12:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:52:15.08 ID:TXxgAIfuO
  聖堂内にはちらほらと人影が見えていました。そのうちのひとり、ある馴染みの婦人からは、「歌、楽しみにしてるからね」というお声をいただきました。 
  
 「はい。精一杯、努めさせていただきます」 
 「頑張ってねえ。今年もセイラムちゃんが演奏?」 
  
13:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:53:03.92 ID:TXxgAIfuO
 「昔から変わっていない。という意味で、喜ばしいことなのでは?」 
 「悪いようにも取れるよ」 
 「そんな嫌味を言う方ではないでしょう」 
  
  訊ねるというよりは、確かめるように私は言いました。セイラムは「ま、そうなんだけど」と呟いて、座ったままオルガンに向き直ります。 
14:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:53:48.36 ID:TXxgAIfuO
  そばにただ佇む私に、セイラムは目配せをしました。 
  
  ――ほら、うたえるでしょ? 
  
  言外の意味は容易に伝わります。私は少しだけためらったものの、ついには彼女の行動に添いました。 
15:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:54:42.46 ID:TXxgAIfuO
  その日の夜は、ごくささやかな慰労会が開かれました。 
  
  私たち修道会の今年の大きな活動も、この日が最後。教派によっては飲酒を固く禁ずるところもありますが、私たちはその限りではありません。軽度にアルコールの入った会は、ゆるやかに盛り上がりを得たあとに、なだらかに落ち着きました。 
  
  年齢の問題によってお酒を飲めなかった私は、食事を済ませたあとの時間を持て余していました。当てどのない足任せに運ばれていると、いつのまにか外庭の冷え切った大気に含まれていたことに気づきます。 
16:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:55:20.39 ID:TXxgAIfuO
  不意に、うしろから名を呼ばれて、振り向くと片手にグラスを持ったセイラムが立っていました。色白な肌には少し酒気を帯びて、ほの赤く染みた頬が艶やかでした。 
  
 「なにやってるの、こんなところで」と彼女は言いました。 
 「そちらこそ」 
 「あたしはちょっと。からだ火照ってきちゃって」 
17:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:56:10.38 ID:TXxgAIfuO
 「――誓願。するの?」 
 「はい。もちろん」 
 「そっか」 
  
  問いに返す言葉には、ためらいのかけらもなく。 
18:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:56:58.70 ID:TXxgAIfuO
  少しだけ――本当に、少しだけ。このとき、違和を感じたように思います。 
  
  セイラムの態度に、その口ぶりに。それらは、彼女の本質との整合性にわずかばかりの不和を下ろしました。 
  
  しかし、ごくかすかな違和感は、時間と共に埋もれていくものです。手に刺さった、尖った微細な木片さえ、日ごと存在を忘れていくのとちょうど同じように。 
19:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:57:24.19 ID:TXxgAIfuO
  年は暮れるや明け、「行く」「逃げる」「去る」と言い表される年初の三ヶ月は慌ただしくも過ぎ去りました。 
  
  変わらないと思っていました。些細なことは日々変わりゆけども、大いなる根幹は小揺るぎもしないと。 
  
  そんな甘やかな希望に充たされた私の考えは、表出した違和の痛みによって一変してしまいました。 
20:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:58:23.45 ID:TXxgAIfuO
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  私がそれを知ったのは、ほんの偶然でした。 
  
  午前の日曜礼拝を終えたのち、私は神父様を探していました。午後の礼拝に私が出席する必要があるかどうかを訊ねるためです。 
21:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 17:59:08.18 ID:TXxgAIfuO
  盗み聞きをするつもりはなかったと、その「つもり」はほとんど言い訳のようなものです。 
  
 「支払いはいつだったか」と神父様が訊ねました。 
 「一週間後ですね」とセイラムがこたえます。 
  
22:名無しNIPPER[sage saga]
2018/07/14(土) 18:00:01.72 ID:TXxgAIfuO
  神父様とセイラムの普段の関係性を、私はまるであるカートゥーン・アニメに登場するネコとネズミのようだと、軽妙で調子の良いものだと考えていました。 
  
  けれど、そのときのふたりに横たわる空気はあまりにも重々しく、強張り、異常を響かせていたのです。 
  
  もう出会ってからずいぶん長いというのに、いまのいままで私が知らなかったふたりの顔。拍動する戸惑いと、静かに覚醒する恐怖に近い感情がありました。 
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