどうなった……?」
『病院内に爆弾が仕掛けられているという話があり、一時騒然となりましたが……デマだったようです。爆弾は発見されず、通常通り、今は稼働しています。報道機関への抑制も完了しています』
「…………」
大河内は息をついて天を仰ぎ、電話の向こうに数点指示をしてから通話を切った。
そして頭を抑えて体を丸める。
病院の、音響反射材のような白い壁に囲まれた部屋だった。
かなり広く、幾つかのパーテーションで分けられている。
大河内はそこで点滴を受けていた。
すぐ近くのベッドには、汀(なぎさ)が横になって寝息を立てている。
136 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:42:46.93 ID:roP5EhAm0
沖縄赤十字病院の地下、マインドスイープ用の施設だった。
このエリアは、外部からのマインドジャックを妨害する効力がある。
ここにいる限り、テロリストの干渉を受ける心配はないが……反対に、こちらから手出しをすることもできなかった。
マインドスイープのネットワークに接続した瞬間、ハックされる危険性があるからだ。
「高畑……」
大河内は頭を抑えて言葉を絞り出した。
その表情が苦悶と苦痛に歪む。
「逃げるのか……そうやって。卑怯じゃないか……お前はいつも……」
そこで大河内は、看護師の女性が、院内通話用の携帯端末を持って近づいてくるのを見て、顔を上げた。
137 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:44:01.35 ID:roP5EhAm0
「ドクター大河内、お電話です」
「何だ? 関東赤十字からか?」
なぜ自分の携帯によこさない、と疑問が頭をよぎった所で、看護師が戸惑いの表情を浮かべて携帯を大河内に渡した。
「いえ……『サカヅキ』という方からです。男性です」
「えっ……?」
呆然として目を見開く。
看護師は彼の様子を見て、怪訝そうに顔を覗き込んだ。
「お知り合いではないのですか? ドクターの親戚の者だということなので、お継ぎしたのですが……」
「いや……知り合いだ。ありがとう、下がってくれ」
大河内は携帯を握り、立ち上がって誰もいない通路側に移動した。
そして保留解除のボタンを押し、耳に近づける。
「……私だ」
138 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:44:33.46 ID:roP5EhAm0
『随分出るのに時間がかかったじゃないか』
淡々とした声を受け、大河内は奥歯を噛み締めて、言葉を絞り出した。
「坂月君……」
『生きていたのか? っていう知能指数の低い質問は勘弁してくれ。時間もない』
「……お前が坂月君から分裂した精神体の一つか……」
『ああ。ネットワークを通じて、音声変換ソフトを間に挟んで通話してる。あまり長くは話せない。元老院に逆探知される』
「元老院……?」
『知っていると思うが、先程高畑圭介が死んだ』
大河内の問いかけを無視し、電話口の向こうの「坂月」はそう言った。
「本当のことなのか……やはり……」
『殺したのはジュリア・エドニシア。アメリカ赤十字の……』
「アンリエッタ・パーカーだな。厄介なことになった」
歯を噛み締め、大河内は押し殺した声で続けた。
139 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:45:18.36 ID:roP5EhAm0
「こちらの情報部からの情報通りだとすると、あの女は人造で調整されたスカイフィッシュのようだな」
『そうだ。いわば、人の手で作り出された俺のようなものだと言える』
「どこかにアンリエッタ・パーカーの精神が分裂した分裂体がいたら、君が死んだ時と同じように、誰かの悪夢に感染する」
『話が早いな』
坂月は小さく笑いながら言った。
『そこまで分かっているならいいんだ。ジュリア……いや、アンリエッタは、最初から高畑圭介を殺すための「時限爆弾」だったんだよ。生きていてもどっちみち処分されていた。新しいスカイフィッシュをネットワークに放流するためにね』
「何故だ」
大河内の血反吐を吐かんばかりの声に、坂月は言葉を止めた。
「自殺病を根絶するために、ナンバー1システムを作ったんじゃなかったのか……?」
『君は一つ大きな勘違いをしてる』
坂月は淡々とそれに返した。
140 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:45:52.74 ID:roP5EhAm0
『マインドスイープは、一つのビジネスだ』
「ビジネス……?」
『自殺病にかかった人間が、赤十字病院で治療される。自殺病のウィルスは誰かにまた感染し、あらたな患者を作り出す。そのサイクルで赤十字という大きなコミュニティは潤い、回る』
「…………」
絶句した大河内を馬鹿にするように笑い、坂月は続けた。
『たまにスカイフィッシュというスパイスも必要だ。簡単潤滑に進むだけではいけない。異分子による妨害があってはじめて、「治療」はさらなる「必要性」を有する』
「…………」
『全て赤十字の……「元老院」の描いたシナリオなんだよ。君達は、ただそれにそって足掻いているにすぎない』
大河内は歯を噛みながら壁に寄りかかった。
そしてズルズルとその場に腰を下ろす。
141 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:46:28.84 ID:roP5EhAm0
『そのシステム自体を潰そうとしているのが、テロリストだ。彼らはマインドスイープという行為自体を消し去ろうとしている』
「そんなことが可能なのか……?」
『可能だ』
坂月は重い声で続けた。
『人の夢に入り込めるシステムを掌握し、そこから別の悪夢を、世界中に送り込む。いわば……アンチスカイフィッシュだ。スカイフィッシュを殺すことができる、ウイルスバスターとでもいうものかな』
「そんな……」
大河内は声を荒げた。
「そんな都合のいいことが、できるわけがない!」
『無論、理想通りには行かないだろう。だが、自動でスカイフィッシュを駆逐できる、強力な別の悪夢を患者の心にインプラントできれば、それだけで自殺病の進行をある程度遅らせることが可能だ』
「…………」
『テロリストは、何度もマインドスイープへのジャックを繰り返し、システムの中枢をすでに発見している。次にダイブしてきた時が、彼らの決行の時だ』
142 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:47:08.85 ID:roP5EhAm0
「私に……どうしろと言うんだ……」
頭を掴んで首を振る。
そして大河内は弱々しい声を発した。
「高畑は死んだ……汀(みぎわ)ちゃんも、マティアスに殺されてしまった。私一人ではもう何も出来ない……そこにさらに、アンリエッタ・パーカーが二人目のスカイフィッシュとして、ネットワークに放流されたら、もう打つ手は何もないじゃないか……」
『今すぐ、君が保護した女の子をダイブさせるんだ』
坂月ははっきりとそう言った。
「何だって……?」
『網原汀(あみはらなぎさ)君を、今すぐ俺の指定する夢座標にダイブさせろ。君のすることはそれだけでいい』
「待て。あの子の主人格は、もう精神外科医によって削り取られてる。記憶も何もないんだ」
143 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:47:47.81 ID:roP5EhAm0
『知っている。高畑からそれは聞いた』
「高畑から……?」
『俺達はそのような状況のために、対抗策を用意しておいた。網原君には、やってもらわなければいけないことがある。主人格をロストしたくらいで、終わらせるわけにはいけない』
恐ろしいことを言い放ち、坂月は大河内に、座標情報をボソボソと伝えた。
その声が、伝え終わったあたりでノイズ混じりになる。
『赤十字に逆探知された。そろそろ通信を切る』
「坂月君! 教えてくれ、この患者は……一体誰なんだ? 誰の頭に汀(みぎわ)ちゃんを連れていけばいいんだ!」
『……君がよく知っている人物さ』
「私が……?」
『その夢座標は、アルバート・ゴダック』
大河内が息を呑んで、メモした夢座標の紙を見つめる。
『俺と高畑が十年かかって割り出した、元老院の最高責任者……全ての赤十字を統括している悪魔の、頭の中だ』
144 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:48:20.92 ID:roP5EhAm0
◇
会議室で、大河内は目の前のアイパッドに視線を落とした。
周囲には沖縄赤十字病院の医師達がいる。
「しかし……ドクター大河内。この状況でダイブを行うのは無茶です。それに、誰なんですか、この患者は」
沖縄側の医師の一人が口を開く。
大河内はアイパッドに表示されているカルテを見ながら、重苦しい声を発した。
「この患者は……世界医師連盟の一人。アルバート・ゴダックという男性です」
その名前を聞いて、周囲が息を呑む。
「冗談を……! あなたの情報だと、この患者は……」
「はい。アメリカ赤十字病院の隔離病棟で現在も集中治療中の、重度の全身麻痺患者……数年前の脳梗塞で意識不明となっている、植物状態の男性です」
静かに言い、大河内はアイパッドを叩き、カルテのページをめくった。
145 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:49:22.35 ID:roP5EhAm0
「偽名を使っているようですが、この男性で間違いはありません」
「そんな情報をどこから……」
声を上げた医師が、歯を噛んで大河内を睨む。
「いや……そんなことより、ダイブは無理です! 現在テロリストのマインドスイープの妨害を警戒し、全てのダイブ機構へのアクセスが規制されています。ご存知のはずでしょう?」
「分かっています」
大河内はそう言って、息をついてその医師を見た。
「しかし、先程その『世界医師連盟』のアルバート・ゴダック氏に『ダイブ』を行うように、という要請が、私に来ました。ご覧ください」
彼はアイパッドを操作し、そこに表示されている文書を、画面を回転させて全員に見せた。
映し出されたマークを見て、周囲が唖然とする。
「アメリカ国防総省の、セドリック・オーバンステイン大臣からの書面です。そして、彼は私の所属している『機関』の最高責任者でもあります」
146 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:49:54.47 ID:roP5EhAm0
アイパッドを持ったまま、大河内は淡々と続けた。
「日本政府への打診は終わっています。ご存知の通り、国防総省からの通達は、世界医師連盟の決定を上回ります」
「待ってください!」
机を叩いて、医師の一人が立ち上がる。
「この植物状態の患者にアクセスして、何をどうするつもりなのか、お聞かせ願いたい。いくら命令があろうと、ここは軍隊ではない。病院です! あなた方特務機関の力押しで、はいそうですかと協力する訳にはいかない!」
周囲の同調する頷きを見回し、大河内は息をついた。
そしてしばらく沈黙してから一気に言う。
「この男は、テロリストの一人です。先程CIAにより、国際手配もされています」
147 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:50:21.05 ID:roP5EhAm0
大河内は、嘘をついた。
勿論、国防総省の大臣から送られてきた書面は、本物だった。
先程の坂月の分裂体との会話を途中から録音し、転送。
それを受けてアメリカ国防総省から送られてきた通達は
「アルバート・ゴダックの殺害」
を命じるものだった。
彼がテロリストである、というのは、国防総省のでっちあげである。
そう、つまり大河内の属する機関は……。
簡単に言うと、「世界医師連盟」という組織を切り捨てたのだった。
そこには様々な思惑があるのだろうが、おそらく一番は、共倒れを防ぐため。
テロリストに情報が漏れている可能性のある、アルバート・ゴダックを殺害することで、口封じをしようとしているのだ。
148 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:50:50.14 ID:roP5EhAm0
こみ上げてくる吐き気を抑えながら、大河内は腹の傷を掴んだ。
僅かに血が滲んでいるのが分かる。
夢座標を解析した結果。
アルバート・ゴダックは植物人間であることが判明した。
すでに十年以上寝たきりの生活を送っている。
つまり、元老院の最高責任者とは……現実のこの世界からではなく、夢の世界から、坂月の精神体のように干渉し、動かしていたことになる。
「国際指名手配犯です。ネットワークに逃げ込まれる前に、精神中核の身柄を確保しなければいけません」
「なるほど……しかし危険すぎる」
大河内の言葉を聞き、医師の一人が歯を噛む。
「沖縄赤十字病院から出せるマインドスイーパーは、今は誰もいません。これ以上スイーパーの命を危険にさらす訳にはいかない。私達でダイブしようにも、時間がもつかどうか……」
149 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:51:17.15 ID:roP5EhAm0
「大丈夫です。私が連れてきた子を使います」
静かにそう言い、大河内はアイパッドをデスクに置いた。
「時間がありません。逃げられる前にテロリストを捕まえ、このテロを終わりにしましょう。長距離ダイブの用意を、お願いします!」
150 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:51:43.48 ID:roP5EhAm0
◇
大河内は眠ったまま目覚めていない汀(なぎさ)の頭にヘッドセットを装着し、何ともいえない苦しい表情で彼女を見下ろした。
ダイブ室に移動して、汀(なぎさ)を長距離ダイブ装置に接続。
大河内はナビでのサポートに回ることになっていた。
本当は大河内も一緒にダイブをしたかった。
そう主張はしたのだが、沖縄から、アメリカの患者にダイブするというその意識の伝達に、大人の大河内は耐えられないと止められてしまったのだ。
破れんばかりに唇を噛んで、彼は眠っている汀(なぎさ)の手を握った。
周囲では沖縄赤十字の医師達が慌ただしくダイブの準備をしている。
「……高畑は死んでしまったよ」
大河内は、汀(なぎさ)にだけ聞こえる小さな声で呟いた。
151 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:52:18.29 ID:roP5EhAm0
「ちゃんと話したことはなかったね……私は、卑怯な男なんだ」
反応がない少女の脇の椅子に腰を下ろし、彼は両手で彼女の手を包み込み、額に当てた。
そして絞り出すように続ける。
「私は、真矢ちゃんが好きだった。愛していたんだ。ただ、真矢ちゃんは優しくてね……高畑のことが放っておけなかった。あの二人が惹かれ合って、相思相愛になっていたと知った時、私は狂いそうになった」
自嘲気味に笑って、大河内は目を閉じた。
「高畑を殺してやろうかとも思った。でも、意気地がない私にはそれはできなかった。見ているだけだった。そしてやがて真矢ちゃんは君の中のスカイフィッシュに殺されてしまい、君と高畑だけが残された」
「…………」
眠り続けている汀(なぎさ)に、彼は小さく言った。
152 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:52:51.13 ID:roP5EhAm0
「高畑は君を憎んでいた。私はそれを知っていた。私は、真矢ちゃんが命をかけて守った君を、何とかして高畑の手から助け出したいと思っていた。だから機関に入った。でも、私は君を助けられなかった……それどころか、また戦場に送り出そうとしている……」
強く少女の手を握りしめ、大河内は言葉を絞り出した。
「私を……許して欲しい……」
「ドクター大河内、時間です」
後ろから声をかけられ、大河内は汀(なぎさ)の手をベッドに戻してから、立ち上がった。
ダイブ室から出て、ガラス張りのそこを取り囲むように機器が敷き詰められている一角に、大河内はよろめきながら移動した。
そして彼は、ヘッドセットをつけて声を張り上げた。
「ダイブを開始します。彼女の意識をスイープシステムに繋いでください!」
153 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:53:18.77 ID:roP5EhAm0
◇
汀(なぎさ)は、真っ白い、どこまでも続く廊下に立っていた。
天井には蛍光灯が縦に並んでおり、時折ブツブツと明かりが切れて、ついてを繰り返している。
二メートル幅ほどの通路はどこまでも伸びており、振り返っても同じ、先が見えない通路しかなかった。
壁も、床と同じ素材なのか白い、ただそれだけのものだ。
通路というよりはトンネルのようだ。
『私の声が聞こえるか?』
耳元のヘッドセットから大河内の声が流れてきて、汀(なぎさ)はビクッとしてヘッドセットを触った。
病院服に裸足の格好だ。
訳が分からない。
そこで彼女は、頭に抉りこむような痛みを感じ、悲鳴を上げて両手で耳を塞いだ。
鼓膜が破れそうな激痛だった。
154 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:54:19.07 ID:roP5EhAm0
そのまま床に転がってのたうち回る。
ヘッドセットの向こうで大河内が何事かを言っているが、聞いている余裕はなかった。
汀(なぎさ)の鼻から一筋、血が流れ出す。
しばらくして痛みが鈍痛に変わり、彼女はうずくまって頭を抱えたまま震えていた。
ここはどこで、自分はどうしてしまったのか。
さっぱり分からなかったが、先程の激痛でそんなことを考えている余裕がなかった。
『大丈夫か? 返事をしてくれ!』
大河内の声に、やっと掠れた呟きを返す。
「パパ……?」
『良かった。いいかい? 時間的余裕がない。君の身を守るためにも、私の言うことを、聞き返さずに素直に聞いて欲しい』
大河内の切羽詰ったような声を聞き、汀(なぎさ)は震えながら言った。
155 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:54:52.92 ID:roP5EhAm0
「な、何が……」
『君の脳に多大な負荷がかかってる。激痛はそのためだ。君は今、夢の中の世界にいる。今すぐその地点から移動するんだ』
「夢……ここが……?」
呟いて、壁により掛かりながら何とか立ち上がる。
『目的地は別だが、指定地点に寄って欲しいんだ』
「体が……うまく動かない……」
『君の精神がまだ慣れていないんだ。少し動けば適応する。とにかく、そこは危険だ。先に進んでくれ』
「後ろと前が同じで、どっちに行ったらいいのか分からないよ……」
心細げに言われ、大河内は少し考え込んでから答えた。
『壁に扉があるはずだ。すぐ近くに』
言われ、汀(なぎさ)は周りを見回した。
確かに、少し進んだ先の壁に、一つだけ不自然に木造の扉がついている。
その前に移動して口を開く。
「うん……ある」
156 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:55:19.22 ID:roP5EhAm0
『中継地点はおそらくそこだ。開いて中に入ってくれ』
「分かった」
頷いてドアノブに手をかけようとしたときだった。
チャリ……という金属音が響き、汀(なぎさ)は弾かれたように振り返った。
少し離れた場所……。
今まで彼女がいた場所に、人影があった。
パーカーフードを目深に被った、足元まで続く長いコートを羽織った華奢な影だった。
しかしそれを見た瞬間、汀(なぎさ)の体が勝手に震えだし、彼女は悲鳴を上げてその場に尻餅をついた。
腰が抜けてしまったらしく、ズリズリと力なく後ずさりする。
『何だ……? 何かいるのか!』
大河内がヘッドセットの向こうで怒鳴る。
しかし汀は答えることができずに、フードの女性……と思われる人を真っ直ぐ見つめていた。
157 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:56:05.33 ID:roP5EhAm0
フードの中が異様に暗く、顔を見ることができない。
汀(なぎさ)は体全体を走る悪寒に耐えきれず、「彼女」が足を踏み出したのを見て、金切り声の絶叫を上げた。
「誰かがネットワークに侵入してきたと思ったら……あら、中萱君のペット」
クスクスと笑いながら、女性の声を発した「それ」は汀(なぎさ)の眼前で足を止めた。
「でもお生憎様。あなたをこの先には行かせないわ」
『アンリエッタ・パーカーの精神分裂体……! スカイフィッシュか!』
汀(なぎさ)の耳のヘッドセットから、大河内の声がする。
『逃げろ! その精神体は、トラウマとしての機械的な動きしかしない。早く扉に入るんだ!』
汀(なぎさ)はしかし、動くことができなかった。
震えながら、アンリエッタのことを見上げる。
フードの奥の暗闇で、髑髏のマスクが光ったような気がした。
ドルン、という音がした。
ハッとした時には、アンリエッタが何か巨大なものを持って、鎖を引っ張っていた。
どこから出したのか、と考えるより恐怖が先行した。
158 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:56:55.98 ID:roP5EhAm0
チェーンソーの高速回転する刃を振りかざして、フードの化物は汀(なぎさ)に向かってそれを振り下ろした。
殺される、と目を瞑る。
しかし予想された衝撃はいつまで経っても訪れず、汀(なぎさ)は恐る恐る顔を上げ……そして目を見開いた。
自分と同じような病院服の女の子が、いつの間に現れたのか、間に飛び込んできていたのだ。
彼女は、アンリエッタと同じような巨大なチェーンソーを軽々と振り回すと、受け止めていた相手の凶器を跳ね飛ばした。
そしてためらいもなくアンリエッタの頭に向けて振り下ろす。
フードの化物は手を伸ばして、女の子の腕を掴み、チェーンソーの動きを止めた。
凄まじい力が双方にかかっているのか、ミシミシという異様な音が響く。
「何をしているの、網原汀(あみはらなぎさ)! 早くその扉の中に退避しなさい!」
悲鳴のような声を受け、汀(なぎさ)はハッとして立ち上がり、転がるように扉のドアノブに手をかけた。
回して押すと、向こう側に扉が開き、彼女の小さい体が中に転がり込む。
そこで、汀(なぎさ)の意識はブラックアウトした。
159 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/23(火) 16:57:36.65 ID:roP5EhAm0
◇
第23話に続く
◇
お疲れ様でした。
次話は明日、5/24に投稿予定です。
また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883177217
m(_ _)m
160 :
以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします
[sage]:2017/05/23(火) 18:31:01.52 ID:6uwZxwyA0
乙です。質問どころじゃなくなってきました。後2回でほんとに完結するのかよ?日米欧合作の実写映画版のキャスティングをつい考える自分
161 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:00:24.75 ID:Eb2omwdb0
皆様こんばんは。
第23話を投稿させていただきます。
>>160
ありがとうございますm(_ _)m
残り2話ですが、最後までお楽しみいただけると幸いです。
162 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:01:28.76 ID:Eb2omwdb0
◇
第23話 理緒ちゃん
◇
汀(なぎさ)は鈍痛がする頭を抑えて目を開けた。
そこは、どこか南国の浜辺のような光景だった。
白い砂浜が広がっていて、少し離れたところにはゆっくりと波が行ったり来たりしている。
見る限り、砂浜と波以外何もなかった。
空には燦々と輝く太陽。
暑い。
汗を手で拭って、汀(なぎさ)は荒く息をついた。
さっきの化け物は?
助けてくれた女の子は?
慌てて周りを見回すが、どこにもいない。
「ニャー」
そこで足元から声がして、少女は弾かれたように立ち上がった。
163 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:02:11.64 ID:Eb2omwdb0
白い小さな猫だった。
どこから現れたのか、それが足元に擦り寄ってきて、ゴロゴロと喉を鳴らしながら頭を擦り付けたのを見て、小さく息を吐く。
「猫は夢の世界に生きる動物、と言うが。ここまで適正のある個体は初めてだ。君は、随分とその子に好かれているらしい」
そこで背後から声をかけられ、汀(なぎさ)はビクッとして振り返った。
今まで誰もいなかった場所。
そこに、車椅子に乗った白髪の男性が座っていた。
彼は頭に包帯を巻いていた。
血まみれのその包帯は右目を覆い隠し、両手の指はギプスに覆われている。
足も折れているのか、右足に太くギプスが巻かれていた。
その異様な風体に警戒し何歩か後ずさりした汀(なぎさ)に、彼は軽く笑ってから続けた。
164 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:02:51.45 ID:Eb2omwdb0
「ようこそ、俺の夢の世界に。もっと近くにおいでよ。この通りの姿だ。君に危害を加えることはできない」
硬直している汀(なぎさ)に、彼は
「ほら」
と言ってギプスの手で手招きをした。
ビクビクしながら近づいた汀(なぎさ)に、目の前に座るように促し、彼は少女が腰を下ろして、震える足を抱え込んだのを見て微笑んだ。
「……怖いかい?」
問いかけられ、少女は頷いた。
そして必死の形相で青年に言う。
「ここはどこなんですか? パパは? あの化け物は一体何? 私はどうしてしまったの?」
そこまで一気に問いかけて、汀(なぎさ)は先程まで聞こえていたヘッドセットからの音が全く聞こえないことに気がついた。
スイッチらしきところを何度も押すが、反応がない。
165 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:03:28.80 ID:Eb2omwdb0
「どうして……」
愕然としてつぶやくと、青年は何でもないことのように言った。
「『外』の時間軸と、この夢の中の時間軸がズレてるんだ。通信は、この空間を出ないと使えないようにしてもらった。しばらくはスカイフィッシュも入ってはこれないだろう」
「あなたは……」
「俺は坂月。坂月健吾という、赤十字病院の『医者』だ……いや……」
自嘲気味に笑い、彼は目を細めて汀(なぎさ)を見た。
「医者だった、と言った方が良いかな」
「…………」
「今はただ、この情報の海で動けず朽ちていくだけの、ただの『産廃物』さ。そんなに恐怖しないでもいい」
「怪我を……してるんですか?」
問いかけられ、坂月と名乗った青年は首を振った。
166 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:04:02.72 ID:Eb2omwdb0
「これは怪我じゃない」
そう言って手を上げ、頭にかかっている包帯を引っ掛けてぐるぐると外す。
そしてその中から出てきた「モノ」を見て、汀(なぎさ)は息を呑んだ。
彼の、右側頭部が綺麗になくなっていた。
向こう側が見える。
断面はデータのバグのように、時折ノイズ紛れに歪んでいた。
「指と足も同じでね。まぁ……痛覚はないからいいんだが。もう俺のデータもだいぶ古くなり、欠損しているだけの話だ。気にしなくていい」
「あなたは何……?」
震える声で問いかけられ、坂月は微笑んだ。
「俺は俺さ。君が君であるように」
「私が……私……?」
「そうだ。君は、一体誰だい?」
問いを聞いてそれに答えようとし、汀(なぎさ)は口をつぐんだ。
167 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:04:29.74 ID:Eb2omwdb0
私……。
私は、パパの娘で……。
娘……?
それは、「いつから」のことだったんだろう。
その疑問が頭に浮かんだ瞬間、えも言えぬ悪寒が体全体を走ったのだった。
思い出せない。
いや、それ以前に私は、いつから私だった?
小さい頃の思い出は?
ママの顔は?
今までどこに住んでいたの?
何も思い出せない。
何も。
「私は……」
震える手で顔を隠し、汀(なぎさ)は呟いた。
「私は誰……?」
168 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:05:14.91 ID:Eb2omwdb0
「教えてあげよう」
坂月はそう言って、車椅子を汀(なぎさ)に近づけて言った。
「君の名前は、網原汀(あみはらなぎさ)だ。十三歳。日本人。身長は百三十二センチ。体重は三十一キロ」
少女の個人情報をスラスラと言い、坂月は微笑んだ顔のまま、ギプスの手を伸ばして、ポン、と彼女の頭に乗せた。
そして優しく撫でる。
「君は、マインドスイーパーだ」
「マインド……スイーパー……?」
「いいものをあげよう」
坂月はそう言って、彼女の前にギプスの手を、手のひらを上にして差し出した。
そこに赤い、小さなビー玉が乗っているのを見て、彼女は不安げに彼を見上げた。
「これは、君のものだ」
「何……それ……?」
169 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:05:48.09 ID:Eb2omwdb0
「その猫ちゃんがね、探してきてくれたんだ。これは精神中核と言い、人間の『魂』のようなものさ」
「…………」
「受け取って」
促され、汀(なぎさ)は手を伸ばしてビー玉を受け取った。
「不思議な時代だね。人間の魂も、データのように扱うことができる。人の魂の価値さえ、もうたいしたものはないんだな」
寂しそうに呟き、坂月はキィ……ときしんだ音を立てて車椅子を動かした。
そして汀(なぎさ)から視線を離し、海を見つめる。
「少し難しい話をしてあげよう」
彼はそう言って、囁くように、掠れた声で話し始めた。
170 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:06:34.41 ID:Eb2omwdb0
「人間の心は、元来病んでいるんだ」
「…………」
何を言われているのか分からない顔をしている汀(なぎさ)を見ずに、彼は続けた。
「人は元々死に向かって歩いている。生きている、一分一秒が死への階段だ。しかし生きている間にそれを事実として認識する人は、どれだけいるだろうか……」
坂月はそう言って息をついた。
「いない。誰も彼も、自分がいつ死ぬかわからない恐怖、その絶望を考えない。認識をしない。だが、意識が認識しなくても、心にはその恐怖……絶望の差異が生じさせるエラーは残る」
太陽がゆっくりと下降を始めた。
あたりが燃えるような赤い、夕焼けの色に包まれる。
「それが自殺病のウイルスの正体さ。人間は元々、心に死へと向かっていく絶望から生じる疾患を持った、患者なんだ。スカイフィッシュは、その病気が生み出した二次災害的なものにすぎない」
171 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:07:13.09 ID:Eb2omwdb0
「…………」
「今は、俺が何を言っているのか分からなくてもいい。だがいつか分かる時が来る。望むと望まざるとに関わらず、必ず」
掠れた声でそう言って、坂月は続けた。
「中萱という男がいた。俺は、そいつと一緒に『自殺病』を利用して循環ビジネスを演出している機関を潰そうと決めた。そしてそれは、赤十字病院を裏で操っていたアルバート・ゴダックをアメリカ国防総省が処分する決定通知を出し、アンリエッタ・パーカーが死亡し、精神体が放流された瞬間に達成された。中萱は死んだよ。その結果を作り出すために、自ら退場した」
夕陽を見つめて、彼は小さく呟いた。
「最期まで馬鹿な奴だった」
寂しそうな呟きの後、青年は少女を見下ろして言った。
172 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:07:58.82 ID:Eb2omwdb0
「元老院という組織がある。それは、自殺病を利用して人々の心にウイルスを拡散させ、患者を増やしている機関だ。治療すると同時に、繋いだネットワーク越しに別の人間にウイルスが感染し、ねずみ算式に自殺病患者は増えていく。そういうシナリオさ。でもね、その元老院っていう組織は、君達がいる現実には存在しないんだよ」
目を見開いた汀(なぎさ)に微笑んで、坂月は言った。
「いくら探しても見つからないわけだ。だって、元老院の人間達は、既に自分達の意識を夢の中に落とし込んで、『こちら側』の住人になっているんだから。自分達だけは安全な場所で、世界を玩具のように動かしている存在だったんだ。まさに、悪魔だと思わないかい?」
問いかけ、しかし答えが帰ってこないのを確認してから彼は沈みゆく太陽に視線を戻した。
「君がいたさっきの場所は、アルバート・ゴダックの夢世界に通じる道だ。いずれアンリエッタ・パーカーの分裂精神体は、彼のところまで到達し、殺すだろう。トラウマの塊だからな……そういう調整をされている」
「…………」
「そしてさらに分裂したアンリエッタは、ネットワークから世界中の人間の心に入り込み、新たなスカイフィッシュとなるだろう。その過程で、元老院の精神体達もいずれ殺される。そういう筋書きだ」
173 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:08:37.68 ID:Eb2omwdb0
彼は車椅子を汀(なぎさ)に向き直らせ、続けた。
「中萱はこう考えた。元老院を全員殺した後……不要になったスカイフィッシュを、どうやって破壊しようかと。そこで選ばれた存在は、君だった」
「私……?」
「そうだ。君が新たなスカイフィッシュ、『アンチスカイフィッシュ』となり、目的を達した後、邪魔な敵をすべて駆逐する。俺は、その橋渡しをする役目だった」
フー……ッと、息を吐き、坂月は真っ直ぐ汀(なぎさ)を見た。
「でも、俺はこうも考えるんだ」
「…………」
「必要な手はすべて打った上で、中萱は死んだ。中萱の誤算は、俺があいつの思う通りに動くと勝手に踏んでいたことだな、とな」
174 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:09:18.62 ID:Eb2omwdb0
「あなたは……」
「俺の目的は、中萱とは違う。アルバート・ゴダックの殺害と、『スカイフィッシュ』の根絶、その二点だ。だから今回、君をスカイフィッシュへと誘導するのではなく、その精神中核を返すことにした」
淡々とそう言い、彼は手を伸ばして、ギプス越しに汀(なぎさ)の頬に触れた。
「目を覚ませ、マインドスイーパー。君は、君の意思で人を治し、人を救う。治療するんだろう、沢山の人を。誰に操られる訳でもない。誰に謀られる訳でもない。君は君自身の決定で、君自身の信念で戦うんだ。その精神中核が、その決意の印だ」
「え……?」
「君は、精神外科医に精神を切り取られて一度殺されている。『君のオリジナル』は、死んだ。だが、君は持っていた精神中核に、君自身の『魂』の情報を上書きして、殺される前に残していた。おそらく、捕まえたテロリストの少年の精神中核を元にしたんだろう。それが、その中核さ」
175 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:10:05.66 ID:Eb2omwdb0
微笑んだ坂月が、続けて何かを言いかけ……そして彼は弾かれたように顔を上げた。
「予想よりかなり早いな……やはり、あの子の改造は失敗だったのか……」
「え……?」
「猫ちゃん、この子が目覚めるまで頼むよ。俺はどうやら、ここまでみたいだ」
小さな猫にそう呼びかけ、青年は車椅子を動かし、海と汀(なぎさ)を背にするように移動した。
「その中核を飲むんだ。そうすれば君は、君自身を取り戻すことができる。それから先どうするかは、『網原汀』君。君自身の選ぶ未来だ」
その瞬間、空がまるでガラスのように割れた。
夕焼け空が無数の尖ったガラス片にかわり、雨あられと降ってくる。
坂月は足元の砂をギプスの手ですくうと、自分と汀(なぎさ)を守るように空中に投げた。
砂が傘のように宙に固定され、ガラス片が凄まじい音を立ててそこにぶつかる。
176 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:10:48.28 ID:Eb2omwdb0
汀(なぎさ)は頭を抑えて悲鳴を上げた。
割れた空の向こうは、銀色のどろどろしたものが流動している空間だった。
そこをかき分けるようにして、小さな病院服の女の子が落ちてくる。
彼女は持っていたチェーンソーを砂浜に叩きつけた。
轟音と砂煙が上がり、彼女がゴロゴロとすり鉢状にえぐれた地面を転がる。
「時間差空間……? くっ……ナビが聞こえない……」
毒づいて、彼女は左腕を振った。
ショットガンがどこからともなく現れ、それを掴む。
「時間は少し早いが……フランソワーズ・アンヌ・ソフィー君だね」
坂月にそう呼びかけられ、ソフィーは彼の方を見て硬直した。
そして大声を上げる。
「坂月……坂月健吾……!」
「俺の顔を知っているのか。さすが天才少女だ。そして、移植自体は成功しているようだな」
177 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:11:21.83 ID:Eb2omwdb0
暗い笑みを発した坂月を、歯ぎしりして睨みつけ……しかしソフィーは、続けて砂浜に落下してきたもう一つの影を見て、慌ててショットガンを何発も発射した。
もうもうと砂煙が上がり、銃声と飛び散る薬莢に、汀が固まって体を丸める。
「私の体に、スカイフィッシュの腕を移植して……こんなことに……!」
悲痛な声を絞り出したソフィーを、淡々とした顔で見ながら坂月は言った。
「良かったじゃないか。それでS級能力者の仲間入りだ」
「クッ……」
歯を噛み、彼女は震えている汀(なぎさ)を横目で見た。
「まだ覚醒してないの……!」
悲鳴のような声を上げ、彼女は砂煙の向こうで、落ちてきたアンリエッタが無傷で立ち上がるのを見て、唾を飲んだ。
178 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:12:04.27 ID:Eb2omwdb0
「手伝いなさい、坂月健吾。アレをどうにかしないと、ここで私達は全員殺されるわ」
「勿論、できるだけ足掻かせてはもらうつもりだよ」
車椅子をソフィーの脇に移動させた坂月は、自嘲気味に小さく笑った。
「どれだけもつかは分からないけどね」
彼は振り返ると、足元に散らばったガラス片を見回してから、軽く手を振った。
ガラスの山が、パァンと炸裂して光の飛沫になる。
それらが空中で礫のように幾百もの形を形成した。
おびただしい数の日本刀が宙に浮かんでいた。
まさに、背後をすべて埋め尽くす程の数だった。
坂月は車椅子に悠々と腰掛けた姿勢のまま、軽く指を振り、アンリエッタを指した。
日本刀の群れが、途端、意志を持つ鳥の群体のように空中で渦を巻き、そして突っ立っているアンリエッタに殺到した。
鋭利な刃がパーカー姿の化け物、その腕を切り飛ばし、足を八つ裂きにし、胴体に次々に突き刺さり、脳天を串刺しにし、情緒も何もなく斬り刻んでいく。
179 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:12:42.94 ID:Eb2omwdb0
唖然として動けないでいる汀(なぎさ)の目に、細切れの肉の塊になったアンリエッタと、砂浜に幾百も突き刺さる日本刀という悪夢のような光景が飛び込んでくる。
吐き気を抑えきれず、その場に胃液をぶちまける。
しかしその光景を見ていたソフィーと坂月は表情を険しくて汀(なぎさ)を守るように少し後退した。
細切れの肉塊になったアンリエッタの、「それぞれ」が蟲のように蠢いた。
それぞれから百足のように節足動物の足が生え、カサカサと動き回り始める。
そして、数百の肉片蟲達はものすごい速度で砂浜を埋め尽くし始めた。
「どうすればいい、坂月健吾! 同じスカイフィッシュのあなたしか対処法は分からないわ!」
ソフィーが悲鳴のような声を上げる。
坂月は溜息をつくと肩をすくめた。
「一つ勘違いをしているな。俺は、坂月の精神体とは言っても、スカイフィッシュになりそこねた出来損ないなんだ。いわば失敗作だな。だからこんな姿をしている。」
180 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:13:23.89 ID:Eb2omwdb0
「冷静に解説している暇があって?」
ソフィーに睨まれ、坂月は黒い百足が砂浜に軍隊のように整列し、ムクムクと膨れ上がり始めたのを見て、ギプスの指先で鼻の頭を掻いた。
「確かに、その暇はなさそうだ」
膨れ上がった百足達が、粘土細工のように人間の形に変化する。
数秒後には、数百に分裂したアンリエッタ・パーカーが目の前に綺麗に整列していた。
それぞれが全く同じ動きでポケットに手を入れ、ズルリと手斧を取り出す。
かなり大きな手斧がズルズルと引きずり出され、全員が同時にそれを肩に構え、足を踏み出した。
ザッ、ザッ、と化け物達が軍隊のようにこちらに足音を立てて迫ってくる。
坂月はソフィーの前に車椅子を移動させると、軽く手を横に振った。
彼らの脇の海から、波をかき分け、ゆっくりと小さなヨットが浮かび上がってきた。
「網原君を連れて逃げるんだ。残念ながら、今の俺にパーカースカイフィッシュを全滅させる力はない」
ソフィーが目を見開いて、歯を噛む。
181 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:13:54.30 ID:Eb2omwdb0
「あなたの分裂スカイフィッシュを呼ぶことは出来ないの?」
「この夢は俺の隔離された夢の中だ。『俺の悪夢の元』は入ることが出来ない。それに……」
坂月は軽く笑った。
「俺は、スカイフィッシュの中核をなしていてね。俺が消えれば、中核を失った『坂月スカイフィッシュ』はすべて自壊する」
「何ですって……?」
「だから早く行くんだ。どの道俺は、ここで消えなければいけない」
ソフィーをギプスの手で押し、坂月は天を仰いで小さく言った。
「それが、俺のカルマなんだ。そうだろ、真矢」
ソフィーは舌打ちをして、震えている汀(なぎさ)を抱えるようにしてヨットに引きずりあげた。
白い子猫がジャンプしてヨットに乗り込む。
金髪の少女は、ヨットのエンジンを慣れた手つきで作動させると、急発進させた。
「待って、あの人が……!」
汀(なぎさ)が声を上げる。
182 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:14:27.85 ID:Eb2omwdb0
落ちそうになった彼女を、舵を取るもう片方の手で押しとどめ、ソフィーはヨットを、暗い海へと驀進させた。
「あ……」
手を伸ばした汀(なぎさ)の目に、車椅子に乗った坂月が、無数の手斧に叩き潰され、そして黒い影に飲み込まれるのがうつった。
しかし、次の瞬間、彼女は息を呑んで硬直した。
海岸をびっしり埋め尽くすように、アンリエッタ・パーカー達が立っている。
その妙に白く光る目玉が、一斉にこちらを向いたのだ。
「あれらの目を見ては駄目! 今のあなたには荷が重すぎる!」
ソフィーが絶叫のような声を上げる。
波を蹴立てて沖に進むヨットの方に、アンリエッタ達は足を踏み出した。
その数百の影がゆらゆらと陽炎のように揺らめき、黒い、ドブ沼のような色になる。
そして全員が海に溶けた。
何を、と思った時には遅かった。
183 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:15:01.02 ID:Eb2omwdb0
ガクン、とヨットが止まり、エンジンが空ぶかしされる音が響く。
ソフィーがまた舌打ちをし、舵から手を離して左腕を振った。
ヨットの上におびただしい数の手榴弾が、どこからか現れ、ゴロゴロと転がる。
白い子猫が、口を開いて
「シャーッ!」
と何かを威嚇した。
『どこに逃げるの? 馬鹿な子達』
クスクスと笑ったアンリエッタの声が、周囲に反響した。
ゾッとした汀(なぎさ)の目に、海が流動するのが見えた。
煽られてグラグラとヨットが揺れる。
マストにしがみついた二人の少女の前で、ゆっくりと少し離れた海が盛り上がった。
そして海中から、真っ黒な物体が姿を現す。
何だ、と認識する前に、その「目」が赤く光っているのが見え、汀(なぎさ)は悲鳴を上げた。
184 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:15:33.85 ID:Eb2omwdb0
髑髏だった。
カタカタと顎骨を鳴らした、おぞましい頭蓋骨が、眼窟の奥を鈍く光らせながらこちらにゆっくり進んで来る。
天を衝くほどの、巨大な頭蓋骨だった。
あまりの光景に腰を抜かして唖然とする。
どうすればいいのか、という次元を越えていた。
ソフィーも、手榴弾を手に持った姿勢のまま歯ぎしりをする。
「大きすぎる……何なのこの悪夢の総量……」
彼女は硬直している汀を見て怒鳴った。
「早く精神中核を飲みなさい!」
ハッとして、手の中の赤いビー玉を見る。
しかし口に運ぼうとして、ひときわ大きい波がきてヨットが大きく煽られた。
二人の少女と子猫が吹き飛ばされ、黒い海に頭から叩きつけられる。
水をしこたま飲み、汀(なぎさ)はもったりと粘土のように絡みつく水に抵抗できず、どんどん沈んでいった。
185 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:16:02.53 ID:Eb2omwdb0
その手から赤いビー玉が離れ、ゆっくりと光を発しながら浮かび上がっていく。
そこに手を伸ばし、彼女はハッとした。
足を誰かに掴まれている。
慌てて下を見ると、白い骨に腐りかけの肉をまとった、腐乱死体のようなものが……海の底におびただしい数漂っているのが見えた。
その中の一体が手を伸ばし、ガッチリと汀(なぎさ)の足を掴んでいたのだ。
少し離れたところでソフィーも足を掴まれてもがいている。
息ができず、肺の中の空気を吐き出す。
(パパ……)
大河内の顔が脳裏に浮かぶ。
186 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:16:30.95 ID:Eb2omwdb0
私は、ここで死ぬのだろうか。
この悪夢の中で、溺れて殺されてしまうのだろうか。
怖い、苦しい。
誰か。
誰か……。
居もしない神に向かって手を伸ばす。
水面に向かって、彼女は手を伸ばした。
私は……。
私は……。
(私は生きる……!)
187 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:17:10.76 ID:Eb2omwdb0
そうだ、私は死なない。
私は、幸せになるんだ。
沢山の人を助けて。
沢山の人を救って。
子供もたくさん産んで。
普通の人のように、普通に愛されて。
私は幸せに生きるんだ。
だから……!
水の中で絶叫する。
逆流した水が喉を焼き、肺を焼き……。
その時だった。
『やっぱり、汀(みぎわ)ちゃんだあ』
耳元で声がした。
188 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:17:36.67 ID:Eb2omwdb0
光る赤いビー玉を大事そうに手で掴んだ少女が、隣に浮いていた。
彼女は持っていた出刃包丁で骸骨を叩き割ると、半ば意識を失っている汀(なぎさ)を抱え、その口に赤い玉を押し込んだ。
そして包丁を投げ、ソフィーを拘束している骸骨を破壊する。
少女に抱えられ、汀(なぎさ)はゆっくりと水面に向かって浮上した。
189 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:18:04.69 ID:Eb2omwdb0
◇
目を開けた。
転覆したヨットの側部に引き上げられた少女は、自分より少し大きい少女に、口から口に息を吹き込まれ、咳き込んだ。
そしてゴボリと飲み込んだ海水を吐き出す。
「汀(みぎわ)ちゃん、大丈夫?」
口を重ねていた女の子は、髪からポタポタと海水を垂らしながら微笑んだ。
その、どこか焦点が合っていない目を見て、汀(みぎわ)は目を見開いた。
「理緒……ちゃん……?」
掠れた声を発する。
理緒、と呼ばれた少女はニッコリと笑った。
「久しぶりだね、汀ちゃん」
190 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:18:36.11 ID:Eb2omwdb0
「なんだか……」
汀は体を起こして、理緒のことを強く抱きしめた。
ぐしょぐしょの病院服の姿で、二人の少女が揺れるヨットの上で抱き合う。
「悪い夢を、見ていたみたいだよ……私」
「そうだね。夢、覚めないね」
どこか寂しそうに理緒は呟いた。
そして横目で、風船のように膨らんだ白い猫……小白(こはく)に助けられる形で浮上し、ヨットに這い上がったソフィーを見る。
海水を吐き出して、ギラつく目で臨戦態勢をとったソフィーが、濁った声を発した。
「網原汀! 覚醒したのなら返事をしなさい!」
「怒鳴らなくても聞こえているわ」
191 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:19:23.00 ID:Eb2omwdb0
汀は立ち上がると、理緒の手を掴んで引き起こした。
「あ……」
しかし理緒はふらつくと、そのまま汀によりかかるように崩れ落ちてしまった。
汀は彼女を見下ろし、そしてその上気した顔を見てハッとした。
強く、砕けんばかりに歯を噛んで、手を握りしめる。
しかし彼女は、その感情を押し殺して、もう一度理緒を助け起こすと、揺れるヨットの上で周りを見回した。
巨大な頭蓋骨が、少し離れた海に浮かんでカタカタといっている。
断続的に大きな波がヨットを揺らす。
「どうすればいいの、網原汀! スカイフィッシュのようだけど、私はアレの対処法を知らない!」
ソフィーが左手を振り、ショットガンを出現させる。
理緒も海中に手を突っ込んで出刃包丁を引きずり出した。
汀は猫のように跳躍しようとした理緒を手で押しとどめ、前に進み出た。
「相手にしないことね。ここから出るわよ」
彼女の端的な断言を聞いて、ソフィーが息を呑む。
そして彼女は歯噛みして、短く聞いた。
192 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:20:05.68 ID:Eb2omwdb0
「どうしようもないってこと?」
「どっちみちこの世界はもうすぐ自壊するわ。夢の持ち主がさっき死んだから。もう存在していない夢の中に居続けることの方が危険だと思う」
汀はそう言って、理緒とソフィーの肩を掴んだ。
「小白、行くよ」
呟くように言って、彼女はためらいもなく海に身を躍らせた。
再度苦手な水に突っ込まれ、ソフィーが口から空気を思い切り吐き出す。
小白は、汀の意思を汲んだのか、彼女の腰にグルリと救命胴衣のように巻き付いた。
しかし今度は膨らむのではなく、ずっしりと重いオモリになり、少女達を海底に引きずり込もうとする。
何を、と叫ぼうとしたソフィーがしこたま水を飲み、咳き込もうとして失敗した。
海底にたゆたっていたおびただしい数の亡者が三人の体にまとわりついてくる。
汀はそれを蹴散らすように暴れると、二人を掴んだままさらに海底へと水を蹴った。
『逃げるつもり? 馬鹿な子供達……私を置いて逃げるつもり? ねぇ。答えなさいよ』
水を振動させ、頭にとどまらず体全体をグワングワンと揺らす程の強烈な「声」が周囲に響いた。
193 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:20:35.86 ID:Eb2omwdb0
そして髑髏の顔面が、海上からこちらを覗き込み……ゆっくりと追うように沈んでくる。
『気に入らないわ。その達観した動き。達観した行動力。肝が据わった動き。気に入らない。気に入らない。気に入らない。まるで、私が大嫌いな人のよう』
理緒が汀を守るように、ガチガチと歯を鳴らしながら近づいてくる髑髏の前に手を伸ばす。
ガチン、と巨大な歯が噛み合い、間一髪で理緒の肩を歯がかすった。
赤い血が海中に散る。
『噛み砕いてミンチにしてあげる。無様なヘドロにしてあげる。気に入らない馬鹿達は皆殺しにしてあげる』
ガチンガチンと、三人の少女達を追うように髑髏の歯が噛み合っていく。
声を発することも出来ず、ソフィーは汀の腕を掴みながら左手を振った。
そして水中銃を作り出し、とっさに、近づいてきた髑髏の目玉に当たる場所に向けて発射する。
鋭利なモリがすっ飛んでいき、髑髏の眼窟に吸い込まれた。
二発、三発と発射していく。
髑髏は一瞬動きを止めると、悲鳴のような叫び声を上げた。
194 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:21:03.89 ID:Eb2omwdb0
水中がグワングワンと揺れ、たまらずソフィーと理緒が耳を塞ぐ。
脳までをシェイクされるような強烈な衝撃に、周囲の空間それ自体が大きくたわんで揺れた。
モリを撃ち込まれた右目の部分から真っ赤な血液を噴出させながら、髑髏は急速な勢いで近づいてきた。
そこで汀が、海底の岩に到達し、思い切りそこに素足を叩きつけた。
ボコリと岩が動き、パズルのピースのようにヒビが広がっていく。
自壊。
腐った精神壁が崩れ始めているのだった。
穴が空いたその場所に、水が物凄い勢いで吸い込まれていく。
汀は一瞬だけ、哀れな蟲を見るような目で髑髏……化け物に変わったアンリエッタ・パーカーを見ると、背を向けてそこに身を躍らせた。
ソフィーと理緒も渦巻いて吸い込まれていく水の奔流に巻き込まれる。
彼女達の意識は、そこでブラックアウトした。
195 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:21:40.07 ID:Eb2omwdb0
◇
したたかに頭を床に打ち付け、汀の目に星が散った。
受け身をとれずにゴロゴロとその場を転がる。
しばらくうずくまって呻いていると、続けて理緒とソフィーが同様に、壁に空いた穴から水とともに吹き出してきた。
彼女達も床に叩きつけられ、呻く。
小白が腰から離れて子猫に戻り、汀の頬を舐めた。
『……通信が戻った! 大丈夫か、返事をしてくれ!』
ヘッドセットから大河内の声が響き、汀は息を止めた。
そしてそっとヘッドセットに手を当て、息を整えてから口を開く。
「……せんせ?」
その声を聞いて、大河内は一瞬言葉を止めた。
そして震える声で答える。
『汀(みぎわ)ちゃん……なのか?』
196 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:22:16.45 ID:Eb2omwdb0
「そうだよ、私だよ。せんせのことが大好きな、私……戻ってこれた。少し体に違和感はあるけど……」
『どういうことだ……いや、良かった。本当に……』
大河内の声が少し途切れ、彼は無理矢理に意識を引き戻した調子で続けた。
『再会を喜びたいところなんだが、危機的状況だ。分かるね?』
「うん。でも理緒ちゃんとソフィーが来てくれてる」
『なんだって?』
素っ頓狂な声を上げた大河内の耳に、ソフィーがヘッドセットを操作して答えた。
「私よ、ドクター大河内。フランソワーズです。関東赤十字病院からの要請で、急遽ダイブに参加させられてるわ」
『高畑が細工をしたのか……? 君達が、どうしてこの患者の夢座標を……』
絶句して言葉を失った大河内に、汀が立ち上がって理緒を助け起こしながら、悲鳴のような声をあげた。
「せんせ、理緒ちゃんを戻してあげられないの? このままじゃ死んじゃう!」
197 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:22:51.54 ID:Eb2omwdb0
『理緒ちゃんが危ないのか? 私の方からは二人のことは関知できないんだ。ソフィー、なんとかならないのか?』
大河内に問いかけられ、ソフィーは歯噛みして答えた。
「あの子がいる場所は関東赤十字ではないようなの。私からも関知できないわ!」
「私は……やれるよ……」
震えながら理緒が汀に掴まって立ち上がる。
そして、自分達が排出された壁の穴を見る。
そこにヒビが入っていくのを捉えて、汀はソフィーに向かって怒鳴った。
「走るよ!」
短く言って、理緒を抱えるようにして走り出す。
ソフィーも慌ててそれに続く。
次の瞬間、髑髏の歯が今まで少女達がいた場所を、通路ごと噛み砕くのが見えた。
狭い通路に髑髏はすべて収まりきらず、薄汚れた歯だけが覗いている。
198 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:23:36.19 ID:Eb2omwdb0
「どうするの、網原汀! どの道あのスカイフィッシュを駆除しないと、私達は戻れないわ!」
走りながらソフィーが言うと、汀は息を切らして言った。
「この通路にいるのは危険よ。通路の先……アルバート・ゴダックの夢世界に逃げ込むわ」
「あなた、事情がわかるの?」
「今までの事は、この子が教えてくれたから……」
胸を手で抑え、汀は歯を噛んだ。
「そこでアンリエッタ・パーカーを治療する」
「治療? スカイフィッシュを?」
素っ頓狂な声をあげたソフィーだったが、そこで汀の服を引っ張っていきなり止まった。
声を上げてもんどり打って倒れた汀と理緒だったが、受け身を取ってすぐに立ち上がる。
「何を……!」
汀が怒声をあげかけて、言葉を飲み込んだ。
通路の先に、髑髏のマスクをつけた少年と、少女が立っているのが見えたからだった。
199 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:24:16.26 ID:Eb2omwdb0
「いっくん……みさきちゃん……」
「なぎさちゃん……良かった。精神中核をどこかに避難させてたのか……」
一貴が震える声を発する。
彼は数歩近づくと、汀に向けて手を伸ばした。
「いっくん」
そこで岬が彼を制止し、二人の間に割って入る。
「邪魔されたくない。いますぐダイブアウトして、なぎさちゃん」
淡々とした岬の声を聞いて、汀は軽く口の端を歪めた。
「それが出来てれば苦労しないわ」
小さな呟きを無視し、岬は手を振って、肩に担ぐほど大きな連装機銃を出現させた。
「無駄話をしている暇はないわ。帰れないなら、ここで消えて」
200 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:24:54.58 ID:Eb2omwdb0
抑揚のない声でそう言った岬の目を見て、汀は息を呑んだ。
「あなた、もうスカイフィッシュに……」
「やめろ岬ちゃん! なぎさちゃんは……」
一貴が静止しようとし、その場に盛大に吐血した。
うずくまって震え出した一貴を一瞥もせずに、岬は連装機銃の引き金を引いた。
連続した破裂するような銃声と、硝煙の煙と薬莢が雨あられのようにその場に飛び散る。
とっさにソフィーが左腕を振ると彼女達の間にコンクリートの壁が出現した。
銃弾が分厚いそこに次々にめり込んでいく。
振り返ると、後方からはアンリエッタの髑髏……その口が迫ってきていた。
「手伝って! 私一人じゃ壁を維持できない!」
ソフィーが叫ぶ。
銃弾ですでにひび割れてグラグラになっている壁は、崩れかけていた。
汀は舌打ちをして、隣の理緒の手を引っ張った。
そこで理緒は咳をした。
口元を覆った手の平を見て、そこに真っ赤な血が広がっているのを見て、彼女は一瞬呆然とした。
201 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:25:59.33 ID:Eb2omwdb0
「理緒ちゃん、早くこっちに!」
汀の叫びを聞いて、理緒はしかし、汀の手を離した。
「え……」
「汀ちゃんと、もっと遊びたかったなあ」
理緒は小さく笑った。
「さよならだね。バイバイ、汀ちゃん」
「理緒ちゃん……何を……」
震える声で汀は言って、理緒に向かって悲鳴を上げた。
「やめてええ! 理緒ちゃんそれだけは駄目! 駄目だよ!」
「私達、ずっとずっと友達だよ。約束だよ? 汀ちゃん……」
ザワザワと理緒の髪の毛が逆立つように動き、彼女の顔面を覆い隠す。
次いで病院服がゆっくりと変化を始め、白衣のようなコートを形作った。
202 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:26:49.07 ID:Eb2omwdb0
「スカイフィッシュ変種に……自分から変質してるの……?」
わななく声でソフィーが呟く。
数秒後、お面のような髑髏のマスクをつけた白衣姿の理緒が、軽く、迫りくるアンリエッタに向けて手を伸ばした。
その手に、大口径の拳銃が出現する。
安全装置をスライドさせ、理緒は特に狙いをつけるでもなく、アンリエッタに向けて引き金を引いた。
小さな銃弾だった。
しかしそれはアンリエッタの頭蓋骨、その口腔に突き刺さると、骨を砕き散らしながら向こう側に抜けた。
穴が空いた場所からものすごい量の血液が、滝のように噴出する。
ビシャビシャとそれに体を汚されながら、呆然と硬直した汀とソフィーを庇うように体で覆い、理緒は崩れてきたコンクリート片を手で払った。
発泡スチロールのようにコンクリートが砕けて散る。
「理緒ちゃん駄目だよ! 駄目! お願いだから元に戻って! 私達友達でしょ!」
汀にしがみつかれ、しかし理緒は答えることはせず、砕けたコンクリート壁から連装機銃の銃弾が飛び込んできたのを見て、腕を振った。
空中で銃弾が爆裂し、もうもうと煙を上げる。
203 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:27:26.76 ID:Eb2omwdb0
「私を置いていくの? 理緒ちゃん!」
汀の絶叫が響く。
『どうしたんだ汀ちゃ……ノイズ……ひど……通信……が……』
「せんせ! 助けて! 理緒ちゃんが!」
頭を抑え、電波ジャックの影響か通信が切れかけている向こうに、汀は喚いた。
次の瞬間、背後に迫っていた髑髏が小さくしぼんだ。
そして粘土のように形を変え、パーカーフードの女性を形作る。
アンリエッタは口から大量の血を吐き出すと、その場に膝をつき、真っ赤に充血した目で汀達を睨んだ。
「理緒ちゃん!」
手を伸ばした汀のそれを、理緒は強く振り払った。
呆然とした汀の目の前で、理緒の姿が消えた。
突進してきた岬が、手に持っていた日本刀で理緒の肩を突き刺しながら、壁に衝突したのだ。
縫いとめられた形になった理緒だったが、彼女は痛みを感じていないのか、持っていた大口径の銃を岬の眉間に当てた。
「駄目!」
汀が絶叫したのと、理緒が引き金を引いたのは同時だった。
204 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:28:17.01 ID:Eb2omwdb0
ドパン、とものすごい音がして周囲に岬の頭部だった物体がビシャビシャと飛び散った。
銃弾に頭を破壊されたスカイフィッシュが、グラグラと揺れ……そして膝をついた。
力なく倒れた岬だったものを、血で顔面を濡らした汀は呆然と見つめた。
「嘘……」
ヘッドセットの通信が完全に切れた。
大河内が何かを言っていた気がするが、頭に入らなかった。
「みっちゃん……?」
理緒が肩に突き刺さった日本刀を無造作に抜き、それを脇に投げ捨てる。
「岬ちゃん!」
少し離れた場所で一貴が叫ぶ。
理緒はそちらに構うことなく、手斧を構えて向かってきたアンリエッタに拳銃を発砲した。
その銃弾を手斧で叩き落とし、パーカーフードの悪魔は床を蹴った。
そして天井に背中からぶつかり、三角飛びの要領で理緒に肉薄した。
繰り出された手斧に、先程岬に突き刺された右肩……少し反応が遅れたそこが、一気に両断される。
205 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:28:52.44 ID:Eb2omwdb0
ゴトリと理緒の腕が転がった。
しかし怯むことなく、理緒は手に持った拳銃を振った。
それが出刃包丁に変化した……と思った瞬間。
彼女はアンリエッタの首を一閃した。
数秒、沈黙があたりを包んだ。
一歩、二歩と首を凪がれたアンリエッタが後ずさる。
その首がズルリと滑り、はねられた形で地面に落ちて転がった。
怨嗟の表情で停止したアンリエッタの頭部を、理緒は出刃包丁を振って変質させた拳銃の引き金を引いて、粉々に破壊した。
次いで胴体にも発砲し、胸を撃ち抜く。
倒れ込んで動かなくなったアンリエッタを見て、そこでやっと理緒はその場に崩れ落ちた。
「理緒ちゃん! 嘘……嘘だよ……!」
206 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:29:27.34 ID:Eb2omwdb0
汀は金切り声を上げながら理緒に駆け寄った。
そして髑髏のマスクを引き剥がして、脇に投げ捨てる。
右肩を両断され、そこから血がどんどん流れ出していく理緒の体を抱き、汀はソフィーを、そして一貴を見た。
「助けて! 血が止まらない! 止まらないよ!」
必死に理緒の傷口を手で押さえるが、ぬるぬるとしたそれは噴水のように溢れていく。
段々血色がなくなっていく顔で、理緒は残った左手を伸ばし、汀の頬を触った。
そしてにっこりと笑う。
「置いていかないよ? 汀ちゃんは寂しがり屋で……わがままだから……私は、一人じゃ逝かないよ……」
「理緒ちゃん……」
汀は理緒の力がなくなってくる体を抱いて、声を絞り出した。
「こんなの夢だ……夢だよ……」
「そう、夢だよ」
207 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:30:14.65 ID:Eb2omwdb0
理緒は左手で汀の頭を優しく撫で、耳元で言った。
「だから……夢はもう終わりにしよう?」
「終わり……?」
「そうだよ、汀ちゃん。目を覚まそう」
理緒は微笑みながら続けた。
「全部夢なんだよ? だから、汀ちゃんは何も悲しむことも、苦しむこともないの。目が覚めたら、汀ちゃんは誰かに普通に愛されて、誰かを普通に愛して、そして沢山の人を救って、しあわせで……普通の生活を送るんだよ」
「…………」
泣きながら言葉にならない嗚咽を漏らした汀に、理緒は囁いた。
「大河内先生と、しあわせにね」
208 :
天音
◆E9ISW1p5PY
[saga]:2017/05/24(水) 16:30:47.79 ID:Eb2omwdb0
ドン、と突き飛ばされ、汀は目を見開いた。
理緒が左手で拳銃を握り、頭に当てているのを見たからだった。
どこかスローモーションにその光景が映り……。
ゆっくりと自分の体が後ろに倒れ込んでいくのが分かる。
嘘だ。
こんなの夢だよ。
嘘だよ。
悲鳴を上げた。
次の瞬間、理緒が拳銃で自分の頭を吹き飛ばしたのが、汀の目に映った。
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