樋口円香「天国とは程遠く、地獄と呼ぶには温かで」
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5: ◆TOYOUsnVr.[saga]
2020/04/13(月) 20:31:36.36 ID:HUVzNnIg0
〇
しばらくして、車が後退していることを示す音が私を呼び戻す。
瞼を上げて、窓の外の景色を見る。
周囲に停まっている車はいかにも社用車、といった出で立ちのものばかりで、オーディションの会場に到着したのだ、とわかった。
「発声、車の中でやっていくだろ。俺は出てるから」
声と同時くらいに、運転席のドアがばたんと閉じる音がして、プロデューサーが死角へ消える。
こういう、気遣いができるところはあの男の数少ない長所であるな、と胸の内で少し褒めてやる。
勿論、直接伝えることはない。
すぅー、と息を吸って肺に空気が満ちる。
今度は押し出して、また吸う。
それ何度か繰り返したのちに、簡単なウォーミングアップに努めた。
そうして、ひとしきりの準備を整えた私は覚悟を決めて、車を降りた。
「…………行けるね」
「もしかして、ずっとそこにいたんですか」
「いや、今来たとこだよ」
「もう少し、マシな嘘をついてください」
にっ、と笑んで「大丈夫。気楽に行こう」と歩き出すプロデューサーの背中を数秒だけ眺め、ややあって私も追いかけた。
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