過去ログ - 文才ないけど小説かく(実験)
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987:あなたの声を祈りによって聴く可能性について5/10 ◆ihO9dxzf9I[sage saga]
2012/08/12(日) 23:41:09.26 ID:30xXBl/o0
 7月11日(水)曇りのち雨
 図書室にて川城と新田と勉強しているとサエが混ぜろとやってきた。進学校に行ける頭はあっただけに教え方がうまい。
現代文は消去法で解けば良いとわかる。途中で篠原も加わって新田と騒ぎ出したので図書室から追い出された。
 雨の中ドトールへ。傘を忘れた川城の横を歩いていると、唐沢さんって優しい人だよね、困ってたらすぐに何か言って
くれるし、とサエと篠原がダベっているほうをぼんやりと見ていた。なんと返せばよかったんだろうか。そういえば、サ
エの川城に対する態度は、今日は俺とそう違うところはなかった。
 7月12日(木)雨のち曇り
 現代文の佐々木に読解力が上がる方法を訊ねにいくと、本を読めと堂々巡りに近い言葉で返される。何も分厚い本でな
くともいいのだと、村上春樹を薦めてくれた。佐々木が大学時代にハマった本らしい。170ページくらいだから三時間
程度で読めてしまったが、よくわからない。面白かった気はする。ただ、なにか引っかかる。佐々木の何かに諦めたよう
な風体は村上春樹から受け継いでいたのか。村上春樹はもうちょっと情熱めいたものが奥に潜んでいる気がする。情熱が
なければ170ページもの文章を書けない。あの黒縁メガネの奥にも何か残っているのだろうか。
 7月13日(金)曇り
 気になって仕方ないから村上春樹を机の中に忍ばせて授業を受ける。「1973年9月、この小説はそこから始まる。
入口だ。出口があればいいと思う。もしなければ、文章を書く意味なんて何もない。」この日記にも出口はあるのだろう
か。ずっと続いていく気がしてならない。それは無意味なのか? 出口が来てしまったら何もかも消えてしまう気がする。
 昼休みに読んでいるとサエに取り上げられて、うわナルシー、と投げられた。俺まで傷つけられた気分になる。こうい
うのって、ナルシシズムでしかないのだろうか。夜のニュースで九州の惨状が報じ続けられていた。濁った茶色の水に町
が浸され、家が浮島のようになっている。あんな光景が二年続けて。
 7月14日(土)晴れ
 暑くて勉強どころではない。本も映画も見る気にはなれず、兄貴が残していったCDラックを漁っていると、syrup16g
を流したくなった。今までまともに聴いたことはない。「Reborn」と「翌日」が良いと覚えている程度だ。
 声もいいし演奏もいい。歌詞が受け付けない。ひたすらネガティブを貫く姿勢はポーズだと思う。きっと絶望を突き詰
めれば希望があると信じているのだろう。それは悪いことじゃないが、いつしか絶望自体が希望になってしまう。サウン
ドも声色も、絶望の中でヌクヌクとダラけている。絶望は悪以外の何ものでもない。その先に希望があるから、なんて約
束してしまえばそれは最早絶望ではない。その先にあるものも希望ではない。偽物の絶望・希望だ。
 ほとんどの歌詞が自分で勝手に絶望と希望を繰り返している。他人によって動かされているのではない。自分だけで何
もかもに値段をつけた上で、楽そうなものにすがっている。音楽って一人で作るからこうならざるを得ないんだろうか。
耳って、自分の外で鳴る音を聴いてこそのものじゃないのか。


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