73: ◆qaCCdKXLNw[saga]
2012/07/17(火) 03:53:56.98 ID:yIkrPX16o
織莉子は目を覚ました。今が夜なのか昼なのかも分からない。分厚い遮光カーテンが、織莉子の部屋の外の風景をほとんど完全にシャットアウトしているからだ。
豆電球の付いた薄暗い部屋の中でぼんやりと見える時計から察するに、針は12時ちょと過ぎを指しているところだったが、そんなものはもはや織莉子にとってはなんの意味も持ってはいない。
織莉子は出来る限り寝ていたいと思った。少なくとも、睡眠中には頭をあれこれ巡らせる必要はない。
寝ている間には大概ろくでもない悪夢――在りし日の思い出だったり、やたらと誇大強調された父の死にざまだったりを見ることにはなるのだが、それは所詮夢なんだと割り切ることでなんとか叫びだすのは我慢することが出来る。
だが起きて頭に血が行き始めると、自分はどうしようもなく一人で、もう世界には誰一人として味方も敵もいないのだと考えられて、今にも叫びだしてしまいたい衝動に駆られるのだ。
同年代の子と比べても頭の回転はそれなりに良い方だと言える織莉子は、それが覆しようのない事実であるということを知っていた。
知っていて、眼を逸らした。肯定してしまえば心が死んでしまう、壊れてしまう、それを薄々感付いていたからだ。
そうやって無理やり抑えつける度に、織莉子は自分の心が軋んで悲鳴を上げるのが分かった。
だがそうは問屋が卸さない。織莉子の身体は、栄養と水分を求めてきぃきぃ泣き始める。
学校から帰ると、家の郵便受けに学校からの除籍通知をはじめとする各お稽古事の契約解除の知らせがぎっちぎちに詰まっていた。郵便配達人はたいそう骨の折れたことだろう。
そのあまりにも一様な反応に、織莉子は乾いた笑いしか出なかった。
最後の頼みの綱だった父の葬儀には嘱託の弁護士とその他の事務処理を行う傭員しか訪れず、織莉子はほとんど無人の葬儀ホールで空気を相手に弔辞を読み上げる破目になった。
私は、それでも父が大好きでした。その言葉は白と黒とで塗装されたコンクリートの壁に残響し、織莉子の悲嘆を表すかのようにわんわんと鳴いた。
織莉子は家に引き籠った。
彼女が尽くしたいと心より思った世界は、彼女の愛した世界は、その一切合財が彼女を否定した。
「美国織莉子」という存在それ自体を、否定して、否定して、否定し尽くした。
そうして否定されて、弱冠15歳の少女の心はとてもではないが保つものではなかった。
だが、世界から否定され、生きる望みを絶たれた織莉子は、それでも積極的に死ぬような気にもならなかった。
父の、あの死にざまを見てしまったから。
死がどんなに醜悪で、悲惨で、みじめなものなのかを知ってしまっていたから。
死ねば、あんな姿になる。それは、厭だ。
でも、だからと言って生きる気力など有りはしない織莉子は、結局の所その生を若干延ばす程度のことしかできていない。
喉が渇けば台所でコップ一杯の水を飲み、腹が空けば冷蔵庫からニンジンを取り出して齧った。
そんな生活を1週間も続けていくうちに、織莉子の身体は以前の美貌が嘘のようにやつれ衰えていった。
織莉子はしわくちゃになったシーツなどお構いなしに、転がり落ちるようにベッドから降りた。
廊下は暗い。つまり今は、時計の針から察するに午前零時をまわったところなのだろう。
思い足を引き摺って台所へと向かう。電燈などは点けない。そんな気力もない。
窓から射す月明かりは煌々としていて、紅い絨毯の敷かれた廊下に白い光を落としている。どうやら世界は、織莉子などいなくとも問題なく回っているらしい。
冷蔵庫を開けて、とりあえず目についた食材を手に取って齧る。あの日の朝、薄切りにしてベーコン・エッグに使った肉の塊、その余りだった。
それをろくに咀嚼もせずに貪って、金属のグラスに水道水を注いで飲み下す。
冷蔵庫の中身はもう随分少なくなってしまっていて、ほどなく空っぽになる。
食糧がなくなって、そのあとの自分はいったいどうなってしまうのだろう。
それを考えるのすら、今の織莉子には億劫だった。
何も考えたくはない。けれど、起きていれば嫌でも考えてしまう。
だから、また、あの悪夢のまどろみへと還ろう。
織莉子は再びベッドへ潜り込むべく、廊下を歩いた。
寝室のドアを開けると、どういうわけか窓が開いていた。
おかしい、引き籠っている自分が窓なんか開けるはずがない。内側から施錠されているそれだから、開けようとすれば物理的に破壊するしかないはずだ。
だが確かに錠は当然顔で解除されていて、春の夜風がカーテンを揺らしている。
誰かが侵入したのだろうか。誰かが、私に害をなそうとして。
なら、それも良いだろう。きっと、父――そして私に怒りや恨みを抱いている人間など山ほどいる。
積極的に死ぬ勇気はないけれど、そうやって命を奪ってくれるというのなら、それはきっと私にとっての救いとなるだろうから。
何がいるのか。
それに思考を働かせることもなく、織莉子はシーツにくるまった。
すると、
「やぁ」
織莉子の心情とは不釣り合いな、どこか奇妙な明るさを持った声がした。
それは窓のほうからした。
見れば、窓枠に小柄な猫程度のサイズの珍妙な生物が鎮座していた。
骨格は4足動物のそれのようだが、何かがどこかで間違ったような、そんな無機質的な雰囲気を纏っている。
ネコのような耳からは長大な毛のような物体が垂れていて、その下方には金色のリングが物理法則を無視した体でふわふわと滞空している。
少なくとも、織莉子の知識内の動物ではない。
「ぼくの名前は、キュウべえ!きみと契約して、魔法少女になってもらいたいんだ!」
そいつはにこっと愛想良く笑った、人のように。けれどそれはどこかがおかしい、言うならば無感情な笑みだった。
110Res/177.89 KB
↑[8] 前[4] 次[6]
板[3] 1-[1] l20
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
もう書き込みできません。