萩原雪歩「ココロをつたえる場所」
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11: ◆kiHkJAZmtqg7[saga]
2017/12/31(日) 21:01:36.88 ID:bbgcA4Fi0
 劇場の廊下は部屋の中ほど暖房が強くないから、厚着とも言えないレッスン着だと少し肌寒い。小走りで控え室に向かう途中、遠くから千鶴がロコを呼ぶ声が聞こえた。
 もしかして、まだ見つかっていないのだろうか。手伝いに行こうかとも考えたけど、今更自分一人が加わったところであまり役には立てないだろうと思い直す。

 目当ての部屋にたどり着いて、最近出番が多くなってきたお茶道具を引っ張り出した。みんなが各々好きに持ち寄った道具を所狭しと収納した部屋の中で、よく使われるものはそこまで入り組んだところに行ってしまわない傾向にある。冬のお茶道具やコーヒーメーカーは、その代表例と言ってもいいだろう。
 お茶をいれることにしたのは、温かい飲み物があればもっと落ち着けるはず、なんて月並みな考えから。湯のみの数に少し迷ったけど、ちゃんと必要になりますように、とほんの小さな願掛けを込めて四人分のお茶を用意することにした。

 ポットのお湯が切れていたから、水道から水を汲みなおしてお湯が沸くのをぼうっと待つ。雪歩の頭に浮かぶのは、ロコがレッスンルームを飛び出す直前に見せた泣きそうな表情だったり、むすっとした表情で強がっているように思えた桃子の姿だったり。
 それはきっと、見ていたいと思うような姿ではないはずなのに。どうしてか、雪歩は以前よりも二人が近くにいるように感じられた。
 考えごとでお湯が沸いていることにすぐ気づけなかったけど、それ以外は概ね慣れた調子でお茶をいれる。湯のみを四つお盆にのせてレッスンルームに戻ると、ロコと桃子が向き合って、お互いにかける言葉を探っているような様子だった。
 少し離れたところにいる千鶴が人差し指を唇の前で立てる。雪歩は少しだけ張り詰めた様子の彼女にならって、声をかけずに見守ることにした。

「え、と……その、ロコ、さん」

「は、はい。……何ですか、モモコ」

 たどたどしく言葉を向ける桃子に対し、ロコもまた落ち着かない様子で返していく。ひとつひとつの会話の間に、窺うような空白が含まれていた。

「ごめんなさい。……きつい言葉を使いすぎた、って思ってる。嘘とかじゃなくて」

「それを言うなら、こっちこそ。モモコがロコのミステイク……間違いを指摘してくれたのに、もっと大事なことがあるって思いこんでて、だから……。ソーリー……じゃなくて、ごめんなさい、です」

 ロコは何度も言葉に詰まって、言い換えて……いつか、桃子に言っていることがわからないと言われたことを気にしている様子だった。普段の勢いや自信はどこにもなく、その声は少し震えていた。

「…………」

「…………」

 何を話せばいいのかわからなくなって、だけど何か言わなきゃいけないことがあるような気がして、結局お互いに何も言い出せない。そんな沈黙がしばらく続いた。

「それで二人とも、相手を許してあげられそうですの?」

 見かねた千鶴が二人に声をかけた。意識の外から届いた声に、向かい合って硬直していた少女たちは目を見合わせる。

「許す……」「それは……」

 そう思っているのは自分だけなんじゃないか、そんな考えが頭をよぎっただけで、どうしようもなく怖かったのだろう。二人ともはっきりとは言葉にできず、だけどゆっくりと頷いた。
 千鶴の表情が、安心したように緩む。

「なら、仲直りですわね。この話はここまでにしましょう!」

 言葉の終わりと同時に雪歩に向けて目配せが届いた。タイミングを用意してくれたことに感謝を覚えながら、こぼさないように気を遣いつつ三人に向けて歩いていく。

「お茶、いれてきたよ。今日も外は寒いし、冷めないうちにどうぞ」

 湯のみを手で持ってもやけどしないことを確認して、一つずつ渡す。最後にお盆の上に残った一つを手に取って、一口だけ飲んでみた。ほんのちょっとぬるくなっていたけど、飲みやすい温度と言い張れる範囲ではあると思う。
 とはいえ、やっぱり相手にどう思ってもらえたかは気になってしまうもので。

「味とか、大丈夫だった?」

「はいっ。ユキホのいれるお茶は、落ち着く味がしてフェイバリットですよ」

「……桃子には苦いかも。でも、あったかい」

 ほう、と息をついた二人が感想を述べていく調子がとても似通っていたから、なんだか無性に口元がほころんで仕方がなかった。桃子はそんな雪歩の様子に気づいて目を逸らしてしまったけど。
 言葉はぽつりぽつりと些細なものを交わす程度に、ゆっくりとお茶を味わっていたら、気づけば自主レッスンをするには少し余裕のない時間になっていた。

「次のお仕事の時間が近いから、桃子はもう行くね。雪歩さん、お茶、ごちそうさまでした」

「おそまつさまでした。次いれる時は、ちょっと薄めにしてみるね」

「あっ……ぇっと、うぅ…………」

 桃子が歩き出そうとした時、ロコが小さく声をあげた。桃子も少しだけぎこちなく足を止めるが、ロコはどうにも上手く言葉が出てこない様子である。
 やっぱりなんでもありません、そう口を開こうとする間際で、千鶴がロコの背を押した。

「コロちゃん。まずは、言葉にしてみることですわよ」

「……そうですね、チヅル。えっと、モモコ。今日はダメになっちゃいましたけど、次の機会には……ロコと一緒に、レッスンしてくれますか?」

 桃子が答えを返すまでに、ほんの一瞬だけ間が空いた。背を向けて扉を前にした彼女の表情は誰にもわからなかったけれど、なんとなく、身体をこわばらせていた力が抜けたようにも見えた。

「いいよ。でも、厳しくいくからね。……それと」

「カタカナ語、教えてよ。ちゃんとコミュニケーションできないのは、よくないってわかったし」

 ぶっきらぼうに小さく付け足された言葉に、ロコは先ほどまで見せることのなかった大輪の笑顔を咲かせて。

「はいっ! ロコに任せてください!!」

 喜色を隠さない明朗な声が、レッスンルームに響き渡った。



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