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【デレマス】佐藤心「世界征服☆」
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1 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 21:54:49.80 ID:878XYWmy0
デレマス二次創作です。
色々よろしくお願いします
2 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:00:42.73 ID:878XYWmy0
その日は最悪な一日だった。
それをなんとなく肉体が察したのか、それとも運命を知っていたのか――やけに青ざめた俺の表情を察して、千川さんが話しかけてきた。
「なんだか顔色悪いですね、塩崎さん。そんなに嫌なんですか?」
「うーん、ま、嫌ってわけじゃないんですけど……なんだか苦手ですね」
「それ、嫌ってのと違うんですか?」
「若干ですけど、違いますね」
「へぇ?」
「ともかく、行ってきます」
「はい。頑張ってくださいね。はいこれ、今日の資料です」
3 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:03:24.37 ID:878XYWmy0
その日は、俺の二回目のオーディション担当の日だった。
我らが美城プロダクションには二種類のアイドルスカウト方法があり、直接プロデューサーがアイドルを探しに行くスカウト形式か、もしくはアイドルが受けに来るカタチのオーディション形式の二通りであった。
オーディションでは主に書類審査や面接などが行われ、現状美城プロダクションに足りない属性を持ったアイドルの原石を探すことがメインとされる。スカウトではプロデューサー自身の直感が試されることに対し、オーディションではプロデューサーの審美眼が試される。
実際のところ、俺は審美眼を有しているとは言い難いのだが……しかし、わざわざ女一人探すために他県に出張したり、口説き落としたりすることを苦手に感じているため、自ら辞退させてもらっていた。が、だったらオーディションを担当してもらおう、という部長の指令により、俺はオーディションを担当させられてしまっていた。
曰く、「やらなかった後悔はやった後悔よりも重く、そして後悔そのものは人生における最重量の重りだ」という。
4 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:04:12.12 ID:878XYWmy0
そもそも俺は女性が苦手である。
無論同性愛者の類ではない。ただ、なんとなく若い女子に対しての後ろめたさにも似た苦手意識のようなものが、染みついているのである。あのなんとも言えない女性特有の雰囲気というのがどうにも苦手で、敬遠しているわけだ。
オーディション部屋に入れば、そこには予め一つの長椅子と二つの椅子、それに対するように小さなパイプ椅子がちょこんと置かれている。扉は今入ってきた一か所しかなく、どこか密閉された空間のように感じる。窓は左手に大きなものが一枚あるが、あいにくと本日は曇天。なんとも言えない雰囲気である。
まさに“如何にも”という感じだ。
「はぁ……」
とため息を零す。
5 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:04:46.16 ID:878XYWmy0
「あらま、そんなに落ち込んでいたんじゃ大変ですよ」
「ぅおあ、千川さん!?」
俺の後ろを陣取るように、音もなく千川さんが現れた。
「今回のオーディションは私も手伝えということでしてね。塩崎さん、この前全員落としちゃったでしょ。部長も困ってましたよ」
「はぁ、だったら、他の人にやらせればいいのに……そもそも、アイドルの発掘なんて、俺には無理なんですよ」
「まあまあそう言わず。部長だって、考えなしにあなたを起用したわけではないでしょうからね」
「そうなんですかね?」
「まあそういうことにしてみたら、いかがでしょうか?」
「精神論……」
6 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:05:19.95 ID:878XYWmy0
二人して椅子に座ると、少しだけ緊張してしまう。
体の中心から、冷気が昇ってくるような感覚。だというのに、やけに胸のあたりは熱っぽくて、思考がまとまらない。末端から少しずつ冷えていくのに対し、熱が中心から分散していくイメージ。そのせめぎあいの中央で、体が震えている。
空調は、ついているのだろうけれど。
「緊張してます?」
「はい、もちろん」
「安心してください。彼女たちの方が、よっぽど緊張してますから」
「……千川さんは、やけに飄々としてますね」
「慣れてますから」
「……こういうのに?」
「厄介ごとに、です」
7 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:05:51.72 ID:878XYWmy0
しばらくすると、他の指導員が連れてきたアイドルの吐息が、壁の向こうから聞こえてきた。用意されている履歴書は五枚であり、実際オーディションを受けるのも五人なのであろう。
五人か。この前より少ないな。
少しだけ心が軽くなった気分である。
「……じき時間です。ノックされたら、「どうぞ」って言ってくださいね」
「就職を思い出しますね」
「でも、結局全部落ちたんでしょう?」
「……なんでそんなこと言うんですか?」
「あはは、少しでも緊張をほぐせたらって」
「いらぬ世話です」
8 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:06:20.67 ID:878XYWmy0
ノックの音。ついで、「どうぞ」と発音。少し震えていた声は、千川さんの肘でつつかれたことにより、平坦なものになった。
「失礼しまーす!」
元気そうな女性の声。事実そうなのだろう、活発そうに髪を後ろで束ねた少女は、満面の笑顔で部屋に入ってきた。髪の色は、クリームのような亜麻色で、かなり長い。
「座ってください」
「はい」
用意した椅子に座った彼女を観察すると――スカートを握る手が、震えていた。いや、そういえば……「失礼します」の声も、震えていたように思えた。
彼女だって緊張しているんだろう。ハキハキと喋る彼女でさえ、怖いのだ。落ちるのが、落とされるのが。
だってそれは、それだけ本気だということだから。そんなことは、もちろん俺にだってわかっていた。
「ではまず、自己紹介の方を……」
9 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:06:53.38 ID:878XYWmy0
一人目の少女が自己紹介から自己PRを終え、特技を披露してから、部屋から出ていくのをじっと眺めていると、千川さんのため息が聞こえてきた。
「で、どうでした?」
「えっと、すごく緊張しました。あと、大体やってくれて、ありがとうございます」
「ええまあ、そういう役割ですから」
オーディションの途中、俺はほとんど喋らなかった。千川さんが質問して、それに答えて、最後の自己PRをして終わり。彼女の場合、得意だというダンスを披露してくれた。それはダンスというよりも、彼女の柔軟性を活かしたパフォーマンスであったが、これもダンスの一環なのだろう。十分に洗練された技術だった。
「彼女、うちで使えそうですか?」
「……どうでしょう」
「と、いうと?」
「やる気はあるように思えます。元気だってあります。顔だって可愛いし、スタイルも良いのでしょう。けれど、なんていえばいいのか……何かが足りないような、気がするのです」
「何かって、何ですか?」
「ちょっと上手く言葉に出来ないんですけど……熱意、みたいな? いや、若い子ってそういうもんなんでしょうかね? 意思というか……真意?」
「はぁ……そうですか」
「……はい」
「ま、塩崎さんがそういうのでしたら、そうなのでしょう。私は信じますよ」
10 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:07:25.60 ID:878XYWmy0
二人目の少女は、一人目に比べておとなしい少女だった。髪はショートで、染めていない。服装も落ち着いたもので、語りも流麗。ちゃんと練習してきたのであろうことを想像すると、それは遺憾なく発揮されていたのであろうことは、確かであった。
「では、自己PRをどうぞ」
「はい。今日は私の好きなアイドル、高垣楓さんの「こいかぜ」の音源を持ってきたので、歌わせてもらおうかと思います」
「歌唱力と演技力をパフォーマンスということで良いですか?」
「はい」
ポケットからスマホを取り出し、操作する少女。
「あっ」
と滑り落ちたスマホ。床は一面マットであり、傷が入るようなことはなかった。
だが、その手が震えていたのは、確かに確認できた。
「……」
「すいません。すぐに準備しますので……」
11 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:07:53.58 ID:878XYWmy0
「……ありがとうございました。自己PRは以上です」
「ありがとうございました。退室してください」
「失礼します」
パフォーマンスは中々のものであった。無論高垣楓には遠く及ばないものの、彼女なりの演技や技術が感じられ、思わず大きめに拍手してしまうほどだった。
「で、どうだったんです? 足りてました、真意ってやつ?」
「うーん……」
「足りてなかったんですね」
「いや、真意だとか、熱意っていうか……なんていえばいいんでしょうかね。ピンと来ないっていうか」
「ふーん……厳しいことを言いますね」
「ごめんなさい」
「いや、いいんですよ。むしろ、なんでもかんでもOKではこちらも困りますし。選りすぐり、判断するのはとても良いことです」
「それならばいいんですけど」
12 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:08:19.07 ID:878XYWmy0
三人目の少女の自己PRが終わると、またすぐに千川さんが話しかけてきた。
「ピンときました?」
「来ませんでした」
「ま、そうでしょうね。今の子は私の目で見てもどこか抜けていたというか、足りていないものが多すぎましたからね。言っちゃアレですが、アイドル向いてませんよ、さっきの子」
「……ずいぶん強烈な言い方をしますね」
「そりゃそうですよ。夢見せる存在が何も夢見てなかったら、ファンに何を見せるっていうんですか。それなら結局、何も魅せられませんよ」
「……!」
ピースがハマる感覚がした。
そうか、夢か。
さっきまでの少女達には、夢がないのだろう。
アイドルになりたい。それは良い。それで、アイドルになって何をしたいのだろうか。
曲があって、デビューすればそれはもうアイドルだ。だけど、アイドルになって、それからどうしたいのか。展望が見えない。それが、浅はかな熱意らしきものでしか、見えていないのだろう。
「千川さん……少しだけ、緊張がほぐれてきた気がしました」
「そうですか。それは重畳……ほら、次の人が来ますよ」
13 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:08:52.78 ID:878XYWmy0
指針は決まった。であれば、その展望に何を懸けているかを見定めるだけだ。
ノックに次いで「どうぞ」の声。淀みなく発された自分の声に、どこか聞き覚えのある声が帰った。
「失礼します☆」
「ん?」
「え?」
ドアが開き、入ってきたのは脳みそメルヘンなおかしいやつだった。全身黄色のコスチュームに身を包み、背中には羽が生えている。髪は金色で、ツインテール。やけにテンション高い笑顔で入ってきたその女を、俺は知っていた。
「あ、はぁと!?」
「おー、塩崎!? 何これ、運命!?」
「……お知り合いで?」
「腐れ縁で……」
「あ、そ……」
14 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:09:21.22 ID:878XYWmy0
ひとまず彼女を椅子に座らせ、オーディションを続ける。
「おほん。えっと、ではまず自己紹介を」
「あ、はい。私は佐藤心と言います☆ しゅがーはぁとって呼んでくださいね♡」
「げほっ!」
「塩崎さん!?」
「な……なんでも、ないです。蒸せただけ。続けて……」
なんというか、昔から変わってないな。
「年齢は26、血液型はAB、出身は長野で、身長166センチで、体重は……ひ・み・つ☆」
「げほっ!」
「塩崎さん!?」
「な……なんでもないです。ほら、続けて……」
っていうか、昔のままのキャラクターで行くのかよ!
そうか……はぁとは“そういう人間”だったな。
15 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:09:50.97 ID:878XYWmy0
「で、では……何か自己PRなどあれば……」
「裁縫とか、衣装作るのが得意なことと、踊りです☆」
「では、その衣装は?」
「手作りです☆」
「お前幾つだよ……」
「26」
「ああそうだった……」
「えっと、塩崎さん? 彼女とはどんな関係なんですか?」
「あー、ま、気になりますよね。小中高と同じ学校でした。大学で離れたんですけど、まさかこうなるとは」
「……心中お察しします」
「おーい、憐れんでんじゃねーぞ塩崎ぃ!」
「うるさいぞ佐藤。仮にも俺は面接官だ」
「すいませんでした☆」
「変わり身はやっ」
16 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:10:19.04 ID:878XYWmy0
「まあとにかく……もう一つの踊り、ダンスやろうと思います☆」
「あー、なるほど。どうぞ」
先刻と同じように、ポケットからスマホを取り出すはぁと。
「……かなり気まずい感じですか?」
「かなり気まずい感じですね。なんで18年間一緒にいたやつがこんなところに……」
「18年ってやばいですね……」
二人、資料に顔を隠して内緒話。
「もう始めていいっすか?」
「あ、どうぞ」
音楽がかかり、はぁとが踊り始める。
「……普通に上手い」
「ま、年齢を考えるとかなり卓越した技術ですね。相当な練習もうかがえます。ただその、痛々しいキャラクター性が難儀なのですが……逆に利点にもなりますか」
スマホをポケットにしまい、椅子に座りなおすのを見ながら、俺たちはぼそぼそとそんなことを呟いていた。
17 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:10:46.26 ID:878XYWmy0
「パフォーマンスは以上です、ありがとうございました☆」
「ありがとうございました。では退室して――」
「あ、ちょっと待った」
思わずストップをかけてしまう。
それは、絶対に聞かなくてはならないことだった。
「えっと、佐藤……さん。おそらくあなたの技術とやる気があれば、アイドルデビューは可能でしょう」
それは事実だった。確かに年齢の欠点こそあるが、そのキャラクター性と高いスキルがあれば、芸能界でもやっていけるだろう。やる気も十分、性格こそ昔と変わらず飄々としたものだが、それもバラエティ番組などでは効果的に作用するはずだ。
「ですが、ひとつだけ質問があります」
「……」
18 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:11:18.27 ID:878XYWmy0
「あなたは、アイドルになったら、何がしたいですか?」
「……」
「そんなもん、昔から変わってねぇよ」
「……」
「世界征服☆」
「……」
「……」
「ありがとうございました。退室してください」
「……失礼しました☆」
ガチャリ、と扉の音。
「……」
「……」
19 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:11:47.37 ID:878XYWmy0
「わかりましたか?」
「ええ、なんとなく。見えていなかったものが、見えてきた感じです」
「なるほど。それは――よかった」
結局はそういうところだ。
根底は昔から変わっていない。俺は、彼女のそういうところが好きだったから、18年間を共に過ごせたのだろう。あまりにも強い信念と目標。それが明確に存在しているからこそ、俺はそれが見えた気がした。
大きすぎる野望だが、それがちょうど良い。
ああ――それに、いろいろ思い出した。
思えば、そんな約束もあったな。
忘れていた自分が恥ずかしいよ。
20 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:12:17.79 ID:878XYWmy0
「じゃ、歌いまーす」
五人目のオーディション。彼女は自己PRに歌を選んだ。
活発そうな少女である。思ったことはなんでも口に出してしまうタイプらしく、なんだかやりにくい。
「……!」
しかし、それは圧巻のパフォーマンス。
たかが歌だが、されど歌。
まるで芸術作品の一端であるかのように、聞くものを引きこませるセンス、技術、身のこなし。うちのアイドルでも、ここまで華麗に歌えるのは数少ない。それだけの技量と確かなものが、彼女にはあった。
加えて、時折軽いダンスも交えてくる。あれだけ動きながら息も切らさずに歌えるというのは、やはり彼女の並外れた耐久性故か。間奏では特に激しいダンスが入っていたというのに、歌いだしは流麗である。
「……これは掘り出し物ですよ」
「ですね」
21 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:12:46.61 ID:878XYWmy0
「……ありがとうございました、自己PRは以上です!」
「ありがとうございました。ところで、オーディションはうち以外で受けたことはありますか?」
「ないですね。ここが初めてです」
これは途方もない原石のようである。そのままデビューさせても、一線で動けるだろう。
あとは、アレを聞くだけだ。
「では最後に、あなたはアイドルになったら、何がしたいですか?」
「アイドルになったら、ですか?」
きょとんとしてしまう少女。彼女はあくまでも、ここにアイドルになるために来たのだろう。だが、俺の質問はその先。もしアイドルになったら。
「……いっぱいのお客さんを、楽しませてあげたいですかね」
「……そうですか。ありがとうございました」
「っていうか、私からも聞いていいですか?」
「……はぁ、なんでもどうぞ」
22 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:13:19.61 ID:878XYWmy0
「さっきの四人目、あなたとお知り合いなんですか?」
「……はい。それは、そうです」
思わぬ質問に、つい変な声が出てしまった。
はぁととの関係を聞かれるなんて、思うはずもあるまい。
「彼女、とるんですか?」
「……さあ、まだ選考は終わっていませんので」
「彼女より私の方が良いですよ。私の方が若いし」
「……」
「塩崎さん」
ぴしゃり、と静止が入った。
何か言おうとした。けど、声が出なかった。
「私を選んだ方がいいです。あんな年増よりも、他の子よりも。ずっと壁一枚隔てて聞いてましたけど、みんな私より下手です。ダンスだって、あれは体が柔らかいだけ。根本的なリズム感なら私の方が……」
「塩崎さん!」
「……」
23 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:13:48.14 ID:878XYWmy0
立っていた。
思わず、席を立っていた。
「座ってください。落ち着いて」
「……」
ゆっくり、席に座る。
「嘘でしょ? まさか、本当に私を落として彼女を取る気ですか?」
「……」
「後悔しますよ」
「……」
「では」
それだけ言うと、その少女は出て行った。髪を靡かせながら、俺をあざ笑うように。
24 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:14:21.94 ID:878XYWmy0
「珈琲、飲みますか?」
「どうも」
翌日、事務所で書類を見ていると、千川さんが俺の机にコップを置いてきた。
「この前の書類、まだ見てたんですか? それ、シュレッダー行きだったんじゃないんですか?」
「もうしばらくすれば紙屑です」
「……まだ、考えてるんですか?」
結局のところ、俺は結論を先送りにしてしまった。部長に頭を下げ、理由を述べ、時間を求めた。
部長は笑って許してくれたが、あんまり悩んでいる時間はない。早急に結論を出さなくてはならないことは、確かだった。
「あれは、正論ですよ」
と、千川さんは言った。
25 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:15:01.03 ID:878XYWmy0
「実際のところ、若い子の方が売れますからね。会社としても長く使えますし。26でアイドルを始めても、10年使えるか。それに売れなかったら、利益はほぼ出ない。彼女に変に夢を見せて、潰すことだってあり得ます」
「千川さん、それは……」
「あくまで一般論ですよ。あなたと佐藤さんに何があったのかは知りませんけれど、何かあったのでしょう?」
「……流石千川さん」
「私の方が先輩ですからね」
「……」
「けれど個人的な意見を言わせてもらえれば――身内をあれだけ罵倒されて、黙ってじっと見ている方がダメな人間であるはずです」
26 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:15:40.43 ID:878XYWmy0
千川さんが淹れてくれた珈琲を見る。いつもと変わらないカタチ。アツアツではなく、適度に冷ましてあって飲みやすい温度になっている。
「塩崎さん、佐藤さんに何か見えたんでしょう? 言葉に出来ない、真意みたいなやつが」
「はい」
「それは身内だからですか? あなたが知っている人間だから、温情でそう思ったんですか?」
「いいえ……けれど、俺はあいつのことが詳しいからこそ、あいつの真意が見えました」
「……」
「懸けようと思えました。あいつの未来に懸けたいと思ったんです。連れていって、一緒にあいつの未来が見たいと思いました」
「……まるでプロポーズですね」
「千川さん」
「いいじゃありませんか。どうせ、王子様なんてどこの世界でも身勝手なんですから」
27 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:16:06.76 ID:878XYWmy0
「くそ、アイツ……落としやがって……」
折角上京してきたっていうのに、容赦ないなぁ、アイツ。
流石そるてぃー。変わってないじゃん。やっぱ、今の私の実力じゃ無理があったか。
と、着信音が聞こえた。ぶるぶるとポケットの中で震えている。ガラケーを開けると、知らない番号からの着信だった。
「あ、はい。もしもしー佐藤ですけど☆」
『あ、はぁと? 塩崎だけど』
「あってめぇ、よくもオーディション落としたな! どういう腹積もりだこら☆」
『まあその話はあとでするさ』
「ってかお前なんで私の番号……」
『履歴書』
「あー」
『……今から会えるか?』
「へ? 今から? えっと、まあ……うん、はぁとは? 忙しいから? もう毎日てんてこまいなんだよ☆」
『そっか。じゃあそれ全部断ってくれ』
「はぁ?」
『久しぶりに腹を割って話そうぜ』
28 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:16:36.03 ID:878XYWmy0
先に待ち合わせの喫茶店でお茶していると、遅れてはぁとの姿が見えた。
走ってきたのだろう、髪が少しほつれて見える。額には汗が伝い、若干化粧が落ちているようにも見えた。なんだか、目元も腫れているように思えた。
「ようはぁと。昨日ぶり」
「うるさいぞ塩崎……お前、ふつー30分かかる場所に呼ぶのに、20分しか猶予与えないってマジでおかしいからな☆」
「元気そうで良かった。その分じゃ体力も結構あるな」
「げーソルティー……」
29 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:17:06.86 ID:878XYWmy0
「で、用件はなんだよ☆」
「簡単だよ。俺とアイドルやらないか?」
「……ふぅん?」
訝しむように、俺を凝視するはぁと。なんだか懐かしい光景だった。
置いてあるコップを手に取ると、お冷を一気飲み。豪快なやつだ。
「どういう了見なんだよ、お前は昨日、確かに私を落としただろーが☆」
「だから、それを前提で言ってるんだよ。俺がお前をスカウトしに来たんだよ」
「はぁ? 自分勝手すぎだろ、それは……」
「ああそうだよ。自分勝手なことだ。結局、他のアイドルも落としたしね」
「勿体ないことするねー……五人目の子なんて……」
「はぁとよりも素質があったよ」
「……」
30 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:17:33.58 ID:878XYWmy0
「はぁともわかってたか」
「じゃあ、なんで落としたんだよ。で、私なんだよ。哀れみか?」
「違う」
「じゃあなんの理由だ? 体が目当てなわけ?」
「……」
「……おい?」
「あのさぁ、俺とお前が何年付き合ってると思うわけ?」
「……長いよな」
「じゃ、俺がそんなことするタイプだと思うか?」
「ま、お前ヘタレだしな」
「やめろ……そういうストレートな意見……」
31 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:18:02.23 ID:878XYWmy0
「ともかくだ。お前をスカウトしに来た。もちろん、嫌なら俺は引き下がるよ」
「質問が幾つか」
「どうぞどうぞ」
「なんで私を選んだ?」
「お前には夢がある。大きな展望がある。若干スケールが広すぎるけどな」
「……覚えてたのか」
「うん。っていうか、思い出した。お前と会うまで忘れてたよ」
それは、俺たち二人の夢だった。
昔、誓い合った夢。幼いながらの約束は、今になって楔を果たそうとしている。
それが世界征服だった。
32 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:18:32.24 ID:878XYWmy0
「あとピンときたってのもあるかな。お前ならいける気がした」
「……そ、そっか……」
少し照れたように、顔をそむけるはぁと。
「じゃ、じゃあ次の質問ね。私の理由はわかったけど、五番目の子じゃなかった理由は? 私、壁越しに色々聞いてたけど、確かにアイツの方が歌上手いし、言ってたことも正論だったろ」
「……聞いてたのか。なら話は早いな。確かにあの子は歌もうまいし踊りも上手だし、お前より可愛いかもしれない」
「……」
「けど、だから何だ?」
「……は?」
「アイツより歌がうまくて踊りが上手なやつはほかにもいるさ。探せばごまんといるだろう。確かにあの子はあの五人の中ではダントツだったさ」
33 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:19:19.68 ID:878XYWmy0
「ちょっと待って塩崎? 聞きたいんだけど……お前、いつからあの子のこと落とそうと思ってた?」
「順番が若干変わるけど、最後の質問の時点で落とそうと思ってたよ。けど、そのあと色々言われて考えた。で、結果として判断は一番最初に考えたことだった」
「最後の質問……私にしたやつと、同じやつか?」
「うん。アイドルになったら何がしたいか」
「……そんな質問で?」
「ま、千川さんにも怒られたけど、これは俺が決めたことだからって言って押し切った。実はあの後、最初の三人にも同じことを聞いたんだよ」
「なんて答えたの?」
「全員、きょとんとしたよ。それから答えを探して、言った。けど、それじゃダメなんだよ。未来があって、それに一直線で進めるやつじゃないと。それが、お前からは感じられただけ」
「……ふぅん」
と再び赤面。
34 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:19:47.63 ID:878XYWmy0
「あとこれはほかの人には内緒なんだけど……あの五番目の子、多分他の事務所がとると思うんだよ。良い原石だからね」
「うん」
「アイツぼこぼこにしたくないか?」
「……は?」
「ライブバトルだよ。アイドル同士の戦いの場。そこで、アイツをけちょんけちょんにしてやりたくないか?」
「……」
「……思わない?」
「は、はは……――お前、マジで言ってるのか?」
「それは俺のセリフだよ。はぁと、あんなこと言われて悔しくなかったのか? 俺は悔しかったぞ。お前のことを知ってるからな。多分、世界で二番目に」
「……」
「目のもの見せてやる。俺はそう思ったよ。だから、なんとしても落としたかった。で、敵に回したかった」
「……お前も中々――」
「……」
「――面白いこと考えるじゃねーか☆ やっぱ諦めきれねーな、夢ってものは……」
35 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:20:13.97 ID:878XYWmy0
「乗った! 任せたぞプロデューサー!」
36 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:20:40.74 ID:878XYWmy0
ライブバトルというのは、主に二種類のルールで構築されている。
同じ会社内(この場合、わが社こと美城プロダクションに当たる)で行われるアイドルランクを上げるためのバトル、通称ランクアップバトル。そして他社との間で行われるワンオンワンバトルである。前者がアイドルとしてのランクを上げるために、ソロ、もしくはユニットに与えられるレベルを更新していくための、いわば経験値稼ぎとして使われるバトルに対し、後者は主にパフォーマンスを比べ合い、公に向けてのファン数稼ぎのようなことで使われることが多い。無論二つにはそれだけではない、もっと大きなファクターがあるのだが、ともかくこの二つが専ら使用される。
基本はソロ対ソロ、ユニット対ユニットで同ランクのアイドルが戦うのが原則となっており、Aランクと戦いたければAランクに上り詰める他ない。その他様々な条件があり、そしてトップアイドルの登竜門とも言える格好の戦いの場である。
37 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:22:03.53 ID:878XYWmy0
「で、そのライブバトルがいつだって?」
「一週間後」
「お前ー塩崎ー☆」
「なんすか」
「急すぎるだろ☆ もっと容赦しろ☆」
「いやさ、はぁとはまだ知名度も何もないし、とにかく表に出るところから始めるべきなんだよな。そういう意味ではライブバトルは鉄板で、一気にファンも増えるだろ」
「だからってまだ右も左もわかんねーんだよ☆ もっと丁寧に扱えよ☆」
「じゃ、一緒に行こうか。まずは一週間レッスン詰めだから、副業とかやってたら言ってな。スケジュール組めないし」
「バイトとかやってるけど、止めた方が良い?」
「いや、とりあえず初回のライブバトルで様子を見よう。逃げ道を作っておいて損はないし」
「……そか」
「じゃ、千川さん。はぁと送ってきますのでよろしくお願いします」
「あ、はい。どうぞ行ってらっしゃい」
「いってきー☆」
38 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:22:31.03 ID:878XYWmy0
「で、そのライブバトルがいつだって?」
「一週間後」
「お前ー塩崎ー☆」
「なんすか」
「急すぎるだろ☆ もっと容赦しろ☆」
「いやさ、はぁとはまだ知名度も何もないし、とにかく表に出るところから始めるべきなんだよな。そういう意味ではライブバトルは鉄板で、一気にファンも増えるだろ」
「だからってまだ右も左もわかんねーんだよ☆ もっと丁寧に扱えよ☆」
「じゃ、一緒に行こうか。まずは一週間レッスン詰めだから、副業とかやってたら言ってな。スケジュール組めないし」
「バイトとかやってるけど、止めた方が良い?」
「いや、とりあえず初回のライブバトルで様子を見よう。逃げ道を作っておいて損はないし」
「……そか」
「じゃ、千川さん。はぁと送ってきますのでよろしくお願いします」
「あ、はい。どうぞ行ってらっしゃい」
「いってきー☆」
39 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:23:03.00 ID:878XYWmy0
「ところで、はぁとってあだ名ですか?」
戻ってくるなり、千川さんはそんなことを聞いた。
「そうですね。もうかれこれ、十年以上名乗ってますね、アイツ」
椅子に座りながら、俺は答えた。
「しゅがーはぁとと呼べ、ってね。昔からそうでしたよ」
「……なるほど、佐藤心……昔からキツかったんですか?」
「……そうなりますね。昔は若さで補ってたんですが」
「昔はって」
くすりと笑う千川さん。
「ところで、今日は来ないんですかね、アイドル」
「他の子ですか。今日はしばらくすれば来ると思いますよ、レッスン入ってますし。もしかしたら、直接レッスン行くかもしれませんけど」
「そうしたら、佐藤さんと鉢合わせですね」
「……うーん、大丈夫かなぁ……島村……」
40 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:23:30.24 ID:878XYWmy0
「誰……?」
扉の隙間からそっと、レッスン室を覗きます。中には金髪の女性が一人。
トレーナーさんと二人で、何やらレッスンをしているようです。いやまあ、ここはレッスン室なので当然といえば当然なのでしょうけれど。
確か今日は、塩崎さんの担当するアイドルのレッスン日のはずです。であれば、私の知らない人がいるのはおかしなこと。普通ではありません。
というわけで、目下観察中なのでした。
41 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:23:56.58 ID:878XYWmy0
「おい島村。いるのはわかってるんだぞ」
「ひぇっ!」
思わず情けない声が出ました。
だって、まさかトレーナーさんにバレてるなんて思わなくて……。
「何してる?」
「えっと、観察を……」
「観察?」
「ああ、私のことでしょ☆」
私に気づいて、そう反応する女性。
綺麗な人でした。どこか派手な格好をしているように見えて、その実中身は地味な感じ。それが、私が彼女に抱いたイメージでした。
42 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:24:22.88 ID:878XYWmy0
「今日からアイドル候補生としてレッスンしてる、佐藤心だゾ☆ しゅがーはぁとって呼んでね☆」
「は、はい! よろしくお願いします、しゅがーはぁとさん!」
「……めっちゃ良い子☆ それに比べて、トレーナーさんは冷たいし……」
「いや、私にそのテンションは似合わないだろ……」
――熱意のある人だなぁ、と思いました。
やる気にあふれていて、元気で、常に笑顔。いや、たまに疲れた顔をするときもありますが、私が話しかけたときはいつも笑顔です。
レッスンだって真摯に取り組んで、失敗の数も回数を重ねるごとに着実に減らしていく。
努力の人でした。
43 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:24:53.06 ID:878XYWmy0
「ふぃ〜……疲れた……」
「お疲れ様。では今日のレッスンは以上、特に佐藤の技術もわかったので、明日からはそれを基本にメニューを組んでいく。島村もお疲れ」
「ありがとう……ございました……」
息も絶え絶え。だというのに、トレーナーさんは軽く汗をかいているだけで、決して息は切れていません。流石です。
「汗はきちんと拭けよ。風邪をひいてはいけないからな。じゃ、また明日」
と言って、トレーナーさんは部屋から出ていきました。
「……ねぇ卯月ちゃん、毎日こんなレッスンやってんの?」
「は、はい……大体こんな感じ、ですね……」
「マジか……今日は湿布祭りだな☆」
44 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:25:25.33 ID:878XYWmy0
「あ、そうだ。しゅがーはぁとさん」
「長いしはぁとでいいよ☆」
「はぁとさん。お幾つなんですか?」
「……26」
「えっ!?」
私と十歳近く離れていました。
「なんだよー、がっかりした?」
「な……なんで、アイドル目指してるんですか?」
「え?」
45 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:26:19.48 ID:878XYWmy0
それはどこか、失礼な質問だったかと思います。
もしかしたら、気を悪くさせてしまったかも。
そう思いましたが、それに対して――はぁとさんは、当たり前のような顔をして、答えました。
「世界征服☆」
「……ほえ?」
「世界征服が目的なんだよ☆」
「えーっと……」
魔王か何かですか?
「いや、支配したいってわけじゃないんだよ。ただ、世界中の全員が私を知ってて、それで心の片隅にでも私があれば、それは世界中の人間のハートを征服したってことになるだろ☆」
「……なるほど」
「だから、そういう意味での『世界征服』なの☆ みんなが考えるのは『世界支配』だもんな☆」
途方もない夢のように思えました。
私にはそれが、どうしても無理なような気がします。
けれど。
彼女なら、何故か出来てしまうような気がしました。
なんというか、見てきた夢の数が違うというか――折れた心の数が、違うというか。
46 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:27:22.61 ID:878XYWmy0
レッスンが終わると、はぁとが戻ってきた。しかも、厄介な絡み方で。
「おい塩崎ぃ〜、ごはん行こうよ〜☆ 行くぞ☆」
「一人で行けよ佐藤」
「げーソルティー……ってか佐藤って呼ぶなよ☆」
「俺は忙しいんだよ。ライブバトルの取り付けに、その他諸々の作業もな」
「いーじゃん、お酒飲もうぜ☆」
「お前レッスンとか色々控えてるんだから、体に気をつけろよな」
「はー、もういい。怒った。帰って寝る」
「おーそうしてくれ」
「じゃあな塩崎、また明日」
「また明日」
47 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:28:01.51 ID:878XYWmy0
「……今の会話は一体?」
「ああ、あの二人、幼馴染なんですって」
「あー、だから塩崎さん、いつもに増してあんなに口が軽くなっちゃってるんですね……」
「ええ。らしいです」
「……なるほど」
「ま、業務に支障がなければいいんですけどね、私としては」
48 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:28:34.11 ID:878XYWmy0
家路についたはぁとを見送ったあと、資料に目を通していると島村が声をかけてきた。
「ところでプロデューサーさん」
「何?」
「はぁとさん、昔から“ああ”なんですか?」
「……ま、そうだよ」
なんだか含みのある言い方だった。
確かに、はぁとのあの性格は慣れなくては厳しいものがあるだろう。
実際、あいつも昔からアレで苦労しているのである。
けれど、今更変える気もないのだろう。別に、俺だって変えてほしいわけじゃない。
「昔から“ああ”なのさ。それがはぁとの良いところ」
「仲良しさんなんですね」
「……そうかもね」
「ところで、はぁとさんは海外の方なんですか? しゅがーはぁとなんて、日本人じゃないですよね。髪色も薄いですし」
「……いや、本名は佐藤心だよ。「こころ」って書いて、「しん」って読むの」
「えっ、日本人だったんですか!?」
「……島村は純粋だなぁ。なんというか、汚れなき……」
「え、ええっ、恥ずかしいなぁ……」
49 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:29:11.19 ID:878XYWmy0
なんやかんやと日は流れ、ライブバトルを翌日に控えたその日。俺はふと気になって、レッスン室を訪ねてみることにした。本来、あまりアイドルのレッスンを見ることはしないのだが、その日はなんとなく気になって、ちら見することにした。
「……」
こっそり扉のガラス越しに、室内を見る。
そこでは島村とはぁとが、二人でレッスンをしていた。特におかしなことはない。トレーナーさんもいて、三人でリズムに合わせてダンスしている。
明日の課題曲は『お願いシンデレラ』。美城プロダクションからデビューしたアイドルはこの曲から始まる。トップアイドルである高垣楓でさえも、デビュー時には『お願いシンデレラ』で観客を沸かせたという。
当然室内から流れてくるのは、『お願いシンデレラ』である。
「……」
淀みのないステップ。まあ、俺の視点から見ても及第点である。見てくれが悪いというわけではない。むしろ、よくぞ一週間でここまで鍛えたものである。
だが。
俺はノックをすると、返事を待たずに部屋に入った。当然、三人が驚いた顔で俺を見てくる。
「どうした塩ざ……――」
「はぁと、足見せて」
「なっ……!」
「見せて」
50 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:29:50.67 ID:878XYWmy0
逡巡する彼女をなんとか床に座らせ、靴を脱がせる。それからやけに長い靴下を脱がせてみれば、そこには赤く腫れた足が隠れていた。
「……これは」
「我慢するの、得意だもんな。けど、これは我慢しちゃいけない痛みだ。わかるだろ?」
「……っ、それは」
「いいんだよ。怪我したなら言ってくれれば。捻挫?」
「……うん。変な捻り方、したかも」
「いつ?」
「一昨日。そっから毎日冷感と温感の湿布を使い分けてる」
「処置は流石だな。だけど、こんな状態で練習したら、時間が無駄だろう」
「……ごめん」
「俺じゃなくてトレーナーさんに謝れ」
「ごめんなさい」
「……あ、いや、いいんだが……」
51 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:30:23.02 ID:878XYWmy0
狼狽えるように後ずさるトレーナーさん。
「それにしても、よくわかったな、プロデューサー。私も一週間とはいえ、よく見ていたつもりだったんだが……」
「はぁとにしては動きは弱かったですからね。それに、長い靴下履いてる時は大抵足のケガしてるんですよ、こいつ」
「……お前、いつからだと……」
「はぁとが初めてそれをやったのは、中学生の時の運動会前日だ。覚えてるからな」
「……」
「いつまでだって覚えてるよ」
「……そ、そっか」
「うん」
ふと、はぁとを見る。
と、手で顔を隠された。
「なんぞ」
「こっち見んな」
「……いや、別に患部が見れればそれでいいんだけど」
はぁとの顔が見えないのは、別に問題ではなかった。
「おっけ。足だけ見てろ」
「おう。といっても、もう言うことはないけどな」
「……」
52 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:30:50.46 ID:878XYWmy0
「……ふむ。佐藤、確かに処置こそ適切だが無理はいかんな。明日は本番だが、お前の練習量はもう十分だよ。実際、こうして不調が現れるくらいにはな。今日はもう帰って休め」
「……いや、それじゃ」
「……?」
「それじゃダメっしょ。まだ足りてないんだよ」
「……」
「確かに、明日のライブバトルで最低限のパフォーマンスをやる分には、これで十分だろうけどさ……今帰ったら、私絶対に妥協する。甘えちゃう。だろうから……喰らいついてでも、ここで練習する」
汗が、ぽとりと落ちる。
弾ける結晶に映ったのは、決して砕けない不屈の意思。
「プロデューサーからも何か言ってやってくれ」
「……いや、はぁとの言ってることも一理ありますよ」
「おい、プロデューサー……」
「正論が常に正答だとは限りません。ただ、確かにこのままレッスンをするのも危険ですから……明日のイメージトレーニングなんてどうでしょうか」
「さっすが塩崎☆ 話わかんじゃん☆」
「うるさいぞ佐藤。じゃ、そこにホワイトボード使って俺と作戦会議しよう。その間、島村はトレーナーさんとレッスンを……」
「あ、いや……」
「?」
53 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:31:19.22 ID:878XYWmy0
「今重要なのは、きっと私よりもはぁとさんですから……はぁとさんのレッスンを、中心にできませんか?」
「島村……」
「卯月ちゃん……」
「島村……」
「あ、あは……なんて、少し高慢でしたかね」
「いや、ありがとな☆ 嬉しいぞ」
「いえ、どういたしまして。ただし、塩崎さん、一つ質問があるんですけど」
じぃ、と俺を見る島村。
その瞳に映っているのは、僅かな疑惑と、確信だった。少なくとも、俺にはそう感じられた。
「なんぞ?」
「あなたの夢って、なんですか?」
「……そりゃ決まってるだろ」
「……」
「世界征服だ!」
54 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:31:51.16 ID:878XYWmy0
翌日、ライブバトル当日である。
無論形式はランクアップライブバトル。
相手方のアイドル情報は基本的に当日に公開される仕組みになっているが、相手の顔を見て安心した。知らない顔である。知らないということは無名ということ。はぁとが相手するにしたとしても、互いに知名度なんて全くない新顔勝負。
加えて、僅かだが観客も入る。熱心なアイドルファンから、各種雑誌のライターや時間を余らせた一般人がやってくるのである。無料でこそないが、ここでアイドルの原石を見つけることに魂をかけているファンも、一定数いるのである。いわば美城プロのアイドルオタク、である。
これならばまあ五分五分といったところであろう。勝つにせよ負けるにせよ、大した心配はない。どちらかに観客の声援が偏ることもないだろう。
が、勿論個人的には、はぁとに勝ってほしいところである。
55 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:32:24.82 ID:878XYWmy0
「で、はぁと。足はどうよ?」
「んー、まあ不調かな☆」
ライブバトル開始一時間前、控室にて。
用意された(彼女の普段着から想像するに)控えめなコスチュームに身を包み、はぁとは足にテープを巻いていた。
「長い靴下あって助かったな。もしなかったら包帯って設定で行こうかと思ったけど」
「それははぁとのセンスじゃあねぇな☆」
「うん、お口は元気みたいだな。なら頑張れるか」
「おうともよ☆ 任せとけ♪」
「頑張るのは良いけれど、足を壊さないように。痛みを感じたら無理をしない。多分感じるだろうから、絶対に我慢はするな。無理だと思ったらライブを止めてもいい。ま、そんなことを言ってもお前は止めないだろうから、俺が止めに行くけど」
「……お前、ほんっとうに私を見る目が鋭いよな」
「何年来の付き合いだよ」
「……」
照れるように、ペットボトルを開けるはぁと。水をくいっと口に入れて、あくまでも含む程度の給水。決して飲みすぎず、だが水分補給は欠かさず。
「にしてもこの服、派手さが足りないよなー」
「お前が十分派手なんだから、安心しろよ。そうだ、ライブの前の自己紹介する時間あるから、そこでぐっと観客を掴め」
「え、マジで? このキャラで行っていいの?」
「あったり前だ。変にかしこまると後々困るぞ」
「……へっへー☆」
にやりと笑うはぁと。を見ながら、俺はほっと溜息をつく。
56 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:32:58.81 ID:878XYWmy0
「私はさ」
「……」
「昔からアクセルばっか踏んできた。道も考えず、ただ真っすぐに。進めたよな」
「……」
「お前が……塩崎が、時折ブレーキかけたり、道を正してくれたりしたからな。そういう意味では、感謝してる。すごく。今だって、こんな舞台を用意してくれて。規模は小さいし、観客も少ないけど……」
「はぁと……」
「くっそー!」
「っつぇ!?」
ばしん、と背中をたたくはぁと。もちろん、叩いたのは俺の背中。
57 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:33:27.71 ID:878XYWmy0
「ありがとな、塩崎っ」
「……どういたしまして」
びりびりと痺れる感覚が全身を伝う。懐かしい痺れだった。
彼女の肩に、そっと手を添える。安心させるように――それは、彼女を安心させるつもりなのか、自分を安心させるつもりなのか――優しく、手をのせる。
「……?」
「ここがスタートだよ。俺とお前の……約束の。ここからは、アクセル踏みっぱなしだ。俺が道を整えて、お前が走るだけ。あの頃と同じだよ」
そう言って、彼女の目を見る。
「お前、いつからそんな気障なこと言えるようになったんだよ……」
目を逸らされた。
58 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:34:03.51 ID:878XYWmy0
はぁとが舞台に立つのを確認すると、俺はひっそりと舞台袖を離れた。
なんとなく、見なくてもいいような気がしたのだった。不思議とハラハラしたりしない。不安でも緊張でもない。末端が冷えるような感覚も、中心が熱を分散させるような感覚も。
ただ、胸の奥に、じんわりと確信のような温かいものが、熱を持っているかのようだった。
俺は一足先にはぁとの控室に行って、椅子に座った。
そこで数回、息を整えるように深呼吸。気にはならなかったけれど、高翌揚はしているようだった。
しばらくすると部屋をノックする音が聞こえてきた。
「……塩崎さん。探しましたよ」
千川さんだった。
「大方舞台の裏にでもいるかと思ったんですけどね。探して回ってみれば、なんでもふらふらと幽霊みたいに控室に入っていったって話じゃないですか」
59 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:34:42.40 ID:878XYWmy0
「見ないんですか、初舞台」
「……少し、頭でも冷まそうかと思いまして」
「……確かにそうですね。言い方はアレですが……最近のあなたたちは、少し目に余りますから」
「……」
目に余る、か。
確かにそうなのだろう。事実、最近あまりにも情念に気をやりすぎている。感覚だけで動いているところは否定できない。
千川さんはそう言うと、部屋にカギをかけた。
「へ?」
カギ?
なんで?
「塩崎さん。女性と付き合ったことってありますか?」
「……ないです、けど」
「女性経験は?」
「ないです」
「でしょうね。あなたはどこか、女性不信の気がありますから」
「……」
何その言い方。
というか、何この雰囲気。
「なぜです? 昔、嫌な目にでも合いましたか?」
「……そんなことはありませんよ。というか、逆です」
「逆?」
「約束があるんですよ。昔のね。幼い子供の、ちっぽけなものですが……俺にとってはあまりにもでかくて、重たすぎる約束が」
60 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:35:09.01 ID:878XYWmy0
幼いころ。具体的は小学生の時だったか。
俺の知る“佐藤心”は、不登校児だった時期があった。
理由は複雑なものではなく、単純に学校での排斥が原因だった。いじめにあっていたとか、家庭内暴力の犠牲だったとか、そういうことではないのだ。純粋に、学校に馴染めていない孤独感。そこからくる苦痛。
それはもう、なるべくしてなったというか、多感で鈍感な幼児にはどうすることも出来ない、嫌悪感と自己中心感があったのだろう。クラスの人達にのけ者にされている佐藤心の背中が、そこにはあったのである。
俺はその背中を見ていた。小さく丸まって、部屋でうずくまっていた彼女を。
61 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:35:37.64 ID:878XYWmy0
ある日、プリントを届けに行った。見慣れた彼女の部屋では、ベッドの中でうずくまっているはぁとが一人、それだけだった。いつもの光景に見えた。
だが、いつも机の上にあったアイドル雑誌は無造作にゴミ箱に捨てられており、彼女のお気に入りだったノートは、無残に地面に散らばっていた。
「どうしたんだよ」
「……」
最初は答えなかった。
いつものことだった。
昔のはぁとは、こうだった。
「別にはぁとのものをはぁとがどうしようとも、それははぁとの勝手だけどさ。そのノート、俺と一緒に買ったものだったよな」
「いらない」
「いれよ。何のために買ったんだよ」
「もう、アイドルなんて目指さない」
「……」
「世界征服なんて、しない」
毛布にくるまり、くぐもった声が聞こえた。
「……」
「……」
「そっか」
62 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:36:14.29 ID:878XYWmy0
それだけ言うと、俺は机の上に持ってきたプリントを置いた。
実際のところ、俺にははぁとの痛みなどわかるはずもなかった。そんな中で「つらかったね」とか「がんばれ」なんて無責任なこと、言うべきじゃないと思っていた。それは今から思っても正しかったし、思えばそのころから十分に俺はソルティーだったのだろう。
「やめるのか」
「うん」
「あきらめるのか」
「うん」
「アイドル、ならないのか」
「……うん」
「じゃあお前は今日からただの佐藤心だぞ」
「……」
「……」
「……」
「嫌?」
「……それは、嫌かも……」
「でもアイドル目指してないお前はしゅがーはぁとじゃないだろ。ただの佐藤心だ」
「……」
63 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:36:44.78 ID:878XYWmy0
「別に説得しに来たわけじゃないし。好きにしてくれ」
「……うん」
「じゃあな、佐藤」
「……もう、呼んでくれないの?」
「二度と呼ばない。一生佐藤って呼んでやる」
「……それは」
「嫌か?」
「うん……」
「でもきらきらしてないお前はただの佐藤だよ」
今思ってもひどい言い方だった。言いがかりにも近かった。けれど、その時俺が感じた失望を、無慈悲に投げつけるほど子供でもなかった。選んで吐き出した言葉だった。
「……はぁとって呼んで」
「嫌」
「はぁとって呼んでよ、しおざきぃ……」
「……」
俺は彼女の気持ちを察せるほど、女性を理解しているわけではない。彼女が何を思ってそう言ったのかはわからなかったし、そのままの彼女をはぁとと呼ぶ気もなかった。
意地を張っていたのだと思う。
「しおざき……」
64 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:37:25.91 ID:878XYWmy0
「別に学校に来たくなきゃ来なけりゃいい。それでいいんだよ。けど、俺が……その……えっと、好きだったしゅがーはぁとは、こんなに弱いやつじゃ、なかったぞ」
「……」
ずぼ、と毛布から顔だけを出すはぁと。顔は真っ赤で、涙と鼻水でずぶ濡れ。息も絶え絶えで、上手に呼吸出来ているようではない。
「やだぁ……」
「何泣いてんだよ……」
「……やだやだぁ……」
泣きじゃくるはぁと。そんな弱々しいはぁとは、久しぶりだった。
「……俺だって嫌だよ」
「くぅ……っそ……ぉ、よ……」
「……」
「よくも、あいつらめ……!」
「……」
「私の夢は、世界征服だもん……クラスの子たちなんて、大嫌いだもん……」
「俺も、そんなに好きじゃねーよ」
はぁとのことを、悪く言うやつは。
「許さないもん……絶対に、見返してやる……わたし、アイドル……なるもん……」
支離滅裂なセリフ。だが、それがはぁとの思いだったのだろう。願いだったのだろう。
――絶対に許さない。絶対に報復してやる。目にもの見せてやる。
ふつふつと湧き上がる情熱の怒りを、燃やしているようにも見える。
65 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:38:13.35 ID:878XYWmy0
別にクラスメイトからいじめられていたわけではない。ただ、彼女特有の濃いキャラが、段々クラスで浮き始めたというだけだ。そして、気づいたら居場所がなくなって……落ちるところまで、転がるように落ちてきた。
見上げる場所には、クラスメイトがいる。もとは同じ場所に立ってた連中だ。勝手にはぁとが転がり落ちただけだということは明白――だが、彼女はそれを燃料に立ち上がる。
見下しやがって。見下ろしやがって。よくもそんな目で見たな。絶対に引きずり落としてやる。将来トップアイドルになって、私をハブったことを後悔させてやる。
逆恨み上等のルサンチマン。歪んだ怨念をエネルギーに変換して、前に進もうとする爆弾みたいな女。
佐藤心は、昔からそんな女だった。
毛布から這い出たはぁとは、地面に散らばったノートの破片を拾い集めた。
「ごめん塩崎……破っちゃった……」
「……」
泣きながら、呼吸が崩れながら、彼女は紙切れを集める。
「いいよ、別に。もう一回描けばいいよ」
破片をつなぎ合わせると、拙いタッチで描かれた衣装案が描かれた。頭の上には輪が乗っていて、砂糖菓子のように甘いロリータ。背中にはやけに大きな羽が描かれていて、ツインテールの女がそれを着ている。
「何回だって描けばいい。破るたびに、描けばいいよ」
「うん……ごめん……」
「いいって。もう泣くなよ」
66 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:38:53.73 ID:878XYWmy0
俺自身、はぁとが泣くという事態は正直かなりの驚きだったのである。
どんなことが起きても飄々としていた彼女が泣くなんて、よっぽどのことだったのだろう。実際、いろいろ彼女にも溜まっていたところがあるようだった。
「ねぇ塩崎、約束してよ」
「何を?」
「私を、アイドルにして」
「……なんでそれを俺に言うんだよ」
「塩崎が私を“ぷろでゅーす”するんだよ。今までは横だったと思うけど、これからは後ろから」
「ぷろでゅーす……」
「アイドルにして、世界で一番有名になる。で、世界征服もする。そのぷろでゅーすを」
「……ふぅん」
「……やって」
「いいよ」
即答した。その記憶は、やけに鮮明に覚えていた。
彼女のその問いに、希望や志のような……暖かく明るい、展望が見えた気がしたからだった。
「俺がお前をぷろでゅーすする。で、お前がアイドル。いや……」
「……?」
「トップアイドル。に、なる。それで世界征服だ」
「――……うんっ」
67 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:39:23.86 ID:878XYWmy0
「……とまあ、そんなことがありましてね。縁が長いとは言いましたが、言ってしまえば運命みたいなものですから」
「……ふぅん」
と、怪訝そうな表情の千川さん。
「何やら、昔は結構ずかずか言う性格だったようですね。それとも、佐藤さんにだけ?」
「……色々あるんですよ」
「色々、ね」
反芻して、かみ砕くように言い直す千川さん。
「ま、確かに誰にでも……色々、ありますね」
「そういうわけで、俺はほかの子に色目を使っていくわけにはいかないんですよ。それに、佐藤の件もあって……なんていうか、ミーハーな女の子が、若干苦手に思っているところもありますし」
「結局女性不信ではあるんですね」
「……」
「見栄張りましたね?」
「はい」
見抜かれてしまった。
いや実際、陰湿でこそなかったにせよ、あれほど徹底的に排斥しようとする幼女性陣の暗い恐怖のようなものは、今でも思い出せるほど鮮明だった。確かに俺自身、アレを怖いとは、今でも思っている。そういう意味では、女性不信というのは決して否定できない事実だった。
言い訳するなら、差別とかしないで、ありのままを受け入れてくれる女性は好き。
68 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:39:54.02 ID:878XYWmy0
「お互いラクじゃありませんね……まったく」
吐き捨てるように言って、千川さんは扉の鍵を開けた。
「……なんで閉めたんですか?」
「色々あるんです」
「色々って……」
そんな曖昧な。
「あなたが色々思うところがあるように、やはり私にも思うところがあるのです。考えて、困るようなことがわんさかね」
「……そうですか」
「それに――」
ノブを持つ。くるりと捻る。
「――男女が密室ですることなんて、相場が決まっているでしょう?」
「……ちょっ」
――がちゃん。
69 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:40:26.80 ID:878XYWmy0
俺が初めて千川さんと出会ったのは、大学卒業後、美城プロに就職してすぐのことだった。俺より二歳年上だという彼女は事務員をしており、入社後即プロデューサーという地位を与えられた俺に、何かとよくしてくれた。
美城プロダクションは、アイドル育成のための事務所が社内に幾つかあるという性質から、排他的なところがある。ようは、縦でこそつながっているが、横ではそれほど強固なつながりはない。無論、隣部屋の相手に蹴落とされる可能性があると考えれば、やはりそれもやむなしなのだろうが。
ともかく、そういったやけに息苦しい空間で、千川さんは俺の面倒を見てくれたのだった。
担当するアイドルも、昔から養成所でレッスンをしていたという島村卯月をこっそりオーディションに選んでくれ(しかも好ましい性格の女性である!)、俺のレベルに似合う仕事を持ってきてくれたりもした。
頭を下げても下げたりない、尊敬すべき人間である。少なくとも、そう思っていた。
70 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:40:55.58 ID:878XYWmy0
「……マジか」
そういうことを考えたことがなかった――というわけではなかった。
例えば、彼女との逢瀬を年甲斐もなく想像してみたこともあった。意味もなく、彼女を見ながら彼女が欲しいなぁ、なんてことを考えたこともあった。
しかし、いざこういった好意を向けられて見ると、どうしたものか対応に困るところもあった。
「……ってか、アレは好意なのか?」
わからなくなってきた。
けれど確かな事実は、彼女の行為に残っていた。
71 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:41:23.80 ID:878XYWmy0
(あーやばい。めっちゃ恥ずかしいしましたね)
壁に背を預け、ずりずりと落ちていく。ぴたりと床にお尻がつくと、スカート越しでもひんやりして心地が良い。勢い上がってのぼせそうな体温を下げるのは、ちょうどよかった。
(っていうか逆レイプですよアレ……セクハラだ……)
自分が嫌になる。嫉妬だとか、そういうこと。醜い気持ちの片鱗を、彼に見せてしまった自分が恥ずかしい。
ようは怖かったのである。彼を取られることが。
初めは、なんだか要領の悪い後輩だな、と思った。
しかし、情報を与えるだけ吸収し、次の事象に備える律儀で高い能力も持っていた。自分が振った仕事は難なくこなしてきて、挙句こっちの心配までしてくるという仕事人間。気が付けば要領の悪いというより、どこか不器用な人間だと思っていた。どこか引っ込み思案で緊張しやすい体質なのに、大事なところは前のめり。目標が見えればまっすぐ進み、止まることはない。
そんな彼を、上から見ているつもりだった。
けど気が付けば、後ろから見ているようだった。
そして、ふとした時に気が付いたらなんとなく好きになっていた。
72 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:41:55.15 ID:878XYWmy0
好きになることに理由なんてないのだろう。実際、彼のどこが好きかなんて、私自身よくわかっていない。なんとなく好きなのだろうけれど、確実に好きなのである。
だからある日、ふと見た前方で、彼の横に女の影見えたとき、途方もない焦燥を感じてしまった。
アレは、やばい。
きっとアレが――彼の“目標”だ。
アレに、彼を取られてしまう。それは嫌だ。言葉には出来ないけれど、なんとなくもやもやした感情が自分を覆っている。不安や不信といった諸症状が自分を襲ってくる。
だから、あんなことをしてしまった。
(うぅぅ〜……あんなはしたないこと……っていうか色々、失敗したぁ……)
しかも結局行動はできなかった。
それが、自分と佐藤心との間にある溝なのだろう。そしてそれは、自分と彼を分ける隙間。
「悔しいなぁ……」
それが、今の感情だった。だってそうじゃないか。
自分だって塩崎さんが好きだ。だっていうのに、あとから現れて過去の話とかし始めて正妻ぶりだすのは卑怯だ。ずるい。
けれど、そう考えてしまう自分だって、ずるいはずだ。
卑怯な女。ずるい女。それはどっち?
73 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:42:22.07 ID:878XYWmy0
「何が悔しいの?」
「……えっと、それはですねぇ……」
「うんうん」
「――って、佐藤さん!?」
「何が佐藤だよ☆ しゅがーはぁとって呼べよ☆」
「ら、ライブバトルはどうなったんですか?」
「ん? もう終わったよ?」
「結果は?」
「勝ったよ。当然じゃん☆」
「……」
そんな、なんでもなさそうな声音で。
74 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:42:51.11 ID:878XYWmy0
「なんせ夢は世界征服だからな☆ こんなとこで躓くわけにはいかねーっしょ☆」
にこりと笑う佐藤さん。その表情は、やけに晴れやかで――私は、とても嫌になった。
「で、何が悔しいのよ☆」
「……なんでもありません」
「なんでもないってこたーねーだろ☆ 思わず廊下で、隣に私がいるのにも気づかず、ついため息を吐いちまうなんて、何かあるにきまってるだろ☆」
「っ……」
す、鋭い……。
「で、何用? それとも、私には言えないような悩み? それか――私についての悩み?」
「……」
「っぽいな……ごめん。やりすぎたか。じゃ、私先に控室に行ってくるから」
「いや……待ってください」
思わず、彼女の手を取ってしまった。
感じたのは、やけに冷たい彼女の手――よりも、更に冷たい、自分の手。
緊張、していたのか。
あの人みたいに。
「……」
「やっぱり、聞いてください」
75 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:43:22.25 ID:878XYWmy0
気が付いたらはぁとのライブバトルは終了している時間だった。
だというのに、彼女が一向に控室に帰ってこないものだから、俺は自ら探しに行くことにした。
探すのは大変ではなかった。むしろ、扉を出て、少し歩いて廊下を曲がった先に、二人はいた。人気のない廊下に、二人で床に座って、何やら話している。
もうすぐ衣装の返却の時間だぞ。
言おうとして、止めた。
千川さんが、泣いていたからだった。
「……」
初めて、彼女が泣いている光景を目にした。衝撃的な情景に、思えてしまった。
だから思わず、角に隠れる選択をした。そこに、俺がいることが間違えだったように思えたからだ。
「……で、言いたいことは終わり?」
「……はい」
「そっか。じゃ、要求とかある? 私にしてほしいこと」
「それは……」
「なんかある?」
「特には、ないです。聞いてくれただけで、もう」
「……そっか。じゃ、私はもう行くから」
76 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:43:52.04 ID:878XYWmy0
立ち上がり、こっちに歩いてくるはぁと。
やばい、バレる。急いで戻ろ……。
「おーい、塩崎☆」
「……げっ」
バレてるし。
「バレてないとでも思ったか、オイ☆」
「……思った。で、どうしたんだよ」
「ちっひーから色々聞いたゾ☆」
「……おう」
「結論から言うと大したことじゃない。私は……はぁとは、淡々とアイドルをやるし、ちっひーは事務員。塩崎はプロデューサー。後のことは、世界征服やってから考えればいいんだよ」
「ま、そりゃ端的に言えばそうだが……千川さんは、それで納得するの?」
「納得させた。人間二人いりゃあ意見は割れるもんよ。必要なのは割れた意見のすり合わせ。異なるモノを合わせることより、寄らせることだゾ☆」
「確かにそれは正論だけど、正論が正答とは限らないだろ」
「いーんだよ。納得させれれば」
「……」
「なんか変な目だな☆」
「いや……どうしたもんかなって」
「だったら直接話せよ。その方がいいだろ」
「……それもそうだけど」
77 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:44:29.60 ID:878XYWmy0
……いや、ここでじっとしていても何も始まらないか。
前に出るしか、ないのだろう。
俺は千川さんの隣まで歩いて、そっと足を止めた。音が、やけに大きく感じた。耳を澄ませば遠くからは帰ろうという観客の声が聞こえてくる。機材を扱っている人の声も聞こえる。音は、止むはずもない。
この廊下はもとより人気もない。控室から、さらに一本離れた廊下。やけに入り組んだ作りをしているから、そもそも使う人もいない。
つまり、好都合である。
「……塩崎さん」
「なんですか」
「私、あなたのことが好きかもしれません」
「……ありがとうございます」
ぼろり、と大粒の涙が床に落ちた。ふと尾引いた線が、煌めいて映る。
78 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:45:00.26 ID:878XYWmy0
「それで、どうしたんですか」
「私、あなたが佐藤さんにとられるの、嫌かもしれません」
「……それは」
「付き合ってください」
「……」
「だってそっちの方がいいはずです。佐藤さんはトップアイドルになるんですよね。だったら、プロデューサーとの恋愛なんてスキャンダルです。私なら、職場内恋愛で済みますし」
「打算的ですね」
「……ええ、そうです。私は、卑怯な女なのです」
「ありがとうございます、千川さん。交際ですが、まじめに検討させてください」
「はい……えっ?」
俺を見上げる千川さん。まさにびっくりしました、みたいな顔である。
「オイ塩崎ちょっと待てやァ!!!!」
「落ち着けはぁと」
「お……おま、こんな時にはぁとって呼ぶな!」
「ただ、まだ結婚とかは全然考えていないので、あくまでもお互いを知るところから始めましょう」
「わ、私はどうするんだよ! 私の関係は!?」
「確かに俺ははぁとのこと好きだけど、別に付き合いたいとかそういうわけじゃないし」
「マジで!? 付き合いたくないの!?」
79 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:45:42.98 ID:878XYWmy0
「いや付き合いたくないわけじゃないけど、なんていえばいいのか……もはやそういう話じゃないでしょ、俺たち」
「じゃあなんだよ!」
「熟年夫婦的な」
「っ……!」
「別に今さら付き合うとか……ねぇ?」
「ちょ、ちょっと待ってください。塩崎さん」
「なんですか」
手を挙げて俺を制止する千川さん。
「……文通について、どう思います?」
「良い文化だと思いますよ。そうですね、恋愛の基本ですよね。まず文通から始まる恋もあって然りだと思いますけど
「佐藤さん、この人って昔からこんな感じなんですか?」
「……うん。そういえば、昔も知人に恋愛相談を受けて、ラブレター書くのを勧めてた」
「……」
80 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:46:08.23 ID:878XYWmy0
「ってか塩崎……もしかして、文通→交際→結婚、みたいなこと考えてる?」
「いや、そこまでじゃないけど。流石にもっとイベントは多いでしょ」
「基本構造はそうなのかよ! お前いつの時代の人間だよ!」
「現代だけど……」
「精神構造の話だよ!」
「っていうか塩崎さん、なんというか……そういえば、恋愛経験もないんでしたね」
呆れた表情の千川さんが、やけに強く視界に入る。っていうか、言い方ひどくない?
「前言撤回です。交際については、先送りしてもらって構いません」
「……はぁ。千川さんがそういうのでしたら」
「なんというか、呆れました」
「……はぁ」
「っていうか塩崎、なんでずっと千川さんって呼んでるの?」
「千川さんは俺の先輩だから」
「嘘ォ!? 同期かと思ってたわ!」
「あー……もういいですよ、その口調で。なんか慣れてきましたし」
「あ、そう? よろしくなーちっひー☆」
「やっぱり前言撤回で」
81 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:46:43.09 ID:878XYWmy0
しばらくすると、はぁとの活動も落ち着いてきたのか少しずつ仕事が入ってくるようになってきた。
そういう意味で、落ち着いたのである。前のように生き急いだようなレッスンを入れる必要はなくなったし、俺もプロデューサーとして島村さんをプロデュースする余裕が出てきた。
それに、変わったこともある。
「珈琲飲みます?」
「あ、どうも。ちひろさんは紅茶ですか?」
「はい。最近ハマってまして」
少しずつ、前に進んでいるような気がする。だからきっと、これは良いことだ。
と思ったら部長に呼び出された。
82 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:47:30.83 ID:878XYWmy0
「最近とあるプロデューサーが街に出てね。ある女の子をスカウトしたんだ。彼女が気が強く、若い割にはよくできた女の子だ。そして君は最近余裕も出てきただろう、波に乗っているというか、色々慣れてきたところもあるだろう。そこで……」
「……俺が、その子をプロデュースすればいいってことですか?」
「うん、そうだね。よろしく頼むよ」
「……ま、まあ多分大丈夫です」
一応、最速で世界征服を考えていたわけだが……ま、こういったアクシデントや停滞はつきものだろう。むしろ良い障害になるはず。俺自身が成長出来るのは良いことだ。
「ところで、その子の名前はなんて言うんですか?」
「橘ありす。どうにも、ありすって名前が嫌いらしいから、橘と呼んであげてくれ」
83 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:48:00.39 ID:878XYWmy0
三人目のアイドルは少女というよりも童女であった。
美しい黒髪にロリータの似合う雰囲気。理知的で、どこか大人っぽい彼女に見え隠れする子供っぽさが売りである。実際礼儀正しいところもあり、大人っぽいというよりも子供っぽくないという方がそぐうかもしれない。
無論俺もプロデューサー。相手がどんな性格でも全力を出す人間だ。彼女との相談の中で、二人で折り合いをつけながらプロデュースの方向を定めていく。何よりも個性を伸ばすというのは大切なことである。まあ、俺の苦手なタイプではないこともあり、多少はやる気が出ていた。
「大人っぽい仕事をお願いします」
と思ったらこれだった。
「……というと、例えばどんな仕事?」
「握手会とかそういうのじゃなくて、もっと歌の仕事やモデルとかです。バラエティ番組なんかはキャンセルしてください」
「……」
マジで?
きつすぎるでしょ。
「えーと、ありすちゃ……」
「橘です」
「……」
「……」
84 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:48:27.71 ID:878XYWmy0
「橘さん」
「はい」
「流石に知名度のない君を、しょっぱなからモデルとして起用するのは無理がある」
「はい」
「そこで、下積みとしてもっと小さな仕事からだね」
「嫌です」
「……」
「私は歌とモデルをしに来たんです」
……そうか、彼女はスカウト組か。
プロデューサーに直接スカウトされてやってくるアイドルは、たまにこういうのがいるらしい。ようは、言い方こそあれだが自惚れているタイプ。そもそも可愛い子しかスカウトされないのだから、こうしてスカウトされてくる子は大方が可愛いと言われなれた子たちなのである。故に自尊心も強く、いわゆるこういった子が来る可能性も高い。何より、美城プロダクションのプロデューサーに直接スカウトされたという事実が、それに拍車をかける。
ようは、オーディションを受けてアイドルになろうとする者たちとは、根底から違うのである。加えて相手はまだ年端もいかない子供……いや、どうしたものか。
85 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:49:07.54 ID:878XYWmy0
「……とにかく、俺の担当アイドルである以上、従ってもらうことには従ってもらうよ。まずしなくちゃいけないこともあるし」
「なんですか?」
「宣材写真。予約もしてあるから、もうすぐしたら撮りにいかなきゃいけない」
「そうですか。ともかく、なるべくバラエティなんかはキャンセルの方向でお願いします」
「……」
うーん。
なんというか。
困ったことになったな。
86 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:49:36.55 ID:878XYWmy0
しばらくすると、はぁとが事務所にやってきた。抑え目ではあるが、いつもと同じ派手な服装に派手な格好。若干、橘さんが引いていた。
「おっす塩崎ぃ☆ 撮りに行くんだろー?」
「おはよう。そうだよ、はぁとは同じ場所で雑誌のモデル」
「いやー、はぁとのスウィーティーな体型がようやく世間様にお披露目ってわけだな☆」
「ま、あくまでもメインは服だから、そこまで気張らなくてもいいぞ。場合によってはツインテで行けるかもしれないけど、大方髪下ろせって言われるだろうよ」
「……ま、それも致し方ねぇよな☆ どうせ写真だし、変に目立ってこれから呼ばれなくなる方がまずいし」
最近のはぁとは間違いなく成長していた。少なくとも、昔の猪突猛進で後先を考えなくなったころからは考えられないほどに、色々なものが見れるようになっていた。
87 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:50:10.74 ID:878XYWmy0
「ところで、その子は?」
「ああ。今日から俺が担当することになった、橘ありすちゃん」
「橘と呼んでください」
「おっす、よろしくなありすちゃん☆」
「……」
「私は……しゅがーはぁとって呼んでね☆」
「プロデューサーさん、この人誰ですか」
「えっと……佐藤心。一応君の先輩。はぁとって呼んであげてね」
「佐藤さん」
「……」
強いな、こいつ。
88 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:50:39.27 ID:878XYWmy0
「えっとぉ〜、ありすちゃん☆」
「橘です」
「……」
「……」
「塩崎」
「なんぞ」
「これマジ?」
「マジだ」
「……」
「なんですか」
「やばいな、なんか」
89 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:51:13.39 ID:878XYWmy0
時間になったので、二人を連れて社内を歩き回る。ここまで会社自体が大きなものだと、撮影から録音まで、何か何まで自社内で行えるのはかなり楽である。無論端から端まで歩けばかなりの距離になるが、エレベーターなんかを使えば、端にある事務所から撮影室まではすぐだ。
だが、今はその短い時間さえつらい。
「……」
「……」
「……」
気まずい。
言葉にできない気まずさを抱えながら、俺たちは三人撮影室まで向かう。
はぁとは雑誌の撮影。最近になって入るようになった仕事のひとつである。表紙でもメインでもなんでもないが、彼女の理想的なプロポーションはそれなりに人気であり、黙っていれば可愛いことも相まってモデルの仕事もじわじわ増えていた。
このままいずれは表紙を飾ってもらいたいものだが、とにかく。
無言のまま歩いて、撮影室についた。一旦顔を出して、それから衣装さんや化粧さんと化粧室でメイク、というのが流れである。また、同じ部屋の別の場所で橘さんの宣材写真の撮影も行うため、今回は二人とも同じ部屋である。
無名であるため致し方ない。というより、むしろ部屋をくれるだけ好待遇なように思えた。
90 :
◆V1gN/9sbLo
:2018/11/18(日) 22:51:40.44 ID:878XYWmy0
「じゃ、俺は挨拶に行ってくるから。二人とも、呼ばれたら元気よく愛想よくカメラさんに従ってな」
「あいよ☆」
「わかりました」
二人をその場に残すのは若干の不安があったが、流石にアイドルを侍らせて挨拶周りというのも失礼だろう。俺は早足にその場から消え去ると、まずはやってきた雑誌の企画長のもとへ向かった。
「……」
「あー、えっと。アイドル事務所の塩崎です。今日はよろしくお願いします」
「ん? ああ、よろしくね。今日は」
「どうかしたんですか?」
「それが、困ったことになってね。今日撮影するはずだった子が、来てないんだよ」
「それは困りましたね。誰ですか?」
「城ケ崎莉嘉。なんでも、渋滞に巻き込まれちゃったとかで」
「それは……仕方ないですね。代役はいますか?」
「いや、呼んでないんだよ」
「……」
「どうかしたかい?」
「だったら、うちの橘はどうですか?」
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