108:VIPにかわりましてNIPPERがお送りします[saga]
2013/03/13(水) 00:20:36.14 ID:X0l/dJT5o
奈緒の自宅の最寄り駅で降車して、駅前にあるドトールに僕たちは入ることにした。ス
タバと違って年配の人が多いし、パーテーションで区切られているだけの喫煙スペースか
らは煙草の煙が洩れて漂っていたけど、もう奈緒は文句を言わなかった。
駅から出たとき一応僕は明日香に電話してみたのだけど、コール音だけがむなしく繰り
返されるだけで明日香は電話に出なかった。もう仕方がない。明日香にはあとで謝ろう。
再び飲み物を前に向かい合った僕たちはしばらくは黙ったままだった。明日香は目の前
のコーヒーに砂糖を入れて延々と掻き回していた。でもやがて奈緒がゆっくりと話を始め
た。
「あたしね、今まで大切にしてきたものが二つあるの」
「うん」
「一つはピアノ。あたしにとってはピアノを弾いている時間が一番充実しているの。お兄
ちゃんというか奈緒人さんを好きになるまでは」
それには何と答えていいのかわからない。ひょっとしたら答える必要もないのかもしれ
ない。
「・・・・・・最初はママに勧められてそれほど関心もなく始めたんだけど、弾くことによって
普段は出せない感情表現ができるとか、それが聞いている人たちに思っていたよりはっき
りと伝わることがわかってからは、自分からのめり込んでいったの」
「そうか」
「でも演奏が感情表現に至るまでの距離って意外と遠くてね。やっぱり技術も必要なのよ。
正確に演奏するとかそういうテクニックがあって、その次に初めて感情表現が来るって感
じかな。それでもピアノが好きになって必死に練習しているうちに段々と技術の方は身に
付いてきたんだけど、そうなってみると逆に何を聞いている人に伝えたいんだかわからな
くなっちゃったのね」
ピアノの話にはそれほど関心がなかった僕だけど、そのとき父さんの書いた記事を思い
出した。
『中学生離れした正確でミスタッチのない演奏だが感情表現の乏しさは、まるでシーケン
サーによる自動演奏を聴いているかのようだ。同じ曲を演奏して第二位に入賞した太田有
希は技術的には鈴木奈緒に劣っていたし改善すべき点も多いが、演奏の感情表現に関して
は彼女の方が将来に期待を持てるかもしれない』
奈緒が自分の娘だと知っていながら父さんはあの記事を書いたのだ。そのときの父さん
はいったい何を考えながら記事を書いたのだろう。
459Res/688.68 KB
↑[8] 前[4] 次[6]
板[3] 1-[1] l20
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
もう書き込みできません。