18:名無しNIPPER[sage saga]
2020/06/11(木) 19:56:01.21 ID:fM9nM/xA0
 「……私は」 
  
  永遠にも似たその重力を先に振り切ったのは、果たして千夜の言葉だった。 
  震える唇が微かに紡ぎ出した、たった一言。それは知らない人間が聞いたのなら、いつもと変わらないように怜悧で鋭い響きを持っているようにも聞こえるのだろう。 
  ただ、そこには絶望があった。きっと過去に戻って彼女の口からもう一度その名前を聞いたときにも同じ事を感じるのであろう、果てのない虚無。 
  
  ちとせは俺を魔法使いと、そう呼んだ。だけど、俺はきっとそう呼ばれるに値しない人間だ。 
  奇跡も魔法もない世界で、きっと何か一縷の望みを託してそんな言葉を口にしたのだろう。そして、自分をスカウトするために交わす契約の条件に、千夜も担当する、という事柄を唇で書き加えた。 
  ――あなたの望みは、なぁに? 
  いつか問いかけられた言葉がリフレインする。俺の望み。ちとせの望み。そして、そこに必ずあるはずの。 
  
 「……正直に言いましょう。怖いのです」 
  
  だろうな、とは、言えなかった。 
  懺悔を聞く聖職者のように、俺はひとりぼっちになった重力の井戸の底で、千夜の唇が紡ぐ言葉を、ただ静かに目を伏せて待ち続ける。 
  
 「……私は、ただ静かに、お嬢さまと暮らしてゆければ、それでよかったのです。価値の無い私に、生きる意味を与えてくれたお嬢さまと、最期の時まで寄り添い、そこで人生を終わらせるのであろうと、そう思い描いていた」 
 「…………」 
 「それでも、お前はそれを許さなかった。きっとそんなつもりはないのでしょうね。ただ、私に別な価値を与えて、いつしかこの場所で過ごすことが日常になって、興味など欠片もなかった他者と必然的に関わりを持たざるを得なくなって」 
  
  それだけでは、大いなるマイナスだ。そう自嘲するように千夜はふっ、と短く息を吐いて、唇に微かな笑みを乗せようとして。 
  失敗した。代わりに、彼女の薄い唇はきつく真一文字を結んで、それから緩く、綻ぶように、崩れていくように、弓なりの形を、笑みの反対にあるものを形作っていく。 
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