ドロシー「またハニートラップかよ…って、プリンセスに!?」

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698 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/06/21(金) 02:03:12.62 ID:5+XpPk3K0
…下町の食堂…

労働者の女性「定食を一つとビールを半パイント」

食堂の給仕「はいよ!」

女性「ふぅ……」

…ロンドンの水蒸気と煤煙に夕陽も薄汚れて見える日暮れ時、勤めを終えた労働者たちが一斉に入ってきて騒がしい下町の安食堂……くすんだダークチェリー色のドレスとチョッキ、頭には薄汚れて灰色がかった白のハーフボンネットという「いかにも」な労働者の女性が座り、ぞんざいな態度で置かれた食事に手をつける…

女性「……」

…安食堂のメニューは日替わりの一つきりで、この日の献立は肉よりも軟骨の方が多いようなごわごわのポーク・ソーセージと表面のこげた肉パイ、それに匂いの強いチェダー・チーズが添えてある…

ドロシー「……隣、いいかい?」

女性「別にあたしの店じゃないんだし、好きにすれば良いわ」

ドロシー「どうも……今日の定食とエールをパイントでくれ。それとプディングはあるか?」

給仕「ああ」

ドロシー「それじゃあそいつもだ♪」

女性「……なかなか景気がいいみたいね」

ドロシー「なぁに、ちょっとした臨時収入があってね……良かったらおごるぜ?」シリング硬貨をテーブルの上に置いた……

女性「そう、そんなら……ビール、もう半パイントちょうだい! ……で、その「臨時収入」って?」

ドロシー「それなんだが、この間ケネル・クラブで急死騒ぎがあったろ?」

女性「ああ、お金持ちの病気だとかなんとか言うやつでしょ……ぜいたくな物ばっかり飲んだり食べたりしてるから胃でもおかしくしたのね」

ドロシー「かもな。で、その時の事を聞きたがっているブンヤ(記者)がいて、いろいろ話したら半クラウンもくれたのさ」

女性「へぇ……?」

ドロシー「いや、実を言うとあたしは関係も何もなかったんだが、適当な事を吹き込んでやったら大喜びでさ……」

女性「ツキがあるのね……あたしなんてその会場にいたって言うのに、聞いてくれる人なんて居やしなかったわ」

ドロシー「現場に?そりゃ本当かい? 何でもえらい騒ぎだったそうだけど……」あらかじめ当日雇われていたことを調べておいた上で接触した女性に対し、さも驚いたような……そして聞きたそうな様子をして見せるドロシー……

女性「ええ。あたしは臨時雇いで厨房の皿洗いをしてたんだけど、騒がしいから何が起こったのかスーに聞いたら……スーってのは料理を運んでた女の子だけどね……酒を飲んでいたお客のひとりが急に泡を吹いて倒れたとかって……」

ドロシー「大変だったろうな」

女性「そりゃあもう……何人かは初めての参加者だったらしいけど、ほとんど知り合いみたいな物だったそうだし……てんやわんやよ」

ドロシー「まさかそんな騒ぎを生で見るとはねぇ……せっかくだからもっと聞かせてくれよ♪」

女性「まぁいいけど、そんなに詳しく見聞きしたわけじゃないんだよ?」

ドロシー「まぁまぁ、どうせ部屋に帰ったってボロいベッドで寝るだけなんだ。時間つぶしにはちょうどいいや……しゃべっていると喉も乾くだろ、もう一杯頼んだらどうだ?」

女性「そう? それなら……」

………

…別の日・部室にて…

ドロシー「……ジギタリスにイヌサフラン(コルチカム)、はたまたトリカブト……リコリス(ヒガンバナ)なんていう極東からの新顔もいるな」

プリンセス「綺麗な花なのにみんな毒があるのね」

…プリンセスが王宮の図書室から持ってきた植物図鑑をめくって、症状の特徴が似ているものを探す…

ドロシー「美しいバラには棘があるってことだな……どうだいプリンセス、誰か黙らせて欲しいやつはいるかい?」

プリンセス「いいえ、大丈夫です」

ドロシー「そうかい、そりゃなによりだ」

プリンセス「ええ……それにもし誰かを黙らせるつもりなら手を汚さずに済ませたりしないで、ちゃんと自分で手を下すつもりですから♪」

ドロシー「……そりゃどうも」

プリンセス「実は今もドロシーさんのお紅茶に……」

ドロシー「ごほっ……勘弁してくれ。プリンセス、最近冗談のキツさがアンジェに似てきたんじゃないか?」

プリンセス「まぁ、アンジェと似ているだなんて……ふふっ♪」
699 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/06/28(金) 00:46:32.00 ID:mGr6PveU0
…同じ頃・会員制社交クラブ…

うら若い女性「あらぁ、久しぶりねぇ♪ずいぶんとご無沙汰だったじゃない?」

アンジェ「ええ、ここしばらく機会がなくて……」

女性「そう、だったらその分を取り返さないとね?」

…そう言うとニコッとえくぼを浮かべてアンジェの手を取る女性……すべすべした白絹の長手袋越しに肌の暖かさが伝わって来ると同時に恋人つなぎで指を絡められ、同時に空いている方の手に手際よくシャンパンのグラスを握らせてくる…

アンジェ「え、ええ……///」ここでは純朴な令嬢を演じているアンジェは恥ずかしげに下を向き、ぎゅっと握りしめてくる手を弱々しく握り返す……

女性「ふふふ……ミス・クィンったら可愛いわね♪」

アンジェ「は、恥ずかしいですから言わないで下さい……///」

女性「そうね、このままでは失神してしまいそうだものね……奥の個室へ行きましょう♪」社交ダンスのステップを踏むような軽やかな足取りで、分厚いカーテンが引かれた奥のエリアへとアンジェをいざなう……

…数十分後…

女性「さ、もう一ついかが?」

アンジェ「いえ、その……///」

女性「どうか遠慮なさらないで?わたくしが貴女に食べさせてあげたいの……はい、あーん♪」ブドウをひとつぶ房からもぐと、指ごとくわえなければ食べられないような手つきでつまんで差し出す……

アンジェ「あーん……///」

女性「ふふふ、可愛いわ……わたくしの妹にしたいくらい♪」

アンジェ「お、お気持ちは嬉しいですけれど……///」

女性「おうちの方が許して下さらないのよね?」

アンジェ「はい……」

女性「世の中、なかなかままならないものね……良かったらもう一杯いかが?」飲み口はいいが意外と度数の強いシャンパンをいくども勧めてくる……

アンジェ「いえ、それがかなり酔ってしまって……」

女性「あらあら、わたくしったらいつもこうね。貴女が可愛いものだから、つい……酔いが治まるまで少し休みましょうか♪」

…女性は豪奢な寝椅子の方へとアンジェを引き寄せると「苦しくないように」と胸元のリボンをゆるめる……が、長手袋を外したしなやかな白い手は徐々に本性を現し、次第にアンジェの細い身体をまさぐり始める……

アンジェ「あ、あ……いけません……っ///」

女性「どうして? わたくしと貴女の間でいけないことなんてあるかしら?」笑みを浮かべてうそぶくと、シャンパンで濡れた唇をアンジェの鎖骨に這わす……寝椅子の上で組み敷かれたアンジェはドレスの裾をたくし上げられ、胸を波打たせている……

………

…数時間後…

女性「はぁ、はぁ……とっても素晴らしかったわ♪」

アンジェ「はぁ……はぁ……はぁ……」ドレスも乱れ肩で息をしているアンジェと、手の甲で額に滴る汗を拭い、爛々とした瞳に肉食獣のような欲望をたたえている女性……

女性「ふぅ……もしわたくしが死ぬようなことがあったら、こんな風に美少女と一緒に果てて逝きたいわ♪」

アンジェ「私、冗談でもそんなことを言ってほしくありません……」

女性「まぁ、嬉しい事を言ってくれるのね♪ でも分からないわよ?この間のクリケットの会みたいに、急に心臓の具合をおかしくする人だっているんだもの」

アンジェ「私も新聞で見ましたけれど、怖いですね……会に参加していた皆さんも知り合いだったそうですし、目の前でお友達が発作を起こすだなんて、考えただけでも……」そういうと母親の後ろに隠れる幼児のように、ぎゅっと女性にしがみついた……

女性「ふふ、大丈夫よ……でも、前回あの会はお友達だけだった訳ではないみたいよ?」

アンジェ「そうなんですか?」

女性「ええ。参加していたうちの一人と少し話す機会があったのだけれど、なんでもあの時は新規加入を希望する人たちへの説明会みたいなものだったから、いつもの仲間以外に十人あまりの新顔が来ていたって」

アンジェ「それじゃあ、いきなりそんなことがあって驚いたでしょうね」

女性「それもだけれど、後でスペシャル・ブランチ(ロンドン警視庁公安部)や内務省の取り調べが大変だったようね……もっとも、急な発作と言うことでカタがついたみたいだけれど」

アンジェ「お詳しいんですね」

女性「ええ、知り合いの令嬢がちょっとね……なぁに、妬いているの?」

アンジェ「べ、別に……///」

女性「まぁまぁ、可愛い嫉妬だこと♪ でも大丈夫、貴女はわたくしの「特別」よ……♪」そう言ってもう一度寝椅子に押し倒した……

アンジェ「あ……っ///」
700 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/07/03(水) 01:35:36.70 ID:LUTOnYd50
………



ドロシー「ほーん……それじゃあ会場には一見さんもいたってわけか」

アンジェ「そのようね」

ドロシー「なるほど。あとはそいつらのリストがあれば完璧なんだがな」

アンジェ「リストはないけれど写真ならあるわ」

ドロシー「そう来るだろうと思ったよ……どうやって手に入れた?」

アンジェ「当日の新聞に掲載されるはずだったものの、この「急死騒ぎ」でボツになった記念写真を拝借してきたの。あとは人物名鑑や紳士録と見比べて当てはまらない人間を除外していけば良いだけ」

ドロシー「で、誰か残ったか?」

アンジェ「ええ、何人か知らない人物がいたわ……もっとも、下手人が写真撮影の時に現われていない可能性もあるけれど」

ドロシー「ま、そうなったらそうなったでその時に考えていけばいいさ……どれどれ」アンジェが持ってきたセピア色の写真をしげしげと眺めた……

…ケネル・クラブ主催の品評会の後で催された昼食会の集合写真には身なりの良いシルクハットの紳士たちと、しゃれたデザインのドレスに身を包んだ貴婦人たちが日傘や飾り付きの婦人帽の下から微笑んでいる…

アンジェ「残念ながら知らなかったり覚えていない人間も何人かいたけれど……ドロシー、貴女は分かる?」

ドロシー「どうかな。例えばどいつだ?」

アンジェ「こっちから見て右から三人目、隣の婦人の日傘で顔がちょっと陰になっている男」

ドロシー「あー、こいつか。なんだっけな……ウェルズリーじゃなくって……」

アンジェ「ウェザビー?」

ドロシー「そうそう、そいつだ。準男爵のパーシー・ウェザビー」

アンジェ「なるほど。それじゃあウェザビーから二人離れた所にいる、淡色のチョッキとシルクハット、手にステッキの口ひげの男」

ドロシー「んん? こいつは知らないな……」

プリンセス「……あら、アンジェにドロシーさん。お二人で写真を眺めてどうなさったの?」

アンジェ「プリンセス」

ドロシー「これはちょうどいいところに……少し教えて欲しい事があるんだが」

プリンセス「わたくしに? なにかしら」

ドロシー「いや、ちょいとこの写真を眺めて写っている人物の名前を教えてもらいたくってね♪」

プリンセス「ええ、構いませんよ」そう言うとドロシーが差し出す写真をしげしげと眺めたプリンセス……

アンジェ「この男、誰かしら?」

プリンセス「この人ならケルシャム男爵のご子息、モーガン・ケルシャム男爵令息ね」

ドロシー「さすが♪」

アンジェ「それじゃあこの、のっぽで面長の男は?」

プリンセス「えーと、確かどこかの省庁を訪問したときに見たような顔なのだけれど……そうそう、農務省の農政課長だったはず」

アンジェ「それなら確か……スタントンとか言ったかしら」

プリンセス「そうそう、ミスタ・スタントンって言ってたわ♪ 甲高い鼻声だったから印象に残っていたの」

ドロシー「やるねぇ……それじゃあこいつは誰だ?」記念写真の列に交じっている婦人たちの中で、押し出しの強そうなご婦人の二人の間に交じって、傾けた婦人帽でほとんど顔の隠れている一人を指さした……

アンジェ「私も気になっていたの、ドロシーも見覚えがないのね?」

ドロシー「ああ、こんなレディは知らないな……身体を見るにそこそこ若そうだが、肝心の顔が影になっていやがる。プリンセスはどうだ?」

プリンセス「いいえ、わたくしもこの方に見覚えは……」

ドロシー「それじゃあ他の写真も当たってみるか」他にもアンジェが集めてきた「取引相手」が暗殺されたクリケット親善試合の写真や、ケネル・クラブでの和気あいあいとしたパーティの一コマを撮った写真を次々と確かめていく……

プリンセス「ここにも一枚あったわ……でも写っているのは背中だけね」

ドロシー「こっちは花瓶が邪魔してやがる……こうまで顔が写っていないところを見ると、偶然じゃなく写真に写らないようにしていたと見るべきだな」

アンジェ「どうやらこの女が下手人と考えても良さそうね」

プリンセス「でも、年頃の女性と言うだけでは対象になる人間が多すぎるわね……」

ドロシー「どうにかあぶり出す方法を考えなくちゃな」
701 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/07/11(木) 01:19:22.81 ID:FtE+bVvO0
………

…とある洗濯屋…

洗濯屋のおばさん「いらっしゃい」

7「すみません、こちらをお願いしたいのだけれど……ワインをこぼして二か所もシミを作ってしまったの、どうにか綺麗にならないかしら?」

おばさん「ワインのシミねぇ……赤ですか、白ですか」首元や目尻にできたシワも目立つ腰の曲がった洗濯屋のおばさんが、チェーンで吊るしている小さなレンズの眼鏡をかけ直した……

7「それが、ロゼワインなんです」

おばさん「……そういうことでしたらシミ抜きをしなくちゃなりませんねぇ、どうぞこちらへ」

…洗濯屋・作業場…

ドロシー「忙しいところ呼び立てて悪かったな……お茶の時間を邪魔したくはなかったんだがね」洗濯女らしく洗濯桶の水でふやけた手でブラウスやエプロン、ペチコートなどを洗いながら話し始める……

7「お茶が冷めるまでに終わらせてもらえると助かるわ。それで、進捗状況は?」

ドロシー「そのことだが、暗殺に関わっているかもしれない人間の写真を手に入れた……と言えなくもない状態にある」

7「奥歯にものが挟まったような言い方ね?」

ドロシー「事実そうなのさ……」焼き増しした写真を渡すと、大まかな経緯を説明する……

7「……なるほど」

ドロシー「公務やなにかであれだけ人の顔を見ているプリンセスですら見覚えがないって言うんだ、ということは今まで表舞台に出たことのないやつか、さもなきゃ王国防諜部か何かの秘蔵っ子だぜ」

7「可能性はありそうね……それで?」

ドロシー「とにかくこいつが誰なのかあたってほしい……無論ばっちり身元が割れれば言うことなしだが、どこで見かけたとか、どんな場所にいたとか、そういうちょっとしたヒントだけでもいい。もしかしたら味方のエージェントの中には知っている奴がいるかもしれない……あるいはこっちに転向した元王国のエージェントだとか、スティンカー(裏切り者)どもにあたらせるのもアリだろう……ま、細かいところは任せるよ」

7「いつまでに結果を知りたい?」

ドロシー「そりゃ早い方が良いに決まってるが、あんまり目立つ動きをすると感づかれるだろうしな……適当な期間で頼む」

7「分かったわ」

ドロシー「それじゃあ頼んだ……私はあと一時間ここで洗濯物を洗わなくちゃならないんでね」

7「それじゃあこのシミを付けたブラウスも綺麗にしておいてちょうだいね」

ドロシー「あいよ」

………

…数日後…

共和国エージェント「お久しぶりですね」

共和国管理官「ああ、半年ぶりか? ……どうだ、ひさびさに旧交を暖めようじゃないか」シングルモルトのウィスキーをグラスに注いだ……

エージェント「僕の好きな銘柄です、覚えていてくれたんですね」

管理官「当然だ。君はストレートで良かったな?」

エージェント「ええ、乾杯♪」軽くグラスを持ち上げると、琥珀色の液体をゆっくりと味わった……

…しばらくして…

管理官「……こうして君と話すのも久しぶりだが、ロンドンの暮らしが合っているようでなによりだ……ところで」ひと束の写真を取りだした……

エージェント「何です? 判じ物かなにかですか?」

管理官「まぁそんなところだ……実はつい先頃、王国のエージェントが「壁越え」をしてな。手土産に王国側エージェントとおぼしき写真の束を持ってきてくれたんだが、こっちが把握していないやつが何人かいてな……見た上で知っている顔があったらどんなカバーを使っているのか教えてくれ」

エージェント「分かりました、どれどれ……」一枚ずつ写真を眺めていく……

エージェント「ああ、こいつは知っています。たしか財務省にいる男です」

管理官「さすがだな……続けてくれ」

エージェント「こいつは知らない……こいつは陸軍省の次官補に付いている秘書だったはずです……それからこの女は……」

管理官「見覚えが?」もちろん「亡命者の手土産」などと言うのは真っ赤な嘘で、有名無名の王国エージェントや協力者の写真に「帽子の女」の写真を混ぜ、あわよくば身元を特定させようという管理官……

エージェント「いいや、見たこともないですね……それにどのみち婦人帽をかぶっていたんじゃ、顔がほとんど隠れていて判別しようがありませんよ」

管理官「そうか、次はどうだ?」

………

702 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/07/14(日) 00:59:20.81 ID:BmVIdV7/0
…数日後…

ドロシー「……で、どうだった?」

7「残念ながらかんばしくないわね」

ドロシー「おやおや、昼飯をすっぽかしてまで駆けつけて来たっていうのにがっかりだな」肩をすくめるときゅうりのサンドウィッチにかぶりついた……

7「期待に添えなくて悪かったわ。こちらとしても出来うる限りの情報網を使って調べてみたけれど、「帽子の女」に関するこれといった手がかりはなし」

ドロシー「それじゃあ毒については?」

7「そちらについては少し進展があったわ」

ドロシー「よし、そうこなくっちゃな♪」サンドウィッチに塗ってあったカラシがきつかったのか顔をしかめ、それからハムのサンドウィッチに手を伸ばす……

7「共和国に戻ってきた遺体をこちらで詳しく解剖をしたところ、珍しい有毒成分が検出された……普通の検査では調べることすらしないような特殊なものよ」

ドロシー「むぐ、もぐ……それで?」

7「その成分は大変に強い毒素を持ちながら無味無臭、かつ水溶性であることから飲食物に混ぜれば大きな効果が期待できる」

ドロシー「そりゃあ大変だ」

7「そうね……ただしこの成分には重大な欠点が一つある」

ドロシー「重大な欠点?」

7「ええ。この毒素は空気にさらされているとすぐ無毒化してしまうの……実を言うと以前こちらでも研究が行われていたのだけれど、あまりにも使用可能な時間が短すぎて「物の役に立たない」と放棄されているわ」

ドロシー「そんな扱いが難しい毒を王国の連中はどうやって実用化したんだ?」

7「残念ながらその問題はまだ解明されていない……それにこちらでは研究を放棄していたこともあって、解毒薬の開発もあまり熱心には進められていなかったの」

ドロシー「今から発破をかけてみたところですぐ解毒薬が出来上がる……ってわけにはいかないだろうしな」

7「残念ながら。ただ、研究班が限定的ながら解毒作用のある試作品を開発してくれたから、万が一の時の備えとしてそちらに渡しておくわ」そう言うと、ポーチから油紙にくるまれた真っ黒けな丸薬を取りだした……

ドロシー「大きいアメ玉くらい寸法があるようだが、噛み砕けばいいのか?」

7「研究班によると、出来るかぎり噛まずに飲み込んだ方がいいそうよ」

ドロシー「こいつを丸呑みにするのは毒を盛られるのと同じくらい命に関わる気がするな……」親指と人差し指で丸薬をつまみ、しげしげと眺めた……

………



アンジェ「……つまり、毒物の種類は分かったと」

ドロシー「それにお守り代わりとして試作品の解毒薬ももらったよ……めいめいで一つずつ持っていることにしよう」

アンジェ「そうね」

ドロシー「ああ。しかし肝心の下手人についても、またどうやってそんな難しい毒を実用化したのかについても謎のままだ」

アンジェ「コントロールとしては頭が痛い問題でしょうね」

ドロシー「ああ、だがそれだけじゃない……コントロールの連中が勝手に頭を痛めるのは結構だが、このまま放置しておけばまた被害が出る。こちらとしても王国内務省の目をくらますために送り込まれた囮のエージェントだとか、実際に目や耳として情報収集にあたっている有益な協力者が減るのは困る」

アンジェ「その通りね、それじゃあどう犯人を捜す?」

ドロシー「あー……そのことなんだが、少しばかり危険な賭けを思いついてね」

アンジェ「危険な賭け?」

ドロシー「ああ」

アンジェ「分かったわ。それじゃあ何が「危険な賭け」なのか説明してもらおうかしら」

ドロシー「あいよ。だが無茶だからって怒るなよ? まだ思いつきの段階なんだからな……」

アンジェ「ええ」

ドロシー「……これまでの情報を総合すると、暗殺を実行しているのは王国エージェントとおぼしき女で、暗殺の手口は多数の人間がいるパーティや食事会における毒殺」

アンジェ「それで?」

ドロシー「そこでだ、あえて餌をぶら下げてやろうっていうのさ……事前に「どこそこのパーティへ共和国の情報部員が入り、ある書類を窃取しようとしている」なんて言えば、連中、特売日の主婦みたいにすっ飛んでくるぞ」

アンジェ「でも、そうなると……」

ドロシー「そう。どこに毒が盛られているか分からない食事や酒を飲む必要が出てくる……それにだ」

アンジェ「それに?」
703 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/07/24(水) 01:11:43.73 ID:DMOzLQlS0
ドロシー「私たちがパーティに参加するとしたら紹介状がいる……一介の女学生なんて身分じゃあほいさか参加させてはくれないしな」

アンジェ「……つまり」

ドロシー「プリンセスにご協力願う必要があるっていうわけだ」

アンジェ「なるほど……」

ドロシー「別にどうしてもってほどじゃない、必要なら紹介状の二枚や三枚くらいはどうにか手に入れてみせるさ……とはいえ」

アンジェ「一般の参加者だというのと、プリンセスの紹介だというのでは扱いも違ってくる」

ドロシー「その通り。それにプリンセスのご学友に毒を盛るようなやつはそういないだろう、そういう面で「保険」にもなるって寸法よ♪」

アンジェ「分かった、それじゃあその点については私からプリンセスに話してみる」

ドロシー「頼んだ」

…その夜…

アンジェ「……というわけなの」

プリンセス「なるほど、よく分かったわ。それじゃあ私の方で手を回してみるわ……」

アンジェ「助かる」

プリンセス「……ただし、条件があるの♪」礼を言ったアンジェの唇に指をあて、いたずらっぽい表情を浮かべてみせる……

アンジェ「条件?」

プリンセス「ええ♪」

アンジェ「それで、その「条件」とやらは?」

プリンセス「わたくしもそのパーティに参加すること」

アンジェ「プリンセス……!」

プリンセス「アンジェやドロシーさんが生命を賭けているというのに、わたくしだけがのほほんとしていることなんてできないわ」

アンジェ「だめよ。いくらプリンセスのお願いだとしても危険すぎるし、そもそもプリンセスがパーティに参加したら華がありすぎるからパーティ会場に耳目が集まって「帽子の女」は目立つことを恐れて現われなくなってしまう」

プリンセス「……どうしてもだめ?」

アンジェ「ええ、だめよ」

プリンセス「お願いよ、シャーロット……」ぎゅっと袖口をつかみ、うるんだ瞳で懇願するプリンセス……

アンジェ「だ、だめなものはだめよ……私情で言っているのではなくて、作戦が成り立たなくなるから言っているの///」

プリンセス「ねぇ、シャーロット……わたしのお願い、聞いて欲しいの///」

アンジェ「だから、一度だめといったものは何度言っても……///」

プリンセス「これでもだめ……?」ちゅ……っ♪

アンジェ「だ、だめ……///」

プリンセス「シャーロット……私はシャーロットが「うん」って言うまで止めないわよ?」

アンジェ「そんな勝手なことを……だいたい貴女のためを思って言っているの……に……んんっ///」

プリンセス「んちゅ、んむ……シャーロット、わたくしは貴女が「うん」って言わなくても全然構わないのよ? シャーロットがお返事を聞かせてくれるまで、好きなだけこうしていられるのだもの♪」

アンジェ「ふ、ふざけないで……こんな危険なことに貴女を巻き込む事なんてできっこ……んふ、んぅぅ……っ♪」

プリンセス「そんなに危険なことならますますシャーロットを巻き込むことなんてできないわ……んちゅっ、ちゅるっ……ちゅむ♪」

アンジェ「そ、そんなの詭弁だわ……んんっ///」

プリンセス「詭弁でもなんでも構わないわ、わたくしはシャーロットが色よいお返事をしてくれるまでこうするだけ♪」

アンジェ「……だ、だめ……脱がさないで///」

プリンセス「だったら脱がさないでしましょうか、それもまた想像の余地があって良いかもしれないわ♪」

…プリンセスがアンジェに覆い被さると、ゆったりした肘掛け椅子の上で脚が絡み合い、夜着の胸元や裾が乱れる……普段なら成人男性のエージェントですら振りほどけるアンジェだが、大好きなプリンセスから不意打ちを受けて、椅子の上で仰向けに近いような状態にされてはさすがに抵抗も難しい…

アンジェ「ば、ばか……///」

プリンセス「そうね、わたくしったら大変なお馬鹿さんだわ……だって大好きなシャーロットが側にいるというのに、いつも押し倒すことさえしないですました顔をしているんですもの」そのままアンジェに身体をあずけて唇を重ねた……

………

704 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/07/27(土) 02:22:35.50 ID:fHGD+2MO0
…翌日…

アンジェ「……おはよう」

ドロシー「ああ、おはよう」

アンジェ「ドロシー、紅茶をもらえる?」白いハイネックにパフスリーヴのロングワンピースで、胸元にはライトグレイのリボンをあしらっている……

ドロシー「そのくらい自分で注げよな……ミルクと砂糖は?」

アンジェ「砂糖ひとさじ、ミルクもお願い」

ドロシー「分かりましたよお嬢様……ほら、どうぞ召し上がれ」愚痴をこぼしながらも紅茶を注ぐとカップを渡した……

アンジェ「ありがとう……」

ドロシー「どういたしまして……ところでアンジェ」

アンジェ「なに?」

ドロシー「どうして今日はハイネックなんだ?」

アンジェ「……着たかったからよ」

ドロシー「そうかい? 妙に首もとを隠しているから何かあったのかと思ったんだがね♪」

アンジェ「……っ///」

ドロシー「いや、てっきり私はお前さんがアザでもこさえたのかと思ったんだが、杞憂だったならそれでいいんだ……ところでプリンセスの説得はどうだった?」チェシャ猫よろしくニヤニヤしながら尋ねた……

アンジェ「ドロシー、貴女ね……」

ドロシー「おいおいどうした、まぁ紅茶でも飲んで落ち着けよ♪」

アンジェ「あきれた……とりあえずプリンセスから紹介状をもらう手はずはついたわ」

ドロシー「そりゃなにより」

アンジェ「もっとも、プリンセスが一緒に行くといって聞かなかったけれど」

ドロシー「ごほっ、げほっ……冗談きついぜ」

アンジェ「私もそういったし、最後はどうにかプリンセスに折れてもらったけれど……」

ドロシー「その代わりに「名誉の負傷」ってわけか」

アンジェ「ええ、まだ痕が消えなくて……///」卓上の鏡を向けるとハイネックの首もとをめくり、白い肌に残っているキス痕が薄くなったか確かめるアンジェ……

ドロシー「ひゅう、なかなかお熱いねぇ……♪」

アンジェ「笑い事じゃないわ。誰かに見られたら好奇心をかき立てることになるし、できるだけ他人の注目を惹くことはしたくない」

ドロシー「まぁな。私みたいな「プレイガール」と違って、アンジェのカバーは地味の教科書みたいな性格なんだからな……とりあえず今日はその格好で過ごすしかないな」

アンジェ「ええ……いずれにせよ、パーティの招待状は手に入る。プリンセスともなれば百枚や二百枚の推薦状や招待状くらいはいつだって出しているし、私たち以外の「ご学友」にもたくさんの推薦状や招待状を書いているから、私たちがそういった書状をもらったからといって誰かが違和感を覚えることもない」

ドロシー「少なくとも「そう願いたい」ってところだな」

アンジェ「ええ……」

…翌日…

ドロシー「さて、パーティの日程が決まるまでにこっちも準備をしておかないとな」

アンジェ「とはいえ今回は騒ぎは厳禁。銃やナイフはもちろん、スティレット一本すら持ち歩くわけにはいかない」

ドロシー「そこはあちらさんも同じだろう。せっかく毒を盛ったのにナイフを使うようじゃ、足跡を消してから「行き先はこちら」って看板を立てるようなもんだ。それにこっちだってそういう時に使える小道具がなにもないわけじゃない……違うか?」

アンジェ「そうね、ちょっと出してみましょうか」

…蝶々の標本が収めてある部室の棚を特定のやり方で動かすと、カチリと音がして隠し棚がせり出した……浅い引き出しに敷き詰められた紅いヴェルヴェットの上には、綺麗なブローチや眼鏡、髪留めや指輪、それに煙草入れや香水の瓶、コンパクト(手鏡)といった小物が並べてある…

ドロシー「この手のおもちゃは久しぶりだな……どうだ?」ピジョンブラッド(鳩の血)と言われるビルマのルビーが埋め込まれたブローチを喉元に当ててみる……それからブローチの台座を特定のやり方でカチリとひねり、中に収まっている粉薬の量と状態を確かめる……

アンジェ「良く似合うわ。私はこっちね……」アンジェは淡い色合いの瞳を引き立てるブルーサファイアのブローチを手に取り、台の隠しスペースに入っている灰色の粉薬を小瓶のものと入れ替えた……

ドロシー「そっちのは麻痺薬だったな。あとは指輪にペン、もろもろの化粧品くらいだな」

アンジェ「そうね」化粧品のポーチに白粉の容器、口紅、飾りも美しい香水の瓶、化粧に用いる筆のセットと手際よく詰めていく……

ドロシー「その指輪をはめるのか……当日は気を付けろよ?」

アンジェ「分かっているわ、何しろ「バラの指輪」だものね……」指輪に絡みついている三輪の赤バラを特定の組み合わせでねじると、小さいが鋭利な針先がにゅっと現われた……

………
705 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/08/07(水) 00:30:17.84 ID:JIZCi/DQ0
…コントロール…

7「書類が出来上がりました」

L「うむ、そこに置いておいてくれ」

7「はい」

L「……しかし、今回はまるで雪で隠れた薄氷の上を飛び跳ねている気分だ」

7「そうですね」

L「ああ……もっとも、そのくらいしなければ例の相手は出てくるまい」

7「同感です。しかしあちらが動くかどうか……」

L「動くさ、少なくとも私が王国防諜部ならな」

…同じ頃・ノルマンディ公の執務室…

ノルマンディ公「……ふむ」

ガゼル「なにか?」

ノルマンディ公「ああ、少し気になることがあってな……この情報をどう見る?」

ガゼル「共和国による情報の受け渡しですか」コントロールの流した偽情報とはつゆ知らず「とびきりの情報を掴んだ」と王国情報部員が上げてきた報告をさっと読み通す……

ノルマンディ公「うむ、このパーティに出席する予定の人間はたいてい身元調査が済んでいるが……残りの人間で共和国の情報部員をしていそうな者というと……」

ガゼル「気になるのはこの男です」

ノルマンディ公「理由は?」鋭く問いかける……

ガゼル「幼い頃に両親と死別、育ての親である男爵も数年前に亡くなっていて出自をたどることができず、浪費額にくらべて領地や株から得られる収入が少ない」

ノルマンディ公「なるほど……だが違う」

ガゼル「そうですか」

ノルマンディ公「うむ。本物のスパイなら疑われるような金の使い方はしない……よほどのバカ者でない限りはだが」

ガゼル「なるほど」

ノルマンディ公「まぁいい、下がってよろしい」

ガゼル「はい」

ノルマンディ公「……ふむ、ここはひとつ使いどころか」一人で指しているチェスの駒を一つ動かした……

………



…メイフェア校・部室…

ドロシー「分かっちゃいるとは思うが、今回は予備のチームも後方支援もなしだ」

アンジェ「ええ」

ちせ「私も行けたらよかったのじゃが……」

プリンセス「ごめんなさいね、私の用意できた招待状が二枚だけだったの……本当はアンジェと二人きりで行きたかったし……」後ろの方は自分にしか聞き取れない程度に小さくつぶやいた……

ドロシー「とにかく、パーティに出かける私とアンジェ以外は校内でいつも通りに過ごしてくれ。いいな?」

ベアトリス「はい」

ちせ「うむ」

プリンセス「ええ」

ドロシー「結構だ……それに会場じゃあどんな毒を盛られるか分からないんだ、行かない方が正解ってもんだ」

プリンセス「そう、そうね……」

ドロシー「なぁに、心配はいらないさ。こっちにはアテにならない解毒薬もあるし、なにより盛られる可能性があるって分かっているんだ……予想がつくって言うのはこの業界じゃあ「勝ったも同然」ってことさ♪」

アンジェ「ドロシー」

ドロシー「おっと、このままだと冷血女に説教をされそうだからな……当日は夕方から出かける、定時連絡はベアトリスがやってくれ」

ベアトリス「はい」
706 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/08/15(木) 01:44:20.76 ID:/WdoIJ+Y0
…パーティ当日…

ドロシー「ベアトリス、後ろを留めてくれ」

ベアトリス「はい」

アンジェ「ベアトリス、ドロシーの方が終わったらこちらも手伝ってもらえるかしら」

ベアトリス「もちろんです」

…ベアトリスに手伝ってもらいながらパーティ会場にふさわしいドレスを身にまとうドロシーとアンジェ……ドロシーは袖口や裾にレースをあしらった艶やかなディープグリーンのドレスで、下に着ている黒いビスチェが胴体を引き締めているおかげで、メリハリのある豊満な身体がよりいっそう際立っている。頭には薄いレース飾りをほどこした黒系のトーク(つばのない円筒形をした帽子)をちょこんとのせ、印象深いルビーのブローチで首もと、そして豊かな胸元へと視線を誘う…

ドロシー「しっかしこのビスチェはキツいな……これじゃあ会場の食べ物を楽しむわけにはいかないな」

アンジェ「ビスチェがキツいんじゃなくて、単に貴女が太ったんじゃないかしら」

ドロシー「言ってくれるな」

…アンジェは上等だが華やかさに欠けるブルーグレイ系のドレスで、雄クジャクのように華やかなレディたちがひしめき合うパーティ会場にあって目立たないことを狙っている……首もとにはブルーサファイアのブローチをつけ、上品な婦人帽には鳥の羽根と小さな白いサテンのリボン、日本産の真珠をあしらった飾りを付けている……二人とも足元はヒールで活動的とは言いにくいが、パーティである以上は編み上げの革ブーツと言うわけにもいかないのでいたしかたない…

ベアトリス「どうぞ、できましたよ?」

アンジェ「ありがとう……まぁ、これならいいわ」姿見で自分の姿を眺め、派手すぎでもなく、また地味すぎでもないことを確かめる……

ドロシー「ああ、十分だ……ベアトリス、私はどうだ?」

ベアトリス「いいと思います。華やかですし堂々としているように見えます」

ドロシー「……私が図太いって言いたいのか?」

ベアトリス「ち、違いますっ!」

ドロシー「そういうことにしておくよ……さ、そろそろ行くとしようか」

アンジェ「ええ」

ベアトリス「気を付けて行ってきてください」

ドロシー「おうよ♪」

…パーティ会場…

ドロシー「おうおう、こりゃあなかなかゴキゲンな規模のパーティだな」

アンジェ「……目標の人物を特定するのには少し手間がかかりそうね」

…お雇い運転手がドアを開けてくれるのを待ち、後部座席からなめらかに降りるアンジェとドロシー……会場になっている邸宅の前庭には、石畳の車道に沿って次々とRRやハンバー、フランスからの輸入車である華奢なパナールやルノー、ドイツのダイムラーといった自動車や、紋章付きの貴族の馬車が乗り付けてくる……邸宅の召使いたちが入れ替わり立ち替わりで客の招待状を確かめ、その中でも身分のある客人は白い口ひげをたくわえたいんぎんな執事が案内する…

ドロシー「ま、パーティは長い……」

アンジェ「餌になる「エージェント」が毒を盛られる前に片付ける必要を考えなければね」

ドロシー「はは、そう悩みなさんな♪ ラテン語の書き取りも代数の試験もなし、素敵なパーティじゃないか」

アンジェ「楽天的でうらやましい限りね」

ドロシー「ま、悲観的になっても物事は変わらないからな……召使いが来た」

召使い「失礼いたします、招待状の方を拝見させていただいてもよろしゅうございますか?」

ドロシー「ええ♪」

アンジェ「はい」

召使い「結構でございます。ではこちらへどうぞ」

…会場は広々とした大広間で、左右の壁沿いに設けられたテーブルには軽い立食形式の食事と、さまざまな種類の酒が用意されている。会場からは見えない中二階では室内楽団が軽い音楽を奏でていて、グラスや皿を手にした紳士淑女が会話を楽しんでいる…

ドロシー「……それじゃあここからは別々に行動しよう。私は目立つように動き回るから、アンジェはその間に「帽子の女」を探してくれ」

アンジェ「分かった。見つけたら合図する」

ドロシー「ああ」

アンジェ「くれぐれも飲み過ぎたりしないでちょうだいね」

ドロシー「任せておけ♪」そう言っている手には、すでにシャンパンのグラスが握られている……

アンジェ「……」一瞬だけ呆れたような表情でドロシーを見ると、かすかに肩をすくめて人混みの中へと消えていった……

ドロシー「まるでしつけのなっていない犬っころを見るような目をして行きやがった……」任務中なので唇を湿す程度に口を付ける……

ドロシー「……いいシャンパンだ」
707 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/08/24(土) 00:49:24.30 ID:xkSyfmCk0
ドロシー「さてさて、帽子の女はどこかな……」

…ちょっとくだけたパーティ向けにチャーミングな表情を浮かべ、かろやかに会場を巡るドロシー……会場はにぎやかで普通の会話程度なら他人に聞かれることもなく、屋敷のあちこちにある小部屋では商売や浮気の相談など、ちょっとした秘密の会話に興じるべく忍んでいる人間が何人かいた…

ドロシー「……うーん、こうも多いと探すのが大変だ。こうなったらカウンターのそばだな」

…パーティのために雇われた数人のバーテンダーが、きちんとした格好でシェーカーを振り、あるいはマドラーで飲み物をステアすると、喉の渇いた客たちが次々とグラスを受け取っていく……いずれ帽子の女も飲み物を取りに来るだろうと、ドロシーは話しかけてくる相手とたわいない会話を続けながらバーカウンターのそばで待ち受けることにした…

バーテンダー「お嬢様、お飲み物は何になさいますか?」空になったシャンパン・グラスを受け取ると丁寧にたずねる……

ドロシー「そうだな……それじゃあジョン・コリンズを」

若い貴族「私ももらおう」

…ジンとレモンジュース、シロップ、炭酸水を加えた爽やかなカクテルは蒸し暑さを感じるパーティ会場ではちょうどいい……よく冷えていて、表面にうっすらと露がおりたコリンズ・グラスの中身を軽くあおる…

ドロシー「ん、いい味だ」

貴族「確かに絶妙だね……ミス・キンバリー、何かお飲みになりませんか?」

若い貴族令嬢「そうですね、でしたらマティーニを……それと少し甘めにしてくださる?」

貴族「分かりました。君、マティーニを少し甘めにだそうだ」

バーテンダー「はい」

キザな貴族「僕にはうんとドライなマティーニを頼むよ。それからオリーヴはいらない……あんなのは味の邪魔さ♪」上等な帽子を傾けてかぶり、ステッキをもてあそびながら笑みを浮かべている……

遊び人風の貴族「ははは、生意気なことを♪」

遊び慣れた雰囲気の淑女「わたくしも何かいただこうかしら」

遊び人「結構ですな、レディ・スタイルズ……ジョン・コリンズなら口当たりもさっぱりしていてよろしいと思いますが」

淑女「そう、ならそれにしようと思います」

バーテンダー「かしこまりました」初老に近いバーテンダーがカクテルを作ると、余分な動きのない手つきで手際よく酒を注いだ……

遊び人「ところでレディ・スタッブスの話を聞きました?」

淑女「レディ・スタッブスがどうなさいましたの?」

遊び人「いや、それがね……いい歳をして召使いに手を出したんですよ」

淑女「まぁ、いやらしい!」甲高い声でわざとらしく非難してみせる……

遊び人「いやまったく、それも女の子……ですよ?」

淑女「信じられませんわね!」ますます憤慨してみせる淑女…

キザ「ま、年頃の遊び相手もいない可哀想なご婦人だからそういうことをするのさ……僕ならそういうご婦人でも付き合ってあげるけれどね♪」

遊び人「言うじゃないか、見目麗しいご婦人しか相手しないくせに」

淑女「あら、そうなんですの?」

キザ「さぁ、どうでしょうね……♪」とびきりの笑顔を浮かべてシルクハットを小さくもちあげた……

大声で話す貴族「バーテンダー、グロッグを頼むぞ!ジャマイカ産のラムでな!」

面長の貴族「閣下は相変わらずでいらっしゃいますな、まだ海軍のしきたりが抜けきらないと見える」

…海軍上がりと見える中年の赤ら顔をした貴族と、まるでデコボココンビを組んだかのように対照的なのっぽの貴族……赤ら顔の貴族はごく普通に話しているつもりのようだが、それでもトップマストの先端に届くのではないかと思うほど声が大きい……バーテンダーから大きめのグラス入ったグロッグ(ラムの水割り)を受け取ると、ぐいぐいとあおる…

大声「うむ、海軍と言えばラムだからな。ホワイトホール(海軍省)も近ごろはケイバーライト飛行船のおかげで肩身が狭いが……なぁに、あんなものは一時の流行に過ぎんよ!」

面長「人間は空を飛ぶようにはできておりませんからな」すかさず相づちをうつ……

大声「さよう、現にこの間の新造飛行船のテストではケイバーライト機関にトラブルが起きて危うかったと聞いておるぞ!」

ドロシー「……」かたわらでグラスの中身をちびちびと舐めながら「一気に面白くなってきた」と、会話に耳をそばだてる……

話し好きの貴族「そのことなら私も聞き及びました。着陸と消火が間に合ったから良かったようなものの、もう少しで大爆発を起こすところだったとか」海軍上がりの貴族におしゃべり好きを始めとする何人かが加わり、ますますにぎやかになる……

中年婦人「まあ、恐ろしい」

はね上げひげの貴族「心配ご無用。わが王国の飛行船はそんな事故を起こすような粗雑な作りにはなっておりませんからな」

片眼鏡の貴族「とはいえ、上空から焼けた破片が降ってくるような事があったらたまりませんな……」

おどけ者の貴族「この「ケイバーライト・マティーニ」なら歓迎だがね♪」ケイバーライトによる産業革命にあやかった、澄んだミントグリーン色をしたカクテルを片手におどけてみせると、周囲の人々から軽い笑いがもれた……

708 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/09/10(火) 01:04:08.97 ID:LfItGAu40
ドロシー「……しかし「帽子の女」はどこだ?」

…カクテルグラスを片手に談笑する紳士淑女たちに社交的な笑顔を振りまき、あたりさわりのない言葉を交わしつつも、油断なく会場を巡るドロシー……アンジェも同様に会場を歩き、お互いの死角をカバーしつつまんべんなく探って回る…

ドロシー「くそ、ここで見つけられないと面倒なことになるぞ……」ぬるくなりはじめたジョン・コリンズをちびちび飲みながら、いかにも楽しんでいるような面持ちで会場を探し回る……

ドロシー「……ん?」

…パーティ会場で誰と親しげにするでもなく、かといって手持ち無沙汰というほどでもなさそうな様子でグラスを持っている一人の女性……地味なミディアムグレイのドレスに目元が隠れるような婦人帽で、帽子の下からのぞく薄い唇からはときおり笑みも浮かんでいる…

ドロシー「あいつか……?」

帽子の女「……」周囲の人混みなど存在しないかのようにするすると会場を横切っていくと、にこやかにバーテンダーの方に近寄っていく帽子の女……

ドロシー「……奴だ、間違いない」

…エージェントとしての勘に加え、動きに感じる無駄のなさや、目立ちたくない時には消え失せてしまう絶妙な存在感など「同業者」どうしに相通じる雰囲気を感じ取った……まるで影のような帽子の女と違い、その場限りで忘れてしまうようなよそ行きの愛嬌と色気を振りまきつつバーカウンターに近づいていくドロシー……ほとんど空になったコリンズ・グラスから絹の長手袋を通して、冷や汗のような雫が手のひらに伝ってくる…

帽子の女「ドライ・マティーニをいただくわ」

バーテンダー「かしこまりました」

…そう言ってバーテンダーの方へ軽く手を伸ばすと同時にドレスの右袖口からかすかに白い粉がこぼれ、次々と消費される氷の容器に降りかかったようにみえた…

帽子の女「……いいお味ね」

ドロシー「……」額にうっすらと浮かぶ汗は会場の熱気とアルコールのせいばかりではない……

バーテンダー「お嬢様は何になさいますか?」

ドロシー「あぁ、そうね……私にはカンパリ・ソーダを」

バーテンダー「はい、ただいま」イタリアの紅い色をしたリキュール「カンパリ」を発見の合図と決めておいたドロシーとアンジェ……

帽子の女「……」カクテルグラスを持ったまま、女はしゃなりしゃなりとした歩き方でバーカウンターから離れていく……

ドロシー「あいつ、氷に盛ったのか?だが氷に毒を盛ったなら全員が中毒を起こしそうなもんだが……」

ドロシー「……」

…いぶかしがりつつも女との距離をじりっ、じりっと詰めていくドロシー……帽子の女が向かう先には、ちょうど氷の入ったウィスキーを受け取った一人の紳士……事前にコントロールが送り込んだ「餌」がいて、帽子の女はそこに近寄っていくと隣に立っている別の紳士に何やら話しかけて「餌」の紳士を含めた視線を引きつけつつ、反対側の袖口からウィスキーのカットグラスに薄灰色の粉を溶かし込んだ……

ドロシー「……そういうからくりか」

帽子の女「……」

…帽子の女はグラスに粉が溶けたのを見届けると雑談を切り上げ、すました態度のまま場を離れようとする…

白ひげの紳士「……なるほど、感心なことです」

共和国エージェント(囮)「いや、そうお褒めいただいてはかえって恥ずかしい……しかしこの部屋にいると喉が渇きますなぁ」

ドロシー「きゃっ……!」

…わざと近くを通りすぎつつ、さりげない手つきでグラスを持つ相手の手首をはね上げるドロシー……囮のエージェントがいましも飲もうとしていたウィスキーがばちゃりとはね、磨き上げた床にこぼれた…

囮「おっと、いかん! お怪我は?それにお召し物は大丈夫ですかな?」

ドロシー「はい、どちらも平気です。ですがせっかくのお飲み物をこぼしてしまって……」

囮「なに、ウィスキーなどまた取りに行けばいいだけの事ですから……それよりも裾にかかってしまったようですよ。奥に行けばご婦人の化粧室があるはずですから、そこでお召し物を直していらっしゃったらいかがですかな?」

ドロシー「そうですわね、そうします……済みません、わたくしお化粧室の場所が分かりませんので、お付き合いいただけます?」

帽子の女「……ええ」

白ひげの紳士「うむ、それがいい。グラスはここに置いて行きなさい」

ドロシー「そうさせていただきますわ。せっかくわたくしにぴったりの毒を調合してもらったのですから♪」

白ひげ「ははは、お上手ですな……わしもこの手の毒は大好きですぞ♪」

ドロシー「どうやら気が合いそうですわね……では、しばらく」にこやかな表情のまま帽子の女を逃がさぬよう、絶妙な位置を取る……

帽子の女「……」

ドロシー「ご面倒でしょうけれども、どうかお付き合いくださいましね?」

帽子の女「……」

………

709 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/09/14(土) 02:45:56.24 ID:sLeI+l6g0
…化粧室…

帽子の女「さあ、着きましたわ」

ドロシー「助かります……それじゃあそろそろお芝居はおしまいにしようじゃないか」パーティ会場向けに取り繕っていた態度をかなぐり捨てると、帽子の女を化粧室の壁に押しつけるドロシー……

アンジェ「……この女ね」するりと化粧室に入ってくると、邪魔がこないよう入口を見張りつつドロシーの手伝いができる位置についた……

ドロシー「間違いない。これから持ち物をあらためるところだ」

アンジェ「任せるわ」

帽子の女「……」

ドロシー「どれどれ、ご婦人は何をお持ちかな……っと、その前にお顔を拝見させてもらおうか」目元が隠れるようにかぶっている婦人帽を脱がせて、洗面台に置いた……

帽子の女「……」

ドロシー「へぇ、なかなかの美人じゃないか。せっかくの顔を隠すなんてもったいないぜ?」唇が薄く頬の血色は少しが悪いが、それなりに整っていて悪くない顔立ちをしている帽子の女……

帽子の女「……」

アンジェ「……」さっと視線を向けた一瞬の間に、コントロールから見せてもらった王国エージェントの肖像画やポートレートを思い浮かべ脳内で照合するアンジェ……思い当たる顔がないことが分かると、目や髪の色、おおよその顔立ちや雰囲気、それに指や耳の形といった変装の難しい身体のパーツを記憶した……

ドロシー「せっかくアドバイスしてやったのにつれないね……それからそんなにアクセサリーを付けていたら肩がこって仕方ないだろう、ちょっと預かるよ」

…ドロシーたちが身に付けているアクセサリーと同じようにどんな仕掛けが施されているか分かったものではないので丁寧に、しかし手際よくネックレスや指輪、イヤリングを外して洗面台に並べていく……派手さはないがすっきりした宝飾品のスタイルから言うと、帽子の女はどこに顔を出してもおかしくないよう、野暮ったいオールドミスでも、またお飾りとしての「なんとか夫人」になっているでもない、独立志向のある活動的な貴婦人といったカバーを作っているらしい…

ドロシー「お次はこれだな……調べてみてくれ」手に持っていた黒いヴェルヴェットの化粧品ポーチと招待状を手際よく取り上げるとアンジェへと渡す……

アンジェ「ええ」

帽子の女「……」

ドロシー「それじゃあその間に手品のタネを見せてもらうとして……なるほど、こういう仕掛けか」

…パーティ会場では身だしなみとして長手袋が欠かせないことを利用して、手袋の中で隠れている中指に裁縫で使う「指ぬき」のような薄手のリングをはめ、そのリングと小手のように手首に付けた毒薬の袋をひもで繋いである……誰かに薬を盛りたいときは中指をちょっと折り曲げて手首を下に向けるだけで袋の口が開き、毒薬がこぼれ落ちる仕組みになっている…

帽子の女「……」

ドロシー「どうやらちょっとしたイタズラのためじゃあなさそうだな……そっちはどうだ?」

アンジェ「身元が割れそうなものは何も。化粧品は上等だけれど特注みたいな物はなくて、百貨店で買える既製品ばかり。アクセサリーにも細工はなし」

ドロシー「招待状の名前は?」

アンジェ「レディ・クリスティン・ハーウッド……ハーウッド男爵家はちゃんとある貴族の家系だけれど、こんな成人女性の娘がいるなんて聞いたこともない」

ドロシー「それじゃあ家系図のどこかで紛れ込んだってわけかい」

アンジェ「そのようね」

ドロシー「……所属は?」

アンジェ「何も。紙入れには嘘っぱちの恋文数枚、ザ・シティにある銀行の小切手帳、お父様から受け取った真心のこもった偽物の手紙……身分証や本人の手がかりになるようなものは紙切れ一枚なし」

ドロシー「いいね、素人さんじゃないってわけだ……」

アンジェ「あまり遅いと怪しまれる、手際よくね」

ドロシー「ああ」

…空中でピアノを弾くかのように軽く指先を動かすと、慣れた手つきでドレスの下の身体をまさぐっていく……両の手首に付けている毒薬の袋は外してアンジェの方に放り出し、それからまた撫でるように身体検査を進めて行く……乳房の回りは女性エージェントならではの隠し場所ではあるがありきたりで、ドロシーがしつこく愛撫するように探しても何も見つからない…

アンジェ「……」

ドロシー「まさか丸腰ってこともないだろうが……」シックで飾りの少ないドレスとはいえ、ドレープ(ひだ)やあちこちのふくらみを全て触って確かめるとなるとそれなりに時間がかかり、調べてもなかなか見つからない状況に焦りを感じ始めた……

アンジェ「……時間がない、下の方は私が」見張りをやめ、ドロシーとは反対に帽子の女の足元から調べていこうとする……

帽子の女「ふ……っ!」

ドロシー「ちっ!」細身の身体からは思いもよらないほど強烈な膝蹴りを受けそうになり、とっさにクロスさせた腕で受けとめたドロシー……

帽子の女「……!」

…帽子の女は蹴りでドロシーを一歩下がらせることに成功すると同時に、ドレスの下にまとっていたビスチェと身体のすき間から真鍮とガラスでできたシリンジ(注射器)を引き抜いた……そのままフックを打ち込む要領でアンジェの首もとにシリンジを突き立てようとする…

アンジェ「くっ……!」

ドロシー「どけ!」アンジェを突き飛ばすと同時に左腕に突き立てられたシリンジの針と、身体に流れ込む冷たい液体を感じ取った……

アンジェ「はっ!」石張りの床でくるりと一回転すると帽子の女の背後を取り、片腕で首を締め上げると同時に、バラの指輪から小さく突き出した針をぶつりと頸動脈に突き立てた……
710 :sage :2024/09/14(土) 12:09:24.98 ID:aCVvYB6JO
多分毒薬だもんな
間違って媚薬とかにならないですかね…
711 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/09/22(日) 02:27:05.64 ID:it7MRNqR0
帽子の女「ぐ……っ!」

帽子の女「う……くっ……」身をよじり振りほどこうともがいたが、アンジェの細い……しかし強靱な腕は蛇のように絡みついて首を締め上げ「帽子の女」はとうとうぐったりと崩れ落ちた……

アンジェ「……はぁ」

ドロシー「やれやれ、どうにかなったな……」

アンジェ「どこが「どうにかなった」よ……どうして腕で毒針を受けとめるような真似をしたのよ、この馬鹿」

ドロシー「とうとう「馬鹿」と来やがったな……簡単さ、私の方がお前さんよりも体格が大きいんだ。毒が回るにしても少しは時間がかかるだろうし、致死量もより多く必要だ。幸いなことにシリンジの全部を流し込まれたわけじゃないしな……」あごをしゃくった先には半分ほど残ったシリンジが落ちている……

アンジェ「強がりを……もう唇が紫色じゃない」

ドロシー「そうかもしれないとは思ってたぜ。何しろひどく寒いからな……なぁに、心配いらないさ。私たちには例の「お守り」があるんだからな」

…唇を青くし、まるで凍えたように震えながら洗面台に寄りかかり、それでもいつもの不敵な笑みを浮かべてみせようとするドロシー……おぼつかない手つきで化粧品ポーチから取りだした、例の真っ黒な「解毒薬」を手に持った…

アンジェ「飲める?」

ドロシー「飲めるさ……一気に飲み下すにはちと大きいが、出来るだけ大きいまま飲み込んだ方がいいらしいからな……」

…赤んぼうの握りこぶしとまでとは言わないが、大きめのアメ玉ほどもありそうな丸薬をにらみつけると口に放り込もうとする……が、手が震えて薬をうまく口元に持って行けない…

アンジェ「……貸しなさい」ドロシーの手から丸薬をひったくると自分の口に入れ、それからドロシーの口に自分の唇を押し当てると、舌先で丸薬を送り込んだ……

ドロシー「んっ……! んぐっ、ぐっ……ん゛ん゛ぅ……っ!」大きな丸薬を飲み込もうと目を白黒させる……

アンジェ「しっかりしなさい、ちゃんと飲み込むのよ」

ドロシー「ん゛ん゛っ……ぶはぁ!」

アンジェ「どう、飲み込めた?」

ドロシー「どうにか。だが卵を飲み込む蛇みたいな気分になったぜ……うえっ、げほっ!」

アンジェ「……大丈夫?」

ドロシー「あ、ああ……くそ、まったくひでえ味だ。苦いクセに薄甘くて、ニンジンの出来損ないみたいだ……」洗面台の水栓をひねって口をゆすいだ……

アンジェ「文句を言わない……どう?」

ドロシー「そうすぐに効果が出たかどうかなんて分かるかよ……気のせいか寒気は収まってきた気はするがな」

アンジェ「ならいいわ。ともかく、毒針の身代わりをするなんて無茶にもほどって言うものがあるわ」

ドロシー「古女房みたいにガミガミ言うな、頭に響く……おしゃべりする暇があったらホールから酒をくすねてきてくれ」

アンジェ「どうする気?」

ドロシー「知れたことさ。そいつを個室に放り込んで酒を浴びせかけておけば、酔っ払いだと思って誰も関わり合いにならないだろうし、こっちが退散するまでの時間が稼げるだろう」

アンジェ「なるほど、回るのは毒だけではないようね」口調はいつもと変わらないが、どことなく気づかうような雰囲気が感じられる……

ドロシー「だろ?」

…数分後…

アンジェ「……戻ったわ」

ドロシー「おう」

アンジェ「効果はあったようね、だいぶ血色が戻っているみたい……瞳を見せて」まぶたを広げて瞳を確かめ、それから指先を見つめるように言って近づけたり遠ざけたりしてみる……

ドロシー「おかげでな、どうにか震えは収まってきた……とにかくこの薬に即効性があってよかったぜ」

アンジェ「そうね」

ドロシー「ああ……それで酒は?」

アンジェ「持ってきた。その女が飲んでいたのはドライ・マティーニだったからジンにしたわ」

ドロシー「気が利くな。もしかしたらウィスキーは飲まない性質(たち)かもしれないしな……運ぶのを手伝ってくれ」

…細身の女性とはいえ、ぐんにゃりとしている死体を運ぶのは容易ではない……人体の引きずり方を心得ているドロシーとアンジェも動きにくいドレスのままでは四苦八苦で、ようやくのことで「帽子の女」を便座に座らせることに成功すると、酔い潰れているように見せかけるためにジンをふりかけ、最後に帽子を目深にかぶらせた…

アンジェ「どうにかなったわね……」

ドロシー「だな。あとは退散するまで大人しく振る舞っていればいい」

アンジェ「そうね」

ドロシー「まったく、ひどいパーティだぜ……おかげで酔いも覚めちまった」

アンジェ「結構ね、酔っ払いの相手はしたくないもの」
712 : ◆b0M46H9tf98h [sage saga]:2024/09/25(水) 02:00:46.73 ID:s7DLD8+S0
…数時間後・メイフェア校…

ドロシー「ふぅ、今日はくたびれたぜ……とはいえ、無事に「帽子の女」を排除することもできたし、一日の成果にしちゃ悪くないんじゃないか」

アンジェ「そうね。それより身体の調子は?」

ドロシー「どうにかなってるよ、まだフラフラするような感じだが」

アンジェ「それはただの飲み過ぎね」

ドロシー「そりゃあどうも」

…ネストに立ち寄ってパーティ用のドレスから着替え、メイフェア校の部室に戻ってきた二人……ぐったりと倒れ込むようにして肘掛け椅子に座り込んで靴を脱ぎ捨てるドロシーと、呆れた様子で肩をすくめながらもドロシーの分まで片付けるアンジェ…

アンジェ「……ところで」

ドロシー「うん?」

アンジェ「さっきの事だけれど……ドロシー、貴女の言うとおりね。あの時はあれが最善の策だったと思うし、賢明な判断だったわ」

ドロシー「よせよ。こういうのはお互い様、だろ?」

アンジェ「いいえ、それだと私の気が済まないから……ありがとう」

ドロシー「いいってことよ……ただ、そこまで言うんならお礼の品でももらっておくかな♪」

アンジェ「……あげてもいいけれど、モノによるわ」

ドロシー「そうだなぁ……それじゃあお前さんが先週もらってからこのかた「隠し棚(カシェット)」で後生大事にしまって、一日に一枚ずつ食べている、リボンをかけたプリンセスの手作りクッキー……」

アンジェ「……」

ドロシー「……なんて言った日には、この部屋にしまってある毒薬を全部飲まされることになりそうだからな。壁の入れ込みに隠してあるレミー・マルタンをもらおうか」

アンジェ「そうね、そのくらいの頼みなら」カットグラスに琥珀色の液体を注いで渡した……

ドロシー「ありがとな……しっかしドレスを着ていたからあちこち締め付けられるし、ヒールを履いていたから足は痛むし……毎日のようにこれをやっているだなんて、プリンセスってのは大したもんだな」

プリンセス「……わたくしがなにか?」

ドロシー「っ!」

アンジェ「ただいま、プリンセス」

プリンセス「ええ、お帰りなさい……それでドロシーさん、わたくしがどうかしましたか?」

ドロシー「いや、プリンセスは毎日けったいなドレスやヒールの靴で踊ったりおしゃべりしたりで大変だって思ってね」

プリンセス「慣れてしまえばそう大変でもありませんよ?」

ドロシー「そうかもしれないが……それより、もうお休みの時間かと思っていたが」

プリンセス「ええ。わたくしもそろそろ寝台に入ろうかとは思っていたのですけれど、そろそろお二人が戻ってくる頃かと思って……それで、首尾はいかがでした?」

ドロシー「あー、まぁ……なんだ……」ちらりとアンジェの方に視線を向けた……

アンジェ「ドロシーときたら相変わらずの無鉄砲だったけれど、どうにかなったわ……」

…帽子の女を見つけ出して化粧室に連れ込んだところで立ち回りになったこと、その際にドロシーがアンジェをかばって毒薬を注射されたことや、試作品の解毒薬のおかげで助かったこと、そのあと何食わぬ顔でパーティ会場に戻って過ごし、誰にも疑われることなく帰ってきたことなどをかいつまんで説明した…

プリンセス「まぁ、なんてこと……それでドロシーさん、お身体は何ともありませんか?」

ドロシー「見ての通りピンピンしてるよ♪」

アンジェ「馬鹿は死んでも死なないように出来ているらしいわ」

プリンセス「あぁ、良かった……それにしてもアンジェをかばって毒針を受けとめるだなんて、わたくし、感謝のしようもないくらい……///」

ドロシー「なぁに「腕っこきエージェント」としてたまには格好を付けさせてもらわないとな……それに、礼ならもうもらってるよ♪」そういってコニャックのグラスを揺さぶってみせた……

プリンセス「まあ、アンジェったら……命の恩人へのお礼がたったそれだけ?」

アンジェ「いえ、だって……」

ドロシー「ああ、お互いにただの冗談なんだから気にするようなことじゃあ……」

プリンセス「いいえ、ドロシーさんはわたくしのアンジェを助けてくれたのですから……精一杯のお礼をさせていただくことにします♪」ドロシーの手からグラスを取り上げるとテーブルに置き、唇を押しつけた……

プリンセス「ん、んむ……ちゅ……ちゅぅ♪」

ドロシー「おい、ちょっとまっ……ん、んんっ///」

プリンセス「ぷは……さぁアンジェ、貴女も一緒に「お礼」をしないと♪」

アンジェ「……なるほど、言われてみれば、そういう「お礼」の仕方もあったわね」
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