【オリジナル】「治療完了、目をさますよ」2【長編小説】

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8 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:23:41.91 ID:wWVynNsm0


汀は弱々しく呻いて目を開いた。
辺りは薄暗く。部屋の窓にかかったカーテンから、夕焼けの赤い光が漏れている。
ここはどこだろう……そう思った汀の目に、隣に置かれた椅子に腰掛け、腕組みをしてコクリコクリと頭を揺らしている大河内の姿が映った。
大河内せんせ、と声を上げようとして汀は喉に挿入されたカテーテルにえづき、そのまま猛烈な嘔吐感に、その場で硬直して呻いた。
彼女の呻き声に気づき、大河内が目を開けて慌てて脇の計器を見る。

「汀ちゃん、目が覚めたのか? 今カテーテルを抜いてもらうからな。もうちょっとの辛抱だ」

耳元でそう言われ、汀は痛みと混乱でボロボロと涙を零しながら、必死に点滴が無数に刺された手を伸ばし、大河内の服を掴んだ。
大河内はその手を握り返し、壁のインターホンのボタンを押して口を開いた。

「高畑君の目が覚めた。至急、治療班を回してください」
9 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:24:17.60 ID:wWVynNsm0


医師達によるテキパキとした処置が済み、汀はとりあえず鼻と喉のカテーテルから開放されて息をついた。
まだ喉に何かが刺さっているような感じがする。
しかし、体中に点滴が刺されて身動きを取ることも出来ない。
夢傷による体の痛みも増していた。
喋ろうとして、かすれたしゃがれ声が出た。

「私……」

そのまま小さく咳をして、汀は隣に腰を下ろして、カルテに何事かを書き込んでいる大河内を見た。

「どうしたの……?」
「治療中にガーディアンにやられて意識を失ったと聞いている……よし。これで大丈夫だ」

大河内はニッコリと笑って、さり気なく汀の点滴の一つに金色の液体が入った注射器を刺して流し込んだ。
汀は苦しそうにまた咳をしてから、すがるように大河内に聞いた。
10 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:24:45.55 ID:wWVynNsm0
「私……成功したの……? 治療に……」
「ああ。君のおかげで私の更迭処分は取り消された。ありがとう」

大河内が手を伸ばして汀の頭を撫でる。
途端に安心したような顔になった汀に、しかし大河内は声を低くして続けた。

「だが……これっきり、あんなことはやめるんだ。君のしたことは、テロリストと変わらないよ」
「せんせが……いない世界なんて……壊れちゃえばいいんだ……」

汀はかすれた声でそう返して、また小さく咳をした。

「滅多なことを言うものじゃない……」

困ったような顔をして、大河内は息を吐いた。

「まぁ、とにかく無事でよかった。まだ助かったとは言えないが……」
「圭介……は?」

そう聞かれ、大河内は息を止めて汀から視線を逸らした。
11 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:25:14.05 ID:wWVynNsm0
そして吐き捨てるように言う。

「あいつのことは忘れるんだ」
「……?」
「これから、君は、私と普通の女の子として生きていこう」

きょとんとして顔を見上げた汀に、彼はぎこちなく微笑んで続けた。

「これから、ずっと一緒だ。もうダイブする必要も、傷つく必要もない。私が君のこれからの仕事も世話をしよう。そうだな……マインドスイーパーを育てるアドバイザーなんてどうかな?」

立ち上がって冷蔵庫からコーヒー缶を取り出し、大河内はやけに明るく言った。

「君の特A級免許は取り消されることはない。赤十字にこれから入ることになるが……言ってしまえば、何もしなくても君には保証が下りる。それだけで、無駄遣いをしなければ生活をしていくことだって十分可能だ」
「せんせ……?」
12 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:25:42.06 ID:wWVynNsm0
「心の整理がつかなければ、しばらくの間、旅行をしてもいいかもしれないな。うん、そうだ。そうしよう。医師連盟に君のための補助チームを作らせよう。汀ちゃんは東京から出るのは始めてかい? 沖縄はお勧めだぞ」
「……せんせ……?」

怪訝そうにもう一度問いかけられ、大河内は言葉を止めて汀のことを見下ろした。

「ん?」
「……圭介は?」

同じことを問いかけられ、大河内はつらそうに表情を歪めて、しばらく考え込んだ。
そして決心がついたかのように何度か頷いてから、椅子に腰を掛ける。

「……よく聞いてくれ。高畑は、君の身柄を私に引き渡した。聡い君なら、その意味が分かるな?」
「……?」

意味が分からなかったのか首を傾げた汀に、大河内は静かに言った。

「あいつは、君の力を使い多数のマインドスイープで治療を行なってきた。そしていざ、君の運用が困難になった時、君を捨てた」
「…………え?」
「別のマインドスイーパーを育てるそうだ。君は、高畑に医者として再起不能と判断された」
13 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:26:14.26 ID:wWVynNsm0
淡々とした大河内の声を聞いて、汀はしばらくの間目を丸くしていたが、やがて持ち上げかけていた上半身をベッドに戻し、息を吐いた。
予想とは異なった汀の反応に、大河内は怪訝そうにその顔を覗きこんだ。

「汀ちゃん?」
「圭介が……そう言ったの?」
「いや……直接は言っていなかったが。おおよそその通りのことは」
「ふふ……」

どこか暗い安穏とした笑みを発し、汀は大河内のことを見上げた。

「圭介は……私から離れられないよ……」
「……どういうことだい?」
「どれだけ……表向き捨てたつもりでも、圭介はもう……私のことを完全に捨てることは出来ないよ……」
「…………」

汀のどこかおかしいネジが外れたような言動と表情に、大河内は言葉を止めて視線を逸らした。
そしてポツリと呟く。

「君が、赤十字の『実験』の生き残りだからかい?」
14 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:26:43.03 ID:wWVynNsm0
汀はそれを聞いて笑みを止めて言った。

「……うん」
「君のことは調べさせてもらった。不快に思ったなら、すまない。でも、私としてはどうしても高畑のことを知る必要があった」
「…………」
「君は、元々は機関が養成した特殊なマインドスイーパーだ。そうだな? 本名は網原汀(あみはらなぎさ)と言う……『実験』の副作用で、記憶障害が起こっていたらしいが、思い出したかな?」

ゆっくりと語りかけられ、汀は小さく頷いた。

「だが、しかし君は自殺病のウィルスに感染してしまった。そこで君の治療を担当したのが、君が夢の世界で対面したナンバーIシステムの元、松坂真矢と高畑だ。二人は君のスカイフィッシュにやられ、治療をすることはできたが松坂女史は死亡、高畑はシナプスに大きな傷を負った」
「……だから圭介は、私にダイブをさせて、あの時の償いを……松坂先生の死を、償わせようとしてるの……」

汀は小さく咳をしてもぞもぞと体を動かした。
そして息をついてから目を瞑る。

「治療の過程で……私は過去の記憶を全部無くした。圭介は、松坂先生を取り戻そうとしてる……私はよく分からないけど、誰かがそれに関与してる。複数ね……」
15 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:27:11.30 ID:wWVynNsm0
「そのうちの一つの勢力が、私が所属している秘密機関GDだ」

大河内は弄んでいたコーヒー缶のプルタブを開けると、中身を口に流し込んだ。

「ただ、GDの内部でも少々揉めていてね……私とは別に動いている者もいる」
「……GDの目的は、ナンバーIシステムの、いえ……マインドスイーパーなしで、システムで自殺病の治療をできる環境の確立ね……」
「…………」
「テロリストは赤十字を攻撃してたけど……本当の目的は、GDが目的にしてるシステムの破壊……その理由は、多分復讐……」
「ああ。テロリストグループは、機関に育てられたマインドスイーパーの集まりだ。自分達を使い捨てにした医療機関への憎しみが、彼らを動かしていると思っていいだろう」

大河内はそう言うと、缶をテーブルに置いた。

「汀ちゃん、そこまで分かっているのなら……悪いことは言わない。全てを忘れて、現場から退くんだ。専属医が君のことを手放した今しか、君を『システムに適合しなかった』と報告できるチャンスがない」

彼はそう断言して、汀の隣の椅子に腰を下ろした。
そして手を伸ばして、痩せて乾燥しきった汀の手を握る。
16 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:27:37.48 ID:wWVynNsm0
「……私は、GDの目的を達するために、ナンバーIシステムの復活を任務にしてる。君をそれに使おうと思っていた。すまない。私にも事情があってね……テロリストと方法は違えど、そうすることが赤十字への復讐になると思っていた」
「…………」

汀はニッコリと笑って、かすれた声で言った。

「せんせが望むなら……私は、システムでも構わない……」
「そんなことを言わないでくれ……」

大河内は汀の上半身をゆっくりと起こすと、自分よりも一回り以上小さなその体を抱きしめた。
そしてしばらくの間歯ぎしりするように唇を噛み締めていた。
汀は点滴だらけの手を大河内の背中に回し、静かにさすった。

「……私に、そんなことを言っては駄目だ……私は君を殺すために派遣されたんだぞ……」
「…………」
「人間のシステム化だ……元になった人間は、生きていてはいけないんだよ……」

彼の声が尻すぼみになって消える。
17 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:28:03.08 ID:wWVynNsm0
汀は微笑みながらそれに返した。

「せんせが……そう言うなら、私、それでいいよ……」
「駄目なんだ。汀ちゃん……それじゃいけないんだよ」
「どうして? ……せんせは、私のこと嫌いになったの……?」
「違う。私は君のことが……」

言いかけ、大河内は言葉を止めた。
そして汀の体を離して、そっとベッドに寝かせる。

「……いや、いいんだ。汀ちゃん、『命令』なら聞いてくれるか? もう高畑に関わるのはやめよう」
「……うぅん。私は……人を助けるよ……」

か細いがしっかりとした声を聞いて、大河内は僅かに声を荒げた。

「……汀ちゃん。それは『実験』で君の脳に刷り込まれた情報に過ぎない。君にインプラントされた意識の断片だ。君がかたくなに人を助けなければならないという意識を持ち続けているのは、初期のマインドスイーパーの脳の奥に、人工的に埋め込まれた断片意識のシグナルなんだ。君達は、意識下の『命令』を実行し続けなければノルアドレナリンの分泌量が増加して、不快感を得るようになっている」
18 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:28:31.88 ID:wWVynNsm0
「…………」
「しかしそれは投薬で治療できる。君が今負っている夢傷もそうだ。全て治療できるんだ。君の体の麻痺だって治るかもしれない。普通の治療を受けて、精神と、体の状態を普通に戻せればの話だが……」
「…………」
「それを聞いても、同じことが言えるかい?」

汀はしばらく考え込んでいたが、やがて小さな声で聞いた。

「せんせは……私が病気だっていうの?」
「そうだ、君は病人だ」

断言して、大河内は息をついた。

「夢傷の重症患者でもある。このままでは、君は……」

少し言い淀んでから、彼は意を決したように言った。

「君は間違いなく、スカイフィッシュになってしまう」
「…………」
「高畑は、おそらく『だから』君のことを手放した。危険性が高すぎる。私も、君にはすまないがそう思う」
「私が……夢の世界で、悪夢のもとになってしまうって、そう思うの?」
19 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:29:48.98 ID:wWVynNsm0
「……確証はないが、高畑の態度を見ていて想像がついた。あいつは、坂月君……君の夢に出てくるスカイフィッシュが、元は人間だったことを知ってる。おそらく変質の現場を見ているんだ」

汀は息をついて、ベッドに体を預けた。
そして大河内から視線を外してもぞもぞと体を動かし、彼と反対側に首を向ける。

「……ちょっと寝る。寝ていい?」
「…………分かった。薬を投与するよ。そして、君の夢の中に、一人ダイブさせたい人がいる」
「私の夢の中になんて……入ってこないほうがいいよ……」
「『精神外科担当医』を呼んでいる。ソフィーが君の夢傷の手当をしてくれたそうだが、もっと専門的な治療が必要だと私は思う。現に、君は今存在しない傷の痛みで、体を動かす事もできないはずだ」
「精神外科担当医……?」

聞きなれない言葉を繰り返し、汀はハッとした。
そして押し殺した声で言う。

「……GDの人?」
「そうだ。夢傷の治療の専門家を呼んでる。悪い人ではない。保証するよ」
「……せんせがそう言うなら、信じる……」

汀はニッコリと笑おうとして失敗し、痛みに顔を歪めた。

「いいよ、でも小白も連れてきてね……」
20 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:30:16.98 ID:wWVynNsm0


燃え盛る家の中、汀はグッタリと血まみれの包帯まみれの姿で座り込んでいた。
足を投げ出し、もはや動くことも出来ないといった状態でか細く息をしている。
その周りを、白い子猫が困ったように歩き回っていた。
耳につけたヘッドセットから、大河内の声がする。

『汀ちゃん、周りはどうだい? GMDが投与されているから、スカイフィッシュは現れないはずだ』
「…………」
『汀ちゃん?』

返事もできない汀の様子に、大河内がわずかに焦った声を発する。

『無理して返事をしなくていい。もう少しで到着する。それまで……』
「もう到着してるよ。なるほど……」

柔らかい声が頭の上から投げかけられた。
汀は充血した目をやっとの思いで開き、上に向けた。
白衣を着た背の高い男性がそこに立っていた。
21 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:30:45.93 ID:wWVynNsm0
艶のかかった白髪だった。
女性のように後頭部で、長い髪を一つに結っている。
ニコニコとした笑顔を浮かべた、気さくそうな青年だった。
日本人ではない。
瞳が青いことから、おそらくフィンランドなどの日照量の少ない地域の人間であることが伺えた。
髪は、もしかしたら染めているのかもしれない。

「これはひどいな……」

白衣の胸ポケットからメガネを取り出して目にかけると、青年は汀の前にしゃがみこんだ。

「ドクター大河内。今すぐにオペが必要だ。緊急レベルAプラスと判断する。重度5の患者を、よくここまで放っておいたものだ」

青年はニコニコとした表情のまま、右手を上げてパチンと指を鳴らした。
途端、燃える家の中に手術台が出現した。
何かを変質させているわけでもない。
何もない空間から突然手術台が現れたのだ。
目をむいた汀を抱き上げ、青年は彼女を手術台の上に寝かせた。
22 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:31:11.87 ID:wWVynNsm0
「驚いた? 最新のイメージ転送システムを使ってるんだ。僕の能力じゃないよ」
「どう……いうこと?」
「サーバー上に、夢世界であらかじめ構築しておいた道具を保存しておく技術だよ。こんなこともできる」

パン、と青年が手を叩いた次の瞬間、汀達は燃え盛さかる家ではなく、白いリノリウムの床が光る手術室の中にいた。

「え……?」
「言い遅れた。僕の名前はマティアス。今やったのは、サーバーにアップロードしておいた手術室のイメージをそっくりそのまま、この夢の中にダウンロードした」

そう言うと、マティアスと名乗った彼は汀の腕をアルコールが染み込んだ脱脂綿で拭き、おそらく麻酔薬だと思われる薬を、問答無用で注入した。

「余計な手間を省くためにも、君には意識を失って、特殊なレム睡眠に入ってもらうことにする」
「…………」

猛烈な眠気が汀を襲う。

「大丈夫。次に目をさます頃には、多少荒療治だけど、傷はきちんと治ってる。もう痛い思いをしなくてもいいんだよ」

マティアスはニッコリと笑うと、台に乗っていたメスを手にとった。
23 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:31:39.92 ID:wWVynNsm0
「痛くも痒くもないと思うけど……まだ意識があるかな?」

目を閉じた汀のまぶたを指先で上げ、彼女が意識を失ったことを確認して、彼は言った。

「ミギワさんの意識がなくなった。時間軸をいじる。ドクター大河内。これから十五分ほど、実時間で連絡が途絶えるから」
『分かった……マティアス、闇医者の君に頼むんだ。彼女を治してやってくれ……』
「精神の『修理』はお手の物だから、心配することはないよ」

奇妙な笑顔のまま、青年は汀の包帯をハサミで切った。
痛々しく縫われた傷口が顕になる。
そこでマティアスは、足元をウロウロしている子猫を見下ろして、口を開いた。

「少し待っていてくれないか? 君の主人が死にかけてる」
『マティアス……』
「何だい? そろそろ時間軸の操作に移行したいんだけど……」
『お前が……いや、GDが何の対価もなしに汀ちゃんの治療に手を貸すとは思えない。聞いておきたい。何が目的だ?』
24 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:32:07.25 ID:wWVynNsm0
マティアスはそこで手を止め、大河内には見えていないながらも、通話向こうの彼が言葉を止めるほどの異様な雰囲気を発し、口が裂けるのではないか、という奇妙な表情で笑った。
 
「いい心がけだよドクター。日本人はそこら辺の大事なところを曖昧にしたがるから困る」
『話をはぐらかさないでくれ。時間がない』
「これが欲しかったんだ」

青年はそう言って、汀のポケットに手を突っ込んでビー玉ほどの核を取り出した。
それは汀に傷を負わせたテロリスト、忠信の精神中核だった。
 
「テロリストの精神中核。この子の夢の中にダイブしないと手に入らないものだからね。悪いけどもらっていく」
『…………』
「この子に異様に信用されているあなたの協力がなければ回収できなかった。礼を言うよ」
 
忠信の精神中核をポケットに仕舞い、代わりに同じ色のビー玉をテーブルの上からつまみ上げ、汀のポケットに入れてからマティアスは続けた。
25 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:32:35.12 ID:wWVynNsm0
「あぁ、それと……」
『ナンバーIシステムの稼働失敗の件、本部はえらいお怒りだ。後ろに気をつけたほうがいい。僕が、この精神中核を本部に届けるまでの間ね。少なくとも寝てはいけない』
『言われなくても……』
「無駄話をしている隙がない。それじゃ」

一方的に通信を切り、マティアスは手術用の白衣、帽子とマスクを着用した。

「オペを開始しますか」
26 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:33:02.60 ID:wWVynNsm0


「ん……」
 
小さく呻いて、汀(なぎさ)は目を開いた。
 
「あれ……?」
 
呟いて右腕を上げる。
シーツの下で、やせ細った腕が痛みも何もなく、緩慢に動いた。
 
「動く……」
 
薄暗い病室。
ベッドを囲むカーテンの向こう側に、人影が二つ見える。
体の痛みは嘘のように消えていた。
まだ息が苦しく、脳のどこかが麻痺している感覚はあるが、
何か大事なことから切り離されてしまったような。
そんな違和感を感じるものの、痛みはない。
27 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:33:30.39 ID:wWVynNsm0
――切り離された……?
 
思い出せない。
夢の中で誰かに会った気がするけど……。
それに、ここ数日……。
私は何をしていて、そしてどうしてここにいるのだろう……?
私は確か、ひどい怪我をしていて……。
で、ここにいる。
何か忘れているような気がするのだが、思い出せない。
咳をしたところで、人影が動いた。
カーテンが開いて、憔悴した顔の大河内が中を覗き込む。
 
「汀(なぎさ)ちゃん! 大丈夫かい?」
 
いの一番に聞かれて、汀(なぎさ)は息をついて大河内に対してにっこりと笑ってみせた。

「うん……体、痛くないよ……」
 
それを聞いて大河内は一瞬、とてもつらそうな、曖昧な表情を浮かべた。
しかしそれをすぐに引っ込め、汀が気づくよりも早く口を開く。
28 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:33:58.20 ID:wWVynNsm0
「良かった……マインドスイープの治療中、重症を負ってここに運び込まれたんだ」
 
彼はそう言って、カーテンの向こうの人影に目配せをした。
煙草の煙。
病室で、煙草……?
汀(なぎさ)がまた咳をする。
煙草を吸っていたと思われる人影は、息を長く吐くと革靴のかかとを鳴らして病室を出て行った。
 
「誰かいたの……?」
 
大河内に問いかけると、彼は換気扇のスイッチを入れてから汀に対し、言葉を濁した。

「ん……ああ。ちょっとした知り合いだよ。汀(なぎさ)ちゃんが知らない人だ」
「そう……」
「ところで、久しぶりに意識を取り戻したと思うから、二、三質問させてもらってもいいかな?」
「ん、いいよ」
「ありがとう」
 
大河内は彼女の隣に腰を下ろし、頭を優しく撫でた。
そして口を開く。
29 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:34:26.37 ID:wWVynNsm0
「高畑圭介という名前に心当たりは?」
「高畑……圭介?」
 
怪訝そうに首を傾げ、汀(なぎさ)は繰り返した後言った。
 
「患者さん?」
「…………ああ、そうだ。覚えてないならいいんだ」
「覚えてない……」
 
大河内はニコニコとした表情のまま、続けた。
 
「君の名前は?」
「大河内……汀(なぎさ)……」
「そうだ、あとひとつ」
「…………」
「君は、ダイブを続けたいと思う?」
 
大河内の質問に対し、彼女は首を振った。
 
「うぅん……」
「…………そうか」
30 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:34:53.55 ID:wWVynNsm0
「もういいよ……もうたくさんだと思う……」
「そう思うなら、それでいい。ほら」
 
異様な彼女の様子を全く気にすることなく、大河内は手元のキャリーケースを開けて中から子猫を取り出した。
 
「ええと……」
 
覚えてる。
この猫は、私の猫だ。
でも、名前……。
名前が、思い出せない。
固まった汀(なぎさ)に、大河内は猫を渡してから言った。
 
「小白だよ。君のことをずっと心配してた」
「こはく……? うん、そうだったね。ありがとう……」
 
彼女はゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄る小白を撫でてから、大河内に言った。
31 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:35:19.26 ID:wWVynNsm0
「ね、私達、いつお家に帰るの?」
「精密検査が終わってからだね。明後日には病院を出れると思う」
「うん」
 
ニッコリと微笑んで、汀は頷いた。
 
「楽しみだなー……旅行」
 
小さく呟いたその瞳には、数時間前まで人を助けると言っていた決意の色は欠片も見えなかった。
歳相応の無邪気な顔。
大河内は、自分の苗字を名乗った彼女の頭を撫でて、しばらく口をつぐんでいた。
 
「どうしたの?」
「…………」
「パパ?」
「…………」

パパ、そう呼ばれて大河内は一瞬目を見開いた。
そして唾を飲み込んでから、かすれた声を発する。
32 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:35:45.73 ID:wWVynNsm0
「……これで、良かったんだよ……」
「……?」
「良かったんだよな……?」
問いかけられ、汀(なぎさ)は小さく笑った。
 
「どうしたの、パパ? 何だかいつものパパじゃないみたい……」
「……今日は、一緒にここで病院食を食べようか。明後日からは旅行だぞ。沖縄に行こう」
「うん!」
 
頷いた汀(なぎさ)の頭を撫で、大河内は立ち上がってカーテンを開いた。
背を向けたその顔は、唇を強く噛み、今にも押し殺した感情で破裂しそうになっていた。
33 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:36:15.31 ID:wWVynNsm0


「高畑汀(たかはたみぎわ)を……手放した?」

信じられないような調子で聞かれ、圭介はココア缶のプルタブを開けて中身を口に流しこんでから、息をついて言った。

「ああ。治療中に患者の命を盾に取る行為は、重度Aの危険行為だ。言い逃れは出来ない」
「だからって……あなたにあそこまでボロボロになって協力してた子を、使い捨てるつもりなの!」

掴みかからんばかりに大声を上げたソフィーに、圭介は薄ら笑いを浮かべて言った。

「使い捨てる? 違うな」
「……?」
「あんな便利な道具、そう簡単に無条件で手放すわけはないだろう」

クックと笑って、圭介は缶をテーブルに置いた。
そして片手で醜悪に笑っている顔を隠しながら、不気味に光る目でソフィーを見た。

「……どういうこと? 話がさっぱり見えないわ」
34 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:36:41.29 ID:wWVynNsm0
「さしあたっては、約束通りに君の腕の治療を行おう。俺は嘘をつくのは嫌いだからな」
「気になっていたのだけれど……スカイフィッシュに斬られた腕の手術なんて無理よ。あなたにどんなあてがあるのかわからないけれど……」
「手術(オペ)なんてしない。君には悪いが、新型システムのモニターになってもらいたい」
「新型……システム?」

聞きなれない不穏な言葉に、ソフィーが色をなす。

「まさか……!」
「察しがいいな。さすが天才だ」

頷いて圭介は椅子に腰を下ろした。
そして青くなったソフィーを見上げる。

「何も精神治療にはナンバーIシステムだけが開発されていたんじゃない。医療技術は日進月歩。様々なものがある。中には、無認可の危険なものもな」
「…………」
「君に受けてもらいたいのは、移植処置だ。精神のな」
「そんな危険な施術を試すと思う?」

押し殺した声でそう返したソフィーに、圭介は鼻で笑ってから答えた。
35 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:37:16.64 ID:wWVynNsm0
「受けるさ。君は何としても自由に動く体がほしいはずだ」
「…………」
「腐った精神を切り離して、新しい腕を接合する。理論的には何ら問題がない移植作業だ」
「それが許されるのなら、あなたが一番嫌うロボトミーも許されるはずだわ」
「一緒にしないでほしい。今回は、きちんと施術用に精神構築された腕を、君に『接続』する。成功率は限りなく99%に近い。拒絶反応さえでなければの話だがな」
「…………」

答えることが出来ないソフィーに、小さく笑ってから圭介は言った。

「もう後戻りはできない。俺も、君も。汀(みぎわ)も、大河内も、もう戻ることは出来ない。ただ、今活動するためには君の腕が足りない。それに、あいつの存在はマイナスにしかならい。だから一時的にリリースした。それだけだ」
「……やっぱりあなたは、あの子をただの道具だとしか思っていないのね……」
「俺だけじゃない。たとえ大河内でさえ、大人は皆自分以外のものは、悲しいかな道具だとしか捉えていない。苦しいことだが、それが大人から見た世界なんだよ。それが分からない君たちは、まだこの世界で生きていく資格を持っていない、人間以下の存在だとしか俺には言えない」
36 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:37:44.81 ID:wWVynNsm0
悔しそうに唇を噛んで、ソフィーが黙りこむ。
そして彼女は顔を上げ、圭介に言った。

「……分かったわ。私にも私の事情がある。施術を受ける。どうすればいいの?」
「三日後、君の夢の中に専門のチームをダイブさせて行う。その後、君にはある場所にダイブしてもらいたい」
「……施術直後に動けるかしら……」
「所詮精神の切り貼りだ。現実の傷ではない」
「よく真顔でそんなことが言えるわね……!」
「夢傷それそのものが原因で死んだ人間は存在しないからな」

端的にソフィーにそう返し、圭介は夜の景色を映す東京都の窓の外を見た。
37 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:38:12.26 ID:wWVynNsm0
「汀(みぎわ)は必ず俺のところに戻ってくる。それがあいつの贖罪なんだ。あいつは、俺のところに戻らざるをえないカルマを背負ってる。まだあいつは、何一つとして目的を達成していない」

呟くようにそう言った圭介の顔を見て、ソフィーは発しかけていた言葉を止めた。
不気味な表情だった。
視線だけが無機的で、口元が笑っている。
その、どこか壊れたような顔を見て、ソフィーは一つのことを確信していた。
この人達は壊れている。

自分とは、違う。
38 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:38:40.57 ID:wWVynNsm0


汀の車椅子を押しながら、大河内は多数の医師に囲まれた状態で空港を歩いていた。
医師の周りには、やはり多数のSPがついている。
看護師の女性が、他の人に聞こえないように大河内に耳打ちをした。

「先生、やはりこの子を沖縄まで『隔離』するのは、時期が早いのでは……」
「大丈夫だ。何も問題はない」

短くそう返して、大河内は車椅子の上で、片手で3DSをいじっている汀(なぎさ)の肩を叩いた。
3DSを膝の上において、耳につけていたイヤホンを外した彼女が、大河内を見上げる。

「どうしたの、パパ?」
「そろそろ飛行機に乗るから、ゲームをしまった方が良い」
「わぁ、私飛行機はじめて!」

ニコニコしながら汀(なぎさ)が近くの看護師に3DSを渡す。

「眠くないかい?」
「大丈夫、たくさん寝てきたから!」
39 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:39:08.42 ID:wWVynNsm0
元気にそう言う彼女に、大河内はニッコリと笑いかけて言った。

「そうか。医療機関の特別ファーストクラスだから不便はないと思う。病院のみんなも同席してくれる」
「私とパパの旅行なのに、みんなに悪いね」

そう言った汀(なぎさ)に、近くを歩いていた看護師の女性たちがニコニコしながら何かを言う。

大河内は会話をはじめた彼女達から目を離し、どんな要人が飛行機に乗るのかという好奇の視線に囲まれた状況で、周囲に視線を這わせた。
それが、ゲート近くにポケットに手を突っ込んだコート姿の男が立っているのを見て停止する。

大河内は

「すぐ戻るから」

と言って、近くの看護師に車椅子を預け、SPを数人引き連れて男のところに近づいた。
ニット帽を目深に被り、サングラスをかけた男。
白髪だ。
大河内は彼の前に立つと、SP数人に周りを固めるように指示をして、押し殺した声を発した。
40 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:39:41.54 ID:wWVynNsm0
「……ここで何をしている、マティアス」

マティアスと呼ばれた「精神外科担当医」はサングラスをずらして大河内を見て、口の端を歪めて裂けそうに笑ってみせた。

「監視」

端的にそう言ったマティアスの視線が動く。
ハッとした大河内の目に、マティアスの視線の先に、空港に数人同じようなコートにサングラス、白髪の人影があるのが映る。

「北ヨーロッパ赤十字は、高畑……失礼、『大河内汀(おおこうちなぎさ)』のことを、最重要、危険度AAAの観察対象として認定したんだ。僕は彼女の精神手術を担当した手前、こうして出向いてきたってわけ」

大河内は歯を噛んでマティアスを睨みつけた。

「丁度良かった……お前には言いたいことがあったんだ」
「血圧上がってるな、『パパ』? どうだい、悪い気はしないだろう?」
「私と汀(みぎわ)ちゃんはそういう関係ではない。よくも間違ったインプラントをしてくれたな」
「そういう関係じゃないって……じゃあどういう関係なんだ?」
41 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:40:07.13 ID:wWVynNsm0
あくまで軽く、のらりくらりと怒りをかわされ、大河内は額を抑えて息をついた。

「……説明したくはないな。言いたいことはそれだけじゃない。汀(みぎわ)ちゃんの記憶が、マインドスイーパーとしての強制記憶と一緒に、一部かなり欠落してる。いい加減な仕事をしたな!」
「言葉遣いに気をつけなよドクター。誰に対して言っているんだ?」

マティアスはニヤニヤした表情を崩さず、大河内の肩にポンポンと手を置いた。

「彼女の膿んだ精神夢傷の手当ては、完璧に済んだ。何、その周囲の精神真皮ごと切り取ったから、縫合後は記憶の大部分欠落が見受けられるけど、それに相当する分の『都合のいい思い出』はインプラントしておいた。もうあれは、中萱榊(なかがやさかき)の使っていた道具じゃない。ドクターの、娘だよ。戸籍も書き換えてある」
「私の娘としての思い出を埋め込んだな……何てことを……」
「だから何を憤ってるんだ? ん? もしかしてあの子は……『娘的ポジション』ではないのか? おいおい……」

呆れたように腕組みをして、マティアスは息を吐いた。

「ペドフィルだったのか、あんた」
42 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:40:34.60 ID:wWVynNsm0
「冗談を言っている場合ではない。あんなのは汀(みぎわ)ちゃんじゃない!」
「やれやれ……十三歳だぞ。日本人の法律や価値観、趣味嗜好はよく分からないな……変態が多い国だとは聞いていたけど、まさかここまでとは……」
「あれでは別の人間だ。完全にフォーマットされてる。ある程度の価値観は残すべきだ」
「具体的には?」
「……具体的と言われても……」

口ごもった大河内の肩をまた叩き、マティアスは言った。

「……ま、僕らは沖縄までしばらくの間、と言っても『ナギサ』ちゃんの監視命令が撤廃されるまで専属医として同行する。GDの意向だから、ドクターの身柄も保証できるよ。その方がドクターとしてもありがたいんじゃないかな」
「…………」
「……反乱分子は、テロリストとどうも繋がっているらしくてね。ヨーロッパ赤十字は、血眼になって探してる。慎重にならざるをえない背景、ドクターなら理解できるよね? あんたの趣味に合わないっていうなら、アフターサービスで少しくらいは、あの子の性格をいじってあげるよ」

これ以上喋っても無駄だと自覚したのか、大河内は深い溜息をついて、こちらに向けて手を振っている汀(なぎさ)を見た。
それに手を振り返した彼に、マティアスは続けた。
43 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:40:59.76 ID:wWVynNsm0
「元気に動いてるじゃないか。それとも、あの悪夢の中で血まみれで転がってた方が幸せだったって、ドクターはそう仰るのかな?」
「そういうわけじゃ……」
「じゃ、僕は先に飛行機に乗ってるよ。彼女、だいぶはしゃいでるようだけど気をつけなよ」
「どういう意味だ?」
「……分からないならいいんだ。それじゃ、沖縄で」

ひらひらと手を振って、マティアスがゲートに向かって歩いて行く。
大河内は舌打ちをしてSPに何事かを言い、汀(なぎさ)の方に足を向けた。
44 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:41:25.27 ID:wWVynNsm0


「パパ、すごいよ! 雲の上にいる!」

窓際に座った汀(なぎさ)が大声ではしゃいでいる。
大河内は、わずかに憔悴した顔でニッコリと笑ってみせた。

「ああ、そうだな。体は大丈夫かい?」
「うん、何だか最近すごく調子がいいの。私、元気になったかもしれない」
「……そうか」

頷いて、大河内は職員からジュースを受け取ってストローを指し、彼女に手渡した。

「私も長期で休暇届を出した。しばらく沖縄で羽目を外そうか」
「うん!」

頷いた汀(なぎさ)が息をついて、背もたれに体を預ける。

「眠いなら少し寝てもいいんだよ」
「うん。でももう少し、雲見たい」

窓の外に視線をうつした汀(なぎさ)だったが、そこで彼女の動きが止まった。

「あれ……?」

小さく呟いた彼女に、大河内が怪訝そうに聞いた。
45 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:41:53.11 ID:wWVynNsm0
「どうした?」
「誰か、私のこと呼んだ?」

周りにいる看護師達を見回して、彼女は首を傾げた。

「男の子の声が聞こえたの。どこかで聞いたことがあるんだけど……空耳かなぁ」

それを聞いて、一瞬停止して大河内は青くなった。

「……何だって?」

眠りにも入っていないのに。
おかしい。
立ち上がりかけた大河内の耳に、ブツリ、という音とともに機長室からのアナウンスが飛び込んできた。

『A390にご搭乗の皆様に告ぐ』
「あ……」

汀(なぎさ)が顔を上げる。

「この声」
「え……?」

思わず聞き返した大河内は、次の言葉を聞いて息を呑んだ。
46 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:42:31.52 ID:wWVynNsm0
『当機は、現時点をもって我々「アスガルド」が占拠した。乗客の皆様に危害を加えることは、なるべくならば避けたい。それゆえ、我々の要求を一度だけ、簡潔にお伝えしたいと思う』
「ハイジャック……!」

押し殺した声で叫んで立ち上がった大河内を嘲るように、少年の声は続けた。

『赤十字の皆さん、乗っているんでしょう? 我々が要求するのは、「ナンバーW」の身柄だ。あなた達が隔離しようとしている女の子を、平和的に受け取りたい』
「ナンバーW……?」

汀が小さく呟いて、不安そうに大河内を見る。

「パパ……何だか怖い……」
「…………」

大河内が無言で汀(なぎさ)の手を握る。

『ナンバーWがこの機内にいることは、既に確認している。赤十字の皆様に要求することは、「無抵抗」だ。どうか無駄な抵抗をしないでほしい』

そこで、ウィィィィ……と、スピーカーから聞いたこともないような音が流れだした。
47 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:42:58.53 ID:wWVynNsm0
高圧で鼓膜を震わせ、脳を振動させるような重低音だった。
それを聞いたSPや看護師達、大河内、汀に至るまで、ファーストクラスエリアにいたその場の全員が頭を抑え、ついで襲って来た猛烈な眠気に歯を食いしばる。

『乗客の皆様には、これより眠っていただく。諸君らは人質である。我々アスガルドは、ナンバーWの精神中核を要求する。もしも抵抗するのであれば、容赦なく「殺させて」いただく』

眠気に耐え切れず、看護師が一人、二人と倒れていく。

「ダイブの準備だ! 汀(なぎさ)ちゃんを守れ!」

SP達に怒鳴り、大河内はガクン、と首を垂れた汀(なぎさ)の頭にヘッドセットを被せた。

「……ドクター……!」
48 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:43:24.48 ID:wWVynNsm0
そこでファーストクラスのドアが開いて、ふらついたマティアスと、数人の白髪の男女が駆け込んできた。
全員ヘッドセットをつけている。

「人質全員を眠らせて……精神中核を連れ去るつもりだ……私もダイブする。テロリストを撃退するぞ……!」

大河内も眠気で震える手でヘッドセットを装着した。
音が段々大きくなっていく。
大河内が眠気で目を閉じ、意識をブラックアウトさせたのと、マティアス達もその場に崩れ落ちたのは、ほぼ同時の事だった。
49 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/20(土) 15:44:05.94 ID:wWVynNsm0


第20話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/21に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883177217

m(_ _)m
50 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/20(土) 18:43:08.49 ID:vQER8Z0P0
おや、前にエタったと思ったらこっちにきてたのか
どこで止まってたかなぁ
51 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/21(日) 08:02:57.83 ID:CA4rB0YA0
立て乙です。

スイーパーは空間認識・把握能力が大事みたいだけど、寝たきりの汀になぜそんな能力が。病気になる前はガチャピン並みにスポーツ万能な元気娘だったのかしらん。
早く良くなっておくれ。
汀をちゃんと守るんだぞヒゲ。
52 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:51:37.01 ID:cASlUPYO0
皆様こんばんは。
第20話を投稿させていただきます。

>>50
前は20話まで投稿しましたので、今日の更新分の途中くらいまでだったと思います。
今回は最後までやらせていただきますm(_ _)m

>>51
汀は普通の能力者ではなく、「夢の本質を見ることができる」眼を持っています。
特に明言した表現はありませんが、彼女が悪夢の内容を解決することができる速度が早いのも、そのせいです。
また、他のマインドスイーパーと比較してダイブの回数経験値が比較にならないのも、強さの理由です。
53 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:53:12.93 ID:cASlUPYO0


第20話 人造人間



「何だ……ここ……」

大河内は言葉を失って周囲を見回した。
そこは、半径三十メートル四方ほどの丸い空間だった。
中央に小さな小屋があり、木が一本近くに立っている。
周囲は緑色の芝生に覆われ、たくさんの蝶々や小鳥が周囲を飛んでいた。
芝生には花壇が設置されていて、色とりどりの花が咲いている。
空は青。
中点には優しく輝く太陽。
しかし、それも丸い円形空間の中だけでの話だった。
崖のようになっていて、その外は奈落になっている。
54 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:53:44.02 ID:cASlUPYO0
大河内はすぐその、落ちる寸前の場所に立っていた。
その下を見て、彼はゾッとした。
ぐつぐつと煮えたぎるマグマのような、
溶岩のようなものが蠢いていたのだ。

「汀(なぎさ)ちゃんの精神世界……入れたのか?」
「強制フォーマット後の安定しない世界なんだ……安定してる空間は、今のところここだけだ。落ちれば多分虚数空間になってるから、元に戻れないよ」

背後から言葉を投げかけられ、大河内は慌てて振り返った。
白衣のポケットに手を突っ込んだマティアスが立っていた。
55 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:54:27.43 ID:cASlUPYO0
彼はヘッドセットを操作したが、その向こうからノイズしか聞こえてこない事を確認して、舌打ちして手を止めた。
すぐ近くに、看護師数人とマティアスと同じ、北ヨーロッパ赤十字の職員が倒れていた。
彼らが頭を振りながら起き上がり、同様にヘッドセットを操作しようとする。

「ナビをする人間が外にいないから駄目だ。それより、早くミギワさんの精神中核を保護するんだ」

指示を受けた職員たちが、小屋の方に走っていく。
大河内も慌ててついていくと、小屋の中には小さなブラウン管型テレビが床に設置されていて、その前に揺り椅子がひとつ置いてあるだけだった。
ブラウン管型テレビには、ノイズ混じりの砂画面が映しだされている。
汀(なぎさ)が、揺り椅子に座ってぼんやりとテレビを見ていた。

「マティアス、精神中核の入れ物を見つけました! 実体を保ってます!」

職員の一人が声を上げると、汀(なぎさ)が顔を上げて周りを見回した。
56 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:55:04.40 ID:cASlUPYO0
そして大河内の姿を見とめると、急いで立ち上がってパタパタと走ってきた。
病院服ではない。
白いワンピースに、ピンク色のバンプス。
髪飾りに、歳相応の女の子である証拠のように、わずかに化粧をしている。
汀(なぎさ)は大河内に抱きつくと、頭をこすりつけてきた。

「パパ、どうしたの? ここは私の夢の中だよ?」
「汀(なぎさ)ちゃん……良かった、無事だったか」

大河内は彼女を抱き上げると、小屋の壁に背中をつけて周囲に目を走らせた。
汀(なぎさ)の体は、信じられないほど軽かった。
まるで重さがないようだ。
羽毛布団を持ち上げているかのような感覚に、大河内は彼女が飛ばないようにきつく抱きしめた。
汀(なぎさ)は大河内の首に腕を絡めると、その胸に顔を埋めた。
57 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:56:32.00 ID:cASlUPYO0
「どうしたの? 何だか、すごく何かを怖がってるみたい……」
「絶対に、何があっても私から離れるんじゃないぞ。しっかり掴まってるんだ」
「……うん。分かった」

押し殺した声で言った大河内に、怪訝そうな顔ながらも汀(なぎさ)が頷く。
マティアスが大河内と汀(なぎさ)を守るように職員と看護師に立ち位置の指示をしてから、パンッと手を叩いた。
職員、看護師たちの手に機関銃がどこからともなく現れる。

「使い方は分かるな? テロリストに容赦をすることはない。相手はスカイフィッシュの変種だ。攻撃を受けたら即死だと思え。姿を確認次第、全戦力で叩く」

早口でマティアスが言って、自分のショットガンをコッキングした。
それらの物騒な様子を見て、汀(なぎさ)が小さく震えながら大河内に抱きつき、ぎゅっと目を閉じる。
58 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:57:05.47 ID:cASlUPYO0
今までの彼女からは考えられない弱々しい様子に、大河内は少し躊躇して、言葉を発しようとし……。

「ドクター! 後ろだ!」

マティアスの叫び声にハッとして、汀(なぎさ)を抱いたまま前に転がった。
汀が悲鳴を上げて大河内にしがみつく。
その、今まで大河内の頭があった場所の背後の壁から、無数の日本刀が突き抜けた。
出現する無数の日本刀は、ものすごい勢いで小屋の壁を埋め尽くすと、今度は床や天井に突き刺さりはじめた。
職員や看護師達が、機関銃を構えながら、転がるように小屋の外に向かって駆け出す。

「早く、何してるんだ!」

マティアスが大河内を引き起こしてパチンッと指を鳴らした。
59 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:57:41.35 ID:cASlUPYO0
その彼らを庇うように、小屋を内側からなぎ倒しながら鈍重な戦車が出現した。
出現を続けていた日本刀が、まるで雨のように戦車に打ち当たって、ガシャガシャと地面に転がっていく。
実に十数秒も日本刀の雨は続き、たちまち狭い空間が、周囲に鉄臭い黒い刀身がギラつく物騒な様相を呈した。

「掴まって!」

マティアスがそう言って、大河内と汀(なぎさ)を戦車の上に引き上げる。
職員の一人が戦車に駆け上がり、操縦席に座った途端、鈍重な機体が高速でバックした。
汀(なぎさ)が声を上げて頭を押さえる。
大河内は汀(なぎさ)が転がり落ちないように抱きしめながら、必死に戦車の上にしがみついた。
戦車は小屋があった場所から奈落の手前までバックすると、そこで止まった。
職員と看護師達が、機関銃を構えながらバラバラと戦車を囲むように整列する。
60 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:58:16.80 ID:cASlUPYO0
「こんなものまでサーバーに保存できるのか……!」

押し殺した声を発した大河内を無視して、マティアスは銃座に駆け上がると、機関銃の砲身を前方に向けて、一気に引き金を引いた。
職員と看護師達も、持っている銃の引き金を引く。
連続した凄まじい射撃音が鳴り響いた。
汀(なぎさ)が体を硬直させる。
大河内は彼女の耳を手で塞ぎ、庇うようにその体に覆いかぶさった。
周囲に雨のように親指大の薬莢が飛び散る。
焦げ臭い硝煙の臭い。
小屋の向こうで立ち上がった人影にすべての銃弾が吸い込まれていき、炸裂した。
一本だけ立っていた木が粉々に吹き飛ばされ、小屋の残骸が煙となって飛び散る。
芝生がえぐれ、吹き上がり、周囲にもうもうと土煙が舞った。
61 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:58:48.15 ID:cASlUPYO0
数秒経ち、煙が風に舞っておさまってきたところで、大河内は顔を上げて硬直した。
銃弾が炸裂した場所に、マントを体に巻きつけた人影がしゃがみこんでいたからだった。

「チッ……効果がないか……!」
「確認しました! スカイフィッシュ変種です!」

職員の一人が大声を上げる。
マティアスがまた手を叩くと、彼の胴回りに防弾ベストが出現した。
そこにぶら下がっていた手榴弾を幾つか手に取り、歯でピンを抜いてから間髪を置かずに投げつける。
スカイフィッシュは飛んでくる無数の手榴弾を見上げ、両手をそちらに向けて開いた。
彼の周囲に、凄まじい数の日本刀が、何に支えられているわけでもないのに出現して、浮遊をはじめた。
そのうちの何本かが手榴弾に突き刺さり、空中で大爆発を上げる。
62 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 21:59:33.27 ID:cASlUPYO0
そこで、大河内は青くなった。

「マティアス、気をつけろ! 一人じゃない!」

スカイフィッシュの背後に、また動くものが見えたのだった。
それは日本刀の群れに隠れるようにしていたが、手前のスカイフィッシュがサッと身をかがめた瞬間、前に飛び出してきた。

「スカイフィッシュ変種が……二体だと!」

マティアスが声を荒げる。
マントにドクロのマスクを被ったスカイフィッシュ。
それが二人立っていた。
後ろから飛び出してきたスカイフィッシュが、担いでいたロケットランチャーをこちらに向ける。
巨大な砲弾が火を吹き、放物線を描いてこちらに向かって吹き飛んできた。
63 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:00:20.92 ID:cASlUPYO0
「マティアス、どうするんだ!」

大河内が悲鳴のような大声を上げる。
マティアスは飛んでくるロケットランチャーの砲弾を睨みつけ、口の端を裂けんばかりに開いて笑った。

「大人を……赤十字を舐めるなよ!」

嘲るようにそう言った彼に、別の職員が地面を手で叩いてから叫んだ。

「閉鎖領域への夢座標の転送、完了しました。扉を開きます!」
「開放しろ!」
「了解!」

ロケットランチャーの砲弾が、戦車に打ちあたって炸裂する……と、大河内が汀(なぎさ)を強く抱きしめ、彼女を庇うように体を丸めた瞬間だった。
職員の一人が叩いた地面に、木造りの扉が出現した。
それがひとりでに開き、中から数人の人影が、戦場の様相を呈している空間内に踊り込んできた。
64 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:00:53.31 ID:cASlUPYO0
そのうちの一人が、人間とは思えない程の跳躍をして、今まさに炸裂せんとしている砲弾を手で掴む。
次いで人影は、思い切りそれをスカイフィッシュ達に向かって投げ返した。
ロケットランチャーを担いだスカイフィッシュが、慌ててもう一発のランチャーを発射する。
空中で二つの砲弾が衝突し、まるで昼間のように光が飛び散り、爆炎と鉄の破片が周囲を舞った。

「パパ……!」

汀(なぎさ)が悲鳴を上げて大河内にしがみつく。
大河内は爆炎で吹き飛ばされないように、しっかりと汀に抱きついた。

「くく……」

押し殺した声で、マティアスが笑った。

「もう終わりだよ、お前ら」

ポケットに手を突っ込んで、彼は戦車の上に仁王立ちになった。
65 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:01:21.38 ID:cASlUPYO0
彼を守るように、扉から出てきた人影が四つ、戦車の周りに立って腰を落とす。
そして四人同時にチェーンソーの鎖を引っ張った。

「え……」

大河内は目を見開いて、その光景を見た。

「スカイ……フィッシュ……?」

四人。
ドクロのマスク。
黒いボロボロのマント。
ジーンズに血にまみれたタンクトップ。
同じ格好をしたスカイフィッシュが、四人、大河内達を守るように立っていた。
ドルンドルンとチェンソーのエンジン音があたりに響き渡る。
66 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:01:53.21 ID:cASlUPYO0
「どういうことだ……? スカイフィッシュが……四人も……」
「対スカイフィッシュ変種用の、GDが保有している『人工スカイフィッシュ』だ」

ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべながら、マティアスは大声を上げた。

「よーしいい子たちだ! お前たちの目の前にいるあいつら! 食っていいぞ!」

スカイフィッシュ達が、マスクの奥の口を開けて金切り声のような絶叫を上げる。

「マティアス! 私はこんなもの知らないぞ! 何だ、人工スカイフィッシュって!」

大河内が真っ青な顔をして怒鳴る。
マティアスはうずくまっている彼を見下ろして、鼻の端を歪めて笑ってみせた。
67 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:02:27.17 ID:cASlUPYO0
「その名の通り、人工的にスカイフィッシュに『した』子どもたちだよ。実験の副作用で、理性なんて消し飛んでるけどね。まぁ……ボディガードにはそれくらい単細胞な方が適してるから、問題ない」
「問題ないって……お前!」
「とことんやり方がクズだな。赤十字……」

そこで、日本刀を構えていたスカイフィッシュ変種が口を開いた。
何度も聞いた声。大河内が歯を噛んで、汀を背後に庇う。

「工藤……一貴!」

一貴はスカイフィッシュの仮面を脱いで脇に捨て、ギラつく目で大河内とマティアス達を見回した。

「僕達みたいな子供を意図的に量産するなんて、性根が腐った人間しか思いつかないことだ。お前たちが考えそうなことだよ」
「テロリストに非難されるほど、非人道的なことを行なっているつもりはないんだがな」

マティアスは戦車の上で腕組みをすると、一貴を冷たい目で見た。
68 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:03:01.64 ID:cASlUPYO0
「よってお前達と話し合いをするつもりも、情けをかけるつもりもない。ここで八つ裂きにして虚数空間に投げ込んでやる」
「随分と強気じゃないか」

一貴が空中に浮遊していた日本刀の一本を手に取り、構える。
その背後でもう一体のスカイフィッシュ変種がマスクを脱いで髪を掻きあげた。

「君は……!」

大河内が声を上げる。
岬はそれを無視して、ゴミでも見るかのような目で周囲を見回すと、一貴に向かって口を開いた。

「……片平理緒がいないわ」
「そうみたいだね。でもなぎさちゃんがいる」
「私は、片平さんを殺したいんだけど……」
「分かってる。それは時期を見て必ず、岬ちゃんにさせてあげるよ」
69 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:03:32.04 ID:cASlUPYO0
一貴はそう言うと、自分たちを取り囲むように包囲を狭めてきた、四体のスカイフィッシュを見回した。

「こいつらを作るために、一体何人のマインドスイーパーを犠牲にした!」
「さてね……」

マティアスはクックと笑ってから肩をすくめた。

「いちいち数えるのが面倒くさくなったから、僕は知らない。電算処理部にでも聞いてくれ」

パチン、とマティアスが指を鳴らす。
途端、チェーンソーを回転させながら四体のスカイフィッシュが、一斉に一貴と岬に襲いかかった。
一貴は自分に向かってきた二体を見据え、日本刀を構えて腰を落とした。

「岬ちゃん、残り任せたよ」
「うん」

岬が頷いて、手に持っていたロケットランチャーを振る。
70 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:04:02.62 ID:cASlUPYO0
アサルトライフルを脇に挟み、彼女はためらいもなく飛びかかってきた二体に向けてそれを乱射した。
銃弾を真正面から浴びて、二体のスカイフィッシュが吹き飛び、地面を転がる。
しかし銃弾は貫通することなく、バラバラと地面に転がった。
無傷のスカイフィッシュ達がまた岬に飛びかかろうとして……。
ズンッ……。
という重低音と共に、周囲が凄まじい地震が起きたかのように揺れた。
悲鳴を上げた汀(なぎさ)を支えたまま、大河内が戦車の上から転がり落ちる。
マティアスも身をかがめたほどだった。
地面に打ち当たる寸前、大河内が汀(なぎさ)の下に体を滑り込ませ、彼女を受け止める。
したたかに肩を打ち付け、大河内は息をつまらせて激しく咳き込んだ。

「パパ……! パパしっかりして!」

汀(なぎさ)が声を荒げて大河内を揺さぶる。
71 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:04:32.53 ID:cASlUPYO0
「な……何が……」

マティアスが顔を上げ、そこで彼は目を丸くして動きを止めた。
直径十メートルを超える巨大な黒光りする「鉄球」が、地面にめりこんでいた。
どこから現れたのか、何を変質させたのかわからないが、とにかく規格外の大きさだった。
その天辺に岬が立ち、マントを風に揺らしていた。

「いっくん、片付いたよ」

彼女がそう言って飛び降りたところで、マティアスは見てしまった。
二体のスカイフィッシュが、鉄球に押しつぶされて、まるで虫の標本のようにぐちゃぐちゃな血反吐の塊になっているところを。

「うっ……」

思わずえづいた彼の目に

「早かったね」

と言って日本刀を、飛びかかってきたスカイフィッシュの口に突き刺した一貴の姿が映る。
72 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:05:12.22 ID:cASlUPYO0
彼は地面にスカイフィッシュを縫い止めると、残った一体に向けて口をすぼめて強く息を吐いた。
熱風。
いや、違う。
炎の竜巻が巻き起こり、残った一体の体を吹き飛ばす。
虚数空間に落ちていったそれを見下ろして、一貴は息をついた。

「迎撃部隊全滅しました……! マティアス!」
「外部との連絡通路、構築出来ません! 何らかの阻害電波が発せられています!」

職員たちが悲鳴のような声を上げる。

一貴と岬は悠々と足を進めると、戦車から少し離れたところで歩みを止めた。

「まぁ、経験と素質の差ってことで……同じスカイフィッシュだと思ってもらっては困るんだよね」
73 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/21(日) 22:05:53.35 ID:cASlUPYO0


第21話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/22に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883177217

m(_ _)m
74 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/21(日) 22:45:49.30 ID:6ETy6DRRo
75 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/21(日) 23:24:24.30 ID:CA4rB0YA0
もうてんやわんやww、仮面ライダーでも来てくれたらいいのに


医者とも傭兵ともつかない男マティアス、マインドスイーパーにしてはなんというか「流儀」が違う?北欧の人だからか。名前もラテン系だし流れ者なのかな
76 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2017/05/22(月) 05:56:32.77 ID:ZvqU0gqT0
岬ちゃん…狂気に飲まれたか?
77 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:28:44.03 ID:+j5AeXst0
皆様こんばんは。
第21話を投稿させていただきます。

>>75
マティアスは機関専属の闇医者的ポジションの人間です。暗部ですね。
非人道な人体実験をひけらかしているのも、そのあたりが関係しています。

>>76
岬はこの時点でスカイフィッシュの悪夢に精神の大部分を汚染されてしまっています。
忠信のような状態になってしまっています。
78 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:30:00.54 ID:+j5AeXst0


第21話 アンリエッタ・パーカー



「まさか……そんな馬鹿な! 迎撃用に用意したスカイフィッシュが全滅だと? この短時間で……!」

狼狽しているマティアスに、大河内は怒鳴った。

「どうにかできないのか! このままだと全員殺されるぞ!」
「あんた達には二つの選択肢がある」

一貴がそう言って日本刀を、倒れたスカイフィッシュの頭に突き立てた。
そして淡々とした目で、自分を取り巻く恐怖の感情を見回して続ける。

「今、ここで皆殺しにされて飛行機ごと罪のない乗客達と海の藻屑となるか。もう一つは、抵抗せず、静かに『網原汀』の身柄をこちらに引き渡すという選択肢だ」

なぎさ、と聞いて汀(なぎさ)が顔を上げて一貴を見る。
その怯えたような小動物のように震える目を見て、一貴は一瞬怪訝そうな顔をした。
79 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:30:35.54 ID:+j5AeXst0
しかし一拍後、その目が見開かれ、やがて彼は口をあんぐりと開けて、よろめいた。

「いっくん!」

岬が慌ててその体を支える。
一貴は自分を見つめる汀(なぎさ)を見ながら、岬に寄りかかって息をついた。

「はは……ウソだろ……」

自嘲気味な乾いた笑いが彼の喉から出た。
一貴は片手で顔面を覆うと、わななく手で髪を毟らんばかりに掴んだ。

「ウソだろ!」

一貴の怒鳴り声を聞いて、問いかけようとした岬だったが、彼女も汀(なぎさ)のことを見て停止した。
80 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:31:30.43 ID:+j5AeXst0
「……あなた……誰?」

唖然としたように問いかけられ、汀(なぎさ)が硬直して大河内にしがみつく。
岬は目を怒りに燃え上がらせながら、手にしたショットガンを周囲に向けた。
そして発狂したかのように喚き出す。

「なぎさちゃんをどこにやった! 汚いぞ、赤十字!」
「違う。岬ちゃん。あれが……なぎさちゃんだ」

一貴が歯を噛み締めながら立ち上がった。
そして日本刀を両手に構えながら足を踏み出し、地面にへたりこんでいるマティアスに大股で近づく。
81 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:32:13.43 ID:+j5AeXst0
悲鳴のような声を上げて逃げ出そうとしたマティアスの足に、彼はためらいもなく日本刀を叩き込んだ。
陰惨な悲鳴が周囲に響き渡り、太ももから両断されたマティアスの右足が、屠殺場の肉の塊のように転がる。
噴水のように血を噴出させ、わけの分からない言葉を喚きながら地面を転がるマティアスの頭を踏みつけ、一貴は半ば瞳孔が開いた目で彼の顔を覗き込んだ。

「一つだけ質問をしよう」

凍った鉄のような、抑揚がない声だった。
ヒー、ヒー、と喉を鳴らすマティアスに、一貴は静かに問いかけた。

「何をした?」

マティアスはそれを聞き、しかしクック……と震える喉を鳴らして笑った。
そして一貴に手を振り上げ……。
脇に立っていた岬が、表情も変えずに、ショットガンの引き金を引いた。
サバイバルナイフを持っていたマティアスの右腕が銃弾に吹き飛ばされて粉微塵に飛び散る。
絶叫した彼の頭を強く踏みにじり、一貴は静まり返った周囲を気にすることもなく、繰り返した。
82 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:33:03.33 ID:+j5AeXst0
「お前、僕のなぎさちゃんに何をした」

マティアスは痛みに体を痙攣させながら、口の端を歪めてニィ、と笑った。

「わからないか……?」

かすれた声で問いかけ、彼は息を吸い、吐いた。

「もう少し賢いと思ったんだがな……テロリスト……」
「…………」
「切り取った精神真皮は腐敗してた……破棄したよ。つまり、『網原汀』という存在は、もうこの世界には存在しない……」

無言の一貴を、残った左腕を上げて指差し、マティアスは大声で笑った。

「俺達の勝ちだ! テロリスト、お前達が求めていた、ナンバー4はもう既に死んでるんだよ! あそこにいるのは外側だけのただの人形さ!」
83 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:33:44.19 ID:+j5AeXst0
「何……だって……」

大河内がマティアスの怒声を聞いて、汀(なぎさ)を抱きながら引きつった声を発する。
彼は何か言葉を続けようとしたが失敗した。

「どんな気分だァ? 仲間を殺されるっていうのは! なぁ教えてくれよ、テロリスト? やっぱり悲しいものなのか?」

呆然としている一貴を嘲笑し、マティアスは血が混じった唾を吐き散らしながら叫んだ。

「そしてお前らはもう逃げることはできない! のこのこ乗り込んできた時点で、俺達の勝ちは」

パァン、とショットガンの炸裂する音が響いた。
腹部をグチャグチャに破壊されたマティアスの体が、何度か痙攣して力をなくす。

「うるさい」

岬がゴミでも処理するかのように呟き、一貴の肩を掴んだ。
84 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:34:16.90 ID:+j5AeXst0
「しっかりして、いっくん。とりあえずあのなぎさちゃんの精神中核を持って、早くダイブアウトしよう」
「ダメだ、岬ちゃん。僕達はどうやら、こいつの言うとおりにハメられているみたいだ」

一貴が頬に浮いた汗を拭い、舌打ちをする。
その目にはわずかに焦りの色が浮かんでいた。

「急いで。すぐにダイブアウトするよ」
「どうして? 外側だけでも、あそこになぎさちゃんが!」
「早くしないと僕達全員死ぬ!」

いつになく緊迫した声で一貴が怒鳴る。
岬がビクッとして、そして耳元のヘッドセットを操作した。
そして目を丸くして硬直する。

「ウソ……そんな……」

一貴が無言で、地面にパンッと手をつける。
85 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:34:55.35 ID:+j5AeXst0
そこに木造りの扉が開き、彼はそれを開けた。

「ま……待ってくれ!」

大河内がそこで立ち上がり、大声を上げた。
一貴が動きを止め、首だけを曲げて大河内を見る。

「聞きたいことがある。さっきの……さっきの話は、本当のことなのか!」

一貴は怪訝そうな顔をして、大河内を睨みつけた。

「お前達がやったことだろう」
「違う……私は……私は……!」

大河内は手を握りしめ、絞り出すように言った。

「この子を救いたかった……!」
86 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:36:07.99 ID:+j5AeXst0
一貴はしばらく大河内を睨んでいたが、岬に手を引かれ、息を吸ってから言った。

「時間がない。早く現実世界に戻って、管制局に連絡するんだ。このままでは、俺達もお前らも皆殺しにされる」
「……どういうことだ?」

目を見開いた大河内に、一貴は続けた。

「外の仲間から連絡があった。空自の戦闘機が三機、こちらに近づいてきている」
「戦闘……機?」

言われたことの意味がわからず呆然とする大河内。
一貴は、周囲で息を飲んだ看護師達を見回して、言った。

「僕達の飛行機は、お前達の乗っている飛行機の真上を飛行中だ。戦闘機に補足されたら破壊される。その意味がわからないわけはないだろう」
87 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:36:48.16 ID:+j5AeXst0
「私達は……」

大河内は震える手で顔を覆った。

「囮にされたのか……!」
「僕達はここを離脱する。早く着陸先の空港に連絡をしろ。連絡途絶状態でなければ、もろとも撃墜されることまではないはずだ」

一貴はそこまで一気に言うと、扉の中の暗闇に体を滑り込ませた。
そして一瞬、怯えた目の汀(なぎさ)を見つめて扉を締める。
そこで、大河内達の意識はホワイトアウトした。
88 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:37:30.04 ID:+j5AeXst0


「やられた……!」

簡易ベッドから飛び起きて、一貴はヘッドセットを床に叩きつけた。
その隣で岬が目をこすりながら緩慢に体を起こす。

「すぐになぎさちゃんの捨てられた精神真皮をサルベージしないと……」
「ダメだ、時間がない」

頬に汗を浮かせながら、結城が言った。
そして一貴の頭を掴んでベッドに押し戻し、低い声で言う。

「離せ! 今はお前と話してる時間は……」
「黙れクソガキ。お前には私らを追ってきてる戦闘機のパイロットを殺しに行ってもらわないといけない」

冷たい、鉄のような目で結城は一貴と岬を見下ろした。
89 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:38:05.93 ID:+j5AeXst0
「ダメだ! 時は一刻を争うんだ!」

喚いた一貴の頬をパァン、と結城は張った。
一瞬呆然とした一貴の髪を掴んで、彼女は無理矢理に自分の方を向かせた。

「奇遇だね。あたしらも一刻を争うんだ。話し合ってる時間はない。行け」
「…………!」
「それともあの旅客機に乗ってる、網原汀の外側と一緒に、この空の上で爆裂四散するかい? 赤十字……いや、日本政府は、マインドスイープを妨害してるテロリストであるあたしらを殺すためなら、旅客機の一つや二つ、簡単に見捨てるんだよ。ただの事故として処理されて終わりさ。あたしらの理想も実現できずに、幕を下ろす。それでもいいのか?」

一貴は歯を噛み締めて、ベッドに横になった。
結城が転がっていたヘッドセットを彼に被せて、計器を操作する。
90 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:38:32.45 ID:+j5AeXst0
「残念だったな一貴。あっちの旅客機に退避勧告が遅れた。あと二分くらいで空自の戦闘機と接敵する」

結城がそう言ったところで、岬が力なく咳をし、ベッドの上に盛大に吐血した。
白衣を着た看護師達が岬に群がり、処置を始める。

「岬ちゃん……!」
「無理のしすぎだ。一貴、集中しろ」
「……分かった。どうすればいい?」

無理矢理に気持ちを切り替えた一貴に頷き、結城は続けた。

「この飛行機から、半径五キロ圏内に、眠りを誘発する妨害電波を発生させる。ある程度の指向性をを持たせて、戦闘機に向けて電波を照射する」
「戦闘機の速度だ。当たるとは思えない」
91 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:39:01.25 ID:+j5AeXst0
「だろうな。当たったとしても一瞬だ。戦闘機のパイロットの意識を、一瞬だけノンレム睡眠間際の、朦朧状態にする。その一瞬で、お前はパイロットの意識下にダイブ。殺せ」
「ダイブラインの通信電波は?」
「問題ない。ここから半径二百キロの範囲でお前の意識を飛ばせる」

淡々と計器を操作しながら結城が言う。
一貴は奥の部屋に運ばれていった岬を一瞥し、ベッドに体を預けた。

「分かった。殺してくる」
92 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:45:48.32 ID:+j5AeXst0


それから一貴が目を覚ましたのは、三時間ほどが経過した夕方だった。
ゴウンゴウン、という飛行機の駆動音が響いているのを聞いて、自分が空の上にいることを自覚する。
隣には無表情で医療器具の計器を操縦している結城の姿があった。

「起きたか」

静かに呼びかけられ、一貴は力が入らない体を無理矢理に動かし、上半身を起こした。

「無理するな。短時間の間にスカイフィッシュになりすぎたんだ。しばらく体は麻痺してる」
「僕は……どうしたんだ?」

その問いかけに、結城は怪訝そうな顔を一貴に向けた。

「何だ? 何言ってるお前」
「結城? 何で僕はここにいるんだ? いつの間に飛行機に……」

一貴は戸惑った顔で周りを見回した。
93 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:46:25.21 ID:+j5AeXst0
「岬ちゃんは? これからなぎさちゃんを助けにいかないと……」
「お前……」

結城は一瞬だけ、つらそうに顔を歪めた。
やるせないような、苦しい、悲しい顔だった。
しかし彼女はすぐに表情をもとに戻し、眼鏡の位置を直した。

「……そうだな。だが、しばらく休息が必要だ。これ以上動くと死ぬぞ、お前」

そう言いながら、結城は一貴の点滴に、金色の液体を混ぜた。

「そうだな……」

一貴は頷き、目を閉じた。

「なんかだるい……力が出ねえや……」
94 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:47:13.71 ID:+j5AeXst0


静まり返った会議室で、圭介はアイパッドをデスクに置いてそこを見つめていた。
「Albert Godark」と書いてあるアイコンが点滅し、重苦しい声が流れ出す。

『極秘で出動させていた、日本空自の戦闘機が三機、撃墜された。撃墜……と言うよりは、全機コントロールを失って海面に突っ込んだ。大破、残骸さえ見つからず粉々になったらしい』
「…………」

無言の圭介に、通話の先の男性……アルバートは続けた。

『失敗だな、ドクター高畑。君が立てた計画通りに動いたが、肝心のところで詰めを誤ったらしい。網原汀の身柄を囮に、飛行機ごとエサにしておびき出すまでは良かったが……おびき出したテロリストの戦力と能力を見誤るとは、君らしくもない。今まで何を見てきたのかね?』

責めるような口調を受け、しかし圭介は眼鏡のズレを直して、裂けそうな程口を開いて、ニィと笑った。
カメラで相手側に表情が伝わっていたのか、沈黙が返ってくる。
95 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:47:59.66 ID:+j5AeXst0
「失敗? 世界医師連盟の重鎮である、あなたらしくもない断言ですね」
『どういうことだ?』
「ことは予定の範囲内です。私の計算通りならば、テロリストの保有するスカイフィッシュは、今回の無茶なジャックで行動不能になっているはずです。しばらくは動けないかと思われます」
『……君は……』

アルバートが声を落として言う。

『まさか、空自の戦闘機まで捨て駒にしたとでもいうのか?』
「スカイフィッシュの危険性を侮ってはいけません。今回、テロリストは飛行中の戦闘機パイロットの脳内に強制ジャックをかけてきました。おそらくそれで、パイロット達は一時的に昏睡状態に陥り墜落したのです」
『分かっていたのか……!』
「分かっていなければ、計画は立てられないと思いますが?」

何でもないことのように無表情で返し、圭介は続けた。
96 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:50:34.94 ID:+j5AeXst0
「予定通り、大河内医師達を沖縄の那覇空港に着陸させてください」
『待て。今テロリストのスカイフィッシュが動けなくなっているのならば、叩くのは今ではないのか? 奴らの航空機の座標をロストする前に……』
「流石にあなたといえど、三機も自衛隊の戦闘機をお釈迦にしておいて、今後何もないとは思えませんが……やめておいた方がよろしいかと」

淡々と言い放った圭介に、アルバートは声を張り上げた。

『貴様……! 私を利用し脅すつもりか!』
「ええ。利用し脅すつもりです。それが何か?」

機械のような声と無表情を受け、アルバートが押し黙る。
97 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:51:17.57 ID:+j5AeXst0
「まぁそうカッカせず。いい関係を築いていきましょう。私は、『まだ』あなたの敵ではありませんから」

プツッ、と一方的に通話を切り、圭介は背もたれに体を預けた。
そして、ぬるくなったコーヒー缶の中身を喉に流し込んで立ち上がる。
部屋の対角側には、ジュリアが重苦しい顔をして座っていた。

「ドクター高畑。どこに行くの?」
「ソフィーの腕の結合手術をしなければいけない。君の、『アンリエッタ・パーカー』としての力を貸してもらう」
「私は……」

ジュリアは俯いたまま、両手を弄びながら小さな声で言った。

「……反対よ。こんなの、人間のやることじゃない……」
「へえ……」

意外そうに圭介は顔を上げ、ジュリアに近づいた。
98 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:51:51.33 ID:+j5AeXst0
そして俯いた彼女に覆いかぶさるようにその顔を覗き込み、無表情の目を向けた。

「理緒ちゃんを殺しておいて、よくそんなこと言えるな」
「あれは……!」

弾かれたように顔を上げ、ジュリアは必死の形相で圭介に叫んだ。

「ああするしかなかったじゃない! あなただって了承していた!」
「でも人間一人の精神を破壊し、元に戻らなくしてしまったのは事実だ。俺はその手伝いをしたにすぎない。あの作戦の陣頭指揮は、君がとっていた。分かるか? 理緒ちゃんを殺したのは、君だ」

ゆっくりと反芻するように言い、圭介は子供にやるように、震えるジュリアの頭を撫でた。

「人間殺すのははじめてか?」
「そんな……違う、私は、私は殺してなんかいない……あの子を治療した。確かに治療したわ!」
「その結果、理緒ちゃんの主人格は永遠にロストした。何現実から目を背けてるんだ」

圭介に無慈悲に断言され、ジュリアはテーブルに手を叩きつけて立ち上がった。
99 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:52:39.64 ID:+j5AeXst0
「何を言いたいの……? 私を責めているんですか!」
「いや……全然そんなことは。ただおかしくてね」
「……おかしい?」
「一人殺せば、十人殺しても百人殺しても同じさ。結局は人殺しなんだ。医者なんて。一万の命を救ったとしても、一人殺したら、そのカルマを永遠に背負わなければいけない。消えることがないカルマだ」
「…………」
「人殺しの責任なんて誰もとれない。だから俺達は、いずれ考えることをやめなければいけない。そう……俺達は既に自殺病に侵されている。緩やかにカルマに押しつぶされて、死に近づいている」

圭介はアイパッドをカバンにしまって、出口に向かって歩き出した。
ジュリアが力なく椅子にへたり込む。

「自殺病にかかった人間は幸せにはなれない。決してだ。いや、なってはいけないんだ」
「ドクター高畑……あなたは……」
「君は、そんなこともまだ分からないのか? アンリエッタ・パーカー」

名前を呼ばれ、ジュリアが口をつぐんで視線をそらす。
100 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:53:17.56 ID:+j5AeXst0
「施術は十四時からだ。遅れないで来てくれ」

圭介の姿が廊下の向こうに消える。
ジュリアはしばらく、形容し難い痛みに襲われているかのようにうずくまっていたが、やがてポケットから携帯電話を取り出し、番号を押した。
そして耳に当て、数コール後に応答した相手に、英語で何かを言う。
一言、二言返され、ジュリアは少し沈黙した後、肯定の意思を伝えたのか、何度か頷いてから答え、電話を切った。
その手から携帯電話が滑り落ち、テーブルの上で乾いた音を立てた。
俯いたジュリアの目から一筋涙が流れる。

(中萱君……私は……)

たまらず、ジュリアは両手で自分の顔を覆った。

(あなたのことが、好きでした)
101 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:53:51.83 ID:+j5AeXst0


「着いた……のか……?」

ざわつくファーストクラスのエリア内で、大河内は汗を拭って口を開いた。
アスガルドと名乗るテロリストによるハイジャック。
それにより、強制的な眠りから目覚めた機内の乗客は、一時的にパニックに陥っていたが、先程沈静化し、那覇空港に無事に着陸したのだった。
汀(なぎさ)は目を覚まさなかった。
意識内を刺激しすぎたのだ。
薬も投与してあるので、しばらくは起きないと思われる。

(この子は……もう、汀(みぎわ)ちゃんじゃないのか……)

大河内は胸を抑え、えぐりこむような痛みに息をつまらせた。
過去、一貴にやられた通り魔のときの傷が、興奮により少し開いてしまったようだ。

「ドクター大河内。汗を……」

看護師が差し出したハンカチで顔を拭い、大河内は視線を横にスライドさせた。
102 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:54:24.84 ID:+j5AeXst0
そこには、酸素吸入器を口に取り付けられ、空港の職員達により真っ先に運び出されていくマティアスの姿があった。
おそらく、もう事切れている。
殺したのだ。
あのスカイフィッシュの少年少女達が、あっさりと。
汀(みぎわ)の施術をしたマティアスが死亡してしまった今、彼女の精神真皮がどこにいったのかを知る術はない。
つまり。

(汀(みぎわ)ちゃんは……永遠にこの世界からロストしたんだ……)
103 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:55:09.68 ID:+j5AeXst0
死。
汀(みぎわ)は既に死んでいた。
その残酷過ぎる、しかしあっさりとした事実を大河内はまだ理解ができていなかった。
じゃあ、目の前にいるこの子は何だ。
汀(みぎわ)の顔をし、声をし、同じように笑い、同じように怒る。
だが……別人なのだ。
人造で生み出された仮想の人格。
存在しないはずの人間が、目の前にいた。
圭介から遠ざけようとしたのが裏目に出てしまった。
これでは沖縄で、ただ単なる孤立状態になったと同じだ。
テロリストがいつ自分達の意識下にダイブしてくるかも分からない。
もう、大河内に打てる手は何もなかった。
頭を抱えて体を丸めた大河内だったが、看護師の一人がその肩を叩いた。
104 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:56:14.28 ID:+j5AeXst0
「ドクター大河内。そろそろ降りないと……」
「あ、ああ……とりあえず、沖縄の赤十字病院に避難しよう。マインドスイープの妨害電波を発する設備があったはずだ」
「分かりました。この子は……」

数名の看護師が近づいてくる。
大河内は胸を抑えて立ち上がり、汀(なぎさ)の体を持ち上げた。

「私が連れて行く。君達は早急に病院への移動手段を準備してくれ。次にジャックされたら全滅する」
「分かりました」

頷いて看護師達が機内を出て行く。
大河内は足を引きずりながら、飛行機の出口に向けて歩き出した。
105 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:56:48.87 ID:+j5AeXst0


夢の世界で、手術台に寝かされたソフィーは、重苦しい顔で近づいてくるジュリアを見て、不安そうな表情を浮かべた。
その脇には、白衣のポケットに手を突っ込んだ圭介がいる。
二人とも、ジュリアの中にマインドスイープしてきたのだ。

「時間がないわ。ソフィーさん、あなたの腕を切除して、この腕を接続する施術を始めます」

ジュリアが、夢の中に持ち込んだのか、台の上に乗った子供の腕を持ち上げてソフィーに見せる。
ソフィーはジュリアからその腕に視線を移し……その目が大きく見開かれた。

「え……」

かすれた声で呟き、弾かれたように上半身を起こす。

「ちょっと待って! それは……それは一体何?」

悲鳴のような声を上げて喚くソフィーに近づき、圭介がその頭を押さえて無理矢理に手術台に押し付ける。
106 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:57:31.77 ID:+j5AeXst0
「……何を暴れているんだ。ジュリアはこの手術の『専門医』なんだ。施術自体は短時間で終わる。動かないでくれ」
「聞いてないわ! あれは……あれは!」

引きつった声で叫ぶソフィーに、悲しそうな顔でジュリアが子供の腕を持ったまま近づく。
顔面蒼白となったソフィーだったが、圭介がポケットから出した注射器を、彼女の首に挿して中身を流し込む。
一瞬で体が麻痺したのか、ソフィーはガチガチと歯を鳴らして、目を飛び出さんばかりに見開いたまま、かすれた声を発した。

「嫌……嫌よ……そんなのやめて……ひどい、ひどすぎるわ……誰か助けて……」
「痛くはしないわ。すぐに終わる」

淡々とした声でジュリアが言う。
次の瞬間、彼女の髪がざわざわと動き出し、体全体を包み込む大きな白いコートを形成した。
そのパーカーフードの奥。
ドクロのマスクを見て、ソフィーは金切り声の絶叫を上げた。
それはまさにスカイフィッシュ。
悪夢の権化の姿だった。
107 :天音 ◆E9ISW1p5PY [saga]:2017/05/22(月) 18:58:03.56 ID:+j5AeXst0


第22話に続く



お疲れ様でした。
次話は明日、5/23に投稿予定です。

また、カクヨムに新作サイコホラー小説を毎日連載中です。
併せてお楽しみ下さい。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054883177217

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