過去ログ - 文才ないけど小説かく(実験)
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977:その命、尽きるとき(お題:女神) 10/10 ◆AWMsiz.p/TuP
2012/08/12(日) 23:32:09.65 ID:j3F87tL90
 茂さんは首を捻った。「そうかな。もしも、わしに殺意があれば、もしかしたら女神様に会えたかもしれない」
「殺したところで、女神様には会えませんよ。絶対に」僕ははっきりと言った。
 はは、と茂さんは自虐的に笑った。夢を夢だと否定されたような、寂しげな顔だった。
「そのとおりだな。死んだ人間に会うことなんて出来るわけが無いわな。呆けた爺の独り言だと思って忘れてくれ」
「そうじゃありません」立ち上がった茂さんを制するように、僕はいった。
「殺しても女神様に会えないというのは、そう意味ではありません。たぶんですが、茂さんの奥さんは、死の間際に人を殺そうと考えて
はいなかったんだと思います」
 茂さんが、こちらを向きなおした。眉が八の字になっている。
「あそこの地形を覚えていますか? あそこではスナック『銀河』のあったビルが目隠しになっていて、よく事故が起こっていたそうで
す。ビルが目隠しとなるのは、ビル側から横断歩道を渡ったときだけで、向かいの歩道からは見通しがよかった。奥さんもそうだと思
います。ビル側から横断歩道を渡り、事故に遭った。つまり、スナック『銀河』に向かう途中ではなく、帰る途中で事故に遭ったんです。
きっと奥さんは、思い直したのではないでしょうか。殺意をもってスナック『銀河』へ行ったけれど、思い留まったのではないでしょうか。
少なくとも殺意に動かされるままに亡くなったのではないと、僕は思います。だから、もしも茂さんが彼女を殺したとしても、きっと奥さ
んと同じ気持ちにはなれなかったと思います。女神様にも会えなかったと思います」
 話し終わっても、茂さんは何も言わず遠くを眺めていた。僕は漸く気が付いた。茂さんの目が見ていたのは、夏ではなかった。きっと
記憶の中から、どこかにいる女神様を探しているのだ。
「そうかもな。そうかもしれない。争いごとは嫌いだったから」
 だけど、と茂さんは続けた。
「もうそれを訊くこともできない」

 * * *

 茹だるような暑さの中で、僕は蝉の声を聞きながら、夏休みの最終日を満喫していた。祖母も諦めたようで、もうなにも言ってこない。
 僕は冷蔵ケースの中を覗き込み、以前食べかけしにしていたソーダ味のアイスを取り出した。食べかけは残り二本ほどあったはずだが、
一本しか見当たらない。僕はどうか見つかりませんように、と願いを込めて、冷蔵ケースの蓋を閉めた。
 二つに割ったアイスの断面はまっすぐではなく、微妙に凹凸していた。それは、片方の一部を奪い、片方に一部を奪われた溝だった。一
緒だったものが別れるということは、そういうことなのかもしれない。アイスも人も。もしかしたら蝉の鳴き声も。
 気が付いたらアイスが溶け始めていた。
「おっと」
 僕は一人呟いて、口を近づけた。しかし遅かった。
 青い粒が一滴、地面に跡を残した。それは涙のようにも見えた。
 
 完


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