何も無いロレンシア

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57 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:10:34.35 ID:zJUkddjZ0
>>55
>>56
訂正
〇フィアンマ
×サウザンド
途中で名前を変更したのに、変え忘れていました
58 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:22:11.74 ID:zJUkddjZ0
 ロレンシアはドアを蹴破るや否や、身に着けていた黒い外套を前へと投げ飛ばしていた。武器は無い。必要無い。この至近距離で、プレートメイルを身に着けた鈍重な相手に必要なのは剣では無い。

 自ら投げた外套の下をくぐるように行われた低空のタックル。重い甲冑を身に着けた大男を一度倒した後、立ち上がるのを許すほど“何も無い”ロレンシアは甘くない。

 二人の動きを横手から見ていたア―ソンはロレンシアの勝ちを確信し、残ったロレンシアをどう処理するか半ば考え始めていた。

 故に、外套で視界を遮られていたフィアンマが、足払いの要領でロレンシアの顔目がけて石突を繰り出した事はロレンシアではなくア―ソンの方が驚いた。

 フィアンマの判断は迅速で、そして正確だった。

 外套で視界を遮られているのはロレンシアも同じこと。外套ごしの正確な距離がわからない状態で、剣でプレートメイル相手に有効打を放つのはロレンシアであっても至難の技であることを瞬時に計算し、フィアンマはロレンシアの狙いが組討ちであると読んだ。そして外套を投げつけるという上方へ注意を逸らす手段を取った以上、残された選択肢は一つだけだった。身長一七〇半ば、体重およそ七十五の革鎧を身に着けた男が繰り出す最高レベルのタックルを脳内で描き、その顔面があるであろう場所めがけて石突を放ったのだ。

 奇策で距離を詰め、槍の距離では無くしたロレンシア。一方後手に回りはしたが、迅速で正確な判断で迎撃を行うフィアンマ。

 ロレンシアが薙ぎ払いで吹き飛ばされてから、わずか数秒で起きた攻防。天秤はどちらにも傾きはしなかった。

 ロレンシアは石突で頬を打ち払われたが、咄嗟に放たれたものであったため本来の威力ではなく、顎骨が折れるにとどまった。勢いは減じたものの、そのままフィアンマの足へと飛びかかる。

 一方のフィアンマは右足を大きく後ろに後退させ重心を下げる。

 フィアンマの押し潰そうとする動きにロレンシアはひるむことなく、ふくらはぎと膝裏を掴みつつ勢いのまま肩で相手の上半身を押しやった。

(……ッ!? そうか、コイツは!!)

 ロレンシアと接触したフィアンマに身の毛がよだつ感触が生じる。直感的にロレンシアの痛覚がほとんど無いことを悟ってしまった故に。

 状況は拮抗していた。体重と力はフィアンマが上なことに加えて、ロレンシアは右腕の骨にヒビが入り、顎骨が折れた衝撃で視界もぶれている。だが体勢はロレンシアが有利で、軽くは無いダメージもロレンシアに痛覚はほとんど無く、視界のぶれも組討ちに持ち込めたため悪影響は少ない。さらにフィアンマのすぐ後ろは階段のため下がれないという、位置による優勢もあった。

 このまま押しやって階段に突き落とそうとするロレンシアに、槍を持ったままフィアンマが肘を腰目がけて打ち下ろそうとした時だった。

 いくつもの修羅場をくぐり抜けていた両者は、周囲の異音からこのままだと共倒れになることを察し、同時に力を抜く。

 組討ちに入って以降、深緑の蛇たちは漁夫の利を狙うために襲いかかることを止め、その代わりに発生源であるア―ソンから増え続け、二人の周りを蠢きながら囲っていた。そして絡まり、噛み、喰らい、入り込み、巣食おうと虎視眈々とその機を狙っていた。そして気が逸ってしまった。

 “深緑”のア―ソン。魔に心を呑まれて二年になる。魔に心を呑まれてからは何十という争いを経験した。しかし元々は村はずれで暗く陰気な想いを抱えていた一人の男にすぎず、生物としての強さは圧倒していたが、技術や経験値は残る二人に比べて大きく劣っていた。そして襲うべきではないタイミングで、蛇たちをけしかけてしまう。

 その瞬間、フィアンマとロレンシアは互いに向けていた力を全て周りにぶつけた
59 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:22:44.75 ID:zJUkddjZ0
 フィアンマは蛇を処理するにあたって、槍を直撃させずかすめる方法をとっていた。なぜなら床や壁をつたう蛇に直撃させれば、瞬刺殺の尋常ではない威力の余波が建物を傷め、自分にとって優位な戦場を失ってしまう可能性があったからだ。

 だがそれを抜きにしても、“深緑”のア―ソン“血まみれの暴虐”フィアンマ、そして“何も無い”ロレンシアという規格外同士の戦いは、開始から一分に満たない間に建物へかつてない衝撃を与えていた。そして今、戦いの余波ではなくフィアンマとロレンシアが建物の破壊を目的として、そのあらん限りの力を床に放つ。

 二人のいた周囲の床は、フィアンマが瞬刺殺を放つための踏み込みで特にダメージを受けていた場所でもあった。前後左右のみならず、天井からも含めて百を超える蛇がその身をくねらせ迫る中、軋む異音と共に二人は落下する。蛇たちも一点の穴に流れる水のように二人へ続くが、先ほどまでとは違い囲んでいるわけではなく、同じ方向から固まった状態での襲撃など二人にとって脅威ではなかった。

 その身を宙に躍らせながらロレンシアは腰から剣を抜き放つ。足場が無く力を乗せられないなかで、剣と技の鋭さで蛇たちを次々と捌く。

 同じく宙に舞いながらフィアンマは、上半身の捻りと腕力のみで皆殺朱を振るい蛇たちを貫き、あるいは殴[ピーーー]る。その余波は遠慮なく天井と壁に襲いかかる。

 そしてフィアンマの長い足が、ロレンシアよりほんの少し早く一階の床につき――それと同時、地に足が着く寸前のロレンシアへと強力な薙ぎ払いを放つ。狙いを読んでいたロレンシアは剣の鞘を腰から外し、剣と共に二重で受けたがその衝撃はすさまじく、すでにボロボロであった壁を突き破って外へと放り出された。

 矢のように吹き飛ばされ、ロレンシアは三軒離れた木製の小屋に貼り付けとなる。宿屋の騒動に何事かと離れて見守っていた付近の住人たちは、まさか中から飛んできた物体が人間であったとは思わず貼り付けの罪人の姿に目を剥く。そこからさらに、即死もあり得るほどの勢いで貼り付けになった男が、何事も無かったかのように淡々とめり込んだ壁から体を抜く光景は驚くを超えて恐怖すら覚えた。

 倒壊による轟音が鳴り響く中で、傷だらけの罪人が大地に降り立つ。

 ロレンシアは握りしめたままであった鞘を投げ捨てつつ、自分が飛び出たことを契機に崩れ始めた宿屋へと険しい目を向ける。そして手を何度か握りしめて正常に動くかを確認しつつ、これといった気負いも見せずに再び戦場へと歩きだす。

 誰もロレンシアに声をかけることなどできなかった。

 自分の傷への無頓着さ。それにも関わらずあふれる殺気。殺気があふれているにも関わらず、悠々とした歩き。どれもこれもが繋がりがない。

 痛いから傷つけられたから、怒りと憎しみを抱き、殺気が増すのではないのか。殺気が増したのならば、その歩みは自然と荒く速くなるのではないか。

 幽鬼の如き目の前の存在を疑う不確かさと、切っ先の折れた刃のようにそれでもなお残る不穏さを、住民たちは一目で無理矢理わからさせられたのだ。

 一方で木くずと砂煙が舞い降るなかで、瓦礫の破片を踏みしめながらロレンシアを待ち受ける二人は納得していた。

 なるほど、これが“何も無い”ロレンシアなのかと。
60 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:23:39.07 ID:zJUkddjZ0
 フィアンマとア―ソンの武名や悪評は、残酷さや血生臭さ、そして嫌悪と恐怖無しには語れないものだった。

 対してロレンシアのそれは二人のそれとは趣が異なり、不可解な不穏さを感じずにはいられないものであった。

 トロイメライ城消失事件の主犯にして、嘆きの谷を血染めの滝に変えし者、三度にわたる幻影の騎士の殺害。調べれば調べるほど謎が増える事件に関わっていることが一度や二度ではないのだ。

 納得する一方で、ア―ソンはロレンシアよりフィアンマの方をより脅威であると見た。

 ロレンシアは確かに強い。だがその力と剣では、自分に致命傷を与えるために何十と立て続けに斬りつけなければならない。一方でフィアンマの瞬刺殺は直撃をもらおうものなら体の半分は消し飛びかねなかった。

 そのフィアンマはというと、たとえ驚異的な再生力をもっていようとも瞬刺殺なら問題なくア―ソンを葬れることはわかっていたため、ロレンシアの方に重きをおいていた。ア―ソンより素早く、さらに瞬刺殺をさばく技術もある。とはいっても、戦場は屋内から屋外へと移り変わった。崩れた建物の残骸の下に、いつの間にか深緑の蛇が潜んでいないかを気にする必要はあるが、長柄の武器が真骨頂を発揮する場所だ。左右の動きが制限される狭い廊下も悪くはなかったが、いよいよ皆殺朱を縦横無尽に振り回すことができる。瞬刺殺をさばく難易度はさらに跳ね上がり、ロレンシアといえどもほぼ不可能な領域となる。

 一方でフィアンマには懸念があった。それはア―ソンの異常で、ロレンシアの不可思議な耐久力だ。フィアンマとて体力には自信はあったが、人間を止めたア―ソンの持久力と再生力にはかなわない。そしてこれは推測交じりではあったが、ロレンシアには痛覚がほとんど無いことに加えて、疲労という概念が無いのではという疑いがあった。その気になりさえすれば、何十時間と死ぬまで走り続けることもできるかもしれない。今のところダメージらしいダメージは負っておらず戦況を有利に進め、汗もちょうどいい具合にかいている最中だが、この化け物二人を相手に長期戦にもつれこむなら自分といえどもどうなるか。

「サテ……」

「第二ラウンド……か?」

「いいや、最終ラウンドだ。愚物ども」

 一分にも満たない戦いの中で、事前の情報と初見での判断を微調整する材料は十分にそろった。そしてその整理もついている。

 “深緑”のア―ソンは身体的な能力に限ればこの中で最強だが、技術と経験は残る二人に大きく見劣りする。しかしその再生能力と痛覚の鈍さに加えて、生来の残酷性により攻撃にためらいが無い。最強の身体能力をためらいなく振るうにあたって、技術の稚拙さはかえって読みづらいという利点がある。また戦場が屋内から屋外にうつったことで、もはや制限なく蛇たちを四方に解き放つことも、崩れた瓦礫の下に潜ませることも可能だ。加えて魔に心が呑まれている以上、さらなる奥の手が予想される。

 “血まみれの暴虐”フィアンマは、この中で一番正当な強さを持っていた。その膂力はおそらく世界で十本の指に入り、槍捌きにいたっては五指に入るだろう。さらにその手に持つは異端にして至高の槍、皆殺朱。高い身体能力と技術、それに見合った装備。強いて欠点をあげれば機動力に難があるが、特注の深紅のプレートメイルによる防御と皆殺朱の長い射程で何の問題も無くカバーできるものだった。今回シモンに集められた五人は全員同格だが、あえて最強を選ぶのならばフィアンマだろうとロレンシアは判断する。

 “何も無い”ロレンシアは、普通に考えれば他の二人に大きく劣っていた。常人からすればすべての能力が高いが、同格の実力者からすると突出したものが何も無い。力はフィアンマ、耐久力はア―ソンが大きく上をいく。速さこそ勝るが、それは単にフィアンマもア―ソンも速さを武器にしていないからだ。“沸血”のシャルケ、“かぐわしき残滓”イヴに比べれば鈍足とも呼べる。手に持つ剣もどこででも手に入る品質のもので、剣の技術も槍をメインとするフィアンマと同程度にすぎない。それなのに同格なのは、あまりにその存在が歪(いびつ)だからだ。その歪さに惑わされないようにと、他の二人は気を引き締める。

 先ほどまでの戦いは本気ではあったが、相手の戦い方が読めきれず全力を出し切れなかった。しかしそれも終わり。

 ここからが、最終ラウンド。
61 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:24:17.12 ID:zJUkddjZ0
「ひっ……」

 逃げようにも恐怖で体が固まってしまって動けずにいた住民の一人が、再開する戦いの前兆として膨れ上がる殺気と狂気に引きつった声をあげてしまう。 

 そして、その声にア―ソンが反応してしまった。

「アア……ソウイエバ……腹ガ減ッタ」

 瓦礫の上を、あるいは下を、水中で泳ぐ魚のような軌道で素早く蛇たちが住民に群がる。

「ぁぁらああいぎやああああぁっっ――――あ」

 絶叫は、脈絡も無く終わった。蛇たちに噛まれその体はあっという間に緑色に膨れ上がり、目と口であっただろう場所から涙と涎らしきものを垂らしながら立ち尽くし、蛇たちに貪られる。

 そのこの世のものとは思えない惨状に別の住人が今度は奇声をあげるが、それもすぐに止むことになる。

「五月蠅いぞ」

 フィアンマの一振りで、顔があった場所が無くなってしまったから。

 異様な捕食者と、理不尽の強制に逃げ場を求めた住民たちは、自然とその二人と対峙していると思われるロレンシアへと、すがるように視線を送る。

「……さっさと行け」

 ロレンシアが顎で後ろをさしたことで、弾かれたように住民たちはロレンシアの横から逃げだし始める。その中の一人が、フィアンマとロレンシアの射線上に入った時だった。

「シッ!!」

 住民がロレンシアと重なった瞬間を狙い、フィアンマが瞬刺殺を放った。瞬刺殺の威力は人体を貫いてなお凶悪な威力を誇る。視線を遮られた状態でこれを受け流すのは不可能。これで決着とはいかずとも、さらなる手傷は負わせる腹積もりだった。

「……オオッ!?」

 瞬刺殺を受け流す。それ以上に不可能であったことが起こり、フィアンマが驚きに目を剥く。あろうことかロレンシアは住民を突き飛ばして助けながら、残る片手で剣を手放し皆殺朱の柄をつかみ取って見せた。

 フィアンマの狙いを読んでいたロレンシアは、住民がフィアンマとの射線上に重なる寸前に動き出していた。瞬刺殺をつかむなど、タイミングと狙う場所がわかっていなければ不可能な芸当だが、タイミングは住民と重なる瞬間に決まっていた。残るは狙う場所だが、こんな手を利用できるのは一度限りであるうえ、人体越しに相手を狙えば瞬刺殺といえどもわずかに軌道がずれる可能性がある以上、確実を期すために避けづらく的も大きい胴体だと狙いを絞り、それが的中した。

「フッ!」

 フィアンマの驚きが覚めぬうちにと、ロレンシアは三段式となっている皆殺朱の一段目と二段目の部分を両手で握り、渾身の力で膝に叩きつけてつなぎの部分を破壊しようとしたその時。破壊するまでもなく一段目と二段目が勝手に折れ曲がり、力の行き場を無くしてつんのめる。

(希代の名工、アレッサンドロ……ッ!?)

 何が起きたのか、皆殺朱を作りあげた者の名を想起しながらロレンシアは悟った。アレッサンドロは武器破壊に備えて、皆殺朱が自ら崩れる仕掛けを組み込んでいたのだ。

 前のめりの姿勢を即座に立て直したロレンシアだが、今の隙はあまりに致命的だった。
62 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:24:50.28 ID:zJUkddjZ0
「ハイヤアアアアアァツッ!!」

 雄たけびと共にフィアンマが駆ける。身長一九〇超、体重一〇〇超の男が三〇キロ近いプレートメイルを身に着けて爆走するその姿は、純粋な脅威に他ならない。

 ロレンシアは槍を手放しつつ後ろへと飛び下がるが、目を疑う追撃が待っていた。

 飛び膝だ。

 フィアンマの強靱な脚腰はその重量を地から飛び放つことを可能にし、突進した勢いのまま砲弾の如き威力をもってロレンシアに襲来する。

 ロレンシアも咄嗟に両手を顔の前にかざしたが、勢いと重さがのった硬い膝当ては易々と守りを押し破る。そして既に折れていたロレンシアの顎骨を粉々にし、さらに頬骨を折り左目を水気のある音をたてながら押しつぶす。

「――――ァ」

 視界の左半分が赤黒く染まり、残る右半分も絵の具を滅茶苦茶にしたかのような光景の中で、ロレンシアは自分が宙に浮いていることを悟る。常人ならば頭蓋が消し飛ぶほどの威力を受け、吹き飛ばされたのだ。

 普通ならば、否、彼らと同格のほとんどの戦士であっても勝負が着いたと即座に判断できる重すぎるダメージ。だが彼は“何もない”ロレンシア。絶望的な劣勢は、生まれた瞬間から付きまとったモノ。諦めるという考えは微塵も生じない。当てになるはずもない脳震盪でグチャグチャな視界と、ダメージを受ける寸前に見ていた光景から情報を組み合わせ、これから起きることを予測する。

 フィアンマの突進は、槍を手にしたままのものだった。おそらく今は自分と同じように宙を舞いながら、皆殺朱を組みなおしているのだろう。では――ア―ソンは?

 ア―ソンは住民を捕食しながらこちらを見ていた。足元には既に何十という蛇を展開済みだった。それを当然こちらへ仕掛けるだろう。どのように?

「こう――――か!」

 体に感じる浮翌遊感と無理矢理はじき出した予測を元に、地面に激突するであろうタイミングを算出し、見事ロレンシアは着地する寸前に大地へと肘打ちを放つ。

 そこでは、鮫ですら捉えて捕食せんとする巨大なイソギンチャクのように、深緑の蛇たちがうねりながら待ち構えていた。絡みつく間も噛みつく間もない肘打ちに吹き飛ばされるが、寄せては返す波のようにすぐにまたロレンシアへと飛びかかる。

 その一方でフィアンマは空中で皆殺朱を組みなおすのを諦めると、自分の着地地点にいた深緑の蛇たちへ皆殺朱の一段目を振るいながら降り立ち、隠れ潜んだ蛇がいないか注意しながらその場を離れる。その視界の隅では、シュマグが破れて隠すことのできない口の裂けた笑いを見せるア―ソンと、次々と群がる蛇を地面を転がりながらなんとかさばくロレンシアの姿があった。

 視界がおぼろげな中で、ロレンシアは深緑の蛇たちの不快な気配を頼りにただひたすら転がる。転がりながら襲いかかる蛇たちの地を這う音、空を泳ぐように飛びかかる風を切る音に、がむしゃらに腕を振るって弾き飛ばす。そしてようやく片膝立ちの姿勢となり、その場を飛び下がった時だった。その左の二の腕に、深緑の蛇が噛みついていた。

 毒の威力のほどは、ア―ソンの隣で体中が緑色に膨れ上がって死んでいる男が証明している。毒の抗体は期待できない。なぜならこの蛇は自然の蛇ではなく、ア―ソンの醜く歪んだ心が外に漏れ出たもの。抗体などこの世に存在しないのだ。

 ア―ソンは勝ちを確信した。フィアンマも最も厄介と見たロレンシアの脱落を見届けながら皆殺朱の組み立てを終えると、ため息をはく。

「醜いやつほど、しぶといのは世の常か」

 蛇が噛みついていた付近の肉を指でえぐり取り、自らの肉ごと蛇を放り捨てる蛮行は称賛を通り越してあきれ果てたものだった。せめてその顔が苦悶と怒りで満ちていれば咄嗟の判断と勇気を称えることもできようが、今にもこぼれ落ちそうな左目と、何の感情も浮かばない泥沼のような右目を見て称える者などいやしない。
63 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:25:21.55 ID:zJUkddjZ0
「……クキ、キカカカカッ」

 最初は呆気にとられていたア―ソンだが、やがて例の甲高いのにくぐもった耳障りな嗤いを立てる。

「サ、流石“何モ無イ”ロレンシア……ッ! ダガ、終ワリダ! 私ノ蛇ハ……優シサモ甘サモ無イ! ホンノ少シノ毒デモ、十分ダ! オマエハ即死ジャナイダケ……ダ!!」

 その宣告はブラフなのか、事実なのか。

 たとえブラフだと判断しても、ア―ソンの隣にいる男の死にざまを見れば動揺せざるを得ない。

 だがロレンシアはただ静かに、えぐってしまった左腕がどの程度動くかを黙々と確認していた。恐怖に怯えない獲物の姿にア―ソンは不快げに眉(らしきもの)をしかめるが、すぐに気を取り直す。

 右腕の骨はフィアンマの薙ぎ払いを受けヒビが入り、左腕の肉は自らえぐってしまった。顎骨と頬骨は折れ、左目はつぶれ、全身も殴打し、さらに少量とはいえ猛毒が入り込んでいる。持っていた二つの剣も一つは宿屋で下敷きになり、もう一つはロレンシアから離れたところに転がっている。それに対してア―ソンもフィアンマもほぼ無傷。ロレンシアの死は確定したと言っても過言ではないのだから。

 その判断はフィアンマも同じだったが、自分からロレンシアにとどめを刺そうとは思わなかった。下手にとどめを刺そうとすれば、何をしでかすかわからない男だからだ。放っておいても毒で死ぬのならばと、最低限の注意だけは払いつつア―ソンへと槍の穂先を向けた。

 フィアンマはそこで違和感に気づく。何かがおかしかった。ア―ソンか? いや、ア―ソンではない。この穢らわしい蛇男は、宿屋が崩れて着地して以降一歩も動いていない。

 だが何かが動いているような気がしてならなかった。深緑の蛇たちは当然として、それ以外の何かが動いている。ここでフィアンマは、風上のア―ソンの方から風にのってナニかが膨らむ不快な音色を聞き取った。そして違和感の正体に気づき、不可解な不快な現象への反射で後ろに大きく飛び下がる。

 違和感の正体は蛇に噛まれて死んだ男だった。緑色に膨れ上がった死体の位置が、ひそかにフィアンマに近づいてきていたのだ。見れば男の顔は蛇に成り果てており、手足は胴体に密着してその境が消失している。

 巨大な蛇らしき物体は、逃げるフィアンマに糸で引かれるように追いすがり、そのぶよぶよとした体を宙に躍らせる。そこで一際大きく体を膨らませた。

「――インサニティ・ボム」

 ア―ソンの呟き声と共に蛇らしき物体は爆発し、黒と見まがう緑色の液体を辺り一面にまき散らした。液体はすぐに気化していくが、それでもなお飛沫として残ったものが空気を緑色に穢しながらフィアンマへと飛び散っていく。

 襲い来る飛沫にフィアンマは目の付近を腕で覆い、さらに息を止めた。飛沫はプレートメイルを溶かし、目と鼻の距離で有毒の気体を次々と生み出す。吸うことはおろか、目に触れさせてもならないと察し目を細める。しかしその程度では、風上からさらに毒が流れ込み周囲の緑が濃くなっていく事態への気休めに過ぎなかった。さらに追い打ちとして四方から蛇が這いずる音が近づいてくる。

 なんとしてもこの場を離れなければならないが、問題はロレンシアだった。三つ巴の戦いが始まって以降、ロレンシアは徹底してフィアンマに狙いを定めている。これをフィアンマは、ロレンシアが既にア―ソンへの回答を持っている、ないしは持っていると思い込んでいるからだと見ていた。そしてこの期に及んでなお勝利を諦めていないのならば、視界が不明瞭なこの機に乗じて仕掛けてくるはず。

 まず考えられるのはナイフの投てきだ。両腕ともボロボロの状態だが、それでもロレンシアなら毒の霧越しでも正確に狙いを定めることも可能だろう。とはいってもしょせんはナイフ。少し体を動かして狙いをずらしさえすれば鎧で弾けるので問題無い。

 となると重量のあるものの投てきが予想される。宿屋の倒壊により、適当な大きさと重さの物はそこら中にある。何が投げ込まれても対応できるように、槍で近づいてくる蛇を処理しつつすり足で移動していると、ついにそれは現れた。

 毒の霧の中から――ロレンシア自身が現れた。

「バッ……!」
64 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:25:53.30 ID:zJUkddjZ0
 馬鹿げた行いに目を剥く。毒の中に身をさらしての奇襲など、完全に想定外だった。既にその体は毒に侵されていたが、あくまでそれは少量。助かる可能性はわずかだがあった。その可能性を奇襲の機会を見つけるや否や投げ捨てるなど、人間の発想ではない。

 フィアンマは槍で近づいてくる蛇を処理しながら、投てきはガントレットで弾く算段していた。完全に意表を突かれたフィアンマには、毒の霧を隠れ蓑に接近したロレンシアへの打つ手が無かった。何をしでかすかわからない相手だと、わかっていたにも関わらず。

 ロレンシアは猫科の獣のようにその身を宙に躍らせながら、ナイフをフィアンマの喉元へと奔らせる。ナイフは兜とプレートメイルの隙間をかいくぐり、下に着けていたクロスアーマーを貫いた。

「カヒュ……ッ」

 フィアンマの止めていた呼気が漏れるとともに、口元から血がこぼれる。この戦いが始まって受けた初のダメージは、頸動脈を切られるという致命的なものだった。

 横から一陣の風が吹き、毒の霧が払われる。それに応じるようにロレンシアはつかみかかっていたフィアンマの巨体を蹴り、傷口をえぐりながら反動でその場から離れた。よろめきながら膝をつくフィアンマに背中を見せ、ロレンシアは毒の影響で涙を流しながらア―ソンと相対する。

 その見向きもしない態度は、フィアンマのプライドを逆なでにした。その獰猛な気迫に群がろうとしていた蛇たちは怖気づき、次の瞬間にはフィアンマが渾身の力で立ちあがる衝撃で吹き飛ばされる。

「この……ゴミ、クズ……風情、が!!」

 フィアンマは勢いよく首から血が噴出する中で、これが最後の一撃になるであろうことをどこか冷静に悟っていた。そしてその一撃を、自分に背中を見せて走るという最大級の侮辱をくれた畜生へと撃たんと走り出す。

「マ、待テ……ッ!」

「[ピーーー]ぇい!!」

 怒り心頭に発するフィアンマに、その甲高くくぐもった声は耳に入らなかった。最後となる瞬刺殺を放つと同時に、その結果を見ることなく永遠に意識を手放す。

 後ろから放たれた最後の瞬刺殺は、ロレンシアにとってかろうじて回避できるものだった。怒りと殺意を隠そうともしないため放たれる瞬間がわかり、斜め前に飛びながら身をひねる。本来の威力ではなかったこともあり、かわし切れずに脇腹の肉をもっていかれる程度ですんだ。ア―ソンは、その程度ではすまなかった。

 槍の穂先がロレンシアと重なって読めず、怒りと殺意から瞬刺殺が放たれる瞬間を読み取る技術も無い。瞬刺殺が放たれる前に横へ逃げようとしたが瞬時にロレンシアが方向を変え、常にフィアンマと重なった状態を保ち続けた。そしてそんなことが起きている事など、激しい失血と怒りで視野が狭くなっていたフィアンマは気にも留めなかった。

 こうして最後の瞬刺殺はロレンシアの脇腹をえぐりつつ、ア―ソンの胸に大穴を開けた。さらに皆殺朱は死んだフィアンマの手元から離れ、十三キロの重量としてア―ソンの動きを縛る。
65 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:26:42.48 ID:zJUkddjZ0
 身をひねりながら着地したロレンシアは、血を振りまきながらア―ソンへと駆ける。その左腕の傷口が変色し始めていることを筆頭に、どこをどう見ても限界間近だった。ここを乗り切れば、驚異的な再生能力を持つア―ソンの勝ちとなる。

 逃げるという選択肢が一瞬ア―ソンの頭をよぎった。ここを耐え切れさえすれば勝てるのだから、無様でも両腕を盾に身を丸め、攻撃に耐えながらフィアンマに吹き飛ばされた蛇たちを呼び寄せる。蛇たちがロレンシアに群がり攻撃の手が緩んだところで、槍を引きずりながらでも逃げればいい。

 だが逃げるという選択肢を選ぶには、あまりにロレンシアはボロボロだった。手に持つのはナイフだけだった。たとえ胸に大穴が開いている状態でも、今のロレンシアが自分を殺し切れるとは思えなかった。村の中で嫌われ続けてプライドなどたいして持っていなかったが、自分より不利な相手から逃げ出す経験は一度も無かった。ほんの少し残っていたプライドが逃げるという選択肢を除外する。それよりも、最後のチャンスにかけるロレンシアを真っ向から捩じりふせ、貪ってみたかった。

 ア―ソンは自分へと駆け寄るロレンシアに対して、迎え入れるように両腕を広げた。その太い腕は見る見るうちにその形状を変え、濡れた毒牙を輝かせるいくつもの蛇たちへと変容する。蛇が群れなす門などものともせず、ロレンシアはア―ソンの懐にもぐりつつ大きく腕を振りかぶった。

 ア―ソンは勝利を確信した。どれだけ渾身の力を込めようが、ナイフ程度では自分に致命傷を与えられないから。

 ア―ソンは笑った。ロレンシアの大きく振りかぶった腕から、勢いに耐え切れずにナイフが飛んでいってしまったから。

 ア―ソンの笑いが止まった。ロレンシアの振りかぶった腕が見たことのない膨張を行い、その指先に異様なまでの力が込められたから。

 ア―ソンは察した。ロレンシアに、リミッターが無いことを。

 人は一度に全ての筋肉を使うことはできない。どれだけ全力を出そうとしても、制御機能があってそれを許さない。筋肉が力を出し過ぎて、肉離れを起こしたり腱を損傷するリスクを避けるためだ。

 だが“何も無い”ロレンシアに制御機能は無かった。肉体の破壊を厭う感傷も無い。必要とあらば容赦なく全力を出し切る。

 これから放たれるロレンシアの一撃は、ちゃちなナイフでは耐え切れない一撃なのだ。だがそれでも、ア―ソンは自分の肉体ならば耐えきれると背筋に寒気を覚えながらも判断した。

 そしてその自信は、ロレンシアの貫手(ぬきて)の狙いが自分の下腹部だとわかった瞬間に崩れ去る。そこは駄目なのだ。そこに、その威力を放たれれば――

 ボールを投げ込むように左足を大きく踏み込ませ、低い重心から放たれた貫手はア―ソンのウロコを突き破る。その威力はロレンシアの爪を割り、指が脱臼するがそれでも止まらない。止めようにもア―ソンは痙攣し、ロレンシアへ牙を突き立てる余裕など皆無だった。突き進み続ける指先は互いの肉を傷つけ、やがて目的のものをつかみ取り、そして引き抜く。

 折れ曲がり、花弁のようになってしまったロレンシアの手。紅い蜜を垂らす手の中に、人間の胎児と蛇を混ぜ合わせたかのような奇妙な生物がいた。

「ナ、何故……?」

 手の中でもがきながら、ソレは甲高い声をあげる。

 これこそがア―ソンの声が甲高く、それでいてくぐもっていた理由。顔を切られても、胸を貫かれても生きていられる理由。

 ア―ソンの正体は、そのでっぷりとした脂肪の奥に隠れ潜んでいたこの奇妙な生物だったからだ。
66 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:27:25.98 ID:zJUkddjZ0
「こんなところにこんな姿で隠れ潜む。そんなに母が恋しかったか。そんなに安全で暖かな母の中で好き勝手したかったのか。そんな幼稚な考えだから、村八分にあっただろうに」

 ロレンシアの指摘は的を得ていたのだろう。ア―ソンは耳にするだけで呪われそうなおぞましき奇声を街中に響き渡らせる。だが至近距離でその絶叫を受けているロレンシアは、気にも留めなかった。

「オマエの正体がわかった理由か? それは勝手にわかってしまうことなんだ。これまでもそうだった。オマエたち魔に心を呑まれてしまったモノたちの正体と弱点は、少し戦えば自然とわかってしまうんだ」

 おぞましき存在であるア―ソンを、ロレンシアは顔の間近に持ってきてその眼をのぞき込む。

「オマエは俺に聞いたな。何故剣に手を伸ばしていないのかと」

 ア―ソンが手の中でもがく動きが激しくなる。左目が潰れ、右目も変色し始め――それでもなお淡々と語るロレンシアの形相は、魔に心が呑まれているア―ソンにして恐怖を抱かせるものであった。

「あれに手を伸ばしたら、きっと人間に戻れない。誰に言われるでもなくそれはわかっていた。そしてオマエの話を聞き、確証を得た。人間を止めるなんて、誰がするものか」

 人間を止めてしまったモノに恐怖を抱かせながら、ロレンシアは続ける。

「多分俺は、オマエより深みにいる。だから浅いところにいるオマエの正体と弱点がわかるんだ。その程度の浅さにいる癖に、オマエは人間を止めてしまいやがって」

 全力を出した反動で、ヒビの入っていたロレンシアの右腕は完全に折れてしまった。しかしそんなことは無視され、じょじょにア―ソンを握る力が増していく。締め付けられア―ソンの体が赤黒く膨らみ始める。

「ギ――――ギギィ」

「俺は、人間だ。たとえ何も無くとも、俺は人間だ。そうでなければ、きっと得られない。だから人間のまま、抗ってみせる。もがいてやる。そしていつの日か――誰でもいい、ほんの少しでもいい。次の瞬間に死んでもいい」

 



「俺は――――――――愛されたい」





 あ――――嗚呼。

 握りつぶされて弾け飛びながら、ア―ソンは最後にわかった。それは自分とフィアンマの敗因。

 なまじ異常な生き方をしていたせいで、ロレンシアの飛びぬけた異常性に気づけなかった。自分たちより一歩先、二歩先にいるという次元ではない。自分たちがどれだけ速く走っても空を飛べないように、最初から段階が違ったのだ。

 この男は、真正の化け物。人と同じなのは姿のみ。魔に心を呑まれているモノ以上に終わった存在。

 それが、“何も無い”ロレンシアなのだと。

 ア―ソンを握りつぶすと、ロレンシアの腕は糸が切れたようにダランと下がる。

 傷だらけの体を、ポツリポツリと大きな雨粒が打ち始めた。空を見れば太陽は西の端のほうにあり、暗雲が覆いつつある。雨風をしのげるところで、傷を癒さなければならなかった。

 だが――どうやって?

 ア―ソンの毒は少しずつ、だが確実に体を緑色に蝕み始めた。全力を出した反動で、瞬刺殺にえぐられた脇腹の出血が激しい。

「まだ、だ……まだ、なんだ」

 動かなくなった両腕を力無く垂らしながら、ロレンシアはゆっくりとその場を離れた。悲痛な嘆きを、この場に残しながら。

「死ぬのは、せめて……愛されてから」 
67 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:28:03.41 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※



 雨が降る中で、街の衛兵はその顔を大きくしかめていた。

 その原因は雨に体を濡らしながら仕事をしなければならないから――ではない。

 雨で現場の痕跡が洗い流されるから――でもない。

 ひとえに現場の惨状が、衛兵の経験と想像を大きく超えた規模だからだ。

 街の住民が五人亡くなった。これはまだいい。五人も亡くなる事件など、人口三千人を誇るこの街でもなかなかないことだが、まだこれは起きうることだった。加えて亡くなったのは裏路地に住む怪しい連中なので、どうでもいいと言えばどうでもよかった。

 宿屋が潰れた。それが経営難ではなく、物理的に。数十人の暴徒が押し掛けでもしないと、こうはならないだろう。この時点で頭が痛くなる。さらにこの宿屋は巡回の経路から外す見返りに、結構な裏金を渡してくれていたところなのだ。末端の自分にその恩恵はないが、上官の怒りがとばっちりで降りかかることが想像され、さらに憂鬱になる。

 そして極めつけは、何が起こったのかまるでわからないことだ。

 目撃者の証言によると、三人の男がここで戦っていたらしい。なぜたかが三人の戦いで宿屋がつぶれ、五人も巻き添えになるのか。そしてその三人は、いったい今どこにいるのか。

 衛兵はチラリと少し離れた場に倒れている、深紅の鎧をまとった死体に目を向けた。あまり長々と見たいものではない。死因は多分失血によるものなのだろうが、その体は何故か緑に変色しふくれあがっている。一人はここにいるとして、他の二人は?

「アレは……なんだ?」

 雨が降っていることに感謝する。雨のおかげでその醜悪なモノが薄れ、悪臭もいくらかマシになっているのだろうから。

 現場にはところどころに緑色の水たまりがあった。今も狂騒状態の目撃者は何十という蛇を見たと言ったが、まさかこれではないだろう。

 そして一際大きな緑色の水たまりがあった。その水たまりには破れてしまっている茶色のローブが沈み、尋常ではない大きさの紅い槍がつかっていた。水面から出ているローブの部分を、皮手袋をしながら嫌々ながらつかんで引き上げてみたことにより、緑色の水に強い粘性があることがわかった。引き上げたローブにしつこくまとわりつく姿と悪臭で、昼に食べた物が喉にこみ上げそうになる。

「毒……か?」

 だとすると一度この場を離れた方がいいかもしれない。雨で濡れてしまっている体の下から、生汗が出てくる感触がしてくる。

 現場検証は早いに越したことが無いが、どのみちこれは自分の手にあまる。一刻ほど前に街中に鳴り響いた、一生忘れることができそうにない奇声もこれに関係しているかもしれない。野次馬が近づかないように規制するだけでいいじゃないかと自分に言い訳をしていると。

「ちょ、ちょっと……」

「あん?」

 後輩の呼び止める声が後ろからする。何かと思って振り返れば、外套を身にまとった男が後輩の制止を振り切ってこちらに歩いてきていた。

 物好きな野次馬の相手をすることに辟易しながら、男へとこちらからも近づく。この辺りは有害な毒があるかもしれないと言えば、慌てて逃げ出すことだろう。

「あ――」

 衛兵の頭に浮かんでいた、皮肉交じりのあいさつは男と目があった瞬間に吹き飛んだ。
68 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:28:36.78 ID:zJUkddjZ0
 深い知性と憂いがたゆたう藍色の瞳。その髪もまた黒に近い藍色で緩いウェーブがかかっており、落ち着きとともに悲しみを感じさせる妖しい色香がある。外套をつけていてはっきりとはわからないが、その髪は肩より下まであるようだ。

 一八〇を超える背丈は均整がとれていて、その足運びも隙が無いというより、美しいという印象を抱かせる。腰に差した剣が男が戦いを嗜んでいることを示すが、この男が血と泥にまみれて戦っている姿が衛兵にはどうにも想像できなかった。どこかの貴族様だろうか。年齢は二十代後半のように見える。

「三人……か」

「え……あ!?」

 衛兵がつい物思いにふけっていると、青年は辺りを見回しながら呟く。その呟きは独り言なのか、衛兵に尋ねたものなのか判断がつきかねたが、どちらにしろこの場から離れてもらわなければいけない。相手が貴族だとすればなおさらだ。

 しかし――

「ここで戦っていた数は三人で間違いないか?」

「は、はい!」

 その藍色の瞳を向けられると自然と直立の姿勢をとってしまい、緊張で上ずった声で返答してしまう。同時に衛兵は自然と理解した。この方は、自分程度が指図していい方ではないのだと。

「深紅の鎧……それにあの槍は、音に聞く皆殺朱か。だとするとこの男は“血まみれの暴虐”フィアンマだろう」

 “血まみれの暴虐”フィアンマ。凶悪極まりない名を聞き驚きの声を上げそうになるが、青年は考え込むように辺りを見回している最中なのでなんとか声を押し[ピーーー]。彼の思索を邪魔してはならなかった。

「死してなお残る、この不快な気配。魔に心を呑まれたモノの可能性が高いが、それらしき情報はないのか?」

「……ッ!! この場に何十という蛇がいたという話と、つい一刻前にこの世のモノとは思えないおぞましい叫びが響き渡りました」

「私が着く前に、そんなことがあったのか。となると、そこの大きな緑色の水たまりが、“深緑”のア―ソンだったものか」

 魔に心を呑まれたモノがこの街にいた。魔に心をのまれたモノだったものがそこにある。その事実に衛兵は愕然とする。

 実をいうとその可能性は考えなかったわけではない。しかしそんなことあってたまるかという思いがその考えに封をしていた。

 “血まみれの暴虐”フィアンマと“深緑”のア―ソンがこの場で戦ったのだとすれば、むしろこの程度の惨状で済んでくれたとさえいえる。何せ二人とも、小さな街ならば滅ぼすことができる実力と、それをやりかねない気性と残虐性を持つという話なのだから。

 だがここで疑問が生じた。

「あと一人。こいつは何者だろう?」
69 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:29:11.91 ID:zJUkddjZ0
 疑問は代わりに青年が口にしてくれた。まるでそこで何か起きたかを読み取るように、彼はそっと腰ほどの高さがある宿の残がいを指でなぞる。

「力、速さ、そして技。どれをとっても大したものはない。それなのに、この二人を相手に真っ向から戦い、そして――勝利? そう、勝利した」

 自分の考えをまとめながら言葉にするその姿は、まるで詩人が歌を唄うように見えた。

「そう、勝利だと言っていい。彼はきっと、目的を達した。ならばそれは勝利だろう。例え――」

 青年はそっと、細く暗い道へと目を向ける。ここからその先へと、雨で洗い流されてしまったが尋常でない血が流れていたことを察する。

「――今ごろ朽ち果てていても、勝利には違いない」

「……で、では。この事件を起こした三人とも死んでいる……ということ、ですか?」

 青年の思索が終わったようなので、衛兵は恐る恐る疑問を口にする。それに彼はそっと目を伏せながら頷いた。

「残念ながら、そうだ」

「残念……ですか?」

「ああ、残念だとも」

 青年は天を仰ぐ。そして神のあまりの仕打ちに嘆いてみせた。

「三人がまだ、生きていれば。そして協力して、私に立ち向かってくれたら――」

 もし青年が、あと少し早く街に着いていたら。そしてもし、三人が戦いを始める直前に宿屋に姿を現していればどうなったか。

 “何も無い”ロレンシア。

 “深緑”のア―ソン。

 “血まみれの暴虐”フィアンマ。

 顔を合わせただけで一触即発となる三人だが、ほんの一瞬の逡巡の後に矛先を全て青年に向けていたことだろう。

 そしてここで起きた戦いよりも短く、だがより濃厚な攻防を経て――青年にかろうじてかすり傷を一つほど付けて、皆殺しにされただろう。

 何故なら青年は――

「――最強の、糧になれたものを」

――“最強を許された者”なのだから。
70 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:29:45.04 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※



 冷たい水が頬をうつ。左目はつぶれ右目はかすみ、何が起きているか視界で捉えることはできない。耳朶を打つ振動と独特の匂いが、雨が本降りになったことを教えてくれた。

 雨に遮られてもなお鼻をつく、すえた匂い。ここは路地裏。この街の路地裏は今日踏み入ったばかりだが、どの街であっても似たようなものだ。ゴミの掃きだめで、物の腐った匂いが充満する。そこでしか生きられない者と、そんな場所を利用しようとするクズのたまり場。耳と鼻がなんとか機能さえすれば路地裏で何年も過ごした経験から、何があるのかある程度はわかる。

 応急処置をしなければならないが、それは人目がつかないところで行わなければならなかった。俺に恨みのある奴など吐いて捨てるほどいる。そんな奴らの中には、俺の首に賞金をかける者もいた。十億にはとても及ばないが、一生遊んで暮らせる金のために俺を狙う奴はいくらでもいるのだから。

 毒はどうしようもない以上、しなければならないことは止血だ。魔に心を呑まれたモノであるア―ソンの毒を解毒する薬など、この世には存在しない。しかし毒の本体であるア―ソンを殺したからには、あとは体内の毒に抗う体力がありさえすればいい。誰に説明されるわけでもなく、アレと直接対峙してわかること。つまり必要なのは体力を失わないことだ。

 視界を失いさらに毒が回っているおぼつかない足取りで、なんとか誰も住処としていない廃墟に転がり込む。天井に穴が開いた建物で、かろうじて雨が及ばない壁に倒れこむように背を預けた。

「……動かないな」

 出血が激しいのは瞬刺殺にえぐられた脇腹だ。しかし止血しようにも、両腕がどちらも動かない。

 右腕は傷ついた状態で全力を出した反動で折れ、さらにその手は脱臼と骨折で指が変形してしまっている。左腕は解毒されるどころか悪化しているようだ。

 生き残る方法は一つしかなかった。移動中に解毒が終わり、動くようになった左腕で変形した右手を無理矢理矯正し、止血する。そして息をひそめながら体力を回復させる。それなのに最初の一手目でつまづいてしまった。

 誰かに助けを求めるべきだっただろうか?

 あり得たかもしれない方法が、ふと頭をよぎる。そしてすぐに否定された。

 今の俺のあり様を見て、応急処置ができる胆力をもつ者が偶然見つかっただろうか。見つかったとして処置を受けている間に、誰かが俺の首に懸賞金がかけられていることに気づかないとも限らなかった。見ず知らずの他人に命を預けるにはあまりに人に疎まれた経験が多すぎて、最初に思い浮かばなかったし、思い浮かんだとしても選ばなかっただろう。

「これで……終わり、なのか?」

 気が付けば諦めの言葉が漏れていた。

 打つ手はもう無い。いや、最初から無かった。そしてこうなってしまうことは、イヴにも警告されていた。

 あの“深緑”のア―ソンと“血まみれの暴虐”フィアンマと殺し合えば、たとえ勝てたとしても待ち受けるのは無残な死であることはわかっていた。それなのに、彼女を守ることを選んでしまった。俺の生きるための願いは、まだ叶えられていないというのに。

 もうこの目にはろくにモノが写らない。雨で冷えた空気に熱を奪われながら、自然と目の前の光景ではなく遠い過去のことを思い出す。

 今よりも寒い冬の時。雪がしんしんと降る中を、二人の若い男女が俺に背を向けて歩いている。俺は小さな手を伸ばすが、遠ざかっていく二人を止めることはできない。追いかけようにも、俺はまだ歩けない。

 二人は曲がり角に差し掛かり、その姿を消そうとしたその時。一度だけ女の方が立ち止まり、こちらを振り返ろうとして――男の方に手を掴まれ、結局振り返ることなく立ち去っていった。

 俺の父であった人と、母であった人。
71 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:30:19.52 ID:zJUkddjZ0
 本当は覚えているはずがない光景だった。俺は当時まだ乳飲み子だったはず。その時の記憶が残っているはずがない。だからこれは、この時から数年ほどして少しは物を考えられるようになった頃に、知っていた情報を組み合わせた妄想の産物を、本当にあった出来事だと思い込んでいただけ。そのことに気づけるようになるのは、さらにもう数年ほどしてからだったが。

 死がかつてないほど近づいているせいか、妄想を本当だと信じていた頃よりも鮮明に偽りの記憶が想起される。

 ああ、父であった人。そして母であった人。なぜ私を産み落とした。必要で無かったのなら、なぜ――

「なぜ……」

 なぜ……?  

 この考えはこれまで何度も思い至った。そしてなぜ●●●●●●●●●●●●、というところで思考が止まる。

 この疑問の先に何があるのか。何が待ち受けているのか。死ぬ前に解き明かそうという黒いに誘惑に駆られたその時。

「ロレンシアさんッ!」

 グチャグチャの黒い視界に、突然光が刺した。

 潰れた目と毒でかすむ目ですらわかる、神聖な存在。

 汚れた路地裏で、穢れた存在に相対するなどあってはならない人。

 マリア・アッシュベリーが、なぜかこの場に駆けつけてしまった。

「止ま……れ」

 なぜここに、という疑問を押し殺し、まず彼女を止めようとした。しかしマリアは一瞬の躊躇も無くこちらに駆け寄り、汚れた廃墟に膝をつきながら俺に手を伸ばそうとして、絶句した。

 理由は目が見えなくとも察しがついた。おそらく手当てをしようと考えてたのだろう。そして俺のあまりのあり様に、どこにどう手をつけていいのかわからず愕然としているのだ。

 雨と泥、そして血で全身が濡れそぼり、そしてきっと体の所どころが緑色に膨らみ始めているはず。素人がどうこうできる状態ではなかった。 

「どうして……こんな」

 こんな腐乱した死体同然の姿など、初めて目にしたのだろう。その震える言の葉からは、恐怖と悲しみがにじみ出ている。そしてわからないなりに何とかしようと、彼女は懐から手ぬぐいを取り出すと出血が一番激しい脇腹に押し当ててくる。

「……よせ」

「い、痛いとは思いますが、どうか我慢――」

「もう、無駄だ。オマエが……汚れる、だけ」

「そんなわけ……っ! そんな……わけが」
72 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:30:58.79 ID:zJUkddjZ0
 口にしながら自分でも助からないことに気づいたのか。言葉から力が抜けていくが、それでも彼女は手当を止めようとはしなかった。そして俺ももう止めようとはしなかった。きっと何を言っても彼女は止まらないだろう。なら、残された時間で伝えなければならないことは別にある。

 そう、残された時間。俺はもう死ぬ。結局何のために生まれてきたわからぬまま、誰に愛されることもないままに、見るも無残な姿で死ぬ。

 せめてもの救いは、ひょっとしたらという儚い可能性ではあったが、俺にとって何か大切な存在かもしれないマリアと出会えたこと。そしてこの想いが錯覚であったと気づく前に[ピーーー]ることか。

「聞け……」

「な、なんですか?」

 なら――そのせめてもの救いを享受して、彼女が大切な存在だと思い込んだまま死ぬとしよう。

「……オマエを狙っていた奴ら……その一人…シモン・マクナイト……という、狐目の……胡散臭い男。そいつが……あるいは、そいつらが……俺を含む五人を雇い、オマエの命を狙わせた」

 雨音に遮られそうな、かすれた声しか出ない。彼女の今後に関わるこの情報は、ちゃんと伝わっているだろうか。

「雇われた五人……のうち、イヴは……依頼を途中で降りた。そして……ア―ソンとフィアンマは、もう死んでいる。俺も……死ぬ。最後のシャルケだが……北の寺院の近くに住む、医者に預けた。奴は……オマエに、負い目がある。オマエを……守って、くれるだろう」

 唾を飲み込む音がする。この異常な状況の中、彼女は俺の話がどれだけ重要かをわかり、一言一句聞き漏らさぬように集中している。これで懸念が無くなった。

 大丈夫。彼女は助かる。そして彼女が助かるために“何も無い”命が役立ったのならば、それは上出来ではないか。
 
「奴らがどういった連中なのか……わからない。だが、俺たちクラスの実力者を五人も集め……そこからすぐに追加は……大国でも難しい。それまでに……シャルケの傷は、癒えるはずだ。彼を……頼れ。」

 なんとか必要な情報を渡すまで、この命はもってくれた。他の人からすればささやかな願いはついぞ叶えられなかったが……こうして看取られながら[ピーーー]るのだ。なら、もう、これで――

「どうして……」

「……?」

「どうして、私のために……あんな恐ろしい人たちと戦って……こんな酷い目にあって……どうして、ですか?」

 ああ、いけない。ア―ソンとフィアンマの死因は言わなかったが、奴らと殺し合ってこうなってしまったことは気づかれてしまった。そしてあんな化け物たちと殺し合いになった理由が、マリアを守るためということにも。

 いつかは気づくこと。自分のために命を捨てて戦った人がいたことを、受け入れなければならないだろう。けどそれは、彼女の心が傷ついている今じゃなくてもいい。このまま意識を手放して地獄に落ちようと思っていたが、最後に一仕事しなければ。

「ク……ハハ、ハハハハ。何を、言い出すかと……思えば」

「……ロレンシアさん?」
73 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:31:29.76 ID:zJUkddjZ0
「俺は……オマエが不思議な力があるから……それを利用しようとして、それに……邪魔だったから、アイツ等を始末した……だけ!」

 血と熱を失い、毒がまわりきったこの体。これがつむげる最期の言葉だと、静かに確信する。一文字一文字口から出こぼれるたびに、水にゆっくりとつかっていくかのような冷たい奇妙な感覚。

「オマエを助けるのは……俺が死んだのに、俺ができなかったオマエの利用を……他の奴らにされるのが、気に食わないから――」

 あと少しで言い終わる時だった。冷たいこの体を、暖かくて柔らかな感触が包み込む。路地裏のすえた匂いを吹き飛ばす、甘く優しい香り。柔らかな絹のような感触が、頬をそっと撫で上げる。

 抱きしめられたことに気づくのに、しばし時間がかかった。

 誰かにに抱きしめられるのは初めてのことだったから。そして何より、野ざらしの死体同然のこの体を抱きしめる人がいることを、信じられなかったから。

「どうして……そんなに、強がるんですが。突き放すんですか」

 同情は嫌いだ。

 同情された事なら何度かあるか、手を差し伸べられたことなど一度も無いのだから。
 
 しかし彼女は俺のために涙しながら、体が汚れることもいとわず抱きしめてくれている。暖かなぬくもりは、今にもついえそうな命をこの世につなぎとめる。

「私のために、命をかけた貴方に……どうして感謝させてくれないんです。遠ざけるんですか。私は……貴方に、死んでほしくない」

 彼女は本当に悲しんでくれていた。目が見えなくとも、泣きながら紡ぎだされる言葉にのせられた想いが。重ねた体から伝わる嗚咽の震えが。蔑まれ、忌み嫌われ、傷つけらていたこの身を慈しんでくれることを教えてくれた。

 嗚呼――――――――良かった。

 彼女のために、[ピーーー]て良かった。

 傷つけられてばかりだった。愛されようともがいても、誰かを傷つける結果ばかりだった。

 傷つけるのも、傷つけられるのも。きっと俺は疲れていた。でもそれもこれで最期。ようやっと、終わ―― 





「お願い。死なないで」





 それが最後に耳にする言葉――のはずだった。

 しかし終わりは訪れない。
74 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:32:36.14 ID:zJUkddjZ0
「……?」

 何があったのか。目はもう使い物にならないのに、反射的に目を凝らそうとする。すると少しずつ色を認識できるようになってきた。

「これは……いったい」

 目と鼻の先に、翡翠の瞳を涙で赤くはらしながら、驚いた顔で俺を見ているマリア・アッシュベリーの姿があった。

 雨は止み、地に沈む寸前の燃えるような夕焼けが辺りを包み込む。どんよりとした闇が炎に浄化されたかのような景色の中で、ひときわ輝いているのがこの身であることに気が付く。

 体が黄金の輝きに包まれている。驚きからくる反射に、動かないはずの両腕が反応してみせる。

 何が起きているかわからず、ただマリアと共に黄金の光を呆然と見続ける。光は徐々にその輝きを弱め、夕日が沈み辺りが暗くなると同時に消え去った。

 淡い月光の下で、輝きが消えた体を見つめる。体に緑色に変色していなければ、膨れ上がってもいない。えぐられた脇腹の傷もふさがり、折れた骨がなおっている。

 こんなことはありえない。何かしらの超常の力が働いたとしか考えられない。しかし魔法のようなおぞましい力が働いた気配は無かった。すると自然に、一つの答えが浮かび上がる。

「まさか……これは」

 あり得ない答えだった。今から千年前に、最初で最後の使い手がいたのみ。しかしどうしてもそれしか答えが残されていない。





「――奇跡。聖女、マリア」




 
――千年前になる。一度世界は滅びかけた。 
75 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:33:25.38 ID:zJUkddjZ0
 何百何千という魔に心を呑まれたモノが跋扈し、その中から異界侵食を行うモノたちが次々と現れた。

 侵食された場所は人が住める場所ではなく、日に日に人類の生存圏が削られていった。だがそれはしょせん、悪夢の始まりにすぎなかった。

 異界侵食は基本的に、魔に心を呑まれたモノが住処と定めた地域で発生する。侵食を終えたら広がらないのが基本なのだ。

 だがある時、異界の中でそこの主以外の魔に心を呑まれたモノが死ぬことがあった。果たしてそいつの魔は取り込まれたのか、それとも溶け合ったのか。いずれにしてもそれを契機に、その異界内はより特異な存在となり、侵食を外へと広げるようになった。

 世に魔に心を呑まれたモノは何百何千もいれば、当然同じ事例が他にも起こり始めた。そうやって侵食を広げていくなかでさらに魔に心を呑まれたモノを取り込み、より邪悪で凶悪となり、侵食の勢いも増していく。

 そしてついに――異界侵食同士がぶつかり合い、互いに侵食し、塗り替え――もはや、魔に心を呑まれたモノという従来の定義では収まらない六つの存在が君臨した。

 蠢き増えるもの ヘルアーティオ

 無貌、故に無望にして無謀 グリュントリヒ 

 引きずり込む霧 アンゴーシャ

 乱立する墓標 ヤタコ

 大地を均(なら)すもの オディオ

 死を嘆く嗤い シン

 陸大魔王と称され、天災の如く彼らは振る舞った。降臨した。蹂躙した。

 人の世は侵食され、喰らい尽くされた。そして――消え去っていった。この世の法則に従わぬ魔王に侵食された世界は耐え切れずに消滅し、魔王はさらなる贄を求めて侵食する。

 侵食される世界は地獄だった。

 ある者は何千という口に咀嚼され、何千という口の一部と化した。

 ある者は目鼻や口を奪われ、狂った猿のように暴れまわり、人の顔をグチャグチャにするようになった。

 ある者は霧が晴れた後、恍惚とした表情で喉を掻きむしりながら死んでいた。

 ある者は夜明けの無い丘で、生きながら永延と貼り付けとなった。

 ある者は地震に怯えてうずくまっていると、全身くまなく大地に一体化させられた。

 ある者は突然気が触れて笑い出し、それを耳にしてしまった者も狂って笑い出す。それを聞いてしまった者もまた同じ。やがて彼らは涙を流しながら狂い死ぬ。 

 世界は滅びる一歩手前だった。後に大融落(グレイブフォール)と呼ばれる、人の子にとって終わらない悪夢の日々。

 そこに、一人の少女が現れた。

 彼女は魔に心を呑まれていなかった。しかし己のエゴで世界を穢していないのに、超常の力を持っていた。

 彼女は右手に剣を、左手に杖を持ち魔王に立ち向かった。

 奇跡の使い手、聖女マリア。

 この世を救い、この世から消えてしまった世界の母。

「良かった……良かったぁ……本当に、本当に」

 泣きじゃくりながら俺にしがみつく彼女は果たしてわかっているのか。

 自分が――聖女の再来であることを。 
76 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:34:14.89 ID:zJUkddjZ0
※ ※ ※



「アハハハハハヒャヒャヒャヒャヒャハヒハヒャヒャヒャヒャッヒャッ!!!」

 千年ぶりの奇跡の到来を、喉を掻きむしりながら歓喜の嬌声をあげながらもだえるものがいた。

 彼はロレンシアの逃げ込んだ廃墟を遠くからじっと見守り続け、誰よりもいち早く奇跡の到来を目の当たりにした。

 彼――シモン・マクナイトの目論見通りに。

「おお、おお聖女よ! 救世主にして偽りの秩序の創造者! 杖ではなく剣で封じた者よ! 貴女の過ちは正される! 千年の時を超え、このシモン・マクナイトが断罪する! 天を衝く神の塔を、地獄を封ずる天蓋に貶めた罪は私が贖おう! 鎖に繋がれ浄化されるその日を、運命に抗いながら待ち焦がれるがいい!!! アハ、ヒヒャヒハヒャヒャヒャヒャッヒャッ!!!」

 身を折り曲げて笑うその狂態を、イヴ・ヴィリンガムは隣で冷めた目で見ている。

 聖女の再来など予想外の出来事である。しかし今回の目的は達せられた。“あの人”なら、自分が持ち帰った情報を元に最善の手を打ってくれるに違いない。

 千年を超えた奇跡に動揺しつつも、すぐ隣での狂態に我に返り、そして“あの人”への信頼から落ち着きを取り戻す。

(ああ、そう言えば――)

 与えられた任務の重要さと、目の当たりにした奇跡について冷静に判断できるようになった頃。死ぬとばかり思っていた“何も無い”男が生き残れたことに気が付く。

(――殺しておくべきか?)

 これから起きる戦いの規模を考えれば、あの男が一人でできることなどたかが知れている。だがあの男の特異な在り方は、計算を狂わせる。“あの人”の計算を悩ませる“端数”にならなり得る。ならば端数は今のうちに切り捨てておくべきか。

(いいえ、止めましょう)

 あの男に下手にかかわること自体が悪手。考えなくてもいいことまで考え、やがて自滅の道を辿る。それよりも今は、隣の狂人とは違う本当の祝福をしよう。

 “何も無い”ロレンシアが生き残れたことを。

 そして祈ろう。聖女の傍らという渦中でやがて死ぬことになるが、それまでに自分の想いに気づけることを――
77 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:34:53.62 ID:zJUkddjZ0
――

――――

――――――――


 聖女と何も無い男。
 
 その出会いは、運命を捻じ曲げる

 聖女の傍らにあるのは勇者であらず。

 千年の妄執は最強へと成り果てた。

 魔王は既にある。チャイルドレディを自称し、百年の時を暴食に費やす。

 終わりが始まる。

 救済の道筋は捻じ曲げられ、潰えてしまう。 





 逸脱が、始まった。
78 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:36:34.11 ID:zJUkddjZ0
ここまで読んでいただきありがとうございました。
普段はデレステ、たまにシンフォギアのSSを書いています。

ここまでの話が全体の六分の一ほどで、書きだめた話の全てです。
本当は半分ぐらいできてから少しずつ投稿しようと考えていたのですが、一次創作は初めてなのでちゃんと書けているのか不安になり、感想が欲しくて投稿しました。
特に戦闘シーンを書くのは初めてなので、何が起きているのかわかるかどうか教えていただけたら嬉しいです。

ちなみに私は中学の頃にオーフェン、高校の頃にベルセルク、大学の頃に型月にはまっていたので、バトル物の主人公たるもの心身ともにズタボロにされてから立ち上がってなんぼと思っています。
この作品の主人公であるロレンシアは心の在り方が特殊で今回は精神面は大丈夫でしたが、次回はメンタルをズタズタのボロボロにしてみせます。

多分次に投稿するのは一年ぐらい先になると思うので、HTML化の依頼をだします
ここまでがPart1ということで

最後に簡単なプロフィールを貼って終わります
79 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:37:58.84 ID:zJUkddjZ0
キャラクター紹介



名前 ロレンシア

年齢 19歳

性別 男

身長 175p

体重 76s


ステータス

S:史上有数

A:世界有数

B:国内有数

C:もの凄い

D:凄い

E:普通


筋力 C

耐久 C(B+)

敏捷 C

経験 B−

異常 A+


スキル(D以下のスキルは特殊なものを除いて省略)


オールレス:A+

ユニークスキル。
周囲にいる経験・異常性がどちらもD以下の者を混乱(大)にする。
さらに異常性がA以下の場合、混乱(小)にする。これは時間が経過するごとに悪化する。

所持者は痛覚が鈍くなり、疲労を感じなくなる。
またリミッターを無視して全力を出すことを可能とする。

B以下の精神攻撃を無効化。A以上の精神攻撃の効果を大幅に減少する。

魔に心を呑まれたモノのランクが自身の異常性以下の場合、短時間で弱点を看破できる。
自身の異常性以上の場合でも、時間をかければ弱点を看破できる。


武器全般:C

格闘:C

隠形:C
80 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:39:03.12 ID:zJUkddjZ0
名前 シャルケ・ブルート

年齢 46歳

性別 男

身長 162p

体重 81s


ステータス

筋力 B(A)

耐久 B(D)

敏捷 B(A)

経験 A−

異常 D


スキル


沸血:A
ユニークスキル。
耐久を大幅に減少させることを代価に、筋力と敏捷を上昇させる。


格闘:A

隠形:C





名前 イヴ・ヴィリンガム

年齢 26歳

性別 女

身長 172p

体重 58s

B92−W59−H89


ステータス

筋力 E

耐久 D

敏捷 B

経験 B

異常 C


スキル


かぐわしき残滓:A
ユニークスキル。
周囲にいる異性を高確率で魅了し、混乱(中)にする。これは時間が経過するごとに悪化する。
属性は精神攻撃。


暗器:A

弓:B

短剣:C

隠形:A+
81 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:39:51.78 ID:zJUkddjZ0
名前 ア―ソン

年齢 23歳

性別 男

身長 184p

体重 140s


ステータス

筋力 B

耐久 A+

敏捷 E

経験 D

異常 A−


スキル


魔に心を呑まれたモノ:A−
魔に心を呑まれたモノにとっての最終段階である異界侵食一歩手前の状態。
周囲にいる経験・異常性がどちらもD以下の者を行動不能にする。





名前 フィアンマ・エストレミタ・アッロガンテ

年齢 28歳

性別 男

身長 192p

体重 104s


ステータス

筋力 A

耐久 B

敏捷 D

経験 B−

異常 B


装備品


皆殺朱:A

必要技能
槍:B 筋力:A 耐久:B


スキル

瞬刺殺:A
ユニークスキル。
皆殺朱を装備している時のみ使用可能。
槍の常識を超える射程と威力、そして貫通力を誇る。


槍:A

剣:C

格闘:C

カリスマ:D
82 : ◆SbXzuGhlwpak [sage]:2019/06/01(土) 03:41:04.81 ID:zJUkddjZ0
名前 マリア・アッシュベリー

年齢 20歳

性別 女

身長 165p

体重 54s

B86−W57−H88


ステータス

筋力 E

耐久 E

敏捷 E

経験 E

神秘 S





奇跡:S

ユニークスキル。
伝説の聖女のみの御業。
異常性を元にしたスキルの効果を、Aランク以下を無効化、Sランクを大幅に減少する。





名前 シモン・マクナイト

年齢 ??歳

性別 男

身長 179p

体重 63s


ステータス

筋力 ?

耐久 ?

敏捷 ?

経験 ?

?? A
83 :以下、名無しにかわりましてSS速報Rがお送りします [sage]:2019/06/22(土) 02:06:44.45 ID:9bFppDo2o
ほう…
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