過去ログ - 削板「久し振りだな、百合子！」 -SS速報VIP

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608:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[sage]
2013/05/06(月) 17:05:15.58 ID:h1le+xXXo

「何読んでるんだ？」

少年が浴室から戻ると、彼女はベッドの上で本を読んでいた。恐らく少年の本棚を勝手に漁ったのだろう。

「サン=テグジュペリ。オマエこォいうの好きだったっけ。」

彼女が持っていたのはフランスの伯爵にして、航空パイロット、小児文学からエッセイまで幅広く執筆活動を行った人物の本だった。『人間の土地』―この邦題は原題の意味を考えると誤訳なのだけれど、少年は何となく響きが好きで気に入っていた。

「俺、冒険小説好きなんだけど。知ってるだろ。」

「サン=テグジュペリは冒険家かも知れねェが、冒険小説家ではないだろ。」

彼女の言はいかにも正論であった。創世記の民間航空界に携わった彼は間違いなく一種の冒険家であったけれど、彼の書いた幾つかの小説はいずれも冒険者の勇敢さであったり、逞しさであったりを賛美するものではなかった。むしろ危機的状況におけるそれらの無意味さすら雄弁に語っていた。確かにマーク・トウェインやジュール・ヴェルヌに代表されるような古典的冒険小説とは趣旨を異にする。
少年の本棚には彼の著書が数冊並んでいた。その内の一冊を手に取ってぱらぱらとめくると目的のページはすぐに見つかった。何度も何度もそのページばかり読み返しているからだろうか。

『勇気というやつは、大して立派な感情からできてはおりません。憤怒が少々、虚栄心が少々、強情がたっぷり、それにありふれたスポーツ的楽しさが加わったというだけのしろものです。』

『肉体的な力の激昂は大したものですが、これはあいにく何の役にも立ちません。いずれかといえば、むしろ愉快です。』

『今後僕は、単に勇気があるというだけの男なら絶対に尊敬はしないつもりです。』

少年は自分の気に入っている一節を口に出して読んだ。これは小説の中の一文ではなく、作者がプライベートで書いた手紙の抜粋であるらしい。幼い少年であれば誰しも勇気がある男に憧れるわけで、それを完全に否定するこの下りは当然この少年にも相当の衝撃を与えた。でも今になって改めて読んでみると、全くその通りであると思う。

「オマエにとっちゃ大層な皮肉に聞こえるが。」

「うーん、まぁ、そうかも。」

「でも本当のことだと思うから。」

勇気があろうと、逞しかろうと、それが何の結果も産まないのであれば意味がないと思う。しかもそういうものは在るだけで妙に達成感を生み出すから質が悪い。何もしないうちに、何かを得られたような気分にもなれる。

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