ドロシー「またハニートラップかよ…って、プリンセスに!?」

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591 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/01/08(土) 10:10:07.30 ID:anJVyN4D0
>>590 「お暇な時にでも」ですね……改めて誤字脱字には気を付けたいと思います
592 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/01/08(土) 10:45:33.35 ID:anJVyN4D0
…case・アンジェ×ちせ「The gift」(贈り物)…

駅員「……ベイカー・ストリート、ベイカー・ストリートです」車輌のドアを開けながら駅員が声を張り上げる…

冴えない印象の男「……」

…ロンドンっ子から親しみを込めて「ザ・チューブ(筒)」と呼ばれる、トンネルに合わせたかまぼこ形の車体が独特な「アンダーグラウンド(地下鉄)」の車輌から降りた一人の男……身に付けているのはごく地味なグレーの帽子と、背広とチョッキのスリーピースで、あまり磨かれていない革靴を履き、手には茶革の鞄を持っている…


…王立音楽院…

案内人「おや、教授。今日もいらっしゃったのですね……今日もハンドル(ヘンデル)の研究ですか」

(※ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル…ドイツ生まれの作曲家でオルガン奏者。イタリアで活躍した後イギリスに帰化した。英語読みではジョージ・フレデリック・ハンドル)

男「ええ、そうです……」

案内人「だろうと思いました……いつもの場所を空けてありますから、ごゆっくりどうぞ」

男「ありがとう」

…「教授」と呼ばれた男は案内人に礼を言って、王立音楽院の貴重かつ膨大なコレクションが収められている図書館の片隅に席を取ると、ヘンデルの代表的なオラトリオ「メサイア」の公演と編曲について書かれた古い文書をめくりはじめた…

男「……」

…男はともすれば鼻からずり落ちそうになる書見用の小さい丸レンズの眼鏡を持ち上げながら黄ばんだ古い楽譜や書物をめくっていたが、しばらくすると一冊の本に挟まれていた紙を取り出し、書物の内容を書き写していたノートに挟んで一緒に鞄へとしまい込んだ…

案内人「おや、お帰りですか」

男「うん。今日ははかどったよ」

案内人「それは何よりです……またいつでもおいで下さい」

男「ありがとう」


…男は鞄にノートや筆記用具をしまい込むと再び「アンダーグラウンド」の乗客となり、ウェストミンスター駅で降り、そこから王室美術館があるバッキンガム宮殿へと向かおうとした……が、途中で気が変わったのか道を折れ、セント・ジェームズ公園の中を歩き出した……うららかな春の日差しの中にある公園は午後のお茶の時間に近いこともあってか、コーヒーハウスでお茶と政治談義にいそしんでいるらしい上流階級の姿はほとんど見当たらないが、はしゃぎ回っている子供たちや、遅い休憩を取ることが出来たらしい数人のタイピストや事務員がサンドウィッチや呼び売り商人から買った軽食を持ってベンチに座っていた…


男「…」早くもなく遅くもない歩調で、中央の人工湖で泳ぎ回っている水鳥や鳩を眺めつつ、広大な公園を抜けた西側にあるバッキンガム宮殿へと歩いていたが、途中のベンチに腰かけると、呼び売りの商人から買い求めたサンドウィッチの包みを取り出した…

男「……うむ、たまにはこういうのも悪くないものだな」

…ぽかぽかと暖かな陽気に、清涼な木の葉の香りあふれる新鮮な空気、さえずる小鳥の鳴き声……煤煙と悪臭と騒音にまみれたロンドン市街とはまるで別世界の自然豊かな風景を見ながら遅い昼食を終えると、サンドウィッチの紙包みを丸めてポケットにしまい、それから鞄を開けて研究資料のノートを取り出して読み返しはじめた…

男「ふむ…」

…午後の日差しに暖められながら細かな字でつづられた研究資料を読み込んでいると次第に丸眼鏡がずり下がりはじめ、それからノートが手から滑り落ち、男はいつしかこっくりこっくりと船を漕ぎ始めた……と、ノートのページが開いて、挟んでいた紙片がはらりとベンチの下に落ちた…

男「む、いかん……」数分してがくんと首が傾いた拍子に目を覚ました男は、落としたノートに付いた土を軽くはたくと鞄にしまい、それから王室美術顧問の秘書のカバーを与えられている内務省のエージェントへ「メッセージ」を届ける協力者として、再びバッキンガム宮殿に向かって歩き始めた…

………



…二日後・メイフェア校…

ドロシー「……へぇ、内務省のエージェントが落とし物ねぇ」

…メイフェア校の裏手にある、木々の生い茂った人気のない一角でたわむれる二人の生徒……甘えるような表情を浮かべて膝枕にうっとりしている女生徒と、時々からかうような事を言いながらも愛おしげに女生徒の頭を撫でているドロシー…

女生徒「ええ。詳しいことは存じませんけれど、事もあろうに機密文書を携えた職員が、確か……ケンジントン・ガーデンズだったかハイドパークに機密資料を置き忘れてしまったそうで、内務省はてんてこ舞いだとお父様が言っておりましたわ」

ドロシー「世の中には間抜けがいるもんなんだなぁ……それじゃあ私もメアリを落っことさないようにしないと……な♪」そのまま覆い被さるようにして女生徒を抱き寄せ、豊かな胸元に顔をうずめさせた…

女生徒「あんっ♪」

ドロシー「はははっ♪」

(……この件であちらさんも「バレた」と考えて使わなくなっちまうだろうが、王立音楽院に「メールドロップ(メッセージの隠し場所)」があったって言うのは初耳だ……それにその「落とし物」とやらも、ちょいと探してみる価値がありそうだな)

………

593 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/01/18(火) 02:03:45.84 ID:DJOiByZJ0
…数日後…

ドロシー「……と言うわけで、その機密文書とやらを探し出すのが今回の任務だ」

アンジェ「どうかしら。そんな低級の協力者が運んでいた……しかもうっかり無くしてしまうようなシロモノだもの、どんな「機密」だか分かったものじゃないわ」

ドロシー「確かにな……しかし、数日前から内務省の情報部員が活発に動き回ってこの資料を回収しようと活動しているところから、コントロールはこいつをある程度は価値ある情報だと考えているらしい」

アンジェ「あるいは内務卿がこちらをあぶり出すために、わざと書類を無くして大騒ぎしているのかもしれない」

ドロシー「その可能性も十分にある……だが逆に「本物」だったら降って湧いた幸運ってことになる。いずれにせよ向こうの情報部や防諜部が見つけ出すまでの勝負ってことだ」

アンジェ「そういうことね」

ドロシー「それから今の段階でコントロールがつかんだのは、その機密資料を拾ったであろう奴はイーストエンドの貧民街に暮らしている乞食らしい……って事だけだ」

アンジェ「結構な情報ね……「イーストエンドにいる乞食」を探せなんて言うのは「芝生に生えている一本の芝を探せ」と言っているのとさして変わらないわ」

ドロシー「まぁな……おまけに私は別件でとある貴族のご令嬢のお屋敷に招待されているから、数日ほど留守になる。アンジェ、おまえさんが主体になって動いてくれ……ベアトリスを使うかちせを使うかの判断も任せる」

アンジェ「分かった」

ドロシー「それと、コントロールからはイーストエンドにいる協力者を使っていいとは言ってきている……あまりあてには出来ないだろうが、まぁ「気持ちだけでも」ってやつだな」

アンジェ「思いやりがあるわね」

ドロシー「ああ……とにかく判断は一任する。もしヤバそうなら構うことはないから手を引け」

アンジェ「そうね。そうさせてもらうわ」

…その日の午後…

アンジェ「……そういうわけで今回はちせ、貴女を使う」

ちせ「うむ」

アンジェ「ベアトリス。貴女はプリンセスの身辺をお守りすると同時に、王宮内で色々な情報を耳に入れることが出来る立場にある……今回はその方面で活躍してもらう」

ベアトリス「分かりました……でも「外国人」のちせさんがイーストエンドにいたら目立ちませんか?」

アンジェ「前にも言ったけれど、王国の人間からすれば日本人だろうが清国人だろうが、肌が黄色い人間はどれも「東洋人」に過ぎない……それに裏町には素性の怪しい色々な人間が出入りするから、誰も余計な詮索をしたり鼻を突っ込んだりはしない」

ベアトリス「なるほど」

…しばらくして…

アンジェ「イーストエンドのような貧民街にはさまざまな顔がある……」

…ベアトリスを下がらせ、ちせを相手に貧民街の「講義」をするアンジェ…

アンジェ「……最底辺はその日その日のパンをもらおうとする物乞いたちや、アルコールやケイバーライト鉱といった各種の中毒患者。彼らのたいていは落ちぶれていて気力も無くしているから、余計なちょっかいを出さない限りは何かしてくることなどまずない」

アンジェ「そしてその上にのさばって上前をはねる物乞いの「元締め」たち……そうした連中はたいていの場合そこそこに腕力があってある程度顔も広いから、目を付けられると厄介なことになる」顔色は変わらないが、どこか声の奥底に実感がこもっている……

ちせ「ふむ」

アンジェ「それから貧民街をねぐらにしている小悪党たち……彼らのうちの何人かは「スコットランド・ヤード」(ロンドン警視庁)に自分の犯罪をお目こぼししてもらう代わりに刑事たちの探している犯罪者を密告したり、使い走りのような事をしたりしている……こうした連中は汚い真似をいとわず、おまけに小ずるいから、もしそうした連中を相手にするなら手段を選んでやる必要はない」

ちせ「心得た」

アンジェ「……そして私たちが探したいのが、貧民街で「商売」をする怪しい連中。彼らはありとあらゆるものを取引している……盗まれた銀食器から偽造の身分証、果ては官公庁の内部情報……そしてその周辺には国内外のエージェントや諜報に関わる人間がうろうろしている……接触して「取引」する場合には慎重に慎重を重ねないといけない」

ちせ「なるほど……」

アンジェ「場合によってはナイフにモノを言わせる必要が出てくるかもしれない……とはいえ、必要以上に目立つ真似はしたくない」

ちせ「当然じゃな」

アンジェ「ええ……ベアトリスを外したのはそれもあるからなの。彼女は素直過ぎてこういう場面には向かない……貴女なら表情を押し隠せるし、腕も立つ」

ちせ「恐縮じゃ」

アンジェ「カバー(偽装身分)に関してはすでに用意してあるから、後は探しに行くだけでいい」

ちせ「うむ、委細承知した」
594 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/01/22(土) 01:21:38.02 ID:7LRbdqDF0
アンジェ「……それで、今回用意したカバーは「王国情報部の協力者」よ。私はノルマンディ出身の亡命フランス人家庭の三世で、王党派の貴族だった先祖を革命でギロチンにかけられたために共和制に反感を抱いており、理想と報酬の面から王国に雇われている……今回は連中が手に入れた資料をフランス側が入手する前に回収するために接触を試みたということね」

ちせ「ふむふむ……して私は?」

アンジェ「ちせは私のお付きとして世話を焼くインドシナ(ヴェトナム)人ね……貴女はかなり英語が出来るようになっているけれど、相手方を油断させるためにあえて「英語はまるで分からない」という設定にしておく」

ちせ「承知した……どのみち難しいやり取りや言い回しの微妙な差異は分からぬからの」

アンジェ「大丈夫。もし実力が必要な場合だったら分かるように合図をする……」

ちせ「よろしく頼む」

アンジェ「とはいえ、今回の工作では出来うる限りに穏便に済ませる……もしこれが王国情報部の撒いた餌だったとしたら、血を流すことで奴らを引きつけることになってしまう」

ちせ「サメと同じじゃな」

アンジェ「そうね……工作費としてはコントロールから百ポンドほどもらっているから、連中がその金額以内で取引に応じるようなら上々ね」

ちせ「応じない場合はどうするのじゃ?」

アンジェ「二十ポンド程度ならあちらの提示した額を飲んでも大丈夫だけれど、五十ポンドを超えるようなら取引を止めるか、値下げさせるべく努力する」

ちせ「ふむ……」

アンジェ「場合によってはそちらの「コントロール」にも情報の一部を渡し、見返りとして応分の負担をしてもらうような事も考えてある……ちせ、貴女が定期連絡をする機会があったら堀河公に「興味を抱くような情報を見つけた可能性がある」とでも言ってほしい」

ちせ「うむ、その旨しかと伝えておこう。 しかし、私の上役としても情報の内容も見ずに言い値で買うことはせんと思うが……別に信用しておらぬとか、そういうことでは無いのじゃが」

アンジェ「分かっている。その場合はこちらとしても、そちらが「一口乗るか」どうかの判断基準として、どのような種類の情報だとか、どの省庁や地域に関係しているかとか、そういった大まかなところを伝えてもいい」

ちせ「承知した」

アンジェ「……ちせ、長い方の刀は置いていってもらって短い方をマントで包むようにすればどうにか隠せると思うけれど……どう?」

ちせ「うむ……脇差ならばこのような具合じゃな」

…脇差を腰に差し、試しに裾の長いマントを羽織って前を合わせると、一フィート半(およそ四十五センチ)ばかりの鞘はほとんど目立たなくなった…

アンジェ「少し後ろ側の裾が持ち上がっているわね……もう少し鞘を立てて差せる?」

ちせ「あまり立てて差すと抜きにくいが、どうにかなるじゃろう……」

アンジェ「ならそれでお願いするわ」

ちせ「あい分かった」

アンジェ「私は護身用のピストルとスティレットを持って行く……口径の大きいリボルバーは大きくてかさばるから、威力では劣るけれど.320口径の五連発にする」

ちせ「撃ち合いに行くわけではないのじゃから、それで良いということじゃな?」

アンジェ「ええ」

ちせ「足ごしらえはどうすれば良いじゃろう?」

アンジェ「そうね……出来れば編み上げのブーツにでもして欲しいけれど、どうしても落ち着かないようならいつも使っている木や草のサンダルとか、あるいはあの靴下みたいなものでいいわ」

ちせ「下駄に草履、そして足袋じゃな……あの革長靴はつま先が痛くなるし脚が締め付けられる気がするのでな、下駄で良いというのは助かる」

アンジェ「慣れない履き物を履いていて、肝心なときに滑ったり転んだりされては困るもの……ただし、文字通り「足元を見られない」ように注意を払ってちょうだい。東洋の風習に詳しい人間が見たらそれだけでどこの人間か分かってしまう」

ちせ「その通りじゃな……足元に何か落としたりしないよう気を付けるといたそう」

アンジェ「そうしてちょうだい……当日はアンダーグラウンド(地下鉄)やダブルデッカー(二階建てバス)のような公共交通を使って目立たないように行く」

ちせ「貧しい街区に車や馬車で乗り付けようものなら目立って仕方がないからのう」

アンジェ「そういうことよ……問題の文書を持っていると思われる情報屋は昼夜関係なく取引しているそうだから、まずはその情報屋の周辺に「興味を持っている」人間がいることをそれとなく知らせる」

ちせ「それから?」

アンジェ「後は向こうが食いつくまで待つ」

ちせ「いわゆる「待ちの一手」じゃな」

………

595 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/01/28(金) 01:08:45.58 ID:VGjoX0eq0
…数日後・イーストエンドの裏通り…

アンジェ「……対象の人物とは向こうのパブで待ち合わせをすることになっているわ」

ちせ「さようか……しかしどうにもガラの悪い所じゃな……」


…露骨にちょっかいを出されたり邪魔をされるということはないが、辺りをブラブラしているちんぴらや、横目でちらちらと通行人の品定めでもしているごろつきからよこしまな視線を感じる……アンジェは黒のシルクハットに長いコートで、コートの襟を立てて出来るだけ顔を隠している……ちせは長いマントに使用人らしいボンネットをかぶり、やはり顔が分からないよう濃い色のヴェールを垂らしている…


アンジェ「ええ。何しろこの辺りはお世辞にも上品とは言えない街区だもの。 あえて言うなら小悪党だとかちんぴら、ごろつきのような連中がしのぎを削っている場所よ」

ちせ「ふむ……」

アンジェ「今回の商談も、諜報機関と取引をしようという「生き馬の目を抜くような」連中が相手だから油断は出来ない……彼らが頼りにしているのはそれぞれの才覚と得物、共通している価値観は「現金」(げんなま)に対するものだけ……もっとも、それだけにかえって取引そのものはやりやすい」

ちせ「……というと?」

アンジェ「欲得ずくで動く連中なら、札びらを切ればいくらでも転ばせることが出来るということよ……自分の持っている信条にこり固まった理想主義者だの、ころころと考えを変える「良心」の持ち主なんかよりも、ある意味ではずっとアテになる」

ちせ「なるほど」

アンジェ「とはいえいいことばかりではない……金で動くということは、相手方がより多くの金を出せばそちらに転ぶということにもなる」

ちせ「確かに……」

アンジェ「だから今回は「飴と鞭を使い分ける」ために、このカバーを選んだというわけね……」

ちせ「ふむ……闇社会のけちな情報屋は王国情報部を相手にこざかしい真似はしない、ということじゃな」

アンジェ「ええ。少なくともそれくらいの知恵があることを願っているわ」

…薄汚いパブ…

アンジェ「……あの男よ」

ちせ「うむ……」

歯並びの悪い男「……」


…日差しの悪いイーストエンドでもとりわけ薄暗い一角に建っている一軒のパブ……待ち合わせ場所として相手方と取り決めたその店にアンジェとちせが入ると、店主の注意がちらりと二人に注がれ、また無関心へと戻っていった……店内には四人ほどが座れるカウンターと二人掛けのテーブルがいくつか、そして指定された奥の角にあるテーブルには小汚い男が座っている…


アンジェ「……」

ちせ「……」アンジェは無言で男の向かいに座り、ちせもそれに習う…

男「……よう、待ちかねたぜ」


…男は数週間は着たきりらしい汚れた上着とすっかりよじれたクラヴァット(襟飾り)を締めていて、薄汚れたグラスでジンをあおっている……噛み煙草ですっかり黄ばんでいる歯は歯並びも悪く、ニヤついた笑い方は人を小馬鹿にしているような不愉快さと同時に、常に卑怯な手段で相手から何か巻き上げようとたくらんでいるような印象を与える…


アンジェ「……」

男「待ちくたびれて喉が渇いちまったもんだからな、先に一杯飲(や)らせてもらったぜ」

アンジェ「……そう」

男「よかったらあんたらも何か頼めよ、な?」そういうと人差し指を立てて招くように動かし、カウンターにいた給仕を呼びつけた…

給仕「へい」盆を小脇に抱えてやって来た給仕はどうやら給仕と用心棒を兼ねているらしく、低い天井につかえてしまいそうな身長と炭鉱労働者のような太い腕、それにヤミの拳闘試合か何かに出場していたらしく潰れ折れ曲がった鼻をしていて、うなるような声をしていた…

男「おれには同じのをもう一杯……」

給仕「……そちらさんは?」

アンジェ「紅茶を……カップは二つ」

ちせ「……」

男「レディ、あんた酒は飲らねえのか」

アンジェ「ええ」

給仕「……へい、お待ち」むすっとした口調で紅茶の入ったポットとカップを持ってきたが、硬貨を受け取るまでは絶対にテーブルに置くつもりはないような顔をしている……

アンジェ「……」

給仕「……毎度」

…商売相手の男から目をそらさないようにしながら、アンジェが硬貨を盆に置く……給仕がぞんざいな手つきでドスンとポットを置くと、注ぎ口からばちゃりと薄い紅茶がこぼれた……

アンジェ「……」黒い革手袋をはめた両手をテーブルの上に置いたまま、やって来た紅茶を注ごうともしないアンジェ……
596 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/02/08(火) 01:39:19.62 ID:r3z1/x7M0
男「……それじゃあ、まずはお互いに自己紹介と行こうじゃないか。 おれはスミス。ジョン・スミスさ」並びの悪い汚れた歯を見せてニヤニヤ笑いを浮かべている情報屋……

アンジェ「トムよ」

男「あんたみてえな若いお嬢さんが「トム」ってことはねえと思うけどなぁ」

アンジェ「そんなことはどうだっていい……話によると、あなたは「落とし物」を見つけるのが上手だと聞いている」

男「まぁな……ブツが何かは知らねえが、たいていのもんなら見つけ出してご覧に入れるぜ」そう言うと大げさに腕を広げてみせた……

アンジェ「結構。 今回こちらが探しているのは数日前に公園で「私たちの共通の友人」が落としたものよ……もしも見つけてくれるというなら、それ相応の報酬を支払う用意があると「友人」は言っている」

男「そうかい? しかしロンドンの公園って言ったって範囲は広いし、探すってなると人手がいる……それに人を雇って頼むとなりゃ、ただ働きって訳にもいかねえしな」

アンジェ「それで?」

男「そうさなぁ……人手やらなんやら、もろもろ込みで二百ポンドっていうのはどうだい?」

アンジェ「……五十ポンド」

男「五十だって? お嬢ちゃん、ちょいと冗談がキツいんじゃあねえのか? そんなんじゃあロンドン市内どころか、この店の中だって探せやしねえよ」

アンジェ「五十ポンド……ロンドン市内の公園をちょっと探して「なくし物」を見つけるのに、そこまで払うつもりはない」まさしく「けんもほろろ」といった口調で突き放す……

男「そうかい? だったら自分で探してみりゃあいいんじゃねえのか」

アンジェ「私たちもそこまで暇じゃないから、早く済ませる手段としてあなたに連絡を取ったにすぎない……それに、こちらがその気になれば無料でその「なくし物」を入手することだって出来る」立場を行使することをためらわない王国情報部のエージェントならこういうだろうと、冷たく高圧的な態度でそっけなく言った……

男「分かった分かった、百五十でいいよ……それ以上は無理だぜ。人手を使おうって言うんだからな」

アンジェ「百ポンド」

男「分からねえかな、あのブラッディ(くそったれ)なだたっ広い公園から一枚の紙きれを探すなんていうのは並大抵の苦労じゃあねえんだぜ?」

アンジェ「そう……ところで私はいつ、探し物が「一枚の紙切れ」だと言った?」

男「……」一瞬「しまった」という表情を見せたが、すぐまたニヤついた顔に戻る……

アンジェ「どうやら納得いただけたようね。 それでは、次回会うときに「一枚の紙切れ」を渡していただく……まずは手付けとして半金の五十ポンドを渡しておくわ」

男「……ああ」

アンジェ「お互いに満足の行く取引が出来るよう、くれぐれも余計な小細工はしないことね……それでは失礼」

…裏通り…

アンジェ「ご苦労だったわ、ちせ……貴女があの店の『ブルドッグ』を牽制していてくれたおかげで、こっちはあの『チェシャ猫』じみたニヤニヤ男だけに注意していられた」

ちせ「……うむ。しかしどうにもあの男は虫が好かぬ」

アンジェ「そうね……これはただの勘だけれど、あの情報屋はきっとおかしな真似をしてくるような気がするわ。 ……例えば、いま私たちを尾けてきている男のような……ね」

…ごみごみとした裏路地をすいすいと歩いて行くアンジェとちせ……そしてその後ろから足音を立てないよう、距離を開けて二人を尾行している一人の男……男は薄汚れたチョッキと鳥撃ち(ハンチング)帽とだぶだぶのズボンで、ゴミ漁りでもするような態度を取っているが、尾行を気付かれないようにするには二人との距離が近すぎ、また人の少ない裏通りで「たまたま行く先が同じ方向」と言うのも少し無理がある…

ちせ「どうするのじゃ……撒くか?」

アンジェ「いいえ、馬鹿にわざわざ「こっちは尾行に気付いているぞ」なんて教えてやることはないわ……どのみちあの格好で表通りに出られはしない」

ちせ「……ではどういうつもりなのじゃろう」

アンジェ「おそらくこちらにコンタクト(協力者)や支援要員がいるかどうか確かめたいのね」

ちせ「して、もし支援要員がいないとなったら……」

アンジェ「おそらくはこわもての数人でもかき集めてこっちを脅し、値段をつり上げるでしょうね」

ちせ「しかし、仮にも相手は王国情報部じゃぞ……そんなことをするじゃろうか?」

アンジェ「ええ、するわ……内務卿を相手に商売が出来ると思っているような愚か者なら」

ちせ「ふむ、愚か者か」

アンジェ「そう……元来、裏社会の人間というのは同じ社会の人間を相手に必要以上の嘘やごまかしはしないものなのよ。 何しろ保険もなければ裁判所もない世界だもの。信用だけが評価を決める中で、年中でまかせを言ったり取引相手をごまかすような人間は長生き出来ない」

ちせ「ではなぜ……?」

アンジェ「おそらく、私たちが連中にとっては「よそ者」で、なおかつ年若い女でくみしやすいと見たから」

ちせ「困ったことじゃのう」

アンジェ「ええ、きっと今ごろはどうやって二百ポンド以上の儲けに出来るか考えているでしょうね……」

597 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/02/26(土) 00:47:11.12 ID:RCQa+Foe0
…数分後・先ほどのパブ…

薄汚い身なりの男「戻りやしたぜ、ミスタ・ホッジス」

情報屋(歯並びの悪い男)「……おう。で、どうだった」

薄汚い男「表通りに出る手前まで尾けてみたが、気付いた様子はなかったぜ」

情報屋「ふん、そうかい……それにしてもあのアマめ。情報部だかなんだか知らねえが、このおれになめた口を利きやがった……」そういうとジンのグラスをあおり、グラスをテーブルに叩きつけた……

情報屋「それにいけ好かねえ東洋人まで連れてきやがって……払うものを払わねえって言うんなら、こっちだって考えがある」

パブの用心棒「で、どうするんで? なんだか仮面みてえに無表情で気持ちの悪ぃ女だったが……」

情報屋「ふん、表情があろうがなかろうがやる事なんぞ決まってるだろうが……あんな小娘にコケにされてたまるか、両耳揃えて二百ポンド払うか、さもなきゃ「手荒い歓迎」ってやつよ。 おい、取引の日までに使える連中を数人集めておきな」

薄汚い男「へへっ、そうこなくちゃ」

………

…その晩…

アンジェ「……ふう」


…普段は「感覚が鈍る」と、必要のないときは出来るだけ酒を口にしないアンジェ……が、いくつもの任務や情報活動を並行して進め、なおかつ学生としてのカバーを維持するために授業にも欠かさず出席していると疲れがたまり、珍しく「ナイトキャップ」(寝酒)として温めたミルクにブランデーを垂らし、一口ずつゆっくりと喉に流し込んでいる…


ちせの声「……アンジェどの、入っても構わぬか?」

アンジェ「ちせ? ……どうぞ」

ちせ「……夜分遅くに済まぬな」寝間着でもある長襦袢をまとって入って来たちせ……

アンジェ「いいえ……どうかした?」

ちせ「いや……別にどうしたというわけでもないのじゃが……」そういいながらもわずかに視線をそらし、心なしかもじもじしている……

アンジェ「話があれば聞くわ……ホットミルクだけれど、飲む?」

ちせ「そうじゃな……では一口頂戴するとしよう」

…カップのミルクを飲むでもなく、椅子に腰かけてどう話を切り出そうか迷っている様子のちせ…

アンジェ「……」アンジェも聞き上手な腕利き情報部員らしくわきまえたもので、眉毛一つ動かすでもなく、ちせが重い口を開くのをまっている……

ちせ「その、じゃな……ちと頼みがあって……」

アンジェ「……どうぞ」

ちせ「かたじけない……それで、笑わないでほしいのじゃが……」

アンジェ「ええ」

ちせ「その……一緒に寝ても構わぬか?」

アンジェ「……私と?」

ちせ「うむ……実はなにやらこの数日、妙に人恋しくての……一人で寝ているとむしょうに淋しいのじゃ」

アンジェ「そう……きっとホームシックね、無理もないわ」

ちせ「……ほうむしっく?」

アンジェ「何て言えばいいのかしら……旅先で郷里を思い出して淋しく感じる状態の事よ」

ちせ「いわゆる「里心がつく」ということじゃろうか」

アンジェ「おそらくね……」

ちせ「そうか……とはいえこんな恥ずかしい事はベアトリスには言えぬし、プリンセスは公務で多忙、ドロシーも今はおらぬ……しかしおぬしならば口も固いし、こんな恥ずかしい事を相談しても黙っていてくれるかと思っての……///」気恥ずかしいのか、目をそらし気味にしてかすかに頬を赤らめている……

アンジェ「そうね。私は黒蜥蜴星人だもの、口は固いわ……それにちょうど寝るところだったし」

ちせ「さようか……では、構わぬじゃろうか?」

アンジェ「ええ……ただ寮監の見回りがあるから、朝の七時前には出て行ってもらうわ」

ちせ「無論じゃ……では、済まぬ」

アンジェ「どうぞ」ミルクを飲み干すとこびりつかないよう水差しの水をカップに入れ、それからベッドの羽布団をまくってちせを手招きした……
598 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/03/06(日) 01:16:22.67 ID:daE3CvdX0
ちせ「うむ、では……」

アンジェ「ええ」

…ベッドの片隅に遠慮しいしい入ってくるちせ……と、アンジェはベッドの上でふんわりしたナイトガウンを脱ぎ始めた……白い肩があらわになり、滑らかな曲線を描く背中から腰のライン、そして細っぽいが引き締まって綺麗なヒップラインがちらりとのぞく…

ちせ「な、なぜ脱ぐのじゃ……?」

アンジェ「別にそういうつもりじゃないわ……単に着たままだとガウンにしわが寄るし、生地が厚手でうっとうしいってだけよ」

ちせ「さようか……」

アンジェ「ええ……さ、入ったわね?」

ちせ「うむ」

アンジェ「なら灯りを消すわ」そう言って灯りを消すと、ふわりと布団をかけた……

ちせ「……今夜は冷えるのう」

アンジェ「そうね……」

ちせ「ドロシーは上手くやっておるじゃろうか」

アンジェ「今ごろはお相手のご令嬢とシャンパンでも傾けているか、ベッドでいちゃついているでしょうね」

ちせ「ふふ、そうじゃろうな……」

アンジェ「ええ……それよりちせ、もう少し身体を寄せたらどう? ここのベッドはそんなに広いわけじゃないし、転がり落ちたりされては困る」

ちせ「いや、しかし……」

アンジェ「別にいまさらどうこう言うほどよそよそしい間柄でもないでしょう……構わないから、いらっしゃい」

ちせ「では……///」

アンジェ「ええ」

…任務となると眉毛一つ動かすことのないアンジェだが、暗がりの中で目をこらすとかすかに微笑を浮かべているように見える……どこかあどけないその表情を見ていると、あるいはそうであったかもしれない一人の少女としての姿が浮かんでくる…

ちせ「……アンジェ」

アンジェ「よしよし……」

…しっとりとした柔肌にぎゅっと抱きついてきたちせの黒髪を優しく撫でるアンジェ……もう片方の腕はちせの背中に回し、ゆっくりとした拍子をつけて軽く叩いている…

ちせ「母上……」

アンジェ「……ちせ、いい娘ね」

ちせ「……ぐすっ」

…ベッドの中でしゃくり上げそうになるのを押し殺しているちせと、それを抱きしめているアンジェ……そのうちにアンジェはちせの頭を優しく胸元に押しつけ、全身で包み込むようにして抱きしめた…

ちせ「ん……」

アンジェ「いい娘、いい娘ね……」温かい身体に包まれて夢うつつのちせがアンジェのつつましい乳房に吸い付くのを、そっと抱きしめながら撫でてやる……

ちせ「んむ……ちゅぱ……」

アンジェ「♪〜……お休みなさい、いい娘だから……」

ちせ「ちゅぱ……ちゅぅ……」

アンジェ「♪〜ぐっすりお休み、胸の中で……」小さな声でハミングするようにそっと即興の子守歌を聞かせながら、ちせの身体を優しく抱きしめる……

ちせ「すぅ……すぅ……」

アンジェ「ふふ……」まるで小さな子供へと戻ったように無邪気な寝息を立てているちせを見て、慈愛に満ちた表情を浮かべた……

アンジェ「お休み、いい夢をね……」
599 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/03/13(日) 01:59:47.80 ID:jev6pPBd0
…取引当日…

アンジェ「ベアトリス、ちょうどいいところに……貴女にやってもらいたいことがある」

ベアトリス「はい、何ですか?」アンジェにどんな無理難題を言われるかと、用心しいしい答えるベアトリス

アンジェ「大丈夫、そんなに難しいことじゃない。ネストの一つから声を変えて電話をかけて欲しいだけよ……」

ベアトリス「なんだ、そんなことですかぁ」

アンジェ「ええ、でも貴女にしか出来ない事よ……そうね、名前は「ブライアン」とでもしておいて、コックニー(ロンドンの下町)訛りの塩辛い声でやってちょうだい……相手の番号は分かっているから、私の指定した時間に「悪いが今日の取引は中止で、明後日に延期する」としゃべってもらう……細かい台本はここにあるから、行くまでに暗記すること」

ベアトリス「分かりました」

アンジェ「それじゃあ番号と時間を教えるわ……ちせ、準備は?」

ちせ「万端じゃ」

…脇差を腰に差すと暖かなマントを羽織る……厚手のマントは生地が重いので、鞘を縦に近い状態で差してあまり寝かせなければ、マントが持ち上がることもない……

アンジェ「結構。それじゃあ貴女はベアトリスと一緒にネストへ向かい、電話が済んだら私と合流」

ちせ「うむ」

アンジェ「集合場所はイーストエンドのこの場所……分かるわね?」トントンと地図の一点を指で叩いた……

ちせ「大丈夫じゃ」

アンジェ「よろしい……もしここにいなかった場合は三十分後にここの角で合流する。もし私がそこにもいなかったら、監視に充分注意した上で引き上げること」

ちせ「承知」

…夕刻・裏通りのパブ…

情報屋「……どうだ、集まったか」

薄汚い男「もちろんでさ、ミスタ・ホッジス……六人ばかり集めてきやした」

…薄汚れたパブには「かっぱらい」のロブに「タタキ(強盗)」のジョー、「向う傷」のスタッフォードに「ブルドッグ」のベンソンといった、イーストエンドの中でも特に評判の悪い鼻つまみ者たちが集まり、だらしなく椅子に座って、ひびの入った陶器のジョッキで気の抜けたエールをあおっている…

情報屋「よし、それだけいれば充分だな……得物はあるんだろうな?」

薄汚い男「そりゃあ……ただ、ナイフはあってもハジキ(銃)はもってねえって奴もいるんで」

情報屋「ったく、締まらねえな……なら店にあるやつを貸してやるから、そう言ってこい」

…机の上には型も口径もバラバラな寄せ集めのピストルが何挺か置いてある……あまり手入れもされていないため金属もくすんでいるが、中の一挺や二挺はどこかのお屋敷から盗んだか何かしたらしいウェブリー&スコットで、グリップには黒檀が使われている…

薄汚い男「へい」

情報屋「よし。約束の時間は夕方の五時だ……ちゃんと雁首並べて、飲み過ぎて役に立たねえなんてことがないようにしろ」

薄汚い男「分かりやした」

情報屋「ふん……せっかくのネタをただみたいな金で持って行かれてたまるかってんだ。デスクでふんぞり返ってるお偉いさんにここでの流儀ってのを教えてやらあ」情報屋は五連発の.320口径ピストルに弾を込めるとシリンダーを閉じ、薄汚れたズボンのベルトに突っ込んだ……

…夕方…

ちせ「……今じゃ」

ベアトリス「はい」

…何食わぬ顔でネストにさっと入ると、人工声帯を調整するベアトリス……事前に指定された通りの塩辛声に喉を合わせ、言葉のあちこちを端折ったり濁らせたりすると、一気に粗野な雰囲気が出る…

ちせ「相変わらず見事なものじゃな……では、私は外を見張っておるからの」

ベアトリス「分かってます」電話機の箱に付いている起電用の手回しハンドルを回すと、受話器を取り上げた……

電話交換手「はい、交換台です」

ベアトリス「おう、イーストエンドの……番に繋いでくれ」

交換手「ただいまお繋ぎいたします……」

600 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/03/22(火) 00:18:41.38 ID:0pKUnlEE0
…パブ…

情報屋「……おい、電話だぞ」

…取引やタレコミ(密告)に使うため、イーストエンドではめったに見られない電話機が設置してある情報屋のパブ……その電話が「ジリリリンッ……!」とやかましく鳴りだし、用心棒が受話器を取った…

用心棒「誰だ」うなるような声でぶっきらぼうに電話に出たが、眉をひそめると情報屋に受話器を差し出した……

情報屋「何だ?」

用心棒「今日の取引相手から「ミスタ・スミス」にと……なんでも伝言があるとかで」

情報屋「分かった、代われ」

情報屋「……もしもし……そう「スミス」ってのはおれだ。 ……で、用件は?」

情報屋「ああ、そうだ……なに?」

情報屋「……明後日? おい、一度決めた取引の日取りを急に変えるってのはどういうつもりだ?」

…受話器を取り上げてしばらく相手の話を聞いていたが、急に渋い顔をして文句を付けはじめた情報屋……しかし相手は聞く耳を持たぬまま、伝えたい事だけ伝えて電話を切ってしまったらしい……情報屋は切れた電話に向かって「おい!待て!」と怒鳴りつけたが、最後は投げつけるように受話器を掛け金に戻した…

情報屋「くそったれめ……!」

用心棒「……ミスタ・ホッジス?」

情報屋「取引相手からの伝言で、明後日のこの時間に変えたいと抜かしやがった……ええい、くそっ!」

用心棒「それじゃあ集めた連中は……」

情報屋「今日の所は用がねえ……帰らせろ」

用心棒「分かりやした」

…しばらくして…

情報屋「くそったれめ、手前(てめえ)の都合だけで取引の日時を勝手に変えやがって……」ゴミだらけの裏路地に面しているパブの奥の部屋で、いらだちながらウイスキーをストレートであおっている……

情報屋「あの小娘め、もう勘弁ならねえ。今度会ったら……」

アンジェ「……今度会ったらどうするつもり?」

情報屋「っ!?」いつの間にか裏口から入って来たアンジェとちせ……アンジェはフランス風に裁断してある黒いマントに目深にかぶったシルクハット、ちせは厚手のマントを羽織り、その表情はボンネットで隠れている……

アンジェ「取引時間には間に合いそうになかったからそう伝言を頼んだけれど、やはり「モノ」は今日のうちに欲しい……どこにある?」情報屋の向かいに座ると、早速切り出した……

情報屋「モノはここにあるが……その前に金だ。なくっちゃ話にならねえ」

アンジェ「残金の五十ポンドならここにあるわ……王国ポンドよ」誤解のないよう、ゆっくりと札束を取り出す……

情報屋「確認させてもらうぜ」

アンジェ「ええ、どうぞ」

情報屋「……どうやら間違いはねえようだ」手元に書類を抱えたままで手際よく紙幣を数え、上着の内ポケットにしまい込んだ……

アンジェ「でしょうね」
601 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/03/22(火) 00:37:40.71 ID:0pKUnlEE0
情報屋「ああ。だがな……こういうやり口は気に入らねえ。お互いに「取引」をする以上、ふざけた真似はしねえもんだ」

アンジェ「……それで?」

情報屋「悪いが、あんたのこのちょっとした「ご挨拶」の分として、値段に色を付けさせてもらうぜ」

アンジェ「それで、いくら上乗せするつもり?」

情報屋「まぁ、五十ポンドってえ所だな……嫌なら手ぶらで帰ってくれたっていいんだぜ?」

…集めていたちんぴらはすでに帰ってしまった後だったが、用心棒が水平二連の散弾銃を抱えてのっそりと現れた…

アンジェ「なるほど……なかなか用心がいいようね」

情報屋「そうでないと世渡りが難しいもんでな……で、答えを聞こうじゃあねえか」

アンジェ「……これでは払うより仕方がないようね」ひと悶着あるかと思いきや、肩をすくめてあっさりと認め、長いマントの内側からポンド札を取り出した……

情報屋「なるほど、きっちり五十ある。それじゃあこいつを……」手早く札を内ポケットにねじ込むと、何の変哲もない一枚の紙を滑らせた……

アンジェ「確かに」さっと内容を読み通し、紙をしまい込む……

情報屋「それじゃあお帰りいただこうじゃねえか……まぁ、なんだ。 お互いに行き違いがあったとは言え「終わりよければ全て良し」ってもんだ、そうだろう?」両手を広げるようにして「してやったり」というような顔をしている……用心棒も散弾銃の銃口を少し下げ、緊張を緩めた……

アンジェ「そうね、それに対する私の考えだけれど……残念ながら「ノン」よ」

…合図のフランス語を言うよりも早くナイフを抜き、ふところに飛び込むようにして下から情報屋の胸元に突き立てる……同時にちせは身体を屈め、椅子を蹴り倒すようにして反転すると、抜き打ちで用心棒を切り捨てた…

情報屋「ぐ……っ!」

用心棒「がは……っ!」

アンジェ「……片付いたわ」

ちせ「こちらも……書類はどうじゃ?」

アンジェ「どうやら求めていた物で間違いなさそうよ」

ちせ「さようか。 して「後片付け」はどうする?」

アンジェ「そうね……今夜は冷えるし、ここには暖炉がある。それにしてもこんな火のそばにコートを掛けたりして、火の用心が足りていないように見えるわね」

ちせ「なるほど」

アンジェ「ええ……」

…数日後…

ドロシー「ここ数日そっちを手伝えなくて悪かったな……で、どうだった?」

アンジェ「大丈夫よ、こっちも片付いた」

ドロシー「だろうな、新聞記事を読んだよ……まったく火事ってのはおっかないもんだよな」

アンジェ「そうね」

ドロシー「それで、肝心の情報は?」

アンジェ「……これよ」

ドロシー「なんだ、わざわざ私に見せるために取っておいたのか? 内容を暗記したならとっとと焼き捨てちまえば良かったのに……」 

アンジェ「そう言わないで、とにかく見てちょうだい」

ドロシー「ああ、そうさせてもらおうかな……どれどれ……なるほど、こいつは大した情報だよ♪」苦労をして手に入れた王国情報部の書類には、音楽院で共和国に親近感を示す「注意すべき人物」のリストが書かれているだけだった……

アンジェ「全くね」内容を読み終えたドロシーが書類を返すと、肩をすくめて暖炉に書類を放り込んできっちり灰になるまで焼き捨てた……

ドロシー「……それで、王国情報部の監視はあったか?」

アンジェ「確認した限りではなし」

ドロシー「ということはその情報屋、餌として使われたわけでもないんだな」

アンジェ「ええ……おそらくは商売のやり方が汚いから、情報部に見捨てられたのではないかしら」

ドロシー「後ろ盾が無くなった以上、あとは誰に消されるのも時間の問題だった……ってわけか」

アンジェ「きっとそうでしょうね」

ドロシー「……欲張りは長生き出来ないってことだな」

アンジェ「ええ、そういうことよ……だからそのクッキーを取るのは止めておくことね」菓子皿に載っているクッキーを取ろうとするドロシーに、とがめるような視線を向けるアンジェ……

ドロシー「ごあいにくさま、私は型破りなんでね」そう言うと、ニヤニヤしながらクッキーを頬張った……
602 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2022/03/24(木) 11:33:13.73 ID:2H75oLZ0O
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603 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/04/05(火) 00:40:02.30 ID:UWpKHBdx0
…case・プリンセス×ベアトリス「The old lady in the old rose」(枯れバラ色ドレスの老婦人)…

L「よし、ではこの作戦で行こう……書類を二部タイプして、一部はファイルに、もう一部は経理の連中に回してくれ」

7「分かりました」

L「それで、作戦名はどうなった?」

7「はい……今回の作戦名は「シェパーズ・パイ」です」(※シェパーズ・パイ…ひき肉とマッシュポテトを重ねたパイ風の料理)


…情報部が立案、計画する作戦名はたとえ敵側に流出したとしても内容が推測できないよう、規則性を持たせないように注意している……特に関係のある単語であったり、関連する作戦に共通するカテゴリーから命名したりといった法則を作らないよう、作戦名は内勤の職員が辞書を適当にめくって見つけた単語をリストアップした中からランダムに付けられ、そのリストも使い回したりせず、不定期に変更することで「不規則性」という「規則性」が生まれないようになっている…


L「シェパーズ・パイか……いいだろう。作戦課と人事課は適任と思われる部員と支援要員を選び出し、文書課は偽造書類を、技術課は装備を用意するように……基本の装備で構わん」いつものように渋い顔で、西インド諸島産の葉巻をくゆらさせている……

7「分かりました」

L「それから財務課には活動資金を用意させろ……もっとも、年度末も近いだけに出し渋るだろうが」

7「どうにか言いくるめてみます」

L「頼むぞ」

7「それにしても、今回の作戦ですが……」

L「君に言われなくても分かっている」


…声はいつものように落ち着き払っているがどこか問いかけるような響きを持たせ、語尾を濁した7……と、Lはそれをさえぎるように苦い声を出した…

7「申し訳ありません、出過ぎたことを申しました」

L「構わん……こういう仕事を続けていると、感覚がおかしくなってくるからな。大金を扱う銀行員の金銭感覚がおかしくなるのと同じだ」

7「そうですね」

L「だが、とにかくこれを成功させてもらわなければならん……」

7「承知しております」

L「ああ」

………



…同じ頃・メイフェア校の部室…

ドロシー「……なぁ、ベアトリス」


…気だるい午後に、淹れたばかりのセイロン茶にお菓子を添えてお茶の時間を過ごしている「白鳩」の面々……プリンセスは多忙な公務の合間を縫って学業にも精を出していて、甘いホワイトティー(ミルクティー)で一息ついている……ベアトリスは王宮でも寄宿舎でも変わりなく、プリンセスにまめまめしく仕えているが、今は甘いお菓子をつまんでゆったりと過ごしている……プリンセスの向かいに座っているアンジェはいつものように眼鏡をかけているが、普段のカバーである「田舎娘」の表情はせずに冷静な顔で砂糖なしの紅茶をすすり、ちせはそのかたわらで王室御用達の菓子店から取り寄せている銘菓をぱくつき、ドロシーは頬杖をついたまま氷でもかみ砕くように、パリの菓子店から取り寄せたというマカロンをやる気なく口に放り込んでいる……と、三つ目のマカロンを噛んで飲み込むと手についた粉をはたき、それからベアトリスのことをじっと眺めて切り出した…


ベアトリス「なんでしょう?」

ドロシー「お前さん、裁縫は得意な方だったよな?」

ベアトリス「お裁縫ですか? まぁ苦手ではありませんけど……どうかしたんですか?」

ドロシー「ああ、なに……もし手が空いているようならちょいと手伝ってくれ」

ベアトリス「はい。もう宿題も片付けちゃいましたし、別に構いませんよ……大丈夫ですよね、姫様?」

プリンセス「ええ、大丈夫よ……ドロシーさん、今日はベアトを連れていっても構わないわ」

ドロシー「そいつは助かるよ……それじゃあ、ちょっと出かけようか」

ベアトリス「どこに行くんです?」

ドロシー「ああ、ネストの一つにな……そこで手伝ってもらいたい事がある」

ベアトリス「はあ……それじゃあ、少し出かけてきます」

プリンセス「行ってらっしゃい♪」

ドロシー「悪いな、プリンセス……アンジェ、ちょっと「グリーン・ルーフ(緑の屋根)」の倉庫まで行ってくる。夜の八時には戻るつもりだ」

アンジェ「了解」
604 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/04/12(火) 11:06:07.87 ID:BbqgF6nP0
…運河(エンバンクメント)沿いの倉庫街…

ドロシー「……よーし、着いたぞ」


…ドロシーとベアトリスは寄宿学校を抜けだし、ネストの一つで地味な格好に着替えるとエンバンクメント沿いまでやって来た……まだ終業時刻には早過ぎるため通りを行き交う人間はほとんどなく、ときたま辺りの倉庫で荷運びをしている労働者が運河にもやって(係船して)いるはしけに荷物を積んだり降ろしたりしているだけだった……と、ドロシーは何やらかすれた文字で会社名らしきものが書き込んである一棟の古ぼけた倉庫を軽く指し示した……そして先ほど言っていた「緑の屋根」という言葉はどうやら冗談か安全策の一つであるらしく、屋根は赤茶色をしている…


ベアトリス「ここですか……私は今まで来たことがないですね」

ドロシー「ああ、ここは情報部が調達してよこした武器装備を調整するところだからな……お前さんには普段アンジェや私が調整したやつを渡しているから、来てもらう必要がなかったのさ」

ベアトリス「それじゃあ今日はどうして私の事を連れてきたんですか?」

ドロシー「なに、すぐに分かるさ……よっこらしょ」たてつけの悪いドアを開けると、倉庫の中に入った……

ベアトリス「ずいぶん蝶番が錆び付いてますね……油を差さないんですか?」

ドロシー「ああ。何しろこれだけキーキーいうからな。誰かがこっそり入り込もうとしてもきしむ音で分かるってわけだ……もし防諜部やスペシャル・ブランチの手入れを喰らっても開けるのに手間取るから、その間に向こうの窓から運河に飛び込めるって寸法さ」

ベアトリス「なるほど」

ドロシー「さて、それじゃあおしゃべりはこのくらいにして……と」唐突に上着を脱ぎ始めるドロシー……

ベアトリス「え、ちょっと……!」

ドロシー「まぁまぁ、そう驚くな……別に手籠めにしようってわけじゃない。こいつを手伝ってほしいだけさ♪」

…そう言って作業机の上に取り出したのは、型紙と大きな牛革の切れが数枚。それに皮革用のナイフと仕立屋のような鋭い裁ちばさみ……そして穴開け用と思われる小さいフォークのようなものや、風変わりな器具が一揃い…

ベアトリス「何ですか、これ?」

ドロシー「こいつは革用の細工道具だよ。普段ピストルを突っ込んでいるホルスターなんだが、情報部がよこす既製品のやつだとぴったり馴染まなくてな……大きさを合わせたり、手作りしたりしてるんだ」

ベアトリス「そうなんですか」

ドロシー「そうさ。何しろ肩吊り用にしろ腰用のにしろ、私やアンジェみたいな若い女が使うようには作られちゃいないからな……モノによっちゃあ普通に革製品の店で注文することもあるが、レディが軍用の.380だの.455口径のピストルに合う肩吊りホルスターなんて買ったら目立つことこの上ないし、何より自分で作れば経費の節約にもなる。 そしてその「ちょろまかした」分で他のモノを買ったり、うまいものを食ったりするのさ」

ベアトリス「……そう言うのっていけないんじゃないですか?」

ドロシー「そりゃあ厳密にいけばいいとは言えないさ……ただ、そうでもしなくちゃ活動費用が追っつかないし、私はコントロールも知ってて黙認していると踏んでるよ」

ベアトリス「そういうものなんですね」

ドロシー「ああ。お互いに成果さえあげてれば言うことなしってわけでね……話がそれちまったが、ホルスターなんか場合によってはイチから作ることもあるんだ」

ベアトリス「すごいですね」

ドロシー「ま、一秒を争うって時に使う道具だから、そのくらいはしないとな。 それで、お前さんには私が革地をあてがっている間、このインクで印を付けてもらいたいんだ……あと、裁断済みのやつがあるから、終わったらそいつの縫製も手伝ってもらいたいな」

ベアトリス「なんだ、そういうことだったんですね。いきなり上着を脱ぐから、てっきり……///」

ドロシー「……したいようなら別に構わないぜ?」

ベアトリス「ち、違いますっ!」

ドロシー「なーに、ちょっとした冗談だよ……それにどのみち、いつも腰が抜けるほどプリンセスに愛してもらってるんだろうからな」

ベアトリス「……ノーコメントです///」

ドロシー「はは、口で言わなくてもその雄弁な表情じゃあなんにもならないぜ?」

ベアトリス「///」

ドロシー「さ、おしゃべりはほどほどにして取りかかろう」


…ある程度のサイズに切ってある革地を肩にあてがうと、ベアトリスが仕立屋のように前後左右と飛び回りながら目安の線を入れていく……時折ドロシーが銃を抜く動作をしてみたり、ホルスターをあてがって脇から吊るしたときの高さを確かめ、しばらくして納得したようにうなずいた……それからけがき線にそってナイフを入れて革を切り、全体を組み立てる前に小さいパーツや留め革の部分をにかわでくっつけ、おもしを載せて作業台に固定した…

ベアトリス「こんな風になっているんですね」

ドロシー「ま、普段は革なんて扱わないだろうからな……そっちを押さえておいてくれ」

…作業台には他にも工程の途中にあるホルスターや何かのポーチのようなものが並んでいて、今度はそれを取り上げて渡した……縫い目となる部分には印の線が引いてあり、そこに「目打ち」(小さいフォーク状の道具)をあて、木槌で「とんとん……っ」と打って、針が通る穴を開けていく…

ベアトリス「縫い方はどうすれば良いですか?」

ドロシー「糸の両側に針を通して、互い違いに縫っていってくれ……糸は縫う長さの四倍はないと足りなくなるから、遠慮しないで多めに使いな」ベアトリスにやり方を教えながら、蝋が塗ってある革用の糸を使ってすいすいと縫っていくドロシー……

ベアトリス「上手ですね、ドロシーさん……いつもはお裁縫なんて全然しないのに」

ドロシー「まぁな……とりあえずここにある出来かけを作り終えたら戻ろう。ついでに屋台のミートパイでも腹に詰めて行くとしようぜ♪」
605 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/04/22(金) 01:28:52.48 ID:7UgJNwkr0
…同じ頃・とある下級貴族の屋敷…

初老の男爵「ミス・クロウリー、お茶を持ってきてくれ」

中年のメイド「承知いたしました、カーフィリ様」

男爵「頼むよ」

メイド「はい、ただいま……」

…一週間前…

管理官「……今回の任務は我々の考えに共鳴している王国貴族と接触、当該人物から王国議会の情報を入手することにある。君は「ミス・クロウリー」として該当する人物にコンタクトし、情報を入手しろ」

中年の女性エージェント「はい」


…管理官から任務説明を受けている女性エージェントは髪に白いものが交じり、身体も小さく、手には小じわがより始めている……年の差でいえば孫ほど若い管理官から任務説明を受けながら、時折ミルクの入ったアッサムをすすっている…


管理官「それから支援要員だが、当面の間は二人だけだ。 頭数は少ないが、王国防諜部の監視が厳しい中で無闇に人数を送り込むことも出来ん。どうにかやりくりしてくれ」

エージェント「分かりました」

管理官「必要な機材や道具立てはロンドンの支援要員がミスト・ヴェール墓地の奥、右奥の三つ目にある「ジョージ・マックウェル」の墓に埋めておいた」

エージェント「ジョージ・マックウェル? 一体誰なんです?」

管理官「縁者も親戚もない無縁仏の一つだよ……三十年も前に酔っ払って運河に落ちて溺れた男だ。今さら本人が気にするとも思えないがね」

エージェント「そう願いたいですね」

管理官「大丈夫さ。もし気になるようならウイスキーの瓶でも供えてやるといい……ネストとしては、メイベリー街の12番地にある「アルフレッド・カーフィリ男爵」の家を用意した……男爵と言っても平民とさして変わらない貧乏貴族で、君はそこのハウスメイド(女中)として雇われていることになっている」

エージェント「ええ」

管理官「ロンドン入りは石炭運搬の艀(はしけ)の積荷に紛れて行ってもらう……居心地は悪いだろうが、そこは我慢してくれ」

エージェント「堆肥を積んだ荷車じゃなかっただけでも上等ですよ」

管理官「そう言ってもらえるとありがたいな……目標との接触についてはネストに入り次第、追って指示する」

エージェント「分かりました」

…その数日後・運河沿い…

水夫「そら、もやい綱をかけろ! 道板を渡せ!」

荷下ろし係「ぼやぼやするな! あまり遅いようだと給料を減らすぞ!」

エージェント「……」山ほど積まれている質の悪い泥炭やくず炭が次々と艀から運び出されていく間にそっと船倉から抜けだし、するりと人混みに紛れ込んだ……

…数時間後・墓地…

エージェント「あったわね……」

…無縁仏の粗末な墓石を少し動かすと、その下に包みの手ざわりがある……年齢の割りに機敏な動作で包みを引っ張り出すと、何事もないように墓にお参りをし、ちょこちょこした歩調で歩き出した…

…さらに数時間後…

エージェント「……」

…人目に付かない裏通りで着替えたエージェントは前に着ていたぼろぼろの服をゴミの山に突っ込み、よくいるメイドらしい格好に着替えていた……オールドローズ色のあせたエプロンドレスに、頭に着けたヘッドドレス、手には卵が数個とニンジンが入った買い物用のバスケットを持っている……そのまま何事もなかったかのように、一軒の邸宅の裏口を開けて入った…

エージェント「……ただいま戻りました」

男爵(共和国の支援者)「ああ、お帰り……」

………

606 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/05/02(月) 01:37:43.74 ID:fB1pEJuO0
…数日後・コントロール…

7「L「シェパーズ・パイ」の件で管理官から報告が上がって参りました」

L「ほう……それで?」

7「はい。無事にネストへと入ることが出来たとメッセージが届いたそうです」

L「よかろう」

7「何か指示はございますか?」

L「いや、ない。 管理官に事前のブリーフィング通り任務を始めるよう通達してくれ」

7「承知いたしました」

L「ああ……」

…別の日・カーフィリ男爵の屋敷…

男爵「ミス・クロウリー、少しいいかね?」

エージェント「何でございましょう、カーフィリ様」

男爵「うむ……実は今度、ベニングスビー伯爵の屋敷で夕食会があるそうだ」

エージェント「それはよろしゅうございますね」

男爵「ああ……だが、さすがにベニングスビー伯ともなると大したものだね。屋敷に数十人はいるメイドや執事たちに加えて、当日は幾人もの料理人や給仕、メイドを雇うそうだ」朝刊を軽く振り動かしてみせた……

エージェント「さようでございますか」

男爵「うむ、現にこうして新聞に募集が出ておる……どことは書かれておらんが、間違いなく伯のパーティに合わせたものだよ」

エージェント「さようですか。 ところでカーフィリ様、わたくしは少々出かけなければならない用事があるのですが……数日ほどお休みを頂けますでしょうか?」支援者でもある男爵に、取り決めてある合図をしてみせた……

男爵「……うむ。かまわんから遠慮せずに行ってきなさい」

エージェント「承知いたしました、では失礼いたします……」

…同じ頃・メイフェア校…

アンジェ「……今度ベニングスビー伯爵のお屋敷でパーティが開かれるそうね」

ドロシー「ベニングスビー伯……例のパーティ好きの伯爵だな。 頭の出来はニワトリとどっこいどっこいだが、それだけに敵視されることもなければ、余計な政争にくちばしを突っ込むこともない……ある意味では「中立地帯」として最も信用できる人物だな」

アンジェ「要約ありがとう……そのベニングスビー伯爵よ。 そこに私もプリンセスのお誘いで同行することになった」

ドロシー「けっこうじゃないか、せいぜいうまいもんでも食ってくることだな」

アンジェ「残念だけれど、どうもそうは行かないようね」

ドロシー「……ほう?」

アンジェ「プリンセスが耳にした情報だと、どうやら今回のパーティは内務卿……つまりノルマンディ公の勧めでベニングスビー伯が開くことに決めたパーティなの」

ドロシー「ふぅん……奴さんが好き好んでパーティなんぞを開くようには見えないな」

アンジェ「ええ。 おそらくノルマンディ公はパーティにかこつけて誰かと接触を図るか、さもなければ招待客の動きを観察する機会を設けたいということね」

ドロシー「そうなると話が変わってくるな……ダモクレスの剣を上から吊るされた状態ってことか」

アンジェ「そういうこと」

ドロシー「まさかプリンセスとそのご学友を疑うとも思えないが……くれぐれも気を付けて、ボロを出さないようにしろよ」

アンジェ「ええ……」

ドロシー「ベアトリスは知ってるのか」

アンジェ「その情報を聞いたのはベアトリスよ」

ドロシー「へぇ、案外やるもんだな」

アンジェ「そうかもしれないわね……とりあえずパーティには出席するけれど、しばらくの間は鳴りをひそめる必要がありそうね」

ドロシー「ああ。さすがにこれだけ動き回っていると、どこかでほころびが出たっておかしくないものな……」

アンジェ「内務卿が動いたのも気になるし、もしかしたら何かをつかんでいるのかもしれないわね」

ドロシー「……そうでないことを願うばかりだな」
607 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2022/05/06(金) 18:23:18.72 ID:ihDcxAkHO
SS避難所
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608 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/05/09(月) 01:57:55.32 ID:9fHPSI/e0
…王国内務省…

防諜部長「……どうもこのところ、議会で審議された議案や予算案の情報が漏れている。むろん、各省庁の書記や秘書といった人物が関与しているとも思われたが、今回流出した情報は下級官僚には閲覧が許されていない」

管理官「つまり……」

防諜部長「議会内の重鎮、あるいは有力者……つまりは貴族の誰かが共和国に情報を売っているか、どこかで軽々しく話題にしているということだ。 そこでしばらくの間調査を続けていたところ、近々共和国のスパイがその情報提供者と連絡を取るべく接触するという情報が入ってきた」

管理官「では、その糸をたぐっていけば……」

防諜部長「おそらくは情報漏れの穴が見つかるだろう……共和国のスパイとは、どうやら今度行われるベニングスビー伯爵のパーティで接触する予定らしい。 ……情報漏洩の元と思われる人物はある程度まで絞り込んである。後はそれを手がかりとして目標の人物が誰か特定し、共和国のスパイもろとも確保する」

管理官「承知しました」

防諜部長「それから、今回の対象人物からは色々と聞く必要があるのでな……きちんと話せる状態で捕らえてもらいたい」

管理官「お任せを」

防諜部長「頼むぞ……この件はノルマンディ公直々の指示だ。くれぐれも手抜かりのないようにな」

管理官「あの方のですか……」

防諜部長「そうだ。ノルマンディ公が手元に置いている子飼いの連中は別件で動かせんらしい……そこでこちらにお鉢が回ってきたと言うことだ」

管理官「例の褐色娘ですね」

防諜部長「ああ……だが、よそで軽々しくそういう言い方をするな。 内務卿はあの娘をずいぶんと高く評価している」

管理官「そのようですね……部下は誰を頂けますか」

防諜部長「内務卿からは特にこれと言った指示を受けてはいない、ただ「必要な人物を過不足なく確保しろ」と言われているだけだ」

管理官「そうですか……こちらとしては対象の人物やパーティ会場の来客数から考えても、監視に並クラスのエージェントが六人、連絡役(メッセンジャー)として使える下級のエージェントか協力者も同数は欲しい所ですが」

防諜部長「合わせて一ダースか……もう少し減らせないか?」

管理官「これだけの会場で監視対象も複数ということになると、これだけの人数は必要です……もしかすると内通者は女性の可能性もある。男女それのエージェントが三人ずつでは、それぞれ対象を一人か二人監視するので精一杯です」

防諜部長「……仕方ないな、どうにかかき集めてみよう」

管理官「お願いします」

防諜部長「機材で必要なものは?」

管理官「パーティ会場での監視任務ですから、それ相応の格好と、カバー(偽装)に使える身分証やそれに類するものを……貴族は顔が知られていますからなりすますことは出来ませんが、料理の仕出しや雇われの給仕といった人間が入るでしょうから、そうした店の身分証があれば助かります」

防諜部長「分かった」

管理官「後は連絡用の機材ですが、パーティ会場ではモールス信号機も伝書鳩も必要ありませんし……標準的な装備で構わないかと」

防諜部長「うむ、そうしてくれ……予算も無限ではないからな」

管理官「よく知っています」防諜部内で提供される不味い紅茶のポットを軽く見てから、さらりと皮肉を言った……

防諜部長「結構」

………

…ロンドン・仕出し料理店…

雇用係「なるほど、貴族のお屋敷で……それならちょうどいい。じゃあここにサインをして」

共和国エージェント「はい」

…貴族のお屋敷と言えども、さすがに大がかりなパーティともなると屋敷の人間だけでは配膳や調理がまかないきれないこともあり、そういったときには高級レストランからシェフを呼んだり、気の利いた執事やメイドを派遣する「口入れ屋」が注文を取ったりする……生真面目である程度の教養もありそうな人間はそうした場所で受けが良く、エージェントの女性も「盆の運び方」や「食器の上げ下げ」といった実技のテストを受けた後、あっさりと契約書を交わした…

雇用係「当日はお屋敷の勝手口に行き、そこでハウスキーパー(女中頭)から指示を受けること。 あと、忘れずにこの書類を持って行くように」

エージェント「分かりました」

雇用係「それじゃあご苦労さん……次の方」

609 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/05/28(土) 10:25:16.95 ID:hdtDc26e0
…一方…

堀河公「ふむ……ベニングスビー伯爵のパーティか」

ちせ「はっ、どうも内務卿の差し金によるものと思われます」

…表向きは慣れないロンドンでの生活や勉学の支援のため、大使館で定期的に設けられている「相談会」にやってきたちせ……留学生という立場は堂々と大使館に通う理由が付けられるので、指示や報告の機会も得やすい……堀河公とは廊下で出くわした形を取り、雑談でもするかのように何気なく歩きながら報告を済ませる…

堀河公「なるほど、気になる所ではあるな……なにはともあれ情報の入手、大儀であった」

ちせ「もったいないお言葉にございます」

堀河公「いや、君は「倫敦(ロンドン)特務機関」の中でも実に優秀だ……引き続き励んでくれ」そう言うと日本から届いたばかりの菓子折を手渡した……

堀河公「……これは、ぜひ君の「ご学友」と一緒に」

ちせ「かたじけのうございます」

堀河公「うむ……君たち若い女学生はこれからの国家を支えてもらうためにも見聞を広め、勉学に励んでもらいたいものですな!」それまでは周囲には聞き取れない程度の口調で話していたが、急にあたりの事務官たちにも聞こえるような大声で言った……

ちせ「はい」

…そのころ・メイフェア校…

ドロシー「ベアトリス、分かっているとは思うが今回のパーティには気を付けて臨めよ」

ベアトリス「ええ」

ドロシー「お前さんが仕入れてきた情報が確かなら、内務卿がベニングスビー伯爵をつついてパーティを開かせることにした。 だが内務卿……ノルマンディ公が理由もなしに何かをすることなんてない。ましてやパーティを開くよう勧めるなんてことは、プリンセスが机の上に脚を乗っけるくらいあり得ない」

ベアトリス「そうですね」

ドロシー「とにかく当日は絶対に余計な色気を出すな……姫様のお付きとしていつも通りに振る舞え」

…ドロシーとしても着実に進歩しているベアトリスにあれこれ言うのはいささか気が引けたが、そこそこ情報活動に慣れてきてある程度の動きが分かったような気になっている時期が一番危ないと、しつこく言い聞かせた…

ベアトリス「はい」

ドロシー「頼んだぜ?」

ベアトリス「もちろんです、姫様を危険にさらすようなことをするわけがないじゃないですか」

ドロシー「ああ、ならいいんだ」

…一方…

プリンセス「アンジェ、今度のパーティには何を着ていくの?」

アンジェ「そうね……私は例の薄紫色のドレスにするつもりよ」


…アンジェはすでに日々の生活と一体となっている「地味で冴えない庶民出身の田舎娘」のカバー(偽装)を活かすために、パーティやお茶会ではたいてい印象を薄くするようなぼんやりした色合いのドレスを選んでいる……無邪気に微笑むプリンセスに対して素っ気なくそう言うと、また書きかけのノートに視線を戻した…


プリンセス「もう、アンジェったらまたあんな地味な色のものを着るつもりなの? ……せっかくなのだから、あの明るい黄色のドレスを着ればいいのに」

アンジェ「あのドレスは嫌いよ」

プリンセス「むぅ……アンジェの意地悪」

アンジェ「意地悪でも何でもないわ。 ああいう目立つ色を着るのは私の仕事じゃないってだけ」

プリンセス「でもたまにはいいじゃない、特に今回は私の「ご学友」として参加するわけだし……だめ?」いたずらっぽい笑みを浮かべて、下からのぞき込むようにしながら小首を傾げるプリンセス……

アンジェ「だめね」

プリンセス「そう、せっかく綺麗なドレス姿のアンジェを見られると思ったのに……残念」

アンジェ「そんなに見たければ今度二人きりの時にでも着てあげるわ」

プリンセス「ねぇ、アンジェ……それってもしかして「そういう」意味?」

アンジェ「……別にそういうつもりで言ったわけじゃないわ」

プリンセス「あら、でもその割には頬が赤いわよ?」

アンジェ「気のせいよ」

610 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/06/19(日) 02:31:01.15 ID:FQq1VuyC0
…数日後・ロンドン市内の高級美容室…

令嬢A「それで、今度のパーティにはプリンセスも出席なさるとか……」

令嬢B「ええ、その噂でしたらわたくしも耳にしておりますけれど、本当かしら?」

令嬢C「……あのクリーム色と緑のドレスは首回りのデザインが良くなくって……やはり仕立屋はロンドンに限りますわ」

令嬢D「そうですわね……ところでお父上から聞いたのですけれど、今度のスピットヘッドの観艦式には新型の軍艦が参加するそうですの」


…美容院の待合室で順番を待ちながらおしゃべりに興じるレディたち……ドレスや髪型、化粧や宝飾品の流行りすたりといった話題に交じって、王室や有名貴族の動静、夫や友人、はたまた父親から聞きかじった植民地事業や株価の値動き、官僚や軍の人事異動や配置転換といった、情報部員にとってよだれの出そうな情報も流れている……地味な格好をして髪を整え、結び、鋏を動かし、あるいは手にクリームを塗り、爪を磨き艶を出している「髪結い」の女性たちは何も言わず黙々と作業をこなしているが、その中にはしっかりと情報を聞き留めている共和国の情報部員や、情報を売って「副業」にしている下級の「タレコミ屋」なども交じっていた…


髪結い「では、ここを結い上げて……いかがでございましょう?」

令嬢「結構ね、これでよろしくてよ」

髪結い「はい……お待たせいたしました、どうぞ」

…その頃・王宮…

プリンセス「あら、叔父様。 ごきげんよう」

ノルマンディ公「ああ……ときにプリンセス」

プリンセス「なんでしょう?」

ノルマンディ公「うむ、今度のベニングスビー伯爵が開く夕食会についてだが……」

プリンセス「何かありましたの?」

ノルマンディ公「うむ、最近はロイヤル・ファミリーに対する不穏な動きが多いのでな……護衛官を二人ほど付けさせてもらう」

プリンセス「まぁ、王族を狙う事件だなんて怖いことですわね……叔父様、お気遣い嬉しく思いますわ」

…内務卿配下の護衛官に監視されていては何かと動きが制限されてしまうが、申し出を断れば疑惑を招く……プリンセスは仕方なく微笑みを浮かべ、丁寧に例を言った…

ノルマンディ公「なに、王国の将来を担うプリンセスに何かあっては困るからな……当日は誰も彼も着飾って来ることだろうから、うんとおめかしをして行くといいだろう」

プリンセス「あら、叔父様ったら……それでは素敵な格好をしませんと♪」

ノルマンディ公「うむ……では失礼」

ガゼル「……」ノルマンディ公に付き従っている「ガゼル」が、一瞬だけプリンセスとベアトリスに視線を向け、それから軽く礼をして歩いて行った……

ベアトリス「……姫様」

プリンセス「ええ」

ベアトリス「どうしますか?」

プリンセス「仕方のないことでしょう……ドロシーさんたちの言うように、当日は余計な事をせずに過ごしましょう」

ベアトリス「分かりました」

…その日の晩・部室…

ドロシー「やっぱりな……」

アンジェ「ええ。疑念を抱いているわけではないとしても定期的な「身体検査」は怠らないでしょうから、この動きは予想出来た」

ドロシー「しかし、こうなると当日は眉毛一つ動かせないな」

アンジェ「構わない。 コントロールには接触の時期をずらしてもらえばいい」

ドロシー「もちろんだ……ねずみ取りが仕掛けてあるって分かっていながらチーズに飛びつく馬鹿はいないさ」

アンジェ「そうね」

ドロシー「ちせにもおおよそのところは伝えておいた……これで堀河公にひとつ貸しを作ってやったことになる」

アンジェ「ええ……何かあったときに向こうから譲歩を引き出すいい質草になるわね」

ドロシー「そういうこと♪」
611 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/07/01(金) 02:54:09.15 ID:avGTljDO0
…パーティ数時間前・伯爵家の勝手口…

ハウスキーパー「なるほど、貴女たちが雇われた方々ね……結構。私はハウスキーパーのミセス・ダルトン」


…丸縁の眼鏡をかけた貫禄のあるハウスキーパー(女中頭)が新兵を見定める軍曹のような目つきでジロリと雇われメイドたちを眺め回した……上流階級の家庭における「ハウスキーパー」はいわゆるメイドとは異なる「女性版の執事」といった立場にあり、同格にあるバトラー(執事)を除く全員の人事権と家庭内におけるやりくりを全て把握していて、屋敷の中では一国の宰相を上回る権力を持っていると言っても過言ではない……そしてその威圧感は口入れ屋から派遣された一時雇いのメイドたち相手でも変わらない…


ハウスキーパー「料理をお出しする順番やお客様へのもてなしは私が、食器や料理に関する指示はうちのコックが出します……くれぐれも粗相のないように」

雇われメイドたち「「はい」」

ハウスキーパー「よろしい」

…しばらくして・厨房…

コック「カナッペは三種類、煮こごり料理は後で出す……スープ皿はここに並べるんだ」


…大きな厨房では火が赤々と燃え、屋敷のコックが指揮を執り、まるで戦場のような勢いで料理を仕上げていく……きれいに磨き上げられている銅の小鍋でソースを仕上げている者に、大きな銀の皿にローストビーフを盛り付けている者、煮こごり料理に最後の仕上げを加えている者…


コック「おい、ショウガソースはまだか!」

料理人「あと少しです!」

コック「こら、火が強いぞ! 焦げ付かせるつもりか!」

料理人B「すみません!」


…屋敷のコックは火加減の難しい料理を担当しつつ周囲にも目を配り、下働きや雇った仕出し料理屋の料理人たちに指示を飛ばしたりののしったりしている……きれいな赤身のローストビーフや手間のかかる煮こごり(ゼラチン寄せ)料理、木の葉をモチーフにした大きなパイ、料理を彩る濃厚なオランデーズソースや甘酸っぱいクランベリーソース……そしてデザートに使うメレンゲやカスタード、ルバーブの砂糖漬けやラズベリーのジャムも次々と仕上がっていく…


コック「味にメリハリがないな……コショウをもう少しだ!」

料理人「はい!」

コック「おい、レモン果汁はどうした?」

料理人B「今やります!」

…一方…

貴族女性「これはプリンセス……お目にかかれて嬉しゅうございます」

プリンセス「ええ、わたくしもです」

貴族女性B「プリンセスとのお目もじが叶いまして、わたくし幸せでございます」

プリンセス「まぁまぁ、わたくしもですよ。レディ・ヘリング……」

…いつも通りにこやかに左右の貴族たちに笑顔を振りまき、挨拶を交わしているプリンセス……と、そこに最新流行の洒落た格好に身を包んだ頬が赤く締まりのない貴族の男性……主催のベニングスビー伯爵がやってきた…

伯爵「おぉ、プリンセス……ようこそつつましき我が家へお越し下さいました♪」人のいい笑顔を浮かべた伯爵が頭を悩ませることと言ってはハンカチの位置やチョッキのしわといったことに限られるらしく、時折胸元のハンカチをいじっている……

プリンセス「まぁまぁ「つつましやか」だなんて……伯のお屋敷はとても立派でいらっしゃいますよ。 以前見せていただいた十六世紀のタペストリーや絵画はとても立派なもので、わたくし感心しておりました♪」

伯爵「いやはや、覚えていて下さって光栄です♪ ささ、どうぞこちらへ!」

ベアトリス「……」さりげなくプリンセスに従っているが、内務卿配下の私服護衛官が目を離さずについているせいか、少し緊張しているベアトリス…

アンジェ「……」一方、さしたる印象も与えずにさらりと会場に溶け込んでいるアンジェ……プリンセスから数歩ばかり距離を開けて次第に離れていき、少し退屈な表情をして壁際に立っただけで、あっという間に誰も気に留めない置物のようになってしまう……

…その頃・厨房…

コック「……よし、いいだろう……さぁ、前菜から持って行ってくれ!」


…食器室から運ばれてくる皿とグラスはピカピカに磨き上げられ、そこに料理が盛り付けられるとメイド達が運び出していく……共和国エージェントもメイド達に交じって忙しく立ち働くと同時に、屋敷の間取りや鍵の種類、家具の場所を頭に入れていく…


ハウスキーパー「乾杯はシャンパンから、前菜は順番を取り違えないように……」きちんと身なりが整っているか確認すると、料理を運ぶメイドや給仕たちをうながした……



612 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/07/21(木) 01:26:56.44 ID:nuHZs7J40
…しばらくして・食堂…

伯爵「えー、では……今宵、小生の主催いたしますこのささやかな夕食会にプリンセスのご臨席を賜りましたこと、心より御礼を申し上げます」伯爵が一礼すると、プリンセスも微笑みを浮かべて礼を返した……

伯爵「つきましては御一同、どうぞグラスをお持ちいただき……」


…見事なグラスに注がれた黄金色の美しいシャンパンがろうそくやランプの灯りに照り映え、乾杯のために立ち上がった貴族たちがまとう色とりどりの服やきらびやかな宝飾品、また勲爵士のリボンや勲章がきらきらときらめいている……


伯爵「では、これからも陛下の治世の長きことを願って」乾杯の音頭を取ると一同はシャンパンを飲み干し、一旦席につく……すぐに次の一杯が注がれ、今度はプリンセスが返杯のために挨拶をする……

プリンセス「今宵、私をお招き下さいましたベニングスビー伯と伯爵夫人、またウィンターボザム伯爵夫妻、グレイスレード伯爵夫妻、バーコウ男爵夫妻、サザード男爵夫妻……また今宵を共に過ごします皆様方の健康を祝して、乾杯」


…有力貴族たちの名前を次々と誤ることも言いよどむこともなく網羅しつつ、それぞれに軽く一礼し、無事に言い終えるとグラスを持ち上げて乾杯した…


伯爵「いやはや、まさか本当にプリンセスにご来駕頂けるとは……わたくしめは嬉しく思っております」

プリンセス「いえいえ、伯のお誘いをむげにお断りするわけには参りませんもの……♪」

伯爵「恐縮でございます」


…にぎやかに会話が弾む中、さっそく前菜がやってくる……新鮮なエンドウ豆のきれいな緑色とサーモンの鮮やかな鮭色を残したままムースにした手間のかかる一品や、小さなクラッカーに丁寧に盛り付けられたフォアグラのパテにクリームチーズ、アスパラガスなどがさっと供される…


太めの伯爵夫人「相変わらずベニングスビー伯は美食家でいらっしゃいますわね」

伯爵「ははは、ポールトン伯爵夫人はフォアグラがお好きだとうかがっておりましたので、特に用意させたのですよ」

伯爵夫人「まぁまぁ、お気遣いいただいて……大変結構なお味ですわ」

口ひげの伯爵「うむ、実に見事だ……ベニングスビー伯はいい料理人を抱えていらっしゃる」

伯爵「いやいや、過分のお褒めをいただき恥ずかしい限りです」

…一方・テーブルの末席…

鼻のとがった貴族令嬢「……それで、貴女様はプリンセスとご学友でいらっしゃるの?」

アンジェ「え、ええ……」


…アルビオンでは白い目で見られがちなフランス系の名前を持ち、かつ「平民」であるアンジェは本来このような席に呼ばれることすらあり得ないが、あくまで「プリンセスのご学友」としての、いわば「添え物」として招待され、つんと取り澄ました貴族令嬢の端くれと向かい合う席に座っていた……その点では形ばかりとは言え貴族令嬢であるベアトリスの方が席次が上で、テーブルの中央より少し手前、あまり悪くない位置に座っている…


貴族令嬢「そう」

アンジェ「はい……」いかにも貴族に圧倒されてしどろもどろ……といった演技をしながら、抜かりなく室内を観察しているアンジェ……

アンジェ「……(給仕の中に内務卿のエージェントが一人、二人……合わせて四人)」

騒がしい貴族令嬢「それにしてもプリンセスと同じ夕食会にお招きいただけるなんて! わたくし、もう感激で胸が一杯ですわ!」

アンジェ「……」

…いくつか離れた席に騒がしくしている貴族令嬢がいるおかげで注意がそちらに引きつけられ、あたりを観察するのには都合がいい……きらびやかな服の伯爵に仲むつまじい様子の男爵夫妻、優雅な物腰の伯爵令嬢に美男子の男爵子息……

貴族令嬢「……それで、プリンセスとお話しするような機会はございますの?」

アンジェ「いえ。わたくしのようなものでは、そのようなことは滅多に……」相手が退屈になるようあいまいな返事をしながら、並んでいる貴族たちを冷めた心で観察しているアンジェ……料理を口に運びつつ、胸中ではコントロールに送る報告書に書くべき、貴族たちの人格的欠点や素行を書き並べている……

豪華な格好の伯爵「いやはや、それがですな……」

アンジェ「……(あの伯爵は株で一財産をすったけれど、まだ見栄を張ってぜいたくな暮らしをしている……金銭面で転ばせることはたやすい)」

丸顔の男爵「良かったねえ、おまえが一緒で私も嬉しいよ」

しとやかな男爵夫人「ええ、あなた」

アンジェ「……(あの男爵夫妻は仲むつまじい振りをしているけれど、実際には政略結婚で関係は冷え切っている……ちょっとした誘いがあれば、どちらも火遊びにのめり込む可能性はある)」

優雅な伯爵令嬢「まぁ、ふふふ……♪」

アンジェ「……(あの男爵令嬢は裏で会員制サロンに入り浸っては、店の女の子を相手にみだらな行いの限りを尽くしている……それをネタに脅しつければあっという間に情報を吐くはず)」

………

613 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/08/05(金) 00:13:21.28 ID:wrXc5wju0
伯爵「それではそろそろパイの方に参りましょう♪」

高齢の貴族婦人「まぁまぁ、美味しそうなパイですこと」

伯爵「でしょうな。これはうちの料理人が特に自慢している一品でしてね……ささ、私がお取りしますよ」

貴族婦人「まぁ、ありがとう」

男爵「……うむ、確かに絶品だ」

男爵夫人「実に美味しいですわ♪」


…まるで軍艦の船体かアイロンのような、立ち上がりのある木の葉型をした大きなパイが食卓に運ばれてきた……まだ湯気を残しているパイはこんがりといい色をしていて、表面にはパイ皮で産業のシンボルである歯車と自然の象徴である木の葉をあしらってある……中に詰まっているのはたっぷりのビーフで、じっくりと煮込まれていて柔らかく、オレガノやローズマリーの風味、そして肉の臭みを消すために使われている黒胡椒の後に残すぴりっとした刺激がよく調和している…


赤ら顔の男爵「いや、これは素晴らしいですな……どうです、うちの料理人と取り替えませんか?」

伯爵「ははは。 ウィルポール男爵、あなたの抱えていらっしゃる料理人はスープが絶品だと聞いておりますよ」

男爵「ええ、いかにも……スープの時はうちの料理人を使って、パイの時は伯爵の料理人を使えれば言うことなしなのですがね」

伯爵「世の中はままならないものですな」

男爵「まったくですな……もう一切れお願いいたしますよ」

伯爵「ええ、お取りしましょう」


…壁際でじっと動かず装飾のように控えている護衛官は切り分け用のナイフが動くたびに、いつ刃がプリンセスに向けられても対応できるよう、そのたびごとにちらっと注意を向けている……プリンセスは背中に護衛官たちの視線を意識しながらもにこやかに微笑み、あくまで「プリンセスらしい」上品な冗談で軽い笑いを取り、ドレスを汚すことのないよう、小鳥が餌をついばむように少しずつパイをいただく…

伯爵「いかがですか、プリンセス? お口に合いますでしょうか」

プリンセス「ええ、とても……本当に美味ですわ♪」

…体調を崩して公的行事を欠席したりすることがないよう、常に食事は控え目で節制を求められているプリンセスは、いかに美味しいパイではあってもお代わりを頼むようなことはできず、好きなように飲み食いできる立場の貴族たちが少しだけ羨ましい……しかしながらそれと同時に、周囲に気を配り余計な事を口走ったりしないよう緊張し頭を働かせているためか、こうした場面ではあまり空腹を感じない…


男爵「……いやはや、絶品でしたな」

男爵夫人「素晴らしい食事でしたわ」

伯爵「そう言っていただけると実に嬉しい。 ワインはいかがですかな? それともブランデー? プリンセス、いかがですか?」

プリンセス「ありがとうございます、それではワインにしましょう」

貴族婦人「それではわたくしも……」

伯爵「チーズは? ロクフォール? チェシャ? スティルトン?」

プリンセス「そうですね……」

………

…厨房…


…明るく照らされた食卓で笑いさざめいている間に、厨房には次々と皿やグラスが運ばれてくる……湯を沸かした大きな桶に次々と皿がつけ込まれ、汚れが浮いたところで海綿(かいめん)のスポンジを使って汚れを洗い落としていく……ワイングラスは丁寧にゆすぎ、皿とは別に管理される…

料理人「おい、丁寧にやれ! これだから雇われの下働きは嫌なんだ……」

料理人B「盆はそっちじゃない! こっちだ!」

共和国エージェント「……」

…めまぐるしく人が行き来し、料理人でさえ目が回りそうな空間からさっと抜けだすと、人気のない廊下で対象と待ち合わせるエージェント……と、そこへやせ型の貴族が一人やってきた……わし鼻に気難しそうな顔立ち、愉快なパーティに来たというのにへの字に曲がっている口……身に付けている物こそ悪くないが底意地の悪そうな態度のせいで、したくもない仮装をさせられた寄宿学校の校長先生か何かに見える…

貴族「おい、メイド。手洗いはどこだ」

エージェント「申し訳ございません、わたくしは臨時に雇われただけでございますので……」

貴族「なんだ、使えんな。これだから下層階級は困る。 これならうちの犬の「グロウラー(うなる奴)」の方がよっぽど利口だ……まったく、教養という物はないのか」そう吐きすてるように言った中にさりげなく、取り決めてあった「グロウラー」という合い言葉が入っている……

エージェント「はい、あいにくと「マクベス」も読んだことがありませんので」

貴族「ふん。 シェークスピアなんぞただの劇作家に過ぎん……もういい」

エージェント「申し訳ございません」頭を下げてわびながら、相手に連絡手段の手はずを書いた紙片をつかませる……

貴族「うむ……」
614 : ◆b0M46H9tf98h [saga]:2022/08/19(金) 01:21:51.92 ID:oNjKTgDS0
…一方・婦人室…

やせこけた貴族婦人「ええ、それでわたくしはね……」

恰幅の良い貴族婦人「あのフランス人という方々には本当に我慢がなりませんわ!」鼻にしわを寄せて見くだしたような口調の貴族婦人……

プリンセス「なるほど、そういった意見もございますわね」


…男性陣は政治談義やちょっとした賭けトランプ、そして年代物のブランデーを楽しみに談話室へ……一方プリンセスを始めとする女性陣も世間話や多少のお金を賭けたトランプをするために婦人室(ブドワール)に集っていた……メイドは呼び鈴が鳴らされ次第すぐ来られるよう次の間で待機しているが、プリンセスに付いている内務卿配下の女性護衛官たちは、サロンの片隅で存在感を消して立っている…


鼻のとがった貴族令嬢「ですからね、わたくしはお父様にこう申し上げたんですの……」

くせっ毛の貴族令嬢「……近頃はクィーンズ・メイフェア校にも平民の方がいらっしゃるのでしょう?」

ベアトリス「ええ、はい……」


…食卓でのワインやシャンパン、それに婦人室のテーブルに置かれている上等なコニャックをちびちびと舐めているうちに、中の何人かはかなり舌の回りが良くなっている……室内の灯りが放つ熱と火との体温で少々蒸し暑い室内に響いている切れ切れの会話から耳寄りな情報を含んでいるものがないか、おしゃべりしながらも意識を集中させているプリンセスとベアトリス…


貴族婦人「よろしければプリンセス、私どもとテーブルを囲んでいただけますでしょうか?」

プリンセス「ええ、わたくしでよろしければ……♪」たしなみの一つとして、相手の機嫌を損ねない程度にホイストやポーカーが出来るプリンセスは、カードテーブルを囲んだ色とりどりのドレス……をまとった、頭は空っぽだが見た目やおしゃべりは上手な「パーティ向き」の貴族婦人たちに呼び止められた……

男爵夫人「あらまぁ、プリンセスと同席が叶うだなんて光栄ですわ! でも、カードの方は遠慮しませんわよ?」

プリンセス「まぁ、どうぞお手柔らかに♪」

…そのころ・外庭…

内務省エージェント指揮官「……どうだ?」

エージェント「さきほど接触があった模様……対象は給仕のために雇われたメイド。 髪は茶、身長は五フィートそこそこ。厨房を離れ、廊下に出た所を確認……他に怪しい動きを見せた者はおりません」

指揮官「よし、最後まで気を抜くな……気取られないよう、必要以上に視線を向けたりするな」

エージェント「了解」

指揮官「よし、まずは食いついたな……」

………



…深夜…

プリンセス「……ただいま戻りました」

アンジェ「お帰りなさい、プリンセス」

ベアトリス「ふー……すっかり遅くなっちゃいました」

ドロシー「よう、堅苦しい格好に堅苦しい話し相手で疲れただろう。 今日はもう着替えて休めよ」

ベアトリス「ええ、ですが姫様のお召し物を片付けてからでないと……」

プリンセス「大丈夫よ、ベアト。 そのくらい私でも出来るわ」

ベアトリス「いえ、私が姫様のお世話をしたいだけなので……///」

プリンセス「そう、だったらお願いしようかしら♪」

ベアトリス「はい♪」

ドロシー「仲むつまじい事でうらやましいよ……こっちは相変わらず冷血の相手でイヤになっちまう」そう言いながらも、冗談めかしているので毒気はない……

アンジェ「結構なご意見ね……二人も戻ってきたことだから、私も休むわ」

プリンセス「ええ。 お休みなさい、アンジェ♪」プリンセスは絹の白い長手袋を外すとアンジェに近寄り、片頬に手を当てると反対側のほっぺたにキスをし、にっこり微笑むとベアトリスを連れて出て行った……

アンジェ「///」

ドロシー「ひゅう、お熱いねえ♪」

アンジェ「……」軽口を叩くドロシーに向かって、冷たい目線を向けるアンジェ……

ドロシー「おー、おっかない……っと、そうそう。 私も数日後にとある貴族のパーティがあるんでね、その日は代わりに頼んだぜ」

アンジェ「分かった」

ドロシー「美味いものが食えると良いんだがな……それじゃあお休み♪」
615 :以下、VIPにかわりましてVIP警察がお送りします [sage]:2022/08/19(金) 02:56:41.87 ID:e+DWnUH90
VIPRPG完全終了さっさと畳んでもう二度とVIPに姿を現すなVIPRPG完全終了さっさと畳んでもう二度とVIPに姿を現すな
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616 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/08/28(日) 01:41:35.85 ID:2pt1Y3Au0
…数日後…

ベアトリス「出来ましたよ、ドロシーさん」

…針仕事の上手なベアトリスと、おおざっぱなふりをして、意外と何でもこなせる器用なドロシー……二人でちくちくと針を進めていく内に、次第に形になっていく三インチ銃身「ウェブリー・スコット」用の肩吊りホルスター……最後にベアトリスが糸を返してほどけないように縫い、末端の糸を切って道具を置いた…

ドロシー「どれどれ……よいしょ」

ベアトリス「どうですか?」

ドロシー「ほほう……こいつはいいな、まるで誂えたみたいにぴったりだ」工作場の崩れかけたレンガの奥、油布に包んで隠してあるウェブリー・リボルバーを取り出してホルスターに差し込むと、何度か抜き撃ちの動作を試してみる……

ベアトリス「良かったですね」

ドロシー「ああ、これなら肩や腕周りが突っ張って服の上からシルエットが目立つって事もないな。よし、今日はこれでおしまいにしよう」

ベアトリス「それじゃあ灯りを消しま……」

ドロシー「待て」

ベアトリス「……どうかしましたか」ぴたりと動きを止めて声を潜めた……

ドロシー「ああ……そっとのぞいてみろ、窓の向こう……運河の対岸だ。道に車が停まってるだろう」

ベアトリス「ええ、黒い四人乗りくらいの……」

ドロシー「あの車、たぶん同業者のだ……」

ベアトリス「それじゃあまさか……?」

ドロシー「いや、こっちから丸見えのところに車を止める馬鹿はいないさ……ありゃあ、おおかたどっかの監視だな」

ベアトリス「どうします?」

ドロシー「なに、簡単さ……何食わぬ顔で出て行けばいいだけのことさ」

ベアトリス「ずいぶんと落ち着いていますね」

ドロシー「慌てふためいたって良いことなんかないからな……この世界で長生きしたいなら用心深いことはもちろんだが、図太いくらいに落ち着いてなきゃダメだぜ」

ベアトリス「できるだけそうできるように頑張ります」

ドロシー「ああ……とりあえず連中、動くつもりはないみたいだな」あまり長いこと覗き見ていると感づかれてしまうかもしれないので、自分たちに関係がないと分かると早々に窓から離れた……

………



…次の晩・共和国のセーフハウス…

共和国若手エージェント「……あれが今回「オーヴァー・ザ・フェンス(越境)」させるやつですか」

共和国エージェント「そうさ」

…中年女性のエージェントは落ち着きはらった様子で椅子に腰かけている……一方、まだ青さの残る若手エージェントは労働者風の格好をしているが、偽装もエージェントらしい振る舞いもまだ板に付いている感じではない……越境希望者の貴族と指定の場所で合流すると、運河沿いの目立たない貸家に入り、越境を手伝う味方エージェントを待っている二人…

若手「ふーん……さっき用事を頼まれたんですが、なんだか高慢ちきな貴族野郎ですね」

エージェント「その「貴族野郎」を向こうに連れ出すのが今回の任務さ……今夜は月の出が遅い。月光で明るくなる前に手配しておいた車に乗って「壁」の近くにあるセーフハウス(隠れ家)まで移動。 越境は明日の朝、明け方すぐに行う」

若手「分かりました。 でも今夜じゃダメなんですかね?」

エージェント「管理官のやつが言うには数週間前の夜に越境を試みた一般人がいたせいで、「B検問所」(チェックポイント・ベーカー)は夜間の見張りが増員されている……そこで相手の裏をかいて、明け方に越境を図る」

若手「なるほど……?」

エージェント「明け方の検問所が開く時間はまだ係官も目が覚めきっていないからぼんやりしているし、壁や建物で日差しが遮られて顔も見分けにくい……それでいて壁を越えて商売をしたりする人間がかなり多くやってくる」

若手「つまり、どさくさに紛れて顔を確かめられずに済む可能性がある……と」

エージェント「そうあって欲しい、ってところさ……もっとも、査証や身分証は情報部の方で移動先のセーフハウスに用意してあるそうだから、あとはそいつがきちんと出来ている事を祈るばかりさ」

若手「分かりました……それじゃあ、また奴さんの様子を見てきます。 さっきまでは紅茶がまずいの、ベッドが汚いだのって言ってましたが……静かにしているところをみると眠っちまったのかな」

エージェント「ま、奴さんもやっこさんなりに越境が心配なのさ」

若手「無理もないですね……」
617 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/09/16(金) 01:41:27.09 ID:7/yvy8yf0
…数時間後…

エージェント「……どうだった?」

若手「寝てたので起こしてきました……こんな時によく眠れるもんですね」

エージェント「連絡を取って「壁越え」の計画が動き出してからと言うもの、ベッドに入ってもまんじりともしなかったんだろう……さ、準備を整えるんだ。 それと、壁越えをするときの身体検査で引っかかったら厄介な事になるから、銃はここに置いていくんだよ」

若手「分かってます」


…女性エージェントは銃と入れ替えに床下にしまい込んであった衣服を身につけていた……黒い厚手のボンネットで隠しがちにした顔と、貴族婦人にしてはどこか派手で、かといって街中の主婦というには金がかかっているという印象を与える濃い紅のドレスは、貴族や金持ちがこっそり一晩楽しむ時にお相手をするような女性に見える……化粧もそういう女性にふさわしく心持ち派手にはしているが、かといって興味本位の目を引くほどでもない…


エージェント「どう、準備はできたかい?」

若手「ええ、僕なんかはごくあっさりしたもんですから……」


…若手エージェントは鳥打ち帽(ハンチング)に茶色の上着と同系統のズボン……誰が見たって下っ端の雑用係にしか見えない格好で、上着の裾は生地がすり切れ始め、ズボンは寸法が足らずくるぶしが見えるほど、おまけに革靴もすっかり艶がない…


エージェント「ああ、それならいいだろう……コヴェントガーデン(青果市場)の御用聞きか、商店の下働きにしか見えないね」

若手「どうも……」と、亡命希望者の貴族が寝室から出てきた……髪にいくらか寝癖が付いていて服もしわがよっているが、少しは体力を回復したらしく、いくらかましな様子になっている……

エージェント「よく眠れました?」

貴族「ふん、馬鹿な……あんな寝心地の悪い寝台は初めてだ」

エージェント「まぁまぁ、壁を越えたらいくらでも柔らかいベッドで眠れますよ」

貴族「そのくらいは当然だろう。 わしがどれだけ貴様らの政府にとって有用だったと思っているのだ」

エージェント「だからこうして壁越えをお膳立てしているんですよ……そろそろ迎えの車が来ます」

貴族「そうか」

若手「ん、ちょっと待って……」

エージェント「どうした?」

若手「いえ、エンジン音が聞こえたような気がします……」

エージェント「あと十五分はあるけど、間違いないか?」

若手「いや、もしかしたら聞き違いかもしれません……見てきますか?」

エージェント「いい。下手にうろちょろして人目をひくようなもんじゃない……」窓から見える歩道には玄関の灯りが弱々しく光を投げかけているが、そこにいくつかの影が動いた……

エージェント「っ!」

王国エージェント「動くなっ!」


…安普請の玄関ドアを蝶番(ちょうつがい)ごと蹴り破って屋内へなだれ込んできた王国のエージェントたち……いずれも私服姿で、手にはそれぞれ三インチ銃身のウェブリー・スコットだの、もっと銃身の短い「ブルドッグ」タイプのピストルだのを握っている…


若手「くそっ!」とっさに居間の椅子を投げつけて相手をひるませ、敵方のピストルをもぎ取ろうする若手エージェント……

エージェント「……ちっ!」若手が時間を稼いでいる間に亡命希望者の手をひっつかみ、とっさに裏口へと通じている台所に駆け込む…

王国エージェントB「そこまでだ、悪あがきはよせ」

エージェント「……くっ!」裏口からも突っ込んできた王国エージェントの一人にピストルの銃身で横面を張られた女性エージェント……右頬に強烈な打撃を受け、口の中が切れたらしく血の味がする……

若手「かは……っ!」もみ合っていた若手も相手に投げ飛ばされ、ひっくり返ったところで脇腹に蹴りを入れられた……

貴族「……こんな……ここまできて……」

王国エージェント「よし、全員押さえたな……本部に無電を打ってこい」下っ端らしい一人が表に駆け出していくと、指揮官格のエージェントが冷たく言い放った……

王国エージェント「お前たちには国歌転覆、スパイ、文書偽造、武器の不法所持といった容疑がかけられている……うまい言い訳を今のうちに考えておくことだな」

………



618 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/09/26(月) 01:38:32.09 ID:9SN7V7qY0
…数十分後・コントロール…

7「失礼します」

L「うむ……何があった?」すでに時計は深夜を回っているにもかかわらず、幾人ものタイピストや伝達吏が行き交っている「コントロール」の施設内……冷めた紅茶を横に置いて書類を片付けていたところに「7」が足早に入って来た……

7「先ほど「シェパーズ・パイ」作戦の支援チーム「ホワイト・ラビット(白ウサギ)」から緊急電が入りました」

L「内容は?」

7「はい、内容ですが「ティーポットにはティーコジー(ポット覆い)が被せられた。アリスのお茶会はハートの女王が来て流れてしまった」とのことですが、これは……」

L「分かっている「エージェントが逮捕され、作戦継続は危険」だな……B暗号を使って各チームに脱出を指示しろ」

7「承知しました」

L「さて、これからが本番だ……」


…同じ頃・ノルマンディ公の執務室…

ガゼル「失礼いたします、報告が入りました」

ノルマンディ公「それで?」

ガゼル「はっ、亡命を図っていた貴族「カーナーヴォン子爵」および、越境を支援していた共和国エージェント二名を確保。同時に解読済みの暗号から支援グループの位置も特定、うち一つはすでに検挙し、残りも確保するべく部員が急行中です」

ノルマンディ公「ふむ……それで、エージェントの尋問は?」

ガゼル「すでに「迎賓館」に連行中で、到着次第開始します」

ノルマンディ公「結構。下がってよろしい」

ガゼル「はっ」

ノルマンディ公「……ふむ、これで「水漏れ」が止まればよいがな」ガゼルを下がらせると、チェス盤の駒を一つ動かした……

………



…しばらくして・王国内務省のとある施設…

内務省の尋問官「さて……我々はお互いに玄人(プロフェッショナル)だから分かると思うが、今回はたまたま君の運がなかったと言うだけのことだ。気を落とすことはない」まるで友達とおしゃべりするような口調でそう言うと、銃身で張られた頬を気づかってリカーキャビネットからグラスを取り出し、ウィスキーを注いで渡した……

エージェント「ご丁寧にどうも」笑ってみせようとしたが、頬の傷が痛んでしかめ面になってしまう……


…逮捕されてからずっと目隠しをされていたので場所も分からないが、おそらく王国内務省がロンドン市内に持っている尋問施設へと連行された共和国のエージェント……若手のエージェントとは別々にされて連れてこられたのは小さな一室で、小ぎれいな室内には窓こそないが、その代わりにちょっとした机と椅子、小さい戸棚が据え付けてある……エージェントが座っている椅子の向かいにはネクタイのノット(結び目)もきちんとした、真面目そうな顔をした男が座っている……逃亡のしようもないということなのか、手首をきつく締め付けていた手錠も腰縄も解かれている…


尋問官「さてと……お互いによく分かっているもの同士、ざっくばらんにいこうか。 カーナーヴォン子爵のオーヴァー・ザ・フェンス(越境)に協力したのは誰だったのだ? 検問所を通過するのに必要な書類も揃っていたが、誰が用意した?」

エージェント「用意したのはこちらの書類・旅券担当だと思うね。偽造書類でおおよそ作れないものはないっていう話だから」

尋問官「ではカーナーヴォン子爵の越境を指示したのは? 担当官は誰だった? ヘンリー?スタイルズ?それともアーヴィン老かね? 彼はそろそろ引退する頃合いだと思っていたが」態度は穏やかだが、まるで「全て知っているぞ」というように共和国情報部の細かな事まで披露してみせる……

エージェント「いいや、担当はハーバートだったよ」

尋問官「あぁ、ハーバートか……文学に詳しい男だろう?」

エージェント「そう……任務説明の指示書にやたらと比喩や小難しい言い回しを使うんで、読むのに苦労するんだよ。「一回限り暗号帳」方式だからなおのことさ」

尋問官「相変わらずだな、彼も……それで、連絡役は誰だった?」

エージェント「さあ。デッドレター・ボックス方式で指示書を受け取るだけだから正体は知らないね……メールドロップは三か所あって、メッセージを届けるのはそれぞれ暗号名で「メトセラ(旧約聖書に登場する、969歳まで生きたとされる長命の老人)」「ペリウィンクル(ニチニチソウ)」「ヘッジホッグ(ハリネズミ)」と呼ばれていたよ」

尋問官「そのコードネームだが……なにか本人と関係のある名前だと思うかい?」

エージェント「それはないね。うちの情報部はそういう連想できるような名前を付けることをひどく嫌っていたから……おおかた辞書でもめくりながら適当に決めたんだろうさ」

尋問官「なるほど、そりゃそうだ……ウィスキーをもう一杯どうだね?」自分のグラスにも少し注ぐと、エージェントにそう尋ねた……

エージェント「いただくよ。 傷が痛くて、飲まなきゃやってられないからね」

619 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/10/09(日) 02:17:01.30 ID:QO/oYXvJ0
尋問官「現場の連中が手荒な真似をして済まなかった、彼らはこういった「ゲーム」の運び方が分かっていないからな」

エージェント「……ああいう現場の連中はカッとなりやすいから仕方ないさ」

尋問官「申し訳ない。 こういった場合も隠し事なしで率直に話し合えば、お互いに面倒がなくっていいんだが……」

…口ごもるようにして途中で言葉を濁すと、暖炉の通して下の階からうめき声と、尋問官とおぼしき男の冷徹な声がかすかに聞こえてきた…

エージェント「……」眉をひそめて尋問官を見る……

尋問官「あの若者はずいぶん頑固だね、感心なほどだ……しかしどうにも、あまり気味のいいものじゃないね」暖炉には火が入っていないので、焚き口を閉じて音が聞こえないようにした……

尋問官「……と、話がそれた。 メールドロップに入っている文章はどんな用紙で、どんな暗号を使っていたか教えてくれ……「並べ替え式」の暗号だったっけね?」エージェントの言ったことがでまかせかどうか、さりげなくかまをかけてくる……

エージェント「いいや。あんたも若いのに物覚えが悪いね。 暗号は一回限り暗号帳を使った暗号で、コードブックになるのはシェイクスピアの「マクベス」だよ。あの本なら貴族の家の本棚に入っていてもおかしくないからね」

尋問官「なるほど……「バーナムの森が動かぬ限り……」というやつか」

エージェント「そう、それさ……用紙はたいてい何かの裏紙だったりするんだが、一度だけ「ペリウィンクル」のよこしたメッセージにリバティで売ってる便せんが使われていたことがあったっけ」

尋問官「リバティ? リバティ百貨店のことか? ウェストエンドのマルボロー・ストリートにある?」

(※リバティ…ロンドンにある「ハロッズ」と並ぶ名門百貨店)

エージェント「リバティ百貨店が他にあるかい?」

尋問官「いや……しかしリバティで売ってる便せんとなると、連絡役はある程度の身分がある立場ということか?」

エージェント「どうだか。もしかしたら使用人が主人の書斎から便せんを数枚ちょろまかしただけかもしれないし、スリ取ったのかもしれない……私に分かるもんかね」

尋問官「そりゃあそうだ。 それで、メッセージがドロップに入っているのはそれぞれ何曜日だった?」

エージェント「そいつは一定じゃなくて、ドロップにメッセージがある時はそれを知らせる印が特定の場所に付けられていたんだ」

尋問官「ほう」

エージェント「……例えば「メトセラ」からのメッセージがあるときは、コヴェントガーデン(青果市場)の西のすみっこにある「ジェリー・ホーキンス青果店」で、ジャガイモの空き箱にチョークで丸印が描いてある」

尋問官「ということは、その店は関係があるのか?」

エージェント「そんなのあたしが知っているわけがないだろう。 まさかいきなり入っていって「ここは共和国スパイの協賛店ですか」なんて聞くのかい?」

尋問官「たしかにそうだ。それじゃあ次に、連絡を受けた場合の事について聞こう……」

………



…相当な時間ののち…

尋問官「……さて、君もくたびれただろうし、とりあえずはこのくらいにしておこう。後で朝食も持ってこさせるよ」

エージェント「朝食? いったい今は何時なんだい?」

尋問官「えーと……ちょうど朝の九時だ」チョッキから懐中時計を取り出すと時間を見て、エージェントに教えた……

エージェント「それじゃあ八時間近くあんたとおしゃべりしてたってことかね」

尋問官「そうなるね。朝食が済んだらまた来るよ」疲れの色も見せず、まるで茶飲み話の約束でもするかのようにさらりと言ってのけると部屋を出た……

…尋問官の執務室…

部下「どうでした?」

尋問官「ああ。 おおかたは「歌った」が、まだ分からないところがあってな……上からは何と?」

部下「内務卿の方から「出来うる限り迅速に」吐かせろと言ってきました」

尋問官「そう来ると思ったよ。漏れた情報の事も少し聞き出したが、かなりの大事になりそうだからな……そうそう、彼女に朝食を持って行ってやってくれ。私にはチョコレートと紅茶を……紅茶はいつもみたいにミルクと砂糖を入れてな」

部下「そうおっしゃると思って用意してあります」

尋問官「ありがとう、気が利くな……ふぅ、あのご婦人はかなりのベテランだよ。お互いの「呼吸」って物が分かってる」凝り固まった肩を回しながら、甘い紅茶とチョコレートで一息ついた……

部下「……ところで、あの若造の方ですが」

尋問官「ああ、どうだった?」

部下「肝心なことは何も知らされていないようです……それにとにかく強情で、ジョージも「吐かせるのに苦労した」と言っていました」

尋問官「ああ、こっちにも聞こえたよ。とにかくご苦労だったな。 尋問の調書は写しを取って、内務卿宛てにしてすぐ出してくれ。それが済んだら少し休憩していいぞ」

部下「分かりました、ありがとうございます」

尋問官「いいんだ……とにかく彼女には早くしゃべってもらわないと」
620 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/10/21(金) 01:39:08.09 ID:vgqRftdI0
…内務省…

役人「おい、この書類を急いでタイプしてくれ!」

タイピスト「分かりました」

郵便係「こっちは内務卿の執務室……こっちは次官宛て、こっちは……」

下級官吏「済みません、ミスタ・ペパンズ。この手紙には六ペンスの切手を貼っていただかないと……」

役人B「そうだった……構わんから君が貼り直しておいてくれ」

…官庁街の一角にある王国内務省では、朝から役人たちがせわしなく活動していて、数多くの書類や情報が行き来する中、多くの人々がそれを見て、サインをし、タイプを叩き、封をしている……くたびれた役人たちは時折休憩を取るために庁舎の休憩室や近くの屋台で紅茶やパイを腹に入れつつ、しばらくするとまた机に戻っていく…

役人C「聞いたか? なんでも共和国の諜報網が一網打尽になったそうだ……紅茶とベリージャムのパイを二つずつ」

役人D「ああ、噂になってるな……昨日の深夜だって?」小銭をカウンターに置いて大きな紅茶のマグカップを受け取ると、しばし噂話に興じる……

役人C「そうらしい。きっと内務卿(ノルマンディ公)子飼いの部下だろうよ」

役人D「あり得る話だな……どうもごちそうさん」温かい紅茶を飲み終えると、また庁舎に戻っていく……

屋台のオヤジ「へい、毎度どうも……」

…夜・とある邸宅…

内務省官僚「ふぅ……今日は散々だった。 内務卿が共和国スパイのアジトを「手入れ」したもんだから、スコットランド・ヤードには「うちの管轄に手を出すな」とばかりに嫌味を言われるし、陸軍省だの外務省だのがしゃしゃり出て来るし……」

官僚の妻「お疲れでしたわね、あなた。 それにしても、そろそろ休暇をいただいたらいかが?」

官僚「そうしたいのは山々だがね、内務卿であるノルマンディ公もうちの局長も休みを取らないのに、まさか局長秘書の私だけ休むというわけにはいかないよ……そうだ、せめて君だけでも気分転換してきたらどうだ?」

妻「でも、私だけお出かけだなんて……よろしいの?」

官僚「ああ、いいさ。 美容室にでも行って流行の髪型にでもして、ついでにドレスでも見繕えば退屈もまぎれるだろう? レスター次官夫人のティーパーティもあるし、ちょうどいいじゃないか」

妻「そうね、それじゃあそうするわ」

官僚「ああ、それがいいよ」

…別の日・とある花屋…

花屋「いらっしゃいまし、どのようなお花にいたしましょう?」

おしゃべりな婦人「そうねぇ、まずは赤いバラを中心にした花束を……」

花屋「はいはい」

おしゃべり婦人「それから食卓に飾る白い花が欲しいの……そうそう、ところでさっき美容室で聞いたのだけれどね……秘密の話よ?」

花屋「おや「秘密のお話」ですか?」

おしゃべり婦人「ええ、だから皆には内緒よ? あのねぇ、一昨日の話なのだけれど、共和国のスパイが摘発されたんですって……しかもなんとかいう貴族を壁の向こうに連れて行こうとしたんだそうよ」

花屋「そりゃあまた……スパイだなんておっかないですね」

おしゃべり婦人「ええ、本当にね。ああそれから、こっちの緑のも入れてちょうだい……」

…次の晩・とある社交クラブ…

貴族令嬢「……まぁ、お久しぶりですわね♪ そのドレスも大変お似合いでいらっしゃいます♪」

ドロシー「よせよ、照れるじゃないか……君の方こそトロイのヘレン(※ギリシャ神話の美女)もかたなしってところだ」

貴族令嬢「あら、お上手ですこと♪」

ドロシー「ふふふ……もっと言ってあげようか?」耳元に口を寄せてささやきかける……

貴族令嬢「ええ、ぜひお願いしたいですわ……///」唇を半開きにし、濡れた瞳でドロシーを見つめる令嬢……

ドロシー「おいおい、まだ飲み物も飲んでないんだぞ……シャンパンでいいかな?」

貴族令嬢「ええ。でもわたくし、お酒はあんまり……」

ドロシー「なーに、そんなに量を過ごさせるようなことはしないよ♪」

貴族令嬢「……でも、貴女とでしたら少しくらい飲み過ぎても……構いませんわ///」

ドロシー「そうか? まぁ、ほどほどにしておこうか。 焦らなくたって私は逃げないんだから……さ♪」

貴族令嬢「ええ/// ……ところでさっき、共和国スパイが捕まったという噂話を耳にしましたわ」

ドロシー「へぇ、世の中には色んなやつがいるもんだねぇ……ま、私だったら国家機密なんかよりもこっちが欲しいけどな♪」ちゅっ♪

貴族令嬢「あんっ……///」
621 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/10/30(日) 01:17:30.45 ID:8S4KiRdc0
…同時刻…

7「失礼します。「シェパーズ・パイ」に関して「プリンシパル」より再び報告が入っております」

L「そうか。どれ……」タイプされた解読済みの暗号文を読む……

L「……『報告一四号、続報。一昨日逮捕されたエージェントおよび支援グループはストランド街近辺に存在する内務省施設において尋問を行われており、尋問が終わり次第刑務所へ収容されるとの由。また亡命希望者は現在郊外の邸宅にて軟禁状態にあり。来週水曜日の午前中、鉄道を用いてリンカーンシャーに向け移送される模様』か」

7「なかなか耳が早いようですね」

L「そうでなくては困る……出している活動費に見合うだけの働きはしてもらわんとな」

7「はい……それで、どのように指示しましょうか」

L「君なら分かっているだろう「これ以上の情報収集は中止。摘発を避けるための保全措置を充分にとれ」と指示すれば良い……臨時活動費を渡すついでに、君からそう言ってくれ」

7「承知しました」

………



…翌日・とあるコーヒーハウス…

ドロシー「……よう、相変わらずそうでなによりだ」

7「ええ、おかげさまで……それと報告は受け取ったわ、ご苦労様」

…事前に尾行がないか確認し、用心に用心を重ねてロンドン市内のコーヒーハウスで顔を合わせた7とドロシー……卓上にはしっとりとした美味しいクルミ入りのパウンドケーキと紅茶のカップが並び、かたわらには7が取り出したワーズワースの詩集が置いてある…

ドロシー「ああ」

7「何か不足は?」

ドロシー「いいや、もうちょっと活動費があればいいんだが……どうせこれ以上は出せないんだろう?」

7「そうね、今月は難しいわ」

ドロシー「なら仕方ない、残りはこっちでやりくりするさ……」

7「そうしてちょうだい……それとこの件に関する情報収集だけれど、中止していいわ。 肝心の亡命者が逮捕された以上、これ以上貴女たちがリスクを冒してまで関知する必要はない」

ドロシー「……分かった、それじゃあ小耳に挟んだネタはさておき、積極的な情報収集はしないでおく」

7「ええ、それでいい」

ドロシー「分かった……それじゃあお先に失礼するよ」ページに活動費が挟みこんである詩集をしまい込むと、さっと立ち去った……

…午後・部室…

アンジェ「……なるほど」

ドロシー「あくまで推測だけどな。プリンセスの利用価値を考えたらそのくらいはやるだろう」

アンジェ「確かにプリンセスにはそれだけの価値があるわ……ところでドロシー」

ドロシー「分かってる。プリンセスには言わないでおくよ」

…長くコンビを組んで、お互いにその機微が分かる二人だからこそ察することのできるアンジェの気後れを感じとると、先手を打って安心させるように言った…

アンジェ「お願いね」

ドロシー「ああ……それから、夜は寮の悪い娘どもが集まって「お茶会」をする予定だから、定時連絡の時間はそっちで無線の聴取をしておいてくれ」

アンジェ「分かったわ。くれぐれも寮監に見つかるような事がないようにね」

ドロシー「任せておけ♪」

………

622 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/11/22(火) 01:53:17.66 ID:0M5KG08J0
…夜・寮の一室…

ドロシー「おーおー、これはまた皆様お揃いで……♪」

巻き毛の女生徒「あら、ご機嫌よう♪」

大柄な女生徒「ドロシー、来てくれて嬉しいわ」

青い目の女生徒「お姉さま、今宵はてっきり来てくれないのかと思いました」

ドロシー「冗談だろう? こんな楽しい集まりをすっぽかすかよ」

…白いナイトガウン姿のドロシーが訪れた寮内の一室には、クラスや年齢もバラバラな何人かの生徒がすでに集まっていた……校舎の大きなメイフェア校の中には、寮監でもなかなか目が行き届かないような空き部屋や物置といった、何人かでちょっとした「悪さ」をするには都合の良い場所がいくつもある……室内に置きっぱなしにされているテーブルにはランタンが置いてあり、どこからか用立ててきたティーポットや皿、それにお行儀の良い生徒たちが見たら目を回すような物もいくつか置いてある…

巻き毛「それにしてもドロシーさまったらすっかりご無沙汰で……そんなにプリンセスと親しくなさっていたの?」

ドロシー「なんだ、妬いてるのか?」

巻き毛「いいえ? でもこのところずうっといらっしゃらないものだから……♪」猫のように身体をすり寄せ、ドロシーの胸元に頬ずりする……

ドロシー「このところ都合が合わなかったんだよ。 例によって「貴女は淑女としてのお品がよろしくありません」ってな具合でラテン語の書き取りをやらされてね」そう言って手をひらひらさせた……

青目「ええ、わたくし見ておりましたわ。この間図書室でお見かけしましたもの」

ドロシー「やれやれ、エミリーに見られていたとはね……ヤキが回ったな」

大柄「さぁさぁ、それはそうと……ほら、ドロシーも飲(や)んなさいよ♪」

…普段おしとやかな貴族の令嬢をしているとは思えないような態度で寝間着の裾をまくり上げてベッドに座り、ポートワインの瓶を差し出した女生徒……またどうやって覚えたのか、それなりな腕前をしたイカサマカードの使い手でもあり、ドロシーはそれを利用して校内の利用できそうな生徒を金に困った状態に追い込んでコントロールに「釣り上げ」させたりしたこともあった…

ドロシー「お、ちょうど喉が渇いていたところなんだ。それじゃあお返しに……そら♪」胸元にねじこんで隠し持ってきたウィスキーの瓶を投げ渡す……

青目「もう、お姉さま方ったらはしたないです……」

ドロシー「へえ、一丁前な事をいうじゃないか……じゃあこれはいらないな?」教科書に手挟んで持ってきた、胸をはだけた二人の女性が絡み合っている相当いかがわしい本をちらりとのぞかせた……

青目「もう……」

ドロシー「冗談だよ……にしても、今週だけで何冊目だ? まったくいやらしいお嬢さんだ」

青目「だって……好きなんですもの♪」そういって可愛らしい見た目にはそぐわないみだらな笑みを浮かべ、小さく舌なめずりをする青目の令嬢……

大柄「好き者だものねぇ、おしとやかなエミリーお嬢ちゃんは♪ ところでドロシー、せっかくだからちょっとやらない?」ガウンの袖からトランプのカードやサイコロといった賭け事の道具を取り出すと、カードを切る手つきをしてみせる……

ドロシー「イカサマは無しで頼むぜ?」冗談めかして小銭を賭けたカードに付き合う……

大柄「しないわよ、生意気な小娘からむしり取る時じゃないんだから……実家からお小遣いも来たばかりだし、ね♪」ティーカップでドロシーの持ってきたウィスキーをあおりつつ、カードを切る……

………

…しばらく後…

ドロシー「っと、もうこんな時間だ……そろそろお開きにしないとな」

大柄「相変わらずいいカードさばきだったわ、巻き上げられるかと思っちゃった」

ドロシー「そういうわりにはそっちの懐の方が二ポンドばかり暖かくなったようだがね……ところでお二人さん、終わったか?」

巻き毛「ええ……んはぁ……あ///」

青目「くすくすっ……とっても素敵でした、お姉さま♪」乱れた髪をくしけずり、汗ばんだ身体を拭っている二人……

ドロシー「まったく、後ろから甘ったるい声が聞こえるもんだから気が散って仕方がなかったぜ……♪」

青目「ごめんなさい、お姉さま……ところで、帰る前に面白いものを試してみませんか?」そう言うと置いてあった袋の中から一片の青かびチーズを取り出した……

大柄「チーズ?」

青目「スティルトン・チーズです。これを見ると不思議な夢を見るって言いますし、今度の時にお互い見た夢の話でもしませんか?」

(※スティルトン・チーズ…フランスの「ロックフォール」やイタリアの「ゴルゴンゾーラ」と並ぶ三大ブルーチーズ。寝る前に食べると奇妙な夢を見るとされる)

ドロシー「へぇ、面白い事を考えたな……ポートワインとも相性がいいし、ちょうどいいんじゃないか」

大柄「変わった趣向でいいかもね」

巻き毛「こんなことをした後ですし、きっとすごくみだらな夢を見てしまいますわ……♪」それぞれスティルトンを一切れずつ口にし、残っていたポートワインを飲み干す……

ドロシー「……それじゃあ、また今度な」

………

623 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/11/29(火) 01:08:25.93 ID:rmFY1LJd0
…部室…

アンジェ「……お帰りなさい」

ドロシー「ああ……ベアトリスも夜分遅くにご苦労さん。プリンセスは部屋か?」

ベアトリス「はい、これが済んだら戻ります」

ドロシー「そうしてくれ……それじゃあ連絡事項だ」そう言うと逮捕されたエージェントに関する情報収集の打ち切りを伝えたドロシー……

ベアトリス「……じゃあそのエージェントは捕まる事を前提に送り込まれたって言うことですか?」

…送り込まれたエージェントと支援グループは貴重な情報源であるプリンセスから防諜機関の視線をそらすため、始めから失敗するような作戦に用いられたらしいというドロシーの話を聞いて、珍しく腹を立てた様子で詰め寄ってくるベアトリス…

ドロシー「まぁ、そういうことになるな。金の卵を産むニワトリを生かすために、普通のニワトリを潰すことにしたわけだ」

ベアトリス「そんな……」

ドロシー「所詮はそんなものさ……いったい何を期待していたんだ?」

ベアトリス「でも……!」

ドロシー「やめろ、言ってもどうにかなる事じゃないんだ……私だって喜んでこんな事をやってるわけじゃない」

ベアトリス「それだったらなおのこと……」

ドロシー「じゃあどうしろって言うんだ? くたびれた捨て駒のエージェントを助け出して、どんなルートで逃がしてやるつもりなんだよ」ドロシー自身も内心では苦々しく思っているために、ついきつい言い方になってしまう……

ベアトリス「それは……」

ドロシー「よしんば奇跡的に助け出したとして、偽造の身分証一つ、ポンド札一枚持っちゃいないんだぞ? おまけに共和国のエージェントだってことは王国中に知られちまってる……うっかりするとこっちにまで火の粉が降りかかることになるんだ」

アンジェ「……それに今回の作戦がプリンセスの安全のためである事を忘れてもらっては困る。この世界では目的のために犠牲を必要とすることもある」

ベアトリス「でも、いくら何でもあんまりです」

ドロシー「いいか、私たちが携わっているのは慈善事業じゃあないんだ……それに大局的に見れば、今回の犠牲によって得られたものが、いずれ多くの命を救うことになる」使い古された空疎な言い訳に、ドロシー自身もヘドが出そうな気分になる……

ベアトリス「だからって……」

ドロシー「分かってる。 私だってそんなお題目で「納得しろ」とは言わねえよ」

アンジェ「ドロシーの言うとおりよ。私たちが好きこのんでこんなことをしているとでも?」

ベアトリス「それは分かっていますが……」

ドロシー「だったら子供みたいな泣き言はよせ。 言っておくがな、私もアンジェも今後の動向次第でいつああなるか分かりゃしないんだ」

ベアトリス「えっ……」

ドロシー「ベアトリス、お前だって知っているだろうが……一時的とは言え共和国が軍部の強硬路線に傾いて女王を除こうとしたとき「コントロール」も軍部に再編されかけて、私もアンジェもこの任務から外されて遠ざけられる予定だった」

ベアトリス「確かにありましたね」

ドロシー「……あのまま行けば軍部の意に染まない情報部員ということで、いずれ私もアンジェも「カットアウト」扱いを受けて切り捨てられるか、よくて毒にも薬にもならない書類仕事に回されるのがオチだったろう……だけどな、エージェントってのはそれを知った上で平然としてなきゃならないんだよ。あの時アンジェが命令をまるごと無視してプリンセスを助けに来たことだって、方針転換があったからどうにか黙認されたようなものの、本当だったらクビにされていたっておかしくなかったんだからな」

ベアトリス「あの、まさか「クビ」っていうのは……」


ドロシー「いや、別に生命までとるってわけじゃない……ただ帰国命令を出されて、戻ったらそれっきり日の目を見ることはなくなるってことだ。エージェントを辞めさせられ、それ以外で生計を立てようと思ったって、情報部は推薦書類の一枚だって書いちゃくれないし、年金ももらえない。 そしてもし墓に入るようなことがあったとしても、墓石はおろか花の一輪だって供えてはくれないし、「R.I.P.」(Rest In Peace…安らかに眠れ)とさえ書いてもらえないだろうな」自嘲気味にそういうと、苦笑してみせた……


アンジェ「それに例えどこかに勤めようと思ったところで、エージェントだった経歴を書くわけにはいかないもの」

ドロシー「そういうこと。もし本当のことを書いてみろ、採用係だって目を回しちまうよ」

ベアトリス「それは……そうですね」

ドロシー「分かってもらえたようで結構」

ベアトリス「はい」

ドロシー「よし、分かったならもう寝ていいぞ……後の書類仕事は私とアンジェでやるからな」

ベアトリス「そうします、ではお休みなさい」無理していつも通りの声で「お休み」をいうベアトリス……

アンジェ「お休み」

ドロシー「お休み。せめていい夢をな」
624 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/12/08(木) 01:46:36.83 ID:s/B6tjh40
アンジェ「……ドロシー、そっちの報告書をお願い」

ドロシー「ああ」

…ベアトリスを帰した後、二人で黙々と書類仕事をこなす二人……もちろんエージェントが「アルビオン共和国情報部様」で領収書を切ってもらうことなど出来るはずもないが、会計課を黙らせるためにもおおまかな活動資金の流れは報告しておかないと後がうるさい…


ドロシー「はぁ……」カバーとしての学生生活とエージェントの「二足のわらじ」で、なおかつここしばらく活発になっていた情報活動のせいもあって寝不足のドロシー……体力は多い方だが、ランプの下で数字の羅列と取っ組み合っているとさすがにあくびが漏れてくる……

アンジェ「……」

ドロシー「……ふわ……ぁ」

アンジェ「……ドロシー、少し寝たら?」

ドロシー「冗談よせよ、お前が寝ないで書類書きをやってるっていうのに、私だけグースカ寝ていられるかよ……ふわ……」

アンジェ「その調子でやられても訂正だらけになるのがオチよ……現にここの数字が間違っている」

ドロシー「本当かよ……あー、くそっ」

アンジェ「だから言っているでしょう。 幸い私は昼間に居眠りをさせてもらったからまだ平気だし、しばらく仮眠を取ってちょうだい」

ドロシー「悪いな……それじゃあしばらくしたら起こしてくれ」

アンジェ「ええ」

…あきらめて椅子に背中を預けると、すぐこっくりこっくりと船を漕ぎ出したドロシー……それから十五分ばかり、底冷えのする部屋でアンジェが黙々とペンを走らせている中でドロシーの静かな寝息だけが聞こえていたが、急に息づかいが荒くなったかと思うともだえるように手で空中をかきむしり、最後はがばっと椅子から跳ね起きた…

ドロシー「はぁ……はぁ……はぁ……っ!」

アンジェ「大丈夫?」

ドロシー「あ、ああ……大丈夫だ。それにしてもひでえ夢を見た」

アンジェ「ずいぶんうなされていたようね」

ドロシー「だろうな……くそ、こいつは間違いなくさっき食ったスティルトン・チーズのせいだ」

アンジェ「あれを寝る前に食べると妙な夢を見たり、夢見が悪くなるというものね……良かったら私に話してすっきりしたら?」

ドロシー「あー、いや……他人が見た悪夢の話なんて聞くものじゃないさ」

アンジェ「構わないわ」書類から目を離すことなく淡々と言ったが、その声には少しだけ優しさのような気持ちが入っている……

ドロシー「そうか、じゃあ……実はな、革命前後の夢を見たんだ」

アンジェ「……」

ドロシー「おぼろげなくせして細かい部分は妙にはっきりしてやがって……道端に転がってた片腕の取れた人形だとか、割れて粉みじんになってるガラスに、焼き討ちにあった店……」額に浮かんでいた冷や汗を拭い、張り付いていた前髪をかき上げた……

アンジェ「嫌な夢ね……一杯飲む?」ブランデーやウィスキーがしまってある部室の隠しスペースの方に向けて軽く視線を向けた……

ドロシー「いや、悪夢を見るたんびに酒に頼ってたら早々にアルコール中毒患者さ……やめとくよ」

アンジェ「そう」

ドロシー「ああ……さ、書類の残りを片付けちまおう」

…一方…

ベアトリス「ただいま戻りました……」

プリンセス「お帰りなさい、ベアト」

ベアトリス「ええ……いま寝支度を整えさせていただきますね……」

…表向きはいつも通りテキパキとしているが、その心の中ではドロシーたちから聞かされた「捨て駒」のエージェントや、意に染まぬエージェントたちの扱いといった冷酷な話がずっとこだまのように反響したままで、素直で優しい性格のベアトリスは我慢しようと思っても自然と目頭が熱くなってくる…

プリンセス「ベアト、どうかして? ……泣いているの?」

ベアトリス「いえ、大丈夫ですから……」

プリンセス「そうは思えないわ……ほら、こっちにいらっしゃい」両腕を広げ迎え入れるようにしてベッドに腰かけた……

ベアトリス「姫様……」

………

625 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2022/12/20(火) 01:16:04.45 ID:12LZSRMb0
プリンセス「……それで、何があったの? ベアトがかまわなければ話してくれる?」

ベアトリス「それは、その……」

プリンセス「話したくないことなのね?」

ベアトリス「そういうわけでは……ですが、聞けばご気分を害されるかと……」視線をそむけてベッドを暖めたウォーミング・パンを暖炉の脇に戻した……

(※ウォーミング・パン…寝具を暖めるために用いる柄の長いフライパン状の器具。暖炉の燃えさしや温かさの残っている炭を先端の密閉容器に入れて寝具を暖めるが、使い方にコツがいることから次第に湯たんぽ等に取って代わられた)

プリンセス「かまわないから言ってごらんなさい……つらい事でも話して分かち合えば楽になると思うわ?」

ベアトリス「姫様がそうおっしゃるのなら……」


…ふんわりとした寝間着をまとったプリンセスを相手に、アンジェとドロシーから聞いた「捨て駒」の話や使えなくなったエージェントの末路についての事を話し始めたベアトリス……アンジェのように事務的かつ理路整然と話せればいくらかでも衝撃的な内容をごまかせる気がするが、どうにも動揺していて、ちぐはぐで感情的な説明になってしまう…


プリンセス「そういうことだったのね……」

ベアトリス「はい……ですからその作戦は最初から失敗に終わっても良いように計画されていた、と……」

プリンセス「……よく分かったわ。 言い出しにくい話だったでしょうに、最後まで話してくれてありがとう」

ベアトリス「そんな、お礼なんて……」

プリンセス「いいのよ。 それより、早くしないとせっかく暖めてくれたお布団が冷めてしまうわ……さ、ベアトもいらっしゃい?」布団をめくると夜着をするりと脱いでベッドに入り、可愛らしい手つきで手招きした……

ベアトリス「いえ、私はそのような……///」

プリンセス「いいから……♪」

ベアトリス「ひゃあっ!?」

プリンセス「せっかくベアトが寝具を暖めてくれたのにこんなことを言ってはいけないのだけれど、やっぱり一人で寝るよりもこうしている方が暖かいわ♪」布団の中にベアトリスを引っ張り込み、ぬいぐるみか何かを抱えるようにぎゅっと抱きしめた……

ベアトリス「あ……っ///」

…アルビオン王室の一員として肌荒れやあかぎれのようなみっともない姿をさらすことがないように、就寝前はしっかりと乳液やクリームを塗ってベッドに入るプリンセス……そのしっとりとした白い肌がベアトリスの肌に触れ、そっと重ねられた手が小さなベアトリスの手を優しく包み込む…

プリンセス「ベアト……♪」艶のあるみずみずしい唇が優しく重ねられ、ベアトリスの鼻孔をプリンセスの甘い髪の香りが満たす……

ベアトリス「んっ……///」

プリンセス「ベアト、私と貴女はずーっと一緒よ……だから、ね?」ちゅ……ちゅぅ……っ♪

ベアトリス「あふっ、あ……っ///」

プリンセス「何も隠し立てする事はないわ……ベアトの楽しい事も、つらいことも、全部私と分かち合って……」

ベアトリス「ふあぁ……あっ、ん……っ///」

…プリンセスのほっそりとした上品な指がピアノの鍵盤を滑るようにベアトリスの身体を撫で、小さな乳房やきゃしゃな脇腹、そして次第に下半身へと下っていく…

ベアトリス「はひっ、あっ……んんぅ///」

プリンセス「くすくすっ……あんまり大きな声をあげると、寮監に気付かれてしまうかもしれないわね♪」その声の響きから、プリンセスがちょっと意地悪な笑みを浮かべているのが分かる……

ベアトリス「んっ、ん……ひ、姫様は意地悪でいらっしゃいま……んんっ♪」くちゅ……っ♪

プリンセス「なぁに、ベアト?」くちゅっ、ちゅぷ……ぬちゅ……っ♪

ベアトリス「ひ、ひめさま……ぁ///」声をかみ殺し、空いている手で布団をつかんで嬌声をこらえようとするベアトリス……が、すでにベアトリスの事を知り尽くしているプリンセスは優しく、しかし意地悪でワガママな指遣いでベアトリスの花芯を責め立て、身体を絡ませて全身をくすぐるように撫で回す……

プリンセス「いいのよ、ベアト……ほら、我慢しないで……私にイくところを見せて♪」くちゅり……♪

ベアトリス「んんっ、んくぅ、んんっ……っ♪」ひくひくっ……とろ……っ♪

…シーツの端を噛みしめて絶頂の声をこらえながらも、プリンセスの滑り込ませた指でトロけたように身体をひくつかせるベアトリス……二回、三回とけいれんするように身体が跳ね、生暖かい愛蜜がプリンセスの人差し指と中指を伝って手のひらを流れ、とろりと手首まで垂れてきた…

ベアトリス「……んはぁ、はぁ……はひ…ぃ……ひ、ひめさま……ぁ///」ぐったりと身体を横たえ、息も絶え絶えのベアトリス……

プリンセス「ふふ……とっても可愛い、私のベアト♪」ちゅぷっ……くちゅくちゅっ♪

ベアトリス「ひうっ、はひ……っ///」

………



プリンセス「お休みなさい、ベアト」愛液でべとついた手を拭うと、疲れ果てて眠っているベアトリスの頭をそっと撫でた……

ベアトリス「すぅ……すぅ……」

プリンセス「私の分までお休みなさい、ね……(私はアンジェのため、そして貴女や皆のために王位を継承する。たとえそれが多くの犠牲を伴うとしても、王国を変えるためにはどんな事でもしてみせるわ……)」
626 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/01/05(木) 01:20:54.10 ID:Sk+riOHW0
…case・ちせ×ドロシー×ベアトリス「She afraid the Manjuu」(饅頭こわい)…

…とある日・ネストの一つ…

ベアトリス「今日は何をしますか?」

ドロシー「そうだな……まずは基礎の訓練に、それから格闘術でもやろうじゃないか。今日はちせもいることだしな。いつも私やアンジェを相手にしていると代わり映えがなくっていけないし、体格の違う相手だと戦い方もまた変わってくるからな」

ベアトリス「はい」

ドロシー「いい返事だ……ちせ、悪いがそういうわけでベアトリスに付き合ってくれるか?」

ちせ「うむ。ではその代わりと言ってはなんじゃが、後で作文の方を手伝ってはもらえぬだろうか」

ドロシー「だ、そうだ」

ベアトリス「分かりました、ちせさんの英作文は相変わらずですものね」

ちせ「うむ……」


…ロンドン市内のとある場所にあるネストの一つで、訓練に余念がない「白鳩」の面々……もっとも、プリンセスはたまっていたさまざまな書類やアルビオン王国各地から届く手紙への返事(文面自体は王室の祐筆(ゆうひつ)が書き、あくまでも末尾のサインだけとはいえ……)を書くのに忙しく、別メニューということになっていた……少々ほこりっぽい室内には古びたマットレスだの絨毯だのが敷かれていて、レンガ敷きの床に直接投げ飛ばされるよりは多少ましな状態にしてある…


アンジェ「でもまずは手本を見せてあげないことにはね……ドロシー?」

ドロシー「ああ。 ちせ、お手柔らかに頼むぜ?」

ちせ「うむ」

…互いに正対するちせとドロシー……ちせが視線を下げないよう注意しつつ、しかし折り目正しく一礼すると、ドロシーも茶化すような笑みが消えてふっと真面目な表情になる…

ベアトリス「……ごくり」

アンジェ「始め」

ドロシー「……ふっ!」アンジェの声がかかった途端に距離を詰め、みぞおちや喉といった急所に拳を叩き込もうとするドロシー……

ちせ「やっ!」

ドロシー「……っ!?」

…途端にちせの小さい……しかし体格にはふさわしくないほど力強い手が襟元と腰の辺りの布地をつかみ、次の瞬間には派手に一回転をさせられてマットレスの上に放り出された……ドロシーは投げ飛ばされた勢いを使ってはずみをつけ、跳ね起きるようにして立ち上がっていたが、その前にアンジェが声をかけた…

アンジェ「やめ」

ちせ「……ドロシー、大丈夫かの?」また一礼すると、ドロシーに近寄った……

ドロシー「なーに、へっちゃらさ……なるほど、これが東洋の「ジュージュツ(柔術)」ってやつか」感心したようにうなずいている……

ちせ「いかにも。柔よく剛を制し、小兵(こひょう)でも雲つくような大男を投げ飛ばせるという武術じゃ」

ドロシー「ああ、どうやらそいつは確からしい」

アンジェ「絵に描いたように投げられていたわね」

ちせ「とはいえ一瞬で起き直って態勢を立て直すあたり、見事なものじゃ」

ドロシー「ま、だてにエージェントをやっちゃあいないさ……それよりアンジェ、お前もやってみろよ。 ちゃんと覚えたらこいつは役に立つぜ?」身体についたホコリを払うと、軽く肩と首を回した……

アンジェ「そうね……でもまずは私よりもベアトリス、貴女が覚えるべきね」

ベアトリス「私ですか?」

アンジェ「ええ。この技は自分にかけられた力を受け流して無理なく相手を投げ飛ばすことができる……つまりベアトリス、小柄な貴女にもっとも適した格闘術だということよ」

ドロシー「確かにな。なにしろ正面切っての殴り合いともなっちゃあお前さんに勝ち目は薄い。汚い手口の使い方だってまだまだお世辞にも上手くはないしな」

アンジェ「……はっきり言って貴女は「白鳩」の中で一番非力で、しかもプリンセスと違って実際に動き回る機会も多い。覚えておいても損はないわ」

ドロシー「同感だね」

ベアトリス「でも、こんなに難しそうな技を覚えられるでしょうか?」ちせとマットレスを交互に眺めて、気後れしたような声を出す……

ドロシー「なーに、心配することはないさ……こんなものはリボンの結び方や何かと同じで練習次第だよ。 お前さんは難しいお付きの仕草や行儀作法が覚えられるんだから、どうってことないさ」

ちせ「うむ。私が付きっきりで伝授するから安心するがよい」

アンジェ「プリンセスを守るためなのだから、頑張って覚えることね」
627 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/01/10(火) 02:11:53.06 ID:VbC7I6il0
…一時間後…

ベアトリス「やっ!」

ちせ「うむ、なかなか良くなってきたのう。 さあ、もう一本じゃ」

ベアトリス「は……っ!」

ドロシー「ちせ、その辺でいいだろう……ベアトリスの足元がふらついてきているしな」

ちせ「承知した」

ベアトリス「ふぅ、ふぅ……はぁ……っ」呼吸一つ乱れていないちせとは対照的に、投げたり投げられたりですっかり息が上がっているベアトリス……額からは汗を垂らし、片隅においてある休憩用の椅子へ崩れるように腰を下ろした……

アンジェ「なかなか頑張ったわね」

ベアトリス「ぜぇ、はぁ……ひぃ……こんな……たくさんやらされるなんて……思っても……いませんでした」

ドロシー「良いことだ『訓練で汗をかいた分だけ、実戦では血を流さずにすむ』って言うからな」

アンジェ「それに柔術は相手の力を使って投げを打つから、慣れれば自分の力を使わずにすむ……つまり同じ格闘をするのでも疲労することなく、より合理的かつ長く戦うことができる」

ドロシー「最近じゃあ「婦人参政権運動」に関わっている女たちの間でも練習しているほどだからな……なんでも警察に取り押さえられたりしたときに使うそうだが」

アンジェ「聞いたことがあるわ。特に非力な女性でも格闘術を習っているような相手を無理なく投げられるというのが大きいようね」

ちせ「……なまじ格闘術をかじっている相手ならば、むしろ扱い易いというものじゃ」

ドロシー「そういう奴は定石にのっとって掴みかかってくるからな。むしろどう出るか分からないトーシロ(素人)だの、頭のイカレちまった奴らの方がおっかないな」

アンジェ「同感ね」

ドロシー「……さて、そろそろ呼吸も落ち着いてきただろう。今度は射撃の訓練といこうか」

…ベアトリスとちせが格闘訓練をしている間にドロシーとアンジェは徒手格闘の訓練を済ませ、そのうえさらに射撃練習用の銃を用意し、銃弾を選別してある…

ベアトリス「はい」

ドロシー「いいだろう……それじゃあいつも通り.320口径辺りのリボルバーで練習することにしよう」

ベアトリス「分かりました」


…ベアトリスが台から取り上げたのは小ぶりな五連発の護身用リボルバーで、青みがかった黒い六角銃身はきちんと油がひいてあり、ランプの光を受けて艶やかに照り映えている……ドロシーやアンジェに口酸っぱく言われたおかげか、先に中折れ銃身を開いてシリンダーに弾が入っているかを確認し、それから改めてパチリと銃身を戻すと標的に向き合った…


アンジェ「標的との距離は十ヤード、とにかく初弾を命中させるように」

ドロシー「一発目を外したやつに二発目を撃たせてくれるお人好しなんていやしないからな……好きなタイミングで撃て」

ベアトリス「はい……!」パンッ!

ドロシー「お、命中だ」

アンジェ「でも右上にそれている……あの位置だったら相手の鎖骨辺りね。場合にもよるでしょうけれど、あれでは致命的な一撃にならない」

ドロシー「ああ……ベアトリス、もう一発撃ってみろ。跳ね上がりがある事を頭に入れて少し左下……心臓をぶち抜くつもりならみぞおち辺りを狙うんだ」

ベアトリス「はい」バンッ!

ドロシー「いいじゃないか、あれなら相手はのたうち回ってくれるだろうよ……よーし、今度は続けて二発撃て。一発目の跳ね上がりをひじで吸収するようにして、続けざまに撃ち込め」

アンジェ「無煙火薬の銃ならともかく黒色火薬の銃だと硝煙がひどいから、相手を見ようとして時間をかけたりしないように」

ベアトリス「分かりました。ふー……」パンッ、パンッ!

ドロシー「へぇ、前よりも良くなったな」

アンジェ「悪くないわね。 ベアトリス、貴女は小口径の銃を使う分、より一層正確に相手の急所を撃ち抜けないといけない……まずはきちんと命中させられるようになって、それから早さを磨いていくこと」

ドロシー「ああ……これが.455みたいにある程度口径のあるピストルなら多少狙いがズレてもいいんだが、そもそもそういうピストルは私たちみたいな情報部員が普段隠し持つには大きすぎて向かないし、お前さんみたいに小柄な女の子ならなおさらだ」

アンジェ「ドロシーの言うとおりよ。そもそもああいう大型のリボルバーは反動や衝撃が大きくて、貴女のように経験が少ない人間にはまともに扱いきれない」

ドロシー「だからってくさるなよ? 腕の立つエージェントや暗殺者ってのは小口径を使いこなせてこそ……だからな」

ベアトリス「そうなんですか?」

アンジェ「……あくまでもスタイルによるけれど、小口径できちんと急所を狙えるというのは腕が良い証拠よ。それに小口径のリボルバーは隠しやすく、銃声も小さい」

ドロシー「つまり私たちみたいな商売の人間が使うのに向いているっていうわけだ……それじゃあそこにある一箱を撃ちきったら休憩にしよう」

ベアトリス「はい」
628 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/01/26(木) 02:22:40.59 ID:lZu6ski60
…またしばらくして…

ベアトリス「ドロシーさん、撃ち終わりました」

…室内には硝煙の臭いと薄い白煙が立ちこめ、その臭気をごまかすためロンドン市内に立ち並ぶ工場の煙突の一つへと繋がっている秘密の排気口を通じて吸い出されていく……ドロシー自身もウェブリーの射撃を済ませ、ベアトリスが撃った的に残った弾痕を確かめる…

ドロシー「ふぅん、ずいぶんと上手くなったじゃないか」

ベアトリス「ありがとうございます……」いつもなら素直に嬉しそうな顔をするベアトリスが、どこか浮かない表情をしている……

ドロシー「……銃は嫌いか?」

ベアトリス「嫌いです。 だって、撃ったら誰かが死んじゃうなんて……いくら任務のためとはいえ、できれば使いたくありません」

ドロシー「なるほど、そういう考え方もあるだろうな」

ベアトリス「ドロシーさんはどうですか?」

ドロシー「私か? 私は好きだぜ? なぜって、どんなに高慢ちきな貴族だろうが、腕力にモノをいわせて弱いものいじめをするヨタ者だろうが、こんなちっこい弾丸一つで簡単に撃ち殺せると思えばスッキリするじゃないか……しいて言えば、任務以外で好きに使えないのが残念なだけさ」


…冗談めかしてそう言うとリボルバーのシリンダーを開いて火薬の燃焼カスをふっと一吹きし、試験管洗いのようなブラシで銃身の清掃にかかるドロシー……もっとも、ドロシーは口でこそそう言っているが実際は銃の使いどころをわきまえていて、必要以上に引き金を引くことがないのをベアトリスもよく知っている……


ベアトリス「……アンジェさんはどうですか?」

アンジェ「道具は道具よ……それ以上でもそれ以下でもない。必要なら使うだけ」

ベアトリス「ちせさんは?」

ちせ「私にとっての刀か……そうじゃな、もはや身体の一部と言っても良いかもしれぬ」

…三人が射撃の的に向かっている間、一人で型や抜き打ちの鍛錬をしていたちせ……刀のことはよく分からないドロシーたちからするとそう激しい動きには見えなかったが、ちせ自身は集中していたらしく、額はほのかに汗ばんでいる…

ベアトリス「そこまでですか」

ちせ「うむ……しかし私はまだまだ未熟じゃ。 本当の使い手ならば自らの腕の先のように使いこなせるものじゃが、私はまだその境地には至っておらぬからな」ま二つに斬り捨てられたわら束を前にして、それでも反省している様子のちせ……

ドロシー「やれやれ、その腕前で「まだまだ」なんて言われちまうとな……こちとらは立つ瀬がないってもんだぜ……♪」


…数分後…

ドロシー「さて、それじゃあもう一度格闘の訓練をしよう……動いて身体も暖まってきただろうから、今度はもうちょっと実戦的なやつでいこう。 特にこうした屋内での格闘となると、知恵次第で色々と戦いようがある……アンジェ」


…ベアトリスを手伝わせて並べた色々な家具やちょっとした調度は、どれもイースト・エンドの貧民街ですら使うのが恥ずかしいようなものばかり揃っている……粗末な木のテーブルは脚の長さがまちまちで、椅子の方はテーブルとは反対の側にかしいでいる……テーブルに敷いてあるテーブルクロスは雑巾にするのも考え直したいほど汚れていて、そこに載せてある皿やカップはひびだらけで、うかつな所を持っただけでバラバラになりかねない…


アンジェ「ええ……例えば不意に襲われた時に室内を見わたしたり、ポケットやバッグをあさって武器になるような道具が一つもない……そんなことはまずあり得ない」

ドロシー「アンジェの言うとおりだな。例えばこの鍵だが、こうして拳から突き出すように握り込む……で、相手の目や耳の後ろを狙って殴りつける」

アンジェ「もし鍵がなくても、小さな木切れや外したドアノブでもいい」

ドロシー「ティーソーサーを円盤投げみたいに相手の喉元に投げつけたっていい」

アンジェ「暖炉の火かき棒なんかは武器として充分に使えるわ」

ドロシー「ま、とにかくやってみよう……私は得物なしでいくから、手近な物を使って手向かってみろ」

ベアトリス「はい……!」

ドロシー「……はぁっ!」唇の端に不敵な笑みを浮かべていたかと思うと、急にベアトリスへ拳を叩き込むドロシー……

ベアトリス「う……っ!」

…あわてて何か取ろうとするが、その余裕もなく強烈なパンチを叩き込まれる…

ドロシー「おいおい、そんなんじゃあやられちまうぞ……もっと早く、何でもいいからひっつかめ!」

アンジェ「室内にいるときは、常に何を使って闘うか考えておくことね」

ドロシー「もっとも、あんまりそういうことばっかり考えていると人相が悪くなるからほどほどにしておけよ? 特にお前さんはプリンセスのお付きとして「目立たないこと」が役割なんだからな」

アンジェ「だからといってそうした用心をおろそかにしていいということではない……常にプリンセスや自分の身の安全のため、さまざまな物事に気を配りなさい」

ベアトリス「うっ……く……はい、分かりました……」拳を叩き込まれた部分をさすり、喘ぎあえぎ立ち上がる……

ドロシー「よーし、よく立ち上がったな……それじゃあもう一回行くぞ?」

ベアトリス「はい……っ!」

629 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/02/05(日) 01:18:48.28 ID:4uWERyHW0
…数十分後…

アンジェ「やっ!」

ベアトリス「……っ!」

アンジェ「……ふっ!」

ベアトリス「わ……っ!?」

ドロシー「やめ……なぁベアトリス、お前さんがおっかないのは分かるが、そんなへっぴり腰じゃあ攻撃を受けとめきれないぞ? 怖いときこそ前に出るつもりでやってみろ……そうすると案外どうにかなるもんだ」

…ドロシーたちが代わる代わる打ち込む拳や蹴りを時々は抑えることができるようになってきたベアトリス……とはいえまだまだ未熟な部分も多く、アンジェの蹴りを受けとめるべく突き出しだお盆ごと吹き飛ばされ、壁に立てかけてあるマットレスにぶつかった…

ベアトリス「はい……!」

ドロシー「……まあいいだろう。少し休憩にしよう」

…めげずに立ち上がった辛抱強さに内心では感心したが、あまりあちこちにすり傷や打ち身を作っていては人目を引いてしまい、王宮で目立たずに行動できるのが強みのベアトリスにとって都合が悪い……足元もおぼつかない様子なので少し休みを入れることにしたドロシー…

ベアトリス「はぁ、はぁ……そうします」

ちせ「よく頑張ったのう、訓練を始めた頃に比べれば長足の進歩じゃ」

ドロシー「言えてるな。近頃は手抜きをしているとちょっとおっかないくらいだ」

アンジェ「とはいえ、そうやって「これなら戦えるかも」と思う時期がいちばん危なっかしい。くれぐれも慢心しないことね」

ベアトリス「しませんよ。さっきだってちせさんには投げ飛ばされましたし、ドロシーさんにはみぞおちに拳を打ち込まれましたし……まだ気持ちが悪いです」

ドロシー「ああ、悪かったよ。軽く当てるつもりだったんだが勢いを止めるのが間に合わなくってな……ちせ、ベアトリスに付き合ってくれてありがとうよ」

ちせ「なに、いつもの鍛錬と違うのも新鮮で良いものじゃ……では、ごめん」

ドロシー「……相変わらず行儀のいいやつだな、ちせってやつは」一礼して出て行ったちせを見送ると、その堅苦しいまでにきちんとした「サムライ」式の行儀作法に苦笑しつつ小さく首を振った……

アンジェ「そうね……ベアトリス、そこに水があるから少しずつ飲みなさい」

ベアトリス「いただきます」

ドロシー「それにしても、だ……」

ベアトリス「何です?」

ドロシー「いや、こうしていると「ファーム」時代の教官たちが手のかかる小娘相手にどんな気分だったか身にしみて分かるな」

ベアトリス「むう、私はそんなに手がかかる生徒ですか?」

ドロシー「いいや? だが、エージェントとして仕込むにはどんな性格だろうとそれなりに手間はかかるからな……言うことを聞かせるだけでも苦労するじゃじゃ馬みたいなのもいるし、素直に「はいはい」と言うことを聞くだけで自分の考えがない人形みたいなやつもいる」

ベアトリス「なるほど……じゃあどんな人がエージェントに向いているんですか?」グラスの水をゆっくり飲みながら、首を傾げて尋ねた……

ドロシー「どうだろうな。私だって教官をやったわけじゃないし、まだ無事に引退したわけじゃないから「こうだ」って言える立場にあるわけじゃないが……」

アンジェ「基本的には心身共に健康で臨機応変の才があり、規則に縛られることはないけれど、何でもかんでもただ決まりを破るような無謀さではなく、熟慮した上でそうした行動が取れる人間……といったところかしら」

ドロシー「いい解答だな。試験だったら満点がもらえる……あとはそれぞれのカバーとかやり口にもよるが、基本的には聞き上手で相手を乗せるのが上手いとか、覚えたことを忘れないとか、動揺が表情に出ないとか……そういう能力のあるやつが長生きするな」

アンジェ「そうね。あとは嫌いなものでも喜んでみせるような精神的なたくましさが必要ね」

ドロシー「そうだな……くくっ♪」

ベアトリス「何がおかしいんです?」

ドロシー「いや、それで思い出したんだが……ファームの時に聞いたちょっとした逸話さ。嘘か本当かも定かじゃないが、まことしやかに語られてたもんだ」

ベアトリス「へぇ、どんなお話ですか?」

ドロシー「……聞きたいか?」

ベアトリス「はい、聞いてみたいです♪」

アンジェ「別に大した話じゃないわ……くだらない冗談話よ」

ドロシー「おいおい、人が話す前から気分を削ぐのはよせよ……こいつはな、訓練生がそこそこさまになってきた頃にやってくる特別な課題なんだが……」
630 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/02/12(日) 01:24:29.32 ID:9pIVHMv10
…数年前・ファーム…

ドロシー「……ふぅ///」

パープル「とっても素敵だったわよ、ミス・ドロシー……久しぶりにぞくぞくしたわ♪」

ドロシー「それなら良かった……」

パープル「あら、本当にそう思っているのよ?」

ドロシー「信じますよ、でも教官と比べたらまだまだ……」


…暖炉の火だけが暖かく燃えている部屋の、綿雲のようにふかふかなベッドで裸身を横たえているのはドロシーと、教官の「ミス・パープル」……ハニートラップとその対処法を教えるミス・パープルはぞくぞくするような甘い声と細やかな気づかい、それに身体中を骨抜きにするような絶妙なテクニックを持っていて、ベッドの上ではどんな教官よりも手強い……ドロシーも色仕掛けに関しては決して劣等生ではないのだが、パープルの軽い愛撫やついばむようなキス、それどころか軽いささやきだけで身体の芯がうずき、生まれたての子鹿のようにひざが笑ってしまう…


パープル「パープルって呼んで。せめて二人だけの時くらいは「教官」なんて呼びかたはしないでほしいの……///」柔らかでしっとりした身体を寄せると、耳元でそっとささやいた……

ドロシー「う……はい(くそっ、この声を聞くだけでまた濡れてきやがる……っ///)」

パープル「良かった……ところで、貴女の好きな物は?」クィーンサイズのベッドで寝転がり、ドロシーの髪を軽くもてあそびつつふと尋ねた……

ドロシー「好きな物?」

パープル「ええ。せっかくだから今度用意しておいてあげるわ」

ドロシー「好きな物、ねぇ……それじゃあシャンパンとチョコレート、それにふかふかのベッドってところかな♪」

パープル「ふふ、それが嫌いな人なんていないわ……それじゃあ嫌いな物は?」甘えるようにしなだれかかり、くすくす笑いながら尋ねた……

ドロシー「嫌いな物……生魚かな」

…なにか「引っかけ」があると用心していたドロシーは向けられる質問をことごとくはぐらかすつもりでいたが、日頃の訓練所生活では味わう事のない上等な食事と香り高いブランデー……そして教官が与えるとろけるような悦楽と、くらくらするような甘い匂いで判断力を鈍らされていたドロシーはつい口を滑らせた…

パープル「ふふっ……まぁ、おかしい♪」

………



ドロシー「それで、そんな質問をされたことさえ忘れたある日、不意に教官から呼び出しを受けるんだ……」

………

訓練生「……呼び出しだなんて、なにかやらかしたんじゃないの?」

訓練生B「きっとあれね、なにか手抜きでもしたんでしょう」

ドロシー「いいや、まるっきり覚えもないね……とにかく行ってくる」

…教官室…

シルバー「よく来たね。 さ、座ってくれたまえ」

…ドロシーが英文法と文学を受け持つ銀髪をした初老の教官「ミスタ・シルバークラウド(シルバー)」の部屋に入ると、シルバーは椅子に腰かけるよう勧めた……パイプの煙の匂いがしみ込んだ室内には大きな本棚があり、机の上にも辞書や筆記用具が所狭しと積み上げてある……シルバーはいつも愛想がよく物腰も丁寧で、難しい文章やラテン語の課題を山ほど出すことを除けば訓練生たちから好かれていた…

ドロシー「どうも」

シルバー「最近はどうだね? よく眠れるかな?」

ドロシー「おかげさまでぐっすりですよ」

シルバー「それは結構。睡眠は大事だからね……訓練はどうかね?」

ドロシー「どうにかこなしています」

…わざわざ呼び出されたわりにはさしたる話があるようでもなく、雑談程度のとりとめもないやり取りがしばらく続いた……雑談を交わしながらしばらくすると、時計の針が正午を指した…

シルバー「おやおや、もうこんな時間か……ところで、昼食はまだだろう?」

ドロシー「ええ、まぁ……」

シルバー「それじゃあここで済ませていきたまえ。せっかく来てくれたのだからね」口元にえくぼと笑いじわを浮かべ、にこにこしながら机の上をどけた……

ドロシー「ごちそうになります」
631 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/02/23(木) 02:36:12.97 ID:gAQ/Xl9X0
シルバー「なに、礼には及ばないよ……さ、どうぞ?」

ドロシー「……っ!」

…そう言って隣の部屋から教官が持ってきた皿には、気持ちの悪い生のイワシ……それも古くなって嫌な臭いを放ち始めたものと、血なまぐさい魚の汁気がしみ込んでいる蒸しジャガイモ、そこにきゅうりのピクルスを添えた物が盛り合わせになって載っている……

ドロシー「……」

シルバー「どうしたんだね、せっかく用意したのだから遠慮しないでいいんだよ? ほら、食べた食べた」にこにこしながら皿の生魚を勧める教官……

ドロシー「いただきます(ちくしょうめ、妙に愛想が良いと思ったらこういうことか……)」

…どうにか普段通りの表情を維持しようとするが、幼い頃の嫌な思い出までも想起させる痛みかけの生魚に思わず口の端が引きつる……しかしその手はいささかの狂いもなく、テーブルマナーの訓練で教わったとおりにきちんとイワシを「解体」すると、灰赤色の汁が染みこんだ生温かい蒸しジャガイモと一緒に口に運んだ…

シルバー「……どうだね? 美味しいだろう?」

ドロシー「え、ええ……ごちそうですね」吐き気をこらえながらもにっこりと笑ってフォークを動かし、酢と塩で味付けしただけの生臭いイワシを無理やり口に押し込んでいく……

シルバー「そうだろう、お代わりもあるから遠慮せずに食べてくれたまえ」

ドロシー「ありがとうございます」

…黙って飲み込めれば少しはマシになりそうなものだが、教官があれこれと話しかけてくるので返事をしないわけにも行かず、そのたびに生臭さが否が応でも鼻につく…

シルバー「飲み物は?」たっぷり二パイントは入りそうな陶器のポットを指し示して、少し首をかしげた……

ドロシー「ちょうだいします(こうなりゃ流し込むしかやりようはないものな……)」

シルバー「そうかね、では……」

ドロシー「こく……ん゛っ!?」カップに注がれた紅茶を一口飲むなり、飲まなければ良かったと心底後悔したドロシー……

シルバー「おや、どうしたのかね? 喉につかえたのならもう少し飲むといいよ」

ドロシー「いえ、ご心配なく……」

…生臭い魚の臭気を口中から洗い落とそうと含んだ紅茶はこともあろうに砂糖で甘くしてあり、そのべたついた甘味が血なまぐさいイワシと、そこに調味料としてかけてある酢の酸っぱい味に絡みついて、吐き気を催すような味わいを生み出している…

シルバー「本当に大丈夫かね?」

ドロシー「……ええ(くそっ、吐き出すわけにもいかないし……)」

シルバー「そうかね……だがもう少し飲んだ方がいいのではないかな? 喉に詰まらせてはいけないからね」親切ごかしに、空になったカップへお代わりを注ぐ……

ドロシー「ご親切にありがとうございます……」

シルバー「なに、喜んでもらえたなら幸いだ……どうしたんだね? あまりフォークが進んでいないようだが?」

ドロシー「いえ、そんなことはありませんよ。 ミスタ・シルバーのお話が面白いものですから、つい……♪」

シルバー「おっと、これは失敬。 せっかくの食事を邪魔してはいけないね」

ドロシー「いえ、とんでもない(これで一点は返したな……)」

…ドロシーが四苦八苦しながらイワシを食べている間、親切な叔父さんのような表情でその様子を眺めているシルバー教官……時折思い出したように、机からどかした本をめくってみたり窓の外で鳴き交わす鳩を眺めてみたりして、さも視線を向けていないフリをするが、優秀な訓練生であるドロシーはそんな簡単な「引っかけ」に乗せられて、料理をそっとハンカチーフに包んで食べたフリをしたり、足もとのゴミ箱に捨てたりはしない…

シルバー「ふむ……『逆境は、真実に至る最初の道である』」

ドロシー「……バイロンですね」

シルバー「いかにも。バイロンは好きかね?」

ドロシー「いいえ、ワーズワースの方が」

シルバー「おや、私もワーズワースの方が好きだよ。気が合うね♪」

ドロシー「そうですね」無理にイワシの残りを口に運びながら、なおかつ教官が一ヶ月も前に世間話として言っていた「好きな詩人」を思い出して会話を合わせる……

シルバー「私は、あのワーズワースのヤーロー川の詩が好きでね……あんなに美しくてはかなげなものはないよ」

ドロシー「同感です。特にあの終わりの一節が余韻を残していて、それがとても良い効果を生んでいますね」

シルバー「そうなんだよ、彼は実に見事な書き方をした……と、何だかんだとおしゃべりをしているうちにすっかりお皿が綺麗になったね」

ドロシー「ええ、まぁ……ちょっと空腹だったものですから♪」吐き気をこらえつつ、冗談めかした……

シルバー「ははは、健康な証拠だね……おや、そろそろ午後の訓練が始まる時間だ。皿は私が片付けておくから、君は訓練に遅れないようにしなさい」

ドロシー「では、失礼します」

シルバー「うむ。良かったらまた食べにくるといい」そう言うと、にこにこ顔でドロシーを部屋から送り出した……

………


632 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/03/03(金) 00:56:53.44 ID:BznFySM/0
ベアトリス「それってただの嫌がらせじゃないですか?」

ドロシー「いいや、それも立派な訓練さ……つまりだ、情報部員ともなると相手の機嫌を損ねないように、嫌いなものでも喜んで食べたり受け取ったりしなきゃいけない場面が出てくるからな……そのための抜き打ちテストってわけだ」そういって肩をすくめると続けた……

ドロシー「……例えばだが、ちせがよく朝飯に食ってる糸を引いた豆とか、「ぬか漬け」とかなんとか言うしわくちゃになったきゅうりのピクルスとか……場合によっては勧められた時にああいうものを平然と食える必要も出てくるってわけさ」

ベアトリス「うぇぇ……あれをですか」

ドロシー「ああ。その点プリンセスはそういうのには慣れているはずだ。何しろ外国の賓客に恥をかかせたりしないよう、常々そういう訓練を積んでいるはずだからな……もし食卓のフルーツを手づかみで食うような客がいたら、そいつに合わせて手づかみで食うだろうし、もぐらのシチューだろうがハリネズミのステーキだろうが、にこにこしながら食ってみせるだろうな」

ベアトリス「間違いないですね、姫様は好き嫌いをおっしゃったことがありませんから……」

ドロシー「だろう? っと、話がそれたな……おまけにその訓練ではにどんな相手でも油断することがないよう、同室や仲良しの訓練生から苦手なものを聞き出す役目が内密に「課題」として出されることもあるんだ」

ベアトリス「うわぁ……でも、ここまでのお話を聞いた限りでは苦手なものが出ただけで、なにもおかしいところがないですよね?」

ドロシー「そこだよ……私たちの代よりもずっと先輩にあたる訓練生の中にいたんだとさ」

ベアトリス「?」

………



…十数年前・ファーム…

色白の訓練生「……お疲れさま、ルーシー。教官は相変わらず厳しかったわね」

栗色髪の訓練生「お疲れ、ミナ……でもどうにかなるし」

色白「そう?」


…お互い与えられた仮名を除いては名前も素性も知らない「ファーム」限りの関係とはいえ、同室の訓練生同士ともなると多少は気軽に話しかけたり、ちょっとした物を貸し借りをするような関係が生まれる……ある日の訓練を終え、汗と土ぼこりの染みこんだ服を脱ぎながら、一人の訓練生が同室の訓練生に話しかけた…


栗色「ええ。ちょっと最後の投げは胸につかえたけど……昼に食べたヨークシャープディングが出そうになったわ」


…話しかけた色白の訓練生は大人びたきりりとした顔立ちにすんなりとした姿で、舞踏会の紹介状など持っていなくても執事に通してもらえそうな優雅な見た目をしている……一方、受け答えをしているのは陽気で快活そうな雰囲気をついぞ崩したことがない健康的な訓練生で、顔立ちはなかなかに可愛らしいが、どちらかというと舞踏会よりはクリケットやテニス、あるいはキツネ狩りといった屋外スポーツや活動的なものを好みそうな印象を与える…


色白「まぁ、くすくす……っ♪」

栗色「あははっ♪」寝心地の悪いベッドの薄いマットレスに腰かけ、ほつれや繕いの跡が目立つ支給品の靴下を脱ぎながら元気よく笑った……

色白「それにしてもルーシーは勉強も実技も出来て大したものね……私なんてあれこれ教官に指導されてばかりなのに」

栗色「まぁまぁ、そこは人それぞれでしょう……違う?」

色白「それはそうだけれど、ルーシーには苦手なものってないの?」

栗色「え、私?」

色白「ええ……ほら、例えば私は牛乳が苦手だし、ニンジンも好きじゃないでしょう?」

栗色「そう言えばそうよね」

色白「そうなの。でもルーシーってば何でも好き嫌いがないように見えるから」

栗色「うーん、苦手なものねぇ……」

…そう言ってしばし考え込むと、向かいのベッドに姿勢良く腰かけている同室の訓練生へ顔を近づけ、少し決まり悪そうな様子で切り出した…

栗色「……みんなに言いふらしたり、からかったりしないわよね?」

色白「もちろん、言いふらしたりなんてしないわ」

栗色「ならいいわ……」そう言うと意を決したように口を開いた……

栗色「……こういうとおかしいかもしれないけど、私が苦手なのは……女の子かしら」

色白「女の子、って……だって貴女も女の子だし、ここにいるのは数人の教官を除いたらだいたいは女の子か成人女性でしょうに」

栗色「いや、それはそうなんだけど……ほら、時々なれなれしく抱きついてきたり身体をすり寄せてくる娘がいるでしょう? あの白っぽくて柔らかい身体に触れられたりするとイモムシみたいで気持ちが悪いし、鼻につく甘ったるい匂いとか……考えただけでゾッとすることがあるの」

色白「ふぅん、それじゃあよく着替えとか一緒にできるわね」

栗色「そういうときは出来るだけ見ないようにして、さっさと済ませてしまうから……自分の身体だと何とも思わないから、ベタベタされるのが嫌なだけかも♪」そう言うと苦笑いを浮かべてみせる……

色白「ルーシーもなかなか大変ね♪」
633 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/03/10(金) 01:26:17.13 ID:YFmv1LJs0
…数週間後…

訓練生「……ルーシー、ミスタ・シルバーがこの本をミス・パープルに渡してこいって」

栗色「え、私? わざわざ私に頼まなくたって、そのまま貴女たちが持って行けばいいのに……」

訓練生B「そう言われても困るわよ。とにかくそうするよう言われただけだもの」

訓練生「そういうこと……ねぇ、もしかしたら「あれ」じゃない?」

訓練生B「……あぁ、なるほど♪」

訓練生「ね、そう考えたら……くすくすっ♪」

栗色「なに? 何がおかしいの? ……そもそも「あれ」って?」

訓練生「ふふふっ、そりゃあ「あれ」ったら「あれ」よ……ルーシーは今までなかったみたいね♪」

…栗色髪の訓練生に教官からの用事を伝えた二人は、身内にしか分からない冗談を聞いたようにくすくすと忍び笑いを漏らしている……眉をひそめて本を受け取ると、肩をすくめて歩き出した…

栗色「まったく、何がおかしいんだか……」

…ミス・パープルの教室…

栗色「失礼します、ミス・パープル」

パープル「あら、いらっしゃい……貴女がここに来るなんて珍しいわね?」

…とにかく艶やかで色っぽく、周りに漂う空気さえ甘く匂い立つような「ハニートラップ」とその対処法を担当している教官のミス・パープル……ロココ調の豪奢な椅子に腰かけ、ティーカップをかたわらに置いて読書をしているだけだが、ロングドレスからちらりとのぞくすべすべとした白い胸元やストッキングにくるまれたくるぶしだけで、たいていの訓練生たちはすっかり骨抜きにされてしまう…

栗色「シルバー教官から本を渡してくるよう頼まれまして……どこに置きましょうか?」

パープル「ああ、頼んでおいた本ね♪ ならここに置いてくださる?」白い長手袋に包まれたすんなりとした綺麗な指がかたわらのテーブルを指さした……

栗色「はい」

パープル「ありがとう……せっかくだから、お茶でもいかが?」吐息の交じるような甘い声で発するお礼の言葉が桃色の艶やかな唇から漏れると、小机の向かい側を指し示した……

栗色「ええ、せっかくのご厚意ですし……」

パープル「まぁ、嬉しい♪ それじゃあかけて?」

…一事が万事、動きの端々までしなやかで色気があるパープル……ティーポットを取るといい香りのする紅茶をカップに注ぎ、それから上品なケーキやクッキーといったお菓子を勧めた…

栗色「いただきます」

パープル「美味しい?」

栗色「ええ、美味しいです」

…バターと卵をふんだんに使ったさくさくとしたクッキーや、甘い砂糖漬けの果物が載ったふわふわのスポンジケーキ……こういう機会でもなければ「ファーム」では食べることの叶わない上等なお菓子に、栗色髪の訓練生も年相応に嬉しく思いながらひとつふたつと手を伸ばした…

パープル「ここではなかなか食べる機会もないものね……お代わりは?」

栗色「……っ、すみません。意地汚くって」

パープル「ふふふっ、遠慮しないでいいのよ? 私だってついつい食べてしまうもの……もっとも、これはここだけの秘密♪」整った色っぽい顔立ちにチャーミングな笑みを浮かべ、軽いウィンクを投げた……

栗色「ええ、口外はしません」

パープル「ありがとう……っと、いけない」

栗色「平気です」

パープル「ごめんなさいね、私ったらそそっかしくて……///」

…スプーンを砂糖つぼへと戻そうとして目測を誤ったのか、訓練生の手の甲に砂糖をこぼしたパープル……そっと手を伸ばすと丁寧に砂糖を払い、そのまま優しく手を包み込んだ…

栗色「ただの砂糖ですから大丈夫です」

パープル「……そう?」

栗色「ええ」

パープル「でも、こんな風に砂糖が手について……ん♪」砂糖の小さな結晶が星空のように散りばめられた手を取ると、そっと唇をつけた……

栗色「教官……っ///」

パープル「お願い、パープルって呼んで……♪」

栗色「っ……ミス・パープル……」手を取って甘い声でささやきかけるパープルに対して、数回あった訓練の時のように引け腰になっている……


634 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/03/15(水) 01:32:38.41 ID:c+OA7Cf80
パープル「……ん、ちゅっ……はむっ……ちゅ…っ♪」

栗色「ん、くぅ……っ///」

…手指から手首へと連続して口づけしていくパープルと、かすかに身をよじり顔をそむけ気味にしている栗色髪の訓練生……パープルが身体をすり寄せると髪の香りがふわりと立ちのぼり、豪奢なひだをあしらったドレスの胸元から白くふっくらとした胸のふくらみがのぞき、ほのかな肌の熱と一緒に白粉の甘い匂いが漂ってくる…

パープル「あら、お嫌だったかしら?」

栗色「ん、あふっ……いえ、別に……平気です……」

パープル「そう?」からかうような表情の交じった笑みを浮かべ、ぐっと身を乗り出して顔を近づける……

栗色「は、はい……んっ///」

パープル「ん、んむ……ちゅぅっ、ちゅっ……♪」

…パープルの唇が訓練生の下唇を挟みこむように優しくついばみ、同時に白い絹の長手袋を外す……あらわになったパープルのしっとりとした手が訓練生の頬を下から撫で上げ、もう一方の手がレタスでも剥くように手際よく訓練生の服を脱がしにかかる…

栗色「ふぁ……あ、ふっ……///」

パープル「ふふふ……何度見ても綺麗ね、貴女の肌は……ちゅっ♪」

栗色「あ、ああっ……♪」

パープル「遠慮しなくても大丈夫よ? ここの扉は厚いから、外にはまず聞こえないわ♪」

栗色「ミス・パープル……///」目尻に涙を溜めて頬を紅潮させた弱々しい表情で、椅子から崩れ落ちそうになっている……

パープル「まぁまぁ……まだキスだけなのよ? さぁ、いらっしゃい♪」

…まるで胸元から立ちのぼる香気を吸い込ませるかのように胸元を近づけ、腕を取ると贅沢なベッドへと歩み寄る……と同時に、パープルの身体には訓練生の身体がわなないている様子が手に取るように分かる……パープル本人も、暖かな昼下がりに若く綺麗な訓練生をベッドに引きずり込んで楽しむことを考えて内心にんまりとしている…

栗色「ミス・パープル……」

パープル「ん、ちゅっ、あふ……っ♪ ふふっ、もうっ♪」二人してベッドに倒れ込むと、訓練生がパープルの唇を求めて口づけをしてくる……

栗色「……あむっ、ちゅるっ……ちゅぷ、ちゅぅぅ……っ♪」

パープル「あら……んちゅるっ、ちゅるっ……ちゅぽ……じゅる……っ♪」

…ベッドに倒れ込んで唇が触れあった途端、これまでの訓練で見せた嫌がるようなそぶりを振り捨てて、唐突にパープルの舌をむさぼり始めた訓練生……百戦錬磨のパープルでさえも少し驚くほどの勢いと舌遣いで、息を荒くして身体を押しつけてくる…

栗色「んふぅぅ……はむっ、じゅるぅぅ……っ、んふぅ……ふぅ、ふぅっ///」

パープル「まぁ、あらあらあら……きゃあっ♪」

栗色「……せっかくここまで隠し通してきたのに……ミス・パープルが柔らかい身体といい匂いで誘うからいけないんですよ……っ♪」

パープル「あん……っ、あっ、あっ……あぁぁ……んっ♪」

…上等な生地にあるこすれ合うような音をさせてドレスを脱がせていくと、下にまとっているビスチェと白絹のストッキング、それからレースのガーターベルト、そして白くもっちりとした肌があらわになる……ふかふかのベッドで跳ねるようにして互いの服を脱がせあった二人は、そのまま相手を抱きながら脚を絡め、手指をとろりと濡れた花芯へと走らせる…

パープル「あぁんっ、あふっ、あんっ……あ、あぁぁん……っ♪」

栗色「ふあぁぁぁ……っ、最っ…高♪ ミス・パープルの身体……気持ちいい……っ♪」

パープル「ふふふっ、我慢していただけになおさらでしょう♪」ぐちゅぐちゅ……じゅぷっ♪

栗色「そうですよ、訓練の時もあんな風に身体をまさぐられて……っ♪ こらえるのだって……一苦労だったんですか……らっ♪」じゅぷっ、ぐちゅ、ぬちゅ……っ♪

パープル「大変だったのね……そんな我慢強い娘にはご褒美をあげないと……ね♪」じゅぷっ、くちゅくちゅ……っ♪

栗色「そうですよ、ミス・パープルにあてられて一人でしている娘や、人気のないところで盛っている娘を見るたびに興奮を抑えるのが大変だったんですから……っ♪」とぽっ、とろ……っ♪

パープル「ふふっ、もう♪ 言ってくれたならいつだってほかの娘たちみたいに呼んであげたのに……ふあぁぁ……んっ♪」

栗色「だって……」

パープル「……エージェントたるもの、弱味を見せてはいけないから?」

栗色「そうです。さすがに今日はこらえきれませんでしたけど……あっ、あっ、ああぁぁっ♪」

パープル「ふふ……これまでの演技を考えたら十分に合格点よ♪」そう言って訓練生の片脚を抱くようにして開脚させると、秘部を重ね合わせた……

栗色「ミス・パープル、それ……いいっ、良いです……っ♪」

パープル「私も……ああぁんっ、ルーシー……貴女、とってもいいわ……んんっ♪」

栗色「あっ、あ……ふわぁぁぁ……っ♪」ぷしゃぁぁ……っ♪

パープル「ふふ、可愛い娘……ちゅっ♪」

栗色「はひぃ、はぁ……はぁぁぁっ……もっと……ぉ♪」

パープル「ふふふっ、それじゃあ時間の許す限り付き合ってあげるわ……例えば今日いっぱい、ね♪」
635 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/03/21(火) 01:31:21.86 ID:dfZ9ScMG0
………



ドロシー「……ってな具合で、見事に課題をお楽しみにしちまった訓練生がいたんだとさ♪」

ベアトリス「うわぁ……///」

アンジェ「そんなのはファームで訓練生同士が広め合っている馬鹿馬鹿しい噂話にすぎないわ、実際にそんな訓練生がいたとは思えない」

ドロシー「どうかねぇ……ま、とにかく色んな訓練があったもんさ。それはそうと、どんなことがどこで役に立つかなんて分かりゃしないんだから、これからも身を入れて訓練するこった」

ベアトリス「はい。でもベッドでのいろんな事は私に必要あるとも思えないですけれど……///」

ドロシー「分からないぜ? もしかしてプリンセスから夜伽の求めがあるかもしれないしな」

ベアトリス「もうっ、ドロシーさんっ!」

ドロシー「はははっ、悪かったよ♪ さぁ、とっとと片付けてアフタヌーンティでも飲みに行こうぜ?」

…夜・部室…

ドロシー「さてと……昼は身体を動かしたから、今度は頭を使って暗号についての授業と行こうじゃないか」

ベアトリス「はい」


…学校での勉強や課題を終わらせ、それからエージェントとしての「勉強」にとりかかるベアトリス……いくら腕利きエージェントのドロシーとアンジェでも、本来ならそれ専門の教官と施設を使って教えるべきものを即席で教え込むとなるとなかなかに大変で、情報部員として最低限必要な知識や技術を伝えるのには苦労していた……とはいえベアトリスは真面目な生徒で飲み込みも良い方なので、ドロシーとアンジェにとっても座学の時間は復習を兼ねたいい機会になっていた…


ドロシー「まずはおさらいだ……暗号は基本的に「サイファー」と「コード」の二つで出来ているのは覚えているよな?」

ベアトリス「覚えています。サイファーは文字を一文字ずつ置き換えるもの、コードは特定の文や単語を専用の文字列に置き換えるもの……ですよね」

ドロシー「よろしい、その通りだ」

アンジェ「……基本的に一文字ずつを特定の変換方法で置き換える暗号は、どうやっても暗号としての強度は弱い。そこで置き換え方法を途中から変えたり、解読した文章をさらに置き換えたりすることで暗号の強度を保つ」

ドロシー「中世ヴェネツィアはオスマン・トルコに置いていた大使館から、暗号を楽譜にして郵送したこともあった……もっとも、あんまりにも本国へ送る楽譜が多いと怪しまれるから、そうたびたび使うわけにもいかなかったそうだが」

アンジェ「他にも円盤型の置き換え表なんていうのもある」

ベアトリス「それは聞いたことがあります……たしか時計の文字盤のように文字が並んでいて、同心円状になっているそれぞれの円周に違った文字列が並んでいる……」

ドロシー「ああ、そうだ……例えば外周の円にはギリシャ文字、真ん中は数字、内側にはアルファベットみたいに、置き換え表次第でいくらでも好きなように変換できるってシロモノだ」

アンジェ「しかしこれも解読しようと思えばできないこともない」

ドロシー「そこで、単純な一文字ずつの置き換えをやめて、一文字を複数の文字と数字の組み合わせに置き換えたり、あるいは特定の単語を特定の文字列に置き換える「コード式」の暗号を組み合わせることになった」

アンジェ「例えば「A・B・C・D・E……」というのを「0・1・2・3・4……」と規則的に置き換えただけでは簡単に解読されてしまうけれど、ランダムに選んだ文字列で形成されたコードが文中にあったとしたら解読のしようがない」

ドロシー「ただ、コード式の暗号にも欠点はある……伝えたい文章や内容を発信者と受信者双方が知っているコードにしておかなきゃいけないってことだ」

アンジェ「例えばだけれど「リンゴを食べた」という暗号を送りたかったとする。そしてもし「リンゴ」というコードがあったとしても「食べた」がなかったとしたら、その部分は置き換え式の暗号で送るか、さもなければ白文(通常の文)で送るしかなくなる」

ドロシー「そうなると暗号としての強度はガタ落ちになる……なぜなら「食べた」の部分が分かれば残るコードの部分は「なにかの食べ物」だってことが類推できるからだ」

アンジェ「そうしたらあとはそのコードを含んだ他の文を解読していけばいいだけ」

ドロシー「そう。例えば「リンゴ」のコードを含む暗号文に「赤い」だとか「アダムの」だとかが付いていれば、対象は「リンゴ」に絞られちまうってわけだ」

ベアトリス「まるでなぞなぞですね」

ドロシー「ま、似たようなもんさ。だから暗号解読にはパズルの得意なやつだとか数学の出来るやつがよくスカウトされるんだ。今はどうだか知らないが、以前は新聞に掲載された懸賞パズルを解いたやつを解読係として採用したこともあったっていうしな♪」

アンジェ「そういうこと。 それとドロシー、私はそろそろ定期連絡の受信があるから……」

ドロシー「あいよ、それじゃあ残りの講義は私がやっておくよ」手をひらひら振ると、アンジェを見送った……

ベアトリス「……アンジェさんも忙しいですね」

ドロシー「まぁな……このところ女王の後継者を巡る派閥争いで王国も忙しいからな」

ベアトリス「ええ……」

ドロシー「なぁに、プリンセスなら大丈夫さ……あの女性(ひと)は見た目よりもずっとしっかりしているし、なによりお前さんがついているんだ……だろ?」

ベアトリス「ありがとうございます……///」

ドロシー「いいんだよ、気にするなって」軽く笑ってみせるとブランデーを垂らした紅茶を一口飲んだ……
636 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/03/24(金) 00:54:35.89 ID:jaJXwus00
ベアトリス「ところでドロシーさん」

ドロシー「んー?」

ベアトリス「その……ドロシーさんたちのいた「ファーム」では、他にどんな訓練があったんですか?」

ドロシー「なんだ、聞きたいのか?」

ベアトリス「はい。ドロシーさんやアンジェさんって、いつも冷静沈着で……どんな訓練をしたらそういう風になれるのかな……って///」何度となくプリンセスを救ってきたアンジェに対する憧れとわずかなうらやましさをのぞかせて、軽く頬を赤らめた……

ドロシー「なるほどな……まぁ、ファームの実態もある程度は王国に掴まれていることだろうし、今さらお前さんにしゃべったからってどうってこともないだろう……いいとも、話してやるよ」

ベアトリス「お願いします」

ドロシー「ああ……前に言ったかもしれないが、訓練教官は色や花、生き物の名前なんかをコードネームに付けていて、それぞれ専門の「科目」を持っていてな」

ベアトリス「そう言っていましたね」

ドロシー「そうだったな。 とにかく「ファーム」では何よりも、必要なことを必要な時にためらわず実行できる能力を鍛えられたな。例えばナイフや身近な物を使った武器での格闘は「ミスタ・ブルー」っていう教官だったんだが……」

…数年前・ファーム…

訓練生「……次はミスタ・ブルーの授業ね」

訓練生B「あの人の授業は特に厳しいし、あんまりやりたくないわ」

ドロシー「まさに「ブルー(憂鬱)な気分」ってところだな?」

訓練生「ええ、本当に……」

訓練生B「しっ、来たわよ」

ブルー「……諸君、それでは始めよう」

…足音も立てずにしなやかな動きでやって来た教官は「ブルー」という名前にふさわしく青白くやせこけている……教官が軽くうなずくと、運動場の左右二列に分かれた訓練生たちの前に補助教官たちが一振りずつ鞘付きナイフを置いていく…

ブルー「さて……これまでの訓練である程度ナイフを使った戦い方は習得できたはずだ。今日はその練習の成果を発揮してもらう」

ブルー「……見ての通り諸君の足もとにナイフが一振りずつあり、これで向かい合う相手とナイフ戦をしてもらう。これは今までの訓練と変わらないが、今回はより一層の緊張感を持たせて実戦に近づけるため、中の何本かは刃を止めていない」淡々とそう言うと、訓練生たちの間にかすかなざわめきが起こった……

ブルー「ちなみにどこに置いたナイフが刃の止めていないナイフかは私にも分からない。完全に無作為で置いてある……つまり、手を抜けば最悪死ぬことになる」

訓練生「ごく……っ」

ブルー「では、ナイフをとって……任意に始めたまえ」

…いわば金属の板にすぎない刃を止めたナイフでも真面目に立ち回ってきた訓練生たちだったが、刃の研がれた本物のナイフが混じっているとなるとその表情は桁違いに真剣さを帯びてくる…

訓練生C「はっ!」

訓練生D「ふっ……!」

…まるでダンスを踊るかのように互いの周囲を巡り、間合いを詰めるとナイフを振る瞬間だけ息を吐く……構え方はそれぞれのスタイルや得意な形に合わせて様々だが、白刃がきらめくたびに相手は飛び退き、ナイフが空を切ったと見ると一歩踏み込んで切りつける…

訓練生E「……やっ!」

訓練生F「くぅ……っ!」

補助教官「そこの二人、やめ!」

訓練生G「たあっ!」

訓練生H「うっ……!」

補助教官B「それまで!」

…喉元にナイフを押し当てられたり、組み敷かれて身動きが出来なくなった段階で教官たちが割って入る……訓練相手は入れ替わり式で、勝った方は隣の組の勝った方と、負けた方は負けた方で次々と替わっていく……次第に勝ち抜いていったドロシーが最前列まで来ると、向かい側にアンジェが立っている……二人のかたわらにはブルーが立ち、何一つ見落とすことのない鋭い目で全体を見わたしながらも、二人を間近で観察している…

ドロシー「よう、アンジェ」

アンジェ「ドロシー……準備は良い?」

ドロシー「ああ、いいさ。それじゃあ始めるか?」

アンジェ「ええ……はっ!」
637 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/03/24(金) 01:19:29.05 ID:jaJXwus00
ドロシー「くっ!」

…アンジェの小柄な身体がドロシーの振ったナイフをかいくぐって懐に飛び込んでくる……が、その動きを予見していて振ったナイフを引いて下からの突きに繋げるドロシー…

アンジェ「……っ!」

ドロシー「はぁ……っ!」

…実戦と同じく蹴りや組み付きも禁止ではないことから、長い脚を有効に使って蹴りを入れるドロシー……アンジェはとっさに飛び退いたが、手首に当たった蹴りでナイフが弾き飛ばされる…

アンジェ「ちっ……!」そのままもう一回後ろに飛び、地面に落ちたナイフをぱっと拾い上げる……

ドロシー「……さすが!」

アンジェ「貴女もね……ふっ!」

ドロシー「うっ……く!」ドロシーの額をかすめたナイフが前髪に触れ、赤っぽい毛が数本切り散らされてひらひらと舞った……

ドロシー「まさかお前のが本物かよ……はあっ!」

アンジェ「たぁぁ……っ!」

ドロシー「ぐ……っ!」

…リーチそのものはドロシーより短いが、それを補って余りある機敏な動きで容赦なく間合いを詰めてくるアンジェ……ドロシーもアンジェの呼吸を読んで鋭い突きや払いをかわしていたが、さすがに避けきれず体勢を崩し、とっさに空中で宙返りをすると地面に手をついた……その隙を逃さずアンジェが飛び込んでくる…

アンジェ「やあっ……!」

ドロシー「さすがだよアンジェ……だけどな!」ここを先途とばかりに飛び込んでくるアンジェに対し、手に握り込んだ運動場の砂を顔面に浴びせかけた……

アンジェ「うぷ……っ!?」

ドロシー「そらっ!」アンジェのナイフを弾き飛ばすと地面に押し倒し、喉元にナイフを当てた……

補助教官「よし、そこまで!」

ドロシー「ふー、やれやれ……まったく寿命が縮まったぜ」

ブルー「……よくやった。あそこまで体勢を崩された所から立て直すのは難しく思えるが、今のように機転を利かせて対処すれば活路も見いだせる。大したものだ」

ドロシー「どうも」

ブルー「君の戦い方もなかなか良かった。腕の振りも早ければ力もある……ただ、君の戦い方は上手だがいささか綺麗で正統派すぎる。もっと相手の意表を突くようなずるいやり口や汚い戦い方も身に付けることだ」

アンジェ「以後気を付けます」

ブルー「よろしい……だれか怪我人は?いないな? 結構、ならもう一回だ」

………



ベアトリス「……それにしても本当のナイフでなんて、危険すぎますよ」

ドロシー「まぁな……だが教官はこう言っていたよ「怪我は訓練のうちにしておけ、本番で怪我をしたらおしまいだ」ってな」

ベアトリス「確かに一理ありますけれど……でも、やっぱりアンジェさんは強いんですね」

ドロシー「ああ。あの冷血女は本当に何でもこなせるやつさ……」

ベアトリス「そうですね……他にはどんな訓練があったんですか」

ドロシー「そうだな……ああ、そうそう。ある程度ファームにも馴染んだ頃に「遠足」があったっけ」

ベアトリス「遠足ですか? でも情報部員の養成施設なんですから、普通の遠足とは違うんですよね?」

ドロシー「はははっ、察しが良いな♪ 確かに普通の遠足とはまるっきり別物だったさ」

ベアトリス「やっぱり……」

ドロシー「そりゃあ普通の学校とはわけが違うからな……あれはファームに入ってひと月もたたないころだったが、訓練生全員が目隠しをされて樽だの箱だのに押し込められて、馬車やトラックに載せられるとどっかに運ばれるんだ……」

638 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/04/01(土) 01:03:58.05 ID:eU6vTxTE0
…どこかの牧場…

ドロシー「あいてて、すっかり身体がこわばっちまった……」

アンジェ「……」

訓練生「ねぇ、ここはどこかしら……お日様の高さからすると出発してから二時間くらいのようだけど」

訓練生B「分からないわ。樽に押し込められてから何回かぐるぐる回されたし、おかげで方向感覚もめちゃくちゃ……」

ホワイト「さあさあ、おしゃべりは後にして整列したまえ……ミスタ・ブルー、後は君が」

ブルー「ええ……さて、今日は少し毛色の違った訓練を行う」

…田舎道を何時間か揺られていると不意に乗り物が止まり、樽や箱から出されると目隠しを外された訓練生たち……教官たちに連れられて来たのは「ファーム」から二時間あまりの場所にあるどこかの牧場で、青草の伸びたなだらかな丘には放牧されている羊や山羊、黒鹿毛や鹿毛のサラブレッドが数頭、それに乳牛として飼われているジャージー種の牛たちがいて、鶏舎ではせわしなく穀物をついばむドーキング種のニワトリ、豚舎では餌を咀嚼しているヨークシャー種の豚が暮らしている…

ブルー「まず、諸君にはそれぞれ班で分かれてもらう……先頭から十人目までは私に、その次の十人はレディ・スカーレットに、あとの者はミスタ・ホワイトの指示に従うように」指示に従って教官たちの前に並ぶ訓練生たち……

………

…ホワイトの班…

ホワイト「では、君たちにはまず乗馬を覚えてもらおう……本物の騎手とまでは言わないが、基本的な馬の御し方くらい覚えておいて損はないからね」

訓練生C「……あたし、馬なんて乗ったことないんだけど」

訓練生D「私も鉱山では見たことあるけど……乗ったことはないよ」

訓練生E「わたくしは経験がありますわ」

ホワイト「こらこら、静かに……ことわざにも「ものは試し」というからね。基本的な事は私が教えるから順繰りにやっていこう」

…そう言うと背の高いサラブレッドの鼻面を優しく叩き、ひらりとまたがったホワイト……そのままウォーク(常足)からトロット(速足)、それからキャンター(駈足…ギャロップ)と馬を駆けさせ、最後は訓練生たちのすぐ前でぴたりと止めてみせた…

訓練生C「すごい……」

ホワイト「お褒めにあずかり恐縮だよ、ミス・コールドウェル」訓練生たちのくすくす笑いが収まると真面目な表情に戻した……

ホワイト「……それでは基本的な馬の性質や御し方、そして機嫌の取り方を勉強しよう」

…しばらくして…

訓練生D「……きゃあっ!」

ホワイト「おっと、大丈夫かね? 馬に乗っている以上、落馬はあり得ることだ。落ちたときに後脚で蹴られたり頭を打ったりしないよう、さっき教えた受け身を取るようにしなさい」

…馴染みのない人間が次々と騎乗したせいで少し気が立っているサラブレッドたち……途中で何人かの訓練生が竿立ちにになった馬に振り落とされたり鞍から放り出されたりしたが、ホワイトは馬をなだめるといつものように「もう一回やってみよう」と訓練生を再び馬にまたがらせた…

訓練生D「はい……あいたた」

ホワイト「……馬は賢い生き物だ、おっかなびっくりで手綱を取ると乗り手のことを侮って言うことを聞いてくれない。冷静かつこちらが主人であることを示す態度で御するように」

訓練生D「分かりました」

ホワイト「……良い調子だ、ミス・エディントン」

訓練生E「ありがとうございます」

ホワイト「うむ、その調子で御しているようにね……」

…そう言うと不意に小型のリボルバーを取り出し、馬の側で上空に向けて空砲を放ったホワイト……物音に敏感なサラブレッドは途端に暴れ出し、訓練生が手綱を引いても跳ね回っている…

訓練生E「うっ、く……!」

ホワイト「大丈夫かな、ミス・エディントン?」

訓練生E「え、ええ……どうにか御し切れると思ったのですけれど……」

ホワイト「もう少しだったよ。今度は跳ね飛ばされないようにしっかり太ももの筋肉で馬体を挟むようにすることだ……もしかしたら銃撃を受けながら馬で逃げるような事があるかもしれないからね」

訓練生E「はい」

ホワイト「……それから落馬するようなときは、あぶみに足を残していると骨折したり馬に蹴られたりするから、すぐあぶみから足を外して飛び降りるようにすること……それに倒れた馬の下敷きになったりしたら、自分で抜け出すのは難しいからね」

訓練生E「そうします」

ホワイト「よろしい……君たちも良く覚えておくように」

訓練生たち「「はい」」

ホワイト「よろしい」
639 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/04/06(木) 01:08:25.09 ID:kv1URGYP0
…そのころ・施設の一角…

ブルー「では、諸君にこれを渡そう」

訓練生F「……見たことない形ね」

訓練生G「何のナイフかしらね……毛刈りでもするのかしら?」

…施設の中、何頭かの羊たちが柵の内側に固まっている一角に連れてこられた訓練生たち……ブルーから列の先頭に立っている数人に渡されたのは鎌のような形に湾曲したナイフで、内側に刃が付いている…

ブルー「……さて、この中には見たことがない者もいるだろうが、これは羊や山羊を処理するときに用いる首切りナイフだ」

訓練生F「えっ……」

ブルー「情報部員になれば人の命を取る場合もあるだろう、そんなときにいちいち気絶などされていては役に立たない……そこで今日は羊を始めとした家畜で「と畜」を行い、血に慣れてもらう。手際よく、苦しめないよう始末してやること」

訓練生G「う、でも……」

ブルー「でも、なんだ? この穏やかな目をした牛や豚、羊といった動物が諸君の食べている肉になるのだ。都合の悪い真実からも目をそらさず直視する勇気が情報部員には必要だということを忘れるな」ブルーは冷たく訓練生たちを眺め回し、淡々と続けた…

ブルー「言っておくがと畜した羊や子羊の一部は市場へと出荷されるが、大部分は諸君の夕食になるのだ……さて、最初に誰がやる?」

訓練生たち「「……」」

アンジェ「私がやります」

ブルー「よろしい。決心の早さと思い切りの良さというのはエージェントにとって大事なことだ……まずは羊の横に近寄って胴体を抱きかかえるようにし、ナイフを持っていない方の手をあごのしたに回す……」

アンジェ「はい」

ブルー「そして、軽くあごを上向かせてのど首を露呈させる……」

アンジェ「こうですか」

ブルー「それでいい……そして、あとはナイフをあてがって勢いよく一気にかき切る。できるな?」

アンジェ「……できます」

ブルー「いいか、喉を切るときは決してためらうな……遠慮がちに切られると家畜は痛さで暴れるし、より一層苦しむことになるのだ」

アンジェ「分かりました」

ブルー「よし。では私が羊を押さえてやるからやってみなさい」

アンジェ「はい」

ブルー「さて……羊は上手な人間にと畜されると、一瞬『メッ……』と鳴くだけだが……諸君はどうだろうな」

………

ベアトリス「……」

ドロシー「……ちなみにその晩にはマトン(羊肉)やラム(子羊)のローストが出たが、残しているやつも多かったな」

ベアトリス「そうでしょうね」

ドロシー「ちなみにアンジェのやつは『ふん……自分で見ないで済んだものは喜んで食べるくせに、血を見るのは嫌だなんてただの甘えにすぎないわ』って言ってたな」

ベアトリス「そうかもしれませんけど……私だったらちょっと食べるのをためらっちゃいます」

ドロシー「でも新鮮で美味かったぜ?」

ベアトリス「……あー、えーと……他にはどんなことをしたんですか?」

ドロシー「そうだな、あとは……」

………



640 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/04/06(木) 01:53:38.55 ID:kv1URGYP0
…牧草地…

スカーレット「それでは、これから音を立てない歩き方や止まり方の訓練を行います……頑張って下さいね」

…若々しく健康そうなスカーレット教官はその引き締まった脚を乗馬用ズボンとブーツで包んでいて、きゅっと引き締まった脚は何マイルでも歩けそうに見える……訓練生たちは牧草地で爽やかな青草の匂いを嗅ぎながら、スカーレットの指示を聞いている……最初に一人の訓練生が選ばれると、スカーレットが横に立った…

スカーレット「では、これから私の指示する通りに動くように……いいわね?」

訓練生H「分かりました」

スカーレット「よろしい、それでは真っ直ぐ歩き始めて?」

…作業つなぎ姿の訓練生がスカーレットや訓練生たちに見守られながら、てくてくと歩き始めた……訓練生が一歩踏み出すと、そのたびにそよ風のざわめきとは別に草むらが音を立てる…

スカーレット「……もっとゆっくり、牧草の触れあう音もさせないように」

訓練生H「はい……」

スカーレット「もっと慎重に、丁寧に……太ももの筋肉がつらいでしょうが、時間をかけてゆっくりと足を下ろす……」

訓練生H「……」

スカーレット「それから足を下ろす先になにがあるかよく見て、一歩一歩かかとの方からゆっくりと……」

訓練生H「はい」

スカーレット「足を下ろすまで重心は残している足にかけておくこと……そう、上手上手。今度は少し左へ行ってみましょう」

訓練生H「ふー……」

スカーレット「そのまま、そのまま……伏せて!」

訓練生H「……っ!」

スカーレット「……ミス・ヘリアー、なぜ私の指示に従わず横にずれてから伏せたの?」

訓練生H「……すみません、レディ・スカーレット」

スカーレット「謝らなくても良いわ。どうして伏せるよう指示したのに身動きしたのか教えてちょうだい?」

訓練生H「その……えぇと、そこに馬糞が落ちていたものですから……それで……」

スカーレット「なるほど。もし敵に気付かれそうな状況に陥って、伏せてやり過ごそうと言うときに身動きしたらどうなると思う?」

訓練生H「……」

スカーレット「私が伏せるように言ったら、水たまりであろうと馬糞の山であろうと、即座にその場で伏せるように……ミス・ヘリアー、柵に沿って牧場を一周していらっしゃい、駆け足でね?」たっぷり数十エーカーはある牧場の柵を指し示した……

訓練生H「はい」補助教官の一人に連れられて、牧場の外周を走り始めた……

スカーレット「では次……」

………

ホワイト「……情報部員ともなるとよくあることだが、長時間の監視任務に就いた場合、交代がくるまで何時間も動かずにいる忍耐力が必要になってくる」

ホワイト「そこで君たちには、監視ポイントに着いたつもりになってどれくらい身動きできずにいられるか挑戦してもらう。監視対象は向こうの生け垣にしよう」百ヤードもないところにこんもりと茂っている生け垣を指さした……

ドロシー「……やれやれ、これじゃあ陸軍の斥候だぜ」教官に聞こえないよう、口の中でぐちをこぼす……

ホワイト「コツは最初に出来るだけ楽な姿勢を取れるよう位置どりをすること……時にはそういった必要も出てくるだろうが、基本的に無理な姿勢で数時間を過ごすのは難しいからね」

…ホワイトの助言を受けて、牧草の上でもぞもぞと身動きをして姿勢を作る訓練生たち……地面に身体を付けてじっとしている様子は、まるで猟の待ち伏せか昆虫観察のように見える…

ホワイト「準備はできたかね? ……それじゃあ私が『始め』の合図をした後は自分の鼻に止まった蠅ですら追い払わず、ただ石像のように姿勢を維持すること」

ホワイト「それから、こうした監視任務の場合は地面で身体が冷えるから、本番の監視任務にあたるようなことがあったら間違いなく厚手のものを着ておくこと……私も駆け出しの時に身体が冷えておしっこを漏らしそうになったからね」訓練の鬼ではあるが優しい物腰のホワイトが放つ冗談に、訓練生たちの間から失笑が漏れる……

ホワイト「……実際問題として、急いで監視地点から撤収しなければならないとか対象の尾行に移らなければならないと言ったときに身体が冷えてこわばっていては任務に支障をきたすし、脚や身体がしびれていてよろめいたりしたら物音が生じ、任務や君たちの生命そのものにも危険が及ぶ」

訓練生たち「「……」」

ホワイト「そういった事態が生じないよう、時々靴の中でつま先を動かすとかして血流を滞らせることのないように……」

ホワイト「さて、説明はこのくらいにして……まずは二時間を目安にやってみようか。 よーい、始め」

641 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/04/09(日) 01:31:49.11 ID:j/YqdF0T0
…数十分後…

訓練生A「……ふわ……んくっ」出かかったあくびをかみ殺そうとするが、間に合わず息が漏れる……

ホワイト「ミス・アーガス。監視任務は単調で退屈かもしれないが、情報部員にとっては避けられない任務の一つだよ?」

訓練生A「済みません……」

ホワイト「分かっているなら結構。では眠気覚ましに牧場を一周しておいで?」

訓練生A「はい」

訓練生B「……っ!」目の周囲を這い回りはじめたハエを、思わず手で払いのけてしまう……

ブルー「バーン……残念、君は王国防諜部に撃たれてあの世行きだ。 一周してくるんだ」

訓練生B「はい」


…ぽかぽかと温かい穏やかな日差しの中、身じろぎひとつせずに「監視」を続ける訓練生たち……が、顔の周りをうるさく飛び回る虫や忍び寄る眠気に勝てず、つい身動きをしてしまったりウトウトしてしまったりして、教官に皮肉を言われながら一人また一人と駆けだしていく…


ドロシー「……(あーあ、監視任務の訓練って言ったってただ生け垣を眺めているだけだもんな『プリンセス・プリンシパル〜Crown Handler・第三章〜』でも見に行きたいぜ……)」

アンジェ「……」

ドロシー「……(しかしアンジェのやつ、相変わらず眉毛一つ動かさないな……いったい何があったら表情を変えるんだ?)」

スカーレット「ミス・カーター? お昼寝をするにはもってこいの陽気だけれど、交代要員が来るまでは我慢しないといけないわね」

訓練生C「すみません、教官。走ってきます……」

スカーレット「よろしい」

…二時間後…

ホワイト「よーし、ではそろそろおしまいにしようか。最後まで我慢できた君たちは実に忍耐強いな、将来が楽しみだ」

スカーレット「ミスタ・ホワイトの言うとおりね。どうしても秘密情報部員だとかエージェントだとか言うと、華々しい活躍や手に汗握るような破壊工作を想像しがちだけれど、実際はこうした単調で地味な任務がほとんどなの」

ホワイト「そう、残念ながらそういうものなのだ……さて、ずっと寝そべっていてすっかりあちこちがこわばってしまっただろう。牧場を一周して少し身体をほぐしておいで?」

ドロシー「結局走らされるのかよ……」

………

…別の日・牧場の厨房…

しわくちゃのお婆さん「ああ、いらっしゃい……この娘たちが新しい訓練生ね?」

…訓練生たちが集められた厨房は数十人分の食事がいっぺんにまかなえる大きさで、ピカピカに磨き上げられた銅製の鍋や鉄のフライパン、各種の調理器具がきちんと整頓されて取りそろえてある……ホワイトに引率されてやって来た訓練生たちを出迎えたのは白髪で笑いじわを口元に浮かべたエプロン姿の年配女性で、親しげな様子でホワイトに声をかけた…

ホワイト「ええ、ミセス・アプリコット……諸君、紹介しよう。君たちに家事や料理を教える、ミセス・アプリコット……アプリコット教官だ」

アプリコット「教官だなんて、そんなご大層なものじゃないわ……始めまして、皆さんに料理をお教えするアプリコットです、どうかお見知りおきをね♪」しわくちゃの顔一杯に優しい田舎のお婆ちゃんのような笑みを浮かべ、古めかしい作法で一礼した……

ホワイト「では、後はお願いします」

アプリコット「ええ、ミスタ・ホワイト……さて、皆さん手は洗った? エプロンは着けた?」

訓練生たち「「はい、ミセス・アプリコット」」

アプリコット「そうかしこまらないで結構よ……それじゃあ、皆さんには順番に料理とお菓子の基本をお教えしましょうね♪」

…調理台に開いた料理本を置き、数人ずつ呼んで基礎を教え始めたアプリコット……訓練生の中には下働きのメイドや料理屋の女の子として多少調理の心得がある者もいるが、反対に卵の割り方も知らないようなまったくの初心者もいて、アプリコットと二人の補助教官「オレンジ」と「シナモン」が丁寧、かつアルビオンらしい皮肉たっぷりに料理のイロハを教え込む…

訓練生D「出来ました、ミセス・アプリコット……」

アプリコット「そう。 ではさっそく見せてもらえる、ミス・デヴォン?」

訓練生D「……これです」

アプリコット「はて、これは何かしら……地面に落ちていた革手袋?」訓練生たちの間から思わずくすくす笑いが漏れる……

訓練生D「いえ、その……オムレツです……///」

アプリコット「そう。見たところ革手袋にしか見えないけれど、私の目が悪いだけかもしれないわね……ふむ、食感もごわごわしていて革手袋に似ているわ」

訓練生D「///」

アプリコット「……ミス・デヴォン、どうやら火加減を誤ったようね。プレーンオムレツは卵料理の基本にして最も難しいものだから細心の注意が必要よ。ではもう一度、さっき私が教えた通りにやってご覧なさい?」

訓練生D「はい……」

アプリコット「ではお次の方、出来上がった料理を持っていらっしゃい?」
642 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/04/17(月) 00:58:14.05 ID:i7ilfSoi0
………



ベアトリス「それじゃあドロシーさんとアンジェさんも?」

ドロシー「ああ、形ばかりはな」

ベアトリス「そういえばアンジェさんも一度オムレツを作った事がありましたね」

ドロシー「ああ、例の偽装亡命で壁越えのルートを探ろうとしたあいつの時か……そうだな、アンジェのやつ「買ってきた」とかなんとか言ってたが、きっと作ったんだと思うね」

ベアトリス「あれ、上手でしたよね」

ドロシー「あいつは何でもそつなくこなすからな……ファームで料理を習得させられた時もなかなかのものだったぜ」

ベアトリス「でも、アンジェさんってあんまりお料理やお菓子作りをしませんよね」

ドロシー「まぁ言うなれば「ガラじゃない」ってことだろうな……料理や家事みたいな技能に関してはなりきるカバー(偽装)がエージェントによって違うから、そこまで高いスキルが要求されないやつもいるし、反対にメイドや料理人に向いていそうなやつはみっちり仕込まれるんだ。そこは全員がある程度の水準を求められる暗号作成や安全な連絡の取り方みたいな「必須」の能力と違うところだな」

ベアトリス「なるほど」

ドロシー「でも、料理や菓子作りも必須じゃないとはいえなかなか厳しかったぜ? ある程度できるようになってくると教官が並んでいる所に料理を出したりするんだが……最初はみんなアプリコットの訓練を「優しいおばちゃんと楽しいお菓子作り」くらいに思っていたもんだが、訓練が進むにつれて「あのしわくちゃアンズばばあ」って陰口をたたくほどだったからな」

ベアトリス「ひどいですね」

ドロシー「なにしろそう言いたくなるくらい手厳しかったからな……『ミス・ドロシー、これはスフレかしら? 私にはしなびた花びらに見えるわ?』とか『味がしないわね、まるで未開の土地の地図のように真っ白』とか……今でもはっきり覚えてるよ」

ベアトリス「……くすっ」

ドロシー「笑い事じゃなかったぜ? しくじればやり直しだし、おまけに罰として皿洗いまでやらされるんだからな」

ベアトリス「確かにお皿洗いは大変ですよね……」

ドロシー「ああ……かくしてエージェントの卵として色々やらされて、最後はめでたく「卒業試験」ってわけだ」

ベアトリス「なるほど。それでアンジェさんとドロシーさんの場合はどんな「卒業試験」があったんですか?」

ドロシー「ああ、それか……私たちの時は革命騒ぎの混乱が収まるまでの間に急いでエージェントを植え込まなきゃならなかったし、情報収集だけじゃなくて荒事もできる人間が必要だったから、そんな悠長な課題じゃなかったな」

ベアトリス「というと?」

ドロシー「それなんだが、ある日いきなり街中のネストに連れて行かれたかと思うと教官からピストル一挺とナイフ一振りを渡されて、治安の悪い街区に行って札付きのちんぴらを始末してこい……って内容だったな」

ベアトリス「えっ?」

ドロシー「何も驚くようなことじゃない……騒ぎを起こさず街のごろつき一人バラせないようじゃあエージェントとして何かあったときに使えるわけがないからな」

ベアトリス「……でも、街で誰か殺されたら警察が調べたりするんじゃないですか?」

ドロシー「いいや。ああいうやくざ者は恨みを買っていることも多いし、殺されたとしても警察は面倒を起こす街のダニが一人減ったと喜ぶ程度で真面目に捜査したりなんてしないさ」

ベアトリス「そういうものなんですか」

ドロシー「そういうものさ。こいつは私の想像だが、コントロールは警察の前科者リストを持っていて、その中からいつ殺されてもおかしくないようなやつを選んでいるんだろう。そもそも連れて行かれた街区はパトロールの警官だって尻込みして行かないようなガラの悪い場所だし、まともに捜査がされるとも思えないな」

ベアトリス「なるほど……それでお二人は……」

ドロシー「ああ、ちゃんとやったよ……結局のところ、腕前を知りたいって言うよりは訓練生に「もう戻れないぞ」っていう覚悟をさせるための卒業試験だったんだろうな……」

………

…とある日・ファームの教官室…

アンジェ「失礼します」

ドロシー「教官、何のご用でしょうか」

ホワイト「ああ、二人とも来たか……まぁかけたまえ」

ドロシー「はい」

ホワイト「さて、と……実は君たちの「卒業」についてだが、これまでの成績も優秀だし、我々教官たちで相談した結果そろそろ「卒業試験」を行おうということになった。 おめでとう」

アンジェ「ありがとうございます」

ドロシー「それはそれは……で、その「卒業試験」はいつやるんです?」部屋に置いてある数少ない身の回りのものやあれこれを片付けることを考えて、教官に尋ねた……

ホワイト「今からだ」
643 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/04/23(日) 01:05:41.15 ID:REj/uLzP0
…西ロンドン・港湾地区のネスト…

ホワイト「さぁ、着いたぞ」

ドロシー「ようやくですか……あやうく腰痛になるところでしたよ」

…貨物自動車の運転席に座っていたホワイトが声をかけ、荷台との仕切り板をバンバンと叩くと、後ろに積まれた箱の中から愚痴をこぼしつつ降りてきたドロシー……続けてアンジェが出てきたが、こちらはいつものように顔色一つ変えていない…

ホワイト「若いのにだらしがないな……着替えや装備は奥の部屋にある。支度をしたまえ」

アンジェ「はい」


…ドロシーとアンジェが連れてこられた古ぼけた下宿屋の奥の部屋にはクローゼットがひとつあり、二人に合うサイズの衣服が数着ばかり畳んでおいてある……それから冷め切った暖炉の灰をかき分けるとレンガを敷いた炉床の下に隠しスペースがあり、それぞれに標準的なナイフ一振りと.320口径の小型リボルバーが一挺、互い違いになるように収納してある…


ドロシー「……どうやらこれを使えってことらしいな」

アンジェ「そのようね」

ドロシー「ああ……」

…愛想のないアンジェの相づちに生返事をしながらウェブリー&スコットの小型リボルバーを手に取ったが、何か気になった様子で弾の入っているシリンダーを開き、途端に「ちっ……」と小さく舌打ちをした…

アンジェ「どうかした?」

ドロシー「まぁな……簡単に言うとこういうことさ」そういうと中折れ銃身を開いて手のひらにバラバラと銃弾を出してみせたドロシー……

アンジェ「不良品ね」

ドロシー「ああ。しっかしこんな弾を装填しておくなんて、教官も底意地が悪いぜ♪」

…状態の悪い弾がシリンダーに込めてあるのを確かめると苦笑を浮かべ、錆び弾やゆがんでいる弾をゴミ箱に捨て、弾の入っている紙箱を探し出して状態のいいものを選び出す…

アンジェ「きちんと武器の状態を確かめるのも課題のひとつということね……ナイフをひと振りどうぞ」

ドロシー「おう……銃の片方は持って行けよ。先に選んでいいぜ?」お互いに「味方」であり、武器に細工をしてあざむいたりするような事はないと思ってはいるが、相手が安心出来るようにと先に武器を選ばせる……

アンジェ「ありがとう。そうさせてもらうわ」アンジェも銃のシリンダーを開き、不良品の銃弾を捨てるときちんと弾を込め直した……

…十数分後…

ホワイト「……準備は出来たかね?」

アンジェ「ええ」

ドロシー「出来ましたよ」

…教官たちの前にやってきた二人は格好も態度も上手く馴染んでいて、アンジェは地味なスレートグレイとあせた青色の服、手には手提げカゴの買い物スタイルで、ドロシーは濃いモスグリーンと黒に近いダークグレイの上下に古ぼけたボンネットをかぶり、働きに出ている家族のところへ弁当でも届けに行くといった雰囲気を出している…

ホワイト「結構……それでは出かけよう。アンジェ君は私と、ドロシー君はミス・スカーレットと一緒に行動したまえ」

ドロシー「よろしくお願いします」

スカーレット「こちらこそ」

…市内・港に近い街区…

ドロシー「……それで、試験の内容は?」

スカーレット「今から説明するわ……試験の目標はあの男を始末すること。手段は問わないけれど出来るだけ騒ぎを起こさず、確実に行うように」

ドロシー「あいつか……」

…教官の目線の先には、いかにも一癖ありげなちんぴらやくざが歩いている……服は汚れたツイードの上下に鳥打ち帽(ハンチング帽)で、耳たぶが醜く変形していて鼻梁がゆがんでいるところを見ると、どうやら賭けボクシングか何かをやっていたことがあるらしい…

スカーレット「……刻限は日付が変わるまで。終わったら尾行を避けてネストまで戻るように」

ドロシー「はい」

スカーレット「それから私はあくまでも採点役なので、もし警察などに追われるような事があっても手助けは一切しません。自力で振りきってネストまでたどり着くこと」

ドロシー「分かりました」

スカーレット「よろしい。では、好きな時に始めて……頑張ってね?」淡々と内容を説明すると角を曲がって離れていったが、去り際に少しだけ励ましていってくれた教官……

ドロシー「……もちろんですとも♪」

………

644 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/04/28(金) 00:58:01.65 ID:2OcjMk570
ベアトリス「……そ、それで」

ドロシー「ああ、無事に殺ったよ……」

………

ドロシー「……」

いかつい男「うい……っく」

…標的の男は身長も幅もたっぷりあり、気の小さい人なら近寄ることも遠慮するような裏通りを我が物顔でのしのしと歩いて行く……歩道に放り出されている生ゴミや、時には寝ている失業者の身体を脚でどかし、思い出したように上着のポケットからラム酒の瓶を取り出してはラッパ飲みしている…

ドロシー「……」

いかつい男「……んぐ、んぐっ」

…男は薄汚いパブや怪しげな下宿屋、それに古い調理油のすえた臭いを漂わせている料理屋を通り過ぎ、次第に運河の方へと歩いて行く……その後方、二十ヤードばかり後ろから早過ぎもせず、また遅すぎもしない歩みで決行のタイミングをうかがっているドロシー…

いかつい男「ちっ、無くなっちまった……」飲み干したラムの空き瓶を歩道に投げ捨て、ぶらぶらと歩いて行く……

ドロシー「……」

…左右の家々は崩れかけ、また煤煙で真っ黒に汚れていて、ときおり港を出る船が鳴らす出港の汽笛が「ボー……ッ」と余韻を残して鳴り響く……ドロシーは上着の下からウェブリー&スコット・リボルバーを抜き出すと、撃鉄をカチリと起こした…

いかつい男「……ひっく」

ドロシー「……」

…道端に捨てられている生ゴミやすり減っている歩道の敷石で滑ったりしないよう慎重に距離を詰めていく……大柄なドロシーだが訓練のおかげで足音を立てることもなく、標的の真後ろ、ほんの数ヤードの距離まで近づくとぴったりと照準を合わせた……そのまま小さくため息を吐くように軽く息をして、船の汽笛が鳴るのを待つ……と、また船の汽笛が長く尾を引くように鳴った…

ドロシー「……」パン、パンッ!

いかつい男「……っ!」突如心臓を撃ち抜いた二発の.380口径の銃弾に、胸をかきむしりながら裏路地に倒れ込む……

ドロシー「……よし」

…通り過ぎながら軽く身を屈め、首筋に指を当てて息の根が止まっている事を確かめると普段通りに歩き去る……緊張と興奮のためか身体は火照りを覚えているが、どうにか落ち着かせて運河沿いに出ると、弁当のサンドウィッチなどがよく入っていそうな紙包みでウェブリーをくるむと、何気ない様子で運河に投げすてた…

………

…半時間後・指定のネスト…

ドロシー「……」特定のリズムでドアをノックするドロシー……

スカーレット「あら、お帰りなさい」

ドロシー「どうも。無事に戻りましたよ」

スカーレット「そのようね……さ、中に入って?」

…居間…

スカーレット「……それで?」

ドロシー「数ヤード後ろから心臓に二発。きちんと確認もしました」

スカーレット「おめでとう、これで貴女は無事合格よ♪」さしたる家具もない下宿屋の一室なので「シャンパンでお祝いというわけにもいかないわね」と、注ぎ口の欠けたポットから薄い紅茶を注いでくれるスカーレット……

ドロシー「ありがとうございます」

…鋼のような精神を訓練で身に付けたはずだがそれでもわずかに手が震え、口もカラカラに渇いているドロシー……教官の前で余裕の笑みを浮かべてみせながらどうにかカップを持って、ぬるくて甘い紅茶をすすった…

スカーレット「いいえ……私も卒業試験が終わった時は手が震えたものよ♪」

ドロシー「教官にはすっかりお見通しでしたね」

スカーレット「いいえ、貴女は上手に隠せているわよ……ちょっとカマをかけてみたの」

ドロシー「おっと」

スカーレット「ふふ……それじゃあ、飲み終わったらここを引き払いましょう。この後は本部の指示に従ってカバーやレジェンドを作り、頃合いとなったら実際の任務に就くことになる」

ドロシー「ま、どうにかやってみせますよ」

スカーレット「貴女なら十分できるわよ、優秀な生徒だったもの……飲み終わったようね、行きましょう」二人はカップの紅茶を飲み干すと茶器を台所に片付け、裏口から霧がかった西ロンドンの街へと姿を消した……

………

645 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/05/03(水) 01:09:35.06 ID:IhOEUViF0
ドロシー「……かくして私とアンジェは無事エージェントとしてデビューすることになったわけだ」

ベアトリス「なるほど……でも、訓練を終えた段階でスパイになりたくないっていう人もいるんじゃないですか?」

ドロシー「無論そういうやつは一定数いる。基本的にエージェント候補になりそうなやつって言うのは退役、あるいは現役エージェントが役に立つ地位や素質を持っている「これ」って人間を管理官に伝え、そこから「スカウト」…ポインターなんて言ったりもするが…の連中が身辺調査をした上でリクルートするようになっているんだが、よっぽど覚悟か決まっているか、性に合っているやつじゃない限りはどこかの段階でおっかなくなって二の足を踏んじまうもんさ」

ベアトリス「分かります……でも、それじゃあせっかく訓練したのが無駄になっちゃいますね」

ドロシー「そこさ。情報部としては手間をかけて養成したあげく、施設や訓練内容みたいな機密を知った人間を「はいそうですか」と自由にするわけにはいかない」

ベアトリス「じゃあどうするんですか?」

ドロシー「そういう場合はたいてい脅迫か懐柔だな……訓練生としてこなす課程の中には多かれ少なかれ法に触れるものがあるし、訓練生自身も報酬目当てのやつとか、貧民街出身のやつなんかは前科(まえ)があったりして「叩けばホコリが出る」ような連中が多いからな」

ベアトリス「そうなんですね……」

ドロシー「ああ。だから訓練の課程を終えてから「情報部員として着任するのはイヤだ」なんて言ったら、別室に呼び出されて硬い表情でこういわれる事になる……「そうかね。だが君が今までしてきたことの証拠は全て我々が握っているんだよ? 君を一生『ボタニー・ベイ(オーストラリアの犯罪者流刑地)』送りにするのに十分な証拠がね」……ってな。なにしろ相手は国の機関だし、証拠をでっち上げるのだってお手の物だ。そもそも巻き毛のカツラをつけた裁判官たちだって「スパイの訓練学校に通っていた」なんていう話を信じてくれるわけがない」

ベアトリス「なるほど」

ドロシー「まぁ、あんまり追い込んで寝返りを打たれたりしちゃ困るから、脅迫に訴えるのは「最終手段」で、たいていは別の手段だがな……」

ベアトリス「……別の手段?」

ドロシー「ああ。そういった後ろ暗い経歴のないきれいなやつ……あるいはちょっとした脅しだけで言うことを聞かせられそうな小心者を従わせるのに使う手段だ」

ベアトリス「どんな手段ですか?」

ドロシー「そうだな、基本はこうだ……普通、課程を終えた訓練生は本格的にエージェントとして活動を始めるまで数ヶ月間「見習い」の期間がある。例えばあまり重要でない国に入国して、そこでカバーが馴染むまでごく当たり前の日常生活を送り「任務」と称して新聞記事を切り抜いて翻訳したり、大使館の小物を形ばかり尾行したりして、その情報を本国に送るだけっていう単調な任務だ」

ベアトリス「そういう任務もあるんですね」

ドロシー「ああ。もっとも私やアンジェの場合はコントロールが「植え込み」を急いだから、そういう期間はほとんどなかったがな……」

ドロシー「……ともかく、どういうわけかそんな任務にしちゃ本部の金払いがいい……例えば暮らしていくのに月あたり一ポンドもあれば充分なのに、十ポンドも送ってきたりする。管理官に聞くと「なに、これは『予備費』っていうことで取っておくといい。服だって一張羅というわけにも行くまいし、あまりみすぼらしい暮らしをしているとかえって怪しまれてしまうからね」ってなことを言ってくる」

ベアトリス「ずいぶん親切なんですね? それで手懐けるんでしょうか?」

ドロシー「無論、それで尻尾を振るような連中ならそれでいい……だが、もしその後でエージェントになりたくないなんて言うと大変だ」

ベアトリス「どういうことですか?」

ドロシー「この間まで何だかんだと金を渡してくれた管理官が急に冷たくなって「この経費の使い方はいったいなんだ?」とくる」

ベアトリス「え? だって使っていいって言ったのは管理官なんですよね?」

ドロシー「ああ、その通りだ。そして、そういう風に返事をしたとしよう。管理官はきっとこう言うだろうな「バカな、私はあくまでも『予備費』だと伝えたはずだ。無駄金を使えと言った覚えはない。それで一体この浪費をどうする気だ?」とね」

ベアトリス「そんなの反則ですよ「使っていい」って言っておいて、使ったら「無駄遣いだ」だなんて」

ドロシー「ああその通り、そしてあちらさんはそれが狙いなのさ……事実としてバカみたいに経費を使っちまった以上、返すか公金横領で逮捕されるかのどっちかしかない。だがエージェントのひよっこにそんな大金なんてありゃしない。となると後は泣きべそをかきながら言うことを聞いて任地に向かうしかないわけだ」

ベアトリス「それじゃあその使い込んじゃったお金はどうなるんですか?」

ドロシー「人によりけりだな。エージェントとしての成績が良ければチャラにしてくれるし、成績が悪けりゃ返し終わるまで報酬から天引きされる……中には派手に使っちまったあげく十数年経っても引退できずに、下働きをさせられてる奴さえいるって話だ」

ベアトリス「うわぁ……」

ドロシー「だからさ、お前さんみたいに仕方なしにやっているくらいがちょうどいいんだよ……『秘密情報部員』なんていうと格好いいように聞こえるが、実際はケチな本部をせっついて活動費をねだったり、冷たい屋根瓦の上で一晩張り込みをしたり、いい目にあえることなんて滅多にないんだからな」

ベアトリス「でも、その割にドロシーさんはいつも楽しげに振る舞っていますよね?」

ドロシー「そりゃあ私の境遇から言えばエージェントとして送る生活の方がはるかにマシだからさ。いい食事に上等な酒、可愛い女の子との逢瀬……ドブの中を這いずり回るような生活と比べたら天と地ほどの違いだろ? どのみち「辞める」といって辞められるようなもんでもないし、だったらせめて楽しめるところは楽しまなきゃな♪」

ベアトリス「……」

ドロシー「なぁに、そんな深刻な表情(かお)をすることはないさ。これでもパクられる事のないよう気を使ってもいるしな……無事に引退したらどっかの田舎に邸宅でも買い込んで、ここでの刺激的な毎日を思い出しながらのんびり過ごすさ」

ベアトリス「そう、ですね……」

646 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/05/09(火) 01:04:48.67 ID:iKIAPhVY0
ドロシー「……プリンセスのことか?」ベアトリスの表情が陰ったのを見ると「話してみたらどうだ?」という響きを声に込め、水を向けた……

ベアトリス「はい……」

ドロシー「そうだろうな。お前さんのその忠誠心は立派なもんだ……冗談で言っているわけじゃないぜ?」

ベアトリス「ありがとうございます」

ドロシー「礼なんていい……これも前に言ったと思うが、あの人は立派なもんだ。 正直なところ、この任務に就いたときは「王国なんてぶっ潰れちまえばいい」って考えていた私が、最近はプリンセスにならアルビオンを任せても良いかもしれないと思うようになってきてるんだからな」

ベアトリス「ドロシーさん……///」

ドロシー「おっと、言っておくが今のは皆には内緒だぜ?……とにかく、お前は他人に気を使う性質(たち)だし、アンジェの事があるから遠慮しちまうかもしれないが、そんな必要はないんだからな? 甘えたかったらうんと甘えりゃいい。プリンセスだって変に気を使われるより、その方が気が休まるってもんさ♪」

ベアトリス「……そう、ですね」

ドロシー「そうとも……さて、それじゃあ今日の授業はこれでおしまい。部屋に戻っていいぞ♪」

ベアトリス「ありがとうございました」

…寮の寝室…

ベアトリス「……ただいま戻りました」

プリンセス「お帰りなさい、ベアト」

ベアトリス「はい」

プリンセス「今日はドロシーさんたちと『お勉強』の日だったわね?」

ベアトリス「そうです。あ、書き終えた手紙は私が……」

…どこで誰に聞かれているか分からないメイフェア校の中では、基本的に言葉を置き換えているプリンセスたち……例えば「情報活動」は「クラブ活動」に「訓練」は「勉強」に、「ネスト」は「店」にと、口を滑らせたり盗み聞きされることがないよう注意をしている……ベアトリスが戻るとプリンセスはサインをしたためた各地の支持者や信奉者への手紙の返事の束をかたわらに屈託のない微笑を浮かべて出迎え、ベアトリスもいつものようにいそいそと手紙の束を棚にしまった…

プリンセス「ありがとう、ベアト」

ベアトリス「いえ、これも私の務めですから」

プリンセス「ふふ、ベアトは立派ね……」

ベアトリス「そんな……///」プリンセスに褒められると、自分でも分かるほど嬉しさがこみ上げてきて顔を赤らめてしまう……

プリンセス「謙遜はなしよ、ベアト?」

ベアトリス「あ……ありがとうございます、姫様」

プリンセス「ふふっ。さて、それでは頑張りやさんのベアトには何かご褒美をあげなくちゃいけないわね♪」

ベアトリス「そんな、ご褒美だなんて……私はするべき事をしているだけですし、そもそも姫様のお側にいられるだけで満足で……///」つい口が滑って、プリンセスに対する思慕の一端をのぞかせてしまう……

プリンセス「まぁ、ベアトったら大胆ね♪」

ベアトリス「///」

プリンセス「ふふ、何も顔を赤らめることなんてないのに……分かったわ、それじゃあなんでもベアトの好きなお願いを聞いてあげます♪ ただし、私に出来ないことはだめよ?」

ベアトリス「好きなこと、ですか?」

プリンセス「ええ。なんでも、ベアトの好きなこと♪」

ベアトリス「そう、ですね……」

…どちらかというと引っ込み思案で遠慮がちな性格をしているベアトリスは、そこまで言われてもなお遠慮しようと口を開きかけたが、ふとドロシーの言っていた言葉を思い出した…

ベアトリス「……(「甘えたかったらうんと甘えりゃいい」ですか……)」

プリンセス「どうしたの、ベアト?」

ベアトリス「えぇと……その、よろしければ姫様と添い寝をさせていただいても……///」

プリンセス「ええ♪ ベアトと一緒にベッドで寝ていると、なんだか私も寝付きがいいような気がするの……喜んでご一緒させていただくわ♪」

ベアトリス「あ、ありがとうございます/// ではお休みになる前に、まずは入浴を済ませてしまいましょう。先に寝具の支度を済ませておきますね」

プリンセス「ええ、お願い」

…恥ずかしさを隠すようにいそいそと布団を整え、冷えた布団で風邪など引かないようウォーミング・パンを使って寝具を暖めておく……それから浴用着(バスローブ)やタオル、固体石鹸などを持った…

ベアトリス「用意が出来ました、姫様」

プリンセス「そう、それじゃあ参りましょう♪」
647 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/05/18(木) 01:22:42.89 ID:jCKmdbj20
…メイフェア校・浴場…

プリンセス「普段はにぎやかな場所にこうして二人だけで来ると、なんだか新鮮な感じがするわね」

ベアトリス「姫様の気持ち、分かります」

プリンセス「ね? それになんだか二人きりで秘密めいたことをしようとしているみたいで、ちょっと背徳感もあるわ……♪」

ベアトリス「そ、そうですね……///」

プリンセス「まぁ、ベアトったら照れちゃって♪」

ベアトリス「てっ……照れてなんかいません///」

プリンセス「ふふ、いいのよ♪」

ベアトリス「むぅぅ……」

…甘い親しげな笑顔を浮かべてからかってくるプリンセス……ベアトリスは頬を膨らませながらも、親しげな表情を浮かべてくれるプリンセスの態度にまんざらでもない様子で、浴用スポンジに使う海綿やラベンダーの良い香りがする固体せっけん、それにプリンセスが湯上がりに羽織るバスローブなどを用意し、それからお湯の蛇口をひねった…

ベアトリス「いまからお湯を溜めますね……」

プリンセス「ええ」

…ありがたいことにケイバーライト技術を応用したボイラーのおかげで、お風呂のお湯を沸かすにもいままでのようにいちいち火をおこしたりススだらけになったりという手間はかからない……そしてうまいことにボイラーに口火が残っていたので、すぐ温かいお湯が出始めて真鍮製の脚付き浴槽を満たし始める…

ベアトリス「湯加減は……ちょうど良い温かさですね」

プリンセス「どう、ベアト?」

ベアトリス「はい、もう入れますよ……それでは失礼いたします」プリンセスのナイトガウンに手をかけて帯やリボンをほどいていく……

プリンセス「もう、服くらい私一人でも脱げるのに」

ベアトリス「そういうわけには参りませんから。それに私もこうしているのが好きですし」

プリンセス「私の事を脱がすのが?」

ベアトリス「ち、違いますっ! こうして姫様のお世話をするのがという意味ですっ!」

プリンセス「くすくすっ♪ 分かっているわ。ベアト、貴女がいつもこうして甲斐甲斐しくお世話をしてくれて、私は本当に幸せよ?」

ベアトリス「……あ、ありがとうございます///」

プリンセス「いいえ♪ それじゃあお風呂に入りましょうか……ベアト、貴女もいらっしゃい♪」ちゃぽん……とつま先から浴槽に浸かったプリンセスだったが、かたわらで控えているベアトリスに向かってチャーミングかつ親しげな笑みを浮かべると、可愛らしい手つきで手招きした……

ベアトリス「いえ、私はそんな! それにこのバスタブは二人はいるには狭すぎますし……」

プリンセス「いいからいいから♪ 身体を詰めて入れば二人くらい大丈夫よ♪」

ベアトリス「うわわっ!」

…プリンセスに手を引かれ、まるで引きずり込まれるようにして浴槽に飛び込む形になったベアトリス……濡れても大丈夫なように出来ているが、あまり見られるのが好きではないので人工声帯の部分にはリボンを結び、身体には浴用着をまとっていたがそれらがびしょ濡れになって、まだあどけなさの残る身体を浮き上がらせる…

ベアトリス「も、もう……姫様ってば、ときどき強引なんですから///」

プリンセス「ふふっ、そうかもしれないわね……さ、洗いっこしましょう♪」

ベアトリス「わ、私は浴用着のままですよ?」

プリンセス「……だったら脱がさないといけないわね♪」クスッと小さな笑い声をプリンセスだが、その表情にはベアトリスをドキドキさせてしまう、愛を交わす時だけにプリンセスが見せる妖しい艶っぽさが交じり始めていた……

ベアトリス「姫様……な、なにを……///」

プリンセス「ふふふっ、ベアトったらそんなに警戒しちゃって……ただ身体を洗うのに服が邪魔だから脱がせようとしているだけで、なにもイタズラなんてしないから……ね♪」

ベアトリス「で、でも手つきがいやら……ひゃあっ///」

プリンセス「あらあら、そんな大きな声をあげたら寮監に見つかってしまうわよ……?」ふにっ……♪

ベアトリス「うっ、それはそうですけれど……あんっ///」

…くすくす笑いをしながらわざと胸元に手を入れたり、脇腹をくすぐったりと悪さをしながら服を脱がせていくプリンセス……一方のベアトリスはバスタブの中でばちゃばちゃと身体を暴れさせてお湯をはねかしていたが、結局は首のリボンを除いてゆで卵をむくようにすっかり裸になって、恥ずかしさとくすぐったさのせいで顔を真っ赤にし、激しく胸を上下させている…

プリンセス「まぁ、ベアトったらお洋服を脱ぐのがお上手ね♪ それじゃあ洗いっこしましょうか♪」

ベアトリス「は、はい……///」からかわれても、もはや言い返す余裕すらないベアトリス……プリンセスは置いてあった海綿を取ると石鹸を泡立て、バスタブの中でベアトリスの身体を洗い始めた……

プリンセス「ふふ、こうしているとまるで姉妹になった気分ね♪」

ベアトリス「そんな、姫様と姉妹だなんて……///」おそれ多いとますます顔を赤らめるベアトリス……

プリンセス「あら、ベアトは姉妹じゃなくて新婚さんの方がいいのかしら?」

ベアトリス「そういう意味では……っ///」
648 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/05/25(木) 00:54:32.68 ID:P2/xeLtD0
プリンセス「そう……だとしたらどういう意味だったのかしら?」

ベアトリス「姫様ってば意地悪です……///」

プリンセス「あぁ、ごめんなさい。 そうやって色々な表情を見せてくれるベアトが可愛いものだから、ついつい意地悪を言ってしまうの……許してちょうだいね?」

ベアトリス「許すも許さないもありませんよ、だって姫様は私の……///」

プリンセス「しっ、寮監の見回りだわ……!」

ベアトリス「あわわ……」

…コツ、コツッ……と、時を刻む秒針のように正確な靴音を廊下に響かせて見回りにやって来た寮監……とっさにプリンセスは、慌てふためきながら浴用の道具を拾い集めては胸元に抱え込んでいるベアトリスを抱き寄せると、目隠しの板で隠されているパイプの列の後ろに引きずり込んだ…

寮監「なんだか湯気が残っているみたいだけれど……まぁ、誰なのかしら。 こんなに散らかしたままにして……」

ベアトリス「ど、どうしましょう姫様……入って来ましたよ」

プリンセス「しー……見回りもあるのだから、すぐ行ってしまうはずよ」

寮監「まったくだらしのない……」浴槽の栓を抜く音と共に、貯めてあったお湯が排水パイプを流れていく響きがこだまする……どうやらあちこち深く探し回るつもりはないようで、そのまま踵を返して出て行こうとする……

プリンセス「ふぅ……ちょっと、ベアト?」

ベアトリス「ふ、ふわ……ほこりが、鼻に入って……くしゃみが……」

プリンセス「…んっ///」

ベアトリス「ん、んふ……っ!」

…両腕でベアトリスを抱いている以上、口元を押さえる方法はひとつしかない……瞬時に判断して唇を押しつけ、口を塞ぐようなキスをしたプリンセス……間一髪のところでベアトリスのくしゃみはくぐもった響きで押さえられ、パイプを伝って流れ落ちていくお湯の音にかき消されて寮監の耳には入らなかった…

プリンセス「ふー……前にも同じようなことがあった気もするけれど、こういうのはいつでもスリル満点ね、ベアト?」

ベアトリス「済みません、どうにも押さえられそうになくって……///」

プリンセス「でも無事に見つからないで済んだのだし「結果良ければそれで良し」……でしょう?」

ベアトリス「は、はい……」

プリンセス「さ、次の見回りに来る前に身体を流してしまいましょう?」そう言ってもう一度浴槽の元にやって来たがお湯はすっかり抜かれてしまい、最後に残っている少量の泡だけがゆっくりと排水口に吸い込まれている所だった……

プリンセス「あらあら……仕方ないからシャワーで流すだけ流して、それでおしまいにしましょう?」

ベアトリス「そうですね」もう一度シャワーの栓をひねると、プリンセスとの心安まる一時が予定していたよりもずっと早くおしまいになってしまったことを残念に思いながら、丁寧にプリンセスについた泡やほこりを洗い落とした……

プリンセス「ありがとう、ベアト……それじゃあ貴女の事は私がしてあげる。シャワーの下に立って?」

ベアトリス「いえ、私は自分でやりますから……」

プリンセス「遠慮しないでいいの。 私がベアトのためにしてあげたいのだから……ね♪」

ベアトリス「姫様がそうおっしゃるのでしたら……///」

…恥ずかしげに小柄な裸身をシャワーの下に立たせ、プリンセスの手とスポンジが身体を流していくのに任せるベアトリス……慎ましやかな胸や細い腰、それにプリンセスの願望のために重荷を背負わせてしまっている小さな背中……慈しみと愛情を込めながら、石鹸の泡を洗い落としていく…

プリンセス「はい、これで綺麗になったわ……それじゃあ身体を拭いて、見つからないうちにベッドへ戻りましょうか」

ベアトリス「そうですね」

…プリンセスは肩の力を抜いて立ち、ベアトリスがタオルを持って拭くのに任せた……そして遠慮するベアトリスから彼女のタオルを取り上げ、全身を拭いてあげる……ある程度身体が乾いたところでバスローブを羽織ると、抜き足差し足で浴室を後にした…

…寝室…

プリンセス「ふふっ……ああいうのは小さかったとき以来だから、すっかり童心に返った気分♪」

ベアトリス「もう、笑い事じゃあありませんよ」

プリンセス「そうね……ふふ♪」髪をくしけずってもらいながら、小さく笑い声を漏らした……

ベアトリス「……できましたよ、姫様」

プリンセス「ありがとう、ベアト……それじゃあいらっしゃい♪」

ベアトリス「はい……それと、ぎゅってしてもよろしいでしょうか///」

プリンセス「あらあら、今日のベアトは甘えんぼさんね♪」

ベアトリス「はい、今日は姫様に甘えたい気分なんです///」

プリンセス「ふふふ、どういった風の吹き回しかしら……でも嬉しいわ、ベアトがそうやって私に抱きついてくるの♪」

ベアトリス「……私も、姫様とこうやっていられるのが好きです」

プリンセス「ありがとう、ベアト……ちゅっ♪」
649 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/06/04(日) 01:11:27.57 ID:XO73BalL0
ベアトリス「姫様……///」

プリンセス「あら、ベアトったらそんな表情をして……誘っているの?」

ベアトリス「いえ、あのっ……///」

プリンセス「……ふふ、今日は好きなように甘えていいって言ったはずよ?」

ベアトリス「そう、でしたね……では、その……失礼します///」

プリンセス「ええ。いらっしゃい♪」

ベアトリス「はい。 はむっ…ん、ちゅ……///」

…ほのかな温もりが心地よい寝具の中で両のかいな(腕)を開いて、ベアトリスを迎え入れるような姿勢をとったプリンセス……その柔らかな胸元に顔を埋めるようにして、ベアトリスは乳液の甘い香りがするプリンセスの乳房に赤子のように吸い付いた…

プリンセス「ん、ふふっ……くすぐったい♪」

ベアトリス「ちゅぱ……ちゅむ……っ///」

プリンセス「あっ、ん……ベアト、上手よ///」

…けっして「遊び半分」とまでは言わないが、ベアトリスとベッドを共にするのはあくまでも心の癒しであって、無垢な子供同士のじゃれ合い程度に思っていたプリンセス……が、アンジェやドロシーに教わったのかベッドでの技も最近はめっきりと上手になってきていて、乳房の先端に吸い付き、思い出したように甘噛みしたり舌で転がすベアトリスの思っていたよりもずっと高等なやり方に思わず甘い声が漏れる…

ベアトリス「んちゅっ……かぷっ……ちゅぅ……ぅっ♪」

プリンセス「はぁ、あぁ……あふっ……ん♪」

ベアトリス「ちゅぽ……姫様、気持ちいいですか///」つと口を離すと、頬を赤らめて尋ねた……

プリンセス「そういうことは聞くものじゃないでしょう、ベアト……でも、とっても気持ちいいわ♪」

ベアトリス「良かったです、一生懸命練習しましたから……///」

プリンセス「ふふっ、ベアトは何事にも熱心だものね♪ でも、ベアトは誰とこういうことを「練習」したのかを考えると少し妬けてしまうわ……♪」ベアトリスのあごに人差し指をあてて、つう……っとなぞっていく……

ベアトリス「そ、それは……やり方そのものはアンジェさんやドロシーさんに教わりましたが、練習相手はティーポットの注ぎ口ですとか、あくまでも無機物が相手です……っ///」

プリンセス「そう……でも、そのティーポットはずるいわね。こんな風にベアトが一生懸命ちゅぱちゅぱしてくれただなんて……どのティーポットか分かるものなら、私、きっとそのポットを壊してしまうわ♪」

ベアトリス「そうおっしゃられましても……///」

プリンセス「ふふふ……私って、意外とわがままで嫉妬深い女なの♪ ベアトが誰かに奉仕していたり悦ばせていたりしたのかも……なんて思うと、少しだけ暗い炎が胸の奥底に燃え上がる気がするわ」

ベアトリス「でも、それだけ姫様は私の事を思ってくれているという事ですから……///」

プリンセス「まぁ///」

ベアトリス「……い、いまのは聞かなかったことにして下さい///」

プリンセス「あら、ベアトのせっかくの愛の言葉を? そんなのは出来ない相談ね♪」ぎゅっとベアトリスを抱きしめ、すべすべした脚を細くきゃしゃなベアトリスの腰に絡める……

ベアトリス「姫様……ぁ///」くちゅ……ぬちゅり♪

…湯上がりの温もりと石鹸の香りを残した二人の身体が重なり合い、次第にとろりと濡れた秘部が擦れて粘っこい音を立て始める……プリンセスはベアトリスの一番鋭敏な部分を知り尽くしていて、太ももを重ね合わせ、指を這わせるたびにじっくりとベアトリスの花芯を刺激していく……プリンセスが指を這わせ滑らせると、次第に口を開いて熱にうかされたような、あるいは惚けたような表情で甘えた声を上げはじめるベアトリス…

プリンセス「ベアト……可愛い♪」

ベアトリス「はっ、あ、あふ……っ♪」

プリンセス「ちゅ……っ♪」ベアトリスが悦ぶ甘くて優しいキスを唇や胸元、そして布団に潜ってお腹やすでにとろとろに濡れている柔らかな秘所へと、連絡網の中継点を作るかのように点々としていく……

ベアトリス「ふわぁぁっ、あふっ、はひっ……姫しゃま……ぁ///」

プリンセス「まぁ、ベアトったら♪ 舌っ足らずになっちゃうほど気持ちいいの?」

ベアトリス「はひっ、姫様にキスされて……きもちいいれひゅ……♪」とぽっ、とろっ……くちゅっ♪

プリンセス「ふふ、ベアトが悦んでくれて嬉しいわ……それじゃあもっと気持ちよくなってくれるように……えいっ♪」布団の中、ベアトリスの柔らかな秘所に中指と薬指を滑り込ませた……

ベアトリス「ふあぁぁ……っ♪」とろっ、ぷしゃぁぁ……っ♪

プリンセス「まぁまぁまぁ、ベアトったらイくときまで可愛い……その可愛いお声をもっと聞かせて♪」ぐちゅぐちゅっ、じゅぷっ……ぬちゅっ♪

ベアトリス「姫さま……んあぁぁぁ……っ♪」

プリンセス「もう、ベアトったらそんなに声を立てたら隣室にまで聞こえちゃうわよ……ベアト?」

ベアトリス「はひっ、あへ……ぇ♪」

プリンセス「ふふ、ベアトったら気持ち良すぎて失神しちゃったのね……そんなところも可愛いわ♪」布団から顔を出すと、快感のあまり半分気絶したようにして眠り込んだベアトリスを眺めて小さく笑った……

プリンセス「……でも、私はまだ物足りないのに♪」

プリンセス「まぁいいわ、今度はベアトにも最後まで付き合ってもらうとしましょう♪」布団をかけ直すと、ゆったりと目を閉じた……
650 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/06/16(金) 01:10:34.75 ID:svihkbHi0
…Case・アンジェ×ちせ「A short trip in Normandy」(ノルマンディ小旅行)…

…とある日・ロンドン自然史博物館…

ドロシー「……今日はこんな場所でランデヴーか、よくもまぁ毎回いろいろと考えるもんだ」

L「ああ。なにせ君の肩書きは「学生」だからな……勉学に励む女学生ならこういった特別展に行くのも何ら不思議ではあるまい。同時に私も「アルビオン共和国大使館文化振興局」などと言う立場にある以上、今回の特別展に合わせて共和国が貸し出した化石のコレクションを視察に来たとしても、なんらおかしな事はない」

ドロシー「まぁ、それはそうだが……それにしても、昔こんなのが歩いたり飛んだりしていたなんて……何とも恐ろしげじゃないか?」

L「そうだな」

ドロシー「中世の騎士物語にある「ドラゴン」とかも、案外こういうのの生き残りか何かだったのかもしれないな」

L「そうかもしれん」

ドロシー「……それで、今度はどこで何をすればいい?」しびれを切らして本題に入るドロシー……

L「場所はフランスだ」

ドロシー「フランスだって?」

L「そうだ。わが方の情報部員がフランス政府の機密情報を入手してアルビオン王国領のノルマンディ飛び地まで到着したのだが、現地のエージェントはあいにく他の任務で出払っていて、現在のところ情報の受け渡しができる人間がいない。その人間のカバーから言って、海峡を渡るようなことをする人間ではないので、誰かに取りに行かせる必要がある」

ドロシー「ちょっと待て。その情報部員のやつ、どうしてカレー(パ・ド・カレー)じゃなくてノルマンディくんだりにいるんだ?」

L「理由は簡単だ。なぜならフランス側も『カレーが最短距離だと知っている』からだ」アンモナイトの化石に顔を近づけながら、つぶやくように続けた……

L「……情報を持ち出した人間は一刻も早くコンタクトと接触して情報の受け渡しを図ろうとするだろうと、海峡の距離が最も狭いカレーの港には大勢のフランス防諜部が網を張っている……そんなところで受け渡しを行うのは無用なリスクが多すぎる」

ドロシー「だからってノルマンディって事はないだろう……王国の飛び地だぞ?」

L「むしろノルマンディだからこそ、だ。 王国領であるノルマンディならフランス側は活動を制限されるし、王国とフランスの間で様々なものや人が往来しているあの地方では多少怪しげな人間がいても誰も気にしないし見とがめられない。それに君たちのカバーは王国の女学生だ。ちょっと小旅行で出かけてもなにも不思議はない」

ドロシー「それで私たちに……ってか」

L「いかにも。ちょうど今度の週明けには祝日があって休日が増える。三日あればすむ単純な任務だ」

ドロシー「分かった、分かったよ……旅券は?」

L「君たちの「本名」のものとは別に、途中で好きな偽名を使えるよう名前欄を空欄にしてあるものをすでに用意させてある。それに何かと使うこともあるだろうから、現金もポンドとフランで用立てよう……ただし、余計な買い物はなしだぞ」

ドロシー「分かってるよ、経理の連中にどやされちまうものな♪」

L「そうだ。あれは消化に悪い」

ドロシー「はいはい……」

…そのころ・日本大使館内の一室…

ちせ「……仏蘭西(フランス)行き、でございますか」

堀河公「うむ。我が国の軍備を整え列強の餌食とならないためにも、アルビオンはもちろん、大陸の情勢や軍事技術も知る必要がある……そのため諜報員を送り込んでいるのだが、このたび新しい暗号表を送り届ける事になってな。そこでそなたには暗号表を運び、無事に現地駐在員へ手渡してもらいたい」

ちせ「はっ」

堀河公「本当はこうした尻尾を掴まれる危険のある任務にそなたを使いたくはないのだが、近頃はフランスで行っておる我が方の情報活動に対する不穏な動きが続いていてな……先般も本国政府から大使館職員や武官たちに送り届けようとした最新型の「二十六年式拳銃」を始めとする武器が輸送の途中に窃取されておる」

ちせ「きな臭い話でございますね」

堀河公「いかにも……しかも今回は小火器どころかこちらの暗号表だ。おそらくアルビオンやフランスを始めとする列強も奪取する機会があるとなればこれを手に入れようとするはずだ……よいか、もし暗号表の強奪や窃取をくわだてる者があれば斬り捨てて構わん。後処理はこちらでする」

ちせ「承知いたしました」

堀河公「現地までの渡航に関する手はずは追って指示する……それと、これを持って行くとよい」

ちせ「これは……!」刀掛けに載せてあった脇差を受け取ると、思わず息を呑んだ……

堀河公「さすがだな、見ただけでわかるか」

ちせ「はっ。古来よりの鍛造技術にケイバーライト技術を始めとする新たな技術を盛り込んだという新機軸の脇差……銘「備前兼光・改」にございます」

堀河公「さよう。これは本国からの出立に際してもって来て、いままで私の手元に置いてあった一振りなのだが……おぬしが持っていた方がより役立つだろう。構わぬから持ってゆけ」

ちせ「かたじけのうございます」

堀河公「なに。おぬしの活躍は報告書でも読んでいるが、実に良くやってくれておる……この一振りはその褒美とでも思ってくれ」

ちせ「ありがたき幸せに存じます」

堀河公「うむ、これからも怠りなく励んでくれい」

ちせ「ははっ!」
651 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/06/26(月) 01:03:22.86 ID:iH/5GVNv0
…メイフェア校・中庭…

ドロシー「なに、それじゃあちょうどフランス行きが重なったってわけか」

ちせ「いかにも」

…ちせは紅茶に砂糖とミルクをたっぷり入れて甘くしたものをすすり、アンジェはブラックティー(ストレートの紅茶)をゆっくりと口に含んでいる……ドロシーはスコーンにクローテッドクリームとクランベリーのジャムを塗ってちせの皿に取り分けつつ眉をひそめた…

アンジェ「あるいはどちらかが動きを察知して、偶然を装ったのかもしれない」

ドロシー「そっちの方があり得るな。 ま、何はともあれ仲良くやろうじゃないか♪」

ちせ「うむ。 フランス語は皆目分からぬのでよろしく頼む」

ドロシー「なーに、そいつはアンジェに任せておけばいいさ……そうだろ、アンジェ?」

アンジェ「ええ」

…数時間後・ロンドン市内のコーヒーハウス…

L「……なるほど。例の日本から来た娘をこちらのグループに加える、と」

ドロシー「ああ……あちらさんはあちらさんで任務があるようだが、こっちとしては行程の重なり合う部分で都合の良いように使えれば……そう思ってね」

…常にリスクを考え、冷徹なまでに任務の遂行を要求してくる「コントロール」に対して、ちせのことを「仲間として信頼しているから」などとは言いにくいドロシー……そこで、あくまで表面上は「こちらの利益」になると利点を強調し、Lに対してちせを加えたプランを披露した…

L「ふむ、不必要な情報の共有は避けたいが……まぁ良いだろう」

ドロシー「そうかい。それじゃあ追加の船の切符やその他もろもろ……用意を頼むぜ」

L「分かっている。明日の午後には用意しておく」

ドロシー「あいよ」

…翌日…

ドロシー「……それで、今回のカバーはこうだ」

…蝶々や鳥類、小動物、あるいは珍しい植物の標本が壁に並べられている部室で「白鳩」全員を集めて任務の説明に入るドロシー…

ドロシー「まずアンジェだが、アンジェはフランス人にも見破れないほどフランス語ができるし、名前もフランス風だからフランス人になりすます」

アンジェ「ええ」

ドロシー「私もフランス語は分かるが、お世辞にもフランス人そっくりとはいかないから「ノルマンディ地方の観光に来たアルビオンの金持ち令嬢」って役回りだ」

ちせ「ふむ……して私は?」

ドロシー「ちせは私が雇っているメイドってことにする……申し訳ないが、フランス語はからっきしで、おまけに「東洋人」となりゃその方が目立たないからな」

ちせ「なるほど……」

ドロシー「悪く思わないでくれよ? それで、全体のカバーはこうだ……」

ドロシー「……フランス人の友人アンジェに案内されて、アルビオンの令嬢でプレイガールの私が東洋人の召使いであるちせを連れ、週末に「イイコト」を楽しむためフランスへ来た……これなら宿や地元のフランス人にあれこれ詮索されたくないっていう理由にもなるし、そういう遊びを愉しみにノルマンディ飛び地に行く王国人は意外といるからかえって目立たない」

ちせ「ふむ」

ドロシー「……うなるほど金を持っているが頭は空っぽで、遊ぶことにしか興味がないアルビオンのバカな金持ち令嬢と、その「お友達」をしているが内心では軽蔑しきっていて、隙あらば散財させて金をむしり取る小ずるいフランス人って設定は、日頃アルビオンの人間を馬鹿にしているフランス人からすればまさに「イメージ通り」ってところだからな。宿代をふっかけるとかするだけで、素性なんかは気にも留めないだろう」

ちせ「なるほど」

ドロシー「何しろアルビオンの人間ときたら、色恋の駆け引きや口説きが下手なくせにすぐスケベな真似をしようとするからな。 フランスの連中はそういう不器用なさまを見て、裏で小馬鹿にしながらくすくす笑ってやがるわけさ♪」にやにや笑いを浮かべながら冗談めかした……

アンジェ「少なくとも、そう認識してくれればいい……問題はこの週末にフランス旅行をしているメイフェア校の知り合いと出くわしてしまうということだけれど……」

ドロシー「それに関しては調べたかぎりそういう予定のあるやつはいなかったし、泊まる宿もそういう後ろめたい「お楽しみ」のために来る旅行者が選ぶようなホテルを取っておいたから問題ないはずだ……仮にもしそんなホテルでクラスメイトに鉢合わせしたら、その時はお互いに意味深な笑みを浮かべて「しーっ♪」ってな具合さ」唇に人差し指をあてて、色っぽいウィンクを投げてみせるドロシー……

ちせ「ふむ、何から何までよく考えられておるの」

ドロシー「まぁな……船の切符はこっちの方で用意しておいた。現地に到着するまでは「本名」で過ごし、向こうに着いたところで今いった「カバー」に切り替える」

ちせ「承知した」

アンジェ「……プリンセス、貴女は今度の連休を宮殿で過ごすそうだから動きようがない。その間はいつものように情報収集に当たっていて欲しい」

プリンセス「ええ」

アンジェ「結構……それからベアトリス」

ベアトリス「はい」

アンジェ「その間のプリンセスのお世話と護衛、それに情報収集は任せたわ」

ベアトリス「頑張ります」
652 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/07/01(土) 01:29:21.43 ID:sybd//jF0
…出発前夜…

ドロシー「よう」

アンジェ「……遅かったわね」

ドロシー「ああ、わりぃ。何しろ寮の女の子につかまっちまって……追い返すわけにもいかないし、夜のバラ園でお月様を見ながらお話してたのさ♪」

アンジェ「そう」

…週末と祝日が重なった連休ということもあり、メイフェア校ではドロシーたち以外にも小旅行を計画している生徒がいて、楽しげなおしゃべりや雰囲気からどことなく浮ついた気分が感じられる……部室でトランクに荷物を詰めているアンジェは準備に余念がなく、その隣ではアンジェの旅支度をにこにこしながら眺めているプリンセスと、心配そうにしているベアトリスが好対照を見せている…

ドロシー「どうだ、そっちも旅支度はできたか?」プリンセスと向かい合って紅茶をすすっているちせに尋ねた……

ちせ「うむ、準備は万端じゃ」

ドロシー「そいつは良かった……アンジェ、お前は?」

アンジェ「……これで全部よ。問題ないわ」きちんと荷物を詰めると、まるでトランクの寸法に合わせたかのようにぴたりと荷物が収まった……

ドロシー「だろうな」

アンジェ「そういう貴女は?」

ドロシー「ああ、もう済ませておいた」

ベアトリス「くれぐれも気を付けて行ってきて下さいね?」

ドロシー「心配するな、任せておけって♪」

ちせ「うむ。おっと、もうこんな時間か……そろそろ寝床に入らんと明日に差しつかえるので、御免」紅茶を飲み干すとぺこりと頭を下げ、部屋を出て行った……

ベアトリス「……ところで、本当にピストルは持っていかないんですか?」

ドロシー「ああ。今回はあくまでも「情報の受け渡し」で、別に鉄火場に乗り込むってわけじゃないからな……それにもし女学生を名乗っている私たちの荷物から.380ウェブリー・スコットやウェブリー・フォスベリーなんかが見つかったら言い訳のしようがない」

アンジェ「そういうこと。女学生として持っていてもおかしくないのは『ヴェロ・ドッグ・リボルバー』くらいなものね」


(※ヴェロ・ドッグ・リボルバー…『ヴェロ(ベロ)』はフランス語で自転車の意。十九世紀末に自転車が発明されサイクリングが流行し始めたころ、当時多くいた野良犬や野犬にサイクリング中の人が追い回されたりすることが多くあり、そういった犬を追い払うために作られた小型のリボルバー。弾薬は女性でも扱え、かつ殺傷する事が目的ではないためごく小さく、発砲音で威嚇する程度から浅い傷を負わせる程度の性能しかない)


ドロシー「そうだな。ま、あれをピストルに含めるとしたら私も一応「ピストルを持って行く」ってことになるのかな」ハンドバッグに入っているポーチに収まっている小さなピストルを思い出して苦笑いした……

アンジェ「いずれにせよ心配する必要はない。むしろ銃を持っていない方が油断せずに任務にあたることができるというものよ」

ベアトリス「そうかもしれませんが……」

ドロシー「大丈夫だって。ま、もしも向こうでハジキが必要になったら現地で調達するさ♪」

ベアトリス「でも、ちせさんは刀を持っていくんですよね?」

ドロシー「ちせはちせだ……あんな長い刃物をどうやって隠すのかは知らないが、きっと堀河公が手はずを整えてくれたんだろう」

アンジェ「そうでしょうね。どのみちそれは私たちに関わりのないことよ」

ドロシー「ああ。何しろ私たちとちせは「協力すれども同調せず」ってところだからな♪」

プリンセス「……あら、そのわりにドロシーさんはずいぶんとちせさんに入れ込んでいるようだけれど?」

ドロシー「そいつを言われるとかたなしだが……ちせは裏表がなさ過ぎて情報部員としては危なっかしいからな」

アンジェ「貴女のそういう世話焼きなところ、ファームのころから変わらないわね」

ドロシー「まぁ、一種の性分だからな……♪」

アンジェ「ふぅ……準備が終わったわ」

プリンセス「お疲れさま、アンジェ……ところで寝る前に「温めたミルク」でもいかが?」アンジェにしか分からない程度で、声に微妙なイントネーションを付けたプリンセス……

アンジェ「……そうね、いただくわ///」こちらもポーカーフェイスは崩さずにいたが、かすかに頬の赤みが増した……

プリンセス「ふふ、良かった♪ ベアト、後は私がするから下がっていいわ」

ベアトリス「は、はい……ではお休みなさい、アンジェさん。お休みなさい、姫様」

プリンセス「お休みなさい、ベアト♪」

ドロシー「さてと、それじゃあ私も寝に行くかなぁ……お休み、二人とも♪」カンの鋭いドロシーは何となく察して、気を利かせて出て行った……

プリンセス「ふふっ、それじゃあ今夜はこのソファーで寝ましょうか……シャーロット♪」

アンジェ「……ほどほどに頼むわね///」
653 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/07/07(金) 01:06:28.36 ID:7yC1rj5o0
…旅行初日・サウスエンド港…

ドロシー「あの船だ……さ、乗ろう」

アンジェ「ええ……」

ちせ「うむ」

…ロンドンから鉄道に乗り、テムズ川の河口にあるサウスエンドで海峡横断の客船に乗船する予定のドロシーたち……ドーヴァー海峡を渡るのなら定期便の飛行船を使ってもいいのだが、船に比べると乗れる客の人数が少ないので目立ち、しかも王国内でのきな臭い事件が続いているために手荷物をはじめとする検査も厳しい……そこでコントロールは週末旅行の客を多く乗せる定期旅客船の切符を用意していた…

オフィサー「ようこそ「レディ・サザーランド」号へ、お若いご婦人方……ボーイに手荷物を運ばせましょう」

ドロシー「ええ、ありがとう。それではこれをボーイさんに」手際よく、裕福な令嬢としてふさわしい額のチップをオフィサーに握らせる……

オフィサー「これはご丁寧に……お嬢様方の荷物だ、丁寧に運ぶようにな」

ドロシー「よろしくお願いするわ……ん?」

ちせ「……このくらいは自分で持てるから無用じゃ」

ドロシー「……ちせ、これも連中の仕事なんだから運ばせてやれ。押し問答なんかしていると目立つ」

…スマートなボーイが荷物を受け取って運ぼうとしたが、ちせはそういったやり方に慣れていないので手荷物を自分で持とうとし、預かろうとしたボーイも困惑している……ドロシーがとっさに小声で耳打ちした…

ちせ「むむ、言われてみれば……しかし、手荷物の一つまでボーイに運ばせるなどというのはどうにもむずがゆいのう」

ドロシー「だがそういうものなんだ……ではお願いしますね」

オフィサー「はい、もちろんでございます。 それでは船室へご案内いたしましょう」

…そうこうしているうちに「ボーッ……」と長く尾を引く汽笛の音が響き渡り、客船が凪の海に向けてゆっくりと進み出した…

ドロシー「ふー……ここまでは順調だな」

アンジェ「順調もなにも、まだ始まってすらいないでしょう」

ドロシー「いーや、ここまで来りゃあ半分は成功したも同然さ♪」

アンジェ「楽観的で結構ね」

…数時間後、ル・アーヴル港…

ドロシー「さ、着いたぜ」

ちせ「うむ……ここがフランスなのじゃな」

ドロシー「正確に言えばアルビオン王国の「ノルマンディ飛び地」だからフランス領じゃないけどな。本来なら旅券もいらないんだが……」

アンジェ「情報部員や密輸業者の出入国が後を絶たないものだから、ノルマンディ飛び地では旅券の審査がある」

ドロシー「そういうこと……もっとも私たちは学生っていうカバーがあるからな、そう厳しくはやられないだろう」

…検査場…

係官「学生ですか……渡航の理由は?」

ドロシー「観光です」

係官「なるほど。 荷物の中に百ポンド以上の現金、酒、煙草、絹製品等の申告すべきものはありますか?」

ドロシー「いいえ」

係官「よろしい……ではよい旅を」

ドロシー「どうもありがとう」

ちせ「ふぅ、ああいった手続きはなかなかに緊張するものじゃ」

アンジェ「そのうちに慣れるわ」

ドロシー「……ま、ともかく無事に通れたな。それじゃあそろそろ着替えと行きますか」

…港のそばにある小さな宿屋に入ると、宿のおかみらしいおばさんにパスポートの名前とはまったく違う姓名を告げるドロシー……渡された鍵を受け取って部屋に入ると、中にはすでにドロシーたちの荷物が届けられていた……

ドロシー「よし、ばっちりだ……アンジェ、そっちは?」黒を基調に深い赤紫やえんじ色をあしらった少し派手なドレスと日傘、それに無垢な女の子をたぶらかす、プレイガールらしい下心をのぞかせるような色っぽい笑みに合う濃いめの口紅を引いた……

アンジェ「ええ、問題ないわ」

ドロシー「いいね。どっからどう見てもフランス人だ……あの、すみませんが英語は話せますか?」

アンジェ「ペルドン(なんでしょうか)?」

…アンジェはフランス独特の青みを帯びた「グリィ(灰色)」をベースにした抑えめなドレスにつばの広い婦人帽で、派手なドロシーの陰に溶け込むようかのような装いでまとめている……ちょっと小首をかしげて英語が分からないようなフリをすると、まるで本当に英語が分からないように見える……

ドロシー「ふ、まるでホンモノだな……それじゃあ行くか」
654 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/07/15(土) 01:26:20.95 ID:rEmpvOiO0
…ル・アーヴル市街・ホテル…

ドロシー「……ふぅ、やっと着いたわね。えーと……ホテル……エトイ……」港から割高な四輪馬車を雇ってホテルの前へと乗り付けると、馬車を降りるなりわざとフランス語の看板を読もうと悪戦苦闘するフリをしてみせた……

アンジェ「クローディア様、このお宿の名前でしたら「オテル・レトワール・ブラーンシュ(白い星)」ですわ」

ドロシー「ああ、そう読めばいいのね。フランス語なんていうのは苦手だわ」

アンジェ「でしたらわたくしが訳してあげますからご心配なく」

ドロシー「お願いするわ、マルグリット」

アンジェ「ええ、もちろんですわ」

…フロント…

ホテルの女将「……お泊まりでいらっしゃいますか?」

アンジェ「ええ、予約しておいた「クローディア・テイラー」よ」ドロシーに代わってフランス語で答えるアンジェ……

女将「承っております、マドモアゼル・テイラー……良いお部屋を用意してありますよ」

…かつては美人で鳴らしていたであろう宿の女将はだいぶ恰幅が良くなっているが、それでも所々に昔の色気を残している……もっとも、外面の色気で隠されてはいるが態度の端々からは金にがめつい感じがにじみ出ていて、うっかりすると有り金を巻き上げられかねない…

ドロシー「宿の女将さんはなんて言ったの?」

アンジェ「いいお部屋ですって……この女、フランス語はまるで分からないの」前半は「フランス語が分からない」ドロシーに向けて、後半は流暢なフランス語に切り替えて宿の女将に向けて言った……

女将「ふん、アルビオンの人間なんていうのはたいていそうよ……どいつもこいつも高慢ちきで頭は空っぽ」

アンジェ「そうね」

女将「ああ……それで、あんたはどこの出身?」

アンジェ「このしゃべりを聞いて分からないの?」

女将「いや、あたしと同じノルマンディに聞こえるけど……アクセントがちょっぴりパリ風じゃない?」

アンジェ「片親はノルマンディだけれど、パリで育ったものだから」

女将「そういうこと……」

アンジェ「ええ」

ドロシー「……ねぇマルグリット、さっきからなんて言ってるの?」あれこれ詮索されてボロが出るとマズいので、ちんぷんかんぷんのフランス語にじれたフリをして割り込むドロシー……

アンジェ「あぁ、はい。お食事は何時頃が良いか教えてほしいそうですわ」

ドロシー「そうね、まぁ夜の七時頃から始めれば良いんじゃない?」

アンジェ「伝えておきますわ……マダム、夕食は七時頃からでお願いするわ」

女将「分かったわ。それからシャンパンとワインでしょ?」

アンジェ「ええ。アルビオンの人間は味なんて分かりゃしないから、適当なラベルのやつで充分よ」

女将「はいはい……それからそっちの小さいのはシノワ(中国人)?」ちせに目線を向けて興味もなさそうに聞いた……

アンジェ「ジャポネ(日本人)よ。彼女の召使いなの」

女将「そう。じゃあ続き部屋(スィート)の前室に寝かせればいいのね」

アンジェ「それでいいわ」

ドロシー「ねぇマルグリット、フランス語が長ったらしいのは知ってるけど……食事の時間を伝えるだけでそんなにかかるの?」

アンジェ「いま済みましたわ、クローディア様」

ドロシー「そう、よかった。 長旅で疲れちゃったから、早く部屋に行きたいの」

アンジェ「いま案内してくれますわ……部屋に案内してあげてちょうだい」

女将「はいはい……お待たせいたしました。ただいまお部屋にご案内いたしますわ♪」金回りの良さそうなドロシーに向けてにこやかに微笑みながら、まずますの英語で言った……

ドロシー「ええ。ありがとう、マダム」アンジェに合図をしてフラン金貨を握らせる……

女将「いいえ、どうぞごゆるりと♪ 荷物はすぐ運ばせますので」

ドロシー「お願いするわ……さ、行きましょう」
655 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/07/22(土) 01:54:09.86 ID:7yVGZ19a0
…夕食時…

女中「お夕食をお持ちしました」

ドロシー「まぁ、何とも手の込んだお料理だこと♪ とても美味しそうね」あれこれ詮索されたくない週末旅行のアルビオン人らしく見えるよう、夕食は食堂で取らずにわざわざ部屋へと運ばせた……運ばれてきた料理の皿をのぞき込むと歓声を上げるドロシー……

アンジェ「フランスと言えばキュイジーヌ(料理)ですもの」

…最初のワインを女中に注いでもらうと「あとはこちらでやるから」と下がらせたアンジェ……軽くグラスを触れあわせると、薄い黄金色をした白ワインに口を付けた…

ドロシー「乾杯……うへっ、ひでえワインだな。ラベルだけは綺麗だが水っぽくて飲めたもんじゃない」一口飲むなり顔をしかめたドロシー……

アンジェ「あの女将ならそうでしょうね……料理の感想は?」

ドロシー「こっちはまあまあだ。料金が半分で、量がこれの倍はあるって言うんならね」

…フランス全土でお馴染みの玉ねぎスープと、ノルマンディ名物の生クリームをあしらったエンドウ豆やニンジンのムース、それに「特別メニュー」だといって出してきたヒラメのバターソテー……それにスライスされたバゲットと数種類のチーズ……

アンジェ「そう」

ドロシー「ああ……スープはいいが、ヒラメは少し生っぽいな」

アンジェ「それにバターが多すぎて味がくどい」

ドロシー「ああ、上等なのはパンとチーズだけだな。こればっかりはフランス人も手抜きはしないらしい……ちせ」間のドアを開けると控えの部屋にいるちせを呼んだ……

ちせ「何じゃ?」

ドロシー「おすそ分けさ。どうせ厨房で食わせてもらったものは馬の餌にもなりゃしないかったろう?」

…そもそも外国人嫌いのフランス人が、フランス語の話せない……たとえ話せたとしてもがめつい女将が苦情を言える立場にない「東洋人」の召使いにまともな食事を用意するはずもない……ドロシーとアンジェはそれを見越してそれぞれの食事からヒラメやスープ、パンやチーズを取り分けておいた…

ちせ「……かたじけない」まだぎこちない手つきでフォークやナイフを動かし、黙々と食べる……

ドロシー「ワインは?」

ちせ「いや、不要じゃ」

ドロシー「あいよ。じゃあ飲んじまうか……しかしマズいな」ひとしきり愚痴をこぼしながらワインを空けて、顔をしかめた……

アンジェ「自分でお金を出したわけじゃないのだから我慢することね」

ドロシー「まぁな……お、デザートが来るみたいだ。 ちせ、向こうへ戻っていてくれ」階段を上ってくる足音を聞きつけ、片付けられてしまう前にと大ぶりのハンカチを取り出してパンやチーズを包み、ちせの胸元に押し込んだ……

ちせ「うむ」

女中「デセール(デザート)のブラマンジェでございます」

ドロシー「ええ」

………

…食後…

女将「……失礼しますわ。お食事はいかがでした?」英語でお愛想を言いに来た女将……

ドロシー「ええ、実に結構でした♪」

女将「お褒めいただき光栄ですわ……ところでマドモアゼル(お嬢様)、この後のご予定は?」ちらっと意地汚い表情をのぞかせたが、すぐ取り繕った……

ドロシー「そうね、それならどこかで美味しいお酒でも飲みながら……ここの女性とお話でも出来たら楽しいでしょうね」

アンジェ「マダム、そういった女性に心当たりはあるかしら?」

女将「ええ、そういった「お話相手」になりそうな女の子なら何人か存じ上げておりますよ……」

アンジェ「それじゃあぜひこちらに案内してちょうだい」

女将「もちろんですとも……♪」

…数分後…

女将「どの娘がよろしいですか? フランソワーズ、アンヌ……カトリーヌにシルヴィ」

ドロシー「ふふ、よりどりみどりね……♪」隠していた「プレイガール」の本性を明かすように小さくにんまりと笑い、やって来たフランス娘を眺め回すドロシー……

女将「では、どうぞごゆっくり♪」

ドロシー「それじゃあ貴女がいいわ……マルグリット、貴女も選びなさいよ」金髪巻き毛の可愛い娘の手を取ると、アンジェに言った……

アンジェ「まぁ、クローディア様ったらわたくしにも「お話相手」を?」

ドロシー「ええ、貴女が退屈だといけないもの……ね♪」色っぽい声で言うと早速フランス娘を隣に座らせ、持ってこさせたシャンパンをグラスに注いだ……
656 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/07/26(水) 01:09:39.08 ID:P2DdLqeU0
…数十分後…

ドロシー「シルヴィは本当に可愛いね♪」

金髪巻き毛の娘「もう、お上手ですこと……///」

黒褐色髪(ブルネット)の娘「ねーえ、せっかくなんだからもう一杯どーお?」

アンジェ「なら、もう少しだけ……///」

ドロシー「ふふ、マルグリットは初々しくって可愛いね……さ、それじゃあそろそろ踊りにでも行こうか♪」

…フルボトルのシャンパンを空けてすっかりご機嫌……なフリをしているドロシーとアンジェ……ドロシーはグラスをぐいと飲み干すと、いかにも遊び好きのプレイガールらしく陽気に切り出した…

ブルネット「まぁ素敵♪」

金髪「でしたら近くにダンスホールがありますわ」

ドロシー「それじゃあ決まりだ♪」

………

…しばらくして・市街…

ちせ「……やれやれ、二人があの娘らと踊っているあいだの暇をどうするかのう」

…二人が現地の娘を連れてダンスホールにしけ込んでいるあいだ、行く当てもなく夜のル・アーヴル市街を歩いているちせ……もちろん、ただ歩いていたわけではなく、尾行がないかどうかの確認をしながら、目印になりそうな地形や店を覚えたり、何かあったときの逃げ道を把握したりと「いざというとき」の準備をしていたが、それもある程度は済んでしまった…

ちせ「ふむ……宿に戻ってもやることはなし、芝居や寄席に行ってもフランス語が分からんのじゃから筋書きなどさっぱりじゃ」

…繁華街のあちこちにある芝居小屋や寄席のような場所には出し物を告げる看板やポスターが飾ってあるが、フランス語がからきし駄目なちせには絵柄はともかく、そこに添えてある文章に何が書いてあるのか見当もつかない……時折、顔が赤くなるような刺激的な看板もあったりするが、そういった物からは目を背けて足早に歩き去る…

ちせ「だからといって歩き回っているだけというのも芸がないというものじゃが……むむ……」思案しながら歩いていると、角を曲がって来た一人の少女から日本語で声をかけられた……

少女「おや……そなたは日本人ではありませぬか?」

ちせ「……いかにも」

少女「やはりそうでありましたか。この広い欧州で同国人に出会えるとは、なんとも奇遇なこと」

…ちせと同い年かそれより二つ三つばかり年上に見える女の子は、嬉しそうにしながらも折り目正しく一礼した……長い黒髪は波打たせて美しく伸ばし、まるで印象派の絵から抜け出してきたような赤ワイン色のふわりとしたドレスに、足もとは赤い婦人靴でまとめている……黒い瞳は凜々しく光をたたえ、良家のお嬢様らしく姿勢も言葉遣いもきちんとしている…

少女「……私は漢字で「千」の「代」と書いて「ちよ」と申します。貴女は?」

ちせ「うむ、私はちせと申す」基本的には身分証を偽装する必要がない立場なので、安心して名前を名乗った……

千代「ちせさん、良い名前ですね……それにこちらでは年の近い日本人の女子(おなご)と会うことなぞとんと無いから、こうして会えて嬉しい限り」

ちせ「同感じゃ、おまけに欧州では東洋人の肩身が狭いからの……千代どのは何か用事があって夜の街に出てこられたのか?」

千代「いいえ、ちょうどそこの料理屋で夕食をしたためてきたところでございます……それで、これから「キャフェー」に行って食後のコーヒーなど頂こうかと思いまして」

ちせ「なるほど、なんとも洒落ておるのう……」

千代「大したことではございませんよ……ところでちせさん「袖触れ合うも多生の縁」と申しますし、今度お茶にでもいらっしゃいませんか? どこに行けば会えますかしら?」

ちせ「あー……それならば明日の昼下がり、この場所で会うというのはどうじゃろうか?」

千代「ふふ、心得ました♪ ではまた明日お目にかかりましょう」

ちせ「承知した……では、御免」軽く一礼すると歩み去った……

中年の男「……千代、あの娘は誰じゃ?」ちせが去ったあと、物陰からすっと千代に近づいた男……

千代「先ほどたまたま道で出会うた「ちせ」という娘で、日本から来たと申しておりました……異郷の地で会った同国人に対してよそよそしいのもおかしいと思いましたので、お茶に誘いましたが……」

男「そうか……まぁよかろう」

千代「……何か?」

男「気付かなかったか、千代?」

千代「いえ、あるいはそうかもしれぬとは思いましたが……」

男「うむ、おそらくは間違いあるまい。 あの娘、相当に腕が立つぞ」

千代「偶然でしょうか」

男「分からぬが、用心に越したことはあるまい」

千代「……はい」ふっと千代の瞳が険しくなった……
657 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/08/05(土) 02:18:16.70 ID:y/XpulUj0
…深夜…

ドロシー「よう、戻ったぞ♪」

ちせ「うむ……っ、ずいぶんと酒臭いの」

ドロシー「なにしろフランス娘相手にしこたま飲んだからな……それにシャンパンは度数が高いんだ……ひっく♪」

ちせ「なるほど」

アンジェ「だからってあんなに飲むことはないでしょう」

ドロシー「バカ言え、こちとらアルビオンの間抜けな「ご令嬢」の役割なんだ。関税のかからないフランスのシャンパンをがぶ飲みしてへべれけにならなきゃ、かえって怪しまれるだろう」

アンジェ「そういうことにしておくわ……お風呂だけれど、先にどうぞ?」

ドロシー「悪いな。それじゃあお言葉に甘えてそうさせてもらうぜ……」へべれけに酔っているフリを終わらせると、タオルを抱えて浴室へと入っていった……

アンジェ「行ってらっしゃい……ふぅ」少し息を吐くと、椅子に腰かけた……

ちせ「だいぶお疲れじゃな」

アンジェ「そうでもないわ……ちせ、もうお風呂には入ったの?」

ちせ「うむ。しかしこればかりは日本が恋しいのう……アルビオンのもフランスのも浴槽が浅くて満足に浸かることもできぬから、まるでカラスの行水といった気分じゃ」

アンジェ「そうらしいわね」

ちせ「うむ」

アンジェ「日本もいずれ行ってみたいものね……」

ちせ「その時は私が案内をいたそう」

アンジェ「頼もしいわね……ふふ」そう言うといつもは固い表情ばかりのアンジェが、珍しく微笑を浮かべた……

ちせ「そんなにおかしかったかの?」

アンジェ「いいえ……喉が渇いたわ、水を一杯もらえる?」

ちせ「うむ」水差しからグラスに水を注ぐと、アンジェに手渡した……

アンジェ「ありがとう」

ちせ「なに、礼など不要じゃ」

アンジェ「いいえ、親しい間柄でも礼儀は大事よ。 こく……こくん…っ」

ちせ「確かにの」

アンジェ「ふぅ、ごちそうさま……それにしてもどうにも身体が暑いわ」

ちせ「そうでもないと思うが……っ、何をするつもりじゃ?」

アンジェ「大丈夫よ、少しはだけるだけだから……」

ちせ「……ごくっ///」

…シャンパンで紅潮したアンジェの頬や胸元から、体温とともにほんのりと洋ナシのような甘い香水の匂いが立ちのぼってくる……普段は冷静な灰色の瞳もいつもより熱を帯びていて、少し開いた唇に残る飲み干した水の雫も色っぽく、ちせは思わず生唾を飲んだ…

アンジェ「……ちせ」

ちせ「な、なんじゃ……///」

アンジェ「来て……♪」

ちせ「いや、それは……っ///」

アンジェ「私とは嫌?」

ちせ「そ、そうではないが……じゃが、ドロシーどのも風呂から上がってくるじゃろうし……///」

アンジェ「なら、ドロシーが出るまでの少しだけ……」

…アンジェが隣に腰かけると、火照った身体の熱が服の布地越しに伝わってくる……もじもじと距離を取ろうとすると、アンジェの細いが力強い手が腰に回されて、ぐっと近くに引き寄せられた…

アンジェ「……ちゅ」

ちせ「あっ……ん、んんぅ///」

アンジェ「ふふ、可愛いわ……ちせ♪」

ちせ「///」
658 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/08/11(金) 02:27:43.09 ID:PlSvMIcv0
ちせ「あ……あっ、んぅ……っ///」

アンジェ「んむ、ん……ふ」

ちせ「はひっ、はっ……はぁっ……///」

アンジェ「んちゅ……っ、ちゅっ♪」

…ソファーに押し倒されて、着物をはだけさせられたちせ……アンジェの唇が身体のあちこちをついばみ、ちせのつつましい胸を細い指がこねるように揉みしだく…

ちせ「あふ……っ、ふあ、ひあぁ……っ///」

アンジェ「ちせ、貴女には意外とハニートラップの才能があるかもしれないわ……んふっ、ちゅ♪」首筋から鎖骨へと口づけを続けながらささやいた……

ちせ「そんな……んあぁっ/// 馬鹿な……っ」

アンジェ「いいえ。 そんな可愛い声を出されたら、私だってむらむらする……♪」

ちせ「ふわぁぁっ……んんぅ///」

…口を半開きにして頬を赤らめながらも、必死になってアンジェを押し返そうとするちせ……だが、アンジェはちせの両手をまとめるようにして手首をおさえつけ、ふとももの上に腰を下ろしてぐっとのしかかっている…

アンジェ「さあ、遠慮せずに振りほどいていいのよ」

ちせ「言われずとも……ん、くぅ……っ///」

アンジェ「どうしたの、このままでは貴女の負けよ?」れろっ……ぴちゃ♪

ちせ「ひ、卑怯じゃ……ふあぁぁ……んっ///」

アンジェ「この世界に「卑怯」なんて言葉はないって言ったはずよ……んちゅっ♪」

ちせ「はひっ、あふっ……んっ♪」

…いつもと違っていささか強引な……しかし絶妙なアンジェの指と唇、そして唇の動きに甘い吐息を漏らしてしまうちせ……はだけた着物の裾からは下に着ている襦袢の白い裾がちらちらとのぞき、そこから伸びるしなやかな脚がバタバタと暴れていたのが、次第にぐったりと力を失い、時折びくびくと跳ねるだけになっていく…

アンジェ「もう抵抗はおしまい?」

ちせ「はひっ、はぁ……んぅ……いや、まだじゃ……あぁんっ///」

アンジェ「その調子ではもう駄目そうね? ほら、ここもこんなに濡れてる……」くちゅっ、ちゅぷ……っ♪

ちせ「はひっ……ふわぁ……ぁ♪」さっきまではじたばたと暴れもがいていたのがすっかりとろんとした目つきになって、アンジェのするがままになっている……

アンジェ「ちせ、欲しいなら自分で言いなさい?」

ちせ「た、頼むぅ……はよう、早う……ぅ///」

アンジェ「そこまで言われたら仕方がないわね……いいわ、してあげる」

ちせ「こ、これではまるで私が懇願しているようではないか……///」

アンジェ「実際そうでしょう? 貴女が嫌ならやめるけれど?」

ちせ「うぅ、アンジェは意地悪じゃ……」

アンジェ「黒蜥蜴星人は非情な生き物でもあるのよ……でも、たってのお願いなら仕方がないわね」ちゅぷ……っ♪

ちせ「ふわぁぁ……っ///」ひくひくと身体をのけぞらせ、甘い声をあげるちせ……

アンジェ「まだ一本しか指を入れていないのにそんな声を上げていたら、身体が持たないわよ?」

ちせ「ふあぁ、あっ、あぁ……っ///」

アンジェ「それじゃあ二本目……♪」

ちせ「あ゛っ♪ あ゛ぁ゛ぁぁ……っ♪」

…放心したような表情で口の端から涎をたらし、アンジェが巧妙な指遣いで花芯をかき回したりなぞったりするたびにひくひくと身体を痙攣させ、湿っぽい水音とともにとろりと愛蜜が滴り、ふとももに伝っていく…

アンジェ「……これではプリンセスやドロシーがそそられるのも無理ないわ」小さい声でつぶやくと、ゆっくりと技量を確かめるように中をなぞっていく……

ちせ「ふあぁぁ……っ♪」

アンジェ「んっ、あ……あふ……んんっ♪」ちせの秘部をかき回していた指をじらすように引き抜くと、今度は濡れそぼった自分の花芯と重ね合わせ、ゆっくりと動かす……次第に汗ばんでくる二人の太ももがしっとりと張り付き、粘っこい水音がし始めた…

ちせ「はひっ、ふわぁぁぁ……っ♪」

アンジェ「んっ、はぁぁ……っ♪」

ちせ「はひっ……はぁ……ひぃ……っ///」

アンジェ「ふぅ……ちせ、とても気持ち良かったわ」耳元でそうささやくと、唇に優しくキスをした……
659 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/08/16(水) 02:03:10.74 ID:SUKU/f+P0
…しばらくして…

ドロシー「……ところで私とアンジェは明日の晩に「受け渡し」をする。ちせはなにか予定が?」風呂上がりの湯気とガウンをまとった姿で、丁寧に指の爪を磨き直している……

ちせ「実はそのことなのじゃが……」かいつまんで千代との約束を話した……

ドロシー「そうか。まぁ見ず知らずの国で同国人に会えばそうだよな……しかし」

ちせ「なにか気にかかることでも?」

ドロシー「うーん……いや、考えすぎかな」

ちせ「ふむ?」

アンジェ「行きずりに出会った相手には気を付けた方が良い……このホテルに泊まっている事をその娘に教えたりした? あるいは逆に、あちらの住所やホテルがどこか聞いた?」

ちせ「いや、互いにそこまであれこれ尋ねてはおらぬ。明日は単に茶店で菓子を付き合うだけのつもりじゃ」

アンジェ「そう、まぁいいわ」

ドロシー「アンジェ、ちせだって子供じゃないんだぜ……マズいことがあった時の脱出ルートや手段も分かっているはずさ」

ちせ「うむ、そういった手はずは覚えておる」

ドロシー「よし、いい娘だな♪」

アンジェ「それじゃあもう寝るわ」

ドロシー「ああ、私もそうするよ……ふわぁ……あ」

…翌日…

ちせ「では、行って参る」

ドロシー「おう。タチの悪いフランス人にカモられないよう気を付けるんだぜ?」

ちせ「うむ、十分に注意するつもりじゃ」

アンジェ「私たちは私たちで夜になったら出かけるから、連絡が必要な事態が起きたら「メールドロップ」に連絡を残しておいて」

ちせ「うむ、では……」

…時折二人にも手伝ってもらいながら、お嬢様のお付きにふさわしい清潔ではあるが地味な服をアンジェたちが見立てた濃緑色のデイドレスに替え、髪を後頭部でお団子にまとめるとバレッタ(髪留め)と紅いリボンで「お団子」をてるてる坊主の頭のようにまとめ、脚はいまだにくすぐったく感じる白いストッキングと窮屈に感じる黒のエナメル靴でこしらえた…

ドロシー「……ちせのやつ、ああすると人形みたいで可愛いな」

アンジェ「つまみ食いは任務には入っていないはずよ?」

ドロシー「ああ、そうだな……誰かさんと違って私は抜け駆けなんてしないからな♪」

アンジェ「……口が多いわよ」

ドロシー「かもな♪」

…待ち合わせ場所…

ちせ「……少し早かったか」

…時間厳守は情報部員に必須の決まり事ということもあって予定の十分前にはきちんと待ち合わせ場所に着いて、周囲の安全確認も済ませたちせ……すっきりしたデザインで狂いのない懐中時計を取り出してちらりと眺めていると、向こうから「小走り」と言うほどではないものの、嬉しさをにじませた歩調で千代がやってきた…

千代「ご機嫌よろしゅう、ちせさん……お待ちになった?」

ちせ「いや、つい先ほど来たところじゃ」

千代「そうでしたか、では参りましょう?」淡いクリーム色に薄い琥珀色を添えた抑えめながらおしゃれなドレスをまとい、フリルのついた日傘をさしている……にっこり微笑むとちせに日傘を差しかけ、二人で一つの傘の陰に入った…

ちせ「うむ」

千代「この向こうの広場にあるお菓子がとても絶品なんですのよ」

ちせ「ほほう、それは楽しみじゃな♪」

千代「ええ♪」

660 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/08/17(木) 01:25:35.71 ID:cBsWl0bM0
…広場のパティスリー(菓子店)…

ちせ「おお……何ともきらびやかなものじゃ」

…洋菓子店の中に入ると、店内にはガラスのショーケースや木の棚が間口いっぱいに伸びていて、そこにアイシング(砂糖がけ)やフォンダンで飾り立てた可愛らしい菓子が山と並べられている…

千代「ふふ♪ ここのお菓子は大変に美味しいですから、いつもここに来るのが楽しみなんですの」

ちせ「うむむ……」

…ちせと千代がどれを選ぼうかとショーケースを眺めている間にも、訪れた客があれこれと指さして注文をしていく……せわしなく動く店員たちはケーキや取り出しては袋に詰め、代金を受け取ったり、あるいはお得意さんには「では月末に」とつけ払いを勘定を書き入れ、お愛想と一緒に菓子を手渡す……買いに来ている客は暗黙の了解のうちに階級で分かれているアルビオン王国と違って貴賤を問わないらしく、パリの最新流行を取り入れた小粋なドレスをまとった裕福そうなマドモアゼルから、ダンスホールでのひと踊りに備えて鋭気を養いに来た小粋な踊り子まで、さまざまな階層の人間が集まっている…

千代「さあ、どれになさいましょう?」

ちせ「むむ……そう言われても洋菓子は疎いし、それにこう多くては選びようがないのじゃが……」

千代「分かりました、それでは私が代わりに見つくろって差し上げますわ」

ちせ「なるほど、それは助かる。ぜひともお願いいたす」

千代「はい、心得ました」

…千代はショーケースに近寄ると店員に流暢な(とちせには思われる)フランス語で話しかけた……店員とやり取りをしながら、千代は手際よくあれこれと菓子を指さしては袋に詰めさせる…

ちせ「そんなに買って大丈夫なのか?」

千代「あら、だってちせさんはフランスが初めてのようですし、それならば色々なお菓子を味わっておきませんと……ね?」

ちせ「む、それはそうじゃが……では支払いは私が……」そう言って札入れを出そうとすると千代が穏やかな手つきで……しかしちせの動きを止めるようにぱしっと手首を押さえた……

千代「今日は私がちせさんをお誘いしたのですから、ここは私に払わせて下さいな」

ちせ「いや、しかしじゃな……」

千代「まぁまぁ。次の機会になりましたらちせさんにお頼みして「あいこ」ということにいたしますから、今日の所はわたくしの顔を立てて下さいませんか?」

ちせ「そこまで言われてはな……ではお頼みする」

千代「はい♪」

…ここがフランスの地でありながら「アルビオン王国ノルマンディ飛び地」であることを思い出させる、女王陛下の肖像が刷られた王国ポンド札を手渡すと、ちせを連れて店を出た…

ちせ「ふむ、これだけの量があれば二日や三日は食いつなげそうじゃ」

千代「ふふふっ、まぁおかしい♪ お菓子を見て籠城のことをお考えになるなんて」

ちせ「いや、これはくだらぬ事を申した」

千代「いいえ、面白いものの見方ですわ……さて、お菓子は買えたわけですけれど、どうせですからくつろげるように私のお家に参りましょう?」

ちせ「いや、申し出は嬉しいが……しかし急にお呼ばれしてはご家族も迷惑じゃろう」

千代「いいえ。私の家はちょっとした貿易商会を営んでおりますからお客様はよくいらっしゃいますし、それに同じ日本人のお客様なら皆も喜びます。それに父は商談のために出ておりますから」

ちせ「千代どのがそこまでおっしゃるのなら……お言葉に甘えさせてもらおうかの」

千代「まぁ嬉しい♪」善は急げとばかりに一頭立ての軽快な辻馬車を呼び止めると、二人は御者に手を引いてもらって席に乗り込んだ……

………

…十数分後・とある邸宅…

千代「……こちらですわ、ちせさん」

ちせ「ふむ。洋館のことはあまり分からぬが、立派な構えの館じゃな」

…辻馬車を降りると、目の前にはわりと小ぶりな……しかしそれなりに立派な館が建っていて、庭木を絨毯の模様のように整えたフランス風の庭園には、水がめを抱えた乙女が立っている小さな噴水がある…

千代「お褒めにあずかり恐縮です……さ、中へどうぞ?」

ちせ「うむ、ではお邪魔させていただく……」

…千代が多少くすんではいるが、それでも立派な樫の扉を開けて中に入るようにうながした……ちせが礼を言って中に入ると、そこはフランスのシャトー(館)にふさわしく、明るい色合いでまとめられた玄関ホールになっていた…

千代「それでは私のお部屋に参りましょう? それとすぐにお茶を用意させますから」

ちせ「うむ……」貿易商の家に呼ばれたことがそうあるわけでもないが、千代の住んでいる館はせわしない雰囲気の貿易商の館というよりは、どことなく物静かに人目を避けて暮らしている隠居所のように感じられた……

千代「……どことなく活気がなくってもの淋しいでしょう?」

ちせ「あぁ、いや……閑静なよい暮らしじゃな」

千代「まぁお上手……でも、ちせさんの印象通りで今は少しばかり淋しい雰囲気なのです。と言うのも、父を始め手代の者たちは商談と交易のためにここしばらく家を離れておりまして……ですからなおのこと、ちせさんがお出でになって下さって嬉しいですわ」

ちせ「なるほど、そういう事情であったか」
661 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/08/26(土) 01:55:13.98 ID:857u2nZT0
千代「さあ、それではどうぞ……」そういってちせを案内しようとした時、奥から男性が出てきて声をかけた……

モーニング姿の男「千代や、お帰り……おや、そちらのお客様は」

千代「ただいま戻りました。こちらがわたくしの言っていた「お友達」ですわ」

ちせ「……千代どの、こちらのお方は?」

…親子のようには見えないが、かといってお嬢様と使用人でもなさそうな様子の二人の間柄が気になり小声で耳打ちした……千代は分かっているといった様子で、ちせとモーニング姿の男を引き合わせた…

千代「紹介致しますわ。こちらはわたくしの父の友人であり、この商会の留守を預かっている佐倉丹左衛門(さくら・たんざえもん)さま……丹左衛門さま、こちらがお友達になって下さったちせさん」

ちせ「千代どのに紹介預かりましたちせと申します。山家(やまが)育ちゆえなにかと不調法者にございますが、どうぞよろしくお願い致します」

丹左衛門「これはこれは、こちらこそ何とぞご懇意に……親しくお付き合い出来れば嬉しく思いますよ。千代はこちらに近い年の友人もなく、話し相手になるものもなかなかおりませぬので」


…丹左衛門と呼ばれた男は折り目正しくきちんとした身なりで、背筋のぴしりと伸びた様子は貿易商の留守を預かる番頭として一銭のごまかしもしないといった雰囲気を漂わせている……しかし剣士としてのちせの嗅覚は、丹左衛門にどちらかと言えばそろばんをいじる貿易商の番頭と言うよりは一国の家老……あるいは剣術の師匠といった武人らしいものをそこはかとなく感じ取った…


千代「丹左衛門さま、それはおっしゃらない約束です///」

ちせ「いや、その気持ちは私もよう分かる……」

丹左衛門「というと、ちせさんもご家族の都合でこちらへ?」

ちせ「いや、私は官費留学でこちらに参ったのじゃ」

丹左衛門「そうでしたか。ということはさぞや学業に秀でておられるのでしょうな」

ちせ「いや、そこまででは……特に横文字は難しくてかなわぬ///」

丹左衛門「私もこちらへ来たばかりの頃はそうでした……申し訳ありませんが片付けなければならない書類があるので、失礼致します。ちせさんに失礼のないようにな」

千代「分かっております……さ、どうかくつろいでくださいましね♪」

ちせ「う、うむ……///」

…千代はフランス暮らしが長いのか、親しげに手を握ったり頬を寄せたりというような、ちせにとってはまだ少し恥ずかしいようなスキンシップや親しげな態度を取ることが多く、しかもそれをちせが恥ずかしがっているのを分かった上でからかい半分にしているフシがある…

千代「まぁまぁ、そう固くならないで……自分の家のようにくつろいで下さいな」

ちせ「そ、そうじゃな……」

…千代の部屋…

千代「さ、どうぞ遠慮無く脚をのばして下さいな。私もこちらに来てからというもの、靴や服が窮屈なのには常々閉口しておりましたから」

…千代の部屋は小ぶりながらも二間に分かれていて、案内された奥の部屋は洋室だったものを和室に改装したらしく、ちょっとした茶室のようになっていた……靴を脱いで畳に上がると、爽やかな藺草(いぐさ)の香りが立ちのぼる…

ちせ「いや、お言葉はありがたいが……じゃが「親しき仲にも礼儀あり」とも申す」くつろぐようにと勧められたが、きちんと正座して座るちせ……

千代「まぁまぁ、ちせさんったら真面目なこと」口元に手を当てて「ふふふ♪」と小さく笑ってみせる千代は年相応の少女らしさを感じさせる可愛さがある……

ちせ「いや、別に真面目というほどでは……///」

千代「ふふ……さ、お茶の準備が整いましたから頂きましょう?」砂時計がサラサラと砂を落としたのを見て、千代が手ずから紅茶を注いだ……

ちせ「かたじけない」

千代「いいえ。お砂糖とミルクは?」

ちせ「うむ、ではそれぞれ少しずつ……」

千代「はい……それでは、好きなお菓子をお取りになって?」

ちせ「おう、そうじゃな……しかしどれも美味そうで、恥ずかしながら目移りしてしまうのう」

千代「なら遠慮なさらずにお一つずつどうぞ。これはクリームの入った「エクレール(エクレア)」というもので、こちらの輪っかの形をしたものは「パリ・ブレスト」……何年か前にパリと港町のブレストの間で行われた自転車競技を記念して作られたお菓子ですわ」

ちせ「なるほど、では……んむ」パリ・ブレストはさくりとしたシュー生地にふわりと甘いアーモンド風味のクリームを挟み、上には粉砂糖がかけてある……

千代「いかが?」

ちせ「うむ、これは実に美味じゃ……!」はしたなく見えないよう遠慮しようと思うものの、ついつい甘くて美味しい菓子に手が伸びる……

千代「こうしたお菓子は「プティ・フール(小さなお菓子)」と言って、色々な種類が楽しめるようになっておりますの」

ちせ「フール……こんなに上等な菓子が「フール(マヌケ)」なのか?」

千代「まぁ、ふふ♪ フールは英語の「マヌケ」でなくって、フランス語の「four」……プティ・フールはお料理のために熾した火の残り火で作ることから「小さな窯」という意味なのだそうですわ」

ちせ「なるほど」クリームやフォンダンのかかった色鮮やかな小さな菓子をつまみながら他愛ないおしゃべりをしていると、つい昨日知り合ったばかりとは思えない気分になってくる……
662 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/09/07(木) 01:11:12.99 ID:nq9fJ+hJ0
…一刻ばかりして…

ちせ「これも舌先でとろけるようじゃ…!」

千代「お気に召したようで何よりにございますわ……紅茶のお代わりはいかが?」

ちせ「かたじけない」

千代「ではお注ぎ致し……あっ!」

ちせ「っ!」

…紅茶を注ごうとし、ドレスの袖口で砂糖つぼを払いのけてしまった千代……横ざまに倒れて低いテーブルから落ちる砂糖つぼを、ちせはとっさに手を伸ばしてつかみ取った…

千代「……まぁ、なんという飛燕の早業でしょう!」

ちせ「い、いや……たまたまじゃ///」鍛え上げられた反射神経が悪い形で出てしまった事に「しまった」と内心ほぞをかむ……アンジェやドロシーのように必要ならば「舌先三寸」になれる演技力をうらやみつつ、下手な言い訳を口にする……

千代「たまたまだとしても素晴らしいですわ……それよりお召し物が」

ちせ「いやなに、構わぬ」スカートについた白砂糖をぱたぱたとはたく……

千代「ああ、それならわたくしが……」千代が隣にやってきて、しなやかそうな白い手でスカートにこぼれた砂糖を優しくはたく……スカート越しとはいえ太ももに手を当てられているので少し恥ずかしい……

ちせ「千代どの、もうそのへんで構わぬ……それにずいぶんと長居をしてしまったゆえ、そろそろおいとまさせていただこうと思うのじゃが///」

千代「あら、本当……楽しいひとときというのは短いものですわね。 またいつでもお出で下さいまし…ね?」

ちせ「う、うむ……では御免」

…同じ頃・一軒のカフェ…

ドロシー「なぁ……あいつ、どう思う?」

アンジェ「ベレー帽の男?」

ドロシー「そう、あの額の広いサル顔のやつさ……典型的な「アパッシュ」ってやつに見えるが、やけに周囲を気にしてないか」

(※アパッシュ…十九世紀末から二十世紀初頭におけるフランスの乱暴者やちんぴらを指す総称。ベレー帽と横じまの水夫シャツを着るスタイルで知られた。語源はアメリカ先住民の「アパッチ」族から)

アンジェ「そうね。もしかしたらフランス情報部にでも雇われて、人相をあらためているのかもしれないわ」

…窓際の席に陣取った二人は、ワガママ勝手で世の中に飽きている上流階級の令嬢のような気だるい様子で人々の行き交う通りを眺めている……が、実際は視界の片隅に見えるランデヴー・ポイントのカフェに監視がいないかを確かめていた…

ドロシー「気に入らないな。情報を持ってくるエージェントのことを追っているとしたら、この状況でコンタクトを取るわけにはいかないだろ」

アンジェ「ええ。でもランデヴーの場所はあの男がいるカフェのすぐ隣の店よ……おまけに他のポイントはどこも都合が悪い」

ドロシー「時間の余裕もあまりないしな……くそ、こういうときこそカットアウトの一人でも挟んでくれればいいものを」

アンジェ「そんなことを言っても仕方ないでしょう……例の手を使ったら?」

ドロシー「……そうだな、いいだろう」

…二人はちびちびとカルヴァドス(リンゴ酒)をすすっていたが、アンジェは代金を置くとさりげなく店を出て、すぐそばにある別なカフェへ入るとギャルソン(給仕)に声をかけ、小銭を渡してトークン(代用コイン)に両替してもらうと電話ボックスに入った……ドアを閉めて番号を回し、交換手を通じてフランス情報部の回し者らしい男がねばっている店へと電話をかける…

フランス人の声「……アロー(もしもし)、こちらはカフェ・リベルテ」

アンジェ「もしもし、済みませんがそちらにいる客の一人に伝言をお願いします……急いで」どこか冷たく、うむを言わせない口調で一気にしゃべった……

声「ウィ、マドモアゼル。伝言をどうぞ?」

アンジェ「ええ「例の人間は五分後に、カフェ・ルナールに現れる」とだけ」道すがら記憶していた、ランデヴーの邪魔にならない町外れにある店の名前を告げる……

声「分かりました。それで、その伝言はどのお客さんに?」

アンジェ「黒いベレー帽の男がカウンターに座っているはずです、やせた男です」相手にあれこれ詮索されないよう、せかせかした口調で電話口に話す……

声「いえ、そういった風体の人はカウンターにはおりませんよ」

アンジェ「でしたら隅のテーブルにいませんか?」

声「少々お待ちを……ああ、いました」

アンジェ「良かった、ではその男性に伝えてください……それじゃあ」

…通話は終わったがあまり短いと店員に怪しまれるので、アンジェは電話を切ってからもしばらくのあいだ通話するフリをして空気に向かって話し続けた……一方、ドロシーがさっきの店で粘りながらカルヴァドスをすすっていると、窓越しにギャルソンが書き留めたメッセージを持って隅のテーブルに向かい、男に何か言いながらメモを渡すのが見えた……男は急にギャルソンがやって来たのでけげんな顔をしていたが、メモを見るなり酒の代金を置いて店を飛び出して行った…

アンジェ「……ただいま」

ドロシー「ああ……間抜けが見事に引っかかりやがったぜ」

アンジェ「ええ、見たわ。彼らが連絡するとき合い言葉を使っていなくて良かったわね」

ドロシー「そうだな、それじゃあ今のうちにランデヴーと行くか」
663 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/09/16(土) 01:57:59.88 ID:qSyOaFWb0
…ランデヴー・ポイントのカフェ…

アンジェ「……サ・ヴァ(お元気)?」

ギャルソン「ウィ、サ・ヴァ、サ・ヴァ……エ・ヴ(そっちは)?」

アンジェ「サ・ヴァ、メルスィ(どうも)」

…カウンターでワイングラスを拭いているギャルソンに向かって、やる気なく話しかけるアンジェ……一方のギャルソンも視線を向けることすらせず、上の空で返事をした…

アンジェ「……飲み物を」

ギャルソン「何にします?」

アンジェ「そうね……それなら『マッカランの十二年ものとアンジューのロゼ』をそれぞれもらおうかしら」フランスのカフェで普通ならまず出ないような酒の組み合わせを合い言葉に定めてあったが、それを聞いたギャルソンは表情一つ変えるでもなく、了解したしるしに肩をちょっとすくめた……

ギャルソン「どうぞ」

アンジェ「メルスィ……どう、お味は?」

ドロシー「グレンリベットだ……つまりは大丈夫だな」

…もしもギャルソンが脅されて合い言葉を言うようにされていた場合の「保安措置」として、本部は脅されている場合は合い言葉通りに「マッカラン十二年」を、安全な場合はわざと注文と違う「グレンリベット」を出すように決めていた……当然、マッカランが出てきた場合アンジェとドロシーは何食わぬ顔で酒を飲み干し、知らんふりをして出ていくことになる…

アンジェ「そう」ロワール地方で産する「アンジュー」の口当たりのいいロゼワインを頼み、少し時間をかけて味わった……

…しばらくするとギャルソンが会計をつけた紙をさりげなく置き、それをドロシーが受け取る…

ドロシー「ふぅん、八フランと五十サンチームね……ここは私が持つよ」料金を置くと店を出た……

アンジェ「……さっきの「八フラン五十サンチーム」だそうね」

ドロシー「ああ……ってことは次にサロン「ル・ファンタスク(空想)」へ行けって事だな」

…サロン…

アンジェ「貴女はこういう場所だと、まるで水を得た魚のようね」

ドロシー「ああ、会員制社交クラブだの、サロンだのキャバレーだのは得意分野だからな……」

…ロンドンやパリにあるようなお高いサロンと違った、港町にありがちな「庶民派」といった雰囲気のサロンは夜の早い時間帯と言うこともあって客の入りもそこまでではなく、今ひとつの小楽団が軽い音楽を流し、酔っ払っていれば美人に見えるかもしれないマドモアゼルや、かつては美人だったであろうマダムたちが地元の商人、航海の給料をもらって羽目を外しに来た船員、小金のある旦那衆といった客に酒や軽食を運び、時にはおしゃべりに興じたり笑い声をあげたりしている…

アンジェ「……それで、コンタクトの人間はどれかしら」

ドロシー「さぁな……いずれにせよ、向こうからやってくるだろうさ」

…しばらくして…

アンジェ「どうやらあれがそうみたいね」

ドロシー「……なるほどな、そりゃあ国外に出たらおかしいはずだ」

…店内を観察していた二人が目星を付けた相手は旅回りをしながら芝居やものまね、あるいは皮肉を効かせた冗談などを聞かせる流しの芸人で、古ぼけたシルクハットにはね上げた口ヒゲ、そしておどけた態度で席を巡りながら客の出すお題に答えてちょっとした笑いを取ると「どうかお笑いになった分だけお鳥目を」と帽子を差し出す……芸人は席を順々に回り、ドロシーたちのテーブルまでやってきた…

芸人「おやおや、こんなところに素敵なマドモアゼルが二人も……ささ、物真似なんていかがですか?」

ドロシー「そうだな……じゃあ『鼻持ちならないフランス人の物真似』でも頼むよ」フランス人なら絶対に頼まないであろうリクエストを合い言葉に、物真似を見せつつ顔を近づけた芸人……

芸人「……情報の受け渡しに来るとは聞いていたが、あんたみたいな娘さんだとは思わなかったな」

ドロシー「私だってドサ回りの芸人がそうだとは思わなかったさ」

芸人「じゃあおあいこってことで……」とても小さく折りたたんだ一枚の紙を指の間に挟んで差し出した……

アンジェ「確かに受け取ったわ。それと本部がよろしくとのことよ」

芸人「ああ、それじゃ……お気に召しましたか、お嬢様方?」

ドロシー「はははっ、とっても上手だったよ。 ほら♪」紙片のやり取りをするアンジェを隠すように、ドロシーが派手な身振りで金貨を渡す……

芸人「おやおや、こんなに頂けるとは光栄ですな。ぜひ今後ともごひいきに!」

………



…夜・ホテル…

アンジェ「……それで、メモの内容は?」

ドロシー「ああ。明日の午前十時、マルシェ(市場)にいる古物商から『ヴォークランから掘り出し物があると聞いてきた』と言ってティーカップを買え」だと……店の場所も書いてある、ほら」サロンで受け取った紙片は気付かれないよう持ち帰り、ホテルの部屋でようやく内容を確かめた……

アンジェ「確かに」確認がすむと今度は手際よく紙片を燃やした……
664 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/09/23(土) 01:48:11.28 ID:wZyn+kDj0
…翌朝…

ドロシー「うーん、すっきりと気持ちのいい朝だ……とはいいがたいな」

アンジェ「あいにくの曇り空ね」

ドロシー「ああ……だがまぁいいさ、こんな天気はロンドンで慣れっこだ」

アンジェ「そうね……ちせ、朝食は?」

ちせ「それならば一応済ませてはきたのじゃが……」

ドロシー「相変わらずか?」

ちせ「うむ。固い麺麭(パン)に砂糖入りのコーヒーだけではどうにも物足りぬ……炊きたての飯にきゅうりの漬物、それにおみおつけでも欲しい所じゃ」どうやら焼きなましのバゲットかなにかをあてがわれたらしく、いささか物足りない様子のちせ……

ドロシー「そういうことならごあいにくさまだが、こっちもそう変わらないな」

…ベッドに腰かけたまま、はだけたナイトガウン姿で朝食の盆を指し示したドロシー……銀の盆にはいわゆる「大陸風」(コンチネンタル・スタイル)……あるいはむしろ「フランス風」とでもいうべき朝食として、焼きたてのクロワッサンと、大きめなお椀に入った温かいカフェ・オ・レが並んでいる…

ちせ「……二人の朝食もそれだけなのか?」

アンジェ「ええ。フランスの朝食は大抵こうよ」

ドロシー「アルビオンの労働者階級だけさ、朝からビイクドビーンズに焼きソーセージだの卵を付けるのはな……せっかくだし、一つ食うか?」

…ドロシーはそう言って大ぶりなクロワッサンを差し出した……フランスでは生地にバターを用いて巻いてある伝統的なクロワッサンは直線状で、ナポレオン時代の物資不足のおりに生まれたマーガリンを使ったクロワッサンは区別のために両端を丸めて「C」の字型にしてある……むろん、ホテルの客であるドロシーたちの盆には真っ直ぐなクロワッサンが載っている…

ちせ「ではありがたく……むむ!?」結局パンとコーヒーだけの朝食である事を知り、至極残念そうにクロワッサンを受け取って一口かじったが、途端に目を見開き、まじまじとクロワッサンを眺めた……

ドロシー「はは、そんなに美味かったか?」

ちせ「う、うむ……歯ごたえはサクサクとしていて、牛酪(バター)の味が口の中に広がって……実に美味じゃ」

アンジェ「良かったわね。カフェ・オ・レに浸すのがフランス流よ」

ちせ「ならば……むむ、なるほど」

ドロシー「良かったらもう一つやるよ。どうせマルシェ(市場)に行ったら買い食いもできるしな」

ちせ「かたじけない、では……」

アンジェ「食べ終わったら着替えて出かけるから、あとは任せるわ」

ちせ「気を付けての……私もしばらくしたら日本の旅券事務所に行かねばならぬ」

ドロシー「そうか。ま、気を付けてな」

ちせ「うむ……それにしても美味いのう……」

…午前中・マルシェ…

ドロシー「さてと、なにか気の利いたお土産でも見つかるといいのだけれど♪」

アンジェ「地元のマルシェには掘り出し物もありますから、きっと素敵な物が手に入りますわ」

…すっかり板についた「お金持ちのぼんくらお嬢様」と「小ずるいフランス娘」の役回りを演じつつ、二人してマルシェを冷やかして回る……露店には取り立てのニンジンから手作りの陶器の皿、どこかのお屋敷から出てきたらしい古い勲章、盗品とおぼしき、元は揃いだったはずの銀食器が一つだけ……種々雑多な品物が売りに出され、所々に軽食や飲み物を売る屋台も出ている…

ドロシー「あら、これなんか素敵じゃない?」

アンジェ「ええ、まったく。素敵な焼き物のお人形ですわ」

ドロシー「これも可愛いわね、暖炉の上に飾ろうかしら?」

アンジェ「ふふっ、とってもいいと思いますわ♪ ……ガラスのお目々をしたお嬢様にはぴったりね」

…少し欠けのある陶器の天使像だの、素性のしれないヘボ絵画だのを見ながら、いちいち感動したような声をあげるドロシー……かたわらのアンジェは英語でドロシーの「鑑定眼」を褒めそやしながら、ときおり小さくフランス語で皮肉をつぶやく…

ドロシー「それじゃあ次のお店は……あら、ここは良さそうね♪」

古物商のおばさん「いらっしゃい、お嬢さんがた♪」露店の主は恰幅のいいフランス人のおばさんで、田舎者丸出しのよれたエプロンとスカート、それに真っ赤なリンゴのような健康そうなほっぺたをしている…

アンジェ「何かいい物はある? ……『ヴォークランから掘り出し物があると聞いてきた』のだけれど」

おばさん「ああ、それならとっときのがあるわよ……ほら、これなんてどう?」そう言ってかたわらに置いてあった一客だけのティーカップを取り出した……

アンジェ「そうね……いくら?」

おばさん「まぁそうね、十フランくらいでどう?」

アンジェ「冗談はやめて。せいぜいこの程度でしょう」素人には分からない符牒を表す手つきで数字を示した……

おばさん「厳しいわねえ……まあいいわ。それじゃあ包んであげるからね」そう言うとカップの入りそうな小さい木箱を探し出し、それからかたわらに置いてある古新聞や黄ばんだ古紙の束から何枚か紙を引っ張り出すとカップを包み、残りはくしゃくしゃに丸めて箱のすき間に詰め込んだ……

アンジェ「メルスィ……」
665 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/10/02(月) 02:18:42.25 ID:HEsM/+DM0
…同じ頃・旅券事務所…

ちせ「ここじゃな」

…ちせが徒歩でやって来たのはル・アーヴルにある日本の旅券事務所で、レンガ造りの洋館には何台かの自動車や馬車が停まり、貿易商や船員、はたまた外国留学に来たと思われる学生や堅苦しい感じの役人といった人々が頻繁に出入りしている…

ちせ「さて、どこが窓口じゃろうか?」

…入口をくぐると中は待合室になっていて、英字や仏字の新聞を差してある新聞ラックや公示された役所の通達を掲示している掲示板といったものが並んでいて、正面の窓口では数人のお役人が書類にハンコを付いたり、必要な部分を書き入れたりしている……室内は天井が高いせいか申請に来ている人たちと窓口の係のやり取りや、奥でタイピストの女性たちが叩いているタイプライターの音が反響して混じり合い、「騒がしい」とまではいかずとも活気を帯びている…

ちせ「ふむ、あれが窓口のようじゃな……」窓口にはインクで袖口を汚さないよう布カバーをつけた年若い官吏が座っていて、少しつっけんどんな態度ながらも、手際よく書類をさばいている……

ちせ「……失礼いたす」

窓口の官吏「まずは身分証を見せて」

ちせ「あー、そのことなのじゃが……」

窓口「なに? 官費留学の書類だったらここじゃなくて向こうの窓口」

ちせ「いや、そうではなく……ちと旅券のことで『佐伯どの』にお頼みしたい儀があるのじゃが、こちらで受け付けるようにと……」

窓口「佐伯事務官に? そう、少し待っていなさい」窓口の官吏がせかせかと奥へ引っ込むと、それと入れ替わるようにして上役らしい官吏が出てきた……口にはひげをたくわえ、きちんとした三つ揃い(スリーピース)姿で、チョッキからは銀時計の鎖が伸びている……

事務官「……私が佐伯だが、何かご用か」

…窓口の若い官吏を下がらせると、ちせの正面に座った中年の官吏……髪は当世風にきちんと撫でつけていて、丸縁の眼鏡を胸元のポケットに収めている…

ちせ「うむ」

事務官「……それで? 見ての通り忙しいので手短にしてもらえるとありがたいのだが」

ちせ「そのことなのじゃが……実は船を降りたときに旅券を落としてしまったようで難儀をいたしており、お手数ながら再発給をお願い致す」

事務官「ふぅ……年端のいかぬ女学生とはいえ、軽々に「落とした」とか「無くした」では困る。いったい『どこで無くしたのか心当たり』はないのかね?」

ちせ「それならば、ル・アーヴル港の『六番桟橋のそば』で落としたものと思うのじゃが……探しても見つからずじまいでの」

事務官「なるほど。六番桟橋で……誰か身元の保証をしてくれる者は?」小柄な少女であるちせから合い言葉が出てきたことに一瞬驚いたようだったが、すぐ表情を取り繕った……

ちせ「うむ、駐アルビオン全権大使の堀河公が……」

事務官「ああ、それならばよろしい。ただ、明日は休日でここの旅券事務所も業務を行っておらんから、今から臨時の旅券を作っても発券の手続きは出来ん。 ただ、もし急ぎと言うことならば明日の晩に本職の私邸に来ればそこで渡すことはできるが、それでよいか?」

ちせ「おお、かたじけない。 ぜひともお願い致す」

事務官「結構。今後はそういったことのないよう注意するように」

…午後…

アンジェ「ちせの用事も明日には済むそうだから、それが済み次第アルビオンに戻りましょう」

ドロシー「そうだな……だが、どうも雲行きが良くないぜ」港への道すがら、車の窓から空を見上げるドロシー……

アンジェ「そうね」

…ドロシーとアンジェが懸念するように、空はドーヴァー海峡を覆うことで有名な濃霧を予感させる黄色っぽい雲が低く立ちこめ、心なしか空気も湿っぽい…

ドロシー「予備日があると言っても一日か二日が精一杯だ。明後日の船が無事に出てくれればいいんだが……」

…ル・アーヴル港…

ドロシー「……欠航ですの?」

船会社の窓口係「そうです。今日と明日は海峡の波が高く霧も出ているので、海峡横断の客船は軒並み欠航です。明後日以降も天気次第では出られないかもしれません」

ドロシー「それは困りました……フランスに来たのは連休があったからで、休み明けはきちんと授業に出ませんと怒られてしまいますわ」心の中で(悪い予感ってやつほど良く当たるもんだ……)とぼやきながらも、お嬢様口調のまま船会社の丁寧な応対を受けるドロシー…

窓口係「そうおっしゃられてもこればかりは私どもにもどうしようもありませんので……この切符は出港する船のものに振り替えが効きますから、とにかくこの霧が明けるまではお待ちいただくしかありません」

ドロシー「分かりました、ご親切にありがとう……思ってもいない形だが、これで日数に余裕が出たな」

アンジェ「ええ」

ドロシー「とにかく、ちせの用事が済んで霧が晴れる事を願うしかないな」

アンジェ「そうね。それと貴女は今のうちにラテン語の書き取りでもしておいたら?」

ドロシー「なぁに、それなら「仲良しの」娘にでも代筆させるさ」

アンジェ「ずる賢いのね」

ドロシー「そこは「要領がいい」って言ってもらいたいな♪」
666 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/10/15(日) 02:14:19.35 ID:mcroRjIZ0
…しばらくして…

ドロシー「……どうにも嫌な感じだな」

アンジェ「というと?」

…絶対に盗み聞きされる心配がない、もやのかかった海沿いの遊歩道を歩くドロシーとアンジェ……ドロシーは差しかけた日傘をくるくると回してひょうきんな様子を装っているが、アンジェには困惑している様子が見て取れた…

ドロシー「いや、実はさっきメールドロップ(メッセージの隠し場所)をのぞいてきたら印があってな」

アンジェ「今回の任務は王国の飛び地……しかも内務卿が目を光らせている場所だから、コントロールも「よほどの事がない限り連絡はしない」という話だったはずよ」

ドロシー「そう、つまりその「よほどの事」が起きたって事だ」

アンジェ「それで?」

ドロシー「メッセージによると、昨晩のパリ発夜行列車でフランス情報部員が数名、ここに潜入したらしい」

アンジェ「……もしかして、私たちの存在が?」

ドロシー「だとしたら今ごろは刑務所さ♪」

アンジェ「なら彼らの目的は……」

ドロシー「さあな。ただ、ノルマンディ公がきっちり抑えている王国の飛び地にフランス情報部の連中がやすやすと潜入できたこと自体が驚きだ……もしかしたら連中を泳がせてなにかを「釣り上げ」たいのかもしれないし、双方の利益になるような事があって「一時休戦」したのかもしれない」

アンジェ「いずれにせよ厄介ね」

ドロシー「ああ。どのみちワインのおりをかき立てるような事態になるのは目に見えている」

アンジェ「とはいえ今回私たちが行うのは情報の受け渡しだけ……ナイフ一振りさえも持っていないし、どうしようもないわ」

ドロシー「ああ。コントロールもそれを見越して「最低限の武器を用意したから、必要なら指定の場所で回収しろ」と伝えてきたんだが……どう思う?」

アンジェ「そうね……たとえフランス情報部とノルマンディ公がル・アーヴル市内をひっくり返してスパイ捜しをしたとしても、私たちは学生としてここにいるわけだから心配はいらないはず。むしろカバーを無駄にするような武器の類は必要ない気もするわ」

ドロシー「だけど船の事がある。少なくとも明後日まで動けないとなると、それまでに包囲網がキツくなってくるはずだ」

アンジェ「そうだとしても私個人としてはあまり賛成できないわ。本当にノルマンディ公やフランス情報部に追い詰められたらピストルの一挺や二挺でどうこうできるものでもないし、スパイは銃の腕前よりも偽装の腕前が重要のはずよ」

ドロシー「まぁな、そいつはお前さんの言うとおりだ……」

アンジェ「最後まで聞きなさい……とはいえ欠航のこともあるし、対抗する手立てがあって悪いものでもない。銃の種類次第だけれど、あまり目立たないようなものなら回収してもいいんじゃないかしら」

ドロシー「おいおい、脅かすなよ……それじゃあアンジェ、お前さんが回収に行ってくれ。場所はさっき伝えた通りだ」

アンジェ「分かった」

…しばらくして…

ドロシー「なるほど、確かにこれなら女学生が持っていてもおかしくはないが……」ぶすっとした表情でアンジェの回収してきた「武器」を眺めている……

アンジェ「口径はともかく、ピストルはピストルよ……近距離で目でも撃てばそれなりに効果はあるはず」


…テーブルに置かれているのは婦人用のハンドバッグに入る程度の自衛用ピストル二挺で、手のひらに隠れてしまいそうな護身用ピストルはつばを吐くよりはまだマシといった威力のものだった……仮に持っているところを見つかっても言い逃れができるように、見た目はいかにもお嬢様の好きそうな綺麗な彫刻が施されているが、コントロールの気配りとして光を反射して目立ちやすい金や象牙は避け、シックないぶし銀と紫檀の握りをあしらっている…


ドロシー「鳩に豆鉄砲を撃ち込んだときの方がよっぽどまともな成果が得られそうだがな……」ぼやきながら護身用リボルバーのシリンダーを開き、薬室や銃身の状態を確かめるドロシー……

アンジェ「手元に銃を欲しがったのは貴女よ、私じゃない」そういいながら掃除用の小さなブラシで銃身の内部を綺麗にしている……

ドロシー「やれやれ……まぁ、これならお嬢様だの女学生だのが持っていてもおかしくはないよな」

アンジェ「それに、アルビオンから持ってきた「ヴェロ・ドック」リボルバーよりは幾分かマシだと思うけれど」

ドロシー「あれはほとんど音だけだからな……分かった、これで満足したことにするよ」

アンジェ「そうして」

…とはいえ用心深い二人はどこで役に立つか分からないと、ヴェロ・ドック・ピストルに込める「.22ショート・リムファイアー」の弾薬を箱から取り出して一発ずつ確かめては不良品を取りのけ、良さそうな弾薬を装填した……

ドロシー「……この「秘密兵器」でフランス情報部やノルマンディ公配下のエージェントが慌てふためいてくれりゃいいがな」

アンジェ「ドロシー「馬鹿と鋏は使いよう」よ」

ドロシー「結構なご意見だね……いざとなったらちせの刀に任せるとしよう」

アンジェ「よっぽどな事態になったら、ね」
667 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/10/24(火) 02:09:50.60 ID:ODjE/ygz0
…次の日・宵の口…

ちせ「……さて、そろそろ出かけようと思うのじゃが」

ドロシー「ずいぶんと早いじゃないか」

ちせ「うむ。徒歩で行くとなればこのくらいは見越しておかねばな……もっとも、いざとなれば馬車や車を拾うつもりじゃが」

ドロシー「行き先は大使館事務官の私邸だったか? それなら車を用意するから、近くまで送ってやるよ」

アンジェ「そうね、その方がいいかもしれないわ。ドロシーの運転でいいなら……だけれど」

ドロシー「おい、私の運転で何がいけないんだ?」

アンジェ「……自分の胸に手を当てて考えてみれば分かるわ」

ドロシー「あいにくさっぱりだね」

アンジェ「そう……とにかく、車なら歩いて行くより時間の節約にもなるし、見なれない顔だとじろじろ見られたりしないで済むわ」

ちせ「それはそうじゃが、そのような手数をかけては申し訳ない」

ドロシー「なーに、遠慮するなって。それにフランス人の馬車やタクシーを「東洋人」のお前さんが拾った日にゃ、フランス語でぺらぺらやられたあげくにムチャクチャな値段をぼったくられるか、まるっきり別な所で降ろされるのがオチだ」

アンジェ「それだけは間違いないわね」

ドロシー「ああ。それにこっちもその書記官だか事務員だかの家まで押しかけようとかやり取りをのぞき見しようとかってつもりじゃないんだ、安心してくれ」

ちせ「いや、別にそなたらを疑っているわけではないのじゃが……」

ドロシー「なら決まりだ。いつ出せばいい?」

ちせ「うむ、今夜の八時頃までに着けば良いのじゃが……」

ドロシー「分かった。それなら夕食を早めに済ませて準備しよう……まだ時間はあるし、それに厨房からいい匂いがしてきたじゃないか♪」

…同じ頃・貿易商の邸宅…

丹左衛門「……千代、いかがいたした?」

千代「いえ……」パティスリーのお菓子をお供にちせとたわむれた一時をふと思い出して、一瞬ぼんやりとした千代……

丹左衛門「事に望んで気がそぞろではし損じるぞ、しっかりいたせ」

千代「はっ」

…ちせがお呼ばれした千代の住む邸宅……普段なら夕食時で、家族と召使いがいるだけの静かな空間であるはずの食堂には多くの老若男女が詰めかけ、食堂の扉を開放して玄関ホールにまで人が押しかけている……辺りはランタンや提灯がいくつもおかれて真昼のように煌々と照らされ、居並ぶ人々の表情は熱っぽい輝きを帯びているか、さもなければ厳めしいものが浮かんでいる……集まっている者の中には洋装の者もいるが、かなりの数が紋付きの羽織袴で、中には伸ばしていたらしい髪を剃って再び髷に結い直している者もいる…

初老の男「そう言うな、佐倉氏(うじ)……千代を含めて多くの者にとっては初めてなのだからな」

丹左衛門「だからこそじゃ……とにかく、いよいよ正念場なのだから気を引き締めて参らんと」

険しい顔の男「いかにも。今日こそ我らの本懐を遂げるその第一歩、くれぐれもおろそかにはできぬ!」女性陣と子供のうちの何人かが配って回っている漆の杯を受け取ると、なみなみと注がれた清酒の杯を片手に重々しい声で言った……

丹左衛門「左様。では皆の者、杯を……」

…杯が行き渡ったかどうか確認すると、丹左衛門がすっくと立ち上がってよく通る声で呼びかけた……居並ぶ男女が一斉に立ち上がると、そのまま音頭をとった…

丹左衛門「みな……まずはよく集まってくれた」

丹左衛門「我らが大願成就のためとはいえ……故郷を捨て、度重なる屈辱に耐え、異国の地で長きに渡る雌伏の時を過ごしてまで付き従ってくれたこと、かたじけなく思う」

丹左衛門「……朋輩(ほうばい)たちの仇を報ずるまでと、刀を外し、髷を落とし……ただ武士としての矜恃のみを支えに日陰を歩んできた……だが、それも今宵まで!」

丹左衛門「……まずはここフランスの地で憎き薩長の手先を討ち、志なかばにして倒れた者たちへの手向けといたそう!」

一同「「おう!」」丹左衛門の言葉が終わると、一斉に冷酒をあおった……

千代「……」

丹左衛門「……千代、そなたにも期待しておるぞ」

千代「はっ」

丹左衛門「良い返事じゃ……」

…そっと千代の頭を撫でる丹左衛門……が、すぐに手を引っ込めると厳しい表情に戻り、人いきれするほど詰めかけている集団に向けて堂々たる声をあげた…

丹左衛門「では各々方(おのおのがた)、参ろう!」
668 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/11/04(土) 02:09:26.21 ID:1O4Bz8jM0
…夜・ネスト…

アンジェ「……時間ね」懐中時計を引っ張り出し、ぱちりと蓋を開けて時刻を確かめる……

ドロシー「着替えもすんだし、そろそろ行くか」

…ドロシーは活動的な「男装の麗人」風にまとめ、シルクハットに黒のチョッキ、濃緑と黒の上着を羽織り、下は乗馬用のぴっちりしたズボンスタイルで短靴を履いている……アンジェは動きやすいようひざ丈のドレススタイルで、袖はフランス風のパフスリーヴ(袖などを膨らませてあるもの)で胸元にはギャザー(ひだ)を入れてある。脚には黒絹のストッキングを履き、つま先が細い……しかし作りのがっちりしたショートブーツで足元を固めている…

ちせ「かたじけない」

ドロシー「いいってこと……それよりそのキモノ、似合ってるぜ♪」冗談めかしてちょっぴり色っぽい視線を向けたかと思うと、ウィンクを投げつつ笑いかけた……

ちせ「そ、そうか……///」

…ドロシーの冗談に口ごもっているちせは深草色の地に菖蒲と蜻蛉をあしらった縁起のいい着物姿で、小刀を銀ねず色の帯に差し、堀河公からいただいた脇差「備前兼光・改」は車に乗るときつかえて邪魔になるので、腰に差さず手に持っている……足元はいまだに靴をきゅうくつに感じているちせらしく白足袋に下駄姿で、髪は後ろで結い上げて南天(なんてん)を模した飾りの付いたかんざしを一本挿している…

(※菖蒲(しょうぶ)の花は「勝負」に繋がり、蜻蛉(とんぼ)は後ろに飛べないことから退く(負ける)ことのない「勝ち虫」であり、ふたつの柄が組み合わされると「勝負に勝つ」と武人にとって縁起がよく、南天は「難を転じる」ことからこれも縁起物)

アンジェ「ドロシー」

ドロシー「おいおい、自分が褒めてもらえないからってそう怒るなよ」

アンジェ「そうじゃない」

ドロシー「ああ、分かってるさ……さ、行こうぜ」

ちせ「承知した」

…仮のネストには馬小屋を改造した車庫スペースがあり、ドロシーはそこに借りておいた車を停めていた……薄暗い車庫にあるのはフランスの「パナール・ルヴァッソール」社製四人乗り乗用車で、いつも使っているケイバーライト動力のRR(ロールス・ロイス)に比べてきゃしゃでエンジン馬力も小さいが、まずはちゃんと動く自動車であり、アルビオンのケイバーライトエンジンを真似た二十馬力の蓄圧蒸気エンジンはできるだけ手入れをして、タイヤチューブの予備も車体の後ろにきちんと積み込んである……ランタンでぼんやりと照らされたパナールは黒い塗装に部分部分の真鍮部品が艶やかで、なかなか優雅なスタイルをしている…

ドロシー「さ、乗りな」

ちせ「うむ」下駄や刀の鞘ををひっかけたりしないよう、注意深く後部座席に乗り込む……

アンジェ「準備いいわ」

…アンジェがランタンを吹き消して車庫の門を開け、ドロシーがエンジンをかけるのに合わせて車体の前にある始動クランクを回す……普段のRRなら一発でかかってくれるのだが、燃料の吸い上げが悪いのかパナールのエンジンは動いてくれず、ドロシーは「ちっ」と小さく舌打ちした…

アンジェ「もう一回」

ドロシー「ああ……ったく、これだからフランス製は……」ぶつくさこぼしながらもう一度エンジンを回す……

アンジェ「……かかった」

ドロシー「どうにかな」車を表に出すとアンジェが車庫の扉を閉め、それから助手席に乗り込んだ……

ドロシー「よーし、出発♪」

…そのころ・とある裏通り…

フランス情報部員「……リベルテ(自由)」

丹左衛門「デモクラティ(民主)」

情報部員「よし、あんたが例のジャポネ(日本人)だな」暗闇からすっと現われたフランス情報部のエージェント……

丹左衛門「そうだ」

情報部員「結構……あんたらの欲しがっているものはすでに準備が整っている。だからまずはあんたらが我々にとって有用である事を証明してみせることだ」

丹左衛門「うむ、そのことは重々承知している」

情報部員「ビアン(結構)……我々が欲しいのはジャポネの公館で使われる事になっている最新の暗号表だ。そいつを手に入れた段階でこちらは残りの武器を手渡し、あんたらが乗る予定の船をル・アーヴルへと回す」

丹左衛門「よろしい」

情報部員「目的の場所には警官が詰めているが、こちらが手を回して決行の時間にはいなくなるように仕込んである」

丹左衛門「承知した」

情報部員「それから軍隊なんかも同じで、地元の駐屯地からは多少の騒ぎが起こっても兵隊が駆けつけないように手はずを整えた。ここノルマンディじゃアルビオンが幅をきかせていて、王党派の連中とはいえフランス人は不満を持っているからな……」

丹左衛門「……その気持ちはよく分かる」

情報部員「そうか。とにかく、目的の物と引き換えなのを忘れるな……暗号表がなければモノもなし、だ」

丹左衛門「分かっている」

情報部員「じゃあ、任せたぜ」

丹左衛門「……」
669 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/11/11(土) 01:09:51.15 ID:2RGjXsvI0
…数十分後・事務官の私邸近く…

ドロシー「この辺りでいいか?」

ちせ「うむ、充分じゃ」

ドロシー「あいよ……それじゃあ私とアンジェはこの辺りのカフェにでもしけ込んで待ってるから、終わったら拾ってやるよ」

ちせ「かたじけない」

ドロシー「なぁに、気にすることはないって……こういう時は「お互いさま」だろ?」

ちせ「ふ……そうじゃな」

ドロシー「おうよ。それじゃあアンジェ、カルヴァドス(リンゴ酒)でも飲みながら待つとしようぜ♪」

………

…さらに数分後・事務官の私邸…

ちせ「……御免」

フランス警官「ん? なんだ、東洋人の娘か……」

フランス人警官B「この屋敷に用があるみたいだな……おい嬢ちゃん、この家に用事か?」

ちせ「済まぬ、フランス語はからきしなのじゃ……どうか屋敷の方にお取り次ぎを願いたい」

…ふちに金糸の飾りが付いた黒いケピ帽をかぶり、腰ベルトにサーベルと警棒を突っ込んでいる門衛の警官……声をかけてきたちせを見おろすと互いに顔を見合わせ、フランス語で相談し始めた……ちせは脇差の袋を片手に持っているが、二人のフランス人は袋の中身はきっと無害な掛け軸か何かだろうと気にも留めない…

警官「どうやら取り次いで欲しいみたいだな……どうする?」

警官B「別に「邸宅に入れるな」とは言われてないんだから、通してやれば良いんじゃないか? 余計な詮索はしないでさ」

警官「だな……よし、アントレ(入れ)」ぶっきらぼうな態度で顎をしゃくって「通っていい」と身振りで伝える……

ちせ「かたじけない」一礼すると、てくてくと邸宅の中へと入っていった……

警官「……それで、トンズラするまであとどのくらいだ」

警官B「だいたい三十分ってとこだ……」

…同じ頃・事務官私邸の周辺…

丹左衛門「……集まったか」

軍服(洋装)の男「は。「宇田隊」五名全員とも異常なし」

丹左衛門「よし……」

千代「支度はよいな?」

白鉢巻きの女性「……ええ「佐多隊」準備整っております」

千代「よろしい」

…事務官の私邸を取り囲むようなかたちで、フランスの町外れによくある小さな森や古びた農機具小屋といった場所に三々五々と集結している男たち……中には額に白鉢巻きをし、着物の袖が邪魔にならないようたすきを掛けている年若い女性も何人かいる……その一角、千代と丹左衛門がきちんとした態度で報告に耳を傾け、じっと待っている…

………

…事務官私邸…

事務官「ああ、来たか」

ちせ「はっ。夜分遅くに申し訳ござらぬ……」

事務官「構わない……それより、必要なものは」

ちせ「は、携えております」

事務官「結構だ……こんな遅くに夕食でもあるまいから、茶でもどうだね?」

ちせ「ありがたく頂戴いたします」

事務官「なら食堂へ行こう。執務室は隙間風が冷たいし、食堂の方が照明が明るいのでね……おい、茶の用意をしてくれ」日本から連れてきたと思われる小間使いの女性にお茶の支度を命じて、ちせを食堂へ案内した……

………



670 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/11/16(木) 01:32:59.78 ID:xPUgPNUb0
…カフェ…

給仕「らっしゃい、サ・ヴァ(元気か)?」

地元の農夫「ウィ、サ・ヴァ、サ・ヴァ! エ・ヴ(あんたは)?」

給仕「サ・ヴァ! ビァン、メルスィ(元気さ!ありがとな)」

農夫「そいつは結構だな、いつものくれ」

給仕「はいよ……いらっしゃい、マドモアゼル!」

アンジェ「ウィ」気のない返事をして、店内と外の道路を視界に収めることが出来るカウンター席を手際よく確保する……

ドロシー「ふー……夜になると案外寒いな」

アンジェ「何か飲みましょうか」

ドロシー「ああ、そいつはいい。紅茶かコーヒーか……それともいっそワインかカルヴァドスで腹の中から暖まるって言うのも……」そう言いかけたところて言葉を切った……

アンジェ「……あの男ね、貴女もそう思う?」

ドロシー「ああ。店の外、ベレー帽。茶色いコートの襟を立てているやつ……」

アンジェ「それからテーブル席の船乗り風の男」

ドロシー「お前さんもそう思うか……素人を騙すにゃあの程度で十分かもしれないが、あれじゃあまるで金魚鉢の中のサメだ」

アンジェ「それはともかく、何を見張っているのかしら」

ドロシー「どうやら道路の先……ちせが会いに行った例の事務官の屋敷の方を見張っているようだな」

アンジェ「……話を聞いてみるとしましょうか」

ドロシー「ああ……私が先に動くから、二分ばかり間隔をあけてから出てくれ」運ばれてきたミルクコーヒーをがぶっと飲むと、料金をカウンターに置いて手早く出た……

…店の横手…

ベレー帽の男「くそ、冷えるな……ジュリアンの野郎、店内で見張りだなんてツイていやがるな」夜霧のせいか、足元からしんしんと沁みてくる夜気に耐えようとコートの襟を立て、薄暗い横町で足踏みをしながら道路の先を見張っている……

ドロシー「……よく分かるぜ、監視任務ってのは大変だよなぁ」

ベレー帽「っ!?」背後の暗闇から声をかけられ、コートの下に手を突っ込むと同時に振り返ろうとする……

ドロシー「おっと、そいつはやめた方がいいな……でないと頭が吹っ飛ぶぞ?」銃の撃鉄を起こす小さいけれども緊張感のある「カチッ」という音がした……

ベレー帽「へっ、それでこっちをどうにかしたつもりか。 言っておくが、おれは一人じゃないんだぜ?」

アンジェ「……さっきまではね」どこからともなくするりと現われたアンジェが、発砲しても背後のドロシーに流れ弾が当たらないよう、ベレー帽の男に対して二時の方向に場所を占めた……

ベレー帽「ハッタリだ……そうに決まってる」

アンジェ「そう言うと思って持ってきたわ」足元に何かを放り出したアンジェ……

ベレー帽「……っ!」アンジェが地面に放り出したのは相方の持っていたマドロス(船乗り)パイプで、それを放り出す間も手に持った小さな.320口径のリボルバーはぴくりともしない……

ドロシー「小口径だからって侮らない方がいいぜ? こっちが狙っているのはお前さんの目の玉だから、当たったら鉛玉が脳味噌までかき回していくことになる……さてと、それじゃあ任務について詳しく教えてもらおうか」

………

…事務官私邸・食堂…

事務官「さ、遠慮せず飲みなさい。駿河から船便で届いた茶葉だ……きちんと金属の内張りをした茶箱に入っていたから、風味は落ちていないはずだ」

ちせ「では、ありがたく……」日本を思い起こさせる懐かしい香りが鼻に抜け、渋さの中にほのかな甘みのある味が舌先に広がる……

事務官「茶だけではなんだから菓子もつまむといい……といっても、羊羹くらいしかないが」

ちせ「いやいや、十分じゃ」厚く切られて、角がぴしりと立っている紫がかった甘い羊羹を黒文字(※クロモジ…香木)の楊枝で切って口に運ぶ……

事務官「しかし君のような年端もいかぬ少女が伝書使とはな……暗号表はちゃんとあるんだろうね」

ちせ「無論じゃ、肌身離さず持って参った」

事務官「ならいいが……君がお茶を飲んでいる間に確認させてもらおう」

ちせ「では、これを」

…かんざしを抜き、そこに巻き付けてあった暗号表を広げて手渡した……薄いあぶらとり紙のような紙質をした暗号表は広げるとかなりの大きさになるが、きちんと折りたたむと、それこそちせが食べている羊羹一切れに隠れてしまうほど小さい…

事務官「どれどれ……確かに我が国の暗号表だ、ご苦労だった」

ちせ「うむ」真面目に返事をしつつ、羊羹を切って口に運んだ……
671 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/11/19(日) 01:27:55.71 ID:o/BxMlBQ0
…十数分後・私邸前…

丹左衛門「……よし、門衛はおらんな」じりじりと網を狭めるように邸宅に忍びより、とうとう敷地を取り囲んだ丹左衛門たち……いつもなら正門に詰めているはずのフランス人警官はおらず、正門そのものも大きく開け放たれている……

黒紋付きの男「約束通りのようにございますな……では、どうかお指図を」

丹左衛門「うむ……おのおの方、討ち入りでござる!」

…門前に立った丹左衛門が、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」かなにかのように芝居がかった言い方で宣言する……普通の人間なら気取っているようにすらとられかねない言い回しも、重々しい彼の声で聞くとぐっと引き締まる……丹左衛門の宣言と同時に、横についている一人が合図の手持ち太鼓を打ち鳴らす……同時に目隠しを掛けておいたランタンの覆いが一斉に取り払われ、庭先に赤々と燃える松明が投げ込まれると、邸宅の庭が鵜飼いの水面のように明るくなる…

銃手「ガトリング銃、準備整いました!」

班長「うむ……よーい、てっ!」

…大砲のような車輪付きの銃架に載せられた手回し式ガトリング銃がガラガラと引っ張ってこられ、レンガ造りの邸宅をぴたりとにらむと、指揮官格の侍が黒漆の柄に白毛のついた采配をさっと振り下ろした……合図と同時の銃手を務める洋装の兵がハンドルを回し「ダ、ダ、ダ、ダンッ!」と、邸宅の一階を右から左へ縫うように掃射し始める…

班長「そのまま撃ち続けよ!」

…チカチカと瞬く発砲炎でストロボのように周囲が照らされ、スタッカートのきいた銃声に混じって、命中した銃弾でレンガや窓の砕ける音、それに邸内からいくつかの悲鳴が聞こえた…

丹左衛門「ガトリング銃の斉射完了と同時に各隊は斬り込め! 狙うは政府の走狗のみ、手向かいせぬ限り女子供は斬るな! 書状や書類の類も破棄される前に確保いたせ!」

羽織の男「承知!」

…一方…

ちせ「……佐伯どの、どうも妙じゃ」

事務官「というと?」

ちせ「いや、私が来た時には門衛にフランス人の警官がおったのじゃが……どうも今はおらぬように見える」

事務官「はて、それはおかしいな、交代はまだのはずだ……」食堂の柱時計と自分の懐中時計を見比べて首をひねっている……

ちせ「……それだけではない、この屋敷の周囲に殺気を感じる……それも一人や二人ではないようじゃ」持ってきた脇差の袋を解き、帯に差した……

事務官「言われてみれば、なにやら表が騒がしいようだが……?」今度は邸宅の表でなにやら人声と馬車のような車輪の音が聞こえる……事務官は椅子から立ち上がり、窓辺に近寄って目を凝らした……

ちせ「……っ、伏せるのじゃ!」

…ちせに引き倒されるようにして事務官が床に伏せた瞬間、窓の向こうで銃火がきらめき、同時に窓ガラスが砕け散り、レンガやしっくいのかけらが室内中に飛び散った……柱時計に当たった銃弾で時計が調子外れの鐘を鳴らし、卓上の茶器が微塵に砕け散る…

護衛「佐伯事務官、何事で……ぐわぁっ!」ドアの外に控えていた護衛がピストル片手に飛び込んで来たが、部屋を掃射する銃撃にたちまち蜂の巣になる……

護衛B「どうか床に伏せていてくだ……うぐっ!」もう一人の護衛は腰を屈めて事務官に近寄ろうとしたが、立派な樫材の扉に当たった銃弾が飛び散らした鋭い木片で喉を射抜かれ、床に崩れ落ちた……

事務官「えぇい、何としたことだ! ここに襲撃を加えてくるとは!」

ちせ「これでは身動きもならぬか……無事か?」

事務官「どうにか。とはいえこのままむざむざと暗号書を奪われるわけには……」室内の電灯が割れて消え、銃弾がヒュンヒュンと耳元をかすめる……

ちせ「分かった……おそらく銃撃が止んだら敵が斬り込んでくるはずじゃ。私が囮になって連中と切り結ぶゆえ、暗号書を持って隠れていてくれぬか」

事務官「それでは遅かれ早かれ追い詰められてしまうだろう。この邸宅には裏口があるからそこまでたどり着ければ……」

ちせ「いや、連中とてそのくらいは考えているはずじゃ」そういった矢先に裏口の方でガラス窓が割れる音に続いて、炎が上がる音や物のはぜる音が聞こえてきた……

事務官「……どうやら君の言うとおりのようだ。この邸宅は地下のワイン蔵があるから、私はそこに隠れていることにする」

ちせ「うむ……さ、早く」玄関道の砂利や砕けたガラスを踏みしめる音が次第に近づいて来る中、大使館員はそっと床を這って厨房へ行き、そこから地下室へ続く入り口に消えた……

ちせ「……ふぅ、これで心配事はなくなったの」庭に続く食堂のフランス窓はすっかり割れて大きな入り口になってしまっているが、そこから入ってくる人の気配を感じ取って、ほのかに青緑の光を放つ脇差を鞘走らせつつ「たたたっ……!」と駆け寄った……

太刀を持った男「あっ!」

ちせ「はあぁ……っ!」抜き身を持った男が駆け寄ってくる小柄な影に気付くよりも早く、ちせの「備前兼光・改」が袈裟懸けに相手を斬り捨てた……

太刀の男「うわ……っ!」

ちせ「ふぅ……」
672 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/11/27(月) 01:26:35.39 ID:ovQ0LCAF0
…そのころ・邸宅の外…

ドロシー「……始まっちまったみたいだな、どうする?」

アンジェ「ちせ一人なら切り抜けること自体は出来るはず……だけれど、暗号表や事務官を守りながらとなると厳しいでしょうね」

ドロシー「とはいえ、フランス野郎にもノルマンディ公の配下にも暗号表をくれてやるわけにはいかないぜ?」

アンジェ「それと同時に、私たちの姿を日本政府の事務官に見せるわけにはいかない」

…事務官の私邸へと至る道は左右にこんもりとした小さい森や、ノルマンディ地方特有のボカージュ(果樹園を区切る生け垣)がしげり、接近する二人にとっていい遮蔽物になっていた……事務官の私邸がある方からは夜霧でこもった銃声が長く尾を引いて反響し、事態が容易でないことを再認識させる…

ドロシー「だな……じゃあ「陰ながら援護する」ってことでいいか?」

アンジェ「ええ。屋敷を包囲している連中を後ろから叩けば、少しはちせも楽になるでしょう」

ドロシー「よし、それでいこう」

…数分後・森の外れ…

ドロシー「……なんだ、ありゃあ?」

アンジェ「どうやら東洋の旗指物のようね」

…見張りに見つからぬよう地面を這いずり、小枝を踏まぬよう足元に気を使い、夜露に濡れた二人が邸宅の見える位置にたどり着くと、ドロシーが思わず声をあげた……ドロシーの視線の先、数十ヤードばかり離れた正面の道路や邸宅の前庭には幾何学模様や図案化した動植物をあしらったさまざまな紋を描いた縦長の旗指物が何旒もひるがえり、ちせのような和服姿や一種の軍装と思われる格好をした男女が邸宅を取り囲むように詰めかけている…

ドロシー「それは分かるが、あの紋章はどこのだ?」

アンジェ「あの印なら以前資料で見たことがある……確かあれは「江戸幕府」の紋章だったはずよ」

ドロシー「江戸幕府? そいつは確か当時の日本で「エンペラー」を差し置いて実際の政治を取り仕切っていた「ジェネラル」のことだったよな?」

アンジェ「ええ」

ドロシー「……そんな瓦解してから四半世紀は経とうって連中が、どうしてフランスくんだりで?」

アンジェ「さぁ……いずれにせよ詮索は後回しにしたほうが良さそうね」

ドロシー「違いない。おおかたちせはあの包囲された建物の中にいるに違いないからな……行くぜ?」

…一方・邸内にて…

ちせ「まずは一人片付いたか……」

ちせ「それにしても見事な業物じゃ。刃表に一滴の血も残しておらぬし、豆腐でも切るようにやすやすと斬れた……人斬りに使うなど申し訳ないほどじゃな……」そうつぶやいて壊れたテラスから正門の方を眺めると、そこに広がる光景に愕然とした……

…黒い洋装の軍服に身を包み、前庭へと駆け込むなり石造りの花壇や噴水を盾にとって膝撃(しっしゃ…ひざ立て撃ち)の構えを取るライフル銃の兵、その奥で采配を振るって指揮を執っている羽織袴の侍たち……かたち良く整えられた庭木の周りにはかがり火が焚かれて陣が作られ、何旒もの旗が夜風にはためいている……弾痕もなまなましいレンガの柱からそっとのぞいて旗印を確かめるなり、ちせはさらに驚愕した…

ちせ「あれは、奥羽越列藩同盟の五芒星!? その隣は……葵の御紋!?」

ちせ「それに仙台は伊達の「仙台笹」に、庄内の「姫路剣方喰(ひめじけんかたばみ)」の紋まで……」建物の外に林立している旗指物にはそれぞれ旧幕府軍方についた藩の家紋が染め抜かれている……

ちせ「……これは並々ならぬ事態じゃな」

声「ガットリング銃! 薙射(ていしゃ)、用意!」夜風にのって攻囲陣からの命令が聞こえてくる……

ちせ「まずい……!」

声「てーっ!」

…ちせがふたたび伏せると同時に、ガトリング銃が邸宅の正面を舐めるように蜂の巣にしていく……一階への銃撃が終わると、今度は戻るようにして二階を掃射していき、あちこちにガラスやレンガ、しっくいのかけらが降り注ぐ…

ちせ「このままではじりじりと包囲を狭められてしまうばかり……思案、思案じゃ……」

…屋敷の外周…

ドロシー「……おいおい、これじゃあまるで戦争だな」

アンジェ「それに官憲や軍隊が駆けつけてこないところをみると、あの連中とフランス側で何らかの了解があるとみていい」

ドロシー「どうやらそうらしい……ってことは、フランス野郎も敵ってことだな」

アンジェ「いつもと同じね」

ドロシー「ああ、違いない……とにかくあのガトリング銃を黙らせようぜ。ちせのやつ、あれじゃあ頭も上げられないだろう」

アンジェ「そうね」
673 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/12/03(日) 01:43:55.79 ID:s2apqURz0
アンジェ「それじゃあ私が前衛につくから、援護をお願い」

ドロシー「正直なところ.320口径のピストル一挺で飛び込むなんて身震いするが……ま、なるようになるか」

アンジェ「そう思っておいた方がいいわ。ガトリング銃の側までは敷地の塀を伝って接近できるし、かがり火の灯りもそこまで届いてはいないからぎりぎりまで見つからずに済むはず。あとは銃の周りにいる連中を片付けることだけ考えればいい」

ドロシー「だな……よし、行こうぜ」

…庭先・ガトリング銃の側…

班長「撃ち方止めぇ! 装填手、次弾を装填!」

装填手「はっ!」弾薬箱から細長い箱形弾倉を取り出し、銃本体の上に突き出している空の弾倉と入れ替える……

洋装兵「……すごい威力だな」

洋装兵B「ああ……実際に使われる所は初めて見たが、こいつはすごいな……!」

…世界的にはいささか型落ちになりつつある手回し式ガトリング銃ではあるが、その銃火と発砲音はすさまじく、実戦経験のない洋装の若い護衛兵は銃声で聞こえなくなったぶんだけ大声で話し合い、熱くなった銃身から煙を立てているガトリング銃を感心したように眺めている…

班長「こら、どこを見ておる!」

洋装兵「も……申し訳ありません!」

装填手「……再装填、終わりました!」

班長「よろしい、銃手は指示がありしだい斉射できるよう備えておれ」

銃手「はっ!」



ドロシー「あのキモノに笠をかぶっているやつ、あいつが指揮官らしいな……まずはあいつを片付けよう」

アンジェ「そうね……次が周囲の兵隊、それから銃手ね」

ドロシー「ああ。銃手と装填手を片付けたら私がガトリング銃の向きを変えるから、後はあるったけ撃ちまくれ……よし、行くぞ!」

…ガトリング銃の周囲に立つ洋装の兵がその威力を示してみせた手回し式ガトリング銃をポカンと眺め、腕のルベル小銃がだらりと下がっているのを見るなり、ドロシーはアンジェにささやきかけた……

アンジェ「ええ……!」



班長「む……何奴!?」暗がりから豹のように忍び寄る影に気がつき、大声を張り上げた……

ドロシー「……」パンッ、パンッ!

班長「むぐぅ……っ!」

ドロシー「よし、行け!」

アンジェ「ええ!」パン、パンッ!

洋装兵「かはっ……!」

…暗い森の中を進み闇に目が慣れていた二人に対して、ガトリング銃の派手な銃火やかがり火で目がくらんでいたガトリング銃班の指揮官は接近する影に気がつくのにほんの何秒か立ち遅れた……指揮官が撃たれ、慌てて護衛の兵がルベル小銃を向けようとするが、ドロシーとアンジェがそれぞれ銃弾を叩き込む……むろん、ドロシーの射撃も見事なものだったが、小口径で反動の少ない.320口径リボルバーとはいえ、走りながらの射撃でブレることもなく心臓へと銃弾を送り込むアンジェの技量は驚異的だった…

洋装兵B「うわ……っ!?」

洋装兵C「ぐあ……っ!」小銃を向ける暇もあらばこそ、懐に飛び込むようにして駆け込んでくるアンジェに銃口をそらされ、零距離から二発を浴びた……

銃手「この……うぁっ!」

ドロシー「……そうはいくかよ」銃手本人は丸腰なので、とっさに落ちていたルベル小銃に飛びつこうとした……が、その前に駆け寄っていたドロシーが銃弾を撃ち込み、続けざまに装填手も片付けた……

本陣の声「何事か!」

本陣の声「ガットリング銃班に敵襲じゃ! 迎え撃てぃ!」旗印の林立する場所から、ドロシーたちには分からない日本語で呼び交わす騒ぎが聞こえたかと思うと、たちまち銃弾が飛んでくる……

アンジェ「準備いいわ」

ドロシー「おう、それじゃあやってくれ!」腰を入れて銃架の向きをガラガラと変えると、アンジェに怒鳴った……

アンジェ「……っ!」

…アンジェが真鍮のハンドルを回すと、途端に「ダ、ダ、ダ、ダッ!」とガトリング銃が火を噴いた……ドロシーも洋装兵の持っていたルベル小銃を取り上げると、ガトリング銃のアンジェを狙うライフル兵に向けて応射する…

アンジェ「ドロシー、装填!」

ドロシー「あいよ!」邸宅を取り巻いていた寄せ手にとっては横手からの奇襲になったかたちで、庭のライフル兵や帯刀している侍たちがばたばたと撃ち倒される……

アンジェ「……弾切れ!」

ドロシー「それじゃあおさらばして、あとはちせに任せるとしようぜ!」
674 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/12/11(月) 01:53:52.89 ID:Cw9HzSZc0
…一方・本陣…

丹左衛門「……おおよそ片がついたか」

副官格「はっ、屋敷からの銃撃も途絶えております」

丹左衛門「うむ。しからば兵を送り込んで……」

…かがり火の揺れる明かりに照らされ、大小二本の刀を差して悠然と構えている……と、屋敷の外周を取り囲む塀のそば、明かりの外側に据え付けていたガトリング銃班のあたりがなにやら騒がしい……そう感じた矢先に誰何する大声が響き、銃火がきらめいた…

丹左衛門「……む」

副官格「何事か!」

左翼の指揮官「ガットリング銃班に敵襲じゃ! 迎え撃てぃ!」

…左側に布陣した隊から兵が駆けつけようとした矢先にガトリング銃の銃架がぐるりとこちらへ回され、小柄な人影がハンドルを回し始めるのがちらりと見えた……チカチカと発砲炎が光ったかと思うと同時に断続的な射撃音が響き、ガトリング銃班に向けて駆けだしていた兵や丹左衛門の周辺にいた剣士たちがばたばたと薙ぎ倒された……動作の途中で撃ち倒される兵の姿が、発砲炎で浮き上がるように照らし出され、まるで時間を切り取ったかのように映る…

洋装兵「うわぁ!」

洋装兵B「ぐわ…っ!」

副官格「……っ!」

丹左衛門「橘、無事か?」

副官格「は……腕に跳ね弾が当たりましたが、さしたることは……」

丹左衛門「そうか……しかし、若い者は浮き足だっておるな」

…密約によって軍需品倉庫から「盗難された」形をとって提供されたフランス軍の軍装をまとっている兵は、たいてい実戦経験のない若者ばかりで、庭に展開していたライフル銃隊を始め、左翼の陣営がガトリング銃の掃射であっという間に壊滅したのを見ると、出陣前に干した冷酒と初陣の興奮による勢いもどこへやら、三々五々と逃げ出したり、すっかり怖じ気づいている…

副官格「は、これでは邸内への突入は叶いますまい……如何なさいますか」

丹左衛門「やむを得まい。幸いにして屋敷の抵抗はまばらじゃ……各藩から腕の立つ者を選んで送って事務官の首級を取り、暗号表を確保いたせ」

副官格「はは……っ!」

千代「……丹左衛門様」

丹左衛門「千代か……」

千代「は。私とて剣はいささか心得ております、一人でもいないよりは良いかと。それに……」

丹左衛門「この間連れてきたあの小さな娘か……?」

千代「もし私の予想通りならば、ですが」

丹左衛門「……よかろう。剣士として果たすべきを果たせ」

千代「ははっ、かたじけのうございます」

…邸内…

ちせ「あの銃撃はドロシーたちのようじゃが、なんとも派手じゃな……む」

…なにやら敵方の陣営が騒がしくなったと思った矢先、ガトリング銃が庭先を一掃するのが見えた……アンジェにしろドロシーにしろ、普段はクールに任務をこなし髪の毛一筋残さないというのに、打って変わったような派手なやり口に思わず苦笑するちせ……と、銃声が静まるやいなや、庭先を突っ切って何人かが邸内へと駆け込んでくる…

ちせ「……」脇差に手をやり、飛び込んでくる相手と正対した……

大柄な剣士「む……会津藩士、網代木・伝兵衛(あじろぎ・でんべい)参る!」ごわごわしたあごひげを生やした力のありそうな剣士が、天井の高い立派な邸宅だからこそ振るえる大太刀を構え、真一文字に斬り下ろしてくる……

ちせ「……っ!」たたき割られるように斬られた椅子の脇をすり抜け、広い胸板を切り払う……

剣士「ぐぁぁ…っ!」

短槍の剣士「仙台藩士、片岡・平右衛門(かたおか・へいえもん)!」卓上の茶器をなぎ払いつつ、短槍を振るってくる……

ちせ「おう……!」短槍の下をかいくぐり、流れた相手の身体を両断する……

初老の剣士「新発田藩、剣術指南役……鬼塚・玄蕃(おにづか・げんば)! お相手願う!」

ちせ「うむ、参るぞ!」相手が居合いの構えで太刀を抜くよりも早く、ちせの脇差が片手を飛ばし、返す刀で喉元を切り裂いた……

長身の剣士「松前藩士、藍沢・半平太(あいざわ・はんぺいた)! いざ勝負!」

ちせ「いざ!」二合ほど打ち合ったところで、ちせの一刀が相手を袈裟懸けに斬った……

黒ずくめの老剣士「新撰組隊士、白須賀・雷蔵(しらすか・らいぞう)じゃ!」

ちせ「……来いっ!」歴戦の勇士らしい手強い相手だったがちせの腕前には敵わず、脇差ごと斬り捨てられた……

ちせ「はぁ……はぁ……はぁ……」
675 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/12/18(月) 01:54:36.67 ID:bY8OliT90
ちせ「……すぅ……はぁ」

…さしものちせも立て続けに五人と斬り合った後では息があがり、手脚もわなわなと震えている……ドロシーたちの攻撃のおかげで邸宅への襲撃がしばし小やみになったのを幸い、どうにか脇差を収めると、奇跡的に卓上に留まっていた菓子皿の羊羹をひっつかんで口の中へと押し込み、無理に飲み込んだ…

ちせ「んぐっ、むぐ……」

…羊羹の糖分が身体中に沁みていくような感じがするとともに、どうにか手の震えが収まってくる……と、レンガやしっくいの破片が散乱する前庭を通って、一つの黒い影がすきま風のように食堂へと入り込んできた…

影「ふっ……!」腰の鞘から白い一閃がほとばしり、夜風ではためいている破れたカーテンが裁ちばさみで切ったかのように切り裂かれた……

ちせ「うっ、く……!」ぱっと飛び退き、刀の柄に手をかける……

影「お見事……」

ちせ「……千代どの?」場違いな場所で耳にした聞き覚えのある声に、思わず疑問の響きが混じった……

千代「やはりちせどのでしたか……いつぞやは楽しい一時を過ごせました」

ちせ「う、うむ……じゃが、そのなりは?」先日のお嬢様らしい洋装と違って、五芒星の紋を染め抜いた黒紋付きの羽織袴姿で髪をまとめ、腰には大小二振りの刀を差している…

千代「見ての通り……そちらの暗号表を奪取せんと襲撃を企てたのは我らにございます」

ちせ「千代どのが、なにゆえ?」

千代「話せば長うございます……」

ちせ「千代どのさえ良ければ、私は構わぬが……もっとも、千代どのの同輩方がしびれを切らしたら別じゃが」

千代「その心配は無用かと……ちせどのは短い間とはいえ、私がフランスの地で出会った数少ない朋友ゆえ、かいつまんでお話いたしましょう……我らは『戊辰戦争』において薩長、そして裏で糸を引いていたアルビオン王国に抗い、いずれ再起を図ろうとフランスまで逃れた幕臣たちと『奥羽越列藩同盟』による志士の集まり」

ちせ「奥羽越列藩同盟……!」

千代「いかにも」

ちせ「じ、じゃが……すでに新政府が成立してから二十余年、千代どのは戊辰戦争の時には赤子どころか、まだ産まれてもおらぬはず……その千代どのがいまさら旧幕府方の残党に加わる必要などないはずじゃ」

千代「ちせどのはそうおっしゃってくれますが、そうもいきませぬ」

ちせ「なにゆえじゃ」

千代「……私の祖父は五稜郭の戦いで討死し、生き残った父母はフランス人の軍事顧問に率いられた志士たちと共に日本を去った者たちの中におりました」

ちせ「噂には聞いたことがある……伝習隊(でんしゅうたい)の一部や旧幕府方の兵の中には、新政府への恭順を拒んでフランス人の軍事顧問と一緒に西洋へ渡った者たちがおると……」

千代「いかにも。父母はこの異国の地にあって再び理想を掲げんと、貿易商に身をやつして暮らしておりましたが、十数年前に「どうか宿願を果たしてくれ」と幼き私に頼みながら流行病に倒れたのです」

ちせ「さようであったか」

千代「はい……丹左衛門どのは父の同輩で、私の両親亡き後は父の代わりに私のことを養い、剣術を教えてくださったのでございます」

ちせ「父の教え、それに「育ての父」である丹左衛門どのに対する恩義か……」

千代「さよう。確かに私はこのフランスで生まれ、戊辰戦争を知らぬ。だからとて父母の宿願を果たすこともせず、今さらおめおめと刀を捨てて新政府に下れるものではござりませぬ」

ちせ「しかし……」

…父と刀を交え、あまつさえ討ち取らねばならなかったちせとしては、千代の境遇がかつての自分に重なって見える……二重写しになった千代のことを思い、つい説得するような口調になりかける…

千代「くどい! 我らは幕臣として、また武士として……飢えても新政府の犬にはならぬ!」気迫のこもった声がびりびりと食堂の空気を震わせ、刀の柄にかかった手が冷徹な殺気を帯びる……

ちせ「……っ!」

…千代が青眼に構えた太刀の切っ先は微動だにしない……対して小柄なちせは下段に構えて、守りにくい下半身からの切り上げを狙った…

千代「……」

ちせ「……」

…食堂の床には壊れた家具や建材の破片、それにちせが斬り捨てた剣士たちの身体があちこちに転がり、足の踏み場もないくらいに散らかっている……二人は互いに目線をそらさぬよう注意しつつ、足元を確かめるようにしてすり足で動く…

千代「……はぁっ!」

ちせ「……っ!」

…一歩、二歩と互いに円を描くようにすり足で動きながら相手の隙をうかがっていたが、ある一瞬を見逃さず千代が飛び込んできた…

千代「はっ……!」

ちせ「う……くっ!」刃で受けた斬撃はおしとやかな千代の印象とは異なり重く強烈で、柄を持つ手が脇差を取り落としそうになるほどしびれた……
676 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2023/12/28(木) 01:25:23.64 ID:TyFwlol10
ちせ「ふん……っ!」

千代「えい……!」ちせが繰り出した下からの払いを飛び退いていなすと、続けざまに斬り込んだ一撃を太刀で払いのけた……

ちせ「たあ……っ!」

千代「む……っ!」

…互いに距離を離すとふっと息をつき、それからまた円を描くような動きとともに必殺の間合いを測るにらみ合いが続く……相手が息継ぎをする瞬間を狙うべく、お互い呼吸を止めて刀を構えたままで、額からはじんわりと汗が滴ってくる…

ちせ「……はぁっ!」

千代「くっ!」

…二人の白刃が交錯した瞬間、ちせの斬撃が千代の持つ太刀の切っ先を二寸ばかりのところで折った……返す刀で行き過ぎる千代の背中に一太刀浴びせようとしたが、それよりも早く千代が振り向きざまに脇差を抜き放ち、ちせの刃をはじいた…

ちせ「むむ……」

千代「……ふ」

…練り込まれたケイバーライト鉱の影響でかすかに青緑色の燐光を放つちせの脇差と、おりしも霧が晴れてきた夜空の月光を受けて青白く光る千代の脇差……

千代「……やぁっ!」

ちせ「……っ!」

…刃が触れあって「ピィィ……ン!」と透明な音を残し、互いに行き過ぎた二人……ちせは腰を入れて振り抜いた構えのまま息をつき、千代はがくりと片膝をついた…

ちせ「千代どの……!」脇差を鞘に収めると、ずるずると崩れ落ちた千代のもとへと駆け寄って抱き起こし仰向けにした……

千代「……ふふ、お見事」

ちせ「かたじけない」

千代「いえ、最後のは実に素晴らしい一撃でした……私も鍛錬を積んでいるつもりでしたが、これも慢心というものか……」

ちせ「いや。千代どのの太刀さばき、見事なものじゃ……父を……見ているようであった」

千代「さようですか……嬉しい事を言ってくれます」先ほどまでの殺気はすっかり失せて、褒められた子供のように純粋な笑顔を浮かべた……

ちせ「うむ……」

千代「私の脇差は貴女に譲りましょう……これだけの使い手にもらわれれば刀も喜ぶ」

ちせ「かたじけない」

千代「それと、折れた太刀と小柄は……私と一緒に……」

ちせ「……承知した」

千代「わ、わたくしは……最後まで……志士として……」

ちせ「うむ。立場こそ違えど、その振る舞いは立派なものじゃ……」

千代「良かった……」そのまますぅっと力が抜け、ちせの小さな身体に沈み込むようにして目を閉じた……

ちせ「……」

…庭先…

副官「丹左衛門どの、霧が……」

丹左衛門「承知しておる……それにフランス側の足止め工作もそろそろ時間切れのようだ」遠方から呼び交わす声や敷石に響く足音が聞こえてくる……

副官「いかがいたします?」

丹左衛門「仕方あるまい。お主たちは事前の手はずに従って衣服を替え、ふたたび潜伏せよ……いつかまた、再起を図る機会も訪れよう」

副官「ははっ……それと、千代も戻りませぬが」

丹左衛門「うむ、あの「ちせ」と申す娘、やはり大したものであった。あれだけの相手と刃を交えることができて、千代も剣士として満足であろう……それから最後に、介錯を頼みたい」

副官「……ははっ!」

丹左衛門「……さて」能舞台のように揺らめくかがり火に照らされた庭先で、きちんとした所作で羽織を脱ぐと小柄に懐紙を巻いた丹左衛門……介錯を頼まれた副官と、もう二人の志士が見届け役として控える……

丹左衛門「では、参るぞ……!」

副官「ふん……っ!」丹左衛門が真一文字に腹を切るのと同時に、後ろに立った副官が首筋へ太刀を振り下ろした……

副官B「……見事なものであったな」

副官「いかにも。丹左衛門どのは最後まで立派な方であった……」

………
677 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/01/09(火) 01:46:15.86 ID:Tu4LE4B20
…しばらくして・集合地点…

ドロシー「戻ったか」

ちせ「うむ……」千代の形見の脇差を手に、車へと乗り込んできたちせ……用心は怠りないが、その表情にはもの悲しげな雰囲気が混じっている……

アンジェ「……ドロシー、霧が晴れてきた」

ドロシー「分かってる」

アンジェ「それと、フランス側と例のサムライたちが手はずしておいた猶予の時間も過ぎたようね……近くの駐屯地から動員された兵隊が道路を塞ごうとしているわ。見とがめられる前に離脱しないと」

ドロシー「ああ……任せておけ。アンジェ、こいつをちせに着せてやってくれ」

アンジェ「ええ」ドロシーがトランクから引っ張り出した衣装の中から子供っぽいフリルのついたガウンやスカート、リボン付きのボンネットを手際よく着せていく……

ちせ「……これはなんじゃ?」

ドロシー「いいから任せておけ。お前さんは黙ってりゃいい……アンジェ?」

アンジェ「サ・ヴァ」

ドロシー「よし、それじゃあ行こう」ドロシーはお抱え運転手らしいチョッキと上着を着て、フランス人らしいベレー帽を目深にかぶった……

…道路上…

兵士「おーい、停まれ!」森を抜ける田舎道に兵士が四人ばかりと、指揮官らしい軍曹が一人立っている……道端には叉銃(さじゅう)の状態で立ててあるルベル小銃が三挺ほど置いてあり、一人の兵士が小銃を持ち、もう一人の兵士が大きく手を振りながらドロシーたちの乗用車を停める……

ドロシー「……アンジェ」

アンジェ「一体何ですの!? わたくしは急いでいるのです!」兵士に車を停められるやいなや、後部座席から気難しい声を出したアンジェ……日頃から「チェンジリング」でプリンセスと入れ替わり、気位の高い貴族たちと接することも多いアンジェとしては、それがフランス人であっても物真似などたやすい……

兵士「は、あの……」

アンジェ「あなたでは話になりません、一番偉い人を連れておいでなさい!」

兵士「は、はい……軍曹どの!」相方の兵士に見ているよう頼むと、木陰にいた軍曹の元へと駆け寄って、なにやら説明している……

軍曹「失礼します……ボンソワール、マダム」ノルマンディ飛び地を支配しているアルビオン王国の協力者であるフランス亡命貴族や王党派、それにいやいやながら参加している地元のノルマンディ人でなる傀儡政府「フランス王国」陸軍の制服をまとった軍曹が丁寧に挨拶した……

アンジェ「あなたがこの隊の指揮官ね? わたくしは急いでいるのです。何の検問かは存じませんけれどね、早く通して頂戴!」

軍曹「は、マダムの仰せとあればすぐにでもそうしたいのですが……なにぶん大尉殿から「道を行く車や馬車は全てこれを検索せよ」との命令を受けておりまして……」

アンジェ「……わたくしからその「大尉殿」に、あなたの共和主義者のような態度を伝えてもよろしいのよ?」

軍曹「いや、滅相もありません! ……後部座席の方はお子様でいらっしゃいますか?」

アンジェ「ええ、そうよ。旅先で熱を出してしまったから市街のお医者様のところまで急いで連れて行くところなの……分かったなら早く通しなさい」

軍曹「はっ、ただいま! ベルトラン、道を空けろ!」

ドロシー「くくくっ……アンジェ、お前さんスパイで食えなくなったら芝居に出るといい。まるでホンモノだったぜ♪」検問を通り過ぎると、ドロシーがからかった……

アンジェ「このくらい当然よ……」

…翌朝・港…

高級船員「はい、では確かに……どうかお足元にご注意下さい」

ドロシー「ええ、ありがと♪」

…アルビオン王国の一部である「ノルマンディ飛び地」からアルビオン王国本土へと向かう旅客が通過しなければならない「出国」審査を済ませ、船のタラップを上ったドロシーたち……船の高級船員も、プリンセスも通っている名門校「クィーンズ・メイフェア校」の制服を着ているドロシーたちを下へも置かず、あれこれと気を使ってくれる…

高級船員「それと、お手回りの品をお嬢様方が持って行く必要はございません、ボーイに運ばせますので」

ドロシー「まぁ、ご丁寧に……それじゃあこれ、取っておいて♪」いかにも遊び慣れている貴族の令嬢らしく、手際よくそれなりのチップをつかませる……

高級船員「ありがとうございます、ご学友さまの荷物もご一緒でよろしいですか?」

ドロシー「ええ、お願い……それにしても昨日、一昨日と霧のせいでお船が出られなくて困ってしまったわ」

高級船員「女心とドーヴァーの霧ばかりは予想がつきませんからね……おっと失礼♪」

ドロシー「ふふ、その様子だと予想がつかなくて困ったことがあるみたいね?」

高級船員「いやはや、これは一本取られました……そろそろ出港ですが、今日はべた凪ぎで快晴ですから、ドーヴァーの白い崖もよく見えますよ」

ドロシー「ありがとう、なにか欲しいものがあったらボーイさんを呼ぶわ」

高級船員「ええ。それでは良い船旅をお楽しみ下さい♪」

………

678 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/01/12(金) 01:32:01.09 ID:kos25FxB0
…船上…

ドロシー「おー、見えてきた見えてきた♪」

ちせ「……きれいなものじゃな」

…彼方に霞んでいた青っぽい陸のシルエットが次第にくっきりと鮮明になってきて、やがて左舷側に「ドーヴァーの白い崖」や、岸辺に寄せる波頭が見えてくる……また行き過ぎる旅客船や沿岸漁業の小さな漁船、上空でのんびりと浮かんでいるように見える飛行船なども視界に入る…

ドロシー「そうだろう? この景色だけはいつだっていいもんさ♪」隣に立つとちせの頭に手を当てて、髪をくしゃくしゃにするような具合に撫で回した……

ちせ「むぅ、そう子供扱いするでない……」ドロシーの手を払いのける……

ドロシー「まぁまぁ。そうだ、サロンでお茶でも飲むか」

ちせ「ふむ、お茶か……菓子はでるじゃろうか?」

ドロシー「ああ、出るさ。もっとも海峡横断の定期船だ、そこまで大したものは出ないがな」

ちせ「いや、それは構わぬ……ときにアンジェどのは?」

ドロシー「やっこさんとはできるだけ入れ替わりで船室を空けることにしているんでな……お茶を終えたら、交代してやらなきゃ」

ちせ「なるほど」

ドロシー「で、行くか?」

ちせ「うむ、参ろう」

ドロシー「よし、決まりだ」

…しばらくして・船室…

ドロシー「アンジェ、交代だ……茶でも飲んでこいよ」

アンジェ「ええ、そうする」

ちせ「……のう、一つ聞きたいことがあるのじゃが」

ドロシー「んー?」

ちせ「別にお茶だったらサロンで飲まずとも、ルームサービスで持ってこさせてもよいのではないか? わざわざ船室を空ける必要もないじゃろうに」

ドロシー「確かにルームサービスでボーイを呼びつけたっていいさ……ただ、今日は好天で乗客はみんなサロンに行ったり甲板(デッキ)に出たりしている……ましてや元気いっぱいで、まだまだ船旅の経験も少ない……つまり、船上で見るものや聞くものに興味津々な女学生ならなおさらだ……」

ちせ「……つまり、船室に閉じこもっているとかえって不審に思われるということか」

ドロシー「ご名答♪ だからわざわざ船員に到着時間を聞いてみたり、今いる場所がどこの沖なのか聞いてみたりしたわけさ」

ちせ「なるほど……」

ドロシー「それより、あと二時間もしないうちに港に入る……ノルマンディ飛び地での「出国」審査はわりかしおざなりだが、ロンドン港での「入国」審査はフランスからの密輸品なんかを取り押さえる目的もあってけっこうキツいぞ。どうやるかは聞かないでおくが、お前さんの刀とか、引っかからないように手はずを済ませておけよ?」

ちせ「その辺の準備は万端じゃ……ドロシーたちこそ「大事な書類」を運んでいるのじゃろう?」

ドロシー「まぁな、そこは上手くやるさ」

アンジェ「……ドロシーからすれば「書類(ペーパーズ)」よりも「筆記試験(ペーパーズ)」の方が怖いでしょうし、ね」

ドロシー「おいおい、戻ってくるなりずいぶんなご挨拶だな」

アンジェ「それはそうでしょう……それとも、今度のラテン語のテストは満点を取れる自信があるのかしら?」

ドロシー「ははっ、あんなものは「ファーム」のテストに比べたらちょろいもんさ……」

アンジェ「くれぐれもカンニングなんて馬鹿な真似はしないでちょうだいね」

ドロシー「ちっ、この私がそんなくだらないことするかよ……そんな暇があったら職員室に忍び込んで答案をすり替えるさ♪」

アンジェ「あきれた……」

ちせ「むむむ、ラテン語か……あれは全く手に負えぬ」

ドロシー「ははっ、ちせもラテン語はだめか♪ ま、たいていの学生はみんなあいつで青息吐息だからな、ちせ一人じゃないさ」

アンジェ「いざとなったら私やプリンセス、ベアトリスがつきっきりで教えるわ……落第なんてされたら困る」

ドロシー「確かにな」

アンジェ「ええ、なにしろ悪い見本が目の前にいるもの」

ドロシー「……おい」

アンジェ「さぁ、そろそろ入国審査の準備に取りかかりましょう」

………
679 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/01/15(月) 00:03:41.93 ID:HedBtJ3C0
…ロンドン港…

船員「またのご利用をお待ちしております、お嬢様方」

ドロシー「ありがとう……さーて、港の様子は……っと」船を降りる舷梯(タラップ)からさりげなく視線を走らせる……

税関職員「行ってよし、次の方!」

ドロシー「……おーおー、相変わらず雁首並べていやがるなぁ」

アンジェ「別に検査の人員が多かろうが少なかろうが、いつも通りに振る舞えばいい」

ドロシー「まぁな、別にやましいものがあるわけじゃなし」

…マルシェで合い言葉を言って素性の分からないティーカップを受け取ったドロシーとアンジェだったが、たとえ「入国審査」で引っかかったとしても「あくまでもティーカップを買っただけ」と言い抜け、他のことについては知らぬ存ぜぬを通すつもりでいる……貴賓室や一等船室の貴族や上流階級は船内でごく丁寧に、それ以下の一般船客は身分や階層ごとに時間を分けて船を降ろされ、列に並んで検査を受ける…

ちせ「落ち着いたものじゃな……」

ドロシー「当然さ、焦ったところでなんにもならないからな」

税関「次の方!」

アンジェ「来たわね……はい」

税関「では、旅券を拝見」

アンジェ「どうぞ」

税関「旅の目的は?」

アンジェ「連休を使っての観光旅行です」

税関「……申請したときと、実際にノルマンディ飛び地にいた日数が異なるようですが?」

アンジェ「ええ。本当は昨日には帰ってくるつもりだったのですけれど、一昨日からの霧で海峡横断の船が欠航になってしまったものですから……電報は打ったのですが、きっと学校の先生に怒られてしまいます……」

税関「なるほど……荷物はこれだけ?」

アンジェ「はい、これだけです」

税関「なにか持ち込み禁止の品であるとか、規定を超える額になる金や宝石、高級酒、工芸品、織物等は入っていませんね?」

アンジェ「入っていません」

税関「では職員が荷物を開けます……メアリー、頼む」きっちりした感じのひっつめ髪にした女性職員がトランクを受け取ると、最低限の配慮として他の旅行者からは見えないように囲いの陰で蓋を開け、中身を確認する……

女性職員「これは?」

アンジェ「船酔いに備えて買ったコニャックです」

女性職員「なるほど、規定量以下ですね……それからこれは?」

アンジェ「学校の友達にあげるお土産で買ったレースのストッキングです」同性とはいえ他人に下着や寝間着をあらためられるのは恥ずかしいとばかりに、年相応に恥ずかしげな様子で顔をうつむけた……

女性職員「ふむ、まぁいいでしょう……ん?」

アンジェ「なにか?」

女性職員「ええ、これはなんですか」荷物を戻してふたを閉めかけたところでトランクの口を開け直し、急に興味を持ったような口調で問いかけた……

アンジェ「えっ、あぁ……それならマルシェで買ったお土産です」

…それはアンジェが自分の手のひらのようによく知っている入国管理局や税関特有の手口で、一旦検査が終わりかけたように見せかけたところで急に何かに興味を持ったような口調で問いかけ、やましいところのある人間がぎくりとするかどうかの反応を見る一種の「ひっかけ」だった……しかし年若くとも一流のエージェントであるアンジェがそんな子供だましに引っかかるわけもなく、それらしく適度に驚きつつも「まだ続くのか」という困惑を少し込めた、ごくさりげない反応をしてみせた……

女性職員「開けさせていただきます」

アンジェ「どうぞ」木箱に入っているティーカップを取り出し、裏の刻印や箱そのものをひとわたりチェックする……

女性職員「なるほど……結構です」

税関「はい、どうぞ」旅券に仰々しいハンコを押すとアンジェに返した……

アンジェ「ありがとうございます」

税関「どういたしまして……はい、次の方!」

ドロシー「はーい」

………

680 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/01/20(土) 01:45:01.90 ID:JPKfl4zq0
…プリムローズ・ヒル…

アンジェ「……隣、よろしいですか?」

7「ええ、どうぞ?」

…リージェント公園を抜け、小高い丘になっている公園「プリムローズ・ヒル」のベンチに座っている「7」の隣に腰かけたアンジェ……周囲は眺望がよく、煙突の煤煙やボイラーのパイプから漏れる水蒸気で煙っているロンドン市街が一望できる……つばの大きい婦人帽にピクニック用のバスケット、手に小さな望遠鏡を持った「7」はいい空気を吸いに来た中産階級の婦人といった雰囲気で、大きなバッフル(ふくらみ)のついたスカートがベンチに広がり、短い上着と胴衣をまとっている……かたわらにはたたんだ日傘も置いてあり、それがベンチの座面をいくらか隠している…

7「……それで、受け取ってきた?」

アンジェ「持ってきたわ」

…アンジェがティーカップの箱を置くと7が日傘を動かし、下に隠すようにしてからティーカップの箱を受け取った……日傘の陰にはもう一つ同じ箱があり、アンジェがそれを受け取って鞄におさめた…

7「ご苦労様、後で詳細な報告をお願いね。それと、チョコレートはあげるわ」

アンジェ「ええ……」7がバスケットから取りだしたチョコレートを受け取ると、しばしの間ロンドン市街を眺め、包み紙をむいてチョコレートをかじった……

…同じ頃・自然史博物館…

L「……それで、現地でなにか変わったことは?」

ドロシー「ああ。ちせが情報の受け渡しを行った大使館職員の私邸が旧幕府方の侍たちに襲撃を受けた」

…アンジェが情報を受け渡している間にデブリーフィング(状況報告)を済ますべく、再び博物館へとやって来たドロシー……手元には図録とレポート用紙があり、ときおり説明板の文書を書き写したり化石のスケッチを取りながらひとり言をつぶやくようにして「L」に報告を行う…

L「旧幕府方か……続けてくれ」

ドロシー「成りゆきで私とアンジェも介入する事になっちまったが、顔を見た相手はしゃべれないようにしてきた……それよりも、ノルマンディ飛び地でフランス情報部が活動できたというのが気になる」

L「というと?」

ドロシー「正直、ノルマンディ公配下の防諜部が目を光らせている中で、カエル(フランス人)の連中があんな勝手に振る舞えるとは思えない。現地の「フランス王国軍」とも繋ぎをつけているようで、駐屯地から数マイルもないところでドンパチが起こっているのに二時間以上も兵隊を展開させる様子がなかった」

L「……それで?」

ドロシー「こいつはただの推論だが、もしかしたら王国の連中とカエルの間で何かの取引か密約でもできたのかもしれない」

L「なるほど……他には?」

ドロシー「日本政府の新暗号だが、ノルマンディ飛び地で受け取ったのは佐伯っていう事務官だ。暗号表の文字列はアンジェがのぞき込む機会があったから、見えた部分に関しては書き写して渡す」

L「ふむ、重要な手がかりだ」

ドロシー「ああ、そうだろうな……」

L「……友人の属している政府を探るのは気に入らないか?」

ドロシー「なにを今さら……そんなきれいごとが言えるような純粋さはとうの昔に無くしちまったよ」

L「確かに汚いやり方だとは思う……だが、これも仕方のない事なのだ。こんなことをせずに済むのなら私だってそうしたい」

ドロシー「よく言うよ……ところで話は変わるが、あっちから戻ろうって日に海峡の霧で船が欠航になってね。延泊することになっちまったから、その分の宿代その他もろもろを予備費から出してくれ」

L「分かっている、気象予報はこちらにもあるからな……いつもの銀行に振り込んである」

ドロシー「そりゃあどうも」

L「ああ……ところで学業の方は?」

ドロシー「一日欠席しちまったからガミガミ言われたが「霧ばかりはどうしようもありませんので」って言ってやったよ」

L「ふむ」

ドロシー「これにはさすがの先生方も文句の付けようがなかったらしくてね……それで「明後日までに任意のレポートを書き上げてくること」って課題を出されたわけだ」

L「では、いい機会になったな」

ドロシー「ああ。おかげさまで恐竜だのシダ植物だのに詳しくなれそうだ」

L「結構だ。世の中、どんな知識でも役に立つ……特にこの世界ではな。とにかくご苦労だった」すっと離れて、そのまま歩き去った……

ドロシー「ああ……」

ドロシー「……化石か。あの「サムライ」たちも古くさい矜恃だの義理だのに縛られて化石になっちまってたってわけか」

ドロシー「もしかしたら、いずれ私もお前さんたちみたいになるかもしれないが……だが今のところ、まだそのつもりはないんでね」

ドロシー「それじゃあな、アンジェのご先祖さん♪」蜥蜴の化石に向けて小さな声で話しかけると、足取りも軽く博物館の出口へと向かっていった……
681 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/01/28(日) 01:29:28.18 ID:288ALfUR0
…case・プリンセス×ベアトリス「A girl who wants to become a spy」(スパイになりたがった娘)…

…とあるネスト…

ベアトリス「……」パンッ、パンッ!

ベアトリス「ふぅ、終わりました……ドロシーさん、見てもらえますか?」ベアトリスの小さな手が撃ちきった.380口径リボルバーを下ろし、耳当てを外してドロシーに声をかけた……

ドロシー「うん、なかなか良くなってきたじゃないか……引き金を引くときにおっかなびっくりだったり、目をつぶったりすることもなくなってきたしな」

…幾何学の授業で使うコンパスや定規で作図した的紙には、きちんとした弾痕が残っている……弾着は以前よりもずっと中心にまとまっていて、中の一発はまぐれかもしれないがブルズアイ(中心点)を射抜いている…

ベアトリス「そうですか?」

ドロシー「ああ、訓練のたびに成長が見られるだなんて大したもんさ」

ベアトリス「えへへ……なんだか照れちゃいますね///」

アンジェ「ドロシー。やる気を出させるのは結構だけれど、あまりおだてすぎるのは考え物よ」

ドロシー「そういうなよ、たったこれだけの期間でここまでやれれば結構じゃないか」

アンジェ「そうは言ってもいざというときに相手をすることになるのは経験を積んだ公安部や防諜部のエージェントなのよ。特にノルマンディ公の部下は練度が高い、軽い気持ちでは困る」

ベアトリス「はい……」

ドロシー「なぁに、ベアトリスだってそれくらい分かってるさ……そうだろ?」

ベアトリス「そのつもりです……」

ドロシー「アンジェがああ言ってるからってそうしょげることはないさ……ベアトリス、私はお前さんには正面切ってのドンパチをやってもらおうなんて思っちゃいない。普段はあくまで無害なお付きの女の子をやっていてくれればそれで結構だ……そして、お前さんがティーカップしか扱えないと思っている連中がうっかり背を向けたとき……その時はお前さんが不意を突き、その間抜け野郎にとって年貢の納め時ってわけだ」

ベアトリス「なるほど」

ドロシー「分かったらもう一回だ。引き金は滑らかに絞るように……ガク引きすると弾詰まりを起こすからな」

ベアトリス「はい」

…しばらくして…

ベアトリス「そういえば、どうして私たちの銃はリボルバーなんですか?」

ドロシー「そうだな……確かに内務省の連中はボーチャード(ボルヒャルト)ピストルみたいなオートマティック・ピストルを使っちゃいるが、ああいうのは基本的に大きいから隠すのに向いてない」


(※ボーチャード・ピストル…1890年代に開発された「世界初」とも言われる実用的なセミ・オートマティックピストル。強力な7.65×25ミリ口径の軍用弾薬を用いる大型のピストルで、トグル(「尺取り虫」式)アクションで作動するが、全体的に大きすぎ、また複雑なトグルアクションは製造が面倒で、実用の上でも弾詰まりを起こしやすかったため成功しなかった。のちに改良を加え弾薬を7.65×21ミリ口径に変更した1900年の「ルガー・パラベラム・ピストル」やその系列に繋がる9×19ミリ(9ミリパラベラム)口径の名銃「ルガーP08」が生まれたが、これらもトグルアクションの構造がたたって故障が多かった。)


ベアトリス「そうなんですね」

ドロシー「ああ。それにボーチャード・ピストルは口径がデカすぎるから銃声も大きいし、構造も複雑で弾詰まりを起こしやすいんだ……それでいけば、ダブルアクションのリボルバーなら一発撃発しなくても引き金をひけば次の弾が送られてくるからな。二発続けて不発なんて不幸があったら、その時は運に見放されたと思って諦めるんだな」

アンジェ「そういうことね……さあ、後片付けをしたら帰りましょう」

…別の日・部室…

ドロシー「……さて、今回のは楽な任務だ。他の任務の間に片手間でできるし、寒かったり汚かったりってこともない」

ベアトリス「なんだか嘘くさいですね」

ドロシー「おいおい、失礼なやつだな……私が嘘をついたことがあるかよ」

ベアトリス「……」

ドロシー「ほほう、その様子じゃ信用してないな?」

ベアトリス「それはそうですよ。今までだって高いところから飛び出したり、冷たい屋根の上で腹這いになって一晩見張りをしたりと、ずいぶんな目にあっているんですから」

ドロシー「それもエージェントの仕事さ……」

プリンセス「そうね、自分が身を置くまではもっとずっと活劇的なものだとばかり思っていたから、こんなに地味で大変だとは思ってもいなかったわ」

ドロシー「さすがはプリンセス、よく分かっていらっしゃる」

プリンセス「お褒めにあずかり恐縮ですわ……それでドロシーさん、任務の内容は?」

ドロシー「そうだった、そいつを説明しないとな……♪」
682 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/02/03(土) 01:08:34.47 ID:YuI7hGX20
ドロシー「……さて、以前調べたから分かっていると思うが、この「クィーンズ・メイフェア校」には学生、教職員を問わず王国のエージェントや連絡員、あるいは低級の情報提供者がうようよいる」

ドロシー「そいつらが王国公安部にくみしているのは単純に「プリンセスのお為になる」と思って自発的に協力しているやつから、さまざまな不品行をネタに脅されてやっているやつ、ちょっとした小遣い稼ぎや王国に媚びを売りたいがためにやっているやつまでさまざまだ」

プリンセス「確かにそういう人は結構いるわね……それで?」

ドロシー「当然ながらこちらとしてもそれを黙って見ているつもりはない……目には目を、スパイにはスパイを……つまり、こちらの味方になりそうな連中を探し出すんだ。以前も講師や生徒から何人か探し出したんだが、いつ使えなくなるか分からないしな」

ベアトリス「……それってつまり、協力者のスカウトをするって言うことですか?」

ドロシー「ある程度はそうだが、正確には違う……私たちはこれっていう人間に目を付けて観察しいくらか話してみて、ものになりそうだったら味方に知らせるだけだ。スカウト自体はそれ専門のエージェントや協力者がやる」

ベアトリス「あの、それだとスカウト役の人がわざわざ接触しなくちゃいけないですし、もし監視されていたら危険じゃないですか? 学校の中にいる私たちが声をかけた方が見つかる危険度も少ないような気がしますけれど……」

アンジェ「……私たちはエージェントであって、素性を知られるわけにはいかない。もしこちらがスカウトしようとした相手がこちらの話に乗ってこず、かえって王国側に通報したらどうなる?」

ベアトリス「あ……」

ドロシー「そういうことだ。スカウトは使い捨てのできるカットアウトから始まり、何重もの調査をパスしてようやく情報部のエージェントが「面接」することになる。ちょっとお茶でもいかがですか……ってな具合で誘うわけにはいかないのさ」

プリンセス「では、私たちがするべきなのは王国に反感を持っていたり、共和国に親近感を持っている人を探すということね?」

ドロシー「おっしゃるとおり……ほかにも脅せるようなネタを手に入れたり、金で転ぶような相手だっていい。私やアンジェと、プリンセスやベアトリスでは知り合いやクラスメイトが違うから、急になれなれしくしたりしたり話しかけたりしたらおかしいし「一つのカゴに全部の卵をいれない」ように細分化する必要もあるから、そっちはそっちで探してみてほしい」

ベアトリス「なるほど、それはそうですね」

アンジェ「……もっとも、金で動くような人間はあまり欲しくはないけれど」

プリンセス「どうして?」

ドロシー「ああ、そいつは情報部における鉄則の一つでね「金で転ぶ人間はより高い金で敵方に転ぶ」……つまり信用できないってわけさ」

プリンセス「なるほど」

ドロシー「付け加えるなら理想に燃えるようなタイプもダメだ」

プリンセス「そうなの?」

ドロシー「ああ。そういう高潔な連中は汚れ仕事の多いこの世界には向かないし、口先だけの理想主義者も多いんでね……肝心な時にビビって使い物にならなかったり、捕まって簡単に情報を吐いちまうような人間はむしろ迷惑だ」

プリンセス「難しいのね……」

ドロシー「だから情報部はいつも手不足なのさ……腕の立つ人間がいたらそれこそすっ飛んでくるね」

ベアトリス「でも、そんなに条件が多いと探すのも大変そうですね」

ドロシー「まあ、別にレジデント(駐在工作員)や特殊工作員の候補になるような人間を探したいわけじゃないんだ、そこまでうるさくは言わないさ」

アンジェ「あくまでもちょっとした目や耳、あるいはこちらが必要な時にちょっとしたものを用立ててくれる程度の人間が欲しいだけ」

ドロシー「そういうこと。監視任務に就きたいとき書き取りの宿題を代わりにやってくれるとか、食堂からスコーンをくすねてきてくれるような「お友達」ってわけさ」

プリンセス「ふふっ、それだとなんだかイタズラ仲間みたいね♪」

ドロシー「まぁ、そんなところかな……来週のこの時間にまた集まるつもりだから、目星がついたらその時に報告してくれ」

プリンセス「ええ」

ベアトリス「分かりました」

アンジェ「それと成果はなくても構わないから、あんまり露骨な誘い方はしないように。校内にうろついている王国側のネズミに嗅ぎつけられたら、それこそ目も当てられない」

ベアトリス「気を付けます」

………

…翌日・図書室の本棚の陰…

ベアトリス「……」

女生徒A「もう、嫌になっちゃうわ……わたくしのお父様ったらお小遣いを全然くださらないの。お出かけもしたいし、新しいドレスも欲しいのに……」

女生徒B「それよりもあの寮監先生ってば、憎たらしいったらありゃしない……ちょっと消灯時間を過ぎてからベッドの中でお友達とおしゃべりしていただけなのに、まるで叛逆の企てでもたくらんでいたみたいに柳のムチで手を叩くんですもの……まだ手の甲がヒリヒリするわ」

ベアトリス「……」あちこちで交わされる噂話やおしゃべりにさりげなく聞き耳をたて、これと言った人間がいないか探って回る……

女生徒A「ほんと、まだ赤いのが残ってるじゃない……」

女生徒B「ね、まったくツイてないわ……」

ベアトリス「……うーん、あの二人は違いますね」

………

683 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/02/11(日) 01:53:05.04 ID:WeCVxhdO0
…別の日・自習室…

長髪の女生徒「プリンセスとご一緒出来るなんて光栄ですわ」

三つ編みの女生徒「ええ。同じ学校とは言え、普段はなかなか気軽にお話するという訳にも参りませんから……」

プリンセス「あら、どうして?」

長髪「それは……」

プリンセス「おっしゃらないで? わたくしも自覚はしておりますから……常日頃から警護官が影のようにつきまとい、ことあるごとに睨んでいるようでは、皆さんも級友として親しくお付き合いするというのは難しいでしょう?」

三つ編み「え、ええ……」

プリンセス「けれどご安心なさって? 今は学校の中、学業に励んでいるわたくしたちを止め立てする警護官はおりませんから……ね♪」親しみやすい気さくな態度で、可愛らしい唇に指を当てた……

長髪「は、はい///」

三つ編み「///」

プリンセス「さぁ、間違っている所があったら遠慮せずに教えて下さいね?」

長髪「はい……っ♪」

…まだ年若いとはいえ、王位継承権を持つ王族の一人として外交の舞台に立つことも多いプリンセス……したがって場の空気を和ませたり相手の警戒を緩める人心掌握術、それにさりげなく本音を聞き出し、不都合な質問をはぐらかす会話術なども叔父である「ノルマンディ公」から帝王学の一環として叩き込まれていた……幼い日のアンジェと入れ替わってから何年も経ち、かつて涙をこらえて責任からくる重圧に耐え、化粧室で見つからないよう嘔吐しながら身に付けてきた学問の数々を、いまや自分とアンジェの未来のために使いこなす…

三つ編み「あの、プリンセス……ここの回答では「est」を使うべきかと思いますが……」

プリンセス「まぁ、わたくしったら恥ずかしい間違いをしてしまいましたね。 でも、ミス・キーガンのおかげでラテン語の先生に怒られずに済みますわ♪」

三つ編み「いえ、私なんて……///」

プリンセス「そうおっしゃらないで、自分の才能を卑下することはありませんわ♪」

三つ編み「あ、ありがとうございます……///」

…しばらくして…

プリンセス「まぁ……ふふっ、そのようなことがあったのですね♪」

三つ編み「そ、そうなんです……///」

長髪「私も近ごろの政策には感心致しませんわ……あ、いえ、これは決してプリンセスと王家の方々を批判しているのではなくて……///」

プリンセス「大丈夫、分かっていますよ……わたくしも確かにアルビオン王国の人間ではありますが、だからといって議会でも何でも思い通りに出来るものではないのです」少し淋しげな雰囲気をにじませる……

三つ編み「心中お察し致します、プリンセス……」

長髪「それにしてもあんまりというものですわ。プリンセスをまるで外交の道具か何かのように……」

プリンセス「わたくしのために憤慨して下さって嬉しく思いますわ……でもわたくしったら、お二人が親しくお話して下さるものですから、つい国の政策について批判めいたこと……今のやり取りは内緒になさって下さいね?」

…おしゃべりな人間ならつい誰かに漏らしたくなるような……しかし、脅威とは取られないようごく小さな批難めいた言葉を発して、二人の口が堅いか、また王国側の情報提供者でないかかまをかける…

長髪「ええ、お約束します」

三つ編み「私も、決して他言はしません」

プリンセス「ありがとう♪」

長髪「私でよければいつでもご用をおっしゃって下さい、プリンセス」

三つ編み「私もです、プリンセスのお役に立つようなことがあったらいつでもおっしゃって下さい」

プリンセス「その言葉だけで嬉しく思います……本当にありがとう」

長髪「あぁ、いえ……そんな///」

三つ編み「///」

プリンセス「……あら、わたくしったら……お二人との話が楽しいものですからすっかり手がお留守になってしまいました。さぁ、勉強の続きをいたしましょう」

三つ編み「そ、そうですね……///」

長髪「え、ええ……次は代数の問題をいたしましょうか」

プリンセス「はい♪」
684 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/02/16(金) 01:06:58.97 ID:/eYzoQkK0
…数日後…

アンジェ「それじゃあ中間報告を聞きましょうか……ベアトリス、貴女から」アッサムのティーカップを前に手を組み、じっとベアトリスを見つめた……

ベアトリス「えぇーと……私が見聞きした限りで「これかな」と思える人は三人ほどいました」

アンジェ「それぞれの特徴を」

ベアトリス「いま言いますね……暗記できる最低限の情報だけなので物足りないかもしれませんが……」

ドロシー「いいさ、変にメモなんか作られるよりは不十分な情報の方がまだマシだ……さ、どんなやつだ?」

ベアトリス「はい、一人目は「エミリー・クライトン」といって……」

ドロシー「……確か、お前さんと同学年だったか?」

ベアトリス「え、そうですけれど……もしかして生徒全員の名前と顔を覚えているんですか?」

ドロシー「おいおい、いくらなんでも全員は無理だ……ただ、どこかで聞いたことのある名前だなって程度さ」

ベアトリス「……」

アンジェ「どうしたの、続けて? 彼女のどの辺りが協力者として「発掘」する価値がありそうなのか教えてちょうだい」

ベアトリス「あ、はい……クライトンさんはいわゆる中産階級の女の子で、お家にそれなりの財産はあるようなんですが、クラスメイトの貴族令嬢の人たちからは「背伸びをしている」ってずいぶん陰口を言われているみたいなんです。本人もそのことを不愉快に感じているので、スカウトする動機になるかな……と」

アンジェ「貴族階級に対する妬みね……次は?」

ベアトリス「メアリ・マッコール、ドロシーさんと同じ学年です」

ドロシー「そいつならひとことふたこと話したことがあるよ……くせっ毛でそばかすがあるやつだろう」

ベアトリス「そうです、その人です」

ドロシー「じゃあ、やっこさんのどの辺がスカウトに値しそうなのか教えてくれるか?」

ベアトリス「はい。彼女は名前の通りのアイルランド系で、メイフェア校の「幅広い階級、立場の生徒を受け入れる」という方針に合わせてよその寄宿学校から編入してきたみたいなんですが、日頃からクラスでは上手く行っていないようで、何回か他の生徒といさかいになっている所が目撃されています」

ドロシー「それなら私も前に見たよ」

ベアトリス「噂では学費も滞りがちで、一時期は寮監先生から施設を使ってはいけないと言われたとか……つまり、お金にも困っているようなんです」

アンジェ「王国への敵対心と金銭面ね……それじゃあ三人目は?」

ベアトリス「アイリーン・メイフィールド男爵令嬢です」

アンジェ「……」

ドロシー「……ほほう?」一瞬アンジェと視線を交わすと、姿勢を崩して身を乗り出した……

ベアトリス「え、えーっとですね……///」

アンジェ「どうしたの?」

ドロシー「そうもったいぶるなよ♪」

ベアトリス「いえ、そういうわけでは……えーっと、その……姫様がいらっしゃるので///」

プリンセス「あら、わたくしがいてはいけない?」

ベアトリス「い、いけないことはないのですが……ちょっと姫様のお耳に入れるには、その……///」

プリンセス「わたくしはこれまでも、耳を疑いたくなるような事も、聞きたくないような事実も耳にしてきました……だから大丈夫」

アンジェ「安心しなさい、プリンセスは多少のことで動じたりはしないわ」

ベアトリス「それもそうですね、では……こほん///」

ベアトリス「……メイフィールド嬢ですが、姫様のことを……そのぉ……恋慕の対象として想っているようで……///」

ドロシー「なぁんだ、そんなことか。 アルビオン王国にいる年頃の娘なら、一度くらいプリンセスに憧れを抱くのは当たり前さ」

プリンセス「お褒めにあずかり光栄ですわ」

ドロシー「どういたしまして♪」

ベアトリス「いえ、それが……」

アンジェ「その様子だと何かあるようね?」

ベアトリス「は、はい……///」
685 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/02/21(水) 02:42:01.04 ID:Q81Ybjnq0
…校内・空き部屋…

ベアトリス「……よいしょ、と」

ベアトリス「ふぅ、さすがに重くてくたびれちゃいました……」

…ずっしりと重い教材を、校内でも人気の少ない一角にある空き部屋のひとつに運んで、丁寧に書棚に戻したベアトリス……普通の寄宿学校なら用務員さんや下働きが代わりに片付けるところではあるが、曲がりなりにも「進歩的」なメイフェア校では「庶民の気持ちを理解する」という名目で、一部の雑務を学生にさせることがあった…

ベアトリス「……ホコリっぽいのは別として、この部屋は意外と落ち着きますね」古びた紙とインクの匂いが立ちこめ、空中に漂うほこりが陽光にキラキラと反射している……

…そうつぶやくと片隅に放り出されている古い椅子に腰かけた……雑務体験とは言うものの、ホンモノの箱入り娘や貴族令嬢たちにそうした役割が回ってくることはなく、たいていベアトリスのように格が落ちる貴族の娘や平民出の女学生がやらされるか、もし仮にそうした役割が貴族令嬢に割り振られたとしても、お嬢様にくっつく取り巻きどもが先回りして中産階級の女学生や気の弱いいじめられっ子に押しつけてしまう…

ベアトリス「それにしてもぽかぽかしていていい気持ちです……」明かり取りの小窓一つしかない倉庫代わりの空き部屋にもうららかな陽気が入って来て、座面にモスグリーンの生地を張った椅子と、そこに座ったベアトリスをほのかに暖める……

ベアトリス「今日は姫様の公務に付く予定もないですし、課題は終わっていますし……少しだけ休憩してもいいですよね……ふわぁ……」

…ベアトリスは小さな口に手を当ててひとつあくびをすると、そのままこっくりこっくりと船を漕ぎ出した…

ベアトリス「くぅ……すぅ……」

………

…しばらくして…

ベアトリス「すぅ、むにゃ……っ、すっかり寝ちゃいました!」

ベアトリス「……誰にも見られていませんよね?」

…ふっと目が覚めると同時に居眠りしていたことに気付き、小さなひとりごとを言いながらきょろきょろと辺りを確かめる……太陽の当たり具合からすると何分も経っていないようだったが、慌てて立ち上がろうとするベアトリス……と、小さな虫の羽音のようなささやき声のようなどこからか聞こえてくる…

ベアトリス「あれ? 誰かの話し声がします……」情報部員としての習性が身についてきたのか、気配を殺すとそっと音のする場所を確かめる……

ベアトリス「……ここですね」

…小さな声をたどってたどり着いたのは書棚に隠れた壁の下の方、羽目板に小さなひび割れが入っている辺りだった……声のトーンは分かっても内容までは聞き取れず、ベアトリスはうっかりくしゃみをしたりしないよう、手元のハンカチで鼻と口元を押さえながらほこりの積もった床にひざまづくと、羽目板のすき間に耳を当てた…

声「……はぁぁ、何と可愛らしいんでしょう♪」

声「本当に可愛らしくて……なるほど、シャーロット王女様が王室の中でも大衆の人気を得ていらっしゃるのが分かりますわ♪」

ベアトリス「……(どうやら姫様の事をしゃべっているみたいですね)」

声「本当に素敵で……滅茶苦茶にして差し上げたいほどですわ♪」

ベアトリス「……(えっ!?)」

声「あぁ、あのシャーロット王女様を私の城で馬のように飼い慣らして、私一人のものに出来たらどんなにか幸せなことでしょう……ふふっ♪」

ベアトリス「……(うわぁ、まさか姫様と一緒の学校にいる生徒の中にこんな考えの人がいるだなんて……聞きたくなかったですね)」

声「あの小さなお手に、くるっとした瞳、艶やかな髪にすんなりしたおみ足……はぁぁ♪」

ベアトリス「……(それにしてもこの声、どこかで……たしか、姫様とご一緒している際に聞いたことがあるような……)」

…音を立てないように姿勢を動かし、羽目板のすき間からそっと向こうをのぞいてみるベアトリス…

…羽目板の向こう側…

外向きロール髪の女生徒「んぅ……シャーロット王女様♪」

…空き部屋の多い一角とはいえ生徒の多いメイフェア校だけに、虫食いのようにいくつかの個室には寄宿生が住んでいる……むしろ隣人がおらず静かでいいと、そういった部屋は隠れた人気すらある……ベアトリスが覗いたさきにはそんな一室があって、今しも一人の女生徒が何やら棚の額縁を手に取っている…

外ロール「んんぅ……ん、れろっ♪」

ベアトリス「……(あれ……もしかして、姫様のお写真ですか!?)」

…コルセットとシルクストッキングだけを身に付けた女生徒が舌先ですくい上げるように舐め回しているのは、どこかの公式行事で一部の貴族や参加者に配られたプリンセスの写真で、その額縁ごしに舌を這わせながら、とろんとした目つきで自分の胸を揉みしだいている…

外ロール「ん、ちゅっ……れろっ……じゅる……っ♪」

ベアトリス「……(あ、あれは姫様がお持ちになっていた扇とほぼ同じ型の扇ですし……あっちは姫様が去年の園遊会でお召しになっていたドレスにそっくり……)」

…ベッドや床にまき散らされたように置かれているのは、どれもプリンセスの物にそっくりな服や小物で、その国民の人気ゆえに「シャーロット王女風」ファッションのモチーフになりやすいとはいえ、あきらかに度を超していた…

外ロール「んちゅっ……じゅるっ、ん……っ♪」

ベアトリス「……(いくら任務に役立つかもしれないとはいえ、これ以上はあんまり見ないでおきましょう……)」そっと床を後ずさりして、積もったほこりを人がいたようには見えない程度にならすと、隣室の女生徒に感づかれないよう慎重に空き部屋を出て行った……

………

686 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/02/29(木) 01:03:01.89 ID:rjr137e40
ベアトリス「その……それでですね、調べを進めていくとこのメイフェア校内には『プリンセス同好会』なる秘密のクラブがあるようなんです」

アンジェ「プリンセス同好会?」

ベアトリス「はい」

プリンセス「わたくしの同好会? いったいどんな活動をしているのかしら?」

ベアトリス「いえ、それが……顔立ちが似ている生徒に姫様の役を演じさせて、『クラブ』の面々がその生徒を……///」

プリンセス「……なるほど」

ドロシー「そいつは知らなかった……いや、連中が何かこそこそしているのは知っていたんだが、あいにく接点がなくてな……そんな事をしていたのか」

ベアトリス「え、ええ……毎週末になると空き部屋や見つかりにくい場所に集まっているみたいで……メイフィールド男爵令嬢はその「会長」になっているようなんです」

アンジェ「なるほど……プリンセスを引き合いに出して協力させるでも、反対にその行為をネタに脅して使うでもいいわけね」

ドロシー「ちなみにその「同好会」のメンバーは何人くらいいるんだ?」

ベアトリス「私も毎回把握できたわけではないのですが、少なくとも六人はいます……ただ、たいていはこっそり集まっていやらしいことがしたいだけみたいで、本当に姫様に執着しているのはメイフィールド嬢ともう一人くらいです」

ドロシー「ちなみにそっちは脈ナシか?」

ベアトリス「調べた限りではだめそうです。革命騒ぎがあった際に一部の土地や家財を無くしているみたいで、共和国に対しては強い反感を持っていますから」

ドロシー「了解だ。ご苦労さん、よく調べたもんだ」

アンジェ「そろそろ午後のお休みが終わってしまうわね……プリンセス、貴女の報告はあとで聞くわ」

プリンセス「分かったわ、アンジェ♪」

………

…夜・プリンセスの寝室…

プリンセス「ただいま、ベアト」

ベアトリス「お帰りなさいませ、姫様……無事に済みましたか?」

プリンセス「ええ。無事アンジェに中間報告をしてきたわ」椅子に腰かけると後ろからベアトリスが寝間着を着せかけ、櫛で髪をとかしてくれる……

ベアトリス「そうですか……それと、お昼のことですが……///」

プリンセス「私のファンクラブがあるってこと?」

ベアトリス「ファンクラブなんて可愛いものだったらいいんですが、あれは……///」

プリンセス「まぁ、ふふ……ベアトったら照れちゃって♪」

…化粧台の前で乳液やクリームを手に取って丹念にすり込んでいきながら、慌てふためいているベアトリスを鏡越しに見ながらからかう…

ベアトリス「べ、別に照れているわけでは……あの集まりで行われている事はあまりにも過激で、口に出すのもはばかられると言うだけです///」

プリンセス「それも普段は品行方正なメイフィールド男爵令嬢が、だものね?」

ベアトリス「おっしゃるとおりです。公式行事で何度か姫様のお側に座っていたこともあるのに……もう、誰が信用できるのか分からなくなっちゃいます」

プリンセス「そうね。こうして情報活動に身を投じて世界の『裏』を知ってしまうと、色々な事に幻滅してしまうわね」

ベアトリス「はい。嘘と裏切り、脅しに誘惑……正直、姫様のためでなかったらとうの昔に脱落していたと思います」

プリンセス「いつもながら、ベアトには苦労をかけるわね……私のワガママに付き合わせてしまって」

ベアトリス「いいえ、私は姫様の優しいお心を存じ上げておりますから……///」

プリンセス「まぁ、嬉しい……ところで♪」

ベアトリス「はい、なんでしょうか?」

プリンセス「ベアトは『プリンセス同好会』には入らないの?」

ベアトリス「姫様っ……な、なにを……っ///」

プリンセス「だって、ベアトは私の一番の理解者でかいがいしく付き従ってくれているんですもの、その資格は十分にあるわ……嫌かしら?」

ベアトリス「いえ、嫌だとかそういうことではなく……///」

プリンセス「……私、ベアトとだったらしたいわ♪」ベアトリスの小さな手をつかんで口元へ寄せると唇をあてた……

ベアトリス「あ、あっ……///」
687 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/03/10(日) 01:30:45.42 ID:sGKvSeeT0
プリンセス「……ベアト」

ベアトリス「姫様……///」

プリンセス「ふふ……そうやって照れちゃうベアト、とても可愛いわ♪」

ベアトリス「からかわないでください、姫様……///」

プリンセス「あら、いけない?」

ベアトリス「はい……だって私なんてちんちくりんですし、胸だってぺたんこですから……」そう言いかけたところでプリンセスが振り向き、ベアトリスの唇に人差し指をあてた……

プリンセス「そんなことを言ってはだめよ、ベアト?」

ベアトリス「……姫様」

プリンセス「ベアトは私にとって本当に大事なのだから、誰かと比較することなんてないの」

ベアトリス「姫様はお優しいです……でも、私なんかよりもずっと綺麗な女性がたくさんおりますし……」

プリンセス「そうね。たしかに顔立ちの綺麗な人、美しい身体をもっている女性はたくさんいるわ……でもね、ベアト」

ベアトリス「なんでしょうか」

プリンセス「私はベアト、貴女がいいの……私がよく知っている、けなげで、一生懸命で、がんばり屋さんの貴女が♪」

ベアトリス「姫様……///」

プリンセス「どう、これで納得してもらえたかしら?」

ベアトリス「はい……っ♪」

プリンセス「そう、良かった……それじゃあベアトが安心できるように♪」ちゅっ……♪

ベアトリス「きゃっ、姫様……んっ///」

プリンセス「ふふっ♪ せっかくベアトがベッドを暖めておいてくれたのだから、それを無駄にするのはいけないものね……♪」

ベアトリス「ひゃあっ!?」ナイトガウンをまとったまま、プリンセスがベアトリスを引っ張ってベッドに引っ張り込む……羽根布団がボフッとにぶい音を立て、舞い上がった細かなほこりが柔らかな黄橙色の明かりの下で雪のようにちらちらと輝いた……

プリンセス「それにしてもベアトったら、そんなことを気にしていたのね? ベアトのここ、とっても可愛らしいのに♪」甘く、ちょっぴりいじわるな表情を浮かべるとベアトリスの寝間着をはだけさせ、桜色をした小さな先端を甘噛みした……

ベアトリス「ひゃあぁっん……っ///」

プリンセス「しーっ、あんまり大きな声を出すと見回りの寮監に聞こえてしまうわ♪」

ベアトリス「ん……!」顔を真っ赤にして、慌てて口元を手で覆った……

プリンセス「……ふふ♪」さわっ……♪

ベアトリス「ひゃうっ!?」

プリンセス「ダメよ、ベアト……ちゃんと声を抑えておかないと♪」れろっ、ちゅ……♪

ベアトリス「んっ、んんぅ……はひっ///」口元を押さえ、甘い声が漏れないよう必死にこらえようとする……

プリンセス「ちゅる、ちゅむ……っ♪」

…プリンセスは布団の中でベアトリスの小さな身体をなぞるように甘噛みをし、舌先で優しく舐め、ときおり触れるか触れないか程度の手つきでお腹や鎖骨まわりを撫でる…

ベアトリス「んふぅ……んぅ……っ///」

プリンセス「あら? ベアトったら口元を押さえているのも大事だけれど……こっちはがら空きでいいのかしら?」ちゅぷ……♪

ベアトリス「ふあぁ……っ///」

プリンセス「あらあら、もうすっかり濡れていて温かいわ♪」くちゅ、ちゅく……っ♪

ベアトリス「はひっ、はひゅ……っ///」

プリンセス「ねぇベアト、せっかくだから一緒に気持ち良くなりましょうか♪」必死に喘ぎ声をこらえているベアトリスに笑みを向けると、自分の脚とベアトリスの脚が互い違いになるようふとももをわりこませ、粘っこく濡れた花芯を重ね合わせた……

ベアトリス「んっ、んんぅ……ひめ……さまぁ///」

プリンセス「ええ、私はここよ……それじゃあいくわね♪」ぐちゅ、ぬちゅ、にちゅ……っ♪

ベアトリス「ふー、ふぅぅ……っ///」喉の人工声帯をいじりたくはないのか、懸命に口元を押さえて声を我慢するベアトリス……

プリンセス「あっ、あふっ、んん……っ♪」布団の中に潜ったまま、次第にしっとりと汗ばんでくる身体を重ねた……

ベアトリス「はぁ、はぁ……はひっ、ふあぁぁ……っ♪」ぷしゃぁ……っ♪

プリンセス「ふふ、よくできました♪」

ベアトリス「はひ……はへぇ……///」
688 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/03/23(土) 01:32:56.45 ID:4qJGAVXs0
…翌日…

ドロシー「なぁ、ベアトリス?」

ベアトリス「……」暗号の解読問題を解いているが、肝心の問題もドロシーの声にも上の空でぼーっとしている……

ドロシー「……おいっ!」

ベアトリス「ひゃあ!?」

ドロシー「おいおい、大丈夫か?」

ベアトリス「すみません、ドロシーさん……」

ドロシー「やれやれ、プリンセスに可愛がってもらうのはいいが……訓練に身が入らないようじゃ困るぜ?」

ベアトリス「す、すみません……///」

ドロシー「まぁ無理もないか、プリンセスが気を許せるのはお前さんかアンジェくらいなもんだからな……ちょっと休憩にしようか」

ベアトリス「はい」

ドロシー「それにしても……くくっ♪」

ベアトリス「なんです?」

ドロシー「いや、ね……お前さんの熱心さを見ると、ファームの時にいたあるやつを思い出すよ♪」

ベアトリス「……思い出し笑いをするなんて、そんなにおかしな人だったんですか?」

ドロシー「まぁね……何しろ情報部員になるんだって気合だけが空回りしている、言ってみれば「空回りの総本山」みたいな奴だったからな。しかもご本人が真面目にやればやるほどその調子なもんだからな……時間もあるし、ちょっと話してやろう」

ベアトリス「ええ、聞かせてください」

ドロシー「そいつは私たちと同期に入った「マティルダ」って名前の訓練生でね……ちっこい身体で妙にちょこまかしている感じのやつで、ドジばかり踏んでいたくせに不思議と憎めない奴で……ちょっぴりお前さんにも似ているかもな」

ベアトリス「私、そんなに失敗ばかりはしていません」そう言って頬を膨らませるベアトリス……

ドロシー「分かってるよ、あくまで雰囲気がってことさ……それにお前さんの「七色の声」みたいな特技があるわけでもなし、正直なところスカウトが情報部員の候補として「ファーム」に入れたのは何かの間違いなんじゃないかと思うほどだったよ」

………



…数年前・ファーム…

ホワイト教官「おはよう、諸君」

訓練生たち「「おはようございます、ミスタ・ホワイト」」

ホワイト「うむ……昨日の今日だからね、どうかお手柔らかに頼むよ?」

…前日には訓練生一人ひとりと格闘訓練をして、軒並みノックアウトするか押さえ込んだ格闘技教官のミスタ・ホワイト……にっこり笑って冗談めかすと、いつものようにジャケットを脱いできちんと背広掛けにひっかけ、軽く肩を回した…

ドロシー「あれだけ格闘術でやり合ったのになんともなし、か……参ったな……」前日の訓練では、もしみぞおちに入っていたら相当こたえたと思われる必殺の蹴りを叩き込んだものの、かえってその脚を掴まれて一回転させられたドロシー……

ホワイト「さて、それでは今日はいつものように向かい合わせに立って順繰りに格闘訓練といこうか……負けたものは一つ左へ動いていき、最後に先頭で立った者は私とひと勝負といこう。では、始め」

ドロシー「よう、マティルダ」

マティルダ「よろしくね、ドロシー?」ぴょこんと一礼すると、くしゃくしゃの金髪がめいめい勝手な方向へ跳ねた……

ドロシー「おう(やれやれ、どうもこいつと組むと気が抜けるんだよなぁ……)」

マティルダ「……やっ!」

ドロシー「おいおい、それで本気かよ……ふっ!」

…本人は気迫のこもった声を出しているつもりのようだったが「可愛らしい」という形容詞がぴったりな気の抜けるようなかけ声とともに繰り出された右ストレート……それも子供のようなあどけない攻撃をなんなく受けとめると、カウンターの一撃をお見舞いする…

マティルダ「ひゃあ!?」

ドロシー「……っ!?」決まっていればノックアウト確実な左フックが入ろうという矢先、足元の乱れたマティルダがよろめいて尻もちをつき、ドロシーの一撃は空を切った……

ホワイト「……ミス・ドロシー、決定機だからといって警戒を怠ってはいけないよ? こうして背後から不意打ちを受けるかもしれないからね」一瞬たたらを踏んだドロシーに対して、いつの間にか背後に立っていたホワイトが足払いをかけて床に叩きつけた……

ドロシー「うー、畜生……っ」

マティルダ「ドロシー、大丈夫?」

ドロシー「ああ、なんてことない……」

ホワイト「結構、では次だ」
689 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/03/24(日) 01:37:19.98 ID:76domkFH0
…屋外運動場…

スカーレット教官「さぁ、頑張って走りましょう……適度な運動は美容にも良いわよ♪」

訓練生A「はぁ……はぁ……」

訓練生B「ひぃ……もうだめ……」

…ハードルや雲梯、綱渡り、匍匐前進など盛りだくさんの障害物が含まれているコースを走らされている訓練生たち……うら若い女性であるスカーレット教官は息も絶え絶えの訓練生たちを励まし、助言をしながら鹿のようにかろやかに走って行く…

ドロシー「はっ、はっ……」

スカーレット「ミス・ドロシーはこれで五周目ね?」

ドロシー「そうです、レディ・スカーレット……ふぅ、はぁ……」泥水の溜まった四角い池の上に張り渡されたロープを掴んで渡りながら、途切れ途切れに返事をする……

スカーレット「良い調子ね、頑張って♪」

ドロシー「どうも……」

スカーレット「……ところでミス・マティルダ、貴女は大丈夫?」

マティルダ「はい、私は大丈夫で……ふえっ!」勢い込んでそう返事をした矢先にハードルに脚を引っかけ、派手に顔面から砂場へ突っ込んだ……

訓練生C「……ぷっ♪」

訓練生D「くすくす……っ♪」

スカーレット「うーん、あまりそうは見えないけれど……それじゃあもうちょっと頑張ってみましょうか」

マティルダ「はい……っ!」

…はきはきと返事をしたマティルダは全体からすれば周回遅れもいいところだが、クサらずいたって真面目に走っている……が、砂まみれのくしゃくしゃ髪や、泥水に落っこちてポタポタとしずくをたらしながらちょこまかと走っている様子を見ていると、庭先ではしゃいでいるヨークシャー・テリアのようにしか見えない……次々と追い抜いていく他の候補生たちの中には、思わず笑い出してしまう者までいる…

スカーレット「それじゃあロープをしっかり掴んで、膝裏をロープに引っかけるようにして身体を支えながら、腕の力で前へ引っ張っていくように……」

マティルダ「分かりました……っ!」

スカーレット「そうそう、その調子よ」

マティルダ「よいしょ、こらしょ……ひゃう!?」ロープの上で身体のバランスを崩すと、半回転しながら下の水たまりに落ちて水しぶきをあげた……

訓練生E「ねぇマティルダ、こんな時期に水遊びなんてしてたら風邪引くわよ?」隣のロープをすいすい進みながら、訓練生が皮肉を言った……

マティルダ「うっぷ……でもあんまり冷たくはないですよ?」

スカーレット「ふふふっ……それなら良かったわ、でも今度は落ちないようになさいね?」思わず失笑してしまうスカーレット……

マティルダ「はいっ、頑張ります!」全身から水を滴らせながら這い出てくると、小型犬のようにぶるぶると身震いをしてしぶきをふるい落とし、また走り出した……

………

…教室…

シルバー教官「では、前回のつづり方のテストを返却しよう……成績トップは満点のミス・アンジェだ、おめでとう」

アンジェ「ありがとうございます」

シルバー「そして残念ながら、最下位だったのは……ミス・マティルダ、君だ」

マティルダ「うぅ……」

シルバー「そうしょげることはない、どうやら君は前回の授業をよく聞いてくれていたようだね。書いた答えのうち、おおよそ半分は合っていたよ」

マティルダ「本当ですか、ミスタ・シルバークラウド!?」ぱっと明るい表情を浮かべた……

シルバー「ああ、本当だとも……記述欄がひとつずつズレていなければ、だが」

マティルダ「あっ……!」

訓練生たち「「くすくす……♪」」

シルバー「うっかりミスは情報部員にとっては致命的な結果を招きかねない、今後はこういったことがないよう注意するように……明後日までにラテン語の書き取り二十枚だ」

マティルダ「はいっ」

シルバー「よろしい……それと、諸君の中にはミス・マティルダより誤答の多い者もいたのだからね。次のテストを考えると、あまり笑ってはいられないのではないかな?」

ドロシー「おやおや、そりゃ一体どこのどいつだろうな?」

アンジェ「……てっきり貴女の事かと思ったけれど、違ったのかしら」

ドロシー「よせやい。練習もしてあるし、カンニングの用意だってバッチリさ」

アンジェ「やれやれね……」
690 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/03/29(金) 01:08:56.06 ID:iRyZjprV0
…ある日・更衣室…

意地悪な訓練生「……それにしても不思議よねぇ、ドロシー」

ドロシー「何が?」

意地悪「マティルダよ、なんであの子が訓練生になれたのかしら? 確か教官は「我々は身分や階層、人種で訓練生をえり好みするようなことはしない」って言っていたけれど、きっと才能もえり好みしなかったのね」

イヤミな訓練生「あら、私は良いと思うけど? あの子が万年最下位にいてくれたらビリにならなくて済むじゃない」

意地悪「それもそうねぇ。それにしてもマティルダってば、いっつも子供みたいに「頑張ります!」って……ふふ、あの子いくらが頑張ったところでどうにもなりはしないのにね♪」

イヤミ「でも、その方が教官には受けが良いじゃない?」

…さしたる努力もせずそれなりの成績でうろうろしているだけの二人が底意地の悪さを発揮してマティルダを馬鹿にしているのを聞いているうちに、溜まっている疲れのせいもあってか、普段は飄々と振る舞っているドロシーも思わずカッとなった…

ドロシー「……ま、教官たちも手抜きをする二流よりゃ真面目な三流の方が使いどころがあるって考えてるんじゃないのか?」

イヤミ「へぇ、ドロシーはああいうのがお好み? 確かに小型犬みたいで、足元にはべらせておくには良いかもしれないものねぇ♪」

ドロシー「そうだな。少なくとも主人の可愛がっているカナリアを食い殺してニヤニヤしているような猫どもなんかよりはよっぽどマシだろうよ」

意地悪「ふぅん、それじゃあ少なくともあの子にも一人は味方がいるってわけね」

イヤミ「それも一流訓練生様の♪」

ドロシー「……格闘訓練がしたいんならその時間はあるぜ?」

意地悪「あら、別にそんなつもりじゃないんだけど?」

イヤミ「そんなに恋人のことを言われたのがお気に障ったのかしら♪」

???「はぁ……くだらない事を言っている暇があるんだったら少しでも訓練したら?」

意地悪「あら、貴女もいたの? アンジェ」

アンジェ「黒蜥蜴星人はどこにでもいるしどこにもいない。そういうものよ」

イヤミ「それで、黒蜥蜴星人さんもあの小型犬のことがお好きなわけ?」

アンジェ「好きも嫌いもないわ。私の邪魔さえしなければ誰が何をしようと別に構わない」

意地悪「あら、私がなにか邪魔をしたかしら?」

アンジェ「ええ……私も早く着替えたいの、油を売っている暇があるのだったら早くどいてもらえるかしら」

意地悪「これは失礼……それじゃあお先に♪」

イヤミ「では一流訓練生様どうし、水入らずでどうぞごゆっくり♪」へらへらと笑いながら出ていった……

ドロシー「……けっ、ドブ川の底みたいに性根が腐ってやがる」

アンジェ「あんな連中の言うことを馬鹿正直に聞いているから頭に血がのぼるのよ、少しは学習しなさい」

ドロシー「ああ、私の悪い癖だな……それにしてもあいつらの憎まれ口だが、ありゃあご本人にゃ聞かせたくないシロモノだな」

アンジェ「それについては同感だけれど、残念ながらそうはいかなかったようね……」

マティルダ「……」

…アンジェが軽くあごでしゃくった先には、ロッカーの陰からひょっこり顔を出しているマティルダ本人がいた……普段どんなにキツい訓練でも泣き顔だけは見せない彼女が、珍しく顔をゆがめて涙をこらえている…

ドロシー「……聞いてたのか?」

マティルダ「うん、ちょうど二人がドロシーに話しかけたあたりで……」

ドロシー「そうか……ま、あんな奴らの言い草なんか忘れちまえ」

アンジェ「それに世の中にはもっと大変な事だってたくさんあるわ、あんなので泣いていたら涙が足りなくなるわよ」

マティルダ「そう、だよね……うん、頑張る」

ドロシー「よしよし、その意気だ♪」髪をくしゃくしゃにするように頭を撫で繰り回した……

マティルダ「わひゃあ!?」

ドロシー「ぷっ、なんだよその鳴き声♪」

マティルダ「もうっ、いきなり頭を撫でたりするからでしょ?」

アンジェ「どうやら泣き虫は収まったようね」

マティルダ「ええ、だって一流エージェントはアンジェみたいに表情に出さないものだものね」

アンジェ「……」そう言って純粋な憧憬をたたえた瞳を向けられ、さしものアンジェも困ったような表情をちらりと浮かべた……
691 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/04/06(土) 00:59:52.65 ID:IZkqyWJp0
…別の日…

訓練生A「次の時間は……う、ミス・パープルの実技ね///」

訓練生B「あぁ、今日はそうだったっけ……私、あの人に流し目をされただけでドキドキしてきちゃうのよね///」

…ファームの一室、ずっしりと重い樫の扉の奥に広がっている豪華で官能的な雰囲気の漂っている寝室は「ハニートラップ」のしかけ方とその対策を「手取り足取り」教えてくれる美人教官、ミス・パープルの牙城で、たいていの訓練生はパープルとクィーンサイズのベッドの上で数十分過ごすと、格闘訓練を数時間行ったときよりも激しく膝が震えてしまい、その後しばらくは甘い余韻ですっかりグロッキーになってしまう…

アンジェ「……」おしゃべりに加わるでもなく、静かに座っている……

ドロシー「なぁアンジェ、ミス・パープルだけどさ……ありゃあきっと人間じゃない、地上の女を骨抜きにするために月あたりから送り込まれてきた異星人だ」

アンジェ「そうね、黒蜥蜴星人である私がいるんだもの。月の人間がいたっておかしくはないわ」

ドロシー「やれやれ……食えないやつだな♪」

…しばらくして・パープルの部屋…

マティルダ「し、失礼します……///」

パープル「あら、いらっしゃい♪」

…座り心地のよい肘掛け椅子に腰かけながら少し汗ばんだ白い首筋を軽く拭い、それから艶っぽい仕草で後ろ髪をかき上げるパープル……マティルダはすでに顔を真っ赤にして、なまめかしいパープルの姿を見ないようにと視線をそらしている……パープルはそれに気付いてくすくす笑い、小さな丸テーブルの上に置いてあるポットから紅茶を注いだ…

パープル「さぁ、かけて? 紅茶とチョコレートをどうぞ♪」室内に立ちこめた甘い白粉とパープルの肌の匂い…それに蜂蜜のようにねっとりとした、頭がぼんやりするような何かの香水…濃紫と黒を基調にしたドレスの襟ぐりから白くふっくらした胸元をのぞかせ、黒い絹の長手袋に包まれた柔らかな手でチョコレートをひとつつまんでマティルダに差し出す……

マティルダ「い、いただきます……///」黒っぽく艶やかで濃密な味のする高級チョコレートだが、微笑むパープルにじっと見られているせいで味も分からぬまま口に運んでいる……

パープル「おいしい?」

マティルダ「はい、とっても美味しいです……///」

パープル「そう言ってくれて嬉しいわ、マティルダ……だって貴女のために用意しておいたんですもの♪」ふんわりといい香りが漂う、ミルクと砂糖の入った紅茶をすすりながら、濡れたような瞳でじっと見つめる……

マティルダ「///」

パープル「さ……いらっしゃい♪」紅茶を飲み終えてカップをソーサーに置くと、いつくしむような手つきでマティルダの可愛らしいほっぺたを撫でた……

マティルダ「ひゃ……ひゃい///」

パープル「まぁまぁ、ふふ……そんなに固くならないで? 大丈夫、私が優しくしてあげるから……♪」パープルは水中で柔らかなレタスの葉をむくように、着ている物を優しく丁寧に脱がせていく……

マティルダ「はひっ……ひゃう……っ///」

パープル「もう、そんなに真っ赤になっちゃって……可愛い♪」ふっくらとしてリンゴのように赤いマティルダの両頬に手を添え、瞳の奥を見透かすようにじっと凝視するパープル……

マティルダ「ふあぁ……あぅ///」

…ふかふかしたベッドの上で小さく舌なめずりをして、ねっとりとした甘い色をたたえた瞳で次第に迫ってくるパープルと、太ももを擦り合わせてもじもじしているマティルダ……その様子は蛇ににらまれたカエルや蜘蛛の巣に絡め取られたチョウチョのようで、パープルがのしかかるように迫ってくるにつれて、マティルダの身体が徐々に仰向けになっていく…

パープル「大丈夫、誰にも聞こえないから……ね、キス……しましょう?」みずみすしく艶やかなローズピンク色の唇がゆっくりと迫ってくる……

マティルダ「ミス・パープル……わ……私、もう……んんぅ///」

パープル「ん、ちゅぅ……ちゅむっ、ちゅ……あら♪」優しくキスをしながらそっとマティルダのふとももへ手を伸ばしたパープルが、思わず驚きの声をあげた……

マティルダ「は、はぁ……ごめんなさい、ミス・パープル……まだキスしただけなのに……ぃ///」ぐっしょりと濡れたペチコートを押さえて、恥ずかしそうに顔を伏せている……

パープル「ふふふっ、いいのよ……それはそれで可愛いわ♪」

マティルダ「でも……」

パープル「だーめ、せっかくベッドの上にいるんですもの……「でも」は禁止♪」チャーミングな笑みを浮かべながらそう言うと「えいっ♪」とマティルダをベッドに押し倒した……

マティルダ「ひゃぁ!?」

パープル「ねえ、マティルダ……今度は私にキスしてくださる?」押し倒しつつ体を入れ替え、甘えるように両腕を広げて眼を閉じる……

マティルダ「は、はい……ん、んっ///」ぎくしゃくとした動きでパープルの唇にそっと口づけする……

パープル「ん、ちゅっ……んふっ、ふふふっ♪」

マティルダ「あ、あれ……っ?」

パープル「あぁ、ごめんなさい……貴女の口づけがあまりにも可愛いものだから♪」

マティルダ「うぅ、また上手く出来ませんでした……///」

パープル「いいのよ? マティルダのキスったら初々しくて、とってもきゅんきゅんしたわ♪ ……せっかくだから私に何か聞きたいことはある?」優しいお姉さんのようにマティルダを抱きしめ、頭を撫でる……

マティルダ「はい、あの……」

パープル「なぁに?」
692 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/04/11(木) 01:28:23.76 ID:vpROMSsr0
マティルダ「……私、せっかく「ファーム」に入れたんだから、一流のエージェントを目指したいと思っているんです///」あどけない子供っぽさを感じさせるような笑みを浮かべて、頬を赤く染めた……

パープル「まぁ、立派な心がけね♪」

マティルダ「ありがとうございます……でも、そう思って頑張ってはいるんですけどなかなか結果に結びつかなくって」

パープル「そうなの?」

マティルダ「はい。例えばミス・アンジェのように顔色ひとつ変えずに課題をこなそうと思ってもうっかりミスをしてしまうし……」

パープル「あらあら」

マティルダ「ミス・ドロシーみたいに射撃や格闘でいい成績を出そうとしても、射撃はまともに中心に当たってくれないですし、格闘をすれば攻撃が空を切るかちっとも効果がないかのどっちかで……」

パープル「……続けて?」

マティルダ「ミス・パープルみたいに相手をとろけさせるようなキスやえっちをしようとしても「くすぐったい」って言われるか「なんだか妹がじゃれついてきているみたい」って言われちゃうし……私も教官みたいなすべすべの髪とか、フランス人形みたいな綺麗なブルーの瞳だったら良かったのに……ミス・パープル、どうやったら私は一流エージェントらしくなれるでしょうか?」

パープル「なるほど、ずいぶん悩んでいたのね……でも心配はいらないわ、貴女には良いところがいっぱいあるもの♪」髪を撫で、ほっぺたに優しいキスをする……

マティルダ「そうでしょうか?」

パープル「ええ、貴女のその純真無垢な可愛らしさは何物にも代えがたい立派な特質よ? エージェントにはさまざまな性格、偽装が与えられるものだというのは覚えているでしょう?」

マティルダ「はい」

パープル「冷静で目立たず、さらりと会話を盗み聞きするようなタイプもいれば、私みたいな甘い言葉で相手を誘惑するエージェントや、常に派手な交友関係をひけらかして敵をあざむくエージェントもいる……でも、似たようなタイプのエージェントばっかりでは活動できる範囲も限られてしまうし、なによりすぐ敵方にバレてしまう」

マティルダ「つまり、私でもエージェントとして役に立てるってことでしょうか?」

パープル「もちろん。それどころか、むしろ貴女みたいなタイプは情報部にとってはとっても重宝する存在なの。これからもくじけずに頑張って行けば、きっとひとかどの情報部員になれるわ♪」

マティルダ「……ミス・パープルにそう言われたらやる気が出てきました♪」

パープル「そう、良かったわ……私たちは教官なんだから、分からないことや相談したいことがあったら遠慮せずに聞きに来ていいのよ? その時は、美味しい紅茶とお菓子を用意してあげる♪」そう言いながらずっしりした乳房を下から持ち上げるようにして、マティルダの顔に押しつけた……

マティルダ「ふぁ……い///」

パープル「それじゃあ次の娘が待っているから……ね?」人差し指をマティルダの唇にあてがい、チャーミングな笑みを浮かべてみせた……

マティルダ「はい、ありがとうございました♪」

パープル「ええ……またいつでもいらっしゃいね?」

………

…しばらくして…

パープル「……と言うことがありまして」

ブラック「ああ、あの娘か……真面目なことは確かだが射撃全般や爆発物の取り扱いに関しては絶望的だから、その方面では使い物にはならんな。これだけ過程が進んだ段階でも、まだピストルを持つのにおっかなびっくりと言った具合だ」

ホワイト「ふーむ、彼女は徒手格闘も苦手でね。小柄で腕力がないのもあるが、どうにも優しすぎて相手に対する攻撃性が発揮できないようだね……ブルー、君は?」

ブルー「ナイフもダメだ。カカシ相手の訓練で自分の手を切ってしまうようではな……やる気があるのは結構だが、あのセンスのなさではモノにならないだろう」

スカーレット「追跡と監視も、あのちょこまかした歩き方では見つけてくれと頼んでいるようなものでして。本人はしごく真面目でいい娘なのですが……」

マーガレット「ええ、本当にいい子なのですが……いかんせん、お洒落なドレスもお化粧もあまり似合わないのが残念ですわ」衣服や化粧、身ごなしといった分野を担当するマドモアゼル・マーガレットがフランス流に肩をすくめた……

グレイ「同感ですね。マナーに関しては決して悪くはないのですが、どうにも貴族の令嬢には見えません……よくて「庶民のいい子」どまりです」

ブラック「まったく、候補生不足なのか知らんが、上層部はなんであんな娘を候補生として送り込んできたのやら」

ブルー「あれではファームを出ても、誰も引き受けたがらないような地味な監視任務や連絡役にされるのがせいぜいだろうな……」

ブラウン「……」

ブルー「……何か意見がおありのようですな、ミセス・ブラウン?」

ブラウン「まぁ「意見」というほどの物ではないけれども、ちょっとね……」

ホワイト「ミセス・ブラウン、貴女ほどの元エージェントが抱いた感想だ。是非とも拝聴させていただきましょう」

ブラウン「ミスタ・ホワイト、こんなおばさんをからかっちゃいけませんよ……あのね」

………

693 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/04/24(水) 02:11:24.91 ID:zZwpKeq00
ブラウン「どんなエージェントでもそれぞれ「使いどころ」というのがあるものよ」

スカーレット「使いどころ、ですか」

ブラウン「ええ……確かにマティルダは「良い子」というだけで、いまのところ訓練生としてこれといった取り柄があるわけではないわ」

ブラック「そこなのだ、ミセス・ブラウン……私だって彼女が無事に訓練を終えて、いつかひとかどのエージェントとして活躍してもらいたいという気持ちはある……だが、この世界ではただの「良い子」にはロクな任務が与えられない事くらいご存じのはずだ。それだったらいっそ早めにあきらめさせて、もっと有意義な方面で活動してもらった方が良いのではないか?」

ホワイト「同感だね。私の同期にもひとり、世間で言う「いい人」に該当するような者がいたが、退屈で実りのないひどい任務ばかり与えられて、みんなに「彼はいいやつなんだが……」と言われ続け、いつしか現場から退けられてしまったよ……ミス・マティルダにはああなって欲しくはないね」

ブラウン「そうね……でもあの子のいかにも「小市民」らしいところ、私は活かしようがあると思っているわよ?」

パープル「まぁ、ミセス・ブラウンがそうおっしゃるということはよっぽどなのね♪」

ブラウン「こらこら、わたしを口説いたって何も出ないわよ?」

パープル「あら、残念」

スカーレット「それで、ミセス・ブラウンのおっしゃる「小市民らしいところ」とはなんでしょう?」

ブラウン「ああ、それね……あの子とおしゃべりしているとね、私は不思議となごやかな気持ちになるのよ。暖炉で暖められた部屋にいて、お気に入りの椅子に腰かけ、テーブルには甘いお茶とケーキがある……そんな気分にね」

パープル「言いたい意味は分かります。どうもあの子と一緒にいると、小さい妹を見ているような気分になります……それだけに、ベッドに入ってもみだらな気分にならないのですけれど♪」

ホワイト「邪気や殺気がないというのは確かだね……生まれ持っての小動物らしさというか「良い子」という呼び方がしっくりくる」

ブラウン「そこなのよ。あの子なら見ず知らずの方のお葬式に参列してもきっと涙を流すでしょうし、たった一ペニーだってお釣りをごまかしたりしない」

ブラック「しかし、それこそエージェント候補生として不適当だと証明しているようなものではないか……バカみたいに法律を破ってまわれとはいわないが、目的のためにはどんな手段もいとわないのが情報部員だ。それができないようでは内勤の使い走りがいいところだ」

ブラウン「ミスタ・ブラック、あなたの言う通りね。そして私が言いたいのもまさにそこなのよ」

ブラック「分からんね。射撃はできない、格闘もダメ。尾行も下手なら色仕掛けもできず、暗号解読も遅いときた……どう使い道がある?」

シルバー「……ミセス・ブラウン、どうやら貴女の言いたいことが分かってきたような気がするよ」

ブラウン「ふふ、そうでしょうとも……つまりね、あの子はおおよそ「スパイとはかくあるべし」の正反対みたいな存在なのよ。それだけにあの子がエージェントだと思うような人間はまずいない。人物調査をしたって返ってくる答えは「冗談言っちゃいけません、あんな良い子がスパイなわけないでしょう?」だと確信できるわ」

ホワイト「いいたいことは分かるが、それにしても彼女は良い子すぎるね。経済的にはごく普通ながらも温かな家庭で両親に愛され、世の中の辛酸を味わわずに済むように育てられた……あの子からはそんな雰囲気を感じるよ」

???「慧眼だな、ホワイト」

ホワイト「おや、あなたでしたか……熱心ですね」

L「この先に備えるためにも我々にはエージェント候補生が必要だからな……ありがとう」ミセス・ブラウンからお茶のカップを受け取ると礼を言って、空いている椅子に腰かけた……

ブラウン「それで、先ほどミスタ・ホワイトに言った「慧眼」というのはどういう意味かしら?」

L「候補生マティルダのことだ……ごく一般的な暮らし向きの温かい家庭で良い子に育てられた。まさにその通りだ」

シルバー「彼女のことをご存じなので?」

L「候補生の生い立ちについては全て目を通すことにしている……あの子の両親は数年前に交通事故で亡くなったのだ。誕生日だからと家族そろって出かけたところで自動車に突っ込まれてな……それから養育院に入れられたのだが、あの子は性格がねじ曲がることもなく「良い子」のまま育ったというわけだ」

ホワイト「確かに何事にもめげない芯の強さがありますね」

L「だから「ポインター」が候補者として情報を持ってきたときにサインしたのだ……本人いわく「私を養ってくれた人たちの役に立ちたい」とのことでな。実に立派な動機だ」

ブラウン「ほら、ね?」

ブラック「しかし、努力家だからといって実力の伴わない人間を置いておく余裕など情報部にはないはずだ」

L「いかにも。だが使いどころならこちらで見つける、心配は無用だ……ともかくエージェントとしての基本的な知識と技術を教え込んでやってくれ」

ブラウン「ええ、それは間違いなく……あの子は実に真面目な良い子です。確かに覚えの悪い所はありますけれど、要領よく小手先で済ませてしまう娘たちよりもずっと教え甲斐がありますよ」

ホワイト「そこは同感だね」

ブラック「まぁ、一生懸命で真面目な部分は認めるが……」

パープル「あの子がハニートラップに向かないのはあの子のせいではありませんものね」

マーガレット「ウィ、同感ですわ。あのマドモアゼルにはごく普通なつつましい格好が似合います……世の中にはバラだけではなく、道端のヒナゲシだって必要なのですわ」

シルバー「最近はラテン語のつづりも上手になってきましたからね、ここで訓練から脱落させるのは惜しい♪」

L「結構、意見が一致したようだな……では引き続きよろしく頼む」

………

694 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/05/01(水) 01:11:30.24 ID:Zsm+3rLz0
ドロシー「それでだ……おかしなことにマティルダのやつ、訓練では相変わらずドジばかりだし覚えも悪かったんだが、何だかんだで最初の頃に比べるとずっとできるようになってきてな。むしろ訓練当初にすいすいと課題をこなしていた何人かは付いていけなくなって、結局途中でいなくなっちまったなぁ……」

ベアトリス「へぇ、そういうものなんですね?」

ドロシー「不思議なことにな」そういって肩をすくめた……

………

ホワイト「なかなかいいぞ、ではもう一本やってみようか。ミス・マロウ、相手をしてあげてくれるかな?」

長身の訓練生「ええ、ミスタ・ホワイト……よろしくね、マティルダ」

マティルダ「はい!」

…お互いに「それまでの経歴や個人の事は聞かない」という暗黙の了解があるとは言え、訓練が進むにつれて「ファーム」の訓練生同士の仲もそれなりに打ち解けてきていた……もちろん意地悪だったりイヤミな訓練生も何人か残っていたが、成績トップクラスのドロシーとアンジェがいる手前わがまま勝手に振る舞うこともできず、そうした連中は少数の取り巻きだけを連れて自然と孤立するような形になっていた……反対にマティルダは生来の「前向きながんばり屋さん」ぶりからある種のマスコットか、訓練生共通の妹のような位置に落ち着いて可愛がられていた…

ホワイト「では、任意のタイミングで」

長身「分かりました……はあっ!」

マティルダ「ひゃあ……っ!?」長身から繰り出されるみぞおちへの蹴りをクロスさせた腕でどうにか受けとめたが、勢いに押されて後ろによろめいた……

長身「ふっ!」その隙を逃さず次の一撃を叩き込む……

マティルダ「……っ!」

長身「しまった……!?」

…どんくさいマティルダが相手だからと気を抜いていた長身の訓練生は、半分転ぶようにして攻撃を回避した彼女のために大きくバランスを崩し、思わず一歩前にのめった…

マティルダ「えいっ!」

長身「……っ!」

…脚が長く腰高な訓練生が体勢を崩したところに、むしゃぶりつくようにして飛びかかるマティルダ……普通だったら軽くあしらわれてしまうようなつたない攻撃だったが、足元が乱れている所に来られてはどうしようもない……慌てて受け身を取ろうとしたが、そのまま床にもつれて倒れ込んだ…

ホワイト「そこまで。まだ改善の余地はあるが、最初の一撃をかわせたのは成長だ」

マティルダ「あい゛がとうごじあまず……♪」ひっくり返った時にぶつけたのか、鼻血を止めようと鼻を押さえつつも笑顔を浮かべた……

ホワイト「いいや、君自身の成長なんだから私に礼はいらないよ……ところでミス・マロウ、格下だと思った相手に油断するのは君の悪い癖だな。反省も兼ねて、訓練生十人を相手に勝ち抜きできるまで練習だ」そう言うと訓練生たちの中から手際よく十人を選び出す……

長身「はい……っ!」

ホワイト「さて、ミス・マティルダ。鼻血を出している所に申し訳ないが、もしかしたらコショウまみれの倉庫だとか、鼻を押さえながら格闘するような事態が生じるかもしれない……そのままもう一本やってみようか」

マティルダ「あ゛いっ」

ドロシー「へぇ……マティルダのやつ、なかなかできるようになったじゃないか」

おさげの訓練生「どんくさい所は相変わらずだけどね♪」

ドロシー「ま、お前さんだって人の事は言えないぜ……っと!」よそ見をしていたおさげのことを投げ飛ばし、一気にフォールした……

おさげ「……まいった!」

ドロシー「はんっ、この業界に「まいった」があるかよ」そう言うと補助教官のストップがかかるまで締め上げた……

………

ベアトリス「……それで、そのマティルダっていう訓練生はどうなったんですか?」

ドロシー「さぁな。私もアンジェもファームの「卒業」が早かったから知らないんだ……ま、やっこさんの成績じゃあ大した任務に付けてもらえたとは思えないが、それでも本人はそれなりに満足していると思うね」

…そのころ・ロンドン市内…

小柄な少女「……えーと「アルビオン・ロイヤル・タイムズ」をください」

中年の新聞売り「はいよ、お嬢ちゃん……いつものお使いかい?」

少女「そうなの、お父さんが新聞を読むのが好きだから……おじさんは?」

新聞売り「はは、おじさんは売る方なら得意だけど読む方はサッパリさ……今度読み方を教えておくれよ♪」

少女「うん、時間があったら教えてあげる♪」

新聞売り「楽しみにしてるよ……そういえばお嬢ちゃん、名前は?」新聞を抱えて立ち去ろうとする、ちょこまかした少女の後ろ姿に声をかけた……

少女「……マティルダ。マティルダっていうの」

新聞売り「マティルダか、良い名前だ」

マティルダ「ええ。私もお気に入りなの……それじゃあまたね♪」
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